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カテゴリー「貝原益軒「大和本草」より水族の部」の155件の記事

2020/01/15

大和本草卷之十三 魚之下 鰊(かど) (ニシン)

【和品】

靑魚 鰮ニ似テ大ナリ長一尺餘味鰮ニ似テマサレリ冬

 春多クトル總州常州奥州殊津輕蝦夷等ノ海ニ多

 シ朝鮮ヨリモ來ル故筑紫ノ方言髙麗鰮ト云東醫

 寳鑑ニ此魚ヲ記ス其形狀カドニ能合ヘリ昔年朝鮮

 人ニ或人カドノ魚ヲタツ子シニ靑魚ト云ヘリ又一名ヲ

 ニシント云其子乾タルヲ俗ニカズノ子ト云世俗コレ

 ヲ年始及婚嫁ニ用ユ四五日水ニ浸シ水ヲカヘテ醬

 油煎酒ニ浸シ食フ或酒糟味醬ニツケテ食ス〇案

 本草所謂靑魚与此別ナリ

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

靑魚(かど) 鰮(いはし)に似て、大なり。長さ一尺餘り。味、鰮に似て、まされり。冬・春、多くとる。總州・常州・奥州、殊に津輕・蝦夷等の海に多し。朝鮮よりも來たる。故、筑紫の方言に「髙麗鰮(〔こうらい〕いはし)」と云ふ。「東醫寳鑑」に此の魚を記す。其の形狀、「かど」に能く合けり。昔年、朝鮮人に、或る人、「かどの魚」をたづねしに、「靑魚」と云へり。又、一名を「にしん」と云ふ。其の子、乾(ほし)たるを、俗に「かずの子」と云ふ。世俗、これを年始及び婚嫁〔(こんか)〕に用ゆ。四、五日、水に浸し、水をかへて、醬油・煎酒(いり〔ざけ〕)に浸し、食ふ。或いは、酒の糟〔(かす)〕・味醬〔(みそ)〕につけて食す。

〇案ずるに、「本草」に所謂、「靑魚」〔は〕此れと別なり。

[やぶちゃん注:条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii益軒は「かど」という異名をその形状由来として納得している。私も生態のとんがった頭部や、身欠きニシンのかっちかちのそれから「角」を連想して無批判に納得しそうなったが、改めて調べてみると、どうも違うようである。国立国会図書館「レファレンス協同データベース」の『山形では、「にしん」のことを「かど」と言うらしいが、由来を知りたい』という質問に対する回答に、『新庄市HP中、かど焼き大会の項目に、「東北地方では、産卵のために押し寄せるニシンを門口で獲れたことからカドと呼ぶようになった」とあり、由来にも触れられてい』るとあったので探すと、確かに「新庄市」公式サイト内の「新庄カド焼きまつり」に、『カドとは、「鰊(ニシン)」のこと。東北地方では、産卵のために押し寄せるニシンが門口で獲れたことからカドと呼ぶようになったと言われ、春の産卵期に北方の海に現れることから「春告魚(はるつげうお)」とも呼ばれ』、『新庄は、豪雪地帯のため、冬期間は鮮魚の入手が困難で』あったことから、『雪解けと共に入荷するカドを焼いて酒を酌み交わし、春の到来を喜び』合ったとあり、現在でも『新庄の春の風物詩になってい』るとある。習性に加えて春の祝祭的由来は名称として説得力がある。因みに、ぼうずコンニャク氏の「市場魚貝類図鑑」のニシンのページの「地方名・市場名」の欄では「カズノコ(数の子)」という名称についても、『卵巣を「数の子」としたのは、秋田でニシンを「カド」といい、その「子」で「かどの子」が訛って「かずのこ」になった。これに「数の子」と漢字を当てた』とある。また「漢字・語源」の欄には、『「鰊」という漢字は「東の魚」』(東日本で捕れる魚)『から』で、別字「鯡」は『魚に「非(あらず)」、というのは歴史的に面白』く、『江戸時代に米のとれない松前藩が』、米の『代わりにニシンを年貢として徴集した』ことに由来するという説が掲げられてあり(この松前藩云々は他でも書かれてあるが、正説かどうかは私は留保したい)、また『「二身」という』表記も『あり、これは内蔵を取り去り』、二『つ割りにする。その身を「にしん」であるとした』と記されてある。

「髙麗鰮(〔こうらい〕いはし)」この呼称は今も残る。他に「えびすにしん」「ちょうせんにしん」の異名もあるようである。

「東醫寳鑑」(とういほうかん/トンイボガム)は李氏朝鮮時代の医書。全二十三編二十五巻から成る。御医(王の主治医)であった許浚(きょしゅん)著。ウィキの「東医宝鑑」によれば、一六一三年に『刊行され、朝鮮第一の医書として評価が高く、中国・日本を含めて広く流布した』とある。

『朝鮮人に、或る人、「かどの魚」をたづねしに、「靑魚」と云へり』ウィキのハングルで書かれた「ニシン」を見ると、確かに漢字で「靑魚」とあった。因みに、中国語ウィキのニシン類には「鯡」が一般的に使用されているのが判る。「鯡」は中国に元からあった漢字ではあるものの、原義は「魚のはららご(卵巣)」で、これは恐らくは日本からの逆輸入的使用(というより、本邦ではカズノコを食すようになった際に「ニシン」に漢語「鯡」を当てた(国字化した)と考えてよいようにも思われる。中国では魚卵は嘗ては一般的に好まれる(身体によい)食材ではなかったと私は聞いている)による一致なのではないかとも私は考えている。

「味醬〔(みそ)〕」古くは味噌をこのようにも表記した。]

2019/12/25

大和本草卷之十三 魚之下 萃臍魚(あんかう) (アンコウ)

【外】

萃臍魚 寧波府志曰一名老婆魚一名綬魚蓋其

 腹有帶如帔子生附其上故名綬魚其形如科斗

 而大者如盤又名琵琶魚呉都賦曰琵琶魚無鱗

 而形似る琵琶冬初出者俗多重之至春則味降矣

 ○國俗鮟鱇ト称ス未見出處恐可為妄称坂東ニ

 多シ尤珎賞ス西州ニハマレナリ臛トシテ食フ味甚ス

 クレタリ上品トス冬ハ味ヨク春ハヲトル叓寧波府

 志ニ云フカコトシ性温補無毒百病不忌

○やぶちゃんの書き下し文

【外〔品〕】

萃臍魚(あんかう) 「寧波府志」に曰はく、『一名、「老婆魚」。一名、「綬魚」。蓋し、其の腹、帶、有り。帔子〔(たれぎぬ)〕のごと〔きもの〕、生じて、其の上に附く。故に「綬魚」と名づく。其の形、科斗〔(おたまじやくし)〕のごとくして大なる者、盤のごとし。又、「琵琶魚」と名づく。「呉都の賦」に曰はく、『「琵琶魚」、鱗、無くして、形、「琵琶」に似る』〔と〕。冬の初、出づる者、俗、多く之れを重んず。春に至れば、則ち、味、降〔(おつ)〕る』〔と〕。

○國俗、「鮟鱇」と称す。未だ出處を見ず。恐らくは妄称と為すべし。坂東〔(ばんどう)〕に多し。尤も珎賞〔(ちんしやう)〕す。西州には、まれなり。臛(あつもの)として食ふ。味、甚だすぐれたり。上品とす。冬は、味、よく、春は、をとる叓〔(こと)〕、「寧波府志」に云ふがごとし。性、温補〔にして〕、毒、無し。百病に忌〔(い)〕まず。

[やぶちゃん注:本邦では硬骨魚綱アンコウ目アンコウ科 Lophiidae の内、食用にするのは、

キアンコウ(ホンアンコウ)Lophius litulon(♀は尾鰭の根元までの体長一メートルから一・五メートル程で、♂は五十センチメートル前後。太平洋北西部(日本・朝鮮半島・東シナ海)の水深五百メートル程までの深海に棲息する。なお、一般には「キアンコウ」の別称として「アンコウ」あるいは「ホンアンコウ」と呼ばれることがある)

と、

アンコウ(クツアンコウ)Lophiomus setigerus(全長四十センチメートル前後。インド洋・太平洋の全域の水深五百メートル程までの深海に棲息する。「キアンコウ」の口中は白っぽいのに対し、「クツアンコウ」の口中は黒地に黄白色の水玉模様を呈するという特徴がある)

である。参照したウィキの「アンコウ」によれば、『両種は別の属に分類されているが、外見は良く似ている。そのため、一般に市場では区別されて』おらず、孰れも『外見的な特徴は頭部が大きく幅が広いこと』と、身体が『暗褐色から黒色で、やわらかく平たい』ことである。『擬餌状体という誘引突起による待ち伏せ型の摂餌法をとる魚である』。『肉食性で、口が大きく、歯が発達している。海底に潜んで他の魚を襲うのに適するため、口はやや上を向いている。頭には』二『本のアンテナ状の突起があり、長い方には皮がついている。アンコウは泳ぎが下手なため、泳ぎの上手な魚を追い回しても逃げられてしまう。そこで、海底の砂に潜り、その突起の皮を水面で揺らし、これをエサだと思って寄ってきた魚を、丸呑みにして捕食する。突起の皮は擬餌針のような働きをする』。『アンコウは主に小魚やプランクトンを捕食するが、種によっては小さなサメ、スルメイカ、カレイ、蟹、ウニ、貝などを捕食するものもある。さらに、たまに水面に出て海鳥を襲うこともあり、食べるために解体した』ところ、『胃の中にカモメやウミガラス、ペンギンなどが入っていたという報告もある』とある。

「萃臍魚」「萃」は「集まる」の意であるから、アンコウの上部体表の凸凹や擬餌状体を臍の尾と比したものであろう。

「寧波府志」明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府の地誌。

「綬魚」「綬」は古代中国において官職を表わす印を身に附けるのに用いた組み紐のこと(官位によって色を異にした)。擬餌状体に基づくものであろう。

「其の腹、帶、有り」上部の胴部を指して以下、やはり擬餌状体を説明する。

「科斗〔(おたまじやくし)〕」蝌蚪(おたまじゃくし)。

「呉都の賦」西晋(二六五年~三一六年)の文学者左思(生没年不詳。一説に二五二年~三〇七年頃:斉国臨淄県の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れた)の代表作として知られる、魏・呉・蜀三国の首都を題材にした「三都賦」(「蜀都賦」「呉都賦」「魏都賦」)の一つ。「三都賦」「洛陽の紙価を高からしむ(洛陽紙貴)」の故事の由来となったことで知られる。但し、中文ウィキの「都賦の本文を見るに、

   *

於是乎長鯨吞航、修鯢吐浪。躍龍騰虵、鮫鯔琵琶。

(是に於いてか、長鯨、航を吞み、修鯢(しゆげい)、浪を吐く。躍龍、騰虵、鮫、鯔、琵琶あり。)

   *

と、「琵琶」魚は載るが、ここに出るような記載は見当たらない。調べたところ、栗山雅央氏の論文『「三都賦」と中書省下の文人集團 ――張載注の分析を中心に」(『六朝學術學會報』(第十三号・二〇一二年発行)所収。PDFでダウン・ロード可能)によって、この部分は「呉都賦」の劉逵(同じ西晋の官員)が「琵琶」に註した中に以下のように出ることが判った(一部に読点を打った)。

   《引用開始》

 『異物志』に云ふ、鯨魚、長き者は數里有り。或は沙上の土に死し、之を得れば、皆、目、無し。俗に言ふ、其の目、化して明月珠と爲る。『鄧析子』に曰く、鯨鯢を釣る者は、淸池に於て、ならず。一說に曰く、鯨は猶ほ鳳と言ふがごとく、鯢は猶ほ皇と言ふがごときなり。『異物志』に云ふ、朱涯に水虵有り。鮫魚は合浦に出で、長さ二三尺、背上に、甲、有り。珠文、堅强なれば、以て刀口を飾るべし、又以て鑢を爲るべし。鯔魚、形は鯢の如く、長さ六七尺。會稽臨海に、皆、之れ、有り。琵琶魚は、鱗、無く、其の形は琵琶に似たり、東海に、之れ、有り。

   《引用終了》

『國俗、「鮟鱇」と称す。未だ出處を見ず。恐らくは妄称と為すべし』ウィキの「アンコウ」の「語源」に、『「あんこう」の語源については「あんぐり」の語に由来するとの説や』、『「赤魚」の意味であるとする説など諸説ある』。『岩穴にじっとしている様子を「安居」と称したとも、「顎」「暗愚」が転訛したなどととも言われる。ただ』、ここに見るように、「大和本草」では「國俗鮟鱇ト称ス未見出處恐可為妄称」と『あり、江戸時代より』、『不明である。漢字表記はその音に「安康」のそれぞれの字に魚偏を付けた字(鮟・鱇)を当てたものである』。『「鮟」は古く中国でナマズを意味する「鰋」の異体字』である「𩷑」の『誤字として』は『見られるが、「鱇」は中国に使用例が見つかっておらず、国字とされる。漢語では「華臍魚」「綬魚」「琵琶魚」「老婆魚」などというが、現代中国語では日本語を輸入し』、『「鮟鱇」「鮟鱇魚」と呼』んでいるそうである。事実、中文ウィキのそれは「鮟鱇科」である。『「あんこう」が初めて文献に登場するのは室町時代で、文明』(一四六九年~一四八七年)以前に成立した』「精進魚類物語」に『おいてである』、同書は『擬人化させた魚鳥を戦わせる』という「平家物語」のパロディー版で、『作中に「あむかうの彌太郎」が登場する』。慶長(一五九六年~一六一五年)年間に成立した「日葡辞書」には『「Ancŏ l, angŏ」とあり、当時』、『「あんこう」「あんごう」どちらの読み方も存在した』ことが判る。但し、文明本「節用集」には「有足魚也。心氣良藥」と記してあり、「日葡辞書」にも『「川魚の一種で、足のある魚」とあることから、当時はサンショウウオを意味したとする説がある。現在でも』、『兵庫県や岡山県の一部でオオサンショウウオを「あんこう」と呼ぶ。更に房州弁では「あんごう」はヒキガエルを指す言葉として残っている』とある。

