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カテゴリー「萩原朔太郎」の569件の記事

2017/05/21

自畫像   萩原朔太郎

 

                 自畫像

わたしは兩手を坭だらけの兩手をふつて

わたしは海岸〔を〕の砂をはしつて居た

風の〔かみのくる〕ふく方角にむかつた

わたしは〔風のやうに〕とんで居た

風のやうにはしつて居た

沖では舟〔が〕〔帆が白→を→があ〕ふくらんで

わたしは

沖〔に〕ではそのとき舟はみよいつさい沖に帆をはらみ

かもめは地上に白く光りかがいてゐた

ああ、わたしは風のいとけないわたしの心は

 

[やぶちゃん注::底本は昭和五二(一九七七)年刊筑摩書房版全集第三巻の「未發表詩篇」(三一九頁)に拠った。〔 〕は抹消に先き立って抹消された箇所を示し、「→」は推敲順序を示す。「自畫像」という添題らしきものは底本の注に従って推定して私が再現した。「坭」は「泥」に同じい。当該詩篇は底本本文で以下のように全集編者によって校訂されたものが載る。お分かりの通り、九行目の「かがいていた」は編者によって脱字と判断されて「や」が補塡されてある

 

坭だらけの兩手をふつて

わたしは海岸をはしつて居た

風のやうにはしつて居た

そのとき舟はいつさいに帆をはらみ

かもめは地上にかがやいてゐた

いとけないわたしの心は

 

底本ではこの詩篇の八篇後に『一九一五、四』のクレジットをもつ詩篇を編者は配しており、この「未發表詩篇」は編者によって推定編年順で配列されているから、それよりも前、「月に吠える」時代(同詩集刊行(大正六(一九一七)年)前の創作期)の詩篇と推定出来る。]

2017/05/16

幸福について   萩原朔太郎

 人間の幸福なんてものは、實に果敢なく詰らないものだと、ニイチェが悲しげな調子で言つてる。なぜといつて人生の眞の幸福は、宇宙の大眞理を發見することでもないし、高遠な大理想を實現することでもない。日常生活の些々たること、たとへば朝起きて、枕元に暖かい紅茶が入れてあつたり、書齋がきれいた掃除してあつたり、机の上に一輪の花が挿してあつたり、晝飯の菜が旨かつたり、妻の御機嫌が好かつたりすることなのだ。そしてこの實にくだらないことの日課が、幸福そのものの實體なのだと。

 このニイチェの言葉には、彼の「人間的な、あまりに人間的」なものに對する嫌惡と絶望の嗟嘆がこめられて居る。だが結局言つて生の意義は、本能獸の感覺を充たすことにしか過ぎないのだらう。大トルストイが生涯を通して嘆いたことは、美男子に生れなかつたことの悔みであつた。しかも彼のイデアした美男子とは、藝術的意味の崇高美や深刻美を持つた美男子ではなく、普通の女たちに好かれるやうな、下等な性慾的な顏をした色男、卽ち世俗の所謂好男子であつたのだ。宿の娘をだました色魔貴族のネフリュードフは、彼が密かに憧憬したモデルであつた。彼は老年になつてからも、常に鏡を見て自己の容貌を嘆いて居たといふ。トルストイほどの文豪が、何といふ人間的な、詰らない幸福を熱情して居たのであらう。そしてしかも、大概の人の求めてゐる幸福とは、實際みなそんなものなのである。

 自分の知つてる、或る天分の豐かな小説家が、いつも人々に語つて言つた。自分のこの世に願ふところは、強健な逞ましい肉體と、三度の食事が旨く食へるところの胃袋である。それさへ神が與へるならば、自分の文學の才能なんか、豚にやつてしまつてもかまはないと。この小説家は胃が惡く、ふだんに強胃劑ばかりを飮んで居た。悲しい幸福があつたものだ。

 

 支那の詩人陶淵明は、官を捨てて郷里に歸り、小さな庭に菊を作つたり、妻子を連れて近郊に散步したり、子供の勉強を見てやつたり、時に隣人と酒を飮んだりして、平凡な詰らない日課の中に生を經つた。しかもその生活について、陶淵明は最上の幸福を感じて居た。佛蘭西の詩人ヹルレーヌは、酒代をかせぐために詩を書いて居た。彼にとつての幸福とは、名譽でもなく藝術でもなく、アルコールに醉つてることの一生だつた。安直な、意味のない、動物的な麻醉への追求が、悲しい詩人の幸福だつた。

 

 幸福とは何だらう。

 エビクロスによれば、幸福とは快樂をほしいままにすることである。だが彼のいふ快樂とは、一片のパンと少量の水で、心の滿足する喜悦を意味した。エビクロスの樂園とは、つまり言つて貧者の天國に過ぎないのである。反對にまた支那の楊子は、富者の幸福説を教へた。楊子によれば、人間の中の眞の人間、即ち所謂聖人賢者とは、紂王やネロのやうな暴君を言ふのである。なぜなら彼等は、自己の欲情のおもむくままに、道德や法律を蹂躙して、あらゆる本能の快樂をほしいままにし、しかもその美しい幕の閉ぢない中に、潔よく破滅して死んでしまつた。これこそ英雄の生涯だと言ふ。だがこれを實現するには、異常な健康とエネルギイと、それから莫大の富と權力とを持たねばならぬ。楊子の教へた幸福説は、富者や帝王のためにしか聽聞されない。

 犬儒学者のヂオゲネスは、意志の克己による欲望の否定を教へた。それはバラモン僧の苦行と同じく.自己虐使による愉悦表象の麻醉であり、心理上の象徴主義に屬して居た。中世の基督教徒は、すぺての幸福を來世にかけ、現世の快樂を憎悪した。所謂「精神上の幸福」とは、何かの或る信仰や理念に對する、宗教的なエクスタシイを意味するのである。さうでもなければ、人は感覺のない精神からのみ、眞の滿足する幸福を感じはしない。そこでカントは、人生の意義が幸福になく、義務の遂行にあると教へた。だが我々は、一體どんな義務を他に負つてるのだ。「汝の生活を規範的にし、萬人の公則律となるやうに行爲せよ。」始め! 一(アインス)、二(ツアイ)。一(アインス)、 二(ツアイ)。そこで幸福とは、獨逸的兵式體操の教官になることである。

 ショーペンハウエルによれば、快樂とは苦痛の消滅した狀態を言ふのである。この説の前提には、生れざりせばといふニヒルの厭世觀が命題して居る。そこで彼の結論は、カルモチンをのんで催眠自殺をする人が、世の中で一番賢いといふことになる。南無阿彌陀佛。南無阿彌陀佛。

 

 米國の心理學者ゼームスは、幸福の正體を分數の數理で説明してゐる。欲望の量が分母であつて、生活上の實數が分子である。そこで分母の欲望が多いほど、分子の價値が小さくなり、生活への不滿感が強くなる。反對に欲望が少ないほど、分數の値が大きくなつて、人生が幸福になるのである」德川幕府の爲政家等は、この心理學を應用して、政府の安定の爲に人民の不平を押へた。卽ち嚴重な階級制度や、質素儉約主義や、分を知ることの教育やで、最低限度の欲望しか、人民の意識にあたへないやうに注意した。老年になつてから、概して人が幸福になり、平和と安逸を見出すのもこの爲である。老年は欲望を稀薄にする。收穫するところは少ないけれども、費消するところも少なくなり、差引して安樂を餘劑する。佛教の説く寂滅爲樂は、かうした人生觀の究極哲學である。

