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カテゴリー「神田玄泉「日東魚譜」」の3件の記事

2018/04/03

栗本丹洲自筆「翻車考」藪野直史電子化注(2)

 

□扉(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の2コマ目の見開きの左頁)

飜車考

 

[やぶちゃん注:左上に標題。伊藤篤太郎が識語の添書きで言うように筆跡から栗本丹洲のものと私も思う。以下、その下方に向かって、

・「伊藤篤太郎記」の表紙にあるものと同じ四角な朱の印影。

・「曲直瀨愛」のぐっと小さな四角な朱の印影。曲直瀨愛は伊藤篤太郎の識語の私の注を参照。

・「大淵文庫」という縦長(角が切ってある)の朱の印影。大淵常範は識語の「丹洲の外孫、孟鴻大淵常範」伊藤篤太郎の識語の私の注を参照。

とあり、また、中央上部に、

・「帝國圖書館藏」の特大の四角な朱の印影。

その最も下方に、

・「昭和十九年 三・二十二・購入」(外周の環円内に内側と下に)及び「帝圖」(中央の小さな円内に縦書)という円形の朱の印影。

がある。これによって、伊藤篤太郎の死(昭和一六(一九四一)年三月二十一日没)の三年後に帝国図書館が購入したものであることが判明する。しかも、この日付は伊藤篤太郎の四回忌(三周忌)の翌日であることから見て、書店を介したものでは恐らくなく、伊藤の遺族が持ち込んだものであろう。或いは寄贈として他の書籍とともに持ち込まれたが、まさに敗戦の色濃い生活の苦しかったであろうこの時期、しかも貴重な栗本丹洲の自筆本ということから、些少の金が支払われて「購入」品となったものかも知れない。なお、右手の下方には、小さな、

・「曲直瀨」の認印の朱の印影

もある。]

 

 

□本文1頁目(左本文(ここからは有意に太い四角い罫があり、中に細い縦罫が入る版木印刷された用紙が用いられている)から始まる。但し、何も書かれていない見開き右頁左下方に、ごく新しい付箋があり、そこには印刷で『剥落部分』として、手書きの自筆稿らしき切抜きを貼り付けてあって、そこには『上産 一』とある。これは国立国会図書館デジタルコレクションの画像でしばしば見かけるものなのであるが、正直言って、どこから剥落したのかが、判るように書かれていない。ここもどこにこれがあったのか判然としない。別なケースでは明らかに別な本からの剥落を誤って貼り付けているケースが実はある。ここもそのような一つのような気がしてならない。何故なら、ここに丹洲が「上産 一」などと書く理由が全く分からないからである

■翻刻1(原典のまま。但し、朱の圏点は総て省略した。或いはこれは大淵或いは曲直瀬或いは伊藤の誰かが附した可能性がかなりあるからである。【 】は二行割注。ごく一部にある読み(丸括弧)と、右下に配された送り仮名もその通りに再現した。なお、この頁には右上角にそれぞれ先と同じ、「伊藤篤太郎記」、右下角に「大淵文庫」、中央本文内上に「帝國圖書館」の朱印が捺されてある)

《本文一頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の4コマ目3コマ目は頭書(かしらがき)が付箋で隠れた同一のもの)見開きの左頁)

翻車考

常州岩城海中所産之魚曰萬寳小者二三尺大者數丈土人取腸胃作

乾脯或醃及糟藏國主連年貢于東都形如浮木片古來以楂魚稱之正字

[やぶちゃん注:上の二行目の上罫外に、

 塩及糟藏之作乾脯

という頭書がある。付箋で覆ってあり、「作乾」は部分と透かした推定であるが、恐らく間違いない。]

通楂與査通讀若槎々水上浮木也故方俗名之曰浮木其状有長圓

扁肥之別其色有青黒灰白赤褐之異口窄如河豚有歯上下二枚両鰭長

出兩脇小鰭傍有耳竅是卽噴潮孔也此魚無尾臋圓而似荷包様兒童

所佩符嚢俗謂之萬寳其状相類故有此名乎不啻此境産之諸州間

有方言亦多浮木鯊【奥州磐井郡】志於里加【北國】萬寳鯊【仙臺】澳(オキ)萬歳【佐州大者】萬歳

樂【相州】岐奈房【松前】浮木鯊【松前】止吉利【薩州】其獲之春冬少夏秋多其肉潔白如雪

味淡美烹熟則如璚脂不可食稀者有輸諸(コレ)魚舖乃和他魚肉調和而制

肉餻供上撰亦得其新鮮者則作軒味噌【邦俗之称蓋豆鼓之属】和醋漬而食之

《本文二頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の5コマ目の見開きの右頁。〔 〕は脱字の追加部分で元は右に小さいが、これは同ポイントで起した)

或細入味噌微加麻油略熬以氣徹爲度食之稱其身膓者非肉非膓

截尺餘浸新汲水以疎櫛梳裂之作白線條宛似葛粉麪(クスキリ)[やぶちゃん注:左ルビ。]或生或瀹

任意食之一倣國俗喫冷〔素〕麪之法鮮新不歷時者無毫腥氣他物難比

多食不飽預約賓客俟其得而供饗具以為盛夏之珍又嚴冬以味噌

淡和湯加山椒而食之味與綬魚一般〔又有〕称透骨【是軟骨咬之鬆脱者】以梅醤(ムメス[やぶちゃん注:左ルビ。])【本綱梅條下】浸

之則鮮紅透徹儼若紅馬腦酒徒以為奇品是一時之嘉肴也土ノ土人知

此珍味而他州割烹家所未曽知有此物可謂遺憾也如其膓胃貯蓄久而不

壞漬糟以寄四方國利不尠其肝大者如繖色黄有脂味美漁者煎

熬為燈油其皮有沙子作茘枝殻文〔又其類有〕十品許作刀室又襯𣠽質漁人云此魚

之有用無所捐棄世俗又稱浮亀其浮于海上形如亀背無鱗骨多肉

雪白性愚好睡以爲亀屬非也甚則以矇亀浮木充愚蒙之妄誕可發

《本文三頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の5コマ目の見開きの左頁。なお、この見開きの欄外の中央には、やはり、真新しい最近の印刷で『剥落部分』として、手書きの自筆稿らしき切抜きを貼り付けてあって、そこには『過ㇾ』とある。しかし、先と同様、剥落箇所が不明である)

[やぶちゃん注:この見開きの欄外の中央には、付箋貼り付けで、

 製造汁作羹

とある。但し、「製造」の付箋は黄ばんでいるのに対し、下野「汁作羹」は白く新しい。]

一胡盧也丹羽貞機註庶物類纂云此物作菜餌而有托膿之功又治虚勵羸

骨痛享保癸卯之夏貞機到肥之長崎會清商鄭大典乃示此魚図大典云

福建海中亦有之俚俗謂之海油魚專作燈油、未聞入菜食亦古籍不

載〔神田玄泉〕日東魚譜載雪魚【世記】主治長肉合瘡口止痛治婦人帶下通乳汁本

朝食鑑云宜癰疽瘰癧之類癰疽不食者以末醬【俗所称之味噌也】而煮之食肉

啜汁則必進食又藍水翁有手寫図、錄其主治云服餌之能治泄利五

労七傷肌肉羸瘦一切癰疽消死肌起生肉又治婦人産前後脱血虚乏

血暈帶下及通乳五淋之諸症予按此物排膿托裏之功勝于他物故痘

疹倒陷發痒及諸瘡瘍不快発属内攻者宜之又能厚膓胃故治脾虚

久瀉屡試有験頃者閲福州府志及閩書南産志云斑車魚背上有斑肉粗

味腴大者三四百斤腹中有肚其味更美卽是也唐山人又通呼之翻車福

《本文四頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の6コマ目の見開きの右頁)

[やぶちゃん注:一行目頭書に、

 海槎餘録出翻車魚又卽此物

とある。]

州府志有鏡魚状圓如鏡水上翻轉如車亦名翻車〔蓋之同物按恐似与此物可攷〕予嘗聞諸漁人云此魚両

鬣長出而無尾其游泳于洋中也不能直行有胡蝶飛舞之態又翻轉如運

車故有此稱也和名既有萬歳樂并澳萬歳者取其舞態也又按此魚形左右

長鬣相對如著両角形全彷彿牛頭本草所謂牛魚生東海其頭如牛予熟

東海其頭如牛頭而見之可謂穩當乎又時珍引異物志曰牛魚重三四百斤無

鱗骨背有斑文肉味頗長是亦似指万寳爲説顧是躬未親看而唯信傳

聞之事爲説胎誤于後世者不止此物不遑枚挙別擡其例世人須準知之〔嘗〕若

水翁以満寳充牛魚予左袒于此翁之説詳于庶物類纂魚部【丹波貞機之細註詳ナリ】寳曆壬午

夏四月十八日武州六郷羽田邨海濵所獲大魚長九尺許徑六七尺許

皮上有沙作亀甲文敲之堅硬如石全身土黄色而無尾顧是赤萬寳也又

寛政丁巳秋九月九日佐州姫津村海濵大魚漂汎漁人以縄維舳牽来報相川

府雖用役徒數十人難上陸漁人就而剥皮截肉熬肝得油一斛四五升【本邦之量】

境内大得其利、此魚長一丈徑六尺五寸全身堅硬如鯊背有斑文此卽萬寳

一種大而灰白而稱澳萬歳者朝比奈昌始宰地之時云旹文政酉六

月栗丹洲

[やぶちゃん注:以下、余白(罫線はある)。次の頁も完全余白(罫線はある)で、その次に次の「水戸萬寳圖」と解説が載る(罫線なし)。]

