フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

カテゴリー「佐藤春夫」の9件の記事

2017/04/29

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その3)

 

    *    *    *

      *    *    *

 

 眞夏の庭園は茂るがままであつた。

 すべての樹は、土の中ふかく出來るだけ根を張つて、そこから土の力を汲み上げ、葉を彼等の體中一面に着けて、太陽の光を思ふ存分に吸ひ込んで居るのであつた――松は松として生き、櫻は櫻として、槇は槇として生きた。出來るだけ多く太陽の光を浴びて、己を大きくするために、彼等は枝を突き延した。互に各の意志を遂げて居る間に、各の枝は重り合ひ、ぶつかり合ひ、絡み合ひ、犇き合つた。自分達ばかりが、太陽の寵遇を得るためには、他の何物をも顧慮しては居られなかつた。さうして、日光を享けることの出來なくなつた枝は日に日に細つて行つた。一本の小さな松は、杉の下で赤く枯れて居た。榊の生垣は背丈けが不揃ひになつて、その一列になつて、その頭の線が不恰好にうねつて居る。それは日のあたるところだけが生い茂り丈が延びて、諸の大きな樹の下に覆はれて日蔭になつた部分は、落凹んで了つたからであつた。又、それの或る部分は葉を生かすことが出來なくなつて、恰も城壁の覗き窓ほどの穴が、ぽつかりと開いて居るところもあつた。或る部分は分厚に葉が重り合つてまるく圓つて繁つて居るところもあつた。或る箇所は全く中斷されて居るのである。といふのは、丁度その生垣に沿うて植ゑられた大樹の松に覆ひ隱されて、そればかりか、垣根の眞中から不意に生ひ出して來た野生の藤蔓が、人間の拇指よりももつと太い蔓になつて、生垣を突分け、その大樹の松の幹を、恰も虜(とりこ)を捕へた綱のやうに、ぐるぐる卷きに卷きながら攣ぢ登つて、その見上げるばかりの梢の梢まで登り盡して、それでまだ滿足出來ないとみえる――その卷蔓は、空の方へ、身を悶えながらもの狂おしい手の指のやうに、何もないものを捉へやうとしてあせり立つて居るのであつた。その卷蔓のうちの一つは、松の隣りのその松よりも一際高い櫻の木へ這ひ渡つて、仲間のどれよりも迥に高く、空に向つて延びて居た。又、庭の別の一隅では、梅の新らしい枝が直立して長く高く、譬へば天を刺かこうとする槍のように突立つて居るのであつた。甞ては菊畑であつた軟かい土には、根強く蔓つた雜草があつて、それは何處か竹に似た形と性質とを持つた強さうな草であつた。それの硬い莖と葉とは土の表面を網目に編みながら這うて、自分の領土を確實にするためにその節のあるところから一一根を下して、八方へ擴がつて居た。試にその一部分をとつて、根引にしやうとすると、その房々した無數の細い根は黑い砂まじりの土を、丁度人間が手でつかみ上げるほどづつ持上げて來る。これが彼等の生きようとする意志である。又、「夏」の萬物に命ずる燃ゆるやうな姿である。かく繁りに茂つた枝と葉とを持つた雜多な草木は、庭全體として言へば、丁度、狂人の鉛色な額に垂れかかつた放埒な髮の毛を見るやうに陰鬱であつた。それ等の草木は或る不可見な重量をもつて、さほど廣くない庭を上から壓し、その中央にある建物を周圍から遠卷きして押迫つて來るやうにも感じられた。

[やぶちゃん注:「太陽の光を思ふ存分に吸ひ込んで居るのであつた――」は底本では「太陽の光を思ふ存分に汲ひ込んで居るのであつた――」で「汲ひ」は読めない。「吸ひ」の誤植と断じ、定本に従い、訂した。

「一本の小さな松は、杉の下で赤く枯れて居た。」は底本では句点がなく、以下と続いてしまっていておかしい。句点の脱字と断じて、定本に従い、句点を挿入した。

「迥に」「はるかに」。

「蔓つた」「はびこつた」。]

 

 併し、凄く恐ろしい感じを彼に與へたものは、自然の持つて居るこの暴力的な意志ではなかつた。反つて、この混亂のなかに絶え絶えになつて殘つて居る人工の一縷の典雅であつた。それは或る意志の幽靈である。かの拔目のない植木屋が、この庭園から殆んどその全部を奪ひ去つたとは言へ、今に未だ遺されて居るもののなかにも、確に、故人の花つくりの翁の道樂を偲ばずには置かないものが一つながら目につくのである。自然の力も、未だそれを全く匿し去ることは出來なかつた。例へば、もとはこんもりと棗形(なつめなり)に刈り込まれて居たであらうと思へる白斑(しらふ)入りの羅漢柏(あすならう)である。それは門から玄關への途中にある。それから又、座敷から厠を隱した山茶花がある。それの下の沈丁花がある。鉢をふせたやうな形に造つた霧嶋躑躅の幾株かがある。大きな葉が暑さのために萎れ、その蔭に大輪の花が枯れ萎びて居る年經た紫陽花がある。それらのものは巨人が激怒に任せて投げつけたやうな亂雜な庭のところどころにあつて、白木蓮、沈丁花、玉椿、秋海棠、梅、芙蓉、古木の高野槇、山茶花、萩、蘭の鉢、大きな自然石、むくむくと盛上つた靑苔、枝垂櫻、黑竹、常夏、花柘榴の大木、それに水の近くには鳶尾、其他のものが、程よく按排され、人の手で愛まれて居たその當時の夢を、北方の蠻人よりももつと亂暴な自然の蹂躙(じゆうりん)に任されて顧る人とてもない今日に、その夢を未だ見果てずに居るかと思へるのである。よし、庭の何處の隅にもそんなものの一株もなかつたとしたところが、門口にかぶさりかかつた一幹の松の枝ぶりからでも、それが今日でこそ徒らに硬(かた)く太く長い針の葉をぎつしりと身に着けていながらも、曾ては人の手が、懇にその枝を勞はり葉を揃へ、幹を撫ぜたものであつたことは、誰も容易に承認するのであらう。實は、それの持主である小學校長は、この次にはその松を賣らうと考へて、この松だけはこん度の貸家人が植木屋を呼ぶときには、根まはりもさせ鬼葉もとらせて置かうと思つて居るのであつた。

[やぶちゃん注:「今に未だ遺されて居るもののなかにも」底本では「未だ」が「未た」であるが、誤植と判断して「だ」とした。猶、先例に徴すると、この「未だ」は、これで「まだ」と訓じているものと思われる。

「羅漢柏(あすならう)」裸子植物門マツ門マツ綱マツ目ヒノキ科アスナロ属アスナロ Thujopsis dolabrata の漢名。和名は漢字表記では「翌檜」「明日檜」などと記す。

「霧嶋躑躅」ビワモドキ亜綱ツツジ目ツツジ科ツツジ属キリシマツツジ(霧島躑躅)Rhododendron × obtusum。九州に自生するヤマツツジ(ツツジ属ヤマツツジ Rhododendron kaempferi var. kaempferi)とミヤマキリシマ(深山霧島)(ツツジ属ミヤマキリシマ Rhododendron kiusianum)との交配種と言われ、江戸時代の寛永年間(一六二四年~一六四四年)に薩摩で園芸品種として交配作出されたと考えられており、当然、自生品はないとされる。秋から冬にかけて紅葉する。因みに、佐藤が知っていたかどうかは判らぬが、属名のRhododendronはギリシャ語の「rhodon(バラ)+dendron(樹木)」の合成語で、「紅色の花をつける木」という意味である(種小名dobtusumは「円味を帯びた」の意)。

「巨人が激怒に任せて」底本は「巨人が激怒に狂せて」。「か」は間違いなく誤植で、「狂せて」は「くるはせて」では表現がおかしく、これも「任」の誤植と断じ、その通りになっている定本によって訂した。

「高野槇」マツ亜門マツ綱マツ亜綱マツ目コウヤマキ科 コウヤマキ属コウヤマキ Sciadopitys verticillata。日本及び韓国済州島の固有種で一属一種。勘違いしてはいけないのが、我々が通常、呼称している「槇(まき)」はマツ目マキ科 Podocarpaceae に属する球果植物の総称(「マキ」という種は存在しない。代表種はマキ科マキ属イヌマキ Podocarpus macrophyllus である)であって、本種とは科レベルで異なる全くの別種であることである。

「芙蓉」ビワモドキ亜綱アオイ目アオイ科 Malvoideae 亜科フヨウ属フヨウ Hibiscus mutabilis。なお、これ以下は、前にこの庭が語られた際に出てきていない種についてのみ注した。

「萩」マメ目マメ科マメ亜科ヌスビトハギ連ハギ亜連ハギ属 Lespedeza のハギ類の総称であるが、最も一般的に我々が見るそれはハギ属ミヤギノハギ(宮城野萩)Lespedeza thunbergii である。

「常夏」「とこなつ」と読み、これはナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク変種(品種)トコナツ Dianthus chinensis var. semperflorens のこと。花弁が濃紅色を呈し、しかも四季を通じて開花することからこの名を持つ。

「鳶尾」「いちはつ」と読む。単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属イチハツ(一初)Iris tectorumウィキの「イチハツ」によれば、『外花被片に濃紫色の斑点が散らばり、基部から中央にかけて白色のとさか状の突起がある』。『中国原産の植物で、古く室町時代に渡来し、観賞用として栽培されてきた。昔は農家の茅葺屋根の棟の上に植える風習があったが、最近は少なくなった』。本来は園芸種であるが、『野生化しているものもある』。『種小名の tectorum は、「屋根の」という意味。アヤメの類で一番先に咲くので、「一初(イチハツ)」の名がある』とある。

「按排」「あんばい」。案配。程よく調和的に配置されていること。

「愛まれて」「いつくしまれて」。

「根まはり」小学校校長はこの松を売ると言っているから、これは所謂、樹木を移植するに先立ち準備する作業としての「根回(まわ)し」のことであろう。ウィキの「根回し」によれば、『成長した樹木を移植する場合、根系を傷めることから、活着できずに枯死したり』、『生育不良に陥る場合が多い。これを避けるために、半年前から』一『年程度前に、根元近くの太い根を切断し、切断部周辺から活発な新しい根の生育を促す。新しい根は、水分や養分をより活発に吸収することから、移植先でも活着することが期待できる。根切りの部位は適切に判断しないと、移植する前に樹木が衰微することもあるので、慎重に行う必要がある』とある。因みに、我々が使うあの厭な言葉、『物事を行う際に事前に関係者からの了承を得ておくこと(下打ち合わせや事前交渉などの段取り)』の意の「根回し」はこれが語源である。

「鬼葉」植木などで、刈り込むべき形や生育によくない無駄な葉を指す。小学館の「日本国語大辞典」には見出して出るが、その用例はまさにこの作品のここである。]

 

 故人の遺志を、偉大なそれであるからして時には殘忍にも思へる自然と運命との力が、どんな風にぐんぐん破壞し去つたかを見よ。それ等の遺された木は、庭は、自然の溌溂たる野蠻な力でもなく、また人工のアアティフィシャルな形式でもなかつた。反つて、この兩樣の無雜作な不統一な混合であつた。さうしてそのなかには醜さといふよりも寧ろ故もなく凄然たるものがあつた。この家の新らしい主人は、木の影に佇んで、この庭園の夏に見入つた。さて何かに怯かされて居るのを感じた。瞬間的な或る恐怖がふと彼の裡(うち)に過ぎたやうに思ふ。さてそれが何であつたかは彼自身でも知らない。それを捉へる間(ひま)もないほどそれは速かに閃き過ぎたからである。けれどもそれが不思議にも、精神的といふよりも寧ろ官能的な、動物の抱くであらうやうな恐怖であつたと思へた。

[やぶちゃん注:「アアティフィシャル」“artificial”“natural”の対義語。「人造の・人工的な・模造の・造りものの」、「不自然な・偽りの・わざとらしい」、「(人や文体などの対象の持つ)気取った・気障なといったナイマス印象」を指す。]

 

 彼は、その日、少時(しばらく)、新らしい住家のこの凄まじく哀れな庭の中を木かげを傳うて、步き𢌞つてみた。

 

 家の側面にある白樫の下には、蟻が、黑い長い一列になつて進軍して居るのであつた。彼等の或るものは大きな家寶である食糧を擔いで居た。少し大きな形の蟻がそこらにまくばつて居て、彼等に命令して居るやうにも見える。彼等は出會ふときには、會釋をするやうに、或は噂をし合うやうに、或は言傳を托して居るやうに兩方から立停つて頭をつき合せて居る。これはよくある蟻の轉宅であつた。彼は蹲(うづく)まつて、小さい隊商を凝視した。さうして暫くの間、彼は彼等から子供らしい樂を得させられた。永い年月の間、かういふものを見なかつた事や、若し目に入つたにしても見やうともしなかつたであらう事に、彼は初めて氣づいた。さう言へば、幼年の日以來――あの頃は、外の子供一倍そんなものを樂み耽つて居たにも拘らず、その思ひ出さへも忘れて居た――落ちついて、月を仰いだこともなければ、鳥を見たこともなかつた。そんな事に氣附いた事が、彼を妙に悲しく、また喜ばしくした。さういふ心を抱きながら臺所から立上つて、步み出さうとすると、ふと目に入つたのは、その白樫の幹に道化た態(なり)をして、牙のやうな形の大きな前足をそこへ突立てて嚙(おあぢ)りついて居る蟬の脱殼だつた。それは背中のまんなかからぱつくり裂けた、赤くぴかぴかした小さな鎧であつた。なおその幹をよく見て居ると、その脱殼から三四寸ほど上のところに、一疋の蟬が凝乎(ぢつ)として居るのを發見することが出來た。それは人のけはいに驚く風もないのは無理もない。その蟬は今生れたばかりだといふ事は一目に解つた。この蟲はかうして身動(みじろ)ぎもせず凝乎としたまま、今、靜かに空氣の神祕にふれて居るのであつた。その軟かな未だ完成しない羽、は言ふばかりなく可憐で、痛々しく、小さくちぢかんで居た。ただそれの綠色の筋ばかりがひどく目立つた。それは爽やかな快活なみどり色で、彼の聯想は白く割れた種子を裂開いて突出した豆の双葉の芽を、ありありと思ひ浮べさせた。それはただにその色ばかりではなく、羽全體が植物の芽生に髣髴して居た。生れ出すものには、蟲と草との相違はありながら、或る共通な、或る姿がその中に啓示されて居るのを彼は見た。自然そのものには何の法則もないかも知れぬ。けれども少くもそれから、人はそれぞれの法則を、自分の好きなやうに看取することが出來るのであつた。尚ほ熟視すると、この蟲の平たい頭の丁度眞中あたりに、極く微小な、紅玉色で、それよりももつと燦然たる何ものかが、いみじくも縷められて居るのであつた。その寶玉的な何ものかは、科學の上では何であるか(單眼といふものででもあらう)彼はそれに就て知るべくもなかつた。けれどもその美しさに就ては、彼自身こそ他の何人より知つてゐると思つた。その美しさはこの小さなとるにも足らぬ蟲の誕生を、彼をして神聖なものに感じさせ、禮拜させるためには、就中、非常に有力であつた。

