フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

カテゴリー「梅崎春生」の250件の記事

2019/09/06

1260000ブログ・アクセス突破記念 梅崎春生 偽卵

 

[やぶちゃん注:昭和二四(一九四九)年一月号『知識人』初出、後に同年十月月曜書房刊の作品集「ルネタの市民兵」に収録された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 少し、フライングして一部に注を施しておく。ネタバレにならないように途中と最後にも別に注してある。

・ロケーションが一致するかどうかは別として、当時(昭和二十二年十月以降)、梅崎春生は現在の世田谷区松原(グーグル・マップ・データ)に住んでいた。昭和二十二年一月に山崎惠津と結婚、同年十月に長女史子が生れている。

・本作公開同年で米一升は二百円(小売価格)、翌昭和二十五年で鶏卵は一個十五円。

・「盲縞(めくらじま)」縦横ともに紺染めの綿糸で織った無地の綿織物。紺無地。

・「歩廊」「ホーム」と当て読みしているものと思う。

・「四間」約七メートル四十二センチ。

・「二間」約三メートル六十三センチ。

 本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の2005年7月6日)、本ブログが昨日の夕暮れに、1260000アクセスを突破した記念として公開する。]

 

 

   偽  卵

 

 それを見たのは、駅近くの小さな瀬戸物屋の店頭であった。すりばちや花瓶がならんだ棚の下に、木箱のなかにそれはたくさん積まれていた。瀬戸物屋でも卵を売るのか、と私は立ち止り、しばらくそれを眺めていた。日が射さない場所なので、淡黄色のひとつひとつは翳(かげ)をふくんで、埃(ほこり)のなかにしずんでいる。鶏卵にしてはすこし艶がわるい感じであったし、置かれてある場所も変だとは思った。

「あれ、いくらだね」

「へえ。ひとつ十円です」

 棚のものにはたきをかけていた若い男が、ふりかえってそう言った。そばかすのある顔が、ふりかえる瞬間に、妙に幅ひろく見えた。腰を曲げて木箱から拾いあげ、盲縞(めくらじま)の前垂れでぐるりと拭いて、私の方に差しだした。皮の厚そうな掌である。値が不当に廉(やす)いと思ったら、そこに乗っているのは、淡黄色の粘土の偽卵であつた。

「硝子のやつよりも、うまく出来ておりますでしょう」

 私の掌の上に、偽卵はがさがさところがった。硬く、脆(もろ)く、乾いた感じであった。重みがどこかで抜けてしまったような、実質をうしなった軽さがあった。ほんものの鶏卵にある、あのしっとりかかる重さがない。そして日の光のなかでは、すこし黄色すぎた。こんなものを、なんで見あやまったのだろう。

「本ものの卵を買うつもりだったんだよ、おれは」聞えないように口のなかだけでそんなことを不機嫌に呟(つぶや)きながら、次はすこし大きな声で、「貰っておくよ。十円だね」

「本ものよりは、ずっとお安くなっております」

 言いなれた口調で、笑わないでそう言った。私から十円札を受取ると、また棚にむかって、はたきをかけ始めた。はたきの先から埃がぱっと立って、また徐々にもとの瀬戸物に舞い降りる。どうもそばかすのある男は、どの男も、笑ってもいいときに笑わないような気が私にはするのだが、どんなものだろう。

 偽卵を掌でもてあそびながら、私は駅の方にあるく。もう卵を買う気持もなくなってしまった。実は朝食をとっていないので、卵でも買い求め、駅で電車を待つ間にでも、穴をあけて啜(すす)ってみようと思ったのだが、その気もなくなった。さっきまでは、小さな穴からしたたり流れる白味のぼったりした味や、ねとねとした黄味の舌ざわりを、妄想しながら歩いていたが、駅についた頃は、その嗜慾(しよく)も嘘みたいに消えてしまった。そのくせ腹は空いている。腹のなかで内臓や不随意筋がゆるゆると収縮してゆく感じがある。なにかゆたゆた揺れる、やわらかくて重く、甘く酸っぱいもの、そのようななにかで、腹いっぱいに満たしたい。そんな擬似めいた食慾が、瞬間的に私に起って消える。

 切符を買い、改札を通り、歩廊を果てまであるく。そこは黒い木柵で限られていて、そこに背をもたせて電車を待った。歩廊に人影がすくないから、どうせ電車が来るのも手間どるに違いない。ここからは、いろんなものがよく見える。線路に沿った黒い道。草原。立ち枯れた樹。遠くに病院。草原には牛が一匹つながれている。拳闘の真似をしながら、道をあるいている男。むこうの歩廊には、柵にもたれた中年のおかみさん。風呂敷包みを抱いている。包みからは、赤ん坊が首を出して泣いている。そして――ただそれだけ。私が動かないから、風景もおのずと枠のなかに入って動かない。人も牛も枠のなかで、私にかかわりなく動いている。

 ――あれは食牛かしら?

