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カテゴリー「佐藤春夫」の25件の記事

2017/06/26

サイト「鬼火」開設十一周年記念 佐藤春夫 未定稿『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版) 本文版

サイト「鬼火」開設十一周年記念(二〇〇六年六月二十六日開設)として、

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)の本文版

(ブログ・カテゴリ「佐藤春夫」で18回に分けて行った僕の電子化注から、概ね、校訂注を残して、他の多量の私注を除去したもの)を公開した。

2017/05/08

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その18) / 佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』~了

 

    *    *    *

      *    *    *

 

 その翌日――雨月の夜の後の日は、久しぶりに晴やかな天氣であつた。天と地とが今朝甦へつたやうであつた。森羅萬象は、永い雨の間に、何時しかもう深い秋にも化つて居た。稻穗にふりそそぐ日の光も、そよ風も、空も、其處に唯一筋纖絲のやうに浮んだ雲も、それは自づと夏とは變つて居た。すべては透きとほり、色さまざまな色ガラスで仕組んだ風景のやうに、彼には見えた。彼はそれを身體全部で感じた。彼は深い呼吸を呼吸した。冷たい鮮かな空氣が彼の胸に這入つて行くのが、いかなる飮料よりも甘かつた。彼の妻が、この朝は每日のやうに犬どもを繫いで置けなかつたのも無理ではない。それはよい處置であつた‥‥遠い畑の方では、彼の犬が、フラテもレオも飛び廻つて居るのが見られた。百姓の若者がレオの頭を撫でて居た。音無しいレオは、喜んでするに任せて居る――太陽に祝福された野面や、犬や、そこに身を跼めて居る働く農夫などを、彼はしばらく恍惚として眺めた。日は高い。この景色を見るために、何故もう少し早く目が覺めなかつたらうとさへ、彼は思つた。

[やぶちゃん注:「雨月」(うげつ)は名月が雨で見られないことを指す。前章のシークエンスの夜は「全くその日はひどい風であつた。あるかないかの小粒の雨を眞橫に降らせて、雲と風自身とが、吹き飛んで居た」とあるから、前夜は早くに「あるかないかの」小雨だったものの、それは早々にやんでおり、前段で描写されるロケーションでは殆んど完全に雨は降っていない。それどころか、前段では何度かかなり丸い月がはっきりと顔を出し、月光さえも指している。まさにその印象的にその光りに照らされるシーンを「小雨を降らせて通り過ぎる眞黑な雲のばつくりと開けた巨きな口のフアンタステイツクな裂目から、月は彼等を冷え冷えと照して居た」と描写してさえいる。然るに、この冒頭にその夜を「雨月」と表現するのは私はおかしいと感ずる前章の厠のシーンは確かに既に未明の曉であつたと読める(月令から見ても臥待月・寝待月や宵町月以降であることが明らかであるように読める)。しかし、そう検証してみても、前日の天候状況を「雨月の夜」と表現するのは無理があると私は思うのである(その夜以前が連日の雨であったことは次章で明らかにされるけれども、わざわざ「その翌日――」と冒頭に言ってしまった以上、その以前の連夜の「雨月」と解することはこれ逆立ちしても出来ぬ)。寧ろ、ここにはこの家に入居した当初、妻が「淺茅が宿」と評し、主人公がここを「雨月草舍」と呼ぼうと応じた冒頭の雰囲気を、後付けで連関させ、まさに「雨月物語」的情趣を前章に漂わせんがために行った、かなり強引な処理であるように私には読める

「化つて」「かはつて(かわって)」。

「纖絲」「せんし」。非常に細い糸の一筋。

「跼めて」「かがめて」。]

 

 緣を下りて、顏をは洗うと庭を通ると白い犬が昨夜咥へて行つた筈の竹片は、萩の根元を轉がつて居た。彼は思はず苦笑した。それは、併し、寧ろ樂しげな笑ひであつた。

[やぶちゃん注:最初の一文は問題が多過ぎる(三箇所)ので逆にママで示した。定本では「緣を下りて、顏をうと庭を通ると白い犬が昨夜咥へて行つた筈の竹片は、萩の根元轉がつて居た。」(異同に私が下線を附した)となっている。]

 

 井戸端には、こぼれた米を拾はうとして――妻はわざわざ餘計にこぼしてやつたかも知れぬ、と彼は思つた――雀が下りて居た。彼の今までここらで見たこともないほどの澤山で、三四十羽も群れて居た。彼の跫音に愕かされると、それが一時に飛び立つて、そこらの枝の上に逃げて行つた。その柿の枝には雀とは別の名も知らぬ白い顏の小鳥も居た。さうして彼の家の軒端からのぼる朝の煙が、光を透して紫の羅のやうに柿の枝にまつはつた。雨に打ち碎かれて、果は咲かなくなつて居た薔薇が、今朝はまたところどころに咲いて居る。蜘蛛の網は、日光を反射する露でイルミネエトされて居た。薔薇の葉をこぼれた露は、轉びながら輝いて蜘蛛の網にかかると、手にはとる術(すべ)もない瞬間的の寶玉の重みに、網は鷹揚にゆれた。露は絲を傳うて低い方へ走つて行く、ぎらりと光つて、下の草に落ちる。それらの月並の美を、彼は新鮮な感情をもつて見ることが出來るのであつた。

[やぶちゃん注:「羅」定本では「うすもの」とルビする。

「薔薇」再確認しておく。「さうび(そうび)」である。]

 

 水を汲み上げようと繩つるべを持ち上げたが、ふと底を覗き込むと、其處には涯知らぬ蒼穹を徑三尺の圓に區切つて、底知れぬ瑠璃を靜平にのべて、井戸水はそれ自身が内部から光り透きとほるもののやうにさへ見えた。彼はつるべを落す手を躊躇せずには居られない。それを覗き込んで居るうちに、彼の氣分は井戸水のやうに落着いた。汲み上げた水は、寧ろ、連日の雨に濁つて居たけれども、彼の靜かな氣分はそれ位を恕すには充分であつた。

[やぶちゃん注:「徑」「わたり」と訓じておく。

「恕す」「ゆるす」。]

 

 妻の用意した食卓についた時には、彼の心は平和であつた。食卓には妻が先日東京から持つて來た變つた食物があつた。火鉢の上には鐡瓶が滾(たぎ)つて居た。さうして、陰氣な氣持は妻の言つたとほり、いやな天候から來たものだつた――と、彼は思つた。彼は箸をとり上げようとして、ふと、さつき井戸端で見た或る薔薇の莟の事を思ひ出した。

 「おい、氣がつかなかつたかい。今朝はなかなかいい花が咲いて居るぜ。俺の花が。二分どおり咲きかかつてね、それに紅い色が今度のは非常に深い落着いた色だぜ。」

 「ええ、見ましたわ。あの眞中のところに高く咲いたあれなの?」

 「然うだよ。一莖獨秀當庭心――奴さ」彼はそれからひとり言に言つた。「新花對白日か。いや、白日は可笑しい。何しろ彼等は季節はづれだ‥‥」

 「やつと九月に咲き出したのですもの。」

 「どうだ。あれをここへ摘んで來ないかい。」

 「ええ、とつて來るわ」

 「さうして、ここへ置くんだね」彼は圓い食卓の眞中を指でとんとんとたたきながら言つた。

 妻は直ぐに立上つたが、先づ白い卓布を持つて現れた。

 「それでは、これを敷きませう。」

 「これはいい。ほう! 洗つてあつたのだね。」

 「汚れると、あの雨では洗濯も出來ないと思つてしまつて置いてあつたの。」

 「これや素的だ! 花を御馳走に饗宴を開くのだ。」

 樂しげな彼の笑ひを聞きながら、妻は花を摘むべく立ち去つた。

[やぶちゃん注:「一莖獨秀當庭心」「新花對白日」前者には定本では「いつけいひとりひいでてていしんにあたる」、後者には「しんくわはくじつにたいす」とルビする(歴史的仮名遣変換した)。この前者は、盛唐の詩人儲光羲(ちょこうぎ 七〇七年~七六〇年?)の「薔薇」の一節。中文ウィキの「全唐詩」の「卷百三十八」を参考に、一部、他のサイトのものと比較し、恣意的に訂正・加工して示す。

   *

 

  薔薇

 

 裊裊長數尋

 靑靑不作林

 一莖獨秀當庭心

 數枝分作滿庭陰

 春日遲遲欲將半

 庭影離離正堪玩

 枝上嬌鶯不畏人

 葉底飛蛾自相亂

 秦家女兒愛芳菲

 畫眉相伴采葳蕤

 高處紅鬚欲就手

 低邊綠刺已牽衣

 蒲萄架上朝光滿

 楊柳園中暝鳥飛

 連袂踏歌從此去

 風吹香氣逐人歸

 

   *

後者は、南北朝時代の南斉の詩人謝朓(しゃちょう 四六四年~四九九年)の「詠薔薇詩」の一節。中文サイトの全詩集より引く。

   *

 

  詠薔薇詩

 

 低枝詎勝葉

 輕香幸自通

 發萼初攢紫

 余采尚霏紅

 新花對白日

 故蕊逐行風

 參差不俱曜

 誰肯盻薇叢

 

   *

なお、途中にある「奴さ」は『(って)「奴」(やつ)さ』の謂いであろう。

「それでは、これを敷きませう。」底本では「それでは、これを敷きましせう。」。「し」は衍字と断じて除去した。

「素的」「すてき」。素敵。

 なお、次のパートの直接話法の部分は一箇所(会話の最後)を除いて総て行頭から始まっているが、前例に徴して総て一字下げた。]

 

 彼の女は花を盛り上げたコツプを持つて、直ぐ歸つて來た。少し芝居がかりと見える不自然な樣子で、彼の女はそれを捧げながらいそいそと入つて來た。それが彼には妙に不愉快であつた。彼自身が、人惡く諷刺されて居たやうに感じられた。彼は氣のない聲で言つた。

 「やあ、澤山とつて來たのだなあ。」

 「ええ、ありつたけよ。皆だわ!」

 さう答えた妻は得意げであつた。彼にはそれが忌々しかつた。言葉の意味の通じないのが。

 「何故?。俺は一つでよかつたんだ。」

 「でもさうは仰言らないのですもの。」

 「澤山とでも言つたのかね‥‥。それ見ろ。俺は一つで澤山だつたのだ。」

 「ぢや外のは捨てて來ましせうか。」

 「いいよ。折角とつて來たものを。まあいい。其處へお置き。‥‥おや、お前は何だね――俺の言つた奴は採つて來なかつたのだね。」

 「あら、言つたの言はないのつて、これ丈しきあ無いんですよ! 彼處には。」

 「然うかなあ。俺は少し、底に斯う空色を帶びたやうな赤い莟があつたと思つたに。それを一つだけ欲しかつたのさ。」

 「あんな事を。底に空色を帶びたなんて、そんな難しいのはないわ。それやきつと空の色でも反射して居たのでせうよ。」

 「成程、それで‥‥?」

 「あら、そんな怖い顏をなさるものぢやない事よ。私が惡かつたなら御免なさいね。私はまた澤山あるほどいいかと思つたものですから‥‥」

 「さう手輕に詫つて貰はずともいい。それより俺の言ふことが解つて貰ひ度たい。‥‥一つさ。その一つの莟を、花になるまで、目の前へ置いて、日向へ置いてやつたりして俺は凝乎と見つめて居たかつたのだ。一つをね! 外のは枝の上にあればいい。」

 「でも、あなたは豐富なものが御好きぢやなかつたの。」

 「つまらぬものがどつさりより、本當にいいものが只一つ。それが本當の豐富さ。」彼は自分の言葉を、自分で味つて居るやうに沁み沁みと言つた。

 「さあ、早く機嫌を直して下さい。折角こんないい朝なのに‥‥」

 「然うだ。だから――折角のいい朝だから、俺はこんな事をされると不愉快なのだ。」

[やぶちゃん注:「いいよ。折角とつて來たものを。」底本は「いいよ。折角とつて來てものを。」。定本で訂した。

「詫つて」「あやまつて」と訓じておく。定本は「謝(あやま)つて」となっている。

「凝乎と」「じつと」。]

 

 彼は、併し、そんなことを言つて居るうちにも、妻がだんだん可哀想になつて居る。さうして自分で自分の我儘に氣がついて居た。妻の人示指には、薔薇の刺で突いたのであらう、血が吹滲んで居る。それが彼の目についた。しかし、そんな心持を妻に言ひ現す言葉が、彼の性質として、彼の口からは出て來なかつた。寧ろ、その心持を知られまい、知られまいと包んで居る。さうしてどこで不快な言葉を止めていいやら解らない。それが一層彼自身を苛立たせる。彼は強いて口を噤んだ。さて、その花を盛り上げたコツプを手に取上げた。最初は、それを目の高さに持上げて、コツプを透して見た。綠色の葉が水にしたされて一しほに綠だ。葉うらがところどころ銀に光つて居る。そのかげにほの赤い刺も見える。コツプの厚い底が水晶のやうに冷たく光つて居る。小さなコツプの小さな世界は綠と銀との淸麗な秋である。

[やぶちゃん注:「人示指」「ひとさしゆび」。定本「人差指」。

「吹滲んで」「ふきにじんで」。]

 

 彼はコツプを目の下に置いた。さうして一つ一つの花を、精細に見入つた。其處にある花は花片も花も、不運にも皆蝕んで居る。完全なものは一つもなかつた。それが少し鎭まりかかつた彼の心を搔き亂した。

