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カテゴリー「火野葦平「河童曼陀羅」」の42件の記事

2017/06/17

ブログ960000アクセス突破記念 火野葦平 梅林の宴

 

[やぶちゃん注:これは本来は底本の「皿」の後に入る(意図はなく、ただ単にうっかり電子化を落してしまっただけである)。

 ネタバレを避けるために、注は本文の当該段落の後に附した。

 本電子化は、昨日、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが960000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年6月17日 藪野直史】]

 

 梅林の宴

 

 野から、村から、山から、そのどよめきはおこつた。そして、とめどがなく、あまりにもけたたましすぎて、はじめはなんのことやらまつたく意味がわからなかつたほどである。革命がおこつたのかと考へた者もあつた。或ひは女のための出入りかと思つた者もある。一人の美しい女のために國が傾いたり、國と國とが戰爭したりする例はこれまでたくさんあつたし、その騷擾(さうぜう)のなかからはしばしば女の金切聲がきこえて來たからである。さうでないとわかると、ヤクザどもの出入りかと想像された。無知な博徒たちが繩張といふ勝手な勢力圈をこしらへて、一宿一飯の奇妙な仁義(じんぎ)をふりまはし、無意味に命のやりとりをする事件も、これまでうんざりするほどくりかへされたからであつた。しかし、そのどよめきは以上のどれでもなかつた。以上の三つのどれとも異つた悲壯で悽慘な趣を呈してゐた。

 ときに春がおとづれる季節であつたため、すでに雪のとけた大地からはきまざまの花が咲きいで、雲にも、村にも、山にも、鳥は樂しげにさへづつてゐた。まだ櫻は咲かなかつたが、梅はいたるところに紅く白くその高雅な花をひらき、馥郁(ふくいく)とした香をはるか遠くにまで放つて、これまで寒さにふるへてゐた人里に陶然(たうぜん)の風を吹き入れはじめたころなのである。每年の例からすれば、貧しい農家からもゆつたりとした歌聲がきこえ、梅林(ばいりん)に集まつた人間たちが一升德利から酒くみかはして、おどけた踊りで日の暮れるのを忘れるときなのである。ところが、今年は樣相が一變してゐた。筑豐(ちくほう)の野におとづれた春の姿は毎年と少しも變らなかつたのに、これを迎へる人間たちの方がまつたく變つてゐたのである。

 香春岳(かはらだけ)のふもとにある梅林に、紅白の花は撩亂(れうらん)と咲きいでても誰一人おとづれる者はなく、まして酒盛りなどの氣配もなかつた。このため河童たちが梅林で宴をひらく宿望を達することができたのである。先祖代々、蓮根畑といつた方がよい泥水の宮下池に棲みなれてゐた河童たちは、いつか一度は香春(かはら)の梅林で一杯やりたいと念願してゐた。しかし、毎年蕾(つぼみ)が咲きはじめてから散つてしまふまで、人間たらに占領されづくめで、その希望がはたされたことがなかつた。今年は大いばりでそれができた。蕾のときは無論のこと、どんなに紅白の花が咲きみだれても人間どもの姿はまつたくあらはれず、まるでこの美しい梅林を突然忘れ去つてしまつたやうな觀さへあつた。

[やぶちゃん注:「香春岳」(現代仮名遣では「かわらだけ」)は現在の福岡県田川郡香春町にある三連山で構成された山塊を指す。ウィキの「香春岳」によれば、地元では「香春岳」とは呼ばず、「一ノ岳」・「二ノ岳」・「三ノ岳」それぞれを分けて呼ぶことが多いという。最高峰は三ノ岳で標高五〇八・七メートルである。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

「どうも變てこだね」

 と、一匹の河童がおいしさうに、蓮根酒の盃をかたむけながら、小首をひねつた。

「たしかに變てこだ」と他の一匹が答へた。

「人間どもの考へてゐることはさつばりわからん。しかし、おかげでおれたちは幸(しあは)せした」

「さうだ。いつかはこんな日を迎へたいと、寢言にまで話してゐたからな」

「命がのぴるよ」

「うん、來年もこんな風だとええな」

「だけど、どうして今年は人間どもが梅の花なんか見向きもせんのぢやらうか」

「そんなこた、どうでもええぢやないか。どうせ人間世界なんて、おれたちと無關係なのだ。無關係なことに神經を使ふのは馬鹿げとる。おれたちは河童世界のことだけを考へとればええんぢや」

「わかつた。わかつた。人間のことなんか相手にせずに、大いにやらう」

 河童たちの梅林の饗宴はいつ果てるとも知れなかつた。連日これをつづけても人間からさまたげられることがなかつた。

 ところが、事態は急變した。人間どもと無關係だと超然としてゐたのに、はからずも河童たちはその人間の騷擾のなかに卷きこまれ、傳説の掟を破つて、人間とたたかはねばならぬ羽目におちいつたのである。

 

          二

 

 河童たちをおどろかせたけたたましいどよめきは農民と武士とのたたかひなのであつた。蓆旗(むしろばた)をおしたて、槍、鍬(くは)、竹槍などを持つた農民たちの一隊が、代官所を襲つて非道の代官をやつつけたところまでは景氣がよかつたのだが、城主のゐる町から討伐隊がかけつけて來ると、百姓たちは總くづれになつた。武士たちは刀劍をふりまはし、槍をしごき、鐡砲まで射ちかけたので、武藝の心得のない百姓たちはひとたまりもない。それでも必死になつて抵抗した。

 今年は梅林に人間があらはれなかつた理由を、河童たちもすこしづつ理解するやうになつた。それはすでに長い間、香春岳のふもとに棲んで、すこしは人間世界の事情を知つてゐたからである。騷擾が野にも村にも山にもひろがると、河童たちも梅林へなど行けなくなつた。しきりに流彈が梅林にまで飛んで來て、幹につきささり、花を散らしてゐた。のみならず、梅林が戰場になつて、はげしい戰鬪の後、南軍が去つた後には、農民たちの屍骸が散りしいた梅の花のなかにころがつてゐたこともある。

 蓮根池のなかで首だけ出して、河童たらはこの騷ぎをあきれた顏でながめてゐた。ときどき、ヒユーンと蜂のつぶやきのやうな音を立てて彈丸が頭上をすぎた。びつくりして水にもぐつた。しかし好奇心はおさへられず、またそつと頭を出す。ときどき、兩軍が池のほとりの道をあわただしげに走りすぎることもあつた。

「これは百姓一揆(き)といふもんぢやよ」

 と一匹の河童がいつた。

「おれもさう考へる」と、他の一匹が答へた。「百姓たらは去年の暮ごろから蹶起(けつき)する下心ぢやつたらしいぞ。いま思ひ當る節がある。それで春になつて梅が咲いても、酒盛りどころぢやなかつたんぢやよ」

「代官所でもうすうすそのことを氣づいとつたにちがはん。さうでなかつたら、梅林から百姓を追つぱらつて、武士たちが遊び步くはずだ。今年は武士も梅林にあらはれなかつたのは、酒盛りの途中、女とたはむれるところを百姓に襲はれることを恐れてゐたのだとおれは思ふ」

「だが、百姓も一揆をおこすまでにはずゐぶん我慢をしたものよ。あんなに武士からいぢめられ、重い税金をとりたてられ、米をつくる百姓のくせに米は食へず、粟(あわ)、稗(ひえ)、豆、それに水を飮むやうな暮しだつたからな。梅林の酒盛りだつて、ヤケ酒みたいなところがあつたからな」

「さうとも、きうとも。どうせ武藝のたしなみのない百姓がどんなに武士に刀向かつたつて勝ち目はない。なんぼ徒黨を組んだところでタカが知れとる。それがわかつてゐながら立ちあがらずに居られなんだところが可哀さうだよ」

「見ろ。あんなに、武士からひどい目に合はされとる」

 河童たちはおほむね農民へ同情的であつた。無論、河童たちに人間世界のからくりはわかるはずもなく、なぜ汗水たらして働く農民が一番みじめであるかといふ理由がさつぱりのみこめなかつた。城主の權力が絶對であつて、支配者が思ふままに農民を搾取(さくしゆ)できること、それに抵抗すれば重い罪になるといふことも容易に理解できなかつた。また、一揆を鎭壓に來た武士たちが同じ人間であるのに、まるで蟲けらでもひねりつぶすやうに、無造作に農民たちを殺し、多く殺すほど手柄になるといふことも不可解至極に思はれた。けれども、河童たちは農民の應援にまで出て行く氣はない。義憤は感じても、人間世界にかかはりを持たぬことが傳説の掟であつたし、好んで傷を求める愚もしたくなかつたのである。これまで人間と關係を生じて得になつたためしがなかつた。ヒユーマニズムは爆發させずに垣のこちら側においておく方が無難であると同時に、こころよい自己陶醉も感じる。蓮根池のなかで河童たちは橫暴な支配者へ怒りを燃やしながらも、池から出て行かうとはしなかつた。そして、やはり梅の散らぬ前に騷亂が終結することが河童たらのなによりの望みであつた。

 

          三

 

「一揆ヲ退治スル功名」を武士たちは誰も狙(ねら)つてゐた。鎭定後の恩賞にあづかれば昇進の道もひらける。そこでできるだけ多く百姓どもを殺さうとし、その首領を捕へようとした。けれども文字どほり必死の農民たらは、正常な武藝は知らないが、命がけの奮鬪をして、あべこべに武士をたふすことが多かつた。武士のなかにも腰拔けはゐて、百姓の竹槍に芋刺しにされた。

 討伐隊のなかに河童たちを瞠目(だうもく)させた一人の武士があつた。有馬藩中でも劍豪として知られた戸塚八左衞門である。そんなに身體は大きくなく、むしろ小柄といへるほどだが、その動作の敏捷で、太刀のひらめきの鋭さはおどろくばかりだつた。八左衞門が動きまはると、一揆はまるで大根か胡瓜のやうになで斬りにきれ、彼の周圍にはたちまち百姓たらの屍骸が山と積まれた。河童たちは百姓たらを哀れみ、百姓たちの勝利を祈つてゐたが、一週間ほどの後、一揆は鎭壓された。靜かになつた村の廣場で、一揆の首謀者十數人が磔(はりつけ)の刑に處せられた。その指揮をしてゐたのも戸塚八左衞門である。

[やぶちゃん注:「有馬藩」久留米藩は元和六(一六二〇)年から幕末まで摂津有馬氏が藩主を務めていたから、それを指しているとしか読めないが、香春は久留米からはあまりに距離があり、実際、同所は小倉藩の藩領であったと思われるので不審である。もし、私の理解(不審)に誤りがある場合は御教授戴けると嬉しい。

「戸塚八左衞門」不詳。彼が実在すれば、前の記載の不審も明らかとあるのだが。]

 十數本の十字架が立てられ、百姓たちはそれにしばりつけられた。

「お上に刃向かふ不屆者ども、以後の見せしめに命の根をとめてくれる。誰でも彼でも政府の方針にしたがはぬ奴はこのとほりだぞ」

 八左衞門はさういつて、十字架上の百姓から、竹矢來の外に押しよせて、歎きかなしんでゐる百姓の家族たちに視線をうつした。彼は城主への忠誠の念にあふれ、任務達成の快感にひたつてゐた。今回の一揆鎭壓における戸塚八左衞門の勳功は拔群である。彼は得意の絶頂にあつた。

 八左衞門のするどい三角眼がぐるッと一巡して、その視線が蓮根池に向いたとき、河童たちはびつくりして、水中に沈んだ。自分たちを睨んだやうな氣がしたのである。

[やぶちゃん注:「三角眼」「さんかくめ」と読んでおく。

 

まぶたの外側がつり上がり、三角形の形になっている目¥のこと。]

「なにがなんでも、恐しい人間どもとは關係を結ばない方が得策だ」

 誰もがさう思つてゐた。

 それから數日後、大勢の人夫たちがどこからか莫大な土砂を運んで、宮下池のほとりにやつて來た。赤や黒の土を積みあげた車力や馬車が陸續としてつづいた。

「いつたい、なにことがはじまるのだらう」

「人間どものすることはわからない」

「なにをしても相手になるな」

 河童たちは不安の面持でさきやきかはした。

 土砂運搬隊を指揮してゐるのも戸塚八左衞門だつた。彼は藩主からその手腕を買はれ、新しい任務をさづけられたのである。

「ようし、早く池を埋めろ」

 と、八左衞門は號令をくだした。

 人夫たちはいつせいに運んで來た土砂を蓮根池に投げこみはじめた。土と人數とが多いので、あまりひろくもない池は見る見るうちに埋めたてられて行つた。

 河童たちは仰天した。先祖代々からの棲家がうしなはれようとしてゐる。だんだん狹められて行く池の水の殘りの部分へ、右往左往して逃げて行きながら、河童たちはあまりのことに淚も出なかつた。まつたく人間どもの心はわからない。人夫となつて働いてゐるのはみんなこの村の百姓たちだ。ついこの間まで蓆旗を立て、鎌、鍬、竹槍をふるつて武士に反抗した百姓たちが、その敵の武士の手先になつて、唯々諾々(ゐゐだくだく)と命令にしたがつてゐる。河童たちは一揆の間、終始百姓たちに同情し、實際上の鷹援はしなかつたとしても、百姓たちの味方のつもりでゐた。それなのに、その百姓たちは河童のもつとも大切な住居を埋めたてて、追放しようとしてゐるのだ。

「こんな馬鹿なことがあるか」

 河童たちはあきれ顏でブツブツと呟(つぶや)きあつたが、そんな河童の思惑などどこ吹く風かと、池は急速に野と化して行つた。

「よし、おれが交渉して來る」

 つひに我慢しきれなくなつて、一郎坊が眉をあげた。

「賴む」

 と、他の河童たちも異口同音にいつた。

 人間どもの理不盡に對して、河童たちは團結してたたかふ勇氣はなかつた。梅林で酒盛りするときにはすぐ團結するが、人間とたたかふことは生命にかかはるので、おいそれと團結ができなかつたのである。それに、百姓一揆鎭壓における武士どものすさまじい暴力、刀、槍、鐡砲などの武器の恐しさを見たばかりだつたので、河童たちも躊躇せずには居られなかつたのであつた。誰も好んで危險に近よりたくはない。それで、一郎坊が交渉方を買つて出ると、ほつとした面持で、これに望みを托した。

 一郎坊は思慮と勇氣に富む若者であつた。宮下池には大頭目は居らず、もと筑後川九千坊の二十七騎の一人であつた三百坊が、その昔の閲歷(えつれき)によつて、名目上の頭領となつてゐたが、元來が愚圖で、お人よしなので、統率力などはない。九千坊から破門同樣になつて、たわいもない蓮根池に左遷されるくらゐだから、その器(うつは)も知れてゐる。そこで、仲間うちには三百坊をしりぞけて、一郎坊を首領にいただかうと考へてゐる者もあつたほどである。その一郎坊なので、河童たちも大いに期待をかけた。

 大きな石に腰をかけ、銀煙管でスパスパ煙草をくゆらしながら、人夫たちを監督してゐる戸塚八左衞門の前に、一郎坊は姿をあらはした。うやうやしく膝をつき、頭の皿の水がこぼれないやうに用心しながら、頭を下げた。

 八左衞門は、突然、奇妙な動物が眼前に出現したので、三角眼をパチクリさせ、

「その方は何者だ?」

「河童でございます」

「なに、河童?」

「わたくしどもは、いま、埋めたてられて居ります宮下池に、先祖代々棲みなれて居ります河童です。お役人樣、お願ひでございます。わたくしどもの命から二番目の家をとりあげないで下さい。この池を埋めたてることを思ひとどまつて下さい」

「馬鹿なことを申すな。われわれにはこの土地が必要なのだ。殿の命(めい)によつてここに大馬場(だいばば)を作ることになつたのだが、この池が邪魔になる。よつて埋めたてるのになんの異存があるか」

「異存がございます。この池がなくなればわたくしどもは放浪しなくてはなりません。われわれ河童にとりましては一大事でござ小ます」

「ワッハッハッハッ、河童なんどのために、國家が決定した工事の中止ができるものか。いくらいつても駄目だ。歸れ、歸れ」

「歸りません。埋めたてを中止していただくまでは、ここを動きません。なにとぞ、お情を持ちまして、わたくしどもの大切な池を……」

「うるさい奴だなあ。政府の方針に楯(たて)をつくと容赦はせぬぞ」

「戸塚八左衞門樣、このとほり、頭を地につけまして、一同のため御歎願申しあげます」

「くどい」

 その言葉と同時に、河童はあふむけにひつくりかへつた。背の甲羅にはげしい痛みをおぼえ、頭の皿から水が流れ出て氣が遠くなつた。さらに足や肩に火でも投げつけられたやうな疼(うづ)きをおぼえたが、そのあとは意識が朦朧となつた。

 太い木劍をにぎつて立ちあがつた八左衞門は、

「馬鹿なやつ奴」

 といつて、高らかに哄笑した。

 人夫たらは八左衞門の不思議な擧動を、眼を皿にして凝視した。袖をひきあつてささやきあつた。突然、氣がちがつたのではないかと思ふ者もあつた。なぜなら、彼等の眼には河童の姿は見えなかつたからである。

 

          四

 

 二年ほどが經つた。

 或る夜、月下の梅林で、河童の宴がひらかれてゐた。

 香春岳(かはらだけ)はくつきりと夜空に浮きあがり、空には滿月とともにきらめく星の數も多かつた。梅林には相かはらず春にさきがけて梅の花が吹きみだれたが、晝間は武士か百姓かに占領されてゐるので、河童たちは深夜をえらばねば仕方がなかつた。今年は天地開闢(かいびやく)以來の大豐作とかで百姓はホクホクだつた。しかし、苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)は一層はげしくなつてゐて、いくら豐作であつてもその大部分は藩主からとりあげられる。しかし、その搾取のはげしさに對しても、二年前の失敗にこりた百姓たちは泣き寢入りをしてゐた。ただ、ものが豐富にあるといふことはなんといつても氣持のゆとりを作るので、百姓たちの鼻息も荒く、梅林での宴會も度かさなるといふわけだつた。

[やぶちゃん注:「度かさなる」「たびかさなる」。]

 月は夜ふけとともにすこしづつ西にかたむいて、地上にうつる梅の木の影もしだいに東へ向かつて長くなつて行つた。宮下池を埋めたてられたため、その狹かつた蓮根池よりもつと狹くて水のきたない、泥沼といつた方が早い夜宮池(よみやいけ)に引つこさざるを得なくなつた河童たちは、やはり環境の影響で氣力も減退してゐた。ひとり元氣溌刺として、この二年間變らなかつたのは一郎妨だけである。

「きつと、思ひをとげて見せる」

 その願望のはげしさによつて、彼はつねに内部を充足させ、この二年間で仲間を瞠目させる生長を遂げた。頭目三百坊がノイローゼでいよいよ器量を下げたので、一郎坊は仲間のホープとなつたのである。しかし、彼にはたかが夜宮池の小頭領になつていばらうといふやうなケチな考へはなかつた。彼の唯一の宿念は人間に打ち克つことである。全精神はそのことで燃え、この二年間、孜々(しし)として鍛錬に倦むところがなかつた。

[やぶちゃん注:「孜孜として」熱心に努め励むさま。]

 戸塚八左衞門から太い木劍で打擲(ちやうちやく)された傷は、一カ月ほどで癒へた。それから一郎坊は猛然として、武藝修業をはじめた。彦山川(ひこさんがは)にゐる阿修羅坊(あしゆらばう)は性格が粗暴のため、武藝の點では河童界にならぶ者がなかつたのに、つねに孤立してゐた。人德がないので、子分が寄りつかないのである。劍豪だといつておだてておいて敬遠してゐた。その阿修羅坊を師と仰いで、一郎坊は苦しい二年間の精進をした。戸塚八左衞門の腕前のほどは自分の眼でたしかめてゐるので、彼をたふすためには彼以上の力を必要とする道理である。

[やぶちゃん注:「彦山川」現在の福岡県田川郡添田町の英彦山(ひこさん)を源流とする全長約三十六キロメートルの川。同県の直方(のうがた)市で遠賀川に合流する。]

「一郎坊、みごとな上達ぢや。それならもう八左衞門に負ける心配はない」

 二年の後、師の阿修羅坊は滿足げにいつた。

「ありがたう存じます。これまでの御指導によつて彦山流奧義をきはめることができました以上は、ただちに大月に參上し、憎みてもあまりまる戸塚八左衞門を打ち負かして歸ります」

[やぶちゃん注:「大月」不詳。小倉藩にも久留米藩にもこのような地名はない模様で、現在の福岡県内にも現認出来ない。]

「まだ彦山流の免許皆傳といふわけぢやない。祕傳はなほある。ぢやが、今くらゐ上達すれば、戸塚八左衞門を負かすには事缺くまい。行け」

「きつと勝つてみせます」

 かういふ次第で、いよいよ宿望の仇討行を決行することになつた一郎坊のため、今宵は梅林で壯行の宴が張られてゐるのであつた。師の阿修羅坊も特にはるばるやつて來て出席してゐた。性粗暴な者が劍術の師範であることは警戒を要するので、河童たらはビクビクしてゐたが、噂とはちがつて、阿修羅坊は豪快な飮みぶりではあるが、格別、あばれたりからんだりする樣子はなかつた。それどころか、弟子のために、壯行の歌をうたひ、梅の木の枝を折つて手ごろな木劍をこしらへてくれた。

「一郎坊、この木劍を試合に使へ。わしなら枝に花をつけたまま試合をし、どんなにはげしく丁々發止(ちやうちやうはつし)とわたりあつても、花は散らさぬが、お前にはまだそれは無理ぢやらう。この梅の劍で、八左衞門の腦天を割れ」

「なにからなにまで、お薰情かたじけなく存じます」

一郎坊はその梅の木劍をおしいただいた。梅の香がまだ殘つて居り、折られたばかりの枝の切口からは伽羅(きやら)に似た芳香があふれ出てゐた。二三度打ちふつてみると、實に使ひよい恰好の武器で、

(これで勝てる)

 その自信が出來た。

[やぶちゃん注:「伽羅」梵語の音訳「多伽羅」の略で「黒沈香(じんこう)」の意。沈香の最優品を言う。沈香はジンチョウゲ科の常緑高木の幹に自然或いは人為的につけた傷から真菌が侵入、生体防御反応によって分泌された油・樹脂の部分を採取したもので、香木の代表とされる。当該木材の質量が重いために水に沈むところから「沈水香」とも呼ばれる。インド・ベトナム・東南アジア産であるが、その中でも特に優良な製品を伽羅と呼び、香道で珍重される。]

「一郎坊の武道長久を祈つて乾盃しよう」

 三百坊の音頭で、いつせいに盃があげられた。無氣力で無能力な三百坊頭領も乾盃の音頭をとることくらゐは出來た。數十の蕗(ふき)の葉の盃から、蓮根酒がせせらぎのやうに音をたてて飮み干された。

 夜目にも大馬場(だいばば)が望まれた。月光をうけてゐて湖のやうに見える。ここでは馬術のみならず、弓、槍、劍、薙刀(なぎなた)、手裏劍(しゆりけん)、鎖り鎌等、あらゆる武道の鍜錬がなされてゐた。馬場の右には實彈射擊場もつくられ、鐡砲の音もしばしば聞えた。それは武士の示威(じゐ)運動のやうでもあり、來るべき戰爭の備へのやうでもあり、庶民の血税によつて成立した軍事豫算を使ひすてる無意味な行爲であるやうにも見うけられた。人間のすることは河童にはわからないことだらけだが、一つだけ確實にわかつてゐることは、この大馬場の下には嘗てのなつかしい宮下池があるといふことであつた。

[やぶちゃん注:「鍜錬」「たんれん」。鍛錬。「鍜」は「鍛」の異体字。]

(おれが八左衞門の木劍で打らたふされたのは、あの、流鏑馬(やぶさめ)の的のある場所だ。畜生、今に見て居れ)

 復讐の念に燃える一郎坊の若々しい瞳は、妖しくギラギラ光つてゐた。

 

          五

 

 戸塚八左衞門の家は大月町のはづれにあつた。その一帶は中祿者(ちうろくしや)の武家屋敷になつてゐて、練土塀(ねりどべい)に冠木門(かぶきもん)のついてゐる家がならび、方々に海鼠壁(なまこかべ)があつて、火の見櫓が立つてゐた。周圍は松林である。その裏を尾奴川(をぬがは)が流れ、對岸に霧岳(きりだけ)がそびえてゐる。閑靜で、風光もまづ惡くない。

[やぶちゃん注:「大月町」前に注した通り不詳であるが、以下の「尾奴川(をぬがは)」もその対岸にあるとする「霧岳」も不詳なのは、或いは、この、一見、冒頭、香春の実在ロケーションと匂わせながら、実は存在しない「有馬藩」という仮想藩の、仮想の剣豪「戸塚八左衞門」という作者火野葦平の確信犯の虚構設定なのかも知れぬと思われてきた。

「練土塀」練った泥土と瓦を交互に積み重ねて築き上げたその上に瓦を葺いた塀のこと。

「冠木門」左右の門柱を横木(これを「冠木(かぶき)」と称する)によって構成した門。]

(これで、百姓一揆だの、戰爭だのがなかつたら申し分ないのだが、……)

 八左衞門は築山のある屋敷内の庭を散步しながら、そんなことを考へる。劍豪と稱せられる八左衞門も好んで人と爭ひたくはないし、人を斬りたいこともない。やはり、平和が好きだ。特に最近はさう思ふやうになつた。二年前の一揆鎭定の功を賞(め)でられて、馬𢌞り三百石にとりたてられてから、幸運が追つかけて來るやうに相ついだ。それをいちいち書くことは省くが、ともかく彼は家中の同僚たちから羨望の眼をもつて見られ、事あるごとに「戸塚氏にあやかりたいものでござる」と合言葉にいはれるほどになつてゐた。おまけに、家老の娘を嫁にもらつたばかりだ。このまま波瀾などなく幸福な一生をすごしたいのである。

(しかし、また、百姓一揆がおこるかも知れぬ。どうも最近不穩な動きがほのみえる。腹の立つ百姓ども奴)

 八左衞門はただ騷ぎをおこす百姓の方にばかり憎しみがわいた。なぜ百姓が蹶起せずには居られないのか、その原因の方には頭が向かない。一揆がおこれば八左衞門が討伐隊長に任命されることは既定の事實といつてよかつた。

 領主有馬種次(ありまたねつぐ)は口癖に、

「一揆は八左衞門にまかせておけばよい。八左衞門にかかつたら、どんなたちのわるい一揆でも、鼠か蚤のやうに、ひとたまりもなくひねりつぶされてしまふわ」

 といつてゐるからである。

[やぶちゃん注:太字「たち」は底本では傍点「ヽ」。

「有馬種次」不詳。久留米藩有馬氏の歴代藩主には「種次」なる人物はいない。ますます虚構性が、俄然、増してきた。]

(なんにもおこらんでくれ。このまま、十年でも二十年でも、平穩無事がつづいてくれ)

 八左衞門は必死のやうに、なにかに向かつて心中で祈るのだつた。

 或る夜、もう深更になつてから、八左衞門の寢處の雨戸をかるくたたく者があつた。

「戸塚八左衞門殿、……戸塚殿、……八左衞門殿、……」

 さう呼ぶ聲も聞える。聞きなれぬ聲音なので、八左衞門は小首をひねつた。男のやうでもあり、女のやうでもあり、皿をたたく音か、キツツキが木の幹をつつく音のやうでもあつた。しかし、この聲を八左衞門は聞いてゐるはずなのである。しかし、もはや二年前のことであるし、香春の大馬場埋立工事のとき、文句をいひに來た河童のことなどは、とつくに念頭から去つてゐたので、すぐには憶(おも)ひだせないのであつた。

「あなた、誰でせう?」

 妻の菊乃も眼をさまして、不審の眉をひそめた。

「出てみよう」

 丹前姿のまま、八左衞門は手燭をかざして、廊下に出た。腕におぼえがあるので、何者であつたところで恐れる氣持はなかつた。

「戸塚殿、……八左衞門殿」

 と、なほも呼んでゐる聲の場所に行つて、油斷なく雨戸を一枚めくつた。

 月光がさして晝のやうに明るい庭に、異樣な動物が一匹立つてゐた。ぬれてゐる身體や、頭のてつぺんにある丸い皿がキラキラ月に光つてゐる。それを見た瞬間、

(ああ、あのときの河童の聲だつたのだ)

 と、思ひだした。

 河童は一本の木劍を右手に待つたまま、

「戸塚八左衞門樣、お久しゆうございます」

「うん、久しいなあ」

「わたくしを御記憶ですか」

「よく憶えてゐる。あれから二年になるかなあ。ハッハッハッハッ……」

 八左衞門は當時のことを思ひだすとをかしくてたまらなくなり、笑ひだしてしまつた。

 一郎坊はむつとして、

「それなら、もう、わたくしがここへ參りました理由はおわかりになつたでせう?」

「仕返しに來たのか」

「そのとほりです」

「よし、待て」

 八左衞門も劍の達人であるから、相手の河童が二年前とはすつかりちがつてゐることに、すぐ氣づいた。二年前はだらしがない未熟者であつたのに、いま眼前にゐる河童は全身に堅確の氣が流れ、寸分の隙もない。劍氣に殺氣が重なつて、一種劍妖に似たすさまじさを呈してゐる。

[やぶちゃん注:「堅確」(けんかく)は、しっかりしていて動じないこと。確固。]

(これは油斷がならぬ)

 と警戒心がわいた。

 やがて、數分の後、ひろい庭では、二人の劍客の息づまる試合が展開されてゐた。月が明るいので、進退に不自由はない。どちらも木劍をかまへ、祕術をつくしてわたりあつた。

 

          六

 

 どちらの額にも油汗がふき出て來た。正直いふと、八左衞門は相手を油斷がならぬと警戒はしたものの、どんなに河童が克くてもタカが知れてゐると思つてゐた。それで、立ちあひと同時に打ちこんでしまふつもりでゐたのに、それができなかつた。それどころか、ちよつとでも氣をゆるめると、こちらが打ちこまれさうになる。河童の身體は魚か鳥かのやうに敏捷で、その飛びまはる間からつきだして來る木劍のするどさは、膽を冷やさせるほどだ。もし頭に當れば腦天がわれてしまふし、胴に當れば肋骨が折れてしまふだらう。足や腰に受け損じればみぢんに碎かれるにきまつてゐる。

(あつぱれな達人ぢや)

 河童の分在とあなどつてゐたので、舌を卷いた。しかし、感心してゐてもはじまらぬ。命の瀨戸際になつて來たので、八左衞門も必死だつた。

 河童の方も同樣な昏迷にとらはれてゐた。

(阿修羅坊師匠は、これならもう八左衞門に勝てるといつたのに、……?)

