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カテゴリー「佐藤春夫」の37件の記事

2017/10/23

佐藤春夫 女誡扇綺譚 本文サイト版公開

佐藤春夫「女誡扇綺譚」の本文サイト版(HTML横書版・ブログ版の注を大幅に除去したもの)を公開した。……娘アリスのために……

2017/10/21

佐藤春夫「女誡扇綺譚」校正終了

十回分割公開したブログ版の佐藤春夫「女誡扇綺譚」を校正し、かなりの量のミス・タイプを全回に亙って訂正した。  

2017/10/19

佐藤春夫 女誡扇綺譚 六 ヱピロオグ (その3)/女誡扇綺譚~了

 

 幾日目かで社へ出てみると、同僚の一人が警察から採つて來た種(たね)のなかに、穀商黃(くわう)氏の下婢(かひ)十七になる女が主人の世話した内地人に嫁することを嫌つて、罌粟(けし)の實(み)を多量に食つて死んだといふのがあつた。彼女は幼くして孤兒になり、この隣人に拾はれて養育されてゐたのだといふ。この記事を書く男は、臺灣人が内地人に嫁することを嫌つたといふところに焦點を置いて、それが不都合であるかの如き口吻(こうふん)の記事を作つてゐた。――あの廢屋の逢曳(あひびき)の女、――不思議な因緣によつて、私がその聲だけは二度も聞きながら、姿は終(つひ)に一瞥することも出來なかつたあの少女は、事實に於ては、自分の幻想の人物と大變違つたもののやうに私は今は感ずる。


 

佐藤春夫 女誡扇綺譚 六 ヱピロオグ (その2)



 まづ第一にその穀屋といふのは思つたより大問屋であつた。又、主人といふのは寧ろ私の訪問を觀迎した位(くらゐ)だ。この男は
臺灣人の相當な商人によくある奴で内地人とつきあふことが好きらしく、ことに今日(けふ)は娘がそんな靈感を持つてゐる噂が高まつて、新聞記者の來るのがうれしいと言ふのであつた。さうして店からずつと奥の方へ通してくれた。

「汝來仔請坐(ニイライアチンツオ)」

 と叫んだのは娘ではなく、そこに、籠の中ではなくて裸の留木(とまりぎ)にゐた鸚鵡(あうむ)である。

 娘は、しかし、我我の訪れを見てびつくりしたらしく、私の名刺を受取つた手がふるへ、顏は蒼白になつた。それをつつみ匿(かく)すのは空しい努力であつた。彼女は年は十八ぐらゐで、美しくない事はない。私はまづ彼女の態度を默つて見てゐた。

「あ、よくいらつしやいました」

 思ひがけなくも娘は日本語で、それも流麗な口調であつた。椅子にかけながら私は言つた――

「お孃さん。あなたは泉州語(ツヱンチヤオご)をごぞんじですか?」

「いいえ!」

 娘は不意に奇妙なことを問はれたのを疑ふやうに、私を見上げたが、その好もしい瞳のなかに噓はなかつた。私はポケツトから扇をとり出した。それを半ばひろげて卓子(テーブル)の上に置きながら私はまた言つた――

「この扇を御存じでせう」

「まあ」娘は手にとつてみて「美しい扇ですこと」物珍らしさうに扇の面(おもて)を見つめてゐた。

「あなたはその扇を御存じない筈はないのです」私は試みに少しおこつたやうに言つてみた。

「ケ、ケ、ケツ、ケ、ケ」

 鸚鵡が私の言葉に反抗して一度に冠(かんむり)を立てた。

 みんなが默つてゐるなかに、不意に激しく啜泣(すすりな)く聲がして、それは鸚鵡の背景をなす帳(とばり)の陰から聞えて來たのだ。淚をすすり上げる聲とともに言葉が聞えてきた――

「みんなおつしやつて下さいまし、お孃さま。もう構ひませんわ。その代りにその扇は私にいただかしてください」

「………………」

 誰(たれ)も何(なん)と答へていいかわからなかつた。世外民と私とは目を見合(みあは)した。

 姿の見えない女はむせび泣きながら更に言つた。「誰方(どなた)だか存じませんが、お孃さまは少しも知らない事なのです。わたしの苦しみ見兼ねて下さつただけなのです。ただあなたが拾つておいでになつたその扇――蓮の花の扇を私に下さい。その代りには何でもみんな申します」

「いいえ。それには及びません」私はその聲に向つて答へた。「私はもう何も聞きたくない。扇もお返ししますよ」

「私のでもありませんが」推測しがたい女は口ごもりながら「ただ私の思ひ出ではあります」

「さよなら」私たちは立ちあがつた。私は卓上(たくじやう)の扇を一度とり上げてから、置き直した。「この扇はあの奧にゐる人にあげて下さい。どういふ人かは知らないが、あなたからよく慰めておあげなさい。私は新聞などへは書きも何もしやしないのです」

「有難うございます。有難うございます」黃(くわうぢやう)の目には淚があふれ出た。

 

 *     *     *     *

    *     *     *

 

佐藤春夫 女誡扇綺譚 六 ヱピロオグ (その1)

 

 

         ヱピロオグ

 

 

 あの廢屋はさういふわけで私の感興を多少惹いた。何ごとにもさう興味を見出さなかつたその頃の私としては、ほんの當座だけにしろそんな氣持になつたのは珍しいのだが、それらすべての話をとほして、私は主として三個の人物を幻想した。市井の英雄兒ともいふべき沈(シン)の祖先、狂念によつて永遠に明日(みやうにち)を見出してゐる女、野性によつて習俗を超えた少女、――とでもいふ、ともかく、そんな人物が跳梁するのが私には愉快であつた。そいつを活動のシネリオにでもしてみる氣があつて、私は「死の花嫁」だとか「紅(くれなゐ)の蛾」などといふ題などを考へてみたりしたほどであつた。しかしさう思つてみるだけで、やらないと言ふかやれないと言ふか、ともかく實行力のないのが私なので、その私が前述の三人物の空想をしたのだからをかしい。意味がそこにあるかも知れない。さうして私自身はといふと、いかなる方法でも世の中を征服するどころか、世の力によつて刻刻に壓しつぶされ、見放されつつあつた。尤も私は何の力もないくせに精一杯の我儘をふるまつて、それで或程度だけのことなら押し通してもゐたのだ。それでは何によつて私がやつとそれだけでも強かつたか。自暴自棄。この哀れむべき強さが、他(た)のものと違ふところは、第一自分自身がそれによつて決して愉快ではないといふことにある。私は事實、刻刻を甚だ不愉快に送つてゐた。それといふのも私は當然、早く忘れてしまふべき或る女の面影を、私の眼底にいつまでも持つてゐすぎたからである。

 私は先づ第一に酒を飮むことをやめなければならない。何故かといふのに私は自分に快適だから酒を飮むのではない。自分に快適でないことをしてゐるのはよくない。無論、新聞社などは酒よりもさきにやめたい程だ。で、すると結局は或は生きることが快適でなくなるかも知れない惧れがある。だが、若しさうならば生きることそのものをも、やめるのが寧ろ正しいかも知れない。……

 柄になく、と思ふかも知れないが、私は時折にそんなことをひどく考へ込む事があつた。その日もちやうどさうであつた。折から世外民が訪れた。

「君」世外民はいきなり非常な興奮を以て叫んだ。「君、知つてゐる?――禿頭港(クツタウカン)の首くくりはね……」

「え?」私はごく輕くではあるが死に就て考へてゐた折からだつたから少しへんな氣がした。

「首くくり? 何の首くくりだ?」

「知らないのか? 新聞にも出てゐるのに」

「私は新聞は讀まない。それに今日で四日(か)社(しや)を休んでゐる」

「禿頭港で首くくりがあつたのだよ。――あの我我がいつか見た家さ。――誰(たれ)も行かない家さ。あそこで若い男が縊死してゐたのだ。新聞には尤も十行ばかりしか出ない。僕は今、用があつて行つたさきでその噂を聞いて來たのだからよく知つてゐるが、あの黑檀の寢牀(ねどこ)を足場にしてやつたらしいのだ。美しい若い男ださうだよ、それがね、口元に微笑をふくんでゐたといふので、やつぱり例の聲でおびき寄せられたのだ、『花嫁もたうとう婿をとつた』と言つてゐるよ――皆(みんな)は。それがさ、やつぱりもう腐敗して少しくさいぐらゐになつてゐたのださうだ。僕は聞いてゐてゾクツとした。我我が聞いたあの聲やそれに紅(あか)い蛾なぞを思ひ出してね」

 私もふつと死の惡臭が鼻をかすめるやうな氣がした――あの黴くさい廣間の空氣を鼻に追想したのだらう。世外民はその家の怪異を又新らしく言ひ出して、私がそこで拾つた扇を氣味惡がり私にそれを捨ててしまふやうに説くのであつた。――この間はあんなに興味を持つて、自分でも欲しいやうなことを言つた癖に。尤も私がやらうと言つた時にはやはり、今と同じく不氣味がつて、結局いらないとは言つたが。私としてはまた世外民にやらうと思つた程だから、捨ててしまつても惜しいとも思はないが、私はその理由を認めなかつた。また、いざ捨てよと言はれると、勿體ないほど珍奇な細工にも思へた。私は世外民の迷信を笑つた。

