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カテゴリー「鈴木しづ子」の227件の記事

2014/09/02

やぶちゃん版鈴木しづ子句集〈抄出217句〉 PDF版

「やぶちゃん版鈴木しづ子句集〈抄出217句〉」PDF版を「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に公開した。

2012/02/26

鈴木しづ子句抄――雑誌発表句・未発表句を中心にしたやぶちゃん琴線句集

ブログで完成したしづ子の全句からのオリジナル選句鑑賞を「鈴木しづ子句抄――雑誌発表句・未発表句を中心にしたやぶちゃん琴線句集」として、やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇同縦書版とともに公開した。

2012/02/22

傾くやいつさい了へし雪の墓 鈴木しづ子

傾くやいつさい了へし雪の墓

――しづさん……これは今の僕であったねえ……

附 しづ子大量投句稿日附不明二十枚の内 ノンブル「17」・「18」

 川村蘭太氏の「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の中に判読可能な大きさで画像が示されている句稿が二枚ある。これを見ると、少なくともこの句稿の場合、激しい推敲の後を留めたもの(普通の投句に見られる清書がなされていないもの)であることが分かる。川村氏はこれを用いて、しづ子の作句上の特徴である『連作作法』を明らかにされている。川村氏の言う『連作作法』とは、『最初に得たイメージを連鎖させることによって、自身のテーマを摑んでゆく方法で』、『テーマの確証が固まってくると、しづ子は俄にその主題に埋没し出』し、『彼女はテーマに埋没することによって描くべき人物になり切ってゆく』のだと語られ、その例をこの二枚の原稿画像を用いて解説なさっておられる。
 ただ、ここには私にはやや解せない部分がある。それは三五六頁の書き出しに『最初のイメージを想起させる句』として掲げられた、いわばここで連作作法を説明するプロトタイプの句として、「満月の夜にて女體の恥ずるなり」が示されているのだが、続けて読んでゆくと、この句は「17」よりも前の句稿にあるように書かれているのである(三五七頁冒頭に『これでこの句は完了したのかと思うと、一七枚目には』とあることから明白)。ところが、更に読み進め、また、掲げられた画像を視認してみると、「18」枚目になってまた、先に川村氏が説明したのと全く同じ推敲訂正抹消を施した「満月の夜にて女體の恥ずるなり」が再び現れるのである。同じ推敲訂正末梢を施したものが再度現れることはあり得ないとは言えないが、失礼乍ら私は、ここには叙述上の何らかの錯綜があるのではないかと感じている。
 それはそれとして、私は、本プロジェクトの最後に、この画像として視認出来るしづ子の生原稿を私なりの方法で読み取り、活字で再現したい願望に駆られたのである(「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」巻末の「鈴木しづ子 全句」にある句群は推敲の跡を示していない。しづ子の推敲過程への興味は川村氏ならずともそそられるものがある。また、その願望以外に、失礼ながら「全句」では例えばこの最初の句の下五を「搖らぎかふ」と誤読――これは草書体の「な」を「ふ」と誤読したとしか思われない。そして実は「鈴木しづ子 全句」の他の箇所にも全く同様と推測される誤読としか思われないものが散見されるのである――している。また「全句」では、本文で川村氏がちゃんと読んでおられる「祈」の字が「■」で判読不能となっている等々、どうも川村氏ではない編集者によると思われる判読部分に多くの疑義があるのである)。以下、その作業を、せめてもの私の最後の、しづ子への謝意として終わりとしたいのである。

●大量投句稿日附不明二十枚の内 ノンブル「17」句稿

17[やぶちゃん注:右上に。通常便箋。左右の端の罫は、やや太く且つ上下もやや長い。句は基本一枚の便箋に一行空きで八句書かれており、その間に推敲跡がある。]

   臥して見る白木蓮の搖らぎかな

   花過ぎの木蓮の葉の靑みけり

   足早に樹蔭を過ぐる手の包み

[やぶちゃん注:次の句は激しい推敲の跡がある。画像が小さいので抹消文字の判読は難しいが、推敲過程を私なりの読みで推測しながら示すと、まず最初に、

   木蓮の白花をもちし樹蔭なり

と書いたもの全体を波線一本で抹消し、右に一字下げて少し小さく、

    花過ぎの白木蓮の茂りかな

と記した上で、更にその下五「茂りかな」を途中で捻じれた一本線で抹消し、左側の空行の「もちし」の「ち」の高さの所に同じ大きさの字で、

          木の茂り

 と書いて、二行前の「白木蓮の」の「の」の下と曲線で繫げている。従って、次の句が最終推敲句となる。]