 自信を持つてゐた一郎坊も、相手の強さにたじたじだつた。しかし、これとて、師を恨んでみたところで、眼前の一瞬々々に生死を賭けてゐるので、全力をつくしてたたかふほかはなかつた。どちらもが計算ちがひをしたのである。

 試合は數刻におよんだが、勝敗は決定しなかつた。兩劍客はへとへとになつた。

[やぶちゃん注:「數刻」一刻は一般には現在の三十分相当。「數刻」という以上は最低でも一時間半にも及ぶか。後の野次馬蝟集を考えると、確かに非常に長い間、この決闘は続けられたことが判る。]

 ところが、二人が知らぬ間に、周圍には人だかりがしてゐた。妻菊乃が夫が寢室から出て行く樣子が變なので、後をつけてみると、丹前を着物に着かへた。襷(たすき)をかけて袴の股立(ももだち)をたかくとつた。愛藏の樫の木劍を持つて庭に出た。そして、一人で木劍をふりまはしはじめたのである。

[やぶちゃん注:「股立」袴の左右両脇の開きの縫止めの部分を指す。そこをつまんで腰紐や帯に挟んで袴の裾をたくし上げることを「股立を(高く)とる」と称し、走ったり、試合をする際の敏捷な活動のプレの仕度の一つを指す語となった。]

「一體、どうしたのでせう?」

 老母をおこしたので、女中や仲間(ちうげん)も出て來た。近所にもふれ步いたので、同僚も見物にやつて來た。亂心したのではないかと疑ふ者が多かつたけれども、さうとばかりもいはれない。河童の姿は八左衞門だけにしか見えないので、八左衞門の擧動がすべて氣ちがひじみて見える。しかし態度が眞劍で氣魄に滿らて居り、聲をかけるのを憚らせるなにかがあつた。劍をふるひながら、一人氣合のこもつた掛け聲を發して、月光のなかを跳躍する八左衞門の姿は、劍鬼になつた觀さへ示してゐた。

 長いせりあひの後、一郎坊は木劍を引いた。

「戸塚殿、今夜はこれまでとします」

「逃げるのか」

「とんでもない。あくまであなたとたたかひますよ。しかし、今夜は疲れたし、時刻もううつたので、勝負なしとし、明晩また同じころに參ります」

「よし、待つてゐる」

 實は八左衞門もほつとして、河童の申し出に同意した。

 河童は裏木戸からいづこへともなく立ち去つて行つた。その舌打ちするやうなぬれた足音が、尾奴川のほとりから霧岳の方角へ遠ざかつて行くやうだつた。そのかすかになつた足音が絶えてしまふと、八左衞門はぐつたりとなつてそこへへたばつた。

 片唾(かたづ)をのんで見物してゐた連中がかけよつて來た。口々に、一體どうしたことか、譯を早く聞かせて欲しい、といつた。

 八左衞門は汗でどろどろになつた顏に、につと不氣味な笑みをたたへ、會心の面持で呟いた。

「はじめて、相手にとつて不足のない好敵手を得申したよ」

 糊(のり)のやうに疲れてゐたので、その夜はそのまま寢處にかへり、翌日になつて一部始終を家族の者に話した。二年前、軍事基地を擴張するため、河童のゐる池を埋めて、抗議に來た河童代表をひと打ちにたふした話は、前に何度かしたことがあつたので、聞いた者は河童の執念に身ぶるひする面持になつた。しかし、八左衞門は敵ながらあつぱれといつて河童を褒めた。それは家中の者に對する皮肉にも聞えて、戸塚八左衞門はノイローゼにかかつてゐるのだと蔭口をたたく者もあつた。

[やぶちゃん注:「糊(のり)のやうに疲れてゐた」聴き慣れない直喩であるが、体がぐにゃぐにゃになってべったりと横たわってしまいたくなるほど、といった意味合いとしては、よく判る。]

 この話はたちまち一日のうちに町全體にひろがつた。このため、次の夜は戸塚家には觀衆が押しよせた。八左衞門は閉口したが、好奇心をおさへることのできない野次馬は、まだ日も暮れぬうちからよい座席をとるために亭(ちん)や築山や練塀のうへに頑張る始末だつた。庭の木にのぼつてゐる者も多い。家中の武士のなかには手土産を下げて來て、老母や細君をくどき落して、特等席を豫約する者もあつた。

[やぶちゃん注:「亭(ちん)」屋根だけで壁のない休息所とする四阿(あずまや)のこと。]

「弱つたな」

 へこたれた八左衞門が頭をかくと、老母や妻は、

「いいぢやないの。あなたの腕前を見せるのだから」

 と、かへつて群衆の殺到を歡迎してゐた。

 

          七

 

 約束どほり、河童はやつて來た。そして、前夜のとほり、二人ははげしくたたかつた。今夜も容易に勝敗がきまらなかつた。

 見物はできるだけ姿をあらはさないやうに、片唾をのんでこの試合を見守つた。といつても、八左衞門だけしか見えないので、變てこな具合である。ただ氣合のこもつた八左衞門の進退、木劍のうごき等によつて、河童のゐることを想像するほかはなかつた。木劍のはげしくかちあふ音、八左衞門のではない、陶器を打つやうな奇妙な掛け聲がときどき聞えるので、河童の存在を疑ふことはできなかつた。

「八左衞門殿、しつかりおやり」

 老母も菊乃もゐても立つても居られない氣持で、口からいく度となくその言葉が出かかつた。しかし、聲援や應援は絶對にしてくれるなと、かたく八左衞門から禁じられてゐたので、ただ氣があせるばかりだつた。方々に潛(ひそ)んでゐる觀衆も聲援したい衝動にかられたが、やはり我慢をしてゐたので、數百人の人間がゐるのに、奇妙に邸内はしいんとしてゐた。月光ばかりが明るい。

(人間どもの考へてゐることはわからん)

 試合をつづけながら、一郎坊はあきれてゐた。命をかけた眞劍勝負をしてゐるのに、まるで野球かレスリングを見物するみたいに、人間が集つてゐる。どこにどんなに隱れてゐても河童にはわかつた。しかし、それもいいと思ふ。八左衞門が河童をやつつけるところを大勢の人に見せたいといふのなら、一郎坊の方も八左衞門を降參させるところを見せてやりたい。人間に打ち克つ、人間を嘲笑してやる絶好の機會だ。そして、さらに一郎坊は全力をふるひおこし、八左衞門打倒のために祕術をつくした。時がながれ、月がかたむいた。

「戸塚殿、今夜はこれまでといたしませう」

「よろしい」

 八左衞門が木劍を引くと、河童の足音が裏木戸から、尾奴川べりへ、そして、霧岳の方角に遠ざかつて行つた。

 その翌日はたいへんなことになつた。評判は擴大するばかりで、たうとう領主有馬種次の耳に入つた。八左衞門の妻が家老の娘であるから、自然といへば自然だつた。藩主はすこぶるこのことに興味をおぼえ、三日目は戸塚邸へ出張して見物するといふ達しがあつた。さうなると、簡單ではすまされなくなる。にはかに戸塚家では大掃除が開始され、襖や疊がはりかへられた。植木の手入れもされ、練塀や冠木門のペンペン草も拔きとられた。庭には城主の紋章入りの幔幕が張りめぐらされ、まるで御前試合のやうなものものしさだつた。

「弱つたな」

 八左衞門は恐慌(きようくわう)の態である。しかし、領主の命令は絶對で拒みやうがなかつた。

(今夜はどうしても河童奴を打ち負かさねばならぬ)

 八左衞門は齒を食ひしばつて、覺悟を新にした。神佛に祈願をこめ、水垢離(みづごり)をとつた。老母や女房は領主が自宅にお成りになるといふので、感泣してゐた。

 日が暮れて、月が出た。月がかたむいて深夜になつた。庭にさす月が明るくなつた。

「そろそろ參る時分でございます」

 凛々しい試合支度の八左衞門は、緣側の床几に腰かけてゐる有馬種次に告げた。

「しつかりやれよ」

「はい」

「そちがその劍豪河童を打ち負かしたならば、二百石を加増し、有馬家指南番にとりたてて仕はす」

「かたじけなうござります」

 ところが、深更をすぎても、河童はあらはれる樣子がなかつた。月はぐんぐんと霧岳のいただきに吸ひこまれて行き、どこかで一番鷄が鳴きはじめた。殿樣をはじめ見物は欠伸(あくび)を連發し、居眠りをする者もあつた。東の空が白みはじめた。八左衞門はいらいらして待つたが、呼びに行く術もなく、朝を迎へてしまつた。

 不興の果、激怒した藩主は、

「たはけ者奴が。切腹申しつける」

 はげしい言葉をのこし、寢不足の赤い眼をこすりながら、駕籠(かご)で城へ歸つて行つた。

 

          八

 

 一郎坊は必死の思案をめぐらしたのであつた。二日間たたかつてみて、戸塚八左衞門の強さがわかつた。といふより、まだ自分の腕が未熟なのだと悟つた。現在の實力をもつてしては試合は堂々めぐりをつづけるばかりで、勝敗は決定しさうもない。もうちよつと強ければ勝てるのだ。さう思つたとき、師阿修羅坊の言葉が浮かんだ。

(さうだ。師匠はまだ免許皆傳ではないといつた。もつと祕傳があるといつた。それを教へてもらはう。さうすれば、きつと今度は八左衞門をたふすことが出來るにちがはん)

 そして、一郎坊は三日目の勝負に行くことをやめ、倉皇(さうくわう)として彦山川へかけつけたのであつた。一日目には別れるとき、翌夜はかならず行くと約束したが、二日目には別に三日目の試合を約束はしなかつたので、不信の行爲をしたとは思はなかつた。阿修薙坊から極意(ごくい)をさづかれば、早速また試合に出なほすつもりだつた。

[やぶちゃん注:「倉皇」「蒼惶」とも書き、慌てふためくさま・慌ただしいさまを指す。]

(出なほしだ。この木劍はもう要(い)らぬ)

 いくらたたかつても勝つことのできなかつた緣起のわるい木劍だと思ひ、尾奴川の岸に立つたとき、これを粉みぢんにへし折つて、そこへ打ちすてた。そして、一散に大月町を後(あと)にしたのであつた。

 彦山川のほとりで、阿修羅坊は首をひねつた。苦笑しながら、

「ふうん、戸塚八左衞門らゆうのがそんなに豪傑か。ちと勘定ちがひをしたかな。よしよし、お前もそこまで考へつめとるなら、あくまで目的を達成せねば氣がすむまい。とつておきの祕傳ぢやが、特別にさづけて仕はさう。よく覺えて行け」

 それから數日、血の出るやうな稽古がつづいた。一郎坊は眞劍だから、むづかしい祕傳を短時日によく會得した。これでよからうと免許皆傳を許した師匠は、また新しい木劍を今度は桑の木で作つてくれた。勇み立つた一郎坊は宙をとぶやうにして大月町にかけつけた。

(いつたいこれはどうしたことだ?)

 尾奴川をわたり、戸塚八左衞門邸の前に立つて、一郎坊は茫然となつた。もはやそこにはまつたく見知らぬ他人が住んでゐて、八左衞門の姿はなかつた。不思議なことに思ひ、人間に化けて町のうどん屋で、それとなく事情を聞いてみた。戸塚八左衞門と河童との試合は小さな城下町では有名な大事件になつてゐたので、うどん屋の女將は詳しい事情を知つてゐた。それによると、八左衞門は殿樣の逆麟(げきりん)にふれ、切腹して死んだといふのであつた。

 一郎坊は仰天した。昏迷した。

(おれがあれだけ武術の極意をつくしても、たふすことのできなかつた劍豪を、藩主は手をくださずして、たつた一言の言葉で殺してしまつたといふが、これはなんの極意だらう。恐しく強い人間もあつたものだ。どうしてそんなすばらしいことができるか、殿樣に逢つて教へてもらはう)

 さう決心した一郎坊は、城内に忍びこみ、有馬種次の前に姿をあらはした。

「殿樣」

 膝まづき、頭の皿の水がこぼれぬやうに注意しながら、お辭儀をした。

 突然、奇怪な動物が眼前にあらはれたのを見て、城主はまつ靑になつた。腰を拔かし、がたがたとふるへだした。齒の根もあはず、ふるへ聲で、

「だ、だ、だれか居らぬか。……ば、ば、ば化(ば)けものが出たァ。助けてくれえ」

 武士たちのかけ集まつて來る氣配に、一郎坊は急いで城を退散した。なにがなにやらわからなくなり、泣きさうな顏つきになつて、故郷の香春岳(かはらだけ)のふもと、夜宮池の方角へ步を轉じた。

 數年の後、尾奴川(をぬがは)のほとりに、梅林が出現してゐた。一郎坊がちぎりすてた梅の木劍が全部芽をふいたものである。そこは大月町の新名所となり、花咲くころには賑はつた。宴會ももよほされる。

 香春岳をかこむ村々に、またも、どよめきがおこつた。その一揆を鎭壓するため、討伐隊が編成された。討伐隊は壯行宴をこの大月の梅林でからいた。領主有馬種次もその席に望み、勇しく部下を督勵した。

「生意氣至極の土百姓どもを、一人のこらずひねりつぶせ」

 その姿は颯爽とし、その聲は凛としてゐた。

2017/05/26

ブログ950000アクセス突破記念 火野葦平 煙草の害について

 

[やぶちゃん注:本作は題名も内容も確信犯のチェーホフの独り芝居の一幕物喜劇「煙草の害について」Anton Pavlovich Chekhov“O vrede tabaka”1886のインスパイアである。本来は、このブログ・カテゴリ『火野葦平「河童曼荼羅」』では、底本に従うなら、「新月」「珊瑚礁」の間に入れるべきものであるが、チェーホフの元の話を電子化するまで待とうと思ったため、かく遅れた。先般、ブログ950000アクセス突破記念として「煙草の害について アントン・チェーホフ作・米川正夫譯」を電子化したので、ここに示すこととした。

 太字は底本では傍点「ヽ」。

 最初に現われる「當辨論大會出場」の「辨」はママである(以降は「辯」となっている)。

 「菊石(あばた)」は二字へのルビ。かつて主に天然痘に罹患して予後、その主に顔面に菊石のような痕が残ったことから、「あばた」のことをかく言った。こう書いて「じゃんこ」などとも読んだようである。

 また、作中、主人公は以前に「女の害について」「酒の害について」を弁論したとあるが、実は「河童曼荼羅」には「女の害について」「酒の害について」という題の作品が含まれている(未電子化。近い将来、順次、電子化予定)。ただ、その二つは弁論形式ではなく、本作と形式上で先行するダイレクトなプレ作品としては読めないのでお断りしておく。題名を見ただけで期待されてしまい果てに失望されても困るので(私は別に困らないのだが)それらの電子化より先に事前に述べておく。

 なお、本電子化は2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが250000アクセスを越えた記念として、チェーホフのそれに次いで公開するものである。【2017年5月26日 藪野直史】]

 

 

 

   煙草の害について

 

 滿堂の紳士淑女諸君、

 わたくしが、このたび、鼻無沼(はななしぬま)代表といたしまして、當辨論大會出場の光榮に浴しました皿法師と申す者であります。自己紹介いたすまでもなく、每年、侃々諤々(かんかんがくがく)、流麗絢爛(けんらん)、奔流決河の雄辯をもつて、當壇上から、諸君におまみえしてきたものでありまして、諸君には、わたくしの印象は、さぞかし強烈に、消えがたいものとなつて殘つてゐることと信じます。ごらんのとほり、わたくしのこの頭の皿の巨大なことは、近郊近在に稀でありまして、故もなく頭百間といつて誹謗する者もあるにはありますが、實に、まさに、腦髓の巨大、かの世界的大詩人ゲーテの腦味噌のごとく、萬能の力と夢とを、この皿の下に藏して居る證據でありまして、わたくしが、まことに、河童世界において、選ばれたる者としての標識たることは、一點の疑ふ餘地もありません。

 鼻無沼、口無沼、臍無沼、耳無沼、眼無沼等、近郊河童界の合同辯論大會が、かく、空靑く澄み、水はつややかに、若葉きらめくこの季節に、大々的にもよほされますことは、まことに當代の盛大事、河童文化界の一大欣快事、かかる機會あればこそ、わたくしも諸君にまみえ、得意中の得意たる辯舌をもつて、諸君の稱讚をかち得ることのできますことは、喜びの第一であります。……どうも、諸君の眼は、冷いですな。どうして、そんな皮肉な眼で、わたくしを見なさる? 諸君の眼にはいやな光、輕侮のまなざしがある。……なるほど、わたくしは、本年までの大會におきまして、遺憾ながら、優勝したことはありません。それはないです。しかし、そんなことがなんですか。昨年は八等、一昨年は十一等、一昨々年は六等、一昨々々年は九等、一昨々々々年は二十二等、一昨々々々々年は四等、といふ具合に、わたくしは名譽ある榮冠をかち得たことは、たしかにただの一度もない。しかしながら、その理由は明瞭です。罪はわたくしの側にあつたのではありません。昨年までは、暗愚無能の審査員、眞の言葉をきく耳なく、眞の姿を見る眼なく、眞の偉大を理解する頭腦なく、そして、眞の眞實を語る口なき徒輩が、おこがましくも、審査にあたつて居りましたために、眞に價値あるものはかへりみられず、言語同斷の不公平の結果を將來したものであります。のみならず、審査の事前にあたりまして、眼や耳を掩ひ、唾したき醜陋(しゆうろう)のことが行はれて居りましたことは、はつきり申します。饗應、追從(つゐしよう)、懇願、そして贈賄(ぞうわい)が、こつそり審査員に對してなされましたことは、歷然たる事實でありまして、かくのごとくしては、いかで、神聖なるべき審査に、公平を期し得ませう。中正嚴烈の立場を堅持し、一に技(わざ)を辯口の練達に置き、いやしくも邪(よこしま)に組せぬわたくしが、その辯舌のならびなき優秀さにもかかはらず、審査員諸兄の鼻息をうかがはなかつたといふだけで、一等の榮冠を得ることのできなかつた理由は、ただに、以上の奇怪事にもとづいてゐるのであります。が、既往は問ひますまい。今囘は、その弊があらためられ、もつぱら技術の練能のみを審査基準として、公正の判定が下されますやうになりましたことは、喜びこれに過ぎるはありません。然るうへは、わたくしの眞價も、今囘はあやまりなく認められ、一等優勝の月桂冠をかち得ることを確信して疑はないところであります。理解ふかく達識ある聽衆たる紳士淑女諸君におかせられても、不屈の雄辯に、魅了されることは當然でありまして、擧(こぞ)つてわたくしに人氣投票して下さるものと、これまたふかく確信して居ります。

 さて、わたくしの演題は、ここにかかげてありますやうに、「煙草の害について」。昨年は、「女の害について」。一昨年は、「酒の害について」薀蓄(うんちく)をかたむけて、諸君に説きましたことは、なほ、御記憶に新なところであらうと存じます。しかるうへは、殘されたる煙草の害について語るは當然、三部作は世に流行するところであります。年來の河童の知己(ちき)たるあしへいさんも、土・花・麥といふ三部作を書いて居ります。酒と女と煙草、この三者の大害について、一大教訓を垂れますことは、わたくしの救世の宿願といつてもよろしく、すでに、酒と女とについて述べました以上は、今回、最後の煙草について、諸君にわたくしの卑見を開陳いたしますことは自然の順序、否、わたくしの義務、使命なのであります。ロシアのチエホフといふ作家が、嘗て、同問題について、一場の講演をしたことがありますが、わたくしのはさやうな陳腐退屈なものではありません。しばらく御靜聽を煩はしたく存じます。エヘン。

 わたくしは、最近、熱烈な戀愛をいたしました。いや、現在、なしつつある、つまり、その眞最中であります。……そのやうに、お笑ひ下きるな。わたくしとて、老いたりといへども、なほ、靑春の血は、五體の隅々にまでたぎつてゐる。わたくしは、この日ごろ、一女人のために、情熱のほむらをたぎらし、わたくしの一生の蓮命を、この戀に賭けて居るのであります。その女人こそは、鼻無、口無、臍無、耳無、眼無、五界にかけてたぐひも並びもなき麗人でありまして、東洋の詩人の言葉を借りますれば、沈魚落雁閉月羞花、實に、暗夜に現出した燦然(さんぜん)たる太陽、虹、その一顰(いつぴん)一笑によりまして、あたかも電燈の明滅するごとく、あたりの光も左右されるほどの、すばらしい婦人なのであります。……どうも、皆さん、よくお笑ひなさる。惚れた眼には、菊石(あばた)もゑくぼ、とおつしやるのですか。よろしい、それなら、それとして置きませう。どうぞ、野次(やじ)らずに聞いて下さい。いづれ、わたくしの言葉の眞實がわかるときが參ります。……ともかく、わたくしは戀をいたしました。いたして居ります。この戀愛の成就によつて、わたくしの生涯は精彩をはなち、幸福の基礎は定まる。わたくしは希望に燃え、胸高鳴らせて、わたくしの全力をこの戀愛に傾注いたしました。いたして居ります。わたくしの戀人たるその女人は、牡丹のやうな美しい皿に、水晶液のやうな水をたたへ、瑪瑙(めなう)の眼と、大理石の嘴と、綠玉の甲羅と、そして、螢石の手と、……もうわかつたとおつしやるのですか。どうも、さう、まぜかへされては、話ができませんな。戀人の自慢はもうたくさんだといふのですね。なに? 演題の煙草の害の話は、どうしたのかつて? どうも、せつかちですな。話には順序があります。起承轉結、布置結構、文章と同樣、演説にも、構成、スタイル、山あり、谷あり、ただ、のべつに、がさつに、工夫もなく、話したのでは、味も素氣もありません。拙劣といふものです。わたくしが、「煙草の害について」といふ演題をかかげながら、突如として、主題とは緣もゆかりもなきごとく見ゆるわたくしの戀愛について語りだしましたのも、まつたく、わたくしの練達習熟せる小説的技法にもとづいて居つたのであります。居るのであります。つまり、わたくしの戀愛そのものが、實に、煙草に、煙草の害に直結して居るわけでありまして、わたくしの戀愛を語ることなくしては、絶對に主題たる煙草の害について語ることはできない。春秋の筆法を借りるまでもなく、實に、わたくしをして煙草の害を説かしむるものは、説かざるを得ざらしめたものは、わたくしの戀愛、わたくしの愛人、その女人なのであります。おわかり下さいましたでせうか。お靜まりになつたところを見ると、御理解下さつたものと信じます。感謝いたします。では、話を進めませう。

 前述しましたとほり、わたくしは全身の血をたぎらせて、戀に沒頭いたしましたが、幸のことに、その女人も、わたくしの氣持を汲み、受け入れてくれました。くれたらしく、見えました。わたくしはドン・ファンではありません。ウエルテルです。女から女へ蜜蜂が花を漁り、花を變へ、今日は椿に、明日は百合にと、飛びまはるやうな浮氣心はわたくしには微塵もありません。わたくしはかの悲しきウエルテルのごとく、これと定めた戀人ただ一人に、すべてを捧げつくし、死をもいとはぬ誠實の徒なのであります。なるほど、わたくしは、醜男です、お笑ひ下さつてもよろしい。この頭の皿は、前述しましたやうに、大詩人ゲーテに匹敵する才能と夢とを藏してゐるとはいへ、たしかに、ちよつと不恰好です。頭百間といはれて笑はれても仕方がない。ことに、知識とか、才幹とか、人格とかいふやうなものはどうでもよく、ただ、のつペりとした顏形、通常色男と稱せられてゐるやうな男子に、關心を集中する婦人にとつては、わたくしのごときは、對象たる資格はありますまい。しかしながら、河童の眞實は、さやうな、單なる外形上の皮膚や骨格のなかにあるのではない。肉體ではない。精神です。肉體にだけ河童の價値を見るのは、精神の近視眼、色盲、實に、かのミーチャンハーチャン的輕薄の思想にほかなりません。したがつて、眞に精神美を理解し、人格に關心を有する女性は、わたくしのごとき、才幹豐かにして、哲學的な男性に、眞の價値を見いだすものです。わたくしの思ひをかけました女人が、この醜男たるわたくしの氣持を汲んでくれたといふのも、彼女がさういふ良識深き女性であつたからでありませう。わたくしの求愛にこたへてくれた、くれたかに見えた彼女へ、わたくしは深く感謝し、淚をもよほさんばかりの歡びをおぼえました。わたくしの人生は、この戀の成就によつて輝き、才能と力とはいよいよ發揮され、なにごとも今や不可能なることなしとさへ、わたくしは希望に燃えました。

 ああ、わたくしは、このことを語るのが、苦痛なのであります。かくも、歡びと希望とに燃えたわたくしの戀が、いかに無殘なる形で、今日(こんにち)、放置されてゐるか。胸が苦しくなります。頭が疼きます。失禮お許し下さい。悲しくなりました。ちよつと淚を拭かきせていただきます。……わたくしは、實に、今、嘗て經驗せぬ最大の勇氣をふるつて、告白して居るのであります。告白と懺悔(ざんげ)とには、非常な苦痛と勇氣を要します。かのジャン・ジャック・ルソオが懺悔錄を書いたとき、彼は萬人の前に血をはく思ひをもつて、すべての眞實を叶露したのだと申しましたが、あの悲壯な書物のなかにも、なほ、隱されてゐる眞實、否、明瞭に虛僞があるといふではありませんか。しかし、わたくしは、なにも隱しません。すべてをここに告白いたします。わたくしが全靈をゆすぶる苦痛をもつて語りますことを、皆さんも眞劍にお聞き下さいますよう。

 かの女人は、わたくしの求愛にこたへ、誘はれるままに、一日、鼻無沼の靑草萠える土堤に出ました。五月の太陽は、わたくしたちの戀愛を祝福するかのごとく、さんさんとあたたかい光をそそぎかけます。わたくしは美しい彼女の姿がまぶしく、さうです、實に、彼女は、沈魚落雁閉月羞花、虹、色硝子、プリズム、太陽の光線をはねかへして、わたくしの眼をくらませるのです。わたくしは滿足と幸福とで、有頂天でした。

  わたくしたちは、ならんで、草のうへに腰を下しました。今や、わたくしは諸君のまへに、かの、ラヴ・シーンといふものを展開しようとしてゐるのであります。しかしながら、それがのろけでも自慢でもないことは、諸君のよく賢察されることでありませう。これこそは、わたくしの破綻(はたん)の、悲しき除幕式であつたのであります。とはいへ、なほ、その破滅までの數分はわたくしたちにとつて、えもいへぬ甘美と陶醉の悦樂境でした。心臟の高鳴りを押へ、つとめて平靜を裝つてゐましたけれども、わたくしは若干の聲のふるへを如何ともすることができませんでした。彼女の方はいかがだつたでせうか。それはわたくしの知るところではない。いたづらに高貴な女人の心境を忖度(そんたく)することは、失禮にあたりますので、わたくしは遠慮いたしますけれども、彼女とて、その妙(たへ)なる胸の琴線になにか觸るるものを感じて居つたのではないでせうか。心の窓たる眼は一切の祕密を語る。わたくしはうぬぼれませぬけれども、それどころか、自己の醜さを知つてゐるわたくしは、女人の前でいかなる場合でも謙虛、といふより、臆病、おどおど、ひやひや、ほとんど萎縮してゐるのが常でありましたけれど、そのときは、わたくしは、明瞭に、彼女のわたくしに對する好意を、その二つの涼しい瑪瑙の眼のなかに感じとりました。感じとつたと信じました。さすれば、もはや相思、心通ひあふ戀人同志、この五月の土堤のあひびき、ラヴ・シーンは完璧で、この幸福と前途に、なんの暗い影もあるわけではなかつたのです。にもかかはらず、この事痛が無殘にも崩れたのは?

 あれです! ああ、あれです! 實に、煙草です! 煙草、聞くだに恐しい言葉!

 幸福感に、痴呆のごとく醉ひ痴(し)れてゐましたわたくしは、瞬間、はつと凝結して、息をのんでしまひました。驚愕と、失望と、悲しみと、怒りと、さまざまの感情が、坩堝(るつぼ)に、いちどきに、千種類の金屬を投げこんだやうに、こんぐらかり、煮えかへり、騷ぎはじめました。わたくしは阿呆のごとくひらいた眼を女人の動作に釘づけにして、もう膝頭がふるへ、背の甲羅のつぎ目がぎしぎしと鳴り軋(きし)むのをおぼえました。

 煙草です。彼女が煙草を吸ひはじめたのです。蓮葉の小筥から、金口のシガレットをとりだした彼女は、いかにも馴れた手つきで、ライターの火を點じ、あの大理石の嘴にもつてゆくと、いかにもおいしさうに、くゆらしはじめました。彼女がその行動をもつとも通常のことと考へ、わたくしの思惑などをいささかも氣にかけてゐないことは、その安らかな自然の行動で明瞭でした。それは、さうでせう。煙草をのむことが、惡事でも、破廉恥でもなく、今やひとつのエチケットにさへなつてゐるものとすれば、彼女がそのことを、なんのわたくしの前に遠慮したり、恥ぢたりするわけがありませう。道德も、倫理も、法則すらも、強力な習慣の作用にもとづいてゐることは、歷史が證明してゐます。常人の法則は、その萬人の最大多數の認識によつて肯定される。さういふ法則には、一切、羞恥はともなはない。されば、彼女が悠々とわたくしの前で煙草をのみはじめたことは、自然の理で、なんら咎むべきところはないのでありました。

 然らば、その彼女のなにげない行爲に對して、わたくしが何故にそのやうに驚愕し、混亂したか? それは實に、わたくしの生理的本能、あのどうにもかうにもやりきれぬ、煙草嫌ひといふ氣質にもとづいてゐるのです。これは、もはや、道德でも、理論でもない。無論、法則でもない。仕樣のないわたくしの天性、生來の潔癖、宿命ですらあるのです。

 わたくしは他人の趣味、嗜好に對して、誹謗を加へたり、排擊はしない。それは、自由です。しかし、わたくしは萬人の最大多數が煙草をたしなみ、その醍醐味を説き、紫煙の幻術、エクスタシイ、そして、その偉大なる價値を説かうとも、わたくし自身は、頑として、その宣傳に乘らぬ、誑(たぶら)かされぬ。そして、あの、いやなニコチンの匂ひ、毒に染まぬと決心してゐました。わたくしは煙草のみを輕蔑しはしませんが、これを賞揚する氣のないのは勿論、煙草のみの客がきて、あの無遠慮無感覺に、煙草の灰を散らす、これまでのんでゐたコーヒーの皿にでも、食べてゐた茄子や胡瓜の椀にでも、灰を落す、あの無神經、その不快さに辟易することは、一再ではありません。男子はまだよい。婦人が煙草を吸ふ姿を見ると、誇張ではなく、慄然と身ぶるひがしてくる思ひなのです。好意をよせてゐた女人が、煙草をのむと知つて、たちまち嫌ひになる、その經驗はたぴたびなのでした。宿命となれば、致しかたありません。かくしてわたくしは恐しい煙草から遠ざかり、今日まで、一度も、手に取つたことすらなかつたのです。[やぶちゃん字注:「煙草の灰を散らす」底本では「煙草の灰を敢らす」であるが、読めないので、誤植と断じて、特異的にかく訂した。]

 なんといふ皮肉でせうか。さういふ天性の煙草嫌ひ、ほとんど煙草恐怖症といつてもよいわたくしが、全精神と全生活とを賭けて惚れました女人が、なんとしたことか、またしても、煙草のみ、煙草好きであらうとは! わたくしが、五月の土堤で心地よげに煙草をのみだした戀人の姿に、愕然とし、失望し、悲しみ、そして、絶望的な氣特になつて行つたことは、諸君の充分に明察されるところであらうと信じます。

 わたくしは苦しみ、迷ひました。わたくしのその女人に對する思慕の情は、これまで經驗したやうな淺薄のものではなく、いかなる困難、迫害があらうとも、かならず突破して、成就しなければならぬといふ鞏固(きようこ)な勇氣をわたくしの身内にふるひおこし、ほとんどわたくしを英雄的興奮に追ひあげてゐたほどのものであつたのです。親が反對するか、周圍が反對するか、或ひは彼女へ思ひをかける戀敵(ライバル)が、わたくしへ決鬪を申しこむか、火でも、矢でも、嵐でも、來らば來れと、決意してゐたのでした。ところが、それが、なんと! あらはれた敵といふのが、煙草であらうとは!

