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カテゴリー「萩原朔太郎」の626件の記事

2018/11/04

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 插畵附言・萩原朔太郎「故田中恭吉氏の藝術に就いて」 / 萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版~完遂

 

2

 

[やぶちゃん注:奥附をめくると、裏はノンブルなしで、見開きの左ページに、上の恩地孝四郎の二色刷の版画「抒情(よろこびすみ)」が配されてある。

 それをめくると、見開き左ページに以下。]

 

 

 

 插  附 言   詩集附錄

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、田中恭吉と恩地孝四郎と作者萩原朔太郎の文章。田中恭吉と恩地孝四郎のそれは、個人ブログ「あどけない詩」にある、新字新仮名のデータを加工用にさせて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 上記標題紙をめくった見開き左から。ノンブルが新たに「3」から起こされて今まで通り、左下に附されてある。

 これ以降の本文は、ごく小さなポイントで組まれているが、読み難くなるだけなので、無視し、ポイントは今までの本文と同じとした。まず、田中恭吉の遺稿。最初の「恭吉」の書かれた部分までが、かっちりページ「3」に収まっている。次の韻文は、次の見開き4」と「5に収まっている。なお、「恭吉」の記名位置は、ブログ・ブラウザの不具合を考え、再現していない。]

 

朔太郞兄

 私の肉體の分解が遠くないといふ豫覺が私の手を着實に働かせて呉れました。兄の詩集の上梓されるころ私の影がどこにあるかと思ふさへ微笑されるのです。

 

 私はまづ思つただけの仕事を仕上げました。この一年は貴重な附加でした。

 

 いろんな人がいろんなことを言ふ。それが私に何になるでせう。心臟が右の胸でときめき。手が三本あり、指さきに透明紋がひかり、二つの生殖器を有する。それが私にとってたつた一つの眞實!

 

 蒼白の藝術の微笑です。かの蒼空と合一するよろこびです。

                 恭  吉

 

 

 

傷みて なほも ほほゑむ 芽なれば いとど かわゆし

こころよ こころよ しづまれ しのびて しのびて しのべよ

 ■

むなしき この日の 涯に ゆうべを 迎へて 懼るる

ひと日に ひと日を かさねて なに まち侘ぶる こころか

 ■

こよひも いたく さみしき かなしみに 包まり 寢ねむ

さはあれ まどの かなたに まどかに 薰(く)ゆる ゆうづき

 ■

痴愚の なみだを ぬぐひて わが しかばねに 見入れよ

あふげば 靑空(そら)を ながるる やはらかき 雲の こころね

 ■

わかれし ものの かへりて 身につき まつはる うれしさ

すこやかよ すこやかよ 疾く かへりね わがやに

 

月映  告別式より        恭  吉

 

[やぶちゃん注:「かわゆし」「ゆうづき」はママ。「靑空(そら)」のルビは二字へのもの。「月映」は雑誌名で、「つくはえ」と読む。大正三(一九一四)年、当時、二十代前半の美術学生で友人あった田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎らによる、木版画や詩を載せたもので、田中恭吉が亡くなる(大正四(一九一五)年十月二十三日)頃、一年ほどで終刊となった。参考にした「東京ステーションギャラリー」の展示会情報のこちらがよい。

 次が恩地孝四郎。標題「插附言」は大きなポイントで二行の頭を占有して、その右下から一字下げなしで本文は始まるが、再現し難いので、普通に次行から始めた。後の段落との関係から、最初に一字下げを行った。]

附言

 萩原君の詩は凡そ獨特なものだ。その獨特さに共通した心緖を持つ故田中恭吉がその挿を完成しないで逝いたのは遺憾なことだ。ただその稿が殘っていたことがせめてもの幸いでした。彼の最後の手紙に

「私はとうてい筆をとれない私の熱四十度を今二三度出れば私の脉百四十を、いま二三十出れば私は亡くなる。私はいますべてをすてて健康を欲してゐる。最初私は氏の詩歌の挿に百枚の豫稿をつくりその中から二十――三十の繪を選んで美しいものにしたいと思つた。そして(不明)上な勢いで着手し稿五葉をつくりしのち臥床した。」――一九一五年八月、その死後、彼の從弟の厚意によって私の手許に集まったのが、この集の包紙の表裏にかきつけた十三枚の稿と、口繪の金色の繪であった。外にどれ程あつたか分からない。十三枚のでさへ、心なき消毒人によつて害はれ[やぶちゃん注:「そこなはれ」。]浸みほけてゐる。前者は赤い藥紙に赤いインキで書かれ、後者は黑い羅紗紙に金色のインキでかかれてゐる。

[やぶちゃん注:田中の手紙の引用中の「とうてい」はママ。]

 之らの繪は彼の死ぬ三月まえに執筆せられ彼の遺したものの最も後のものです。一九一五年七月。兩種とも製版複製に困難なものであるだけ題が損じた。遺憾とする。すべて題はない。裝丁についても、彼の構想を見るべき草稿があるけれど、それは依ることの出來ない程の草稿なので止むなくそれから適はしい[やぶちゃん注:「ふさはしい」。]ものを取り出でて、心持を移して私が作つた。

[やぶちゃん注:「兩種とも製版複製に困難なものであるだけ題が損じた」「兩種とも製版複製に困難なものであるだけ」に「題が損じた」という意味が私にはよく判らない。識者の御教授を乞うものである。正直、恩地の文章は何だか捩じれていて読み難い。]

 插については彼はかういつてゐる。「他人の詩集に挿するのは重大だと思ふ。だから私がもしそれをやる場合にはむしろ原詩に執しないわがままなを挿みたいと思ふ。」

 併し乍ら、他から、私が見るに彼の資性と萩原君の資性との類似といふことよりも、いみぢい交通からなる、それは不識の美しい人生の共感だが、倍加された緊密な美がある。むろん恭吉自身のものであるが又同時に彼一個のものでもない。この病弱な、纎細な、又死に對しての生の執着の明るいそして暗い世界の存在に呼吸した生息がこれらの一線にも浸み出てゐる。一九一四年七月

[やぶちゃん注:「いみぢい」はママ。「不識」低次元の人智などでは理解し得ない、の意と解しておく。空隙なく、次の後に書かれ別文章に続いている。]

「死人とあとに殘れるもの」及び「冬の夕」は共に一九一四年十二月、彼が病苦から輕くせられてゐた頃、その「死」の体覺及「發病の回想」から生まれた心境と見るべく前者は稿では鉛筆のあとを止めてゐる。

[やぶちゃん注:「体覺」の「体」はママ。]

「悔恨」及び「懈怠」は、翌年二月、書きためた稿をまとめて集とした「心原幽趣」のうちから拔いた。その序詞。

「これ痛き感謝のこころなり。なみだにぬれしほほゑみなり。おもへばきのふ死なむとしてあやふくも生きながらへたる身かな。――畧――しひたげられ さひなまれつつ、いかばかり生きのちからのいみぢきかを ためさむねがひなり。」

[やぶちゃん注:引用中の「いみぢき」はママ。読点なしの字空けもママ。]

「悔恨」は過ぎし日のあやかしのいのちをかえりみて。「懈怠」は病み疲れた肉心の嫌忌と、又ある胥情と又腐れ果つべき肉體と。それらの心境を示して美しく。

[やぶちゃん注:「胥情」読もうなら「しよじやう(しょじょう)」だが、こんな熟語は知らない。動詞なら「見る・暫く待つ・助ける」であるが、ピンとこない。識者の御教授を乞う。

 

3

 

[やぶちゃん注:以上の文章がページ「8」(右ページ)で、その見開きの左ページに上の恩地孝四郎の二色刷の版画「抒情(ひとりすめば)」が配されてある。]

 

 假りに名づけて「こもるみのむし」とするものはおそらく同年二月――三月にかかれたものであろふ。仕上がったではないけれど、こもる病体と、外界の光輝の痛さ鋭さが美しくかかれている。

[やぶちゃん注:「病体」の「体」はママ。]

 扉にしたものは小さいアイボリ紙にかいたもので詩集空にさくエーテルの花などと橫にかいてあるのをとつて題とした、この世は光(まぶ)しい。一九一五年上半期。

 包紙に用いた「夜の花」は彼自身、もしも詩集でも出すことがあれば表紙にするのだといったもので、いま、採りたてのこの詩集に用ひた。一九一五年一月、發病後小康を得て東京市外池袋に起臥した頃かいたもので、ワツトマン紙に丹念にかかれてある。印刷で止むなくを損じたけれど彼の纖細な淸麗な情趣が籠められてゐる。

[やぶちゃん注:「ワツトマン紙」ワットマン紙(Whatman paper)は、イギリスのワットマン(James Whatman)が作った、厚い手漉きの高級図画用紙。麻や木綿の襤褸(ぼろ)を原料とした吸水性の良い紙で、特に水彩画用に適する。そのため、ワットマン紙は水彩画用紙の代名詞にもなっている。ワットマンが一七四五年に設立した「ワットマン社」は、イギリスのケント地方を代表する製紙メーカーとなっており、各種の紙を製造しているが、日本では濾紙やペーパー・クロマトグラフィー用紙の製造元として知られる。一時中断していた画用紙製造も一九六〇年代には再開されている(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]

 私の插については別にいうべくない。すべてこの集について版を刻つたもの。

 最後に、この集が三者の心緖に快く交通して成ったことの記銘を殘しておく。

      一九一六年十二月  恩地孝四郞

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、「插附言 詩集附錄」と題した中の、「故田中恭吉氏の藝術に就いて」と題した作者萩原朔太郎の文章。これは「青空文庫」の「詩集〈月に吠える〉全篇」の末尾にある、新字旧仮名のデータを加工用に使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。太字下線は底本では傍点「●」、太字は傍点「ヽ」である。]

