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カテゴリー「梅崎春生」の246件の記事

2019/05/11

ブログ・アクセス1220000突破記念 梅崎春生 囚日

[やぶちゃん注:本作は昭和二四(一九四九)年四月発行の『風雪』別冊第二号に発表され、後の同年十月に刊行された単行本小説集「ルネタの市民兵」に収録された。

 以下、少し、事前に言っておくべきことと、語注をネタバレにならぬように附す。

 初っ端から躓く若い方がいるかとも思われるので、最初に言っておくと、冒頭(二段落目)に登場する「水野国手」の「国手」は名前ではなく、「水野医師」の謂いである。「国手」は「こくしゅ」で、「国を医する名手」の意味であって、「名医」或いは「医師の尊称」である。但し、この語には別に各種の技芸に於ける「すぐれた名人」、中でも特に「囲碁の名人」を指すことがあり、梅崎春生は囲碁が好きであったから、以下は想像だが、この水野医師も実在のモデルがおり、その人物は囲碁仲間で、しかも相応な囲碁力を持っていて、職業は医師であったという、読者には伏せた楽屋落ちの含みをも持たせてあるのかも知れない。なお、正直、私自身、この語を使ったことはない。因みに「国手」の由来は、原始人氏のブログ「原始人の見聞」の『「国手(こくしゅ)」の由来』によれば、春秋時代を対象とした史書「国語」(著者は「春秋左氏伝」の著者とされる魯(紀元前十一世紀~紀元前二五六年)の左丘明であると言われているものの定かではない。但し、古くから本書は「春秋左氏伝」の「外伝」であるとする説が唱えられており、「漢書」の中では「国語」のことを「春秋外伝」という名称で記している)、の『中に「晋(しん)の平公(へいこう)が病気になった時、秦(しん)の景公がこれを聞き、医師を遣わして診察をさせたことがあった。その際に趙文子(ちょうぶんし)という人が』、『「一国の王様を治療するのだから医が国に及ぶ訳ですね」と申し上げると、景公は「全くその通りだ。上医は国を救い、その次のものは人を救うものだ」と答えた」とあり、それから名医のことを「国の病を治すほどの名手」だと尊敬して「国手」と呼ぶようになったという』とある。

 また、本作の、特に前半部には、そのロケーションや登場人物の特異性と、書かれた時代の限界性とから、差別的な言辞・表現・描写がかなり出現する。また、登場人物の不適切にして差別用語をも含む感懐が語られる場面もある。また、現行では、患者に対して差別的であると同時に当該疾患を示すのに医学的にも不適切であるという理由から、廃止されて新たに改称されたり、今は使われることが少ない旧疾患名も出てくる。それらについては、批判的視点からの読解をなされるようにお願いする(ネタバレになりそうな具体的なそれらについての語注は作品の最後に後注として置いておいたので、読後に、必ず、読まれたい)

 「エレクトロンのアトム」というのは「電子」を意味する“electron”(或いは“elektron”)、「原子」を意味する“atom”で、恐らく登場人物は原子構造の模型に於ける電子殻(でんしかく:electron shell)、所謂、原子核を取り巻く電子軌道或いはその複数の集まりをイメージしたものであろう。この人物、もとは相応の知識人かとも思われる。

 「麻葉模様」(あさばもよう)は、基本形は正六角形の幾何学模様である。グーグル画像検索「麻葉模様」をリンクさせておく。

 「焮衝(きんしょう)」とは、身体の一局部が赤く脹れて、熱を持って痛むこと。「炎症」に同じい。

 「配給」とあるが、戦後の配給制度(米穀通帳による米分配販売配給が減衰する時期)は本作が発表された翌昭和二十五年から二十六年(一九五〇年~一九五一年)頃までは未だ残っていたのである。

 因みに言っておくが、私は、本作を非常に高く評価している。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1220000アクセスを突破した記念として公開する。【2019年5月11日 藪野直史】]

 

 

   囚  日

 

 敷地が数万坪もあるというこの脳病院には、数百人の気の狂った人がいるという話であった。比較的軽症の人々は、敷地内の農耕にでていて、鍬(くわ)を使ったり収穫をはこんだりする姿が、遠くに見えた。重症の患者たちは、みな病棟に閉じこめられていた。空模様の面白くない午後であった。鉛色に垂れた雲のしたに、コの字型の病棟が、道をはさんでいくつも建っていた。

 水野国手に案内されて、病棟のなかをつぎつぎ、私たちは見て廻った。水野国手は白い清潔な診察着をつけ、廊下をゆっくりと先にたってあるいた。時々たちどまって、病室の患者と問答をかわし、私たちを振返って、その患者の病状をしずかな声で解説した。

 頑丈な扉のついた病室ばかりの棟があった。扉には銃眼に似た刳抜窓(くりぬきまど)があり、内部がのぞけるようになっていた。発作のはげしい患者などが、ひとりひとりそこに入っていた。扉の厚さは五寸ほどもあった。なかをのぞくと、布団にくるまって寝ていたり、またいきなり起き上って、顔を窓のところに持ってきたりした。そして訴えることは、訴えのなかだけで論理が通っていて、私たちの世界とは、ある一点ですさまじくかけ離れていた。この廊下には、動物の檻(おり)のようなにおいが、うっすらとただよっていた。麻痺性痴呆や、躁欝病や、分裂病の患者たちであった。そういう患者を、ひとりひとり見てゆくうちに、見ているこちらが狂っているのではないか、という錯覚に私はふと落ちたりした。廊下は乾いているにもかかわらず、踏むスリッパは、なにか濡れたものを引きずるような音をたてた。

 女ばかりの病棟があつた。

 うすぐらい一室の扉のかげに、わかい裸体の女が、顔を膝に埋めてうずくまっていた。一片の衣類もつけぬその裸体は、つめたく均勢がとれていて、むしろ陶器じみた白さであった。一切の物音から遮断されたかのように、それは身じろぎもしなかった。

 廊下の角に、いきなり声をあげてうたい出す女がいた。小刻みに身体をゆすり、身振りを交えながら、私たちのあとを追ってきた。女の顔は忘我的な陶酔のいろを濃く浮べ、瞳は色情をふくんで軽やかにうごいた。これほどたのしそうな歌声を、私は長い間、聞き忘れていたような気がした。

「躁病の爽快感情ですね」あるきながら水野国手が静かに言った。「あのひとは、発作が起きそうになると、自分で判って、進んで入院してくるのです。発作にも周期がありましてね、もう何回目の入院でしたかしら」

 眉をひそめた生真面目な表情で、忙しげに廊下の端をすりぬけてゆく中年の女もいた。襟(えり)には手巾(ハンカチ)をあて、歳にしては地味すぎる着物を、引き詰めるように着ていた。付添いの女かと思うと、これも患者なのであった。

 廊下をひとめぐりして、もとの入口にもどってくると、私たちは靴をはき、道をよこぎつて、また次の病棟に移って行った。その道をあるいていたり、入口の石段に腰かけて休んでいたりする男たちが、あれが軽症患者なのか、看護人なのか、私には見分けがつかなかった。私自身にしても、水野国手と同道でなかったら、他からはどう見えるかは判らなかった。その考えは幾分、私の心を寒くした。しかしそんなことを感じるのは、私だけであるらしく、数万坪のこの区域内に居住する人々は、おおむね他人の生き方に無関心なふうであった。放心とか黙殺というのではなく、もっとつめたく澄んだ無関心が、ここ全体を支配していた。

 大きな病室がつらなっている病棟では、ひとつの病室に、十人も十五人もいて、思い思いの姿勢で、じっと動かなかった。布団をかぶって寝ているのもいたし、壁に倚(よ)ったままにぶい眼を私たちにむけるのもいた。みな欝然として表情をなくし、自分の世界にとじこもっているようであった。病室をでて、中庭に休んだり、なんとなく廊下をゆききしているのも少しはいた。その一人は、私たちが廊下にふみ入ったとたんから、水野国手のそばにくっついて歩きながら、しつこく同じことばを操りかえしていた。

「ねえ。よその病棟にうつして呉れませんか。ここは面白くないですよ。ねえ。お願いしますよ」

 十秒ほどの間隔をおいて、同じ言葉を同じ抑揚で、まるで同じところを廻転するレコードのように、この男は早口に発音するのであった。しかし男の顔には、その語調ほどの切実な表情はうかんでいなかった。相手にされなくても、ただその言葉を、飽きず繰りかえすだけであった。

「ねえ。よその病棟にうつして呉れませんか。ここは面白くないですよ。ねえ。お願いしますよ」

 気持の重さをやや感じながら、私も水野国手のあとをあるいた。先に立つ水野国手の襟足は、わかわかしく脂肪をのせていて、なにか疲れを知らぬ、つよい精気のようなものが感じられた。医者という職業人が、ほとんど例外なくもつ、あの肉体的な感じであった。曲角の病室にくると、また水野国手は立ちどまって、廊下から部屋のなかに、しずかな声で話しかけた。

「どうだね。加減は?」

 話しかけられた男は、入口近くのすぐ下にうずくまり、布団をからだにぐるぐる巻きつけ、茸(きのこ)のように首だけを出していた。こちらに顔をあげて、のろのろとなにか答えた。男の答える言葉は、ひどく辛そうであった。唇のあたりに、亡友の死霊が憑(つ)いていて、どうしても離れず、それがいろんなことを命令するというのであった。

「……今朝からも、芋を食うな、食うちゃならん、と命令するもんですから、どうしても食べられんで、朝食も昼食も、まだすこしも食べずにおります……」

 くるしそうな声で、とぎれとぎれ言いながら、その男は片掌をあげて、黄色く褪(あ)せた唇の辺をはらうようにした。男の眼は、内側に折れまがったような暗い光をおびて、ちらちらと水野国手にむいて動いた。顔色は不自然なほど黄色で、すこしむくんでいた。自分の症状を正確にはなすことで、自分の苦痛をすこしでも柔らげることが出来るかのように、男はくるしそうに掌をふりながら、質問にこたえて、くぎりくぎり発音した。

「……なんと言ったらいいか……ここらあたりに……霧のような……もやもやとして……エレクトロンのアトムのような……そんな形になって……それがしょっちゅう私のここのところを……」

 男の指はふるえながら、しきりに唇の辺を探るふうにうごいた。水野国手の肩ごしに、私はその男を、そして身体に巻きつけた布団の柄を見おろしていた。その布団は、ところどころ生地がやぶれ、うすくなった綿が、ちぎれた旗のように垂れさがっていた。布もひどくよごれ、褪色(たいしょく)していたけれども、それはたしかに、青い地に白の麻葉の模様であった。その色調や模様と同じものが、とつぜん記憶の中からよみがえって、つよく私の心を射た。

(――ああ、あれは石狩の布団とおなじ模様ではないか――)

 まぎれもなく、同じ布地の布団であった。その布団を、まとめて千五百円でしか引取れないという古道具屋に、私は二千円で買えと、しつこく言いつのっていた。それは一週間ほど前のことであった。立合っていたわかい刑事は、腕組みをしたまま、にやにや笑っていたし、老人の古道具屋は、布団と本箱と古外套など合せて、六千円以上はだせないと、古物商特有の声を殺した口調で、頑固にくりかえした。

「コミじゃ困るんだ。別々に値をつけて」

「別々にしても、布団は千五百ですよ。結局は同じ値でさ。旦那」

 これらの品物の持主が私でないことを、ほんとの持主は警察に行っていて、当分戻る見込がないから、品物を処分していることを、この老人は知っているらしく、自分の言値をさらに動かす気配は見せなかった。その布団であった。その布団と同じ模様が、この怨霊(おんりょう)に憑かれた狂人の身体をくるんでいたのである。

「ええ。ええ」

 この男はほとんど泣きだしそうな声で、水野国手の質問にこたえていた。

「……それは、それは判っておりますが、それでも、なんだか、必ずたたりがあるような気がして……」

 声がだんだん小さくなって、そのまま麻葉模様に、顔をくるしそうに埋めた。もうなにも開いて呉れるなと、言っているように見えた。

「分裂病の病状としても、まだ初期ですから、幻覚じゃないかと言うと、あんな具合に反応するのですが――」

 廊下をあるきだしながら、水野国手が低い声で言った。

「これが進むと、すっかり自分の妄想の世界に入りこんでしまって――」

 つぎの大きな部屋には、私たちが廊下を通っても反応を示さない、うずくまったままの患者が何人も住んでいた。それらはなにか鉱物のように、ばらばらに孤立した感じであった。水野国手の指が、それらを漠然と指さした。

「ついには、あんな具合に、感情が鈍磨荒廃して、全く無為の状態になってしまったりするのです」

「――みんなああいう風になるのかね?」

 暫(しばら)くたって私の連れが、そんなことを聞いた。

「それが多いんだね」

 病棟の入口までもどってきたので、スリッパを靴にはきかえながら、水野国手はすこし陰欝な調子になってこたえた。

「彼等が閉じこもっている世界が、どんなものであるか、これは誰にも判らないんだよ。分裂病患者は、同一人に対して、愛と憎しみといったような、正反対の気持を同時に感じたり、また同時に泣くことと笑うことが出来たりするんだ。医者の方で、両価性と名付ける特性なんだが――」

 石階を降りて、鉛のような雲のいろを映した道に、私たちは出た。水野国手は道ばたにしばらく佇(たたず)んで、くろずんだ病棟の列をながめていた。

「――もう、こんなものですよ。あとの病棟も、同じようなものですよ」

 すこし経(た)って、水野国手がぼんやりと私にそう言った。その端麗な顔には、ふしぎな退屈の色が、つよく浮んでいた。それは、私の気持で、そう見えたのかも知れなかった。長い廊下をつぎつぎにあるいて、異様な緊張が私に持続していたにも拘らず、ある退屈感が私の胸に重くひろがっているようであった。なにかしなければならないことを、やり残しているような、そしてそれを忘れて思い出せないような、へんにはっきりしない気分が、鈍く私を押しつけてきた。

「ええ。もう結構です。これで大へん勉強になりました」

「――医局に行って、脳外科手術の器械などごらんに入れますか」

 もとの静かなはっきりした態度になって、水野国手がそう言った。

 本館にむかってあるくとき、すれちがって水野国手に頭を下げる軽症患者の、三人にひとりは、前頭部の両側に、うすい傷痕をつけていた。水野国手はいちいち会釈をかえしながら、また時には声をかけたりした。

「ちかいうちに、ここで演芸会をやりますよ。見にきて下さい」

 水野国手はそんなことを私に一言った。この病院のなかだけでやる会で、患者ばかりが出演する劇もあるそうであった。それを聞いたとき、焮衝(きんしょう)に似た感じが、私の胸の底をはしった。

「患者だけでもやれるのかい?」と私の連れが聞いた。

「やれるさ。軽症の患者だから」水野国手は連れの方をむいて答えた。「精神病というと、なにもかも僕らと違うと、君はかんがえているんだろう」

 本館の裏口から、看護婦がふたり、話しながら出てきた。背景が暗いので、それらは白く鮮かに浮き上って見えた。私たちはその方向へあるいた。

 

 郵便局によるために、新宿で私は連れの友人に別れた。別れると直ぐ、郵便局へゆくのも物憂くなって、また戻って友人の姿をさがしたが、人混みにまぎれてもう見当らなかった。この友人が水野医師と知合いで、今日見学に私を伴ってくれたのである。

 狭い鋪道の人混みを、私は反対の方角へのろのろ動きだした。人の進みが、いつもよりのろいような気がした。大きな建物が、ところどころ曇天をくぎっていて、その谷間にあたる小さな店に、おいしそうな麺麭(パン)がたくさん積まれていた。買おうかな、とふと思い、立ち止りかけたが、うしろから押されるまま、ずるずると通りすぎた。身体の芯(しん)が疲れているようで、気持を強く保つものが、私から失われているらしかった。はっきりしたあてもなく、大通りをそれて、私は横町にあゆみ入った。

 ある喫茶店に腰をおろして、私は珈琲(コーヒー)をのんでいた。珈琲はへんに甘たるかった。この契茶店は、両側の壁に椅子をならべてあるから、客たちはそれぞれ壁を背にして向きあうようになっていた。七八人の客がばらばらに腰かけていた。脚を組んだり頰杖をついたり、飲物を飲んだり莨(たばこ)をすったりしていた。鉢植の葉の影が、黄色の壁におちていた。お互につながりを持たぬ人々がかもしだす、ある一つの感じがそこにあつた。客が出て行ったり、新しく入ってきたりすると、その感じは揺れうごくが、やがて水面が波紋を消して倒影をとりもどすように、またもとの感じがたちかえってきた。

 遠くから流行歌が聞えていた。何かの具合で、聞えたり聞えなくなったりした。聞いたことがあるような節だと思うと、それはあの躁病の女がうたった同じ歌であつた。すると濡れたように重いスリッパの感じが、私によみがえってきた。つづいて私は唇に死霊がついた男の顔を思いうかべた。あの顔はむくんで、この喫茶店の壁のような色をしていた。とぎれとぎれにしゃべる声が、耳のそばで聞えるような気がした。

 そうだ、ととつぜん思い出した。あの男の口調が、なにか心にからみついたのも、私の故郷の訛(なま)りがそこにあったからであった。実際に聞いていたときに、なぜ私はそれに気が付かなかったのだろう。あの時、鼓膜にだけとどまっていたものが、今になって意識にのぼってきたのは何故だろう。

 あの病院は配給の関係上、患者を都民に限っていたから、あの男も私と同じ故郷から東京にでてきて、まだ訛りもとれないうちに発病して、そして病院に収容されたにちがいあるまい。どんな経歴の男か知るよしもないが、あまりゆたかでない証拠には、あれは公費患者の病棟であったし、そしてあの布団も、破れ目から綿がちぎれかけていた。布団の麻葉模様も、大きな汚れた蜘蛛のような形に見えた。

(布団まで売り払らったというのも、下獄の決心をしたからに相違ないのに、なぜ今となって、保釈をたのむような気特になったのか?)

 あの布団や道具をみんな整理して金に換えてくれと、最初に面会に行ったとき石狩は、直ぐ私に頼んだのであつた。留置場の食事は充分でないので、他から補充するために金を必要とするのかも知れなかったが、布団まで売る気持というのも、五年や七年の下獄を覚悟したからにちがいなかった。それだのに係りの刑事から、本人が保釈をつよく希望しているという連絡があったのは、昨日のことであった。その時私は、石狩の部屋で売れのこつたがらくたの中から持ってきた、彼の小説原稿をばらばらと拾い読みしていた。それはこういうところであった。主人公が暗い夜、北陸のある町をあるいている時、うしろから歩いてくる二人の男の会話を、ふと聞くともなく聞く場面であった。

 

「ええ、もう気持が駄目かと思った――」

「逃げれはよかったんだよ――」

「ええ、ほんとに逃げたいと思ったんです……だが――」

 くるしそうなほそい声だった。

「だがもなにもないよ、実行だけだよ此の世で通用するのは。逃げたいと思ったら逃げれはよかったんだ!」

 

 電話口にたって、保釈にかんする刑事の連絡をきいたとき、私ははげしい昏迷のようなものを感じた。

「保釈って、そんな簡単にできるものかしら。本人はどう言っているんです?」

 石狩が犯した罪というのは、強盗なのであった。一度は二三町離れた医者の家で、妻女をおどして六千円盗り、一度は四五軒はなれた家に入って、千円ほど盗ったというのであった。両方とも主人が留守の家であった。医者の家では、夜中に主人が往診にでかけるのを見すまして、玄関から押入ったのであり、あとの方は、主人が社用で遠方に出張していて、妻女と子供だけの留守宅であった。そのどちらも、彼は浴衣がけで、玄関にちやんと下駄を脱いで入って行った。面を覆うという細工もしなかったから、顔の特徴も見覚えられてしまっていた。すぐ近所に押入るというのに、覆面もしないというのは、なんという無計算だろう。しかもまるで招かれた客人のように、玄関にきちんと下駄をそろえて、捕縛されるのを予定しているようなふるまいであった。

「あなたにただそう連絡してくれという本人の話なんです」

 電話の声はそれだけであった。電話を切って部屋に戻ってきて、莨(たばこ)をいらいらと吸いつけながら、私はかんがえていた。

(――保釈で出てきて、何をやろうというつもりだろう、あの男は)

 保釈で出るとしても、いずれ刑の執行をうけねばならぬから、身の自由な期間もごく短い筈であった。それを石狩が知らぬわけがない。また保釈願いを出したとしても、再犯の危険なしとして、許されるかどうかは判らないことであった。そういう可能性のすくない保釈にまでたよって、束(つか)の間(ま)の自由を得たいというのは何だろう。警察に面会に行ったとき、留置場から刑事部屋へ呼出されてきた石狩の、くらい不気味な感じの眼を、私は思いだしていた。それはごく特徴のある眼のいろであった。

「うちには知らさないで」押しつけるような低い声でそう言った。「絶対にうちには知らさないで呉れ。心配させても仕様が、ないんだから」

 友人か誰かに会いたければ連絡しようか、と私が言ったとき、石狩はそれが聞えなかったのか、眼を宙に外(そ)らして、とつぜん早口で別のことを言った。

「あ。僕はやましくないんだよ。やましい気持はない」

 石狩の両親は、北陸のちいさな町にいて、鍼灸(はりきゅう)を業としていることを、私は聞いていた。父親は盲人であるし、母親もほとんど視力がなくて盲人に近く、だからそこの台所なども、よその家の台所とちがって、器物や棚の配置が、手探りに便利なように出来ているということであった。視力の欠けた者同士が、一緒になれるものかどうか、石狩の話を私はふと疑ったけれども、台所の話では、それは本当なのかも知れなかった。そういえば彼と相知ってから、私がよんだ七八篇の彼の小説はことごとく、ほとんど生理的な暗さに満ちていた。出生のくらさを底に秘めているようであった。そして近頃のものほど、その傾向がつよかった。光からわざと自分をしめ出すような作品が多かった。その頃から石狩は、自分の行手にくらい罠(わな)を感じていたのかも知れなかった。しかし石狩にとっては、小説そのものも暗い罠である筈であった。あの無計画な衝動に身をまかせたことが、彼にあっては、あのような小説を書き綴ることと、どう違うのだろう。違うと誰が言いきれるだろう。

 しかし石狩が、自分はやましくないと早口で言ったとき、私は聞えないふりをして、窓の外を眺めていた。しばらくして、金が要るかと私が聞いたとき、石狩は直ぐ、その時は自分の布団や道具を売払ってくれ、と私にこたえた。それは始めから考えていたような口振りであった。だから私はその日、刑事といっしょに石狩の部屋にゆき、古道具屋を呼んで、売れるものはみな売払った。復讐に似た感じが私にあった。古道具屋に、もすこし値良く買えと言いつのったのも、石狩の為をかんがえた訳(わけ)ではなかった。石狩が多くの金を得ようと得まいと、私の気特に関係はなかった。

 値段の折合いがついて、私たちは外に出た。古道具屋はリヤカーに荷をつんで、先をあるいた。布団はその一番上にのせられてあった。麻葉模様が白い蜘蛛の形にかんじられたのも、その時であった。私はあるきながら、金を刑事に手渡し、石狩にわたして呉れるようにたのんだ。石狩を逮捕したのは、このわかい刑事である。石狩にちがいないと目星をつけて、この刑事は四晩つづけて石狩の部星の窓のしたに、見張りをしていたということであった。あるきながら刑事はその時の話をした。

「二度やったんだから、また必ずやると思ってね。夜の九時頃から暁方まで、植込のなかに四晩張込みましたよ」

「その四日間は、彼は外に出なかった訳ですね」

「出なかったね。しかしあれはどうも変でしたよ。四晩とも、あれは三時ごろまで起きていてね。なにしてるかと思って、ときどきそっと窓から覗(のぞ)いてみたんだが――」

 石狩は机の前にすわって、本も読まず何も書かず、ただ眼をひらいたまま、いつ見てもじっとしていたという。何時間も何時間も、同じ場所にすわったまま、どんなことを石狩はかんがえていたのだろう。あの特徴のあるくらい眼を見ひらいたまま、彼が見ていたのはどんな世界なのだろう。それはもう救いというものがない世界にちがいなかった。今日脳病院で、ほとんど外界に反応をみせない分裂病患者をみたとき、私がすぐ思いうかべたのは、深夜の部屋にすわって、壁をながめている石狩のすがたであった。その石狩のすがたは、実際に私が見たわけでないにもかかわらず、眼底に鮮烈に浮き上っていた。あの時の刑事のかんたんな叙述が、私の胸にやきついていたのだ。

「――どうもあの眼は変だね。木莵(みみずく)の眼みたいな感じがしてね……」

 私はその日、刑事と途中でわかれると、心を決めて、その足で郵便局へ行った。そして石狩の実家あてに、電報を打った。そうすることに、気持の抵抗がない訳ではなかった。しかし家に知らせるなという石狩の言葉も、彼の根源のところではなにも意味がないのではないか。そう自分に言いきかせることで、私は電文を一字一字したためた。郵便局の備えつけのペンは、先が割れていて、粗悪な頼信紙はざらざらとささくれ立った。石狩がいま避けようとしている実家とのつながりを、この電文が一挙にむすびつけてしまうのだと、私は考えた。あるいはこのことが、彼の唯一の救いになるのかも知れない。しかしそう思うことは、私にひどく苦しかった。自分で嘘をかんがえていると思った。そして自分がそのつながりの中にいることが、私の心を重くした。私の気持は、ひどく退屈しているときの感じにそっくりであった。発信人の名前をしるすときに、ためらうものがあって、私は私の名を書かなかった。石狩の件について話があるから、あの警察まで来てくれ、という意味をつづり、名前は書かなかった。盲目の両親は、この電報をうけとって、どうやって読むのだろう。だれか晴眼のひとにたのんで、読んでもらうのだろうか。発信者のないこの電文を、ふた親はどういう心の状態でうけとるのだろう。それを想像したとき、軽い悪感(おかん)が身体をとおりぬけるのを私は感じた。

 

 石狩が保釈をのぞんでいる旨の電話を、あの刑事から受けたとき、まず私の頭にきたのは、親が上京したにちがいないということであった。しかし電話口で私がただしたところによると、その様子はなかった。それが私をすこし不安にした。電報は五六日前に、実家にとどいている筈であった。しかし盲人ゆえ、仕度に手間どるのであろうし、付添いの晴眼者も必要なのだろう。まだ上京していないとすれは、石狩のいまの心を揺り動かしているものは何だろう。あの時布団まで売払ったというのも、身の果てをそこに感じたからではなかったか。

(――両親に知らせてくれるな、と言った石狩の気持を、どう考えたらいいのか?)

 実刑を宣告され、執行されるときになれは、原籍地に通知がゆくことは、すぐ考えられることであった。あるいは石狩は、保釈で出る機会をつかみ、別の身の果てをかんがえているのかも知れないと思ったとき、強い疼(うず)きのようなものが私の心に起った。それはあの日、石狩の布団を売払ったときの気特にも似ていた。あの時の石狩の口吻(こうふん)は、直ぐ金が必要というのでもなさそうであった。いずれ機を見て金にかえてくれという語調であった。それにもかかわらず私は即日、刑事に立合いをたのみ、追っかけられるように一切を古道具屋に渡してしまった。そうすることによって、石狩がおちた罠の食いこみ目を、更に決定的にするかのように。すべて断ち切らせることで、彼の不幸が不幸でなくなるかも知れぬと、気持の表面だけでそのとき私は考えたが、しかもその足で、私は郵便局に行って電報を打ったのであった。それ以後は一度も石狩に面会しに行っていない。なにもかも放ったままであった。そういう自分の行動を、私は論理づけてとっている訳ではなかった。追われるように私はそうしていた。

 坂田という友人が、石狩に面会しての帰りだといって訪れてきたとき、先ず私が聞いたのはそれであった。

「保釈のことをなにか言ってたかね」

「そんなことも言っていた」

「どういうつもりだろうな、あれは。どうも判らない。おれはやましくない、と言やしなかったかい。おれのときは言ったけれど――」

「やましくなければ、保釈をねがわないだろう」

 坂田は考え考え、吟味するような口調で言った。坂田とはそんな言い方する男であつた。坂田は私と石狩の共通の友人で、どこかの小役人をつとめていた。

 この時私は脳病院で、この病室は不愉快だから変えてくれと、執拗(しつよう)に水野国手につきまとっていたあの患者を、ふと考えていたのである。あんなに執拗に言っていても、あの患者は常住それを感じているのではなく、医師の顔をみたとき、そんなことを思いついて繰り返しているにすぎないと、水野国手の説明はそうであった。石狩がその類だと思うのではなかった。ただ留置場が石狩にとって不愉快な場であるとしても、保釈で出てきた社会が、彼にとって不愉快な場でないとは、断言できないことである。むしろそれが不愉快な場であることは、彼が身をもって実験ずみの筈であった。

「保釈もあきらめさせるがいいだろうな。薄情のようだけれど」

「そうだな。それも相談してからだろう。おふくろさんも丁度上京したし――」

 今日坂田が石狩と面会していたとき、母親が刑事部屋にたずねてきたというのであった。そしてそこで始めて、石狩の犯罪を知った訳だった。それだけ言うと、坂田は口をつぐんで私を見た。つめたいものが身体を走りぬけるような気がした。

「今日出京してきたという訳だね」

「おふくろさんは眼が見えないということを、君は知ってるか?」

 知っていると私が答えると、坂田はなにか面白くなさそうな表情でうなずいた。

 坂田が帰ったあとで、私は気持がひどくだるい感じがした。退屈感に似たしらじらしさがあった。坂田が私のところに寄ったのは、石狩の伝言があったためだった。私に話したいことがあるから、一度来てくれという伝言であった。その言葉が、坂田だけとの面会中に話されたのか、母親が加わってから話されたのか、言わないままに坂田はかえって行った。母親が来ない前の言葉なら、母親が来たということで、意味がなくなったかも知れないとも考えたが、また新しく私に話したいことが出来たのかも知れなかった。私は石狩にかかわりを持つ自分を、微かにうとむ気分におちながら、また逆に、駆りたてられるような落着かぬ気特にもなった。

 身仕度をし、私は新宿にでて行った。そしてはっきりしない心持のまま、そこらをあるいた。あるきながら眼についた店で、ふくらんだ麺麭(パン)を三個買い求めた。石狩のところに直ぐ面会に行こうと、釣銭を待ちながら、ぼんやり私は考えていた。しかしこの麺麭も、石狩に食べさせようというはっきりした気持ではなかった。街では広告塔のような方向から、流行歌のにごった旋律がながれていた。あの脳病院の帰りに、横町の喫茶店に寄った日を、私はふと思いだした。

 ――脳病院だってあの喫茶店だって、似たようなものさ。

 人混みを縫って駅の方にあるきながら、そんなことを私は思った。その中にいる人たちが、お互に無関心で生きているという相似を、私はあの日も感じていたのであった。無関心で生きているというのも、ひとりひとりが他からは理解されない世界を、ひとつずつ内包しているせいなのだろう。その世界がだんだん歪んできて、この世の掟や約束を守れなくなると、人は脳病院に入ったり、刑務所に入ったりするのだろう。

 警察まで、電車で一時間かかった。警察は広い鋪装路に面した古い建物であった。玄関の脇から入り、逃亡防止の金網塀に沿ってすすむと、狭い廊下のむこうが刑事部屋であった。時刻が夕方であつたから、面会できるかどうかは判らなかった。あのわかい刑事がいれば、取計ってもらえるかも知れなかった。私は廊下に立ち、すこし背伸びして、部屋のなかをのぞいた。薄暗い部屋のなかには七八人の人間がいるらしかったが、眼の慣れない私には、よごれた硝子窓を通して、それはちらちら動く影であった。その影がしだいに私の限界に形をさだめてきて、私は机にむかって椅子にかけた小さな人影をとらえた。それは小さく黒い姿であつた。ある予感が私の胸をついた。

(石狩の母親か?)

 すこし背を曲げて机にむかっていた。そばに立っているのは、あの若い刑事に似ていた。視線をそこに定めたまま、私は身体をすこしずつずらせて、刑事部屋の扉のところまで来た。扉は半開きになっていた。押すとギイと軋(きし)んで、そこらにいる三四人が私の方を見た。椅子のそばに立っているのは、やはりあの刑事であった。

「あ、ちょっと」

 ちらと私の方を見て、手で制するようなしぐさをした。それも無意識でやったような軽いそぶりであった。椅子にはひとりの老女がかけていた。閾(しきい)に立って私はそれを見た。老女の手の指は机の上の白いものに触れていた。顔は半分伏せるようにして、眼のあたりは暗く影に沈んでいた。机上の白いものは、用箋じみた紙であった。横窓から入る夕方のあわい光がそこに落ちていて、紙面には黒い点のようなものが無数にちらばっていた。老女はその上に指をまさぐらせながら、顔をそこに近づけるようにした。

 ――点字電報だ、と私は直覚した。とたんに身体のどこかがばらばらに散らばるような不快な感覚が、私をはしって抜けた。それは石狩の母親にちがいなかった。そしてそれが、石狩の父親からの電報であることがすぐ胸にきた。すると紙の上にちらばった点々が、急におそろしいものとして、私の眼にせまってきた。老女の細い指が、確めるようにそこを動いた。

(このまま、帰ってしまおうか。石狩に会うのはこの次にして――)

 麺麭のつつみを振ったまま、私はそう考えた。ひとつの帰結をこういう形で見ることが、私に堪え難い感じを起させたのであった。ある無残な感じが、凝結してそこにあった。しかしそれは私の罪でもなければ、誰の罪でもなかった。老女の盲(めし)いた横顔から眼をそむけて、私は身体をうしろにずらした。

 

[やぶちゃん後注:「麻痺性痴呆」「進行性麻痺」「進行麻痺」という疾患名もあるが、一般人は「痴呆」にのみ目が行って心因性精神疾患と誤認する傾向があるので、ダイレクトであるが、「脳梅毒」の方が誤解を受けない病名であると私は思っている。脳実質が梅毒トレポネーマ(細菌ドメインのスピロヘータ門 Spirochetesスピロヘータ綱スピロヘータ目スピロヘータ科トレポネーマ属梅毒トレポネーマ Treponema pallidum)に侵されることによって発症する病気。梅毒に罹患してから数年から数十年ほどを経て後、梅毒の第二期及び第三期に出現する梅毒性脳膜炎(例外的に脳脊髄液に病的変化が認められるだけで他の症状を殆んど示さない無症候性神経梅毒もある)。第二期の場合は発熱・意識混濁・譫妄(せんもう:中・軽度の意識障害に加え、幻覚・妄想・運動不安などが加わった精神状態を指す)などの急性脳炎症状が強く出現し、第三期になると、他に性格変成・認知障害などの精神症状が強く現われ、正常な思考が不可能となり、末期は痴呆状態となる。完治は期待出来ない場合が多い。大正六(一九一七)年に野口英世が患者の脳からトレポネーマを発見し、疾患の原因究明に役立ったのみでなく、精神病に対する理解やその疾病分類学に大きく貢献した。進行麻痺は、嘗つては、精神科入院患者の二十%をも占め、統合失調症(後注参照)に次ぐ位置にあったが、梅毒罹患防止対策の進歩とともに患者数が減少し、日本では現在、殆んど発生することがなくなっている(以上は複数の百科事典を参考にして記載した。以下の二つも同様である)。著名人では哲学者のニーチェ、画家のヴァン・ゴッホ、小説家ギ・ド・モーパッサン等が高い確率でそれに罹患していたと考えられている。

「躁欝病」現行でも一般人や医師(患者や家族に判り易いため)もこの病名を現役のように用いているが、これは最早、病名としては古称であって、現在は「双極性障害」(Bipolar disorderと呼ぶ。有意な躁状態の時期と抑鬱状態の時期との病相を循環する精神疾患である。原因は外因性(或いは身体因性)・内因性・心因性(或いは性格環境因性)と多様であるが、一部の発症事例では遺伝的素因の可能性も指摘されている。

「分裂病」現在は「統合失調症」と呼び、「精神分裂病」の呼称は今は廃されており、使用してはならない。本邦では永く、かく呼ばれてきたが、もっとひどい呼称では「早発性痴呆」もかなり命脈を保った。思考・知覚・感情・言語・自己の感覚及び行動に於ける他者との歪みによって特徴づけられる症状を持つ精神疾患名(というか、原因(推定)や症状・病態遷移・器質的変化などによって明らかに異なる疾患の場合があるように見えることから「統合失調症候群」という方が私は正しいと考えている)。一般的には幻聴・幻覚・異常行動などを伴うが、罹患者によって症状は多種多様である。遺伝と環境の両方が関係しているが、現在では遺伝的要因の影響が大きいと考えられているものの、不明で、現代医学の一つの大きな壁とされる。欧米語の「スキゾフレニア」(英語:Schizophrenia/フランス語:Schizophrénie/ドイツ語:Schizophrenie)も元はギリシャ語由来の「schizo(分離した)+ phrenia(精神)」であるが、新称は、古くからの精神科医の本症状の観察の共通項である「思考の途絶」(思考が自分の意志に反して突如絶たれてしまうように感じられること)と「自生思考(じせいしこう)」(相互に無関係な考えが次々と浮かんでくることで思考が全く纏まらなくなったり、自身の意志ではなく、ある考えが自然に浮かんできて、それが異常な連想で以って繋がって拡大してゆく(関係妄想))という病態に基づいた新語として変更されたものである。ウィキの「統合失調症」によれば、本邦では当該疾患への理解が進まず、『患者の家族に対して』も『社会全体からの支援が必要とされておりながら、誤った偏見による患者家族の孤立』『も多く、その偏見を助長するとして』、『患者・家族団体等から、病名に対する苦情が多』くあり、『また、医学的知見からも「精神が分裂」しているのではなく、脳内での情報統合に失敗しているとの見解が現』わ『れ始め、学術的にも分裂との命名が誤りとみなされて』、二〇〇二年の「日本精神神経学会」総会で、『Schizophrenia に対する訳語を統合失調症にするという変更がなされた』とある。

「脳外科手術の器械」本作冒頭では「脳病院」とあり、後の病院内の様子からも判る通り、ここは精神病院であって、脳外科の専門病院ではない。但し、脳外科医はおり、脳外科の術式も行なうから、手術道具はあるということである。従ってここで言う「脳外科手術」というのは、この当時、精神疾患に有効とされた脳に対する外科的外部的術式を行う器具を指していることが判る。さすれば、時代的に見て、その「器械」とは、極めて高い確率で、かのおぞましい呪われたロボトミー(lobotomy:前頭葉白質切断術)の器具がそこにはあった可能性がある。まぶたの下から、単純な細く長いアイスピック状の器具(Orbitoclast当該の英文ウィキの画像)をハンマーで叩いて前頭葉まで打ち込み、それを左右に回すようにして、前頭葉を視床から切り離すという驚くべき粗野にして乱暴な術式である。かつては、統合失調症・双極性障害その他の精神疾患の内の重篤な患者に対して、抜本的な治療法として盛んに実施された。その歴史を辿ると、一九三五年、ポルトガルの神経内科医アントニオ・エガス・モニス(António Caetano de Abreu Freire Egas Moniz 一八七四年~一九五五年)が精神病患者に反復的な思考パターンを引き起こすと思われる神経回路を遮断するため、前頭葉前皮質に高純度のエチルアルコールを注入する手術を行なった。モニスはやがて脳内白質を切断する専用の器具を開発し、前頭前野と視床を繋いでいる神経線維の束を、物理的に切り離した。手術の結果にはばらつきがあったが、当時は興奮・幻覚・暴力・自傷行為などの症状を抑える治療法が他に殆んどなかったことから、この術式が広く行なわれるようになった。一九三六年、アメリカの脳神経科外科医ウォルター・フリーマン(Walter Jackson Freeman II 一八九五年~一九七二年)と同ジェームズ・ワッツ(James Winston Watts 一九〇四 年~一九九四年)が改良を加え、一九四〇年代にはごく短時間で行なえる術式を開発、多くの患者に実施した。ロボトミーを受けた患者の大部分は、緊張・興奮などの症状が軽減したものの、無気力・受動的で、意欲の欠如や集中力の減衰、さらには全般的な感情反応の有意な低下などの症状が多く現われた。しかし、こうした副作用は一九四〇年代には広く報じられず、長期的影響はほぼ問題視されなかった。それどころか、ロボトミーが幅広い成功を収めたという理由から、モニスは一九四九年にノーベル生理学・医学賞を受賞してさえいる。しかし、一九五〇年代半ば(昭和三十年前後)に入って、精神疾患患者の治療や症状緩和に有効な向精神薬が普及すると、ロボトミーは殆んど行なわれなくなった(ここは主文を「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「前頭部の両側に、うすい傷痕をつけていた」間違えては困るが、これは前に注したロボトミーの手術痕ではない。「電気痙攣療法(Electro Convulsive TherapyECT)を複数回受けたその痕である(ネット上にはこれをロボトミーの手術佷と断定する記載を複数見かけるのであるが、私の認識する限り、この位置から切開したり、器具を挿入する術式を私は知らない。そうだと言う医師がおられれば、是非、御教授頂きたい)。ウィキの「統合失調症」によれば、『薬物療法が確立される以前には』、麻酔なしで行う、過酷な『電気痙攣療法(電気ショック療法)が多く用いられてきた。これは左右の額の部分から』百ボルト『の電圧、パルス電流を脳に』一~三『秒間』、『通電』することで、痙攣を『人工的に引き起こすものである』。『電気』痙攣『療法の有効性は確立されている』『が、一方で』、『有効性の皆無も臨床実験で報告されて』も『いる』。また、嘗つて電気痙攣療法が『「患者の懲罰」に使用されていたこともあり』(私は昭和四五(一九七〇)年の新聞連載記事(私は中学二年)で、その当時でも、この電気ショックによるサディズム的傷害懲罰行為が行われていた事実があったことを読んで、激しい憤りを覚えたのを忘れない。恐らく、その当時の切抜きは今も書庫の底に眠っているはずである)、『実施の際』、『患者が』痙攣『を起こす様子が残虐であると批判されている』。『稀に電気』痙攣『療法が脊椎骨折等の危険性があるため、現在では麻酔を併用した「無痙攣電気』痙攣療法」(修正型(modified)電気痙攣療法:mECT)が『主流である。しかし、副作用や無痙攣電気』痙攣『療法の実施の際には、麻酔科医との協力が必要であることなどからして、実質的に大規模な病院でしか実施できない。現在では、この治療法は主力の座を薬物療法にその座を譲ったものの、急性期の興奮状態の際などに行われることもある』。『NICE』(イギリス国立医療技術評価機構)『は「現在の根拠では、ECTを統合失調症の一般的管理としては推奨することはできない」として』、『ECTは全ての治療選択肢が失敗したか、または差し迫った生命危機の状況のみに使われるべきであるとしている』とある。]

2019/04/14

梅崎春生 ルネタの市民兵 (サイト版公開)

最近、梅崎春生のテクスト化を無沙汰していたので、「ルネタの市民兵」を電子化しようかと、ネットに先行するそれがないことを確認していたところ、ふと、『梅崎春生「ルネタの市民兵」―〈川俳会〉ブログ』というのが気になって開いて見たところが、コメント欄に『既に電子化されている主要作品以外も、早く電子化して欲しいものです』。『下の個人サイトでも、この作品はまだ電子化されていないようですし……』とあって、その下にはなんと私のブログ・カテゴリ「梅崎春生」がリンクされているのであった。

これは……「意気に感ず」と言わずんばなるまい!