「坂東」関東地方の古名。「坂」は令制で駿河と相模との境を称し、「常陸国風土記」にも『相模國足柄の坂より東』とある。相模・武蔵・上総・下総・安房・常陸・上野・下野の関東八ヶ国を「坂東八国」と呼ぶ。

「珎賞」「珎」は「珍」に同じ。珍味として賞すること。

「臛(あつもの)」肉を入れて煮込んだ熱いスープ。]

2019/11/26

大和本草卷之十三 魚之下 龍涎 (龍涎香)

 

龍涎 本草綱目龍條下有之曰是羣龍所吐涎沫

浮出畨人採得貨之亦有大魚腹中剖得者能收

腦麝不散入諸香亦詳于潛確類書九十四巻○

典籍便覧云龍涎嶼在大食國春間群龍交戯於

上而遺涎沫於洋水國人駕舟採之其涎初若脂

膠黃黑色頗作魚腥氣久則成大塊或魚腹中取

出如斗大焚之亦淸香倭俗クシラノ糞ト云如

蠟而游者也眞僞ヲ知ントセハ燒テ烟ノ直ナルハ眞ナ

リ斜ナルハ偽也浦ニテ拾得ル事マレ也其價貴キナルハ黃

金ニ倍レリ或云是馬ノ鮓答ノ類海鰌ノ腹ヨリ生ス

ル者歟但其中ニ烏章魚ノ骨交ハレハ若ハ海鰌ノ

吐カ或海鰌潮ヲノム時偶龍涎アツテ浮ヘル

ヲノミテ糞中ニマシハリ出ルカ今案ニ典籍

便覧ノ說可用畨人諸香ニ和ス其香久シテ散セス

又ニホヒノ玉トス此物蠻語ニアンペラト云長崎ニ蕃客持來

○やぶちゃんの書き下し文

龍涎〔(りゆうぜん)〕 「本草綱目」、「龍」の條下、之れ、有り。曰はく、『是れ、羣龍の吐く所〔の〕涎〔(よだれ)の〕沫〔(しぶき)〕、浮〔き〕出〔づ〕。畨人〔(ばんじん)〕、採り得て、之れを貨〔(くわ)〕にす。亦、大魚の腹中、剖〔(き)り〕得る者、有り。能く腦〔(なう)〕・麝〔(じや)〕を收めて、散ぜず。諸香に入る。亦、「潛確類書」九十四巻に詳かなり』〔と〕。

○「典籍便覧」に云はく、『「龍涎嶼〔りゆうぜんしよ)〕」は大食國に在り。春の間、群龍、上に交はり戯れて、涎〔の〕沫を洋水に遺〔(のこ)〕す。國人、舟に駕〔(が)〕して、之れを採る。其の涎、初め、脂膠〔(あぶらにかは)〕のごとく黃黑色、頗る魚腥〔(ぎよせい)〕の氣を作〔(な)〕す。久しければ、則ち、大塊と成る。或いは、魚の腹の中〔より〕取り出〔だす〕。斗〔(ます)〕の大〔なるが〕ごとし。之れを焚〔(た)〕けば、亦、淸香〔あり〕』〔と〕』云云。倭俗、『「くじら」の糞』と云ふ。『蠟のごとくして、游(うか)ぶ者なり。眞僞を知らんとせば、燒きて烟の直〔(すぐ)〕なるは、眞なり。斜めなるは偽なり。浦にて拾ひ得る事、まれなり。其の價、貴きなるは、黃金に倍れり[やぶちゃん注:「倍せり」の誤記か。]』〔と〕。或いは云はく、『是れ、馬の鮓答〔(さとう)〕の類。海鰌〔(くじら)〕の腹より生ずる者か。但し、其の中に、烏〔(いか)〕・章魚〔(たこ)〕の骨、交はれば、若(も)し〔く〕は、海鰌の吐くか。或いは、海鰌、潮をのむ時、偶〔(たまたま)〕、龍涎あつて、浮べるをのみて、糞中にまじはり出づるか。今、案ずるに、「典籍便覧」の說、用ふべし。畨人、諸香に和す。其の香、久しくして散ぜず。又、「にほひの玉」とす。此の物、蠻語に「アンペラ」と云ふ。長崎に蕃客、持ち來たる。

[やぶちゃん注:生物ではない特異点の記載。所謂、マッコウクジラ(ハクジラ小目マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラ Physeter microcephalus)の腸内に発生する結石で、香料の一種として珍重される「龍涎香(りゅうぜんこう)」「アンバーグリス」(英語:Ambergrisである。ウィキの「龍涎香」によれば、『灰色、琥珀色、黒色などの様々な色をした大理石状の模様を持つ蝋状の固体であり芳香がある。龍涎香にはマッコウクジラの主な食料である、タコやイカの硬い嘴(顎板:いわゆるカラストンビ)が含まれていることが多い。そのため、龍涎香は消化できなかったエサを消化分泌物により結石化させ、排泄したものとも考えられているが、その生理的機構や意義に関しては不明な点が多い。イカなどの嘴は龍涎香の塊の表層にあるものは原形を保っているが、中心部の古いものは基質と溶け合ったようになっている。マッコウクジラから排泄された龍涎香は、水より比重が軽いため』、『海面に浮き上がり海岸まで流れ着く。商業捕鯨が行われる以前はこのような偶然によってしか入手ができなかったため』、『非常に貴重な天然香料であった。商業捕鯨が行われている間は鯨の解体時に入手することができ、高価ではあったが』、『商業的な供給がなされていた。1986年以降、商業捕鯨が禁止されたため、現在は商業捕鯨開始以前と同様に』、『偶然によってしか入手できなくなっている』。英語のそれは『「灰色の琥珀」を意味するフランス語』ambre gris(アンブル・グリ)に由来する。『龍涎香がはじめて香料として使用されたのは7世紀ごろのアラビアにおいてと考えられている』。『また、龍涎香という呼び名は』、『良い香りと』、『他の自然物には無い色と形から』、『『龍のよだれが固まったもの』であると中国で考えられたためである。日本では、室町時代の文書にこの語の記述が残っているため』、本『香料が伝来したのはこの頃ではないかと推測されている』。『香料として使用する場合にはエタノールに溶解させたチンキとして使用され、香水などの香りを持続させる効果がある保留剤として高級香水に広く使用されていた』。『また、神経や心臓に効果のある漢方薬としても使用されていた』。『龍涎香の構成成分の大部分はステロイドの一種であるコプロスタノールとトリテルペンの一種であるアンブレイン』(Ambrein)『である。このうち』、『アンブレインの含量が高いものほど品質が高いとされる。このアンブレインが』、『龍涎香が海上を浮遊する間に日光と酸素によって酸化分解をうけ、各種の香りを持つ化合物を生成すると考えられて』おり、『これらの化合物は合成香料として製造されており、龍涎香の代替品として使用されている』。『また』、『龍涎香には含まれていないが』、『龍涎香と類似した香りを持つ化合物も多く知られており、それらも龍涎香の代替品として使用されている』とある。かのアメリカの作家ハーマン・メルヴィル(Herman Melville 一八一九年~一八九一年)の名作「白鯨」(Moby-Dick; or, The Whale)の第九十二章は、『章題がAmbergrisとあり、その内容もマッコウクジラの解体時に龍涎香を入手する様子を詳しく描写している』。『中国、明代の趣味人向け道具』の『解説には、「スマトラ国にある竜涎嶼(小島)では、たくさんの龍がざこねしていて、その垂らしたよだれが採集された香』とし、『海面に浮かんでいたものが最上品、岸に漂着し』て『埋まっていたものが次、魚がよだれを食べ糞となり、腹から取り出したものが次の品」という説明がある』(引用書名を「長物志」と注する)という。

『「本草綱目」、「龍」の條下……』巻四十三の「鱗之一」の「龍」の条の最後に、

   *

龍涎 機曰、「龍吐涎沫、可制香。」。時珍曰、「龍涎、方藥鮮用、惟入諸香、云能收腦・麝數十年不散。又言焚之則翠烟浮空。出西南海洋中。云是春間羣龍所吐涎沫浮出。畨人採得貨之、毎兩千錢。亦大有魚腹中剖得者。其狀初若脂膠、黃白色、乾則成塊、黃黑色、如百藥煎而膩理。久則紫黑、如五靈脂而光澤。其體輕飄、似浮石而腥臊。

   *

とある。

「畨人」これは「畨」の音通で「蕃」で、中国人が異民族を誹って言う「野蛮人」の意の「蕃人(ばんじん)」の謂いであろうと踏んでおく。

「貨」非常な価値を持つ財宝の意。

「腦・麝」龍脳と麝香。前者は「ボルネオール」(borneol:C10H18O:「ボルネオショウノウ」とも呼ばれる二環式モノテルペン(Monoterpene:C10H16:テルペンの分類の一つで、二つのイソプレン単位からなり、環を持つタイプ。テルペン(terpene)とはイソプレン(isoprene:二重結合を二つ持つ炭化水素を構成単位とする炭化水素)を構成単位とする炭化水素で、植物・昆虫・菌類などによって作り出される生体物質の一つ)。ウィキの「ボルネオール」によれば、『歴史的には紀元前後にインド人が』、六~七『世紀には中国人が』、マレーや『スマトラとの交易で、天然カンフォルの取引を行っていたという。竜脳樹はスマトラ島北西部のバルス(ファンスル)とマレー半島南東のチューマ島に産した。香気は樟脳に勝り』、『価格も高く、樟脳は竜脳の代用品的な地位だったという。その後』、『イスラム商人も加わって、大航海時代前から香料貿易の重要な商品であった。アラビア人は香りのほか』、『冷気を楽しみ、葡萄・桑の実・ザクロなどの果物に混ぜ、水で冷やして食したようである』とある。後者は鯨偶蹄目反芻亜目真反芻亜目ジャコウジカ科ジャコウジカ亜科ジャコウジカ属 Moschus に属するジャコウジカ類の♂の麝香腺から得られる香料と薬の原料とされた「ムスク」(musk)。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)」に詳しい述べてあるので参照されたい。

「を收めて、散ぜず」これは急速な香りの減衰を抑えて、永くそれらの香りを保持する持続薬としての効用を言っているようである。

「潛確類書」「潜確居類書」とも。明代の学者陳仁錫(一五八一年~一六三六年)が編纂した事典。

「典籍便覧」明代の范泓(はのう)撰になる本草物産名の類纂書。

「龍涎嶼〔りゆうぜんしよ)〕」先の引用によればスマトラにある島(「嶼」は小島の意)の名前とするが、伝説上の架空の島であろう。

「大食國」不審。これはイスラム帝国の旧称である。

「魚腥の氣を作す」魚の生臭い匂いを発する。

『「くじら」の糞』寺島良安も「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」(リンク先は私の古い電子化注)の「鯨」の項でそう書いている。

「眞僞を知らんとせば、燒きて烟の直〔(すぐ)〕なるは、眞なり。斜めなるは偽なり」之と全く同じことを、どこかで電子化したのだが、思い出せない。発見し次第、追記する。

「馬の鮓答の類」「鮓答」(さとう)とは、馬に限らず、各種獣類の胎内結石或いは悪性・良性の腫瘍や免疫システムが形成した異物等を称するものと私は認識している。私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」で詳しく論じているので参照されたい。

「アンペラ」上記リンク先で考証したが、「鮓答」なるものは、もともと日本語ではなく、ポルトガル語の「pedra」(「石」の意。ネイティヴの発音をカタカナ音写すると「ペェードラ」)+「bezoar」(「結石」ブラジルの方の発音では「ベッゾア」)の転であろう。また、古い時代から、一種の解毒剤として用いられており、ペルシア語で「pādzahr」、「pad (expelling) + zahr (poison) 」(「毒を駆逐する」の意)を語源とする、という記載も見られる。牛馬類から出る赤黒色を呈した塊状の結石で、古くは解毒剤として用いたともある。別名を当該の獣類の名に繋げて「~のたま」と呼び、「鮓答(さとう)」とも書いた。但し、例えば大修館書店「廣漢和辭典」の「鮓」を引いても、この物質に関わる意味も熟語示されていない。現代中国音では「鮓荅」は「zhǎ dā」(ヂァー・ダァー)で、やや「ペェードラ」に近い発音のように思われるから、それを漢音写したものかも知れない。益軒のは「アンバーグリス」と「ペェードラ」を組み合わせたキマイラのように感ずる。 しかし、「アンペラ」(莚)はないだろ!? 一説にポルトガル 「amparo」(日覆い)からとする例のやつ、烏賊の「エンペラ」で連関するってかあッツ!?! 