 

 メエーテルリンクは、幸福を「靑い鳥」にたとへた。靑い鳥の姿は、月光の森に見る幻影である。一度實體を捕へてみれば、普通のつまらない鳥でしかない。所詮人間の一生は、幻影の鳥を探す旅行に過ぎないと、あの宿命論者の詩人は教へる。だがしかし、ああ幸福とは何だらう? 人が一生の旅行を終り、ライフの決算をしようとして、靜かに過去を考へる時、所詮は記憶の追懷しかない。人生の最後の價値は、その記憶の量の貧富によつて計算される。過去に於て、一も欲情の充たされなかつた人生。一の花々しい思ひ出もなく、冒險もなく、戀愛もなく、ロマンスもなく、骨の白々とした椅子のやうな人生。ただそれだけが老年の追憶に殘るとすれば、ああ人生の總決算は、寂しい悔恨の外の何物でもない。然らば再度、幸福とは何だらうか? 汝の生きてる間に、とりわけその靑春時代に、すべての花やかな記憶を作れ。そして善くも惡しくも、人が生きてる間に經驗し得る、一切の人生を經驗せよ。度々不幸な結婚や失戀をして、孤獨に取り殘された女の悲哀は、一度の結婚も戀もしないで、無爲に過ぎてしまつた老孃の悔恨にまさつて居る。善くも惡しくも、多くの人生を經驗して、金を費ひ果してしまつた人の零落は、それを所有したままの財布を抱へて、空しく病死する人にまさつて居る。すべての快樂は瞬間である。だがその記憶は長く殘り、心の陰影に縹渺して、後日の樂しい追憶になる。不幸な苦痛の經驗でさへも、人生を知つたことの價値に入れられ、生涯の總決算を豐富にする。善くも惡しくも、自分は人生を經驗し、ライフの何物たるかを味ひ知つた。と老年になつて自覺する時、人は死に對して未練が無くなる。いちばん惡く不幸なことは、過去に何事の追憶もなく、人生を白紙のままで、無爲に浪費してしまつたといふことの悔恨である。この悔恨は死に切れない。しかしながらまた幸福とは? ああその恐ろしい虛妄の幻影。悔恨する意識自體を、早く喪失してしまふことにあるのかも知れない。

 

 

[やぶちゃん注:昭和一〇(一九三五)年三月号『若草』初出。昭和一一(一九三六)年五月発行の「廊下と室房」の本文冒頭に収録された。昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を底本とした。

 第二段落「ネフリュードフ」はレフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(Лев Николаевич Толстой:ラテン文字転写:Lev Nikolayevich Tolstoy 一八二八年~一九一〇年)の名作「復活」(Воскресение 一八八九年~一八九九年)の主人公。

 第六段落に出る「楊子」(ようし)は楊朱(紀元前三七〇頃?~前三一九頃?)。春秋戦国時代の思想家で個人主義的な思想である為我(いが)説(自愛説)を主張した。人間の欲望を肯定して自己満足こそが自然に従うものであるとした。儒家・墨家に対抗し、異端として孟子などから排撃された。著書は伝わっておらず、「列子」の楊朱篇や「荘子」などに断片的に記載される。哲学史に於いては、朔太郎も並べて述べている通り、西洋の同時代人である快楽主義を提唱したる古代ギリシア・ヘレニズム期の哲学者エピクロス(紀元前三四一年~紀元前二七〇年)と比較される(ここはウィキの「楊朱等に拠った)。

 第七段落の「犬儒学者のヂオゲネス」は古代ギリシアの哲学者でキュニコス学派(犬儒学派・皮肉派などとも称される)ディオゲネス(紀元前四一二年?~紀元前三二三年)。ソクラテスの孫弟子に当たる。社会規範を蔑視し、自然に与えられたものだけで満足して生きる「犬のような」(ギリシア語で「キュニコス」)人生を理想とし、「徳」こそが人生の目的であり、「欲望」から解放されて「自足」すること、動じない心を持つことを説き、肉体的・精神的鍛錬を重んじた。

 第八段落の「カルモチン」は催眠鎮静剤であるブロムワレリル尿素(bromvalerylurea)の武田薬品工業商品名(既に販売中止)。旧来の薬物自殺や心中事件にしばしば挙がってくる名であるが、致死性は低い。

 第九段落の「米國のゼームス」はアメリカの哲学者・心理学者で、徹底したプラグマティストとして知られるウィリアム・ジェームズ(William James 一八四二年~一九一〇年)。「意識の流れ」理論(stream of consciousness:意識とは絶えず変化しつつあり、それがまた、一箇の人格的意識を形成し、その中にあっては意識や思惟は連続体としてのみ感取され、この変化しつつ連続している「状態」こそが「意識」と呼ぶものであるとする)を提唱し、欧米や日本の近代文学にも非常に強い影響を与えた。因みに、実弟は兄のその理論を適用した、かの絶品の幻想心理小説The Turn of the Screw(「螺子(ねじ)の回転」 一八九八年)の作者ヘンリー・ジェームズ(Henry James 一八四三年~一九一六年)である。]

2017/05/15

靑猫を書いた頃   萩原朔太郎

 

[やぶちゃん注:以下は昭和一一(一九三六)年六月号『新潮』初出し、昭和一一(一九三六)年五月発行の「廊下と室房」に収録された随筆である。

 昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を底本とした。二箇所を異同に従って初出形に戻した。

 また、引用される詩篇は既にブログで初出形等を電子化してあるので(何篇かはずっと昔に、何篇かは今回のこの電子化のため直前に)、本文の当該詩篇題の箇所にリンクを張って参考に供した(正直言うと、実は萩原朔太郎のここでの引用は杜撰で正確でない部分があるので(例えば初っ端の「憂鬱の川邉」の引用冒頭は頭の「げに」が脱落しているし、最後の「怠惰の曆」の引用冒頭は「むかしの戀よ 愛する猫よ」であるべきところが「むかしの人よ 愛する猫よ」となってしまっている)、必ずリンク先の正しいそれを参照されたい)

 「ソファ」は底本では古式通りの「ソフア」であるが(ルビは現代仮名遣でも原則、拗音表記しないという底本出版当時の印刷業界の常識である)、本文に徴して拗音化して読みを附した

 なお、表題通り、「靑猫を書いた頃」であって、実は初版「靑猫」に所収しない詩篇も引用されているので注意されたい。引用された詩篇の後に附された丸括弧内の題名は、ブログのブラウザ上の不具合を考えて一部の字配は底本に従っていない。太字は底本では傍点「ヽ」である。

 第六段落に出る「スペードの9」というのは、占いに興味のない私は知らなかったが、ネット上の情報によれば、トランプ占いに於いて全部のカードの中で最も悪いカードを意味するそうで、「病気・損失・紛失・喪失・危険・災難・幸運を不運に変える・家族との終わりのない意見の相違」等の最悪の予兆だそうである。

