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カテゴリー「萩原朔太郎」の559件の記事

2016/05/09

萩原朔太郎「人間の退化について」+「傾斜に立ちて」

萩原朔太郎「人間の退化について」+「傾斜に立ちて」

 

       ●人間の退化について

 

 進化論に於ける、一般の通俗化された誤謬は、生物界に於ける弱肉強食の思想、即ちより優秀なもの、より強大のものが、常により劣等のものや弱小のものを征服し、生存競爭に於て勝利を得るといふ思想である。(今日米國のフヱミニストや平和論者が、ダウヰンを人道主義の仇敵視し、法律によって進化論を國禁しようとしてゐるのが、全くこの理由にもとづくのである。)しかしながら反對であり、ダウヰンの説くところは、生物の進化でなくして退化を教へ、價値の存在を轉倒してゐる。なぜなら進化論の根本原理は、唯一の「自然淘汰」にあり、「適者生存」にあるのだから。

 あらゆる地上の生物は、その環境に適するところの、素質の順應に於てのみ生存する。自然淘汰の法則は、避けがたくこれを勵行し、他を絶滅させてしまふだらう。故に生存競爭の優勝者は、常に必ず「環境への妥協者」を意味してゐる。そして必ずしも、優秀者や、天才者や、強力者を意味しない。むしろ此等の者は、その非順應的な素質の故に、年々歳々沒落して行き、地層と共に埋れてしまふであらう。反對に劣等のもの、卑陋のもの、平凡のもの共は、その細胞組織の單純さと、繁殖力の旺盛さとから、容易に環境に順應して行き、常に他のものを征服して、地上に於ける生存競爭の勇者となつてる。

 この悲しむべき事實――生物退化の事實――は、歷史のあらゆる過去からして、疑ひもなく實證されてる。見よ。かつて太古の世界では、地上が植物で蔽はれて居り、マンモスや、怪龍や、恐角獸やの、巨大な恐るべき動物が、それの卓越な優秀と強力とで、他のあらゆる弱小者を壓倒しつつ、獨り森林の中に橫行してゐた。ただその時代だけ、弱肉強食が現實してゐた。しかしながら今日、ああそれらの強者はどこへ行つたらう! 自然淘汰の法則は、常に經濟的な者に與して、不經濟的な者を殺してしまふ。その巨大な體軀や武器の故に、常に最も豐富な食餌を要したところの、それらの原始時代の優秀者等は、早く既に地層の下に埋れて、後にはより弱小な小動物が、獨り生存の權をほしいままにした。そして今日でさへも、獅子や、虎や、象や、鷲やの動物は、次第に益〻減少して行き、逆に糞蟲や、野鼠や、蠕蟲類やの小動物が、どんな惡い境遇にも順應し得るところの、その種の劣等によつて優勝してゐる。そして尚、地上に於ける眞の絶對的征服者は、人間でなくしてバクテリアであり、これがあらゆる生物を食ひ殺し、地球の死滅する最後までも、獨り益〻繁殖を續けるのである。

 生物界に於けるこの實情は、人間の社會に於ても例外なく、もちろんまた同樣であるだらう。なぜなら、人類生活の環境も、自然界に於けるそれと同じく、年々歳々切迫して、昔のやうには餘裕がなく、次第に生活難のせち辛い方向に向つてくる。そして適者生存の法則は、すべての惡しき事情の下に、すべての劣惡な種を順應させ、より下等なものの勝利を、避けがたく必然にしてしまふから。實に人間のあらゆる歷史は、この傷ましき種の下向と、人間文化の沒落を實證してゐる。見よ。あのヘレス人の次には羅馬が興り、羅馬の次にはゲルマンやサキソン人の世界が榮え、今ではもはや、無智のアメリカ人が全世界を支配してゐる。そしてこの階程は、歷史の初ほど地位が高く、下に行く程低くなつてる。東洋では、それが尚一層著しく、印度に於ても支那に於ても、あらゆる文化は古代の花園にのみ咲き亂れた。