 ああ、戀か? 煙草か? わたくしの戀人が煙草のみであるといふことは、到底わたくしの耐へ得るところではない。然らば、彼女を思ひ切るか。ああ、それができるくらゐなら、なんでこれほど苦しみませう? わたくしは混亂し、悶え、天を仰いで、慟哭(どうこく)しました。彼女が煙草をやめてくれれば、これに越したことはないのでありますけれども、彼女の煙草を吸ふ樣子といふものは、彼女の煙草への愛好がいかに深いかといふことを、如實に語つてゐます。彼女はわたくしに、一本いかがといつて、小筥のケースをさしだしました。わたくしが、のまないと申しますと、ちよつと怪訝(けげん)な顏はしましたが、そんなにわたくしが、極端な煙草嫌ひ、煙草恐怖症といふことを、もとから知るわけはありませんから、默つてケースをしまふと、なほも、煙草をくゆらし、さもおいしげに、心地よげに、空にむかつて、紫色の輪を吹くのでした。それが五月の風にたなびいて、消えてゆく。見た目にはきれいなのですが、わたくしの方は、そのにほひのいやらしさに、悶絶せんばかりでしつかりと鼻をふさいでゐるのでした。わたくしが彼女を失ひたくなければ、この煙草への嫌惡を我慢するほかはない。この忍耐と克己がはたして可能か。わたくしの宿命を變へ得るか。いかなる暴力的な施療をもつてすれば、この變貌を遂げ得るか。わたくしに自信も意見もあらうわけはなく、戀か? 煙草か? 不可能を可能にし得ぬ弱少の資質に、ほとんど泣きたいばかりでありました。

 彼女とて、かういふわたくしをも愛し、この戀愛を遂げんとすれば、煙草をやめなければ、あの、黑白一致の完全な合體はできない。戀か? 煙草か? とりもなほさず、それは彼女自身の悲痛な課題でもあつたでありませう。

 紳士淑女諸君、

 かくのごとく、煙草の害たるや、恐るべきものであります。わたくしは觀念しました。今さら、わたくしが最大の鬼門であり、なにより、先天的習性による宿敵といつてよい煙草へ屈服することは、いかにしてもできない。何度でもいひます。わたくしは煙草は嫌ひです。どうしても好きになれません。煙のにほひを嗅ぐと、卒倒しさうになります。これまで一度も、手にしたことすらありませんが、もし、手にしたら、その瞬間に、わたくしは癲癇(てんかん)的發作をおこすかも知れません。煙草はわたくしの敵です。そして、煙草は、……おや! 皆さん、これは、なんとしたこと! 皆さんは、わたくしをなぶるつもりですか。人が惡いにもほどがある。誰もかれもが、煙草をのみはじめた。五六人かと思つたら、七人、十人、二十人、四十人、百人、……ああ、みんなだ。全部の方が、煙草を吸ひだした。煙がもうもうと場内を埋める。わたくしの方へくる。たまらない。いやなにほひだ。皆さんは、わたくしを燻(いぶ)し殺すつもりですか。ああ、やめて下さい! やめて下さい!

 おや、わたくしの眼のあやまりではないか? 全部が煙草を吸つてゐるのに、たつた一人、吸はない人がある。あの人だ! あなただ! あなたが、今夜の辯論大會にきてゐることをはじめから、僕は知つてゐたんです。僕は、あなたのことを念頭において、はじめから喋舌(しやべ)つてゐたんです。いや、あなた一人に向かつて、話、いや、僕の告白、願望を述べてゐたんだ。ああ、あなたは煙草を吸つてゐない。あんなに、好きだつた煙草を。戀か? 煙草か? あなたの考へはきまつたんですか?

 滿堂の紳士淑女諸君、

 諸君は意地わるく、わたくしを嘲弄しようとなさる。わたしを煙攻めにする。わたくしを癲癇で卒倒させようといふ魂膽にちがひない。たしかにわたくしは眼が舞ひさうだ。氣が狂ひさうだ。しかしながら、わたくしは諸君に負けたのではない。勝利者はわたくしです。わたくしが勝つたのだ。わたくしの戀人がわたくしをうけ入れたのだ。……皆さん、その中央の座席にゐる女人、さつきから、わたくしが縷(る)々として述べたすばらしき美人、それこそ、彼女です。ああ、煙草の海のなかで、たつた一人、煙草を吸はずにゐる。すてきだ! 僕は勝つた!……おや、あなたはどなた? 演説の最中に、演壇に土足であがるとは、なにごとです? なに、警察官? 警官が、小生になんの用があるのです? 用があるなら、あとで承ります。いまは、大切な辯論の最中だ。小生の一生の輝ける瞬間です。殺風景な警官の闖入(ちんにふ)で、妨げられたくはありません。小生の辯論に忌諱(きゐ)にふれる個所はない筈です。檢閲にひつかかるやうなことは、なにひとついつてゐないぢやありませんか。……なに? 全然、別の用だつて? なんです、それは? 逮捕状! 小生を逮捕するのですか? 冗談ぢやないですよ。僕はそんなことはなにもしてゐないよ。……えつ? 僕がヤミ煙草を製造した? ここで皆が吸つてゐる煙草は、全部、僕の祕密工場から出たものだつて? やめて下さい。冤罪(ゑんざい)を着せるにも、ほどがある。さつきからの僕の辯説を聞かなかつたんですか。僕は生來煙草嫌ひ、煙は勿論、煙草を手にとつただけでも卒倒する。そんな僕が、なんで、煙草なんか作るもんですか。とんでもない濡衣です。……あつ! それは!……うむ、……そんな證據があがつてゐるのか。……さうか。……そんなに引つぱらなくてもよろしい。もうかうなつたら、惡びれはしません。行きます。待つて下さい。一服してから行きます。……どうです、あなたがたも一服されたら? これ、最上等の葉卷ですよ。

 

[やぶちゃん後注:正直、惨めな恐妻家を痙攣的に露呈してゆく原話に比すと、格落ちは否めず、落ちもイマイチである。演じて見たい気はあまりしない。]

 

2017/04/10

ブログ930000アクセス突破記念 火野葦平 手 

 

[やぶちゃん注:本電子データは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが930000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年4月10日 藪野直史】]

 

 

 

 どうしてこんなことになつてしまつたのかと、河童は自分の不覺がざんねんでたまらない。これはたしかにおぼろな春の月の妖しい魔法にかかつてしまつたのだと月をうらんでみた。でなければ、かれは自己の過失を、ただみづからの下卑た心情のしからしむるところとかんがへてしまふことはたまらないからである。月のせゐだ。ところがさう月に過誤の原因を轉嫁してみたところで、ただそれは觀念の堂々めぐりだけであつて、現實の問題はさらに解決がつかないのであつた。

 通ひなれて、立ちならぶ並木路の松の數も、その形も、枳殻(からたち)の生垣の高さも幅も冠木(かぶき)門の氣どつた破風(はふ)も、はげてゐる瓦の枚數も、ペんペん草のたたずまひも、築山の石燈籠の形も數も、すつかり暗記をしてしまつた同じ道を、今夜も、河童はとぼとぼとあるいてゐた。月はなく、星があかるかつた。かれの顏にはつかれがみえ、不安と、疑惑と、焦躁と、決意と、希望とがごつちやになつて、その足どりもたよりなげであるかと思ふと、にはかに自信ありげに力がはいつた。かれが混亂してゐることは明瞭であつた。皿の水があるかとときどき手でたしかめたり、とがつた嘴を吃(ども)らないやうになでてみたり、土産(みゃげ)にさげてゐる鯉が死んでゐないかと、藁苞(わらづと)のなかをのぞいてみたりした。ところがかれのさういふしぐさはすべて左手でなされてゐるので、右手はただ肱ひぢ)から曲げ、そこに藁苞の紐をかけてゐるだけで、一度もうごかさないのであつた。左腕には水かきのある手がついてゐるが、右腕には手首からさきがきれいに切りとられて、手がついてゐないのである。まるで、右腕は杉の丸太んぼうをくつつけたやうにぶさまにみえた。河童のなげきの原因がこのむざんな右手にあることはいふまでもなかつた。その大切な手は、かれがこれからでかけてゆく人間の家に保存されてゐるのであるが、ふたたびかへしてもらへるかどうかといふことについては、まつたく自信がもてないので、河童は困惑をしてゐるのである。その人間の家にでかけるのは今宵がはじめてではなく、すでにもはや十數囘に達してゐるが、貪慾で頑迷な人間はいたづらに苛酷(かこく)な條件を課すばかりで、返還をこばんでゐるのであつた。

 それにしても、とまたも河童は春の月の夜の過失がくやまれてならない。たしかに月のせゐであつた。あの夜、池をでて、森にくると、やはらかな霞のなかからおぼろな月光がはとんどにほふほどのうつくしきで、河童の背や顏をてらした。滿月はすぎて、十七夜くらゐであつたらうか。かすかに虧(か)けた月はぼうとうすい紅をさしたやうにぼやけて、あたかも人間のわかい女のうつくしい肌のやうになまめいてゐる。そのやはらかい光に照らされると、まるで女の手でやさしくなでられてゐるやうで、こころよい興奮がわき、ふしぎな情念が身うちにうづまいてくるのであつた。河童にも青春の血がある。河童はかういふ誘惑には弱い。さうして月光のあやしい魅力にさそはれて、河童はつひにいやしい色情のとりことなつた。

 かれはもはや醉ひしれたここちとなり、夢遊病者のやうにふらふらと並木みちを拔け、枳殻(からたち)の生垣をこえ、人間のすまゐのほとりへさまよひでたのである。そのあひだにも月光はいよいよなまめかしい光をそそいで、ささやくやうに河童の情念をそそり、つひにかれを後架(こうか)のうちにひそませた。このやうなときに意識の底に潛在してゐるものがどういふ風にはたらくのか、かれはずつと以前にこの家にみめうるはしい乙女がゐたことを知つてゐて、その夜、月光とその女とがひとつにつながれたもののやうに、さうしてそれはひとつの絶對ででもあるかのやうに、みづからの行動のなかにおぼれたのであつた。しかし、かれのそのやうな情熱がともかく純粹であつたにもかかはらず、傳説の掟は冷酷で、かれは人間への慕情をしめす場所として、不潔な後架をえらばねばならなかつた。時間が經つた。足音がするたびに胸ををどらせた。この家には大勢の人間がゐるらしかつた。いくつかの尻をむかへおくつたのち、やがて目的のひとがあらはれた。動悸がうち顏がほてつてくる興奮に、河童はわれをわすれたやうに、そのうつくしい尻へそつと右手をさしだした。あつといふ間もなかつた。すさまじい力がかれの右手をつかみ、かれが後架のすみになげだされたとき、あわただしくなにごとか叫びながら、廊下をかけ去るはげしい足音を耳にした。河童は身ををどらして後架をとびだし、枳殻の生垣をのりこえて一散に山へはしりかへつた。さうして池の底でやうやくおどろきもしづまつたとき、ふと右手に氣づき、息もとまらんばかりになつて、どうと尻餅をついた。痛味をすこしもかんじないのでわからなかつたが、いま見ればかれの右手は手首からなくなつてゐた。しまつたとふかい悔恨がわいてきて不覺の淚がでた。その靑い淚は池の水のなかを紐をひくやうにしてながれた。驚愕と狼狽とのためなにかわからずに、ともかく逃げてきたのであつたが、とつさの間になにを見きはめることもできなかつたのだ。いま、あの力づよい手に腕をつかまれたとき、自分の手が切りとられてしまつてゐたことが明瞭となつた。杉の丸太んぼうのやうにぶさまになつた腕をながめて、河童はかなしげな顏になつたが、しかし絶望はしなかつた。まへにも同じやうな失策をした仲間があつて、いちどは手をうしなつたが、人間にわびをいひ、交換條件として傷藥ををしへるとか、水難よけの祕傳をつたへるとかして、手をかへしてもらつた例のあることを知つてゐたからである。かへしてさへもらへばもとのごとくつぐことはお手のものだ。そこで河童はふたたび恥をしのんでその人間の屋敷をおとづれた。

 人間の武士(さむらひ)は、憤然たる樣子で謝罪にきた河童をさんざんにわらつた。河童といふものは助平ぢやなうなどといつた。長いのと短いのと刀を二本さし、あたまのうへにちよん髷をむすんで、背のひくい、くしやくしやしたやうな眼鼻だちのその年よりの武士は、拔けた齒のあひだからしゆうしゆうと空氣をすかすもののいひかたで、自分の大切な娘にいたづらをするやうな奴の手はかへすことはならんと威張つた。河童は平身低頭してひたすらに懇願した。なんといはれてもよかつた。恥も外聞もなく人間のいふとほりにした。河童をどりををどれといはれてをどつた。七人の家族の者たちまで出てきて、みんな緣側にならんで輕蔑するやうに見ながらげらげらと笑つた。そのなかには河童がひそかに思ひをかけたわかい娘もゐた。かの女もめづらしい河童のふしぎなをどりに手をうつてよろこんでゐた。それにしても河童には、このなよなよした女が自分の尻にさはるかさはらぬかに手をつかみ、懷劍で切りとるやうな剛毅(がうき)な早わざをしたことがなかなか信じられなかつた。まへに何人かが後架にはいつたときに、すでにあやしいものの氣配に氣づいてゐたのであらうか。それならばかへつてわかい娘はおそれなければならぬのに、はいるときから懷劍をぬいて怪物退治をこころざしてゐたとすれば、なんといふ女丈夫であらうか。いづれにしろ、いま自分のをどりにうち興じて手をうつてゐるわかい娘が、自分の手を切りとつたにまちがひなく、どのやうな屈辱をしのんでも、かへしてもらはなければならぬのであつた。

 狆(ちん)のやうに眼鼻だちのくしやくしやした武士や、ぼてぼて豚のやうになつたその奧方や、それからそこにゐる人間たちのだれかれは、河童にさまざまの要求をした。歌をうたへといひ、さかだちをしろといひ、一人角力をとれといひ、空をとべといひ、はては小便をたれてそれをのめなどといつた。手をかへしてもらひたいために、河童はなんでもいはれるとほりにした。人間どもの嘲笑と酷使ははてがなく、河童はつかれて目まひがし、靑い汁がながれてからだがべとべとした。ところが、さんざんに河童をあやつつたはて、武士はどうも藝がまづいのでけふはかへすことはならぬ、この次に來いといつて、制止するのもきかず奧にはいつてしまつた。河童は呆然となつて見おくり、きびすをかへして憤然と山へかへつた。

[やぶちゃん注:或いは読者の中には「汁」を誤植ととるかも知れぬので、老婆心乍ら、言っておくと、河童は体が粘液で覆われており汗ではなく「汁」でよいのである。]

 河童はそれから何度となく通つては、手をかへしてくれるやうに必死に懇願した。詫び證文もかき、傷藥もをしへ、水難よけの祕傳もつたへ、欲しいといふものは無理してでもとりそろへて持參した。しかしながらそのたびに狆のやうな武士はなにかと難癖をつけ、言を左右にして、手をわたさうとはしなかつた。詫び證文など書きかたがわるいといふので七通も書いたのだ。河童は手のためにはどんな苦難にもたへ、怒りをしづめて忍從しようと決心はしてゐたが、あまりな人間の不信と貪慾とにしだいに絶望のこころがわいてきた。同じ失策をしたほかの仲間がたいていは一度か二度ゆけば手をかへしてもらつたときいてゐて、はじめは樂觀してゐたのであるが、人間のうちにもいろいろあつて、さう生やさしくはいかぬ者のあることがわかつた。はじめは根氣とねばりが大切だとおもつたが、こちらがいかに努力しても、相手の心がまつたく手をかへす氣特になつてゐないのでは、のれんに腕おしにすぎなかつた。愚鈍な河童もしだいにそのことをさとつてきて、もはや絶望的なあきらめのおもひがきざすやうになつた。

 いま河童は藁苞に鯉をつつんで、人間の武士の家をおとづれたのであるが、もし今宵宿願が達成されなければこれを最後と決意してゐた。このまへきたときに、武士はおまへが山の淵の緋鯉をとつてきてくれれば、今度こそはまちがひなく手をかへしてやらうと約束したのである。山の淵は嶮岨(けんそ)な場所にあつてとても人間ののぼれないところであり、そこにゐるといふ緋鯉のことはいひつたへになつてゐるだけで見たものはなかつたので、その武士は自分のつかへてゐる殿樣へさしあげるために要求したもののやうであつた。これをとることは河童とて容易ではなかつたが、渾身(こんしん)の努力をふるつてやつととらへ、いま人間の屋敷へはこんできたのであつた。

 おとづれる聲に、戸があいて、狆のやうな武士が手燭をもつてあらはれた。

「河童か」

「さやうです」

「約束のもの、持參したか」

「持つてまゐりました」

「どれ」

「お武士さま、おねがひです。こんどはきつと手をかへしてくだきい」

「約束のとほりならかへすよ。武士に二言はない。……どれ、見せてみろ」

河童は藁苞をさしだした。

「ありや、これや緋鯉ぢやないか」

「緋鯉です」

「たれが緋鯉というた?」

 河童はおどろいて、

「あなたがこのまへいはれたではありませんか。あなたがいはれたので、わたしは一所懸命でむつかしい山の淵でこれをとつたのです。あなたがなんどもいはれた山の淵の緋鯉です」

「馬鹿なことをいうてはいかん。わしは緋鯉などいつたおぼえはない。眞鯉(まごひ)といつたんぢや」

「いまさらそんな、……あなたはいつでも、そのときになつて、出たらめばつかり……」

「なにが出たらめだ」

「いえ、出たらめといふわけではありませんが、……そんなに、いつも、約束をたがへられては、……」

「約束をたがへるのはおまへだ。河童といふものはしようのない噓つきだなう」

 河童は地べたへ額をつけた。ぺこぺこ何度も頭を下げた。皿の水がながれて、氣のとほくなるここちがした。

「おねがかです。おねがひです。手をかへしてください。わたしのしたことはわるいことでした。しかし、もうわたしとしてはできるだけのおわびと、つぐなひをしたつもりです。手はわたしの命です。どうぞ、かへしてください。おねがひします」

「おまへがちやんと約束さへ守ればかへしてやるつもりでゐるのに、おまへがわるいのだ。……それでは、いいか。こんどはまちがひなく、山の淵の眞鯉をとつてきなさい。そしたら、かならず、手はかへす。……いいな。……この緋鯉はもらつとく」

 河童は呆然となつて、藁苞をさげて消えてゆく人間のすがたを見てゐた。戸がしまり、かたんと裏からかけがねをおろす音がして、あとはしいんとなつた。しばらく魂のぬけたやうにたたずんでゐた河童は、やがて力なげにたちあがると、ふかいためいきをついて、鉛のやうにおもい足をひきずりながら、星であかるい山への道をひきかへしていつた。

 

 

 

 このとき、地上では戰ひがたけなはであつた。城をまもる者と、城を攻める者とが日夜たけだけしい叫び聲をあげ、刀をふりまはし、槍をつきあはせ、渚(なぎさ)によせる波のやうによせたり引いたりしながら、あくこともなくたたかつてゐた。城は包圍されてゐたが、かこむ軍勢はこの城の軍勢のふしぎな抵抗力に、やうやくおどろきの眼をみはるやうになつた。外濠(そとぼり)にかこまれた小さい城がいつまで攻めても落ちないのだ。戰ひはながくつづいた。この城にこもる人數はほぼわかつてをり、ながいあひだのうちつづくたびたびの戰鬪で、もはやその人數は全滅してゐなければならぬ筈であつた。足をきられ手をきられた者だけでも、城の軍勢の數を越してゐるとおもはれるのに、城門からはいくらでも精鐵があらはれてきて、喊聲(かんせい)をあげ、刀をふり、槍ぶすまをつくつていどみかかつてきた。攻圍軍の方にもしだいに戰死傷者ができ、補充をする便があるとしてもながい戰鬪ではやうやくつかれがみえてきた。それにしても、小人數である筈の城内の兵隊が、いつまでたたかつてもすこしも減る模樣がないことはいぶかしいかぎりであつた。攻圍軍の大將も、參謀も、部隊長も、解(げ)せぬこととしてしきりに首をひねつた。

 そのうち前線から奇妙な報告がとどくやうになつた。城内の軍勢とたたかつて、手を切りおとすとその兵隊はその手をもつて城へにげかへる。足を切りはなすとその足をかかへて城のなかへはいる。どこを切つてもついても負傷したままひきかへす。首を切るとべつの兵隊がかついで逃げこむ。するとそのあとから新手がでてくるが、どうもそれは先刻手や足を切りおとしたとおなじ兵隊のやうにおもはれる、と。馬鹿なことをいふな、と大將も、參謀も、あきれてわらひだし、そんなたわけた報告をする斥候(せきこう)を氣ちがひのやうにとりあつかつた。しかしながら、ひきつづき櫛の齒をひくやうにもたらされる第一線の報告が、符節を合したやうにおなじであることを知るにいたつて、大將の額にたらたらと汗がながれ、苦澁の顏にはいひしれぬ懷疑のいろがわき、やがてこの妖怪の城にたいして恐怖のおももちがあらはれた。

 

 

 

 城内の天主閣では、鎧兜に身をかためた殿樣がふしぎな微笑をうかべて、戰ひの狀況をながめてゐた。殿樣のまへには緋鯉の料理がならべられ、かたはらには狆のやうなくしやくしやした眼鼻だらの武士がしかつめらしい顏をしてはべつてゐる。城外からはをめき聲、鬨(とき)、刀や槍のうちあふ音、矢が風をきる音、法螺貝、陣太鼓の音などがきこえて來、晴れわたつた空にへんぽんとひるがへる多くの旗がながめられた。

「戰ひはあひかはらずか」

 殿樣は盃を手にして、妙にけだるさうな聲でたづねた。

「さやうでございます。さんざんに敵をなやましてをります。あの河童の手がありますれば、わが軍は百萬の大兵がをるのも同然でございます」

 狆の武士が滿面に得意のいろをうかべてこたへた。

「さうか」

 殿樣はなんばいも盃をかきねたが、その顏には會心の笑みとは遠くかけはなれた皮肉の微笑がこびりついて、ときに嘲けるごとく、ときにはさげすむごとく、ときに泣くのではないかとおもはれるやうに、唇をかんだりするのであつた。戰ひは有利で、敵は味方の奇妙な戰術のまへにすでに旗を卷かうとしてゐるのに、殿樣の憂鬱な顏は勝利者の顏ではなかつた。いひしれぬ退屈と侮辱のいろさへ、ときにその端麗な顏にあらはれて消えた。

 戰ひはもうながくつづいてゐた。戰ふべき運命にあつた兩軍はそのながい戰ひよりもずつとまへからしばしば戰ひ、勝敗を決することなくこんにちにきた。さうして今度のいくさがはじまつた。ところが今度の戰ひにはおもひまうけぬ武器が手に入つて、味方は有利にたたかふことができた。河童の手だ。家來の娘で剛毅なるものが後架でいたづらせんとした河童の手を切りとつた。知識ゆたかな典醫はそれを見ると、狂喜のあまり七囘𢌞轉して卒倒した。この手さへあれば切れた腕でも足でも首でもたちどころにつなぎ、もとのとほりにすることができる。ぜつたいに河童にかへしてはいけないといふことを蘇生してから言上した。かくて忠義にあつい狆の武士は、河童がいかに懇願するともこれをかへさうとはしなかつたのである。

 戰ひがはじまり、その效驗はたちどころにあらはれた。城内の兵隊はいくら切られても突かれても河童の手でさすることによつてたちまらもとの身體に復歸し、さらに城外に打つて出た。負傷すればひつかへし、手足や首をつないでまた出てゆく。まさに狆の武士のいふごとく、不死身の兵隊百萬を擁してゐるのに異らなかつた。はじめは殿樣も大いによろこび、その手を切りとつた娘に褒美をとらせ、狆の武士にも加增を命じた。攻圍軍は城内の不死身の兵隊に疑惑の眼をみはり、やがて恐怖にとらはれるやうになつた。

[やぶちゃん注:最後の一文の冒頭の「攻圍軍」は実は底本では「攻圍車」となっているが、これでは意味が通じないと私は判断し、前の叙述からも「車」は「軍」の誤植と断じ、特異的に訂した。

 しかるに、戰ひがつづけられてゐるうちに、男性的にして良心的な殿樣のこころに、しだいにくらいかげがさしてきはじめた。同じやうな戰ひがつづけられ、同じやうな經過と結果とが日課となつて、殿樣のこころに倦怠と疑惑とが生じた。いくら切られてもこちらは減らないし、敵は減つてのゆくであるから、いつかは味方が勝利を得るかもしれないが、これがほんたうの勝利といへるであらうか。こちらはもう安心をしてをつてもよいわけで、べつだん力こぶを入れたりするところはなにもない。殿樣は寢てをつてもよいわけだ。これが眞の男性的な戰鬪であらうか。自己の運命を賭(と)し全戰力を傾倒して勝敗の歸趨(きすう)に沒頭することなくして、なんの戰ひの價値があらうか。これは戰ひではない。つまりは河童の手が眞の武器ではないからだ。殿樣は兵隊のはうにも眼をそそいでみた。兵隊にも懈怠(けたい)のこころがわき、鬪魂のにぶつてゐることは明瞭であつた。いくら切られても突かれても死なないといふことになれば、なにも伎倆をみがくことも、わざに長ずる必要もないことだ。かくて戰ひぶりはお座なりとなり、なにか馬鹿々々しい倦怠のしこりが陣屋のなかにたちこめるやうになつてゐた。

 かくして殿樣はつひに決意をかためるところがあつた。勝敗を度外視し、眞に自力を全的にみなぎらして戰ふ男性的な人間の宿命に忠實たらんとして、殿樣は河童の手に依存する卑屈をやめた。殿樣は狆の武士をよび、手を河童へかへすやうに命じた。狆の武士はおどろいて色あをざめぶるぶるふるへだした。殿樣は氣がへんになつたのではないかとまじまじと主人の顏を見た。殿樣は氣がへんになつてはゐず、昨日までの妙にけだるさうな表情が消えて、りんりんたる勇氣がそのおもてにあふれ、これまでにかつてなかつたやうなたのもしい武者ぶりであつた。殿樣の命令はおごそかで、二度と口返答をゆるさぬきぴしさにあふれてゐた。反對すればたらまち手打ちにされるやうなすごささへある。狆の武士は河童に手をかへすべく、搦手(からめて)の間道をつたつて山への道を行つた。戰鬪はまつたくちがつた樣相をおびるやうになり、そのをたけびも劍戟のひびきもこれまでの懈怠のいろをふきとばして、はじめて人間のさいごのいのちをかけあふ悲壯なものとなつてきた。

 當惑したのは狆の武士である。くしやくしやした眼鼻だちをいつそうちぢこめて、腹だたしげに河童の手を入れた袋をさげてゐたが、到底、山の池までこれをとどけにゆくやうな阿呆らしい役目をはたす氣にはならなかつた。武士の沽券(こけん)にかかはる。そこで彼はいつも河童が通つてくる松並木まできて、そこの一本の松の梢にとりだした河童の手をひつかけておいて歸つてきた。河童が來ればかならず氣づくことは明瞭であつた。狆の武士は城への道をひつかへしてきたが、あの手のなくなつたこれからの戰鬪がどんなに苦しいものであるかをかんがへて、もうがたがたふるへがきた。さうして劍戟のひびきのきこえる搦手の門まできて、いきなりくるりと踵(きびす)をまはすと、狆がはしるやうにいづくかへ逃亡し去つた。

[やぶちゃん注:最後の一文の「踵(きびす)」の「踵」は実は底本では「腫」となっているが、これでは意味が通じない(「腫」に「きびす(かかと)」の意味はない)。ルビからも「腫」は「踵」の誤植と断じ、特異的に訂した。

 松の梢にのせられた河童の手は歳月とともに風雨にうたれてしだいに腐蝕していつた。もうあきらめてゐた河童は人間への信賴を斷念して、池の底から出ようとはかんがへなかつたので、自分の手がゆきさへすれば見つかるところにあることを知らなかつた。松の梢の手は烏(からす)につつかれたり、鳶(とび)に食はれたり、蛆(うぢ)がわいたりしてしだいに原型がなくなり、それも風化して、つよい風の日に吹きとばされて四散してしまつた。秋風がたつやうになつてから、ながい忍耐ののちまたも未練が出て、河童が池を出て、人間の武士の家をおとづれたときには、その家は灰燼に歸してあとかたもなく、おもい心をいだいてかへつてくると、みじんの骨片となつた自分の手が水がきのある濡れた足のうらにまつはりついてくるのであつた。

2016/12/17

ブログ890000アクセス突破記念 火野葦平 十三夜

 

[やぶちゃん注:本テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが890000アクセスを突破した記念として公開する。【2016年12月17日 藪野直史】]

 

 

 十三夜

 

 

        一 家  の  外

 

 もしもし、誰もゐませんか。ちよつと起きてくれませんか。誰もゐないのですか。……困つたな。どうも、誰かゐるやうに思はれるのだがなあ。さつき、話し聲や物音がしたやうに思つたのだが、行きには點(つ)いてゐた灯(ひ)も消えてしまつてゐる。寢てしまつたのかな?……

 もしもし、もしもし、留守なのですか。……返事がない。……すつかり、ぐるりは戸じまりがしてあるし、すき間はあるが、中はまつ暗なので、なにもわからない。狐や狸のやうに、どんな小さな穴からでも風のやうに忍びこむことはできないし、はて、どうしたものかな。もう一ペん引つかへして、探してみようかしら。……だが、もう足がしびれるくらゐ、さうだ、三十ぺん以上も往復したのだから、いくら俺の眼がわるいといつたつて、こんな明るい月の晩に、見そこなふ筈はない。やつぱり、この家の人間が拾つたものにちがひない。この往還にはこの家一軒しかないのだし、時間からいつても、誰も通らなかつたのだから、さうとしか考へやうがない。この家にはたしか、四十くらゐの樵夫(きこり)夫婦と、六つか七つの女の子が一人ゐたやうに思つたのだが、……

 もしもし、聞えないのですか。すみませんが、ちよつと起きてくれませんか。ちよつとおたづねしたいことがあるのですが、……わたくしはこの山の水天宮の池にゐる河童です。あなたがたもわたくしのことは聞いたことがあると思ひます。なにもいたづらをしようの、危害を加へようのといふのではありません。ほんとに困つてゐるので、おたづねやら、お願ひやらにまかりでたものです。

