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カテゴリー「「栂尾明恵上人伝記」」の74件の記事

2014/03/15

栂尾明恵上人伝記 73 / 「栂尾明恵上人伝記」了

 又、城介入道覺知、高野山に住せしが、上人の御違例難治の由を傳へ聞きて、急ぎ出でゝ今夜栂尾に着く。十八日の夜なり。上人則ち對面し給ひて、終夜法門仰せられけり。

[やぶちゃん注:「城介入道」安達景盛。既注。

「十八日」寛喜四(一二三二)年一月十八日。実に臨終の前日のことである。]

 

 同十九日、今日臨終すべしとて、別の衣袈裟着替へて、又法門聊か云ひ給ふ。我れ幼少の當初に諸扁種諸冥滅、拔衆生出生死泥、敬禮如是如理師と讀み始めしより、志す所偏に聖教の深旨(しんし)を得て、名利の繫縛(けばく)に纏(まと)はされざらんことを思ひき。人は只名利が知れずして身に添ひ心を離れぬ者なり。山中の衆僧穴賢(あなかしこ)用心すべしなんどゝて、其の期近づく程に、高聲に打ち揚げて唱へ給ふ所、於第四都率天、四十九重摩尼殿、晝夜恒説不退行、無數方便度人天と誦し、其の後又稽首大悲淸淨智、利益世間慈氏尊、灌頂地中佛長子、隨順思惟入佛境と誦して後、此の五字に八萬四千の修多羅藏(しゆたらぞう)を攝(せつ)す。五字を誦せよとて、誦せさせて、我は理供養(りくやう)の作法を以て行法あり。行法終つて後、合掌して唱へて云はく、我昔所造諸惡業(がしやくしよざうしよあくごふ)、皆由無始貪恚癡(かいゆうむしどんじんち)、從身語意之所生(じうじしんごいししよしやう)、一切我今皆俄悔(いつさいがこんかいざんげ)と誦して、定印(ぢやういん)に住して坐禪す。良(やゝ)久しくして出定し告げて云はく、其の期近付きたり、右脇に臥すべしとて臥し給ふ。手を蓮花拳(れんげけん)に作りて、身の上に横たへて胸の間に置く。右の足を直く伸べたり。左の足をば少し膝を屈して上に重ねたり。面貌(めんめう)歡喜の粧(よそほひ)、忽に顯はれ、微咲(みせう)を含み、安然として寂滅し給ふ。春秋六十歳也。

 

 同二十一日の夜、禪堂院の後に葬斂(さうれん)す。其の間、形色敢て改まらず。眠れる粧ひ誠に殊勝なり。十八日の夕方より異香常に匂ふ。諸人多く是を嗅ぐ。葬斂の後兩三日の間、異香猶散ぜず。凡そ此の上人、大小・權實(ごんじつ)・顯密二教・因明(いんみやう)・内明(ないみやう)何れこそ知り給はずと云ふことなかりき。又五薀・十二處(しよ)・十八界・四諦・十二因緣等の説、千聖の遊履(いうり)する處、只爲無我法門説之趣深以悟得(只だ無我法門の爲に説の趣、深く以つて悟得す)故に文に云はく、故大悲尊、初成佛已(しよじやうぶつい)、仙人鹿苑、轉四諦輪(てんしたいりん)、説阿笈摩、除我有執(じよがうしよ)、令小根等(れいせうこんとう)、漸登聖位(ぜんとうしやうゐ)と云ひて、始めて人空(にんくう)の一理を開きて、小機聖流(せうきしやうる)に預ると云ふより、般若畢竟平等眞空、五法・三自性(じしやう)・八識・二無我の法門、華嚴の六相圓融(ろくさうゑんゆう)・十玄緣起、眞言の五相・三密・三平等、字輪瑜伽(じりんゆが)の觀行(くわんぎやう)、併て玉鏡(ぎよくしやう)を懸けたるが如し。乃至孔子・老子の教説、大易自然(たいえきしぜん)の道、又數論外道(しゆろんげだう)の二十五諦(たい)を立て、自性(じしやう)・大我慢(だいがまん)・五唯量(ゆゐりやう)・五大(だい)等、勝論外道の建立(こんりう)實(じつ)・德・業(ごふ)・有(う)・同異・和合と云ふまでも、極め知り給はずと云ふことなかりき。

 

 豫多年隨逐(ずゐちく)の間あらあら九牛の一毛を注す。定めで謬(あやま)りあらん外見に備ふべからず。

喜 海   

 

 

 