 しかしながら歷史でなく、現在の生活してゐる社會から、最もよくその實證を見るであらう。藝術に於ても、またはその他の社會に於ても、環境の惡くなる事情と比例して、年々歳々下等の種屬が、それの多産と順應性から、マルサス的增加率で繁殖して行く。一方で天才や英雄やは、その容易に順應できない氣質からして、次第に衆愚の勢力に追ひ立てられ、時代と共に沒落して行く。自然淘汰の法則は、避けがたく彼等を亡ぼしてしまふであらう。反對に劣等種屬は、それの旺盛な繁殖率から、多數群團して勢力を得、藝術上にも、政治上にも、一切の社會的權力を握つてしまふ。そこで今日の思潮界は、あの奴隷的均一を説くデモクラシイや、蟻的社會の幸福を説く共産主義や、單細胞動物的な集團を考えてる無政府主義や、その他のすべて大多數決的、愚民的、下等動物的の平等思想が、時代と共に勢力を得て、運命への避けがたい墜落率を、一層速めてゐるのである。實に想像し得ることは、文化の近い未來に於て、人間沒落の最後が來ること。あらゆる人類が猿に歸り、蜥蜴になり、蜜蜂的の單位になり、最下等の黴菌にさへ、退化してしまふと言ふことである。

 

   *

 

       ●傾斜に立ちて

 

 墜落して行くものの悲劇は、自ら運命について知らず、落ちることの加速度に勇氣を感じ、暗黑の深い谷間に向つて、不幸な、美しい、錯覺した幻燈のユートピアを見ることである。ああ今! 彼等にしてその危險を知つたならば!

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十月第一書房刊のアフォリズム集「虛妄の正義」の、前者「人間の退化について」は「社會と文明」のパートに配され、後者「傾斜に立ちて」は次の「意志と忍從もしくは自由と宿命」のパートにある。「*」は私が二つのアフォリズムは元来は独立した別のものとしてあることを示すために便宜的に打ったものである。傍点「ヽ」は下線に代えた。

 二つのアフォリズムを並置した理由は、ここでは敢えて外したが(頁数が明らかに編者によって底本のそれに書き換えられているため)、底本(昭和五〇(一九七五)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第四卷」。但し、底本で修正された二箇所を原典「虛妄の正義」版に直してある)では前者の末尾に『(「傾斜に立ちて」三三七頁參照)』というポイント落ちの注記が附されてあるからである。]

2015/06/08

能の上演禁止について   萩原朔太郎

能の上演禁止について   萩原朔太郎

 

[やぶちゃん注:昭和一四(一九三九)年八月号『新日本』に発表され(初出では『(文化時評)』と副題する。当時、朔太郎五十二歳)、翌十五年十月河出書房刊の随筆集「阿帯」に所収された。因みに、作品集の序の最後にこの作品集の題名について触れ、『「阿帶(あたい)」といふのは「白痴者」といふことである。こんな文學をする以外に能もなく、無爲に人生の定年を過した私は、まさしく白癡者にちがひない』と結んでいる。調べて見たが、阿帯を白痴とする理由を見出し得なかった。識者の御教授を乞うものである。【二〇一五年六月八日 藪野直史】]

 

能の上演禁止について

 

 能の「大原御幸」が上演禁止になつた。あの蕭條たる山里の尼院の中で、浮世を捨てた主從三人の女が、靜物のやうにじつと坐つたまま、十數分もの長い間、物悲しくも美しい抒情の述懷を合唱する場面は、すべての能の中でも最も幽玄で印象に殘る場面であるが、今後再びそれが見られないと思ふと、永久に寶石を失つたやうな寂しさが感じられる。先には「蟬丸」が禁止になり「船辨慶」の一部が抹殺されたが、今後は皇室に關する一切の能を禁じ、長く廢演にするといふことである。するとさしづめ式子内親王をシテ役にした「定家」や、醍醐天皇とおぼしき帝の出給ふ「草子洗小町」やを初め、幾多の美しい傑作能が、今後舞臺から消滅することになるのであらう。

