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カテゴリー「火野葦平「河童曼陀羅」」の39件の記事

2017/04/10

ブログ930000アクセス突破記念 火野葦平 手 

 

[やぶちゃん注:本電子データは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが930000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年4月10日 藪野直史】]

 

 

 

 どうしてこんなことになつてしまつたのかと、河童は自分の不覺がざんねんでたまらない。これはたしかにおぼろな春の月の妖しい魔法にかかつてしまつたのだと月をうらんでみた。でなければ、かれは自己の過失を、ただみづからの下卑た心情のしからしむるところとかんがへてしまふことはたまらないからである。月のせゐだ。ところがさう月に過誤の原因を轉嫁してみたところで、ただそれは觀念の堂々めぐりだけであつて、現實の問題はさらに解決がつかないのであつた。

 通ひなれて、立ちならぶ並木路の松の數も、その形も、枳殻(からたち)の生垣の高さも幅も冠木(かぶき)門の氣どつた破風(はふ)も、はげてゐる瓦の枚數も、ペんペん草のたたずまひも、築山の石燈籠の形も數も、すつかり暗記をしてしまつた同じ道を、今夜も、河童はとぼとぼとあるいてゐた。月はなく、星があかるかつた。かれの顏にはつかれがみえ、不安と、疑惑と、焦躁と、決意と、希望とがごつちやになつて、その足どりもたよりなげであるかと思ふと、にはかに自信ありげに力がはいつた。かれが混亂してゐることは明瞭であつた。皿の水があるかとときどき手でたしかめたり、とがつた嘴を吃(ども)らないやうになでてみたり、土産(みゃげ)にさげてゐる鯉が死んでゐないかと、藁苞(わらづと)のなかをのぞいてみたりした。ところがかれのさういふしぐさはすべて左手でなされてゐるので、右手はただ肱ひぢ)から曲げ、そこに藁苞の紐をかけてゐるだけで、一度もうごかさないのであつた。左腕には水かきのある手がついてゐるが、右腕には手首からさきがきれいに切りとられて、手がついてゐないのである。まるで、右腕は杉の丸太んぼうをくつつけたやうにぶさまにみえた。河童のなげきの原因がこのむざんな右手にあることはいふまでもなかつた。その大切な手は、かれがこれからでかけてゆく人間の家に保存されてゐるのであるが、ふたたびかへしてもらへるかどうかといふことについては、まつたく自信がもてないので、河童は困惑をしてゐるのである。その人間の家にでかけるのは今宵がはじめてではなく、すでにもはや十數囘に達してゐるが、貪慾で頑迷な人間はいたづらに苛酷(かこく)な條件を課すばかりで、返還をこばんでゐるのであつた。

 それにしても、とまたも河童は春の月の夜の過失がくやまれてならない。たしかに月のせゐであつた。あの夜、池をでて、森にくると、やはらかな霞のなかからおぼろな月光がはとんどにほふほどのうつくしきで、河童の背や顏をてらした。滿月はすぎて、十七夜くらゐであつたらうか。かすかに虧(か)けた月はぼうとうすい紅をさしたやうにぼやけて、あたかも人間のわかい女のうつくしい肌のやうになまめいてゐる。そのやはらかい光に照らされると、まるで女の手でやさしくなでられてゐるやうで、こころよい興奮がわき、ふしぎな情念が身うちにうづまいてくるのであつた。河童にも青春の血がある。河童はかういふ誘惑には弱い。さうして月光のあやしい魅力にさそはれて、河童はつひにいやしい色情のとりことなつた。

 かれはもはや醉ひしれたここちとなり、夢遊病者のやうにふらふらと並木みちを拔け、枳殻(からたち)の生垣をこえ、人間のすまゐのほとりへさまよひでたのである。そのあひだにも月光はいよいよなまめかしい光をそそいで、ささやくやうに河童の情念をそそり、つひにかれを後架(こうか)のうちにひそませた。このやうなときに意識の底に潛在してゐるものがどういふ風にはたらくのか、かれはずつと以前にこの家にみめうるはしい乙女がゐたことを知つてゐて、その夜、月光とその女とがひとつにつながれたもののやうに、さうしてそれはひとつの絶對ででもあるかのやうに、みづからの行動のなかにおぼれたのであつた。しかし、かれのそのやうな情熱がともかく純粹であつたにもかかはらず、傳説の掟は冷酷で、かれは人間への慕情をしめす場所として、不潔な後架をえらばねばならなかつた。時間が經つた。足音がするたびに胸ををどらせた。この家には大勢の人間がゐるらしかつた。いくつかの尻をむかへおくつたのち、やがて目的のひとがあらはれた。動悸がうち顏がほてつてくる興奮に、河童はわれをわすれたやうに、そのうつくしい尻へそつと右手をさしだした。あつといふ間もなかつた。すさまじい力がかれの右手をつかみ、かれが後架のすみになげだされたとき、あわただしくなにごとか叫びながら、廊下をかけ去るはげしい足音を耳にした。河童は身ををどらして後架をとびだし、枳殻の生垣をのりこえて一散に山へはしりかへつた。さうして池の底でやうやくおどろきもしづまつたとき、ふと右手に氣づき、息もとまらんばかりになつて、どうと尻餅をついた。痛味をすこしもかんじないのでわからなかつたが、いま見ればかれの右手は手首からなくなつてゐた。しまつたとふかい悔恨がわいてきて不覺の淚がでた。その靑い淚は池の水のなかを紐をひくやうにしてながれた。驚愕と狼狽とのためなにかわからずに、ともかく逃げてきたのであつたが、とつさの間になにを見きはめることもできなかつたのだ。いま、あの力づよい手に腕をつかまれたとき、自分の手が切りとられてしまつてゐたことが明瞭となつた。杉の丸太んぼうのやうにぶさまになつた腕をながめて、河童はかなしげな顏になつたが、しかし絶望はしなかつた。まへにも同じやうな失策をした仲間があつて、いちどは手をうしなつたが、人間にわびをいひ、交換條件として傷藥ををしへるとか、水難よけの祕傳をつたへるとかして、手をかへしてもらつた例のあることを知つてゐたからである。かへしてさへもらへばもとのごとくつぐことはお手のものだ。そこで河童はふたたび恥をしのんでその人間の屋敷をおとづれた。

 人間の武士(さむらひ)は、憤然たる樣子で謝罪にきた河童をさんざんにわらつた。河童といふものは助平ぢやなうなどといつた。長いのと短いのと刀を二本さし、あたまのうへにちよん髷をむすんで、背のひくい、くしやくしやしたやうな眼鼻だちのその年よりの武士は、拔けた齒のあひだからしゆうしゆうと空氣をすかすもののいひかたで、自分の大切な娘にいたづらをするやうな奴の手はかへすことはならんと威張つた。河童は平身低頭してひたすらに懇願した。なんといはれてもよかつた。恥も外聞もなく人間のいふとほりにした。河童をどりををどれといはれてをどつた。七人の家族の者たちまで出てきて、みんな緣側にならんで輕蔑するやうに見ながらげらげらと笑つた。そのなかには河童がひそかに思ひをかけたわかい娘もゐた。かの女もめづらしい河童のふしぎなをどりに手をうつてよろこんでゐた。それにしても河童には、このなよなよした女が自分の尻にさはるかさはらぬかに手をつかみ、懷劍で切りとるやうな剛毅(がうき)な早わざをしたことがなかなか信じられなかつた。まへに何人かが後架にはいつたときに、すでにあやしいものの氣配に氣づいてゐたのであらうか。それならばかへつてわかい娘はおそれなければならぬのに、はいるときから懷劍をぬいて怪物退治をこころざしてゐたとすれば、なんといふ女丈夫であらうか。いづれにしろ、いま自分のをどりにうち興じて手をうつてゐるわかい娘が、自分の手を切りとつたにまちがひなく、どのやうな屈辱をしのんでも、かへしてもらはなければならぬのであつた。

 狆(ちん)のやうに眼鼻だちのくしやくしやした武士や、ぼてぼて豚のやうになつたその奧方や、それからそこにゐる人間たちのだれかれは、河童にさまざまの要求をした。歌をうたへといひ、さかだちをしろといひ、一人角力をとれといひ、空をとべといひ、はては小便をたれてそれをのめなどといつた。手をかへしてもらひたいために、河童はなんでもいはれるとほりにした。人間どもの嘲笑と酷使ははてがなく、河童はつかれて目まひがし、靑い汁がながれてからだがべとべとした。ところが、さんざんに河童をあやつつたはて、武士はどうも藝がまづいのでけふはかへすことはならぬ、この次に來いといつて、制止するのもきかず奧にはいつてしまつた。河童は呆然となつて見おくり、きびすをかへして憤然と山へかへつた。

[やぶちゃん注:或いは読者の中には「汁」を誤植ととるかも知れぬので、老婆心乍ら、言っておくと、河童は体が粘液で覆われており汗ではなく「汁」でよいのである。]

 河童はそれから何度となく通つては、手をかへしてくれるやうに必死に懇願した。詫び證文もかき、傷藥もをしへ、水難よけの祕傳もつたへ、欲しいといふものは無理してでもとりそろへて持參した。しかしながらそのたびに狆のやうな武士はなにかと難癖をつけ、言を左右にして、手をわたさうとはしなかつた。詫び證文など書きかたがわるいといふので七通も書いたのだ。河童は手のためにはどんな苦難にもたへ、怒りをしづめて忍從しようと決心はしてゐたが、あまりな人間の不信と貪慾とにしだいに絶望のこころがわいてきた。同じ失策をしたほかの仲間がたいていは一度か二度ゆけば手をかへしてもらつたときいてゐて、はじめは樂觀してゐたのであるが、人間のうちにもいろいろあつて、さう生やさしくはいかぬ者のあることがわかつた。はじめは根氣とねばりが大切だとおもつたが、こちらがいかに努力しても、相手の心がまつたく手をかへす氣特になつてゐないのでは、のれんに腕おしにすぎなかつた。愚鈍な河童もしだいにそのことをさとつてきて、もはや絶望的なあきらめのおもひがきざすやうになつた。

 いま河童は藁苞に鯉をつつんで、人間の武士の家をおとづれたのであるが、もし今宵宿願が達成されなければこれを最後と決意してゐた。このまへきたときに、武士はおまへが山の淵の緋鯉をとつてきてくれれば、今度こそはまちがひなく手をかへしてやらうと約束したのである。山の淵は嶮岨(けんそ)な場所にあつてとても人間ののぼれないところであり、そこにゐるといふ緋鯉のことはいひつたへになつてゐるだけで見たものはなかつたので、その武士は自分のつかへてゐる殿樣へさしあげるために要求したもののやうであつた。これをとることは河童とて容易ではなかつたが、渾身(こんしん)の努力をふるつてやつととらへ、いま人間の屋敷へはこんできたのであつた。

 おとづれる聲に、戸があいて、狆のやうな武士が手燭をもつてあらはれた。

「河童か」

「さやうです」

「約束のもの、持參したか」

「持つてまゐりました」

「どれ」

「お武士さま、おねがひです。こんどはきつと手をかへしてくだきい」

「約束のとほりならかへすよ。武士に二言はない。……どれ、見せてみろ」

河童は藁苞をさしだした。

「ありや、これや緋鯉ぢやないか」

「緋鯉です」

「たれが緋鯉というた?」

 河童はおどろいて、

「あなたがこのまへいはれたではありませんか。あなたがいはれたので、わたしは一所懸命でむつかしい山の淵でこれをとつたのです。あなたがなんどもいはれた山の淵の緋鯉です」

「馬鹿なことをいうてはいかん。わしは緋鯉などいつたおぼえはない。眞鯉(まごひ)といつたんぢや」

「いまさらそんな、……あなたはいつでも、そのときになつて、出たらめばつかり……」

「なにが出たらめだ」

「いえ、出たらめといふわけではありませんが、……そんなに、いつも、約束をたがへられては、……」

「約束をたがへるのはおまへだ。河童といふものはしようのない噓つきだなう」

 河童は地べたへ額をつけた。ぺこぺこ何度も頭を下げた。皿の水がながれて、氣のとほくなるここちがした。

「おねがかです。おねがひです。手をかへしてください。わたしのしたことはわるいことでした。しかし、もうわたしとしてはできるだけのおわびと、つぐなひをしたつもりです。手はわたしの命です。どうぞ、かへしてください。おねがひします」

「おまへがちやんと約束さへ守ればかへしてやるつもりでゐるのに、おまへがわるいのだ。……それでは、いいか。こんどはまちがひなく、山の淵の眞鯉をとつてきなさい。そしたら、かならず、手はかへす。……いいな。……この緋鯉はもらつとく」

 河童は呆然となつて、藁苞をさげて消えてゆく人間のすがたを見てゐた。戸がしまり、かたんと裏からかけがねをおろす音がして、あとはしいんとなつた。しばらく魂のぬけたやうにたたずんでゐた河童は、やがて力なげにたちあがると、ふかいためいきをついて、鉛のやうにおもい足をひきずりながら、星であかるい山への道をひきかへしていつた。

 

 

 

 このとき、地上では戰ひがたけなはであつた。城をまもる者と、城を攻める者とが日夜たけだけしい叫び聲をあげ、刀をふりまはし、槍をつきあはせ、渚(なぎさ)によせる波のやうによせたり引いたりしながら、あくこともなくたたかつてゐた。城は包圍されてゐたが、かこむ軍勢はこの城の軍勢のふしぎな抵抗力に、やうやくおどろきの眼をみはるやうになつた。外濠(そとぼり)にかこまれた小さい城がいつまで攻めても落ちないのだ。戰ひはながくつづいた。この城にこもる人數はほぼわかつてをり、ながいあひだのうちつづくたびたびの戰鬪で、もはやその人數は全滅してゐなければならぬ筈であつた。足をきられ手をきられた者だけでも、城の軍勢の數を越してゐるとおもはれるのに、城門からはいくらでも精鐵があらはれてきて、喊聲(かんせい)をあげ、刀をふり、槍ぶすまをつくつていどみかかつてきた。攻圍軍の方にもしだいに戰死傷者ができ、補充をする便があるとしてもながい戰鬪ではやうやくつかれがみえてきた。それにしても、小人數である筈の城内の兵隊が、いつまでたたかつてもすこしも減る模樣がないことはいぶかしいかぎりであつた。攻圍軍の大將も、參謀も、部隊長も、解(げ)せぬこととしてしきりに首をひねつた。

 そのうち前線から奇妙な報告がとどくやうになつた。城内の軍勢とたたかつて、手を切りおとすとその兵隊はその手をもつて城へにげかへる。足を切りはなすとその足をかかへて城のなかへはいる。どこを切つてもついても負傷したままひきかへす。首を切るとべつの兵隊がかついで逃げこむ。するとそのあとから新手がでてくるが、どうもそれは先刻手や足を切りおとしたとおなじ兵隊のやうにおもはれる、と。馬鹿なことをいふな、と大將も、參謀も、あきれてわらひだし、そんなたわけた報告をする斥候(せきこう)を氣ちがひのやうにとりあつかつた。しかしながら、ひきつづき櫛の齒をひくやうにもたらされる第一線の報告が、符節を合したやうにおなじであることを知るにいたつて、大將の額にたらたらと汗がながれ、苦澁の顏にはいひしれぬ懷疑のいろがわき、やがてこの妖怪の城にたいして恐怖のおももちがあらはれた。

 

 

 

 城内の天主閣では、鎧兜に身をかためた殿樣がふしぎな微笑をうかべて、戰ひの狀況をながめてゐた。殿樣のまへには緋鯉の料理がならべられ、かたはらには狆のやうなくしやくしやした眼鼻だらの武士がしかつめらしい顏をしてはべつてゐる。城外からはをめき聲、鬨(とき)、刀や槍のうちあふ音、矢が風をきる音、法螺貝、陣太鼓の音などがきこえて來、晴れわたつた空にへんぽんとひるがへる多くの旗がながめられた。

「戰ひはあひかはらずか」

 殿樣は盃を手にして、妙にけだるさうな聲でたづねた。

「さやうでございます。さんざんに敵をなやましてをります。あの河童の手がありますれば、わが軍は百萬の大兵がをるのも同然でございます」

 狆の武士が滿面に得意のいろをうかべてこたへた。

「さうか」

 殿樣はなんばいも盃をかきねたが、その顏には會心の笑みとは遠くかけはなれた皮肉の微笑がこびりついて、ときに嘲けるごとく、ときにはさげすむごとく、ときに泣くのではないかとおもはれるやうに、唇をかんだりするのであつた。戰ひは有利で、敵は味方の奇妙な戰術のまへにすでに旗を卷かうとしてゐるのに、殿樣の憂鬱な顏は勝利者の顏ではなかつた。いひしれぬ退屈と侮辱のいろさへ、ときにその端麗な顏にあらはれて消えた。

 戰ひはもうながくつづいてゐた。戰ふべき運命にあつた兩軍はそのながい戰ひよりもずつとまへからしばしば戰ひ、勝敗を決することなくこんにちにきた。さうして今度のいくさがはじまつた。ところが今度の戰ひにはおもひまうけぬ武器が手に入つて、味方は有利にたたかふことができた。河童の手だ。家來の娘で剛毅なるものが後架でいたづらせんとした河童の手を切りとつた。知識ゆたかな典醫はそれを見ると、狂喜のあまり七囘𢌞轉して卒倒した。この手さへあれば切れた腕でも足でも首でもたちどころにつなぎ、もとのとほりにすることができる。ぜつたいに河童にかへしてはいけないといふことを蘇生してから言上した。かくて忠義にあつい狆の武士は、河童がいかに懇願するともこれをかへさうとはしなかつたのである。

 戰ひがはじまり、その效驗はたちどころにあらはれた。城内の兵隊はいくら切られても突かれても河童の手でさすることによつてたちまらもとの身體に復歸し、さらに城外に打つて出た。負傷すればひつかへし、手足や首をつないでまた出てゆく。まさに狆の武士のいふごとく、不死身の兵隊百萬を擁してゐるのに異らなかつた。はじめは殿樣も大いによろこび、その手を切りとつた娘に褒美をとらせ、狆の武士にも加增を命じた。攻圍軍は城内の不死身の兵隊に疑惑の眼をみはり、やがて恐怖にとらはれるやうになつた。

[やぶちゃん注:最後の一文の冒頭の「攻圍軍」は実は底本では「攻圍車」となっているが、これでは意味が通じないと私は判断し、前の叙述からも「車」は「軍」の誤植と断じ、特異的に訂した。

 しかるに、戰ひがつづけられてゐるうちに、男性的にして良心的な殿樣のこころに、しだいにくらいかげがさしてきはじめた。同じやうな戰ひがつづけられ、同じやうな經過と結果とが日課となつて、殿樣のこころに倦怠と疑惑とが生じた。いくら切られてもこちらは減らないし、敵は減つてのゆくであるから、いつかは味方が勝利を得るかもしれないが、これがほんたうの勝利といへるであらうか。こちらはもう安心をしてをつてもよいわけで、べつだん力こぶを入れたりするところはなにもない。殿樣は寢てをつてもよいわけだ。これが眞の男性的な戰鬪であらうか。自己の運命を賭(と)し全戰力を傾倒して勝敗の歸趨(きすう)に沒頭することなくして、なんの戰ひの價値があらうか。これは戰ひではない。つまりは河童の手が眞の武器ではないからだ。殿樣は兵隊のはうにも眼をそそいでみた。兵隊にも懈怠(けたい)のこころがわき、鬪魂のにぶつてゐることは明瞭であつた。いくら切られても突かれても死なないといふことになれば、なにも伎倆をみがくことも、わざに長ずる必要もないことだ。かくて戰ひぶりはお座なりとなり、なにか馬鹿々々しい倦怠のしこりが陣屋のなかにたちこめるやうになつてゐた。

 かくして殿樣はつひに決意をかためるところがあつた。勝敗を度外視し、眞に自力を全的にみなぎらして戰ふ男性的な人間の宿命に忠實たらんとして、殿樣は河童の手に依存する卑屈をやめた。殿樣は狆の武士をよび、手を河童へかへすやうに命じた。狆の武士はおどろいて色あをざめぶるぶるふるへだした。殿樣は氣がへんになつたのではないかとまじまじと主人の顏を見た。殿樣は氣がへんになつてはゐず、昨日までの妙にけだるさうな表情が消えて、りんりんたる勇氣がそのおもてにあふれ、これまでにかつてなかつたやうなたのもしい武者ぶりであつた。殿樣の命令はおごそかで、二度と口返答をゆるさぬきぴしさにあふれてゐた。反對すればたらまち手打ちにされるやうなすごささへある。狆の武士は河童に手をかへすべく、搦手(からめて)の間道をつたつて山への道を行つた。戰鬪はまつたくちがつた樣相をおびるやうになり、そのをたけびも劍戟のひびきもこれまでの懈怠のいろをふきとばして、はじめて人間のさいごのいのちをかけあふ悲壯なものとなつてきた。

 當惑したのは狆の武士である。くしやくしやした眼鼻だちをいつそうちぢこめて、腹だたしげに河童の手を入れた袋をさげてゐたが、到底、山の池までこれをとどけにゆくやうな阿呆らしい役目をはたす氣にはならなかつた。武士の沽券(こけん)にかかはる。そこで彼はいつも河童が通つてくる松並木まできて、そこの一本の松の梢にとりだした河童の手をひつかけておいて歸つてきた。河童が來ればかならず氣づくことは明瞭であつた。狆の武士は城への道をひつかへしてきたが、あの手のなくなつたこれからの戰鬪がどんなに苦しいものであるかをかんがへて、もうがたがたふるへがきた。さうして劍戟のひびきのきこえる搦手の門まできて、いきなりくるりと踵(きびす)をまはすと、狆がはしるやうにいづくかへ逃亡し去つた。

[やぶちゃん注:最後の一文の「踵(きびす)」の「踵」は実は底本では「腫」となっているが、これでは意味が通じない(「腫」に「きびす(かかと)」の意味はない)。ルビからも「腫」は「踵」の誤植と断じ、特異的に訂した。

 松の梢にのせられた河童の手は歳月とともに風雨にうたれてしだいに腐蝕していつた。もうあきらめてゐた河童は人間への信賴を斷念して、池の底から出ようとはかんがへなかつたので、自分の手がゆきさへすれば見つかるところにあることを知らなかつた。松の梢の手は烏(からす)につつかれたり、鳶(とび)に食はれたり、蛆(うぢ)がわいたりしてしだいに原型がなくなり、それも風化して、つよい風の日に吹きとばされて四散してしまつた。秋風がたつやうになつてから、ながい忍耐ののちまたも未練が出て、河童が池を出て、人間の武士の家をおとづれたときには、その家は灰燼に歸してあとかたもなく、おもい心をいだいてかへつてくると、みじんの骨片となつた自分の手が水がきのある濡れた足のうらにまつはりついてくるのであつた。

2016/12/17

ブログ890000アクセス突破記念 火野葦平 十三夜

 

[やぶちゃん注:本テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが890000アクセスを突破した記念として公開する。【2016年12月17日 藪野直史】]

 

 

 十三夜

 

 

        一 家  の  外

 

 もしもし、誰もゐませんか。ちよつと起きてくれませんか。誰もゐないのですか。……困つたな。どうも、誰かゐるやうに思はれるのだがなあ。さつき、話し聲や物音がしたやうに思つたのだが、行きには點(つ)いてゐた灯(ひ)も消えてしまつてゐる。寢てしまつたのかな?……

 もしもし、もしもし、留守なのですか。……返事がない。……すつかり、ぐるりは戸じまりがしてあるし、すき間はあるが、中はまつ暗なので、なにもわからない。狐や狸のやうに、どんな小さな穴からでも風のやうに忍びこむことはできないし、はて、どうしたものかな。もう一ペん引つかへして、探してみようかしら。……だが、もう足がしびれるくらゐ、さうだ、三十ぺん以上も往復したのだから、いくら俺の眼がわるいといつたつて、こんな明るい月の晩に、見そこなふ筈はない。やつぱり、この家の人間が拾つたものにちがひない。この往還にはこの家一軒しかないのだし、時間からいつても、誰も通らなかつたのだから、さうとしか考へやうがない。この家にはたしか、四十くらゐの樵夫(きこり)夫婦と、六つか七つの女の子が一人ゐたやうに思つたのだが、……

 もしもし、聞えないのですか。すみませんが、ちよつと起きてくれませんか。ちよつとおたづねしたいことがあるのですが、……わたくしはこの山の水天宮の池にゐる河童です。あなたがたもわたくしのことは聞いたことがあると思ひます。なにもいたづらをしようの、危害を加へようのといふのではありません。ほんとに困つてゐるので、おたづねやら、お願ひやらにまかりでたものです。

 わたくしは、今夜、この麓の目痛川(めいたがは)の溜(たまり)でひらかれた仲間の集合に行つたのです。十三夜の月の晩に、毎月もよはされる例會なのですが、今夜もたそがれどきから、この地方一帶の仲間が百匹ちかくも集つたのです。なぜ十三夜の晩にかぎつて集るやうになつたかといふことは、實はわたしもよくは知りません。なんでも、昔、やはり水天宮の池にゐましたわたくしの祖先が、どうしたはずみか、崖のうへから落ちて皿を割る事件が起ったことがあるさうです。河童にとつて頭の皿ほど大切なものはなく、水分が減つてさへも氣力が衰へて病になることがあるのですから、皿が割れることは、生命にかかはるやうな大事でありまして、ただちに附近の仲間たちが召集されることになりました。何故なら、わたくしの祖先は、若いころ、筑後川にゐます河童の頭目九千坊の膝下にゐまして、直接の薫陶をうけ、且つは阿蘇の那羅延坊の覺えもめでたい出色の者であつたために、ここに來ましてからは、由緒ある水天宮の宮附として、ここらあたりの河童の見かじめをしてをりましたので、臨終にあたつて、いひ殘さねばならぬことがあつたからです。そのときもわたくしの祖先の遺言は十六箇條にわたる綿密なもので、河童の生きてゆく根本の精神について、生活の方法について、あるひは、眞實について、歷史について、藝術について、科學について、戀愛について、道德について、さまざまの示唆(しさ)にあふれた格言に滿ちて居りましたが、それらの言葉も精神も、いまは朦朧としたものになつたやうに思はれます。あきらかに文字に書きしるされて殘つてゐるにもかかはらず、勝手な解繹を加へたり、故意に歪曲(わいきよく)したり、自分に都合のわるい部分はかへりみず、都合のよいところのみをとりあげたり、或ひは全的に信奉するものがあるかと思ふと、全然否定するものがあり、まつたくそんなもののあることすら知らないものさへあるやうになつたからです。これこそは古典の持つ運命かも知れませんが、いまの世に生きるものたちの輕薄さを裏書きしてゐると思ひ、わたくしはときどき、もう古ぼけて苔の蒸した祖先の遺訓をとりだしては淚する日もあるわけです。わたくしはこれでも水天宮の池を繼承した名門の裔(すゑ)なのでありますが、その祖先が死の床で同族を召集して教へを垂れたのが十三夜の月の晩であつたとかいふことで、それ以來、この夜が、今日まで、仲間の月例集會の日となつたといひ傳へられてゐます。しかしながら、いまはその夜の持つてゐた嚴肅な意義といふものはまつたく忘れられて、ただ、習慣に過ぎなくなり、集合の席での語といへば、ほとんど、祖先の精神とは似ても似つかぬ、低俗で、賤しく、且つは、愚劣で、卑猥な話ばかりなのであります。ときには、聞くに足る話も出ますが、それはまるで問題にされず、多數を占める現世的な俗論が壓倒してしまつて、集會はいつでも、猥雜な笑ひで終つてしまふことが多いのであります。

 今夜など、わたくしは仲間たらからさんざんに嘲笑されて、はとんど憤りと悲しみとで息がとまらんばかりの思ひをしました。順當にいけば、もともと名門の裔であるわたくしがこの地方の見かじめをしなくてはならぬのでありますが、生まれつき氣の弱い、ひとをやつつけたり、おとしいれたり、ごまかして自分だけよいことをしたりするやうな政治的手腕にまつたく缺けてゐるわたくしには、さまざまの性向を持つた百匹もの部下を統御してゆく能力はとてもありませんので、いまは、わたくしの伯父にあたる鎭守(ちんじゆ)の河童に、その代役を賴んであるのです。

 この伯父は恰幅(かつぷく)が立派で、押しだしでまづひとを壓するのですが、また鼻孔の太いのと、聲の大きいのとで、仲間うちで重きをなして居りました。その伯父から、わたくしは今夜ひどい侮辱を受けました。以前、わたくしが見かじめ役をたれか親戚のものに代つてもらひたいといふことを申し出たときには、この伯父は毎夜のごとく、水天宮の池へ、いろいろわたくしの好きさうな土産ものなどをしつらへて、やつて參りまして、猫なで聲をだして、頭をペコペコ下げ、自分を代役に指名してくれと、哀願したものです。權力に對する魅力はたれも押へがたいものがあるとみえます。そのほかの親類のなかにもわたくしの小庵をおとづれるものがありましたけれども、その伯父のやうに執拗で卑屈なものはありませんでした。わたくしは權力などにはすこしも未練はありませんでしたから、もつけの幸として、この伯父に代役を指名したのです。うるさいと同時に、また、なにか脅迫めいたものを感じて怖くもなつたからです。その伯父は正式にその役に就任しますと、態度はがらりと一變して、橫暴のかぎりをつくすやうになりました。

