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カテゴリー「「明恵上人夢記」」の79件の記事

2019/08/05

明恵上人夢記 82

 

82

一、同六七日の比、一向に三時坐禪す。持佛堂に於いて繩床に於いて好相なり、佛像に向ひ奉りて涕(なみだ)を流し、悲泣し、罪障を懺悔(さんけ)すと云々。

  巳上、此(これ)は行法を修(しゆ)せざる事を危ふく思へる間(あひだ)也。

[やぶちゃん注:「80」「81」に続いた順列で、「81」の「三四日」と同じく承久二(一二二〇)年十二月六日か七日の孰れかの日で、またしても「81」と同じく、その日に行った「坐禪」の最中に脳内に生じた夢様のもの――座禅中の脳の覚醒したレム睡眠的な夢で、またしても「81」同様、実際の現場と一致している状況でオーバー・ラップ映像を想起すべきものと私はとる。

「一向に」ただ只管(ひたすら)に。

「三時」六時〔六分した一昼夜〕を昼三時と夜三時に纏めたもの。晨朝(じんじよう)・日中・日没(にちもつ)を昼三時、初夜・中夜・後夜を夜三時という。即ち、一昼夜ぶっ続けで座禅をしたのである。

「繩床(じようしやう)に於いて好相(がうさう)なり」これは底本では「持佛堂に於いて」の右にポイント落ちで附されてある。「繩床」は「81」に既注。そこの「好相」(ごうそう)は「相好(さうがう(そうごう))」に同じい。仏の身体に備わっている三十二の相と八十種の特徴の総称である。実際の明恵の寺の持仏堂に敷かれた繩床(或いはやはりそこに、実際に事実、座禅していたものととってよい)で、そこに自身が居て、その自身の姿は既にして仏の「相好」に等しいものであったというのである。

「巳上」この「82」単独とも、性質上、特異点で、通底しそうな「81」と合わせて、の謂いととってもよい。後者の方を私は推す(但し、「危ふく思へる」という述懐に直に応ずるのは無論、この夢の「罪障を懺悔す」の部分ではある)。]

□やぶちゃん現代語訳

81

 承久二年十二月六日か七日の頃、ひたすら、昼夜ぶっ通しで座禅行を修している際、こんな夢のようなものを見た――

……私は持仏堂に於いて【実際の繩床と同じものがあってそこに座している私の姿は相好に見合ったものなのであった】、仏像に対面(たいめ)して涙を流して、悲泣し、己(おの)が罪障を懺悔(さんげ)している……。

  以上の夢は、これ、自分がしっかりした
  行法を修していないことを極めて危(あ
  やう)いことだと思っていた頃の夢であ
  る。

明恵上人夢記 81

 

81

一、同十二月三四日の比、坐禪之時、上師、外より來りて、繩床(じようしやう)の右の角(すみ)に坐し給ふ。之に謁するに、無禮之(の)思ひを作(な)す。然れども、所作(しよさ)之(の)時なれば、苦しみ有るべからずと思ひて、見參(げんざん)すと云々。

[やぶちゃん注:「同十二月」は「80」(承久二(一二二〇)年十二月のある夜の夢)の順列と読めるので、承久二年十二月三日から四日にかけて、或いは、その孰れかの日に見た夢と採ってよかろう。本「夢記」(断簡を切り貼りしたもの)は全体を見渡すと、毎日、日記のように記したものではない。恐らくは、記憶、或いは、下書きのようなものを以って、かなり纏まってから清書したものと推定出来るから、後者の三日か四日のどちらかという意味合いが強いのかも知れない。「さんしにち」で掛け算で十二日とする場合もあるが、実は続く「82」が「同六七日」とあるので、それは採らない。