 

 故田中恭吉氏の藝術

 に就いて

 

 雜誌「月映」を通じて、私が恭吉氏の藝術を始めて知つたのは、今から二年ほど以前のことである。當時、私があの素ばらしい藝術に接して、どんなに驚異と嘆美の瞳をみはつたかと言ふことは、殊更らに言ふまでもないことであらう。實に私は自分の求めてゐる心境の世界の一部分を、田中氏の藝術によつて一層はつきりと凝視することが出來たのである。

 その頃、私は自分の詩集の裝幀や挿を依賴する人を物色して居た際なので、この新らしい知己を得た悦びは一層深甚なものであつた。まもなく恩地孝氏の紹介によつて私と恭吉氏とは、互にその鄕里から書簡を往復するやうな間柄になつた。

 幸にも、恭吉氏は以前から私の詩を愛讀して居られたので、二人の友情はたちまち深い所まで進んで行つた。當時、重患の病床中にあつた恭吉氏は、私の詩集の計をきいて自分のことのやうに悅んでくれた。そしてその裝幀と挿のために、彼のすべての「生命の殘部」を傾注することを約束された。

 とはいへ、それ以來、氏からの消息はばつたりえてしまつた。そして恩地氏からの手紙では「いよいよ恭吉の最後も近づいた」といふことであつた。それから暫らくして或日突然、恩地氏から一封の書留小包が屆いた。それは恭吉氏の私のために傾注しつくされた「生命の殘部」であつた。床中で握りつめながら死んだといふ傷ましい形見の遺作であつた。私はきびしい心でそれを押戴いた。(この詩集に挿入した金泥の口繪と、赤地に赤いインキで薄くいた線がその形見である。この赤い繪は、劇藥を包む赤い四角の紙に赤いインキで描かれてあつた。恐らくは未完成の下圖であつたらう。非常に緊張した鋭どいものである。その他の數葉は氏の遺作集から恩地君が選拔した。)

 恭吉氏は自分の藝術を稱して、自ら「傷める芽」と言つて居た。世にも稀有な鬼才をもちながら、不幸にして現代に認められることが出來ないで、あまつさへその若い生涯の殆んど全部を不治の病床生活に終つて寂しく夭死して仕舞つた無名の天才家のことを考へると、私は胸に釘をうたれたやうな苦しい痛みをかんずる。

 思ふに恭吉氏の藝術は「傷める生命(いのち)」そのもののやるせない叫であつた。實に氏の藝術は「語る」といふのではなくして、殆んど「叫」に近いほど張りつめた生命の苦喚の聲であつた。私は日本人の手に成つたあらゆる藝術の中で、氏の藝術ほど眞に生命的な、恐ろしい眞實性にふれたものを、他に決して見たことはない。[やぶちゃん注:末尾の太い鈎括弧(閉じる)はママ。]

 恭吉氏の病床生活を通じて、彼の生命を惱ましたものは、その異常なる性慾の發作と、死に面接するえまなき恐怖であつた。

 就中、その性慾は、ああした病氣に特有な一種の恐ろしい熱病的執拗をもつて、えず此の不幸な靑年を苦しめたものである。恭吉氏の藝術に接した人は、そのありとあらゆる線が、無氣味にも悉く「性慾の嘆き」を語つて居る事に氣がつくであらう。それらの異常なる繪は、見る人にとつては眞に戰慄すべきものである。

「押へても押へても押へきれない性慾の發作」それはむざむざと彼の若い生命を喰ひつめた惡魔の手であつた。しかも身動きも出來ないやうな重病人にとつて、かうした性慾の發作が何にならうぞ。彼の藝術では、凡ての線が此の「對象の得られない性慾」の悲しみを訴へて居る。そこには氣味の惡いほど深酷な音樂と祈禱とがある。

 襲ひくる性慾の發作のまへに、彼はいつも瞳を閉ぢて低く唄つた。

 

 こころよ こころよ しづまれ しのびて しのびて しのべよ

 

 何といふ善良な、至純な心根をもつた人であらう。たれかこのいぢらしい感傷の聲をきいて淚を流さずに居られやう。[やぶちゃん注:「居られやう」の「やう」はママ。]

 一方、かうした肉體の苦惱に呪はれながら、一方に彼はまた、眼のあたり死に面接するえまなき恐怖に襲はれて居た。彼はどんなに死を恐れて居たか解らない。「とても取り返すことの出來ない生」を取り返さうとして、墓場の下から身を起さうとして無益に焦心する、悲しいたましひのすすりなきのやうなものが、彼の不思議の藝術の一面であつた。そこには深い深い望の嗟嘆と、人間の心のどん底からにぢみ出た恐ろしい深酷なセンチメンタリズムとがある。[やぶちゃん注:「にぢみ出た」はママ。]

 併し此等のことは、私がここに拙惡な文章で紹介するまでもないことである。見る人が、彼の藝術を見さへすれば、何もかも全感的に解ることである。すべて藝術をみるに、その形狀や事實の槪念を離れて、直接その内部生命であるリズムにまで觸感することの出來る人にとつては、一切の解説や紹介は不要なものにすぎないから。

 要するに、田中恭吉氏の藝術は「異常な性慾のなやみ」と「死に面接する恐怖」との感傷的交錯である。

 もちろん、私は繪の方面では、全く智識のない素人であるから、專問的の立場から觀照的に氏の藝術の優劣を批判することは出來ない。ただ私の限りなく氏を愛敬してその夭折を傷む由所は、勿論、氏の態度や思想や趣味性に私と共鳴する所の多かつたにもよるが、それよりも更に大切なことは、氏の藝術が眞に恐ろしい人間の生命そのものに根ざした叫であつたと言ふことである。そしてかうした第一義的の貴重な創作を見ることは、現代の日本に於ては、極めて極めて特異な現象であるといふことである。

             萩 原 朔 太 郞

 

[やぶちゃん注:最終段落の「繪」はママ。「專問的」もママ。「由所」は再版では「以所」で、筑摩版全集強制校訂補正では「所以」である。

 以上を以って特殊特装版の初版萩原朔太郎詩集「月に吠える」は終わっている。]

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 室生犀星の跋「健康の都市」・奥附(但し、まだ続き有り)

 

  

 

 

 

  


                   
君が詩集の終りに

 

 大正二年の春もおしまひのころ、私は未知の友から一通の手紙をもらつた。私が當時雜誌ザムボアに出した小景異情といふ小曲風な詩について、今の詩壇では見ることの出來ない純な眞實なものである。これから君はこの道を行かれるやうに祈ると書いてあつた。私は未見の友達から手紙をもらつたことが此れが生まれて初めてであり又此れほどまで鋭く韻律の一端をも漏さぬ批評に接したことも之れまでには無かつたことである。私は直覺した。これは私とほぼ同じいやうな若い人であり境遇もほぼ似た人であると思つた。ちようど東京に一年ばかり漂泊して歸つてゐたころで親しい友達といふものも無かつたので、私は 飢ゑ渴いたやうにこの友達に感謝した。それからといふものは私たちは每日のやうに手紙をやりとりして、ときには世に出さない作品をお互に批評し合つたりした。

[やぶちゃん注:「ちようど」はママ。

「私は未知の友から一通の手紙をもらつた」残念ながら、この書簡は残っていないようである。筑摩書房版「萩原朔太郎全集」第十三巻(昭和五二(一九七七)年刊)の書簡で、最初に犀星の登場するものは、大正三(一九一四)年二月二十八日附前田夕暮宛葉書(書簡番号三一)で、それはまさに犀星(満二十四歳)が朔太郎(二十七歳)に初めて対面した折りであって、『犀星氏と一日利根の河畔を步きました』とある。全集注によれば、『宛名書は「萩原生」をふくめて室生犀星の筆蹟。犀星はこの時初めて前橋の朔太郎を訪ね、二月十四日から三月八日まで滞在した』とある。この凡そ一ヶ月もの滞在を契機として以後、非常に親密となり、次の段以降で語られるように、互いを「恋人」と呼ぶほどの仲になった。但し、同全集年譜によれば、初対面時の犀星の受けた朔太郎の印象は、『生活は非常にハイカラで、手紙は洋封筒を用い、便箋は歐文字のすかし入り、部屋はごてごてしたセセッション式』(Secession-style:大正初期によく使用された語で、セセッション=ウィーン分離派の作品の特徴である幾何学的意匠や渦を巻く植物模様等見られる様式を指すことが多い)、『紅茶にウイスキーをしたたらせ、蓄音器を鳴らし、服裝は半外套洋服にトルコ帽だった』(これらの服は幾度が自分でデザインして作らせた、という注記がある)と述べている。また、犀星の後の「わが愛する詩人の伝記」(『婦人公論』昭和三三(一九五八)年三月号)には、『前橋の停車場に迎へに出た萩原はトルコ帽をかむり、半コートを着用に及び愛煙のタバコを咥(くは)へてゐた。第一印象はなんて気障(きざ)な虫酸(むしず)の走る男だらうと私は身ブルヒを感じた』とある(ここは「前橋文学館」の二〇一八年二月十四日のブログに拠った)。それに対し、犀星が朔太郎に与え初対面のそれは、『田舍書生といった』印象で、『胡散臭いやつが來た、といった感じ』方で、後の朔太郎の「室生犀星の印象」(『秀才文壇』大正七(一九一八)年六月号)では(筑摩版全集を底本とした。太字は底本では傍点「ヽ」)、『室生のリズムが、どういふものかすつかり氣に入つてしまつて、たまらなく感心したのでたうとう未見の彼と逢ふことになつた。鄕里の停車場で始めて逢つた時の室生は、詩から聯想してゐたイメーヂとは、全で[やぶちゃん注:「まるで」。]ちがつた人間であつた。私は貴族的の風貌と、靑白い魚のやうな皮膚を心貌(しんばう)[やぶちゃん注:心の中に浮かべる容貌。]に畫いて居た。然るに事實は全く思ひがけないものであつた。妙に眉を怒らした眼のこはい男が現はれた時、私にはどうしてもそれが小曲詩人の室生犀星とは思へなかつた。』(改行)『かういふわけで、室生の最初の印象は甚だ惡かつた。容貌ばかりでなく、全體の態度や、言葉づかいや、言行からして、何となく田舍新聞の記者とかゴロツキ書生とかいふ類の者を思はせる所があつた』と述べている。朔太郎は勝手に犀星を繊細な美少年と堅く思い込んでしまっていたらしく、彼のごっつい容貌を見て、実際にはガックりきたのである。いや、正直、分らぬでもない。しかし、洋服にトルコ帽の半外套のヒョロ男と一緒に利根川畔を歩くのも、私は御免蒙りたくなる。但し、朔太郎は上記のそれに続けて、『然るに不思議なことは、その後益彼と親しんでくるに從つて、彼の容貌や、そのユニツクな人格や態度が、奇體に藝術的な美しさを以て見られてきた。「愛とは美なり」といふことは、實際どんな場合にも事實である。彼と私との友情が如はるに順つて、始め不快であつた彼の怪異な風采が、次第次第に快美なリズムに變つてきたのは不思議である。今の室生は勿論、全體に於て昔の金澤時代の彼とは違つて居るが、とにかく彼の容貌には、どこかヱルレエヌやベトーベンに見るやうな、藝術的の「深みある美しさ」があることを、近來になつてしみじみと感じてゐる。ほんとの美といふものは、矢張人格や心性からくる者であつて、單なる皮膚や肉づきから生れる者ではないやうだ。「偉人の容貌には奧深き美がある」といふことは、たしかに眞賓である』と讃えている。後に、その二人の間に割って入ってしまう形になったのが、芥川龍之介であることはあまり知られているとは思われない。これ以上は、脱線になる。私の非常に古い電子データである萩原朔太郎「芥川龍之介の死」をお読みあれかし。]