[やぶちゃん注:「白樫」「しらかし」。ブナ目ブナ科コナラ属シラカシ Quercus myrsinaefolia

「そこらにまくばつて居て」「まくばつて」は「間配つて」で「まくばる」とは「適当な間隔をおいて配置する・配分する」という意の動詞。定本では「まくばられてゐて」(新潮文庫版の新仮名を歴史的仮名遣に変えた。以下、この注は略す)と変えられてある。

「子供らしい樂」の「樂」は「たのしみ」。定本にはそのようにルビも振る。

「道化た」「おどけた」。

「身動(みじろ)ぎ」底本は「身動(みじろ)き」と清音。清音でもよいかと思ったが、平安まで遡らないと一般的には清音使用は見られず、「日本国語大辞典」には、『古くは「みじろく」か』と推定記載しかないので、定本に従い、「ぐ」に改めた。

「その軟かな未だ完成しない羽、は全體は乳色で」読点はママ。誤植の可能性が極めて高いのであるが、底本では、行末の本来、組まない(組めない)箇所に敢えて飛び出て打たれてあり、これは確信犯の可能性を排除出来ぬので敢えてママとした。但し、定本では存在しない。

「ただそれの綠色の筋ばかりがひどく目立つた」私の教え子の知人が撮ったこの写真を参照されたい。

「縷められて居る」「ちりばめられてゐる」。

「單眼」セミは一対の複眼以外にその複眼の間に小さな逆三角形の頂点状の三つの単眼を持つ。羽化したてのそれは水滴のように透明であるが、直きに紅いルビー色に輝くようになる。神奈川県立の「愛川ふれあいの村」のブログのこちらの、この画像(羽化直後)とこの画像(その後)が判りやすい。Q&Aサイトの回答に、一般にセミの単眼は鳴くための時間帯を光によって知覚するためと考えられているようであるが、それだけの目的ならば複眼だけで十分に機能するように思われる。 セミは羽化して成虫となると、殆んどの時間を移動飛行に費やすことから、この単眼は寧ろ、飛行の補助や後背方向の監視のために必要なものと考えるべきであろうといったような主旨(「補助や後背方向の監視のため」というのは私の敷衍解釈なので注意されたい)の記述があったことを紹介しておく。

「彼自身こそ他の何人より知つてゐると思つた」ワ行の「ゐ」が本作本文で最初に現われるのは、ここが初めてである。ここまでの「ゐる」は総て「居る」と漢字表記している。これは種々の電子化を手がけてきた私の経験上の印象からの推理であるが、佐藤春夫は少なくともこの頃、ワ行の平仮名「ゐ」の字形を生理的に好まなかったのではないかと考えている。]

 

 彼のあるか無いかの知識のなかに、蟬といふものは二十年目位にやつと成蟲になるといふやうなことを何日(いつ)か何處(どこ)かで、多分農學生か誰かから聞き嚙つたことがあつたのを思ひ出した。おゝ、この小さな蟲が、唯一語に蛙鳴蟬騒と呼ばれて居るほど、人間には無意味に見える一生をするために、彼自身の年齡に殆んど近いほど、年を經て居やうとは!さうして彼等の命は僅に數日であらうとは!自然は今更に自然の不思議を感じた。(蟬ははかない。けれども人間の雄辯な代議士の一生が蟬ではないと、誰か言はうぞ。)

[やぶちゃん注:「蛙鳴蟬騷」「あめいせんさう(あめいせんそう)」。一般には「騷」ではなく「噪」の字が使われることが多い。蛙や蟬が喧(やkま)しく鳴くように、騒がしいだけで、何の役にも立たないという意から転じて、無駄な表現が多くて内容の乏しい意味のない議論や下手な文章を比喩する語として用いられる。語源は蘇軾の詩「出都來陳。所乘船上有題小詩八首」という詩の中の一節、「蛙鳴靑草泊 蟬噪垂楊浦」(蛙は鳴く 靑草(せいさう)の泊(はく) 蟬は噪ぐ垂楊(すいやう)の浦(ほ))に基づくとされる。]

 

 蟬の羽は見て居るうちに、目に見えて、そのちぢくれが引延ばされた。同時にそれの半透明な乳白色は、刻々に少しづつ併し確實に無色で透明なものに變化して來るのであつた。さうしてあの芽生のやうに爽快ではあるけれどもひ弱げな綠も、それに應じて段々と黑ずんで、恰も若草の綠が常磐木のそれになるやうな、或る現實的な強さが、瞭かに其處にも現れつつあるのであつた。彼はこれ等のものを二十分あまりも眺めつくして居る間に――それは寧ろある病的な綿密(めんみつ)さであつた――自づと息が迫るやうな嚴肅を感じて來た。

突然、彼は自分の心にむかつて言つた。

「見よ、この小さなものが生れるためにでも、此處にこれだけの忍耐がある!」

 それから重ねて言つた。

「この小さな蟲は己だ!蟬よ、どうぞ早く飛立て!」

 彼の奇妙な祈禱(きとう)はこんな風にして行はれた。この時のみならず常にかうして行はれてあつた。

[やぶちゃん注:以上のコーダは段落に行空けをせず、ソリッドに示した。

「常磐木」「ときはぎ」。ガリア目ガリア科アオキ属アオキ変種アオキ Aucuba japonica var. japonica。日本原産種。

「瞭かに」「あきらかに」。]

 

2017/04/27

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その2)

 

   *    *    *

     *    *    *

 

 「やつと、家らしくなつた」

 昨日、門前で洗い淨めた障子を、彼の妻は不慣れな手つきで張つたのである。最後の一枚を張り了つた時、夫はそれを茶の間と中の間のあひだの敷居へ納めやうとして立つて居る後姿を見やりながら、妻は滿足に輝いてさう言つた。

 「やつと家らしくなつた。疊は直ぐ換へに來ると言ふし」彼の女は同じ事を重ねて言つた。「私はほんとうに厭だつたわよ、おとつひ初めてこの家を見た時にはねえ。こんな家に人間が住めるかと思つて」

 「でも、まさか狐狸の住家ではあるまい」

 「でもまるで淺茅が宿よ。」

 「淺茅が宿か淺茅が宿はよかつたね。‥‥おい、以後この家を雨月草舍と呼ばうぢやないか」

 (彼等二人は――妻は夫の感化を受けて、上田秋成を讃美して居た。)

 夫の愉快げな笑ひ顏を、久しぶりに見た妻はうれしかつた。

 「そこで、今度は井戸換へですよ、これが大變ね。一年もまるで汲まないといふのですもの、水だつて大がい腐りますわねえ。」

 「腐るとも、毎日汲み上げて居なければ、己の頭のやうに腐る。」

 この言葉に、「又か」と思つた妻は、今までのはしやいだ調子を忘れておづおづと夫の顏を見上げた。しかし夫の今日の言葉はたゞ口のさきだけであつたと見えて、顏にはもとのままの笑があつた。それほど彼は機嫌がよかつたのである。それを見て安心した妻は甘へるやうに言ひ足した。

 「それに、庭を何とかして下さらなけやあ。こんな陰氣なのはいや!」

 疲れて壁にもたれかかつた妻の膝には、彼と彼の女との愛猫が、のつそりと上つて居るところであつた。「靑(猫の名)や。お前は暑苦しいねえ」と言ひながらも、妻はその猫を抱き上げて居るのである。彼の家庭には犬が居る。猫が居る。一たん愛するとなると、程度を忘れて溺愛せずにはいられない彼の性質が、やがて彼等の家庭の習慣になつて、彼も彼の妻も人に物言うやうに、犬と猫とに言ひかけるのが常であつた。それにかうして田舍に住むやうになつてからは、犬や猫と人間との距離は益々近かつた。

[やぶちゃん注:区切りの二行のアスタリスクは実際にはもっと下で、記号間の間も長いが、ブログのブラウザでの不具合を考えて短縮してある(定本は「*」一つ)また、傍点(ここでは太字)にも若干の疑義がある。実際、底本の傍点位置は幾つかの部分で本文活字の正確な右手中央になかったりする。「淺茅が宿か淺茅が宿」の中間の「か」は傍点を打たない方が自然であり、「はしやいだ」も「だ」を含めた全体に打った方がよく、「淺茅が宿淺茅が宿」「はしやいだ」である方がより自然と判断はするものの、誤植とするまでの明確な根拠を私は持たないのでママとした。因みに、定本では以上のパートには傍点は一切ない。

「淺茅が宿」ここで、上田秋成の、あの作品を出すこと自体が、既にして不吉な言上げであり、伏線である。特に、前に妻が内心、夫がかつて愛した女を今も思っているのではないかと疑う場面とも感応するように作られていると言える。

 以下、底本では三行分の空行がある。因みに、定本は前の区切りともに「*」一つで、明らかに異なった区切りとしてここでは存在することを認識する必要がある。即ち、時空間を遡った、主人公一家とは無縁な、この家に纏わる過去譚(以下に見る通り、先に出た案内人の女の語った、何とも言えぬ奇妙な饐えた臭いのする、それでいてどこかたまらない哀感の漂う噂話である)別時空への区切り、としてである。但し、次のパートは区切りなしで、また現在時制に戻ってはいる。しかし、この三行空白は、私は、他の区切りと同じ決定稿の「*」なんぞよりも遙かに効果的であると考えている。]

 

 

 

 彼等夫婦がこの家に住むやうになつた日から、遡つて數年の前である――

 

 この村で一番と言はれて居る豪家N家の老主人は、年をとつて、ひどく人生の寂寥を感じ出した。普通、人にとつてかういふ時に最も必要なものは、老ひと若きとを問はず異性であつた。さうしてこの老人は、都會から一人の若い女を連れて來た。この豪家は、この風流人の代にその田の半分を無くしたのだけれども、流石に老人の考へは金持らしいものであつた――ただ美しいだけで、何の能もないやうな女はつれて來なかつた。少し位は醜くとも、年さへ若ければ我慢して、村の爲めにもなり、それよりも自分の經濟の爲めにもなるやうな女を擇んだのであつた。一口に言へば、彼は、今までは村に無くて不自由をして居た産婆を副業にする妾を蓄へたのだ。それから自分の家の離れ座敷をとり外して、彼の屋敷からはすぐ下に當るところへ、それを建て直した。冬には朝から夕方まで日が當るやうな方角を考へて、四間の長さをつづく緣があつた。玄關の三疊を拔けて、六疊の茶の間には爐を切らせた。黑柿の床柱と、座敷の欄間に嵌込んだ麻の葉つなぎの棧のある障子の細工の細かさは、村人の目をそば立たせた。さすがはうちの山から一本擇りに擇つて伐り出した柱だ、目ざわりな節一つない、と大工はその中古の柱を愛撫しながら自分のもののやうに褒めた。さうして農家の神々しいほど廣い土間のある、太い棟や梁の黑い煤けた臺所とは變つて、その家には、板をしきつめた臺所に、白足袋を穿いて、ぞろぞろ衣服の裾を引曳つた女が、そこで立働くやうになつた。老人は、その家督を四十幾つかになつた自分の長男に讓つた。さてこの老人は幸福であつた。村の人人は、自分の年の半分にも足らぬ若さの茶呑友達を待た隱居に就てかげ口を利いた。併し、そんな事位は隱居の幸福を傷けはしなかつた。

[やぶちゃん注:「妾」「めかけ」。

「四間」七メートル強。

「黑柿」「くろがき」と読む。柿の木が数百年の樹齢を重ねて古木になると、稀に心材に墨で書いたような黒い紋様が入るものが出現し、こうした柿の木材を「黒柿」と称し、古くから非常に高級な加工材として珍重されてきた。愛知県岡崎市の「ギャラリー黒柿」の公式サイト内のを参照されたい。その写真を見るだけでも不思議に激しく惹かれる。

「麻の葉つなぎ」「麻の葉模様」という文様意匠の標準形態。六個の菱形の各頂点が中心となる一点で接し、さらに各頂点から中心点に直線を引いた幾何学文様。普通、それを連続させてこの「麻の葉つなぎ」として用いる。洋の東西に古くから見られる文様で、日本では平安時代の仏像の衣に切金(截金:きりかね)で表されているのが古く、室町時代の繡仏(しゅうぶつ)や幡(ばん)の地縫いにも見られる。近世になってからは大麻の葉に似ているところから「麻の葉」と呼ばれるようになり、庶民的な文様として親しまれた。応用形や変化形も多く、染織品・欄間・千代紙などにも見られる(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。グーグル画像検索「麻の葉つなぎ 欄間で、ああ! これか! と私は納得した。

「擇りに擇つて」「えりにえつて」。

「引曳つた」「ひきずつた」。

 

「傷けは」「きずつけは」。]

 

 けれども、併しすべての平和と幸福とは、短い人生の中にあつて、最も短い。それは丁度、秋の日の障子の日影の上にふと影を落す鳥かげのやうである。つと來てはつと消え去る。老人のこれ等の平和の日も束の間であつた。

 

 若い妾は、程なく、都會から一人の若い男を誘うて來た。村の人人は、この若い男を「番頭さん」「お産婆の番頭さん」と呼んだ。村の人人は産婆には、果して「番頭さん」が入用なものかどうかを知らなかつた。さうしてこの隱居は、自分の若い妾が、自分には無斷で、若い「番頭さん」を雇入れた事に就て不滿であつた。非常に不滿であつた。第一にこの若い男女の生活は田舍の人人の目には贅澤すぎた。隱居の豫算とは少し違ひすぎた。隱居は彼等がもつとつつましやかであり得ると考へ初めた。その事を彼の妾に度々言ひつけた。初めは遠まわしに遠慮勝ちに、併しだんだん思ひき切つて言うやうになつた。或る夜には夜中言ひ募ることがあつた。「番頭さん」は多分これ等の對話を、壁一重に聞いたのだつたらう。或るそんな夜の後の日に――彼の女が初めて村へ來てから一年ばかりの後、若い「番頭さん」を若い妾が「雇入れ」てから半年ほどの後、或る夕方、彼等二人の男女の姿は、突然この村から消えた。

 

