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カテゴリー「貝原益軒「大和本草」より水族の部」の159件の記事

2020/03/23

大和本草卷之十三 魚之下 鰛(いはし) (マイワシ・ウルメイワシ・カタクチイワシ)

 

鰛 順和名鰯本文未詳トイヘリ今俗モ鰯ノ

 字ヲ用ユ閩書曰鰛似馬鮫魚而小有鱗太者數

 寸〇其苗小ナルヲ.メダツクリト云又シラスト云腥

 氣ナク味佳ヤヽ大ナルヲタツクリト云田肥トスル故田

 作ト云或曰五月農夫ノ苗ヲ挾ム時最多ク是ヲ美

 饌トス故田作ト名クト云ソレヨリ小ナルニ塩ヲ不淹

 ホシタル淡鯗ヲゴマメト云又ヒシコト云最大ナルヲ塩ニ

 ツケテ苞ニ入遠ニヨス賤民朝夕ノ饌ニ用ユ又醢トシ

 糟藏飯藏トス味ヨシ又ホシタルヲホシカト云田圃ノ

 糞トス木綿ノ糞トシテ尤佳シ凡此魚甚民用ニ利ア

 リ又カタ口イハシアリ口ヒロクシテ鰷ノ口ノ如シウルメイ

 ハシアリ鰩魚ニ似テ小ナリ皆可食又イハシニ似テウロコ

 大ナル魚あり不可食〇今案凡脾胃ハ芳潔ヲ好ミ

 臭穢ヲ惡ムイハシハ油膩臭穢之物性不好痰ヲアツ

 メ瘡疥ヲ發シ食氣ヲ滯ラシム生ナル者最性アシヽ病

 人及服薬人不可食且能發瘡疥

 

○やぶちゃんの書き下し文

鰛(いはし) 順「和名」、『鰯』本文『未だ詳かならず』と、いへり。今、俗も「鰯」の字を用ゆ。「閩書〔(びんしよ)〕」に曰く、『鰛は馬鮫魚(さはら)に似て小なり。鱗、有り。太〔(だい)〕なる者、數寸。

〇其の苗〔(こ)〕、小なるを、「めだつくり」と云ひ、又、「しらす」と云ふ。腥〔(なまぐさ)き〕氣〔(かざ)〕なく、味、佳(よ)し。やゝ大なるを「たつくり」と云ふ。田の肥〔(こえ)〕とする故、「田作」と云ふ。或いは曰く、五月、農夫の苗〔(なへ)〕を挾〔(さしはさ)〕む時、最も多く、是れを美饌〔(びせん)〕とす。故に「田作」と名づくと云ふ。それより小なるに塩を淹(つ)けず、ほしたる「淡鯗(ほしうを/しらほし)」を「ごまめ」と云ひ、又、「ひしこ」と云ふ。最大なるを塩につけて、苞〔(つと)〕に入れ、遠〔(とほく〕〕によす。賤民、朝夕の饌に用ゆ。又、醢〔(しほから)〕とし、糟藏(〔かす〕づけ)・飯藏(〔めし〕づけ)とす。味、よし。又、ほしたるを「ほしか」と云ひ、田圃の糞(こえ)とす。木綿の糞として尤も佳〔(よ)〕し。凡そ此の魚、甚だ民用に利あり。

又、「かた口いはし」あり、口、ひろくして鰷〔(はや)〕の口のごとし。

「うるめいはし」あり。鰩魚(とび〔うを〕)に似て小なり。皆、食ふべし。

又「いはし」に似てうろこ大なる魚あり。食ふべからず。

〇今、案ずるに凡そ脾胃は芳潔を好み、臭穢〔(しうえ)〕を惡〔(にく)〕む。「いはし」は油-膩(あぶら)・臭穢の物性〔にして〕好〔(よ)から〕ず、痰をあつめ、瘡疥〔(さうかい)〕を發し、食氣を滯らしむ。生〔(なま)〕なる者、最も性、あしゝ。病人及び薬を服する人、食ふべからず。且つ、能く瘡疥〔(さうかい)〕を發す。

[やぶちゃん注:本邦で「鰮」「鰯」「いわし」と呼んだ場合は、

ニシン上目ニシン目ニシン亜目ニシン科ニシン亜科マイワシ属マイワシ Sardinops melanostictus(成魚の全長は三十センチメートルに達するものの、二十センチメートル程度までの個体が多い。体は上面が青緑色、側面から腹にかけては銀白色を呈する。体側に黒い斑点が一列に並ぶ。但し、個体によってはそれが二列あるもの、二列の下に更に不明瞭な三列目があるもの、逆に斑点が全く無い個体もある。別名の「ナナツボシ」(七つ星)はこの斑点列に由来する。体は前後に細長く、腹部が側扁し、断面は逆三角形に近い紡錘形を成す。下顎が上顎より僅かに前に突き出る。鱗は薄い円鱗で剥がれ易い。縦列の鱗の数は四十五枚前後で体の割りには大きい。側線はない。以下のカタクチイワシ・ウルメイワシとは、体側に黒点列があること、体の断面が比較的左右に扁平であることなどで区別出来るウィキの「マイワシ」に拠る)

ニシン亜目ニシン科ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus teres(成魚は全長三十センチメートルに達し、マイワシより大きくなる。目が大きく、さらに脂瞼に覆われているために「潤んでいる」ように見え、和名「潤目鰯」はこれに由来する。下顎が上顎よりも僅かに前に突き出る。体色は背中側が藍色、腹側が銀白色を呈し、他に目立つ模様はない。体は前後に細長く、断面は背中側がやや膨らんだ卵型を成す。一縦列の鱗数は五十三から五十六枚で、カタクチイワシやマイワシよりも鱗が細かく、腹鰭が背鰭よりも明らかに後ろにある点で両者とは区別出来るウィキの「ウルメイワシ」に拠る)

ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonicus目が頭部の前方に寄っていて、口が頭部の下面にあり、目の後ろまで大きく開くことが特徴である。和名「片口鰯」も「上顎は下顎に比べて大きく、片方の顎が著しく発達している」ことに由来する。また、他の二種よりも体が前後に細長いウィキの「カタクチイワシ」に拠る)

の三種を指す

「鰛」=「鰮」は如何に見る通り、漢語として存在するが、これをイワシに当てるのは国字である。

『順「和名」、『鰯』本文『未だ詳かならず』と、いへり』源順「和名類聚抄」の巻十九「鱗介部第三十」の「竜魚類第二百三十六」に、

鰯 「漢語抄」云、『鰯』【以和之(いわし)。今案、本文未ㇾ詳。】。

とある。「漢語抄」は「楊氏漢語抄」で奈良時代(八世紀)の成立とされる辞書であるが、佚文のみで、原本は伝わらない。

「鰯」国字。

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「馬鮫魚(さはら)」スズキ目サバ亜目サバ科サバ亜科サワラ族サワラ属サワラ Scomberomorus niphonius前項参照。益軒はこれを鵜呑みにして「馬鮫魚(さはら)」の後にこれを配しているようだが、私は似ているとは思わないので、本来に漢語としての「鰮」がイワシ類を指すかどうかはやや疑問である。但し、現代中国語では「鳁」をイワシに当ててはいる。

「太〔(だい)〕なる」「太」はママ。側扁するので太いの意味ではあり得ないので、かく訓じておいた。

「苗〔(こ)〕」稚魚。現在、漁業でも魚の種苗放流と言ったりする。

「めだつくり」小学館「日本国語大辞典」に「めたづくり」があり、『イワシなどの稚の総称。しらす』とあるが、例文は。小山田与清の「松屋筆記」と本書の本章で、この呼称は江戸中期末より前には遡らない。「め」はよく判らぬが、「芽」で生まれて間もないの謂いか。

「しらす」本種に限らず、イカナゴ・ウナギ・カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシ・アユ・ニシンなど、体に色素がなく白い稚魚を総称して「シラス」(白子)と呼ぶ。

「苗〔(なへ)〕を挾〔(さしはさ)〕む時」田植えの時期のこと。現在も初夏はイワシ漁の始まる時期である。以下の「田作」の命名は農事と生鮮なイワシの漁獲期とのリンクを指すとするものである。

「美饌」美味い調理した食物。

「鯗」は「鱶」と同字であるが、この字はサメ類の「フカ」の意味の他に、「干物」の意がある。

「ごまめ」語源は「細群」(こまむれ)。調理したそれが祝い肴(ざかな)であることから「五万米」「五真米」の文字が当てられたことによるとする説、目がゴマのように黒いことに由来するという説、別に「五万米」で豊穣を祈ったものが転訛したとする説などがある。

「ひしこ」「ひこいわし」とともに、これは本来はカタクチイワシの古名であるが、それがイワシ全体に汎用化された。しかも面倒なことに、方言で「ひしこ」は「海鼠(なまこ)」や「乾し海鼠」或いは「小さなイワシ類を干したもの」、また「イワシの塩辛」の意にも用いられる。

「苞〔(つと)〕」藁で出来た包。

「よす」「寄す」。送る。

「飯藏(〔めし〕づけ)」所謂、「熟(な)れ鮓(ずし)」である。但し、イワシは腐敗が速いので相当に塩を加えないと上手くは行かない。

「ほしか」「乾鰯」「干鰯」などの漢字を当てる。小学館「日本国語大辞典」によれば、脂を充分に絞った(腐敗防止のため)イワシやニシンを『乾燥させた肥料。江戸時代から明治時代にかけ、油粕』(あぶらかす)『とともに一般的に用いられた』もので、『速効性があり、化学肥料普及以前の農業生産力の上昇に大きな影響を与えた』とある。ウィキの「干鰯によれば、これは『一説には戦国時代にまで遡ると言われて』おり、『干鰯の利用が急速に普及したのは、干鰯との相性が良い綿花を栽培していた上方及びその周辺地域であった。上方の中心都市・大坂や堺においては、干鰯の集積・流通を扱う干鰯問屋が成立した』。正徳四(一七一四)年の『統計では日本各地から大坂に集められた干鰯の量は銀に換算して』一万七千貫目『相当に達したとされている』。『当初は、上方の干鰯は多くは紀州などの周辺沿岸部や、九州や北陸など比較的近い地域の産品が多かった。ところが』、十八『世紀に入り』、『江戸を中心とした関東を始め』、『各地で干鰯が用いられるようになると、需要に生産が追い付かなくなっていった。更に供給不足による干鰯相場の高騰が農民の不満を呼び、農民と干鰯問屋の対立が国訴に発展する事態も生じた。そのため、干鰯問屋は紀州など各地の網元と連携して新たなる漁場開拓に乗り出すことになった。その中でも房総を中心とする「東国物」や蝦夷地を中心とする「松前物」が干鰯市場における代表的な存在として浮上することとなった』。『房総(千葉県)は近代に至るまで鰯の漁獲地として知られ、かつ広大な農地を持つ関東平野に近かったことから、紀州などの上方漁民が旅網や移住などの形で房総半島や九十九里浜沿岸に進出してきた。鰯などの近海魚を江戸に供給するとともに長く干鰯の産地として知られてきた(地引網などの漁法も上方から伝えられたと言われている)』。『一方、蝦夷地では鰯のみではなく鰊(かずのこを含む)や鮭が肥料に加工されて流通した。更に幕末以後には鰯や鰊を原料にした魚油の大量生産が行われるようになり、油を絞った後の搾りかすが高級肥料の鰊粕として流通するようになった』とある。

「木綿の糞として尤も佳〔(よ)〕し」前注の引用を参照されたい。

「鰷〔(はや)〕」複数の種の川魚を指す。ハヤ(「鮠」とも書く)は本邦産のコイ科(条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科 Cyprinida)の淡水魚の中でも、中型で細長い体型を持つ種群の総称通称である。釣り用語や各地での方言呼称に見られ、「ハエ」「ハヨ」などとも呼ばれる。呼称は動きが速いことに由来するともされ、主な種としては、コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis・ウグイ亜科アブラハヤ属アムールミノー亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii steindachneri・アブラハヤ属チャイニーズミノー亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi・コイ科 Oxygastrinae 亜科ハス属オイカワ Opsariichthys platypus・Oxygastrinae亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldii・カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii などが挙げられる。]

「鰩魚(とび〔うを〕)」棘鰭上目ダツ目トビウオ科 Exocoetidae のトビウオ類。本邦で一般的なのはハマトビウオ属トビウオ(ホントビウオ)Cypselurus agoo agoo など。なお、「鰩」には軟骨魚類のエイ類を指す語でもある。