 詩篇「猫の死骸」を語る際に言っている「リヂア」とは、恐らくはポーランドの作家ヘンリク・アダム・アレクサンデル・ピウス・シェンキェーヴィチ(ラテン文字転写:Henryk Adam Aleksander Pius Sienkiewicz 一八四六年~一九一六年)が一八九五年に発表した、ローマ皇帝ネロの統治時代の、若いキリスト教徒の娘リギアとローマの軍人マルクス・ウィニキウスの間の恋愛を中心として、糜爛したローマ帝国を描いたQuo Vadis: Powieść z czasów Nerona(クォ・ヴァディス(「あなたは何処へ行くのか?」): ネロの時代の物語」:“Quo Vadis”はラテン語。「ヨハネによる福音書」第十三章第三十六節でペトロが最後の晩餐でイエスに投げかけた問い、“Quo vadis, Domine”(「主よ、どこに行かれるのですか?」」に由来し、この語は後のキリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴するものとしてしばしば使われる)のヒロイン、リギア(英語表記: Lycia)のことであろう。]

 

 靑猫を書いた頃

 

 靑猫の初版が出たのは、今から十三年前、卽ち一九二三年であるが、中の詩は、その以前から、數年間に書き貯めたものであるから、つまり一九一七年ら一九二三年へかけて書いたもので、今から約十七年も昔の作になるわけである。十年一昔といふが、十七年も昔のことは、蒼茫して夢の如く、概ね記憶の彼岸に薄らいで居る。

 しかし靑猫を書いた頃は、私の生活のいちばん陰鬱な梅雨時だつた。その頃私は、全く「生きる」といふことの欲情を無くしてしまつた。と言つて自殺を決行するほどの、烈しい意志的なパッションもなかつた。つまり無爲とアンニュイの生活であり、長椅子(ソファ)の上に身を投げ出して、梅雨の降り續く外の景色を、窓の硝子越しに眺めながら、どうにも仕方のない苦惱と倦怠とを、心にひとり忍び泣いてるやうな狀態だつた。

 その頃私は、高等學校を中途で止め、田舍の父の家にごろごろして居た。三十五、六才にもなる男が、何もしないで父の家に寄食して居るといふことは、考へるだけでも淺ましく憂鬱なことである。食事の度毎に、每日暗い顏をして兩親と見合つて居た。折角たのみにして居た一息子が學校も卒業できずに、廢人同樣の無能力者となつて、爲すこともなく家に歸つて居る姿を見るのは、父にとつて耐へられない苦痛であつた。父は私を見る每に、世にも果敢なく情ない顏をして居た。私は私で、その父の顏を見るのが苦しく、自責の悲しみに耐へられなかつた。

 かうした生活の中で、私は人生の意義を考へ詰めて居た。人は何のために生きるのか。幸福とは何ぞ。眞理とは何ぞ。道德とは何ぞ。死とは何ぞ。生とは何ぞや? それから當然の歸趨として、すべての孤獨者が惑溺する阿片の瞑想――哲學が私を捉へてしまつた。ニイチェ、カント、ベルグソン、ゼームス、プラトン、ショウペンハウエルと。私は片つぱしから哲學書を亂讀した。或る時はニイチェを讀み、意氣軒昂たる跳躍を夢みたが、すぐ後からショウペンハウエルが來て、一切の意志と希望とを否定してしまつた。私は無限の懷疑の中を彷徨して居た。どこにも賴るものがなく、目的するものがなく、生きるといふことそれ自身が無意味であつた。

 すべての生活苦惱の中で、しかし就中、性慾がいちばん私を苦しめた。既に結婚年齡に達して居た私にとつて、それは避けがたい生理的の問題だつた。私は女が欲しかつた。私は羞恥心を忍びながら、時々その謎を母にかけた。しかし何の學歷もなく、何の職業さへもなく、父の家に無爲徒食してゐるやうな半廢人の男の所へ、容易に妻に來るやうな女は無かつた。その上私自身がまた、女性に對して多くの夢とイリュージョンを持ちすぎて居た。結婚は容易に出來ない事情にあつた。私は東京へ行く每に、町を行き交ふ美しい女たちを眺めながら、心の中で沁々と悲しみ嘆いた。世にはこれほど無數の美しい女が居るのに、その中の一人さへが、私の自由にならないとはどういふわけかと。

 だがしかし、遂に結婚する時が來た。私の遠緣の伯父が、彼自身の全然知らない未知の女を、私の兩親に説いてすすめた。半ば自暴自棄になつて居た私は、一切を運に任せて、選定を親たちの意志にまかせた。そしてスペードの9が骨牌に出た。私の結婚は失敗だつた。

 陰鬱な天氣が日々に續いた。私はいよいよ孤寂になり、懷疑的になり、虛無的な暗い人間になつて行つた。そしていよいよ深く、密室の中にかくれて瞑想して居た。私はもはや、どんな哲學書も讀まなくなつた。理智の考へた抽象物の思想なんか、何の意味もないことを知つたからだ。しかしショウペンハウエルだけが、時々影のやうに現はれて來て、自分の悲しみを慰めてくれた。概念の思想のものではなく、彼の詩人的な精神が、春の夜に聽く橫笛の音のやうに、惱しいリリカルの息思ひに充ちて、煩惱卽口提の生の解脱と、寂滅爲樂のニヒルな心境を撫でてくれた。あの孤獨の哲學者が、密室の中に獨りで坐つて、人間的な欲情に惱みながらも、終生女を罵り世を呪ひ、獨身生活に終つたといふことに、何よりも深い眞の哲學的意味があるのであつた。「宇宙は意志の現れであり、意志の本體は惱みである。」とショウペンハウエルが書いた後に、私は付け加へて「詩とは意志の解脱であり、その涅槃への思慕を歌ふ郷愁である。」と書いた。なぜならその頃、私は靑猫の詩を書いて居たからである。

 

  げにそこにはなにごとの希望もない

  生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ

  梅雨(つゆ)だ

  じめじめとした雨の點滴のやうなものだ

  しかしああ、また雨! 雨! 雨!

          (憂鬱の川邊

 

と歌つた私は、なめくぢの這ひ𢌞る陰鬱な墓地をさまよひながら、夢の中で死んだ戀人の幽靈と密會して、

 

  どうして貴女(あなた)はここに來たの?

  やさしい、靑ざめた、草のやうにふしぎな影よ。

  貴女は貝でもない、雉でもない、猫でもない。

  さうしてさびしげなる亡靈よ!