 ほとんど枯れ果てた草原を、綱いっぱい伸ばして草を食みながら、牛はのろのろと動いている。ここから見ると、黒い牛の形でしかない。軍隊にいたとき、牛を見ると食慾を感じるという「元屠殺業者」が、同年兵にいた。頭が小さく、手首が太く、頸(くび)の肉が厚い、いかにも屠殺業者らしい風貌であつたが、どういうものか上の兵隊から殴られたり尻を打たれたりするのを、ひどく恐がった。そのくせ同年兵の私たちには、ひどく傲慢で、ときには嘲弄的ですらあったのだが。――私はいまその男を思い出している。その男の言葉。

「ロース肉でも皿にならべて葱(ねぎ)でもそなえなきゃ、お前たちは食慾が起らねえと言うんだろう。バカな話さ」

 作業に出たとき、牛がいて、それからこんな話になったのだが、この屠殺業者によれば、牛という生体は、美味(おい)しい牛肉のかたまりであって、生きている牛の形のままで彼の食慾をそそるというのであった。額に斧(おの)をうちこみ、刃物ですばやく皮を剝ぐ。肋骨や赤い筋肉、白くはしる脂肪の層、なまなましい臓器。――そういう解体の経験を通して、あの時「元屠殺業者」の眼はきらきら光って、牛の姿を追っかけた。

「――魚を見れば、お前だって、うまそうだなと思うだろ。牛だって同じことよ」

 相手が牛にしたって何にしたって、ある確実な何かで眺めるということは、大したことだ。そう思いながら、私はぼんやり歩廊から牛の姿を眺め、屠殺業者の風貌を思い起していた。あの屠殺業者の眼にのりうつれば、あの牛の姿も、私のなにかをかきたててくるのかも知れない。……

 ひどく退屈に似た気分におちこみながら、私は掌の偽卵をポケットにすべりおとす。線路の遠くに、近づいてくる小さな電車の形があった。

 

 公園に面した建物の一階に、その法廷はあつた。法廷ではすでに裁判が始まっているらしかった。廊下にかけられた小さな掲示板の前に立ち、私は本日の予定を読んだ。それによると、今日中に此の法廷で、三十人余の犯罪者が裁かれることになっていた。石狩の名もその中にあった。石狩は今日ここで、判決の言渡しをうける筈であった。掲示を読んでいる間でも、法服を着た男たちや傍聴者らしい男たちが、廊下をがたがたいわせながら通った。壁一重むこうでは、人が人を裁いているというのに、廊下にはそれと無関係な雑然とした空気が流れていた。

 半開きになった扉のところにも、傍聴人が立っていて、法廷は満員のようであった。私は背を伸ばして、人の肩越しに、内部をのぞきこんだ。長方形の法廷の一番奥が、すこし高い壇になっていて、白髪を短く刈りこんだ裁判長らしい男の顔が見えた。口を動かして何かしゃべっている風(ふう)であった。

 法廷は思いのほか狭かった。幅が四間ほどしかなかった。奥の壇の上は裁判長だけで、左手に少し下ったところに、法服を着けた陪席検事らしい男がひとり、退屈そうに横むきに腰掛けていた。その向い側は弁護士席となり、そこからこちらが被告席になっているらしかった。被告席は人の頭や肩のかげになって見えなかった。私は身体をななめにして、人の背を押しながら、扉の内側に入りこんだ。視野がすこし広くなって、被告席にずらずらとならんだ頭が見えた。私はすばやく石狩の姿を探した。特徴のある石狩の後頭部を、二列目の腰掛けの中央に私はとらえた。痛みのようなものが、私の胸をはしる。私は眼をそらした。