 わたくしは、今夜、この麓の目痛川(めいたがは)の溜(たまり)でひらかれた仲間の集合に行つたのです。十三夜の月の晩に、毎月もよはされる例會なのですが、今夜もたそがれどきから、この地方一帶の仲間が百匹ちかくも集つたのです。なぜ十三夜の晩にかぎつて集るやうになつたかといふことは、實はわたしもよくは知りません。なんでも、昔、やはり水天宮の池にゐましたわたくしの祖先が、どうしたはずみか、崖のうへから落ちて皿を割る事件が起ったことがあるさうです。河童にとつて頭の皿ほど大切なものはなく、水分が減つてさへも氣力が衰へて病になることがあるのですから、皿が割れることは、生命にかかはるやうな大事でありまして、ただちに附近の仲間たちが召集されることになりました。何故なら、わたくしの祖先は、若いころ、筑後川にゐます河童の頭目九千坊の膝下にゐまして、直接の薫陶をうけ、且つは阿蘇の那羅延坊の覺えもめでたい出色の者であつたために、ここに來ましてからは、由緒ある水天宮の宮附として、ここらあたりの河童の見かじめをしてをりましたので、臨終にあたつて、いひ殘さねばならぬことがあつたからです。そのときもわたくしの祖先の遺言は十六箇條にわたる綿密なもので、河童の生きてゆく根本の精神について、生活の方法について、あるひは、眞實について、歷史について、藝術について、科學について、戀愛について、道德について、さまざまの示唆(しさ)にあふれた格言に滿ちて居りましたが、それらの言葉も精神も、いまは朦朧としたものになつたやうに思はれます。あきらかに文字に書きしるされて殘つてゐるにもかかはらず、勝手な解繹を加へたり、故意に歪曲(わいきよく)したり、自分に都合のわるい部分はかへりみず、都合のよいところのみをとりあげたり、或ひは全的に信奉するものがあるかと思ふと、全然否定するものがあり、まつたくそんなもののあることすら知らないものさへあるやうになつたからです。これこそは古典の持つ運命かも知れませんが、いまの世に生きるものたちの輕薄さを裏書きしてゐると思ひ、わたくしはときどき、もう古ぼけて苔の蒸した祖先の遺訓をとりだしては淚する日もあるわけです。わたくしはこれでも水天宮の池を繼承した名門の裔(すゑ)なのでありますが、その祖先が死の床で同族を召集して教へを垂れたのが十三夜の月の晩であつたとかいふことで、それ以來、この夜が、今日まで、仲間の月例集會の日となつたといひ傳へられてゐます。しかしながら、いまはその夜の持つてゐた嚴肅な意義といふものはまつたく忘れられて、ただ、習慣に過ぎなくなり、集合の席での語といへば、ほとんど、祖先の精神とは似ても似つかぬ、低俗で、賤しく、且つは、愚劣で、卑猥な話ばかりなのであります。ときには、聞くに足る話も出ますが、それはまるで問題にされず、多數を占める現世的な俗論が壓倒してしまつて、集會はいつでも、猥雜な笑ひで終つてしまふことが多いのであります。

 今夜など、わたくしは仲間たらからさんざんに嘲笑されて、はとんど憤りと悲しみとで息がとまらんばかりの思ひをしました。順當にいけば、もともと名門の裔であるわたくしがこの地方の見かじめをしなくてはならぬのでありますが、生まれつき氣の弱い、ひとをやつつけたり、おとしいれたり、ごまかして自分だけよいことをしたりするやうな政治的手腕にまつたく缺けてゐるわたくしには、さまざまの性向を持つた百匹もの部下を統御してゆく能力はとてもありませんので、いまは、わたくしの伯父にあたる鎭守(ちんじゆ)の河童に、その代役を賴んであるのです。

 この伯父は恰幅(かつぷく)が立派で、押しだしでまづひとを壓するのですが、また鼻孔の太いのと、聲の大きいのとで、仲間うちで重きをなして居りました。その伯父から、わたくしは今夜ひどい侮辱を受けました。以前、わたくしが見かじめ役をたれか親戚のものに代つてもらひたいといふことを申し出たときには、この伯父は毎夜のごとく、水天宮の池へ、いろいろわたくしの好きさうな土産ものなどをしつらへて、やつて參りまして、猫なで聲をだして、頭をペコペコ下げ、自分を代役に指名してくれと、哀願したものです。權力に對する魅力はたれも押へがたいものがあるとみえます。そのほかの親類のなかにもわたくしの小庵をおとづれるものがありましたけれども、その伯父のやうに執拗で卑屈なものはありませんでした。わたくしは權力などにはすこしも未練はありませんでしたから、もつけの幸として、この伯父に代役を指名したのです。うるさいと同時に、また、なにか脅迫めいたものを感じて怖くもなつたからです。その伯父は正式にその役に就任しますと、態度はがらりと一變して、橫暴のかぎりをつくすやうになりました。

 伯父は、今夜、仲間たちの面前で、わたくしを仲間の面よごしだといつて罵倒しました。……恥しい話ですが、わたくしはこの半月ほど前に、結婚をしまして、……いや、それが、その結婚といふのが、實は問題となつたのですが、……さあ、どういつたらいいか、わたくしは立派な結婚だと思つてゐるのに、伯父はそれを結婚ではないといふのです。さういへば、べつにことごとしく親戚にひろめもせず、身内にも知らないものもゐるくらゐでしたから、その點はわたくしにも落度があつたのかも知れませんが、相談をすれば反對するにきまつてゐますし、……といふのが、白狀しなければわからないのですけれども、わたくしはすこし前から、ひとりの娘の河童と知りあひになつてゐまして、そして決心をして、たれにも無斷で、その娘と結婚してしまつたわけです。二人の愛情の純粹さ淸さについては、たれに憚かるところもなかつたし、戀愛の眞實と自由とについては、祖先の憲章にいささかも悖(もと)らない確信も持つてゐたからです。それ故に、水天宮の池底のわたくしの新婚の家庭はまことにささやかではありますが、幸福に滿ちたものであつたのです。

 ところが、そのことを伯父にいはせますと、もつてのほかの氣ちがひ沙汰で、名門の榮譽を冒瀆し、德義を無視した靑年の客氣にすぎない。素性(すじやう)もさだかでない女を神聖な水天宮の棲家(すみか)にひきいれるのは神をおそれぬ危險思想である。且つは、親戚一統の承認を輕ないのは正式の結婚とは認められず、單なる野合にすぎない、といふことになるのです。さうして、伯父は滿座のなかで、例の大聲を發し、巨大な鼻孔をぶうぶう鳴らし、さういふ淫蕩なる不良靑年を仲間から出したのは心外であるから、その女をただちに離別するか、自分がこの土地から退去するか、どちらかを選べと、くりかへしくりかへし、わたしを面詰するのでした。座中にはなだめるものもありましたが、伯父の劍幕に辟易(へきえき)して沈默し、多くの仲間は伯父に阿諛(あゆ)して、ともどもにわたくしを嘲笑するのでした。

 わたくしは座にゐたたまれなくなつて、目痛川の溜をとびだしました。わたくしの背後でどつと笑ひ聲がおこりましたが、わたくしはもう憤りでぶるぶる顫へながら、まつすぐに水天宮の池へ急ぎました。十三夜の月が晝間のやうに明るい道を急ぎながら、嘗て、この十三夜の月の晩、祖先が死の嚴肅のなかにあつて遺した教訓が、このやうにも完全に忘れ去られてゐることにおどろき、憤りのなかにはてもない悲しみとさびしさがわいて來ました。さうして、複雜な感慨にひたりながら、ただ、池底で待つてゐる新妻のことを考へ、なにはおいても彼女に會ふことによつて一切が償はれるのだと、ほとんど走るやうに、道を急いだのです。……ああ、そのわたくしの興奮が、つひに、わたくしに途方もない災ひをもたらしたのです。

 もしもし、聞いてゐますか。

 わたくしはほとんど混亂してゐたために、大變な失策をいたしました。どこかに、池へかへる鍵を落してしまつたのです。わたくしたちには傳説のきびしい掟があります。その掟はつねにわたくしたちの生命であり、宿命の規律であり、なにものをもつてしても犯すことができません。水天宮の池底にかへるためには、わたくしはその鍵を持つてゐなくてはならないのです。いつも腰の袋に入れてゐて、落すなどといふことはないわけなのですが、きつと、興奮して急ぎすぎたために、知らぬ間にとびでたものと思はれます。形はただ丸い平凡な小石で、わたくしには絶對になくてはならぬものですが、……あなたがた人間にはなんの役にも立たぬものです。もし、あなたがたが拾つて居られるものなら、返して下さいませんか。どんなお禮でもいたします。

 わたくしは鍵を落したことを知ると、氣も動顚(どうてん)せんばかりでした。それでも、この明るい月夜ですから、まもなく見つからうと、この往還を必死で探しました。そして、たうとう、三十ペん以上も往復し、へとへとになりました。足もしびれてしまひました。いくらわたくしの眼が惡くても、こんなに明るいのですから、あれば見つからぬわけはありません。ないのです。この道には落ちてゐないのです。いや、一度は落ちたかも知れないが、誰かが拾つたのです。さうにちがひありません。さうとすれば、あなたがたよりほかにはありません。わたくしは血眼で道ばかり探してゐたので、あまりよくは氣づきませんでしたが、ともかく、麓から池までの間には、この家一軒しかありません。はじめは戸もあいてゐたし、燈もともつてゐたやうに思ひます。誰かゐる氣配も感じました。それが、いまはすつかり戸じまりができ、灯も消えてゐます。家のなかは眞暗になつてゐますが、きつと、皆さんが居られるとわたくしは信じてゐます。

 もしもし、もうおやすみですか。ちよつと起きてくれませんか。きうして、戸をあけて下さいませんか。けつして、いたづらをしたり危害を加へようといふのでありません。それどころか、わたくしは命がけなのです。こんなに困つたことははじめてです。もし、その石を拾つて居られるなら、……いや、きつと拾つて居られると思ひますから、わたくしに返して下さいませんでせうか。さつきもいふとほり、わたくしにはなくてはならぬものでありますが、あなたがたには用もないものです。どんな御恩返しでもいたします。

 ああ、かうしてゐる間にも、氣がせきます。實は伯父がわたくしの妻に邪(よこしま)な懸想(けさう)をしてゐたことを、わたくしはよく知つてゐるのです。その石の鍵がなければ、わたくしは池にかへることができません。妻は池から出ることもできません。つまり、わたくしたちは二度と會ふことができなくなるのです。ああ、もう、彼女にこれきり會へないなんて、……さうして、池にかへれないなんて、……伯父が、伯父がひよつとしたら、今ごろは、水天宮の池に行つて、……もしもし、もしもし、お願ひです。お願ひします。石の鍵を返して下さい。どうぞ、お返し下さい。……もし、もし、もし、……もし、……

 をかしいな。いくらいつても返事がない。やつぱり、誰もゐないのだらうか。きつと居ると思つたのだが、……困つたなあ。……實直さうな樵夫の夫婦だし、居れば、さうして事情を聞けばかならず返してくれると思ふのだが、……もし、鍵がなかつたら、どうなるんだ。池にかへれない。彼女に會へない。伯父が、……畜生、どうしたらいいんだ、絶望だ。

 もしもし、もしもし、もしもしもしもし、……お願ひです。あけて下きい。鍵を返して下さい。

 やつぱり、誰もゐないのだ。……仕方がない。月も傾いたが、もうすこし探してみよう。月が落ちたら、なにもわからなくなる。まだ、探し足りないのだらう。なにしろ、石が小さなものなんだから、……

 

          二 家  の  中

 

「どうやら行つてしまつたらしいな。なにか、永いこと、くどくど喋舌(しやべ)つとつたねえ」

「なにをいつてゐたの? あなた。風のやうにざわざわいつてるばかりで、あたしにはよくわからなかつたけれど」

「俺にもよくわからんが、なあに、河童などのいふことが、なにかわかるもんか。うつかり口車にでも乘つたら大變だよ。相手にならず默つてりやいいんだ。また、來るかも知れんから、返事をするんぢやないよ」

「はい」

「お前、面白いものを拾つたなう」

「父ちやん、これ、なあに?」

「きつと、河童の丸子石(まるこいし)だよ。父らやんが死んだおつ母から聞いたことがある。子供のお前にやいらんものだから、父ちやんにくんな」

「いやん。あたい、折角拾つたんだもの」

「そんなもの、なにするかい」

「なにつて、きれいな石だもの。風鈴に入れるか、簪(かんざし)の玉かにするわ」

「そんなことよりな、父ちやんにくんな。父ちやんがこれを持つて町に行くとな、よろこぶ人があるんだよ。死んだおつ母の話ぢやあ、河童の丸子石は喘息(ぜんそく)の妙藥だつていふことだつた。喘息てな、なほりにくい病氣だが、丸子石があつたら、どんなたちのわるい喘息でも、すぐになほるんだ。父ちやんがいつも世話になる町の旦都がもう長いこと喘息で寢てござる。旦那にや恩になつてゐるから、なにかで恩返ししなくちやと思つてゐたが、貧乏ぐらしでなんにもできなかつた。これは天のお助け、だ。夜があけたら、すぐに旦那のところへ、これを持つて行かう。すりつぶして、味噌汁に入れて飮めばいいんだよ」

「飮んでしまふの?」

「うん、さうしたら、二三日もしたら、すつかり喘息がなほつてしまふんだ。旦那よろこぶだらうな」

「そんなら、惜しいけど、父ちやんにあげるわ」

「よしよし、いい子、だ。そのかはり、父ちやんが町で、美しい風鈴に、玉簪を買つてやるよ。一緒に町に行かうな」

「うれしいわ」

「あなた、あれ、なに?」

「お、河童の足音だ。また引つかへして來やがつたな。……近づいて來る。ものをいふな。音を立てちやいかんぞ。なにをいつても默つてるんだ。いいな。……そら、もう、表に來た。しいつ、なにをいつても、返事するな」

 

[やぶちゃん注:「目痛川」不詳。先の「新月」に登場する川名である。た、ここでは、「水天宮」「筑後川」「阿蘇」とソリッドに固有名詞が出、しかも主人公が河童の中でも正統なる血筋の末裔であることを考え合わせるなら、このロケーションの「水天宮」は高い確率で筑後川が近くを流れる、福岡県久留米市瀬下町(せのしたまち)の、全国の水天宮の総本宮である、「水天宮」と考えてよかろうかと思われる。場所柄、天御中主神の他、安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀っており、言わずもがな、壇ノ浦で滅びた平家が河童となったとする伝承は広くこの附近に残る。

「九千坊」「河童曼荼羅」の先行作に他出する。

「那羅延坊」先の「白い旗」に登場する。

「見かじめ」「見ケ〆」などと表記する。見回って取り締まること。現行では「みかじめ料」として、暴力団が不当に脅しをかけて飲食店などから徴収する用心棒代・ショバ代・挨拶代の謂いでしか、專らしようされなくなった。

「河童の丸子石」不詳。]

2016/09/17

ブログ・アクセス860000突破記念 火野葦平 蕎麥の花

[やぶちゃん注:私には何か非常に哀しい話と読める。

 最初に簡単な語注を附しておく。

「貴船神社」叙述(「香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵」)から現在の福岡県田川郡香春町(かわらまち:現行はこう読む)紫竹原(しちくばる)にあるそれかと思われる。

「香春(かばる)街道」大宰府と豊前国及び大和朝廷を結ぶ街道の一部を原形とするもので、現在の福岡県北九州市から同県久留米市に至る国道三百二十二号に相当し、同国道のの別称として今も使われる。名称は、起点である北九州市小倉南区附近から、田川郡香春町へ向かうことに由来する。

「庚申淵」は不詳であるが、「香春街道の出はづれにある」という表現からは私は地図上で見る限り、彦山川の北の支流である金辺川の淵であろうと踏んでいる。実は後に「庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にある」と出るのであるが、この「長峽川(ながをがは)」と「檢地」という地名はあるにはあるものの、福岡県行橋市下検地付近でここは香春からは直線でも十キロ以上離れており、しかもここを行き来可能な河川を地図上では見出せない。識者の御教授を乞うものである。

「海御前」既に電子化注した本「河童曼荼羅」の作品にはしばしばこの設定でこの名が出るが、特に彼女を主人公とした「海御前」がある。また「西日本リビング新聞社」公式サイト内の「海御前とカッパの証文石(門司区)」を読むと、平教経の妻海御前が河童の惣領となったことが出、また以下の大積周辺には河童駒引伝承があることが判る。なお、個人サイト「北九州市まちかど探検」の「門司区大積周辺地区」も必見。

「大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)」企救半島の東側福岡県北九州市門司区大積。上記に引用した「海御前とカッパの証文石(門司区)」で、大積の殿様が「乙女川」の川岸で愛馬を河童に引かれたと出るが、これは大積村内を流れる奥畑川の別名であり、従って、「乙女岩」はこの大積の周防灘に面した入り江(或いは河口附近)にあった岩礁(或いは川中の岩場)を指すものかと推測される。

「庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる」これは現在の福岡県久留米市大橋町常持にある庄前神社である。古賀勝氏のサイト「筑紫次郎の世界」の「伝説紀行」にある「巨瀬川の尼御前カッパ」に詳しい。

「草野(くさの)」現在の福岡県行橋市草野。ここは先の「長峽川」の左岸(北側)に当たり、地名の「検地」にも近い。ますます分らなくなってきた。

「到津(いたうづ)」遙か北の現在の福岡県北九州市小倉北区到津(いとうづ)である。現在、「到津の森公園」として小倉区西部では特異的に自然が残っている。

「伽羅(きやら)」香木の一つである沈香(じんこう:正しくは「沈水香木(じんすいこうぼく)」)の中でも質のよいものをこう呼ぶ。ウィキの「沈香」によれば、『東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ属(学名:アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha)の植物である沈香木などが、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積したものを乾燥させ、木部を削り取ったものである。原木は、比重が』〇・四と『非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈水」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違う』とある。

「音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、/橋の下から泣き音頭」これは盆踊唄の一つである。こちらを参照されたい。

「高門(たかもん)」地名かも知れぬが、見当たらぬので金持ち(或いはその部落内でのそうした富裕な家の通称一般名詞又は名前に準じた固有名詞)という意味でとる。

「ギンギュウといふ魚」「はえにちよつと似てゐる川魚で」「珍しい魚でもなんでもない」が「赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた」「はえ」は、日本産の条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科 Cyprinidae の淡水魚の中で、中型で細長い体型をもつ種群の総称であり、「はや」「はよ」などとも呼ばれるが、これはだいたいコイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis・ウグイ亜科アブラハヤ属アムールミノー亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii steindachneri・アブラハヤ属チャイニーズミノー亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi・コイ科 Oxygastrinae 亜科ハス属オイカワ Opsariichthys platypusOxygastrinae 亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldiiOxygastrinae 亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii を指す。私はこの内でも春に雌雄ともに鮮やかな婚姻色の紅色条線を発するウグイ Tribolodon hakonensis をそれのモデルとして採りたい(この時期の彼らを「桜うぐい」と呼び、私は好物である)。なお、「ギンギュウ」という奇体な名からは条鰭綱ナマズ目ギギ科ギバチ属ギバチ Pseudobagrus tokiensis の地方名である「ギギュウ」「ギンギョ」を想起するが、これは紅い模様の必要条件を満たさない(茶褐色の赤味の強い個体はいるが、「桜うぐい」に比したら話にならぬし、「はや」のグループとも似ていないからである)。

「産褥」「さんじよく(さんじょく)」産婦の用いる寝床。

「ドンコ」棘鰭上目スズキ目ハゼ亜目ドンコ科ドンコ属ドンコ Odontobutis obscura 。日本産ハゼ類の中では非常に珍しい純淡水性のハゼ。

「沈湎(ちんめん)」沈み溺れること。特に酒色に耽って荒んだ生活を送ることに用いる。

 なお、本篇は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、私のブログ・アクセスが860000を突破した記念として公開する。【2016年9月17日】]

 

 

   蕎麥の花

 

 

 川面をわたる風に乘つて、貴船(きふね)の方角から太鼓の音が聞えて來る。盂蘭盆(うらぼん)が近づいたので、村の若い男女が社の境内に集つて盆踊りの稽古をしてゐるらしい。これは每年のことだから、格別珍しいことではないが、香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵(かうしんぶち)に棲んでゐるお染河童(そめかつぱ)にとつては、年變るごとの樂しみの一つではあつた。河童も遊ぶことがきらひではないけれども、人間たちのやうにかういふ浮き浮きした度はづれの祭はやらない。ことに、お染をふくむ北九州界隈の女河童は、いづれも源氏に亡ぼされて關門海峽に沈んだ平家の女官であつたから、敗戰滅亡の悲しみがなほ尾を引き、なにかの歡樂に底拔けにうつつを拔かすといふ氣特になかなかならないのだつた。しかし、樂しいことは好きなので、人間たちが浮かれ騷いでゐる樣子を遠望しながら、すこしでも心を明るくするよすがにはしてゐた。今夜も月のさす土堤(どて)に腰かけて、お染は提灯や炬火(たいまつ)のきらめく神社の境内の賑はひを眺めてゐたのである。そして、化(ば)ける術を知つてゐたならばきれいな娘に變じて、踊の環のなかに加はることができるのにと思ひながら、變化(へんげ)の法を知らないことにさびしさを感じてゐた。

 壇の浦で亡びた平家一門のうち、男は平家蟹となり、女は河童となつた。その女河童たちは能登守教經(のとのかみのりつね)の夫人であつた海御前(あまごぜ)によつて統率されてゐる。海御前は門司(もじ)の大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)に本據をかまへ、ことあるごとに部下を召集して、さまざまの指示をくだす。毎年六月一日には定斯總會が行はれた。海御前はそのときどきの情勢にしたがつて、いろいろの指圖をしたが、いつの會合のときにも變らぬことが一つあつた。それは憎い源氏に對する恨みである。日ごろはおとなしい海御前も事源氏に關する話題になると、柳眉を逆だて眼をぎらつかせ、背の甲羅を炎症をおこすほどぎすぎす鳴らして、

「お前たち、なんでもかんでも源氏につながりのあるものには、かならず仇を討たないと、平家一門の顏にかかはるぞ」

 と、まるでやくざの女親分のやうに、凄い啖呵(たんか)を切るのが常であつた。

 大勢の女河童のうち、海御前から特に愛されてゐた數名が關門海峽の海底から他所へ移された。庄ノ前は筑後川中流の水の美しいところに居をあたへられ、お染は庚申淵に配されたのであつた。庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる。お染のあたへられた庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にあるため、つねに水が變り、深さははかり知れないほどになつて、その棲み心地はなんともいへなかつた。水の澄んでゐることは靑水晶のやうである。そして、餌(えさ)は豐富だつた。關門海峽で味氣ない集團生活をしてゐたときには瘦せてゐたお染は、庚申淵に移住してから一ケ月もたたぬうちに見ちがへるほど肥え太つた。大勢ゐるとかならず起る感情問題やいざこざがここにはなく、のんびりと自由であることが彼女を肥えさせる一因にもなつたのであらう。ただ一つの缺點は孤獨であるといふことだけだつた。お染は心のやさしい河童であつたから、夏になつて、長峽川、檢地川、庚申淵等で泳ぐ子供たちがけつして溺れないやうに見守つた。溺れさうになる者があるとこれを助けた。しかし二つの川と一つの淵との全部にはとても注意が行きとどかず、彼女が氣を配つてゐるにもかかはらず、たまに子供が溺れることがあつた。そんなときお染は神通力の惠まれてゐないことを悲しみ、死んだ子供のために淚を流した。しかし、人間たちはそんな彼女の氣持を知らず、河童の畜生奴、子供を引きこみやがつて、と口惜しがつて罵倒するのを常とした。

 貴船神社境内の盆踊りは夜更けになつても衰へる樣子はなく、さらに賑はひを增して行くやうである。孟蘭盆には人間には特別の樂しみがある。若い男と女との自由な交歡である。お染も年ごろになつてゐたから、人間たちのさういふ靑春の營みを見て心が疼かないでもなかつたが、自省心に富んでゐたので亂れるやうなことはなかつた。太鼓の音はいよいよ高くなつた。人間の歌聲のどよめきとともに、提灯の數もふえ、炬火の火花は冴えた靑い月を燒きこがすやうに中天に舞ひあがつて、眞夏の夜空に吸ひこまれた。

 土堤にうづくまつて、膝をかかへたまま、この光景を眺めてゐたお染は、ふつと妙な物音を耳にしてふりかへつた。芒の叢(くさむら)をかきわけて、一匹の狐がこちらにやつて來るのが月光に見えた。向かふではまだ河童に氣づかぬらしい。お染はあわてて土堤のかげに走りこんだ。見られたところでかまはないのだが、狐が奇妙なことをはじめたので、これを見物するために姿を隱したのである。幸ひ風が反對に吹き、河童特有の生ぐさい匂ひが狐の方に行かないことをよろこびながら、お染は眼を皿にして狐の一擧手一投足を注視した。

 狐は土堤から川原に降りた。ちよつとあたりを見まはしてゐたが、誰もゐないと安心したらしく、汀(みぎは)で顏を洗ひはじめた。細い手にすくひとつた川水がまるで水晶のかけらをまき散らしてゐるやうに、月光にキラキラ光つた。その何滴かは飮んだらしい。狐はそれから北斗七星をふりあふいで、なにかを祈るやうな恰好をした。次には叢のところに行き、しきりに草を引き拔いて自分の身體にくつつけはじめた。草で身體中が掩はれるほどになつたとき、お染河童は瞠目(どうもく)した。もうそこには狐などは居らず、一人の美しい靑年が立つてゐるのであつた。元祿繪卷から拔けだして來たやうな若衆であつた。靑年は化身を終ると、對岸はるかの人間たちの盆踊りの光景を眺めながら、祭囃子の調子にあはせて川原で踊りだした。その手ぶりや身體のさばきはあざやかで、お染はうつとりと見とれた。そして、ふたたび自分が變化の才に惠まれてゐないことを悲しんだ。お染はたまらなくなつて、土堤を降つて行つた。狐は突然河童が出現しても格別おどろかなかつた。庚申淵に棲んでゐるお染河童のことを知らぬ者はなかつたし、お染が他の河童たちとちがつて、性質のやさしい、またみめ形も美しい女河童であることは有名であつたからである。ただ狐は知らぬ間に自分の行動を見られてゐたことを知つていくらか照れた。

「今晩は」

 と、お染は挨拶した。

「今晩は、お染さん」

 と、狐はにこにこ顏で答へた。そして、くるりと宙返りすると、もとの狐になつてしまつた。みごとな藝である。

「さつきからあなたの姿を感心して拜見して居りました。あなたはどちらの方です」

「草野(くさの)に棲んでゐる者で、與左衞門と申します。どうぞ、よろしく」

「草野の狐さんはあたしみんな存じて居りますのに、あなたははじめてですわ」

「さうかも知れません。つい四五日前、到津(いたうづ)の方から叔父を賴つて草野に參りましたばかりですから。でも、僕の方は到津にゐるときから、お染さんのことは聞いて知つて居りましたよ。一度お逢ひしたいと考へてゐたところでした。今夜はからずもお目にかかれて光榮です。おつきあひ願ひます」

「こちらこそ」

 この夜がお染と與左衞門とのなれそめの最初となつた。孤獨のさびしさに耐へてゐたお染は一擧に與左衞門によつてこれまでの渇(かつ)を醫(いや)され、男の方も眷屬(けんぞく)はちがふが魅力に富んだお染を愛して、二人の仲は日とともに濃厚になつて行つた。その結合は自然であつた。お染はしかしはじめは自分の體臭について思ひ惱んだ。魚のやうに生ぐさい匂ひは河童本來の身についたものなので、これをどうしようもない。芳香のある花や草の汁を塗つてみても、人間の使用する香水をふりまいてみても消え去るものではなかつた。神佛に願がけしても效驗はなかつた。宿命的にあたへられたものを恨んでも仕方はないが、お染はこのいやな匂ひのために、與左衞門から嫌はれるのではないかと怖れた。これまでは自分の體臭について反省をしたこともなく、いやだと思つたこともないのだが、戀が彼女を唐突に苦しめはじめたのである。しかし、案ずるほどのことはなかつた。惚れてしまへばアバタもヱクボといふ人間の諺は眞實だつた。與左衞門はお染の體臭をいやがるどころか、

「お染さんの身體は全體がまるで伽羅(きやら)のやうですね。實にすばらしい匂ひがする」

 といつて、いよいよお染を溺愛した。その匂ひはかへつて官能を刺戟するものとなつて、二人の愛慾のいとなみは野放圖なほどだつた。お染はもう孟蘭盆の人間たちの靑春圖繪を見ても羨ましがる必要はなくなつた。眷屬のちがふ動物同士の戀の意味や、傳説の掟のきびしさや、先々のことなど、いまはなにひとつ考へることはせず、現在の幸福に溺れきつた。お染には祕密ができたのである。

 大積の乙女岩にゐる海御前はつねに部下たちの動勢に注目してゐたが、お染の戀愛については最後まで氣づかなかつた。庚申淵を中心とした長峽川、檢地川には男河童はゐなかつたし、まさか異類の獸と交歡してゐようとは想像もしなかつた。忍ぶ戀をしはじめると智慧もつく。いつかお染も親分をだますことが上手になつてゐて、巧妙に虛僞の報告をした。お染が氣立のよい、噓をつかない女であると海御前は信じきつてゐたので、やすやすと舌の先に乘せられ、お染の一言一句を疑はうとはしなかつた。お染は噓をつくことがよいこととは思はなかつたけれども、戀のためであればそれを罪惡とは考へなかつた。

「お染さん、御馳走だよ」

 與左衞門はさういつて、よくいろいろなものを持つて來た。油揚げ、蓮根、かまぼこ、煮豆、昆布卷き、すしなどである。それはしかし與左衞門がこしらへたり買つたりしたものではなく、庚申塚に供へられたり、人間が好んでやる宴會といふものの歸りに、折詰をぶら下げてゐるのをかつぱらつて來たものである。庚申淵の土堤に獲物をぶらさげて來ると、與左衞門は淵のうへまで枝をさしのべてゐる榎の大木の幹をコンコンコンと三度たたく、それが訪れの合圖だ。その低い音は靑く淀んだ深い淵の水をくぐり拔けて、淵底のお染の棲家まで電報のやうにとどく。お染はおしやれになつた。その音を聞いてから大急ぎで頭の髮をかきつけ、背の甲羅をみがき、薄化粧する。嘴にも紅藻(べにも)の汁を塗り、頭の皿の水も新しくとりかへる。與左衞門の方も同樣で、二人は逢ひびきのたびに、おたがひがだんだん美しくなるといつてよろこび、さらに慕情を深めあふのであつた。