 夕方に村の方から歸つて來た馬方は、山路の夕闇のなかで、くつきりと浮上つて白い丸い顏が目についたので、よく見ると「Nさんのお産婆」だつた、とその次の朝村の人人に告げた。併し、これは多分、この男が實際にこれを見たわけではなく、彼等が居なくなつたと聞いた時に、思ひついた噓であつたかも知れない。でなければ彼は歸つて來ると直ぐその事を、珍らしげに、手柄顏に言ふべき筈だからである。人はこんな時に、ちよつとこんな事を言つて見たいやうな一種の藝術的本能を、誰しも多少持つて居るものである。 ――それはどうでもいいとして、この話は、話題に饑えて居る田舍の人人を當分の間、喜ばせた。さうして二十八の女には、七十に近いあの隱居よりは、二十四五の若者の方が、よく釣合うべき筈だつたといふのが、村の輿論であつた。

 

 痛ましいのは、若い妾に逃げられたこの隱居が、その後、植木の道樂に沒頭し出した事である。彼は花の咲く木を庭へ集め出した。今日はあの木をこちらに植ゑ變へ、昨日は別の庭からこの木を自分の庭にうつした。さうして明日は何かよい木を搜し出さねばと、每日每日、土いぢりに寧日がなかつた。春には牡丹があつた。夏には朝顏があつた。秋には菊があつた。冬には水仙があつた。さうして、彼の逃げて仕舞つた妻の代りに、二人の十と七つとの孫娘を、自分の左右に眠らせた床のなかで、この花つくりの翁は眠り難かつた。彼は月並の俳諸に耽り出した。

[やぶちゃん注:「寧日」「ねいじつ」は「穏やかで無事な日・安らかな日」の意。「寧日がなかつた」のは「土いぢり」に暇を持て余すこともなかった、の謂いではなく、若い妾に男と逃げられた精神的な抑鬱状態をそれによって誤魔化そうとしてに過ぎず、それはしかし、彼の不安をより倍加させ、結局、「眠り難かつた」、不定愁訴からくるところの頑固な不眠症状に悩まされるようになったのであろう。

「翁」定本に従うなら「おきな」。「竹取の翁」のブラック・ユーモアである。]

 

 隱居は死んだ、それから丁度一年經つた後に。彼は、かうして集めた花の木のそれぞれの花を僅かばかり樂しんだばかりであつた。さうしてその家は、彼の末の娘と共に村の小學校長のものになつた。村の校長はこの隱居の養子だつたからである。すると拔目のない植木屋があつて、算術の四則には長けて居り、それを實の算盤に應用することにも巧ではあつたけれども、美に就ては如何なる種類のそれにも一向無頓著な、當主の小學校長をたぶらかして、目ぼしい庭の飾りは皆引拔いて行つた。大木の白木蓮、玉椿、槇、秋海棠、黑竹、枝垂れ櫻、大きな花柘榴、梅、夾竹桃いろいろな種類の蘭の鉢。さうしてそれ等の不幸な木は、かくも忙しくその居所を變へねばならなかつた。土に慣れ親しむ暇もなかつた。かうしてそれ等のうちの或るものは、爲めに枯れたかも知れない。

[やぶちゃん注:不審なのは、老人が家督を継がせた「四十幾つかの」「自分の長男」はどうしたのか、そして、その長男の娘であろうところの、自分に添い寝させた二人の「孫」娘はどうなったのか、ということである。そうして、その長男が家督を継いだのにも拘わらず、老人の末娘の夫である校長は、何故に老人の養子になったのか、しかも、彼がこの老人が新築したこの家を手に入れることが出来たのか(長男は何故、文句を言わないのか? 仮に愛する末娘に生前に譲ったのだとするなら、その顛末が語られないのは不親切極まりないと私は思う。要するに話を読んでいて、私はそこに躓いてしまう人間なのである)、その辺りが一切、語られていないことである。私の疑問はおかしいだろうか? 諸士の御意見を伺いたい。なお、定本でもこの辺りの叙述は変更・追加はなされていない。

「白木蓮」双子葉植物綱モクレン亜綱モクレン目モクレン科モクレン亜科モクレン属ハクモクレンMagnolia heptapeta。勘違いしている人が多いが、モクレン属モクレン Magnolia quinquepeta とは同属異種であって、そもそもが花の形と色がまるで異なり、後者の花は舌状を呈していて長く、全体が壺状を呈しており、色も濃い紅色から桃色である。

「玉椿」椿(ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica)の美称として用いられる語ではあるが、佐藤は本作中では、かなり、植物を詳しく叙述していることから考えると、これは「椿」ではなく、「タマツバキ」の異名を持つ、椿とは全く異なる種である、ゴマノハグサ目モクセイ科イボタノキ属ネズミモチ(鼠黐)Ligustrum japonicum を指していると考えるべきと断ずる。六月頃に開花する。白い花序が多数出、木全体に真っ白の花の塊が散らばったようになる。生垣によく用いられる。

「槇」マツ目マキ科 Podocarpaceae に属する球果植物の総称。「マキ」という種は存在しない。代表種はマキ科マキ属イヌマキ Podocarpus macrophyllus

「秋海棠」スミレ目シュウカイドウ科シュウカイドウ属シュウカイドウ Begonia grandis。ベゴニアの仲間で江戸時代に中国から渡来した帰化植物。落葉高木である「海棠」=バラ目バラ科ナシ亜科リンゴ属ハナカイドウ Malus halliana に似たような花を晩夏から秋にかけて咲かせることからの和名であって、両者は全く無関係な別種である。

「黑竹」普通は「くろちく」と読む。単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科タケ連マダケ属クロチク Phyllostachys nigra。現在の主産地は高知県中土佐町及び和歌山県日高町。

「枝垂れ櫻」バラ亜綱バラ目バラ科サクラ属シダレザクラ Cerasus spachiana f. spachiana(シノニム:Prunus pendula)。

「花柘榴」フトモモ目ミソハギ科ザクロ属ザクロ園芸品種ハナザクロ Punica granatum cv. Pleniflora。通常は結実せず、文字通り、花を楽しむ。別名を「八重柘榴(やえざくろ)」とも呼ぶ。

「梅」バラ目バラ科サクラ属ウメ Prunus mume

「夾竹桃」リンドウ目キョウチクトウ科キョウチクトウ亜科 Nerieae 連キョウチクトウ属セイヨウキョウチクトウ亜種キョウチクトウ Nerium oleander。全草有毒(心筋に作用する強心配糖体(cardiac glycosides)であるオレアンドリン(Oleandrin)を多く含む。その強い毒性(ヒトの場合のオレアンドリンの致死量は0.30mg/kgで、かの青酸カリをも上回る。重篤な中毒症状の場合には心臓麻痺で死亡し、枝を串にしただけで死亡した例もある。個人サイト「毒性物質事典」のに科学的詳細データが載る)で、植生した周辺土壌や、生木を燃した際に出る煙も有毒であり、腐葉土でも一年間は毒性が残る、とウィキのキョウチクトウにはある。

「蘭」単子葉植物綱キジカクシ目ラン科Orchidaceae(ヤクシマラン亜科 Apostasioideae・アツモリソウ亜科 Cypripedioideae・ネジバナ亜科 Spiranthoideae・チドリソウ亜科 Orchidoideae・セッコク亜科 Epidendroideae・バンダ亜科 Vandoideae)。]

 

 小學校長は、丁度新築の出來上つた校舍の一部へ住んだ。自分の貰つたこの家は空家にして置いた。さうして居るうちにこの家を借り手があれば貸したいと考へ出した。住む人が無ければ、家は荒廢するばかりである。たとひ二圓でも一圓五十錢でも、家賃をとつて損になることはない、と校長先生の考へは極く明瞭である。ところが、田舍では大抵の人は自分自身の家を持つて居る、たとひ軒端がくづれて、朽ち腐つた藁屋根にむつくりと靑苔が生へて居るやうな破家なりとも、親から子に傳へ子から孫に傳へる自分の家を持つて居た。どんな立派な家にしろ、借屋をして住まねばならぬやうな百姓は、最後の最後に自分の屋敷を抵當流れにしてしまつた最も貧しい人々に決つて居た。かくて、あの隱居が愛する女のために、又自分の老後の樂しみにと建てたこの家は實に貧しい貧しい百姓の家に化した所以である。隱居が茶の間の茶釜をかけた爐には、大きないぶり勝ちな松薪が、めちやに投込まれて、その煙は田舍家には無駄な天井に邪魔されて、家から外へ拔けて行く路もなかつた。さうして部屋を形造つた壁、障子、天井、疊は直ぐに煤びて來た。氣の毒な百姓の一家は立籠つた煙などを苦にしては居られない。反つてそれから來る溫さに感謝して、秋の、冬の長い夜な夜なを、繩を綯うたり、草鞋を編んだりして、夜を更かさねばならなかつた。屋賃は四月(つき)目五月(つき)目位から滯り出した。疊はすり切れた、柱へはいろいろな場合のいろいろな痕跡がいろいろの形に刻みつけられた。「せめては下肥位はたまるだらう」と校長先生が考へたにも拘はらず、校長先生の作男が下肥を汲みに行く朝は、其處は何時も空虛ぽだつた。何となれば家の借り手の貧しい百姓が、自分の借りて居る畑へそれを運んで仕舞うた後であつたからだ。校長先生はひどくこの借家人を惡く思ひ初めた。會うほどの人には誰彼となく、貧乏な百姓の狡猾を罵り、訴へた。さうして「どうせ貧乏する位の奴は、義理も何も心得ぬ狡猾漢だ」といふ結論を與へ去つた。外の村人は、直ぐ校長先生の意見に賛同の意を示した。そこで校長先生は自分の論理が眞理として確立されたのを感じ出した。次には、こんな男に家を貸して置くよりも、寧ろ荒れるにまかせて置いた方がどれほどよいか解らないと思ひ出した。何故かといふに、この男に家を貸すことは、積極的に荒廢させることである。反つて、空家として打捨てて置くことはその消極的な方法である。さうしてこの借家人は逐ひ立てられた。村の人々は校長先生の態度は合理的だと考へた。

[やぶちゃん注:「靑苔が生へて居る」底本は「靑苔か生へて居る」。誤植と断じ、定本で訂した。

「破家」「あばらや」。定本ルビに拠る。

「松薪」「まつまき」。定本ルビに拠る。

「立籠つた」底本は「たてこもつた」とルビする。

「溫さ」「ぬくさ」と訓じておく。

「綯うたり」「なうたり」。繩をなったり。

「草鞋」「わらぢ」。

「夜を更かさねばならなかつた」底本は「夜を更かさねばならなかた」。脱字と断じ、定本で補った。「更かさねば」は「ふかさねば」。

「下肥」「しもごへ」。厠の排泄物。

「空虛ぽ」「からつぽ」。

 

「運んで仕舞うた後であつたからだ。」底本は句点なし。定本で補った。]

 

 これらの間――あの隱居が亡くなつてから後は、その庭の草や木のことを考へるやうな人は、一人もなかつた。家と庭とは荒れに荒れた。ただ一人、あの貧乏な百姓の小娘が、隱居が在世の折に植ゑられたままで、今は草の間に野生のやうになつて、年々に葉が哀れになり、莖がくねつて行く菊畑の黃菊白菊の小さな花を、秋の朝々に見出しては、ちゞくれた髮のかんざしにと折りとつた。

[やぶちゃん注:以上の、この家の過去譚は前に注した通り、一部に半可通なところがある(しかし敢えて言うならば、民俗伝承的噂話の属性はそうした半可通性を必ず保持するものであり、それは、言うなら、必要条件でさえあるとも言い得るものではある)ものの、この主人公が移った家の持つ、一種の「病める」部分、「田園の」、「憂鬱」で不吉な、凶宅的な印象を読者に与える点で非常に効果的であると言える。さらに言い添えると、私はこの話に、私の偏愛する芥川龍之介の庭」房」のような(リンク先は私の電子テクスト。「庭」は大正一一(一九二二)年、「玄鶴山房」は昭和元(一九二六)年で本作より後の作品である。佐藤春夫が芥川龍之介と親しくなったのは大正六(一九一七)年で、芥川龍之介が佐藤の西班牙犬の家(リンク先は私の電子テクスト)に好評を述べたことを直接のきっかけとしている)、救い難い滅びに向かうアッシャー家の崩壊との近似性を強く感ずる(冒頭の注で示した通り、後の定本では冒頭にポーの詩篇“Eulalie”の冒頭が引かれている)。]

 

 彼は緣側に立つて、庭をながめながら、あの案内者であつた太つちよの女が、道々語りつづけた話のうちに、彼一流の空想を雜へて、ぼんやり考へるともなく考へ、思ふともなく思ふて居た。

 

 「フラテ、フラテ」裏の緣側の方では、彼の妻の聲がして、犬を呼んで居る。「おおよしよし、ルポも來たのかい。おお可愛いね。フラテや、お前はね、今のやうにあんな草ばかりのところで遊ぶのぢやありませんよ。蝮が居ますよ。そうこの間のやうに、鼻の頭を咬まれて、喉が腫れ上つて、お寺の和尚さんのやうにこんな大きな顏になつて來ると、ほんとうに心配ぢやないか。いいかい。フラテはもうこの間で懲りたから解つたはね。ルポや、お前は氣をおつけよ。お前の方は溫和いから大丈夫だね‥‥」

 妻は牧歌を歌う娘のやうな聲と心持とで、自分の養子である二疋の犬に物云うて居る。さうして凉しい竹籔の風は、そこから彼の立つて居る方へ拔けて通りすぎた。

[やぶちゃん注:本作ではここで初めて二匹の犬の名が出る。前に注で出したように、定本では前に出ている。

「フラテ」これは実は本邦に古くからある「キリシタン」用語で、イタリア語で「兄弟」を意味する“frate”(音写:フラァーテェ)に由来し、「托鉢」「跣足のフランシスコ会士」「アウグスチノ会士」などを指す語であった。この名は幻想短篇の西班牙犬の家に登場する主人公の飼い犬の名と同一であり、両作の強い親和性を示すものでもある。

「ルポ」“lupo”はラテン語“lupus”由来で「狼」の意。この名は、前に注で出したように、定本では「レオ」(Leo:ラテン語で「ライオン」)と変わっている。

「蝮」「まむし」。

「溫和い」「おとなしい」。]

 

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)始動 (その1)

 

[やぶちゃん注:詩人佐藤春夫(明治二五(一八九二)年~昭和三九(一九六四)年)は慶応義塾大学を中退した後(入学は明治四三(一九一〇)年)、元芸術座の女優川路歌子(本名・遠藤幸子:当時十八歳)と同棲を始め、二人して犬二匹と猫一匹で神奈川県都筑(つづき)郡中里村字鉄(くろがね)(現在の横浜市青葉区鉄町(くろがねちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ))へ移って田園生活を始めた。そこで本作の原型となる「病める薔薇(さうび)」の執筆が開始された。

 現行の「田園の憂鬱」として知られる作品の冒頭五節四十枚が、まず、「病める薔薇」と題して大正六(一九一七)年六月の『黒潮』に発表された(春夫満二十五歳)