『「いはし」に似てうろこ大なる魚あり。食ふべからず』食用を禁じている以上、有毒であるということだろうが、そんな魚は知らない。或いは、現在、流通せず、釣り人もリリースする場合が多い「藤五郎鰯」、トウゴロウイワシ目トウゴロウイワシ科ギンイソイワシ属トウゴロウイワシ Hypoatherina valenciennei かも知れない。本邦では琉球諸島を除いた相模湾以西に広く分布する。沿岸性の魚で、河川河口部の汽水域にも進入し、海面近くを大群をなして泳ぐ姿が見られる。体長は十センチメートル前後のものが多く、最大でも十五センチメートル程度までで、カタクチイワシに似ていることからイワシの名を持つものの、分類上はボラやダツなどの近縁種で、二つの背鰭を持っている。本種は鱗が硬い上に剥がれ難いため、一般に食用とされない。食べられないわけではないのだが、鱗の処理が面倒である。益軒は鱗が大きいとするが、見た目、本種は実際、硬い鱗がイワシ類に比して、はっきり目立って見えるのでそう言うのは腑に落ちるのである。

「脾胃」漢方では広く胃腸、消化器系を指す語。

「芳潔」新鮮で匂いのよいこと。清潔なこと。

「物性」(ぶつせい)「〔にして〕好〔(よ)から〕ず」こうでも読まないと意味が続かない。もし、別な訓読があるとせば、御教授願いたい。

「瘡疥」「疥瘡」だと「はたけがさ」で所謂、皮膚病の「はたけ」を指す。主に小児の顔に硬貨大の円形の白い粉を噴いたような発疹が複数個所発する皮膚の炎症性角化症の一つ顔面単純性粃糠疹(ひこうしん)。原因としてウィルス感染が疑われているが、感染力はない。但し、ここは寧ろ、青魚にありがちなアレルギー反応で、広義の蕁麻疹ととってよかろう。

「食氣」ここはそのまま「くひけ」でよかろう。]

2020/02/28

大和本草卷之十三 魚之下 馬鮫魚(さはら)(サワラ)

 

馬鮫魚 魚大ナレドモ腹小ニ狹シ故ニ狹腹ト名ツクサハ

 狹小閩書曰靑斑色無鱗有齒其小者謂靑箭〇

 今案五月以後十月以前多シ味美ナレドモ病人食ス

 ヘカラス傷寒熱病有瘡瘍及患食積人不可食其

 子ホシテ酒肴トス味ヨシ多食ヘカラス滯氣名ケテカ

 ラスミ云鯔魚ノ子ノ如シヲキサハラハ長六七尺アリ

 味ヲトル東海西海有之ミコ魚ハサハラノ如ニテ大ナリ

 背ニヒレアリヒレノ長キ叓四五尺ハカリ其ヒレ常ニハ背

 筋ノ内長ククホキトコロニタヽミ入テアリ形狀馬鮫魚

 ニ同只ヒレノ長キノミ異トス

○やぶちゃんの書き下し文

馬鮫魚(さはら) 魚、大なれども、腹、小に〔して〕狹し。故に

狹腹(さはら)」と名づく。「さ」は「狹小」〔たり〕。「閩書〔(びんしよ)〕」に曰く、『靑斑色、鱗、無く、齒、有り。其の小なる者、「靑箭(さごし)」と謂ふ』〔と〕。

〇今、案ずるに、五月以後、十月以前、多し。味、美なれども、病人、食すべからず。傷寒・熱病、瘡瘍の有〔るもの〕及び食積〔(しよくしやく)〕を患ふ人、食ふべからず。其の子、ほして、酒肴とす。味よし。多く食ふべからず。氣を滯〔とどこほ〕〕らす。名づけて、「からすみ」と云ふ。鯔魚〔(ぼら)〕の子のごとし。

「をきさはら」は長さ六、七尺あり。味、をとる。東海・西海、之れ有り。

「みこ魚」は「さはら」のごときにて、大なり。背に、ひれ、あり。ひれの長き叓〔(こと)〕四、五尺ばかり。其のひれ、常には背筋の内、長くくぼきところに、たゝみ入れてあり。形狀、馬鮫魚に同じ。只、ひれの長きのみ、異とす。

[やぶちゃん注:スズキ目サバ亜目サバ科サバ亜科サワラ族サワラ属サワラ Scomberomorus niphonius。漢字表記は「鰆」「馬鮫魚」。細長い体形をした大型肉食魚で、出世魚で「サゴシ・サゴチ」(青箭魚:「青い矢の魚」)(4050cm→「ナギ」(50~60cm)→「サワラ」(60cm以上)と呼び名が変わる。一説に、益軒も言っている通り、体長が細長く「狭い腹」から「狭腹(さはら)」と呼ばれるようになったとされる。ウィキの「サワラ」によれば(下線太字は私が附した)、『最大では全長115cm・体重12kgの記録がある。また』、性的二形で『メスの方がオスよりも大型になる。近縁種も含め』、サバ科Scombridae の『仲間でも』、『特に前後に細長い体型で、左右に平たい。地方名のサゴシは「狭腰」』の意とされる。『口は大きく、顎には鋭い歯がある。側線は波打ち、枝分かれが多い。第二背鰭・尻鰭と尾鰭の間には小離鰭が並ぶ。また、体内には浮力を調整する鰾(うきぶくろ)がなく、鰓耙もごく少ない。体色は背側が青灰色、腹側が銀白色で、体側には黒っぽい斑点列が縦方向に7列前後並ぶ』。『北海道南部・沿海地方から東シナ海まで、東アジアの亜熱帯域・温帯域に分布する。これらは日本海南部・黄海・東シナ海に分布する系群と、瀬戸内海から西日本太平沿岸に分布する系群の二つに分けられる。前者は黄海、後者は瀬戸内海を産卵場としている』。『春から秋にかけては沿岸の表層を群れで遊泳するが、冬は深場に移る。食性は肉食性で、おもにカタクチイワシ』(ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonicus)『やイカナゴ』(スズキ目イカナゴ亜目イカナゴ科イカナゴ属イカナゴ Ammodytes personatus)『等の小魚を捕食する』。『産卵期は春から初夏で、何回かに分けて産卵を行う。仔魚は当初から鋭い歯をもち、自分と同じくらいの大きさの他魚を貪欲に捕食する。生後1年で46cmほどに成長し、以後は2歳68cm、3歳78cm、4歳84cmほどとなる。成長は温暖な時期に顕著で、冬は成長しない。寿命はオス6年、メス8年ほどである』。『身の見た目はさほど赤くなく』、『白身魚として取り扱われる事も多いが、成分から見ると赤身魚である。日本では一般に焼き魚、西京味噌を使った「西京焼き」、唐揚げ(竜田揚げ)などで食べられる。身が軟らかく崩れやすいので煮物には向かないと言われることもある。岡山県周辺では鮮度の良いものを刺身で食べる。香川県などではサワラの卵巣を使ってカラスミをつくる。まだ脂分が少ない年齢のサゴシは、出汁をとるための煮干しとして近年商品化されている』。『刺し網、定置網、引き縄などの沿岸漁業で漁獲される。春が旬の魚とイメージされているが、本当に味が良いのは秋・冬である。特に冬は脂が乗り、「寒鰆」と呼ばれて珍重されるが、この季節には活動が鈍るため漁獲量も減る。サワラの漢字は魚偏に春で「鰆」と書くが、これは春に産卵のために沿岸へ寄るため人目に付きやすいことから、「春を告げる魚」というのが字源となった』とある。なお、日本近海では他に以下の種が知られるとある。

ヨコシマサワラScomberomorus commerson(全長2mを超える大型種で、体型はサワラに似るが、和名通り、体側に黒っぽい横縞模様が多数走る。日本ではサワラに次いで漁獲量が多く、地方名に「ヨコスジサワラ」「クロザワラ」「イノーサワラ」などがある)

ヒラサワラ Scomberomorus koreanus(全長1.5m。体側模様はサワラによく似るが、和名通り、サワラより平たい体型で体高が高い。別名で「韓国鯖」とも呼ぶ)

ウシサワラ(牛鰆)Scomberomorus sinensis(全長2mに達する大型種。胸鰭の先端が円いことで他種と区別出来る。他にも、サワラより口が前に突き出ている点、額が僅かに窪む点なども識別基準となる。地方名に「ホテイサワラ」「クサモチ」「ハサワラ」「オキザワラ」などがあり、別名で「中国鯖」とも呼ぶ)

タイワンサワラ Scomberomorus guttatus(全長70cmほどで、日本産サワラ類では小型種で、本来はインド洋・太平洋の熱帯域に分布するが、若狭湾での捕獲記録もある。別名「インド太平洋オオサバ」)

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「傷寒」昔の高熱を伴う疾患の中でも現在のチフスの類を指す。

「食積」「宿食」(しゅくしょく)に同じ。飲食物が胃腸に停滞してしまう病証を指す。「傷食」「宿滞」などとも称し、食べ過ぎ或いは脾虚を原因とし、上腹部の脹痛・酸臭のあるゲップ・悪心・食欲不振・便秘或いは下痢を主症状とし、悪寒・発熱・頭痛などを伴うこともある。

「からすみ」唐墨。現在、一般には長崎名産として、ボラMugil cephalusの卵巣の塩漬けしたものを酒に漬け、さらに乾燥させたものが珍味として名高いけれども、上記引用にも出る通り、現在でも香川県ではサワラの卵巣から「カラスミ」を製造しており、ボラに比して味は濃厚であると謳っている。台湾では「烏魚子」(ボラ卵使用)、ヨーロッパでは同様のものをフランスで「ブタルグ」(Boutargue)、近年、日本でもパスタ用に盛んに売られているイタリアのサルジニア島のものを「ボッタルガ」(Bottarga)、スペインでは「ウエバ(卵)のサラソン」(「魚卵の塩漬けの乾燥品」の意)などと称して味わう。あちらではマグロ(スズキ目サバ科マグロ族マグロ属 Thunnus)・スズキ(スズキ目スズキ亜目スズキ科スズキ属スズキ Lateolabrax japonicus)・メルルーサ(タラ目メルルーサ科 Merlucciidae 或いはマクロヌス科 Macruroninae)等の多彩な魚卵が使用されている。一言だけ言っておくと、美味だが、そのままでは歯にかなりしつこく粘りつくのが難である。実は、さっと炙るのが「カラスミ」を味わう何よりのコツなのである。

「をきさはら」前に出したウシサワラ。

「みこ魚」不詳。ウシサワラは前に出したし、ヨコシマサワラなら、極めて特徴的な横縞を言わぬはずはないので、所謂、サワラの大型の老成固体であろう。但し、それらの背鰭が益軒の言うような変化を遂げるかどうかは私は知らない。]

2020/02/22

大和本草卷之十三 魚之下 鱮魚(ウミタナゴ/別種であるタナゴとの錯誤部分有り)

 

鱮魚 一名鰱魚 本草綱目曰好群行相與也又

 曰狀如鱅而頭小形扁細鱗肥腹其色最白失水

 易𣦸蓋弱魚也 今案本草所載其形狀悉タナゴ

 ナリ今見之コノシロノ如ク頭小ニ形扁ク鱗細ク色

 白シ漁人ニ問ニ好ンテ群行スト云味頗ヨク性亦輕ク

 乄アシカラス病人食シテ無害タナゴノ子ハ胎生ス卵生

 セス他魚ニ異レリ河魚ニモタナゴアリ與此不同

○やぶちゃんの書き下し文

鱮魚(たなご) 一名「鰱魚」。「本草綱目」に曰はく、『群行して相ひ與〔(ともな)〕ふを好むなり。又、曰はく、狀〔(かたち)〕、鱅(このしろ)のごとくして、頭、小さく、形、扁(ひら)く、細鱗、肥〔えし〕腹。其の色、最も白し。水を失へば、𣦸〔(し)〕に易し。蓋し弱〔き〕魚なり』〔と〕。今、案ずるに「本草」載する所の其の形狀、悉く「たなご」なり。今、之れを見るに、「このしろ」のごとく、頭、小に、形、扁く、鱗、細く、色、白し。漁人に問ふに、「好んで群行す」と云ふ。味、頗るよく、性も亦、輕くして、あしからず。病人、食して、害、無し。「たなご」の子は胎生す。卵(らん)生せず、他魚に異れり。河魚にも「たなご」あり。此れと同じからず。