[やぶちゃん注:「花片」「はなびら」。

「蝕んで」「むしばんで」。]

 

 「どうだ、この花は! もつと吟味してとつて來ればいいのに。ふ。皆蝕ひだ。」

 彼は思はず吐き出すやうにさう言つて仕舞つたが、又、妻が氣の毒になつた。急に、その中の最も美しい莟を一本拔き出すと、彼は言葉を和げて、

 「ああ、これだよ。俺の言つた莟は。それ、此處にあつた! 此處にあつた!」

 彼の言葉のなかには、妻の機嫌を直させようとする心持があつた。けれども、妻は答へようとはしないで、默つて彼の女自身の御飯を茶碗に盛つて居るのであつた。彼は橫眼でそれを睨みながら、妻の顏を偸視(ぬすみみ)た。このコツプを彼處へ、額の上へたたきつけてやつたなら‥‥。いや、いけない。もともと自分が我が儘なのだ。彼は仕方なく、寂しく切ない心をもつて、その撮み上げた莟を、彼自身の目の前へつきつけて眺めて居た。‥‥。その未だ固い莟には、ふくらんだ橫腹に、針ほどの穴があつた。それは幾重にも幾重にも重なつた莟の赤い葩を、白く、小さく、深く蕋まで貰いて穿たれてあつた。言ふまでもなくそれは蟲の仕業である。彼は厭はしげに眉を寄せながら、尚もその上に莟を觀た。

[やぶちゃん注:「蝕ひ」「むしくひ」。

「彼處」「あそこ」。

「撮み」「つまみ」。「摘」の誤字ではない。「撮」には「つまむ」の意があり、そう訓ずるし、定本でもこの漢字でそうルビしてある。

「葩」「はなびら」。

「蕋」定本では「しべ」とルビする。]

 

 はつと思ふと、彼はそれをとり落した。

 

 その手で、す早く、滾つて居る鐵瓶を下したが、再び莟を摘み上げると、直ぐさまそれを火の中へ投げ込んだ。――莟の花片はぢぢぢと焦げる‥‥。そのいこり立つた眞紅の炭を見た瞬間、

 「や?」

 彼は思はず叫びさうになつた。立上りさうになつた。それを彼はやつと耐へた――ここで飛び上つたりすれば、俺はもう狂人だ!さう思ひながら、彼は再び手早に、併しなるべく沈着に、火鉢で燒けて居る花の莟を、火箸の尖で撮み上げるや、傍の炭籠のなかに投込んだ。

[やぶちゃん注:「いこり立つた」火がぼっと燃え立った、の意。定本では「おこり立つた」と書き変えられているが、訂する必要性は、ない。何故なら、関西方言では広く、「火が燃え上がる」という意の動詞は「おこる」ではなく「いこる」であり、佐藤春夫は和歌山出身だからである。

「炭籠」「すみかご」炭を小出しにして室内に置いておく籠(かご)。炭入れ。炭取り。]

 

 彼はこれだけの事をして置いて、さて、火鉢の灰のなかをおそるおそる覗き込むと、其處には何もない。今あつたやうなものは何もない。愕き叫ぶべきものは何もない。彼は灰の中を搔きまわして見た。底からも何も出ない。水に滴(したた)らした石油よりも一層早く、灰の上一面をぱつと眞靑に擴がつた! と彼の見たのは、それは唯ほんの一瞬間の或る幻であつたのである。

[やぶちゃん注:「或る幻であつた」底本は「或る幻であた」。脱字と断じて底本で「つ」を補った。]

 

 彼は炭籠の底から、もう一度莟を拾ひ出した。火箸で撮まれた莟は、燒ける火のために色褪せて、それに眞黑な炭の粉にまみれて居た。さて、その莖を彼は再び吟味した。其處には、彼が初めに見たと同じやうに、彼の手の動き方を傳へて慄へて居る莖の上には、花の萼から、蝕んだただ二枚の葉の裏まで、何といふ蟲であらう――莖の色そつくりの靑さで、實に實に細微な蟲が、あのミニアチュアの幻の街の石垣ほどにも細かに積重り合うて、莖の表面を一面に、無數の數が、針の尖ほどの隙もなく裹み覆うて居るのであつた。灰の表を一面の靑に、それが擴がつたと見たのは幻であつたが、この莖を包(つつ)みかぶさる蟲の群集は、幻ではなかつた――一面に、眞靑に、無數に、無數に‥‥

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 ふと、その時役の耳が聞いた。それは彼自身の口から出たのだ。併しそれは彼の耳には、誰か自分以外の聲に聞えた。彼自身ではない何かが、彼の口に言はせたとしか思へなかつた。その句は、誰かの詩の句の一句である。それを誰かが本の扉か何かに引用して居たのを、彼は覺えて居たのであらう。

[やぶちゃん注:イギリスの詩人でロマン派の先駆者として知られ、版画家としても優れていたウィリアム・ブレイク(William Blake 一七五七年~一八二七年)の一七八九年刊の詩集“Songs of Experience”(「無垢の歌」)の中の一篇“The Sick Rose”(「病める薔薇」)。

   *

 

 The SICK ROSE

 

 O Rose thou art sick.

 The invisible worm,

 That flies in the night

 In the howling storm:

 

 Has found out thy bed

 Of crimson joy:

 And his dark secret love

 Does thy life destroy.

 

   *

壺齋散人(引地博信)氏のサイト「ウィリアム・ブレイクの詩とイラストの世界」のこちらで、訳とブレイクの絵附きの原典画像が味わえる。]

 

 彼は成るべく心を落ちつけようと思ひながら、その手段として、目の前の未だ伏せたままの茶碗をとつて、それを靜かに妻の方へ差し出した。その手を前へ突き延す刹那、

 「おお、薔薇、汝病めり!」

 突然、意味もなく、又その句が口の先に出る。

 

 彼はやつと一杯だけで朝飯を終へた。

 

 妻はしくしくと泣いて居た。嗟! また始まつたか、と心のなかで呟きながら。さうして食卓を片付けつつ、その花のコツプをとり上げたが、さてそれをどうしようかと思惑うて居た。あの蝕んだ燒けた莟は、彼が無意識に毮り碎いたのであらう――火鉢の猫板の上に、粉粉(こなごな)に刻まれて赤くちらばつて居た。彼はそれらのものを見ぬふりをして見ながら、庭へ下りようと片足を緣側から踏み下す。と、その刹那に、

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

[やぶちゃん注:「思惑うて」「おもひまどうて」。

「猫板」長火鉢の端の引き出しの部分に載せた板。名は、そこに猫が好んで蹲ることに由来する。]

 

 「フエアリイ・ランド」の丘は、今日は紺碧の空に、女の橫腹のやうな線を一しほくつきりと浮き出させて、美しい雲が、丘の高い部分に小さく聳えて末廣に茂つた木の梢のところから、いとも輕々と浮いて出る。黃ばんだ赤茶けた色が泣きたいほど美しい。何日か一日のうちに紫に變つた地の色は、あの綠の縱縞を一層引立てる。そのうへ、今日は縞には黑い影の絲が織り込まれて居る。その丘が、今日又一倍彼の目を牽きつける。

[やぶちゃん注:「末廣」底本は「未廣」。定本から、誤植と断じて訂した。

「何日か」「いつか」。]

 

 「俺は、仕舞ひには彼處で首を縊りはしないかな? 彼處では、何かが俺を招いて居る。」

 「馬鹿な。物好きからそんなつまらぬ暗示をするな。」

 「陰氣にお果てなさらねばいいが。」

 彼の空想は、彼の片手をひよつくりと擧げさせる。今、その丘の上の目に見えぬ枝の上に、目に見えぬ帶をでも投げ懸けようとでもするかのやうに‥‥

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 井戸のなかの水は、朝のとほりに、靜かに圓く漾へられて居る。それに彼の顏がうつる。柹の病葉が一枚、ひらひらと舞ひ落ちて、ぽつりとそこに浮ぶ。其の輕い一點から圓い波紋が一面に靜にひろがつて、井戸水が搖らめく。さうしてまたもとの平靜に歸る。それは靜で、靜である。涯しなく靜である。

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 薔薇の叢には、今は、花は一つもない。ただ葉ばかりである。それさへ皆蝕ひだ。ふと、目につくので見るともなしに見れば、妻は今朝の花を盛つたコツプを臺所の暗い片隅へ、ちよこんと淋しく、赤く、置いてある。それが彼の目を射る。「お前はなぜつまらない事に腹を立てるのだ。お前は人生を玩具にして居る。怖ろしい事だ。お前は忍耐を知らない。」

[やぶちゃん注:「漾へられて」「たたへられて」。

「病葉」「わくらば」。

「怖ろしい事だ。お前は忍耐を知らない。」底本は「怖ろしい事だお前は忍耐を知らない。」。脱字と断じて、定本で句点を補った。]

 

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 裏の竹藪の或る竹の或る枝に、葛の葉がからんで、別に風とてもないのに、それの唯一枚だけが、不思議なほど盛んに、ゆらゆらと左右に揺れて居る。さうしてその都度、葉裏が白く光る――それを凝と見つめて居ても‥‥。彼を見つけた犬どもが、いそいそ野面から飛んで歸つて、兩方から彼に飛び縋る。それを避けようと身をかわしても‥‥。どこかの樹のどこかの枝で、百舌が、刺すやうにきりきり鳴き出しても‥‥、渡鳥の群が降りちらばるやうに、まぶしい入日の空を亂れ飛ぶのを見上げても‥‥明るい夕空の紺靑を仰いでも‥‥何側の丘の麓の家から、細々と夕餉の煙がゆれもせず靜に立昇るのを見ても‥‥

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 言葉がいつまでも彼を追つかける。それは彼の口で言ふのだが、彼の聲ではない。その誰かの聲を彼の耳が聞く。それでなければ、彼の耳が聞いた誰かの聲を、彼の口が卽座に眞似るのだ。――彼は一日、何も口を利かなかつた筈だつたのに。

[やぶちゃん注:ここまでで朝から夕暮れまでが、主人公の意識の中で、瞬く間に経過している妙を味わいたい

「どこかの樹のどこかの枝で」底本は「どこかの樹のこかの枝で」。脱字と断じて定本で補った。]

 

 犬どもは聲を揃へて吠えて居る。その自分の山彦に怯えて、犬どもは一層吠える。山彦は一層に激しくなる。犬は一層に吠え立てる‥‥彼の心持が犬の聲になり、犬の聲が彼の心持になる。暗い臺所には、妻が竃へ火を焚きつける。また何處かから歸つて來た猫が、夕飯の催促をしてしきりと鳴く。はつと火が燃え立つと、妻の顏は半面だけ、眞赤に浮び出す。その臺所の片隅では、蝕ひの薔薇の花が、暗のなかで、ぽつかりと浮き出して居る。薔薇は煙がつて居る!

[やぶちゃん注:「犬の聲が彼の心持になる。」底本は最後の句点がなく、一字空け。脱字と断じて、定本で句点を補った。

「はつ」(傍点「ヽ」)は底本では傍点「ヽ」で「ぱつ」。

「暗」「くらやみ」と訓じておく。

「煙がつて」「けむたがつて」。]

 

 彼はランプへ火をともさうと、マツチを擦る。ぱつと、手元が明るくなつた刹那に、

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 彼はランプの心へマッチを持つて行くことを忘れて、その聲に耳を傾ける。マツチの細い軸が燃えつくすと、一旦赤い筋になつて、直ぐと味氣なく消え失せる。黑くなつたマツチの頭が、ぽつりと疊へ落ちて行く。この家の空氣は陰氣になつて、しめつぽくなつて、腐つてしまつて、ランプヘも火がともらなくなつたのではあるまいか。彼は再びマツチを擦る。

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 何本擦つても、何本擦つても。

 「おゝ、薔薇、汝病めり!」

 その聲は一體どこから來るのだらう。天啓であらうか。預言であらうか。兎も角も、言葉が彼を追つかける。何處まででも何處まででも‥‥‥‥

2017/05/07

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その17)

 

    *    *    *

      *    *    *

 

 闇が彼の身のまはりに犇いて居た。それは赤や綠や、紫やそれらの隙間のない集合のやうでもあつた。重苦しい闇であつた。彼は闇のなかでマツチを手さぐり、枕もとの蠟燭に灯をともすと寢床から起き上つた。さうしてその燭臺を、隣に眠つて居る妻の顏の上へ、ぢつとさしつけた。けれども深い眠に陷入つて居る彼の女は、身じろぎもしなかつた。彼はしばらくその女の無神經な顏を、蠟燭の搖れる光のなかで、ぢつと視つめて見た。彼はこの時、自分の妻の顏を、初めて見る人の顏のやうに物珍らしげにつくづくと見た。

[やぶちゃん注:「寢床から」底本は「寢床らか」。錯字と断じて、訂した。定本も無論、「から」。]

 

 蠟燭の光はものの形を、光の世界と影の世界との二つにくつきりと分けた。その光のなかで見た人間の顏は、強い片光(かたひかり)を浴びて、その赤い光の強い濃淡から生ずる効果は、人間の顏の感じを全く別個のものにして見せた。彼は人間の顏といふものは――ただに自分の妻だけではなく、一般に――かうも醜いものであらうかと、つくづくさう感じた。それは不氣味で陰慘で醜惡な妙な一つのかたまりとして彼の目に映じた。女は枕元に、解きほどいた束髮のかもじを、黑く丸めて置いて居た。奇妙な現象には、彼はそのかもじを見た時にこれが――ここに眠つて居る女が自分の妻だつたのだと始めて氣がついた。

