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カテゴリー「貝原益軒「大和本草」より水族の部」の88件の記事

2018/06/24

大和本草卷之八 草之四 海蘿(フノリ)

 

【和品】

海蘿 順和名抄云不乃利〇處々ノ海濱ノ石ニ付テ

 生スチイサキヲ小ブノリト云羹トシテ食ス其味甘シ

 其大ナルヲ水ニ洗干シ貯テ糊トス紙工コレヲ用ユ民

 用多シ又火ニ煨シ柿漆ニ和乄紙ヲツギ合スルニ用ユ

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

海蘿(フノリ) 順、「和名抄」に云はく、「不乃利」。〇處々の海濱の石に付きて生ず。ちいさきを「小ブノリ」と云ふ。羹〔(あつもの)〕として食す。其の味、甘し。其の大なるを、水に洗ひ干(ほ)し、貯へて糊〔(のり)〕とす。紙工、これを用ゆ。民用、多し。又、火に煨し、柿-漆(しぶ)に和して、紙をつぎ合はするに用ゆ。

[やぶちゃん注:私が殊の外好きな、紅色植物門紅藻綱スギノリ目フノリ科フノリ属 Gloiopeltis のフノリ類(フノリという和名種はいないので注意)。本邦産種は、

ハナフノリ Gloiopeltis complanata

フクロフノリ Gloiopeltis furcata

マフノリ Gloiopeltis tenax

であるが、食用に供されるのは後者のフクロフノリ・マフノリの二種である。マフノリは藻体内部に粘液が詰まって中実で、分布がやや北に偏るのに対し、やや大型の前者フクロノリは内部が空洞である。食感が異なり、私は孰れも好きである。ウィキの「フノリには、『「布海苔」と漢字で書くこともあるが、ひらがなやカタカナで表記されることのほうが多い。貝原益軒の『大和本草』の中では「鹿角菜」や「青角菜」と記されている。中国語では「赤菜」と書かれる』(下線太字やぶちゃん。とあるんだが、ここにちゃんと「フノリ」はあるぞ?! この筆者が言っているものの内、「鹿角菜」の方は、この「大和本草卷之八」の海藻部の最後にある「鹿角(ツノマタ)菜」のことだが、これは取り敢えず「ツノマタ」とあるんだから、紅藻植物門紅藻綱スギノリ目スギノリ科ツノマタ属ツノマタ Chondrus ocellatus と考えていいだろうに? 「青角菜」? どこにも出てこんで、そんなもん!)『マフノリはホンフノリと呼ばれることもある。マフノリ、フクロフノリなどは食用とされ、狭義にはこれらのみをフノリと呼ぶこともある』。『岩礁海岸の潮間帯上部で、岩に付着器を張り付けて生息する。日本全国の海岸で広く見られる』。『フノリは古く』は『食用よりも糊としての用途のほうが主であった。フノリをよく煮て溶かすと、細胞壁を構成する多糖類がゾル化してドロドロの糊状になる。これは、漆喰の材料の』一『つとして用いられ、強い壁を作るのに役立てられていた』。『ただし、フノリ液の接着力はあまり強くはない。このため、接着剤としての糊ではなく、織物の仕上げの糊付けに用いられる用途が多かった。「布糊」という名称はこれに由来するものと思われる。また、相撲力士の廻しの下につける下がりを糊付けするのに用いられたりもする』。現在の食用のそれは、二月から四月に『かけてが採取期で、寒い時のものほど風味が良いといわれる。採取したフノリの多くは天日乾燥され市場に出回るが、少量は生のまま、または塩蔵品として出回ることもある』。『乾燥フノリは数分間水に浸して戻し、刺身のつまや味噌汁の具、蕎麦のつなぎ(へぎそば)などに用いられる。お湯に長時間つけると』、『溶けて粘性が出るので注意が必要である』。『その他、フノリの粘液は洗髪に用いられたり、化粧品の付着剤としての用途もある。また、和紙に絵具や雲母などの装飾をつける時に用いられることもある』とある。

「煨し」読み不詳。「廣漢和辭典」を見ると、音は「ワイ」だが、どうもそう読んでいるとは思われない。意味は「火種を持った灰の中に埋めて焼く」であるが、どうもこれもピンとこない。現代中国語の「とろ火でとろとろ煮る・茹でる」の意がしっくりくるんだが。「いぶし」(熏し)とか読んでるのかなぁ。]

 

2018/06/08

大和本草卷之八 草之四 水松(ミル)

 

水松 本草陶弘景曰狀如松采而可食頌曰生海

 水中順和名抄云水松如松而無葉和名美流

 又曰海松○性寒虛冷人不可食石花菜ヲミルト

 訓スルハ恐クハ非ナラン

○やぶちゃんの書き下し文

「水松(ミル)」 「本草」、『陶弘景曰はく、狀〔かたち〕、松のごとし。采〔(と)〕りて食ふべし。頌〔(しよう)〕曰はく、海水の中に生ず。」』〔と〕。順「和名抄」に云はく、『水松、松のごとくして、葉、無し。和名「美流(ミル)」、又、曰はく「海松」。』〔と〕。○性、寒。虛冷の人、食ふべからず。「石花菜」を「ミル」と訓ずるは、恐〔ら〕くは、非ならん。

[やぶちゃん注:緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミル Codium fragile。田中次郎著「日本の海藻 基本284」(二〇〇四年平凡社刊)によれば、属名は「羊毛状の」、種小名は「脆(もろ)い」。『本種は世界的に広く分布』し、直径五ミリメートルほどの『円柱状の枝が規則正しく二叉分枝をして、全体の形がマツの木のように末広がりになる』。『ビロードのような手触りで』、本邦では「万葉集」にも『ミルを題材にした歌が詠まれており、古代からよく知られている海藻である。日本固有の色に海松色とあるのは、この種の深緑色のことを指す』。『現在、一般的な食材とはいえないが、古くは献納品として朝廷などに供せられた。湯通しして酢の物や和え物にして食す。さらに淡水に浸して色を抜き、乾燥か塩蔵して保存する。韓国ではキムチを作る際に混ぜる食材である』とある。宮下章著「ものと人間の文化史 11・海藻」(一九七四年法政大学出版局刊)の「第二章 古代人尾形龜之助海藻」の「海松(ミル・ミルメ)」によれば、『ノリとならんで、伊勢神官では最も重視された海藻神饌である。延喜式によれば、ミルの貢納地は、伊勢神官と出雲大社の周辺の国々である。現存する数少ない風土記である、出雲、常陸、肥前の三カ国風土記も、申し合わせたようにこれをノリ、コルモハとともに海藻の三大重要産物としている。おそらく先史時代から大切にされたものに相違ないが、古代にもその貢納価値は第四位の高位にあった』。『支配階級にことのほか愛されたのは、その淡味もさることながら、詩歌管弦に明け暮れ、風雅な日々を送る余裕のあった彼等にとっては、その形状と美しい鮮線色に芸術が感じられたからではなかろうか。ミルを題材にした詩歌文学は、海藻中では最も多い』とされ、「万葉集」の「巻第二」の柿本人麻呂の妻恋いの長歌(一三五番。以下、「万葉集」和歌の一部は私がオリジナルに示したもので(参考底本は中西進氏の講談社文庫版)、宮下氏の表記とは一致しないことをお断りしておく)、

   *

つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 韓(から)の崎なる 海石(いくり)にそ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒磯(ありそ)にそ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寐し兒[やぶちゃん注:妻を指す。]を 深海松の 深めて思へど さ寐し夜は いくだもあらず 這ふ蔦の 別れし來れば 肝(きも)向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡りの山の 黃葉(もみちば)の 散りの亂(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 嬬隱(つまごも)る 屋上(やがみ)の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隱(かく)ろひ來れば[やぶちゃん注:妻のいる故里は見えなくなってしまったので。] 天(あま)つたふ 入日(いりひ)さしぬれ 丈夫(ますらを)と 思へるわれも 敷栲(しきたへ)の 衣(ころも)の袖は 通りて濡れぬ

   *

の一部を引かれ、次に巻第十三の「相聞歌」の一首(三三〇一番)、

   *

神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 朝凪ぎに 來寄る深海松(ふかみる) 夕凪ぎに來寄る俣海松(またみる) 深海松の 深めしわれを 俣海松の 復(また)往き還り 妻と言はじか 思はせる君

   *

の一部、さらに知られた卷第五に載る山上憶良の「貧窮問答歌」から、以下の引かれ、

……綿も無き 布肩衣(ぬのかたぎぬ)の海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる……

『とあるが、この方は綿も入っていないぼろ切れのような肩衣(かたぎぬ)の表現に、干しミルのしなびて見るも哀れな様子が使われたのだから、あまり賞められたものではない』と附言されている。続いて、『ミルメを「見る限」にかけて平安朝の美女、小野小町は、

   みるめ刈る蜑(あま)の往き来の湊路は

      勿来(なこそ)の関もわが末なくに

と歌っている。古今集には、

   伊勢のあまの朝な夕なに潜くてう

      みるめに人を飽く由もがな

がある。鮮緑色を歌ったのには古今集に、

   この頃の南の風に濃きみるの

      ようよう涼しあしのやの里  定家

がある』と引かれる。小町の歌は「新勅撰和歌集」(六五二番。前書は「題しらず」)の形で、「小町集」では、

   對面しぬべくやとあれば

 みるめかる海人の行きかふ湊路(みなとぢ)になこその關も我はすゑぬを

であり、お逢いしないと決めたわけでもありませんという含みを持ったもの。二首目は、「古今和歌集」の巻十四「戀歌四」にあるもので(六八三番。「よみ人しらず」)

 伊勢の海人(あま)の朝な夕なに潛(かづ)くてふみるめに人を飽(あ)く由もがな

で、上の句は「みるめ」の序詞で海松を引き出し、「逢う」の意の「見る目」を掛けて転じたもの。定家のそれは、「拾遺愚草員外」所収だが、「日文研」の和歌データベースでみると、

 この頃の南の風にうきみるよるよる涼しあしのやの里

のようである(私は「拾遺愚草」の活字本を所持しないので指摘するに留める)。

 また、『ミルの美しさの故に、それを水盤に入れて鑑賞する奥ゆかしさを持つ婦人もいた。『今昔物語』に載る哀話がそれである』として、「今昔物語集」巻第三十の「品不賤人去妻後返棲語第十一」(品(しな)賤しからぬ人、妻(め)去りて後、返り棲(す)める語(こと)第十一)を現代語訳して載せておられる。ここでは原文を示す。

   *

 今昔、誰(たれ)とは云はず、品、賤しからぬ君達、受領(じゆりやう)の年若き有けり。心に情(なさけ)有りて、故々(ゆゑゆゑ)しくなむ有りける。

 其の人、年來(としごろ)、棲みける妻を去りて、今めかしき人に見移りにけり。然れば、本(もと)の所を忘れ畢(は)てぬ。今の所に住みければ、本の妻、

『心踈(う)し。』

と思ひて、いと心細くて過ぐしける。

 男、攝津の國に知る所有りければ、遊ばむが爲に下りけるに、難波(なには)邊(わたり)を過ぎける程に、濱邊のいと(おも)しろきを見行(みあるき)けるに[やぶちゃん注:「」=「言」+「慈」。国字。]、蛤の小(ちいさ)やかなるに、海松(みる)の房やかにて生出(おひいで)たりけるを見付けて、