 その後、続稿五十枚が完成したが、『黒潮』編集者がその掲載を拒否したため、作者によって原稿は破り捨てられたが、翌大正七年九月、破棄された後半と同じ題材を含む「田園の憂鬱」を完成させて『中外』に発表した

 そうして、先の「病める薔薇」をさらに改作して、この「田園の憂鬱」と繫ぎ合わせて『病める薔薇 或いは「田園の憂鬱」』と題し、天佑社から大正七(一九一八)年十一月二十八日に作品集「病める薔薇」(同作品集は全九篇で、他に本作の前に「西班牙犬の家」、後に「步きながら」「圓光」・「李太白」・「戰爭の極く小さな挿話」・「或る女の幻想」・「指紋」・「月かげ」を収める)に未定稿のまま収録した

 

さらにその翌大正八(一九一九)年八月に更にその未定稿に加筆を行った上、『改作 田園の憂鬱或いは病める薔薇』と題して新潮社から刊行、現在、我々が「田園の憂鬱」として読むそれは、この最後のものを定本としたものである。

 その定稿の「田園の憂鬱」の方は、未だネット上では無料電子化はされていない模様であり、「青空文庫」のそれも未だ「校正中」(二〇一七年四月二十七日現在)で公開されていない(但し、新字旧仮名)。私は定稿の新字新仮名に直したそれを新潮文庫(昭和四二(一九六七)年改版版)で所持しているだけで、正字正仮名本を所持しない。近いうちに「青空文庫」を始めとして、定稿は公開されるであろうから、それを先駆けて気持ちの悪い新字新仮名なんぞで電子化してみても糞面白くもない。されば、ここでは、まず以って電子化されないであろう、大正七(一九一八)年十一月二十八日刊行の作品集「病める薔薇」の天佑社の初版に載る、未定稿である『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』を電子化することとした

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの同初版の画像を視認した。底本の歴史的仮名遣の誤り等は総てママである(五月蠅くなるので、いちいち指摘はしない)。底本の傍点「ヽ」は太字とした。また、一部の各段落末にオリジナルな注を附した。その関係から、本文のみを読まれん人のために、注の後及び注が無い段落でも後を一行空けることとした(但し、直接話法の前後は一段落として認めず、原則、空けていない)

 本ブログでの電子化は、今、聊かの試練の中にあるところの、私の愛する春夫を愛する教え子の一人に捧げるものである――【2017年4月27日始動 藪野直史】]

 

 

 

     病める薔薇(さうび)

     
 或は「田園の憂鬱」

 

 

 

    (一九一九年五月作同年十二月改作。

     續篇「田園の憂鬱」一九一八年二月

     作をも含む。未定稿。)

 

[やぶちゃん注:以上は標題紙裏にポイント落ちで中央に記されてある。なお、現行の定稿ではこの改作表示に代わって、

 

I dwelt alone

In a world of moan,

And my soul was a stagnant tide.

                    Edgar Allan Poe

私は、呻吟(しんぎん)の世界で

ひとりで住んで居た。

私の靈は澱(よど)み腐れた潮であった。

        エドガア アラン ポオ

 

という引用(詩篇Eulalie「ユーラリー」の冒頭)がある(前注した新潮文庫版のそれを恣意的に正字化して示した)。因みに、私は本電子化で定稿との異同比較をするつもりは毛頭ない。何故なら、正字正仮名の定稿を私は所持しないからである。但し、注の中でどうしてもその必要を感じた場合は、その限りではない。]

 

 

 

     病める薔薇

  

 

 

 その家は、今や彼の目の前へ現れた。

 

 初めのうちは、大變な元氣で砂ぽこりを上げながら、主人の後になり前になりして、飛びまわり纏はりついて居た彼の二疋の犬が、やうやう柔順になって、彼のうしろに二疋並んで、そろそろ隨いて來るやうになつた頃である。高い木立の下を、路がぐつと大きく曲(まが)つた時に、「あゝやつと來ましたよ」と言ひながら、彼等の案内者である赭毛の太つちよの女が、片手で日にやけた額から滴り落ちる汗を、汚れた手拭で拭ひながら、別の片手では、彼等の行く手の方を指し示した。男のやうに太いその指の尖を傳うて、彼等の瞳の落ちたところには、黑つぼい深綠のなかに埋もれて、ささやかな菅葺の屋根があるのであつた。それは、目眩(めまぐる)しいそわそわした夏の朝の光のなかで、鈍色にどつしりと或る沈着さをもつて光つて居る。

[やぶちゃん注:「纏はり」新潮文庫版には『纏(まつ)』とルビする。

「赭毛」「あかげ」。赤毛。

「菅葺」は新潮文庫版でもこうなっており、『かやぶき』のルビがある。

「鈍色」「にびいろ」。濃い灰色。]

 

 それが彼のこの家を見た最初の機會であつた。彼と彼の妻とは、その時、各各この草屋根の上にさまやうて居た彼等の瞳を、互に相手のそれの上に向けて、瞳と瞳とで會話をした。「いい家のやうな豫覺がある。」「ええ私もさう思うの。」

[やぶちゃん注:底本では、本段落の冒頭は一字空けがないが、誤植と断じて、一字空けた。]

 

 その草屋根を見つめながら步いた。この家ならば、何日か遠い以前にでも、夢にであるか、幻にであるか、それとも疾走する汽車の窓からででもあるか、何かで一度見たことがあるやうにも彼は思つた。その草屋根を焦點としての視野は、實際、何處ででも見出されさうな、平凡な田舍の橫顏であつた。然も、それが反つて今の彼の心をひきつけた。今の彼の憧れがそんなところにあつたからである。彼がこの地方を自分の住家に擇んだのも、亦この理由からに外ならなかつた。

 

 廣い武藏野が既にその南端になつて盡きるところ、それが漸くに山國の地勢に入らうとする變化――言はゞ山國からの微かな餘情を後曲(エピロオグ)であり、やがて大きな野原(のはら)への波打つ前曲(プロロオグ)ででもあるそれ等の小さな丘は、目のとどくかぎり、此處にも、其處にも起伏してゝそれが形造るつまらぬ風景の間に、一筋の平坦な街道が東から西へ、また別の街道が北から南へ通じて居るあたりに、その道に沿うて一つの草深い農村があり、幾つかの卑下(へりくだ)つた草屋根があつた。それはTYHとの大きな都市をすぐ六七里の隣にして、譬へば三つの劇しい旋風の境目に出來た眞空のやうに、世紀からは置放しにされて、世界からは忘れられて、文明から押流されて、しよんぼりと置かれて居るのであつた。

[やぶちゃん注:「其處にも起伏してゝ」定稿(新潮文庫版。以下、この指示は略す)では「ゝ」の部分が読点になっている。底本の誤植が深く疑われるが、暫くママとする。

TYH」しばらく、東京・横浜・府中ととっておく。

 

「旋風」定稿に従うなら「つむじかぜ」。]

 

 一たい、彼が最初にこんな路の上で、限りなく樂しみ、又珍らしく心のくつろいだ自分自身を見出したのは、その年の春も暮になつた或る一日であつた。こんな場所にこれほどの片田舍があることを知つて、彼は先づ愕かされた。しかもその平靜な四邊の風物は彼に珍らしかつた。ずつと南方の或る半島の突端に生れた彼は、荒い海と嶮しい山とが劇しく咬み合て、その間で人間が微少にしかし賢明に生きて居る一小市街の傍を、大きな急流の川が、その胸の上に筏を長々と浮べさせて押合ひ乍ら荒々しい海の方へ犇き合つて流れてゆく彼の故郷のクライマツクスの多い劇曲的な風景にくらべて、この丘つづき、空と、雜木原と、田と、畑と、雲雀との村は、實に小さな散文詩であつた。前者の自然は彼の峻嚴な父であるとすれば、後者のそれは子に甘い彼の母であつた。「歸れる放蕩息子」に自分自身をたとへた彼は、息苦しい都會の眞中にあつて、柔かに優しいそれ故に平凡な自然のなかへ、溶け込んで了ひたいという切願を、可なり久しい以前から持つやうになつて居た。おゝ!そこにはクラシツクのやうな平靜な幸福と喜びとが、人を待つて居るに違いない。Vanity of vanity, all in vanity!空の空なる哉、すべて空なる哉」或は然うでないにしても‥‥。いや、理屈は何もなかつた。ただ都會のただ中では息が屛つた。人間の重さで壓しつぶされるのを感じた。其處に置かれるには彼はあまりに鋭敏な機械だと、自分自身で考へた。そればかりでない、其處が彼をいやが上にも鋭敏にする。周圍の騷がしい春が彼を一層孤獨にした。「嗟、こんな晩には、何處でもよい、しつとりとした草葺の田舍家のなかで、暗い赤いランプの影で、手も足も思ふ存分に延ばして、前後も忘れる深い眠に陷入つて見たい」といふ心持が、華やかな白熱燈の下を、石甃の路の上を疲れ切つた流浪人のやうな足どりで步いて居る彼の心のなかへ、切なく込上げて來ることが、まことに屢であつた。さうして矢も楯もたまらない、郷愁に似たやうな名づけやうのない心が、何處とも知れぬ場所へ、自分自身を連れて行けとせがむのであつた‥‥(彼は老人のやうな理智と靑年らしい感情と、それに子供ほどな意志とをもつた靑年であつた)

[やぶちゃん注:冒頭の「一たい、彼が」は底本では「一たい、彼か」であるが、誤植と断じ、定稿によって訂した。

「ずつと南方の或る半島の突端に生れた彼」佐藤春夫は明治二五(一八九二)年四月九日、和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)に生まれた。

Vanity of vanity, all in vanity!」中世のドイツ生まれの神秘思想家トマス・ア・ケンピス(Thomas à Kempis 一三七九年或いは一三八〇年~一四七一年)の書いた「キリストに倣いて」(De imitatione Christi)の一節。本書は〈第二の福音書〉〈中世の最高の信心書〉とも言われ、聖書に次いでカトリック教徒の霊的修練書として広く読まれている。但し、英訳では多くは“Vanity of vanities, all is vanity!”ようである。老婆心乍ら、訳の「空」は無論、総て「くう」と読む。

「いやが上」底本は「いやか上」。定本で訂した。

「石甃」「いしだたみ」。

「屛つた」「つまつた(つまった)」。

「嗟」「ああ」。

 

 その家が、今、彼の目の前に現れた。

 

 道の右手には、道に沿うて一條の小渠があつた。道が大きく曲れば、渠も従うて大きく曲つた。そのなかを、水は雜木林の裾や、柹の畑の傍や、厩の橫手や、藪の下や、桐畑や、片隅にぽつかり大きな百合や葵を咲かせた農家の庭の前などを、流れて行き流れて來るのであつた。巾六尺ほどのこの渠は、事實は田へ水を引くための灌水であつたけれども、遠い山間から來た川上の水を眞直ぐに引いたものだけに、その美しさは溪(たにかわ)と言ひ度いやうな氣がする。靑葉を透して降りそそぐ日の光が、それを一層にさう思はせた。へどろの赭土を洒して、洒し盡して何の濁りも立てずに、淺く走つて行く水は、時々ものに堰かれて、ぎらりぎらりと柄になく大きく光つたり、さうかと思ふと縮緬の皺のやうに纖細に、ぴくぴくと發作的に痙攣するやうに光つたりするのだつた。或は、その小さな閃きが魚の鱗のやうに重り合つた、凉しい風が低く吹いて水の面を滑る時には、其處は細長い瞬間的な銀箔であつた。薄(すすき)だの、もう夙くにあの情人にものを訴へるやうなセンチメンタルな白い小さい花を失つた野茨の一かたまりの叢(くさむら)だの、その外名もないしかしそれぞれの花や實を持つ草や灌木が、渠の兩側から茂り合ひかぶさりかかると、水はそれらの草のトンネルをくぐつた。さうしてその影を黑く凉しく浮べては、ゆらゆらと流れ去つた。或る時には、水はゆつたりと流れ淀んだ。それは旅人が自分の來た方をふりかへつて佇むのに似て居た。そんな時には土耳古玉のやうな夏の午前の空を、土耳古玉色に――或は側面から透して見た玻璃板(がらすいた)の色に映して居るのであつた。快活な蜻蛉は流れと微風とに逆行して、水の面とすれすれに身輕く滑走して、時々その足を水にひたして、卵を其處に産みつけて居た。その蜻蛉は微風に乘つて、しばらくの間は彼等と同じ方向へ彼等と同じほどの速さで一行を追うやうに從うて居たが、何かの拍子についと空ざまに、高く舞ひ上つた。彼は水を見、また空を見た。その蜻蛉を呼びかけて祝福したいやうな子供らしい氣輕さが、自分の心に湧き出るのを彼は知つた。さうしてこの樂しい流れが、あの家の前を流れて居るであらうことを想ふのが、彼にはうれしかつた。

[やぶちゃん注:「小渠」「こみぞ」。以下の「渠」も総て「みぞ」と読む。

「灌水」「かんすい」。灌漑用水路。因みに、ネット上のQ&Aサイトを見ていたら、回答の中に本邦で「灌水」という語が使用されるようになったのは昭和四(一九二九)年からであると断定してあるのを見つけた。本底本の刊行は大正七(一九一八)年十一月である。この答えは噓である

「遠い山間から來た」の「遠い」は底本では「遠ひ」となっているが、これは誤植と断じて、定本で訂した。

「赭土」「あかつち」。

「洒し」「さらし」。晒し。

「銀箔」は底本では「銀泊」であるが、これでは意味がとれない。誤植と断じ、定本の「銀箔」に訂した。

「夙くに」「とつくに(とっくに)」。

「土耳古玉」「トルコだま」。トルコ石。ターコイズ(turquoise)。青又は青緑色の鉱物で美しいものは宝石や飾り石にする。ペルシャ原産であるが、トルコを経て欧州へ入ったことからかく呼ばれる。

「時々その足を水にひたして、卵を其處に産みつけて居た」「足」はママ。定本では「尾」に訂正されてある。

 

「子供らしい氣輕さが」底本は「子供らしい氣輕さか」であるが、誤植と断じ、定本で訂した。]

 