「大通りの眞中(まんなか)で縊死人(いしにん)があつてそれが腐るまで氣がつかない、といふのなら不思議はあるだらうが、人の行かないところで自殺したり逢曳(あひびき)したりするのは、一向當り前ぢやないか。――ただあんな淋しいところが市街のなかにあるのは、何かとよくないね」

 私はその家の内部の記憶をはつきり目前に浮べてさう言つた。

 同時に私にはこの縊死の發見に就て一つの疑問が起つた。といふのは、あの部屋のなかで起つた事は誰(たれ)もそこに這入つて行かない以上は、一切發見される筈がない。あそこには開(ひら)いた窓が一つあるにはあつたが、そこには靑い天より外には何も見えない――つまり天以外からは覗けない。もし臭氣が四邊(あたり)にもれるにしては、あの家の周圍があまりに廣すぎる。さう考へてゐるうちに、私は大して興味のなかつたこの話が又面白くなつて來るのを感じながら言つた。

「出鱈目さね。いや、死人(しにん)はあつたらう。若い美しい男だなんて。もう美しいか醜いか年とつたか若いかも見分けがつくものか」

「いや、でも皆(みんな)さう言つてゐる」

「それぢや誰(だれ)がその死人を發見したのだ? あそこならどこからも見えず、誰も偶然行つてみるわけはないがな」ふと、私は場所が同じだといふことから考へて、この縊死人――年若く美しいと傳へられる者と、いつか私が空想し獨斷したあの逢曳とがどうも關係ありさうに思へて來た。そこで私は世外民に言つた。「いつでもいいが今度序(ついで)に、その死人を發見したのはどんな人だか聞いてきてもらひたいものだ。それがもし泉州(ツヱンチヤオ)生れの若い女だつたらもう何もかもわかるのだよ。――いつか我我が聞いたあの廢屋の聲の主(ぬし)も。それから今度の縊死人の原因も。――本當に若い男だつたといふのなら、それや失戀の結果だらう。――幽靈の聲にまどはされて死ぬより失戀で死ぬ方がよくある事實だものね。尤も二つとも自分から生んだ幻影だといふ點は同じだが」

 私は大して興味はなかつた。しかし世外民が大へん面白がつた。罪を人に着せるのではない。これは本當だ。事實、世外民は先づ興味をもちすぎた。さうしてそれが私に傳染したのだ。世外民は私の觀察に同感すると早速、その場を立つて發見者を調べるために出かけた程なのだ。近所行つて聞けばわかるだらうといふので。

 間もなく、世外民は歸つて來たが、その答(こたへ)を聞いて私は、臺灣人といふものの無邪氣なのに、今更ながら驚いたのである。彼等の噂するところによると、それは黃(くわう)といふ姓の穀物問屋の娘が――家は禿頭港(クツタウカン)から少し遠いところにあるさうだが――彼女が偶然に夢で見たといふその男がどうやら死んだ若者だし、それが這入つて行つた大きな不思議な家といふのが、どうも禿頭港のあの廢屋らしい。その暗示によつて、なくなつた男の行方を搜してゐた人人はやつと發見することが出來たといふのである。靈感を持つた女だといふ風に人人が傳へてゐると言ふ。

 私は無智な人人が他(た)を信ずることの篤いのに一驚すると同時に、そんな事を言つてうまうまと人をたぶらかすやうな少女ならば、いづれは圖圖(づうづう)しい奴だらうと思ふと、何もかもあばいてやれといふ氣になつた。私はまだ年が若かつたから人情を知らずに、思へば、若い女が智慧に餘つて吐(つ)いた馬鹿馬鹿しい噓を、同情をもつて見てやれなかつたのだ。

「世外民君。來て一役(ひとやく)持つてくれ給へ」

 私は例の扇をポケツトに入れ、それから新聞記者の肩書のある名刺がまだ殘つてゐるかどうかを確めた上で外へ出た。無論、その穀物問屋へ行かうと思ひ立つたからである。さうして娘に逢へば扇を突きつけて詰問しさへすれば判るが、ただその親が新聞記者などに娘を會はせるかどうかはむづかしい。會はせるにしてもその對話を監視するかもしれない。世外民がうまくその間で計らつてくれる手筈ではあるが、それにしてもその娘が泉州(ツヱンチヤオ)の言葉しか知らなかつたらそれつきりだがなどと思つてゐるうちに、私はもうさつき勢ひ込んだことなどはどうでもなくなつた。自分に何の役にも立たない事に興味を持つた自分を、私は自分でをかしくなつた。

「つまらない。もうよさう」

世外民はしかし折角來たのだからといふ。それに穀物問屋はすぐ二三軒さきの家だつた。それから後(のち)の出來事はすべて私の考へどほりと言ひたい所だが、事實は私の空想より少しは思ひがけない。

 

2017/10/17

佐藤春夫 女誡扇綺譚 五 女誡扇

 

 

           女誡扇

 

 

 私がいやがる世外民を無理に強いて、禿頭港(クツタウカン)の廢屋の中へ、今度こそ這入(はい)つて行つたのは彼がその次に南へ出て來た時であつた。多分最初にあの家を發見してから五日とは經てゐなかつたらう――世外民は當時少くとも週に二度は私を訪れたものなのだから。

「さあ。今日こそ僕の想像の的確なことを見せる。運がよければ、君がそれほど氣に病む幽靈の正體が見られるかも知れないよ」

 私はかう宣言して、この前の機會と同じ時刻を撰んだ。そこに幽靈のゐないことを信じてゐる私は、しかし、自分の事を、高い雕欄(てうらん)のいい窪みを見つけて巣を營んでゐる双燕(さうえん)を驚愕させる蛇ではないかと思つて、最初は考へたのだが構はないと思つた。といふのはもしそこに一對の男女がゐるやうならば、自分はその時の相手の風態(ふうてい)によつては、わざと氣がつかないふりをして、彼等をその家の居住者のやうに扱つて、自分達が無法にも闖入したのを謝罪しようと用意したからである。私たちはそれだからごく普通の足音をさせて、あの石の圓柱のある表からこの前の日のとほりに入口を這入つた。その時、さすがに私もちよつと立止つて聞き耳を立ててはみた。勿論どんな泉州(ツヱンチヤオ)言葉も聞かれはしなかつた。それだのに困つた事に、世外民は氣味惡がつて先に這入らないのだ。表の廣間のなかはうす暗くて、またこんな家のどこに二階への階段があるか、私には見當がつきにくい。しかし世外民は口で案内して、表扉を這入つて廣間の左或は右の小扉(ことびら)を開いてみたら、そこから上るやうになつてゐるだらう、といふのである。その廣間といふのは二十疊以上はあるだらう。四つの閉めた窓の破れた隙間からの光で見ると、他(た)には何一つないらしい。私は這入つて行つた。その時、思はず私が呻つたのは、例の聲を聞いたからではないのだ。ただの閉め切つた部屋の臭ひである。どんな臭ひとも言へない。ただ蒸(む)れるやうなやつで、それがしかし建物(たてもの)がいいから熱いのではない。割に冷たくつてゐて蒸れるとでもいふより外には言ひ方がない。この臭ひを、世外民は案外平氣らしかつた。天井を見ると眞白(まつしろ)に粉(こ)がふいて黴(かび)がはえてゐる。その黴の臭ひだつたかも知れない。私たちは先づ右の扉を開けた。――果してすぐそこが階段であつた。幅二尺位(ぐらゐ)の細いのが一直線に少し急な傾斜で立つてゐる。それが上からの光で割に明るい。何も怖氣(おぢけ)がさすやうなものは一つもないが、また私は傳説をさう眼中におかないが、それでもやはりさう明るい心持にはなれないことは確(たしか)だ。氣味が惡いと言つては言ひすぎるが、私はよく世外民をひつぱつて來たと思つた。私はひとりででも一度來てみる意志はあつたのだが、もしもひとりだつたらあまり落着いて見物はしにくいかと思ふ。それにしてもあんな傳説を迷信深く抱(いだ)いてゐる人人が、たとひそれは二人連れであつた事が確でも、第一日(にち)によくまあここへ來たものだと言へる。いや、よくもここを撰ぶ氣になつたものだ。私はこの細い階段を戀人たちが互に寄りそひながらおづおづして、のぼつて行つた時を想像してみた。

[やぶちゃん注:「雕欄(てうらん)」(ちょうらん)は二階のテラスなどの彫刻を施した欄干(らんかん)のこと。]

 私は世外民を振り返つて促しながら、階段を昇り出した。そこには私の想像を滿足させることには、ごく稀にではあるがこのごろでもそこを昇降する人間があることは疑へなかつた。といふのは、それは何も鮮かな足跡はないのだが、寧ろ譬へば冬原(たうげん)の草の上におのづと出來た小徑(こみち)といふ具合に、そこだけは他(た)の部分より黑くなつて、白い塵埃のなかから、階段の板(いた)の色がぼんやり見えてゐるのであつた。二階には人のけはひはない。私は幽靈の正體は先づ見られさうにもないと思つた。二階ヘ出た。