[やぶちゃん注:「かもじ」「髪文字」「髢」などと書き、所謂、添え髪・入れ髪のこと。日本髪を結う際に髪に添え加えて豊かにし結い易くするための人毛の鬘。]

 

 彼は燭臺を高く少し持上げたり、或は女の顏の耳の直ぐわきへくつつけて見たり、暫くその光の與へる効果の變化を實驗して遊ぶかのやうに、それをいろいろと眺めて居た。彼の妻はそんなことには少しも氣がつかずに眠つて居る。寢返りもしない。こんな女は、今若し喉もとへ劔を差しつけられても、それでも平氣で眠つて居るだらうか。いや、そんな場合には、いかに無神經なこの女でも、さすがに人間の本能として當然目を睜くであらう。さうでなければならない。彼はそんなことを考へた。さうして、若しやこの女は今、殺される夢でも見ては居ないだらうかとも思つた‥‥それにしても、こうした光の蠱惑から人間といふものはさまざまなことを思ひ出すものである。こんなことから、實際人を殺さうと決心した男が、昔からなかつただらうか。

[やぶちゃん注:「睜く」従来はこの漢字を「睜(みは)る」と春夫は訓じている。ここは「みひらく」と読んでおく。]

 

 「尤も、俺は今この女を殺さうとして居るわけではないのだが」

 彼は思はず小聲でさう言つた。自分自身の愕くべき妄想に對して、慌てゝ言ひわけしたのである。「それにしても俺は今何のためにこんなことをして居るだつけな」彼は氣がついたやうに、急に妻を搖り起した。

[やぶちゃん注:最初の直接話法は行頭から始まっているが、前例と以下のそれに徴して、一字空けを施した。]

 

 夜中である。

 

 妻はやつと目を覺したが、眩しさうに、搖れて居る蠟燭の光を避けて、目をそむけた。さうして半ば口のなかで、

 「また戸締りですか、大丈夫よ。」

 さう言つて、寢返りをした。

 「いゝや。便所へ行くんだ。ちよつとついて行つてくれ。」

 

 厠から出て來た彼は、手を洗はうとして戸を半分ばかり繰つた。すると、今開けた戸の透間から、不意に月の光が流れ込んだ。月はまともに緣側に當つて、歪んで長方形に板の上に光つた。不思議なことには、彼はこれと同じやうに、全く同じやうに月の差込んで居る緣側をちやうど今のさつき夢に見て、目がさめたところであつた。何といふ妙な暗合であらう。彼には先づそれが怪奇でならなかつた。さうして、今、自分達がかうして此處に立つて居ることも、夢のつゞきではないのか、ふとさう疑はれた。

[やぶちゃん注:「戸を半分ばかり繰つた。すると、」底本は「戸を半分ばかり繰つたすると、」。おかしいので、定本に従って句点を間に打った。

 なお、以下の会話文二つも前のように行頭から始まっているが、やはり一字下げた。]

 

 「おい、夢ではないんだね。」

 「何がです。あなた寢ぼけていらつしやるの。」蠟燭は彼の妻の手に持たれて、月の光を上から浴びせかけられて、ほんのりと赤くそれ自身の光を失うた。光の穗は風に吹かれて消えさうになびいたが、彼の妻の袖屛風の影で、ゆらゆらと大きく搖れた。風は何時の間にかおだやかになつて居たが、雲は凄じい勢で南の方へ押奔つて居た。小雨を降らせて通り過ぎる眞黑な雲のばつくりと開けた巨きな口のフアンタステイツクな裂目から、月は彼等を冷え冷えと照して居た。

[やぶちゃん注:「フアンタステイツク」fantastic。「空想的な・途方もない・法外な・風変わりな・異様な・奇妙な」であるが、ここは「奇体にして夢幻的な」の謂いでとっておく。]

 

 彼は手を洗ふことを忘れて、珍らしいその月を見上げた。それは奇妙な月であつた。幾日の月であるか、圓いけれども下の方が半分だけ淡くかすれて消え失せさうになつて居た。併し、上半は、黑雲と黑雲との間の深い空の中底に、研ぎすましたやうに冴え冴えとして、くつきりと浮び出して居た。その上半のくつきりした圓さが、何かにひどく似て居ると、彼は思つた。然うだ。それは頭蓋骨の臚頂のまるさに似て居る。さう言へば、その月の全體の形も頭蓋骨に似て居る。白銀の頭蓋骨だ。彼の聯想の作用は、ふと海賊船といふやうなものの事を思ひ出させた。彼はその月を飽かずに眺めた。ああ、これと同じ事が、全く同じことが、その時も俺はここにかうして立つて居た。雲の形も、月の形もこれとそつくりだつた。どこからどこまで寸分も違はない。そればかりかその時にもかう思つたのだつた。今と同じ事を思つたのだつた。遠い微かな穴の奧底のやうな昔にも、現在と全然同一な出來事が曾てもあつた‥‥茫然として、彼は瞬間的にさう考へた‥‥何時の日のことだつたらう‥‥何處でであつたらう‥‥

[やぶちゃん注:「幾日」定本では「いくか」とルビする。

 

「臚頂」「ろちやう(ろちょう)」で「頭の天辺(てっぺん)・頭頂」の謂いであるが、「臚」は「丸く膨らんだ腹」の意で、普通は「顱頂」と書き、定本ではそう書き直されてある。]

 

 空一面を飛び奔る雲はもう少しで月を呑まうとして居る。

 「もう、閉めてもいい?」

 妻は、寒さうにさう言つた。

 

 彼はその言葉で初めて我に歸つたのか、手を洗はうと身を乘り出した。その瞬間であつた。

 

 「や、大變!」

 「え?」

 「犬だ!」

 「犬?」

 彼は卽座に、手早く、戸締りに用ゐた竹の棒を引つつかむと、力任せに、それを庭の入口の方へ投げ飛した。彼の目には、もんどりを打つ竹ぎれからす早く身をかわして、いきなりそれを目がけて飛びかかると、その竹片を咥へたまま、眞しぐらに逃げて行く白犬が、はつきりと見えた。尾を股の間へしつかりと挾んで、耳を後へ引きつけ、その竹片に嚙みつ居た口からは、白い牙を露して、涎をたらたらと流しながら、彼の家の前の道をひた走りに走つて行く。月光を浴びて、房々した毛の大きな銀色の犬は、その織るやうな早足、それが目まぐるしく彼の目に見える。

[やぶちゃん注:「投げ飛した」「なげとばした」。

「露して」「あらはして」。

「涎」「よだれ」。]

 

 それは王禪寺といふ山のなかの一軒の寺の犬だつた。その形は明確に細密に、一瞬間のうちに彼には看取出來た。

 「狂犬だよ!」

 彼は自分の犬どもの名を慌ただしく呼んだ。呼びつづけた。其處らには居ないのか、犬どもは彼の聲には應じなかつた。妻には何事が起つたのか、少しも解らなかつた。併し、彼のさうするまゝに、彼の妻も聲を合せて犬の名を呼んだ。その甲高い聲が丘に谺した。七八度も呼ばれると、重い鎖の音がして、犬どもは、二疋とも同時に、いかにものつそりと現はれた。さうして鎖をぢやらんぢやらんと言はせながら身振ひして、主人の不意な召集を訝しく思ひながらも、彼等は尾をちぎれるほどはげしく振り、鼻をくんとならした。

[やぶちゃん注:「王禪寺」実在する。現在の神奈川県川崎市麻生区王禅寺(おうれんじ)にある真言宗星宿山蓮華蔵院王禅寺である。(グーグル・マップ・データ)。市外であるが、春夫の居宅から直線で北北西二・六キロメートルしか離れていない(丘陵の中にあり、「山のなかの一軒の寺」に一致する)。但し、ここまで犬が来るためには丘陵を回り込んだ場合は倍近くにはなる。しかし、中型犬では往復五キロ程度は散歩のレベルである。]

 

 月は雲のなかに呑まれてしまつた。

 

 彼は妻の手から燭臺を受け取るや否や、それを、犬どもの方へ差し出したが、一時に風に吹き消された。直ぐに、別にランプに灯をともし見たが、彼の犬には別に何の變事もないらしかつた。

 「ああ、愕いた、俺はうちの犬が狂犬に嚙まれたかと思つた。」

 彼は寢床へ這入つたが、妻にむかつて、今見たところのものを仔細に説明した。彼の妻は最初からそれを否定した。いかに明るくとも月の光で、そんなにはつきりと見える筈はない。それに王禪寺の犬は、成程、狂犬になつたのだ、けれども、もう一週間も十日も前に、そのために屠殺された。その時、村の人が、お絹が、

 「だから、お宅の犬もお氣をおつけなさい」

 とさう言つた。その事は、その時彼の女自身の口から彼に話した筈だつた。――妻は事を分けて、宥めるやうに彼に説明するのであつた。しかし彼は王禪寺の犬が氣違ひになつた話などは聞いたこともないと思ふ。

 「犬の幽靈が野原をああして馳けまわつて居たのだ。さうして、さういふ靈的なものは俺にばかりしか見えないのだ‥‥」憂鬱の世界‥‥呻吟の世界‥‥靈が彷徨する世界‥‥。俺の目はそんな世界のためにつくられたのか。憂鬱な目には憂鬱の世界より外には見へない‥‥

[やぶちゃん注:「村の人が、」の箇所は底本では後に『村の人が、」』と鍵括弧がある。除去した。なお、定本では「村の人」ではなく、例の最初に案内人として登場し、よく話に来る『お絹が、』となっている。その方が自然である。

「事を分けて」条理を尽くして、筋道を立てて。

「しかし彼は王禪寺の犬が氣違ひになつた話などは聞いたこともないと思ふ」ここまで、遠い過去の記憶が細かに異常なまでに鮮明に思い出せるのに、短期記憶が完全に失われていることが判る。病的な逆行性健忘症の特徴である。]

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その16)

 

    *    *    *

      *    *    *

 

 「決して熱なんかは無くつてよ、反つて冷たい位だわ。」

 彼の額へ手を翳して居た彼の妻は、さう言つて、手を其處からのけて、自分の額へ手を當ててみて居た。

 「私の方がよつぽど熱い。」

 それが彼には、反つて甚だ不滿であつた。試みに測つて見ようと、驗溫器を出させてみると、それは度度の遠い引越しのために、折れて居た。

 

 若し熱のためでないとすれば、それはこの天氣のせいだ、このひどい風のせいだ。と彼は思つた。全くその日はひどい風であつた。あるかないかの小粒の雨を眞橫に降らせて、雲と風自身とが、吹き飛んで居た。そのくせ非常に蒸暑かつた。こんな日には、彼は昔から地震に對する恐怖で怯えねばならなかつたのだけれども、今日はこの激しい風のためにその點だけは安心であつた。併し、風の日は風の日で、又その異常な天候からくる苛立たしい不安な心持が、彼を胸騷ぎさせたほどびくびくさせた。

 

  猫よ、猫よ。あとへあとへついて來い!

  猫よ、猫よ。おくへおくへすつこめ!

 ふと、劇しく吹き荒れる大風の底から一つの童謠の合唱が、ちぎれちぎれに飛んで來た。それらは風のかたまりに送り運ばれて、吐絶え勝ちに、彼の耳もとへ傳つて來たやうに思はれた。けれども、それもやはり幻聽であつたのであらう。それは長い間忘れて居た彼の故郷の方の童謠であつたからである。風の劇しい日(然うだ、こんな風の劇しい日に)子供たちが、特に女の子たちが、驅けまわりながら互に前の子の帶の後へつかまり合つたり、或は前の子の羽織の下へ首を突込んだりしながら、こんな謠を今のやうな節で合唱して、繰り返して、彼等は風のためにはしやぎながら、彼の故郷の家の門前の廣場をぐるぐると環になつてめぐつて居たものであつた‥‥それはモノトナスな、けれどもなつかしいリヅムをもつた疊句のある童謠で、また謠の心持にしつくりとはまつた遊戲であつた。それを見惚れて、砂埃の風のなかで立つて居る子供の彼自身が、彼の頭にはつきりと浮んで來た。それが思ひ出の緒口になつた。‥‥城跡のうしろの黑い杉林のなかで、或る夕方、大きな黑色の百合の花を見出した事、そのそばへ近よつてそれを折らうとして、よくよく見て居るうちに、急に或る怪奇な傳説風の恐怖に打たれて、轉げるやうに山路を驅け下りた。次の日、下男をつれて、そのあたりを隈なく搜したけれども、其處には何ものもなかつた。それは彼には、奇怪に思へる自然現象の最初の現れであつた。それは子供の彼自身の幻覺であつたか、それとも自然そのものの幻覺とも言へる眞實の珍奇な種類の花であつたか、それは今思ひ出しても解らない。ただその時の風にゆらゆらゆれて居るその花の美しさは、永く心に殘つた。その珍らしい花が、彼の「靑い花」の象徴ででもあつたやうに。彼はその頃からそんな風な淋しい子供であつた。さうして彼の家の後である城跡の山や、その裏側の川に沿うた森のなかなどばかりを、よく一人で步いたものであつた。「鍋わり」と人人の呼んで居た淵は、わけても彼の氣に入つて居た。そこには石灰を燒く小屋があつた。石灰石、方解石の結晶が、彼の小さな頭に自然の神祕を教へた。又、その淵には、時々四疊半位な大きな碧瑠璃の渦が幾つも幾つも渦卷いたのを、彼はよく夢心地で眺め入つた。さうしてそれを夢のなかでも時々見た。その頃は八つか九つででもあつたらう‥‥。何か噓をつくと、其の夜はきつと夜半に目が覺めた。さうしてそれが氣にかかつどうしても眠れなかつた。母を搖り起して、その切ない懺悔をした上で、恕を乞ふとやつと再び眠れた。‥‥それから、然う、然う、夜半に機を織る筬の音を每夜聞いたこともあつた。あの頃、俺は五つか六つ位であつたらう。俺は昔から幻聽の癖があつたものと見える――彼はさう思ひ出して愕いた。それ等幼年時代の些細な出來事が、昨日のことよりももつとありありと(その頃の彼には昨日のことは漠然として居た)思ひ出された。然もそれ等は今日まで殆んど跡方もなく忘却し盡して居たことばかりだつたのに。さうして、彼はその思ひ出のなかのその子供のやうに、彼の母や兄弟や父を戀しく懷しく思ひ浮べた。この時ほど切なくそれらの人人を思ひ出したことは、今までに決してない。その母へも、父へも、どの兄弟へも、彼はもう半年の上も便りさへせずに居た。彼は第一に母の顏を思ひ出さうと努めて見た。それは、半年ばかり前に逢つて居ながら、決して印象を喚びせなかつた。奇妙にも、無理に思ひ出さうとすると、十七八年も昔の或る母の奇怪な顏が浮び出た――母は丹毒に罷つて居た。黑い藥を顏一面に塗抹して、黑い假面のやうに、さうして落窪んだ眼ばかり光らせて、その病床の傍へ來てはならないと言ひながら、物憂げに手を振つた怪物のやうな母の顏である。さうして、その時子供の彼はしくしくと庭に出て一人で泣いた。その泣いた目で見た、ぼやけた山茶花の枝ぶりと、簇つた花とが、不思議とその母のその顏よりもずつと明瞭に目に浮び出る‥‥‥‥

