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カテゴリー「毛利梅園「梅園介譜」」の11件の記事

2015/06/15

毛利梅園「梅園介譜」 片津貝(ツメタガイ)

 
 Baienkaihu_tumetagai
 
片津貝〔カタツガイ。ツヘタ貝。又、ツメタ貝。〕

 〔「福志」。〕

 研螺〔ツメタ貝。〕

   「室町殿日記」に、『細川幽齊、豐臣太閤の

   前に侍しに、或る大名より、牡蠣(カキ)・生鼠腸(このわた)・

   ツメタ貝、三種を献す。太閤此三肴にて一首せよと

   ありしに、幽齋、即ち

     かきくらし降る白雪のつめたさを

      このわためしてあたゝめそする

   太閤及滿座感せられしとぞ。

 

[やぶちゃん注:腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビガイ下目タマガイ上科タマガイ科ツメタガイ属ツメタガイ Glossaulax didyma 或いは既に述べた同属近縁種(詳しくは大和本草卷之十四 水蟲 介類 光螺(ツメタガイ)の渡しの注を参照されたい)の二個体の図(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)。

「片津貝」「ツヘタ貝」この一連の記載を見ていると、もしかすると「つへたかひ」が古形で、「津厴(或いは蒂)貝」、「つへたがひ」で、潟や津、「海浜」にいる、厴(蒂)「へた」、蓋が(蟬の羽根のような)変わった形をした貝の意かも知れないと心が少し揺らいだ。

「福志」「福州府志」清の乾隆帝の代に刊行された福建省の地誌。

「室町殿日記」安土桃山から江戸前期にかけて成立した楢村長教(ならむらながのり)によって書かれた虚実入り混じった軍記物で実録日記ではない。「室町殿物語」とも。以下のエピソードは先の『武蔵石寿「目八譜」 ツメタガイ類』にも挙がっている。『博物学古記録翻刻訳注 11 「尾張名所図会 附録巻四」に現われたる海鼠腸(このわた)の記載』に出、そこで詳細な注を施してあるので、それを参照されたい。石寿版では初句が「かきくれて」とする。]

2015/05/24

毛利梅園「梅園介譜」 海鼠(前掲分とは別図三種)

 
 Baien_namako21



黒海鼠

 〔クロナマコ〕

 

黄海鼠〔キナマコ〕

 

 乙未(きのとひつじ)八月晦日(みそか) 行德魚商

 善が父、之れ持ち來たる。之を求め、眞寫す。
 
 

Baien_namako22
 
 

海鼠〔一種 アカナマコ〕

 

 午十二月廿八日納め、眞寫

 筆。

 

[やぶちゃん注:「梅園介譜」の「海鼠」は一品を既に掲げてあるが、これは同冊に別に二丁連続で出る図である。鮮度の高い活ナマコ三個体(現行の通称でクロナマコ(上図上方個体一つ)・アオナマコ(本図では「キナマコ」と呼称している上図下方個体一つ)・アカナマコ(下図/下方の個体の刎部の触手の色の全体の形から同一個体の腹部と背部を二様に描いたものと思われる。上部が管足のある腹側で下図が背側である)の身震いするほどの実感覚で迫った実体図である。ここでは最新の知見に基づき、この「クロナマコ」「アオナマコ」の前二種を棘皮動物門 Echinodermata ナマコ綱 Holothuroidea 楯手亜綱 Aspidochirotacea 楯手目 Aspidochirotida シカクナマコ科 Stichopodidae マナマコ属Apostichopus マナマコ Apostichopus japonicus とし、後者の「アカナマコ」をマナマコ属Apostichopus Apostichopus japonicas と同定することにする。実は従来、流通では厳然と区別して販売されているこれらは、分類学上は全くの同種マナマコStichopus japonica の色彩変異体に過ぎないとされ、青色や緑色及び黒色を呈するものは一般には静かな内海の砂泥地に、赤色のものは外洋の砂礫帯や岩礁帯に多いなどと記載されてきたのであるが、実は近年、マナマコ Apostichopus japonicusSelenka, 1867)とされていた種類には、真のマナマコ Apostichopus armataSelenka, 1867)とアカナマコ Apostichopus japonicusSelenka, 1867)の二種類が含まれている事実が判明しており、Kanno et al.2003)により報告された遺伝的に異なる日本産 Apostichopus の二つの集団(古くから区別していた通称の「アカ」と、「アオ」及び「クロ」の二群)と一致することが分かっているからである(但し、この記載にも運用上の問題がある。詳しくは「本朝食鑑」の「海鼠」の私の注及びリンク先を参照されたい。リンク先の記載は現在の私の海鼠についての注では最新のものである。なお、掲げたのは二枚とも国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像である)。……正直、この図には恍惚としてくるのだ。離れて見てリアル! 最大に拡大してもその質感や! リアル! 特にアカナマコの管足の立体感を見よ! 紙のその奥で(!)あたかもそれらが蠢くのが見えるようではないか!!!