「與左衞門さん、お土産よ」

 お染の方もときどき草野に出かけて行つた。しかしこれはいくらか冒險であつた。庚申淵にはお染以外誰もゐないけれども、草野には狐や狸がたくさん棲んでゐるので、ひと目につきやすい。與左衞門もこれを顧慮して、お染に草野には來るなといましめてゐた。しかし、お染は逢ひたくなるとたまらなくなる。それにもう一つは奇妙な嫉妬心もあつた。與左衞門がお染を草野に來たがらせないのは、草野に女房がゐるからではないか。女房でないまでも戀人でもゐるのではないか。しかしそれは杞憂(きゆう)だつた。まつたく露見を怖れてのことであつた。狐の仲間には異類と交歡してはならぬ掟があつたから、與左衞門はお染との仲がばれることに戰々兢々としてゐたのである。それで、お染が、鯉、鮒、鯰、すつぽん、はえ、えびなどの豪華な川料理を心をこめて土産に持つて行つても、與左衞門は不機嫌に佛頂面をしてゐた。

「君がこつらに來なくたつて僕が行くよ。危險ぢやないか」

「でも、今日で三日も來て下さらないんだもの」

「そんなに毎晩は行かれん。女はそれしか用がないかも知らんが、男には仕事があるんだ。もう二度と草野には來なさんな。どうやらこのごろ、叔父がかんづきかかつてる形跡があるから、……」

 さういはれてゐても、一週間も與左衞門が姿を見せないと、お染は矢も楯もたまらなくなつて、草野へ出張して行くのだつた。

 そろそろ秋風の吹きはじめたうすら寒い晩のことであつた。四五日前から降りつづいた雨はあがつてゐたけれども、道はぬかるみ、二つの川と一つの淵の周邊にはいたるところに水たまりができてゐた。三日月が出てゐた。

 村の靑年に化けた與左衞門は檢地堤に腰をおろし、前方から大聲で歌をうたひながら近づいて來る人間を待つた。疑ひもなく宴會の歸りで、醉漢の腰には大きな折詰がぶらさがつてゐる。その中身が近來にない豪華料理らしいことは箱の大ききと紋章つきの風呂敷の立派さでわかつた。きつとどこかの大家で婚禮があつたものにちがひない。調子はづれの野太い聲でどなりながら來るのは、五十がらみの百姓親爺だつた。

   音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、

   橋の下から泣き音頭

   サッサ、ヨイヤサ、サノサト……

「おつさん、上手ぢやなあ」

 と、與左衞門は醉つぱらひが近づいて來ると、聲をかけた。

「誰ぢや、そんなところに居るとは?」

「貴船(きふね)の勝太郎ですよ」

「貴船の勝太郎がそんなところでなにしとる?」

「月を見とりますよ」

「月見? ヘン、あんな針金みたよな月を見てなんするか」

 さういつた百姓は芯から醉つてはゐなかつたとみえ、急にギョロッとした眼つきになつて、土堤の男を見た。たしかに貴船の勝太郎にちがひないが、その勝太郎は川の土堤に來て月を見るやうな風流な男ぢやない。いま時分は判子(はんこ)を押したやうに、このごろ村にできたパチンコ屋にゐるはずだ。百姓はこの界隈でよく狐から折詰をとられる噂を思ひだした。彼は力自慢で度胸もある男だつたので、この狐をひつとらへてやらうといふ魂膽になつた。それでなにげない樣子で、

「おい勝太郎、高門(たかもん)の祝言(しうげん)でたいそうな御馳走を貰うて來た。ちいと食はんかい」

 さういひながら、腰の折詰をはづした。

 それでなくてさへ、お染のために折詰を狙つてゐたのだから、與左衞門は渡りに舟と思つた。

「そんならすこしよばれるかな」

 といつて、土堤から下の道に降りて來た。無論すこしではなく全部かつぱらふつもりである。

 百姓の方は用心しながら、風呂敷包みをひろげる眞似をした。與左衞門は油斷をしてゐた。いきなりつかみかかつて來た百姓のため、わけもなく、そこへ抑へつけられた。おどろいてはねのけようとしたが、まるで岩がのしかかつて來たやうな糞力(くそぢから)だつた。

「おつさん、なにを無茶するのか」

「ワッハッハッハッ、土狐(どぎつね)のくせに、無茶が聞いてあきれるわい。貴樣のために、この邊の者がどんなにひどい目に逢うたかわかりやせん。もうかうなつたら百年目ぢや。狐汁にして食うてやるわい」

「おつさん、おれは貴船の勝太郎ぢやよ。狐でなんかあるもんか」

「笑はせるな、尻尾を出してやがるくせに」

 おさへつけられた拍子に、神通力がとけてもとの狐にもどつたことを與左衞門は氣づいてゐなかつた。人間は狐をしばるために自分の帶をときはじめた。

 與左衞門の頭にぼつとお染の顏が浮かんだ。すると身内に猛然たる勇氣がわきでて來た。渾身(こんしん)の力をふるひおこすと、岩の重(おも)しのやうな百姓の身體の下からはねあげた。しかし、相手もさる者だつた。

「逃がしてたまるか」

 と喚(わめ)いて、狐をなほもしつかりと摑んで離さなかつた。脱れようとする與左衞門と逃がすまいとする百姓とは組んづほつれつの格鬪になつた。そして二人ともそこら一面にある水たまりの中をころげまはつて、ずぶ濡れ泥まみれになつた。一度百姓は狐を深い水たまりのなかに押しこんだ。窒息させようと考へたのである。與左衞門は水中でもがき、したたかに泥水を飮んだ。息がとまりさうだつた。しかしまたお染のことを考へると、必死になつて暴れ、やうやく百姓の手から脱れることができた。もう折詰どころではなく命からがら草野へ逃げ歸つた。

 與左衞門が十日間も姿を見せないので、お染は心配のあまり、禁ををかして草野に出かけて行つた。そして、與左萄門が高熱を發して寢こんでゐるのを見ておどろいたのである。冷い水たまりで泥水を飮んだため、風邪をひき胃腸病にかかつてゐるのだつた。そして、胃腸の方は治つたが、風邪がこじれて肺炎をおこしてゐた。格鬪したときの傷痕が方々にある。與左衞門は瘦せ細り、聲にも元氣がなかつた。お染はその姿を見て泣きくづれたが、この災難が自分に御馳走をあたへようといふ戀人の氣持からの出來事とわかると、どんなにしてでも自分が與左衞門の病氣を治さなければならぬと決心した。またお染は戀人につききりで看病がしたかつた。しかしそれは不可能だつた。ふだんでもひと目が多い草野なのに、與左衞門が寢こむと、叔父一家の狐たちが入れかはり立ちかはり看病に當つてゐるため、その際を見て與左衞門に逢ふだけでも大變である。不安と焦躁とにかられながら、お染は容易に病人に近づくことができなかつた。それは與左衞門の方も同じ思ひだ。二人はちよつとの隙をうかがつてはあわてふためいた逢ひびきをした。與左衞門は叔父たちの棲家とはすこし離れた小さい穴に一人で棲んでゐたので、これまではお染がときどき訪れて行つてもわからずにすんでゐたのであるが、今度はうつかりしてゐると發見される公算が大だつた。

「とにかく早く全快して貰はなければいけないわ。あたし肺炎によく利く藥を持つて來てあげるわ」

 しだいに衰弱して死相さへ呈しはじめた戀人を救ふため、お染は一大決心をした。彼女は胸の病をなほすためにはギンギュウといふ魚に勝るものはないことをよく知つてゐた。はえにちよつと似てゐる川魚である。ギンギュウは二つの川にも庚申淵にもたくさんゐる。珍しい魚でもなんでもない。ただ、きびしい傳説の掟にしたがつて、獲ることを禁じられてゐるのであつた。乙女岩に眷屬を召集する海御前はしばしばギンギュウ捕獲の罪について指示をあたへてゐる。源平合戰の間中、平家の旗印であつた神聖な赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた。このため、壇の涌に沈んで亡んで後、河童となつて魚類を常食とするやうになつてからも、ギンギュウだけは特に除外されてゐるのである。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇をせよといふ海御前は、わが平家にすこしでもつながりのあるものは大切にせよといひ、これををかすものはきびしく罰すると宣言した。その統領の言葉は恐しい。禁ををかした仲間がただちに十日間の絶食を命ぜられ、海御前の笞(しもと)によつて百たたかれたことが數囘あつた。ギンギュウのたくさんゐる庚申淵にお染が移住させられたのも、お染が禁を破るやうな女ではないことを信用されたうへであることはいふまでもない。しかし、今お染は戀人の命を救ふため、悲壯の覺悟をしたのであつた。

 ギンギュウを捕へることはわけはない。自分たちだけは安全と安心しきつてゐたギンギュウたち愕然として逃げ惑うたけれども、敏捷な河童のためにわけもなく捕獲された。お染は藥餌法にしたがつて、それを榎のかげで黒燒きにし、そつと草野へ運んで行つた。與左衞門はよろこんだ。效果はてきめんだつた。亡靈のごとく瘦せ細つてゐた戀人はしだいに元氣を恢復し、熟も下がつて來た。もはや死の影は遠ざかつたと思はれた。

「ありがたう、お染さん、君のおかげで命拾ひした」

「あたしもうれしいわ」

「それで、僕、この間から寢てゐて決心したことがあるんだ。君と正式に結婚することだよ。君のために命が助かつた、君の心づくし、さういふことがわかつたら、いかに頑迷な叔父でも許してくれると思ふんだ。僕はいつか話してみようと考へてな」

「ちよつと待つて頂戴、あたしにも、すこし考へさせて」

「うん、無論、君のためを思つてのことだから、君にもよく考へて貰はなくちやならん」

「あたしの決心がきまるまでは、叔父さんには絶對に話さないやうにしてね」

 お染は正式な結婚などしたくはなかつた。そんなことは形式主義だ。人間は形式主義が好きだから、馬鹿々々しく派手な婚禮騷ぎをするけれども、そんな愚劣なことが自分たらに必要だとは思はなかつた。もう今でも立派な夫婦ではないか。與左衞門が元氣になり、これまでのやうに庚申淵にやつて來て、樂しい逢ひびきができるだけでお染には充分なのだつた。數々の掟を破つてゐるとしてもその幸福を味はふことによつて、お染は孤獨から解放され、しみじみと生き甲斐を感じてゐるのである。このうへどうして正式の結婚の必要などあらう。ましてさういふ話になつて來ると、これまでの罪がみなばれる。お染はそれが恐しかつた。彼女はいまのまま美しいエゴイズムを通してゐたいのである。彼女は與左衞門が病氣のためにすこし頭が變になり、感傷的にもなつたのだと判斷し、ともかく一日も一刻も早く全快させて、もとのやうに庚申淵に來られるやうにしなければならぬと考へた。それで、さらにギンギュウ捕獲に熱中し、これを藥にして與左衞門の病床に屆けた。

 叔父たちは自分たちの知らぬ間に妙藥が來てゐて、然もこれがめきめきと效いてゐることを不思議に思つた。また、與左衞門の穴の中がときどき異樣な臭氣に滿たされてゐることも不審に思つた。

「こりやあ、なんの匂ひかなあ?」

 叔父は鼻をかくひくさせて、穴中をかいで𢌞る。與左衞門はひやひやして、

「匂ひなんて、なんにもしてやしませんよ」

「いんや、たいそう魚(さかな)くさい。部屋の中に魚氣はないやうにあるが、……」

 與左衞門はよつぽどお染のことを打ちあけようかと考へた。ごまかしばかりいつてゐることは苦しい。しかしやはりお染の懇願を考へてそれを我慢した。決心がつくまで話してくれるなといつたときのお染の悲しげな顏が浮かぶと、咽喉まで出かかつてゐた言葉がひつこんだ。

 ギンギキュウの效果はてきめんであつたが、全快するまでには一つの副作用があつた。ギンギュウのため黴菌が死に、肺が正常な活躍にかへる前後、はげしい咳が出る。これを越せば全治するのだが、數日つづくこの咳はちよつ苦痛だつた。與左衞門にも恢復期が來て、はげしい咳が出はじめた。コンコンコンコンと、のべつ幕なしに出る。おさへようとしても止まらないし、努力すればするはど聲が高くなる。與左衞門は病床で日夜咳きつづけた。この連續する咳の聲は、遂に附近の人間たちの聞きとがめるところとなつた。

「おい、變な鳴き聲がするぞ」

「うん、わかつた。狐ぢや。惡戲(わるさ)ばつかりする狐の奴、どこに棲んどりやがるかと思うとつたら、こんなところの穴に居やがつたんぢやな」

「いつか權六おつさんが高門の祝言の歸りに捕まへ損うたと話しよつたが、あのいたづら狐にちがはん。今度は逃がすな」

「よし、燃し出せ」

 咳のために狐の存在は明白になつた。村の靑年たちは五六人でその征伐にとりかかつた。注意深く準備をすすめた。夜は暗いので、眞晝間、穴のまはりに網を張りめぐらし、穴から出ても逃げられないやうにした。それから穴の前に生柴(なましば)を積み、それに火をつけた。二三人が圃扇(うちは)でくすぶる靑白い煙を穴のなかにあふぎこんだ。屈強の若者が棍棒を持つて穴の前で待ちかまへた。

 穴の中の咳はいつそうはげしくなつた。煙にむせかへる息苦しげな呻(うめ)き聲が聞えた。なほも煙を送りこんでゐると、その濛々たる煙の幕のなかから一匹の狐がとびだして來た。

「そら、たたき殺せ」

 棍棒を持つてゐた靑年たちが狐を追ひまはし、さんざんに殴りつけた。與左衞門は必死に逃れようとしたが、網が張つてあつて出られない。たうとう手足が網にからまつてしまひ動けなくなつた。靑年たちは力まかせに棍棒をふるつたので、病みあがりの狐は血へどを吐いて死んでしまつた。

 産氣づいて動けなくなつてゐたため、お染はしばらく庚申淵の底で出産の日を待つてゐた。與左衞門のことが氣にならなくはなかつたけれども、すでにギンギュウ藥で全治することは時間の問題であつたし、自分も愛人の子を産むためなので、次の逢ふ日のよろこびの大きさを考へながら、産褥に橫たはつてゐた。秋の氣配は淵の底までもしみてゐて、うすら冷い水の流れは頭の皿にも眉にもこころよく當つた。紅藻の間に鯰や蟹がゐて、格別用もないのに出たり入つたりしてゐる。ギンギュウももう危險が去つたことを知つて、お染の眼のとどくところで悠々と泳いでゐた。川砂のなかに潛(もぐ)つてゐるドンコがときどき泡をふき、それがガラス玉の首飾りのやうになつて水面へ登つて行く。大シャンデリヤをいくつも點(とも)したやうに天井が眩(まぶ)しくきらめいてゐるので、明るい秋の太陽がいつぱいに淵の面に當つてゐることがわかる。その水面近くを幾列も雁のやうにメダカが隊をなして通りすぎる。これらのものをものうい眸で眺めながら、お染は大らかな幸福感に浸つてゐた。將來の設計などを考へてゐたわけではないが、子供の生まれることと、その子を見せて與左衞門に逢へることは、想像しただけでも微笑のわくことであつた。お染はいささかの罪も意識もなかつた。

 數日後、お染は子供を生んだ。お染は仰天した。男か女かとそんな樂しい豫測をしてゐたのに、そんなことどころではなかつた。これは一體なんであらう。狐の顏の頭に皿があり、狐の身體の背中に甲羅がある。狐の足に水かきがつき、長い尻尾が生えてゐる。その醜惡さはいひやうがなかつた。鳴き聲も不氣味である。お染はぞつとした。暗愚なるものは河童である。愛慾の詩に沈湎(ちんめん)してゐて、混血の科學には想到しなかつた。生んでみてびつくりしてゐるのである。

 お染は淵を出た。そして、一散に草野に飛んで行つたが、そこで見たものは戀人のむざんな死であつた。人間どもは打ら殺した狐をかついで、意氣揚々と村の方へ引きあげて行くところだつた。高らかな笑ひ聲がお染の心臟を突き刺した。お染は淚も出ず、憤然と庚申淵へ引きかへして來たが、長峽川と檢地川との合流點まで來たとき、愕然として眦(まなじり)をあげた。お染は見た。檢地川の土堤のわき一面に源氏の白旗がたなびき、へんぽんと風にひるがへつてゐるのである。お染の顏に親分海御前の言葉がひらめいた。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇を討て。しかし、ほんたうは庶民の白旗は恐しいのである。いつもなら逃げたであらう。しかし、お染は絶望の勇氣をふるひおこして、源氏の白旗のなかに突入して行つた。縱橫無盡にあばれた。といつてもただその軍勢のなかを眼をつぶつてやたらにのたうちまはつたにすぎない。しかし、それは源氏の白旗ではなく、そば畑であつた。秋口になるといたるところに白い蕎麥(そば)の花が咲きはじめる。お染は長く淵底にゐたため、いつかそばの花が滿開になつてゐたことを知らなかつたのだ。悲しみに打ちひしがれて曇つてゐたお染の限に、ひろいそば畑が憎い源氏の白旗に見えたのである。お染があばれまはるので、そばの白い花が雪のやうにはね散らされたが、逆上してゐるお染も泥にまみれて傷ついた。そして、彼女はのたれ死にをするやうに、悲壯な戰鬪の果てに死んでしまつた。川面をわたつて來るさわやかな秋風は、靜かになつたそば畑のうへを吹きすぎ、白い花は鈴をふるやうにゆれうごいた。そして、河童の肥料によつて、しだいにそばの黒い實を急速に太らせふやして行つた。

2016/08/18

ブログ850000アクセス突破記念   亡靈   火野葦平

 

[やぶちゃん注:底本(昭和五九(一九八四)年に国書刊行会が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊されたもの)の仲田美佐登氏の「跋 編集覺書」(クレジット:昭和三二(一九五七)年四月一日)の中の記載と、ネット上の古本屋の書誌情報から、本編は昭和二二(一九四七)年八月号『文學界』(復刊第一巻第八号)が初出であることが判った(底本には初出書誌情報は載らない)。敗戦から二年後の夏。本作は決してその時制と無縁ではないものとして読める。

 一ヶ所だけ、第三段落末尾「やはりきいていただかなくてはなりません。」は底本では「やはりきいていただかなくてはなりまん。」であるが、脱字と断じて訂した。

 「蓊鬱(をううつ)」(おううつ)とは草木が盛んに茂るさまのこと。

 なお、本テクストは私のブログが2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、850000アクセスを突破した記念として公開するものである。【2016年8月18日 藪野直史】]

 

   亡靈

 

 驚かれましたか? しばらく足をとめてください。その栗の木の下の石に腰をおろしてくれませんか。おいそぎでもない旅の御樣子、しばらくわたくしの話をきいていただきたいのです。……あなたを待つてゐました。この淵のほとりをこれまでも何人もの旅人が過ぎてゆきましたが、たれもかれもせかせかと忙しさうで、おまけにこの一帶に特別に不氣味さでも感じるのか、一刻も早くここを通り拔けようとでもいふやうに、足を早める者が多いのでした。或る者はまるで追つかけられてでもゐるやうに走りだし、つれのある者は自分たちの恐怖をまぎらすやうに、不必要に聲高で喋舌(しやべ)りながら、やはり速度を早めてこの淵のかたはらを過ぎるのでした。なるほど、この晝間でもたそがれのやうに暗い森林のなかは、さう氣持のよい場所ではない。山としてはさう深くはないけれども、樹々はいづれも苔むす古さと高さで蓊鬱(をううつ)と茂つて居り、たれさがつた氣根を縫つて年中蜘蛛(くも)が巣を張り、そのなかに足のやたらに長い、まつ黃色と黑とのあざやかな縞になつた女郎蜘蛛が、びいどろ玉のやうな二つの眼を光らせてゐたり、蜥蜴(とかげ)や蛇が熊笹を鳴らして濕氣の多い斜面を走つてゐたり、またときどき鳥か獸か蟲かわからない奇妙な啼き聲がするのでは、旅人もさうよい氣持もしないでせう。しかし、旅井人が氣味惡がるのはそんなことよりも、この淵のやうです。……あなたも現に驚かれてゐるが、姿の見えないわたくしの聲が、この淵のなかから起つてゐる。そして、その淵といふのは、あなたのごらんになつてゐるとほり、さして廣くはないけれごも、どこからも水の流れるところを持つてゐない。水源もなければはけ口もない一種の淀み、靑苔を溶かしたやうなどろどろの水、水ともいへない奇妙な液體、汁といつた方がよいか、つまり旅人がいたるところで見つけてゐるどんな淵とも池とも湖とも沼ともちがふ汁のたまり、おまけに異樣な臭氣、糞尿よりももつといやな惡臭、これでは旅人を辟易(へきえき)させるのも無理のない話でせう。にもかかはらず、旅人がやはりこの淵の、(淵と假りにいつて置きませう)ほとりを通るのは、麓から峠を越すにはいやでもこの道を通らなければ拔けられないからです。

 あなたを待つてゐました。あなたのやうな人ははじめてです。遠くにあなたの落ついた足音をきいたときから、わたしはもうおさへきれぬ期待で胸をはずませて、近づくのをお待ちしてゐました。あなたがこの淵のほとりに來て、しづかにあたりを見まはし、なにかしきりにうなづいて、旅の杖を曳いて、わたくしのいふとほりに、その栗の木の下の石に腰をおろされたときには、わたくしはうれしさで涙の出る思ひがいたしました。あなたはきつとあしへいさんの友人にちがひない。われわれ河童について變らぬ深い理解と愛情とを持つてくれるのは、傳説を輕蔑し、詩を否定し、浪漫をすらも異端視して、科學と實證とばかりを現實の價値とするやうになつた現代では、あしへいさんをおいてはなくなつたのでありますから、わたくしはいつかここへあしへいさんが氣まぐれでもよいから通りかかる日のことを夢にえがいてゐたのですが、このごろあしへいさんはつまらぬ世俗のことにかまけて、昔のやうにかういふ山間僻地(へきち)をおとづれる趣味をわすれ、おでん屋などをさまよひ、好きなビールを夜な夜なくらつてゐるといひますから、なにかの突然の啓示によつて、あの人がふたたびさういふ頽廢(たいはい)と惡德とにまみれることから逃れでる日を待つてゐるのですが、いつのことやら、……いや、わたくしはなにをいつてゐるのでせう。あなたで結構なのです。あなたがあしへいさんの友人で、わたくしたち河童の知己であることばもう疑ふ餘地がありません。あなたに是非おききねがひたい。そしてこれから話すことをあしへいさんにも傳へて貰へばたいへんありがたいと思ふわけです。

 わたくしは河童だと申しましたが、じつはいまは河童ではなくなつてゐるのです。形も影もなくなつて、いまは液體になつてゐます。この淵がわたくしなのです。いや、わたくしたちなのです。あなたは笑はれますか? どうもあなたの薄笑ひは氣味がわるい。あなたは河童が本來暗愚なものであることを知つて居られるので、いままたわたくしたちの暗愚についてくりかへすのは氣取かしいのですが、何故わたくしたち大勢の仲間がこんな淵になつてしまつたかは、やはりきいていただかなくてはなりません。

 昔、(昔といつても百年にもなりませんが)この山間一體には千匹ほどの河童が雜然と棲んでゐました。そのころはこんなに樹も茂つてゐず、淵ももとよりなく、いまよりはずつと明るいからつとした谷間で、千匹ほどの仲間たちもどちらかといふと仲よくたのしく暮して居りました。わたくしたち河童が馬の足あとの水のたまつたのにさへ三千匹は棲めることはあなたの御存知のとほりで、そのころ池とか川とかいふものはなかつたのですが、點々とある水たまり、山水、岩淸水のながれ、露の玉などで充分で、まづそのころは平和でありました。さやう、平和とい言葉がいちばんあたつてゐませうか。よその國々では河童同士が繩張りあらそひをして戰爭をしたり、昇天しようなどといふ途方もない考へをおこしてたくさんの死傷者を出したり、火山のうへを飛翔(ひしやう)して火傷(やけど)したりしたやうなこともききましたが、われわれのところではさういふ事件らしいものはなにもなく、日々はきはめて平和に、單調に過ぎてゆきました。すこし數がまとまつて生活してゐると、えてしてこれを支配しようとか、威張らうとかいふ者が出て來て、いつか權力といふものが生まれ、なにかの政治的な體制ができ勝ちなものでありますが、さういふこともなくて、政府をつくらうとか、黨派を立てようといふ野心を抱く者もなく、ただわけもなく雜居して暮してゐるばかりで、日が過ぎました。それはきつと衆にぬきんでた者がゐなかつたせゐもありませう。いづれも似たりよつたり、團栗(どんぐり)のせいくらべて、多少國體が大きかつたり、聲がたかかつたり、腕力が強かつたりで、幅をきかす者がなくもなかつたのですが、衆望が一敦して頭目に仰ぐといふほどの者はゐず、まづ長閑(のどか)なものでした。春夏秋冬の季節の變化も順調で、花や鳥を相手にたのしみ、太陽も月も適度のうつくしさで生活にめぐみをたれ、食餌も豐富で、なにひとつ不足もないのでした。支那にある桃源境、西洋のユートピアといふものがどういふものか知りませんが、そのころのこの山間の生活はひよつとしたらそれに近いものではなかつたでせうか。さういふ生活がわたくしたちの覺え知らぬ昔から長くつづいてゐたのです。少くとも、わたくしたちが今日の不幸に陷ちた百年前まで。

 百年ほど前の或る日、仲間のうちの頭のよい者から、奇妙な申し出がありました。その申し出の斬新(ざんしん)さがこのやうな結果を招來しようとはさらに思ひいたらず、仲間たちはたちまちその説に贊同いたしました。いま考へますと、そんな思ひつきがなにから生まれたかと腹が立ちます。それは精緻(せいち)な理論と、明晰(めいせき)な科學的根據をもつてゐて、たしかに學問としての權威すら示してゐたのですが、じつはそれは表面だけで、眞の動機といふのは、たしかにただの退屈にすぎなかつたのです。眼の色を變へて勝敗をあらそふやうな精神の緊張はさらになく、空腹をかかへて食を求める切實さもなく、單調な明け暮れにぶらぶらとただ時間ばかりを消してゐるやうな毎日、權力にたいする反逆もなく、征服にたいする慾望もない平和な日々、かういふときには、ただ頭腦ばかりが活躍するほかはなく、さまざまの思索がくりひろげられ、強ひて思想と哲學の體系が組みたてられて、したりげに發表されますが、それを仲間たちはただ漫然と眠たげにきいてゐて、なかなか立派な思想だ、おどろくべきである、などとはいひますが、生活へつながつて來るものはなにもありませんからすぐに忘れてしまひます。かういふ狀態でありましたから、或るとき、仲間の一人のをかしな申し出が熱狂して迎へられたのでありました。その申し出がただちに行動につながつてゐたものであつたからです。

 鼻まがりで嘴が短かく、頭の皿の毛が茶色なので、仲間からは大して重きをおかれてゐなかつた一匹の河童が、その案の提唱者でした。彼はいふのです。科學に革命をもたらす實驗をする時が來た、それは音響に關する物理現象で、諸君の協力なくしては成りたたない、蹶起(けつき)をのぞむ、と。なにか鹿爪らしい理論と、妙な記號のついた方程式のやうなものを彼はわたくしたちに示しましたが、わたくしたちにはさういふ學問的なものはわからない。また興味もない。にもかかはらずそれに贊同したのはわたくしたちがすでに底知れぬ倦怠に腐りきつてゐたからです。ただ寢そべつたり欠伸(あくび)をしたり、頭のわるくなるほども眠つたり、用のあることといへば女とのたはむれくらゐのもの、したがつてやたらに子供ばかりを生んでゐるやうな生活。さういふやりきれぬ退屈さ。なんでもかまはないから、その單調を破るものを求めてゐた。そこへその仲間が全部がともかくも一つの行動に出る案を持ちだしたのですから、盲目滅法(めくらめつぽふ)に飛びついたわけです。またその案を提出した仲間とて同樣で、そんなことは退屈のあまりに考へ出したことにちがひないのです。ところがそれだつて、ただ、この谷の河童が全部揃つて、時刻をあはせて、一齊にどならうといふだけのことでした。これまではあらこらで勝手なことをしやべつてゐる、それを或る時刻にいちどきにみんなで喚(わめ)いたら、どういふ聲になるか、音響に關する物理現象の實驗といふのはそれだけのことです。これには多少の反對がなくもありませんでした。しかしそれは學説としてではなく、面倒くさいといふ者と、そんなことをしてみてもつまらないといふ者と、その提唱者を日ごろからこころよく思つてゐなかつた者とで、提案者がすこし腕力が強くて仲間から煙たがられてゐる者を買收して、反對者を説き伏せたので、ともかく全員一致、早速實行にうつることに一致しました。

 わたくしにはその日のことが忘れられません。どうして忘れることができませう。傳説のきびしい掟がその日たちまちわたくしたちの運命を轉換させてしまひました。しかも、その悲痛な宿命がきはめて簡單にあつけないほどの過程で、わたくしたちを今日の羽目におとしいれたのです。

 紅葉が谷をあかく染め、蜩(ひぐらし)ももう鳴きやんで落葉のにほふ秋のある日でした。わたくしたちは谷の窪地にあつまつて提案者の鞭のうごくのを凝視してゐました。赤毛で鼻まがりの河童は一段たかい丘のうへに立つて、右手に葦の鞭を握り、氣どつた樣子で頃あひをはかつてゐました。千匹ほどの河童たちは、老いも若きも、男も女も目白押しにならんで、奇妙な期待に胸ときめかし、鞭の振られるのを待つてゐました。これまでの退屈を破る試みに有頂天になつてゐました。まだ朝まだきで、木の間越しの陽(ひ)はさわやかに、しめつてゐる河童たちの靑苔色の甲羅を光らせ、皿の水に反射して、ぴかつぴかつとかがやきました。千匹の河童が一齊にありつたけの聲をしぼつて怒鳴る、どんな聲になるか? わたくしは好奇心でいつぱいでした。そして白狀しますとわたくしはそのとき良からぬたくらみを胸に藏してゐたのです。それは自分でぜひその聲をききたいが、自分が怒鳴つたのではきくことができない、自分の喚く響が鼓膜(こまく)にひびきますから、これは自分は聲をたてないで、全員の合唱を聞いてやらうといふことでした。この思ひつきは大いにわたくしの氣に入りました。千匹のうち自分一人くらゐ默つてゐてもわかる筈もないし、影響もあるまいと考へたわけです。それにしても約束を破ることになるので、すこしは氣がとがめ、きよろきよろとあたりをうかがひましたが、もとよりわたくしのひそかな企みなどたれも氣づく筈もなく、みな眼をむいて丘のうへの赤毛の河童が鞭を振るのを、ひどく興奮した樣子で凝視してゐました。

 やがて曲つた鼻のさきがにぶく陽に光つて、ちよつと背を反(そ)らすやうにすると、提案河童はけけつといふ鳥のやうな聲を發しました。いよいよ振るぞといふ合圖です。わたくしはこのときこの見榮(みば)えもせぬみすぼらしい河童がいまや嘗てない得意の心境にあることを看(み)てとりました。これまでは輕蔑されてゐたのに、いまや千匹の河童の指揮をしてゐる。この鞭一つで全體がどうにでもなる。その得意さはふと傲岸(がうがん)なひらめきと、一種復讐めいた眼の色となつて、物理現象に對する學問的情熱以外の不純なものを、あきらかにその姿態に示してゐました。わたくしはにはかに反撥を感じて、そのためにも聲を發しまいと思ひさだめました。この瞬間の動搖ののち、待望の葦の鞭がかすかに風を切つて振りおろされました。思はずわたくしは息をのみました。全身を耳にしました。

