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カテゴリー「夢野久作」の70件の記事

2017/05/24

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅵ) 昭和五(一九三〇)年一月

 

 昭和五(一九三〇)年

 

 

 一月二日 木曜 

 

◇屍体の血はこんな色だと笑ひつゝ

  紅茶を匙でかきまはしてみせる

 

[やぶちゃん注:これは翌昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、

 

屍體の血は

コンナ色だと笑ひつゝ

紅茶を

匙でかきまはしてみせる

 

の表記違いの相同歌である。]

 

 

 

 一月三日 金曜 

 

◇木枯らしや提灯一つわれ一人

 

 

 

 一月四日 土曜 

 

◇死刑囚が眼かくしされて微笑した。

  其の時黑い後光がさした。

 

[やぶちゃん注:同じく昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、

 

死刑囚が

眼かくしをされて

微笑したその時

黑い後光がさした

 

の表記違いの相同歌。]

 

 

 

 一月四日 土曜 

 

雪よふれ、ストーブの内みつめつゝ

 昔の罪を思ふひとゝき

 

[やぶちゃん注:「獵奇歌」に類似したコンセプトのヤラセっぽいものは複数散見されるが、どうもこの一首は、私には不思議に素直に腑に落ちる。それらの〈ストーブ獵奇歌〉のプロトタイプとは言える。]

 

 

 

 一月七日 火曜 

 

◇闇の中に闇があり又暗がある。

  その核心に血しほしたゝる。

 

◇骸骨があれ野を獨りたどり行く

  ゆく手の雲に血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:「血しほしたゝる」は一時期の「獵奇歌」の常套的下句の一部であるが、このような内容のものは見当たらない。一首目は特に大真面目な観念的短歌ともとれなくもない。]

 

 

 

 一月八日 水曜 

 

◇投げ込んだ出刃と一所のあの寒さが

  殘つてゐるやうトブ溜めの底

 

[やぶちゃん注:やはり昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、

 

投げこんだ出刃と一所に

あの寒さが殘つてゐよう

ドブ溜の底

 

の初期稿。]

 

 

 

 

 一月十日 金曜 

 

◇ストーブがトロトロとなる

  ズツト前の罪の思ひ出がトロトロと鳴る

 

[やぶちゃん注:二箇所の「トロトロ」の後半は底本では踊り字「〱」。六日の原形から派生した〈ストーブ獵奇歌〉の一首。やはり昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の、

 

ストーブがトロトロと鳴る

忘れてゐた罪の思ひ出が

トロトロと鳴る

 

の初期稿であろう。]

 

 

 

 一月十一日 土曜 

 

◇黑く大きくなる吾が手を見れば

  美しく眞白き首摑みしめ度し

 

 

 

 一月十三日 月曜 

 

◇赤い日に爍烟を吐かせ

  靑い月に血をしたゝらせ狂畫家笑ふ

 

[やぶちゃん注:「爍烟」音なら「シヤクエン(シャクエン)」で、意味は光り耀く煙り或いは高温で眩しく発火している烟りのことか。孰れにせよ、音数律の破格が多過ぎ、韻律が頗る悪い。]

 

 

 

 一月十五日 水曜 

 

◇自殺しやうかどうしやうかと思ひつゝ

  タツタ一人で玉を突いてゐる

 

[やぶちゃん注:この三ヶ月後の昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」の、

 

自殺しようか

どうしようかと思ひつゝ

タツタ一人で玉を撞いてゐる

 

の表記違いの相同歌。]

 

 

 一月十六日 木曜 

 

◇洋皿のカナリヤの繪が眞二つに

  割れし口より血しほしたゝる

◇人間が皆良心を無くしつゝ

  夜の明けるまで玉を撞いてある

 

[やぶちゃん注:一首目は昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、

 

洋皿のカナリアの繪が

眞二つに

割れたとこから

血しほしたゝる

 

の初稿。後者は前日のそれと同工異曲で同様のステロタイプが散見される〈陳腐獵奇歌〉の一つ。]

 

 

 

 一月十八日 土曜 

 

◇すれちがふ白い女がふりかへり

  笑ふ唇より血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:やはり昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、

 

すれ違つた白い女が

ふり返つて笑ふ口から

血しほしたゝる

 

の初期稿らしい。]

 

 

 

 一月二十一日 火曜 

 

◇眞夜中の三時の文字を長針が

  通り過ぎつゝ血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:やはり昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、

 

眞夜中の

三時の文字を

長針が通り過ぎつゝ

血しほしたゝる

の表記違いの相同歌。]

 

 

 

 一月二十三日 木曜 

 

◇子供等が相手の瞳に吾が顏を

  うつして遊ぶそのおびえ心

 

◇老人が寫眞にうつれば死ぬといふ

  寫眞機のやうに瞳をすゑて

 

[やぶちゃん注:この二首、なかなかいい。特に後者はその情景の浮かぶ、リアルな一首ではないか。この一首、久作はかなり思いがあったものか、六日後の一月二十九日(水曜)の日記にも全く相同のものを書き込んでいる(この日は日記本文に「獵奇歌」の歌稿を書き直していることが記されてある。但し、この二首は孰れも「獵奇歌」にはとられていない)。こういうことは彼の今までの日記には見られない特異点である。単なる書き込んだことを忘れていたということは私には考えにくいのである。]

 

 

 

 一月三十日 木曜 

 

◇夕暮れは人の瞳の並ぶごとし

  病院の窓の向ふの軒先

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」の一首、

 

夕ぐれは

人の瞳の並ぶごとし

病院の窓の

向うの軒先

 

の表記違いの相同歌。]

 

 

 

 一月三十一日 金曜 

 

◇眞夜中の枕元の壁撫でまはし

  夢だとわかり又ソツと寢る

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」の、

 

眞夜中に

枕元の壁を撫でまはし

夢だとわかり

又ソツと寢る

 

相似歌。]

 

◇雪の底から抱え出された佛樣が

  風にあたると眼をすこしあけた

 

[やぶちゃん注:同前、

 

雪の底から抱へ出された

佛樣が

風にあたると

眼をすこし開けた

 

表記違いの相同歌。]

 

◇煙突がドンドン煙を吐き出した

  あんまり空が淸淨なので

 

[やぶちゃん注:「ドンドン」の後半は底本では踊り字「〱」。同前の「獵奇歌」中の一首、

 

煙突が

ドンドン煙を吐き出した

あんまり空が淸淨なので……

 

の相似歌(リーダ追加と分かち書きに変更)。]

 

◇二日醉の頭の痛さに圖書館の

  美人の裸像を觸つてかへる

 

◇病人はイヨイヨ駄目と聞いたので

  枕元の花の水をかへてやる

 

[やぶちゃん注:「イヨイヨ」の後半は底本では踊り字「〱」。同前、

 

病人は

イヨイヨ駄目と聞いたので

枕元の花の

水をかへてやる

 

の表記違いの相同歌。]

 

◇水藥を花瓶に棄てゝあざみ笑ふ

  肺病の口から血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』の一首、

 

水藥を

花瓶に棄てゝアザミ笑ふ

肺病の口から

血しほしたゝる

 

の表記違いの相同歌。決定稿の「アザミ」は花のアザミを連想させてしまうので読みの躓きを起こすが、或いはあの花をそこに恣意的にモンタージュさせる久作の確信犯かも知れぬ。]

 

◇毒藥は香なし色なく味もなし

  たとへば君の笑まぬ唇

 

◇馬鹿野郎馬鹿野郎又馬鹿野郎と

  海にどなつて死なずにかへる

 

[やぶちゃん注:「馬鹿野郎馬鹿野郎」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

◇探偵が室を見まはしてニツト笑ふ

  その時たれかスヰツチを切る

 

◇精蟲の中に人間が居るといふ

  その人間が笑つてゐるといふ

 

2016/12/12

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅴ) 昭和四(一九二九)年 (下半期)

 

 七月四日 木曜 

 

春まひるたゞ片時のうたゝねに

 花亂れ散る夢を見てしか

 

 

 

 七月十二日 金曜 

 

◇山奥の赤土の丘ぞ悲しけれ

  旅人の來て立ちて靑空をあふくことも稀なり

 

 

 

 七月十九日 金曜 

 

◇はるかなる心をいだき地に伏して

  身を切るごとき淚なかすも

 

◇ましろなる道を自働車よりゆきて

  ほこり光りて秋づきにけり

 

[やぶちゃん注:「なかすも」はママ。]

 

 

 

 七月二十日 土曜 

 

◇一直線に切り取られたる靑空の

  大建築にたふれかゝるも

 

◇二等車はイヤな氣がする

  強盜に殺されそうな奴ばかり乘る

 

[やぶちゃん注:「そうな」はママ。]

 

 

 

 七月二十一日 日曜 

 

◇あの晩の車軸を流す大雨が

  彼女の貞操を洗ひ去つた

 

◇カーキ色の武官ひとりかへり來る

  まひるの道に紫蘇の葉光る

 

 

 

 八月十二日 月曜 

 

引く蟻を見てゐる己が力瘤

 

 

 

 八月二十三日 金曜 

 

◇わが心狂ひ得ぬこそ悲しけれ

  狂へと責める便をながめて

 

 

 

 八月二十七日 火曜 

 

◇わるいもの見たろ思ふて立ちかへる

  彼女の室の挘られた蝶

 

[やぶちゃん注:「挘られた」「むしられた」。これは同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、

 

わるいもの見たと思うて

立ち歸る 彼女の室の

挘られた蝶

 

の形で発表済み。]

 

 

 

 八月二十九日 木曜 

 

◇日が照れば子供等は歌をうたひ出す

  俺は腕を組んで反逆を思ふ

 

[やぶちゃん注:これは同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、

 

日が照れば

子供等は歌を唄ひ出す

俺は腕を組んで

反逆を思ふ

 

の形で発表済み。]

 

 

 

 九月三日 火曜 

 

晴れ渡る空肌寒く星多し

 野に泣きにゆく女あるらむ

 

 

 

 九月十一日 水曜 

 

◇杉の聲夜每に近く蟲の聲

  夜每に遠く冬になりゆく

 

 

 

 九月十二日 木曜 

 

秋の夜の夢は間近く又遠し

 千切れ千切れに風の音して

 

汽車の音聞き送りつゝ佇める

 野山の涯に秋ふかみける

 

[やぶちゃん注:「千切れ千切れ」の後半は底本では踊り字「〱」。なお、この二首の後に、『雲低く風寒く、小鳥松の間を彼方こなた飛ぶ。影の如く、折々日パツと照り、鷹キツピーと啼く。夜に入り蟲の音滋し。』という文が書かれて、この日の日記(冒頭に歌とは無縁のメモランダ二行有り)は終わっている。]

 

 

 

 九月十三日 金曜 

 

◇何者か殺し度い氣持ち只一人

  アハアハアハと高笑ひする

 

◇殺しても殺してもまだ飽き足らぬ

  憎い彼女の橫頰ほくろ

 

[やぶちゃん注:「アハアハアハ」後半の二つの「アハ」は底本では踊り字「〱」、「殺しても殺しても」の後半も同。なお、第一首は同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、

 

何者か殺し度い氣持ち

たゞひとり

アハアハアハと高笑ひする

 

で、第二首も同じ号に、

 

殺しても殺してもまだ飽き足らぬ

憎い彼女の

横頰のほくろ

 

の形で発表済み。]

 

 

 

 九月二十三日 月曜 

 

大廂鬼瓦の伸びる夕日かな

 

[やぶちゃん注:直前に「權藤氏論」とあるが、これは久作の句と判断した。]

 

 

 十月十日 木曜 

 

筋に泣かさるゝ人形多し

 人形の格に泣かさるゝ芸は些し。

 

[やぶちゃん注:文楽鑑賞の感懐か? 句点は打たれているいるものの、短歌形式で独立して書かれているので採用した。]

 

 

 

 十一月十七日 日曜 

 

鷄頭の枯れてもつゝく日和哉

 

[やぶちゃん注:「つゝく」はママ。直前の日記末に、「午后、稽固。稽固場の鷄頭、枯れ枯れなり。」と記している。謠に稽古場の前庭の嘱目吟。]

 

 

 

 十一月二十五日 月曜 

 

◇親の恩に一々感じて居たならば

  親は無限に愛しられまじ

 

◇一ツ戀かそんなに長くつゝくものか

  空の雲でも切れわかれゆく

 

[やぶちゃん注:「つゝく」はママ。第一首は二年後の昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」で、

 

親の恩を

一々感じて行つたなら

親は無限に愛しられまい

 

形で発表されることとなる。]

 

 

 

 十一月二十五日 月曜 

 

◇心から女が泣くのでそれよりは

  生かして置いてくれやうかと思ふ

 

◇人間の屍體をみると何がなしに

  女とふざけて笑つてみたい

 

[やぶちゃん注:第一首は、二年後の昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」で、

 

梅毒と

女が泣くので

それならば

生かして置いてくれようかと思ふ

 

と改稿されて載り、第二首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に、

 

人間の屍體を見ると

何がなしに

女とフザケて笑つてみたい

 

の形で載ることとなる。]

 

 

 

 十二月六日 金曜 

 

◇飛び出した猫の眼玉を押しこめど

  どうしても這入らず喰ふのをやめる

 

◇五十戔貰つて一つお辭儀する

  盜めばせずに済むがと思つて

 

◇うちの嬶はどうして子供を生まぬやら

  乞食女は孕んでゐるのに

 

[やぶちゃん注:第一首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に、

 

飛びだした猫の眼玉を

押しこめど

ドウしても這入らず

喰ふのをやめる

 

と載り、第二首も同号に、

 

五十錢貰つて

一つお辭儀する

盜めば

お辭儀せずともいゝのに

 

と改稿して載せる。]

 

 

 

 十二月六日 金曜 

 

◇メスの刃にうつりかはりゆく肉の色が

  お伽話の花に似てゐる

 

◇新婚の花婿が來てお辭儀する

  顏上げぬうち踏み潰してみたし

 

[やぶちゃん注:第一首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

メスの刄が

お伽ばなしを讀むやうに

ハラワタの色を

うつして行くも

 

の初稿と思われる。]

 

 

 

 十二月二十一日 土曜 

 

草に來て草の色してスウヰツチヨ

 ある夜の月に霜に枯れしかと書き送る

 

[やぶちゃん注:「スウヰツチヨ」直翅(バッタ)目キリギリス亜目キリギリス科ウマオイ属ハヤシノウマオイ Hexacentrus japonicus の異称。私は「スイッチョン」と呼ぶ。和名は「馬追」はその鳴き声が馬子が馬を追う声のように聴こえることに基づく。本種は「スィーーーッ、チョン」と長く伸ばして鳴くが、見かけは同一でも鳴き声が「シッチョン、シッチョン」と短く鳴くのはハタケノウマオイ Hexacentrus unicolor という近縁の別種である。]

2016/09/04

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅸ) 昭和四(一九二九)年 (上半期)

 昭和四(一九二九)年

 

 

 冒頭 

 

わが胸の白く涯なき砂原に

 赤裸の女がノタうちまはる

 

兒等ねむり妻もねむりて冬の夜の

 何か悲しく風吹きわたる

 

四十越すわれと思へば冬の夜の

 風そことなく眠られぬかな。

 

遠山のまだらの雪の悲しさよ、

 日かげうら、に風のわたれば。

 

殺しても殺してもまだ飽き足らぬ

 憎い男が葉卷を吹かす。

 

[やぶちゃん注:最後の一首の「殺しても殺しても」の後半は底本では踊り字「〱」。実はこの日記冒頭には、

 

 木戸を出て空仰ふげば星靑し

  世の大なる僞りのごと。

 

という一首が記されてあるのであるが、その直後の下方には、

 

         (作者不明。淺香會員)

 

とあるので、採用しなかった(「淺香會」とは久作も参加していた福岡を活動拠点とした短歌結社)。これに続く以下は、明らかに猟奇歌の系譜で彼の短歌であるから問題ない。そもそも最初の、

 

わが胸の白く涯なき砂原に/赤裸の女がノタうちまはる

 

は前年末尾(十二月二十九日分)の、

 

胸のはてなく白き砂原に/裸身の女がノタウチまはる

 

の改稿であるからである。]

 

 

 

 一月三日 木曜 

 

天地のあらたまるらし、新玉の曉とほく雪のふりしく

 

[やぶちゃん注:この日は雪が終日降っている。日記本文内に、

 

池内君より「天地の命、ひやゝかに改まり、うつそみの我のむなしき悔ひじ」。吾が返し

 

として出る返歌である。]

 

 

 

 一月六日 日曜 

 

 あの山が、白くなつたら歸らんせ、まねく芒が穗に出たら。

 

[やぶちゃん注:単なる俚謡の一節かも知れぬが、一応、挙げておく。]

 

 

 

 

 一月八日 火曜 

 

雨風のいく日を過ぎて芒山

 けふは悲しくまだら雪積む

 

 

 

 

 一月十一日 金曜 

 

冬川の底に見付けぬ日の光り

 冬の日のとすりの倉に殘りけり

 

[やぶちゃん注:「とすり」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

 

 

 一月十二日 土曜 

 

井目が夜の明ける頃對となり

 

[やぶちゃん注:「井目」は「せいもく」で、囲碁の盤面に記された九つの黒い点のこと。「聖目」「星目」とも書く。但し、私には意味は分らない。]

 

 

 

 一月十三日 日曜 

 

これからが怖いのだよと靑くなり

 

 

 

 一月十五日 火曜 

 

霜の町議論してゆく男づれ

 

 

 

 一月二十日 日曜 

 

死にゆきし人は悲しも石塔に水打ちてやれば乾きてゆくも

 

 

 

 一月二十二日 水曜 

 

春なればなどかく妻子いとしきぞ

 雲輕らかにわたるをみても

 

 

 

 一月二十五日 金曜 

 

滿月のまひるの如し屠殺場に

 暗く音なく血潮したゝる

 

 

 

 一月十二日 土曜 

 