[やぶちゃん注:これは同書の「海魚」のパートにあるのであるから、条鰭綱棘鰭上目スズキ目ウミタナゴ科ウミタナゴ属ウミタナゴ亜種ウミタナゴ Ditrema temmincki temmincki とすべきなのであるが、私は「本草綱目」の「鱮魚」を引いて、それをもとに記載の大半を記してしまっている以上、これは条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科タナゴ亜科タナゴ属タナゴ Acheilognathus melanogaster を別に比定しておかないといけないと思うのである。実は益軒は既に「大和本草卷之十三 魚之上 鯽 (フナ)」の中で、「魚」を挙げ、『「タナゴ」と云ふ』と記載を終えてはいるのであるが、私が敢えてこうする理由は、以下に示す通り、「本草綱目」の「鱮魚」が淡水魚のタナゴ属或いはその近縁種か形状の似た別種の淡水魚の記載と考えられるからである。ウィキの「タナゴ」によれば、狭義の「タナゴ」は『日本固有種で、本州の関東地方以北の太平洋側だけに分布する。分布南限は神奈川県鶴見川水系、北限は青森県鷹架沼とされ、生息地はこの間に散在する。各地で個体数が激減しており、絶滅が危惧される状況となっている』。体長6-10cmと、『タナゴ類としては前後に細長く、日本産タナゴ類18種のうちで最も体高が低いとされる』(これらの種群全体も一般には「タナゴ」と呼ばれる)。『体色は銀色で、肩部には不鮮明な青緑色の斑紋、体側面に緑色の縦帯、背鰭に』二『対の白い斑紋が入る。口角に』一『対の口髭』を有する。『繁殖期になると、『オスは鰓ぶたから胸鰭にかけて薄いピンク色、腹面は黒くなり、尻鰭の縁に白い斑点が現れる。種小名 melanogaster は「黒い腹」の意で、オスの婚姻色に由来する。メスには明らかな婚姻色は発現せず、基部が褐色で先端は灰色の産卵管が現れる』。『湖、池沼、川の下流域などの、水流がないか』、『緩やかで、水草が繁茂する所に生息する。食性は雑食で、小型の水生昆虫や甲殻類、藻類等を食べる』。『繁殖形態は卵生で、繁殖期は』三~六月で、『産卵床となる二枚貝には大型の貝種を選択する傾向がみられ、カラスガイ』(斧足綱古異歯亜綱イシガイ目イシガイ超科イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイ属カラスガイ Cristaria plicata)『やドブガイ』(イシガイ科ドブガイ属ドブガイ Sinanodonta woodiana)『に卵を産みつける。卵は水温15℃前後では50時間ほどで孵化し、仔魚は母貝内で卵黄を吸収して成長する。母貝から稚魚が浮出するまでには1ヶ月ほどかかる。しかし』、『そのような貝もまた』、『減少傾向にあることから』、『個体数の減少に拍車をかけている』とある。

『「本草綱目」に曰はく……』「巻四十四 鱗之三」に「鱮魚」として載る。「漢籍リポジトリ」のこちらで読めるが、その内容からは淡水魚の記載と考えてよいと思われ(後で示す次の「鱅魚」を除くと、前後はみな淡水魚ばかりである)、益軒は後に示すように、この「鱮魚」を淡水魚であるタナゴと形状の似ている海水魚のウミタナゴの記載と採る大錯誤をしていると私は考えている。彼が小野蘭山から激しい批判を受けるのも、中国の本草書とのそうした安易な思い付き的な同定比定を断定してしまっているところの大間違いが非常に多いからである。しかも本邦産種の殆んどは日本固有種であることも益軒の同定には不利である。因みに、現代中国語では日本固有種の本種には「黑腹鱊」と漢名を与えており、コノシロ属Acheilognathus(同属は東アジア一帯に棲息する)「橘屬」である。

「群行して相ひ與ふを好む」事実、タナゴは群泳する。一方、ウミタナゴもまた群泳する。

「鱅(このしろ)」海水魚である条鰭綱新鰭亜綱ニシン上目ニシン目ニシン亜目ニシン科ドロクイ亜科コノシロ属コノシロ Konosirus punctatus。因みに、「本草綱目」には、まさに「鱮魚」の次に「鱅魚」に出るが、前後が淡水魚であるにも関わらず、海水魚としており、人の死体の臭い(恐らくは焼いた場合)とあるので、確かにコノシロであり、コノシロとタナゴは実際、形状が似通っている。但し、この「鱅」(音「ヨウ」)は現代の中国や台湾にあっては、。中国原産で「中国四大家魚」(他に条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科 Oxygastrinae 亜科ソウギョ(草魚)属ソウギョ Ctenopharyngodon idellus・コイ科 Oxygastrinae 亜科アオウオ(青魚)属アオウオ Mylopharyngodon piceus・コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinaeハクレン(白鰱)属ハクレン Hypophthalmichthys molitrix)の一つであるハクレン属コクレン(黒鰱)Hypophthalmichthys nobilis を指す漢字であるので注意が必要である。

「𣦸」「死」の異体字。

「味、頗るよく、性も亦、輕くして、あしからず」ウィキの「タナゴ」によれば、『唐揚げや雀焼き、佃煮などで食用とされる。肝吸虫などの寄生虫を保持する可能性があり、生食には危険をともなう』とある。いつもお世話になる「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」のタナゴの項には、『霞ヶ浦では「真たなご」とされ、佃煮などに利用されていた』。『現在でも他のタナゴ類とともに佃煮となる。苦みがあるが』、『美味』とある。私も佃煮は食べたことがあるが、確かに苦みがあって私はあまり好きではない。されば、この味の記載はタナゴではなく、ウミタナゴであると言える。

『「たなご」の子は胎生す。卵(らん)生せず、他魚に異れり。河魚にも「たなご」あり。此れと同じからず』ここに至って、益軒の全体の大錯誤が明らかとなる。彼はタナゴとウミタナゴを別種として正しく認識していながら、「本草綱目」の「鱮魚」即ち淡水魚のタナゴをウミタナゴと誤認するという大失策をして本項を記載してしまっているのである。卵生するのは条鰭綱棘鰭上目スズキ目ウミタナゴ科ウミタナゴ属ウミタナゴ亜種ウミタナゴ Ditrema temmincki temmincki であって、タナゴは卵生である。ウィキの「ウミタナゴ」によれば、『名前は』、淡水産の『タナゴと体形が似ているため』に『名づけられた。2007年に、従来』は一『種とされていたウミタナゴから』、『青みがかっている型を亜種としてマタナゴ Ditrema temminkii pacificum に、赤みがかっている型を別種としてアカタナゴ Ditrema jordani に分けられた。種小名の「temmincki」は、日本産生物の学名を多く命名したコンラート・ヤコブ・テミンクへの献名である』。『体長25cm程度』で、『北海道中部以南の日本各地の沿岸に生息する。胎生で』、『春から初夏にかけて子供を産む。動物性の食性でゴカイ、甲殻類等を食べる』。『冬の防波堤での玉ウキ釣りの対象魚として親しまれている。漁港に係留してある漁船の下などに群れていることが多く、場所によっては魚影を見ることが出来る。アオイソメやオキアミ等を餌に使って釣る。特に難しい仕掛けはいらないが、餌を吸ったり吐いたりを繰り返すため、遅あわせでややコツがいるとされる』。『胎生で増えることから、安産の「おまじない」として食べる地方もある一方、島根地方ではウミタナゴが子供を生む様を逆子が生まれてくるのに重ねて縁起が悪いともされている。身は淡白な白身で小骨が多い。塩焼きにされることが多いが、素揚げや煮物、刺身やなめろうにされることもある』。塩焼きははなはだ美味い。さて、以上の錯誤から考えると、以上の益軒の記載の内、真に正しく「ウミタナゴ」の記載と言える部分は、厳密に言えば、『今、之れを見るに』で実際のウミタナゴを前にして、『「このしろ」のごとく、頭、小に、形、扁く、鱗、細く、色、白し』と現物を観察をしたところと、実際に海の『漁人に問ふに、「好んで群行す」と云ふ。味、頗るよく、性も亦、輕くして、あしからず。病人、食して、害、無し。「たなご」の子は胎生す。卵(らん)生せず、他魚に異れり。河魚にも「たなご」あり。此れと同じからず』の部分だけであると私は断ずるものである。

2020/02/04

大和本草卷之十三 魚之下 鯖(さば)

 

鯖 鯖ノ字順和名ニアヲサハト訓ス此魚牙小ナリ故サ

 ハト云サハハ小也能登丹後ノ産ヲ佳品トス脯トナシテ

 遠キニ寄一双ヲ合テ挾ム故ニサハト云漁人其色ヲ

 ウルハシクセントテイハシノ油ヲヌル叓アリヨク洗去ヘシサシ

 サハ油膩ノ物ナリ病人ニ不好皮ヲ去テ可食凡魚鳥

 ノ皮難消化且生痰不可食又有膩処可去之〇

 生肉漁人爲醢又其背腸ヲ醢トス味佳夏秋漁人

 夜コレヲツル漁火千萬海上ニツラナレリ見ル人目ヲ

 驚カス伊勢物語ノ哥ニ晴ル夜ノ星カサハヘノ螢カ

[やぶちゃん注:「サハヘ」はママ。]

 モ我スム里ノ海人ノタク火カトヨメルカコトシ今案本

 草ニ靑魚アリ竹魚アリ靑魚ハ背正靑色トイヘリ竹

 魚ハ骨刺多ク色如竹色鱗下間以朱㸃味如鱖

 魚トイヘルハ是亦サハニヨク合ヘリサハヽ此二物ノ内ナル

 ヘシ〇生サハヽ補虚瘡瘍金瘡中滿食滯アル人不可

 食乾テ油アルハ食氣ヲ滯ラス病人不佳

○やぶちゃんの書き下し文

鯖(さば) 「鯖」の字、順が「和名」に「あをさば」と訓ず。此の魚、牙、小なり。故、「さば」と云ふ。「さば」は「小」なり。能登・丹後の産を佳品とす。脯〔(ほじし)〕となして遠きに寄す。一双を合せて挾む。故に「さば」と云ふ。漁人、其の色をうるはしくせんとて「いはし」の油をぬる叓〔(こと)〕あり。よく洗ひ去るべし。「さしさば」、油膩(〔ゆう〕に)の物なり。病人に好からず。皮を去りて食ふべし。凡そ魚鳥の皮、消化し難く、且つ、痰を生ず。食ふべからず。又、膩〔(あぶら)〕有る処、之れを去るべし。

〇生肉、漁人、醢(ひしほ)と爲し、又、其の背腸(せわた)を醢(ひしほ)とす。味、佳(よ)し。夏秋、漁人、夜、これをつる。漁火千萬、海上につらなれり。見る人、目を驚かす。「伊勢物語」の哥に、

 晴〔(はる)〕る夜の星かさはへの螢かも

    我がすむ里の海人(あま)のたく火か

とよめるがごとし。

今、案ずるに、「本草」に「靑魚」あり、「竹魚」あり。『靑魚は、背、正靑色』といへり。『竹魚は、骨、刺(はり)多く、色、竹色の如し。鱗の下の間、朱を以つて㸃ず。味、「鱖魚」の如し』といへるは、是れ亦、「さば」によく合へり。「さば」は此の二物の内なるべし。

〇生さばは虚を補す。瘡瘍〔(さうやう)〕・金瘡〔(きんさう)〕・中滿・食滯ある人、食ふべからず。乾(ほ)して油あるは食氣を滯らす。病人に佳からず。

[やぶちゃん注:本邦では単に「さば」と呼ぶ場合は、スズキ目サバ科サバサバ亜科属マサバ Scomber japonicus、或いはサバ属ゴマサバ Scomber australasicus を指す。

『順が「和名」に「あをさば」と訓ず』源順(したごう)の「和名類聚鈔」の「巻十九」の「鱗介部第三十 竜魚類第二百三十六」に、

   *

鯖 崔禹錫(さいうしやく)が「食經(しよくけい)」に云く、『鯖【音「靑」。和名「阿乎佐波(あをさば)」。】味、鹹、毒、無し。口、尖り、背、蒼き者なり』と。

   *

とある。

『此の魚、牙、小なり。故、「さは」と云ふ。「さは」は「小」なり』実際、歯が小さく、「小歯(さば)」や「狭歯(さば)」を有力な語源の一つとはする。

「脯」干物。

『一双を合せて挾む。故に「さは」と云ふ』後に出る「さしさば」で「刺し鯖」のこと。鯖の鱗と内臓を除去し、背開きにしたものを塩漬けにして串に刺したものを言う。二尾を重ねて頭の所に串を刺す。江戸時代の西日本では、お盆の際に欠かせないものの一つであったとされる。これは恐らく、これを生き物の雌雄の合体に擬え、繁栄の祝意を言祝ぐもので、「生魂(いきみたま)」の贈物の一例と考えられる。これも二尾を「狭」(せば)くおくので、その転訛説とするのも有力な語源の一つである。

