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カテゴリー「芥川龍之介「江南游記」」の50件の記事

2013/09/29

芥川龍之介 江南游記 教え子T.S.君の探勝になる白雲寺写真追加

芥川龍之介「江南游記」に教え子T.S.君の探勝になる白雲寺の写真を注に追加した。

2012/11/07

芥川龍之介「江南游記」にて宿泊せる西湖の新新旅館や西湖の写真(教え子T.S.君撮影)/新発見の「上海游記」鄭孝胥自邸玄関前鄭・芥川スナップ写真等追加

芥川龍之介「江南游記」の「三 杭州の一夜(上)」の「新新旅館」注に、教え子のT.S.君撮って呉れた写真と彼の解説他を挿入、「上海游記」の「十三 鄭孝胥氏」の注に鄭孝胥自邸玄関前での鄭・芥川らのスナップ写真を追加した。

2012/11/04

芥川龍之介 江南游記 九 西湖(四) 驚天動地の「樓外樓」前共時写真及び検証写真解説挿入

「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の芥川龍之介「江南游記」の「九 西湖(四)」に、驚天動地の「樓外樓」前共時写真及び教え子の撮って呉れた検証写真と解説を挿入した。

Rougairou1_4


Rougairou2_3



ここに写っているのは――芥川龍之介自身である――これが驚くべき「共時写真」であることは、「江南游記」の「九 西湖(四)」をお読みになれば――分かる――

なお、現存する「樓外樓」の当該位置で中国在住の教え子のT.S.君が検証写真を撮って送って呉れた。

Rougairou4_2

彼の消息には他にも西湖の写真や彼の捉えた西湖の情感が語られてあった。私はT.S.君のお蔭で、芥川龍之介が見、しかも未だ私の見ぬ西湖の景観を、彼の心眼を通して味わうことが出来た。ここに謝意を表したい。

2012/07/12

江南游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈 北寺塔 写真二枚挿入

「江南游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「十三 蘇州城内(上)」に、教え子の撮って呉れた北寺塔の写真を二枚挿入した。

――高い塔上に立つてゐる事は、何だか寂しいものである。――

Hokkuji

2012/07/05

芥川龍之介 江南游記 十七 天平と靈巖と(中) 「モンモンケ」注追加 「モンモンケ」は「メンメンク」ではないか?

芥川龍之介の「江南游記」の「十七 天平と靈巖と(中)」に呪文のように現われる一読忘れ難い「モンモンケ」の注を追加した。

・「モンモンケ」を諸注は「問問咯」とし、江蘇方言で「お尋ねします」の意とする。因みに現代中国語の拼音(ピンイン)で示すと“wènwènlo”(ウェンウェンロ)であろう。岩波の倉石武四郎著「中国語辞典」に依るならば、この場合の「咯」“lo”は、現代中国語の文末の完了の助詞「了」“le”等を投げやりに発音した時に、「言うまでもなくそうだ!」という語気を示す、とある。しかしだとすれば、「お尋ねします」という丁寧語訳は少々おかしい。「訊ねん!」「教えてくんな!」「教えてくれ!」でよいのではないか? 江蘇方言にお詳しい方の御教授を乞う。【以下、二〇二一年七月五日追記】私の教え子で中国在住のT.S.君が、同僚で、蘇州語と近い上海語を母語とする日本語も話せる女性に、この場面の「モンモンケ」について意見を聴いて呉れた。その彼女の答えを以下に転載しておく。『私、蘇州方言は詳しくないけど……。そういう場合、上海方言では「メンメンク」と言います。そうですねえ、少し丁寧な感じ。日本語で言うと「ちょっと聞きたいのですが……」と言うかなあ。はい? 漢字で書くと? 「問問看」と書きます。北京語と同じく「看」には「調べてみる」「確認してみる」というニュアンスが込められています。きっと蘇州でも同じだと思いますよ。』。これだと丁寧語訳もおかしくない。この女性の「メンメンク」こそが芥川龍之介の言う「モンモンケ」の正体ではあるまいか? ここまで書いたところで、アップ・トゥ・デイトに再びさっき、T.S.君から追伸が舞い込んだ。『先生、島津四十起氏は上海語を話したのでしょうから、部下の女の子の言う「問問看」がそのまま当てはまるのであって、蘇州語を気にする必要はなかったのです。私は勘違いしていました。なお、今手元にある「江南遊記」中国語版(陳豪訳、新世界出版社)にも、この部分に「上海話‘問問看’」という注があります。』――これで「モンモンケ」の呪文は解けた。