「乙未八月晦日」天保六(一八三五)年。同年の八月は大で八月三十日はグレゴリオ暦で十月二十一日である(この年は閏七月があった)。現在のナマコの流通では最も扱い量が少ないのが十月であるが、実際には海鼠に旬はなく(冬場は身が締まるし、産卵を控える冬から初春に肥えるとは言える)、寿命も五年から十年と恐らくは想像されるよりもずっと長生きであるし、年中棲息していて、年中食える。ただ、夏場は転石下や砂泥中に潜り込んでおり、漁師もことさらに無理して捕ろうとはしないだけである。

「行德」現在の千葉県市川市の南部、江戸川放水路以南の地域名(江戸時代は船橋の一部まで含んだ)。ウィキの「行徳」によれば、『かつて行徳塩田と呼ばれる広大な塩田が広がっていたことで知られ』たが、『漁業も行徳の伝統産業である。江戸時代にはバカガイがたくさん獲れたことから、「馬鹿で人擦れがしている」という意味で「行徳の俎」という言葉が生まれ、夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場する』。『高度経済成長期には水質の汚濁や埋め立てによって漁獲量が激減したが、現在でも三番瀬において主に海苔の養殖とアサリ漁が行なわれている。ただし三番瀬埋め立て計画や第二東京湾岸道路建設計画があり、今なお行徳の漁業は存続の危機に立たされているといってもよい』とある。

「行德魚商善が父」梅園の他の図譜のクレジットにもこの行徳の魚屋が登場する。そこでは「善」とあるから、これは「魚善」(「うをよし」か「うをぜん」)というこの魚屋の屋号のように思われる。恐らくは親子で営んでおり、珍らしい海産動物などが揚がった時には、真っ先に好事の博物学者の許へ運んだのではなかったか? 珍奇なものであればあるほど、相応の対価を梅園は支払ったに違いないから、とびっきりのご贔屓筋だったはずである。これもその「魚善」の親父の方が、新鮮なクロ・アオの大物のナマコを生け捕ったことから、息子は行商に出て留守なればこそ、「こいつぁあ! イキのいいうちに梅園先生のとこへ持って行かにゃ!」と、飯台に海水を注いで、大事大事にナマコを入れると、すたこら自ら持って来た――なんて情景を想像すると、何だか私はすっかり楽しくなってしまうのである。

「午十二月廿八日納め」これは前年の天保五年甲午(きのえうま)の年も押し詰まった十二月二十八日(グレゴリオ暦では一八三六年一月二十五日)。この月はで大晦日は二日後の三十日。「納め」は筆納めで、これをその年の博物画の描き納めとしたということであろう。キャプションにはないが、私は、もしかするとやっぱり、かの「魚善」が正月用のお祝いにと、とびっきり活きのいいアカナマコを歳暮として持って来たものかも知れない――何てまた考えちゃうんである。]

2015/05/09

毛利梅園「梅園介譜」 ダンベイキサゴ

たんべい〔たんべいきさご 四種〕  朝㒵貝(あさがほがひ)

 
 