梅尾明惠上人傳記終



以上を以って「
梅尾明惠上人傳記」の電子化を終わったが――これはまた同時に――総ての始まりである。――ではまた――お逢い致そう――

2014/02/12

栂尾明恵上人伝記 72

 日來(ひごろ)は坐禪の時、是程近くては見奉らず。此の病中に看病の次に近づきて見奉るに、禪定に入り給ふ時は、數尅出入の息絶え給ひて、身體聊かも轉動することなし。はや入滅し給ふかと肝つぶして手を口に當て見奉るに息氣なし。驚き存すと云へども兼ての約束に我が息絶えて入滅したりと見るとも、身の冷えはてざらんに我に手ばし懸くなと仰せ置かれしかばと思ひて、待ち居たる程に、數尅の後、少しづゝ動き給ひて、自ら臥し給ふ時もあり。かゝる事毎日毎夜の事なれば、後々には例の事と知りて驚かず。或る時又例の如く定に入り給へり。傍にて見奉れば、彌勒の大座の左の角の寶珠の上より香煙忽に立ち昇る。漸く帳(とばり)の内に滿ちて終に御座の間に靉(たな)びき雲の如くして空に涌(わ)き上る。其の時に當つて上人の御口の中より白光出でゝ彌勒の寶前を照らし給ふ。山中に獨りのみ坐し給ひし日來の體もかくこそありつらめと、今こそ思ひ知られけれ。或る時は諸衆を集めて、不斷に文殊の五字の眞言を誦せしめて、其れを聞きながら、我は定に入り給ひけり。又或る時は初夜の坐禪の中に忽に眼を開きて告げて云はく、只今左の脇に不動尊現じ給へり、慈救(じく)の咒(しゆ)を誦せよとて、諸衆に誦せさせらるゝ時もあり。又彌勒の寶號を唱へさせらるゝ時もあり。衆僧普く座に望む、其の時に、上人遺誡(ゆゐかい)を垂れて云はく、我れ年來諸佛菩薩に加被(かび)を乞ひて、聖教において如來の本意を得んことを求む。宿善實に憑(たの)みあり。既に是を得たり。他事なく勤め修行せん事を思ふと雖も、思ふ程こそ其の本意を益せざれども、如來の本意、解脱の入門是れを開けり。諸衆各又此の志を全くして堅く如來の禁戒を持ちて、精進して勤行すべし。末代には眞正の知識もなし。若し自宗おいて明らめ難き理あらば、禪宗において正してんと、聞き得ん禪僧に相談せば益あるべし。或は法により、或は人に依りて、偏執我慢あるべからず。今は必ず諸佛の御前にして見參を遂ぐべきなり。顯性房(けんしやうばう)志深く山中に行ひ勤めてさて御座し候へば、隨喜し參らせ候なり。我が申す所の法示し給ふべしと云々。我は釋尊入滅の儀に任せて、右脇臥(うけふぐわ)の儀にて臨終すべしとて、右脇臥にて御坐す。其の時此の程向ひ居給ひつる彌勒の像をば學文所(がくもんじよ)へ入れ奉りて其(そこ)に安置し奉る。

[やぶちゃん注:「手ばし懸くな」「ばし」は副助詞(取り立ての係助詞「は」に強意の副助詞「し」の付いた「はし」が濁音化して一語になったもの)で、上の事柄を取り立てて強調する意を表す。軽々に亡くなったなどと断じて手出しなんぞしてはならない。

「文殊の五字の眞言」平泉洸全訳注「明惠上人伝記」には『阿羅跛捨那(アラバシヤナ)』と割注する。アラハシャノウ。

「慈救の咒」慈救呪。不動明王の呪文の一つで、唱えると災厄から免れ、願い事が叶うという。慈救の偈。

「加被」御加護。

「自宗」ここは明恵一門のそれであるから華厳宗。

「顯性房」一言芳談 五十九に出る「松蔭の顯性房」か(リンク先は私の注釈テクスト)。]

2014/01/29

栂尾明恵上人伝記 71 「無常を取り殺して、其の後にぞ我は死なんずる。無常にはとり殺さるまじ」

 或る時、上人語りて云はく、大聖文殊(だいしやうもんじゆ)に大智を乞ひて、佛法の玄旨(げんじ)を心の底に伺ひ演(の)ぶる處、併て二空の妙理なり。三世の諸佛の大道、一代諸教の本意なりと思へば、手を放ちて空々(くうくう)とのみ空めき居たれば空めき死(じに)にぞ死なんずらん。此の空の故には無常を取殺(とりころ)して、其の後にぞ我は死なんずる。無常には取り殺さるまじきなり」と戯れ給ふ。

[やぶちゃん注:最期の時が迫る中、「手放しで『何もかも総て、空じゃ! 空じゃ!』とばかり念じて、空のただ中におりさえすれば、空めいた死に振りもできようものであろうず。このすべての真理たらん空故にこそ、我らは無常をテッテ的にとり殺す。無常を取り殺した、その後で、我らは死のうと存ずるのじゃ。我らは決して――無常によってはとり殺されはせぬぞ!」と如何にもシブい冗談を述べる明恵――私にはその少年のようなつやつやとした素晴らしい笑顔が――見える……

「二空の妙理」講談社学術文庫の平泉氏の訳では、『物質と精神との二元論的存在を否定する不思議な道理』とある。

「三世」過去・現在・未来。

「一代諸教」釈迦がその生涯で説いた多くの教え。]

2014/01/26

栂尾明恵上人伝記 70

 同四〔壬辰〕正月上旬の比より所勞次第重く成りて憑(たのみ)なき體(てい)なり。病中に常に結跏趺坐(けつかふざ)して入定(にふぢやう)、其の間彌勒の帳(とばり)の前に安置する處の土砂、忽ちに紺靑(こんじやう)色の如くにして、光焰(くわうえん)相具して其の室に散在せるを見る。入定の隙には法門を説いて、諸衆を誠め、沒後(もつご)の行事を定め給ふ。