◇何者か殺し度ひ氣持ちたゞひとり

  アハアハと高笑ひする

 

[やぶちゃん注:「アハアハ」の後半は底本では踊り字「〱」。これは昭和四(一九二九)年七月号『獵奇』に初出する「獵奇歌」の巻頭の一首、

 

何者か殺し度い氣持ち

たゞひとり

アハアハアハと高笑ひする

 

(「アハアハアハ」の後ろの二つの「アハ」は底本では孰れも踊り字「〱」)の初稿。]

 

 

 

 一月二十八日 月曜 

 

◇人淋し吾亦淋したまさかに

  アハ……と笑ひてみれば

 

[やぶちゃん注:前の猟奇歌の本来の感懐、面目は、実はこの寂寥なのであろう。]

 

 

 

 二月十一日 月曜 

 

妻の味枕にしつゝ思ふかな

 どこかひとりで旅行してみたしと

 

 

 

 三月二日 土曜 

 

この思ひ忘れむとするこの心

 ひとり悲しも春の夜の風

 

 

 

 三月四日 月曜 

 

世知辛くなつたと甘い奴

 

 

 

 三月十七日 日曜 

 

山のあたり春の夜の風立つらしも

 ねむらむとする心はるかに

 

 

 

 三月二十九日 金曜 

 

◇雨の夜半、自分の腹を撫でまはせば、

  妖怪に似て、生あたゝかし

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年六月号『獵奇』初出の「獵奇歌」の、

 

妖怪に似た生あたゝかい

我が腹を撫でまはしてみる

春の夜のつれつれづれ

 

の初案か。]

 

 

 三月三十一日 日曜 

 

◇自殺やめて壁をみつめてゐるうちに

  ふと湧き出した生あくび一つ

 

◇こんな時ふつと死ぬ氣になるものか

  枯れ木の上を白い雲がゆく

 

◇伯父さんへ此の剃刀を磨いてよと

  繼子が使ひに來る雪の夕

 

◇埋められた、死骸はつひにみつからず

  □山おかし、靑空おかし

 

◇知らぬ存ぜぬ一點張りで行くうちに

  可笑しくなつて空笑ひする。

 

◇死に度い心、死なれぬ心、

  互ひちがひに落ち葉ふみゆく、落ち葉ふみゆく

 

[やぶちゃん注:一・三・四・五・六首目は昭和四(一九二九)年六月号『獵奇』初出の「獵奇歌」の中の、以下の五首、

 

自殺やめて

壁をみつめてゐるうちに

フツと出て來た生あくび一つ

 

伯父さんエ

此の剃刀を磨いでよと

繼子が使ひに來る雪の夕

 

死に度い心と死なれぬ心と

互ひちがひに

落ち葉踏みゆく落ち葉踏みゆく

 

埋められた死骸はつひに見付からず

砂山をかし

靑空をかし

 

知らぬ存ぜぬ一點張りで

行くうちに可笑しくつて

空笑ひが出た

 

の初稿であろう(発表順列順)。以下、四月と五月三十日までのほぼ二ヶ月間の日記には詩歌は一篇も記されていない。]

 

 

 

 五月三十一日 金曜 

 

◇昇汞を飮みて海邊に叫ふ女

  大空赤し赤し

 

◇人形の髮毛むしりて女の兒

  大人のやうにあざみ笑へり

 

◇お白粉と野菜と血潮のにほひを嗅ぎて

  吾は生きて居りカフヱーの料理番

 

[やぶちゃん注:「叫ふ」はママ。「赤し赤し」の後半は底本では踊り字「〱」。

「昇汞」「しようこう(しょうこう)」は塩化第二水銀で、ここは「昇汞水」、塩化第二水銀を水で薄めたもののこと。ウィキの「塩化水銀(II)によれば、嘗ては消毒液や防腐剤として使用されていたが、『毒性が強いために現在では使用されていない』。塩化第二水銀は『腐食性で非常に強力である。生物の血液に付着すると無機の水銀は蛋白質に結合』、『皮膚に直接触れると皮膚炎や神経系の異常を起こすことがあり、いらだち、不眠、異常な発汗などの原因に繋がる』。『水で薄めた昇汞水の致死量でも』〇・二~〇・四グラムほどで、『誤って一滴でも飲んでしまうだけでも生命にかかわる』とある。

「あざみ笑へり」の「あさみ」は「淺(あさ)む」が古形で「侮る・蔑(さげす)む」の意。]

 

 

 

 六月一日 土曜 

 

いつしかにふる出でにけむ軒の樋

 おどろに鳴りて春の夜更けぬ

 

 

 

 六月八日 土曜 

 

畠中に雲雀ひた啼く曇り空

 何かうれしくうなだれて行く

 

 

 

 六月十一日 火曜 

 

停電のともりし刹那故郷の

 妻の戀しく起きて文書く

 

 

 

 六月十三日 木曜 

 

美しき衣着てゆく人の群れ

 夜更けぬればわけて悲しも

 

 

 

 六月十九日 水曜 

 

紫のなすびの花のしみしみと

 嵐のあとのまひるはるかも

 

[やぶちゃん注:「しみしみ」の後半は底本では踊り字「〱」。「〲」ではない。]

2016/08/13

杉山萠圓(夢野久作) 「翡翠を讀んで」

 

[やぶちゃん注:杉山萠圓(はうゑん(ほうえん)は夢野久作(本名は杉山直樹)のペン・ネームの一つ。片山廣子の第一歌集「翡翠」の書評である。

 大正六(一九一七)年四月刊の『心の花』に掲載された(書誌情報は二〇〇一年葦書房刊西原和海編「夢野久作著作集6」の巻末に載る「夢野久作作品年表」に拠った)。初出以外では現在までに採録されたものはないと思われ(西原氏の「夢野久作著作集」でも書誌データのみで本文は載らない)、電子化もこれが最初であると思われる。夢野久作満二十八歳、還俗し、再び福岡香椎村の農園経営に戻った直後の頃で、エンディングのリアリズムは、まさにそうしたのっぴきならない夢野久作の夢野久作たる所以、と見逃してはならぬシークエンスなのである。

 「翡翠」は「かはせみ(かわせみ)」と読み、アイルランド文学の翻訳者としても知られる歌人片山廣子の第一歌集で、佐佐木信綱主宰の結社『心の花』の出版部門である竹柏会出版部から大正五(一九一六)年三月二十五日に『心の花叢書』の一冊として刊行されたものである(私は上記の「翡翠」以外にも、彼女の代表的歌集類及び翻訳と随筆を私のサイト「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇の「■片山廣子/松村みね子」でオリジナルに公開している。興味のある方は是非、参照されたい)。

 この元データは私のツイッター上での私のこれに関わる書き込みを見られた夢野久作を研究されておられる方が、資料としてお持ちの本書評の画像部分を二〇一六年八月十二日にPDFファイルで無償で提供して下さったものを視認して電子化した。

 踊り字「〱」は正字化した。表題及び署名は底本に反して前後に空行を設けた。署名は「杉 山 萌 圓」と一字空けが施されて、本文ポイント三字上げの下インデントであるがブログでの表示不具合を考えて再現していない(最後の「(香椎園藝場に於て)」も下インデントは同じ)。短歌引用の最初の「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」の『「』の開始位置は明らかに半角分下がっているが、改行の空けとしても不自然にしか見えないので再現しなかった。引用の「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」の歌にだけ最後の句点がないのはママ。

 一ヶ所だけ、冒頭の一文中の「■い表裝」の「■」の字は原本の活字が潰れていて判読が出来ない。(へん)が「にすい」か「さんずい」のように見え、後で歌の趣きを筆者が「滋い沈んだ色彩」と述べていることや、歌集「翡翠」原本の表装はネット上の写真を見る限り、現存物は濃い青か或いは紺色で「しぶい」色には見えることなどから推すと、「しぶい」の意の可能性が高いようには思われる。ここでは、資料提供者の方の意見も伺い、「澁」「歰」「渋」或いは後に出る「滋」ではないか、と推察するに留めることとする。

 なお、引用された「翡翠」からの短歌は総てに亙って原本とは表記が異なっており、一部には問題外の誤字や脱字も認められるので、末尾に全歌の対照表を作って別に掲げた

 また、文中の「竹柏園先生」は『心の花』主宰の佐佐木信綱の別号。「ちくはくゑん」とはべつにこれで「なぎぞの」とも読み、元は同じく歌人であった父弘剛の号であり、門人組織名であった。彼の評「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」は「翡翠」の信綱の序文(大正五年二月クレジット)の一節に基づいた表現であるが、そのままではない。当該箇所を引く。下線はやぶちゃん。

   *

 自分がこの集を通讀して感じたことを率直にいふと、思ふに著者の歌は、今や岐路に立つてゐる。舊衣を破り捨てて、それに代るべき新しい衣が未だ成つてをらぬといふ狀態にある。固より舊衣は如何に美しとも、それにまさつた新衣だに得なば破り捨てても決して惜しむに足りない。著者の態度は、舊い自己にあきたらないで、而も未だ新たなる信念にそふ歌を得むとして得かねてゐると思はれる。而して著者がその歌風のかかる岐路に立つて、その現在をありのままに曝露しようとした勇氣は、また多とすべきである。而して自分の著者に待つところは、その將來の大成にある。

   *

である。続くその後の、『野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る』というのも「翡翠」の信綱に先立つ巻頭序文(英文と和文の二種)の詩人野口米次郎(署名は「ヨネ、ノグチ」)の一節に基づく(これも完全な引用ではない)。以下に当該部を示す。下線はやぶちゃん(こちらの全文は私の片山廣子第一歌集「翡翠」に電子済)。

   *

心揚りよろこびを以て吾が常に歌ひしむかしの歌は今いづこにある? 今吾は灰塵となれる廢墟なり。火災と共に吾が生の第三期は始まりぬ。

君も亦君が生の第三期に入りしと吾は信ず。

終局の破滅に急ぐは現代の特色なり。ああ、吾が心の廢墟の上に新しき歌を再び築かばや! 哀愁(かなしみ)と傷痍(きず)より生れいでたる色彩(いろ)と認識(みかた)とを以て、詩人の寂しく大なる城を再び築かばや! 靈妙にして自由なる吾が企圖(おもひ)を行はんためには、吾は理想と夢の歡樂を犧牲にして惜しまざるべし。

吾が友よ、君は吾が言葉を能く理解すべし。

   *

 

 追記。

 因みに、彼女のこの歌集の書評を、今一人、著名な人物がものしている。

 大正五(一九一六)年六月発行の雑誌『新思潮』の「紹介」欄に掲載されたもので、最後に附された括弧書きの署名は「啞苦陀」となっている。「あくだ」、かの芥川龍之介である。片山廣子が処女歌集を龍之介に献本したものと推測される。短いので、参考までに私の芥川龍之介による片山廣子歌集「翡翠」評から引く(リンク先には草稿も電子化してある)。

   *

 

 この作者は、序で佐々木信綱氏も云つてゐる樣に在來の境地を離れて、一步を新しい路に投じ樣としてゐる。「曼珠沙華肩にかつぎて白狐たち黃なる夕日にさざめきをどる」と云ふ樣な歌が、其過去を代表するものとするならば、「何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり」と云ふ樣な歌は、其未來を暗示するものであらう。勿論、後者の樣な歌に於ては、表現の形式内容二つながら、この作者は、まだ幼稚である。しかし易きを去つて難きに就いたと云ふ事は、少くとも作者自身にとつて、意味のある事に相違ない。そして同時に又この歌集が、他の心の花叢書と撰を異にする所以は、此處に存するのではないかと思ふ。左に二三、すぐれてゐると思ふ歌を擧げて、紹介の責を完する事にしやう。

 

   灌木の枯れたる枝もうすあかう靑木に交り霜とけにけり。

 

   日の光る木の間にやすむ小雀ら木の葉うごけば尾をふりてゐる。

 

   沈丁花さきつづきたる石だたみ靜にふみて戸の前に立つ。

 

 それから母としての胸懷を歌つた歌に、眞率な愛す可きものが、二三ある。

 

   たゆたはずのぞみ抱きて若き日をのびよと思ふわが幼兒よ。

 

   我をしも親とよぶびと二人あり斯くおもふ時こころをさまる。

 

 野口米次郎氏の序も、内容に適切である。裝幀は淸洒としてゐる。 (啞苦陀)

 

   *

 当時、芥川龍之介未だ二十四歳、片山廣子は龍之介より十四年上の三十八歳、また、この時(大正五(一九一六)年)の二人は、文学者同志の束の間の儀礼的擦れ違いに過ぎなかったものとは思われる。龍之介は同年十二月に塚本文と婚約しており、また、廣子はこの歌集刊行の四年後の大正九(一九二〇)年三月に日本銀行理事であった夫片山貞治郎と死別することとなる。

 ところが、龍之介と廣子は、この八年後の七月の軽井沢で運命の再会をすることとなる。周知の通り、「或阿呆の一生」の「三十七」に出る「越し人」、かの龍之介をして『彼は彼と才力の上にも格鬪出來る女に遭遇した』と言わしめたのが彼女、片山廣子であった。芥川龍之介の絶唱「越びと 旋頭歌二十五首」(大正一四(一九二五)年三月『明星』)も彼女の捧げられたものである。芥川龍之介が最後に愛したのは確かに片山廣子であった、と私は硬く信じて疑わない。それは私のブログ・カテゴリ「片山廣子」その他もろもろで語っているので興味のあられる方は是非、お読み戴きたく存ずる(なお、以上のリンク先は総て私のオリジナルな電子テクストである)。

 

 最後に。

 本電子化の底本データを下さった方に、再度、御礼申し上げるものである。【二〇一六年八月十三日 藪野直史】]

 


     
翡翠を讀んで

       
杉山萠圓

 

 翡翠の一卷を讀み了つて其の■い表裝をぼんやり見つめて居るといろいろの背景の前にいろいろの顏つきが浮み出て來る。

「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」

「靑白き月の光りに身を投げて舞はばや夜の落葉のをどり。」

「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」

 など云ふ快よい滿ち足つた有樣。又は

「春雨や精進のけふのあへものに底の木の芽を傘さして摘む。」

「朝霧の底に夢見る高き木に鶯鳴けばわが心覺む。」

 など云ふ小じんまりした情趣などが眼にちらついて其他の滋い沈んだ色彩を蔽ひかくす樣な氣がする。これは自分の誤解ではあるまいかと思つて二三度くりかへして讀んで見たが矢張り同じ事で、却つて其沈んだ顏つきと浮き立つた背景とが益々はつきりと自分の眼に泌み込んで次第にある一つの顏つきに統一して來る。さうして其輕い華やかな背景に反き乍らじつと眼の前の暗いものを見つめて居る瞳其瞳の光さへ明らかになつて來て靜かに自分の眼と相會ふた時白自分は正に頭の中に翡翠といふ婦人の肖像畫を作り得た心地がした。さうして此女人の表情と背景とが朧氣ならず矛盾して居る理由を察し得て何と無く頭の下るのを禁じ得なかつたのである。

 此矛盾が作者の歌であつた。生命であつた。

「生くるわれと夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ。」

 又過去と現在と未來であつた。

「くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく。」

 併せては又其生涯の回顧と煩悶空虛と實在であつた。

「花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる。」

「つれつれにちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど。」

 とあるのを見ても疑ふ餘地が無い。

 竹柏園先生のお詞の如く「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」で又野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る。さればこそ

「渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり。」

 と云ふ歌が殊に強く自分の腦狸に印象を殘したのであらう。

 併しもう仕方が無い。行く處まで行かねばならぬ。それならば何處ヘゆくか。自分は斯樣思つて再び翡翠を取り上げて豆だらけの手で裏表を撫で乍らぼんやりと外を眺めた。窓の前にはまだ熟せぬ水蜜桃の袋がいくつも葉蔭に並んで居る。遠くの野の低い處に雲雀が鳴いて居る。空も靑黑く地も靑黑い。何時まで眺めても考へがつかないまゝに筆を擱いた。さうして自分も亦此問題を考へねばならぬ者であると深く深く感じた。

          (香椎園藝場に於て)

 

 

■やぶちゃんによる引用歌と原本「翡翠」の当該歌との対照表

 引用中の一ヶ所を除いて総てに附されてある末尾の句点は原歌集にはないので除去して示した。

 最初に本文の引用短歌を出したが、頭に「○」「△」「×」の記号を附した。「○」は「許せる範囲」、「△」は「誤りではないが、転写引用としては問題がある」レベル、「×」は生死にかかわる緊急手術必要、という一種のトリアージとして示したものである。

 矢印(↓)の次の【翡翠】とある次の行の「◎」を附したものが、元歌集「翡翠」の正規表現である。引用の方に私が附した下線部太字は原本と異なる問題箇所である。

 

○何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり

【翡翠】

◎何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり

[やぶちゃん注:「翡翠」巻頭歌。正直、それくらいは誤らずに引用して欲しかった。以下、片山廣子は夢野久作の洞察に富んだ評言には心から感謝し乍らも、引用の杜撰さには少ししょんぼりしたような気がする。]

 

○靑白き月の光りに身を投げて舞はばやの落葉のをどり

【翡翠】

◎靑白き月のひかりに身を投げて舞はばや夜(よる)の落葉のをどり

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十三首前の歌。引用には「夜」のルビがない。頂戴したデータの前後の別な人物の記事ではルビを振った箇所は認められないものの、多量の異なった記号の傍点が沢山認められるから、『心の花』の版組上、ルビが振れなかったとは言わせない。]

 

×幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時

【翡翠】

◎幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福(めぐみ)をうくるこの時

[やぶちゃん注:引用ではルビがなく、おまけに格助詞「を」が脱落しているため、「祝福」は「しゆくふく」と読まれてしまう。

 

×春雨や精進のけふのあへものの木の芽を傘さして摘む

【翡翠】

◎春雨や精進のけふのあへ物に庭の木の芽を傘さしてつむ

[やぶちゃん注:「庭」を「底」とするとんでもない誤りであるが、どう考えても「底」では意味が通らないから、夢野久作の誤りではなく、単なる『心の花』側の誤植・校正ミスであろう。]