[やぶちゃん注:「幻聽であつたのであらう。」底本は「幻聽であたのであらう。」。脱字と断じて、定本に依って補った。

「モノトナス」monotonous。「単調な・変化がなくて同じ調子の音が連続する・抑揚の殆んどない」の意。

「疊句のある童謠で、」底本は「疊句のあるの童謠で、」。衍字と断じて、定本に依って除去した。

「緒口」「いとぐち」。定本にもかくルビする。

「黑色の百合の花」狭義の高山性(北海道では平地にも植生する)の単子葉植物綱ユリ亜綱ユリ目ユリ科バイモ属クロユリ(Fritillaria camschatcensis は、佐藤春夫の生地で少年期を過ごした和歌山県新宮市には分布しない。バイモ属 Fritillaria には、褐色系のものや花に黒斑を有するもの(例えば、近畿地方を中心に分布するコバイモ(ミノコバイモ)Fritillaria japonica)があるが、これらは逆立ちしても「黒百合」には見えない。当初、私は対先だってまで家の裏山に沢山咲いていた、単子葉植物綱オモダカ亜綱オモダカ目サトイモ科テンナンショウ属ウラシマソウ Arisaema urashima の肉穂花序を包む大型の濃紫色の仏炎苞(ぶつえんほう)の誤認ではないか(遠目には私には黒く見え、筒状のそれは百合に似ていないとは言えぬと私は感ずる)と疑ったが、植物に詳しい佐藤春夫が幾ら少年期の記憶とは言え、誤認するとは思われぬから、ここはやはり〈幻花〉であったととるべきである。

「或る怪奇な傳説風の恐怖」「風」とあるから、特段に具体的な黒百合の不吉な具体伝承を示す必要はないと思われるが、参考までに言っておくと、まず、私は山岳部で何度もクロユリを見たが、見た目が山では特に目立ち、可愛い(と私は思う)ものの、蠅(じょう)媒花であるため、嗅ぐと、生ゴミの饐えたような変な匂いがする花である。黒百合の花言葉は「恋」と「呪い」「復讐」で、前者はアイヌの伝承に於いて、好きな人への思ひを込めた黒百合を相手の近くに置き、相手がそれを誰が置いたかを知らずに手にとれば、その二人はいつか必ず結ばれるとされることに由来するとされるが、後者の不吉なそれは、佐々(さっさ)成政が寵愛した側室早百合を正室の讒言から惨殺、その際に早百合が「立山にクロユリの花が咲いたら、佐々家は滅亡する」と呪いの言葉を吐き、後に事実、成政は切腹なって佐々家も断絶したという伝承に基づくものとされる(詳しくは、例えば占いサイトのこちらの記事がよく書けている)。これはかなり有名な黒百合伝説であるから、或いは春夫の念頭にはこの残酷譚があったのかも知れぬ。アイヌのそれは相手に知られないようにというところがミソであり、孰れにしても黒百合は人に贈るのはすこぶるまずいことが判る。

「下男」佐藤家は代々、下里村(現在の那智勝浦町の内)で医師を生業としてきた家系で、春夫の父豊太郎も医者で九代目に当たった。

「靑い花」ドイツ・ロマン派初期の代表的詩人で小説家であったノヴァーリス(Novalis:本名:ゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク:Georg Philipp Friedrich von Hardenberg 一七七二年~一八〇一年:ペン・ネームの「ノヴァーリス」はラテン語で「新開墾地」の意)の未完の教養小説で、ロマン派文学の代表作の一つとされる“Heinrich von Ofterdingen(「ハインリヒ・フォン・オフタァディンゲン」の邦訳題が意識されていよう。原題の主人公の名で訳されることはまずなく、「青い花」と言う語は、この翻案邦題によって、本邦では特に、思春期の若者が心に抱くところの理想的恋愛像としての文学的シンボルとなった。なお、作中主人公ハインリヒが夢の中で見、恋い焦がれた「青い花」は、一般にはヤグルマギク(キク目キク科ヤグルマギク属ヤグルマギク Centaurea cyanus の主調色である青い花)がモデルであるという説が有力であるらしい。

「城跡」現在の和歌山県新宮市にある新宮(しんぐう)城跡。丹鶴(たんかく)城跡とも呼ばれ、熊野川(新宮川)に臨む河口沿いの右岸丘陵部にある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鍋わり」この淵の呼称は少なくとも現在の同所附近には残っていない模様である。

「碧瑠璃」「へきるり」。定本でもそうルビする。

「恕」「ゆるし」。定本でもそうルビする。

「機を織る筬」「はたををるをさ」。「筬」は機(はた:織機(おりき))の付属用具の一つで、竹の薄片を櫛の歯のように並べて枠を附けたもの。織物の幅と経(たて)糸を整え、杼(ひ)で打ち込まれた緯(よこ)糸を押さえて、織り目の密度を決める道具。

「半年の上も」半年以上も。

「丹毒」(たんどく)は化膿菌の一種である化膿連鎖球菌(フィルミクテス門バシラス綱ラクトバシラス目ストレプトコッカス科連鎖球菌属化膿連鎖球菌 Streptococcus pyogenes)が皮膚に感染し、真皮内に化膿性炎症を起す疾患。小さな外傷や火傷及び湿疹などが細菌の侵入経路となり、顔及び手足に好発する。悪寒・発熱を伴って皮、膚に、境界のはっきりした発赤と腫れが生じ、触れると硬く、灼熱感と圧痛があり、リンパ節も腫脹して痛む。病変は高熱とともに周囲に拡大する。粘膜の侵されたケースや小児・高齢者に生じた場合は重症化することが多く、治癒したと思われても、かなりの頻度で再発する。現行の治療では安静にさせて抗生物質の全身投与を行い、病変部には湿布を行う。なお、母は主人公に感染するからと近寄らせないが、丹毒は通常の接触では感染することは、まず、ない。私はALS(筋萎縮性側索硬化症)に冒されて動けなくなった母にキスをしたとき、母が「病気がうつる」と呟いたのを忘れられない

「ぼやけた山茶花」底本では「ぼやけは山茶花」。誤植と断じて定本で訂した。]

 

 決して思ひ出したことのないやうな事柄ばかりが後へ後へ一列に並んで思ひ浮んで來た。その心持がふと、彼に死のことを考へさせた。こんな心持は確に死を前にした病人の心持に相違ない。してみれば、自分は遠からず死ぬのではなからうか‥‥それにしても知つた人もないこんな山里で、自分は、今斯うして死んで行くのであらうか‥‥死んで行くのであるとしたならば。彼の空想は谷川の水が海に入るやうに死を思ひ初めるのであつた。彼は今まで未だ一度も死に就て直接に考へたことはなかつた。さうして彼はこの時、最初には、多少好奇的に彼の特有の空想の樣式で、彼自身の死を知つた知人の人々のその時の有樣を一つ一つ描いて見た。

[やぶちゃん注:「知人の人人のその時の」底本は「知人の人人?その時の」。誤植と断じて、定本で訂した。]

 

 すさまじい風のなかに、この騷々しい世界から獨立した靜寂へ、人の靈を誘ひ入れるやうに彼の牀(とこ)の下ではげしく啼きしきるこほろぎの聲に耳を澄した。

 

 彼は手をさし延べて、枕のずつと上の方にある書棚から、何か書物を手任せに抽かうとした。さうして手を書棚にかけた瞬間に、がちやん! と物の壞れる音がした。彼は自分自身が、何かをとり落したやうに、びくつと驚いて、あたりを見まわした。それは彼の妻が臺所の方で、ものを壞した音が、風に吹きとばされて聞えて來たのだつた。

[やぶちゃん注:「抽かう」定本では「抽」に『ぬ』とルビする。

「さうして手を」底本では「うして手を」であるが読めない。定本ではこの語自体がカットされて「手を書棚に」に続いているため、訂正根拠はない。しかし、ここは私の判断で脱字と断じ、特異的に「さ」を挿入した。但し、或いは「そして」の誤植ともとれなくもない。しかし、「そして」より「そうして」の方が朗読した際にはより自然であると私は判断した

「それは彼の妻が臺所の方で、ものを壞した音が、風に吹きとばされて聞えて來たのだつた。」ここの部分、底本では、「それは彼の妻が臺所の方で    」(で行末)「壞した音が、風に吹きとばされて聞えて來たのだつた。」と五字相当分が空欄になっている定本に従ってかく訂しはしたが、疑問がある。何故なら、空欄は五字分であるのに、補填したそれは四字しかないからである。或いは「、なにかを」「皿か何かを」等が候補とはなるが、今の私には未定稿原稿を確認出来ない以上、定本での以上の補填で我慢するしかない。]

 

 彼の書棚も今は哀れなさまであつた。其處には僅かばかりの古びた書物が、塵のなかで、互に支へ合ひながら橫倒しになりかかつて立つて居た。あまり金目にならないやうなものばかりが自然と殘つて、それは兩三年來、どれもこれも見飽きた本ばかりであつた。彼が今抽き出したのは譯本のフアウストであつた。彼は自分の無益な、あまりに好奇的な自分自身の死といふやうな空想から逃れた居ために、何の興味をも起さないその本をなりと讀まうとしたけれども、風の首は斷えず耳もとを掠めた。臺所の流し元に唯一枚嵌められて居るガラス戸が、がちやがちやと搖れどほしに搖れて、彼の耳と心とを疳立せた。

[やぶちゃん注:「癇立せた」「かんだたせた」。]

 

 彼は腹這ひになつて、披げた頁へ目を曝して行つた。

[やぶちゃん注:「披げた」「ひろげた」。]

 

     現世以上の快樂ですね。

     闇と露との間に山深くねて、

     天地を好い氣持に懷に抱いて、

     自分の努力で天地の髓を搔き撈り、

     六日の神業を自分の胸に體驗し、

     傲る力を感じつつ、何やら知らぬ物を味ひ、

     時としては又溢るる愛を萬物に及ぼし、

     下界の人の子たる處が消えて無くなつて‥‥

 

[やぶちゃん注:「撈り」「すなどり」。定本では『毮(むし)り』と変えられているが、以下に示すように、引用元はこの「撈り」であり、この字を「むしり」と訓ずることは出来ない。せいぜい可能だとすれば「かきとり」ぐらいであるが、それでは屋上屋になってしまうからあり得ない。

「傲る」「おごる」。

 以上はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 一七四九年~一八三二年)の戯曲「ファウスト」(“Faust”)の、一八〇八年に発表された「第一部」(「ファウスト」第二部はゲーテの死の翌年に発表)の第十三場“Wald und Höhle”(「森と洞窟」)の、三二八三行から始まるメフィストの台詞であるが三二九〇行目で切ってあって、ここの台詞まるまるではない(以下参照。台詞としては最後の部分がカットされている)。序でに言うと内容も、一部が改変されていて、正確なものではない。ともかくも、以上の訳文と、場の題を「森と洞(ほら)」とする点で、これはもう、森鷗外訳の「フアウスト」(第一部は大正二(一九一三)年一月、第二部は同三月に冨山房刊)のそれである。但し、一部異なる箇所があること、次のシーンで主人公は「森と洞」の最初のファウストのモノローグから読み直していることから、やや長くなるが、昭和三(一九二八)年岩波文庫版から、「森と洞」に初めから、この台詞を含み、さらに後に引かれる部分の直後までソリッドに引いておく。春夫の引いている箇所に相当する部分には傍線を引いておいた。なお、「己」は鷗外は本作の初めの方の「主」(しゅ)の台詞で「己(おれ)」と振っている。老婆心乍ら、「傍杖」は「そばづゑ」、「宥める」は「なだめる」。「差し升つて」は「さしのぼつて」(さし昇って)、「噓き掛けた」は恐らく「うそぶきかけた」、「お負にそれを」は「おまけにそれを」と読む。