 私はときをり寺院の脚高な椽側から國境山脈をゆめのやうに眺めながら此の友のゐる上野國や能く詩にかかれる利根川の堤防なぞを懷しく考へるやうになつたのである。會へばどんなに心分(こゝろもち)の觸れ合ふことか。いまにも飛んで行きたいやうな氣が何時も瞼を熱くした。この友もまた逢つて話したいなぞと、まるで二人は戀しあふやうな激しい感情をいつも長い手紙で物語つた。私どもの純眞な感情を植ゑ育ててゆくゆく日本の詩壇に現はれ立つ日のことや、またどうしても詩壇の爲めに私どもが出なければならないやうな圖拔けたい意志も出來てゐた。どこまで行つても私どもはいつも離れないでゐようと女性と男性との間に約されるやうな誓ひも立てたりした。

[やぶちゃん注:「椽側」はママ。「椽」は本来は「たるき(垂木)」の意であるが、芥川龍之介を始めとして、明治・大正期の作家は「緣」の代わりに「椽」を使用する例がすこぶる多い。]

 

 大正三年になつて私は上京した。そして生活といふものと正面からぶつかつて、私はすぐに疲れた。その時はこの友のゐる故鄕とも近くなつてゐたので、私は草臥れたままですぐに友に逢ふことを喜んだ。友はその故鄕の停車場でいきなり私のうろうろしてゐるのをつかまへた。私どもは握手した。友はどこか品のある瞳の大きな想像したとほりの毛唐のやうなとこのある人であつた。私どもは利根川の堤を松並木のおしまひに建つた旅館まで俥にのつた。淺間のけむりが長くこの上野まで尾を曳いて寒い冬の日が沈みかけてゐた。

[やぶちゃん注:滞在した宿は、前橋公園からほど近い利根川畔の旅館兼下宿「一明館」。現存しないようである。]

 旅館は利根川の上流の、市街(まち)のはづれの靜かな磧に向つて建てられてゐた。すぐに庭下駄をひつかけて茫茫とした磧へ出られた。二月だといふのにいろいろなものの芽立ちが南に向いた畦だの崖だのにぞくぞく生えてゐた。友はよくこの磧から私をたづねてくれた。私どもは詩を見せ合つたり批評をし合つたりした。

 大正四年友は出京した。

 私どもは每日會つた。そして私どもの狂わしいBARの生活が初まつた。暑い八月の東京の街路で時には劇しい議論をした。熱い熱い感情は鐵火のやうな量のある愛に燃えてゐた。ときには根津權現の境内やBARの卓(テーブル)の上で試作をしたりした。私は私で極度の貧しさと戰ひながらも盃は唇を離れなかつた。そしていつも此友にやつかいをかけた。

[やぶちゃん注:「BAR」は縦書である。]

 間もなく友は友の故鄕へ私は私の國へ歸つた。そして端なく私どもの心持を結びつけるために『卓上噴水』といふぜいたくな詩の雜誌を出したが三册でつぶれた。

[やぶちゃん注:「端なく」思いがけず。何のきっかけもなく。

『卓上噴水』は朔太郎が前年六月に創設した「人魚詩社」から、十ヶ月目の大正四(一九一五)年三月に、やっと発刊した詩誌。誌名は犀星が附けたもので、発行所は金沢の室生のところであったが、第三号(同年五月号)で短命に終わった。]

 私どもが此の雜誌が出なくなつてからお互にまた逢ひたくなつたのである。友は私の生國に私を訪問することになつた。私のかいた海岸や砂丘や靜かな北國の街々なぞの景情が友を遠い旅中の人として私の故鄕を訪づれた。私が三年前に友の故鄕を友とつれ立つて步いたやうに、私は友をつれて故鄕の街や公園を紹介した。私のゐるうすくらい寺院を友は私のゐさうな處だと喜んだ。または廓の日ぐれどきにあちこち動く赤襟の美しい姿を珍らしがつた。または私が時時に行く海岸の尼寺をも案内した。そこの砂山を越えて遠い長い渚を步いたりして荒い日本海をも紹介した。それらは私どもを子供のやうにして樂しく日をくらさせた。そのころ私は愛してゐた一少女をも紹介した。

[やぶちゃん注:朔太郎の金沢の犀星を訪問したのは、大正四(一九一五)年五月八日正午に着、同月十七日の夜行で帰橋した。全集年譜によれば、『二等室から朔太郎は赤い房のついた薄鼠色の土耳古帽をやや阿彌陀にかぶり、』粗い『格子縞の洋服姿で降り立った』とある。

「尼寺」石川県金沢市金石北にある海月寺(かいげつじ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。「ほっと石川旅ねっと」の「月寺によれば、『犀星が若い頃、この』二『階に下宿し、後に小説「海の僧院」として、ここでの生活を作品に残している』とあり、また、個人ブログ「つとつとのブログ」の「海月寺」にも、『室生犀星は』十三『歳で高等小学校を中退して、金沢地方裁判所の給仕として就職し』たが、『ここで俳句などの先人に出会い』、『文学に目覚めた』とされる。十九歳で『金石』(かないわ:金沢市の北西部にある港町)『出張所に移った際に』、『この海月寺の』二『階に下宿し』た(わずか一年に『満たない期間で』はあった)。それでも、彼は十九『歳当時』、『すでにペンネームの「犀星」を名乗っており』、『北陸の俳壇界では知られた存在だった』という。『俳壇以外にも詩や小説を書くようになっており、寺の』二『階部屋で後に発表した多くの作品を書いて』おり、『現在も犀星の使った部屋はそのまま保存されている』という。

「愛してゐた一少女」新潮社日本詩人全集第十五巻「室生犀星」(昭和四二(一九六七)年刊)の年譜を見る限りでは、幼馴染の七つ歳下の村田艶(えん)(この大正四年で数え二十歳)のことと思われる。]

 友は間もなくかへつた。それから友からの消息はばつたりとえた。友の肉體や思想の内部にいろいろの變化が起つたのも此時からである。手紙や通信はそれからあとは一つも來なかつた。私は哀しい氣がした。あの高い友情は今友の内心から突然に消え失せたとは思へなかつた。あのやうな烈しい愛と熱とがもう私と友とを昔日のやうに結びつけることが出來なくなつたのであらうか。私には然う思へなかつた。

『竹』といふ詩が突然に發表された。からだぢうに巢喰つた病氣が腐れた噴水のやうに、友の詩を味ふ私を不安にした。友の肉體と魂とは晴れた日にあをあをと伸上がつた『竹』におびやかされた。を感じる力は友の肉體の上にまで重量を加へた。かれは、からだぢう竹が生えるやうな神經系統にぞくする恐竹病におそはれた。そしてまた友の肉體に潜んだいろいろな苦悶と疾患とが、友を非常な神經質な針のさきのやうなちくちくした痛みをえず經驗させた。

 

  ながい疾患のいたみから

  その顏は蜘蛛の巢だらけとなり

  腰から下は影のやうに消えてしまひ

  腰から上には竹が生え

  手が腐れ

  しんたいいちめんがぢつにめちやくちやなり

  ああけふも月が出で

  有明の月が空に出で

  そのぼんぼりのやうなうすあかりで

  畸形の白犬が吠えて居る

  しののめちかく

  さむしい道路の方で吠える犬だよ

 

 私はこの詩を讀んで永い間考へた。あの利根川のほとりで土筆やたんぽぽ又は匂い高い抒情小曲なぞをかいた此れが紅顏の彼の詩であらうか。かれの心も姿もあまりに變り果てた。かれはきみのわるい畸形の犬がぼうぼうと吠える月夜をぼんぼりのやうに病みつかれて步いてゐる。ときは春の終わりのころであらうか。二年にもあまる永い病氣がすこしよくなりかけ、ある生ぬるい晚を步きにでると世の中がすつかり變化つてしまつたやうに感じる。永遠といふものの力が自分のからだを外にしても斯うして空と地上とに何時までもある。道路の方で白い犬が、ゆめのやうなミステツクな響をもつてぼうぼうと吠えてゐる。そして自分の頭がいろいろな病のために白痴のやうにぼんやりしてゐる。ああ月が出てゐる。

[やぶちゃん注:先の引用詩は本詩集の「ありあけ」。初出形から最終行の句点意外を除去した形である。筑摩版全集の「跋・健康の都市」の校異末尾によれば、『本跋文中の引用詩は、雜誌初出形ないし犀星の記憶に基づくもので、詩集收錄作品とは一致しない』として、『ここでは假名遣、用字の誤りの校異のみにとどめた』とする。これは杜撰だろ! 私はやる!