さても本未明から今までかけて、電子化した。当初はブログでの分割電子化を考えていたが、それでは上記の御仁の御希望に応えるには失礼と存じ、久しぶりにサイト版ルビ附きで作成した。 以下である。

梅崎春生「ルネタの市民兵」

2018/11/09

ブログ1160000アクセス突破記念 梅崎春生 百円紙幣

 

[やぶちゃん注:『日本』昭和三三(一九五八)年三月号に発表された。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。以下、簡単に注する。

・「百円紙幣」ここに登場するのは日本銀行兌換券の「乙号券」(通称「一次百円」)と呼ばれるもので、表面に聖徳太子と夢殿、裏面に法隆寺境内図が描かれている。サイズは縦九センチ三ミリ・横十六センチ二ミリ。発行開始日は昭和五(一九三〇)年一月十一日で、通用停止日は昭和二一(一九四六)年三月二日。新円切替(昭和二一(一九四六)年二月十六日夕刻に幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行と、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策に対する総称)の際には証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行されたから、本作の発表の時点でも通用していたものと思われる。以上を参照したウィキの「百円紙幣のパブリック・ドメインの画像(表・裏)を以下に掲げておく。

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・「はさめて呉れたんだい?」の「はさめて」はママ。後も同じ。

・「譫妄(せんもう)状態」意識混濁に加え、奇妙で脅迫的な思考や幻覚・錯覚が見られるような精神状態を指す。病的なものやそれに準じた拘禁性のもの、入院などによる抑制などによっても生じるし、寝ている人間を急に起こしたりした場合にも起こることがある。

・「西木東夫」ルビがないが、難読氏名で「にしきはるお」(五行思想の「春」は「東」である)と読んでおく。

・「五尺八寸」一メートル七十五センチメートル。梅崎春生も身長は高かった。

 本電子化は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1160000アクセス突破記念として公開する。【2018年11月9日 藪野直史】]

 

   百 円 紙 幣

 

 酒癖なんて言うものは、その人の身についたものでなく、ちょいとしたことで変化するものですねえ。何かの機会で酔い泣きをすると、それが癖になってしばらく泣き上戸(じょうご)になったり、それからいつの間にか怒り癖がついて怒り上戸(じょうご)になったり、そんな具合に一定のものではないようです。

 今から二十年ばかり前、僕がかけ出しのサラリーマンの頃、妙な酒癖が僕にとりついたことがあります。どんな癖かと言うと、酔って戻って来て、部屋のあちこちに紙幣や銀貨をかくすと言う癖なのです。

 どうしてこんな困った癖がついたか。

 ある夜、おでん屋でいっぱい傾けながら、連れの同僚が僕にこんなことを言いました。物を拾う話から、このような話になったんです。

「この間の大みそかは実にうれしかったねえ」

「何を拾ったんだい?」

 と僕は訊(たず)ねました。

「拾ったわけじゃないんだがね」

 同僚は眼を細めて、たのしげな声を出しました。

「日記帳の大みそかの欄をあけて見たら、そこに十円紙幣がはさまっていたのさ」

「へえ。そいつはどう言うわけだね。誰がはさめて呉れたんだい?」

「誰もおれなんかにはさめて呉れないよ。はさんだのはおれ自身らしいのだ」

「君が?」

「そうなんだよ。酔っぱらって、はさんだらしいんだ」

 この同僚も酒好きで、泥酔するたちで、僕同様まだ独身でした。

「どう言うわけではさんだか、もちろんおれは覚えてないが、大みそかになって、夜ひとり静かに日記帳を開く。すると思いもかけぬ十円紙幣が出て来る。そこでおれはあっと驚き、かつ喜ぶ。その驚きと喜びを、酔っぱらったおれが期待したらしいのだね。つまりこれは、酔っぱらいのおれから、素面(しらふ)のおれへの、暮れのプレゼントなんだろうと思うんだが、どうだね」

 なるほどねえ、僕はすっかり感服した。感服のあまりに、僕にそれと同じ酒癖がついてしまったと言うわけです。酔っぱらって戻ってから、なるほどあの話は面白かったなあ、おれもひとつやって見よう、素面(しらふ)のおれは実にしょんぼりして可哀そうだからなあ、ひとつここに五円紙幣をはさんで置いてやるか、てな具合にかくしてしまうらしい。らしいと言うのは、素面の時にはその時のことがよく思い出せないからです。

 僕も同僚に劣らぬ酒好きで、酒を味わう方でなく、ひたすら酩酊(めいてい)するたちで、しかも酩酊すると前夜の記憶をさっぱり失ってしまうたちでした。金(かね)かくしの好条件が具っていたというわけです。

 その頃僕は独身で、アパートに一部屋を借りて住んでいました。月給は八十円か八十五円、今の金に直して三万四、五千円ぐらいなものですか。アパート代は月十四、五円です。時勢とは言いながら、今のサラリーマンにくらべて、比較にならぬほど豊かでした。だから、毎日ではないが、遇に二度ぐらいはラクに飲める。飲んで紙幣をかくす余裕もあったのも当然です。

 で、その頃から、僕の部屋のあちこちから、たとえば押入れの中の夏服の胸ポケットから、風邪薬の袋の中から、硯(すずり)箱の硯の下から、ありとあらゆる突拍子もないところから、一円紙幣だの五十銭銀貨などが、ぽっかりと発見される、と言うようなことが起きて来ました。机の裏に五円紙幣が押しピンでとめてあるのを、偶然な機会に発見したこともあります。しかしたいていは小額紙幣や銀貨で、何故そういうことになるかと言えば、十円紙幣などはかくしても、翌朝眠が覚めて在り金を勘定する。いくら飲んだくれでも、おでん屋なんかで飲む分では、一晩に十円も使う筈(はず)はないのですから、ははあ、昨夜かくしやがったな、と気が付く。そしてあちこち探し廻って、しらみつぶしに探し廻って見つけてしまうということになるのです。十円紙幣を探し廻っているついでに、五十銭玉を三個も四個もおまけに発見することなどもあって、たのしいと言えばたのしいようなもんですが、とにかくそれは困った酒癖でした。

 古雑誌をクズ屋に売り払う時でも、一応全頁をめくってしらべないと、はさんだまま売ってしまうおそれがある。油断もすきもないのだから、かないません。

 月末になって、金がなくなる。いっぱいやりたい。どこかにかくれてやしないかと、部屋中を探し廻って、一枚の五十銭銀貨すら見付け出せなかった時の空しさ、侘(わび)しさ、哀しさは、これはもう言語に絶しました。そんな時には素面(しらふ)の僕は、飲んだくれの僕を、呪(のろ)う気特にすらなるのです。

「チェッ。こんな時のために、五円紙幣一枚ぐらい、かくして置いたってよさそうなもんじゃないか。一体何をしてやがんだい!」

 酔っぱらったら必ずかくすと言うんじゃなく、酔っぱらった時の気分や、持ち金の多寡、その他いろいろの条件がそろった時、初めてかくそうと言う考えを起すらしい。だから、何時でも、部屋の中のどこかに、金がかくされているわけではありません。だからこんな具合に、すっぽかされることも、度々あるのです。

 しかしこれは、別に他人に迷惑をかける悪癖じゃありませんから、特別に努力して矯正しようとも思ってなかったのですが、その酒癖のために、僕はある時大損害を受けるということになりました。以下がその話です。

 ある晩友達と一緒に飲み、れいの如く酔っぱらって、ひとりでアパートに戻って来た。ずいぶん飲んだので、翌朝は宿酔の状態で眠が覚めた。枕もとにゃ洋服やネクタイ類が、脱ぎ捨てられたまま散乱しています。僕は痛む頭をやおらもたげ、不安げに上衣を引寄せた。内ポケットから袋を引っぱり出し、逆さにしました。

「おや。おかしいぞ」

 僕はおろおろ声で呟(つぶや)き、あわててあたりを見廻しました。

「一枚足りないぞ。また昨夜かくしやがったのか」

 袋と言うのはボーナス袋で、ないと言うのは百円紙幣のことなのです。昨日二百五十余円のボーナスを貰い、百円紙幣が二枚入っていた筈なのに、今朝袋から出て来たのは、百円紙幣が一枚だけで、あとは十円や五円が数枚。昨夜ハシゴで飲んで廻ったとは言え、百円紙幣に手がつく筈は絶対になかったのです。

「まさか落したんじゃないだろうな。落したとすればたいへんだぞ」

 百円紙幣は、今の金に直すと、四万円ぐらいにでも当るでしょうか。その値打において、今の五千円紙幣の七、八枚分に引合うでしょう。いくらのんきな僕でも、さすがに顔があおくなって、眼がくらくらするような気分でしたねえ。

 早速僕は電話で会社に、病気で欠勤する旨(むね)を伝え、痛む頭を押さえながら、直ちに百円紙幣探しに取りかかりました。十円紙幣や五円紙幣なら、ボーナスの翌日のことですから、いずれどこからか出て来るだろうと、笑って放って置けるが、百円紙幣となればそうは行かない。かくしたのか落したのか、はっきりさせて置かないことには、何にも手がつきません。

 それに僕の給料は八十円そこそこなんですから、百円紙幣にお眼にかかれる機会はほとんどなく、それ故に実際以上に貴重に思われるのでした。探す手付きに熱意がこもったのも、当然と言えるでしょう。

 そしてその百円紙幣は見付かったか。

 午前中潰(つぶ)しての探索も、ついに効は奏さず、とうとうその百円紙幣は発見されなかったのです。たかが六畳の部屋で、独身者だから荷物も多くはない。午前中かければ、もう探すところはなくなってしまうのです。洗濯して行李にしまってあった足袋の中から、五十銭銀貨が二枚ころがり出ただけで、肝腎(かんじん)の百円紙幣はついにどこにも発見されませんでした。

「ああ。何たることだ!」

 僕は天井を仰いで、がっかり声を出した。

「折角二枚貰ったのに、残るはこれ一枚になってしまった」

 残る一枚を大切そうに撫でながら、僕は痛嘆しました。実際昔の百円紙幣は、今の四万円分だけあって、実にどっしりして威厳がありましたねえ。表には聖徳太子と夢殿の図。『此券引換に金貨百円相渡可申候』という文字。裏には法隆寺の全景が印刷してあります。眼をつむれば今でも、その模様や字の形が、瞼の裡にありありと浮んで来るほどです。紛失したんだから、なお一層記憶が鮮明であるのかも知れません。

 でも、百円紙幣がなくなったからって、そう何時までも大の男が、嘆き悲しんではいられない。忘れてしまうというのではないが、その嘆きも時が経つにつれ、だんだん薄れて行ったようです。

 そして二箇月ほど後、僕はこのアパートから、食事付きの下宿に引越すことになりました。アパートは食事付きでないので、月給を貰うと、ついゴシゴシと飲み過して、月末には飯代にも窮するということになり勝ちです。下宿なら金がなくなっても、飯だけは食わせて呉れますからねえ。

 

 下宿に移ってから四箇月経って、次の賞与、つまり暮れのボーナスですな、それが出ることになりました。額は前期に毛の生えた程度です。

 その晩僕は同僚たちとあちこち飲み廻り、いい気特に酩酊、十二時過ぎに下宿に戻って参りました。どっかと机の前に坐り、ボーナス袋から紙幣を取出した。その百円紙幣を一枚つまみ上げたとたん、僕の手は僕の意志に反して、と言うより手自身が意志を持っているかのように、狐の手付きのような妙な動き方をしたのです。僕はびっくりして、自分に言いました。

「おい。どうしたんだい?」

 すると手の動きは、はたととまった。(ここらは酩酊していて、翌朝のぼんやりした記憶ですから、たいへんあやふやです)

「へんだねえ」

 ふたたび僕は僕に言いました。

「何かやりたいんじゃないか。やりたいように、やってみたらどうだい」

 何か微妙な感覚が僕の内部にひそんでいて、それがしきりに僕をうながすらしい。僕はそれを探りあてるために、

「こうして」

「こうやって」

「次にはこうやって」

 と呟(つぶや)きながら、その感じを確かめようとすると、僕は自然にそのまま立ち上り、百円紙幣を四つに折り、ふらふらと部屋の隅に歩き、自然と背伸びの姿勢となった。紙幣をつまんだ指が、鴨居(かもい)にかかりました。紙幣をその溝に押し込もうとするようです。

「なるほど」

 一種の譫妄(せんもう)状態での動作だし、どうもぼんやりしている。それから僕は机の前に戻って来て、はげしいねむ気を感じたが、必死の努力で机上の紙片に今のことを書きつけたらしいのです。素面(しらふ)の僕に知らせようとしたのか、そこらは全然はっきりしない。漠として、夢魔におそわれたようです。

 で、翌朝、宿酔の状態でぼんやりと眼が覚めました。見ると机上の紙に、字がぬたくってある。ほはあ、何か書いてあるな。何度も指でなぞって見て、やっと判読出来ました。

『カモイの中に百円札かくした』

 昨夜の動作が、その文字の意味から、漠とした形ですが、端から少しずつつながるようにして、思い出されて来ました。僕はふらふらと立ち上って、鴨居(かもい)を探ると、はたして四つ折りの百円紙幣がそこから出て来た。

「どうもおかしいぞ」

 百円紙幣をつまんで寝床に戻った時、ある荒涼たる疑念が、突然僕の胸につき上げて来ました。酔っぱらって百円紙幣をつまんだ。条件反射的に鴨居にかくした。これは一体どう言うことなのか。深層心理に埋もれていたものが、酩酊(めいてい)時に百円紙幣に触れたとたんによみがえり、それを素面の僕に知らせるために、僕にそんな動作を取らせたのではないか。

「あのアパートの部屋には、鴨居に溝があったかどうか?」

 あのアパートでの百円紙幣探しで、自分の荷物は丹念に点検したけれども、鴨居のことには注意が向かなかったことを、僕はぱっと思い出したのです。

「しまったなあ。どうすればいいか」

 溝があったとすれば、その中に百円紙幣がかくされている可能性は充分にある。しかしあの部屋には、もう他人が住んでいる。おいそれと入ってのぞいて見るわけには行かない。泥棒と間違えられる。と言って、五円や十円ならあきらめるけれど、ことは百円紙幣だ。月給を上廻る額の紙幣が、あの部屋の鴨居に、現実に眠っているかも知れぬ。現在の住人も、一々鴨居の中まで調べはしないだろうから(調べる必要はないわけだから)百円紙幣があそこに温存されている可能性はたいへん多い。僕は声には出さず、自問自答しました。お前はどうする? あきらめるか。放って置くか。お前に放って置けるか。いいか。百円だぞ。汗水出して働いた一箇月の給料より多いんだぞ。しかももともと、お前の所有物なんだぞ。誰のものでもない。お前の金なんだぞ。どうする?

 

 とにかくその男と、いや、女である可能性もある。その人物と、どういう方法かで、近づきになる必要がある、と僕は思いました。

 アパートは下宿と違って、鍵がかかるのですから、その鍵を持った当人に近づかねば、あの部屋には入れない。

 で、僕は勤めの余暇、休日などを利用して、調査を開始しました。あの鴨居に四つ折りの百円紙幣が入っているとして、百円紙幣に脚は生えていないのだから、逃げたり消失したりするわけはない。だから、急がなくてもいいようなものの、やはり早くカタをつけた方がいい。無ければ無いでいいから、気持をはっきりさせたい。こう言う気持、お判りでしょうねえ。

 西木東夫。これがあのアパートの部屋の住人の名でした。齢は僕より三つか四つ上。勤め先は市役所の会計課です。西木がこの部屋の住人となったのは、僕が引越して三日目のことで、当分あの部星から引越すつもりはないらしい。と言うのは、アパートの管理人に訊(たず)ねてみたら、なかなか居心地の良い部屋だと、西木は満足しているとの答だったのです。満足しているとすれば、当分引越しはしないでしょう。引起しするんだったら、も一度僕があの部屋を借りてもいい、そう思ったんですがねえ。

 以下、管理人からそれとなく聞き出したことと、僕が尾行したりして調べたことをないまぜにすると、西木はたいへん几帳面(きちょうめん)な性格で、会計課なんかには打ってつけな性質で、毎日の生活も判でも押したようにきまっている。朝出て行く時間や、夜戻って来る時間も、特別の場合をのぞいて、五分と狂いがない程です。食事は外食で、アパートの近くに大野屋と言う安食堂があり、朝と夕方はそこで食事をするのです。調査の関係上、僕も西木と並んで飯を食べてみましたが、なにしろ定食が朝が十銭、昼と夕が十五銭というのですから、たいへん安い。したがって味の方はあまり上等ではありません。そして毎日の献立がほとんど変化がなく、よく毎日々々ここに通って、同じものを食っておられるなと、ちょっと感心させられる程でした。几帳面な性格だからして、西木は飯の食べ残しなんかしない。一粒残さず食べてしまう。食べ終ると、パチンと銅貨を置き、背を丸めてとっとと出て行く。西木は背が高かった。五尺八寸はあったでしょう。背が高いから、あんな猫背になるのでしょう。

 背が高いと言う点で、僕はちょっと心配でした。背が高けりや高いほど、鴨居には近くなるわけですからねえ。

 酒はどうかって?

 その点僕もよく観察したのですが、西木も酒は好きらしい。好きらしいけれども、ケチなのか、あるいは給料がすくないのか、度々は飲まないようです。二週間に一度だけ、それも土曜日だけで、勤め先の近くででも飲んで来るのか、大野屋に入って来る時刻が、二時間やそこらは遅れる。赤い顔をして入って来て、定食を注文する。定食の前に一本つけさせることもあったようです。

 西木に近づきになるためには、この土曜日を利用するのが最上だ。僕はそう考えました。洒と言うものは、見知らぬ同士をよく仲良しにさせますからね。それに僕らは、もう見知らぬ同士じゃなかった。調査の関係上、僕はよく大野屋に出入りして、飯を食ったり酒を飲んだりしていたので、向うでも僕の顔を覚え込んだようでした。話こそしたことはないが、向い合って飯を食ったこともあるのですから、顔ぐらい覚えるのは当然でしょう。

 そしてある土曜日、僕は大野屋におもむき、ちびちびと盃(さかずき)をかたむけながら、西木東夫が入って来るのを待っていました。大野屋のお銚子は、一本二十銭でした。シメサバなんかを肴に、ちびちびやっていると、のれんを肩でわけるようにして、猫背の西木が入って来ました。予期した通り、顔が赤くなっています。時刻が遅いので、他にお客は一人もいませんでした。

 僕の斜め前に腰をおろすと、西木はちらと僕の方を見ました。僕の前にはもうお銚子が四本も並んでいます。西木はそれを見て、定食を注文しようか、それとも一本つけさせようかと、ちょっと迷ったらしいのです。そこで僕はすかさず、酔っぱらい声で話しかけました。

「どうです?」

 僕は盃を突き出しました。

「一杯行きませんか」

 西木は面くらったように眼をぱちぱちさせましたが、少しは酒が入っていることとて、すぐに乗って来ました。

「そうですな。いただきますか」

 西木は席を僕の前にうつし、女中を呼んで、自分のお銚子と肴を注文しました。

「寒いですなあ。お酒でも飲まないと、やり切れないですなあ」

「そうですね。帰っても待っているのは、つめたい蒲団だけですからねえ」

 と僕は相槌(あいづち)を打ちました。

「あなたもお独りですか」

「そうですよ。アパート暮しですよ」

「そうですか。僕も以前アパートに住んでたこともあるが、アパートは下宿より寒々しいですな」

 僕は西木に酒を注いでやりました。

「どちらのアパートです?」

 西木はアパートの名を言いました。僕はわざとびっくりしたような声を出しました。

「へえ。僕もそのアパートに住んでいたことがあるんですよ」

「ほう。どの部屋ですか」

「二階の六号室です」

「ほう」

 今度は西木がびっくり声を出した。

「僕が今住んでいるのは、その部屋なんですよ」

「それはそれは」

 僕は眼を丸くして、また西木に盃をさしました。

「奇遇と言いますか。ふしぎな御縁ですなあ」

「ほんとですねえ」

 同じ部屋に住んだという因縁だけで、西木はとたんに気を許したらしいのです。いっぺんに隔てが取れて、西木は急におしゃべりになりました。もちろん僕も。

 部屋の話から管理人の話、勤め先の話から月給の話などに立ち入る頃には、僕らの卓にはもう十本ほども並んでいました。僕は作戦上、自分はあまり飲まず、もっぱら西木に飲ませるようにと心がけたので、西木もすっかり酩酊したようでした。

 そろそろ看板の時間が近づいたので、僕は手を打って女中を呼び、いち早く十円紙幣を出して、勘定を済ませてしまいました。几帳面な性格だから、西木はしきりに割勘を主張して、

「そりゃ悪いよ。僕も出すよ」

 と言い張りましたが、

「いいんだよ。お近づきのしるしだから、いいんだよ」

 と僕は無理矢理に西木を納得させました。

 それから二人は大野屋を出て、ぶらぶらとアパートの方に歩き出しました。西木は酒に強いようで、あれほど飲ませたのに、あまり足もふらついていないようです。

 アパートの前にたどりつくと、僕は帽子に手をかけて、

「では」

 と言うと、こちらの作戦通り、儀礼的にでしたが西木は僕を呼びとめました。

「ちょっと寄って、お茶でも飲んで行かないか」

「そうだねえ」

 僕は考えるふりをして、それから答えました。

「じゃ寄らせて貰うか。昔の部屋も見たいから」

 

 靴を脱いで階段を登り、西木のあとについて部屋に入る時、僕の胸はわくわくと高鳴った。ちらと見上げると、ちゃんと鴨居に溝がついているではありませんか。

「ちょっと待ってて呉れ給え」

 西木は外套も脱がず、薬罐(やかん)を下げて廊下に出て行きました。部屋の中に水道がないので、洗面所まで汲みに行ったのです。

「今だ!」

 僕はばっと壁にへばりつき、鴨居の溝をさぐり始めました。ずうっとさぐって行くと、東北隅の溝のところで、ぐしゃっと指に触れたものがある。僕の心臓はどきりと波打ちました。

「しめた。あったぞ」

 声なき声を立てて、それをつまみ出すと、驚いたことにはそれは百円紙幣でなく、数枚の十円紙幣でした。その時入口のところから、僕の背中めがけて、つめたい声が飛んで来た。

「君はそれを取るために、今日僕に近づいて来たのか!」

 いっぺんに空気がひややかになって、緊張が部屋いっぱいに立ちこめました。僕は西木をにらみながら、指先で十円紙幣の枚数を読んだ。それは五枚ありました。

「あれをくずして、五十円使ったのは君か!」

 僕も低い声で言い返しました。

「あれは君の金ではない筈だぞ」

「しかしここはおれの部屋だぞ」

 西木はめらめらと燃えるような眼で、僕をにらみ据えた。

「おれの部屋の中で勝手なことをする権利は、君にはない。家宅侵入罪で告発するぞ」

「じゃ出て行きやいいんだろ。出て行きゃ」

 僕は五枚の十円紙幣を、そろそろと内ポケットにしまい込みました。

「そのかわり、この五十円は、僕が貰って行くぞ」

 西木は何か言い返そうとしたが、思い直したらしく、空の薬罐を持ったまま、じりじりと部屋に上って来た。二人はレスリングの選手のように油断なくにらみ合ったまま、ぐるぐると部屋を廻った。そして僕は扉のところに、西木はその反対側に位置をしめたのです。僕は声に力をこめた。

「では、帰らして貰うぞ。あばよ」

 うしろ向きのまま、僕は廊下に出た。そろそろと扉をしめました。階段の方に歩きながら、追っかけて来るかなと思ったが、西木はついに追っかけて来ませんでした。そして僕は無事に靴をはき、寒夜の巷(ちまた)に出ました。

 百円紙幣の話は、これでおしまいです。とうとう百円紙幣は取り戻せず、半額だけが僕の手に戻って来た。

 でも、あの鴨居の中の百円紙幣を、どうやって西木は見付け出したのだろう。その疑問は二十年経った今でも、僕の頭に残っています。鴨居の溝なんかのぞき込むなんてことは、なかなかない筈のもんですがね。

 偶然の機会に百円紙幣を発見、そして西木は金に困る度に少しずつ使ったのではないか、と僕は想像しています。丁度半金使い果たした時に、僕があらわれたと言うわけでしょう。ちゃんとおつりを元の鴨居に隠して置くところに、彼の几帳面さがあったわけでしょう。その几帳面のおかげで、僕は半金を取り返せたのですから、むしろ僕は感謝すべきだったのかも知れません。


 

2018/09/20

ブログ1140000アクセス突破記念 梅崎春生 三日間

[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年一月号『新潮』初出。

 底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集第六巻」を用いた。底本の傍点「ヽ」は太字に代えた。

 簡単な語注を最初に添えておく。

・「トンコ節」旧録旧版と新録新版の二種(歌詞が異なる)があり、昭和二四(一九四九)年一月に久保幸江と楠木繁夫のデュエットで日本コロムビアから発売されたのが前者で、昭和二六(一九五一)年三月に、同じく久保幸江が新人歌手であった加藤雅夫とともに吹き込んだものが後者。作詞は西條八十、作曲は古賀政男である。ウィキの「トンコ節」によれば、一九五〇年『以降から売れ出した理由には朝鮮戦争の特需景気による「お座敷の繁盛」という社会状況の変化が大きかったともいわれ、歌詞に見られる「さんざ遊んでころがして」や「上もゆくゆく下もゆく、上も泣く泣く下でも泣くよ」といったアブナ絵的な文句が、特需景気で増えた新興成金層による宴会などで騒ぐためのお座敷ソングとして定着したことが大きな要因とされている』。『新版を発売するにあたりコロムビアは、引き続きの作詞者である西條八十に対して「宴会でトラになった連中向きの唄を」と依頼しており、それに応える形で八十は当時としてはエロ味たっぷりの文句に書き直した。評論家の大宅壮一はこれを「声のストリップ」として批判している』とある。本作の初出から見て、ここで若者に歌われるのは後者のヒットを受けてのもの、即ち、エロい歌詞のそれと考えてよい(読めば分かるが、この性的ニュアンスは梅崎春生の確信犯である)。後者の当該録音はこれである(You Tube 0klz39氏のアナログ七十八回転レコード再生版)。歌詞だけならばj-lyric.netのこちらで新版が、同じくこちらで恐らくは旧版と思われるものが読める

・「成意」は「せいい」で、「当然の権利として認識しているといった感じを表わした主張」といった意味で使っているようである。

・老人が唄う子守歌の一節は「五木の子守歌」のお座敷唄の最終節である。歌詞全篇はウィキの「五木の子守歌を参照されたい。

・「坊主枕」は「括(くく)り枕」。布帛で筒形に縫い合わせ、蕎麦殻や茶殻などを入れて、両端をくくって作った円筒形の中・大型の枕のことで、元来は箱枕・木枕などと区別して言う語であったが、ここはもう、現行の我々が使っている普通の枕の大き目の奴と思えばよろしい。

・「一仕切」「ひとしきり」で、「仕事が一段落ついた」「一区切りついた」の意。

・「五六間」九・一~十一メートル弱。

・「軽燥(けいそう)」落ち着きがなく騒がしいこと。思慮が浅く軽弾みなこと。ここは一種の擬人法的用法。

・「厚物咲」「あつものざき」で、分厚く、花弁の多い鑑賞用の菊を指す語。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1140000アクセス突破を記念として公開した。【2018年9月20日 藪野直史】]

 

  三日間

 

「長いヘチマだね」

「ああ、なんてひょろ長えんだ」

 畳屋が二人、庭で仕事をしていた。

 縁側のすぐ前に、低い木台をならべ、畳が一枚ずつ乗っている。畳は、部屋にはめこまれている時よりも、厚ぼったく、またその面積もいくらか大き目に見えた。あたりには、剝(は)ぎとられた古畳のへりや、よれよれの糸屑、新しい畳表の裁(た)ち片などが、雑然とかさなり、ちらばっている。そこらに午後の陽は照り、空気は乾き、ときどき藺(い)のにおいがただよい動いた。

 畳屋の一人は、五十五六のあから顔の男で、体軀(たいく)もがっしりしていた。片方は、まだ三十歳にならぬ、どこかしなびたような、青白い若者だ。若者の方は左利きらしく、老畳屋とは逆の姿勢で、反対の動作で仕事をすすめていた。左手で畳針を刺す。はみ出た畳表の端を、ずんぐりした刃物で断ち落す。薬罐(やかん)の口をじかにくわえて、水を霧にしてふきつける。しかしその動作は、はなはだ鈍い。陽をななめに受けて、霧の中には小さな虹が立った。

 この家の主(あるじ)、人見莫邪(ばくや)は、縁側に大あぐらをかき、放心したような眼付きで、二人の動作を見くらべている。畳屋の仕事の手ぶりにつられて、そっとその手が動きそうになる。はっきりしないような声で言った。

「長いだろう」

「長えね。なんだってこんなに、伸びたんだろう」

「ほっといたら伸びたんだ」

 ヘチマは古びたヘチマ棚から、ただ一本、ひょろひょろとぶら下り、その尖端は、老畳屋の頭から一尺ほどのところに揺れている。直径は一寸ばかりなのに、長さは三尺もある。さっきからそれが気になっているらしく、仕事の手をやすめて、老人はまぶしそうにヘチマを見上げた。眼尻に飴色(あめいろ)の眼やにがたまっている。干(ひ)からびた油絵具のかけらを、莫邪はふと聯想(れんそう)した。

「初めはヒョウタンだとばかり、思ったんだがね」

「ヒョウタンとは違うよ」

 この春、駅前の苗木屋で、この苗を求めたのだ。たしかにヒョウタンと指定した筈なのに、実って見ると、まぎれもなくヘチマである。ヘチマでは、中をくりぬいて酒を入れるというわけには行かない。と言って半年前のことだから、苗木屋に文句つける気にもなれない。近頃このヘチマの恰好(かっこう)を見る度に、莫邪はしてやられたような、また莫迦莫迦(ばかばか)しい気分になる。

「ヘチマ、嫌いかね?」

「嫌いじゃないよ」と老人は答えた。「嫌いじゃないけれど、あんまり長過ぎる。長過ぎると、感じが良くないね。おれは長えもの、この頃なんだか厭だねえ」

「欲しけりや上げるよ。多分いいアカスリが出来るよ」

「うん。荷車なんかに竹竿を積んだりするのがあるだろう。竿が長過ぎて、うしろにはみ出てさ、地面に引きずっている。あんなのは大嫌いだね。見ていると、口の中がカラカラになって、おでこが痛くなってくるんだ」

 莫邪と老人の対話を、若者はちらちら横目を使うようにしながら、聞いていた。青白い頰に、愚鈍らしい笑いをうかべている。その掌や肱(ひじ)や肩は、相変らずのろのろと動いている。莫邪はその腕を見ていた。若者の腕はすべすべして、肱の畳ダコも、老人のそれにくらべると、型も小さく不確かであった。そのタコの形や色に、莫邪は突然するどい生理的な色情を感じた。莫邪は視線を浮かせた。畳を剝ぎ取られたはだかの部屋に、柱時計がかかっている。針は三時五分前を指している。

 

 ガスに点火して、薬罐(やかん)をのせる。新しいのは、霧吹き用に畳屋に貸したから、つるのとれかかった古薬罐だ。そそくさと台所を出、渡り廊下をぬけて、画室に入る。画室と言っても、莫邪が自分でそうきめているだけで、離れの四畳半を改造した、へんてつもない板の間である。イーゼルは埃(ほこり)をかむって、部屋のすみに押しやられ、床には彩色しかけた小さな金具が、足の踏み場もなく散らばっている。(長いものが嫌いだとは妙な爺さんだな)莫邪はそう思いながら、床から煙草の袋をつまみ上げ、中味をしらべてポケットに入れる。台所に戻ってくると、ガス台の薬罐は、もうシュンシュンと白い湯気を立て始めていた。

 ラッキョウを盛った井と煮立った薬罐をぶら下げて、莫邪が縁側に戻ってきた時、畳屋は二人とも縁に腰をかけ、煙草をふかしていた。その二人に、彼は急須から茶を注いでやった。

「こいつは早くヘチマ水を取るといいね」

 ラッキョウを掌に受け、器用に口にほうりこみながら、老人が言った。

「そうかい。それはどうやって取るんだね?」

「茎を切って、それから――」

 水の取り方を、老人は熱心に説明し始めた。莫邪はいい加減に相槌(あいづち)を打ちながら、ろくに聞いていなかった。肥った頰の肉がややゆるんで、うす笑いをしているように見える。運動不足のせいか、近頃また一まわり肥ったようだ。老人は話し終った。すばやい手付きで、ラッキョウを五六粒口に投げこむ。

「ヘチマ水には、用はないんだ」

 少し経って莫邪は低い声で言った。

「そりや旦那には用はねえだろうさ。男だから――」

「女房はいないんだよ」

「へええ」

 老人はちらりと莫邪の顔を見た。べつだん驚いた表情でもなかった。

「旦那はいくつだね?」

「三十五だよ。爺さんは?」

「おれの女房か。いることはいるが、今病院に入っている。もう三年ごしだ」

「あれ、あんなにナメクジがいやがら」

 と若者が口をさしはさんだ。若さに似ずかすれたような声である。その指さした庭のすみっこに、ナメクジが七八匹白っぽくぐちゃぐちゃにかたまっていた。莫邪の指は無意識のうちに、肥った膝の上で、むずむずとなにかこすり落すような動き方をした。

「さっきは俺の膝にも、一匹這(は)いのぼって来たぜ」

 庭を仕切る長者門の扉がぎいと開いて、変な器械をぶら下げた男が、つかつかと入ってきた。平気な顔で庭を横切り、台所の方に歩いてゆく。莫邪も立ち上って、汚れた床板を爪先立って歩き、台所に入った。その男は案内も乞わず、職業的な無表情さで、がたがたと上ってくる。(こういう連中は、よく台所のありかを見当つけるもんだな。職業的習練というやつかな)そんなことを考えながら、莫邪はだまって男の動作を眺めている。

 男はヤッと小さなかけ声をかけて、ガス台の上によじのぼった。手にした変な器械を、ヒューズのところに近づけたり遠ざけたり、しきりになにかを調べている。三分ほどしてまた、ヤッというかけ声と共に、男の軀(からだ)は床に降り立った。揚げ板ががたんと弾(はじ)けた。

「ちいっとばかり、漏電の気味ですな」

 男は蒼(あお)黒い顔を、初めて莫邪にむけた。

「注意したがいいですよ」

「どこが漏電してるんだね」

 と莫邪は興味をおこして訊(たず)ねてみた。

「まあ漏電というほどじゃないが、天井裏の配線のどこかに、具合の悪いところがある」

「じゃ、その配線をとっかえればいいんだね」

「そうすりゃ、一番安全だ。はあ」

「君んとこの会社で、それをやって呉れるのかい?」

「いや、うちじゃやらんね」

「じゃどうすりやいいんだい」

「注意することですね」

 と男は憐れむような眼差しで、莫邪を見おろした。

「この家はもう古いからね、どうしても配線が傷んでるね。電熱器とか大きな電球は、使用しないことですね」

 男は三和土(たたき)に降りて、板裏草履をつっかけた。ガラス扉に手をかけた。

 その後姿に、莫邪は声をかけた。

「君はメートル調べじゃないんだね。漏電を調べる係りなんだね」

「そうですよ」

「漏電を調べるだけで、あとは何もしないのかね。つまり、漏電箇所の修繕とか修理だとか――」

「それはやらない。そりゃわたしの任務じゃない。ただ漏電の状況を調査するだけ」

「ふん」

 莫邪は割切れない気持でつけ足した。

「いい商売だね」

「あまり良くもないさ。ところであんたは画描きかね?」

「いや、なぜ?」

「絵具のにおいがしたから」

 莫邪は黙っていた。男は外に出て、も一度蒼黒い顔を彼にふりむけた。

「なにしろ古家だからね。建ってから三四十年は経つね。だから、あちこち破れたり湿ったりしている。出来りゃ電気をもう使わないことですね。はあ。そうすりや漏電したり、火事になったりすることは絶対にない」

 ガラス扉がしめられ、湿土を踏む草履(ぞうり)の音が遠ざかってゆく。莫邪は何となく手を伸ばして、ついでのようにガスの栓をひねってみた。シュウシュウと音が立った。においが鼻に来た。莫邪は栓をゆっくりしめた。昔は止んだ。

「さて」

 裸の床板を兎(うさぎ)飛びして、縁側に戻ってくると、二人はまだ縁に腰かけて、煙草のけむりをはいていた。茶碗も空だし、丼のラッキョウもすっかり空になっていた。老人は莫邪の顔を見ると、ゆるゆると腰を上げ、半纏(はんてん)の裾をはたはたと叩いた。

「さあ、仕事だ」

 若者も立った。ヘチマの胴を指でちょっとつつく。秋陽の中で、そのだらしなく細長い物体は、不承不承(ふしょうぶしょう)に揺れた。

 

 流しのすみにも、小さな飴(あめ)色のナメクジが、一匹へばりついていた。空の丼を洗ったついでに、そいつもついでに流し落し、手をズボンで拭き、莫邪は台所を出た。そして画室に入った。(畳屋というやつは、ラッキョウを五六十粒も、よく食えるもんだ)床に散乱した金属片をかきわけて、莫邪は床に坐りこんだ。あたりを見廻した。

「さあ、こちらも仕事だ」

 さまざまの形のブリキ片は、パチンコ台に使用する金具である。比較的大きいのはケースと言って、玉のたまるところを飾る金具。小さいのはハッタリという名で、穴をかざるブリキ片のことだ。それらの彩色を、知合いの辰長パチンコ台製作所から依頼されて、明後日までに仕上げて届ける約束になっている。彩色代は、ケースは一枚につき二十円、ハッタリは五円だ。それほど悪い手間ではない。ハッタリなどはその気になれば、一日に四百や五百は彩色出来る。それぞれの形に応じて、七福神の顔を描いたり、猿や牛や梟(ふくろう)を描いたり、花や機関車や昆虫を描く。面白い仕事ではないが、引換えに金を呉れるので、収入としては確実だ。以前勤めていた雑誌社よりは割がいい。

 一年前その雑誌社をクビになって以来、莫邪はひどく苦労した。身寄りには、丸の内に事務所をもっている異母兄があるが、そうそう援助を仰ぐわけにも行かない。ある日偶然、莫邪は電車の中で、中学校時代の旧友辰野長五郎に出会った。莫邪の失業を知ると同情して、俺のところの仕事をやってみないかと言った。

「君はたしか絵ごころがあったな、あの頃から」

「仕事って何だね?」

 と莫邪は反問した。辰野は名刺を出した。辰長パチンコ台製作所長という肩書がついている。辰野は大きな掌を莫邪の肩に置き、慈善者特有の過剰な光を眼に宿しながら、なだめるように言った。

「なに、絵ごころがあれば、素人(しろうと)だってやれるさ。古なじみだから、特に割を良くしておくよ」

 それから四ヵ月、莫邪はもっぱらこの仕事で生計を立てている。画室にとじこもって、終日この仕事をしていると、何だか自分が囚人にでもなったような気がしてくる。雑誌記者時分に、彼はF刑務所を見学に行ったことがある。その時たくさんの囚人たちは、黙々と坐って、玩具をつくったり箱の紙貼りをしたりしていた。一日中ブリキ片と向い合っていると、自分の表情が囚人たちのそれと、全くそっくりになってくるのが判る。その自覚は重苦しかった。

「さあ、仕事だ」

 莫邪はも一度、ぼんやりと四辺(あたり)を見渡した。しかし手は画筆の方には伸びない。急に腹が減ったような感じで、マカロニみたいなものが突然食べたくなってくる。咽喉(のど)がぐうと鳴った。

「あいつら、仕事してるかな?」

 畳を換えようと思い立ったのは、半年ばかり前、春頃のことだ。金のやりくりの都合で今まで伸び伸びになったが、今だってやりくりがついたわけではない。畳はますます傷(いた)んでくる。雨が降ると部屋のすみに茸(きのこ)が生えたりする。なるたけ畳の上は踏まずに、縁や廊下や敷居を歩くようにしているが、それでもいよいよ傷んでくる。やむなく思い立って、月払畳表替株式会社というのに頼んで、畳替えをして貰うことになった。替代は、今月から四ヵ月、月割で会社に払い込めばいい。今来ている二人は、その会社がよこした畳職だ。だから金銭支払いについては、この二人は直接莫邪とは関係がない。彼等は会社から、きまった日当を貰うのだろう。二人の働き方がのろのろしているのは、どうもそのへんに関係があるらしい。

 莫邪としては、何日かかろうとも、とにかく畳が新しくなればいいのだから、その働きぶりに干渉する気もないが、今朝からなんということもなく、何度も縁側に足を運び、二人の仕事ぶりを仔細らしく眺めた。どうも連中の動作は、他のことに気をとられているような具合で、はっきりしないところがある。ラッキョウを食べる時ははっきりしているが、いざ仕事に向うと、労働していると言うより、単に止むを得ず動いているようなおもむきだ。

「へんなもんだな」

 彼は無意識に画筆をとり、左手で鈍色(にびいろ)のブリキの一片をつまみ上げていた。その表面に、芋虫みたいな模様をさっさっと描きつけると、画筆をそばに置いて、しばらくそれを眺めていた。笑いに似た翳を頰にはしらせながら、そのまま立ち上った。ブリキ片はカチャリと床に落ちた。猫足で渡り廊下を過ぎ、台所に入った。

 塩は食器戸棚の壺の中にあった。一握り、大づかみにつかむと、莫邪は下駄をつっかけ、勝手口から外に出た。庭に廻ると、畳屋はさっきと同じ姿勢で、のろのろと手や体を動かしていた。場所は老人と若者が入れ代っている。ヘチマのすぐ下で、若者は肱(ひじ)でぐりぐりと畳を押しながら、低い声で流行歌をうたっていた。その背を廻り、庭のすみに莫邪はしゃがみこんだ。根太の根元に、ナメクジ群はかすかにうごめきかたまっている。うしろで眠そうな老人の声がした。

「ナメクジかい?」

「うん。塩をかけてやるんだ」

「よしなよ。もったいない」

しかし莫邪は、塩をばらばらとふりおとし、最後に掌全部を使って、ぐしゃりとそこに塩を押しつけた。塩は白い土饅頭(まんじゅう)の形となり、その表面に掌や指の形を不明確に残した。声を含んで笑いながら、莫邪は立ち上った。若者はまだ低声でトンコ節を口吟(くちずさ)んでいる。

 すこし経って、莫邪は二人のどちらにともなく声をかけた。

「どうだね。今日中には済みそうにないね」

「ああ、済まないね」

 老人は気のない返事をして、空を見上げた。空には雲が出始めていた。

「明日にかかるね。まあのんびりやるんだね」

「明日もいい天気だといいけどね」

 

 再び画室に戻って、二時間ほど、こんどは仕事が相当にはかどった。ケースを十枚に、ハッタリ五十枚ばかり。その代りにこれらは、注文通りの意味ある絵模様ではなく、色と形の単純な組合せばかりだ。さっきの芋虫模様で思いついて、こんな試みをやって見たのだが、大黒やお多福の図案より面白く出来上ったと思う。でも辰長パチンコの方で何と言うか判らない。

(シュールはいけませんや、シュールは)製作所主任の棚山がそう言いながら、両掌で莫邪の方に空気を押しもどす。そんな状況を、莫邪はちらと頭のすみで想像した。

 縁側の方から声がした。

 彩色を仕上げたブリキ片を、床にていねいに四列縦隊にならべて、目算する。柱時計が五時を打った。風が出ている。夏から窓にぶら下げ放しの小さな竹の虫籠が、ふらふらと揺れている。その中には、しなびた胡瓜(きゅうり)の残骸と、かなぶんぶんの死骸が二個人っている。かなぶんぶんは鳴かないし、ごそごそ這(は)い廻るだけだし、飼って見て面白味のある動物ではなかった。死骸になればなおのこと面白くない。生きていれば、ハッタリのモデルぐらいにはなるだろうけれども。

 声が呼んでいるらしい。

 縁側には、畳屋二人が腰をおろして、庭を眺めていた。道具や木台はすっかり片づいている。出てゆくと、座敷の方から新しい畳のにおいが、莫邪の嗅覚をうった。そのまま座敷に踏み入り、二三回ぐるぐると歩いて見る。新畳は陽を吸って、蹠(あしうら)になまあたたかかった。それは快よさというより、妙に不吉なものを、莫邪に感じさせた。かすかな身慄いを感じながら、彼は縁に出て来た。

「もう溶けたかな」

 塩饅頭のあたりを見ながら、莫邪はぼんやりと口を開いた。老人はその言葉を聞き違えたらしい。

「いや、今日はもう時間だよ。あとは明日だ。明日の昼までには済むよ」

「そりやご苦労さま。それで――」

 手間賃は会社から出るんだろうね、と言いかけて止しにした。言わなくても判っていることだし、無駄なことは言わないがいい。あやふやに言葉をついだ。

「お茶でも沸かすか」

「焼酎がのみたいな」

 若者がざらざらした声でそう言った。莫邪は若者を見た。若者は脣(くちびる)を曲げてへなへなと笑っている。別に成意のある表情でもない。老人はむっと黙っている。背をまっすぐに立てて、ヘチマの揺れを眺めている。莫邪は柱によりかかり、ゆっくりと口を利いた。

「焼酎はないよ。お茶ならあるが」

「買って来るよ」

「金は僕が出すのかね?」

 そんなしきたりなのかと思いながら、莫邪ほ反問した。

「俺もすこし、出すよ。爺さんも出すだろ。な、爺さん」

「え?」

 初めて気がついたように、老人はふりむいた。

「出せって、いくらだい?」

 柱に身をもたせたまま、莫邪はあいまいな微笑を浮べていた。彩色の仕事が予定以上にはかどったから、飲んでもいいという気持はあった。老人はどんぶりから、何枚かの皺(しわ)くちゃの紙幣をつかみ出した。節くれ立った指が、不器用にそろえて数え始める。やや意地悪い視線で、莫邪はそれを見ていた。

「いいよ」

 老人が数え終った時、莫邪は言った。

「僕がいっぱい買うよ」

「そうかい」

 彼はポケットに手を入れた。この二人をもりつぶしてやると面白いだろうな。そんな思い付きが、素早く頭を通りぬけた。

「一升も買えばいいな」

「おめえ、ひとっぱしりして、買ってこい」

 沓脱(くつぬ)ぎに立っている若者に、老人は声をかけた。莫邪は若者に金を渡した。台所に戻り、湯呑み三つに食パンを持ってきた時は、もう若者の姿は見えなかった。外はだんだん暗くなり、庭隅の塩のかたまりだけが、ほの白く残っている。

