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カテゴリー「火野葦平「河童曼陀羅」」の45件の記事

2017/08/18

ブログ990000アクセス突破記念 花嫁と瓢簞 火野葦平

 

[やぶちゃん注:本文では特異的に拗音が散見されるが、それならここも拗音となるべきであると思われる箇所がなっておらず、全体にそうした歴史的仮名遣的箇所の方が多い。それらは総てママとした。

 以下、簡単な注を附しておくが、ネタバレになる本話全体への私のある感懐は最後に回した

 本文で二箇所に出る「先登」はママ。先頭。

 

 「カルカヤ」本邦では単子葉植物綱イネ目イネ科キビ亜科メガルカヤ属メガルカヤ Themeda triandra var. japonica(或いはThemeda triandra)を指す。高さ約一メートルで、長毛を有する。九月から十月にかけて稈頂に包葉がある仮円錐花序をつける。日当りのよい丘陵地や草地に生え、本州から九州に分布する。和名は「雌刈萱」で、オガルカヤ(雄刈萱:キビ亜科オガルカヤ属 Cymbopogon tortilis var. goeringii)に対し、それよりも小形であることに由来する。Katouの「三河植物観察」を参照されたい。

 「德の洲」は正確には「徳淵の津」である。この附近(グーグル・マップ・データ)で、マー君のブログ「生涯現役毎日勉強」の「徳淵の津と河童」に詳しく、画像も載るが、後者のリンク先は読後に見られんことをお勧めしておく

 本文で球磨川の支流として「白川」・「靑葉川」・「枕川」と順に出し、最後の枕川で本流の球磨川に接続したという記載が出るが、「白川」は阿蘇山の根子岳(ねこだけ)に発し、阿蘇カルデラの南部の南郷谷を西流し、南阿蘇村立野で、カルデラの北側の阿蘇谷を流れる支流の黒川と合流、急流の多い上中流域を抜けて、熊本市市街部を南北に分けて貫流した後に有明海に注ぐ川である(ここ(グーグル・マップ・データ))。「靑葉川」と「枕川」は不明で(国土地理院の地図も調べた)、現在の河川状況からは、この白川から球磨川に支流河川を通って行けるようには思われない。現在の白川の最も南の部分から直線でとっても球磨川は真南に約三十キロメートルも離れている。可能性としては宇土を抜けて河川を行くルートか。あったとすればその付近に「靑葉川」及び「枕川」はあることになる。因みに、白川の南には「緑川」が流れており、これは「靑葉」という名とは親和性があるように思われはする。ただ、「枕川」が肝心要の作品の舞台及びその近くの川であるから、実在するならば、何とかして知りたい。識者の御教授を乞う。

 また、「松尾川」は熊本県熊本市西区を流れる現存河川で、西区松尾町上松尾附近を源流とし南流し、熊本市立松尾東小学校近くを通って、先の「白川」の北側を流れる坪井川に合流する川である。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 虎助の台詞の「ええごとしてもろうて、よか」は「好きにしてもらって、いいぞ」の意であろう。

 「カマツカ」コイ目コイ科カマツカ亜科カマツカ Pseudogobio esocinusウィキの「カマツカ」によれば、体長十五~二十センチメートルほどの『細長い体と、長く下に尖った吻が特徴。吻の下には』一『対のヒゲがある』。『主に河川の中流・下流域や湖沼の砂底に生息し、水生昆虫などの底性の小動物や有機物を底砂ごと口から吸い込み、同時に砂だけを鰓蓋から吐き出しながら捕食する。繁殖期は春から初夏にかけてである』。『おとなしく臆病な性質で、驚いたり外敵が現れたりすると、底砂の中に潜り、目だけを出して身を隠す習性があることから「スナホリ」・「スナムグリ」・「スナモグリ」など、また生態が海水魚のキスに似ていることから「カワギス」など、また鰓蓋から勢いよく砂を吐き出す仕草から「スナフキ」という別名もある』。美味な淡水魚として知られ、塩焼きや天ぷら、甘露煮などにする、とある。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが990000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年8月18日 藪野直史】]

 

         一

 

 稻の穗の稔りのうへを秋風がすぎると、黃金色の波が美しい縞をつくりながら、はてしもなくかろがつて行く。風が強いときには鳴子(なるこ)が鳴り、ある田ではキラキラと銀紙が光つて、雀どもが一散に飛び立つ。案山子(かかし)のおどけた姿や顏にさわやかな太陽があたり、その光線は村のいたるところに、象牙細工のやうな柿の實を光らせてゐた。部落の藁屋根や瓦葺のうへには銀杏の葉が降りそそぎ、野や畦道(あぜみち)は、オミナエシ、キキョウ、ハギ、カルカヤ、キクなどの花盛りであつた。天には、悠々とトンビが舞つてゐる。平和で美しい村の風景である。

 しかし、今、この美しい村をさらに一段と美しく彩つて、通りすぎて行くのは花嫁の一行であつた。白い眞綿の帽子に角かくし、あでやかな衣裳をつけた花嫁は、馬の背に橫坐りになり、紅白だんだらの手綱を持つた馬子に引かれて行く。その前後には型どほりの行列が、村民たちの見物のなかを拔けて、靜々と、婚家先へ進んで行つた。眞晝間なのに、先登の男は定紋入りの提燈をぶらさげ、もう醉つぱらつてゐるのか、すこし千鳥足で、調子はづれの鼻唄をうたつてゐた。

 村人たらは、沿道は勿論、遠近(をちこち)の自分の豪から、田圃のなかから、丘のうへから、このあでやかな花嫁道中を眺めてゐた。

「おい、お前たらもそろそろぢやッど」

 百姓虎助は、自分の左右にゐる三人の娘たちを見まはして、意味ありげにいつた。

「まだ早かたい」

「なんの早かろか。大體がもう三人とも遲れちよるちゆうても、よかくらゐぢや。あげな晴れがましか花嫁衣裳ば、早よ着てみたうはなかッとかい?」

「そら着てみたかばつてん」

「今年のうちに、みんなよか婿ば取らんば。ウメは一番上ぢやけん、養子をせんにや仕樣なかばつてん、キクとアヤメはよかとこへ行けや。それで、お父ッあんもおッ母ァも安堵ばするけん」

 虎助は特別に慾張りでも因業でもなかつたが、やはり、三人姉妹の婿が金に困らぬ男で、氣立てがよく、よく働き、男ぶりも惡くないことを祈らずには居られなかつた。どういふものか男の子が出來ず、養子をしなければならぬことが殘念だけれども、揃ひも揃つて三人娘が器量よしなので、きつと自分を滿足させる婿が來るだらうと樂觀してゐた。虎助が娘たちを意味ありげな眸でながめたのは、さういふ思ひをこめてゐたからで、彼は自分の三人娘が自慢でたまらぬのだつた。

「虎助どんは幸福者ばい。三人ともこん村にならぶ者がなか別嬪ぢやで、寶物を持つとると同じたい。三國一の花婿が來らすぢやろ」村人も口を揃へて、それをいふ。そのたびに相好をくづして、

「トンビがタカば生んだグたい。へへへへ」

 と、やに下がるのが常だつた。

 河童たちも、この花嫁行列を見てゐた。この部落のはづれを流れてゐる枕川は、球磨川(くまがは)の支流で、さうたくさんはゐないが、二三十匹ほどの河童が棲んでゐた。彼等はいたづら好きで、ときどき村民に角力(すもう)を挑んだりするけれども、子供たちの尻子玉(しりこだま)を拔いたり、野菜畑を荒したりして、ひどい被害をあたへることはなかつた。たまに、犬や馬や牛を川へ引きこんでみたりする。しかし、それとて、それらの動物たちを殺したり、これを餌(えさ)にしたりすることが目的ではなく、自分たちの力をためしてみたい心からで、もう一つはこれらの動物たちが水中で必死にもがくさまが面白くてたまらぬからだつた。スポーツか見世物のつもりなのだ。もともと、四千坊頭目に率ゐられてゐたのは、九千坊一族が球磨川から筑後川へ大移住したとき、破門されて本流から支流へ追放された連中の末孫だから、まづ優秀の部類とはいへない。それでも村では恐れられてゐて、村民はなるべく河童に觸(さは)らないやう、河童と事をかまへないやうに極力注意してゐた。

 花嫁行列の絢爛(けんらん)さに、河童たちは感にたへてゐた。河童の仲間でも嫁入りのときには、花嫁は飾るけれども、たかが蓮の葉の帽子にありあはせの花をのせ、背の甲羅を水中の藻で飾るくらゐが關の山で、人間の花嫁の美しさとはくらべものにならない。河童たらは眼を瞠(みは)り、嘴を鳴らし、しきりに、巨大なためいきを吐きつづけてゐた。

 そのなかで、もつとも恍惚とした眼つきになり、惱ましげに、やるせなげにしてゐるのは三郎河童であつた。彼は羨望のあまり、河童に生まれて來たことを嘆くほどの感動にとらはれてゐた。出生の宿命はくつがへすべくもない。日ごろは自分の身分を下賤とは思はず、かへつて人間の愚劣さを輕蔑さへしてゐたこともあつたのに、この花嫁姿の美しさはほとんど三郎の人生觀をくつがへしてしまふほどのショックであつた。

 

          二

 

 花嫁の一行が村はづれに出て、枕川の岸邊にさしかかつたとき、椿事がおこつた。

 長い道中なので、堤防にある大きな榎や銀杏のかげに八つて、一行は休憩してゐたのだが、そのとき、花嫁が乘つてゐた馬が、河童のため、川へ引きづりこまれたのである。花嫁は降りて床几に腰かけてゐたので被害はなかつた。河童の方も花嫁を傷けようとは考へて居らず、いくらか燒き餅年分、花嫁の乘馬にいたづらしたのである。五六匹の河童が馬の尻尾や肢をつかみ、まつたく無造作に、川の中へつれて行つてしまつた。三尺足らずの小さい身體なのに、頭の皿に水が滿ちて居れば、トラックでも機關車でも引きこむくらゐ強力なのである。花嫁はこれを見て仰天し、氣をうしなつてたふれた。

「ガラッパの畜生奴」

「馬を返せ」

 混亂におちいつた伴(とも)の連中は、口々に叫んだ。しかし、ただ騷いでゐるばかりで、馬を助けに行かうとする者はない。行けば自分たちも引きこまれることは眼に見えてゐる。馬がゐなくなつても、花嫁を送りとどけることは出來るといふ計算もあつた。

 馬はあばれて抵抗した。狂つたやうにいなないた。水面がはげしく波立ち、魚やウナギやスッポンがはねあがつた。しかし、案ずるはどのことはなかつた。河童はいたづらしただけだから、まもなく、馬は川面に浮きあがつた。ぶるんぶるんと鬣(たてがみ)や身體の水を切りながら、鼻を鳴らして岸にかけあがつて來た。

 すると、枕川の水面がふいに渦をまいたやうに騷ぎはじめ、急速に水量が增して、堤防の緣すれすれまでにあがつて來た。これは川底で河童たらが大笑ひをしてゐるためにおこつた現象である。古老はこの傳説の掟を知つてゐた。河童をあまりひどくよろこばせたり、怒らせたり、悲しませたりしては危險なのであつた。そのたびに川の水量が增して洪水になる場合があるのである。二匹や二匹ではそんなことはないが、十匹を越えると增水の可能性が生まれるのだつた。

「まつたく困つたガラッパどもぢや」

 花嫁をとりまいて、村人たちは苦々しい顏をした。河童たちが笑ひやんだとみえて、水面は下がり、渦も消えた。

 このいたづら河童たちのなかには、三郎はゐなかつた。彼は、花嫁姿に對して、さういふチャチな鬱憤晴らしでは消えないほどの強烈な衝擊を受けてゐたので、仲間の方法をたわいないものに考へ、さういふ單純さのなかには進步はないし、理想追求の熱情も感じられないと思つた。三郎の眼には、不思議な淚が宿つてゐた。

 この騷動の噂はすぐに村中に傳はつた。そして、あらためて河童を恐れさせた。

「お父ッあん、ガラッパの征伐は出來んとぢやろか?」

 末の妹のアヤメが訊(き)く。

「コラコラ、そぎやんなことを大きな聾でいひばしするな。ガラッパが立ち聞いたら、どぎやん仕返しすァか知れんど」

 虎助はおびえた顏つきで、あたりを見まはした。アヤメは笑つて、

「こぎやんとこにガラッパが居るもんか。枕川とは三町も離れとる。聞えはせん。な、お父ッあん、ガラッパの語ば、して聞かせて」

「そぎやんいやァ、まさか、ここでの話し聲が枕川まで屆きはすまい。さうぢやなァ。今夜は閑(ひま)ぢやけん、お前たちにガラッパの話でもしてやろかい」

 熊本から鹿兒島地方にかけて、河童はガラッパと呼ばれてゐる。虎助は、三人の娘にとりまかれ、芋燒酎を引つかけながら、ガラッパの話をはじめた。

「大體、日本のガラッパはこの熊本縣が本家たい。お前たちも球磨川下りをしたことがあるけん、知つとるはずぢや。八代(やつしろ)の德の洲にやァ、河童上陸記念碑が立つとる。ガラッパはどこか遠いアジアの方から來たもんらしか。おれやァ學問のなか土百姓ぢやけん、詳しいこた知らんばつてん、なんでもアラビア地方から、九千坊ちゆう大頭目が何千何萬といふガラッパを引きつれて、東方に移動して來たちゆうんぢや。ジンギスカンてら、アレキサンダー大王てらいふ豪傑のまねしたかどうか知らんばつてん、インドのデカン高原の北、ヒマラヤ山脈の南にあるタクラマカン沙漠を通つて、蒙古、支部、朝鮮、それから海をわたつて、この熊本縣の德の洲から日本に上陸したらしか」

「大遠征ばいねえ」

「うん、途方もない大遠征ぢや。途中でだいぶん落伍したガラッパもあつたぢやらうが、ともかく、德の洲から日本に入つたガラッパが、今ぢやァ日本中に散らばつたとたい。枕川に居るとはその名殘りぢやよ」

「ガラッパにも、男と女とがあッと?」

「あたりまへのことよ。雄と雌とが居らんにやァ、子孫はふえんたい」

「ガラッパでも、惚れたり張れたりするぢやろか」

「するぢやろな」

「ああ、をかしか。ガラッパの戀か――ウフフフ、ガラッパの花嫁さんば、いつペん見たいもんぢやな」

「コヲコラ、ガラッパには近づかんにかぎる。ガラッパはやつばり化けもんぢやけんなァ」

 

          三

 

 虎助は自分は學問のない百姓だといつたが、河童についての傳説はよく知つてゐた。醉つて來るといよいよ雄辯になり、聲も大きくなつた。そして、熱心に聞き入る娘たちに、次のやうな語をした。

 ――昔、川に橋が少なく、渡船が交通機關であつたころ、或る日、渡船場で、一人の若者が船頭に一通の手紙と、一挺(いつちやう)の小さな樽とをことづけた。

「實はこれを持つて球磨川に行くはずでしたが、急に母が危篤といふものですから、ここから引きかへきなくてはならなくなりました。ついては、この手紙と樽とを球磨川の魚津といふところで、川に投げこんで下さいませんか。お禮は充分いたします」

 船頭ははじめ面倒くさいことに思つたが、若者が莫大な謝禮金をさしだすにおよんで、二つ返事で引きうけた。若者が去ると、船は川面に出、白川、靑葉川、枕川と、支流を經て、球磨の本流に入つて來た。

 ところが、乘客のうちで、その手紙と樽とはどうもをかしいといひだした者があつた。大體、品物を誰かに渡すのなら話はわかつてゐるが、川の中へ投げこめとは腑に落らない。若者は依賴したとき、この樽には大切なものが入つてゐるし、手紙も重要な祕密文書だから、どちらもけつして途中で見てくれるなと、くどいほど念を押した。見るなといはれれば見たくなるのが人情だし、まして、怪しいとすれば、眞相をたしかめたくなる。船頭ははじめ躊躇したけれども、乘客の輿論に押しきられて、遂に、樽の方から先に開けてみた。梅干に似た丸つこい物がいつぱい詰まつてゐる。なにかわからないが、蓋をとつた途端、嘔吐(おうと)をもよほす異臭がとびだして、乘客は一樣に鼻をつまんだ。

 次に手紙を讀んだ。奇妙なくづしかただつたが、やはり漢字まじりの日本文なので、どうにか判讀することが出來た。

「拜呈仕候。九千坊將軍閣下には愈御盛大大慶至極に存じ上候。きて、例年の尻子玉年貢百個、早々に差し出すべき筈の處、最近は人間共がすこぶる用心深くなり、なかなかに數を揃へ申す事が困難にて、延引の段お許し下され度候。然るに、更にお詫び申し上げたきは、百個の定の處、遂に〆切までに九十九個しか集らず、一個不足致し居る事にて候。その不足分は何卒この船の船頭の尻子玉を拔きて、數をお揃へ下され度、御配慮の程よろしく御願申上候。恐惶(きようくわう)謹言、三拜九拜。肥後の國、松尾川頭目、二百坊より」

 舷頭はまつ靑になつた。腰が拔けてしまひ、船底にへたばつた。乘客たちもおどろいたが、船頭にくらべるとものの數ではなかつた。船頭は癲癇(てんかん)にかかつたやうに泡をふいてゐる。

 球磨川の河童大頭目九千坊が、これによつて、所々の中小頭目から年貢を取りたててゐることがわかつた。所によつてちがふのであらうが、松尾川の二百坊は年間尻子玉百個を約めねばならぬらしい。それが一個足りないので、船頭ので埋めあはせてくれといふのだつた。

「手紙は燒いてしまび、樽だけをここで投りこめ」

 と、客が忠告した。船頭はそのとほりにした。小さい樽すぐに川底へ引きこまれた。船頭は無事だつた。

 しかし、この事件がきつかけになつて球磨川にはお家騷動がおこつた。年貢の取り立てなどは大頭目九千坊のあづかり知らぬことだつたからである。九千坊の威光を笠に、九千坊の名で税金を課し、苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)を事としてゐたのは、家老職の四千坊であつた。四千坊が松尾川から來た尻子玉が九十九しかないことを詰(なじ)り、ただちに一個追加の嚴命を發したため、ひどい搾取(さくしゆ)に隱忍してゐた二百坊も、遂に堪忍袋の緒を切つて謀叛(むほん)をおこしたのである。なにも知らぬ九千坊は、はじめ、二百坊の謀叛を怒つて、追討軍をさしむけようとしたが、眞相を知るにおよんで、四千坊の方を懲罰に附した。一族を引きつれて、筑後川へ大移動することになつたとき、四千坊とその腹心を枕川に流刑したのである。

「それでなァ、いま、枕川に居るガラッパたちは、四千坊の子孫ちゆうわけなんぢやよ」

 語り終ると、虎助はおいしさうに、芋燒酎をまたぐいぐいと傾けた。[やぶちゃん注:「芋燒酎」は底本では「芋酎燒」。誤植と断じて特異的に訂した。]

 家の外にたたずんでゐた三郎河童は、急に自分の身體がふくらんで來るやうな氣がした。あんまり虎助の聲が高いし、ガラッパといふ言葉がいく度も聞えるので、枕川から出て來て立ち聞いてゐたのだが、虎助の語は三郎に大いなる期待をあたへた。三郎は立ちあがると、誇らしげに、呟いた。

「おれは、名門四千坊の末裔(まつえい)だ。下賤でもなければ、低級でもない。このあたりの土百姓どもにくらべれば、貴族といつてよい。今日から、胸を張つて生きるんだ」

 枕川の仲間たちは、自分たちの歷史や傳統をまるで知らない。四千坊が死んで後は、なんの記錄も殘つてゐないので、單に、配流の河童として無意味に生きてゐただけだつた。人間から教へられたことは皮肉だが、それはもうどうでもよかつた。三郎は新しい光明に向かつて進むやうに、せせこましい枕川を望んで步きだした。胸を張り、肩を怒らし、頭の皿をまつすぐにして、まるで、凱旋將軍でもあるかのやうに。

 

          四

 

 旱魃(かんばつ)といふほどではないが、雨が少く、水の切れる田が出來はじめた。稻はよく稔つてゐるけれども、いま田が涸れ、龜裂を生じたりすると、収穫に大影響する。虎助の五段ほどの田は山手に近く、それでなくてさへ水引きが惡いのに、日照りつづきで、どの田もからからに乾いた。勢のよかつた稻穗もげんなりとしほれ、色が變りはじめるのも出た。虎助はおどろき、狼狽し、躍起(やくき)になつて、每日、水揚げ車を踏んだ。しかし、枕川からも遠く、堤からの潅漑用水も制限されてゐて、田を蘇生させるには不充分だつた。

「畜生、これだけやつても駄目か。神も佛も居らんとか」

 絶望的になり、天を恨んだ。見あげる秋空には積亂雲がもりあがり、雨の氣配などどこにもなかつた。村では一週間も前から、鎭守社で雨乞ひ祈願がおこなはれてゐるけれども、一向に靈驗のあらはれる兆候はない。

 どこの田にも百姓たちが出て、必死に水あげに熱中してゐた。しかし、努力は報はれず、百姓たちは情なささうな顏を見あはせあひ、無言で、日に灼けこげた顏を打ちふつた。表情をまつたく變へないのはおどけた顏の案山子だけである。稻穗をわたる秋風も無情だつた。

 くたくたに疲れた虎助は、田の畦に腰をおろし、鉈豆煙管(なたまめぎせる)を腰から拔いて、一服吸つた。好きな煙草の味もしなかつた。死にかかつてゐる田を眺めると泣きたくなる。絶えまなく、ためいきが出て、思はず、ひとりごとのやうに呟いた。

「おれの田に水を入れてくれる者があつたら、娘を嫁にやるばつてんなァ」

 その言葉が終るか終らぬかのうちに、不思議がおこつた。どこからかはげしく水の流れる音が聞えて來て、次第に近づくと、虎助の田に水がどんどん流れこみはじめた。白つぽく乾いて龜裂してゐた土はみるみる水の下になり、田は五枚とも、たつぷりと水を湛へた。しほれてゐた稻穗も息をふきかへし、いつせいに、蛙まで鳴きはじめた。

「やァ、水が入つたどう。田が生きもどつたどう」

 虎助はをどりあがつてよろこんだ。五枚の田の周圍を狂氣のやうに飛びまはり、萬歳を絶叫した。淚がぼろぼろほとばしり出た。

 百姓たらも集つて來て、虎助の田だけに急に水が入つたことを不思議がつた。他の田はどれもこれも干割れてゐて、虎助の田は沙漠の中のオアシスのやうに見えた。

「をかしなこともあるもんぢやなァ」

「この水、一體どこから來たんぢやろか」

 疑問は當然その點に落らる。虎助も加はつて水路を探してみると、虎助の田から一本太く、それは曲りくねりながらも枕川につづいてゐた。

「うい、枕川の水がひとりでに、虎助の田だけに上つて行つとるど。なんちゆう奇妙なことぢやろか」

 村民たちはいよいよ不思議がつた。

「ガラッパのしわざかも知れんど」

 と、一人の百姓がいつた。

 それを聞いて、虎助は靑くなつた。それは、いつか、彼が娘たらに話して聞かせた、九十九個の尻子玉を百個にするため、この船頭の尻子玉を披けといはれた、その船頭以上のおどろきであつたかも知れない。虎助は、さつき、田の畦で、田に水を入れてくれる者があつたら、娘を嫁にやる、と呟いたことを思ひだしたのである。虎助は恐しさでふるへだした。

 どこからか、なまぐさい一陣の風が吹いて來たと思ふと、虎助のすぐ前に、一匹の小柄な河童が姿をあらはした。

「虎助さん、あなたの田に水を入れてあげましたよ。さァ、約束どほり、娘さんを私の嫁に下さい」

 河童は慇懃(いんぎん)で、禮儀正しかつた。微笑さへ浮かべてゐた。三郎であつた。彼は虎助から自分が由緒ある四千坊の血筋を引く者であることを知らされてから、人間の女を嫁にする資格が充分あると自負してゐた。しかし、思ひあがることはいけないと考へ、仰天して口もきけないでゐる虎助に、

「三人の娘さんのうち、どなたでもよろしいです。一人を私に下さい」

 と、謙虛に、つけ加へた。

 

          五

 

 虎助の家では、沈痛な合議がはじまつた。母トヨ、娘ウメ、キク、アヤメ、自慢の幸福な家庭であつたのに、にはかに、暗澹とした空氣につつまれた。河童との約束は絶對に破ることは出來ない。河童の傳説に詳しい虎助は、河童がいたづら者の年面、すこぶる義理がたく、信義にあつい動物であることをよく知つてゐた。まして、村民たらの大勢見てゐる前で、河童と約束したのである。村人は虎助に同情するよりも、彼の田だけが潤つたことを嫉んでゐて、三人娘の一人くらゐは當然お禮として河童に進呈するのが人間の道だなどといふ始末だつた。虎助は絶對絶命である。やつと、河童に三日間の返事の猶豫(いうよ)をもらつた。無論、それは娘をやるやらぬの返事ではなく、三人のうち誰にするかを定めるためであつた。

 人ばかりよくて愚鈍な母トヨは、

「なんちゆう馬鹿な約束を、ガラッパなんかとしたもんぢやろか。阿呆たらしか。娘どもには三人とも、よか婿どんを見つけてやろて考へとつたとに、ガラッパの嫁にやるなんて、氣でも狂うたとか」

 と、泣きながら、やたらに恕つたり愚痴をいつたりするばかりで、なんの解決策も見いだすことは出來なかつた。虎助はほとほと當惑して、まづ姉の方から、口説いてみた。

「ウメ、お前、行つてくれるか?」

「お父ッあん、あたしは長女ばい。こン家を繼がにやならん責任がある。お父ッあんだつて、いつでもそぎやんいひよつたぢやなかか。あたしは養子ばもらはんならんけん、よそに嫁御に出ることはでけんたい」

「キク、お前は?」

「いやァなこと。ガラッパの嫁御なんて、考へただけでも身ぶるひがする。あぎやん化けもんの嫁になるくらゐなら、石の地藏さんと添うたがまし」

「さうか、お前たちにしちやア無理もあるまい。アヤメも同じ考へぢやろ。さう三人が三人ともいやがるなら、ガラッパに噓ば、ついたことになる。ガラッパはどぎやん仕返しをするか知れん。ガラッパの仕返しは恐しか。困つたなァ。そんなら、いつそ籤(くじ)にするか」

 それがよいと贊成する者はなかつた。籤の結果を考へると恐しいのである。すると、これまで默つてなにかを考へてゐた末娘のアヤメが、顏をあげて、

「お父ッあん、あたしがガラッパのところに、お嫁に行きませう」

 と、きつぱりした口調でいつた。

「ほんとかあァ」

 と、虎助はとびあがつた。母と二人の姉もびつくりして、末娘を見た。

 アヤメは落ちついてゐて、

「三人のうち誰かが行かんことにやア、お父ツあんが噓つきになる。姉さんがたは、どぎやんしてもいやといはすけん、あたしが行かにや仕樣ンなか。行きます。お父ッあん、枕川に行つて、三郎といふガラッパにそのことを傳へて下さい」

「お前、本氣ぢやろな?」

「本氣ですとも」

 虎助が改めて本氣かとたしかめたのは、アヤメが村の龍吉といふ靑年と戀仲になつてゐることを知つてゐたからである。そして、それを虎助も許してゐた。なぜなら、龍吉はちよつとした物持の息子で、氣立てもよく、働きもあり、男ぶりも十人前、つまり、虎助が娘たちの婿にと考へてゐた條件にぴつたり合つてゐたからだ。それなのに、河童のところに嫁入りすると斷乎として宣言したので、虎助は面くらつたのである。アヤメが行けば自分は大助かりだが、娘の眞意がわからず、娘の犧牲的精神が大きすぎて、虎助の理解をはみだしてゐたのだつた。これを知つたら、龍吉だつて默つてゐるはずはない。ガラッパと三角關係が生じて、どんな面倒がおこるかわからない。龍吉と河童と決鬪でもするやうなことになつたら大變だ。虎助は頭がこんぐらかつて、眩暈(めまひ)さへおぼえた。

「アヤメ、お前、ガラッパの嫁御になッとかァ」

 といつて、母はおいおい泣きだした。

しかし、ともかく、家族合議は終つたのである。そして、不思議なことに、一家の愁嘆のなかで、當ののアヤメだけがけろりとしてゐた。彼女は悲しむどころか、不敵な微笑さへたたへて、家族の者の眼を瞠(みは)らせた。その夜も、アヤメ一人が熟睡した。

 

          六

 

「おうい、ガラッパの三郎どうん」

 虎助は、枕川の岸に立つて大聲でどなりながら、一本の胡瓜を川に投げこんだ。

 そこには千年を經たかと思はれる大榎があつて、太い幹に張りめぐらされた七五三繩(しめなは)の御幣(ごへい)が秋風にゆらめいてゐた。小さな祠(ほこら)が樹の洞(ほらあな)に安置されてある。ここが河童との連絡場所になつてゐた。胡瓜はその合圖である。

 いつたん沈んだ胡瓜は浮きあがると、くるくると獨樂(こま)のやうに𢌞轉しはじめた。その渦のなかから、ぽつかりと三郎河童の姿があらはれ、胡瓜をつかみとると、岸へ上がつて來た。濡れた靑苔色の身健が雫をたらし、背の甲羅や、頭の皿がきらきらとガラスのやうに秋の太陽を反射してゐた。三尺にも滿たぬ體格でひどく子供つぽく、これが結婚適齡期の靑年かと疑はれるほどである。水かきのある足がびちやびちやと音を立てる。

「これは、虎助さん、ようお出で下さいました。お待ちして居りました」

「約束の返事ば、しに來たんぢや」

「で、どなたを私に下さいますか」

「末娘のアヤメをやる」

「それはありがたうございます。誰でなければならんといふ贅澤は申しません。それで、アヤメさんは、龍吉さんの方はよろしいのでせうな?」

 虎助はあきれた。河童がそんなことまで知つてゐようとは意外だつた。

「勿論、あんたにアヤメをやる以上は、龍吉の方とはいざこざがないやう、話はつけてある」

「それなら結構です。三角關係はいやですからね」

「それでは、祝言(しうげん)についての打らあはせば、しておかう。これが大切ぢや」

「河童方式でやりませうか。人間方式でやりませうか」

「アヤメば、川の底のあんたの家につれて行つてからは、河童方式でやつてもよかばつてん、川に入るまでは人間方式でやりたか」

「承知しました。妥當の案と思ひます。それでは、水面を境界にしまして、地上は人間方式、水中は河童方式と定めます。それでは、アヤメさんを花嫁として水中へ送つて下さるまでの人間方式を教へて下さい」

「こぎやん風にしたか。人間方式では、花嫁には嫁入道具がつきものぢやけん、まづ、その嫁入道具を先にあんたの方に屆ける」

「ありがたうございます」

「その嫁入道具があんたの川底の家に納まつてから、花嫁ば送りだす。あんたは、ちやんと、嫁入道具を受けとつて、家に納めたちゆう報告をしてくれにやいかん」

「仰せのとほりにします」

「嫁入道具は濡れんやうに、入れ物に入れて川に投げこむけん、川底へ引きこんでおくれ」

「わかりました」

「嫁入道具ば、ちやんと家に納めきらんやうな婿には、嫁はやられんことになつとるけん、それも承知しといてや」

「なにからなにまでの指示、感激のいたりです。それでは、アヤメさんを受けとつてからの河童方式について、ちよつと御説明申しあげておきませう。われわれ河童の習慣としまして、……」

「いや、よかよか。嫁にやつてから先のことは、なんもかんもガラッパどんだちに委せる。ええごとしてもろうて、よか。それぢやあ、明後日が大安吉日ぢやけん、その日の朝ンうらに、嫁入道具ば屆けることにする」

「お待ちして居ります」

 河童がよろこんで淚さへためてゐるのを殘して、虎助は、一散に、わが家へ歸つた。外交交渉はうまく行つたやうである。河童は人間とはくらべものにならぬはど信義にあつい動物だから、後日のための七面倒な約定書、調印などはしなくてよかつた。虎助は、しかし、なほ、結婚式當日の成果に若干の不安があつたので、まだ、心から笑つたりすることは出來なかつた。

 

          七

 

 川底では、祝ひの準備に忙殺されてゐた。三郎の思ひもかけぬ幸運を、大部分の河童たらは手放しで祝福した。これまでの河童の歷史に嘗てなかつた破天荒(はてんくわう)の痛快事といつてよい。いつぞやは美しい花嫁姿をやつかんで、花嫁の乘馬を川へ引きずりこみ、わづかに溜飮を下げたのであつたが、今度はその人間の花嫁が河童の三郎のところへ來るといふのだ。これをよろこばずして、なにをよろこぶことがあらうか。河童たらは三郎を羨むよりも、自分たち全體の光榮を感じて、みんなが心から三郎の祝典のために、努力を惜しまなかつた。河童方式による結婚式の準備は着々と整へられた。川底の淵にある三郎の家は、蓮の花、水中藻、ヒヤシンス等の花で飾られ、鮎、鮭、鮒、スッポン、鰻、泥鰌、岩魚、カマツカなどの珍味が大量に揃へられた。苔から精製した特級酒も飮みきれぬほど用意された。[やぶちゃん注:底本の行末で改頁最終行でもある「スッポン」の後には読点がないが、特異的に誤植と断じて補った。]

「祝言の日は、底拔け騷ぎをやらかすぞ」

「三郎はおれたちのホープだ」

「人間を征服した英雄だ。死んだら、胴像を建ててやらう」

「おいおい、めでたい日に死ぬことなんて、いふなよ」

「とにかく、河童界はじまつて以來の慶事だ。枕川河童族萬歳」

 もう河童たちはその日の來ぬうちから有頂天で、前景氣は盛んだつた。

 しかし、今度の結婚に多少の不安を感じる者がなくもなかつた。それは主として老人組で、まつたく異つた人間と河童との國際結婚がはたして破綻(はたん)なく續くものかどうか、自信は持てないもののやうだつた。河童は河童同志がよいのではないか。しかし、三郎自身が得意と歡喜の絶頂にあり、仲間たちもよろこんでゐるのだから、強ひて異は立てず、やはり式典の準備を手傳つた。

 ここに、一人だけ、この祝言を悲しんでゐる者があつた。トエといふ名の女河童だつた。彼女ははげしく三郎に思慕してゐたので、仲間といつしよに祝福する氣にはなれなかつた。といつても、三郎と契つてゐたわけではなく、片思ひだつたのだから、三郎を裏切者と呼ぶわけにも行かない。ひとり小さい胸がつぶれるほどに嘆いてみるだけだ。トニは悲しかつた。しかし、淚をおさへて、祝言の手傳ひはした。そして、三郎に花嫁が來たら、どこか遠くへ行かうとせつない流離の思ひにとざされてゐた。三郎がそはそはと落らつかず、ときどき、にやにやと思ひだし笑ひをしてゐるのがはがゆく、そのアヤメとかいふ人間の花嫁が二目と見られぬ醜女(しこめ)で、根性がわるく、夫婦になつても喧嘩ばかり、すぐに別れてしまふやうになればいい、などと、いつか考へてゐて、嫉妬は女のアクセケリーとはいひながら、そんなはしたない考へを抱く自分を恥ぢた。すなほに愛する三郎の幸福を祈らなければならぬと思つた。