[やぶちゃん注:「同四〔壬辰〕正月」寛喜四(一二三二)年一月。この年は四月二日に貞永元年に改元されている。この一月十九日に明恵は示寂する。

「入定」は広義の真言密教に於ける究極的修行の呼称で、一切の妄想を捨て去り、弥勒出世の時まで衆生救済を唯一の使命とする絶対安定の精神状態に入ることを指すが、ここでは最早、原義としての生死の境を超越して悟りを得ることと同義的なニュアンスである。]

2014/01/25

栂尾明恵上人伝記 69 我が死なんずることは、今日に明日を繼ぐに異ならず

 同三年十月〔辛寅〕より所勞の氣(け)ありて不食(ふじき)に成り給ふ。上人語りて云はく、我が身に於いて、今は世間出世に付きて所作なし。存命(ながらへ)て久しくあらば、還て諸人の諍(あらそひ)を增すべし。云ふ所の法門は一々に人に似ず。佛説は三科・薀(うん)・處(しよ)・界(かい)の法門も人我無生の理を顯して、凡夫の我執(がしう)を翻せんが爲なれども、是を習ひながらますます我見を增長す。大乘無相(むさう)・無生(みしやう)の妙理、五法三性(しやう)の法門、又越(おつ)百六十心生廣大功德(しんしやうくわうだいくどく)と説き、本初不生阿字(ほんしよふしやうあじ)の密行(みつぎやう)、本尊の瑜伽(ゆが)も、徒に名相妄想(めいさうまうぞう)の塵(ちり)に埋もれて、空しく名利の棘(いばら)に隱れたり。聞くと聞く處佛法を囀(さへづ)るに似たれども、併(しかしなが)ら邊に住し邪に止りて、正慧(しやうゑ)の門戸(もんこ)開けたる詞(ことば)を聞かず。是を制して捨てしめば、名字の教法猶皆絶えぬべし。是を依止(えし)して尋ねんとすれば、佛道の直路(ぢきろ)すべて入門を知らず。佛道入り難く知識あひ難しと云ふこと、誠なるかなや悲しむべし、若し證果(しやうくわ)の聖者たらば、今は彼の阿難尊者の、若人生百歳不見衰老鶴(にやくにんしやうひやくさいふけんすゐらうかく)の偈(げ)を聞いて、入滅せしが如くに、入滅してまし。倩(つらつ)ら此の如き事を思へば、彼の法炬陀羅尼經(ほふこだらにきやう)の中に、過去十四億の如來に親近(しんごん)し奉ると云へ雖も、法を得ざる菩薩ありと説ける、誠に理(ことはり)なりと覺ゆ。何れの世何れの生にか佛法の大意を得、如來の本意を知るべきや。十惡(じふあく)國に充ちて、賢者世を捨つる時は、山河併て其の濁(にごり)に染(そ)みて、國も國にあらず。然れば今は佛法も佛法にあらず、世法も世法にあらず。見るにつけ聞くに觸れても心留るべきに非ざれば、死せん程はよき期也。我が死なんずることは、今日に明日を繼ぐに異ならず。又人の大きなる所知庄園を得て出立する樣に覺ゆ。生處分明(しやうしよぶんみやう)なり。聖教の値遇、聞法の益、決定(けつぢやう)して疑なし。豈又千聖(せんしやう)の遊履(いうり)し給ふ處、知らざるにあらんやと云々。

[やぶちゃん注:ここにあるのは当時の(そしてより今の)仏教界宗教界のみならず現実世界への痛烈な指弾であると同時に、明恵の「あるべきやうは」というゾルレンの思想基づく、確信犯としての来世の還想回向の期待に満ち満ちてている。そしてそれがこの「我が死なんずることは、今日に明日を繼ぐに異ならず」という覚悟の確信の言葉となって出現しているのである。

「同三年」寛喜三(一二三一)年。明恵満五十八歳、入滅の前年。

「世間出世に付きても所作なし」俗世間の問題についても、また、現状の仏教界に於いても、やらねばならぬことは最早、なくなった。

「一々に人に似ず」それを聴いた人毎にその受け取り様はみな違っている。

「三科・薀・處・界」。「三科」は、以下の仏教に於ける一切法(この世に存在する一切のもの。この世界を世界たらしめているシステム)を分類した五蘊・十二処・十八界の三範疇を指す。五薀は色(しき)蘊(本来は人間の肉体を意味したが後に総ての物質の存在様態を包括する謂いとなった)・受蘊(感受作用)・想蘊(表象作用)・行蘊(意志作用)・識蘊(認識作用)を指し、十二処は感覚器官の認識作用で、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)意(い)の「六根」に、どの「六根」の対象(前項に順に対置する)であるところの色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法(ほう)の「六境」を加えたものを指す。十八界は、この「十二処」に認識作用としての「六識」(やはり前掲に順次対置)眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識を加えたものをいう。]