 警視廳の方の理由は、臣下たるものが皇族に扮し、娯樂興行物に演藝するといふのは、畏れ多く不敬のことだといふのである。成程一應はもつともの理由であるが、いささか杓子定規の役人思想が、世話の行きすぎをしたかとも考へられる。すべての物事は、法律的の言語概念で考へないで、深くその物の本質する精神から考へるのが大切である。娯樂演藝物とは言ひながら、能は歌舞伎や活動寫眞とはちがつてゐる。能は武家の式樂として、最も嚴重な格式の下に、長裃の儀禮を以て觀覽されたものである。これを見る者は將軍であり、大名であり、當時の貴族たる武士階級者であつた。平民階級の町人等には、かたく法律を以てその觀覽が禁じられた。それほど鄭重に儀禮を正して、莊重に演ぜられた式樂なのだ。今日もし市井の大衆劇や娯樂的の映畫劇で、皇室を主題とする如き物が現はれたら、あへて警察の令を待つ迄もなく、僕等が率先してその不敬を責めるであらう。だが觀客が皆禮服を着、儀式を正し、最敬禮を以て列座し、そして演藝そのものと演出者とが、最も嚴肅莊重なる精神を以てする舞臺に於て、たとひ皇室に關する場面があらうとも、一概に不敬呼ばはりをすることはできないだらう。勿論今日の能の觀客は、昔のやうに禮儀正しくはない。しかし能そのものの藝術精神は、依然として傳統のままに莊重な式樂であり、何等卑俗の娯樂性を持たないのである。況んや能は、五百年もの長い傳統を經た古典劇である。ニイチエも言ふ通り、人は幾度も繰返される劇に於ては、もはや筋やストーリイを見ようとしないで、もつぱら演技の形式だけを見るのである。「大原御幸」や「蟬丸」などの觀客は、シテが皇族であることなど意識しないで、單にそれが觀世左近であり、梅若萬三郎であることだけを見てゐるのである。警視廳の取締りが、映畫や現代劇にやかましく、時代劇や歌舞伎劇に比較的寛大だといふことも、おそらくこの同じ理由にもとづくにちがひない。新しく出來たナマのものは、臭氣の刺激性が甚だしい。しかし五世紀も經た骨董品に、今さら何の臭氣があらう。枯骨を叩いてその肉臭を探索し、今さらに事新しく公告するのは、却つて人心を惑はすことの愚になりはしないか。

 能を見て感心するのは、それが武家時代の創作であるにかかはらず、皇室に對して最善の敬愛を表してることである。人も知る通り、能は室町時代に完成した藝術であり、これのパトロンは足利義滿や義政の將軍だつた。日本の小學歷史では、足利氏一族を大逆賊のやうに教へるけれども、事實が必ずしもさうでないことは、能の舞臺を見てもわかるのである。能に出る皇族は、最高の敬意と尊嚴を以て扱はれ、常に將軍等の武士階級よりも上位に、崇高にして神聖なものとして敬はれてる。いやしくも不敬な態度や輕薄な精神を以て、皇室を取材した如きものはないのである。實に二千五百餘年來、中途に武家の專制時代を經てさへも、皇室に對する至誠の純情は、日本人の本能から拔きがたいものであつたことを、しばしば自分は能を見て思ふのである。

 日本人の忠君愛國思想が、支那や西洋のそれと根本的にちがふところは、皇室が我々の先祖であり、天皇が我等の眞の大御親におはしますといふことの、君臣一家族の親密な觀念にある。外國の君主國、特に古代支那やペルシアの東洋諸國では、強制的に君主が人民を威壓するため、天子は紫袍を着て金殿玉樓の高樓に坐し、臣下に對して奴隸的服從の忠節を強ひた。それらの國々では、君主は單に「恐ろしきもの」の表象であつた。そして何の慕はしきもの、親愛すべきものでもなかつた。然るに日本はちがつてゐた。古事記や萬葉集の昔から、我等は天皇を神として崇め奉つてゐたが、同時に血肉の親として、あらゆる日本人の慈父として、心情から慕ひまゐらせて居たのである。天皇と人民とが、いかに肉親的にしたしかつたかは、時にしばしば至上が諧謔を弄されたり、臣下と心おきなく遊宴されたりしたことの、古事記や萬葉集の文獻によつて明らかである。そしてかかる和氣藹々たる君主關係は、決して外國にはなかつたのである。