  ……………………(中略)

  さうしてただ何といふ悲しさだらう。

  かうして私の生命(いのち)や肉體はくさつてゆき

  「虛無」のおぼろげなる景色の中で

  艷めかしくも、ねばねばとしなだれて居るのですよ。

          (艷めかしい墓場

 

と、肉體の自然的に解消して行く死の世界と、意志の寂滅する涅槃への郷愁を切なく歌つた。

 

  蝙蝠のむらがつてゐる野原の中で

  わたしはくづれてゆく肉體の柱をながめた。

  それは宵闇にさびしくふるへて

  影にそよぐ死びと草のやうになまぐさく

  ぞろぞろと蛆蟲の這ふ腐肉のやうに醜くかつた。

  ……………………(中略)

  それは風でもない、雨でもない

  そのすべては愛欲のなやみにまつはる暗い恐れだ。

  さうして蛇つかひの吹く鈍い音色に

  わたしのくづれて行く影がさびしく泣いた。

          (くづれる肉體

 

 と、ショウペンハウニル的涅槃の侘しくやるせない無常感を、印度の蛇使ひが吹く笛にたとへて、郷愁のリリックで低く歌つた。自殺の決意を持ち得ないほど、意志の消耗に疲れ切つて居た當時の私は、物倦く長椅子(ソファ)の上に寢たままで、肉體の自然的に解消して物理學上の原素に還元し、一切の「無」に化してしまふことを願つて居た。

 

  どこに私らの幸福があるのだらう

  泥土(でいど)の砂を掘れば掘るほど

  悲しみはいよいよ深く湧いてくるのではないか。

  ……………………(中略)

  ああもう希望もない、名譽もない、未來もない。

  さうして取りかへしのつかない悔恨ばかりが

  野鼠のやうに走つて行つた。

          (野鼠

 

 それほど私の悔恨は痛ましかつた。そして一切の不幸は、誤つた結婚生活に原因して居た。理解もなく、愛もなく、感受性のデリカシイもなく、單に肉慾だけで結ばれてる男女が、古い家族制度の家の中で同棲して居た。そして尚、その上にも子供が生れた。私は長椅子(ソファ)の上に身を投げ出して、昔の戀人のことばかり夢に見て居た。その昔の死んだ女は、いつも紅色の衣裝をきて、春夜の墓場をなまぐさく歩いて居た。私の肉體が解體して無に歸する時、私の意志が彼女に逢つて、燐火の燃える墓場の陰で、悲しく泣きながら抱くのであつた。

 

  ああ浦、さびしい女!

  「あなた いつも遲いのねえ。」

  ぼくらは過去もない、未來もない

  さうして現實のものから消えてしまつた……

  浦!

  このへんてこに見える景色の中へ

  泥猫の死骸を埋めておやりよ。

          (猫の死骸

 

 浦は私のリヂアであつた。そして私の家庭生活全體が、完全に「アッシャア家の沒落」だつた。それは過去もなく、未來もなく、そして「現實のもの」から消えてしまつた所の、不吉な呪はれた虛無の實在――アッシャア家的實在――だつた。その不吉な汚ないものは、泥猫の死骸によつて象徴されてた。浦! お前の手でそれに觸るのは止めてくれ。私はいつも本能的に恐ろしく、夢の中に泣きながら戰いて居た。

 それはたしかに、非倫理的な、不自然な、暗くアブノーマルな生活だつた。事實上に於て、私は死靈と一緒に生活して居たやうなものであつた。さうでもなければ、現實から逃避する道がなく、悔恨と悲しみとに耐へなかつたからである。私はアブノーマルの仕方で妻を愛した。戀人のことを考へながら、妻の生理的要求に應じたのである。妻は本能的にそれを氣付いた。そして次第に私を離れ、他の若い男の方に近づいて行つた。

 すべては不吉の宿命だつた。私は過去を囘想して、ポオの「大鴉」の歌のやうに、ねえばあもうあ! ねえばあもうあ! と、氣味惡しく叫び續けるばかりであつた。しかしそんな虛無的の悲哀の中でも、私は尚「美」への切ない憧憬を忘れなかつた。意志もなく希望もなく、疲れ切つた寢床の中で、私は枕時計の鳴るオルゴールの歌を聽きながら、心の郷愁する侘しい地方を巡歷した。

 

  馬や駱駝のあちこちする

  光線のわびしい沿海地方にまぎれて來た

  交易をする市場はないし

  どこで毛布(けつと)を賣りつけることもできはしない。

  店鋪もなく

  さびしい天幕が砂地の上にならんでゐる。

          (沿海地方

 

 そんな沿海地方も步いたし、蛙どもの群つてゐる、さびしい沼澤地方も巡歷したし、散步者のうろうろと步いてる、十八世紀頃の侘しい裏街の通りも步いた。

 

  太陽は無限に遠く

  光線のさしてくるところに、ぼうぼうといふほら貝が鳴る。

  お孃さん!

  かうして寂しくぺんぎん鳥のやうに竝んでゐると

  愛も肝臟も、つららになつてしまふやうだ。

  ……………………(中略)

  どうすれば好いのだらう、お孃さん!

  ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で、貝肉のやうにふるへてゐる。

  そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし

  こんなにも切ない心がわからないの? お孃さん!

          (ある風景の内から

 

 氷島の上に坐つて、永遠のオーロラを見て居るやうな、こんな北極地方の侘びしい景色も、夢の中で幻燈に見た。

 私のイメーヂに浮ぶすべての世界は、いつでも私の悲しみを表象して居た。そこの空には、鈍くどんよりとした太陽が照り、沖には沈沒した帆船が、蜃氣樓のやうに浮んで居た。そして永劫の宇宙の中で、いつも靜止して居る「時」があつた。それは常に「死」の世界を意味して居たのだ。死の表象としてのヴィジョンの外、私は浮べることができなかつたのだ。

 

  むかしの人よ、愛する猫よ

  私はひとつの歌を知つてる

  さうして遠い海草の焚けてる空から、爛れるやうな接吻(きす)を投げよう。

  ああこのかなしい情熱の外、どんな言葉も知りはしない。

          (怠惰の

 

 詩集「靑猫」のリリシズムは、要するにただこれだけの歌に盡きてる。私は昔の人と愛する猫とに、爛れるやうな接吻(きす)をする外、すべての希望と生活とを無くして居たのだ。さうした虛無の柳の陰で、追懷の女としなだれ、艷めかしくもねばねばとした邪性の淫に耽つて居た。靑猫一卷の詩は邪淫詩であり、その生活の全體は非倫理的の罪惡史であつた。私がもし神であつたら、私の過去のライフの中から、この生活の全體を抹殺してしまひたいのだ。それは不吉な生活であり、陰慘な生活であり、恥づべき冒瀆的な生活だつた。しかしながらまたそれだけ、靑猫の詩は私にとつて悲しいのだ。今の私にとつて、靑猫の詩は既に「色の褪せた花」のやうな思ひがする。しかもその色の褪せた花を見ながら、私はいろいろなことを考へてるのだ。

 見よ! 人生は過失なり――と、私は近刊詩集「氷島」中の或る詩で歌つた。まことに過去は繰返し、過失は永遠に囘歸する。ボードレエルと同じく、私は悔恨以外のいかなる人生をも承諾しない。それ故にまた私は色の褪せた靑猫の詩を抱いて、今もまた昔のやうに、人生の久遠の悲しみを考へてるのだ。

 

[やぶちゃん注:最後の「見よ! 人生は過失なり――と、私は近刊詩集「氷島」中の或る詩で歌つた」は昭和九(一九三四)年六月第一書房刊の詩集「氷島」の「新年」である。「新年」は同年三月発行の『詩・現實』を初出とするが、一部に有意な異同があるので、まず、初出を示し、而して「氷島」版を掲げて終りとする。定本はやはり筑摩書房版「萩原朔太郎全集 第二卷」に拠ったが、後者は歴史的仮名遣等が補正された本文ではなく、異同に従って詩集「氷島」のママを再現した。「凜然」は「寒さが厳しく身に沁み入るさま」を言う。底本校訂本文は「凛然」と〈訂する〉が「凜然」とも表記するから、従わない

   *

 

 新年

 