 

○朝霧の底に夢見る高き木に鳴けばわが心覺む

【翡翠】

◎朝霧の底に夢みる高き木にうぐひす鳴けばわが心覺む

 

○生くるわれ夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ

【翡翠】

◎生くる我とゆめみる我と手をつなぎ歩み疲れぬ倒れて死なむ

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十二首前の歌。]

 

○くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく

【翡翠】

◎くだものと古き心は捨てて見む鳥やついばむ人や踏みゆく

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十一首前の歌。]

 

○花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる

【翡翠】

◎花も見ず息をもつかずいそぎ來しわが世の道を今ふりかへる

 

つれつれちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど

【翡翠】

◎つれづれに小さき我をながめつつ汝何者と問ひて見つれど

[やぶちゃん注:引用の「つれつれ」の後半は底本では踊り字「〱」であるので(「〲」では、ない)、かくした。原本でも前の引用の歌の次に配されている一首である。]

 

渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり

【翡翠】

◎渦まきに一足入れてかへりみしかなしき顏はわすれがたかり

2016/03/06

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅷ) 昭和三(一九二八)年 (全)

 昭和三(一九二八)年

 

 

 

 一月六日 金曜 

 
◇かもはかや無き名を三十一文字に

  かへしまつらむことの葉もなし

 

◇はずかしやまゐらせし香のほそけむり

  白とか書きて龍年の春

 

◇八十九四十と年は違へども

  香きくはなの友となりけり

 

[やぶちゃん注:「はずかし」はママ。短歌の前の日記の末尾に、

 

堀江氏老母八十九歳、君子に茶の湯を教ゆ。余線香を送りしに、歌送り來る。

 古きものゝ香をりゆかしく老の身に

  めくみたまひてきくぞうれしき八十九、雄子、杉山樣。

 

とあるのに続く、恐らくは久作の心の内のこの老母との相聞歌である。但し、一首目の「かもはかや無き」、二首目の「白とか書きて」というのは私が馬鹿なのか、意味が判らない。識者の御教授を乞う。なお、昭和三年は「戊辰(つちのえたつ)」である。夢野久作、満三十九歳の年であった。]

 

 

 

 一月八日 日曜 

 

◇冬の日の空しき空を渡りはてゝ

  金茶の色に沈みゆくかな

 

 

 

 一月九日 月曜 

 

◇うつろなる自分の心を室の隅に

  ヂット見つむるストーブの音。

 

 

 

 二月十九日 火曜 

 

町を出て人無き草の野に寢ねて

吾が靑空よと呼びかけてみる

 

 

 

 二月二十二日 水曜 

 

春淺み厨の隅に音するは冬の名殘りの風からずか

戸の羽に物音するはぬす人か冬の名殘りの風かあらずか

 

[やぶちゃん注:「戸の羽」不詳。]

 

 

 

 二月二十三日 木曜 

 

せことわれとうたひふみゆくはるのくさ

 やまかけにほふしのゝめのころ

 

 

 

 二月二十六日 日曜 

 

風のみは冬の名殘りの心地して

 星の光りのやうにうるめき

 

 

 

 二月二十八日 火曜 

 

◇春殘みわびしいといふにあらねども雲の底を流るゝものを

 

 思ふとおふにあらねど春殘みうす雲の底を日の流るゝ

 

 

 

 三月四日 日曜 

 

窓の外の松の木ぬれを動かして

くもりの空ゆ風いでにけり

 

[やぶちゃん注:「こぬれ」は「木末」と書き、「「木(こ)の末(うれ)」の転。「梢」に同じい。万葉以来の古語。]

 

 

 

 四月十六日 月曜 

 

人格は瘠せてシヨンボリ祈りして

 冷たい寢床にもぐり込む哉

 

 

 

 五月十四日 月曜 

 

◇ピストルが俺の眉間を睨みつけた

  ズドンと云つたアッハッハッハ

 

◇黑い黑い祕密の核を春の□

 ひとり指さして赤い舌出す

 

[やぶちゃん注:「黑い黑い」の後半は底本では踊り字「〱」。前の一首は、同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の一首、

 

ピストルが俺の眉間を睨みつけて

 ズドンと云つた

  アハハのハツハ

 

の初稿。二首目の「□」は判読不能字。]

 

 

 

 五月十七日 木曜 

 

◇毎日毎日、向家の屋根のペンペン草を

  見ていた男が狂人になつた。

 

[やぶちゃん注:「毎日毎日」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

 

 

 五月十九日 土曜 

 

◇工女うたひてかへりひそやかに

  梨の花散る夜となりにけり

 

◇カルモチン紙屑籠に投入れて

  又取り出してヂツトながむる

 

◇死なむにはあまりに弱き心より

  人を殺さむ心となりしか

 

[やぶちゃん注:二首目は、やはり同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の、

 

カルモチンを紙屑籠に投げ入れて

 又取り出して

  ジツと見つめる

 

の初稿。]

 

 

 

 五月二十一日 月曜 

 

◇ドラッグの蠟人形全身を想像してみて

  冷汗流す

 

◇白く塗つた妻の横顏に書いてある戀は

  極度の誤解である

 

◇啞の女が口から赤ん坊生んだげな

  その子の父の袖を捉えて

 

◇檻獄に這入らぬ前も出た後も

  同じ靑空に同じ日が照ってゐる

 

◇闇の中から血まみれの猿がよろよろと

  よろめきかゝる俺の良心

 

◇波際に猫の死骸が齒を剝いて

  夕燒けの空を冷笑してゐた

 

[やぶちゃん注:第五首目の「よろよろ」の後半は底本では踊り字「〱」。一首目は、やはり同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の中の一首、

 

ドラツグの蠟人形の

 全身を想像してみて

  冷汗ながす

 

の初稿。そこで注した通り、「ドラッグ」は麻薬中毒患者の部分ムラージュのこと。三首目も、同号『獵奇』の同じ「獵奇歌」の、

 

啞の女が

 口から赤ん坊生んだゲナ

  その子の父の袖をとらへて

 

の初稿。四首目及び五首目は同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

監獄に

 はいらぬ前も出た後も

同じ靑空に同じ日が照つてゐる

 

と、

 

闇の中から血まみれの猿が

 ヨロヨロとよろめきかゝる

俺の良心

 

の初稿。最後の一首は、ずっと後の昭和一〇(一九三五)年十月号『ぷろふいる』の「獵奇歌」に載る、

 

波際の猫の死骸が

乾燥して薄目を開いて

夕日を見てゐる

 

がかなり酷似した類型歌で、初稿だったのかも知れない。]

 

 五月二十二日 火曜 

 

◇白い蝶が線路を遠く横切って

  汽車がゴーと過ぎて吾が戀おはる

 

◇自轉車の死骸が空地に積んである

  乘った奴の死骸も共に

 

[やぶちゃん注:以上の二首は、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(順序は逆)、

 

白い蝶が線路を遠く横切つて

 汽車がゴーと過ぎて

血まみれの戀が殘る

 

自轉車の死骸が

 空地に積んである

乘つてゐた奴の死骸も共に

 

の初稿。]

 

 

 五月二十三日 水曜 

 

◇靑空の隅からヂッと眼をあけて

  俺の所業を睨んでゐる奴

 

◇ニセモノのパスで電車に乘つてみる

  超人らしいステキな氣持ち

 

[やぶちゃん注:やはり二首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、

 

靑空の隅から

 ジツト眼をあけて

俺の所業を睨んでゐる奴

 

ニセ物のパスで

 電車に乘つてみる

超人らしいステキな氣持ち

 

の初稿。]

 

 

 五月二十四日 木曜 

 

◇見てはならぬものをみてゐる吾が姿

  ニヤリ笑ってふり向いてみる

 

◇抱きしめる其瞬間にいつも思ふ

  あの泥沼の底の白骨

 

[やぶちゃん注:やはり二首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、

 

見てはならぬものを見てゐる

 吾が姿をニヤリと笑つて

ふり向いて見る

 

抱きしめる

 その瞬間にいつも思ふ

あの泥沼の底の白骨

 

の初稿。]

 

 

 

 五月二十六日 土曜 

 

◇すれちがつた今の女が眼の前で

  血まみれになるまひるの紅茶

 

[やぶちゃん注:同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」の中の一首、

 

すれちがつた今の女が

 眼の前で血まみれになる

  白晝の幻想

 

の初稿であるが、初稿の方が遙かによい。]

 

 

 

 五月二十七日 日曜 

 

◇闇の中にわれとわれとがまっくろく

  睨み合ったきり動くことが出來ぬ

 

◇倉の壁の木の葉の影が出雲の形になつて

  赤い血汐したゝる

 

◇枕元の花に藥をそゝぎかけて

  ほゝえみて眠る肺病の娘

 

[やぶちゃん注:これらは先に示した、後の昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る、現行の「獵奇歌」の一部にされている、十首連作の「血潮したゝる」の原型となったもののように私には感じられる。例えば一首目は同「血潮したゝる」の一首目の、

 

闇の中に闇があり

又闇がある

その核心から

血潮したゝる

 

と通底し、二首目は同「血潮したゝる」の八首目の、

 

日の影が死人のやうに

縋り付く倉の壁から

血しほしたゝる

 

と類似するし、なおも三首目は同「血潮したゝる」の七首目の、

 

水藥を

花瓶に棄てゝアザミ笑ふ

肺病の口から

血しほしたゝる

 

と響き合うからである。]

 

 

 

 五月二十八日 月曜 

 

◇心臟が切り出されたまゝ動いてゐる

  さも得意氣にたつた一人で

 

◇眞夜中に心臟が一寸休止する

  わるい夢を見るのだ

 

[やぶちゃん注:同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」の最後の一首、

 

倉の壁の木の葉が

 幽靈の形になつて

生血がしたゝる心臟が

切り出されたまゝ

 

とごく親しい臭いがする。何故なら、二首目の方はその二首前にある、

 

眞夜中に

 心臟が一寸休止する

その時にこはい夢を見るのだ

 

の完全な初稿であるからである。]

 

 

 

 五月三十日 水曜 

 

◇血だらけの顏が沼から這ひ上る

  私の曾祖父に斬られた顏が

 

◇窓の際になめくじのやうな雲が出て

  見まいとするけど何だか氣になり

 

[やぶちゃん注:「なめくじ」はママ。二首ともに同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、

 

血だらけの顏が

 沼から這ひ上る

  俺の先祖に斬られた顏が

 

地平線になめくぢのやうな雲が出て

 見まいとしても

  何だか氣になる

 

の初稿。]

 

 

 

 六月四日 月曜 

 

◇水の底で胎兒は生きておりてゐる

  母は魚に食はれてゐるのに

 

◇わが首を斬る刃に見えて

  生血が垂れる監房の窓

 

[やぶちゃん注:二首ともに同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

水の底で

 胎兒は生きて動いてゐる

  母體は魚に喰はれてゐるのに

 

日が暮れかゝると

 わが首を斬る刃に見えて

  生血がしたゝる監房の窓

 

の初稿。一首目は直ちに「ドグラ・マグラ」の中の「胎兒の夢」を連想させるが、まさに、この昭和三年も久作は後に「ドグラ・マグラ」となる「狂人の解放治療」(日記本文では専ら「狂人」と記す)の改作・増筆に費やしていることが日記本文から判る。]

 

 

 

 六月五日 火曜 

 

◇あの娘を空屋で殺して置いたのを誰も知るまい……藍色の空

 

◇けふも沖があんなに靑く透いてゐる誰か溺れて死んだんだべ

 

◇棺の中で死人がそっとあくびしたその時和尚が咳拂ひした。

 

[やぶちゃん注:三首目の「拂」は底本の用字。最初の二首は同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、逆)、

 

あの娘を空屋で殺して置いたのを

 誰も知るまい

  藍色の空

 

けふも沖が

 あんなに靑く透いてゐる

  誰か溺れて死んだだんべ

 

の初稿。三首目は翌十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

棺の中で

 死人がそつと欠伸した

その時和尚が咳拂ひした

 

の初稿。]

 

 

 

 六月六日 水曜 

 

◇一番に線香立てに來た奴が俺もと云ふて息を引取る

 

◇若い醫者が乃公の生命預つたといふてニヤリと笑ひくさつた。

 

◇くら暗で血みどろの俺にぶつかつたあの横路次のハキダメの横で

 

[やぶちゃん注:「乃公」普通は「だいこう」或いは「ないこう」で、一人称の人代名詞として、男性が目下の者に対して、或いは尊大な表現として「自分」をさしていう語で、「我が輩」と言ったニュアンスであるが、ここは後に示す決定稿から「おれ」と訓じておく。三首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

一番に線香を立てに來た奴が

 俺を…………

………と云うて息を引き取る

 

若い醫者が

 俺の生命を預つたと云うて

ニヤリと笑ひ腐つた

 

だしぬけに

 血みどろの俺にぶつかつた

あの横路地のくら暗の中で

 

の初稿。]

 

 

 

 六月六日 水曜 

 

◇頭の中でピチンと硝子が割れた音イヒ……と俺が笑ふ聲。

 

◇日の中に日のあり又日のありわが涙つひにあふれ出てし哉。

 

◇白い乳を出させやろうとてタンポヽを引き切る氣持ち彼女の腕を見る。

 

[やぶちゃん注:「出てし哉」はママ。

一首目と三首目は、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」の、

 

頭の中でピチンと何か割れた音

 イヒヽヽヽヽ

……と……俺が笑ふ聲

 

白い乳を出させようとて

 タンポヽを引き切る氣持ち

彼女の腕を見る

 

の初稿。]




 六月十日 日曜 

 

◇あんな無邪氣な女がおれは恐ろしい

  ヒヨツト殺したくなる困るから

 

◇肩に手をソツと置かれてハつとして

  ハツトして自分の心をヂツと見つむる

 

[やぶちゃん注:一首目の下句は「ヒヨツト殺したくなると困るから」の脱字か?]

 

 

 

 六月二十日 水曜 

 

◇打ち割つた皿の中から血走つた

  卵の黃味が俺を白睨んでゐる。

 

[やぶちゃん注:「白睨んでゐる」はママであるが、「白」は「睨」の誤字を抹消し忘れたものではないかと私は思う。さらにこれは実に「杉山萠圓」名義で十三年前の大正五(一九一六)年三月号の短歌雑誌『心の花』に載った、

 

血ばしつた卵の黃味のおそろしやまん中の眼のわれをにらめる

 

の「獵奇歌」風のインスパイアであることが判る。]

 

 

 

 六月二十二日 金曜 

 

◇いつの世の名殘りの夢を見るやらん

  ほのかにえみてねむるおさなご

 

[やぶちゃん注:「おさなご」はママ。]

 

 

 七月三十一日 火曜 

 

◇眼の玉を取り出すまいとまはたきす

  □□の朝のまばゆき眼ざめ

 

[やぶちゃん注:「□□」は底本の判読不能字。]

 

 

 

 八月十六日 木曜 

 

◇足の甲を蜂が刺したと思つたら

  パンのカケラがくつ付いてゐた

 

 

 

 九月十四日 金曜 

 

◇ポプラ鳴る秋空高くポプラ鳴る

  はるかに透きとほる國を戀しつゝ

 

 

 

 九月十七日 月曜 

 

◇友の來てピストルを買はぬかと語る

  その友かなし秋のまひる日

 

◇車中にて今一人向ふに煙草吸ふ男

  われ見かへれば彼も見かへる

 

 

 

 九月十八日 火曜 

 

◇誰か和歌を文字の戲れといふものぞ

  歌をしよめば悲しきものを

 

 

 

 九月十九日 水曜 

 

◇吾を見て、吾兒の笑ふ悲しさよ

  笑はむとすればいよいよ悲し。

 

[やぶちゃん注:「いよいよ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

 

 

 九月二十一日 金曜 

 

◇口づけしつゝ時計の音をきいてゐる

  わが心をば彼女は知らず

 

 

 

 九月二十二日 土曜 

 

◇ベンチから追ひ立てられた腹癒せに

  ほかのベンチへの字に寢る

 

 

 

 九月二十七日 水曜 

 

◇秋つく日あかるき空の中に立ちて

  つめたき帽子冠りてみるかな

 

◇わが冠る古き帽子の内側に

  汗ひえびえと義は來にけり

 

[やぶちゃん注:「ひえびえ」の後半は底本では踊り字「〲」。]

 

 

 

 九月二十九日 土曜 

 

◇室の隅で女が髮を梳くやうな

  ため息するやうな梅雨の夜の雨

 

◇闇の中で猛獸と額つけ合って

  睨み合ってゐる惡酒の酔心地

 

 

 

 九月三十日 日曜 

 

◇戀したら相手を拷殺してしまへ

  さうしてヂツと生きてゐてみよ

 

◇眼の前を蜘蛛が這ひまはる

  まん丸い淸い明月の中を

 

 

 

 十月八日 月曜 

 

◇美しきけだものを見る心地する

  眞晝のさなかに生娘見れば

 

[やぶちゃん注:因みに、この日の日記には「押し絵の奇蹟」の原稿を清書した旨の記載がある。翌日の日記には『新靑年來る。「死後の戀」評よし』とあって、作歌としての彼の油の乗り切って居る感じがよく伝わってくる。]

 

 

 

 十月十一日 水曜 

 

◇いろいろな鬼胎の標本指して

  キタイですねと云へど笑はず

 

[やぶちゃん注:「鬼胎」奇形胎児。]

 

 

 

 十月十四日 日曜 

 

◇瞳とづれば曠野の涯に

  一本の鋭き短刀落ちたるが見ゆ

 

◇赤い血がどうしても出ぬ自烈渡さ

  いくら瀨戸物をたたきこわしても

 

[やぶちゃん注:「自烈渡さ」「じれつたさ」であるが、「焦れったさ」であるから完全な当て字である。]

 

 

 

 十月十五日 月曜 

 

◇人と馬ひやゝかに歩み秋の空

  靑ずみ渡る野のはてを行く

 

◇室の内外物音もなし秋まひる

  わが心ヂツとわがみつめ居る

 

[やぶちゃん注:日記本文に『誤て今日の日記を、十六日につける。一旦ゴマかせり。』とある。夢野久作、律義なるかな!]