 壇の前には二人の若い男がならんで立ち、その後姿が見えた。ふたりとも首をうなだれ、裁判長の言葉を聞いていた。裁判長はかなりの老人で、声は間延びしたりかすれたりした。壇のすぐうしろが硝子窓で、そのむこうが公園とこの建物をへだてる道路になっていた。道路と法廷とは、ほとんど等高であった。道路をあるく人の頭が、硝子窓に見えかくれした。十秒か十五秒おきに、自動車が音をたてて通った。音が近づくと裁判長の声は消され、自動車の車体が窓にあらわれて隠れると、また間延びした裁判長の声が法廷にもどってきた。二人の若者は兄弟で、ふたりして公園で通行人を脅迫して金をうばったというのであった。刑の言渡しとその理由を、裁判長がいま発言しているところであった。それは二分も経(た)たないうちに、直ぐに済んだ。礼をしてふたりが被告席にもどると、裁判長は書類の耳をいじくりながら、眼鏡をずり上げて、次の名前をよんだ。また別の男が手錠を外されて、壇の前にすすんだ。手錠を外す音は、私の耳にもはっきり届いた。うしろから見る被告席の男たちは、そろって肩をせばめている具合からして、皆手錠をかけられているに違いなかった。

 石狩は頸(くび)をまっすぐに立てたまま、身じろぎもしないで掛けていた。髪はすこし乱れ、鬚(ひげ)が一寸ほども生えているらしい。背後からだから、表情はもちろん判らなかった。しかし瞳を定めている感じが、うしろからでも窺われた。

 入口に背をもたせたまま、私はそれらを眺めていた。外部の雑音が遠慮なく入ってくるこの小部屋で、人間が人間を裁いているということが、蝶番(ちょうつがい)いの食いちがったようなもどかしい気分に私をさそった。窓の外を通る人や自動車が、この小世界とまったく関係がなく動いていること、ただ硝子一枚へだてただけで、色合の異なった世界がひらけているということが、私にある感じを起させた。その感じにはなにか抵抗があった。

 次々言渡しが済んで四五人たまると、巡査がひとまとめに立たせて、退廷の準備をした。そしてぞろぞろとつながって、腰掛けから離れた。扉ふきんの傍聴者は、自然と廊下に押し出され、人々の肩を分けるようにして、巡査に引かれた被告たちが廊下に出てきた。それらは繩(なわ)で数珠(じゅず)のようにつながっているのであった。それと一緒に傍聴者の何人かが、扉から食(は)み出てきた。これらの被告の身よりか何か、かかわりのある人たちにちがいなかった。廊下を中庭の方へあるく被告たちを、ばらばらに小走りに追いかけた。それを見ながら私はまた扉の内側に、身体をすくませながらすり入れる。

 言渡しはまだつづいていた。

 横手の傍聴席には二十人程の傍聴者が掛けていた。目白押しに腰掛けていた。傍聴者がすこし減ったので、そこが見えた。私はそのなかに麻子の横顔を見た。麻子は黒っぽいスーツを着て、身をすくめて腰かけていた。麻子の眼はしろっぽく見開かれて、なにもながめていないように見えた。膝に置いた手は白い手巾(ハンカチ)をにぎっていた。どのような表情も、麻子の顔になかった。なにもながめていないように見えながら、視線の方向はぼんやり石狩におちていた。私の場所からは、石狩の後頭部しか見えないが、麻子の場所は石狩をななめに眺め得る位置にあった。そして麻子が傍聴席に掛けているのは、ずいぶん早くからここに来ているからに相違なかった。

 ――麻子は石狩の横顔に、なにを見ているのだろう?

 瞬間眼の前で白っぽい光が吹きはらわれるように動いた。私は石狩のふとい頸筋を、そこにみだれる頭髪やよごれた生毛を、ざらざらに立った毛穴を見た。また襟(えり)あかに黒ずんだ上衣や、そこにただよう体臭をかんじた。それは突然私にやってきた。倒錯した快感のようなものが、私のなかを一瞬通りぬけた。それは苦痛にも似ていた。私は身ぶるいしながら、麻子の方を見た。ぎょつとしたようにこちらをむいた麻子の眼と、私の視線は合った。

 その時裁判長が間延びのした声で、石狩の名を呼んだ。影のように実体を失った感じで、石狩は立ちあがった。ここからは石狩の後頭部しか見えないのに、衰えをふくんだ彼の横顔を私は感じた。それは麻子の頰と同じように、すこし痙攣(けいれん)していた。かすかな錯乱が私をみたした。

 

「被告を八年の懲役に処する……」「以下その理由を説明する……」

 近づいては遠ざかる自動車の音をぬって、裁判長のそんな声が流れた。石狩は頸(くび)をたてたまま立っていた。それから裁判長は抑揚のない平板な口調で、判決の理由を述べはじめた。眼は石狩にむけられてはいるが、唇だけが独立に動いて、読本でも読んでいるような感情のない声音であった。それがかえって職業のもつ酷薄さを感じさせた。

 ――石狩はなにを見ているのだろう?