Baien_dannbeikisago
 

   天保八丁酉(ひのととり)年孟春

   四月 筆始め 眞寫

 

[やぶちゃん注:腹足綱 Gastropoda 古腹足目 Vetigastropoda ニシキウズガイ上科 Trochoidea ニシキウズガイ科 Trochidae キサゴ亜科 Umboniinae の数種四個体(全五個体が描かれているものの、最下部の二図は同一個体の表(殻頂側)と裏(臍孔側)である)。最上部の一個体と最下部の二種は縫合下の放射短彩から標題通りのサラサキサゴ属 Umbonium ダンベイキサゴ(団平喜佐古) Umbonium giganteum のように思われるが、間にあるやや橙色を帯びた個体と黒い個体は、同じサラサキサゴ属 Umbonium のキサゴ Umbonium costatum 或いはイボキサゴ Umbonium moniliferum である可能性が高いかも知れない。ダンベイキサゴと合後の二種は微細に見た際、ダンベイキサゴには渦巻き状の細かな螺溝(巨視的な太い螺肋ではない)が全く見られないのに対し、後者二種ではくっきりと細かに入っていることで容易に識別出来るのであるが、本図ではそこまでは識別出来ない。吉良図鑑(昭和三四(一九五九)年保育社刊吉良哲明「原色日本貝類図鑑」改訂版)では、このキサゴとイボキサゴの二種は殻の形状上は未だ明瞭な区別がなされていないとあり、以下の吉良先生による観察記録が示されてある。

   《引用開始》(コンマを読点に代えた)

a.キサゴは長径35mm.以上に大成するが、イボキサゴは20mm.以下を普通とする。

b.キサゴはその棲息深度はやや深く外洋性である。イボキサゴは棲息深度が甚だ浅く内湾性である。

c.キサゴは図に示せる如く臍域は狭く、イボキサゴは広く約2倍に拡がる。

d.キサゴはその色斑紋が殆ど一定して単に濃淡差あるのみであるが、イボキサゴは斑紋に多くの変化あり且つ地色も赤褐色から藍黒色まで雑多である。

   《引用終了》

最後の「d」から考えると、この間の二個体はイボキサゴ Umbonium moniliferum である可能性が高いとも言えるように思われる。以下、ウィキの「ダンベイキサゴ」から引く(下線部やぶちゃん)。『本州・四国・九州の沿岸砂底に生息し、食用に漁獲もされている。漁獲地近辺ではナガラミ、キシャゴなど多くの地方名がある』。成貝は殻幅四〇ミリメートルほどで『キサゴより大きく、日本産キサゴ類では最大種である。貝殻は中央部が低く盛り上がった饅頭形をしている。外側に細い螺溝があるが、上面は溝などがなくツルツルしていて光沢がある』。『殻の色は青灰色で、縫合(巻きの繋ぎ目)に沿って藍色斑が並ぶパターンが多く、キサゴやイボキサゴに比べると個体変異が少ない。殻底には他のキサゴ類と同様に滑層が広がるが、キサゴやイボキサゴは赤い部分が多いのに対し、本種では灰色や白の部分が多い』。『男鹿半島・鹿島灘から九州南部までの沿岸に分布する。外洋に面した砂浜に生息するが、キサゴやイボキサゴが波打ち際からいるのに対し、本種はやや沖合いの』水深五~三〇メートルほどの『砂底に多い。半ば砂に埋まりながらブルドーザーのように砂底を這い、デトリタスや藻類などを濾過摂食する。休息する時は殻が隠れる程度に砂に潜る。人間以外の敵はガザミなどのカニ類がいる』。『分布域では九十九里浜・相模湾・駿河湾・浜名湖など各地で食用に漁獲され、市場にも流通する。漁獲期は初夏で、軽く茹でてショウガ醤油に浸すなどの料理がある。酒肴や副菜などに用いられる』。なお、「キサゴ」(キシャゴとも呼ぶ)という名は、谷川健一「列島縦断地名逍遥」(冨山房インターナショナル二〇一〇年刊)に『愛媛県には宇和島市戸島や南宇和島郡西海町鹿島の海岸に美砂子(びしゃご)という地名がみられる。キサゴをサゴ、シャゴともいうから、美砂子は、漢字表記した砂子(しゃご)の美称というふうに解釈することができるかもしれない』という説を私は支持する。また、「ダンベイキサゴ」の「だんべい」というのは和船の一種である団平船(だんべいぶね:幅が広く、底を平たく頑丈に作った船で石・材木・石炭・土砂などの重量物の近距離輸送に用いた。)のことで、本種の底(裏・臍孔側)が巻貝としては有意に平たく、しかもキサゴ類の中での特異的に大きくがっちりしていることに由来するものであろう。なお、クレジットは前の「ホヤ」と共有である(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)。