 案外にそこは明るかつた。その代りどうしてだか急に暑くムツとした。人影のやうなものは何もなかつた。氣が落着いて來たので私は何もかも注意して見ることが出來たが、床の上にもまた人が步いたあとがあつて、それがまた一筋の道になつて殘つてゐる。L形(エルがた)になつた部屋の壁のかげから、光が帶になつて流れて來る。この部屋へ澤山の明るさを供給してゐるのは、その窓で、人の步いたあともまたその窓の方へ行つてゐる。壁のかげに誰かがピツタリと身をよせて隱れてゐるやうな氣もする。私はその窓の方へおのづと步いて行つた。我我の足元から立つ塵は、光の帶のなかで舞ひ立つた。顏に珍しく風が當つて、明るい窓といふのが開(あ)いてゐること、その壁に沿うて一つの臺があることが、一時(じ)に私の目についた。臺といふのはごく厚く黑檀(こくたん)で出來たもので、四方には五尺ほどの高さの細い柱が、その上にはやはり黑檀の屋根を支へてゐる。その大きさから言つて寢牀(ねどこ)のやうに思はれた。

「寢牀だね」

「さうだ」

 これが私と世外民とが、この家へ這入つてからやつと第一に取交(とりかは)した會話であつた。寢牀には塵は積つてはゐなかつた――少(すくな)くとも輕い塵より外には。さうして黑檀は落着いた調子で冷冷(ひえびえ)と底光りがしてゐた。私は世外民を顧みながら、その寢牀の上を指さした。私の指が黑檀の厚板(あついた)の面(おもて)へ白くうつつた。

 世外民は頷いた。

 その寢牀の外には家具と言へば、目立つものも目立たないものも文字通りに一つもなかつた。話に聞いたあの金簪(きんさん)を飾った花嫁姿の狂女は、この寢牀の上で腐りつつあつたのではないだらうか。それにしてはこれだけの立派な檀木(たんぼく)の家具を、今だにここに遺してあるのは、憐憫によつてではなく、やはり恐怖からであらう。

 寢牀のうしろの壁の上には大小幾疋かの壁虎(やもり)が、時時のつそりと動く。尤もこれは珍しい事ではない。この地方では、どこの家の天井にだつて多少は動いてゐる。内地に於ける蜘蛛ぐらゐの資格である。ただこの壁の上には、廣さの割合から言つて少少多すぎるだけだ。六坪ほどの壁に三四十疋(ぴき)はゐた。

 世外民はどうだか知らないが、私はもう充分に自分の見たところのもので滿足であつた。歸らうと思つて、歸りがけにもう一度窓外の碧(あを)い天を見た。その他(た)の場所はあまりに氣を沈ませたからだ。歸らうとして私はふと自分の足もとへ目を落すと、そこに、ちやうど寢牀のすぐ下に扇子(せんす)見たやうなものがある――骨が四五本開(ひら)いたままで。私は身をかがめて拾つた。そのままハンケチと一緒に自分のポケツトのなかへ入れた。なぜかといふのに世外民はいつの間にか歸るために、私に世を向けて四五步も步き出してゐたからだ。

 世外民も私も下りる時には何だかひどく急いだ。表の入口を出る時には今まで壓へてゐた不氣味が爆發したのを感じて、我我は無意識に早足で出た。さうして無言をつづけてその屋敷の裏門を出た。

「どうだい。世外民君。別に幽靈もゐなかつたね。」

「うむ」世外民は不承不承に承認しはしたが「しかし、君、あの黑檀の寢臺の上へ今出て來た大きな紅い蛾を見なかつたかね。まるで掌ほどもあるのだ。それがどこからか出て來て、あの黑光りの板(いた)の上を這つてゐるのを一目は美しいと思つたが、見てゐるうちに、僕はへんに氣味が惡くなつて、出たくなつたのだ」

「へえ。そんなものが出て來たか。僕は知らなかつた。僕はただ壁虎(やもり)を見ただけだ。君、君の詩ではないのか。幻想ではないのか」

 ――私は世外民があの寢牀(ねどこ)の上で死んだ狂女のことをさう美化してゐるのだらうと思つた。

「いいや、本當だとも。あんな大きな赤い蛾を、僕は初めてだ」

 私は步きながら、思ひ出してさつきの扇(あふぎ)をとり出してみた。さうして豫想外に立派なのに驚き、また困りもした。

 その女持(をんなもち)の扇子といふのは親骨(おやぼね)は象牙で、そこへもつて來て水仙が薄肉(うすにく)に彫つてある。その花と蕾との部分は透彫(すかしぼり)になつてゐる。それだけでも立派な細工らしいのに、開(あ)けてみると甚だ凝つたものであつた。表には殆んど一面に紅白の蓮(はす)を描(ゑが)いてゐる。裏は象牙の骨が見えて――表一枚だけしか紙を貼つてゐないので、裏からは骨があらはれるやうに出來てゐたのだが、その象牙の骨の上には金泥(きんでい)で何か文章が書いてある。

「君」私はもう一度表を見返しながら世外民に呼びかけた。「玉秋豐(ぎよくしうほう)といふのは名のある畫家かね」

「玉秋豐? さ。聞かないがね。なぜ」

 私は默つてその扇子を渡した。世外民が訝しがつたのは言ふまでもない。私もちよつと何と言つていいかわからなかつた――私は無賴兒ではあつたが、盜んで來たやうな氣がしていけないのだ。私はそのままの話をすると、世外民は案外何でもないやうな顏をして、それよりも仔細にその扇をしらべながら步いてゐた――

「玉秋豐? 大した人の畫(ゑ)ではないが職人でもないな。不蔓不枝(ふまんふし)」彼はその畫賛を讀んだのだ。「愛蓮説のうちの一句だね、不蔓不枝。――だが女の扇(あふぎ)にしちや不吉な言葉ぢやないか。蔓(つる)せず枝せざるほど婦女にとつて悲しい事はあるまいよ。どうしてまた富貴多子(ふうきたし)にでもしないのだらう――平凡すぎると思つたのかな」

「一たい幸福といふのは平凡だね。で、その富貴多子とかいふのは何だい」

「牡丹が富貴、柘榴が多子さ」世外民は扇のうらを返して見て、口のなかで讀みつづけながら「おや、これは曹大家(さうたいか)の女誡(ぢよかい)の一節か。專心章だから、なるほど、不蔓不枝を選んだかな……」

 扇は案外に世外民の興味をひいたと見える。それを吟味して彼がそんなことを言つてゐる間に、私はまた私で同じ扇に就て全く別のことを考へてゐた。

 その扇はうち見たところ、少くとも現代の製作ではない。さうしてその凝つた意匠は、その親が、愛する娘が人妻にならうとする時に與へるものに相當してゐる。――恐らく沈家(シンけ)のものに相違ないであらう。昔、狂女がそれを手に持つて死んでゐなかつたとも限らない。その扇だ。更に私は假りに、禿頭港(クツタウカン)の細民區の奔放無智な娘をひとり空想する。彼女は本能の導くがままに悽慘な傳説の家をも怖れない。また昔、それの上でどんな人がどんな死をしたかを忘れ果ててあの豪華な寢牀(ねどこ)の上に、その手には婦女の道德に就て明記しまた暗示したこの扇を、それが何であるかを知らずに且つ弄(もてあそ)び且つ飜(ひるがへ)して、彼女の汗にまみれた情夫に凉風(りやうふう)を贈つてゐる……。彼女は生きた命の氾濫にまかせて一切を無視する。――私はその善惡を説くのではない。「善惡の彼岸」を言ふのだ……

[やぶちゃん注:ここは注を敢えて最後に持って来た。

「玉秋豐」不詳。

「愛蓮説」宋の儒者周茂(一〇一七年~一〇七三年:茂叔は字。名は敦頤(とんい))の作。以下が全文。

   *

水陸艸木之花、可愛者甚蕃。晋陶淵明獨愛菊。自李唐賴、世人甚愛牡丹。予獨愛蓮之出淤泥而不染、濯淸漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益淸、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫焉。予謂、菊花之隱逸者也、牡丹花之富貴者也、蓮花之君子者也。噫、菊之愛、陶後鮮有聞。蓮之愛、同予者何人。牡丹之愛、宜乎衆矣。

(水陸草木の花、愛すべき者、甚だ蕃(おほ)し。晋の陶淵明、獨り、菊を愛す。李唐より來のかた、世人、甚だ牡丹を愛す。予、獨り蓮の淤泥(をでい)より出づるも、染まらず、淸漣に濯(あら)はるるも妖(えう)ならず、中(なか)、通じ、外、直(なほ)く、蔓(つる)せず枝(えだ)せず、香り、遠くして、益々淸く、亭亭(ていてい)としてうき植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつぐわん)すべからざるを愛す。予、謂(おもへ)らく、「菊は花の隱逸なる者なり、牡丹は花の富貴なる者なり、蓮は華の君子たる者なり」と。噫(ああ)、菊を、之れ、愛するは、陶の後、聞く有ること、鮮(すくな)し。蓮を之れ愛するは、予に同じき者、何人(なんぴと)ぞ、牡丹を、之れ、愛するは、宜(むべ)なるかな、衆(おほ)きこと。)