 裁判長のうしろの窓硝子は白くよごれ、道路をへだてた公園の植込みが見えていた。樹々の幹や葉も、道路の埃に白く褪(あ)せていた。葉がくれに便所の混凝土(コンクリート)の壁が見えた。掌のような八ツ手の葉がそこにいくつも垂れていた。ごくありふれた退屈な風景であった。道路の上の人や自動車が、ときどきそれをさえぎつた。それらの風物も今、石狩の眼に入っているのだろう。

(八年といえは検事の求刑からすこしも軽くなっていない)

 石狩が私の友人であること、そして彼が強盗を二件もはたらいたこと、心にかかる重さをはかるように、私はそう呟(つぶや)いた。しかしその重さも、私が手探ろうとすると、霧のように消えるのであった。私が今日この判決を聞きにやってきたのも、義務感と好奇心からだけでないとはいえなかった。むしろまことの重さはそのことにかかっていた。石狩がいまから服役せねはならぬ八年の歳月が、裁判長の唇から間のびした調子で発音され、それがどのような実質的な感じとして石狩におちかかっているのか。ある膜のようなへだたりが、私をいらだたせた。私は入口に頭をもたせたまま、ちらちらと麻子の方をぬすみ見た。

 裁判長の説明は聞えたり聞えなくなったりしてつづいた。

 麻子は片手を前の腰掛けの背にあてて、すこし身体をななめにして、前方を見詰めていた。ときどき身体を乗り出すようにもした。緊張した表情が、かえって麻子の顔を放心したように見せた。

 裁判長の調子が、やがて論述の終りを予感させた。被告の強盗をはたらいた心境は、幾分同情のできる余地もあるが、法の立場からしては八年の宜告は止むを待ないということを、裁判長は眼鏡ごしに石狩をながめながら、さとすような口調になって言った。私の視野の端を白いものが動いて、麻子はその時掌にもった手巾を顔にあげた。

 ――八年という年月はずいぶん長いんだな。

 瞬間にこの感じが、ひとつの形で私に来た。手巾(ハンカチ)はすぐに膝に降りて、私は麻子のむきだしの横顔をみた。頰の白粉(おしろい)がすこし斑(まだら)となり、眼は斜視じみて見開かれていた。裁判長の前で、石狩が軽く頭をさげているところであった。元の席へ戻るとき、石狩が私を見るかも知れない。そう思うと私は無意識に身体をずらせて、弾(はじ)け出るように廊下に出た。廊下をがやがや話しながら、弁護士服をつけた二人の男が通りすぎた。

 

 石狩が法廷から引かれて出るとき、私は廊下に立っていたし、麻子は私によりそうように立っていた。数珠(じゅず)のようにつながれた四人目に石狩はいた。入口から出てきて、ただようように動いていた石狩の視線が、私等をとらえた。私たちの間隔は二間ほどであった。石狩は突然なにか暗い灼けつくような眼になって、掌をあげようとしたが、手をしばった繩(なわ)にさまたげられた。その繩はぴんと張って、前の男の手に連繋(れんけい)していた。

 「…………」

 石狩は追われるような調子で早口になにか言ったらしかった。しかしその言葉の意味は開きとれなかった。麻子は脅えたように身体を私に寄せてきた。石狩の頰には硬(こわ)そうな鬚(ひげ)が密生して、膚のいろは黄色であった。前の方から繩を引かれて、石狩はすこしよろめいた。そしてそのまま繋がってあるきだした。廊下が中庭に折れる場所で、石狩はも一度私たちの方をふりかえった。そして見えなくなった。中庭には未決囚専用のバスが待っていて、それへ乗って小菅(東京拘置所の所在地)へかえるのである。

[やぶちゃん注:「東京拘置所の所在地」は底本では二行割注で丸括弧の中に入っている。梅崎春生にしては珍しい仕儀で、或いは、初出の雑誌編集者が、又は、底本の全集編者が挿入した可能性もあるが(前者は考えにくい。当時の読者にはこの直前の東京裁判(昭和二三(一九四八)年十一月十二日終了)があったのだからこんな注は不要である)、初出誌や作品集「ルネタの市民兵」を所持しないので、そのまま電子化した。現在の東京都葛飾区小菅にある東京拘置所(グーグル・マップ・データ)。]

 石狩が見えなくなると、麻子は私からはなれて、柱のところで声を立てないですこし泣いた。それはごく自然な感じであった。私は麻子のことはよく知らない。石狩の部屋で二三度会っただけである。石狩は私にふつうの紹介をしただけだから、ふたりがどんな関係にあるのか私は知らなかった。それは私にはどうでもよかったのだから。