「坐禪之時」これは書き方から見て、実際に座禅をしている最中に脳内に生じた夢様のものという設定と読む。今までも、睡眠中ではなく、修法中や昼夜を問わぬ観想中に見た夢が含まれてある。即ち、この夢様記述は特異的で、一種の、座禅中の脳の覚醒したレム睡眠(Rapid eye movement sleepREM sleep)的な夢で、尚且つ、実際の現場と一致している状況でオーバー・ラップ映像を想起すべきものと私はとる。

「上師」今待通り、母方の叔父で出家最初よりの師である上覚房行慈ととる。明恵はこの十二年前の建仁二(一二〇二)年に、この上覚から伝法灌頂を受けている。行慈は嘉禄二(一二二六)年の十月五日以前に八十歳で入寂しているので、この頃は存命である。

「繩床」は「じょうじょう」(現代仮名遣)と読んでもよい。ここでは、繩を巡らして作った円座風の敷物。

「無禮之(の)思ひ」師が明恵の寺を来訪されたが、堂内に置かれてある繩床の中央でなく、右縁の方に座をとっておられることを、本寺の主僧である明恵自身が師行慈に対して失礼なことと思ったことを指す。

「所作之時」ここは座禅中であることを指していよう。]

□やぶちゃん現代語訳

81

 承久二年十二月三日か四日の頃、座禅行を修している際、こんな夢のようなものを見た――

……上師が、外より来られて、繩床(じょうしょう)の、真ん中ではなく、そこを空けておかれて、遙か右の角(すみ)にお座りになられた。

 私はこの師の御来訪に対してちゃんと礼式を成さねばならないのだが、そのように違例の場所に師を坐(ま)さしめ申し上げたままでそれをし申し上げることは甚だ無礼なことであるという思いが私に去来した。

 しかしまた、

『――これは――座禅行の所作(しょさ)の時ことであるに依って――例外として――苦しゅうないものであると判断してよいのだ』

と思い、徐ろに、そのままで見參(げんざん)した……。

 

2019/07/24

明恵上人夢記 80

 

80

一、十二月の夜、夢に又、馬、有り。嶮難を能く過ぎ、道を知りて、外(そと)より此の住房に來る。不具の人、此の馬好相の、かく道を知れるが故に、苦しみ有るべからずと思ふ。

[やぶちゃん注:これは直前の「79」を受けてこその「夢に又」であるから、承久二(一二二〇)年十二月のある夜の夢と採ってよい。なお、「此の馬好相」の「好相」は「此の馬」の左に小さく打たれてあると採った。底本では行が詰まっていて、次の「81」条の日付(「十二月三四日」の「三四」)の右に附されているようにも見えるが、日付にかく附すのはおかしいし、次の「81」の内容とも「好相」は合わないので、かく処理した。ここで注してしまうと、「好相」は「かうさう(こうそう)」或いは「がうさう(ごうそう)」と読み、「将来、良いことがあることを示す立派な姿」或いは「良い事のある前兆」又は「悟りが得られる兆し」を意味する。ここは――この馬がそのような瑞兆の相を具備している――という補注(訳では【 】で示した)であると私は採るのである。

「不具の人、此の馬の、かく道を知れるが故に、苦しみ有るべからずと思ふ」これは夢の中に「不具の人」が登場し、しかも以下のように思っているなどという意味に採ることは無理がある。明恵の今までの夢記述の筆記法ではそのような荒っぽい簡略や圧縮は殆んど見られない。であれば、この一文全体は謂わば、夢の中で明恵がその馬の来訪と様態を見ながら、観想した心内語と採るべきものと考える。それでこそ「79」夢に続いて正法(しょうぼう)が明恵に感得させた真理として腑に落ちるのである。而してその観想を思うなら、この「不具の人」とは狭義の身体の不自由な人ではあり得ず、まさに正法を未だ知ることが出来ずにいるはずの多くの衆生を指しているのであり、そうした衆生が――「此の馬の、かく道を知れる」のと同様に「苦しみ」を感ずることなしに、私とともに正法の世界へと導かれるのであるという正覚(しょうがく)を夢の中の明恵が感じていると読むべきものと私は思う。]