 

 

■翻刻2(原文には訓点はないに等しいので、読み易く句読点や記号・送り仮名を施し(ここでは原典にある朱の圏点を一部で参考にした)、私が推定で訓読したもの。カタカナはひらがなとした。私の読みの関係上、一部の繰り返し記号を正字化した。脱字の追加部分は本文に繰り入れた。一部に推定で読みを施し(わかり易さを考えて当て訓した箇所もある)、極めて読み難いと判断した箇所には特異的に《 》で有意な語句を補った。一部で改行を施した。また、非常に難解と私が判断した箇所では、躓きを抑えるために、注に先立って文中に注を挿んだ)

《本文一頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の4コマ目見開きの左頁)

「翻車考」

 常州岩城、海中所産の魚。「萬寳(まんはう)」と曰ふ。小さき者、二、三尺。大なる者、數丈。土人、腸(はらわた)・胃を取り、乾脯(ほじし)と作(な)す。或いは、醃(しほづけ)及び糟(かすづけ)にして藏し、國主、年貢として東都に連(つ)らぬ。

●塩(しほ)及び糟(かす)にて之れを藏し、乾脯(ほじし)と作(な)す。

[やぶちゃん注:以上の「●」の後の部分は上の箇所の上罫罫外にある頭書の附記の訓読。]

 形、浮木の片のごとし。古來、以つて「楂魚(さぎよ)」と、之れを稱す。「正字通」に、『「楂」、「査」と通ず』と。讀み、「槎」の如し。「槎」は「水上の浮き木」なり。故に方(まさ)に俗、之れを名づけて、「浮木(うきき)」と曰ふ。

 其の状(かたち)、長圓なるも、扁・肥の別、有り。其の色、青・黒・灰・白・赤・褐の異、有り。口、窄(すぼ)く、河豚(ふぐ)のごとし。歯、上・下《いづれにも》二枚あり。両鰭有りて、長く出づ。兩脇の小鰭が傍ら、耳の竅(あな)、有り。是れ、卽ち、潮を噴く孔(あな)なり。此の魚、無尾にして、臋(しりのにく)、圓くして荷包(にづつみ)が様(さま)に似る。

 兒童、佩(お)ぶる所の符嚢(まもりぶくろ)、俗に之れを謂ひて「萬寳」と。其の状(かたち)、相ひ類ひする故に、此の名、有るか。此れ、之れを産する境に啻(ただ)さず。

 諸州の間に有り、方言も亦、多し。「浮木鯊(うききざめ)」【奥州磐井郡。】「志於里加(しおりか)」【北國。】「萬寳鯊(まんはうざめ)」【仙臺。】澳萬歳(おきまんざい)【佐州。大なる者。】「萬歳樂(まんざいらく)」【相州。】「岐奈房(きなばう)」【松前。】「浮木鯊」【松前。】「止吉利(しきり)」【薩州。】。

 其れ、之れを獲るは、春・冬は少く、夏・秋、多し。

 其の肉、潔白にして、雪のごとし。味、淡く美(うま)し。烹熟(にじゆく)すに、則ち、璚脂(ところてん)のごとし。《されど、》食ふべからず。稀れに諸(これ)を魚舖(さかなや)に輸(おく)る者、有り。乃(すなは)ち、他の魚肉に和して調和し、而して肉餻(にくだんご)を制し、上撰として供する。亦、其の新鮮なる者を得ば、則ち、軒(けん)[やぶちゃん注:大きな肉の切り身。]と作(な)し、味噌【邦俗(はうぞく)の称。蓋し、豆鼓(とうち)の属。】《にて、或いは》、醋(す)に和して漬けて、之れを食ふ。《ここから本文二頁目(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の5コマ目の見開きの右頁)》或いは、細-(こまぎれにく)《となして》、味噌を入れ、微かに麻油(ごまあぶら)を加へ、略(おほかた)、熬(い)りて氣を以つて徹《すること》、度(たびたび)、爲し、之れを食ふ。其の身・膓(はらわた)を稱さば、肉に非ず、膓に非ず。截《るに》尺餘、新たに汲める水に浸し、以つて疎らなる櫛にて之れを梳(す)き裂きて白線と作(な)す。條宛(づつ)は葛粉麪(くずきり)似る。或いは生(なま)、或いは瀹(に)て、意の任(まま)に之れを食ふ。一つは、國俗の冷素麪(ひやさうめん)を喫(きつ)するの法(はう)に倣(なら)ふ。鮮新にして時を歷(へ)ざる者は、毫(がう)も、腥(なまぐさ)き氣(かざ)無し。他物、比べ難し。多く食へども、飽かず。預約(よやく)せる賓客は、其れを得るを俟ちて、供-饗(あへ)[やぶちゃん注:饗応或いは贅沢な御馳走。]に具す。以つて為すに、盛夏の珍、又、嚴冬は味噌以つて淡く湯に和し、山椒を加へて之れを食す。味、綬魚(あんかう[やぶちゃん注:原典の朱圏点のルビの「アンコフ」は歴史的仮名遣としては誤り。])一般に與(くみ)す。又、透骨(すきほね)【是れ、軟骨の咬(かませ)の鬆(す)の脱けたる者。】と称する有り、梅醤(むめず)【「本綱」、「梅」の條下にあり。】を以つて、之れを浸せば、則ち、鮮紅、透徹して、儼(げん)として紅の馬腦(めなう)のごとし。酒徒、以つて奇品と為す。是れ、一時の嘉肴(かかう)なり。土(とち)の土人、此の珍味なるを知り、他州の割烹家、未だ曽つて此物の有るを知らざる所、《これ、》遺憾と謂ふべき也なり。如(も)し、其の膓・胃を貯蓄すること、久しくして壞(く)えず、漬(しほづけ)・糟(かすづけ)を以つて四方に寄すれば、國利、尠(すくな)からず。其の肝の大なる者、繖(からかさ[やぶちゃん注:唐傘。])のごとく、色、黄、脂(あぶら)有り。味、美(よ)し。漁者は煎-熬(い)りて燈油と為す。其の皮、沙-子(さし[やぶちゃん注:砂のようなざらつき。])有りて、茘枝(れいし)の殻の文を作(な)す。又、其の類、十品許(ばか)り有り、刀の室(さや)に作(な)し、又、𣠽(つか)の質(したぢ)に襯(つ)くる。

 漁人、云く、

「此の魚の用有ること、捐-棄(す)つる所、無し。」

と。世俗、又、「浮亀(うきき)」と稱す。其の海上に浮く、形、亀のごとく、背、無鱗にして、骨多く、肉、雪白。性、愚にして、睡るを好む。以爲(おも)へらく、亀の屬には非ざるなり。甚だ則ち、矇(めしひ)の亀・浮木を以つて充つるは、愚蒙の妄誕(ばうたん)、《この附近から本文三頁目(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の5コマ目の見開きの左頁)》一胡盧(いちころ)[やぶちゃん注:ただの出鱈目。]の發(はつ)なるべし。

●製して汁を造り、羹(あつもの)と作(な)す。

[やぶちゃん注:以上の「●」はこの見開き欄外中央にある付箋貼り付けの注の訓読。]

 丹羽貞機註「庶物類纂」に云はく、『此の物、菜や餌(じ)[やぶちゃん注:薬餌。]と作(な)して、托膿(たくのう)[やぶちゃん注:膿を抑えることか。]の功、有り。又、虚羸(きよるい)骨痛を治す』と。《また、》享保癸卯(みづのとう)の夏、貞機、肥の長崎に到り、清の商(あきんど)の鄭大典(ていだいてん)に會ふ。乃(すなは)ち、此魚の図を示すに、大典、云はく、「福建海中に亦、之れ有り。俚俗之れを「海油魚」と謂ひ、專ら燈油を作(つく)る。未だ菜食に入るるとは聞かず。亦、古籍にも載せず。」と。

 神田玄泉が「日東魚譜」に、雪魚【「世記」】として載せ、『主治。長き肉、瘡口(きずぐち)を合(がつ)し、痛みを止《まし》む。婦人の帶下(こしけ)を治し、乳汁を通す。』と。

 「本朝食鑑」に云はく、『癰疽(ようそ)・瘰癧(るいれき)の類ひに宜し。癰疽にて食せざる者、末醬(みそ)【俗、称する所の「味噌」なり。】にて之れを煮、肉を食ひ、汁を啜れば、則ち、必ず、食、進む』と。