「へんな男だろう」

 老人は表の方を指差した。若者のことを言っているらしかった。

「そうかい。それほどでもないよ」

「すこし頭がいかれているんだ。全くのハンチク野郎さ」

「でも、腕は割に確かなようだね」

 莫邪はお世辞のつもりで、反対のことを言った。

「あれ、あんたの息子さんかね?」

「とんでもない。あかの他人さ。あいつ、この間デモ行列で、巡公に頭なぐられてよ、それからしょっちゅう変てこなんだ」

「へえ、畳屋でもデモに出るんだね」

「出ちゃいけないのかね?」

「そりゃいいさ。出てもいいが――」

「頭を殴(なぐ)られると、鉢が歪(ゆが)むんだってな。ついでに脳味噌だって歪まあな」

 老人は考え深そうに、眼をしばしばさせた。

「それまでは酒一滴のまねえ、実直な男だったが、毎晩大酒を呑むようになった。やっぱり頭は殴られちゃいけねえな」

 沈黙が来た。風の音が強くなってくる。少し経って、老人が口を開いた。

「旦那はこの家に、ひとり住いかね?」

「今のところ、そうだよ」

「もったいねえ話だな」

「この家も売ってしまいたいんだけどな、買い手はないかねえ」

「売るのかい?」

 老人は頸(くび)を廻して、家内をじろじろと見廻し、天井を見上げたりした。莫邪も同じことをした。

「相当傷(いた)んでるね。がたがただ」

「昼間見ると、なおひどいよ」

「いくら位で手離すつもりだね?」

「まだ金額はきめてない。すこし手を入れなきゃ、買い手はつかないだろう」

「まあ心当りがないこともないね。話してやってもいいよ」

 少しして老人は押えたような声を出した。その件に乗気になっていることは、その眼の色でも判った。老人は膝を曲げて、縁にすこしずり上った。

「この家、火災保険つけてあるかい?」

「ある。なぜ?」

「知合いがその仕事やってるんでね。そうか。入ってるのか」

 それから老人は、莫邪の職業を訊ねた。どういうつもりなのかは判らなかった。失業していると答えるのは、気が進まなかった。画を描いて暮していると彼は答えた。

「へえ。画を描いて暮せるのかい。いい身分だね。どんな画だね」

「いろいろさ」

「見せて呉んねえか」

 莫邪は暗い庭を見た。画室に散乱しているブリキ片のことを思った。分厚いものに埋没してゆくような不快さがあった。

「見られるのは厭だよ」

「やはりそうかねえ。じゃ俺と同じだ」

「そうかね。見られるのは厭かね。でも畳屋さんだったら、どうしても眺められるだろう」

「眺められるね。縁側から見られるのが、ちょっと辛いね。白洲(しらす)に坐ってるみたいな気になる。どういうものか――」

 表から跫音(あしおと)が近づいた。会話を切って、二人はそちらを見た。薄暗がりの長者門から、酒瓶を下げた若者が、ぬっと姿をあらわした。呼吸をすこしはずませている。

「酒屋で瓶はあとで返して呉れってさ」

 

 妻に病まれた老人と、頭がおかしい若者と、ひとり者の中年失業者は、それから一時間半ばかり、薄暗い縁側に車座をつくり、食パンをちぎって肴にして、一瓶の焼酎を飲み合った。会話はいっこうとりとめなく、ばらばらだったが、酔いは着々と進行した。老人は膝を打ち打ち、(花はなんの花、つんつんつばき、水は天からもらい水)という子守歌を、くり返しくり返し歌った。若者は湯呑みを、左手でいそがしげに口に運んだ。その揚句、畳屋は二人ともすっかり酔っぱらい、莫邪も不本意にも酩酊(めいてい)した。食パンは耳の端まで食べ尽し、瓶底には液体が潦(たまりみず)ほど残った。老人が先ず帰ると言い出した。縁側から地下足袋をはくのにも、二人は手付きがあやしく、なかなか暇どった。商売道具をめいめいの自転車の尻にゆわえつける。自転車の二つの前燈が、庭の部分を黄色くした。老人が声を出した。

「ヘチマ、貰ってくよ」

 老人はヘチマにすがりつき、ぶら下るようにした。ヘチマ棚はわさわさ揺れた。引きちぎったヘチマを、老人は警棒のように腰にむすびつけた。

「じゃ明日」

 明日また来るのなら、商売道具を置いておけばいいではないか。そう思っただけで、口には出さない。酔いが体の芯(しん)に沈みこんで、口をきくのも大儀だ。二つの自転車の燈の輪は、押し手の背を黒く浮き立たせながら、長者門をくぐり、四ッ目垣の向うに遠ざかってゆく。大声で話し合っているらしいのだが、内容は聞きとれない。(あれで自転車に乗れるかな。どこまで帰るのかな?)すっかり燈が見えなくなってから、莫邪は時間をかけて、あちこちの戸締りをした。泥棒に入られても盗られるものは何もないが、畳を新しくしたので、厳重に戸締りをする気になった。台所に入って丁寧に手を洗い、枕もとに置くための薬罐に水をみたす。この薬罐の口に畳屋が、じかに唇をつけていたことを、莫邪は思い出す。若者の腕は青白くほっそりとしていた。(あの連中、一休何を考えているんだろうな)莫邪は頰をゆるめ、笑っているような顔になり、薬罐をぶら下げて座敷に入った。時間はまだ八時頃だから、寝るには早いが、仕事する気にもなれなかった。ばたんばたんと寝床をしき、薬罐(やかん)を枕もとに置いた。ごうと地鳴りがして、軽い地震がきた。莫邪は口を半開きにしてあおむき、眼を光らせて、電燈の揺れを見詰めている。柱や敷居がみしみしと軋(きし)む。天井裏をかけ廻る鼠の跫(あし)音。配電線、と莫邪はちらと考えた。揺れはゆるやかに止んだ。電燈が動かなくなるのを確めて、莫邪はごろりと横になった。畳はあたたかいのに、布団はひやりと冷たかった。

「花はなんの花、つんつんつばき、か」

 老人の子守歌の抑揚が、皮膚の内側に、まだじんじんと沁み入っている。閉じた瞼の裏に、ヘチマの形や蒼黒い電気屋の顔や、ブリキ片の色などが入り乱れ、そして莫邪はいびきをかいて眠っていた。夢を見ていた。

 

 朝は曇って、寒かった。黒い大きな犬が、四ッ目垣をくぐって、ひっそりと庭に入ってきた。地面をくんくん嗅ぎながら、庭の隅にあるいてくる。立ち止ると、首を垂れて、薄赤い長い舌を出し、いきなり白いものをべろべろと舐(な)めた。縁側で歯ブラシを使いながら、莫邪はそれを見た。大声を出した。犬はびくっとふりかえり、莫邪の姿を見て、構っ飛びに垣根をくぐって逃げた。莫邪は庭に降り、そこに近づいた。盛り塩の型はくずれ、不規則に散らばっている。ナメクジの姿は、どこにも見当らなかった。莫邪は下駄の歯で、湿った土とともに、塩を縁の下に蹴ちらした。歯みがき粉が昨日で切れ、今朝は塩を使っている。口の奥が突然にがくなってきた。こみ上げてくるものを押えようとして、莫邪の咽喉(のど)は苦しく痙攣(けいれん)した。表に自転車のベルが鳴り、畳屋の若者が入って来た。

「今日は」

 莫邪は顔を歪めて、若者を見た。その瞬間、今朝がたの夢にこの若者が出てきたことを、莫邪は憶(おも)い出した。ねばねばした肉質の夢の感じはすぐに来たが、どんな筋の夢だったか、それはよみがえって来なかった。血の糸の混った白い唾を地面におとしながら、莫邪は訊ねた。

「お早う。爺さんは?」

「死んだ」

 道具箱を自転車からおろしながら、若者はかんたんに答えた。

「死んだ?」

「うん」

 箱をかかえて、沓脱(くつぬ)ぎの上に置く。若者の顔には、別にきわだった表情はなかった。どんよりと動かない。

「今朝、会社から、電話がきた。爺さんは死んだから、一人で行けって」

「本当かい。嘘だろう」

「本当だ。嘘はついたことない」

「何で死んだんだね」

「それは聞かなかった。告別式は、明日の二時からだって。電話が途中で切れたんだ」

 のろのろした動作で、若者は木台を組み立てている。老人の死に無関心なのか、あるいは感情の起伏を押えているのか、よく判らない。しかし嘘を言っているのではないようであった。なにか膜をへだてて分明しないような、じりじりした感じが莫邪に来た。しかしその感じを、莫邪はうまく表白できなかった。

「変だな」

 と彼は言った。昨夜ヘチマを警棒みたいにぶら下げて、自転車を押していた老人の姿を考えた。あの時たしかに、危いなと思ったが、帰りに事故でも起きたのか。

「どこで別れたんだね、昨晩」

 若者は町の名を言った。その町がどこにあるのか、莫邪は知らなかった。若者は草履を脱いで、茶の間に上った。かけ声をかけて古畳をおこす。よろよろと、畳を引きずるようにして、庭に降りてくる。歯ブラシをくわえたまま、それを木台に乗せるのを、莫邪は手伝った。

「帰りに自動車にでも、ぶつかったんじゃないかな」

「そうかも知れない」

「ずいぶん酔ってたようだね」

「生酔いだろう」

 若者の身体は、スルメのようなにおいがした。その体臭と口調が、莫邪をやや不快にさせた。

「爺さんの豪、知ってるかね?」

 若者は考え考えしながら、老人の名前と住所を答える。そして思い付いたように聞いた。

「昨晩の瓶、酒屋に戻したかい?」

「いいや、まだ」

「早く戻すがいいよ。親爺がそう言ってたよ。すぐ戻して呉れって」

 莫邪は返事しないで、若者に背を向けた。勝手口に廻り、口をゆすいだ。水がつめたく奥歯にしみた。台所のすみに、昨夜の一升瓶がころがっている。小量の液体が残っている。莫邪は台所に上り、栓をとってコップにあけた。それはコップを半分充たした。(瓶のことばかり心配してやがる!)莫邪はコップを口に持ってゆき、ぐっと一息にあおった。コップを流しの上に戻し、少しの間莫邪は神妙な顔で突立っていた。やがて腸のあちこちが熱くなり、すぐに消えた。「つまり」と彼は口の中で言った。「畳替えが昼までに済むかわりに、夕方までかかるということだな」しかし、老人の死を聞いた時のショックは、まだかすかに莫邪に残っていた。勝手口から、若者が首を出した。

「薬罐貸しとくれよ」

「そこにあるよ」

 薬罐を下げた若者に、莫邪は習慣的な口をきいた。

「今日中に済みそうかい?」

「済むだろう。済まなきゃ、残ってやるよ。明日は日曜だからよ」

 

 電熱器に手を伸ばそうとした時、昨日の漏電係の言い草を、莫邪は思い出した。眉をひそめ、そのままかまわずスイッチをひねる。ニクロム線は見る見る赤熱してくる。古薬罐を乗せ、莫邪は心もとなげに天井を見上げた。天井は蜘蛛(くも)の巣だらけで、部分的には房になって垂れ下っている。天井板の向うにある煤(すす)だらけの配電線を、莫邪はある抵抗と共に想像した。この古家への、そしてここに棲息する自分へのぼんやりした憎悪が、莫邪の胸にじわじわとひろがってきた。しかしこの瞬間でも、莫邪の顔はあおむいている関係上紅潮し、頰の贅肉(ぜいにく)もたぶたぶとゆるんでいるので、いかにも楽しげに見える。彼は呟(つぶや)いた。

「玉置庄平、か」

 さっき聞いた老人の名だ。玉置老人の住んでいる町の名は、莫邪は聞き覚えがある。たしか辰長ハチンコと隣り合った町の名だ。その町の老いたる一住人が、昨夜なんらかの事故か病気によって死亡した。自分に納得させるように、莫邪はわざと筋道をつけて、そんなことを考えてみた。北向きの画室は寒かった。やがて薬罐がしゅんしゅんと沸(わ)き立ってきた。食慾はなかった。沸き立った湯にコーヒーをいれ、彼は二杯飲んだ。電熱器を切った。画筆をとり上げる。画筆もブリキ片も、指につめたかった。

 昼までにハッタリを百二十箇ばかり彩色した。昨日みたいな色調ではなく、今日はちゃんと顔や鳥や獣など。描いている間は、それに没頭する。玉置庄平の死も、ほとんど頭に上ってこなかった。

 十二時、莫邪は空腹をかんじた。

 庭では、剝ぎ取った古畳表をござの代りにして、若者が弁当を食べていた。びっくりするほど大きな弁当箱に、白い御飯がぎっしり詰めてある。縁側から莫邪はそれを見下した。若者は旨(うま)そうに舌を鳴らした。御飯に埋もれた紅生姜(べにしょうが)の色が、莫邪の眼にしみた。

「お茶、飲むかね?」

「うん。欲しいね」

 今日もこの男は酒を飲みたいと言い出すかな、と莫邪は考えた。空はまだ曇って、どんよりと暗い。ヘチマ棚からは、実を千切られた蔓(つる)が一本、ふらふらと揺れている。(あのヘチマはどうなっただろう) 背中にうそ寒さを感じながら、莫邪はのそのそと部屋に入った。仕事は予想外に進行していて、古畳をあと三枚残すのみになっている。

(畳だけ取っ換えても、あんまり意味がなかったな)今の索莫(さくばく)とした情緒が、老人の死の報知とも関連がある。それは確かだけれども、どういう筋道の関連があるのか、よく判らなかった。台所の方に歩きながら、明日は旨い鮨でも食べようかな、と彼は考えた。考えてみただけで、すぐそれは頭から消えた。この日一日、莫邪はもう鮨のことを全然思い浮べなかった。

 

 翌朝眠が覚めた時、まっさきに意識にのぼってきたのは、鮨(すし)のことであった。莫邪は眼をぱちぱちさせながら、視線をあてどなく天井に這わせていた。鮨は夢の中にも出てきたらしい。坊主枕ほどもある巨大な鮪が、ずらずらと並んでいる。そういう場面をたしかに見たような気がする。そこから引きつがれた後味として、それは寝覚めの莫邪の頭に浮んできたらしかった。あたたかい寝床に手足を伸ばし、莫邪は五分間ばかり、その夢の前後の筋道を、ぼんやりと反芻(はんすう)している。雨戸がしまっているので、部屋の中はうすぐらい。畳のにおいがする。とりとめのない平安と幸福感がその匂いの中にある。熟眠した果ての目覚めの少時(しばらく)が、一日中で莫邪にはもっとも甘美な時間に感じられる。やがて彼は、大きなかけ声をかけて、むっくりと起きあがる。立ち上って着物を着る。今朝は昨日ほど寒くない。帯をぐるぐる捲きつけながら、もう鮨のことはすっかり忘れてしまっている。彼は呟く。

 「もう戻ってきてもいい時分だがなあ」

 この家付きの老女中のお君さんというのが、肉親の不幸で郷里に戻って、もう二週間も経つ。その間莫邪は、自ら雨戸をあけ立てし、自ら食事をつくり、自ら寝床の始末をし、毎日そうすることに、そろそろうんざりし始めてきた。たかが自分一人が生きて行くために、こんなに煩瑣な行事と手続きがあるとは、今まで想像だにしなかった。お君さんはしっかりした働き手では決してない。天井が蜘蛛(くも)の巣だらけでも放っておくような女で、むしろ怠け者に属するが、それでも彼女の一日中の仕事の量は相当なものだと、莫邪は体験を通じて始めて認知した。三度の料理だけでも並大抵ではない。お君さんがいなくなって三日目のこと、莫邪はカレーライスを作製する野心をおこし、大失敗をした。カレー粉の分量を誤ったらしく、辛くて辛くて口に入らない。捨てるのは勿体(もったい)なく、砂糖をまぜたり味噌を入れたり、水や粉を増量したり、いろいろ試みてみたが、ますます奇怪な味になってゆくばかりで、とうとう大鍋一杯のそれを全然無駄にした。それ以来莫邪は複雑な料理を断念して、かんたんなもので我慢している。食物の夢をよく見るのも、おそらくそんな関係からだろう。

(近頃塩分が不足しているんじゃないか?)

台所で歯ブラシを使いながら、莫邪はちらと考えた。歯ぐきから血が出るらしく、毎朝唾に赤いものがまじる。全身がぶわぶわとむくんだような感じで、ちょっと動くのも大儀な気分になる。莫邪は眉をひそめた。あのナメクジを溶かしこんだ塩のかたまりと黒い犬のことが、ふっと頭に浮んできたからだ。

 ブリキ片の仕事はまだ少し残っていた。

 そそくさと鬚(ひげ)をそり、顔を洗い終えると、彼は薬罐をぶら下げて画室に入って行った。どのみち今日は外出するから、朝食は省略しても差支えない。

 午前九時、残余のブリキ片を、全部彩色し終えた。莫邪は押入れから、小さな古トランクを出す。乾いたのはそのまま、絵具で濡れているのは一枚一枚紙片をあて、そっくりトランクの中に重ねて入れる。電熱器をつけて、薬罐を乗せる。仕事が一仕切済んだこと、久しぶりに外出できることが、莫邪の気持をやや浮き立たせていた。立ち上って、洋服を引っぱり出す。近頃肥って服が窮屈になってきたので、肥った分だけ下着を減らさねばならない。冬に向うというのに辛い話だが、それも仕方がない。ネクタイを結びながら、莫邪は鼻歌をうたっている。カラーが咽喉(のど)仏をしめつけて、すこし息苦しい。意味もない鼻歌の節が、ふっと一昨夜の子守歌の抑揚に似てくる。あやふやな表情で、莫邪は歌を止めた。

「告別式は午後二時と言ってたな」

 柱鏡の中の自分の顔と、莫邪は中腰のまましばらく向き合っている。鏡面をしめるその顔は血色よく、屈託なげに紅潮し、笑う気持は毛頭ないのに、膚や頰の筋肉はゆるんで、おのずから不断の微笑をたたえている。くたびれた服やネクタイを見なければ、つまり顔かたちだけならば、けっこう特別二等重役ぐらいには見えるだろう。莫邪は八割がた満足して、柱鏡から身体をはなす。

 薬罐が煮え立っていた。

 莫邪は用心しいしい床に坐り込む。膝から腿(もも)のあたりまで、ズボンがはち切れそうになっている。慣れた手付きでコーヒーをいれる。溝く熱いのを時間をかけて飲み干す。トランクの蓋をしめ、ゆっくりと立ち上る。背伸びをしたついでにハンチングをつかみ、頭に載せる。トランクをぶら下げて、あとも見ず部屋を出る。

 落陽(うすび)さす朝の小路を、莫邪は駅の方に歩いていた。辰長パチンコに品物を届ける時はいつも、彼はこのいでたちである。このいでたちは、その度ごとに、莫邪の気に入っていた。鼠色の背広に、やや斜めにかぶったハンチング。手に提げた小さなトランク。どこから眺めても旅行者と見えるだろう。旅人。家郷を失い、あてどなくさまよいの旅に出る。その贋(にせ)の情緒が、常に莫邪の胸をこころよく刺戟し、莫邪の歩調をさわやかにする。莫邪の歩調にしたがって、ぶら下げたトランクの中では、数百のブリキ片が互いに触れ合いこすれ合い、ガチャガチャガチャと鈍く乾いた音を止てる。このやくざなブリキ片と引換えに、どれほどの金が貰えるか、やがて莫邪は神妙な瀕になり、口の奥でぶつぶつと呟きながら暗算を始めている。薄ら日は照っているが、空には雲が多い。冬に入る前兆のように、雲はそれぞれ翳(かげ)を持っている。

 

 すぐ背後で聞き覚えのある声がする。がらがらしてよく徹る声だ。(藤田の声に似ているな)一年前雑誌社で同僚だった男。ぎっしり詰った満員電車の中で、その会話を背にしながら、莫邪はいっそう体をすくめるようにする。その声は別の声と、胃の話をしている。(やはり藤田の声だ)振り返ろうと思えば出来ないことはないが、そうしたくない。なるべく自分と気付かれたくない。失業の引け目が莫邪をそうさせる。午前十時、電車は揺れながら奔(はし)っている。カーブにかかる毎に、トランクをはさんだ両脛(すね)がしなって痛い。

(満員電車に乗るのも久しぶりだな)

 そろそろ右手を頭に上げ、ハンチングの廂(ひさし)をそっと引きおろしながら、莫邪はそう思って見る。背中がうすうすと汗ばんでくる。背後の話題は、胃のことから寄生虫のことに移っている。Uという作家のこと。それが虫下しを呑んだら、回虫が二十四匹もぞろぞろと出てきたという話。おかげですっかり健康をとり戻したが、どういう訳か、とたんに小説が書けなくなったという話。相手側の低い笑声。

「つまりさ、今までのあいつの小説は、回虫が書いていたということさ。当人はただの仲介人さ。だから奴さん、近頃は後悔して、生野菜ばかり食ってるという噂だよ」

「そいつだけでなく、小説書くてえのは、大がい虫けらの部類じゃないのかい」

 声に笑いが混る。こんな会話の向うにある世界から、俺はもう一年も隔離している、と莫邪は思う。脛の間でトランクの中味がガチャリと揺れる。ある苦痛が莫邪の胸をはしり抜ける。それをごまかすために、すぐ前の男が窮屈そうにひろげた新聞の一部分に、莫邪は視線を固定する。丹念に一字一字をたどって読む。うなぎのどろ吐かせ。彼は意識を強引にそこに集中させた。どじょうやうなぎのドロを早く吐かせるには、料理をする前に唐辛子(とうがらし)を細かく刻んで少し振り込んだ水にしばらく放しておくと、きれいにドロを吐きます。これは唐辛子の辛味成分であるカプサイシンが、うなぎの胃を刺戟するためです。電車が速度をおとした。

「カプサイシン、か」

 電車はホームに、辷りこんだ。扉がはずみをつけて開く。莫邪は背をぐっと曲げ、大急ぎでトランクの把手をつかむと、その丸まった姿勢のまま扉へ突進し、ホームにころがり出る。カラーにしめつけられた首筋が汗ばみ、ワイシャツの釦がひとつ弾け飛んでいる。ずっしりと重いトランクを下に置き、莫邪は顔を前方に突出し、指をカラーと頸の間にはさんで風を入れた。鼻の両翼に汗が粒になってふき出ている。

「カプサイシン。こんな役に立たない言葉は、早く忘れなくちゃ」

 大切なことはすぐ忘れてしまう癖に、生活に関係のない不用のことは、いつまでもしつこく覚えている。記憶から排除しようとすればするほど、そいつらは爪を立ててしがみつく。近頃の莫邪の記憶の大部分は、そんなやくざなかけらばかりで満たされていて、本筋のものは忘却の後方に薄れかかっている。

「カプサイシン」

 電車が発車して、がらんとなった線路に、莫邪は忌々(いまいま)しく唾をはいた。唾は線路の鉄に当り、一部分は斜めにぐにゃりと枕木に、辷り落ちた。莫邪はハンチングの形を直し、トランクを持ち上げて、のろのろと改札の方に歩き出す。

 

 午前十時半。パチンコ部品係主任の棚山幸吉は、製作所の二階の小さな窓から、しごく無感動な顔付きで、通りを見おろしていた。製作所と言っても、小さな町工場程度のがたぴしした建物で、塗りもペンキも剝げかかっているし、入口なども貧弱な構えだ。眼下の通りをななめに横切って、今その入口の方に、トランクを重そうにぶら提げた人見莫邪が、ゆっくりと近づいてくる。棚山はその姿を眺めながら、チッと歯を鳴らした。

「よく肥ってやがるな、あの先生は」

 棚山はせんから莫邪という男を好きではない。それは棚山自身が瘦せているせいもあるが、莫邪のあの頰ぺたのあたりの、能の無さそうな笑いが、何となく気に食わないのである。彩色技術も優れているとは全然思えない。それなのに、所長辰野長五郎の旧友だというわけで、塗り代も特別高く取る。所長の言い付けだから仕方がないけれども、普通の彩色下請(したうけ)はケースが十円、ハッタリが三円が相場なのに、あの男たけにはその二倍も払っている。ムダな浪費のような気がして、全く面白くない。階段をのぼってくる重々しい跫音(あしおと)を聞きながら、棚山はかるく舌打ちをして、煙草に火を点けた。

「所長の気紛れにも、ほんとにうんざりするな」

 そんな余分の金があるなら、この俺の月給を上げて呉れればいいのに。彼がそこまで考えた時、うすっぺらな木扉がぎいと鳴って、汗ばんだ莫邪の丸い顔がぬっとあらわれた。

「今日は」

「今日は」

 棚山も反射的に愛想笑いをうかべて、あいさつを返した。莫邪は扉をしめて、口を半開きにして部屋中を見廻した。

「辰野君は、今日は留守ですか?」

「所長は昨日、名古屋に発(た)ちましてねえ」

 と棚山は歯の奥をチイッと吸った。

「近頃うちの売行きもあんまり香ばしくないんで、新知識を仕入れに、製造本場の見学ですわ。ははは」

「そうですか。それはそれは」

 莫邪はハンカチを振出して、がっかりしたように額をごしごしと拭いた。やや不安な眼付きになっている。

「売行きが良くないんですか」

「もうそろそろこの商売も下火でしょうな」

 棚山は意地悪さをかくして、にこにこと笑って見せた。

「もう業界も飽和状態ですしねえ」

 莫邪は困惑したような表情で、視線をあやふやに宙に浮かしている。棚山は煙の輪をはき出しながら、その莫邪の顔をじっと見詰めていた。莫邪はふと我に帰ったように、足もとのトランクを卓の上に載せ、おもむろに蓋を開いた。ぎっしり重ねて詰めこまれたブリキ片を、棚山はじろじろとのぞきこんだ。形式的に口を開いた。

「御苦労さまですな。毎度毎度」

「いやいや、こちらこそ」

 女みたいにふくらんだ莫邪の掌が、一重ねずつブリキ片を摑(つか)んで、次々卓上に並べ始める。ブリキ片は触れ合って音を立てる。棚山の手がつと伸びて、その卓の上の一片をつまみ上げた。

「こ、こりゃ何ですか?」

 莫邪は手を休めて、棚山の方に顔を上げた。それは一昨日描いた、あの無意味な色と形である。その一片が指にぶら下げられているのを見た時、予期しないかすかな羞恥と狼狽がのぼって来て、莫邪はそれをごまかすように、曖昧(あいまい)な笑いを頰に走らせた。棚山はその一片を、掌の上で二三度ころがした。

「手をお抜きになっちゃ、困りますな」

「いや、そりゃ、手、手を抜いたわけじゃなくて――」

 とどもりながら莫邪はあわてて弁解した。

「いつもいつも月並な模様じゃ、お客も飽きると思ってね。それでこう、ちょっとシュールの――」

「シュールは困りますな。シュールは」

 棚山はつめたい声でさえぎって、不機嫌な動作でそのブリキ片をことりとトランクに投げ戻した。

「大衆は月並で結構ですよ。ええ、シュールはお断り。これは描き直していただかなくちゃあ。この手のやつは、一体何枚あるんです?」

「ええ、何枚だったかな」

 莫邪は急に興覚めた顔になり、一昨日の分をより分け始める。棚山の手ももどかしげにその作業に参加して、二十本の指がしばらくそこらで忙がしく動いた。

「じゃ、この分は別として――」

 すっかり整理し終えた時、棚山は卓上に整列したブリキ片の数を読みながら、低い声で言った。

「今日お支払する分は、ええと、合計と願いましては、ええ、四千六百円也か。そうですな」

 棚山の瘦せた身体が隣りの部屋に消えて、紙幣(さつ)束を持ってまた現われる迄に、莫邪は不合格品をトランクに収め、もう元の表情を取り戻していた。棚山は紙幣束を莫邪につきつけた。莫邪は受取った。

「ええと、次の仕事は――」

「所長がお戻りになってからのことですな」

 棚山はわざと退屈そうな声を出した。

「私どもではよく判りませんで」

「そうですか。それじゃまた」

 紙幣束を内ポケットにしまい、頭をかるく下げて、莫邪は扉の外に出た。棚山は急いで窓のところに行き、ふたたび通りを見おろした。トランクを下げた莫邪の姿が、やがて真下の入口から出てくる。左右を見ながら、小走りに車道を横切る。向う側の歩道を四五間歩いて、ふと立ち止る。小さな鮨(すし)屋の前だ。

「奴さん。金が入ったんで、鮨でも食べる気だな」

 あざけりを含んだ笑いが、棚山の瘦せた頰にのぼってきた。莫邪の鼠色の服が、今彼方で紺ののれんをくぐろうとしている。

 

 マグロを六つ、あなごと烏賊(いか)を各四つずつ食べ、莫邪はちょっと頭をかしげ、服の上から胃のあたりを押えてみて、今度は鉄火巻を注文した。鮨屋がそれをつくっている間、莫邪はあがりを飲みながら、台の向う、大薬罐をのせた電熱器を、ぼんやりと眺めていた。薬罐はさかんに湯気をふいていた。

(告別式に行ってみるかな)

 どうせ今日は暇だし、家に戻っても仕方がない。それにあの老人の死は、こちらにも充分かかわりがある。

 鮨屋は鉄火巻をつくりかけて、うしろに手を伸ばし、電熱器のスイッチをパチンと切った。莫邪の眼はそれを見た。

(はてな?)

 彼の顔は急に緊張し、遠くを眺める空虚な眼付きになった。

(今朝、おれは、うちの電熱器を消してきたかな?)

 莫邪は大急ぎで記憶の中を探り廻した。右手がもぞもぞ動いて、スイッチをひねる手付きになる。切ったような気もするが、切らないような気もする。どうもはっきりしない。不安げな呟きが口から洩れ出た。

「さて、これは――」

「へい。おまちどお」

 六つに切った鉄火巻が、黒漆の台にずらずらと並ぶ。莫邪の手がそこへ行く。口ヘ運ぶ。海苔の香。ワサビ。莫邪の右手は、惰力で台と口を往復する。古家のこと、その屋根裏の配電線、火災保険のことなどを、莫邪はあれこれと考えている。最後の一つを口にほうりこみ、ろくに嚙みもせず、ぐつとのみこむ。(三十五にもなって、職もなければ、女房もない)莫邪は元の弛緩(しかん)した顔容にもどって、生ぬるいあがりを飲み乾しながら、うんざりしたような声を出した。もう家なんかどうでもいいような気分になっている。

「ああ、腹いっぱいになった。いかほど?」

「へい」

 千円札からおつりを貰いながら、莫邪はふたたび訊ねてみた。

「富田町三丁目というと、ここからどう行けばいいんだね?」

 昨日若者から聞いた玉置老人の住所である。この町と隣接しているから、ここからぶらぶら歩いて行ける筈であった。

 

 玉置庄平は黒い喪服を着け、玄関にしつらえた壇の歪みを直したり、弔花の位置を動かしたりしていた。この老人の頑丈な体軀(たいく)には、紋服はあまり似合わない。袖口から太い武骨な手首がにゅっと出ている。告別式の時刻までには、まだすこし間がある。庄平は壇の正面に廻って、不備やそそうの点がないか、ずっとそこらを見廻した。

 壇の一番奥には、黒く縁取られた引伸し写真がかかげてある。一昨日Q精神病院で死亡した庄平の妻の写真である。発病前に撮った写真なので、ひどく若々しく見える。庄平は眼をしばしばさせながら、それを眺めた。亡妻の死因は盲腸炎である。腹膜炎を併発して、一昨日の午前に息を引きとった。しかし庄平は今それほど悲しみを感じていない。生きていても、重症の精神分裂病だから、彼女は生涯庄平の生活に再び戻って来ることはなかったのだ。庄平にとっては、三年前の妻の発病の時の方が、よっぽど悲しかった。

「これでよし、と」

 庄平は踵(きびす)を返し、紋服の裾をわさわさ鳴らしながら、門のところまで出て来た。

 小路を向うからゆっくりした歩調で歩いてくる人影が、その庄平の姿を見て、ぎょっとした風に立ち止った。庄平はその男を見た。門から五六間隔てた、電柱のすぐ横である。電柱には「玉置家」と書いて矢印をつけた紙が貼ってある。

 男は鼠色の服をつけ、片手にトランクをぶら下げている。食パンのように肥っている。庄平は、眼を細めて男の顔を見た。そして庄平はそのきょとんとした顔の男が、一昨日仕事をやりに行った家の主であることを、やっと思い出した。

「やあ」と庄平は言った。

 莫邪はようやく驚きから覚めたように、トランクを左手に持ち換えて、そろそろと庄平の方に近づいてきた。近づきながら口の中で何かもごもご言ったようだが、庄平には聞き取れなかった。庄平はかさねて言葉をかけた。

「そんな恰好して、どこへ行くんだい?」

「うん」と莫邪はもつれたような混乱した口を利(き)いた。

「ちょっと、そ、そこまで」

「そうかい。俺んちは今日は、ちょっと取り込みでさ」

 庄平は顎(あご)を玄関の方にしゃくって見せた。壇の横や向うに、手伝いの人の影が、ちらちらと動いている。香のにおいが流れてきた。

「女房が死んだんでね」

「おお。それはそれは――」

 莫邪はとってつけたように頭をぴょこんと下げた。

「御愁傷さまでした。して、何の病気で?」

庄平はかんたんに亡妻の病状を説明した。他の人々に何度も説明したあとだから、口下手な庄平にしては、なかなか要領を得た話しぶりであった。莫邪はうなずきながら耳をかたむけている。

「それで昨日は来なかったんだね」

「ああ、そうだ。あの若僧っ子、何か言ってなかったかい?」

「いや、何とも」

 莫邪はうそをついた。本当のことを言うのも具合が悪かった。

「あの青年、妙な青年だね」

「うん、全くハンチクな野郎さ」

「ヘチマ、どうしたね?」と莫邪は思いついて訊ねてみた。

「そこに漬けてあるよ」

 門のすぐ傍の防火用水槽に、ヘチマは頭をすこし出して漬けられていた。水は青黒くどろりと濁っているので、底の方は見えなかった。

「何月か経つと腐って筋ばかりになるね。そうすりゃもう立派なアカスリだ」

「こいつは細長いから、背中こするのに都合がいいね」

 黒くよどんだ水面に、空がうつっていた。庄平は空を見上げた。

「今日は日曜だろ。Q病院の運動会さ。女房が生きてりゃ、見舞いがてら、そいつを見に行こうと思ってたんだがな」

「ほう。運動会って、気違いのかい?」

「そうだよ」

「そりゃ僕も見たいもんだな。面白そうだな」

 莫邪は興味をそそられて口走った。

「今から行けばまだやってるよ」

「そうかい。ひとつ行って見ようかな」

「行って見るといい。若え時にゃ何でも見とくもんだ」

「どこにあるんだね、その病院」

 庄平は説明を始めた。手伝いの若い男が、木机をかかえて、奥から出てくる。受付台にするのらしい。ハンチングをかぶり古トランクを下げた自分の姿が、どうも場違いのような感じがして、莫邪は落着かず身体をもじもじ動かした。

「じゃあ――」

 莫邪はハンチングに手をかけて、頭をちょいとかたむけた。

「そうかい」庄平もうなずき返した。

「こういう取り込みで、まだ家のこたぁ話してないんだ。そのうち連絡にゆくよ」

「家のこと?」

「そら、家を売る話さ」

 莫邪はあいまいに合点合点して、そろそろとそこを離れた。五六間歩くと、ふいに急ぎ足になりながら、ポケットからハンカチを出して、顔の汗をごしごし拭いた。手に提げたトランクの中では、不合格のブリキ片が踊る。(てんで出鱈目(でたらめ)だな)莫邪は歩調に合わせてわざとトランクを乱暴に振ってみる。ブリキ片たちはトランクいっぱいに、チリチリチャランと軽燥(けいそう)な音を立てて鳴った。

「もう、こうなれば――」

 何がこうなればなのか、莫邪は自分でも割切れないまま、頰の肉を力ませて呟いた。

「気違い共の運動会を見に行くより他はない」

 さっき鱈腹(たらふく)つめこんだ鮨が、胃をむっと膨脹させている。息苦しい。何であんな沢山食べたのだろう。そのせいか、思考に筋道がつかず、一向にとりとめがない。さっき見た霊前の菊の花はきれいだったな。あんなのを厚物咲というのかな。路地を出て横に曲りながら、莫邪はそんなことを考えている。

 

 病院の構内のやや広い空地に、気の確かな人々と不確かな人々が混然と群れ集い、旗ははためき、風船玉は揺れ、拡声器からはレコードの響きが、ひっきりなしに流れ出ていた。空地は高いポプラの樹々にかこまれ、空は厚い雲の層におおわれている。

 午後三時。呼物の仮装行列が終って、仮装の人々はアーチをくぐり、どよもす歓笑の中をしずしずと病棟の方に引き上げて行った。たくさんの子供たちが、放された風船を追って、乱れ走る。レコードが突然止んだ。男の声が拡声器に乗って、たかだかと響き渡る。

「ええ、次は、本日のプログラムの最後、プログラムの最後、綱引きでございます。東病棟対西病棟の、東西対抗綱引き。患者さんたちは全部出場して下さい。患者さんは全部」

 看護婦の白服がばらばらと、見物席の方に走ってゆく。空地の一隅から、屈強な男たちが七八人で、長い綱を引っぱり出してくる。看護婦たちが見物席の患者たちをうながして廻っている。見物席は不規則にぎわめき、乱れ立ち、列がくずれてくる。ばらばらと空地に出て来る。うながされても、しゃがんだまま動かないのもいる。男もいるし、女もいるし、年も服装も雑多な群衆は、かり立てられた家畜のようにのろのろと動く。空地の中央に長々と綱が横たえられる。呼び声や笑い声や叫び声。拡声器のアナウンス。やがてごちゃごちゃした雑沓は、すっかり一本の綱の両側に収まっている。黄色い砂塵が中空までうっすらと立騰(のぼ)っている。

 号笛一声。雑然たる懸け声と共に、砂塵をおこして綱引きが始まる。またたく間に終る。東病棟の圧倒的勝利。拡声器が鳴り渡る。

「本日は有難うございました。本日の運動会はこれで無事終了致しました。役員の方は至急本部まで集合して下さい。――」

 午後三時二十分。病棟にはさまれた石畳の道を、外部からやって来た見物人は、三々五々、正門の方に戻ってゆく。重症病棟の鉄格子の窓から、今日の運動会に参加出来なかった患者が、戻ってゆく人波を眺めている。黄色く色づいた銀杏(いしょう)の葉が、病棟の屋根にも石畳にもおびただしく散り、湿った風に吹かれている。Q精神病院の大きな石造の正門を、今トランクを提げた人見莫邪がのそのそと入ってくる。ぞろぞろと正門向けて動いてくる人々を見て、妙な顔をして立ち止る。黄色い銀杏の葉が一枚ひらひらと莫邪の肩にとまる。

「運動会はどこだね?」

 折柄傍に走ってきた子供らを呼びとめて、莫邪は訊ねる。子供らは立ち止って、小莫迦(こばか)にしたような顔を一斉に莫邪にむける。

「もうとっくに済んじゃったよ。なあ」

「今頃来たって遅いよ。デブ小父さん」

 そして子供たちは、口々に呼び交わしながら、てんでんばらばらに走って行く。莫邪は気の抜けたような鈍重な顔で、ぼんやりと佇(た)っている。それからのろのろと廻れ右をする。動いてゆく人波にまぎれこんで、今来た道を戻ってゆく。その肥った右肩には、さっきの銀杏の葉がまだとまっていて、莫邪の歩調と共にかすかに揺れている。

 

 

2018/08/02

ブログ1120000アクセス突破記念 梅崎春生 犯人

 

[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年三月号『改造』初出。後の作品集「馬のあくび」(昭和三二(一九五七)年一月現代社刊)に所収された。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第六巻」(昭和六〇(一九八五)年刊)を用いた。

 幾つかについて、最初に注しておく。短くて済むものは本文中に入れ込んだ。

 冒頭の短いシークエンスのロケーション、主人公が転がり込む友人のいる百姓屋のある「稲田堤」(いなだづつみ)は、神奈川県川崎市多摩区のJR東日本南武線稲田堤駅及び京王電鉄相模原線京王稲田堤駅周辺を指す地域名。町名としては南武線稲田堤駅が所在する菅稲田堤(すげいなだづつみ)が残る。この附近(グーグル・マップ・データ)。梅崎春生の随筆「日記のこと」にも登場するように、彼の実体験に基づくものである。梅崎春生自身、敗戦の一ヶ月後の昭和二十年九月に上京した際、川崎の稲田登戸の友人の下宿に同居している(現在の神奈川県川崎市多摩区登戸。現在の小田急電鉄小田原線の「向ヶ丘遊園駅」は昭和三〇(一九五五)年四月に改称されるまでは「稲田登戸駅」であった。ここ(グーグル・マップ・データ)。南武線登戸駅は南武線稲田堤とは二駅しか離れていない)。そうして、かの名作「桜島」(リンク先は私の電子化注PDF版。分割の連載形式のブログ版はこちら)は、まさにこの稲田登戸で書かれたのである(春生の「八年振りに訪ねる――桜島――」を参照のされたい)。

 「八八」は花札遊びの一種で、「江戸花」「東京花」の異称があり,特に関東で普及している。八八の名は花札の総点数が二百六十四点で,一人平均八十八点になることに由来する。三~四人で行い、場札六枚、手札各自七枚、残りは場の山にして始める。四人の場合は手札の状態により、一人、棄権できる。まず、親から場にある札と手札を合せて取り、次いで山札の一枚をめくって場に出す。場札とめくり札が同種の場合は取ることが出来る。このようにしてゲームを進め、取った札の組合わせによる出来役と持ち札の組合せによる手役の合計点で勝ちを決める。役は地方によって異なる。普通は勝負前に役の取決めを選択して行う(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

 「オイチョカブ」は主として京阪地方で行われた株札(かぶふだ:一から十までの札四組に,特別な札二枚(白札と鬼札)を入れた計四十二枚で遊ぶ賭博的遊戯。めくりかるたの一種。俗に「追丁(追帳)かるた」とも呼ばれる。遊び方は手札とめくり札を合せて、末尾の数字が九あるいは最もそれに近い者を勝ちとする)を用いた賭博の一種。花札を使うこともあり、その場合は十一月(雨)、十二月(桐)の八枚の札を除き、四十枚で行う。めくり札と手札の数を合せ、末尾の数が九もしくは九に最も近い数をもって勝ちとする。ほかに種々の役上がりがある。「おいちょ」はめくり札の八の数又は合計数字の末尾が八になる数をいい,「かぶ」とは九の数をいう(ここまでは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。三省堂「大辞林」によれば、これらは外来語とする説もあるが、未詳、とある(私は賭博遊戯を全く知らないので、前注とこれは私自身のために附した)

 「カツギ屋」話柄内時制の第二次大戦後の昭和二十年代、米などの統制物資を買い入れては、担(かつ)いで売り歩いた者を指す。

 「厚司(あつし)」は「厚子」とも書く。アイヌ語のアツシ(attush),つまり、オヒョウ(双子葉植物綱イラクサ目ニレ科ニレ属の落葉高木であるオヒョウ Ulmus laciniata。詳しくはウィキの「オヒョウ(植物)を参照されたい。アイヌ語由来の解説が詳しい)の樹皮からとった繊維で織った織物。アイヌの着物がこれでできているところから、厚司をアイヌの着物と解することが多い。着物としての厚司は袖は平袖(ひらそで)、丈はすねぐらいで、女物は男物よりやや長めで衽(おくみ:着物の左右の前身頃(まえみごろ)に縫い附けた、襟から裾までの細長い半幅(はんはば)の布。着用の便宜のために存在する)がない。厚司の特色は袖口・襟・背・裾回しなどに、木綿や絹で、アイヌ特有の模様を切付けにすることである。また、関西地方で考案された非常にじょうぶな厚手の木綿織物でつくられた、紺無地か、大名縞の労働着も厚司と呼ばれ、一般に用いられているから、ここは最後のそれであろう(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

 「ドルマンスタイル」dolman style。袖ぐりが深くゆったりしていて、手首に向かって細くなっていく袖。トルコ発祥の服装のスタイルを指す。「ドルマン」とはトルコ語で「衣服」を意味する語に由来するとされ、袖の付け根がゆったりした女性用の服を指すことが多く、袖の作りを特に指す場合は「ドルマンスリーブ」(dolman sleeve)と呼ぶ。

 「籠抜け」広義には「万引き・窃盗」の意であるが、ここは「闇」市の「ブローカー」による「籠脱け詐欺」で、関係のない建物を利用し、そこの関係者のように見せかけて相手を信用させ、金品を受け取ると、相手を待たせておき、自分は建物の裏口などから逃げる手口の詐欺のことを指していよう。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1120000アクセスを突破した記念として公開した。【2018年8月2日 藪野直史】]

 

   犯  人

 

 とにかくそれは一風変った男だった。僕はその男と、終戦後の数ヵ月間、同じ屋根の下に生活を共にしたのだ。その男の名は、これも本名だか偽名だかいまだに知らないが、風見長六と言う。その頃彼は、三十歳前後の、あばた面の大男だった。ふだんはむっつりしているが、しやべったり笑ったりすると、妙に人なつこい魅力があった。

 僕が風見と初めて知合ったのは、南武線沿線の稲田堤のある百姓家の庭先でだ。

 復員後、直ちに僕は東京に戻ってきたのだが、応召の時荷物をあずけた友人宅付近は、一面ぼうぼうの焼野原で、どこに行ったか判らない。苦心して探しあてたのがこの百姓家で、友人はその二階に間借りしていた。妻子は故郷に疎開させたままだという。とにかく私はその部屋にころがりこんだ。下の百姓に相談もせず、強引にだ。そうでもしなければ、行くあてはないし、野宿でもする他はなかったからだ。まああの頃は、一種の乱世だから、そんなこともそう不自然ではなかったわけだ。

 しかし、そういう僕に対して、百姓家の主人がいい顔をする筈がない。それでも割に気が弱い男だと見え、直接僕には強く当らない。」友人に向ってうらみごとを言ったり、愚痴をこぼしたりするのだ。へんな男を同居させたりして、最初の約束と違うじゃないか。そんなことをくどくど述べたてるらしい。もちろん僕がいないところでだ。全く主人にとっては、この僕は変な男に見えただろう。復員したてで職もなし、毎日面白くない顔でぶらぶらしていたのだから。そこで友人も板ばさみとなり、だんだん僕にいい顔を見せなくなってくる。友人は川崎の方の某会社に、ちゃんとした職を持っていた。僕のような風来坊を同居させることが、真面目な彼にとって、物心ともにそろそろ重荷になってきたらしい。鈍感でないから僕にもそれは判る。だんだん居心地がよくなくなって来た。