 なんといふことでせうか。わたくしはその刹那の恐しい息苦しさをいまでも慄然と思ひ浮かべます。けたたましく荒々しいどよめきが鼓膜をも破るひびきをもつておこると思つてゐましたのに、その一瞬は世にもめづらしい靜寂のひとときでした。あまりにも巨大すぎる響は無音の錯覺をあたへるともきいてゐます。そこでわたくしもひよつとしたらさういふことではないかと息をつめて、耳の穴をほじくつてみたのですが、やつぱりその瞬間の逼塞(ひつそく)は全然音響のないためのものであることがたしかに解りました。なんといふことか。たれひとり聲を出した者がなかつたのです。あきれたものです。丘のうへにぼかんと嘴をあけて立つてゐる河童の姿ががくんと折れるやうにくづれて、まるで提燈をたたむやうにしぼんでゆくのが見えました。わたくしもそのとき自分の身體の關節がゆるんで來て解體されてゆくやうな、空間に浮いてしまつたやうで、足がなくなつたやうな空虛さを覺えました。そして、頭腦のはたらきも緩慢になつてゐましたが、事態の推移だけはまだ判斷する餘裕はのこつてゐました。團栗のせいくらべであつたわれわれの仲間ですから、考へることも似たり寄つたり、自分ひとりの思ひつきとして得意であつたことが、じつは全部の共通した考へであつたわけです。みんながわたくしと同じ企みをいだいてゐた。その結果、荒々しい騷音のかはりに不氣味な沈默があらはれた。それだけのことです。指揮者に封する反撥があつたかなかつたか、それはわたくしにはわからない。わかつてゐるのはたれひとりとして聲を發する者がなかつたといふ事實だけです。そして、それだけで充分でした。全員絶叫のかはりに全員沈默といふまつたく逆の現象、効果、それは別の意味では學問としての價値を生じたかも知れないのに、そんなことなどはもう問題ではありません。この歷史的な一瞬ののちに、ゆるがすことのできぬ鐡の規律、かの戰慄すべき傳説の掟が冷酷にわたくしたらの頭上にくだつて來ました。

 この山間の平和な生活はあとかたもなく崩れて、ゆるやかであるが恐しい破滅がはじました。違約と驚愕とが精神と肉體とのどちらをも亡ぼして、指揮者をはじめ千匹の河童たらは、そのとき、靑いどろどろの液體となつて溶けてしまひ、いつかこの窪地に一つの淵ができてゐたのです。

 その時から百年經ちました。からつと明るかつた森の樹々はわれわれの身體から發散する靑苔の肥料のために、短時日の間に必要以上の成長を遂げ、枝ははびこり、實はしげり、毛髮のやうに氣根が垂れて、そこには女郎蜘蛛が巣をかけ、蝶や兎はゐなくなつて、蜥蜴や蛇が巣くひ、陽の光がささぬために羊齒や熊笹のしげつた斜面はいつもじめじめと濕氣があつて、毒茸の發生にはもつて來いとなつたのです。旅人が快適な步調で通つた場所であつたのに、いまは恐怖を持つて駈け拔ける不氣味な森林となりました。ごらんのとほり、この淵は千匹の河童が百年前に溶けてできたものですから、水源も出口もなく、重々しく腐るばかりです。さうして嘗ての平和な日のことを思ひおこし、悔恨と悲哀と苦惱と、ただ歎息ばかりをしてゐたわけなのです。

 あなたを待つてゐました。きいて貰へばいくらか胸の苦しみもなごんだ氣持がします。……あなたはなにをなさるのですか。なにをするのです?……おや、これはどうしたことだ? わたしはいつたいどうしたのだらう。あなたはどなたですか。……わたしたちの知己であるとばかり思つてゐたのに、わたしの錯覺だつたのか。百年の苦痛と沈默とでわたしの智慧もにぶつてゐたのか。あなたを見そこなつた。……あなたはわたしたちと無關係の人だ。知己を求めてゐたわたくしの感傷にすぎなかつた。……あ、この淵のなかに小便をしないでください。小便をしないでくれ。たのみます。たのむ。傳説の掟が恐しい。……なんといふ愚かなことか。……小便をかけられれば俺たちはまたもとの河童に後もどりしなくてはならん。それはいやだ。小便をしないでくれ。……あなたはなにもきこえないのだな。あ、あ、あなたは不具なのだな。もつともらしい樣子に騙(だま)された。落ちついた足音に馬鹿な期待をしたのが誤りだつた。落ちついてゐたんぢやない。眼がわるいから急いで步けなかつたんだ。深刻さうに見えたのは明き盲目だつたからだ。おまけに聾で、鼻も利(き)かないのだな。でなかつたら、この淵の臭氣をそんなに長く平氣で堪へられる筈がない。栗の下の石に腰かけてくれといつたときに、そのとほりにしたのは偶然の一致だつたのだな。……おい、やめてくれ。小便をするな。尿のために原型にかへるのは先祖からのならはしだ。俺たちはもう河童にかへりたくない。またあの單調で退屈な日が蘇(よみがへ)るかと思ふとぞつとする。俺たちは百年間、苦しみと悲しみと、回想と希望とですこしも退屈しなかつた。それで生き甲斐を感じて來た。いまのままで澤山だ。……やめてくれ。なんとかいへ。聾のうへに啞だな。……あ、たうたう初めた。もう取りかへしはつかない。……もう取りかへしはつかない。

2016/07/16

ブログ840000アクセス突破直前記念 火野葦平 羅生門

[やぶちゃん注:断わっておくが、これは、かの芥川龍之介の「羅生門」を巧みにインスパイアした、否、今一つ、別のキャメラから撮影した『芥川龍之介「羅生門」火野葦平による河童主人公版』なのである。

 火野葦平は昭和一二(一九三七)年に日中戦争に応召していたが、出征前に書いた「糞尿譚」が同年(下半期)に第六回芥川賞を受賞したことを陣中で知った(戦地で行なわれた授賞式には小林秀雄が赴いているという)。無論、彼は芥川龍之介を敬愛していたが、ウィキの「火野葦平によれば、『芥川が「フィクションによってしか語れぬ事実がある」と、河童を通して社会を風刺したのに対し、葦平は「私の描く河童が理屈っぽく、風刺的に、教訓的になることを警戒していた」と書いている。また、「河童が私の文学の支柱であることになんの疑いもない」と書いている』とあり、また、葦平は六十年安保発効五日後の昭和三五(一九六〇)年一月二十四日に自宅書斎で享年五十三で死去しているが、『晩年は健康を害していたこともあり、最初は心臓発作と言われたが、死の直前の行動などを不審に思った友人が家を調べると、「HEALTH MEMO」というノートが発見された。そこには、「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたという。その結果、睡眠薬自殺と判明した。このことは』葦平の十三回忌の際、『遺族によりマスコミを通じて公表され、社会に衝撃を与えた』ともある。

「姥口(うばぐち)の沼」不詳。平安末期の羅城門外以南は複数の川が合流し、湿地も多かったので設定としては無理がない。

やたけに」(太字部は底本では傍点「ヽ」)は形容動詞「弥猛なり」の連用形で、盛んに勇み立つさま・はやりにはやるさまの謂いである。

「襖(あを)」袷(あわせ:裏地をつけて(合わせて)仕立てた着物。通常は秋から春先にかけて用いた。読みは「合(あ)はす」の連用形に由来する当て読みである)の衣。「襖子あおし)」とも呼ぶ。読みは「襖」の字音「アウ」の音変化したものである。芥川龍之介の「羅生門」にも出るが、そこでは下人の着る「紺の襖」として出る。

 本テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、840000アクセス突破直前記念として公開した。突破記念テキストは別に用意してある。【2016年7月16日】]

 

 

   羅生門

 

 

 或る日の暮れがたのことである。一匹の河童が羅生門(らしやうもん)の下で雨やみを待つてゐた。

 廣い門の下にはこの河童のほか誰もゐない。ただところどころ丹(に)塗りの剝げた大きな圓柱に蟋蟀(こほろぎ)が一匹とまつてゐる。羅生門が朱雀(すざく)大路にある以上は、この河童のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみゑぼし)がもう二三人ありさうなものである。それがこの河童のほかには誰もゐない。

 何故かといふと、この二三年、京都には、地震とか、辻風とか、旱魃(かんばつ)とか、火事とか、饑饉(ききん)とかいふ災(わざはひ)がつづいて起つた。そこで洛中(らくちゆう)のさびれかたはひととほりでない。舊記によると、佛像や佛具をうち碎いて、その丹(に)がついたり金銀の箔(はく)がついたりした木を路ばたに積みかきねて、薪の料に賣つてゐたといふことである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などはもとより誰もすててかへりみる者がなかつた。するとその荒れはてたのをよいことにして、狐狸が棲む。盜人が棲む。賣女が棲む。たうとう河童までが來て棲むことになつた。なぜ水中に棲みなれた河童が羅生門などに來て棲むやうになつたかといへば、格別の理由はなく、旱魃のためにこれまでゐた姥口(うばぐち)の沼が干あがつてしまつたので、いつも沼から見なれてゐた羅生門へ行かうとなにげなしに考へついたにすぎない。思へば永い日照りつづきであつた。馬の足跡のたまつたのにさへ、三千匹も棲むことのできる河童のことであるから、沼にわづかでも水が殘つてをれば不自由はなかつたのであるが、それこそ一滴の水氣もなくなり、水底を露出した沼は鱗(うろこ)のやうに縱橫に龜裂が入り、はては乾燥した泥は粉末となつて、風とともに濛々と砂塵をまきあげる始末であつた。密生してゐた葦もきびがらのやうに枯れて、日中は火を發することもあつた。これではいかな河童も棲息はできぬので、心ならずも棲みなれた場所をすててとりあへず羅生門へ來たのであるが、ここもまた棲み心地のよい塒(ねぐら)といふわけにはいかなかつた。狐や狸や狢(むじな)のたぐひが棲むのは話し相手ができて惡くはなかつたし、盜人や賣女が棲むのも知らん顏してをればよかつたが、ほとほと閉口したのは、この門に引きとり手のない死人を持つて來て、棄(す)てて行くことであつた。饑饉のうへに疫病(えきびやう)が流行して、洛中では連日何十人といふ人間が死んだが、それらの屍骸をここへ運んで來る習慣がついて、日ごとに屍骸が增し、その汚穢(をわい)のさまと腐爛した臭氣とは耐へがたかつた。且つ、不愉快なのはこれらの腐肉を啄(ついば)みに來る鴉(からす)の群で、高い鴟尾(しび)のまはりを旋囘しながら賤しげな啼き聲を發し、容赦もなく天上から糞をたれ落して憚らぬのであつた。それらの糞は崩れ目に長い草のはえた石段や、ペんぺん草に掩はれた屋根や、丹の剝げた壞れかけた樓門の欄干(てすり)や、はては柱などを、時ならぬ雪を降らしたやうにまつ白く染めてゐた。

 河童は昔の沼に對してはげしい郷愁を感じ、歸心は矢のごとくではあつたけれども、水のない沼にかへるよすがもなく、ひたすら天を仰いでは雨を待望してゐたのであつた。そこへ今日の雨である。實に百日に近い早天つづきであつた。ぼつりと雨の一滴が落ちたとき、あまりのよろこびに思はず頓狂な高い聲が出て、友だちの狢(むじな)や狸から笑はれた。河童は皿に水分がなくなれば力は拔け、はては命をも失ふ仕儀になるのだが、旱魃になつて以後、皿に水氣を絶やさぬためにはひとかたならぬ苦勞をした。方々からわづかの水を集めて來て皿に入れ、辛うじて健康を保つてゐたが、どこにも水が切れて來ると、唾を塗ることでごまかしたり、はては尿(いばり)をつけたりして保全を計つた。もとより應急の姑息(こそく)手段であるために、榮養不良と相俟(ま)つて、次第に體力が衰へた。甲羅や蝶番(てふつがひ)や水かきの潤ひもなくなると、身體中にリユウマチスのやうな痛みを覺え、歩行すらも困難になり勝ちであつた。もう十日も炎天がつづいたら、寢こんでしまはねばならぬとすこぶる恐慌(きようくわう)を來してゐるところへ、この雨であつた。河童が歡喜のあまり多少狂氣じみた言動をしたとて、すこしも咎むるところはないであらう。水といふものがただちに生命につながつてゐるほどの切實感をもたぬ狸や狢どもは、河童がなにかしきりに喚(わめ)いては泣きだしたのを見て、どつと笑ひくづれた。

 樓門の欄干にもたれて雨のなかに出ると、皿の上につめたい水の感觸が心臟にまでひびくやうなこころよさで傳はり、みるみる身内に元氣の溢れて來るのが自分でもわかつた。口をひらき天から落ちる雨滴をべろべろと舐(な)めのみこんだ。失はれてゐた精氣をとりもどして、河童は久しぶりで跳躍をしてみた。長い間の不健康で膝頭がうまく彎曲(わんきよく)しなかつたが、それでも門の舞臺の端から端まで五囘で飛ぶことができた。多くの屍骸の中を飛んだのだが、そのときは日ごろは鼻持ちならぬ臭氣などまつたく氣にならなかつた。

 興奮がをさまると、河童は故郷のことを思ひだした。姥口(うばぐち)の沼にまた水がたまる。昔の沼へかへれるといふ思ひはさらに河童を有頂天にした。しかしながら、この河童は、思ひがけぬ幸福にめぐりあつたときにあまりに慌てれば、その道をとり逃がすといふ、あの苦勞人の愼重さを失つてはゐなかつた。心はやたけにはやつてゐるのに、河童はわざと悠容とした足どりで、梯子(はしご)段を降り、門の下に出て彳(たたず)んだ。はじめに「一匹の河童が暮れがたの羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」と書いたのは、かういふわけであるが、尤も河童が單に雨の止むのを待つてゐたのでないことは斷るまでもなからう。雨をよろこびこそすれ、雨に濡れて困る河童ではない。またどんな土砂降りのなかでも格段傘を必要としない。かれが門の下に彳んでゐたのは、實ははやる心をおさへつつ、故郷たる姥口の沼にすこしでも多くの水のたまるのを待つてゐたのであつた。

 雨は羅生門をつつんで、遠くからざあつといふ音をあつめて來る。夕闇はしだいに空を低くして、見あげると門の屋根が斜につきだした甍(いらか)の先に、重たくうす暗い雲を支へてゐる。

 雨の音を聞きながら彳んでゐるうらに、河童はこれまでは忘れてゐたはげしい空腹を感じはじめた。早魅と饑饉と疫病と相ついで起つたために、河童は家と食とを同時に奪はれた。大好物である胡瓜はいはずもがな、唐黍や茄子なども影をひそめ、魚類も涸渇(こかつ)して口にする術がなくなつた。人間の尻子玉はかへつて得る機會が多くなつたが、それらのほとんどが腐敗し靡爛(びらん)してゐて、たまに若干新鮮なものを得ても、滋養分に乏しくて、腹の足しにはならなかつた。食餌の不足のときでも水さへ飮んでをれば、相當期間耐へることができるのだが、その水はすでに先刻切れてゐた。榮養失調となつて、河童は日とともに瘦せ細り、往年の面影は見るべくもなつてゐた。さうして今日の雨に會ひ、雨を飮んでいくらか元氣はとり戾したものの、胃袋のなかはまつたく空で、ほんたうの力が湧いて來ないのだつた。門の下に彳んで頃ほひをうかがつてゐた河童は猛然たる食慾に襲はれ、腹がぐうぐうと鳴り、眼前を胡凧や唐黍や魚などの幻影が、蜃氣樓(しんきらう)のやうに浮んで來て消えなかつた。

 わづかに西空にほのかな明るみだけを殘すころになつて、雨がやんだ。どれくらゐ故郷の沼に水がたまつたかと樂しい想像に、久しぶりに唇をほぐしつつ、河童は羅生門の下を出て歸路についた。歩くたびにすき腹にこたへたが、歸家のよろこびにしばらくはその苦痛を忘れて急いだ。

 それから何分かの後である。さして遠くはないので、河童はまもなく姥口の沼にたどりついたが、來るときのよろこびはどこへやら、期待に反した落膽にほとんど呆然となつて、沼の緣に立ちつくしてゐた。胸ときめかせつつかへつて來た故郷の沼の思ひがけなく荒廢したさまは、まさに眼を掩はしむるものがあつた。いつたいどうしたといふのであらうか。思考力のにぶつた河童は悲しげに首をひねるのであるが、とはいへ、そこには格別に意外な現象がおこつてゐたわけではなかつた。羅生門へ引き取り手のない死人を棄てに來るやうに、姥口の沼にも同樣に死人を持つて來て棄てたにすぎなかつた。沼は山蔭になつてゐて人目にはつきにくいし、距離としても手ごろなので、日夜續々と發生する洛中の死亡者の埋葬地としては、むしろ絶好の場所といつてもよかつた。河童が水の乾いた沼を出た後に、つぎつぎに棄てられる死者はしだいに數を增し、いま久しぶりに河童がかへつてみれば、屍骸は重なりあつて堆積し、沼を埋めつくしてゐるのみならず、もりあがつて岸の土堤にさへあふれてゐた。男や女や老人や子供やのさまざまの屍骸は、ことごとく饑餓のために骨をつきだした瘦軀(そうく)のまま投げすてられ、その多くのものは腐爛して鼻孔をはげしくつきさす臭氣を發散し、蛆がわいてむちむちと不氣味な音を立ててゐた。なかにはすでに白骨となつてゐるものも多く、諸所から靑白い燐光が人魂のやうにぼうと立らのぼつてゐた。その屍骸の山の底からくぐもるやうな呻(うめ)き聲がときどきかひびいて來る。どうもそれは棄てられてから生きかへつた者か、或ひは半死のまま棄てられた者の斷末魔の呻きのやうに思はれた。降つた雨はこれらのうへにたまつて、沼全體が一つの腫物(はれもの)のやうに見え、雨は膿(うみ)のやうに淀んでゐた。それらのうへに黑豆をまいたやうに鴉が群れて、いやな聲で啼いてゐた。

 落膽のために淚すらも出ない河童は、魂を奪はれたやうに、長いこと立ち疎(すく)んでゐた。ふいに眩暈(めまひ)を感じてよろけることもあつたが、やつとの思ひで身體を支へて、なほもいつまでも動かなかつた。そのうちに、すでに闇黑となつた夜の沼の妖景のなかに、なにやらしきりに蠢(うごめ)いてゐるもののあるのが、うつろな河童の瞳にうつつた。それは人影らしく、その人彰は屍骸の間をかきわけるやうにして右往左往し、ときに立ちどまつてなにかを探すやうにきよろきよろしてゐた。なにをしてゐるのか、ときに身體を屈してうづくまると、屍骸の間にふかく顏をつつこむこともあつた。手にしてゐる明りで、ときどきうす汚ない顏が見える。鋭く削(そ)いだやうに顴骨(かんこつ)のとび出た頰と、尖つた顎と、血走つた賤しげな眼の光とが浮かび、男か女かわからぬやうに髮をふりみだしてゐて、亡靈のやうにも見えた。氣がつくと、それは一人ではなく、左の方にも、右の方にも、思ひがけなくすぐ足元にも、默々と、そして默々と、同じやうな動作をしてゐる者があつた。

 河童の瞳は無意識にそれらの動きに向けられてゐたけれども、格別ふかく注意してゐたわけでもなかつた。姥口の沼に現出された地獄圖繪は全體としてその強烈な印象で、氣弱な河童の神經を錯亂させてしまひ、思考力や判斷力といふやうなものはまるで河童の心から消えてゐた。蠢いてゐる人間たちがなにをしてゐるかもわからなかつたし、またなにをしてゐようと今の河童には無關係のことであつた。そんな他人事にかかづらふよりは、胸とどろかせてかへつて來た故郷の沼がかういふ狀態で、棲むことは愚か、ここに止まることさへもできない悲しみにうちひしがれてゐたのである。しかしながら、いくら思案してみたとてはじまることではなかつた。やがて、河童はふかい吐息をつくと、沼に背を向け、跛(びつこ)をひきながら、とぼとぼと羅生門への道を引きかへした。脱け殼のやうな步きぶりであつた。

 それから、また何分かの後である。羅生門の樓の上に出る幅のひろい梯子の中段に、河童は猫のやうに身をちぢめて、息を殺しながら、上の樣子をうかがつてゐた。樓の上からさす火の光がかすかに河童の憔悴した頰を照らしてゐる。河童はやむなく羅生門を第二の故郷とすべく心にさだめて、氣をひきたたせながらさきほどかへつて來たのであるが、かへつてみると、どうも羅生門の樣子が出るときとちがつてゐた。たれかが火をとぼして、その火をそこここと動かしてゐる。その濁つた黃色い光がすみずみに蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏にゆれながらうつつてゐた。河童は奇妙なことに思ひながら、足音をひそませて梯子を登り、上の樣子をうかがつた。上のありさまは常に棲みなれてゐることとてよくわかつてゐた。屍骸が投げ棄てられて腐爛した臭氣のただよつてゐるさまになんの變りもなかつたが、ただ、見ればそれらの屍體の間にうづくまり、ごそごそとなにか探しまはつてゐる一人の見なれない老婆の姿があつたのである。檜皮(ひはだ)色の着物をきた背のひくい猿のやうな老婆の瘦せた顏は、火をともした右の手の松の木片にくつきりと照らしだされたが、そのぎらぎらと光る鳶(とび)のやうな眼は、樓の臺上に轉がされてゐる女の屍骸の一つに釘づけにされてゐた。老婆はやがて、松の木片を床板の間にさすと、その屍骸の首に兩手をかけ、ちやうど猿の親が猿の子の虱をとるやうに、その長い髮の毛を一本づつ拔きはじめた。髮は手にしたがつて拔けるらしい。

 河童には老婆がなんのために髮など拔くのかわからなかつた。しかしながら、老婆の不思議な擧動を見てゐるうちに、河童の腦裡にありありと先刻見た姥口の沼の凄慘な狀景がよみがへつて來た。あのときはただ無意識にながめてゐただけであつたが、いま思へばあそこでもこの老婆と同じ動作をしてゐたものがあつたやうに思はれる。いや、もつといろいろなことをしてゐた。死人の懷をさがしたり、着物を脱がせたり、帶をほどいたりしてゐる者もあつたやうだ。不思議なことにあの時はただぼんやりした眼に、いくつかの人影がうごめいてゐたことのみが焦點もあはずにうつつてゐたのに、いまここに來て、その人影のおのおの異つた行動が明瞭に浮かんで來るのであつた。そして、それらの行爲と今この老婆の行爲とにはたしかに共通したものがあつた。河童ははじめて人間がなにをしてゐたかを悟つて、驚きの思ひにうたれた。さうして、ふたたびいひやうのない空腹に襲はれたが、氣の弱い河童はただ途方に暮れるのみであつた。

 このとき、突然、眼前に展開された事件のために、仰天した河童はあやふく梯子をふみはづして、落ちるところであつた。どこに潛(ひそ)んでゐたのか、これまで全く氣づかなかつたが、突然一人の下人(げにん)が樓上に飛びあがつて、老婆の前に立ちはだかつた。おそらく、もう一つ門の外側にある梯子を登つたものであらう。床板にさされた火の光のなかに赤く膿をもつた面頗(にきび)だらけの頰が照らしだされた。河童もおどろいたが、もつとおどろいたのは老婆である。下人が兩足に力を入れて、聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆に近づいて行くと、老婆は頓狂な聲を發して、弩(いしゆみ)にはじかれたやうに飛びあがつた。老婆が屍骸につまづきながら、あわてふためいて逃げようとする行手を、下人はふさいだ。おのれ、どこへ行く、と喚くのと、老婆の襟首をつかんで屍骸のなかに扭(よ)ぢたふすのと同時であつた。下人はいきなり太刀の鞘をはらつて、白い鋼のいろを老婆の眼前へつきつけた。

「なにをしてゐた。きあ、なにをしてゐた。いへ。いはぬと、これだぞよ」

 老婆は默つてゐる。兩手をわなわなふるはせて、肩で息を切りながら、眼は眼球が瞼(まぶた)のそとへ出さうになるほど見ひらいて、啞のやうに執念(しふね)く默つてゐる。それを見ると、下人はすこしく聲を柔げて、俺は檢非違使(けびゐし)の役人ではない、今しがたこの門の下を通りかかつた旅の者だ、だからお前に繩をかけてどうしようといふやうなことはない、ただ今時分この門の上でなにをしてゐたのだか話しさへすればよいのだ、といつた。老婆は肉食鳥のやうな鋭い眼で下人を見あげてゐたが、ほとんど皺で鼻とひとつになつた唇をもごもごさせて、喘(あへ)ぎ喘ぎ、この女の髮を拔いて、鬘(かつら)にするつもりであつた旨を返答した。

「わしのすることは惡いことかも知れぬ。したが、このほかに、わしのやうな老いぼれになにができよう。わしはもう永いこと、飯(いひ)を食はぬ。これこのとほり、手も、足も、胸も、骨と皮ばかりぢや。このままならわしは飢ゑて死ぬるほかはない。飢死せまいためなら、仕方がないのぢや。わしにできることをして、生きねばならぬ。さうぢやらうが。おぬしにもそれはわからう。な、わかるぢやらう」

 屍骸の頭からとつた長い拔け毛をふりまはすやうにしながら、老婆は蟇(がま)のつぶやくやうな聲でさういつて、下人の顏をおづおづと覗いた。その瞳は不安の色をたたへてはゐたが、犯すべからざる確信にも滿らてゐた。それを聞いた下人の眼が急に妖しく光りだしたが、なほも襟首をつかんだまま、きつと、さうか、それにちがひあるまいな、と苦しげな聲で二三度念を押した。老婆はまちがひないと答へると、下人はとつぜん新行動にうつつた。ではおれが引剝(ひきはぎ)をしようと恨むまいな、おれもさうしなければ飢死をする身體なのだ、と、下人はこれも不思議な勇氣と確信とを持つた聲でいふと、すばやく老婆を手荒く屍骸のうへへ蹴たふした。下人は剝ぎとつた檜皮いろの着物をわきにかかへると、またたく間に急な外側の梯子を夜の底へかけ下りた。老婆はいつまでもたふれてゐて動かなかつた。

 眼前に展開された思ひがけぬ活劇に、河童はさらに途方に暮れるばかりであつた。腦裡にはいよいよ鮮やかに姥口の沼の光景が浮かびあがつて來たが、いづくにもくりかへされてゐる人間の行動の意味が、暗愚鈍重の河童にはわかつたやうでわからないのである。生活の勇氣と正義といふもののもたらす昏迷に、思考力のにぶつた河童はいたづらに疲れるばかりで、それでは自分はどうすればよいのかといふ決斷はまつたくつかなかつた。自分も飢死しかかつてゐるが、それでは老婆や下人のやうに、また、姥口の沼の人間たちのやうに、なにをしてもよいなどといふ颯爽たる生活の方途を考へつかなかつた。河童は自分の優柔不斷と勇氣のなさが情なくなつた。

 しばらく死んだやうにたふれてゐた老婆は、やがて屍骸の中から醜い裸の身體をおこした。老婆はつぶやくやうな聲を立てながら、まだ燃えてゐる光をたよりに、外側の梯子の口まで這つて行つた。さうして、そこから短い白髮をさかさにして、門の下をのぞきこんだ。そこにはもう下人の姿はなく、黑洞々(どうどう)たる夜があるばかりであつた。老婆はにたりと笑みを浮かべると、また這つたままもとの位置へ引きかへして來た。きよろきよろと屍骸を物色してゐる樣子であつたが、一つの屍骸へ近づいて行つて、帶をときはじめた。よごれ破れた紺の襖(あを)の着物を屍體から脱がせてしまふと、鼻をひくひくさせてにほひを嗅いだ。それから、にほひと埃と虱とを一時にふるひおとすやうに、着物をうちふつたが、またにたにたと會心の笑みを浮かべて、その着物の袖に鷄のやうに瘦せた手をとほした。それは男物で似あふといふわけにはいかなかつたが、ともかくも老婆の押しつぶされた蟇のやうな裸身はかくされた。老婆は大きな嚏(くさめ)をひとつして手洟(てばな)をかみすてた。それから、床板にさした松の木片の火をうごかして屍骸の間をさがしまはり、さつきの女の死骸のかたはらにうづくまると、ふたたびその毛を拔きはじめた。ときどき、老婆は闖入(ちんにふ)者をおそれるもののごとく、拔く手をやすめて、首を斜にし、外の氣配に耳をかたむけた。蜘蛛の巣のはりめぐられた天井に、うごめく老婆の黑い影が巨大な蝙蝠(かうもり)がはりついたやうに息づいてゐた。

 梯子の上の河童はやがてすごすごと門の下へ降りた。やうやくにして決心のついたことといへば、もはやこの羅生門には二度と棲むまいといふことにすぎなかつた。どうして飢ゑをしのいだらいいか、またどこに棲んだらいいかについても、更によい思案も浮かばなかつたけれども、ともかくここは棲むべきところでないときめて、河童は憤然とした足どりで、黑洞々たる夜のなかへ消えていつた。

 河童の行方は、たれも知らない。

2016/06/22

ブログ830000アクセス突破記念 火野葦平 水紋

[やぶちゃん注:従来通り、火野葦平(明治四〇(一九〇七)年~昭和三五(一九六〇)年)がライフ・ワークとした河童を主人公とした原稿用紙千枚を越える四十三篇からなる四季社より昭和三二(一九五七)年に刊行されたものを昭和五九(一九八四)年に国書刊行會が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊された正字正仮名版を底本として用いた。明らかに戦中を舞台としていることは分かるが、調べてみると、実際の執筆自体が昭和一七(一九四二)年であることが判明した。この時に、これを書いた火野葦平を、何か今、私は、内心忸怩たる思い出、しみじみ読んだ。

 「小倉にある陸軍橋からすこし上流の紫川」と出るので、ロケーションは実在する。紫川(むらさきがわ)は現在の福岡県北九州市小倉南区及び北九州市小倉北区を流れる二級河川であるが、ここに出るのは小倉駅南西一キロほどの地点に架かる「鉄の橋」、正式名を河川名を持った「紫川橋」の旧通称「陸軍橋」である。

 「遊弋」(ゆうよく)は、一般には艦船が水上をあちこち動き回って敵に備えることであるが、それに喩えて鳥魚などがあちこち動き泳ぎ回ることを言う。

 「山田の曾富騰(そほと)」大国主の国造り神話に登場する神の名で、一般には「山田の案山子」の濫觴とされる神、久延毘古(くえびこ)である。ウィキの「久延毘古によれば、「古事記」によると、『大国主の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。するとヒキガエルの多邇具久』(たにぐく)『が「久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので、久延毘古を呼び尋ねると「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と答えた』とある神である。さらに「古事記」ではこの「久延毘古とは『山田のそほど』のことである」と説明されており、『「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、すなわち田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった』とある。「くえびこ」と河童を結びつける説は必ずしもポピュラーなものとは思われないが、「くえびこ」は「崩え彦」「朽ち腐り果てた男」であり、水死体を思わせる生臭い河童のしれとは親和性があるように思われてならない。