「此れ、極(いみ)じく興(きよう)有る物也。」

と思ひて、取りて、

「此れを我が去り難く思ふ人の許(もと)に遣りて、見せて興ぜさせむ。」

と思ひて、小舍人童(こどねりわらは)の然樣(さやう)の方(かた)に心得て仕(つか)ひけるを以つて、

「此れ、慥(たしか)に京に持て行きて、彼(かしこ)に奉れ。『此れが興有る物なれば、見せ奉らむとてなむ』と申せ。」

と云ひて遣(つかは)しければ、童、此れを持て行きて、思ひ違(たが)へて、今の所へは持(も)て行かずして、本の妻の家に持て行きて、

「此なむ。」

と云ひ入れたりければ、本の妻、いと思ひ懸けぬ程に、此く興有る物をさへ遣(おこ)せて、

「此れ、我が上(のぼ)るまで、失はで御覽ぜよ。」

と云ひ遣せたれば、

「殿は何(いづこ)に御(おはし)ますぞ。」

と問はすれば、童、

「攝津の國に御ますに候ふ。其れに、難波邊(わたり)にて、此れは御覽じ付けたる物を奉らせ給ひたる也。」

と云へば、本の妻、此く聞くに、怪しく、

『僻事(ひがごと)に所違へに持て來たるにや有らむ。』

と思へども、取り入れて、

「然(さ)承りぬ。」

と許(ばかり)云はせたれば、童、卽ち、走り返りて、攝津の國に行きて、主(あるじ)に、

「慥に承り候ひぬ。」

と云へば、主は、

「今の所に持て行きたるぞ。」

と知りて有けるに、彼の本の所には、此れを見るに、實(まこと)の興有る物なれば、盥(たらひ)に水を入れて前に竝べて、此れを入れて、興じ見居たりけり。

 而る間、男、十日許(ばかり)有りて、攝津の國より返り上りて、今の妻に、

「何(いつ)しか彼の奉りし物は侍りや。」

と、打ち咲(わら)ひて云ければ、妻、

「遣(おこせ)たり物やは有し。其れは何物ぞ。」

と云ければ、男、

「否や。小き蛤の可咲氣(をかしげ)なるに、海松の、房やかに生出たりしを、難波の濱邊にて見付けて見しに、興有る物也しかば、急ぎ奉りしは。」

と云へば、妻、

「更に然(さ)る物、見えず。誰を以つて遣(おこ)せ給ひしぞ。持て來たらましかば、蛤は燒きて食ひてまし、海松は酢に入れて食てまし。」

と云ふに、男、聞くに、思ひに違(たが)ひて、少し心月無(こころづきな)き樣(やう)也。

 然(さ)て、男、外に出て、遣(おこ)せし童を呼びて、

「汝は有し物をば、何(いづこ)に持て行きにしぞ。」

と問へば、童、思ひ違(たが)へて、本の所に持て行たる由を云へば、主、大きに嗔(いか)りて、

「速(すみや)かに、其れ、取り返して、只今、來(こ)。」

と責めれば、童、

「極(いみ)じき錯(あやま)ちをも、してけるかな。」

と思ひ驚きて、本の所に走り行きて、此の由を云ひ入れさせたりければ、本の人、

「然ればこそ、所違(ところたが)へ也けるにこそ。」

と思ひて、水に入れて見けるを、急ぎ取り上げて、陸奧紙(みちのくがみ[やぶちゃん注:上質の和紙。])に裹(つつ)みて返し遣りけるに、其の紙に、此くなむ、書きたりける。

  あまのつとおもはぬかたにありければ

     みるかひなくもかへしつるかな

と。

 童、此れを持て行きて、此く持て參りたる由を云ひければ、主、外に出でて、此れを取りて見るに、本の樣にて有れば、

「いと喜(うれ)しく失はずして有りける。」

と、心𢝴(こころにく)く思ひて、内に持て入りて披きて見れば、裹紙(つつみがみ)に此く書たり。

 男、此れを見るに、いと哀れに悲しくて、今の妻の、

「貝は燒て食てまし。海松は酢に入れて食てまし。」

と云ひし事、思ひ合はせられて、忽ちに心替りて、

『本の所に行きなむ。』

と思ふ心、付きにければ、やがて其の蛤を打ち具して行きにけり。

 定めて、其の今の妻の云ひし事、本の妻に語りける。

 然(さ)て、今の妻をば忘れて、本の所になむ住みける。

 情有ける人の心は、此(かく)なむ有りける。現(あらは)に今の妻の云ひけむ事、踈(うと)みてむかし。本の妻の情には、必ず、返り棲むべき事也けり、となむ語り傳へたるとや。

   *

宮下氏はこれに、『この当時、難波潟は清く美しい浜辺が続き、京の都から遊びに出かけ、貝拾いや海藻採りに打ち興じる者が多かったのである。ミルをとり、鑑賞する奥床しい人もいたが、『伊勢物語』に「家のめのこども出て、うき海松の波によせられたるひろひて、家のうちにもてきぬ。女がたより、そのみるをたかつきにもり、かしはをおほひて出し」たとあるように、高杯などに盛って出した生ミルを、酢の物にして食べていたのである。同書はさらに続けて、

  わだつ海のかざしにさすといはふもも

        君がためにはおしまざりけり

の歌を記している。古代の人々はミルの変らぬ色を愛し、それを高杯に盛り、それを水盤に入れて鑑賞し、髪にかざして祝にも使ったのであった』と当該項を終えておられる。「伊勢物語」のそれは、第八十七段のエンディングの部分である(アプローチが長いので引かない)。

 なお、私が以上で原作を多く途中に挟んだのは、衒学的目的ではなく、以上のような仕儀を施せば、著作権上の引用の許容足り得ると思ったからに過ぎない。当該書は海藻についての考証著作としては私は一番に推したいものである。是非、原典を御覧あれかし。

『「本草」、『陶弘景曰はく、狀〔かたち〕、松のごとし。采〔(と)〕りて食ふべし。頌〔(しよう)〕曰はく、海水の中に生ず。」』〔と〕』李時珍の「本草綱目」の巻十九の「草之八」のラストからなのだが、短いのに益軒はちゃんと引用していない。こういう態度は私はよろしくないと感ずる。

   *

水松【「綱目」】

集解弘景曰、「水松、狀、如松。」。頌曰、「出南海及交趾、生海水中。」。

氣味甘鹹、寒。無毒。

主治溪毒【弘景。】。水腫催生【藏器。】。

   *

「弘景」既出既注だが、再掲しておく。陶弘景(四五六年~五三六年)は六朝時代の道士で本草学者。道教茅山派開祖。漢方医学の基礎を築いた人物。前漢の頃に成立した中国最古の薬学書「神農本草経」を整序して五〇〇年頃に「本草経集注」を完成させた。この中で彼は薬物の数を七百三十種類と従来の二倍にし、薬物の性質などをもとに新たな分類法をも考案しており、この分類法は現在も使用されている(以上はウィキの「陶弘景」に拠った)。

「頌」既出既注だが、再掲しておく。蘇頌(一〇二〇年~一一〇一年)は宋代の科学者にして博物学者。一〇六二年に刊行された勅撰本草書「図経本草」の作者で、儀象台という時計台兼天体観察装置を作ったことでも知られる。

『順「和名抄」』既出既注だが、再掲しておく。平安中期に源順(したごう)によって編せられた辞書「倭名類聚鈔」。

「虛冷の人」既出既注だが、再掲しておく。虚弱体質、或いは、体温が有意に低下するような疾患に罹っている人、或いは、消化器系疾患等によって衰弱している人。

「石花菜」既に「大和本草卷之八 草之四 海藻類 心太 (ココロフト=トコロテン)」で述べた通り、天草(テングサ)類(紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae の総称であり、テングサという種は存在しない)やオゴノリ(於胡苔)類(紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科Gracilariaceae 或いはオゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla)などの広汎な寒天原藻を指す漢語。『「石花菜」を「ミル」と訓ずるは、恐〔ら〕くは、非ならん』益軒先生、その通りです。]

大和本草卷之八 草之四 カヂメ(カジメ)

 

【和品】

カチメ 又サガラメト云海帶ニ似テ細ク狹シ皺アリホシタ

 ルヲキサミテ羹ニ加ヘレハ賤民ノ食也又此物竿頭

 ニ多クツケテ火災ヲケスニ用ユ火ニモヱズシテヨシアラメニ

 同シ

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

「カヂメ」 又、「サガラメ」と云ふ。海帶(アラメ)に似て、細く狹〔せば〕し。皺、あり。ほしたるを、きざみて、羹〔あつもの〕に加へれば、賤民の食なり。又、此物、竿〔の〕頭に多くつけて、火災をけすに用ゆ。火にもゑずして、よし。「アラメ」に同じ。

[やぶちゃん注:褐藻綱コンブ目レッソニア科 Lessoniaceae カジメ属カジメ Ecklonia cava。田中次郎著「日本の海藻 基本284」(二〇〇四年平凡社刊)によれば、属名は人名に因み、種小名は「空洞の」。『太平洋沿岸の中部から南部の水深』二~十メートルに『海中林をつくる代表種』で、『茎の上に』十五~二十『枚の帯状の葉が出る。葉はさらに分岐をする場合も多い、クロメ』(Ecklonia kurome)『に似るが』、『葉のしわはほとんどな』く、アラメ(Ecklonia bicyclis)『と同じような場所に生育するが、一般にカジメの方が水深は深く』、二~十メートルほど(アラメは五メートルぐらいまでで、カジメは茎部が枝分かれしないのに対してアラメは二分岐し、側葉の表面が波打たずに平滑である点などで異なる)。この二種が『同じ場所に生育する場合、混生することはあまりなく、水深ですみ分けている。寿命は場所によって異なるが』、四~六年とされる。『細く切って乾燥させ、佃煮や酢の物として食する』とある。ウィキの「カジメによれば、『地方によっては、浴槽に入れて入浴する「かじめ湯」という習慣がある』とあり、また、『九州北部では主に味噌汁などの汁物に入れて食される。アラメと比べ』、『分布範囲も水揚げ量も流通量も少なく、古くからヨードチンキなどの薬品の素材となって来た』ことから、『一般的にアラメよりカジメの方が高価である。アラメがカジメとして流通していることも多い。一方、アラメとカジメが完全に入れ替わっている例も多く、方言とも取れる。アラメに比べ』、『アルギン酸の含有率が高いため、汁物入れると』、『カジメの方がよく粘る。特に産地である九州北部では混同が多い』から、『食用として本来のカジメを求める場合は注意が必要である』とある。なお、消火用の「はたき」に用いることから、つい、「カジメ」の「カジ」は「火事」かと思いたくなるが、漢字表記は「搗布」であり、どうも語源は不詳としておいた方がよいようである。

「羹」「熱物(あつもの)」の意。魚や鳥の肉・野菜を入れた熱い吸い物。]

2018/05/28

大和本草卷之八 草之四 紫菜(アマノリ) (現在の板海苔原材料のノリ類)

 