 そんなある日の午後のことだ。僕は所在なく階下の縁側で日向ぼこをしていた。二階は暗い部屋だが、ここはよく日が当る。友人は会社に出勤しているし、百姓一家はそろって野良に出ている。留守番は僕一人だ。日向ぼこが楽しみなくらいだから、時候も秋の終りの頃だったのだろう。僕は縁側に寝ころんで、新聞を読んだり、空行く雲を眺めたり、軒にずらずらとぶら下った干柿を見上げたりしていた。干柿ほほどよくくろずんで、実に旨(うま)そうだったが、ひとつちょろまかして食べるという訳には行かない。主人がちゃんと数を勘定している。毎朝、僕がいるところであてつけがましく勘定して、それからおもむろに野良に出てゆくのだ。それほど僕に信用がおけないらしい。千柿のみならず他の食物も、たとえば土間のサツマ芋なども、丹念に勘定されているらしい気配がある。終戦直後のことだから、闇売りで大儲けしているくせに、風来坊の僕などには、芋のかけら一つも渡すまいという魂胆だ。全く厭になってしまう。だから僕も歯を食いしばって、干柿を眺めるだけにして、ちょろまかすようなことは絶対にしないのだ。

 庭先に誰か入ってくる気配がした。僕はあわてて躰をおこした。主人が戻ってきたのかなと思いながら。しかしそれは主人ではなかった。

 軍隊外套を着け地下足袋をはき、大きな袋をぶら下げた男が、のっそりとそこに立っていた。背丈は五尺八寸ほどもあり、肩幅もそれに応じてがっしりと広かった。顔は大きなあばた面だ。その眼が探るように僕を見た。

「芋をすこし売って呉れないかね」

「さあね、僕にはわからない」

 と僕は答えた。

「僕はここでは、ただの間借人だから」

「ほかに誰もいないのかい」

「みんな野良に出ている。しかしここの芋は高いよ。東京に運んだって、儲けにはならないよ。止したがいい」

「いくらぐらいだね?」

「貫当り十五円だ」

「そりや高い。いくらなんでも高過ぎるな、東京で買っても、そんな相場だぜ」

「だから止しなと言うんだよ」

 男はがっかりしたような表情になり、縁側を通して土間に積まれた芋の山を、横目でちらっと眺めていた。それからどっかと縁側に腰をおろした。

「全くやり切れねえな。遠くに出かければ汽車賃がかさむし、近くだと百姓がこすっからいしなあ」

 その言い方が可笑(おか)しかったので、僕はちょっと笑った。

すると男はぎろりと眼をむいて、僕をにらみつけた。

「いや、これは笑いごとじゃないぞ」

 私は笑いを中止した。すると男は機嫌を直したらしく、ポケットから煙草をとり出して僕にすすめ、しばらく世間話などをした。煙草は手巻きの紙臭いやつだ。向うがいろいろ聞くので、僕は今の自分の身の上のことも話した。つまり、職がないことや、僕という存在がこの百姓家で厭がられていることなどだ。すこし誇張も混えて話したので、男はすっかり僕に同情した風だった。

「そりやあいかんな。いい状態じゃない」

 そして考え深そうにまばたきをして、

「早くおん出たがいい。邪魔者あつかいにされてまで、踏みとどまる手はなかろう」

「おん出るつて、行くところがないんだ」

 男は僕の顔をじっと見た。そして言った。

「じゃ、俺の家に来い。部屋が余ってる」

 僕はすこしびっくりした。しかし次の瞬間、僕はもうその男の言葉に乗る気になっていたのだ。これが現今のことなら、ためらったり、しりごみしたりする気持になるのだろうが、なにしろ終戦直後のことで、身のふり方など、どんなにでも簡単にとりあつかえる気持だったのだ。僕は答えた。

「そうかい。それじゃそう願おう」

 それであっけなく身のふり方がきまってしまった。この男が風見長六というのだ。今からでも一緒に来いというのだが、こちらは荷物のとりまとめもあるし、明日ということにして、とりあえず住居の地図を書いてもらった。なぜ風見が僕に好意ある申し出をしたのか、そんなこともあまり考えなかった。考えることなど、その頃の気持では、余分のことだった。軍隊時代の習慣が、まだ心身のどこかに残っていたのだろう。考えるよりも、動いたり流されたりする方が先。僕もそうだったが、風見だってあるいはそんな気分だったのだろう。

 僕が引越すと判って、友人は形式的な心配を示した。素姓(すじょう)も知れない人間の言葉を、かろがろしく信用したら駄目だというのだ。しかし、内心では、ほっとしているのは明らかだった。階下の百姓はもちろん大喜びだったらしい。翌朝僕に顔を合わせるとにこにこして、折角(せっかく)顔見知りになったのにお名残惜しい、時には遊びに来て呉れ、などと心にもないお世辞を言い、サツマ芋二貫目を餞別に呉れた。餞別と言っても、皮が剝けたのとか二つに折れたのとか、そんなクズ芋ばかりだ。でも無いよりはましだから、有難くお礼を言い、僕は稲田堤に別れをつげた。それから今日に至るまで、僕は稲田堤を訪れたことはないが、あの百姓も元気でいるかどうか。今思うとあの百姓は、少々ケチで慾張りだったが、決して悪い男ではなかったようだ。

 さて、お話し変って、風見長六の宅。この家の外観内容は、やや僕を驚かせた。僕は漠然とふつうの小住宅を予想してきたのだが、そうではなかったのだ。一応住宅の恰好(かっこう)はとっているが、当初住宅の目的で建てられたのではないことは、一眼で判る。一廓の焼跡の片すみに、そいつは道路に面してぽつんと立っている。もちろん屋根もあるし壁もあるが、窓は近頃あけたと見えて、材木の切口がまだ新しい。床も急造のものらしく、しかも素人(しろうと)細工だと見え、踏むと足もとがあぶなっかしいようだ。風見長六は、その上り框(がまち)に腰をおろして、飯盒(はんごう)飯をかっこんでいるところだったが、僕の顔を見て、しごく落着いた口調で、

「やあ、やって来たか」

 と言った。土間に荷物をおろしながら、僕は訊(たず)ねてみた。

「この家は、昔から住宅なのかね」

「いや」

 風見は腰をずらせて、僕の席をつくって呉れながら、

「これはもともと、ギャレージだ。母屋は焼けて、これだけ残ったんだ」

「へえ。君の家なのかい?」

「そうじゃない。借りたんだ」

 風見の話によると、彼も復員下士官で、あてもなく東京をほっつき歩いていると、この焼残りのギャレージが見つかったので、これを自分のすみかと定めたと言う。もちろんその頃は、床もなければ窓もなかった。そこへ住みついて二三日経つと、変な老人がやってきて、どういう権利でそこに住んでいるのだと聞く。その老人が語るには、この家の持主は田舎に疎開していて、自分が留守跡の運営や整理を任されていると言うのだ。そこで風見は、実は行くあてがないからこのギャレージを貸して呉れ、家賃は払う、と相談を持ちかけると、老人はちょっと考えて、月二百円なら貸してやろうと答える。終戦の年だから、月二百円というのは法外の高値だ。しかし風見はそれを承諾した。それから彼はあちこちから材木や板片を集めてきて、床をつくり、窓をこしらえ、どうにか住める程度にやっとこぎつけたという話。そのいきさつを聞いて僕は大層感服した。たとえばこの僕が、無為無策に友人のところに転がり込んでモタモタしている間に、才覚や実行力のある奴はちゃんと自分で道を切り開いて、どうにか恰好をつけている。僕は急に風見という男が頼もしくなったが、一方ではちょっとあることが心配にもなって来た。つまり月二百円の家賃が、割前として僕にかぶさって来やしまいかという、ケチな心配だ。風見はそれにおかまいなく、先に立って上り、ぐるりと見廻して、奥のすみの方を指差した。

「お前の部屋は、あそこがいいな。そういうことにしよう」

 部屋と言っても、仕切りも何もありゃしない。のっぺらぼうで隅から隅まで見渡せるのだ。床には古畳がずっと敷いてあって、隅の二枚分が僕の分だというのらしかった。それならばそれでもよかった。雨露さえしのげれば、あとはどうにかなるだろう。僕は何気ない口調で訊ねた。

「部屋代は、どうなるんだね。つまり、家賃の割前」

「そんなこと、どうにかなるよ」

 と風見は言下にさえぎった。僕は風見の表情をうかがった。払わなくても風見の方でどうにかすると言うのか。その表情からはよく判らなかった。しかし僕は、このギャレージに住んでいる間、一文も部屋代を払わなかったから、結局は風見の言う通りどうにかなったわけだ。こうして風見邸における僕の生活が始まったのだ。

 

 この風見邸の住人は、風見と僕だけではなかった。もう一人いた。乃木明治という名の、やはり僕らと同じ年頃の独身男で、区役所の戸籍課に勤めている。役所でもあまり上の地位ではないらしく、服装なども貧寒だし、恰幅も全然よろしくない。強い近視の眼鏡の片つるを、靴紐か何かそんなもので代用している。堂々たる名前に似ず、チョコチョコとした猫背の小男だった。

 乃木も以前の部屋を追い出され、カストリ屋でやけ酒を飲んでいる時、同席の風見と知合い、そして誘われてここに住み込むようになったのだそうだ。僕よりも半月前の先住者だ。僕だの乃木だの、そんな困った連中に住いを提供して、風見という男はなかなか親切な男だな、と僕が言うと、乃木は眼尻をくしゃくしゃにして答えた。

「あ、ありゃあ君、本当は淋しがりやなんだよ。だから、友達が欲しいんだな」

 この乃木の言葉は、全面的な真実を言い当てているとは思えないが、一面の真実はついていたようだ。今でも僕はそう思う。風見長六という男は、なかなか強靭なものを持つ半面、とても孤独には堪(た)えられないような弱い半面も確かにあったのだ。

 勤めを持っている関係上、三人の中では乃木が一番早起きだ。彼は朝早々に起き、国民服のズボンによれよれのゲートルを巻き、ちょこちょこ出かけて行き、夕方暗くなってちょこちょこと戻ってくる。夜になると、乃木は自分の机の前に坐り、原稿用紙をひろげ何か書いたり、腕組みして黙然と考えこんだりしている。乃木は探偵小説家志望なのだ。学生時代からの志望らしく、それに関する知識も豊富だし、また腕にも自信がある様子でもあった。戦争が済んだからには、きっと探偵小説が隆盛になるに違いない。そういうのが乃木の確信ある予想で、その潮にうまく乗ってやろうというのが、彼の今の現実の念願だった。しばしば口に出してそう言ったのだから、間違いはなかろう。

 ところが、こういう乃木の行動を非難して止めさせようとするのが、風見長六だった。わざわざ親切にも部屋を提供して、しかもその日常に干渉するなんて、ちょっとおかしな話だが、事実なんだから仕方がない。風見の言い分は、そんな愚にもつかない小説書きなんか止めて、八八かオイチョカブでもやろうというのだ。折角昼間汗水たらして働いたのだから、せめて夜ぐらいは花札で遊ぼう。これが風見の主張だ。乃木も部屋を借りてる関係上、そうそう断り切れない。三度に一度はつき合う。ところが風見という男は、おそろしく勝負が強く、僕らはいつもコテンコテンにやられ、相当額の金をまき上げられるのだ。乃木が口惜しがって、いつか僕に言ったことがある。

「風見の奴、バクチのカモにするために、俺たちをここに引入れたんじゃないのかな」

 しかし僕には風見の気持は、やや判るような気もする。小説みたいなへなへなしたものを軽蔑するのも、バクチや遊びが大好きなのも、強引にまた柔軟に、自分のやりたい事をやり通そうというのも、つまり風見長六は軍隊生活の意識や様式を、そっくり今の生活で押し通そうとしているのだ。風見の言によれば、彼は復員までに十年近くの軍隊生活を過したということだから、他の生き方はとても身につかないのだろう。しかしこれは僕の想像だから、当っているかどうか。

 風見には定職はなかった。それでも毎日働いてはいるのだ。カツギ屋をやったり、マーケットに出入りしてプローカーみたいなことをやったり、いろんな仕事をしているようだった。身体が強いから、どんな力仕事でもやれる。それが風見の取り柄だったが、頭の動きがあまり敏捷でないと見え、大きく儲(もう)けることはないようだった。埼玉から米をかついで来て、途中で警官にそっくり没収され、頭をかかえてぼやいていたこともある。

「ええ。三斗だぜ。それをまるまる没収だなんて、むちゃなことをしやがる」

 ぽやいていても、彼はまた翌日いそいそと、どこかに働きに出かけてゆく。家にじっとしていることが出来ないらしい。余暇というものを彼は知らないのだ。

 この奇妙なギャレージ家に、そんな風にして三人は生活していたわけだ。僕と乃木とはおおむね外食だが、風見だけは自炊の生活だ。土間のコンロや電熱器で、風見は飯をたいたり芋をふかしたり、料理をつくったりする。図体に似ず、そんな点は割にこまめだった。時には僕らにも御馳走して呉れることもあったが、それもごくまれで、僕らが腹を減らしていても、大体彼は無関心な風(ふう)だった。自分の分だけつくって、さっさと食べてしまう。ふくらんだ腹を撫(な)でさすりながら、さあオイチョカブをやろうと言い出したりする。時には彼は、僕らの外食の量の貧しさを知っていて、それを憫笑(びんしょう)したりするのだ。

「よくあんなもんで身体がつづくな」

 住居を提供した好意と、食物に関するこんな言動は、彼の心の中ではどう組合っていたのだろう。僕は今思うのだが、彼の胸の中では、たとえば気紛れと功利とが、善意と冷淡とが、衝動と計画とが、雑然と入り交り、不自然なく組合わさっていたに違いない。しかしどうもそこらのところはハッキリしないのだ。僕らに部屋を貸していても、彼は別段それを恩に着せる風(ふう)でもなかった。もしこの僕が彼の立場だったら、どうしても恩に着せる態度が出てくるだろうと思うのだが。

 三人で生活している間も、風見は仕事の帰りなどに、板や木片を拾ってきて、ギャレージを補修する。ちょいとした下駄箱をつくったり、また雨漏りでもあるとまっさきに屋根へ登るのは風見なのだ。僕ら二人はほとんど何もしない。風見のやることを眺めているだけだ。しかし風見は、そういう僕らに不満そうでもなく、むしろその仕事を楽しんでいるようだった。そのための大工道具一式を、ちゃんと彼は用意しととのえていたのだ。

 僕がこの家に入ってからも、住居としての整備は日ましに進行した。ギャレージくささがなくなって、だんだん小住宅らしくなってくる。そして風見はこの建物の周囲に、器用に垣根までもこさえ上げたのだ。そういうことがあの老差配を刺戟し、慾を出させたのだろうと思う。

 

 この焼跡の管理を任されているという老人を、僕らはムササビというあだ名で呼んでいた。この老人はいつも、変な仕立ての厚司(あつし)を着ている。手首のところは細く、腕の付根のところは極端に寛(ゆるや)かな、そんな風(ふう)な仕立て方だ。現今ならドルマンスタイルとか何とか言うのだろうが、あの頃はそんな言葉も知らないので、ムササビという名をつけた。ムササビという獣は、樹から樹へ飛び移る必要上、脇の下の皮膚が羽根のように寛かに拡がっている。老人のがそれにそっくりというわけだ。

 この老人は、たかがギャレージだと思って月二百円で貸す気になったのだろうが、風見の営々[やぶちゃん注:「えいえい」。せっせと一生懸命に働くさま。]の辛苦によってどうやら家らしくなったし、インフレの関係もあって、二百円という金はしだいに価値が下落してゆく。その頃の住宅は言語に絶したものだし、権利金もどんどん上っていたから、ムササビがこれに眼をつけたのは無理ないのだ。僕が入居する前から、老人は風見に文句を言いに来てたらしいが、僕が入ってから、その回数がますます頻繁になってきた。ムササビは僕と最初に顔を合わせた時、その時は僕一人が部屋にいたのだが、

「あれ、また一人ふやしやがったな」

 と小声で叫んだものだ。立退き要求に対抗するために、風見が同居人をまたふやしたと、老人は解したらしいのだ。僕は先程、僕を同居させたのは風見の気紛れだろうと書いたが、あるいは老人の解釈の方が当っているのかも知れない。少くともそういう気持が少しはあったのだろうと思う。と言うのは、風見はこの老人をとても苦手にしていたからだ。

 このムササビの性格は、見るからにねちねちしていて、一旦食いついたら決して離さないという風な趣きがある。そして世間智に長(た)けている。そういうところを風見は苦手とするのらしいが、その他にも苦手とする確たる理由があった。それはしごく単純なことだが、このムササビが退役の陸軍中佐だということなのだ。ムササビの立退き要求に対し、風見は強く反撥出来ない。柔軟にして消極的な抵抗を試みるだけだ。それを訝(いぶか)しく思って、ある日僕が訊ねたら、風見がそう答えたのだ。

「だってあいつは中佐殿だからな」

「中佐殿だって何だって、今はもう軍隊はないんだし、おそれることはないじゃないか」

「俺もそう思うんだけどな。あいつは俺の元の部隊長にそっくりなのさ。背丈から顔の形までよ。だから俺はつい弱気になってしまうんだ」

 何時もに似合わず弱ったような声だった。僕は風見の軍隊履歴をよく知らない。だから彼がそんな弱気になる理由が判らなかった。今でも判らない。なんか特別の事情でもあったのかと思う。

 ムササビの方は、元中佐の称号が風見を押しているとは、全然気付いていなかったと思う。しかし多年のカンから、押しに押しまくれば立退くだろうという予想と確信を持っていたらしい。疎開先の当主が戻って来るからとか、垣根をめぐらせたのは約束違反だとか、窓を無断であけたのは建物毀傷であるとか、いろいろ理屈をこじつけて、風見に立退きを迫ってくる。風見は決して弁は立つ方じゃないので、議論となると必ず言い負かされてしまうのだ。そして僕が入居した頃から、家賃を持って行っても、ムササビはそれを拒絶するようになってしまった。家賃なんか受取れないと言うのだそうだ。(だから僕も結局部屋代は払わずに済んだ)そしてもっぱら風見をいじめにかかる。ムササビは最初から僕だの乃木だのを問題にしていなかった。風見攻略の一点張りだ。風見を追い出せば、あとの二人は自然に出て行くと考えたのか。あるいは僕や乃木の世間智を見抜いて、その点一番弱そうな風見にねらいをかけたのか。風見という男は、実行力や才覚は充分にあるらしく見えるが、それも軍隊流のそれだから、娑婆(しゃば)では案外に脆(もろ)いのだ。闇米を没収されたり、ブローカーに籠抜けされたり、そんなことが三四度つづいて、風見の気持はすこしずつ沈滞してゆくようだった。僕が入居して二ヵ月近く経った頃のことだ。ムササビは相変らず、二日に一度ぐらいはやってきて、ねちねちと長談判をしてゆく。

「元中佐殿があんなことをやるんだからなあ」

 ある日風見がくさったように言った。もうその頃は、ムササビは神経戦術を開始していて、ギャレージは貸したけれどもギャレージの扉は貸さなかったという妙な論理で、皆が留守中に人夫を使って、大きな扉を外(はず)して行ってしまったのだ。とたんに屋内は風の吹きっさらしとなり、冬の最中のことだから、寒くて寒くて仕方がない。着ている布団がゴワゴワに凍る始末だ。取敢ず[やぶちゃん注:「とりあえず」。]入口には荒むしろをのれんみたいにぶら下げたが、寒気は容赦なく忍び入ってくる。これには僕らも弱った。余儀なく近所から木片を集めてきて、夜ともなれば土間で焚火(たきび)をやり、寒さをしのぐ。なにしろ屋内の焚火だから、危くもあるし、人目にもつく。そりゃ人目にはつくだろう。ギャレージ改装の小屋に、男ばかり三人が居住して、山賊みたいに焚火などをしているのだから。近所の連中が怪しむのも当然の話だ。

 そうこうしている中に、この界隈にしきりに空巣ねらいが出没するという事件が起った。あちらの家では服と外套を、こちらの家では釜や鍋をという具合で、一寸した際に物や金が盗まれる。よほど練達な奴だと見え、全然手がかりも残さない。隣組(配給の関係上その頃まだ存続していた)常会でも問題になったが、犯人はつかまらない。やがてその嫌疑が、どうも僕らにかかっているらしいということが、うすうすと判って来た。ある夜、変な男が突然僕らの小屋に訪問して来たのだ。それは背は低いが、顔の四角な、がっしりした男だった。

 

 なんでもそいつは一寸通りすがりと言った恰好で、むしろを分けて屋内をのぞいたのだ。そして低い声で言った。

「えへへ。ちょっと焚火にあたらせて呉れませんかね。めっぽう寒くて、しんまで凍りそうだよ」

 のそのそと入って来て、火に手をかざした。焚火と言っても、石油の空罐に木片を入れて燃すという簡単な仕組みだ。それでも結構あたたまる。あたたまると人間は口数が多くなるものだが、その上僕らはすこしアルコールが入っていた。近所の朝鮮人から仕入れた濁酒(どぶろく)を、三人でちびちび酌(く)み交わしていたのだ。風見はその男にもコップをすすめた。そして四人は車座になり、火にあたりながら、いろいろととりとめもない世間話を始めていたのだ。変な訪問者を別に怪しむ気持もなかったと思う。

 そのうちに話が近所を荒す怪盗のことになった。自然と話がそこに行ったのだ。その一両日前、僕らの小屋から道を隔てた斜め向いの家が、そいつに見舞われて、配給酒一升持ち逃げされたという。他のものは盗まず、酒だけ持って逃げたのは味がある、というようなことから、乃木が探偵小説家志望のところから推理を働かせたりして、どうも犯人はこの町内の者だろうということに意見が一致した。変な男も、いろいろ口をさしはさんで、その会話を助長させるような気配を示す。丁度(ちょうど)その夜淡雪が降っていて、地下足袋の跡が残っていた。そんなことを男が口に出した時、僕はそろそろこの男は変だなと思い始めた。通りすがりの男にしては、その泥棒に関する知識があり過ぎる。

「その地下足袋は、十一文半だったね。相当はき古したやつだ」

「よく知ってるな、君は」

 風見も妙だと思ったらしく、そう聞きとがめた。

「どうしてそんな事まで知ってるんだい?」

「えへへ。ちょっと調べてみたもんでね」

「刑事みたいだな、まるで」

 男は顎(あご)をふきながら、またえへへとわらった。その言葉を肯定するような仕草だった。僕が口を出した。

「何かい。するとあんたは、刑事かい?」

「そうだよ」

 男は落着いた声で、火にかざした両掌をごしごしとこすり合わせた。

「今日あたり、また出やしないかと思ってね、張込んでるんだ」

 それで三人しゅんと黙ってしまった。こちらは何も悪いことをしている訳じゃないが、同座の一人がはっきり刑事だと判ると、ふしぎに何も言い出せなくなるものだ。顔見合わせて、気まずく黙っている。その中に風見がすこし怒ったような声を出した。

「張込むったって、こんなところで火にあたってたんじゃ、仕様ないじゃないか。その間に泥棒は仕事してるかも知れない」

「それも道理だな」

 男は腰を上げ、いやな笑い方をしながら、そこらをじろりと見廻した。

「いや、いろいろ御馳走さまでした。また時々寄せて貰いますよ」

 そしてのそのそと表の暗闇に消えて行った。しばらくして乃木が声をひそめて言った。

「あいつ、僕たちの足もとばかり見てたぜ。さては僕たちに嫌疑をかけてるんだな」

「どうもそうらしいな」

 と僕も相槌(あいづち)を打った。

「時々やって来られちゃ、かなわんな」

 風見は黙っていた。不快そうな顔色だった。まあこの三人の中で、乃木は正業についているし、僕は居食いだし、カツギ屋などやっている関係上、風見が一番刑事には面白くないにきまっている。それからそこらを片づけて、それぞれの寝床に入ろうとする時、風見が思い詰めたような声を出した。

「おい。あの泥棒を、俺たちの手でつかまえてやろうじゃないか。そうでもしなきゃ、気がおさまらない」

「そりゃいいね」

 と僕も賛意を表した。

「乃木も探偵趣味があるし、風見は力が強いし、その気になりゃつかまえられるかも知れないな」

 ところがその翌日の夕方、一町ばかり離れた医者の家で、干してあった衣類がごっそり盗まれる事件が起った。そしてその夜、昨日の刑事がふらりと小屋にやって来た。れいの如く焚火の最中にだ。

「えへへ、昨晩は失礼」

 そんなことを言いながら、もう火に手をかざしている。

「今日もまた出たんでね。張込みさ。刑事稼業もつらいよ」

 追い出すわけにも行かず、僕らは黙っていた。すると刑事が突然こんなことを言い出したのだ。

「この焚火のことだがねえ、危いから取締ってくれという投書が、署宛てに来てるんだがね。寒いことは寒いだろうが、止めてくれんかね」

「そうですか」

 と僕が答えた。

「じゃ少しつつしむことにしよう。でも、その投書は、それだけですか?」

「いや、えへへ」

 れいのいやな笑い方をした。

「まあその他、いろいろ書いてあったよ。米のヤミやってるとか何とかまでもね。もっとも経済違反は俺のかかりじゃないがね」

「その投書、見せて貰えんかね」

「そりや駄目だ。原則として秘密になっとるんでね」

 投書の主はムササビじゃないかと思ったが、僕は黙っていた。刑事は二十分ほど火に当りながら、むだ話などして、戻って行った。帰りきわに、又寄せて貰いますよ、と捨ぜりふを残して。

「バカにしてやがる!」

 その間一言も口を利かなかった風見が、はき出すように言った。

「俺たちを泥棒だと思ってやがるんだ。ふざけやがって」

「そう怒るなよ」

 と乃木がなだめた。

「人をうたぐるなんて、そんなに日本人同士信用し合えねえのか。何という情けない世の中だ。あいつ、三人のうちで、この俺を特別疑ってるに違いない」

 眉の根をびくびくさせて怒っている。なだめるのに骨が折れた。やけになって怒ってるような具合だった。

 それから二三日経ってだ。気持の打開をはかるためだったのだろう、風見は北海道まで鮭(さけ)の買出しに行くと言い出した。仲間に誘われたんだと言う。いくらヤミの世の中とは言え、北海道まで鮭買いはすこし空想的だと思ったが、別段とめる筋合いもないので黙っていた。近距離の米かつぎでさえしばしば没収されるようなへマなところがあるのに、そんな遠走りはすこし無茶だ。

 そして風見は五日間留守をした。

 その間に、刑事が一度、ムササビが二度、訪れてきた。近所ではまたこそ泥が一件あった。将棋六段の留守宅に忍び入って、将棋盤と駒を盗んで逃げたという。畳の上に大きな泥の足跡があったそうだ。刑事が訪ねて来たのもその夜のことで、風見の不在を告げると、うたぐるような莫迦にしたような笑い声をたてた。焚火はもう中止していたので、手をあぶるわけにも行かず、刑事はすぐに帰って行った。

 六日目に風見は手ぶらで戻って来た。顔がげっそりこけて、疲労し果てている。どうだったと聞くと、

「むちゃくちゃだよ。あんなひどい旅行、今までにやったことがない」

 首尾よく鮭は東京に持ち帰り、もうさばいて来たのだと言う。相当な金にはなったらしいが、往復の旅費と体力の消耗(しょうもう)を計算に入れると、それほど有利な買出しとは言えなかったようだ。それでもその夜は、風見が金を出して濁酒を二升買い、三人でささやかな酒盛りをした。風見は疲労のせいか、眼をきらきらさせ、身体だけ酔っても気持は酔わない風で、うわずったような声で北海道の話などをした。将棋六段の盗難事件を話すと、ひきつれたような笑い声を発して、「これであのデカにも判っただろ。俺にゃアリバイがあるんだからな」

 この武骨な元下士官が、なぜアリバイなどとしゃれた言葉を知っているのか、それは乃木が教えたのだ。僕らは笑った。ついでに刑事の無能さを嘲笑し、こそ泥の敏速さを称讃さえもした。はたから見ている分には、これは結構面白い出来事だったからだ。

 ところが、結構面白いと義理にも言えない大事件が、それから、三日目に発生した。僕らの留守中、小屋に怪盗が侵入して、目ぼしいものをごっそりやられてしまったのだ。

 

 その時、風見は買出しに、乃木は区役所に、この僕はと言えば、新聞で社員を募集していた某出版社に出かけて、三人とも留守だったのだ。僕は朝十時に出かけて、夕方四時に戻って来たのだから、その間に侵入されたわけになる。近所の人の話によると、十七八の若者がリヤカーを引いてきて、小屋を出入りして荷物を運び出し、リヤカーに満載して立ち去ったと言う。何故とがめなかったかと言うと、真昼間のことだし、その若者の半纏(はんてん)にナントカ運送店と書いてあったから、てっきり引越しだと思って眺めていたんだそうだ。僕はケチで物惜しみのたちだから、すっかり仰天し、動転し、惑乱した。着ているものだけはたすかったが、あとは布団だけ残して、衣類も行李ぐるみ、持って行かれてしまった。僕の次に仰天したのは乃木明治で、これもすっかり打ちしおれてしまったが、どういうつもりか盗賊は書籍類は残して行ったので、その点蔵書家の彼は救いを見出したようだった。蔵書と言っても、探偵小説やその文献が主で、古ぼけたものばかりだったから、盗賊はガラクダと感違いしたのだろう。

「飛んでもないことになったなあ」

 がらんとした土間で、もうヤケになって再び盛大に焚火をやりながら、二人でぼやいている時、風見が空のリュックをぶら下げ、むしろを分けて入って来た。屋内を見廻して、ぎょつと表情を変えた。額の静脈がモリモリと盛り上った。

「ム、ムササビの仕業か?」

 これが風見の芝居だったとすれば、僕は今でも彼の演技に感嘆する。しかし、芝居だったかそうでなかったかは、僕は今でも判らないのだ。

「ムササピじゃない。泥棒だよ」

「泥棒?」

 僕は事のあらましを説明した。風見はがっくりと腰をおろして、黙って僕の説明を聞いていた。ほとんど無表情な顔だった。話し終ると、火をかこんで僕らはしばらく顔を見合わせていた。

 やがて風見は、考え深そうに眼をしばしばさせ、焰の高さをはかるようにした。そして言った。

「もすこし火を弱めろや。これじゃ天井が焦げてしまう」

 僕が見た感じでは、風見はこの事件に、それほど打撃を受けていないようだった。もっとも三人のうちで、風見が一番持物は少かったし、盗まれて惜しいものは持っていなかったのだ。ムササビの仕業じゃないと判って、むしろ彼は拍子(ひょうし)ぬけがした風(ふう)だった。それから彼は立ち上った。

「一応警察に届けた方がいいだろうな」

 あんな時代のことだから、届けても品物が戻る筈もなかったが、一応そうすることにした。すると例の刑事が翌朝やって来た。

「とうとうお宅もやられましたな」

 すこし態度も丁重になったようだし、また責任も少々感じているらしかった。なるべく僕らと視線を合わせないようにして、いろいろ事情を聞いたり、屋内を調べたりして、こそこそと戻って行った。終始僕らがつめたい視線で刑事を眺めていたのは言うまでもない。刑事が帰って行くと、風見は不機嫌な動作で、リュックを手にぶら下げ、土間に降りた。

「俺は出かけるよ」

 出かける時いつもこんなあいさつなので、また買出しに出かけるのだろうと思った。ところがその夜も、翌日の夜も、風見は小屋に戻って来なかった。そして三日目に、僕と乃木宛てにハガキが来た。

『新しい住居が見つかったから、そちらに引越すことにした。君たちにも気の毒したな』

 文面はそれだけだ。消印は下谷になっている。

 刑事が再び訪ねて来た時、そのハガキを見せたら、じだんだを踏むようにして口惜しがった。

「犯人はあいつだったんだ。もすこし様子見て、現行を押えようとして、逃げられた」

 刑事の説明では、僕らの盗難も風見の仕業で、運送屋をよそおった若者は、彼の共犯だという。ハガキの『気の毒したな』というのは、そんな目に合わせて気の毒だったという仁義だという説明だ。そんなことはあるまいと僕が言うと、刑事はいろいろな傍証をあげて、風見を犯人と断定した。その傍証のかずかずはもう忘れてしまったが、聞いているうちに段々に半信半疑の状態に追い込まれたのは事実だ。しかしもし彼が犯人とすれば、風見のその心理については、僕は今でも納得(なっとく)が行かない。もう一息で判りそうな気もするが、かんじんなところで漠とぼけてしまう。

 風見がいなくなったものだから、僕と乃木はたちまち支えを失って、それから十日目頃に、ムササビによってもろくも小屋を追い出されてしまった。追い出されたら追い出されたで、また直ぐ次の住居が見つかるから、世の中ってふしぎなものだ。

 それ以来、乃木とも、もちろん風見とも、一度も顔を合わせない。もう七年も経つから、風見と会って当時の真相でも聞きたいと思うが、連絡がないからそれも果たせない。乃木については、それ以後探偵雑誌など気をつけて見ているが、まだ彼の名前には接しないようだ。同居人が泥棒かどうかも見抜けないような男だったから、探偵小説を書いても、あまりパッとした出来ばえではないのだろう。しかしその点では僕も同じだから、あまり乃木の悪口も言えないようだ。

2018/07/12

ブログ・アクセス百十一万突破記念 梅崎春生 井戸と青葉

 

[やぶちゃん注:昭和三七(一九六二)年八月号『小説新潮』に発表された。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第四巻」(昭和五九(一九八四)年刊)を用いた。

 二箇所で鈎括弧の不具合を発見したが、孰れも脱落と誤植と断じて訂した。活字のカケも一箇所あったが、これも前後の文脈から字を確定して補正した。

 冒頭に出るこの当時の国際的社会的事件について簡単に注しておく。一部を除いて、本作品の主題とは無関係だが、若い読者のために、この時代の主人公にタイム・スリップして同化してもらえるよう、かなりマニアックに注してある。

「核爆発の実験」一九六二年当時は、前年四月に在米亡命キューバ人部隊がCIAの支援を受けてグアテマラで軍事訓練を行い、キューバに侵攻してカストロ政権の打倒をしようとした「ピッグス湾事件」が起こり(失敗。戦死者百十四名、捕虜千百八十九名)、同年八月末、ソ連共産党書記長フルシチョフはソ連が三年間停止していた核実験を終了して九月一日からの実験再開を宣言、これに対し、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディは核実験計画「ドミニク作戦」(Operation Dominic)の実施を承認することで応え、この一九六二年、アメリカは太平洋核実験場(主にクリスマス島(現在はキリバス共和国内))及びネバダ核実験場で百五回にも及ぶ核実験を実行している。ウィキの「ドミニク作戦」を見ると、この一九六二年には主な実験だけで本作公開の前六月までに三十七回も行われている米ソ冷戦の緊張が最も高い時期に行われた驚愕の痙攣的実行回数の核実験群であった。

「ラオス問題」一時、親米に偏っていたラオス王国では反政府活動が激化、一九六〇年八月、王国政府軍がクーデターを起こし、元首相に左派グループとの連立組閣を要請、連立政権が発足すると、アメリカはラオス援助を停止し、タイ王国もアメリカの要請で国境封鎖を断行した。これらの経済制裁のためにラオス政府は困窮し、ソビエトに援助を要請、国交を樹立した。アメリカはクーデターから避難していた右派の軍人を援助、軍を再編成して、一九六〇年十二月十六日、首都ヴィエンチャンを奪回して内閣を発足させた。それに対し、反政府側は一九六〇年末から、再び、軍事行動を開始、一九六一年一月一日のシエンクワーン占領を皮切りに、諸地域を次々と占拠していった。こうした事態を受け、アメリカ合衆国大統領ドワイト・アイゼンハワーは第七艦隊に警戒態勢を発動するなどして圧力をかけたが、反体制勢力の躍進は止まらなかった。一九六一年五月十六日からのジュネーヴ国際会議では、チューリッヒでラオス諸派の会談を設けることが決定され、翌一九六二年六月十二日のこの三派会談によってプーマ首相による新連立政権樹立が合意された(その後、これを受けてジュネーヴ国際会議は「ラオス王国の中立に関する宣言」を一九六二年七月に採択、ラオス王国内に駐留していたアメリカ軍及びベトナム軍は撤退し、ようやく平和が訪れたかに見えたが、一九六三年には中立派軍人と左派の外相が暗殺され、以後、右派の政治勢力が台頭することとなる。後、一九七五年五月首都で住民二万人規模の大規模な反右派デモが発生、十二月一日の「全国人民代表者会議」に於いて暫定国民連合政府によって当時のサワーンワッタナー国王の退位が承認され、王制廃止と共和制への移行が宣言され、スパーヌウォン最高人民議会議長兼国家主席を代表とする「ラオス人民民主共和国」が誕生した。以上は主にウィキの「ラオスの歴史に拠った)。

「電車衝突」国鉄戦後五大事故の一つに数えられる、この昭和三七(一九六二)年の五月三日に常磐線三河島駅構内で発生した「三河島事故」のことである。信号無視によって脱線した下り貨物列車に下り電車が衝突、さらにそこへ上り電車が突っ込んで二重衝突に発展、百六十人が死亡し、二百九十六人が負傷した

「ダンプカー事故」「交通戦争」(昭和三十年代(一九五五年~一九六四年)以降、交通事故死者数の水準が日清戦争での日本側の戦死者数(二年間で一万七千二百八十二人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして付けられた名称)の前期で大型車であったダンプカーによるそれも有意に多かった。ただ、明言は出来ないが、ここは前からの「電車衝突やダンプカー事故」でセットで読むと、踏切の無謀な通過を行おうとして列車との甚大な衝突事故がこの頃、頻繁に引き起されていた資料も見出せるので、その意味も含ませてあるのかも知れない

「水不足」ブログ「新聞集成昭和編年史」の「昭和37年(1962年)34月の主な出来事」の「社会」の項に、同年四月十六日、『東京都水道局、都内の水不足対策として夜間の第』二『次給水制限を実施』。五月一日、『臨時都渇水対策本部発足』。五月七日、『昼間の給水制限実施』され、これが解除されたのは夏を過ぎた九月十三日のことであるとある。春からの施策によってこの年の水不足の深刻さがよく判る。しかも練馬に住んでいた梅崎春生はまさにこの給水宣言をまともに喰らっていたのである。なお、この水不足は、例えば、四国災害アーカイブズ」の「昭和37年の干ばつ」を見ると、昭和三七(一九六二)年の九月から十月にかけて、徳島では『台風の影響が全くなく、深刻な水不足となり、電力は底をついた。また、阿波郡を中心とする吉野川北岸地区は農作物の干害が続出し、陸水稲、野菜、果樹の被害額は』実に二億五千万円にのぼったとあり、一年を通じてこの年は甚大な水不足に陥っていたことが判明する

「ニセ千円札事件」この前年末からこの翌年にかけて発生し続けた「チ-37号事件」ウィキの「チ-37号事件」によれば、昭和三六(一九六一)年十二月七日、『秋田県秋田市にある日本銀行秋田支店で、廃棄処分にされる紙幣の中から』、『偽千円札が発見された。これ以降』、二年後の昭和三八(一九六三)年まで、実に二十二都道府県から合計三百四十三枚もが発見された(「チ」は紙幣偽造事件において千円札を意味する警察コードで、「37」は「三十七番目の千円札の偽札事件」であることを意味する符牒である)。『偽札は本物に比べて紙の厚さや手触りに違いがあったが、あくまで本物と比較した場合に「辛うじて判別できる程度」の細微な違いであり、偽札だけを手に取っても、まず判別は不可能であるほどの精巧な作りであったという』。『警視庁捜査第三課が捜査するも、-37号は巧妙化していった。初めは通し番号が「WR789012T」と連続した数字で、数字の配列が右下がりになっていたことが新聞で報道され』たが、翌一九六二年春に発見されたものでは、『数字が「DF904371C」となった上、数字の配列が真っすぐになるなど、より偽札の精度が高いものになっていった。また、肖像の目尻が本物より下がっていると指摘を受けると、それも修正』が行われて使用されている。『警察庁は、地方紙だけに情報を載せることによって、犯人の居場所を特定しようとしたが、犯人はどんな小さな記事も見逃さず、偽札に改良を加えていった』。『偽札を使った「犯人らしき人物」は、何度か目撃されている』。昭和三七(一九六二)年九月十日、『千葉県佐倉市の駄菓子屋で、偽の』千『円札を使用してチューインガム』百『円を購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。男性は年齢は』三十五~三十六『歳、白いハンチング帽を被り、体は小柄だが』、『ガッシリしており、顔は黒かった』。一九六二年九月六日、『警視庁は、偽千円札を届け出た者に対して』一『枚につき』三千『円の謝礼、犯人に繋がる重要な情報を提供した者には』一『万円から』百『万円の謝礼を出すことを決定した。銀行協会も犯人への有力情報に』百『万円の懸賞金を出すことを発表し』ている(当時の大卒初任給平均は約一万四千八百円)。昭和三八(一九六三)年三月五日、『静岡県清水市(現・静岡市清水区)の青果店で、偽の』千『円札を使用して』百『円のミカンを購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。男性は年齢は』三十『歳くらい、背丈は』百五十五『センチくらい、丸顔であった』。昭和三八(一九六三)年三月六日、『静岡県静岡市の青果店で、偽の』千『円札を使用して』三十『円の干し椎茸を購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。男性は年齢は』三十『代、黒いハンチング帽を被り、黒縁メガネをかけ、丸顔であった』。『佐倉市の目撃証言は、駄菓子屋の主人が片目に障害があったため、人相がはっきりしなかったが、清水市と静岡市の人相に関する目撃証言によって、モンタージュが作成されて公開されたが、検挙には至らなかった』。昭和三八(一九六三)年十一月四日に『偽札が発見されたのを最後に、偽札が出てくることはなくなった』。昭和四八(一九七三)年十一月四日、『公訴時効が成立して、捜査打ち切りで迷宮入りとなっ』ているとある(うん? 偽造・変造通貨行使罪の公訴時効は十五年のはずだが? この時代は十二年だったのかなあ? にしても月日が合わないのもよく判らないな。誰か、教え子の法学部出の人、教えて!)なお、この事件を受けて翌一九六三年十一月一日には、『紙幣の信頼維持のため、肖像を聖徳太子から伊藤博文に変更した新千円紙幣(C号券)』が発行されたともある。また、『事件や警視庁の』謝礼『対応は当時の小学生にも知れ渡り、「Aさんが』三百『円の品物を千円札で買ったところ』、二千七百『円のお釣りが返ってきた。それはなぜか」という内容のクイズが流行した。これは漫画「三丁目の夕日」でも描かれている』とある。「チ-37号」は『「日本の偽札史上、最高の芸術品」といわれている』とある(下線太字はやぶちゃん)。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが百十一万アクセスを突破した記念として公開する。【2018年7月12日 藪野直史】]

 

  井戸と青葉

 

 某月某日、朝、山名君から電話がかかって来た。丁度(ちょうど)その時、私は朝食をすませて、また寝台にごそごそと這い登り、新聞を丹念に読んでいた。

 近頃の新聞記事や解説は実に多様多彩で、読みでがあって、時間がかかる。読みでがあるというと他人事みたいだが、核爆発の実験やラオス問題、身近には電車衝突やダンプカー事故、水不足やニセ千円札事件、ことごとくわが身に直接間接降りかかって来る問題なので、丹念に読まざるを得ないのである。四種類の新聞を読み終るのに、最低一時間やそこらはかかる。

 新聞はそのままにして、電話口に出た。山名君の声が言った。

「もしもし。今日、お暇ですか」

「そうだね。さし当って今日は、取り急ぐ予定はないけれど、忙しいと言えば忙しい」

「朝飯は食ったんですか」

「うん。子供といっしょに済ませて、今寝床で新聞を読んでいる」

「子供というと、学校に通ってるから、朝飯も早いんでしょう?」

「うん」

「それからあんたはずっと新開を読んでんですか?」

 電話の向うで、彼は舌打ちのような音を立てた。

「寝ころがって一時間半も新聞を読んでいて、よくも忙しいなどと――」

「いや。何も暇つぶしに新聞を読んでいるわけじゃない。君も知ってるだろ。近頃はいろんな事件があって――」

「しかし、こんないい天気だというのに、いくら何でも、一時間半は読み過ぎですよ。折角部屋を明るくして上げたのに、のうのうと寝ていては困りますねえ。この間もこんこんと説明したでしょう」

