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カテゴリー「小泉八雲」の362件の記事

2018/07/21

諸國里人談卷之四 十六桜

 

    ○十六桜(いざよひざくら)

伊与國和氣(わけ)山越村(〔やま〕こし〔むら〕)了恩寺の林の中に一木のさくらあり。毎年正月十六日に、花、咲(さく)。よつて此名あり。むかし、當寺の住僧、実(み)より此櫻をうへて[やぶちゃん注:ママ。]、「我子桜(わがこざくら)」と寵愛せり。老衰に及(およん)で病(やまひ)に臥す。「ことし、此はなを見るまでは、存命(ながらふ)べからず」と、木にむかひて餘浪(なごり)をおしみければ、その翌(あくるひ)、花、咲亂(さきみだ)れたり。これ、正月十六日也。それよりして、此日、花咲(さく)と也。

[やぶちゃん注:この「十六桜」、小泉八雲(当時はまだLafcadio Hearn)の「怪談」(KWAIDAN Stories and Studies of Strange Things)に「十六櫻(じゅうろくざくら)」(JIU-ROKU-ZAKURA:標題添え句「Uso no yona,—Jiu-roku-zakura Saki ni keri!」(「/」は改行)で「噓のような十六櫻咲きにけり」)として載り(題名及び以下の引用は国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二五(一九五〇)年小峰書店刊の山宮允訳「耳なし芳一」のここを用いた)、その冒頭も『伊豫國和気[やぶちゃん注:ママ。]郡に「十六桜(ざくら)」という、たいへん有名なさくらの古木があります。十六櫻というわけは、每年正月十六日――それもその日にだけ――花が咲くからです。それで――さくらは春の時候になるのを待って。花が咲き出すならわしですが――この木が花を持つのは大寒の季節なのです。しかし十六櫻は、その木のもっていない――さもなければ、少なくとも本来その木のもっていなかった――生命(いのち)によって花を咲かせるのです。その木の中にはひとりの男の、魂魄(たましい)が宿っているのです。』という序で始まるので、本条とロケーションが完全に一致する(但し、展開は小泉八雲によって豊かに膨らませてあるのであって、最後に主人公(老武士)は桜に寿命を与えるために切腹するのである!)全話は小林幸治訳のサイト「怪談 妖しい物の話と研究」(原文も有る、素敵なサイト)こちらを読まれたいが、なお、小泉八雲のこの話は講談社学術文庫版小泉八雲(平川祐弘編)「怪談・奇談」の「解説」によれば、「文藝倶楽部」(表記ママ)第七巻第三号(明治三四(一九〇一)年二月発行)の「諸国奇談」六篇の一つである淡水生なる作者の「十六櫻 愛媛」を原拠としているとするのであるが、そのロケーションは伊予国温泉郡(おんせんごほり)山越村竜穏寺(りゅうおんじ)(同書「原拠」を参考とした)となっていて、「和気」ではない(八雲は寺名を記していない)。布村弘氏の「解説」では『地名を「伊予の国和気郡」としたのは、』「怪談」の前話である『「乳母桜」で、同じ伊予の温泉郡とあったことからの反復を避けるためだろう』としておられるが、それはおかしい。小泉八雲は本「諸國里人談」或いは類伝記載を見たからこそ、「Wakégōri」としたのである。以下の注も参照されたい。

「伊与國和氣(わけ)山越(こし)村了恩寺」「和氣」は旧郡名で「わけ」と読む。現在の愛媛県松山市山越はここ(グーグル・マップ・データ)であるが、「了恩寺」という寺は周辺にも見当たらない。廃寺となったか。因みに、「データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム」のこちらの「名木伝説」は、本条の話を枕に、本書より後の「翁草」(神沢杜口貞幹著になる随筆。全二百巻。寛政三(一七九一)年成立)の「四」の「巻三十九」に「伊予国の十六日桜の事」として同様のことが記載されているとあった。同箇所を国立国会図書館デジタルコレクションの画像(ここ)から起こす。

   *

     伊豫國の十六櫻の事

伊豫國和氣山越了恩寺の林中に一本の櫻あり。正月十六日に花咲くなり。故に十六櫻といへりと。

   *

しかし、これはどうも本「諸國里人談」の本条の受け売りとしか見えず、他の追加情報もない。因みに上記リンク先では、その後に橘南谿の紀行「西遊記」(寛政七年から同十年にかけて刊行)の続編巻一の「扶桑木」の条を紹介し(同書は私も所持しているので改めて確認した)、そこに出る「伊与の国の沙門明月」(南谿に黒檀に木理(きめ)があるような扶桑木の木片というものを見せて呉れた僧)というのは『松山の円光寺(現松山市湊町四丁目)の住職』であるとしている。しかし、これは「扶桑木」の話であって桜ではなく、場所的にも寺蹟を調べても、この円光寺が了恩寺であるわけでもないようだ。翻って、先の講談社学術文庫版が原拠とする「文藝倶楽部」に出る「竜穏寺(りゅうおんじ)」はどうかというと、これは「龍穏寺(りょうおんじ)」として現在の山越地区の東隣りの松山市御幸あることが判った。(サイト「葬儀本com.」の「龍穏寺」のページだが、宗派等の詳細はない。単立寺院である)。位置的は問題ないと思われ、しかも「龍穩寺(りようおんじ)」は「了恩寺(りようおんじ)」と同音であるから、ここで間違いないであろう。この検証だけで一時間もかかってしまったが、最後にかなりすっきりした。]

2018/07/19

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(45) 社會組織(Ⅰ)

 

 社會組織

 

 故フイスク教授は、其の著『世界論槪説』の中で、支那、古代埃及、古代アツシリアのそれのやうな社會に就いて、頗る興味深い敍述を試みてゐる。曰く『これ等の諸〻の社會が現代ヨオロツパの國家の姿に似てゐたことは、丁度石炭時代の沙羅木(ツタイフアアン)が現今の外方生樹(エキゾゼナス)の風態をしてゐたのと同一である、と私は考へるのであるが――かく言ふ場合、私は單に類推以上の事を語り、發達の徑路に關する限りに於ては、實際の同一關係を述べて居るのである』と。此の説が支那に關して、眞實であるとすれば、等しく日本にあてはめても眞實である。古代日本の社會の組織構成は、家族の組織構成――原始時代に於ける族長的家族の擴大されたものに外ならない。現代西歐の社會も、すべて族長的の狀態から發展し來たつたものである。ギリシヤ、ロオマ古い文化も、より小さい規模の上にではあるが、これと同樣にして建立されたものであつた。併しヨオロツパに於ける族長的家族は、既に數千年以前に、崩壞し去つて居た、氏族(gens)と種族(curia)とは分散し消滅して居た、本來分かれて居た諸階級は、融合するに至り、到る處、社會の全改造が徐に行はれ、その結果制的協同に代つて、任意的協同が行はれて來た。産業を主とする型の社會が發展して、國家的宗教が古代の挾い一地の祭祀に取つて代つた。併し日本の社會は、現代に至る迄、一つの疑集した國體とはならず、氏族的狀態以上には發達しなかつた。日本の社會は、宗教上にも行政上にも他と關係を持たない、幾多の氏族團體或は部族團體の團結の緩い集團たるに止まつてゐた。而して此大集團は、任意的協同に依らず制に依つて纏められて居たのであつた。明治時代に至るまで、又幾年か其後に及んでさへも、中央政府の強壓力が薄弱の徴候を見せた際には、社會は分裂して切れ切れに分散する傾向を示して居た。吾々は此の社會を、封建制度と呼んでも良からうと思ふ、併しそれは沙羅木が樹木に似て居るといふ意味に於てのみ、ヨオロツパの封建制度に似てゐると云へるのである。

[やぶちゃん注:「故フイスク教授」「其の著『世界論槪説』」アメリカの歴史家・哲学者であったジョン・フィスク(John Fiske 一八四二年~一九〇一年)は一八六五年にハーバード大学法学部を卒業後、ボストンで弁護士を開業したが、スペンサーの社会進化論に刺激を受け、一八七三年から翌年にかけてヨーロッパを訪問し、ダーウィン・スペンサーらに会った。帰国したその一八七四年にここに出るOutlines of Cosmic Philosophy(「宇宙哲学概説」)を刊行し、進化論哲学をアメリカに伝えた。一八八〇年以降の彼の関心はアメリカ合衆国史に移り、進化論の立場から、それを解釈した(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「石炭時代」原文“Carboniferous period”(以下同じ)。石炭紀。古生代後半で、デボン紀の後、ペルム紀の前の時代。三億五千九百二十万年前から二億九千九百万年前までの時期。陸上ではシダ植物が発達し、昆虫や両生類が栄えた。

「沙羅木(ツタイフアアン)」“a tree fern”。「ツリー・フアァン」。木生羊歯(シダ)植物。

「外方生樹(エキゾゼナス)」“the exogenous trees”。「エクサァジネス・ツリー」。外生性植物。根或いは根のみではなく、植物体の茎やそこからの分枝相当部分の、表皮及びその下層組織で細胞分裂をして、地上部の植物体の表面が盛り上がることで形成される植物群。ここは現生の広汎な草本・木本類を指すと考えてよかろう。石炭紀の木生シダ類は代表的なリンボク(レピドデンドロン:ヒカゲノカズラ植物門 Lycopodiophyta (現生シダ類は現在、シダ植物門 Pteridophyta と本門を含める)ミズニラ(水韮)綱リンボク(鱗木)目リンボク科リンボク属 Lepidodendron)は木本様草体で樹高は四十メートル、幹は直径二メートルに達し、湿地帯に群生して大森林を形成した。]

 

 先づ第一に、古代の日本社會の性質を、筒單に考へて見よう。其の起原となる單位は一家ではなくて、族長的家族である――換言すれば、それは同族(ゼンス)[やぶちゃん注:前に出た“gens”。]卽ち氏族(クラン)[やぶちゃん注:前に出た“clan”。]と云ふもので、同じ祖先から血統を引いて居るか若しくは共通の祖先崇拜――氏神の祭祀に依つて宗教的に結び合つて居る幾百は幾千の人々の團體である。既に前に言つた通り、この種の族長的家族には二の階級がある、大氏卽ち大氏族、小氏卽ち小氏族と云ふのである。小氏は大氏から一分派したもので、前者は後者に從屬する。又それ故、小氏を結合した大氏の一團は、大略、ロオマの種族(キユリヤ)[やぶちゃん注:“curia”。「民団」などと訳す。]とか或はギリシヤの種族(フラトリ)[やぶちゃん注:“phratry”。「胞族」などと訳す。]に比べることが能きる[やぶちゃん注:「できる」。]。農奴或は奴隷の大集團は、諸〻の大氏に附屬して居たらしい。そしてこれ等奴隷の數は、極古い時期にあつてすら、氏族そのものの人數よりも多かつたらしい。これ等從屬の階級に與へられたいろいろな名は、服役の階級とその種類とを示してゐる。場所或は一地方に所屬することを示す品部(トモベ)、家族に所屬することを示す家部(ヤカベ)、圍ひ地或は領土に所屬することを示す民部(カキベ)等があるが、それよりももつと一般的なものは『民』[やぶちゃん注:tami”。「たみ」。]と云ふのである。之は昔の意義からすれば『寄食者』の意であろが、現今では英語の Folk の意味に用ひられて居る。……人民の大多數が、服役の狀態に在り、從つて服役にもいろいろな種類のあった事は疑を容れない。スペンサア氏は、奴隷制度と農奴制度と云ふ言葉の差異を、通常それに伴なつて居る意味から、大體に區別することは、決して容易な事ではない事を指摘して居る[やぶちゃん注:底本では「指」は脱字。この原文の動詞部分は“pointed out”。平井呈一氏の訳も同じ。]。蓋し特に社會の初期の狀態に在つては、從屬階級の實狀は、特權と立法との事實に依るのではなくて、主人の性格と社會の發達の實狀とに依るのである。日本に於ける初期の制度を述べるに際しても、この差別を立てることに頗る困難である。吾々は古代の從屬階級の狀態に關して、今尚ほ知る所甚少いのである。が、併し當時に在つては實際只だ二個の大階級――多數の段階に分かたれて居た支配者の寡頭政治と、これ亦多數の段階に分かたれて居た從屬的人民と――が存在して居たと斷言して可い[やぶちゃん注:「よい」。]と考へる。奴隷は、顏其の他身體の或る部分に、彼等の所有者を示す記號を、文身[やぶちゃん注:「いれずみ」。]してゐた。近年に至る迄、この文身の制度は、薩摩地方に殘つてゐるらしい――其處では、記號は主として、手の上に施され、其の他多くの地方では、下層階級の人達は、一般に其の顏面に文身を施されて居たのである。古代にあつては、奴隷は家畜の如く賣買され、或は其所有主に依つて貢物として献納されたのであつた――この習慣は、古代の記錄の内にたえず記されてあつた。奴隷の團結は認許されなかつた、これはロオマ人の間に行はれ connubiumcontuberniunとの區別を想ひ起こさせる[やぶちゃん注:「connubium」平井呈一氏は後に丸括弧で『既婚者』、同じく「contuberniun」の後に『奴隷の既婚者』とする。]、【註】奴隷なる母と自由の人たる父との間に出來た兒達は、矢張り奴隷となされた。第七世紀に至り、私人の奴隷は國家の財産であると宣告され、當時の大多數の奴隷――殆ど全部――否、恐らくは全部――が解放された、が、其の全部は工匠か若しくは有益なる職業に從事して居た者であつた。次第に自由に解放されカ一大階級が出來て來たが、併し現代に至る迄、一般人民の大多數は、農奴に近き狀態に置かれてあつたらしい。大多數の者は確に姓を持つてゐなかつた、之は以前奴隷の境遇に在つた證據と考へられるのである。眞の奴隷は、其所有主の姓名を以て登錄され、少くとも上古にあつては、自分自身の祭祀を持つてゐなかつたらしい。明治時代以前にあつては、貴族、武士、醫者、教師――恐らく二三の例外はこの外にあつたらしいが――のみが、姓名を名のることを許された。此の問題に關するなほ一つの奇妙なる事は、故シモンズ博士に依つて示されたものであるが、博士は隷屬階級の頭髮の蓄へ方を述べてゐるのである。足利將軍時代(紀元一三三四年)に至るまで、貴族、武士、神官、醫者を除いて、凡ての階級は、頭髮の大部分を剃り落して丁髷[やぶちゃん注:「ちよんまげ(ちょんまげ)」。]を着けたが、この頭髮の恰好を奴頭[やぶちゃん注:“yakko-atama”「やつこあたま(やっこあたま)」。]或は奴隷頭[やぶちゃん注:“dorei-atama”「どれいあたま」。]と呼んでゐる――この言葉は卽ち『奴隷の頭』の意味で、此習俗の隷屬時代に發生したことを示してゐる。