紫菜 本草水菜類ニ載タリ海中石ニ付テ生ス靑色

 ナリ取テ乾セハ色紫ナリ又ホシテ色靑キモアリ味甘

 シ處々ニ多シ武州ノ淺草ノリ品川苔下總ノ葛西ノリ

 雲州ノ十六島モ皆紫菜ノ類ナリウツフルヒトハ海中ノ

 苔ヲトリ露ヲ打フルヒテホス故ニ名ツクト云コノ苔ノ名

 ニヨリテ其島ノ名ヲモウツフルヒト云凡此ノリ諸州有之

 地ニヨリテ形色少カハル紫菜ヲ食シテ腹痛スルニ熱醋

 ヲ少ノメバヨシト本草ニ見ヱタリ又河苔ハ水草門ニシルス

○やぶちゃんの書き下し文

「紫菜(アマノリ)」 「本草」は「水菜類」に載せたり。海中〔の〕石に付きて生ず。靑色なり。取りて乾かせば、色、紫なり。又、ほして、色、靑きもあり。味、甘し。處々に多し。武州の「淺草ノリ」・「品川苔〔(シナガハノリ)〕」、下總の「葛西〔(カサイ)〕ノリ」、雲州の「十六島(ウツフルヒ)」も皆、紫菜の類なり。「ウツフルヒ」とは海中の苔をとり、露を打ちふるひてほす故に名づくと云ふ。この苔の名によりて、其の島の名をも「うつふるひ」と云ふ。凡そ此の「ノリ」、諸州〔に〕之れ有り。地によりて、形・色、少しかはる。

紫菜を食して腹痛するに、熱〔き〕醋〔(す)〕を少のめばよし、と「本草」に見ゑたり。又、河苔〔(かはのり)〕は「水草門〔(すいさうもん)〕」にしるす。

[やぶちゃん注:以上の本文に挙げられている個別の「海苔類」の内、『武州の「淺草ノリ」』・「品川苔〔(シナガハノリ)〕」・『下總の「葛西〔(カサイ)〕ノリ」』は単に産地を被せた加工食品化したそれの名称であって、すべてが、

紅色植物門紅藻亜門ウシケノリ綱ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属アサクサノリ Pyropia tenera

である(しかし、悲しいかな、現在の当該地で絶滅(海域消失を含む)或いは殆んど見ることが出来ない絶滅危惧種である)。現行では一九六二年頃から、愛媛県西條市玉津で上記の変種である、

オオバアサクサノリ Pyropia tenera var. tamatsuensis

が、一九七〇年頃には千葉県袖ケ浦町奈良輪で、アサクサノリとは別種の、所謂、「岩海苔」系の、

アマノリ属スサビノリ(荒び海苔)Pyropia yezoensis

の品種、

アマノリ属ナラワスサビノリ(奈良輪荒び海苔)Pyropia yezoennsis form. narawaensis

が、何れも養殖漁業者の手で確立された(その結果として、これらの病気に強く育てやすい養殖品種が普及し、アサクサノリ野生種の養殖はされなくなって絶滅のスピードは急速化したわけでもある。東京湾湾奧での野生のアサクサノリはほぼ絶滅したと見られていたが、近年、多摩川河口域で少数が発見されてはいる)。また、他に、

アマノリ属オニアマノリ Porphyra dentata

も板海苔の原材料の主体となっている(別地域ではアサクサノリも少数養殖されてはいる)。

 但し、ここに出る『雲州の「十六島(ウツフルヒ)」ノリ』はそれらとは異なり、近縁種の「岩海苔」の一種である、

アマノリ属ウップルイノリ Porphyra pseudolinearis

である。なお、このウップルイノリは島根県出雲市島根半島十六島(うっぷるい)地区(島根半島西方の十六島湾沿岸を中心とした地域。ここ(グーグル・マップ・データ))で採れたことに由来する。(このウップルイノリを採って打ち振って日に乾す「打ち振り」が訛ったとする説を益軒はまことしやかに記すが、他の海藻類だとするならまだしも、この岩礁にへばり付いているウップルイノリは摘み採って「笊で水切りする」のであって、「打ち振っ」て採りタイプの海藻ではないから、私は信じ難い。現在も朝鮮語の古語で「多数の湾曲の多い入江」という意とする説、アイヌ語説(発音的にはそれらしい)、十六善神(じゅうろくぜんしん:四天王と十二神将とを合わせた計十六名の、「般若経」を守る夜叉神とされる護法善神のこと)信仰と関連するなど、諸説あるものの、定かでない。古くは「於豆振(おつふるひ)」と称したことは「出雲国風土記」で判る。

 宮下章は「ものと人間の文化史 11・海藻」(一九七四年法政大学出版局刊)の第二章「古代人の海藻」の「(二)海藻の漢名と和名」の「神仙藻(アマノリ) 紫菜(ムラサキノリ)」の項で、『現今われわれのいう「海苔(のり)」に対し』て、我々の『祖先は』それを『「アマノリ」と名づけていた。文字が渡来してから、その漢名は「神仙菜」「紫菜」であることがわか』り、『紫菜の漢字を訓読みするとムラサキノリとな』り、『隨唐文化に心酔していた奈良平安朝時代の支配階級は、本来の名称であるアマノリより、ムラサキノリの方を好んで使った。その習慣は実に約一千年にわたって根強く残り、明治時代までは公用文書には紫菜、ムラサキノリが用いられた』とある。しかし、『平安朝末期は、紫菜、神仙菜から甘海苔』(アマノリ)へと表記が『変わる過渡期で』、『その当時書かれた『宇津保物語』には紫菜と甘海苔の両文字が使われている。鎌倉期以降になると公用文書に紫菜が使われるほかは、通常には甘海苔がが使われだ』し、『さらにこれが江戸時代になると海苔に変わるのである』とある。また、『中国の唐代の書物を見ると「紫菜は海中では青いが、乾せば紫色になる」と無造作に断定している。確かに良質のノリは乾して抄』(す)『きあげれば、紫色は点々と耀くが、全体の感じは赤味がかった黒い艶をしていて紫色は強くはない。海中にある生ノリは、紅色だが多少は紫色がかって見えるのもある』。『もしも古代中国人が、この紫色を鋭敏にとらえて紫菜と名付けたのなら感嘆のほかはない。が、「乾せば紫色になる」との説明にもあるように』、『乾燥してからの紫色に眼を向けている。ノリは乾燥してのち』、『放置しておけば湿気を帯び、いわゆる「カゼヒキノリ」になり』、『紫変する』。『古代中国の首都の多くは大陸の奥深くにあった。新羅や山東半島(あるいは日本か)から送られたノリは、管理の知識の乏しい昔のことだから、日ならずして紫変してしまう(日本のようにノリの香を重んじない中国ではこれでも十分に味わえる)。実際に生ノリを見たことのない宮廷学者が、これをノリ本来の色と見て紫菜と名づけたのではなかろうか。いずれにしろ、紫菜という表現は、わが「アマノリ」にくらべれば、表面的、皮相的なものといえる』。『新鮮なノリほど、甘い芳香があり、噛みしめるほどに甘味の出てくるものだ。この醍醐味を適確にとらえた名称がアマノリである。二種の名は、大陸の奥地に都をおく国と、四面環海、豊かな海産を謳歌した国との、ノリに寄せる心情の差異が生み出したものといえよう』とすこぶる肯んぜられる海苔論を展開しておられる。

『「本草」は「水菜類」に載せたり』巻二十八の「菜之四」「水菜類六種」に以下のように載る。

   *

紫菜【「食療」。】

釋名紫、【音、軟。】。

集解【詵曰、「紫菜、生南海中附石。正靑色。取而乾之、則紫色。」。時珍曰、「閩越海邊悉有之。大葉而薄。彼人挼成餠狀、晒乾貨之。其色正紫。亦石衣之屬也。】

氣味甘寒、無毒【藏器曰、「多食令人腹痛、發氣吐白沫、飲熱醋少許、卽消。】

主治熱氣煩塞咽喉、煮汁飲之【孟詵】。病癭瘤脚氣者、宜食之【時珍。】。

發明【震亨曰、凡癭結積塊之疾、宜常食紫菜。乃鹹能軟堅之義。】。

   *

『河苔〔(かはのり)〕は水草門〔(すいさうもん)〕にしるす』本巻の前の方にある(但し、表記は「川苔」)。これは思うところあって、ここで電子化しておく。

   *

【和品】

川苔 川苔モ海苔ニ似タリ處々ニアリ冨士山ノ麓柴川

 ニ芝川苔あり冨士ノリトモ云日光苔ハ野州日光ノ川ニ

 生ス菊池苔ハ肥後ノ菊池川ヨリイヅ。ホシテ遠ニヲクル。ア

 マノリニ似タリ肥後水前寺苔ハ水前寺村ノ川ニ生ス乾

 シテ厚キ紙ノ如ナルヲ切テ水ニ浸シ用ユ此類諸州ニアリ

やぶちゃんの書き下し文

【和品】

「川苔(〔カハ〕ノリ)」 川苔も海苔〔(ウミノリ)〕に似たり。處々にあり。冨士山の麓、柴川に「芝川苔〔(シバカハノリ)〕」あり、「冨士ノリ」とも云ふ。「日光苔」は野州日光の川に生ず。「菊池苔」は肥後の菊池川より、いづ。ほして、遠くに、をくる。「アマノリ」に似たり。肥後「水前寺苔」は水前寺村の川に生ず。乾して厚き紙のごとくなるを、切りて水に浸し、用ゆ。此類、諸州にあり。

   *

こちらも注しておくと、「川苔」は純淡水性藻類の日本固有種、

緑藻植物門トレボウクシア藻綱 Trebouxiophyceaeカワノリ目カワノリ科カワノリ属カワノリ Prasiola japonica

で、ウィキの「カワノリによれば、『かつては緑藻綱アオサ目』Ulvales『に分類されていたが、系統学的な研究により』、近年、『トレボウクシア藻綱に分類が改められた』。『岐阜県や栃木県、熊本県などの河川に生息し、日本海側の河川からは発見されていない』。『渓流の岩石に着生して生活するが生息数は少なく』、『日本では絶滅危惧種に指定されている』。『アオサのような緑色のうすい葉状体を形成し、長さはおよそ』十~二十センチメートル。『主に無性生殖で繁殖するが、接合子をつくり』、『有性生殖する例も知られている』。『遊走子はもたない』。『夏から秋にかけて採集され、川海苔として食用にされる』。『産地の河川名を頭につけて呼ばれることもあり、大谷川のり、桂川のり、菊池のり』、『芝川のりなどと呼ばれる川海苔が存在する』とある。なお、勘違いしている人が多いので(誰も指摘しないが、正直、生物学的には商品名に問題があると私は思っている)、一言言っておくと、四万十川上流には本種も植生するが(流通はしない)、一般に市販されて目にする「四万十の川のり」として知られるものは、四万十川河口附近で採取される海産藻類である、