   花過ぎの白木蓮の木の茂り

[やぶちゃん注:従って、この句の推敲過程は、

   木蓮の白花をもちし樹蔭なり
      ↓
   花過ぎの白木蓮の茂りかな
      ↓
   花過ぎの白木蓮の木の茂り

となる。]

[やぶちゃん注:次の句は、本来、以下の記載がしづ子のものである。]

   滿月の夜は女體もて祈り遂ぐ

[やぶちゃん注:ところが不思議なことに、この句は「全句」のあるべき当該箇所に所収してない。そして、この句稿には鉛筆による書き込みが多数ある。以下、その鉛筆書きを説明する。
まず句の頭に「の」の字状の記号と
その下に「レ」字型の記号が重ねて二つ
存在する。
そして、
「滿」をぐりぐりと消して右に「まん」
とあり、
「夜は」の「は」をぐりぐりと消して右に「ぞ」
と書き、
「祈り」の「祈」の横に「いの」
と書く。
ところが鉛筆による書き込みはそれで終わらずに、
句全体に曲線を持った一本線で削除線
が延びて、
「遂」の字から逆Vの字型に下部に線
が引かれて、その中に、右側、
判読不明の丸に左に落ちる鍵型の不思議な記号
が、そしてその下に、
「?」を〇で囲ったような記号
を配し、その左に、
「〇レ」のような記号
を頭にした、

   まん月の夜の

と記してあって、その更に左に(写真では一部の判読が難しいが川村氏の判読を参考にすれば)、

   いのりぞ女體もて

とある。これをそのまま続けて表記すれば、

   まん月の夜のいのりぞ女體もて

と読める。
 しかし乍ら、これは鉛筆であり、頭の「レ」の記号(明らかに選句の圏点)を見ても、しづ子の書き入れではなく、本文で川村氏も指摘されている通り、巨湫の斧正による句と見て間違いない。従って、しづ子の句としては、あくまで最初に示した「滿月の夜は女體もて祈り遂ぐ」のみが「全句」として採用されなければならない。]

[やぶちゃん注:次の句も激しい推敲の跡がある。まず最初に、

   滿月の夜こそ女體のけがれなし

と記し、恐らくまず、「こそ」を二重線で消去してその右に、

       にて

と記した。ところがその後に気に入らなくなったしづ子は、残りの「滿月の夜」「女體のけがれなし」の部分に波線を引いて末梢、左の空行部分に、少し小さな字で、

    滿月の夜のいとなみの女人の手

と直した。しかし、下五がやはり気に入らず、「女人の手」を一本線で消去、今度は右の空行部分に、

               女體の手

と書いて、「いとなみの」の下と曲線で繋げて、以下の句を決定稿としているものと思われる。]

   滿月の夜のいとなみの女體の手

[やぶちゃん注:則ち、この句の推敲過程は、

   滿月の夜こそ女體のけがれなし
      ↓
   滿月の夜にて女體のけがれなし
      ↓
   滿月の夜のいとなみの女人の手
      ↓
   滿月の夜のいとなみの女體の手

となる。]

   傳説の満月の夜の捧げもの

   滿月の夜はいけにへの女體焚くと

●大量投句稿日附不明二十枚の内 ノンブル「18」句稿

18[やぶちゃん注:右上に。通常便箋。以下、17に同じ。]

   滿月の夜は祈りの手ほどかざる

[やぶちゃん注:元は、

滿月の夜は祈りの手摑みしままに

とあったものを、下五字余り七音を波線で消去、「ほどかざる」と右に訂したものである。]

   女體にて月のみ前に恥づるなし

[やぶちゃん注:頭に巨湫によると思われる鉛筆の「レ」点一つあり。この句は元の、

   月み前女體捧げて惜しむなし

を総て波線で消去、その右側にやや小さな字で表記の句を書いている。]

   滿月の夜にて捧げむ女體かな

[やぶちゃん注:頭に巨湫によると思われる鉛筆の「レ」点一つあり。この句は元の、

   滿月の夜こそ捧げむ女體かな

とした「こそ」を二重線で消去、右側に「にて」としたものである。]

   女體にて滿月の夜の火を捧ぐ

[やぶちゃん注:元は、

   滿月の夜こそ女體の恥づるなし

であった。次に、まず「こそ」に二重線を引き、右側に「にて」として、

   滿月の夜にて女體の恥づるなし

としたが、気に入らず、「にて」を更に一本線で消去した上で「滿月の夜」「女體の恥づるなり」をも波線で消去して、冒頭の句を決定稿としたものと思われる。]

   滿月の夜に女體に祈りはなし

   萬綠の岩に足立ち髮を梳く

   ローレライの乙女とおもふ萬綠に

   綠蔭におのが歌ごゑ翳らしむ

[やぶちゃん注:この句、頭に巨湫によると思われる鉛筆の「レ」点二つあり。]

これを以て、私の鈴木しづ子全句からの琴線句抄出を終了する。

最後に――
我々に鈴木しづ子の全貌を伝えて下さった川村蘭太氏に改めて心より感謝する――

そして――

しづへ――
愛を込めて――“Here's looking at you, kid!”――君の瞳に乾杯!