2019/10/13

大和本草卷之十三 魚之下 海鰌 (クジラ)

【外】海鰌 倭名イサナドリ昔ハクジラヲモリニテツカス弓ニテ

 射ル死乄浦ニヨルイスナトリナリ古哥ニモヨメリ近江ノ

 湖ニイサナトリヲヨメルハ磯菜取ナリ月山叢談ニ捕

 巨鰍㳒アリ本邦ニクシラヲトル法ト同閩書曰巨能

 吞舟日中閃鬐鬣若簸朱※噴沫飛洒成雨其來

[やぶちゃん注:「※」=「方」+「廣」。電子化途中で不審を覚えたので、複数の同一文脈の複数の漢籍に当たったところ、「※」は「旗」であったので、訓読ではそれに代えた。

 也移如山嶽乍出乍没舟行相値必鳴金鼓以怖

 之云云刳為油○今案順和名抄以鯨鯢クシラトス

 崔約古今注鯨鯢大者長十里小者數丈一生數

 萬子異物志曰雄為鯨雌為鯢○海鰌魚之最大

 者泥鰌之最小者雖大小不同其形狀相似故

 以海鰌称ス日本ニテ海鰌其品凡六種アリ其内

 大小アリ慶長年中筑紫諸浦ノ漁人初テホコヲ

 以テツキ得テ油ヲトリ肉ヲスツ其後肉ヲ食シ

 腸ト骨ヲスツ又其後ワタヲ食ス其後頭骨ヲ

 食ス又クシラノヒケト云ハノトノ下ナルヲサナリ噐用ト

 ス皮ハ黑シ其内ニ白肉アリ又白肉ノ下ニ赤肉アリ味

 有好否冬春捕之春月最多シ海鰌ノ腸ノ名多

 シ百尋ト云長キ腸アリ可食凡鯨ノ油貧士賤

 民以爲燈油甚利民用○海鰌性熱肥膩多膏油

 食之生熱動風發瘡生痰多食難消化能傷脾胃

 病人及有脾積瘡疥者婦人有崩漏帶下病者不

 可食其近尾白肉味最好塩藏日久者夏月食之

 味美能峻補脾胃肥健於人虛冷無積滯人宜食

 止久瀉若新病濕熱盛者不可食

○やぶちゃんの書き下し文

【外】海鰌(くじら) 倭名「いさなどり」。昔は、「くじら」を、もりにて、つかす、弓にて射る、死して、浦に、よる。「いすなとり」なり。古哥にも、よめり。近江の湖〔(うみ)〕に「いさなとり」をよめるは、「磯菜取(いそなどり)」なり。「月山叢談」に巨鰍を捕る㳒〔(はう)〕[やぶちゃん注:「法」の異体字。]あり。本邦に「クシラ」をとる法と、同じ。「閩書〔(びんしよ)〕」に曰はく、『巨〔(おほきなる)〕は能く舟を吞む。日中、鬐〔(ひれ)〕・鬣〔(たてがみ)〕を閃(ひらめ)かす。朱〔(あか)き〕旗を簸(あふ)る[やぶちゃん注:「煽(あお)る」の意。]がごとく、沫〔(しぶき)〕を噴して飛〔ばし〕洒〔そそぎ〕て雨と成し、其れ、來たるなり。移〔るに〕山嶽のごとく、出〔でつ〕、没〔しつ〕、す。舟の行き、相ひ値〔(あ)〕へば、必ず、金鼓を鳴らして、以つて之れを怖(をど)すと』云云〔(うんぬん)〕。刳〔(くり)〕て、油と為す。

○今、案ずるに、順が「和名抄」、「鯨鯢」を以つて「くしら」とす。崔約が「古今注」に『鯨鯢〔(げいげい)〕の大なる者、長さ十里。小なる者、數丈。一〔(いつ)〕に、數萬子を生む』〔と〕。「異物志」に曰はく、『雄を「鯨」と為し、雌を「鯢」と為す』〔と〕。

○海鰌(くじら)は、魚の最大なる者〔なり〕。泥鰌は最小なる者〔なり〕。大小〔は〕同じからずと雖も、其の形狀、相ひ似る。故に「海鰌」を以つて称す。日本にて海鰌、其の品、凡そ六種あり。其の内、大小あり。慶長年中、筑紫諸浦の漁人、初めて「ほこ」を以つて、つき、得て、油をとり、肉を、すつ。其の後、肉を食し、腸と骨を、すつ。又、其の後、「わた」を食す。其の後、頭骨を食す。又、「くじらのひげ」と云ふは、のどの下なる「をさ」なり。噐用とす。皮は黑し。其の内に白肉あり。又、白肉の下に赤肉あり。味、好否〔(かうひ)〕有り。冬・春、之れを捕へ、春月、最も多し。海鰌の腸〔(はらわた)〕の名、多し。「百尋〔(ひやくひろ)〕」と云ふ、長き腸あり。食ふべし。凡そ、鯨の油、貧士賤民、以つて燈油と爲し、甚だ民用に利〔せり〕。

○海鰌、性、熱。肥〔なる〕膩〔(あぶら)に〕、膏油、多し。之れを食へば、熱を生じ、風〔(ふう)〕を動かす。瘡を發し、痰を生ず。多く食へば、消化し難し。能く脾胃を傷つく。病人及び脾積〔(ひしやく)〕・瘡疥の有る者、婦人の崩漏(ほうろう)・帶下〔(こしけ)〕の病ひ有る者、食ふべからず。其の尾の近くの白肉、味、最も好し。塩藏〔して〕日〔の〕久〔しき〕者、夏月、之れを食へば、味、美〔(よ)〕し。能く脾胃を峻補し、人を肥健す。虛冷〔にして〕積滯の無き人、宜しく食ふべし。久しき瀉を止む。若〔(も)〕し、新病〔にして〕濕熱〔の〕盛〔んなる〕者〔は〕、食ふべからず。

[やぶちゃん注:哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目 Laurasiatheria 偶蹄(鯨偶蹄)目クジラ亜目Cetacea のクジラ類。その下位でヒゲクジラ下目 Mysticeti(シロナガスクジラ(白長須鯨。ナガスクジラ科ナガスクジラ属シロナガスクジラ Balaenoptera musculus)等)・ハクジラ下目 Odontoceti(マッコウクジラ(ハクジラ小目マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラ Physeter microcephalus)やイルカ類(シャチ(マイルカ科シャチ亜科シャチ属シャチ Orcinus orca)も含まれる)等)に分かれる。但し、益軒は後で「イルカ」を独立項として出すので、それは除外される。

「いさなどり」濁音は底本のママ。また、これを「くじら」の古名とするのは、おかしい。「いさな」でよい。「いさなとり」(鯨魚取り・勇魚取り)は、言わずもがな、元は「クジラを捕る場所。漁」の意で、「海」・「浜」・「灘(なだ)」に掛かる枕詞である。

「いすなとり」文脈から見ると、益軒は、最終的に大型の鯨は銛や弓を放って後、浦に寄ってくるのを待つので、「居漁り(ゐすなどり)」(「すなどる」は「魚貝類を漁ること」の意である)と謂っているように思われるが、これは牽強付会としか思えない。小学館「日本国語大辞典」にも出ない。

「古哥にも、よめり」「万葉集」に十七首に詠み込まれている。不思議に惹かれる一首を紹介する。巻第十六の詠み人知らずの「無常の歌二首」の一つ、旋頭歌である(三九五二番)。

 鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮(しほ)干(ひ)て山は枯れすれ

大いなる自然にも死があるという釈教歌であう。

「近江の湖〔(うみ)〕」謂わずもがな、琵琶湖。

「磯菜取(いそなどり)」岸辺の水中に植生する食用に供される(ここは)淡水産水藻類や顕花植物の水草類を採ることを言っている。

「月山叢談」清の文人李文鳳撰。散逸しているものか、原文に当たることが出来なかった。

「巨鰍」この「鰍」の字は現行では通常、「カジカ」(条鰭綱カサゴ目カジカ科カジカ属カジカ Cottus pollux)を指すが、別に「ドジョウ」(条鰭綱骨鰾上目コイ目ドジョウ科ドジョウ属ドジョウ亜種ドジョウ Misgurnus anguillicaudatus)の意もある

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「刳〔(くり)〕て」皮下の脂肪層に穴を空けて、それを抉(えぐ)り採ることを言っていよう。

「油と為す」後の箇所で、利用の変遷が語られてあるが、恐らく長く(一部の漁民以外は)鯨油を採取する目的のみでクジラ漁が行われていたことを意味している。嘗て下劣なアメリカがやっていたことと同じだ。その肉を日本に売り、私の世代までは小学校の給食に三日に上げず、鯨肉が出たものだった。因みに、私は捕鯨賛成派である。科学的にもミンククジラは増え過ぎており、北洋の生態系を壊しつつあることは、世界の鯨類学者が認めている。今もアメリカ物資汚染のお蔭で、私は鯨肉が大好きだ。

『順が「和名抄」、「鯨鯢」を以つて「くしら」とす』「和名類聚鈔」の巻第十九の「鱗介部第三十 竜魚類第二百三十六」に、

   *

鯨鯢(くちら) 「唐韻」に云はく、『大魚雄曰鯨【「渠」・「京」の反。】雌を「鯢」【音「蜺」。和名「久知良」。】と曰ふ』〔と〕。「淮南子」に曰はく、『鯨鯢、魚の王なり』〔と〕。

   *

とある。

「崔約」「崔豹」の誤り。晋(二六五年~四二〇年)の学者。晋恵帝(在位:二九〇年~三〇七年)の時に太子太傅丞に至っている。「古今注」は全三巻。

「長さ十里」当時の一里は約四百メートル強。それでもデカ過ぎ。

「數丈」当時の一丈は二メートル強。

「一〔(いつ)〕に、數萬子を生む」一度に数万の子を産む。あり得ない。

「異物志」三国時代の沈瑩(しんえい)の浙江臨海郡の地方地誌「臨海水土異物志」か。史上初の台湾の歴史・社会・住民状況を記載するものとして注目されるものである。

「日本にて海鰌、其の品、凡そ六種あり」サイト「くじら」のこちらで見ると、イルカ類を除いても(益軒は後で「海豚」の独立項を立てている)、本邦に棲息するクジラ類は十七種を数える。六種なんだから、益軒先生、名を挙げといてくれりゃあ、いいものを! まあ、

セミクジラ(背美鯨/勢美鯨:ヒゲクジラ亜目セミクジラ科セミクジラ属セミクジラ Eubalaena japonica

コククジラ(克鯨/児童鯨:ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ上科コククジラ科コククジラ属コククジラ Eschrichtius robustus

シロナガスクジラ(白長須鯨:ナガスクジラ科ナガスクジラ属シロナガスクジラ Balaenoptera musculus

ナガスクジラ(長須鯨:ナガスクジラ属ナガスクジラ Balaenoptera physalus

ザトウクジラナ(座頭鯨:ナガスクジラ科ザトウクジラ属ザトウクジラ Megaptera novaeangliae

マッコウクジラ(マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラ Physeter microcephalus

かなあ?

「慶長」一五九六年から一六一五年。本邦の捕鯨史は縄文時代まで溯る。ウィキの「日本の捕鯨」によれば、約八〇〇〇年前の『縄文前期の遺跡とされる千葉県館山市の稲原貝塚においてイルカの骨に刺さった黒曜石の、簎(やす、矠とも表記)先の石器が出土していること』、約五〇〇〇年前の『縄文前期末から中期初頭には、富山湾に面した石川県真脇遺跡で大量に出土したイルカ骨の研究によって、積極的捕獲があったことが証明されている』とある。『奈良時代に編纂された万葉集においては、鯨は「いさな」または「いさ」と呼称されており、捕鯨を意味する「いさなとり」は海や海辺にかかる枕詞として用いられている』。十一『世紀の文献に、後の醍醐組(房総半島の捕鯨組)の祖先が』八五一『年頃に「王魚」を捕らえていたとする記録もあり、捕鯨のことであろうと推測されている』。『鎌倉時代の鎌倉由比ヶ浜付近では、生活史蹟から、食料の残存物とみられる鯨やイルカの骨が出土している。同時代の日蓮の書状には、房総で取れた鯨類の加工処理がなされているという記述があり、また房総地方の生活具にも鯨の骨を原材料とした物の頻度が増えていることから、この頃には房総に捕鯨が発達していたことやクジラやイルカなどの海産物が鎌倉地方へ流通していたことが推定されている』。『海上において大型の鯨を捕獲する積極的捕鯨が始まった時期についてははっきりとしていないが、少なくとも』十二『世紀には』、『湾の入り口を網で塞いで鯨を捕獲する追い込み漁が行われていた』。さても、この記載と関わる「突き取り式捕鯨時代」の項を見る。『突き取り式とは銛、ヤス、矛(槍)などを使って突いて取る方法であり、縄文時代から離頭式銛などで比較的大きな魚(小型のクジラ類を含む)を捕獲していた。また遺跡などの壁画や土器に描かれた図から縄文や弥生時代に大型のクジラに対し』、『突き取り式捕鯨を行っていたとする説もある』。「鯨記」(明治元(一七六四)年著)に『よれば、大型のクジラに対しての突き取り式捕鯨(銛ではなく矛であった)が最初に行われたのは』、一五七〇年頃(永禄十三年相当。室町時代)の『三河国であり』、六~八艘の『船団で行われていたとされる』。十六『世紀になると』、『鯨肉を料理へ利用した例が文献に見られる。それらの例としては』、永禄四(一五六一)年に『三好義長が邸宅において足利義輝に鯨料理を用意したとする文献が残されている。この他には』、天正一九(一五九一)年に『土佐国の長宗我部元親が豊臣秀吉に対して鯨一頭を献上したとの記述がある。これらはいずれも冬から春にかけてのことであったことから、この時季に日本列島沿いに北上する鯨を獲物とする常習的な捕鯨が開始されていたと見られる。三浦浄心が』慶長一五(一六一四)年に『著したとされる『慶長見聞集』によると、尾張と伊勢では鯨を突いていたが、関東では突くことはなかった。文禄期』(一五九二年~一五九六年)『に尾張の鯨突きの間瀬助兵衛が相模三浦に来て、鯨の突き取り漁が三浦半島に伝わったことが記述されている』。『戦国時代末期にはいると、捕鯨用の銛が利用されるようになる。捕鯨業を開始したのは伊勢湾の熊野水軍を始めとする各地の水軍・海賊出身者たちであった。紀州熊野の太地浦における鯨組の元締であった和田忠兵衛頼元は、慶長一一(一六〇六)年に、『泉州堺(大阪府)の伊右衛門、尾州(愛知県)知多・師崎の伝次と共同で捕鯨用の銛を使った突き取り法よる組織捕鯨(鯨組)を確立し』、「突組」と『呼称された。この後』、元和四(一六一八)年には『忠兵衛頼元の長男、金右衛門頼照が尾州知多・小野浦の羽指(鯨突きの専門職)の与宗次を雇い入れてからは本格化し、これらの捕鯨技術は熊野地方の外、三陸海岸、安房沖、遠州灘、土佐湾、相模国三浦そして長州から九州北部にかけての西海地方などにも伝えられている』(太字下線は私が附した)とある。これから見ると、益軒の「矛突き漁筑紫発祥説」は信じ難い