「曹大家(さうたいか)の女誡(ぢよかい)」「たいか」はママ。後漢の中国初の女性歴史家で作家の班昭(四五年?~一一七年?)の著になる『曹大家(こ)「女誡」』(「家」は「か」ではなく「こ」と読み慣わすらしい)。班昭は曹世叔という人の妻であったことから、曹大家(たいこ)と尊称された。和熹太后に仕え、宮廷で教育係として重きをなし、兄班固の著わした歴史書「漢書」を彼の亡き後、引き継いで完成させたことでも知られる。「女誡」は彼女が婚期を迎えた自分の娘のために書き記した教訓書(女性教育書)であるが、当時の知識人に歓迎されて広く流布し、中国の女訓書の原型ともいうべきものとなった。「卑弱第一」「夫婦第二」「敬愼第三」「婦行第四」「専心第五」「曲從第六」「和叔妹第七」という構成と内容を持つ(「奈良女子大学学術情報センター」の解説を参考にした)。その「專心章」は国立国会図書館デジタルコレクションの画像のから視認出来る(本文は全百七十五字。リンク先の後には注解が附されてある)。個人サイト「兩漢魏晉學庵」の曹世叔妻伝の「専心第五」に以下のように訳されてある。

   《引用開始》

礼に、夫が再度妻を娶る道は記されているが、妻が再度夫に嫁ぐという文は無い。(※儀礼に曰く。父が生きている時は、母の為の服喪をどうして一年とするのか。最も尊い者が生きている時は、敢えて服喪を伸ばさないのである。父は必ず三年の喪に服して後に(後妻を)娶る。子の志を達する為である。)

故に夫は天であると言うのである。(※儀礼に曰く。夫は妻の天である。婦人が二夫に仕えないのは、天を二つに割る事はできないという事と同じである。)天から逃げる事はできず、夫から離れる事はできないからである。

行いが神祇の心に違えば、天はこれを罰し、行いが礼儀に違えば夫はこれを大切にしなくなる。

故に女憲に「一人(の夫)の心を得る事、これを永畢(一生添い遂げる)という。一人(の夫)の心を失う事、これを永訖(一生独り身で終える)という。」と言うのである。

これにより述べるならば、夫の心を得なくてはならないのである。

必要なのは、媚びへつらい適当に親しむという事ではない。本より夫に心を専らにし、容儀を正す事が第一である。

礼儀を守り潔白であり、道端の声を聴かず、横目で物を見る事無く、外に出ては艶やか過ぎず、家の中でも身なりに気を遣い、他人と群集まる事無く、家の前を見張る事が無い。これを心を専らにして容儀を正すという。もし、挙措が軽薄で、落ち着き無く周りを眺めたり聞き耳を立て、家の中では髪を乱して身なりを整えず、外に出ては艶めかしく媚を売り、言葉は道に外れ、見るべきでない物を見る。これを心を専らにして容儀を正す事ができないという。

   *

本小説に於けるキー・ポイントは、この主張の核心にある「女の再婚を決して許さぬ」誡である。]

2017/10/16

佐藤春夫 女誡扇綺譚 四 怪傑沈(シン)氏 (その2) / 四 怪傑沈氏~了

 

 世外民といふ風變りな名を、私はこの話の當初から何の説明もなしに連發してゐることに氣がついたが、これは私の臺灣時代の殆んど唯(ゆゐ)一の友人である。この妙な名前はもとより匿名である。彼のペンネームである。彼の投稿したものを見て私はそれを新聞に採錄した。私は彼の詩――無論、漢詩であるが、その文才を十分解(かい)したといふわけではないが、寧ろその反抗の氣概を喜んだのである。しかし、その詩は一度採錄したきりだつた。當局から注意があつて、私は呼び出されて統治上有害だと言ふのでその非常識を咎められた。再度の投稿に對しては、私は正直にその旨を附記して返送した。すると、世外民は私を訪ねて遊びに來た。見かけは優雅な若者であつたが、案外な酒徒で、盃盤が私たちを深い友達にした。彼は臺南から汽車で一時間行程の龜山(クウソアム)の麓の豪家(がうか)の出(しゆつ)であつた。家は代秀才を出したといふので知られてゐた。その頃の私は、つまらない話だが或る失戀事件によつて自暴自棄に堕入(い)つて、世上のすべてのものを否定した態度で、だから世外民が友達になつたのだ。この頃の私にいつも酒に不自由させなかつたのがこの世外民だ。だが私が世外民の幇間(ほうかん)をつとめたと誰(たれ)も思ふまい。第一に世外民は友をこそ求めたが幇間などを必要とする男ではなかつた。私はその點を敬してゐた。――この話として何(なん)の用もあることではないが、私の交遊錄を抄錄したまでである。彼が私との訣別を惜んで私に與へた一詩を私は覺えてゐる。――あまり上手な詩でもないさうだが、私にはそんなことはどうでもいい。

 

    登彼高岡空夕曛

    斷雲孤鵠嘆離群

    溫盟何不必杯酒

    君夢我時我夢君

 

[やぶちゃん注:最後の漢詩は底本では総ルビで縦に二句で二行であるが、前を一行空けで、かく、示した。漢詩をルビに従って漢字仮名交りで書き下してみる。

 

 彼(か)の高岡(かうかう)に登れば 空しく夕曛(せきくん)

 斷雲(だんうん)の孤鵠(ここう) 離群(りぐん)を嘆く

 溫盟(をんめい) 何ぞ杯酒を必(ひつ)とせんや

 君(きみ) 我を夢みむ時 我 君を夢みむ

 

起句の「夕曛」は落日の余光をいう。「鵠」は大型の白い水鳥。白鳥や鸛(こうのとり)に相当。「溫盟」は心の籠った暖かな友情の契り。

「堕入(い)つて」ママ。「い」は「入」のみに附されたルビ。何故か「堕」にはルビがない。「おちいつて」。
 
「世上のすべてのものを否定した態度で、だから世外民が友達になつたのだ」言わずもがな、主人公「私」のそうした超然とした態度を、友人のペン・ネーム「世外民」に合わせて洒落たのである。]

2017/10/15

佐藤春夫 女誡扇綺譚 四 怪傑沈(シン)氏 (その1)

 

    怪傑沈(シン)氏

 

 この風變りな一日(にち)の終りに私と世外民とは醉仙閣(ツイツエンコ)にゐた。――私たちのよく出かける旗亭である。

 これが若し私が入社した當時のやうな熱心な新聞記者だつたら、趣味的ないい特種(とくだね)でも拾つた氣になつて、早速「廢港ローマンス」とか何とか割註をして、さぞセンセイショナルな文字を罹列することを胸中に企ててゐただらうが、その頃は私はもう自分の新聞を上等にしてやらうなどといふ考へは毛頭なかつた。每日の出社さへ滿足には勤めずにわが酒徒世外民とばかり飮み暮してゐた。諸君はさだめし私の文章のなかに、さまざまな蕪雜(ぶざつ)を發見することだらうと覺悟はしてゐるが、それこそ私がそのころ飮んだ酒と書き飛ばした文字との覿面(てきめん)の報いであらう……。

[やぶちゃん注:「蕪雜」雑然としていてととのっていないこと。]

 ――で、私たちは醉仙閣で飮んでゐた。

 世外民は、禿頭港(タツタウカン)の廢屋に對して心から怪異の思ひがしてゐるらしい。さう言へばあの話はいかに支那風(しなふう)に出來てゐる。廢屋や廢址(はいし)に美女の靈が遺つてゐるのは、支那文學の一つの定型である。それだけにこの民族にとつてはよく共感できるらしい。しかし、私はといふとどうもさうは行かない。私がそのうちで少しばかり氣に人つた點と言へば、その道具立(だうぐだて)が總てきくその色彩が惡くアクどい事にあつた。もしこれを本當に表現することさへ出來れば、浮世繪師芳年(よしとし)の狂想などはアマイものにして仕舞ふことが出來るかも知れない。そのなかにある人物は根強く大陸的で、話柄の美としてはそれが醜(しう)と同居してゐるところの野蠻(やばん)のなかに近代的なところがある。幽靈話とすればそれが夜陰(やいん)や月明(げつめい)ではなしに、明るさもこの上ない烈日(れつじつ)のさなかなのが取柄だが、總じてこの話は怪異譚(くわいいだん)としては一番價値に乏しい。それだのに世外民などは專らそこに興味を繫いでゐるらしい。いや、むしろ恐怖してさへゐる。彼は自分が幽靈と對話したと思つてゐるかも知れない。