 又、藍水翁、手づから、寫せる図錄、有り。其の主治に云はく、之れを服餌(ふくじ)せば、能く泄利して治じ、五労・七傷、肌肉の羸瘦、一切の癰疽、死肌を消し、生肉、起す。又、婦人の産の前後の脱血・虚乏を治し、血暈(けつうん)・帶下(こしけ)及び通乳、五淋の諸症、予(あらかじめ)按ず。此の物、排膿・托裏(たくり)[やぶちゃん注:漢方で自己免疫力を高めて自ずから(「裏=内」から)治する効果を高めること。]の功、他物に勝(すぐ)る。故に痘疹・倒陷(たうかん)・發痒、及び諸瘡瘍の不快、発し、属内の攻むる者、之れに宜しく、又、能く、膓胃に厚し。故に脾虚《と》久しき瀉を治す。屡(しばしば)試むるに、験(げん)有り。頃者(ちかごろ)、「福州府志」及び「閩書(びんしよ)南産志」を閲(けみ)するに、云はく、『斑車魚、背の上、斑、有り。肉、粗き味、腴(こ)えて大なる者、三、四百斤。腹中、肚(きも)有り、其の味、更に美(よ)し』と。是れや、唐山人、又、通、之れを呼ぶ《ところの》「翻車」なり、「福《ここから本文四頁目。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の6コマ目の見開きの右頁》州府志」に、『「鏡魚」有り。状(かたち)、圓く、鏡のごとし。水上、翻轉して、車のごとし。亦、「翻車」と名づく』と。蓋し、之れ、同物なり。按ずるに、恐らくは、此物と似るならん、攷(かんが)ふべし。

●「海槎餘録」に出づる「翻車魚」、又。卽ち此の物なり。

[やぶちゃん注:「●」は上記部分の頭書の訓読。]

 予、嘗つて、諸(もろもろ)の漁人に聞くに、云はく、

「此の魚、両鬣(ひれ)長く出でて、尾、無し。其れ、洋中に游泳するや、直(なほ)く行くこと、能はず。胡蝶の飛舞の態、有り、又、運車のごとく、翻轉す。故に此の稱、有るなり。」

と。

 和名、既に「萬歳樂」有り。并びに「澳萬歳」とは、其の舞ふ態を取るものなり。又、按ずるに、此の魚、形、左右に、長き鬣(ひれ)、相ひ對し、著くがごとし。両の角(かど)の形、全く、牛の頭を彷彿す。「本草」に謂ふ所は、『牛魚。東海に生ず。其の頭、牛のごとし』《なるも、》予、熟[やぶちゃん注:この部分、底本は意味が通じないばかりでなく、「東海其頭如牛頭前」の部分との衍文が疑われる。今一つの国立国会図書館デジタルコレクションの「飜車考」の方が、この箇所は腑に落ちる。則ち、原文はここのように、『牛魚生東海其頭如牛予熟東海其頭如牛頭而見之可謂穩當乎』ではなく、『牛魚生東海其頭如牛予熟考宜作其形如牛頭而見之可謂穩當乎』であるからである。そこでここは特異的にそちらで訓読文を示す。]考(じゆくかう)するに、宜しく、其の形の牛の頭のごとくにして、之れ、見ゆると謂ふが、穩當か。

 又、時珍、「異物志」を引きて曰はく、『牛魚、重さ、三、四百斤、鱗・骨、無し。背、斑文、有り。肉味、頗る長し』云々。是れ亦、「万寳」を指すに似たり。説くに爲(あた)り、是れを顧みれば、躬(みづか)ら、未だ親しく看ずして、唯だ傳聞の事を信じ、説と爲す。後世の者に誤りを胎(はら)むこと、止まず。

 此の物、枚挙に遑(いとま)あらず。別に擡(あ)ぐるに、其の例(ためし)、世人、須(すべか)らく、準じて、之れを知るべし。

 嘗つて、若水翁、「満寳」を以つて「牛魚」に充(あ)つ。予、此の翁の説に左袒す。「庶物類纂」が「魚部」【丹羽貞機の細註に詳らかなり。】に、寳曆壬午(みづのえうま)夏、四月十八日、武州六郷(ろくがう)羽田邨(はねだむら)海濵に、獲る所の大魚、長(たけ)九尺許り、徑(わた)り六、七尺許り。皮の上、沙(すな)有り、亀甲の文を作(な)す。之れを敲(たた)くに、堅硬にして石のごとし。全身、土黄色にして、尾、無し、と。顧みるに、是れ、「赤萬寳(あかまんばう)」なり。

 又、寛政丁巳(きのひのとみ)秋、九月九日、佐州姫津村の海濵、大魚、漂汎(へうはん)し、漁人、縄を以つて舳(へさき)に維(つな)ぎ、牽き来たりて相川府に報ずと雖も、役徒數十人を用《せども》、上陸、難く、漁人、就きては、皮を剥ぎ、肉を截(き)り、肝を熬りては、油、一斛(こく)四、五升【本邦の量。】を得。境内(きやうない)、大いに其の利を得(う)。此の魚、長け、一丈、徑り、六尺五寸。全身堅硬にして鯊(さめ)のごとく、背に斑文有り。此れ、卽ち、「萬寳」の一種、大にして灰白にて、「澳萬歳(おきまんざい)」と稱する者。朝比奈昌始(まさもと)、宰地(さいち)の時と云ふ。旹(とき)に文政酉(とり)六月、栗丹洲、錄(まんろく)す。

 

[やぶちゃん注:「常州岩城」「常陸國」(現在の茨城県)と、「陸奥國」(東山道(山形・秋田)を除く東北一帯)の内の「石城郡」(いはきのこおり:現在の福島県いわき市にほぼ相当)。

「乾脯(ほじし)」「乾(干)し肉」で「ほししし」「ほしじし」の略。乾燥させた魚・鳥・獣類の肉。

「醃(しほづけ)」音「エン」。塩漬け。魚や肉の塩蔵品。

「糟(かすづけ)」単漢字では酒粕の意であるが、「醃」に合わせて、かく訓じた。頭書はそれを気にした丹洲の心遣いであろう。

「東都」江戸。

「浮木の片」流木の一部。

「楂魚(さぎよ)」「楂」(音「サ」)は「筏(いかだ)」の意で、次に出るように、音をも示すために出した「槎」(音「サ」)と意も同義。

「正字通」中国の明の張自烈の著になる字書。十二支の符号を付した十二巻をそれぞれ上中下に分けて、部首と画数によって文字を配列して解説を加えたものであるが、後の清の廖文英(りょうぶんえい)が、その原稿を手に入れて自著として刊行してしまった。厖大な量なので、当該項は検証していない。悪しからず。

「歯、上・下《いづれにも》二枚あり」マンボウは上下の顎に、一対の臼状の歯を持つ。因みに、マンボウの学名 Mola molaの「molaはまさにラテン語で「臼歯」の意である。

「両鰭有りて、長く出づ」体の後部から上下に突き出しているのは、言わずもがなであるが、背鰭と尻鰭である。マンボウは通常の多くの魚類が持つところの尾鰭と腹鰭は持たない。体幹後端にある上下に餃子の皮のように波打った尾鰭のように見えるものは、背鰭と尻鰭の後端の一部が強く変形したものであって、特に舵鰭(かじびれ:或いは「橋尾(きょうび)」と呼ばれるマンボウ独特の鰭であるので注意されたい。泳ぐ際にはこの長大化した背鰭と尻鰭の動きを同調させ、まさに「羽撃(はばた)く」(羽を広げてばたばたする)=「翻」「飜」=「鳥が体を躍らせてひらひらと飛ぶ」ように、対称的にその二枚の鰭を動かすことで推進力を発生させ、後部の舵鰭で舵を執りつつ、その「車」輪のように巨大な体を操ろうとする「魚」なのである。但し、御世辞にも、その操舵能力は「それなりにある」とさえ言えない程度に低い

「兩脇の小鰭」胸鰭。丸く円形を成しており、体の大きさから考えると、有意に小さい。

「耳の竅(あな)」シミュラクラとしては腑には落ちるが、無論、誤り。鰓蓋(さいがい)である。生物学的にはこの後端までを、マンボウの頭部に当てる。

「潮を噴く孔(あな)なり」酸素を供給させた後の海水を排出させる孔であるから、誤った謂いではない。

「此の魚、無尾にして、臋(しりのにく)、圓くして荷包(にづつみ)が様(さま)に似る」尾鰭がないという現代の生物学的にも正しい指摘、臀部の舵鰭がその機能上から肉状のもの見たこと(実際にそう見える)、それを「丸くてごろごろっとした、担った背負い包みに似ている」と分かり易く表現したのは、マンボウを語るに、現代に於いても、マンボウを知らない人に的確にその形態と真実の実相伝える、正鵠を射た観察として目を瞠らせるものである。

「佩(お)ぶる所の」腰に結びつけているところの。

「符嚢(まもりぶくろ)」お守り袋。

『俗に之れを謂ひて「萬寳」と』所持する「日本国語大辞典」や「大阪ことば辞典」その他を調べても、子供のお守り袋を「万宝」と言った事実は確認出来なかった。ネット上には、これが「マンボウ」の和名の由来の説の一つだと書いている人々が大勢いるが、その根拠(実際に子供のお守り袋を「万宝」と言った事実記載及びそのマンボウに似ているという袋の形状)を示している方はいない。その文字列を見ると、誰かの書いたものを総てコピー・ペーストしたとしか思えない記載が多い。何方か、私のこの鬱憤と疑問を打ち砕いて戴けまいか?