「頭骨を食す」軟骨部のことであろう。

『「くじらのひげ」と云ふは、のどの下なる「をさ」なり。噐用とす』ヒゲクジラ亜目 Mysticetiのクジラの上顎部に見られる、繊維が板状になった器官。「ひげ板」とも呼ぶ。口腔内の皮膚がヒゲクジラ類に於いて独自に変化したもので、髭や毛とは由来が異なる。濾過摂食のためのフィルターとしての役割を持り、組成は皮膚の角質組織と同じケラチンから成る。上顎の左右に列を成し、それぞれ最大で三百枚程度が生える。「鯨ひげ」は、弾力性などに優れることから、古くから各種の加工材として使用された。参照したウィキの「鯨のひげ」によれば、『古い例としては、正倉院に鯨ひげ製の如意が宝物として収められている。特にセミクジラ科のものは、長くて非常に柔軟かつ弾力があることから重宝され、結果としてセミクジラ科の乱獲の一因ともなった。その後、弾力のある金属線やプラスチックが普及したため、現在では工芸的な用途を除いては需要は殆どない』。以下、使用用途例(一部を加工した)。

・釣竿(日本では、弾力性を生かして釣竿の先端部分に用いられる。現在でも一部で使用されている)

・衣服(整形用の骨に用いる。西洋ではコルセットやクリノリンなどの女性用下着やドレスの腰部に日本では裃の肩などに使用された)

・傘(西洋では傘の骨に用いた。フランス語で「傘の骨」を(os de )baleineというが、これは「鯨」(の「骨」)の意である)

・扇子(本邦で扇子の要(かなめ)として用いていた)

・呉服尺(本邦では着物の仕立て専用の物差しの材料に用いた。「鯨尺」とも呼ばれ、長さの特別独自単位としてその名が残っている。但し、「鯨のひげ」から作られたからとされるが、それは定かではない。鯨尺一尺は曲尺(かねじゃく)の一尺二寸五分に相当し、三十七・八八センチメートル相当である)

・発条(ぜんまい)(江戸時代の日本で「ぜんまい」の材料とされ、からくり人形などに使用された)

・文楽人形(操作索に用いることは有名)

「風〔(ふう)〕を動かす」「風邪」と使うように、漢方で疾患のもととなる悪い邪気を指す。

「瘡」皮膚の湿疹・糜爛。

「脾胃」漢方で広く消化器系を指す語。

「脾積〔(ひしやく)〕」消化器系の、想像上の寄生虫によって発生すると考えられた腫物やしこりの謂いであろう。

「瘡疥」疥瘡で「はたけがさ」、所謂、皮膚病の「はたけ」であろう。主に小児の顔に硬貨大の円形の白い粉を噴いたような発疹が複数個所発する皮膚の炎症性角化症の一つ顔面単純性粃糠疹(ひこうしん)。ウィルス感染原因が疑われているが、感染力はない。私は広汎な一種のアレルギー反応による皮膚疾患をも含んだ症状を指していると考えている。

「崩漏」女性生殖器からの尋常でない出血症状を指す語。

「帶下〔(こしけ)〕」下(お)り物。女性の内部生殖器官から分泌される粘液や組織片などの混合物。病的でないものも含まれる。

「尾の近くの白肉、味、最も好し」所謂、尾の付け根附近の肉で「尾の身」と呼ぶ。現行、一般には刺身を最上とする。私は脂っぽ過ぎて好まない。

「峻補」強い熱性の食材・中薬による保温法。

「積滯」血や痰などの病理上の有害産物が各組織・器官に積み重なって病態を呈していることを指す。

「久しき瀉」慢性の下痢。

「新病」罹患したばかりの病態のことか。

「濕熱」本来は相反してバランスをとるはずの「水」気と「熱」気の双方が体内で過剰になり、相互に融合して重積してしまい、発生する症状を指す。]

大和本草卷之十三 魚之下 鰺 (アジ類)

【和品】

鰺 順和名抄アチト訓ス生東海者形肥大夏秋

 多肉味美冬春味不美以塩漬而乾之亦佳無鱗

 尾上有厚鱗今案性温補發瘡腫痘瘡及諸瘡ヲ

 患ル者不可食又有室鰺嶋鰺味劣

○やぶちゃんの書き下し文

鰺(あぢ) 順〔(したがふ)〕の「和名抄」、「あち」と訓す。東海に生ずる者、形、肥大。夏・秋、肉、多く、味、美〔(よ)し〕。冬・春、味、美からず。塩を以つて漬けて、之れを乾かす。亦、佳なり。鱗、無く、尾の上に、厚き鱗、有り。今、案ずるに、性、温補〔にして〕、瘡腫〔(さうしやう)〕を發す。痘瘡及び諸瘡を患〔(わづらふ)〕る者、食ふべからず。又、室鰺〔(むろあぢ)〕・嶋鰺〔(しまあぢ)〕有り。味、劣れり。

[やぶちゃん注:取り敢えず、条鰭綱スズキ目スズキ亜目アジ科アジ亜科マアジ属マアジ Trachurus japonicus としてよかろう。我々にとって最もお馴染みの食用魚であるが、ウィキの「マアジ」から一部を引用しておく。『成魚の全長は』五十センチメートル『に達するが、よく漁獲されるのは』三十センチメートル『程度までである。体は紡錘形でやや側扁し、頭長は体高より長い。側線は体の中ほどで下方に湾曲し、背鰭第』八『軟条下から尾まで直走する。この側線上には全体に亘って稜鱗(りょうりん : 俗称「ぜんご」「ぜいご」)と呼ばれる棘状の鱗が』六十九個から七十三個『並ぶ。臀鰭の前端部には』二『本の棘条がある。鰓蓋(さいがい、えらぶた)上縁に一つの黒色斑がある。口内では両顎・口骸骨・鋤骨(じょこつ)・舌に細歯がある。背側は緑黒色で腹側は銀白色、中間域は金色である』。『体色と体型は、浅海の岩礁域に定着する「居つき型(瀬付き群)」と、外洋を回遊する「回遊型(沖合回遊群)」で異なる。居つき型は全体的に黄色みが強く、体高が高い。一方、「回遊型」は体色が黒っぽく、前後に細長い体型をしている。例えば東京湾沿岸では居つき型を「キンアジ」「キアジ」、回遊型を「ノドグロ」「クロアジ」などと呼んで区別している』。『ムロアジ属 Decapterus 諸種、メアジ Selar crumenophthalmus 等の類似種がいるが、本種は第二背鰭・臀鰭の後ろに小離鰭が無いこと、側線の全てが稜鱗で覆われること、側線が体の中ほどで大きく下方に湾曲することで区別がつく』。『関西ではマアジを赤アジ、ムロアジを青アジとも呼ぶ』。『北西太平洋の固有種で、北海道から南シナ海までに分布する。特に日本海や東シナ海で個体数が多い』。『地方毎に独立した地方系群もあると考えられ、これらは遺伝子プール・形態・生態・産卵地もわずかずつ異なるとされる。主なものは九州北部群、東シナ海中部群、東シナ海南部群、小さい群として九州南方域、高知沖、関東伊豆付近、瀬戸内海、富山湾がある』。『回遊型は沿岸から沖合の中層・底層を群れで遊泳する。季節に応じた長距離の回遊を行い、春に北上・秋に南下する。一方、居つき型は浅海の岩礁付近に定着し、季節的な回遊をしない。食性は肉食で、動物プランクトン、甲殻類、多毛類、イカ、他の小魚等を捕食する』。『産卵期は地域の気候によって異なり、東シナ海では』一月であるが、『北海道では』八『月となる。早春の東シナ海で仔魚・稚魚が多数見られることから、回遊型は東シナ海で産卵し、これらが黒潮に乗って東アジア沿岸域に分散すると考えられている。産卵数は』成体♀の大きさによって異なり、約十万個から五十六万個に『達する。卵は直径』一ミリメートル弱の『分離浮性卵で』、四十『時間ほどで全長』二・五ミリメートルの『仔魚が孵化する。幼魚は流れ藻に付くことがあり、内湾の浅い海でも見られる』。二~三年で『成熟し、寿命は最長』十二『年という記録がある』。『本種は日本産アジ類の中でも特に漁獲が多く代表種となっていることから「真」が付く』。『新井白石は「アジとは味也、その味の美をいふなりといへり」と記している』。『地方名も多く、アヅ(富山・秋田)、メダマ(東京)、ノドクロ、クロアジ(東京 : 回遊型を指す)キアジ、キンアジ(東京 : 居つき型を指す)、アカアジ(関西 : 稚魚を指す)、ヒラアジ(和歌山・大阪・広島)、ホンアジ(和歌山)、トツカアジ、トツカワ(和歌山)、オオアジ(神戸・松江)、オニアジ(兵庫明石)、ゼンゴ(中国・四国地方)、キンベアジ(鹿児島)、ジンタン(鹿児島 : 稚魚を指す)等がある』。『関アジは豊予海峡で漁獲し、大分県大分市佐賀関で水揚げしたアジの商標である』。なお、アジ亜科 Caranginaeの総説であるウィキの「アジ」の「語源」によれば、『日本語の「アジ」は味が良いことに由来するといわれる』。『「魚」に「参」と書く漢字が当てられるが、この由来は諸説あり、「鱢(ソウ、魚偏に「喿」)」の字の写し間違いであるとする説』、『「おいしくて参ってしまう」の意であるとする説、最も美味の季節が旧暦の』三『月に当たるので』、旁(つくり)に『数字の「参」が使われたとする説などがある』とある。

『順の「和名抄」、「あち」と訓す』源順の「和名類聚鈔」巻十九の「鱗介部第三十」の「龍魚類」第二百三十六に、

   *

鰺(アチ) 崔禹錫が「食經」に云はく、『鰺【「蘇」「遭」の反。「騷」と同じ。和名「阿遲」。】。味、甘温。毒、無し。貌(かたち)、「鯼」に似て、尾に、白剌、相ひ次ぐ者なり。』〔と〕。

   *

とある。「ぜいご」をよく記して、アジ類の記載を思わせるが、しかし、「鯼」(音「ソウ」)はイシモチ(スズキ目スズキ亜目ニベ科シログチ属シログチ Pennahia argentata 或いはニベ科ニベ属ニベ Nibea mitsukurii を指す)の俗字で、イシモチもニベも私はアジ類とは決して似ているとは思わない。

「性、温補〔にして〕、瘡腫を發す」「温補」は漢方で正常な体温を保時させ、補填する性質を謂うが、この文脈ではそれが、「瘡腫」(皮膚が腫れて膿を持った病態)を引き起こす、惹起し易いと言っているようにしか読めない。この「瘡腫」をもっと軽いアレルギ性湿疹と採るにしても、アジ類ではそう頻繁に多数の人に起こるとは考えられないから、この記載は不審である。

「痘瘡」天然痘。

「諸瘡」広義の皮膚の湿疹や糜爛を指す。

「室鰺」狭義にはアジ亜科ムロアジ属ムロアジ Decapterus muroadsi を指すが、ムロアジ属には多くの種が含まれる。ウィキの「ムロアジ」を参照されたい。中でも、クサヤモロDecapterus macarellus は「くさや」の最高級品として賞味される。私も四十年近く前、神津島の製造所で買って民宿で焼いて貰った(同宿の女性二人に大顰蹙を買ったが、宿の主人はにこにこしていた)が、あれは人生最高の「くさや」であった。製造元では「くさや」の漬ける伝来の原液を嘗めさせて貰ったが、非常に美味であったのも忘れられない。

「嶋鰺」しかし、「味、劣れり」はムロアジとともに、断固、抗議する。アジ類ではシマアジは刺身にして最も美味いものですよ! 益軒先生!]