「いはし」本邦で「いわし」と呼んだ場合は、ニシン上目ニシン目ニシン亜目ニシン科ニシン亜科マイワシ属マイワシ Sardinops melanostictus・ニシン科ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus teres・ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonicus の三種を指す。

「油膩」極めて脂っこいこと。

「醢(ひしほ)」塩蔵品・塩辛。

『「伊勢物語」の哥に……』「さはへ」は「かはへ」(かはべ・河邊)が正しい。「伊勢物語」の第八十七段(通称「布引(ぬのびき)の瀧」)の中の一首。全文を示す。

   *

 むかし、男、津の國莵原(むばら)の郡蘆屋の里にしるよしして、行きて住みけり。むかしの歌に、

 蘆の屋の灘(なだ)の鹽燒きいとまなみ

   黃楊(つげ)の小櫛(をぐし)もささず來にけり

とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ「蘆屋の灘」とはいひける。この男、なま宮仕へしければ、それを賴りにて、衞府(ゑう)佐(すけ)ども集り來にけり。この男の兄(このかみ)も衞府の督(かみ)なりけり。その家の前の海のほとりに遊びありきて、

「いざ、この山の上(かみ)にありといふ布引の瀧、見にのぼらむ。」

と言ひて、のぼりて見るに、その瀧、ものよりことなり。長さ二十丈、廣さ五丈ばかりなる石のおもて、白絹(しらぎぬ)に岩を包めらむやうになむありける。さる瀧の上(かみ)に、藁座(わらうだ)の大きさして、さしいでたる石り。その石のうへに走りかかる水は、小柑子(せうかうじ)・栗の大きさにて、こぼれ落つ。そこなる人に、みな、瀧の歌よます。かの衞府の督、まづよむ。

 わが世をば今日か明日かと待つかひの

   淚の瀧といづれ高けむ

あるじ、次によむ。

 ぬき亂る人こそあるらし白玉の

   まなくも散るか袖のせばきに

とよめりければ、かたへの人、笑ふことにやありけむ、この歌にめでて止みにけり。

 歸り來る道遠くて、うせにし宮内卿もちよしが家の前來るに、日暮れぬ。宿りの方を見やれば、海人(あま)の漁火(いさりび)多く見ゆるに、かのあるじの男、よむ。

 晴るる夜の星か河邊の螢かも

   わが住むかたの海人のたく火か

とよみて、家に歸り來(き)ぬ。

 その夜、南の風吹きて、浪いと高し。

 つとめて、その家のめのこども出でて、浮き海松(みる)の波によせられたる拾ひて、家のうちに持(も)て來ぬ。女方(をむながた)より、その海松を高坏(たかつき)にもりて、柏(かしは)をおほひていだしたる、柏に書けり。

 わたつみのかざしにさすといはふ藻も

  君がためには惜(を)しまざりけり

田舍人の歌にては、あまれりや、たらずや。

   *

注は附さない。ネットを検索すれば解説や現代語訳はごろごろある。

『「本草」に「靑魚」あり、「竹魚」あり……』二種は「本草綱目」の「巻四十四 鱗之三」の部に並んで出るが、「靑魚」は「生江湖間」とし、「竹魚」も「出桂林湘灕諸江中、狀如青魚大」と、孰れも淡水魚の記載としか読めず、現代中国でも「靑魚」は条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae アオウオ属アオウオ Mylopharyngodon piceus に、「竹魚」はコイラベオ亜 Labeoninae の一種に比定されているものと思われ(例えば中文サイトのこちらを見られたい)、『「さば」によく合へり。「さば」は此の二物の内なるべし』という益軒の孰れかをサバとする同定(根拠は背の色と尖った骨という貧弱なもの)は完全な誤りである。

「鱖魚」スズキ亜目 Percichthyidae 科ケツギョ属ケツギョ Siniperca chuatsi であるが、これも(実は姿は見るからに海産魚っぽいのだが)中国の北方系淡水魚の一種である(中国大陸東部沿岸の黒竜江省(アムール川)から広東省にかけての各水系に分布するが、華南よりも華北に多い)。「大和本草卷之十三 魚之上 鱖魚 (サケ)」の私の冒頭注を見られたい。

「中滿」不詳。下に続いて中くらいの体格での謂いか。

「食滯」暴飲・暴食や消化が悪い物を摂ったことなどにより脾胃に負担がかかっている状態を指す。]

2020/01/15

大和本草卷之十三 魚之下 鰊(かど) (ニシン)

【和品】

靑魚 鰮ニ似テ大ナリ長一尺餘味鰮ニ似テマサレリ冬

 春多クトル總州常州奥州殊津輕蝦夷等ノ海ニ多

 シ朝鮮ヨリモ來ル故筑紫ノ方言髙麗鰮ト云東醫

 寳鑑ニ此魚ヲ記ス其形狀カドニ能合ヘリ昔年朝鮮

 人ニ或人カドノ魚ヲタツ子シニ靑魚ト云ヘリ又一名ヲ

 ニシント云其子乾タルヲ俗ニカズノ子ト云世俗コレ

 ヲ年始及婚嫁ニ用ユ四五日水ニ浸シ水ヲカヘテ醬

 油煎酒ニ浸シ食フ或酒糟味醬ニツケテ食ス〇案

 本草所謂靑魚与此別ナリ

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

靑魚(かど) 鰮(いはし)に似て、大なり。長さ一尺餘り。味、鰮に似て、まされり。冬・春、多くとる。總州・常州・奥州、殊に津輕・蝦夷等の海に多し。朝鮮よりも來たる。故、筑紫の方言に「髙麗鰮(〔こうらい〕いはし)」と云ふ。「東醫寳鑑」に此の魚を記す。其の形狀、「かど」に能く合けり。昔年、朝鮮人に、或る人、「かどの魚」をたづねしに、「靑魚」と云へり。又、一名を「にしん」と云ふ。其の子、乾(ほし)たるを、俗に「かずの子」と云ふ。世俗、これを年始及び婚嫁〔(こんか)〕に用ゆ。四、五日、水に浸し、水をかへて、醬油・煎酒(いり〔ざけ〕)に浸し、食ふ。或いは、酒の糟〔(かす)〕・味醬〔(みそ)〕につけて食す。

〇案ずるに、「本草」に所謂、「靑魚」〔は〕此れと別なり。

[やぶちゃん注:条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii益軒は「かど」という異名をその形状由来として納得している。私も生態のとんがった頭部や、身欠きニシンのかっちかちのそれから「角」を連想して無批判に納得しそうなったが、改めて調べてみると、どうも違うようである。国立国会図書館「レファレンス協同データベース」の『山形では、「にしん」のことを「かど」と言うらしいが、由来を知りたい』という質問に対する回答に、『新庄市HP中、かど焼き大会の項目に、「東北地方では、産卵のために押し寄せるニシンを門口で獲れたことからカドと呼ぶようになった」とあり、由来にも触れられてい』るとあったので探すと、確かに「新庄市」公式サイト内の「新庄カド焼きまつり」に、『カドとは、「鰊(ニシン)」のこと。東北地方では、産卵のために押し寄せるニシンが門口で獲れたことからカドと呼ぶようになったと言われ、春の産卵期に北方の海に現れることから「春告魚(はるつげうお)」とも呼ばれ』、『新庄は、豪雪地帯のため、冬期間は鮮魚の入手が困難で』あったことから、『雪解けと共に入荷するカドを焼いて酒を酌み交わし、春の到来を喜び』合ったとあり、現在でも『新庄の春の風物詩になってい』るとある。習性に加えて春の祝祭的由来は名称として説得力がある。因みに、ぼうずコンニャク氏の「市場魚貝類図鑑」のニシンのページの「地方名・市場名」の欄では「カズノコ(数の子)」という名称についても、『卵巣を「数の子」としたのは、秋田でニシンを「カド」といい、その「子」で「かどの子」が訛って「かずのこ」になった。これに「数の子」と漢字を当てた』とある。また「漢字・語源」の欄には、『「鰊」という漢字は「東の魚」』(東日本で捕れる魚)『から』で、別字「鯡」は『魚に「非(あらず)」、というのは歴史的に面白』く、『江戸時代に米のとれない松前藩が』、米の『代わりにニシンを年貢として徴集した』ことに由来するという説が掲げられてあり(この松前藩云々は他でも書かれてあるが、正説かどうかは私は留保したい)、また『「二身」という』表記も『あり、これは内蔵を取り去り』、二『つ割りにする。その身を「にしん」であるとした』と記されてある。

「髙麗鰮(〔こうらい〕いはし)」この呼称は今も残る。他に「えびすにしん」「ちょうせんにしん」の異名もあるようである。

「東醫寳鑑」(とういほうかん/トンイボガム)は李氏朝鮮時代の医書。全二十三編二十五巻から成る。御医(王の主治医)であった許浚(きょしゅん)著。ウィキの「東医宝鑑」によれば、一六一三年に『刊行され、朝鮮第一の医書として評価が高く、中国・日本を含めて広く流布した』とある。

『朝鮮人に、或る人、「かどの魚」をたづねしに、「靑魚」と云へり』ウィキのハングルで書かれた「ニシン」を見ると、確かに漢字で「靑魚」とあった。因みに、中国語ウィキのニシン類には「鯡」が一般的に使用されているのが判る。「鯡」は中国に元からあった漢字ではあるものの、原義は「魚のはららご(卵巣)」で、これは恐らくは日本からの逆輸入的使用(というより、本邦ではカズノコを食すようになった際に「ニシン」に漢語「鯡」を当てた(国字化した)と考えてよいようにも思われる。中国では魚卵は嘗ては一般的に好まれる(身体によい)食材ではなかったと私は聞いている)による一致なのではないかとも私は考えている。

「味醬〔(みそ)〕」古くは味噌をこのようにも表記した。]

2019/12/25

大和本草卷之十三 魚之下 萃臍魚(あんかう) (アンコウ)

【外】

萃臍魚 寧波府志曰一名老婆魚一名綬魚蓋其

 腹有帶如帔子生附其上故名綬魚其形如科斗

 而大者如盤又名琵琶魚呉都賦曰琵琶魚無鱗

 而形似る琵琶冬初出者俗多重之至春則味降矣

 ○國俗鮟鱇ト称ス未見出處恐可為妄称坂東ニ

 多シ尤珎賞ス西州ニハマレナリ臛トシテ食フ味甚ス

 クレタリ上品トス冬ハ味ヨク春ハヲトル叓寧波府

 志ニ云フカコトシ性温補無毒百病不忌

○やぶちゃんの書き下し文

【外〔品〕】

萃臍魚(あんかう) 「寧波府志」に曰はく、『一名、「老婆魚」。一名、「綬魚」。蓋し、其の腹、帶、有り。帔子〔(たれぎぬ)〕のごと〔きもの〕、生じて、其の上に附く。故に「綬魚」と名づく。其の形、科斗〔(おたまじやくし)〕のごとくして大なる者、盤のごとし。又、「琵琶魚」と名づく。「呉都の賦」に曰はく、『「琵琶魚」、鱗、無くして、形、「琵琶」に似る』〔と〕。冬の初、出づる者、俗、多く之れを重んず。春に至れば、則ち、味、降〔(おつ)〕る』〔と〕。

○國俗、「鮟鱇」と称す。未だ出處を見ず。恐らくは妄称と為すべし。坂東〔(ばんどう)〕に多し。尤も珎賞〔(ちんしやう)〕す。西州には、まれなり。臛(あつもの)として食ふ。味、甚だすぐれたり。上品とす。冬は、味、よく、春は、をとる叓〔(こと)〕、「寧波府志」に云ふがごとし。性、温補〔にして〕、毒、無し。百病に忌〔(い)〕まず。

[やぶちゃん注:本邦では硬骨魚綱アンコウ目アンコウ科 Lophiidae の内、食用にするのは、

キアンコウ(ホンアンコウ)Lophius litulon(♀は尾鰭の根元までの体長一メートルから一・五メートル程で、♂は五十センチメートル前後。太平洋北西部(日本・朝鮮半島・東シナ海)の水深五百メートル程までの深海に棲息する。なお、一般には「キアンコウ」の別称として「アンコウ」あるいは「ホンアンコウ」と呼ばれることがある)