 本テクストは本日、2016年6月23日に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが830000アクセスを突破した記念として公開する。 藪野直史]

 

 

   水紋

 

 曇つた日にはよくわからないが、晴れた日に、川の水面を透(す)かしてみると、恰度(ちやうど)、一錢白銅を浮かべたやうに、そこだけ丸く光つてゐる部分のあることに氣づくことがある。それはひとつの場合もあり、數個のときもあり、また、あられ模樣のやうに數をかぞへることのできない折もある。また、さめ小紋に似てあまり密集してゐるので、かへつて、それと氣づかないことも珍しくない。なほ、よく氣をつけてみると、それは小さい渦のやうに、つねに𢌞つてゐる。さういふものを、水面に認めた場合には、その下に河童が居るものと考へてよい。しかし、河童が水中に居れば、そのまうへの水面にさういふ標識があらはれるといふことは、河童自身は知らないのである。もつともすべての河童がさうであるといふのではなく、種族によつてその標識をあらはさないものもある。河童は種族によつてその出生の歷史を異にしてゐることは周知の事實であるが、その水紋をあらはすものは、概して出のよい種族の場合が多い。壇の浦に沈んで亡びた平家の末裔(まつえい)が、男は蟹となり女は河童となつたことは有名な話であるが、われわれは關門海峽の水面にこの水紋を發見することはたびたびである。

 ところで、あるとき、小倉にある陸軍橋からすこし上流の紫川の水面に、二十よりは少くない水紋がゆるやかに舞ひながら、冬には珍しく晴れわたつた太陽の光を受けて、鈍(にぶ)銀色に光つてゐた。しかしながら、橋を通る人も、岸を通る人も、たれひとりそれに注意する者はなく、そればかりではなく、さつきから傳馬船や、筏(いかだ)などがその水紋のうへを何度も往き來した。そこは川がすこし曲つてゐるところで、水流のあたる部分が深く底を掘り、淵のやうになつてゐる個所だ。そこへ、さつきから水紋と同じ數の河童たちが集つて、熱心になにか語り、とがつた嘴を鳴らしては悲しんだり、怒つたり、笑つたりしてゐた。

 まづ、彼等は自分たちの望みのかなはないことがなによりも遺憾に耐へぬ風であつた。彼等は地上で起つてゐることに對して、じつとしてゐることができず、自分たちもその鬪(たたか)ひに參加したいことを念願したのであるが實現きれなかつた。彼等は傳説による祖先の光榮を自負して、いささかの疑義もなく、現在の戰(いくさ)に參畫できることを信じたのであつたが、その希望は達せられなかつたのである。

 何日か前に、彼等のうらの思慮と勇氣とを有するものが提議した。

「いま、地上では壯大な戰爭が始まつてゐる。どんな意味の戰爭かは知らないが、われわれもこの國に棲む河童として、是が非でもこの戰に參加したい。きつと役に立つことができるに相違ない。われわれは傷を癒す術はもちろん、手足の落ちたのをつぐこともできる。またもつとも得意とする水中遊弋(いうよく)によつて、敵の部隊や艦隊の動靜をさぐり、また、そのほかのいかなる情報をも手に入れることができる。日淸、日露の兩役には、屋島に棲む九十六匹の狸が出陣して、功をあらはしたことも聞いてゐる。下賤なる狸ですらさうであるから、われわれがじつとしてゐるわけにはゆかない。われわれは落ちぶれたりとはいへ、祖先の名はあきらかに古事記にその名をとどめられてゐるのだ。山田の曾富騰(そほと)といへば、もとは山や田や水を治(をさ)める神であつた。殘念にも、子孫に心がけのよくないものが居つたために、山中では山わろになり、水中では河童になつたが、それはわれわれとはまつたく關係のないことだ。われわれは、心のなかではすこしも古事記の尊嚴を失つてゐないと確信してゐる。出陣しよう。そして、大いに鬪はう」

 ところが、彼等の希望はさかんなる意氣込みにもかかはらず實現しなかつた。彼等の代表が軍に申し出たところ、その志は壯とし協力の意は謝すも、日本軍は力が足りなくて、河童の應授まで受けたと思はれたくない、といふ理由で拒絶されたのである。それが、河童たちが悲しんでゐたわけである。

 怒つてゐたのは、このごろ、怪しい形のものが水中を徘徊して、水をにごすといふのである。それはごく最近氣づいたことであるが、このごろ、嘗て知らなかつた異樣の鳴き聲をときどき聞く。河童の聲はふたつの皿をたたくときに出る音に似てゐるのであるが、その間きなれぬ聲は、恰度、二本の木の板をゆるくかち合はしたときの音に似てゐて、鈍重で、卑屈に聞える。その正體をはじめは見たものがなかつたが、やがて、あるとき、勇敢なる河童がしきりに異樣な調子で鳴いてゐる聲をたよりに近づいていつてそれを捕へた。

 水面から光の透して來ない水底に、岩や木屑や竹片などの堆積(たいせき)した場所がある。さういふところに好んでその怪しい形のものは潛(ひそ)んでゐる。彼等はひつそりと靜まりかへつてはゐるのであるが、どうしたものか、しきりににぶい聲で鳴く。いくら隱れてゐても、聲を立てればそのありかがわかるのに、生まれつき暗愚なのか、また鳴かずに居られないのか、鳴く。そして、たれかが近づく氣配がすると、あわてて逃げだす。さういふ風に、暗いところばかりにゐて、臆病に逃げ𢌞ることを仕事にしてゐるので、その姿を明瞭に見たものがない。ただ、咄嗟(とつさ)に見た印象で、變てこな形のものであることだけはわかる。紫川の河童たらの間では、この怪しい闖入(ちんにふ)者が問題になり、時節柄、棄ておけないといふことになつた。

 そのとき、つひに捕へられたものははげしい聲で鳴きわめいた。彼のながす涙は水中に二本の靑い帶をながしたやうに、下流の方へのびていつた。龜にも似た身體に、棕櫚(しゆろ)のやうに長い毛をはやし、蛙のやうに臍のない褐色の腹をあふむけにして、短い手足をばたばたきせた。嘴は信天翁(あはうどり)に似、眼は深い毛にかくれて、どこにあるかわからなかつた。しかし、それがやはり河童にちがひないことだけは、頭に皿のあることによつて理解できたのである。

 やがて、謎がとけた。これらの怪しい恰好の河童たちは、どこか、遠い南の方から移住して來たのであつた。それは、南の方ではげしい戰爭が始まつて、身邊が危險になつて來たからである。彼等は安全地帶をもとめて右往左往し、つひに、この邊の川や沼に落ちついた。移住の途中でも、あるものは彈丸や爆彈にあたつて死に、あるものはあわてふためいて戰車に衝突してたふれた。長い恐しい旅であつた。彼等はまつたく一身の安全のために平穩の地を求めてやつて來たのであつて、なんら他意はなかつたのである。

 紫川の河童たらはこの寄るべない南方の河童たちを輕蔑した。同情するやうになつたのは、ずつと後のことである。輕蔑したのはその勇氣のなさと、自分のことより外にはなにも考へない態度に對してである。彼等も南方に棲んでゐたものであれば、何故、南方の國のために鬪はないのか。その土地と運命をともにしないか。さう考へたのだ。しかし、よく考へてみると、彼等が鬪つて殉ずべき國を持つてゐなかつたことがわかつた。彼等が生まれ育つたところは、彼等が祖先となんの關係もない者によつて犯されてゐる。遠くから來た皮膚の白い人間たちが、暴力と金力とをもつて、南方の島々を自由にしてゐたのだ。いかに河童が暗愚とはいへ、それらの者のために鬪ふことができようか。さう聞けばさうである。輕蔑した紫川の河童たちも、のちにはさう思ふやうになつた。

 ところが、この氣の毒な遠來の河童たちの態度は、紫川の河童たちの考へが變つてからも、すこしも變ることがなかつた。相かはらず陽の透さぬ場所にひそみ、癖になつたやうに鈍い聲で鳴き、ちよつとの物音にも逃げだしてゆく。これが紫川の河童たちが笑つてゐたわけである。

 やがて、話しつかれた河童たちが淀みの淵から出て、別れてゆくと、陽のあかるい水面を多くの鈍銀色の水紋が、風にふき散らされる花びらのやうに、散つていつた。

2015/10/23

ブログ730000アクセス突破記念 火野葦平 皿

つい一時間程前、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが730000アクセスを突破した。例の通り、記念テクストを以下に公開する。



皿   火野葦平

 

[やぶちゃん注:從來通り、火野葦平(明治四〇(一九〇七)年~昭和三五(一九六〇)年)がライフ・ワークとした河童を主人公とした原稿用紙千枚を越える四十三篇からなる四季社より昭和三二(一九五七)年に刊行されたものを昭和五九(一九八四)年に国書刊行會が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊された正字正仮名版を底本として用いた。傍点「ヽ」は太字に代えた。

 女の肌へを「靑蠟」(「せいろう」と読んでおく)と表現するが、聴いたことがない単語で、調べてみると、これはどうも京料理の「青蠟焼き」のことを指しているように思われる。通常の「蠟焼き」というのは白身魚などの素材に卵黄を塗って焼くものであるが、この「青蠟焼き」は青菜磨ったものや寄せ菜(青菜の葉を磨り潰して水を加えて煮た上でそこに浮いてくる緑の色素を掬い取った「青寄(あおよ)せ」のこと)を白身を塗って燒ものを指す。鱧、や海老に用いる。私も京の茶寮で何度か食したことがある。

 河童が「水分のなかに隱れて」とあり、これも河童生態学の新知見で、河童は完全に意識を持ちながら、しかも人間に姿を認知されないように水と一体化することが出来ることをここで学んでおこう。但し、後でそれを周りにいる「鼠や、蟹や、蠣幅や、蛞蝓や、蜘蛛や、蛭や、蜥蜴や、ゐもりや、蚯蚓などが、河童の作業を不審さうに見てゐた」とあるから、人間を除く生物にはその秘術は効かないことも言い添えておこう。

 登場する「色鍋島」の皿というのは、十七世紀から十九世紀にかけて佐賀鍋島藩に於いて藩直営の窯で製造された高級磁器の一種。これらは専ら藩主の所用品及び将軍家や諸大名への贈答品などに用いられた稀少なものであった。藍色の呉須(ごす:染付け磁器の模様を描く青藍色の顔料)で下絵を描いて本焼きをした後、赤・黄・緑の三色で上絵(うわえ)を附けたもので、限られた色数でありながら絢爛さを持ち、特に上絵の下に描かれた藍色の輪郭線を特徴の一つとするものである(以上はウィキの「鍋島焼」及び複数の伊万里焼サイト等を参考にした)。

 老婆心乍ら、「容喙(ようかい)」とは、嘴(くちばし)を差し入れ挾むという原義から、横から口出しをすること、差し出口、の意を表わす。

 「ロハ」は、代金や料金などが要らないこと・無料・ただ、の意。これを意味する漢字「只(ただ)」が片仮名の「ロ」と「ハ」を続けたような形に見えることによる。但し、この漢字は象形文字で、「口」は発声器官としての「くち」である、「ハ」の部分は言葉を言い終って語気が空中へ分散してゆく形に象ったものとする(他にも指事文字とする説もある)。

 これ以外にも注したいのだが、ネタバレになると面白くないので、最後に回した注もある。読後にお読みあれ。

 本テクストは本日、2015年10月23日に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが730000アクセスを突破した記念として公開する。 藪野直史]

 

   皿

 

 河童は立ちすくんだ。背の甲羅がひきしめられて枯葉のやうに軋(きし)み、膝小僧が金屬板のやうに鳴る。自分の眼がつりあがつて行くのが自分でもわかる。こんなおそろしいものを見たことがない。

 苔のついたしめつた石垣が上部からの光線に、圓筒形に鈍(にぶ)く光つてゐる。昔はまんまんと水がたたへられてゐたのであらうが、今はほとんど乾いてしまつて、古井戸の底にはわづかに點と水たまりがあるきりだ。その水も腐つて靑いどろどろの糊になつてゐる。しかし、路上の馬の足あとにたまつた水たまりにさへ三千匹も棲息することのできる河童は、かういふ腐水であつても、水分さへあれば姿をかくすに充分だ。相手に氣づかれずにどんな觀察でもすることができる。河童をこんなにおどろかせたのは、一人のうら若い女性であつた。

 黄昏(たそがれ)、河童はさわやかに吹く春風のこころよさに、浮かれ心地で山の沼を出て散策してゐると、一匹の蛙を見つけた。冬眠からきめて地上に這ひ出たばかりらしく、まだ充分に手足の運動ができない樣子で、きよとんとした顏つきで置物のやうに柳の木の根もとにうづくまつてゐた。河童は食慾をかんじてその蛙をつかまうとした。すると意外にも蛙は飛躍したのである。自由がきかないと思ひこんで、油斷をしてゐたので逃がした。蛙はかたはらにあつた古井戸のなかに飛びこんだ。河童もすぐ彼を追つた。そして、河童は蛙どころではなくなつたのである。

 暗黑の井戸の底に、その娘の姿だけぼうと浮きあがつてゐる。年のころは十八九であらうか頭髮はみだれ、そのほつれ毛が顏中にたれさがつてゐるが、その頭の結びかたは當節では見られない古風なものだ。河童はまだ城があり、御殿があり、そこに大名やたくさんの腰元のゐた時代のことを思ひだした。さういへばその顏形も古典的で、このごろ銀座などを横行潤歩してゐるパンパン・ガールのやうな文明的な顏形とはおよそ對蹠的である。衣裳も振袖だし、窮屈さうな幅びろい帶はうしろで太鼓にむすばれ、古足袋のこはぜはまだ錆びてゐず、金色に光つてゐる。一口にいへば、繪草紙から拔けでて來たやうな女だ。しかし、その瓜實顏のととのつた顏は嫩葉(わかば)いろに靑ざめてゐて、唇は葡萄色(ぶうだういろ)をしてゐる。

(幽靈だ)

 河童にはそのことはすぐわかつた。しかし、河童が恐怖に立ちすくんだのは、彼女が亡靈あつたからではない。河童とて妖怪變化(えうかいへんげ)の一族であるから、幽靈くらゐにはおどろかない。おどろいたのはその亡靈の動作であつた。若い女はしきりに皿の勘定してゐる。じめじめした古井戸の底にやや横坐りになつた娘は、膝のまへに積みかさねられた幾枚かの皿を、なんどもなんども計算してゐるのである。女は一枚一枚を丁寧にかたはらへ移しながら、一枚ごとに數を讀む。

「一枚、……二枚、……三枚、……四枚、……」

 その弱々しい低い聲が河童の心を冷えさせる。こんなにも陰鬱で消え入るやうな聲音といふもの聞いたことがない。それはただ弱々しいだけではなくて、そのなかに含まれてゐる悲しみや恨みやがたしかに永劫のものであることを感じさせるやうな、絶望的なひびきを持つてゐる。その聲を聞いてゐるだけで奈落へでも引きこまれて行くやうに氣が滅入る。

「五枚、……六枚……七枚、……」

 ゆつくりゆつくり一枚づつたしかめながら讀んで行く聲は、七枚目あたりからなにかの期待と不安とにかすかに調子づくが、

「……八枚、……九故」

 九枚目でぽつんと切れると、まるでこれまで點(とも)つてゐたかすかな灯がふつと消えたやうな、終末的な表情が女の美しい顏を掩ひつくす。女は暗澹とした顏つきになつて、肩で大きなためいきをつく。うなだれる。唇を嚙む。涙をながす。すすり泣く。

「やつぱり、九枚しかないわ」

 と、呟(つぶや)く。

 しかし、まもなく、きつと頭をあげ、意を決した希望のいろを靑ざめた顏にただよはせて、また皿を數へはじめる。細く骨ばつた靑蠟のやうな手で、直徑五寸ほどの皿は一枚づつもとの位置へ返される。

「一枚、……二枚、三枚、……四枚、……五枚、……」

 河童は皿が九枚あることを知つた。その模樣は九枚とも同じである。紅葉の林を數匹の鹿がさまよひ、淸流にかけられた土橋のうへで、神仙のやうな老人が二人ならんで釣をしてゐる繪がかいてある。空に紫雲がたなびいてゐる。色どりはあざやかで、陶器の肌はつややかだ。しかし、そんな皿の美しさに氣をとられてゐるどころではない。

「九枚」

 といふ最後の聲とともに、死に絶えるやうな女の失意の姿が河童をふるへあがらせ、ほとんど發狂しさうな恐怖へおとし入れる。河童の胸にいひやうもない女の孤獨が氷の鏝(こて)をあてるやうにしみわたつてきて、全身戰慄で硬直しさうになるのだつた。

 亡靈は三尺とは離れてゐない自分のかたはらに、自分をのこるくまなく觀察してゐる河童のゐることなど、氣づく樣子もない。いや彼女には皿の計算以外、いかなるものも關心をよばないもののやうだつた。さつき井戸のてつぺんから飛びこんだ蛙は、一度彼女の右肩にあたつて下に落ちたのだが、亡靈は眉ひとつ動かさなかつた。時代を經た古井戸には、蟲や、螢(ほたる)や、蝙蝠(かうもり)や、蛞蝓(なめくぢ)や、蜘蛛(くも)や、蛭(ひる)や、蜥蜴(とかげ)や、ゐもりや、蚯蚓(みみず)など、いろいろな生物が同棲してゐて、ときどき出沒したり騷いだりもするのであつたが、なにひとつ彼女の注意を喚起するものはなかつた。天井のない井戸のうへからは、雨や雪が降りこみ、風が花びらや木の葉を散らしこんでゐることだらうが、恐らくさういふものも彼女から皿への執心を反(そ)らさせることはできないにちがひない。河童はこんなにも頑固一徹な情熱といふものを見たことも聞いたこともなく、このほとんど頑迷といつてよい計算のくりかへしに、甲羅の破れる思ひを味はつたのであつた。

 河童は女に話しかけたい衝動を感じた。沈默に耐へられなくなつた。それには好奇心も手つだつてゐたことは否定できないが、主としてあまりの息苦しさに負けたのである。

 どろどろした靑い糊の水をゆるがせて、河童は姿をあらはした。若い女も、あまりに唐突に、自分のすぐ横から異樣な形のものが出現したので、さすがにはつとした面持で、皿を數へる手を休めた。もつとも、河童は、女が九枚を數へ終つたときに名乘りをあげるだけの注意はしてゐた。この悲しみに打ちひしがれてゐる女を恐れさせることを避けたのだ。河童の措置(そち)は適切であつた。河童が計算の途中で姿をあらはしたならば、女はおどろきで皿を取りおとし、幾枚か割つてゐたかも知れない。

「失禮しました」

 無言で凝視する淑女にたいして、禮儀正しい河童は鄭重に頭を下げた。しかし、女は答へようとはせず、凝結したまま、ただ闖入(ちんにふ)者を見まもつてゐるだけである。冷い眼である。狼狼した河童は追つかけられるやうに、どぎまぎしながら、

「いつたい、どうなさつたのですか」

 と、とりとめのない質問をした。こんな問ひかたにはなにも答へられまい。河童もそれを知らなくはなかつたけれど、咄嗟(とつさ)には上等の言葉が出なかつた。冷汗が出て來た。

 すると、思つたとほり、女はなほも無言で河童を睨みはじめた。最初のおどろきの表情は消え、女がしだいに不機嫌になつて行くことがわかつた。河童はさらに狼狼した。そしてつまらない言葉を吐いた。

「わけを聞かせて下さいませんか」

 今度返事がなかつたら、河童は窒息(ちつそく)したかも知れない。しかし、幸なことに、女は口をひらいた。

「あたくしは悲しいのでございます」

 さういつた聲の悲しさと、たつたそれだけでぽつんと切れた言葉の餘韻の恐しさとに、河童はもはや亡靈と對決してゐる忍耐をうしなひ、脱兎よりも早く、井戸の外へ飛びだした。

 

 

 

 河童の俄(にはか)勉強がはじまつた。

 (歴史を知らなくてはならぬ)

 河童は唐突な情熱をたぎらせて、古典を漁(あさ)り、史書や、小説や、口碑や、傳承のたぐひを探つた。山の沼にゐる仲間たちは彼の奇妙な變化に氣づいて、そのわけを聞きたがつたが、彼はなにごとも語らなかつた。他の者であつたならば、古井戸の底で女に出あつたことを得意げに吹聽してまはつたかも知れないが、彼はこれを祕密にした。この經驗を自分のなにかの發見や生長に役立たせたいといふ氣持があり、謎は人の智慧を借りずに一人で解きたいといふ願ひもあつたからである。そして、いつか心の一隅で芽生えてゐるひとつの感情、彼はそれを意識はしても意味づけることに昏迷して、はじめのうち、それこそは人間を救ふ正義感のあらはれだと信じてゐた。祕密のこころよさや、誇りのやうなものさへ感じてゐた。

 河童は大して時日を要せずして、謎を知ることができた。それは彼の熱心さに負ふところが大であつたことは勿論だが、それ以上に、この古井戸をめるぐ怪談があまりにも有名な歷史的事件であつたためである。

(あの井戸の底の女は、お菊といふ名だ)

 と、まつききにそれを憶(おぼ)えた。そして、お菊が數へてゐる皿の數が九枚あつて、それを幾度となく計算してゐるのは、もとは十枚あつたからだといふことを知つた。お菊はその足りない一枚の皿のために殺されたのである。昔、德川時代、音川家に淺山鐡山といふ惡道な執權があつて、お家横領を企てた。鐡山は兄の將監(しやうげん)と結託して着々と陰謀をすすめてゐたところ、ふとした横合にその祕密を腰元お菊に知られた。そこで、一策を案じ、音川家のまたなき家寶として大切にされてゐた色鍋島十枚揃ひの皿をお菊にあづけ、その一枚をこつそり隱したのである。お菊はたしかに十枚あつた皿がなん度數へても九枚しかないのに仰天した。

「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、大枚、七枚、入枚、九枚、……一枚、二枚、三枚、四枚、……」何十ぺん數へても、十枚はない。そして、鐡山に殺されて、井戸の中に投げこまれてしまつたが、お菊の怨靈(をんりやう)はその時以來、井戸の底で皿の計算をつづけてゐるのであつた。そのときから、何十年、何百年と歳月がすぎたけれども、お菊の努力は撓(たゆ)むことがなく、今はからずも偶然の機會から、河童の知るところとなつたのである。時代の變遷は目まぐるしく、德川、明治、大正、昭和となつて、皿屋敷は跡かたもなくなり、荒野と化した一角に水も涸れてしまつた古井戸だけが殘つてゐるけれども、お菊の皿の計算だけは數百年間、一貫していささかも變ることがなかつたのであつた。

(なんといふ哀れな女だらう)

 河童は一切を知ると、お菊の運命に涙がながれた。井戸の底では恐怖にをののいたが、事情がわかつてみると、幾千萬べん、幾億べん數へても、絶對に、十枚にはならない皿をお菊があきらめもせず數へてゐることの氣の毒さに、深い同情心がわいた。そして、河童は大決心をしたのである。

(お菊のために、皿を探しだしてやらう)

 河童は俄勉強をして唐突に歷史家となつたやうに、今度は突如として探偵に早變りした。

 またも河童の活躍がはじまる。津山鐡山が隱した一枚の皿はどこにあるであらうか。河童は搜索をはじめるまへに、その皿をあやまりなく認識するために、ふたたび、古井戸の底へ潛入した。お菊に氣づかれぬやうに、水分のなかに隱れて、綿密に皿を調べた。

 お菊の動作は前に見たときと寸分ちがつてゐない。靑い顏にたれたほつれ毛や、葡萄色の唇や、瘦せ細つた手や、消え入るやうに陰氣くさい聲や、絶望的なため息や、悲しげな眼や、頰をつたふ口惜し涙などはなにひとつ最初見たときと變らないけれども、河童の心の方は正反對になつてゐた。恐怖心は沿え去り、いまは女をいぢらしく思ふ同情心が胸一杯だ。そして、早くお菊をこの悲しみと不幸とから解放してやりたい氣持で、すでに焦躁をおぼえてゐるのだつた。

(お菊を救ふ方法はたつた一つだ。なくなつた一枚の皿を探しだし、ここへ持つて來てやればよい)

 そして、そのときのお菊のよろこびを考へると、自分までわくわくする思ひになつて、河童はどんな困難をも冒險をも恐れぬ勇氣が身内にわいてるくのであつた。たしかに、もはや河童はお菊を愛するやうになつてゐたといへる。彼が最初のとき、恐怖にをののきながらも逃走しなかつたことのなかに、その萌芽があつたといふべきであつた。彼がどろどろした靑い糊の水のなかで、ふるへながらも、不氣味なお菊の動作をいつまでも見つめ、遂には聲をかけずには居られなかつたのも、愛情の最初の兆候といつてよい、お菊がお岩か累(かさね)かのやうに醜惡むざんの亡靈であつたならば、河童はその姿を瞥見(べつけん)しただけで逃げだしたであらう。河童を古井戸の底に釘づけにしたのは、お菊の美しさに外ならなかつた。河童はここに淑女(レデイ)のために犧牲をいとはぬ騎士(ナイト)となつたのである。

(きつと探しだしてみせる)

 その成功の日の豫感は、河童をすばらしい幸福感で有頂天にさせた。

 お菊が數を讀みながら移動させる皿を、河童は寫生した。同じ皿を探しだすためには見本が要(い)る。九枚とも同じであるし、お菊の動作も單調で緩慢なので、この色鍋島の皿をそつくりうつしとることはそんなに困難な仕事ではなかつた。おまけに、河童はそのスケッチが妙に樂しくてならなかつた。それが繪を描くことよりもお菊のそばにゐることの方に原因があることは、もはや彼にも明瞭に自覺された。河童はいつか模寫の手を休めて、うつとりとお菊に見とれてゐる自分に氣づく。はじめのときは奈落へ引きこまれるやうに陰慘にひびいたお菊の聲も、今は音樂のやうにこころよく鼓膜をくすぐるのであつた。

 河童は心のなかで、お菊に聲をかける。

 ――お菊さん、もうすこしの辛抱ですよ。私があなたの欲しがつてゐる十枚目の皿を見つけて來てあげる。さうしたら、あなたはさういふ永遠に到達する可能性のない企圖や、馬鹿げた絶望の計算から解放されるんだ。何百年間もつづけてきた奴隷(どれい)のやうな重勞働が停止されて、あなたは自由になるんだ。一週間とは待たせません。あと五日ほど御辛抱なさい。

 一度はお菊にそのことを打ちあけてしまはうかと思つたが止めた。打ちあければ、お菊はよろこんで、いきいきと眼をかがやかし、

「ぜひお願ひしますわ。五日などといはず、三日のうちに、いや、今日中にでも……」

 といふであらうが、河童はそんな目前の小さなよろこびを捨てた。よろこびは意外で突然であるほど大きい。皿を見つけだし、いきなりそれを持參した方が效果的だ。この忍耐もまた樂しいものといへなくはなかつた。

 古井戸のなかに棲息してゐる鼠や、蟹や、蠣幅や、蛞蝓や、蜘蛛や、蛭や、蜥蜴や、ゐもりや、蚯蚓などが、河童の作業を不審さうに見てゐた。けれども、だれ一人、聲をかける者はなかつた。彼等はこの狹い井戸のなかでおたがひに生きてゆくためには、爭ひをおこさないこと、他人へ無用なおせつかいをしないこと、自分の意見を述べないこと、沈默してゐるにかぎることなどを悟りきつてゐたので、河童の行動を不思議には思つても、これに容喙(ようかい)したり、まして妨害したりする者は一人もなかつた。

 皿の模寫が終ると、河童は勇躍して井戸から出て行き、十枚目の皿の探索にとりかかつた。

 

 

 

「このごろすこし君は變だなあ」

 これが仲間のうちでの定評である。原因不明の行動をしてゐる者は變に見える。正しい立派な理由があつても、他人は理由などは問題にせず、外部にあらはれた行動だけを批判する。祕密を一人だけの胸にをさめ、血眼になつて皿をさがし歩く河童は馬鹿のやうにも狂人のやうにも見えた。彼が獨身であつたのが不幸中の幸だ。女房がゐたら、そはそはしてゐる彼はいくたびとなく折檻(せつかん)にあつたことであらう。しかし、内心に期するところのある河童は仲間のどんな惡評にも耐へ、今にみてゐろと考へてゐた。さらに、

(おれがどんなに美しい目的のために働いてゐるか、おまへたらのやうなうすよごれた精神の者たちにわかるものか)

 昂然と胸を張つて、仲間たちの低級と無智とを嘲笑ひ、蔑(さげす)んでさへゐたのである。

 ところが、日が經つうちに、河童はすこしづつ狼狽し焦躁しはじめた。あてが外れたのである。皿の搜索は彼の考へてゐたやうな簡單なことではなかつた。意外の困難だ。三日、五日、一週間と經つても、ほんのちよつぴりした手がかりも得られない。またたく間に、十日間がむだにすぎた。

(お菊に打ちあけて、約束などしなくてよかつた)

 河童は自信を喪失しかけると、今はせめてそのことだけでも氣休めであつた。

 文獻のあらゆる頁に鋭い眼光をみなぎらせ、幾度も皿の行方をつきとめ得たと確信したのに、その場所に行つてみると、皿はないのだつた。河童は歷史の記述がいかにまちまちで當てにならぬものかを知つた。津山鐡山が皿を隱したといふ點は一致してゐるが、その方法や場所にいたつては千差萬別に記錄されてゐる。まるで正反對に書かれてゐるのもある。十五日、二十日と經つてもなんの片鱗も發見することができないので、河童は出たらめな記錄をしたりげな筆致で書いてゐる歷史家や作家にはげしい憤りをおぼえた。しかし、彼が今ごろになつていかに切齒扼腕(せつしやくわん)してみたところで、問題はすこしも解決しないし進展もしない。

 二十五日、三十日と徒勞の日がすぎると、河童はへとへとに疲れた。食慾もなくなつて瘦せ細り、見るかげもなく憔悴してしまつて、彼の方が亡靈に近くなつた。古井戸の底にときどき行つてみると、悲しげに皿を數へてゐるお菊の顏は、靑ざめてゐるけれどもふつくらと丸味があり、頰から顎にかけての豐かな線には、内部になにか充實してゐるためから來るいきいきとしたものさへ感じられるのだつた。三百年近くも絶望的な計算をつづけてゐるのにお菊はすこしの衰へも見せず、わづか三十日の搜索で河童は疲弊困憊(こんぱい)の極に達し、氣息奄々(きそくえんえん)としてゐるのである。河童はとまどひし錯亂して、

「こんな變なことがあるものだらうか」

 と、呟かざるを得なかつた。

 しかし、河童は勇氣をうしなひはしなかつた。いつたん定めた偉大な目的を放棄はしなかつた。

(かうなつたら、意地だ)

 ただ、方法はすこし變へたのである。もはや肉體的にこの搜索を自分一人でやることは不可能といつてよかつた。あくまでも獨力でやりとげるといふ最初の決意を變更し、心ならずも仲間に協力を求めることにした。しかしながら、なほ最後の部分だけはあくまでも祕密にした。お菊のことは絶對に打ちあけたくない。皿さへ出て來ればよいのだ。彼は仲間に集まつてもらふと、模寫してきた皿の繪をみんなに示して、

「かういふ皿を探しだすのに、諸君の力が借りたいのだが……」

 と、いくらか殘念さうな口調でいつた。

 そこは山の沼の土堤(どて)で、柳の木がならび、蓮華の花がマットをひろげたやうにはてしなくつづいてゐた。もうすつかり冬眠を終つた蛙たらが沼の岸や芭蕉葉のうへに三々五々たむろして、聞くともなしに河童の合議の模樣に耳をかたむけてゐる。空は靑く、まだ陽は高い。

「それはなんといふ燒物だ?」

 と、一匹の河童がきく。

「色鍋島だ。天下の名器だよ」

「ははァン」と、他の一匹が鼻を鳴らして、「君はその皿が欲しいばつかりに、こなひだうちからきよろきよろして、そんなに瘦せてしまつたんだな」

「そのとはりだ」

「その皿を見つけだして、どうするんぢやね?」

 皮肉な口ぶりでさうたづねたのは老河童である。

「どうといふことはないんです。ただ欲しいんです」

「ただ欲しいだけで一ケ月も血眼になつて、瘦せてしまふんかね。その皿はよつぽど珍奇で高價なものとみえるなう。どんな手間をかけても手に入れさへすれば、いつペんで身代のできるやうな寶物らしい。骨董屋に賣るのかい」

「とんでもない。そんな下品なことはいはないで下さい」

「下品も上品もねえや」と、意地惡で有名な黑河童がせせら笑つた。「取引で行かう。お前さんがその皿を是が非でも手に入れたい氣持はよくわかつた。だけど、おれたらが、お前さんの大儲けの片棒をロハでかつがねばならん理由はねえ。たんまりとお禮をもらひてえものだな」

「それはいふまでもないことだ」

「いつたい、その皿はどこにあるんです?」

 圓陣の隅つこから、狡猾(かうくわつ)と敏捷できこえてゐるいなせな若い河童がどなつた。爪先立ちしてゐて、これからでもすぐ搜索に駈けだしさうな姿勢である。

「どこにあるかがわかつてゐるなら、君たちに相談しやしない」

「方角の見當をきいてゐるんですよ」

「日本のどこかにあるんだ」

 この言葉に河童たちはどつと笑つた。しかし實際はあまりにも茫漠とした探し物にいささか當惑して、笑ひにまぎらしたにすぎなかつたのである。よい儲け口らしいけれども、結局は代償と努力との比例にあるのだから、不精な者たちの中にはこの寶さがしを斷念するものもあつたのである。圓陣はしばらく騷然となつた。やがて、

「お願ひします」

 頭を下げながらさういつた彼の言葉で、解散された。彼が日ごろ輕蔑してゐる仲間の前でへりくだつたのはいふまでもなくお菊のためであつた。

 それから三日、五日、七日と、また日がながれた。成果はなかなかあがらなかつた。數百匹の仲間を動員したにもかかはらず、こんなにも混沌としてゐるとすれば、彼が一人でやらうと考へたことは無謀といつてよかつた。獨力であくまでやることは死を意味したかも知れない。慾と二人づれの河童たちはもう記錄やあやふやな文獻などは相手にせず、自分たちのかんや運をたよりに日本中を彷徨した。

 さらに、十日、十五日、二十日と日がながれる。

 河童は衰弱のためもう動くことができず、山の沼底の棲家に横たはつて、ただいらいらしながら吉報を待つてゐた。あたりが靜謐(せいひつ)で孤獨になると新しい思想が生まれる。藻がゆらめいてゐる間を、口から吐く眞珠の玉をつながらせながら、編隊になつて鮒の一群が通りすぎる。車えびが透明な身體を屈折させて岩の穴から出たり入つたりする。さういふものをうつろな眸でながめてゐた河童の心に、これまでは想像もしなかつた一つの疑念が浮かんだ。

(十枚目の皿はもうないのではあるまいか?)