「相ひ類ひする故に」よく似ていることから。

「此れ、之れを産する境に啻(ただ)さず」かなり訓読に迷った。しかし、前に私が示した疑問(下線部)から、かく訓じた。則ち、『この子供のお守り袋である「万宝(まんぱう)」がこの魚の「まんぼう」の語源であるという説について、この「まんぼう」を実際に「産する」、漁獲する「境」、地方・地域で漁師等に確認したわけではない。だから、この説が正しいかどうかは判らない』という丹洲の注意書きと採った。

「浮木鯊(うききざめ)」既に本ブログ・カテゴリ「栗本丹洲」で散々注した通り、「鯊」は「はぜ」ではない。「鮫」(さめ)の意である。マンボウの皮革表面がサメのようにざらざらしていることに拠る。夏輝氏の優れたマンボウ類に関する情報保管サイト(膨大な資料がある。必見!)内の「日本の呼び名(古語・地方名)」によれば、東海地方の異名とする。他に「ウキ」(岩手県・宮城県・東北地方)・「ウキキ」(宮城県・東北地方・関東・東北・茨城・長崎)・「ウキギ」(岩手県・東北・茨城県那珂湊・水戸・山口県・長崎)などの酷似した異名が並ぶ。

「奥州磐井郡」現在の岩手県の南端部にあった旧郡。現在の一関市・西磐井郡平泉町及び奥州市の一部に相当する。但し、狭義のこの郡域は海に接していない内陸部(参照したウィキの「磐井郡の地図を参照)であるから、恐らくは、東の現在の宮城県南三陸町やその北の気仙沼市(北に岩手県側に海辺部で突出している)辺りも含めた広域呼称であろう。

「志於里加(しおりか)」先の夏輝氏のそれには、北陸地方・紀州での異名とする。

「澳萬歳(おきまんざい)」「澳」は沖。前の夏輝氏のそれに、新潟(丹洲の「佐州」(「佐渡國」)と一致。既に電子化注した『栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ))』にも「沖マンザイ」と出る)・広島・土佐の異名とし、『マンザイラクの語源から派生した言葉』とあり、「マンザイラク」については、神奈川県及び同三崎での異名とあって(丹洲の「萬歳樂(まんざいらく)【相州。】」と一致する)、『暴れた場合、マンザイラクマンザイラク(危険な時や驚いた時に唱える厄除けの語)と唱えたら静かになる』ということから、かく名がついたとする記載がある。なお、国立国会図書館デジタルコレクションの今一つの「飜車考」のこの箇所の頭書には「澳」の注があるが、丹洲の記載ではないので電子化しない(ここ)が、要は辞書類から引いて、「岸から離れた深い海洋の沖」の意であることを記してある。「万歳楽(マンザイラク)」が一種の厄除けの呪文であるというのは非常に勉強になった

「岐奈房(きなばう)」同じ前注リンク先の夏輝氏のそれに、北海道での異名とし、他に「キナボ」(北海道)・「キナンボ」(北海道及び道内の函館)・「キナンポ」(函館)・「キナッポー」(青森県上北郡)の酷似した異名が連なる。而して、これらは総て『木の棒の意』である、とある。

「止吉利(しきり)」夏輝氏のそれに確かに鹿児島での異名とし、他に同じ薩摩で「シキレ」と呼ぶともあり、これは『「しり切れトンボ」から派生した「尻切り」の意』とある。

「其れ、之れを獲るは、春・冬は少く、夏・秋、多し」岩手県農林水産部水産振興課」のページ「【魚カレ】三陸いわて魚食材カレンダー」では夏の食材として人気があるとし、六~八月を漁期とし、最盛期は六~七月としている。

「璚脂(ところてん)」『栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ))』にもあったが、誤記。「瓊脂」が正しい。テングサ(:アーケプラスチダ界 Archaeplastida 紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae に属する海藻類。最も一般的な種はテングサ属マクサ Gelidium elegans)やオゴノリ(紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla)などを煮溶かして型に流し、冷却して固めた例の「心太(ところてん)」である。これは恐らく、マンボウの表皮の下層に厚く存在するゼラチン層のことを指しているのであろう。

「食ふべからず」これは、丹洲のいる、江戸に於いては「食うことが出来るとは思われていない」程度の謂いと採る。

「肉餻(にくだんご)」私の当て訓。通常、「糕」は「粉餅」で、米粉・小麦粉・豆粉などを蒸して作った塊状又は板状の菓子餅を指す。

「邦俗」地方の習俗(調理法)で。

「豆鼓(とうち)」大豆を醗酵させたもの。

「細-(こまぎれにく)」私の当て訓。「」自体が細かく切り割った肉、抉り取った肉の意。

「略(おほかた)」有意な時間をかけて。

「熬(い)りて氣を以つて徹《すること》」しっかりと蒸し上げることを謂っているものと思う。

「稱さば」どのようなものか表現するとすれば。

「白線と作(な)す」細い紐状の切り身とする。

「瀹(に)て」煮る。「浸す」の意もあるが、浸す対象が判らぬので採らない。

「意の任(まま)に」自分の好きなように。好みの食し方で。

「國俗」先の「邦俗」に同じ。

「預約(よやく)せる賓客」食通はこれが美味いことを知っていて、予め、漁師に、マンボウを捕獲したら、即刻、連絡するように言い渡しているのである。他に転売せぬように「予約」しておくのである。

「具す」調理して供え出だす。

「淡く湯に和し」国立国会図書館デジタルコレクションの今一つの「飜車考」の方では(ここの六行目冒頭部)ここが違っていて、

 嚴冬以味噌汁作羹

とある。これは底本の、見開き欄外中央にある付箋貼り付けの注の、

 製して汁を造り、羹(あつもの)と作(な)す。

と酷似した文字列である。しかし、「淡く湯に和し」(湯引きするの謂いと採れる)と、味噌汁を以って羹(にこごり)とする、というのとでは、ちょっと意味が違う。どっちが美味そうかといえば、湯引きだろう。但し、厳冬期はマンボウの漁期ではないから、味噌漬けにしたものを煮凝りとして食する方が自然ではある

「綬魚(あんかう)一般に與(くみ)す」魚上綱硬骨魚綱アンコウ目アンコウ科 Lophiidae の内で本邦で食用にするキアンコウ(ホンアンコウ)Lophius litulon・アンコウ(クツアンコウ)Lophiomus setigerus の同類(捌いてしまうので元が全く異なる魚であることは判らないから)として処理される、という意味で採っておく。

「透骨(すきほね)【是れ、軟骨の咬(かませ)の鬆(す)の脱けたる者。】」「鬆(す)」は根菜類(ダイコン・ゴボウなど)で、時期が過ぎて芯に多数の細い穴が生じた箇所を指すが、「咬(かませ)」(私の当て訓)とは、軟骨を支持する結合組織のようなものを指しているものか。よく判らない。識者の御教授を乞う。

「梅醤(むめず)【「本綱」、「梅」の條下にあり。】」梅酢。割注は李時珍の「本草綱目」の「果之一」の「梅」に『熟者笮汁晒收爲梅醬惟烏梅、白梅可入藥。梅醬、夏月可調渴水飮之』とあるのを指す。

「儼(げん)として」濁りのない、はっきりとした、如何にも高貴な感じを与える。

「是れ、一時の嘉肴(かかう)なり。土(とち)の土人、此の珍味なるを知り、他州の割烹家、未だ曽つて此物の有るを知らざる所、《これ、》遺憾と謂ふべき也なり。如(も)し、其の膓・胃を貯蓄すること、久しくして壞(く)えず、漬(しほづけ)・糟(かすづけ)を以つて四方に寄すれば、國利、尠(すくな)からず」この謂いから見るに、栗本丹洲は結果してマンボウの料理(少なくともこの梅酢漬けの軟骨料理)を食ったことがあると見てよい。

「茘枝(れいし)の殻の文」双子葉植物綱ムクロジ目ムクロジ科レイシ属レイシ Litchi chinensis 果実の皮革表面の赤い鱗状のそれ(新鮮な物ほど棘が鋭い)レイシの実はまさに夏に熟し、その果皮を剝くと、白色半透明の多汁果肉(正しくは仮種皮(種子の表面を覆っている付属物)であって、狭義の意味での「果肉」ではない)があって高級な果物とするから、マンボウとある種の食に於ける見た目の強い親和性を持っていると言え、この丹洲の謂いは、比喩としてもすこぶる素晴らしいものである

「其の類、十品許(ばか)り有り」ちょっと意味が採りにくい。そのマンボウの皮には同一個体でも採れる部位によって、十種類ほどの違った質の皮革があり、の意か。

「刀の室(さや)」「刀の鞘」。

「𣠽(つか)の質(したぢ)に襯(つ)くる」刀の柄(つか)の下地用材として附着させる。サメ類の皮革が刀剣類の鞘や柄に用いられたのと同じである。

「浮亀(うきき)」「浮龜」。先に引いた夏輝氏のサイト内の「日本の呼び名(古語・地方名)」の「ウキキ」に「浮き木」は『浮亀と書く場合もあ』り、これはマンボウが古くは『ウミガメの一種と考えられていた』ことに由る旨の記載がある。