 私は世外民の荒唐無稽好(ず)きを笑つてゐる。――といふのはそれに對しては私はもうとつくに思ひ當つたことがあるからだ。なぜ私はあの時すぐ引返して、あの廢屋の聲のところへ入込(いりこ)んでゐなかつたらうか。さうすれば世外民に今かうは頑張らせはしないのだ。それをしなかつたといふのも世外民があまり厭がるのと、それよりも空腹であつたのと、また億劫(おつくふ)な思ひをして行つてみるまでもなく解つてゐると信じたからだ。それもすぐに、さうと氣がついたのならよかつたのに、あんな判りきつた事が、なぜ一時間も經つてからやつと氣がついたといふのだらう。多分、あまりに思ひがけなく踏込(ふみこ)まうとするその刹那であつた爲めと、二階から響いて來た言葉が外國語だつたのと、それにつづいてあの老婦人の大袈裟な戰慄の身振りやら、ちよつと異樣な話やらで、全くくやしい事だが私も暫くの間は、多少驚かされたものと見える。本當に理智の働く餘裕はなかつたらしい。――廢屋だと確めて置いた家の中から人聲(ひとごゑ)がしたのであつてみれば、それはその家の住人でない誰(たれ)かが、そこにゐたのにきまつてゐる。その人のために我我は這入(はい)つて行くことを遠慮する理由は少しもなかつた筈だ。現に安平(アンピン)の家のなかにだつて網を繕つてゐた人間の聲がしても我我は平氣で闖入して行つた程だ。何のために我々は躊躇したか。世外民が「人が住んでゐるんだね」と言つたからだ。世外民は何故そんなことを言つたか。それはその時の彼の心理を考へなければならない。多分、聲が我我の踏み込んだ瞬間に恰もそれを咎めるがごとく響いた事が一つ――しかも、その言葉の意味は、あとで聞けば全く反對のものであるが。またあの廢屋は安平のものよりも數十倍も堂堂としてゐて荒れながらにもなほ犯しがたい權威を具へてゐた事。最後に一番重(おも)なる理由としてはそれが單に、女の若さうな玲瓏(れいろう)たる聲であつたが爲めに、若い男である世外民も私も無意識のうちに妙にひるんでゐたのである。さうして、その聲に就ては何の考へることをもせずに、ただびつくりして歸つて來てしまつたのである。

[やぶちゃん注:「玲瓏たる」宝玉を思わせるような美しい声の形容。]

「何(なん)にしても這入つて見さへすればよかつたのになあ。馬鹿馬鹿しい、誰が幽靈の聲などを聞くものか。生きて心臟のドキドキしてゐる若い女――多分、若くて美しいだらうよ、そんな氣がするな――それがそこにゐただけの事さ。――生きてゐればこそものも言ふのさ……」

「でも、むかしから傳はつてゐるのと同じ言葉を、しかも泉州(ツヱンチヤオ)言葉を、それもそのたつた一言を、その女が何故(なぜ)我我に向つて言ふのだ」

 世外民は抗議した。

「泉州言葉は幽靈の專用語ではあるまいぜ。泉州人(ツヱンチヤオナン)なら生きた人間の方がどうも普通に使ふらしいぜ。アハ、ハハ。それが偶然、幽靈が言ひ慣れた言葉と同じだつたのは不思議と言へば不思議さね。――でもたつたそれだけの事だ。君はあの言葉が我我に向つて言はれたと思ひ込むから、幽靈の正體がわからないのだよ。――外(ほか)の人間に向つて言つた言葉が偶然我我に聞かれたのだ。いや。我我を外の人間と間違へて、その女が言ひかけたのさ。さうと氣がついたから、たつた一言(ひとこと)しか言はなかつたのだ。君、何でもないよくある幽靈だぜ、あれや……」

「それぢや、昔からその同じ言葉を聞いたといふその人達はどうしたのだ」

「知らない」私は言つた。「それや僕が聞いたのぢやないのだからね。――ただ、多分は君のやうな、幽靈好きが聞いたのだらうよ。だから僕は自分の關係しない昔のことは一切知らないのだ。ただ今日の聲なら、あれは正(まさ)しく生きてる若い女の聲だよ! 世外民君、君は一たいあまり詩人過ぎる。舊(ふる)い傳統がしみ込んでゐるのは、結構ではあるが、月の光では、ものごとはぼんやりしか見えないぜ。美しいか汚いかは知らないが、ともかく太陽の光の方がはつきりと見えるからね」

「比喩など言はずに、はつきり言つてくれ給へ」一本氣な世外民は少々憤(おこ)つてゐるらしい。

「では言ふがね、亡びたものの荒廢のなかにむかしの靈が生き殘つてゐるといふ美觀は、――これや支那の傳統的なものだが、僕に言はせると、……君、憤つてはいかんよ――どうも亡國的趣味だね。亡びたものがどうしていつまでもあるものか。無ければこそ亡びたといふのぢやないか」

「君!」世外民は大きな聲を出した。「亡びたものと、荒廢とは違ふだらう。――亡びたものはなるほど無くなつたものかも知れない。しかし荒廢とは無くならうとしつつある者のなかに、まだ生きた精神が殘つてゐるといふことぢやないか」

「なるほど。これは君のいふとほりであつた。しかしともかくも荒廢は本當に生きてゐることとは違ふね。だらう? 荒廢の解釋はまあ僕が間違つたとしてもいいが、そこにはいつまでもその靈が橫溢(わういつ)しはしないのだ。むしろ、一つのものが廢れようとしてゐるその蔭からは、もつと力のある潑剌(はつらつ)とした生きたものがその廢朽を利用して生れるのだよ。ね、君! くちた木にだつてさまざまな茸(きのこ)が簇(むらが)るではないか。我我は荒廢の美に囚はれて歎くよりも、そこから新しく誕生するものを讃美しようぢやないか――なんて、柄(がら)にないことを言つてゐら。さういふ人生觀が、腹の底にちやんとしまつてある程なら、僕だつて臺灣三界(がい)でこんなだらしない酒飮みになれやしないだらうがね。だからさ、僕がさういふ生き方をしてゐるかどうかは先づ二の次(つぎ)にしてさ」

「成程。――ところがそれが禿頭港(クツタウカン)の幽靈――でないといふならば、その生きた女の聲と何の關係があるんだらう?」

「下らない理窟を言つたが僕のいふのは簡單なことなのだ。ね、我我の聞いたあの聲の言つたのは『どうしたの? なぜもつと早くいらつしやらない。……』云云(うんぬん)といふのだつたさうだね。それや無論誰(たれ)が聞いても人を待つてゐる言葉さ。で、あの場所の傳説のことは後(あと)にして、虛心に考へると、若い女が――生きた女がだよ、人に氣づかれないやうな場所にたつたひとりでゐて、人の足音を聞きつけて、今の一言を言つたとすれば、これは男を待つてゐるのぢやないだらうかといふ疑ひは、誰(だれ)にでも起る。あたりまへの順序だ。我我があの際(さい)、すぐさう感じなかつたのが反(かへ)つて不思議だ。あの際、僕があれを日本語で聞いたのだつたら一瞬間にさう感附くよ。そこであの場所だが、氣味の惡い噂があつて人の絶對に立ち寄らない場所だ。しかも時刻はといふと近所の人人がみな午睡(ごすゐ)をする頃だ。戀人たちが人に隱れて逢ふには絶好の時と所ではないか。――それも互によほど愛してゐると僕が考へるのは、それはいづれあそこからさう遠いところに住んでゐる人ではなからうが、それならあの家に纏はる不氣味千萬な噂はもとより知つてゐるのだらうから、迷信深い臺灣人がその恐ろしさにめげずに、あの場所を擇(えら)ぶといふところに、その戀人たちの熱烈が現れてゐる。それから、また僕は考へるね。そのふたりは大部以前から、あの時刻とあの場所とを利用することに慣れてゐるのだ。でない位(くらゐ)なら、そんないやな場所へ、女が先に來て待つ度胸も珍しいし、男だつてそれぢやあまり不人情さ。――君が、あの聲を聞いて咄嗟(とつさ)にそれをその住人のものと斷定してしまつたのも無理はないよ。彼等はそこをもう自分たちふたりの場所と信じ切つてゐるほど、その場所に安心し慣れ切つてゐるのだ。それならばこそ我我の足音聞いただけで輕輕しく、あんな聲をかけたりしたのだ。――あそこへは全く近よる人もないと見えるね。そのくせあの家は、女ひとりで這入つて行つても何の怖ろしい事もないほど、異變のない場所なのさ。若い美しい女――藝者(ゲイチア)の五葉仔(ゲフユア)のやうな奴かな。いや、若い女ではなくつて―――」

[やぶちゃん注:「藝者(ゲイチア)」「チ」の部分は実は擦(かす)れて縦棒一本とそこから右に直角に突き出た一本しか判読出来ない。現代の中国音の音写だと「者」は「ヂゥーア」であることから、取り敢えず「チ」で補っておいた

「五葉仔(ゲフユア)」不詳。中国の芸妓界の隠語か? 識者の御教授を乞う。一人前になる直前の芸妓、所謂、本邦の「半玉(はんぎょく)」・「雛妓(おしゃく)」・「舞妓(まいこ)」のようなものか? 或いはそれよりも若い「禿(かむろ)」か?