2010/10/16

芥川龍之介「江南游記」「二十八 南京(中)」の「高跳動(カオチヤオトン)」解明

芥川龍之介「江南游記」の「二十八 南京(中)」に出る「高跳動(カオチヤオトン)」の正体を解明した。

旧来、未詳とされていたもの(筑摩全集類聚版脚注の『竹馬にのって踊りをするのか。』という推測は正しい)であるから、特にここにも掲げておく。

・「高跳動(カオチヤオトン)」“gāotiàodòng”であるが辞書にもなく、検索にも掛からず、筑摩全集類聚版脚注が『竹馬にのって踊りをするのか。』とするのみで、新全集の神田由美子氏注では注さえない。今回、中国通の知人の二人の協力を得て、遂に解明出来た。これは正しくは「高蹻戲」“gāojiăoxì”(ガオチャオシ)若しくは「高脚戲」“gāojiăoì”(ガオチャオシ)である。大正15(1926)年に書かれた青木正児著劉延年図「北京風俗図譜」の解説本平凡社東洋文庫「北京風俗図譜2」(1964年刊 内田道夫解説)の「伎芸第八」に、「道化芝居、竹馬芝居(秧歌戯〔高脚戯〕」として以下の記載がある。青木氏の著作権は存続しており、画師である劉延年の著作権も存続している可能性があるが、現在まで『不詳』とされてきたこの項目を、多くの方に認識して頂くという公益性を重んじて敢えて以下に全文と3枚の画像を示す(万一、著作権侵害を申し立てられた場合は、画像を削除し、引用を部分引用にする意志はあるが、本件に関して言えば、その全体の引用が本件注釈としては不可欠と判断され、それがかの芥川龍之介の「江南游記」の注としてならば、私は青木氏も許容して頂ける引用範囲内にあると考えている。なお、3枚の内の1枚は同書に参考として掲げられている「鴻雪因縁図記」の画像であるが、これは麟慶(1791~1846)の書で既に著作権は切れている)。内、最初のカラー版は友人の所有になる「北京風俗図譜」彩色図版の同一画像である。彩色の美しさが少しでも分かって頂けると嬉しい。なお、ルビの拗音は私が勝手に判断したものである。