 劇しい暑さは苦しい、樂しい、と表現しやうとして木の葉の一枚一枚が、寶玉の一斷面のやうに輝くと、それらの下から蟬は燒かれて居るやうに呻いた。灼けた太陽は、空の眞中近く昇つて居た。併し、彼の妻は、暑さをさほどには感じなかつた。併し、彼の妻から暑さを防いだものは、その頭の上の紫陽花に紫陽花の刺繡のあるパラソル――貧しい婦の天蓋――ではなかつた。それは彼の女の物思ひであつた。彼の女は今步きながら考へ耽つて居る、暑さを身に感じる閑もないほど。かの女は考へた――さうすれば今間借りをして居る寺のあの西日のくわつと射し込む一室から凉しいところへ脱れられる。それよりもあの下卑た俗惡な慾張りの口うるさい梵妻の近くから脱(のが)れられる。さうして、靜に、凉しく、二人は二人して、言ひたい事だけは言ひ、言ひたくない事は一切言はずに暮したい住みたい。さうすれば、風のやうに捕捉し難い海のやうに敏感すぎるこの人の心持も氣分も少しは落着くことであらう。あれほどの意氣込みで田舍を憧れて來ながら、僅ながらも自分の畑の地面をどう利用しやうなどと考へて居るでも無く(それはもとよりさうであらうとは思つたけれども)それよりも本一行見るではなく字一字書かうとするでもなく、何一つ手にはつかぬらしい。さうして若しそんな事でも言ひ出せば、きつと吐鳴りつけるにきまつて居る。それでなくてさへも、もう全然駄目なものと思はれて居る――わけて自分との早婚すぎる無理な結婚の以後は、殊にさう思はれて居るらしい父母への心づかひもなく、ただ浮々と、その日その日の夢を見て暮して居るのである。何時(いつ)、建てるものとも的のない家の圖面の、然も實用的といふやうな分子などは一つも無いものを何枚も何十枚も、それは細(こま)かく細(こま)かく描いて居るかと思うと、不意に庭へ飛び出して、犬の眞似をして犬と一緒になつて、燃えて居る草いきれの草原を這つたり轉げまわつたりして居るかと思へば、突然破れるやうな大聲で笑ひ出したり叫び出したりするこの人は、ほんとうに何か非常に寂しいのであらう。何事も自分には話してはくれないから解る筈もない。何か自分には隱して居るのではなからうか‥‥。彼の女は、五六日前に讀み了つた藤村の「春」を思ひ出した。單純な彼の女の頭には、自分の夫の天分を疑うて見ることなどは知らずに、自分の夫のことを、その小説のなかの一人が、自分の目の前ヘ生活の隣りへ、その本のなかから拔け出して來たかのやうにも思つて見た。あれほど深い自信のあるらしい藝術上の仕事などは忘れて、放擲して、ほんとうにこの田舍で一生を朽ちさせるつもりであらうか。この人は、まあ何といふ不思議な夢を見たがるのであらう‥‥。それにしても、この人は、他人に對しては、それは親切に、優しく調子よくし乍ら、何故かうまで私には氣難かしいのであらう。若しや、あの人のある女に對する前の戀がまだ褪せきらない間に、私はあの人の胸のなかへ這入つて行つて、そのためにあの人はしばらくはあの女を忘れては居たけれども、根強く殘つて居たあの戀が何時の間にか再び自分をのけものにしてまた芽を出したのではなからうか。さうして私にはつらくあたる‥‥今のままでは、さぞかし當人も苦しいであらうが、第一そばに居るものがたまらない。返事が氣に入らないといつては轉ぶほど突きとばされたり、打たれたり、何が氣に入らないのか二日も三日も一言も口を利かうとはしなかつたり‥‥。あの人はきつと自分との結婚を悔いて居るのだ。少くとも若し自分とではなく、あの女と一緒に住んで居たならばどんなに幸福だつたろらうかと、時々、考へるに違ひない。實際あの女は、自分も知つて居るけれども、自分などよりはもつと美しく、もつと優しい。私はあの人があの女をどんなに深く思つて居るかはよく知つて居る‥‥いや、いや、さうではない。あの人はやつぱり彼の人自身で何か別のことを考へ込んで居るのである‥‥

「俺には優しい感情がないのではない。俺はただそれを言ひ現すのが恥しいのだ。俺はさういふ性分に生れついたのだ。」

[やぶちゃん注:「紫陽花に紫陽花の刺繡のあるパラソル」意味が半可通であるがママとする。定本では「紫陽花色に紫陽花の刺繡のあるパラソル」となっていて、躓かずに読める。脱字の可能性が極めて高くはある。

「婦の天蓋」底本に従うならば「をんなのてんがい」。

「彼の女」「かれのをんな」ではなく、「かのぢよ」と読んでいると思われる。定本では「かの女」で、本作では以降に多出するが、これをいちいち別に「かのをんな」と読んでいたのでは、リズムが頗る悪いからである。

「閑」定本では「ひま」とルビする。

「梵妻」「ぼんさい」と読み、僧侶の妻を言う。私は佐藤春夫の詳細年譜を持たないので、判らないが、この時、事実、二人は寺僧の持ち家に間借りをしていたものかも知れぬ。

「僅ながらも」底本では「僅なかがらも」となっている。意味がとれないので衍字と断じ、定本で訂した。

「さうして若しそんな事でも言ひ出せば、」底本は「さして若しそんな事でも言ひ出せば、」であるが、「さして」では意味が通らない。脱字と断じ、定本で訂した。

「浮々と」「うかうかと」。なお、定本では「ただうかうかと――ではないとあの人自身では言つても、とにかくうかうかと――」で、平仮名化し、挿入句が入っている(定本の拗音を普通に戻して表記した)。

「的」定本では「あて」とルビする。

『藤村の「春」』明治四一(一九〇八)年の発表。本底本刊行の十年前に当たる。

「あの女」私は佐藤春夫の事蹟に詳しくないので不詳としておく。

 

「あの人はやつぱり彼の人自身で何か別のことを考へ込んで居るのである‥‥」の「考へ込んで」の「へ」は左へ九〇度に転倒して「く」のように見える。訂した。]

 

 ふと、彼の女は、昨夜、いつになく打解けて彼が語つた時、彼の女にむかつて言つた夫の言葉を思ひ出すと、その言葉を反芻しながら步いた。そうして未だ見たことのない家の間どりなどを考へた。たとひ新婚の夢からはとつくに覺めたころであつても、こんな暑さの下ででも、ただ單に轉居するといふだけの動機で、こんなことを考へて悲しんだり、自ら慰めたりすることの出來るのは、まだ世の中を少しも知らない幼妻(をさまづま)の特權であつたからだ。さうしてそれがまた、あの案内者の女が、喋りつづけに喋つて居るその家の由來に就て、何の興味も持たぬらしく、ただ無愛想に空返事を與へて居るに過ぎなかつた所以ででもある。この案内の女は、その長い暑苦しい道の始終を、ながながと喋りつづけて休まなかつた――この女は自分の興味をもつて居るほどの事なら、他の何人にとつても、非常に面白いのが當然だと信じて居る單純な人人の一人であつたから。

[やぶちゃん注:「未だ」定本ではルビによって「未(ま)だ」と読んでいる。

「空返事」定本では「空」に「そら」とルビする。]

 

 こんな道を、彼等は一里近くも步いた。

 

 さうしてその家は、今、彼等一同の目の前にあつた。

 

 家の前には、果して渠が流れて居た。一つの小さな土橋が、茂るがままの雜草のなかに一筋細く人の步んだあとを殘してその上を步く人人に、あの巾一間あまりの渠を越させて、人人をその家の入口ヘ導く。

 

 入口の左手には大きな柹の樹があつた。さうして、その奧の方にもあつた。それらの樹の自由自在にうねり曲つた太い枝は、見上げた者の目に、「私は永い間ここに立つて居る。もう實を結ぶことも少くなつた」とその身の上を告げて居るのであつた。その老いた幹には、大きな枝の脇の下に寄生木が生えて居た。それに對して右手は、その屋敷とそれの地つづきである桐畑とを區限つて細い溝があつた。何の水であらう、水が涸れて細く――その細い溝の一部分を尚細く流れて男帶よりももつと細く、水はちよろちよろ喘ぎ喘ぎに通うて居た。じめじめとしたところを、一面に空色の花の月草が生え茂つて居た。また子供たちがこんペとうと呼んで居るその菓子の形をした仄赤く白い小さな花や、又赤まんまと子供たちに呼ばれて居る草花なども、その月草に雜つて一帶に蔓つて居た。それはなつかしい幼心(をさなごころ)をよびさます叢(くさむら)であつた。晝間は螢の宿であらう小草のなかから、葉には白い竪の縞が鮮に染め出された蘆が、すらりと、十五六本もひとところに集つて、爽やかな葉を風にそよがせて居るのであつた。屋敷の奧の方から流れ出て來た水は、それらの小草の、莖をくぐつてそれらの蘆の短い節々を洗ひきよめながら、うねりうねつて、解きほぐした絹絲の束のやうにつやつやしく、なよやかに搖れながら流れ出た。さうして、か細く長長しい或る草の葉を、生えたままで流し倒して、それを傳ひながら、それらの水はより大きな道ばたの渠のなかへ、水時計の水のやうにぽたりぽたりと落ちそそいで居た。彼にはこの家の後に湧き立つ小さな淸新な泉がありさうにも感ぜられた。

[やぶちゃん注:「寄生木」「やどりぎ」。本邦に植生するそれは一般的にはビャクダン目ビャクダン科ヤドリギ属ヤドリギ亜種セイヨウヤドリギ亜種ヤドリギ Viscum album subsp. coloratum である。半寄生性灌木で他の樹木の枝の上に生育する。

「月草」「つきくさ」。「空色の花」とあることから判るように、これは所謂、「露草」、単子葉植物綱ツユクサ亜綱ツユクサ目ツユクサ科ツユクサ亜科ツユクサ属ツユクサ Commelina communis の万葉時代以来の古名である。

こんペとうと呼んで居るその菓子の形をした仄赤く白い小さな花」「仄赤く」は「ほのあかく」。これは本文内で植生しているとする場所とその「仄赤」い「白い小さな花」、その花を子らが「こんぺとう」=金平糖と呼んでいること、それらから私が即座に想起する種から、双子葉植物綱ナデシコ目タデ科タデ属ミゾソバ Polygonum thunbergii(又は Persicaria thunbergii)に比定してよいと思われる。ウィキの「ミゾソバによれば、本邦では北海道から九州まで『小川沿いや沼沢地、湖岸などに分布する。 特に稲作地帯などでコンクリート護岸化されていない用水路脇など、水が豊かで栄養価が高めの場所に群生していることが多い』。『今でこそ護岸をコンクリートで固められてしまった場合が多いが、かつて日本各地で水田が見られた頃は、土盛りされていた溝や用水路、小川などの縁に普通に生えており、その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっている』。水辺などで三〇~一メートルほどに『生長し、根元で枝分かれして勢力を拡げ』て群生し、『花期は晩夏から秋にかけてで、茎の先端で枝分かれした先に』、直径四~七ミリメートルほどの『根元が白く先端が薄紅色の多数の花を咲かせる』。『なお、他のタデ科植物と同様に花弁に見えるものは萼である』とある(リンク先の写真を参照されたい)。他に「金平糖草」と呼ばれる種はツユクサ亜綱ホシクサ目ホシクサ科ホシクサ属シラタマホシクサ Eriocaulon nudicuspe があるが、こちらは東海地方の一部地域の湿地などに限定して植生する日本固有種で白い金平糖のような花が咲くが、分布域がモデルのロケ地である神奈川では合わないこと、淡い赤色を呈することはないことから除外出来る。

「赤まんま」犬蓼(いぬたで)の別称。ナデシコ目タデ科ミチヤナギ亜科 Persicarieae Persicariinae亜連イヌタデ属イヌタデ Persicaria longiseta。「アカノマンマ」は本種の赤い小さな花や果実を赤飯に見立てた異名である。

「蔓つて」「はびこつて」。

 

「葉には白い竪の縞が鮮に染め出された蘆」葉の中央の脈が白くはっきりとしているのは薄(単子葉綱イネ目イネ科ススキ Miscanthus sinensis)か荻(ススキ属オギ Miscanthus sacchariflorus)である。敢えて主人公が「蘆」と言っているところから、後者でとる。]

 

 家の背後は山つづきで竹籔になつて居た。淸楚な竹のなかには素晴しく大きな丈の高い椿が、この竹籔の異端者のやうに、重苦しく立つて居た。屋敷の庭は丈の高い――人間の背丈けよりも高くなつた榊の生垣で取り圍まれてあつた。家全體は、指顧の遠さで見た時にさうであつた如く、目の前に置かれてみても、茂るにまかせた草の上に置かれ、樹樹の枝のなかに埋められてあつた。

[やぶちゃん注:「指顧」(しこ)は、最初に現認して、指さして見た時の、ある程度の、しかし遠くはない「近い距離」の謂い。冒頭二段落目の、案内の女がこの家を指差したシーンのロケーションを指す。

 

 犬は一疋ずつ土橋、の側から下りて行つて、灌水の水を交交に味ふのであつた。

[やぶちゃん注:「土橋、」の読点はママ。

 

「交交」「こもごも」。]

 

 彼はその土橋を渡らうともせずに、三徑就荒と口吟みたいこの家を、思ひやり深さうにしばらく眺めた。

[やぶちゃん注:「三徑就荒」知られた陶淵明の「歸去來辭」の中の一句。「三逕就荒 松菊猶存」(三逕(さんけい) 荒(くわう)に就(つ)けども 松菊(しようきく) 猶ほ存す)。但し、この句だけを独立して示しているから、主人公は「三逕(さんけい)荒(くわう)に就(つ)く」と終止した形で吟じたのかも知れない。但し、定本では「さんけいこうについて」とルビしてある

「口吟みたい」「くちづさみたい」。]

 

 「ねえ、いいぢやないか、入口の氣持が」

 彼はこの家の周圍から閑居とか隱棲とかいふ心持に相應した或る情趣を、幾つか拾ひ出し得てから、妻にむかつてかう言つた。

 「然うね。でも隨分荒れて居ること。家のなかへ這入つて見なければ‥‥」

 彼の妻は少々不安さうに、又、さかしげに氣まぐれな夫をたしなめる妻の口調をもつてさう答へた。併し、すぐ思ひかへして、

 「でも、今のお寺に居ることを思へば、何處だつていいわ。」

 今飮んだ水から急に元氣を得た二疋の犬は主人達よりも一足さきに庭のなかへ跳り込んだ。松の樹の根元の濃い樹かげを擇んだ二足の犬どもは、わがもの顏に土の上へ長長と身を橫へた。彼等は顏を突き出して、下顎から喉首のところを地面にべつたりと押しつけ、兩方から同じ形に顏を並べ合つた。さうして全く同じやうな樣子に體を曲げて、後脚を投げ出した樣子は、いかにも愛らしいシンメトリイであつた。赤い舌を垂れて、苦しげな息を吐き出し乍ら、庭に入つて來た彼等の主人達の顏を無邪氣な上眼で眺めて、靜かに樂しさうに尾を動かしてみせた。いかにも落着いたらしいその姿は、此處はもう自分たちの家だといふ事を充分に知つて居るらしいやうにも、彼には見られるのであつた。

[やぶちゃん注:「わがもの顏」底本は「わかもの顏」。定本に従って濁音表記とした。

 因みに、定本ではここのシーンの最後が心内語で少し継ぎ足されてあり、そこで二匹の犬の名前が「フラテ」と「レオ」であることが判るようになっている。]

 