 いよいよ、結婚式の當日がおとづれた。すがすがしい秋晴れの朝だつた。

 三郎は頭の皿を洗つて新しい水を滿たし、髮をきれいになでつけて、苔のポマードをつけた。背の甲羅も一枚づつ叮嚀に磨き、嘴もぴかぴかと光らせた。彼は、あの、眞白な綿帽子、魅惑的な角かくし、裾模樣の衣裳をつけた美しい花嫁姿が、もう眼にちらついて、心臟ははげしく高鳴りつづけだつた。虎助の三人娘のうちアヤメがもつとも器量よしであることも滿足の一つである。彼女が來たら、いたはつて幸福な家庭を作らうと思ふ。三郎はその夢の設計が樂しかつた。

 トポンと、水面で音がした。底から見ると、ガラスの天井のやうに明るい水面が波紋でくづれ、その中心に、黑い新月のやうなものが見えた。胡瓜であつた。

「合圖があつたぞ。まず嫁入道具を受けとりに行け」

 祝言實行委員長の河童が叫んだ。

「よし來た」

 河童たちは、いつせいに、水面に顏をあらはした。三郎もつづいて出た。岸に、十人ほどの人間が立つてゐる。その先登に虎助がゐた。

「ガラッパの三郎どん、さァ、嫁入道具ば渡すけん、受けとつてくれ」

 虎助のその言葉で、枕川のうへに、大きな荷物が投げこまれた。それは互大な七つの瓢簞を一つの網のなかに包んだもので、嫁入道具は濡れないやうに、それらの瓢簞の中に入れてあるらしかつた。水しぶきを立てて落ちた瓢簞はぷかぷかと波に浮いてただよつた。

「そら、引つぱりこめ」

掛け聲勇しく、河童たちは瓢簞の荷物に手をかけて、水中へ引き入れようとした。頭の皿に水さへあれば、馬でも、牛でも、トラックでも、機關車でも、戰車でも、水中へ引きこむほど強力である河童にとつては、そんな輕い七つの瓢簞など問題ではなかつた。いや問題ではないと、誰もが思つたのだ。ところが、大當てはづれだつた。容易に水中に沈まないのである。力まかせに引けば、水中へいくらか入りはするが、力をゆるめると、すぐに水面に浮きあがつてしまふ。七つの瓢簞を一つにした浮力は大きかつた。河童たらにはその原理がわからない。そこで群がりついて、なんとかして沈めようと懸命になつた。

「みんな、賴む。この嫁入道具を家まで運んでしまはなければ、花嫁は來ないんだ。もつと力を出してしつかり引つぱつてくれ」

 三部は躍起(やくき)になつて、全身の力をこめた。仲間も負けてはゐない。ありたけの力をふりしぼつた。けれども、なんとしても瓢簞は表面から十尺とは沈まなかつた。どうかしたはずみに沈んでも、また、もとへかへつてしまふ。おまけに河童の方は次第に疲れて來たが、浮力の方はすこしも衰へないので、もはや勝敗は決定したといつてよかつた。

 

          八

 

 三郎は全身が解體して行くやうな疲勞を感じながらも、なほ、瓢簞をつつんだ網から手を放さなかつた。これこそ自分の命であるといふ執念が、すでに力は拔けてしまつた腕を網にしばりつけ、機械的に、引き下げる動作をさせた。それでも、なは、彼はまだ人間から欺かれたといふことには氣づかなかつた。

「ようい。早よ嫁入道具ば持つて行かんかァ。花嫁御がつれて來られんぢやなかか。なにを愚圖々々やつとるんぢや」

 虎助は、岸から、嘲笑的に、しきりにどなつた。半信半疑であつたのに、娘アヤメの作戰どほりになつて、愉快でたまらなかつた。すべてはアヤメの智惠である。アヤメは自分が嫁に行かうといひだしたときに、この戰術が胸にあつたのだ。虎助はすべて娘に智惠を授けられて、枕川の三郎河童に緣談の打ちあはせに行つたのであつた。えらい娘だと舌を卷かずには居られなかつた。河童たちが瓢簞を引きこまうとして狼狽してゐるさまが、滑稽で仕方がなかつた。これでアヤメを河童にやらずにすんだわけである。

 虎助の背後に、龍吉がゐた。三郎はそれを見た。アヤメの戀人がアヤメの祝言の手傳ひに來てゐるのを見れば、なにかの祕密、なにかの陰謀があることに氣づかねばならないのに、正直一途の三郎にはそんな陰慘な第六感は働かなかつた。三郎はただ自分たちの非力を悟り、それを嘆いただけであつた。

「なにやつとるか。そん嫁入道具を引つこみきらんやうな者には、娘はやられんど」

 いよいよ圖に乘つて、虎助は叫んだ。

「みんな」と、遂に、三郎は、協力してくれてゐる仲間に向かつて、力弱い聲でいつた。「ありがたう。もういい。とても駄目だ。この嫁入道具は、絶對に、川底まで引いて歸ることは出來んことがわかつた。もう、あきらめる」

「さうか」

 仲間は三部を哀れに思つたが、局面を打開する方途を誰も知らなかつた。河童たちは科學に太刀打ちする力は持たない。枕川の水を遠い田へ流れこませるやうな神通力は持つてゐても、科學には齒が立たなかつた。もはや、かうなると退却のほかはない。

 瓢簞から手を放したとき、三郎は絶望とともに深い孤獨に沈んだ。眞白い綿帽子と角かくし、美しい人間の花嫁姿は、ただ幻想となつて殘つたにすぎない。七つの瓢簞は河童たちを嘲笑するやうに、さざなみのうへに、踊るやうに浮いてゐた。その黑い影は雲のやうに川底までも暗くした。土堤の人間たちは大笑かしながら、勝利の萬歳を唱へた。河童たちがすて去つた七つの瓢簞を引きよせ、また、これをかついで歸つてしまつた。

 その後に、ただ一人、龍吉だけがたたずんで、複雜な表情で枕川の水面を凝視してゐた。顏の表情がいろいろに變る。それは心内でなにかの格鬪がおこなはれてゐる證左だつた。龍吉は立ちあがつた。唇を嚙んで呟いた。

「アヤメは智惠がありすぎる。すばらしい作戰で、まんまと河童を騙くらかしてしもうた。恐しい女ぢや。あんな女と夫婦になつたら、いつ、どんな目に合はされるかもわからんど」

 獨白しながら、龍吉はなにかを決心したやうに、ゆつくりした足どりで、虎助たちとは反對の方角に步み去つた。

 川底での祝言の準備はむだにはならなかつた。人間との國際結婚を危ぶんでゐた長老は、かへつてこの破談をよろこび、トニと三郎とを夫婦にする仲人を率直に買つて出た。傷心の三郎はすぐには氣分轉換が出來なかつたが、長老の、やつぱり河童は河童同志といふ意見と、トニが長い間自分を思つてゐたといふことに動かされた。仲間たちも全部が贊成したので、急に、三郎とトニとの結婚式に肩代りをすることになつた。もはや人間方式をまつたく交へぬ純粹河童方式になつたのである。祝言と披露の宴は底拔け騷ぎになつた。

 三郎もすこしづつ座の雰圍氣に卷きこまれ、笑顏を見せるやうになつた。仲間が奇妙奇手烈な歌や踊りをやると、腹をかかへて笑つた。人間の瓢簞に敗北した鬱憤が大爆發をした。三郎も隱し藝をやりだした。川底はげらげらと雷鳴のやうな笑ひ聲で滿たされた。すると、傳説の掟の示すとほり、枕川の水面はざわめき渦卷き、急速に水量がふえはじめた。たちまち、水は土堤を越えた。

「やァ、田に水が入つたどう」

 百姓たちはよろこんだ。からからに乾いてゐ水田は水に潤された。しかし、よろこんでゐるうちに、水量はぐんぐんと增す一方で、遂に大洪水となつた。稻田の全部の穗は水面から見えなくなり、またたく間に濁流の底に沒してしまつた。

 

[やぶちゃん注:私はこのエンディングに快哉を叫ぶ。この話の基本は世界的には三人の姉妹の末の妹だけが二人の姉と異なった運命或いは試練を与えられるという「シンデレラ」型を示し、またその型の日本の典型例である「猿の聟入(むこい)り」型の異類婚姻譚を踏襲しながら、それを結末を原話類とは異なった形で美事に変形してインスパイアしてあるからである。因みに、御存じない方のために小学館の「日本大百科全書」から「猿婿入(さるむこい)り」の項を引いておくと、『爺(じじ)が、田に水を引いてくれた者に娘を嫁にやるという。猿がそれを聞き、田に水を引き、娘をもらいにくる。上の』二『人は断り、末娘が承知する。里帰りのとき、川の上に見える花を取ってくれと娘が頼む。猿は、花を取ろうとして川に落ち、おぼれて死に、娘は無事に帰る。全国的に数多く分布する昔話の一つである』(私はこの「花摘み」の前に、末妹が非常に重い「臼」と「杵」と「米」を「嫁入り道具」として指定し、それを担いだ猿が桜の花を手折ろうとして橋から川に落ちて溺れ死ぬという話として本話を知っている。所持する岩波文庫の関敬吾編の「日本の昔ばなし(Ⅰ)」によれば、爺さんが嫁にやると約束して猿が手伝うのは「牛蒡掘り」(フロイト的には面白い)であり、しかもそれはまさにこのロケーションと近い「熊本県阿蘇郡」の採話なのである)『不特定の人に、一定の条件を果たしたら娘を嫁にやろうと約束するという発端の形式は、婿を異類とする婚姻譚の特色で、「犬婿入り」「蛇(へび)婿入り」などにもみられる日本の信仰で』(中略。ここを省略するのは、その解説者のここでの解説に私は微妙に違和感を感じるからである)、『蛇は水の霊の姿であるが、猿を水の霊として描いた伝説も少なくない。『古事記』に猿田毘古(さるたひこ)が海水におぼれたとあるのもその一例である。「猿婿入り」の猿も、水の霊の姿であろう。「蛇婿入り」には、ひさごを持って嫁に行き、ひさごを沈めることができたら嫁になろうといって蛇を試す例もある。「猿婿入り」の臼は、「蛇婿入り」のひさごに相当する。ひさごを沈めることができるかどうかで、水の神の霊力を試す話は、すでに『日本書紀』仁徳(にんとく)紀に』二『例もみえている。「猿婿入り」は、田に水を引く水の霊を、人間がひさごの力で征服し、水田経営を無事に進めるという宗教的な物語が昔話化したものであろう』とある(下線は私が引いた)。この「猿」=「蛇」=「水神」という説は、零落した「水神」としての「河童」にこそ相応しいと言えよう。

 ともかくも、私はこの「猿の聟入り」を幼少の頃に読んだ時、実は激しい生理的嫌悪感を抱いたのである。何も悪いことをしていない猿があまりに可哀想だったからである。私は私に子があったら、絶対にこの話は読ませない。智恵を以って誠意を以って対処した相手を殺害するこんな忌まわしい話は読ませたくない。大人になってから、岩波文庫で読んでも、不快感は幼少期にも増して増幅した。

 私は「猿の聟入り」の末の妹が激しく嫌いである!

 言いようもなく、恐ろしい女ではないか?!

 龍吉の最後の態度と「アヤメは智惠がありすぎる。すばらしい作戰で、まんまと河童を騙くらかしてしもうた。恐しい女ぢや。あんな女と夫婦になつたら、いつ、どんな目に合はされるかもわからんど」という台詞、そしてその土地を去って行く後ろ姿にこそ、私は激しく共感する。

2017/07/18

ブログ980000アクセス突破記念 女の害について 火野葦平

 

[やぶちゃん注:底本では以前に電子化した「手」の後に配されてある(なお、前回を以って途中の未電子化部分を総て終り、従来の底本の順列電子化に戻った。底本本文は後、小説「花嫁と瓢箪」と戯曲「妖術者」及び小唄集「河童音頭」のみとなった)。単行本の所収は河童小説集である昭和四九(一九七四)年四月早川書房刊「河童」であるから、戦後の作品と考えてよいであろう。底本の傍点「ヽ」は太字とした。以下、先に簡単な語注を附しておく。

 

・「ベール・エムロード色」はフランス語“vert émeraude”の音写(正確には「ヴェール・エムロードゥ」)で英語の“emerald green”(エメラルド・グリーン)のことである。

・「春秋の筆法」とは五経の一書「春秋」の文章には孔子の正邪の判断が加えられているところから、「事実を述べるに対してそこに筆記者の価値判断を含ませて書く書き方、特に間接的原因を結果に直接結びつけて厳しく批判する仕方を指す。

・「松王丸の首實驗」浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」(延享三(一七四六)年大坂竹本座初演。初代竹田出雲・竹田小出雲・三好松洛・初代並木千柳の合作。平安時代の菅原道真の失脚を中心に道真の周囲の人々の生き様を描く。四段目の切の「寺子屋の段」が特に知られる)の登場人物。梅王丸の弟、桜丸の兄で、藤原時平の舎人(とねり)。菅原道真への報恩のためにその子秀才の身代わりに自分の子の小太郎を差し出す。私は何度か文楽で見ているので意味が分かるが、不明の方はウィキの「菅原伝授手習鑑」などを参照されたい。

・『「ベニスの商人」の宮廷で、皇女の求婚者たちが、金、銀、鉛、三つの箱をえらぶ。髭もじやのモロッコ王は、金の箱に眼がくらんで失敗した。鉛の箱が幸運の使者であつた』ウィリアム・シェイクスピアの喜劇「ヴェニスの商人」(The Merchant of Venice)のこのシークエンスは高橋葉子(西平葉子)氏のサイト「きいろいながれぼしの旅」の『「ヴェニスの商人」のあらすじ』が判り易い。

・「鳶口野郎」相手の河童の口の先が鳶口(伐採した木材を引き寄せたり、消火作業などに用いる長い柄の先に鳶の嘴(くちがし)のような鉄製の鋭い鉤(かぎ)を付けた道具)のように有意に曲がっていることからの卑称かと思われる。

 

 本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが980000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年7月18日 藪野直史】]

 

 

 女の害について

 

 

 まあ、聞いてくれ。いつか話さうと思つてゐた。君にかくしてもしかたがない。君がきつとやつて來ると思つてゐたが、やつぱり來たね。君が來なかつたら、おれの方で出かけるつもりだつた。噓ではない。あの女のことは、おれ以上に君が關心をもつてゐることは知つてゐたし、……、いや、もう、そんな上品ないひかたをしなくともよい。おれと君とが戀がたきであつたといふことは、はじめから明瞭だつたんだから、こんどの事件については、おれとしても、君に報告せずにはをれないわけなのだ。……まあ、さう、眼のいろかへてせかずに、おれの話を聞いてくれ。

 なにも、君を出しぬいたわけぢやない。なるほど、おれはあの女とふたりでしばらく旅をすることはした。しかし、それは駈落ちでも、樂しい旅でもなかつたんだ。樂しいどころか、なんといつたらいいか、じつに、變てこりんな、不思議な、奇妙な、苦しい、馬鹿げた、そして、恐しい旅だつたんだ。見てくれ。おれはこんなに瘦せてしまつたばかりでなく、頭の皿だつて、水氣が減つて、ひびがはいつてゐる。ふさふさした毛も拔けたうへに、白くさへなつてしまつた。甲羅だつて、ほれ、こんなに乾いて、粉がふいたみたいに腐れかかつてゐる。眼もかすんでゐるし、腰の蝶番(てふつがひ)も尋常ぢやない。さつき君が人ちがひぢやないかと眼をみはつたはど、おれは變りはててゐるんだ。みんなあの女とのこんどの旅が原因なんだ。おれがどんな目にあつたかがわかるぢやないか。

 そんな疑ひぶかい眼で睨むな。君はおれを信用してないのか。女はどこにゐるかつて? 女はゐるよ。居どころもわかつてゐるよ。いま話すよ。そのまへに、おれと女との變てこな旅の語を、まあ、終ひまで聞いてくれ。おれは、もう、あの女を君にゆづつてもいいくらゐに思つてゐるが、君がおれの話を聞いたら、きつと、そんな女ならもう用はないといふだらう。おれはそれを信じてゐる。

 こんどの旅は、おれがいひだしたんぢやないんだ。そりや、白狀してもいいが、あの女と、どこかへ、二人きりで旅したいといふ氣持は、日ごろからあるのはあつたさ。しかし、いつもは、あの女は、いつたいおれにどんな感情をいだいてゐるのか、さつぱり見當もつかない曖昧な態度だつたし、おれがおづおづそんなことを口に出しても、鼻であしらつて、受けつけることなんて、一度もなかつたんだ。君だつてさうだつたんだらう。かくさなくたつていいよ。これまでは戀がたきで睨みあつてゐたが、今日からは友だちなんだ。なぜ、友だちかつて? そりや、最後まで話してしまへば、ひとりで合點の行くことだが、もう、あんな女、二人とも忘れてしまつて、仲よくできると思ふからなんだ。

 ところで、こんどの旅は、とつぜん、女の方からいひだしたことなんだ。十日ほど前のことだ。女がやつて來て、いつにないなれなれしさで、

「たのみがあるのよ」

 さういふぢやないか。じつは、白狀してもいいが、おれはもううれしさで胸がどきどきして、多分、多少うはづつた聲で、

「どんなこと? どんなことでもするよ」

 と、せきこみながら答へたもんだ。

「ほんとに、どんなことでも、聞いて下さる?」

 どんなことでも、に力を入れて、じつとおれの眼のなかをのぞく。おれはもう夢中だ。彼女のためなら死んでもいいと、日ごろから思つてゐたんだし、躊躇するわけもない。

「うん、どんなことでも。さあ、いつてみたまへ」

「そんなにいはれると、かへつて困るわ。そんな大變なことぢやないのよ。ちよつと旅をしなくてはならないんだけど、ひとりぢや心細いの。御迷惑かもしれないけれど、いつしよに行つていただきたいのよ」

 白狀してもいいが、おれはよろこびで飛びあがつたんだ。なんの迷惑なことがあらうか。願つたりかなつたり、望むところ。しかし、おれはやつぱり男としての自尊心があつたし、あまりこちらの卑屈なこころを見すかされまいと、わざと不承不承のやうに、

「旅? 君と? ちよつと困るなあ」

「ああら、いま、どんなことでもするとおつしやつたくせに。噓つきね。さう、なら、いいわ、そんなに迷惑なのなら……」

 君の名前が出さうになつたんで、おれはあわてて、

「いや、迷惑なことはないよ。迷惑なことなんてあるもんか。行くよ、行くよ」と、たわいもなく、降參してしまつた。そして、どこに、どういふ用件で行くのか、とたづねた。

「これを持つてね」と、彼女がおれに示したのは、小さな、さうだね、縱一尺、橫八寸、高さ六寸くらゐの、蓮の葉づくりの綠りいろの小筥だつた。これが問題の小筥だつたんだが、そのときはべつだん深くも氣にとめなかつた。[やぶちゃん注:「綠り」の送り仮名「り」はママ。]

「伯父さんのところへ行かなくてはならないの。伯父さんて、あんた、知らないかしら。臍無沼(へそなしぬま)の宰領(みかじめ)をしてゐるひとだけど。この白鷺川(しらさぎがは)をまつすぐにくだつて、さうね、二百キロはあるから、一日に十五キロ行くとしても、十三、四日はかかる勘定ね。そんな長旅、あたし、ひとりぢや怖(こは)いわ。とてもできない。それで、お願ひしたの。ね、無事向かふへつくまで、あたしを守つて行つて下さるわね」

「よろしいとも。そんなことくらゐ、屁の河童だよ。で、また、こつちへかへつて來るのかい」

「勿論よ」

 さうして、おれたちの奇妙な旅がはじまつたといふわけさ。

 おれは單に隨伴で、護衞、つまり用心棒といふところだが、白狀してもいいが、それでも樂しくないことはなかつた。惚れた女との二人旅、それに、男女のなかは異なものだから、旅をしてゐる間に、いつか、なにかのきつかけで、思ひをとげることのできる機會が來ないともかぎらない。その期待で、おれはわくわくとこころもをどつてゐた。

 荒れた梅雨の名ごりもとつくにすぎたあと、白鷺川は適度の水量で、流れもおだやかだつた。水もすんでゐるし、鮒(ふな)、鮠(はや)、鰻(うなぎ)、えび、みぢんこ、など、食糧にことはかかぬし、水底の旅はまづ快適だつた。食糧採集はおれの役目だ。おれは戀人の兵站部(へいたんぶ)になることがうれしくて、魚とりに得意の手練を發揮した。彼女もほめたり、よろこんでくれたりした。夏の太陽はきらきらと、水面を光らせながら、すこしはあたためるが、底の方はひいやりとしたこころよい肌ざはりで、甲羅も、皿も、嘴も、水かきも、生涯のうちでもつとも健康、かつ快調のやうに思はれた。

 ならんでゆく彼女は、いかにも美しい。彼女の豐饒(ほうぜう)で金色の頭髮、瑪瑙(めなう)のやうに靑びかりするつやつやしい皿、ルビーのやうな二つの眼、貝殼のやうな嘴、そんなものにも增して、ながれにしたがつて、濃くなつたり淡くなつたりするベール・エムロード色の甲羅と、そのこまかな網目模樣、きらに、まろやかな兩肩の線、なんともいへぬ腰のあたりのやはらかいふくらみ、それが步行にしたがつて、ゆるやかに振られる惱ましさ。――そんな恐しい眼で、おれを見るな。君はやきもちをやいてゐるのか。とんでもない。そんな彼女の姿態の虛僞といやらしさが、あとですつかりわかつたんだ。話が終るまでは、さまたげないでくれ。……

 さて、まづ、出發から、三日ほどは、なんの變つたこともなく過ぎた。おれは胸のをどる期待で、彼女との結合を空想してゐたんだが、大あてはづれで、すこしいらいらして來た。白狀してもいいが、おれはもう我慢がしきれなくなつて、いつそ暴力にうつたへてもと、彼女がおれのかたはらで眠つてゐるときなど、何度か考へたこともあるんだ。だが、氣弱なおれには、それがどうしてもできなかつた。しかし、それは單におれのお人よし、優柔不斷ばかりぢやなかつた。いま考へてみてわかることがある。なにか、彼女はおれにふれさせない或る神祕なもの、といふより、えたいの知れぬ祕密なものを藏してゐたんだ。それがはじめはわからなかつたが、三日目ごろから、すこしづつ明らかになつて來たんだ。

 不思議の第一は、彼女の持つてゐた小筥だ。蓮の葉で製造した箱は、たれでも持つてゐるし、すこしも珍しいものではない。その筥も筥自體はきはめてありふれたもので、注目をひくものはなにもないのだが、その小筥を所持してゐる女の態度が、ただごとではないのだつた。

「その筥、僕が持つてあげよう」

 おれは何度さういつたかしれない。こちらは惚れた弱味の用心棒で、お伴だから、それくらゐの奉仕は當然だらうぢやないか。か弱い女に荷物を持たせて、(それに、大變重さうだつた。筥自體の重さはしれたものだから、入つてゐるものが思ひやられた)大の男が手ぶらで步く法はない。しかし、おれが何度さういつても、彼女は、いいのよ、いいのよ、と頑固に首をふつて、おれに持たせようとしない。

「そんなにまでして貰はなくともいいのよ」

「でも、重さうだから、持ちたくてしかがないのだから、家來にかつがせたらどうだね」

「いいのよ。これは着くまで、あたしが持つて行く」

 あんまり重さうにしてゐるので、つい見かねて、また、持たうといつてしまふのだが、

おれがしつこく(歡心を得たいためとはいへ、こちらはまつたくの親切心からなのに)同じことをくりかへすと、しまひには、彼女はするどい猜疑(さいぎ)のまなざしで、おれを睨むやうにするのだつた。その眼のいろには、あきらかに、持つて逃げるのではないかといふ疑ひの光があつて、さらに、だまさうたつて渡すものかといふ反撥の氣配さへあつて、おれは情なく、また腹だたしくもなるのだつた。

 それよりも、

「その小筥、ずゐぶん大切にしてゐるが、どんな大事なものが入つてるんだね?」

 さう聞いたときの、彼女のすさまじいばかりの凝視を、わすれることができない。女でもこんな恐しい眼ができるものだらうか。その眼はもはや猜疑といふよりも、一種脅迫のいろさへおびてゐて、おれは恐怖で心臟が凍る思ひにすらなつた。なにが入つてゐるのか、さういふ好奇心はたれでもおこるものだし、こちらも氣輕に聞いたつもりだつたのに、彼女をこんなにもおどろかし、また思ひがけぬすさまじい逆反應をおこさうなどとは、夢想だにしなかつたのだ。

 おれがびつくりして、どぎまぎと默つてしまふと、女は、急に、にこにこと不自然な笑顏になつて、

「お願ひだから、二度と、そんなことを聞かないでね」

 機嫌をとるやうに、おれの顏をのぞきこんで、媚態(びたい)に似たものを示すのだつた。

 

 

 

 おれの好奇心と疑惑とは、彼女への慕情のせつなさと平行し、あるひは交錯しつつ、日とともに高まつた。つまり、いろいろな意味で、彼女はしだいにおれを惱まし、苦しめはじめたのだ。

 女の小筥にたいする態度は、どう考へても、尋常とは思はれない。愛着とか愛撫とかいふやうな種類の感情ではなく、もつと別の、極端にいへば、ふとなにか不純なものさへ感じさせる、大事がりやうである。かたときも、自分の手からはなさないのは無論のこと、きたない話だが、大小便の用たしにもちやんとかかへて行くし、おどろいたことには、眠るときには、その筥をしつかりと、葛の紐で自分のからだにくくりつけるのだ。おれは不愉快と情なさで、自分を泥棒と思ふのかと、どなりつけたい衝動をしばしば感じた。しかし、そこが惚れた弱味、彼女の自分への不信にたいして、ひとことも、抗議の言葉をはくことができないのだつた。

 ところが、彼女がおれを苦しめたのは、そればかりではない。氣をつけてみると、彼女の行動は、一から十まで、不可解至極といつてよかつた。

 彼女は步行の途中でも、いきなり、おれにしがみついて、おれをおどろかせた。おれたちは、水中ばかり步いてゐたのではない。ときには氣ばらしに、岸を步いた。ただ、岸を行くことは多少の危險がともなふので、主としてこころおきない水底をえらんだのだ。おれたち河童は、姿を消すことはできるけれども、それは完全には安全といふわけにいかぬ。そのことは、君もよく知つてゐるとほりだ。人間のなかには河童の習慣を知つてゐる奴がゐるので、油斷はならぬ。仲間がたびたび遭難してゐる。傳説の掟はきびしくて、變更することができない。水かきのある平べたい足音は、よつぽど注意せぬと、地獄耳の人間に聞かれるおそれがあるし、おれたちが步いて行くと川風がかならずおこるし、おれたちの身體から發散する特有なにほひは、なんとしても消しがたい。そこで、この長い道中を、おれたちは主として水底を行つたのだ。

 そんなとき、彼女がおれにしがみつくのだ。おれはびつくりする。しかし、白狀してもいいが、はじめはおれはうれしさで、ぞくぞくしたのだ。彼女がおれをどう思つてゐるのか、おれには皆目見當がたたないのだが、理由のいかんにしろ、彼女がおれにしがみつく、つまり、だきつくといふのは、おれに好意がなければ、できないことぢやあるまいか。君だつて、さう思ふだらう。……また、君は睨んでゐるな。早合點せずに聞けよ。……おれはだきつかれて、身ぶるひする思ひがした。ふつくらとゆたかな女の體溫が、おれの心臟までとどく氣がする。女の身體がぴつたりとおれに密着してゐる。しつかりとおれにだきついてゐる。もつとも、そんなときでも彼女は蓮葉の小筥をはなさないのだから、片手がおれの身體を卷いてゐるわけなのだが。

 機會の到來がおれを興奮させた。おれの誠意が彼女に通じたのだ。彼女は、しかし、これまでおれへつらく當つて來たことをてれて、唐突な愛情の表現で、おれの求愛にこたへようとしたのだ。おれはさう信じた。たれもゐない水底で、しつかりと女にだきつかれれば、たれだつてさう思はうぢやないか。おれも思つた。おれは身體中の血がたぎつて來た。そして、女の表現にこたへるために、彼女を抱擁し、接吻し、そして、さらにもつとふかい結合をしたいと思つた。

 ところが、なんとしたことか。おれが彼女を抱かうとして、滿足の眼を彼女の顏にそそいだ瞬間、おれの心臟はとつぜん冷却した。恐怖に靑ざめてゐる彼女の顏、眼はひきつり、嘴はふるへ、頭髮はぶるぶるとゆらいでゐる。頭髮のみでなく、彼女の身體全體が小きざみにふるへてゐて、おれの身體とうちあつて、がちがちと鳴つてゐるのだ。どこにも愛情の表現などはない。さすがのおれも、助平根性をふりすてざるを得なかつた。

 そして、こちらも奇妙に不安な氣特になつて、

「どうしたのかね、どうしたのかね」

 と、うはづつた聲で聞いてゐた。

「あそこを見て」

 彼女の恐怖におののくまなざしのつきささつてゐる場所に、おれも眼を轉じた。

 もりあがつた岩と岩との間に、藻が森林のやうにつづき、そのうへをいくつかの菱の實が黑豆のやうにただよつてゐる。おれたちが行くと、魚たちは退散してしまふので、岩のうへに、一匹の源五郎がゐるほか、魚の姿も見えない。白晝の光があかるく全體をかがやかしてゐる。それだけのありふれた川底の風景にすぎぬ。とりたてて不思議なものも、まして、彼女が恐怖に靑ざめるやうなものは、なにもない。おれは氣あひぬけがしたが、やさしい聲で、

「なんにもありはしないよ」

 と、なぐさめるやうにいつた。

「ほんとに、なんにも見えないの?」

「恐しいものなんて、小豆(あづき)粒ほどもないよ」

「ほんとに」彼女はほつとしたやうに、「もう見えない。消えてしまつたわ」

「消えた? さつきはなにかあつたのかね」

「いいのよ。あんたが見なかつたら。……さ、すこし急ぎませう」

 かういふことが、たびたびあつた。

 それからでも、いきなりしがみつかれると、やつぱり、未練なおれは、もしやと思ふのだが、いつの場合でも、彼女がなにかの幻影におびえてゐるだけで、おれの願望は果されなかつた。

 それにしても、彼女はなにを見てゐるのだらうか。いくら眼をこらしても、おれは彼女の見てゐるものを理解することができなかつた。

「あれが見えないの、怖い、怖い」

 囈言(うはごと)のやうに、さう叫んで指さしてゐるときでも、おれの眼には平凡な水底の風景しかうつらないのだ。

 步いてゐるときだけではなく、彼女は眠つてゐるときでも、なにかにおびやかされ、魘(うな)される。恐しい夢を見てゐるやうに、呻き聲を發し、眼をひきつらせ、七轉八倒する。しきりに、なにごとか口走るが、その意味は、どうしても聞きとれない。いまにも死ぬかと思はれるやうなときがあつて、おれがゆりおこすと、きよとんと意識づき、はつとしたやうに、蓮葉の筥をだきしめる。おれの顏を疑ひぶかさうにながめ、ふいに、につこり媚態を示す。

 なんの亡靈に惱まされてゐるのか? もとより、おれにわからう筈もない。しかし、彼女の祕密が、ともかく、狂氣じみた守りやうで、肌身はなさぬ蓮葉の筥にあることは、もはや疑ふ餘地はないと思つた。

 

 

 

 「臍無沼に行つても、伯父さんがゐるかどうかわからない。でも、行かなくてはならないの。租先からの動かしがたい戒律が、あたしにさういふ宿命をつくつてゐるの。この重い運命に耐へなければならないわ。あたしはもし伯父さんがゐなくても、その絶望と、もう一度たたかつてみるつもりなのよ」

 彼女の言葉の眞の意味はなんであらうか。深刻すぎて、おれにわかる筈もないのだが、その崇高な女の決意は、すこぶるおれを感動させた。その女の悲しさは、彼女をきらに美しく見せ、おれの慕情をいやがうへにも燃えたたせた。さうして、同時に、すべての彼女の精紳と肉體の祕密をあかす鍵が、蓮葉の筥にあることも確信するとともに、おれはもうその筥になにが入つてゐるかを知りたくてたまらなくなつて來た。出發以來の彼女のすべての行動が、ことごとく小筥につながつてゐるにちがひないことを、どうして疑ふことができよう。

 おれは、やがて、狡猾(かうくわつ)のこころで、女の祕密をのぞく機會を待つた。同時に、祕密にむすびつけられてゐる彼女のすべての行爲が、さらに魅惑的となつて、彼女の美しさをいちだんと增した。いまや、おれ自身の精神と肉體とのどんな感度も、反應も、もはや彼女ときりはなしては(といふことは、春秋の筆法ではないが、小筥ときりはなしては)考へられなくなり、意味をなさなくなつたのだ。

 なにが入つてゐるかと聞いてさへ、氣色を損じるのだから、彼女の口から語らせることの不可能はいふまでもない。とすれば、自分で中をのぞく以外に、手段はないわけだ。ところが、彼女が肉體の一部のやうに、常住、筥をはなさぬので、目的達成の困難ははかり知れぬものがあつた。――それにしても、彼女がほとんど死守してゐるこの玉手箱には、いつたい、なにが入つてゐるのだらうか? わからねばわからぬはど、考へてみたいが人情だ。おれはいろいろと考へめぐらした。その想像は樂しかつた。戀人の美しさと魅力の根源となつてゐるものをつきとめる。彼女の幻影の正體を知る。これ以上、惚れた者としての滿足のないことば、君にもわからう。松王丸の首實驗のやうな野暮なものである筈はない。パンドラの匣(はこ)に似てゐるか? サンタ・クロスの靴下か? それとも、人間の尻子玉(しりこだま)か? うかつに斷定できぬ。「ベニスの商人」の宮廷で、皇女の求婚者たちが、金、銀、鉛、三つの箱をえらぶ。髭もじやのモロッコ王は、金の箱に眼がくらんで失敗した。鉛の箱が幸運の使者であつた。いまは、自分の戀人の筥は一つしかない。迷ふところはない。機會を待つだけだ。……おれはそのときのことを考へ、顏はほてり、動悸はうち、苦しく、樂しく、さうして、いつか、せつなく、なにかにむかつて祈つてゐた。