□やぶちゃん現代語訳

80

 承久二年十二月の或る夜、こんな夢を見た――

 前月二十日に見のと同じく、夢の中に、またしても、馬がいる。

 馬は、嶮(けわ)しく危い尾根を如何にも軽々と過(よ)ぎって――まさに正しき「道」を知って――この私のいる寺の外界より、この私の修行している住房へと、現にやって来ている、のである。

 その時、私は瞬時に、

『そうだ! 正法(しょうぼう)を未だ知らぬ人々も――この馬【如何にも瑞兆を示す好相を示している馬なのであった】が、かくも道を知ってやって来たように――何らの苦しみを怖れることなく――何らの苦しみを少しも感ずることなどなく――ここにともに「在る」ことが出来るのだ!』

と確かに思ったのである。

 

2019/01/03

明恵上人夢記 79

 

79

廿日の夜、夢に云はく、一疋の馬有りて、我に馴(な)る【此の馬と覺ゆ。】。少しも動かず。押し遣れば去り、引き寄すれば、來る。やはやはとして麁(あら)からずと云々。

[やぶちゃん注:「78」を受けて、承久二(一二二〇)年十一月二十日と採る。

「此の馬と覺ゆ」これは夢の中の明恵の意識が、覚醒時の明恵には理解出来ないものの、『ああ! この馬だったんだ!』と納得していたことを意味すると私は採る。夢の中の明恵にはこの馬が何を意味しているかが、鮮やかに理解されていた、しかし、目覚めた後の明恵には〈その納得〉の中身が判らなかったのである。しかし、何か大事なシンボルだということを理解した明恵がこれを夢記に記したというのことである。私のような凡夫でさえ、しばしば夢の中であるとてつもない開明に達して、エクスタシーを覚えながら、翌朝、目覚めて何が判ったのか判らなかったことは何度もある。或いはアドレナリンの放出とか、性的願望の昇華などとも使い古された解釈は可能かも知れぬが、明恵にはなかなか、そんなものは通用せぬ。この馬の動きは、明恵が立ち止まって考え込んでいた、修行或いは現実世界への対応の一つの行動様式への暗示・示唆となっているのであろう。

「麁(あら)からず」「やはやは」とした感じながら、荒々しさやいい加減な感じは全くない、というのである。]

□やぶちゃん現代語訳

79

 承久二年十一月二十日の夜、こんな夢を見た――

 一頭の馬がいて、私に馴(な)れている。

 その時、私は瞬時に、

『ああっ! そうかそうだったのか!! この馬だったのだ!!!』

とはっきりと意識している自分を自覚した。

 馬は、これ、ぴくりとも動かぬ。

 押しやってみると、押しただけそちらへ去り、引き寄せてみると、素直にその通りにやって来る。

 やわやわとしてなすがままで〈ある〉けれど、決して魯鈍なのではなく、〈己(おのれ)〉をしっかと持っている。荒々しさやいい加減なものなど、これ、微塵もない――〈確かにここにある〉馬――なのだ!……

2018/08/15

明恵上人夢記 78

 

78

一、同十一月十三日の夜、夢に云はく、此の比(ころ)、一向に坐禪す。一頭の大きなる獮猴(みこう)有りて、予に馴(な)る。予、之に教へて禪觀を修せしむ。獮猴、教へに隨ひて禪法を學ぶ。定印(ぢやういん)を結びて結跏坐(けつかざ)す。然れども、坐法、少し直(なほ)からずと云々。又、予、洛陽の大路に出づ。然れども、一身にして從ふ所無し。道を知らざれば、推量して至らむと欲す。至る所は淸水寺(きよみづでら)等なり。見渡すに、終(つひ)に知るべき由、之を覺ゆと云々。又、一つの大きなる殿、有り。其の前に、池、有り。水、減少して穢(けが)れ濁る。小蟲等、之(これ)、有り。其の家、釣殿の如きを水に造り懸けたり。其(それ)もゆるぎて全(まつた)からずと云々。