新年來り

門松は白く光れり。

道路みな霜に凍りて

冬の凜烈たる寒氣の中

地球はその週曆を新たにするか。

われは尚悔ひて恨みず

百度(たび)もまた昨日の彈劾を新たにせむ。

いかなれば非有の時空に

新しき辨證の囘歸を待たんや。

わが感情は飢えて叫び

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

いかんぞ曆數の周期を知らむ

見よ 人生は過失なり

けふの思惟するものを彈劾して

百度(たび)もなほ昨日の悔恨を新たにせむ。

 

   *   *

 

 新年

 

新年來り

門松は白く光れり。

道路みな霜に凍りて

冬の凜烈たる寒氣の中

地球はその週暦を新たにするか。

われは尚悔ひて恨みず

百度(たび)もまた昨日の彈劾を新たにせむ。

いかなれば虛無の時空に

新しき辨證の非有を知らんや。

わが感情は飢えて叫び

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

いかんぞ暦數の囘歸を知らむ

見よ! 人生は過失なり。

今日の思惟するものを斷絶して

百度(たび)もなほ昨日の悔恨を新たにせん。

 

   *]

萩原朔太郎 ある風景の内壁から (「ある風景の内殼から」初期形)

 

 ある風景の内壁から

 

どこにこの情慾は口(くち)をひらいたら好いだらう

大海龜(うみがめ)は山のやうに眠るてゐるし

古世代の海に近く

厚さ千貫目ほどもある鷓鴣(しやこ)の貝殼が眺望してゐる。

なんといふ鈍暗な日ざしだらう

しぶきにけむれる岬岬の島かげから

ふしぎな病院船のかたちが現はれ

それが沈沒した錠の纜(ともづな)をずるずると曳いてゐるではないか。

ねえ! お孃さん

いつまで僕等は此處に座り 此處の悲しい岩に並んでゐるのでせう

太陽は無限に遠く

光線のさしてくるところにぼうぼうといふほら貝が鳴る。

お孃さん!

かうして寂しくぺんぎん鳥のやうにならんでゐると

愛も 肝臓も つららになつてしまふやうだ

やさしいお孃さん!

もう僕には希望(のぞみ)もなく 平和な生活(らいふ)の慰めもないのだよ

あらゆることが僕をきがひじみた憂鬱にかりたてる

へんに季節は轉々して

もう夏も季桃(すもも)もめちやくちやな妄想の網にこんがらかつた。

どうすれば好いのだらう お孃さん!

ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で 大きな貝肉のやうにふるえてゐる。

そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし

これほどにもせつない心がわからないの? お孃さん!

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九三七)年二月号『日本詩人』初出。歴史的仮名遣の誤りと「世」「鷓鴣」「錠」「季桃」はママ。太字「つらら」は底本では傍点「ヽ」。

「千貫目」三トン七五〇キログラム。

 昭和三(一九二八)年三月第一書房刊の「萩原朔太郎詩集」に収録された際、「あるう風景の内殼から」と改題した上、本文にも手が加えられているが(大きな変更の一つは「もう夏も季桃もめちやくちやな妄想の網にこんがらかつた。」の「夏」が「春」となっている点である)、この詩篇、改稿されたものやその後の再録詩集でも、残念ながら、首をかしげざるを得ない表記箇所が多過ぎる。初出の一読で判る通り、

「古世代」は「古生代」、「季桃」は「李桃」

でないとおかしいし、

「鷓鴣」は鳥(狭義には鳥綱キジ目キジ科シャコ属コモンシャコ Francolinus pintadeanus:中国南部・東南アジア・インドに生息し、家禽として飼育され、鶏肉よりも高価に取引される。本邦には棲息しない。広義にはシャコ属 Francolinus を指し、約四十種がアフリカ・アジア・ヨーロッパに分布する)

であるから、ここは明らかに、

「硨磲」貝、則ち、斧足綱異歯亜綱ザルガイ上科ザルガイ科シャコガイ亜科 Tridacnidae のかのシャコガイ類の大型個体

をイメージしているわけから、この誤字のままでは読者は躓いてしまう

「錠」も、まず「碇」(いかり)の誤りに他ならない

と読める

 されば、本詩篇に関しては、底本とした筑摩書房「萩原朔太郎全集 第二卷」の本文を以下に提示しておくこととしたい(既に述べた通り、この全集の校訂は独善的で不遜な部分が多分にあって不満ではあるが)。実は他にも訳の分からぬいらぬことを底本編者はしている(一行目の「口」のルビの除去など)のであるが、ここは我慢してそのまま底本正規本文を示すこととする。

   *

 

 ある風景の内殼から

 

どこにこの情慾は口をひらいたら好いだらう

大海龜(うみがめ)は山のやうに眠るてゐるし

古生代の海に近く

厚さ千貫目ほどもある硨磲(しやこ)の貝殼が眺望してゐる。

なんといふ鈍暗な日ざしだらう

しぶきにけむれる岬岬の島かげから

ふしぎな病院船のかたちが現はれ

それが沈沒した碇の纜(ともづな)をずるずると曳いてゐるではないか。

ねえ! お孃さん

いつまで僕等は此處に坐り 此處の悲しい岩に竝んでゐるのでせう

太陽は無限に遠く

光線のさしてくるところにぼうぼうといふほら貝が鳴る。

お孃さん!

かうして寂しくぺんぎん鳥のやうにならんでゐると

愛も 肝臓も つららになつてしまふやうだ。

やさしいお孃さん!

もう僕には希望(のぞみ)もなく 平和な生活(らいふ)の慰めもないのだよ

あらゆることが僕をきちがひじみた憂鬱にかりたてる

へんに季節は轉轉して

もう春も李(すもも)もめちやくちやな妄想の網にこんがらかつた。

どうすれば好いのだらう お孃さん!

ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で 大きな貝肉のやうにふるへてゐる。

そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし

これほどにもせつない心がわからないの? お孃さん!

 

   *]

 

萩原朔太郎 野鼠  (初出形)

 

 野鼠

 

どこに私らの幸福があるのだらう

坭土(でいど)の砂を掘れば掘るほど

悲しみはいよいよふかく湧(わ)いてくるではないか。

春は幔幕のかげにゆらゆらとして

遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。

どこに私らの戀人があるのだらう

ぼうぼうとした野原に立つて口笛を吹いてみても

もう永遠に空想の娘らは來はしない。

なみだによごれためるとんのづぼんをはいて

私は日雇人(ひやうとり)のやうに步いてゐる

ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。

さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが野鼠のやうに走つて行つた

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年五月刊『日本詩集』初出。歴史的仮名遣の誤りと「坭土」はママ。「めるとん」の傍線は無論、右傍線。詩集「靑猫」(大正十二年一月新潮社刊)所収の際には、以下のように手が加えられており、大きな改変は最終行を二行に分かった点である。ここは「靑猫」が無論、いい。

   *

 

 野鼠

 

どこに私らの幸福があるのだらう

坭土(でいど)の砂を掘れば掘るほど

悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。

春は幔幕のかげにゆらゆらとして

遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。

どこに私らの戀人があるのだらう

ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても

もう永遠に空想の娘らは來やしない。

なみだによごれためるとんのづぼんをはいて

私は日雇人のやうに歩いてゐる

ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。

さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが

野鼠のやうに走つて行つた。

 