「たんべい」底本ではご覧の通り、「タンベイ」とあって「タ」に濁点はない。

「朝㒵貝」この別名の「アサガオガイ」は、現在は青紫色の美しい、カツオノエボシを捕食する異例の浮遊性貝である腹足綱前鰓亜綱翼舌目アサガオガイ超科アサガオガイ科アサガオガイ属アサガオガイ Janthina janthina に与えられてあるので注意されたい。

「天保八丁酉」西暦一八三七年。

「孟春」「孟」は初めの意で春の初め、初春。]

2015/05/08

毛利梅園「梅園介譜」 老海鼠

漢語抄

  老海鼠〔ほや ほやほや 仙臺〕
 
 

Baien_hoya

 
 
 ほや 其身甲蟲(かうちう)に似て甲蟲にあらず、

 蛤の類にもあらず、只だ水牛皮(すいぎうひ)の生(なま)なるが如

 く堅硬(かた)くして※1※2(いぼいぼ)ありて萬年青(おもと)

 の實の如く、目・口なく、肉の形・色、あかゞひに

 似たり。奥州仙臺にほやほや笑ふと云ふに

 因りて佳節(せつく)・吉事の時、必ず用ふ。相州の海

 稀に出づ。

[やぶちゃん注:「※1」=「疒」+「咅」。「※2」=「疒」+「畾」。底本の画像の表記が「※2」の字体を意味することは、本文の「蟲」の表示で納得戴けるものと考える。踊り字「〱」は正字化してある。]

 

   天保八丁酉(ひのととり)年孟春

   四月 筆始め 眞寫

 

[やぶちゃん注:ゴカイと思しいものを仮根に纏わらせるという如何にも私好みの脊索動物門 Chordata 尾索動物亜門 Urochordata ホヤ綱 Ascidiacea マボヤ目 Pleurogona マボヤ亜目 Stolidobranchiata マボヤ(ピウラ)科 Pyuridae マボヤ属 Halocynthia マボヤ Halocynthia roretzi (von Drasche) 美事な一個体(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)

 「漢語抄」「和名類聚抄」にしばしば引用される、奈良時代の養老年間(七二〇年頃)に成立したと考えられている漢字辞書「楊氏漢語抄」。漢語を和訳し、和名を附した国書であるが、現在は散逸。

「甲蟲」この「甲」現行の甲殻類の「甲」とほぼ等しい用法で、蟹や海老類のような、現行で言うところの外骨格を持った生物を指す(但し亀類を含む)。これに似ているというのは本文でも述べるように、「生」の「水牛皮」にそっくりなホヤのやや堅い皮革状の被嚢の性質に基づく。

「蛤」この場合は、内部の筋体部分を斧足(二枚貝)類の内臓に似ていることを指していると考えられる。思えば、斧足類の入水管と出水管も、マボヤの特徴的な入水口と出水口の突起部分と相似する。実際にホヤの未だに貝類と思い込んでいる人は存外に多い(というか、脊索動物や尾索動物という語を出してもピンと来る方は普通、いない。