[やぶちゃん注:「足利將軍時代(紀元一三三四年)に至るまで」ママ。原文も“Up to the time the time of the Ashikaga shogunate (1334 a.d.)”である。まあ、南北朝から室町に含めるのは、大観として目を瞑るとして、後の「に至るまで」(原文は確かにそうであるが)は如何にもヘンである。平井呈一氏は『になると』と訳しておられる。]

 

註 六四五年代に、この問題に關して光德天皇は、次に揭げる如き勅令を發布した。――

『男子及び婦人に關する法律は次の如し、自由人たる父母の間に生まれたる兒は、其父に屬せしむ、自由人の父が、奴隷なる婦人を娶りて儲けたる兒は、其母に屬せしむ、自由人の婦人が、奴隷なる男子に嫁して儲けたる兒は、其父に屬せしむ。若しその二人が、二家の奴隷たらば、其兒は其母に屬せしむ。寺院の奴隷に生まれたる兒は、自由人に對する規則に從はしむ。その他奴隷となりたる者に在りては、奴隷に關する規則に從つて、取扱はる可きものなり』――アストン譯『日本紀』第二卷、二〇二頁

[やぶちゃん注:「日本書紀」の孝徳天皇大化元(六四五)年「八月庚子」の条に、

又男女之法者。良男良女共所生子配其父。若良男娶婢所生子配其母。若良女嫁奴所生子配其父。若兩家奴婢所生子配其母。若寺家仕丁之子者。如良人法。若別入奴婢法。如奴婢法。今克見人爲制之始。

   *

とある。平井呈一氏が訓読して引いておられるのを参考に(一部、歴史的仮名遣におかしなところがあるので、そこは従っていない)訓読文を示す。

   *

又、男女(をのこめのこ)の法(のり)は、良男(おほみたからのをのこ)・良女(おほみたからのめのこ)、共とも)に生めらむ子は、其の父(かぞ)に配(つ)けよ。若し、良男、婢(めのみやつこ)を娶(めと)りて生めらむ子は、其の母に配けよ。若し、良女、奴(をのやつこ)に嫁(とつ)ぎて生めらむ子は、其の父に配けよ。若し、兩(ふた)つの家(いへ)の奴-婢(やつこ)の生めらむ子は、其の母に配けよ。若し、寺-家(てら)の仕丁(つかへのよぼろ)[やぶちゃん注:全国の農民から五十戸に二人の割合で選抜され、中央官庁他で、三年間、雑役に従事した者。]の子は、良人(おほみたから)の法(のり)のごとくせよ。若し、別(こと)奴婢(やつこ)に入れらば、奴婢の法(のり)のごとくせよ。今、克(よ)く、人に制(のり)を爲(つく)るの始(はじめ)を見(しめ)す、と。

   *]

「神國日本」に出る『マハアヤアナ哲學概論』(黒田真洞著)判明

T氏の御教授により小泉八雲「神國日本」に出る『マハアヤアナ哲學概論』(黒田真洞著)が判明した。注に追記したので、過去記事の「大乘佛教」(Ⅱ)及び(Ⅲ)を再見されたい。

2018/07/18

「マハアヤアナ哲學概論」とその作者について情報提供により判明

いつもお世話になっているT氏の情報提供で、小泉八雲の「神國日本」に出る、不明としていた「マハアヤアナ哲學概論」とその著者が判明した。軽々に出来ぬ仕儀なので、明日、追記をすることとした。心からT氏に感謝申し上げる。

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(44) 大乘佛教(Ⅲ) / 大乘佛教~了

 

 佛教の説に從へば、佛陀の外に實在するものなく、其の他の一切のものは業に過ぎぬ。一個の生命、一個の自我あるのみ、人間の個性、及び人格と云ふも、必竟自我の現象に他ならぬ。物質は業であり、精神も業である――卽ち吾人の知る精神はさうである。業報はその像を現はす時、集合の一體と質とを表はし、その無形の名のを現はす時、性格と傾向とを表はす。本源的實體――一元論者の『分かつ可からざる原質』に相應するもの――は五個の要素から成り立つて居り、此の要素は、神祕的に五體の佛陀に合致せしめられ、それが又一體の佛陀の五相に過ぎないとされて居る。此の本源の實體に關する思想は、當然字宙を感性あるものと見る思想とに關係を持つて居る。物質は又生きてゐるのである。

 さてドイツの一元論者にとつても亦、物質は生命あるものである。ヘッケルは、「微分子と雖も感覺と意志の元始的なる形をもつて居る――更に適切に云へば、感情aesthesis)と向き方(tropesisとをもつて居るものである――卽ち、尤も單純なる類の遍在的心靈をもつて居る。』 と云ふ確信の基礎を、細胞生理學の現象の上に置く事を主張して居る。次にヘッケルの『宇宙の謎』から、ヴオグトや其他の人々に依つて主張される、實體の一元論的思想を語る章句を引用して掲げて見よう――

[やぶちゃん注:「ヘッケルの『宇宙の謎』」ヘッケル晩年の自然哲学の代表作Die Welträtse(一八八九年刊)。今年に入って、栗原古城訳版(大正六(一九一七)年刊・PDF縦書版)がサイト「科学図書館」で公開されており、全文が読める。それで示すと、以下の引用は「第十二章 本質の法則」の「本質に関する凝集的の解釈」(208ページ)の一節である。

「感情(aesthesis)」音写すると「アスティセス」。「刺激に対する直接的で基本的な認知」の意。

「向き方(tropesis)」「トロピィセス」。「傾向・動向」の意。

「ヴオグト」ヨハン・グスタフ・フォークト(Johann Gustav Vogt 一八四三年~一九二〇年)はイタリアのフィレンツェ生まれの博物学者。先の『宇宙の謎』の訳本の引用部分の次の段落で、実は以下の説がヘッケルのものというより、ヘッケルが賛同するフォークトの説であることが判る。引用しておく。

   *

 J・G・フォークト(J. G. Vogt)が説いた此学説に対しては、私はこれ以上精細に此処(ここ)に述べることが出来ぬ。されば尚お詳細のことを知り度(た)い読者は、 前述のフォークト(Vogt)の著述の第二巻の方に、 此難しい理論が通俗に解説してあるから、直接それに付いて見られんことを希望する。私はフォークト(Vogt)の此説について、其可否を明言し得る程、物理学や数学の造詣が無いけれども、自然の一致を確信せる生物学者としての立場から云えば、今日の物理学に於て一般に採用されている振動説よりも、此凝集説の方が、より多く信用出来るように思われるのである。フォークト(Vogtが此密集の順序を説くのには、普通の運動の現象と矛盾したところがあった為めに、或は誤解を生ずる虞(おそれ)があるかも知れぬ。併(しか)しながら彼は振動運動と云うことを、物理学者の言うような意味に於て説いたのであると云うことは、是非とも記憶して置かねばならない。彼の凝集の仮説は、矢張(やは)り振動の仮説のように、本質の運動と云うような意味なのである。唯此両個の仮説に於て相違する点は、運動の種類及び其運動的要素に対する関係に存する。されば此凝集説と衝突するのは、決して振動説全部ではないが、併(しか)し其の重要なる部分なのである。

   *

 なお、底本は引用の後に改行してすぐ本文が続くが、一行空けた。

 

 『實體に關する二個の基本的形態、秤量し得べき物質とエエテルとは、決して死滅するものでなく、單に外來的力に依つてのみ動かされて居る、併しそれ等は(當然、最小の程度に於てではあるが)感覺と意志とを附與されて居るのである、それ等は凝縮の傾向と、緊張の嫌惡を體驗する、卽ちそれ等は前者を求め、後者と抗爭する』

 

 シユナイダアの説いた極めて有り得べき假定説――感性は一種の結合の形成と共に始まるといふ事――感情は、恰も有機體が無機體から展開し來る如くに、無感情より展開し來るものであるといふ説は、昔の鍊金術師の夢想の復活よりもたよりないものである。併し斯樣な一元的思想は、物質を觀ずるに、完うされたる業とする佛教の教と、驚くなかり合一するのである。それ故にこれ等兩思想は、此處に竝べて論ずる價値があるのである。佛教の考察に依れば、一切の物質は有情である――有情卽ち感性は事情に從つて變化する、日本の佛教の經文は『岩や石たりとも、佛陀を禮拜することが能きる[やぶちゃん注:「できる」。]』と教へる。ヘツケル教授一派のドイツの一元論者に依れば、微分子の特性と親和性とは。感情と向き方、卽ち『尤も單鈍なる心靈』を表はして居る、佛教に於ては、これ等の性質は業から生まれる――卽ち、これ等の性質は 先在の狀態から生まれた傾向を表はすものである。此の兩假定説は非常に近似してゐるやうに見える。併し西歐の一元論と東洋の一元論との間には、非常に重大なる相違がある。西歐の一元論は、微分子の性質を、單に遺傳の一種さ無限の過去を通じて作用し來たつた偶然の影響の下に、發展したる固執力強き傾向――に歸して居る。東洋の一元論は、微分子の歷史を以て、純なる道德であると云つて居る!佛教に從へば、一切の物質は、其の固有の傾向に依り、苦樂、善惡の方に向ふ有情の綜合である。『マハアヤアナ哲學概論』の著者は恁う云つて居る。『不鈍の行爲は不純の土地を生み、純なる行動は、宇宙の各方面に、純なる土地をもたらす』と。換言すれば、道德的行爲の力に依つて完成されたる物質は、遂に幸多き世界を建設するに至る、これと反對に、不純なる行爲の力によつて、形成されたる物質は、不幸な世界を作るに至るといふのである。一切の實體は、一切の精神の如く、その業を有つて居る。遊星は、人間の如く、行爲と思考との創造力に依り形成せられる。而して各微分子は、その内に潛んで居る道德的若しくは不道德的なる傾向に從ひ、晩かれ早かれ、其の行く可き場所に落ち着くのである。人間の行爲思想の善惡は、ただにその來世に影鰐を及ぼすのみならず、無數の幾萬年の周紀の後、再び住まなければならない世界の性質に何等かの影響を與へるのである。勿論、此の壯大な思想は 現代の進化哲學中には、何等これに近似するものを有つては居ない。スペンサア氏の立場は、よく知られてゐるが、私は佛教思想と科學思想との對照を強く示すために、氏の言葉を引用しなければならない、――

[やぶちゃん注:「シユナイダア」不詳。ドイツの進化論的心理学者ゲオルグ・ハインリヒ・シュナイダー(Georg Heinrich Schneider  一七四一年~一八〇一年)か?