「矇(めしひ)の亀」「矇」は「冥い」「目が見えないこと」の意がある。動作が鈍く、簡単に捕獲出来ることから、かく呼ばれたものであろう。

「愚蒙の妄誕(ばうたん)」愚かで道理の判らない愚昧な者の言う、根拠なき出鱈目。

「丹羽貞機」丹羽正伯(にわせいはく 元禄四(一六九一)年~宝暦六(一七五六)年)は江戸中期の本草学者(栗本丹洲は彼の後代で、まさに彼が没した年の生まれである)。伊勢国松坂の医師丹羽徳応の長子。正伯は通称で、「貞機」は名。称水斎と号した。京都に出て、稲生若水(いのうじゃくすい 明暦元(一六五五)年~正徳五(一七一五)年)に医学・本草学を学んだ。享保二(一七一七)年、江戸へ下って医師を開業したが、丁度この頃は、幕府が輸入薬種を国内産に切り替えようとしていた時期で、幕命を受けて採薬使(正伯がその第一号)として、各地に薬種を求め、さらに下総国に十五万坪の用地を下付されて薬草園を経営した。また、朝鮮の「東醫寶鑑」の和訳・朝鮮人参の栽培・和薬種流通の管理など、和薬種の開発及びその定着のために先駆的役割を果たした人物である。師の若水が未完のまま遺した「庶物類纂」の補完を享保一七(一七三二)年に将軍徳川吉宗から命ぜられ、後編六百三十八巻と増補五十四巻を完成させている。並行して、全国諸領の「産物帳」の編纂も進めたが、これは領毎に農作物・野生動植物・金石類等の種類名を書き出させたもので、我が国初の生態調査として意義がある(この作成の指示は正伯の独自の判断で遂行された形跡があるという)。著書からは高い見識が窺われ、薬園のあった千葉郡滝台野(現在の船橋市薬園台町)の村人たちは没後百余年を経ても正伯の徳を偲び、供養碑を建てている(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠った)

「庶物類纂」(しょぶつるいさん)は江戸中期の本草学者で加賀金沢藩の儒医であった稲生若水及びその弟子であった丹羽正伯らが編纂した博物書(漢文表記)。二十六属千五十四巻に及ぶ。古今の漢籍などから植物・動物・鉱物・薬物などの記事を調査し、その三千五百九十種の記事を、それぞれの種類精査し、二十六属に分けて分類した後、再編集を加えて登載した。稲生が藩主前田綱紀に「物類考」の編纂を申し出、それが採用されて京都と金沢の隔年詰めが認められたことから、編纂を開始した。稲生若水は二十六属一千巻の予定で編纂を開始したが、九属三百六十二巻の記述を終えたところで京で没した。後、その遺志を継いだ丹羽正伯らが、続編の編纂を開始して完成させ、その製作を後援していた加賀藩に提出、加賀藩から幕府に献納された。延享二(一七四五)年には吉宗から丹羽正伯らにさらなる増補が命ぜられ、延享四(一七四七)年に完成したものが現在のそれである(ここはウィキの「庶物類纂」に拠った)。国立国会図書館デジタルコレクションにあるが、膨大過ぎて当該箇所は調べ得ない。悪しからず。

「虚羸(きよるい)」陰気の重積による全身疲労。

「享保癸卯」享保八年。一七二三年。

「肥」「肥前國」。

「鄭大典(ていだいてん)」詳しい事蹟は判らぬが、中文サイトに清初期の対日貿易の研究論文に頻りに彼の名が出る。また、makuramoto氏の壮大なサイト「長崎年表」のこちらの正徳五(一七一五)年の条に、『寄合町、佐伯屋の遊女大山が寧波船主、鄭大典との間に男児を出産』同年十月『末に死去』という記載がある。丹羽が逢った八年前であるから、これはまず同一人物であろう。

『神田玄泉が「日東魚譜」』「神田玄泉」(生没年不詳)は江戸の町医。出身地不詳。玄仙とも。他の著作として「本草考」「霊枢経註」「痘疹口訣」などの医書がある。「日東魚譜」は全八巻。本邦(「日東」とは日本の別称)最古の魚譜とされるもので、魚介類の形状・方言・気味・良毒・主治・効能などを解説する。序文には「享保丙辰歳二月上旬」とある(享保二一(一七三六)年。この年に元文に改元)但し、幾つかの版や写本があって内容も若干、異なっており、最古は享保九(一七一九)年で、一般に知られる版は享保一六(一七三一)年に書かれたものである。以下の記載は(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの「日東魚譜」の当該「雪魚」の画像)。この際だから、電子化し(訓点は一部が不全なのでカットし白文で示した。その代り、訓読で概ね生かした)、本文と図(図は国立国会図書館デジタルコレクションのもの)も附すこととする(後ろが透けるので補正を加えた)。図のキャプションは右下(海上で生きながらに内臓を裂き取る景)のそれが、「ウキキ」「マンザイラク」、左下のそれが「ウキキ」「マンボウ」、「ウキキ」その下に「水戸製」(内臓の乾燥加工品か)。

   *

Nittoumanbou


雪魚【世記】

 釋名浮木【和名】万歳樂(マンサイラク)

 【相州方言】万寳【奥州方言】其浮于海

 上形如龜背但無骨

 白肉已人以爲龜類

 非也漁人曰此者有

 大小大者徑二三丈

 未見首尾海人族其

 出而寄舟登背上以

 力割取其皮肉性愚

 而不知其痛苦若有

 動揺則海人舟子以

 𥬡笠招呼而唱万歳

 樂則動者定沉者浮

 而如故是以名万歳

 樂也又奥羽二州名

 浮氣者屬而一名

 万寳大魚也又常州

 水戸名浮氣者大鮠

 魚之胃也並主治功

 用與雪魚相同矣

 主治益氣長肉合瘡

 口止痛治婦人帶下

 下乳汁

□やぶちゃんの勝手書き下し文(一部に推定で歴史的仮名遣で読みを振り、意味を採り易くするために一部に訓点にない文字列を〔 〕で添えた)

「雪魚」【「世記」。】

釋名「浮木」【和名。】・「万歳樂(マンサイラク)」【相州方言。】・「万寳」【奥州方言。】其れ、海上に浮く形、龜の背ノごとし。但し、骨、無し。白肉。已(すで)に人、以つて龜の類ひと爲(な)すも、非なり。漁人、曰く、「此の者、大小有り、大なる者、徑(わた)り、二、三丈。未だ首尾を見ず。」と。海--族(あまびと)、其れ、出で〔れば〕、舟を寄せて、背の上に登り、力(ちから)を以つて、其の皮肉を割り取る。性、愚にして、其の痛苦を知らず。若(も)し動揺有れば、則ち海-人(あまびと)・舟子(かこ)、𥬡笠[やぶちゃん注:「𥬡」は読みも意味も不詳。「とまがさ」(苫笠)と読んでおく。]を以って招き呼びて、「万歳樂」を唱す〔れば〕、則ち、動く者は定まり、沉(しづ)む者は浮きて、故(か)くのごとし。是れを以つて「万歳樂」と名づくなり。又、奥羽二州、名づくる「浮氣」とは「(うなき)[やぶちゃん注:「ぎぎ」かも知れぬ。]」の屬にして、一名「万寳」。大魚なり。又、常州水戸、「浮氣」と名づくるは、大--魚(おほざめ)の胃なり。並びに、[やぶちゃん注:「大鮫の胃」の。]主治功用は「雪魚」と相ひ同じ。

主治氣を益し、長き肉、瘡口(きずぐち)を合(がつ)し、痛みを止ましむ。婦人の帶下(こしけ)を治し、乳汁を下(くだ)す。

 

なお、この「雪魚」はルビがないから、音読みする以外になく、「せつぎよ(せつぎょ)」であるが、非常にお世話になっている夏輝氏のサイト内の「日本の呼び名(古語・地方名)」には、マンボウの異名として『ユキナメ』を挙げておられ、新潟県寺泊・新潟県三島郡・新潟県出雲崎・新潟の地方名としてあり、『新潟では「雪滑」と書く。一般的に「雪魚」と表記されるが』、『読み方は不明で』、一九九三年に研究者の山下氏が『読みを与えた。「ユキ」はマンボウの白い肉や腸を表わしている』とある。 

「世記」不詳。識者の御教授を乞う。

「帶下(こしけ)」「腰氣」への当て字。女性の生殖器からの分泌物で、血液以外のもの。通常、違和感や不快感を起こす程度に増量したものを指す。「おりもの」。

「本朝食鑑」医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹、字(あざな)は千里、通称を伝左衛門といい、平野必大・野必大とも称した。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書。既出既注で全文を電子化してある。

「癰疽(ようそ)」悪性の腫れ物。「癰」は浅く大ききなものを、「疽」は深く狭いものを指す。

「瘰癧(るいれき)」結核性の頸部淋巴腺(節)の炎症の俗称。多数の腫脹が見られ、数珠状に連なる。思うに、ぶつぶつしたマンボウの内臓や軟骨部との類似性が認められるところからは、一種の効果なき類感呪術的なそれが疑われる。