と、

アンコウ(クツアンコウ)Lophiomus setigerus(全長四十センチメートル前後。インド洋・太平洋の全域の水深五百メートル程までの深海に棲息する。「キアンコウ」の口中は白っぽいのに対し、「クツアンコウ」の口中は黒地に黄白色の水玉模様を呈するという特徴がある)

である。参照したウィキの「アンコウ」によれば、『両種は別の属に分類されているが、外見は良く似ている。そのため、一般に市場では区別されて』おらず、孰れも『外見的な特徴は頭部が大きく幅が広いこと』と、身体が『暗褐色から黒色で、やわらかく平たい』ことである。『擬餌状体という誘引突起による待ち伏せ型の摂餌法をとる魚である』。『肉食性で、口が大きく、歯が発達している。海底に潜んで他の魚を襲うのに適するため、口はやや上を向いている。頭には』二『本のアンテナ状の突起があり、長い方には皮がついている。アンコウは泳ぎが下手なため、泳ぎの上手な魚を追い回しても逃げられてしまう。そこで、海底の砂に潜り、その突起の皮を水面で揺らし、これをエサだと思って寄ってきた魚を、丸呑みにして捕食する。突起の皮は擬餌針のような働きをする』。『アンコウは主に小魚やプランクトンを捕食するが、種によっては小さなサメ、スルメイカ、カレイ、蟹、ウニ、貝などを捕食するものもある。さらに、たまに水面に出て海鳥を襲うこともあり、食べるために解体した』ところ、『胃の中にカモメやウミガラス、ペンギンなどが入っていたという報告もある』とある。

「萃臍魚」「萃」は「集まる」の意であるから、アンコウの上部体表の凸凹や擬餌状体を臍の尾と比したものであろう。

「寧波府志」明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府の地誌。

「綬魚」「綬」は古代中国において官職を表わす印を身に附けるのに用いた組み紐のこと(官位によって色を異にした)。擬餌状体に基づくものであろう。

「其の腹、帶、有り」上部の胴部を指して以下、やはり擬餌状体を説明する。

「科斗〔(おたまじやくし)〕」蝌蚪(おたまじゃくし)。

「呉都の賦」西晋(二六五年~三一六年)の文学者左思(生没年不詳。一説に二五二年~三〇七年頃:斉国臨淄県の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れた)の代表作として知られる、魏・呉・蜀三国の首都を題材にした「三都賦」(「蜀都賦」「呉都賦」「魏都賦」)の一つ。「三都賦」「洛陽の紙価を高からしむ(洛陽紙貴)」の故事の由来となったことで知られる。但し、中文ウィキの「都賦の本文を見るに、

   *

於是乎長鯨吞航、修鯢吐浪。躍龍騰虵、鮫鯔琵琶。

(是に於いてか、長鯨、航を吞み、修鯢(しゆげい)、浪を吐く。躍龍、騰虵、鮫、鯔、琵琶あり。)

   *

と、「琵琶」魚は載るが、ここに出るような記載は見当たらない。調べたところ、栗山雅央氏の論文『「三都賦」と中書省下の文人集團 ――張載注の分析を中心に」(『六朝學術學會報』(第十三号・二〇一二年発行)所収。PDFでダウン・ロード可能)によって、この部分は「呉都賦」の劉逵(同じ西晋の官員)が「琵琶」に註した中に以下のように出ることが判った(一部に読点を打った)。

   《引用開始》

 『異物志』に云ふ、鯨魚、長き者は數里有り。或は沙上の土に死し、之を得れば、皆、目、無し。俗に言ふ、其の目、化して明月珠と爲る。『鄧析子』に曰く、鯨鯢を釣る者は、淸池に於て、ならず。一說に曰く、鯨は猶ほ鳳と言ふがごとく、鯢は猶ほ皇と言ふがごときなり。『異物志』に云ふ、朱涯に水虵有り。鮫魚は合浦に出で、長さ二三尺、背上に、甲、有り。珠文、堅强なれば、以て刀口を飾るべし、又以て鑢を爲るべし。鯔魚、形は鯢の如く、長さ六七尺。會稽臨海に、皆、之れ、有り。琵琶魚は、鱗、無く、其の形は琵琶に似たり、東海に、之れ、有り。

   《引用終了》

『國俗、「鮟鱇」と称す。未だ出處を見ず。恐らくは妄称と為すべし』ウィキの「アンコウ」の「語源」に、『「あんこう」の語源については「あんぐり」の語に由来するとの説や』、『「赤魚」の意味であるとする説など諸説ある』。『岩穴にじっとしている様子を「安居」と称したとも、「顎」「暗愚」が転訛したなどととも言われる。ただ』、ここに見るように、「大和本草」では「國俗鮟鱇ト称ス未見出處恐可為妄称」と『あり、江戸時代より』、『不明である。漢字表記はその音に「安康」のそれぞれの字に魚偏を付けた字(鮟・鱇)を当てたものである』。『「鮟」は古く中国でナマズを意味する「鰋」の異体字』である「𩷑」の『誤字として』は『見られるが、「鱇」は中国に使用例が見つかっておらず、国字とされる。漢語では「華臍魚」「綬魚」「琵琶魚」「老婆魚」などというが、現代中国語では日本語を輸入し』、『「鮟鱇」「鮟鱇魚」と呼』んでいるそうである。事実、中文ウィキのそれは「鮟鱇科」である。『「あんこう」が初めて文献に登場するのは室町時代で、文明』(一四六九年~一四八七年)以前に成立した』「精進魚類物語」に『おいてである』、同書は『擬人化させた魚鳥を戦わせる』という「平家物語」のパロディー版で、『作中に「あむかうの彌太郎」が登場する』。慶長(一五九六年~一六一五年)年間に成立した「日葡辞書」には『「Ancŏ l, angŏ」とあり、当時』、『「あんこう」「あんごう」どちらの読み方も存在した』ことが判る。但し、文明本「節用集」には「有足魚也。心氣良藥」と記してあり、「日葡辞書」にも『「川魚の一種で、足のある魚」とあることから、当時はサンショウウオを意味したとする説がある。現在でも』、『兵庫県や岡山県の一部でオオサンショウウオを「あんこう」と呼ぶ。更に房州弁では「あんごう」はヒキガエルを指す言葉として残っている』とある。

「坂東」関東地方の古名。「坂」は令制で駿河と相模との境を称し、「常陸国風土記」にも『相模國足柄の坂より東』とある。相模・武蔵・上総・下総・安房・常陸・上野・下野の関東八ヶ国を「坂東八国」と呼ぶ。

「珎賞」「珎」は「珍」に同じ。珍味として賞すること。

「臛(あつもの)」肉を入れて煮込んだ熱いスープ。]

2019/11/26

大和本草卷之十三 魚之下 龍涎 (龍涎香)

 

龍涎 本草綱目龍條下有之曰是羣龍所吐涎沫

浮出畨人採得貨之亦有大魚腹中剖得者能收

腦麝不散入諸香亦詳于潛確類書九十四巻○

典籍便覧云龍涎嶼在大食國春間群龍交戯於

上而遺涎沫於洋水國人駕舟採之其涎初若脂

膠黃黑色頗作魚腥氣久則成大塊或魚腹中取

出如斗大焚之亦淸香倭俗クシラノ糞ト云如

蠟而游者也眞僞ヲ知ントセハ燒テ烟ノ直ナルハ眞ナ

リ斜ナルハ偽也浦ニテ拾得ル事マレ也其價貴キナルハ黃

金ニ倍レリ或云是馬ノ鮓答ノ類海鰌ノ腹ヨリ生ス

ル者歟但其中ニ烏章魚ノ骨交ハレハ若ハ海鰌ノ

吐カ或海鰌潮ヲノム時偶龍涎アツテ浮ヘル

ヲノミテ糞中ニマシハリ出ルカ今案ニ典籍

便覧ノ說可用畨人諸香ニ和ス其香久シテ散セス

又ニホヒノ玉トス此物蠻語ニアンペラト云長崎ニ蕃客持來

○やぶちゃんの書き下し文

龍涎〔(りゆうぜん)〕 「本草綱目」、「龍」の條下、之れ、有り。曰はく、『是れ、羣龍の吐く所〔の〕涎〔(よだれ)の〕沫〔(しぶき)〕、浮〔き〕出〔づ〕。畨人〔(ばんじん)〕、採り得て、之れを貨〔(くわ)〕にす。亦、大魚の腹中、剖〔(き)り〕得る者、有り。能く腦〔(なう)〕・麝〔(じや)〕を收めて、散ぜず。諸香に入る。亦、「潛確類書」九十四巻に詳かなり』〔と〕。

○「典籍便覧」に云はく、『「龍涎嶼〔りゆうぜんしよ)〕」は大食國に在り。春の間、群龍、上に交はり戯れて、涎〔の〕沫を洋水に遺〔(のこ)〕す。國人、舟に駕〔(が)〕して、之れを採る。其の涎、初め、脂膠〔(あぶらにかは)〕のごとく黃黑色、頗る魚腥〔(ぎよせい)〕の氣を作〔(な)〕す。久しければ、則ち、大塊と成る。或いは、魚の腹の中〔より〕取り出〔だす〕。斗〔(ます)〕の大〔なるが〕ごとし。之れを焚〔(た)〕けば、亦、淸香〔あり〕』〔と〕』云云。倭俗、『「くじら」の糞』と云ふ。『蠟のごとくして、游(うか)ぶ者なり。眞僞を知らんとせば、燒きて烟の直〔(すぐ)〕なるは、眞なり。斜めなるは偽なり。浦にて拾ひ得る事、まれなり。其の價、貴きなるは、黃金に倍れり[やぶちゃん注:「倍せり」の誤記か。]』〔と〕。或いは云はく、『是れ、馬の鮓答〔(さとう)〕の類。海鰌〔(くじら)〕の腹より生ずる者か。但し、其の中に、烏〔(いか)〕・章魚〔(たこ)〕の骨、交はれば、若(も)し〔く〕は、海鰌の吐くか。或いは、海鰌、潮をのむ時、偶〔(たまたま)〕、龍涎あつて、浮べるをのみて、糞中にまじはり出づるか。今、案ずるに、「典籍便覧」の說、用ふべし。畨人、諸香に和す。其の香、久しくして散ぜず。又、「にほひの玉」とす。此の物、蠻語に「アンペラ」と云ふ。長崎に蕃客、持ち來たる。

[やぶちゃん注:生物ではない特異点の記載。所謂、マッコウクジラ(ハクジラ小目マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラ Physeter microcephalus)の腸内に発生する結石で、香料の一種として珍重される「龍涎香(りゅうぜんこう)」「アンバーグリス」(英語:Ambergrisである。ウィキの「龍涎香」によれば、『灰色、琥珀色、黒色などの様々な色をした大理石状の模様を持つ蝋状の固体であり芳香がある。龍涎香にはマッコウクジラの主な食料である、タコやイカの硬い嘴(顎板:いわゆるカラストンビ)が含まれていることが多い。そのため、龍涎香は消化できなかったエサを消化分泌物により結石化させ、排泄したものとも考えられているが、その生理的機構や意義に関しては不明な点が多い。イカなどの嘴は龍涎香の塊の表層にあるものは原形を保っているが、中心部の古いものは基質と溶け合ったようになっている。マッコウクジラから排泄された龍涎香は、水より比重が軽いため』、『海面に浮き上がり海岸まで流れ着く。商業捕鯨が行われる以前はこのような偶然によってしか入手ができなかったため』、『非常に貴重な天然香料であった。商業捕鯨が行われている間は鯨の解体時に入手することができ、高価ではあったが』、『商業的な供給がなされていた。1986年以降、商業捕鯨が禁止されたため、現在は商業捕鯨開始以前と同様に』、『偶然によってしか入手できなくなっている』。英語のそれは『「灰色の琥珀」を意味するフランス語』ambre gris(アンブル・グリ)に由来する。『龍涎香がはじめて香料として使用されたのは7世紀ごろのアラビアにおいてと考えられている』。『また、龍涎香という呼び名は』、『良い香りと』、『他の自然物には無い色と形から』、『『龍のよだれが固まったもの』であると中国で考えられたためである。日本では、室町時代の文書にこの語の記述が残っているため』、本『香料が伝来したのはこの頃ではないかと推測されている』。『香料として使用する場合にはエタノールに溶解させたチンキとして使用され、香水などの香りを持続させる効果がある保留剤として高級香水に広く使用されていた』。『また、神経や心臓に効果のある漢方薬としても使用されていた』。『龍涎香の構成成分の大部分はステロイドの一種であるコプロスタノールとトリテルペンの一種であるアンブレイン』(Ambrein)『である。このうち』、『アンブレインの含量が高いものほど品質が高いとされる。このアンブレインが』、『龍涎香が海上を浮遊する間に日光と酸素によって酸化分解をうけ、各種の香りを持つ化合物を生成すると考えられて』おり、『これらの化合物は合成香料として製造されており、龍涎香の代替品として使用されている』。『また』、『龍涎香には含まれていないが』、『龍涎香と類似した香りを持つ化合物も多く知られており、それらも龍涎香の代替品として使用されている』とある。かのアメリカの作家ハーマン・メルヴィル(Herman Melville 一八一九年~一八九一年)の名作「白鯨」(Moby-Dick; or, The Whale)の第九十二章は、『章題がAmbergrisとあり、その内容もマッコウクジラの解体時に龍涎香を入手する様子を詳しく描写している』。『中国、明代の趣味人向け道具』の『解説には、「スマトラ国にある竜涎嶼(小島)では、たくさんの龍がざこねしていて、その垂らしたよだれが採集された香』とし、『海面に浮かんでいたものが最上品、岸に漂着し』て『埋まっていたものが次、魚がよだれを食べ糞となり、腹から取り出したものが次の品」という説明がある』(引用書名を「長物志」と注する)という。