 

 

 

 十月十七日 水曜 

 

秋の空あまりに淸く靜かなる得堪えで秋の花やこぼるゝ

 

[やぶちゃん注:「堪えで」はママ。歌の前の日記の最後に、『子供の病氣位、氣にかゝるものはなし、いたはしく悲しきはなし。』と記している。翌十八日の日記に、三男の「參綠」(日記では「三六」と記される)がジフテリアの診断が下されている。]

 

 

 

 十月三十一日 水曜 

 

◇秋の風眼をすがめつゝ雲を見ます

  悲しき父となり給ひしか

 

[やぶちゃん注:言わずもがな、夢野久作の父、右翼の巨魁杉山茂丸(元治元(一八六四)年~昭和一〇(一九三五)年)であるが、彼は久作の死ぬ前年まで生きている。なお、この日の日記には『終日、押絵の原稿。後半書き疲れて二字就寢。』とあり、先の清書という記事は出来上がった部分までのそれであることが判る。「押絵の奇蹟」の脱稿は日記から十一月五日で、発表は翌昭和四(一九二九)年一月の『新青年』であった。「ドグラ・マグラ」の産みに苦しみつつ、かくも同時並行であれらの名作を創造していた久作に、今更ながら、舌を巻かざるを得ない。]

 

 

 十一月十九日 月曜 

 

[やぶちゃん注:この日の日記に詩歌の記載はないが、以下の通り、「ドクラ・マグラ」の作者にしてかくありと感ずる、非常に印象的な芥川龍之介評が載るので特異的に全文を掲載する。]

 

雨しとゞ降り、又黃色なる日照り、あたたかし。井戸車の音、汽車の音、雲の下に高らかに響く。菌生えつらめ。

 芥川龍之介氏を崇拜する若き人多からむと、佐藤君云ふ。さもありなむ。氏の文には、神經衰弱が生む特有の無機的藥品の香と、靜電氣の如き感觸あればなり。

 吾に良心無し、唯、神經のみありの一語の如き一例也。殘けれど痛々し。故にわかり易し。

 

[やぶちゃん注:「佐藤君」というのは喜多流教師の、喜多流シテ方能楽師梅津只圓の弟子であった佐藤文次郎(素圓)のことか?

「吾に良心無し、唯、神經のみあり」言わずもがな乍ら、芥川龍之介侏儒言葉」の中の名アフォリズム(リンク先は私オリジナルの完全合成版)、

   *

 

   わたし

 

 わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。

 

   *

 

を指す。]

 

 

 

 十一月二十日 火曜 

 

◇すゝき原風いつまでも晝の月

 

 

 

 十一月二十一日 水曜 

 

◇靑山のその彼方なる靑山に

  冬のまひるの月出でにけり

 

 

 

 十二月二十三日 日曜 

 

◇逢ふて又別れし夢の路の霜

  あかつきとほき名殘なりけり

 

[やぶちゃん注:この日、知人の母の訃報があったことが日記に記されてあるが、本歌との関連があるか。]

 

 十二月二十八日 金曜 

 

◇餠をつく數を子供等皆數へ

 

 

 

 十二月二十九日 土曜 

 

◇胸のはてなく白き砂原に

  裸身の女がノタウチまはる

 

2015/12/30

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅶ) 昭和二(一九二七)年 (全)

  昭和二(一九二七)年

 

 

 

 一月四日 火曜 

何やらむ物音すなり春の海

 

[やぶちゃん注:句の直前に『けふより狂人治療の淨書を初めんと思にたれども小

みたしをかき止む』(「小みたし」は「小見出し」であろう)とある。これは大正一五(一九二六)年に発表した「狂人の解放治療」の改稿作業のことで、これが永い年月を経て「ドクラ・マグラ」に結実することは既に注した。]

 

 

 

 一月二十八日 金曜 

 

雪の野のしづかに呉れて夜に入れば

  松の音はげしく起る

 

ふるさとを遠くはなれて雪の宿

  夢おびたゞし

 

[やぶちゃん注:ここに二行に亙るがあるが(一行目八個・二行目七個)、底本注に『消去』とあり、判読も不能らしく、一字も起されていない。直後に『このうたわれながら不吉なれば消したり。おかし。』とある。夢野久作が不吉とする一首、これはもう、是非とも読んでみたかった。なお、この歌の前の日記は、

   *

 終日雪ふる。夜、松籟おびたゞし。

 胎兒の夢の論文のうち、夢の説明を書き直し、非常に疲れたり。

   *

と記しており、作歌が実景に基づくものであることが判る。なお、この『胎兒の夢の論文』言わずもがな、現行の「ドグラ・マグラ」冒頭から三分の一ほどのところから始まる「胎兒の夢」(約二万字)の、現行の最後の部分、『然らば、その吾々の記憶に殘つてゐない「胎兒の夢」の内容を、具體的に説明すると、大要どのやうなものであらうか』以下のプロトタイプであろうか。]

 

 

 

 一月二十九日 土曜 

 

冬の日のまく照れば遠山の雪白々と見えて

  さながらに童話の中に在る心地す

 

[やぶちゃん注:「」は判読不能字。]

 

妻の寢息子供寢息靜まれば

  床の水仙しみじみ光る

 

來し時と同じ思ひに歸る也

  人の通らぬふるさとの町

 

靴の先の泥を氣にして町を急ぐ

  モダーンボーイの冬の夕ぐれ

 

來年四十四十と思ふうちきつとドキンとするが悲しき

 

[やぶちゃん注:久作は明治二二(一八八九)年一月四日生まれ。]

 

 

 

 一月三十日 日曜 

 

約束を一錢五厘の反古にする。

 

[やぶちゃん注:「一錢五厘」言わずもがな乍ら、当時の葉書の郵便料金。]

 

 

 

 二月二日 水曜 

 

春の夜の電柱に身を寄せ思ふ。人を殺せし人のまごころ

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

春の夜の電柱に

身を寄せて思ふ

人を殺した人のまごゝろ

 

の初案と思われる。]

 

殺して果てまぶたをそっと閉ぢてやれば木枯しの聲一きわ高まる

 

[やぶちゃん注:同前の「獵奇歌」に出る、

 

殺しておいて瞼をそつと閉ぢて遣る

そんな心戀し

こがらしの音

 

の初案と思われる。歌の前の日記本文末には、『狂人の原稿、次から次へ破綻百出す。』とあり、旧作の苛立ちが伝わってくる。]

 

 

 

 二月四日 金曜 

 

ポケツトに殘り居りたる一戔が

  惡事の動機とわれは思へり

 

[やぶちゃん注:「一戔」はママ。「一箋」の誤記ではあるまいか?]

 

殺すことを何でも無しと思ふほど

  町を歩むが恐ろしくなりぬ

 

 

 

 二月五日 土曜 

 

眞黑なる大樹は風に搖れ搖れて

 粉雪飛ぶ飛ぶ粉雪飛ぶ飛ぶ

 

[やぶちゃん注:繰り返しの三箇所の後半部分は底本では総て「〱」。]

 

 

 

 二月十五日 火曜 

 

ピストルの煙のにほひのみにては何かもの足らず

  手品を見てゐる

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ピストルの煙の

にほひばかりでは何か物足らず

手品を見てゐる

 

と、ほぼ相同。]

 

地平線ましろき雲とわがふるき罪の思ひ出と

  さしむかひ佇つ

 

[やぶちゃん注:因みに、この二日前の十三日の日記に『東京に行く決心する』とある。出立は三月八日であった。]

 

 

 

 二月十七日 木曜 

 

ぐみの實の酸ゆく澁さよ小娘は

  も一人の男思ひつゝ佇つ

 

[やぶちゃん注:前文日記中に『狂人の原稿第一回校正終る』と記す。]

 

 

 

 二月十五日 火曜 

 

人體のいづこに針をさしたらば即死するかと

  醫師に問ひてみる

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

人體のいづくに針を刺したらば

即死せむかと

醫師に問ひてみる

 

と、ほぼ相同。]

 

 

 

 二月二十日 日曜 

 

靑空ののふかさよ人間に

  惡を教ふるのほさよ

 

[やぶちゃん注:二箇所のは判読不能字。次歌のそれも同じ。]

 

探偵は□□あふげり

  わが埋めし死骸の上に立ち止まりつゝ

 

 

 

 二月二十一日 月曜 

 

ひそやかに腐らし合ひてえひゆく果物あり

  瓦斯の火の下

 

わがむかし子供の時に夥しなる小鳥

 

君の眼はあまり可愛しそんな眼の

  小鳥を思はず締めしことあり

 

[やぶちゃん注:二首目の不完全はママ。三首目の上句の初案か。三首目は二年後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

君の眼はあまりに可愛ゆし

そんな眼の小鳥を

思はず締めしことあり

 

と、ほぼ相同歌である。]

 

 

 

 二月二十二日 火曜 

 

その胸に十文字かくおさな子の

  心をしらず母はねむれり

 

[やぶちゃん注:「おさな子」はママ。]

 

この夕べ可愛き小鳥やはやはと

  志め殺した腕のうづくも

 

[やぶちゃん注:前日の「君の眼はあまり可愛しそんな眼の/小鳥を思はず締めしことあり」とも似るが、これは翌昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

此の夕べ

可愛き小鳥やはやはと

締め殺し度く腕のうづくも

 

の、ほぼ相同歌である。]

 

ピストルのの手さわりやる

 なや瓦斯の灯光り霧のふる時

 

[やぶちゃん注:「手さわり」はママ。は判読不能字であるが、これは翌昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ピストルのバネの手ざはり

やるせなや

街のあかりに霧のふるとき

 

に酷似する一首ではある。]

 

 

 

 二月二十四日 木曜 

 

この夫人殺してヂツトみつめつゝ

  捕はれてもたき應接間かな

 

[やぶちゃん注:この六ヶ月後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』に載せた「うた」(後の「獵奇歌」に所載)、

 

この夫人をくびり殺して

捕はれてみたし

と思ふ應接間かな

 

と酷似する一首。]

 

 

 

 三月三日 木曜 

 

越智君と大宰府に行きし時の句

 

ひとりぬればチプタツポーと梅が散る。

 

たゞひとり默々として梅見客

 

梅が香や古井戸のぞくふところ手

 

奥に來て灯うれし梅の谷

 

ストーヴのほのほしばらくおしだまり

  又ももの云ふわがひとりなり

 

[やぶちゃん注:日記から、この三日前の二月二十八日に友人六人(底本注に幸流(こうりゅう:能楽小鼓(こつづみ)方の一流派)皷(つづみ)師範とする、謠仲間と思われる越智なる人物が含まれる)と大宰府天満宮に遊んでいる。但し、『山の上ヌカルミいて閉口す。梅早し、余、ヤキモチ十三』とある。久作さんは焼き餅がお好き! なお、最後の一首は、既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

ストーブのほのほしばらく押しだまり又ももの言ふわれひとりなれば

 

の形で出る。]

 

[やぶちゃん注:この間、詩歌記載なく、前に記した通り、三月八日に東京に発っており、以下は東京でのものとなる。]

 

 

 

 三月二十九日 火曜 

 

もろともにはるかなる世をしたひしか

  今はわれのみわびてのこるよ

 

妻を思ひわが子を思ひ冬の夜の

  都の隅に紅茶すゝるも

 

夜をふかみ妻はかへらず床の間の

  葉蘭のかげをみつゝねむらず

 

 

 

 四月一日 金曜 

 

山をのぼり山を下れば此の思ひ

 今はた更にふかみゆくかな

 

[やぶちゃん注:本歌は既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

山をのぼり山を下れば此の思ひ今はた更にふかみゆくかな

 

と出る]

 

美しき彼女をそっと殺すべく

 ぢっとみつめて眼をとづるかな

 

[やぶちゃん注:二年後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

彼女を先づ心で殺してくれようと

見つめておいて

ソツト眼を閉ぢる

 

の相似歌で、初案か。]

 

 

 

 四月三日 日曜 

 

家古し萩また古し月あかり

 

 

 

 四月九日 土曜 

 

しの崎夫人の死亡広告を見、驚きてゆく。[やぶちゃん注:中略。]

 

よを未だき歌子のきみは逝きましぬ

  その望月の花をかたみに

 

[やぶちゃん注:久作はこの前日に香椎に帰着しており、その八日の日記に『しの崎夫人病篤しときく』とある。「しの崎夫人」は既注の、久作が勤めていた『九州日報』主筆篠崎昇之介の夫人歌子。ともに川柳を遊んだ仲間であった。本歌からも分かる通り、未だ若妻であられたようである。但し、この日の月齢を調べたが、「望月」ではない。]

 

 

 

 四月十八日 月曜 

 

戀人の腹へ馳ケ入りサンザンにその腸を喰うはゞとぞ思ふ。

 

[やぶちゃん注:「サンザン」の後半は底本では「〲」。]

 

ある女の寫眞眼玉に金ペンの赤きインキを注射してみる

 

[やぶちゃん注:後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

ある女の寫眞の眼玉にペン先の

赤いインキを

注射して見る

 

の、ほぼ相同歌。]

 

人の名を二つ三つ書きていねいに抹殺をしてすてる心

 

[やぶちゃん注:後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

ある名をば 叮嚀に書き

ていねいに 抹殺をして

燒きすてる心

 

と酷似する。初案か。]

 

この夫人を殺して逃げる時は今ぞと思ふ應接間かな

 

[やぶちゃん注:二月二十四日の、

 

この夫人殺してヂツトみつめつゝ

捕はれてもたき應接間かな

 

の改作。]

 

 

 

 四月十八日 月曜 

 

劔仙にせんかうを送るとてうつゝなく

  人を佛になし給へ御佩刀近く香まゐらする

 

[やぶちゃん注:「劔仙」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

みはかせもわが焚く香もありがたや

  斷煩惱のにほひありとは

 

いくばくの刀をにらみ殺したれば

  劔仙どのが香をたくらむ

 

人を殺す刀をにらみ殺し來て

  香焚く人の鼻の高さよ

 

この香ひ天狗の鼻がもげたらば

  どうせん香筒にしたまへ

 

 

 

 四月三十日 土曜 

 

わが胸に邪惡の森あり

 時折りに啄木鳥の來てタゝキ止ますも

 

[やぶちゃん注:「タゝキ」の踊り字はママ。「止ますも」もママ。これは後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

わが胸に邪惡の森あり

時折りに

啄木鳥の來てたゝきやまずも

 

の、ほぼ相同歌である。]

 

 

 

 五月二日 月曜 

 

蛇の仔を生ませたらばとよく思ふ

  取りすましたる少女を見るとき

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

蛇の群れを生ませたならば

………なぞ思ふ

取りすましてゐる少女を見つゝ

 

と酷似する。初案か。]

 

家もあらず妻子も持たぬつもりにて

  後家をからかふ無邪氣なりわれ

 

わが古き罪の思ひ出よみかへる

  ユーカリの葉のゆらぐ靑空

 

[やぶちゃん注:「ユーカリ」オーストラリアの原産のフトモモ目フトモモ科ユーカリ属 Eucalyptus の仲間。多様な品種を持つ。

本歌は既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

わが古き罪の思ひ出よみがへるユーカリの葉のゆらぐ靑空

 

と出る。]

 

 

 

 五月三日 火曜 

 

頭無き猿の形せし良心が

  女とわれの間に寢て居り

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

頭の無い猿の形の良心が

女と俺の間に

寢てゐる

 

に酷似する。初案か。]

 

このまひる人を殺すにふさはしと

  煉瓦の山の中に來て思ふ

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

フト立ち止まる

人を殺すにふさはしい

煉瓦の塀の横のまひる日

 

の類型歌。初案か。]

 

 

 

 五月四日 水曜 

 

慾しくなけれどトマトをすこし嚙みやぶり

  赤きしづくをひたすらみる

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

欲しくもない

トマトを少し嚙みやぶり

赤いしづくを滴らしてみる

 

に酷似。初案か。]

 

 

 

 五月五日 木曜 

 

幽靈のごとくまじめに永久に人を呪ふことが出來たらばと思ふ

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

幽靈のやうに

まじめに永久に

人を呪ふ事が出來たらばと思ふ

 

の初案か。]

 

 

血々々と机に書いて消してみる、

 そこにナイフを突きさしてみる

 

ある處に骸骨ひとつ横たはれり、

 その名を知れるものはあるまじ

 

 

 

 五月六日 金曜 

 

觀客をあざける心舞ひながら仮面の中で舌出してみせる

 

[やぶちゃん注:謡曲喜多流の教授であった久作ならではの、「妖気歌」である。日記を見ると、毎日のように稽古しているのが判る。例えば次の七日は「小袖曽我」「安宅」である。]

 

 

 

 五月七日 土曜 

 

何かしら打ちこわし度きわが前を

  可愛き小僧が口笛吹きゆく

 

お母樣によろしくと云ひて實と出でぬ

  心の底の心恐れて

 

何かしら追ひかけられる心地して

  横町に曲り足を早むる

 

何故に草の芽生えは光りを慕ひ

  こころの芽生えは闇を戀ふらむ

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

何故に

草の芽生えは光りを慕ひ

心の芽生えは闇を戀ふのか

 

の初案か。]

 

 

 

 五月八日 日曜 

 

◇星の光り數限り無き恐ろしき

  罪を犯して逃げてゆくわれ

 

 

 

 五月九日 月曜 

 

殺したくも殺されぬこの思ひ出よ

  闇から闇へ行く猫の聲

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

殺したくも殺されぬ此の思ひ出よ

闇から闇に行く

猫の聲

 

のほぼ相同歌。]

 

よく切れる剃刀を見て鏡見て

  わざと醜くあざわらひみる

 

[やぶちゃん注:昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

よく切れる剃刀を見て

鏡をみて

狂人のごとほゝゑみてみる

 

の類型歌。初案か。]

 

落ちたらば面白いがと思ひつゝ

  煙突をのぼる人をみつむる

 

つけ火したき者もあらむと思ひしが

  そは吾なりき大風の音

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

放火したい者もあらうと思つたが

それは俺だつた

大風の音

 

という、口語化されたものの初案か。]

 

セコンドの音に合はせて一人が死ぬといふ

  その心地よさ

 

 

 

 五月二十四日 火曜 

 

眼の前に斷崖峙つ惡の主なり

 ひて笑へるごとく

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

眼の前に斷崖が立つてゐる

惡念が重なり合つて

笑つて立つてゐる

 

という口語体の初案か。]

 

善人は此世になかれ此世をば

  ぬかるみのごと行きなやまする

 

泥沼の底に沈める骸骨を

  われのみひとの夢に見居るか

 

獸のごとく女欲りつゝ神のごとく

  火口あたりつゝあくびするわれ

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

獸のやうに女に飢ゑつゝ

神のやうに火にあたりつゝ

あくびする俺

 

の初案か。にしても「火口あたりつゝ」は不詳で、「ほくち」でもおかしい。この後の口語体のそれから察するに、底本編者に失礼乍ら、これは、

 

獸のごとく女欲りつゝ神のごとく

  火にあたりつゝあくびするわれ

 

の誤判読或いは誤植ではなかろうか?]