2019/10/12

大和本草卷之十三 魚之下 鮹魚 (アカヤガラ)

鮹魚 本草ヲ見ルニ關東ニヤカラト云魚是乎細長

 クシテ箭ノ如ク圓ナリ又馬ノ鞭ノ如シ色少アカシ

 觜短ク尾ニマタアリ又觜長キモノアリ肉白シ膈噎ノ

 病ヲ治スト云西州ニモアリタコト訓スルハアヤマリナリ無毒

○やぶちゃんの書き下し文

鮹魚(ヤガラ) 「本草」を見るに、關東に「やがら」と云ふ魚、是れか。細長くして、箭〔(や)〕のごとく、圓〔(まどか)〕なり。又、馬の鞭のごとし。色、少し、あかし。觜〔(くちばし)〕短く、尾に「また」あり。又、觜、長きものあり。肉、白し。膈噎〔(かくいつ)〕の病ひを治すと云ふ。西州にも、あり。「たこ」と訓ずるは、あやまりなり。毒、無し。

[やぶちゃん注:条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヤガラ科ヤガラ属 Fistularia のヤガラ類。世界に四種を認めるが、本邦近海では、

アオヤガラ Fistularia commersonii

アカヤガラ Fistularia petimba

の二種が知られ、益軒のそれは後者である。ウィキの「ヤガラ」によれば、科名ヤガラ科 Fistulariidaeの『由来は、ラテン語の「fistula(パイプ)」』に由来する。『ヤガラ科の魚類はすべて海水魚で、太平洋・インド洋・大西洋の熱帯・亜熱帯域に広く分布する』。上記アカヤガラ『は高級食用魚として珍重される』。ヤガラ科の『類はサンゴ礁や岩礁などの比較的浅い海で生活し、小魚や甲殻類を主に捕食する』。細長い筒状の口を使って、岩やサンゴの間に潜む獲物を吸い込むことに適応している』。『アカヤガラは味の良い魚で』、『入荷量が少ない、白身の高級魚として扱われ』、『椀物、鮨種、刺身で食べられる』。『細長い体と筒状の口』と、『後方に伸長する尾鰭の鰭条が』ヤガラ科の『魚類の特徴で』、『細長い体型をもち、吻(口先)は細長く筒状に発達する』。『最大で全長』一・八メートルに『まで達するが、通常は』一メートル『未満であることが多い』。『近縁のヘラヤガラ科』(ヨウジウオ亜目ヘラヤガラ下目ヘラヤガラ上科ヘラヤガラ科 Aulostomidae)『とよく似た外見を有するものの、ヤガラ類は口』鬚を『もたず、肛門の開口部が』、『腹鰭のすぐ後ろに位置するなど、形態学的な差異は比較的大きい』。『体表には鱗がなく、一部の種類では小突起が列状に並ぶ』。『側線は』、『よく発達し、背部正中に弧を描きながら』、『尾鰭鰭条にまで達する』。『背鰭と臀鰭は棘条を欠き、いずれも』十三~二十『本の軟条で構成され』ている。『尾鰭は二又に分かれ、中央の』二『本の鰭条が著しく伸長する』とある。

「本草」「本草綱目」の、巻四十四の「鱗之三」に、

   *

鮹魚【音「梢」。「拾遺」。】

集解【藏器曰、「出江湖。形似馬鞭、尾有兩岐如鞭鞘。故名。氣味、甘、平。無毒。】

主治【五痔・下血・瘀血在腹。藏器。】

   *

とあるが、「江湖に出づ」というのは淡水魚を指すので、これはヤガラではない。但し、現代中国語ではアカヤガラにこの「鮹魚」を当ててはいる。

「膈噎」「噎」は食物がすぐ喉の附近でつかえて吐く病気を、「膈」は食物が少し下の胸の附近でつかえて吐く病気を指すが、現在では現行の胃癌又は食道癌の類を指していたとされる。しかし、ここは広義の咽喉や気道附近での、咽喉もとの「痞(つか)え」を広汎に指す謂いでとってよかろう。]

2019/08/28

大和本草卷之十三 魚之下 鬼鯛 (マツカサウオ)

 

【和品】

鬼鯛 丹後ニアリ如石堅乄不可食爲床頭玩物

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

鬼鯛〔(おにだひ)〕 丹後にあり。石のごとく堅くして、食ふべからず。床頭〔(しやうとう)〕の玩物と爲す〔のみ〕。

[やぶちゃん注:たった一行(「和品」は原本では欄外頭書)というのは今までの「大和本草」水族パート中で最短の記載である。鯛型、「鬼」とつけたくなるゴッツゴツっぽい風体、石のように硬く、乾して飾りに出来る……想像通り、小学館「日本国語大辞典」に彼奴(きゃつ)、「松毬魚」の異名となっていたのを見た時は、図に当たって思わずニンマリした。条鰭綱棘鰭上目キンメダイ目マツカサウオ科マツカサウオ属マツカサウオ Monocentris japonica である。ウィキの「マツカサウオ」から引用しておく。『北海道以南の日本の太平洋と日本海沿岸から東シナ海、琉球列島を挟んだ海域、世界ではインド洋、西オーストラリア沿岸のやや深い岩礁地域に生息する』。『本種は発光魚として知られているが、それが判明したのは意外に遅く』、大正三(一九一四)『年に富山県魚津町(現・魚津市)の魚津水族館で停電となった時、偶然』、『見つけられたものである』。『本種の発光器は下顎に付いていて、この中に発光バクテリアを共生させているが、どのように確保するのかは不明である。薄い緑色に発光し、日本産はそれほど発光力は強くないが、オーストラリア産の種の発光力は強いとされる。しかし、発光する理由まではまだよく判っておらず、チョウチンアンコウなどのように餌を惹きつけるのではないかという可能性がある』。『夜行性で、体色は薄い黄色だが、生まれたての幼魚は黒く、成長するにつれて次第に黄色味を帯びた体色へと変わっていくが、成魚になると、黄色味も薄れ、薄黄色となる。昼間は岩礁の岩の割れ目などに潜み、夜になると』、『餌を求めて動き出す』。『背鰭と腹鰭は強力な棘となっており、外敵に襲われた時などに背鰭は前から互い違いに張り出して、腹びれは体から直角に固定することができる。生きたまま漁獲後、クーラーボックスで暫く冷やすとこの状態となり、魚を板の上にたてることができる。またこの状態の時には鳴き声を聞くこともできる』という。『和名の由来通り、マツの実のようにややささくれだったような大きく、固い鱗が特徴で、その体は硬く、鎧を纏ったような姿故に英語では』Knight Fish・Armor Fish『と呼び、パイナップルにも似た外観から Pinapple fish と呼ぶときもある』。『日本でもその固い鱗に被われた体から』「ヨロイウオ」、『鰭を動かすときにパタパタと音を立てることから』「パタパタウオ」とも『呼ぶ地方もある』。『体は比較的小さく、成魚でもせいぜい15cm程で、体に比べ、目と鱗が大きく、その体の構造はハコフグ類にも似ている。そして、その体の固さから動きは遅く、遊泳力は緩慢で、体の柔軟性も失われている』。『餌は主に夜行性のエビなどの甲殻類だといわれる』。『本種はあまり漁獲されないことから、経済効果にはそれほど貢献しないものの、食用にされている』。『硬い体は包丁が通らないが、5~10分ほど煮たり、加熱すると鱗が取れ、中の肉を食べやすくなる。白身でやや柔らかく、美味な食感である』。『緩慢な動きがユーモラスなので、水族館で飼育されたり、内臓を取って干した個体を置物として売る場合もある』とある。なお、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」(平凡社一九八九年刊)の「マツカサウオ」の記載によれば、『太平洋岸の各地域では』、『マツカサウオを魔よけとして門戸にかけることがある』。『おそらくその鋭い刺が』、『魔よけの能力をもつと信じられたからであろう』と記しておられ、これは、ぼうずコンニャク氏の「市場魚貝類図鑑」のマツカサウオのページの一番最後に、『俗間』、『何かのまじなひとして門戸にかけることがある』(宇井縫蔵「紀州魚譜」(昭和四(一九二九)年淀屋書店刊)と引き、『魔除け 家の入り口に吊しておく。子供や家族が病気にならないように家の入り口に吊しておく。この特異な姿に鬼などが恐れるとしてためか』として、兵庫県南あわじ市沼島での写真を掲げておられる。

「床頭」とは「寝床の傍・枕元」の意であるから、「玩物」と言っているものの、或いはこの魔除けの効果を期待してのことかも知れない。]

大和本草卷之十三 魚之下 松魚(かつを) (カツオ)

 

【外】

松魚 本草不載之東醫寳鑑曰性平味甘無毒味

 極珍肉肥色赤鮮明如松節故為松魚生東北

 江海中○今案是鰹魚ナリ日本ニハ南海ニ産ス相摸

 土佐紀州等殊鎌倉熊野ノ海ニ多シ北海ニハナシ切

 ワリテ脯トナシ十脡ヲ一連ト云○或曰鰹魚一名肥

 滿魚其形圓肥而多肉少骨爲軒為羹炙肥人頭

[やぶちゃん注:「爲」「為」の混用はママ。]

 小自尺及二尺色靑黑其性陽夏四五月向陽出

 東南海群集浮泳于海中○生ナルハ性温多食動

 血發瘡瘍赤斑使人醉則橄欖生蘆根甘蔗馬鞭

 草取汁而飲又陳皮大黃細末以黒豆煎汁送下

 而解之又ツハト云草ノ汁ヲ吞テ解ス皆冷飲スヘシ

 南人以芥子醋啖之充常饌餒者有毒不可食又

 作醓醢為佳肴○乾鰹薄ク削テ為抹諸食品加ヘ

 甘味ヲ助ク補脾胃進飲食益人百疾不忌甚利

 民用○常陸國誌曰鰹魚古事記萬葉集皆作堅

 魚而無鰹字後世合為一字耳大者尺餘小者八

 九寸味美有小毒人中其毒通身發紫頭痛煩渇

 五六月間多出土人用鹽水蒸乾為脯味美於生

 者俗曰鰹節無毒能調和百味久病衰極之人常

 食無妨或舂其骨肉爲醢亦佳也鰹見徒然草○

 順和名抄曰鰹魚加豆乎式文用堅魚二字○淡

 海公所作令亦曰堅魚○今案漁人往〻マグロト云

 魚ヲ用テ乾テカツヲトス性味ヲトレリ可擇

○やぶちゃんの書き下し文

【外】

松魚(かつを) 「本草」、之れを載せず。「東醫寳鑑」に曰はく、『性、平。味、甘、毒、無し。味、極〔めて〕珍。肉、肥、色、赤くして鮮明〔にして〕松の節のごとし。故に「松魚」と為す。東北〔の〕江海〔の〕中に生ず』〔と〕。

○今、案ずるに、是れ、鰹魚なり。日本には南海に産す。相摸・土佐・紀州等、殊に鎌倉・熊野の海に多し。北海には、なし。切りわりて、脯〔(ほじし)〕となし、十脡〔(ちやう)〕を一連と云ふ。

○或いは曰はく、『鰹魚、一名、肥滿魚。其の形、圓く肥えて、肉、多く、骨、少なし。軒(さしみ)と爲し、羹〔(あつもの)〕・炙〔(あぶりもの)〕と為す。人を肥やす。頭、小なり。尺より二尺に及ぶ。色、靑黑。其の性、陽。夏、四、五月、陽に向き、東南海に出でて、群集〔(ぐんじゆ)〕して、海中に浮泳す』〔と〕。

○生なるは、性、温、多く食へば、血を動かす。瘡瘍・赤斑を發し、人をして醉はしむ。則ち、橄欖・生蘆根・甘蔗・馬鞭草〔の〕汁を取りて飲む。又、陳皮・大黃〔を〕細末にして、黒豆の煎じ汁を以つて送り下して、之れを解す。又、「つは」と云ふ草の汁を吞みて解す。皆、冷飲すべし。

 南人、芥子醋(からしず)を以つて、之れを啖〔(く)〕ふ。常饌に充つ。餒〔(すえ)〕たる者、毒、有り、食ふべからず。又、醓醢(しゝびしほ)と作〔(な)〕す。佳肴たり。

○乾鰹(かつをぶし)。薄く削りて、抹と為し、諸食品に加へ、甘味を助く。脾胃を補し、飲食を進め、人を益す。百疾、忌まず、甚だ民用に利す。

○「常陸國誌」に曰はく、『鰹魚、「古事記」・「萬葉集」、皆、「堅魚」に作り、「鰹」の字、無し。後世、合せて一字と為すのみ。大なる者、尺餘り。小なる者、八、九寸。味、美。小毒、有り、人、其の毒に中〔(あた)らば〕、通身、紫を發す。頭痛・煩渇す』〔と〕。

五、六月の間、多く出づ。土人、鹽水〔(しほみづ)〕を用ひて蒸〔し〕乾〔し〕、脯と為す。味、生なる者より美なり。俗に「鰹節」と曰ふ。毒、無し。能く百味を調和す。久〔しき〕病ひ、衰〔への〕極〔み〕の人、常に食し、妨〔(さまたげ)〕無し。或いは、其の骨肉を舂(つ)いて、醢〔(しほから)〕と爲〔すも〕亦、佳なり。

鰹、「徒然草」に見えたり。

○順が「和名抄」に曰はく、『鰹魚。「加豆乎」。「式」文、「堅魚」の二字を用ふ』〔と〕。

○淡海公の作れる所の「令」に亦、「堅魚」曰ふ。

○今、案ずるに、漁人、往々、「まぐろ」と云ふ魚を用ひて乾して、「かつを」とす。性・味、をとれり。擇〔(えら)〕ぶべし。

[やぶちゃん注:条鰭綱スズキ目サバ科サバ亜科マグロ族カツオ属カツオ Katsuwonus pelamis。但し、益軒は「北海には、なし」と断じているところはカツオだけでもいいようにも思われはするが、形状がやや似て、「宗田節」にも加工される、

マグロ族ソウダガツオ属マルソウダ Auxis rochei

ヒラソウダAuxis thazard

や、やはり形状の似る、

サバ亜科ハガツオ族ハガツオ属ハガツオ Sarda orientalis

を益軒が識別しているとは残念ながら思われないので、これらも含まれると読むべきであろう(真正のカツオである上掲種の漁獲量が少ない日本海側の流通名では「カツオ」と言えば、逆に「ソウダガツオ」のことを指す。ハガツオは現行では流通量は少ない)。

「東醫寳鑑」前項に既出既注

「北海には、なし」実際にカツオの漁獲は日本海側では稀れである。これは摂氏十九~二十三度程度の暖かい海を好む性質による。

「脡〔(ちやう)〕」「脡」の音は「テイ」でもよい。干し肉で、まっすぐに伸ばしたもの、曲がっているものは「胊」と呼ぶ。

「或いは曰はく、『鰹魚、一名、肥滿魚……」この引用元は不明。しかし、「鰹」の字を用いているとなら、本邦の本草書であろう。

「瘡瘍・赤斑を發し、人をして醉はしむ」これは強いアレルギ反応であろう。但し、人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書である「本朝食鑑」の「鰹」を見ると(国立国会図書館デジタルコレクションの当該部画像。中央綴目から右に四行戻った中間部から左頁の七行目まで)、肉が飴のように粘る「餅鰹」、皮の上に黒白の斑紋が、三、四条ある「筋鰹」、別に一種(これは真正のカツオでない可能性あるが)に「石灰(いしばい)鰹」というのがおり、これらは中毒する場合が多いとし、「石灰鰹」は死亡例もあり、漁師たちはこれを食べることを禁じているとする。しかし、この間には夏場に多く獲れるが、魚類自体が腐り易いことを言っており、これは腐敗菌による食中毒の可能性が高く、また、以上の最後の方では、カツオの肉の中にいる白い糸状の小さな寄生虫のことを指摘しており、これは明らかにアニサキスを指している。ただ、これらは孰れも、死に至るまでの毒性や重症化を考えることは出来にくい。されば、この「石灰鰹」は何らかの強い本態性の魚毒を持つ別種ではないかと私は疑っているのである。