2014/01/11

栂尾明恵上人伝記 68 自らの死の予知夢

 上人、夢に、大海(だいかい)の邊に大盤石さきあかりて高く聳え立てり。草木華葉鬱茂(うつも)して、奇麗の勝地也。大神通力(だいじんづうりき)を以て大海と共に相具して十町計りを拔き取りて、我が居所の傍に指し置くと見る。夢覺めて語り給はく、此の夢は死夢なりと覺ゆ。來世の果報を現世に告ぐるなりと命ぜしめ給ふ。

[やぶちゃん注:「あかりて」は岩波文庫版「ではあがりて」。この夢は「高山寺明惠上人行狀」の中にも記されてあり、それはやや叙述が異なり、また実は見た際の明恵の病態が尋常ではなかったことなども分かるので、今、国立国会図書館のデジタル化資料「史籍雑纂」(国書刊行会編明治四四(一九一一)~大正元・明治四五(一九一二)年刊)に載るものを視認して示すこととする。

   *

一同三年〔辛卯〕十月一日より、年來の痔所勞更發し、又不食の氣に煩ふ、同十日夜、殊大事なり、仍臨終の儀に住して、彌勒の像の御前に端坐して寶號を唱ふ、すなはち衆に示して曰く、我れ自ら寶號を唱ることは時に隨ふへし、諸衆寶號を唱へしと云て、我は坐禪入觀す。數刻の後出觀して、又理供養の儀をもて行法あり、其後暫く稱名す、後夜に臨て休息す、其後漸々に聊少減を得といへども、恒に不快なり、上人夢に大海の邊に大盤石さきあかりて高く聳へ立り、草木花菓茂欝して奇麗殊勝なり、大神通力をもて大海と共に相具して十町許りをすき取て、我か居處のかたはらにさしつくと見る、此の夢は死夢と覺ゆ、來生の果報を現世につくなり。

   *

私はこの電子化とは別に「明恵上人夢記」の電子化訳注を並行して行っている関係上、この夢記述はすこぶる興味深い。まずは取り敢えず、この二稿の夢に私の電子化訳注に準じて訳してみたい。①としたのが「伝記」版の、②としたのが「行状」版である。「十町」は一・一キロメートル(四方)に相当する。「數刻」一刻は二時間であるから、四~六時間後という感じか。

   §

 ご上人さまが、ある日見た夢であらせられる。

「大海のほとりに一枚板の大きな岩が、屹立して高く聳え立っている。草木や花や葉が鬱蒼と繁茂して、すこぶる綺麗なる景勝地なのであった。私は聖なる神仏の神通力を以って、大海とともに合わせて十町計りの空間を抜き取って、私の居んでいる場所の傍らに、その景観を丸ごと据えおくことに成功したのであった。」

この夢からお醒めになったご上人さまは、

「……この夢は私の死を告げる予知夢であると感じている。……がしかし、これは私の来世(らいせ)での果報のありさまを如実に現世(げんせ)の私に告げ下すったものである。」

と、宣言なさったのであった。

   §

一、同三年〔辛卯(かのとう)。〕十月一日より、年頃、お患いなさっておられたところの痔疾の状態が悪化なされ、かなりお苦しみになられるようになって、加えてご食欲が殆んどなくなられるといったご容態になられた。同月十日の夜、殊に病態が悪しくなられたによって、御自ら、臨終の儀式に臨まんものと、弥勒菩薩の御像の御前に端坐なされ、弥勒の尊き御名号(おんみょうごう)をお唱えになられた。そうして、直ちに会衆に示唆なさって、

「……我れら、自ら弥勒のあらたかなる御名号を唱えるは――まさに時に当たって従っているのだとお心得あれかし――諸衆もともに安らかに高らかにあらたかなる名号をお唱えになられよ。――」

と仰せられて後、御自身は座禅なさったままに観想にお入りになられた。

 数刻の後、観想からお戻りなられて、また作法通り、齟齬なき供養の儀を以って行法をなさった。その後、暫く神仏の称名をなさった。その後、やっと夜になってから御休息をなされた。その後はだんだんといささか生気を取り戻されたようであられたが、依然として御不快のご気配であらせられた。

 その時、ご上人さまは次のように宣われた。

「我ら、夢を見申した。……

大海のほとりに一枚板の大きな岩が、屹立して高く聳え立って御座った。――

草木や花や葉が鬱蒼と繁茂して、それはそれは綺麗なる景勝地で御座った。――

我ら、聖なる神仏の神通力を以って、大海とともに合わせて十町計りの空間をすっぽりと透き取って、我らが居所の傍らに、その景観を丸ごと、接ぎ足し据えて御座った――

……と申す夢を見申した。……さても……この夢は我らの死を告げる夢と存ずる……いや……我らが現世(げんせ)の生(しょう)の果てを来世(らいせ)に接ぐものと心得て御座る。……」