 伯父は、今夜、仲間たちの面前で、わたくしを仲間の面よごしだといつて罵倒しました。……恥しい話ですが、わたくしはこの半月ほど前に、結婚をしまして、……いや、それが、その結婚といふのが、實は問題となつたのですが、……さあ、どういつたらいいか、わたくしは立派な結婚だと思つてゐるのに、伯父はそれを結婚ではないといふのです。さういへば、べつにことごとしく親戚にひろめもせず、身内にも知らないものもゐるくらゐでしたから、その點はわたくしにも落度があつたのかも知れませんが、相談をすれば反對するにきまつてゐますし、……といふのが、白狀しなければわからないのですけれども、わたくしはすこし前から、ひとりの娘の河童と知りあひになつてゐまして、そして決心をして、たれにも無斷で、その娘と結婚してしまつたわけです。二人の愛情の純粹さ淸さについては、たれに憚かるところもなかつたし、戀愛の眞實と自由とについては、祖先の憲章にいささかも悖(もと)らない確信も持つてゐたからです。それ故に、水天宮の池底のわたくしの新婚の家庭はまことにささやかではありますが、幸福に滿ちたものであつたのです。

 ところが、そのことを伯父にいはせますと、もつてのほかの氣ちがひ沙汰で、名門の榮譽を冒瀆し、德義を無視した靑年の客氣にすぎない。素性(すじやう)もさだかでない女を神聖な水天宮の棲家(すみか)にひきいれるのは神をおそれぬ危險思想である。且つは、親戚一統の承認を輕ないのは正式の結婚とは認められず、單なる野合にすぎない、といふことになるのです。さうして、伯父は滿座のなかで、例の大聲を發し、巨大な鼻孔をぶうぶう鳴らし、さういふ淫蕩なる不良靑年を仲間から出したのは心外であるから、その女をただちに離別するか、自分がこの土地から退去するか、どちらかを選べと、くりかへしくりかへし、わたしを面詰するのでした。座中にはなだめるものもありましたが、伯父の劍幕に辟易(へきえき)して沈默し、多くの仲間は伯父に阿諛(あゆ)して、ともどもにわたくしを嘲笑するのでした。

 わたくしは座にゐたたまれなくなつて、目痛川の溜をとびだしました。わたくしの背後でどつと笑ひ聲がおこりましたが、わたくしはもう憤りでぶるぶる顫へながら、まつすぐに水天宮の池へ急ぎました。十三夜の月が晝間のやうに明るい道を急ぎながら、嘗て、この十三夜の月の晩、祖先が死の嚴肅のなかにあつて遺した教訓が、このやうにも完全に忘れ去られてゐることにおどろき、憤りのなかにはてもない悲しみとさびしさがわいて來ました。さうして、複雜な感慨にひたりながら、ただ、池底で待つてゐる新妻のことを考へ、なにはおいても彼女に會ふことによつて一切が償はれるのだと、ほとんど走るやうに、道を急いだのです。……ああ、そのわたくしの興奮が、つひに、わたくしに途方もない災ひをもたらしたのです。

 もしもし、聞いてゐますか。

 わたくしはほとんど混亂してゐたために、大變な失策をいたしました。どこかに、池へかへる鍵を落してしまつたのです。わたくしたちには傳説のきびしい掟があります。その掟はつねにわたくしたちの生命であり、宿命の規律であり、なにものをもつてしても犯すことができません。水天宮の池底にかへるためには、わたくしはその鍵を持つてゐなくてはならないのです。いつも腰の袋に入れてゐて、落すなどといふことはないわけなのですが、きつと、興奮して急ぎすぎたために、知らぬ間にとびでたものと思はれます。形はただ丸い平凡な小石で、わたくしには絶對になくてはならぬものですが、……あなたがた人間にはなんの役にも立たぬものです。もし、あなたがたが拾つて居られるものなら、返して下さいませんか。どんなお禮でもいたします。

 わたくしは鍵を落したことを知ると、氣も動顚(どうてん)せんばかりでした。それでも、この明るい月夜ですから、まもなく見つからうと、この往還を必死で探しました。そして、たうとう、三十ペん以上も往復し、へとへとになりました。足もしびれてしまひました。いくらわたくしの眼が惡くても、こんなに明るいのですから、あれば見つからぬわけはありません。ないのです。この道には落ちてゐないのです。いや、一度は落ちたかも知れないが、誰かが拾つたのです。さうにちがひありません。さうとすれば、あなたがたよりほかにはありません。わたくしは血眼で道ばかり探してゐたので、あまりよくは氣づきませんでしたが、ともかく、麓から池までの間には、この家一軒しかありません。はじめは戸もあいてゐたし、燈もともつてゐたやうに思ひます。誰かゐる氣配も感じました。それが、いまはすつかり戸じまりができ、灯も消えてゐます。家のなかは眞暗になつてゐますが、きつと、皆さんが居られるとわたくしは信じてゐます。

 もしもし、もうおやすみですか。ちよつと起きてくれませんか。きうして、戸をあけて下さいませんか。けつして、いたづらをしたり危害を加へようといふのでありません。それどころか、わたくしは命がけなのです。こんなに困つたことははじめてです。もし、その石を拾つて居られるなら、……いや、きつと拾つて居られると思ひますから、わたくしに返して下さいませんでせうか。さつきもいふとほり、わたくしにはなくてはならぬものでありますが、あなたがたには用もないものです。どんな御恩返しでもいたします。

 ああ、かうしてゐる間にも、氣がせきます。實は伯父がわたくしの妻に邪(よこしま)な懸想(けさう)をしてゐたことを、わたくしはよく知つてゐるのです。その石の鍵がなければ、わたくしは池にかへることができません。妻は池から出ることもできません。つまり、わたくしたちは二度と會ふことができなくなるのです。ああ、もう、彼女にこれきり會へないなんて、……さうして、池にかへれないなんて、……伯父が、伯父がひよつとしたら、今ごろは、水天宮の池に行つて、……もしもし、もしもし、お願ひです。お願ひします。石の鍵を返して下さい。どうぞ、お返し下さい。……もし、もし、もし、……もし、……

 をかしいな。いくらいつても返事がない。やつぱり、誰もゐないのだらうか。きつと居ると思つたのだが、……困つたなあ。……實直さうな樵夫の夫婦だし、居れば、さうして事情を聞けばかならず返してくれると思ふのだが、……もし、鍵がなかつたら、どうなるんだ。池にかへれない。彼女に會へない。伯父が、……畜生、どうしたらいいんだ、絶望だ。

 もしもし、もしもし、もしもしもしもし、……お願ひです。あけて下きい。鍵を返して下さい。

 やつぱり、誰もゐないのだ。……仕方がない。月も傾いたが、もうすこし探してみよう。月が落ちたら、なにもわからなくなる。まだ、探し足りないのだらう。なにしろ、石が小さなものなんだから、……

 

          二 家  の  中

 

「どうやら行つてしまつたらしいな。なにか、永いこと、くどくど喋舌(しやべ)つとつたねえ」

「なにをいつてゐたの? あなた。風のやうにざわざわいつてるばかりで、あたしにはよくわからなかつたけれど」

「俺にもよくわからんが、なあに、河童などのいふことが、なにかわかるもんか。うつかり口車にでも乘つたら大變だよ。相手にならず默つてりやいいんだ。また、來るかも知れんから、返事をするんぢやないよ」

「はい」

「お前、面白いものを拾つたなう」

「父ちやん、これ、なあに?」

「きつと、河童の丸子石(まるこいし)だよ。父らやんが死んだおつ母から聞いたことがある。子供のお前にやいらんものだから、父ちやんにくんな」

「いやん。あたい、折角拾つたんだもの」

「そんなもの、なにするかい」

「なにつて、きれいな石だもの。風鈴に入れるか、簪(かんざし)の玉かにするわ」

「そんなことよりな、父ちやんにくんな。父ちやんがこれを持つて町に行くとな、よろこぶ人があるんだよ。死んだおつ母の話ぢやあ、河童の丸子石は喘息(ぜんそく)の妙藥だつていふことだつた。喘息てな、なほりにくい病氣だが、丸子石があつたら、どんなたちのわるい喘息でも、すぐになほるんだ。父ちやんがいつも世話になる町の旦都がもう長いこと喘息で寢てござる。旦那にや恩になつてゐるから、なにかで恩返ししなくちやと思つてゐたが、貧乏ぐらしでなんにもできなかつた。これは天のお助け、だ。夜があけたら、すぐに旦那のところへ、これを持つて行かう。すりつぶして、味噌汁に入れて飮めばいいんだよ」

「飮んでしまふの?」

「うん、さうしたら、二三日もしたら、すつかり喘息がなほつてしまふんだ。旦那よろこぶだらうな」

「そんなら、惜しいけど、父ちやんにあげるわ」

「よしよし、いい子、だ。そのかはり、父ちやんが町で、美しい風鈴に、玉簪を買つてやるよ。一緒に町に行かうな」

「うれしいわ」

「あなた、あれ、なに?」

「お、河童の足音だ。また引つかへして來やがつたな。……近づいて來る。ものをいふな。音を立てちやいかんぞ。なにをいつても默つてるんだ。いいな。……そら、もう、表に來た。しいつ、なにをいつても、返事するな」

 

[やぶちゃん注:「目痛川」不詳。先の「新月」に登場する川名である。た、ここでは、「水天宮」「筑後川」「阿蘇」とソリッドに固有名詞が出、しかも主人公が河童の中でも正統なる血筋の末裔であることを考え合わせるなら、このロケーションの「水天宮」は高い確率で筑後川が近くを流れる、福岡県久留米市瀬下町(せのしたまち)の、全国の水天宮の総本宮である、「水天宮」と考えてよかろうかと思われる。場所柄、天御中主神の他、安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀っており、言わずもがな、壇ノ浦で滅びた平家が河童となったとする伝承は広くこの附近に残る。

「九千坊」「河童曼荼羅」の先行作に他出する。

「那羅延坊」先の「白い旗」に登場する。

「見かじめ」「見ケ〆」などと表記する。見回って取り締まること。現行では「みかじめ料」として、暴力団が不当に脅しをかけて飲食店などから徴収する用心棒代・ショバ代・挨拶代の謂いでしか、專らしようされなくなった。

「河童の丸子石」不詳。]

2016/09/17

ブログ・アクセス860000突破記念 火野葦平 蕎麥の花

[やぶちゃん注:私には何か非常に哀しい話と読める。

 最初に簡単な語注を附しておく。

「貴船神社」叙述(「香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵」)から現在の福岡県田川郡香春町(かわらまち:現行はこう読む)紫竹原(しちくばる)にあるそれかと思われる。

「香春(かばる)街道」大宰府と豊前国及び大和朝廷を結ぶ街道の一部を原形とするもので、現在の福岡県北九州市から同県久留米市に至る国道三百二十二号に相当し、同国道のの別称として今も使われる。名称は、起点である北九州市小倉南区附近から、田川郡香春町へ向かうことに由来する。

「庚申淵」は不詳であるが、「香春街道の出はづれにある」という表現からは私は地図上で見る限り、彦山川の北の支流である金辺川の淵であろうと踏んでいる。実は後に「庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にある」と出るのであるが、この「長峽川(ながをがは)」と「檢地」という地名はあるにはあるものの、福岡県行橋市下検地付近でここは香春からは直線でも十キロ以上離れており、しかもここを行き来可能な河川を地図上では見出せない。識者の御教授を乞うものである。

「海御前」既に電子化注した本「河童曼荼羅」の作品にはしばしばこの設定でこの名が出るが、特に彼女を主人公とした「海御前」がある。また「西日本リビング新聞社」公式サイト内の「海御前とカッパの証文石(門司区)」を読むと、平教経の妻海御前が河童の惣領となったことが出、また以下の大積周辺には河童駒引伝承があることが判る。なお、個人サイト「北九州市まちかど探検」の「門司区大積周辺地区」も必見。

「大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)」企救半島の東側福岡県北九州市門司区大積。上記に引用した「海御前とカッパの証文石(門司区)」で、大積の殿様が「乙女川」の川岸で愛馬を河童に引かれたと出るが、これは大積村内を流れる奥畑川の別名であり、従って、「乙女岩」はこの大積の周防灘に面した入り江(或いは河口附近)にあった岩礁(或いは川中の岩場)を指すものかと推測される。

「庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる」これは現在の福岡県久留米市大橋町常持にある庄前神社である。古賀勝氏のサイト「筑紫次郎の世界」の「伝説紀行」にある「巨瀬川の尼御前カッパ」に詳しい。

「草野(くさの)」現在の福岡県行橋市草野。ここは先の「長峽川」の左岸(北側)に当たり、地名の「検地」にも近い。ますます分らなくなってきた。

「到津(いたうづ)」遙か北の現在の福岡県北九州市小倉北区到津(いとうづ)である。現在、「到津の森公園」として小倉区西部では特異的に自然が残っている。

「伽羅(きやら)」香木の一つである沈香(じんこう:正しくは「沈水香木(じんすいこうぼく)」)の中でも質のよいものをこう呼ぶ。ウィキの「沈香」によれば、『東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ属(学名:アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha)の植物である沈香木などが、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積したものを乾燥させ、木部を削り取ったものである。原木は、比重が』〇・四と『非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈水」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違う』とある。

「音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、/橋の下から泣き音頭」これは盆踊唄の一つである。こちらを参照されたい。

「高門(たかもん)」地名かも知れぬが、見当たらぬので金持ち(或いはその部落内でのそうした富裕な家の通称一般名詞又は名前に準じた固有名詞)という意味でとる。

「ギンギュウといふ魚」「はえにちよつと似てゐる川魚で」「珍しい魚でもなんでもない」が「赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた」「はえ」は、日本産の条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科 Cyprinidae の淡水魚の中で、中型で細長い体型をもつ種群の総称であり、「はや」「はよ」などとも呼ばれるが、これはだいたいコイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis・ウグイ亜科アブラハヤ属アムールミノー亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii steindachneri・アブラハヤ属チャイニーズミノー亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi・コイ科 Oxygastrinae 亜科ハス属オイカワ Opsariichthys platypusOxygastrinae 亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldiiOxygastrinae 亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii を指す。私はこの内でも春に雌雄ともに鮮やかな婚姻色の紅色条線を発するウグイ Tribolodon hakonensis をそれのモデルとして採りたい(この時期の彼らを「桜うぐい」と呼び、私は好物である)。なお、「ギンギュウ」という奇体な名からは条鰭綱ナマズ目ギギ科ギバチ属ギバチ Pseudobagrus tokiensis の地方名である「ギギュウ」「ギンギョ」を想起するが、これは紅い模様の必要条件を満たさない(茶褐色の赤味の強い個体はいるが、「桜うぐい」に比したら話にならぬし、「はや」のグループとも似ていないからである)。

「産褥」「さんじよく(さんじょく)」産婦の用いる寝床。

「ドンコ」棘鰭上目スズキ目ハゼ亜目ドンコ科ドンコ属ドンコ Odontobutis obscura 。日本産ハゼ類の中では非常に珍しい純淡水性のハゼ。

「沈湎(ちんめん)」沈み溺れること。特に酒色に耽って荒んだ生活を送ることに用いる。

 なお、本篇は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、私のブログ・アクセスが860000を突破した記念として公開する。【2016年9月17日】]

 

 

   蕎麥の花

 

 

 川面をわたる風に乘つて、貴船(きふね)の方角から太鼓の音が聞えて來る。盂蘭盆(うらぼん)が近づいたので、村の若い男女が社の境内に集つて盆踊りの稽古をしてゐるらしい。これは每年のことだから、格別珍しいことではないが、香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵(かうしんぶち)に棲んでゐるお染河童(そめかつぱ)にとつては、年變るごとの樂しみの一つではあつた。河童も遊ぶことがきらひではないけれども、人間たちのやうにかういふ浮き浮きした度はづれの祭はやらない。ことに、お染をふくむ北九州界隈の女河童は、いづれも源氏に亡ぼされて關門海峽に沈んだ平家の女官であつたから、敗戰滅亡の悲しみがなほ尾を引き、なにかの歡樂に底拔けにうつつを拔かすといふ氣特になかなかならないのだつた。しかし、樂しいことは好きなので、人間たちが浮かれ騷いでゐる樣子を遠望しながら、すこしでも心を明るくするよすがにはしてゐた。今夜も月のさす土堤(どて)に腰かけて、お染は提灯や炬火(たいまつ)のきらめく神社の境内の賑はひを眺めてゐたのである。そして、化(ば)ける術を知つてゐたならばきれいな娘に變じて、踊の環のなかに加はることができるのにと思ひながら、變化(へんげ)の法を知らないことにさびしさを感じてゐた。

 壇の浦で亡びた平家一門のうち、男は平家蟹となり、女は河童となつた。その女河童たちは能登守教經(のとのかみのりつね)の夫人であつた海御前(あまごぜ)によつて統率されてゐる。海御前は門司(もじ)の大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)に本據をかまへ、ことあるごとに部下を召集して、さまざまの指示をくだす。毎年六月一日には定斯總會が行はれた。海御前はそのときどきの情勢にしたがつて、いろいろの指圖をしたが、いつの會合のときにも變らぬことが一つあつた。それは憎い源氏に對する恨みである。日ごろはおとなしい海御前も事源氏に關する話題になると、柳眉を逆だて眼をぎらつかせ、背の甲羅を炎症をおこすほどぎすぎす鳴らして、

「お前たち、なんでもかんでも源氏につながりのあるものには、かならず仇を討たないと、平家一門の顏にかかはるぞ」

 と、まるでやくざの女親分のやうに、凄い啖呵(たんか)を切るのが常であつた。

 大勢の女河童のうち、海御前から特に愛されてゐた數名が關門海峽の海底から他所へ移された。庄ノ前は筑後川中流の水の美しいところに居をあたへられ、お染は庚申淵に配されたのであつた。庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる。お染のあたへられた庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にあるため、つねに水が變り、深さははかり知れないほどになつて、その棲み心地はなんともいへなかつた。水の澄んでゐることは靑水晶のやうである。そして、餌(えさ)は豐富だつた。關門海峽で味氣ない集團生活をしてゐたときには瘦せてゐたお染は、庚申淵に移住してから一ケ月もたたぬうちに見ちがへるほど肥え太つた。大勢ゐるとかならず起る感情問題やいざこざがここにはなく、のんびりと自由であることが彼女を肥えさせる一因にもなつたのであらう。ただ一つの缺點は孤獨であるといふことだけだつた。お染は心のやさしい河童であつたから、夏になつて、長峽川、檢地川、庚申淵等で泳ぐ子供たちがけつして溺れないやうに見守つた。溺れさうになる者があるとこれを助けた。しかし二つの川と一つの淵との全部にはとても注意が行きとどかず、彼女が氣を配つてゐるにもかかはらず、たまに子供が溺れることがあつた。そんなときお染は神通力の惠まれてゐないことを悲しみ、死んだ子供のために淚を流した。しかし、人間たちはそんな彼女の氣持を知らず、河童の畜生奴、子供を引きこみやがつて、と口惜しがつて罵倒するのを常とした。

 貴船神社境内の盆踊りは夜更けになつても衰へる樣子はなく、さらに賑はひを增して行くやうである。孟蘭盆には人間には特別の樂しみがある。若い男と女との自由な交歡である。お染も年ごろになつてゐたから、人間たちのさういふ靑春の營みを見て心が疼かないでもなかつたが、自省心に富んでゐたので亂れるやうなことはなかつた。太鼓の音はいよいよ高くなつた。人間の歌聲のどよめきとともに、提灯の數もふえ、炬火の火花は冴えた靑い月を燒きこがすやうに中天に舞ひあがつて、眞夏の夜空に吸ひこまれた。

 土堤にうづくまつて、膝をかかへたまま、この光景を眺めてゐたお染は、ふつと妙な物音を耳にしてふりかへつた。芒の叢(くさむら)をかきわけて、一匹の狐がこちらにやつて來るのが月光に見えた。向かふではまだ河童に氣づかぬらしい。お染はあわてて土堤のかげに走りこんだ。見られたところでかまはないのだが、狐が奇妙なことをはじめたので、これを見物するために姿を隱したのである。幸ひ風が反對に吹き、河童特有の生ぐさい匂ひが狐の方に行かないことをよろこびながら、お染は眼を皿にして狐の一擧手一投足を注視した。

 狐は土堤から川原に降りた。ちよつとあたりを見まはしてゐたが、誰もゐないと安心したらしく、汀(みぎは)で顏を洗ひはじめた。細い手にすくひとつた川水がまるで水晶のかけらをまき散らしてゐるやうに、月光にキラキラ光つた。その何滴かは飮んだらしい。狐はそれから北斗七星をふりあふいで、なにかを祈るやうな恰好をした。次には叢のところに行き、しきりに草を引き拔いて自分の身體にくつつけはじめた。草で身體中が掩はれるほどになつたとき、お染河童は瞠目(どうもく)した。もうそこには狐などは居らず、一人の美しい靑年が立つてゐるのであつた。元祿繪卷から拔けだして來たやうな若衆であつた。靑年は化身を終ると、對岸はるかの人間たちの盆踊りの光景を眺めながら、祭囃子の調子にあはせて川原で踊りだした。その手ぶりや身體のさばきはあざやかで、お染はうつとりと見とれた。そして、ふたたび自分が變化の才に惠まれてゐないことを悲しんだ。お染はたまらなくなつて、土堤を降つて行つた。狐は突然河童が出現しても格別おどろかなかつた。庚申淵に棲んでゐるお染河童のことを知らぬ者はなかつたし、お染が他の河童たちとちがつて、性質のやさしい、またみめ形も美しい女河童であることは有名であつたからである。ただ狐は知らぬ間に自分の行動を見られてゐたことを知つていくらか照れた。

「今晩は」

 と、お染は挨拶した。

「今晩は、お染さん」

 と、狐はにこにこ顏で答へた。そして、くるりと宙返りすると、もとの狐になつてしまつた。みごとな藝である。

「さつきからあなたの姿を感心して拜見して居りました。あなたはどちらの方です」

「草野(くさの)に棲んでゐる者で、與左衞門と申します。どうぞ、よろしく」

「草野の狐さんはあたしみんな存じて居りますのに、あなたははじめてですわ」

「さうかも知れません。つい四五日前、到津(いたうづ)の方から叔父を賴つて草野に參りましたばかりですから。でも、僕の方は到津にゐるときから、お染さんのことは聞いて知つて居りましたよ。一度お逢ひしたいと考へてゐたところでした。今夜はからずもお目にかかれて光榮です。おつきあひ願ひます」

「こちらこそ」

 この夜がお染と與左衞門とのなれそめの最初となつた。孤獨のさびしさに耐へてゐたお染は一擧に與左衞門によつてこれまでの渇(かつ)を醫(いや)され、男の方も眷屬(けんぞく)はちがふが魅力に富んだお染を愛して、二人の仲は日とともに濃厚になつて行つた。その結合は自然であつた。お染はしかしはじめは自分の體臭について思ひ惱んだ。魚のやうに生ぐさい匂ひは河童本來の身についたものなので、これをどうしようもない。芳香のある花や草の汁を塗つてみても、人間の使用する香水をふりまいてみても消え去るものではなかつた。神佛に願がけしても效驗はなかつた。宿命的にあたへられたものを恨んでも仕方はないが、お染はこのいやな匂ひのために、與左衞門から嫌はれるのではないかと怖れた。これまでは自分の體臭について反省をしたこともなく、いやだと思つたこともないのだが、戀が彼女を唐突に苦しめはじめたのである。しかし、案ずるほどのことはなかつた。惚れてしまへばアバタもヱクボといふ人間の諺は眞實だつた。與左衞門はお染の體臭をいやがるどころか、

「お染さんの身體は全體がまるで伽羅(きやら)のやうですね。實にすばらしい匂ひがする」

 といつて、いよいよお染を溺愛した。その匂ひはかへつて官能を刺戟するものとなつて、二人の愛慾のいとなみは野放圖なほどだつた。お染はもう孟蘭盆の人間たちの靑春圖繪を見ても羨ましがる必要はなくなつた。眷屬のちがふ動物同士の戀の意味や、傳説の掟のきびしさや、先々のことなど、いまはなにひとつ考へることはせず、現在の幸福に溺れきつた。お染には祕密ができたのである。

 大積の乙女岩にゐる海御前はつねに部下たちの動勢に注目してゐたが、お染の戀愛については最後まで氣づかなかつた。庚申淵を中心とした長峽川、檢地川には男河童はゐなかつたし、まさか異類の獸と交歡してゐようとは想像もしなかつた。忍ぶ戀をしはじめると智慧もつく。いつかお染も親分をだますことが上手になつてゐて、巧妙に虛僞の報告をした。お染が氣立のよい、噓をつかない女であると海御前は信じきつてゐたので、やすやすと舌の先に乘せられ、お染の一言一句を疑はうとはしなかつた。お染は噓をつくことがよいこととは思はなかつたけれども、戀のためであればそれを罪惡とは考へなかつた。

「お染さん、御馳走だよ」

 與左衞門はさういつて、よくいろいろなものを持つて來た。油揚げ、蓮根、かまぼこ、煮豆、昆布卷き、すしなどである。それはしかし與左衞門がこしらへたり買つたりしたものではなく、庚申塚に供へられたり、人間が好んでやる宴會といふものの歸りに、折詰をぶら下げてゐるのをかつぱらつて來たものである。庚申淵の土堤に獲物をぶらさげて來ると、與左衞門は淵のうへまで枝をさしのべてゐる榎の大木の幹をコンコンコンと三度たたく、それが訪れの合圖だ。その低い音は靑く淀んだ深い淵の水をくぐり拔けて、淵底のお染の棲家まで電報のやうにとどく。お染はおしやれになつた。その音を聞いてから大急ぎで頭の髮をかきつけ、背の甲羅をみがき、薄化粧する。嘴にも紅藻(べにも)の汁を塗り、頭の皿の水も新しくとりかへる。與左衞門の方も同樣で、二人は逢ひびきのたびに、おたがひがだんだん美しくなるといつてよろこび、さらに慕情を深めあふのであつた。

「與左衞門さん、お土産よ」

 お染の方もときどき草野に出かけて行つた。しかしこれはいくらか冒險であつた。庚申淵にはお染以外誰もゐないけれども、草野には狐や狸がたくさん棲んでゐるので、ひと目につきやすい。與左衞門もこれを顧慮して、お染に草野には來るなといましめてゐた。しかし、お染は逢ひたくなるとたまらなくなる。それにもう一つは奇妙な嫉妬心もあつた。與左衞門がお染を草野に來たがらせないのは、草野に女房がゐるからではないか。女房でないまでも戀人でもゐるのではないか。しかしそれは杞憂(きゆう)だつた。まつたく露見を怖れてのことであつた。狐の仲間には異類と交歡してはならぬ掟があつたから、與左衞門はお染との仲がばれることに戰々兢々としてゐたのである。それで、お染が、鯉、鮒、鯰、すつぽん、はえ、えびなどの豪華な川料理を心をこめて土産に持つて行つても、與左衞門は不機嫌に佛頂面をしてゐた。

「君がこつらに來なくたつて僕が行くよ。危險ぢやないか」

「でも、今日で三日も來て下さらないんだもの」

「そんなに毎晩は行かれん。女はそれしか用がないかも知らんが、男には仕事があるんだ。もう二度と草野には來なさんな。どうやらこのごろ、叔父がかんづきかかつてる形跡があるから、……」

 さういはれてゐても、一週間も與左衞門が姿を見せないと、お染は矢も楯もたまらなくなつて、草野へ出張して行くのだつた。

 そろそろ秋風の吹きはじめたうすら寒い晩のことであつた。四五日前から降りつづいた雨はあがつてゐたけれども、道はぬかるみ、二つの川と一つの淵の周邊にはいたるところに水たまりができてゐた。三日月が出てゐた。

 村の靑年に化けた與左衞門は檢地堤に腰をおろし、前方から大聲で歌をうたひながら近づいて來る人間を待つた。疑ひもなく宴會の歸りで、醉漢の腰には大きな折詰がぶらさがつてゐる。その中身が近來にない豪華料理らしいことは箱の大ききと紋章つきの風呂敷の立派さでわかつた。きつとどこかの大家で婚禮があつたものにちがひない。調子はづれの野太い聲でどなりながら來るのは、五十がらみの百姓親爺だつた。

   音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、

   橋の下から泣き音頭

   サッサ、ヨイヤサ、サノサト……

「おつさん、上手ぢやなあ」

 と、與左衞門は醉つぱらひが近づいて來ると、聲をかけた。

「誰ぢや、そんなところに居るとは?」

「貴船(きふね)の勝太郎ですよ」

「貴船の勝太郎がそんなところでなにしとる?」

「月を見とりますよ」

「月見? ヘン、あんな針金みたよな月を見てなんするか」

 さういつた百姓は芯から醉つてはゐなかつたとみえ、急にギョロッとした眼つきになつて、土堤の男を見た。たしかに貴船の勝太郎にちがひないが、その勝太郎は川の土堤に來て月を見るやうな風流な男ぢやない。いま時分は判子(はんこ)を押したやうに、このごろ村にできたパチンコ屋にゐるはずだ。百姓はこの界隈でよく狐から折詰をとられる噂を思ひだした。彼は力自慢で度胸もある男だつたので、この狐をひつとらへてやらうといふ魂膽になつた。それでなにげない樣子で、