 靑天の霹靂(へきれき)よりもつとはげしい衝擊(シヨツク)であつた。背の甲羅が枯葉のやうに軋み、膝小僧が金屬板のやうに鳴りはじめた。自分の眼がつりあがつて行くのがわかる。その疑念のおそろしさに河童は悶絶しさうであつた。しかし、その惑亂のなかで、彼の腦髓だけは冷靜に殘忍な思考をすすめる。

(たしかに、皿は津山鐡山によつて隱されたと記述されてゐる。しかし、歷史は噓だらけだ。權謀術數の大家であつた鐡山は、皿を隱したものとみせかけて碎いてしまつたのではないか。鐡山が碎かなかつたとしても、どこかに隱された皿は三百年の時間の暴力によつて破壞されたのかも知れない。でなければ、これだけ探しても行方の片鱗だにも知れないといふわけがない)

 また、別の考へが河童を愕然ときせる。

(皿はもう、日本にはないのぢやないかしらん?)

 割れてはゐなかつたとしても、美術品として外國に持ちだされることが想像される。そんな例はたくさんある。もし海をわたつて西洋にでも渡つてゐるとしたら、いかに河童の神通力をもつてしてももはや絶對に發見の可能性はない。河童は人間よりは數十倍の能力を持つてはゐるけれども、名探偵をもつてしてもその力は地球全體には及ばない。日本だけでも持てあますほどだ。限界の自覺は悲しいことであるが、希望も冒險も自己の圈内だけの語にすぎないのである。河童はこの突然わいた疑念の恐しさに耐へかねて、ぶるぶると濡れ犬のやうに頭をふりまはし、この惡魔の想念を追つぱらはうとしたが、一度生まれた思想はいかに努力しても消え去りはしなかつた。しかしながら、もともとはじめからこの疑念をいだかなかつた河童の方が魯鈍(ろどん)といふべきであらう。三百年といふ歳月を無視してゐたとはをかしな話だ。ただ考へられることは、河童が古井戸の底で三百年の歳月にすこしも影響されてゐないお菊の姿を見たために、錯覺をおこしたのかも知れないといふことだ。

(さうだ。たしかにお菊のせゐだ)

 溺れる者が藁(わら)をつかむやうに、河童はやけくそに心中で叫んだ。

 ところが、皿はあつたのである。

 或る日、一匹の仲間の手から、彼はその皿を受けとつた。それは彼が古井戸の底で見た色鍋島と寸分ちがはぬものであつて、お菊の死の原因となつたあの皿であることに疑ひはなかつた。骨董品には僞物の多いことを彼も知らなくはない。しかし、仲間が探して來てくれたその皿は僞物とは思へなかつた。彼が隨喜の涙をながして、その友人に感謝したことはいふまでもない。

 「ありがたう、ありがたう。君は命の恩人だ」

 そんな平凡なことしかいへなかつたが、彼はまつたく蘇生の思ひがしたのである。大願成就のよろこびのため、衰弱し憔悴しきつてゐた河童はたちまち元氣を快復し、宙をとんでお菊のところへ駈けつけたい思ひであつた。

 しかし、實はこの一枚の皿を得るまでに河童はすでに破滅に瀕してゐたのである。仲間が皿を探して來てくれたのは友情でもなんでもなかつた。その皿を持つて來たのは、沼の土堤で合議を召集したとき、嫌味な啖呵(たんか)を切つて、取引で行かうといひだした張本人の黑河童である。黑河童は徹頭徹尾慾と道づれであつたから、二人の會見はまつたくの商談であつた。彼がどんなにこの皿を欲しがつてゐるかをよく知つてゐる黑河童は足元を見こんで、搾(さく)油機のやうに彼をしぼらうとする。しかし彼はすでに皿を手にするまでに、多くの仲間たちから搾られつくしてゐた。搜索のためには旅に出なければならない。そのためには旅費が要る。心あたりがあるとまことしやかにいはれれば一縷の望みをつないで、そこへ行つてもらふ。旅費、日當、酒代、前借り、はては恐喝(きようかつ)に類する強談で、金をまきあげられる。あまりの失費に彼は仲間へ依賴したことを後悔しはじめたくらゐだ。しかし、皿を探す手段はもはやこれ以外に考へられなかつたので、沼の繩張り、食餌圈、茄子や胡瓜の耕地、漁場、山林、貯藏庫等、財産の大部分を仲間に提供してしまつたけれども、最後の希望をうしなはなかつた。

 今、その望みが達せられたのである。しかし相手が商賣人であつたために、皿の代償として、わづかに殘つてゐた財産の一切をまきあげられ、彼は裸一貫になつて一枚の皿を得たのである。しかし、彼は滿足であつた。彼は涙を浮かべて心に呟く。

(この一枚の皿は、地球全體くらゐ價値があるんだ)

 

 

 

 三百年間も陰慘であつた古井戸の底に、はじめて明るい笑ひ聲が滿ちた。

 「これだわ、この皿にちがひないわ。まあ、うれしい」

 お菊の歡喜の表情を見て、河童も自分の獻身と犧牲とが報いられたことをよろこんだ。お菊は最初の邂逅(かいこう)のとき、失禮な態度をとつたことを詫び、河童の持つて來てくれた十枚目の皿を手にとつて、いく度もいく度も裏表をかへして感慨ぶかげに眺めるのだつた。それから、河童にちよつと、といふやうに會釋しておいて、重ねた皿を數へはじめる。

「一枚、二枚、三枚、四枚、……」

 それは前の陰鬱な聲ではなくて、明るく彈んだ調子だ。數を讀むテンポも早い。靑蠟に似た女の手はせかせかと動き、皿は迅速にぞんざいに移動させられて、がちやがちやと音を立てる。

「五枚、六枚、七枚、八故、九枚、十枚、……ああ、十枚あるわ」

 お菊の計算はもはや澁滯することがなく、三百年目にはじめていつた「十枚」といふ言葉に、フッフと氣恥かしげな微笑を洩らす。

「よかつたですなあ」

 河童もお菊のよろこびに釣りこまれて、身體をゆするやうにして笑つた。笑ふとは妙なことである。なぜ笑ふのであらうか。滑稽なことはひとつもなく嚴肅な勝利の悲しみがあるだけではないか。實際に胸が迫つてゐるのである。一人だつたらわつと泣きだしたかも知れない。しかし顏を見あはせると、二人は笑つてしまふのであつた。二百年目にはじめてお菊の顏にあらはれた笑ひは、しかし河童をとまどひさせる。悲しみにうちひしがれてゐたとき、お菊の顏いつぱいにあらはれてゐた靜かで沈んだ美しさはどこかに消えてしまつた。昔のお菊の高貴な顏は、たわいもない、痴呆のやうな賤しい笑顏の面ととりかへられてゐる。そして河童はその新しいお菊の樂天的な顏を見ると、わけもなくげらげらと笑ひだしてしまふ。

 古井戸の生活者である鼠や、蟹や、蝙蝠や、蛞蝓や、蜘蛛や、蛭や、蜥蜴や、ゐもりや、蚯蚓などはこの笑劇を呆氣にとられてながめてゐた。かれらはこの靜かで住み心地のよい古井戸の世界の空氣が、俄に變つて、生存をおびやかされるにいたるのではないかといふ不安を、一樣に感じてゐるらしく思はれた。空氣の震動だけでも大變である。お菊が笑ひ、河童が笑ふたびに細長い固筒形の井戸の中はわんわんと鳴りひびく、革命的な現象といはなければならなかつた。

 ところが、腑拔けのやうに笑ひころげてゐた河童は、ふとなにかに氣づいたやうに緊張した顏つきになると立ちあがつた。突然、河童の顏に不思議な苦痛の表情が浮かんだ。彼は井戸の世界いつぱいに鳴りひびく笑ひ聲の谺(こだま)に、われに返つたのである。そのだらしのない愚劣な音響が自分の聲だと知ると、この眞摯な河童の心に俄かに狼狽と反省の思ひがひらめいた。

 河童は羞恥でまつ赤になると、ものもいはず、地底を蹴つて、井戸の外へをどり出た。

「待つて、……待つて頂戴」

 深い井戸の底でお菊のさう呼ぶ聲が聞えたが、耳をふさぎ一散に逃げた。

(墮落してはならぬ)

 河童の心を領したのはそのことであつた。河童はお菊へ待望の皿をとどけたけれども、目的と現實との不可解な混淆(こんかう)を、古井戸の底に行つてみるまで氣づかなかつた。河童は犧牲の美しさといふものをつねづね無償の行爲のなかに求めたいと考へてゐた。ところが、皿をとどけてお菊のよろこぶ姿を見たとき、なにかの代償を求めようといふ不純の氣持が、ふつと胸の一隅に兆(きざ)したのにおどろいた。心中にどんな妖怪が棲んでゐるか、自分でもわからない經驗は前にもあつた。しかし、こんな妖怪が頭をもたげたことは生眞面目な河童を恥ぢさせた。お菊になにを求めようといふのか。その恐しいみづからの詰問に逢つた途端、圓筒のなかにひびきわたつただらしのない笑ひ聲の谺が、河童を羞恥で赧(あか)らめさせた。同時に、罪の意識が電氣のやうに彼の胸をかすめた。また、仲間への裏切者となることの恐れがそれに重なつた。

(墮落してはならぬ)

 河童はさうして古井戸からあわてふためいて脱出をしたのであつた。

 

 

 

 それから、數日がすぎた。

 沼の仲間たちは、彼が皿をどこにやつたのか不思議がつた。あんなに欲しがつてゐた皿を手にした途端、もう持つてゐない。仲間たちの間では、その皿を彼がいくらの金に換(か)へ、いくら儲け、そしてどんな大金持になるかが問題であつたのに、彼は皿をなくしただけで相かはらず尾羽うち枯らしてゐる。そして、ただ身一つを入れるだけになつたうすよごれた穴のなかに横たはつたきり、まつたく出て來ない。仲間とのつきあひも忘れたやうだ。しかし彼のそんな不精たらしい蟄居(ちつきよ)の樣子を偵察しに行つた者の一人は、彼はさびしさうではあるが、どこかに樂しげな滿ち足りた樣子も見られると、不思議さうに報告するのであつた。

 

 

 

 また、數日がすぎた。

 河童は忍耐をうしなつた。もう二度と古井戸の底には行くまいと決心してゐたのに、お菊に逢ひたい氣持をどうしてもおさへることができなくなつたのである。河童はこの自然の情をやたらに抑壓する必要はないと考へた。自分は死ぬかも知れない。そのまへにもう一度お菊に逢ひたい。お菊へなにかを求めようといふ不純な氣持などはまつたくなかつた。皿を渡した日、彼が一散に逃げだすとお菊はうしろから呼びとめた。そのお菊のやさしい聲は耳にこびりついてゐる。彼はそれだけでも滿足であつた。そこで、もう一度逢ひ、あんな風な奇妙な別れかたでなく、きれいに納得づくでもう二度と逢はないことを約束しようと思つた。お菊は悲しむかも知れない。

(しかし、それがおたがひのためだ)

 と、河童はせつなくなる胸をおきへて、強くひとりでうなづいた。

 河童は輕い足どりで、古井戸に行つた。初夏の嫩葉のうつくしい朝である。蟬が鳴いてゐる。もうこつそりと忍ぶ必要はないので、河童の姿で堂々と、井戸の圓筒形の石壁を降つた。苔むした垣の間から顏を出してゐた鼠や蟹や蜥蜴が、闖入者に驚いてひつこんだ。

 地底に降り立つた河童は、つよい親しみを含んだなれなれしい語調で、

「お菊さん」

 と、聲をかけた。

 靑いどろどろの糊水のなかに蹲(うづくま)つてゐたお菊は、顏をあげた。

 河童は仰天した。河童はお菊が彼の來訪を待望し、井戸の口からのぞいただけで、もうよろこびの聲をあげて迎へてくれるものと思つてゐた。ところが、お菊は彼が底に着くまで一口もきかず、聲をかけると顏をあげたが、その眸は歡迎どころか、憎惡の光に滿ち滿ちてゐた。きらに河童の膽(きも)を冷えあがらせたのは變りはてたお菊のむざんな姿であつた。これがあのお菊であらうか。まるで骸骨(がいこつ)である。お岩や累(かさね)よりもつと醜惡だ。ふつくらと丸味のあつた頰や顎の線は鉈(なた)でこそいだやうに削りとられ、二つの眼は眼窩(がんくわ)の奧に落ちくぼんでゐる。葡萄色の唇は腐つた茄子の色になつて、蟇(がま)のやうに齒をその間にむきださせ、亂れ放題の頭髮は全身に棕櫚(しゆろ)をかぶせたやうだ。瘦せて針金のやうになつたお菊の膝のまへに、十枚の皿が積まれてゐる。

 河童は茫然となつて、そこへへたばりこんでしまつた。甲羅が枯葉のやうに軋み、膝小僧が金屬板のやうに鳴りはじめる。その河童の耳に、お菊のすさまじい怨讐が憎々しげにひびきわたつた。

「なにをしに來やがつたんだ。惡魔、この皿を持つて、とつとと歸りやがれ」

 河童は耳を疑つた。しかし、それはお菊の口から出た言葉にちがひなかつた。動轉してしまつた河童はもうなにを考へる餘裕もなく、お菊がつきだした一枚の皿をつかみとると、一散に井戸から飛びだした。

(なんたることか)

 錯亂は極に達した。どう考へてもなんのことやらわからない。河童は皿をかかへて山の沼に歸ると、やけつぱちに寢ころがつて呻吟(しんぎん)した。河童の頭のところに皿が置かれてある。紫雲たなびく空の下、紅葉の林をさまよふ鹿と、釣をする二人の白髮老人を配した色鍋島の皿は絢爛(けんらん)としてゐる。

 古井戸の底で、お菊はしだいに終焉(しゆうえん)に近づきつつあつた。現在のお菊の絶望は、十枚目の皿の見つからなかつた前の絶望にくらべて、さらに絶望的であつた。お菊は九放しかない皿を數へながら、十枚あるかも知れない、なくともいつかはきつと十枚目が見つかるといふ希望だけで、わづかに生命を支へてゐたのである。河童はそれを永遠に到達の可能性のない企圖として、彼女の不幸を哀れみ、その絶望へ光をもたらさうと考へたが、お菊はその絶望の計算への情熱だけで、いきいきと内部を充足されてゐたのであつた。しかしながら、彼女は自分ではそのことを氣づいてゐなかつた。だから、河童が皿を見つけて來てくれたときは本心からよろこんだのであつた。三百年の絶望に終止符が打たれたと思つた。ところが、それはもつと恐ろしい絶望への出發點であつたのだ。

「一枚、……二枚、三枚、……四枚、……」

 十枚あればよいがと祈りつつ、期待と不安とにおびえ數へて行くときの充實感と、やつぱり九枚しかないと知つたときの、悲しいとはいへ次に望みを托し得る生活の持續感とは、お菊にとつては魂の火花であつた。それなのに、皿が十枚揃つたとき、一切の情熱も充足感も、それから來る美しさも生命力も消え去つてしまつた。お菊はなにもすることがなくなつたのである。彼女はただ退屈になつただけだ。皿を數へて行つても十枚あるとわかつて居れれば、全然無意味だ。はじめは河童の親切をよろこんだのに、もう翌日には河童のおせつかいが恨めしくなつた。二日目には憎くなつた。三日目には呪はしくなつた。お菊は内部を支へるものをうしなつて、急速に憔悴し委縮し死へ近づいた。そこへ河童が得々としてやつて來たので、思はずどなりつけたのである。それはお菊の魂の叫びであつた。

「やつと一枚減つた」

 さう思つて、また昔のやうに、一枚、二枚、三枚、と數へてみても、もはや挽回することのできない空洞(くうどう)がお菊の心のなかにぽかんと倦怠の口をひらいてゐる。なんらの情熱も希望もわいて來ない。十枚目の皿が河童のところにあるといふ事實を、突如としてお菊が忘れ去つてしまはないかぎり、事態は復舊しないのだつた。

 お菊は絶望して、九枚の皿を石垣にたたきつけた。その散亂した缺片のなかに横たはり、しづかに眼をとぢた。

 山の沼で、錯亂から容易に脱することのできなかつた河童は、お菊を忘恩の徒だと斷定することによつて、やうやくなにをすべきかに思ひあたつた。

(向かふが向かふなら、こつちにも考へがあるんだ)

 河童は山の沼を出た。人間に化けて大都會にあらはれた。一軒の骨董屋に入つた。持參した色鍋島の皿を賣つた。鑑定のできる骨董屋の主人はそれが天下の珍品であることを知つて、客のいひなりに莫大な現金を拂つた。客は皿をわたし、金をふところに入れて店を出た。骨董屋の裏口から、眼つきのわるい屈強の若者が四五人、そつと拔け出た。慘劇はどこで行はれたかわからない。目的をはたした若者たちが店にひきかへしたとき、骨董屋の主人は粉微塵になつた皿のまへで、茫然と立ちつくしてゐた。

 

 

[やぶちゃん注:『昔、德川時代、音川家に淺山鐡山といふ惡道な執權があつて、お家横領を企てた。鐡山は兄の將監(しやうげん)と結託して着々と陰謀をすすめてゐたところ、ふとした横合にその祕密を腰元お菊に知られた。そこで、一策を案じ、音川家のまたなき家寶として大切にされてゐた色鍋島十枚揃ひの皿をお菊にあづけ、その一枚をこつそり隱したのである。お菊はたしかに十枚あつた皿がなん度數へても九枚しかないのに仰天した。/「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、大枚、七枚、入枚、九枚、……一枚、二枚、三枚、四枚、……」何十ぺん數へても、十枚はない。そして、鐡山に殺されて、井戸の中に投げこまれてしまつた』この部分は人名にやや手が加えられているものの、皿屋敷の話で芝居として最も人口に膾炙している浄瑠璃「播州皿屋敷」のそれを元にしている。ウィキ皿屋敷から引くと、為永太郎兵衛・浅田一鳥作の「播州皿屋敷」寛保元(一七四一)年に大阪の豊竹座で初演されたもので、例の通り、幕府の咎めを回避するため、室町時代の細川家のお家騒動を背景として組んであって、『一般に知られる皿屋敷伝説に相当する部分は、この劇の下の巻「鉄山館」に仕込まれている、次のようなあらすじである』。『細川家の国家老、青山鉄山は、叛意をつのらせ姫路の城主にとってかわろうと好機をうかがっていた。そんなおり、細川家の当主、巴之介が家宝の唐絵の皿を盗まれ、足利将軍の不興を買って、流浪の憂き目にあう。鉄山は、細川家の宿敵、山名宗全と結託して、細川の若殿を毒殺しようと談義中に、委細をお菊に聞かれてしまい、お菊を抹殺にかかる。お菊が管理する唐絵の皿の一枚を隠し、その紛失の咎で攻め立てて切り捨てて井戸に投じた。とたんに、井筒の元からお菊の死霊が現れ、鉄山を悩ます。現場に駆けつけたお菊の夫、舟瀬三平に亡霊は入れ知恵をし、皿を取り戻す』というものである。因みに、このウィキ皿屋敷の出典の四十二番には電子テクスト「耳嚢 巻之五 菊蟲の事が引かれてある(言っておくが、私はウィキの執筆に関係しているが、ウィキは記載者自身がウィキ外に別に作った自己テキストや記載へのリンクを張ることは、中立性を欠くために出来ないことになっている。これも私の全く知らない人が知らない間にリンクを張ったものであって、私がしたことではないことを附言しておく。因みにウィキペディアを愛する私としてはこの仕儀をすこぶる光栄なことと思っている)。]

2015/09/21

ブログ720000アクセス突破記念テクスト 火野葦平 千軒岳にて

   千軒岳にて   火野葦平

 

[やぶちゃん注:表題に出る「千軒岳」は過去の「河童曼荼羅」諸篇にも何度も出るが、不詳である。しかし恐らくは阿蘇山をモデルとすると考えてよいであろう(後述の「火山灰(よな)」の注を参照)。

 「天に沖する」とは、天に高く昇る、の意である。

 「數千尺」千尺は三百三メートルであるから、千八百メートル以上を指すと理解してよい。

 「火山灰(よな)」火山の噴煙とともに噴き出される火山灰の、九州全般及び特に阿蘇地方での呼称である。

 「軒昂」老婆心乍ら、「けんかう(けんこう)」と読む。人の意気が高く上がるさま、奮い立つさまの意で、現行では「意気軒昂」の四字熟語での使用が殆んどである。

 なお、本篇によってまたしても新たな生物学上の驚愕の新知見が示されていることに注目されたい。それは「河童の眼玉」は「いかなる高熱をもつてしても熔けることのない」物質であるという事実である。

 本テクストは本日、2015年9月21日に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが720000アクセスを突破した記念として公開する。 藪野直史]

 

   千軒岳にて

 

 草の葉を廂(ひさし)にしてこころよい晝寢のまどろみに落ちてゐた河童たちは、突然自分たちのからだが土の上に投げだされ、はつとおどろいた耳におどろおどろしく鳴る山の音をきいて、方角もわかたず思ひ思ひの方向に向かつて飛びたつた。鋸(のこぎり)のやうにぎざぎざのある千軒岳(せんげんだけ)の絶頂からは、天に沖(ちゆう)するごとく噴煙がまきあがり、炬大な岩石が毬のごとく無數に飛び、煮えかへる轟音(がうおん)をとどろかして眞紅の焰が噴きあがつた。飴をとろかすやうに頂上の山形を崩し、いろいろの姿に變へながら溢れだして來た熔岩(ようがん)が、樹をたほし、草を燒き、眞紅のかがやきを長々と曳きながら、凹凸のある山腹の斜面をながれくだつて行つた。數千尺の高さに噴きあげられた煙の中に、嵐が生じ、雷鳴が起り、電光が靑白い焰のごとく間斷なく閃いた。この豪宕(がうたう)なる火山の圈外(けんがい)に逃げだした多くの河童たちは、もはやそのすさまじい物音もほとんどかすかにしかききとることができぬ堤のかげに來て、はじめてその馬鹿々々しく大仰の自然の振舞を嗤(わら)つた。爆發の刹那に起つたはげしい地震のために、背中の甲羅にひびが入つたり、皿を割つたりした河童たちは、自然の愚劣な行爲に對しておさへがたい輕侮の念を抱いたのである。夜になるとなほ火を噴く山のために、空は眞赤に染まり、河童たちが水をのみにおりて行つた溪谷(けいこく)の谷川は血のながれのやうに見えた。勇氣のあるものはその水をのんだが、さうでないものは、川のながれが赤いのは赤いのではなく、ただ火山の光を映じて赤く見えるだけで、水はなんともなつてゐないのだといふことを信ずることができず、からからに咽喉がかわいてゐたのにもかかはらず水をのむことができなかつた。千軒岳は數日ののちに火を噴くことをやめたが、その擴がつた火口から火山灰(よな)をふくことをやめなかつた。千軒岳の裾野をふくむ高原の靑草は火山衣のため萎(しを)れ、河童たちが夏の強い日ざしを避けて晝間のまどろみのときの廂にした叢(くさむら)の多くは枯れた。降りくる火山衣が眼にしみて、河童たちは顏を洗ふためにたびたび谷間におりて行かなければならなかつた。また、うかつにうたたねをして居ると、火山灰が頭の皿にたまつて水分を吸收し、氣分が惡くなり力が拔けてしまふやうなこともあつた。地上が灰でざらざらと坐り心地がわるくなると、河童たちは牧場にゐる多くの黃牛(あめうし)の背中に休んだ。黃牛は河童が背中に乘ると、蠅を追ふ時とおなじやうに尻尾を動かしてこれを追ふ。輕くあしらはれたことで甚だしく自尊心を傷つけられた河童たちは、牛の背中をひつかいて飛び立つ。牧場の人たちはときどき黃牛の背中についてゐる奇妙な搔き傷がどうしてできたものか理解することができない。さうして熔岩でも降つて來て牛の背に落ちたのでもあらうかと、さかんに噴煙をつづけてゐる千軒岳のいただきをはるかに望むのである。河童たちはつひに千軒岳の噴火口の上を飛びあるくやうになつた。いたづらに千軒岳を遠望してゐることが彼等の矜持(きようぢ)に添はず、勇氣ある一匹の河童が或る日干軒岳の頂上に飛んで行つて、はるか高いところからその絶頂の火口を見下し、或る程度の高度を保つて居れば絶對に危險はないといふことを冒險の果に證明してから、多くの河童たちはいづれも千軒岳の眞上を飛翔(ひしやう)するやうになつた。それはあたかも無數の蜻蛉(せいれい)の群のやうに見えた。火口からは見あぐる高さに火山灰(よな)を噴きあげ、火山灰は風のまにまに山脈の上を這ひながれて行つたが、河童たちの飛んでゐるところには一片の灰も來ず、河童たちは澄みきつた靑空の中を悠々と自由自在に飛び交うた。或るものは口笛を鳴らし、或るものは木の葉落しをやり、或るものは唄をうたひ、或ひは眼下に見える柘榴(ざくろ)のごとき噴火口の中に糞尿をたれおとし、自然を征服した軒昂(けんかう)の氣を負うて、自分たちの眼下に屈從し果てた大自然の意氣地なさをさんざんに嘲笑したのである。そのやうな輕快な飛翔のつづけられた數十日かの後に、千軒岳はふたたびすさまじい鳴動とともに爆發をした。おどろおどろしく鳴りひびいたとどろきとともに、天に沖した火煙は、そのとき天にあつて輕快な亂舞をつづけてゐた多くの河童たちをこともなげに卷きこみ、山脈の膚に向かつて落下して行つた。逃れんとして飛びたつた河童たらもその熱氣にあてられ、力つきて木の葉のやうにはらはらと火口の中へ落ちて行つた。鋸のやうにぎざぎざのある千軒岳の絶頂からは、天に沖するがごとく噴煙がまきあがり、巨大な岩石が毬のごとく無數に飛び、煮えかへる轟音(がうおん)をとどろかして眞紅の焰が噴きあがつた。飴をとろかすやうに頂上の山形を崩し、いろいろの姿に變へながら溢れだして來た熔岩が、樹をたふし、草を燒き、眞紅のかがやきを長々と曳きながら、凹凸のある山腹の斜面をながれくだつて行つた。數千尺の高さに噴きあげられた煙の中に、嵐が生じ、雷鳴が起り、電光が靑白い焰のごとく間斷なく閃いた。燒けおちた河童たちを熔かし含んだ熔岩は、火のながれとなつて山腹をくだり、高原によどみ、しばらくの間たぎる焰となつて消えなかつた。そのときから永い年月がながれた。千軒岳の高原にはいちめんに熔岩の間から不思議なかたちをした靑黑い花が吹きいでた。その花は誰も名前を知らないが、雨のときにはいつぱいにその花びらをひろげてゐるけれども、千軒岳から火山灰(よな)でも降るやうな天候の時には、たちまちにして花びらを閉ぢてしまふのである。また、夜になれば、千軒岳の高原は無數の星によつて滿たされる。それはしかし星ではない。また螢でもない。熔岩の中に身體は溶けてしまつたけれども、いかなる高熱をもつてしても熔けることのない河童の眼玉のみが、鏤(ちりば)められた寶石のごとく、今もなほ夜ともなれば熔岩の中に靑白い光を放つのである。

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