と。

   §

 これは明恵にして見ることの出来た己れの入寂、否、浄土への転生の美事な予知夢と言ってよい。いや、彼ならば浄土から再び衆生を救うためにあえて戻ってくるはずであろうから、これは明恵の生まれ変わりが見た現実の未来の紀州かどこかの景色ででもあったに違いないと私は思うのである。ご存知ない方のために老婆心乍ら述べさせてもらうと、再び戻ってくるというのは、還相回向(げんそうえこう)のことを述べたものである。中国は南北朝の僧で浄土教の開祖とされる曇鸞は「浄土論註」巻下の中で往相(おうそう)・還相(げんそう)の二種の回向を説いている。往相回向とは「往生浄土の相状」の略で、自分の善行功徳を他の対象に廻らし、他の対象の功徳としてともに浄土に往生しようという誓願を指す。即ち、共時的な連帯した極楽へのベクトルを持った往生である。ところが「還来穢国の相状」の略である還相回向というのは、極楽浄土へ往生し者を、あまたある煩悩に縛られた衆生を救うために再び現世へ還り来たらしめんとするところの願いのことを指す(浄土教ではこれら利他のはたらきを阿弥陀仏の本願力の回向とする)。私は明恵は必ず還相回向をせんとする人と考えるのである(往相及び還相回向の部分にはウィキ回向」の記載を一部、加工用に用いさせて戴いた)。

 なお、この部分について、河合隼雄氏は「明惠 夢に生きる」の中で、以下のように述べておられる(河合氏の「行状」の引用は、私が先に掲げたものとは新字の漢字片仮名交じりで、一部に異同があるので表記その他が異なる)。

   《引用開始》

 「此ノ夢ハ死夢ト覚ユ」と断定するところがなんとも言えないが、その内容もまた意表をつくものがある。「大海ノ辺(ほとり)ニ大盤石」云々という景色は、明恵の好んだ白上の峰を思わせるものがあるが、それをもっと素晴らしくしたものであろう。それを神通力で運んできて、自分の居処の傍に置いたのだから、もう死ぬ準備はできたと考えたのであろう(この「来生ノ果報ヲ現世ニツグナリ」という文における「ツグ」は、その前の文にある「サシツグ」と同じ意で、「接ぐ」と解せられるが、『伝記』の文は「来世の果報を現世に告ぐる也」となっている。どちらとも考えられて断定し難い)。

 ユングも死ぬ少し前に、死の夢と彼が感じた夢を弟子たちに告げている。それは次のような夢である。

 「彼は『もう一つのボーリンゲン』が光を浴びて輝いているのを見た。そして、ある声が、それは完成され、住む準備がなされたことを告げた。そして、遠く下の方にクズリ(いたちの一種)の母親が子どもに小川にとびこんで泳ぐことを教えていた」

 ボーリンゲンは、ユングが特に愛した彼の別荘ある。はじめ彼は自ら煉瓦を積んで塔をつくり、電気、水道などを一切用いず、ここでよく瞑想にふけったりしていた。夢のなかで、彼は「もう一つのボーリンゲン」が「あちら」に完成され、新しい住人を待っていることを知らされるのである。明恵の場合は、「あちら」の世界を神通力で引き抜いてくるのだが、ともかく、両者共に、次に住むべき所が夢のなかに提示され、どちらもそれを「死夢」と判断しているのは興味深いことである。

   《引用終了》

私は、二十六年前、河合氏の当該書を読んで、最も感動したのはこの箇所であった。特に明恵の大神通力なんぞより何より、ユングの夢の最後の「遠く下の方にクズリの母親が子どもに小川にとびこんで泳ぐことを教えていた」という箇所にこそ、深く心打たれたのを忘れないのである……]

栂尾明恵上人伝記 67

 寛喜二年〔庚寅〕、和字に八齋戒自誓の式を撰して道俗に示す。

 同年七月に孟蘭盆經(うらぼんぎやう)の式を作りて之を行ふ。

 又善財(ぜんざい)、五十五の善知識の次位(じゐ)の建立、得法(とくほふ)の軌則(きそく)に依りて、十門の科文(くわもん)を出して大衆に告げて云はく、此の法文は年來習學修練(しゆうがくしゆれん)する處なり。各此の法文を聽聞あるべしとて、常に講じ給ひけり。此の十門を以て華嚴一部の大綱を括(くゝ)り、五十五聖の法門をふさねて、金剛見聞(けんもん)の種(しゆ)を裹(つゝ)みて、善財の跡を尋ね、解行圓滿(げぎやうゑんまん)の果に望みて、十佛の覺(さとり)を開かんが爲なり。

[やぶちゃん注:「裹みて」の「裹」は底本では上部の(なべぶた)がない。

「寛喜二年」西暦一二三〇年。明恵満五十七歳。入滅の二年前。

「和字」国文仮名(恐らくはカタカナ)混りの表記法。

「八齋戒」八戒。在家男女が一日だけ出家生活にならって守る八つの戒め。性行為をしない(在家の信者が普段守らなければならないとされる五戒、不殺生戒・不偸盗戒(盗みを働かない)・不邪淫戒(性行為をしない)・不妄語戒(嘘をつかない)・不飲酒(ふおんじゆ)の五種の内の不邪淫戒(不道徳な性行為の禁止。特に強姦や不倫・性行為に溺れることを指す)をより厳格な性行為を行わないという不淫戒に変え、さらに、不坐臥高広大床戒(高く立派な寝台に寝ない)と、不著香華瓔珞香油塗身戒+不作唱技楽故往観聴戒(装身や化粧をしない+歌舞音曲を視聴しない)と、不過中食戒(非時を摂らない。仏家では食事は午前中の一度だけを原則とするが、それではもたないので、それ以外に食す食事を総て「非時」と言った。具体的には正午から日の出までの間の食事摂取行為である。但し、通常、水はこの限りではない)の三つを加えたもの。