「萬年青の實」単子葉植物綱クサスギカズラ目クサスギカズラ科スズラン亜科オモト属オモト Rohdea japonica の実は秋に鈴なりに紅色の実をつけ、確かに似ていないとは言えない。梅園はキャプションに於いても、一般の人々が目にする機会の少ないこの奇体な形の生物であるホヤの様態を、なるべく分かり易く伝えんとして、理解し易い比喩を重ねていることに注意されたい。彼は無味乾燥な瘦せたアカデミストではなかった。ホヤのあのみずみずしい体液が香ってくるような、生き生きとした博物学者であったのである。

「あかゞひ」斧足綱フネガイ目フネガイ科アカガイ属アカガイ Anadara broughtonii 。これも似ていなくもない。香りも古い記載ではホヤの独特のあの匂いを透頂香(ういろう)臭と称するのを見かけるが、アカガイも同様な微かな金属的臭気を持っているように私には感じられる。

「奥州仙臺にほやほや笑ふと云ふ」とあるが、これは仙台限定の方言ではない(但し、使ったことはない)。小学館「日本国語大辞典」に「ほやほや」は副詞として載り、顔をほころばせるさま。いかにも嬉しそうに笑うさまを表わす語とある。何故、仙台なのだろうと不審に思っていたところ、同引用例を見て何となく納得してしまった。そこには浄瑠璃から『俄に作るほやほや笑顔』とあったのだが――その外題――「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」なんだもの。……

「相州」相模国。

「天保八丁酉」西暦一八三七年。

「孟春」「孟」は初めの意で春の初め、初春。]

2015/05/07

毛利梅園「梅園介譜」 東海夫人(イガイ)

 
 
Baien_igai
 
 
「閩書」(びんしよ)曰く、

   淡菜(いがい)〔一名〕殻菜〔浙人、呼ぶ所。〕

「異魚圖讚」

   東海夫人 海※〔音、階〕

[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+(「陛」-「阝」)。]

   胎介(いがひ)〔「延喜式」胎貝鮨あり。〕

            い貝 毛貝〔北国。〕

            いの貝

            瀬戸貝 〔藝州〕

            ひめ貝

            うみをんな

    「和名抄」

       胎貝〔いかい。〕

    「爾雅(じが)」云く、

       胎貝〔一名〕黒貝

 

 ○淡菜の真肉、婦人の陰戸(ほと)に

  能く似たり。故に海夫人(うみをんな)と云ふ。

  海鼠(なまこ)の海男(うみをとこ)と云ふと一對。天

  地の男女(なんによ)をかたどる異品

  なり。

 

[やぶちゃん注:斧足綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イガイ Mytilus coruscus 。属名“Mytilus”(ミティルス)は同属のヨーロッパ産のムール貝(ムラサキイガイ Mytilus galloprovincialis )を意味するギリシャ語“mitylos”に由来。因みに英語の“mussel”はギリシャ語の鼠を意味する“mys”を語源とする。参照した荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 別巻2 水棲無脊椎動物」の「イガイ」の記載によれば、『殻の形や色が鼠を思わせるためか』とある(なお、“mussel”はイガイ科Mytilidae の(ムラサキ)イガイ類を指す以外に、別にイシガイ科 Unionidae の淡水産二枚貝の総称でもあるので注意が必要。私の「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十三章 アイヌ 8 札幌にて(Ⅴ)」を参照されたい)。なお、クレジットがこの後には見当たらないが、筆の墨の濃さの同一性と、附記の位置から、上の「蟶」(アゲマキ)の図と附記とともに書かれた可能性が高い。とすれば、この図は、

   丙申四月六日眞寫

で天保七(一八三六)年の写図である。なお、大和本草卷之十四 水蟲 介類 淡菜(イガイ)及び私の注も参照されたい(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「淡菜」淡白なおかずの謂いであろう。こういう字が当てられていること自体、後掲されるように本種が「延喜式」にさえ載る如く、古くから広く食用に供されていたことを示す証左である。