   *

底本とした筑摩版全集は「坭土」を「泥土」に、「日雇人」を「日傭人」に〈訂し〉、後者のルビを「ひやうとり」に「ひようとり」に訂している。読みは当て読みであり、歴史的仮名遣から改変は正しいが、前の「坭土」と「日雇人」の改変は訂正とは言えない。「坭」は漢字として存在し、「泥」と同義であり、「日雇人」はそれで意味が過たず、読者に通ずるからである。以前から筑摩版のこの全集の勝手な〈訂正〉には不満があるが、ここでも不愉快極まりない。こんな消毒したものが萩原朔太郎の詩として読み継がれるとすれば、これは何か、奇体な字を前に逡巡しつつも、そこに雰囲気を摑める気持ちで読み進めるよりも、遙かに逆に虫唾が走る。]

 

萩原朔太郎 くづれる肉體  (初出形)

 

 くづれる肉體

 

蝙蝠のむらがつてゐる野原の中で

わたしはくづれてゆく肉體(にくたい)の柱をながめた

それは宵闇にさびしくふるえて

影にそよぐ死(しに)びと草のやうになまぐさく

ぞろぞろと蟲の這ふ腐肉のやうに醜くかつた

ああこの影をひく景色の中で

わたしの靈魂はむづがゆい恐怖をつかむ

それは港からきた船のやうに 遠く亡靈のゐる島々を渡つてきた

それは風でもない 雨でもない

そのすべては愛欲のなやみにまつはる暗い恐れだ

さうして蛇つかひの吹く鈍い音色に

わたしのくづれてゆく影がさびしく泣いた

 

[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年六月号『詩聖』初出。歴史的仮名遣の誤り及び「」はママ。詩集「靑猫」(大正十二年一月新潮社刊)所収の際には、以下のように手が加えられている。

   *

 

 くづれる肉體

 

蝙蝠のむらがつてゐる野原の中で

わたしはくづれてゆく肉體の柱(はしら)をながめた

それは宵闇にさびしくふるへて

影にそよぐ死(しに)びと草(ぐさ)のやうになまぐさく

ぞろぞろと蛆蟲の這ふ腐肉のやうに醜くかつた。

ああこの影を曳く景色のなかで

わたしの靈魂はむずがゆい恐怖をつかむ

それは港からきた船のやうに 遠く亡靈のゐる島島を渡つてきた

それは風でもない 雨でもない

そのすべては愛欲のなやみにまつはる暗い恐れだ

さうして蛇つかひの吹く鈍い音色に

わたしのくづれてゆく影がさびしく泣いた。

 

   *]

 

萩原朔太郎 艶めかしい墓場 (初出形)

 

 艶めかしい墓場

 

風は柳をふいてゐます

どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。

なめくじは垣根を這ひあがり

見はらしの方から生(なま)あつたかい潮みづがにほつてくる。

どうして貴女(あなた)はここに來たの

やさしい 靑ざめた 草のやうにふしぎな影よ

貴女(あなた)は貝でもない 雉でもない 猫でもない

さうしてさびしげなる亡靈よ

貴女(あなた)のさまよふからだの影から

まづしい漁村の裏通りで 魚(さかな)のくさつた臭ひがする

そのはらわたは日にとけてどろどろと生臭く

かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひ

 

ああ この春夜のやうになまぬるく

べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ

妹のやうにやさしいひとよ

それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない

さうしてただなんといふ悲しさだらう。

かうして私の生命(いのち)や肉體(からだ)はくさつてゆき

虛無のおぼろげな景色のかげで

艶めかしくも ねばねばとしなだれてゐるのです。

 

[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年六月号『詩聖』初出。歴史的仮名遣の誤り及び「なめくぢ」はママ。詩集「靑猫」(大正十二年一月新潮社刊)所収の際には、以下のように手が加えられている。

   *

 

 艶めかしい墓場

 

風は柳を吹いてゐます

どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。

なめくぢは垣根を這ひあがり

みはらしの方から生(なま)あつたかい潮みづがにほつてくる。

どうして貴女(あなた)はここに來たの

やさしい 靑ざめた 草のやうにふしぎな影よ

貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない

さうしてさびしげなる亡靈よ

貴女のさまよふからだの影から

まづしい漁村の裏通りで 魚(さかな)のくさつた臭ひがする

その膓(はらわた)は日にとけてどろどろと生臭く

かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。

 

ああ この春夜のやうになまぬるく

べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ

妹のやうにやさしいひとよ

それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない

さうしてただなんといふ悲しさだらう。

かうして私の生命(いのち)や肉體(からだ)はくさつてゆき

「虛無」のおぼろげな景色のかげで

艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。

 

   *]

萩原朔太郎 憂欝の川邊 (初出形)

 

 憂欝の川邊

 

川邊で鳴つてゐる

芦(よし)や葦(あし)のさやさやといふ音はさびしい

しぜんに生えてゐる

するどい ちひさな植物 草本の莖の類はさびしい

私は眼を閉ぢて

なにかの草の根をかまふとする

なにかの草の汁を吸ふために、憂愁の苦い汁を吸ふために

げにそこにはなにごとの希望もない

生活はただ無意味な幽欝の連なりだ

梅雨だ

じめじめとした雨の点滴のやうなものだ

しかし ああ また雨 雨 雨

そこには生える不思議の草本

あまたの悲しい羽虫の類

それは憂欝に這ひまはる岸邊にそうて這ひまはる

じめじめとした川の岸邊を行くものは

ああこの 光るいのちの葬列か

光る精神の病靈か

物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草から

雨に光る木材質のはげしきにほひ。

 

[やぶちゃん注:大正七(一九一八)年四月号『感情』初出。歴史的仮名遣の誤り及び「幽欝」「点」「虫」はママ。詩集「靑猫」(大正十二年一月新潮社刊)所収の際には、以下のように手が加えられている。大きな変更は終りから二行目であるが、以降の詩集類ではこれ総て「草むら」であるから、これは初出の誤植の可能性が高いとも言えるが、断定は出来ぬ。なお、最後の詩集となる昭和一四(一九三九)年九月創元社刊の「宿命」でのみ、終りから三行目の「精神」に「こころ」とルビされる大きな改変がなされてある。底本は昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を用いた。

   *

 

 憂鬱の川邊

 

川邊で鳴つてゐる

蘆や葦のさやさやといふ音はさびしい

しぜんに生えてる

するどい ちひさな植物 草本(さうほん)の莖の類はさびしい

私は眼を閉ぢて

なにかの草の根を嚙まうとする

なにかの草の汁をすふために 憂愁の苦い汁をすふために

げにそこにはなにごとの希望もない

生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ

梅雨だ

じめじめとした雨の點滴のやうなものだ

しかし ああ また雨! 雨! 雨!