「ふさねて」ナ行下二段活用「總(総)ぬ」(ふさぬ)で、纏める・総括するの意。

「善財」善財童子。「華厳経入法界品」の主人公である菩薩行の理想的修行者の少年。サンスクリット名はスダナ。福城(ダーニヤーカラ)の豪商の子であったが、福城の東の荘厳幢娑羅林(しようごんどうさらりん)で文珠菩薩の説法を聞いて仏道を求める心を発し、その指導によって南方に五十三人(本文には「五十五の善知識」とあるが、これは物語の中の人物の数え方によって五十四人とも五十五人ともされるためである)の善知識(優れた指導者。但し、その中には比丘や比丘尼のほかにも外道(仏教徒以外の宗教者)・遊女と思われる人物・少年や少女なども含まれている)を訪ねて遍歴、再び文珠のもとに戻って遂には普賢菩薩の教導によって修行を完成させたという(ここまでは主に平凡社「世界大百科事典」に拠った)。ウィキ善財童子の「派生作品」の項には、まさに『昔からこの様子が多くの絵や詩歌に描かれており、日本では、明恵上人高弁による善財童子の讃嘆が有名であ』るとある。因みに『一説には、江戸時代に整備された東海道五十三次の五十三の宿場は、善財童子を導く五十三人の善知識の数にもとづくものとされる』とある。最後のは驚きだ。

「次位の建立」善財童子の菩薩行によった悟達の次期を自らに願うところの心内の誓いという意味か。

「得法の軌則」「得法」は仏法の真理を会得すること(転じて物事の奥義をきわめることの意にも用いる)。「軌則」は本筋・本質といった意味か。

「十門の科文」三国時代末期から統一新羅初頭にかけて活躍した朝鮮人僧元暁(六一七年~六八六年)は「十門和諍論」(じゅうもんわじょうろん)の中で、仏法は一観であり、説けば十門となって百種類の異論を生ずる。それらを調和させて一味の法海に至るようにする(「和百家之異諍。歸一味之法海)と、根本的な唯一の仏法を「和諍」の思想から世に提示した、とウィキ朝鮮仏教」にある。

「科文」「くわもん(かもん)」と読み、経論の本文を解釈する際、その内容を説意によって大小の段落に分け、各部分の内容を簡単な言葉に纏めた評釈文を指す。

「金剛見聞」しっかりとした正しい知見。「金剛」は堅固で崩れぬ形容。

「十佛」この「十」は名数ではあるまい。完全なる総ての仏のことであろう。]

2013/12/23

栂尾明恵上人伝記 66

 又云はく、人の非あることを、或は聞き、或は見て、謗(ぼう)ずること、穴賢(あなかしこ)あるべからず。學道の者に三機あり。上機の人は、心に人我(にんが)の相(さう)なければ、更に心にかゝることなし。中機の人は一念浮べども、人我なき理を存ずる故、二念と相續きて思ふことなし。下機の人は、無相(むさう)の理まで辨へねども、人を傷ましめざらんことを思ふ慈悲ある故に、敢て心にも思はず、口にもいふことなきのみならず、人のいふをも切に制し宥(なだ)むる、これありがたき人なり、而るを此の三機の外に必ず墮地獄の心ある怖しき罪人あり。人の非を心に思ひ口に云つて、人の生涯を失はんことを顧みず、人の耻辱たるべき事を顯はす。是れ何の料(れう)ぞや。人の非あらば、其の人の非なるべし。然るを傍にていへばやがて我が罪と成るなり。詮なきことなり。人の恨を蒙りぬれば、又怨を結びて如何なる難にも値はせらるべし。返す返すも斟酌あるべきなり。若し世の爲、法の爲ならば、諸佛諸神世にまします、其の誠(いまし)めに任すべし。敢て我と心を發(おこ)して云ふことなかるべし。心紛々として押へ難く、口むくめきて云ひたくとも、深く閉ぢ、深く押へて、少しきも他に云ふことあるべからず。若し聞くべきならば、其の人に向ひては教訓をも成すべし。
[やぶちゃん注:「穴賢」副詞で下に禁止の表現を伴って、「決して~(するな)」「ゆめ(ゆめ)~(してはならない)」の意。
「人我」我執。執着心。]