 案内の女と彼の妻とは、その緣側の永い間閉されて居た戸を開けやうとして、鍵で鍵穴をがたがた言はせて居る。

 

 樹といふ樹は茂りに茂つて、綠は幾重にも積み重つた。錯雜した枝と枝とは網の目になり壁になり、軒になつて、庭はほとんど日かげもさし込まなかつた。土の匂は黑い地面から、冷冷(ひやびや)と湧いて來た。彼は足もとから立ちのぼるその土の匂を、香(かう)を匂ふ人のやうに官能を尖らかせて沁々と味うてみた――ぢやらぢやらと凉しく音を立てゝ居た鍵束の音がやまつて、緣側の戸が開けられるまで。

[やぶちゃん注:「官能を尖らかせて」底本は「官能をらかせて」。読めないので、脱字と断じ、定本で「尖」を補った。]

 

2017/04/24

西班牙犬の家   佐藤春夫

 

[やぶちゃん注:本作は大正六(一九一七)年一月発行の『星座』初出。底本は国立国会図書館デジタルコレクションの大正一一(一九二二)年十一月天佑社刊の作品集「病める薔薇」「薔薇」は彼の単独小説作品名としては「さうび(そうび)」と音読みする)所収の同作(正字正仮名)を画像で視認した。但し、時間を短縮するため、加工データとして「網迫の電子テキスト乞校正@Wiki」のこちらの電子テクスト(但し、新字新仮名で未校正データ)を使用させて貰った。網迫氏に深く感謝する(但し、網迫氏のそれは幾つかの箇所でかなり有意なタイプ・ミスではあり得ない異同が認められ、それは或いは後に改稿されたもののように見受けられるものである)。一応、私が所持する岩波文庫版「美しき町・西班牙犬の家」を一部で参考にしたが、底本を再現した。例えば、第二段落の「あちらこちらと氣せわしげに行き來するうちに」の「氣せわしげに」の「せ」は現行諸本は「ぜ」と濁るが、濁音には従わなかった。底本の傍点「ヽ」は太字とした。但し、一箇所だけ、「私の這入るのを見て狡さうにそつと目を開けて、のつそり起上つたからである。」の箇所は、底本では「私の這入るのを見狡てさうにそつと目を開けて、のつそり起上つたからである。」で読みようがなく、ここはどう考えても「這入(はい)るのを見て狡(ずる)さうに」の誤植としか思われないので、岩波文庫版を参考に特異的に訂した。「ほんとう」などの歴史的仮名遣の誤りもママである。

 因みに、標題「西班牙犬の家」は「スペインけんのいへ」と読む(佐藤は本作を戦後の少年向け刊行物では「スペイン犬の家」と表記している)。

 一部の語釈を先にしておく。

「西班牙犬」犬種は不明であるが、作者がわざわざ「スペイン犬」とし、大型個体であることろからは、スペイン原産の護蓄用犬種である「スパニッシュ・マスティフ」(Spanish Mastiff)が浮かぶ。但し、スパニッシュ・マスティフの真黒な個体というのはネット画像を見てもあまり見られない。また主人公は、「この種特有の房々した毛のある大きな尾をくるりと尻の上に卷上げたところはなかなか立派である」と言っているのも、必ずしも同犬にぴったりくるとは言い難いようだ。別な犬種を考えるべきか?

「フラテ」これは実は本邦に古くからある「キリシタン」用語で、イタリア語で「兄弟」を意味する“frate”(音写:フラァーテェ)に由来し、「托鉢」「跣足のフランシスコ会士」「アウグスチノ会士」などを指す語であった。

「蹄鍛冶屋」私は「ひづめかぢや」と読む。馬の蹄鉄を主に扱った鍛冶屋。

「潺湲たる」は「せんくわん(せんかん)たる」(「せいゑん」とも読む)で、水がさらさらと流れるさまを言う。

「造へ方」「こしらへかた」。

「異體の知れない」「えたいのしれない」。「得体」への当て字であるが、近代作家ではしばしば見られる。

「素木」「しらき」と当て訓しておく。

「あとすだり」「後ずさり」のこと。「日本国語大辞典」に「あとすだり」を鳥取・島根の方言として「あとずざり」に所載する。但し、佐藤春夫は和歌山出身である。

「ヰスラア」海の絵となると、アメリカ人画家・版画家で主にロンドンで活動したジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler 一八三四年~一九〇三)か。

「リップ、ヴンヰンクル」アメリカの小説家ワシントン・アーヴィング(Washington Irving  一七八三年~一八五九年)の短編小説Rip van Winkle(「リップ・ヴァン・ウィンクル」 一八二〇年)の題名でありその主人公の名。ウィキの「リップ・ヴァン・ウィンクル」によれば、『アーヴィングがオランダ人移民の伝説を基にして書き上げたものであり、まさに「アメリカ版浦島太郎」と言うべきもの』。『アメリカ独立戦争から間もない時代。呑気者の木樵リップ・ヴァン・ウィンクルは口やかましい妻にいつもガミガミ怒鳴られながらも、周りのハドソン川とキャッツキル山地の自然を愛していた。ある日、愛犬と共に猟へと出て行くが、深い森の奥の方に入り込んでしまった。すると、リップの名を呼ぶ声が聞こえてきた。彼の名を呼んでいたのは、見知らぬ年老いた男であった。その男についていくと、山奥の広場のような場所にたどり着いた。そこでは、不思議な男たちが九柱戯(ボウリングの原型のような玉転がしの遊び)に興じていた。ウィンクルは彼らにまじって愉快に酒盛りするが、酔っ払ってぐっすり眠り込んでしまう』。『ウィンクルが目覚めると、町の様子はすっかり変っており、親友はみな年を取ってしまい、アメリカは独立していた。そして妻は既に死去しており、恐妻から解放されたことを知る。彼が一眠りしているうちに世間では』二十『年もの年が過ぎ去ってしまっ』ていたというストーリーである。]

 

 

 

    西班牙犬の家

 

      (夢見心地になることの好きな人の爲めの短篇)

 

 

 フラテ(犬の名)は急に驅け出して、蹄鍛冶屋の橫に折れる岐路のところで、私を待つて居る。この犬は非常に賢い犬で、私の年來の友達であるが、私の妻などは勿論大多數の人間などよりよほど賢い、と私は言じて居る。で、いつでも散步に出る時には、きつとフラテを連れて出る。奴は時々、思ひもかけぬやうなところへ自分をつれてゆく。で近頃では私は散步といへば、自分でどこかへ行かうなどと考へずに、この犬の行く方へだまつてついて行くことに決めて居るやうなわけなのである。蹄鍛冶屋の橫道は、私は未だ一度も步かない。よし、犬の案内に任せて今日はそこを步かう。そこで私はそこを曲る。その細い道はだらだらの坂道で、時々ひどく曲りくねつて居る。私はその道に沿うて犬について、景色を見るでもなく、考へるでもなく、ただぼんやりと空想に耽つて步く。時々空を仰いで雲を見る。ひよいと道ばたの草の花が目につく。そこで私はその花を摘んで、自分の鼻の先に匂うて見る。何といふ花だか知らないがいい匂である。指で摘んでくるくるまわしながら步く。するとフラテは何かの拍子にそれを見つけて、ちよつと立とまつて、首をかしげて、私の目の中をのぞき込む。それを欲しいといふ顏つきである。そこでその花を投げてやる。犬は地面に落ちた花を、ちよつと嗅いで見て、何だ、ビスケツトぢやなかつたのかと言ひたげである。さうして又急に驅け出す。こんな風にして私は二時間近くも步いた。

 步いてゐるうちに我々はひどく高くへ登つたものと見える。そこはちよつとした見晴で、打開けた一面の畑の下に、遠くどこの町とも知れない町が、雲と霞との間からぼんやりと見える。しばらくそれを見て居たが、たしかに町に相違ない。それにしてもあんな方角に、あれほどの人家のある場所があるとすれば、一たい何處なのであらう。私は少し腑に落ちぬ氣持がする。しかし私はこの邊一帶の地理は一向に知らないのだから、解らないのも無理ではないが。それはそれとして、さて後(うしろ)の方はと注意して見ると、そこは極くなだらかな傾斜で、遠くへ行けば行くほど低くなつて居るらしく、どこも一面の雜木林のやうである。その雜木林は可なり深いやうだ。さうしてさほど太くもない澤山の木の幹の半面を照して、正午に間もない優しい春の日ざしが、楡や樫や栗や白樺などの芽生したばかりの爽やかな葉の透間から、煙のやうに、また匂(にほひ)のやうに流れ込んで、その幹や地面やの日かげと日向との加減が、ちよつと口では言へない種類の美しさである。おれはこの雜木林の奧へ這入つて行きたい氣持になつた。その林のなかは、かき別けねばならぬといふほどの深い草原でもなく、行かうと思へばわけもないからだ。

 私の友人のフラテも同じ考へであつたと見える。彼はうれしげにずんずんと林の中へ這入つてゆく。私もその後に從うた。約一丁ばかり進んだかと思うころ、犬は今までの步き方とは違ふやうな足どりになつた。氣らくな今までの漫步の態度ではなく、織るやうないそがしさに足を動かす。鼻を前の方につき出して居る。これは何かを發見したに違ひない。兎の足あとであつたのか、それとも草のなかに鳥の巣でもあるのであらうか。あちらこちらと氣せわしげに行き來するうちに、犬は其の行くべき道を發見したものらしく、眞直ぐに進み初めた。私は少しばかり好奇心をもつてその後を追うて行つた。我々は時々、交尾していたらしい梢の野鳥を駭かした。斯うした早足で行くこと三十分ばかりで、犬は急に立ちとまつた。同時に私は潺湲たる水の音を聞きつけたやうな氣がした。(一たいこの邊は泉の多い地方である)犬は耳を疳性らしく動かして二三間ひきかへして、再び地面を嗅ぐや、今度は左の方へ折れて步み出した。思つたよりもこの林の深いのに少しおどろいた。この地方にこんな廣い雜木林があらうとは考へなかつたが、この工合ではこの林は二三百町步もあるかも知れない。犬の樣子といひ、いつまでも續く林といひ、おれは好奇心で一杯になつて來た。かうしてまた二三十分間ほど行くうちに、犬は再び立とまつた。さて、わつ、わつ!といふ風に短く二聲吠えた。その時までは、つい氣がつかずに居たが、直ぐ目の前に一軒の家があるのである。それにしても多少の不思議である、こんなところに唯一つ人の住家があらうとは。それが炭燒き小屋でない以上は。

 打見たところ、この家には別に庭といふ風なものはない樣子で、また唐突にその林のなかに雜つて居るのである。この「林のなかに雜つて居る」といふ言葉はここでは一番よくはまる。今も言つた通り私はすぐ目の前でこの家を發見したのだからして、その遠望の姿を知るわけにはいかぬ。また恐らくはこの家は、この地勢と位置とから考へて見てさほど遠くから認め得られようとも思へない。近づいての家は別段に變つた家とも思へない。ただその家は草屋根であつたけれども、普通の百姓家とはちよつと趣が違ふ。といふのは、この家の窓はすべてガラス戸で西洋風な造へ方なのである。ここから入口の見えないところを見ると、我々は今多分この家の背後と側面とに對して立つて居るものと思ふ。その角のところから二方面の壁の半分づつほどを覆ふつたかずらだけが、言はゞこの家のここからの姿に多少の風情と興味とを具へしめて居る裝飾で、他は一見極く質朴な、こんな林のなかにありさうな家なのである。私は初め、これはこの林の番小屋でないかしらと思つた。それにしては少し大きすぎる。又わざわざとこんな家を建てて番をしなければならぬほどの林でもない。と思ひ直してこの最初の認定を否定した。兎も角も私はこの家へ這入つて見やう、道に迷ふたものだと言つて、茶の一杯ももらつて持つて來た辨當に、我々は我々の空腹を滿さう。と思つて、この家の正面だと思へる方へ步み出した。すると今まで目の方の注意によつて忘れられて居たらしい耳の感覺が働いて、おれは流れが近くにあることを知つた。さきに潺湲たる水聲を耳にしたと思つたのはこの近所であつたのであらう。

 正面へ廻つて見ると、そこも一面の林に面して居た、ただここへ來て一つの奇異な事には、その家の入口は、家全體のつり合ひから考へてひどく贅澤にも立派な石の階段が丁度四級もついて居るのであつた。その石は家の他の部分よりも、何故か古くなつて所々苔が生へて居るのである。さうしてこの正面である南側の窓の下には家の壁に沿ふて一列に、時を分たず咲くであらうと思へる紅い小さな薔薇の花が、我がもの顏に亂れ咲いて居た。そればかりでない、その薔薇の叢の下から帶のやうな幅で、きらきらと日にかがやきながら、水が流れ出て居るのである。それが一見どうしてもその家のなかから流れ出て居るとしか思へない。私の家來のフラテはこの水をさも甘さうにしたたかに飮んで居た。私は一暼のうちにこれらのものを自分の瞳へ刻みつけた。

 さて私は靜に石段の上を登る。ひつそりとしたこの四邊の世界に對して、私の靴音は靜寂を破るといふほどでもなく響いた。私は「おれは今、隱者か、でなければ魔法使の家を訪問して居るのだぞ」と自分自身に戲れて見た。さうして私の犬の方を見ると、彼は別段變つた風もなく、赤い舌を垂れて、尾をふつて居た。

 私はこつこつと西洋風の扉を西洋風にたたいて見た。内からは何の返答もない。私はもう一ぺん同じことを繰返さねばならなかつた。内からはやつぱり返答がない。今度は聲を出して案内を乞うて見た。依然。何の反響もない。留守なのかしらと空家なのかしらと考へてゐるうちにおれは多少不氣味になつて來た。そこでそつと足音をぬすんで――これは何の爲であつたかわからないが――薔薇のある方の窓のところへ立つて、そこから脊のびをして内を見まわして見た。