Gaotyaosi

Gaotyaosi2

 《引用開始》

 秧歌(ヤンコ)はがんらい田植や収穫の時に歌われる民謡であったが、化装をともなった秩歌戯(ヤンコシー)(道化芝居)に発展して、お正月の農民の遊びとなった。高蹻戯(カオチャオシー)(高足駄)もやはりお正月の演技として各地に行なわれる。十二人または十人を一組とし、化装して足に高蹻(カオチャオ)(高脚(カオチャオ))―竹馬をつけて巧妙に演技する。その構成は(図向かって右より前へ)漁翁(りょうし)、武扇(扇をもった男子)、文扇(扇をもった女子)、小二格(シャオアルコ)(花籠をさげた子供)、大頭和尚、俊鼓(太鼓を打つ美男)、丑鑼(銅鑼を打つ醜女)、俊鑼(銅鑼を打つ美女)、丑鼓(太鼓を打つ醜男)、海女、膏薬売り、樵夫の十二人で、十人のときは海女と膏薬売りがぬける。北京の北郊妙峯山の縁日のときは、高蹻戯(カオチャオシー)が賑やかに上演されるが、これを秧歌(ヤンコホイ)と称している。
 湖北省にも同じくこの風が行なわれ、小丑(シャオチョウ)という道化役が手に一尺ほどの竹筒をもち、これを振ると筒の中の一文銭が高い響きをたてる。竹筒を連番(リェンシャン)といい、この道化役を打連香(ダーリェンシャン)という。あるいは銅の簡を用い、中に金環をいれて振る。古く雑劇に列せられた「打連廂(ダーリェンシャン)」の遺響であるという。児童が女性に扮して、指さきで筒をまわして音を出し、顔にのせて眉間より鼻の先に落として見せる。また眉間のところで筒をまわしながら、左手に拍板を鳴らし、右手に扇を舞わせて歌を歌ったりする。
 高脚戯の装束が何を意味するのか、よく分らないが、十二人はいずれも妖怪変化で、大頭和尚は蛤蟆(がま)、小二格は蝎虎子(やもり)の精というように、端午節に演ずる『混元金(フンユアンホ)』の芝居をまねたのだともいう。
 演技は仰向けにひっくりかえって見せたり、腰掛を飛びこえたり、一本脚で跳びまわったり、二人が相手の一部を持ちあったり、肩を組んだりして駈けまわる。高蹻(カオチャオ)(竹馬)は木の棒で作り、下端には鉄のたが、または釘をはめ、棒の中程のところに足がかりの板をつけ、その上に出た棒の部分を足に縛りつける。その由来はたいへん遠く、『列子』説符篇に「宋に蘭子というものあり、技をもって宋元君に干(もと)む。……雙枝の長さその身に倍するものをもって、その脛(すね)に属し、並びに趨(はし)り、並びに馳す」という。くだって宋の都杭州のことを述べた『武林旧事』巻二にも舞隊の中に踏※の名が見える。(『支部民俗誌』二巻二篇)[やぶちゃん字注:「※」=「距」-「巨」+「堯」。以下の「※」も同じ。]
[やぶちゃん注:ここに有意な行空きがある。]
 清時代の麟慶の『鴻雪因縁図記』(三集上)には山東臨清県の運河ぞいの縁日の賑わいを述べ、
[やぶちゃん注:ここに有意な行空きがあり、以下の同書からの引用は底本では全体が二字下げである。ここではブラウザ上の不具合を考え、字下げを行っていない。]
四月十八日は碧霞元君(泰山の神)の聖誕と伝え、遠近数百里の郷民争って来たり社火(まつり)の会をなす。百貨つぶさに衆まり百戯つぶさに陳(つら)ぬ。しかして独り脚高※もっとも奇絶となす。蹬壜(かるわざ)、走索(つなわたり)、舞獅(ししまい)、耍熊(くなつかい)精妙ならざるはなし。
[やぶちゃん注:ここに有意な行空きがある。]
 と記している。いずれも農村娯楽の古い歴史につちかわれてきた演技である。

 《引用終了》

Kusetu

上に掲げたのが、清の麟慶『鴻雪因縁図記』の該当図絵である。ここで芥川に話しかけている五味君は日本人であるから、中国語の発音の類似と、恐らくはその動きから、このような和製中国語を造ったものか、若しくは南京の方言で「高蹻戲」を実際にこう言ったのかも知れない。

2009/08/30

芥川龍之介中国土産浴衣

芥川龍之介が中国で買い求めた浴衣である……

 

Siyukata

 

――そうして この浴衣……

――この浴衣を着て 彼は自死したのであった――

芥川龍之介 中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈

夏の終わりに。あなたに送る。

芥川龍之介『支那游記』参考資料として、「芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

2009/08/29

書簡に注を附すのはなかなか大変である

ということが分かった今日この頃である――

やっと芥川龍之介が北京に到着した。全53通(新全集の新資料により3通を追加した)の内、残すところ注釈十通余り。

当たり前のことながら、差出人と受取人が分かれば済むために、第三者である我々が読むと、そこら中で躓くこととなる。どうも作家や思想家の書簡を読むというのは、多分に窃視的で私は好まないのだが、それ以上に読解し難いという事実を再認識した。今暫く、御猶予あれ。