 私は次の頁をかへす。

 

  遠く渚の方を見はたせば

  ぬれた渚路には

  腰から下のない病人の列が步いてゐる

  ふらりふらりと步いてゐる

 

 彼にとつては總てが變態であり恐怖であり幻惑(げんわく)であつた。かれの靜かな心にうつつてくるのは、かれの病みつかれた顏や手足にまつわる惱ましい蛛蜘の巢である。彼は殆んど白痴に近い感覺の最も發作の靜まつた時にすら、その指さきからきぬいとのやうなものの垂れるのを感じる。その幻覺はかれの魂を慰める。ああ蒼白なこの友が最も不思議に最も自然に自分の指をつくづく眺めてゐるのに出會して淚なきものがゐようか。私と向ひ合つた怜悧な眼付はどんよりとして底深いところから靜かに實に不審な病夢を見てゐるのである。

[やぶちゃん注:「春夜」からの引用の一行目の「見はたせば」はママ。初出形であるが、総ての末尾の読点が除去されており、元では「遠く渚の方を見わたせば、」と歴史的仮名遣は正しい。二箇所の「步いて」は最終行は「あるいて」であり、二箇所の末尾の「ゐる」は孰れも「居る、」である。

蛛蜘の巢」の「蛛蜘」はママ。敢えて直さない。「蜘蛛」は「蜘」だけで「くも」と読めるし、気がつくのは数人で、だからと言って躓くとも言えず、じきに行き過ぎ、誤読もしないとあれば、取り立てて鬼の首を獲って強制訂正する必要もないと私は感ずるからである。]

 それらの詩編が現はれると間もなく又ばつたり作がなかつた。私のとこへも通信もなかつた。私から求めると今私に手紙をくれるなとばかり何事も物語らなかつた。たうとう一年ばかり彼は誰にも會はなかつた。かれにとつて凡ての風景や人間がもう平氣で見てゐられなくなつた。ことに人を怖れた。まがりくねつて犬のやうに病んだ心と、人間のもつとも深い罪や科やに對して彼は自らを祈るに先立つて、その祈りを犯されることを厭ふた。ひとりでゐることを、ひとりで祈ることを、ひとりで苦しみ考へることを、ああ、その間にも彼の疾患は辛い辛い痛みを加へた。かれはヨブのやうな苦しみを試みられてゐるやうでもあつた。なぜに自分はかやうに肉體的に病み苦しまなければならないかとさへ叫んだ。

 かれにとつて或る一點を凝視するやうな祈禱の心持!どうにかして自分の力を、今持つてゐる意識を最つと高くし最つと良くするためにも此疾患を追ひ出してしまひたいとする心持!この一卷の詩の精神は、ここから發足してゐるのであつた。

[やぶちゃん注:感嘆符の後に字空けがないのはママ。]

 

 彼の物語の深さはものの内臟にある。くらい人間のお腹にぐにやぐにやに詰つたいろいろな機械の病んだもの腐れかけたもの死にそうなものの類ひが今光の方向を向いてゐる。光の方へ。それこそ彼の求めてゐる一切である。彼の詩のあやしさはポオでもボドレエルでもなかつた。それはとうてい病んだものでなければ窺知することのできない特種な世界であつた。彼は祈つた。かれの祈禱は詩の形式であり懺悔の器でもあつた。

[やぶちゃん注:「とうてい」はママ。

「窺知」(きち)とは「窺(うかが)い知ること」の意。]

 

  凍れる松が枝に

  祈れるままに縊されぬ

 

 といふ天上縊死の一章を見ても、どれだけ彼が苦しんだことかが判る。かれの詩は子供がははおやの白い大きい胸にすがるやうにすなほな極めて懷しいものも其疾患のえ間え間に物語られた。

[やぶちゃん注:この引用は困りものである。現行の「天上縊死」の初出形とも異なり、現在残る「月に吠える」草稿原稿(全集第一巻末に所収)の「天井縊死」のパートには原稿七種八枚が載るが、そこにもこの表現は見当たらない。或いは、最早、存在しない「天上縊死」の初期原稿の犀星の断片的な記憶なのかも知れない、などと如何にもながら、好意的に夢想してみると、少しばかり、夢が広がるようで、気持ちはいい。]

 

 萩原君。

 私はここまで書いて此の物語が以前に送つた跋文にくらべて、どこか物足りなさを感じた。君がふとしたころから跋文を紛失したと靑い顏をして來たときに思つた。あれは再度かけるものではない。かけても其書いてゐたときの情熱と韻律とが二度と浮んでこないことを苦しんだ。けれどもペンをとると一氣に十枚ばかり書いた。けれどもこれ以上書けない。これだけでは兄の詩集をけがすに過ぎぬ。一つは兄が私の跋文を紛失させた罪もあるが。

 唯私はこの二度目の此の文章をかいて知つたことは、兄の詩を餘りに愛し過ぎ、兄の生活をあまりに知り過ぎてゐるために、私に批評が出來ないやうな氣がすることだ。思へば私どもの交つてからもう五六年になるが、兄は私にとつていつもよい刺戟と鞭撻を與へてくれた。あの奇怪な『猫』の表現の透徹した心持ちは、幾度となく私の模倣したものであつたが物にならなかつた。兄の纎細な恐ろしい過敏な神經質なものの見かたは、いつもサイコロジカルに滲透していた。そこへは私は行かうとして行けなかつたところだ。

 兄の健康は今兄の手にもどらうとしてゐる。兄はこれからも變化するだらう。兄のあつい愛は兄の詩をますます砥ぎすました者にするであらう。兄にとつて病多い人生がカラリと晴れ上つて兄の肉體を温めるであらう。私は兄を福祉する。兄のためにこの人類のすべてが最つと健康な幸福を與へてくれるであらう。そして兄が此の惱ましくも美しい一卷を抱いて街頭に立つとしたらば、これを讀むものはどれだけ兄が苦しんだかを理解するやうになる。この數多い詩篇をほんとに解るものは、兄の苦しんだものを又必然苦しまねばならぬ。そして皆は兄の蒼白な手をとつて親しく微笑して更らに健康と勇氣と光との世界を求めるやうになるであらう。更らにこれらの詩篇によつて物語られた特異な世界と、人間の感覺を極度までに纎細に鋭どく働かしてそこに神經ばかりの假令へば齒痛のごとき苦悶を最も新しい表現と形式によつたことを皆は認めるであらう。

[やぶちゃん注:「假令」底本は「例令」であるが、これでは全く読めない。「假」の誤植と断じて、特異的に訂した。筑摩全集版もそう強制訂正している。]

 も一步進んで言へば君ほど日本語にかげ深さを注意したものは私の知るかぎりでは今までには無かつた。君は言葉よりもそのかげ深さとを音樂的な才分で創造した。君は樂器で表現できないリズムに注意深い耳をもつてゐた。君自らが音樂家であつたといふ事實をよそにしても、いろはにほへを鍵盤にした最も進んだ詩人の一人であつた。

 ああ君の魂に祝福あれ。

 大聲でしかも地響のする聲量で私は呼ぶ。健康なれ!おお健康なれ!。と。

 

  千九百十六年十二月十五日深更

           東京郊外田端にて

            室 生 犀 星

 

[やぶちゃん注:「健康なれ!おお健康なれ!。と。」の前の感嘆符の後の字空けがないのと、後の感嘆符の後の異例の句点はママである。]

 

 

 

 月に吠える   

 

[やぶちゃん注:次の百九十八ページ(右ページ。ノンブル有り)をめくると、上記の一行が、左やや端にある。

 その見開きの左ページが以下の奥附になっているが、本詩集はそれで終わっていない。既に「愛憐」の注で述べた通り、本書は非常に特殊な条件で作成された、数部のみ作成された一種の特装本なのであり、実は、この後まだ「挿画附言」と「詩集附録(田中恭吉・孝四郎・萩原朔太郎筆)」(途中に恩地孝四郎の版画二葉が挿し入れ)と続くのである。

 

 

 

大正六年二月 十 日印刷

             定價九十錢

大正六年二月十五日發行

 

 ┃   著 者   萩原 朔太郎

 ┃不     東京市外田端一六三

 ┃許  發行人   室生 照 道

 ┃複     東京市芝區櫻田町十九番地

 ┃製  印刷者   岡  千代彦

 ┃   ―――――――――

 發行所 東京市外田端一六三    

 發行所 東京市外西大久保二四七 白日社出版部

 

 (振替二六一六三)