 

淸淨の女が此世にありといふか

  影なき花の世にありといふか

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

淸淨の女が此世に

あると云ふか……

影の無い花が

此世にあると云ふのか

 

の初案か。]

 

 

 

 五月二十五日 水曜 

 

村に住む心うれしも村に住む

  心悲しも五月晴れの空

 

[やぶちゃん注:本歌は先に出した、昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

村に住む心うれしも村に住む心悲しも五月晴れの空

 

と出る。]

 

聖書の黑き表紙の手ざはりよ

  血つふれば赤き血したゝる

 

[やぶちゃん注:「血つふれば」不詳。]

 

ぐるぐると天地はめぐるか子がゆえに

  眼くるめき邪道にも入れ

 

[やぶちゃん注:「ゆえ」はママ。「ぐるぐる」の後半は底本では「〱」。この一首は昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ぐるぐるぐると天地はめぐる

だから俺も眼がくるめいて

邪道に陷ちるんだ

 

の初案か。]

 

 

 

 五月三十日 月曜 

 

ばくちうつ妻も子も無き身をひとつ

  ザマアみろとやあさけりて打つ

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ばくち打つ

妻も子もない身一つを

ザマア見やがれと嘲つて打つ

 

の初案か。]

 

心てふ文字の形の不思議さよ

  短劒の繪を書き添えてみる

 

惡心のまたもわが身にかへり來る

  電燈の灯の明るく暗く

 

警察が何だと思ひ町をゆく

  わがふところのあばら撫でつゝ

 

ぬすびとのこゝろを持ちて町をゆく

  月もおほろに吾が上をゆく

 

 

 

 五月三十一日 火曜 

 

村に住むことが嬉しも村に住むことが悲しも

  五月晴れの空

 

[やぶちゃん注:五月二十五日に、『村に住む心うれしも村に住む/心悲しも五月晴れの空』で出ているものの改作案らしいが、よくない。そちらで注したように久作も前作を後に採っている。]

 

バイブルの黑き表紙の手ざわりよ

  まなこつぶれば赤き血したゝる

 

[やぶちゃん注:「手ざわり」はママ。五月二十五日の意味不明の『聖書の黑き表紙の手ざはりよ/血つふれば赤き血したゝる』の改稿。腑に落ちる。先の「血」は単に久作の「眼」の誤字か。]

 

その時の妄想またもよみがへる

  日記の白き頁をみれば

 

新聞の記事讀むごとくしらじらと

  女のうらみきゝ居れり冬

 

 

 

 六月七日 火曜 

 

眼も見えぬ赤子に幟見上げさせ

 

子供だから仕方が無いと子供云ひ

 

 

 

 六月八日 水曜 

 

子を抱いた奴は洗はず湯に這入り

 

生れたが不思議のやうに子を眺め

 

ほとゝぎす歌にはちつとみしか過ぎ

 

歌にならむ句にならむ鼻毛拔きはじめ

 

助かり度い一心でよむ歌もあり

 

衣通姫小町今では晶子と來(き)

 

[やぶちゃん注:「衣通姫」「そとほり(そとおり)ひめ/そとほし(そとおし)ひめ)は記紀にて伝承される女性。ウィキの「衣通姫」より引く。『衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される』。「古事記」では、『允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する』。「日本書紀」では、『允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという』とする。『紀伊の国で信仰されていた玉津島姫と同一視され、和歌三神の一柱であるとされる。現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社に稚日女尊、神功皇后と共に合祀されている』。より具体な伝承がウィキの「衣通姫伝説に出るので参照されたい。]

 

 

 

 六月二十三日 木曜 

 

火消壺叱られながら思ひ出し

 

壺すみれなぞと芭蕉が小便し

 

[やぶちゃん注:スミレ目スミレ科スミレ属ツボスミレ Viola verecunda 。この下世話な川柳は芭蕉の「野ざらし紀行」の、

 

 山路來て何やらゆかしすみれ草

 

に、「小便」「壺」に、植物名の「菫」と「芭蕉」を対峙させて滑稽を狙ったものであろうが、どうも下品でよろしくない。]

 

砂糖壺一番高い棚に上げ

 

糞壺でもがいてゐたらめがさめた

 

骨壺をのぞいては泣く芝居也

 

骨壺を楯に乘り合ひ追拂ひ

 

壺なぞを作つて天才飯を食ひ

 

朝鮮は壺で名高い國になり

 

長紐から小壺まで賣れぬ覺悟也

 

[やぶちゃん注:意味不詳。識者の御教授を乞う。]

 

骨壺が遺留が殖える世ち辛さ

 

[やぶちゃん注:欲二十四日の日記に、夜、川柳の原稿書き』とあり、以下に見るように、ここに始まる「壺」題の川柳群がしばらく続いている。因みに、この前日には例の友人篠崎の亡き歌子夫人の追悼川柳会が行われ、久作が参加していることが日記からも判る。この時の詠んだ川柳は先に出した(私のブログ版では「夢野久作川柳集)。]

 

 

 

 六月二十八日 火曜 

 

思ふまま壺ニヤリニヤリとわきを向き

 

[やぶちゃん注:「ニヤリニヤリ」の後半は底本では「〱」。]

 

思ふ壺大上段に打ち

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。]

 

毒藥を入れた壺だと黑いこと

 

跡の小便壺とと露知らず

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。]

 

大古の小便壺を掘り出し

 

[やぶちゃん注:「大古」はママ。]

 

貯金壺いろんなものでかきまはし

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

小姑は小壺まで□□ろげてゐる

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。この句、バレ句の可能性が高いように思われる。]

 

 

 

 六月二十九日 水曜 

 

壺燒屋はゐっても又讀んでゐる

 

吾事のやうに壺皿ポンとあけ

 

壺燒は熱くなくても紙をしき

 

 

 

 

 六月三十日 木曜 

 

春の雨、沖合遠、煙吐舷いつまでも動かむとせず。

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

 

 

 七月一日 金曜 

 

仔細らしく時計や音をつまむでゐ

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

暑いこと向家も電氣まだ消さず

 

壺燒は熱くなくても紙をしき

 

 

 

 七月十五日 金曜 

 

橋渡しけふも白足袋穿いてくる

 

橋へ乘つてる奴がイツキ釣り

 

[やぶちゃん注:「イツキ」は「居付き」で、回遊せずに海底の岩の根などに棲みついている魚類の謂いか。]

 

けふも又あの狂人が町を行き

 

 

 

 八月一日 月曜 

 

父母の歸らす時の過ぐるまで

  机に凭りて腕くみて居り

 

この夜では吾あしかむ父母の床を

  ひとりこもればまた忘れつる

 

夜の風に鼻赤くして芝居より

  歸らす父よ長生ましませ

 

父と母と夕餉の箸を揃へつゝ

  ものもえ云はす笑みたまひけり

 

 

 

 八月二日 火曜 

 

禿頭の父は老いたりまばらなるこめかみ肉いたく落ちます

 

水汲まんと父呼ばします夕近くたゝみの上に汗ばみて居り

 

 

 

 八月十六日 火曜 

 

毛斷はボンノクボから風邪を引き

 

[やぶちゃん注:「毛斷」は恐らく「モダン」或いは「モーダン」と読み、大正期のモガの、ショートカットのことを指すように思われる。]

 

まあ辛抱してみろとといふ風が吹き

 

筥松まで風邪引いてねと記者が云ひ

 

[やぶちゃん注:「筥松」これは「はこまつ」で、現在の福岡市東区箱崎に鎮座する日本三大八幡宮(後の二つは京都府八幡市の石清水八幡宮と大分県宇佐市の宇佐神宮)の一つである筥崎宮(はこざきぐう)にある「筥松」のことであろう。同神社の楼門の右手に朱の玉垣で囲まれてある松の木で、神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め、印として植えたとも、また、応神天皇が埋納したという戒定慧(かいじょうえ)の三学(さんがく)の箱が埋められているとも伝えられる神木である。三学とは、「涅槃経」の「獅子吼菩薩品」に説かれた、仏道修行に於いて修めるべき基本的な修行である戒学(戒律:身口意(しんくい)の三悪(さんまく)を止めて善を修すること)・定学(禅定:心の乱れを去ること)・慧学(智慧:煩悩を去って総ての実相を見極めること)の三つを指す(ウィキの「筥崎宮」及び「三学」を参照した)。]

 

鷄が風邪を引くほど世が進み

 

 

 

 八月十七日 水曜 

 

つむじ風乞食は平氣で通り拔け

 

風上に置かれぬ奴と手酌也

 

筥入りが或る夜ひそかに風邪を引き

 

[やぶちゃん注:前の「筥松」をさらに茶化したか。]

 

汽車の中で風邪引いたと噓を吐き

 

[やぶちゃん注:これも何となく艶笑川柳っぽい気がする。]

 

 

 

 八月十八日 木曜 

 

乞食風吹かせて人を睨むでゐ

 

乞食風立派な人をよけさせる

 

大學風看護婦がイツテ吹かせてゐ

 

施療患者大學風にんずる

 

[やぶちゃん注:判読不能字は「甘」か。]

 

 

 

 八月十九日 金曜 

 

女中風御用聞には吹かせてゐ

 

上は役の風が吹き止む笛が鳴り

 

橋の風忘れたものを思ひ出し

 

上官風奥樣風に寄りつけず

 

 

 

 八月二十日 土曜 

 

風を喰ひ喰ひ諸國を渡るスゴイ奴

 

[やぶちゃん注:「喰ひ喰ひ」の後半は底本では「〱」。]

 

無い風に吹きまはされて無心に來

 

女中風勝手口だけ吹かせてゐ

 

 

 

 八月二十一日 日曜 

 

煽風機行司のやうに首を振り

 

振り袖に一パイの風持てあまし

 

白切符風を喰った奴が買ひ

 

[やぶちゃん注:旧日本国有鉄道の三等級制時代に於ける最上級の一等車の乗車券。客車の帯の色に基づく呼称であるが、実際の切符の色は黄色であった(二等は「青切符」、三等は「赤切符」と呼ばれた。ここはウィキの「一等車」に拠った)。]

 

玄關の風を喰って奥へ逃げ

 

 

 

 九月六日 火曜 

 

外道祭文キチガヒ地獄

 

[やぶちゃん注:前の日記文に『終日、狂人原稿書き』とある。ここまで同じような記載が散見され、「ドグラ・マグラ」への産みの苦しみが良く分かる。示したそれについても、底本の杉山龍丸氏の註解には、『「ドグラ・マグラ」の中にある一篇、精神病院や社会での狂人扱いに多くの不詳事件があることを明らかにした章』とある。確かに「ドグラ・マグラ」の最初のブットビのクライマックスの作品内「標題」として無論、私も分かっているのであるが、この頭の『』は、久作は日記内では一貫して詩歌の頭に配しているそれであること、決定稿の「ドクラ・マグラ」ではそれは『キチガヒ地獄外道祭文』となっていることから、私は以上を一種の川柳様の一句として採ることとした。因みに、翌九月七日の日記には、『外道祭文を書く』と記されてある。大方の御批判を俟つものではある。]

 

 

 

 十月四日 火曜 

 

オホツクの海に春來り、雪解けぬれば、

南風に帆を孕ませてゆく帆綱を鳴らす風の音に

夢を破られて舳に立てば黑潮の碎くるたまさかに

わがくろ髮を濡らすあはれノーザンクルスの冷たき冴え

 

[やぶちゃん注:当日の日記の最後の一行を除いて引いた。明らかに自由詩の形式をとっており、この日記の中ではすこぶる特異点であるからである。この後には一行空けて、何時もの日記のように、『母里君來る。豚を食ひ、懷舊談をする。』というメモランダの記載をして終わっている。

 なお、以下、次の十二月二十三日までの日記中には、詩歌と認められるものは記されていない。]

 

 

 

 十二月二十三日 水曜 

 

秋深し皷に觸る袖の音

 

 

 

 十二月十日 土曜 

 

吾嬉しき夢を祕して他人の嬉しき夢をきゝたがり乙女心のおもしろさ

 

十九の娘雪の夜の怪をきゝワツと云はれてハツと眼を押へたる刹那白皚々たる雪景眼の前に展開したりと

 

[やぶちゃん注:「皚々たる」「がいがいたる」と読む。霜や雪などが一面に白く見えるさまをいう。さても「白皚々たり」を有意に「しろがいがいたり」と読むように示すネット・ページが多いが、私は従えない。これは「はくがいがいたり」と読むべきであろう。花咲か爺さんの犬じゃねえんだって。]

 

 

 十二月二十一日 水曜 

 

 猩々の囃子しらべ――

 夜節季の話をする。空晴れ、夕日キラキラと沈み、靜かなる冬の一日なりき。

 

 雲一つみかんの畠をよぎりゆきて

   靜かなる冬の日は暮れにけり

 

[やぶちゃん注:日記全体を示した。言わずもがな、「猩々」は謡曲の名である。「キラキラ」の後半は底本では「〱」。なお、これまで述べてこなかったが、底本では殆んど総ての詩歌全体が各日記内では一字分、下がっている。ここだけそれを再現しておいた。この短歌が昭和二(一九二七)年の日記中の最後の詩歌である。]

2015/08/20

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅵ) 昭和元(一九二六)年 (全)

 

 昭和元年(一九二六)

 

 

 

 一月一日 金曜 

初東風や神代も同じ松の音

 

[やぶちゃん注:「初東風」老婆心乍ら、「はつごち」(濁音化するのが一般的)と読む新年の季語。年初になって初めて吹く東風(こち)、東からの風を指す。「東風(こち)」という響きには古来より春の訪れを感じさせる語感を強く含むものの、鑑賞上、通常実際には未だ冷たい風であることが多い点に注意が肝要なところではあろうが、この元日の日記冒頭には『天氣よく暖し。白雲棚引き、東風松の梢を渡る。暖き日の下小鳥なき渡る』とあり、午後にはごった返す香椎宮(かしいぐう:現在の福岡県福岡市東区香椎にある当時の官幣大社香椎宮。縁起によれば仲哀天皇九(二〇〇)年に神功皇后自ら祠を建てて仲哀天皇の神霊を祀ったのを起源とし、次いで神功皇后宮が元正天皇の養老七(七二三)年に皇后自身の神託に拠って朝廷が九州に詔りして社殿の造営を始め、聖武天皇の神亀元(七二四)年に竣工したもの。古えは両宮を併せて「香椎廟」と称したが、戦後の現在は単に「香椎宮」と称する。以上は香椎宮公式サイト内の記載に拠る)に初詣でし、句の前には『夜に入りて益々あたゝかし』とあるから、この句に限っては殊更に東風に冷気を感ずる必要は、ない。]

 

 

 

 一月十二日 火曜 

 葦津宮崎宮司胃癌治療先日見舞に行きしに、本朝葉書來る、和歌一首

 

  九女と猶都貴努惠の露にぬれて

   川良御忘るゝ日を暮しをり。

 

  うれし、わが返し

 

 まもります神の心をきそめせみ

  枕近き筥松の風

 

 病まば病めゐえなはゐえよ武士の

  矢竹の心にたゆみならめや

 

 みいたつきなぞゐえざらむ神松の

  綠を守る君にしあれば

 

 君が爲祈る心をうけ給へ

  心つくしの筥崎の神

 

 うつくしげ筥崎の松吹く風は

  世をすゝしめの神のこえこえ

 

[やぶちゃん注:全文掲載。最後の一首の「こえ」はママ。「こえこえ」の後半は底本では踊り字「〱」。「葦津宮崎宮司」は底本注に『葦津洗造、杉山家の氏神である筥崎宮の宮司』とある。現在の福岡県福岡市東区箱崎にある「筥崎宮」は「筥崎八幡宮」とも称し、宇佐・石清水両宮とともに「日本三大八幡宮」の一つに数えられる神社。旧筑前国一宮で当時の社格は官幣大社(現在は神社本庁別表神社)。筥崎宮公式サイト内の記載によれば、『御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である』延喜

二一(九二一)年に醍醐天皇の神勅により宸筆の「敵国降伏」が『下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立』、延長元(九二三)年には『筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました』とする。『鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り』、明治一八(一八八五)年には官幣中社に、大正三(一九一四)年には『官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています』とある。因みにこの筥崎宮楼門にある、元寇襲来の際の戦勝を祈願して亀山上皇が書いたとされ、戦前最後の幻の十銭切手で奇体な高値(三百万円とも)がつく「敵国降伏」という宸筆額で知られるが、この「敵國降伏」という宸筆はこれ以外に現在『伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれて』おり、縦横約十八センチメートルで『全部で三十七葉あ』ると筥崎宮公式サイトには書かれている。『社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記録があります。特に』文永一一(一二七四)年の『蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有名で』、『楼門高く掲げられている額の文字は文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したもの』とあるから、実はレプリカということであることが判る。]