「浙」現在の華東地区中部に位置する東シナ海に面した浙江省。

「異魚圖讚」これは明の楊慎の撰になる「異魚図賛」(四巻)のことと思われる。

「東海夫人」梅園の美事な図を見てもそこはかとなく伝わると存ずるが、イガイは外套膜から殼頂附近で多くの足糸を出して自分の体を岩などへ固定するが、これが陰毛に似ており、また衰弱個体が貝を開いて外套膜や肌色の内臓を覗かせたりした全体の状態が人の女性生殖器によく似ていることからかく呼んだ(実際によく似ていると私も思う。初めて見たのは高校二年の遠足で行った石川県の松島水族館の小さな貝類標本室であった。無論、その時の私は比喩対象されるその元を見知ってはいなかったが、「ニタリガイ」と手書きの解説が附されていて、誰も見に来ないその部屋でドキドキしながら観察したのでよ~く覚えているのである)。本邦でも「ニタリ」「ニタリガイ」「ヒメガイ」「オマンコガイ」「オメコガイ」「ボボガイ」「ソックリガイ」「ツボ」「ヨシワラガイ」などの超弩級に猥褻な異名を多数持つ貝である。

「瀬戸貝」当初は猥雑なる私は「瀬戸」は「火登(ほと)」や「開/窄(つび)」同様、女性器の隠語と思い込んでいたのだが、どうも単に瀬戸内海で多く獲れたことによるものらしい。

「藝州」安芸国。

「爾雅」中国最古の辞書。三巻。経書(けいしょ)類、特に「詩経」の訓詁解釈の古典用語を収集整理したもので紀元前二世紀頃に成立した一種の類義語字典。現存するものは「釈詁」「釈言」「釈訓」など十九編に分類されてある。儒教の基本的古典とされる十三経の一つ。]

毛利梅園「梅園介譜」 蟶 (但し、アゲマキ)

「漳州府志」

  蟶〔あげまき〕

Baien_agemaki

   丙申四月六日眞寫

 

   前歌仙介三十六品の内

    「後撰」 伊せの海の蜑(あま)のまでかた待てしばし

          うらみて波のひまはなくとも

    以つて「馬刀」、「マテ」とす。非なり。「マテ」は竹蟶なり。「浦の錦」には

    「蟶」を「マテ」と

    す。考ふべし。

 

[やぶちゃん注:斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目ナタマメガイ科アゲマキガイ Sinonovacula constricta の二個体の図。なお、最後の和歌の記載には「蟶ヲマテト」の下から左へ五行の記載が画像では見えるが、これは下に描かれたイガイの解説(後日電子化する)であるから無視されたい(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)。

「前歌仙介三十六品」寛延二(一七四九)年に刊行された本邦に於いて最初に印刷された貝類書である香道家大枝流芳の著になる「貝盡(かいづくし)浦の錦」(二巻)の上巻に載る「前歌仙貝三十六品評」のことと思われる。「Terumichi Kimura's Shell site」の「貝の和名と貝書」によれば、同書は『貝に関連する趣味的な事が記されて』おり、『著者自ら後に序して、「大和本草その他もろこしの諸書介名多しといえども是れ食用物産のために記す。この書はただ戯弄のために記せしものなれば玩とならざる類は是を載せず」と言っている』とある。

「後撰 伊せの海の蜑(あま)のまてかた待てしばし/うらみて波のひまはなくとも」「貝盡浦の錦」の「前歌仙貝三十六品評」(国立国会図書館デジタルコレクションの当該作のここの画像を視認)、によると、

 

    馬刀介(まてかひ) 右六

 後撰 源英明

 伊勢(いせ)の海(うみ)のあまのまてかたまてしばしうらみて波(なみ)のひまはなくとも

 

とあるのを指す。但し、「後撰和歌集」の「巻第十三 恋五」を見ると(岩波書店新日本古典文学大系版を使用)、この歌(九百十六番歌)は、「源英明朝臣」として、

 

    心にもあらで久しくとはざりける人のもとに

    つかはしける

 伊勢の海(うみ)の海人のまでかた暇(いとま)なみ永らへにける身をぞ怨(うら)むる

 