 先日山名君はふらりとわが家に遊びに来て、生憎(あいにく)とその日私が書斎にごろ寝して雑誌などを読んでいたもんだから、枕もとに坐り込んで文句をつけた。

「冬や夏じゃあるまいし、今の時節に暗い部屋でふて寝をしているなんて、運動不足になるのは当然ですよ。起き上って、そこらを散歩したり、かけ回ったりしてはどうですか」

 山名君は私より七つ八つ年少の友人で、たいへん親切な男ではあるが、少しそそっかしく早呑み込みをする癖がある。それに親切が過ぎて、おせっかいの傾向もあるのだ。

「そうじゃないよ。ごろ寝を始めたのは、今から五分ぐらい前だ。郵便屋さんが雑誌をどさりと配達したもんだからね。雑誌類を僕が寝ころんで読むことを、君は知ってるだろ」

「雑誌などは、いつでも読めます。配達されたからって、すぐ読まなきやいけない義理はないでしょう。それにこんなに光線の入らない部屋で――」

「そりゃ君が日盛りからいきなりここに入って来たから、暗いように感じられるんだよ。初めからここにいる分には、けっこう明るい」

「何ですか。それはまるで童話のモグラモチのセリフです。眼を悪くしたら、どうするつもりですか」

 もっとも私の書斎は、東と南に大きな窓があるが、周囲に雑多な樹を植え過ぎて、それがむんむんと梢を伸ばし葉をつけて、太陽光線はその隙間をやっと通り抜け、青い光となってこの部屋を満たしている。椿。蘇芳(すおう)。サンショウ。藤。グミ。その他名の知れぬ木など。

 これらが若葉の頃は、実によかった。光や風が適当に通り、部屋の空気は若葉に染まっていたが、近頃は青葉が重なり過ぎて、この部星に身体を伸ばしていると、深海魚とまでは行かないが、中海魚みたいな気分になって来る。しかしこの気分も悪くないので、そのままにしている。

「こんなに葉っぱを繁らせて、その中でじっとしているなんて、ミノ虫みたいですな」

 彼はあきれ果てたように言った。

「五分前に寝ころんだとおっしゃるけれど、ぼくがお宅に伺う時は、いつも横になっているじゃないですか。寝ているか、酒を飲んでいるか――」

「そういうことになっているか」

 しかし、私の方から言わせると、ごろ寝をしたり酒を飲み始めたりすると、きっと山名君がやって来るのである。世の中にはそんな不思議な現象はよくあるもので、説明してやろうと思ったが、彼は自分の見たものしか信じない休験派の性格なので、説得は取りやめにした。来る度に寝ころがっているのを見て、一日中ふて寝をしていると断ずるのは、一斑を見て全豹を卜(ぼく)すようなものだと思うけれども。

 結局その日は何やかやの押問答があって、私の体の調子の良くないのは、結局私の運動不足のためという結論(彼だけの)に達し、その不足の原因のひとつは、この青ぐらい書斎のせいだということになった。

「体のためにいいわけはないですよ。風通しは悪いし、毛虫は這い込むし――」

 そして山名君は庭木の梢や葉の整理を勧告し、私をうながして、うちにある木鋏や花鋏、脚立(きゃたつ)のたぐいまで総動員させて、伐採(ばっさい)に取りかかった。考えてみると、葉が繁り過ぎて、私も幾分うっとうしいような気にもなりかけている。どうせ植木屋を入れなくちゃならない時期が近づいているから、山名君がそんな申し出をして呉れるのなら、渡りに舟である。タダほど安いものはない。そう了承して、手分けして作業にとりかかった。

 書斎の周囲は彼にまかせ、私は庭の中央にあるニセアカシヤに取りついた。この木は、その葉の形からそうきめているが、あるいは別種の木かも知れない。まことに可笑(おか)しな木で、冬の間は枯木のように縮まって、まるで棒を地面に突き刺したように見える。春が来ても、まだ枯れている。他の木が若葉をつけ終った頃、やっと幹から芽を出して、それからの成長ぶりがものすごい。枝だの梢だのをやたらに伸ばし、幹の高さも二倍ぐらいになる。枝や梢も勝手に葉をつけ、むんむんと繁茂する。ところが肝心(かんじん)の幹が、背は伸びたが太さは旧のままで、枝葉が栄えている割には、どうも足元が心もとない。

 春が過ぎて、夏が来る。夏の終りに大風が吹く。そうするとムリに高度成長したこのニセアカシヤはひとたまりもない。一夜の嵐が過ぎて、雨戸をあけると、他の木はさしたる被害もないのに、この木だけは枝は折れ幹は裂け、ふくろ叩きにあったクラゲみたいな惨状を呈している。仕方がないから折れた枝を払い、裂けたところをつくろってやると、すなわち一本の幹になってしまう。秋から冬にかけて、彼はそのまま一本棒である。こんなに傷めつけられたのだから、もう枯れたんだろうと思っていると、次の年の春になると、またもりもりと枝葉を伸ばし始める。この木を植えて五年になるが、毎年その繰返しである。

「も少し計画的に枝葉を伸ばせば、どうにかなるだろうに、この木はバカじゃないだろうか」

 と私はかねて思っているが、木には木の思惑があるのかも知れない。しかし嵐の後の惨状を見るに忍びないから、今のうちに幹の負担を軽くしてやろうと、先ず私はこの木に取りついたのである。

 枝を取り払うというのも、かんたんな作業ではない。風向きを考え、恰好(かっこう)のことも考慮し(眺めて観賞する都合があるから)少しずつ切って行く。時々縁側に腰かけて、タバコをのみながら、今度はどの枝をどのくらい刈ろうかと思案する。庭師や植木屋がしばしば休憩して、茶を飲んで庭を眺める。あの気分と同じなのである。一時間ほどかかって、やっと形良く仕立てたら、山名君がやって来て、あきれ声を出した。

「まだこの木にかかっているんですか。実際悠長なものですなあ。書斎のまわりは、全部済みましたよ」

 そこで初めてそちらの方を見て、私はアッと驚いた。バッサバッサと伐採して、枝葉が地面にうず高く積み重なり、足の踏み場もないほど散乱している。樹々は丸裸とまでは行かないが、わずかに下着をとどめた乙女みたいに、身をよじて恥かしがっているように見えた。

「ああ。何て傷ましい」

 私は慨嘆した。

「こりやあまり切り過ぎじゃないか。他人の家の木だと思って。可哀そうだとは思わないか」

「何を言ってんですか。可哀そうだなどと」

 山名君はせせら笑った。

「木はね、人間と違って、切られても痛くも何ともないんですよ。感傷的な言い草はよしなさい」

「そりゃ痛くはないかも知れないが――」

「僕はあんたのためを思って、枝を払って上げたんですよ。人間と植物と、一体どちらが大切です?」

 山名君も縁に腰をおろして、タバコの煙をくゆらした。

「それに根本からバッサリ切るのは、これは気の毒ですよ。しかし枝をチョイチョイと払った程度ですから、人間で言えば爪や髪を切ったのと同じで、またすぐ生えて来ます。さて、残りのやつも、一気呵成(かせい)にやっつけますか」

「いえ。もう結構。あとは僕がやるよ」

 そこで二人は縁に上り、書斎に戻ったら、青い部屋の雰囲気は消え、なんだか白っ茶けた感じの部屋となり、畳の汚れや焼焦げがへんに目立って見えた。私は何もムードを尊重するたちではないが、空気がいきなり散文的になるのは、好もしいものではない。がっかりして部屋を見回していると、山名君は得意そうな面もちで、

「どうです。さっぱりしたでしょう。この空気の明るさ。それに風通しのいいこと」

 窓をあけ放って、深呼吸をした。

「しかし、風通しがいいからと言って、ここにじっとしてちゃ、何にもなりませんよ。少し出歩いて、山登りをするとか、魚釣りをするとか、体を動かさなくちゃダメです」

「そんなものかね」

「そうですとも。だから切り落した枝葉の始末は、あんたがやりなさい。本来なら僕がやるべきだけれど、そうすると為にならないから、そのままにしときます」

「え? おれに片付けさせると言うのかい?」

「そうですよ」

 山名君はうまそうに茶を飲んだ。

「これから出来るだけチャンスをつくって、あなたに運動させることにしましょう。無精というやつが、一番人間をダメにさせる。判りましたね」

 

 電話がかかって来たのは、それから五日目のことである。

「うん。判ってるよ。あれから毎日、適当に運動しているよ」

「ほんとですか?」

 疑わしそうな声が、受話器を通して聞えた。

「今日はあんたにひとつ運動していただこうと思って、いえ、散歩や庭掃きみたいな小運動ではなく、ちょいとした大運動です」

「大運動って、何だい?」

「そりゃ拙宅に来ていただければ判ります。服装? そりゃなるべく簡略な、お粗末な方がいいですな。少しよごれるかも知れないから」

「魚釣りかね?」

「魚釣り、じゃありません。水には関係がありますが――」

「水に?」

「そうです。とにかく十二時までに是非うちに来て下さい。今日は予定はないと言ったでしょう。お待ちしています」

 おい、おい、一体どんな仕事だと、問い返す前に、彼は電話をがちゃりと切ってしまった。話が一方的で、押しつけがましいのが、彼の生れつきの性格なのである。

 仕方がないから、一番粗末なシャツとズボンを着用、下駄ばきで十一時半に出かけた。この間の植木刈りではタダ働きをしてもらったんだから、すっぽかすわけには行かない。私の家から山名宅まで、バスと徒歩を併用して三十分の行程で、丁度(ちょうど)正午に着いた。山名君は門の外に立って待っていた。

「やあやあ、よく来て呉れましたね」

 山名君は操(も)み手をしながら、喜ばしげに言った。彼が揉み手をするなんて、珍しいことだ。

「お昼はまだでしょう」

「うん。まだだ」

「ではザルソバ、いや、モリソバでも振りましょう。どうぞお上り下さい」

 彼の画室に通ると、三人の先客が待っていた。それぞれ名前を紹介されたが、三人とも山名君と同年輩で、絵の方の仲間らしい。あいさつを交して、私はおもむろに山名君に訊ねた。

「水に関係のある運動って、一体何だい?」

「井戸掘りですよ」

 彼はあっさりと答えた。

「水道の水が全然出ないでしょう。それで今度うちで井戸掘りすることにしたんです」

「井戸掘り?」

 私は思わず大声を出した。

「僕にそれをやらせようと言うのか。そりゃ運動じゃなくて、労働じゃないか」

「運動も労働も、体を動かすという点では、同じようなものです。青空の下でやるんだから、健康にはとてもいいですよ」

「健康にはいいかも知れないが、井戸掘りなどという器用な真似(まね)は、僕には出来ないよ。そんなのは井戸屋に委(まか)せりゃいいじゃないか。おれ、もう帰るよ」

「いえ。ちょっと待って下さい。実は井戸屋に頼んだんですけどね――」

 

 モリソバを食べながら、山名君が説明するところによると、ここらは都内でも有数の水道の出の悪いところで、夜間は全然断水、昼間でもチョロチョロ水で、コップ一杯を充たすのに一分間ぐらいかかるという。周囲の畠が宅地に変って、家が建て込んで来たが、管の太さが旧のままで、ふだんでも出が悪いのに、昨今の断水騒ぎでますます状態が悪化した。ついに意を決して、井戸屋に頼みに行く気特になった。

 井戸屋は山名君の家から一町ほど行ったところにあって『井戸掘ります』と紙の看板がぶら下げてある。いつも散歩の行き帰りに、その看板がふらふらと風に揺られているのを見て、何と不景気な看板だろうと彼は憫笑(びんしょう)していたが、いざ頼みに行ってみると、そこのオヤジは実に横柄だったそうである。案内を乞うと、

「井戸の用事かい。庭の方に回んな。庭の方に」

 そこで庭に回ったら、丁度時分どきで、オヤジさんは刺身だのトンカツなどを肴にして、ビールを飲んでいた。不景気な看板にしては、豪勢な食事をとってるなあと、山名君は感嘆しながら、

「実はね、うちの水道の出が悪いんで、井戸を一つ掘ってもらいたいんだがね」

「水道の出は、どこだって悪いよ」

 コップを傾けながら、オヤジはそっけなく答えた。上れとも何とも言わないから、彼は余儀なく縁側に腰かけて言った。

「うちのは特に出が悪いんですよ。コップ一杯ためるのに、五分間かかる。これじゃ飢え死、いや、干乾(ひぼ)しになるおそれがあるんで、大至急に井戸を――」

「大至急? そりゃダメだね」

 オヤジは刺身を見せびらかすようにしながら、ぽいと口に放り込んだ。

「近頃申し込み殺到でね、大至急だなんて、そんなゼイタクな――」

「じゃ掘って呉れないと言うんですか?」

「そりや商売だから、掘りますよ。順番を登録しといて、番が来たら通知するから、それまで待つんだね」

「待つと言うと、一週間ぐらいですか」

「とんでもねえ。そうさね」

 オヤジは壁にかけた黒板を見上げた。

「まあ早くて、一カ月だね。とにかく予定がつまってんだから」

 そう言われて山名君は愕然とした。しかし考えてみると、今の水道の状態では、皆が井戸屋に殺到するのは当然の話である。も少し早く申し込めばよかったと思っても、もう遅い。

「弱ったなあ。どうにかなりませんか。親方」

 親方呼ばわりはしたくはないが、一カ月も待たせられてはかなわないので、彼は下手に出た。

「僕は貧乏絵描きで、冷蔵庫もまだ買ってないんです。それでビールを飲みたいと思っても、冷やす場所がない。せめて井戸でもあればねえ。親方。どうにかなりませんか。」

「うん」

 オヤジは若干心を動かされたらしく、箸の動きがとまった。

「ビールや西瓜(すいか)を冷やすには、やはり井戸が一番だ。なにしろ大自然の冷蔵庫だからな」

「そうでしょう。時にその親方のビールは、よく冷えてるようですねえ。うらやましいですよ」

「うん。これはあの真中の井戸で冷やしたんだ」

 オヤジが庭の方に顎(あご)をしゃくったので、見ると庭には三つも井戸が掘ってある。実物見本のつもりなのだろう。でも、

「では、あれを一つ譲って下さい」

 と持って帰るわけには行かないところに、山名君のつらさがある。オヤジは得意そうに、また憐れみをこめて言った。

「あんた、絵描きかね?」

「そうですよ。絵を描くのにも、やはり水が要るんです。どうですか。料金二割増しというところで、大至急願えませんか」

「うん。二割増しか」

 オヤジはコップを置いて、壁の黒板をにらみ、しばし首を傾けた。

「よし。どうにかやりくりして、明日やって上げることにしよう。特別だよ。あっしは芸術家が好きなんだ」

「え? 明日? そりゃありがたい」

 山名君は躍(おど)り上りたいような気特になった。

「是非お願いします」

「でもね、あんたは今の人手不足は知ってるだろ」

 オヤジはビールをぐっとあおった。

「ホリヤとゲンバはこちらから出すが、ツナコとドロカキはそちらで集めてもらいたいね」

「ホリヤと言いますと?」

「ホリヤとは井戸を掘る人だよ。こりゃ専門家じゃなくちゃ、出来ねえ」

「ゲンバは?」

「ゲンバは現場に立ち合って、指図する人のことだ」

 オヤジは面倒くさそうに、舌打ちか舌鼓か知らないが、舌をタンと鳴らした。

「明日の午後、二人さし向けるから、ちゃんと用意しときな」

「ツナコにドロカキは、何人ぐらい必要でしょうか」

「まあ四、五人てえところかな」

「ええ。承知しました。では、明日、お待ちしています」

 話をしている中に、オヤジの気が変ったらたいへんなので、山名君はペこりと頭を下げて、早々に退散したのだそうである。

「井戸屋があんなに威張ってるとは、僕も気がつきませんでしたよ」

 と、山名君は述懐した。

「もっとも水がないんですからねえ、横柄なのもムリはないと患うけれど。終戦直後の農家と同じですな」

「しかし、井戸屋が水を持ってるわけじゃない。水はおれたちの地面が持ってるんだ」

 仲間の一人がそう言った。

「あいつらが持っているのは、それを地面に引っぱり上げる技術だけだ」

 そう言えば終戦の時と、ちょっと違うような気が私もする。

 この間キャベツが一箇五十円とか七十円の高値をつけた時、私は八百屋に聞いてみた。

「一箇七十円だなんて、儲かって儲かって、笑いがとまらないだろうね」

「とんでもありませんよ。旦那」

 八百屋は真剣な顔をして手を振った。

「こりや市場で仕入れた元値で売ってるんです。キャベツを置いとかねえと、なんだ、キャベツも置いてねえのかって、お客さんからバカにされるんでねえ。儲かったのは、去年の安値の時ですよ」

 話によると、去年のバカ安値の時は、市場に行っても、小売商がそっぽを向くから、キャベツがごろごろ転がっている。そいつを一箇一円ぐらいで仕入れて来て、店に並べ、

「どうです。奥さん。こんなでっけえの、一箇十円」

 と突き出すと、奥さんは大喜びで十円玉を出し、笑いがとまらない風で帰って行く。八百屋もそれを見送りながら、笑いがとまらない。それが今年の七十円の値になると、奥さんは忌々しそうに百円札を出し、キャベツ一箇とおつりの三十円を持って、口惜し涙にかきくれながら立ち去って行く。八百屋さんも口惜し涙を流しながら見送るという寸法で、

「あっしどもの商売もつらいもんですよ」

 とのことであった。その反対に一部の農民が笑いをとどめかねたり、悲憤の涙を流したりしているのだから、結局は終戦の時と同じだとも言えるが、威張る奴がいないのは幸せなことである。

 その井戸屋も、芸術家が好きだから便宜(べんぎ)をはかったのではなく、料金二割増しに心を引かれたのだろう。

 モリソバを御馳走になったからには、おれはイヤだよ、と席を蹴って帰るわけには行かない。もじもじしていると、山名君が、

「あなたにはドロカキをやっていただきましょう」

「ドロカキ? ドロカキは困るよ」

 ドロカキってどんな仕事かしらないが、私ははっきりと断った。

「何故です?」

「名前が気に食わない。ドロカキというと、最低の仕事のような気がする。せめてツナコの方に――」

 と言いかけた時、玄関の方から、御免、御免、という声が聞えて、もう井戸屋がやって来たのである。それっ、と言うわけで、私も山名君にうながされて、古ズボンの裾をまくり上げ、裸足で庭に飛び出た。山名宅の庭にも木が多く、むんむんと青葉を繁らせている。全然手入れしてなく、桜の木などには毛虫がたくさん巣をつくっている。自分の庭はほったらかして、わざわざ他人の庭木の手入れに来るんだから、おせっかいもはなはだしいと言うべきであろう。

 井戸掘りの場所は、その庭の隅ということに決った。

 

 そしていよいよ井戸掘りが始まった。

 ホリヤというのが、山名君が言っていたれいの横柄なオヤジらしい。初めの中は私たちはただ眺めているだけだったが、段々掘り進むと、穴の中にバケツをおろし、綱を滑車にのせて、ゲンバの命令一下、その綱を勢いよく引っぱって走る。ヨイトマケにもちょっと似ているが、あんなにのんびりはしていない。穴の壁から水がシュウシュウ噴き出すので、大急ぎで引き上げねばならぬ。ゲンバがその泥水をあける。ツナコというのは、その引っぱり役のことだ。何の因果でおれがツナコなどを勤めねばならないのか。少々腹立たしくなって来たし、十分ぐらいやっていたら、日頃の運動不足がたたって息が切れて来たので、もはや耐え難くなり、ドロカキをやっている山名君に、

「おい。おれ、少しくたびれたよ。ドロカキにして呉れえ」

「そうでしょう。だから初めからドロカキをやりなさいと言ったんだ」

 山名君はそう言って代って呉れ、とうとう私は最低のドロカキになってしまった。最低と言っても、これは割にラクな仕事である。ゲンバがあけた泥水を、スコップで整理するだけなので、そう急ぐ必要はない。いい加減に桜の木の下に積んだり、下水溝に流したり、あれこれやっている中に、垣根の向うに人だかりがして来た。服装から見ると、近所の人達らしい。もの珍しさと、いつかは自分のとこでも掘るからその参考にと、集まって来たのだろう。

 その衆人環視の中で、私はなかばヤケッパチになって、せっせと泥をかいた。どうにでもして呉れと、居直るより他はないのである。

 井戸は夕方になって、やっと完成した。ちゃんと蓋をつけて、ポンプも取りつけた。私はくたびれ果てて、先に足を洗って画室の長椅子に横たわっていたので、山名君が井戸屋にいくらぐらい支払ったか知らない。井戸掘りの相場は知らないけれど、ツナコとドロカキの日当が只だから、結局相場より安くついたんじゃないかと思う。

 私が画室にいると、庭の方で何か言い争うような声が聞えて、やがて山名君が画室に飛び込んで来た。

「困ったことになりましたよ」

「何だい?」

「何だいって、あんた、流水をずいぶん下水溝に流したでしょう」

「うん。流したよ。それがドロカキの仕事なんだもの」

「弱りましたねえ。それで下の方の溝に泥が停滞して、近所から文句が来たんですよ。今日中にさらって呉れなきゃ、流し水が道にあふれるってね。あんたの責任ですよ」

「冗談じゃないよ」

 私はむっとして言い返した。

「これ以上おれに泥かきをさせようと言うのか。四十面を下げて、下水の泥かきが出来ると思ってるのかい」[やぶちゃん注:本作発表当時、梅崎春生は四十七歳であった。]

「そ、そう言わずに、あとでビールか何かを御馳走しますから、五人で手分けをして――」

「イヤだよ」

 私は断乎としで言った。

「君たち四人で手分けしてやれ。僕はビール買いの役目を引き受ける」

「そうですか」

 山名君は不服そうな声を出した。しかしテコでも動かぬという態度を私が示したので、ついに諦めて画室を出て行った。私は重い腰を上げ、下駄をつっかけて、酒屋におもむいた。

「ビールをだね、二ダースばかり届けて呉れ。うん。すぐそこの山名の家にだ」

 日当分ぐらい飲まなきゃ、腹の虫が収まらない。

「それからカニ罐、牛罐、南京豆もたのむ。勘定は山名から取って呉れ」

 家に戻って待っていると、やがて届けて来た。すなわち大盥(たらい)を井戸端に持ち出し、ギイコギイコと水を入れ、ビールをその中にひたした。なるほど水道の水よりはずっとつめたいようだ。

 一時間ほど経って、ドブさらいを終えた山名君たちが、どやどやと井戸端に行く気配がした。私は立ち上って、窓から眺めていると、大盥を見て山名君はギョッとした様子である。

「あれっ。豪勢に買い込んだもんだなあ」

 山名君の嘆息の声が聞えた。私は窓を開いて、声をかけた。

「まだもう一ダース、あるんだよ。それから罐詰もたくさん買っといた」

「え?」

 山名君は渋面をつくったが、三人の仲間は嬉々として、代りばんこにポンプを押して、手足を洗っていた。タダほど高いものはないと、彼も身にしみて知ったに違いない。

 それから画室で酒宴を開いたが、疲労しているせいか、すぐに酔ってしまった。せめて七八本は飲んでやろうと思っていたのに、三本ぐらいで私は千鳥足となってしまったのである。これから他人に酒をおごるには、くたびれた時を見はからって飲ませるに限る、という貴重な教訓を私はこの夜学んだ。

 

 一週間ほど経った。山名君から印刷のハガキが来た。

[やぶちゃん注:以下の山名からの手紙文は、二箇所ともに底本では全体が一字下げとなっているが、ブログ上の不具合を考え、引き上げて示した。]

 

『拝啓

 水不足の折柄、たいへんお困りのことと存じます。小生宅ではこの度井戸を掘りました。深さは五メートル程度ですが、とてもつめたく、おいしい水です。飲みたい方は拙宅においで下さい。腹いっぱい飲ませて差し上げます。もちろんタダです。

 貴台の健康をいのりつつ、まずは御報告まで』

 

 印刷までしたところを見ると、ずいぶん沢山の人に出したのだろう。移転通知や年賀状じゃあるまいし、たかが井戸一つ掘っただけで印刷状を出すなんて、大げさな話だと思う。でも誇りたい気持は私も判らないではない。私の家でも水道はチョロチョロである。

 印刷文の空白に、ペンで次のように書いてある。

 

『この間は御苦労さまでした。いい運動とレクリエイションになったと思います。今度は魚釣りに行きませんか』

 

 何がレクリエイションかと、面白くない気特になったが、しかし考えてみると、私が恨むべきは山名君でなく、都の水道局、いや、都知事や都議であるのかも知れない。彼等の無能無策のために、私はドロカキにまで身を落した。これで税金だけは、遠慮容赦なく取り立てるのは、一休どういう気持なのだろうと思う。

 それから五日目に、山名君が私の家に姿を現わした。白っ茶けた書斎に寝ころんで、週刊誌を読んでいた時だったので、あわてて私は起き上り、机の前に坐った。彼はのっそりと書斎に入って来た。手に一升瓶をぶら下げている。

「おや。今日はふて寝をしていませんね。めずらしいことだ」

「いつもいつも寝ててたまるか」

 私は答えた。

「なんだい、その酒瓶。この間のお礼に持って来たのか」

「冗談じゃないですよ。お礼はこの間の晩に、たっぷりしましたよ」

 山名君は大切そうに一升瓶を置き、あぐらをかいた。

「ほんとに皆よく飲み、よく食べましたねえ。酒屋の請求書を見て、僕はがっくりしましたよ。あれじゃあアルバイト学生でも雇った方が得だった」

「まあまあ、そんなにがっかりするなよ」

 少し気の毒になって、私はなぐさめてやった。

「ではその酒、どこかに持って行くのか」

「こりゃ酒じゃありません。うちの井戸水です」

「ほう。僕に飲ませようと持って来たのか」

「いえ。そうじゃありません」

 彼は忌々(いまいま)しげにポケットから一遇の手紙を取り出した。

「これ、田園調布に住んでいる後輩から来たんですがね、まあひとつ読んで下さい」

 私は封筒から引き出して、文面を読んだ。

[やぶちゃん注:以下の手紙文は字下げはない。]

 

『井戸をお掘りになられました由、おめでとうございます。しかし小生はお宅の井戸水がうまいということに関して、一抹の不安を感じるのであります。すなわち、井戸は昔から深い方が良い水が出ることは定評があり、浅い場合は充分ロカされない汚れが井戸水に混入するおそれがあります。率直に申しますと、御近所の便所のカメが破れていたりしますと、ハイセツ物はどうなるでありましょうか。言うまでもなく地面に吸収されるのであります。地面に吸収されたそのモノは……。とにかく山名先生の御健康のためにも、御近所の便所の構造が完全であることを、小生は祈りたいと思います。味がよいなどという宣伝は、ひかえられた方がよくはないでしょうか。化学で習った限りでは、水は無味、無臭、透明な液体であるべきなのです。

 先輩に直言して失礼とは思いますが、お許し下さい。

     水道局の水道の愛好者の

    一人であるところの 三谷朱男』

[やぶちゃん注:「ロカ」(濾過)・「ハイセツ」(排泄)・「モノ」(「物」だか、ここはカタカナの方がよりよい表記ではある)のカタカナはママ。]

 

「ね。癪にさわるでしょう」

 読み終えるのを待って、山名君は言った。

「三谷の奴はね、僕が井戸を掘ったのを嫉妬してんですよ。あいつの家は高台で、水道の出が悪いんです。そこへ僕のあいさつ状が届いたもんだから、カッと頭に来て、こんないやがらせの手紙を書いたんです」

「そうかも知れないね」

 私は答えた。

「この文面はケチをつけてやろうという精神に満ちあふれているね。それで、その一升瓶を田園調布に持って行って、その男に飲ませようと言うのか」

「いえ。それほど酔狂なことはやりませんよ」

 山名君は苦笑いをした。

「これを保健所に持って行って、水質検査してもらおうと思うんです。その証明書を二通つくってもらって、一部を三谷に送ってやろうと思うんですがね」

「証明書たって、飲料には不適という結果が出るかも知れないじゃないか」

「いえ。大丈夫です。うちの井戸に限って、不適なんてなことはあり得ません」

 自信たっぷりの表情で彼は断言し、それから保健所におもむくために、立ち上った。それから二週間経つが、山名君は私の家にやっても来ないし、電話もかけてよこさない。もしかすると、飲料不適の結果が出て、大言壮語の手前、姿を現わさないのかも知れないと、私は心配している。

2018/06/15

ブログ・アクセス百十万突破記念 梅崎春生 熊本弁


 
[やぶちゃん注:昭和三八(一九六三)年八月号『新潮』に発表された。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第四巻」(昭和五九(一九八四)年刊)を用いた。

 謂わずもがなであるが、梅崎春生は熊本五高出身である。また、事実上の主役である「川路」は「関門海峡の某島」(伏せてある)で第二次世界大戦中に兵役に就き、「いじめられ」たと語るところは、春生自身の戦争体験と美事にダブっており、川路が作者の分身の一人でもある印象を与える

 本作のメイン・ロケーションは梅崎春生自身をモデルとする主人公「ぼく」の「信州の山居」であるが、梅崎春生も昭和三二(一九五七)年の夏、蓼科高原に別荘を新築し、それ以降、概ね、毎夏をここで過ごし、か「蓼科大王」と呼ばれた。

 また、作中、引用される(小説中への俳句の引用というのは梅崎春生にしては非常に珍しい)杉田久女(ひさじょ 明治二三(一八九〇)年~昭和二一(一九四六)年)の句は、大正九(一九二〇)年八月の信州での「信州吟」(病中吟ともに百六十五句の句群)の中の初めの方にある一句で、これらは大正九年八月に信州松本に久女の実父の骨を納骨に行った際(恐らくは二人の子を連れて)の嘱目吟である。この直後、彼女は腎臓病を発症し、東京上野の実家へ戻って入院加療に入り、そのまま実家で療養に入った(この時、専ら、久女側からの意志で、夫杉田宇内(旧制小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)の美術教師で画家)との離婚問題が生じた)。この時の夫との別居は約一年に及んでいる(小倉への帰還は大正十年七月)。久女は結婚後の大半を小倉で過ごし、福岡県立筑紫保養院で亡くなっており、福岡生まれの梅崎春生は、ある種の親和性を彼女に抱いていたことが、ここから判る。私は久女を偏愛し、彼女の全句集(ブログ版PDF縦書版他)や小説・随筆もブログ(先のリンク先)で手掛けているので、興味のある方は見られたい。

 文中で主人公の「ぼく」が、「雅楽」の「型の一つに、背をやや前屈し片袖で顔をおおうようなのがあった」と述べているが、これは雅楽ではなく、能の「シオリ」を指しているように思われる。泣いていることを表わす所作で、指を伸ばした手を、顔より少し離れた前方へ、目を覆うように上げて、零れる涙を押さえる動きを指す。

 「ぼく」が学生時代に語学が不得手だったと述べるシーンがあるが、春生自身、語学が苦手だったかどうかはさておき、遺作「幻化」の中の印象的なシークエンスの末尾に、主人公「五郎」がドイツ語の単位を落として落第したというエピソードが出る(リンク先は私のブログ版電子化注の当該部分。なお、梅崎春生も事実、熊本五高で三年進級に落第してダブっている)のを、私は思い出した。

 後半、「去年の十月、ぼくは自宅の階段からずっこけて背骨を打ち、しばらく静養した」と出るが、これも事実で、昭和三七(一九六二)年十月、子どもふざけていて転倒し、第十二胸椎を圧迫骨折し、さらにギックリ腰になって難渋した。本作はその翌年夏の発表だから、謂わば、非常に共時性の強い作品であることも判る。

 後半で「ぐれはまな」という語を川路は使うが、これは熊本弁ではない。「ぐりはま」の転訛で、貝の「はまぐり」(蛤)を用いた古来からの「貝合わせ」の遊びからきた江戸言葉(東京方言)で、「食い違うこと」や「あてが外れること」を意味する。サイト「日本語俗語辞書」のこちらによれば、『貝の中でもハマグリは殻がしっかりし、形状が波形なため、もともと一緒だった殻同士でないとピッタリと合わないことから』「貝合わせ」に『用いられた。そして、ピッタリ合わなかったものを』「ぐりはま」『(ハマグリの倒置)と呼び、『蛤』をそのまま』百八十度』回転させた(逆さにした)漢字も存在した。ここから』、「貝合わせ」に『関係なく、先述のような意味で』「ぐりはま」が『使われるようにな』り、また、『後にこれが訛った』「ぐれはま」という『言葉が使われるようになり、現在も使われる『ぐれる』という動詞に通じ』ている、とある。この川路の謂いは、自身の性格についての謂いであり、寧ろ、今の「グレる」と同じ用法であるように思われる。

 本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが百十万アクセスを突破した記念として公開する。【2018年6月15日 藪野直史】]

 

 

 熊本弁

 

 

 川路君のことについて書こうと思う。彼は酔っぱらうと、よく熊本弁を使った。初対面でいっしょに飲んだ時、ぼくは彼が熊本出身者だとばかり思っていたほどだ。

 川路をぼくの信州の山居(というより山小屋に近い)に伴って来たのは、大和君という年少の旧友だ。大和は昔ある出版社に勤めていて、そこで友達になった。何故友達になったかというと、大和は酒飲みで、そんな縁からだったと思う。酒の酔い方、飲みっぷりが、つまりぼくの肌に合ったのだ。その出版社は間もなくつぶれた。が、大和との交友は続いた。

 前ぶれもなく彼等が信州にやって来たのは、八月の終りか、九月に入っていたかも知れない。

 紫陽花(あじさい)に秋冷いたる信濃かな

 という杉田久女の句があるが、まさしく秋冷という感じの気候の頃だった。盛夏なら避暑客や登山族でいっぱいになるけれど、その頃は宿も割にすいていて、二人は一部屋を確保し、荷物を置いてぼくの山小屋にやって来たのだ。松虫草がたくさん生えている斜面の径(みち)をごそごそと登って来て、大和が窓から首を出した。ぼくはびっくりして昼寝の姿勢から起き上った。

「やあ。ごめん下さい。これ、川路てんです」

 大和は恐縮してそばの男を紹介した。

「ぼくの友達で、H大学でフランス語を教えています」

 川路はまぶしそうな表情で頭を下げた。ちょっとふしぎな印象を受けた。体の割りに頭が大きい。いや、頭の割りに体が小さく瘦せているのである。愁(うれ)いを含んだ眼で、そのくせいつも顔はわらっているように見えた。

 も少し山の上にある先輩を訪ねて行くというので、

「では帰りに寄りなさいよ。洒とビールを用意しとくから」

 と大和に言ったら、川路はからかうような声で、

「何だ。君の大酒飲みは、こんなところにまで響き渡っているのか」

 と笑った。それでぼくは何となく川路という人は酒をたしなまないんだなと思ってしまった。

 夕方二人は山からぼくの小屋に降りて来た。遠慮する二人を招じ入れて、卓についた。ゴザを敷いた粗末な板の間で、彼等はきちんと坐る。いくら膝をくずしなさいと勧めても、遠慮してくずさない。ビールが二本目にかかった頃、やっとあぐらをかいた。

 酒は飲まないとの予想で、ぼくは川路のために、肉や塩魚や山菜などの手料理を用意していた。ところが川路は飲むのである。グイグイと言うより、ゴシゴシとコップを口に持って行く。ぼくは言った。

「大和君を大酒飲みだとからかっていたが、君も案外飲むじゃないか」

「こいつ、ぼくより大酒飲みなんですよ」

 大和がかわって説明した。川路はにやにやと笑って頭をかいた。

 一時間ほどしたら、二人ともがくんと酔ってしまった。天気にたとえると、黄昏(たそがれ)というものが短いのである。素面(しらふ)の白光から、突如として酔いの闇に入るようなものだ。大和はだいたいそんな酔い方をするが、川路のもそれと同じだった。類は友を呼ぶのか。

「わしゃ九州人は好かんですたい」

 ぼくが九州の福岡出身と判ると、川路の表情が一瞬動いた。そしてそう応じた。

「何故好かんのかね?」

 ぼくは訊ねた。ぼくも少しは酔っていた。

「どぎゃんもこぎゃんもなかですたい。好かんもんは好かん」

「こいつ、酔うと、すぐ熊本弁が出るんです」

 大和が傍から口を出した。

「おい。川路。まだ熊本弁は早いぞ」

「よか。よか。お前は口ば出すな」

 川路は手を振った。

「ビールじゃいっちょん酔わん。はよ酒ば出してくだはりまっせ」

 彼は熊本弁をやめなかった。うるさいほどそれに執した。やがて二人は完全に酔っぱらって、宿に戻るというので、懐中電燈を貸してやり、それでも心配なのでぼくも下まで降りることにした。ぼくの懐中電燈の光の輪の中で、山道を降りる川路の頭が、ラッキョウを逆さにした具合にぐらぐらと揺れる。

「よか月ですなあ」

 ぐらぐらしているくせに、川路は天を仰いでそんな嘆声を上げる。

「星がむごうたくさん見ゆるばい」

 だから足を取られて、両三度辷(すべ)り転んだ。たすけ起すと、川路の腕はなよなよとして細かった。宿の玄関まで送り届けて、ぼくは小径をのぼり、小屋に戻って来た。板の間で飲み直した。

 

 二人は翌日の正午頃、また山小星に訪ねて来た。ぼくは丁度(ちょうど)起きたばかりで、小屋の外で歯ブラシを使っていた。

 ぼくは雅楽を実際には見たことがない。しかしテレビでは見たことがある。その型の一つに、背をやや前屈し片袖で顔をおおうようなのがあった。川路と大和はそれと同じ恰好(かっこう)で、背広の袖で顔をかくすようにしながら、小径を登って来た。日射しをさけるためでなく、上から見ているぼくの視線をはばかってである。

「昨夜はたいへん失礼しました」

「それにたいへん御馳走になりまして」

 と、こもごもしおらしげに挨拶をした。昨夜の酔態をてれているのである。小屋の前の平たい岩に腰をおろして、しばらく雑談をした。

「川路君は熊本県のどこの出身だね?」

 昨夜問い忘れたことを、ぼくは訊ねてみた。

「ぼくは熊本出身じゃありません。中国地方の――」

「でも熊本弁が使えるじゃないか。熊本に住んだことがあるの?」

「いえ。軍隊で半年ほど――」

 召集されて関門海峡の某島に勤務していた。その隊の大半が熊本出身者で占められていて、そこで覚えたのだという。ぼくは熊本に四年住んだことがあるが、熊本弁をほとんど使えない。たった半年の経験で、少々おかしいところもあるが、とにかく使いこなせるのは大したもんだ。それを言うと、川路は気弱そうに笑いながら答えた。

「ええ。ずいぶんいじめられましたからねえ」

 その体で兵隊勤めはつらかっただろうと考えたが、それは口に出さなかった。

 それから二人で先輩の家に行くと言うので、

「夕方には寄りなさいよ。また洒の用意をして置くから」

「ありがとうございます。でもあの肉はイヤですよ」

「なぜ?」

「あれ、馬の肉だそうじゃないですか。今朝宿の主人に聞きましたよ。どうも味がへんだと思っていた」

「馬肉はきらいなのかい? もりもり食べたじゃないか」

 ここら地方では、肉というとおおむね馬肉のことなのである。

「好き嫌いの問題じゃありませんよ。肉を食うなんて、それじゃあ馬が可哀そうだ」

 川路は頭をかかえた。

「ぽくに食われた馬が、気の毒でしょうがない」

「気にしない。気にしない」

 と大和が川路の肩をたたいてなぐさめた。大和は馬肉の件では平気らしい。

「さあ出かけようよ」

 川路は頭から手を外し、ていねいな挨拶をして、二人は小径を登って行った。案外冗談や誇張が好きな男だと、その後ろ姿を見送りながらぼくは思った。

 夕方、待っていたがやって来ないので、馬肉をさかなにして、ビールを飲み始めた。三本ほど飲んでも、まだまだ姿を見せない。昨夜のことで遠慮して、まっすぐ宿に戻ったんじゃないか。そう思って山道を降り、宿の玄関で女中に訊ねると、

「そのお二人さんなら、バーの方にいらっしゃいます」

 バーヘ行くと二人はたのしそうにしゃべりながら、酒を飲んでいる。ぼくの姿を見ると、ぴょんと止り木から飛び降りてあわてて挨拶をした。

「こんなところで飲んでいるのか。来るかと思って待ってたんだよ」

「ええ。毎晩々々お世話になるのも悪いと思いまして――」

 もうそろそろ酔っている。

「それで遠慮をばいたしました」

「仕方がないね。ではぼくもここで飲むとするか」

 実を言うと、ぼくも独り酒に飽きて、相手が欲しかったのである。席を卓の方に移して、川魚などをさかなにして飲み始めた。ホームグラウンドだから、彼等は昨夜ほど急激に酔いはしない。それでもだんだん回って来て、また熊本の話になった。

「四年間も住んでいて熊本弁をしゃべれないなんて、何ちゅうことですか」

 川路はぼくにからんだ。

「あんたはきっと学生の時、語学が不得手だっただろ」

「そうだね。得意じゃなかったな」

「そうだろ。そうだろ」

 川路は合点々々をした。

「わしの学生でも、語学が下手なのは、とかく不器用なのが多かですたい」

「何を言う。君だって不器用じゃないか。昨夜も三四度転んだよ」

「そら慣れん山道だけん、仕方なかです」

「軍隊でも君はうまくやれたとは、ぼくは思わないな」

「軍隊?」

 川路の表情は歪んだ。

「軍隊の話はやめましょう」

 その中にバーの閉店時刻が来て、ぼくは外に出、彼等は部屋に戻った。ふらふら歩いている中に、帽子を忘れたことに気がついて宿に戻る。バーはしまっているので、二人の部星に行き、ノックもせず入って行くと、二人とも寝床にあぐらをかいて、ウィスキーを汲み交していた。

「あっ。いけねえ」

 れいの雅楽の型で顔をかくした。さっき別れ際に、あんまり深酒するんじゃないよ、と先輩面して忠告したばかりなのである。二人はバーの閉店時刻を承知していて、部屋に予備のをかくしていたらしい。

 

 翌朝九時頃、二人はリュックサックをかついで、わが山居にやって来た。酔うと無頼になるけれども、素面(しらふ)だと彼等は借りて来た猫みたいにおとなしい。

「いろいろお世話になりました」

 これから東京に戻るのでおいとま乞いに参ったと言う。

「ちょっと上れよ。昨日用意したビールや料理が手つかずで残っているから」

「でも昨晩は、酒は飲むなと――」

「そうは言わないよ。深酒はするなと言っただけだ」

 宿酔気分で迎え酒をやろうかと思っていたところなので、リュックを手繰り寄せ、強引に部屋に引き上げた。彼等は観念したかどうかは知らないが、顔を見合わせて、のこのこと上って来た。そこでビールの栓を抜いた。

「いい景色ですなあ」

一本ずつあけた時、川路が窓の外を見て言った。顔がいくらか赤くなっている。迎え酒だから、よくきくのだ。

「今まで景色を眺めなかったのか」

 ぼくはあきれて言った。

「一体この三日間、何をしてたんだね?」

「え? ええ」

 川路は大和の顔を見た。

「おれたち、何をしてたかなあ」

「うん」

 大和も腕を組んで、何かを考え出そうという表情になった。

「東京の暑さにぼけてしまったんじゃないか」

 ぽくはビール瓶を買物籠に五六本詰め込んだ。ついでにさかなも。

「いい景色のところに連れてって上げる。そこで飲みましょう」

 山小屋から十五分ほど登ると、通称見晴し台という場所がある。三百六十度が見渡せる大景観で、アルプスや八ヶ岳やその他の諸山、平地、湖などが見える。さすがの二人も感心したらしく、ビール瓶をぶら下げたまま、しばらく佇立(ちょりつ)していた。ややあって川路が言った。

「いい景色だなあ。一体ここは何県ですか?」

「おい、おい。バカな質問はよせよ。長野県にきまってるじゃないか」

 大和がたしなめて、ぼくに弁解した。

「ここに来る汽車の中で飲みつづけだったんで、すこし見当が狂っているんです」

「そうだ。長野県だった」

 川路は芝草に腰をおろして、ビール瓶の口飲みをした。秋風が川路の長い髪の毛に吹いてばらばらにする。男のくせに絹糸みたいに柔かい毛だった。

 持参したビールはそこで全部平らげ、ぼくの山居に戻り、二人はリュックを背負った。

「おみやげにこれを持って行きます」

 と、松虫草の花を一つずつ手折り、胸にさした。ぼくはその二人をバスの停留場まで送って行った。

 四五日経って大和から礼状が来た。同封の大和夫人の文章では、

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が一字下げとなっているが、ブラウザでの不具合を考え、無視した。]

 

 御礼、遅れて申しわけございません。なんですか、川路氏とうちのダンナがお邪魔に上りましたそうで、こちらへ着くと、帰還祝いだか何だか新宿でしこたま飲んで、わが家の玄関をあけて入るなり「最高だった」「大感激」「そりやもう大変なもんだった」等々まるでもう天国から帰ったようなはしゃぎようで、揚句のはて私の感激のしようが足りないと怒り出す始末。日頃モテない男が、たまにもてなしを受けると、こうなんだからイヤんなっちゃいます。

 

 云々とあった。三日も家をあけた照れかくしの気分もあったのだろう。

 

 今年の一月の末、大和から電話がかかった。川路と同行、お見舞いに参上したいと言うのである。そしてその翌日、二人はつれだってやって来た。早速酒を出した。

「背骨をいためたというのに、酒飲んでもいいんですか?」

 率先してぼくが飲み始めたので、大和が心配そうに言った。

「いいんだよ。骨と酒とは関係ないよ」

「しかし深酒はいけませんよ。おやじもそう言ってました」

 去年の十月、ぼくは自宅の階段からずっこけて背骨を打ち、しばらく静養した。見舞いとはそのことである。

「おやじさんって、お医者さんかね?」

「ええ。元軍医です」

 川路君の顔は昨年の夏にくらべて、いくらか暗鬱で力なく見えた。それを言うと、

「ええ。学校の方が忙しいんでね、くたびれているんです」

 軍医のことから軍隊の話になった。昨夏のようなグイグイ飲みでなく、盃(さかずき)をあけるピッチが遅い。

「軍隊じゃいじめられましたよ」

 熊本県出身の下士官や古兵にひどいいじめ方をされた。それはそうだろうと、ぼくは思う。こんなひよわな体格で、重量物も持ち上げられないし、動作だって不器用だ。軍隊に適するわけがない。しかし古兵にとっては、怠けている、さぼっているという風に見られ勝ちなものだ。そこで徹底的にいじめられる。軍隊とはそういうところだ。半年経ってとうとう病気になり、除隊になった。