2009/08/21

結局こんなことでは鬱は消えずに終わった――芥川龍之介中国旅行関連書簡群 打留

さてもこれに僕の注を附して、近日公開予定――

九一四 六月十四日
    北京から 芥川道章宛

北京着山本にあひました唯今支那各地動亂の兆あり餘り愚圖々々してゐると、歸れなくなる惧あれば北京見物すませ次第(大同府の石佛寺まで行き)直に山東へ出で濟南、泰山、曲阜、見物の上、青島より海路歸京の筈、滿洲朝鮮方面は一切今度は立ち寄らぬ事としましたその爲旅程は豫期の三分の二位にしかなりませぬが、やむを得ぬ事とあきらめます今度の旅(漢口より北京まで)は至つて運よく、宜昌行きを見合せると宜昌に掠奪起り、漢口を立てば武昌(漢口の川向う)に大暴動起り(その爲に王占元は部下千二百名を銃殺したと云ふ一件)すべて騷動が僕の後へ後へとまはつてゐますこれが前へ前へまはつたら、どんな目にあつたかわかりません體はその後ひき續き壯健この頃は支那の夏服を着て歩いてゐます支那の夏服はすつかり揃つて二十八圓故、安上りで便利ですしかも洋服より餘程涼しい北京は晝暑くても夜は涼しい所です六月末か遲くも七月初には歸れますからそれが樂しみです。山東は殆日本故、濟南へ行けばもう歸つたやうなものです。漢口よりの本屆きましたかあれは運賃荷造り費共先拂ひ故よろしく願ひますまだ北京でも本を買ひます叔母さんにさう云つて下さい袋はとうとう使はずじまひです。南京蟲に食はるのなぞは當り前の事になつてしまひました。僕が東京へ歸る日は前以て電報を打つ故皆うちにゐられたし伯母さんもその日は芝へ行かずにゐられたし芝と云へば弟は眞面目に商賣をやつてゐますか 以上
    六月十四日          芥川龍之介
   芥川皆々樣
二伸 文子雜誌に何か書いた由諸所の日本人より聞き及びたれどまだ僕自身は讀まず惡い事ならねば叱りはせねど餘り獎勵もせぬ事とは存ぜられたし山本瑤子よりは芥川比呂志の方利巧さうなりもう立てるやうになりしや否や

九一五 六月十四日
    北京から 岡榮一郎宛 (絵葉書)

北京着北京はさすがに王城の地だ此處なら二三年住んでも好い
   夕月や槐にまじる合歡の花
    六月十四日          東單牌樓   我鬼生

九一六 六月二十一日
    北京から 室生犀星宛 (繪葉書)

拜啓北京にある事三日既に北京に惚れこみ侯、僕東京に住む能はざるも北京に住まば本望なり昨夜三慶園に戲を聽き歸途前門を過ぐれば門上弦月ありその景色何とも云へず北京の壯大に比ぶれば上海の如きは蠻市のみ

九一七 六月二十四日
    北京から芥川宛(繪葉書)

ボク大同へ行かんとする所にストライキ起り汽車不通となる。やむを得ず北京に滯在、漢口より送りし本とどき候や香やこちらはもう眞夏なり、この手紙に返事出す事勿れ返事が來るには十日かかる十日たてばもう北京にゐない故に御座候 以上
下島先生より度々手紙頂き候お禮を申上下され度候
上海より村田君章氏の書を送つた由これ又とどき候事と存じ候

九-八 六月二十四日
    日本東京市外田端五七一 瀧井折柴君(繪葉書)

北京は王城の地なり壯觀云ふべからず御府の畫の如き他に見難き神品多し 目下大同の石佛寺に至らむとすれどストライキの爲汽車通ぜず北京の本屋をうろついてゐる 以上
    二十四日          龍之介

九一九 六月二十四日
    日本東京市外田端自笑軒前 下島勳樣 (繪葉書)

度々御手紙ありがたう存じます 僕目下支那服にて毎日東奔西走してゐます 此處の御府の畫はすばらしいものです(文華殿の陳列品は貧弱)北京なら一二年留學しても好いと云ふ氣がします 又本を買ひこみました
    二十四日          我鬼