  合せて曰はく、此(これ)、行法を修せず

  して、寶樓閣、あれたるなり。池は樓閣

  の前の池也。坐禪に鎭護無き也。

[やぶちゃん注:承久二(一二二〇)年十一月十三日と採る。三パートに分かれるが、これが実際に同夜に見た三つの別な夢だったのか、或いは孰れか又は総てが連続した夢あったかは不明である。しかし、明恵はこれらの三つの内容を綜合して解釈し、最後に夢分析を添えているのである。特に最初の猿の坐禅の比喩は何か非常に面白いものであり、最後の明恵の短い夢分析から考えると、既存の平安旧仏教の堕落したさまが猿に換喩されているような感じを受けないでもない。ともかくも、最後の夢分析部分は、相当に自由に敷衍的な訳させて貰った。御不満の方は、御自由に御自身の訳をなさるるがよかろう。

「此の比(ころ)、一向に坐禪す」拘ることはないのかも知れぬが、これは既に夢の記述部分である。確かに既に見てきた通り、この最近の明恵は実に、早暁からその翌日早暁に至るまでの間に三度或いはそれ以上の坐禅による観想を実際に行っているのであるが、ここは現実のその実際の自分の事実の謂いなのではなく、〈夢の中の明恵〉もまた、夢の時空間の中で、一心不乱に坐禅行を行っている存在なのである。私はこうした、現実の明恵と夢の中の明恵の自己同一性(アイデンティティ)が完璧に保たれていることが、夢を有意味なものとして捉えることの明恵の正当性を保障し、明恵はまた、さればこそ、自身の見る夢を謎めいたものとせず、その解釈は難解な作業であるなどとも微塵も思っていない事実を伝えているものと思うのである。

「獮猴(みこう)」霊長目オナガザル科マカク属ニホンザル Macaca fuscata を指していると思われる。なお、現行ではこの漢語は種としてはオナガザル科マカク属タイワンザル(台灣獼猴)Macaca cyclopis を指すようである。

「禪觀」「止観」に同じい。仏教に於ける代表的な観想法。「止」は精神を集中して心が全き静寂となった状態を指し、「観」は対象を在るが儘に観察することを意味する。「止」は「観」の準備段階とされる。孰れも持戒とともに仏教徒の重要な実践法とされる。

「結跏坐」「結跏趺坐(けっかふざ)」に同じい。「跏」は「足の裏」、「趺」は「足の甲」の意で、坐法の一つ。両足の甲をそれぞれ反対の腿の上にのせて押さえる形の座り方。先に右足を曲げて左足を乗せる降魔坐(ごうまざ)と、その逆の吉祥坐の二種がある。蓮華坐とも呼ぶ。

「淸水寺(きよみづでら)等」「等」としながら、清水寺だけを出して示したのには、非常に重大な意味があるわけだが、判らぬ。しかし、明恵には末尾の夢分析から見ると、判然としていると読める。なお、当時の清水寺は法相宗が本宗(現在もそう)で、真言宗との兼宗であった。言わずもがなであるが、明恵は華厳宗中興の祖である。]

□やぶちゃん現代語訳

78

 承久二年十一月十三日の夜、こんな夢を見た――

   ○一

 夢の中の私は、最近、只管(ひたすら)一心に坐禅をしている、現実の私と同じなのであった。

 一頭の大きな猿がいて、私に馴れている。

 私は、この猿に禅観の何たるかを教え、而してそのやり方を教授した。

 猿は、私の教えに随って、禅の観想法をしっかりと学んだ。

 そうして、定印を結んで結跏趺坐した。

 しかし、その坐法を見るに、今少し、正しくないのであった……。

   ○二

 また、こんな夢を見た――

 私は、京の大路に出ている。

 しかし、私の心の中をどんなに隈なく調べてみても、

――何処(いずこ)へ

――何のために

行こうとしているのか、これが、

――全く以って判らない

のである。

 当然のことながら、向かうべき道をも知らぬのであるから、私は、

『ここは、ともかくも、観想の中で推量して、その「何処か」に至ることとしよう。』

と思うた。

 すると、至るべき所は、

――清水寺(きよみずでら)など

であることが直ちに感知された。

 その時! 大路に立っている私の意識の中に都の全景が、

――豁然と開いた!