「やつと、半分來たわね。あなたのおかげよ。ひとりでなら、とても、一日も步けやしなかつたわ。お禮いふわ」

「そんな水くさいことはいはないで貰ひたいな。あなたを守るのは、僕の義務なんだ。どこまででも、あなたのお伴をして行くよ」

「ほんとに、あなた、親切だわ」

 ふつと、彼女が淚ぐんだやうな氣がした。旅のつかれで、強氣の彼女もいくらか氣弱になつてゐたのであらうか。

 感傷は生理の狀態に關係ぶかいもののやうに思はれる。

「僕は幸福だと思つてゐるのだよ」と、おれはいくらか圖に乘つて、「あなたのお役に立てたこと、生涯の滿足だ。僕は僕だけのありたけのまごころと、……それから、……愛情とを」この愛情といふ言葉がなかなか出なかつた。出てしまふと、一瀉千里(いつしやせんり)、「あなただけにさきげて來たんだ。これまでだつて、さうだつたし、これからだつて變らない。金輪際(こんりんざい)、僕の心はかはらない。あなたが僕をどう思つてゐたつて、そんなことはどうだつていいんだ。そりや、僕はあなたから愛されたいと思ふ。しかし、そんなことを強要しようとは思はないし、たとへ輕蔑されても本望なんだ。愛は惜しみなく奪ふのではなくて、與ふなんだ。僕は、そりや、一度でも、あなたの抱擁を得られたなら……」

 このとき、彼女はおれをひしと抱いた。幸福で、おれは眼まひを感じた。いま、このままの姿勢で、消えてなくなるならなくなれ。そんなに、きらきら眼を光らすな。いちいち、うるさい男だ。彼女はなにもおれの愛情をうけ入れたわけぢやなかつたんだ。やつぱり、あれだつたんだ。いい氣になつたおれは、彼女の唇を盜まうとしたんだが、なんだ、やつぱり彼女はまた幻影におびえてゐたんだ。おれなんか見てゐやしない。そのときは森のなかにゐたが、あらぬ天の一角を凝視して、ふるへてゐる。

 おれはがつかりして、手をはなした。

 

 

 

 つひに、宿望の筥をかいま見るときがおとづれた。

 半分來た旅路ののこり半分を、また半分ほどすぎた或る夕方のこと、おれたちは、すこし流れの早くなつた川岸にゐた。そこは人跡まれなふかい溪谷で、西側はきりたつた崖壁が屛風をつらねたやうにつづいてゐる場所だつたので、全く人間に顧慮する要がなかつた。水中の旅もたのしいが、幽邃(ゆうすゐ)の地上の行程も、またすてがたい。人間への危險がなければ、畢調な水底よりも、どちらかといふと、地上の方がよい。おれたらは、その二日ほどは、陸上が多く、猿が崖のうへを群れとんでゐるその深い溪谷の曲り角に來て、ひとやすみしたのであつた。

 さすがに彼女の面輪(おもわ)にはつかれが見えてゐた。こころもち、頰がくぼみ、ふさふさした髮がみだれて、太陽や水の光線にしたがつて、濃淡のあやを敏感にうつしだすべール・エムロードいろの甲羅のほそい網目模樣も、どこかにゆるみが來、その何枚かはよごれ乾いてゐた。また、いつどこで打つたのか、眉や膝や股にかすり傷ができ、鮑(あはび)の裏のやうに光つてゐた瀟洒(せうしや)な嘴も、いろがあせて見えるうへに、缺けてゐるところがあつた。しかし、美しいものは、どんな變化もまた別の美しさに見えるものだ。それとも、惚れた眼には、あばたもえくぼといふあれか。おれはさういふ彼女へさらに慕情が高まるばかりで、岩鼻にちよこんと腰をおろし、猫背になつた姿勢で、もの思はしげなうつろな眼を、とき折白い飛沫をたてる流れへじっと投げてゐる女のすがたを、ほれぼれとながめてゐた。

 夕やけ雲からさそひだされた、たそがれの光りが、崖の間をぬひ、そのなかに蝙蝠(こうもり)がとびかひはじめたとき、彼女がふいと立ちあがつた。

「ちよつと」

その表情と言葉とは、放をつづけてゐて馴れてゐた。彼女は便意をもよほしたのだ。大小はわからないが、淑女であるから、おれの眼のとどかぬところへ行くのは論をまたぬ。

「どうぞ」

 いつものとほりさういつたが、いつもでないことが起つた。

「これ、ここに置いとくわ。腕がつかれて、もう持つて用たしができさうもないの。張り番しててね」

 なにを思つたのか、彼女はこれまで肌身をはなきなかつた蓮葉の小筥を、いままで腰をおろしてゐた岩のうへに、そつと置いた。

「大丈夫だよ」

 おれは内心しめたと、胸をどきどきさせながら、なにげない樣子で答へた。

「お願ひするわ」と行きかけたが、何步もゆかぬうち、ひきかへして來て、

「あなた、これ、見ないでね」

 と、おれを睨むやうにした。

「見るもんか。君の禁止令には、もう最初から服從してるぢやないか」

「きつとよ」

彼女のやさしい眼は、まるでくるりと眼玉をいれかへたやうに邪慳(じやけん)に變り、猜疑と脅迫のつめたい光が、ぞつとするするどさで、おれの顏をつきさした。もし見でもしたら承知せぬ、どんなことになるかわからないぞ――その眼はたしかにさう語つてゐた。にもかかはらず、愚かなおれは、そのときになつても、まだ、その眼すら美しいなどと考へてゐたのだ。

「見やしないよ。安心して行きたまへ」

おれは、こんな筥問題でないといふやうにいつた。[やぶちゃん注:「筥問題でない」はママ。「筥、問題ではない」。]

 彼女はふりかへりふりかへり、蔦(つた)のはひのぼつてゐる岩壁のかげに消えた。

 この機を逸してよからうか。おれはもうほとんど逆上狀態といつてもよかつた。冒險への志向はひとを勇者にするが、盲目にもする。おれは自分の裏ぎりを彼女へ發見された場合、どんなことになるのか、明確な算定はすこしもできてゐなかつた。しかし、もうおれの恣意(しい)は計畫をこえてゐた。同時に、この祕密を知ることによつて、女の根源のものを、愛情のかたちに還元し得る。ああ、むづかしいいひかたはすまい。白狀してしまつていい。おれは祕密を知ることによつて、女の心を自分にひきつける方策を確立し得ると思つたのだ。そして、……ええ、これも白狀してしまへ。……もし發見されたとしても、女が自分へ危害を加へるどころか、祕密をにぎられた弱味で、かへつて急速に自分になびく結果になるのではないか。さういふ蟲のよい計算ができてゐたのだ。

 それにしても、宿望たる小筥をひらく機會にめぐりあつたことで、おれは興奮でふるへた。すばやく、おれは綠の小筥に手をかけた。手もふるへた。

 ところが、まんまと失敗したのだ。手をかけるのと、かへつて來る足音がきこえるのとが同時で、おれははつと手をひいた。素知らぬ顏になつて、膝をだき、はるか高い崖のうへを走る猿の群を見た。

「あなた!」

 はげしくするどい氷のやうな聲に、おれはぎくつとふりむいた。怒りにみちた眼がおれをまつすぐに見くだしてゐた。

「なんだい」

「あんなに見てはいけないといつたのに、見なさつたわね」

「冗談いふなよ。見るもんか。おれはそんな噓つきぢやないよ」

「それでも、あたしが筥の角を、この岩の條目(すぢめ)にあはせて行つたのに、動いてゐるわ」

 おれは返事ができなかつた。彼女の筥への執着と、綿密な警戒心にあきれるばかりで、ただ、見ない、見ない、とくり返すほかなかつた。仔細に筥を點檢してゐた彼女も、やつと、中を見られてゐないことを知つた模樣で、安心した顏つきになると、

「ごらんになつてはゐないやうね。疑つてすまなかつたわ。ごめんなさい」

 と、機嫌をとるやうに、握手をもとめて來た。

 しかし、おれは、もう、意地になつてゐた。狂氣じみた好奇と、奇妙な復讐めいた觀念にとらはれてゐた。そして、その翌日のたそがれどき、同じやうな場所で、同じやうな狀態がおとずれたとき、たうとう筥のなかを見てしまつたのだ。

例によつて見るなと念をおして、排泄(はいせつ)のため去つたあと、ふるへる手つきで、必死の氣組でおしひらいたその蓮葉の小筥なかには、なんと、なんにも入つてはゐなかつた。正眞正銘のからつぽだつた。[やぶちゃん注:「小筥なかには」はママ。「小筥のなかには」の脱字であろう。]

 

 

 

 どうだ。はじめに、おれのいつたことがわかつただらう。なんとつまらぬ女ぢやないか。深刻さうに見えたばかりで、なんにもありはしなかつたんだ。おれは白けはてて、いつペんに女への關心がさめてしまつたのだ。君だつて、さうだらう。こんな女は問題にするにたらんぢやないか。君も忘れてしまつた方がいいよ。

 お、なにをする? なにを亂暴するんだ。あいた! おい、やめろ! なにをするんだ。わけをいへ。……なに? ――貴様はこんな話をして、おれを女から遠ざけて、自分が獨占するつもりだらう、つて? 筥を見てから、いつそう女が好きになつたんだらう、つて? ちがふよ。らがふよ。なにを誤解してるんだ。……あいた、亂暴はやめろ。そんな無茶な。話せば、わかる。……話してもわからぬ? 畜生、たうとう看破されたか。案外、貴樣は頭のいい奴だ。おう、白狀してもいい。あの女はおれのものだ。貴樣なんかにとられてたまるもんか……くそ、力の強い奴だ。よし、來い。相手になつてやる。……ええい、うぬ、これでもくらへ!……畜生、……あいた、やりやがつたな。この鳶口野郎奴! うぬ!……

2017/07/06

ブログ「鬼火~日々の迷走」開設十二周年+ブログ970000アクセス突破記念 火野葦平 酒の害について

 

Nakamurajiheikappa

 

[やぶちゃん注:本篇は実際には底本の「河童曼荼羅」では、既に公開した梅林宴」紋」の間にある。これは私のある誤った馬鹿げた認識から電子化を後回しにしていたに過ぎない。

 なお、これまでの本底本では、各小説の前に各方面の火野の知り合いであった作家・画家・文化人の河童の挿絵が挿入されているのであるが、その殆んどがパブリック・ドメインではなかったため、それを画像化していなかったが、今回は中村地平で(挿絵には「地」のサインがあり、絵の下には底本では『中村地平 畫』とキャプションがあるが、編集権侵害をしないように除去した)。彼は著作権満了であるので(以下の没年参照)、今回は添えた。

 中村地平(ちへい 明治四一(一九〇八)年~昭和三八(一九六三)年)は宮崎県出身の小説家で銀行家(宮崎相互銀行(現在の宮崎太陽銀行)社長)。本名、中村治兵衛。台湾総督府立台北高等学校卒業後、東京帝国大学文学部美術史科に入学、入学試験の会場で太宰治と知り合った。学生時代の昭和七(一九三二)年に「熱帯柳の種子」を発表、やがて井伏鱒二に師事して太宰治・小山祐士とともに井伏門下の三羽烏と称せられたが、後に『日本浪曼派』運営の齟齬その他で太宰とは絶交した。大学卒業後は『都新聞』(現在の東京新聞)に入社、昭和一二(一九三七)年に発表した「土竜どんもぽっくり」は芥川賞候補にノミネートされ、翌年にも「南方郵信」で芥川賞候補となり、所謂、南方文学の旗手として注目された。戦後は『日向日日新聞』(現在の宮崎日日新聞社)編集総務や西部図書株式会社の設立に関わり、宮崎県立図書館長を勤めたりもしたが、晩年は父の跡を継いで、宮崎相互銀行社長に就任した。彼には民話集「河童の遠征」(昭和一九(一九四四)年翼賛出版協會「新民話叢書」刊)がある(以上はウィキの「中村地平に拠った)。

 本小説の発表は冒頭のメチル云々から見ても、戦後の作であり、ネット上の書誌データを見る限りでは昭和二一(一九四九)年四月以前の作である。

 本電子化は私のブログ「鬼火~日々の迷走」の開設十二周年記念及び2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログがブログ970000アクセス突破記念(気が付いたら、昨日、一日で5000越えのアクセスをされていた)として公開した。【2017年7月6日 藪野直史】]

 

 酒の害について

 

 かすかな風が芒(すすき)の穗を光らせる。沼からつづいてゐる窪地は土堤(どて)のかげになつてゐて、道路からは見えない。そこで五匹の河童が酒宴をひらいてゐた。もうだいぶん早くからはじめてゐるらしく、酒量によつて差はあるが、ほろ醉ひ、なま醉ひ、微醺(びくん)、べろべろ、くにやくにやとその形がみだれてゐた。このごろの人間世界の酒はうすくなつたり、ひどいのになるとメチルがあつて死におとし入れたりするといふことで、人間の墮落がそんな面にもよくあらはれてゐたが、河童の世界ではそんな心配はなかつた。長年月の醱酵(はつこう)を必要とする猿酒はさうたやすく手に入らぬが、茄子と胡瓜とを原料にし、これに尻子玉(しりこだま)の精分をそそぎこむ草酒は時折は口にすることができるので、河童たちは交歡にこと缺くことはなかつた。尤もいつでも誰でも入手できるといふのではない。やはりその製造の祕訣を知つてゐる者があつて、口傳と手練でこれを傳へてゐるのだから、その專門家のところへは多量の交換物資、主として川魚を必要とした。だから川魚の捕獲の下手な者、不精な者は草酒にありつけない。だから河童たちがのべつに宴會をしてゐるといふわけのものでもなかつた。

 さて、ここにゐる五匹の河童はその飮みぶりといひ、現さといか、仲間でも名だたるもののやうに思はれた。くにやくにやは額に傷をしてゐる大河童、べろべろは大あぐらをかいた肥大(ひだい)河童、後席はひよろ高い瘦せ河童、なま醉ひはちんちくりんの小河童、ほろ醉ひは眼のほそい鼻孔の大きな老河童、それだけ聲色もちがひ、身ぶり手まねには癖があり、どうやらひとかどの者たちのごとく見うけられる。

 秋の陽ざしはやはらかくこのたのしげな酒宴のうへにそそぎ、蜻蛉(とんぼ)がときどき芒の穗にとまる以外に、この場をみだすものもない。しかしながらこの酒宴の一見たのしげな外見のなかに、どこかただならぬ空氣、なにやらただよふ殺氣、陰險さ、警戒心、さういふものが感じられて、飛んで來る蜻蛉はあわてて逃げてゆく模樣だつた。何故なら河童の喧嘩の飛ばちりを食つて非業の最後をとげた者が少くないからである。半分にわられた瓢の盃がぐるぐるまはる。かたはらのまんまんと幾つかの石桶のなかにたたへられてゐる綠色の酒は時間とともに減つてゆく。山盛りにされた魚がかたはしから骨になる。

「なんとも大した御馳走で恐縮です」

 ちんちくりんの小河童が舌鼓をうちながら、石の上へ腰をおろしてゐる老河童に聲をかける。

「いやこんなに存分にいだいたことは初めてです。盆と正月とが一緒に來たやうです」

 瘦せ河童がさういへば、

「わたしはとんと川魚取りが下手で、このところ好きな草酒にも緣が切れてゐたのに、こんな大盤ふるまひにあづかるとは、これで百年も長生きした氣がします」

「人間のやうに惡辣な奴は河童には居らんから、いくら飮んでも命に別條はない。ああ、ええ氣持ぢや。河童音頭でも歌はうかい」

「いや、そんなに皆さんがよろこんでくれれば、わたしもおよびした甲斐がある。さあさあ、今日はとことんまでやつて下さい。まだまだこれくらゐのことでは飮んだうちには入らない。……さあ、注がう」

 どうやら今日の宴會は鼻孔の大きな老河童の招待のやうだつた。老河童はしきりにもてなしながら、ときどきぢろりと四匹の河童たらの顏色をうかがび、なにやら陰險な目つきで妙なうなづきかたをしてゐた。

 河童たちはぐにやぐにやしたり、ゆらゆらしたりするが、頭だけはいつもまつすぐにしてゐた。頭を斜にして皿をかたむけては大切な水が流れ出る。皿の水は河童の生命であるから、うつかり流すことはできない。ちやうど首だけが垂直に天からつりさげられてゐるやうに、身輕がどんなにくづれみだれても、傾斜しないのである。

 老河童はすこしあせつて來た。

「さあ、どんどんおあがり」

 立ちあがつて、酒をついでまはる。

「遠慮なしにいただきます」

「あなたもどうぞ」

「やい、盛りが惡いぞ」

「もつたいない。こぼすな」

 それぞれに醉態がはげしくなり、言葉づかひも亂暴になつて來た。

 老河童はもつともちんちくりんの小河童に注目してゐた。身體は小さいが、この小河童が仲間のあひだで尊敬され、この小河童のいふことなら、厄介なつむじ曲りである他の三匹もきくことを知つてゐるからである。小河童の醉ひかげんをはかることが老河童の目的で、つねに小河童への注意をおこたらなかつた。

 陽ざしが芒の影をすこしづつ西から東へ移動させる。頃あひよしと觀察した。

 老河童は石のうへに立つと、

「さて皆さん」とあらたまつた聲をかけた。

 八つの醉眼が彼の方にむけられた。

「ところで、酒の味はいかがですか」

「たいへん結構」

「世界一です」

「いまごろなにいふか。わかりきつたこといふな」

「話はやめて歌へ」

「皆さんがさういつて下さるので、わたしも安堵しました。實はこれだけの酒をあつめるのは容易なことではなかつた。部下の者を總動員して川魚狩りをし、沼の酒屋には大車輪で製造をさせた。胡瓜や茄子はいくらでも手にはいるが、當節尻子玉の精分はなかなか拂底して居る。これも金に糸目をつけず取りよせさせた。幸ひ大洪水で土左衞門が大量にできた。天われに惠みをたれ給うたのです。他の證文はみんなことわつて、本日の宴會のための草酒をこしらへたのですよ。どうです、すばらしいでせう」

「すばらしいことです」

「そんなにまでとは思ひませんでした」

「恩に着せるな」

「講釋はやめとけ」

「恩に着せるといふわけでもないのぢやが、まづ大體わたしの苦心も買つてはもらひたいですな。これだけわたしが熱意を傾けて、皆さんに奉仕した氣持を知つてもらへればいいのです」

「わかりました」

「御厚意は忘れませんよ」

「てへ、苦心がきいてあきれら」

「それでどうぢやちゆうのか」

「日ごろ皆さんがそれぞれ立派な意見を持つて居ること、力を持つて居ること、仕事のできること、大いに尊敬してゐます。皆さんはこの口無沼(くちなしぬま)の誇りといつてもいいくらゐです」

「そんなことはありませんよ」

「それは買ひかぶりです」

「おだてるねえ」

「皮肉をぬかしやがる」

「けつしておだてでも皮肉でもない。わたしは事實を申すだけです。皆さんが立派であるやうに、この沼全體が立派であるとうれしいのぢやが、さうでないのがいきさか殘念です。長老として非才のわたしを、皆さんが立てて下さることが、わたしは心苦しいくらゐです。それはいくらか皆さんと意見の相違もあり、そのことを心外にも存じて居りましたが、かうして打ちとけて酒をくみかはす日の來ましたことを、なによりうれしく存じて居る。前に何度もおまねきしたのに來てくれなかつたので、わたしもいささか氣に入らなかつたが、いや昔のことはもうどうでもよい。今日こんなにして來て下さつたのだから、もう皆さんはわたしの友達です。すつかり十年の知己(ちき)になりました。かうしてわたしの獻立(こんだて)に皆さんが滿足して下さつた以上は、わたしと深いつながりができました。そして皆さんがわたしの招待に感謝してくれる氣持がよくわかりました。つまり皆さんがわたしのいふことをきいて下さることがわかつたのです」

「どういふことですか」

「いふことをきく? 例のことですか」

「變てこなこといふな」

「なんでもいつてみやがれ」

「わたしはこの口無沼の發展のために、皆さんがわたしの意見に賛成して下さることを望むのです。われわれの故郷である口無沼の發展を、皆さんが反對だと思ひません。否、人いちばいこの沼の發展を望んでゐるにちがひないと思つてゐます」

「それは望んでゐます」

「わかりきつたことですよ」

「へん、また初めやがつたな」

「陰謀屋」

                                                   

「陰謀とは心外です。この口無沼の發展のために、橫暴、傲慢、惡逆、出たらめ、けちんぼ、鼻無沼の奴原(やつばら)を征伐することが絶對に必要です。でなかつたら、あべこべに鼻無沼の方からやられる。奴等は虎視耽々(こしたんたん)として、われわれの沼を狙つて居る。わたしは常にこのことを主張し、未然にこれを防ぎたいと皆さんにはかるが、皆さんは賛成されない。他の連中はいつでもわたしの號令ひとつで動くといふのに、皆さんだけが反對された。わたしには皆さんの考へがわからない。皆さんには愛沼心がない。なるほど、皆さんのいふやうに爭ひを強ひておこすことはまちがひです。しかし默つて居れば相手からやられるとわかつてゐるのに、沈默してゐるのに、それは思慮といふものではない。怯儒(けふだ)、卑怯、腰拔け、さうではありませんか」

「すこし意見がちがひます」

「もうあなたの持論はききあきました」

「なに、腰拔け? もう一ぺんいつてみろ」

「ぬかしやがつたな。たたき殺すぞ」

「今日はわたしの苦心の御馳走で、皆さんは大いに滿腹された。わたしの饗應は氣まぐれではない。皆さんと胸襟をひらき、友だちとなり、共同の目的のために共同の行動をやりたいと思つたのです。まだ飮み足りないのですか。さあ、どんどん飮んで下さい。皆さんの酒豪はわかつてゐますから、そのつもりで用意してあります。大いに飮み、胸襟をひらいて下さい。きつとわたしの意見の正しさがわかり、賛成するやうになりませう。……さ、どんどんあけなさつて……」

「酒は頂戴します。しかし意見に賛成はいたしません。何度おつしやつても同じです。あなたのいふことは表面はたいへん立派です。しかしあなたの本心がどこにあるかは、つとにわれわれの看破するところです。あなたはこの沼の幸福と發展などにはなにも興味はないのです。仲間のことなどなにも考へてゐない。自分一個の利慾、エゴイズム、陰謀です。あなたが自分の商賣のことで、鼻無沼といきさつのできてゐること、そんなことはわたしたちはすべて存じてゐるのです。あなたは自分一個の利益のために、沼全體の仲間を不幸におとし入れようとたくらんでゐるのです。あなたのその惡心をわれわれが知つてゐるので、あなたはわたしたちが煙たくてならなかつた。わたしたちが反對したら、仲間もあなたのいふことをきかない。そこであなたはわたしたちを籠絡(ろうらく)しようと考へた。酒好きのわたしたちに鱈腹酒をのませて、それを恩に着せてわたしたらを説伏しようとなさつた。わたしたちはよばれたときから、あなたの下心を知つてゐました。いくら酒をのましても、わたしたちの意見はらつとも變りません。饗應で手なづけようとしても駄目です」

 老河童は眼をほそめ、不機嫌さうに大きな鼻孔を鳴らした。相當に醉つてゐる癖に、はつきりと自分の意見をいふ小河童をいまいましげに見た。が俄に相好をくづし、わざとらしい作り笑かをたたへて、瓢の盃をとりあげた。

「いや、むつかしい話はやめにしませう。酒の席に鹿爪らしい強談義はふさはしくない。さあ、どんどん飮みませう。わたしとしたことが座興をこはしてしまつて。……わたしも酩酊(めいてい)したとみえますな。どうも酒といふ奴はものごとを狂はせます。さ、注ぎませう。やつぱり噂にきいた飮み手ばかり、いやはや見事なものですな」

「頂戴いたします」

「徹底するまでやります」

「ふん、ざま見やがれ」

「なんぼでも持つて來い」

 失敗した老河童の心に新な惡心がわいた。憎惡に燃えた老河童はこの四匹の河童たちの命を奪はうと決心した。もう仲間につけようといふ意圖は完全に抛棄(はうき)したのである。命を奪ふといつても直に手を下すのはまづい。またそれは到底できない相談である。そこでどんどん酒をすすめ醉ひつぶさうと考へた。酒をすすめることに疑念の生ずる餘地はない。いかに酒豪とはいへ、體力には限度がある。いつかはつぶれるにちがひない。さすれば自然に身體が橫になり、頭の皿の水が流れ出して、無意識のうちに命を失つてしまふ。それは自業自得で、自分に罪はかぶせられない。こんな巧妙な殺人法はない。にたりとほくそ笑んだ老河童は、まるで口のなかにおしこむやうにして、酒をすすめだした。河童たちは何の警戒心もなくがぶがぶと飮み、ぐにやぐにや、でれでれ、ふらふらと身體を振りはじめた。老河童はぎらりと眼を光らせ、その效果をたしかめるやうに、陰險なまなざしで、不愉快な河童たちの醉態に注目してゐた。

 空にわたる風がたそがれの色をさそひだし、陽(ひ)のかげはしだいに長く土堤のうへにたなびいた。にもかかはらず、河童の饗宴ははてもない。老河童はすこし焦(じ)れて來た。小首をひねつた。こんなことがあるだらうか。期待はまつたくはづれたのである。小河童、大河童、瘦せ河童、肥え河童、醉ひぷりはそれぞれちがひながら、共通してゐることが一つあつた。それはどんなに身體をくづしても、けつして頭の位置を變へないことである。皿の水の流れ出ないやうに頭をまつすぐにしたまま、あたかも中天から首だけを吊り下げてゐるに異らない。酒のために精神を錯亂させようと考へてゐたのに、かへつていよいよその精神はみがかれて、その智慧が河童を支へてゐるもののやうだつた。瘦せ河童が眠りはじめた。しめたと老河童は思はず片唾をのんだ。しかし眠つた河童は木の幹にもたれ、頭の皿はまつすぐだつた。早く醉はせようとつとめた老河童は返酬(へんしう)の酒に、思はず自分も度をすごしてゐた。そして眠氣をもよほし、いつか、窪地に長く橫たはつてゐた。傾いた頭の皿から、水が流れ出た。なほも酒豪河童の饗宴は芒のかげの消えるのも知らずつづけられた。

 

2017/06/17

ブログ960000アクセス突破記念 火野葦平 梅林の宴

 

[やぶちゃん注:これは本来は底本の「皿」の後に入る(意図はなく、ただ単にうっかり電子化を落してしまっただけである)。

 ネタバレを避けるために、注は本文の当該段落の後に附した。

 本電子化は、昨日、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが960000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年6月17日 藪野直史】]

 

 梅林の宴

 

 野から、村から、山から、そのどよめきはおこつた。そして、とめどがなく、あまりにもけたたましすぎて、はじめはなんのことやらまつたく意味がわからなかつたほどである。革命がおこつたのかと考へた者もあつた。或ひは女のための出入りかと思つた者もある。一人の美しい女のために國が傾いたり、國と國とが戰爭したりする例はこれまでたくさんあつたし、その騷擾(さうぜう)のなかからはしばしば女の金切聲がきこえて來たからである。さうでないとわかると、ヤクザどもの出入りかと想像された。無知な博徒たちが繩張といふ勝手な勢力圈をこしらへて、一宿一飯の奇妙な仁義(じんぎ)をふりまはし、無意味に命のやりとりをする事件も、これまでうんざりするほどくりかへされたからであつた。しかし、そのどよめきは以上のどれでもなかつた。以上の三つのどれとも異つた悲壯で悽慘な趣を呈してゐた。

 ときに春がおとづれる季節であつたため、すでに雪のとけた大地からはきまざまの花が咲きいで、雲にも、村にも、山にも、鳥は樂しげにさへづつてゐた。まだ櫻は咲かなかつたが、梅はいたるところに紅く白くその高雅な花をひらき、馥郁(ふくいく)とした香をはるか遠くにまで放つて、これまで寒さにふるへてゐた人里に陶然(たうぜん)の風を吹き入れはじめたころなのである。每年の例からすれば、貧しい農家からもゆつたりとした歌聲がきこえ、梅林(ばいりん)に集まつた人間たちが一升德利から酒くみかはして、おどけた踊りで日の暮れるのを忘れるときなのである。ところが、今年は樣相が一變してゐた。筑豐(ちくほう)の野におとづれた春の姿は毎年と少しも變らなかつたのに、これを迎へる人間たちの方がまつたく變つてゐたのである。

 香春岳(かはらだけ)のふもとにある梅林に、紅白の花は撩亂(れうらん)と咲きいでても誰一人おとづれる者はなく、まして酒盛りなどの氣配もなかつた。このため河童たちが梅林で宴をひらく宿望を達することができたのである。先祖代々、蓮根畑といつた方がよい泥水の宮下池に棲みなれてゐた河童たちは、いつか一度は香春(かはら)の梅林で一杯やりたいと念願してゐた。しかし、毎年蕾(つぼみ)が咲きはじめてから散つてしまふまで、人間たらに占領されづくめで、その希望がはたされたことがなかつた。今年は大いばりでそれができた。蕾のときは無論のこと、どんなに紅白の花が咲きみだれても人間どもの姿はまつたくあらはれず、まるでこの美しい梅林を突然忘れ去つてしまつたやうな觀さへあつた。

[やぶちゃん注:「香春岳」(現代仮名遣では「かわらだけ」)は現在の福岡県田川郡香春町にある三連山で構成された山塊を指す。ウィキの「香春岳」によれば、地元では「香春岳」とは呼ばず、「一ノ岳」・「二ノ岳」・「三ノ岳」それぞれを分けて呼ぶことが多いという。最高峰は三ノ岳で標高五〇八・七メートルである。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

「どうも變てこだね」

 と、一匹の河童がおいしさうに、蓮根酒の盃をかたむけながら、小首をひねつた。

「たしかに變てこだ」と他の一匹が答へた。

「人間どもの考へてゐることはさつばりわからん。しかし、おかげでおれたちは幸(しあは)せした」

「さうだ。いつかはこんな日を迎へたいと、寢言にまで話してゐたからな」

「命がのぴるよ」

「うん、來年もこんな風だとええな」

「だけど、どうして今年は人間どもが梅の花なんか見向きもせんのぢやらうか」

「そんなこた、どうでもええぢやないか。どうせ人間世界なんて、おれたちと無關係なのだ。無關係なことに神經を使ふのは馬鹿げとる。おれたちは河童世界のことだけを考へとればええんぢや」

「わかつた。わかつた。人間のことなんか相手にせずに、大いにやらう」

 河童たちの梅林の饗宴はいつ果てるとも知れなかつた。連日これをつづけても人間からさまたげられることがなかつた。

 ところが、事態は急變した。人間どもと無關係だと超然としてゐたのに、はからずも河童たちはその人間の騷擾のなかに卷きこまれ、傳説の掟を破つて、人間とたたかはねばならぬ羽目におちいつたのである。

 

          二

 

 河童たちをおどろかせたけたたましいどよめきは農民と武士とのたたかひなのであつた。蓆旗(むしろばた)をおしたて、槍、鍬(くは)、竹槍などを持つた農民たちの一隊が、代官所を襲つて非道の代官をやつつけたところまでは景氣がよかつたのだが、城主のゐる町から討伐隊がかけつけて來ると、百姓たちは總くづれになつた。武士たちは刀劍をふりまはし、槍をしごき、鐡砲まで射ちかけたので、武藝の心得のない百姓たちはひとたまりもない。それでも必死になつて抵抗した。

 今年は梅林に人間があらはれなかつた理由を、河童たちもすこしづつ理解するやうになつた。それはすでに長い間、香春岳のふもとに棲んで、すこしは人間世界の事情を知つてゐたからである。騷擾が野にも村にも山にもひろがると、河童たちも梅林へなど行けなくなつた。しきりに流彈が梅林にまで飛んで來て、幹につきささり、花を散らしてゐた。のみならず、梅林が戰場になつて、はげしい戰鬪の後、南軍が去つた後には、農民たちの屍骸が散りしいた梅の花のなかにころがつてゐたこともある。

 蓮根池のなかで首だけ出して、河童たらはこの騷ぎをあきれた顏でながめてゐた。ときどき、ヒユーンと蜂のつぶやきのやうな音を立てて彈丸が頭上をすぎた。びつくりして水にもぐつた。しかし好奇心はおさへられず、またそつと頭を出す。ときどき、兩軍が池のほとりの道をあわただしげに走りすぎることもあつた。

「これは百姓一揆(き)といふもんぢやよ」

 と一匹の河童がいつた。

「おれもさう考へる」と、他の一匹が答へた。「百姓たらは去年の暮ごろから蹶起(けつき)する下心ぢやつたらしいぞ。いま思ひ當る節がある。それで春になつて梅が咲いても、酒盛りどころぢやなかつたんぢやよ」

「代官所でもうすうすそのことを氣づいとつたにちがはん。さうでなかつたら、梅林から百姓を追つぱらつて、武士たちが遊び步くはずだ。今年は武士も梅林にあらはれなかつたのは、酒盛りの途中、女とたはむれるところを百姓に襲はれることを恐れてゐたのだとおれは思ふ」

「だが、百姓も一揆をおこすまでにはずゐぶん我慢をしたものよ。あんなに武士からいぢめられ、重い税金をとりたてられ、米をつくる百姓のくせに米は食へず、粟(あわ)、稗(ひえ)、豆、それに水を飮むやうな暮しだつたからな。梅林の酒盛りだつて、ヤケ酒みたいなところがあつたからな」

「さうとも、きうとも。どうせ武藝のたしなみのない百姓がどんなに武士に刀向かつたつて勝ち目はない。なんぼ徒黨を組んだところでタカが知れとる。それがわかつてゐながら立ちあがらずに居られなんだところが可哀さうだよ」

「見ろ。あんなに、武士からひどい目に合はされとる」

 河童たちはおほむね農民へ同情的であつた。無論、河童たちに人間世界のからくりはわかるはずもなく、なぜ汗水たらして働く農民が一番みじめであるかといふ理由がさつぱりのみこめなかつた。城主の權力が絶對であつて、支配者が思ふままに農民を搾取(さくしゆ)できること、それに抵抗すれば重い罪になるといふことも容易に理解できなかつた。また、一揆を鎭壓に來た武士たちが同じ人間であるのに、まるで蟲けらでもひねりつぶすやうに、無造作に農民たちを殺し、多く殺すほど手柄になるといふことも不可解至極に思はれた。けれども、河童たちは農民の應援にまで出て行く氣はない。義憤は感じても、人間世界にかかはりを持たぬことが傳説の掟であつたし、好んで傷を求める愚もしたくなかつたのである。これまで人間と關係を生じて得になつたためしがなかつた。ヒユーマニズムは爆發させずに垣のこちら側においておく方が無難であると同時に、こころよい自己陶醉も感じる。蓮根池のなかで河童たちは橫暴な支配者へ怒りを燃やしながらも、池から出て行かうとはしなかつた。そして、やはり梅の散らぬ前に騷亂が終結することが河童たらのなによりの望みであつた。

 

          三

 

「一揆ヲ退治スル功名」を武士たちは誰も狙(ねら)つてゐた。鎭定後の恩賞にあづかれば昇進の道もひらける。そこでできるだけ多く百姓どもを殺さうとし、その首領を捕へようとした。けれども文字どほり必死の農民たらは、正常な武藝は知らないが、命がけの奮鬪をして、あべこべに武士をたふすことが多かつた。武士のなかにも腰拔けはゐて、百姓の竹槍に芋刺しにされた。