九二〇 六月二十四日
    北京から 中原虎雄宛 (繪葉書)

僕は今北京にゐます北京はさすがに王城の地です、僕は毎日支那服を着ては芝居まはりをしてゐます 以上
    六月二十四日          北京東單牌樓   芥川龍之介

九二一 六月二十七日(推定)
    日本東京市本郷區東片町百三十四 小穴隆一樣
    二十七日 (繪葉書)

   花合歡に風吹くところ支那服を着つつわが行く姿を思へ
二科の小山と云ふ人に遇つた君と同郷だと云つてゐた文華殿の畫は大した事なし、御府の畫にはすばらしいものがある畫のみならず支那を是非一度君に見せたい

九二二 七月十一日
    北京崇文門内八寶胡同大阪毎日通信部内 鈴木鎗吉樣
    七月十一日朝 蠻市瘴煙深處 芥川龍之介

    天津貶謫行
   たそがれはかなしきものかはろばろと夷(えびす)の市にわれは來にけり
   夷ばら見たり北京の駱駝より少しみにくし駿馬よりもまた
   ここにしてこころはかなし町行けどかの花合歡は見えがてぬかも
   支那服を着つつねりにし花合歡の下かげ大路思ふにたへめや
                    我鬼戲吟
二伸 波多野さんによろしく
三伸 福田氏(上海)への三弗こちらから送ります 御送に及びません 唯扶桑舘の茶代及女中の心づけを多からず少からず願ひます 多すぎる心配は無用だらうと思ひますが、
それから立つ前中山君に會ひながら扇の御禮を云はずにしまつた よろしく御禮を云つてくれ給へ
索漠たる蠻市我をして覊愁萬斛ならしむ一日も早く歸國の豫定

九二三 七月十二日
    天津から南部修太郎宛(繪葉書)

昨日君の令妹の御訪問をうけて恐縮したその時君の手紙も受取つた偉さうな事など云はずに勉強しろよ僕は近頃文壇とか小説とか云ふものと全然沒交渉に生活してゐる、さうして幸福に感じてゐる寫眞中書齋に於ける僕は美男に寫つてゐるから貸してやつても好い窓の所で寫たのは唐犬權兵衞の子分じみてゐるから貸すべからず 以上

九二四 七月十二日
    日本東京市本郷區東片町百三十四 小穴隆一君
    七月十二日 (繪葉書)

天津へ來た此處は上海同樣蠻市だ北京が戀しくてたまらぬ
   たそがれはかなしきものかはろばろと夷(エビス)の市にわれは來にけり
   此處にして心はかなし町行けどかの花合歡は見えがてぬかも
                    天津   我鬼
二伸 一週間後はもう東京にゐる

九二五 七月十二日
    天津から 芥川宛 (繪葉書)

今夜半發の汽車にて歸京す暑氣甚しければ泰山、曲阜皆やめにしたり一週間後には必東京にあるべし右とりあへず御報まで
    七月十二日          天津   芥川龍之介

九二六 七月
    天津から
    安徽省蕪湖唐家花園齋藤貞吉樣 (繪葉書)
お前の手紙は英語のイデイオムを使ひたがる特色ありこは無きに若かざる特色なりされど亦お前を愛せしむる特色なり僕はお前の手紙を讀んでお前が一層可愛くなつたお前を可愛がらぬ五郎は莫迦なり僕お前の所へChinese Profilesと云ふ本を忘れたりあの本紀行を書くには入用故東京市外田端四三五僕まで送つてくれ兎に角蕪湖でお前の世話になつた事は愉快に恩に着たき氣がする僕北京で腹下しの爲め又醫者にかかつた今夜歸國の程に上る一週間後はもう東京にゐるべしお前の健康を祈る北京で蝉の聲をききお前を思ひ出した蕪湖には今もブタが横行してゐるだらうな何だかゴタゴタ書いたもう一度お前の健康を祈る僕のやうに腹下しをするなよ さやうなら
                    天津   我鬼

芥川龍之介中国旅行関連書簡群 完

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