と後半が全く異なる。この一首は古来より難解な詠とされるものである。校注者の片桐洋一氏の訳では、『伊勢の海で働く海人の左右の手と肩が休む暇とてないように、暇がないままにお訪ねもせず、このように生き永らえて来た我が身を、みずから怨んでおります』とはある。「前歌仙貝三十六品評」の方はもっと難解で私にはよく意味が分からない。なお、作者の源英明(みなもとのふさあきら ?~天慶二(九三九)年:底本の岩波版の人名索引では「ひであきら」とする)は宇多皇子斉世(ときよ)親王の第一王子で、母は菅原道真娘。左近衛中将・蔵人頭(くろうどのとう)。祖父宇多天皇の没後は不遇で、同じく不遇の詩人橘在列(たちばなのありつら)と親交を結んだ。作品は「本朝文粋(ほんちょうもんずい)」などに見える。父の遺言により「慈覚大師伝」を完成したとある人物である(彼の事蹟は講談社「日本人名大辞典」に拠った)。

『以つて「馬刀」、「マテ」とす。非なり。「マテ」は竹蟶なり。「浦の錦」には「蟶」を「マテ」とす。考ふべし』前のマテガイの図とこのアゲマキの図を示した上での、この和歌の「まて」の同定検討記載であるが、これまた難解である。

――【この歌の「貝盡浦の錦」の前書では】「馬刀」を以って「マテ」としているが、これは誤りである。「マテ」は「竹蟶」(マテガイ)のことであって、「馬刀」は違う。【片や、】「貝盡浦の錦」では【別な箇所で】「蟶」を「マテ」(マテガイ)としている。この不審は検討する余地がある。――

といった意味であろうか? なお、【 】部分は私の推定補填挿入部である。識者の御教授を乞う。
 
「丙甲」天保七年。西暦一八三六年。]

毛利梅園「梅園介譜」 マテガイ

「和名鈔」に云く、

   馬蛤〔萬天(まて)〕「本草」に云く、『馬刀、一名、馬蛤。』と〔和名、同上。〕。

「漳州府志」

   竹蟶

    〔まて かみそり貝〕

Baien_mategai

   丙甲(ひのえさる)四月六日某氏より送らるを

   眞寫

 

[やぶちゃん注:斧足綱異歯亜綱 incertae 目マテガイ上科マテガイ科マテガイ Solen strictus の右殻(上部)と左右を開いた図(下部)。一部に後で電子化する「ヨメガ皿」や「アゲマキ」の記載の一部が見えるが無視されたい(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)。

「和名鈔」「和名類聚抄」の「抄」は「鈔」とも書く。

「本草」李時珍「本草綱目」。

「漳州府志」清乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌。

「丙甲」天保七年。西暦一八三六年。]

毛利梅園「梅園介譜」 ヨメガ皿(ヨメガカサ)

ヨメガ皿〔二種〕

Baien_yomegakasa

 丙甲(ひのえさる)四月七日

 眞寫

 

[やぶちゃん注:腹足綱前鰓(始祖腹足)亜綱笠形腹足上目カサガイ目ヨメガカサ上科ヨメガカサ科ヨメガカサ Cellana toreuma 二個体のそれぞれ裏・表の図。「ヨメガサラ」は「ヨメガカサ」の異名。左の個体の内壁が妙に白いのが気にはなるが、死貝の風化とも思われ、何よりヨメガカサは色と脈の個体変異が著しく、一見すると同種に見えない個体もままある(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)。

「丙甲」天保七年。西暦一八三六年。]

2015/05/05

毛利梅園「梅園介譜」 海鼠

 
 
Namako_baienkaihu
 
 
 
「雨航雜錄」に曰く、

   砂噀〔なまこ〕

「和名抄」及び

崔禹錫「食經」に曰く、

   海鼠〔なまこ〕

  海參(いりこ)を以つて奈萬古と訓ずは

  非なり。海參は和俗金古と云ひ

  奥州金華山の産、上佳と爲(す)。

  海參は乾したる者を云ひ、串子(くしこ)とも

  云ふ。人參に敵するに足れり。故に海參と云ふ。

  一名、海男子。

     壬辰(みづのえたつ)閏十一月十七日

     眞寫

 