 討伐隊のなかに河童たちを瞠目(だうもく)させた一人の武士があつた。有馬藩中でも劍豪として知られた戸塚八左衞門である。そんなに身體は大きくなく、むしろ小柄といへるほどだが、その動作の敏捷で、太刀のひらめきの鋭さはおどろくばかりだつた。八左衞門が動きまはると、一揆はまるで大根か胡瓜のやうになで斬りにきれ、彼の周圍にはたちまち百姓たらの屍骸が山と積まれた。河童たちは百姓たらを哀れみ、百姓たちの勝利を祈つてゐたが、一週間ほどの後、一揆は鎭壓された。靜かになつた村の廣場で、一揆の首謀者十數人が磔(はりつけ)の刑に處せられた。その指揮をしてゐたのも戸塚八左衞門である。

[やぶちゃん注:「有馬藩」久留米藩は元和六(一六二〇)年から幕末まで摂津有馬氏が藩主を務めていたから、それを指しているとしか読めないが、香春は久留米からはあまりに距離があり、実際、同所は小倉藩の藩領であったと思われるので不審である。もし、私の理解(不審)に誤りがある場合は御教授戴けると嬉しい。

「戸塚八左衞門」不詳。彼が実在すれば、前の記載の不審も明らかとあるのだが。]

 十數本の十字架が立てられ、百姓たちはそれにしばりつけられた。

「お上に刃向かふ不屆者ども、以後の見せしめに命の根をとめてくれる。誰でも彼でも政府の方針にしたがはぬ奴はこのとほりだぞ」

 八左衞門はさういつて、十字架上の百姓から、竹矢來の外に押しよせて、歎きかなしんでゐる百姓の家族たちに視線をうつした。彼は城主への忠誠の念にあふれ、任務達成の快感にひたつてゐた。今回の一揆鎭壓における戸塚八左衞門の勳功は拔群である。彼は得意の絶頂にあつた。

 八左衞門のするどい三角眼がぐるッと一巡して、その視線が蓮根池に向いたとき、河童たちはびつくりして、水中に沈んだ。自分たちを睨んだやうな氣がしたのである。

[やぶちゃん注:「三角眼」「さんかくめ」と読んでおく。

 

まぶたの外側がつり上がり、三角形の形になっている目¥のこと。]

「なにがなんでも、恐しい人間どもとは關係を結ばない方が得策だ」

 誰もがさう思つてゐた。

 それから數日後、大勢の人夫たちがどこからか莫大な土砂を運んで、宮下池のほとりにやつて來た。赤や黒の土を積みあげた車力や馬車が陸續としてつづいた。

「いつたい、なにことがはじまるのだらう」

「人間どものすることはわからない」

「なにをしても相手になるな」

 河童たちは不安の面持でさきやきかはした。

 土砂運搬隊を指揮してゐるのも戸塚八左衞門だつた。彼は藩主からその手腕を買はれ、新しい任務をさづけられたのである。

「ようし、早く池を埋めろ」

 と、八左衞門は號令をくだした。

 人夫たちはいつせいに運んで來た土砂を蓮根池に投げこみはじめた。土と人數とが多いので、あまりひろくもない池は見る見るうちに埋めたてられて行つた。

 河童たちは仰天した。先祖代々からの棲家がうしなはれようとしてゐる。だんだん狹められて行く池の水の殘りの部分へ、右往左往して逃げて行きながら、河童たちはあまりのことに淚も出なかつた。まつたく人間どもの心はわからない。人夫となつて働いてゐるのはみんなこの村の百姓たちだ。ついこの間まで蓆旗を立て、鎌、鍬、竹槍をふるつて武士に反抗した百姓たちが、その敵の武士の手先になつて、唯々諾々(ゐゐだくだく)と命令にしたがつてゐる。河童たちは一揆の間、終始百姓たちに同情し、實際上の鷹援はしなかつたとしても、百姓たちの味方のつもりでゐた。それなのに、その百姓たちは河童のもつとも大切な住居を埋めたてて、追放しようとしてゐるのだ。

「こんな馬鹿なことがあるか」

 河童たちはあきれ顏でブツブツと呟(つぶや)きあつたが、そんな河童の思惑などどこ吹く風かと、池は急速に野と化して行つた。

「よし、おれが交渉して來る」

 つひに我慢しきれなくなつて、一郎坊が眉をあげた。

「賴む」

 と、他の河童たちも異口同音にいつた。

 人間どもの理不盡に對して、河童たちは團結してたたかふ勇氣はなかつた。梅林で酒盛りするときにはすぐ團結するが、人間とたたかふことは生命にかかはるので、おいそれと團結ができなかつたのである。それに、百姓一揆鎭壓における武士どものすさまじい暴力、刀、槍、鐡砲などの武器の恐しさを見たばかりだつたので、河童たちも躊躇せずには居られなかつたのであつた。誰も好んで危險に近よりたくはない。それで、一郎坊が交渉方を買つて出ると、ほつとした面持で、これに望みを托した。

 一郎坊は思慮と勇氣に富む若者であつた。宮下池には大頭目は居らず、もと筑後川九千坊の二十七騎の一人であつた三百坊が、その昔の閲歷(えつれき)によつて、名目上の頭領となつてゐたが、元來が愚圖で、お人よしなので、統率力などはない。九千坊から破門同樣になつて、たわいもない蓮根池に左遷されるくらゐだから、その器(うつは)も知れてゐる。そこで、仲間うちには三百坊をしりぞけて、一郎坊を首領にいただかうと考へてゐる者もあつたほどである。その一郎坊なので、河童たちも大いに期待をかけた。

 大きな石に腰をかけ、銀煙管でスパスパ煙草をくゆらしながら、人夫たちを監督してゐる戸塚八左衞門の前に、一郎坊は姿をあらはした。うやうやしく膝をつき、頭の皿の水がこぼれないやうに用心しながら、頭を下げた。

 八左衞門は、突然、奇妙な動物が眼前に出現したので、三角眼をパチクリさせ、

「その方は何者だ?」

「河童でございます」

「なに、河童?」

「わたくしどもは、いま、埋めたてられて居ります宮下池に、先祖代々棲みなれて居ります河童です。お役人樣、お願ひでございます。わたくしどもの命から二番目の家をとりあげないで下さい。この池を埋めたてることを思ひとどまつて下さい」

「馬鹿なことを申すな。われわれにはこの土地が必要なのだ。殿の命(めい)によつてここに大馬場(だいばば)を作ることになつたのだが、この池が邪魔になる。よつて埋めたてるのになんの異存があるか」

「異存がございます。この池がなくなればわたくしどもは放浪しなくてはなりません。われわれ河童にとりましては一大事でござ小ます」

「ワッハッハッハッ、河童なんどのために、國家が決定した工事の中止ができるものか。いくらいつても駄目だ。歸れ、歸れ」

「歸りません。埋めたてを中止していただくまでは、ここを動きません。なにとぞ、お情を持ちまして、わたくしどもの大切な池を……」

「うるさい奴だなあ。政府の方針に楯(たて)をつくと容赦はせぬぞ」

「戸塚八左衞門樣、このとほり、頭を地につけまして、一同のため御歎願申しあげます」

「くどい」

 その言葉と同時に、河童はあふむけにひつくりかへつた。背の甲羅にはげしい痛みをおぼえ、頭の皿から水が流れ出て氣が遠くなつた。さらに足や肩に火でも投げつけられたやうな疼(うづ)きをおぼえたが、そのあとは意識が朦朧となつた。

 太い木劍をにぎつて立ちあがつた八左衞門は、

「馬鹿なやつ奴」

 といつて、高らかに哄笑した。

 人夫たらは八左衞門の不思議な擧動を、眼を皿にして凝視した。袖をひきあつてささやきあつた。突然、氣がちがつたのではないかと思ふ者もあつた。なぜなら、彼等の眼には河童の姿は見えなかつたからである。

 

          四

 

 二年ほどが經つた。

 或る夜、月下の梅林で、河童の宴がひらかれてゐた。

 香春岳(かはらだけ)はくつきりと夜空に浮きあがり、空には滿月とともにきらめく星の數も多かつた。梅林には相かはらず春にさきがけて梅の花が吹きみだれたが、晝間は武士か百姓かに占領されてゐるので、河童たちは深夜をえらばねば仕方がなかつた。今年は天地開闢(かいびやく)以來の大豐作とかで百姓はホクホクだつた。しかし、苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)は一層はげしくなつてゐて、いくら豐作であつてもその大部分は藩主からとりあげられる。しかし、その搾取のはげしさに對しても、二年前の失敗にこりた百姓たちは泣き寢入りをしてゐた。ただ、ものが豐富にあるといふことはなんといつても氣持のゆとりを作るので、百姓たちの鼻息も荒く、梅林での宴會も度かさなるといふわけだつた。

[やぶちゃん注:「度かさなる」「たびかさなる」。]

 月は夜ふけとともにすこしづつ西にかたむいて、地上にうつる梅の木の影もしだいに東へ向かつて長くなつて行つた。宮下池を埋めたてられたため、その狹かつた蓮根池よりもつと狹くて水のきたない、泥沼といつた方が早い夜宮池(よみやいけ)に引つこさざるを得なくなつた河童たちは、やはり環境の影響で氣力も減退してゐた。ひとり元氣溌刺として、この二年間變らなかつたのは一郎妨だけである。

「きつと、思ひをとげて見せる」

 その願望のはげしさによつて、彼はつねに内部を充足させ、この二年間で仲間を瞠目させる生長を遂げた。頭目三百坊がノイローゼでいよいよ器量を下げたので、一郎坊は仲間のホープとなつたのである。しかし、彼にはたかが夜宮池の小頭領になつていばらうといふやうなケチな考へはなかつた。彼の唯一の宿念は人間に打ち克つことである。全精神はそのことで燃え、この二年間、孜々(しし)として鍛錬に倦むところがなかつた。

[やぶちゃん注:「孜孜として」熱心に努め励むさま。]

 戸塚八左衞門から太い木劍で打擲(ちやうちやく)された傷は、一カ月ほどで癒へた。それから一郎坊は猛然として、武藝修業をはじめた。彦山川(ひこさんがは)にゐる阿修羅坊(あしゆらばう)は性格が粗暴のため、武藝の點では河童界にならぶ者がなかつたのに、つねに孤立してゐた。人德がないので、子分が寄りつかないのである。劍豪だといつておだてておいて敬遠してゐた。その阿修羅坊を師と仰いで、一郎坊は苦しい二年間の精進をした。戸塚八左衞門の腕前のほどは自分の眼でたしかめてゐるので、彼をたふすためには彼以上の力を必要とする道理である。

[やぶちゃん注:「彦山川」現在の福岡県田川郡添田町の英彦山(ひこさん)を源流とする全長約三十六キロメートルの川。同県の直方(のうがた)市で遠賀川に合流する。]

「一郎坊、みごとな上達ぢや。それならもう八左衞門に負ける心配はない」

 二年の後、師の阿修羅坊は滿足げにいつた。

「ありがたう存じます。これまでの御指導によつて彦山流奧義をきはめることができました以上は、ただちに大月に參上し、憎みてもあまりまる戸塚八左衞門を打ち負かして歸ります」

[やぶちゃん注:「大月」不詳。小倉藩にも久留米藩にもこのような地名はない模様で、現在の福岡県内にも現認出来ない。]

「まだ彦山流の免許皆傳といふわけぢやない。祕傳はなほある。ぢやが、今くらゐ上達すれば、戸塚八左衞門を負かすには事缺くまい。行け」

「きつと勝つてみせます」

 かういふ次第で、いよいよ宿望の仇討行を決行することになつた一郎坊のため、今宵は梅林で壯行の宴が張られてゐるのであつた。師の阿修羅坊も特にはるばるやつて來て出席してゐた。性粗暴な者が劍術の師範であることは警戒を要するので、河童たらはビクビクしてゐたが、噂とはちがつて、阿修羅坊は豪快な飮みぶりではあるが、格別、あばれたりからんだりする樣子はなかつた。それどころか、弟子のために、壯行の歌をうたひ、梅の木の枝を折つて手ごろな木劍をこしらへてくれた。

「一郎坊、この木劍を試合に使へ。わしなら枝に花をつけたまま試合をし、どんなにはげしく丁々發止(ちやうちやうはつし)とわたりあつても、花は散らさぬが、お前にはまだそれは無理ぢやらう。この梅の劍で、八左衞門の腦天を割れ」

「なにからなにまで、お薰情かたじけなく存じます」

一郎坊はその梅の木劍をおしいただいた。梅の香がまだ殘つて居り、折られたばかりの枝の切口からは伽羅(きやら)に似た芳香があふれ出てゐた。二三度打ちふつてみると、實に使ひよい恰好の武器で、

(これで勝てる)

 その自信が出來た。

[やぶちゃん注:「伽羅」梵語の音訳「多伽羅」の略で「黒沈香(じんこう)」の意。沈香の最優品を言う。沈香はジンチョウゲ科の常緑高木の幹に自然或いは人為的につけた傷から真菌が侵入、生体防御反応によって分泌された油・樹脂の部分を採取したもので、香木の代表とされる。当該木材の質量が重いために水に沈むところから「沈水香」とも呼ばれる。インド・ベトナム・東南アジア産であるが、その中でも特に優良な製品を伽羅と呼び、香道で珍重される。]

「一郎坊の武道長久を祈つて乾盃しよう」

 三百坊の音頭で、いつせいに盃があげられた。無氣力で無能力な三百坊頭領も乾盃の音頭をとることくらゐは出來た。數十の蕗(ふき)の葉の盃から、蓮根酒がせせらぎのやうに音をたてて飮み干された。

 夜目にも大馬場(だいばば)が望まれた。月光をうけてゐて湖のやうに見える。ここでは馬術のみならず、弓、槍、劍、薙刀(なぎなた)、手裏劍(しゆりけん)、鎖り鎌等、あらゆる武道の鍜錬がなされてゐた。馬場の右には實彈射擊場もつくられ、鐡砲の音もしばしば聞えた。それは武士の示威(じゐ)運動のやうでもあり、來るべき戰爭の備へのやうでもあり、庶民の血税によつて成立した軍事豫算を使ひすてる無意味な行爲であるやうにも見うけられた。人間のすることは河童にはわからないことだらけだが、一つだけ確實にわかつてゐることは、この大馬場の下には嘗てのなつかしい宮下池があるといふことであつた。

[やぶちゃん注:「鍜錬」「たんれん」。鍛錬。「鍜」は「鍛」の異体字。]

(おれが八左衞門の木劍で打らたふされたのは、あの、流鏑馬(やぶさめ)の的のある場所だ。畜生、今に見て居れ)

 復讐の念に燃える一郎坊の若々しい瞳は、妖しくギラギラ光つてゐた。

 

          五

 

 戸塚八左衞門の家は大月町のはづれにあつた。その一帶は中祿者(ちうろくしや)の武家屋敷になつてゐて、練土塀(ねりどべい)に冠木門(かぶきもん)のついてゐる家がならび、方々に海鼠壁(なまこかべ)があつて、火の見櫓が立つてゐた。周圍は松林である。その裏を尾奴川(をぬがは)が流れ、對岸に霧岳(きりだけ)がそびえてゐる。閑靜で、風光もまづ惡くない。

[やぶちゃん注:「大月町」前に注した通り不詳であるが、以下の「尾奴川(をぬがは)」もその対岸にあるとする「霧岳」も不詳なのは、或いは、この、一見、冒頭、香春の実在ロケーションと匂わせながら、実は存在しない「有馬藩」という仮想藩の、仮想の剣豪「戸塚八左衞門」という作者火野葦平の確信犯の虚構設定なのかも知れぬと思われてきた。

「練土塀」練った泥土と瓦を交互に積み重ねて築き上げたその上に瓦を葺いた塀のこと。

「冠木門」左右の門柱を横木(これを「冠木(かぶき)」と称する)によって構成した門。]

(これで、百姓一揆だの、戰爭だのがなかつたら申し分ないのだが、……)

 八左衞門は築山のある屋敷内の庭を散步しながら、そんなことを考へる。劍豪と稱せられる八左衞門も好んで人と爭ひたくはないし、人を斬りたいこともない。やはり、平和が好きだ。特に最近はさう思ふやうになつた。二年前の一揆鎭定の功を賞(め)でられて、馬𢌞り三百石にとりたてられてから、幸運が追つかけて來るやうに相ついだ。それをいちいち書くことは省くが、ともかく彼は家中の同僚たちから羨望の眼をもつて見られ、事あるごとに「戸塚氏にあやかりたいものでござる」と合言葉にいはれるほどになつてゐた。おまけに、家老の娘を嫁にもらつたばかりだ。このまま波瀾などなく幸福な一生をすごしたいのである。

(しかし、また、百姓一揆がおこるかも知れぬ。どうも最近不穩な動きがほのみえる。腹の立つ百姓ども奴)

 八左衞門はただ騷ぎをおこす百姓の方にばかり憎しみがわいた。なぜ百姓が蹶起せずには居られないのか、その原因の方には頭が向かない。一揆がおこれば八左衞門が討伐隊長に任命されることは既定の事實といつてよかつた。

 領主有馬種次(ありまたねつぐ)は口癖に、

「一揆は八左衞門にまかせておけばよい。八左衞門にかかつたら、どんなたちのわるい一揆でも、鼠か蚤のやうに、ひとたまりもなくひねりつぶされてしまふわ」

 といつてゐるからである。

[やぶちゃん注:太字「たち」は底本では傍点「ヽ」。

「有馬種次」不詳。久留米藩有馬氏の歴代藩主には「種次」なる人物はいない。ますます虚構性が、俄然、増してきた。]

(なんにもおこらんでくれ。このまま、十年でも二十年でも、平穩無事がつづいてくれ)

 八左衞門は必死のやうに、なにかに向かつて心中で祈るのだつた。

 或る夜、もう深更になつてから、八左衞門の寢處の雨戸をかるくたたく者があつた。

「戸塚八左衞門殿、……戸塚殿、……八左衞門殿、……」

 さう呼ぶ聲も聞える。聞きなれぬ聲音なので、八左衞門は小首をひねつた。男のやうでもあり、女のやうでもあり、皿をたたく音か、キツツキが木の幹をつつく音のやうでもあつた。しかし、この聲を八左衞門は聞いてゐるはずなのである。しかし、もはや二年前のことであるし、香春の大馬場埋立工事のとき、文句をいひに來た河童のことなどは、とつくに念頭から去つてゐたので、すぐには憶(おも)ひだせないのであつた。

「あなた、誰でせう?」

 妻の菊乃も眼をさまして、不審の眉をひそめた。

「出てみよう」

 丹前姿のまま、八左衞門は手燭をかざして、廊下に出た。腕におぼえがあるので、何者であつたところで恐れる氣持はなかつた。

「戸塚殿、……八左衞門殿」

 と、なほも呼んでゐる聲の場所に行つて、油斷なく雨戸を一枚めくつた。

 月光がさして晝のやうに明るい庭に、異樣な動物が一匹立つてゐた。ぬれてゐる身體や、頭のてつぺんにある丸い皿がキラキラ月に光つてゐる。それを見た瞬間、

(ああ、あのときの河童の聲だつたのだ)

 と、思ひだした。

 河童は一本の木劍を右手に待つたまま、

「戸塚八左衞門樣、お久しゆうございます」

「うん、久しいなあ」

「わたくしを御記憶ですか」

「よく憶えてゐる。あれから二年になるかなあ。ハッハッハッハッ……」

 八左衞門は當時のことを思ひだすとをかしくてたまらなくなり、笑ひだしてしまつた。

 一郎坊はむつとして、

「それなら、もう、わたくしがここへ參りました理由はおわかりになつたでせう?」

「仕返しに來たのか」

「そのとほりです」

「よし、待て」

 八左衞門も劍の達人であるから、相手の河童が二年前とはすつかりちがつてゐることに、すぐ氣づいた。二年前はだらしがない未熟者であつたのに、いま眼前にゐる河童は全身に堅確の氣が流れ、寸分の隙もない。劍氣に殺氣が重なつて、一種劍妖に似たすさまじさを呈してゐる。

[やぶちゃん注:「堅確」(けんかく)は、しっかりしていて動じないこと。確固。]

(これは油斷がならぬ)

 と警戒心がわいた。

 やがて、數分の後、ひろい庭では、二人の劍客の息づまる試合が展開されてゐた。月が明るいので、進退に不自由はない。どちらも木劍をかまへ、祕術をつくしてわたりあつた。

 

          六

 

 どちらの額にも油汗がふき出て來た。正直いふと、八左衞門は相手を油斷がならぬと警戒はしたものの、どんなに河童が克くてもタカが知れてゐると思つてゐた。それで、立ちあひと同時に打ちこんでしまふつもりでゐたのに、それができなかつた。それどころか、ちよつとでも氣をゆるめると、こちらが打ちこまれさうになる。河童の身體は魚か鳥かのやうに敏捷で、その飛びまはる間からつきだして來る木劍のするどさは、膽を冷やさせるほどだ。もし頭に當れば腦天がわれてしまふし、胴に當れば肋骨が折れてしまふだらう。足や腰に受け損じればみぢんに碎かれるにきまつてゐる。

(あつぱれな達人ぢや)

 河童の分在とあなどつてゐたので、舌を卷いた。しかし、感心してゐてもはじまらぬ。命の瀨戸際になつて來たので、八左衞門も必死だつた。

 河童の方も同樣な昏迷にとらはれてゐた。

(阿修羅坊師匠は、これならもう八左衞門に勝てるといつたのに、……?)

 自信を持つてゐた一郎坊も、相手の強さにたじたじだつた。しかし、これとて、師を恨んでみたところで、眼前の一瞬々々に生死を賭けてゐるので、全力をつくしてたたかふほかはなかつた。どちらもが計算ちがひをしたのである。

 試合は數刻におよんだが、勝敗は決定しなかつた。兩劍客はへとへとになつた。

[やぶちゃん注:「數刻」一刻は一般には現在の三十分相当。「數刻」という以上は最低でも一時間半にも及ぶか。後の野次馬蝟集を考えると、確かに非常に長い間、この決闘は続けられたことが判る。]

 ところが、二人が知らぬ間に、周圍には人だかりがしてゐた。妻菊乃が夫が寢室から出て行く樣子が變なので、後をつけてみると、丹前を着物に着かへた。襷(たすき)をかけて袴の股立(ももだち)をたかくとつた。愛藏の樫の木劍を持つて庭に出た。そして、一人で木劍をふりまはしはじめたのである。

[やぶちゃん注:「股立」袴の左右両脇の開きの縫止めの部分を指す。そこをつまんで腰紐や帯に挟んで袴の裾をたくし上げることを「股立を(高く)とる」と称し、走ったり、試合をする際の敏捷な活動のプレの仕度の一つを指す語となった。]

「一體、どうしたのでせう?」

 老母をおこしたので、女中や仲間(ちうげん)も出て來た。近所にもふれ步いたので、同僚も見物にやつて來た。亂心したのではないかと疑ふ者が多かつたけれども、さうとばかりもいはれない。河童の姿は八左衞門だけにしか見えないので、八左衞門の擧動がすべて氣ちがひじみて見える。しかし態度が眞劍で氣魄に滿らて居り、聲をかけるのを憚らせるなにかがあつた。劍をふるひながら、一人氣合のこもつた掛け聲を發して、月光のなかを跳躍する八左衞門の姿は、劍鬼になつた觀さへ示してゐた。

 長いせりあひの後、一郎坊は木劍を引いた。

「戸塚殿、今夜はこれまでとします」

「逃げるのか」

「とんでもない。あくまであなたとたたかひますよ。しかし、今夜は疲れたし、時刻もううつたので、勝負なしとし、明晩また同じころに參ります」

「よし、待つてゐる」

 實は八左衞門もほつとして、河童の申し出に同意した。

 河童は裏木戸からいづこへともなく立ち去つて行つた。その舌打ちするやうなぬれた足音が、尾奴川のほとりから霧岳の方角へ遠ざかつて行くやうだつた。そのかすかになつた足音が絶えてしまふと、八左衞門はぐつたりとなつてそこへへたばつた。

 片唾(かたづ)をのんで見物してゐた連中がかけよつて來た。口々に、一體どうしたことか、譯を早く聞かせて欲しい、といつた。

 八左衞門は汗でどろどろになつた顏に、につと不氣味な笑みをたたへ、會心の面持で呟いた。

「はじめて、相手にとつて不足のない好敵手を得申したよ」

 糊(のり)のやうに疲れてゐたので、その夜はそのまま寢處にかへり、翌日になつて一部始終を家族の者に話した。二年前、軍事基地を擴張するため、河童のゐる池を埋めて、抗議に來た河童代表をひと打ちにたふした話は、前に何度かしたことがあつたので、聞いた者は河童の執念に身ぶるひする面持になつた。しかし、八左衞門は敵ながらあつぱれといつて河童を褒めた。それは家中の者に對する皮肉にも聞えて、戸塚八左衞門はノイローゼにかかつてゐるのだと蔭口をたたく者もあつた。

[やぶちゃん注:「糊(のり)のやうに疲れてゐた」聴き慣れない直喩であるが、体がぐにゃぐにゃになってべったりと横たわってしまいたくなるほど、といった意味合いとしては、よく判る。]

 この話はたちまち一日のうちに町全體にひろがつた。このため、次の夜は戸塚家には觀衆が押しよせた。八左衞門は閉口したが、好奇心をおさへることのできない野次馬は、まだ日も暮れぬうちからよい座席をとるために亭(ちん)や築山や練塀のうへに頑張る始末だつた。庭の木にのぼつてゐる者も多い。家中の武士のなかには手土産を下げて來て、老母や細君をくどき落して、特等席を豫約する者もあつた。

[やぶちゃん注:「亭(ちん)」屋根だけで壁のない休息所とする四阿(あずまや)のこと。]

「弱つたな」

 へこたれた八左衞門が頭をかくと、老母や妻は、

「いいぢやないの。あなたの腕前を見せるのだから」

 と、かへつて群衆の殺到を歡迎してゐた。

 

          七

 

 約束どほり、河童はやつて來た。そして、前夜のとほり、二人ははげしくたたかつた。今夜も容易に勝敗がきまらなかつた。

 見物はできるだけ姿をあらはさないやうに、片唾をのんでこの試合を見守つた。といつても、八左衞門だけしか見えないので、變てこな具合である。ただ氣合のこもつた八左衞門の進退、木劍のうごき等によつて、河童のゐることを想像するほかはなかつた。木劍のはげしくかちあふ音、八左衞門のではない、陶器を打つやうな奇妙な掛け聲がときどき聞えるので、河童の存在を疑ふことはできなかつた。

「八左衞門殿、しつかりおやり」

 老母も菊乃もゐても立つても居られない氣持で、口からいく度となくその言葉が出かかつた。しかし、聲援や應援は絶對にしてくれるなと、かたく八左衞門から禁じられてゐたので、ただ氣があせるばかりだつた。方々に潛(ひそ)んでゐる觀衆も聲援したい衝動にかられたが、やはり我慢をしてゐたので、數百人の人間がゐるのに、奇妙に邸内はしいんとしてゐた。月光ばかりが明るい。

(人間どもの考へてゐることはわからん)

 試合をつづけながら、一郎坊はあきれてゐた。命をかけた眞劍勝負をしてゐるのに、まるで野球かレスリングを見物するみたいに、人間が集つてゐる。どこにどんなに隱れてゐても河童にはわかつた。しかし、それもいいと思ふ。八左衞門が河童をやつつけるところを大勢の人に見せたいといふのなら、一郎坊の方も八左衞門を降參させるところを見せてやりたい。人間に打ち克つ、人間を嘲笑してやる絶好の機會だ。そして、さらに一郎坊は全力をふるひおこし、八左衞門打倒のために祕術をつくした。時がながれ、月がかたむいた。

「戸塚殿、今夜はこれまでといたしませう」

「よろしい」

 八左衞門が木劍を引くと、河童の足音が裏木戸から、尾奴川べりへ、そして、霧岳の方角に遠ざかつて行つた。

 その翌日はたいへんなことになつた。評判は擴大するばかりで、たうとう領主有馬種次の耳に入つた。八左衞門の妻が家老の娘であるから、自然といへば自然だつた。藩主はすこぶるこのことに興味をおぼえ、三日目は戸塚邸へ出張して見物するといふ達しがあつた。さうなると、簡單ではすまされなくなる。にはかに戸塚家では大掃除が開始され、襖や疊がはりかへられた。植木の手入れもされ、練塀や冠木門のペンペン草も拔きとられた。庭には城主の紋章入りの幔幕が張りめぐらされ、まるで御前試合のやうなものものしさだつた。

「弱つたな」

 八左衞門は恐慌(きようくわう)の態である。しかし、領主の命令は絶對で拒みやうがなかつた。

(今夜はどうしても河童奴を打ち負かさねばならぬ)

 八左衞門は齒を食ひしばつて、覺悟を新にした。神佛に祈願をこめ、水垢離(みづごり)をとつた。老母や女房は領主が自宅にお成りになるといふので、感泣してゐた。

 日が暮れて、月が出た。月がかたむいて深夜になつた。庭にさす月が明るくなつた。

「そろそろ參る時分でございます」

 凛々しい試合支度の八左衞門は、緣側の床几に腰かけてゐる有馬種次に告げた。

「しつかりやれよ」

「はい」

「そちがその劍豪河童を打ち負かしたならば、二百石を加増し、有馬家指南番にとりたてて仕はす」

「かたじけなうござります」

 ところが、深更をすぎても、河童はあらはれる樣子がなかつた。月はぐんぐんと霧岳のいただきに吸ひこまれて行き、どこかで一番鷄が鳴きはじめた。殿樣をはじめ見物は欠伸(あくび)を連發し、居眠りをする者もあつた。東の空が白みはじめた。八左衞門はいらいらして待つたが、呼びに行く術もなく、朝を迎へてしまつた。

 不興の果、激怒した藩主は、

「たはけ者奴が。切腹申しつける」

 はげしい言葉をのこし、寢不足の赤い眼をこすりながら、駕籠(かご)で城へ歸つて行つた。

 

          八

 

 一郎坊は必死の思案をめぐらしたのであつた。二日間たたかつてみて、戸塚八左衞門の強さがわかつた。といふより、まだ自分の腕が未熟なのだと悟つた。現在の實力をもつてしては試合は堂々めぐりをつづけるばかりで、勝敗は決定しさうもない。もうちよつと強ければ勝てるのだ。さう思つたとき、師阿修羅坊の言葉が浮かんだ。

(さうだ。師匠はまだ免許皆傳ではないといつた。もつと祕傳があるといつた。それを教へてもらはう。さうすれば、きつと今度は八左衞門をたふすことが出來るにちがはん)

 そして、一郎坊は三日目の勝負に行くことをやめ、倉皇(さうくわう)として彦山川へかけつけたのであつた。一日目には別れるとき、翌夜はかならず行くと約束したが、二日目には別に三日目の試合を約束はしなかつたので、不信の行爲をしたとは思はなかつた。阿修薙坊から極意(ごくい)をさづかれば、早速また試合に出なほすつもりだつた。

[やぶちゃん注:「倉皇」「蒼惶」とも書き、慌てふためくさま・慌ただしいさまを指す。]

(出なほしだ。この木劍はもう要(い)らぬ)

 いくらたたかつても勝つことのできなかつた緣起のわるい木劍だと思ひ、尾奴川の岸に立つたとき、これを粉みぢんにへし折つて、そこへ打ちすてた。そして、一散に大月町を後(あと)にしたのであつた。

 彦山川のほとりで、阿修羅坊は首をひねつた。苦笑しながら、

「ふうん、戸塚八左衞門らゆうのがそんなに豪傑か。ちと勘定ちがひをしたかな。よしよし、お前もそこまで考へつめとるなら、あくまで目的を達成せねば氣がすむまい。とつておきの祕傳ぢやが、特別にさづけて仕はさう。よく覺えて行け」

 それから數日、血の出るやうな稽古がつづいた。一郎坊は眞劍だから、むづかしい祕傳を短時日によく會得した。これでよからうと免許皆傳を許した師匠は、また新しい木劍を今度は桑の木で作つてくれた。勇み立つた一郎坊は宙をとぶやうにして大月町にかけつけた。

(いつたいこれはどうしたことだ?)