 

[やぶちゃん注:傍線は底本では連続した一直線。以上全体が□で囲われ、その下方罫外に沿って右から左に、ごく小さなポイントで、

   (印刷所  自由活版所)

とある。

発行者の室生照道は室生の戸籍上の本名。ウィキの「室生犀星」によれば、犀星は明治二二(一八八九)年八月一日、旧『加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種と』、『その女中であるハルという名の女性の間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの雨宝院(真言宗寺院)住職だった室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として』、「照道」の『名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子として入ったのは』七『歳のときであり、この際』、『室生照道を名乗ることになった。私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは』、『犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。「お前はオカンボ(妾を意味する金沢の方言)の子だ」と揶揄された犀星は』、『母親についての』ダブル・バインド(Double bind:二重拘束・二重束縛)『を背負っていた』のであり、「犀星発句集」(昭和八(一九四三)年刊)に『収められた』一句、

 

 夏の日の匹婦の腹に生まれけり

 

『は、犀星自身』、五十歳を『過ぎても、このダブル』・『バインドを引きずっていたことを』示している、とある。]

 

[やぶちゃん注:以下、「插畫附言 詩集附錄」と題した、田中恭吉と恩地孝四郎と作者萩原朔太郎の文章。田中恭吉と恩地孝四郎のそれは、個人ブログ「あどけない詩」にある、新字新仮名のデータを加工用にさせて戴いた。ここに御礼申し上げる。]

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 笛

 

  

 

子供は笛が欲しかつた。

その時子供のお父さんは書きものをして居るらしく思はれた。

子供はお父さんの部屋をのぞきに行つた。

子供はひつそりと扉(とびら)のかげに立つて居た。

扉のかげにはさくらの花のにほひがする。

 

そのとき室内で大人(おとな)はかんがへこんでゐた、

大人(おとな)の思想がくるくると渦まきをした、ある混み入つた思想のぢれんまが大人の心を痙攣(つきつけ)させた。みれば、ですくの上に突つ伏した大人の額を、いつのまにか蛇がぎりぎりとまきつけてゐた。

それは春らしい今朝の出來事が、そのひとの心を憂はしくしたのである。

 

本能と良心と、

わかちがたき一つの心をふたつにわかたんとする大人(おとな)の心のうらさびしさよ、

力をこめて引きはなされた二つの影は、糸のやうにもつれあひつつ、ほのぐらき明窓(あかりまど)のあたりをさまよひた。

人は自分の頭のうへに、それらの悲しい幽靈の通りゆく姿をみた。

大人(おとな)は恐ろしさに息をひそめながら祈をはじめた

「神よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめたまへ」

けれどもながいあひだ、幽靈は扉(とびら)のかげを出這入りした。

扉のかげにはさくらの花のにほひがした。

そこには靑白い顏をした病身のかれの子供が立つて居た。

子供は笛が欲しかつたのである。

 

子供は扉をひらいて部屋の一隅に立つてゐた。

子供は窓際のですくに突つ伏したおほいなる父の頭腦をみた。

その頭腦のあたりは甚だしい陰影になつてゐた。

子供の視線が蠅のやうにその塲所にとまつてゐた。

子供のわびしいこころがなにものかにひきつけられてゐたのだ。

しだいに子供の心が力をかんじはじめた、

子供は實に、はつきりとした聲で叫んだ。

みればそこには笛がおいてあつたのだ。

子供が欲しいと思つてゐた紫いろの小さい笛があつたのだ。

 

子供は笛に就いてなにごとも父に話してはなかつた。

それ故この事實はまつたく偶然の出來事であつた。

おそらくはなにかの不思議なめぐりあはせであつたのだ。

けれども子供はかたく父の奇蹟を信じた。

もつとも偉大なる大人の思想が生み落した陰影の笛について、

卓の上に置かれた笛について。

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。

「痙攣(つきつけ)」はママ。再版でも同じで、「萩原朔太郎詩集」(昭和三(一九二八)年第一書房刊)で「ひきつけ」とする。読者は躓くが、しかし、私は萩原朔太郎が「ひきつけ」を「つきつけ」と発音していた(そのような方言はないようであるが)可能性を排除出来ない限りに於いて、これをママとした。彼にはそうした思い込みに等しい誤った用い方がかなりあるからである。「痙攣」の表記で読者が意味不明に陥る可能性は殆んどないこともママとした理由ではある。

「偶然」は底本では「遇然」であり、再版本でも訂されていないが、初出は正しく「偶然」であり、「遇然」では読者が躓いて別な意味にとろうとする可能性もあるので、特異的に訂した。

 初出は『詩歌』大正五(一九一六)年六月号。初出形には激しい異同があるので、以下に示す(ブログ電子化していが、零から行った)。太字は底本(筑摩版全集)では「ヽ」、太字下線「良心」は「●」である。

   *

 

 

 

子供は笛が欲しかつた。

その時子供のお父さんは書きものをして居るらしく思はれた。

子供はお父さんの部屋をのぞきに行つた。

子供はひつそりと扉(とびら)のかげに立つて居た。

扉(とびら)のかげにはさくらのはなのにほひがする。

そのとき、おとなはかんがへこんでゐた、

おとなの思想がくるくるとうづまきをした。

ある混み入つた思想のぢれんまおとなの心を痙攣(つきつけ)させた、

みればですくの上に突つ伏したおとなの額を、いつのまにか蛇がぎりぎりとまきつけてゐた。

それは春らしい今朝(けさ)の出來事が、そのひとの心をうれはしくしたのである。

本能と良心と。

わかちがたきひとつの心をふたつにわかたんとするおとなの心のうらさびしさよ、[やぶちゃん注:「ひとつ」は「ひと」であるが、脱字と断じ、特異的に補った。]

力(ちから)をこめてひきはなされたふたつの影はいとのやうにもつれあひつつほのぐらい明窓(あかりまど)のあたりをさまよつた、

ああ、みればまたあさましくもつるみかわしてゐるものを、[やぶちゃん注:「つるみ」は「つみる」であるが、錯字と断じ、特異的に補正した。]

ひとは自分の頭のうへに、それらの悲しい幽靈のとほりゆくすがたをみた、

透きとほる靑貝のやうな光る死蠟の手さきが、そのひとの腦づゐをかすめていつた、[やぶちゃん注:「死蠟」は「死臘」であるが、「臘」は「死蠟」(通常には「屍蠟」(しろう)。死体が蠟状に変化したもの。死体が長時間、水中又は湿気の多い土中に置かれ、空気との接触が絶たれると、体内の脂肪が蠟化し、長く原形を保つ。そうした遺体現象を指す)はこうは書かない上に、現代中国語で「干物」の意があり、イメージが生理的に厭なので、特異的に訂した。]

その手のふれるつめたい痛(いた)みから、そのにんげんの心臟が腐りかかつた。

…………かれこそはれうまちすのたぐひにて、ひとびとの良心となづくるもの。

そのときひとつのかげはひとつのかげのうへに重なりあつた、

おとなは恐ろしさに息をひそめながら祈をはぢめた、[やぶちゃん注:「はぢめた」はママ。]

「神よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめたまへ、」

けれどもながいあいだ、幽靈は扉(とびら)のかげを出這入りした。[やぶちゃん注:「あいだ」はママ。]

扉(とびら)のかげにはさくらのはなのにほひがした。

そこには靑白い顏をした病身のかれの子供が立つて居た。

子供は笛が欲しかつたのである。

     ×

子供は扉(とびら)をひらいて部屋の一隅に立つてゐた。

子供は窓際(まどぎは)のですくに突つぷしたおほいなる父の頭腦をみた、

その頭腦のあたりははなはだしい陰影になつてゐた。

子供の視線が、蠅(はへ)のやうにその塲所にとまつてゐた。

子供のわびしい心がなにものかにひきつけられてゐたのだ。

しだいに子供の心が力(ちから)をかんじはぢめた。[やぶちゃん注:「はぢめた」はママ。]

子供は實にはつきりとした聲でんだ。

みればそこには笛がおいてあつたのだ。

子供が欲しいと思つてゐた紫いろの小さい笛があつたのだ。

     ×

子供は笛についてなにごとも父に話してはなかつた。

それ故この事實はまつたく偶然の出來事であつた。

おそらくはなにかの不思議なめぐりあはせであつたのだ。[やぶちゃん注:「せ」には傍点がないが、植字ミスと断じて、特異的に訂した。]

けれども子供はかたく父の奇蹟を信じた。

もつとも偉大なるおとなの思想が生み落した笛について。

卓の上に置かれた笛について。

 

   *

 なお、これを以って「月に吠える」の詩篇本文は百七十五ページ(左ページ)で終わっている。]

 

Yorokobiahure

 

[やぶちゃん注:百七十五ページをめくると、裏はノンブルなしで、見開きの左ページに、上の恩地孝四郎の二色刷の版画「抒情(よろこびあふれ)」が配されてある。]

2018/11/03

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 雲雀の巢

 

 

 

長 詩 二 篇

 

 

 

  雲雀の巢

 

おれはよにも悲しい心を抱いて故鄕(ふるさと)の河原を步いた。

河原には、よめな、つくしのたぐひ、せり、なづな、すみれの根もぼうぼうと生えてゐた。

その低い砂山の蔭には利根川がながれてゐる。ぬすびとのやうに暗くやるせなく流れてゐる、

おれはぢつと河原にうづくまつてゐた。

おれの眼のまへには河原よもぎの草むらがある。

ひとつかみほどの草むらである。蓬はやつれた女の髮の毛のやうに、へらへらと風こうごいてゐた。

おれはあるいやなことをかんがへこんでゐる。それは恐ろしく不吉なかんがへだ。

そのうへ、きちがひじみた太陽がむしあつく帽子の上から照りつけるので、おれはぐつたり汗ばんでゐる。

あへぎ苦しむひとが水をもとめるやうに、おれはぐいと手をのばした。

おれのたましひをつかむやうにしてなにものかをつかんだ。

干からびた髮の毛のやうなものをつかんだ。

河原よもぎの中にかくされた雲雀の巢。

 

ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。

おれはかわいそうな雲雀の巢をながめた。

巢はおれの大きな掌の上で、やさしくも毬のやうにふくらんだ。

いとけなく育(はぐ)くまれるものの愛に媚びる感覺が、あきらかにおれの心にかんじられた。

おれはへんてこに寂しくそして苦しくなつた。

おれはまた親烏のやうに頸をのばして巢の中をのぞいた。

巢の中は夕暮どきの光線のやうに、うすぼんやりとしてくらかつた。

かぼそい植物の纎毛に觸れるやうな、たとへやうもなくDELICATEの哀傷が、影のやうに神經の末梢をかすめて行つた。

巢の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。

わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。

生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。

死にかかつた犬をみるときのやうな齒がゆい感覺が、おれの心の底にわきあがつた。

かういふときの人間の感覺の生ぬるい不快さから慘虐な罪が生れる。罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである。

おれは指と指とにはさんだ卵をそつと日光にすかしてみた。

うす赤いぼんやりしたものが血のかたまりのやうに透いてみえた。

つめたい汁のやうなものが感じられた。

そのとき指と指とのあひだに生ぐさい液體がじくじくと流れてゐるのをかんじた。

卵がやぶれた、

野蠻な人間の指が、むざんにも纎細なものを押しつぶしたのだ。

鼠いろの薄い卵の殼にはKといふ字が、赤くほんのりと書かれてゐた。

 

いたいけな小鳥の芽生、小鳥の親。

その可愛いらしいくちばしから造つた巢、一生けんめいでやつた小動物の仕事、愛すべき本能のあらはれ。

いろいろな善良な、しほらしい考が私の心の底にはげしくこみあげた。

おれは卵をやぶつた。

愛と悅びとを殺して悲しみと呪ひとにみちた仕事をした。

くらい不愉快をおこなひをした。

おれは陰欝な顏をして地面をながめつめた。

地面には小石や、硝子かけや、草の根などがいちめんにかがやいてゐた。

ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。

なまぐさい春のにほひがする。

おれはまたあのいやのことをかんがへこんだ。

人間が人間の皮膚のにほひを嫌ふといふこと。

人間が人間の生殖機を醜惡にかんずること。

あるとき人間が馬のやうに見えること。

人間が人間の愛にうらぎりすること。

人間が人間をきらふこと。

ああ、厭人病者。

ある有名なロシヤ人の小、非常に重たい小をよむと厭人病者の話が出て居た。

それは立派な小だ、けれども恐ろしい小だ。

心が愛するものを肉體で愛することの出來ないといふのは、なんたる邪惡の思想であろう。なんたる醜惡の病氣であろう。

おれは生れていつぺんでも娘たちに接吻したことはない。

ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけて、せめては兄らしい言葉を言つたことすらもない。

ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。

おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。

おれはときどき、すべての人々かられて孤獨になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによつて淚ぐましくなる。

おれはいつでも,人氣のない寂しい海岸を步きながら、遠い都の雜鬧を思ふのがすきだ。

遠い都の灯ともし頃に、ひとりで故鄕(ふるさと)の公園地をあるくのがすきだ。

ああ、きのふもきのふとて、おれは悲しい夢をみつづけた。

おれはくさつた人間の血のにほひをかいだ。

おれはくるしくなる。

おれはさびしくなる。

心で愛するものを、なにゆゑに肉體で愛することができないのか。

おれは懴悔する。

懺悔する。

おれはいつでも、くるしくなると懴悔する。

利根川の河原の砂の上に座つて懴悔をする。

 

ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと、空では雲雀の親たちが鳴いゐる。

河原蓬の根がぼうぼうとひろがつてゐる。

利根川はぬすびとのやうにこつそりと流れてゐる。

あちらにも、こちらにも、うれはしげな農人の顏がみえる。

それらの顏はくらくして地面をばかりみる。

地面には春が疱瘡のやうにむつくりと吹き出して居る。

 

おれはいぢらしくも雲雀の卵を拾ひあげた。

 

[やぶちゃん注:太字「なにもの」「いや」は底本では傍点「ヽ」。

第二連二行目の「かわいそうな」の「かい」及び「うな」はママ。

いやのこと」の「の」はママ(「厭なこと」と同義(格助詞「の」は状態を表わす語(この場合は形容動詞の語幹)について連体修飾語を作るから誤法ではない)。

「生殖機」はママ(これは再版でもそのままで、「萩原朔太郎詩集」(昭和三(一九二八)年第一書房刊)で初めて「生殖器」となっている。現行の筑摩版全集は「生殖器」である)。

「しほらしい」はママ。

「心が愛するものを肉體で愛することの出來ないといふのは、なんたる邪惡の思想であろう。なんたる醜惡の病氣であろう」の二箇所の「あろう」はママ。

 本詩篇は一行字数が、当該行改行と重なっているために、それらがあたかもだらだらと繋がって読めてしまうという困った現象が複数箇所で発生している。例えば最悪なのは、第二段の中間部の一つのクライマックス部分の頭の、

   *

わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。

生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。

死にかかつた犬をみるときのやうな齒がゆい感覺が、おれの心の底にわきあがつた。

   *

の個所で、ここは読者の殆んどが、

   *

わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。死にかかつた犬をみるときのやうな齒がゆい感覺が、おれの心の底にわきあがつた。

   *

続いた塊りとして読んでしまう可能性がすこぶる高くなるという悲劇が起こっている

「その低い砂山の蔭には利根川がながれてゐる。ぬすびとのやうに暗くやるせなく流れてゐる、」末尾読点はママ。初出形(後掲)では句点。再版では句読点なし。「萩原朔太郎詩集」(昭和三(一九二八)年第一書房刊)で句点。前後との違和感が大きくなるから、ここは句点がよかろうとは思う。筑摩版全集の強制校訂補正では句点となっている。

「河原よもぎ」キク亜綱キク目キク科ヨモギ属カワラヨモギ Artemisia capillaris。本種は通常のヨモギ(ヨモギ属変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii)とは別種である。河原に生えている普通の「よもぎ」(蓬)と勝手に解釈しては誤りである。茎の下部がやや木質化して半灌木(低木)状になること、花をつける長い花茎とは別に、花をつけずに先にロゼット状の葉を叢生させる短茎とが一個体の中にあるなど、一般的に我々が知っているヨモギとは外見もよく見ると素人でも判別出来るほどに異なる。それぞれの学名部分にそれで検索したグーグル画像検索画面をリンクしておいたので見られたい。

「雲雀」本篇は実際の雲雀の巣と卵と空に鳴く親の囀りが詩篇中に現れるので、最近の私の仕儀になる、ややマニアックな注を施した「和漢三才圖會第四十二 原禽類 鷚(ひばり)(ヒバリ)」をリンクさせておく。この注による私の、私の憂鬱の完成は、作者萩原朔太郎も許して呉れるものと思う。

「巢の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。」この表現には不審がある。視覚的効果表現を捩じったと言えば、それまでであるが、「巢の中の」は「巢の中」【に射し込んだ】そ「の」、「かすかな光線にてらされて」の意であることは言うまでもない。読者は二通りあるであろう。一行を読み終えた際に、躓いて戻り、『――「巢の中に」、そ「の」「かすかな光線にてらされて――の意だろう』と推察して読み変えて読み進む人と、一行を読み終えた際に、脳内で勝手にそのように前の部分を読み変えて拘りなく読み進める人である。しかし、孰れにせよ、この「巢の中の」には私は明白な不審が存在すると考えている。後の示す初出を見て戴きたい。この部分は初出形では、

   *

巢の庭のかすかな光線にてらされてねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。

   *

である。私が不審に感じている部分のそれ「巢の庭の」の「庭」は誤字としか思えないが、「中」を誤記したり、植字工が誤植したりする可能性は極めて低い。そうして、初出形では読点が打たれていない。されば、私は一つの可能性を考える。それは、まず、

・「庭」は「底」の誤字或いは誤読或いは誤植ではないか?