アオサ目アオサ科アオノリ属スジアオノリ Enteromorpha prolifera

であって、狭義のカワノリではない

「芝川」現在の静岡県富士宮市芝川付近を流れる。(グーグル・マップ・データ)。

「肥後の菊池川」熊本県を流れる。(グーグル・マップ・データ)。

『肥後「水前寺苔」は水前寺村の川に生ず』九州の一部だけに自生する食用の淡水産稀少藍藻類である、

藍藻綱クロオコッカス目クロオコッカス科スイゼンジノリ Aphanothece sacrum

のこと。茶褐色で不定形、単細胞の個体が寒天質の基質の中で群体を形成、郡体は成長すると川底から離れて水中を漂う。但し、現在も熊本県熊本市東区中央区江津にある上江津湖((グーグル・マップ・データ))に国天然記念物「スイゼンジノリ発生地」はあるものの、一九九七年以降、水質の悪化と水量の減少により、ここのスイゼンジノリはほぼ絶滅したと分析されている(現在、自生地としては福岡県朝倉市の黄金川一箇所のみ。附近(国土地理院地図))。本種は熊本市の水前寺成趣園の池で発見され、明治五(一八七二)年にオランダの植物学者スリンガー(Willem Frederik Reinier Suringar)によって世界に紹介された。因みにこの種小名sacrumは英語の“sacrifice”で「聖なる」を意味する。これは、彼がこの藍藻の棲息環境のあまりの清浄なさまに驚嘆して命名したものという。ただ、近年では人口養殖に成功し、食用に生産されている他、スイゼンジノリの細胞外マトリックス(Extracellular Matrix:生物細胞の外側を外皮のように覆うように存在している超分子構造体)に含まれる高分子化合物の硫酸多糖であるサクラン(Sacran:種小名に由来)が重量比で約六千百倍もの水分を吸収する性質を持つことから、保湿力を高めた化粧水に応用されたり、サクランが陽イオンとの結合によってゲル化するという性質を利用、スイゼンジノリを原料に生産したサクランを工場排水などに投入してレア・メタルを回収する研究などが行われているという(以上は主にウィキの「スイゼンジノリ」及びそのリンク先に拠った)。]

2018/05/27

大和本草卷之八 草之四 裙蔕菜(ワカメ)

 

【外】

裙蔕菜 食物本草載之和名抄曰ニキメ處々海中ニ

 多シ二月ニトル伊勢ノ海ニ産スルヲ好トス又紀州ノ賀多

 ニ産スルハ脆クシテ味ヨシ珍賞ス爲茹而食ス煮羹亦

 可也生ナルヲモ食ス又莖ヲモ食フ莖ハコトニ甘滑ナリ

 莖ノ傍ニツキテ厚ク耳ノ如クナルヲメミヽト云莖モメミヽモ

 羹トシ又鹽醬ニツケテ食ス○性寒味甘シ有虫積

 患腹痛人不可食或曰本草二十八卷ニ所載ノ石

 蓴是ナルヘシト云○生薑ト酢ニ和乄食ヘハ無腹痛之

 患ワカメヲ食テ腹痛スル者モ亦可食之

○やぶちゃんの書き下し文

【外】

「裙蔕菜(ワカメ)」 「食物本草」、之れを載す。「和名抄」に曰はく、『ニギメ』〔と〕。處々〔の〕海中に多し。二月にとる。伊勢の海に産するを好しとす。又、紀州の賀多〔(かた)〕に産するは、脆くして、味、よし。珍賞す。茹で爲〔(な)〕して食す。煮て羹〔(あつもの)〕と爲すも、亦、可なり。生なるをも、食す。又、莖をも食ふ。莖は、ことに甘〔く〕滑〔か〕なり。莖の傍〔ら〕につきて、厚く耳のごとくなるを「メミミ」と云ふ。莖も「メミミ」も羹とし、又、鹽〔(しほ)〕・醬〔(ひしほ)〕につけて、食す。

○性、寒。味、甘し。虫積〔(ちゆうしやく)〕有〔りて〕腹痛を患ふ人、食ふべからず。或いは曰はく、『「本草」二十八卷に所載の「石蓴」、是れなるべし』と云ふ。

○生薑〔(しやうが)〕と酢に和して食へば、腹痛の患ひ無し。ワカメを食ひて腹痛する者も亦、之れを食ふべし。

[やぶちゃん注:お馴染み、

褐藻綱コンブ目チガイソ科ワカメ属ワカメ Undaria pinnatifida

である。しかし、本邦には同属の非常によく似た、

アオワカメ Undaria peterseniana

ヒロメ Undaria undarioides

が植生し、孰れも食用であるから、これらもここに含めるべきであろう。なお、ワカメの生体は黄色或いは茶色である(湯通し処理した緑色のワカメの絵を海中にしばしば描くが、それが本種「ワカメ」ならば、それは大きな誤りである)が、このアオワカメ・ヒロメの二種は生体でも暗い青緑色に見える。これらは葉片が分かれず、ぺろんとしているから、容易に「ワカメ」とは区別は出来る(アオワカメ・ヒロメは、ヒロメの方は中肋がはっきりとしていることで識別でき、アオワカメよりもより暖海性である)。また、流通上では歯応えや味に違いがあることから、ワカメの北方品種で茎が長い

ナンブワカメ Undaria pinnatifida var. distans

と、南方型変種で、茎が短く、葉状部と胞子葉が繋がっている

ナルトワカメ Undaria pinnatifida f. narutensis(野生のそれは絶滅に近い)

の「ワカメ」の「三種」を区別しているらしいが、生物学の分類学上はこれを区別しない。但し、一部、参考にさせて戴いた鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌(Natural History of Algae and Protists)」のワカメのページによれば(コンマを読点に代えた)、二〇〇七年の研究で、『ミトコンドリアにコードされる cox3 遺伝子を用いた遺伝子解析の結果、ワカメ(Undaria pinnatidida)、ヒロメ(U. undarioides)、アオワカメ(U. peterseniana)は同種であると述べ』られており、一九七二年の報告では、交雑実験によって、この三『種はどの組み合わせでも雑種第一代(F1)を作ること、ワカメとヒロメでは雑種第二代(F2)まで作ること』が判っており、『自然界でもワカメとヒロメあるいはアオワカメとの雑種と考えられる個体がしばしば採集されており』、一九九八年の記載によれば、同属の種の一つとされてきた『Undaria crenata はワカメとアオワカメの雑種であると考えられて』おり、『これらの結果は、ワカメ、ヒロメ、アオワカメが生物学的に同種であることを強く示唆してい』る(太字下線はやぶちゃん)が、『ヒロメとアオワカメをワカメと呼ぶのは、ワカメ属(Undaria)の歴史的背景や』、三『種が一般的に広く浸透していることから難しいかもしれ』ないと述べておられる。本邦では海藻食は非常に古く且つ広く行われてきており、神饌・食膳に供するものとして、南北を問わず、極めて一般的であるが、世界的には逆にすこぶる限定的な食文化で、中国・朝鮮・インドネシアなどのアジアの一部と、アイルランドやフランス沿岸部のごく限られた一部地域でしか見られない。昆布と並ぶごく普通の海藻として子どもでさえ知っているワカメは、現在、しかも、タンカーなどのバラスト水によって遊走子が多量に、本来、植生していなかった地域に持ち込まれ、ニュージーランド・オーストラリア及びヨーロッパ諸国沿岸域で摂餌する天敵もなく、環境への適合が旺盛であることから、激しく増殖しており(オーストラリアの一部海域では他の海藻類を駆逐してしまいワカメだけが密生している惨状を映像で見た)、人為移入による強力な外来侵入生物、深刻な生態系破壊を惹起させる危険な種として問題になっている事実を知る日本人は少ない。これを私が人に説明すると、その中の多くの方が、必ず「なぜ、採って食べないのだろう?」と反問してくる。かつてペルーやイタリアに行った時、仲良くなった現地の子にお菓子を上げると、煎餅の海苔を黒い包装紙と思って剝して食べた。「一緒に食べると美味しい」と食べて見せても、彼らは信じず、やっと口にしても吐き出してしまった。梅干しや納豆とタメ張りで海苔は外国人には得体の知れぬ黒い紙かの中国であっても今も多くの人は海苔を食べたことがなかった。近年になって食されているのは、海苔に餅米を塗って揚げた「お菓子」としてである(韓国の『中央日報』日本語版のこの記事を参照)日本人はどこかで日本食が洗練された「美しい料理」だと誤認する傾向がある。私は鯨が好きだが(反捕鯨の思想は生物学的には殆んど正当な理由がない。ミンククジラは北極海で過剰に個体数が増えてしまっており、人為的な間引きが必要なことは鯨類学者でさえ提唱している)、犬は食いたいとは思わない(妻は中国派遣教師時代に中国東北部出身の教え子から振る舞われた赤犬を食べたことがあるが、非常に美味しかったそうである)。昆虫食(それでもイナゴ・ザザムシは食える)は勘弁だが、ホヤは大好物で上手く捌けるし、ユムシは美味いもんだ。こういう私を顰めツラで眺める日本人であるあなたも、西洋人からはおぞましいものを食べている人間と映っていることを忘れてはいけない

「裙蔕菜(ワカメ)」「裙」は「裳裾(もすそ)」の、「蔕」は「へた」である。これは中肋から左右に広がる大きな切れ込みを持った羽状の葉状部を前者に、その基部の根の上部の非常に厚くなった葉状部がぎゅっと縮まって折れ重なったようになっている、ここで後で言っている「メミミ」、現在、我々が「メカブ(和布蕪)」と呼んでいる箇所(ここには生殖細胞が集まっている)を「蔕」に喩えたものとして、非常に分かり易い漢字表記であり、現在も実はこの漢字表記は実際に使用されている。

「食物本草」明の汪穎(おうえい)の撰になる食療食養専門書。

「「和名抄」に曰はく、『ニギメ』〔と〕」宮下章「ものと人間の文化史 11・海藻」(一九七四年法政大学出版局刊)の第二章「古代人の海藻」の「(二)海藻の漢名と和名」の「藻(モ・ハ)」の項によると、源順の『和名抄が編』纂『されるより少なくとも二、三百年前から、古代日本の人々は「海藻」の文字に「ニギメ」(ワカメ)の和名を当てるという誤りをおかしてしまった』とする一方、諸海藻名の末尾に多く見られる「メ」は『布のほか「女」「芽」にも通』ずるとする。また、後の「海藻(ニギメ・ワカメ)」の項では、『和名抄は、唐書が藻類の総称とする「海藻」をニギメと読む誤りをおかしたが、反面で「和布」という和製文字を示してくれた。また、ニギメのほかに「ワカメ」という呼び方も示してくれた』とする。

 これは「和名類聚抄」で、

   *

海藻 本草云海藻味苦醎寒無毒【和名𨒛木米俗用和布】

○やぶちゃんの書き下し文

海藻 「本草」に云ふ「海藻」は、味、苦醎(くかん)にして寒。無毒【和名は「𨒛木米(にぎめ)」。俗に「和布(わかめ)」を用ふ。】

   *

(「醎」は「鹹」に同じい)と記すのを指す。

 引用に戻る。

『たとえば、延喜式では海藻をニギメ、和布をワカメ、万葉集では稚海藻をワカメ、和海藻をニギメと読ませている』。『ニギメとワカメとは別種でなく、ニギメの若芽がワカメである。古くから若芽が喜ばれたと見えて、中世に入るころには「ニギメ」は消えてしまう。「メ」は藻類の総称だが、「和布刈(めかり)」の神事や人麻呂の』(「万葉集」巻第七・一二二七番)、

 

磯に立ち沖邊(おきへ)を海藻刈舟(めかりぶね)海人(あま)漕ぎ出(づ)らし鴨(かも)翔(かけ)る見ゆ

 

などでは『ニギメの意味にも使われていた』。『ニギメは、古代人に最もよく親しまれた藻類であった。神饌にもよく用いられ、貢納される量も多く、上下の差を問わずよく食べられた。だからこそ「メ」の文字を独占できたのである』。以下、ワカメの価値が記されているが、そこまで引くと同条全部になってしまうので、どうぞ、同書をお読みあれかし。

「伊勢の海に産するを好しとす」伊勢志摩産として現在も健在。伊勢神宮への神饌としてのブランド性が強み。

「紀州の賀多〔(かた)〕」現在の三重県鳥羽市鳥羽に賀多(かた)神社があるが((グーグル・マップ・データ)、この附近か、ここは志摩国であるが、北西端で生き残っただけで、旧志摩国の大部分(紀伊半島南東沿岸)は紀伊国に戦国期に吸収されてしまったから、言い方としてはおかしくないか。

「羹〔(あつもの)〕」煮凝(にこご)り。

「醬〔(ひしほ)〕」大豆と小麦で作った麹(こうじ)に食塩水をまぜて造った味噌に似た食品。なめ味噌にしたり、調味料にしたりする。ひしお味噌。

「虫積〔(ちゆうしやく)〕」現代の漢方ではヒト感染性寄生虫による痛みを漢方で言うが、実際には、ヒト感染性寄生虫による症状で痛みが出ることは極めて稀れであるから(明治以前は多量の寄生虫感染によって痛みや「逆虫(さかむし)」という寄生虫を嘔吐するはあったが、しかしそれでも痛みを生ずることは寄生虫閉塞以外にはまず考えられないから、広汎な消化器系疾患をこう言っていると考えた方がよい。

『「本草」二十八卷に所載の「石蓴」』以下。

   *

石蓴【「拾遺」。】 校正【自草部移入此。】

集解藏器曰、「石蓴、生南海。附石而生似紫菜色靑。氣味甘平無毒。主治、下水利小便。」。藏器、「主風祕不通五膈氣幷臍下結氣。煮汁飮之。胡人、用治疳疾李珣。」。

   *

「ワカメを食ひて腹痛する者も亦、之れを食ふべし」益軒先生、これは対症療法としてもいただけません!]