 その頃のラジオは、朝の起床ラッパから放送が始まる。それが耳に入ると、除隊の身分も忘れて、川路はがばとはね起きる。母親はそれを見て、

「そんなにまで苦労したのかい。じゃラジオのつけ放しはやめる」

 と涙ぐんだそうだ。母親の話をしている頃から、だんだん盃のピッチが早くなった。

「そうか。そりやたいへんだったねえ」

「ひでえしくじりですたい」

 そろそろ熊本弁が出始めた。

「そんなにいじめられたんなら、熊本弁は聞きたくもないし、またしゃべりたくなくなるのが普通だろう」

 ぼくも盃をかさねながら言った。

「君は逆だね」

「逆ですかね」

 川路の眼は一瞬するどく光った。それは何かひたむきな執念のようなものを、ぼくに感じさせた。

「でも酔うと、すぐそうなっちゃうんですよ。わしゃあもともと、ぐれはまな性分のごたるな」

 そこらあたりを境にして、川路はがくんと酔ったらしい。歩いて帰れそうにないので、家内がハイヤーを呼んで、二人を押し込んだ。

 それから五日ほど経って、大和夫人から電話がかかった。

「川路さんが突然亡くなられたそうです」

 ぼくは愕然とした。

「え? 何で?」

「何か判りませんけれど、知らせを受けて大和はすっ飛んで行きました。くわしいことが判ったら、またお知らせします」

 電話を切って、ぼくは部屋中をうろうろと歩き回った。そして思いついてH大学の事務局に電話をかけた。事故死だということが判った。

 その夜ひとりで酒を飲みながら、川路のことを考えていると、急に涙が出て来た。ごまかすために、鉛筆を持って来て、弔電(ちょうでん)の文章を考えて、原稿用紙に書きつけた。

『カワジクン、キミハ……』

 彼の家族とは面識ないので、どうしても川路に呼びかける文章になる。書きながら、

「こんなキザな電報を――」

 と思ったり、

「弔電を打っても意味ないじゃないか」

 と考えたが、結局電話を通じて打ってしまった。何かしめくくりのようなものがないと、やり切れなかったのである。

 それから二週間後、大和から手紙が来た。

[やぶちゃん注:以下も、底本では全体が一字下げであるが、先と同様に処理した。]

 

 啓上

 その節は大へん御馳走になりまして、御礼の言葉も失したまま、御無沙汰いたしました。

 そこへ突然の川路君の急死で、あなたも奥様もびっくりなさったことと存じます。ぼくも、今もって何をするにつけ、あの人が出てきてやり切れません。実感が来ないというよりも、いつもそこにいるようで、かないません。

 それにしても、あなたとは川路君はへんな御縁だったと思います。一度どっかへ逃げたいな、というので、ぼくが信州へ連れ、その三日間というものおもてなしにあずかりまして、川路君にしても、とても楽しかったようでした。今年の夏も是非、と楽しみにしていたところなのです。あの夜も、あんなに愉快そうにはしゃいだ彼を、ぼくはめったに見たことはありません。

 こちらも御好意に甘えっぱなしで、今度はこちらでまたお礼しなければ、など二人で話し合っていたのです。奥様に車を呼んでいただき、渋谷で降りようと川路君が誘って、二人でバーを一軒のみました。その夜は、川路君宅へ泊ってしまいました。

 翌朝、二日酔いながら気分はよろしく、ひる近くまでブドウ酒をのみ、あなたの噂話など、川路夫人にお喋りして、別れたのが最後でした。

 それから事故のあった二月二日まで、あまり酒はやらなかったようです。試験の採点で忙しく、過労の極にあったとききました。あの人は、教師としてはマジメでしたので、採点も疲れるまでじっくり見たようです。

 二日夜、パリで知り合ったS紙の政治部長とかいう人に、あちらでお世話になったからと、一席もうけられ、その何軒目かに、銀座の何とかビルの二階にある、何とかいうバーヘ連れて行かれたのだそうです。弟というのがS紙の政治部にいて、つまり弟さんの上司なわけです。弟も同席していれば、とこれはあとになって思うことですが、途中で弟さんが電話で「そろそろ迎えに行くから」といったのに、川路君は「大丈夫だ、もうじき帰るから来なくてもいい」と返事したんだそうです。もう例の熊本弁が出ていたので、弟は定量へきてるよ、とは考えたそうですが。弟が迎えに来る間に、階段から落ちました。

 相手が目上の人だったのと、はじめてのバー(高級)だったことなどで、酒をコロシテのんでいたのではないか、と奥さんはいっていました。階段のことを失念して、バーから一歩目が道だと錯覚したんじゃないか、と弟さんはいっていました。

 急な階段で(多分、新宿なんかのと違い、コンクリートの硬いやつなんでしょう)真逆さまだったようで、すぐ救急車で京橋病院へ担ぎこまれもう(十二時二十分)意識不明で、翌三日午後六時、絶命とか。奥さんはすぐ駈けつけたそうです。その間、何度もすごい(聞いてはいられない)うめき声をあげ、そして大量の血を何度も吐いたそうです。脳の骨(脳底骨とか?)が折れ、もうどうにもダメで、はじめはわからなくて、翌日(三日)脳手術をして判明したんだそうですが、医者も、こんな運の悪い骨折の人はいない、と奥さんにいったそうです。外傷、何一つなしで。

 呼吸が絶えても心臓はしばらく動いていたそうです。頭だけぐんぐんふくらんでいったそうです。

 出棺の時、見ました。いつもの二日酔いの朝の眠っている顔でした。

 どうもくどくどと書きなぐつてしまいました。一言御報告をと思いながら乱文おゆるし下さい。葬式には、二百人近くの沢山の人が来ていました。小学生一年の男の子と幼稚園の妹と、めずらしそうに、ひょこひょこ庭を、はねていました。奥さんは大学でぼくの二年後輩で、川路君とは、高女での教え子だったんです。泣けないといっていました。ただ、遺体に向って、「ばかやろう!」と一言いいたいだけだ、といっていました。

 ほんとうに、死ぬというのが、こんなにあっけないものかと、おどろいています。

 何か、ぼくなんかの分を、代表でやってしまってくれたような、いたたまれない悲しい気持です。

 

 川路君と深いつき合いはなかったが、彼の死はひどくぼくにこたえた。若い人の死はつらい。それはぼくの歳のせいかとも思う。

2018/05/19

ブログ1090000アクセス突破記念 梅崎春生 やぶれ饅頭



やぶれ饅頭   
梅崎春生 

 

[やぶちゃん注:昭和三九(一九六四)年十二月号『小説新潮』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第四巻」(昭和五九(一九八四)年刊)を用いた。因みに、梅崎春生はこの翌年、昭和四〇(一九六五)年七月十九日、五十歳で肝硬変のために亡くなっている。

 幾つかについて、先に注しておく。

 初めの方に出る「原子力潜水艦が日本に寄港するという記事が新聞に出た」というのは、この前年の昭和三八(一九六三)年一月九日、アメリカ政府が日本政府に対し、原子力潜水艦の日本寄港を要請、反対の気運が盛り上がる中、翌年、アメリカ政府は日本の情勢を考慮したとされる「外国の港に於ける合衆国原子力軍艦の運航に関する合衆国政府の声明」及び「エード・メモワール(原子力艦船の安全性に関する覚え書き)」を送り、①日本政府の意志に反して行動しない。②安全確保に広範な措置をとる。③燃料交換や動力装置の修理を日本では行わない。④休養と補給を寄港の目的とすると表明、日本政府はこの声明が担保されるならば安全上は問題ないとして原子力潜水艦の入港を認め、この昭和三九(一九六四)年八月にアメリカ側に寄港の受け入れを通告、本作が発表される直前の昭和三九(一九六四)年十一月十二日、原子力潜水艦「シードラゴン」USS Seadragon, SSN-584/二千三百六十トン/排水量(水上)二千五百八十トン・(水中)二千八百六十一トン/全長八十二メートル/全幅七・六メートル/吃水六・八三 メートル/最大速二十ノット(時速三十七キロメートル)/乗員九十五名/母港・ハワイ・オアフ島真珠湾)が長崎県の佐世保港に入港したことを指す。この潜水艦はこの四年前の一九六〇年八月二十五日、北極点に到達、薄い氷を破って浮上した初の潜水艦として知られる(一九八三年退役・一九八六年除籍・一九九四年十月一日原子力艦再利用プログラムによる解体開始・一九九五年九月十八日解体完了)。因みに、当時、私は小学校二年生で、本作に出る第十八回オリンピック(昭和三九(一九六四)年十月十日~十月二十四日の記憶(白黒テレビだったので色が着色していないが)は鮮明だが、この「シードラゴン」寄港に纏わるものは残念ながら全くない(しかし、この潜水艦はその怪物めいた(実際にはタツノオトシゴの仲間である条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科ヨウジウオ亜科 Phycodurus 属のシードラゴン類の英名由来)と持っていた小学館の図鑑(「地球の図鑑」か)の単色の絵と一緒にこちらも何故か鮮明に覚えている)ので、「原水爆禁止日本国民会議」公式サイト内のここと、「毎日新聞社」公式サイト内の「昭和のニュース」のこちら、及びウィキの「シードラゴン(原子力潜水艦)」を参照した)。

 オリンピックについての主人公の台詞に「とくに閉会式なんか、哀感がただよっていて、涙が出た」とあるのには、激しく共感した。小学二年生の私でさえ、あの入場の最後のシークエンスには驚き、そして強く打たれ、同じように涙が出たことを今も忘れないからである。

 今一人の登場人物の一人野原の台詞の中に「北朝鮮やインドネシヤをしめだして何がオリンピックですか」という下りがあるが、これは、ウィキの「オリンピックのインドネシア選手団」によれば、『オリンピックインドネシア選手団は』一九五二年の第十五回『ヘルシンキオリンピックから参加し』ていたが、一九六二年に行われた『アジア競技大会で』、先進国への不満と社会主義諸国への親和性を強めていた当時の『インドネシア政府が』、『イスラエルと中華民国の参加を拒否したため、翌』『年に国際オリンピック委員会から一時資格停止処分を課された』。一九六四年六月には、この『資格停止処分は取り消され』、『東京オリンピックへの参加を予定していたが』、その『インドネシア選手団』の中に『新興国競技大会』(英語:The Games of the New Emerging Forces/略称:GANEFO。先の事件後、インドネシアはIOCと対立して脱退を宣言、社会主義国・アラブ諸国・アフリカ諸国にオリンピックに対抗し得る総合競技大会の開催を呼びかけて一九六三年十一月にインドネシアで開催されたスポーツ大会。IOCはこの大会に出場する選手はオリンピックに参加する資格を失うと宣言していた)『の問題で資格停止処分となった選手が含まれていたため』、『東京オリンピックに参加することなく』、『帰国を余儀なくされた』ことを指す。また、冨田幸祐氏の論文「東京オリンピックにおける参加国・地域に関する史的研究」(PDF)によれば、『北朝鮮は GANEFO に東京オリンピックにも参加予定の選手を多数派遣していた』とあり、全く同じ理由で参加出来なかったことが判る(結局、朝鮮民主主義人民共和国の夏季オリンピックへの初参加は一九七二年の第二十回ミュンヘンオリンピックからの参加となった(但し、冬季はこれより遥か前の一九六四年の第九回インスブルックオリンピックが初参加)。

 「チャンピオンフラグ」は「championflag」で優勝旗。但し、和製英語。

 「床頭台」「しょうとうだい」と読む。病院の病室の患者用ベッド近にある、例のテーブルや小間物入れ等の附いたもののこと。

 「昇汞(しょうこう)」は塩化水銀IIHgCl2(塩化水銀)のこと。極めて有毒であるが、千倍から五千倍(〇・一~〇・〇二%)に薄めた水溶液は、かつては種々の殺菌・消毒に用いられた。

 あまり前に注すると、読むあたたが面白くないだろうから、一部は、概ね、本文中のパートの切れ目に挿入した。

 また、本篇では主なシークエンスを主人公の入院していた病院とするのであるが、描写内容から見て、梅崎春生がこの前年、昭和三八(一九六三)年九月に吐血後、そのまま不摂生のために同年十二月に東京都武蔵野市境南町にある武蔵野日赤病院に入院、一ヶ月後のこの年の一月に東大病院に転院(三月まで治療継続)した入院の実体験をまずは下敷きとしていると考えられる(季節も合致し、武蔵野日赤病院なら富士山が見えておかしくない)。但し、それ以前の、昭和三四(一九五九)年の五月に精神的変調を起し、五月から七月まで台東区下谷の近食(こんじき)病院に入院し、持続睡眠療法を受けた折りの、やや古い体験も或いは援用されていると考えてもよい(特に最後の方の野原の体験談の一部にはその感じが私にはする)。それは、遺作となってしまった一九六五年六月発表の「幻化」(リンク先は私のマニアック注釈附縦書版。ブログ版もある)では、この後者の精神科入院体験が大きなモチーフの一つとなっているからである。なお、前者の実体験は梅崎春生の随筆「病床日記」(私の注附き電子化)に詳しい

 なお、本電子化は2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1090000アクセスを突破した記念として公開する。【2018年5月19日 藪野直史】]

 

   やぶれ饅頭

 

 ある日の夕方のこと。やや肌寒くて、火鉢を入れた。

 この頃急に日が短くなって、あれよあれよという間に陽が落ち、あたりが薄暗くなる。春と秋とをくらべると、私はどちらかというと、春の方が好きだ。春はものがだんだん伸びて成熟して行く。秋はその反対で、しぼんだり枯れたり、やがて寒い冬がそれにつづく。つまり私は寒さがきらいなのである。

 私は広縁に食台を持ち出し、ひとりで酒を飲んでいた。家内は子供をつれて、久しぶりに実家に帰っている。枯葉でうずまった庭の、小さな木戸を押しあけて、男が一人ぬっと顔をつき出した。

「こんちは。お留守ですか」

 私の顔を見ながら言った。顔を見ているくせに、お留守ですかとは、全く人をくった質問だ。私はすこし怒った。

「留守であるかどうか、見りや判るだろ。玄関に回りなさい。そしてベルを押すんだ」

 悪質のセールスマンや物乞いが、とかく木戸から入って来る。この間、原子力潜水艦が日本に寄港するという記事が新聞に出た翌日、もう寄港反対の署名簿を持ってあらわれた中年女がいた。これは署名すればいいというものではない。署名をすれば、電球を買取らねばならぬ。そういう仕組になっている。この女も玄関から入りにくいとみえ、木戸から入って来た。この男もそれかと思った。

「玄関で何度もベルを押したんですけどね」

 男は庭に足を踏み入れた。

「お宅のベルの電池が、きかなくなっているんじゃないですか」

「そ、それはそうだが――」

 私はどもった。うちのブザーは夏の頃から調子が悪くなり、押しても鳴らぬ時がある。私が実験してみると、まっすぐに押しては絶対鳴らない。すこし斜めに押すと鳴る。斜めといってもその日によって右斜め、左斜め、下斜めと、鳴らし方が違う。どういうわけでそんな具合になるのか、私には判らない。接触か何かが悪いのだろう。また時ならぬ時にブザーが鳴り渡り、玄関に出ると、誰もいない。外に飛び出しても、姿は何も見えない。

 八年前にこの家を建てた時、これを取りつけたのだが、家の古びにともなって、ブザーも化物(ばけもの)じみて来たらしい。

「あれには押し方があるんだ」

 と私は言った。

「でも、鳴らなきゃ、玄関に入って、案内を乞えばいいじゃないか。それをわざわざ裏木戸に回って――」

「ずいぶん乞いましたよ」

 男はのそのそと縁側に近づいて来た。

「応答がないので、庭に回って――」

 近づいて来る男の顔を、私は見た。そしてはっと思い当った。

「ああ。君は、暑さの冬の――」

「そうです。先輩。あの時の野原です」

 今年の冬は、やけに暑かった。日本全体が暑かったわけではない。私たち、野原を含めて暑かったのである。何故私どもが暑かったのか。病院に入っていたからだ。なぜ病院が暑かったのか。暖房がきき過ぎていた。なぜきき過ぎたのか?

「まあ上れよ」

 私は野原を招じ入れた。遠慮の気配を示している。

「今日はみんな留守で、ぼく一人だ。上んなさい」

 野原はあたりを見回して、縁側にずり上った。坐り直して頭を下げ、菓子包みみたいなものを差出した。

「これはほんの手土産です」

「そんなムリをしなくてもよかったのに」

 私は受取りながら言った。立ち上って台所から盃(さかずき)を持って来た。野原は盃を受取り、にらむような妙な顔をして私を見た。

「飲んでもいいんですか?」

 ためらっている。遠慮しているのかと思って、私は酒をなみなみとついでやった。盃と言っても大型のもので、ぐい飲みに近い。

「へんな遠慮はするなよ。君らしくもない」

「別に遠慮はいたしませんがね、そうあなたが勧めるなら、飲むことにしましょう」

 野原はぐいと飲み干し、眼をぱちぱちさせて、おそるおそるあたりを見回した。私はまたついでやった。

「涼しくなりましたね。庭ってものは、ほんとにいいもんだ」

「いいってもんじゃない。うちのは掃除しないから、落葉だらけだよ」

 私は苦笑して言った。

「オリンピックが済んだとたんに、葉の散り方が多くなったようだ」

「オリンピック?」

「うん。そうだよ。多少の手落ちやいざこざがあったけれど、曲りなりにも済んでよかったねえ。とくに閉会式なんか、哀感がただよっていて、涙が出た」

「北朝鮮やインドネシヤをしめだして何がオリンピックですか。ところで、閉会式のキップがよく手に入りましたねえ」

「キップで見たんじゃない。テレビでだ」

「何だ。テレビですか。つまらない」

 野原は盃を置いた。もう空(から)になっているので、私はまたついでやった。

「さあ。飲めよ。肌寒いだろ。寒い時は外から暖めるより、熱爛で内側から暖める方がききめがある。かけつけ三杯という諺(ことわざ)もあるしね」

「飲めよとおっしゃるなら、飲みますがね」

 野原は恩着せがましく盃を取上げた。

「オリンピックが済んだのは、何も日本の役員がうまく運営したからじゃない。終りの時間が来たから、済んだんです。何も涙を出す必要はありませんよ」

「そりゃそうかも知れないが――」

「葉だって、散る時期が来たから、散ったんですよ。オリンピックとは全然関係ないです」

 言うことがへんに理屈っぽくなって来たので、おどろいて野原の顔を見ると、もう相当にあかくなっている。屁(へ)理屈上戸なのか。髪の生え際にニキビ状のものがあり、そこらがきわだって赤い。このニキビはあの暑さの冬の頃からあった。ずいぶん持ちのいいニキビだと思って訊(たず)ねてみた。

「そのニキビ、まだ直らないのかね」

「これはニキビじやありません」

 野原はそこを拒で押すようにした。

「これはね、バスクラスパイダーと言うんです」

「バスクラスパイダー?」

「そう。バスクラスパイダー。これをニキビと間違えられると、ぼくは嬉しいような、哀しいような、忌々しい気分になるんです。何かの読み違いで、桂馬で王将をぽいと取られたような――」

「そうか。ただのニキビじゃないのか」

 私はまじまじとそのニキビ状のものを見た。

「そりやスパイダー君に悪かったな。しかし、スパイダーとは、たしか英語で蜘蛛(くも)のことじゃなかったかな」

「蜘蛛ですよ。蜘蛛だから困るんです」

 彼は盃のふちをなめるようにして、洒をすこし含んだ。抑えられて白っぽくなったそのスパイダーに、徐々に血が戻って来て、元通りの色になった。

「閉会式の聖火みたいに、パッと消えてしまえばいいんですがね、そううまくいかないのが悩みなんです」

「なぜ?」

[やぶちゃん注:「バスクラスパイダー」肝障害が起こると、手掌紅斑(palmer erythema:手のひらの小指側の丘が紅潮する症状)の他、皮膚に蜘蛛状血管腫vascular spiderを認めることが多い(「vascularは形容詞で「血管の」の意)。これは春生が示すように前胸部に発症し易い。音写は「バスキュラー・スパイダー」が正しい。ウィキの「クモ状血管腫」によれば、『顔面や前胸部などの上大静脈領域に蜘が足を広げたように血管が拡張して、中心部の血管が拍動しているもの』で、『拍動している中心部を鉛筆などで押さえると、血管腫が消失したように見える。肝硬変などの肝疾患で見られる』とあり、画像も見られる。]

 

 その病室は四階にあった。南向きの部屋でベランダがついている。ベッドと椅子と洋服簞笥(だんす)、それだけでいっぱいで、人が動き回る余裕はほとんどない。中にしきり戸があり、それをあけると、バス、洋風便所がある。バスとトイレは専用ではなく、隣室と共用になっている。

 だからこのバストイレ室は、二つ扉を持っている。私の方に通じるのと、隣室へ通じるのとだ。一緒に入ると具合が悪い。片方が風呂に入っている時、片方が便所を使うような事態になると、たいへん具合が悪い。

「使用する時は、かならず電燈をつけて下さい」

 婦長に聞くと、そう教えて呉れた。

「すると向うじゃ遠慮して、入らないことになっています。くれぐれも注意することは、電燈をつけ放しにしないこと。つけ放しにして置くと、向うが便意をもよおしても、扉をあけられない。じだんだを踏んでベッドの上でのたうち回り、とうとうベランダに放出した例があります」

 なるほど、と私は合点々々をする。私だってのたうち回って、揚句はベランダに放出するだろう。私は訊ねた。

「そのベランダに放出したのは、男ですか。それとも女――」

「そんなことをあなたが心配する必要はありません。要はつけ放しにしないこと」

 ベランダは高い手すりがついていて、部屋から一メートル余り突出している。私は高所恐怖癖があるので、下をのぞくと眼が回りそうだ。ここから富士山が見える。晴天の時には白富士。夕方になると黒富士。夕焼を背にした黒富士は格別の趣きがあった。しかし私はこのベランダをもっぱら冷蔵庫がわりに使用していた。

 部屋はやたらに暑かった。

 スチームのせいである。

 初めはちゃんとパジャマを着ていたが、それも脱ぎ、毛布も蹴飛ばして、時には真裸になって寝た。それでもまだ暑い。最高の時は二十五六度あったと思う。私は訊ねた。

「どうにかなりませんか」

 スチームの元が私の部屋に通っている。洋服簞笥のうしろと窓ぎわを通っている。スチームの起点がそこらにあるらしく、簞笥をあけると、服などがほかほかにむれている。むし風呂に入っているみたいだ。ここが起点であるから、熱さをやわらげるわけには行かない。ぬるくすると末端まで行き届かない。

「寒いよりはましでしょ」

 と婦長は言うが、あんまり暑いのも困りもんだ。買置きの牛乳や見舞品の果物などが、すぐに腐ってしまう。だからそれらをベランダに陳列しておく。必要に応じてベランダから坂り出す。いつか夜中に雨が降り出し、パンや丸ボーロにかかって、食べられなくなってしまったことがある。油断もすきもならない。

 隣室の患者が、この野原であった。初対面のベランダの上で、野原の方からあいさつをした。

「お暑うございます」

「ほんとに、ねえ」

 と私はその季節外(はず)れのあいさつに応じた。

「時々ここに涼みに出なきゃ、体がもたないですな」

「そうですよ。全く」

 野原は渋うちわで、自分の顔をわさわさとあおいだ。夏炉冬扇(かろとうせん)という言葉があって、辞書で調べると、時にあわぬ無用の事物のたとえとある。しかし野原の冬扇は無用のことでなかった。

「自然に反することは、やはりいけないことですねえ。病身にいい影響を与えない」

「お宅もそんなに暑いかね」

 私は言った。

「スチームの起点だから、こちらだけが暑いのかと思った。どうです。いっぺん遊びに来ませんか」

 と言うようなきっかけから、野原との交際が始まった。ベランダには胸空向さほどの仕切りがあり、そこからの往来は出来ない。いったん廊下に出て、扉をこつこつと叩き、訪問したり訪問されたりするのである。

 それを婦長に見付かった。

「なんですか、野原さん。あなたは安静の身でしょ。よその部屋に遊びに行って、将棋をさすなんて、飛んでもない話です。院長さんに言いつけますよ」

 と婦長に叱られたらしい。彼はがっかりした表情で、私に報告した。

「もう当分将棋はさせませんな。ほんとに残念です」

「いや。ちょっと待てよ」

 と私は腕組みをして、首を傾けた。

「消燈後、便所でやるのは、どうだろう?」

 この病院の消燈は午後九時ということになっている。九時になると自発的に燈を消して眠らねばならぬ。もし燈がついていると、看護婦が回って来て、扉をたたいて注意する。

「消燈の時間ですよ」

 病室と廊下の仕切りの上辺が曇りガラスになっていて、煙がついているかどうか、すぐ判るのだ。ところが共通のバストイレ室は、さらに扉がついていて、その中の電燈の光は洩れないようになっている。だから病室の燈は消し、二人ともそこに入り、洋風便所の上に将棋盤を置く。そこで存分にさせるのではないか。

「それはいい考えですな」

 野原は膝を打って感心した。

「あそこなら看護婦に見つかるおそれはない。今夜からそうしましょう」

 そう相談がまとまって、消燈時が来ると、両方からトイレ室に入って行く。棋力は丁度(ちょうど)いいとこで、勝ったり負けたり、半々というところだ。十二時頃まで指す。スチームは十時頃停めるので、部星の温度も少しは下っている。寝巻を着て、毛布にくるまる。午前七時頃にスチームが復活するので、夜のしらじら明けに寒さが忍び寄って来る。その時の用心のために、蒲団は足のところに置いてある。

 朝、スチームが復活すると、先ず脈取り看護婦が入って来る。

「何か変ったことはありませんか」

 彼女はそう言って脈を取り、体温計をさし込んで、病状を聞く。前日の便の回数などを記入する。こうして病院の一日が始まるのだ。

 食事と診察をのぞくと、あとは暇になる。読書をするか、うとうとと眠るか、それ以外にない。陽があたると、カーテンをかける。私の場合、うつらうつらしているか、夜の勝負にそなえて将棋の本を読むかしている。一日ぼんやりしていることは、私には苦にならない。むしろ望むところだが、それは自発的にぼんやりする場合であって、強制的にぼんやりを押しつけられると、さすがのなまけものの私といえども、うんざりする。野原も同じ思いらしい。

「実際退屈ですなあ。そう思いませんか。先輩。頭がぼけるようだ」

 彼は私のことを先輩と呼ぶ。理由は私が一日だけ早くここに入院したからである。職業や学校の先輩でなく、病人として先輩だというわけだ。

「ぼくもそう思うよ。何しろ暑いからね」

「暑いから? なぜ?」

 なぜ、と開き直られると、私も返答に窮した。南洋の土人たちは暑いから退屈する。退屈してごろごろ寝たり、夜中には踊ったりする。生産への意欲はわかず、そのため文明度が低い。そういうことを言いたかったのだが、めんどうくさいからやめにした。それを言うと、野原にまた食い下られるおそれがあった。

「食事のことも――」

 野原は追究をやめて、話題を転じた。

「不満ですねえ。朝食がすむと間もなく昼飯、そして四時半には夕食でしょう。あのテンポにはついて行けませんや」

 同感である。

 朝が七時半。昼十二時。夕食四時半とは、スケジュールが詰まり過ぎていて、腹の減る間がない。朝食だけはうまくて、むしゃぶり食う。あとの二食はおつき合いで食べるようなものだ。人間は食べたい時に食べるのが理想であり、幸福というものだ。

 その不満を婦長に訴えると、

「組合がありましてね、超過勤務はしないことになっているんです」

 涼しい顔をして答えた。調理人たちの責任であって、看護婦たちの責任ではない、という言い分だ。どちらの責任にしろ、おかげで食事時間は昼間に圧縮され、残りの十五時間は何も食べられない。夜中になると腹が減ってたまらない。ぐうぐうと鳴る。それに私たちは南京虫のように、消燈後に動き出すのだが、どうしても補食としてパンや牛乳を、ベランダに冷やして置かねばならない。必要に応じて、取り出して食べる。それは病院側も黙認していた。それをいいことにして、私はウィスキー一本を、胴体を風呂敷でくるんで、ベランダの隅に安置していた。寝酒としてグラス一杯、水割りにして飲むためだ。人目をはばかって飲むウィスキーは、身に沁みてうまかった。

 

 燈を消すと、しめし合わせたようにバストイレ室の燈がともる。二人はベッドを降りて、姿をあらわす。平たい将棋盤をトイレの蓋の上に乗せる。おのおの小椅子に腰をおろして、駒を並べ始める。

 最初の中は私の方がいくらか分が悪かった。

 ただで指すのは、張合いがないので、物品を賭けることにした。リンゴやバナナ、クッキーや花束などを賭ける。もちろん決済はその場ではやらない。受渡しは翌日の昼、ベランダの上でやる。到来物であるし、ベランダに冷やしてあるので、かんたんである。生(なま)のパイナップルなどは、何度ベランダの仕切りを往来したか判らない。

 見舞品で、身銭を切ったものでないから、取られてもそうつらくはないが、ベランダの陳列品の山がすこしずつ減り、向うのがだんだん高くなることは淋しく、口惜しかった。ことにパイナッブルは、ここではチャンピオンフラッグになっていた。

 通貨の役目は、大体リンゴが果していた。リンゴは割にくさったり、いたんだりしなかったからである。パイナップルは私への到来もので、初めリンゴ三箇という相場だったけれども、野原の手に渡ると、今度はリンゴ三箇にバナナ一本という値につり上った。脈取り看護婦がまずそれをいぶかった。

「おかしいわねえ。この。パイナップル、昨日は野原さんの床頭台にかざってあったのに。もらったの?」

「うん」

 私はにやにやしながら答えた。

「もらったんじゃなくて、借りたんだ」

 その夜の将棋で、私は負けて、パイナップルは野原の床頭台に逆戻りした。

 こうして夜の将棋だけが、私たちの唯一の愉しみになった。ことに雪隠(せっちん)詰めなどがよかった。なにしろ雪隠(洋式便所だって雪隠だろう)の上で、敵を雪隠詰めにするのは、また格別の趣きがある。敵を雪隠詰めにすると、無条件でパイナップルを取る約束になっていた。

「うわっ。またおトイレ詰めか」

 野原は頭をかかえる。雪隠詰めのことを、おトイレ詰め。桂馬のふんどしのことを、桂馬のパンティ、と彼は呼称する。

「すべて近代的に、スマートに行きましょうや」

 とは彼の言い分だが、桂馬のパンティなどをかけられると、気分的にこちらは腐ってしまう。

 それで私は面会に来た家人に命じて(ここは完全看護になっているので家族の寝泊りは出来ない)将棋の本を一冊買って来させた。昼間それを読んで、手の研究をする。

 最初のころはこちらが押されて、果物だの菓子を持って行かれたが、本を読み始めて以来、逆転して、こちらが押し気味になった。

「おかしいな。どうも先輩は近頃、急に手を上げましたね」

「そうかね。そちらが弱くなったんじゃないかね」

「いや。どうもおかしい」

 そりやおかしい筈だ。昼間研究した新手やハメ手をその夜使うのだから、効果はてきめんである。五日間ほどで敵のベランダの品物は半減し、その分だけ私のはふくれ上った。たまりかねた野原は、掃除の雑役婦に贈り物をして、私の身辺をスパイさせたらしい。

 掃除の間私がベランダに待避していると、掃除婦が手を休めて床頭台の将棋の本をばらばらめくっている。私はとがめた。

「おい。何をしているんだい?」

「えヘヘ。ちょっと」

 雑役婆さんはごまかして、また掃除を開始した。その報告を聞いて、野原はあわてて婆さんに頼み、本を取り寄せた気配がある。二、三日過ぎた頃から、彼の受け手は正確になり、ハメ手にもひっかからなくなった。その時初めて私は掃除婆さんの不審な挙動に思い当ったのだ。

「君も近頃、急に手を上げたようじゃないか」

 何くわぬ顔で私は聞いた。

「そうですか。そっちが弱くなったんじゃないのですか」

 しらばくれている。

「勝負が済んでベッドに戻って、眠ろうとしても眠れないですな。そこでうつらうつらと指し手を考える。明日はどの手で勝ってやろうかとね。きっとそれが腕の上った原因ですよ」

 ぬけぬけとそういうことを言う。

「ねえ。先輩はすぐ眠れますか?」

「眠れるね。寝酒をこつそりとしまってある。ウィスキーだ」

「寝酒?」

 彼はおどろいて声を高くした。

「しっ。誰かに聞えるとまずい。酒の持込みは禁止されてるんだよ」

「そりや知っていますよ。でも、飲みたいなあ。グラス一杯でいいから、飲ませてくれませんか?」

「グラス一杯ねえ」

 私は首をかしげた。

「よろしい。そのかわりリンゴ三箇だよ。でも体にさわりはしないか?」

「ええ。でもグラス一杯ぐらいなら、差支えないでしょう。入院前まではジャカスカ飲んでたんだから」

「では、そういうことにするか」

 それから三四日後、昼間、便所に入ると、婦長のじゃけんな、また聞きようによっては愉しそうな声が、野原の部屋から聞えて来た。あえぐような音がそれに混る。

「野原さん。あんたは男でしょ。男なら辛抱出来ないわけがありません。誰も辛抱してやって来たんだから」

 そして部屋を出て行く婦長の足音がした。そっとのぞいて見ると、野原だけのようだ。私は足を忍ばせ、彼の部屋に入った。他には誰もいない。野原は黒いゴム管を口にくわえて、ベッドに横たわっている。ゴム管の尖端は胃に届いているらしい。

「どうしたんだね?」

 野原は眼をぎろぎろ動かしただけで、声を出さない。出すとよだれが出るので、口をきけないのだ。私は彼の枕もとに近づき、床頭台の上の本をめくった。本は三冊あって『定跡入門書』『詰めの研究』『はめ手のかけ方と破り方』という題だ。私はすばやくその奥付をしらべ、著者と発行元と値段をメモに写し取った。野原は残念そうに足をばたばたさせ、私をにらみつけたが、ゴム管のために手が動かせないし、口もろくにきけない。

 どうせ話しかけても返事出来そうにないので、私はメモをにぎり、トイレ室を経由して、急いで自分の部屋に戻って来た。

 その夜の消燈後、私がトイレ部屋に入って行くと、やがて野原が姿をあらわした。すこしやつれて見える。

「先輩。ずるいよ」

 声がかすれている。

「黙って部屋に侵入して、断りもなく他人の読書傾向を調べるなんて」

「断りもなくと言うが、最初のあいさつの時、君は返事しなかったじゃないか」

 私はきめつけた。

「一体君は黒い管をくわえて、何をしていたのかね?」

「見たから判るでしょう。胃液を採取してたんだ。先輩はやられたこと、ないんですか?」

「胃液はまだ採られたことはないね。バリュウムはのまされたけれど」

 私は答えた。

「バリュウムよりつらいのか?」

「へっ。バリュウムなどとは、くらべものになりませんや」

 バリュウム服用はかなりつらいと、かねてから聞いていたが、私にはそうでもなかった。のみにくいという点では、子供の時のまされたヒマシ油の方がはるかに上であった。バリュウムはどろどろした液体で、果汁か何かで味がつけてある。のんだ後、医師が胃の辺を押したり引っぱったりする。のむことよりその方がよほどつらかった。

「バリュウムはのむだけで済むが、胃液は管を入れて、三時間ぐらいじっとしてなきゃいけないんですよ」

 野原は忌々しそうに説明した。

「管をのみ込む時が、一騒ぎです。自分でのみ込むのが、たいへんむつかしい」

「むつかしいたって、あれは細いゴム管だろう。うどんかマカロニをのむ要儀でいけないのか?」

「うどんやマカロニなどは、終点が、つまり切れ目があるでしょう。ゴム管には終点がないんですよ。終点は試験管につながって、胃液が出るのを待っている。その間よだれが流れ出るし、咽喉(のど)の内部がこすられてヒリヒリするし、呼吸は困難になるしね」

「なぜ胃液をしらべるんだね?」

「入院前に少々吐血したんですよ。コーヒー色のね」

 野原は便器の上の将棋盤に、駒をパチパチと並べ始めた。

「どうもここの婦長や看護婦たちは、サディストじゃないかしら。ことに婦長と来たら、僕の苦しんでいるのを見て、首を長くしてよろこんでる風(ふう)ですよ」

「おい、おい。あの人は生れつき首が長いのだ。君のひがみじゃないか」

 私も駒を並べながら言った。

「しかし驚いたねえ。将棋の本が三冊とは」

「お互いさまでしょ。しかも本を買い込んだのは、先輩の方が先ですよ」

[やぶちゃん注:「雪隠詰め」相手の王将を盤の隅に追い込んで詰め、手を指せなくさせること。

「桂馬のふんどし」「桂馬の両取り」とも呼ぶ。将棋の初歩的な手筋を解説して呉れているこちらによれば、『敵の駒』二『枚、或いはそれ以上の駒が取れる状態にあることで、相手は取られないためには取られそうな駒を逃げることになるが一度に二つの駒を動かすわけにはいかないので必ず一つは取ることが出来る。このような状態に持っていく手を両取りを掛けると言う』とある。恐らくは多くの方には不要な注と思われるが、何せ、私は金と銀の駒の動かし方さえ知らぬ阿呆なれば、自分のためにした注と思われたい。悪しからず。]

 

 野原の経歴や年齢を、私は知らない。別に知りたいとも思わない。いつか彼は、自分はラジオやテレビのシナリオライターだと洩(も)らしたことがある。忙しい商売で、時には演出もやるので、生活が不規則になり、胃腸や肝臓をいためて、ここに入院したとのことであった。

 年齢は三十から四十の間か。近頃他人の齢が、私には判らぬようになった。昔なら青年は青年らしく、老人は老人らしい風格があって、それと見当がついたが、近頃では、ことに戦後では、それが狂って来ている。分別あるらしい口をきくから、五十代かと思うと三十代だったり、派手な洋服を着て酒場で騒いでいるので若いのかと思うと、六十代の爺さんだったりする。

 野原の場合もそれと同じだ。顔は病気のため色が悪い。しかし笑うと笑くぼができ、童顔になる。額の髪の生え際に、大きなニキビがある。人見知りをしない性質で、押しが強い。楽天家のくせに、小ずるいところがある。それで案外もてるらしいのである。

 私と野原は将棋でつながっているだけだ。いや、深夜のウィスキーの酒宴という秘密を分け合っている。その内に量が殖え、底を尽きかけたから、掃除婆さんに頼んで密輸入することになった。

「飛んでもない。婦長さんに見付かると、病院を追い出されてしまいますがな」

 と言うのをなだめすかして、ウィスキーの内容をシロップ瓶に詰めかえること、値段は市価の二倍を出すという条件で、やっと婆さんに承知させた。シロップ瓶なら、誰もとがめることはなかろう。この手は私が発明して、野原が実行に移したのである。野原だからそれは成功したので、私が頼んだらたちまち拒絶されただろうと思う。

 で、野原が婦長以下をサディズムだと称するが、彼女たちにしては、とっつきやすく、かまいたくなるのである。私はぼさっとして模範患者(?)なので、話してみても面白味がない。その点野原は違う。つき合いやすいし、ついからかいたくなるのだろう。

「君は彼女たちがサディズムだと言うが、けっこうそれを利用してんじゃないのかね」

「飛んでもない。迷惑しています」

 彼は口をとがらせた。

「ぼくをいじめて愉しがっているんですよ。看護婦だけじゃなく、先生も――」

「へえ。先生が君をいじめるんだって、まさか」

「いや。そりや本当です。近頃先生がぼくの腹を断ち割ろうと、そればかりすすめるんですよ」

 将棋が済んで深夜のウィスキーをなめながら、彼は話し出した。話すといっても、ささやくような声だ。うっかり地声を出すと、見回り看護婦なんかに聞えるおそれがある。トイレの宴が見つかると、たいへんだ。

 つまり彼の症状は、採血やその他の検査から、肝臓に重点がおかれるようになった。バリュウムや胃液検査は大体白で、一時的な胃炎であり、潰瘍の徴候はなかったそうである。バリュウムと胃液検査でさんざん苦しい目に合って、彼は少々怒っているようであった。

「何も異状がないから、先生は今度肝臓に眼をつけたらしいですな」

 肝臓検査の結果が面白くない。なにしろ肝臓は大きな臓器で、機能検査ぐらいでは、悪化の状態がつかめない。胸から腹を切り開いて、実体を眺めるのが、一番確実なやり方である。

「病気の治療ならともかく、ただの検査のためですからねえ。腹を断ち割るなんて、むちゃですよ。身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。孔子さまもそう言っているし、頑張ってるんですがねえ」

「で、先生は何と言った?」

「あえて毀傷するんじゃない。調査のために開いて見るんだから、大義名分はちゃんと立つと言うんですな。どうも医者というのは、切ったり削ったりすることが好きですねえ」

「そうだね。検査のために切り開くというのは、少々乱暴なようだね」

「そうでしょう。ぼくもそう言ったら、切らずに小さな穴をあけて、鏡のついた管を入れて、潜望鏡みたいに内臓を見回す。そんな方法があると言うんです。こちらは切り開くということに反対の重点を置いていたわけでしょう。それが小さな穴になってしまったんで、イヤとは言いにくくなってしまった」

 野原は忌々(いまいま)しそうにグラスをあおった。トイレの酒宴も近頃量が殖え、おのおの二杯ずつになっていた。肴(さかな)はチーズだの南京豆だのだ。

「それを腹腔鏡というんです」

「で、承諾したのかい?」

「いえ。この病院にはその設備がないというんでね、それで一安心しました」

「そりやよかったね」

 私もグラスをあけた。

「そのかわりにね、超音波と言うのがあって、その検査を受けることになりました。こいつは先生の話では、痛く痒くもないとのことで――」

「痛くないのならけっこうじゃないか」

「ええ。けっこうだとは思います。でも、その設備がここにはないんですよ」

「何だか夢みたいな話だなあ」

 私は嘆息した。

「ここにないものばかり勧めるんだなあ。なけりゃ検査出来ないじゃないか」

「だからその設備を持った病院に行けというんです。つまり一時的に委託されるんですな」

「いつ行くんだね」

「明日です」

「明日? そりゃ早いな」

 その日の会話はそれで済み、おのおののベッドに入って眠った。翌朝の十時頃、彼は友人に付添われて、この病院を出て行ったらしい。

 野原にとって都合が悪かったことは、その外出時に大掃除が行われ、れいのウィスキー瓶が発見されたのである。ベランダの品物の下にかくして置けばよかったのに、彼はずぼらをきめこんで、ベッドの下にころがして置いたのがまずかった。ウィスキー瓶やシロップ瓶などは、栓のしめ方がゆるいと、匂いを発散するものだ。掃除中に折悪しく、看護婦が一人入って来た。この看護婦はたいへん嗅覚の発達した警察犬のような女で、廊下からそれを嗅ぎ当てて入って来た。

「おや。へんな匂いがするわ」

 くんくん嗅ぎ回って、ついにベッド下の瓶を探り当てた。

「まあ。坊やがウィスキーをかくれ飲みしてたんだわ。道理で治りが遅いと思ってた」

 私はベランダでその声を聞いた。掃除のため窓があけ放されているので、声は直接に私の耳に届いた。野原は彼女たちに、坊や、と呼ばれているらしい。

「婦長さんに報告してやるわ」

 足音も荒々しく看護婦が出て行ったと同時に、掃除婆さんが大あわてして、トイレ室を抜けて、私の部屋に入って来た。

「旦那さん。旦郵さん。たいへんなことになりました」

 婆さんに聞かずとも、事情はよく判っている。私も大急ぎでシロップ瓶を、リンゴ箱のリンゴをかき分けて、見えないように隠してしまった。

「あたしが持ち込んだことは、内緒ですよ。秘密ですよ。しゃべられたら、あたしゃクビになる」

「判ってる。決してしゃべりやしないよ」

 私はベッドにもぐりながら、約束した。

「野原君もしゃべらないと思うよ。だから平気でふるまいなさい。顔や態度に出すと、かえって怪しまれる」

 やがて隣室に婦長が入って来た。きんきん声が聞える。野原は外出禁止になっているので、どこからこれが持ち込まれたか、議論をしている。掃除婆さんは掃除を終えて、向い側の部星の掃除にとりかかったらしい。やがて婦長が私の部屋に、ことこと足音を立てて入って来た。