という推理である。そうしておいて、この一行に私が朗読をする際の小ブレイクを意識して読点を勝手に打たせてもらうなら、

   *

巢のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。

   *

と打つ。正規文章表現の問題は、これが韻文=詩篇である以上、厳格に云々することは馬鹿げて無効であるから、私は「巢の底に」とするべきだと主張するのではない。しかし、ここで「巢の底の、」と読点を打てば、そこに詩想(読者の詩的意識と読み代えてもよい)は、巣の底の情景である、として一旦、切ることが出来、それによって以下の「かすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほど、さびしげに光つてゐ」る情景が映像として浮かぶ、という過程に躓きはなくなるのである。さればこそ、私は、せめて朔太郎は本詩集本文では「巢の中の」の後に読点を打つべきであったと私は思うのである。大方の御叱正を俟つ。

「卵がやぶれた、」の読点はママ。再版では句読点なし。初出形は後に掲げる通り、句点である。再版の句読点なしも悪くないが、前後との違和感が過剰に大きくなるから、ここは句点がよかろう。筑摩版全集の強制校訂補正では句点となっている。これには流石に私も賛同する。

鼠いろの薄い卵の殼にはKといふ字が、赤くほんのりと書かれてゐた」潰れた卵の残虐なリアリズム描写を上手く避けている。

「おれは陰欝な顏をして地面をながめつめた」「ながめつめた」は「眺め詰めた」。凝っと見詰め続けたの謂いと採っておく。初出形(後掲)は普通に「ながめた」である。

「ある有名なロシヤ人の小、非常に重たい小をよむと厭人病者の話が出て居た」「それは立派な小だ、けれども恐ろしい小だ」とくれば、父親殺しを主題とするドストエフスキイの「カラマーゾフの兄弟」で、私は「厭人病者」(「の話」とあるのは誤魔化すとして)とは、トリック・スターとして重要な役割を担うことになる、カラマーゾフ家の人嫌いの下男スメルジャコフ(私は実はカラマーゾフ家の中で彼がいっとう好きなのである)を直ちに惹起し、「心が愛するものを肉體で愛することの出來ないといふのは、なんたる邪惡の思想であろう。なんたる醜惡の病氣であろう」というのは、それこそ私はまさにスメルジャコフを名指していると考えている。

「雜鬧」「ざつたう(ざっとう)」。「雑踏」に同じいが、但し、雑踏(或いは「雑沓」)の場合は歴史的仮名遣は「ざつたふ」となる。

 

 初出は『詩歌』大正五(一九一六)年五月号。以下に初出形を示す。太字は同前ここでは改変部に傍線を施したお読みなれば判るが、これは特異的に、初出形の一部が大きく異なる。それは作者が自身の病気を語り、そこに父を登場させている部分で、そこに至ると、知られた「月に吠える」の本詩篇とは様相がガラリとかわって受け取られるものとなっている。但し、そこは、上記本篇では、ほぼ全面的にカットされているのである。

   *

 

  雲雀の巢

 

おれはよにも悲しい心を抱いて故鄕の河原を步いた。[やぶちゃん注:「故鄕」にルビなし。]

河原には、よめな、つくしのたぐひ、せり、なづな、すみれの根もぼうぼうと生えてゐた。

その低い砂山の蔭には利根川がながれてゐる。ぬすびとのやうにくらくやるせなく流れてゐる。

おれはぢつと河原にうづくまつてゐた。

おれの眼のまへには河原よもぎのくさむらがある。

ひとつかみほどのくさむらである。よもぎはやつれた女の髮の毛のやうに、へらへらと風こうごいてゐた。

おれはあるいやなことをかんがへこんでゐる。それは恐ろしく不吉なかんがへだ。

そのうへきちがひじみた太陽がむしあつく帽子の上から照りつけるのでおれはぐつたり汗ばんでゐる。[やぶちゃん注:「そのうへ」の後と「照りつけるので」の後の読点がない。]

あへぎくるしむひとが水をもとめるやうに、おれはぐいと手をのばした。

おれのたましひをつかむやうにしてなにかをつかんだ。

干からびた髮の毛のやうなものをつかんだ。

河原よもぎの中にかくされた雲雀の巢。[やぶちゃん注:後に行間なしで連が続いている。]

ぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。[やぶちゃん注:最後の「ぴよ」の前の七箇所の「ぴよ」の後の読点が総て、ない。]

おれは可愛そうな雲雀の巢をながめた。

巢はおれの大きな掌の上でやさしくものやうにふくらんだ。[やぶちゃん注:「掌の上で」の読点なし。「やさしくものやうに」は「やさしくも毬のやうに」の「毬」の脱字と推定される。]

いとけなくはぐくまれるものの愛に媚びる感覺があきらかにおれの心に感じられた。[やぶちゃん注:「感覺が」の後の読点がない。]

おれはへんてこに寂しくそして苦しくなつた。

おれはまた親烏のやうにくびをのばして巢の中をのぞいた。

巢の中は夕暮どきの光線のやうにうすぼんやりとしてくらかつた。[やぶちゃん注:「やうに」の後の読点なし。]

かぼそい植物の纎毛に觸れるやうな、たとへやうもなく DELICATE の哀傷が、影のやうに神經の末梢をかすめて行つた。

巢ののかすかな光線にてらされてねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。[やぶちゃん注:「庭」はママ。これについては、本文に附した注を参照されたい。また、「てされて」の後の読点がない。]

わたしは指をのばして卵の一つをつまみあげた。

生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。

死にかつた犬をみるときのやうな齒がゆい感覺がおれの心の底にわきあがつた。[やぶちゃん注:「感覺が」の後に読点なし。]

かういふときの人間の感覺の生ぬるい不快さから慘虐な罪が生れる。罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである。

指と指とのあひだにはさんだ卵を日光にすかしてみた。[やぶちゃん注:冒頭に「おれは」がない。「日光に」の前の「そつと」がない。]

うすあかいぼんやりしたものが血のかたまりのやうに透いてみえた。

つめたい汁のやうなものがかんじられた

そのときゆびゆびとのあひだに生ぐさい液體がじくじくと流れて居るのをかんじた。

卵がやぶれた

野蠻な人間の指が、むざんにも纎細なものをおしつぶしたのだ。

ねずみいろの薄い卵の殼にはKといふ字が、赤くほんのりとかゝれてゐた。

 

いたいけな小鳥の芽生、小鳥の親。

その可愛いらしいくちばしから造つた巢、一生けんめいでやつた小動物の仕事愛すべき本能のあらはれ。

いろいろな善良な、しほらしい考が私の心の底にはげしくこみあげた。

おれは卵をやぶつた。

愛と悅びとを殺して悲しみととにみちた仕事をした。

くらい不愉快をおこなひをした。

おれは陰欝な顏をして地面をながめた

地面には小石や硝子かけや草の根などがいちめんにかがやいてゐた。[やぶちゃん注:「小石や」及び「硝子かけや」の後の読点がない。]

ぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。[やぶちゃん注:最後の「ぴよ」の前の七箇所の「ぴよ」の後の読点が総て、ない。]

なまぐさい春のにほひがする。[やぶちゃん注:以下の次に行空けがあり、連はここで切れている。「月に吠える」ではここは連続している。]

 

おれはまたあのいやのことをかんがへこんだ。

人間が人間の皮膚のにほひを嫌ふといふこと。

人間が人間の性殖機を醜惡にかんずること。[やぶちゃん注:「月に吠える」では「生殖機」。]

あるとき人間が馬のやうに見えること。

人間が人間の愛にうらぎりすること。

人間が人間をきらふこと。

ああ、厭人病人

ある有名なロシヤ人の小、非常に重たい小をよむと厭人病者の話が出て居た。

それは立派な小だ、けれども恐ろしい小だ。

心が愛するものを肉體で愛することの出來ないといふのはなんたる邪惡の思想であろう。なんたる醜惡の病氣であろう。[やぶちゃん注:「といふのは」の後の読点がない。]

おれは生れていつぺんでも娘たちに接吻したことはない。

ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけてせめては兄らしい言葉をつたことすらもない。[やぶちゃん注:「手をかけて」の後に読点がない。]

ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。

おれは病氣の父をおそれて旅行をした。

おれは家をはなれたときに、おれは汽車の窓につつぶして泣いてゐた。

おれは自分の病氣を神さまに訴へた。

旅さきで、まいにちおれは黃いろい太陽をながめくらした。

そうして父がまつたく快(よ)くなつたときに、おれは飢えた狐のやうあに憔悴してわが家へかへつてきた。

[やぶちゃん注:以上の下線部は「月に吠える」版では丸ごとカットされていおり、その代わりに、「おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。/おれはときどき、すべての人々かられて孤獨になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによつて淚ぐましくなる。/おれはいつでも,人氣のない寂しい海岸を步きながら、遠い都の雜鬧を思ふのがすきだ。/遠い都の灯ともし頃に、ひとりで故鄕(ふるさと)の公園地をあるくのがすきだ。」という詩行が新たに書かれた。]

ああ、きのふもきのふとて、おれはたいへんのおこなひをしてしまつた[やぶちゃん注:「月に吠える」では「おれは悲しい夢を見つづけた」となる。]

おれはくさつた人間の血のにほひをかいだ。

おれはくるしくなる。

おれはさびしくなる。

心で愛するものを、なにゆゑ肉體で愛することができないのか。

おれは懴悔する。

懺悔する。

おれはいつでもくるしくなると懴悔する。[やぶちゃん注:「いつでも」の後の読点がない。]

利根川の河原の砂の上にすわつて懴悔をする。

 

ぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよと空では雲雀の親たちが鳴いゐる。[やぶちゃん注:最後の「ぴよ」の前の七箇所の「ぴよ」の後の読点が総て、ない。さらに、「月に吠える」版では最後の「ぴよと」の後にも読点があるが、それもない。]

河原蓬の根がぼうぼうとひろがつてゐる。

利根川はぬすびとのやうにこつそりと流れてゐる。

あちらにもこちらにも、うれはしげな農人の顏がみえる。[やぶちゃん注:「あちらにも」の後の読点がない。]

それらの顏はくらくして地面をばかりみる。

地面には春が疱瘡のやうにむつくりと吹き出して居る。[やぶちゃん注:「月に吠える」版では次に行空けがあって、最終行は独立一連を成すが、それがない。]

おれはいぢらしくも雲雀の卵を拾ひあげた。

 

   *

本詩は「月に吠える」に所収する詩篇の中で、初出形から最も大きく改変されている一篇と言える。]

2018/11/02

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 田舍を恐る

 

  田舍を恐る

 

わたしは田舍をおそれる、

田舍の人氣のない水田の中にふるへて、

ほそながくのびる苗の列をおそれる。

くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。

田舍のあぜみちに座つてゐると、

おほなみのやうな土壤の重みが、わたしの心をくらくする、

土壤のくさつたにほひが私の皮膚をくろづませる、

冬枯れのさぴしい自然が私の生活をくるしくする。

 