『「本草綱目」、「龍」の條下……』巻四十三の「鱗之一」の「龍」の条の最後に、

   *

龍涎 機曰、「龍吐涎沫、可制香。」。時珍曰、「龍涎、方藥鮮用、惟入諸香、云能收腦・麝數十年不散。又言焚之則翠烟浮空。出西南海洋中。云是春間羣龍所吐涎沫浮出。畨人採得貨之、毎兩千錢。亦大有魚腹中剖得者。其狀初若脂膠、黃白色、乾則成塊、黃黑色、如百藥煎而膩理。久則紫黑、如五靈脂而光澤。其體輕飄、似浮石而腥臊。

   *

とある。

「畨人」これは「畨」の音通で「蕃」で、中国人が異民族を誹って言う「野蛮人」の意の「蕃人(ばんじん)」の謂いであろうと踏んでおく。

「貨」非常な価値を持つ財宝の意。

「腦・麝」龍脳と麝香。前者は「ボルネオール」(borneol:C10H18O:「ボルネオショウノウ」とも呼ばれる二環式モノテルペン(Monoterpene:C10H16:テルペンの分類の一つで、二つのイソプレン単位からなり、環を持つタイプ。テルペン(terpene)とはイソプレン(isoprene:二重結合を二つ持つ炭化水素を構成単位とする炭化水素)を構成単位とする炭化水素で、植物・昆虫・菌類などによって作り出される生体物質の一つ)。ウィキの「ボルネオール」によれば、『歴史的には紀元前後にインド人が』、六~七『世紀には中国人が』、マレーや『スマトラとの交易で、天然カンフォルの取引を行っていたという。竜脳樹はスマトラ島北西部のバルス(ファンスル)とマレー半島南東のチューマ島に産した。香気は樟脳に勝り』、『価格も高く、樟脳は竜脳の代用品的な地位だったという。その後』、『イスラム商人も加わって、大航海時代前から香料貿易の重要な商品であった。アラビア人は香りのほか』、『冷気を楽しみ、葡萄・桑の実・ザクロなどの果物に混ぜ、水で冷やして食したようである』とある。後者は鯨偶蹄目反芻亜目真反芻亜目ジャコウジカ科ジャコウジカ亜科ジャコウジカ属 Moschus に属するジャコウジカ類の♂の麝香腺から得られる香料と薬の原料とされた「ムスク」(musk)。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)」に詳しい述べてあるので参照されたい。

「を收めて、散ぜず」これは急速な香りの減衰を抑えて、永くそれらの香りを保持する持続薬としての効用を言っているようである。

「潛確類書」「潜確居類書」とも。明代の学者陳仁錫(一五八一年~一六三六年)が編纂した事典。

「典籍便覧」明代の范泓(はのう)撰になる本草物産名の類纂書。

「龍涎嶼〔りゆうぜんしよ)〕」先の引用によればスマトラにある島(「嶼」は小島の意)の名前とするが、伝説上の架空の島であろう。

「大食國」不審。これはイスラム帝国の旧称である。

「魚腥の氣を作す」魚の生臭い匂いを発する。

『「くじら」の糞』寺島良安も「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」(リンク先は私の古い電子化注)の「鯨」の項でそう書いている。

「眞僞を知らんとせば、燒きて烟の直〔(すぐ)〕なるは、眞なり。斜めなるは偽なり」之と全く同じことを、どこかで電子化したのだが、思い出せない。発見し次第、追記する。

「馬の鮓答の類」「鮓答」(さとう)とは、馬に限らず、各種獣類の胎内結石或いは悪性・良性の腫瘍や免疫システムが形成した異物等を称するものと私は認識している。私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」で詳しく論じているので参照されたい。

「アンペラ」上記リンク先で考証したが、「鮓答」なるものは、もともと日本語ではなく、ポルトガル語の「pedra」(「石」の意。ネイティヴの発音をカタカナ音写すると「ペェードラ」)+「bezoar」(「結石」ブラジルの方の発音では「ベッゾア」)の転であろう。また、古い時代から、一種の解毒剤として用いられており、ペルシア語で「pādzahr」、「pad (expelling) + zahr (poison) 」(「毒を駆逐する」の意)を語源とする、という記載も見られる。牛馬類から出る赤黒色を呈した塊状の結石で、古くは解毒剤として用いたともある。別名を当該の獣類の名に繋げて「~のたま」と呼び、「鮓答(さとう)」とも書いた。但し、例えば大修館書店「廣漢和辭典」の「鮓」を引いても、この物質に関わる意味も熟語示されていない。現代中国音では「鮓荅」は「zhǎ dā」(ヂァー・ダァー)で、やや「ペェードラ」に近い発音のように思われるから、それを漢音写したものかも知れない。益軒のは「アンバーグリス」と「ペェードラ」を組み合わせたキマイラのように感ずる。 しかし、「アンペラ」(莚)はないだろ!? 一説にポルトガル 「amparo」(日覆い)からとする例のやつ、烏賊の「エンペラ」で連関するってかあッツ!?! 

2019/10/13

大和本草卷之十三 魚之下 海鰌 (クジラ)

【外】海鰌 倭名イサナドリ昔ハクジラヲモリニテツカス弓ニテ

 射ル死乄浦ニヨルイスナトリナリ古哥ニモヨメリ近江ノ

 湖ニイサナトリヲヨメルハ磯菜取ナリ月山叢談ニ捕

 巨鰍㳒アリ本邦ニクシラヲトル法ト同閩書曰巨能

 吞舟日中閃鬐鬣若簸朱※噴沫飛洒成雨其來

[やぶちゃん注:「※」=「方」+「廣」。電子化途中で不審を覚えたので、複数の同一文脈の複数の漢籍に当たったところ、「※」は「旗」であったので、訓読ではそれに代えた。

 也移如山嶽乍出乍没舟行相値必鳴金鼓以怖

 之云云刳為油○今案順和名抄以鯨鯢クシラトス

 崔約古今注鯨鯢大者長十里小者數丈一生數

 萬子異物志曰雄為鯨雌為鯢○海鰌魚之最大

 者泥鰌之最小者雖大小不同其形狀相似故

 以海鰌称ス日本ニテ海鰌其品凡六種アリ其内

 大小アリ慶長年中筑紫諸浦ノ漁人初テホコヲ

 以テツキ得テ油ヲトリ肉ヲスツ其後肉ヲ食シ

 腸ト骨ヲスツ又其後ワタヲ食ス其後頭骨ヲ

 食ス又クシラノヒケト云ハノトノ下ナルヲサナリ噐用ト

 ス皮ハ黑シ其内ニ白肉アリ又白肉ノ下ニ赤肉アリ味

 有好否冬春捕之春月最多シ海鰌ノ腸ノ名多

 シ百尋ト云長キ腸アリ可食凡鯨ノ油貧士賤

 民以爲燈油甚利民用○海鰌性熱肥膩多膏油

 食之生熱動風發瘡生痰多食難消化能傷脾胃

 病人及有脾積瘡疥者婦人有崩漏帶下病者不

 可食其近尾白肉味最好塩藏日久者夏月食之

 味美能峻補脾胃肥健於人虛冷無積滯人宜食

 止久瀉若新病濕熱盛者不可食

○やぶちゃんの書き下し文

【外】海鰌(くじら) 倭名「いさなどり」。昔は、「くじら」を、もりにて、つかす、弓にて射る、死して、浦に、よる。「いすなとり」なり。古哥にも、よめり。近江の湖〔(うみ)〕に「いさなとり」をよめるは、「磯菜取(いそなどり)」なり。「月山叢談」に巨鰍を捕る㳒〔(はう)〕[やぶちゃん注:「法」の異体字。]あり。本邦に「クシラ」をとる法と、同じ。「閩書〔(びんしよ)〕」に曰はく、『巨〔(おほきなる)〕は能く舟を吞む。日中、鬐〔(ひれ)〕・鬣〔(たてがみ)〕を閃(ひらめ)かす。朱〔(あか)き〕旗を簸(あふ)る[やぶちゃん注:「煽(あお)る」の意。]がごとく、沫〔(しぶき)〕を噴して飛〔ばし〕洒〔そそぎ〕て雨と成し、其れ、來たるなり。移〔るに〕山嶽のごとく、出〔でつ〕、没〔しつ〕、す。舟の行き、相ひ値〔(あ)〕へば、必ず、金鼓を鳴らして、以つて之れを怖(をど)すと』云云〔(うんぬん)〕。刳〔(くり)〕て、油と為す。

○今、案ずるに、順が「和名抄」、「鯨鯢」を以つて「くしら」とす。崔約が「古今注」に『鯨鯢〔(げいげい)〕の大なる者、長さ十里。小なる者、數丈。一〔(いつ)〕に、數萬子を生む』〔と〕。「異物志」に曰はく、『雄を「鯨」と為し、雌を「鯢」と為す』〔と〕。

○海鰌(くじら)は、魚の最大なる者〔なり〕。泥鰌は最小なる者〔なり〕。大小〔は〕同じからずと雖も、其の形狀、相ひ似る。故に「海鰌」を以つて称す。日本にて海鰌、其の品、凡そ六種あり。其の内、大小あり。慶長年中、筑紫諸浦の漁人、初めて「ほこ」を以つて、つき、得て、油をとり、肉を、すつ。其の後、肉を食し、腸と骨を、すつ。又、其の後、「わた」を食す。其の後、頭骨を食す。又、「くじらのひげ」と云ふは、のどの下なる「をさ」なり。噐用とす。皮は黑し。其の内に白肉あり。又、白肉の下に赤肉あり。味、好否〔(かうひ)〕有り。冬・春、之れを捕へ、春月、最も多し。海鰌の腸〔(はらわた)〕の名、多し。「百尋〔(ひやくひろ)〕」と云ふ、長き腸あり。食ふべし。凡そ、鯨の油、貧士賤民、以つて燈油と爲し、甚だ民用に利〔せり〕。

○海鰌、性、熱。肥〔なる〕膩〔(あぶら)に〕、膏油、多し。之れを食へば、熱を生じ、風〔(ふう)〕を動かす。瘡を發し、痰を生ず。多く食へば、消化し難し。能く脾胃を傷つく。病人及び脾積〔(ひしやく)〕・瘡疥の有る者、婦人の崩漏(ほうろう)・帶下〔(こしけ)〕の病ひ有る者、食ふべからず。其の尾の近くの白肉、味、最も好し。塩藏〔して〕日〔の〕久〔しき〕者、夏月、之れを食へば、味、美〔(よ)〕し。能く脾胃を峻補し、人を肥健す。虛冷〔にして〕積滯の無き人、宜しく食ふべし。久しき瀉を止む。若〔(も)〕し、新病〔にして〕濕熱〔の〕盛〔んなる〕者〔は〕、食ふべからず。