「おい勝太郎、高門(たかもん)の祝言(しうげん)でたいそうな御馳走を貰うて來た。ちいと食はんかい」

 さういひながら、腰の折詰をはづした。

 それでなくてさへ、お染のために折詰を狙つてゐたのだから、與左衞門は渡りに舟と思つた。

「そんならすこしよばれるかな」

 といつて、土堤から下の道に降りて來た。無論すこしではなく全部かつぱらふつもりである。

 百姓の方は用心しながら、風呂敷包みをひろげる眞似をした。與左衞門は油斷をしてゐた。いきなりつかみかかつて來た百姓のため、わけもなく、そこへ抑へつけられた。おどろいてはねのけようとしたが、まるで岩がのしかかつて來たやうな糞力(くそぢから)だつた。

「おつさん、なにを無茶するのか」

「ワッハッハッハッ、土狐(どぎつね)のくせに、無茶が聞いてあきれるわい。貴樣のために、この邊の者がどんなにひどい目に逢うたかわかりやせん。もうかうなつたら百年目ぢや。狐汁にして食うてやるわい」

「おつさん、おれは貴船の勝太郎ぢやよ。狐でなんかあるもんか」

「笑はせるな、尻尾を出してやがるくせに」

 おさへつけられた拍子に、神通力がとけてもとの狐にもどつたことを與左衞門は氣づいてゐなかつた。人間は狐をしばるために自分の帶をときはじめた。

 與左衞門の頭にぼつとお染の顏が浮かんだ。すると身内に猛然たる勇氣がわきでて來た。渾身(こんしん)の力をふるひおこすと、岩の重(おも)しのやうな百姓の身體の下からはねあげた。しかし、相手もさる者だつた。

「逃がしてたまるか」

 と喚(わめ)いて、狐をなほもしつかりと摑んで離さなかつた。脱れようとする與左衞門と逃がすまいとする百姓とは組んづほつれつの格鬪になつた。そして二人ともそこら一面にある水たまりの中をころげまはつて、ずぶ濡れ泥まみれになつた。一度百姓は狐を深い水たまりのなかに押しこんだ。窒息させようと考へたのである。與左衞門は水中でもがき、したたかに泥水を飮んだ。息がとまりさうだつた。しかしまたお染のことを考へると、必死になつて暴れ、やうやく百姓の手から脱れることができた。もう折詰どころではなく命からがら草野へ逃げ歸つた。

 與左衞門が十日間も姿を見せないので、お染は心配のあまり、禁ををかして草野に出かけて行つた。そして、與左萄門が高熱を發して寢こんでゐるのを見ておどろいたのである。冷い水たまりで泥水を飮んだため、風邪をひき胃腸病にかかつてゐるのだつた。そして、胃腸の方は治つたが、風邪がこじれて肺炎をおこしてゐた。格鬪したときの傷痕が方々にある。與左衞門は瘦せ細り、聲にも元氣がなかつた。お染はその姿を見て泣きくづれたが、この災難が自分に御馳走をあたへようといふ戀人の氣持からの出來事とわかると、どんなにしてでも自分が與左衞門の病氣を治さなければならぬと決心した。またお染は戀人につききりで看病がしたかつた。しかしそれは不可能だつた。ふだんでもひと目が多い草野なのに、與左衞門が寢こむと、叔父一家の狐たちが入れかはり立ちかはり看病に當つてゐるため、その際を見て與左衞門に逢ふだけでも大變である。不安と焦躁とにかられながら、お染は容易に病人に近づくことができなかつた。それは與左衞門の方も同じ思ひだ。二人はちよつとの隙をうかがつてはあわてふためいた逢ひびきをした。與左衞門は叔父たちの棲家とはすこし離れた小さい穴に一人で棲んでゐたので、これまではお染がときどき訪れて行つてもわからずにすんでゐたのであるが、今度はうつかりしてゐると發見される公算が大だつた。

「とにかく早く全快して貰はなければいけないわ。あたし肺炎によく利く藥を持つて來てあげるわ」

 しだいに衰弱して死相さへ呈しはじめた戀人を救ふため、お染は一大決心をした。彼女は胸の病をなほすためにはギンギュウといふ魚に勝るものはないことをよく知つてゐた。はえにちよつと似てゐる川魚である。ギンギュウは二つの川にも庚申淵にもたくさんゐる。珍しい魚でもなんでもない。ただ、きびしい傳説の掟にしたがつて、獲ることを禁じられてゐるのであつた。乙女岩に眷屬を召集する海御前はしばしばギンギュウ捕獲の罪について指示をあたへてゐる。源平合戰の間中、平家の旗印であつた神聖な赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた。このため、壇の涌に沈んで亡んで後、河童となつて魚類を常食とするやうになつてからも、ギンギュウだけは特に除外されてゐるのである。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇をせよといふ海御前は、わが平家にすこしでもつながりのあるものは大切にせよといひ、これををかすものはきびしく罰すると宣言した。その統領の言葉は恐しい。禁ををかした仲間がただちに十日間の絶食を命ぜられ、海御前の笞(しもと)によつて百たたかれたことが數囘あつた。ギンギュウのたくさんゐる庚申淵にお染が移住させられたのも、お染が禁を破るやうな女ではないことを信用されたうへであることはいふまでもない。しかし、今お染は戀人の命を救ふため、悲壯の覺悟をしたのであつた。

 ギンギュウを捕へることはわけはない。自分たちだけは安全と安心しきつてゐたギンギュウたち愕然として逃げ惑うたけれども、敏捷な河童のためにわけもなく捕獲された。お染は藥餌法にしたがつて、それを榎のかげで黒燒きにし、そつと草野へ運んで行つた。與左衞門はよろこんだ。效果はてきめんだつた。亡靈のごとく瘦せ細つてゐた戀人はしだいに元氣を恢復し、熟も下がつて來た。もはや死の影は遠ざかつたと思はれた。

「ありがたう、お染さん、君のおかげで命拾ひした」

「あたしもうれしいわ」

「それで、僕、この間から寢てゐて決心したことがあるんだ。君と正式に結婚することだよ。君のために命が助かつた、君の心づくし、さういふことがわかつたら、いかに頑迷な叔父でも許してくれると思ふんだ。僕はいつか話してみようと考へてな」

「ちよつと待つて頂戴、あたしにも、すこし考へさせて」

「うん、無論、君のためを思つてのことだから、君にもよく考へて貰はなくちやならん」

「あたしの決心がきまるまでは、叔父さんには絶對に話さないやうにしてね」

 お染は正式な結婚などしたくはなかつた。そんなことは形式主義だ。人間は形式主義が好きだから、馬鹿々々しく派手な婚禮騷ぎをするけれども、そんな愚劣なことが自分たらに必要だとは思はなかつた。もう今でも立派な夫婦ではないか。與左衞門が元氣になり、これまでのやうに庚申淵にやつて來て、樂しい逢ひびきができるだけでお染には充分なのだつた。數々の掟を破つてゐるとしてもその幸福を味はふことによつて、お染は孤獨から解放され、しみじみと生き甲斐を感じてゐるのである。このうへどうして正式の結婚の必要などあらう。ましてさういふ話になつて來ると、これまでの罪がみなばれる。お染はそれが恐しかつた。彼女はいまのまま美しいエゴイズムを通してゐたいのである。彼女は與左衞門が病氣のためにすこし頭が變になり、感傷的にもなつたのだと判斷し、ともかく一日も一刻も早く全快させて、もとのやうに庚申淵に來られるやうにしなければならぬと考へた。それで、さらにギンギュウ捕獲に熱中し、これを藥にして與左衞門の病床に屆けた。

 叔父たちは自分たちの知らぬ間に妙藥が來てゐて、然もこれがめきめきと效いてゐることを不思議に思つた。また、與左衞門の穴の中がときどき異樣な臭氣に滿たされてゐることも不審に思つた。

「こりやあ、なんの匂ひかなあ?」

 叔父は鼻をかくひくさせて、穴中をかいで𢌞る。與左衞門はひやひやして、

「匂ひなんて、なんにもしてやしませんよ」

「いんや、たいそう魚(さかな)くさい。部屋の中に魚氣はないやうにあるが、……」

 與左衞門はよつぽどお染のことを打ちあけようかと考へた。ごまかしばかりいつてゐることは苦しい。しかしやはりお染の懇願を考へてそれを我慢した。決心がつくまで話してくれるなといつたときのお染の悲しげな顏が浮かぶと、咽喉まで出かかつてゐた言葉がひつこんだ。

 ギンギキュウの效果はてきめんであつたが、全快するまでには一つの副作用があつた。ギンギュウのため黴菌が死に、肺が正常な活躍にかへる前後、はげしい咳が出る。これを越せば全治するのだが、數日つづくこの咳はちよつ苦痛だつた。與左衞門にも恢復期が來て、はげしい咳が出はじめた。コンコンコンコンと、のべつ幕なしに出る。おさへようとしても止まらないし、努力すればするはど聲が高くなる。與左衞門は病床で日夜咳きつづけた。この連續する咳の聲は、遂に附近の人間たちの聞きとがめるところとなつた。

「おい、變な鳴き聲がするぞ」

「うん、わかつた。狐ぢや。惡戲(わるさ)ばつかりする狐の奴、どこに棲んどりやがるかと思うとつたら、こんなところの穴に居やがつたんぢやな」

「いつか權六おつさんが高門の祝言の歸りに捕まへ損うたと話しよつたが、あのいたづら狐にちがはん。今度は逃がすな」

「よし、燃し出せ」

 咳のために狐の存在は明白になつた。村の靑年たちは五六人でその征伐にとりかかつた。注意深く準備をすすめた。夜は暗いので、眞晝間、穴のまはりに網を張りめぐらし、穴から出ても逃げられないやうにした。それから穴の前に生柴(なましば)を積み、それに火をつけた。二三人が圃扇(うちは)でくすぶる靑白い煙を穴のなかにあふぎこんだ。屈強の若者が棍棒を持つて穴の前で待ちかまへた。

 穴の中の咳はいつそうはげしくなつた。煙にむせかへる息苦しげな呻(うめ)き聲が聞えた。なほも煙を送りこんでゐると、その濛々たる煙の幕のなかから一匹の狐がとびだして來た。

「そら、たたき殺せ」

 棍棒を持つてゐた靑年たちが狐を追ひまはし、さんざんに殴りつけた。與左衞門は必死に逃れようとしたが、網が張つてあつて出られない。たうとう手足が網にからまつてしまひ動けなくなつた。靑年たちは力まかせに棍棒をふるつたので、病みあがりの狐は血へどを吐いて死んでしまつた。

 産氣づいて動けなくなつてゐたため、お染はしばらく庚申淵の底で出産の日を待つてゐた。與左衞門のことが氣にならなくはなかつたけれども、すでにギンギュウ藥で全治することは時間の問題であつたし、自分も愛人の子を産むためなので、次の逢ふ日のよろこびの大きさを考へながら、産褥に橫たはつてゐた。秋の氣配は淵の底までもしみてゐて、うすら冷い水の流れは頭の皿にも眉にもこころよく當つた。紅藻の間に鯰や蟹がゐて、格別用もないのに出たり入つたりしてゐる。ギンギュウももう危險が去つたことを知つて、お染の眼のとどくところで悠々と泳いでゐた。川砂のなかに潛(もぐ)つてゐるドンコがときどき泡をふき、それがガラス玉の首飾りのやうになつて水面へ登つて行く。大シャンデリヤをいくつも點(とも)したやうに天井が眩(まぶ)しくきらめいてゐるので、明るい秋の太陽がいつぱいに淵の面に當つてゐることがわかる。その水面近くを幾列も雁のやうにメダカが隊をなして通りすぎる。これらのものをものうい眸で眺めながら、お染は大らかな幸福感に浸つてゐた。將來の設計などを考へてゐたわけではないが、子供の生まれることと、その子を見せて與左衞門に逢へることは、想像しただけでも微笑のわくことであつた。お染はいささかの罪も意識もなかつた。

 數日後、お染は子供を生んだ。お染は仰天した。男か女かとそんな樂しい豫測をしてゐたのに、そんなことどころではなかつた。これは一體なんであらう。狐の顏の頭に皿があり、狐の身體の背中に甲羅がある。狐の足に水かきがつき、長い尻尾が生えてゐる。その醜惡さはいひやうがなかつた。鳴き聲も不氣味である。お染はぞつとした。暗愚なるものは河童である。愛慾の詩に沈湎(ちんめん)してゐて、混血の科學には想到しなかつた。生んでみてびつくりしてゐるのである。

 お染は淵を出た。そして、一散に草野に飛んで行つたが、そこで見たものは戀人のむざんな死であつた。人間どもは打ら殺した狐をかついで、意氣揚々と村の方へ引きあげて行くところだつた。高らかな笑ひ聲がお染の心臟を突き刺した。お染は淚も出ず、憤然と庚申淵へ引きかへして來たが、長峽川と檢地川との合流點まで來たとき、愕然として眦(まなじり)をあげた。お染は見た。檢地川の土堤のわき一面に源氏の白旗がたなびき、へんぽんと風にひるがへつてゐるのである。お染の顏に親分海御前の言葉がひらめいた。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇を討て。しかし、ほんたうは庶民の白旗は恐しいのである。いつもなら逃げたであらう。しかし、お染は絶望の勇氣をふるひおこして、源氏の白旗のなかに突入して行つた。縱橫無盡にあばれた。といつてもただその軍勢のなかを眼をつぶつてやたらにのたうちまはつたにすぎない。しかし、それは源氏の白旗ではなく、そば畑であつた。秋口になるといたるところに白い蕎麥(そば)の花が咲きはじめる。お染は長く淵底にゐたため、いつかそばの花が滿開になつてゐたことを知らなかつたのだ。悲しみに打ちひしがれて曇つてゐたお染の限に、ひろいそば畑が憎い源氏の白旗に見えたのである。お染があばれまはるので、そばの白い花が雪のやうにはね散らされたが、逆上してゐるお染も泥にまみれて傷ついた。そして、彼女はのたれ死にをするやうに、悲壯な戰鬪の果てに死んでしまつた。川面をわたつて來るさわやかな秋風は、靜かになつたそば畑のうへを吹きすぎ、白い花は鈴をふるやうにゆれうごいた。そして、河童の肥料によつて、しだいにそばの黒い實を急速に太らせふやして行つた。

2016/08/18

ブログ850000アクセス突破記念   亡靈   火野葦平

 

[やぶちゃん注:底本(昭和五九(一九八四)年に国書刊行会が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊されたもの)の仲田美佐登氏の「跋 編集覺書」(クレジット:昭和三二(一九五七)年四月一日)の中の記載と、ネット上の古本屋の書誌情報から、本編は昭和二二(一九四七)年八月号『文學界』(復刊第一巻第八号)が初出であることが判った(底本には初出書誌情報は載らない)。敗戦から二年後の夏。本作は決してその時制と無縁ではないものとして読める。

 一ヶ所だけ、第三段落末尾「やはりきいていただかなくてはなりません。」は底本では「やはりきいていただかなくてはなりまん。」であるが、脱字と断じて訂した。

 「蓊鬱(をううつ)」(おううつ)とは草木が盛んに茂るさまのこと。

 なお、本テクストは私のブログが2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、850000アクセスを突破した記念として公開するものである。【2016年8月18日 藪野直史】]

 

   亡靈

 

 驚かれましたか? しばらく足をとめてください。その栗の木の下の石に腰をおろしてくれませんか。おいそぎでもない旅の御樣子、しばらくわたくしの話をきいていただきたいのです。……あなたを待つてゐました。この淵のほとりをこれまでも何人もの旅人が過ぎてゆきましたが、たれもかれもせかせかと忙しさうで、おまけにこの一帶に特別に不氣味さでも感じるのか、一刻も早くここを通り拔けようとでもいふやうに、足を早める者が多いのでした。或る者はまるで追つかけられてでもゐるやうに走りだし、つれのある者は自分たちの恐怖をまぎらすやうに、不必要に聲高で喋舌(しやべ)りながら、やはり速度を早めてこの淵のかたはらを過ぎるのでした。なるほど、この晝間でもたそがれのやうに暗い森林のなかは、さう氣持のよい場所ではない。山としてはさう深くはないけれども、樹々はいづれも苔むす古さと高さで蓊鬱(をううつ)と茂つて居り、たれさがつた氣根を縫つて年中蜘蛛(くも)が巣を張り、そのなかに足のやたらに長い、まつ黃色と黑とのあざやかな縞になつた女郎蜘蛛が、びいどろ玉のやうな二つの眼を光らせてゐたり、蜥蜴(とかげ)や蛇が熊笹を鳴らして濕氣の多い斜面を走つてゐたり、またときどき鳥か獸か蟲かわからない奇妙な啼き聲がするのでは、旅人もさうよい氣持もしないでせう。しかし、旅井人が氣味惡がるのはそんなことよりも、この淵のやうです。……あなたも現に驚かれてゐるが、姿の見えないわたくしの聲が、この淵のなかから起つてゐる。そして、その淵といふのは、あなたのごらんになつてゐるとほり、さして廣くはないけれごも、どこからも水の流れるところを持つてゐない。水源もなければはけ口もない一種の淀み、靑苔を溶かしたやうなどろどろの水、水ともいへない奇妙な液體、汁といつた方がよいか、つまり旅人がいたるところで見つけてゐるどんな淵とも池とも湖とも沼ともちがふ汁のたまり、おまけに異樣な臭氣、糞尿よりももつといやな惡臭、これでは旅人を辟易(へきえき)させるのも無理のない話でせう。にもかかはらず、旅人がやはりこの淵の、(淵と假りにいつて置きませう)ほとりを通るのは、麓から峠を越すにはいやでもこの道を通らなければ拔けられないからです。

 あなたを待つてゐました。あなたのやうな人ははじめてです。遠くにあなたの落ついた足音をきいたときから、わたしはもうおさへきれぬ期待で胸をはずませて、近づくのをお待ちしてゐました。あなたがこの淵のほとりに來て、しづかにあたりを見まはし、なにかしきりにうなづいて、旅の杖を曳いて、わたくしのいふとほりに、その栗の木の下の石に腰をおろされたときには、わたくしはうれしさで涙の出る思ひがいたしました。あなたはきつとあしへいさんの友人にちがひない。われわれ河童について變らぬ深い理解と愛情とを持つてくれるのは、傳説を輕蔑し、詩を否定し、浪漫をすらも異端視して、科學と實證とばかりを現實の價値とするやうになつた現代では、あしへいさんをおいてはなくなつたのでありますから、わたくしはいつかここへあしへいさんが氣まぐれでもよいから通りかかる日のことを夢にえがいてゐたのですが、このごろあしへいさんはつまらぬ世俗のことにかまけて、昔のやうにかういふ山間僻地(へきち)をおとづれる趣味をわすれ、おでん屋などをさまよひ、好きなビールを夜な夜なくらつてゐるといひますから、なにかの突然の啓示によつて、あの人がふたたびさういふ頽廢(たいはい)と惡德とにまみれることから逃れでる日を待つてゐるのですが、いつのことやら、……いや、わたくしはなにをいつてゐるのでせう。あなたで結構なのです。あなたがあしへいさんの友人で、わたくしたち河童の知己であることばもう疑ふ餘地がありません。あなたに是非おききねがひたい。そしてこれから話すことをあしへいさんにも傳へて貰へばたいへんありがたいと思ふわけです。

 わたくしは河童だと申しましたが、じつはいまは河童ではなくなつてゐるのです。形も影もなくなつて、いまは液體になつてゐます。この淵がわたくしなのです。いや、わたくしたちなのです。あなたは笑はれますか? どうもあなたの薄笑ひは氣味がわるい。あなたは河童が本來暗愚なものであることを知つて居られるので、いままたわたくしたちの暗愚についてくりかへすのは氣取かしいのですが、何故わたくしたち大勢の仲間がこんな淵になつてしまつたかは、やはりきいていただかなくてはなりません。

 昔、(昔といつても百年にもなりませんが)この山間一體には千匹ほどの河童が雜然と棲んでゐました。そのころはこんなに樹も茂つてゐず、淵ももとよりなく、いまよりはずつと明るいからつとした谷間で、千匹ほどの仲間たちもどちらかといふと仲よくたのしく暮して居りました。わたくしたち河童が馬の足あとの水のたまつたのにさへ三千匹は棲めることはあなたの御存知のとほりで、そのころ池とか川とかいふものはなかつたのですが、點々とある水たまり、山水、岩淸水のながれ、露の玉などで充分で、まづそのころは平和でありました。さやう、平和とい言葉がいちばんあたつてゐませうか。よその國々では河童同士が繩張りあらそひをして戰爭をしたり、昇天しようなどといふ途方もない考へをおこしてたくさんの死傷者を出したり、火山のうへを飛翔(ひしやう)して火傷(やけど)したりしたやうなこともききましたが、われわれのところではさういふ事件らしいものはなにもなく、日々はきはめて平和に、單調に過ぎてゆきました。すこし數がまとまつて生活してゐると、えてしてこれを支配しようとか、威張らうとかいふ者が出て來て、いつか權力といふものが生まれ、なにかの政治的な體制ができ勝ちなものでありますが、さういふこともなくて、政府をつくらうとか、黨派を立てようといふ野心を抱く者もなく、ただわけもなく雜居して暮してゐるばかりで、日が過ぎました。それはきつと衆にぬきんでた者がゐなかつたせゐもありませう。いづれも似たりよつたり、團栗(どんぐり)のせいくらべて、多少國體が大きかつたり、聲がたかかつたり、腕力が強かつたりで、幅をきかす者がなくもなかつたのですが、衆望が一敦して頭目に仰ぐといふほどの者はゐず、まづ長閑(のどか)なものでした。春夏秋冬の季節の變化も順調で、花や鳥を相手にたのしみ、太陽も月も適度のうつくしさで生活にめぐみをたれ、食餌も豐富で、なにひとつ不足もないのでした。支那にある桃源境、西洋のユートピアといふものがどういふものか知りませんが、そのころのこの山間の生活はひよつとしたらそれに近いものではなかつたでせうか。さういふ生活がわたくしたちの覺え知らぬ昔から長くつづいてゐたのです。少くとも、わたくしたちが今日の不幸に陷ちた百年前まで。

 百年ほど前の或る日、仲間のうちの頭のよい者から、奇妙な申し出がありました。その申し出の斬新(ざんしん)さがこのやうな結果を招來しようとはさらに思ひいたらず、仲間たちはたちまちその説に贊同いたしました。いま考へますと、そんな思ひつきがなにから生まれたかと腹が立ちます。それは精緻(せいち)な理論と、明晰(めいせき)な科學的根據をもつてゐて、たしかに學問としての權威すら示してゐたのですが、じつはそれは表面だけで、眞の動機といふのは、たしかにただの退屈にすぎなかつたのです。眼の色を變へて勝敗をあらそふやうな精神の緊張はさらになく、空腹をかかへて食を求める切實さもなく、單調な明け暮れにぶらぶらとただ時間ばかりを消してゐるやうな毎日、權力にたいする反逆もなく、征服にたいする慾望もない平和な日々、かういふときには、ただ頭腦ばかりが活躍するほかはなく、さまざまの思索がくりひろげられ、強ひて思想と哲學の體系が組みたてられて、したりげに發表されますが、それを仲間たちはただ漫然と眠たげにきいてゐて、なかなか立派な思想だ、おどろくべきである、などとはいひますが、生活へつながつて來るものはなにもありませんからすぐに忘れてしまひます。かういふ狀態でありましたから、或るとき、仲間の一人のをかしな申し出が熱狂して迎へられたのでありました。その申し出がただちに行動につながつてゐたものであつたからです。

 鼻まがりで嘴が短かく、頭の皿の毛が茶色なので、仲間からは大して重きをおかれてゐなかつた一匹の河童が、その案の提唱者でした。彼はいふのです。科學に革命をもたらす實驗をする時が來た、それは音響に關する物理現象で、諸君の協力なくしては成りたたない、蹶起(けつき)をのぞむ、と。なにか鹿爪らしい理論と、妙な記號のついた方程式のやうなものを彼はわたくしたちに示しましたが、わたくしたちにはさういふ學問的なものはわからない。また興味もない。にもかかはらずそれに贊同したのはわたくしたちがすでに底知れぬ倦怠に腐りきつてゐたからです。ただ寢そべつたり欠伸(あくび)をしたり、頭のわるくなるほども眠つたり、用のあることといへば女とのたはむれくらゐのもの、したがつてやたらに子供ばかりを生んでゐるやうな生活。さういふやりきれぬ退屈さ。なんでもかまはないから、その單調を破るものを求めてゐた。そこへその仲間が全部がともかくも一つの行動に出る案を持ちだしたのですから、盲目滅法(めくらめつぽふ)に飛びついたわけです。またその案を提出した仲間とて同樣で、そんなことは退屈のあまりに考へ出したことにちがひないのです。ところがそれだつて、ただ、この谷の河童が全部揃つて、時刻をあはせて、一齊にどならうといふだけのことでした。これまではあらこらで勝手なことをしやべつてゐる、それを或る時刻にいちどきにみんなで喚(わめ)いたら、どういふ聲になるか、音響に關する物理現象の實驗といふのはそれだけのことです。これには多少の反對がなくもありませんでした。しかしそれは學説としてではなく、面倒くさいといふ者と、そんなことをしてみてもつまらないといふ者と、その提唱者を日ごろからこころよく思つてゐなかつた者とで、提案者がすこし腕力が強くて仲間から煙たがられてゐる者を買收して、反對者を説き伏せたので、ともかく全員一致、早速實行にうつることに一致しました。

 わたくしにはその日のことが忘れられません。どうして忘れることができませう。傳説のきびしい掟がその日たちまちわたくしたちの運命を轉換させてしまひました。しかも、その悲痛な宿命がきはめて簡單にあつけないほどの過程で、わたくしたちを今日の羽目におとしいれたのです。

 紅葉が谷をあかく染め、蜩(ひぐらし)ももう鳴きやんで落葉のにほふ秋のある日でした。わたくしたちは谷の窪地にあつまつて提案者の鞭のうごくのを凝視してゐました。赤毛で鼻まがりの河童は一段たかい丘のうへに立つて、右手に葦の鞭を握り、氣どつた樣子で頃あひをはかつてゐました。千匹ほどの河童たちは、老いも若きも、男も女も目白押しにならんで、奇妙な期待に胸ときめかし、鞭の振られるのを待つてゐました。これまでの退屈を破る試みに有頂天になつてゐました。まだ朝まだきで、木の間越しの陽(ひ)はさわやかに、しめつてゐる河童たちの靑苔色の甲羅を光らせ、皿の水に反射して、ぴかつぴかつとかがやきました。千匹の河童が一齊にありつたけの聲をしぼつて怒鳴る、どんな聲になるか? わたくしは好奇心でいつぱいでした。そして白狀しますとわたくしはそのとき良からぬたくらみを胸に藏してゐたのです。それは自分でぜひその聲をききたいが、自分が怒鳴つたのではきくことができない、自分の喚く響が鼓膜(こまく)にひびきますから、これは自分は聲をたてないで、全員の合唱を聞いてやらうといふことでした。この思ひつきは大いにわたくしの氣に入りました。千匹のうち自分一人くらゐ默つてゐてもわかる筈もないし、影響もあるまいと考へたわけです。それにしても約束を破ることになるので、すこしは氣がとがめ、きよろきよろとあたりをうかがひましたが、もとよりわたくしのひそかな企みなどたれも氣づく筈もなく、みな眼をむいて丘のうへの赤毛の河童が鞭を振るのを、ひどく興奮した樣子で凝視してゐました。

 やがて曲つた鼻のさきがにぶく陽に光つて、ちよつと背を反(そ)らすやうにすると、提案河童はけけつといふ鳥のやうな聲を發しました。いよいよ振るぞといふ合圖です。わたくしはこのときこの見榮(みば)えもせぬみすぼらしい河童がいまや嘗てない得意の心境にあることを看(み)てとりました。これまでは輕蔑されてゐたのに、いまや千匹の河童の指揮をしてゐる。この鞭一つで全體がどうにでもなる。その得意さはふと傲岸(がうがん)なひらめきと、一種復讐めいた眼の色となつて、物理現象に對する學問的情熱以外の不純なものを、あきらかにその姿態に示してゐました。わたくしはにはかに反撥を感じて、そのためにも聲を發しまいと思ひさだめました。この瞬間の動搖ののち、待望の葦の鞭がかすかに風を切つて振りおろされました。思はずわたくしは息をのみました。全身を耳にしました。