田舍の空氣は陰欝で重くるしい、

田舍の手觸りはざらざらして氣もちがわるい、

わたしはときどき田舍を思ふと、

きめのあらい動物の皮膚のにほひに腦まされる。

わたしは田舍をおそれる、

田舍は熱病の靑じろい夢である。

 

[やぶちゃん注:太字「きめ」は底本では傍点「ヽ」。「くろづませる」「腦まされる」の「腦」はママ。萩原朔太郎の強烈な田舎への生理的嫌悪感の表出であり、彼の故郷喪失者としてのの面目の公的宣言である。初出は『感情』大正六(一九一七)年一月で、プレ広告である。一連構成でもあり、幾つかの異同があるので、初出形を示す。太字は同前。

   *

 

  田舍をおそる

 

わたしは田舍をおそれる

田舍の人氣のない水田の中にふるへて

ほそほそとのびる苗の列をおそれる

くらい家屋の中にすむ、まづしい人間のむれをおそれる

田舍のあぜみちに座つてゐると

おほなみのやうな土壤の重みが、わたしの心をくらくする

土壤のくさつたにほひが私の皮膚をくろづませる

冬枯れのさぴしい自然が私の生活をくるしくする

田舍の空氣は陰欝で重くるしい

田舍の手ざわりはざらざらして氣もちがわるい

わたしはときどき田舍を思ふと

きめのあらい動物の皮膚のにほひになやまされる

わたしは田舍をおそれる

田舍は熱病の靑白いゆめである

          詩集「月に吠える」より

   *

「手ざわり」はママ。

 なお、これを以って「見知らぬ犬」パートは終り、残る詩篇本文は長篇詩二種「雲雀の巢」と「笛」のみである。]

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 白い共同椅子

 

  白い共同椅子

 

森の中の小徑にそふて、

まつ白い共同椅子がならんでゐる、

そこらはさむしい山の中で、

たいそう綠のかげがふかい、

あちらの森をすかしてみると、

そこにもさみしい木立がみえて、

上品な、まつしろな椅子の足がそろつてゐる。

 

[やぶちゃん注:筑摩版全集校訂本文は「そふて」を「そうて」と強硬補正している。私には訳が判らぬ。なお、言わずもがなであるが、「共同椅子」は公共のベンチのこと。初出は『感情』大正五(一九一六)年十月。初出形を以下に示す。

   *

 

  白い共同椅子

 

森の中の小徑にそふて

まつ白い共同椅子がならんでゐる

そこらはさむしい山の中で

たいそう綠のかげがふかい

あちらの森をすかしてみると

そこにもさびしい木立がふるえてゐて

まつしろな椅子の脚がならんでゐる。

 

   *

「ふるえて」はママ。]

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 孤獨

 

  孤  獨

 

田舍の白つぽい道ばたで、

つかれた馬のこころが、

ひからびた日向の草をみつめてゐる、

ななめに、しのしのとほそくもえる、

ふるへるさびしい草をみつめる。

 

田舍のさびしい日向に立つて、

おまへはなにを視てゐるのか、

ふるへる、わたしの孤獨のたましひよ。

 

このほこりつぽい風景の顏に、

うすく淚がながれてゐる。

 

[やぶちゃん注:「しのしのと」聴いたことがない形容動詞或いは副詞である。小学館「日本国語大辞典」にも載らない。唯雰囲気的に、当初は、「篠」、小さい竹類の総称である篠竹(しのだけ)から、そんな風に細くて頼りない感じの謂いかと理解していたが、調べて見ると、「しの(篠)」には、別に、紡績の中間工程で繊維の長さを揃えて平行に並べた紐状の繊維の束(これに撚(よ)りをかけて糸にする)の意があることが判った。朔太郎の故郷群馬と言えば紡績だ。この意からの朔太郎の造語かも知れないなどと私は夢想したりしたが、まあ、副詞の、動きが「なよなよ」としているさまの意の「しなしな」の訛りとするのが穏当か。

 初出は『感情』大正五(一九一六)年十月号。初出は二連構成でやや異同もあるので、以下に示す。

   *

 

  孤獨

 

田舍の白つぽい道ばたで

つかれた馬のこころが

ひからびた日向(ひなた)の草をみつめてゐる

ななめに、しのしのとほそくもえる

ふるえる、さびしい草をみつめる。

 

田舍のさびしい日向(ひなた)に立つて

おまへはなにをみてゐるのか

ふるえる、わたしの孤獨のたましひよ

この白つぽい風景の顏に

うすく淚がながれてゐる。

 

   *

二箇所の「ふるえる」はママ。]

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 海水旅舘

 

  海水旅舘

 

赤松の林をこえて、

くらきおほなみはとほく光つてゐた、

このさびしき越後の海岸、

しばしはなにを祈るこころぞ、

ひとり夕餉ををはりて、

海水旅舘の居間に灯(ひ)を點ず。

               くぢら浪海岸にて

 

[やぶちゃん注:萩原朔太郎は大正五(一九一六)年七月二十五日、新潟県柏崎市鯨波(くじらなみ)にある鯨波海岸((グーグル・マップ・データ))の「蒼海(そうかい)ホテル」(現存する。(グーグル・マップ・データ))に避暑しており、本詩篇はこの宿で詠まれたものと推定される(同地から八月九日に渋温泉に廻った)。サイト柏崎の情報「陽だまり」大正年代の面影残す「蒼海ホテル」を見られたい。

 初出は『狐ノ巢』(狐紡社発行の群馬の県内向け雑誌という他は不詳)大正五年九月号。初出形は二行目が「とほきおほなみはくらく光つてゐた、」となっていること、「こころ」が「こゝろ」、「夕餉」に「ゆうげ」(ママ)のルビがあること以外は変更はない。]

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 山に登る 旅よりある女に贈る

 

  山に登る

        旅よりある女に贈る

 山の頂上にきれいな草むらがある、

その上でわたしたちは寢ころんで居た。

眼をあげてとほい麓の方を眺めると、

いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

空には風がながれてゐる、

おれは小石をひろつて口(くち)にあてながら、

どこといふあてもなしに、

ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

 

おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのである。

 

[やぶちゃん注:初出は『感情』大正六(一九一七)年一月号であるから、これも同様、プレ広告で、詩篇末下方に『詩集「月に吠える」より』とある。初出形は、添辞の「贈る」が「送る」であること、詩篇総てに句読点がないこと、「ねころんで居た」が「ねころんでゐた」、「口」にルビがないこと、「お前」は「おまへ」、「思つてゐる」が「思つて居る」である以外は、変更はない。]

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 蛙よ

 

  蛙  よ

 

蛙(かへる)よ、

靑いすすきよしの生えてる中で、

蛙(かへる)は白くふくらんでゐるやうだ、

雨のいつぱいにふる夕景に、

ぎよ、 ぎよ、 ぎよ、 ぎよ、 と鳴く蛙(かへる)。

 

まつくらの地面をたたきつける、

今夜は雨や風のはげしい晚だ、

つめたい草の葉つぱの上でも、

ほつと息をすひこむ蛙(かへる)、

ぎよ、 ぎよ、 ぎよ、 ざよ、 と鳴く蛙(かへる)。

 

蛙(かへる)よ、

わたしの心はお前から遠くはなれて居ない、

わたしは手に燈灯(あかし)をもつて、

くらい庭の面(おもて)を眺めて居た、

雨にしほるる草木の葉を、 つかれた心もちで眺めて居た。

 

[やぶちゃん注:太字「すすき」と「よし」は底本では傍点「ヽ」。「しほるる」はママ。歴史的仮名遣では「しをるる」が正しい。朔太郎得意のオノマトペイアを使ったもので、ここだけ、特異的に底本の奇妙な特性(詩篇本文内の文末でない読点は、有意に打った字の右手に接近し、その後は前後に比して一字分の空白があるように版組されている。これは朔太郎の確信犯なのだろうが、これを再現しようとすると、ブラウザ上では、ひどく奇異な印象を与え、そこで躓いてしまう(少なくとも私は躓く)ので今までは「猫」以外では無視してきた)を再現してみた。その理由は、読者がそこで立ち止まり、そこに同時に蛙の「ぎよ」と「ぎよ」の鳴き声の絶妙なタイム感覚が生まれるのを、これで示したかったからである。但し、それに合わせて最終行の読点の後も空けた。一篇内では統一しないと、私の下らぬ恣意と不統一を指弾されるかも知れぬからである。しかし、私はもし、この詩を朗読したとしたら、最終行を、「雨にしほるる草木の葉を、」で止めて、有意な間を空けて「つかれた心もちで眺めて居た。」と読むから、これはまた、非常に私には自然で違和感はないのである。

 初出は『感情』大正六(一九一七)年一月号連構成やルビ(総てない)及び読点を含め、詩行順列その他の表現に有意な異同があるので、以下に示す。太字は同前。

   *

 

  蛙よ

 

蛙よ

靑いすすきよしの生えてる中で

蛙は白くふくらんでゐるやうだ

雨のいつおあいにふる夕景に

ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ、と鳴く蛙。

つめたい草の葉つぱの上で

ほつと息をすひこむ蛙

ぎよ、ぎよ、ぎよ、ざよ、と鳴く蛙。

 

まつくらの地面をたたきつける

今夜は雨や風のはげしい晚だ

蛙よ

わたしの心はお前から遠くはなれて居ない

わたしは手に燈灯をとつて

くらい庭の面を眺めて居た

雨にしほるる草木の葉を、つかれた心もちで眺めて居た。

          詩集「月に吠える」より

   *

これは詩集刊行の一ヶ月前のプレ広告となる。]

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