 それを見渡した瞬間、

『遂に! 私は「それ」を知ることが出来た!』

という認識が生じ、それを確かに感得した……。

   ○三

 また、こんな夢も見た。

 一つの大きな寝殿造りの屋敷がある。その前庭に池がある。

 しかし、池の水はすっかり減ってしまっていて、ひどく穢(けが)れていて、完全に濁っている。小さな生き物どもが、その腐れ水の中で、しきりに蠢いているのも見える。

 池には、釣殿の如きものが、泥水の中に造り懸け渡してある。しかし、それも、半ば支柱がゆるんで、ちゃんと建っておらず、水のないごみ溜めのような中に傾(かし)いでいる……。

 

◎私明恵の以上の夢に就いての分析

 これらの夢の三つの内容を綜合して考えてみると、これは、現在の本邦の大寺院の仏教僧らが、あるべき正しい行法を執り行っていないが故に、古えより続く、三宝の一つたるべき荘厳(しょうごん)の仏寺の楼閣が、これ、精神的に致命的に荒廃している、ということを意味しているのである。最後の部分の屋敷に出てきたのは、仏閣の楼閣にあるべき荘厳(しょうごん)の池、広大無辺の仏智と慈悲心を湛えているはずの池、なのである。その池が汚れきって、毒虫に満ち満ちているとは、即ち、第一の猿の坐禅の姿勢が決定的に間違っているのと同様、現在の多くの僧侶らの行っている観想そのものが、致命的誤っているということ、今の世の大半の僧らの似非行法では、とてものこと、真の観想に至るべき心の鎮静と、正法(しょうぼう)のまことの御加護はないのだ、ということなのである。

 

2018/07/26

明恵上人夢記 77

 

77

一、同十一月八日の夜、夢に云はく、説戒之(の)時、每日、人數(にんず)、倍(ばい)する也。常住之(の)人の外に、客僧、加はると思ふ。又、人、有りて云はく、「然(しか)なり。」と云々。又、溫室(うんじつ)に入りて、數多(あまた)の人數(にんず)と沐浴すと云々。

[やぶちゃん注:承久二(一二二〇)年十一月八日と採る。

「説戒」(せっかい)は受戒(出家や在家の者など、それぞれの立場で守るべき戒を受けること)を求める者に戒律を説くことであるが、特に半月毎に同じ地域の僧を集め、戒本を読み聞かせ、自身を反省させ、罪を告白させる集まりを謂う。布薩(ふさつ)とも呼ぶ。

「客僧」「かくそう・きゃくそう」(現代仮名遣)二様に読める。私は「かくそう」(特に原義はそれがよい)と読みたい口である。原義は「修行や勧進のために旅をしている行脚僧」であるが、他に「余所の寺や在俗の家に客として滞在している僧」を指す。ここは原義に加えて派生の意も含むと採った方が自然な気がする。

「溫室」寺院で湯浴(あ)みをするための建物。湯殿であるが、実用的なそれよりも行の一環として僧に湯浴みをする場所と採った方が、「沐浴」の意とともに私には腑に落ちる。鎌倉時代のそれは、概ね、湯を湛えたものが配置された蒸し風呂形式のもので、湯槽に入る形ではないので注意されたい。]