「食せざる者」食欲が全くない者。

「藍水翁」江戸中期の医師で本草学者田村藍水(享保三(一七一八)年~安永五(一七七六)年)。本姓は坂上、名は登。通称は元雄。藍水は号。栗本丹洲の実父(丹洲は奥医師田村昌友の養子となった)。平賀源内(享保一三(一七二八)年~安永八(一七八〇)年)の若き日の師としても知られる。。ウィキの「田村藍水」によれば、『江戸・神田の出身』で、十五『歳の時に医師である父親について医学を学び始め、後に阿部将翁から本草学を学んだ。早くから朝鮮人参に関心をもっており』元文二(一七三七)年、『江戸幕府から朝鮮人参の種』二十『粒を下付されて、人参国産化の研究を命じられる。朝鮮人参の栽培の研究と合わせて諸国を巡って産物について調査を行い』、宝暦七(一七五七)年には『弟子の平賀源内らとともに湯島で薬品会を開き、日本の本草学発展の基礎を築いた』。宝暦一三(一七六三)年、『人参栽培や諸国物産調査の功績が評価され、一介の町医から幕府医官に任じられて禄』二百『石を与えられる。実地調査の重要性を唱えて諸国を巡り、学者のみならず、島津重豪や細川重賢ら大名とも交際を持った。朝鮮人参のみならず、甘藷や木綿の研究にも務め、栽培技術の普及にも努めた。門人に平賀源内や中川淳庵などが』いる。「人参譜」「人参耕作記」「中山伝信録物産考」「琉球物産誌」など、『多くの著作を著した。江戸で病死』した。

「五労」漢方で最も一般的なものは「黃帝内經」の「素問」の「宣明五氣篇」にあるもので、「久行」(歩き過ぎて筋を傷めること)・「久視」(目を使い過ぎて血を傷めること)・「久坐」(長時間座り過ぎて肌肉を傷めること)・「久臥」(長時間寝たきりになって気を傷めること)・「久立」長時間立っていたために骨を傷めること)を指す。「鍼灸治療の清明院」公式サイトのこちらを参照した。リンク先には時代の下った別な症状名数もある。

「七傷」隋代の医師巣元方(そうげんほう)の「諸病源候論」に載るものらしい。「陰寒」(前陰部の寒冷よる諸症状)・「陰萎」(陰茎勃起不能)・「裏急」(下腹部の筋肉の引き攣(つ)り)・「精連連(せいれんれん)」(遺精・夢精・早漏)・「精清」(無精子症か)・「小便苦数(くさく)の臨事不卒」(腎虚・頻尿・房事に於ける不全症状)といった男性の生殖器疾患や不全症状。

「肌肉の羸瘦」肌が荒れ、筋肉が削げ落ち、痩せ衰えること。

「脱血」異常出血であろう。

「虚乏」貧血などの虚血性疾患や症状であろう。

「血暈(けつうん)」狭義には産後の眩暈(めまい)の症状を指す。

「五淋」尿路に関わる五つの症状。「石淋(せきりん)」(尿路結石症を伴う排尿障害)「気淋」(ストレスなどに因る神経性排尿障害)・膏淋(米の研ぎ汁のような白濁した尿の様態を指す)・労淋(疲労による慢性排尿障害)・血淋(血尿)を指す。

「予(あらかじめ)按ず」ここは予防するの意で採っておく。

「痘疹」天然痘。もがさ。

「倒陷(たうかん)」広義の意識を喪失して卒倒することを指すか。

「發痒」激しい痒(かゆ)みが生ずること。

「属内の攻むる者」意味不明。外因性疾患ではない、内因性或いは心因性疾患による症状を指すか。

「脾虚」消化器系や循環器系などの全般的機能低下によって発生する症状の総称。食欲不振・下痢など。

「久しき瀉」慢性の下痢。

「福州府志」清の乾隆帝の代に刊行された福建省の地誌。以下の引用は、探し当てた伝本の一つでは、

   *

鏡魚眼圓如鏡、水上翻車、亦名翻車魚

   *

とあった。

「閩書(びんしよ)南産志」明の何喬遠(かきょうえん)撰になる福建省の地誌。

「腴(こ)えて」「肥えて」。

「三、四百斤」明代の一斤(きん)は五百九十二・八二グラムだから、百七十八~二百三十六キログラム。マンボウは最大個体で体重二・三トンにもなるから、問題ない数値である。現在棲息する世界最大級の硬骨魚の一種である。

「唐山人」この時代の中国人の異称。

「通」事情通、或いは、奇妙なことに詳しい好事家のことか。

有り。状(かたち)、圓く、鏡のごとし。水上、翻轉して、車のごとし。亦、と名づく。

「蓋し、之れ、同物なり」『「福州府志」の「鏡魚」と「翻車」魚は異名であって、このマンボウのことであろう』の意。「按ずるに、恐らくは、此物と似るならん、攷(かんが)ふべし」(そうでなかった(異名同魚)でなかったとしても、恐らくはそれら、「鏡魚」「翻車魚」とごく近縁の魚でよく似ているものに違いない。今暫く、考証してみたい)と言っているものの、丹洲はほぼ完全に同一種と考えていることは明らかである。本書の核心部である。なお、福建省であっても、現行ではまだ、基本、マンボウは本邦のマンボウ Mola mola Mola sp. Bと同一であると言ってよい。

「海槎餘録」明の顧玠(こか)撰の海事書。

「本草」「本草綱目」。「鱗之四」の「牛魚」にある。以下、総て引いておく。

   *

集解藏器曰、生東海。其頭似牛。時珍曰、按「一統志」云、『牛魚出女直混同江。大者長丈餘、重三百斤。無鱗骨、其肉脂相間、食之味長。』。又「異物志」云、『南海有牛魚、一名引魚、重三四百斤、狀如鱧、無鱗骨、背有斑紋、腹下靑色。知海潮、肉味頗長。觀二説、則此亦鱏屬也。鱏、引聲亦相近。

肉無毒。主治六畜疫疾。作乾脯爲末、以水和灌鼻、卽出黃涕。亦可置病牛處、令氣相熏(藏器)。

   *

ここで時珍は「此れも亦、鱏(えい)の屬」とか宣うちゃっていて、これが日本の本草書でも無批判にそのまま引かれ、遂には寺島良安の「和漢三才圖會」のようなトンデモ絵になっちゃったんだ!

「説くに爲(あた)り、是れを顧みれば、躬(みづか)ら、未だ親しく看ずして、唯だ傳聞の事を信じ、説と爲す。後世の者に誤りを胎(はら)むこと、止まず」「此の物」(「こうしたトンデモ認識は)「枚挙に遑(いとま)あらず」流石、丹洲先生! 快哉!

「別に擡(あ)ぐるに、其の例(ためし)、世人、須(すべか)らく、準じて、之れを知るべし」「そうしたトンデモ例は別な機会に挙げて問題としたいと思うが、こうした驚くべき誤認識については、我々のような専門の本草家だけでなく、一般民衆も是非とも、我々に準じて、知り、そして正すべきことなのである。」。諸手を挙げて賛成!

「左袒」味方すること。「袒」は「衣を脱いで肩を露わにする」の意で、前漢の功臣周勃が呂氏の乱を鎮定しようとした際、「呂氏に味方する者は右袒せよ。劉氏(朝廷)に味方する者は左袒せよ」と軍中に申し渡したところ、全軍が左袒したという「史記」「呂后本紀」の故事に基づく。

「寳曆壬午」宝暦十二年。一七六二年。

「四月十八日」一七六二年五月十一日。

「武州六郷(ろくがう)羽田邨(はねだむら)」幕府領であった武蔵國荏原郡六郷領内の羽田村。現在の東京都大田区の南東部に位置し、概ね、京急空港線沿線に相当し、羽田空港の近隣地区である。