 尾奴川をわたり、戸塚八左衞門邸の前に立つて、一郎坊は茫然となつた。もはやそこにはまつたく見知らぬ他人が住んでゐて、八左衞門の姿はなかつた。不思議なことに思ひ、人間に化けて町のうどん屋で、それとなく事情を聞いてみた。戸塚八左衞門と河童との試合は小さな城下町では有名な大事件になつてゐたので、うどん屋の女將は詳しい事情を知つてゐた。それによると、八左衞門は殿樣の逆麟(げきりん)にふれ、切腹して死んだといふのであつた。

 一郎坊は仰天した。昏迷した。

(おれがあれだけ武術の極意をつくしても、たふすことのできなかつた劍豪を、藩主は手をくださずして、たつた一言の言葉で殺してしまつたといふが、これはなんの極意だらう。恐しく強い人間もあつたものだ。どうしてそんなすばらしいことができるか、殿樣に逢つて教へてもらはう)

 さう決心した一郎坊は、城内に忍びこみ、有馬種次の前に姿をあらはした。

「殿樣」

 膝まづき、頭の皿の水がこぼれぬやうに注意しながら、お辭儀をした。

 突然、奇怪な動物が眼前にあらはれたのを見て、城主はまつ靑になつた。腰を拔かし、がたがたとふるへだした。齒の根もあはず、ふるへ聲で、

「だ、だ、だれか居らぬか。……ば、ば、ば化(ば)けものが出たァ。助けてくれえ」

 武士たちのかけ集まつて來る氣配に、一郎坊は急いで城を退散した。なにがなにやらわからなくなり、泣きさうな顏つきになつて、故郷の香春岳(かはらだけ)のふもと、夜宮池の方角へ步を轉じた。

 數年の後、尾奴川(をぬがは)のほとりに、梅林が出現してゐた。一郎坊がちぎりすてた梅の木劍が全部芽をふいたものである。そこは大月町の新名所となり、花咲くころには賑はつた。宴會ももよほされる。

 香春岳をかこむ村々に、またも、どよめきがおこつた。その一揆を鎭壓するため、討伐隊が編成された。討伐隊は壯行宴をこの大月の梅林でからいた。領主有馬種次もその席に望み、勇しく部下を督勵した。

「生意氣至極の土百姓どもを、一人のこらずひねりつぶせ」

 その姿は颯爽とし、その聲は凛としてゐた。

2017/05/26

ブログ950000アクセス突破記念 火野葦平 煙草の害について

 

[やぶちゃん注:本作は題名も内容も確信犯のチェーホフの独り芝居の一幕物喜劇「煙草の害について」Anton Pavlovich Chekhov“O vrede tabaka”1886のインスパイアである。本来は、このブログ・カテゴリ『火野葦平「河童曼荼羅」』では、底本に従うなら、「新月」「珊瑚礁」の間に入れるべきものであるが、チェーホフの元の話を電子化するまで待とうと思ったため、かく遅れた。先般、ブログ950000アクセス突破記念として「煙草の害について アントン・チェーホフ作・米川正夫譯」を電子化したので、ここに示すこととした。

 太字は底本では傍点「ヽ」。

 最初に現われる「當辨論大會出場」の「辨」はママである(以降は「辯」となっている)。

 「菊石(あばた)」は二字へのルビ。かつて主に天然痘に罹患して予後、その主に顔面に菊石のような痕が残ったことから、「あばた」のことをかく言った。こう書いて「じゃんこ」などとも読んだようである。

 また、作中、主人公は以前に「女の害について」「酒の害について」を弁論したとあるが、実は「河童曼荼羅」には「女の害について」「酒の害について」という題の作品が含まれている(未電子化。近い将来、順次、電子化予定)。ただ、その二つは弁論形式ではなく、本作と形式上で先行するダイレクトなプレ作品としては読めないのでお断りしておく。題名を見ただけで期待されてしまい果てに失望されても困るので(私は別に困らないのだが)それらの電子化より先に事前に述べておく。

 なお、本電子化は2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが250000アクセスを越えた記念として、チェーホフのそれに次いで公開するものである。【2017年5月26日 藪野直史】]

 

 

 

   煙草の害について

 

 滿堂の紳士淑女諸君、

 わたくしが、このたび、鼻無沼(はななしぬま)代表といたしまして、當辨論大會出場の光榮に浴しました皿法師と申す者であります。自己紹介いたすまでもなく、每年、侃々諤々(かんかんがくがく)、流麗絢爛(けんらん)、奔流決河の雄辯をもつて、當壇上から、諸君におまみえしてきたものでありまして、諸君には、わたくしの印象は、さぞかし強烈に、消えがたいものとなつて殘つてゐることと信じます。ごらんのとほり、わたくしのこの頭の皿の巨大なことは、近郊近在に稀でありまして、故もなく頭百間といつて誹謗する者もあるにはありますが、實に、まさに、腦髓の巨大、かの世界的大詩人ゲーテの腦味噌のごとく、萬能の力と夢とを、この皿の下に藏して居る證據でありまして、わたくしが、まことに、河童世界において、選ばれたる者としての標識たることは、一點の疑ふ餘地もありません。

 鼻無沼、口無沼、臍無沼、耳無沼、眼無沼等、近郊河童界の合同辯論大會が、かく、空靑く澄み、水はつややかに、若葉きらめくこの季節に、大々的にもよほされますことは、まことに當代の盛大事、河童文化界の一大欣快事、かかる機會あればこそ、わたくしも諸君にまみえ、得意中の得意たる辯舌をもつて、諸君の稱讚をかち得ることのできますことは、喜びの第一であります。……どうも、諸君の眼は、冷いですな。どうして、そんな皮肉な眼で、わたくしを見なさる? 諸君の眼にはいやな光、輕侮のまなざしがある。……なるほど、わたくしは、本年までの大會におきまして、遺憾ながら、優勝したことはありません。それはないです。しかし、そんなことがなんですか。昨年は八等、一昨年は十一等、一昨々年は六等、一昨々々年は九等、一昨々々々年は二十二等、一昨々々々々年は四等、といふ具合に、わたくしは名譽ある榮冠をかち得たことは、たしかにただの一度もない。しかしながら、その理由は明瞭です。罪はわたくしの側にあつたのではありません。昨年までは、暗愚無能の審査員、眞の言葉をきく耳なく、眞の姿を見る眼なく、眞の偉大を理解する頭腦なく、そして、眞の眞實を語る口なき徒輩が、おこがましくも、審査にあたつて居りましたために、眞に價値あるものはかへりみられず、言語同斷の不公平の結果を將來したものであります。のみならず、審査の事前にあたりまして、眼や耳を掩ひ、唾したき醜陋(しゆうろう)のことが行はれて居りましたことは、はつきり申します。饗應、追從(つゐしよう)、懇願、そして贈賄(ぞうわい)が、こつそり審査員に對してなされましたことは、歷然たる事實でありまして、かくのごとくしては、いかで、神聖なるべき審査に、公平を期し得ませう。中正嚴烈の立場を堅持し、一に技(わざ)を辯口の練達に置き、いやしくも邪(よこしま)に組せぬわたくしが、その辯舌のならびなき優秀さにもかかはらず、審査員諸兄の鼻息をうかがはなかつたといふだけで、一等の榮冠を得ることのできなかつた理由は、ただに、以上の奇怪事にもとづいてゐるのであります。が、既往は問ひますまい。今囘は、その弊があらためられ、もつぱら技術の練能のみを審査基準として、公正の判定が下されますやうになりましたことは、喜びこれに過ぎるはありません。然るうへは、わたくしの眞價も、今囘はあやまりなく認められ、一等優勝の月桂冠をかち得ることを確信して疑はないところであります。理解ふかく達識ある聽衆たる紳士淑女諸君におかせられても、不屈の雄辯に、魅了されることは當然でありまして、擧(こぞ)つてわたくしに人氣投票して下さるものと、これまたふかく確信して居ります。

 さて、わたくしの演題は、ここにかかげてありますやうに、「煙草の害について」。昨年は、「女の害について」。一昨年は、「酒の害について」薀蓄(うんちく)をかたむけて、諸君に説きましたことは、なほ、御記憶に新なところであらうと存じます。しかるうへは、殘されたる煙草の害について語るは當然、三部作は世に流行するところであります。年來の河童の知己(ちき)たるあしへいさんも、土・花・麥といふ三部作を書いて居ります。酒と女と煙草、この三者の大害について、一大教訓を垂れますことは、わたくしの救世の宿願といつてもよろしく、すでに、酒と女とについて述べました以上は、今回、最後の煙草について、諸君にわたくしの卑見を開陳いたしますことは自然の順序、否、わたくしの義務、使命なのであります。ロシアのチエホフといふ作家が、嘗て、同問題について、一場の講演をしたことがありますが、わたくしのはさやうな陳腐退屈なものではありません。しばらく御靜聽を煩はしたく存じます。エヘン。

 わたくしは、最近、熱烈な戀愛をいたしました。いや、現在、なしつつある、つまり、その眞最中であります。……そのやうに、お笑ひ下きるな。わたくしとて、老いたりといへども、なほ、靑春の血は、五體の隅々にまでたぎつてゐる。わたくしは、この日ごろ、一女人のために、情熱のほむらをたぎらし、わたくしの一生の蓮命を、この戀に賭けて居るのであります。その女人こそは、鼻無、口無、臍無、耳無、眼無、五界にかけてたぐひも並びもなき麗人でありまして、東洋の詩人の言葉を借りますれば、沈魚落雁閉月羞花、實に、暗夜に現出した燦然(さんぜん)たる太陽、虹、その一顰(いつぴん)一笑によりまして、あたかも電燈の明滅するごとく、あたりの光も左右されるほどの、すばらしい婦人なのであります。……どうも、皆さん、よくお笑ひなさる。惚れた眼には、菊石(あばた)もゑくぼ、とおつしやるのですか。よろしい、それなら、それとして置きませう。どうぞ、野次(やじ)らずに聞いて下さい。いづれ、わたくしの言葉の眞實がわかるときが參ります。……ともかく、わたくしは戀をいたしました。いたして居ります。この戀愛の成就によつて、わたくしの生涯は精彩をはなち、幸福の基礎は定まる。わたくしは希望に燃え、胸高鳴らせて、わたくしの全力をこの戀愛に傾注いたしました。いたして居ります。わたくしの戀人たるその女人は、牡丹のやうな美しい皿に、水晶液のやうな水をたたへ、瑪瑙(めなう)の眼と、大理石の嘴と、綠玉の甲羅と、そして、螢石の手と、……もうわかつたとおつしやるのですか。どうも、さう、まぜかへされては、話ができませんな。戀人の自慢はもうたくさんだといふのですね。なに? 演題の煙草の害の話は、どうしたのかつて? どうも、せつかちですな。話には順序があります。起承轉結、布置結構、文章と同樣、演説にも、構成、スタイル、山あり、谷あり、ただ、のべつに、がさつに、工夫もなく、話したのでは、味も素氣もありません。拙劣といふものです。わたくしが、「煙草の害について」といふ演題をかかげながら、突如として、主題とは緣もゆかりもなきごとく見ゆるわたくしの戀愛について語りだしましたのも、まつたく、わたくしの練達習熟せる小説的技法にもとづいて居つたのであります。居るのであります。つまり、わたくしの戀愛そのものが、實に、煙草に、煙草の害に直結して居るわけでありまして、わたくしの戀愛を語ることなくしては、絶對に主題たる煙草の害について語ることはできない。春秋の筆法を借りるまでもなく、實に、わたくしをして煙草の害を説かしむるものは、説かざるを得ざらしめたものは、わたくしの戀愛、わたくしの愛人、その女人なのであります。おわかり下さいましたでせうか。お靜まりになつたところを見ると、御理解下さつたものと信じます。感謝いたします。では、話を進めませう。

 前述しましたとほり、わたくしは全身の血をたぎらせて、戀に沒頭いたしましたが、幸のことに、その女人も、わたくしの氣持を汲み、受け入れてくれました。くれたらしく、見えました。わたくしはドン・ファンではありません。ウエルテルです。女から女へ蜜蜂が花を漁り、花を變へ、今日は椿に、明日は百合にと、飛びまはるやうな浮氣心はわたくしには微塵もありません。わたくしはかの悲しきウエルテルのごとく、これと定めた戀人ただ一人に、すべてを捧げつくし、死をもいとはぬ誠實の徒なのであります。なるほど、わたくしは、醜男です、お笑ひ下さつてもよろしい。この頭の皿は、前述しましたやうに、大詩人ゲーテに匹敵する才能と夢とを藏してゐるとはいへ、たしかに、ちよつと不恰好です。頭百間といはれて笑はれても仕方がない。ことに、知識とか、才幹とか、人格とかいふやうなものはどうでもよく、ただ、のつペりとした顏形、通常色男と稱せられてゐるやうな男子に、關心を集中する婦人にとつては、わたくしのごときは、對象たる資格はありますまい。しかしながら、河童の眞實は、さやうな、單なる外形上の皮膚や骨格のなかにあるのではない。肉體ではない。精神です。肉體にだけ河童の價値を見るのは、精神の近視眼、色盲、實に、かのミーチャンハーチャン的輕薄の思想にほかなりません。したがつて、眞に精神美を理解し、人格に關心を有する女性は、わたくしのごとき、才幹豐かにして、哲學的な男性に、眞の價値を見いだすものです。わたくしの思ひをかけました女人が、この醜男たるわたくしの氣持を汲んでくれたといふのも、彼女がさういふ良識深き女性であつたからでありませう。わたくしの求愛にこたへてくれた、くれたかに見えた彼女へ、わたくしは深く感謝し、淚をもよほさんばかりの歡びをおぼえました。わたくしの人生は、この戀の成就によつて輝き、才能と力とはいよいよ發揮され、なにごとも今や不可能なることなしとさへ、わたくしは希望に燃えました。

 ああ、わたくしは、このことを語るのが、苦痛なのであります。かくも、歡びと希望とに燃えたわたくしの戀が、いかに無殘なる形で、今日(こんにち)、放置されてゐるか。胸が苦しくなります。頭が疼きます。失禮お許し下さい。悲しくなりました。ちよつと淚を拭かきせていただきます。……わたくしは、實に、今、嘗て經驗せぬ最大の勇氣をふるつて、告白して居るのであります。告白と懺悔(ざんげ)とには、非常な苦痛と勇氣を要します。かのジャン・ジャック・ルソオが懺悔錄を書いたとき、彼は萬人の前に血をはく思ひをもつて、すべての眞實を叶露したのだと申しましたが、あの悲壯な書物のなかにも、なほ、隱されてゐる眞實、否、明瞭に虛僞があるといふではありませんか。しかし、わたくしは、なにも隱しません。すべてをここに告白いたします。わたくしが全靈をゆすぶる苦痛をもつて語りますことを、皆さんも眞劍にお聞き下さいますよう。

 かの女人は、わたくしの求愛にこたへ、誘はれるままに、一日、鼻無沼の靑草萠える土堤に出ました。五月の太陽は、わたくしたちの戀愛を祝福するかのごとく、さんさんとあたたかい光をそそぎかけます。わたくしは美しい彼女の姿がまぶしく、さうです、實に、彼女は、沈魚落雁閉月羞花、虹、色硝子、プリズム、太陽の光線をはねかへして、わたくしの眼をくらませるのです。わたくしは滿足と幸福とで、有頂天でした。

  わたくしたちは、ならんで、草のうへに腰を下しました。今や、わたくしは諸君のまへに、かの、ラヴ・シーンといふものを展開しようとしてゐるのであります。しかしながら、それがのろけでも自慢でもないことは、諸君のよく賢察されることでありませう。これこそは、わたくしの破綻(はたん)の、悲しき除幕式であつたのであります。とはいへ、なほ、その破滅までの數分はわたくしたちにとつて、えもいへぬ甘美と陶醉の悦樂境でした。心臟の高鳴りを押へ、つとめて平靜を裝つてゐましたけれども、わたくしは若干の聲のふるへを如何ともすることができませんでした。彼女の方はいかがだつたでせうか。それはわたくしの知るところではない。いたづらに高貴な女人の心境を忖度(そんたく)することは、失禮にあたりますので、わたくしは遠慮いたしますけれども、彼女とて、その妙(たへ)なる胸の琴線になにか觸るるものを感じて居つたのではないでせうか。心の窓たる眼は一切の祕密を語る。わたくしはうぬぼれませぬけれども、それどころか、自己の醜さを知つてゐるわたくしは、女人の前でいかなる場合でも謙虛、といふより、臆病、おどおど、ひやひや、ほとんど萎縮してゐるのが常でありましたけれど、そのときは、わたくしは、明瞭に、彼女のわたくしに對する好意を、その二つの涼しい瑪瑙の眼のなかに感じとりました。感じとつたと信じました。さすれば、もはや相思、心通ひあふ戀人同志、この五月の土堤のあひびき、ラヴ・シーンは完璧で、この幸福と前途に、なんの暗い影もあるわけではなかつたのです。にもかかはらず、この事痛が無殘にも崩れたのは?

 あれです! ああ、あれです! 實に、煙草です! 煙草、聞くだに恐しい言葉!

 幸福感に、痴呆のごとく醉ひ痴(し)れてゐましたわたくしは、瞬間、はつと凝結して、息をのんでしまひました。驚愕と、失望と、悲しみと、怒りと、さまざまの感情が、坩堝(るつぼ)に、いちどきに、千種類の金屬を投げこんだやうに、こんぐらかり、煮えかへり、騷ぎはじめました。わたくしは阿呆のごとくひらいた眼を女人の動作に釘づけにして、もう膝頭がふるへ、背の甲羅のつぎ目がぎしぎしと鳴り軋(きし)むのをおぼえました。

 煙草です。彼女が煙草を吸ひはじめたのです。蓮葉の小筥から、金口のシガレットをとりだした彼女は、いかにも馴れた手つきで、ライターの火を點じ、あの大理石の嘴にもつてゆくと、いかにもおいしさうに、くゆらしはじめました。彼女がその行動をもつとも通常のことと考へ、わたくしの思惑などをいささかも氣にかけてゐないことは、その安らかな自然の行動で明瞭でした。それは、さうでせう。煙草をのむことが、惡事でも、破廉恥でもなく、今やひとつのエチケットにさへなつてゐるものとすれば、彼女がそのことを、なんのわたくしの前に遠慮したり、恥ぢたりするわけがありませう。道德も、倫理も、法則すらも、強力な習慣の作用にもとづいてゐることは、歷史が證明してゐます。常人の法則は、その萬人の最大多數の認識によつて肯定される。さういふ法則には、一切、羞恥はともなはない。されば、彼女が悠々とわたくしの前で煙草をのみはじめたことは、自然の理で、なんら咎むべきところはないのでありました。

 然らば、その彼女のなにげない行爲に對して、わたくしが何故にそのやうに驚愕し、混亂したか? それは實に、わたくしの生理的本能、あのどうにもかうにもやりきれぬ、煙草嫌ひといふ氣質にもとづいてゐるのです。これは、もはや、道德でも、理論でもない。無論、法則でもない。仕樣のないわたくしの天性、生來の潔癖、宿命ですらあるのです。

 わたくしは他人の趣味、嗜好に對して、誹謗を加へたり、排擊はしない。それは、自由です。しかし、わたくしは萬人の最大多數が煙草をたしなみ、その醍醐味を説き、紫煙の幻術、エクスタシイ、そして、その偉大なる價値を説かうとも、わたくし自身は、頑として、その宣傳に乘らぬ、誑(たぶら)かされぬ。そして、あの、いやなニコチンの匂ひ、毒に染まぬと決心してゐました。わたくしは煙草のみを輕蔑しはしませんが、これを賞揚する氣のないのは勿論、煙草のみの客がきて、あの無遠慮無感覺に、煙草の灰を散らす、これまでのんでゐたコーヒーの皿にでも、食べてゐた茄子や胡瓜の椀にでも、灰を落す、あの無神經、その不快さに辟易することは、一再ではありません。男子はまだよい。婦人が煙草を吸ふ姿を見ると、誇張ではなく、慄然と身ぶるひがしてくる思ひなのです。好意をよせてゐた女人が、煙草をのむと知つて、たちまち嫌ひになる、その經驗はたぴたびなのでした。宿命となれば、致しかたありません。かくしてわたくしは恐しい煙草から遠ざかり、今日まで、一度も、手に取つたことすらなかつたのです。[やぶちゃん字注:「煙草の灰を散らす」底本では「煙草の灰を敢らす」であるが、読めないので、誤植と断じて、特異的にかく訂した。]

 なんといふ皮肉でせうか。さういふ天性の煙草嫌ひ、ほとんど煙草恐怖症といつてもよいわたくしが、全精神と全生活とを賭けて惚れました女人が、なんとしたことか、またしても、煙草のみ、煙草好きであらうとは! わたくしが、五月の土堤で心地よげに煙草をのみだした戀人の姿に、愕然とし、失望し、悲しみ、そして、絶望的な氣特になつて行つたことは、諸君の充分に明察されるところであらうと信じます。

 わたくしは苦しみ、迷ひました。わたくしのその女人に對する思慕の情は、これまで經驗したやうな淺薄のものではなく、いかなる困難、迫害があらうとも、かならず突破して、成就しなければならぬといふ鞏固(きようこ)な勇氣をわたくしの身内にふるひおこし、ほとんどわたくしを英雄的興奮に追ひあげてゐたほどのものであつたのです。親が反對するか、周圍が反對するか、或ひは彼女へ思ひをかける戀敵(ライバル)が、わたくしへ決鬪を申しこむか、火でも、矢でも、嵐でも、來らば來れと、決意してゐたのでした。ところが、それが、なんと! あらはれた敵といふのが、煙草であらうとは!

 ああ、戀か? 煙草か? わたくしの戀人が煙草のみであるといふことは、到底わたくしの耐へ得るところではない。然らば、彼女を思ひ切るか。ああ、それができるくらゐなら、なんでこれほど苦しみませう? わたくしは混亂し、悶え、天を仰いで、慟哭(どうこく)しました。彼女が煙草をやめてくれれば、これに越したことはないのでありますけれども、彼女の煙草を吸ふ樣子といふものは、彼女の煙草への愛好がいかに深いかといふことを、如實に語つてゐます。彼女はわたくしに、一本いかがといつて、小筥のケースをさしだしました。わたくしが、のまないと申しますと、ちよつと怪訝(けげん)な顏はしましたが、そんなにわたくしが、極端な煙草嫌ひ、煙草恐怖症といふことを、もとから知るわけはありませんから、默つてケースをしまふと、なほも、煙草をくゆらし、さもおいしげに、心地よげに、空にむかつて、紫色の輪を吹くのでした。それが五月の風にたなびいて、消えてゆく。見た目にはきれいなのですが、わたくしの方は、そのにほひのいやらしさに、悶絶せんばかりでしつかりと鼻をふさいでゐるのでした。わたくしが彼女を失ひたくなければ、この煙草への嫌惡を我慢するほかはない。この忍耐と克己がはたして可能か。わたくしの宿命を變へ得るか。いかなる暴力的な施療をもつてすれば、この變貌を遂げ得るか。わたくしに自信も意見もあらうわけはなく、戀か? 煙草か? 不可能を可能にし得ぬ弱少の資質に、ほとんど泣きたいばかりでありました。

 彼女とて、かういふわたくしをも愛し、この戀愛を遂げんとすれば、煙草をやめなければ、あの、黑白一致の完全な合體はできない。戀か? 煙草か? とりもなほさず、それは彼女自身の悲痛な課題でもあつたでありませう。

 紳士淑女諸君、

 かくのごとく、煙草の害たるや、恐るべきものであります。わたくしは觀念しました。今さら、わたくしが最大の鬼門であり、なにより、先天的習性による宿敵といつてよい煙草へ屈服することは、いかにしてもできない。何度でもいひます。わたくしは煙草は嫌ひです。どうしても好きになれません。煙のにほひを嗅ぐと、卒倒しさうになります。これまで一度も、手にしたことすらありませんが、もし、手にしたら、その瞬間に、わたくしは癲癇(てんかん)的發作をおこすかも知れません。煙草はわたくしの敵です。そして、煙草は、……おや! 皆さん、これは、なんとしたこと! 皆さんは、わたくしをなぶるつもりですか。人が惡いにもほどがある。誰もかれもが、煙草をのみはじめた。五六人かと思つたら、七人、十人、二十人、四十人、百人、……ああ、みんなだ。全部の方が、煙草を吸ひだした。煙がもうもうと場内を埋める。わたくしの方へくる。たまらない。いやなにほひだ。皆さんは、わたくしを燻(いぶ)し殺すつもりですか。ああ、やめて下さい! やめて下さい!

 おや、わたくしの眼のあやまりではないか? 全部が煙草を吸つてゐるのに、たつた一人、吸はない人がある。あの人だ! あなただ! あなたが、今夜の辯論大會にきてゐることをはじめから、僕は知つてゐたんです。僕は、あなたのことを念頭において、はじめから喋舌(しやべ)つてゐたんです。いや、あなた一人に向かつて、話、いや、僕の告白、願望を述べてゐたんだ。ああ、あなたは煙草を吸つてゐない。あんなに、好きだつた煙草を。戀か? 煙草か? あなたの考へはきまつたんですか?

 滿堂の紳士淑女諸君、

 諸君は意地わるく、わたくしを嘲弄しようとなさる。わたしを煙攻めにする。わたくしを癲癇で卒倒させようといふ魂膽にちがひない。たしかにわたくしは眼が舞ひさうだ。氣が狂ひさうだ。しかしながら、わたくしは諸君に負けたのではない。勝利者はわたくしです。わたくしが勝つたのだ。わたくしの戀人がわたくしをうけ入れたのだ。……皆さん、その中央の座席にゐる女人、さつきから、わたくしが縷(る)々として述べたすばらしき美人、それこそ、彼女です。ああ、煙草の海のなかで、たつた一人、煙草を吸はずにゐる。すてきだ! 僕は勝つた!……おや、あなたはどなた? 演説の最中に、演壇に土足であがるとは、なにごとです? なに、警察官? 警官が、小生になんの用があるのです? 用があるなら、あとで承ります。いまは、大切な辯論の最中だ。小生の一生の輝ける瞬間です。殺風景な警官の闖入(ちんにふ)で、妨げられたくはありません。小生の辯論に忌諱(きゐ)にふれる個所はない筈です。檢閲にひつかかるやうなことは、なにひとついつてゐないぢやありませんか。……なに? 全然、別の用だつて? なんです、それは? 逮捕状! 小生を逮捕するのですか? 冗談ぢやないですよ。僕はそんなことはなにもしてゐないよ。……えつ? 僕がヤミ煙草を製造した? ここで皆が吸つてゐる煙草は、全部、僕の祕密工場から出たものだつて? やめて下さい。冤罪(ゑんざい)を着せるにも、ほどがある。さつきからの僕の辯説を聞かなかつたんですか。僕は生來煙草嫌ひ、煙は勿論、煙草を手にとつただけでも卒倒する。そんな僕が、なんで、煙草なんか作るもんですか。とんでもない濡衣です。……あつ! それは!……うむ、……そんな證據があがつてゐるのか。……さうか。……そんなに引つぱらなくてもよろしい。もうかうなつたら、惡びれはしません。行きます。待つて下さい。一服してから行きます。……どうです、あなたがたも一服されたら? これ、最上等の葉卷ですよ。

 

[やぶちゃん後注:正直、惨めな恐妻家を痙攣的に露呈してゆく原話に比すと、格落ちは否めず、落ちもイマイチである。演じて見たい気はあまりしない。]

 

2017/04/10

ブログ930000アクセス突破記念 火野葦平 手 

 

[やぶちゃん注:本電子データは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが930000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年4月10日 藪野直史】]

 

 

 

 どうしてこんなことになつてしまつたのかと、河童は自分の不覺がざんねんでたまらない。これはたしかにおぼろな春の月の妖しい魔法にかかつてしまつたのだと月をうらんでみた。でなければ、かれは自己の過失を、ただみづからの下卑た心情のしからしむるところとかんがへてしまふことはたまらないからである。月のせゐだ。ところがさう月に過誤の原因を轉嫁してみたところで、ただそれは觀念の堂々めぐりだけであつて、現實の問題はさらに解決がつかないのであつた。

 通ひなれて、立ちならぶ並木路の松の數も、その形も、枳殻(からたち)の生垣の高さも幅も冠木(かぶき)門の氣どつた破風(はふ)も、はげてゐる瓦の枚數も、ペんペん草のたたずまひも、築山の石燈籠の形も數も、すつかり暗記をしてしまつた同じ道を、今夜も、河童はとぼとぼとあるいてゐた。月はなく、星があかるかつた。かれの顏にはつかれがみえ、不安と、疑惑と、焦躁と、決意と、希望とがごつちやになつて、その足どりもたよりなげであるかと思ふと、にはかに自信ありげに力がはいつた。かれが混亂してゐることは明瞭であつた。皿の水があるかとときどき手でたしかめたり、とがつた嘴を吃(ども)らないやうになでてみたり、土産(みゃげ)にさげてゐる鯉が死んでゐないかと、藁苞(わらづと)のなかをのぞいてみたりした。ところがかれのさういふしぐさはすべて左手でなされてゐるので、右手はただ肱ひぢ)から曲げ、そこに藁苞の紐をかけてゐるだけで、一度もうごかさないのであつた。左腕には水かきのある手がついてゐるが、右腕には手首からさきがきれいに切りとられて、手がついてゐないのである。まるで、右腕は杉の丸太んぼうをくつつけたやうにぶさまにみえた。河童のなげきの原因がこのむざんな右手にあることはいふまでもなかつた。その大切な手は、かれがこれからでかけてゆく人間の家に保存されてゐるのであるが、ふたたびかへしてもらへるかどうかといふことについては、まつたく自信がもてないので、河童は困惑をしてゐるのである。その人間の家にでかけるのは今宵がはじめてではなく、すでにもはや十數囘に達してゐるが、貪慾で頑迷な人間はいたづらに苛酷(かこく)な條件を課すばかりで、返還をこばんでゐるのであつた。

 それにしても、とまたも河童は春の月の夜の過失がくやまれてならない。たしかに月のせゐであつた。あの夜、池をでて、森にくると、やはらかな霞のなかからおぼろな月光がはとんどにほふほどのうつくしきで、河童の背や顏をてらした。滿月はすぎて、十七夜くらゐであつたらうか。かすかに虧(か)けた月はぼうとうすい紅をさしたやうにぼやけて、あたかも人間のわかい女のうつくしい肌のやうになまめいてゐる。そのやはらかい光に照らされると、まるで女の手でやさしくなでられてゐるやうで、こころよい興奮がわき、ふしぎな情念が身うちにうづまいてくるのであつた。河童にも青春の血がある。河童はかういふ誘惑には弱い。さうして月光のあやしい魅力にさそはれて、河童はつひにいやしい色情のとりことなつた。

 かれはもはや醉ひしれたここちとなり、夢遊病者のやうにふらふらと並木みちを拔け、枳殻(からたち)の生垣をこえ、人間のすまゐのほとりへさまよひでたのである。そのあひだにも月光はいよいよなまめかしい光をそそいで、ささやくやうに河童の情念をそそり、つひにかれを後架(こうか)のうちにひそませた。このやうなときに意識の底に潛在してゐるものがどういふ風にはたらくのか、かれはずつと以前にこの家にみめうるはしい乙女がゐたことを知つてゐて、その夜、月光とその女とがひとつにつながれたもののやうに、さうしてそれはひとつの絶對ででもあるかのやうに、みづからの行動のなかにおぼれたのであつた。しかし、かれのそのやうな情熱がともかく純粹であつたにもかかはらず、傳説の掟は冷酷で、かれは人間への慕情をしめす場所として、不潔な後架をえらばねばならなかつた。時間が經つた。足音がするたびに胸ををどらせた。この家には大勢の人間がゐるらしかつた。いくつかの尻をむかへおくつたのち、やがて目的のひとがあらはれた。動悸がうち顏がほてつてくる興奮に、河童はわれをわすれたやうに、そのうつくしい尻へそつと右手をさしだした。あつといふ間もなかつた。すさまじい力がかれの右手をつかみ、かれが後架のすみになげだされたとき、あわただしくなにごとか叫びながら、廊下をかけ去るはげしい足音を耳にした。河童は身ををどらして後架をとびだし、枳殻の生垣をのりこえて一散に山へはしりかへつた。さうして池の底でやうやくおどろきもしづまつたとき、ふと右手に氣づき、息もとまらんばかりになつて、どうと尻餅をついた。痛味をすこしもかんじないのでわからなかつたが、いま見ればかれの右手は手首からなくなつてゐた。しまつたとふかい悔恨がわいてきて不覺の淚がでた。その靑い淚は池の水のなかを紐をひくやうにしてながれた。驚愕と狼狽とのためなにかわからずに、ともかく逃げてきたのであつたが、とつさの間になにを見きはめることもできなかつたのだ。いま、あの力づよい手に腕をつかまれたとき、自分の手が切りとられてしまつてゐたことが明瞭となつた。杉の丸太んぼうのやうにぶさまになつた腕をながめて、河童はかなしげな顏になつたが、しかし絶望はしなかつた。まへにも同じやうな失策をした仲間があつて、いちどは手をうしなつたが、人間にわびをいひ、交換條件として傷藥ををしへるとか、水難よけの祕傳をつたへるとかして、手をかへしてもらつた例のあることを知つてゐたからである。かへしてさへもらへばもとのごとくつぐことはお手のものだ。そこで河童はふたたび恥をしのんでその人間の屋敷をおとづれた。

 人間の武士(さむらひ)は、憤然たる樣子で謝罪にきた河童をさんざんにわらつた。河童といふものは助平ぢやなうなどといつた。長いのと短いのと刀を二本さし、あたまのうへにちよん髷をむすんで、背のひくい、くしやくしやしたやうな眼鼻だちのその年よりの武士は、拔けた齒のあひだからしゆうしゆうと空氣をすかすもののいひかたで、自分の大切な娘にいたづらをするやうな奴の手はかへすことはならんと威張つた。河童は平身低頭してひたすらに懇願した。なんといはれてもよかつた。恥も外聞もなく人間のいふとほりにした。河童をどりををどれといはれてをどつた。七人の家族の者たちまで出てきて、みんな緣側にならんで輕蔑するやうに見ながらげらげらと笑つた。そのなかには河童がひそかに思ひをかけたわかい娘もゐた。かの女もめづらしい河童のふしぎなをどりに手をうつてよろこんでゐた。それにしても河童には、このなよなよした女が自分の尻にさはるかさはらぬかに手をつかみ、懷劍で切りとるやうな剛毅(がうき)な早わざをしたことがなかなか信じられなかつた。まへに何人かが後架にはいつたときに、すでにあやしいものの氣配に氣づいてゐたのであらうか。それならばかへつてわかい娘はおそれなければならぬのに、はいるときから懷劍をぬいて怪物退治をこころざしてゐたとすれば、なんといふ女丈夫であらうか。いづれにしろ、いま自分のをどりにうち興じて手をうつてゐるわかい娘が、自分の手を切りとつたにまちがひなく、どのやうな屈辱をしのんでも、かへしてもらはなければならぬのであつた。

 狆(ちん)のやうに眼鼻だちのくしやくしやした武士や、ぼてぼて豚のやうになつたその奧方や、それからそこにゐる人間たちのだれかれは、河童にさまざまの要求をした。歌をうたへといひ、さかだちをしろといひ、一人角力をとれといひ、空をとべといひ、はては小便をたれてそれをのめなどといつた。手をかへしてもらひたいために、河童はなんでもいはれるとほりにした。人間どもの嘲笑と酷使ははてがなく、河童はつかれて目まひがし、靑い汁がながれてからだがべとべとした。ところが、さんざんに河童をあやつつたはて、武士はどうも藝がまづいのでけふはかへすことはならぬ、この次に來いといつて、制止するのもきかず奧にはいつてしまつた。河童は呆然となつて見おくり、きびすをかへして憤然と山へかへつた。

[やぶちゃん注:或いは読者の中には「汁」を誤植ととるかも知れぬので、老婆心乍ら、言っておくと、河童は体が粘液で覆われており汗ではなく「汁」でよいのである。]

 河童はそれから何度となく通つては、手をかへしてくれるやうに必死に懇願した。詫び證文もかき、傷藥もをしへ、水難よけの祕傳もつたへ、欲しいといふものは無理してでもとりそろへて持參した。しかしながらそのたびに狆のやうな武士はなにかと難癖をつけ、言を左右にして、手をわたさうとはしなかつた。詫び證文など書きかたがわるいといふので七通も書いたのだ。河童は手のためにはどんな苦難にもたへ、怒りをしづめて忍從しようと決心はしてゐたが、あまりな人間の不信と貪慾とにしだいに絶望のこころがわいてきた。同じ失策をしたほかの仲間がたいていは一度か二度ゆけば手をかへしてもらつたときいてゐて、はじめは樂觀してゐたのであるが、人間のうちにもいろいろあつて、さう生やさしくはいかぬ者のあることがわかつた。はじめは根氣とねばりが大切だとおもつたが、こちらがいかに努力しても、相手の心がまつたく手をかへす氣特になつてゐないのでは、のれんに腕おしにすぎなかつた。愚鈍な河童もしだいにそのことをさとつてきて、もはや絶望的なあきらめのおもひがきざすやうになつた。

 いま河童は藁苞に鯉をつつんで、人間の武士の家をおとづれたのであるが、もし今宵宿願が達成されなければこれを最後と決意してゐた。このまへきたときに、武士はおまへが山の淵の緋鯉をとつてきてくれれば、今度こそはまちがひなく手をかへしてやらうと約束したのである。山の淵は嶮岨(けんそ)な場所にあつてとても人間ののぼれないところであり、そこにゐるといふ緋鯉のことはいひつたへになつてゐるだけで見たものはなかつたので、その武士は自分のつかへてゐる殿樣へさしあげるために要求したもののやうであつた。これをとることは河童とて容易ではなかつたが、渾身(こんしん)の努力をふるつてやつととらへ、いま人間の屋敷へはこんできたのであつた。