大和本草卷之八 草之四 索麪苔(サウメンノリ) (ウミゾウメン)

 

【和品】

索麪苔 サウメンニ似テ長キ藻也色黑シ味甘乄美ナリ

 鹽ニツテ或灰ニ和シテホシ用ユ煮テ食ス或薑醋ニ浸シ

 食フ其漢名ト性ト未詳冷滑ノ物不益于人

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

「索麪苔(〔サウメン〕ノリ)」 「さうめん」に似て、長き藻なり。色、黑し。味、甘くして、美なり。鹽につけて、或いは灰に和して、ほし、用ゆ。煮て食す。或いは薑醋〔)しやうがず)〕に浸し、食ふ。其の漢名と性〔(しやう)〕と、未だ詳かならず。冷滑〔(れいかつ)〕の物、人に益せず。

[やぶちゃん注:和名及び様態と処理法から、

紅藻綱ウミゾウメン(海素麺)目ウミゾウメン亜目ベニモヅク科ウミゾウメン属ウミゾウメン Nemalion vermiculars(本邦では今一種、ウミゾウメン属ツクモノリNemalion multifidum も植生するが、以下はウミゾウメンを記述する)

と同定する。主に田中次郎著「日本の海藻 基本284」(二〇〇四年平凡社刊)によれば、学名は属名「Nemalion」が「糸のような」、種小名「vermiculars」が「回虫の形をした」。日本各地の潮間帯中部の岩礁域に生え、長さは十~十五センチメートル(但し、諸本記載では二十センチメートル程度ともある)、太さ(付着部下部も藻体上部もあまり変わらずに伸びる)二~三ミリメートル。『岩上に数十本が並ぶ様はまさしく太いそうめんである。ただし』、『乾燥すると干そうめんのように細くなる』。『分岐しない円柱状のからだをも』ち、『粘液質で』、『大変』、『ぬるぬるする』。『生品は熱湯をかけて、乾燥品は水にもどして、二倍酢、酢味噌、味噌汁にして食する』(私は味噌汁が好きである)。「ぼうずコンニャクの市場魚介図鑑」の「ウミゾウメン」によれば、『晩春~夏にかけて日本海沿岸でとれて、生もしくは塩漬けで出回る。乾物もあるが』、『あまり見かける機会はない』。『表面がぬめっとして軟らかく、海藻らしい風味もある。吸物や酢のものなどにして食べると非常に美味』とし、別に『そのまま生で食べる。また』、『湯に通すと青くなるが』、『火を通しすぎると』、『ネバリが出る』とあり、『太くてぬるぬるするものが新しく』、『美味しい』。『ゆでてもあまり色は変わらない』とある。宮下章氏の「ものと人間の文化史 11・海藻」(一九七四年法政大学出版局刊)には、『青萌黄色で美しい』とあり(陸に上がっているものや標本は褐色に見える場合が多いが、藻体の一部や状態によっては全体が鶯色に見える)、食用には『熱湯をそそ』ぐことを処理としている。『保存法としては、灰乾、素乾、塩蔵があ』り、ミル(緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミルCodium fragile)『と同様に九州の北部、山陰地方でよく食べる。採取期は春いっぱい』で、『江戸の昔はこれを桶に盛り、塩を入れ、四方に売り歩いたという』とある。

「冷滑〔(れいかつ)〕の物、人に益せず」というのは現在も生食もするから不審である。「心太(ココロフト=トコロテン)の項で示したような、近年、問題となっているプロスタグランジンE2由来の重い中毒機序や、猛毒アプリシアトキシンaplysiatoxin 中毒のことを言っているとはとても思われない。本種にプロスタグランジンE2が含まれているかどうかも不明だし(リンク先の私の注を読んで戴くと判るが、プロスタグランジンE2自体が有毒なのではない)、アプリシアトキシンaplysiatoxin 中毒の可能性は現在でも、あったとしても、非常に稀れであると考えられている。そもそもが、それらの重い中毒症状(孰れも死亡例あり)を指しているとすれば、「人に益せず」(人に有益な効果を齎さない)などというなまっちょろい書き方はしない。或いは、中国の本草書に載らないことから(実際、学名で中文で検索を掛けても引っ掛からないので、中国では本種は一般的に知られていないようではある。同属が植生しないことはないと思うのだが?)、万一のことを考え、益軒は火を通さないものは警戒すべしと、単に注意書きしたものかも知れぬ。今一つ私が考えたのは、別な「海素麺」の誤食である。腹足綱異鰓上目後鰓目無楯亜目アメフラシ科アメフラシ属アメフラシ Aplysia kurodai やその近縁種の卵塊は(梅雨時期の岩礁帯の浅瀬などでしばしば見られる)、黄色やオレンジ色を呈して細長い素麺のような塊状を呈することから、広く全く同じく「海素麺(うみぞうめん)」と呼ばれている。しかし、これには弱毒性が認められており、食べると、下痢を起こすことがある。但し、色が鮮やか過ぎるし(その色だけで私は食う気がしない。試しにちょっとだけ生食してみたことはあるのだが、まずい)、塊りという形状が全く異なり、真正の海藻のウミゾウメンと誤認することは真正のウミゾウメンを知っている者にはあり得ない。ただ、私はしばしば海岸観察の途中でこれを見つけ、同行者にアメフラシの卵だと示し、通称「うみぞうめん」と言うことを伝えると、全員、最初の質問は「食べられる?」という問いであったことも事実ではある。

2018/05/17

大和本草卷之八 草之四 昆布 (コンブ類)

 

昆布 奥州松前エゾナトノ海中有之石ニツキテ生ス長

 數丈水上ニ浮フ是ヲ以家ヲフク傳ヘテ若狹ニイタリ市

 人コシラヘウル若狹昆布ト云名産トス若狹ノ海ニハ生

 セス京都ノ市ニ昆布ヲ刻ミウル者多シ細麤アリ細ク切

 ル事金絲烟ノコトクナルアリ凡昆布ヲ煮ルハ銅鍋ヨシ

 鐡ナヘヲ用ユヘカラス楊梅瘡ヲ患ル者昆布ヲ食スレハ

 面ニ瘡生セスト云

○やぶちゃんの書き下し文

「昆布」 奥州松前・エゾなどの海中に之れ有り。石につきて生ず。長さ、數丈。水上に浮かぶ。是れを以つて、家を、ふく。傳へて、若狹にいたり、市人〔(いちびと)〕、こしらへ、うる。「若狹昆布」と云ひ、名産とす〔るも〕、若狹の海には生ぜず。京都の市に昆布を刻み、うる者、多し。細麤〔(さいそ)〕あり。細く切る事、金絲烟(きざみたばこ)のごとくなるあり。凡そ、昆布を煮るは、銅鍋、よし。鐡なべを用ゆべからず。『楊梅瘡〔(ようばいさう)〕を患へる者、昆布を食ずれば、面〔(つら)〕に、瘡〔(かさ)〕生ぜず』と云ふ。

[やぶちゃん注:「昆布」は不等毛植物門褐藻綱コンブ目コンブ科 Laminariaceae に属する多数のコンブ類の総称である。ウィキの「コンブ」を見ると、我々が、普段、食する馴染みのコンブ類は以下を記載する。

マコンブ(真昆布) Saccharina japonica

オニコンブ(羅臼昆布) Saccharina diabolica var. diabolica

リシリコンブ(利尻昆布) Saccharina ochotensis var. ochotensis

ホソメコンブ(細目昆布) Saccharina religiosa var. religiosa

ミツイシコンブ(三石昆布=日高昆布) Saccharina angustata

ナガコンブ(長昆布=浜中昆布) Saccharina longissima

ガッガラコンブ(厚葉昆布)Saccharina coriacea

ネコアシコンブ(猫足昆布) Arthrothamnus bifidus

ガゴメコンブ(籠目昆布) Saccharina sculpera(シノニム:Saccharina crassifoliaKjellmaniella crassifolia

ところが、別なコンブの学術論文をみると、これら上記の馴染みのコンブ類の学名を、総て Laminaria とするものを見出す(例えば、川井唯史・四ツ倉典滋「北海道産コンブ属植物の系統分類の現状リシリコンブを中心に(PDFファイル)。マコンブは Laminaria japonica と記載する)。ウィキもよく見ると、以上には概ね「コンブ属」という和名を併記してあり、この辺の分類は確定していないことが分かる。なおこの属名 Saccharina(サッカリナ)はサッカリン(saccharin:但し、これは完全な化学合成による人工甘味料の一つ)と同じで、「砂糖」の意のラテン語“saccharum”由来で、コンブのグルタミンの持つ甘みに由来するものであろうかと思われる。

「數丈」一丈は三・〇三メートル。私の「數」の感覚での一般的不定値は六掛けであるので十八・一八メートルであるが、上記の本邦産コンブ類の中で藻体が最大になるのは、名にし負う「ナガコンブ」で、標準は五メートル程度であるが、最大個体では二十メートルを超すものもあるので、これは誇張とは言えない。世界的には実に五十メートル以上にもなる英名の「ジャイアント・ケルプ」(Giant Kelp)で知られた、コンブ科オオウキモ(大浮藻)属オオウキモ Macrocsytis pyrifera が、コンブ科どころか、既知の藻類の中では最大種とされるが、これはアラスカ半島からカリフォルニア湾にかけての北東太平洋や南半球の高緯度地域に植生するもので、本邦の海域では見られないし、ジャイアント・ケルプそれ自体は近年まで食用に供されることはなかった(恐らく硬い)が、アメリカを中心に同種に含まれる食物繊維の一種アルギン酸(Alginic acid:褐藻類などに含まれる多糖類)がサプリメントなどの材料として持て囃されるようになって乱獲が始まり、沿岸海域の埋立てや水質汚染・海水温上昇などと相俟ってアメリカ沿岸のオオウキモは激減している(ここは主にウィキの「オオウキモ」に拠った)。なお、嘗ての私は、常時、五種類以上のコンブを用意し、それをそのまましゃぶるのを至福としていた昆布フリークである。今も三種はある。