 ところで問題になつた能の多くは、皇室に對する人民の愛慕の情を、一層深めることはあつても、これに反する箇所はないのである。僕等は日本の古典史をよみ、不遇に崩ぜられた天皇の怨恨や憤怒を聞いて、逆賊に對する憎みと怒りを新たにするが、その人間的告白の故に、天皇への忠義心が變るやうなことは絶對にない。能を禁演する政府の眞意は、おそらくそれが娯樂物だといふだけではなく、ことに皇室に關することは、出來るだけ民衆の心に觸れさせたくないといふ意義に基くのだらう。果してもし然りとすれば、古事記、萬葉集、増鏡の類を初めとし、源氏物語等の古典文學に至るまで、遂に公演を禁じなければならないだらう。かくの如き施政は、古代のぺルシアや支那の如く、威嚇的君主制を強ひる國には好いかも知れないが、日本の如く君臣一體となつてる國では、却つて人民と皇室との關係を迂遠にし、いたづらに内容なき形式上の威壓感のみを、純情の民にあたへることになるであらう。特に「船辨慶」の如きは、平知盛の亡靈の臺詞中に、主上を始め奉り平家の一族西海の浪に漂ひ云々といふのが、娯樂物の故に不敬だと言ふのであるが、取締りも此處に至つては、少しく病的に神經質すぎると言はねばならぬ。

 さらに此處で提出される根本の疑問は、能が果して警察の定義の如く「娯樂物」といふ概念に適應されるか否かといふことである。能の如く、少數の教養人を觀衆とする高尚の古典藝術が、もし所謂「娯樂物」であるとすれば、ワグネルの音樂も、雪舟、大雅堂の美術も、はたまた僕等の書く詩や小説の純文學も、本質に於て皆廣義の娯樂物といふことになるかも知れない。いはゆる娯樂演藝と純藝術との相違は、僕等の常識が知る限りに於ては、結局つまり大衆演劇と能樂との區別にすぎない。故にこの問題を延長すれば、單に能樂ばかりでなく、藝術一般、文化一般に關する問題になる。政府はこの大きな文化問題に對し、どんな解釋を以て施政方針を取らうとするのか。さらに機を見てこれを質問したいと思ふのである。

2015/05/26

萩原朔太郎 日本の詩人――現質的ロマンチスト

 日本の詩人

       現質的ロマンチスト

 

 原則的に言つて、佛蘭西には ADVENTURE の詩人が多く、独逸には SENTIMENT の詩人が多い。そこで傳説的にも、佛蘭西の詩人は主知派に屬し、獨逸の詩人は感傷派に屬すると言はれるのである。(しかし感傷的ロマンチストの典型人は、何と言つてもトルストイ等の露西亞小説家であるだらう。)

 所で一體、日本の詩人はどつちだらうか。日本の昔の詩歌人たちは、「物のあはれ」のぺーソスを主題として歌つて來た。それは一種のセンチメンタリズムであるかも知れない。しかしこの日本的文學感は、明白に獨逸的センチメンタリズムとちがつて居る。日本文學のぺーソスは、情緒的であるよりも趣味的であり、觀念的であるよりも感覺的である。即ちこの點に於て、それはむしろ佛蘭西の詩精神に近いのである。日本人の「物のあはれ」は、獨逸語や露西亞語の感傷でなく、もつと佛蘭西語のアンニュイやサンチマンに似てゐるかも知れないのである。

 日本人といふ人間は、民族性の血液から見て、最も佛蘭西人に似て居る所が多いのである。日本人はパッショネートの感激性を持つてるけれども、決して西洋風の意味でのSENTIMENTALIST ではない。SENTIMENTALISTであるべく、日本人はあまりにレアリスチックで、常識的實際家にすぎるのである。すべての感覺的のものは物質的である。そして佛蘭西人が感覺的である如く、日本人もまた感覺的であり、それ故に物質的、實證主義的の國民である。獨逸ロマン主義の文學は、過去の日本に於て生育しなかつた如く、現代に於ても發育の見込みがない。日本に昔あつた詩文學は、佛教的ぺーソスによつて匂ひ籠められたところの、驚くべくレアリスチックの抒情詩だつた。日本の俳句の如く、モラルやロマン性を持たない反感傷主義の現實的ポエヂイは世界にない。

 日本の詩人は、西洋風の意味に於ての主知主義者ではない。だが同時にまた、西洋風の意味に於ての感傷主義者でもない。これは全く特殊な別世界の存在である。もしロマン的現實人間(現實的ロマンチスト)といふ言葉があるとすれば、日本の詩人は正しくそれに當るのである。過去の歌人や俳人もさうであつたし、現時のいはゆる新しい詩人たちもさうである。