「―――」(三字分)はママ。但し、頭の一字分で改行であることから、植字工のミスかも知れない。]

「聲は若かつたがな」

「さ、聲は若くつても、事實は圖太い年增女(としまをんな)かも知れないな。でなけりや、やつぱり必ず若い熱烈なる少女か。――それはどうでもいい。判らない。しかし兎も角もさ、今日(けふ)のあの聲は不埓(ふらち)かは知らないが不思議は何もない生きた女のもので、あそこが逢曳(あひびき)の場所に擇ばれてゐたといふ事と、又それだから、あそこにはほんの噂だけで何の怪異もない事は、おのづと明瞭さ。僕は疑はない――ああ、這入つて見れやよかつたのになあ」

「例によつてそろそろ理窟つぽくなつたぞ。――理窟には合つてゐさうだよ。ただね、それが僕の神經を鎭めるには何の役にも立(たた)ない」

[やぶちゃん注:「立」のルビは「た」しかないが、特異的に補った。]

「さうかい。困つたね」

 世外民はやつぱりに私に同感しようとはしない。私は少しばかり、ほんの少しだが、忌忌(いまいま)しかつた。私は酒を飮めば飮むほど、奇妙に理窟つぽくなる。人を説き伏せたくなる。そこでお喋りになるといふごく好くない癖があつた。自分では頭が冴えてゐるやうな氣がするんだが、それは醉つぱらひの己惚(うぬぼ)れで傍(はた)で聞いたらさぞをかしいのだらう。私はつづけた。

「仕方がない。君は何とでも思ひ給へ。だが、今日の事實は怪異譚(くわいいだん)としてはまるで何の値打(ねうち)もないのだがなあ。禿頭港(クツタウカン)で聞いた話にしたつて、因緣話にはなつてゐるものか。――そんな見方をすれや、せいぜい三面特種の値打だ。寧ろ面白いのは、あんな荒つぽいいやな話のなかに案外、支那人といふものの性格や生活といふものの現はれてゐることだ。……」

「夜中(やちう)に境界標(へう)の石を四方へ擴げる話か。――あれや、君、臺灣の大地主(おほぢぬし)のことなら、みんなあんな風に言ふんだ。あれこそ臺灣共通の傳説だよ。――現に」と世外民は酒で蒼くなつた顏を苦笑させて、

「僕の家のことだつてもさう言つてらあ!」

「へえ? これはなほ面白い。いづれはどこかに本當の例が、事實あつたのだらうがね。多分、あの沈(シン)家が本當だらう。それにしてもそいつをどこの大地主にも應用するところはえらい。實際、あの話はあらゆる富豪といふものを簡單明瞭に説明するからね。ふむ。さうかね。だがそれよりも僕にもつと面白いのは犂(からすき)でよぼよぼの老寡婦を突き殺す話だ。――僕はその沈の祖先といふのは粗野な惡黨でこそあるがなかなかの人傑(じんけつ)だつたやうな氣がするのだ。ね、さうでなければ道理に合はない。いかに淸朝の末期に近い政府だつて、また先(さき)が植民地の臺灣だからと言つて、さうさう腐敗した碌(ろく)でなしの役人ばかりをあとへあとへ派遣したわけではあるまい。それが皆(みんな)丸められるのだ。單に金(かね)の力だけではあるまい。沈にはきつと役人たちよりもえらい經營の才があつたのだ――まあ聞きたまへ、僕の幻想だから。胡蘆屯(コロトン)附近と言へば、君、この島でも最もよく開墾された農業地だらう。『……いつもいふ通り、おれは自分の地所の近所に手のとどかない畑があるのは、氣に入らないのだ。……婆さん。さあどいた。畑といふものは荒して置くものぢやない。……本當に死にたいんだな。もう死んでもいい年だ』か。さう言つてひらりと馬を下りて自分の手で突き殺したと言つたね。僕には強い實行力のある男の橫顏が見えるやうな氣がするんだ。さういふ男の手によつてこそ、未開の山も野も開墾出來るのだ。草創時代の植民地はさういふ人間を必要としたのだ。役人たちの目の利(き)いたものは、彼の事業を、政府自身の爲めに樂しみにしてゐたかも知れないのだ。その報酬に惡德を見逃すばかりか、暗には奬勵してゐたかも知れないのだ。その男はちやんとそれを心得てゐた。その遺言が更に面白いではないか。『三十年すれば』いかに植民地政治でもだんだん行屆(ゆきとゞ)いて整つて來た擧句には、彼が折角開拓した廣大な土地を、今度は彼よりももつときい暴虐者が出て左右することを見拔いてゐたのだ。何と怖ろしい識見ではないか――彼は政治といふものの根本義を、まるで社會學者みたいに知つてゐて、それを利用したのだ。人のものを掠奪(りやくだつ)してそれへすつかり仕上げをかけて、やれ田だのと畑だのと鍍金(めつき)をするのさ、そいつを賣拂(うりはら)つて金(かね)にへる。それから商賣をするんだね。全く商賣といふものは世(よ)が開化した後(のち)の唯一の戰爭だからね。しかも安全な戰爭だ――元手の多い奴ほど勝つに定(きま)つてゐる。彼は自分の子孫たちに必勝の戰術を傳授して置いたのさ。奴の仕事は何もかも生きる力に滿ちてゐる。萬歳だ。ところでさ、そのやうな先見のある男でも、自然が不意に何をするかは知らなかつたのが、人間の淺ましさだ。繁茂してゐた自然を永い間かかつて斬(き)り苛(さいな)んだ結果に贏(か)ち得た富を、一晩の颶風(はやて)でやつぱりもとの自然に返上したといふのだから好(い)いな。態(ざま)を見やがれさ。――するとやつぱり因果應報といふことになるのかな。僕はそんなことを説教するつもりではなかつたつけな……」

[やぶちゃん注:「贏(か)ち得た」「贏」(音「エイ」)は「もう(儲)ける・あま(余)る・の(伸)びる・つつ(包)む・にな(荷)う・か(勝)つ」と訓じ、「余分に残る・残す・余分な残りもの」「利益を得る・儲ける・その利益や儲け」「賭(かけ)や競争で勝つ」の意がある。]

 私はいつの間にかひど醉つて來て、舌も纏れては來るし、段段冴えて來ると己惚(うぬぼ)れてゐた頭がへんにとりとめがなくなり、ふと口走つた――「花嫁の姿をして腐つてゐたつて? よくある奴さ。花嫁の姿をして死ぬ。それがだんだん腐つてくる、か。生きてゐる奴で冷たくなつて、だんだん腐つてくるのもある。金簪(きんさん)で飾つてさ、ウム」

 世外民はこれも亦いつもの癖で、深淵のやうに沈默したまま、私のをかしな言葉などは聞き咎めるどころか、てんで耳に入(はい)らぬらしく、老酒(ラウチユウ)の盃(さかづき)を持ち上げたままで中空を凝視してゐた。

「世外民、世外民。この男の盃を持つてゐるところには少々魔氣(まき)があるて」

 

 *     *     *     *

    *     *     *

 

2017/10/14

佐藤春夫 女誡扇綺譚 三 戰慄 (その2) / 三 戰慄~了

 

 その四代ほど前といふのは、何でも泉州(ツヱンチヤオ)から臺灣中部の胡蘆屯(コロトン)の附近へ來た人で、もともと多少の資産はあつたさうだが、一代のうちにそれほどの大富豪になつたに就(つい)ては、何かにつけて隨分と非常なやり口があつたらしい。虛構か事實かは知らないけれどもこんなことを言ふ――例へば、或時の如き隣接した四邊(あたり)の田畑の境界標(きやうかいへう)を、その收穫が近づいたところを見計(みはから)つて、夜(よる)のうちに出來るだけ四方へ遠くまで動かして置く。その石標(せきへう)を抱(だ)いて手下の男が幾人も一晩のうちに建てなほして置くのだ。次の日になると平氣な顏をして、その他人の田畑を非常な多人數(たにんず)で一時(じ)に刈入れにかかつた。所有者達が驚いて抗議をすると、その石標を楯に逆に公事(くじ)を起した。その前にはずつと以前から、その道の役人とは十分結託してゐたから、彼の公事は負ける筈はなかつた。彼は惡い役人に扶(たす)けられまた扶けて、臺灣の中部の廣い土地は數年のうちに彼のものになり、そこのどの役人達だつて彼の頤(おとがひ)の動くままに動かなければならないやうになつた、惡い國を一つこしらへた程の勢(いきほひ)であつた。一たいこの頃、沈(シン)は兄弟でそんなことをしてゐたのだが、兄の方は鹿港(ロツカン)の役所の役人と口論の末に、役人を斬らうとして却つて殺されてしまつた。これだつても、どうやら弟の沈が仕組んで兄を殺させたのだといふ噂さへある程で、兄弟のうちでも弟の方に一層惡性(あくせい)がある。實際、兄の方はいくらかはよかつたらしい。ある時、彼等のいつもの策で、隣(となり)の畑へ犂(からすき)を入れようとしたのだ。その時にはその畑に持主が這入つてゐるのを眼の前に見ながら、最も圖太(づぶと)くやりだしたのだ。といふのはその畑の持主といふのは七十程の寡婦だつた。だから何の怖れることもなかつたのだ。しかし第一の犂(からすき)をその畑に入れようとすると、場にあつたこの年とつた女は急に走つて來て、その犂の前の地面へ小さな體(からだ)を投げ出した。

「――助けて下さい。これは私の命なのです。私の夫と息子とがむかし汗を流した土地です。今は私がかうして少しばかりの自分の食ひ代(しろ)を作り出す土地です。――この土地を取り上げる程なら、この老(おい)ぼれの命をとつて下さい!」