「是れを以つて、家を、ふく」いろいろ調べて見たが、奥州北端や旧蝦夷地で屋根を葺くために昆布を用いていた事例を探し得なかったが、十分にあり得ることと思う。コンブではなく海産顕花性植物の海草であるが、王嶺・坪郷英彦共著になる論文「中国山東省膠東地域海草屋の技術文化研究」(PDFでダウン・ロード可能)によれば、山東省沿岸地域(膠東(こうとう)。ここ(グーグル・マップ・データ))では民家の屋根に海草類である、被子植物門単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科アマモ属アマモ Zostera marina(九州から北海道の内湾に植生)・スゲアマモ Zostera caespitosa(同じく北海道・本州北部及び中部)・エビアマモ Phyllospadix japonicus(本州中部・西部)などを用いて屋根を葺いているからである。同論文によれば、『海草屋は冬は暖かく、夏に涼しいという特徴』があり、それらが含む海水の「にがり」成分の効果で、『海草と黄泥で固めてある屋根は』百『年たっても腐乱せず、耐久性にも優れている』上、『海草は燃えにくいので、火事にも強いという』利点から、『威海市では、元・明・清時代には海草屋が最も盛んに作られたとされ』、一九四九年(昭和二十四年相当)『以前は、山東省沿岸部の青島地区、煙台地区、威海地区の農村と漁村の主な住宅の屋根形式であった』(各地域は先のグーグル・マップ・データを拡大すると、山東半島の主要地区にあることが判る)とあるからである。また、「人民網日本語版」の『世にも珍しい中国の「海藻の家」を訪ねて 山東省』でも、現在も立派な住居として実際にそれが使われていることが写真で判る。そこには、『海藻の家は主に山東半島東端にある栄成沿岸一帯の漁村に点在しており、強い地域特性を備えた珍しい中国の伝統家屋である。海藻の家は天然石の塊で壁を築き、近海で生育した海藻で屋根をふいている。また、雨風を凌ぐことができるほか、保温、断熱、防腐、防虫に優れ』、百『年の間、耐久可能だ。今や、栄成市で現存している海藻の家の数は限られており、中でも最古の家は数百年の歴史を持ち、すでに修復保存作業を開始している』。『大勢の村民はボロボロになった海藻の家の修繕にとりかかり、古い家にエアコンなどの電化製品を装備したり、また古い家の部屋にカラオケなどの娯楽設備を設置したりしている』。『観光客は海藻の家の床暖房の上で眠ったり』して、『山東半島東部の小さな漁村で』、『独特な冬の風情を堪能することができる』(中国新聞網伝)とあるのである。昆布もまた然りであろう! 素敵な海草屋の写真が必見! 行って見たくなった!

「若狹昆布」若狭国小浜(おばま)で加工された昆布。小浜は中世以来、近世には北廻り回船による、北海道の宇須岸(うすけし:現在の函館)との間の商船の往来があり、北海道産の「宇賀昆布」(宇賀は室町時代の函館の外海の汐首岬周辺の古称)「蝦夷昆布」がここに運ばれ、小浜で加工されて「若狭昆布」の名で全国に販売された。

「京都の市に昆布を刻み、うる者、多し」所持する宮下章氏の「ものと人間の文化史 11・海藻」によれば、『コンブの需要は、室町末期までは普遍的ではなく、京の都とその周辺に集中していた。その後』、『大坂、堺の町が発展すると、広く近畿地方一帯に拡がってい』き、『京は消費地であると同時に集散地として』、室町時代からコンブを取扱品目としていたという』松前屋などの『コンブ商や加工業者が多く現われる』ことになったのである、とある。

「細麤〔(さいそ)〕」「麤」は「肌理(きめ)が粗い」ことを意味する。

「金絲烟(きざみたばこ)」刻み煙草(莨:たばこ)。

「昆布を煮るは、銅鍋、よし。鐡なべを用ゆべからず」それぞれのイオンに関係するもので、鉄イオンは昆布の成分とは反応せずに発色をしないらしく、実際、昆布を銅鍋で煮ると、色良く仕上がると、現在の昆布製造者の記載にもある。

「楊梅瘡〔(ようばいさう)〕」梅毒の古名。]

2018/05/15

大和本草卷之八 草之四 龍鬚菜 (シラモ)

 

【外】

龍鬚菜 王氏彙苑曰生海中石上莖如繒長僅尺

 許色始靑居人取之沃於水乃白又名繒菜人頗

 珍之今按備前ニ白藻アリ細絲ノ如ニシテ靑白水ニ

 浸セハ白クナル煮食シ或水ニヒタシスミソニテ食ス潔白ナリ

 若水曰又北土及他州ニモ有之ソウナト云

○やぶちゃんの書き下し文

【外】

「龍鬚菜(シラモ)」 「王氏彙苑」に曰はく、『海中の石の上に生ず。莖、繒(きぬいと)のごとく、長さ僅かに尺許〔(ばか)〕り。色、始め靑し。居人、之れを取り、水に沃(そゝ)げば、乃ち白し。又、「繒菜(ソウナ)」と名づく。人、頗〔(すこぶ)〕る之れを珍とす』〔と〕。今、按ずるに、備前に「白藻(シラモ)」あり。細き絲のごとくにして靑白。水に浸せば、白くなる。煮て食し、或いは水にひたし、すみそにて食す。潔白なり。若水〔(じやくすい)〕曰はく、『又、北土及び他州にも之れ有り、「ソウナ」と云ふ』〔と〕。

[やぶちゃん注:最近まで、本種は紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属シラモGracilaria bursa-pastoris(属名はラテン語「gracilis」(「細い」の意)由来。種小名は「bursa」が「袋」で、「-pastoris」が「羊飼いの」の意)とされてきたが、鈴木雅大サイト「生きもの好きの語る自然誌(Natural History of Algae and Protists)」ページに、『本種はこれまで地中海をタイプ産地とするGracilaria bursa-pastorisと同定されてき』たが、二〇〇八年の研究論文によれば、『日本と韓国』当該種『として報告されてきた種は』、『果皮の細胞の形態とrbcL遺伝子を用いた系統解析の結果から』、『ハワイをタイプ産地とする』、

紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属シラモ Gracilaria parvispora

に相当することが判明した、とあるので、それで示した(当該ページでは上位タクソンが細かに、紅藻植物亜界 Subkingdom Rhodobionta紅藻植物門 Phylum Rhodophyta 紅藻植物亜門 Subphylum Rhodophytina 真正紅藻綱 Class Florideophyceae マサゴシバリ亜綱 Subclass Rhodymeniophycidae オゴノリ目 Order Gracilariales と示されてある)。本種は、水によく溶けて粘性が高いことから食品用の糊料・安定剤・乳化剤として広汎に利用されているカラギーナン(carrageenan)精製の原藻としてよく知られる(なお、英名は、この成分の利用がアイルランドのカラギーン(Carrageen)村で始まり、各国に広まったことに由来する)。現在でも、茹でて、刺身のツマにしたり、酢味噌和えで食されている。但し、「心太(ココロフト=トコロテン)の項で示した通り、オゴノリ類の中毒死亡例が複数あること、それを説明するとされる、prostaglandin E2(プロスタグランジンE2)摂取に始まる人体内機序とは別に、ハワイで発生したオゴノリ食中毒の要因研究の過程では、その原因の一つにPGE2過剰等ではなく、アプリシアトキシンaplysiatoxinという消化管出血を引き起こす自然毒の存在が浮かび上がってきている。これは単細胞藻類である真正細菌 Bacteria 藍色植物門Cyanophyta の藍藻(シアノバクテリアCyanobacteria)が細胞内で生産する猛毒成分である。即ち、本邦の死亡例も、オゴノリに該当アプリシアトキシンを生成蓄積した藍藻がたまたま付着しており、オゴノリと一緒に摂取してしまった、とも考えられるのである以上、本種の種がアプリシアトキシン中毒例のあるオゴノリ属に含まれるかも知れない(そうでなくても「たまたま付着」は同種である条件を必要としない)、ハワイ産種に切り替えられた点と合わせて、別に、本種への安全神話がやや揺らいでくる観は否めない気はするのである。

「龍鬚菜(シラモ)」通常の漢字表記は「白藻」であるが、先の鈴木氏の記載にも『龍髭菜』とあるので、現在でも生きている。

「王氏彙苑」「彙書詳註」の別題。全三十六巻。恐らくは、明代の政治家で学者であった王世貞(一五二六年~一五九〇年)の著になる類書ではないかと思われる。

「繒(きぬいと)」(音「ソウ・ショウ」)圧織りの絹布。また、広く絹織物の総称。

「居人」そこに住む土着の民の謂いか。

「若水〔(じやくすい)〕」医師・本草学者・儒学者であった稲生若水(いのうじゃくすい 明暦元(一六五五)年~正徳五(一七一五)年)のことか。「若水」は号。益軒より二十五歳も年少であるが、没しているのは益軒死去の翌年である。ウィキの「稲生若水によれば、『父は淀藩の御典医稲生恒軒、本名は稲生正治。江戸の淀藩の屋敷で若水は生まれた』。『医学を父から学んだ。その後、本草学を大坂の本草学者福山徳潤に学び、京都の儒学者伊藤仁斎から古義学派の儒学を学んだ』。『元禄のころになると、彼の学識は広く知られるところとなり、学問、教育に熱心であった加賀金沢藩主前田綱紀も彼の名声を知り』、元禄六(一六九三)年に『彼を儒者として召抱えられることとなった』。『その際、彼は姓を中国風の一字で稲と称した。前田綱紀に「物類考」の編纂を申し出て採用され、当時における本草学のバイブルであった「本草綱目」を補う博物書である「庶物類纂」の編纂の下命を得た。そのため、彼は隔年詰』(づめ)『という』、『一年おきに金沢で出仕する特別待遇を与えられた。彼はその知遇に応えるべく』、『京都で研究に努め、支那の典籍』百七十四『種に記載されている動植物関係の記述を広く収集し、統合や整理、分類を施して』、元禄一〇(一六九七)年に『執筆を始め』三百六十二巻を書き上げて、『京都の北大路の家で死去した』。『後に八代将軍徳川吉宗の下命で、若水の子、稲生新助や弟子の丹羽正伯らが』六百三十八『巻を書き上げて、計』一千『巻にわたる大著が完成した。稲生若水は漢方、薬物などを中心とした本草学に、動植物全体を対象とする博物学への方向性を備えさせたといえる』とある。益軒は実は壮年の頃に京に遊学しただけで、その生涯の殆んどを福岡藩で送った。従って、この話も若水から書簡で得た情報であろうと推定される。

「ソウナ」「惣菜」ではあまりに芸がない。海藻で惣菜に使い勝手のよい「藻菜」ぐらいにしておこう。]

2018/05/11

大和本草卷之八 草之四 海藻類 海苔(アヲノリ)

 

【外】

海苔 綠色如亂絲生海泥中閩書出タリ

○やぶちゃんの書き下し文

【外】

「海苔(アヲノリ)」 綠色。亂〔るる〕絲のごとし。海泥の中に生ず。「閩書〔(びんしよ)〕」に出でたり。

[やぶちゃん注:本電子化の最初の私の注で記しているが、そろそろ再掲しておくと、この「外」というのは、本書が主に拠るところの李時珍の「本草綱目」には載せないが、「外」(ほか)の中国の本草書には載る種(対象物)という謂いである。