「『マハアヤアナ哲學概論』の著者」既出で既注の通り、著者も書誌も不詳。改めて、識者の御教授を乞うておく。【2018年7月19日:追記】既にに追加注した通り、何時も種々私の電子テクスト注の疑問や誤謬について情報や補正指摘を頂戴しているT氏の御教授により、これは浄土宗の僧で仏教学者であった黒田真洞(くろだしんとう 安政二(一八五五)年~大正五(一九一六)年)が明治二六(一八九三)年九月に「シカゴ万国博覧会」の一部として開かれた「万国宗教会議」で配布したOutlines of The Mabâyâna as Taught by Buddha(「大乗仏教大意」)であることが判明した(詳しくは注追記を必ず参照されたい)。ここの小泉八雲の引用原文は、

   *

bring forth the Pure Lands of all the quarters of the universe ;  while impure deeds produce the Impure Lands.

   *

で、T氏の御教授によって、これはOutlines of The Mabâyâna as Taught by Buddhaの、

CHAPTER IV.  Pure and impure causes and conditions.

からの省略引用であることが判明した。原文は、

   *

Pure actions bring forth the Pure Lands of all the quarters of the universe (lands produced by the pure mind)  and the sages of “Triyâna”; while impure deeds produce the Impure Lands everywhere (lands produced by impure mind)  and good or bad results. Where there are actions there are corresponding results ;  and as the varieties of actions are innumerable, so are the fruits infinite.

   *

 

である。日本語は「四 緣」のこちらを参照されたい(国立国会図書館デジタルコレクション)。最後に再び、御教授戴いたT氏に謝意を表するものである。]

 

 『吾人は、星雲の凝縮に關しての倫理も、恆星の運動に關しての倫理も、將又遊星の進化に關しての倫理も有つては居ない、かくの如き考へは無機體とは無關係のものである。又有機體を見ても、倫理が植物の生命の現象に何等關係のある事を認めない、よし生存競爭に於ける成功と失敗とに至らしめるものとして、それを植物の優秀なるものと劣等なるものとに歸しはするが、吾々は決してそれを、賞讚又は非難の點とはしない。倫理の問題が生ずるのは、動物界に有情が發生してのことである』――『倫理の原則』第二卷三二六頁

 

 これに反して、佛教は、スペンサア氏の言葉を藉りて言へば、『星雲凝縮の倫理』とでも言つて然るべきものを、事實教へる、――よし佛教の星學では、『星雲凝縮』と云ふ言葉の科學的意味は少しも知らなかつたのでありはするが。勿論、この假説は、證明反證共に遠く人智の及ばざるものである。併しそれは宇宙の純なる道德的秩序を闡明し、人間行爲の瑣事にも、殆ど無限の結果を關係させてゐるのが面白い。古代の佛教の形而上學者が、近代化學の眞實を知つてゐたならば、彼等は驚く程巧みに、その教義を化學的事實の解釋説明に應用したことであつたらうと思ふ。彼等は、微分子の活動の説明にも、分子の親和の説明にも、エエテル震動の説明にも、業の理論をひつさげて、頗る面白く恐怖すべきほどに、これを用ひたであらう……。此處に暗示の世界が在る――最も不思議な暗示の――蓋し何人でも新宗教を作る試驗を、敢てなし得る人若しくは爲さんと欲する人、或は少くとも無限の世界に於ける道德的秩序といふ考へに基礎を置いた鍊金術の廣大なる新體系を作らんとする人に取つては、これは暗示の世界である。

 

 併し大乘佛教に於ける業の形而上學は、微分子の結合に關する錬金術上の假説よりも、更に理解し難いものを多くもつて居る。通俗佛教の教へるところに依れば、再生の教義は至極筒單である――輪𢌞と同意味で、人は過去に於て、既に何百萬遍も生まれて居たのであり、同樣に未來にも亦、多分何百萬遍となく再生するであらう――再生する度每の境遇は一つに過去の行ひにかかつてゐる。一般人の考へる所に依れば、此の世に肉體を消して、尚ほ若干期間滯留して後、靈魂は次に生まれる場所へと導かれる。人々は勿論心靈を信じて居るのである。併し大乘佛教の教義は輪𢌞を否定したり、へ心靈の存在を否定したり、人格を否定したりして、如上の事は全然その内に見當たらない。再生すべき自我もなければ、輪𢌞もない――併しそれにも拘らず再生はある!苦しみ若しくは喜ぶ眞の『我』はない――しかも受けるべき新たなる苦しみ、得らるべき新たなる幸福はある!吾々が自我――個性的意識――と呼ぶ名のは、肉體の死と共に分散する、併し生存中に形戌せられた業は、新しい肉體及び新しい意識の組織完成を行ふ。若し生存中に苦しいことがあれば、それは前世の行ひの報いである――併し前世の行爲の實行者は、現世の我と同一人ではない。然らば、他人の過失に對して現世の我は責任をもつのであるか?

 佛教の形而上學者は、恁う答へる『そは君の疑問の形式が間違つて居る。君は個性の存在を假定して居るが――個性といふものはないからである。君の問ふやうな「現世の我」と云ふ如きそんな個人は、實は無いのである。苦難と云ふは、事實先在した或る一個の存在か、または多くの存在が犯した罪の結果である、併し個性が無いのであるから、他人の行爲に對する責任はない筈である。轉變無常の生の連鎖の中で、嘗て昔の「我」と現在の「我」とは、行爲と思想とによつて創造されたる一時的の總和を表はして居るのである。そして苦痛は質から生まれ出る事情としでの總體に屬するものである』と。此の答へは、全く漠然としてゐる、眞の理論を知らうと思へば、非常に困難な事であるが、個性の概念を排除しなければならない。連續的に生まれ代るといふことは、普通の意味に於ける輪𢌞を意味しない、それは只だ業の自己傳播を意味するのみである。若し生物學上の言葉を藉りるならば――靈の發芽とでも云ふものに依つて、或る狀態の恆久に積み重ねられると云ふことを意味する。佛教的の説明に、併しこれを譬へれば、一個のラムプの心から他のラムプの心へと燃え移つて行く炎の如きものである。かくして一百のラムプは一個の炎に依つて點される。そしてその間の炎はみな異つて居る、しかも其の本源は同一の炎である。各點變無常の生命の空虛な炎の中に、只だ一つの實體の部分のみが包藏されてゐるのである。併しそれは輪𢌞する心靈ではない。生誕の度每に顏を出すのは、業――性質或は境遇――のみである。

 

 如何にしてかかる教義が、少しでも道德上の影響を起こし得るかとは、當然發生すべき疑問である。未來が忍の業に依つて、形成せられるとして、その未來は決して私の現在の自我とは同一ではないとすれば――また未來の意識が私の業に依つて展開されるとして、その未來が本質的に私とは別の意識であるとすれば、――どうして私は未だ生まれざる人間回の苦痛を、考慮するやうに感じられ得よう。佛教徒は答へて言ふ。『君の疑問は今度も亦間違つてゐる。此の教義を理解しようといふには、君は個性の概念を脱却しなければならぬ。そして個人を考へずに、感情と意識とのつぎつぎの各狀態は、互に其の次の發芽の原となり、生存の鎖は相互に結合されて居る――其狀態を考へなければならぬ。』 と……。私は今一つの説明を試みる事にする。一切の人間は、吾々が此の言葉を解する限りでは、絶えず變化して行くものである。肉體の各構造は、不斷の消粍と修理とを受けて居る。從つて此の瞬間の君の身體は、其の本質に於て、君の十年以前の身體とは同一でない。生理上から云つて、君は同一人ではないのである、それにも拘らず、君は同じ苦痛を嘗め、同じ快樂を味ひ、同一條件に依つて、其の力を制限されて居るのである。君の體内で、如何なる分解、如何なる改造が、其の組織の上に行はれようとも、君は十年以前の特性と等しき、肉體上竝びに精神上の特性を持つてゐるのである。君の腦細胞は、分解されたり、改造されたりして居る。が、しかも尚ほ君は同一情緒を經驗し、同一の追憶を囘想し、同一の思想を思惟する。到る處で、新鮮な實體は、換へられたもとの實體の性質と傾向とをとつて居る。かくの如か事情の固執してつき纏つて行くのが業に似てゐる。總體は變化しても、傾向の傳達は殘つて居る。――

 

 以上佛教の形而上學の奇異なる世界を除いた、二三の瞥見はこれだけで十分であらう、大乘佛教(多く論議されて、しかも理解さるれこと少き涅槃の教義はこの内にある)が抽象的思念を作る事の殆ど出來ない幾百萬人の宗教――宗教的進化の比較的初期に於ける民衆の宗教となり得なかつた事を、聰明なる諸君に納得せしめるに十分であつたらうと私は信じる。それは全然人々に理解されなかつた。又今日でも尚ほ人々に、教へられては居ない。それは形而上學者の宗教であり、學者の宗教であり、哲學的に訓練されたる或る種の人々にとつてさへも、了解するに困難なる宗教であるがために、それが全然否定の宗教であると誤解されたのも無理のない事である。讀者諸君は今や個性ある神、靈魂の不滅、死後に於ける個性の存續等を否定するからと云つて、其の人を――特にその人が東洋人であつた場合――無宗教の人と呼ぶのは當を得た事でないといふ事を了知し得たであらう。宇宙の道德的秩序、未來に對する現在の倫理的責任、一々の思想と行爲との無量の結果、惡の究極の絶滅、無限の記憶と無窮の幻想との境界に到達する力、等を信仰する日本の學者は、偏執か無智なる者の外、これを呼んで無神論者とか唯物論者とかと云ふ事はできない。日本の宗教と、吾々西洋の宗教との差異は、思想の象徴と樣式とに關する限り、如何に深大であるにしても。兩者が到達する道德的結論は、殆ど同一なるものである。

 

2018/07/08

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(43) 大乘佛教(Ⅱ)

 

 さて此處で、これ等教義の、近世思想との關係に就いて、これを筒單に考察することは、無益な事ではあるまい、――先づ最初の一元論から始めよう、――

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

 

 形若しくは名を有りて居る一切のものは、――佛、神、人間、及びあらゆる創造物――太陽、世界、月、一切の目に映ずる宇宙――これ等は皆、變轉常なき現象である……。ハアバアト・スペンサアの説に從つて、實體の證左となるものは、其の永久性にあるとすれば、何人もかくの如き考へ方を怪しむものはなからう、此の考へ方は、スペンサアの『第一原理』の結論たる其の最後の章の敍述と殆ど同じである――

 『主觀と客觀の關係が、吾人に、精神と物質との相對的概念を、必要と感ぜしむるとは云へ、前者(精神)も後者(物質)も共に、兩者の土臺に橫たはる未知の實體の標章に過ぎない』――一八九四年版

[やぶちゃん注:ハーバート・スペンサーの全十巻から成る「総合哲学体系」(System of Synthetic Philosophy)の第一巻の「第一原理」(First Principles)。初版は一八六二年刊。引用部“Though the relation of subject and object renders necessary to us these antithetical conceptions of Spirit and Matter; the one is no less than the other to be regarded as but a sign of the Unknown Reality which underlies both.”はまさに「第一原理」の最終章「第二十四章 概括と結論」(CHAPTER XXIV.: SUMMARY AND CONCLUSION.)の擱筆である(正確には文頭は“He will see that”で始まり、though 以下に続く)。]

 

 佛教に於て、唯二の實體は、絶對と云ふものである、――佛陀を、自由自在無限の存在として。物質に關しても、將又精神に關しても、佛陀以外に眞の存在はない、眞の個性もなければ、眞の人格性もないのである、『我』と云ふ名『非我』と云ふも、本質的には決して異つたものではない。吾々は、つぎの如き、スペンサア氏の立脚地を想起する。卽ち『吾人に示されてある實體が、主觀的なりと云ひ、或は客觀的なりと云ふも、それは決して異るものではなく、二者同一である』と。スペソサア氏はなほ續けて云ふ、主觀と客觀とに、必然的に意識に依つて左樣考へられるものではあるが、實際に存在するものとしては、兩者の共働に依つて生ずる意識の中にはあり得ない、主觀と客觀との對立は、意識が存在する限り、決して存在を超越し得るものではなく、主觀と客觀とが結合されて居る其の究極の實體に就いての知識を不可能ならしめる』と……。私は、大乘佛教の大家と雖も、スペンサア氏の此の實體變形説の狭義を論難する人はなからうと思ふ。佛教も、現象としての現象の現實性を否定するものではないが、現象の恆久性及び現象が吾々の不完全なる感覺に訴へる假象の眞實性に對してはこれを否定する。變轉常なく、見えるが儘でないのであるから、現象は幻影の性質を備へて居るものとして考へらる可きである――唯一の恆久性ある實體の不恆久的なる表象として考へらる可きである。併し佛教の立脚地は、不可知論ではない、それは驚くべき程それとは異つて居るものである、今玆にそれを攷へて[やぶちゃん注:「かんがへて」。]見ようと思ふ。スペンサア氏は、意識が存在する限り、吾人は實體を知ることが能きない[やぶちゃん注:「できない」。]と云ふ――其の所以は、意識の在る限り、吾人は客觀と主觀との對立を超えることは能きない、而して意識を可能ならしむるものは、實に此の對立であるからである。これに應ヘて『如何にもそれは、その通りだ。吾々は、意識が存在する限り、唯一の實體を知ることは能きない。併し、意識を破棄せよ。然らば、實體を認識するに至らむ。精神の幻影を棄てよ、然らば光明は射し來たらむ』と佛教の哲學者は言ふであらう。此の意識の破棄が、涅槃の意である、――それは吾々が自我と呼ぶ所のものを、盡〻く亡くしてしまふ[やぶちゃん注:「ことごとくなくしてしまふ」。]ことである。自我は盲目である、自我を亡ぼせ、然らば、實體は無限の幻像、無限の平和として、示現せられるであらう。