[やぶちゃん注:哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目 Laurasiatheria 偶蹄(鯨偶蹄)目クジラ亜目Cetacea のクジラ類。その下位でヒゲクジラ下目 Mysticeti(シロナガスクジラ(白長須鯨。ナガスクジラ科ナガスクジラ属シロナガスクジラ Balaenoptera musculus)等)・ハクジラ下目 Odontoceti(マッコウクジラ(ハクジラ小目マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラ Physeter microcephalus)やイルカ類(シャチ(マイルカ科シャチ亜科シャチ属シャチ Orcinus orca)も含まれる)等)に分かれる。但し、益軒は後で「イルカ」を独立項として出すので、それは除外される。

「いさなどり」濁音は底本のママ。また、これを「くじら」の古名とするのは、おかしい。「いさな」でよい。「いさなとり」(鯨魚取り・勇魚取り)は、言わずもがな、元は「クジラを捕る場所。漁」の意で、「海」・「浜」・「灘(なだ)」に掛かる枕詞である。

「いすなとり」文脈から見ると、益軒は、最終的に大型の鯨は銛や弓を放って後、浦に寄ってくるのを待つので、「居漁り(ゐすなどり)」(「すなどる」は「魚貝類を漁ること」の意である)と謂っているように思われるが、これは牽強付会としか思えない。小学館「日本国語大辞典」にも出ない。

「古哥にも、よめり」「万葉集」に十七首に詠み込まれている。不思議に惹かれる一首を紹介する。巻第十六の詠み人知らずの「無常の歌二首」の一つ、旋頭歌である(三九五二番)。

 鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮(しほ)干(ひ)て山は枯れすれ

大いなる自然にも死があるという釈教歌であう。

「近江の湖〔(うみ)〕」謂わずもがな、琵琶湖。

「磯菜取(いそなどり)」岸辺の水中に植生する食用に供される(ここは)淡水産水藻類や顕花植物の水草類を採ることを言っている。

「月山叢談」清の文人李文鳳撰。散逸しているものか、原文に当たることが出来なかった。

「巨鰍」この「鰍」の字は現行では通常、「カジカ」(条鰭綱カサゴ目カジカ科カジカ属カジカ Cottus pollux)を指すが、別に「ドジョウ」(条鰭綱骨鰾上目コイ目ドジョウ科ドジョウ属ドジョウ亜種ドジョウ Misgurnus anguillicaudatus)の意もある

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「刳〔(くり)〕て」皮下の脂肪層に穴を空けて、それを抉(えぐ)り採ることを言っていよう。

「油と為す」後の箇所で、利用の変遷が語られてあるが、恐らく長く(一部の漁民以外は)鯨油を採取する目的のみでクジラ漁が行われていたことを意味している。嘗て下劣なアメリカがやっていたことと同じだ。その肉を日本に売り、私の世代までは小学校の給食に三日に上げず、鯨肉が出たものだった。因みに、私は捕鯨賛成派である。科学的にもミンククジラは増え過ぎており、北洋の生態系を壊しつつあることは、世界の鯨類学者が認めている。今もアメリカ物資汚染のお蔭で、私は鯨肉が大好きだ。

『順が「和名抄」、「鯨鯢」を以つて「くしら」とす』「和名類聚鈔」の巻第十九の「鱗介部第三十 竜魚類第二百三十六」に、

   *

鯨鯢(くちら) 「唐韻」に云はく、『大魚雄曰鯨【「渠」・「京」の反。】雌を「鯢」【音「蜺」。和名「久知良」。】と曰ふ』〔と〕。「淮南子」に曰はく、『鯨鯢、魚の王なり』〔と〕。

   *

とある。

「崔約」「崔豹」の誤り。晋(二六五年~四二〇年)の学者。晋恵帝(在位:二九〇年~三〇七年)の時に太子太傅丞に至っている。「古今注」は全三巻。

「長さ十里」当時の一里は約四百メートル強。それでもデカ過ぎ。

「數丈」当時の一丈は二メートル強。

「一〔(いつ)〕に、數萬子を生む」一度に数万の子を産む。あり得ない。

「異物志」三国時代の沈瑩(しんえい)の浙江臨海郡の地方地誌「臨海水土異物志」か。史上初の台湾の歴史・社会・住民状況を記載するものとして注目されるものである。

「日本にて海鰌、其の品、凡そ六種あり」サイト「くじら」のこちらで見ると、イルカ類を除いても(益軒は後で「海豚」の独立項を立てている)、本邦に棲息するクジラ類は十七種を数える。六種なんだから、益軒先生、名を挙げといてくれりゃあ、いいものを! まあ、

セミクジラ(背美鯨/勢美鯨:ヒゲクジラ亜目セミクジラ科セミクジラ属セミクジラ Eubalaena japonica

コククジラ(克鯨/児童鯨:ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ上科コククジラ科コククジラ属コククジラ Eschrichtius robustus

シロナガスクジラ(白長須鯨:ナガスクジラ科ナガスクジラ属シロナガスクジラ Balaenoptera musculus

ナガスクジラ(長須鯨:ナガスクジラ属ナガスクジラ Balaenoptera physalus

ザトウクジラナ(座頭鯨:ナガスクジラ科ザトウクジラ属ザトウクジラ Megaptera novaeangliae

マッコウクジラ(マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラ Physeter microcephalus

かなあ?

「慶長」一五九六年から一六一五年。本邦の捕鯨史は縄文時代まで溯る。ウィキの「日本の捕鯨」によれば、約八〇〇〇年前の『縄文前期の遺跡とされる千葉県館山市の稲原貝塚においてイルカの骨に刺さった黒曜石の、簎(やす、矠とも表記)先の石器が出土していること』、約五〇〇〇年前の『縄文前期末から中期初頭には、富山湾に面した石川県真脇遺跡で大量に出土したイルカ骨の研究によって、積極的捕獲があったことが証明されている』とある。『奈良時代に編纂された万葉集においては、鯨は「いさな」または「いさ」と呼称されており、捕鯨を意味する「いさなとり」は海や海辺にかかる枕詞として用いられている』。十一『世紀の文献に、後の醍醐組(房総半島の捕鯨組)の祖先が』八五一『年頃に「王魚」を捕らえていたとする記録もあり、捕鯨のことであろうと推測されている』。『鎌倉時代の鎌倉由比ヶ浜付近では、生活史蹟から、食料の残存物とみられる鯨やイルカの骨が出土している。同時代の日蓮の書状には、房総で取れた鯨類の加工処理がなされているという記述があり、また房総地方の生活具にも鯨の骨を原材料とした物の頻度が増えていることから、この頃には房総に捕鯨が発達していたことやクジラやイルカなどの海産物が鎌倉地方へ流通していたことが推定されている』。『海上において大型の鯨を捕獲する積極的捕鯨が始まった時期についてははっきりとしていないが、少なくとも』十二『世紀には』、『湾の入り口を網で塞いで鯨を捕獲する追い込み漁が行われていた』。さても、この記載と関わる「突き取り式捕鯨時代」の項を見る。『突き取り式とは銛、ヤス、矛(槍)などを使って突いて取る方法であり、縄文時代から離頭式銛などで比較的大きな魚(小型のクジラ類を含む)を捕獲していた。また遺跡などの壁画や土器に描かれた図から縄文や弥生時代に大型のクジラに対し』、『突き取り式捕鯨を行っていたとする説もある』。「鯨記」(明治元(一七六四)年著)に『よれば、大型のクジラに対しての突き取り式捕鯨(銛ではなく矛であった)が最初に行われたのは』、一五七〇年頃(永禄十三年相当。室町時代)の『三河国であり』、六~八艘の『船団で行われていたとされる』。十六『世紀になると』、『鯨肉を料理へ利用した例が文献に見られる。それらの例としては』、永禄四(一五六一)年に『三好義長が邸宅において足利義輝に鯨料理を用意したとする文献が残されている。この他には』、天正一九(一五九一)年に『土佐国の長宗我部元親が豊臣秀吉に対して鯨一頭を献上したとの記述がある。これらはいずれも冬から春にかけてのことであったことから、この時季に日本列島沿いに北上する鯨を獲物とする常習的な捕鯨が開始されていたと見られる。三浦浄心が』慶長一五(一六一四)年に『著したとされる『慶長見聞集』によると、尾張と伊勢では鯨を突いていたが、関東では突くことはなかった。文禄期』(一五九二年~一五九六年)『に尾張の鯨突きの間瀬助兵衛が相模三浦に来て、鯨の突き取り漁が三浦半島に伝わったことが記述されている』。『戦国時代末期にはいると、捕鯨用の銛が利用されるようになる。捕鯨業を開始したのは伊勢湾の熊野水軍を始めとする各地の水軍・海賊出身者たちであった。紀州熊野の太地浦における鯨組の元締であった和田忠兵衛頼元は、慶長一一(一六〇六)年に、『泉州堺(大阪府)の伊右衛門、尾州(愛知県)知多・師崎の伝次と共同で捕鯨用の銛を使った突き取り法よる組織捕鯨(鯨組)を確立し』、「突組」と『呼称された。この後』、元和四(一六一八)年には『忠兵衛頼元の長男、金右衛門頼照が尾州知多・小野浦の羽指(鯨突きの専門職)の与宗次を雇い入れてからは本格化し、これらの捕鯨技術は熊野地方の外、三陸海岸、安房沖、遠州灘、土佐湾、相模国三浦そして長州から九州北部にかけての西海地方などにも伝えられている』(太字下線は私が附した)とある。これから見ると、益軒の「矛突き漁筑紫発祥説」は信じ難い

「頭骨を食す」軟骨部のことであろう。

『「くじらのひげ」と云ふは、のどの下なる「をさ」なり。噐用とす』ヒゲクジラ亜目 Mysticetiのクジラの上顎部に見られる、繊維が板状になった器官。「ひげ板」とも呼ぶ。口腔内の皮膚がヒゲクジラ類に於いて独自に変化したもので、髭や毛とは由来が異なる。濾過摂食のためのフィルターとしての役割を持り、組成は皮膚の角質組織と同じケラチンから成る。上顎の左右に列を成し、それぞれ最大で三百枚程度が生える。「鯨ひげ」は、弾力性などに優れることから、古くから各種の加工材として使用された。参照したウィキの「鯨のひげ」によれば、『古い例としては、正倉院に鯨ひげ製の如意が宝物として収められている。特にセミクジラ科のものは、長くて非常に柔軟かつ弾力があることから重宝され、結果としてセミクジラ科の乱獲の一因ともなった。その後、弾力のある金属線やプラスチックが普及したため、現在では工芸的な用途を除いては需要は殆どない』。以下、使用用途例(一部を加工した)。

・釣竿(日本では、弾力性を生かして釣竿の先端部分に用いられる。現在でも一部で使用されている)

・衣服(整形用の骨に用いる。西洋ではコルセットやクリノリンなどの女性用下着やドレスの腰部に日本では裃の肩などに使用された)

・傘(西洋では傘の骨に用いた。フランス語で「傘の骨」を(os de )baleineというが、これは「鯨」(の「骨」)の意である)

・扇子(本邦で扇子の要(かなめ)として用いていた)

・呉服尺(本邦では着物の仕立て専用の物差しの材料に用いた。「鯨尺」とも呼ばれ、長さの特別独自単位としてその名が残っている。但し、「鯨のひげ」から作られたからとされるが、それは定かではない。鯨尺一尺は曲尺(かねじゃく)の一尺二寸五分に相当し、三十七・八八センチメートル相当である)

・発条(ぜんまい)(江戸時代の日本で「ぜんまい」の材料とされ、からくり人形などに使用された)

・文楽人形(操作索に用いることは有名)

「風〔(ふう)〕を動かす」「風邪」と使うように、漢方で疾患のもととなる悪い邪気を指す。

「瘡」皮膚の湿疹・糜爛。

「脾胃」漢方で広く消化器系を指す語。

「脾積〔(ひしやく)〕」消化器系の、想像上の寄生虫によって発生すると考えられた腫物やしこりの謂いであろう。

「瘡疥」疥瘡で「はたけがさ」、所謂、皮膚病の「はたけ」であろう。主に小児の顔に硬貨大の円形の白い粉を噴いたような発疹が複数個所発する皮膚の炎症性角化症の一つ顔面単純性粃糠疹(ひこうしん)。ウィルス感染原因が疑われているが、感染力はない。私は広汎な一種のアレルギー反応による皮膚疾患をも含んだ症状を指していると考えている。