 なんといふことでせうか。わたくしはその刹那の恐しい息苦しさをいまでも慄然と思ひ浮かべます。けたたましく荒々しいどよめきが鼓膜をも破るひびきをもつておこると思つてゐましたのに、その一瞬は世にもめづらしい靜寂のひとときでした。あまりにも巨大すぎる響は無音の錯覺をあたへるともきいてゐます。そこでわたくしもひよつとしたらさういふことではないかと息をつめて、耳の穴をほじくつてみたのですが、やつぱりその瞬間の逼塞(ひつそく)は全然音響のないためのものであることがたしかに解りました。なんといふことか。たれひとり聲を出した者がなかつたのです。あきれたものです。丘のうへにぼかんと嘴をあけて立つてゐる河童の姿ががくんと折れるやうにくづれて、まるで提燈をたたむやうにしぼんでゆくのが見えました。わたくしもそのとき自分の身體の關節がゆるんで來て解體されてゆくやうな、空間に浮いてしまつたやうで、足がなくなつたやうな空虛さを覺えました。そして、頭腦のはたらきも緩慢になつてゐましたが、事態の推移だけはまだ判斷する餘裕はのこつてゐました。團栗のせいくらべであつたわれわれの仲間ですから、考へることも似たり寄つたり、自分ひとりの思ひつきとして得意であつたことが、じつは全部の共通した考へであつたわけです。みんながわたくしと同じ企みをいだいてゐた。その結果、荒々しい騷音のかはりに不氣味な沈默があらはれた。それだけのことです。指揮者に封する反撥があつたかなかつたか、それはわたくしにはわからない。わかつてゐるのはたれひとりとして聲を發する者がなかつたといふ事實だけです。そして、それだけで充分でした。全員絶叫のかはりに全員沈默といふまつたく逆の現象、効果、それは別の意味では學問としての價値を生じたかも知れないのに、そんなことなどはもう問題ではありません。この歷史的な一瞬ののちに、ゆるがすことのできぬ鐡の規律、かの戰慄すべき傳説の掟が冷酷にわたくしたらの頭上にくだつて來ました。

 この山間の平和な生活はあとかたもなく崩れて、ゆるやかであるが恐しい破滅がはじました。違約と驚愕とが精神と肉體とのどちらをも亡ぼして、指揮者をはじめ千匹の河童たらは、そのとき、靑いどろどろの液體となつて溶けてしまひ、いつかこの窪地に一つの淵ができてゐたのです。

 その時から百年經ちました。からつと明るかつた森の樹々はわれわれの身體から發散する靑苔の肥料のために、短時日の間に必要以上の成長を遂げ、枝ははびこり、實はしげり、毛髮のやうに氣根が垂れて、そこには女郎蜘蛛が巣をかけ、蝶や兎はゐなくなつて、蜥蜴や蛇が巣くひ、陽の光がささぬために羊齒や熊笹のしげつた斜面はいつもじめじめと濕氣があつて、毒茸の發生にはもつて來いとなつたのです。旅人が快適な步調で通つた場所であつたのに、いまは恐怖を持つて駈け拔ける不氣味な森林となりました。ごらんのとほり、この淵は千匹の河童が百年前に溶けてできたものですから、水源も出口もなく、重々しく腐るばかりです。さうして嘗ての平和な日のことを思ひおこし、悔恨と悲哀と苦惱と、ただ歎息ばかりをしてゐたわけなのです。

 あなたを待つてゐました。きいて貰へばいくらか胸の苦しみもなごんだ氣持がします。……あなたはなにをなさるのですか。なにをするのです?……おや、これはどうしたことだ? わたしはいつたいどうしたのだらう。あなたはどなたですか。……わたしたちの知己であるとばかり思つてゐたのに、わたしの錯覺だつたのか。百年の苦痛と沈默とでわたしの智慧もにぶつてゐたのか。あなたを見そこなつた。……あなたはわたしたちと無關係の人だ。知己を求めてゐたわたくしの感傷にすぎなかつた。……あ、この淵のなかに小便をしないでください。小便をしないでくれ。たのみます。たのむ。傳説の掟が恐しい。……なんといふ愚かなことか。……小便をかけられれば俺たちはまたもとの河童に後もどりしなくてはならん。それはいやだ。小便をしないでくれ。……あなたはなにもきこえないのだな。あ、あ、あなたは不具なのだな。もつともらしい樣子に騙(だま)された。落ちついた足音に馬鹿な期待をしたのが誤りだつた。落ちついてゐたんぢやない。眼がわるいから急いで步けなかつたんだ。深刻さうに見えたのは明き盲目だつたからだ。おまけに聾で、鼻も利(き)かないのだな。でなかつたら、この淵の臭氣をそんなに長く平氣で堪へられる筈がない。栗の下の石に腰かけてくれといつたときに、そのとほりにしたのは偶然の一致だつたのだな。……おい、やめてくれ。小便をするな。尿のために原型にかへるのは先祖からのならはしだ。俺たちはもう河童にかへりたくない。またあの單調で退屈な日が蘇(よみがへ)るかと思ふとぞつとする。俺たちは百年間、苦しみと悲しみと、回想と希望とですこしも退屈しなかつた。それで生き甲斐を感じて來た。いまのままで澤山だ。……やめてくれ。なんとかいへ。聾のうへに啞だな。……あ、たうたう初めた。もう取りかへしはつかない。……もう取りかへしはつかない。

2016/07/16

ブログ840000アクセス突破直前記念 火野葦平 羅生門

[やぶちゃん注:断わっておくが、これは、かの芥川龍之介の「羅生門」を巧みにインスパイアした、否、今一つ、別のキャメラから撮影した『芥川龍之介「羅生門」火野葦平による河童主人公版』なのである。

 火野葦平は昭和一二(一九三七)年に日中戦争に応召していたが、出征前に書いた「糞尿譚」が同年(下半期)に第六回芥川賞を受賞したことを陣中で知った(戦地で行なわれた授賞式には小林秀雄が赴いているという)。無論、彼は芥川龍之介を敬愛していたが、ウィキの「火野葦平によれば、『芥川が「フィクションによってしか語れぬ事実がある」と、河童を通して社会を風刺したのに対し、葦平は「私の描く河童が理屈っぽく、風刺的に、教訓的になることを警戒していた」と書いている。また、「河童が私の文学の支柱であることになんの疑いもない」と書いている』とあり、また、葦平は六十年安保発効五日後の昭和三五(一九六〇)年一月二十四日に自宅書斎で享年五十三で死去しているが、『晩年は健康を害していたこともあり、最初は心臓発作と言われたが、死の直前の行動などを不審に思った友人が家を調べると、「HEALTH MEMO」というノートが発見された。そこには、「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたという。その結果、睡眠薬自殺と判明した。このことは』葦平の十三回忌の際、『遺族によりマスコミを通じて公表され、社会に衝撃を与えた』ともある。

「姥口(うばぐち)の沼」不詳。平安末期の羅城門外以南は複数の川が合流し、湿地も多かったので設定としては無理がない。

やたけに」(太字部は底本では傍点「ヽ」)は形容動詞「弥猛なり」の連用形で、盛んに勇み立つさま・はやりにはやるさまの謂いである。

「襖(あを)」袷(あわせ:裏地をつけて(合わせて)仕立てた着物。通常は秋から春先にかけて用いた。読みは「合(あ)はす」の連用形に由来する当て読みである)の衣。「襖子あおし)」とも呼ぶ。読みは「襖」の字音「アウ」の音変化したものである。芥川龍之介の「羅生門」にも出るが、そこでは下人の着る「紺の襖」として出る。

 本テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、840000アクセス突破直前記念として公開した。突破記念テキストは別に用意してある。【2016年7月16日】]

 

 

   羅生門

 

 

 或る日の暮れがたのことである。一匹の河童が羅生門(らしやうもん)の下で雨やみを待つてゐた。

 廣い門の下にはこの河童のほか誰もゐない。ただところどころ丹(に)塗りの剝げた大きな圓柱に蟋蟀(こほろぎ)が一匹とまつてゐる。羅生門が朱雀(すざく)大路にある以上は、この河童のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみゑぼし)がもう二三人ありさうなものである。それがこの河童のほかには誰もゐない。

 何故かといふと、この二三年、京都には、地震とか、辻風とか、旱魃(かんばつ)とか、火事とか、饑饉(ききん)とかいふ災(わざはひ)がつづいて起つた。そこで洛中(らくちゆう)のさびれかたはひととほりでない。舊記によると、佛像や佛具をうち碎いて、その丹(に)がついたり金銀の箔(はく)がついたりした木を路ばたに積みかきねて、薪の料に賣つてゐたといふことである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などはもとより誰もすててかへりみる者がなかつた。するとその荒れはてたのをよいことにして、狐狸が棲む。盜人が棲む。賣女が棲む。たうとう河童までが來て棲むことになつた。なぜ水中に棲みなれた河童が羅生門などに來て棲むやうになつたかといへば、格別の理由はなく、旱魃のためにこれまでゐた姥口(うばぐち)の沼が干あがつてしまつたので、いつも沼から見なれてゐた羅生門へ行かうとなにげなしに考へついたにすぎない。思へば永い日照りつづきであつた。馬の足跡のたまつたのにさへ、三千匹も棲むことのできる河童のことであるから、沼にわづかでも水が殘つてをれば不自由はなかつたのであるが、それこそ一滴の水氣もなくなり、水底を露出した沼は鱗(うろこ)のやうに縱橫に龜裂が入り、はては乾燥した泥は粉末となつて、風とともに濛々と砂塵をまきあげる始末であつた。密生してゐた葦もきびがらのやうに枯れて、日中は火を發することもあつた。これではいかな河童も棲息はできぬので、心ならずも棲みなれた場所をすててとりあへず羅生門へ來たのであるが、ここもまた棲み心地のよい塒(ねぐら)といふわけにはいかなかつた。狐や狸や狢(むじな)のたぐひが棲むのは話し相手ができて惡くはなかつたし、盜人や賣女が棲むのも知らん顏してをればよかつたが、ほとほと閉口したのは、この門に引きとり手のない死人を持つて來て、棄(す)てて行くことであつた。饑饉のうへに疫病(えきびやう)が流行して、洛中では連日何十人といふ人間が死んだが、それらの屍骸をここへ運んで來る習慣がついて、日ごとに屍骸が增し、その汚穢(をわい)のさまと腐爛した臭氣とは耐へがたかつた。且つ、不愉快なのはこれらの腐肉を啄(ついば)みに來る鴉(からす)の群で、高い鴟尾(しび)のまはりを旋囘しながら賤しげな啼き聲を發し、容赦もなく天上から糞をたれ落して憚らぬのであつた。それらの糞は崩れ目に長い草のはえた石段や、ペんぺん草に掩はれた屋根や、丹の剝げた壞れかけた樓門の欄干(てすり)や、はては柱などを、時ならぬ雪を降らしたやうにまつ白く染めてゐた。

 河童は昔の沼に對してはげしい郷愁を感じ、歸心は矢のごとくではあつたけれども、水のない沼にかへるよすがもなく、ひたすら天を仰いでは雨を待望してゐたのであつた。そこへ今日の雨である。實に百日に近い早天つづきであつた。ぼつりと雨の一滴が落ちたとき、あまりのよろこびに思はず頓狂な高い聲が出て、友だちの狢(むじな)や狸から笑はれた。河童は皿に水分がなくなれば力は拔け、はては命をも失ふ仕儀になるのだが、旱魃になつて以後、皿に水氣を絶やさぬためにはひとかたならぬ苦勞をした。方々からわづかの水を集めて來て皿に入れ、辛うじて健康を保つてゐたが、どこにも水が切れて來ると、唾を塗ることでごまかしたり、はては尿(いばり)をつけたりして保全を計つた。もとより應急の姑息(こそく)手段であるために、榮養不良と相俟(ま)つて、次第に體力が衰へた。甲羅や蝶番(てふつがひ)や水かきの潤ひもなくなると、身體中にリユウマチスのやうな痛みを覺え、歩行すらも困難になり勝ちであつた。もう十日も炎天がつづいたら、寢こんでしまはねばならぬとすこぶる恐慌(きようくわう)を來してゐるところへ、この雨であつた。河童が歡喜のあまり多少狂氣じみた言動をしたとて、すこしも咎むるところはないであらう。水といふものがただちに生命につながつてゐるほどの切實感をもたぬ狸や狢どもは、河童がなにかしきりに喚(わめ)いては泣きだしたのを見て、どつと笑ひくづれた。

 樓門の欄干にもたれて雨のなかに出ると、皿の上につめたい水の感觸が心臟にまでひびくやうなこころよさで傳はり、みるみる身内に元氣の溢れて來るのが自分でもわかつた。口をひらき天から落ちる雨滴をべろべろと舐(な)めのみこんだ。失はれてゐた精氣をとりもどして、河童は久しぶりで跳躍をしてみた。長い間の不健康で膝頭がうまく彎曲(わんきよく)しなかつたが、それでも門の舞臺の端から端まで五囘で飛ぶことができた。多くの屍骸の中を飛んだのだが、そのときは日ごろは鼻持ちならぬ臭氣などまつたく氣にならなかつた。

 興奮がをさまると、河童は故郷のことを思ひだした。姥口(うばぐち)の沼にまた水がたまる。昔の沼へかへれるといふ思ひはさらに河童を有頂天にした。しかしながら、この河童は、思ひがけぬ幸福にめぐりあつたときにあまりに慌てれば、その道をとり逃がすといふ、あの苦勞人の愼重さを失つてはゐなかつた。心はやたけにはやつてゐるのに、河童はわざと悠容とした足どりで、梯子(はしご)段を降り、門の下に出て彳(たたず)んだ。はじめに「一匹の河童が暮れがたの羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」と書いたのは、かういふわけであるが、尤も河童が單に雨の止むのを待つてゐたのでないことは斷るまでもなからう。雨をよろこびこそすれ、雨に濡れて困る河童ではない。またどんな土砂降りのなかでも格段傘を必要としない。かれが門の下に彳んでゐたのは、實ははやる心をおさへつつ、故郷たる姥口の沼にすこしでも多くの水のたまるのを待つてゐたのであつた。

 雨は羅生門をつつんで、遠くからざあつといふ音をあつめて來る。夕闇はしだいに空を低くして、見あげると門の屋根が斜につきだした甍(いらか)の先に、重たくうす暗い雲を支へてゐる。

 雨の音を聞きながら彳んでゐるうらに、河童はこれまでは忘れてゐたはげしい空腹を感じはじめた。早魅と饑饉と疫病と相ついで起つたために、河童は家と食とを同時に奪はれた。大好物である胡瓜はいはずもがな、唐黍や茄子なども影をひそめ、魚類も涸渇(こかつ)して口にする術がなくなつた。人間の尻子玉はかへつて得る機會が多くなつたが、それらのほとんどが腐敗し靡爛(びらん)してゐて、たまに若干新鮮なものを得ても、滋養分に乏しくて、腹の足しにはならなかつた。食餌の不足のときでも水さへ飮んでをれば、相當期間耐へることができるのだが、その水はすでに先刻切れてゐた。榮養失調となつて、河童は日とともに瘦せ細り、往年の面影は見るべくもなつてゐた。さうして今日の雨に會ひ、雨を飮んでいくらか元氣はとり戾したものの、胃袋のなかはまつたく空で、ほんたうの力が湧いて來ないのだつた。門の下に彳んで頃ほひをうかがつてゐた河童は猛然たる食慾に襲はれ、腹がぐうぐうと鳴り、眼前を胡凧や唐黍や魚などの幻影が、蜃氣樓(しんきらう)のやうに浮んで來て消えなかつた。

 わづかに西空にほのかな明るみだけを殘すころになつて、雨がやんだ。どれくらゐ故郷の沼に水がたまつたかと樂しい想像に、久しぶりに唇をほぐしつつ、河童は羅生門の下を出て歸路についた。歩くたびにすき腹にこたへたが、歸家のよろこびにしばらくはその苦痛を忘れて急いだ。

 それから何分かの後である。さして遠くはないので、河童はまもなく姥口の沼にたどりついたが、來るときのよろこびはどこへやら、期待に反した落膽にほとんど呆然となつて、沼の緣に立ちつくしてゐた。胸ときめかせつつかへつて來た故郷の沼の思ひがけなく荒廢したさまは、まさに眼を掩はしむるものがあつた。いつたいどうしたといふのであらうか。思考力のにぶつた河童は悲しげに首をひねるのであるが、とはいへ、そこには格別に意外な現象がおこつてゐたわけではなかつた。羅生門へ引き取り手のない死人を棄てに來るやうに、姥口の沼にも同樣に死人を持つて來て棄てたにすぎなかつた。沼は山蔭になつてゐて人目にはつきにくいし、距離としても手ごろなので、日夜續々と發生する洛中の死亡者の埋葬地としては、むしろ絶好の場所といつてもよかつた。河童が水の乾いた沼を出た後に、つぎつぎに棄てられる死者はしだいに數を增し、いま久しぶりに河童がかへつてみれば、屍骸は重なりあつて堆積し、沼を埋めつくしてゐるのみならず、もりあがつて岸の土堤にさへあふれてゐた。男や女や老人や子供やのさまざまの屍骸は、ことごとく饑餓のために骨をつきだした瘦軀(そうく)のまま投げすてられ、その多くのものは腐爛して鼻孔をはげしくつきさす臭氣を發散し、蛆がわいてむちむちと不氣味な音を立ててゐた。なかにはすでに白骨となつてゐるものも多く、諸所から靑白い燐光が人魂のやうにぼうと立らのぼつてゐた。その屍骸の山の底からくぐもるやうな呻(うめ)き聲がときどきかひびいて來る。どうもそれは棄てられてから生きかへつた者か、或ひは半死のまま棄てられた者の斷末魔の呻きのやうに思はれた。降つた雨はこれらのうへにたまつて、沼全體が一つの腫物(はれもの)のやうに見え、雨は膿(うみ)のやうに淀んでゐた。それらのうへに黑豆をまいたやうに鴉が群れて、いやな聲で啼いてゐた。

 落膽のために淚すらも出ない河童は、魂を奪はれたやうに、長いこと立ち疎(すく)んでゐた。ふいに眩暈(めまひ)を感じてよろけることもあつたが、やつとの思ひで身體を支へて、なほもいつまでも動かなかつた。そのうちに、すでに闇黑となつた夜の沼の妖景のなかに、なにやらしきりに蠢(うごめ)いてゐるもののあるのが、うつろな河童の瞳にうつつた。それは人影らしく、その人彰は屍骸の間をかきわけるやうにして右往左往し、ときに立ちどまつてなにかを探すやうにきよろきよろしてゐた。なにをしてゐるのか、ときに身體を屈してうづくまると、屍骸の間にふかく顏をつつこむこともあつた。手にしてゐる明りで、ときどきうす汚ない顏が見える。鋭く削(そ)いだやうに顴骨(かんこつ)のとび出た頰と、尖つた顎と、血走つた賤しげな眼の光とが浮かび、男か女かわからぬやうに髮をふりみだしてゐて、亡靈のやうにも見えた。氣がつくと、それは一人ではなく、左の方にも、右の方にも、思ひがけなくすぐ足元にも、默々と、そして默々と、同じやうな動作をしてゐる者があつた。

 河童の瞳は無意識にそれらの動きに向けられてゐたけれども、格別ふかく注意してゐたわけでもなかつた。姥口の沼に現出された地獄圖繪は全體としてその強烈な印象で、氣弱な河童の神經を錯亂させてしまひ、思考力や判斷力といふやうなものはまるで河童の心から消えてゐた。蠢いてゐる人間たちがなにをしてゐるかもわからなかつたし、またなにをしてゐようと今の河童には無關係のことであつた。そんな他人事にかかづらふよりは、胸とどろかせてかへつて來た故郷の沼がかういふ狀態で、棲むことは愚か、ここに止まることさへもできない悲しみにうちひしがれてゐたのである。しかしながら、いくら思案してみたとてはじまることではなかつた。やがて、河童はふかい吐息をつくと、沼に背を向け、跛(びつこ)をひきながら、とぼとぼと羅生門への道を引きかへした。脱け殼のやうな步きぶりであつた。

 それから、また何分かの後である。羅生門の樓の上に出る幅のひろい梯子の中段に、河童は猫のやうに身をちぢめて、息を殺しながら、上の樣子をうかがつてゐた。樓の上からさす火の光がかすかに河童の憔悴した頰を照らしてゐる。河童はやむなく羅生門を第二の故郷とすべく心にさだめて、氣をひきたたせながらさきほどかへつて來たのであるが、かへつてみると、どうも羅生門の樣子が出るときとちがつてゐた。たれかが火をとぼして、その火をそこここと動かしてゐる。その濁つた黃色い光がすみずみに蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏にゆれながらうつつてゐた。河童は奇妙なことに思ひながら、足音をひそませて梯子を登り、上の樣子をうかがつた。上のありさまは常に棲みなれてゐることとてよくわかつてゐた。屍骸が投げ棄てられて腐爛した臭氣のただよつてゐるさまになんの變りもなかつたが、ただ、見ればそれらの屍體の間にうづくまり、ごそごそとなにか探しまはつてゐる一人の見なれない老婆の姿があつたのである。檜皮(ひはだ)色の着物をきた背のひくい猿のやうな老婆の瘦せた顏は、火をともした右の手の松の木片にくつきりと照らしだされたが、そのぎらぎらと光る鳶(とび)のやうな眼は、樓の臺上に轉がされてゐる女の屍骸の一つに釘づけにされてゐた。老婆はやがて、松の木片を床板の間にさすと、その屍骸の首に兩手をかけ、ちやうど猿の親が猿の子の虱をとるやうに、その長い髮の毛を一本づつ拔きはじめた。髮は手にしたがつて拔けるらしい。

 河童には老婆がなんのために髮など拔くのかわからなかつた。しかしながら、老婆の不思議な擧動を見てゐるうちに、河童の腦裡にありありと先刻見た姥口の沼の凄慘な狀景がよみがへつて來た。あのときはただ無意識にながめてゐただけであつたが、いま思へばあそこでもこの老婆と同じ動作をしてゐたものがあつたやうに思はれる。いや、もつといろいろなことをしてゐた。死人の懷をさがしたり、着物を脱がせたり、帶をほどいたりしてゐる者もあつたやうだ。不思議なことにあの時はただぼんやりした眼に、いくつかの人影がうごめいてゐたことのみが焦點もあはずにうつつてゐたのに、いまここに來て、その人影のおのおの異つた行動が明瞭に浮かんで來るのであつた。そして、それらの行爲と今この老婆の行爲とにはたしかに共通したものがあつた。河童ははじめて人間がなにをしてゐたかを悟つて、驚きの思ひにうたれた。さうして、ふたたびいひやうのない空腹に襲はれたが、氣の弱い河童はただ途方に暮れるのみであつた。

 このとき、突然、眼前に展開された事件のために、仰天した河童はあやふく梯子をふみはづして、落ちるところであつた。どこに潛(ひそ)んでゐたのか、これまで全く氣づかなかつたが、突然一人の下人(げにん)が樓上に飛びあがつて、老婆の前に立ちはだかつた。おそらく、もう一つ門の外側にある梯子を登つたものであらう。床板にさされた火の光のなかに赤く膿をもつた面頗(にきび)だらけの頰が照らしだされた。河童もおどろいたが、もつとおどろいたのは老婆である。下人が兩足に力を入れて、聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆に近づいて行くと、老婆は頓狂な聲を發して、弩(いしゆみ)にはじかれたやうに飛びあがつた。老婆が屍骸につまづきながら、あわてふためいて逃げようとする行手を、下人はふさいだ。おのれ、どこへ行く、と喚くのと、老婆の襟首をつかんで屍骸のなかに扭(よ)ぢたふすのと同時であつた。下人はいきなり太刀の鞘をはらつて、白い鋼のいろを老婆の眼前へつきつけた。

「なにをしてゐた。きあ、なにをしてゐた。いへ。いはぬと、これだぞよ」

 老婆は默つてゐる。兩手をわなわなふるはせて、肩で息を切りながら、眼は眼球が瞼(まぶた)のそとへ出さうになるほど見ひらいて、啞のやうに執念(しふね)く默つてゐる。それを見ると、下人はすこしく聲を柔げて、俺は檢非違使(けびゐし)の役人ではない、今しがたこの門の下を通りかかつた旅の者だ、だからお前に繩をかけてどうしようといふやうなことはない、ただ今時分この門の上でなにをしてゐたのだか話しさへすればよいのだ、といつた。老婆は肉食鳥のやうな鋭い眼で下人を見あげてゐたが、ほとんど皺で鼻とひとつになつた唇をもごもごさせて、喘(あへ)ぎ喘ぎ、この女の髮を拔いて、鬘(かつら)にするつもりであつた旨を返答した。

「わしのすることは惡いことかも知れぬ。したが、このほかに、わしのやうな老いぼれになにができよう。わしはもう永いこと、飯(いひ)を食はぬ。これこのとほり、手も、足も、胸も、骨と皮ばかりぢや。このままならわしは飢ゑて死ぬるほかはない。飢死せまいためなら、仕方がないのぢや。わしにできることをして、生きねばならぬ。さうぢやらうが。おぬしにもそれはわからう。な、わかるぢやらう」

 屍骸の頭からとつた長い拔け毛をふりまはすやうにしながら、老婆は蟇(がま)のつぶやくやうな聲でさういつて、下人の顏をおづおづと覗いた。その瞳は不安の色をたたへてはゐたが、犯すべからざる確信にも滿らてゐた。それを聞いた下人の眼が急に妖しく光りだしたが、なほも襟首をつかんだまま、きつと、さうか、それにちがひあるまいな、と苦しげな聲で二三度念を押した。老婆はまちがひないと答へると、下人はとつぜん新行動にうつつた。ではおれが引剝(ひきはぎ)をしようと恨むまいな、おれもさうしなければ飢死をする身體なのだ、と、下人はこれも不思議な勇氣と確信とを持つた聲でいふと、すばやく老婆を手荒く屍骸のうへへ蹴たふした。下人は剝ぎとつた檜皮いろの着物をわきにかかへると、またたく間に急な外側の梯子を夜の底へかけ下りた。老婆はいつまでもたふれてゐて動かなかつた。

 眼前に展開された思ひがけぬ活劇に、河童はさらに途方に暮れるばかりであつた。腦裡にはいよいよ鮮やかに姥口の沼の光景が浮かびあがつて來たが、いづくにもくりかへされてゐる人間の行動の意味が、暗愚鈍重の河童にはわかつたやうでわからないのである。生活の勇氣と正義といふもののもたらす昏迷に、思考力のにぶつた河童はいたづらに疲れるばかりで、それでは自分はどうすればよいのかといふ決斷はまつたくつかなかつた。自分も飢死しかかつてゐるが、それでは老婆や下人のやうに、また、姥口の沼の人間たちのやうに、なにをしてもよいなどといふ颯爽たる生活の方途を考へつかなかつた。河童は自分の優柔不斷と勇氣のなさが情なくなつた。

 しばらく死んだやうにたふれてゐた老婆は、やがて屍骸の中から醜い裸の身體をおこした。老婆はつぶやくやうな聲を立てながら、まだ燃えてゐる光をたよりに、外側の梯子の口まで這つて行つた。さうして、そこから短い白髮をさかさにして、門の下をのぞきこんだ。そこにはもう下人の姿はなく、黑洞々(どうどう)たる夜があるばかりであつた。老婆はにたりと笑みを浮かべると、また這つたままもとの位置へ引きかへして來た。きよろきよろと屍骸を物色してゐる樣子であつたが、一つの屍骸へ近づいて行つて、帶をときはじめた。よごれ破れた紺の襖(あを)の着物を屍體から脱がせてしまふと、鼻をひくひくさせてにほひを嗅いだ。それから、にほひと埃と虱とを一時にふるひおとすやうに、着物をうちふつたが、またにたにたと會心の笑みを浮かべて、その着物の袖に鷄のやうに瘦せた手をとほした。それは男物で似あふといふわけにはいかなかつたが、ともかくも老婆の押しつぶされた蟇のやうな裸身はかくされた。老婆は大きな嚏(くさめ)をひとつして手洟(てばな)をかみすてた。それから、床板にさした松の木片の火をうごかして屍骸の間をさがしまはり、さつきの女の死骸のかたはらにうづくまると、ふたたびその毛を拔きはじめた。ときどき、老婆は闖入(ちんにふ)者をおそれるもののごとく、拔く手をやすめて、首を斜にし、外の氣配に耳をかたむけた。蜘蛛の巣のはりめぐられた天井に、うごめく老婆の黑い影が巨大な蝙蝠(かうもり)がはりついたやうに息づいてゐた。

 梯子の上の河童はやがてすごすごと門の下へ降りた。やうやくにして決心のついたことといへば、もはやこの羅生門には二度と棲むまいといふことにすぎなかつた。どうして飢ゑをしのいだらいいか、またどこに棲んだらいいかについても、更によい思案も浮かばなかつたけれども、ともかくここは棲むべきところでないときめて、河童は憤然とした足どりで、黑洞々たる夜のなかへ消えていつた。

 河童の行方は、たれも知らない。

2016/06/22

ブログ830000アクセス突破記念 火野葦平 水紋

[やぶちゃん注:従来通り、火野葦平(明治四〇(一九〇七)年~昭和三五(一九六〇)年)がライフ・ワークとした河童を主人公とした原稿用紙千枚を越える四十三篇からなる四季社より昭和三二(一九五七)年に刊行されたものを昭和五九(一九八四)年に国書刊行會が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊された正字正仮名版を底本として用いた。明らかに戦中を舞台としていることは分かるが、調べてみると、実際の執筆自体が昭和一七(一九四二)年であることが判明した。この時に、これを書いた火野葦平を、何か今、私は、内心忸怩たる思い出、しみじみ読んだ。

 「小倉にある陸軍橋からすこし上流の紫川」と出るので、ロケーションは実在する。紫川(むらさきがわ)は現在の福岡県北九州市小倉南区及び北九州市小倉北区を流れる二級河川であるが、ここに出るのは小倉駅南西一キロほどの地点に架かる「鉄の橋」、正式名を河川名を持った「紫川橋」の旧通称「陸軍橋」である。