「橄欖」ムクロジ目カンラン科カンラン属カンラン Canarium albumウィキの「カンラン科」の本種の解説によれば、『インドシナ原産で、江戸時代に日本に渡来し、種子島などで栽培され、果実を生食に、また、タネも食用にしたり油を搾ったりする。それらの利用法がオリーブに似ているため、オリーブのことを漢字で「橄欖」と当てることがあるが、全く別科の植物である』(オリーブはシソ目モクセイ科オリーブ属オリーブ Olea europaea)。『これは幕末に同じものだと間違って認識され、誤訳が定着してしまったものである』とある。

「生蘆根」漢方では単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク亜科ヨシ属ヨシ Phragmites australis の根を基本種とする。通常は乾燥品であるが、「生」とあるのは、生の根茎を砕いてそこから搾り取った汁を服用して吐き気や胃の熱を除去する手法が漢方サイトにあったのを指すのであろう。

「甘蔗」イネ科サトウキビ属サトウキビ Saccharum officinarum

「馬鞭草」読みは「ばべんさう」或いは「くまつづら」である。シソ目クマツヅラ科クマツヅラ Verbena officinalis は本州・四国・九州・西南諸島に分布する多年生草本で、高さ三十~八十センチメートルで、路傍・荒地・原野などに生育する。横に走る太い地下茎を持ち、種子以外にこの地下茎を用いても繁殖が可能であるらしい。茎の断面は四角形で上部で枝を分け、羽状に三~五裂する葉を対生する。花期は六~九月で茎の上部に穂状花序を出し、淡紅紫色の花を多数咲かせる。漢名である「馬鞭草」(属名“Verbena”(バーベナ)はそれに由来するか)は長く伸びた花穂を鞭に見たてことに由来する。古くは、腫れ物などの薬に用いられた(以上は岡山理科大学生物地球学部生物地球学科植物生態研究室(波田研)サイト内の「植物雑学辞典」の「クマツヅラ」の森定伸氏の解説に拠った)。ただ、個人サイト「野の花散歩」の「クマツヅラ」によれば、ここにも出る『クマツヅラの名は』九〇〇『年代に書かれた「和名抄」に登場』するものの、その和名の由来は良く分かっていないとあり、『一説には花の後、米粒状の実が穂状に付くので「米ツヅラ」がなまってクマツヅラになったとされる』とあった。

「陳皮」中国では熟したムクロジ目ミカン科ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulataの果皮を観想させたものであるが、本邦では熟したミカン属ウンシュウミカン Citrus unshiu のそれで代用する。

「大黃」タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の一部の種の根茎から製される生薬。最近、目にすることが多くなった、ジャムなどにする野菜「ルバーブ」はダイオウ属ショクヨウダイオウ Rheum rhabarbatum である。

「つは」キク亜綱キク目キク科キク亜科ツワブキ(石蕗)属ツワブキ Farfugium japonicum であろう。

「脾胃」既出既注。漢方では広く胃腸・消化器系を指す語。

「常陸國誌」江戸前期の儒者で水戸藩に仕えた小宅生順(おやけせいじゅん 寛永一五(一六三八)年~延宝二(一六七四)年:号は処斎。寛文四(一六六四)年に第二代藩主徳川光圀の命で、長崎で明朝の遺臣の大儒朱舜水に面会し、彼を藩に招いた。「大日本史」の編修にも従事した)撰になる常陸国の地誌。明治三四(一九〇一)年に新編輯された「新編常陸国誌」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの当該画像。中央右)にある。

「古事記」実際のカツオではなく、

有上堅魚作舍屋之家

(堅魚(かたうを)を上げて舍屋(や)を作れるの家有り)

で、「葺いた藁を押さえるために、カツオのような形の横木を何本も棟に取り付けた大きな家」の意である。

「萬葉集」巻第九の「水江(みづのえ)の浦島の子を詠める一首幷に短歌」(一七四〇・一七四一番)の前者の中に出る。

   *

春の日の 霞める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出でゐて 釣船(つりふね)の とをらふ見れば 古への 事そ思ほゆる 水江の 浦島の子が 堅魚(かつを)釣り 鯛釣り衿(ほこ)り 七日(なぬか)まで 家にも來(こ)ずて 海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海若(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向かひ 相ひ誂(あとら)ひ こと成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海若の 神の宮の 内の重(へ)の 妙(たへ)なる殿(との)に 携(たづさ)はり 二人(ふたり)入り居(ゐ)て 老いもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世の中の 愚(おろ)か人(ひと)の 吾妹子(わぎもこ)に 告げて語らく 須臾(しましく)は 家に歸りて 父母に 事も語らひ 明日(あす)のごと われは來(き)なむと 言ひければ 妹(いも)が言へらく 常世邊(とこよへ)に また歸り來て 今のごと 逢はむとならば この篋(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅めし言(こと)を 墨吉に 歸り來たりて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 恠(あや)しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三歲(みとせ)の間(ほど)に 垣も無く 家滅(う)せめやと この箱を 開きて見てば もとの如(ごと) 家はあらむと 玉篋 少し開くに 白雲(しらくも)の 箱より出でて 常世邊に 棚引(たなび)きぬれば 立ち走り 叫び袖振り 反側(こいまろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情(こころ)消失(けう)せぬ 若かりし 肌も皺みぬ 黑かりし 髮も白(しら)けぬ ゆなゆなは[やぶちゃん注:後々には。] 氣(いき)さへ絕えて 後(のち)つひに 命死にける 水江の 浦島の子が 家所(いへどころ)見ゆ

   反歌

常世邊に住むべきものを劍大刀(つるぎたち)己(な)が心から鈍(おそ)やこの君

「劍大刀」は「かたな」で「な」を引き出すための枕詞のようなもの。

皆、「堅魚」に作り、「鰹」の字、無し。後世、合せて一字と為すのみ。大なる者、尺餘り。小なる者、八、九寸。味、美。小毒、有り、人、其の毒に中〔(あた)らば〕、通身、紫を發す。頭痛・煩渇す』〔と〕。

五、六月の間、多く出づ。土人、鹽水〔(しほみづ)〕を用ひて蒸〔し〕乾〔し〕、脯と為す。味、生なる者より美なり。俗に「鰹節」と曰ふ。毒、無し。能く百味を調和す。久〔しき〕病ひ、衰〔への〕極〔み〕の人、常に食し、妨〔(さまたげ)〕無し。或いは、其の骨肉を舂(つ)いて、醢〔(しほから)〕と爲〔すも〕亦、佳なり。

「徒然草」第百十九段。

   *

 鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、双(さう)なきものにて、このごろ、もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申しはべりしは、

「この魚、おのれら、若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること、はべらざりき。頭(かしら)は、下部(しもべ)も食はず、切りて捨てはべりしものなり。」

と申しき。

 か樣(やう)の物も、世の末になれば、上樣(かみざま)までも入りたつわざにこそはべるなり。

   *

因みに、高校時代、ここを読んで、卜部兼好が一発で大嫌いになった。私は鰹が大好物だからである。

『順が「和名抄」に曰はく……」巻十九の「鱗介部第三十 竜魚類第二百三十六」の以下(原文は国立国会図書館デジタルコレクションのここ)。

   *

鰹魚 「唐韻」に云はく、『「鰹」は【音「堅」。「漢語抄」に云はく、『加豆乎』。「式」文に「堅魚」の二字を用ゆ。】。大鮦なり。大を「鮦」と曰ひ、小を「鮵」【音「奪」。】と曰ふ。野王、案ずるに、鮦【音「同」。】、蠡魚なり【蠡魚、下の文に見たり。今、案ずるに、堅魚と爲すべし。之の義、未だ詳らかならず。】』〔と〕。

   *

文中の「野王」は古辞書「玉篇」の撰者として知られる南朝梁から陳にかけての学者顧野王(こ やおう 五一九年~五八一年)のこと。「鰹」の字は国字ではなく、漢語として存在する。しかし、漢語としては「鰻」・「大鰻」の意で、鰹の意はない。ところが、ややこしいことに「鮦」には「大鰻」の他に大きな鰹の意が漢語自体にあり、一方で、「鮵」は「鱧(はも)の小さな個体」の意とするのである。これを見るに、もとは、やはり、これらの漢字は皆、ウナギのようなニョロニョロ系の魚類を指した漢字と私は睨んだ。さても。順は「蠡魚」をカツオと言っているが、やっぱり違う。この「蠡魚」はやはり「鱧」などと同じで「ウナギ」或いは「ヤツメウナギ」を指すものだ。サイト「真名真魚辞典」のこちらを見られたい。だいたい、順ちゃん、あんた、「鱧魚(ハム[やぶちゃん注:ママ。])」で「※」(「※」=「魚」+「蠡」)を「本草綱目」から引用して出しとるやないかい!(国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここ

「式」「延喜式」。

「淡海公」藤原不比等の諡号。

「令」「大宝律令」。

『漁人、往々、「まぐろ」と云ふ魚を用ひて乾して、「かつを」とす。性・味、をとれり』「鮪節(まぐろぶし)」は「黄肌鮪」、サバ亜科マグロ族マグロ属キハダ Thunnus albacares の幼魚から作る。現在も普通に製造販売されている。甘味があってともに入れる素材の味を邪魔しないだしがとれる。]

2019/08/26

大和本草卷之十三 魚之下 ※魚(「※」=(上)「大」+(下:「大」の二・三画目の間に)「口」の一字) (タラ)

 

【外】

※魚 東醫寳鑑曰※魚俗名大口魚性平味鹹無

[やぶちゃん注:「※」=(上)「大」+(下:「大」の二・三画目の間に)「口」の一字。]

 毒食之補氣膓與脂味尤佳生東北海○今案大

 口魚ハ北土ノ海ニ多シ南海ニハ生セス西州ニハ北海

 ニモ生セス朝鮮甚多シ寒國ニ生ス冬春多ク捕ル

 夏秋ハ無之生ナルヲ煮テ食シ塩ニ淹スモヨシ為脯

 味最ヨシ四五月マテ可食白者為佳品黃為下品

 大ニテ肉厚ヲ為好京都ニハ北土ヨリ多來ル其子及

 腸亦佳シ凡タラハ油ナク乄性カロク諸病ニ妨ナシ國

 俗ニ鱈ノ字ヲ用ユ非正字頭ニ小石アリ

○やぶちゃんの書き下し文

【外】

※魚 「東醫寳鑑」に曰はく、『※魚、俗名、大口魚。性、平。味、鹹、毒、無し。之れを食へば、氣を補す。膓〔(はらわた)と〕脂と、味、尤も佳し。東北の海に生ず。[やぶちゃん注:「※」=(上)「大」+(下:「大」の二・三画目の間に)「口」の一字。]

○今、案ずるに、大口魚は北土の海に多し。南海には生ぜず。西州には北海にも生ぜず。朝鮮、甚だ多し。寒國に生ず。冬・春、多く捕る。夏・秋は、之れ、無し。生〔(なま)〕なるを煮て食し、塩に淹〔(あん)〕ず〔る〕も、よし。脯〔(ほじし)〕と為〔して〕、味、最もよし。四・五月まで食ふべし。白き者、佳品と為し、黃〔なる〕を下品と為す。大にて、肉厚〔(にくあつ)〕を好しと為す。京都には北土より多く來たる。其の子及び腸、亦、佳し。凡そ、「たら」は油なくして、性〔(しやう)〕、かろく、諸病に妨〔(さまたげ)〕なし。國俗に「鱈」の字を用ゆ〔れども〕、正字に非ず。頭に小石あり。

[やぶちゃん注:日本近海では北日本沿岸に条鰭綱新鰭亜綱側棘鰭上目タラ目タラ科タラ亜科 Gadinae の総称で、

マダラ属マダラ Gadus macrocephalus

スケトウダラ属スケトウダラ Theragra chalcogramma(漢字表記は「介党鱈」「鯳」で、スケソウダラ(介宗鱈・助惣鱈)とも呼び、一般に「スケソ」「スケソウ」とも呼ぶ)