   *

 

 森と洞

 

         フアウスト一人。

フアウスト 崇高なる地の精。お前は己に授けた。己の求めたものを

 皆授けた。燄の中でお前の顏を

 己に向けてくれたのも、徒事(いたづらごと)ではなかつた。

 美しい自然を領地として己にくれた。

 それを感じ、受用する力をくれた。只冷かに

 境に對して驚歎の目を睜ることを

 許してくれたばかりでなく、友達の胸のやうに

 自然の深い胸を覗いて見させてくれた。

 お前は活動しているものの列(れつ)を、己の前を

 連れて通つて、森や虛空や水に棲む

 兄弟どもを己に引き合せてくれた。

 それから暴風(あらし)が森をざわつかせ、きしめかして、

 折れた樅の大木が隣の梢、

 鄰の枝に傍杖を食(く)わせて落ち、

 その音が鈍く、うつろに丘陵に谺響(こだま)する時、

 お前は己を靜かな洞穴に連れ込んで、己に己を

 自ら省みさせた。その時己の胸の底の

 祕密な、深い奇蹟が暴露する。

 そして己の目の前に淸い月影が己を宥めるやうに

 差し升つて來る時、岩の壁から、

 濕つた草叢から、前世界の

 白金(しろかね)の形等が浮び出て、

 己の觀念の辛辣な興味を柔らげる。

 あゝ。人間には一つも全き物の與へられぬことを

 己は今感ずる。お前は己を神々に

 近く、近くするこの喜(よろこび)を授けると同時に、

 己に道連(みちづれ)をくれた。それがもう手放されぬ

 道連で、そいつが冷刻に、不遠慮に

 己を自ら陋(いや)しく思はせ、切角お前のくれた物を、

 噓き掛けたただの一息で、無(む)にするのを忍ばねばならぬ。

 そいつが己の胸に、いつかあの鏡の姿を見た時から、

 烈しい火を忙しげに吹き起した。

 そこで己は欲望から受用へよろめいて行つて、

 受用の央(なかば)に又欲望にあこがれるのだ。

         メフイストフエレス登場。

メフイスト もう今までの生活は此位で澤山でせう。

 さう長引いてはあなたに面白いはずがありませんから。

 それは一度はためして見るのも好いのです。

 これからは又何か新しい事を始めなくては。

フアウスト ふん。己の氣分の好いのに、來て己を責めるよりは、

 君にだつてもつと澤山用事があるだらうが。

メフイスト いゝえ。御休息のお邪魔はしません。

 そんな事をわたしに眞面目で言つては困ります。

 あなたのやうな荒々しい、不愛想な、氣違染みた

 友達は無くても惜しくはありません。

 晝間中手一ぱいの用がある。

 何をして好(い)いか廢(よ)して好いか、

 いつも顏を見てゐても知れないのですから。

フアウスト それが己に物を言ふ、丁度好い調子だらう。己を

 退屈させて、お負にそれを難有がらせようと云ふのか。

メフイスト わたしがゐなかつたら、あなたのやうな

 此世界の人間はどんな生活をしたのですか。

 人間の想像のしどろもどろを

 わたしが當分起らぬようにして上げた。

 それにわたしがいなかったら、あなたはもう

 疾(と)つくにこの地球にお暇乞をしてゐなさる。

 なんの爲にあなたは木兎(みゝづく)のやうに

 洞穴や岩の隙間にもぐつてゐるのです。

 なぜ陰氣な苔や雫の垂る石に附いた餌(ゑさ)を

 蟾蜍(ひきかへる)のやうに啜つてゐるのです。

 結構な、甘つたるい暇の潰しやうだ。

 あなたの體からはまだ學者先生が拔けませんね。

フアウスト うん。かうして人里離れた所に來てゐると、

 生活の力が養はれるが、君には分かるまい。

 もしそれが分かつてゐたら、そんな幸福を己に享けさせまいと、

 惡魔根性を出して邪魔をするだらう。

メフイスト 現世以上の快樂ですね。

 闇と露との間に、山深く寢て、

 天地を好(い)い氣持に懷に抱いて、

 身分のやうにふくらませて、

 推思の努力で大地の髓を搔き撈り、

 六日の神業(かみわざ)を自分の胸に體驗し、

 傲る力を感じつつ、何やら知らぬ物を味ひ、

 時としては又溢れる愛を萬物に及ぼし、

 下界の人の子たる處が消えて無くなつて、

 そこでその高尚な、理窟を離れた觀察の尻を、

 一寸口では申し兼ねるが、

      (猥褻なる身振。)

            これで結ばうと云ふのですね。

フアウスト ふん。怪しからん。

メフイスト         お氣に召しませんかな。

 御上品に「怪しからん」呼(よば)はりをなさるが宜しい。

 潔白な胸の棄て難いものも、

 潔白な耳に聞せてはならないのですから。

 手短に申せば、折々は自ら欺く快さを

 お味ひなさるのも妨なしです。

 だが長くは我慢が出來ますまいよ。

 もう大ぶお疲(つかれ)が見えてゐる。

 これがもっと續くと、陽氣にお氣が狂ふか、

 陰氣に臆病になってお果(はて)になる。

 もう澤山だ。あの子は内にすくんでゐて、

 何をかをも狹苦しく物哀しく見てゐますよ。

 あなたの事がどうしても忘れられない。

 あなたが無法に可哀いのですね。

 あなたの烈しい戀愛が、最初雪解(ゆきどけ)のした跡で、

 小川(こがは)が溢れるやうに溢れて、そいつをあなたは

 あの子の胸に流し込んだ。

 そこであなたの川は淺くなつたのですね。

 わたくし共の考では、檀那樣が森の中の

 玉座に据わつてお出(いで)になるより、

 あの赤ん坊のような好い子に、惚れてくれた

 御褒美をお遣(やり)になるのが宜しいやうだ。

 あの子は日が溜まらない程長いと見えて、

 窓に立つて、煤けた町の廓の上を、

 雲の飛ぶのを見てゐます。

 「わしが小鳥であつたなら。」 こんな小歌を

 晝はひねもす夜(よ)はよもすがら歌つてゐます。

 どうかするとはしやいでゐる。大抵は萎(しを)れてゐる。

 ひどく泣き腫れてゐるかと思へば、

 又諦めてゐるらしい時もあります。

 だが思つてゐることはのべつですよ。

 

   *

 佐藤春夫が御大鷗外のそれを改変したのは、訳語が難解であると考えたからであろう。私はドイツ語は解せないので、以上の引用箇所を私が別に持つ高橋義孝訳(昭和四二(一九六七)年新潮文庫版)のそれも並べて見てみよう。

《佐藤春夫の本文引用》

   *

 現世以上の快樂ですね。

 闇と露との間に山深くねて、

 天地を好い氣持に懷に抱いて、

 自分の努力で天地の髓を搔き撈り、

 六日の神業を自分の胸に體驗し、

 傲る力を感じつつ、何やら知らぬ物を味ひ、

 時としては又溢るる愛を萬物に及ぼし、

 下界の人の子たる處が消えて無くなつて‥‥

   *

《鷗外訳》

   *

 現世以上の快樂ですね。

 闇と露との間に、山深く寢て、

 天地を好(い)い氣持に懷に抱いて、

 身分のやうにふくらませて、

 推思の努力で大地の髓を搔き撈り、

 六日の神業(かみわざ)を自分の胸に體驗し、

 傲る力を感じつつ、何やら知らぬ物を味ひ、

 時としては又溢れる愛を萬物に及ぼし、

 下界の人の子たる處が消えて無くなつて、

   *

《高橋義孝訳》

   【引用開始】

 超俗的快楽というやつですな。

 夜露を浴びて山に寝て、

 恍惚(こうこつ)として天地を胸に抱き、

 思い上がって、神さま気取りさ。

 予感の力を働かせて地の髄を搔き回し、

 神の六日間の仕事を自分の心のうちで繰返して、

 他愛もなく胸を張って何やら訳のわからぬものを味わい、

 そうかと思うと愛情をすべてのものに頒(わか)ち与え、

 下界の子たる趣をすつかりなくしてしまい、

   【引用終了】

まあ、春夫の改変も判らぬではないな。]

 

 偶然、それは「森と洞」との章のメフイストの白(せりふ)であつた。この言葉の意味は、彼にははつきりと解つた。これこそ彼が初めてこの田舍に來たその當座の心持ではなかつたか。

 

 彼は床の中からよろけて立ち上つた、机の上から赤インキとペンとを取るために。さうして今讀んだ句からもつと遡つて、洞の中のフアウストの獨自から讀み初めた。彼はペンに赤いインキを含ませて讀んで行くところの句の肩に一々アンダアラインをした。その線を、活字には少しも觸れないやうに、又少しも歪まないやうに、彼は細い極く神經質な直線を引いて行つた。それがぶるぶるとふるへる彼の指さきには非常な努力を要求した。

 

    手短かに申せば、折々は自ら欺く快さを

    お味ひなさるも妨げなしです。

    だが長くは我慢が出來ますまいよ。

    もう大ぶお疲れが見えて居る。

    これがもつと續くと、陽氣にお氣が狂ふか、

    陰氣に臆病になつてお果てになる。

    もう澤山だ‥‥

 

 アンダアラインをするのに氣をとられて、句の意味はもう一度讀みかへした時に、初めてはつと解つた。メフイストは、今、この本のなかから俺にものを言ひかけて居るのだ。おゝ、惡い豫言だ! 陰氣に臆病になつてお果てになる。それは本當か、これほど今の彼にとつて適切な言葉が、たとひどれほど浩瀚な書物の一行一行を片つぱしから、一生懸命に搜してみても、決してもう二度とはこゝへ啓示されさうもない。それほどこの言葉は彼の今の生活の批評として適切だ。適切すぎるその活字の字面を見て居ると、彼は少しづゝ怖ろしいやうな心にさへなつた。

[やぶちゃん注:「もう二度とは」は底本は「一」で印刷してあり、その下に誰かが手書きで長い横棒を書き込んでいるように見える。「二」にしては上の第一画が明らかに「一」の活字と同じに見えるからである。但し、拡大して見ても、下の二画目が手書きであるところまでは確認出来なかった。一応記しておく。定本は無論、「二」である。]

 

「まあ、何といふひどい風なのでせう。裏の藪のなかの木を御覽なさい。細い癖にひよろひよろと高いものだから、そのひよろひよろへ風のあたること! 怖ろしいほどに搖れてよ。ねえ折れやしないでせうか」彼の妻の聲は、風の音に半かき消されて遠くから來たやうに、さうして何事か重大な事件か寓意かを含んで居るらしく、彼の耳に傳はつた。

[やぶちゃん注:「半」「なかば」。]

 

 氣がついてみると、彼の妻は彼の枕もとに立つて居た。彼の女はさつきから立つて居たのであつた。妻は彼に食事のことを聞いて居た。彼は答へようともしないで、いかにも太儀らしく寢返りをして、妻の方から意地惡く顏をそむけた。けれども再び直ぐ妻の方へ向き直つた。

 「おい! さつき何か壞したね。」

 「ええ、十錢で買つた西洋皿。」

 「ふむ。十錢で買つた西洋皿? 十錢の西洋皿だから壞してもいゝと思つて居るのぢやないだらうね。十錢だの十圓だのと、それは人間が假りに、勝手につけた値段だ。それにあれは十錢以上に私には用立つた。皿一枚だつて貴重なものだ。まあ言はゞあれだつて生きて居るやうなものだ。まあ、其處へ御坐り。お前はこの頃、月に五つ位はものを壞すね。皿を手に持つて居て、皿の事は考へずに、ぼんやり外のことを考へて居る。それだから、その間に皿は腹を立てゝお前の手からすべり落ちるんだ。一體、お前は東京のことばかり考へて居るからよくない。お前はここのさびしい田舍にある豐富な生活の鍵を知らないのだ。ここだつてどんなに賑やかだかよく氣をつけて御覽。つまらぬとお前の思つて居る臺所道具の一つ一つだつて、お前が聞くつもりなら、面白い話をいくらでもしてくれるのだ‥‥」彼は囈言のやうに小言を言ひつゞけた。しかしいくら言はうとしても彼の言はうとして居る事は一言も言へなかつた。彼は人間の言葉では言へない事を言はうとして居るのだ。と自分で思つた。さうして遂に口を噤んだ。

[やぶちゃん注:[やぶちゃん注:「彼は答へようともしないで、」底本は「彼は答へようともしなで、」。脱字と断じ、定本に従って訂した。

「太儀」ママ。

「囈言」「うはごと(うわごと)」。]

 

 二人は默つて荒れ𢌞る嵐の音を聞いた。暫くして妻は、思ひきつて言つた。

 「あなた、三月にお父さんから頂いた三百圓はもう十圓ぼつちよりなくなつたのですよ。」

 彼はそれには答へようともせずに、突然口のなかで呟くやうにひとり言を言つた。

 「俺には天分もなければ、もう何の自信もない‥‥」

 

2017/05/06

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その15)

 

    *    *    *

      *    *    *

 