 沈(シン)の手下に働くだけに惡い者どもばかりではあつたけれども、さすがに犂(からすき)をとめたまま、土をさへ突(つ)かうとする者もなかつた。男どもは歸つてこの事を兄の沈に話すと、彼は苦笑をして「仕方がない」と答へたさうだ。弟の沈はその時は何も知らなかつた。しかし、その後(ご)二三日して見廻りに來て、馬上から見渡すと彼等の畑のなかにひどく荒れてゐるところがあるので作男どもを叱つた。するとそれが例の寡婦の畑だと判つて、初めてその事情を聞いた。なるほど、今もひとり老ぼれの婆さんがそこにゐるのを見ると、彼は馬を進めた。さうして近くに働いてゐた自分の作男に、言つた――

「犂(からすき)を持つて來い」

 主人の氣質を知つてゐるから作男は拒(こば)むことが出來なかつた。主人は再び言つた――

「ここの荒れてゐる畑ヘ、犂を入れろ。こら! いつもいふ通り、おれは自分の地所の近所に手のとどかない畑があるのは、氣に入らないのだ」

 老寡婦はこの前と同じ方法を取つて哀願した。作男が主人の命令とこの命懸けの懇願との板挾みになつて躊躇してゐるのを見ると、沈は馬から下りた。畑のなかへ步み入りながら、

「婆さん。さあ退(ど)いた。畑といふものは荒(あら)して置くものぢやない」

 さう言ひながら、大きな犂(からすき)を引いてゐる水牛の尻に鞭(むち)をかざした。婆さんは沈の顏を見上げたきり動かうとはしたかつた。

「本當に死にたいんだな。もう死んでもいい年だ」

 言つたかと思ふと、ふり上げてゐた鞭を強(したゝ)かに水牛の尻に當てた。水牛が急に步き出した。無論、婆さんは轢殺(ひきころ)された。

「さあぐづぐづせずに、あとを早くやれ――。こんな老ぼれのために廣い地面を遊ばして置いてなるものか」

 いつもと大して變らない聲でさう言ひながら、この男は馬に乘つて歸つてしまつた。これほどの男だからこそ、その兄があんな死に方をした時にも、世間では弟の穽(おとしあな)に落ちたのだと言つて、でも自分の手に懸けないだけがまだしも兄弟の情(じやう)だ、などと噂したさうである。何(なに)にしても、兄が死んでしまつてから弟がその管理を一切ひとりでやつた。その後(ご)、その家は一層榮えるし、彼は七十近くまで生きてゐて――惡い事をしても報いはないものかと思ふやうな生涯を終る時に、彼は一つの遺言をしたのだ。その遺言は甚だ注意すべきものである。

「今から後(のち)、三十年經つたら我我の家族は、田地をすつかり賣り拂つて仕舞(しま)はなけりやならない。それから南部の安平(アンピン)へ行つてそこで舟を持つて本國の對岸地方と商賣をするのだ」

[やぶちゃん注:「仕舞(しま)はなけりやならない」は底本では「仕舞(しま)はなけやならない」であるが、読めないので、脱字と断じて特異的に「り」を挿入した。]

 その理由を尋ねようと思ふともう昏睡してしまつてゐた。しかし子供はその遺言を守つて、安平(アンピン)の禿頭港(ツタウカン)へ出て來たのだと言ふ。――この遺言の話はやつぱり沈(シン)の一族からずつと後(のち)に洩れたといふので皆知つてゐたが、あの一晩の颶風(はやて)が基(もと)で、それこそ颶風(はやて)のやうに沈家に吹き寄せた不幸の折から、世間の人人は沈家の祖先の遺言から、またその祖先のした惡行をさまざまに思ひ出して、因果は應報でさすがに天上聖母は沈の持舟(もちぶね)を守らない。――あの遺言こそまるで子孫に今日(けふ)の天罰を受けさせようと思つて、老寡婦の死靈(しりやう)が臨終の仇敵(きうてき)に乘り移つたのだとか、あの颶風(はやて)はその老寡婦が犂(からすき)で殺されてから何十年目の祥月命日であるとか、人人は沈家の悲運を同情しながらもそんなことを噂した。何にしても、大きな不運の後(あと)であとからあとから一時(じ)に皆、死に絶えてしまつて、遺(のこ)つた人といふのは年若い娘ひとりで、それさへ氣が狂つて生きてゐた。

[やぶちゃん注:「天上聖母」
道教の女神媽祖(まそ)の別称。航海・漁業の守護神として中国沿海部を中心に、特に台湾・福建省・潮州で強い信仰を集める。「天后」「天妃」「娘媽」とも呼ばれ、一部では道教で最も地位の高い神の一人ともされるようである。

 祖先にたとひどんな噂があらうとも、かうして生きてゐる纖弱(かよわ)い女をほつて置くわけにはいかないといふので、近隣の人人は、いつも食事くらゐは運んでやつた。それが永い間絶えなかつたといふのも、いはば金持の餘德とも言へよう。といふのは食事を運んでやる人たちは、その都度何かしら、その家のそこらに飾つてある品物の手輕なものを、一つ二づつこつそりと持つて來る者があるらしかつた。部屋にあつたものは自(おのづ)と少(すくな)くなり、さうなると近隣でも相當な家の人達はもうそこへ行かなくなつた――他人のものを少しづつ掠(かす)めてくるやうな人たちの一人と思はれたくないと思つて、自(おのづ)と控へるやうになつたのである。そのりにはまた、厚かましい人があつて、當然のやうな顏をして品物を持つて來てそれを賣拂(うりはら)つたりするやうな人も出て來た。下さいと言つて賴むと氣の違つてゐる人は、極く大樣(おほやう)にくれるといふことであつた。――「さあ、お祝ひに何なりと持つておいで」高價なものをさういふ風に奪はれて、やつぱりあの家では昔の年貢を今收めゐてゐるのだよなどと、口さがない人人は言つた。

 どういふ風に、娘は氣が違つてゐるのかといふのに、娘は刻刻に人の――恐らくは彼女の夫(をつと)の、來るのを待つてゐるらしかつた。人の足音が來さへすれば叫ぶのだ――泉州(ツヱンチヤオ)言葉で、

「どうしたのです。なぜもつと早く來て下さらない?」

 ――つまり、我我が聞いたのと全く同じやうな言葉なのだ。彼女は姿こそ年とつたがその聲は、いつまでも若く美しかつた! ――我我が聞いたその聲のやうに?

 その聲を聞いて、人人は深い哀れに打たれながら、その部屋へ這入つて行くと、彼女は人人を先づ凝視して、それからさめざめと泣くのだ。待つてゐた人でなかつた事を怨むのだ。そこで人人は明日こそその當(たう)の人が來るだらうと言つて慰める。彼女はまた新しい希望を湧き起す。彼女はいつも美しい着物を着て人を待つ用意をしてゐた。たしかに海を越えて來るその夫を待つてゐるのだといふことは疑ひなかつた。さういふ風にして彼女は二十年以上も生きてゐたのだらう―

[やぶちゃん注:ダッシュ一字分はママ。ここは行末であるが、私はここで改行と読んだ。]

「私が十七の年に、初めてこの家へ來たころには、その人はまだ生きてゐたものです」と、この長話を我我に語つた禿頭港(クツタウカン)の老婦人は言つた。――この婦人ももう六十に近いであらうが四十年位(くらゐ)前にこの家へ嫁に來たものと見える。「私は近づいてその人を見た事はありませんけれども、天氣の靜(しづか)な日などには、よく皆(みんな)が『またお孃さんが出てゐるよ』といふものだから、見ると走馬樓(ツアウベラウ)の欄干によりかかつて、ずつと遠い海の方を長いこと――半日も立つて見てゐるらしいやうなことがよくありました。夫を乘せた舟の帆でも見えるやうに思つたものですかねえ。いづれやつぱりその海が見えるからでせう、お孃さんのゐる部屋といふのは、あの二階ばかりで、外の部屋ヘは一足(ひとあし)も出なかつたさうです。皆はお孃さん、お孃さんと呼び慣はしてはゐましたが、その頃はもうやがて四十ぐらゐにはなつてゐるだらうといふ事でした。それが、何日(いつ)からかお孃さんの姿をまるで見かけなくなつたのです。病氣ででもあらうかと思つて人が行つてみると、お孃さんはそこの寢牀(ねどこ)のなかでもう腐りかからうとしてゐたさうです。金簪(きんさん)を飾つて花嫁姿をしてゐたと言ひますよ。――それが不思議な事に、それだのに、その人が二階へ上らうとすると、やつぱりお孃さんが生きてゐた時と同じやうに、凉しい聲でいつもの言葉を呼びかけたさうです。ね! 貴方がたの聞いたのと少しも違はない言葉ですよ! だから死んでゐようなどとは露(つゆ)思はなかつただけにその人は一層びつくりしたとの事です。それから後(のち)にも、その聲をそこで聞いたといふ人は時時あつたのです。――お孃さんは病氣といふよりは、もしや飢ゑて死んだのではあるまいかと云ふ人もあります。といふのはその家のなかには、昔こここにあつた見事な樣々の品物が、もうに何一つ殘つてゐなかつたさうですから。さうして死骸に附いてゐた金簪(きんさん)は葬(とむらひ)の費用になつたと言ひます」
 
 

佐藤春夫 女誡扇綺譚 三 戰慄 (その1)

 

 

    戰慄

 

 