 おとづれる聲に、戸があいて、狆のやうな武士が手燭をもつてあらはれた。

「河童か」

「さやうです」

「約束のもの、持參したか」

「持つてまゐりました」

「どれ」

「お武士さま、おねがひです。こんどはきつと手をかへしてくだきい」

「約束のとほりならかへすよ。武士に二言はない。……どれ、見せてみろ」

河童は藁苞をさしだした。

「ありや、これや緋鯉ぢやないか」

「緋鯉です」

「たれが緋鯉というた?」

 河童はおどろいて、

「あなたがこのまへいはれたではありませんか。あなたがいはれたので、わたしは一所懸命でむつかしい山の淵でこれをとつたのです。あなたがなんどもいはれた山の淵の緋鯉です」

「馬鹿なことをいうてはいかん。わしは緋鯉などいつたおぼえはない。眞鯉(まごひ)といつたんぢや」

「いまさらそんな、……あなたはいつでも、そのときになつて、出たらめばつかり……」

「なにが出たらめだ」

「いえ、出たらめといふわけではありませんが、……そんなに、いつも、約束をたがへられては、……」

「約束をたがへるのはおまへだ。河童といふものはしようのない噓つきだなう」

 河童は地べたへ額をつけた。ぺこぺこ何度も頭を下げた。皿の水がながれて、氣のとほくなるここちがした。

「おねがかです。おねがひです。手をかへしてください。わたしのしたことはわるいことでした。しかし、もうわたしとしてはできるだけのおわびと、つぐなひをしたつもりです。手はわたしの命です。どうぞ、かへしてください。おねがひします」

「おまへがちやんと約束さへ守ればかへしてやるつもりでゐるのに、おまへがわるいのだ。……それでは、いいか。こんどはまちがひなく、山の淵の眞鯉をとつてきなさい。そしたら、かならず、手はかへす。……いいな。……この緋鯉はもらつとく」

 河童は呆然となつて、藁苞をさげて消えてゆく人間のすがたを見てゐた。戸がしまり、かたんと裏からかけがねをおろす音がして、あとはしいんとなつた。しばらく魂のぬけたやうにたたずんでゐた河童は、やがて力なげにたちあがると、ふかいためいきをついて、鉛のやうにおもい足をひきずりながら、星であかるい山への道をひきかへしていつた。

 

 

 

 このとき、地上では戰ひがたけなはであつた。城をまもる者と、城を攻める者とが日夜たけだけしい叫び聲をあげ、刀をふりまはし、槍をつきあはせ、渚(なぎさ)によせる波のやうによせたり引いたりしながら、あくこともなくたたかつてゐた。城は包圍されてゐたが、かこむ軍勢はこの城の軍勢のふしぎな抵抗力に、やうやくおどろきの眼をみはるやうになつた。外濠(そとぼり)にかこまれた小さい城がいつまで攻めても落ちないのだ。戰ひはながくつづいた。この城にこもる人數はほぼわかつてをり、ながいあひだのうちつづくたびたびの戰鬪で、もはやその人數は全滅してゐなければならぬ筈であつた。足をきられ手をきられた者だけでも、城の軍勢の數を越してゐるとおもはれるのに、城門からはいくらでも精鐵があらはれてきて、喊聲(かんせい)をあげ、刀をふり、槍ぶすまをつくつていどみかかつてきた。攻圍軍の方にもしだいに戰死傷者ができ、補充をする便があるとしてもながい戰鬪ではやうやくつかれがみえてきた。それにしても、小人數である筈の城内の兵隊が、いつまでたたかつてもすこしも減る模樣がないことはいぶかしいかぎりであつた。攻圍軍の大將も、參謀も、部隊長も、解(げ)せぬこととしてしきりに首をひねつた。

 そのうち前線から奇妙な報告がとどくやうになつた。城内の軍勢とたたかつて、手を切りおとすとその兵隊はその手をもつて城へにげかへる。足を切りはなすとその足をかかへて城のなかへはいる。どこを切つてもついても負傷したままひきかへす。首を切るとべつの兵隊がかついで逃げこむ。するとそのあとから新手がでてくるが、どうもそれは先刻手や足を切りおとしたとおなじ兵隊のやうにおもはれる、と。馬鹿なことをいふな、と大將も、參謀も、あきれてわらひだし、そんなたわけた報告をする斥候(せきこう)を氣ちがひのやうにとりあつかつた。しかしながら、ひきつづき櫛の齒をひくやうにもたらされる第一線の報告が、符節を合したやうにおなじであることを知るにいたつて、大將の額にたらたらと汗がながれ、苦澁の顏にはいひしれぬ懷疑のいろがわき、やがてこの妖怪の城にたいして恐怖のおももちがあらはれた。

 

 

 

 城内の天主閣では、鎧兜に身をかためた殿樣がふしぎな微笑をうかべて、戰ひの狀況をながめてゐた。殿樣のまへには緋鯉の料理がならべられ、かたはらには狆のやうなくしやくしやした眼鼻だらの武士がしかつめらしい顏をしてはべつてゐる。城外からはをめき聲、鬨(とき)、刀や槍のうちあふ音、矢が風をきる音、法螺貝、陣太鼓の音などがきこえて來、晴れわたつた空にへんぽんとひるがへる多くの旗がながめられた。

「戰ひはあひかはらずか」

 殿樣は盃を手にして、妙にけだるさうな聲でたづねた。

「さやうでございます。さんざんに敵をなやましてをります。あの河童の手がありますれば、わが軍は百萬の大兵がをるのも同然でございます」

 狆の武士が滿面に得意のいろをうかべてこたへた。

「さうか」

 殿樣はなんばいも盃をかきねたが、その顏には會心の笑みとは遠くかけはなれた皮肉の微笑がこびりついて、ときに嘲けるごとく、ときにはさげすむごとく、ときに泣くのではないかとおもはれるやうに、唇をかんだりするのであつた。戰ひは有利で、敵は味方の奇妙な戰術のまへにすでに旗を卷かうとしてゐるのに、殿樣の憂鬱な顏は勝利者の顏ではなかつた。いひしれぬ退屈と侮辱のいろさへ、ときにその端麗な顏にあらはれて消えた。

 戰ひはもうながくつづいてゐた。戰ふべき運命にあつた兩軍はそのながい戰ひよりもずつとまへからしばしば戰ひ、勝敗を決することなくこんにちにきた。さうして今度のいくさがはじまつた。ところが今度の戰ひにはおもひまうけぬ武器が手に入つて、味方は有利にたたかふことができた。河童の手だ。家來の娘で剛毅なるものが後架でいたづらせんとした河童の手を切りとつた。知識ゆたかな典醫はそれを見ると、狂喜のあまり七囘𢌞轉して卒倒した。この手さへあれば切れた腕でも足でも首でもたちどころにつなぎ、もとのとほりにすることができる。ぜつたいに河童にかへしてはいけないといふことを蘇生してから言上した。かくて忠義にあつい狆の武士は、河童がいかに懇願するともこれをかへさうとはしなかつたのである。

 戰ひがはじまり、その效驗はたちどころにあらはれた。城内の兵隊はいくら切られても突かれても河童の手でさすることによつてたちまらもとの身體に復歸し、さらに城外に打つて出た。負傷すればひつかへし、手足や首をつないでまた出てゆく。まさに狆の武士のいふごとく、不死身の兵隊百萬を擁してゐるのに異らなかつた。はじめは殿樣も大いによろこび、その手を切りとつた娘に褒美をとらせ、狆の武士にも加增を命じた。攻圍軍は城内の不死身の兵隊に疑惑の眼をみはり、やがて恐怖にとらはれるやうになつた。

[やぶちゃん注:最後の一文の冒頭の「攻圍軍」は実は底本では「攻圍車」となっているが、これでは意味が通じないと私は判断し、前の叙述からも「車」は「軍」の誤植と断じ、特異的に訂した。

 しかるに、戰ひがつづけられてゐるうちに、男性的にして良心的な殿樣のこころに、しだいにくらいかげがさしてきはじめた。同じやうな戰ひがつづけられ、同じやうな經過と結果とが日課となつて、殿樣のこころに倦怠と疑惑とが生じた。いくら切られてもこちらは減らないし、敵は減つてのゆくであるから、いつかは味方が勝利を得るかもしれないが、これがほんたうの勝利といへるであらうか。こちらはもう安心をしてをつてもよいわけで、べつだん力こぶを入れたりするところはなにもない。殿樣は寢てをつてもよいわけだ。これが眞の男性的な戰鬪であらうか。自己の運命を賭(と)し全戰力を傾倒して勝敗の歸趨(きすう)に沒頭することなくして、なんの戰ひの價値があらうか。これは戰ひではない。つまりは河童の手が眞の武器ではないからだ。殿樣は兵隊のはうにも眼をそそいでみた。兵隊にも懈怠(けたい)のこころがわき、鬪魂のにぶつてゐることは明瞭であつた。いくら切られても突かれても死なないといふことになれば、なにも伎倆をみがくことも、わざに長ずる必要もないことだ。かくて戰ひぶりはお座なりとなり、なにか馬鹿々々しい倦怠のしこりが陣屋のなかにたちこめるやうになつてゐた。

 かくして殿樣はつひに決意をかためるところがあつた。勝敗を度外視し、眞に自力を全的にみなぎらして戰ふ男性的な人間の宿命に忠實たらんとして、殿樣は河童の手に依存する卑屈をやめた。殿樣は狆の武士をよび、手を河童へかへすやうに命じた。狆の武士はおどろいて色あをざめぶるぶるふるへだした。殿樣は氣がへんになつたのではないかとまじまじと主人の顏を見た。殿樣は氣がへんになつてはゐず、昨日までの妙にけだるさうな表情が消えて、りんりんたる勇氣がそのおもてにあふれ、これまでにかつてなかつたやうなたのもしい武者ぶりであつた。殿樣の命令はおごそかで、二度と口返答をゆるさぬきぴしさにあふれてゐた。反對すればたらまち手打ちにされるやうなすごささへある。狆の武士は河童に手をかへすべく、搦手(からめて)の間道をつたつて山への道を行つた。戰鬪はまつたくちがつた樣相をおびるやうになり、そのをたけびも劍戟のひびきもこれまでの懈怠のいろをふきとばして、はじめて人間のさいごのいのちをかけあふ悲壯なものとなつてきた。

 當惑したのは狆の武士である。くしやくしやした眼鼻だちをいつそうちぢこめて、腹だたしげに河童の手を入れた袋をさげてゐたが、到底、山の池までこれをとどけにゆくやうな阿呆らしい役目をはたす氣にはならなかつた。武士の沽券(こけん)にかかはる。そこで彼はいつも河童が通つてくる松並木まできて、そこの一本の松の梢にとりだした河童の手をひつかけておいて歸つてきた。河童が來ればかならず氣づくことは明瞭であつた。狆の武士は城への道をひつかへしてきたが、あの手のなくなつたこれからの戰鬪がどんなに苦しいものであるかをかんがへて、もうがたがたふるへがきた。さうして劍戟のひびきのきこえる搦手の門まできて、いきなりくるりと踵(きびす)をまはすと、狆がはしるやうにいづくかへ逃亡し去つた。

[やぶちゃん注:最後の一文の「踵(きびす)」の「踵」は実は底本では「腫」となっているが、これでは意味が通じない(「腫」に「きびす(かかと)」の意味はない)。ルビからも「腫」は「踵」の誤植と断じ、特異的に訂した。

 松の梢にのせられた河童の手は歳月とともに風雨にうたれてしだいに腐蝕していつた。もうあきらめてゐた河童は人間への信賴を斷念して、池の底から出ようとはかんがへなかつたので、自分の手がゆきさへすれば見つかるところにあることを知らなかつた。松の梢の手は烏(からす)につつかれたり、鳶(とび)に食はれたり、蛆(うぢ)がわいたりしてしだいに原型がなくなり、それも風化して、つよい風の日に吹きとばされて四散してしまつた。秋風がたつやうになつてから、ながい忍耐ののちまたも未練が出て、河童が池を出て、人間の武士の家をおとづれたときには、その家は灰燼に歸してあとかたもなく、おもい心をいだいてかへつてくると、みじんの骨片となつた自分の手が水がきのある濡れた足のうらにまつはりついてくるのであつた。

2016/12/17

ブログ890000アクセス突破記念 火野葦平 十三夜

 

[やぶちゃん注:本テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが890000アクセスを突破した記念として公開する。【2016年12月17日 藪野直史】]

 

 

 十三夜

 

 

        一 家  の  外

 

 もしもし、誰もゐませんか。ちよつと起きてくれませんか。誰もゐないのですか。……困つたな。どうも、誰かゐるやうに思はれるのだがなあ。さつき、話し聲や物音がしたやうに思つたのだが、行きには點(つ)いてゐた灯(ひ)も消えてしまつてゐる。寢てしまつたのかな?……

 もしもし、もしもし、留守なのですか。……返事がない。……すつかり、ぐるりは戸じまりがしてあるし、すき間はあるが、中はまつ暗なので、なにもわからない。狐や狸のやうに、どんな小さな穴からでも風のやうに忍びこむことはできないし、はて、どうしたものかな。もう一ペん引つかへして、探してみようかしら。……だが、もう足がしびれるくらゐ、さうだ、三十ぺん以上も往復したのだから、いくら俺の眼がわるいといつたつて、こんな明るい月の晩に、見そこなふ筈はない。やつぱり、この家の人間が拾つたものにちがひない。この往還にはこの家一軒しかないのだし、時間からいつても、誰も通らなかつたのだから、さうとしか考へやうがない。この家にはたしか、四十くらゐの樵夫(きこり)夫婦と、六つか七つの女の子が一人ゐたやうに思つたのだが、……

 もしもし、聞えないのですか。すみませんが、ちよつと起きてくれませんか。ちよつとおたづねしたいことがあるのですが、……わたくしはこの山の水天宮の池にゐる河童です。あなたがたもわたくしのことは聞いたことがあると思ひます。なにもいたづらをしようの、危害を加へようのといふのではありません。ほんとに困つてゐるので、おたづねやら、お願ひやらにまかりでたものです。

 わたくしは、今夜、この麓の目痛川(めいたがは)の溜(たまり)でひらかれた仲間の集合に行つたのです。十三夜の月の晩に、毎月もよはされる例會なのですが、今夜もたそがれどきから、この地方一帶の仲間が百匹ちかくも集つたのです。なぜ十三夜の晩にかぎつて集るやうになつたかといふことは、實はわたしもよくは知りません。なんでも、昔、やはり水天宮の池にゐましたわたくしの祖先が、どうしたはずみか、崖のうへから落ちて皿を割る事件が起ったことがあるさうです。河童にとつて頭の皿ほど大切なものはなく、水分が減つてさへも氣力が衰へて病になることがあるのですから、皿が割れることは、生命にかかはるやうな大事でありまして、ただちに附近の仲間たちが召集されることになりました。何故なら、わたくしの祖先は、若いころ、筑後川にゐます河童の頭目九千坊の膝下にゐまして、直接の薫陶をうけ、且つは阿蘇の那羅延坊の覺えもめでたい出色の者であつたために、ここに來ましてからは、由緒ある水天宮の宮附として、ここらあたりの河童の見かじめをしてをりましたので、臨終にあたつて、いひ殘さねばならぬことがあつたからです。そのときもわたくしの祖先の遺言は十六箇條にわたる綿密なもので、河童の生きてゆく根本の精神について、生活の方法について、あるひは、眞實について、歷史について、藝術について、科學について、戀愛について、道德について、さまざまの示唆(しさ)にあふれた格言に滿ちて居りましたが、それらの言葉も精神も、いまは朦朧としたものになつたやうに思はれます。あきらかに文字に書きしるされて殘つてゐるにもかかはらず、勝手な解繹を加へたり、故意に歪曲(わいきよく)したり、自分に都合のわるい部分はかへりみず、都合のよいところのみをとりあげたり、或ひは全的に信奉するものがあるかと思ふと、全然否定するものがあり、まつたくそんなもののあることすら知らないものさへあるやうになつたからです。これこそは古典の持つ運命かも知れませんが、いまの世に生きるものたちの輕薄さを裏書きしてゐると思ひ、わたくしはときどき、もう古ぼけて苔の蒸した祖先の遺訓をとりだしては淚する日もあるわけです。わたくしはこれでも水天宮の池を繼承した名門の裔(すゑ)なのでありますが、その祖先が死の床で同族を召集して教へを垂れたのが十三夜の月の晩であつたとかいふことで、それ以來、この夜が、今日まで、仲間の月例集會の日となつたといひ傳へられてゐます。しかしながら、いまはその夜の持つてゐた嚴肅な意義といふものはまつたく忘れられて、ただ、習慣に過ぎなくなり、集合の席での語といへば、ほとんど、祖先の精神とは似ても似つかぬ、低俗で、賤しく、且つは、愚劣で、卑猥な話ばかりなのであります。ときには、聞くに足る話も出ますが、それはまるで問題にされず、多數を占める現世的な俗論が壓倒してしまつて、集會はいつでも、猥雜な笑ひで終つてしまふことが多いのであります。

 今夜など、わたくしは仲間たらからさんざんに嘲笑されて、はとんど憤りと悲しみとで息がとまらんばかりの思ひをしました。順當にいけば、もともと名門の裔であるわたくしがこの地方の見かじめをしなくてはならぬのでありますが、生まれつき氣の弱い、ひとをやつつけたり、おとしいれたり、ごまかして自分だけよいことをしたりするやうな政治的手腕にまつたく缺けてゐるわたくしには、さまざまの性向を持つた百匹もの部下を統御してゆく能力はとてもありませんので、いまは、わたくしの伯父にあたる鎭守(ちんじゆ)の河童に、その代役を賴んであるのです。

 この伯父は恰幅(かつぷく)が立派で、押しだしでまづひとを壓するのですが、また鼻孔の太いのと、聲の大きいのとで、仲間うちで重きをなして居りました。その伯父から、わたくしは今夜ひどい侮辱を受けました。以前、わたくしが見かじめ役をたれか親戚のものに代つてもらひたいといふことを申し出たときには、この伯父は毎夜のごとく、水天宮の池へ、いろいろわたくしの好きさうな土産ものなどをしつらへて、やつて參りまして、猫なで聲をだして、頭をペコペコ下げ、自分を代役に指名してくれと、哀願したものです。權力に對する魅力はたれも押へがたいものがあるとみえます。そのほかの親類のなかにもわたくしの小庵をおとづれるものがありましたけれども、その伯父のやうに執拗で卑屈なものはありませんでした。わたくしは權力などにはすこしも未練はありませんでしたから、もつけの幸として、この伯父に代役を指名したのです。うるさいと同時に、また、なにか脅迫めいたものを感じて怖くもなつたからです。その伯父は正式にその役に就任しますと、態度はがらりと一變して、橫暴のかぎりをつくすやうになりました。

 伯父は、今夜、仲間たちの面前で、わたくしを仲間の面よごしだといつて罵倒しました。……恥しい話ですが、わたくしはこの半月ほど前に、結婚をしまして、……いや、それが、その結婚といふのが、實は問題となつたのですが、……さあ、どういつたらいいか、わたくしは立派な結婚だと思つてゐるのに、伯父はそれを結婚ではないといふのです。さういへば、べつにことごとしく親戚にひろめもせず、身内にも知らないものもゐるくらゐでしたから、その點はわたくしにも落度があつたのかも知れませんが、相談をすれば反對するにきまつてゐますし、……といふのが、白狀しなければわからないのですけれども、わたくしはすこし前から、ひとりの娘の河童と知りあひになつてゐまして、そして決心をして、たれにも無斷で、その娘と結婚してしまつたわけです。二人の愛情の純粹さ淸さについては、たれに憚かるところもなかつたし、戀愛の眞實と自由とについては、祖先の憲章にいささかも悖(もと)らない確信も持つてゐたからです。それ故に、水天宮の池底のわたくしの新婚の家庭はまことにささやかではありますが、幸福に滿ちたものであつたのです。

 ところが、そのことを伯父にいはせますと、もつてのほかの氣ちがひ沙汰で、名門の榮譽を冒瀆し、德義を無視した靑年の客氣にすぎない。素性(すじやう)もさだかでない女を神聖な水天宮の棲家(すみか)にひきいれるのは神をおそれぬ危險思想である。且つは、親戚一統の承認を輕ないのは正式の結婚とは認められず、單なる野合にすぎない、といふことになるのです。さうして、伯父は滿座のなかで、例の大聲を發し、巨大な鼻孔をぶうぶう鳴らし、さういふ淫蕩なる不良靑年を仲間から出したのは心外であるから、その女をただちに離別するか、自分がこの土地から退去するか、どちらかを選べと、くりかへしくりかへし、わたしを面詰するのでした。座中にはなだめるものもありましたが、伯父の劍幕に辟易(へきえき)して沈默し、多くの仲間は伯父に阿諛(あゆ)して、ともどもにわたくしを嘲笑するのでした。

 わたくしは座にゐたたまれなくなつて、目痛川の溜をとびだしました。わたくしの背後でどつと笑ひ聲がおこりましたが、わたくしはもう憤りでぶるぶる顫へながら、まつすぐに水天宮の池へ急ぎました。十三夜の月が晝間のやうに明るい道を急ぎながら、嘗て、この十三夜の月の晩、祖先が死の嚴肅のなかにあつて遺した教訓が、このやうにも完全に忘れ去られてゐることにおどろき、憤りのなかにはてもない悲しみとさびしさがわいて來ました。さうして、複雜な感慨にひたりながら、ただ、池底で待つてゐる新妻のことを考へ、なにはおいても彼女に會ふことによつて一切が償はれるのだと、ほとんど走るやうに、道を急いだのです。……ああ、そのわたくしの興奮が、つひに、わたくしに途方もない災ひをもたらしたのです。

 もしもし、聞いてゐますか。

 わたくしはほとんど混亂してゐたために、大變な失策をいたしました。どこかに、池へかへる鍵を落してしまつたのです。わたくしたちには傳説のきびしい掟があります。その掟はつねにわたくしたちの生命であり、宿命の規律であり、なにものをもつてしても犯すことができません。水天宮の池底にかへるためには、わたくしはその鍵を持つてゐなくてはならないのです。いつも腰の袋に入れてゐて、落すなどといふことはないわけなのですが、きつと、興奮して急ぎすぎたために、知らぬ間にとびでたものと思はれます。形はただ丸い平凡な小石で、わたくしには絶對になくてはならぬものですが、……あなたがた人間にはなんの役にも立たぬものです。もし、あなたがたが拾つて居られるものなら、返して下さいませんか。どんなお禮でもいたします。

 わたくしは鍵を落したことを知ると、氣も動顚(どうてん)せんばかりでした。それでも、この明るい月夜ですから、まもなく見つからうと、この往還を必死で探しました。そして、たうとう、三十ペん以上も往復し、へとへとになりました。足もしびれてしまひました。いくらわたくしの眼が惡くても、こんなに明るいのですから、あれば見つからぬわけはありません。ないのです。この道には落ちてゐないのです。いや、一度は落ちたかも知れないが、誰かが拾つたのです。さうにちがひありません。さうとすれば、あなたがたよりほかにはありません。わたくしは血眼で道ばかり探してゐたので、あまりよくは氣づきませんでしたが、ともかく、麓から池までの間には、この家一軒しかありません。はじめは戸もあいてゐたし、燈もともつてゐたやうに思ひます。誰かゐる氣配も感じました。それが、いまはすつかり戸じまりができ、灯も消えてゐます。家のなかは眞暗になつてゐますが、きつと、皆さんが居られるとわたくしは信じてゐます。

 もしもし、もうおやすみですか。ちよつと起きてくれませんか。きうして、戸をあけて下さいませんか。けつして、いたづらをしたり危害を加へようといふのでありません。それどころか、わたくしは命がけなのです。こんなに困つたことははじめてです。もし、その石を拾つて居られるなら、……いや、きつと拾つて居られると思ひますから、わたくしに返して下さいませんでせうか。さつきもいふとほり、わたくしにはなくてはならぬものでありますが、あなたがたには用もないものです。どんな御恩返しでもいたします。

 ああ、かうしてゐる間にも、氣がせきます。實は伯父がわたくしの妻に邪(よこしま)な懸想(けさう)をしてゐたことを、わたくしはよく知つてゐるのです。その石の鍵がなければ、わたくしは池にかへることができません。妻は池から出ることもできません。つまり、わたくしたちは二度と會ふことができなくなるのです。ああ、もう、彼女にこれきり會へないなんて、……さうして、池にかへれないなんて、……伯父が、伯父がひよつとしたら、今ごろは、水天宮の池に行つて、……もしもし、もしもし、お願ひです。お願ひします。石の鍵を返して下さい。どうぞ、お返し下さい。……もし、もし、もし、……もし、……

 をかしいな。いくらいつても返事がない。やつぱり、誰もゐないのだらうか。きつと居ると思つたのだが、……困つたなあ。……實直さうな樵夫の夫婦だし、居れば、さうして事情を聞けばかならず返してくれると思ふのだが、……もし、鍵がなかつたら、どうなるんだ。池にかへれない。彼女に會へない。伯父が、……畜生、どうしたらいいんだ、絶望だ。

 もしもし、もしもし、もしもしもしもし、……お願ひです。あけて下きい。鍵を返して下さい。

 やつぱり、誰もゐないのだ。……仕方がない。月も傾いたが、もうすこし探してみよう。月が落ちたら、なにもわからなくなる。まだ、探し足りないのだらう。なにしろ、石が小さなものなんだから、……

 

          二 家  の  中

 

「どうやら行つてしまつたらしいな。なにか、永いこと、くどくど喋舌(しやべ)つとつたねえ」

「なにをいつてゐたの? あなた。風のやうにざわざわいつてるばかりで、あたしにはよくわからなかつたけれど」

「俺にもよくわからんが、なあに、河童などのいふことが、なにかわかるもんか。うつかり口車にでも乘つたら大變だよ。相手にならず默つてりやいいんだ。また、來るかも知れんから、返事をするんぢやないよ」

「はい」

「お前、面白いものを拾つたなう」

「父ちやん、これ、なあに?」

「きつと、河童の丸子石(まるこいし)だよ。父らやんが死んだおつ母から聞いたことがある。子供のお前にやいらんものだから、父ちやんにくんな」

「いやん。あたい、折角拾つたんだもの」

「そんなもの、なにするかい」

「なにつて、きれいな石だもの。風鈴に入れるか、簪(かんざし)の玉かにするわ」

「そんなことよりな、父ちやんにくんな。父ちやんがこれを持つて町に行くとな、よろこぶ人があるんだよ。死んだおつ母の話ぢやあ、河童の丸子石は喘息(ぜんそく)の妙藥だつていふことだつた。喘息てな、なほりにくい病氣だが、丸子石があつたら、どんなたちのわるい喘息でも、すぐになほるんだ。父ちやんがいつも世話になる町の旦都がもう長いこと喘息で寢てござる。旦那にや恩になつてゐるから、なにかで恩返ししなくちやと思つてゐたが、貧乏ぐらしでなんにもできなかつた。これは天のお助け、だ。夜があけたら、すぐに旦那のところへ、これを持つて行かう。すりつぶして、味噌汁に入れて飮めばいいんだよ」

「飮んでしまふの?」

「うん、さうしたら、二三日もしたら、すつかり喘息がなほつてしまふんだ。旦那よろこぶだらうな」

「そんなら、惜しいけど、父ちやんにあげるわ」

「よしよし、いい子、だ。そのかはり、父ちやんが町で、美しい風鈴に、玉簪を買つてやるよ。一緒に町に行かうな」

「うれしいわ」

「あなた、あれ、なに?」

「お、河童の足音だ。また引つかへして來やがつたな。……近づいて來る。ものをいふな。音を立てちやいかんぞ。なにをいつても默つてるんだ。いいな。……そら、もう、表に來た。しいつ、なにをいつても、返事するな」

 

[やぶちゃん注:「目痛川」不詳。先の「新月」に登場する川名である。た、ここでは、「水天宮」「筑後川」「阿蘇」とソリッドに固有名詞が出、しかも主人公が河童の中でも正統なる血筋の末裔であることを考え合わせるなら、このロケーションの「水天宮」は高い確率で筑後川が近くを流れる、福岡県久留米市瀬下町(せのしたまち)の、全国の水天宮の総本宮である、「水天宮」と考えてよかろうかと思われる。場所柄、天御中主神の他、安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀っており、言わずもがな、壇ノ浦で滅びた平家が河童となったとする伝承は広くこの附近に残る。

「九千坊」「河童曼荼羅」の先行作に他出する。

「那羅延坊」先の「白い旗」に登場する。

「見かじめ」「見ケ〆」などと表記する。見回って取り締まること。現行では「みかじめ料」として、暴力団が不当に脅しをかけて飲食店などから徴収する用心棒代・ショバ代・挨拶代の謂いでしか、專らしようされなくなった。

「河童の丸子石」不詳。]

2016/09/17

ブログ・アクセス860000突破記念 火野葦平 蕎麥の花

[やぶちゃん注:私には何か非常に哀しい話と読める。

 最初に簡単な語注を附しておく。

「貴船神社」叙述(「香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵」)から現在の福岡県田川郡香春町(かわらまち:現行はこう読む)紫竹原(しちくばる)にあるそれかと思われる。

「香春(かばる)街道」大宰府と豊前国及び大和朝廷を結ぶ街道の一部を原形とするもので、現在の福岡県北九州市から同県久留米市に至る国道三百二十二号に相当し、同国道のの別称として今も使われる。名称は、起点である北九州市小倉南区附近から、田川郡香春町へ向かうことに由来する。

「庚申淵」は不詳であるが、「香春街道の出はづれにある」という表現からは私は地図上で見る限り、彦山川の北の支流である金辺川の淵であろうと踏んでいる。実は後に「庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にある」と出るのであるが、この「長峽川(ながをがは)」と「檢地」という地名はあるにはあるものの、福岡県行橋市下検地付近でここは香春からは直線でも十キロ以上離れており、しかもここを行き来可能な河川を地図上では見出せない。識者の御教授を乞うものである。

「海御前」既に電子化注した本「河童曼荼羅」の作品にはしばしばこの設定でこの名が出るが、特に彼女を主人公とした「海御前」がある。また「西日本リビング新聞社」公式サイト内の「海御前とカッパの証文石(門司区)」を読むと、平教経の妻海御前が河童の惣領となったことが出、また以下の大積周辺には河童駒引伝承があることが判る。なお、個人サイト「北九州市まちかど探検」の「門司区大積周辺地区」も必見。

「大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)」企救半島の東側福岡県北九州市門司区大積。上記に引用した「海御前とカッパの証文石(門司区)」で、大積の殿様が「乙女川」の川岸で愛馬を河童に引かれたと出るが、これは大積村内を流れる奥畑川の別名であり、従って、「乙女岩」はこの大積の周防灘に面した入り江(或いは河口附近)にあった岩礁(或いは川中の岩場)を指すものかと推測される。

「庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる」これは現在の福岡県久留米市大橋町常持にある庄前神社である。古賀勝氏のサイト「筑紫次郎の世界」の「伝説紀行」にある「巨瀬川の尼御前カッパ」に詳しい。

「草野(くさの)」現在の福岡県行橋市草野。ここは先の「長峽川」の左岸(北側)に当たり、地名の「検地」にも近い。ますます分らなくなってきた。

「到津(いたうづ)」遙か北の現在の福岡県北九州市小倉北区到津(いとうづ)である。現在、「到津の森公園」として小倉区西部では特異的に自然が残っている。

「伽羅(きやら)」香木の一つである沈香(じんこう:正しくは「沈水香木(じんすいこうぼく)」)の中でも質のよいものをこう呼ぶ。ウィキの「沈香」によれば、『東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ属(学名:アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha)の植物である沈香木などが、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積したものを乾燥させ、木部を削り取ったものである。原木は、比重が』〇・四と『非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈水」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違う』とある。

「音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、/橋の下から泣き音頭」これは盆踊唄の一つである。こちらを参照されたい。

「高門(たかもん)」地名かも知れぬが、見当たらぬので金持ち(或いはその部落内でのそうした富裕な家の通称一般名詞又は名前に準じた固有名詞)という意味でとる。

「ギンギュウといふ魚」「はえにちよつと似てゐる川魚で」「珍しい魚でもなんでもない」が「赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた」「はえ」は、日本産の条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科 Cyprinidae の淡水魚の中で、中型で細長い体型をもつ種群の総称であり、「はや」「はよ」などとも呼ばれるが、これはだいたいコイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis・ウグイ亜科アブラハヤ属アムールミノー亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii steindachneri・アブラハヤ属チャイニーズミノー亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi・コイ科 Oxygastrinae 亜科ハス属オイカワ Opsariichthys platypusOxygastrinae 亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldiiOxygastrinae 亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii を指す。私はこの内でも春に雌雄ともに鮮やかな婚姻色の紅色条線を発するウグイ Tribolodon hakonensis をそれのモデルとして採りたい(この時期の彼らを「桜うぐい」と呼び、私は好物である)。なお、「ギンギュウ」という奇体な名からは条鰭綱ナマズ目ギギ科ギバチ属ギバチ Pseudobagrus tokiensis の地方名である「ギギュウ」「ギンギョ」を想起するが、これは紅い模様の必要条件を満たさない(茶褐色の赤味の強い個体はいるが、「桜うぐい」に比したら話にならぬし、「はや」のグループとも似ていないからである)。

「産褥」「さんじよく(さんじょく)」産婦の用いる寝床。

「ドンコ」棘鰭上目スズキ目ハゼ亜目ドンコ科ドンコ属ドンコ Odontobutis obscura 。日本産ハゼ類の中では非常に珍しい純淡水性のハゼ。

「沈湎(ちんめん)」沈み溺れること。特に酒色に耽って荒んだ生活を送ることに用いる。

 なお、本篇は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、私のブログ・アクセスが860000を突破した記念として公開する。【2016年9月17日】]

 

 

   蕎麥の花

 

 

 川面をわたる風に乘つて、貴船(きふね)の方角から太鼓の音が聞えて來る。盂蘭盆(うらぼん)が近づいたので、村の若い男女が社の境内に集つて盆踊りの稽古をしてゐるらしい。これは每年のことだから、格別珍しいことではないが、香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵(かうしんぶち)に棲んでゐるお染河童(そめかつぱ)にとつては、年變るごとの樂しみの一つではあつた。河童も遊ぶことがきらひではないけれども、人間たちのやうにかういふ浮き浮きした度はづれの祭はやらない。ことに、お染をふくむ北九州界隈の女河童は、いづれも源氏に亡ぼされて關門海峽に沈んだ平家の女官であつたから、敗戰滅亡の悲しみがなほ尾を引き、なにかの歡樂に底拔けにうつつを拔かすといふ氣特になかなかならないのだつた。しかし、樂しいことは好きなので、人間たちが浮かれ騷いでゐる樣子を遠望しながら、すこしでも心を明るくするよすがにはしてゐた。今夜も月のさす土堤(どて)に腰かけて、お染は提灯や炬火(たいまつ)のきらめく神社の境内の賑はひを眺めてゐたのである。そして、化(ば)ける術を知つてゐたならばきれいな娘に變じて、踊の環のなかに加はることができるのにと思ひながら、變化(へんげ)の法を知らないことにさびしさを感じてゐた。