 一度かういふ事もあった‥‥

 夜ふけになってから、ランプの傍へ蛾が一疋慕ひ寄つた。彼はこの蟲を最も嫌つて居た。この蟲の、絹のやうな滑らかな毛が一面に生えた小さな顏。その灰黑色の頭の上に不氣味に底深く光つて居る小さな目。それからいくら追ひ拂つても平然として、厚顏に執念深さうに灯のまわりを戲れる有樣。それがホヤの直ぐ近くで死の舞踏のやうな歡喜の身もだえをする時には、白つぽくぼやけた茶色の壁の上をそのグロテスクな物影が、壁の半分以上を占めて、音こそは立てないけれども、物凄く叫び立てて居さうに狂ひまわつた。彼の追い拂ふのを避けて、この蟲が障子の上の方へ逃げてしまふと、今度はその黑い翅でもつて、ちやうど亂舞の足音のやうに、ばたばた、ばたばた、ばたばたと障子紙を打ち鳴した。

 

 彼は、蛾の靜かになつたのを見すまして、新聞紙の一片それを取り押へた。さうして、その不氣味な蟲を、戸を繰って外へ投げ捨てた。

 

 けれどもものの十分とは經たないうちに、その蛾は(それとも別の蛾であるか)再び何處からか彼のランプへ忍び寄った。さうして再び不氣味な黒い重苦しい翅の亂舞を初めた。彼はもう一度、その蛾を紙片で取り押へた。さうして、今度は、その紙片を蟲の上からしつかりと疊みつけて、さて再び戸を繰つて窓の外へ投げ捨てた。

 

 けれども、又ものの十分とは經たないうちに、蛾は三度び何處かから忍び寄つた。それは以前に二度まで彼をおびやかしたと同一のものであるか、別のものであるかは知らないが、さつきあれほどしつかりと紙のなかにつつみ込んで握りつぶしたものが出て來ることは愚か、生きている筈もないのだから、これは全く別の蛾だつたのであらう。兎に角、三度、四度まで彼のランプを襲うた。

[やぶちゃん注:「四度まで」は底本では「四度まだ」。誤植と断じて、定本で訂した。]

 

 この小さな飛ぶ蟲のなかには何か惡靈があるのである。彼はさう考へずには居られなかつた。さうして、わざわざ妻を呼び起して、この蟲を捕へさせた。それから一枚の大きな新聞紙で、この小さな蟲を、幾重にも幾重にも卷き込んで、折り疊んで、今度は戸の外へは捨てずに、彼の机の上へ乘せて置いた。

 

 かうして、やつと安堵して、寢床に入つた。

 

 しばらくして、眠れないままに、燭臺へ灯をともすと、ひらひらと飛んで來て、嘲るやうに灯をかすめたものがある。それも蛾であった!

[やぶちゃん注:これは精神変調病態の一種である追跡妄想の変形型と思われる。]

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その14)

 

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[やぶちゃん注:アスタリスク位置はママ。]

 

 今まで手に持つて居たものが、たとへばペンだとか、煙管だとか、そんなものが不意にどこかへ見えなくなることはよくあることだ。さうして一時姿を匿して居たそれらの品物は、後になつて、思ひもよらないやうな場所から、或は馬鹿ばかしいやうな場所から、出て來る。しかし搜す時には、決して現はれない。さういふことは誰にもよくある。併し、そのころ彼に起つた程そんなに屢々は決して誰にもあるものではない。彼には、その頃、そんな事が一日に少なくとも二三度は必ずあつた。そのふとしたことが、彼にはどんなに重大に見えたであらう。彼はそれを、寧ろフェイタルな出來事のやうにさへ感じた。そうして、彼の持ちものが斯うして、每日二三品づつひよつくり消え失せでもするやうに彼には感じられた‥‥‥‥

[やぶちゃん注:★本章は、定本では全面改稿というのではなく、完全にカットされて、全く別の一章がここに挟まっている。★

「フェイタル」fatal。「致命的な・破滅的な・極めて重大な・運命を決するような・宿命的な・免れ難い」の意。]

 

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その13)

 

[やぶちゃん注:★定本ではここに、本書では次の次の章としてある蛾の話が移行されてある。★]

 

    *    *    * 

      *    *    *

 

 彼は眠ることが出來なくなつた。

 

 最初には、時計の音がやかましく耳についた。彼は枕時計も柱時計も、二つともとめてしまつた。全く、彼等の今の生活には、時計は何の用もな居いただやかましいだけのものにしか過ぎなかつた。それでも、彼の妻は、每朝起きると、いい加減な時間にして、時計の振子を動かした。彼の女は、せめて家のなかに時計の音ぐらゐでもして居なければ、心もとない、あまり淋しいといふのであつた。それには彼も全く同感である。何かの都合で、隣家の聲も、犬の聲も、鷄の聲も、風の聲も、妻の聲も、彼自身の聲も、その外の何物の聲も、音も、ぴつたりと止まつて居る瞬間を、彼は屢經驗して居た。その一瞬間は、彼にとつては非常に寂しく、切なく、寧ろ怖ろしいものであつた。そんな時には、何かが聲か音かをたててくれればいいがと思つて、待遠しい心持になつた。それでも何の物音もないやうな時には、彼は妻にむかつて無意味に、何ごとでも話しかけた。でなければ、ひとりごとを言つたりした。

 けれども夜の時計の音は、あまりやかましくて、どうしても眠つかれなかつた。それの一刻みの音每にそそられて、彼の心持は一段一段とせり上つて昂奮して來た。それ故、彼は寢牀に入る時には、必ず時計の針をとめることにした。さうして每朝、妻は、夫のとめた時計を動かす。時計を動かすことと、止めることと、それが每朝每夜の彼等の各の日課になつた。

[やぶちゃん注:「各」「おのおの」。]

 

 時計の音をとめると、今度は庭の前を流れる渠のせせらぎが、彼には氣になり初めた。さうして今度はそれが彼の就眠を妨げるやうに感じられた。每日の雨で水の音は、平常よりは幾分激しかつたであらう。或る日、彼はその渠のなかを覗いて見た。其處には幾日か以前に――彼がこの家へ轉居して來たてに、この家の廢園の手入れをした時に、渠の土手にある猫楊から剪り落したその太い枝が、今でも、その渠のなかに、流れ去らずに沈んで居て、それが笧のやうに、水上からの木の葉やら新聞のきれのやうなものなどを堰きとめて、水はその笧を跳り越すために、湧上り湧上りして騷いで居た。あの騷々しい夜每の水の音は、成程この爲めであつた。彼はひとりでさう合點して、雨に濡れながら、渠のなかに這入つて、その枝を水の底から引き出した。澤山の小枝のあるその太い枝の上には、ぬるぬるとした靑い水草が一面に絡んで上つて來た。彼はそれを一先づ路傍へひろひ上げた。さてもう一度、水のなかを覗くと、今まで猫楊の枝の笧にからんで居た木の葉やら、紙片やら、藁くづやら、女の髮の毛やらの流れて行く間に雜つて、其處から五六間の川下を浮きつ沈みつして流れて行く長いものに、ふと目をとめた。

[やぶちゃん注:「笧」「しがらみ」。柵(しがらみ)。

「五六間」約九~十一メートル。]

 

 見れば、それはこの間の晩、犬を打つてから水のなかへたたきつけたあの銀の握のある杖であつた。

 

 彼は不思議な緣で、再びそれが自分の手もとにかへつたことを非常に喜んだ。何といふことなく恥しく、馬鹿ばかしくつて、それを無くしたことを妻にも隱して居たのに、つひうつかり話してしまつたほどであつた。さうして彼は考へた――あの騷々しい水音は、きつと、この杖のさせた聲であらう。杖はさうすることに依つて、それを搜し求めて居る彼に、杖白身の在處を告げたのであらうと。

[やぶちゃん注:「在處」「ありか」。定本でもかくルビする。]

 

 彼はその杖を片手に持つて、とどこほりなく押し流れて行く水の面をぢつと見た。これならば、今夜はもう靜かだ、安心だと思つた。併し、それは間違ひであつた。その夜も、前夜よりは騷がしいかと言つても、決して靜かではないせせらぎの音が、それはもともと極く微かなものであるのに、彼にはひどく耳ざわりで、それが彼の睡眠を妨げたことは、前夜と同じことであつた。

 

 けれども、そのせせらぎの音は、もうそれ以上どうすることも出來なかつた。その外に、もう一つ別に、彼の耳を訪れる音があつた。それは可なり夜が更けてから聞える、南の丘の向側を走る終列車の音であつた。然も、それはよほどの夜中なので――時計は動いて居ないから時間は明確には解らないけれども、事實の十時六分?にT驛を發して、直ぐ、彼の家の向側を、一里ほど遠くに、丘越しに通り過ぎる筈の終列車にしてはそれは時間があまりに晩すぎた。そればかりかそれは一夜中に一度ではなく、最初にそれほどの夜更けに聞いてから、また一時間ばかり經過するうちに、又汽車の走る音がする。どうしてもそれは事實上の列車の時間とは、すべて違つて居る‥‥たとひ、それが眞黑な貨物列車であつても、こんな田舍鐵道が、こんな夜更けに、それほど度々貨物列車を出す筈はない。さうして、それほどはつきり聞かれる汽車の音を、彼の妻は決して聞えないと言ふ。

[やぶちゃん注:こうした聴覚過敏や幻聴或いは聴覚認識及び同短期記憶の錯誤は、神経過敏や強迫神経症或いは精神疾患の初期症状として教科書的に典型的で、またそのようにかなり正確に叙述されてもある。しかも、そうした粘着的叙述自体が、そうした精神疾患等の予後に見られる特徴でもある。

T驛」不詳。当時の横浜線の駅名にイニシャル「T」の駅名はない。

「一里」モデル・ロケーションに非常に正確である。佐藤春夫が住んだ位置から地図上で測ると、現在の横浜線の最短位置の距離は三・九キロメートル強である。]

 

 時計のセコンドの音。渠のせせらぎ。汽車の進行するひびき、そんな順序で、遂に彼は、その外のいろいろな物音を夜每に聞くやうになつた。その重なるものの一つは、彼が都會で夜更けによく聞いた、電車がカアブする時に發する遠くの甲高な軋る音である。それが時々、劇しく耳の底を襲うた。或る夜には、うとうと眠つて居て、ふと目がさめると、直き一丁ほどのかみにある村の小學校から、朗らかなオルガンの音が聞え出して來た。もう朝も遲くなつて、唱歌の授業でも始つて居るのかと、あたりを見ると、妻は未だ睡入つて居る。戸の隙間からも光もささない。何の物音も無い‥‥そのオルガンの音の外には。深夜である。睡呆けて居るのではないかと疑ひながら一層に耳を確めた。オルガンの音は、正にそれの特有の音色(ねいろ)をもつて、よく聞きなれた何かの進行曲を、風のまにまに漂はせて來るではないか‥‥彼は恍惚としてその樂の音に聞き惚れて居た。或る夜にはまた、活動寫眞館でよく聞く樂隊の或る節が‥‥これもやはり何かの進行曲であるが‥‥何處からとしもなく洩れ聞えて來た。其等の樂の音を感ずるやうになつてからは、水のせせらぎは、一向彼の耳につかなくなつた。さうして彼はもう眠らうといふ努力をしない代りに、眠れないといふことも、それほどに苦しくはなかつた。それ等のもの音は、電車のカアブする奴だけは別として、その外のは皆、快活な朗らかなそれぞれの快感をともなうて居て、彼はそれらの現象を訝しく感ずるよりも前に、それを聽き入つて居ることが、寧ろ言ひ知れない心地よさであつた。就中、オルガンの音が最もよかつた。次には樂隊のひびきであつた。樂隊は殆んど每夜缺かさずに洩れ聞えた。彼はそれを聽き入りながら、ついそれの口眞似をして、その上、臥て居る自分の體を少し浮上がらせる心持にして、體全體で拍子をとつて居た。それは一種性慾的とも言へるやうな、卽ち官能の上の、同時に精神的ででもある快樂の一つであるかのやうであつた。若しこれが修道院のなかで起つたのであつたならば、人々はそれを法悦と呼んだかも知れない。

[やぶちゃん注:この最後の部分は精神医学的にも文学的にもすこぶる興味深い。

「甲高な軋る音」「かんだかなきしるおと」。

「直き一丁ほどのかみにある村の小學校」「かみ」は川上ととれ、実際に佐藤の住んだ位置から谷本(やもと)川(鶴見川の上流域名)の川上方向に、現在も横浜市立鉄(くろがね)小学校がある。但し、現在の地図上ではその距離は四百メートルはある(一町は百九メートル)。しかし、昭和初期の地図を見ると、現在の鉄小学校の位置は完全に水田であり、「文」のマークは、もっと佐藤の住居寄り、現在の交番のある東北直近に打たれてある。ここだと、百メートル強となり、一致する

「進行曲」二箇所ともママ。定本では二箇所とも「行進曲」となっている。

「臥て」定本では「臥(ね)て」とルビする。]

 