 「遊弋」(ゆうよく)は、一般には艦船が水上をあちこち動き回って敵に備えることであるが、それに喩えて鳥魚などがあちこち動き泳ぎ回ることを言う。

 「山田の曾富騰(そほと)」大国主の国造り神話に登場する神の名で、一般には「山田の案山子」の濫觴とされる神、久延毘古(くえびこ)である。ウィキの「久延毘古によれば、「古事記」によると、『大国主の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。するとヒキガエルの多邇具久』(たにぐく)『が「久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので、久延毘古を呼び尋ねると「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と答えた』とある神である。さらに「古事記」ではこの「久延毘古とは『山田のそほど』のことである」と説明されており、『「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、すなわち田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった』とある。「くえびこ」と河童を結びつける説は必ずしもポピュラーなものとは思われないが、「くえびこ」は「崩え彦」「朽ち腐り果てた男」であり、水死体を思わせる生臭い河童のしれとは親和性があるように思われてならない。

 本テクストは本日、2016年6月23日に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが830000アクセスを突破した記念として公開する。 藪野直史]

 

 

   水紋

 

 曇つた日にはよくわからないが、晴れた日に、川の水面を透(す)かしてみると、恰度(ちやうど)、一錢白銅を浮かべたやうに、そこだけ丸く光つてゐる部分のあることに氣づくことがある。それはひとつの場合もあり、數個のときもあり、また、あられ模樣のやうに數をかぞへることのできない折もある。また、さめ小紋に似てあまり密集してゐるので、かへつて、それと氣づかないことも珍しくない。なほ、よく氣をつけてみると、それは小さい渦のやうに、つねに𢌞つてゐる。さういふものを、水面に認めた場合には、その下に河童が居るものと考へてよい。しかし、河童が水中に居れば、そのまうへの水面にさういふ標識があらはれるといふことは、河童自身は知らないのである。もつともすべての河童がさうであるといふのではなく、種族によつてその標識をあらはさないものもある。河童は種族によつてその出生の歷史を異にしてゐることは周知の事實であるが、その水紋をあらはすものは、概して出のよい種族の場合が多い。壇の浦に沈んで亡びた平家の末裔(まつえい)が、男は蟹となり女は河童となつたことは有名な話であるが、われわれは關門海峽の水面にこの水紋を發見することはたびたびである。

 ところで、あるとき、小倉にある陸軍橋からすこし上流の紫川の水面に、二十よりは少くない水紋がゆるやかに舞ひながら、冬には珍しく晴れわたつた太陽の光を受けて、鈍(にぶ)銀色に光つてゐた。しかしながら、橋を通る人も、岸を通る人も、たれひとりそれに注意する者はなく、そればかりではなく、さつきから傳馬船や、筏(いかだ)などがその水紋のうへを何度も往き來した。そこは川がすこし曲つてゐるところで、水流のあたる部分が深く底を掘り、淵のやうになつてゐる個所だ。そこへ、さつきから水紋と同じ數の河童たちが集つて、熱心になにか語り、とがつた嘴を鳴らしては悲しんだり、怒つたり、笑つたりしてゐた。

 まづ、彼等は自分たちの望みのかなはないことがなによりも遺憾に耐へぬ風であつた。彼等は地上で起つてゐることに對して、じつとしてゐることができず、自分たちもその鬪(たたか)ひに參加したいことを念願したのであるが實現きれなかつた。彼等は傳説による祖先の光榮を自負して、いささかの疑義もなく、現在の戰(いくさ)に參畫できることを信じたのであつたが、その希望は達せられなかつたのである。

 何日か前に、彼等のうらの思慮と勇氣とを有するものが提議した。

「いま、地上では壯大な戰爭が始まつてゐる。どんな意味の戰爭かは知らないが、われわれもこの國に棲む河童として、是が非でもこの戰に參加したい。きつと役に立つことができるに相違ない。われわれは傷を癒す術はもちろん、手足の落ちたのをつぐこともできる。またもつとも得意とする水中遊弋(いうよく)によつて、敵の部隊や艦隊の動靜をさぐり、また、そのほかのいかなる情報をも手に入れることができる。日淸、日露の兩役には、屋島に棲む九十六匹の狸が出陣して、功をあらはしたことも聞いてゐる。下賤なる狸ですらさうであるから、われわれがじつとしてゐるわけにはゆかない。われわれは落ちぶれたりとはいへ、祖先の名はあきらかに古事記にその名をとどめられてゐるのだ。山田の曾富騰(そほと)といへば、もとは山や田や水を治(をさ)める神であつた。殘念にも、子孫に心がけのよくないものが居つたために、山中では山わろになり、水中では河童になつたが、それはわれわれとはまつたく關係のないことだ。われわれは、心のなかではすこしも古事記の尊嚴を失つてゐないと確信してゐる。出陣しよう。そして、大いに鬪はう」

 ところが、彼等の希望はさかんなる意氣込みにもかかはらず實現しなかつた。彼等の代表が軍に申し出たところ、その志は壯とし協力の意は謝すも、日本軍は力が足りなくて、河童の應授まで受けたと思はれたくない、といふ理由で拒絶されたのである。それが、河童たちが悲しんでゐたわけである。

 怒つてゐたのは、このごろ、怪しい形のものが水中を徘徊して、水をにごすといふのである。それはごく最近氣づいたことであるが、このごろ、嘗て知らなかつた異樣の鳴き聲をときどき聞く。河童の聲はふたつの皿をたたくときに出る音に似てゐるのであるが、その間きなれぬ聲は、恰度、二本の木の板をゆるくかち合はしたときの音に似てゐて、鈍重で、卑屈に聞える。その正體をはじめは見たものがなかつたが、やがて、あるとき、勇敢なる河童がしきりに異樣な調子で鳴いてゐる聲をたよりに近づいていつてそれを捕へた。

 水面から光の透して來ない水底に、岩や木屑や竹片などの堆積(たいせき)した場所がある。さういふところに好んでその怪しい形のものは潛(ひそ)んでゐる。彼等はひつそりと靜まりかへつてはゐるのであるが、どうしたものか、しきりににぶい聲で鳴く。いくら隱れてゐても、聲を立てればそのありかがわかるのに、生まれつき暗愚なのか、また鳴かずに居られないのか、鳴く。そして、たれかが近づく氣配がすると、あわてて逃げだす。さういふ風に、暗いところばかりにゐて、臆病に逃げ𢌞ることを仕事にしてゐるので、その姿を明瞭に見たものがない。ただ、咄嗟(とつさ)に見た印象で、變てこな形のものであることだけはわかる。紫川の河童たらの間では、この怪しい闖入(ちんにふ)者が問題になり、時節柄、棄ておけないといふことになつた。

 そのとき、つひに捕へられたものははげしい聲で鳴きわめいた。彼のながす涙は水中に二本の靑い帶をながしたやうに、下流の方へのびていつた。龜にも似た身體に、棕櫚(しゆろ)のやうに長い毛をはやし、蛙のやうに臍のない褐色の腹をあふむけにして、短い手足をばたばたきせた。嘴は信天翁(あはうどり)に似、眼は深い毛にかくれて、どこにあるかわからなかつた。しかし、それがやはり河童にちがひないことだけは、頭に皿のあることによつて理解できたのである。

 やがて、謎がとけた。これらの怪しい恰好の河童たちは、どこか、遠い南の方から移住して來たのであつた。それは、南の方ではげしい戰爭が始まつて、身邊が危險になつて來たからである。彼等は安全地帶をもとめて右往左往し、つひに、この邊の川や沼に落ちついた。移住の途中でも、あるものは彈丸や爆彈にあたつて死に、あるものはあわてふためいて戰車に衝突してたふれた。長い恐しい旅であつた。彼等はまつたく一身の安全のために平穩の地を求めてやつて來たのであつて、なんら他意はなかつたのである。

 紫川の河童たらはこの寄るべない南方の河童たちを輕蔑した。同情するやうになつたのは、ずつと後のことである。輕蔑したのはその勇氣のなさと、自分のことより外にはなにも考へない態度に對してである。彼等も南方に棲んでゐたものであれば、何故、南方の國のために鬪はないのか。その土地と運命をともにしないか。さう考へたのだ。しかし、よく考へてみると、彼等が鬪つて殉ずべき國を持つてゐなかつたことがわかつた。彼等が生まれ育つたところは、彼等が祖先となんの關係もない者によつて犯されてゐる。遠くから來た皮膚の白い人間たちが、暴力と金力とをもつて、南方の島々を自由にしてゐたのだ。いかに河童が暗愚とはいへ、それらの者のために鬪ふことができようか。さう聞けばさうである。輕蔑した紫川の河童たちも、のちにはさう思ふやうになつた。

 ところが、この氣の毒な遠來の河童たちの態度は、紫川の河童たちの考へが變つてからも、すこしも變ることがなかつた。相かはらず陽の透さぬ場所にひそみ、癖になつたやうに鈍い聲で鳴き、ちよつとの物音にも逃げだしてゆく。これが紫川の河童たちが笑つてゐたわけである。

 やがて、話しつかれた河童たちが淀みの淵から出て、別れてゆくと、陽のあかるい水面を多くの鈍銀色の水紋が、風にふき散らされる花びらのやうに、散つていつた。

2015/10/23

ブログ730000アクセス突破記念 火野葦平 皿

つい一時間程前、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが730000アクセスを突破した。例の通り、記念テクストを以下に公開する。



皿   火野葦平

 

[やぶちゃん注:從來通り、火野葦平(明治四〇(一九〇七)年~昭和三五(一九六〇)年)がライフ・ワークとした河童を主人公とした原稿用紙千枚を越える四十三篇からなる四季社より昭和三二(一九五七)年に刊行されたものを昭和五九(一九八四)年に国書刊行會が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊された正字正仮名版を底本として用いた。傍点「ヽ」は太字に代えた。

 女の肌へを「靑蠟」(「せいろう」と読んでおく)と表現するが、聴いたことがない単語で、調べてみると、これはどうも京料理の「青蠟焼き」のことを指しているように思われる。通常の「蠟焼き」というのは白身魚などの素材に卵黄を塗って焼くものであるが、この「青蠟焼き」は青菜磨ったものや寄せ菜(青菜の葉を磨り潰して水を加えて煮た上でそこに浮いてくる緑の色素を掬い取った「青寄(あおよ)せ」のこと)を白身を塗って燒ものを指す。鱧、や海老に用いる。私も京の茶寮で何度か食したことがある。

 河童が「水分のなかに隱れて」とあり、これも河童生態学の新知見で、河童は完全に意識を持ちながら、しかも人間に姿を認知されないように水と一体化することが出来ることをここで学んでおこう。但し、後でそれを周りにいる「鼠や、蟹や、蠣幅や、蛞蝓や、蜘蛛や、蛭や、蜥蜴や、ゐもりや、蚯蚓などが、河童の作業を不審さうに見てゐた」とあるから、人間を除く生物にはその秘術は効かないことも言い添えておこう。

 登場する「色鍋島」の皿というのは、十七世紀から十九世紀にかけて佐賀鍋島藩に於いて藩直営の窯で製造された高級磁器の一種。これらは専ら藩主の所用品及び将軍家や諸大名への贈答品などに用いられた稀少なものであった。藍色の呉須(ごす:染付け磁器の模様を描く青藍色の顔料)で下絵を描いて本焼きをした後、赤・黄・緑の三色で上絵(うわえ)を附けたもので、限られた色数でありながら絢爛さを持ち、特に上絵の下に描かれた藍色の輪郭線を特徴の一つとするものである(以上はウィキの「鍋島焼」及び複数の伊万里焼サイト等を参考にした)。

 老婆心乍ら、「容喙(ようかい)」とは、嘴(くちばし)を差し入れ挾むという原義から、横から口出しをすること、差し出口、の意を表わす。

 「ロハ」は、代金や料金などが要らないこと・無料・ただ、の意。これを意味する漢字「只(ただ)」が片仮名の「ロ」と「ハ」を続けたような形に見えることによる。但し、この漢字は象形文字で、「口」は発声器官としての「くち」である、「ハ」の部分は言葉を言い終って語気が空中へ分散してゆく形に象ったものとする(他にも指事文字とする説もある)。

 これ以外にも注したいのだが、ネタバレになると面白くないので、最後に回した注もある。読後にお読みあれ。

 本テクストは本日、2015年10月23日に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが730000アクセスを突破した記念として公開する。 藪野直史]

 

   皿

 

 河童は立ちすくんだ。背の甲羅がひきしめられて枯葉のやうに軋(きし)み、膝小僧が金屬板のやうに鳴る。自分の眼がつりあがつて行くのが自分でもわかる。こんなおそろしいものを見たことがない。

 苔のついたしめつた石垣が上部からの光線に、圓筒形に鈍(にぶ)く光つてゐる。昔はまんまんと水がたたへられてゐたのであらうが、今はほとんど乾いてしまつて、古井戸の底にはわづかに點と水たまりがあるきりだ。その水も腐つて靑いどろどろの糊になつてゐる。しかし、路上の馬の足あとにたまつた水たまりにさへ三千匹も棲息することのできる河童は、かういふ腐水であつても、水分さへあれば姿をかくすに充分だ。相手に氣づかれずにどんな觀察でもすることができる。河童をこんなにおどろかせたのは、一人のうら若い女性であつた。

 黄昏(たそがれ)、河童はさわやかに吹く春風のこころよさに、浮かれ心地で山の沼を出て散策してゐると、一匹の蛙を見つけた。冬眠からきめて地上に這ひ出たばかりらしく、まだ充分に手足の運動ができない樣子で、きよとんとした顏つきで置物のやうに柳の木の根もとにうづくまつてゐた。河童は食慾をかんじてその蛙をつかまうとした。すると意外にも蛙は飛躍したのである。自由がきかないと思ひこんで、油斷をしてゐたので逃がした。蛙はかたはらにあつた古井戸のなかに飛びこんだ。河童もすぐ彼を追つた。そして、河童は蛙どころではなくなつたのである。

 暗黑の井戸の底に、その娘の姿だけぼうと浮きあがつてゐる。年のころは十八九であらうか頭髮はみだれ、そのほつれ毛が顏中にたれさがつてゐるが、その頭の結びかたは當節では見られない古風なものだ。河童はまだ城があり、御殿があり、そこに大名やたくさんの腰元のゐた時代のことを思ひだした。さういへばその顏形も古典的で、このごろ銀座などを横行潤歩してゐるパンパン・ガールのやうな文明的な顏形とはおよそ對蹠的である。衣裳も振袖だし、窮屈さうな幅びろい帶はうしろで太鼓にむすばれ、古足袋のこはぜはまだ錆びてゐず、金色に光つてゐる。一口にいへば、繪草紙から拔けでて來たやうな女だ。しかし、その瓜實顏のととのつた顏は嫩葉(わかば)いろに靑ざめてゐて、唇は葡萄色(ぶうだういろ)をしてゐる。

(幽靈だ)

 河童にはそのことはすぐわかつた。しかし、河童が恐怖に立ちすくんだのは、彼女が亡靈あつたからではない。河童とて妖怪變化(えうかいへんげ)の一族であるから、幽靈くらゐにはおどろかない。おどろいたのはその亡靈の動作であつた。若い女はしきりに皿の勘定してゐる。じめじめした古井戸の底にやや横坐りになつた娘は、膝のまへに積みかさねられた幾枚かの皿を、なんどもなんども計算してゐるのである。女は一枚一枚を丁寧にかたはらへ移しながら、一枚ごとに數を讀む。

「一枚、……二枚、……三枚、……四枚、……」

 その弱々しい低い聲が河童の心を冷えさせる。こんなにも陰鬱で消え入るやうな聲音といふもの聞いたことがない。それはただ弱々しいだけではなくて、そのなかに含まれてゐる悲しみや恨みやがたしかに永劫のものであることを感じさせるやうな、絶望的なひびきを持つてゐる。その聲を聞いてゐるだけで奈落へでも引きこまれて行くやうに氣が滅入る。

「五枚、……六枚……七枚、……」

 ゆつくりゆつくり一枚づつたしかめながら讀んで行く聲は、七枚目あたりからなにかの期待と不安とにかすかに調子づくが、

「……八枚、……九故」

 九枚目でぽつんと切れると、まるでこれまで點(とも)つてゐたかすかな灯がふつと消えたやうな、終末的な表情が女の美しい顏を掩ひつくす。女は暗澹とした顏つきになつて、肩で大きなためいきをつく。うなだれる。唇を嚙む。涙をながす。すすり泣く。

「やつぱり、九枚しかないわ」

 と、呟(つぶや)く。

 しかし、まもなく、きつと頭をあげ、意を決した希望のいろを靑ざめた顏にただよはせて、また皿を數へはじめる。細く骨ばつた靑蠟のやうな手で、直徑五寸ほどの皿は一枚づつもとの位置へ返される。

「一枚、……二枚、三枚、……四枚、……五枚、……」

 河童は皿が九枚あることを知つた。その模樣は九枚とも同じである。紅葉の林を數匹の鹿がさまよひ、淸流にかけられた土橋のうへで、神仙のやうな老人が二人ならんで釣をしてゐる繪がかいてある。空に紫雲がたなびいてゐる。色どりはあざやかで、陶器の肌はつややかだ。しかし、そんな皿の美しさに氣をとられてゐるどころではない。

「九枚」

 といふ最後の聲とともに、死に絶えるやうな女の失意の姿が河童をふるへあがらせ、ほとんど發狂しさうな恐怖へおとし入れる。河童の胸にいひやうもない女の孤獨が氷の鏝(こて)をあてるやうにしみわたつてきて、全身戰慄で硬直しさうになるのだつた。

 亡靈は三尺とは離れてゐない自分のかたはらに、自分をのこるくまなく觀察してゐる河童のゐることなど、氣づく樣子もない。いや彼女には皿の計算以外、いかなるものも關心をよばないもののやうだつた。さつき井戸のてつぺんから飛びこんだ蛙は、一度彼女の右肩にあたつて下に落ちたのだが、亡靈は眉ひとつ動かさなかつた。時代を經た古井戸には、蟲や、螢(ほたる)や、蝙蝠(かうもり)や、蛞蝓(なめくぢ)や、蜘蛛(くも)や、蛭(ひる)や、蜥蜴(とかげ)や、ゐもりや、蚯蚓(みみず)など、いろいろな生物が同棲してゐて、ときどき出沒したり騷いだりもするのであつたが、なにひとつ彼女の注意を喚起するものはなかつた。天井のない井戸のうへからは、雨や雪が降りこみ、風が花びらや木の葉を散らしこんでゐることだらうが、恐らくさういふものも彼女から皿への執心を反(そ)らさせることはできないにちがひない。河童はこんなにも頑固一徹な情熱といふものを見たことも聞いたこともなく、このほとんど頑迷といつてよい計算のくりかへしに、甲羅の破れる思ひを味はつたのであつた。

 河童は女に話しかけたい衝動を感じた。沈默に耐へられなくなつた。それには好奇心も手つだつてゐたことは否定できないが、主としてあまりの息苦しさに負けたのである。

 どろどろした靑い糊の水をゆるがせて、河童は姿をあらはした。若い女も、あまりに唐突に、自分のすぐ横から異樣な形のものが出現したので、さすがにはつとした面持で、皿を數へる手を休めた。もつとも、河童は、女が九枚を數へ終つたときに名乘りをあげるだけの注意はしてゐた。この悲しみに打ちひしがれてゐる女を恐れさせることを避けたのだ。河童の措置(そち)は適切であつた。河童が計算の途中で姿をあらはしたならば、女はおどろきで皿を取りおとし、幾枚か割つてゐたかも知れない。

「失禮しました」

 無言で凝視する淑女にたいして、禮儀正しい河童は鄭重に頭を下げた。しかし、女は答へようとはせず、凝結したまま、ただ闖入(ちんにふ)者を見まもつてゐるだけである。冷い眼である。狼狼した河童は追つかけられるやうに、どぎまぎしながら、

「いつたい、どうなさつたのですか」

 と、とりとめのない質問をした。こんな問ひかたにはなにも答へられまい。河童もそれを知らなくはなかつたけれど、咄嗟(とつさ)には上等の言葉が出なかつた。冷汗が出て來た。

 すると、思つたとほり、女はなほも無言で河童を睨みはじめた。最初のおどろきの表情は消え、女がしだいに不機嫌になつて行くことがわかつた。河童はさらに狼狼した。そしてつまらない言葉を吐いた。

「わけを聞かせて下さいませんか」

 今度返事がなかつたら、河童は窒息(ちつそく)したかも知れない。しかし、幸なことに、女は口をひらいた。

「あたくしは悲しいのでございます」

 さういつた聲の悲しさと、たつたそれだけでぽつんと切れた言葉の餘韻の恐しさとに、河童はもはや亡靈と對決してゐる忍耐をうしなひ、脱兎よりも早く、井戸の外へ飛びだした。

 

 

 

 河童の俄(にはか)勉強がはじまつた。

 (歴史を知らなくてはならぬ)

 河童は唐突な情熱をたぎらせて、古典を漁(あさ)り、史書や、小説や、口碑や、傳承のたぐひを探つた。山の沼にゐる仲間たちは彼の奇妙な變化に氣づいて、そのわけを聞きたがつたが、彼はなにごとも語らなかつた。他の者であつたならば、古井戸の底で女に出あつたことを得意げに吹聽してまはつたかも知れないが、彼はこれを祕密にした。この經驗を自分のなにかの發見や生長に役立たせたいといふ氣持があり、謎は人の智慧を借りずに一人で解きたいといふ願ひもあつたからである。そして、いつか心の一隅で芽生えてゐるひとつの感情、彼はそれを意識はしても意味づけることに昏迷して、はじめのうち、それこそは人間を救ふ正義感のあらはれだと信じてゐた。祕密のこころよさや、誇りのやうなものさへ感じてゐた。

 河童は大して時日を要せずして、謎を知ることができた。それは彼の熱心さに負ふところが大であつたことは勿論だが、それ以上に、この古井戸をめるぐ怪談があまりにも有名な歷史的事件であつたためである。

(あの井戸の底の女は、お菊といふ名だ)

 と、まつききにそれを憶(おぼ)えた。そして、お菊が數へてゐる皿の數が九枚あつて、それを幾度となく計算してゐるのは、もとは十枚あつたからだといふことを知つた。お菊はその足りない一枚の皿のために殺されたのである。昔、德川時代、音川家に淺山鐡山といふ惡道な執權があつて、お家横領を企てた。鐡山は兄の將監(しやうげん)と結託して着々と陰謀をすすめてゐたところ、ふとした横合にその祕密を腰元お菊に知られた。そこで、一策を案じ、音川家のまたなき家寶として大切にされてゐた色鍋島十枚揃ひの皿をお菊にあづけ、その一枚をこつそり隱したのである。お菊はたしかに十枚あつた皿がなん度數へても九枚しかないのに仰天した。

「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、大枚、七枚、入枚、九枚、……一枚、二枚、三枚、四枚、……」何十ぺん數へても、十枚はない。そして、鐡山に殺されて、井戸の中に投げこまれてしまつたが、お菊の怨靈(をんりやう)はその時以來、井戸の底で皿の計算をつづけてゐるのであつた。そのときから、何十年、何百年と歳月がすぎたけれども、お菊の努力は撓(たゆ)むことがなく、今はからずも偶然の機會から、河童の知るところとなつたのである。時代の變遷は目まぐるしく、德川、明治、大正、昭和となつて、皿屋敷は跡かたもなくなり、荒野と化した一角に水も涸れてしまつた古井戸だけが殘つてゐるけれども、お菊の皿の計算だけは數百年間、一貫していささかも變ることがなかつたのであつた。

(なんといふ哀れな女だらう)

 河童は一切を知ると、お菊の運命に涙がながれた。井戸の底では恐怖にをののいたが、事情がわかつてみると、幾千萬べん、幾億べん數へても、絶對に、十枚にはならない皿をお菊があきらめもせず數へてゐることの氣の毒さに、深い同情心がわいた。そして、河童は大決心をしたのである。

(お菊のために、皿を探しだしてやらう)

 河童は俄勉強をして唐突に歷史家となつたやうに、今度は突如として探偵に早變りした。

 またも河童の活躍がはじまる。津山鐡山が隱した一枚の皿はどこにあるであらうか。河童は搜索をはじめるまへに、その皿をあやまりなく認識するために、ふたたび、古井戸の底へ潛入した。お菊に氣づかれぬやうに、水分のなかに隱れて、綿密に皿を調べた。

 お菊の動作は前に見たときと寸分ちがつてゐない。靑い顏にたれたほつれ毛や、葡萄色の唇や、瘦せ細つた手や、消え入るやうに陰氣くさい聲や、絶望的なため息や、悲しげな眼や、頰をつたふ口惜し涙などはなにひとつ最初見たときと變らないけれども、河童の心の方は正反對になつてゐた。恐怖心は沿え去り、いまは女をいぢらしく思ふ同情心が胸一杯だ。そして、早くお菊をこの悲しみと不幸とから解放してやりたい氣持で、すでに焦躁をおぼえてゐるのだつた。

(お菊を救ふ方法はたつた一つだ。なくなつた一枚の皿を探しだし、ここへ持つて來てやればよい)

 そして、そのときのお菊のよろこびを考へると、自分までわくわくする思ひになつて、河童はどんな困難をも冒險をも恐れぬ勇氣が身内にわいてるくのであつた。たしかに、もはや河童はお菊を愛するやうになつてゐたといへる。彼が最初のとき、恐怖にをののきながらも逃走しなかつたことのなかに、その萌芽があつたといふべきであつた。彼がどろどろした靑い糊の水のなかで、ふるへながらも、不氣味なお菊の動作をいつまでも見つめ、遂には聲をかけずには居られなかつたのも、愛情の最初の兆候といつてよい、お菊がお岩か累(かさね)かのやうに醜惡むざんの亡靈であつたならば、河童はその姿を瞥見(べつけん)しただけで逃げだしたであらう。河童を古井戸の底に釘づけにしたのは、お菊の美しさに外ならなかつた。河童はここに淑女(レデイ)のために犧牲をいとはぬ騎士(ナイト)となつたのである。

(きつと探しだしてみせる)

 その成功の日の豫感は、河童をすばらしい幸福感で有頂天にさせた。

 お菊が數を讀みながら移動させる皿を、河童は寫生した。同じ皿を探しだすためには見本が要(い)る。九枚とも同じであるし、お菊の動作も單調で緩慢なので、この色鍋島の皿をそつくりうつしとることはそんなに困難な仕事ではなかつた。おまけに、河童はそのスケッチが妙に樂しくてならなかつた。それが繪を描くことよりもお菊のそばにゐることの方に原因があることは、もはや彼にも明瞭に自覺された。河童はいつか模寫の手を休めて、うつとりとお菊に見とれてゐる自分に氣づく。はじめのときは奈落へ引きこまれるやうに陰慘にひびいたお菊の聲も、今は音樂のやうにこころよく鼓膜をくすぐるのであつた。

 河童は心のなかで、お菊に聲をかける。

 ――お菊さん、もうすこしの辛抱ですよ。私があなたの欲しがつてゐる十枚目の皿を見つけて來てあげる。さうしたら、あなたはさういふ永遠に到達する可能性のない企圖や、馬鹿げた絶望の計算から解放されるんだ。何百年間もつづけてきた奴隷(どれい)のやうな重勞働が停止されて、あなたは自由になるんだ。一週間とは待たせません。あと五日ほど御辛抱なさい。

 一度はお菊にそのことを打ちあけてしまはうかと思つたが止めた。打ちあければ、お菊はよろこんで、いきいきと眼をかがやかし、

「ぜひお願ひしますわ。五日などといはず、三日のうちに、いや、今日中にでも……」

 といふであらうが、河童はそんな目前の小さなよろこびを捨てた。よろこびは意外で突然であるほど大きい。皿を見つけだし、いきなりそれを持參した方が效果的だ。この忍耐もまた樂しいものといへなくはなかつた。

 古井戸のなかに棲息してゐる鼠や、蟹や、蠣幅や、蛞蝓や、蜘蛛や、蛭や、蜥蜴や、ゐもりや、蚯蚓などが、河童の作業を不審さうに見てゐた。けれども、だれ一人、聲をかける者はなかつた。彼等はこの狹い井戸のなかでおたがひに生きてゆくためには、爭ひをおこさないこと、他人へ無用なおせつかいをしないこと、自分の意見を述べないこと、沈默してゐるにかぎることなどを悟りきつてゐたので、河童の行動を不思議には思つても、これに容喙(ようかい)したり、まして妨害したりする者は一人もなかつた。

 皿の模寫が終ると、河童は勇躍して井戸から出て行き、十枚目の皿の探索にとりかかつた。

 

 

 

「このごろすこし君は變だなあ」

 これが仲間のうちでの定評である。原因不明の行動をしてゐる者は變に見える。正しい立派な理由があつても、他人は理由などは問題にせず、外部にあらはれた行動だけを批判する。祕密を一人だけの胸にをさめ、血眼になつて皿をさがし歩く河童は馬鹿のやうにも狂人のやうにも見えた。彼が獨身であつたのが不幸中の幸だ。女房がゐたら、そはそはしてゐる彼はいくたびとなく折檻(せつかん)にあつたことであらう。しかし、内心に期するところのある河童は仲間のどんな惡評にも耐へ、今にみてゐろと考へてゐた。さらに、