「異状ありませんか?」

 婦長は探るような目付きで私を見た。

「あなたの退院は明後日でしたわね」

「ええ」

 何食わぬ顔で、私は答えた。

「この一冬、寒さ知らずに過させていただいて、ほんとにたすかりましたよ」

「あなたはよく指示をお守りになった」

 婦長は椅子に腰をおろしながら、ベッドの下をのぞくようにした。私は聞いた。

「お隣の人、どうかしたんですか。さっきから何かざわざわしてるようだが――」

 私は首を上げた。

「まさか、凶(わる)いことでも――」

「野原さんは今神田のJ病院に、検査に行かれたんです。その隙(すき)に何か――」

「なに? その隙に何か――」

「いや。何でもないんですけれどね」

 婦長は私の部屋をじろじろと見渡した。

「あなたは野原さんとつき合いがありましたか?」

「いいえ」

 私はウソをついた。

「ベランダで顔を合わせる時、あいさつをかわす程度です」

「そう。ベランダでね」

 婦長は立ち上って、ベランダに出た。私も起きてパジャマをまとい、婦長のあとに続いた。天気のいい日で、疎林の彼方に白富士がくっきりと浮び上っている。婦長が言った。

「野原さんの部屋を掃除していたら、ウィスキー入りのシロップ瓶が出て来たんです」

「きれいな富士ですね。あれを見ると心が洗われるような気がする」

 私は眼を細めて、富士山の方を見た。

「シロップ瓶の内容が、ウィスキーに化けてたということですか?」

「そうなんですよ。おとなしい患者(クランケ)だから、油断しているとウィスキーを盗み飲みしたりして――」

「ちょっと待って下さい」

 私は彼女の言葉をさえぎった。

「野原って、どんな人物か知りませんけれどね、あの部屋も暑いでしょう。そこでシロップが醱酵(はっこう)して、酒になったんじゃないですか」

「へえ。そんなことがあるんですか。それは初耳ですわ」

 そこで私は猿酒、猿が果物を醸(かも)して酒をつくるやり方を、うろ覚えながら説明した。

「果実汁に一定の条件を与えると、酒になるし、また違った条件では酢になる。これは常識ですよ」

 婦長はうたがわしそうに、私の顔を見ている。私は富士山の方ばかりを見ていた。

「あんな秀麗な富士の姿を見ていると、下界の人間はこせこせと何をしているのかなあ、と思うね。婦長さんは時にそんなことを考えたり、感じたりしませんか?」

 誤解のないようにつけ加えるが、私は富士山が大嫌いである。形も月並みだし、趣向も単調だし、それに山の上は登山客の捨てた紙屑や空き罐で、足の踏み場もないそうである。しかしこの場合、婦長の心境を変えるために、富士をほめ讃えざるを得なかったのである。

「そうですね」

 仕方がないと言った表情で、婦長は不承々々(ふしょうぶしょう)うなずいた。

「富士山もいいけれど、治療の方も大切ですからね。も一度よく調べて見ましょう」

 午後四時頃、野原は意気揚々と戻って来た。久しぶりに街や人を眺め、気分が高揚したらしい。鼻歌まじりに部屋に入ったところを、待ちかまえた婦長にとっちめられた。

「何です。このウィスキーは!」

 野原はあっと鴬いた。

「どこから仕入れて来たんです!」

 感心なことには、彼は掃除婆さんのことを自白しなかった。まして私のことや、トイレ台上の将棋のことなど、ひたかくしにして、自分の友人からの到来ものという風に頑張ったらしい。そして今度だけは院長に報告しない。現物は没収するという軽い処分で終ったのは、彼の人徳によるものだろう。

 その夜消燈後、ひそやかに野原はトイレ室に姿をあらわした。

「ひでえ目に合いましたよ」

 彼はこぼした。

「がみがみ叱られるし、現物は没収されるし、超音波の結果は面白くないし、散々ですよ。こちらはひたすら謝りの一手」

「うん。結果としてはその方がよかっただろうな」

 猿酒のことを教えようと思っていたが、まだ人生経験の浅い野原がそんな小細工めいた言辞を弄(ろう)すると、たちまち見破られてしまうに違いない。婦長の権限は絶対だから、素直に非を認めるのが最上の方法であった。

 しかもその超音波の結果が、凶と出たのである。超音波の検査って、どういうことをやるんだねと訊ねたら、

「何だかジイジイと音を立てる器械があって、それにカメラみたいなのがくっついていて、聴診器をあちこちに当てていましたよ」

 まるで子供の答えである。

「ぼくは器械が嫌いでね」

 検査の間野原は、窓の外の建物や雲の動きばかりを、ひたすら眺めていたらしい。そんな傾向は私にも若干ある。私は注射が好きでない。注射そのものが稚いでなく、見るのが嫌いなのだ。だから注射の時はそっぽ向いている。

「そんなことじゃダメだな」

 私は訓戒を垂れた。

「自分が今何をされているか、どんな具合にあつかわれているか、眼をかっと見開いて見届けるべきだよ。そうしないとひどい目に合うよ」

「そうでしょうか。やはりそうでしょうな」

 野原は頭髪をもじゃもじゃとかき上げながら、へんに光る眼で私に言った。

[やぶちゃん注:「身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」「孝経」(これは永く孔子が曾子に孝について述べたものを曾子の門人が記録した書とされてきたが、近年の研究によれば、戦国時代の作と推定されている)の「開宗(かいそう)明義章第一」の中の一節、「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也。」(身体髪膚、之れを父母に受く。敢へて毀傷せざるは、孝の始めなり。)に基づく。

「猿酒」猿が木の洞(うろ)や岩石の窪みなどに蓄えて置いた果実や木の実が自然発酵して酒のようになったものとされる伝説上の酒。「ましら酒」とも呼ぶ。但し、野生の猿が食料を貯蔵する習性はないので、これは虚偽である。]

 

 その検査とはつまり超音波を発して、肝臓の大きさや形を調べる様式のものらしい。野原の肝臓はそれによると凸凹があり、全体的に畸形(きけい)化している傾きがある。畸形化は先天的なものか後天的なものか判らないから、腹腔鏡などで調べる必要がある。以上のような診断書を持たされて、野原はここに戻って来た。

「超音波の技師というか医師というか、おそろしく非情なものですな。ぼくの肝臓を散々悪く書いたくせに、ぼくには、御大事になさい、との一言も言わないんですからねえ。無表情で診断書を渡して、それっきりです」

「医者としては患者に一々同情しては勤まらないんだろう。あまり気にしなさんな」

 その夜は将棋もささず、ウィスキーもグラス一杯にとどめて、おのおの寝についた。

 結局その翌々日、私の尿も糖が完全に出なくなって退院、野原はQ病院に移ることになり、荷物の整理をした。私のシロップ瓶は中味を便所に捨てて、ごぼごぼと洗い流してしまった。惜しかったが仕方がない。残ったリンゴや菓子類は看護婦たちにプレゼントした。

 野原の荷物は、彼の奥さんがまとめた。奥さんはてきぱきした性格のようで、見たところ野原よりも年長だ。なるほど、野原みたいなのが姉さん女房を持つのかと、私は思ったが、もちろん口には出さない。

 私は野原夫妻をQ病院まで、私の自動車で送り届けることにした。久しぶりにハンドルを握ったので、運転感覚が急に戻らず、病院の門柱をこすったりしたが、あとは用心して操縦したので、無事にQ病院にたどりついた。途中私がシロップ瓶についてしゃべろうとしたら、野原があわてて私の横腹を小突いた。まだ奥さんに知らせてないことが、それで判った。

 Q病院はさすが有名な病院であって、富士見の病院とはおよそけたが違う。車寄せで二人と荷物をおろし、私は言った。

「今度こそへマをやるんじゃないよ。よく病院の規則を守って、早く退院するんだね」

「ええ。今度は個室じゃなく大部屋ですから、我がままはききません。覚悟はしています。時に先輩、名刺を一枚いただけませんか。退院したら一度おうかがいします」

 私は名刺を手渡した。そして彼が姿をあらわしたのが、冒頭の秋の日の暮れのことだ。

[やぶちゃん注:以上の展開と梅崎春生自身の直近の入院経過を見る限り、この野原の肝臓の状態は肝硬変で逝った梅崎春生のそれであり、野原というキャラクターは梅崎春生自身のトリックスターの一面を持つものであることが判る。]

 

「で、腹腔鏡の検査は、あれから直ぐに受けたんだね?」

「受けましたよ」

 野原は盃をうまそうにあけた。

「でも、直ぐにじゃありません。どうも病院というとこはおかしなところですねえ。富士の見える病院からの所見や診断書を持って行ったんですが、それをそのまま鵜(う)吞みにしないですな。も一度初めから検査をやり直す。バリュウムなどもまた飲ませられた。バリュウムはQ病院の方がうまかったです。Qのにはオレンジ味に、バニラが少し入っていたようです。バリュウムは病院によって味が異う」

「そういうこともあるだろうね」

「採血だって、ずいぶん変ったのをやりましたよ。うちの女房を来させてね、女房と僕のとを同じ時間に採血する。大部屋ですから、皆の眼がこちらを向いている。今に何かおこるぞと、好奇のまなざしがぼくらに集まっている。私のは先生が、女房のには看護婦が取りついていて、針を静脈にさし込み、ヨーイドンの合図で血を吸い上げる。吸い上げると、先生がその二つの管を大切そうに持って、病室を飛び出し、廊下をバタバタと走って行くんです」

「へえ。面白いことをやるんだねえ。それ、どんな意味だい?」

「その血を調べる機械か薬品だか知らないけれど、日によって誤差が出るというんですね。それで健康人のと私のとを比較して、つまり健康人のを基準として、ぼくの血液をはかる。血液中のアンモニアの量を調べるんだと、隣のベッドのヘチマ爺さんが教えて呉れたんですがね、とにかく平素は落着いた先生が、構っ飛びにすっ飛んで行くのは見物(みもの)でしたよ。実際あれは面白かったなあ」

「何故先生が走るんだね?」

「時間が経つと血液が変質したり蒸発したりして、正確な価が出ないということでしょうね。とにかくいろんな検査をして、腹腔鏡もやって、三箇月目に退院してもよろしいと言われた時は、ほっとしましてね。もっとも全快じゃなく、条件つきでしたが――」

「どんな条件だね?」

「ええ。まず高蛋白、高ビタミンの食事をとること。脂肪分はよくないが、とにかく御馳走を食べることですな」

「いい条件だね。うらやましいくらいだ」

「食後はしばらく安静にすること。精神も安定にして、人の言うことに逆らったり喧嘩したりしないこと。やはり精神が大切なんですねえ。それから――」

 彼は言い淀んだ。私はうながした。

「それから?」

「それから、刺戟物、幸子(からし)やワサビを摂(と)らないこと、そして酒なども――」

「酒もだと?」

 私は大声を出した。

「見ていると君はさっきから、がぶがぶ飲んでるじゃないか。辛子やワサビより、酒の方を強く禁止されたんだろ!」

「え。ええ」

 盃を持ったまま野原は横を向き、ごまかすようなせきばらいをした。

「まあそう言うことですがね、先輩はさっきぼくに向って、かけこみ三杯とか何とか、むりやりに勧めたじゃないですか。人の言うのに逆らっちゃ悪いと思って――」

「都合のいいことを言ってるよ。もうごまかされないよ」

 私は彼の盃をもぎ取った。

「酒は出さないから、水でも飲みなさい。台風二十号のおかげで、栓をひねれば水はいくらでも出る」

「意地が悪いですなあ。まるでヘチマ爺さんみたいだ」

 手持無沙汰に彼は手をうろうろさせた。

「富士見の病院じゃ、ウィスキーをたのしく飲み交したじゃないですか」

「あの時はあの時、今は今だ。君は退院後もちょくちょく飲んでいるのかね?」

「いえ。慎しんでいます。大体においてね。甘いもの専門です。禁酒をすると、奇妙なほど甘いものが欲しくなるもんですねえ。ですから今日持参したのも、甘味品です」

「ほんとかね」

 彼が持参した紙包みを、私はごそごそと開いた。中には饅頭が入っている。白い皮が斑(まだら)について、中から饀(あん)が露出している。子供の時私はこれが大好きで、小づかいをくすねて買食いをしたものだ。今は下戸ではないので、食べるチャンスはないが、時々店頭に並んでいるのを見ると、郷愁が湧く。わざわざ銭を出して買おうという気にはならない。

「なるほど。酒をやめると、こんなのを食いたくなるのか」

 私は合点々々をした。

「この駄菓子の名、東京では何というのかい」

「ふぶき、と呼びますね。ぼくの買いつけの菓子屋では」

「ふぶき。なるほど。そう言えば吹雪という感じがする。白い皮がちらちらしているね」

 私はその一箇をつまんで、裏表を調べた。

「おれの故郷ではこれを、やぶれ饅頭と言ったよ」

「やぶれ饅頭?」

 野原は大声で笑い出した。

「そう言えば皮が破れていますね。破れて身がはみ出ている。即物的な名前ですな。田舎人らしい呼び方だ」

「田舎、田舎と、あんまり都会人ぶりはよしなさい」

 少々気を悪くして、私はたしなめた。彼は笑いを収めた。私は話題を戻した。

「で、さっきの爺さんのこと、そんなに意地が悪いのかね」

「ええ。大部屋で、ベッドでその爺さんと隣り合わせてね、顔がヘチマに似てるから、ヘチマ爺さんと皆が呼んでいるんです。病室というところは妙なところで、大部屋では病歴の古いほど威張っている。ま、古いから病院の様子やしきたりをよく知ってるせいでもあるんです。つまり忠臣蔵の吉良上野介みたいにね」

「その爺さん、何病だね?」

「元の病気は知りません。腎臓か何かが悪かったのかな。そんな話も耳にしたけれど、僕が入った時のはもっぱら打撲傷、それに神経痛です」

「打撲傷とは、病院で受けたのか?」

「そうです。ベッドから転がり落ちたんですな。それが一度でなく、三度もです。治りそうになると、また転がり落ちて、肩をいためたり、腰骨を打ったりする。そして退院が伸びる。あの病室では、最古株となりました」

「退院したくないんじゃないか?」

「そりや当然の疑問ですな。皆もその疑問を持っていて、もうそろそろ転がり落ちるよと噂していると、案の定がばと落っこちて、筋や骨をいためる。あんな大病院になるとおうようなもので、爺さん、また落っこちたか、てなもんで手当をして呉れる。その結果退院が伸びて、ヘチマ爺さんはこの部屋の名主になってしまった。それとベッドで隣り合わせたんですからねえ。苦労しましたよ」

 野原はぱくとやぶれ鰻頭に食いついた。

「爺さんは町田市の本町田あたりに自宅があるらしい。病院の風呂に入るたびにこぼしていました。おれんちの風呂は、こんな薄汚ない場所にはない。これじゃまるで牢獄のようだ。おれんちのは広々して、洗い場から山や雲や飛んでいる小鳥が見える、なんてね。これもほんとかウソか判らない」

[やぶちゃん注:「ふぶき」吹雪。昔風の薄皮の田舎饅頭にこの呼称が今も広く使われている。グーグル検索「ふぶき 饅頭」をリンクさせておく。

「やぶれ饅頭」宮崎県延岡市の「延岡観光協会」オフィシャルサイトの「やぶれまんじゅう」によれば、『小麦粉で作った皮(延岡ではガワともいう)のところどころから、中のアンが見える薄皮まんじゅうで、延岡名物のお菓子の』一つとし、他の記載でもここを発祥の地とする。その由来は、慶長一〇(一六〇五)年に『延岡の製菓店が売り出したのが始まりで、中町にあった佐々木磯吉菓子店が受け継ぎ広ま』ったとし、『その由来は、天岩戸に隠れたアマテラスオオミカミをアメノウズメノミコトが木の小枝を持って面白おかしく舞い踊り外の世界へ導いたという神話で、この時の小枝が皇賀玉(おがたま・招霊)の木で、現在でも神事にはこの木が使われていることに基づいて、このオガタマの実を形どって』たのが、この「やぶれ饅頭」で、そこから別に『「オガタマまんじゅう」とも言われ』る、とある。リンク先には製法や「やぶれ饅頭」の写真もある。見れば、「ああ、あれか!」という品物である。梅崎春生は同じ九州の福岡生まれであるから、腑に落ちる。]

 

 野原は饅頭を吞みこみ、水をぐっとあおった。酒を飲んだあとに、よくそんな芸当が出来るもんだ。

「ぼくがいよいよ決心して腹腔鏡の検査を受ける前の日、ヘチマ爺さんが言いましたよ。テレビの赤穂浪士の滝沢修みたいな言い方でね、あれは痛いもんだぞ、なにしろ穴をあけて、棒で内戚をかき回すんだからな、あれで悲鳴を上げなきゃ人間じゃないと、そんな具合にです。こちらが何も聞きもしないのに、そんないやがらせを言うのが、ヘチマ爺さんの趣味でした。つまりウソツキなんですな」

「いやな爺さんだね」

 私も面白くなって、盃を含んだ。他人の悲話や苦労話は、たしかに洒の味をうまくするものだ。のろけだの幸福話は、決して酒のサカナにはならない。洒とはふしぎなものである。

「それで、案の定、痛かったかね」

「そりや多少は痛かったですよ。でも、悲鳴を上げるほどのものじゃない」

[やぶちゃん注:「テレビの赤穂浪士の滝沢修」これも私には注はいらぬのであるが、若い人のために言い添えておく。これは、この年、NHKで放映された大河ドラマ第二作目の「赤穂浪士」(一九六四年一月五日~十二月二十七日の毎日曜放映)で滝沢修が吉良上野介役を演じたことに基づく(大石内蔵助役は長谷川一夫)。先に野原は「ヘチマ爺さん」を「吉良上野介みた」ような厭味なことを言う奴と表現しており、彼はここでもそれに洒落たのである。因みに、あの作品は私には映像よりも、芥川也寸志作曲のオープニング・テーマの鞭を用いた曲が痛烈な印象を残している。それにしても本小説は最終回放映の前(同月号)に発表されているから、非常な読者サーヴィスとも言えよう。ドラマの詳細データはウィキの「赤穂浪士(NHK大河ドラマ)」を参照されたい。そこに載るキャストを見るだけで、思わず、「懐かしい!」と叫んでしまう還暦過ぎた私がいる。]

 

 以下は野原の話。

 腹腔鏡の検査はレントゲン室で行われた。台の上に横たわる。裸になる必要はない。着ているものをたくし上げ、ずり下げて、腹部だけを空気にさらす。看護婦が布を顔にかぶせる。野原はそれを拒否した。

「僕は見ていたいんですよ。どういう風に検査されるか」

「そうですか」

 看護婦は布を取る。喜怒哀楽の表情は、全然ない。ただ見おろしているだけだ。自分が材木か何かになったように、野原は感じる。でもまだ手足は動ける。台から降りて、病室に戻ろうと思えば、出来ないことはない。

 下腹部の左側がつめたいもので拭われる。密室なので、しんとしている。聞えるのは人間の息使いだけだ。消毒された部分に、麻酔の注射が打たれる。そして今度は太い注射針が押し込まれる。すでに麻酔しているので、格別痛いとは感じない。

「まるで儀式みたいだ」

 と彼は思う。思いながら、首を少し持ち上げるようにして、それを見ている。

「式次第もうまく行っているようだな」

 下腹の横のすこし高いところに、気腹器がある。それから空気が注射針を通って、腹に入って行く。腹膜と内臓との間に注入させ、空間をつくるためだ。空気は管を通る時、液体を一度通過する。そのためぽこぽこと泡を立てる。もう動けないな、式が始まったんだからなと、彼は考える。

「そのぼこぼこと泡が立つのは、何ですか」

「昇汞(しょうこう)ですよ」

 マスクでくぐもった声で医者が答える。

「空気の消毒をするんです」

 腹がだんだんふくらんで行くのが、目でも見えるし、息苦しい感じでも判る。膜が押し上げられているのだ。レントゲンで空気の入れ方をしらべる。

「もうチョイ」

「もうチョイ」

 測量技師と同じ仕事だな、と彼は思う。もう存分にふくらんだ。看護婦が野原の額の汗を拭いた。

「苦しいですか?」

「いいえ」

 彼と看護婦と医師と、この密室で何か悪事をたくらんでいる。そんな錯覚に彼はとらわれる。それを打ち破るために、彼は誰にともなく話しかける。

「ずいぶんふくらみましたね。殿様蛙のようだ」

「え。ええ」

 空気注入は終った。医師の手が意味ありげに腹を撫でる。短い外国語が振り交される。そしてへソのすぐ上に麻酔が打たれ、メスが切りを入れる。角度の関係で、もう眼では見えない。仕方がないので天井を見ている。空気の注入、それから金属棒を差し込むこと。その順序はあらかじめ知らされていた。知らされるというより、こちらからこまごま質問をして、知っていた。金属棒には豆電燈がついている。深夜のように暗い内臓を照らすためだ。医師が命令する。

「大きく息を吸って」

 彼は吸う。

「今度は吐いて」

 彼は吐く。

「はい。大きく吸って」

 彼は大きく吸う。

「吐いて」

 吐く。

「大きく吸って」

「はい。吐いて」

「はい。大きく吸って」

 彼は吸う。その瞬間にガッという衝撃が来た。棒の先が腹膜を突き抜けたのである。

 

「あれは計算外でしたなあ。もちろん金属棒を入れるんだから、少しは感じるだろうと思っていたんですがね。衝動が全身にとどろき渡りましたよ。膜といえどもばかにはならんです」

 野原は手真似入りで説明した。

「あれ以来、ぼくは女性に同情を感じるようになったですな」

「なに? 膜と女性と、一体どんな関係があるんだ?」

「いや、なに、それはこちらの話です」

 彼はあわててごまかした。彼は時々突拍子もないことを口走るくせがあって、私は理解に苦しむ。

「で、棒を色々動かして、肝臓の色や形を見るわけですね。ところが先端に豆電球がついている。そいつはかなり熱いのです。直接内臓に触れたら、火傷(やけど)をする。火傷しないとしても、火ぶくれが出来る。そうなったらたいへんですからねえ。熟練した医師でないと、いけないんです」

「君は大丈夫だったのか?」

「ええ。ぼくのはその方の名人と言われるような医師でね、時々棒の動きを止めて、こちらの端にカメラをつけ、パチパチと写真をとりました。これがその一枚です。記念のために、ゆずり受けました」

 彼はポケットから大事そうに、色彩ネガフィルムを取り出した。私はかざして見たが、何だかよく判らない。彼は得意げに説明した。

「こちらの茶褐色のかたまりが、ぼくの肝臓です。ヤキトリのレバーに似てるでしょう。これが悪くなると、豆板みたいに凸凹になる」

[やぶちゃん臨時注:「豆板」は「まめいた」で、炒った豆を並べ、それに溶かした砂糖をかけて固めた菓子。グーグル画像検索「豆板 菓子」をリンクさせておく。]

「ふうん。そう言えば凸凹はないな。しかしぶつぶつして、やぶれ饅頭みたいだ」

「縁起でもない。やぶれ饅頭みたいだなんて」

 彼は興ざめた風(ふう)に、フィルムを取り返し、大切そうにポケットにおさめた。

「そりや若い時にくらべりゃ、すこしはつぶつぶが出来ますよ。先輩のだって切って見れば、必ずつぶつぶが見える筈です」

「何を証拠にそんなことを――」

「いえね、さっきから先輩の胸のはだけたとこを見てたらね」彼は私の胸を指差した。

「その肩甲骨の横っちょに、赤い斑点が見えますね。それ、たしかにバスクラスパイダーです。間違いありません。肝臓が悪いと、それが出来るんですよ」

「なになに」

 こちらの倉に火がついたので、私はあわて声を出し、首を前屈した。

「これのことか」

「そうですよ」

 彼はベルを押すように、その斑点を押して、パッと放した。押されて血の気を失ったそれは、やがてじわじわと血色を取り戻して来た。

「ね。ふつうのニキビなら、押しても白っぽくならないでしょう。だから先輩の肝臓はいたんでいるんです」

 彼は得々として説明した。

「バスクラスパイダー、すなわち蜘蛛(くも)様血管腫は、毛細管がクモの足のようにひろがっている。肝臓の赤信号ですな。すこし酒をつつしんで、やぶれ饅頭でも食べたらどうですか。糖分は肝臓にいいのです」

「なるほど。蜘蛛様血管腫か。イヤな名前だねえ」

 私は自分が腹腔鏡検査を受けている状態を想像した。が、まだ実感はなかった。

「腹に穴をあけたあとを、見せて呉れないかね。まだ残っているか」

「ええ。残っていますよ」

 彼は前をはだけて私に示した。長さ一センチほどの傷あとが、そこについている。眼を彼の胸に戻すと、たくさんの斑点が取りついていた。

「君の胸にはずいぶんスパイダーがいるじゃないか。ひとつ、ふたつ、みっつ。まるで北斗七星みたいだ」

「いえ。なに」

 彼はあわてて胸をかくした。

「これは数ではきまらないんです。その人の体質によって、たくさん出る人と出ない人と――」

「医者がそう言ったのか」

「いえ。あのヘチマ爺さんが言いました」

「そのヘチマ爺さんは、意地悪でウソツキだと、さっき君は言ったね。そんな爺さんの説を信用するのかい?」

「ええ。それよりも――」

 彼は返事に困って、掌をひらひらと振った。

「現在では手術の傷口は、糸では縫わないんですね。針金でちょいと止めちゃうんです。止めてから、そのまま動き出しました」

「傷口が動き出したのかね?」

「傷口が動くわけがありません。ぼくがですよ」

「つまり起き上ったのか?」

「そうじやないですよ。何も判っちゃねえなあ。動き出したのは、台です」

「君を乗せたままか。それなら判る。台には車がついてんだろ。テレビの医者ものでよく見るよ」

「そうあれです。ガラガラ音をさせてね、廊下を通る。廊下に待っている連中、治療を待っている連中ですな、そいつらが立ち上って、ぼくの顔を見る。ものめずらしさと、お可哀想にという気分が、入り混った顔ですね。そんな表情で見る」

「よく他人の表情が、君に読めるもんだね」

「そりゃ判りますよ。今までぼくもそんな顔で、のぞいていたから」

 野原は舌打ちをした。

「のぞかれる身になると、癪(しゃく)にさわるですなあ。今にお前らもこうなるんだぞと、ぐっとにらみつけると、たいていの患者は狼狽して眼をそらしますね」

「そりやそらすだろう」

「そらさない奴も、中にはいます。それはきまって女です。中年の女。これはにらみつけても、ほとんど効果がないですな。平然としてにらみ返します。ことに付添いの女、これは見慣れているんでしょう」

「なるほど」

「こうして廊下を幾曲りして、元の大部屋に戻りました。やっとこさストレッチャー、ごろごろ車のことです。その車からベッドに移された時、どっと疲労を感じましたねえ」

 野原はそう言いながら、肩を落した。もう夜も更(ふ)けて、風がガラス戸をかたかたと鳴らす。私は盃を口に持って行きながら言った。

「いろいろ苦労したもんだね」

「ええ。苦労はしたが、勉強になったですな。ぼくは軍隊の経験はないけれど、人間がたくさん集まって生きたり、死んだり、その間の感情の起伏、経験しなきゃ判りませんね。たとえばあのヘチマ爺さん、あんな爺さんにめぐり逢い、一緒に生活をすることは、病気にでもならなきゃ不可能でしょう」

「そうだろうね」

 私はしみじみと同感した。

「そのヘチマ爺さんのことは、小説になるね。でも、大部屋というのは、男ばかりだろう。女が恋しくならなかったかい」

「女には女ばかりの大部屋がありますよ」

 彼は坐り直して、にやにやと笑った。

「女については、また別の日にくわしくお話しいたしましょう。もうそろそろ夜が更けましたね。では、また」

 にやにや笑いのまま、彼はやぶれ饅頭を、ぽいと口の中に放り込んだ。
 


2018/04/18

ブログ1080000アクセス突破記念 豚と金魚 梅崎春生

 

[やぶちゃん注:昭和三六(一九六一)年七月号『主婦の友』に発表。

 因みに、最初に出る「長者門(ちようじゃもん)」というのが、どのような門を指すのか判らぬ。識者の御教授を乞う。

本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1080000アクセスを突破した記念として公開する。【2018年4月18日 藪野直史】]

 

 豚と金魚

 

     1

 

「豚(ぶた)をかいませんか。豚を!」

 夕方になっても暑いから肌ぬぎになって、膳を縁側に持ち出し、冷(ひや)ヤッコをさかなにしてビールを飲んでいたら、山名君が長者門(ちようじゃもん)をくぐつて、のそのそと庭に入って来て、いきなりそう声をかけた。

「おや。もうビールを飲んでんですか。まだこんなに明るいのに」

「明るくたって、大きなお世話だよ」

 私はつっぱねた。山名君は年少の友人だが、まだ年齢は若いくせに、何やかやととかくお節介(せっかい)をやくくせがあるのである。若いのから意見されるのは、あまり愉快なことではない。

「日がながくなったんだからね、暗くなるのを待ってたんじゃ、八時頃になっちまう」

「それもそうですな。しかしその冷ヤッコ、うまそうですなあ」

 つばをごくりと飲み込んだ。

「それに薬味(やくみ)のシソとショウガの色のあざやかなこと。絵になりますよ」

 山名君は絵の先生をやっているから、そんなことを言うのだが、本当に色に感心したのか、食欲をそそられて口走ったのか、よく判らない。舌をべろりと出して下唇をなめた。

「シソなんかどうでもいいよ。それよりも豚を何とかと言ってたが、どうしたんだい?」

「ああ。豚ね。豚を持って来たんですよ。リヤカーに乗せてね」

 長者門の外を彼は指差した。

「安くしときますよ。どうですか」

「安いと言っても、いつも君から貰ったり買ったりすると、結局高くついてしまうからねえ。で、その豚肉、密殺豚じゃあるまいね。四百グラム、いくらだ?」

「四百グラム?」

 山名君は眼をばちくりさせた。

「冗談じゃないですよ。四百グラムだなんて。生き豚です。生きてんですよ」

「なに。生き豚?」

 私はつまみ上げた冷ヤッコを丼(どんぶり)に取り落した。

「僕に生き豚を買えというのか。買ってどうしろと言うんだ?」

「そりや小屋をつくって飼ってもいいし、何なら丸焼きにしてお食べになってもいいじゃないですか。とにかく持って来ます」

 ちょっと待てという暇もなく、山名君は身をひるがえして、長者門の方にすっ飛んで行った。やがて皮紐(かわひも)を引いて戻って来たので、よく見ると紐の先に仔豚がついて、よちよちと歩いて来た。仔豚の胴体に腹巻き式に、ぐるりと布が巻きつけてあって、紐はその腹巻きについているのである。山名君は鼻翼をうごめかして自慢した。

「どんなもんです。いい考えでしょう。初め犬の首輪をつけてみたんですがね、なにしろ豚はイノシシが進化したものでしょう。だから猪首(いくび)で、豚は苦しがってもがくし、もがくとスポッと首輪が抜けてしまう。それでこんな腹掛け式にしてやりました。どうです。この可愛いこと。こんないい顔立ちの豚は、めったにいませんぜ」

 仔豚はきょとんとした表情で、庭を見回している。私は豚についてあまり知識はないが、さほどすぐれた豚相とも思えない。豚は肥っているというのが相場だが、この仔豚はへんにスマートで、つまり瘦せこけているようだし、毛並もよごれている。後肢のつけ根あたりがこぶみたいに、ぶくりとふくれているのも気にかかる。

「あんまりいい豚じゃないね。それに僕には豚を飼う趣味はない。牛飼いならまだ趣きがあるが、豚飼いなんて散文的過ぎるよ。御免こうむる」

「じゃ今度は牛を持って来ましょう」

「いや。結構だ」

 私はあわてて手を振った。山名君のことだから、牛でも馬でも持って来かねない。この間などは頼みもしないのに、ヘビのぬけがらを持って来て、むりやりに私に売りつけた。つぶして粉にしてのむと精力剤になるというのだが、あまり当てにならないから、近所のどぶに捨ててしまった。

「それに豚を飼えばくさくて、近所から文句が出るだろう」

「御冗談でしょう。豚ほど清潔な動物は、他にはいないですよ。くさいのは管理が悪いからです。飼うのがイヤだったら、丸焼きは如何ですか。おいしいですよ。ことに鼻の部分がうまいという話です。邸永漢(きゅうえいかん)さんの本にもそう書いてありました」

 仔豚が私の方を向いてブーと鼻を鳴らした。

 「それならどこかの中華料理屋に持って行ったらどうだい?」

「実はお宅におうかがいする前に、うちの近くの中華屋に持って行ったんですよ。相手が話に乗って商談がまとまりかけた時、この仔豚はお香代(かよ)婆さんから預ったものだと、うっかり口をすべらせたら――」

「なに。これは香代婆さんの豚か」

「そうなんですよ。するとおやじがとたんに青筋を立ててね、オカヨババアの豚ならタダでもいやだ、とっとと持って帰れって怒鳴りつけたんで、僕はもうびっくりして――」

「なに、なに。そりや何か複雑な事情があるらしいな。まあ上れよ。ゆっくり話を聞こう」

「ではそうさせていただきます」

 予期していた如く、彼は皮紐を柿の木の根もとに結びつけると、下駄を脱いでのこのこと縁側に上って来た。坐るのかと思ったら、そのまま台所の方に行って、割箸と皿とコップを大事そうにかかえて戻って来た。御馳走するとも言わないのに、もう飲み食いする気でいるのだから、イヤになってしまう。もっとも図々しいところが、この山名君の身上(しんじょう)だと言えるのだけれども。

「うまいですなあ。この冷ヤッコ」

 豆腐をつまみ上げながら、コップをにゅっと突き出したので、私は余儀なくビールをとくとくと注(つ)いでやった。山名君はそれを一息で飲みほした。腕で唇の泡をふきながら、満足そうな声で言った。

「うまい。もう一杯下さい!」

「そりや飲ませてやらないこともないけどね、どうしてその中華屋のおやじが怒ったんだね?」

「これには深い事情があるんですよ。先ずさし当っての原因は、目下の求人ブームで、出前(でまえ)の人手不足ということですな」

 山名君は急に重々しくもったいぶった口調になった。ゆっくりしゃべることで時間をかせぎ、その分だけビールを余計に飲もうとの魂胆だとは思いたくないけれども、いつも彼は坐り込んでコップを手にすると、こんな話し方になってしまうのはふしぎである。

 

     2

 

 香代婆さんに私はまだ会ったことはないが、山名君の世間話にしばしば出て来るので、顔なじみのような気がしている。山名君の家の裏手に、小さな隠居所みたいな家があり、そこに一人で住んでいる。と書くと天涯孤独の身のように聞えるが、ちゃんと立派な息子がいて、貿易会杜の課長をやっていて、なかなか羽ぶりがいいという話だ。では何故息子と同居しないかというと、息子の嫁と気性が合わないのではなく、

「あたしゃ昔から自由が大好きでね、やりたい放題のことをやりたいのさ」

 そこでわざわざ別居して、生活費だけは息子に送らせて、気ままな老年をたのしんでいるのである。我意を通すだけあって、かなり気性は強く、どちらかというと強情我慢、ウルサ型の典型みたいな婆さんらしい。その婆さんがどういうわけか山名君とウマがあう。いろいろ可愛がったり、おかずを分けて呉れたりして、世話を焼いて呉れる。山名君の話によると、

「あたしゃ世の中の不正だのインチキだのを見ると、むらむらっと腹が立ってつっかかりたくなるけれど、あんたみたいに素直で正直な人を見ると、ひいきにしたくなるんだよ」

 と婆さんが言ったとのことで、私もすこしあきれて、

「へえ。君が素直で正直なのかね」

 と嘆息したら、

「もちろんそうですよ。それとも僕がひねくれてるとでも思っているのですか。それに僕が貧乏にもめげず、芸術にいそしんでいるでしょう。その点に婆さんは感動したらしいのです」

 と語気を強めた。なるほど、山名君は画家だけれど、絵が売れたという話は一度も聞いたことがない。その点感服にあたいすると言えば、言えるかも知れない。

 その香代婆さんがこの間、少々血相をかえて、総髪にした白髪をふり立てるようにして、山名君の家の庭に入って来た。駅前通りに出るためには、自分の門をくぐつて出るより山名君の庭を横切る方が近道なので、いつも婆さんはそこを通るのである。その時縁側で爪を切っていた山名君は、それを見てあわてて呼びとめた。

「お婆さん。お婆さん。顔色をかえて、一体どうしたんです」

「どうもこうもないよ。癪(しゃく)にさわるじゃないか」

 婆さんは足をとめて、じだんだを踏むようにした。丁度(ちょうど)そこらに草花が芽を出し始めていたので、山名君ははらはらしたそうである。

「駅前通りの珍華亭(ちんかてい)に、ラーメンの出前を頼んだんだよ。それから三十分も経つのに、まだ持って来ないじゃないか。女の一人暮しと思って、あの珍華のおやじ、あたしをバカにしてんだよ。だから今から文句を言いに行くんだ」

 なかなか気の強い婆さんで、不正不義を憎むのである。不正不義と言っても、婆さんがそう思い込んでいるだけで、生憎(あいにく)その日は日曜だったし、珍華亭の雇い人が一人やめて、出前の手不足で配達が遅れていたのだ。しかしそれを説明しても聞き入れるような婆さんではないので、山名君も爪切りを中止して、ついて行くことになった。婆さんの加勢をしようという殊勝な魂胆でなく、喧嘩の現場を見たいとの野次馬根性からだったらしい。

 

     3

 

「その珍華亭のおやじも少々変り者でね、商売人のくせにむっつりして、お世辞ひとつ言わない。しかしそういうのに限って、腕は確かなようですな。ラーメンでもチャーハンでも、ひなにはまれなものを食わせました」

 ビールも冷ヤッコもなくなったから、山名君は台所に立ち、勝手に冷蔵庫をあけて、新しいビールを二本と焼豚の皿を持って戻って来た。実に平然とことを遂行(すいこう)するので、私はなんだかここが自分の家じゃないような気がして来る。庭の生き豚を眺めながら焼豚を食うのは、妙な感じのものであった。

「婆さんは前にのめるような姿勢で、とっとと歩いて行く。もう六十何歳というのに、足腰が達者で、とても早いんですよ。僕も遅れじとあとに続きました。珍華亭の前に来ると、婆さんははずみをつけるような恰好(かっこう)でパッとのれんをはね上げ、中に押し入りました。珍華のおやじは丁度調理場でチャーハンをいためていた。婆さんが大声を出しましたね。

『出前を頼んで一時間も経つのに、まだ持って来ないのはどういうわけだね。あたしゃ腹が減ってんですよ。あたしを干乾(ひぼ)しにしようというつもりかい?』

『干乾し?』

 飯を空中でくるりとひっくり返しながら、おやじはじろりと婆さんを横眼で見ました。

『今若い者が暇をとってね、手が足りねえんですよ』

『手はあるじゃないか』

 婆さんは店番の小女(こおんな)を指差しました。小女はおろおろと灰皿などを片付けています。

『女じゃダメだよ』

 おやじは冷然と言って、コショウを飯にパッパッとふりかけました。

『それにあんたは出前にいろいろ文句を言うそうじゃないか。やめた若い者が言ってましたよ。やれ今日のは汁がからかったとか、シナ竹(ちく)が少かったとか――』

『文句じゃないよ。批評してやってんだよ』

『批評なんてものはね、もっと大局からするもんだよ。それを何ですか。シナ竹の一本や二本に、ケチケチとこだわって――』

『あれ、あたしをケチとお言いなのかい』

 婆さんは腕まくりをしました。女ながら勇ましいものですねえ。

『あたしゃお客だよ。そのお客に向って、ケチだから、つくってやらないと言うんだね』

『そうは言ってないよ。婆さんの分は出来てんだよ。ほら、そこに』

 おやじが顎をしゃくったので、見ると台の上にちゃんとラーメンの丼が乗っかっています。

『そんなに腹がぺこぺこなら、ここで食べてったらどうだね。その方が早道ですよ』

『お婆さん。そうしたらどうですか。いつまで言い合っても、きりがないから』

 僕がそう口をそえたものですから、香代婆さんは不服そうに僕をにらみつけ、それからどしんと椅子に腰をおろして、つんけんした声で小女に命令しました。

『それなら食べてやるから、棒みたいにつっ立ってないで、早くラーメンを持っといで!』

 小女がラーメンを持って来ると、婆さんはおもむろに卓上のコショウの容器を振り上げました。そしてあの穴が点点とある中蓋を爪でこじあけると、中身を全部パアッとラーメンにぶちあけてしまった。あっ、と言う間もありませんや。あれは一瓶五十円やそこらはするんでしょう。婆さんは帯の聞から財布を出して、十円玉を四つ、卓上にパチパチと並べました。

『さあ。代(だい)はここに置いたよ。山名さんや。帰りましょう』

 横眼で調理場から見ていたおやじが、憤然たる面もちで飛び出しました。そりゃそうでしょう。四十円のラーメンに五十円のコショウをぶちあけられては、どだい商売にならない。おやじは怒鳴りました。

『何てことをするんだ。もったいない』

『あたしゃケチケチすることが大きらいでね』

 婆さんも怒鳴り返しました。

『それともお前さんとこの店じゃ、コショウを使っちゃいけないのかい?』

『いけないとは言わん!』

 おやじもぐつと詰ったらしい。すぐ体制を立て直して、

『コショウをそんなに使った以上、ここで全部食べてもらおう』

『食おうと食うまいと、金を払った以上、あたしの勝手ですよ。それともお前さん、押売りする気かい?』

『なに押売りだと?』

 おやじの額に青筋がニョキニョキと立ちました。

『さっきこの小女(こおんな)に何て言った? 食べてやるから持って来いと言ったじゃないか。さあ、きっぱり食べていただこうじゃねえか』

 今度は香代婆さんの方がぐつと詰った。調理場でチャーハンが焦(こ)げて、煙を出し始めたので、小女があわててガスの火を消しに飛んで行きました。

『食えばいいんでしょ。食えば!』

 逃口上(にげこうじょう)がなくなったものだから、婆さんはふてくされて、居直りました。見ると丼の表面はコショウだらけで、ソバもシナ竹(ちく)も肉片もその中に埋没しています。婆さんは箸でそっとコショウをかきわけ、ソバをつまみ出しました。一口食べたとたんに、コショウが鼻に入ったと見え、大きなくしゃみを三度続けざまにしました。

 おやじが腕組みしてにらみつけているので、婆さんも逃げ出すわけには行かない。くしゃみをしたり、涙をほろほろ流したりしながら、やっと半分も平らげたでしょうか。見るに見かねて僕が横から口を出しました。

『お婆さん。残りは僕が食べましょう。僕も腹ぺこなんです』

『そうかい。それなら差上げるよ』

 と丼を僕の方によこした。あんなからいラーメンを食ったのは、生れて初めてですな。まるで口の中が火事になったみたいで、出すまいとしても大粒の涙がコロコロころがり出る。やっとのこと食べ終ったら、おやじが腕組みを解いて、汁まで全部飲んで行けと言う。ムチャな話ですよ。コショウがどっさり溶け込んでいるんですから、あれを飲んだら気違いになるか、あるいは肝臓が破裂して死んでしまうかも知れません。

『汁まで飲まねばならぬという規則は、どこにもないぞ』

 と頑張って、婆さんと二人で外に出て、家まで小走りでかけ戻って来ました。そしてボンプをギイコギイコ鳴らして水を出し、二人でがぶがぶ飲みました。実は珍華亭で水を注文してもよかったのだけれど、行きがかり上そんなわけには行きません。婆さんが涙を流しながら我慢しているのに、僕が水を頼んだとあっては、男の名折れですからねえ。

 香代婆さんはその夕方から、どっと床につきました。あんなからいものを食べて、水を一升ぐらい飲んだので、胃腸をこわしたんですな。僕ですらその日一日は身体の調子が悪かったんだから、六十何歳という年齢にはムリだったに違いありません」

 

     4

 

「豚とその話とどういう関係があるんだね」

 と私は聞いた。

「ええ。それがね、身体をこわしてどっと床についたとこから、次の幕が始まるんですがね」

 山名君はにやにや笑いながら、空のビール瓶を催促がましく振って見せた。

「もう、これ、ないんですか」

「イヤな奴だな。もうビールはないよ。戸棚をさがせばウィスキーが少し残っているかも知れないけれど」

「ウィスキー、結構ですねえ。持って参りましょう」

 台所をごそごそ探し回り、半分ほど残ったウィスキー瓶を持って戻って来た。

「なにしろ胃腸をいためたのだから、固いものは食べられない。僕も気の毒に思って、朝夕二度重湯(おもゆ)などをこしらえて、届けていました。香代婆さんというのは大の医者嫌いで、どんなにすすめてもかかろうとしない。おなかの病気なんか寝てりゃなおるという信念で、その信念が通ったのか、三日目にはやっと床に坐れるほどに回復しました。鏡を使って髪を撫でつけたりしていると、その鏡に庭の一部がうつったんですな。

 婆さんは一人で暮しているだけあって、きれい好きで、庭はあまり広くないけれど、雑草ひとつ生えていません。真中に小さな池があって、婆さんの趣味で金魚が飼ってある。僕は金魚について知識はないけれど、なかなか素姓のいい金魚だそうで、大きな尻尾をひらひらさせて、ゆうゆうと泳いでいます。その金魚を猫がねらっているのが、鏡にうつったんです。婆さんはキャッというような声を上げて、庭の方に振り向いた。

 全身があぶらぎって憎たらしく大きな黒猫だったそうですが、ちらと婆さんの方を見ただけで、また視線を元に戻して、前肢をチョイチョイと池につっこんで、金魚をかすめようとしている。婆さんはカッとなって立ち上り、そこらにあった箒(ほうき)をふり上げて突進しようとしたが、なにしろ三日間食うや食わずでしょう。腹に力が入らないものですから、ひょろひょろと縁側までたどりついた時、黒猫はパッと金魚をすくい上げた。口にくわえると、生垣の方に逃げて行く。おのれとばかり婆さんが縁側から飛び降りると、やはり体力不足のせいで足を取られて、よろめいて庭にひっくり返りました。起き上った時には、もう猫の姿も形も見えません。もしこれが病気でなけりゃ、婆さんは箒で猫を張り倒して、金魚を救えたでしょうにねえ。