 さて。佛法の哲學に從ふと、現象としての目に見える宇宙とは何であるか、又知覺する所の意識の本性は何であるかを、尋ねて見なければならない。變轉無常とは云へ、現象は意識の上に印象を具へる、又意識それ自身も、たとへ變轉無常とは言へ、存在をもつて居り、其の知覺たるや、よし欺くものであろとしても、現實の關係に就いての知覺である。玆に佛教は、宇宙も意識も二つながらに、業――遠い遠い過去からの行爲と考へとに依つて、形成せられた狀態の、計量すべからざる複合物――の單なる綜合に過ぎないと答へる。一切の本質、一切の有限の精神(絶對の精神から區別されたる)は行爲と考へとの産物である、行爲と考へとに依つて、身體の微分子は構成せられる、而して其の微分子の親知力――科學者に云はせれば、其の微分子の兩極性――は無數の死滅せる生命の内に、その形を成したる諸〻の傾向を示してゐる。私は、その問題を取扱つた近代日本の論文を、次に掲げる事にしよう。--

 

  

 「あらゆる有情物の集合的動作は、山や河や國等の種別を生ぜしめた。これ等は、集合的動作に依つて生じたのであるが故に、綜合成果と呼ばれる。吾人の現在の生は、過去の行動の反映である。人々は、これ等の反映を、眞の自我と觀じてゐる。彼等の眼、鼻、耳、舌、身體は――彼等の庭園、樹木、田畠、住居、下僕、下婢と共に――自己の所有物であると、人々は思つてゐる、然るに、事實それ等は、無數の行爲に依り、無限に産出された成果に過ぎぬ。萬物を、其の究極の過去にかのぼつて、尋ねて見るとも、吾々は其の始源を見極めることはできない、故に死と生とに始めなしと云はれてゐる。また、未末の究極の涯を尋ねるとも、吾人は遂に其の終端を見る事はできない』

 

    註 黑田著『マハアヤアナ哲學概論』

[やぶちゃん注:原文はOutline of the Mabâyâna Philossophy, by S.Kuroda.で、英文のそれで検索しても、平井呈一氏の「マハーヤーナ哲学概論」という訳でも探して見たが、影も形も出てない。作者も判らぬし、出版年も不明。お手上げ。識者の御教授を乞う。【2018年7月19日:追記】何時も種々私の電子テクスト注の疑問や誤謬について情報や補正指摘を頂戴しているT氏より、以上についての情報を戴いた。それによれば、

小泉八雲の記したOutline of the Mabâyâna Philossophy.は少し不正確で、Outlines of The Mabâyâna as Taught by Buddhaが正しいこと。

当該の文章は浄土宗の僧で仏教学者であった黒田真洞(くろだしんとう 安政二(一八五五)年~大正五(一九一六)年)が明治二六(一八九三)年九月に「シカゴ万国博覧会」の一部として開かれた「万国宗教会議」で配布したものであること。

また、

英文の同書OUTLINES OF THE MABÂYÂNA AS TAUGHT BY BUDDHA“Internet Archive”公開こと。

ことを御教授戴いた。

 Outlines of The Mabâyâna as Taught by Buddhaは「釈迦によって思念されたマーハヤーナ(大乗仏教)の概要」となる。

 この著者黒田真洞は江戸日本橋生まれで、安政六(一八五九)年、四歳で江戸・芝の増上寺に入って出家剃髪し、同寺の石井大宣らに師事した。後、京都に遊学、智積院の弘現や三井寺の敬徳、和田智満・福田行誡といった高僧たちのもとで学んだ。明治一七(一八八四)年、増上寺に戻って、学頭となり、明治二十年には浄土宗学本校の創設とともにその初代校長に任ぜられた。明治三〇(一八九七)年には宗務執綱に就任し、宗憲の制定や全国を八つの教区に分けるなど、浄土宗内の改革・刷新を断行した。その後、伝道講習院長や浄土宗大学学長などを歴任し、明治四十年からは宗教大学(現在の大正大学)学長を務めた。著書に「大乗仏教大意」「法相伊呂波目録」「浄土宗綱要」などがある(以上は日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」に拠った)。

 因みに、T氏はさらに、以上の情報は、

駒澤大学院人文科学研究科仏教学専攻のステファン・P・グレイス氏の博士論文「鈴木大拙の研究 現代「日本 」仏教の自己認識とその「西洋 」に対する表現PDF)に基づいた。

とされる(その三十二ページ末から。なお、そこには、大拙の事実上の処女作というべき明治四〇(一九〇七)年のOutlines of Mahayāna Buddhism(「大乗仏教概論」)が『内容、構成、文体、さらにはレイアウトにいたるまで、非常に多くの共通点をもつ。両書があまりにもよく似ているので、大拙の『大乗仏教概論』が、黒田の『大乗仏教大意』[やぶちゃん注:Outlines of The Mabâyâna as Taught by Buddhaのこと。]に』、少し許り『変更を加えた「改訂増補版」のように見えるといっても決して過言でないほどである』という、非常に興味深いことが記されてあるので、必読である)。

 加えてT氏は、

Outlines of The Mahāyāna as Taught by Buddhaの元版(日本語)は、黒田真洞「大乗仏教大意」国立国会図書館デジタルコレクションの画像明治二六一八九三)仏教学会刊・四十ページ)全文

と、メールの最後に添えて下さった。まことに痒いところに手が届いた御教授、恐縮の極みで、感謝に堪えない。ここに再度、T氏に御礼申し上げるものである。

 因みに、小泉八雲原文引用箇所(同じく“Internet Archive”236237ページ)と比較してみると、同書の、

Chapter. Actions and Results, Causes And Effects. (上記日本語版では「第四 業報因果)10-11ページの内容を本文に即しつつ、英語圏一般読者向けに操作している

 

ことが判った。]

 

 萬物は業に依つて造られると云ふこの教へは――美なるものはすべて功績高き行爲若しくは考への結果を表現し、惡なるものはすべて惡行若しくは惡念の結果を表現する――五大宗派の承認する所となつた、されば吾々は日本佛教の主要なる教義として、これを容認して然るべきであらう……。卽ち宇宙は業の集合體である、人の心も業の集介體である、その始めは不可知であり、終りも亦想像することの出來ないものである。玆に涅槃を其の歸着點とする精神上の進化があるのであるが、吾々は實質と精神との形成が永久に休止するといふ、普通の安息の究極狀態に關しては、何等明言する處を聞かない……。而して綜合哲學(スペンサアの)は、現象の進化に關して、これと極めて類似した立脚地を採つて居る、卽ち進化には始まりなく、認知し得べき終極もない。私は『北米評論』に現はれた位置批評家に與へたスペンサア氏の答辯を引用する。――

 

   

 『論者の言ふ、かの「地上に於ける有機的生活の絶對始源」を、余は「容認せざるを得ず」との意見を、余は明確に否認す。宇宙の進化を肯定する事は、それ自體が、萬物の絶對始源を否定する事となるのである。進化と云ふ言葉を以て解説すれば、萬物は、先在する物の上に、不知不識の間に一段一段と積み重ねられた修正の結果であると考へられる。此の考へ方は、有機的生活のつぎつぎの發展に關して、と同樣に又假設の「有機的生活の始源」に關しでも、全く適用されるものである……有機的物質は、一朝にして造り出されたものではなくて、段階を經て造られたものであるといふ。此の信念は、化學者の經驗に依つて、十分證されてゐる』

 

    註 『生物學原理』第一卷第四八二頁

[やぶちゃん注:「総合哲学体系」(System of Synthetic Philosophy)第二巻のPrinciples of Biology(一八六四年刊)。]

 

 勿詣、萬物の始源と其の終極とに關して、佛法が沈獸を守つて居るのは、單に現象の出現に限るのであつて、現象の一群の特殊な存在に就いてではないと云ふことは、了解して置かなければならない。始源と絡極との斷言出來ないといふ事はこれ卽ち永遠の變遷に過ぎない。その起原である古い印度哲學と同樣、佛教は宇宙の交互的顯出と消滅とを教へる。無量の或る時期に於て『十萬億土』の全宇宙が消えてしまふ――燒失するか或はその他の方法で破壞されて――しかしそれは又再び造りかへされるのである。これ等の時期を稱して『世界の周紀』といふ、そして各周紀は四つの『無邊』に分割されてゐる――併し、此處では此の教義の詳細に就いて述べる必要はない。實際興味のある處は、進化の律動を説くその根本的思想にあるのみである。宇宙の交互的分壞や囘復は、また科學的概念であり、進化論の信念から言つても、一般的に容認されたるその信條であるといふことは、讀者諸君に注意する迄もないことである。併しながら私は別の理由から、この問題に關するハアバアト・スペンサアの意見を表明する章句を、次に引用して見よう。――

 

   

 『吾人が既に説いた如く、明らかに索引[やぶちゃん注:原文は“forces of attraction and repulsion”であるから「牽引」(力)の誤植である。確信犯としても日本語では「牽引」が妥当である。平井呈一氏も『牽引』と訳している。注さないが、後の「索引」も同じ。]と反撥との遍在する共力が、宇宙を一貫して、一切の微紬な變化に律動を必要ならしめ、また變化の總和に對しても律動を必要ならしめる――かくの如き共力は、或る場合には索引力を優勢ならしめ、宇宙の集中を行ふ涯りなき[やぶちゃん注:「かぎりなき」。]一時期を現出し、さらに反撥力を優勢ならしめ、擴散を行ふ涯りなき一時期を現出する――かくて父互に進化と離散との時代を現出する。かくの如くして、現代に於て行はれつつあるが如き、繼續的進化の行はれたる過去の時代に關する概念が吾々に暗示されるのである、而してまた別の同樣な進化が行はれる未來の時代も亦附示される――原理に於ては常に同一なるも、具像的の結果[やぶちゃん注:原文“concrete result”。「具象的な結果」に同じい。]に於ては同一ならざるものである」――『第一原理』 一八三項[やぶちゃん注:「頁」の誤植である。]

三項

 

   註 此の項は第四版から引用したもので、

     一九〇〇年の決定版には著しく改訂

     されてある。

 

 更に、スペンサア氏は、此の假定に包含せられて居る論理的結果を指示してゐる。――

 

   

 『吾々は當然さう考へるべき理由があるが、若し萬物の總和には、進化と離散の交互作用があるとすれば――又吾々は力の永續性からさう推論せざるを得ないが、若し此の廣大なる律動の何れかの一端への到達が、其の反對の運動の發生するやうな狀態を惹き起すとすれば――さらに、若し吾々が涯りなき過去を掩ふであらう進化の概念、及び涯りなき未來を掩ふであらう進化を、容認するの已むなきに至るとすれば――吾々は、も早や明確な始點と終點とを持つやうな、或は孤立したやうな、認知し得る天地の創造を考へることはできない。さういふ天地は、現在の前後のすべての存在に歸一せしめられるやうになる、そして宇宙が示す力は、考への上に何等の制限をも認めない、時間と空間との同じ範疇に入つてしまふ』――『第一原理』第一九〇項[やぶちゃん注:「頁」の誤植。]

 

    註 一九〇〇根の決定版中には筒約され

      多少修正もされた、併し今の場合に

      於ける説明の便宜上、第四版を選ん

      だのである。

 