コマイ属コマイ Eleginus gracilis

の三属三種が分布するが、現行では単に「タラ」と呼称した場合はマダラを指すことが多く、コマイはタラとは普通は呼ばないし、形も有意に異なる。ウィキの「タラ」によれば、『漢字では身が雪のように白いことから「鱈」と書くが、これは和製漢字である。日本では古くから、大きな口を開けて他の生物を捕食することから「大口魚」と呼ばれていた。この和製漢字(国字)は、中国でも一般的に用いられている』が、『福建省の客家語』(はっかご)『では「大口魚」は』淡水魚のハス(鰣:条鰭綱コイ目コイ科クセノキプリス亜科ハス属ハス Opsariichthys uncirostris)『を意味する』。ウィキの「マダラ」を引くと、『黄海、日本海、東北地方以北の太平洋岸、北はベーリング海、東はカリフォルニア州まで北太平洋に広く分布する。沿岸から大陸棚斜面の底近くに生息する。夏は深場に移り、水深800mくらいの深海にも生息するが、産卵期の冬は浅場に移動してくる。地域個体群が形成される』『が、個体群間の交流はほとんど無いとされている』。『冷水域に生息し、生息上限水温は約12℃と推定されている』。『最大で全長120 cm』で、『体重23kg程度』『に達し、日本に分布するタラ類3種の中では最大種である。体色は褐色で、背側にまだら模様がある。スケトウダラやコマイと同様、下顎には1本のひげがあり、背鰭3基、臀鰭2基を備える。上顎が下顎より前に出ている。また、頭身が小さく、腹部が大きく膨らむ』。『肉食性で、稚魚期は主に浮遊生物のカイアシ類、十脚類幼生等を、全長45mm以上になると』、『底生生物の端脚類や十脚類稚仔を捕食している』。『高緯度海域ほど成熟するまでに長い年数を必要とし、ベーリング海からカムチャッカ沖では5年』で『約60cmから70cm以上であるが』、『中緯度の東北沖やワシントン州では3年』で『40cm程度である』。『北海道周辺海域での産卵期は12月』から『3月で、分離沈性卵を産卵する。1匹のメスの産卵数は数十万』から『数百万個に及び、これは魚類の中でも多い部類に入るが、成長できるのはごくわずかである』。『稚魚は1年で全長20cmほどに成長するが、この頃までは沿岸の浅場で生活し、以後体が大きくなるにつれて深場へ移動する』。『北海道有珠10遺跡の縄文時代晩期の層からマダラの骨が出土し、耳石の分析から冬期に接岸した個体を捕獲し食用にしていたと推定されている』。『旬は冬』で、『身は柔らかく脂肪の少ない白身で、ソテーやムニエル、フライなどの他、汁物や鍋料理にもよく使用される。身を干物にした「棒鱈」(ぼうだら)も様々な料理に使われる。漁師の間では釣りたての物を刺身で食べることもあるが』、『鮮度の低下が早く』、『一般的ではない』。『また、白子(しらこ)と呼ばれる精巣もこってりとした味で珍重され、流通する際はメスよりオスの方に高い値がつく。白子は「キク」「キクコ」などとも呼ばれるが、これは房状になった外見がキクの花に似るためである。北海道では「タチ」(マダラは真ダチ、スケソウダラは助ダチ)とも呼ばれ、新鮮なものが寿司ねたなどで生食されている』。『マダラのたらこ(卵巣)はスケトウダラよりも硬いが、未熟なものは柔らかくスケトウダラよりも大型でボリュームがあるため、煮付けや焼き物、炒め煮にすると美味である。北陸地方では「真子(まこ)」と呼ばれ』、『よく食される』。『他にも肝臓から取り出した脂肪は肝油に用いられる』。『その他、マダラやスケトウダラの胃を唐辛子などの香辛料、砂糖、塩などに漬け込んだものを韓国ではチャンジャ』(益軒の言っている「腸、亦、佳し」はそれで、私の大好物でもある。但し、最上級品はタラの鰓(えら)だけを使用し、胃袋や腸・浮き袋等はその次となる)『といい、コリコリとした食感を楽しむ』とある。

「東醫寳鑑」(とういほうかん/トンイボガム)は李氏朝鮮時代の医書。全二十三編二十五巻から成る。御医(王の主治医)であった許浚(きょしゅん)著。ウィキの「東医宝鑑」によれば、一六一三年に『刊行され、朝鮮第一の医書として評価が高く、中国・日本を含めて広く流布した』とある。

「淹〔(あん)〕ず〔る〕」漬ける。

「脯〔(ほじし)〕」干物。

「京都には北土より多く來たる」ウィキの「棒鱈」によれば、『加工された棒鱈は北前船で関西方面に運ばれ、正月料理やお盆料理の一品として食べられた。東北地方の山間部では夏の保存食としても、また北九州では夏の祭に食べる習慣がある』とある。

「頭に小石あり」脊椎動物の内耳にある炭酸カルシウムの結晶からなる組織で、所謂、平衡胞に含まれる平衡石で、平衡感覚と聴覚に関与する。魚類では有意に大きくなる種がかなりおり、その断面には木の年輪のような同心円状の輪紋構造が見られ、一日一本が形成される。これを「日輪(にちりん)」と呼び、魚個体の年齢推定を日単位で調べることが可能である。ウィキの「耳石」マダラの耳石の写真をリンクさせておく。]

2019/08/24

大和本草卷之十三 魚之下 鮫魚 (サメ類(同じく一部に誤りを含む))

 

鮫魚 フカノ類ナリ本草曰鱗皮有玉可飾刀劍治骨

 角○日本ニ鮫類多シ菊トチ蝦夷ニ出コロザメ常陸越

 後ヨリ出ツアイサメ伊豆駿河ニ出ウミコアイコロ皆日

 本ニアリ又ハツハカイラギ花ナシ虎ザメ異國ヨリ來ル

 南蠻ゴロサメ皆用テ刀ノ鞘ヲカサル唐ニモツカサメヲ用

 ユ凡サメノ皮ハ異國ヨリ年〻多ク來ル本邦ノ人コレヲ

 用テ刀ノ柄鞘ヲ飾リ又骨角ト木ヲトギミカク占城

 ヨリ出ルヲヨシトス唐人ノ刀ヲミルニ柄鞘諸飾具皆日

 本ノ刀裝ニ同シ或云唐ニハツカザメナシト云ハ非也酉陽

 雜俎曰鮫子驚則入母腹中本草曰從口入腹中


○やぶちゃんの書き下し文

鮫魚 「ふか」の類なり。「本草」に曰はく、『鱗皮、玉〔(ぎよく)〕、有り。刀劍に飾り、骨・角を治すべし』〔と〕。

○日本に、鮫類、多し。

「菊とぢ」、蝦夷に出〔(いで)〕、「ころざめ」、常陸・越後より出づ。

「あいざめ」、伊豆・駿河に出、「うみこ」・「あいころ」、皆、日本にあり。

又、「はつは」・「かいらぎ」、花なし。

「虎ざめ」、異國より來〔(きた)〕る。

南蠻、「ごろざめ」、皆、用〔ひ〕て、刀の鞘をかざる。唐にも、「つか」[やぶちゃん注:刀の「柄(つか)」。]、「さめ」を用ゆ。

凡〔そ〕、「さめ」の皮は異國より、年々、多く來〔(きた)〕る。本邦の人、これを用〔ひ〕て、刀の柄・鞘を飾り、又、骨・角と木を、とぎ、みがく。占城より出〔(いづ)〕るを、よしとす。唐人の刀をみるに、柄・鞘・諸飾具、皆、日本の刀裝に同じ。或いは云はく、『唐には「つかざめ」なし』と云ふは、非なり。「酉陽雜俎」に曰はく、『鮫の子、驚けば、則ち、母の腹中に入る』〔と〕。「本草」に曰はく、『口より腹中に入る』〔と〕。

[やぶちゃん注:直前の「大和本草卷之十三 魚之下 フカ」に続いて、現行のサメ類(やはり一部に誤りを含む)の記載。現行では、「鮫(サメ)」とは、軟骨魚綱板鰓亜綱Elasmobranchiiのうち、一般にはエイ上目 Batoidea に含まれるエイ類を除くサメ類の内、中・小型のものを指す総称とされるが、大型の種群や個体との厳密な境界はなく、「鱶(フカ)」と混淆して用いられているのが現状である。超巨大なものを「ふか」と呼ぶのに違和感はないので、そうした限定用法として流通名とは別に「ふか」は生き残るであろう。

『「本草」に曰はく、『鱗皮、玉〔(ぎよく)〕、有り。刀劍に飾り、骨・角を治すべし』〔と〕』時珍の「本草綱目」の巻四十四の「鱗之四」に、

   *

鮫魚【唐「本草」。】

釋名 沙魚【「拾遺」】・䱜魚【「鵲」・「錯」二音】・鰒魚【音「剝」】・溜魚。時珍曰、鮫波有沙、其紋交錯鵲駮、故有諸名。古曰「鮫」、今曰「沙」、其實一也。或曰、本名「𩵲」、訛爲「鮫」。段成式曰、『其力健强、稱爲「河伯健兒」』、藏器曰、『鮫與石決明、同名而異類也』。

集解 恭曰、『鮫出南海。形似鼈、無脚有尾』。保昇曰、『圓廣尺餘、尾亦長尺許、背皮粗錯』。頌曰、『有二種、皆不類鼈、南人通謂之沙魚。大而長喙如鋸者曰「胡沙」、性善而肉美。小而皮粗者曰「白沙」、肉彊而有小毒、彼人皆鹽作修脯。其皮刮治去沙、剪作鱠、爲食品美味、食益人。其皮可飾刀靶』。宗奭曰、『鮫魚、沙魚形稍異、而皮一等』。時珍曰、『古曰「鮫」、今曰「沙」、是一類而有數種也。東南近海諸郡皆有之。形並似魚、靑目赤頰、背上有鬛、腹下有翅、味並肥美。南人珍之。大者尾長數尺、能傷人。皮皆有沙、如眞珠斑。其背有珠紋如鹿而堅彊者、曰「鹿沙」、亦曰「白沙」、云能變鹿也。背有斑紋如虎而堅彊者、曰「虎沙」、亦曰「胡沙」、云虎魚所化也。鼻前有骨如斧斤、能擊物壞舟者、曰「鋸沙」、又曰「挺額魚」、亦曰「鱕䱜」、謂鼻骨如鐇斧也。音「蕃」、沈懷遠「南越志」云、『環雷魚䱜魚也。長丈許、腹下有兩洞、腹貯水養子、一腹容三四子、朝從口中出、暮還入腹、鱗皮有珠、可飾刀劒、治骨角』。藏器曰、『其魚狀貌非一、皆皮上有沙、堪揩木、如木賊也。小者子隨母行、驚卽從口入母腹中』。

肉 氣味【甘、平、無毒】

主治 作鱠、補五臟、功亞于鯽、亦可作鱐鮓【詵】。甚益人【頌】。

氣味【甘鹹、平、無毒】

主治 心氣鬼疰、蠱毒吐血【「別錄」】。蠱氣蠱疰【恭】。燒灰水服、主食魚中毒【藏器】。燒研水服、解鯸鮧魚毒、治食魚鱠成積不消【時珍】。

[やぶちゃん注:以下、「附方」が最後に続くが、略す。]

   *

これを見るに(私の附した下線太字部)、益軒の引用は沈懷遠「南越志」から時珍が引用した部分にほぼ一致する。この「集解」を眺めていると、一説に鮫は紋から鹿が、或いは紋と強暴なる性質から虎が変じたとするのは、まっこと、民俗社会の理にかなった化生と思う。「骨・角を治すべし」とは、装飾用の獣骨と獣骨とを、鮫の皮を用いて、接(つ)ぐことを言うか。

「菊とぢ」魚類としての名は「菊登知」を当てる。この語は本来は「菊綴じ」(歴史的仮名遣「きくとぢ」)で水干・直垂・素襖(すおう)などの縫い目に綴じつけた紐を指し、結んだ絹の紐の先をほぐして、菊の花のようにしたものである。則ち、この「きくとぢざめ」というのは、体表の皮の表面にこの「菊綴じ」の文様を持つ種を指し、ここで「蝦夷」に棲息するということから、私はこれは、サメ類ではない、条鰭綱軟質亜綱チョウザメ目チョウザメ科 Acipenseridae の、

本邦固有種である(であった)チョウザメ亜科チョウザメ属ミカドチョウザメ Acipenser mikadoi(或いはAcipenser medirostris mikadoi

及び、

ダウリアチョウザメ属ダウリアチョウザメ Huso dauricus

に比定する。以上の二種への同定は、主に石狩市教育委員会「いしかり砂丘の風資料館」二〇一〇年十月発行の『石狩ファイル』(第百二十二の一号)(PDF)の志賀健司氏の論文「石狩のチョウザメ(生物編)」に拠った。それによれば、『チョウザメは、日本近海では北海道や東北の沿岸で見られることがあり、河川ではかつては石狩川、天塩川、釧路川、十勝川に遡上していました。しかし大正時代から昭和初期にかけて急激に減少し、今では見られなくなってしまいました』。『かつて北海道にいたチョウザメは、ミカドチョウザメ(Acipenser mikadoi)とダウリアチョウザメ(Huso dauricus)の2種と考えられています。ごく稀に今でも石狩(石狩川河口周辺、石狩湾沿岸)で捕獲・混獲されることがあり、記録や標本が残っている事例が近年では5件ありますが、養殖種ベステル(オオチョウザメ』(ダウリアチョウザメ属オオチョウザメ Huso huso)『とコチョウザメ』(チョウザメ属コチョウザメ Acipenser ruthenus)『を交配したもの)の1件を除き、いずれもダウリアチョウザメです』(リンク先に捕獲年・水域・体長・種の表が載る)。『現在、日本ではチョウザメは事実上絶滅したとされています(環境省と北海道のレッドリストには絶滅種として記載されている)。昭和初期に激減した理由は明らかではありませんが、河畔林の減少など河川環境の悪化が原因ではないか、とも言われています』。『また、世界的にも環境悪化や乱獲などにより個体数が激減しており、27種中23種がIUCN(国際自然保護連合)の絶滅危惧種に指定されています』とある。チョウザメ類は体側に並ぶ大きな鱗を特徴とし、これが古くから装飾として用いられ、研ぎ出すと、まさに「菊綴じ」のような美しい文様となるのである。私の二〇〇八年六月の記事「チョウザメのこと」で、刀の鞘に用いられたそれを見られる。リンク先の記事で私に非常に丁寧な情報をお寄せ下さったY氏は、「釜石キャビア株式会社」というところでチョウザメの養殖に係わるお仕事に従事しておられた方で、お礼に純日本産キャビアとチョウザメの肉を買おうと思っているうちに、同社は、かの東日本大震災で被害を被られ、再開の目途が立たずに解散となってしまった。嬉しい御助言であっただけに、少し哀しい思い出でもあるのである。なお石橋孝夫氏の詳細を究めた論文「北海道チョウザメの博物誌1―遺跡,地名,絵図,民具からみた北海道のチョウザメの記録―」PDF)の「3.チョウザメ類の絵図」の「(1)『鮫皮精義』の図」には、お恥ずかしながら、私のこの記事と写真が紹介されてある(五十七ページ。「引用文献」にも記載有り)

   《引用開始》

 関連して「Blog鬼火~日々の迷走」(藪野,2008)に「チョウザメのこと」という記事に読者Y氏から提供された「菊綴」の鞘とする画像があるので引用する(図5).しかし,「菊綴」とはあるものの拡大画像では鱗板が研ぎだされたと考えられ,正確には「蝶サメ」ではなかろうか[やぶちゃん注:これは原論文のこの前の部分と、その『図3「菊トヂ」「蝶サメ」』で意味が分かる。参照されたい。].今後,チョウザメ皮を使用した鮫鞘も調べてみる必要がある.