 そこで僕等の意志することは、かうした傳統の詩人であるところの、あまりに現實的にすぎるプラグマチック・ロマン人間の一種屬を、現代の日本文化から抛棄することに存してゐる。それは不可能の夢かも知れない。なぜなら僕等自身が、あまりに多く傳統の日本人でありすぎるから。

 しかしながら尚、それを理念するだけでも好いのである。

 

[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年九月号『文学界』に発表され、後に第一書房昭和十二年三月刊の「詩人の使命」に所収された。異同はない。]

2015/01/01

萩原朔太郎 こゝろ (初出形)

 こゝろ

 

こゝろをばなにゝたとへん

こゝろはあぢさゐの花

もゝいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

 

こゝろはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひゞきに

こゝろはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや。

あゝこのこゝろをばなにゝたとへん

 

こゝろは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

わがこゝろはいつもかくさびしきなり。

 

[やぶちゃん注:大正二(一九一三)年五月号『朱欒』(第三巻第五号)の初出形。詩集「純情小曲集」に再録された。校訂本文及び詩集類及び通用する電子テクスト類では、第二連四行目末の句点が、総て五行目末「あゝこのこゝろをばなにゝたとへん。」と移動している。初出のそれは単なる誤植ではあろうが、初出形としてそのまま示した。]

2014/12/18

やぶちゃん版萩原朔太郎全歌集 附やぶちゃん注 PDF縦書版

 「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に、「やぶちゃん版萩原朔太郎全歌集 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)を公開した。僕のオリジナル編集であるが、現在、恐らく一冊で萩原朔太郎の全短歌を一挙に読める唯一のものである。あなたの書架にお贈りする。

2014/12/06

予告

昨日より行ってきた「やぶちゃん萩原朔太郎全歌集 附やぶちゃん注」を完成した。思うところあって公開は今月中旬過ぎに行なう。総ページ数195(1MB強)。乞うご期待!

2014/12/05

只今

只今――オリジナルな萩原朔太郎全歌集に向けての作業に没頭――今年最後の大物テクストとして鋭意作業中である。編年体で全部を一括しようと試みるも、これ、いや、なかなか手強いわい――

2014/12/04

萩原朔太郎青春歌集 ソライロノハナ 附やぶちゃん注 PDF縦書版

萩原朔太郎青春歌集「ソライロノハナ 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

2014/12/01

萩原朔太郎 短歌 全集補巻 「書簡より」 (Ⅶ)――萩原朔太郎全短歌電子化終了――

[やぶちゃん注:以下の三首の短歌を含む書簡は明治四五(一九一二)年六月二十二日消印萩原栄次宛の葉書である。投函地は大磯。発信署名の部分は、編者注によればはっきりとは読み取り難い(ローマ字部分)としながらも、

 

 大磯ノ海ニテ Kana-iwa Ni-te

 

とあるとデータに載る。また編者注には、この書簡には付箋がついているとし、そこには、『石川縣加賀江郡山中温泉大嶋屋別莊ニテ 萩原榮次 當時右之地ニ居住候ニ付御轉送願候』とある由。

朔太郎、満二十五歳。この翌年(大正二(一九一三)年四月のクレジットを持つ私製歌集「ソライロノハナ」の、あの大磯である。

Kana-iwa」というのはピンとこないが、因みに、現在の大磯海水浴場のシンボルとして、浜から十メートルほど沖合いに浮かぶ岩礁(周回凡そ二十メートル)があり、これを「かぶと岩」と呼称しているが、これか?

「ソライロノハナ」へと続く雰囲気を先行させる貴重な書簡であるので、全文を電子化する。踊り字は正字化した。「紳經」はママ。二ヶ所の「ように」及び「ような」もママ。]

 

 罪人のように、私は都を逃れてこゝの海に漂泊して來ました、怪しきまでに痛々しい紳經の刺激は私に海へ行けと命じました、

 はてしもない靑海原と、夢みるような海潮の響は、どんなに、此の頃の暗愁に閉された心をはればれした愉樂の世界へ導いて呉れる事かと、胸を轟かしながら初夏の大磯をたづねました、