 

 

 

 一月二十五日 月曜 

 餘は社に、久良は子供を迎へに通町へ。姉やはそのお供して、午前十一時四十八分和白發新博多へ。天氣よくあたゝかし。

 夜、崇福寺にて赤泥社短歌會、初め竹雨、選風、余僅三人歌十四首、選評中禪僧數名傍聽に來る。森太郎來る。夜、十一時通町へとまる。

 

街に住めば物音多く思ひ多し

  シミシミの花は咲けども

 

[やぶちゃん注:「」=「艹」(上)+{「並」から上部の一画及び二画を外したもの}(下)。意味も読みも不詳。「草」の異体字かと考えて中文サイトも縦覧したが見当たらない。「シミシミグサ」「シミシミサウ(シミシミソウ)」といった和名の顕花性植物(藻類を含む水棲性植物(様)類の可能性もあるか)も見当たらない。福岡固有の方言和名か? 一つだけふと浮かんだのは、仏事に供えるところの知られた被子植物綱アウストロバイレヤ目  Austrobaileyales マツブサ科に属するシキミ Illicium anisatum である(因みに本種は全草有毒で、種子に多く含まれるアニサチン等はヒトを死に至らあせる極めて高い強毒性の植物であることは、あまり知られているとは思われないので特に記しておきたい。詳しくは以下のリンク先を参照されたいが、例えばシキミを挿した仏前の水が腐りにくいのもこれによるものであろうと思われる)。これならば季節的には開花が一致する(葉の付け根から一つずつ出て春に咲き、花びらは淡黄色で細長く、やや捩じれたような印象を与える)。また、佐賀県唐津のJA直売所の関係者の記載の中に『当店でも、菊や、ユリ、シバ、しきみ(シミ)など取り揃えています』とあり、少なくとも佐賀唐津ではシキミを「シミ」と呼称していることが判った。また、ウィキの「シキミを見ると、中国では「莽草」、厳密には「日本莽草」と呼ばれ、『生薬としては日本でも莽草(ボウソウ)の名称を使う』とあるのであるが、この「莽」という漢字は見れば見るほど、ここに出る奇体な「」【=「艹」(上)+{「並」から上部の一画及び二画を外したもの}(下)】の字とよく似ているようにも私には見えるのである。ただフローラ系は私の守備範囲でなく、最早、これ以上の新発見は望めない(正直、関心が及ばないからである。悪しからず)。どうか、識者の御教授を乞うものである。

「崇福寺」位置的に見て現在の福岡県福岡市博多区千代にある臨済宗大徳寺派横岳山勅賜萬年崇福禅寺(そうふくぜんじ)であろう。福岡藩主黒田家の菩提寺としても知られ(夢野久作の先祖は杉山姓を称してより代々、黒田藩公侍臣御伽衆馬廻役を仰せ遣った旧藩の名臣名家でもあった)、嘗ては寺域も広大で海岸の千代の松原まで続く壮麗な伽藍であったが、福岡大空襲によってほぼ灰燼に帰したとウィキの「崇福寺福岡市にある。

「赤泥社」西原和海編「夢野久作著作集 1」の解題から察するに、夢野久作が勤務していた『九州日報』社内の短歌同好会の名と思われる。私の『夢野久作詩歌集成 始動 「赤泥社詠草」1』以下及び私の注等を参照されたい。底本の別注には『加藤介春。夢野久作等の詩の会』とはある。

「森太郎」不詳。]

み佛もゆるしてたもれ月のよさに

  み寺の庭に尿するなり

 

[やぶちゃん注:「尿する」老婆心乍ら、「すばりする」と読む。]

 

思ひ無く松原ゆけばいつしかに

  冬の日落ちて小鳥鳴き渡る

 

 お寺にて、キナコ餅を喰ひたるにつかえたり、胃散を飮む。

 

[やぶちゃん注:以上、関連性を考えて日記全文を示した。]

 

 

 

 二月一日 月曜 

縣廳にゆき、水産新聞の證書を受け取る。

豐吉君に皷をことづける。

――朝、朝鮮の伯父とナマコとオキユートを喰ふ。

 

[やぶちゃん注:「皷」これは実際の鼓のことではなく、後の推理小説「あやかしの鼓」のことであろう。この一月(初出は一月十日で『終日「皷」の原稿を書く』とある)より熱心に執筆、この後の五月には本作を『新青年』の創作推理小説募集に応募し、美事、二等に入選している(この時初めて夢野久作のペン・ネームを用いた)。

「豐吉」恐らくは夢野久作妻クラの弟である鎌田豊吉のことと思われる。底本注に『社会主義運動に入り、八幡製鉄所のストライキを指導し、浅原健三と共に活躍、治安当局の追及を受け』たために、この昭和元年頃には父鎌田良一とは関係が悪化していたとある。ここは草稿であった「あやかしの鼓」を読んで貰ったということのようにも読める(実際、これ以前に親族等に読んで貰うシーンが出る)が、しかし「ことづける」というのはどうもそうではないらしい。事実、この後、五月八日の二等当選の手紙まで「あやかしの鼓」についての記載は日記中に、ない。ということはこれは既にして決定稿であって、理由は不明乍ら、どうもこの鎌田豊吉を介して、この後に『新青年』に応募されたものと読むのが正しいように思われる。別な底本注によると、彼は後に実家から遂に『廃嫡され、困窮の中に死』んだとある。

「オキユート」現行では「おきゅう」「おきうと」と表記発音するのが一般的な、福岡県福岡市を中心に食されている海藻の加工食品である。「お救人」「浮太」「沖独活」等とも表記されるらしい。成分の実に九十六・五%は水分で、残りの内、タンパク質が〇・四%、炭水化物が三%、灰分が〇・二%と栄養は頗る低いが、独特の食感などが評価される。かく言う私も好物である。参照したウィキの「おきゅうと」によれば、『伝来は諸説あるが、「佐渡の『いごねり(えごねり)』が、博多に伝わった」とする説がある。江戸時代の『筑前国産物帳』では「うけうと」という名で紹介されている。もともとは福岡市の博多地区で食べられていたようだが、その後福岡市全体に広がり、さらには九州各地に広がりつつある。福岡市内では、毎朝行商人が売り歩いていた。福岡市内を中心に、おきゅうと専門の製造卸は』昭和七二(一九九七)年頃でも凡そ十店はあったらしい。一方で一九九〇年(昭和六十五年)代以降、福岡県内では原料である紅藻類の一種エゴノリ(アーケプラスチダ界  Archaeplastida 紅色植物門紅藻綱イギス目イギス科エゴノリ属 Campylaephora エゴノリ Campylaephora hypnaeoides)の不漁が続いており、二〇〇〇年代に入ってからは、現地では有意な大量生産が困難となり、『石川県の輪島市などから仕入れている。また、主食が米飯からパンなどに移っていることからかつてに比べて消費が低迷している』。『作り方は、原料のエゴノリ(「えご草」、「おきゅうと草」、博多では「真草」とも呼ばれる)と沖天(イギス、博多ではケボとも呼ばれる)をそれぞれ水洗いして天日干しする』(但し、状態を見ながら一~三回、これを繰り返す)。この時の歩留まりは七割程度であるが、『この工程を省くと味が悪くなり黒っぽい色のおきゅうとができるため、手間を惜しまない事が重要である。次に天日干ししたえご草と天日干しした沖天をおおよそ』七対三の割合で『酢を加え煮溶かしたものを裏ごしして小判型に成型し常温で固まらせる。 博多では、小判型のおきゅうとをくるくると丸めたものが売られている』。『おきゅうとの良し悪しの見分け方として、あめ色をして、ひきがあるものは良く、逆に悪いものは、黒っぽいあめ色をしている。また、みどり色をしたものは、「おきゅうと」として売られているがまったくえご草が使われていないものもあり、天草が主原料の場合は「ところてん」であり「おきゅうと」ではない』。『新潟県や長野県では、えご草のみを原料としたほとんどおきゅうとと製法が同じ「えご(いご)」「いごねり(えごねり)」が食べられている。 おきゅうととの製法上の相違点は、えご草を天日干しせず、沖天を使用しないところである』。食べ方は、五ミリメートルから一センチメートルの『短冊状に切り、鰹節のうえに薬味としておろし生姜またはきざみねぎをのせ生醤油で食べるか、または芥子醤油やポン酢醤油やゴマ醤油などで食べるのが一般的である。もっぱら朝食の際に食べる』。変わった呼称であるが、この『語源については諸説あ』って、『沖で取れるウドという意味』・『キューと絞る手順があるから』『享保の飢饉の際に作られ、「救人(きゅうと)」と呼ばれるようになった』・『漁師に製法を教わったため、「沖人」となった』といった説があるそうである。『第二次世界大戦前、博多の町では明け方より、他の地方の納豆売りしじみ売りのように、おきゅうと売りが売り歩いたとい』い、その『掛け声は『おきうとワイとワイ、きうとワイ』というものだったと』ある。『山形県、秋田県、新潟県、長野県安曇野地方で食べられている「えご」(「いご」「えごねり」「いごねり」ともいう)や宮崎県の「キリンサイ」も、形は少し違うが紅藻類の海草を使う点で共通しており、同様の食品である』(個人的にはキリンサイの食感は堪えられない。石垣島で食して以来、大好物なのだが、本土ではまず入手困難である)。『えごは飢饉の際、漁師が見つけた海草を煮詰めて固めたもので、飢えをしのいだ事が由来とされ』、『福岡出身の実業家・出光佐三など、味を懐かしんで東京まで取り寄せて食べていたという例も多い』ともある。]

 

日本中豆子はお酌にきまつてる

 

[やぶちゃん注:句意不詳。識者の御教授を乞う。]

 

豆を撒くたんびに子供飛び上り

 

獨物豆も撒かずに寢てしまひ

 

女房が死水を取るいゝ役者

 

胎毒の後家の弗箱喰ひ破り

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「弗箱」は「ドルばこ」である。]

 

私は渡者ですがと渡者云ひ

 

 

 

 二月十八日 木曜 

[やぶちゃん注:前略。]

 夜、石井宅にて千代子の送別宴、出たらめ句會を催す。田中、中村、板東、榊、杉山叔父、石井、千代子、我。

 

[やぶちゃん注:「千代子」姻族の一人。夢野久作の異母妹たみ子の夫石井俊次の末妹。最後の句に「丸髷」とあることから、婚姻離福の送別会と推察する。]

 

渡場にカラ傘一つ春の雨

 

ヒザとヒザ物音もなし春の雨

 

君去りて初丸髷は癪のたね

 

等、夕吟出づ。

 

 二月二十日 土曜 

 

海苔そだやどこかひそかに夜の音

 

何を見にやどかりのぼる海苔の竹

 

海苔にまじる小魚も春の光り哉

 

ストーブの灰はくづれぬみつめ居る

 おのが心の何かくづれぬ

 

 

 

 二月二十二日 月曜 

 春さめのふる。

 

傘さして松原ゆくたれ誰やらむこの暮さめのしつかなる夕

 

野鼠の黑き姿の見えかくれ春のひろ野のはてなく光る

 

縣廳の玄關の靴ぬぐひ靴ぬぐふわれの小さき心

 

往來まで洩るゝ何かのアンコール何故となく唾はきてゆく

 

小夜を汽車過ぎゆけば驛長はサフランの鉢抱えてかへる

 

鐵砲を打つてみたいと思ふ心春靑々とたそがれてゆく

 

 

 

 二月二十五日 木曜 

 五時五十分の汽車にて歸る。

 

川端のまひるの月のつゝましや水の音にも湯ぬべく見えて

 

[やぶちゃん注:下の句「湯むべく見えて」読みも意味も不詳。識者の御教授を乞う。]

 

山々はまだあかるきにおのがじゝねむりて春の月を迎へぬ

 

町中でお月樣がと立ちとまる吾が兒を叱りふと涙ぐむ

 

煙突の煙がどうしても書けないといふこどもは偉大なる藝術家なるかな

 

何故に兒を叱るかと妻のいふそれを叱りてふと涙ぐむ

 

春の海石垣の上を白猫のあゆみあゆみてたそがれてゆく

 

[やぶちゃん注:「あゆみあゆみて」の「あゆみあゆみ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

何やらむ白き煙の立ちて居り消えんともせず春の山暮れぬ

 

春の月東の山に浮かみ出でぬ紡績の如く雨の長さよ

 

星まばらすみ渡る春の月の下雪化粧ひそやかに眠る

 

 

 

 二月二十七日 土曜 

 昨日よりの頭痛(何かの中毒らし)絶食のためやつと止みたり。されども午后二時に到り仕事進まざるため、パンと乳を攝れり。

 加藤君の詩集、眼と眼の評を書く。加藤君喜び詩を入れる。

 午后四時二十分妻子と共に、新博多發和白にて牛肉を買ひて歸り、ニンニクと共に煮て喰ふ。美味し。

 

輪轉機轟とまひ出すたまゆらを危く昂ふる吾が心かな

 

落日のなやみさらはう崖のかなた靑くうるめる春の月出づ

 

 

 

 二月二十八日 日曜 

 朝七時半起床。雨戸を開けば春霞棚引きたり。香椎郵便局長に會ひて、電話のこと相談。箱崎にてテニス。朝食林檎一つ。

 夜、靜かに耳鳴る。

 

わが昔の心見出でし悲しさよ、わが妻の弟父を怨める。

 

おろかなる戀なりけりとわが傍に、ねむれるものゝ鼻息をきく。

 

[やぶちゃん注:一首目は以前にも少し注したがここの底本注にも、『夢野久作の妻の実家、鎌田家において、父鎌田昌一と』、社会主義運動にどっぷり身を投じてしまっていた『弟鎌田豊吉の間に思想上、家庭上の』深刻な『対立があり、大きな激しい闘争が行われていた』ことに基づく一首であるとある。]

 

 

 

 三月三日 水曜 

 

輪轉機轟ろまひ出すたまゆらの、おさな心はひとり悲しも。

 

 

 

 三月十八日 木曜 

 朝、伊藤君と筥崎にてテニス。

 午后四時二十五分新博多發列車にて、妻と落ち合ふ。

 

花をやつたあとから札を勘定し

 

櫛卷の素顏であるくニクラシさ

 

髮一つあだにほつれぬ美人也 

 

 

 四月二十三日 金曜 

 石井にゆき、ひるねし、香椎へ歸り、うたひの原稿書く。雨ふる。

 

吾家の朝の光りに、裏畠の苺の花の數へられつゝ

 

汽車の窓に並びて蜂の一つ飛ぶ、春の光りのたまゆらなりけり



 四月二十六日 月曜 

 

けふも亦あだに暮しつ限り無き、生無身と思ひ知りつゝ。

 

[やぶちゃん注:「生無身」全くの勝手乍ら、私は「しやうむしん(しょうむしん)」と読み、「父母未生以前 (ぶもみしょういぜん)」と同義と読。自我の存在しない仏教世界に於ける絶対無差別無二の境地である無我の境地、即ち真の実相たる「空」の識界と採る。大方の御批判を俟つ。]

 

 

 

 五月八日 土曜 

 

苺の花一つ一つにたそがれて、やがてみそらに生いでにけり。

 

[やぶちゃん注:「一つ一つ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

 

 

 五月十一日 火曜 

 朝、風強く。午后凪ぐ。

 終日、精神生理學の原稿を書く。

 

正夢の話をきけば寢小便

 

夢ばかり見てゐると書く噓ばかり

 

夢に見たが眞綿で首のしめ初め

 

何だいとよくよく見れば瞳のゴミ

 

[やぶちゃん注:「よくよく」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

思案ごと忘れて瞳のゴミを取り

 

夢を見るやうな眼つきで暗を掘り

 

夢の場面やる本人の馬鹿らしさ

 

人間萬事夢だと坊主錢を取り

 

[やぶちゃん注:「精神生理學の原稿」言わずもがな乍ら、後の「ドグラ・マグラ」の初期稿のことを指す。因みに「ドクラ・マグラ」は(松栢館書店からの単行本出版)実にこの九年後の昭和一〇(一九三五)年一月のことであった。]

 

 

 

 五月二十日 木曜 

 午后三時五十三分本線にて出福。河原田にて原稿紙を買ひ、梅津を見舞ひ古賀にゆき、柴藤にてうたひうたふ。

 

 

 

 五月二十三日 日曜 

[やぶちゃん注:前略。]

 朝來雨模樣、暗雲西に去る。密柑の花白く香氣甚し。觸るればバラバラと落つ。

 

空暗く思ひも暗きたそがれを、みかんの花のホロホロと落つ

 

[やぶちゃん注:「バラバラ」「ホロホロ」の後半は底本では孰れも踊り字「〱」。]

 

 

 

 六月六日 日曜 

 晴天。家のねづみふえたり。トマト芽立ち、蛇出て空靑し。秋蟲の聲はやきこゆ。

 午前原稿。

 チソ、タデ、トマトを植ゆ。

 

永き日の夕日ざししみじみふりかへり、

 縞ある蛇の笹の集わたる。

 

蚊多し。

 

[やぶちゃん注:「原稿」はここのところほぼ毎日記している「狂人」という作品、即ち、後の「ドクラ・マグラ」の初稿である。]

 

 

 

 六月十四日 月曜 

 

大あくび待合室をねめまはし

 

大あくび前の美人をふとにらみ

 

あくびして睨んでもまだ座つてゐ

 

湯のぬるさあくびの尻が歌になり

 

おいしさうにあくびをたべてニツコリし

 

きんたまがのどまであがる大あくび

 

基督の先祖に八つのコブがあり

 

大あくびガマ口だけは握つてゐ

 