(おれがどんなに美しい目的のために働いてゐるか、おまへたらのやうなうすよごれた精神の者たちにわかるものか)

 昂然と胸を張つて、仲間たちの低級と無智とを嘲笑ひ、蔑(さげす)んでさへゐたのである。

 ところが、日が經つうちに、河童はすこしづつ狼狽し焦躁しはじめた。あてが外れたのである。皿の搜索は彼の考へてゐたやうな簡單なことではなかつた。意外の困難だ。三日、五日、一週間と經つても、ほんのちよつぴりした手がかりも得られない。またたく間に、十日間がむだにすぎた。

(お菊に打ちあけて、約束などしなくてよかつた)

 河童は自信を喪失しかけると、今はせめてそのことだけでも氣休めであつた。

 文獻のあらゆる頁に鋭い眼光をみなぎらせ、幾度も皿の行方をつきとめ得たと確信したのに、その場所に行つてみると、皿はないのだつた。河童は歷史の記述がいかにまちまちで當てにならぬものかを知つた。津山鐡山が皿を隱したといふ點は一致してゐるが、その方法や場所にいたつては千差萬別に記錄されてゐる。まるで正反對に書かれてゐるのもある。十五日、二十日と經つてもなんの片鱗も發見することができないので、河童は出たらめな記錄をしたりげな筆致で書いてゐる歷史家や作家にはげしい憤りをおぼえた。しかし、彼が今ごろになつていかに切齒扼腕(せつしやくわん)してみたところで、問題はすこしも解決しないし進展もしない。

 二十五日、三十日と徒勞の日がすぎると、河童はへとへとに疲れた。食慾もなくなつて瘦せ細り、見るかげもなく憔悴してしまつて、彼の方が亡靈に近くなつた。古井戸の底にときどき行つてみると、悲しげに皿を數へてゐるお菊の顏は、靑ざめてゐるけれどもふつくらと丸味があり、頰から顎にかけての豐かな線には、内部になにか充實してゐるためから來るいきいきとしたものさへ感じられるのだつた。三百年近くも絶望的な計算をつづけてゐるのにお菊はすこしの衰へも見せず、わづか三十日の搜索で河童は疲弊困憊(こんぱい)の極に達し、氣息奄々(きそくえんえん)としてゐるのである。河童はとまどひし錯亂して、

「こんな變なことがあるものだらうか」

 と、呟かざるを得なかつた。

 しかし、河童は勇氣をうしなひはしなかつた。いつたん定めた偉大な目的を放棄はしなかつた。

(かうなつたら、意地だ)

 ただ、方法はすこし變へたのである。もはや肉體的にこの搜索を自分一人でやることは不可能といつてよかつた。あくまでも獨力でやりとげるといふ最初の決意を變更し、心ならずも仲間に協力を求めることにした。しかしながら、なほ最後の部分だけはあくまでも祕密にした。お菊のことは絶對に打ちあけたくない。皿さへ出て來ればよいのだ。彼は仲間に集まつてもらふと、模寫してきた皿の繪をみんなに示して、

「かういふ皿を探しだすのに、諸君の力が借りたいのだが……」

 と、いくらか殘念さうな口調でいつた。

 そこは山の沼の土堤(どて)で、柳の木がならび、蓮華の花がマットをひろげたやうにはてしなくつづいてゐた。もうすつかり冬眠を終つた蛙たらが沼の岸や芭蕉葉のうへに三々五々たむろして、聞くともなしに河童の合議の模樣に耳をかたむけてゐる。空は靑く、まだ陽は高い。

「それはなんといふ燒物だ?」

 と、一匹の河童がきく。

「色鍋島だ。天下の名器だよ」

「ははァン」と、他の一匹が鼻を鳴らして、「君はその皿が欲しいばつかりに、こなひだうちからきよろきよろして、そんなに瘦せてしまつたんだな」

「そのとはりだ」

「その皿を見つけだして、どうするんぢやね?」

 皮肉な口ぶりでさうたづねたのは老河童である。

「どうといふことはないんです。ただ欲しいんです」

「ただ欲しいだけで一ケ月も血眼になつて、瘦せてしまふんかね。その皿はよつぽど珍奇で高價なものとみえるなう。どんな手間をかけても手に入れさへすれば、いつペんで身代のできるやうな寶物らしい。骨董屋に賣るのかい」

「とんでもない。そんな下品なことはいはないで下さい」

「下品も上品もねえや」と、意地惡で有名な黑河童がせせら笑つた。「取引で行かう。お前さんがその皿を是が非でも手に入れたい氣持はよくわかつた。だけど、おれたらが、お前さんの大儲けの片棒をロハでかつがねばならん理由はねえ。たんまりとお禮をもらひてえものだな」

「それはいふまでもないことだ」

「いつたい、その皿はどこにあるんです?」

 圓陣の隅つこから、狡猾(かうくわつ)と敏捷できこえてゐるいなせな若い河童がどなつた。爪先立ちしてゐて、これからでもすぐ搜索に駈けだしさうな姿勢である。

「どこにあるかがわかつてゐるなら、君たちに相談しやしない」

「方角の見當をきいてゐるんですよ」

「日本のどこかにあるんだ」

 この言葉に河童たちはどつと笑つた。しかし實際はあまりにも茫漠とした探し物にいささか當惑して、笑ひにまぎらしたにすぎなかつたのである。よい儲け口らしいけれども、結局は代償と努力との比例にあるのだから、不精な者たちの中にはこの寶さがしを斷念するものもあつたのである。圓陣はしばらく騷然となつた。やがて、

「お願ひします」

 頭を下げながらさういつた彼の言葉で、解散された。彼が日ごろ輕蔑してゐる仲間の前でへりくだつたのはいふまでもなくお菊のためであつた。

 それから三日、五日、七日と、また日がながれた。成果はなかなかあがらなかつた。數百匹の仲間を動員したにもかかはらず、こんなにも混沌としてゐるとすれば、彼が一人でやらうと考へたことは無謀といつてよかつた。獨力であくまでやることは死を意味したかも知れない。慾と二人づれの河童たちはもう記錄やあやふやな文獻などは相手にせず、自分たちのかんや運をたよりに日本中を彷徨した。

 さらに、十日、十五日、二十日と日がながれる。

 河童は衰弱のためもう動くことができず、山の沼底の棲家に横たはつて、ただいらいらしながら吉報を待つてゐた。あたりが靜謐(せいひつ)で孤獨になると新しい思想が生まれる。藻がゆらめいてゐる間を、口から吐く眞珠の玉をつながらせながら、編隊になつて鮒の一群が通りすぎる。車えびが透明な身體を屈折させて岩の穴から出たり入つたりする。さういふものをうつろな眸でながめてゐた河童の心に、これまでは想像もしなかつた一つの疑念が浮かんだ。

(十枚目の皿はもうないのではあるまいか?)

 靑天の霹靂(へきれき)よりもつとはげしい衝擊(シヨツク)であつた。背の甲羅が枯葉のやうに軋み、膝小僧が金屬板のやうに鳴りはじめた。自分の眼がつりあがつて行くのがわかる。その疑念のおそろしさに河童は悶絶しさうであつた。しかし、その惑亂のなかで、彼の腦髓だけは冷靜に殘忍な思考をすすめる。

(たしかに、皿は津山鐡山によつて隱されたと記述されてゐる。しかし、歷史は噓だらけだ。權謀術數の大家であつた鐡山は、皿を隱したものとみせかけて碎いてしまつたのではないか。鐡山が碎かなかつたとしても、どこかに隱された皿は三百年の時間の暴力によつて破壞されたのかも知れない。でなければ、これだけ探しても行方の片鱗だにも知れないといふわけがない)

 また、別の考へが河童を愕然ときせる。

(皿はもう、日本にはないのぢやないかしらん?)

 割れてはゐなかつたとしても、美術品として外國に持ちだされることが想像される。そんな例はたくさんある。もし海をわたつて西洋にでも渡つてゐるとしたら、いかに河童の神通力をもつてしてももはや絶對に發見の可能性はない。河童は人間よりは數十倍の能力を持つてはゐるけれども、名探偵をもつてしてもその力は地球全體には及ばない。日本だけでも持てあますほどだ。限界の自覺は悲しいことであるが、希望も冒險も自己の圈内だけの語にすぎないのである。河童はこの突然わいた疑念の恐しさに耐へかねて、ぶるぶると濡れ犬のやうに頭をふりまはし、この惡魔の想念を追つぱらはうとしたが、一度生まれた思想はいかに努力しても消え去りはしなかつた。しかしながら、もともとはじめからこの疑念をいだかなかつた河童の方が魯鈍(ろどん)といふべきであらう。三百年といふ歳月を無視してゐたとはをかしな話だ。ただ考へられることは、河童が古井戸の底で三百年の歳月にすこしも影響されてゐないお菊の姿を見たために、錯覺をおこしたのかも知れないといふことだ。

(さうだ。たしかにお菊のせゐだ)

 溺れる者が藁(わら)をつかむやうに、河童はやけくそに心中で叫んだ。

 ところが、皿はあつたのである。

 或る日、一匹の仲間の手から、彼はその皿を受けとつた。それは彼が古井戸の底で見た色鍋島と寸分ちがはぬものであつて、お菊の死の原因となつたあの皿であることに疑ひはなかつた。骨董品には僞物の多いことを彼も知らなくはない。しかし、仲間が探して來てくれたその皿は僞物とは思へなかつた。彼が隨喜の涙をながして、その友人に感謝したことはいふまでもない。

 「ありがたう、ありがたう。君は命の恩人だ」

 そんな平凡なことしかいへなかつたが、彼はまつたく蘇生の思ひがしたのである。大願成就のよろこびのため、衰弱し憔悴しきつてゐた河童はたちまち元氣を快復し、宙をとんでお菊のところへ駈けつけたい思ひであつた。

 しかし、實はこの一枚の皿を得るまでに河童はすでに破滅に瀕してゐたのである。仲間が皿を探して來てくれたのは友情でもなんでもなかつた。その皿を持つて來たのは、沼の土堤で合議を召集したとき、嫌味な啖呵(たんか)を切つて、取引で行かうといひだした張本人の黑河童である。黑河童は徹頭徹尾慾と道づれであつたから、二人の會見はまつたくの商談であつた。彼がどんなにこの皿を欲しがつてゐるかをよく知つてゐる黑河童は足元を見こんで、搾(さく)油機のやうに彼をしぼらうとする。しかし彼はすでに皿を手にするまでに、多くの仲間たちから搾られつくしてゐた。搜索のためには旅に出なければならない。そのためには旅費が要る。心あたりがあるとまことしやかにいはれれば一縷の望みをつないで、そこへ行つてもらふ。旅費、日當、酒代、前借り、はては恐喝(きようかつ)に類する強談で、金をまきあげられる。あまりの失費に彼は仲間へ依賴したことを後悔しはじめたくらゐだ。しかし、皿を探す手段はもはやこれ以外に考へられなかつたので、沼の繩張り、食餌圈、茄子や胡瓜の耕地、漁場、山林、貯藏庫等、財産の大部分を仲間に提供してしまつたけれども、最後の希望をうしなはなかつた。

 今、その望みが達せられたのである。しかし相手が商賣人であつたために、皿の代償として、わづかに殘つてゐた財産の一切をまきあげられ、彼は裸一貫になつて一枚の皿を得たのである。しかし、彼は滿足であつた。彼は涙を浮かべて心に呟く。

(この一枚の皿は、地球全體くらゐ價値があるんだ)

 

 

 

 三百年間も陰慘であつた古井戸の底に、はじめて明るい笑ひ聲が滿ちた。

 「これだわ、この皿にちがひないわ。まあ、うれしい」

 お菊の歡喜の表情を見て、河童も自分の獻身と犧牲とが報いられたことをよろこんだ。お菊は最初の邂逅(かいこう)のとき、失禮な態度をとつたことを詫び、河童の持つて來てくれた十枚目の皿を手にとつて、いく度もいく度も裏表をかへして感慨ぶかげに眺めるのだつた。それから、河童にちよつと、といふやうに會釋しておいて、重ねた皿を數へはじめる。

「一枚、二枚、三枚、四枚、……」

 それは前の陰鬱な聲ではなくて、明るく彈んだ調子だ。數を讀むテンポも早い。靑蠟に似た女の手はせかせかと動き、皿は迅速にぞんざいに移動させられて、がちやがちやと音を立てる。

「五枚、六枚、七枚、八故、九枚、十枚、……ああ、十枚あるわ」

 お菊の計算はもはや澁滯することがなく、三百年目にはじめていつた「十枚」といふ言葉に、フッフと氣恥かしげな微笑を洩らす。

「よかつたですなあ」

 河童もお菊のよろこびに釣りこまれて、身體をゆするやうにして笑つた。笑ふとは妙なことである。なぜ笑ふのであらうか。滑稽なことはひとつもなく嚴肅な勝利の悲しみがあるだけではないか。實際に胸が迫つてゐるのである。一人だつたらわつと泣きだしたかも知れない。しかし顏を見あはせると、二人は笑つてしまふのであつた。二百年目にはじめてお菊の顏にあらはれた笑ひは、しかし河童をとまどひさせる。悲しみにうちひしがれてゐたとき、お菊の顏いつぱいにあらはれてゐた靜かで沈んだ美しさはどこかに消えてしまつた。昔のお菊の高貴な顏は、たわいもない、痴呆のやうな賤しい笑顏の面ととりかへられてゐる。そして河童はその新しいお菊の樂天的な顏を見ると、わけもなくげらげらと笑ひだしてしまふ。

 古井戸の生活者である鼠や、蟹や、蝙蝠や、蛞蝓や、蜘蛛や、蛭や、蜥蜴や、ゐもりや、蚯蚓などはこの笑劇を呆氣にとられてながめてゐた。かれらはこの靜かで住み心地のよい古井戸の世界の空氣が、俄に變つて、生存をおびやかされるにいたるのではないかといふ不安を、一樣に感じてゐるらしく思はれた。空氣の震動だけでも大變である。お菊が笑ひ、河童が笑ふたびに細長い固筒形の井戸の中はわんわんと鳴りひびく、革命的な現象といはなければならなかつた。

 ところが、腑拔けのやうに笑ひころげてゐた河童は、ふとなにかに氣づいたやうに緊張した顏つきになると立ちあがつた。突然、河童の顏に不思議な苦痛の表情が浮かんだ。彼は井戸の世界いつぱいに鳴りひびく笑ひ聲の谺(こだま)に、われに返つたのである。そのだらしのない愚劣な音響が自分の聲だと知ると、この眞摯な河童の心に俄かに狼狽と反省の思ひがひらめいた。

 河童は羞恥でまつ赤になると、ものもいはず、地底を蹴つて、井戸の外へをどり出た。

「待つて、……待つて頂戴」

 深い井戸の底でお菊のさう呼ぶ聲が聞えたが、耳をふさぎ一散に逃げた。

(墮落してはならぬ)

 河童の心を領したのはそのことであつた。河童はお菊へ待望の皿をとどけたけれども、目的と現實との不可解な混淆(こんかう)を、古井戸の底に行つてみるまで氣づかなかつた。河童は犧牲の美しさといふものをつねづね無償の行爲のなかに求めたいと考へてゐた。ところが、皿をとどけてお菊のよろこぶ姿を見たとき、なにかの代償を求めようといふ不純の氣持が、ふつと胸の一隅に兆(きざ)したのにおどろいた。心中にどんな妖怪が棲んでゐるか、自分でもわからない經驗は前にもあつた。しかし、こんな妖怪が頭をもたげたことは生眞面目な河童を恥ぢさせた。お菊になにを求めようといふのか。その恐しいみづからの詰問に逢つた途端、圓筒のなかにひびきわたつただらしのない笑ひ聲の谺が、河童を羞恥で赧(あか)らめさせた。同時に、罪の意識が電氣のやうに彼の胸をかすめた。また、仲間への裏切者となることの恐れがそれに重なつた。

(墮落してはならぬ)

 河童はさうして古井戸からあわてふためいて脱出をしたのであつた。

 

 

 

 それから、數日がすぎた。

 沼の仲間たちは、彼が皿をどこにやつたのか不思議がつた。あんなに欲しがつてゐた皿を手にした途端、もう持つてゐない。仲間たちの間では、その皿を彼がいくらの金に換(か)へ、いくら儲け、そしてどんな大金持になるかが問題であつたのに、彼は皿をなくしただけで相かはらず尾羽うち枯らしてゐる。そして、ただ身一つを入れるだけになつたうすよごれた穴のなかに横たはつたきり、まつたく出て來ない。仲間とのつきあひも忘れたやうだ。しかし彼のそんな不精たらしい蟄居(ちつきよ)の樣子を偵察しに行つた者の一人は、彼はさびしさうではあるが、どこかに樂しげな滿ち足りた樣子も見られると、不思議さうに報告するのであつた。

 

 

 

 また、數日がすぎた。

 河童は忍耐をうしなつた。もう二度と古井戸の底には行くまいと決心してゐたのに、お菊に逢ひたい氣持をどうしてもおさへることができなくなつたのである。河童はこの自然の情をやたらに抑壓する必要はないと考へた。自分は死ぬかも知れない。そのまへにもう一度お菊に逢ひたい。お菊へなにかを求めようといふ不純な氣持などはまつたくなかつた。皿を渡した日、彼が一散に逃げだすとお菊はうしろから呼びとめた。そのお菊のやさしい聲は耳にこびりついてゐる。彼はそれだけでも滿足であつた。そこで、もう一度逢ひ、あんな風な奇妙な別れかたでなく、きれいに納得づくでもう二度と逢はないことを約束しようと思つた。お菊は悲しむかも知れない。

(しかし、それがおたがひのためだ)

 と、河童はせつなくなる胸をおきへて、強くひとりでうなづいた。

 河童は輕い足どりで、古井戸に行つた。初夏の嫩葉のうつくしい朝である。蟬が鳴いてゐる。もうこつそりと忍ぶ必要はないので、河童の姿で堂々と、井戸の圓筒形の石壁を降つた。苔むした垣の間から顏を出してゐた鼠や蟹や蜥蜴が、闖入者に驚いてひつこんだ。

 地底に降り立つた河童は、つよい親しみを含んだなれなれしい語調で、

「お菊さん」

 と、聲をかけた。

 靑いどろどろの糊水のなかに蹲(うづくま)つてゐたお菊は、顏をあげた。

 河童は仰天した。河童はお菊が彼の來訪を待望し、井戸の口からのぞいただけで、もうよろこびの聲をあげて迎へてくれるものと思つてゐた。ところが、お菊は彼が底に着くまで一口もきかず、聲をかけると顏をあげたが、その眸は歡迎どころか、憎惡の光に滿ち滿ちてゐた。きらに河童の膽(きも)を冷えあがらせたのは變りはてたお菊のむざんな姿であつた。これがあのお菊であらうか。まるで骸骨(がいこつ)である。お岩や累(かさね)よりもつと醜惡だ。ふつくらと丸味のあつた頰や顎の線は鉈(なた)でこそいだやうに削りとられ、二つの眼は眼窩(がんくわ)の奧に落ちくぼんでゐる。葡萄色の唇は腐つた茄子の色になつて、蟇(がま)のやうに齒をその間にむきださせ、亂れ放題の頭髮は全身に棕櫚(しゆろ)をかぶせたやうだ。瘦せて針金のやうになつたお菊の膝のまへに、十枚の皿が積まれてゐる。

 河童は茫然となつて、そこへへたばりこんでしまつた。甲羅が枯葉のやうに軋み、膝小僧が金屬板のやうに鳴りはじめる。その河童の耳に、お菊のすさまじい怨讐が憎々しげにひびきわたつた。

「なにをしに來やがつたんだ。惡魔、この皿を持つて、とつとと歸りやがれ」

 河童は耳を疑つた。しかし、それはお菊の口から出た言葉にちがひなかつた。動轉してしまつた河童はもうなにを考へる餘裕もなく、お菊がつきだした一枚の皿をつかみとると、一散に井戸から飛びだした。

(なんたることか)

 錯亂は極に達した。どう考へてもなんのことやらわからない。河童は皿をかかへて山の沼に歸ると、やけつぱちに寢ころがつて呻吟(しんぎん)した。河童の頭のところに皿が置かれてある。紫雲たなびく空の下、紅葉の林をさまよふ鹿と、釣をする二人の白髮老人を配した色鍋島の皿は絢爛(けんらん)としてゐる。

 古井戸の底で、お菊はしだいに終焉(しゆうえん)に近づきつつあつた。現在のお菊の絶望は、十枚目の皿の見つからなかつた前の絶望にくらべて、さらに絶望的であつた。お菊は九放しかない皿を數へながら、十枚あるかも知れない、なくともいつかはきつと十枚目が見つかるといふ希望だけで、わづかに生命を支へてゐたのである。河童はそれを永遠に到達の可能性のない企圖として、彼女の不幸を哀れみ、その絶望へ光をもたらさうと考へたが、お菊はその絶望の計算への情熱だけで、いきいきと内部を充足されてゐたのであつた。しかしながら、彼女は自分ではそのことを氣づいてゐなかつた。だから、河童が皿を見つけて來てくれたときは本心からよろこんだのであつた。三百年の絶望に終止符が打たれたと思つた。ところが、それはもつと恐ろしい絶望への出發點であつたのだ。

「一枚、……二枚、三枚、……四枚、……」

 十枚あればよいがと祈りつつ、期待と不安とにおびえ數へて行くときの充實感と、やつぱり九枚しかないと知つたときの、悲しいとはいへ次に望みを托し得る生活の持續感とは、お菊にとつては魂の火花であつた。それなのに、皿が十枚揃つたとき、一切の情熱も充足感も、それから來る美しさも生命力も消え去つてしまつた。お菊はなにもすることがなくなつたのである。彼女はただ退屈になつただけだ。皿を數へて行つても十枚あるとわかつて居れれば、全然無意味だ。はじめは河童の親切をよろこんだのに、もう翌日には河童のおせつかいが恨めしくなつた。二日目には憎くなつた。三日目には呪はしくなつた。お菊は内部を支へるものをうしなつて、急速に憔悴し委縮し死へ近づいた。そこへ河童が得々としてやつて來たので、思はずどなりつけたのである。それはお菊の魂の叫びであつた。

「やつと一枚減つた」

 さう思つて、また昔のやうに、一枚、二枚、三枚、と數へてみても、もはや挽回することのできない空洞(くうどう)がお菊の心のなかにぽかんと倦怠の口をひらいてゐる。なんらの情熱も希望もわいて來ない。十枚目の皿が河童のところにあるといふ事實を、突如としてお菊が忘れ去つてしまはないかぎり、事態は復舊しないのだつた。

 お菊は絶望して、九枚の皿を石垣にたたきつけた。その散亂した缺片のなかに横たはり、しづかに眼をとぢた。

 山の沼で、錯亂から容易に脱することのできなかつた河童は、お菊を忘恩の徒だと斷定することによつて、やうやくなにをすべきかに思ひあたつた。

(向かふが向かふなら、こつちにも考へがあるんだ)

 河童は山の沼を出た。人間に化けて大都會にあらはれた。一軒の骨董屋に入つた。持參した色鍋島の皿を賣つた。鑑定のできる骨董屋の主人はそれが天下の珍品であることを知つて、客のいひなりに莫大な現金を拂つた。客は皿をわたし、金をふところに入れて店を出た。骨董屋の裏口から、眼つきのわるい屈強の若者が四五人、そつと拔け出た。慘劇はどこで行はれたかわからない。目的をはたした若者たちが店にひきかへしたとき、骨董屋の主人は粉微塵になつた皿のまへで、茫然と立ちつくしてゐた。

 

 

[やぶちゃん注:『昔、德川時代、音川家に淺山鐡山といふ惡道な執權があつて、お家横領を企てた。鐡山は兄の將監(しやうげん)と結託して着々と陰謀をすすめてゐたところ、ふとした横合にその祕密を腰元お菊に知られた。そこで、一策を案じ、音川家のまたなき家寶として大切にされてゐた色鍋島十枚揃ひの皿をお菊にあづけ、その一枚をこつそり隱したのである。お菊はたしかに十枚あつた皿がなん度數へても九枚しかないのに仰天した。/「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、大枚、七枚、入枚、九枚、……一枚、二枚、三枚、四枚、……」何十ぺん數へても、十枚はない。そして、鐡山に殺されて、井戸の中に投げこまれてしまつた』この部分は人名にやや手が加えられているものの、皿屋敷の話で芝居として最も人口に膾炙している浄瑠璃「播州皿屋敷」のそれを元にしている。ウィキ皿屋敷から引くと、為永太郎兵衛・浅田一鳥作の「播州皿屋敷」寛保元(一七四一)年に大阪の豊竹座で初演されたもので、例の通り、幕府の咎めを回避するため、室町時代の細川家のお家騒動を背景として組んであって、『一般に知られる皿屋敷伝説に相当する部分は、この劇の下の巻「鉄山館」に仕込まれている、次のようなあらすじである』。『細川家の国家老、青山鉄山は、叛意をつのらせ姫路の城主にとってかわろうと好機をうかがっていた。そんなおり、細川家の当主、巴之介が家宝の唐絵の皿を盗まれ、足利将軍の不興を買って、流浪の憂き目にあう。鉄山は、細川家の宿敵、山名宗全と結託して、細川の若殿を毒殺しようと談義中に、委細をお菊に聞かれてしまい、お菊を抹殺にかかる。お菊が管理する唐絵の皿の一枚を隠し、その紛失の咎で攻め立てて切り捨てて井戸に投じた。とたんに、井筒の元からお菊の死霊が現れ、鉄山を悩ます。現場に駆けつけたお菊の夫、舟瀬三平に亡霊は入れ知恵をし、皿を取り戻す』というものである。因みに、このウィキ皿屋敷の出典の四十二番には電子テクスト「耳嚢 巻之五 菊蟲の事が引かれてある(言っておくが、私はウィキの執筆に関係しているが、ウィキは記載者自身がウィキ外に別に作った自己テキストや記載へのリンクを張ることは、中立性を欠くために出来ないことになっている。これも私の全く知らない人が知らない間にリンクを張ったものであって、私がしたことではないことを附言しておく。因みにウィキペディアを愛する私としてはこの仕儀をすこぶる光栄なことと思っている)。]

2015/09/21

ブログ720000アクセス突破記念テクスト 火野葦平 千軒岳にて

   千軒岳にて   火野葦平

 

[やぶちゃん注:表題に出る「千軒岳」は過去の「河童曼荼羅」諸篇にも何度も出るが、不詳である。しかし恐らくは阿蘇山をモデルとすると考えてよいであろう(後述の「火山灰(よな)」の注を参照)。

 「天に沖する」とは、天に高く昇る、の意である。

 「數千尺」千尺は三百三メートルであるから、千八百メートル以上を指すと理解してよい。

 「火山灰(よな)」火山の噴煙とともに噴き出される火山灰の、九州全般及び特に阿蘇地方での呼称である。

 「軒昂」老婆心乍ら、「けんかう(けんこう)」と読む。人の意気が高く上がるさま、奮い立つさまの意で、現行では「意気軒昂」の四字熟語での使用が殆んどである。

 なお、本篇によってまたしても新たな生物学上の驚愕の新知見が示されていることに注目されたい。それは「河童の眼玉」は「いかなる高熱をもつてしても熔けることのない」物質であるという事実である。

 本テクストは本日、2015年9月21日に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが720000アクセスを突破した記念として公開する。 藪野直史]

 

   千軒岳にて

 