栂尾明恵上人伝記 65

 或る人の云はく、佛法いまだ渡らざる先は、震旦・本朝に壽福共に豐かなる人、何の力に依れるにやと云々。是の問(とひ)、答へんとするに足らず。我が朝に未だ佛法なかりし時は、震旦に盛なり。震旦にいまだ無かりし時は、天竺にあり。天竺に無かりし時は西方にもあり、東方にもあり。無始より佛々出世(しゆつせ)し、無量の世界に佛・菩薩みちみちて佛法を弘通(ぐつう)せずと云ふことなし。彼の國の衆生は此の國に生れ、此の國の衆生は彼所に生ず。されば佛法の渡らざりし所なればとて、佛法を修したる人の生れざるべき理あらんや。かりそめのことまでも、佛法の恩に非ずと云ふことなし。かく厚く深く佛法の恩を蒙つて、人界に生を受け福祿に飽ける者、一々に佛法の恩といふことを知らずして、佛法に向ひて愚なる振舞を致し、庄園・田畠を惜しみ、珍財をなげず、伽藍をも興せず、法理をも明めずして、一生空しくして過すこと、大愚痴(だいぐち)、はかなくも哀にもあさましくも覺えたり。さらば諫むるに聞くべきをば直に教訓し、諫むるに聞かざるをば方便を廻らすべし。俗家は福を增長せんが爲に、好んて施を行ぜんことを勵むべし。僧侶は罪を怖畏(ふゐ)するが故に、強(しひ)て受けざらんことをなすべし。况や僧として寺領・三寶物財の爲に、祕計を廻らすことあらんや。さるに付きては彌〻在家の誹謗を受け、三寶を輕(かろ)しめて、一所轉變(てんぺん)するのみにあらず、二所三所に及びて悉く伽藍荒廢の地と成るべし。是れ俗家の咎はさることにて、皆僧の不當なるに依りてなり。見(み)及び聞(きゝ)及びもしたまふらん。高辨ほどの無德の法師なれども、物のほしき心のなき故にやらん、物たばんと申す人は、貴賤につきて多けれども、老僧が物掠(かす)め取らんとする人更になし。人の寄進するまゝに許さんには、此の山中に千僧も任しぬべし。人のたぶまゝにて取らば、此の寺内に數十の庫(くら)をも立つべし。されども、旁(かたがた)存する子細ありて、我が受用聊かの外は受くることなし。是れ末代なりといへども此(かく)の如し。其の所の寺領の相違し違亂するは、其寺の住僧の失(しつ)なるべし。我が方を顧みて恥ぢたまふべし。人を恨み人を嗔(いか)ることあるべからずと云々。
[やぶちゃん注:「震旦」中国。
「無始」原義は、万象は因縁で成り立っており、その因を幾ら遡っても果てしがなく、始めがないということ。転じて、無限に遠い過去、大昔の意。
「弘通」「ぐずう」とも読む。仏教が広く世に行われること。
「福祿」俸禄。現実世界に於いて具体に与えられるあらゆるものを指す。後文から所謂、社会的な給与である知行・扶持・切米などを指すことが分かる。
「此の寺」栂尾高山寺。]