 壇の浦で亡びた平家一門のうち、男は平家蟹となり、女は河童となつた。その女河童たちは能登守教經(のとのかみのりつね)の夫人であつた海御前(あまごぜ)によつて統率されてゐる。海御前は門司(もじ)の大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)に本據をかまへ、ことあるごとに部下を召集して、さまざまの指示をくだす。毎年六月一日には定斯總會が行はれた。海御前はそのときどきの情勢にしたがつて、いろいろの指圖をしたが、いつの會合のときにも變らぬことが一つあつた。それは憎い源氏に對する恨みである。日ごろはおとなしい海御前も事源氏に關する話題になると、柳眉を逆だて眼をぎらつかせ、背の甲羅を炎症をおこすほどぎすぎす鳴らして、

「お前たち、なんでもかんでも源氏につながりのあるものには、かならず仇を討たないと、平家一門の顏にかかはるぞ」

 と、まるでやくざの女親分のやうに、凄い啖呵(たんか)を切るのが常であつた。

 大勢の女河童のうち、海御前から特に愛されてゐた數名が關門海峽の海底から他所へ移された。庄ノ前は筑後川中流の水の美しいところに居をあたへられ、お染は庚申淵に配されたのであつた。庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる。お染のあたへられた庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にあるため、つねに水が變り、深さははかり知れないほどになつて、その棲み心地はなんともいへなかつた。水の澄んでゐることは靑水晶のやうである。そして、餌(えさ)は豐富だつた。關門海峽で味氣ない集團生活をしてゐたときには瘦せてゐたお染は、庚申淵に移住してから一ケ月もたたぬうちに見ちがへるほど肥え太つた。大勢ゐるとかならず起る感情問題やいざこざがここにはなく、のんびりと自由であることが彼女を肥えさせる一因にもなつたのであらう。ただ一つの缺點は孤獨であるといふことだけだつた。お染は心のやさしい河童であつたから、夏になつて、長峽川、檢地川、庚申淵等で泳ぐ子供たちがけつして溺れないやうに見守つた。溺れさうになる者があるとこれを助けた。しかし二つの川と一つの淵との全部にはとても注意が行きとどかず、彼女が氣を配つてゐるにもかかはらず、たまに子供が溺れることがあつた。そんなときお染は神通力の惠まれてゐないことを悲しみ、死んだ子供のために淚を流した。しかし、人間たちはそんな彼女の氣持を知らず、河童の畜生奴、子供を引きこみやがつて、と口惜しがつて罵倒するのを常とした。

 貴船神社境内の盆踊りは夜更けになつても衰へる樣子はなく、さらに賑はひを增して行くやうである。孟蘭盆には人間には特別の樂しみがある。若い男と女との自由な交歡である。お染も年ごろになつてゐたから、人間たちのさういふ靑春の營みを見て心が疼かないでもなかつたが、自省心に富んでゐたので亂れるやうなことはなかつた。太鼓の音はいよいよ高くなつた。人間の歌聲のどよめきとともに、提灯の數もふえ、炬火の火花は冴えた靑い月を燒きこがすやうに中天に舞ひあがつて、眞夏の夜空に吸ひこまれた。

 土堤にうづくまつて、膝をかかへたまま、この光景を眺めてゐたお染は、ふつと妙な物音を耳にしてふりかへつた。芒の叢(くさむら)をかきわけて、一匹の狐がこちらにやつて來るのが月光に見えた。向かふではまだ河童に氣づかぬらしい。お染はあわてて土堤のかげに走りこんだ。見られたところでかまはないのだが、狐が奇妙なことをはじめたので、これを見物するために姿を隱したのである。幸ひ風が反對に吹き、河童特有の生ぐさい匂ひが狐の方に行かないことをよろこびながら、お染は眼を皿にして狐の一擧手一投足を注視した。

 狐は土堤から川原に降りた。ちよつとあたりを見まはしてゐたが、誰もゐないと安心したらしく、汀(みぎは)で顏を洗ひはじめた。細い手にすくひとつた川水がまるで水晶のかけらをまき散らしてゐるやうに、月光にキラキラ光つた。その何滴かは飮んだらしい。狐はそれから北斗七星をふりあふいで、なにかを祈るやうな恰好をした。次には叢のところに行き、しきりに草を引き拔いて自分の身體にくつつけはじめた。草で身體中が掩はれるほどになつたとき、お染河童は瞠目(どうもく)した。もうそこには狐などは居らず、一人の美しい靑年が立つてゐるのであつた。元祿繪卷から拔けだして來たやうな若衆であつた。靑年は化身を終ると、對岸はるかの人間たちの盆踊りの光景を眺めながら、祭囃子の調子にあはせて川原で踊りだした。その手ぶりや身體のさばきはあざやかで、お染はうつとりと見とれた。そして、ふたたび自分が變化の才に惠まれてゐないことを悲しんだ。お染はたまらなくなつて、土堤を降つて行つた。狐は突然河童が出現しても格別おどろかなかつた。庚申淵に棲んでゐるお染河童のことを知らぬ者はなかつたし、お染が他の河童たちとちがつて、性質のやさしい、またみめ形も美しい女河童であることは有名であつたからである。ただ狐は知らぬ間に自分の行動を見られてゐたことを知つていくらか照れた。

「今晩は」

 と、お染は挨拶した。

「今晩は、お染さん」

 と、狐はにこにこ顏で答へた。そして、くるりと宙返りすると、もとの狐になつてしまつた。みごとな藝である。

「さつきからあなたの姿を感心して拜見して居りました。あなたはどちらの方です」

「草野(くさの)に棲んでゐる者で、與左衞門と申します。どうぞ、よろしく」

「草野の狐さんはあたしみんな存じて居りますのに、あなたははじめてですわ」

「さうかも知れません。つい四五日前、到津(いたうづ)の方から叔父を賴つて草野に參りましたばかりですから。でも、僕の方は到津にゐるときから、お染さんのことは聞いて知つて居りましたよ。一度お逢ひしたいと考へてゐたところでした。今夜はからずもお目にかかれて光榮です。おつきあひ願ひます」

「こちらこそ」

 この夜がお染と與左衞門とのなれそめの最初となつた。孤獨のさびしさに耐へてゐたお染は一擧に與左衞門によつてこれまでの渇(かつ)を醫(いや)され、男の方も眷屬(けんぞく)はちがふが魅力に富んだお染を愛して、二人の仲は日とともに濃厚になつて行つた。その結合は自然であつた。お染はしかしはじめは自分の體臭について思ひ惱んだ。魚のやうに生ぐさい匂ひは河童本來の身についたものなので、これをどうしようもない。芳香のある花や草の汁を塗つてみても、人間の使用する香水をふりまいてみても消え去るものではなかつた。神佛に願がけしても效驗はなかつた。宿命的にあたへられたものを恨んでも仕方はないが、お染はこのいやな匂ひのために、與左衞門から嫌はれるのではないかと怖れた。これまでは自分の體臭について反省をしたこともなく、いやだと思つたこともないのだが、戀が彼女を唐突に苦しめはじめたのである。しかし、案ずるほどのことはなかつた。惚れてしまへばアバタもヱクボといふ人間の諺は眞實だつた。與左衞門はお染の體臭をいやがるどころか、

「お染さんの身體は全體がまるで伽羅(きやら)のやうですね。實にすばらしい匂ひがする」

 といつて、いよいよお染を溺愛した。その匂ひはかへつて官能を刺戟するものとなつて、二人の愛慾のいとなみは野放圖なほどだつた。お染はもう孟蘭盆の人間たちの靑春圖繪を見ても羨ましがる必要はなくなつた。眷屬のちがふ動物同士の戀の意味や、傳説の掟のきびしさや、先々のことなど、いまはなにひとつ考へることはせず、現在の幸福に溺れきつた。お染には祕密ができたのである。

 大積の乙女岩にゐる海御前はつねに部下たちの動勢に注目してゐたが、お染の戀愛については最後まで氣づかなかつた。庚申淵を中心とした長峽川、檢地川には男河童はゐなかつたし、まさか異類の獸と交歡してゐようとは想像もしなかつた。忍ぶ戀をしはじめると智慧もつく。いつかお染も親分をだますことが上手になつてゐて、巧妙に虛僞の報告をした。お染が氣立のよい、噓をつかない女であると海御前は信じきつてゐたので、やすやすと舌の先に乘せられ、お染の一言一句を疑はうとはしなかつた。お染は噓をつくことがよいこととは思はなかつたけれども、戀のためであればそれを罪惡とは考へなかつた。

「お染さん、御馳走だよ」

 與左衞門はさういつて、よくいろいろなものを持つて來た。油揚げ、蓮根、かまぼこ、煮豆、昆布卷き、すしなどである。それはしかし與左衞門がこしらへたり買つたりしたものではなく、庚申塚に供へられたり、人間が好んでやる宴會といふものの歸りに、折詰をぶら下げてゐるのをかつぱらつて來たものである。庚申淵の土堤に獲物をぶらさげて來ると、與左衞門は淵のうへまで枝をさしのべてゐる榎の大木の幹をコンコンコンと三度たたく、それが訪れの合圖だ。その低い音は靑く淀んだ深い淵の水をくぐり拔けて、淵底のお染の棲家まで電報のやうにとどく。お染はおしやれになつた。その音を聞いてから大急ぎで頭の髮をかきつけ、背の甲羅をみがき、薄化粧する。嘴にも紅藻(べにも)の汁を塗り、頭の皿の水も新しくとりかへる。與左衞門の方も同樣で、二人は逢ひびきのたびに、おたがひがだんだん美しくなるといつてよろこび、さらに慕情を深めあふのであつた。

「與左衞門さん、お土産よ」

 お染の方もときどき草野に出かけて行つた。しかしこれはいくらか冒險であつた。庚申淵にはお染以外誰もゐないけれども、草野には狐や狸がたくさん棲んでゐるので、ひと目につきやすい。與左衞門もこれを顧慮して、お染に草野には來るなといましめてゐた。しかし、お染は逢ひたくなるとたまらなくなる。それにもう一つは奇妙な嫉妬心もあつた。與左衞門がお染を草野に來たがらせないのは、草野に女房がゐるからではないか。女房でないまでも戀人でもゐるのではないか。しかしそれは杞憂(きゆう)だつた。まつたく露見を怖れてのことであつた。狐の仲間には異類と交歡してはならぬ掟があつたから、與左衞門はお染との仲がばれることに戰々兢々としてゐたのである。それで、お染が、鯉、鮒、鯰、すつぽん、はえ、えびなどの豪華な川料理を心をこめて土産に持つて行つても、與左衞門は不機嫌に佛頂面をしてゐた。

「君がこつらに來なくたつて僕が行くよ。危險ぢやないか」

「でも、今日で三日も來て下さらないんだもの」

「そんなに毎晩は行かれん。女はそれしか用がないかも知らんが、男には仕事があるんだ。もう二度と草野には來なさんな。どうやらこのごろ、叔父がかんづきかかつてる形跡があるから、……」

 さういはれてゐても、一週間も與左衞門が姿を見せないと、お染は矢も楯もたまらなくなつて、草野へ出張して行くのだつた。

 そろそろ秋風の吹きはじめたうすら寒い晩のことであつた。四五日前から降りつづいた雨はあがつてゐたけれども、道はぬかるみ、二つの川と一つの淵の周邊にはいたるところに水たまりができてゐた。三日月が出てゐた。

 村の靑年に化けた與左衞門は檢地堤に腰をおろし、前方から大聲で歌をうたひながら近づいて來る人間を待つた。疑ひもなく宴會の歸りで、醉漢の腰には大きな折詰がぶらさがつてゐる。その中身が近來にない豪華料理らしいことは箱の大ききと紋章つきの風呂敷の立派さでわかつた。きつとどこかの大家で婚禮があつたものにちがひない。調子はづれの野太い聲でどなりながら來るのは、五十がらみの百姓親爺だつた。

   音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、

   橋の下から泣き音頭

   サッサ、ヨイヤサ、サノサト……

「おつさん、上手ぢやなあ」

 と、與左衞門は醉つぱらひが近づいて來ると、聲をかけた。

「誰ぢや、そんなところに居るとは?」

「貴船(きふね)の勝太郎ですよ」

「貴船の勝太郎がそんなところでなにしとる?」

「月を見とりますよ」

「月見? ヘン、あんな針金みたよな月を見てなんするか」

 さういつた百姓は芯から醉つてはゐなかつたとみえ、急にギョロッとした眼つきになつて、土堤の男を見た。たしかに貴船の勝太郎にちがひないが、その勝太郎は川の土堤に來て月を見るやうな風流な男ぢやない。いま時分は判子(はんこ)を押したやうに、このごろ村にできたパチンコ屋にゐるはずだ。百姓はこの界隈でよく狐から折詰をとられる噂を思ひだした。彼は力自慢で度胸もある男だつたので、この狐をひつとらへてやらうといふ魂膽になつた。それでなにげない樣子で、

「おい勝太郎、高門(たかもん)の祝言(しうげん)でたいそうな御馳走を貰うて來た。ちいと食はんかい」

 さういひながら、腰の折詰をはづした。

 それでなくてさへ、お染のために折詰を狙つてゐたのだから、與左衞門は渡りに舟と思つた。

「そんならすこしよばれるかな」

 といつて、土堤から下の道に降りて來た。無論すこしではなく全部かつぱらふつもりである。

 百姓の方は用心しながら、風呂敷包みをひろげる眞似をした。與左衞門は油斷をしてゐた。いきなりつかみかかつて來た百姓のため、わけもなく、そこへ抑へつけられた。おどろいてはねのけようとしたが、まるで岩がのしかかつて來たやうな糞力(くそぢから)だつた。

「おつさん、なにを無茶するのか」

「ワッハッハッハッ、土狐(どぎつね)のくせに、無茶が聞いてあきれるわい。貴樣のために、この邊の者がどんなにひどい目に逢うたかわかりやせん。もうかうなつたら百年目ぢや。狐汁にして食うてやるわい」

「おつさん、おれは貴船の勝太郎ぢやよ。狐でなんかあるもんか」

「笑はせるな、尻尾を出してやがるくせに」

 おさへつけられた拍子に、神通力がとけてもとの狐にもどつたことを與左衞門は氣づいてゐなかつた。人間は狐をしばるために自分の帶をときはじめた。

 與左衞門の頭にぼつとお染の顏が浮かんだ。すると身内に猛然たる勇氣がわきでて來た。渾身(こんしん)の力をふるひおこすと、岩の重(おも)しのやうな百姓の身體の下からはねあげた。しかし、相手もさる者だつた。

「逃がしてたまるか」

 と喚(わめ)いて、狐をなほもしつかりと摑んで離さなかつた。脱れようとする與左衞門と逃がすまいとする百姓とは組んづほつれつの格鬪になつた。そして二人ともそこら一面にある水たまりの中をころげまはつて、ずぶ濡れ泥まみれになつた。一度百姓は狐を深い水たまりのなかに押しこんだ。窒息させようと考へたのである。與左衞門は水中でもがき、したたかに泥水を飮んだ。息がとまりさうだつた。しかしまたお染のことを考へると、必死になつて暴れ、やうやく百姓の手から脱れることができた。もう折詰どころではなく命からがら草野へ逃げ歸つた。

 與左衞門が十日間も姿を見せないので、お染は心配のあまり、禁ををかして草野に出かけて行つた。そして、與左萄門が高熱を發して寢こんでゐるのを見ておどろいたのである。冷い水たまりで泥水を飮んだため、風邪をひき胃腸病にかかつてゐるのだつた。そして、胃腸の方は治つたが、風邪がこじれて肺炎をおこしてゐた。格鬪したときの傷痕が方々にある。與左衞門は瘦せ細り、聲にも元氣がなかつた。お染はその姿を見て泣きくづれたが、この災難が自分に御馳走をあたへようといふ戀人の氣持からの出來事とわかると、どんなにしてでも自分が與左衞門の病氣を治さなければならぬと決心した。またお染は戀人につききりで看病がしたかつた。しかしそれは不可能だつた。ふだんでもひと目が多い草野なのに、與左衞門が寢こむと、叔父一家の狐たちが入れかはり立ちかはり看病に當つてゐるため、その際を見て與左衞門に逢ふだけでも大變である。不安と焦躁とにかられながら、お染は容易に病人に近づくことができなかつた。それは與左衞門の方も同じ思ひだ。二人はちよつとの隙をうかがつてはあわてふためいた逢ひびきをした。與左衞門は叔父たちの棲家とはすこし離れた小さい穴に一人で棲んでゐたので、これまではお染がときどき訪れて行つてもわからずにすんでゐたのであるが、今度はうつかりしてゐると發見される公算が大だつた。

「とにかく早く全快して貰はなければいけないわ。あたし肺炎によく利く藥を持つて來てあげるわ」

 しだいに衰弱して死相さへ呈しはじめた戀人を救ふため、お染は一大決心をした。彼女は胸の病をなほすためにはギンギュウといふ魚に勝るものはないことをよく知つてゐた。はえにちよつと似てゐる川魚である。ギンギュウは二つの川にも庚申淵にもたくさんゐる。珍しい魚でもなんでもない。ただ、きびしい傳説の掟にしたがつて、獲ることを禁じられてゐるのであつた。乙女岩に眷屬を召集する海御前はしばしばギンギュウ捕獲の罪について指示をあたへてゐる。源平合戰の間中、平家の旗印であつた神聖な赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた。このため、壇の涌に沈んで亡んで後、河童となつて魚類を常食とするやうになつてからも、ギンギュウだけは特に除外されてゐるのである。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇をせよといふ海御前は、わが平家にすこしでもつながりのあるものは大切にせよといひ、これををかすものはきびしく罰すると宣言した。その統領の言葉は恐しい。禁ををかした仲間がただちに十日間の絶食を命ぜられ、海御前の笞(しもと)によつて百たたかれたことが數囘あつた。ギンギュウのたくさんゐる庚申淵にお染が移住させられたのも、お染が禁を破るやうな女ではないことを信用されたうへであることはいふまでもない。しかし、今お染は戀人の命を救ふため、悲壯の覺悟をしたのであつた。

 ギンギュウを捕へることはわけはない。自分たちだけは安全と安心しきつてゐたギンギュウたち愕然として逃げ惑うたけれども、敏捷な河童のためにわけもなく捕獲された。お染は藥餌法にしたがつて、それを榎のかげで黒燒きにし、そつと草野へ運んで行つた。與左衞門はよろこんだ。效果はてきめんだつた。亡靈のごとく瘦せ細つてゐた戀人はしだいに元氣を恢復し、熟も下がつて來た。もはや死の影は遠ざかつたと思はれた。

「ありがたう、お染さん、君のおかげで命拾ひした」

「あたしもうれしいわ」

「それで、僕、この間から寢てゐて決心したことがあるんだ。君と正式に結婚することだよ。君のために命が助かつた、君の心づくし、さういふことがわかつたら、いかに頑迷な叔父でも許してくれると思ふんだ。僕はいつか話してみようと考へてな」

「ちよつと待つて頂戴、あたしにも、すこし考へさせて」

「うん、無論、君のためを思つてのことだから、君にもよく考へて貰はなくちやならん」

「あたしの決心がきまるまでは、叔父さんには絶對に話さないやうにしてね」

 お染は正式な結婚などしたくはなかつた。そんなことは形式主義だ。人間は形式主義が好きだから、馬鹿々々しく派手な婚禮騷ぎをするけれども、そんな愚劣なことが自分たらに必要だとは思はなかつた。もう今でも立派な夫婦ではないか。與左衞門が元氣になり、これまでのやうに庚申淵にやつて來て、樂しい逢ひびきができるだけでお染には充分なのだつた。數々の掟を破つてゐるとしてもその幸福を味はふことによつて、お染は孤獨から解放され、しみじみと生き甲斐を感じてゐるのである。このうへどうして正式の結婚の必要などあらう。ましてさういふ話になつて來ると、これまでの罪がみなばれる。お染はそれが恐しかつた。彼女はいまのまま美しいエゴイズムを通してゐたいのである。彼女は與左衞門が病氣のためにすこし頭が變になり、感傷的にもなつたのだと判斷し、ともかく一日も一刻も早く全快させて、もとのやうに庚申淵に來られるやうにしなければならぬと考へた。それで、さらにギンギュウ捕獲に熱中し、これを藥にして與左衞門の病床に屆けた。

 叔父たちは自分たちの知らぬ間に妙藥が來てゐて、然もこれがめきめきと效いてゐることを不思議に思つた。また、與左衞門の穴の中がときどき異樣な臭氣に滿たされてゐることも不審に思つた。

「こりやあ、なんの匂ひかなあ?」

 叔父は鼻をかくひくさせて、穴中をかいで𢌞る。與左衞門はひやひやして、

「匂ひなんて、なんにもしてやしませんよ」

「いんや、たいそう魚(さかな)くさい。部屋の中に魚氣はないやうにあるが、……」

 與左衞門はよつぽどお染のことを打ちあけようかと考へた。ごまかしばかりいつてゐることは苦しい。しかしやはりお染の懇願を考へてそれを我慢した。決心がつくまで話してくれるなといつたときのお染の悲しげな顏が浮かぶと、咽喉まで出かかつてゐた言葉がひつこんだ。

 ギンギキュウの效果はてきめんであつたが、全快するまでには一つの副作用があつた。ギンギュウのため黴菌が死に、肺が正常な活躍にかへる前後、はげしい咳が出る。これを越せば全治するのだが、數日つづくこの咳はちよつ苦痛だつた。與左衞門にも恢復期が來て、はげしい咳が出はじめた。コンコンコンコンと、のべつ幕なしに出る。おさへようとしても止まらないし、努力すればするはど聲が高くなる。與左衞門は病床で日夜咳きつづけた。この連續する咳の聲は、遂に附近の人間たちの聞きとがめるところとなつた。

「おい、變な鳴き聲がするぞ」

「うん、わかつた。狐ぢや。惡戲(わるさ)ばつかりする狐の奴、どこに棲んどりやがるかと思うとつたら、こんなところの穴に居やがつたんぢやな」

「いつか權六おつさんが高門の祝言の歸りに捕まへ損うたと話しよつたが、あのいたづら狐にちがはん。今度は逃がすな」

「よし、燃し出せ」

 咳のために狐の存在は明白になつた。村の靑年たちは五六人でその征伐にとりかかつた。注意深く準備をすすめた。夜は暗いので、眞晝間、穴のまはりに網を張りめぐらし、穴から出ても逃げられないやうにした。それから穴の前に生柴(なましば)を積み、それに火をつけた。二三人が圃扇(うちは)でくすぶる靑白い煙を穴のなかにあふぎこんだ。屈強の若者が棍棒を持つて穴の前で待ちかまへた。

 穴の中の咳はいつそうはげしくなつた。煙にむせかへる息苦しげな呻(うめ)き聲が聞えた。なほも煙を送りこんでゐると、その濛々たる煙の幕のなかから一匹の狐がとびだして來た。

「そら、たたき殺せ」

 棍棒を持つてゐた靑年たちが狐を追ひまはし、さんざんに殴りつけた。與左衞門は必死に逃れようとしたが、網が張つてあつて出られない。たうとう手足が網にからまつてしまひ動けなくなつた。靑年たちは力まかせに棍棒をふるつたので、病みあがりの狐は血へどを吐いて死んでしまつた。

 産氣づいて動けなくなつてゐたため、お染はしばらく庚申淵の底で出産の日を待つてゐた。與左衞門のことが氣にならなくはなかつたけれども、すでにギンギュウ藥で全治することは時間の問題であつたし、自分も愛人の子を産むためなので、次の逢ふ日のよろこびの大きさを考へながら、産褥に橫たはつてゐた。秋の氣配は淵の底までもしみてゐて、うすら冷い水の流れは頭の皿にも眉にもこころよく當つた。紅藻の間に鯰や蟹がゐて、格別用もないのに出たり入つたりしてゐる。ギンギュウももう危險が去つたことを知つて、お染の眼のとどくところで悠々と泳いでゐた。川砂のなかに潛(もぐ)つてゐるドンコがときどき泡をふき、それがガラス玉の首飾りのやうになつて水面へ登つて行く。大シャンデリヤをいくつも點(とも)したやうに天井が眩(まぶ)しくきらめいてゐるので、明るい秋の太陽がいつぱいに淵の面に當つてゐることがわかる。その水面近くを幾列も雁のやうにメダカが隊をなして通りすぎる。これらのものをものうい眸で眺めながら、お染は大らかな幸福感に浸つてゐた。將來の設計などを考へてゐたわけではないが、子供の生まれることと、その子を見せて與左衞門に逢へることは、想像しただけでも微笑のわくことであつた。お染はいささかの罪も意識もなかつた。

 數日後、お染は子供を生んだ。お染は仰天した。男か女かとそんな樂しい豫測をしてゐたのに、そんなことどころではなかつた。これは一體なんであらう。狐の顏の頭に皿があり、狐の身體の背中に甲羅がある。狐の足に水かきがつき、長い尻尾が生えてゐる。その醜惡さはいひやうがなかつた。鳴き聲も不氣味である。お染はぞつとした。暗愚なるものは河童である。愛慾の詩に沈湎(ちんめん)してゐて、混血の科學には想到しなかつた。生んでみてびつくりしてゐるのである。

 お染は淵を出た。そして、一散に草野に飛んで行つたが、そこで見たものは戀人のむざんな死であつた。人間どもは打ら殺した狐をかついで、意氣揚々と村の方へ引きあげて行くところだつた。高らかな笑ひ聲がお染の心臟を突き刺した。お染は淚も出ず、憤然と庚申淵へ引きかへして來たが、長峽川と檢地川との合流點まで來たとき、愕然として眦(まなじり)をあげた。お染は見た。檢地川の土堤のわき一面に源氏の白旗がたなびき、へんぽんと風にひるがへつてゐるのである。お染の顏に親分海御前の言葉がひらめいた。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇を討て。しかし、ほんたうは庶民の白旗は恐しいのである。いつもなら逃げたであらう。しかし、お染は絶望の勇氣をふるひおこして、源氏の白旗のなかに突入して行つた。縱橫無盡にあばれた。といつてもただその軍勢のなかを眼をつぶつてやたらにのたうちまはつたにすぎない。しかし、それは源氏の白旗ではなく、そば畑であつた。秋口になるといたるところに白い蕎麥(そば)の花が咲きはじめる。お染は長く淵底にゐたため、いつかそばの花が滿開になつてゐたことを知らなかつたのだ。悲しみに打ちひしがれて曇つてゐたお染の限に、ひろいそば畑が憎い源氏の白旗に見えたのである。お染があばれまはるので、そばの白い花が雪のやうにはね散らされたが、逆上してゐるお染も泥にまみれて傷ついた。そして、彼女はのたれ死にをするやうに、悲壯な戰鬪の果てに死んでしまつた。川面をわたつて來るさわやかな秋風は、靜かになつたそば畑のうへを吹きすぎ、白い花は鈴をふるやうにゆれうごいた。そして、河童の肥料によつて、しだいにそばの黒い實を急速に太らせふやして行つた。

2016/08/18

ブログ850000アクセス突破記念   亡靈   火野葦平

 

[やぶちゃん注:底本(昭和五九(一九八四)年に国書刊行会が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊されたもの)の仲田美佐登氏の「跋 編集覺書」(クレジット:昭和三二(一九五七)年四月一日)の中の記載と、ネット上の古本屋の書誌情報から、本編は昭和二二(一九四七)年八月号『文學界』(復刊第一巻第八号)が初出であることが判った(底本には初出書誌情報は載らない)。敗戦から二年後の夏。本作は決してその時制と無縁ではないものとして読める。

 一ヶ所だけ、第三段落末尾「やはりきいていただかなくてはなりません。」は底本では「やはりきいていただかなくてはなりまん。」であるが、脱字と断じて訂した。

 「蓊鬱(をううつ)」(おううつ)とは草木が盛んに茂るさまのこと。

 なお、本テクストは私のブログが2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、850000アクセスを突破した記念として公開するものである。【2016年8月18日 藪野直史】]

 

   亡靈

 

 驚かれましたか? しばらく足をとめてください。その栗の木の下の石に腰をおろしてくれませんか。おいそぎでもない旅の御樣子、しばらくわたくしの話をきいていただきたいのです。……あなたを待つてゐました。この淵のほとりをこれまでも何人もの旅人が過ぎてゆきましたが、たれもかれもせかせかと忙しさうで、おまけにこの一帶に特別に不氣味さでも感じるのか、一刻も早くここを通り拔けようとでもいふやうに、足を早める者が多いのでした。或る者はまるで追つかけられてでもゐるやうに走りだし、つれのある者は自分たちの恐怖をまぎらすやうに、不必要に聲高で喋舌(しやべ)りながら、やはり速度を早めてこの淵のかたはらを過ぎるのでした。なるほど、この晝間でもたそがれのやうに暗い森林のなかは、さう氣持のよい場所ではない。山としてはさう深くはないけれども、樹々はいづれも苔むす古さと高さで蓊鬱(をううつ)と茂つて居り、たれさがつた氣根を縫つて年中蜘蛛(くも)が巣を張り、そのなかに足のやたらに長い、まつ黃色と黑とのあざやかな縞になつた女郎蜘蛛が、びいどろ玉のやうな二つの眼を光らせてゐたり、蜥蜴(とかげ)や蛇が熊笹を鳴らして濕氣の多い斜面を走つてゐたり、またときどき鳥か獸か蟲かわからない奇妙な啼き聲がするのでは、旅人もさうよい氣持もしないでせう。しかし、旅井人が氣味惡がるのはそんなことよりも、この淵のやうです。……あなたも現に驚かれてゐるが、姿の見えないわたくしの聲が、この淵のなかから起つてゐる。そして、その淵といふのは、あなたのごらんになつてゐるとほり、さして廣くはないけれごも、どこからも水の流れるところを持つてゐない。水源もなければはけ口もない一種の淀み、靑苔を溶かしたやうなどろどろの水、水ともいへない奇妙な液體、汁といつた方がよいか、つまり旅人がいたるところで見つけてゐるどんな淵とも池とも湖とも沼ともちがふ汁のたまり、おまけに異樣な臭氣、糞尿よりももつといやな惡臭、これでは旅人を辟易(へきえき)させるのも無理のない話でせう。にもかかはらず、旅人がやはりこの淵の、(淵と假りにいつて置きませう)ほとりを通るのは、麓から峠を越すにはいやでもこの道を通らなければ拔けられないからです。

 あなたを待つてゐました。あなたのやうな人ははじめてです。遠くにあなたの落ついた足音をきいたときから、わたしはもうおさへきれぬ期待で胸をはずませて、近づくのをお待ちしてゐました。あなたがこの淵のほとりに來て、しづかにあたりを見まはし、なにかしきりにうなづいて、旅の杖を曳いて、わたくしのいふとほりに、その栗の木の下の石に腰をおろされたときには、わたくしはうれしさで涙の出る思ひがいたしました。あなたはきつとあしへいさんの友人にちがひない。われわれ河童について變らぬ深い理解と愛情とを持つてくれるのは、傳説を輕蔑し、詩を否定し、浪漫をすらも異端視して、科學と實證とばかりを現實の價値とするやうになつた現代では、あしへいさんをおいてはなくなつたのでありますから、わたくしはいつかここへあしへいさんが氣まぐれでもよいから通りかかる日のことを夢にえがいてゐたのですが、このごろあしへいさんはつまらぬ世俗のことにかまけて、昔のやうにかういふ山間僻地(へきち)をおとづれる趣味をわすれ、おでん屋などをさまよひ、好きなビールを夜な夜なくらつてゐるといひますから、なにかの突然の啓示によつて、あの人がふたたびさういふ頽廢(たいはい)と惡德とにまみれることから逃れでる日を待つてゐるのですが、いつのことやら、……いや、わたくしはなにをいつてゐるのでせう。あなたで結構なのです。あなたがあしへいさんの友人で、わたくしたち河童の知己であることばもう疑ふ餘地がありません。あなたに是非おききねがひたい。そしてこれから話すことをあしへいさんにも傳へて貰へばたいへんありがたいと思ふわけです。

 わたくしは河童だと申しましたが、じつはいまは河童ではなくなつてゐるのです。形も影もなくなつて、いまは液體になつてゐます。この淵がわたくしなのです。いや、わたくしたちなのです。あなたは笑はれますか? どうもあなたの薄笑ひは氣味がわるい。あなたは河童が本來暗愚なものであることを知つて居られるので、いままたわたくしたちの暗愚についてくりかへすのは氣取かしいのですが、何故わたくしたち大勢の仲間がこんな淵になつてしまつたかは、やはりきいていただかなくてはなりません。

 昔、(昔といつても百年にもなりませんが)この山間一體には千匹ほどの河童が雜然と棲んでゐました。そのころはこんなに樹も茂つてゐず、淵ももとよりなく、いまよりはずつと明るいからつとした谷間で、千匹ほどの仲間たちもどちらかといふと仲よくたのしく暮して居りました。わたくしたち河童が馬の足あとの水のたまつたのにさへ三千匹は棲めることはあなたの御存知のとほりで、そのころ池とか川とかいふものはなかつたのですが、點々とある水たまり、山水、岩淸水のながれ、露の玉などで充分で、まづそのころは平和でありました。さやう、平和とい言葉がいちばんあたつてゐませうか。よその國々では河童同士が繩張りあらそひをして戰爭をしたり、昇天しようなどといふ途方もない考へをおこしてたくさんの死傷者を出したり、火山のうへを飛翔(ひしやう)して火傷(やけど)したりしたやうなこともききましたが、われわれのところではさういふ事件らしいものはなにもなく、日々はきはめて平和に、單調に過ぎてゆきました。すこし數がまとまつて生活してゐると、えてしてこれを支配しようとか、威張らうとかいふ者が出て來て、いつか權力といふものが生まれ、なにかの政治的な體制ができ勝ちなものでありますが、さういふこともなくて、政府をつくらうとか、黨派を立てようといふ野心を抱く者もなく、ただわけもなく雜居して暮してゐるばかりで、日が過ぎました。それはきつと衆にぬきんでた者がゐなかつたせゐもありませう。いづれも似たりよつたり、團栗(どんぐり)のせいくらべて、多少國體が大きかつたり、聲がたかかつたり、腕力が強かつたりで、幅をきかす者がなくもなかつたのですが、衆望が一敦して頭目に仰ぐといふほどの者はゐず、まづ長閑(のどか)なものでした。春夏秋冬の季節の變化も順調で、花や鳥を相手にたのしみ、太陽も月も適度のうつくしさで生活にめぐみをたれ、食餌も豐富で、なにひとつ不足もないのでした。支那にある桃源境、西洋のユートピアといふものがどういふものか知りませんが、そのころのこの山間の生活はひよつとしたらそれに近いものではなかつたでせうか。さういふ生活がわたくしたちの覺え知らぬ昔から長くつづいてゐたのです。少くとも、わたくしたちが今日の不幸に陷ちた百年前まで。