[やぶちゃん注:緑青色を呈した棘皮動物門ナマコ綱楯手亜綱楯手目シカクナマコ科マナマコ Stichopus japonica 。詳しくは本朝食鑑」の「海鼠」の私の注(現在、私の海鼠についての注では最新のものである)などを参照されたい。以下は、気になる箇所のみの注とする(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像であるが、左上部にあるのはこの図の上にある「蝦」(テナガエビ)の書写クレジットであるので無視されたい)。

「雨航雜錄」明代後期の文人馮時可(ひょうじか)が撰した雑文集。魚類の漢名典拠としてよく用いられる。四庫全書に含まれている。

「和名抄……」画像をご覧になれば分かるが、原典では「食經」が「食徑」である。これは全くの誤字なので訓読では訂した。源順(みなもとのしたごう)の字書「和名類聚抄」に(「国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認)、

   *

崔禹錫食經云海鼠〔和名古本朝式加熬字云伊里古〕似蛭而大者也

(崔禹錫が「食經」に云く、『海鼠。』〔和名、『古』。「本朝式」に「熬」の字を加へて『伊里古』と云ふ〕。蛭に似て大なる者なり。)

   *

とある。因みにこれによれば、本来のナマコの和名古名は文字通り「古(こ)」であって、「延喜式」には後述する煮干して調製した製品をこれに「熬」(いる)の字を加えて「伊里古(いりこ)」と称すというのである。寧ろ、この「いりこ」(熬った古)に対して生じた謂いが「なまこ」(生の古)であり、その「古」の腸(わた)が「古(こ)の腸(わた)」なのであろう(これは国語学者の島田勇雄氏も「本朝食鑑」東洋文庫版の「海鼠」の注で推定しておられる)。

「金古」樹手目キンコ科キンコ Cucumaria frondosa var. japonica 。詳細は私の芝蘭堂大槻玄澤(磐水)仙臺 きんこの記を参照されたい。ここで梅園が中国の本草書の「海參」はマナマコ及びその仲間では断じてなく、このキンコのことを指すのだ、と限定して言っているところが、他の博物書の海鼠記載と比して特異点である。面白い。

「海男子」言わずもがな、形状を男根に比した大陸伝来の別名。

「壬辰閏十一月十七日」天保三年。西暦では一八三三年一月七日。]

2015/05/01

毛利梅園「梅園介譜」 水引蟹(ミズヒキガニ)

 
 
Mizuhikigani_mouri  

 

水引蟹  〔異品。猩〻(しやうじやう)ガニ。越前魚名浦産。〕

 

 丙申林鐘(りんしよう)十一日

 眞寫

 

[やぶちゃん注:節足動物門大顎亜門甲殻綱軟甲亜綱真軟甲下綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目ミズヒキガニ科ミズヒキガニ Eplumula phalangium の背面図(上)と腹面図(下)。和名は通常は概ね第四歩脚を水引の如く、上に挙げていることに由来する(描写から誤解されやすい眼柄に由来するものではないので注意されたい)。英名では最後歩脚の羽毛を矢に見立てて“Arrow crab”(アロー・クラブ)と呼称する。私の栗本丹洲栗氏千蟲譜 巻十(全)の図も併せて披見されたい。(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像)。

「猩〻ガニ」色から、能で知られる真っ赤な能装束で飾った伝説上の動物猩猩(しょうじょう)に譬えたものであろうが、現行では一般に「ショウジョウガニ」というと短尾(カニ)下目アサヒガニ科アサヒガニ Ranina ranina の異名である。

「魚名浦」不詳。識者の御教授を乞う。

「丙申」天保七年丙申(ひのえさる)。西暦一八三六年。

「林鐘十一日」六月十一日。「林鐘」は陰暦六月の異名。中国音階の一つである十二律の八番目の音(本邦の「黄鐘(おうしき)」に相当する)で、詳しいことはよく分からないが、どうも陰陽五行説に照らして、この音を六月に配していることに由来するらしい。]

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