  なお,「菊トヂ」とは「菊綴じ」に由来する.この模様は水干,直垂などの縫目に綴じ付けた紐の先がほぐされて,菊の花のような装飾効果が生み出されることからその名がある.『鮫皮精義』の説明では「角(つの)で刻ミ製したるものある」と書いており,「菊トヂ」の模様を際立たすための加工技術が存在したとも読み取れる.また鮫鞘は「鮫屋」という職人によって製作され,この職業は江戸,大阪,京都にあったという(朝倉,1990).

   《引用終了》

なお、同論文には続篇で同じ石橋氏の手に成る「北海道チョウザメの博物誌2―明治期以降の北海道におけるチョウザメ捕獲に関する記録集成―」(PDF)もあるので、是非、読まれたい。なお、私は「谷の響 三の卷 八 異魚」で、文政年間(一八一八年~一八三〇年)に現在の北津軽郡小泊村下前(したまへ)で捕獲された「沙魚(さめ)」をミカドチョウザメに同定している。ご参照あれかし。

「ころざめ」軟骨魚綱カスザメ目カスザメ科カスザメ属コロザメSquatina nebulosa(リンク先は「WEB魚図鑑」。画像有り)。リンク先の記載によれば、本邦では北海道(但し、日本海側)から九州まで広く棲息し、朝鮮半島沿岸・黄海・東シナ海・台湾北部などの北西太平洋の沿岸にも分布するエイ型を呈するサメで、『少なくとも』、全長が一メートル六十三センチメートルにも『達する。体色は茶褐色』乃至『青みがかった茶色で、体には明色斑点が散在し、黒色斑点が多数密在する。腹面は明色で、胸鰭の先端はより暗くなる。背鰭の先端は明色。鼻孔から伸びる髭は先端にむかって細くなり、前鼻弁はわずかに房状になるか』、『平滑。眼は大きく、眼と噴水孔間の距離は眼径の』一・五『倍に満たない。噴水孔間の幅は眼隔幅より小さい。胸鰭は幅広く、先端は鈍い』とある。

「あいざめ」板鰓亜綱ツノザメ目アイザメ科タロウザメ Centrophorus granulosus益軒が「伊豆・駿河」と挙げていることから、漁師のカズ氏のブログ「宝は駿河湾深海にあり!part2」の「アイザメ」(写真豊富に有り)に拠ってこれを一番に挙げた。それによれば、『僕らのメインは深海ザメ漁と言っても過言ではない』。『主に健康食品(スクワランオイル)の原料として、深海ザメは健康食品の会社に直接卸している』。この深海ザメの油は『他にも化粧品にも』『使われている』。『その中のでもこの『アイザメ』が本命の深海ザメ』で、『本当はタロウザメって言うんだけど、漁師はアイザメの仲間を総称してアイザメと呼んでいる』とあったからである。また、『頭の上に白い星』(写真有り)『があるのがアイザメの仲間の特徴でもある』とあった。従って別にアイザメCentrophorus atromarginatus としてもよいWEB魚図鑑」の「アイザメ」によれば、『胸鰭内角は著しく突出せず、第』二『背鰭は腹鰭後端より前にある、鱗はブロック状に並ぶ、などの特徴からゲンロクザメ』(アイザメ属ゲンロクザメ Centrophorus tessellatus)や、『ニアウカンザメ』(アイザメ属ニアウカンザメ Centrophorus niaukang)『などと似るが、これらとの区別は標本を基に計測しなければ難しい。全長』一メートル『ほど』で、『深海性のサメの』一『種で、水深千二百メートル』以浅に生息する』とある。以上の四種を挙げておけば間違いあるまい。

「うみこ」不詳。但し、これ、寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮫」の項に「海小鮫」と出、私はその注で、中国産の刀剣の欛(つか)用の鮫皮の商品名であろうと思われるとし、従ってその素材はサメでなくエイである可能性が高いと断じた。詳しくはリンク先の注全体を読まれたいが、要は実は、刀剣の鞘に用いるのは古くから、日・中ともに、サメの皮よりもエイの皮の方が知られていたらしいのである。商品名というのは今は留保しておくが、エイ説は今のところは保持しておく。

「あいころ」これも寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮫」の項に、「常州の愛古呂(あいころ)」と出、そこでは、『これは頭の「愛」のアイザメよりも、むしろ後ろの「古呂」がカスザメ目カスザメ科のコロザメSquatina nebulosa を連想させるように思われる』としたのだが、コロザメももう出したし……アイザメ類も上でごっそり出たしなぁ……こまった、にゃん……

「はつは」不詳。ただ、気になるのは「ハツカザメ」ではある。これは浅野長雄・藤本武氏の論文「茨城県産魚類の方言について(第2報)」(『茨水試:試験報告 昭和3940年度』(昭和三十九年は一九六四年)の記載がある。PDF)の「16」にアブラツノザメ(軟骨魚綱ツノザメ目ツノザメ科ツノザメ属アブラツノザメ Squalus suckleyi)の茨城県の地方名として挙げている。そこではアブラツノザメは、『銚子以北,日本海岸ではほとんど一帯に分布する。その他朝鮮東海岸,北支[やぶちゃん注:ママ。中国北部沿岸。],北洋,アメリカ西海岸(カリフォルニヤまで),北大西洋の東西両沿岸』。『アブラサガ(大洗),ジョクへイ(那珂湊・河原子),ノ、ツカザメ(旭村)』。『このサメは北日本に広く分布し,ことに東北地方で漁獲が多く,竹輪,蒲鉾などの練製品原料として重要である。また頭および尾を除き,さらに内臓や骨を除いて棒状に乾したものを,ボウザメ,ムキザメと言う』。『アブラサガは,このサメの肝臓に多量の油をふくむのでかく言う。福島県小名浜ではサガと言う』。『ジョウへイの意味は不名である。本種は次のヨロイザメとともに機船底曳網で漁獲される』。『ハツカザメは,このサメが他のサメに比べ体が比較的小さいので,ハツカネズミのごとく小さいサメの意である』『標準和名のアブラツノザメは学者の命名によるものである』。『これに近いアブラザメなる方言は,北海道(釧路・網走・三石),青森県(徳沢),宮城県(渡波,気仙沼),福井県(三国)等である』とある。

「かいらぎ」これはサメではなく、真正のエイの一種である板鰓亜綱トビエイ目アカエイ科イバラエイ属イバラエイ Urogymnus asperrimus の異名「梅花鮫(カイラギザメ)」である。ウィキの「イバラエイ」によれば、『底生でインド太平洋熱帯域、西アフリカ沖で見られる。深度30m以浅の砂底・サンゴ礫底・アマモ場などに生息。大きくて重く、体幅1.2-1.5m。ほぼ円形の体盤と鰭膜のない細い尾を持つ。この科には珍しく毒棘を欠くが、全身が大きく鋭い棘に覆われている』。『餌は主に底生無脊椎動物や魚類で、海底を掘り起こして餌を探す。無胎盤性胎生。丈夫で粗い皮膚は鮫皮として価値が高く、剣の柄や盾などに用いられる。この場合カイラギザメ(梅花鮫)とも呼ばれる。沿岸漁業で混獲されるが、棘が多く扱いづらいため商業ベースに乗りにくい』。『広範囲に分布するが、他のアカエイ類に比べると希少である。沿岸に見られ、インド洋では南アフリカからマダガスカル・アラビア半島・セイシェル・スリランカ・東南アジア・西オーストラリア沖のニンガルー・リーフなどで見られる。スエズ運河を渡り東部地中海にも侵入している。太平洋では、インドネシア・ニューギニア、北はフィリピン、東はギルバート諸島・フィジー、南は東部オーストラリアのヘロン島沖まで分布する』。『東部大西洋のセネガル・ギニア・コートジボワール沖でも見られる』。『岸近くの深度1–30mの砂底・サンゴ礫底・アマモ場・礁の近くを好み、汽水域にも入る』。『厚く丸い体盤、背を覆う鋭い棘が特徴』。『体盤は楕円形で、中央部が分厚いため』、『外見はドーム状である。吻は丸くわずかに突き出す。小さな眼の後ろにそれより大きい噴水孔がある。鼻孔は狭く、鼻褶後縁は房状で口に被さる。口底には3–5個の乳頭突起があり、口角には深い溝がある。口の周辺も乳頭突起で覆われる』。『両顎に48の歯列が並び』、『歯は小さく平たい。5対の鰓裂が体盤下面にある』。『腹鰭は小さく細い。尾は急激に細くなり』、『断面は円筒形、長さは体盤とほぼ同じで鰭膜はない。他のアカエイ科魚類と違い、尾に毒棘がない。平たいハート型の皮歯が密に体盤から尾を覆っている。大型個体は更に、体盤全面が長く鋭い棘に覆われる。上面は明るい茶色から灰色で尾に向かうにつれて黒くなる。下面は白』。『大型種で、最低でも体幅1.2m・体長2.2m、最大で体幅1.5mになる』。『海底や洞窟の底に横たわっている』。『ニンガルー・リーフ』(Ningaloo Reef:オーストラリア西海岸にある珊瑚礁で長さは二百六十キロメートルにも達するオーストラリアでは最大規模。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ))『では群れを作ることが知られる』。『餌はホシムシ』(環形動物門スジホシムシ綱 Sipunculidea・サメハダホシムシ綱 Phascolosomatidea に属する蠕虫状の海産である星口(ほしくち/ほしぐち)動物(Sipuncula)。体は左右対称で、節(体節)に分かれていない。約二百五十種が含まれる。嘗つては独立した門に分類されていたが、現在は環形動物門の一部とされる)『・多毛類・甲殻類・硬骨魚など』。『摂餌時には底砂を深く掘り起こし、噴水孔から吐き出すため』、『遠くからでも存在が分かる』『無胎盤性胎生で、母体から分泌する子宮乳による組織栄養で胚を育てる』。『若魚の生息環境としてマングローブ林が重要で』、『雄は体幅90cm・雌は体幅100cmほどで性成熟する』。『毒針は持たないが、無数の鋭い棘は危険である』。『大胆な性格で、人の接近には寛容だと報告されている』。『丈夫で棘の多い皮膚は鮫皮として利用されてきた。特に武器の柄に用いると戦闘中に滑りにくく、日本刀の柄、鞘に用いる最上級の皮として梅花皮(かいらぎ)と呼ばれている』。『マレーシアでは盾を覆うために用いる』。『東アジアでは装飾にも用いられ、染色の後棘を削り落とし、斑模様を出す』。『フナフティ島』(ツバルを構成する島の一つ。ここ)『では乾燥させた尾をやすりのような道具として用いる』。『トロール漁・落網・巻き網で混獲されている。皮は高価値で、肉や軟骨も利用できる。紅海のファラサン諸島などではレバーが季節料理として食べられている』『が、扱いが難しいため』、『経済的重要性は限られ』ている。また、『野放図な沿岸漁業が続いているため、ベンガル湾・タイランド湾などの近辺では、局所絶滅か』、『それに近い状態だと考えられる。沿岸開発による生息地の消失、乱獲などの理由で、IUCNは危急種としている』とある。日本に分布しないが、本項に限っては問題ないのである。則ち、本邦では古くから刀剣の柄(つか)として需要と人気があり、南方から輸入されていたからである。

「花なし」皮革に目だった美しい花のような紋はないということか。「ハナナシザメ」というのも何だかヘン。よく判らぬ。

「虎ざめ」この通りなら、軟骨魚綱メジロザメ目トラザメ科トラザメ属トラザメ Scyliorhinus torazame であるが、益軒は「異國より來〔(きた)〕る」と言っているのがやや不審には思われる。何故なら、本種は日本・朝鮮半島・中国沿岸及び推定でフィリピンにも分布するからである。思うに、前の「梅花鮫(カイラギザメ)」(イバラエイ)の皮などと一緒に既に皮として中国から盛んに輸入された安価なものがあったため、本邦で敢えて獲って加工するという業者が成長しなかったのかも知れない。画像や解説はウィキの「トラザメ」を見られたいが、大型個体は鞍状の模様に加えて白い斑点を有し、特に皮革用に用いられたとする記載はないが、好かれそうな感じではある。

「ごろざめ」原本は明らかに「ゴ」に見えるのだが、「コロザメ」で、前出のそれでよいか。東洋文庫の島田勇雄訳注の「本朝食鑑」の「鮫」の注に引く本項でも『コロザメ』としている。

「占城」チャンパ王国。現在のベトナム中部沿海地方(北中部及び南中部を合わせた地域)に存在した国家。主要住民の「古チャム人」はベトナム中部南端に住むチャム族の直接の祖先とされる。中国では唐代半ばまで「林邑」と呼び、その後、「環王」を称したが、唐末以降は「占城」と呼んだ。位置は参照したウィキの「占城」の地図を見られたい。

「つかざめ」サメの一種ではなく、刀剣の柄を「サメ」(或いは寧ろ「エイ」)の皮で飾ること自体を言っている。

『「酉陽雜俎」に曰はく……』中唐末から晩唐にかけての文人段成式(八〇三年~八六三年)が荒唐無稽な怪異記事を集録した書。八六〇年頃の成立。以下は巻十七の「廣動植之二」に、『鮫魚、鮫子驚則入母腹中』とあり、これはもう既に前項の総論の最後にも出ていた。こういう直近でのダブり方は本草書としては私は退屈で厭だ。儒学者であった益軒はこうした部分に孝の本質を見ていたのかも知れぬが、だとすると、なおのこと、厭な感じだ。生粋の本草学者であった小野蘭山が嫌った理由がちょっと判る気がする。

『「本草」に曰はく……』前の注の引用の下線部を見られたい。]

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