 以上述べた佛教の立脚地は、人間の意識は轉變無常の集合體に過ぎず――永久的實體ではない、と云ふ意味を十分に示してゐる。恆久の自我と云ふものはない、あらゆる生に通じて唯一つの永遠の原理があるのみである――最高の佛陀がそれである。近代の日本人は、此の絶對を、『精神の心髓』と呼んでゐる。近代の日本人なる一人は曰く、『火は薪に依つて燃え、薪の失せると共に消える。併し火の本質は破壞される事はない……宇宙に在る萬物は、すべて精神である』と。恁ういふと、この立場は非科學的である、併しかくして到達した結論に關しては、ワラス氏が殆ど同樣のことを言つてゐるし、又『心より成る宇宙』の教義を説く近代の牧師も二三に留まらない事を記憶しなければならない。此の假説は『考へ得べからざる』ものである。併し最も眞面目な思想家は、一切の現象と不可知(アンノアブル)[やぶちゃん注:“unknowable”。]のものとの關係は、波と海との關係に似て居ると云つた佛教の斷定に同意するであらう。スペンサア氏は云ふ、『あらゆる感情とか思想とか云ふものは、ほんの轉變無常のものであるから、かかる感情や思想で出來上つてゐる全生活も亦轉無常なものに過ぎない――否、縱令[やぶちゃん注:「たとひ」。]幾分は轉變無常でないとしても、生命が過ぎ通つて行くその周圍の物象は、晩かれ早かれそれそれの特性を失ひ行くものであるから――恆久なるものと云ふのは、變はり行く形相[やぶちゃん注:「けいさう」。]の一切の底にかくれて居る未知の實體を指すのであると云ふことが判かる』と。此處に於て、イギリスの哲學者と佛教哲學者とは相一致したわけであるが、其の後忽ちに兩者は相分離する。何となれば、佛教はノステイシズム(神祕可知哲學)[やぶちゃん注:“gnosticism”。]であつて、不可知論(アグノステイシズム)[やぶちゃん注:「アグノステイシズム」はルビ。“agnosticism”。]ではなく、不可知のものを知らんことを揚言するものであるからである。スペンサア學派の思想家は、唯一の實體の性質に關して假定を與へることをなし得ないし、且つ又其の表現の理由に關しても假定を與へないのである。スペンサア學派のものは、力、物質、及び運動の性質を理解する事に關し、知的無能力者であると云ふことを自ら白狀しなければならない。その學徒は、一切既知の要素は、一個の本源なる無差別的本體から展開されたものであると云ふ假説――この假説に就いては化學が有力に證據立ててゐる――を容認するのは理の當然であると考へる。併し彼は其の本源の實體を精神の實體とは決して同一視しないし、又精神の實體を完成するに與つて[やぶちゃん注:「あづかつて」。]力ある諸〻の力の性質を、説明しようともしない。吾々が物質を解するに、單にこれを諸ゞの力の集合であるとか、又は微分子では力の中心か、然らざれば力の結節であると解することを、スペンサア氏は既に承認して居るのであらうが、氏はまだ微分子が力の中心であつて、他の何物でもないと宣言した事はない……。併しドイツ統の進化論者に、佛教の立場に甚だ近い立場を取つて居るのを見る――則ちそれは宇宙の感性、もつと嚴密に云へば、宇宙のやがて發展すべき潛力的感性を意味するものである。 ヘッケル其の他のドイツの一元論者は、すべての實體に對してかくの如き立場をとつて居る。故に彼等は不可知論者ではなくて、ノステイツクである。そしてそのノステイツクの哲學たるや、大乘佛教に非常に近いものである。

[やぶちゃん注:「ワラス氏」“Mr. Wallace”。イギリスの博物学者でダーゥインと並ぶ進化論理論家アルフレッド・ラッセル・ウォーレス(Alfred Russel Wallace 一八二三年~一九一三年)。彼は斬新な新理論を提示しながら、一方で心霊主義に傾き、進化には「目に見えない宇宙の魂」が人干渉したと主張し、「宇宙の存在意義が人類の霊性の進歩である」と信じていた。進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(4) 四 ウォレースとヴァイズマンを参照されたい。

「ヘッケル」生物学者で哲学者でもあったエルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel 一八三四年~一九一九年)。私の敬愛する生物学者である。進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(3) 三 ハックスレーとヘッケルを参照されたい。]

2018/05/17

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(42) 大乘佛教(Ⅰ)

 

  大乘佛教

 

 この場合哲學的佛教の、概賂の考察が必要になる、――二つの理由があつて。第一の理由に、本問題に就いての誤解或は無知識が、日本の知識階級は無神論者であるといふ批難を可能ならしめたからである。第二の理由は、日本の平民――卽ち國民の大部分を占めて居る人々――が熄滅としての涅槃[やぶちゃん注:原文は“Nirvâna as extinction”。「消滅たるところの涅槃」という意味にしか採れない。しかし、本書の読者である西洋人一般には「消滅」が判りがいいのだろうが、どうも、ここは本来は「涅槃」そのもののサンスクリット語「ニルヴァーナ」の意、即ち、「煩悩の境地を離れて悟りの境地に入ること」の別表現・形容でないとおかしい。私には「消滅」というのは如何にも無への帰一のニュアンスがあってしっくりこない。輪廻から解き放たれた解脱としての現世上の幻化としての存在の消失である。というより、小泉八雲が以下で語るのもそういう単純な「断絶・滅消」という話にならない《致命的誤謬》をしてはいけないと言っているからである。日本人である私(本質的個人としては無神論者であるが)としては邦訳ならば、平井呈一氏の『寂滅としての涅槃』がやはりよいと考える。](事實上から云へば、此の言葉の意味すらも、人民の大多數には、知られて居ないのであるが)の教義を信仰し、此の教義が、それから生ずると假定され鬪爭に對する無能力を作り出すが故に、人々は諦めて地上から全然消滅する事を甘んじて居ると、考へて居る人々が多少あるからである。苟も聰明なる人が少しでも眞面目に考へたならば、そんな信仰が、野蠻人でも文明人でもの宗教となり得たとは考へられない筈である。然るに、多くの西歐人は、何等深く考へる所なくして、かくの如き不可能の記事を常に容認して居る、故に 若し私が、眞に大乘佛教の教義が、如何に普通の考へとかけ離れて居るかを、讀者に示す事が出來たならば、それは眞理と常識のために、多少の仕事をつくした事になるであらうと思ふ。なほこの問題に關して述べた以上の理由の外に、此處に第三のしかも特殊なる一つの理由がある、――卽ちこの問題が近世哲學の研究者にとつて、異常の興味を與へるものの一つであるといふ事である。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

 

 話しを進めるに先き立つて、私は諾君に次の事を御注意したい、則ち重要なる多くの經典は歐洲の各國の國語に飜譯され、且つ未だ飜譯の出來て居ない經典の原文の大部分も、既に絹輯され公刊されて居るのであるから、佛教の形面上學は、日本に於けると同じ樣に、他の如何なる國々に於ても、研究し得ると云ふ事である。日本佛教の原文は、漢文である、それ故、ただ漢學の出來る人のみが、本問題の細微な特殊の方面に就いて光明を投じ得るのである。七千卷から成る漢文の佛教の經典は、これを讀破することすら、一般には不可能の業と考へられるのである――よしそれは、日本に於て、既に成されて居たのではあるが。その上、註釋書や、各宗派のいろいろの解釋書や、後代になりて加はつた教義やらで、經典は混亂に混亂を重ねる有樣となつた。日本佛教の複雜は、それこそ測り知られないほどで、それを解いて見ようとするものも、大抵は忽ちにその餘りに細かい途路の中に陷つて、どうも恁うもならなくなつてしまふ。斯樣な事は、今の私の目的として居る處と何等の關係もない事である。私は日本の佛教が、他の佛教とどれほど異つて居るかに就いて何も言ふまい、又宗派の匹別に關しても全然觸れないつもりである。私は高遠な教義に關する普通の事實――かかる事實の中から、其の教義の説明に役立つもののみを選擇して説くつもりである。なほ涅槃の問題は重要であるに拘らず、此處では論じない――此の問題は既に『佛門拾遺』“Gleanings in Buddha-Fields”の中で、出來るだけ詳しく論じて置いたから――ただ、私は佛教の形而上學的結論と、現代の西洋思想の結論との、或る程度の類似點を論述することにとどめる。

[やぶちゃん注:「『佛門拾遺』“Gleanings in Buddha-Fields”」「仏陀の畑(国)の落穂」。明治三〇(一八九七)年刊。]

 

 英文で書かれた佛教に關する單行本で、今日迄の所一番良いと云はれて居る書物【註】の中で、故ヘンリイ・クラアク・ヲレン氏は云つてゐる。『私が佛教研究中に經驗せる興味の大部分は、私が智的風物の不思議とでも呼ぶ所のものから生じたものである。すべての思想、議論の樣式、假定されたのみで論議されて居ない推定等は、常に不思議に感ぜられ、日頃私が馴れてゐたものとは、全くかけ離れてゐたものであるが故に、私は恰も神仙の國を步いてゐる樣に感じた。被害洋の思想と觀念とがもつ多分の魅力は、私の考へでは、それが西洋思想の範疇に合致する處の少いが爲めである、と思はれる』……。佛教哲學の異常な興味は、これ以上に言ひ現はすことはできない。眞にそれは、『智的風物の不思議』であり、内外と上下との顚倒した世界の不思議さであつて、それが從來主として西洋の思想家達の主なる興味を惹いたのである。併し結局、佛數概念の中には、西洋の範疇に合致し、或は殆ど合致せしめ得る概念の一團があろ。蓋し大乘佛教は、一元論(モニズム)の一種である。そしてそれは、ドイツ及びイギリスの一元論者の科學的學説と一致する教義を、驚くべきほどに含んでゐるのである。私の考へる所では、此の問題の最も奇妙な部分竝びにその特に興味の深い點は、此等の一致點に依つて表明されて居る、――特に佛教の結論は、何等科學上の知識の助けを受けることなく、又西洋の思想の知らない精神上の徑路に導かれて、到達したというふ事實を眼中に置いて見る場合さう考へられる。私は敢て自ら、ハアバアト・スペンサアの學徒と呼んでゐるが、抑も[やぶちゃん注:「そもそも」。]私が佛法の哲學に、ロマンテイツク以上の興味を認めるやぅになつた原因は、私が綜合哲學に親しんでゐたが爲めである。抑も佛教も亦進化の説である、よし吾が科學的進化(同質より異質への進步の法則)の中心となる大思想は、現世の生命に關する佛教の教理の内にうまく一致するやうに含まれては居ないとしても。吾々が考へるやうな進化の道程は、ハツクスレイ教授に從へば、『臼砲から、打ち上げられた彈丸の軌道の樣な線を描くに相違ない、そして彈道の下り半分と同じものであるやうに、進化の道程に於てもその通りである。』 と。彈道の最高點は、スペンサア氏が呼ぶ所の平衡點を示す――それは發展の最高點で、衰退の時期のすぐ前にある、併し佛教の進化に於ては、此の最高點が涅槃なるものの内に沒してゐるのである。私が最も旨く佛法の地位を説明するには、諸君が彈道線を逆に考へる事を望めば宜い[やぶちゃん注:「よろしい」。]と思ふ。――則ち無窮から降下し來たつて、地上に觸れ、更に再び神祕の中へと上昇する線である……。とは云へ、或る種の佛教思想は、吾々の時代の進化思想と、驚く可き類似點を持つてゐるのである。而して西洋思想より最も隔絶せる佛法思想さへも、近代科學から借用した例證と言葉との助けによつて、最も要領良く説明される。

 

註 『飜譯佛教』ヘンリイ・クラアク・ヲレン著(一八九六年マサチユウセツツ州、ケムブリツヂ)ハアバアト學刊行

[やぶちゃん注:「ヘンリイ・クラアク・ヲレン」アメリカのサンスクリット語及びパーリ語学者で仏教学者であったヘンリー・クラーク・ウォーレン(Henry Clarke Warren 一八五四年~一八九九年)。最後の註の原文は“Buddhism in Translations by Henry Clarke Warren (Cambridge, Massachusetts, 1896). Published by Harvard University.”で、これはパーリ聖典から重要な名句集抄出して英訳したもの。

「一元論(モニズム)」“Monism”。世界と人生との多様な現象を、その側面乃至全体に関して、ただ一つの(ギリシア語の「モノス」monos)根源・原理・実在から、統一的に解明し、説明しようとする立場。二つ及びそれ以上の原理乃至実在を認める二元論・多元論に対立する。哲学用語としては近世の成立。一切を精神に還元する「唯心論」、物質に還元する「唯物論」。精神と物質とをともにその現象形態とする第三者に還元する広義の「同一哲学」などがこれに属する(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。

「ハツクスレイ教授」「ダーウィンのブルドッグ(番犬)」と異名をとった強烈な進化論支持派のとして知られる、イギリスの生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley 一八二五年~一八九五年)。詳しくは私の、ごく最近の仕儀である「進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(3) 三 ハックスレーとヘッケル」の本文と注を参照されたい。]

 

 思ふに既に述べた理由に因り、涅槃の教義を除いて――大乘佛教の最も著しい教は、次の如きものであると考へられる。

 實在は一ツ在るのみ。

 自覺は眞實の我に非らず。

 物質は、行爲と思想との力に依りて、創造せられたる現象の總和なり。

 一切の客説的竝びに主我的存在は、業報に依りて生ずるものなり、――現在は過去の創造物にして、現在と過去との行爲が、相結んで將來の境地を決定する……(換言すれば、物質内世界と〔有限の〕精神の世界とは、其の進化の道程に於て、嚴然たる道德的秩序を顯現する)