□やぶちゃん現代語訳

77

 承久二年十一月八日の夜、こんな夢を見た――

 説戒の時、毎日、前の日の倍の人数が、これ、押し寄せて来る。常住の僧の以外に、数多の客僧(かくそう)が、これ加わっていると思われる。また、ある人の側にあって曰く、「その通りである。」と……また、温室(うんじつ)に入っても、そこには、これまた、驚くほど数多(あまた)の人々がいて、彼らとともに、私も沐浴するのであった……

 

明恵上人夢記 76

 

76

一、同十一月七日の夜、夢に、一つの大きなる池、有り。廣博(こうばく)也。上師有りて、樋口の女房に仰せて云はく、「此の池へ躍(をど)るべし。」【水、連(つら)なる時に躍る心地す。】。然るに、此の女房、飛ぶ鳥の如く、橫さまに飛びて、此の池に入る。後に來れる時、其の衣服(えぶく)、濕(うる)はず。上師等(ら)、之を御覽ず。

[やぶちゃん注:承久二(一二二〇)年十一月七日と採る。

「廣博」池が非常に広く大きいのであろうが、本来、この熟語は「知識・学問が多方面に亙っていること」の意である。或いは、この池は正法(しょうぼう)の深遠な「仏智」の池なのかも知れない。但し、エンディングで、入水した「樋口の女房」が、その水に全く濡れそぼっていなかったというシーンが如何なる意味を示しているのかは、全く分らない。しかし、彼女が一滴も濡れていないというコーダが稀有驚愕の霊験的事態である(明恵は勿論、上師にとっても)ことは、確かであるように思われる。

「上師」前例に倣い、母方の叔父で出家当初よりの師である上覚房行慈と採る。当時、生存。

「樋口の女房」底本に『覚厳』(かくごん)法師『の妻か』とある。底本の他注では彼を明恵の庇護者の一人とする。彼は「55」に登場する。

「水、連(つら)なる時に躍る心地す」ここは覚醒時の明恵自身の補注割注であるが、ちょっと意味が採り難い。「私は『池に漣(さざなみ)が連なり立った時こそ、彼女が躍り入ったと判るはずだ』という心持ちでいたことを思い出す。」という夢の中の明恵の意識の流れを覚醒時の明恵が補足細述したものか?

□やぶちゃん現代語訳

76

 承久二年十一月七日の夜、こんな夢を見た――

 一つの非常に大きな池がある。対岸がはっきり見えぬほどに広く深いのである。

 上師がおられ、そこにいた樋口の女房に仰せられることには、

「この池へ躍(おど)り入るがよい。」

と。

[明恵注:この時、私は、『池に漣(さざなみ)が連なり立った時こそ、彼女が躍り入った証しである』という、覚醒時の今の私には今一つ、よく意味は解らないのだが、確かに、そういう確信的な心持ちでいたことを、今、思い出す。]

 ところが、この女房は、あたかも飛ぶ鳥のように、美しく横ざまに――さっと――飛んで、この池に――すうっと――波も立てずに入った。

 しばらくした後、彼女が私たちの前に、再び姿を現わし来った時、何と、その衣服は、これ、全く濡れていなかったのである。

 上師らも、これを確かに、ご覧になられたのである。

明恵上人夢記 75

 

75

一、又、此の比(ころ)、夢に、兩人の女房有り。其の形、顏は長く、白き色なり。兩人同意して、上皇に、能々(よくよく)予之(の)御氣色(おんけしき)、吉(よ)かるべき事を申し入(いる)る。之に依りて、御感(ぎよかん)有る由、語らる、と云々。

 又、大きなる土器(かはらけ)の如き星あり。予を護り給ふ由を思ふと云々。

[やぶちゃん注:「此の比」「74」夢が承久二(一二二〇)年(推定比定)十月二十七日で、しかもその前は殆んど日を置かずに夢記述が示されてあって、次の「76」夢が同年(推定比定)十一月七日であるから、十月二十七日前後というよりは、承久二(一二二〇)年十月二十八日から十一月六日までの九日(同年十月は大の月)の間の夢とするのが自然な気がする。但し、二夢連続で記載されているものの、それが連続して見られた夢であったかどうかは、判らない。しかし別な折りの夢であったとしても、同じ条にかく纏めて、「一」の頭を置かなかったということは、この二つの夢が、明恵にとっては、ある種の強い連関(親和性)を持って記憶されていたことを強く示唆するものではあろう。