 さて、「海苔(アヲノリ)」という和名の種は存在しない(アオノリ属という属名としてはかつては存在し、現在でも使用されており、人によっては旧アオノリ属とも、アオサ属のシノニムとする場合もある。しかしどうも今もあるとした方がいいような気がする。後述する)。「あおのり」は「青海苔」で、日本に於いて食用として利用される数種類(科レベルで異なる)の海藻の総称である。但し、短いながら、ここに書かれた、藻体が全体に緑色を呈し、乱れた糸のような形状をなす、海の泥が混じったような浅瀬(河口附近とも読める。とすれば、汽水域でも植生出来る海藻と読める)に植生する海藻としての「青海苔」となると、これはもう、

緑藻植物門アオサ藻綱アオサ目アオサ科Ulvaceae のアオサ属スジアオノリUlva prolifera(以上はBISMaLBiological Information System for Marine Lifeったが、前に述べた通り、アオノリ属スジアオノリ Enteromorpha prolifera はシノニムとされる。しかし問題がある。後述)

である。田中次郎著「日本の海藻 基本284」(二〇〇四年平凡社刊)によれば(なお、田中先生は、Enteromorpha proliferaで記載されておられ、先生は同じ仲間のウスバアオノリ(Enteromorpha linza)の記載で、『以前はアオサ属に所属していたが、藻体の基部が管状なのでアオノリ属とされる』という記述が出てくる。これは寧ろ、アオノリ属は旧なのではなく、新たにアオノリ属が提唱されたと読める。或いはアイソザイムやDNA解析で十四年間のうちに元に復してアオサ属に戻されたのか? ちょっと不思議である)日本各地に分布し、生育場所は『潮間帯の岩や海藻の上』で、藻体の長さは十~三十センチメートル、幅は〇・五~一センチメートル。『河口付近の淡水が混じる海域に生育することが多』く、『直径や長さ、枝分かれの数など』、『個体ごとの形態の変異が大きい。ボウアオノリ』(Ulva intestinalis)『に似るが、藻体全体、とくに下部からの小枝が多く出ていることが識別点である』。『本種はアオノリのなかでも最も美味とされ、食用として重要種である。徳島県吉野川や高知県四万十川での養殖が有名である』とある。

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。]

2018/05/10

脳性痙攣薬服用中止記念 大和本草卷之八 草之四 海藻類 心太 (ココロフト=トコロテン)

 

【外】

心太 心太ハ國俗ノ所稱之名也コヽロハコヾル也フトノ反ハホ

 ナリホトモト通スコヽルモナリ閩書云石花菜生海石上

 性寒夏月煮之成凍今按ニ是心太ナルヘシ但綱目ノ

 石花菜ヲ説ケルハ異リ今心太ヲ國俗トコロテント稱ス

 蠻語ノ如シ煮テ凍ルモノ也細ニサキテ麪條ノ如ニシテ食ス

 性寒病人虛人不可食庭訓ニ西山ノ心太ト云シハ昔

 嵯峩邊ニコレヲ製シテ賣シカ名物ナリシニヤ○海髮順

 和名抄ニノセタリ是亦心太ノ類煮テ凍トシ食ス毒ア

 リ往々殺人不可食又ウケウトヽ云物アリ紫色ナリ

 一種別種ナリ是等漢名未詳非佳品不可食

○やぶちゃんの書き下し文

【外】

「心太(〔ココロ〕フト)」 心太は國俗の稱する所の名なり。「ココロ」は「こごる」なり。「フト」の反は、「ホ」なり。「ホ」と「モ」と通ず。『こごる「モ」』なり。「閩書〔(びんしよ)〕」に云はく、『石花菜は海石の上に生ず。性、寒。夏月、之れを煮て凍(こほり)と成す』〔と〕。今、按ずるに、是れ、心太なるべし。但し、「綱目」の「石花菜」を説ける〔と〕は異〔(い)な〕り。今、心太を、國俗、「トコロテン」と稱す。蠻語のごとし。「煮て凍るもの」なり。細かにさきて、麪條(きりむぎ)のごとくにして食す。性、寒。病人・虛人、食すべからず。「庭訓〔(ていきん)〕」に『西山の心太』と云ひしは、昔、嵯峩〔(さが)〕邊〔(あたり)〕に、これを製して賣しが、名物なりしにや。

○「海髮(イギス)」、順が「和名抄」に、のせたり。是れ亦、心太の類。煮て凍とし、食す。毒あり、往々、人を殺す。食ふべからず。又、「ウケウト」と云ふ物、あり。紫色なり。一種、別種なり。是等、漢名、未だ詳かならず。佳品に非ず、食ふべからず。

[やぶちゃん注:最初は現在の加工食品である「心太(ところてん)」であるが、本「大和本草」の書式から考えると、これを益軒は特定の藻類を指す語として強引に分析しようとしているようで、その結果として袋小路に入ってしまった観がある。そもそもが、「ところてん」の原料は単一種ではない。天草(テングサ)類(紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae の総称であり、テングサという種は存在しない)やオゴノリ(於胡苔)類(紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科Gracilariaceae 或いはオゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla)などの広汎な寒天原藻である紅藻類を茹でて煮溶かし、そこに生じた寒天質を冷まして固めたものを「ところてん」、それを戸外で凍結乾燥させたものを「寒天」と呼ぶ。テングサ類などの食用海藻類は古くは「こるもは」(「凝(こ)る藻葉(もは)」て、水中に生える草を指す「藻」の古名。既に祝詞の中に出ており、それは「靑海(あをみ)の原」「の邊(へ)つ」「に住む物」とあるかから海産藻類の本種群を既にして限定していたと考えてよい)或いは「こころふと(心太)」と称した。小学館「日本大百科全書」には、これから製した食品「ところてん」も、初めは「こころふと」であったのが、「こころてい」「こころてん」「ところてん」に転訛したものであろうといわれていると記す。但し、ウィキの「ところてん」では、その説を示した後で、『古くは正倉院の書物中に』「心天」『と記されていることから』、『奈良時代にはすでに』、「こころてん」又は「ところてん」と『呼ばれていたようである』ともあって読者を惑わす。

 「その程度なら知ってるよ」とうそぶく方のために(言っておくが、私はネットから引いても、私のフリークな対象については、必ず、所蔵する書籍や論文で確認をとっている。ただのサンピンのコピー・ペースターなんぞでは、ない)それでは、所持する一九七四年法政大学出版局刊の、食物文化史を研究されてきた宮下章氏の著になる「ものと人間の文化史 11・海藻」の『大凝菜(オオゴルモハ) 凝海藻(コルモハ)』から引用しておこう(以下の太字はやぶちゃん)。大凝菜(オオゴルモハ)は概ね「テングサ」類では最も一般的な種テングサ科テングサ属マクサ Gelidium elegans を指し、凝海藻(コルモハ)は「延喜式」に出るが、これは大凝菜より小型で、トコロテンの材料として貴重なものとされた、後でも出る「海髮(イギス)」、紅藻綱イギス目イギス科イギス連イギス属イギス Ceramium kondoi 指すと考えてよい。『晒して煮ればどろどろに溶け、後に凝結する。つまり凝(こご)る藻(もは)だから、「コルモハ」の語が生まれた。ただし』、この「コルモハ」という音は『「凝海藻」の漢字を』当時の訓で詠んだ『ものであって』、その当時の本当の『和名は明らかではない』(民間では別にあったはずである)。『この製品を「心太(こころぶと)」といったが、「心(こころ)」は「凝(ここ)る」が転訛したもので、やはり日本名ではなかった』とあり、さらに『おそらく仏教の伝来』(五三八年(宣化天皇三年))と同時に、『精進料理の導入にともなってトコロテン製法が伝えられ、その主原料が凝海藻または大凝菜であることを教えられたのであろう。そこから』「コゴルモハ」『の日本名が生まれ、その製品を』「ココロフト」『と呼び』「心太」『の字を宛てたものとみられる』とされる。『「太」の字が問題だが、これについては』、「小」凝菜(先に示した種としての「イギス」)に対する「大」凝菜の『製品だからという説が多い(小凝菜は葉が細いが、大凝菜は葉体がやや多い)』。「太」という字は『呉音では「テイ」と読む』ことから、「ココロフト」が「ココロテイ」に『変る(中世には両方が使われた)、さらに江戸期になると、トコロテンに変わるのである』とある。『トコロテンの名称が定着した後世、海藻名の方は、大凝菜がすたれて「石花菜」という別の漢字に変わる』。花を咲かせたような珊瑚と似て『見えるところから付けられた文字である。この文字にはトコロテンの原草の意味で「テングサ」があたえられた、が、こ唸ったのは古代から数百年を経てののちのこと』だったのである。

 因みに、テングサ科 Gelidiaceae の中でも「ところてん」原藻としての糊分の多い順では(田中次郎著「日本の海藻 基本284」(二〇〇四年平凡社刊)に拠る)、

テングサ属オニクサ(鬼草)Gelidium japonicum(これだけを素材として煮出すと非常に固い寒天が出来る)

同属オオブサ(大房)Gelidium pacificum(生殖器官を附けた枝が房状になるのが一番の特徴で、和名もそれに由来するのであるが、時期的にそれがないと、マクサなどとの区別は難しい。藻体はマクサよりやや固く、大型になり、小枝が枝の一個所から纏まって生えることなどが識別のヒントにはなるようである)

同属マクサ(真草)Gelidium elegans(「テングサ」類では本種が最も一般的な種。「真草」の「真」はそれを意味していよう)

ユイキリ属ユイキリ(結切)Acanthopeltis japonica(別名「トリノアシ」。本種の枝状部が鶏の脚の脛(すね)に似ていることに由来する。寒天原藻であるが、他に比べると品質が劣る)

ヒラクサ属ヒラクサ(平草)Ptilophora subcostata(高さ二十~三十センチメートル、枝幅五ミリメートルあり、「テングサ」類中、最も大きくなる。藻体の質がかなり硬い)

であるが、実は本邦にはテングサ属 Gelidium だけでも十六種が知られている

 

『「フト」の反は、「ホ」なり』。「反」は漢字の音を表わす反切(はんせつ)法(漢字二文字で当該漢字の音を表わす方法)のことであろうが、「太」の反切は「廣韻」では「他蓋切」で「ホ」ではないし、以下の『「ホ」と「モ」と通ず』も判ったようで判らない。ハ行とマ行の同じオ段だなんて判ったようなことを言って、転訛し易いなんて安易千万なことを言うんじゃないだろうな?

『こごる「モ」』既に示した通り、煮ることで「煮凝る藻」の意である。

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

『「綱目」の「石花菜」を説ける〔と〕は異〔(い)な〕り』李時珍の「本草綱目」の巻二十八の「菜之四 水菜類」に、

   *

石花菜【食鑑】

釋名璚枝【時珍曰並以形名也】

集解【時珍曰石花菜生南海沙石間高二三寸狀如珊瑚有紅白二色枝上有細齒以沸湯泡去砂屑沃以薑醋食之甚脆其根埋沙中可再生枝也一種稍粗而似雞爪者謂之雞脚菜味更佳二物久浸皆化成膠凍也郭璞海賦所謂水物則玉珧海月土肉石華卽此物也】

氣味甘鹹大寒滑無毒主治去上焦浮熱發下部虛寒【寗原】

   *

とある。益軒はこれは「閩書」のトコロテン原藻の記載とは異なっているとするのであるが、そうだろうか? 私は全く以って「天草」類の記述だと思うぞ! 「一種稍粗而似雞爪者謂之雞脚菜」なんて、モロに別名「トリノアシ」のユイキリ属ユイキリじゃあないか! 益軒先生、私は大いに反論致します!!!