標本になつたが瘤の名譽也

 

瘤つきになつて嬶のお伴をし

 

終電車あくびとあくび二人切り

 

 

 

 六月十七日 木曜 

 

永き日を蟻のあゆみのもどかしさ、

 切れ凧の枝にかゝりて又しばし

 

 

 

 六月二十日 日曜 

 終日蒸し暑く、夜に入りて曇る。トマト等に水をやる。原稿を書き。夕食にカン詰めのハムライスとジヤガ芋をたべる。龍丸にお話しをして寢る。

 

友のくれしくるはしき花咲きいでぬ

 名を思ひ出でず夏の夕ぐれ

 

痛々しくダリヤしぼみぬ狂はしき

 姿おはりぬ風無き夕ぐれ

 

高くかける信天翁のみ目にしみて

 スコナーの海にくれ果てむとす

 

君は君が悲しみのため涙ながす

 われはわがために吐息するなる

 

[やぶちゃん注:「スコナー」英語に“scorner”があり、発言又は表情によって軽蔑を表す人を指すが、三首目の意はそれでは私には汲めない。識者の御教授を乞う。]

 

 

 六月二十一日 月曜

 土赤く、山綠に空靑く、風無く雲亦無し、何とも云へぬ好晴なり。

 終日原稿書き、夕方より畠に灌水す。

 夕食、ニラとキヤベツ卷き。龍丸又話をせがむ。

 

更くる夜をうちつれてなく雨俺ひとり淋しく眼をとづれば

 

月出でず蛙もなかず只一人ひろ野のはてに來は來つれども

 

妻子にも告げ得でありぬ年毎につばなのゆらぐ吾家の淋しさ

 

吾好む夏の夕べの甘ずゆきトマトの葉に赤き日しづむ

 

土に居てトマトをしやぶりながむれば夏の夕日の甘ずゆきかな

 

 

 

 六月二十二日 火曜 

 

山つゝじ赤々咲きぬ薄ら日に鳥の遠音のさす丘の上

 

まんまんと汐滿ち足らひ鐵橋のはるかに赤く春の陽しづむ

 

[やぶちゃん注:「まんまん」の後半は底本では孰れも踊り字「〱」。]

 

ましろなる煉瓦の家を建てをへて工科大學に秋早く來ぬ

 

曇り日の下に立ち並ぶ材木のにほひしみじみ春闌けにけり

 

[やぶちゃん注:「しみじみ」の後半は底本では孰れも踊り字「〲」。]

 

初夏の靑空嬉し馬の香のひそやかにして材木並べり

 

 

 

 六月二十三日 水曜 

 

寢苦しく曉かけてながめしが鐵錆色の雲に入る月

 

砂ほこりポプラ並木のゆらぐ見ゆ春のおはりの町の行手に

 

いつしかに桐の花咲き靑空のそこはかとなく雲の漂ふ

 

吾が心狂ひ得ぬこそ悲しけれ狂へと責むる鞭をみつめて

 

實直なるズボンの裾の悲しさよともしびしげき眞夏の夕暮れ

 

靑空より直線に來る光り海岸にある吾家うれしも

 

 

 

 六月二十四日 木曜 

 

乞食僧のおろかなる顏よぎりゆく石南花の咲く門の晝過

 

萬卷の書物も悲し圖書館のま夏まひるを人のゐねむる

 

 

 

 六月二十八日 月曜 

 昨今、今日より田植えの爲學校休み也。

 終日雨ふる。

 

小さき蟲ら悲しき聲をして死ぬる

 燈を見れば夜ふけわたる。

 

 

 

 七月三十一日 土曜 

 

物かけばペンの響きに蟲の音に秋の音する夏のたそがれ

 

はるかなる月の影かなしづかなるわが心悲しく靜かに

 

 

 八月十五日 日曜 

 關門の大空に、月はるかなり。

 

われふるさとに春はるかなり

 

明日開く朝顏の數夢に入る

 

朝顏の數をつくして小雨哉

 

朝顏や誰が蒔き捨てし野雪隱

 

 

 

 八月十六日 月曜 

 

朝顏の數を數ふる吾が兒哉

 

夕顏や眞上に光る一つ星

 

朝顏の名を思ひつかず水を遣る

 

 

 

 八月十七日 火曜 

 

朝顏や今年も隣から咲いて來る

 

朝顏や九尺二間を幾並び

 

[やぶちゃん注:「九尺二間」これは縦横で「九尺」は約二百七十センチメートル、「二間」三百六十センチメートルであるから、二・七×三=九・七二平方メートルとなり、通常の一坪は凡そ約三・三平方メートルであるから、この朝顔を植えたスペースは凡そ三坪はあったことになる。]

 

云はぬとして云ひ得ぬ心筆取りて

 

つながりもなきことば並ぶる

 

 

 

 八月十八日 水曜 

 

風狂ひ草なびき伏し雲かけり、わがさけぶ聲きえきえとなる。

 

山も海もまぶしく光り小蒸氣の、潮に逆ひゆるゆるとゆく。

 

[やぶちゃん注:「きえきえ」「ゆるゆる」の後半は底本では孰れも踊り字「〱」。]

 

 

 

 八月十九日 木曜 

 

お前さんが馬鹿だからと嬶云ひ

 

利口なら歸りはせぬと亭主云ひ

 

 

 

 八月二十日 金曜 

 

秋の夜更け蟲一つなき、わが眼玉いよいよ大きく開きゆくかな

 

わがあゆみたゆみがちなりゆく道の、ましろく遠く秋の目しづむ

 

あの星まで何里あるかと忰きゝ

 

東京へ來ると電車に乘らぬ也

 

タキシーさなど忰は口で吹き

 

 

 

 八月二十三日 月曜 

 朝、梅津正保君と博多驛より出發。正保君戸畑下車。余、小倉下車。森安雄君の處に行き綾子以下に會ふ。

 綾子曰く、安雄さん默つて家を建てた。

 安雄君曰く、我性分也。安雄君ビールを飮みて氣焰を擧ぐ。余又擧ぐ。

 釜關連絡船景福丸にて朝鮮に向ふ。月淸く風無し。

 

  明月の關門の空はるかなり、われ故郷に又はるかなり。

 

[やぶちゃん注:この日から八月二十九日に下関に帰着するまで実質滞在五日ほど、大韓民国の釜山などを夢野久作は訪問している。特異点であり、最後の一句も詩文調なれば、全文を掲示した。]

 

 

 

 十月十五日 金曜 

 朝、空一面に灰色の雲、土と草葉濡れてかゝやき、コスモス白く美しく淋し。

 

曇り日のコスモス白く美しく

 されどさみしく亂れ咲く哉

 

 小菜を負ひて香椎より出福福。中野邸に到りテニス。午后、安田にてけいこ。鶴原、權藤、安田、戸次、佐藤。

 夜、幼稚園にてけいこ。猩々、羽衣。

 

コスモスの白く亂るゝ淋しさよ

 

降るみふらずみ暮るゝたそがれ

 

 

 

 十月三十一日 日曜 

 修猷館にて先生と庭球、四組をたふす。山口のコートにてテニス。

 柴藤にとまる。柴藤、熊坂の形のけいこ。

 

ほんとうに彼は彼なり醉ひしれて

 或る夜の溝に落ちて死にけり

 

 鎌田一家來られ、家の山の松茸をとらる。喜ばれし由。

 

[やぶちゃん注:以下、この年は総じて「十二月三十一日 金曜」迄、実に小まめに日記が記されているが、以上以外には、私が詩歌と断ずる章句は認められなかった。くれぐれも底本を熟読されんことを。]

2015/08/18

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅴ) 大正一三(一九二四)年 (全)

 

    大正一三(一九二四)年

 

[やぶちゃん注:大正二(一九一二)年から大正一二(一九二三)年の日記は底本にはない(実在しないかどうかは不明。ただ、一月四日の記事に『此年になつて日記をつける事になつた氣が知れぬ。若返つたのか年のせいか』という自嘲の言葉を記しているところを見ると、ある有意な期間、彼は日記を書いていなかった可能性が頗る高い)。この間、大正二年に慶応大学文学部を退学(基本的に父親の厳命に拠る)福岡県香椎の杉山農園経営に従事することとなった(経営実状は惨憺たるものであった)が、各地を気儘に放浪、大正四年六月二十日、突如自己意志によって東京文京区本郷の喜福寺にて剃髪、禅僧として出家して法号を泰道と称した(継母及び実父杉山茂丸側近内に長男である直樹(久作の本名)を廃嫡する策動を察知して自ら先手を打ったものらしい)。翌年にかけて行雲流水の行脚に出るが、大正六年に僧名のまま還俗、杉山家を継承して再び杉山農園に戻った(父茂丸の命と継母の願いに拠る。この頃より執筆活動が開始され始める)。大正七年二月二十五日、鎌田クラと婚姻、この頃、喜多流謠の教授資格を伝授され、鎌倉郡長谷三〇五番地より杉山農園に正式に転籍、大正八年には長男龍丸出生し、農園経営に力を入れ始めている大正九年、父のコネで玄洋社系の『九州日報新聞』記者として入社翌大正十年には福岡市荒戸町杉土手に転居し、次男鉄児が生まれている。大正十一年には同新聞社社会部から家庭欄担当に配置換えとなって、童話を多く執筆し始める(十一月には代表作の一つ「白髪小僧」を杉山萠圓名義で誠文堂より出版)大正十二年九月一日の関東大震災では同新聞社震災取材特派員記者として八面六臂の活躍をしつつ、童話執筆も旺盛であった。以下、本大正十三年には、三月一日附を以って『九州日報』を退社(震災取材の疲労甚だしきに拠る休養を理由とする。但し、翌大正十四年四月一日附で再入社し、凡そ一年後の大正十五年五月に再度、退社している)するが、この頃より本格推理小説の執筆が既に始まっていた模様である(同年十月博文館の探偵小説公募で杉山泰道名義で「侏儒」が選外佳作となっているからである)。]

 

 一月一日 火曜 

◇ニツコリと云ふも事も無い幸福さ

 

◇ゆつくりと急いで娘道を問ひ

 

◇今年からコスモスを蒔く幸福さ

 

◇晴れ渡るあとから下駄を提げて行く

 

[やぶちゃん注:元旦らしい祝祭句群であるが、生活感がリアルに出ていて好ましい。]

 

 

 

 一月二日 水曜 

 

◇煙よ煙よデモ五圓借せ二圓借せ

 

[やぶちゃん注:「煙よ煙よ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

◇ふりかへる煙の中の月一つ

 

◇殘る煙癪は癪だがなほる方

 

◇煙つたい奴に生憎金があり

 

[やぶちゃん注:ここは次の川柳と間に有意な一行空けがある。]

 

◇借りる丈け借りて急用思ひ出し

 

◇大急ぎお辭儀が角を折れまがり

 

◇先生がドテラを召していらしてよ

 

◇先生がかはつて居るで又睡り

 

◇晴やかに笑つて扨と暗い顏

 

[やぶちゃん注:久作に金をたかってくる青年達(思想左右不詳)の影が、何とも彼の心にどんよりとしたものを落している感じが強く感じられる。この蠅どもに就いて御存じの識者の方の御教授を乞うものである。]

 

 

 

 一月三日 金曜 快晴 寒 

[やぶちゃん注:この「金曜」の記載はママ。久作の誤り。事実は木曜である。]

晴れ渡る田舍をとぼとぼ歩みくれば

 いつか思ひに頭うなだる

 

秋の夕日眞赤に海を渡り來るを

 笛吹き乍ら汽車よぎり行く

 

[やぶちゃん注:前年(或いはそれ以前)の秋の回想吟であることが判る。ここから前後の詩歌群も嘱目吟と読むととんだ誤読を仕出かすかも知れないので、御用心。]

 

 

 

 一月四日 金曜 

 

空の煙地上の煙かぐやかに

 わが見晴らせる秋の神聖よ

 

間引きする吾が二の腕に春の陽は

 いつとしも無くうすれ行くも

 

手術室のヱンジンの音ひそやかに

 白雲一つ窓よぎり行く

 

硝子窓おびゆる如く音たてゝ

 晴れ渡りゆく秋の曉

 

 

 

 一月五日 土曜 晴 

 

電鐡のポールが窓をよぎり行く

 あとより秋の雨晴れて行く

 

街ゆけば思ひめぐらす事多し

 三十のわれ早老いけるか

 

[やぶちゃん注:当時、夢野久作、満三十五歳であった。]

 

長崎に明日着く船のしみじみと

 海わたりゆき秋の日暮れぬ

 

何處からか見知らぬ犬がついて來る

 秋のまひるの街のしづけさ

 

笑ひ出すあとよりすぐに眞面目になる

 何か彼女の氣にかゝるらし

 

 

 

 一月六日 日曜 

 

 クラと博多より歸るさ柴藤とつれ立つ。女づれなり。

 博多發四時十三分の汽車を待つ間立石氏の處へよる。川流作者六人われもまじりて作る。

 講談雜誌二百圓懸賞の題「まけぬ氣」十分間吟也。一分間二十圓これ程のかねまうけはあるまじと古野しやれる。

 

 惚れたのと戀との區別人にきかれ

  あはれなるわれ頭かくのみ

 

 近い中にマント買へると云ふことが

  心うれしく幾月かつとめぬ

 

 わが兒等を海に連れ來て幾度か

  石投するうち淋しくなりぬ

 

 進物のチョッキわざっとスイタ樣

 

[やぶちゃん注:全文表示。最終川柳の「チョッキわざっと」はママ。「クラ」は久作の妻。「芝藤」は芝藤精蔵と言い、喜多流能楽師範で芝藤醤油店社長。彼は久作と喜多会問題で大喧嘩をした人物と底本注にある。]

 

 

 

 一月七日 月曜 晴 

 

◇安いねと笑つたら先づ買はないの
 

◇茶を嗅いでお菓子を嘗めていづれ又

 
◇もういけませんと云ふ程婆でなし

 
◇大變よ坊ちやまの手に赤インキ

 
◇銀紙に腰を拔かした譯を云ひ

 
◇赤い夕日にんじん花にしみぐとしみつき光り秋高晴るる

 

 

 一月八日 火曜 晴れ 

今の思ひ今限りかと思はるゝ

 夕日眞赤し夕日眞赤し

 

はるかなる雲路の鳥を見送りて

 しばし佇む秋老いし心

 

歸路みちうなだれて行く物思ひの

 絶え間絶え間に蟲すゞろ泣く

 

 

 

 一月九日 水曜 夜急雨 

 

思ひ絶え思ひ絶えつゝ物思ひく行く秋の野の風

 

秋の風彼の山の草吹枯らせ靑さに絶えぬ吾思ひなれば

 

赤土を切り開かれし山の端に今年の秋より汽車通るてふ

 

消しゴムで消え相な雲が空を行きサアと雨ふる秋の夕暮れ

 

何やらむ心の底に飢えかわき秋の一日の靜かに暮るゝ

 

鼠なき姐御ジロリとふりかへり

 

信越線で日本大陸横斷すれば兩方に秋の梅見えたるわ

 

人間よ汝は無用のものなる哉靑空をじつと見つめる心

 

 

 

 一月十日 木曜 

月の中に又月のあり月のあり吾が涙つひにあふれ出でしかな

 

吸殼を河に投げすてふと思ふわれにわかれて消えてゆくもの

 

 

 

 一月十一日 金曜 

 

エスペラントと英語とまじりヒラヒラと秋の夕浪暗くなりゆく

 

[やぶちゃん注:「ヒラヒラ」の後半は底本では踊り字「〱」。次の一首の「ヒラヒラ」も同じい。]

 

先生の鬚なれば何故可笑しいかヒラくと秋の夕浪の打つ

 

 

 

 一月十二日 土曜 

運命に囚はれじとてもがくはどその運命に囚はるゝかな

 

實父のためまゝ母のため三十まで童貞なりし男なりわれ

 

 

 

 一月十三日 日曜 

 

無殘なる大東京の燒けあとにやつぱり月は一つしか出ず

 

[やぶちゃん注:前日の日記には『鎌田にとまる』とはあるものの、これや以下の情景は関東大震災後の回想吟と思われる(十一日は博多に居り、この日は長崎と思われる『新大工町』にいた友人を訪ねている模様だからである)。]

 

しづかなる此世の夢のたまゆらと知らでや星の空を飛ぶらむ

 

吾が歌のわが聲となる嬉しさよ吾が手を揉みてよろこぶ

 

わが妻は時折り何か泣きてあり尋ねも得せぬ吾が心弱さ

 

黑烟は空にたゞよひ汽車の音ははるかに遠く春の陽に沈む

 

蓮池の蓮の枯れ葉の一つ一つ石れい渡り日の暮れて行く

 

煙突がたふれて來さうに思はれて秋の靑空恐ろしき哉

 

病院の音ことも無きあかつきを患者はいかに耳すますらむ

 

雲漂ひ家立ち並び人あゆむ秋のまひるのあらはなる哉

 

 

 

 一月十四日 月曜 

 
何かしら相濟まぬ事ある如し秋日かゞやく街を歩めば

 

客人が歸ると急に腹がへり

 

畏こまつて亭主孫兒を抱いて居る

 

安ちやんを御覧なさいでかしこまり

 

月明るし月また暗しはるかなるちがやの山に風波るきこゆ

 

シグナルの光悲しも月の下のちがやの原を風渡るとき

 

雲盡きず月の光もまた盡きず風また盡きず吾が家のまはり

 

 

 

 一月十五日 火曜 

 

子の事を云ひもせぬのに母は詫び

 

鏡台と便所で讀むは祕報展

 

主よ彼女を早く信仰に入らしめよ

 

見慣れても變な婆卷煙草

 

厂手紙いくらか惚れてからの事

 

[やぶちゃん注:「厂手紙」「かりてがみ」か。蘇武の故事に基づく雁書から考えれば、「おくりぶみ」(恋文)かも知れない。識者の御教授を乞う。]

 

パンのみで生きてイヱスに唾を吐き

 