鈴木しづ子 四十三歳 『俳句苑』昭和三十九(一九六四)年七月号しづ子最終詐称投句全掲載句

 きょうだいの性異なれる緑雨かな

 拭う雨東京の土踏むことなし

 書くときと身近にたもつ蠅叩き

 五月雨の流れどおしの木木の虜

 万緑や腰おろすべき石さがす

 「五月雨の」の「木木の虜」はママ。「膚」の誤植。ここだけは総て底本通りの表記で示した。『きのうみ』昭和三十八(一九六三)年六月号しづ子詐称投句全掲載句の再録(「拭ぐう」の「ぐ」がなくなり、「萬」が「万」になっている)であるが、ともかくも、これが最後の巨湫による、本当の最後のしづ子詐称投句ということになる。『俳句苑』は巨湫が関わった同系組織の短詩系結社の転載総合俳句誌といったもので、この『俳句苑』は第二次の再開創刊号にあたる(巨湫は主宰ではなく編集長であった)。――これが最後となったのは――巨湫は本号発刊直前に脳軟化症で倒れ――そして、この昭和三十九(一九六四)年七月二十三日に――亡くなったためである――ともかくも巨湫は――確信犯でしづ子を騙った詐称投句を――死ぬまで貫徹したと言えるのである――

鈴木しづ子 四十二歳 『きのうみ』昭和三十八(一九六三)年十月号しづ子詐称投句全掲載句

 花舗(はなみせ)へ橋越えてゆく梅雨の降り

 午後よりは齒醫者へ通う梅雨の照り

 炎日の草が吹かるる縣境

 短か夜のゆめの白さや水まくら

 風鈴や枕に伏してしくしく沸く

 最終句の「沸く」はママ。「涕く」の誤植。総て現存する大量投句稿の、最も古い昭和二十六(一九五一)年六月八日附句稿から採られたものである。総てを投句稿の正表記(私の恣意的な旧字化をしていない底本のままの意)で示す。

 花舗へ橋越えてゆく梅雨の降り

 午後よりは歯醫者へ通ふ梅雨の照り

 炎日の草が吹かるる縣界

 短夜の夢の白さや水枕

 風鈴や枕に伏してしくしく涕く

「花舗」の読みは元にはない。これらも同句稿の連続する十六句の中から採られた五句である。因みに、最後の句は『指環』に所収する句である。
 ――そしてこれが――鈴木しづ子の『きのうみ・樹海』での詐称掲載の――最後となった――

鈴木しづ子 四十二歳 『きのうみ』昭和三十八(一九六三)年九月号しづ子詐称投句全掲載句

 蟻をあわれとおもうことよりおのれをば

 蟻のごとおのれの危機に聡とかりせば

 とりいだせし扇風機にも過去嚴と

 とりいだせし扇風機にも戀哀われ

 とりいだせし扇風機にて人はなし

 総て昭和二十七(一九五二)年七月二日附大量投句稿から。但し、次の三句は表記が異なり、

 蟻をあわれとおもふことよりおのれをば

 蟻の如おのれの危機に聡かりせば

次の句はてにをはが異なる。

 とりいだせし扇風機にて戀哀われ

なお、これらの選句されたものの原稿は殆ど同一の句稿紙から採られたもので、九句の連続した句稿からこれら五句が選ばれている。

鈴木しづ子 四十二歳 『きのうみ』昭和三十八(一九六三)年八月号しづ子詐称投句全掲載句

 濃靑の葉のため息にて雫りけり

 高かき葉の隔日に照る梅雨なりけり

 蟻の體にジユッと當てたる煙草の火

 梅雨の燈や海を渡たれば近づく駿

 梅雨寒むの點もらぬ煙草唇はさむ

 前の注で私が「……しかし……」と言った理由は、以下の句の出所からである。
・第一句「濃靑の」(「濃靑」は「こあを」と読む)は第二句集『指環』に所収している句である。但し、これまで『樹海』その他の誌上に掲載されたことはない。しかし、十一年前とはいえ、厳然たる句集の既出句である。
・第二句「高かき葉の」は昭和二十六(一九五一)年『樹海』八月号既掲載句。但し、先行句は不自然な送り仮名「か」はない。
・第三句「蟻の體に」も昭和二十六(一九五一)年『樹海』八月号既掲載句。但し、先行句は歴史的仮名遣いに則り、「ジユツ」で拗音化されていない。
・第四句は、底本編者注もあるが、「駿」は「驛」の誤植で、現存する大量投句稿の、最も古い昭和二十六(一九五一)年六月八日附句稿から採られたものである。但し、句稿では、