そこには生える不思議の草本

あまたの悲しい羽蟲の類

それは憂鬱に這ひまはる 岸邊にそうて這ひまはる

じめじめとした川の岸邊を行くものは

ああこの光るいのちの葬列か

光る精神の病靈か

物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草むら

雨に光る木材質のはげしき匂ひ。

 

   *]

 

2017/05/14

復活した耶蘇の話   萩原朔太郎

 

  復活した耶蘇の話

 

 山から降りて來た時に、耶蘇は全く疲れきつて居た。數時間に亙る必死の祈禱も、彼の空虛の心を充たすことができなかつた。重たい疲れた足を引きずりながら、傷だらけになつた耶蘇の心が、麓の方へ步いて來た時、午後の日光は大地に照りつけ、赭土の上に輝いて居た。そこには弟子のぺテロが寢て居た。ベテロは師の歸りを待つてる中に、何時しか寢入つてしまつたのである。耶蘇はその姿を悲しく眺めた。生死の境に立つてる自分が、最後の祈禱をして居る間、吞氣にも心地よく眠つてる弟子の姿が、悲しくもまた羨ましく思はれた。

「その心は願ふなれども、肉體弱きなり。」

 と、耶蘇はペテロに言ふのでもなく、獨り言のやうにつぶやいた。その言葉の深い意味には、彼自身に對する憐憫と寂寥がこめられて居た。

 

 耶蘇はこの頃になつてから、自分の破滅が近づいてることを直覺した。民衆は彼を羅馬人に訴へた。法律によつて私刑が禁じられてなかつたら、羅馬の裁判に訴へる前に、寧ろ民衆自身の手で殺したかつたのであらう。耶蘇はその民衆の怒りをよく知つて居た。なぜなら民衆の求めた神は、耶蘇の説く神とはおよそ正反對の神であつた。民衆は何よりも自由と獨立を欲求して居た。エヂプト人や羅馬人やによつて、その民族の故國を奪はれ、奴隷として長く逆壓されて居た猶太人等は、彼等に約束されてる新約の神の姿を、あの怒りと復讐の神である舊約のエホバに眺めた。エホバの子がもし眞にエホバの子であるならば、火と電光によつて彼等の敵(惡むべき暴虐者共)を擊滅し、地上に於ける猶大人の復讐を完成してくれなければならない筈だ。すべての猶太人等が、火のやうに渇き求めて居るキリストはそれであつた。所で耶蘇は、彼等に無抵抗主義の愛を教へた。「カイゼルの物はカイゼルに返せ。」不幸な隷屬者としての猶太人等は、永久に隷屬者としての宿命を天に約束されて居るのである。耶蘇がもし眞に新約のキリストだつたら、猶太人のあらゆる歷史的熱望は水泡である。耶蘇を殺さなかつたら、猶太人の夢が死んでしまふ。

 耶蘇は死を恐れなかつた。だが彼は近頃になつて、肉體の疲勞の加つて來ることを強く感じた。彼の年齡はまだ若かつた。しかし彼の過去の戰ひは、長くそして苦しかつた。至るところに、彼はその強大な敵を持つて居た。パリサイの學者と、僞善者と、猶太の愛國者と、民族主義者と。そして實に猶太人全體でさへもあつた。彼は自身の弟子のことを考へて寂しくなつた。ペテロも、ヨハネも、ヤコブも、無知な漁師の素朴性から、單に彼の奇蹟を信じて居るにすぎないのである。そしてこれだけが彼の全體の味方なのだ。この頃になつて、耶蘇は戰ふことに疲れて來た。或る夜の夢では、猶太人の氏神であるエホバが、民衆と共に彼を怒つてる幻さへ見た。そのエホバは戰車に乘り、萬軍をひきゐて羅馬人等と戰つて居た。

 

 耶蘇はマリアのことを考へて居た。星のやうな明瞭と、胡麻色の髮毛とを持つた若い娘は、耶蘇の魂にとつての音樂だつた。心のひどく疲れた時、絶望的な懷疑に惱んだ時、耶蘇はいつもマリアの所へ歸つて來た。マリアは彼の心の「休息」だつた。その外のどんな世界も、耶蘇に休息をあたへなかつた。美しいマリアは、疲れ傷ついてる耶蘇の額に、いつも優しい接吻をした。

 耶蘇はまたマリアの家で、近頃した宴會のことを思ひ出した。十二人の弟子の外に、美しいマリアが列つて居た。もう一人の女、マリアの姉は臺所で働いて居た。耶蘇は絶えず酒盃を乾し、元氣に愉快らしく話をして居た。その間中、マリアは耶蘇の側に寄りそひ、さも樂しげに男の顏を眺めて居た。耶蘇の高い秀麗な鼻、貴族的な廣い額、縮れた金色の髮毛。すべて皆マリアにとつての夢想的な歎美であつた。耶蘇の語るすべての言葉は、詩か音樂か何かのやうに、彼女の耳に恍惚として聽えるのだつた。

「お前つたら。何だね。側にばかり食つ付いて居て、少しはお料理の方も手傳つてくれないの。私一人で働いてるのに。」

 と、その時臺所から出て來た姉娘が、少しは嫉妬も混つてマリアに言つた。

「はふつておけ。俺は自分の爲に料理をこしらへてくれる親切より、俺の話を聽きたがる女の方が嬉しいのだ。」

 と耶蘇が言つた。うら若いマリアにとつて、耶蘇の言葉は愛の表現のやうに感じられた。彼女は興奮して立ち上り、卓上の美しい花瓶を兩手に抱いた。その花瓶の中には、アラビアの高貴な香油が充たしてあつた。マリアはそれを耶蘇の身體にふりかけた。

 目ざめるやうな百合の匂ひが、部屋中いつぱいにむせ返つて、異常な昂奮が人々の心を捉へた。

「馬鹿な眞似をするなツ。」

 と、隅の椅子の上からユダが叫んだ。

「世には貧乏人が澤山居るのだ。そんな贅澤な眞似をするなら、何故その金で飢ゑてる者を救はないのだ。」

 ユダの言葉の深い意味は、耶蘇によく解つて居た。民衆の求めてるものは愛でなくて復讐なのだ。その上に彼等は空腹で飢ゑて居るのだ。「先づパンをあたへよ。次に自由と平等の權利をあたへよ。然る後に汝の勝手な福音を説け」と彼等は叫ぶ。眞に民衆を救ふものは、靈の永生を説く宗教でなくして、物質の平等と革命を約束する、經濟上の法則であるかも知れない。ユダは耶蘇一行の財政を處理してゐたところの、唯一の弟子中での經濟學者であつた。

 ユダの思想は、いつも耶蘇の心を暗く寂しくした。彼は自分の福音を本質的に懷疑して居る。いつか自分の死後に於て、ユダは第二のキリストとなるだらう。自分の基督教は早く亡びる。だがユダの基督教は長く殘る。ユダは自分の福音を敵に賣り、地下にも長く耶蘇教の敵となるであらう。

 耶蘇は悲しくなつて目を伏せた。そして過失を犯した罪人のやうに、小さくおどおどして居るマリアの方へ、侘しく力のない視線をやりながら。

「許してやれ。こんな純情な若い娘を、皆であまり苛めるな。」

 と彼自身を憫むやうにつぶやいた。それから肉叉(フオーク)に肉を刺して、ユダの口へ入れながら、そつと耳元で囁いた。

「行け。敵に俺を賣つて來い。」

 

 ゴルゴタの砂丘の上に、三つの十字架が立てられて居た。その眞中の一つに耶蘇が架けられて居た。太陽は空に輝き、砂丘には白い陽炎が燃えて居た。耶蘇は肋骨から血を流して居た。兵卒は槍の先に海綿つけ、酢を含ませて耶蘇の口にあてがつた。それでもしかし、彼の烈しい渇きと苦痛は止まなかつた。

「これで俺は死ぬのか。だが死ぬといふ筈は絶對にない。俺は神から永遠の生命を約束されてる。俺が死ぬといふ筈は決してないのだ。いや、俺は死なない。俺は死といふ事實を承諾しないのだ。」