2013/10/24

栂尾明恵上人伝記 64 俗僧無益のこと

 或る人光臨の時、上人語りて宣はく、寺院知行の所領相違せしむる時、萬方祕計の條然るべからず、其の故は、古(いにしへ)さるべき緣に依(より)て得たり、今亦さるべき緣に依りて失(しつ)ず、會者定離(ゑしやぢやうり)の理、始めて驚き・始めて歎くべきに非ず。田園を貯ふる事は佛の遺誡(ゆゐかい)なり。然れば自然(じねん)に如來の金言に契(かな)へり。豈幸に非ずや。又、有る時は有るに隨ひて益を施し、無き時は無きに任せて樂しむべし。何の煩しき事かあらん。然るに剩へ僧形たりながら此の訴訟の爲に公務の門に望み、義衆(ぎしゆう)の場に走る。若干の猛惡・謀計・欲情・奸曲を先として、群集せる訴論人の中に交はりて、此の緣の角(すみ)、彼の廊の邊(ほとり)に、或は坐し・或るはたゝずみ徘徊せる、誠に見苦しく目をも洗ひぬべし。心ある俗人傍に有りて此の有樣を見て云ふやう、家を出で財を投げ、親を捨て親を離れて、一筋に無欲・淸淨(しやうじやう)の菩提の道に入るは僧なり。而るを又立ち歸り囂塵(げうじん)に交(まじ)りて、利を貪り欲に耽りて乞ひ諂(へつら)へる有樣、頗る師子身中(しゝしんちゆう)の蟲なるべし。見るに堪へず悲しむに餘りありとて、爪彈(つまはじ)きをせずと云ふ事なし。人をして比丘を疎(うと)ましめ、法を謗(ばう)する便(たよ)り、何事か是にしかん。爰に或る人の云はく、是れ身の爲にするに非ず、伽藍の興隆・僧法(そうはふ)繁昌の爲と云々。若し此の儀ならば、倒(さかさま)に心得たり。佛法の盛なると云ふは、面々樹下石上(せきじやう)に坐すと雖も、各如法(によはふ)に行(ぎやう)じ、如法に悟り、如法に證するを云ふなり。塔を立て、堂を造り、佛像を安置し奉ると雖も、破戒無慙なる僧つゞき居て道行をすると雖も、名聞利養の爲、又はいしき定、地獄に落ちじ、餓鬼にならじなんど思ふ、我が身を度(ど)し心に住して、かゝはりがましく、商ひがましき心にて欲深き訴訟打ち交りて、心に浮かぶ事とては、自身の依怙(えこ)あらん事を廻らし、口に云ふ事とては、貴賤の上を誹謗して、明けぬ暮れぬと過ぎ行くこそ、佛法破滅の處なれ。されば、心ある人は持ちたるをだにも、態(わざ)と捨つる類(たぐひ)も有るぞかし。まして自ら傍(そば)より人の取らんをば、さる時刻到來しにけりと知つて、功德ながらに其の人に廻向して、是三寶の御憐れみにこそと思ひて、何(いづ)くの山の片陰(かたかげ)にも閉ぢ籠り、或は正知識の爲に頭目身命をも惜しまず、隨逐(ずゐちく)給仕して、一筋に諸の有所得(うしよどく)の心を離れて、淸淨の道行を勵ますべし。或る物の中に云はく、摩竭陀國(まかだこく)の城の中に僧あり、毎朝、東に向ひては常に悦びの勢(せい)を成して禮(らい)し、北に向ひては嗟歎(さたん)の聲を出して涙を拭(ぬぐ)ひけり。人恠(あや)しみて此の謂れを問ふに、答へて云はく、東に當て城外に山あり、乘戒倶急(じやうかいぐきう)の僧樹下に坐して、既に證する事を得て年久し、是れ佛法の隆(さかん)なる故に、我れ毎朝是を禮す。北に當て城内に練若(れんにや)あり、數十の塔婆甍を並べ、佛像經卷金銀を鏤(ちりばめ)たり、爰に百千の僧侶住して、飮食(をんじき)・衣服(えぶく)・臥具(ぐわぐ)・醫藥として乏しき事なし。然りと雖も如來の正法眼(しやうはふげん)を究めたる比丘なし。此の所すでに佛法破滅せり。故に毎朝嗟歎すと云々。是れ其の證に非ずや。大方(おほかた)智ある人は、檀方(だんがた)の施す處をだにも更に受けざらん事を欲す。豈強ひて訴訟する事あらんや。其の故は戒行も缺け、内證も明らかならずして受くる處の信施(しんせ)は、物々頭々(もつもつづゝ)罪業の因に非ずと云ふ事なし。三途に沈まんこと疑ひ有るべからず。かく振舞たまひては、經を誦し陀羅尼を滿(み)てゝ消さん事を用ゐれども、其の驗(しるし)ありがたし。喩へば病者の諸の氣味ある毒藥を與ふるを、一旦快き儘に取り食ひて後、一々に崇りをなして苦痛轉倒し、臟腑破れて、良藥を服すと云へども、驗なくして死するが如し。有德の人は金銀珠玉を取ること瓦礫土石(どしやく)の如く、萬物を見ること夢幻(むげん)の如くして、受くれども受くる想(おもひ)もなく、用ふれども用ふる想もなし。凡慮を以て計る所にあらず。此の如くの人は尤も檀那の福を増長(ぞうぢやう)せんが爲、三寶興行の方便の爲に、施する所の庄園・財寶に隨ひて德を施すべし。凡そ國王大臣となり、或は高位高官に登り、或るは國城・田園に飽き、微妙(みめう)の珍寶に滿ちて、百千の壽命を保ち、藝能人に超え、才覺優良に、面貌(めんめう)美麗に、何事も思ふ樣なること、皆佛法の恩德より出でずといふことなし。されば富めるは富めるにつき、貧しきは貧しきに付て、佛法を崇敬(そうきやう)し財寶を施し、心を致して供養して、敢て輕慢(きやうまん)すべからず。此の世にかく豐かに榮ゆるは、先世に戒を持ち、寺院を造り、僧に布施し、貧しきに寶を與へ、佛像經卷を莊(かざ)り、此の如くの善を修せし報なり。若し此の法の種子(しゆうじ)なくは、先づ人界(にんかい)に生を受くべからず。況んや又いふ所の如くの樂しみあらんや。若し此の度またさきの如く善を修せずんば、何を以てか當來の福因とせん。喩へば、去年よく作りし田畠の作毛を以て、今年豐なりと雖も、今年豐なるに耽りて、明年の爲めに田畠を耕作せずは、次の年は餓死せんこと疑ひあるべからず。
[やぶちゃん注:「義衆の場」裁判官のいるところ。
「囂塵」現代仮名遣「ごうじん」で、騒がしい俗世の穢れの意。「囂」は「喧々囂々」の如く、やかましいこと、五月蠅いこと。
「爪彈(つまはじ)き」排斥すること。
「いしき定」「いしき」は形容詞「美(い)し」で、立派な、素晴らしい、美事なの意で、「美しい立派な禅定」(を得たい)の謂い。
「かゝはりがましく」物に執着し、拘泥するさまをいう。
「依怙」自分だけの利益。私利。
「頭目身命」「頭目」は「づもく(ずもく)」で頭と目で大事な身命と同義。
「随逐」あとを追い、従うこと。随従。それに専心することをいう。
「有所得」こだわりの心をもつこと。対語は「無所得」。
「摩竭陀國」古代インドにあった国の一つで仏陀が悟りの境地に至ったブッダガヤがある仏教誕生の地。現在のインドの東北部の端ビハール州。
「練若」蘭若に同じい。寺院。
「物々頭々」それぞれ各々が、の意。
「陀羅尼を滿てゝ消さん事を用ゐれども」「滿つ」は~をし遂げる、し終えるで、陀羅尼(経文の内で梵文(ぼんぶん)を翻訳しない短い文句で、それを暗誦していれば正法を離れず、心身を清浄に正しく保つことが出来るとされる真言)を誦して罪過を消そうとしても、の意。]

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