「女房」後に上皇云々とあるから、後宮の女官である。

「其の形、顏は長く、白き色なり」女性的な観音菩薩の造顔に似ているように思われる。

「上皇」後鳥羽上皇。「承久の乱」の勃発は、この七ヶ月後の承久三(一二二一)年五月十四日のことである。この時期、後鳥羽院と鎌倉幕府の関係は最悪の状態にあった。明恵が朝廷方に強いシンパシーがあり、乱では後鳥羽上皇方の敗兵を匿っており、乱後も、朝廷方についた貴族や武家の子女・未亡人たちを保護するため、承応二(一二二三)年に山城国に比丘尼寺善妙寺(高山寺別院で高山寺の南にあったが、早期に廃絶して現存しない。現在の右京区梅ヶ畑奥殿町内の(グーグル・マップ・データ))を造営したりしていることは言わずもがなである。私の栂尾明恵上人伝記 63 承久の乱への泰時に対する痛烈な批判とそれに対する泰時の弁明の前後なども参照されたい。

「御氣色」表情や態度に現れた心のさまであるが、ここは仏者としての心底(しんてい)と採ってよかろう。「御」は「女房」の明恵への敬意の接頭語なので訳さなかった。

「土器」素焼きの杯(さかずき)と採る。]

□やぶちゃん現代語訳

75

 また、承久二年の十月末から十一月の初めの頃、こんな夢を見た――

 二人の女房がいる。その顔形は、長く、抜けるように白い色をしている。

 その二人が二人ながら同意して、後鳥羽上皇に、よくよく、拙僧の心のさまが、めでたく正法(しょうぼう)に基づいて善(よ)きことを奏上し申し上げた、と語り、これをお聴きになられたによって、上皇さまは大いにご感心遊ばされた由を、私に語って下され……

 

 また、同じ頃、別にこんな夢も見た――

 非常に大きな土器(かわらけ)のような星が中天に輝いているのを見た。

 それを眺めながら、私は、

「ああっ! あの御星(おんほし)は、私をお護り下さっている!』

と思って……

明恵上人夢記 74

 

74

一、同廿七日の夜、前(さき)の如く、一向に三時、坐禪す。上師在りて、予の爲に、不倫の如き僧等(ら)五人、之を殺害(せつがい)す。殺生罪之躰(せつしやうのつみのてい)に非ず、と覺(おぼ)ゆと云々。

[やぶちゃん注:前に徴して承久二(一二二〇)年十月二十七日と採る。「73」の翌日というか、後半の暁方の覚醒夢を見た日の夜である。これもまた、明恵自身の決めた前夜と同じ修行法を繰り返しており、やはり同じく座禅中の覚醒夢であるだけに、「73」と本夢との連関性は、より強いように私には思われる。しかも、

――自分の師が手ずから血に染めて、彼、明恵のために、売僧(まいす)を五人も殺害するのを目撃し、しかも、それを見ている明恵は、その師匠の殺人行為を仏教最大の五悪の筆頭であるはずの「殺生の罪」には当たらぬ正法(しょうぼう)に背かぬ正当な行為であると認識する――

という、一見、驚愕極まりない内容なのである。しかし、これは、見ている明恵が「五人」の破戒僧は実際の僧ではない、反仏教的な何らかのシンボルであることを認識しているということに他ならないと読める。

「上師」前例に倣い、母方の叔父で出家当初よりの師である上覚房行慈と採る。当時、生存。

「不倫」仏者として踏み行うべき道から外れていること。女犯(にょぼん)に限る必然性はこの場合、全くないであろうと私は読む。]

□やぶちゃん現代語訳

74

 承久二年十月二十六日の夜、前夜と同様、只管(ひたすら)に夜を徹して座禅をする。その間に、またしてもこんな覚醒夢を見た――

 上師がおられる。

――その尊(たっと)き上師が 何と!