 百年ほど前の或る日、仲間のうちの頭のよい者から、奇妙な申し出がありました。その申し出の斬新(ざんしん)さがこのやうな結果を招來しようとはさらに思ひいたらず、仲間たちはたちまちその説に贊同いたしました。いま考へますと、そんな思ひつきがなにから生まれたかと腹が立ちます。それは精緻(せいち)な理論と、明晰(めいせき)な科學的根據をもつてゐて、たしかに學問としての權威すら示してゐたのですが、じつはそれは表面だけで、眞の動機といふのは、たしかにただの退屈にすぎなかつたのです。眼の色を變へて勝敗をあらそふやうな精神の緊張はさらになく、空腹をかかへて食を求める切實さもなく、單調な明け暮れにぶらぶらとただ時間ばかりを消してゐるやうな毎日、權力にたいする反逆もなく、征服にたいする慾望もない平和な日々、かういふときには、ただ頭腦ばかりが活躍するほかはなく、さまざまの思索がくりひろげられ、強ひて思想と哲學の體系が組みたてられて、したりげに發表されますが、それを仲間たちはただ漫然と眠たげにきいてゐて、なかなか立派な思想だ、おどろくべきである、などとはいひますが、生活へつながつて來るものはなにもありませんからすぐに忘れてしまひます。かういふ狀態でありましたから、或るとき、仲間の一人のをかしな申し出が熱狂して迎へられたのでありました。その申し出がただちに行動につながつてゐたものであつたからです。

 鼻まがりで嘴が短かく、頭の皿の毛が茶色なので、仲間からは大して重きをおかれてゐなかつた一匹の河童が、その案の提唱者でした。彼はいふのです。科學に革命をもたらす實驗をする時が來た、それは音響に關する物理現象で、諸君の協力なくしては成りたたない、蹶起(けつき)をのぞむ、と。なにか鹿爪らしい理論と、妙な記號のついた方程式のやうなものを彼はわたくしたちに示しましたが、わたくしたちにはさういふ學問的なものはわからない。また興味もない。にもかかはらずそれに贊同したのはわたくしたちがすでに底知れぬ倦怠に腐りきつてゐたからです。ただ寢そべつたり欠伸(あくび)をしたり、頭のわるくなるほども眠つたり、用のあることといへば女とのたはむれくらゐのもの、したがつてやたらに子供ばかりを生んでゐるやうな生活。さういふやりきれぬ退屈さ。なんでもかまはないから、その單調を破るものを求めてゐた。そこへその仲間が全部がともかくも一つの行動に出る案を持ちだしたのですから、盲目滅法(めくらめつぽふ)に飛びついたわけです。またその案を提出した仲間とて同樣で、そんなことは退屈のあまりに考へ出したことにちがひないのです。ところがそれだつて、ただ、この谷の河童が全部揃つて、時刻をあはせて、一齊にどならうといふだけのことでした。これまではあらこらで勝手なことをしやべつてゐる、それを或る時刻にいちどきにみんなで喚(わめ)いたら、どういふ聲になるか、音響に關する物理現象の實驗といふのはそれだけのことです。これには多少の反對がなくもありませんでした。しかしそれは學説としてではなく、面倒くさいといふ者と、そんなことをしてみてもつまらないといふ者と、その提唱者を日ごろからこころよく思つてゐなかつた者とで、提案者がすこし腕力が強くて仲間から煙たがられてゐる者を買收して、反對者を説き伏せたので、ともかく全員一致、早速實行にうつることに一致しました。

 わたくしにはその日のことが忘れられません。どうして忘れることができませう。傳説のきびしい掟がその日たちまちわたくしたちの運命を轉換させてしまひました。しかも、その悲痛な宿命がきはめて簡單にあつけないほどの過程で、わたくしたちを今日の羽目におとしいれたのです。

 紅葉が谷をあかく染め、蜩(ひぐらし)ももう鳴きやんで落葉のにほふ秋のある日でした。わたくしたちは谷の窪地にあつまつて提案者の鞭のうごくのを凝視してゐました。赤毛で鼻まがりの河童は一段たかい丘のうへに立つて、右手に葦の鞭を握り、氣どつた樣子で頃あひをはかつてゐました。千匹ほどの河童たちは、老いも若きも、男も女も目白押しにならんで、奇妙な期待に胸ときめかし、鞭の振られるのを待つてゐました。これまでの退屈を破る試みに有頂天になつてゐました。まだ朝まだきで、木の間越しの陽(ひ)はさわやかに、しめつてゐる河童たちの靑苔色の甲羅を光らせ、皿の水に反射して、ぴかつぴかつとかがやきました。千匹の河童が一齊にありつたけの聲をしぼつて怒鳴る、どんな聲になるか? わたくしは好奇心でいつぱいでした。そして白狀しますとわたくしはそのとき良からぬたくらみを胸に藏してゐたのです。それは自分でぜひその聲をききたいが、自分が怒鳴つたのではきくことができない、自分の喚く響が鼓膜(こまく)にひびきますから、これは自分は聲をたてないで、全員の合唱を聞いてやらうといふことでした。この思ひつきは大いにわたくしの氣に入りました。千匹のうち自分一人くらゐ默つてゐてもわかる筈もないし、影響もあるまいと考へたわけです。それにしても約束を破ることになるので、すこしは氣がとがめ、きよろきよろとあたりをうかがひましたが、もとよりわたくしのひそかな企みなどたれも氣づく筈もなく、みな眼をむいて丘のうへの赤毛の河童が鞭を振るのを、ひどく興奮した樣子で凝視してゐました。

 やがて曲つた鼻のさきがにぶく陽に光つて、ちよつと背を反(そ)らすやうにすると、提案河童はけけつといふ鳥のやうな聲を發しました。いよいよ振るぞといふ合圖です。わたくしはこのときこの見榮(みば)えもせぬみすぼらしい河童がいまや嘗てない得意の心境にあることを看(み)てとりました。これまでは輕蔑されてゐたのに、いまや千匹の河童の指揮をしてゐる。この鞭一つで全體がどうにでもなる。その得意さはふと傲岸(がうがん)なひらめきと、一種復讐めいた眼の色となつて、物理現象に對する學問的情熱以外の不純なものを、あきらかにその姿態に示してゐました。わたくしはにはかに反撥を感じて、そのためにも聲を發しまいと思ひさだめました。この瞬間の動搖ののち、待望の葦の鞭がかすかに風を切つて振りおろされました。思はずわたくしは息をのみました。全身を耳にしました。

 なんといふことでせうか。わたくしはその刹那の恐しい息苦しさをいまでも慄然と思ひ浮かべます。けたたましく荒々しいどよめきが鼓膜をも破るひびきをもつておこると思つてゐましたのに、その一瞬は世にもめづらしい靜寂のひとときでした。あまりにも巨大すぎる響は無音の錯覺をあたへるともきいてゐます。そこでわたくしもひよつとしたらさういふことではないかと息をつめて、耳の穴をほじくつてみたのですが、やつぱりその瞬間の逼塞(ひつそく)は全然音響のないためのものであることがたしかに解りました。なんといふことか。たれひとり聲を出した者がなかつたのです。あきれたものです。丘のうへにぼかんと嘴をあけて立つてゐる河童の姿ががくんと折れるやうにくづれて、まるで提燈をたたむやうにしぼんでゆくのが見えました。わたくしもそのとき自分の身體の關節がゆるんで來て解體されてゆくやうな、空間に浮いてしまつたやうで、足がなくなつたやうな空虛さを覺えました。そして、頭腦のはたらきも緩慢になつてゐましたが、事態の推移だけはまだ判斷する餘裕はのこつてゐました。團栗のせいくらべであつたわれわれの仲間ですから、考へることも似たり寄つたり、自分ひとりの思ひつきとして得意であつたことが、じつは全部の共通した考へであつたわけです。みんながわたくしと同じ企みをいだいてゐた。その結果、荒々しい騷音のかはりに不氣味な沈默があらはれた。それだけのことです。指揮者に封する反撥があつたかなかつたか、それはわたくしにはわからない。わかつてゐるのはたれひとりとして聲を發する者がなかつたといふ事實だけです。そして、それだけで充分でした。全員絶叫のかはりに全員沈默といふまつたく逆の現象、効果、それは別の意味では學問としての價値を生じたかも知れないのに、そんなことなどはもう問題ではありません。この歷史的な一瞬ののちに、ゆるがすことのできぬ鐡の規律、かの戰慄すべき傳説の掟が冷酷にわたくしたらの頭上にくだつて來ました。

 この山間の平和な生活はあとかたもなく崩れて、ゆるやかであるが恐しい破滅がはじました。違約と驚愕とが精神と肉體とのどちらをも亡ぼして、指揮者をはじめ千匹の河童たらは、そのとき、靑いどろどろの液體となつて溶けてしまひ、いつかこの窪地に一つの淵ができてゐたのです。

 その時から百年經ちました。からつと明るかつた森の樹々はわれわれの身體から發散する靑苔の肥料のために、短時日の間に必要以上の成長を遂げ、枝ははびこり、實はしげり、毛髮のやうに氣根が垂れて、そこには女郎蜘蛛が巣をかけ、蝶や兎はゐなくなつて、蜥蜴や蛇が巣くひ、陽の光がささぬために羊齒や熊笹のしげつた斜面はいつもじめじめと濕氣があつて、毒茸の發生にはもつて來いとなつたのです。旅人が快適な步調で通つた場所であつたのに、いまは恐怖を持つて駈け拔ける不氣味な森林となりました。ごらんのとほり、この淵は千匹の河童が百年前に溶けてできたものですから、水源も出口もなく、重々しく腐るばかりです。さうして嘗ての平和な日のことを思ひおこし、悔恨と悲哀と苦惱と、ただ歎息ばかりをしてゐたわけなのです。

 あなたを待つてゐました。きいて貰へばいくらか胸の苦しみもなごんだ氣持がします。……あなたはなにをなさるのですか。なにをするのです?……おや、これはどうしたことだ? わたしはいつたいどうしたのだらう。あなたはどなたですか。……わたしたちの知己であるとばかり思つてゐたのに、わたしの錯覺だつたのか。百年の苦痛と沈默とでわたしの智慧もにぶつてゐたのか。あなたを見そこなつた。……あなたはわたしたちと無關係の人だ。知己を求めてゐたわたくしの感傷にすぎなかつた。……あ、この淵のなかに小便をしないでください。小便をしないでくれ。たのみます。たのむ。傳説の掟が恐しい。……なんといふ愚かなことか。……小便をかけられれば俺たちはまたもとの河童に後もどりしなくてはならん。それはいやだ。小便をしないでくれ。……あなたはなにもきこえないのだな。あ、あ、あなたは不具なのだな。もつともらしい樣子に騙(だま)された。落ちついた足音に馬鹿な期待をしたのが誤りだつた。落ちついてゐたんぢやない。眼がわるいから急いで步けなかつたんだ。深刻さうに見えたのは明き盲目だつたからだ。おまけに聾で、鼻も利(き)かないのだな。でなかつたら、この淵の臭氣をそんなに長く平氣で堪へられる筈がない。栗の下の石に腰かけてくれといつたときに、そのとほりにしたのは偶然の一致だつたのだな。……おい、やめてくれ。小便をするな。尿のために原型にかへるのは先祖からのならはしだ。俺たちはもう河童にかへりたくない。またあの單調で退屈な日が蘇(よみがへ)るかと思ふとぞつとする。俺たちは百年間、苦しみと悲しみと、回想と希望とですこしも退屈しなかつた。それで生き甲斐を感じて來た。いまのままで澤山だ。……やめてくれ。なんとかいへ。聾のうへに啞だな。……あ、たうたう初めた。もう取りかへしはつかない。……もう取りかへしはつかない。

2016/07/16

ブログ840000アクセス突破直前記念 火野葦平 羅生門

[やぶちゃん注:断わっておくが、これは、かの芥川龍之介の「羅生門」を巧みにインスパイアした、否、今一つ、別のキャメラから撮影した『芥川龍之介「羅生門」火野葦平による河童主人公版』なのである。

 火野葦平は昭和一二(一九三七)年に日中戦争に応召していたが、出征前に書いた「糞尿譚」が同年(下半期)に第六回芥川賞を受賞したことを陣中で知った(戦地で行なわれた授賞式には小林秀雄が赴いているという)。無論、彼は芥川龍之介を敬愛していたが、ウィキの「火野葦平によれば、『芥川が「フィクションによってしか語れぬ事実がある」と、河童を通して社会を風刺したのに対し、葦平は「私の描く河童が理屈っぽく、風刺的に、教訓的になることを警戒していた」と書いている。また、「河童が私の文学の支柱であることになんの疑いもない」と書いている』とあり、また、葦平は六十年安保発効五日後の昭和三五(一九六〇)年一月二十四日に自宅書斎で享年五十三で死去しているが、『晩年は健康を害していたこともあり、最初は心臓発作と言われたが、死の直前の行動などを不審に思った友人が家を調べると、「HEALTH MEMO」というノートが発見された。そこには、「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたという。その結果、睡眠薬自殺と判明した。このことは』葦平の十三回忌の際、『遺族によりマスコミを通じて公表され、社会に衝撃を与えた』ともある。

「姥口(うばぐち)の沼」不詳。平安末期の羅城門外以南は複数の川が合流し、湿地も多かったので設定としては無理がない。

やたけに」(太字部は底本では傍点「ヽ」)は形容動詞「弥猛なり」の連用形で、盛んに勇み立つさま・はやりにはやるさまの謂いである。

「襖(あを)」袷(あわせ:裏地をつけて(合わせて)仕立てた着物。通常は秋から春先にかけて用いた。読みは「合(あ)はす」の連用形に由来する当て読みである)の衣。「襖子あおし)」とも呼ぶ。読みは「襖」の字音「アウ」の音変化したものである。芥川龍之介の「羅生門」にも出るが、そこでは下人の着る「紺の襖」として出る。

 本テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、840000アクセス突破直前記念として公開した。突破記念テキストは別に用意してある。【2016年7月16日】]

 

 

   羅生門

 

 

 或る日の暮れがたのことである。一匹の河童が羅生門(らしやうもん)の下で雨やみを待つてゐた。

 廣い門の下にはこの河童のほか誰もゐない。ただところどころ丹(に)塗りの剝げた大きな圓柱に蟋蟀(こほろぎ)が一匹とまつてゐる。羅生門が朱雀(すざく)大路にある以上は、この河童のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみゑぼし)がもう二三人ありさうなものである。それがこの河童のほかには誰もゐない。

 何故かといふと、この二三年、京都には、地震とか、辻風とか、旱魃(かんばつ)とか、火事とか、饑饉(ききん)とかいふ災(わざはひ)がつづいて起つた。そこで洛中(らくちゆう)のさびれかたはひととほりでない。舊記によると、佛像や佛具をうち碎いて、その丹(に)がついたり金銀の箔(はく)がついたりした木を路ばたに積みかきねて、薪の料に賣つてゐたといふことである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などはもとより誰もすててかへりみる者がなかつた。するとその荒れはてたのをよいことにして、狐狸が棲む。盜人が棲む。賣女が棲む。たうとう河童までが來て棲むことになつた。なぜ水中に棲みなれた河童が羅生門などに來て棲むやうになつたかといへば、格別の理由はなく、旱魃のためにこれまでゐた姥口(うばぐち)の沼が干あがつてしまつたので、いつも沼から見なれてゐた羅生門へ行かうとなにげなしに考へついたにすぎない。思へば永い日照りつづきであつた。馬の足跡のたまつたのにさへ、三千匹も棲むことのできる河童のことであるから、沼にわづかでも水が殘つてをれば不自由はなかつたのであるが、それこそ一滴の水氣もなくなり、水底を露出した沼は鱗(うろこ)のやうに縱橫に龜裂が入り、はては乾燥した泥は粉末となつて、風とともに濛々と砂塵をまきあげる始末であつた。密生してゐた葦もきびがらのやうに枯れて、日中は火を發することもあつた。これではいかな河童も棲息はできぬので、心ならずも棲みなれた場所をすててとりあへず羅生門へ來たのであるが、ここもまた棲み心地のよい塒(ねぐら)といふわけにはいかなかつた。狐や狸や狢(むじな)のたぐひが棲むのは話し相手ができて惡くはなかつたし、盜人や賣女が棲むのも知らん顏してをればよかつたが、ほとほと閉口したのは、この門に引きとり手のない死人を持つて來て、棄(す)てて行くことであつた。饑饉のうへに疫病(えきびやう)が流行して、洛中では連日何十人といふ人間が死んだが、それらの屍骸をここへ運んで來る習慣がついて、日ごとに屍骸が增し、その汚穢(をわい)のさまと腐爛した臭氣とは耐へがたかつた。且つ、不愉快なのはこれらの腐肉を啄(ついば)みに來る鴉(からす)の群で、高い鴟尾(しび)のまはりを旋囘しながら賤しげな啼き聲を發し、容赦もなく天上から糞をたれ落して憚らぬのであつた。それらの糞は崩れ目に長い草のはえた石段や、ペんぺん草に掩はれた屋根や、丹の剝げた壞れかけた樓門の欄干(てすり)や、はては柱などを、時ならぬ雪を降らしたやうにまつ白く染めてゐた。

 河童は昔の沼に對してはげしい郷愁を感じ、歸心は矢のごとくではあつたけれども、水のない沼にかへるよすがもなく、ひたすら天を仰いでは雨を待望してゐたのであつた。そこへ今日の雨である。實に百日に近い早天つづきであつた。ぼつりと雨の一滴が落ちたとき、あまりのよろこびに思はず頓狂な高い聲が出て、友だちの狢(むじな)や狸から笑はれた。河童は皿に水分がなくなれば力は拔け、はては命をも失ふ仕儀になるのだが、旱魃になつて以後、皿に水氣を絶やさぬためにはひとかたならぬ苦勞をした。方々からわづかの水を集めて來て皿に入れ、辛うじて健康を保つてゐたが、どこにも水が切れて來ると、唾を塗ることでごまかしたり、はては尿(いばり)をつけたりして保全を計つた。もとより應急の姑息(こそく)手段であるために、榮養不良と相俟(ま)つて、次第に體力が衰へた。甲羅や蝶番(てふつがひ)や水かきの潤ひもなくなると、身體中にリユウマチスのやうな痛みを覺え、歩行すらも困難になり勝ちであつた。もう十日も炎天がつづいたら、寢こんでしまはねばならぬとすこぶる恐慌(きようくわう)を來してゐるところへ、この雨であつた。河童が歡喜のあまり多少狂氣じみた言動をしたとて、すこしも咎むるところはないであらう。水といふものがただちに生命につながつてゐるほどの切實感をもたぬ狸や狢どもは、河童がなにかしきりに喚(わめ)いては泣きだしたのを見て、どつと笑ひくづれた。

 樓門の欄干にもたれて雨のなかに出ると、皿の上につめたい水の感觸が心臟にまでひびくやうなこころよさで傳はり、みるみる身内に元氣の溢れて來るのが自分でもわかつた。口をひらき天から落ちる雨滴をべろべろと舐(な)めのみこんだ。失はれてゐた精氣をとりもどして、河童は久しぶりで跳躍をしてみた。長い間の不健康で膝頭がうまく彎曲(わんきよく)しなかつたが、それでも門の舞臺の端から端まで五囘で飛ぶことができた。多くの屍骸の中を飛んだのだが、そのときは日ごろは鼻持ちならぬ臭氣などまつたく氣にならなかつた。

 興奮がをさまると、河童は故郷のことを思ひだした。姥口(うばぐち)の沼にまた水がたまる。昔の沼へかへれるといふ思ひはさらに河童を有頂天にした。しかしながら、この河童は、思ひがけぬ幸福にめぐりあつたときにあまりに慌てれば、その道をとり逃がすといふ、あの苦勞人の愼重さを失つてはゐなかつた。心はやたけにはやつてゐるのに、河童はわざと悠容とした足どりで、梯子(はしご)段を降り、門の下に出て彳(たたず)んだ。はじめに「一匹の河童が暮れがたの羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」と書いたのは、かういふわけであるが、尤も河童が單に雨の止むのを待つてゐたのでないことは斷るまでもなからう。雨をよろこびこそすれ、雨に濡れて困る河童ではない。またどんな土砂降りのなかでも格段傘を必要としない。かれが門の下に彳んでゐたのは、實ははやる心をおさへつつ、故郷たる姥口の沼にすこしでも多くの水のたまるのを待つてゐたのであつた。

 雨は羅生門をつつんで、遠くからざあつといふ音をあつめて來る。夕闇はしだいに空を低くして、見あげると門の屋根が斜につきだした甍(いらか)の先に、重たくうす暗い雲を支へてゐる。

 雨の音を聞きながら彳んでゐるうらに、河童はこれまでは忘れてゐたはげしい空腹を感じはじめた。早魅と饑饉と疫病と相ついで起つたために、河童は家と食とを同時に奪はれた。大好物である胡瓜はいはずもがな、唐黍や茄子なども影をひそめ、魚類も涸渇(こかつ)して口にする術がなくなつた。人間の尻子玉はかへつて得る機會が多くなつたが、それらのほとんどが腐敗し靡爛(びらん)してゐて、たまに若干新鮮なものを得ても、滋養分に乏しくて、腹の足しにはならなかつた。食餌の不足のときでも水さへ飮んでをれば、相當期間耐へることができるのだが、その水はすでに先刻切れてゐた。榮養失調となつて、河童は日とともに瘦せ細り、往年の面影は見るべくもなつてゐた。さうして今日の雨に會ひ、雨を飮んでいくらか元氣はとり戾したものの、胃袋のなかはまつたく空で、ほんたうの力が湧いて來ないのだつた。門の下に彳んで頃ほひをうかがつてゐた河童は猛然たる食慾に襲はれ、腹がぐうぐうと鳴り、眼前を胡凧や唐黍や魚などの幻影が、蜃氣樓(しんきらう)のやうに浮んで來て消えなかつた。

 わづかに西空にほのかな明るみだけを殘すころになつて、雨がやんだ。どれくらゐ故郷の沼に水がたまつたかと樂しい想像に、久しぶりに唇をほぐしつつ、河童は羅生門の下を出て歸路についた。歩くたびにすき腹にこたへたが、歸家のよろこびにしばらくはその苦痛を忘れて急いだ。

 それから何分かの後である。さして遠くはないので、河童はまもなく姥口の沼にたどりついたが、來るときのよろこびはどこへやら、期待に反した落膽にほとんど呆然となつて、沼の緣に立ちつくしてゐた。胸ときめかせつつかへつて來た故郷の沼の思ひがけなく荒廢したさまは、まさに眼を掩はしむるものがあつた。いつたいどうしたといふのであらうか。思考力のにぶつた河童は悲しげに首をひねるのであるが、とはいへ、そこには格別に意外な現象がおこつてゐたわけではなかつた。羅生門へ引き取り手のない死人を棄てに來るやうに、姥口の沼にも同樣に死人を持つて來て棄てたにすぎなかつた。沼は山蔭になつてゐて人目にはつきにくいし、距離としても手ごろなので、日夜續々と發生する洛中の死亡者の埋葬地としては、むしろ絶好の場所といつてもよかつた。河童が水の乾いた沼を出た後に、つぎつぎに棄てられる死者はしだいに數を增し、いま久しぶりに河童がかへつてみれば、屍骸は重なりあつて堆積し、沼を埋めつくしてゐるのみならず、もりあがつて岸の土堤にさへあふれてゐた。男や女や老人や子供やのさまざまの屍骸は、ことごとく饑餓のために骨をつきだした瘦軀(そうく)のまま投げすてられ、その多くのものは腐爛して鼻孔をはげしくつきさす臭氣を發散し、蛆がわいてむちむちと不氣味な音を立ててゐた。なかにはすでに白骨となつてゐるものも多く、諸所から靑白い燐光が人魂のやうにぼうと立らのぼつてゐた。その屍骸の山の底からくぐもるやうな呻(うめ)き聲がときどきかひびいて來る。どうもそれは棄てられてから生きかへつた者か、或ひは半死のまま棄てられた者の斷末魔の呻きのやうに思はれた。降つた雨はこれらのうへにたまつて、沼全體が一つの腫物(はれもの)のやうに見え、雨は膿(うみ)のやうに淀んでゐた。それらのうへに黑豆をまいたやうに鴉が群れて、いやな聲で啼いてゐた。

 落膽のために淚すらも出ない河童は、魂を奪はれたやうに、長いこと立ち疎(すく)んでゐた。ふいに眩暈(めまひ)を感じてよろけることもあつたが、やつとの思ひで身體を支へて、なほもいつまでも動かなかつた。そのうちに、すでに闇黑となつた夜の沼の妖景のなかに、なにやらしきりに蠢(うごめ)いてゐるもののあるのが、うつろな河童の瞳にうつつた。それは人影らしく、その人彰は屍骸の間をかきわけるやうにして右往左往し、ときに立ちどまつてなにかを探すやうにきよろきよろしてゐた。なにをしてゐるのか、ときに身體を屈してうづくまると、屍骸の間にふかく顏をつつこむこともあつた。手にしてゐる明りで、ときどきうす汚ない顏が見える。鋭く削(そ)いだやうに顴骨(かんこつ)のとび出た頰と、尖つた顎と、血走つた賤しげな眼の光とが浮かび、男か女かわからぬやうに髮をふりみだしてゐて、亡靈のやうにも見えた。氣がつくと、それは一人ではなく、左の方にも、右の方にも、思ひがけなくすぐ足元にも、默々と、そして默々と、同じやうな動作をしてゐる者があつた。

 河童の瞳は無意識にそれらの動きに向けられてゐたけれども、格別ふかく注意してゐたわけでもなかつた。姥口の沼に現出された地獄圖繪は全體としてその強烈な印象で、氣弱な河童の神經を錯亂させてしまひ、思考力や判斷力といふやうなものはまるで河童の心から消えてゐた。蠢いてゐる人間たちがなにをしてゐるかもわからなかつたし、またなにをしてゐようと今の河童には無關係のことであつた。そんな他人事にかかづらふよりは、胸とどろかせてかへつて來た故郷の沼がかういふ狀態で、棲むことは愚か、ここに止まることさへもできない悲しみにうちひしがれてゐたのである。しかしながら、いくら思案してみたとてはじまることではなかつた。やがて、河童はふかい吐息をつくと、沼に背を向け、跛(びつこ)をひきながら、とぼとぼと羅生門への道を引きかへした。脱け殼のやうな步きぶりであつた。

 それから、また何分かの後である。羅生門の樓の上に出る幅のひろい梯子の中段に、河童は猫のやうに身をちぢめて、息を殺しながら、上の樣子をうかがつてゐた。樓の上からさす火の光がかすかに河童の憔悴した頰を照らしてゐる。河童はやむなく羅生門を第二の故郷とすべく心にさだめて、氣をひきたたせながらさきほどかへつて來たのであるが、かへつてみると、どうも羅生門の樣子が出るときとちがつてゐた。たれかが火をとぼして、その火をそこここと動かしてゐる。その濁つた黃色い光がすみずみに蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏にゆれながらうつつてゐた。河童は奇妙なことに思ひながら、足音をひそませて梯子を登り、上の樣子をうかがつた。上のありさまは常に棲みなれてゐることとてよくわかつてゐた。屍骸が投げ棄てられて腐爛した臭氣のただよつてゐるさまになんの變りもなかつたが、ただ、見ればそれらの屍體の間にうづくまり、ごそごそとなにか探しまはつてゐる一人の見なれない老婆の姿があつたのである。檜皮(ひはだ)色の着物をきた背のひくい猿のやうな老婆の瘦せた顏は、火をともした右の手の松の木片にくつきりと照らしだされたが、そのぎらぎらと光る鳶(とび)のやうな眼は、樓の臺上に轉がされてゐる女の屍骸の一つに釘づけにされてゐた。老婆はやがて、松の木片を床板の間にさすと、その屍骸の首に兩手をかけ、ちやうど猿の親が猿の子の虱をとるやうに、その長い髮の毛を一本づつ拔きはじめた。髮は手にしたがつて拔けるらしい。

 河童には老婆がなんのために髮など拔くのかわからなかつた。しかしながら、老婆の不思議な擧動を見てゐるうちに、河童の腦裡にありありと先刻見た姥口の沼の凄慘な狀景がよみがへつて來た。あのときはただ無意識にながめてゐただけであつたが、いま思へばあそこでもこの老婆と同じ動作をしてゐたものがあつたやうに思はれる。いや、もつといろいろなことをしてゐた。死人の懷をさがしたり、着物を脱がせたり、帶をほどいたりしてゐる者もあつたやうだ。不思議なことにあの時はただぼんやりした眼に、いくつかの人影がうごめいてゐたことのみが焦點もあはずにうつつてゐたのに、いまここに來て、その人影のおのおの異つた行動が明瞭に浮かんで來るのであつた。そして、それらの行爲と今この老婆の行爲とにはたしかに共通したものがあつた。河童ははじめて人間がなにをしてゐたかを悟つて、驚きの思ひにうたれた。さうして、ふたたびいひやうのない空腹に襲はれたが、氣の弱い河童はただ途方に暮れるのみであつた。

 このとき、突然、眼前に展開された事件のために、仰天した河童はあやふく梯子をふみはづして、落ちるところであつた。どこに潛(ひそ)んでゐたのか、これまで全く氣づかなかつたが、突然一人の下人(げにん)が樓上に飛びあがつて、老婆の前に立ちはだかつた。おそらく、もう一つ門の外側にある梯子を登つたものであらう。床板にさされた火の光のなかに赤く膿をもつた面頗(にきび)だらけの頰が照らしだされた。河童もおどろいたが、もつとおどろいたのは老婆である。下人が兩足に力を入れて、聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆に近づいて行くと、老婆は頓狂な聲を發して、弩(いしゆみ)にはじかれたやうに飛びあがつた。老婆が屍骸につまづきながら、あわてふためいて逃げようとする行手を、下人はふさいだ。おのれ、どこへ行く、と喚くのと、老婆の襟首をつかんで屍骸のなかに扭(よ)ぢたふすのと同時であつた。下人はいきなり太刀の鞘をはらつて、白い鋼のいろを老婆の眼前へつきつけた。

「なにをしてゐた。きあ、なにをしてゐた。いへ。いはぬと、これだぞよ」

 老婆は默つてゐる。兩手をわなわなふるはせて、肩で息を切りながら、眼は眼球が瞼(まぶた)のそとへ出さうになるほど見ひらいて、啞のやうに執念(しふね)く默つてゐる。それを見ると、下人はすこしく聲を柔げて、俺は檢非違使(けびゐし)の役人ではない、今しがたこの門の下を通りかかつた旅の者だ、だからお前に繩をかけてどうしようといふやうなことはない、ただ今時分この門の上でなにをしてゐたのだか話しさへすればよいのだ、といつた。老婆は肉食鳥のやうな鋭い眼で下人を見あげてゐたが、ほとんど皺で鼻とひとつになつた唇をもごもごさせて、喘(あへ)ぎ喘ぎ、この女の髮を拔いて、鬘(かつら)にするつもりであつた旨を返答した。

「わしのすることは惡いことかも知れぬ。したが、このほかに、わしのやうな老いぼれになにができよう。わしはもう永いこと、飯(いひ)を食はぬ。これこのとほり、手も、足も、胸も、骨と皮ばかりぢや。このままならわしは飢ゑて死ぬるほかはない。飢死せまいためなら、仕方がないのぢや。わしにできることをして、生きねばならぬ。さうぢやらうが。おぬしにもそれはわからう。な、わかるぢやらう」

 屍骸の頭からとつた長い拔け毛をふりまはすやうにしながら、老婆は蟇(がま)のつぶやくやうな聲でさういつて、下人の顏をおづおづと覗いた。その瞳は不安の色をたたへてはゐたが、犯すべからざる確信にも滿らてゐた。それを聞いた下人の眼が急に妖しく光りだしたが、なほも襟首をつかんだまま、きつと、さうか、それにちがひあるまいな、と苦しげな聲で二三度念を押した。老婆はまちがひないと答へると、下人はとつぜん新行動にうつつた。ではおれが引剝(ひきはぎ)をしようと恨むまいな、おれもさうしなければ飢死をする身體なのだ、と、下人はこれも不思議な勇氣と確信とを持つた聲でいふと、すばやく老婆を手荒く屍骸のうへへ蹴たふした。下人は剝ぎとつた檜皮いろの着物をわきにかかへると、またたく間に急な外側の梯子を夜の底へかけ下りた。老婆はいつまでもたふれてゐて動かなかつた。

 眼前に展開された思ひがけぬ活劇に、河童はさらに途方に暮れるばかりであつた。腦裡にはいよいよ鮮やかに姥口の沼の光景が浮かびあがつて來たが、いづくにもくりかへされてゐる人間の行動の意味が、暗愚鈍重の河童にはわかつたやうでわからないのである。生活の勇氣と正義といふもののもたらす昏迷に、思考力のにぶつた河童はいたづらに疲れるばかりで、それでは自分はどうすればよいのかといふ決斷はまつたくつかなかつた。自分も飢死しかかつてゐるが、それでは老婆や下人のやうに、また、姥口の沼の人間たちのやうに、なにをしてもよいなどといふ颯爽たる生活の方途を考へつかなかつた。河童は自分の優柔不斷と勇氣のなさが情なくなつた。

 しばらく死んだやうにたふれてゐた老婆は、やがて屍骸の中から醜い裸の身體をおこした。老婆はつぶやくやうな聲を立てながら、まだ燃えてゐる光をたよりに、外側の梯子の口まで這つて行つた。さうして、そこから短い白髮をさかさにして、門の下をのぞきこんだ。そこにはもう下人の姿はなく、黑洞々(どうどう)たる夜があるばかりであつた。老婆はにたりと笑みを浮かべると、また這つたままもとの位置へ引きかへして來た。きよろきよろと屍骸を物色してゐる樣子であつたが、一つの屍骸へ近づいて行つて、帶をときはじめた。よごれ破れた紺の襖(あを)の着物を屍體から脱がせてしまふと、鼻をひくひくさせてにほひを嗅いだ。それから、にほひと埃と虱とを一時にふるひおとすやうに、着物をうちふつたが、またにたにたと會心の笑みを浮かべて、その着物の袖に鷄のやうに瘦せた手をとほした。それは男物で似あふといふわけにはいかなかつたが、ともかくも老婆の押しつぶされた蟇のやうな裸身はかくされた。老婆は大きな嚏(くさめ)をひとつして手洟(てばな)をかみすてた。それから、床板にさした松の木片の火をうごかして屍骸の間をさがしまはり、さつきの女の死骸のかたはらにうづくまると、ふたたびその毛を拔きはじめた。ときどき、老婆は闖入(ちんにふ)者をおそれるもののごとく、拔く手をやすめて、首を斜にし、外の氣配に耳をかたむけた。蜘蛛の巣のはりめぐられた天井に、うごめく老婆の黑い影が巨大な蝙蝠(かうもり)がはりついたやうに息づいてゐた。

 梯子の上の河童はやがてすごすごと門の下へ降りた。やうやくにして決心のついたことといへば、もはやこの羅生門には二度と棲むまいといふことにすぎなかつた。どうして飢ゑをしのいだらいいか、またどこに棲んだらいいかについても、更によい思案も浮かばなかつたけれども、ともかくここは棲むべきところでないときめて、河童は憤然とした足どりで、黑洞々たる夜のなかへ消えていつた。

 河童の行方は、たれも知らない。

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