 耶蘇は恐ろしい意志の力を集中して、最後まで死と戰はうとして抗爭した。なぜならその死の實在する彼岸には、何もない虛無の暗黑が見えて來たから。彼は齒を喰ひしばつて苦痛に耐へ、意識を把持しようとして焦燥した。だが夜の闇が近づく頃に、彼の意識もまた次第に暗くかげつて行つた。

「えり。えり。らまさばくたに!」

 と、最後の殘された意志を集中して、引き裂くやうに烈しく絶叫した。その言葉の意味は「神よ。何ぞ我れを捨て給ふや。」といふのであつた。奇蹟は遂に起らなかつた。夜が靜かに更けて、星が空に輝やいて居た。

 仄かな薄暮のやうな意識が、長く墓石の下で持續して居た。耶蘇の呼吸は止つたけれども、彼の張りつめた意識だけが、地下に眠る冬眠の蛇のやうに、微かな明暗の境を彷徨して居た。耶蘇は墓場の下で生きて居たのであつた。

 初めはただ暗黑だつた。それから薄明のやうな日影が漂つて居た。

 「何故だ? 何故俺は蛇のやうに、こんな暗い地下に寢て居るのだらう。」

 と、その薄明の意識の中で、耶蘇は薄ら侘しく考へて居た。何といふ理由もなしに、存在することそれ自身が悲しかつた。彼は聲をあげて泣きたかつた。或る形而上學的な、それで居て本能的な強い悲しみが、胸をえぐるやうにせきこんで來た。「何がこんなに悲しいんだ?」と、彼は自身に反問した。そしてこの反問自身がまた悲しかつた。歔欷の情が喉の下までこみあげて來て、押へることが出來なかつた。夢の中の泣聲みたいに、聲は音響に現れなかつた。そしてただ淚だけが、顏中いちめんを濡らして流れ出し、止めやうもなく後から後からと湧くのであつた。

「此虚は何處だ? 俺は一體どうして居るのだ。何がこんなにも悲しいのだ?」

 と、再度また繰返して考へてみた。

「過去の地上に居た時の生活だらうか? あの民衆に對する敗れた戰ひの記憶だらうか? それとも信仰に對する自分の傷ついた懷疑だらうか? 否。ちがふ。ちがふ。もつと外の別の物だ。何か、もつと深く、曖昧で、俺の感情に食ひ込んでる別の物だ。」

 けれども認識を捕へることが出來なかつた。耶蘇の知つてるすべての事は、すべての現象する宇宙の中で、悲哀だけが實在するといふことだつた。そしてこれだけが、實にまざまざとはつきりした事實であつた。

 薄暮の仄明るい光の中で、何處か遠く遙かな方から、女のすすり泣くやうな聲が聽えた。その悲しげな女の聲が、宇宙に實在する本質の物、卽ち彼の悲哀の神祕を解きあかしてくれるやうに思はれた。耶蘇は墓の下で耳を澄まして居た。

 一筋の微かな光が、糸のやうにさまよつて居た。長い長い時間が過ぎた。それから次第に明るくなり、地下の暗闇の中の穴にも、幽かな黎明の氣合ひがした。

「死んではいや。死んではいや。」

 耶蘇が墓場から生き返つた時、一人の女が彼の側で泣き崩れて居た。それはマグダラのマリアであつた。彼女は淚に顏を濡らしながら、流血にまみれた耶蘇の體を兩手に抱き、烈しい接吻の雨をあびせて泣き悶えて居るのであつた。

「マリアよ。泣くな。俺は生きてる。生きてるのだ。」

 耶蘇の聲は、しかし女の耳に通じなかつた。なぜなら彼の聲は喉からでなく、肉體以外の別な靈的意識から出たのであるから。死して三日目に蘇生(よみがへ)つた耶蘇キリストは、その血まみれな死骸のままで、かうして永遠に女の手に抱かれて居たのであつた。アメン。

 

[やぶちゃん注:昭和一〇(一九三五)年六月号『若草』初出。昭和一一(一九三六)年五月発行の「廊下と室房」に収録された。昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を底本とし、校異によって、初出にあったが、「廊下と室房」所収の際に削除された、最後の「アメン」を再現した。]

休息のない人生   萩原朔太郎

 

  休息のない人生

 

 いつか橫須賀の造船所を見物した。大きい小さい、無數のベルトが天井から𢌞轉して、鋼鐡の巨大な機械が、無氣味な生物のやうに動いて居た。技師の説明によると、その中の或る機械は、晝夜不休で三年間も働き通して居るさうである。私はそれを聞いて悲しくなつた。

 

 文學者の大きな悲哀は、孤獨の寂寥でもなく貧乏でもない。實に「休息がない」といふ一事である。普通の社會人の生活では、事務の時間と休息とが別れて居る。會社から歸つたサラリイマンは、和服に着換へて湯に入り、それから子供や妻を對手にして團欒する。最も烈しい勞働者でさへも、夜は一杯の燒酎を飮んで安眠する。然るに文學者の生活には、どこにもさうした休息がなく、夜の安眠さへも自由でない。と言ふのは、筆を取る時間のことを意味するのではない。原稿紙に向つて、文士が筆を取る時間などと言ふものは、一生の中のごく僅かな時間にすぎない。特に詩人などいふ連中は、生涯に二册か三册位の詩集しか書かず、机に向ふ時間なんていふものは、殆ど言ふに足りないほどである。(だから世間は、彼等を怠け物の大將だと思つてゐる)詩人は十年考へて一册の詩集を書くと言はれて居る。だが普通の文學者も皆同樣であり、原稿紙に物を書くのは、平常既に考へて居ることの筆寫にすぎない。文士がペンを取る時間は、むしろ勞働でなくて休息である。文學者の烈しい苦しみは、世間が目して「のらくら遊んでゐる」と見るところの、不斷の生活の中にあるのである。

 

 ドンキホーテといふ騎士は、世に正義の行はれないことを憂へて、夜も眠らず不眠不休で旅をしてゐた。文學者の憂ふるところは、もとよりドンキホーテの憂ひではない。しかしながら彼等もまた、人生の眞實相や、社會の矛盾相や、彼自身の中の爭鬪や、性格の悲劇する樣々の宿命やに就いて、夜も安眠ができないほど、晝夜をわかたず眞劍に考へてる。否「考へて居る」のではなく、正しくは「思ひ感じて居る」のであり、それ故により多く神經が疲れて苦しいのである。そしてこの苦しい「休息のない生活」からのみ、すべての善き文學が生れて來る。

 世に道の行はれないことを憂へて、支那の曠野を漂泊して居た孔子が、或る時河のほとりに立つて言つた。「行くものはかくの如きか。晝夜をわかたず。」と。この孔子の言葉には、無限の深い嘆息が含まれて居る。だが文學者の嘆息は、もつと悲しい宿命的の響きを持つてる。ああ人と生れて思ふことは、百度も悲しく文學者たりしことの悔恨である。

 

[やぶちゃん注:昭和九(一九三四)年十二月十三日附『國民新聞』初出。昭和一一(一九三六)年五月発行の「廊下と室房」に収録されたが、その際、「(だから世間は、彼等を怠け物の大將だと思つてゐる)」は削除されている。昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を底本とし、校異によって初出を再現した。]

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