 幻聽は、幻影をも連れて來た。或は幻聽の前觸れがなしに一人でも來た。その一つは極く微細な、併し極く明瞭な市街である。これの一部分である。ミニアチュアの大きさと細かさとで、仰臥して居る彼の目の前へ、ちようど鼻の上あたりへ、そのミニアチュアの街が築かれて、ありありと浮び出るのであつた。それは現實にはないやうな立派な街なので、けれども、彼はそれを未だ見たことはないけれども、東京の何處かにきつとこれと同じ場所がありさうに想像され、信じられた。それは灯のある夜景であつた。五層樓位の洋館の高さが、僅に五分とは無いであらう。それで居て、その家にも、それよりももつと小さい ――それの半分も三分の一の高さもない小さな家にも、皆それぞれに、入口も、灯のきらびやかに洩れて來る窓もあつた。家は大抵眞白であつた。その窓掛けの靑い色までが、人間の物尺(ものさし)にはもとより、普通の人の想像そのもののなかにもちよつとはありさうもないほどの細かさで、而も實に明確に、彼の目の前に建て列ねられた。いやいや、未だそればかりではない。それらの家屋の塔の上の避雷針の傍に星が一つ、唯一つ、きつぱりと黑天鵞絨(くろびらうど)のなかの銀絲の點のやうに、鮮かに煌いて居る‥‥不思議なことには、立派な街の夜でありながら、どんな種類にもせよ車は勿論、人通り一人もない‥‥柳であらう街樹の並木がある。‥‥しんとした、その癖、何處にとも言へぬ騷々しさを湛へて居ることは、その明るい窓から感じられる‥‥その家はどういふ理由からか、彼には支那料理の店だと直覺出來る‥‥‥‥それをよくよく凝視して居ると、その街全體が、一旦だんだんと彼の鼻の上から遠ざかつて、いやが上に微小になり、もう消えると見るうちに、非常な急速度で景色は擴大され、前のとその儘の街が、非常な大きさに、殆んど自然大に、それでもまだやまずにとめどなく巨大に、まるで大世界一面になつて‥‥それをぼんやり見て居ると、その街はまた靜かに縮小して、もとのミニアチュアの街になつて、それとともに再び彼の鼻の上のもとの座に歸つて來た。彼はかうして數分間か、それとも數秒間に、メルヘンにある、小人國と、巨人國とへ、一翔りして往復して居る心地がした。何かの拍子に、その幻の街が自然大位の巨大さで、ぱつたり動かなくなる時がある。彼は、突然、實際そんな街へでも自分は來て居るのではなからうかと、慌てて手さぐりでマツチを擦つて、闇のなかで自分のすすけた家の天井を見わたした事があつた。

[やぶちゃん注:「五分」一・五センチメートル。

「煌いて」「きらめいて」。

「一翔り」「ひとかけり」。]

 

 それらの風景は、屢々彼の目に現れた。それの現はれる都度、それは前度のものとは決して寸毫も變つたところはなかつた。それもこの現象に伴ふところの一つの不思議であつた。

 

 ある時には、稀に、その風景の代りに自分自身の頭であることがあつた。自分の頭が豆粒ほどに感じられる‥‥鬼る見るうちに擴大される‥‥家一杯に‥‥地球ほどに‥‥無限大‥‥どうしてそんな大きな頭がこの宇宙のなかに這入りきるのであらう。と、やがてまたそれが非常な急速度で、豆粒ほどに縮小される。彼はあまりの心配に、思はず自分の手で自分の頭を撫ぜ𢌞して見る。さうしてやつと安心する。滑稽に感じて笑ひ度くなる。その刹那にキイイイと電車のカアブする音が、眉の間を刺し徹す。

 

 これらの幻視や、幻感は、しかし、幻聽とはさほど必然的な密接な關係をもつて現はれるものではないらしかつた。一體に幻聽の方は、彼にとつて愉快であつたに拘はらず、こんな風に無限大から無限小へ、一足飛びに伸縮する幻影は、彼にさへ不氣味で、また惱ましかつた。

 

 これらの怪異な病的現象は、每夜一層はげしくなつて行くのを彼は感じた。彼はそれ等の現象を、彼の妻から傳はつて來るものだと考へ始めた。汽車のひびき、電車の軋る音、活動寫眞の囃子、見知らぬ併し東京の何處かである街。それ等の幻影は、すべて彼の妻の都會に對する思ひつめたノスタルヂアが、恐らく彼の女の無意識のうちに、或る妖術的な作用をもつて、眠れない彼の眼や耳に形となり聲となつて現はれるのではなからうか、彼はさう假想して見た。それは最初には、ほんの假想であつたけれども、何時とはなく、それが彼には眞實のやうに感ぜられ出して來た。彼自身のやうに、殆んど無いと言つてもいい程に意志の力の衰えて居るものの上に、意志の力のより強い他の人間の、或はこの空間に犇き合つて居るといふ不可見世界のスピリツト達の意志が、自分自身のもの以上に、力強く働きかけるといふことはあり得べき事として、彼は認めざるを得なかつた。生命といふものは、すべての周圍を刻々に征服し、食つて、その力を自分のなかに吸集し、それを統一するところの力である。さうして、今や、その力は彼からだんだんと衰えて行きつつあつた。

[やぶちゃん注:「不可見世界」「ふかけんせかい」見ることが出来ない時空間。

「吸集」ママ。]

 

 彼が、闇といふものは何か隙間なく犇き合ふものの集りだ、それには重量があると氣附付たのもこの時である。

[やぶちゃん注:「集りだ、」底本は「集りだ。」と句点であるが、特異的に訂した。定本も読点になっている。]

 

 彼は、若し自分が今、修道院に居るとしたならば‥‥と或る時考へた。若し彼が彼の妻と一緒にこんな生活をして居るのではなく、永貞童女である美しいマリアの畫像を拜しながら、この日頃のやうな心身の狀態に居るならば、夜の幻影は、それは多分天國のものであつたらう。その不快なものは地獄のものであつたらう。さうして畫像のマリアは生きて彼にものを言ひかけたのであらう。さうして怖ろしいものはすべて畫家アンドレアス・タフィイが描いたといふ惡魔の釀さと怖ろしさをもつて、彼に現はれたであらう。修道院では生活や思想がすべて、そんな風な幻影を呼び起すやうに、呼び起さなければならないやうないろいろの仕掛で出來て居るのだから。

[やぶちゃん注:「畫家アンドレアス・タフィイ」不詳。識者の御教授を乞う。定本では「スピネロオ・スヒネリイ」に変わっているが、それはルネッサンス初期のトスカーナの画家パッリ・ディ・スピネッロ・スピネッリ(Parri Di Spinello Spinelli 一三八七年~一四五三年)のことであろう。]

 

 彼はそんな事をも考へた。併しこの考へは、この當座よりも、ずつと後になつて纏つた。

 

 

2017/05/05

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その12)

 

[やぶちゃん注:★定本ではここにかなり長い一章(所持する新潮文庫版で十頁相当分に及ぶ)が加筆挿入されている。★以下の、アスタリスク欠損はママ。]

 

    *    *

      *    *    *

 

 その晩ではなかつたが、或る雨の晴れた晩であった。大きな圓い月が、あの丘の上から、舞臺の背景のせり出しのやうにのつそり昇つて來たことがあつた。

 

 その晩は犬が二疋ともはげしく吠えた。

 

 彼は、それらの犬どもを遊ばせるつもりで庭へ出た。庭からまた外へ出た。

 

 月は殆んど中天に昇つて居た。遠い水車の音が、コットン、コットン、コットン、と野面を渡つてひびいて來た。彼は彼の家の前の道を、幾度も幾度も往つたり來たりして步いた。二疋の犬は彼の影について、二疋で互にふざけ合ひながら、嬉々として戲れて居た。彼は立ちどまつた。水のせせらぎに耳をかたむけた。路の傍に、彼の立つて居る足の下に、細い水が月の光を碎きながら流れて居る。ふと、南の丘の向う側の方を、KからHへ行く十時何分かの終列車が、月夜の世界の一角をとどろかせ、搖がせて通り過ぎた。その音が暫く聞かれた。この時、もの音が懷しかつた。月の光で晝間のやうに明るい、野面を越えて、彼は南の丘の方へ目を向けた。‥‥今、物音の聞えたところ、丘の向う側には素晴らしく賑やかな大都會がある……其處には、家家の窓から灯が、きらきらと簇つて輝いて居る‥‥、彼は不意に何の連絡もなく、遠い汽車のひびきを聞いただけで、突然、そんな空想が湧き上つた。そういへば、一瞬間、ほんの一瞬間、その丘のうしろの空が、一面に、無數の灯の餘映か何かのやうに、ぽつと赤くなつた‥‥かと思うと、すぐに消えた。それは實際神祕な瞬間であつた。

[やぶちゃん注:「KからH」当時の横浜線の東神奈川駅と八王子駅であろう。孰れも「Hとなることから「東」を省略してイニシャルとしたものであろう。

「簇つて」「むらがつて」。

 

「丘の向う側には素晴らしく賑やかな大都會」横浜。]

 

 「俺は都會に對するノスタルジアを起して居るな?」

 彼は、さう思ひながら、その丘から目をそらした。見ると彼の立つ居る一筋の路の向ふから、黑い人影が彼の方へ步いて來た。その人影が、一聲高く口笛を吹いた。すると彼の犬は二疋とも、疾風のやうな勢で、その人影の方へ驅け出した。それが彼には非常に不愉快であつた。これらの犬は彼、卽ち犬どもの主人の呼ぶ時より外には、今まで決して他の人の方へは行かうとはしなかつたからである。それがその夜に限つて、この一聲の口笛を聞くと、飛ぶやうに馳け出す。

 

 彼は或る狼狽をもつて、口笛を吹いた。犬をよび返すためである。彼の口笛を聞くと、犬も氣がついたらしく慌てて彼の方へ引き返した。

 「フラテ!」

 人影はそう言つて、犬の名を呼んだ。

 「フラテ!」

 彼も慌てて、同じく犬の名を呼んだ。彼の叫んだ聲は、ちやうどあの人影の聲とそつくりであつた。さうして直ぐに同し言葉を呼び返したために、彼の聲は、ちやうど人影の聲の山彦のやうに響いた。二つの聲は、この言ひ現し難い類似をもつて全く同一なものだと感じさした。それを犬でさへもさう聞いたに相違ない。一旦、馳け出した犬は、人影を慕うて行つて歸つて來なかつた。

[やぶちゃん注:「同し」ママ。定本は「同じ」であるが、訂さない。

「感じさした」ママ。訂さない。]

 

 彼は呆然と路の上に立つて、その人影を確めやうと眼を睜つた、人影は、路から野面の方へ田の畔をでも傳うらしく、石地藏のあるあたりから折れ曲つた。さうして!

[やぶちゃん注:「睜つた」「みはつた」。]

 

 何といふ不思議であらう! その人影は、明るい月夜のなかで、目を遮るものもない野原のなかで、忽然と形が見えなくなつた!

 

 「あつ」と叫び聲を、口のなかに嚙み殺して、彼は家の門へ、家のなかへ、一散に驅け込んだ。「‥‥この村では誰も俺の犬の名を覺えて居る筈はないのだ。たとひ、名を呼ばれても、俺の犬は俺以外の人間の方へ行く筈はないのだ。たとひ、行くとしても、俺が呼び返せばきつと俺の方へ歸つてくる筈なのだ。今までこんなことは一度もない」彼は一人でさう考へた「‥‥それにあの人影は何だつて、不意にかき消すやうに見えなくなつたのであらう? ‥‥若しや、あの時俺が、この俺自身の同一人が二人の人間に別れたのではなからうか? 離魂病といふ病氣はほんとうにある事であらうか? 若しさうだとすると、俺は、若しや離魂病にかかつて居るのではなからうか? 犬といふものは物音をききわけるのには微妙な能力を持つて居なければならない筈だ、わけて主人の聲はちやんと聞き別ける筈だ‥‥」

[やぶちゃん注:段落の頭は底本でも定本でも一字下げとなってない。しかし、このここまでの底本の前例に徴するならば、ここは一字下げであるべきである。特異的に私の判断で一字空けた。序でに言っておくと、その後の『‥‥この村では』で始まる「 」部分は底本では、やはり、行頭にある。これは前の行が目一杯でそうなっているのであるが、私は当初、ここも改行なのではないかと疑った。しかし定本でも偶然同じ現象によって、やはり行頭にある。従ってここを改行するのは如何なる正当的理由もないことになる。しかもこの以下の心内語が、前の「あつ」という感嘆詞からダイレクトに繫がる心理的連続体であることを考えれば、改行によってその流れを崩してしまうのは上手くないと考えて連続させた。

「離魂病」ここでは、古くから信じられた、魂(たましい)が肉体から離れて今一人の全く同じ姿の人間になると考えられた病気、「影(かげ)の病い」のこと。西洋の「ドッペルゲンガー」(ドイツ語:Doppelgänger:「自己像幻視」「二重身」)と同じで、死や厄災を受ける凶兆とされたことは言うまでもあるまい。西洋の文学作品では枚挙に暇がないが、私ならまず、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」(William Wilson 一八三九年)だ。本邦のものは現象としては古文にも出はするものの、そこに絞って描き切ったものは少ない。近代では私は鎌倉を舞台とした泉鏡花の「星あかり」(明治三一(一八九八)年八月『太陽』に「みだれ橋」)を真っ先に挙げる(サイト鏡花鏡」にあるPDF版をお薦めする)。佐藤春夫と同時代で盟友でもあった芥川龍之介は晩年、自分自身、実際に自分のドッペルゲンガーを見たと何度か告白しており、小説「二つの手紙」(同作は「青空文庫」ので読める(新字新仮名))でも「ドッペルゲンゲル」を扱っている。面白いのは、芥川龍之介の「二つの手紙」は

大正六(一九一七)年九月に『黒潮』に発表したもの

であり、この『黒潮』という雑誌は奇しくも、現行の「田園の憂鬱」として知られる作品の冒頭五節四十枚相当が

「病める薔薇」と題して発表された雑誌(大正六(一九一七)年六月)

であり、しかも、

その「病める薔薇」続稿五十枚の掲載を拒否した雑誌

である点である。さらに、佐藤春夫は、破棄された後半と同じ題材を含む、

「田園の憂鬱」を完成させて大正七年九月に『中外』に発表

している。そうして、先の「病める薔薇」をさらに改作して、この「田園の憂鬱」と繫ぎ合わせ、

『病める薔薇 或いは「田園の憂鬱」』と題し、天佑社から大正七(一九一八)年十一月二十八日に刊行した作品集「病める薔薇」の第二篇として本作を出版

したのである。佐藤春夫が芥川龍之介と親しくなったのは大正六(一九一七)年で、この発表経緯を見ると、まさに佐藤春夫と芥川龍之介が極めて共時的にドッペルゲンガーを素材としていることが判るのである。実に面白い!]