 あゝ然しそこには只深い沈默と苦痛の憂色が漂ふて居るばかりでした、

 去年の冬、失張同じ思で此處へ逃れて來たときに、不幸にも私が見出した絶望の海は、今日もまた私の前に横つて居るばかりでした、

 △浮ね鳥、かなしむ我はこゝに來て海をし見れば涙ながるゝ

 數年まへ、私は何事をも知らない幸福の日を無邪氣の少女たちと一所に、こゝの二階に送つた事がありました

 △きのふまで少女の群と出窓(バルコン)に歌をうたひし我ならなくに

 思ひ出の日は何時も發しげに笑み輝き、現實は黑き死の苦痛の影に私をおびやかします、

 △わだの原、沖つ潮あひに鳴く鳥のうら淋しげに物をこそ思へ

 きのふの夕べ、人氣なき濱邊に出て、心ゆくぼかり泣きあかしました、さめざめと稚子のように……

 こゝに來て三日、歌も日記もたゞ涙のそればかり、

 さらば、

   二十二日、

 

[やぶちゃん注:この三首の内、

 

きのふまで少女の群と出窓(バルコン)に歌をうたひし我ならなくに

 

は「ソライロノハナ」のまさに「二月の海」(クレジット『一九一一、二』)の冒頭の「大磯ノ海」の中で、中間部で以下の文に続いて示される四首の冒頭の一首と、表記違いの相同歌である。

 

五年まへの夏、希望に輝やく瞳を以て此處の松林の中から太洋の壯嚴を祝した紅顏の少年は頽唐の骸骨となつて長い漂泊の旅から歸つて來た。今見る海の色にもまして靑ざめたるその顏色よ。

 

 きのふまで少女の群とバルコンに

 歌をうたひし我ならなくに

 

*   *   *

 

――以上を以って――私のこのブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」に於いては――現在知られる限りの萩原朔太郎の短歌――その総ての電子化が終わったはずである。]

萩原朔太郎 短歌 全集補巻 「書簡より」 (Ⅵ)

[やぶちゃん注:以下の二十二首からなる歌群は明治四二(一九〇九)年十月二日消印萩原栄次宛書簡より。投函地は前橋。朔太郎、満二十二歳。非常に長い書簡の末尾に記されある。前書と、歌群の後に続く、当時の朔太郎がたまたま読んで感動した『女學雜誌』の四国の一女性の詠んだ一首についての絶賛の評言を合わせて電子化した。短歌群は底本では各首の間に行空けはなく、全体が二字下げとなっている。]

 

 例により駄作數首近詠舊作うちまぜて御高評をあふぎまつり候、

 

樂隊のシンバルのする音にきゝぬそのとき君にきゝし一言、

 

自働車のはせゆくあとを見送りて涙ながしぬ故しらぬなり

 

[やぶちゃん注:後の「ソライロノハナ」(大正二(一九一三)年・満二十七歳)の歌群「午後」に載る、

 自働車の馳せ行くあとを見送りて

 涙ながしき故しらぬなり

の類型歌。]

 

芝居みて河添かへる夜(よる)などはよくよく人の戀しかりけり

 

[やぶちゃん注:「よくよく」の後半は底本では踊り字「〱」。同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、

 芝居見て河添ひかへる夜などは

 よくよく人の戀しかりけり

の表記違いの相同歌。]

 

思ひ出は道根堀(どうこんぼり)の細小路、小間店の花ガスのいろ(大坂の懷ㇾ追はこゝにのみ殘れり、)

 

[やぶちゃん注:「道根堀(どうこんぼり)」はルビもママ。「小間店」もママで以下の再掲歌から「小間物店」の脱字であることが分かる。「懷ㇾ追」は錯字を返り点で訂したものであろう。同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、

      大坂の夜は美くし

 思ひ出は道頓堀の細小路

 小間物店の花瓦斯のいろ

と、短歌自体は標記違いの相同歌といってもよいほどに酷似した一首である。]

 

野分して亂るゝ艸の色にだに、おぼつかなきは秋にぞありける、

 

はらはらと木末はなるゝ桐の葉にあわたゞしくも驚どろかれぬる

 

[やぶちゃん注:底本は「はらはらはら」で、三番目の「はら」を踊り字「〱」とするが、韻律からも誤字であるので、かく訂した。補巻の「短歌」パートでも同様に訂する。]

 

常盤津(ときはづ)のさらへもよほす貸席の、軒提灯の下に別れぬ、(都會の戀は下町に美し)