「崩漏」女性生殖器からの尋常でない出血症状を指す語。

「帶下〔(こしけ)〕」下(お)り物。女性の内部生殖器官から分泌される粘液や組織片などの混合物。病的でないものも含まれる。

「尾の近くの白肉、味、最も好し」所謂、尾の付け根附近の肉で「尾の身」と呼ぶ。現行、一般には刺身を最上とする。私は脂っぽ過ぎて好まない。

「峻補」強い熱性の食材・中薬による保温法。

「積滯」血や痰などの病理上の有害産物が各組織・器官に積み重なって病態を呈していることを指す。

「久しき瀉」慢性の下痢。

「新病」罹患したばかりの病態のことか。

「濕熱」本来は相反してバランスをとるはずの「水」気と「熱」気の双方が体内で過剰になり、相互に融合して重積してしまい、発生する症状を指す。]

大和本草卷之十三 魚之下 鰺 (アジ類)

【和品】

鰺 順和名抄アチト訓ス生東海者形肥大夏秋

 多肉味美冬春味不美以塩漬而乾之亦佳無鱗

 尾上有厚鱗今案性温補發瘡腫痘瘡及諸瘡ヲ

 患ル者不可食又有室鰺嶋鰺味劣

○やぶちゃんの書き下し文

鰺(あぢ) 順〔(したがふ)〕の「和名抄」、「あち」と訓す。東海に生ずる者、形、肥大。夏・秋、肉、多く、味、美〔(よ)し〕。冬・春、味、美からず。塩を以つて漬けて、之れを乾かす。亦、佳なり。鱗、無く、尾の上に、厚き鱗、有り。今、案ずるに、性、温補〔にして〕、瘡腫〔(さうしやう)〕を發す。痘瘡及び諸瘡を患〔(わづらふ)〕る者、食ふべからず。又、室鰺〔(むろあぢ)〕・嶋鰺〔(しまあぢ)〕有り。味、劣れり。

[やぶちゃん注:取り敢えず、条鰭綱スズキ目スズキ亜目アジ科アジ亜科マアジ属マアジ Trachurus japonicus としてよかろう。我々にとって最もお馴染みの食用魚であるが、ウィキの「マアジ」から一部を引用しておく。『成魚の全長は』五十センチメートル『に達するが、よく漁獲されるのは』三十センチメートル『程度までである。体は紡錘形でやや側扁し、頭長は体高より長い。側線は体の中ほどで下方に湾曲し、背鰭第』八『軟条下から尾まで直走する。この側線上には全体に亘って稜鱗(りょうりん : 俗称「ぜんご」「ぜいご」)と呼ばれる棘状の鱗が』六十九個から七十三個『並ぶ。臀鰭の前端部には』二『本の棘条がある。鰓蓋(さいがい、えらぶた)上縁に一つの黒色斑がある。口内では両顎・口骸骨・鋤骨(じょこつ)・舌に細歯がある。背側は緑黒色で腹側は銀白色、中間域は金色である』。『体色と体型は、浅海の岩礁域に定着する「居つき型(瀬付き群)」と、外洋を回遊する「回遊型(沖合回遊群)」で異なる。居つき型は全体的に黄色みが強く、体高が高い。一方、「回遊型」は体色が黒っぽく、前後に細長い体型をしている。例えば東京湾沿岸では居つき型を「キンアジ」「キアジ」、回遊型を「ノドグロ」「クロアジ」などと呼んで区別している』。『ムロアジ属 Decapterus 諸種、メアジ Selar crumenophthalmus 等の類似種がいるが、本種は第二背鰭・臀鰭の後ろに小離鰭が無いこと、側線の全てが稜鱗で覆われること、側線が体の中ほどで大きく下方に湾曲することで区別がつく』。『関西ではマアジを赤アジ、ムロアジを青アジとも呼ぶ』。『北西太平洋の固有種で、北海道から南シナ海までに分布する。特に日本海や東シナ海で個体数が多い』。『地方毎に独立した地方系群もあると考えられ、これらは遺伝子プール・形態・生態・産卵地もわずかずつ異なるとされる。主なものは九州北部群、東シナ海中部群、東シナ海南部群、小さい群として九州南方域、高知沖、関東伊豆付近、瀬戸内海、富山湾がある』。『回遊型は沿岸から沖合の中層・底層を群れで遊泳する。季節に応じた長距離の回遊を行い、春に北上・秋に南下する。一方、居つき型は浅海の岩礁付近に定着し、季節的な回遊をしない。食性は肉食で、動物プランクトン、甲殻類、多毛類、イカ、他の小魚等を捕食する』。『産卵期は地域の気候によって異なり、東シナ海では』一月であるが、『北海道では』八『月となる。早春の東シナ海で仔魚・稚魚が多数見られることから、回遊型は東シナ海で産卵し、これらが黒潮に乗って東アジア沿岸域に分散すると考えられている。産卵数は』成体♀の大きさによって異なり、約十万個から五十六万個に『達する。卵は直径』一ミリメートル弱の『分離浮性卵で』、四十『時間ほどで全長』二・五ミリメートルの『仔魚が孵化する。幼魚は流れ藻に付くことがあり、内湾の浅い海でも見られる』。二~三年で『成熟し、寿命は最長』十二『年という記録がある』。『本種は日本産アジ類の中でも特に漁獲が多く代表種となっていることから「真」が付く』。『新井白石は「アジとは味也、その味の美をいふなりといへり」と記している』。『地方名も多く、アヅ(富山・秋田)、メダマ(東京)、ノドクロ、クロアジ(東京 : 回遊型を指す)キアジ、キンアジ(東京 : 居つき型を指す)、アカアジ(関西 : 稚魚を指す)、ヒラアジ(和歌山・大阪・広島)、ホンアジ(和歌山)、トツカアジ、トツカワ(和歌山)、オオアジ(神戸・松江)、オニアジ(兵庫明石)、ゼンゴ(中国・四国地方)、キンベアジ(鹿児島)、ジンタン(鹿児島 : 稚魚を指す)等がある』。『関アジは豊予海峡で漁獲し、大分県大分市佐賀関で水揚げしたアジの商標である』。なお、アジ亜科 Caranginaeの総説であるウィキの「アジ」の「語源」によれば、『日本語の「アジ」は味が良いことに由来するといわれる』。『「魚」に「参」と書く漢字が当てられるが、この由来は諸説あり、「鱢(ソウ、魚偏に「喿」)」の字の写し間違いであるとする説』、『「おいしくて参ってしまう」の意であるとする説、最も美味の季節が旧暦の』三『月に当たるので』、旁(つくり)に『数字の「参」が使われたとする説などがある』とある。

『順の「和名抄」、「あち」と訓す』源順の「和名類聚鈔」巻十九の「鱗介部第三十」の「龍魚類」第二百三十六に、

   *

鰺(アチ) 崔禹錫が「食經」に云はく、『鰺【「蘇」「遭」の反。「騷」と同じ。和名「阿遲」。】。味、甘温。毒、無し。貌(かたち)、「鯼」に似て、尾に、白剌、相ひ次ぐ者なり。』〔と〕。

   *

とある。「ぜいご」をよく記して、アジ類の記載を思わせるが、しかし、「鯼」(音「ソウ」)はイシモチ(スズキ目スズキ亜目ニベ科シログチ属シログチ Pennahia argentata 或いはニベ科ニベ属ニベ Nibea mitsukurii を指す)の俗字で、イシモチもニベも私はアジ類とは決して似ているとは思わない。

「性、温補〔にして〕、瘡腫を發す」「温補」は漢方で正常な体温を保時させ、補填する性質を謂うが、この文脈ではそれが、「瘡腫」(皮膚が腫れて膿を持った病態)を引き起こす、惹起し易いと言っているようにしか読めない。この「瘡腫」をもっと軽いアレルギ性湿疹と採るにしても、アジ類ではそう頻繁に多数の人に起こるとは考えられないから、この記載は不審である。

「痘瘡」天然痘。

「諸瘡」広義の皮膚の湿疹や糜爛を指す。

「室鰺」狭義にはアジ亜科ムロアジ属ムロアジ Decapterus muroadsi を指すが、ムロアジ属には多くの種が含まれる。ウィキの「ムロアジ」を参照されたい。中でも、クサヤモロDecapterus macarellus は「くさや」の最高級品として賞味される。私も四十年近く前、神津島の製造所で買って民宿で焼いて貰った(同宿の女性二人に大顰蹙を買ったが、宿の主人はにこにこしていた)が、あれは人生最高の「くさや」であった。製造元では「くさや」の漬ける伝来の原液を嘗めさせて貰ったが、非常に美味であったのも忘れられない。

「嶋鰺」しかし、「味、劣れり」はムロアジとともに、断固、抗議する。アジ類ではシマアジは刺身にして最も美味いものですよ! 益軒先生!]

2019/10/12

大和本草卷之十三 魚之下 鮹魚 (アカヤガラ)

鮹魚 本草ヲ見ルニ關東ニヤカラト云魚是乎細長

 クシテ箭ノ如ク圓ナリ又馬ノ鞭ノ如シ色少アカシ

 觜短ク尾ニマタアリ又觜長キモノアリ肉白シ膈噎ノ

 病ヲ治スト云西州ニモアリタコト訓スルハアヤマリナリ無毒

○やぶちゃんの書き下し文

鮹魚(ヤガラ) 「本草」を見るに、關東に「やがら」と云ふ魚、是れか。細長くして、箭〔(や)〕のごとく、圓〔(まどか)〕なり。又、馬の鞭のごとし。色、少し、あかし。觜〔(くちばし)〕短く、尾に「また」あり。又、觜、長きものあり。肉、白し。膈噎〔(かくいつ)〕の病ひを治すと云ふ。西州にも、あり。「たこ」と訓ずるは、あやまりなり。毒、無し。

[やぶちゃん注:条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヤガラ科ヤガラ属 Fistularia のヤガラ類。世界に四種を認めるが、本邦近海では、

アオヤガラ Fistularia commersonii

アカヤガラ Fistularia petimba

の二種が知られ、益軒のそれは後者である。ウィキの「ヤガラ」によれば、科名ヤガラ科 Fistulariidaeの『由来は、ラテン語の「fistula(パイプ)」』に由来する。『ヤガラ科の魚類はすべて海水魚で、太平洋・インド洋・大西洋の熱帯・亜熱帯域に広く分布する』。上記アカヤガラ『は高級食用魚として珍重される』。ヤガラ科の『類はサンゴ礁や岩礁などの比較的浅い海で生活し、小魚や甲殻類を主に捕食する』。細長い筒状の口を使って、岩やサンゴの間に潜む獲物を吸い込むことに適応している』。『アカヤガラは味の良い魚で』、『入荷量が少ない、白身の高級魚として扱われ』、『椀物、鮨種、刺身で食べられる』。『細長い体と筒状の口』と、『後方に伸長する尾鰭の鰭条が』ヤガラ科の『魚類の特徴で』、『細長い体型をもち、吻(口先)は細長く筒状に発達する』。『最大で全長』一・八メートルに『まで達するが、通常は』一メートル『未満であることが多い』。『近縁のヘラヤガラ科』(ヨウジウオ亜目ヘラヤガラ下目ヘラヤガラ上科ヘラヤガラ科 Aulostomidae)『とよく似た外見を有するものの、ヤガラ類は口』鬚を『もたず、肛門の開口部が』、『腹鰭のすぐ後ろに位置するなど、形態学的な差異は比較的大きい』。『体表には鱗がなく、一部の種類では小突起が列状に並ぶ』。『側線は』、『よく発達し、背部正中に弧を描きながら』、『尾鰭鰭条にまで達する』。『背鰭と臀鰭は棘条を欠き、いずれも』十三~二十『本の軟条で構成され』ている。『尾鰭は二又に分かれ、中央の』二『本の鰭条が著しく伸長する』とある。

「本草」「本草綱目」の、巻四十四の「鱗之三」に、

   *

鮹魚【音「梢」。「拾遺」。】

集解【藏器曰、「出江湖。形似馬鞭、尾有兩岐如鞭鞘。故名。氣味、甘、平。無毒。】

主治【五痔・下血・瘀血在腹。藏器。】

   *

とあるが、「江湖に出づ」というのは淡水魚を指すので、これはヤガラではない。但し、現代中国語ではアカヤガラにこの「鮹魚」を当ててはいる。

「膈噎」「噎」は食物がすぐ喉の附近でつかえて吐く病気を、「膈」は食物が少し下の胸の附近でつかえて吐く病気を指すが、現在では現行の胃癌又は食道癌の類を指していたとされる。しかし、ここは広義の咽喉や気道附近での、咽喉もとの「痞(つか)え」を広汎に指す謂いでとってよかろう。]

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