 

 彼の心臟の劇しい鼓動は、二十分間の以上もつづいた。彼は時計の針を見守りながら、離魂病のさまざまな文學的記錄や、或は犬のことなどを考へつづけて、心臟の鎭まる時間を待つて居た。

 

 翌日の朝になつて、彼は妻に向つて、昨夜の出來事を話した。彼はその夜のうちはそれを人に話すだけの餘裕もないほど怖ろしかつたからである。この話を聞いた彼の妻は、可笑しがつて笑つた。突然、人影が見えなくなつたといふのは、犬が足もとまで懷いて來たために、誰かその人が、犬の頭を撫でてやるので、身を屈めたに相違ない。そのためにその人は稻の穗にかくれて形が見えなかつたのであらう、と彼の妻は、その事を然う解釋した。成程、それが適當な解釋らしい、と彼も考へた。併し、その瞬間に感じた奇異な恐怖は、その説明によつて消されはしなかつた。

[やぶちゃん注:「然う」「さう(そう)」。]

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その11)

 

    *    *    * 

      *    *    *

 

 ここに一つの丘があつた。

 

 彼の家の緣側から見るとき、庭の松の枝と櫻の枝とは互に兩方から突き出して交り合ひ、そこに穹窿形の空間が出來て、その樹々の枝と葉とが作るアアチ形の曲線は、生垣の頭の眞直ぐな直線で下から受け支へられて居た。言はばそれらが綠の枠をつくつて居た。額緣であつた。それの空間の底から、その丘は、程遠くの方に見えるのであつた。

[やぶちゃん注:「穹窿形」「きゅうりゆう(きゅうりゅう)けい」弓形・半球状のもの、円みをつけた天井のようなものを指す語で、後の「アアチ形」という形容は、いらぬ屋上屋の表現である。]

 

 彼は何時、初めてこの丘を見出したのであらう。兎に角、この丘が彼の目をひいた。さうして彼はこの丘を非常に好きになつて居た。長い陰氣な雨の日の每日每日、彼の沈んだ瞳を人生の憂悶からそむけて度每に、彼の瞳にうつうのは、その丘であつた。

 

 その丘は、わけても、彼の庭の樹々の枝と葉とが形作つたあの穹窿形の額緣をとほして見る時に、自づと一つの別天地のやうな趣があつた。丁度いい位に程遠くで、さうして現實よりは夢幻的で、夢幻よりは現實的で、また雨の濃淡によつて、或る時にはやや近く、或る時にはやや遠くに感じられた。或る時にはすりガラスを透して見るやうにほのかであつた。

 

 丘はどこか女の脇腹の感じに似て居た。のんびりとした感情をもつてうねつて居る優雅な、思ひ思ひな方向へ走つて居る無數の曲線の集合から出來上つた一つの立體形であつた。さうして、あの綠色の額緣のなかへきちんと收まつて、譬へば、最も發端と大團圓とがしつくりと照應できる物語のやうに、その景色は美しくも、少しの無理もなくまとまつて居た。それはどこかに古代希臘風な彫刻のやうに、沈靜な美をゆつたりと湛へて居た。丘の頂には雜木林があつて、その木は何れも、彼の立つて居る場所からは一寸か五寸位かに見える。それらの林の空と接する凹凸には、言ふべからざるリヅムがあつて、それの少しばかり不足して居るかと思へるところには、家の草屋根が一つ、それの單調を補うて居る。さうして、その豐にもち上つた綠の天鷲絨のやうな橫腹には、數百本の縱の筋が、互に規則的な距離をへだてて、平行に、その丘の斜面の上を、上から下の方へ弓形に走りおりて、くつきりとした縞を描き出して居た。綠色の縞瑪瑙の切斷面である。それは多分杉か檜か何かの苗畑であるからであらう。この丘をかくまでに繪畫的に、裝飾風に見せて居るには、この自然のなかの些細な人工性が、期せずして、それのために最も著しい効果を示して居るのであつた、それは見て居て優しく懷しかつた。

[やぶちゃん注:「裝飾風に見せて居るには、」ここは定本では「裝飾風に見せて居るのには、」と「の」が入っている。脱字の可能性が疑われるが、ママとした。]

 

 「何をそんなに見つめて居らつしやるの?」

 彼の妻が彼に尋ねる。

 「うん。あの丘だよ。あの丘なのだがね。」

 「あれがどうしたの?」

 「どうもしない‥‥綺麗ぢやないか。何とも言へない‥‥」

 「さうね。何だか着物のやうだわ。」

 この丘は澁い好みの御召の着物を着て居ると、彼の妻は思つて居る。

 それは綠色ばかりで描かれた單色畫であつた。しかしこのモノクロオムは、すべての優秀なそれと全く同じやうに、殆んど無限な色彩をその單色のなかに含ませて居た。さうして見て居れば見て居るほど、それの豐富が湧き出した。一見ただ綠色の一かたまりであつて、併もそれは部分部分に應じて千差萬別の綠色であつた。そうしてそれが動かし難い三の色調を織り出して居た。譬へば、一つの綠玉が、ただそれ自身の綠色を基調にして、併し、それの磨かれた一つ一つの面に應じて、各々相異つた色と効果とを生み出して居る有樣にも似て居た。

 

 彼の瞳は、常に喜んで其の丘の上で休息をして居る。

 「透明な心を! 透明な心を!」

 その丘は、彼の瞳にむかつて、さうものを言ひかけた。

 

 或る日。その日は前夜からぱつたり雨が止んで、その日も朝からうすぐもりであつた。やがて正午前には、雲に滲んで太陽の形さへ、かすかながら空の奧底から卵色に見え出した。

 

 彼の妻は、秋の着物の用意に言寄せて、東京へ行つて來ようと言ひ出した。彼の女は空の天氣を案ずるよりも、夫の天氣の變らないうちにと、早い晝飯をすませると、每夜の憧れである東京へ、あたふたと出かけた。心は恐らく體よりも三時間も早く東京へ着いたに相違ない。

 

 彼は、唯ひとりぼんやりと、緣側に立つて、見るともなしに、日頃の目のやり場であるあの丘を眺めて居た。その時その丘は、何となく全體の趣が常とは違つて居ることに、彼は氣づいた。それはどうもただ天氣の光だけではないのである。けれどもその原因は少しも解らなかつた。と見こう見して居るうちに、彼はやつと思ひ出して、机のひき出しから眼鏡を搜し出した。彼は可なりひどい近眼でありながら、近頃は折々、眼鏡をかけることさへ忘れて居るのであつた。何ごともしない近頃の彼には眼鏡も殆んど用がなくなつて居たから。さうして、つひ眼鏡をかけずに居ることが、彼を一層神經衰弱にさせて居ることにも氣づかずに。

[やぶちゃん注:「と見こう見」「とみこうみ」但し、歴史的仮名遣としては「とみかうみ」が正しい「左見右見」と漢字を当てたりもする。あっちを見たり、こっちを見たりすること、あちこち様子を窺うこと。]

 

 眼鏡をかけて見ると、天地は全く別個のものに見え出した。今日は天地の間に何かよろこびのやうなものを見ることが出來た。空が明るいからである。丘ははつきりと見えた。成程、丘はいつもと違つて見える――丘の雜木林の上には鳥が群れて居た。うすれ日を上から浴びて、丘の橫腹は、その凹凸が研ぎ出されたやうな丸味を見せて、滑らかに綠金に光つて居る。苗木の畑である數百本の立縞――成程、違つて居るのは其處だ、その立縞の縞と縞との間の地面をよく見ると、その左の方の一角を要(かなめ)にして、上に開いた扇形に、三角に、何時もの地面の綠色が、どういふわけか、黑い紫色に變つて居るのである。はて!何時の間にこんなに變つたのであらう?何のために變つたのであらう?彼は、實に不思議でならない氣持がした。彼は世にも珍らしい大事が突發したかのやうに、しばらくその丘の上を凝視した。その丘は、彼には或るフエアリイ・ランドのやうに思はれた。美しく、小さく、さうして今日はその上にも不可思議をさへ持つて居る。

[やぶちゃん注:「フエアリイ・ランド」fairyland。妖精の国。]

 

 かうして暫く見つづけて居ると、その丘の表面の紫色と綠色との境目のところが、ひとりでにむくむくと持ち上つて、その紫色の領分が、自然と少しづつ延び擴がつて行くのであつた。尚も瞳を見据えると――さうすると眉と眉との間が少し痛かつたが――其處には、小さな小さな一寸法師が居て、腰をかがめては蠢動しながら、せつせとその綠色(みどりいろ)を收穫して居るのであつた。あの苗木と苗木とのの列の間に、農夫が何かを作つて置いて居たのであらう。併し、見た目には、その農作物が刈りとられて居るといふよりも、紫色の土が今むくむくと持ち上つてくるとしか、彼の目には感じられなかつた。

[やぶちゃん注:「蠢動」「しゆんどう(しゅんどう)」虫などがうごめくこと。また、物がもぞもぞと動くこと。

「あの苗木と苗木とのの列の間に」の「の」のダブりはママ。ママとする。定本は「あの苗木と苗木との列の間に」。]

 

 彼は不可思議な遠眼鏡の底を覗いて、其の中にフエアリイ・ランドのフエアリイが仕事をして居るのをでも見るやうに、この小さな丘に或る超越的な心持を起しながら、ちやうど子供が百色目鏡を覗き込んだやうに、目じろぎもせず眺め入つた。彼は煙草盆と座布團とを緣側まで持ち出して、このひとりでに持ち上る土の紫色を飽かず凝視した。紫色の土は湧くやうに持ち上る。あとから、あとからと持ち上る。紫色の領土が、綠色の領土を見る見る片はじから侵略して行く。

[やぶちゃん注:「百色目鏡」「まんげきやう(まんげきょう)」と読みたくなるが、ここはルビを振らない以上、「ひゃくいろめがね」である。意味は万華鏡である。そんな読み方が不審な方は、国立国会図書館デジタルコレクションの明治二一(一八八八)年刊の刑部真琴(桜東小史)著「手工遊戲」のをご覧あれ。]

 

 うすれ日は段々、と明るくなつて空が晴れて來る。不意に夕日の光が、雲の細い隙間から流れ出て、その丘の上へ色彩のあるフツトライトを投げたかのやうに、丘が一面に可が輝き出す。丘の上ではフエアリイも、雜木林も、永い濃い影を地に曳いた。今もち上つたばかりの紫色の土は、何か一齊に叫び出しでもしさうに見える。丘の頂の雜木林のなかに見える草屋根からは、濃い白い煙が、縷々と、ちやうど香爐の煙のやうに立ち昇つて居た。さうして彼は今、うつとりとなつて、フエアリイ・ランドの王であつた。

[やぶちゃん注:「フツトライト」footlights。舞台の床の前縁に取り付けて演技者を足元から照らす照明。]

 

 その天地の榮光は、一瞬時の夢のやうに、夕日は雲にかくれて、次には遠い連山と一層黑い雲とのなかへ落ちて行つた。

 

 氣がついてみると、丘は全部紫色に變つて居る‥‥見とれて居るうちに、あたりは何時しかとつぷりと暗くなつて居た。フエアリイ・ランドの丘だけが、依然として、闇のなかにくつきりと見えるやうに思ふ。

 

 やがて、その丘も見えなくなつた‥‥‥‥

[やぶちゃん注:前段落の「とつぷり」の傍点は底本では「とつぷ」にしか振られていないが、おかしいので、定本に従った。同じく前段落の「フエアリイ・ランド」は底本では「フエアリイ・ライド」であるが、誤植と断じて、訂した。無論、定本も「フエアリイ・ランド」となっている。]

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その10)

 

    *    *    * 

      *    *    *

 

 雨は、一日小降りになつたかと思へば、その次の日には前よりももう一層ひどく降る。さて、その次の日にはまた小降りになる。併し、その次の次の日にはまた降りしきる‥‥けれども、間歇的な雨は何日まででも降る……。幾日でも、幾日でも降る。彼の心身を腐らせやうとして降る‥‥世界そのものを腐らせやうとして降る……

[やぶちゃん注:底本はこれで終わっているが、定本ではここ以下に続いて(行空けは無し)二字下げ分かち書きの、

 

  何もかも腐れ……、

      腐るなら腐れ……、

  勝手に腐れ……、

      腐れ腐れ……、

  お前の頭が……、

      まつさきに腐れ……、

  …………………………、

      …………………………、

   …………………………、

      …………………………、

   …………………………、

      …………………………、

 

という韻文めいた特異な十二行が続いた上、やはり行空け無しで三文からなる独立段落の散文部分が、その後附されて、終わっている。]

 

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