成金になつて世間が狹く見え

 

出かけ相な亭主にうまく子を預け

 

基督は世界最初のまけ惜しみ

 

瓦斯タンク何だか□□なものに見え

 

[やぶちゃん注:「□□」は判読不能字と思われる。]

 

度胸丈け群を拔いたが運の盡き

 

 

 

 一月十六日 水曜 

 

先生のドテラはあれでハツタンよ。

 

細君の度胸煙草の店を出し

 

内證では狐狸も馬鹿のうち

 

お前こそ狐だと云ふ仲のよさ

 

救世軍狐狸をおだて上げ

 

地震學まだ云ひ當てぬ狐付

 

ギヤーギヤーを狐ときいてこわくなり

 

[やぶちゃん注:「ギヤーギヤー」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

シテの出はワキのシビレが切れてから

 

犬公方男公方は出ずじまひ

 

 

 

 一月十八日 金曜 

 

詩は加藤竹は吉安うたひ俺れ

 

[やぶちゃん注:「加藤」底本注に加藤介春とある。福岡県出身の詩人加藤介春(かいしゅん 明治一八(一八八五)年~昭和二一(一九四六)年)か。早大在学中の明治四〇(一九〇七)年に相馬御風らと「早稲田詩社」を結成し、次いで「自由詩社」創立に参加、口語自由詩を唱え、後に久作の勤めた九州日報社、福岡日日新聞社に勤務した(講談社「日本人名大辞典」に拠る)。]

 

お茶は淸原無藝しの崎

 

屁は加藤豆は吉安酒はおれ

 

飯は杉山嬶ア篠崎(ダブ)

 

ソーネ花田モジモジ谷田阿呆瀨戸

 

アレクサ安藤わしが大原

 

歌社長女贄田に電話和田

 

[やぶちゃん注:周囲の人間をヤリ玉に挙げた徹底した揶揄嘲笑川柳らしいが、細部は不詳。]

 

 

 

 一月卅一日 木曜 

 

五月晴れひとりしみじみ機關手は汽車のくるまに油さすなり

 

 

 

 二月五日 火曜 

 

◇思ひなくねむりにしづむたまゆらとしらでや星の空を飛ぶらむ

 

◇はるかなる工場の笛に耳すます肺病の子の春のあかつき

 

 

 

 二月廿日 水曜 

 

家も無く金なく足袋は泥だらけタビのあはれを思ひしるかな

 

 

 

 二月廿四日 日曜 

 

[やぶちゃん注:『九州日報』第一回退社の六日前である。但し、以下の二十三首に及ぶ多量の歌稿は、この日の記事の後に特に『(欄外)』として載る。そして、ここで唐突に大正一三(一九二四)年日記は断絶している。]

 

俺一人が山に登つてゐるうちに

 世界が津浪で亡びればよい

 

何かしら笑みかゞやきて街を行く

 死なうと思ふて家を出づれば

 

俺の腕の大き靑すぢ斷ち切りて

 血を吸はせやうかドクダミの花

 

秋日あかく

 死人は頰の傷の横に

  白い齒を剝いて……秋日あかあか

 

[やぶちゃん注:「あかあか」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

おれの罪が

 輪に輪をかけて果てもなく

  つながる果の三日月の光り

 

カフヱ一に來て

 ストローを口にしてやっと

  人を殺して來た氣持ちになる

 

[やぶちゃん注:「やっと」はママ。]

 

牛乳の瓶を毀して

 自殺した娘

  母は叱りませぬと云ふのに

 

居留地で西洋婦人が自殺した

 原因はわからぬと

  警官が笑ふ

 

知らぬ男

 留守に尋ねて來たといふ

  知らぬ男恐ろし夕の夕榮え

 

靑草を

 新しい下駄で踏みわけて

  逃げ出した氣持ち今も忘れず

 

同囚の

 殘忍な顏を思ひ出す

  夕日の前にハラハラ降る雨

 

[やぶちゃん注:「ハラハラ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

盗んだ金

 まだ使ひ得ず村を行く

  はるかにはるかに汽車の吹く笛

 

[やぶちゃん注:「はるかにはるかに」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

眞夏まひる

 わが古き罪思ひ出づる

  のいばらの花を見つゝも

 

毒藥の小さな瓶が唯一の

 樂しみとなって

  半日經った

 

[やぶちゃん注:「なって」「經った」の拗音はママ。]

 

此の斜面突落されてみたい

 なぞ思ふうちフト

  辷りはじめた

 

美しい此姉さんを

 突き刺したら

  香水の血が出るやうな氣がする

 

木の葉動かず

 星もまたゝかず

  たつた今人を殺した俺をみつむる

 

殺された態度を

 探偵が眞似て見せた

  あまり違ふので俺は笑ひ出した

 

靑空はいろんな罪を

 仰ぎ見る人に教えて

  知らぬ顏してゐる

 

地平線の

 一直線の恐ろしさ

  燕が叫んで逃げて歸つて來る

 

土深く死骸を埋めて

 其の上に大きな石を

  埋めてほゝ笑む

 

棚の上のアルコール漬の肺臓等

 ため息し居り秋の日あかあか

 

[やぶちゃん注:「あかあか」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

妖女あり妖怪と躍り忽ちに

 妖兒を孕めり印度の更紗

 

[やぶちゃん注:以上、まさにプレ「獵奇歌」群と呼ぶに相応しいが、言っておくが「獵奇歌(りやうきうた)」の公開開始はこれより四年後の昭和三(一九二八)年六月以降である。]

2015/07/29

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅳ) 大正元(一九一二)年 (4)

 十一月二十一日 木曜 

 

朝先生を訪ふ。槳基さし易經を讀み午飯に豚を喰ひて歸る。

 

柳散るや隣の狂女物凄き(國)聲許りして此日暮れつゝ

 

あそこから月が出るらし雜木森

 

又土耳古負けた相など月見哉

 

鳴かず飛ばず故郷で四度月見哉

 

云ひけらく寺に柚味噌禪の味

 

歸りて即興帳を作りて駄句る

 

いひけらく寺に柚味噌禪の味(國)

 

かさかさと壁にすれ合ふ糸瓜哉

 

[やぶちゃん注:「かさかさ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

秋雨を軍歌で歸る兵士哉

 

大佛の顏大きなる枯木立(國)

 

古枯や乾坤捲いて何處へか(國)

 

木枯の吹き殘しけり柿一ツ

 

かしこけれどみあとなつかし菊畑

 

 

[やぶちゃん注:同日文日記全文。「槳基」はママ。他の箇所でも久作は将棋をこう書いている。四箇所に出る「(國)」は何を意味しているのか不詳。謂わずもがな乍ら、「歸りて即興帳を作りて駄句る」は日記本文である。]

 

 

 

 十一月二十二日 金曜 

 

 今日は祖母君の二七日なり。人の一生は日記帳の如し元來白紙のみ。自がじし書き込むなり。生死も亦記事に過ぎず。然れ共維は佛家の説なり。吾之をとらず。

 

 夜長く表紙つめたし日記帳

 

[やぶちゃん注:以下、『午后九時父上歸り給ふ。』(改行)『千葉の地面買決定、奈良原外出の報告』が日記全文。]

 

 

 

 十一月二十三日 土曜 

 

○木枯や四十八灘一息に

 

○木枯の吹き出づる方や沖の島

 

○凩の行衞や何處雲萬里

 

○寢ころべば野菊を雲の行きかひて

 

○靜けさを何に驚く夜長哉

 

○秋の空高天ケ原は其上に

 

○躓いて親指痛し秋の暮

 

 

 

 

 十一月二十四日 日曜 

 

○菊畑此處よりにげし狂女哉

 

○凩や昨夜の夢ももろ共に

 

○木枯しや勘當されし子の行ヱ

 

○茅わけて山へと去りぬ天狗風

 

○鬼ごつこ男にげ込む菊畑

 

○桐の葉で下駄の汚れをぬぐひけり

 

○柳散りて行きつ歸りつ小守哉

 

 

 

 十一月二十五日 月曜 

 

○寢るに惜しき炭火に語り明しけり

 

○百舌の聲須彌壇上の一句哉

 

○小供落ちて無花果熟れて盲井戸

 

[やぶちゃん注:「盲井戸」は「めくらいど」であるが、所謂、筒井筒を持たない、ただすっぽりと開いている井戸を指すようである。古い地誌書を調べると板やコンクリートなどで蓋をしたものとは別に「めくら井戸」という語が並列して出るが、これは井戸の上に吸水システムを作って井戸そのものは地面の下に封鎖してしまうか建物の床下に隠してしまう井戸を指しているように読める。]

 

○通夜の夜や佛のみ覺めて菊の花

 

○木枯や枕に寄する備前物

○袖を眼に鬼燈膝に落しけり

 

○馬の糞喰ひたるあたり女郎花

 

○笛吹いて汽車走り行く枯野哉

 

○木枯や雨戸おそろし夜もすがら

 

〇阿蘇の烟南へ十里秋の風

 

 

 

 十一月二十六日 火曜 

 

〇山里夕日靜に柿の數

 

 

 

 十二月三日 火曜 

 

有り難や木佛金佛阿彌陀佛叩く木魚の音はぽんぽん

 

[やぶちゃん注:「ぽんぽん」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

 

 

 十二月四日 水曜 

 

火事止みて犬の聲絶えて風過ぎて

 ひややかに殘る冬の夜の月

 

 

 

 十二月八日 日曜 

 

木枯の雲も木の葉も捲き去りて晴れたる朝日心地よき哉

 

寂しさを打てや長谷寺の鐘のこゑ鎌倉五山冬の夜の月

 

吹き散らせ天地も共に木枯よ憂に重き吾命をも

 

 

 

 十二月九日 月曜 

 

茶菓子あり火あり炭あり夜長哉

 

[やぶちゃん注:これを以降の年末の日記には詩歌類は載らない。]

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅲ) 大正元(一九一二)年 (3)

 

 十月八日 火曜 

 

祖母君を看につどうみうち人

 見れば昔を思ひ出でけり

 

秋の夜半湧き立つ蟲の聲ひろき

 中に浮べる有明の月

 

みつむれば不氣味になりぬ秋の月

 

 

 

 十月九日 水曜 

 

◎放屁六歌仙(玉井の許より眞面目なる歌を送り來れる返し)

一、世の中にしかめて笑ふもの一ツ詰込みすぎし鐡砲の音。

二、野も山も黃色き色に染めなして空に澄ませる秋の夜の月。

三、吾ならで誰をか嗅がん夜着の中音をも香をもしる人ぞしる。

四、屁を放れば臭いものとはしり乍ら止むに止まれぬ大和魂

五、飯も茶も斯くなるものか腹の中本來空の佛とひと聲

六、心なき身にもあはれはしられけり音も香もなき秋の一ツ屁

 

[やぶちゃん注:「玉井」不詳。]

 

 

 十月十日 木曜 

 

〇秋日さす鎭守の森に百舌の聲

〇晝もなほ蟲のこゑきく頃となりぬ遠く隔る友をしぞ思ふ。

〇出で舟の行衞や何處しら雲の水に沈める秋の海原

〇鬼神も夫婦の仲も和らぐる屁にまさる歌あらじとぞ思ふ。

〇遠からば音にもきけや百舌鳥の聲金風百里武藏野の原

 

[やぶちゃん注:「金風」老婆心乍ら、「きんぷう」とは秋風のこと。五行説で秋は金に当たることに因る。]

 

 

 十月十一日 金曜 

 

〇遠からば音にもきけや都鳥金風百里武藏野の原

〇男の子らよ夢と思ふな天地の力の凝此身心をば

 

[やぶちゃん注:前歌は前日の改作であるが、語呂は良くなった代わりに陳腐化し、百舌の鋭いSEの方が遙かに好ましいと私は思う。後者下の句の読み方が私には分からない。]

 

 

 

 十月二十日 日曜 

 

長谷寺の鐘に枕をもたぐれば窓に棚引く朝やけの雲

見渡せば岬に寄する白波に夕陽くだくる秋の海原

山舟の行ヱや何處白雲の果に連る秋の海原

 

[やぶちゃん注:「山舟」意味不詳。]

 

 

 

 十月二十六日 土曜 

 

 花も實も斯くなるものか冬木立とかや。祖母君の病に侍りて只夢の如く幻の如く折々の苦痛を訴え給ふ傍歌(小時の名)早くお母さん子供を取つておやり。晚飯も喰はず守りしよろうが。早く入れておやり。誰が命のお山も同じ事。さてふずに行かう。手を引いて。早く早く。皆早くお休み。夜遲くなると朝ねむい。何事となく平生の口癖を仰せらるをきゝて枯木の如き頰に熱の爲に紅をさし。瘠せたる手を擧げて何事か爲給はむとするを見れば生命とはかゝるものかと思ひて佛家の言のまことなるかと思はれつ。

 田の中に棄てた大根の花盛り。

 

[やぶちゃん注:以上は二十六日の日記全文である。この四日前の十二十二日より二日ほど、小康状態にあった祖母が昏睡に陥った。二十四日朝には覚醒して会話もするようになったが、徐々に様態は悪化している雰囲気が日記から伝わってくる。この前日の二十五日 (金)の条には、『今日も昨日と同じ御容態なり。「便所に連れて行つて何卒、早く早く、拜むから。よう」藥口癖の如く仰せらる。朝の程より雨なり。秋も早や半過ぎたりと覺し。今年は正月元日に弟死に七月に父病み今月は祖母君の病篤し。御大喪乃木將軍の死何れにしても面白からぬ年なりき』(全文)と記している。祖母友子のそれは一種の譫言(うわごと)で、脳に障害をきたし始めている様子である。「傍歌(小時の名)」というのがよく分からないのであるが、夢野久作は祖父三郎平とこの祖母友子(厳密には継祖母)の寵愛を受けて育ってたのだが、久作の母は家風に合わないという、真相はよく分からない理由によって久作二歳の時に離縁させられている(婚姻の際にはこの祖母友子が懇請して彼女を貰っているにも拘わらずである)。この久作の実母は――高橋ホトリ――という。この実母の「ホトリ」と「傍歌」の「傍」には何か関係があるか? 因みに夢野久作の本名は直樹である。]

 

 

 

 十月二十九日 火曜 

 

 衛祖母樣本日朝來軟便二回通薬物の效力を認む。脉迫八十。六度二三分。覺め給ふも眠り給ふも唯夢の如く幻の如く覺むるとも無くねむるとも無し。いと果敢なき心地す。

 午前中奈良原君と海岸を散歩す。

 祖母君の此頃の御詞譫言にはあれ常に可愛相にとか本統にねとか。早く助けておやりよとか一般に同情的なるが多し。曽子の言の眞なるを覺ゆ。

 ○古き世の古き光の姿して

   うつろひて行く秋の夕暮

 

[やぶちゃん注:同日分日記全文。「脉迫」はママ。

「奈良原君」親友奈良原牛之助であろう。頭山満の同志で「玄洋社の殺人鬼」と称された奈良原到(いたる)の子である。

「曽子の言」「論語」の「泰伯」篇にある、『曾子言曰、「鳥之將死、其鳴也哀。人之將死、其言也善」。』(曾子言ひて曰く、「鳥の將に死なんとす、其の鳴くや、哀し。人の將に死なんとす、其の言ふや、善し」と。)を指す。]

 

 

 

 十一月四日 月曜 

 

○事毎に知らでは止まじ知りたらば遂げでは止まじ

○云はね共早しる人の來りけり手を携えて共に行かむと

○腹を立てるが倒れる始め。苦勞したのも水の泡。

○春は三月櫻の花を咲くも散らすも雨に風

○姫百合の花も実も無き心もて雨にしをるゝ姿やさしさ。

○裏表ないとは云へど妾が心單二重じや御座んせぬ。□□思がね真綿なら。〆て上げ度い主の首。(を綿にして着せて上げ度い絹布団。)

 

[やぶちゃん注:同日分日記全文。「じや」はママ。「□□」は底本の判読不能字。]

 

 

 

 十一月二十日 水曜 

 
歸りの汽車中にて

 寂しさに留守を柿喰ふ女哉

 ⦅雪殘る山嶺を連ねて越後哉 東洋城⦆

 悲しさや黄菊白菊祖母の墓

 芭蕉塚誰が參ゐりけむ菊一枝

 霜深き雜木林の野菊哉

 眼覺むれば障子にうつる吊し柿

 小春日や障子に座せし母の影

 粥洗ふ土鍋にたかる目高哉

 釣場まで川添ひ三里蘆の花

 

[やぶちゃん注:同日分全文。「松根東洋城」は漱石門下の俳人(俳号は本名の豊次郎を捩ったもの)。伝統的な品格を重んじ、幽玄・枯淡を好んだ。句に「春雨や王朝の詩タ今昔」等。久作より十一年上で、この当時は宮内庁の役人であった。芥川龍之介は彼をリスペクトしていた。

 この前日の十一月九日(土)に祖母友子が逝去した(同日分日記は『此日午后九時祖母君逝き給ふ。』とあるのみ)。その前日の十一月八日(金)の日記には以下のようにある(全文)。

   *

 此夕祖母君の脉膊稍怪くどよめき始めぬ。東京に金策に出でし父上歸り給ひ折柄知らせによつて馳けつけし醫師竹内氏と共に皆枕頭に集まりぬ。祖母君は昏々として寐上に寢ね給ふ。御色愈白く御姿益々氣高く唯輕く喘ぎ給ふのみ。血と粘液を交えたる殆ど眞赤なる便臭なき便を排泄し給ふ。醫默して言はず。父も決然と起ちて次の間に退ぞきぬ。噫二十有四年父よりも母よりも吾を撫育し給ひし祖母上も遂にかくならせ給ふ。男乍ら胸迫りて得堪えず。

 夜半人無き折竊に耳に口つけて強く低く御祖母さんと呼びしに半ば眼をあけて此方を見給ふ。手を捏るに握りかへし給へり。以て生涯の記念とす。

   *

と記している。]

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