「赤萬寳(あかまんばう)」丹洲の同定が正確であるならば、深海魚のリュウグウノツカイ(条鰭綱新鰭亜綱アカマンボウ目リュウグウノツカイ科リュウグウノツカイ属リュウグウノツカイRegalecus glesne)に近縁の、鰭綱アカマンボウ目アカマンボウ科アカマンボウ属アカマンボウ Lampris guttatus となり、ご覧の通り、「マンボウ」と附き、形もそれとなく似ているが(但し、体色や鰭(尾鰭有り)が全く異なる)、マンボウとは縁のない魚であるウィキの「アカマンボウ」を引いておくと、『別名、マンダイ。体型はマンボウ(Mola mola)に似るが、マンボウの仲間ではない』。全長は二メートル、体重二百七十キログラム『ほどにもなる大型魚である。体は円盤形で、左右から押しつぶされたように平たい。口は前に少し突き出ていて、歯がない。体はタチウオ』(条鰭綱スズキ目サバ亜目タチウオ科タチウオ属タチウオ Trichiurus lepturus)『のように銀色で、白いまだら模様があり、小さくて剥げやすい鱗に覆われる。ひれと口元、目の周りは鮮やかな赤色で、胸びれ、背びれの前端部、腹びれが鎌状に長く発達する。側線は胸びれの上で背中側に大きく曲がっている』。『外見や生態は和名のとおり』、『マンボウにも似ているが、分類上はまったく別の魚である。マンボウと違って尾びれをもち、胸びれが垂直ではなく』、『水平に長く発達している。なお、ラテン語での目名、科名、属名は、「輝かしい」「明確な」という意味のギリシャ語 lampros に由来し、名のとおり鮮やかな外見の魚といえる』。『世界中の熱帯・温帯の海に広く分布し、外洋域の水深』五百メートル『までの表層・中層に生息する。ただし』、『人目に触れない環境に生息しているため、生態についてはほとんどが不明である』。『マグロなどと同様に、胸びれと尾びれを使って泳ぎながら生活していると考えられている。食性は肉食性で、クラゲ、イカ、オキアミ、小魚などを捕食する。いっぽう、敵はアオザメやホホジロザメといった外洋性の大型のサメである』。『稚魚は細長く、リュウグウノツカイの稚魚に似ているが、背びれと腹びれが長く伸びないので区別される。やがて体が円盤状になり、成魚の姿へと変わってゆく』。なお、二〇一五年、『アメリカの海洋大気庁の研究チームにより、アカマンボウには魚類で唯一、血液の温度を保つ機能があることが確認された。アカマンボウには、心臓とえらの間に特殊な血管の絶縁網があり、心臓から送られた温かい血液が、えらが取り込んだ海水によって冷やされた血液を温めなおす体の作りをしている。これにより、アカマンボウは周辺の海水よりも』五『度ほど高い体温を保つことができるようになっており、深海でも活発な活動が可能とされる』。『これは哺乳類や鳥類とほぼ同じ体温維持の方法である』。『味がよく、食用にされ、ハワイや沖縄などでは珍重されている。アカマンボウは需要が低く、またその特異な体型から運搬、調理の際に一般的な規格(発泡スチロールやまな板の大きさなど)が通用しないため、専門に漁獲されることはないが、延縄などでマグロに混じって漁獲される』。『マグロのような赤身で』、『食味も似ている』ことから、『日本ではマグロの代用魚として利用されている』。『調理については、腹側を刺身で、背側をムニエルなどの加熱調理用とすると良い』。『マンダイ、マンボウ、ヒャクマンダイ、金魚とも呼ばれている』。なお、『アカマンボウ目には多くの魚が分類されるが、その中のアカマンボウ科には』一属二種(今一種は南半球に棲息する Lampris immaculatus。全長一メートルほどでアカマンボウより小型)しかいない、とある。正直言うと、ここで丹洲が記したデータからだけでは、これが「マンボウ」ではない「アカマンボウ」であるという同定比定は出来ないように思う。

「寛政丁巳秋、九月九日、佐州姫津村の海濵、大魚、漂汎(へうはん)し……」これは先の「栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)」で語られ、描かれた個体であるので、そちらの詳細注を参照されたい。ただ、サイズなどがちょっと違うのは気になる。正しいのは詳細なリンク先の方であるので、ここでは示さない。

「境内(きやうない)」佐渡奉行所のある相川地区のこと。

「徑り、六尺五寸」これは「栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)」の「胴中徑リ五尺」(胴の最も中ほどの左右幅の謂いか。一メートル五十一センチメートル)の誤りであろう。先の詳細データでは、他にこれに見合う数値がないからである。

「旹(とき)」時。

「文政酉(とり)」文政八年。一八二五年。

錄(まんろく)」「漫錄」に同じ。何という目的もなく書き記すこと。漫筆。謙遜の辞。

 

2015/06/16

神田玄泉「日東魚譜」 鰕姑(シャコ)

 
 Ng_syako
 
鰕姑〔漳州府志〕

釈名青龍〔同上〕志夜姑

〔和名〕鰕姑之誤稱也南

産志云開元遺事載

其名狀如蜈蚣尾如

僧帽泉州人謂之青

龍〔閩書〕氣味甘温小毒

主治益氣壯陽道多

食令人瀉下此邦人

以爲下品也

[やぶちゃん字注:以下は図の上部にある異名羅列。]

 シヤコ

 シヤク

 シヤツハ

やぶちゃんの書き下し文(本文のみ)

鰕姑〔「漳州府志(しようしうふし)」。〕

釈名 青龍〔同上。〕。志夜姑(シヤコ)〔和名。〕。鰕姑の誤稱なり。「南産志」に云はく、『「開元遺事」に其の名を載す。狀(かたち)、蜈蚣(むかで)のごとく、尾は僧帽(さうばう)のごとし。泉州の人之れを青龍と謂ふ。』と〔「閩書(びんしよ)」。〕。

氣味 甘温、小毒。

主治 氣を益し、陽道を壯す。多く食はば、人をして瀉下(しやか)せしむ。此の邦の人、以つて下品と爲すなり。

[やぶちゃん注:節足動物門甲殻亜門軟甲綱トゲエビ亜綱口脚目シャコ上科シャコ科シャコ属シャコ Oratosquilla oratoria(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクション「日東魚譜」の保護期間満了画像)。ウィキの「シャコ」より引く。『外見は同じ甲殻類であるエビ類に似ているが、エビ類はカニ類その他とともに真軟甲亜綱という別亜綱に属し、両者の類縁関係はかなり遠い』。体長は十二~十五センチメートル前後で、『体型は細長い筒状で腹部はやや扁平。頭部から胸部はやや小さく、腹部の方が大きく発達する。 頭部先端には二対の触角とよく発達した複眼が突き出す。 付属肢にエビ・カニのような鋏を持たず』、六~七個の『トゲがある特徴的な』一対の『鎌のような捕脚を持つ(英名のmantis shrimp=カマキリエビの由来でもある)』。 歩脚は三対、『腹部には遊泳脚があり、また背甲左右の辺縁に短いトゲを持つほか、尾節には鋭いトゲのある尾扇を持つ』。『北海道以南の内湾や内海の砂泥底に生息し、海底の砂や泥に坑道を掘って生活する。 肉食性で、他の甲殻類や魚類、イソメ、ゴカイなどの多毛類、貝類などを強大な捕脚を用い捕食する。この捕脚による攻撃は打撃を伴う強力なもので、カニの甲羅や貝殻を叩き割って捕食するほか、天敵からの防御や威嚇にも用いられる。 また、飼育下においても捕脚の打撃で水槽のガラスにヒビが入ることがある』。『環境の変化に強く、一時東京湾の汚染が進んだ時期には「東京湾最後の生物になるだろう」といわれていたこともあった』。食材としては、『エビよりもアッサリとした味と食感を持つ。旬は産卵期である春から初夏。秋は身持ちがよい(傷みにくい)。日本では、新鮮なうちにゆで、ハサミで殻を切り開いて剥き、寿司ダネとすることが最も多い。捕脚肢の肉は「シャコツメ」と呼ばれ、軍艦巻きなどにして食べられることが多く、一尾から数量しか取れない珍味。産地では、塩ゆでにして手で剥いて食べたり、から揚げにすることが多い。産卵期の卵巣はカツブシと呼ばれて珍重されるため、メスのほうが値段が高い。また、ごく新鮮なうちに刺身として生食する場合もある。香港では、日本のものよりも大振りなものが多いが、素揚げにしてから、ニンニク、唐辛子、塩で味付けして炒める「椒鹽瀬尿蝦 ジウイム・ライニウハー」(広東語)という料理が一般的である』。『シャコは死後時間が経つと、殻の下で酵素(本来は脱皮時に使われる)が分泌され、自らの身を溶かしてしまう。そのため、全体サイズの割に中身が痩せてしまっていることも多い。これを防ぐには、新鮮なうちに茹でるなどして調理してしまうことである。 活きた新鮮なシャコは珍重されるが、勢いよく暴れる上に棘が多いため、調理時に手に刺さる場合があるので取り扱いには注意が必要である』とある。私は十二の時に富山県高岡市に転居したが、春、近くの氷見の雨晴海岸にシャコが山のように積み上げられて干乾びて死んでいた。傍にいた漁師に聴くと、「網を破る役立たずの外道で、ここらじゃ、食わんわ」と言われ、寿司の蝦蛄好きである私は大いに驚いたことを記憶している。あちらでは確かに寿司屋に行っても蝦蛄は置いていない店も多かったようである。因みに、私らの子どもの頃、みんなシャコが好きだったのは、アナゴの様に甘いタレをつけること以上に、寿司ネタの中でも当時は多量に捕獲され、子どもの好きな海老よりも遙かに安かったことから、親も、シャコの方が美味しいよと勧めたからではなかろうか、と秘かに親の経済戦略を疑ってはいる。現在は漁獲高が減衰し、処理も面倒なことから、高級ネタになりつつあるようだ。

「漳州府志」清乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌。

「青龍」本邦の辞書類ではシャコに「青竜蝦」と漢字を当てているが、現代中国語では「口蝦蛄」が一般的なようだ。

「鰕姑の誤稱」と玄泉は一刀両断するが、例えば人見必大の「本朝食鑑」では「石楠花鰕(しゃくなげえび)」で項立てして、『色、石楠花のごとし。故に海西、俗に石楠花鰕(しやくなげえび)と名づく。是れも亦、石楠の略号であろうか』と述べている。私は二次的な派生も射程に入れて、人見の見解を指示する。

「南産志」「閩書南産志」。明の何喬遠撰になる福建省の地誌。後の「閩書」も同じ。

「開元遺事」「開元天宝遺事」。盛唐の栄華を伝える遺聞を集めた書で、王仁裕撰。後唐の荘宗の時、秦州節度判官となった彼が長安に於いて民間の故事を採集、百五十九条に纏めたものとする。