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

2018/05/15

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(42) 佛教の渡來(Ⅴ) / 佛教の渡來~了

 

 一方、人民は何れの信條によつてその祖先を禮拜するも自由であつた。そして若し大多數の人が佛教祭典を選んだとすれば、その選擇は佛教が祖先祭祀に與へた特殊な情味ある魅力から來たものである。細目に至る事以外には、この兩祭式は殆ど異つたものではなかつた。而して古い孝順の思想と、新しい祖先禮拜と一緒になつた佛教の思想との間には、何等の爭ひもなかつたのである。佛教は、死者も讀經に依つて救はれ幸福になり得る、そして亡靈の慰めは多く食物供養に依つて獲られると教へた。亡靈には酒や肉を供へてはならなかつた。併し果物や、米や、菓子や、花や、香を以て、それを悦ばす事は至當な事であつた。その他、極めて粗末な供物でも、讀經の力で、天の神酒や美味に變はらせられた。併し特にこの新しい祖先祭祀が、一般に氣受け[やぶちゃん注:「きうけ」。「受け」に同じ。世間の人がそれに接した際に抱く気持ち。評判。]の良かつた所以のものは、それが古い祭祀の式には見られなかつた多くの美しい、心に感銘を與へるやうな慣習を包有してゐたと云ふ事實に依るのであつた。到る處で人々は直に死者の年每の訪れのために百八つの迎へ火を焚く事を知つた、藁で作つた、若しくは野菜などから作つた小さな人形を、靈に供へ、それで牛や馬の役をさせる事を知つた【註一】――又先祖の靈魂が海を越え冥土へ還るための亡靈の船(精エ靈船)を作る事を覺えた。それから又盆踊り、則ち死者の祭の踊りや、墓に白い提燈を懸け、家の門には彩つた提燈をつけ、訪れて來た死者の行きに歸りを照らすといふ習慣が作られた。

 

註一 茄子に木の切れを四本つけて足の形としたものが通例牛を表はし、同樣に胡瓜に足をつけたのが馬とされる……。人は昔ギリシヤで犧牲[やぶちゃん注:「いけにへ」。]をする場合、異樣な動物の代用物の用ひられた事を思ひ起す。則ちセベスに於けるアポロの禮拜の際、足や角をあらはすため、木切れをさした林檎が羊に代用されて供物とされた事がある。

註二 舞踊そのもの――見て極めて不思議に又面白い――は佛教よりも遙かに古いものである。併し佛教はそれを今述べた三日間續く祭の一つの附屬物とした。盆踊りを見た事のない人は日本の踊りの何を意味するかといふ事を了解し得ない、日本の踊りは通例云ふ踊りとは全然異つたものである、――何とも名狀しがたい古風な變なしかも面白いものである。私は踊り通す農夫を終夜[やぶちゃん注:「よもすがら」と訓じたい。]見て居た事が幾度もある。斷わつて置くが日本の踊り子は踊りはしない、只だ身體の姿勢をかへるのみである。併し百姓は踊るのである。

[やぶちゃん注「死者の年每の訪れのために百八つの迎へ火を焚く事を知つた」旧盆行事の一つである「百八燈(ひゃくはっとう)行事」。最も知られているのは、重要無形民俗文化財指定されている埼玉県児玉郡美里町(みさとまち)猪俣の堂前山(どうぜんやま)の尾根で行われる「猪俣百八燈」であろう。

[やぶちゃん注:「セベス」原文“Thebes”で、これは古代ギリシアにあったポリス(都市国家)の一つで、現在の中央ギリシャ地方ヴィオティア県の県都ティーヴァに当たる「テーバイ」(ラテン文字転写:Thēbai)のこと。ウィキの「テーバイ」によれば、アテナイやスパルタと覇権を争った最有力の都市国家の一つで、精鋭を謳われた「神聖隊」の活躍も知られ、ギリシャ神話では「七つの門のテーバイ」として名高く、オイディプス伝説などの舞台となっている。位置はリンク先を参照されたい。

「盆踊り」「佛教よりも遙かに古いもの」小学館「日本大百科全書」の「盆踊り」を引いておく(アラビア数字を漢数字に代え、下線は私が引いた)。『盆に踊る民俗芸能。祖霊、精霊を慰め、死者の世界にふたたび送り返すことを主眼とし、村落共同体の老若男女が盆踊り唄(うた)にのって集団で踊る。手踊、扇踊などあるが、歌は音頭取りがうたい、踊り手がはやす。太鼓、それに三味線、笛が加わることもある。古く日本人は旧暦の正月と七月は他界のものが来臨するときと考えた。正月は「ホトホト」「カセドリ」などいわゆる小(こ)正月の訪問者がこの世を祝福に訪れ、七月は祖霊が訪れるものとした。盆棚で祖霊を歓待したのち、無縁の精霊にもすそ分けの施しをし、子孫やこの世の人とともに楽しく踊ってあの世に帰ってもらうのである。こうした日本固有の精霊観に、仏教の盂蘭盆会』『が習合してより強固な年中行事に成長した。盆に念仏踊を踊る例もあるが、念仏踊は死者の成仏祈願に主眼があり、一般に盆踊りとは別個の認識にたつ』。『十五世紀初頭に伏見』『の即成院や』、『所々で踊ったという盆の「念仏躍(ねんぶつおどり)」「念仏拍物(ねんぶつはやしもの)」』(「看聞御記(かんもんぎょき)」の記載に拠る)『は、まだ』、『後の盆踊りというより』、『念仏の風流(ふりゅう)』(平安末期から中世にかけて流行した、祭礼などの際に行われる華やかな衣装の群舞や邌(ね)り物を主体とした芸能)『の色彩が濃いものであったが、同世紀末に昼は新薬師寺、夜は不空院の辻(つじ)で踊られたという「盆ノヲドリ」』(「春日権神主師淳記(かすがごんかんぬししじんき)」に拠る)『は盆踊りの色彩を強めたものであったろう。盆踊りはそのほか』、『伊勢(いせ)踊なども習合することになったらしいが、にぎやかで華やかな踊りで、異類異形の扮装(ふんそう)をしたとあり、まさに風流(ふりゅう)振りである。十六世紀中』頃『には小歌(こうた)風の盆踊り唄がつくられていた』(「蜷川家御状引付(にながわけごじょうひきつけ)」に拠る)。『江戸時代以降』、『いよいよ盛んになり、全国的にそれぞれの郷土色を発揮して、いまに行われている』。『今日みる異類異形の盆踊りには、鳥獣類の仮装はなく、秋田県の「西馬音内(にしもない)盆踊」のひこさ頭巾(ずきん)(彦佐頭巾、彦三頭巾とも書く)のように』、『覆面姿が多い。これは亡者の姿といい、また佐渡の「真野(まの)盆踊」のように石の地蔵を背負って踊るものもあり、人と精霊がともに踊ることに意義をみることができる。長野県阿南(あなん)町の「新野(にいの)盆踊」では、最終日に村境まで群行して踊って行き、そこで新盆(にいぼん)の家の切子灯籠(きりこどうろう)を燃やし、鉄砲を撃って踊り』、『神送りをする。精霊鎮送の形がよくわかるが、道を踊り流して歩く形は』『、徳島市の「阿波(あわ)踊」にもよく表れている。新盆の家々を回って踊る例もある』。『八重山』『列島では「盆のアンガマ」といって、老人姿の精霊仮装が出る』とある。なお、私の注附きの『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第六章 盆踊』((最後の二回は合わせてある)を是非、読まれたい。小泉八雲の盆踊り初体験の幻想的感動がよく伝わってくる絶品である。]

 

 併し佛教の國民に對する最大の價値は恐らくその教育にあつた。由來神官は教育者ではなかつた。古い時代にあつては、彼等は多く貴族、則ち氏族の宗數上の代表者であつた、故に平民を教育するなどと云ふ觀念(かんがへ)は彼等には起りもしなかつたのである。然るに佛教は萬人に對して教育の利福を與へた――ただに宗教上の教育のみならず、支那の藝術や學問についての教育を與へた。寺院はやがて普通の學校となり、若しくは學校が寺院に附屬して出來た、而にてそれぞれ管内の寺で村の子供達は、ほんの名計りの費用で、佛教の教義、漢字の知識、手習ひ、繪畫、その他いろいろな事を教へられた。次第に次第に殆ど全國民の教育が佛教の僧侶の支配の下に置かれるやうになつた、そしてその道德上の効果は立派なものであつたのである。武人階級にとつては、素より別に特殊の教育法が存してゐたのであるが、併しさむらいの學者は、有名な佛教の僧侶の下にあつてその知識を完うする事を力めた[やぶちゃん注:「つとめた」。]。又皇室そのものが僧侶の侍講[やぶちゃん注:「じこう」皇帝や主君に対して学問を講じること。また、その人。]を聘用した。通常の人民にとつては、到る處で佛教の僧が學校の先生であつた、そしてその宗教上の役目のためからと共に、教師としてのその職業のために、佛僧はさむらいと同格に置かれたのであつた。日本人の性格に、その最も良い處として殘つてゐるものの多くは――その人を惹きつける優雅な點は―佛教の訓練の下に發達したものと考へられる。

 佛教の僧がその教師としての公務に加へて、公共の戸籍吏たる公務を行つたといふ事は、極めて自然な事であつた。所領奉還の時迄、佛教の僧は國中に宗教上竝びに公務上の役人をして居た。彼等は村の記錄簿を預り、必要に應じて、出生、死亡、或は系圖の證明書を交付したのである。

[やぶちゃん注:「所領奉還」原文は“disendowment”。これは「(教会や学校などの持つ)基本財産を没収する・基金を取り上げる」の意である。平井呈一氏は『寺領返上』と訳しておられるが、ピンとこない。江戸時代を通じて、「宗門人別改帳」は現在の戸籍原簿や租税台帳であった。改帳の作成自体は町村毎に名主・庄屋・町年寄が行うことになっていたが、そこには檀徒として属する寺院名が記載されており、これはその寺院がそれが正しいこと証明している点で、その寺が公的な準役人として機能していたことは明白である。さすれば、ここで八雲が言っているのは、そうした戸籍制度が維新によって「寺→藩→幕府」という戸籍の流れが廃されたこと、明治新政府が政治改革の一環として行った、全国の藩がその所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還した「版籍奉還」(明治二年六月十七日(一八六九年七月二十五日勅許)のことを言っているのではるまいか?

 以下、一行空け。]

 

 佛教が日本に及ぼした夥しい文化の影響について少しでも正常な考を獲ん[やぶちゃん注:「えん」。得よう。]とする人には、恐らく非常に澤山の書册を要するであらう。唯一般的な事實を述べてその影響の諸〻の結果を概説するのさへ、殆ど不可能である――何故とならば概要の敍述では、爲し遂げられたその仕事の全體の眞相を明らかにし得ないからである。道德上の力として佛教は、その力に依り、もつと古い宗教が作り得たよりも、遙かに大きな希望と恐怖とを起さして、權威にさらに力を與へ、服從といふ事に人を教養したのである。教師として、それは倫理上に於いても審美上に於いても、日本人の最高のものから最下賤のもの迄を教育した。日本に於いて藝術といふ名の下に類別されるものは凡て、佛教に依つて移植れたか又は發達せしめられたものであつた、又神道の祝詞や古詩の斷片を除けば、眞に文學上の價値を有つて居る殆どあらゆる日本文學についても、同樣な事が云はれ得るのである。佛教は戲曲、詩的作物及び小説、歷史、哲學の高尚なるものを傳へた。日本人の生活の精華はすべて、佛數の傳へたもので、少くともその娯樂慰安の大部分はさうであつた。今日でさへ、この國で出來たものの内、興味ある物、又は美しい物にして、幾分でも佛教の力に負ふ處のないものは殆どないのである。恐らくこの恩惠の過程を述べる最善にして又最短の方法は、佛教に支那文化を全部日本に齎した、そして後にそれを日本人の要求に合ふやうに氣長に作り變へて行つたのであると言へば足りるであらう。この古い文化は日本の社會構造の上に只だ重ねられた計りでなく、うまくそれに適合せしめられ、完全にそれに結合させられたので、その繼ぎ目、接合線は、殆ど全く跡形[やぶちゃん注:「あとかた」。]を失つたのである。

 

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(41) 佛教の渡來(Ⅳ)

 