 婆さんは怒りに燃えて、近所の子供たちを呼んで猫の特徴を話すと、それはきっと豚足の猫だよと口々に言う。豚足というのは一町ほど離れたところにある農家で、本来は農業ですが、内職に豚を飼っている。それだけ聞きただすと、婆さんは部屋に取って返し、生卵を二箇割って呑み、杖をついて豚足に出かけたんですな。婆さんを支えているのは、不正不義を憎む精神力だけです。でも精神力だけではスピードは出なくて、一町歩くのに三十分ぐらいかかったそうです。

 豚屋のおやじは在宅していました。四十がらみの肥った男で、庭で豚の餌の調合をしていました。サツマイモの煮たのに米ヌカとかオカラとか、そんなのを混ぜ合わせているところに、へんな婆さんが杖をついてよたよたと入って来たので、何と間違えたのか、

『うちじゃ間に合ってるよ』

 と、つっけんどんに言ったそうです。そこで婆さんはこちんと頭に来た。

『間に合ってるとは何だよ。この泥棒猫!』

『派棒猫?』

 猫呼ばわりをされて、豚屋は眼をぱちくりさせました。

『そうだよ。お前さんとこの猫が、さっきうちの金魚をかっさらって逃げたんだよ。一体どうして呉れる』

『金魚? 金魚ごときの問題で、血相かえることはないじゃないですか。いい歳をして見っともない』

『何を言ってんだい。金魚々々とバカにしなさんな。一匹何十万円という金魚もあるんだよ。お前さんとこの三文豚とは、ケタが違うんだ』

『三文豚とは何だ』

 調合の手を休めて、豚足も本気で怒り出しました。

『そら、自分で飼ってるものをけなされりゃ、誰だって怒るだろ。大切な金魚を盗られた身にもなってみなさい』

『じゃあどうしろと言うんだい?』

『金魚の代償に、豚一匹よこしなさい。それだったら、我慢してやる』

 別段豚が欲しいわけじゃなかったのですが、豚足の態度が横柄なのと、体がつらいのをムリしてここまで来たもとを取ろうと、とっさの間に婆さんの口から、そんなせりふが飛び出したというわけです。ちょいとした言いがかりですな。

『金魚と豚と!』

 果たして豚足は天を仰いで嘆息しました。

『冗談も休み休みにしてもらいたいね。比較になるもんか。それとも婆さんとこの金魚は、何十万という代物(しろもの)なのかい』

『何十万はしないけれど、一万五千円ぐらいするんだよ』

 婆さんはサバをよみました。香代婆さんの死んだつれあいというのは、弁護士だったそうで、その影響で彼女もサバをよんだり、言いくるめたりするのが得意なのです。

 それから婆さんと豚足の間に大議論が始まって、猫の行動にどの程度まで飼主が責任を持つべきかということや、金魚の管理に不備はなかったかとの。問題などについて、さまざまの意見が交されて、ついに豚足は、

『うちのクロが金魚を盗ったというが、その証人か目撃者を連れて来い』

 と言い出して来た。目撃者はいない。見ていたのは婆さんひとりですから、彼女は口惜しがって歯をギリギリと嚙み鳴らし、

『よろしい。お前さんがそういう態度を取るなら、あたしにも考えがある。あたしゃ警察署長や新聞記者に、たくさん知合いがあるんだからね。あとで後悔しなさんな』

 と捨ぜりふを残して、また一町の道を二十五分ぐらいかかって、えっちらおっちらと戻って来ました。

 夕方僕がおかゆをこしらえて、香代婆さんの家を訪ねると、婆さんは壁に向って坐って、ダルマのように何か思案にふけっていました。僕が声をかけると、婆さんはこちらを振り向いたが、あの気丈な婆さんが両眼に涙をうっすらとたたえているので、おどろきましたねえ。コショウ中毒にかかった揚句、大切な金魚まで盗られて、さすがの婆さんも涙もろくなったらしいのです。

『あたしゃ口惜しいんだよ』

 一部始終を聞いて、僕も同情にたえなかったですな。婆さんが血相をかえて珍華亭におもむこうとした時、この僕がとめさえすれば、こんな事態にはならなかった。その点で僕にも責任はないことはない。

『どうです。お婆さん』

 僕は思いついて提唱しました。

『新聞に投書したらどうですか。苦情欄とか何とか、そんなのを取り扱う欄があるでしょう。それに豚屋の猫のことを――』

『そうねえ』

 婆さんはおかゆをモグモグ食べながら、視線を宙に浮かせて、何かしきりに考えていましたが、

『でも、採用して呉れるかねえ。たかが泥棒猫のことで』

『そりゃ出してみなきや判らないですよ。案外目新しい事件だから、採って呉れるかも知れない』

 婆さんは梅干を頰ばり、首をかたむけていましたが、やがて思い詰めたように、

『それよりも、山名さん、あんたがその新聞記者に化けて、あの豚足をおどかして呉れないかねえ』

『え? 僕が新聞記者に?』

『そうだよ。あの豚屋みたいな男は、弱い者には横柄に出るけれど、強いのが来るとすぐへたへたとなるタイプだよ。あたしのカンに間違いはない。ねえ、山名さん、あたしをたすけると思って、ここで一芝居打ってお呉れでないか』

 と両手をつかれた時には、もう僕もことわり切れなかったですな」

 

     5

 

「それで――」

 私もあきれてコップを下に置き、先をうながした。

「君がその苦情欄の記者に化けたのか」

「そうですよ」

 山名君はウィスキーの瓶の尻をたたいて、最後の一滴を飲み干した。

「友達に新聞社につとめているのがいてね、翌日そいつを訪ねて名刺を一枚もらい、その足で豚足のところに行ったのです。一老女という署名の投書があって、お宅に悪質な泥棒猫がいるという話だが、と切り出すと、豚足はギクリとしたらしいが、平気をよそおって、

『あんたは誰だ?』

 というから、名刺を見せてやりました。そして続けて、

『豚のにおいがプンプンして、近所が迷惑しているとも書いてあるが――』

 と言うと、豚屋は急にへどもどして、態度もていねいになり、

『それ、新聞に乗せるんですか?』

 と哀願的な口調になったので、僕も少々気の毒になり、

『いや。部課長会議にかけて採否はきめるんだが、その一老女というのに心当りがあったら、あやまりに行って、投書の取消しを頼んだらどうだね』

 と教えてやり、縁側でお茶とお菓子を御馳走になり、意気揚々として戻って来たのです。なに? 包み金か何かもらったろうって? 冗談じゃないですよ。それほど僕は悪らつな男じゃありません。うちへ戻ってしばらくすると、香代婆さんの家の方から話し声が聞えるから、窓からそっとのぞいて見ると、豚屋がこの仔豚を持ってあやまりに来ていたところでした。僕は笑いをかみ殺すのに苦労したですな」

 外はもう蒼然と昏(く)れかかって、柿の木につながれた仔豚の姿も、さだかでなくなっている。酔いがこころよく全身をめぐつて来た。

「その仔豚を持て余して、珍華亭に売りに行ってことわられ、それで僕のところに持って来たというわけか」

「そうなんですよ」

 山名君はコップを伏せて長嘆息した。

「お宅でも要(い)らないとすると、一体どこに持って行けばいいのかなあ。仔豚の始末は僕に任せなさいと、婆さんに見得(みえ)を切って来た手前、今更持ち帰るわけにも行かないし、ほんとに頭が痛いですよ。弱ったなあ」

 立ち上ってからも、山名君はしきりにぼやいた。

2018/03/16

ブログ1070000アクセス突破記念 梅崎春生 益友

 

[やぶちゃん注:昭和三五(一九六〇)年十月号『小説新潮』に発表された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第四巻を用いた。

 本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日、1070000アクセスを突破するであろう記念として公開した。【2018年3月16日 藪野直史】]

 

 

 益友

 

「やはり犬を飼うんですな、犬を」

 私の邸内、というと大げさになるが、つまり家のまわりを一巡して、縁側にゆっくり腰をおろし、山名君は仔細らしい顔つきでそう言った。

「家なんてものは、どんなに厳重に鍵をかけても、ダメですな。その道の専門家にかかれば、ころりとあけられてしまう」

「へえ。その道の専門家というと、泥棒や強盗のことかね?」

「まあその見当でしょう。もっとも僕は泥棒に知合いがあるわけじゃないけれど」

 そして山名君は猟犬みたいな眼付きになって、庭先のサンショウの木の下をじっと見つめた。

「足跡があったというのは、あの木の下ですね」

 私の返事を待たず、山名君は立ち上って、つかつかとサンショウの木に歩み寄った。彼は背は高くないが、肩幅がやけに広くて、うしろから見ると渋団扇(うちわ)が歩いているように見える。そこにしゃがむと、ポケットから天眼鏡を取り出して、足跡をしらべ始めた。熱が入って、顔を近づけ過ぎて、額をサンショウのトゲに突き刺され、きゃつという悲鳴を上げて尻餅をついた。重心が肩の辺にあるので、彼は何かというと、すぐ転んだり尻餅をついたりして、威厳を損じる偵向がある。

「ちぇっ。いてえなあ」

 舌打ちをしながら、体を立て直し、ごそごそと巻尺を取り出した。いっぱしの探偵気取りで、巻尺なんかを持って来るんだから、いやになっちまう。今度はおずおずと、足跡の長さや幅をはかって、ついでに臭いもかいでみたい風情だったが、また威厳を損じるのをおそれたのだろう、そのまま道具をポケットにしまって、肩を振りながら縁側に戻って来た。

「なるほど。あれはたしかに、人間の足跡ですな」

 天眼鏡で見なくたって、人間の足跡であることは判っている。犬や猫が靴を穿いて歩き回るわけがない。

「あたりまえだよ」

「巻尺ではかったところによると、十文半の靴です。つまり十文半の靴を穿いた男が、昨晩お宅の庭に忍び入った、というわけですね」

「十文半ね。ふうん」

 家人の話によると、昨夜庭のあたりをごそごそと歩き回る足音がしたと言う。私は寝つきはいい方だし、音には鈍感なたちだから、深夜の足音などに眼をさましたりはしない。しかし、夜中に他人の庭に入り込んで歩き回るなんて、ただごとではないから、それは犬じゃないのか、と確かめたら、いえ、たしかに人間の足音です、犬は足が四本あるから、歩き方が違う、との答えであった。でも、足音だけで、二本足と四本足を、聞き分けられるものかどうか。

「十文半というと、大して大男でもないな。やはり泥棒に入るつもりだったんだろうか」

「そう考えていいでしょうねえ。他人の庭を散歩するなんてことは、常識では考えられないから」

「でもね、靴を穿いている泥棒って、あるかしら。ふつう泥棒というのは、地下足袋とかワラジとか、または裸足で」

「何を言ってんですか。ミサイル時代の世の中だと言うのに」

 山名君は煙草の煙をはき出して失笑した。

「そんな泥棒々々とした恰好(かっこう)じゃ、すぐ交番で不審訊問に引っかかりますよ。今の泥棒はね、大体においてサラリーマン風。これなら怪しまれないですからねえ。重役タイプなどというのもあるそうです」

「ほんとかね、それは。どこで聞いて来た?」

「ど、どこで聞いたというわけじゃないけれど、近頃大体そうなってるんですよ」

 山名君はどもった。彼はいつも何でも知っているような顔をしているが、その根拠を問いただすと、すぐにどもったりもつれたりして、ごまかしてしまう習癖がある。

「これは十文半だから、おそらくスマートな紳士風ですね。こういうのがかえっておそろしい。やはり、犬を飼うんですな。いい犬の出物がありますよ。血統書つきの」

「どうしても、犬か」

 私は嘆息した。犬はあまり好きではないが、夜中に怪漢がうろうろしているとあれば、仕方がない。それに私は犬運が悪いのだ。

「その血統書つきってのは、高いんじゃないだろうね。高いのはイヤだよ。ラックみたいなのは、御免だよ」

「ええ。ええ。手頃ですよ。決して高くはありませんよ」

 さっきトゲから刺された額を、ハンカチでごしごしこすりながら、山名君は早口で答えた。ラックの名を出されるのが、彼にはつらいのである。

「ラックと違って、先代のエスみたいな実用的な犬です。悪い奴にはよくほえるし、よく嚙みつくし、多少恰好(かっこう)はよくないですけれどね。首輪も鎖もサービスしますよ」

 

 山名君は犬屋ではない。他に職業はあるのだけれども、時々私の家にあらわれて、私が欲しがっているもの、私の家に欠けているもの、必要なものを、どこからか都合して用立てて呉れる。呉れるといっても、もちろんタダではない。しかるべき金額を、しかるべきといっても彼にとってしかるべき金額で、私の側からすると、どうも市価の二倍にあたるような金額を捲き上げて行く何でも屋さんだが、向うでは好意と善意をもってやっているらしいので、むげに断るわけにも行かない。便利なこともあるから、ついつい頼むことになるのだ。

 今年のタケノコの季節に、山名君と食卓を囲みながら、うまいタケノコが食いたいなあと嘆息したら(丁度(ちょうど)その時食べていたのがタケノコ飯だった)その翌日彼は見事なタケノコを七八本、リュックサックに詰め、えっさえっさと持って来た。山名君は戦争中現役兵で、重砲部隊に属していたと言うから、矮軀(わいく)ながら腕力はなかなか強い。猿蟹(さるかに)合戦の蟹がにぎり飯を背負っている、そんな感じでかつぎ込んで来た。

「これはいいタケノコです。東京随一です」

 山名君は汗をぬぐいながら、もったいをつけた。タケノコの本場は関西だそうだけれども、東京に持って来ると日数が経つから、うまくない。タケノコは鮮度を生命とする。だから地元の掘り立てが最高だというのが彼の自慢で、見ると皆掘り立てらしく、切り口があざやかで、黒い土があちこちにくっついていた。

「地元って、どこだね?」

「東京では、世田谷ですね。世田谷の奥」

 世田谷が関東のタケノコの本場とは知らなかった。なんでも山名君の奥さんの実家が世田谷の蘆花公園の近くにあって、またその近くに絶好の竹やぶがあって、そこから買い込んで来たんだという。竹やぶをほったらかしにしていては、いくら絶好でもいいタケノコは出て来ないそうで、やはり肥料をやったり水をやったり、丹精をこめねばならない。その肥料の配分は云々と、山名君は情熱をこめて、長々と私にタケノコ談義をした。十何歳年下の男から、嚙んで含めるように講義されて、その度に面白くないような気分にこちらはなるのだけれども、それが彼の癖なのだから仕方がない。彼は絵描きで、夜学の図画の先生をしているから、すぐにそんな講義癖が出て来るのである。習慣とはおそるべきものだ。

 七八本の中、我が家に少しわけて、あとはどこに持って行くのかと思ったら、皆私のために持って来たのだそうである。

「では、とにかく、賞味してみるか」

 すぐに煮つけたり、味噌汁に仕立てたり、タケノコ飯をつくったりして、タケノコずくめの食事をつくって、一同で食べた。なるほど自慢するだけあって、香りもよくやわらかく、八百屋なんかではお目にかかれない絶品だった。うちの子供たちは、剝(む)いたタケノコの皮を指にはめて、

「悪魔だ。悪魔大王だ」

 などと喜んで、家中を走り回っていた。

 食事のあと一服しながら、

「まだたくさん残っているんだから、木の芽あえにして食いてえな」

 てなことを、私がうっかり口を辷(すべ)らせたらしい。それから四、五日経って、しとしとと雨の降る夕方、彼はずぶ濡れになって高さ六尺ばかりのサンショウの木を、えっさえっさとかつぎ込んで来た。

「へえ。ごめんください。お待遠さまでした。あちこち探し回ってねえ、やっと気に入ったのを持って来ましたよ」

「へえ。サンショウが欲しいなんて、そんなこと、おれ、言ったかな」

「言ったじゃないですか。タケノコの木の芽あえが食べたいと、あんなに繰り返し言って、僕に眠くばせしたくせに」

 眠くばせなんかした覚えは毛頭ないけれども、向うがそう言い張るんだから、仕方がないのである。とりあえず庭の隅に植えて貰ったが、ずぶ濡れになってがたがた慄えているのを見ると、そのまま放って置くわけには行かない。着換えを提供して、それでもまだがたがたしているから、そんなに寒いのか、と訊(たず)ねたら、

「皮膚は若干あたたかくなったけど、身体の芯(しん)がまだつめたい」

 とのことで、結局身体の芯をあたためてやるために、お酒とさかなを出す羽目になってしまった。軍隊できたえたと称するだけあって、彼は酒にも非常に強いのである。一合や二合では顔色も変らない。よりによってこんな雨の日に、運んで来なくてもよさそうなものだと思うが、とうとうその日は相当量を飲まれてしまった。身体の芯があたたまって来ると、山名君はれいの講義癖を出して、サンショウにもいろいろの種類があって、一番下等品をイヌザンショウ、トゲのないのをアサクラザンショウ、その他ミヤマサンショウ、何とかサンショウと、いろいろ種類があり、今日持って来たのは黄金(こがね)サンショウという最高級のサンショウで、やはり世田谷の奥に生えていたのを引っこ抜いて来たんだと言う。世田谷の奥はいろんなものを産すると見える。

「持主に黙って引っこ抜いて来たんじゃあるまいね」

「冗談じゃないですよ。ちゃんと持主に交渉して、しかるべき代金を払って――」

 それに運び賃を加えて、二千三百円ぐらいをふんだくられた。雨の日にわざわざ運んで来たのだから、要らないよ、とは言い切れなかった。

 タケノコだって、八本を全部引受けたおかげで、家のものたちはすっかり食い倦(あ)きて、残りは捨てるわけにも行かず、私が全部を食べなければならぬことになってしまっ

た。朝、昼、晩とタケノコを食う。タケノコなんて時々食うからうまいので、のべつまくなしに食わされては、いくら木の芽などで変化をつけても、うんざりしてしまうものだ。それに八本のタケノコ代だって、安くはなかった。山名君は相当儲(もう)けたらしい。

 でも山名君は、私に食傷させようとの目的で、八本もタケノコを持ち込んだのではなかろう。十四年前、彼は復員して上京、ある画塾に通いながら、片や生活のためにヤミ屋をやっていたそうだ。ヤミ屋であるからには、何か欲しいとか足りないとか聞くと、すぐ衝動的にあちこちかけ回って、物資を探し出して来る。そんな商売を三四年も続けたものだから、すっかりその習性が身について、ヤミ商売をやめた今でも、私が何か欲しいと言うと、いても立ってもいられなくなる。そこら中をかけ回り、ムリをしてでも品物を持って来て呉れるのだ。そのムリに対して、表面的にでも、私は感謝せざるを得ない。それで彼がいくらか儲けても、それはヤミ屋の本能みたいなものだから、とがめる筋合いのものでなかろう。

「あの人はいい人だけれど、若いくせにもったいぶっていて、説教癖があるし、品物を持って来ても、儲け方がひど過ぎるようよ。夜学の先生だというけど、あれで生徒に人気があるのかしら」

 と、うちの者は嘆くけれども、その度に私は弁解してやる。庭にへんな足跡があると電話すれば、すぐに巻尺と天眼鏡を持ってかけつけて呉れるような奇特な仁は、そうそう世間にいるものではない。

「素直だから、そうなるんだよ。ヤミ屋をやれば、やめたあとでもヤミ屋の習癖が抜けないし、教師になれば、とたんに教師根性が身についてしまう。ふつうの人なら、さっさと切り換えるところを、いつまでもそれから抜け切れない。よほど人物が素直な証拠だよ。紙にたとえれば、吸取紙みたいな人間だ。清濁あわせ飲むといったタイプで、きっと将来大をなすね。それにすべて、うちのことを思ってやって呉れるんだから、あんまり文句は言えないよ」

「でも、あのラックのことじゃ、大迷惑だったわ」

「うん。ラックについては、少々手違いがあったようだな。しかし、蜂事件じゃ、彼はすっかり手弁当で働いて呉れたよ。あれは気の毒だった」

 昨年の夏、私が旅行から戻って来ると、私の部屋の戸袋に、蜂が巣をつくり始めていた。蜂だの蝶だの蟻だの、私は虫の生態を観察するのは大好きなので、取りはらいもせずそのままに放置した。毎日々々幾匹かのハタラキ蜂が、巣をつくる材料をたずさえて、どこからか飛来してくる。最初見つけた時は、垂れ下った房の孔が、四つしかなかったのに、それが六つとなり、七つとなり、八つとなり、次第にふえて行く。孔の数が十を越す頃から、番兵というか衛兵というか、そんなのが巣の入口に立ち始めた。いつでも飛び立てるように羽根をひろげて、ぎろぎろと周囲を見回している。その番兵が、初めは一匹だったが、孔の数の増加につれて、二匹、三匹とふえて行く。少々物騒なことになって来た。

 私の部屋の戸袋というのは、つくりがお粗末で、すき間なんかがあって、外にも自由に出られるが、部屋の中にも自由に出入り出来るようになっている。だから哨戒(しょうかい)か偵察のつもりだろう、時折番兵蜂が部屋に入って来て、ブンブンとそこらを飛び回り、私の頭にとまったりする。私がじっとしているから、刺しはしないけれども。

 いくら蜂の生態を観察すると言って、観察にも限度がある。どうにか処置しなければ、と考えている中に、蜂の世界にも突貫工事というのがあるらしく、ある日、妙に蜂の出入りがはげしいと思ったら、その日の夕方までに、巣はいっぺんに三倍ぐらいふくれ上って、衛兵も十匹ぐらいに増員されたのにはびっくりした。蜂の世界のことはよく知らないが、女王蜂か王様蜂かの命令で、何々の花の咲く頃までに巣を完成せよということで、かくてこのような突貫工事になったのではないかと思う。衛兵も十匹ぐらいになると、衛兵にも衛兵長というのが出来て、比較的大柄の体格のいい蜂が一匹、悠々とそこらを飛んだりとまったりして、時には部下の蜂たちに何か訓示を与えたり、偵察を命じたりしている風である。もう放っては置けないと、私は山名君に電話した。山名君は早速やって来た。

「一体どうしたんです?」

「蜂がね、戸袋に巣をつくって、困っているんだよ。雨戸の出し入れも、蜂に遠慮をして、そっとやってるくらいなんだ。君の力で取り払って呉れないか」

「そうですか。では早速、現場を見せていただきましょう」

 戸袋のところに案内したら、あまり巣が大きいので、ぎょっとした様子である。

「取り払うって、これをですか?」

「そうだよ」

「そうだよ、じゃありませんよ。こんなに大きくなる前に、どうして電話して呉れなかったのですか」

 山名君は恨めしげな声を出した。

「あれ、番兵蜂が僕をにらんでるよ。気持が悪いなあ」

「これねえ、ひょっとすると、蜜蜂じゃないかと思って――」

 と、僕は弁解した。

「だから蜜がとれるのがたのしみに、今まで放って置いたんだよ」

「蜜蜂? 冗談じゃありませんよ」

 山名君は小脇にかかえた本を、ぱらばらとめくった。見ると昆虫図鑑で、なるほど絵描きだけあって、用意周到なものだ。

「そら。蜜蜂というのは、これですよ。恰好が全然違うでしょ。これはね、コアシナガバチといってね、垣根や窓、下見板などに巣をつくる駄蜂です。蜜蜂がそんなところに巣をつくるもんですか。タダで蜜を採取しようなんて、図図しいにも程がある」

「図々しいのは、お互いさまだよ」

「え? 図々しいって、僕のことですか?」

「いや。このコアシナガバチのことだ」

 私はうまくごまかした。

「どうやったら、この蜂どもは、退散して呉れるかなあ」

「そうですな。信州なんかでは――」

 信州の蜂の子取りの要領を、彼は一席述べたてた後、

「しかし、今回のは蜂の子取りが目的じゃないんですからな、さて――」

 腕組みをして、しばらく蜂の巣をにらみつけていたが、

「蚊帳(かや)がありませんか。ええ。古蚊帳でけっこうです」

「蚊帳をどうするんだい?」

「刺されないように、かぶるんですよ。それに、巣をたたき落すのに、何か棒切れをひとつ。かんたんなもんですよ」

「へえ。ずいぶん原始的な方法でやるんだなあ。棒切れって、スリコギでいいかい」

「ええ。けっこうです」

 というわけで、古蚊帳とスリコギを出してやったら、山名君は蚊帳をすっぽりかぶり、スリコギを宙に振って具合をためしたりした。まるで西洋の幽霊みたいな恰好(かっこう)である。

「いいですか。ではあなた方は、他の部屋に行って、じっとしてて下さい。障子もきちんとしめるんですよ。血迷った蜂が、そちらに飛んで行かないとも限らないから」

 蚊帳の中だから、声がくぐもって聞える。

「僕が、よし、というまで、絶対にこの部屋に来ちゃダメですよ。判りましたね」

 そこで私たちは他の部屋にうつり、障子や窓を固くしめて、聞き耳を立てていたら、やがて蜂の部屋から、ばたんばたんと何ものかが格闘しているような音がおこり、絹を裂くような悲鳴が聞えた。それっ、とばかり私が腰を浮かせかけると、山名君は悲鳴のかたまりになって蜂の部屋を飛出し、廊下をどたどたと走って、私たちのいる部屋にどすんところがり込んで来た。私はあわてて障子をぴしゃりとしめた。

「どうしたんだ。しつかりせえ」

 私は山名君を抱き起した。

「蜂は退散したか?」

「退散もくそもありませんよ。アンモニヤ。早く、アンモニヤを!」

 うなりながら、身体から蚊帳をむしり取った。

「ああ、痛い。何というむちゃくちゃな悪性蜂だろう。蚊帳の中に飛び込んで、僕を刺すなんて!」

 見ると顔や頭や手などに、数箇所刺されたもようである。だから蜂なんかと、バカにしなければよかったのだ。

「アンモニヤ。アンモニヤはないねえ。オシッコではだめか?」

「オシッコで間に合いますか。それ。薬を、薬を!」

 と騒ぎ立てるので、そこらにあった富山の薬袋から、塗り薬を出してつけてやったら、やっと悲鳴がおさまった。

それから山名君の語るところによれば、スリコギで力まかせに巣をはたき落したら、衛兵蜂がワッとむらがって襲撃して来たので、あわてて逃げ出そうとしたとたん、蚊帳の裾が足にからんですとんと転倒した。転倒したはずみに、なにしろ古蚊帳だから、縫い目が勢いよくほころびたらしい。蜂たちはたちまちそこからなだれ入って、山名君の身体の露出部をチクチク刺して回ったのである。これでは彼が悲鳴を上げるのもムリはない。

 追っかけて来た蜂は、まだ山名君を刺そうと、障子の向うをブンブンと遊弋(ゆうよく)していたが、やがてあきらめたと見え、羽音も聞えなくなってしまった。だから我々は抜き足さし足、廊下を通って蜂の部屋をのぞいて見たら、唐紙に穴はあき、机上の灰皿が飛び散り、さんたんたる光景である。仰天してスリコギを振り回したから、こんなことになってしまったのだ。[やぶちゃん注:「遊弋」「弋」は「獲物を獲る」の意で、本来は艦船が敵艦船に備えて索敵するために海上を頻りに航行することを指し、後にあちこち動き回ることの意となった。]

「すみませんでしたねえ。こんなへマをやらかして」

 さすがに山名君は恐縮して、首に手を当ててあやまった。

「この次退治する時は、もっとうまくやります」

「もう蜂退治は君に頼まないよ」

 戸袋をおそるおそるのぞき込んだら、巣はごろんと敷居にころがっている。部屋の隅にはね飛んだスリコギを拾って、および腰でつついて見たが、もう孔の中に蜂はいないようであった。あきらめて他の場所に巣をつくりに出かけたのだろう。蜂がいないことを確かめると、山名君は急に元気になって、巣をわしつかみにしてにらみつけた。

「畜生め! 蜂の分際で、こんなところに巣をつくったりしやがって!」

 巣を自分のポケットにつっ込んだ。

「この巣、要らないんでしょ。記念に僕が貰って置きますよ」

「うん、いいだろう」

 それから山名君は、蜂の退治代と刺され代を請求したいらしく、口をもごもごさせていたが、私が不機嫌にせきばらいをして、さんたんたる室内を見回したりしたものだから、とうとう何も切り出せなくなって、その日はしょんぼり帰って行った。

 あとでの述懐によると、その晩彼は蜂毒のため発熱、七転八倒したという。コアシナガバチにそんな猛毒があるかどうか、私は知らないけれども、常識として七転八倒はちょいと大げさ過ぎるように思う。記念に持って帰った蜂の巣は、見れば見るほどいまいましいので、漢方薬屋に持って行って売り払ったとのことで、蜂の巣は漢方薬の原料になるものらしい。

「いくらで売れた?」

 と訊ねたら、えへへ、と笑って答えなかった。

 

 山名君が名探偵気取りで、庭の足跡を調査してから一週間になるが、まだ何にも彼から連絡がない。血統書つきの犬は、もうこの前で一度こりているから、電話で催促する気特にもなれない。

 あれはいつだったか、蜂事件に前後して、私の家にいたエスという犬が死んだ。八年前私の家に迷い込んで来て、何となく飼う気になったのだが、犬の八年とは人間の数十年に当るのだそうで、やはり寄る年波で寿命がつきたのだろう。ある朝、私が歯をみがきに井戸端に出たら、犬小屋の前のコンクリートの上に、エスが寝そべっていた。その寝そべり方がちょっと不自然で、四肢をぐつと突き出すようにして、近づいて見たが微動だもしない。

「エス!」

 と呼んでも、動かない。すなわち死んでいたのである。エスの形はしていても、それはもうエスでなくなっていた。

 飼っている動物に死なれるのは、哀しいと同時に、何かやり切れない感じがするものである。手厚く埋葬したいと思うが、うちの庭は狭くて、その余地がない。また自分で鍬(くわ)をふるうのも、気が進まない。こういう時ふっと頭に浮んで来るのが山名君で、その点彼は実に重宝な友達である。

 早速、電話をかけた。

「え? エスが死にましたか。それは御愁傷さまのことで。すぐにうかがいます」

 二時間ぐらいして、彼は自転車でやって来た。ひとりではなく、白い上っ張りを着た中年の男をうしろに乗せてだ。山名君はその男を紹介した。

「こちらはね、山田さんと言って、犬のお医者さんです」

「初めまして。山田です」

 獣医はきんきん声で頭を下げた。

「御遺体はどちらですか?」

 仕方がないから子供を呼んで、山田獣医を犬小屋に案内させた。獣医の姿が見えなくなると、私は山名君をなじった。

「いいかい。エスはもう死んだんだよ。死んだのに、獣医を連れて来るなんて、一体どういうつもりだい?」

「いえね、その――」

 山名君は眼をばちくりさせた。

「あんなに可愛がっていらっしやつたんだから、どんな原因でエスが死んだのか、お知りになりたいと思いましてね。それに、死亡診断書のこともあるし――」

「バカな。犬に死亡診断書もくそもあるか」

 怒ったって、もう遅い。やがて山田獣医はのそのそと戻って来た。話を聞くと、寄生虫が心臓まで這(は)い上って来たのが死因だとのこと。あとで子供の話を開くと、獣医はエスの死体に全然手を触れず、じろじろと眺めていただけだと言う。眺めただけで死因が判るなんて、よほどの天才医者か、あるいはインチキに違いない。

「なるほどねえ」

 山名君は嘆声を上げた。

「虫が心臓に食いついちゃ、いくらエスでも死ぬのがあたりまえだ」

「おいおい。感心している場合じゃないよ」

 私はたしなめた。

「埋葬の方は一体どうして呉れるんだい?」

「ええ。そのつもりで来たんですよ。お宅に蜜柑箱か何かありませんか」

 そこで物置を探して、蜜柑箱を出してやったら、山名君と獣医が二人がかりで、エスをその中にぎゅうぎゅうと詰め込んだ。

「あんまり手荒に詰め込むなよ」

 私は注意をした。

「これでも八年間、僕が可愛がっていた犬だよ。僕の寂しい気持も察したらどうだ」

 詰め込みが終ったので、私は死体の上に花などを乗せてやり、蓋をして釘を打ち込んだ。釘の音は私の胸に、ぎんぎんと書いた。山名君の話によると、都内の某所に犬猫専門の火葬場があり、そこへ持って行くのだという。

「何なら御位牌もつくって貰って来ましょうか」

「位牌なんか要らない」

 犬の位牌なんかかざったって仕方がない。また自転車に乗り込んだ。一つの自転車に、二人の人間と一つの蜜柑箱が乗るのだから、窮屈を極める。獣医が言った。

「では、のちほど請求書を」

 自転車はふらふらと揺れながら、やがて道の彼方に見えなくなった。ろくに仕事もしないくせに何が請求書だと、面白くない気持で私は家に引っ込んだ。

 山名君が再訪したのは、それから一週間後である。書斎に通すと、彼は二枚の紙片を私に突きつけた。

「こちらが山田さんの請求書で、こちらが火葬場の領収書です」

 ひろげて見ると、火葬場の代金は大体妥当なものに思われたが、獣医の請求書は意外に高い。

『初診料。一金五百円也』

むと書いてある。私は眼を剝(む)いた。

「初診料って、死んだものを診察するなんて、初耳だぞ。それに子供の話によると、あの獣医、ろくにエスに手も触れなかったそうじやないか」

「いえ。あの人は城西随一の名獣医でね、一目でぴたりと死因をあてるんです。あんな名人にかかって、エスもしあわせ者ですよ」

 言い争っても果てしがないから、相当する金を渋々彼に渡した。

「それで、君の死体運搬賃はどうなるんだね?」

「いいですよ。そんなもの。僕のささやかな勤労奉仕です」

 彼は手をひらひらと振って、しおらしげな返事をした。

「実はね、今日かわりの犬を連れて来たんですよ」

「え? どこに?」

「今玄関につないであるんです。血統書つきの、実にいい犬です」

「僕がいつかわりの犬が欲しいと言った?」

「言ったじゃないですか。エスが死んで、とても淋しい。この淋しい気持を察して呉れとか何とかおっしゃるから――」

 山名君は口をとがらした。

「あちこち探して、やっとこちらに合うような犬を見つけて買い取って、連れて来たんですよ」

「なに? もう買い取ったのか?」

「そうですよ。買い取らなきゃ、あんないい犬だから、よそに回っちまいます。だから僕が身銭を切ったんじゃないですか」

 山名君は慨嘆にたえぬという顔付きをした。

「七千円です。立て替えるのは、僕もつらかった」

「七千円?」

 私はがっくりとなった。犬如きに七千円も出すのは、私の趣味に合わないけれども、事態がかくなったからには致し方ない。玄関に行くべく腰を持ち上げようとすると、山名君は掌をひろげて押しとどめた。

「いや。こちらに連れて来ますよ」

「犬を、この書斎にか?」

「そうですよ。これは戸外で飼う犬でなく、うちで飼う犬です。つまり愛玩用ですな」

 彼は玄関に行き、その名犬なるものを連れて来た。犬は私の顔を見て、くしゃつとした顔をゆがめて、キャンキャンと啼(な)き立てた。私は犬についてはあまり知識はないけれども、見れば見るほど妙な形の犬である。胴体がものすごく長くて、四肢が申し訳みたいにちょんちょんとついている。その上尻尾がぼたっと大きく垂れ下っているのだ。

「なんだか相撲の琴ケ浜みたいな犬だなあ。その胴体が長いのが取り柄なのか」[やぶちゃん注:「琴ケ浜」当時、大関であった香川県三豊郡(現在の同県観音寺市)出身(出生地は宮崎県)の琴ヶ濵貞雄(昭和二(一九二七)年~昭和五六(一九八一)年)。本名は宇草貞雄(うくささだお)。二所ノ関部屋に入門し、昭和二〇(一九四五)年十一月場所で本名の「宇草」で初土俵を踏んだ。昭和二四(一九四九)年十月場所で十両に昇進、翌年年五月場所で新入幕した。昭和三三(一九五八)年に、その三年前に元兄弟子佐渡ヶ嶽親方(元小結琴錦)が二所ノ関部屋から独立して創設した佐渡ヶ嶽部屋へ移籍。最高位は東大関。現役時代の体格は百七十七センチメートル、百十七キログラム。昭和三七(一九六二)年十一月場所後に現役を引退、年寄尾車を襲名した(以上はウィキの「琴ヶ濱貞雄」に拠った)。]

「そうですよ。実に可愛らしいでしょう」

 彼はいとおしげに犬の背中を撫でさすった。

「それにこの尻尾の見事なこと。実にうまそうじゃないですか」

「犬の尻尾、食えるのか?」

「食えますよ。チョンチョンと輪切りにしてね、四、五時間ぐっすりと煮込みます。ソースや酒を加えてね。あとタマネギや小蕪(こかぶ)、人参なども入れてよろしい。つまりシチュウですな」

「ふん。ふん」

「香料なんかを加えると、ぐっと味が引き立ちますよ。お皿に尻尾と野菜を盛り合わせて、熱いうちにいただきます」

 口調がまるでテレビの料理解説者みたいになって来た。

「ことわって置くけれど、僕は犬の尻尾なんかを食う趣味はないよ。君はしょっちゅう食ってるのか?」

「とんでもない。復員後は一度も食べたことはありませんよ」

 あわてて手を振った。察するところ、戦地では盛んに食っていたらしい。

「それで名前は、ラックでどうでしょう?」

「うん。ラックか」

「そうです。幸福、幸運という意味ですな。この犬を飼えば、きっとあなたにも運が向いて来るでしょう」

 それで犬の名はラックと言うことにきまってしまった。

 その日から我が家では、ラックを大切に飼い始めた。七千円も出したのだから、大切にせざるを得ない。下にも置かぬもてなしである。それでラックも少々増長したらしい。

 所かまわずウンチをするのである。ちゃんと犬の便所をつくってあるのに、そこではしないで、部崖や廊下を汚す。便所を覚える能力がないのかも知れない。

 うちのものは言う。

「まんまと駄犬をつかまされたんじゃないの?」

「いや。駄犬の筈はない。恰好(かっこう)が面白いし、それに七千円も出したんだから」

 ジステンパーというおそろしい犬の病気があるという話を、うちの子供が学校で聞いて来たのは、その二三日後である。この病気は雑種だの野良犬はあまりかからないが、純粋種、大切にされている犬にとかく取りついて、殺してしまう難病だそうである。私は気になったから、また山名君に電話をかけて見た。

「ちょっと訊ねるけど、ラックは純粋種かね?」

「もちろんですよ。純粋中の純粋。血統書を差し上げたじゃないですか」

「うん。血統書はいただいたがね」

 なんだかよごれた紙片に横文字がずらずら記入してあって、あまり読む気がしないから、机の引出しに放り込んである。

「実はジステンパーにかかりやしないかと思ってね。予防薬か何かないのかい?」

「そうですな。山田さんに問い合わせて上げましょう」

 翌日彼の方から電話がかかって来た。

「もしもし、ジステンパーの予防薬があるそうですよ。これを注射すれば、絶対にかからないという――」

「そうか」

「オランダ製でね、値段もちょっと張って、一本三千円」

「三千円?」

「ええ。その薬を持って、もうそろそろ山田さんがそちらに着く頃ですよ」

 電話がそれで切れ、人間の私ですら一本千円以上の注射をしたことがないと言うのに、犬に三千円の注射とは何ごとかと、慨嘆これ久しゅうしている中に、玄関のブザーが鳴って、山田獣医が到着した。この前と同じく、白い上っ張りを着用している。有無を言わさず押し上って、三千円の注射をしてしまった。人間の医者は、ろくにあいさつをせず、他人の家に上り込む習慣があるが、獣医にもその傾向があるようである。

 注射の済んだあと、ラックの悪い尻癖について質問したら、れいのきんきん声で、

「その時は叱ればいいんですよ。ただし愛情をもって叱ること」

 とのことで、その日から部屋や廊下を汚したら、愛情をもって叱ったり、時には愛情をもって叩いたり蹴ったりしている中に、ラックは妙に元気がなくなり、便がやわらかくなって来た。つまり下痢便になったのである。ふつうの便でも困るのに、下痢便で廊下などを汚されてはたまったものではない。つくづく困じ果て、また愛想も何もつき果てて、また電話で山名君を呼び出した。山名君は早速やって来た。事情を話すと、彼ははたと膝をたたいて、

「そりや精神的圧迫にたえかねて、消化不良をおこしたんですな。いや、それにきまっています。直ぐ山田病院に入院させましょう。いえ、入院代は、僕の責任だから、僕に出させて下さい」

 強引にラックを連れ去って行った。下痢便から解放されて、こちらもほっとしている中に、それから十日ほど経って、山名君は小さな壺をたずさえ、悄然と我が家を訪れた。

「まことに申し訳ありません」

書斎に通ると、彼はふかぶかと頭を下げた。

「とうとう、薬石効なく、ラックはこんな姿になりました」

「え? 死んだのか?」

「そうです。今日火葬を済ませて、骨壺を持って参りました」

 壺を私の机上に差し出した。

 「骨をごらんになりますか?」

 「いや。もういいよ」

 うんざりした気持で、私は骨壺を押し返した。

「思えば実に運が悪かったなあ。ラックも、この僕も!」

「はあ。ほんとに、あなたの益友である僕としたことが――」

「エキユウ?」

 私は反問した。すると山名君の説明では、友達にもたくさんの種類があり、たとえば善友、悪友、益友、損友、その他棋友、釣友などいろいろあって、山名君は私の益友をもって任じているのだそうである。純粋の益友かどうか、ちょっと怪しいところもあるが、いや、ラックの件では完全に損友だったような気もするが、とにかく彼がそういう心がまえで、あちこち飛び回っているらしいことが、ほぼ了解出来た。

 もっとも家人の主張によれば、あの骨壺の中の骨も、どこの馬の骨、いや、どこの犬の骨であるか判らない、と言うのだが――

 

 庭の足跡事件以来、まだ山名君は我が家に姿をあらわさない。今度はどんな血統書つきの、どんな立派な番犬を持って来て呉れるのか、なかばワクワク、なかばビクビク、なかばどころか四分の三ぐらいビクビクしながら、私は待っている。

 益友を持つ身も、またつらいのである。

 

[やぶちゃん注:本文中、山名は山椒の薀蓄で「一番下等品をイヌザンショウ、トゲのないのをアサクラザンショウ、その他ミヤマサンショウ、何とかサンショウと、いろいろ種類があり、今日持って来たのは黄金(こがね)サンショウという最高級のサンショウ」と弁じ立てているが、事実、山椒(被子植物門双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ属 Zanthoxylum のサンショウ類は多数の種がある(世界の熱帯・亜熱帯及び温帯地方に分布し、約二百五十種あまりを数える)。ウィキの「サンショウ」によれば、

「イヌザンショウ」(犬山椒)はサンショウ属イヌザンショウ Zanthoxylum schinifolium で、我々が知っている最も知られたサンショウ Zanthoxylum piperitum が芳香を持ち、棘が対生するのに対し、イヌザンショウは芳香がなく、棘が互生する。イヌザンショウの果実は「青椒」と呼ばれて、精油を持ち、煎じて、咳止めの民間薬に用いられる。

「アサクラザンショウ」(朝倉山椒)はサンショウ属アサクラザンショウ Zanthoxylum piperitum f. inerme で、上記タイプ種のサンショウの棘のない栽培品種を指す。江戸時代から珍重されていた。実生では雌雄不定で、且つ棘が生じて来てしまうので、主に雌株を接ぎ木で栽培したものを「朝倉山椒」として販売しているという。

「ミヤマサンショウ」山朝倉山椒のことか。それならば、同じくタイプ種の自然品種(変種)ヤマアサクラザンショウZanthoxylum piperitum f. brevispinosum で、棘が短く、普通のサンショウと前のアサクラザンショウの中間型。山野に自生するとある。

「黄金(こがね)サンショウ」不詳。最後に一番怪しげな形(「黄金(こがね)」「最高級」)で出た。まあ、これぞ、実は、普通の、当り前の、サンショウ Zanthoxylum piperitum なのであろう。私の家の斜面にもしっかり自生している。

 他の品種はリンク先を見られたい。

コアシナガバチ」膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科アシナガバチ亜科アシナガバチ亜科アシナガバチ族アシナガバチ属コアシナガバチ(小脚長蜂)Polistes snelleni 体長は十一~十七センチメートルと小ぶりで、本来の体色は濃い茶色に黄紋を持つが、飛んでいる姿は寧ろ、黒っぽく見え、蜂に見えない場合も多い。日本全国に分布するが、元来は林の低木の枝先や大きな葉の裏などにかなり特徴的な反り返った大きな巣を作る(巣の柄の部分を基点として一方の方向に伸長し、大型の巣では大きく上向きに反り返る。スズメバチの巣のように巣の内部を覆う蓋のようなものはなく、中が丸見えになっているのも特徴の一つである。営巣は五月頃には開始される)が、近年は自然開発の進捗から、人家の庭木、民家の板壁や軒或いはコンクリートの建造物の周辺の壁面などにも営巣するようになった。時期によっては巣に近寄ると、容赦なく幾度も刺してくる場合があり、アシナガバチ類(アシナガバチ亜科 Polistinae)の中では本コアシナガバチが最も攻撃性があるとする説もある。私が小学校二年生の時にカブトムシを採りに行って林の中を歩いていて、足の長い蜂に突然、刺されたのも、或いは彼らだったのかも知れない。

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