「蠻語のごとし」未開僻地の土人の語のようである(が、しかし)、「煮て凍るもの」の転訛した語なのである、と言いたいようである。

「麪條(きりむぎ)」漢語としては「麺」に同じい。「きりむぎ」は「むぎきり」(麥切(麦切り))で、大麦の粉を練って延ばし、短い饂飩(うどん)のように切ったもの。まあ、ウドンである。しかし、形状や食感から言えば、「葛切り」の方が遙かに近いと思うのだが。葛切りは当時でも高級食だから、無理ないか。

「虛人」虚証の激しい状態、体温が低下した衰弱傾向にある人。

「庭訓」室町時代の往来物(平安末期に生まれた一種の初等教科書様の書物の総称。当初は手紙の模範文例集の体(てい)を成していたが、近世には項目が多様化して寺子屋の教科書となった)として知られる「庭訓往来」。全一巻。玄恵(げんえ)著と伝えられるが、未詳。応永年間(一三九四年~一四二八年)頃の成立か。一年各月の消息文を集めた初学者用書簡文範集。擬漢文体で書かれ、武士・庶民の生活上必要な用語を網羅している。江戸時代には寺子屋の教科書として広く用いられた。「西山の心太」は、その中の、地方の名産品を並べた、物尽くしの一段に出る(下線太字やぶちゃん)。

   *

……次に大舍人綾、大津練貫、六條染物、猪熊紺、宇治布、大宮絹、烏丸烏帽子、室町伯樂、手島莚、嵯峨土器、奈良刀、高野剃刀、大原薪、小野炭、小柴黛、城殿扇子、仁和寺眉作、姉小路針、鞍馬木芽漬、醍醐烏頭布、東山蕪、西山心太。此外、加賀絹、丹後精好、美濃上品、尾張八丈、信濃布、常陸紬、上野綿、上總鞦、武藏鐙、佐渡沓、伊勢切付、伊豫簾、讃岐圓座、同檀紙、幡磨杉原、備前刀、出雲鍬、甲斐駒、長門牛、奧州金、備中鐵、越後鹽引、隱岐鮑、周防鯖、近江鮒、淀鯉、土佐材木、安藝槫、能登釜、河内鍋、備後酒、和泉酢、若狹椎、宰府栗、宇賀昆布、松浦鰯、夷鮭、奧漆、筑紫殿。……

   *

「西山」は清滝から「嵯峩〔(さが)〕」(嵯峨嵐山)から松尾大社辺り(この附近(グーグル・マップ・データ))の広域を指す通称呼称のようである。芭蕉の没年の元禄七(一六九四)年の嵯峨にあった折りの句にも(「泊船集」の形に拠る)、

 

 淸瀧の水汲ませてやところてん

 

と出る。因みに、貝原益軒(寛永七(一六三〇)年~正徳四(一七一四)年松尾芭蕉(寛永二一(一六四四)年~元禄七(一六九四)年)は同時代人である。

「これを製して賣しが、名物なりしにや」トコロテンは海産加工物であるが、清冷水で食してこそ美味であったし、寒天はまさに海浜ではなく、運ばれて、内陸の気温差の激しい(凍結乾燥=フリーズ・ドライが自然状態で出来る)盆地や山間地で製される。現在でも、長野県諏訪地方が寒天製造では日本一である

「海髮(イギス)」紅藻綱イギス目イギス科イギス連イギス属イギス Ceramium kondoi。藻体は糸状で、樹枝状に分枝し、暗紫色を呈する。十数種の近縁種があり、各地の磯の潮間帯の岩上や他の海藻上に生える。寒天の混和物でもあり、刺身のツマや糊(のり)の原料とする。また、山陰や瀬戸内地方で食される生大豆の粉に本藻を入れて煮溶かし、醤油などで味をつけて冷やし固めた「いぎす豆腐」はとみに有名である。なお、困ったことに「海髪」は全くの別種である紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla の異名でもあるので注意されたい。オゴノリは潮間帯付近の岩場に植生し、単に「オゴ」「ウゴ」などとも呼ばれる。テングサなどとともに寒天原藻にも混入し、食用としては刺身のツマなどに用いられるが、これは石灰処理をして茹でると、藻体が青色になるので、とても紅藻類(紅色植物門 Rhodophyta 紅藻綱 Rhodophyceae)とは思われない。これは本種のフィコビリン(Phycobilin:藻類に分布するビリン色素(bilin:ビラン・胆汁色素)のサブ・グループで、タンパク質と共有結合してシアノバクテリア(cyanobacteria:かつての「藍藻(らんそう:blue-green algae)」のこと。藍色細菌)や真核藻類(灰色藻・紅藻・クリプト藻(遊泳性の単細胞藻類でクリプト藻綱 Cryptophyceae に属する淡産及び海産藻類の総称)に於ける光合成の主要な集光色素とし働いている色素である)系の赤い色素が変成した上に、葉緑素の色が同じく変成したものの、緑色としてそこに残ったためである(田中次郎著「日本の海藻 基本284」他に拠る))。そう、あの青いツマである。だが……(以下に続く)

「毒あり、往々、人を殺す」前に注したオゴノリ Gracilaria vermiculophylla に代表されるオゴノリ科Gracilariaceae には、本邦産だけでも、オオオゴノリGracilaria gigas・ミゾオゴノリGracilaria incurvata・フシクレオゴノリGracilaria salicornia・シラモGracilaria bursa-pastoris・カバノリGracilaria textorii・シンカイカバノリGracilaria sublittoralis等、実に二十種が知られており、普通に刺身のツマとして使用され、食べている(私も好んで総て食う)のであるが、実は、オゴノリと言えば、本邦ではオゴノリ類によると疑われる中毒が数例報告されている。しかも死亡例も複数あり、それらは総てのケースが血圧低下によるショック死で、全員、女性である。それらはみな、オゴノリ類の生食(記載によっては真水につけて刻むともある)によるもので、現在ではその中毒機序は一応、まずは――オゴノリの脂質に含まれるPGE2prostaglandin E2プロスタグランジンE2)摂取が行われ、次に、このPGE2を更に増殖させる酵素の摂取、即ち、刺身などの魚介類の摂取=魚介類に多く含まれる不飽和脂肪酸であるアラキドン酸(Arachidonic acid)の多量供給により、PGE2が摂取者の体内で過剰に生成されたのが原因ではないか――と疑われている。さらに、プロスタグランジン類には主に女性に対して特異的限定的薬理作用を持つものがあり、その子宮口軟化・子宮収縮作用から産婦人科で分娩促進剤として用いられており、更に血圧低下・血管拡張作用等を持つ。低血圧症であったり、若しくは、逆に、高血圧で降圧剤を服用していた女性に、そうした複合的条件が作用し、急激な低血圧症を惹起させたのではないかという推定がなされている。但し、市販されているオゴノリは青色を発色させるために石灰処理を行っており、その過程で以上のような急性薬理活性は完全に消失しているので、全く危険はない。しかし、そうした中毒原因の推理の一方で、その後にハワイで発生したオゴノリ食中毒の要因研究の過程では、その原因の一つにPGE2過剰等ではなく、アプリシアトキシンaplysiatoxinという消化管出血を引き起こす自然毒の存在が浮かび上がってきている。これは単細胞藻類である真正細菌 Bacteria 藍色植物門Cyanophyta の藍藻(シアノバクテリアCyanobacteria)が細胞内で生産する猛毒成分である。即ち、本邦の死亡例も、オゴノリに該当アプリシアトキシンを生成蓄積した藍藻がたまたま付着しており、オゴノリと一緒に摂取してしまった、とも考えられるのである。ネット上の情報を縦覧する限り、本中毒症状は、未だ十分な解明には至っていないという印象を受けるのである。それにしても、この益軒の記載がそうした極めて数少なかったはずの死亡例の江戸前・中期の記録警告であるとすれば、非常に貴重な記載と言えると私は思うのである。

「ウケウト」これは「おきうと」のことであろう。「おきゅうと」として、最近はスーパーでも普通に見かける全国区となった海藻加工食品であるが、元は福岡県福岡市を中心に食べられてきたもので、私の好物でもある。ウィキの「おきゅうと」から引くと、漢字では「お救人」「浮太」「沖独活」などとも表記されるそうで、『江戸時代の『筑前国産物帳』では「うけうと」という名で紹介されている』。『もともとは福岡市の博多地区で食べられていたようだが、その後福岡市全体に広がり、さらには九州各地に広がりつつある。福岡市内では、毎朝行商人が売り歩いていた』。『作り方は、原料のエゴノリ(「えご草」、「おきゅうと草」、博多では「真草」とも呼ばれる)』(紅色植物門紅藻綱イギス目イギス科エゴノリ属エゴノリ Campylaephora hypnaeoides前に出した紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla と酷似した和名であるが、全くの別種であるので注意が必要)『と沖天(イギス、博多ではケボとも呼ばれる)』(前注参照)『やテングサ』(紅藻綱テングサ目テングサ科Gelidiaceae に属する海藻類の総称であるが、最も一般的な種はテングサ属マクサ Gelidium elegans)『をそれぞれ水洗いして天日干しする』(状態を見ながら、干しは一回から五回ほど繰り返したりする)。この時の歩留まりは七割程度であるが、『この工程を省くと』、『味が悪くなり』、『黒っぽい色の』「おきゅうと」になってしまう『ため、手間を惜しまない事が重要である(ただし、テングサは香りが薄れるので』、『自家用の場合は洗う回数を減らすことがある』)。『次に天日干しした』エゴノリと同じく天日干ししたイギス(或いはテングサ類)を、凡そ七対三から六対四の割合で混ぜて、よく叩く。『酢を加えて煮溶かしたものを裏ごしして小判型に成型し常温で固まらせる』。『博多では、小判型のおきゅうとをくるくると丸めたものが売られている』。『おきゅうとの良し悪しの見分け方として、あめ色をして、ひきがあるものは良く、逆に悪いものは、黒っぽいあめ色をしている。また、みどり色をしたものは、「おきゅうと」として売られているが』、全くエゴノリが『使われていないものもあり』、テングサ類が『主原料の場合は「ところてん」であり』、『「おきゅうと」ではない』(これは絶対で、舌触りも異なる)。『新潟県や長野県では』、エゴノリのみを『原料とした』殆んど「おきゅうと」と『製法が同じ「えご(いご)」「いごねり(えごねり)」が食べられている』。「おきゅうと」との『製法上の相違点は』、エゴノリを『天日干しせず、沖天を使用しないところである』。食べ方は、五ミリから一センチの『短冊状に切り、鰹節のうえに薬味としておろし生姜またはきざみねぎをのせ生醤油で食べるか、または芥子醤油やポン酢醤油やゴマ醤油などで食べるのが一般的である。もっぱら朝食の際に食べる』。この奇妙な『語源については諸説あり』、『沖で取れるウドという意味』・『キューと絞る手順があるから』・『享保の飢饉の際に作られ、「救人(きゅうと)」と呼ばれるようになった』・『漁師に製法を教わったため、「沖人」となった』、『などが挙げられる』とある。]


――2年8ヶ月飲み続けてきた
脳性痙攣薬から解放された。左内頸動脈の動脈瘤も問題なかった。――

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