 草の葉を廂(ひさし)にしてこころよい晝寢のまどろみに落ちてゐた河童たちは、突然自分たちのからだが土の上に投げだされ、はつとおどろいた耳におどろおどろしく鳴る山の音をきいて、方角もわかたず思ひ思ひの方向に向かつて飛びたつた。鋸(のこぎり)のやうにぎざぎざのある千軒岳(せんげんだけ)の絶頂からは、天に沖(ちゆう)するごとく噴煙がまきあがり、炬大な岩石が毬のごとく無數に飛び、煮えかへる轟音(がうおん)をとどろかして眞紅の焰が噴きあがつた。飴をとろかすやうに頂上の山形を崩し、いろいろの姿に變へながら溢れだして來た熔岩(ようがん)が、樹をたほし、草を燒き、眞紅のかがやきを長々と曳きながら、凹凸のある山腹の斜面をながれくだつて行つた。數千尺の高さに噴きあげられた煙の中に、嵐が生じ、雷鳴が起り、電光が靑白い焰のごとく間斷なく閃いた。この豪宕(がうたう)なる火山の圈外(けんがい)に逃げだした多くの河童たちは、もはやそのすさまじい物音もほとんどかすかにしかききとることができぬ堤のかげに來て、はじめてその馬鹿々々しく大仰の自然の振舞を嗤(わら)つた。爆發の刹那に起つたはげしい地震のために、背中の甲羅にひびが入つたり、皿を割つたりした河童たちは、自然の愚劣な行爲に對しておさへがたい輕侮の念を抱いたのである。夜になるとなほ火を噴く山のために、空は眞赤に染まり、河童たちが水をのみにおりて行つた溪谷(けいこく)の谷川は血のながれのやうに見えた。勇氣のあるものはその水をのんだが、さうでないものは、川のながれが赤いのは赤いのではなく、ただ火山の光を映じて赤く見えるだけで、水はなんともなつてゐないのだといふことを信ずることができず、からからに咽喉がかわいてゐたのにもかかはらず水をのむことができなかつた。千軒岳は數日ののちに火を噴くことをやめたが、その擴がつた火口から火山灰(よな)をふくことをやめなかつた。千軒岳の裾野をふくむ高原の靑草は火山衣のため萎(しを)れ、河童たちが夏の強い日ざしを避けて晝間のまどろみのときの廂にした叢(くさむら)の多くは枯れた。降りくる火山衣が眼にしみて、河童たちは顏を洗ふためにたびたび谷間におりて行かなければならなかつた。また、うかつにうたたねをして居ると、火山灰が頭の皿にたまつて水分を吸收し、氣分が惡くなり力が拔けてしまふやうなこともあつた。地上が灰でざらざらと坐り心地がわるくなると、河童たちは牧場にゐる多くの黃牛(あめうし)の背中に休んだ。黃牛は河童が背中に乘ると、蠅を追ふ時とおなじやうに尻尾を動かしてこれを追ふ。輕くあしらはれたことで甚だしく自尊心を傷つけられた河童たちは、牛の背中をひつかいて飛び立つ。牧場の人たちはときどき黃牛の背中についてゐる奇妙な搔き傷がどうしてできたものか理解することができない。さうして熔岩でも降つて來て牛の背に落ちたのでもあらうかと、さかんに噴煙をつづけてゐる千軒岳のいただきをはるかに望むのである。河童たちはつひに千軒岳の噴火口の上を飛びあるくやうになつた。いたづらに千軒岳を遠望してゐることが彼等の矜持(きようぢ)に添はず、勇氣ある一匹の河童が或る日干軒岳の頂上に飛んで行つて、はるか高いところからその絶頂の火口を見下し、或る程度の高度を保つて居れば絶對に危險はないといふことを冒險の果に證明してから、多くの河童たちはいづれも千軒岳の眞上を飛翔(ひしやう)するやうになつた。それはあたかも無數の蜻蛉(せいれい)の群のやうに見えた。火口からは見あぐる高さに火山灰(よな)を噴きあげ、火山灰は風のまにまに山脈の上を這ひながれて行つたが、河童たちの飛んでゐるところには一片の灰も來ず、河童たちは澄みきつた靑空の中を悠々と自由自在に飛び交うた。或るものは口笛を鳴らし、或るものは木の葉落しをやり、或るものは唄をうたひ、或ひは眼下に見える柘榴(ざくろ)のごとき噴火口の中に糞尿をたれおとし、自然を征服した軒昂(けんかう)の氣を負うて、自分たちの眼下に屈從し果てた大自然の意氣地なさをさんざんに嘲笑したのである。そのやうな輕快な飛翔のつづけられた數十日かの後に、千軒岳はふたたびすさまじい鳴動とともに爆發をした。おどろおどろしく鳴りひびいたとどろきとともに、天に沖した火煙は、そのとき天にあつて輕快な亂舞をつづけてゐた多くの河童たちをこともなげに卷きこみ、山脈の膚に向かつて落下して行つた。逃れんとして飛びたつた河童たらもその熱氣にあてられ、力つきて木の葉のやうにはらはらと火口の中へ落ちて行つた。鋸のやうにぎざぎざのある千軒岳の絶頂からは、天に沖するがごとく噴煙がまきあがり、巨大な岩石が毬のごとく無數に飛び、煮えかへる轟音(がうおん)をとどろかして眞紅の焰が噴きあがつた。飴をとろかすやうに頂上の山形を崩し、いろいろの姿に變へながら溢れだして來た熔岩が、樹をたふし、草を燒き、眞紅のかがやきを長々と曳きながら、凹凸のある山腹の斜面をながれくだつて行つた。數千尺の高さに噴きあげられた煙の中に、嵐が生じ、雷鳴が起り、電光が靑白い焰のごとく間斷なく閃いた。燒けおちた河童たちを熔かし含んだ熔岩は、火のながれとなつて山腹をくだり、高原によどみ、しばらくの間たぎる焰となつて消えなかつた。そのときから永い年月がながれた。千軒岳の高原にはいちめんに熔岩の間から不思議なかたちをした靑黑い花が吹きいでた。その花は誰も名前を知らないが、雨のときにはいつぱいにその花びらをひろげてゐるけれども、千軒岳から火山灰(よな)でも降るやうな天候の時には、たちまちにして花びらを閉ぢてしまふのである。また、夜になれば、千軒岳の高原は無數の星によつて滿たされる。それはしかし星ではない。また螢でもない。熔岩の中に身體は溶けてしまつたけれども、いかなる高熱をもつてしても熔けることのない河童の眼玉のみが、鏤(ちりば)められた寶石のごとく、今もなほ夜ともなれば熔岩の中に靑白い光を放つのである。

2015/08/21

ブログ710000アクセス突破記念 火野葦平 魚眼記 

魚眼記 火野葦平

 

[やぶちゃん注:一昨2015年8月19日の宵の口に、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、710000アクセスを突破した。その記念として何時もの通り、火野葦平の「河童曼荼羅」から記念テクストとして「魚眼記」(「ぎよがんき(ぎょがんき)」)を公開する。単行本初出は小山書店昭和一六(一九四一)年五月刊「傳説小説集」かと思われるが、初出はそれ以前、前年中のことと推測される(以下の宮本百合子の書評初出を参照)。宮本百合子は日本の河童――火野葦平のことなど――という評論ともエッセイともつかない奇体な短文で(初出が『日本学芸新聞』昭和一六(一九四一)年一月十日号)、『一人の作家の動きとして火野葦平氏をみる。するとそこには「糞尿譚」の作者があり、つづいて麦と土と花と兵隊の作者があり、やがて河童の「魚眼記」が現れている。この過程に何が語られているだろう。「土と兵隊」の作者に「魚眼記」の現れたのは誰そのひとだけにかかわった現実であって、私たちには他人のことだと云えるのだろうか』と自他を指弾対象にするような言いをし乍ら、『日本の近代の文学に河童が登場することについては考えるべき何事かがある。周知のとおり、芥川龍之介は死の数ヵ月前、昭和二年の二月、小説「河童」を書いた。漁師のパック、詩人トック、音楽家クラバックなどの活躍する芥川の河童の国には、生活と判断とが溌溂と盛られていて、作者の社会批評と人生と芸術への気持が、積極な熱をもって流れている』。『それにもかかわらず、河童の国へ墜ちなければ、クラバックの直情をも描けなかったところに、作家芥川としての悲しい河童性があった。河童とは詰まるところ日本の前時代的な物の怪なのである』。『火野葦平の河童は、一九四〇年の日本に現れて、「土と兵隊」「石炭の黒きは」の後に現れて、何と自足した自身の伝説の原形をさらしていることだろう。実際上は歴史的な経験を生きた筈の一個の作家が、今日河童を語り、文学上に変化の変化たる所以の諷刺の通力さえ失ったまま、唯濃い墨の色と灰色との画面の色彩をたのしんで描き眺めるというようなことの裡には、文学として何かの不健全がある』。『河童が幻想の生棲物だからというのではなく、それを扱う作者火野の態度の本質は、芥川よりも文学のこととして不健全な低下を示していると云えるのである』。『これは、作家の個人としての問題でもあり同時に今日という時代の傾斜の問題でもある。人々の現実にたえる作品を生み出して行こうという作家の希望が偽りでないならば工夫をこらしその斜面にピッケルをうちこんで、着実に抵抗して、進んで通過しなければならない角度なのだと思う。何によってその雪崩れでそぎとられた斜面にピッケルをうちこむべき地点を判断してゆくかと云えば、先ずその岩の性質の鑑識に立つということを答えない登攀者はないだろうと思えるのである』(引用はリンク先の青空文庫版から)。この似非文学批評的戯れ言は私のイカれた前頭葉から尻小玉の出っ張りまで、おぞましい生理的不快感を引き起こす。文学批評(特に文学を革命の手段と堕させたプロレタリア文学の『不健全』なる思想というそれ)という宿痾たる病根の様態が実に手に取るように分かる悪文なれば、敢えてここに示しおくこととする。因みに私は宮本百合子の如何なる一文にも五十八年間、一度として感動したことはなく、今後もないと断言出来る。それほどあの女が文学者として私は大嫌いなのである。民衆の伝承をマルクス主義から非科学的と一蹴する彼等は結局、現代文学の潮流に生き残ることが出来なかった。これはまっこと目出度いことであると私は心底、感じている人間である。

 底本の傍点「ヽ」は太字に代えた。注は当該語句を含む各段末で簡潔に対応した。

 前頭葉の一部挫滅のために偏頭痛がずっと続き、何時ものようにテキパキと出来ず(特に夕食後は仕事が殆んど出来ないほど痛む)、遅れたことを深くお詫びする。【2015年8月21日 藪野直史】]

 

 

   魚眼記

 

 だいぶん風があるやうですが、わたしの聲が聞きとれますか。わたしはあまり大きな聲を出すことはこのまないので、どうぞもつと近くに寄つて下さい。そこの石には錢苔(ぜにごけ)がたくさんくつついてゐますから、用心をしないと着物が穢(よご)れます。この椎の實でも嚙(かじ)りながら聞いて下きい。月の出にはまだすこし間がありませう。

 わたしが昔この里に住んでゐた頃、やつぱりこの大きな椎の木がこの庭に立つてゐて、枝がはびこり、鬱蒼と葉が茂り、椎の實の熟(な)る時分、風のある日を選んでこの樹の下に來ると、雨の降るやうな音を立てて椎の實が無數に落ちて來たものでした。子供であつたわたしは竹の竿を持つて行つて椎の實を落すことを考へつきましたが、わたしのその計畫を母が顏色を變へて怒り、折角わたしが氣味の惡い思ひをして淋しい裏山の竹藪から切つて來て拵へた竿を、父がほとんど四寸おき位に微塵にへし折つてしまひました。一節づつ碎かれて行く靑竹の音を聞きながら、小さいわたしは悲しみで胸がいつぱいになりましたが、無口な父母はただ怒つただけでわたくしにその理由を聞かせてくれませんでした。夕方になると、向かふの地藏山の巓邊(てつぺん)の峰の間から眞横にさしかけて來る太陽の光りのために、數知れぬ椎の實は蓊鬱(をううつ)と繁茂した梢の間から無數の寳石のごとくきらきらと光ります。その美しい椎の實を得るためにはいつとも知れぬ風の日を待たなくてはならぬといふことは、なんといふ賴りないことでありましたらう。しかし、わたしは或る日、もう壽齡をずつと昔に越えて今は自分も人もその年を覺えてゐることが出來なくなつてゐたわたしの曾祖母から、椎の木についての言ひ傳へを聞かきれたのです。その椎の木には古くから河童が棲んでゐるといふのです。さうしてこの椎の木に熟る無數の椎の實はこの樹の持主である河童の食餌であつて、その椎の實を取るものは河童の怨みを買ふことがある、ただ風の日に吹かれて落らる椎の實が河童の食膳から除かれてしまふけれども、やつぱりその地上に落ちた椎の實すらも心ある人はこれを拾はうとはしないのだ、といふのです。それを話しながら曾祖母はがくがくと齒のない口を袋のやうに開けたり閉ぢたりしながら、その椎の木を見るのももつたないといふやうに、それだけの話をする間中、ただ最初にちらと一瞥しただけで、その後は一度も樹の方を振りむかうとしませんでした。その語を聞くとすぐにわたしはそつと土藏の中に入りました。生意氣な小さいわたしは、科學者のやうにその曾祖母のをかしな語を信用せず、古い侮蔑が曲りくねつた平假名やけばけばしい色彩の江戸繪などで書きあらはされた、たくさんの古ぼけた書物が土藏の長櫃(ながびつ)の中に藏つてあつたことを思ひ出し、曾祖母の學説をくつがへすやうな反證を得るために土藏の階段を登つたわけでありました。黴(ばび)くささと根太(ねだ)のゆるんだ天井裏の板の間に辟易しながらも、わたしは丹念に數千卷の古書を繙(ひもと)きました。するとわたしは次第に曲りくねつた平假名の字や原色あざやかな江戸繪の世界に惹きこまれ、やがて表が暗くなつて來て、わたしが掌にのせてゐる寫本の大きな文字も判讀し難くなつた時、わたしは曾祖母(おんばあ)ちやんは噓つきではなかつたと思はず歎息を洩らしたのであります。さうして太い鐡鋼の鎖格子も見わけがたくなつた鎧窓の方を見た時に、ほんたうはそんなに太陽が落ちてゐたわけではなく、鎧窓のすぐ際に椎の木があつて、その密生した葉のために窓が蔽はれてゐたことを知りましたが、その時わたしは椎の木が少しの風にぎわめき幾つかの椎の實がぱらぱらと落ちる音を聞いて、逃げるやうに蟲の食つて撓(たわ)む土藏の梯子段を降りたのです。

[やぶちゃん注:「四寸」訳十二・一センチメートル。「地藏山」不詳乍ら、これは以前河童封地蔵尊のあ塔山のことではあるまいか? 識者の御教授を乞う。「蓊鬱」草木が盛んに茂るさまを言う。「江戸繪」浮世絵版画の前身となった紅彩色の主に江戸歌舞伎の役者をモデルとした絵のこと。江戸中期から売り出され、当初は二、三色刷りのものから次第に多彩豪奢なものとなり、錦絵として爆発的な人気を博した。「紅摺絵(べにずりえ)」「東(あずま)錦絵」等とも称した(対するのが京坂で刊行された同じような役者絵を中心とした浮世絵版画の「上方絵(かみがたえ)」「大坂絵」である)。]

 わたしは或る日近くの町に行つて魚を求めて來ました。そのやうな祕密な計畫を家の者に覺られないやうに注意しながら、貰ふたびに蓄めておいた小遣錢をそつと土壺の貯金箱を割つて取り出し、市場に行つたのです。わたしの家は相當の舊家で、女中も何人も居ることなのに、市場に魚を買ひに行つたわたしを市場の人たちははじめは不思議さうにして居りました。しかしわたしが學校で有圖畫の寫生に使ふのに自分の好きな魚を自分で買ひに來たのだといつたので、はじめて市場の人も納得し、そこにあつたたくさんの魚のうちで一昔美しい鱗の剝げてゐないめばるを選んでくれました。買つて來た魚をわたしは小さい竹籠に入れて紐をつけ、椎の木のわたしが背のとどく枝の一番高い枝に吊しました。わたしは土藏の中の文獻によつて得た知識によつて、河童といふものがおほむね水中に棲むものではあるが、何かのために樹木に棲息するやうになつても、生理的に木の實よりも魚類の方を好むに違ひないといふことを信じたからです。わたしが魚を河童に進呈したことを曾祖母が見つけましたが、わたしの頭を撫でて笑ひながら、昔自分たちの小さい時分によく河童が出て來て自分たちと遊んだものだが、今はもう居るかどうかねえ、といひました。曾祖母の小さい時にはよく線香遊びといふことをやつたさうです。この椎の木の下の水たまりに火をつけた線香を立てる。それから十間ばかり離れてこちらから、河童さん河童さん出ておいで、と聲を揃へて呼ぷ。するとその線香の火がふつと見えなくなる。それは河童が兩手で火を包んでしまふからだ。それからまた、河童さん河童さんお歸りよ、といふ。すると今まで見えなかつた線香の火がまたぱつと赤く見えて來る。河童が兩手を開けるからだ。曾祖母はそんな話をしましたが、最後に今はそんな遊びを誰も忘れてしまつて、果して河童が今でも居るものやら居ないものやら自分も知らないといふのでした。翌る朝になつてわたしはまた背伸びをしながらその魚籠を下して見ました。その籠の中には昨日入れておいた魚の姿はなく、ただ底の方に硝子の玉のやうに二つの眼玉だけが殘されて居りました。もう河童がこの椎の木に今もなほ居るといふことは疑ふ餘地がありません。さうして父母が血相を變へてわたしが竹竿で椎の實を叩き落さうとしたことを咎めたことの意味がはじめてはつきりと諒解されました。それからわたしは毎日のごとく市場に通ひ魚を買つて來ては椎の木の梢に吊しました。魚は或る時は鰯(いわし)になり鱸(すずき)になりひこぜになり鯉になり茅渟鯛(ちぬ)になり鯖(さば)になり秋刀魚(さんま)になりました。さうしてわたしが籠を下してみるたびに、必ず魚の眼玉だけが食ひ殘されて居りました。河童が魚の眼玉が嫌ひであることは、私が黴くさい土藏の中で得た知識と全く一致して居りました。

[やぶちゃん注:「十間」十八・一八メートル。「ひこぜ」きらびやかな磯魚のベラの一種である顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ目ベラ亜目ベラ科ササノハベラ Pseudolabrus sieboldi の異名。グーグル画像検索「Pseudolabrus sieboldiをリンクさせておく。「茅渟鯛(ちぬ)」スズキ目スズキ亜目タイ科ヘダイ亜科クロダイ Acanthopagrus schlegelii の異名。]

 さあ、椎の實をたくさんおあがりなさい。甘くて齒にあたらず嚙みわるとよい音がするでせう。こんなおいしい椎の實はよそでは食べられませんよ。風が出たせゐか、いくらでも椎の實が落ちて來ます。

 さて、もう秋もかなり深く風なども時折、膚に冷く感ぜられるやうになつた頃の或る夜、わたしは深い眠りに落ちてゐたのですが、ふと誰かわたしを呼ぶ者があるやうな氣がして眼を醒ましました。天井には薄暗い電燈が點(とも)り、寢る前に枕元にひろげたままにしてあつた小學校の諸本があるほかには、別に誰もゐる樣子はありません。外にはいろいろな秋の蟲の鳴いてゐる聲がします。わたしはなにか思ひ違ひであつたと思つて、ふたたび寢床の中にもぐりこみますと、また確かにわたしの名を呼ぶものがあります。それがどうも家の中ではないやうに思ひましたので、何氣なく開き窓の方を見ますと、竹のつかい棒で屋根のやうに半分開けた窓の向かふに誰かがゐるのがわかりました。外は月が明るく煙つたやうな月光の中に、頭を振りみだした妙に口の尖つたものがゐて、小首を振りながら、小さく皿をたたくやうな聲を立てて何かいひ、しきりに手まねきをしてゐるのです。わたしはすぐにそれが椎の木に棲んでゐる河童であることがわかりましたので、着物を着なほし帶を締めてその開き窓の方に行きました。河童はわたしを見ると身體ごとお辭儀をするやうに二三度屈みましたが、皿をたたくやうなからんからんした聲で、日頃から度々魚の御馳走になることの禮を述べ、今宵は月もよいし海の方に出てみたいと思ふのだが、いつしよに行きませんか、といふのでした。なんによらず河童の申し出を斷るとよいことがないといふことをわたしは知つてゐましたし、それでなくともわたしは河童の勸誘をうれしく思ひましたので、それはたいへん愉快なことだといひますと、河童はそれではわたしがおんぶして行つてあげますから、この開き窓の閾(しきゐ)にお上んなさいといひます。小さいわたしはその高い窓に上ることが出來ませんので、襖を開けて脚達(ふみつき)を出し、窓の下まで引きずつて來て、やつとのことで開き窓の閾に乘ることが出來ました。さあといつて河童が向かふをむきましたので、わたしは背中に負ぶさりました。河童は見たところそんなに大きくはなく、どちらかといふと子供のやうに小柄であつたので、わたしは果して子供としては大柄であつたわたしを河童が負へるだらうかと危ぶんでゐたのですが、わたしが負ぶさつても河童は別に重さうにはせず、それどころではなく、まるで背中に乘つた瞬間に突然わたしの身體の重量といふものがすつかり消えてなくなつてしまつたやうに、河童は樂々として居るのでした。今夜は海岸に出て海をわたり島まで行つて見ませう。まあこれでも嚙りながらついておいでなさい、と河童はいつて、わたしの掌にひと摘みの椎の實をのせて月光の中を歩きだしました。歩くといひますが、足が地についてゐるものやらゐないものやら背中のわたしにはわかりません。それよりもわたしは河童の背中の甲羅がわたしの身體の蕊(しん)にまでも傳はつて來るやうなきびしい冷さで、その上生ぐさい臭氣のある靑黑い苔のやうなもので一面に掩はれ、うつかり手をゆるめるとずるりと、辷り落ちてしまひさうなのに閉口しながらも、月光の中にあらはれる景色にうつとりとなつて、無意識のやうに椎の實を嚙つてゐたのです。河童はなんにもいはずに進んで行きます。野をわたり川をすぎ丘を越えて行くうちに、煙のやうに霞む竹林が爽やかに鳴つてゐる音を聞き、空には月光を受けた雲がちぎれながら走るのを見、やがて白絹のやうに光る海濱に出ました。河童は汀(みぎは)にうちよせて飛沫をあげてゐる波の中にどんどん入つて行きましたが、やがて渚の音も後の方に遠ざかり沖へ沖へと出て行きます。河童は海の上を歩いてゐるのですが、足はいくらか水の中に入つてゐるのか時々下の方で水を切るかすかな音がします。月に霞む水平線にぽつんと一つの島が見えますが、そこまでが今夜の旅の行程のやうです。海上を渡る風がさわやかに頰をなぶり、なんともいへずよい氣持です。河童はときどき突然のやうに身體を跼(かが)めます。そのたびにわたしは落ちさうになつて、慌てて河童の肩をしつかりと摑みますが、河童は進んで行くうちに水面近くを泳いでゐる魚を見つけるとそれを捕へるために跼むのでした。時には捕へ損じて皿をはじくやうなペちペちといふ舌打を洩らしますが、概ねはうまく捕へそのまますぐにむしやむしやと食べてしまひます。やはりわたしが信じたやうに河童といふものは椎の實のやうな植物よりも生臭い魚類の方が比較にならぬほど好きなのです。河童は魚を頭から尾から骨まで殘らず丹念に食べてしまふのですが、眼玉だけは棄てて行きます。とぽんとぽんと眼玉の落ちる音が波の上でします。わたしは曾祖母から聞いた話を思ひだしました。昔古い頃の漁師は海上に魚の眼玉が浮いてゐるのを見ると、それは河童が魚をとつた場所であることを知つてゐて、早速そこの附近に網を入れると必ず大漁があつたといふことでした。星が降り落ちるやうに輝いてゐることが、周圍にはなにもない迥(はる)かな海原に出て來た時に珍しいもののやうにわたしの眼にうつりました。こんなにも天に多くの星があるといふことをわたしはそれまで知らなかつたのです。水平線の上の島影がだんだんせり出して來るやうに大きくなつて來ます。河童は相かはらずなんにもいはず、まるでわたしが背中にゐるといふことを忘れてしまひでもしたやうに、一心に魚を捕へることに熱中して、時々わたしを駭(おどろ)かせては身體を曲げて魚を捕へ、これを食べて眼玉をすてながら波の上を行きます。

 ところが次第にわたしは困惑の頂上に達して來ました。はじめのたのしさはもはやすつかりなくなつて、わたしはほとんど色靑ざめて來ました。それはわたしの腹の中が妙に張つて來るとともに、わたしは迂潤(うかつ)にもそれまで忘却してゐた嚴しい傳説の掟に愕然として氣づいたのです。それは河童がなによりも人間の放屁が嫌ひであるといふことでした。それはわたしには嘗ては笑ひだしたいやうな飄逸(へういつ)な傳説でしたが、今この海上に來て河童の背の上で現實となつてあらはれて來た時に、わたしははとんど膚に粟を生じ心は冷え切る思ひでありました。無意識のやうに口に含んでは嚙んだ椎の實がわたしの腹の中で次第に瓦斯(ガス)を釀成しはじめたことにわたしはやつと氣づいたのですぐこの時にならねばこの恐るべき掟を想起しなかつたとは、なんといふ迂愚なことでありましたらう。河童はいかに親しくして居るものであつても、ひとたび放屁の音を聞く時には最大の冷酷の仕打をするといふことは、わたしは充分に知つてゐたのです。わたしが今ここで放屁をすれば河童は怒つてたちまちわたしを海中に放棄して顧みないことは火を見るよりも明らかであります。わたしは腹を押へ、いかにしても島まで我慢しなくてはならぬと思ひました。河童はそんなことは無論氣づく筈もなく、しづかな水かきの音を立て相かはらず魚を捕へるために屈伸しながら月光に光る海上を進んで行きます。しかしながら人間の身體の生理はいかなる運命を誘致するとも避けがたいものでありませうか。わたしはもはや齒を喰ひしばり色靑ざめて我慢して居つたにもかかはらず、もうあまり遠くないと思はれる沖の島が眼前に大きくあらはれて來た時に、遂に最後の忍耐を失ひました。わたしは腹をしつかりと押へ、月と星との光る天を仰いで涙をたらし、父母と祖父母との名を呼び、遂に全く自分の意志がそこになかつたにもかかはらず放屁をしてしまひました。河童はふと立ち止り、ちらとわたしの方を振りかへりましたが、その時わたしはもう河童の背中から振ひ落され、海中深く人事不省になつて沈んで行つたのです。

 氣がついた時にわたしは足にうすい水かきが出來てゐることを知り、噎(む)せるやうな強い椎の實の匂ひにおどろくと同時に、わたしはまつくらなわたしの周圍で騷雨(しうう)のやうにはげしい音を立てて椎の實の落ちる音を聞きました。

 さあ月が出て來たやうです。これから沖の島に遊びに行きませう。椎の實をだいぶん食べましたね。殘りは持つて行つた方がよろしいでせう。わたしの背中に摑まんなさい。しつかり摑まつてゐないとわたしの背中の甲羅はずるずるしてゐるから辷りますよ。

2015/07/18

ブログ700000アクセス突破記念 火野葦平 蓮の葉

つい先程、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、700000アクセスを突破した(七十万アクセス目は「芥川多加志」で検索されて訪問された iPad3 の方であった)。その記念として何時もの通り、火野葦平の「河童曼荼羅」から記念テクストとして「蓮の葉」を公開する。因みにこれは、前回公開した「傳令」の正統な続編という体裁をとった小品である。底本の傍点「ヽ」は太字で示した。【2015年7月18日 藪野直史】

 

   蓮の葉

 

 その夜も、私は、蓮の葉で姿を消すと、惡道のこころに滿ちて、家を出た。

 私の足は闇市場へむいてゐた。晴れわたつた秋の星空はきらめき澄みわたり、やはらかに吹く雨風がひやりと顏にあたる。もし風に色がついてゐて肉眼に見うるものならば、なにもない空間に靑い風がつきあたつて、そこで左右にわかれたり、はねかへされたりするのを見て、ひとびとは奇異の思ひにうたれることであらう。一直線に吹いてきた風がさういふ混亂をきたす空間に、實は姿を消した私がゐるわけなのだが、さいはひに風が無色なので、たれも私の存在に氣づく者はない。それでもつきあたれば困るので、私は市場ちかくになつて雜沓がはげしくなると、うろうろと氣をつかつて人を避けねばならなかつた。向かふからは私が見えないので、遠慮もなく歩みよつてくるからだ。それでも避け損じてぶつつかることがある、するとその男ははつと妙なことだといふ顏をするが、まさかこの二十世紀の科學の世に、忍術使ひや妖怪變化(ええうかいへんげ)がゐるといふことは氣づかないから、なにかの錯覺だらうと思ひなほす風で、首をかしげはするがさして騷ぎたてることもない。私は笑ひだすまいとこらへるのがなかなか骨だが、とにかく氣づかれないやうにあらゆる注意をはらひながら、やがて、すでに灯がともつて獨特のざわめきを示してゐる闇市場のなかへはいりこんできた。

 終戰後、絶望的な表情をおびて、敗北日本の地上に生じたもろもろの汚物のうち、この闇市場こそはもつとも精彩をはなち、一種けだものに似た奔放さをもつて、人間の墮ちてゆくべき姿のたくましさを顯著に示したものであつた。ただけふ一日の命を絶對のものとして、昨日を忘れ、明日をも考へず、思想も道義も情操もすべて弊履(へいり)のごとくすてさつたむきだしの人間の姿は、しかし罪惡をただちに構成するとはかぎらず、賤しさはかぎりがないが、またかなしいものでもあつた。貪慾と詐謀(さぼう)とエゴイズムとが塵芥(じんかい)を燒く煙のごとく市場中にみなぎつてゐて、けたたましく發する聲もどこか狐狸のたぐひのたてひきに似、さまぎまの音響のなかでまた親しみをおぼえるのだ。

[やぶちゃん注:「たてひき」「立て引き」或いは「達引き」と書き、原義は、義理や意気地を立て通すこと。また、そのために起こる争い。そこから広義の談判・交渉の意となった。ここはそれ(因みに、他にも、気前よく見せるために他人の代わりに金品を出すこと、特に遊女が客の遊興費を出してやることも言う)。]