「僧帽」中国で僧やラマ僧の被った帽子。例えば中文サイト「典藏臺灣」の「僧帽(喇嘛帽)」の写真を見て戴くと、この比喩が如何に正しいかということがお分かり頂けるであろう。

「泉州」福建省の旧閩州のさらに古い称。

「甘温、小毒」「本草食鑑」は無毒とし、蛮人は油に漬け膏薬となし、外科医はこれを用いて腫れ物の膿に処置するが、そこから考えるとその『性は、温か』と帰納している。

「瀉下」下痢。

「シヤク」現在でも徳島県阿南市でかく呼称する。

「シヤツハ」現行でも広域で「シャッパ」と呼ぶ。]

2015/05/14

カテゴリ 神田玄泉「日東魚譜」 始動 / 老金鼠(ホヤ)

 カテゴリ『神田玄泉「日東魚譜」』を始動する。

 「日東魚譜」全八巻は本邦(「日東」とは日本の別称)最古の魚譜とされるもので、魚介類の形状・方言・気味・良毒・主治・効能などを解説する。序文には「享保丙辰歳二月上旬」とある(享保二一(一七三六)年。この年に元文に改元)。但し、幾つかの版や写本があって内容も若干異なっており、最古は享保九(一七一九)年で、一般に知られる版は享保一六(一七三一)年に書かれたものである(以上は主に上野益三「日本動物学史」平凡社一九八七年刊に基づく『東京大学農学部創立125周年記念農学部図書館展示企画 農学部図書館所蔵資料から見る「農学教育の流れ」』の谷内透氏のこちらの解説に拠ったが、後で見るように、それよりも序についてみるともっと古い版がある模様)。多様な写本類については「Blog版『MANAしんぶん』」の「日東魚譜について」が詳しい。

 著者神田玄泉(生没年不詳)は江戸の町医。出身地不詳。玄仙とも。他の著作として「本草考」「霊枢経註」「痘疹口訣」などの医書がある(事蹟は「朝日日本歴史人物事典」に拠る)。

 本文底本は国立国会図書館デジタルコレクションの請求番号「特7-197」の版の画像を視認した。割注は〔 〕同ポイントで示した。原文白文を一行字数を原画と合わせて電子化した後に(漢字の判読で迷ったものは正字を採った)、訓点を参考に私がかなり自由に書き下したものを示した。原典のカタカナの読みはそのままカタカナで附し、それ以外の平仮名のそれは独自に、しかも注を出来る限り制限する目的を主に、歴史的仮名遣で私が恣意的に附したものである。読み易さを考え、適宜改行した。その後に簡単な同定と注を附した(他の電子テクストで何度も附したものはもはやくどくどしいのでなるべく省略した。悪しからず)。

 附図画像については当該写本のそれ(彩色)を用いた(同画像は国立国会図書館デジタルコレクションの保護期間満了の自由使用許可のものである)。それ以外に、ネットで視認出来る「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の「日東魚譜」(享保四(一七一四)年序の写本であるが刊行は嘉永七(一八五四)年刊のもの)を一部でリンクさせた。同データベースは学術目的のためのリンクは申請の必要がない(因みに私はアカデミズムの人間ではないものの、私のサイトが「学術的」でないとはさらさら思っていないことを附言しておく)。

 まずは例によって「巻三」の「海蟲部」にある僕のフリークのホヤから始めよう。
 
 

Nt_hoya_2
 

老金鼠〔順和名抄〕

釋名保屋〔同上〕源順和

名抄作老金鼠訓保

屋也愚按此邦呼寄

生之者名保屋此物

附着于海岸如石蜐

牡蠣故名之保屋也

又作之於老金鼠此

殻有瘣※黄赤色恰

[やぶちゃん字注:「※」=「疒」+「畾」。]

似金鼠是以意會者

也全非沙噀類肉如

蚶腹中如蛤蜊腸肉

味如蚶氣似砂噀也

是故爲金鼠之老者乎凡其殻謂甲蟲而非

甲蟲又謂蛤類而非蛤類只如水牛皮生堅

硬而有瘣※如小角無口目肉形色頗似蚶

肉色而無肉帶與殻相附處有血已肉中有

腸茶褐色而如蛤蜊腸無佗腸臟生者作鱠

美味也又作脯者如薄革其色白而處々帶

紅色乾者味淡薄此者獨有奥之仙臺爾未

聞佗州有之也氣味甘温無毒主治益血補

氣止自汗盜汗

○やぶちゃんの書き下し文

老海鼠〔順(したがふ)「和名抄」。〕

釋名保屋(ホヤ)〔同上。〕。源の順「和名抄」、『老金鼠』に作り、保屋(ホヤ)と訓ず。愚、按ずるに、此の邦(くに)に寄生の者を呼びて、保屋と名づく。此の物、海岸に附着して石蜐(かめのて)・牡蠣(かき)のごとし。故に之を保屋と名づくなり。又、之を老金鼠と作ることは、此の殻、瘣※(いぼ)有りて黄赤色、恰も金鼠(きんこ)に似たり、是れを以つて意會(いくわい)する者なり。全く沙噀(なまこ)の類に非ず。肉は蚶(あかがひ)のごとく、腹中、蛤蜊(がふり)の腸(わた)のごとし。肉の味、蚶のごとく、氣は砂噀に似たり。是れ故に金鼠の老する者と爲すか。凡そ其の殻、甲蟲と謂ひて甲蟲に非ず。又、蛤類と謂ひて蛤類に非ず。只だ、水牛の皮の生(なま)なるが、堅硬にして瘣※(いぼ)有るがごとく、小角、口・目、無く、肉、形・色、頗る蚶の肉の色に似て、肉の帶、無く、殻と相ひ附く處(ところ)、血、有るのみ。肉の中、腸、有り、茶褐色にして蛤蜊(ノビガイ)の腸(ワタ)のごとくして佗(た)の腸臟、無し。生(なま)なる者の鱠(なます)に作(な)して美味なり。又、脯(ひもの)と作(な)すは、薄革(うすかは)のごとく、其の色白くして、處々に紅色を帶ぶ。乾(ひもの)は味、淡薄。此の者の獨り、奥の仙臺に有るのみ。未だ、佗州、之れ有ることを聞かざるなり。

[やぶちゃん字注:「※」=「疒」+「畾」。]

氣味 甘温。無毒。

主治 血を益し、氣を補ひ、自汗・盜汗を止む。

 

[やぶちゃん注:脊索動物門尾索動物亜門ホヤ綱マボヤ目マボヤ亜目マボヤ(ピウラ)科マボヤ Halocynthia roretzi の成体個体と被嚢を除いた筋帯部の図(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクション「日東魚譜」の保護期間満了画像)。「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」(冒頭注参照)の「日東魚譜」六)の「老金鼠」の載る頁をリンクさせておく(底本版は項目名が前頁にあるが、その画像は省略した。後日、当該頁の「海燕」(タコノマクラ)を示した際にリンクさせる)。しかし乍ら按ずるに、この二つの彩色図を見ると、「肉」(筋帯部)はどうみてもマボヤのものではなく、赤みが強くてマボヤ(ピウラ)科アカボヤ Halocynthia aurantium にしか見えないのであるが、如何?

「老金鼠」ママ。「金鼠」は後注参照。普通は老海鼠で、こう記すものは珍しい。正直言うと、後掲する金海鼠(キンコ。実際にマナマコよりもずんぐりして形状はホヤにより近いとは言える)に似ているという記載から思わず、神田玄泉がうっかりこう記してしまった可能性を私は捨てきれない。

「愚」玄泉の自称卑辞。

「寄生の者を呼びて、保屋と名づく」半寄生性の灌木で他の樹木の枝の上に生育する双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科ヤドリギViscum album の古名を事実、「ほよ」と呼び、万葉集に用例がある。興味深い語源説ではある。「保屋」という漢字は確かにそうしたニュアンスを感じさせはする。但し、これは必ずしも一般的な語源説ではないので注意されたい。

「恰も金鼠に似たり」「金鼠」はナマコの仲間である樹手目キンコ科キンコ Cucumaria frondosa var. japonica を指す。玄泉はこのホヤの記載の直後から始まる「海蟲柔魚部」という変わった分類項の中に、「沙噀」(ナマコ類)を挙げ、その後に「金海鼠」(キンコ)を掲げている(近日中に電子化する)。

「全く沙噀の類に非ず」実に明解に生物学的に正しい発言をしている点に着目すべきである。

「意會する」相同の性質に合わせて同音の命名をしたという謂いであろう。

「甲蟲」現行のエビ・カニの類を示す甲殻類の外骨格のような体制を持つ生物を指している。

「肉の帶」脂肪や筋がないことを言っているようである。但し、よく観察するならば、食用にする筋帯にはプランクトン捕食用のスクリーンの部分に細かな網目を観察出来るのであるが、と少し玄泉先生にツッコミたくはなる。

「ノビガイ」どう見ても「ノ」としか読めない。当初、「ツビガイ」かとも思ったが、「ツビ」は食用の巻貝を示す「螺」の古語であって、「蛤」には相応しくない。

「佗」他。

「自汗・盜汗」「自汗」は覚醒時の多汗の症状を、「盜汗」は寝汗の症状の呼称。]

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