 窓にはこの家の外見とは似合しくない立派な品の、黑ずんだ海老茶にところどころ靑い線の見えるどつしりとした窓かけがしてあつたけれども、それは半分ほどしぼつてあつたので部屋のなかはよく見えた。珍らしい事には、この部屋の中央には、石で彫つて出來た大きな水盤があつてその高さは床の上から二尺とはないが、その眞中のところからは、水が湧立つて居て、水盤のふちからは不斷に水がこぼれて居る。そこで水盤には靑い苔が生えて、その附近の床――これもやつぱり石であつた――は少ししめつぽく見える。このこぼれた水が薔薇のなかからきらきら光りながら蛇のやうにぬけ出して來る水なのだらうといふことは、後で考へて見て解つた。私はこの水盤には少なからず驚いた。ちよいと異風な家だとはさきほどから氣がついたものの、こんな異體の知れない仕掛まであらうとは豫想出來ないからだ。そこで私の好奇心は、一層注意ぶかく家の内部を窓越しに觀察し始めた。床も石である。何といふ石だか知らないが、靑白いやうな石で水で濕つた部分は美しい靑色であつた。それが無雜作に、切出した時の自然のままの面を利用して列べてある。入口から一番奧の方の壁にこれも石で出來たファイヤプレィスがあり、その右手には棚が三段ほどあつて、何だか皿見たやうなものが積み重ねたり、列んだりして居る。それとは反對の側に――今、おれがのぞいて居る南側の窓の三つあるうちの一番奧の隅の窓の下に大きな素木のままの裸の卓があつて、その上には‥‥何があるのだか顏をぴつたりくつつけても硝子が邪魔をして覗き込めないから見られない。おや待てよ、これは勿論空家ではない、それどころか、つひ今のさきまで人が居たに相違ない。といふのはその大きな卓の片隅から、吸ひさしの煙草から出る煙の絲が非常に靜かに二尺ほど眞直ぐに立ちのぼつて、そこで一つゆれて、それからだんだん上へゆくほど亂れて行くのが見えるではないか。

 私はこの煙を見て今思ひがけぬことばかりなので、つい忘れて居た煙草のことを思出した。そこで自分も一本を出して火をつけた。それからどうかしてこの家のなかへ入つて見たいといふ好奇心がどうもおさへ切れなくなつた。さてつくづく考へるうちに、私は決心をした。この家の中へ入つて行かう。留守中でもいい這入つてやらう。若し主人が歸つて來たならばおれは正直にそのわけを話すのだ。こんな變つた生活をして居る人なのだから、さう話せば何とも言ふまい。反つて歡迎してくれないとも限らぬ。それには今まで荷厄介にして居たこの繪具箱が、おれの泥棒でないといふ證人として役立つであらう。私は蟲のいいことを考へて斯う決心した。そこでもう一度入口の階段を上つて、念のため聲をかけてそつと扉をあけた。扉には別に錠も下りては居なかつたから。

 私は這入つて行くといきなり二足三足あとすだりした。何故かといふに、入口に近い窓の日向に眞黑な西班牙犬が居るではないか。顎(あご)を床にくつつけて、丸くなつて居眠して居た奴が、私の這入るのを見て狡さうにそつと目を開けて、のつそり起上つたからである。

 これを見た私の犬のフラテは、うなりながらその犬の方へ進んで行つた。そこで兩方しばらくうなりつづけたが、この西班牙犬は案外柔和な奴と見えて、兩方で鼻面を嗅ぎ合つてから、向から尾を振り始めた。そこで私の犬も尾をふり始めた。さて西班牙犬は再びもとの床の上へ身を橫へた。私の犬もすぐその傍へ同じやうに橫になつた。見知らない同性同士の犬と犬とのかうした和解はなかなか得難いものである。これはおれの犬が温良なのにも因るが主として向うの犬の寛大を賞讚しなければなるまい。そこでおれは安心して入つて行つた。この西班牙犬はこの種の犬としては可なり大きな體で、例のこの種特有の房々した毛のある大きな尾をくるりと尻の上に卷上げたところはなかなか立派である。しかし毛の艷(つや)や、顏の表情から推して見て、大分老犬であるといふことは、犬のことを少しばかり知つて居る私には推察出來た。私は彼の方へ接近して行つて、この當座の主人である彼に會釋するために、敬意を表するために彼の頭を愛撫した。一體犬といふものは、人間がいぢめ拔いた野良犬でない限りは、淋しいところに居る犬ほど人を懷しがるもので見ず知らずの人でも親切な人には決して怪我をさせるものでない事を、經驗の上からおれは信じて居る。それに彼等には必然的な本能があつて、犬好きと犬をいぢめる人とは直ぐ見わけるものだ。私の考は間違ではなかつた。西班牙犬はよろこんでおれの手のひらを甜めた。

 それにしても一體、この家の主人といふのは何者なのであらう。何處へ行つたのであらう。直ぐ歸るだらうか知ら。入つて見るとさすがに氣が咎めた。それで入つたことは入つたが、私はしばらくあの石の大きな水盤のところで佇立したまゝで居た。その水盤はやつぱり外から見た通りで、高さは膝まで位しかなかつた。ふちの厚さは二寸位で、そのふちへもつてつて、また細い溝が三方にある。こぼれる水はそこを流れて、水盤の外がわをつたうてこぼれて仕舞ふのである。成程、斯うした地勢では、斯うした水の引き方も可能なわけである。この家では必ずこれを日常の飮み水にして居るのではなからうか。どうもたゞの裝飾ではないと思ふ。

 一體この家はこの部屋一つきりで何もかもの部屋を兼ねて居るやうだ。椅子が皆で一つ‥‥二つ‥‥三つきりしかない。水盤の傍と、ファイヤ、プレイスとそれに卓に面して各一つづゝ。何れもただ腰をかけられるといふだけに造られて、別に手のこんだところはどこにも無い。見廻して居るうちに私はだんだんと大膽になつて來た。氣がつくとこの靜かな家の脈搏のやうに時計が分秒を刻む音がして居る。どこに時計があるのであらう。濃い樺色の壁にはどこにも無い。あゝあれだ、あの例の大きな卓の上の置時計だ。私はこの家の今の主人と見るべき西班牙犬に少し遠慮しながら、卓の方へ步いて行つた。

 卓の片隅には果して、窓の外から見たとほり、今では白く燃えつくした煙草が一本あつた。

 時計は文字板の上に繪が描いてあつて、その玩具のやうな趣向がいかにもこの部屋の半野蠻な樣子に對照をして居る。文字板の上には一人の貴婦人と、一人の紳士と、それにもう一人の男が居て、その男は一秒間に一度づゝこの紳士の左の靴をみがくわけなのである。馬鹿々々しいけれどもその繪が面白かつた。その貴婦人の襞の多い笹べりのついた大きな裾を地に曳いた具合や、シルクハツトの紳士の頰髯の樣式などは、外國の風俗を知らない私の目にももう半世紀も時代がついて見える。さて可哀想なはこの靴磨きだ。彼はこの平靜な家のなかの、その又なかの小さな別世界で夜も晝も斯うして一つの靴ばかり磨いて居る。それを見て居るうちにこの單調な不斷な動作に、おれは自分の肩が凝つて來るのを感ずる。それで時計の示す時間は一時十五分――これは一時間も遲れて居さうであつた。机には塵まみれに本が五六十册積上げてあつて、別に四五冊ちらばつて居た。何でも繪の本か、建築のかそれとも地圖と言ひたい樣子の大册の本ばかりだつた。表題を見たらば、獨逸語らしく私には讀めなかつた。その壁のところに、原色刷の海の額がかゝつて居る、見たことのある繪だが、こんな色はヰスラアではないかしら‥‥おれはこの額がこゝにあるのに賛成した。でも人間がこんな山中に居れば、繪でも見て居なければ世界に海のある事などは忘れて仕舞ふかも知れないではないか。

 私は歸らうと思つた、この家の主人には何れまた會いに來るとして。それでも人の居ないうちに入込んで、人の居ないうちに歸るのは何んだか氣になつた。そこで一層のこと主人の歸宅を待たうといふ氣にもなる。これで水盤から水の湧立つのを見ながら、一服吸ひつけた。さうして私はその湧き立つ水をしばらく見つめて居た。かうして一心にそれを見つづけて居ると、何だか遠くの音樂に聞き入つて居るやうな心持がする。うつとりとなる。ひよつとするとこの不斷にたぎり出る水の底から、ほんとうに音樂が聞えて來たのかも知れない。あんな不思議な家のことだから。何しろこの家の主人といふのはよほど變者(かはりもの)に相違ない。‥‥待てよおれは、リップ、ヴンヰンクルではないか知ら。……歸つて見ると妻は婆になつて居る。‥‥ひよつとこの林を出て、「K村はどこでしたかね」と百姓に尋ねると、「え?K村、そんなところはこの邊にありませんぜ」と言はれさうだぞ。さう思ふと私はふと早く家へ歸つて見やうと、變な氣持になつた。そこで私は扉口のところへ步いて行つて、口笛でフラテを呼ぶ。今まで一擧一動を注視して居たやうな氣のするあの西班牙犬はぢつとおれの歸るところを見送つて居る。私は怖れた。この犬は今まで柔和に見せかけて置いて、歸ると見てわつと後から咬みつきはしないだらうか。私は西班牙犬に注意しながら、フラテの出て來るのを待兼ねて、大急ぎで扉を閉めて出た。

 さて歸りがけにもう一ぺん家の内部を見てやらうと、背のびをして窓から覗き込むと例の眞黑な西班牙犬はのつそりと起き上つて、さて大机の方へ步きながら、おれの居るのに氣がつかないのか、

「あゝ、今日は妙な奴に駭かされた。」

 と、人間の聲で言つたやうな氣がした。はてな、と思つて居ると、よく犬がするやうにあくびをしたかと思うと、私の瞬きした間に、奴は五十恰好の眼鏡をかけた黑服の中老人になり大机の前の椅子によりかゝつたまゝ、悠然と口には未だ火をつけぬ煙草をくわへて、あの大形の本の一册を開いて頁をくつて居るのであつた。

 ぽかぽかとほんとうに溫い春の日の午後である。ひつそりとした山の雜木原のなかである。

 
 

2015/01/09

魔のもの Folk Tale 佐藤春夫 ―― PDFの読めない方のために

魔のもの Folk Tale   佐藤春夫
 
 (昭和七(一九三二)年春陽堂刊「少年文庫」版)
 
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年四月発行の『新小説』に発表され、後に佐藤春夫最初の童話集となった「蝗の大旅行」(改造社昭和元(一九二六)年九月刊)に所収された。国立国会図書館蔵の昭和七(一九三二)年春陽堂刊の「少年文庫 3」版を底本としたが、総ルビであるため、読みが振れると判断した箇所にのみのパラルビで電子化した。本「魔のもの」を載せている国書刊行会一九九二年刊須永朝彦編「日本幻想文学集成」の第十一巻「佐藤春夫」の、編者須永氏の解説によれば(引用部は恣意的に正字化した)、『『退屈讀本』所収の「わが父わが母及びその子われ」に「私は母に抱かれて幾つかの傳統的な怪異な話を覺えてゐる」とあるから左様なものゝ一つかとも推測してみるが、粉本の有無は不詳』とある。なお、この「日本幻想文学集成」は初出に拠っている者と思われ、本テクストと表記の一部や句読点及び改行に異同がある。内容的にそれを逐一記す必要性は感じないが、一箇所だけ、三話目の、「――さう言つて、その若い衆の妹が今でも泣いて話すが、これや愚痴とは言へまい‥‥」という一文の後、「早う汽車がとほるとええなあ、と、そこでわしが言うたことぢや。」が入るが、これは私の底本としたものでは改頁となっているものの、視認する限りでは一行空けがない。しかし、話術の流れから、ここのみ須永編の「日本幻想文学集成」をよしとして一行空けとした。影絵の切り絵の挿絵が入るが、作者不詳であり、著作権を考えて省略した。なお、本テクストは私のブログの六十五万アクセス突破記念として作成した。【二〇一五年一月日 藪野直史】]
 
魔のもの
     Folk Tale
 
 もう八つの刻(こく)だつたらう――
 とぼとぼ、坂路を下りて居ると、ピカリと不意に光つたものがある。――松の梢(こずえ)のてつぺんぢや。ハツと、そこへ(ヽヽヽ)思はずひれ伏してしまつた。
「六根淸淨(ろつこんしやうじやう)々々々々々々々々……」
 手を合はしてから、ちらりと一目拜むと、鳥(とり)のやうな足ぢや。羽根をひろげての――。天狗(てんぐ)さまがござらつしやる。息もつかずに居た。おそるおそる、もう一度、そつと、首をちぢめたままで見上げると、もう、何(なに)も無い、ほーつ(ヽヽヽ)と思つて、もう一度、ゆつくり見上げると本當にもう何もない。
 一もくさん(ヽヽヽヽヽ)に林のなかからかけて下りて、やつとの思ひで村へ出た。
 ――あれやあ、本當の天狗さまぢやらう。
      *     *     *     *
         *     *     *
 六甲越(かふごえ)で丹羽へ出ようと思つとつた。峰一つ越えてしまうて、もう少しのことで人里だつた。
 月が出てゐたがの。
 その長い一本道を、いきなりスーツ(ヽヽヽ)と來て通つた、ゴオーと言つて地鳴りがしたやうにも思つたがのう、荷物も、商賣ものの灰(はひ)もあつたものぢやない、身(からだ)一つで竹藪のなかへすくみ込んだ。
 夜(よる)は魔のものといふが、そりや、えらいものぢや、通つたあとがといふと、お前、あたり一めんの蓮華畑(れんげばたけ)に、一すぢ、幅が三尺(じやく)ほど、そこだけ刈り取りでもしたやうに、帶(おび)になつて、蓮華の花が綺麗に切れてしまつてゐるのだ。
 ――いや、四つ足(あし)ぢやない。さあ? 長(なが)ものでもない。鱗(うろこ)もありやせん。いや、ただもう、三丈もあらうかといふかたまりなのぢや、黑いものぢや、影のかたまりぢや。
 さうさ、幽靈ぢやらうかのう。お化けぢやらうかのう。さあ、何やら知らんが、何(な)にせ、まあ、それがその魔のもので、つまりは今だに正體が知れんのぢや‥‥て。
      *     *     *     *
         *     *     *
 その谷といふのがその、名(な)うての魔所なので、ひとり旅などをするものはもとより、つれのある衆(しう)でも、そこまで來ると、ふいとその谷のなかへ上の道からをどり込んだりするのだ。夕がたなどは論外だが、晝日中(ひるひなか)でもそれだ。――いきなりひき込まれるのはまだたち(ヽヽ)のいい方ぢや。一度などはこんなことがあつた――。
 次の村で話し込んで夕方になつて出かけた若い衆が、その晩になつても、朝になつても、その次の夕方になつても歸らぬ。さあへん(ヽヽ)だといふのでさがして見ると、案のとほり、そこの谷へ墜(お)ち込んでゐる。體(からだ)は、今さらぢやないが目もあてられない。で、一番妙なことはといふと、たかが一里もない手前の緣者のうちで新らしくはかせたわらぢ(ヽヽヽ)が、二十里も歩いて來たやうにぐしやぐしやにはきつぶれてゐた。――そんなに遠道(とほみち)を、どこをどう歩いて來たやらそれがとんとわからない。――さう言つて、その若い衆の妹が今でも泣いて話すが、これや愚痴とは言へまい‥‥
   