 梅雨の燈や海を渡れば近づく驛

と、「渡」に奇妙な送り仮名「た」は、ない。
・第五句「梅雨寒むの」も同じく昭和二十六(一九五一)年六月八日附句稿から採られたものだが、これは

 梅雨寒むの點さぬ煙草唇はさむ

であり、斧正が入っている。しかしここでも奇妙な送り仮名「も」が入っていることの方が気になる。
 以上の内、少なくとも昔からの「樹海」同人にとっては最初の三句は既知の旧句である。特に『樹海』を手に取り、また、部外者でもしづ子を少しでも知る者なら「蟻の體にジユッと當てたる煙草の火」を知らぬ者はなかったはずだ。少なくともしづ子を知っている「樹海」同人であったなら、この号で巨湫がしづ子を詐称していることを、どんな馬鹿でも見抜くであろう。――前号とこの号との二か月の間で、もしかすると巨湫は、「樹海」同人の鋭い誰かからか暗に詐称を指摘されて(それも、あの如何にもな選評が仇となって)、自分の犯罪がバレたことを知ったのかも知れない。――ともかくもこれで、巨湫は遂に詐称を公的に認めてしまったことに他ならない、と私は思う。――その呵責が、無意識的に元の句を変則的に変えるおかしな送り仮名になって表れたのではないか? いや、巨湫にとって詐称は――もうどうでもいいことであったのかも知れない……

鈴木しづ子 四十一歳 『きのうみ』昭和三十八(一九六三)年六月号しづ子詐称投句全掲載句

 きょうだいの性異なれる綠雨かな

 拭ぐう雨東京の土踏むことなし

 書くときも身近かにたもつ蠅叩き

 五月雨や流れどおしの木木の膚

 萬綠や腰おろすべき石さがす

 この時、『樹海』は『きのうみ・樹海』と改称し、通算五十号を数えている。さて、掲載句は総て現存する大量投句稿の、最も古い昭和二十六(一九五一)年六月八日附句稿から採られている。但し、「拭ぐう雨」と「五月雨や」の二句は、投句稿では、

 拭う汗東京の土踏むことなし

 五月雨の流れどおしの木木の膚

である。後者の斧正は格助詞「の」の畳み掛けを切れ字で断つ方が断然よく、穏当であり正しい(「ぐ」の、この後にも似たように見られる気持ちの悪い送り仮名はいただけないが)。しかし、前者は私から見ると、たとえ師であっても斧正としては全く認められない『操作』である――いや――いいか、どうせ詐称しているんだから、ね……。
 そして――この掲載には巨湫の最後の芝居と謎かけがなされている――
 まず、川村蘭太氏の「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の本文(三九四頁)によれば、この詐称投句に虚偽の選評を施し、

ひさかた振りのしづ子さん。俳句のルール(みちすじ)を踏まえている。――象徴――てんでゆるぎもありません「格はいく第五詩格旧十七音詩」(乗摘象徴発想)として推します

とあるとする。『「格はいく第五詩格旧十七音詩」(乗摘象徴発想)』とはよく分からないが、恐らく巨湫が「樹海」同人の中で展開した彼の独自の俳論のセオリーの一種であろう。それにしても、ここまで確信犯で詐称を厚塗りする巨湫は、何か見ていて傷ましい気がしてくる。
 更に「謎」である。それは、この掲載の作者の住所を示す位置に(底本では一句目「きょうだいの」の後に編者注で示されるが、「鈴木しづ子」という名前がその句の下(若しくは後)に示されてある、その下の位置か?)ある。

 狭河

である。謎の地名である、この謎の「狭河」の探訪は「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の最終章をお読み戴きたい。
 ――それにしても――巨湫が四年の沈黙を破ってまたしても確信犯の詐称を再開した、その採録投句稿が、例の異様な大量投句稿の最初の日附であることに着目したい。――巨湫はまたしても確信犯でゼロ座標からしづ子投句を始めようとしたのではなかったか? 彼は性懲りもなく――またゼロから詐称を始めたのではなかったか?!……しかし……

鈴木しづ子 三十八歳 『樹海』昭和三十四(一九五九)年九月号しづ子詐称投句全掲載句

 挑まれてわが甲虫たたかへり

 如何樣にしても甲虫たたかはず

 甲虫を女童(おんなわらべ)のせつに欲る

 しづ子の好きな「欲る」という動詞を以て終わり……この後、凡そ四年、しづ子の句は『樹海』から姿を消す―……

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