 老婆は改めてやつと語り出した、初めはひとり言(ごと)めいた口調で……

「……さういふ噂は長いこと聞いてはゐました。けれどもその聲を本當に、自分が本當に聞いたといふ人を――見るのは初めてです。若い男の人たちは、一たいそこへ近づいてはいけなかつたのです。貴方がたは最初、私にその裏口をおききになつた時に、私はほんたうはお留めしたいと思つたのですが、それには長い話がいるし、また昔ものが何をいふかとお笑ひになると思つたものですから……。それに今はもう月日も經つたことではあり、私もまさかそんなことがあらうと信じなかつたものだから……。でも、私は何か惡い事が起らねばいいと氣がかりになつて、實は貴方がたの樣子をこちらから見守つてゐたところです。――あれは昔から幽靈屋敷だといふので、この邊では誰(だれ)も近づく人のなかつたところなのです。――ごらんなさい。あそこの大きな龍眼肉(ゲンゲン)の樹には見事な實(み)が鈴生(すゞなり)りにみのるのですが、それだつて採りに行く人もない程です……」

 彼女は向うに見える大樹を指さし、自(おのづ)とその下の銃樓が目についたのであらう――

「昔はあの家は、海賊が覘(ねら)つて來るといふので、あの櫓(やぐら)の上に每晩鐡砲をもつて不寢番(ふしんばん)が立つた程の金持でした。北方の林(リン)に對抗して南方の沈(シン)と言へば、誰ひとり知らぬ人はなかつたのです。いいえ、まだつい六十年になるかならぬぐらゐの事です。大きな戒克船(ジヤンク)を五十艘も持つて、泉州(ツヱンチヤオ)や漳州(チンチヤオ)や福州(チウチヤオ)はもとより廣東(カントン)の方まで取引をしたといふ大商人で船問屋(ふなどんや)を兼ねてゐました。『安平港(アンピンカン)の沈(シン)か、沈の安平港か』とみんな唄つたものです。――御存じの通りそのころの安平港はまだ立派な港で、そのなかでも禿頭港(タツタウカン)と言へば安平と臺南(たいなん)の市街とのつづくところで、港内でも第一の船着(ふなつ)きでした。これほど賑やかなところは臺南にもなかつた程だといひます。――沈(シン)は本當に安平港の主(ぬし)だつたと見える。――沈家(シンけ)が沒落すると一緒に、安平港は急に火が消えたやうになりました。沈(シン)のゐない安平港へは用がないと言つて來なくなつた船が澤山あるさうです。それに海はだんだん淺くなるばかりで、しかもいつの間にか氣がついた頃にはすつかり埋(うづ)まつてゐたのですよ。この急な變り方までが、まるで沈家にそつくりだと、今もよくみんなして年寄たちは話し合ひますよ。……沈の家ですか? それがまた不思議なほど急に、一度に、唯の一夏(ひとなつ)の、しかも只の一晩のうちに急に沒落したのです。百萬長者が目を開けて見ると乞食になつてゐたのです。夢でもかうは急に變るまい。他人事(ひとごと)ながら考へれば人間が味氣(あぢき)なくなる――と、家の父はこの話が出るとよくさう言ひました。何でも沈の家ではその時、盛りの絶頂だつたのです。今の普請(ふしん)もついその三四年前に出來上つたばかりで、その普請がまた大したもので、石でも木でもみんな漳州(チンチヤオ)や泉州(ツヱンチヤオ)から運んだので、五十艘の持船(もちふね)がみんな、その爲めに二度づつ、そればかりに通うたといふ程ですよ。それといふのも沈家には、この子の爲めなら、双親(ふたおや)とも目がないという可愛い、ひとり娘があつて、それの婿取りの用意にこんな大がかりな普請をしたものださうです。それに美しい娘だつたさうです――私が見た時には、もう四十ぐらゐになつてもゐたし、落(おち)ぶれてれてへんになつてはゐましたが、それでもさう聞けばなるほどと思ふやうなところはありました……」

[やぶちゃん注:「戒克船(ジヤンク)」「戒」はママ。「戎克船」の誤りである。英語で“junk”であるが、元来はジャワ語で「船」の意。中国の沿岸や河川などで用いられている伝統的な木造帆船の総称。多数の水密隔壁により、船内が縦横に仕切られ、角形の船首と蛇腹式の帆を持つのが特徴。

「それに美しい娘だつたさうです」の「それに」は「それは」の誤植が疑われる感じはする。]

「そんなにまた、急に、どうして沈の家が沒落したのです?」世外民は、性急に話の重大な點をとらへてたづねた。

「ごめんなさい、私は年寄で話が下手で」――聞いてゐるうちに解つて來たが、この老婆は上品な中流の老婦人であつた。「怖ろしい海の颶風(はやて)だつたのです。陸(をか)でも崩れた家が澤山あつたさうです。それはさうでせう。――ごらんなさい、あの沈(シン)の家の水門の石垣でさへあの角(かど)が吹き崩されたのださうです。さうしてそれを直すことさへもう出來なかつたので、今もそのままに殘つてゐるのですが、夜(よ)が明けてみてその石垣――そのころはまだ築いたばかりの新しい石垣の、あんな大きな石が崩れ落ちてゐるのを見て、沈の主人は心配さうにそれを見てゐたさうです。運の惡い事に、その晩、宵のうちは靜かな滿月の夜でもあつたさうだし、沈の五十艘の船はみんな海に出てゐたのださうです。沈の主人は――五十位(ぐらゐ)の人だつたさうですが、崩れた石垣を見るにつけても、海に出てゐた持船(もちぶね)が心配だつたのでせう。船の便りは容易に知れなかつたさうですが、五日(か)經つても十日經つても歸る船はなかつたさうです。ただ人間だけが、それも船出した時の十分の一ぐらゐの人數(にんず)がぽつぽつと病み呆けて歸つて來て、それぞれに難船の話を傳へただけでした。無事に歸つた船は只の一艘もなかつたさうです。尤も、人の噂では、港にゐて颶風(はやて)に出會はなかつた船も三艘や五艘あつたに相違ないが、友船(ともふね)が本當に難船したことから惡企(わるだく)みを思ひついて、自分達の船も難船して自分は死んだやうな顏をして、船も荷物も橫領したまま遠くへ行つてしまつて歸つて來なかつたものも、どうやらあるらしいと言ひます。現に何處(どこ)とかの誰(たれ)は廣東(カントン)で、死んだ筈の何の某(なにがし)に逢つたの、名前と色どりとこそ變つてゐたが沈(シン)の船の『躑躅(てきちよく)』とそつくりのものを廈門(ヱイムン)で見かけたなどと、言ふ人もあつたさうです。何(なん)にしても一杯に荷物を積み込んだ大船(おほふね)が五十艘歸つて來なかつたのです。その騷ぎはどんなだつたか判るではありませんか。なかには沈自身の荷物ではないものも半分以上あつて、荷主(にぬし)は、みんな沈の家へ申し合せて押(おし)かけて、その償ひを持つて歸つたさうです。普請や娘の支度などで金を費(つか)つたあとではあり、それに派手な人で商ひも大きかつただけに、手許(てもと)には案外、金(きん)も銀も少(すくな)かつたと言ひます。人の心といふものは怖ろしいもので、かうなつて仕舞ふと、取るものは殘らず取立てても、拂つて貰へる可(べ)きものは何も取れない。そればかりか殆んど日どりまで定(きま)つてゐた娘の養子は斷つて來たさうです。もともと金持の沈と緣組をする筈で貧乏人の沈と緣を結ぶつもりではなかつたからでせう。……おお、、あそこに、いい日蔭が出來ました。あそこへ行つてまあ腰でもお掛けなさい」

[やぶちゃん注:「躑躅」不詳。ルビは「てきちよく」とあるが、「てきしよく」の誤植であろう。現行の日本では植物のツツジであるから、それを船体に描いた船のことかとかとも思ったが、中国語ではこれは本来、「
足踏みをする」という意味で、船名としては不吉であるから不審である。識者の御教授を乞うものである。

 老婆は、ちやうど前栽(ぜんさい)に一本だけあつた榕樹が、少し西に傾いた日ざしによつてやや廣い影を造つたのを見つけて、さう言ひながら自分がさきに立つて小さな足でよちよちと步いた。今まで別に氣がつかずにゐたが、この老婆の家といふのも大したことはないが一とほりの家で、昔の繁華の地に殘つてゐるだけの事はあつた。

[やぶちゃん注:言わずもがなであるが、この老婆は纏足であることがこの描写から判る。]

 樹(こ)かげで老婆は更に話しつづけた。彼女はよほど話好きと見えて、また上手でもある。ただ小さい聲で早口で、それが私にとつては外國語だけに聽きとりにくい場合や、判らない言葉などもある。私は後(のち)に世外民にも改めて聞き返したりしたが、更に老婆の説きつづけたことは次のやうである――

 前述のやうな具合で沈の家が沒落し出すと、それが緒(いとぐち)で主人の沈は病氣になりそれが間もなく死ぬと同時に、緣談の破れたことを悲しんでゐた娘は重なる新しい歎きのために鬱鬱としてゐた擧句、たうとう狂氣してしまふ。その娘を不憫に思つてゐるうちにその母親も病氣で死んでしまふ。全く、作り話のやうに、不運は鎖(くさり)になつてつづいた。

 一たいこの沈といふ家に就(つい)て世間ではいろいろなことを言ふ。

 

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