 早う汽車がとほるとええなあ、と、そこでわしが言うたことぢや。
      *     *     *
         *     *     *
 村中の人が雪の上で焚火(たきび)をして、手に手に得(え)ものを持つてゐるところだつた。聞くと、今夜こそは是非(ぜひ)とも一つあれ(ヽヽ)をどうかしてくれようと言つてゐる‥‥
 その晩はえらい騷動ぢやつたて。たうとう丑滿(うしみつ)すぎになつてわな(ヽヽ)に落ちた。つかまへて見ると、それは二尺あるなしの四つ足なのだ、見たところは山犬に似てゐるが、ぢやが山犬でもない。てん(ヽヽ)でもない。白い毛のふさふさしたものぢや。捉(つか)まつても割合に神妙にして居(を)つた。ちよつとその邊では見なれないものぢやと言つた。わしも見たことのないものぢやつた。もう夜中でもあつたしそれにめづらしい奴(やつ)ぢやといふので、村の衆はそれをともかくも生(い)けて置くことにした。それで、どこから持ち出したのか、こんな太い丸太を組み合(あは)した。さうして、その隙間(すきま)といつたら、それこそ指二本とはそろへて這入(はい)らぬ檻(をり)のなかへ、そいつを投(はふ)り込みをつた。それから獵につかふ犬を皆(みんな)そこへ張番(はりばん)させて置いた――これや、私(わたし)もちやんと見たのぢや。
 ――ところが、やつぱり魔のものぢやつたのぢや。明(あめ)の日になつて見ると、もう影も形もあるものぢやない。――その檻はちやんとそつくり頑丈(ぐわんじやう)にのこつてゐるのぢやげにな。なにさま、やつぱり魔のものぢやつたのぢやらう‥‥
      *     *     *     *
         *     *     *
 この村に、むかしから魔の住んどる家(うち)が三軒(げん)あるのぢや。一軒(けん)はそれ、あの高いくぬぎの下(した)の家(うち)ぢや。もう一軒は、馬方(うまかた)の馬屋(うまや)のねき(ヽヽ)にあるあの空(あ)き家(や)ぢや。――あれが一ばん惡(わる)いて、それからもう一軒はな、――さうさ、ええ、もう言うてしまヘ――お前のうちぢやがな‥‥
[やぶちゃん注:「六根淸淨(ろつこんしやうじやう)」以下の「々」の記号部分には底本では六回分の踊り字「〱」が入っている。これは「ろつこん」と「しやうじやう」を分割した繰り返し表記と思われ、朗読される際には、最低でも三回以上(リーダがある)は必ず、お願いしたい。
「ねき」根際(ねき)。側。傍ら。]

ブログ・アクセス650000突破記念 佐藤春夫「魔のもの Folk Tale」(PDF縦書版)  /  堀辰雄「淨瑠璃寺の春」(正字正仮名PDF縦書版)

ブログ・アクセス650000突破記念として「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に、

佐藤春夫「魔のもの Folk Tale」(PDF縦書版)

と、

堀辰雄「淨瑠璃寺の春」(正字正仮名PDF縦書版)

を公開した。後者は新字新仮名の電子テクストは出回っているが、僕にとってはこの「大和路・信濃路」、その中でも特に僕の偏愛する、この「淨瑠璃寺の春」は、どうしても正字正仮名でなくてはいけないのである。

2015/01/07

芥川龍之介遺稿集「西方の人」跋文 佐藤春夫

「西方の人」跋文 佐藤春夫

 

[やぶちゃん注:これは昭和四(一九二九)年十二月二十日に岩波書店から刊行された遺稿作品集西方人」の跋文である(小穴隆一画・装幀。リンク先は国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」の「西方の人」。状態の良い書誌画像が見られる)。収録作品は、以下の通り。

 三つの窓

 手紙

 

 「古千屋」

 「たね子の憂鬱」

 十本の針

 闇中問答

 齒車

 或阿呆の一生

 西方の人

 續西方の人

以上のリンク先は総て私の正字正仮名の電子テクストである(ものによっては草稿も附加してある)。但し、「手紙」と「冬」は私が唯一正統と考える二つがペアになっている初出形「冬と手紙と」であり、「西方の人」と「續西方の人」は私がカップリングしたテクストである。「古千屋」「たね子の憂鬱」(それぞれ以下にリンク)は孰れも「青空文庫」で読める(但し、新字新仮名仕様で、しかも親本がやや校訂上問題のある「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」であることは注記しておく)。

 底本は
国立国会図書館当該書籍近代デジタルライブラリ視認を用いた。]

 

 「西方の人」跋文

 

 ここに集められたものは悉く彼が晩年の稿である。或ものは文字どほりに必死の努力によつて生命をそのなかに注入しようとしてゐるし、また少数の或るものは心にもない重たげな筆を義務を痛感しながら不機嫌そうに運んでゐる。各の意味で一篇として彼が傷ましい生活を反映せぬものはない。就中、齒車の如きは紙背にこもつてゐる作者の暗涙がそぞろに人に迫つて、心なしには通読出來ないであらう。

 さきの日の颯爽たちすがたは今や悲痛な面ざしに變つた。彼を愛する讀者にとつてこれらの諸篇こそは最も愛惜に得堪ぬもので、蓋し卿等も亦わたくしとともに卷を掩うて必ず長く歎息せられるであらう。

  昭和四年晩秋   佐 藤 春 夫 誌 す

 

■やぶちゃん注

・「暗涙」「あんるい」で、人知れず流す涙。ひそかに流す涙。

・「卿等」「きやうら(きょうら)」で、尊敬の二人称の複数形。

・「卷を掩うて」「かんをおおうて」で、読んでいる本を一旦閉じ、そこまでの内容を吟味追懐すること。そうした読書の仕方を「掩巻(えんかん)」と呼ぶが、それを訓読したもの。

2015/01/05

春ぞなかなかに悲しき 朱淑眞作 佐藤春夫訳

  春ぞなかなかに悲しき

 

    滿眼春光色色新

    花紅柳綠總關情

    欲將鬱結心頭事

    付與黄鸝叫幾聲

         朱淑眞

 

まばゆき春のなかなかに

花もやなぎもなやましや

むすぼほれたるわが胸に

啼けうぐひすよ 幾聲に

 

[やぶちゃん注:佐藤春夫「車塵集」より。

   ※

朱淑眞 十一世紀初頭。宋朝。海寧の人である。幼少の時に兩親を失い充分に夫を擇ぶこともし得なかった。市井の民家に嫁して無知凡庸な夫を持ったことを常に歎き、吟咏(ぎえい)によって胸中の憂悶を洩した。その詩詞集は斷腸集と呼ばれ、前集十一卷後集七卷があるが、その中には胸中の不平抑えがたいものが屢々(しばしば)現われ風雅と稱するには激越にすぎたものも見える。詩藁(しこう)も沒後夫の父母によって焚かれたものの一部分が遺ったのを、好事者が顏色如花命如秋葉その薄命を憐れむの餘りにこれを編んだものだと傳えている。彼女は朱文公の姪だという説もあるけれども、朱子は新安の人で海寧に兄弟が居たということは聞かないから、多分後人が彼女を飾るための僞説だろうと言われる。とにかく生涯はあまり明かではないらしい。ハイネの小曲に、「胸中の戀情は夜鶯の聲となる」という意を咏じたものがあったと思うが、ここに掲げた絶句は正に同工異曲である。

   ※]

ただ若き日を惜しめ 杜秋娘作 佐藤春夫訳

  ただ若き日を惜しめ

 

       勸君莫惜金縷衣

       勸君須惜少年時

       花開堪折直須折

       莫待無花空折枝

            杜秋娘

 

綾にしき何をか惜しむ

惜しめただ君若き日を

いざや折れ花よかりせば

ためらはば折りて花なし

 

[やぶちゃん注:佐藤春夫「車塵集」より。

 原作者について「車塵集」は末尾に無署名乍ら佐藤自身の筆になる「原作者の事その他」という後書があるので、そこから引いておく(以下、「車塵集」ではこの注書を略し、※で挟んで示す。なお、底本自体が編者によって振り仮名が振られているので、それ以上に私が読み難いものに読みを現代仮名遣で振った。アンバランスなのは最後に説明する)。

    ※

杜秋娘西曆七世紀初頭。唐。もと金陵の娼家の女。年十五の時、大官李錡(りき)の妾となった。常に好んで金縷曲(きんるきょく)――靑春を惜しむ歌を唱えて愛人に酒盞(しゅさん)を酭めた。ここに譯出したものが今に傳わっているが、「實情」「須惜」「堪折」「須折」「空折」など疊韻のなかに豪宕(ごうとう)な響(ひびき)があるというのが定評である。李錡が後に亂を起して滅びた後、彼女は召されて宮廷に入り憲宗のために寵せられた。その薨去の後、帝の第三子穆宗(ぼくそう)が即位し、彼女を皇子の傅姆(ふぼ)に命じた。その養育した皇子は壯年になって漳王(しょうおう)に封ぜられたが、漳王が姦人のために謀られ罪を得て廢削(はいさく)せられるに及んで彼女は暇を賜うて故郷に歸った。偶々(たまたま)杜牧が金陵の地に來てこの數奇にも不遇な生涯の終りにある彼女を見て憫れむのあまり杜秋娘詩を賦したが、それは樊川(はんせん)集第一卷に見られる。

    ※

 この小伝について疑問があるので簡単に注しておく。

・「酭めた」というのは、私は実は不遜にも誤字ではないかと疑っている。「酭」(音ユウ)という字は「報いる」の意で、とても読めない「廣漢和辭典」にも載らない字である(だのに底本にはルビが振られていないのは如何にも不審ではないか?)。ところが、ここに、よく似た字体で「酳」(音イン)があり、これは「すすめた」と読めるのである。大方の御批判を俟つ。

・「豪宕」気持ちが大きく、細かいことに拘らず、思うがままに振る舞うこと。「豪放」に同じい。

・「傅姆」乳母。

   *

 「車塵集」(昭和四(一九二九)年九月武蔵野書院刊)は正しくは頭に「支那歷朝名媛詩鈔 車塵集」と冠りし、扉(底本の)表題の左下には、

 

 芥川龍之介が

 よき靈に捧ぐ

 

という二行分かち書きの献辞を持つ(芥川龍之介の自死は先立つ二年前の昭和二年七月二十四日)。非公式の情報であるが、佐藤春夫のこの漢詩訳詩集は実は芥川龍之介と共著とする予定であったという記載をネット上で見かけた。この献辞はその可能性をよく伝えるもののように思われる。その場合、どんなものになったのか、想像するだけでも心惹かれるものがある。――

    *

 扉裏(底本の)には、

 

濁世何曾頃刻光

人間眞壽有文章

     薄少君悼夫句

 

とある。この後に門弟で中国文学者の奥野信太郎の序文が入る(著作権継続中につき、省略)。彼は本訳詩集の原典紹介の協力者である(但し、出版当時は未だ慶応の学生であった)。

    *

 奥野の序文の終わった頁の裏右頁(底本では)には、

 

美塵香骨

化作車塵

  「楚小志」

 

と記す。次より本文で、第一篇が杜秋娘の訳詩「ただ若き日を惜しめ」となる。

   *

 底本は講談社文芸文庫一九九四年刊佐藤春夫「車塵集 ぽるとがる文」を用いたが、恣意的に漢字を正字化した。こうすると、私には生理的に虫唾の走る事態となることは百も承知である。実はこの底本の親本である講談社版「佐藤春夫全集」自体が新字新仮名採用であるらしい。その関係上、漢字は正字で仮名遣は現代仮名遣となってしまう(特に原作者小伝で顕著)。しかし、かといって私は漢詩をおよそ新字なんぞで示したくはない。向後、初出原本を入手した際には、全篇を正しく補正するとして、この私のブログ版では、どうか、この混在表記を御寛恕願いたく存ずる。なお以下、佐藤春夫「車塵集」より引用は総てこれに基づくので以下では、この一段全部の注を略す。]



これより、ブログ・カテゴリ「佐藤春夫」を始動する。

その他のカテゴリー

Art | Caspar David Friedrich | Miscellaneous | Иван Сергеевич Тургенев | 「プルートゥ」 | 「一言芳談」 | 「今昔物語集」を読む | 「北條九代記」 | 「新編鎌倉志」 | 「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳 | 「明恵上人夢記」 | 「栂尾明恵上人伝記」 | 「澄江堂遺珠」という夢魔 | 「無門關」 | 「生物學講話」丘淺次郎 | 「甲子夜話」 | 「第一版新迷怪国語辞典」 | 「耳嚢」 | 「進化論講話」丘淺次郎 | 「鎌倉攬勝考」 | 「鎌倉日記」(德川光圀歴覽記) | 「鬼城句集」 | アルバム | ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」  | ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ | 中島敦 | 中島敦漢詩全集 附やぶちゃん+T.S.君共評釈 | 人見必大「本朝食鑑」より水族の部 | 伊東静雄 | 佐藤春夫 | 八木重吉「秋の瞳」 | 北原白秋 | 十返舎一九「箱根山七温泉江之島鎌倉廻 金草鞋」第二十三編 | 南方熊楠 | 博物学 | 原民喜 | 和漢三才圖會 蟲類 | 土岐仲男 | 堀辰雄 | 増田晃 | 夏目漱石「こゝろ」 | | 夢野久作 | 大手拓次詩集「藍色の蟇」 | 宇野浩二「芥川龍之介」 | 宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 | 富永太郎 | 小泉八雲 | 尾形亀之助 | 山之口貘 | 山本幡男 | 山村暮鳥全詩 | 忘れ得ぬ人々 | 怪談集 | 映画 | 杉田久女 | 村上昭夫 | 村山槐多 | 松尾芭蕉 | 柳田國男 | 柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」 | 柴田宵曲 | 梅崎春生 | 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 | 梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注 | 橋本多佳子 | 武蔵石寿「目八譜」 | 毛利梅園「梅園介譜」 | 毛利梅園「梅園魚譜」 | 沢庵宗彭「鎌倉巡礼記」 | 津村淙庵「譚海」 | 海岸動物 | 火野葦平「河童曼陀羅」 | 片山廣子 | 生田春月 | 由比北洲股旅帖 | 畑耕一句集「蜘蛛うごく」 | 畔田翠山「水族志」 | 神田玄泉「日東魚譜」 | 立原道造 | 篠原鳳作 | 肉体と心そして死 | 芥川多加志 | 芥川龍之介 | 芥川龍之介 手帳 | 芥川龍之介「上海游記」 | 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) | 芥川龍之介「北京日記抄」 | 芥川龍之介「江南游記」 | 芥川龍之介「河童」決定稿原稿 | 芥川龍之介「長江游記」 | 芥川龍之介盟友 小穴隆一 | 芸術・文学 | 萩原朔太郎 | 蒲原有明 | 藪野種雄 | 西東三鬼 | 詩歌俳諧俳句 | 諸國百物語 附やぶちゃん注 | 貝原益軒「大和本草」より水族の部 | 野人庵史元斎夜咄 | 鈴木しづ子 | 鎌倉紀行・地誌 | 音楽 | 飯田蛇笏