 衆生に涅槃を説く代りに、慈悲の得らるべき事と苦雖の避けらるべき事、則ち無量光明の王たる阿彌陀の樂土と、等活と稱する八熱地獄、頞部陀(アブダ)といふ八寒地獄の事を人々に説いたのである。未來の罰に就いての教へは實に恐ろしいものであつた、私は弱い優しい神經の人にはこの日本の、否、寧ろ支那の地獄に就いての話説を讀ひ事をすすめたくない。併し地獄は極度な惡るいものに對してのみの罰でありて、罰は永遠のものでもなく、惡魔そのものも終には救はれるのであつた……。天國は善行の報いであつた、如何にもこの報いはいつまでも殘るの爲めに、幾多のつぎつぎの再生を過ぎ通てて行く間延ばされて居るかも知れない、が併し又一方に、その報いは唯一つの善行に依つて、現世に於て獲られるかも知れないのであつた。その他、この最高の報いの時期に達せざる以前にあつて、つぎつぎの再生每に、その生は聖い[やぶちゃん注:「きよい」。]道に於ける絶えざる努力に依つて、その前の生よりも幸福にされ得たのである。この有爲轉變の世の中に於ける狀態に關してさへ、德行の諸〻の結果は決して無視すべからざるものであつた。今日の乞食も明日は大名の御殿に生まれ代るかもしれず、盲目の按摩も、その次の世では、一國の大臣になるかも知れないのである。報償はいつも功績の量に比例してゐるのであつた。この下界に於て最高の德を行ふのは困難なことであつた、從つて大なる報いを獲る事は難いことであつた。併しあらゆる善行に對して報償は確にあるものであり、而も功績を得られないといふ人は、一人もないのであつた。

 神道の良心に關する教義――正邪に關する神與の觀念――をさへ佛教は否定はしなかつた。併しこの良心は、各人の心の内に眠つて居る佛陀の本來の智慧と解せられた――その智慧なるものは無智に依つて暗くされ、欲望のために塞がれ、のために縛られてゐるのであるが、いづれは十分に醒まされ、且つ光明を以て心を溢れさす運命になつて居るものである。

[やぶちゃん注:太字(「業」)は底本では傍点「ヽ」。以下、煩瑣なので、最後まで、原則、この注は省略する

「等活と稱する八熱地獄」これは「倶舎論」「大智度論」等の古代インドの仏典に出はするが、釈迦自身は、地獄の具体性については述べておらず(永く続く闇の世界とはするようである)、バラエティに富んだ地獄思想は主に中国で形成された。「等活と稱する八熱地獄」と八雲は「等活」を「八熱(はちねつ)地獄」の別称として述べているが、これは誤りで、等活地獄は八熱(大)地獄の一つである。パーリ語経典の「長部」(ディーガ・ニカーヤ)に相当する「長阿含経(じょうあごんきょう」によれば、八熱地獄は「想地獄」を第一の地獄として、以下、順に「黒繩(こくじょう)地獄」・「堆圧地獄」・「叫喚地獄」・「大叫喚地獄」・「焼炙(しょうしゃ)地獄」・「大焼炙地獄」とあって最後に「無間地獄」の命数となっているものの、その具体的な内容は記されていない。現行では、この最初の「想地獄」が「等活地獄」とされ、殺生の罪を犯した者が墜ちる地獄とされる。後に形成された八熱(大)地獄の具体的内容はウィキの「八大地獄」を参照されたい。

「頞部陀(アブダ)といふ八寒地獄」八寒地獄(はちかん(はっかん)じごく)は上記の「八熱地獄」とは別に対存在(灼熱の総体地獄に相対化された寒冷に責め苦しめられる八種の氷の地獄)する地獄とされるが、現在ではマイナーである(以下に見る通り、サンスクリット語の漢訳が変化していないことからもそれが窺われる)。ここも八雲の言い方は間違いで、「頞部陀(アブダ)」は「八寒地獄」の異名ではなく、その第一の地獄で、以下、順に「尼剌部陀(にらぶだ)地獄」・「頞唽吒(あせった)地獄・臛臛婆(かかば)地獄・虎虎婆(ここば)地獄・嗢鉢羅(うばら)地獄・鉢特摩(はどま)地獄」・「摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄」があるとされ、これらは八熱地獄のそばにあるとする。具体的内容はやはり、ウィキの「八大地獄」の参考部の「八寒地獄」を参照されたい

 以下、一行空け。]

 

 あらゆる生物に對し親切なるべき義務と、あらゆる受難に對して憫みを盡つべき義務とに就いての佛の教は、その新宗教が世間一般から受納される前に、すでに國民の慣習風俗の土に強大な功果を及ぼしたと考へられる。早くすでに六七五年に、天武天皇に依つて一つの訓令が發布された、それは人民に、『牛や、馬や、犬や、猿や、家禽類の肉』を食ふ事を禁じ、又獲物を捕へるに係蹄[やぶちゃん注:「けいてい」。罠。「わな」と訓じてもよい。]を用ひ、陷穽[やぶちゃん注:「かんせい」。落とし穴のこと。「おとしあな」と訓じてもよい。]作ることを禁じたものであつた【註】。あらゆる種類の肉を禁じなかつたと云ふ事は、この天皇が兩方の信仰を保持するに熱心であつた事に依つて恐らく説明されよう、――蓋し絶對の禁制は神道の慣例を破るものであり、正に神道の傳統と相容れないことであつたらう。併し魚は普通の人の食品の一つとして用ひられて居たとしても、この頃から國民の大部分は、その食事の古い習慣をやめて、佛教の教に從ひ、肉食を斷つたと云つて然るべきであらう……この教へはあらゆる生あるものはみな、一に歸すといふ教義にその基礎を置いて居るものであつた。佛教はあらゆるこの世の事象をの教義に依つて説明した――その義を一般世人の了解に適應するやうに簡單にして。あらゆる種類の動物は――鳥類も、爬蟲類も、哺乳類も、昆當類も、魚類も――のそれぞれ異つた結果を表はしてゐるに過ぎないとしたのである。これ等一々のものの魂魄の生活は一つであり同じものであり、最下等の動物にも、神性のいくらかの片影は存在してゐたのである。蛙も蛇も、鳥も蝙蝠も、牛も馬も、――あらゆるものは何時か過去に於ては人間の(恐らくは又超人間のであるかも知れぬが)形をもつ特權を有つて[やぶちゃん注:「もつて」。]をたのであつた。彼等の現在の狀態は昔の過失の結果に過ぎなかつたのである。又如何なる人と雖も、同樣な過失のため、後には口のきけない禽獸の狀態に堕とされるかもしれないのである――爬蟲類か、魚類か、鳥類か、又は荷を負ふ獸類として生まれかはるかも知れないのである、。如何なる動物でも、それを酷使した結果は、その酷使者が同じ獸類となつて再生するやうになり、同じ殘酷な扱ひを受けるやうになるかも知れない。突かれたり剌されたりする牛や、鞭うたれたりする馬や、或は殺される鳥が、以前は近親の一人――祖先か、親か、兄弟か、姉妹か、或は子供でなかつたとは、誰れが斷言出來たであらう。

[やぶちゃん注:「六七五年に、天武天皇に依つて一つの訓令が發布された」天武天皇四年四月十七日(ユリウス暦五月十六日)に発布された、狩猟の規制、及び、牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁ずる詔(みことのり)を指す。「日本書紀」原文(巻第二十九の天武天皇四年四月庚寅(かのえとら)の条)は以下。

   *

庚寅。詔諸國曰。自今以後。制諸漁獵者。莫造檻穽及施機槍等之類。亦四月朔以後。九月卅日以前。莫置比滿沙伎理梁。且莫食牛・馬・犬・猿・鷄之宍。以外不在禁例。若有犯者罪之。

(庚寅。諸國に詔して曰はく、「今より以後、諸(もろもろ)の漁(すなど)り獵りする者を制(いさ)め、檻(おり)・穽(ししあな)造り、及び機槍(ふみはなち)[やぶちゃん注:動物が踏むと自動的に矢や槍が放たれる機械仕掛けの罠。]等の類ひ、施(お)くこと莫(な)かれ。亦、四月朔(ついたち)以後、九月三十日以前、比滿沙伎理梁(ひまさきりのやな)[やぶちゃん注:よく判らないが、これ全体で一般名詞で、後の網代式の、川の中に足場を組み、木や竹で簀子状の台を作って、魚介類を自動的に一網打尽式に多量に生捕る仕掛けを指すものと思われる。]を置くこと莫かれ。且つ、牛・馬・犬・猿・鷄(にはとり)の宍(しし)を食ふこと莫かれ。以-外(ほか)は禁-例(かぎり)に在らず。若し、犯す者有らば、之れを罪(つみ)せむ。)

   *

 この後、何故か、註との間が一行空けになっている。注の後はなっていない。版組の誤りと採り、註の後も一行空けた。]

 

註 アストン氏『日本紀』の飜譯第二卷三二八頁參照

 

 これ等の事は凡て言葉でのみ教へられたのではなかつた。神道は何等の藝術をも有つては居なかつたと云ふことを記憶して置かなければならない、則ちその拜殿は、閑寂であり裝飾一つないものであつた、然るに佛教はそれと一緒に彫刻とか繪畫とか裝飾とかのあらゆる藝述を齎した。黃金の中に微笑む菩薩の御像――佛教の極樂の保護者[やぶちゃん注:梵天・帝釈天・吉祥天・弁才天といった天部の護法神。]、又地獄の審判者、女性の天使[やぶちゃん注:広義の中国の神仙思想由来の天女、或いは、諸仏の周囲を飛行遊泳して礼讃する飛天。]及び恐ろしい鬼神の姿等は未だ何等の藝述と云ふもののに馴れてゐなかつた人々の想像を驚かせたに違ひなかつた。寺院に懸けられてある大きな繪畫、その壁や天井を彩る大壁畫は、言葉でするよりも以上によく六生の教へや、未來の賞罰の教理を説明した。竝べて懸けられてある懸物の中には、靈魂の審判の王國への旅に於ける色々な事件や、種々雜多な地獄のあらゆる恐ろしいことが描かれてあつた。或る者は、何年も何年もの間血の滴る手でもつて、死の泉の邊[やぶちゃん注:「ほとり」。]に生えて居るきざきざした[やぶちゃん注:ママ。]竹の笹葉をむしり取つてゐなければならぬ不貞な妻の亡魂を描き、或る者は人を誹謗したものが、惡魔の釘拔きで舌を拔かれて苦しんでゐる樣を描き、又或る者は色慾の強い男が、火の女の抱擁から逃れんとしてもがき、又は剱の山の急阪を、狂亂して攀ぢ登らうとしてゐる樣を描いたのであつた。その他、餓鬼の世界の種々な圈内の有樣や、饑ゑたる亡魂の苦しみや、又爬蟲類や、獸類の形に生まれ代つたものの苦痛やが描かれてあつた。而もこの初期の繪畫の藝術は――その多くは今尚ほ保存されてゐるが――決して下級な藝術品ではなかつた。吾吾は、閻魔(Yama)則ち死者の審判者の顰蹙した眞紅の顏――又はすべての人にその生涯に於ける非行を反映さして見せると云ふ不思議な鏡[やぶちゃん注:浄玻璃(じょうはり)の鏡。]の幻影――又は『見る目』といふ婦人の容貌を表はして、審判席の前にゐる兩面に顏のある首の恐ろしい想像、又惡事のあらゆる臭ひを嗅ぎ分けると云ふ『嗅ぐ鼻』と云ふ男の幻等が、さういふ事に馴れて居ない人の想像に及ぼした効果の、どんなものであつたかは殆ど考へる事は出来ない……。親としての情愛は、描かれて居た子供の亡靈の世界の説話に深く動かされたに違ひない――その小さな亡靈は、鬼の監督の下に、靈の河の磧で苦難を嘗めなけばならないのである……。然しこの描かれた恐怖と竝んで、一方には慰安が描かれてあつた、――慈悲の白い女神なる觀音の美しい姿――幼見の亡靈の友である地藏の慈愛深い微笑――光彩陸璃[やぶちゃん注:ママ。「陸離(りくり)」の誤り。美しく光りきらめくさま。]たる虹色の翼を以て飛躍する天津乙女の魅力などがそれであつた。佛畫を描いた人は、單純な想像力の人に、天の宮殿を開き、又人の希望を、寶玉の樹の園を通つて、天福を享受した魂が、蓮の花の内に再生し、天使達にかしづかれでゐる湖水の岸に迄も導いたのである。

[やぶちゃん注:「閻魔(Yama)」閻魔は仏教・ヒンドゥー教などに於ける地獄・冥界の主とされる存在で、サンスクリット語及びパーリ語の「ヤマ」の漢音写。「ヤマ」は「縛」「雙世」「平等」などと和訳され、「縛」ならば「罪人を捕縛する」の意、「雙世」は「苦楽の二つの報い」の意、「平等」は「罪人を平等に裁く」との意と、ウィキの「閻魔」はある。