――他でもない

――私こと、明恵のために

――破戒に等しい行いを成していた僧ら五人を

――これ、殺害なさるのを

――見た。

――しかし、それを目撃しながら、

――私は

『これは殺生の罪に当たるものでは――ない――』

と確かに自覚し、平然としていられた……

 

明恵上人夢記 73

 

73

一、同廿六日の夜、一向に、三時、坐禪す。夢に、一つの大きなる山より、懸樋(かけひ)、通ふ。其の源は遼遠にして、予の頂(いただき)の上に當(あた)る。水、殊に偉大(とほじろし)と云々。又、其の曉、一つの大きなる蟲有り。形、蜈(むかで)の如し。崎山の尼公の手を、させり。十藏房、有りて、之を去らむと欲すれども、能くせず。高辨、之を去らむと欲すれば、逃れて奧へ入らむと欲す。卽ち之を拂ひ去る。

[やぶちゃん注:前に徴して、承久二(一二二〇)年十月二十六日と採る。

「一向に」只管(ひたすら)に。

「三時」は六時〔六分した一昼夜〕を昼三時と夜三時に纏めたもの。晨朝(じんじよう)・日中・日没(にちもつ)を昼三時、初夜・中夜・後夜を夜三時という。則ち、夜を徹して座禅したのである。

「偉大(とほじろし)」底本のルビ。このような形容詞は私は聴いたことがない。非常に強く畏れ多い偉大なる精神のパワーを以って脳天から脳髄及び全身に滲み徹ってくることを謂うか。

「形、蜈(むかで)の如し」形は百足(むかで)に似ているが、百足ではないのである。

「崎山の尼公」底本注に『湯浅宗重女。崎山良貞室』とある。明恵の母の妹の信性尼(伯母とする記載もある)。既注であるが、再掲しておくと、崎山良貞(?~元久元(一二〇四)年)は明恵の養父で、紀州有田川下流域を支配した豪族。明恵の庇護者でもあり、彼の没後、未亡人であった彼女によって、良貞の屋敷が寺として明恵に寄進されてもいる。

「十藏房」「52」夢に既出であるが、不詳。ただ、そこでも記した通り、この少し後に出る、「夢記」の中でも女性性の強く暗示される重要な夢の一つ、通称「善妙の夢」(承久二(一二二〇)年五月二十日の夢。以下で記載時制が逆転している)で唐渡来の香炉を明恵に渡すのがこの十蔵房で、同夢では明恵にある種の開明を示す立場にあるように読めるから、私には弟子とは読めない

「高辨」明恵の法諱。]

□やぶちゃん現代語訳

73

 承久二年十月二十六日の夜、只管、三時通して、座禅した。その最中、こんな覚醒夢を見た――

 一つの大きな山から、長大な筧(かけい)が通っている。

 その筧の源は遙か遠くであって、その下端は私の頭の頂きの上に当たってある。

 そこを流れ下って落ちる水は、これ、殊の外、何か、強く、畏れ多く、偉大な精神の力を以って、私の身内に深く徹して滲み渡ってくることが感じられ……

 

 また、その暁方に、やはりこんな別の覚醒夢を見た――

 一つの異様に大きな虫がいる。形は、蜈蚣(むかで)に似ている。

 崎山の尼君の手を、刺した。

 傍らに十蔵房がいて、これを除き去ろうとしたけれども、上手く出来ない。

 私こと高弁が、これを除き去ろうとすると、その虫は逃げて、奧の方へと逃げ入ろうとする。

 しかし、私は、首尾よく、これを払い去ることに成功する。

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