 ここにはふつうの家庭では手にはいる望みのないもの、町の店では見ようとしても見られぬものが、まるで強力な牽(けん)引力をもつた祕密のエレキで吸ひよせられたやうに、一點に集中されて、ならべられてあつた。ずらりとならんだ店、屋臺、燒き網、天ぷら、うで卵、鰻、蟹、おでん、壽司、銀めし、ビフテキ、トンカツ、ぜんざい、しるこ、林檎、梨、柿、――かうならべる必要もあるまい。ともかくなんでもないものはないわけなのだ。さまざまの宣傳文句をかいた大きな赤提灯やのれんが秋風にたなびき、狡猾(かうくわつ)さうな眼、獰猛(だうまう)な顏、下品な言葉、そして、むつちりした眉の張りもあらはな、姐御(あねご)らしい濃化粧の女のぎよろりとした眼に、こそこそとした媚びた挨拶をするやくざらしい者もあるが、多くはほんたうに生活に窮した人々の必死のあがき、戰災者や引揚者のせつぱつまつた生活の唯一の方法としての切實さがあらはれてゐて、惡と埃のたまり場のやうなこの市場にも、無言のうちに、かかる境地へ追ひおとしてきたものに對する庶民の憤然たる抗議が感じられるのであつた。しかし、まあ理窟はどうでもよい。私は、かういふごたごたした世界が好きなのだからしかたがない。支那や南方にゐるときでも、小盜兒(シヨウトール)市場や賊街市、場末の路地にある小酒家をさまよふことがなによりもたのしみであつたのだから、思ひもかけず戰爭に負けると、支那と同じやうな闇市が日本にもできたことが、私には或る意味でたのしくてたまらないのだ。私は暇さへあればここをうろついた。ところが、いまや、私には隱身のかくれ簑たる蓮の葉がある。たれにも氣づかれず、なんの氣がねするところもなく、すべてを觀察し得る立場に置かれると、闇市場といふものがまつたく異つた表情をもつて私のまへにあらはれてきた。私の身體が人の眼についてゐるときには、私は闇市場の表通りをあるいたにすぎない。ところが姿が消えると、私は空氣のごとく自由にどこへでもはいつてゆくことができる。どんな奧まつたところにはいりこんでいつたところで、たれからも見とがめられる心配はなく、私は飽くこともなく、いつさいの深所をさぐることができるのだ。私が有頂天になつたのはいふまでもあるまい。人間の下等の根性が忍術を得た瞬間に私をとりこにし、これまではとりすましてゐた見榮がすこしも必要ではなくなつて、私はたちまち無間地獄(むげんぢごく)に墮(お)ち、ほとんど惡魔のこころになりはてた。なにをしても人に氣づかれないといふ絶對の安心があれば、人間といふものがなにを欲するやうになるかといふ最後の惡逆の一線まで、私は降りてきたのである。姿を消してゐるときの私といふ別個のものがここにあらたに出現し、蓮の葉をぬいだときにはこれまでの私として、あひかはらずとりすましてをればよくなつたのだ。すこし意味はちがふけれども、どうやら、河童のおくりもののおかげで、私はヂキル博士とハイド氏のやうな具合になつたのである。さうしてヂキルとハイドよりももつと都好合なことに、惡の化身となつた私はいまや全然人の眼につかぬ空氣となつてゐるのだ。はじめは闇市場を面白半分にさまよふたのしみのみに蓮の葉をつかつてゐた私は、なにをしてもたれからも氣づかれないといふ絶對の條件のもとに、しだいに人間の本性をあらはしてきた。

[やぶちゃん注:「小盜兒(シヨウトール)市場」昭和一四(一九三九)年十一月二十三日の原稿受理のクレジットを最後に持つ、満洲の『新大陸』編輯部北本孝尊氏の「滿洲小兒市場と農機具」(PDFファイル)に以下のようにある(ピリオド・コンマを句読点に代えた)。『滿洲名物の一つに、小盜兒市場と云ふのがある。小盜兒(シヨウトル)とは日本の言葉で云へば、泥捧の事である』。『そこで、別の名を泥捧市とも呼ばれ、日本からの旅行者などには、小盜兒市場と云ふよりも、泥捧市の方が通つてゐる位である。もともとこれは、小盜兒市場と云ふ名のものでもなく、本當は露天市場と云ふ歷きとした、公認の名があるのであるが、滿洲名物の小盜兒群が、いつとはなしにさまざまの臟品を持込み、そこに密集してゐる露天商人に二足三文で賣飛ばし、商人達は彼等小盜兒かち捨値同樣で買つたものを他の同業者に轉賣したり又は一般の人々に賣り付ける事が習はしとなり、終には小盜兒群を目當てに一儲けを企む露天商人、古物商人の群れと、反對にこれら露天商人や古物商人を目當てに手當り次第小盜兒を極め込む多數の蠅の樣な連中と、一方盜られたものを探し出し取戻さうとする被害者、盗られはしないがその中から堀出し物を見付け出さうとする好事家などが三つ巴、四つ巴となつて露天市場に出入する内に、小盜兒市場と云ふ現實的な名に置換へられて仕舞つたのである』とある。「小盜兒」は中国音では「xiǎo dào ér」(シャオタゥアール)で、「兒」はこの場合、人を侮り軽んじる卑称の接尾語であって、不良少年や若い子悪党の意ではないと思われる。]

 ところが、私はさういふ狀態のなかにあつて、ただ、あながちに得意滿面としてゐたわけではない。今宵も私は姿を消して闇市場へはいつてきたが、そのたのしさとをかしさの半面には、いひやうもない苦澁をも胸の底に藏してゐたのである。それは私が河童から蓮の葉をもらつてからの三カ月のあひだに、すこしづつ私の胸のなかに芽ばえてきたひとつの懷疑によつて裏づけられ、急速度に惡魔の道へ墮ちてゆく私を、その急速度の速度をすこしはゆるめてゐたかも知れぬものであつた。

 この蓮の葉を私がいちばんはじめにこころみたのは、三カ月ほどまへ、或る知人に對してであつた。知人といつても四五度會つたきりだが、或る日、Mといふその男は同じ年輩くらゐの女をともなつて私の家をおとづれてきた。Mはすこしは文學もやるとかで、自分のかいた原稿を持つてたづねてきてから知りあひになつたのだが、その女といふのも詩や歌をつくつてゐるとのことであつた。Mは小肥りで、猪首の、まじめらしい口のききかたをする、三十四五の男で、復員前の捕虜生活の體驗を書いたといふ長い記錄を私のところへ持つてきてゐた。S子といふつれの女は從妹(いとこ)といふことで、鼻のひくいのが難であつたが、瓜實顏の上品な顏立ちをしてゐた。私と會見して、MとS子との間になにもとくべつな話題の展開があつたわけではない。Mはきまじめな調子で、おきまりの、これから勉強していきたいのでよろしくたのむといふやうなことをいつただけで、口數のすくないS子の方もほぼ同樣であつた。MとS子は三十分ほどゐて歸つて行つたが、送りだしたあとで、ふつと私は蓮の葉をおもひだし、それをかぶると二人のあとからついて出たのである。二人はならんで坂をくだつてゆく。私はただ足音がきこえないやうに注意すればよいので、フエルトの草履をはき、一間とははなれてゐない二人の背後からしたがつて歩いた。つまり私は二人からは絶對に發見されずに、かれらの話すことはことごとくきき得る位置に身をおいたのである。二人の話しかたはがらがらと快活で、私のところにゐたときとはまたつく異つてゐた。わづか數十分前のとりすましたS子のおちよぼ口は、わくりとはまぐり煮つめられた蛤のやうにあいて、間斷なくしやべりたて、Mは傳法に眉をゆすつては卑屈な笑ひ聲をたててゐた。ひとりが、先生、先生ていへばいい氣になつてゐる、といへば、ひとりが、あんなの、どこがえらいの、といひ、片方がこのごろ榮養失調とみえて太鼓腹もへこんだ、あはれをとどめてふきだすのをがまんするのに弱つた、といへば、片方があれは女房の下にしかれてゐる顏よ、といひ、小説家が、それでもあんなのは利用しなくちや駄目だよ、まあ原稿をあづけとばなんとか道をつけてくれるかもわからん、僕のはあんまり自信はない作品だが、なにしろ捕虜生活の記錄といふのはまだ珍しいし、あの先生もそこはなんとか色をつけてくれると思ふのだが、といへば、詩人が、あたしの詩だつて、ほんとは走りがきなんだけど、あのひと女にあまいにきまつてるから、なんかの雜誌くらゐには推薦してくれるかもしれないわ、といつた。男は急になにかおもひついたやうに立ちどまつた。あ、僕はちよつと用事を思ひだした。ぜひ、けふ、誠文堂に寄らなくちやならん、本代を持つてゆく約束をしてゐたんだ、それで、S子さん、すまんが、あなた百圓ほどいま持つてないか、明日かへすが、出るときにうつかりして蟇口(がまぐち)をわすれてきたんだ。さう、いいわ、ちやうど持つてるから。さうかい、ありがたう、そんなら、さきに歸つててくれたまへ。S子が百圓札を一枚とりだしてわたすと、Mはそれをおどけておしいただくやうにしてから、洋服の右ポケツトにつつこんだ。今度はいつ合へるの? さうだな、この次の火曜にしよう、といふ別れの言葉をのこして、二人は町角で正反對の方面に歩きだした。もうすこしと思ひ、私はMのうしろからまたついて行つた。疎開あとの菜園に建てられた共同便所を見つけて、つかつかとMはそのなかへはいつた。さうしてだれもゐないものかげに身をひそめると、服の内ポケツトから、蟇口をとりだして、さつきS子からまきあげた百圓札を無造作に押しこんだ。一枚の紙幣がなかなかはいりにくかつたのは、すでに蟇口には金がつまつてゐたからであらう。それからにたりと笑つて、小便をすませると通りに出た。さうして、そこから二町ほどはなれたところにある、小さな飮食店の、きたないのれんを排して消えた。Mはその店にはいるときには臆病さうにあたりを見まはし、まるでどぶ鼠が石垣の間にかくれるやうに、さつととびこんだのである。あら、Mさん、よくきたわね、といふきんきんした女の聲がきこえた。もうこれ以上Mを追跡する必要も興味もなくなつて、私は家へひきかへした。私はただ苦笑するばかりだつた。

[やぶちゃん注:「M」この男、どうも背後に政治的なスパイの臭いがプンプンするのは私の気のせいか? それにしても札がはち切れんばかりの蟇口というのはどうも胡散臭い。ド素人のチャラ男とは思われないのである。

「一間」一・八メートル。

「わくりと」あんぐりと、とかぱっくりと、と同じオノマトペイアの造語か。或いは……河童語かも知れない。

「傳法に」「でんぽふ(でんぽう)に」或いは「でんぼふ(でんぼう)に」と読む。ここでは、粗暴で無法な振る舞いをするさまを言う形容動詞。原義は芝居や見世物等に無料で押入る者を指す。これは江戸時代、浅草伝法院の寺男達が寺の威を笠に着て、境内の見世物等をタダで見物したことから出た語で、転じて他に、女のいさみ肌・女侠客のことにも用いる。

「二町」約二百十八メートル。]

 蓮の葉の偉力はしだいに私を深味にひきいれた。私はつひに誘惑に負けて、盜みをさへするやうになつた。店頭につやつやしい光澤をはなつてならべられてゐる果物、林檎、蜜柑、柿、葡萄、その一つを私はとる。私の手にふれた瞬間に、林檎でも柿でもすつと消ええる。常人は林檎が減つたことに氣づきはするが、眼前にゐる犯人を發見することはできない。かたはらにゐる者に嫌疑をかけて、口論となり、喧嘩となる。私はまた果物をもとにかへす。商人たちはあつけにとられるが、忍術つかひがさういふことをしたといふことには、毛頭氣づく筈もない。さうして、嫌疑をかけた相手が、こはくなつてかへしたものとし、品物はかへつたが、盜心をにくんで、さらに喧嘩はおさまらない。さいはひにして、そのときは私はそれをいたづらですますことができたが、つひにほんたうの泥棒となるときがきた。冬の雪のなかでも麥酒(ビイル)の好きな私にたいして、ずらりと麥酒の山がきづかれてあつてはたまつたものではない。町では手に入らず、たまにあつても莫大な値段で、新圓には緣のない私など、手の出しやうもない麥酒が、闇市場の倉庫にびつしりと積んであるのだ。もし私が蓮の葉をもつてゐなかつたら、そんなものの存在すら氣づかずにすんだであらう。しかしいまや風のごとくどこにでもはいつて行ける私は、ある夜、喧騷をきはめる闇市場の、裏手の、ほとんどたれも氣づかない石塔場のブリキ小屋が、麥酒の寶庫であることを知つた。足場のわるいまつ暗なその場所に、店のおやぢがときどきこつそり通つては麥酒をとりだしてきた。いやしい私は見ただけでもうぐうと咽喉が鳴り、腹の蟲が猛烈にさわぎだして、どうにも誘惑に勝つことができなくなつた。さうして私は白分の竊盜(せつたう)にたいして牽強附會(けんきようふかい)をおこなつて、みづからの行儀を正常化しようとこころみた。この麥酒はもとはどこから出たか。おそらく配給か業務用かの安い麥酒を横ながしして、眼の出る闇値で賣つてゐるものにちがひない。公定は六圓乃至八圓、それを、ここの値段はだいたい一本六十圓から百圓、さすればあたかもその巨利といふものは泥棒行爲にも比すべきものだ。自分が一本や二本とつたからとて、損害をかけることには全然ならず、むしろその惡德行爲をこらしめることになる。私はさうきめた。泥棒にも一理窟とはこのことであらう。私は鼠小僧次郎吉のやうに義賊となつたわけである。さうして、私はつひにその倉庫から麥酒を二本拔きだしてきた、飮んだ。麥酒の味はにがかつた。酩酊(めいてい)すると、頭からずり落ちさうになる蓮の葉をあわててささへて、逃げるごとくわが家へ歸つた。

[やぶちゃん注:「新圓」昭和二一(一九四六)年二月十六日夕刻、当時の幣原内閣は戦後のインフレーション対策のために金融緊急措置令を発し、新紙幣(新円)の発行と、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策を行った。以下、参照したウィキ新円切よれば(アラビア数字を漢数字に代えた)、『第二次世界大戦の敗戦に伴い、物資不足に伴う物価高及び戦時中の金融統制の歯止めが外れたことから現金確保の為の預金引き出し集中の発生、また一方で政府も軍発注物資の代金精算を強行して実施したことなどから、市中の金融流通量が膨れ上がり、激しいインフレが発生した対策が背景としてあ』り、『この時同時に事実上の現金保有を制限させるため、発表翌日の十七日より預金封鎖し、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方で、一九四六年三月三日付けで旧円の市場流通の差し止め、一世帯月の引き出し額を五百円以内に制限させる等の金融制限策を実施した。これらの措置には、インフレ抑制(通貨供給量の制限)とともに、財産税法制定・施行のための、資産差し押さえ・資産把握の狙いもあった。このとき従来の紙幣(旧円)の代わりに新しく発行されたのがA百円券をはじめとするA号券、いわゆる新円である』。『インフレの抑制にある程度成果はあったものの、抑えきることはできなかった。そのため市民が戦前に持っていた現金資産は国債等債券同様にほぼ無価値になった』が、『硬貨や小額紙幣は切替の対象外とされ、新円として扱われ効力を維持した。そのため小銭が貯め込まれた。また市民は旧円が使えるうちに使おうとしたため、旧円使用期限までの間は、当局の狙いとは逆に消費が増大した』。『占領軍軍人は所持する旧円を無制限で新円に交換することができた。十分な新円紙幣を日本政府が用意できな』かった『ため、占領軍軍人への新円支払いにはB円軍票が用いられた』。『また新円紙幣の印刷が間に合わないため、回収した旧円紙幣に証紙を貼り新円として流通させた。この際に証紙そのものが闇市で出回っていたという証言がある。証紙付き紙幣は後に新紙幣との引換えが行われた後に廃止され無効となった』とある(下線やぶちゃん)。因みに本作は昭和二二(一九四七)年九月文芸春秋新社刊の小説集「怒濤」に所収しているから、作品内時制は新円切替からそう時間の経っていない時期であることが判る。]

 私の破廉恥行儀ははてもなくひろがつた。私にあたへられた有利な絶對的位置は、私をさまぎまの欲望にかりたてた。私はつひに友人たちの家庭のなかへしのびこむやうになつた。私はさういふ私の行爲のなりゆきをいちいちここへならべようとは思はない。また語るにたへぬこともあれば、はなすをはばからねばならぬこともある。人間といふものが表と裏とでどんなにちがふものか、また思ひもかけずどんな祕密を持つてゐるものか、さういふことがすべて私の忍術のまへになまなましく、なんのかくしだてもなく露呈されてきた。役人の家にしのびこんで見ると、かれが役所でいつたりしてゐることと正反對の生活をしてゐることがたちどころにわかる。闇を撲滅しなくてはならぬとひとびとに説き、淸廉でとほつてゐる人の家の、押入や、床下、物置などに、闇物資が山積されてゐる。女ぎらひといはれ、女房孝行と評判の男が祕密の場所に女をかこつてゐる。かれらは私がかたはらにゐることなどはまつたくわからないので、どんなことでもいひ、どんなことでもする。人間がたつた一人で、どこからも自分を見てゐる者がないと確信したときに、どんなことをするかといふことが、まざまざと眼前に展開される。私はつひに賤しい色情のとりことなつて、つひに知人の閏房にまで立ちいたる。男女ふたりきりの肉體の饗宴を、部屋のかたすみでじつと見てゐる私といふものは、いつたいなんであらう。晝は髭をはやし、ステッキをふり顎をひねつて鹿爪らしい口のききかたをする紳士が、女とのまじはりでどのやうに獸にちかいおこなひをするか、また、しとやかな明眸(めいぼう)の女がどのやうにこの陶醉のなかでおぼれた姿態をしめすか、しきられた世界のなかで羞恥をわすれられた行爲のたけだけしさは、私の胸を壓し、私を息ぐるしくする。それはしかしきたないばかりではない。含羞(がんしう)のうつくしさをもつておこなはれる淸純のまじはりもあつて、私は人間の祕密がすべて唾棄すべきものばかりだとは毛頭思はないが、いづれにしろ、人の眼からは守られてゐなければならぬ生活の部分が、のこりもなくなまなまと私の眼にしめされるといふことは、さいしよの誘惑による興味と好奇とをしだいに超えて、私にはひとつの試煉となり、苦澁となつてきた。そして、五人もの母親で貞節の名のあるKの細君が、むかし學生時代に戀しあつたことのあるといふ男とよりをもどして、ときどき合つてゐることを知り、そのあひびきの濃艷な場面に立ちあつて、私はつひに忍術の恐怖にとらはれるにいたつた。私の下等な好奇心はいつか私には苦痛をあたへるものとかはつて、蓮の葉にたいする疑念が生じてきた。便利な面白いものとしてよろこんだこの河童のおくりものが、私には重荷になつてきたのだ。たしかに、私はこれによつてなにもかも知ることができる。知人たちのみならず、私の父の、母の、妻の、弟の、子の、祕密をも知らうと思へば知ることができるのだ。じつさい私はさういふ誘惑にしばしばおそはれたが、いまだ私の肉親にたいしてはこれをこころみなかつた。こころみる勇氣がどうしてもわいてこなかつたのだ。知ることがおそろしく、生活の破滅をさそふ戰慄を私にあたへた。人間の眞實をふかく探求することが文學者の使命だといはれる。さすれば私は蓮の葉によつてそのことを苦もなく實現することができる。私の忍術のまへにはなにびともその裸身のすがたをかくすことができない。さうして私のまへにはもはや祕密などといふものはさらになくなつたのだ。私は自分のきらひな人間にどんな復讐でもし、欲しさへすればなんの證據ものこさずに殺人することすら可能である。しかしながら、その倣岸(がうがん)の思惟(しゐ)がしだいに私を倦怠にみちびいてきたとき、私は卒然として、蓮の葉の効用について疑念がわいた。人間の祕密とはなんであらう。またその人間の祕密を飽くなく探求しようといふ文學の熱情とはなんであらう。人間がその智能のゆるされた垣のなかで、あがき苦しむそのやうな熱情の純粹さが、宗教的なものとなつて、人間にかがやきをあたへるのではないであらうか。そこに求道のよろこびもわくのではなからうか。人間のすがたを裏も表もむざんにのぞき知りつくすことが、眞に人間を知ることかどうか。それが幸福かどうか。また、いかにも私の忍術は人間の醜惡と汚濁(をだく)をいつさい看破することはできるが、なほその心情についてはうかがひ知ることのできぬものがある。立派な人物だと思ふ男がかげでは破廉恥な行動をする。あこがれてゐたうつくしい女人が、くらい場所では娼婦にちかいといふことを知る。その知りかたが蓮の葉によるといふことが、自分にとつてはたしてさいはひであるかどうか。私は盜まうと思へば唇すらもぬすむことができるが、そのやうな盜みかたが、自分を滿足させるかどうか。女人を愛し、女人からも愛されて、その愛情の象徴として唇がさしだされるのでなければ、唇の價値がどこにあらう。戀愛の生理は心情に裏づけられなければ、その接觸は動物となんらかはりのないものではないか。人間の祕密の價値はうかがひ知ることのできぬ幕の存在によつてはじめて高められ、うつくしいのではないか。かくて私は蓮の葉を抛棄(はうき)しようといふこころがしだいにきざしてきたのである。人間の祕密はそつとしておいてはじめてうつくしく、またむやみにほじくつてはならぬ祕密もある。その祕密を限界のある人間の凡庸な頭腦と、限定された行動とによつてさぐることのなかに、人間の生き甲斐があるのではないか。手がとどかぬと焦躁する祕密が苦もなく知り得るといふことになれば、その無味乾燥はいひやうもなく、またその倦怠もかぎりがない。私はさうして蓮の葉の効用をうたがひはじめるとともに、このために惡魔となつて墮落してゆく自分の姿に戰慄のこころがわいた。私が探求の姿勢をうしなつたとき、もはや人間の眞實から遠ざかつてゐたと知つて、私の貪婪(たんらん)で下等な趣味、知人の閨房にまで立ちいたる獸のこころにはげしい嫌惡の情がわいた。私は自身にはげしく鞭をあてはじめた。にもかかはらず、なほいやしい私はこのすばらしい隱身の具をただちに破りさる決斷がなかなかつかないのだ。さうして、また、今宵も、麥酒にありつかうといふきたない慾心をいだいて、闇市場へさまよひでたわけである。

[やぶちゃん注:「貪婪」飽くことを知らないこと、大変に欲深(よくぶか)であること、また、そのさま、貪欲の意の「貪婪」は「どんらん」の他にも「とんらん」そして、ここのように「たんらん」とも読む。「貪」の「ドン」は慣用音で、もともとの漢音は「タン」「トン」である。]

 ほとんど毎夜のごとく盜みだすのであるが、闇市の倉庫にはつぎつぎに麥酒が補給されてゐて、無駄足になることはなかつた。私はまたも麥酒をしたたかに飮んで、酩酊した。

 不夜城といはれるこの一角は喧騷にみち、さまざまのにほひが交錯して鼻がいたくなるほどである。ここで幅をきかしてゐる一人の姐御に、私はまへから氣づいてゐたが、「おでん、かん酒」の紺ののれんをかけた、ぐつぐつと關東煮の鍋が湯氣をたててゐる、ブリキ屋根の屋臺のなかに、今宵もかの女は大胡坐(おほあぐら)をかいて、燒酎をかたむけてゐた。年のころは三十前後、大柄で、顏のつくりもすべて大道具ぞろひ、とくに鼻孔が大きいのがめだつが、それでも妙に仇つぽくて、そのはちきれさうな肉體のつやつやしさは、あたりに情念のほむらを放出してゐるやうに見えた。實は私は或る夜この女の歸宅するのをつけて行つて、その家庭の情況を見知つてゐた。闇市を徘徊する屈強の男たちも、この女には一目置いてゐて、女親分といふところだが、じつは家にかへるとよい母親で、五つになる男の子をやさしくいたはり可愛がつてゐた。たれの子かわからないが、その女親分は自分の過失のつぐなひをするやうに、その子に自分の生活のいつさいをささげるといふやうな獻身的犧牲の樣子があらはれてゐた。べつに男が通つてくるでもなく、市場のあばずれは意外に家ではしとやかな母であつた。私が惡魔になりきつてゐたならば、むしあつい夜の、しどけない女の寢姿に不倫の行爲もなし得るのであつたが、私はさいはひに生來の氣弱から、そこへ墮ちることからはまぬがれ得た。あやふい一線である。私は顏があからむばかりだ。動悸もうつ。しかし、私はわづかに淸淨になつて、誘惑から遠ざかる。ところが、今宵は、意外なできごとによつて、私はこの女親分のまへに姿をさらすことになつてしまつた。

 夜明けにいたるまであかあかと灯がたゆたひ、色とにほひと音とが華麗に亂舞して、この不夜城の雜沓はつづくのであるが、その姐御はのこしてある子供が氣がかりになると見えて、たいてい十二時までで店をしまつてかへるのが習慣になつてゐた。その男の子はくりくりとした色白のかはいい子で、腰が海老(えび)のやうに曲つた婆さんが守りをしてゐた。實は私は家を出るときに、鐡製の機關車の玩具を持つてゐた。いつかその姐御の子供がしきりに欲しがつてゐたが、まだ町には木製玩具ばかりで、鐡玩具のすくないときだつた。私はちやうど自分の子供の飽いた機關車があつたので、それを女の子供にやるつもりで、腰にぶらさげてゐた。そこで、姐御が店をしまつて歸路につくと、あとからついて行つた。麥酒をすこし飮みすぎて、若干朦朧としてゐたので、いつものやうにこまかい注意がとどかなかつた。寺のあるくらい通りを、赤緒の下駄を鳴らして急ぎ足で歸るスーツ姿の姐御は、ときどき、怪訝さうにうしろをふりかへる。夜で人通りはまつたくなく、星あかりでかすかに明るかつたが、女がふりかへるのは、私の足音がきこえるからであつた。私はフェルトの草履をはいてゐたので、氣をつければ音はしないのだが、醉つてゐたために、足がみだれて、ときどき、ペたペたと鳴つた。たれも見あたらぬ深夜の町で、一間とははなれてゐない背後に足音がきこえては、いかに豪膽な女でも不氣味にちがひあるまい。巨大な姐御もしだいに不安と恐怖のいろが顏に濃くなつてきて、歩度はさらに早まつたが、たうとう走りだした。私もついて走つた。おくれて、鍵をかけられてしまつては、さすがの私も入ることができないからだ。それはかへつて女を恐れさせた。もはや私の足音はかくしやうがなく、ペたペたぺたぺたぺたと女の背後からくつついてゐたからだ。疎開あとの菜園の横を拔け、煉瓦塀に沿つて、やがて近くなつた女の家への路を、私たちは走つた。

 ところが、奇妙なことがおこつた。女のあとから走つてゐた私は、とつぜん頭をばさばさとかきむしられる氣配に、おもはず、あつと聲をたてた。うしろへひきたふされさうな感じがしたが、とつさのことで、なにかさつぱりわからなかつた。天からにはかになにか落ちてきたかと立らどまつてあふむいたが、空には星がきらめいてゐるばかりで、なんの變化も見られなかつた。すると、立ちどまつてゐた姐御が、ふりむいて、私の方を見、けたたましい、魂ぎるやうな叫び聲をたてると、毬がころげるやうにして一散に逃げだした。ロケットででも押されるやうな速さだつた。かの女はあきらかに私の姿を見たのだ。とつぜん天から降つてわいたやうに出現した私を、亡靈とでも思つたのであらう。なんとしたことか。私は知らぬ間に姿があらはれてゐたのだ。蓮の葉がはづれて落ちたかと地上を見たが、どこにも見あたらなかつた。蓮の葉はのせただけでは落ちやすいので、顎紐をつけて頭巾のやうにかぶることにしてゐた。その蓮の葉がいつかなくなつてゐるのだ。さつきのかきむしられるやうな衝擊はなんであらう。私は腑におちぬことばかりなので、あつけにとられてぽかんと立つてゐた。

 すると、足もとから私をよびかけるものがあつた。ぺちペちと皿をはじくやうな音なので、それが河童であることはすぐにわかつた。河童の姿は見えなかつたが、あきらかに輕侮の念をまじへた語調で、河童は、自分はあなたを見そこなつた。蓮の葉を進呈したのもあなたを信用してのことだつたが、これで姿を消して女のあとを追つかけるやうなことをしてもらふためではなかつた。けふは月の二十五日で、山に石地藏の釘を見にきて、まだ拔けてゐないので、珍しさまぎれに闇市場を見物にきた。そしたらあなたのいやしい行爲に出あつておどろいた。蓮の葉はとりかへすことにする。――さういふ意味のことをいつた河童は、いひ終ると、そのまま立ち去つた模樣であつた。

 私はだまつてゐた。なにもいふことはできない。羞恥で顏が赤らみ、頭がひとりでに垂れた。蓮の葉にたいして疑念がわき、その疑念はいくらか純粹で高貴なものとうぬぼれてゐたのに、なほ優柔不斷で、いさぎよく蓮の葉を抛棄(はうき)する勇氣がなかつた。その未練はやはり助平根性で、日和見的であつた。そしてつひに河童から輕蔑されるにいたつた。蓮の葉をいまは惜しいとはおもはないが、その失ひかたがみづからの心を基點とせず、強奪されることに原因してゐたことは、私の心を重くした。はげしい自己嫌惡のために、私はもはや人に口をきく資格もなくなつたと隱栖(いんせい)の思ひすらわいた。

 悄然と歩をはこんで、私は女の家のまへまで行つた。そして、腰に下げてゐた鐡製の機關車を入口の扉のかたはらにぶら下げると、秋ふかく冷氣のしみる深夜の町を、星あかりに照らされ、重い心をいだいて、家路についた。

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