「『見る目』といふ婦人の容貌を表はして、審判席の前にゐる兩面に顏のある首の恐ろしい想像、又惡事のあらゆる臭ひを嗅ぎ分けると云ふ『嗅ぐ鼻』と云ふ男の幻」これは「見る目嗅ぐ鼻」と実際に呼ばれる、先の「浄玻璃の鏡」と並んで、地獄の閻魔庁にあるアイテムとしてよく知られる「人頭杖(じんとうじょう)」或いは「人頭幢(にんずどう)」と呼ばれるものを、分割して解説してしまったものである。幢(はたほこ)の上の皿に男女の首をのせたもので、亡者の善悪を判断するとされる。私の偏愛する円応寺の鎌倉国宝館寄託のそれをご覧あれ(リンク先画像は個人サイト「日本初の禅専門道場~鎌倉:建長寺~」内のもの)。私の記憶する限りでは、実はこの女の首の方が実は亡者の生前の悪事を総て語り、三つ目の憤怒相の天部の神めいた男の首の方が、却って亡者の数少ない善行を語るはずである。]

 

 更に又、神道ののやうな簡素な建築物に馴れてゐた人々にとつて、佛教の僧に依つて建てられたこの新しい寺院は、幾多の驚異であつたに相違ない。巨大な立派に守られた壯大な支那式の門、銅や石の唐獅子や燈籠、振り棒で鳴らされる巨大な吊鐘、廣い屋根の蛇腹の下に群がる龍の形、佛壇の目を射るやうな光彩、讀經や。燒香や、異樣な支那樂と共に行はれる儀式――それ等は歡喜と畏敬の念と共に、人々の好奇の念を煽らずには居なかつた。日本に在る初期の佛閣が、今尚ほ西歐人の眼にさへ、最も感銘を與へるものであると云ふのは注意に値する事である。大阪に在る四天王寺――それは一度ならず建て直されたものであるがなほ原型を止めてゐる――は紀元六〇〇年來のものである、が、奈良の近くに在る法隆寺と云ふ、更に著名な寺院は六〇七年頃の建立である。

[やぶちゃん注:「廣い屋根の蛇腹」この前後部分は原文では“the swarming of dragon-shapes under the eaves of the vast roofs”である。但し、戸川の「蛇腹」は変な用法ではなく、建物の軒や壁の最上部などに帯状に巡らした、刳形(くりかた)のある突出部分を指す日本建築の正しい用語で、「胴蛇腹」「軒蛇腹」などがあるが、素人にはよく判らない。平井呈一氏は『切妻』と訳しておられるのだが、これも切妻に限定してしまうと、私にはピンとこない。ここ(「屋根の蛇腹」「切妻」)は「軒下」とした方が今の我々には通りがいいのではないか? 所謂、軒の一番奥の上の角、建物の垂木の端が突き出た部分(隅尾垂木)や尾肘木(おひじき)等に施された、龍の立体的な彫刻物を指していると私には読めるからである。

「四天王寺」聖徳太子の建立した七大寺の一つとされる荒陵山(あらはかさん)四天王寺は、「日本書紀」によるならば、推古天皇元(五九三)年に造立が開始されたことになっている。

「法隆寺」「六〇七年頃の建立」同じく聖徳太子七大寺の筆頭とされる本寺(斑鳩寺とも呼ぶ)は、「日本書紀」によるならば、厩戸皇子(聖徳太子)が推古九(六〇一)年に飛鳥から、この地に移ることを決意、宮室の建造に着手し、推古一三(六〇五)年にその「斑鳩宮」に移り住んだとし、現行では一応、寺自体は推古一五(六〇七)年の建立とされるが、種々の疑問点があり、建造はこれよりも後の七世紀後半以降と考えられている。]

 

 勿論、有名な繪畫や大きな彫像は寺院にだけしか見られなかつた。併し佛師達はやがて最も邊鄙の場處に迄佛陀や菩薩の石像を置くに至つた。かくして始めて、今尚ほ路傍の到る所から旅人に微笑みかけてゐる地藏の像が出來た――又その三匹の表象的な猿と共に公道の保護者である庚申の像――それから百姓の馬を保護する馬頭觀音の像――その他粗笨ではあるが印象深きその技術の中に、尚ほ印度の起原を想はせるやうな幾多の像が作られたのである。次第に墓場は夢みるやうな佛陀や菩薩――石の蓮華の上に坐し、眼を閉ぢて崇高なる靜寂の微笑をたたへてゐる聖なる死者の守護者――で以て群がるやうになつた。都會は到る處、佛彫師が店を開き、各種の佛教宗派の禮拜する本尊の像を敬虔な家庭に備へ附けた。そして位牌、則ち佛數に於ける死者の標なる板牌の製造人は、神棚の製造人等と同じく、その數を增し繁昌したのである。

[やぶちゃん注:「その三匹の表象的な猿と共に公道の保護者である庚申の像」庚申塔のことであるが、「公道の保護者である」とするのは後に、道教由来の唐渡りの庚申信仰とは全く異なる、それ以前からあった「塞ノ神」信仰や、豊穣を祈る原型が性神化しそれが道途の地神となり、道祖神信仰として混淆集合した結果であって、庚申信仰自体には道や旅人を守るという属性はない。

 以下、一行空け。]

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(40) 佛教の渡來(Ⅲ)

 

 佛教の教が特に魅力ある所以のものは、その筒單にして巧みな自然に就いての解釋である。神道が嘗て設明せんとしや事もなく、又説明し得なかつた無數の事柄を、佛教は微細に而も一見矛盾のないやうに解説したのである。 その出生、生命、竝びに死の神祕に關する幾多の説明は、直に純なる心の慰安となり、よく惡念に對する非難となるのであつた。それは、死者が幸福であるか不幸であるかは、生者が死者に對して注意するか、しないかに直接由るのではなく、死者が現世に在る時の過去の行ひに由るのであると教へた【註】。それは相次いでの再生に關する高い教義を教へんとはしなかつた――人々は到底それを理解する事は出來なかつた――只がそれは何人でも理解し得た輪𢌞の簡單な表象的な協議を教ヘんとしたのみである。死ぬと云ふ事は、自然に融け戾つて終ふ[やぶちゃん注:「しまふ」。]事ではなく、再び他に生を享ける事であつた。この新しい肉體の性質は、その新しい存在の諸條件と共に、現在のこの身體に於けるその人の行ひや考への性質によるのである。あらゆる存在の狀態や事情は悉く過去の行爲の結果なのである。或る男は今や富貴であり威勢をもつて居る。何故ならば前世に於てその男は寛容であり慈愛に富んでゐたからである。又或る男は病を獲[やぶちゃん注:「え」。]、貧困である。何故ならば前世で、その男は肉慾に耽り、利己的であつたからである。或る女はその夫や子供等と共に幸福に暮らして居る。何故ならばその女は以前の生涯の時、愛らしい娘であり、貞淑な配偶者であつたからである。又一人の女は難儀をし子子供がない。何故ならばその女は前世で娯妬深い妻であり殘酷な母であつたからである。『汝の敵を憎むことは、愚な事であると共に誤れる事である。汝の敵に、汝が汝の友たらんと欲した前世に於いて、汝が彼に加へた奸計のためにのみ、今や汝の敵たるのである。汝の敵が今汝に加ふる危害に身を任せよ。それを汝の過去の過誤の償ひとして受けよ……。汝が娶らんと欲したこ女を彼女の兩親が拒んだとせよ、――他人に與へられたとせよ 併し、他生に於て、何時かは、彼女は約束に依つて汝のものたるべし、而して前に與へた契約を破り得るのである……。汝の子供を失ふ事は苦しい事に相違ない。併しその喪失は前世に於て、汝が同情を呉與ふべき場合に、それを拒んだ報いなのである……。災變に遇つて身を害ひ[やぶちゃん注:「そこなひ」。]、汝は最早以前の如く汝の生活の道を得られない。而もこの不幸たるや、正しく前世に於て、何時か汝が思ふままに肉體上の危害を、人に加へたと云ふ事實によるのである。今や汝自身の行ひの惡が汝に返つて來たのである。汝の罪を侮いよ、而してその業の現在の苦行に依つて償はれん事を祈れ』と佛教の僧は教へる……。かくの如くして人間のあらゆる悲哀は説明され慰められた。生命は、無限の旅、――その路の後方は過去の闇夜に、その前方は未來の神祕の中に延びてゐる――その無限の旅の一階段を示すものとしてのみ説明せられた、――忘れられたる永劫から、今後に存在すべき永劫に迄延びてゐる路の一階段である。そして世界それ自身が一旅客の休み場、路傍の一旅宿として考へられるのみであつた。

 

註 疑ひもなく讀者はどうして佛教がつぎつぎの再生の教を祖先禮拜の思想と妥協させ得たかを怪むであらう。人の死ぬのはその再生のためだとすれば、その再生する靈に供物を捧げ、祈禱をする必要が何處にあらう。この疑問に對するに、死者は大抵直に再生するのではなく、先づと宙宇[やぶちゃん注:ママ。後注を必ず参照されたい。]と稱する特殊の狀態に入るので、死者は百年間この無形の狀態にとどまり、その後に再生するのであると彼等は教へた。死者に對する佛教の奉仕はそれ故百年に限られて居た。

[やぶちゃん注:この原注は、輪廻転生するための期間を「百年」としたりしていて、本邦独自に広汎に定着している四十九日という今の我々の感覚からすると、非常な違和感を覚えるのであるが、仏教の伝播過程や宗派によってこの期間は本来は異なっており、考えてみれば、現実世界の時間と冥界での時間の経過は全く異なっているのであるからして、そこは問題としないでよいとも思う(しかし、百年はやはり永過ぎる。私がそういう理由は、著名人でない限り、血統宜しき或いは家系興隆の者でもなければ、百年も後裔が仏事を営んで供養し続けることなど、不可能だからである。永代供養と宣伝しているのに騙されてはいけない。連絡がとれなくなれば、十数年でも瞬く間に合葬されてしまい、個人としての供養は行われなくなる。墳墓も連絡不達告知広告が成され、あっという間に平地となって、新墓地として売りに出される。核家族化・少子化が進行した現今、墓地管理は被葬者にとっては切実な風前の灯状態なのである。因みに、私は無宗教で献体もしており、自己の墳墓を持たないから何らそれを不安に思わぬ)。しかし、実は戸川の訳(漢字表記)に問題があって、本文中の『宙宇』は「中有」のこととしか読めないのだが、こんな表記は少なくとも私は知らない。「宙宇」という言葉がないではない。例えば、私が知っているのは宮澤賢治が晩年(彼は昭和八(一九三三)年没)の昭和二(一九二七)年に出身校である『盛岡中學校校友會雜誌』から寄稿を求められて書き始めたものの、遂に完成に至らず、その稿が残された「一九二七年に於ける盛岡中學校生徒諸君に寄せる」の中に出る。筑摩書房旧校本全集第六巻で『断章六』とする部分の中間の一行で、『宙宇は絶えずわれらに依つて變化する』という表現がある。しかし、これは賢治特有の詩語(或いは彼独自の宇宙間言語)としての変容を受けた「宇宙」の意味として、躓かずに読めるし、ここの使用ケースとは全く異なる(なお、脱線になるが、これは賢治の没後かなり絶ってから発見され、戦後の昭和二一(一九四六)年四月号『朝日評論』で初めて公開されたものであるが(公開時の原画像が、私が毎週巡回を欠かさない渡辺宏氏のサイト賢治童話詩 森羅情報サービス」で見られる)、この初出公開版は『朝日評論』の編者が草稿に恣意的な削除・追加を加えて、明確な校訂法も立てずに整序してしまったものであって、最早、宮澤賢治の作とは言い難いものである。草稿原稿は賢治特有の異常に拘った推敲痕があり、再現自体が難しいものであるが、かなり忠実に整序・再現されたものが、上記サイト内「宮沢賢治作品館」の「資料編」の「その他」にあり、校本全集によれば、この詩の本当の姿は、次のようですとあ以下である(それよりもより原稿に沿って再現したものは、サイト「宮澤賢治の詩の世界で見られる)。さて、本線に戻る。しかし、この戸川のこの訳は、本邦で「中陰(ちゅういん)」「中有(ちゅうう)」「中蘊(ちゅううん)」と訳すそれ以外には読めないのである。されば、この「宙宇」(ちうう:歴史的仮名遣)は戸川の「中有」(ちゆうう:歴史的仮名遣。これらの言葉は所詮、サンスクリット語の当該語の漢訳に過ぎぬから、荒っぽく言ってしまえば、漢字表記など何でもいいことになるのだが、しかし歴史的仮名遣の表記がこの二つでは変わってしまうのは非常に拙いと私は思う)」の漢字表記の記憶違いか誤植であると考えざるを得ないと私は思う。因みに、原注原文は“Chū-U”である。]
 

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