 

[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、

 常盤津の復習(さらへ)もよほす貸席の

 軒提灯の下に別れぬ

と、短歌自体は標記違いの相同歌。]

 

教會は家もたぬ子の入るによき、ストーブの火のあたゝかければ(説教は要なし)

 

歌よまぬ吾が身に秋のなくもがな、涙せきとむすべしなければ

 

我が肺にナイフたてみん三鞭酒、栓ぬく如き音のするべし、

 

[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「午後」に載る、

 我が肺にナイフ立てみん三鞭酒

 栓ぬく如き音のするべし

と標記違いの相同歌。]

 

醉ひしれて何をか言ひし友らみな、去りぬこのときわれ流涕す、

 

[やぶちゃん注:後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、

 醉ひしれて何をか言ひし友等みな

 去りぬこのとき我れ流涕す

と標記違いの相同歌。]

 

醉ひぬれば女の席にうちまぢり下卑たる踊するをよろこぶ

 

死ねよとやさはせがまずもピストルになゝつの彈はこめあるものを

 

「われ死なむ」「あゝ死に玉へいつにても」かくいふ故に死なれざりけり、(戀なくして死ぬるは淋し)

 

[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、

 「われ死なむ」「あゝ死にたまへいつにても」

 かく言ふ故に死なれざりけり

と標記違いの相同歌。]

 

口をあけとぼけ面(づら)してある街の二町が程は知らであゆみき、

 

[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、

 口をあけとぼけ面(づら)してある町の

 二丁が程は知らで歩みき

と標記違いの相同歌。]

 

襟(えり)白き女に見とれある町の電信柱(ばしら)につきあたりけり

 

[やぶちゃん注:同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、

 襟しろき女に見とれ四ツ辻の

 電信柱に突きあたりけり

の類型歌。]

 

ポリスポリスポリス來よなど大聲に醉ひたる我れが街をねり行く

 

眞砂路(まさごち)にうちはらばびて煙艸(たばこ)のむ、その樂しさはまたなしまたなし、

 

[やぶちゃん注:ルビ「まさごち」の「ち」はママ。]

 

かゝとあげ怒りて物をぐさとふむ、それが蟇(ひきがへる)なりき氣味の惡さ惡さ、

 

[やぶちゃん注:太字「ぐさ」は底本では傍点「ヽ」。同じく、後の「ソライロノハナ」の歌群「何處へ行く」に載る、

 踵(かゝと)あげ怒りてものをぐさと蹈む

 それが蟇がへるなりき氣味の惡さ惡さ

と標記違いの相同歌。]

 

風の音にたましひ消して驚くを弱き男と笑ひ玉ふな、

 

火針もてストーブの火はかき亂す、恋のうもれ火おきもみだれず、

 

[やぶちゃん注:「火針」はママ。底本補巻の「短歌」パートでは「火箸」と『訂』する。]

 

くどくどと女々しき愚癡をくり返す友の來りぬ早くかくれん

 

[やぶちゃん注:「愚癡」は底本では「禺癡」。朔太郎の誤用の書き癖。「愚」に訂した。以下は、行空けなしでこの歌の次行から続く。]

                 朔太郎

  榮次樣

 此の頃よみたる歌の中にて深く小生をして感動せしめたるもの有之候 即ち左の一首に侯

 △目ざめたる朝(あした)の窓の隱間(すきま)より白き雲見ゆうら悲しけれ、

 作者は四國の一女性、女學世界の二等賞に候があまりの絶唄に今日まで忘れず候、生の倦怠、生の悲哀はこの一首に詠みつくされたり、想調共に致れりつくせりの妙絶は古今の名歌として推選するにはゞからずと存じ候、明治にもし萬葉集なり古今集の編算あらば此の作の如き必ず忘るべからざるものに候、心醉のあまり之を兄にも御招介申しあげ候、

 

[やぶちゃん注:「隱間」「絶唄」「致れり」「編算」「招介」の漢字は総てママ。朔太郎の引用する短歌の作者は不詳(「女學世界」のバック・ナンバーを調べれば分かると思うが、そこまでやるほどにはこの一首に私は感動はしない。何方か、興味を持たれた方に探索はお願いしたい)。なお、書簡はこれで終わっており、クレジットなどは入っていない。]

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