 麻子はすぐに泣きやんで、手巾で顔をふいた。私たちはあるきだした。中庭と反対の方角にあるいて、この建物を出た。もう石狩はバスに追いこまれ、バスも動きだした頃だろう。

 木造の門を出、曲角をまがり、建物の外郭にそって公園の方へなんとなくあるいた。私にはある期待があった。その地点まできて、顔をまげてのぞきこんだ。建物のしろくよごれた窓硝子のなかに、さっきの部屋が見えた。そこには裁判長の腰かけた後姿と白髪の頭が見えた。その向うはうす暗く、人の顔がぼんやりとならんでいた。私たちのそばを音たてて、緑色のジープが通りすぎた。その窓硝子のなかは灰色に澱(よど)んでいて、いいようもない退屈な感じにあふれていた。ごく短い時間にそれを瞳に収めて、私はその地点を通りぬけた。

「可哀そうだわ。ほんとに、可哀そうだわ」

 麻子が独白のように呟いた。麻子があの部屋のなかを見たのかどうか判らない。ある衝動におされて、私は頭を廻し、公園の方を眺めた。白く褪色(たいしょく)した樹々の葉や便所の壁を。八ツ手の葉がそこに垂れていた。その風景が急に活き活きした感じとして私をうつた。平凡であれはあるだけ、その感じは私を瞬間かきたててきた。

 ――これだな。こんな感じなんだな!

 私は自分の心にきりきりと爪をたてながら思った。この風景を、裁判長の前に立った石狩が見ていたことが、その時私の胸にあった。その時彼がなにを思い、感じていたのか。窓のない囚人バスにのせられ、直ぐに刑務所にむかう。そして八年間。一年の八倍。九十六箇月。三千日。人人が通る道路というものや、樹々が茂った公園というものから、きっぱりと遮断されてしまう。――いわばその末期の眼は、どんなに貪婪(どんらん)に、あの風景を吸いこんだだろう。私は急ぎ足になって、公園の小径(こみち)に曲りこんだ。

 公園のなかに入っても、麻子は私につきそうように追ってきた。私は公園をぬけて、盛り場の街へ出るつもりである。麻子はまるであてどもないように、私についてくるようであった。黒いスーツにつつまれた肩が、あたたかく丸い感じがした。ならんで歩きながら、その肩がしばしば私の身体に柔かくふれた。

(よりそうように私たちが廊下に立っていたのを、あの暗い灼きつくような眼で、石狩はどんな風(ふう)に見たのか――)

 深いところに吸いこまれるような気持で、私はそう考えた。麻子と私が、ただ石狩をつうじての顔見知りで、それだけの無縁のものであること、それは石狩も知っている筈であった。しかし暗く燃える眼で彼がみたのは、それではなく、それを超えた痛烈なものであることを思ったとき、粟立つものが私の背中を奔(はし)った。あの眼には八年の歳月がおもくのしかかっていた。石狩の網膜にうつった私たちふたりの姿を、私は想像のなかで自ら組立てていた。そうして組立てられた幻影が、いま公園の広場の落葉のなかをあるいてゆく。危惧(きぐ)に似た感じが突然私の胸にしみこんできた。そばをあるく麻子が、急に匂いや味や肉の感触をたたえた実質として、私に感じられた。

「――裁判って、あんなものなの? あんなことで人の運命がきまったりするの?」

 麻子はすこし落着いてきたらしく、そんなことを言ったりした。公園の広場には、冬の花が咲いていた。落葉が道を埋め、靴の裏で鳴った。

「あれはね、単独裁判というんだよ。すこし略式になるんだろう。」

「もうどうにもならないのかしら」

「どうにもならないだろうね」私は冷淡にこたえた。

「――わたし、待てないわ。八年も。待っている自分を思うと、たまらなくなるもの」

 口走るように麻子は言った。麻子の言い方は、私が石狩と麻子の関係を充分知りぬいていると、錯覚しているような具合であった。麻子の心が私にもたれてくるのを、私はしだいに感じ始めた。それは女がもつ無意識の打算のように思われた。自分の心をも一度かきたてるように、私は思つた。

(石狩の眼に映ったように、おれはなってしまおうか。あの感じをたしかめるには、それ以外にないのだから)

 しかしそう思ったとき、故しらぬふかい疲れが私をおそった。私は急に麻子から気持が遠のくのを感じた。

「わたしこれから、どうなるのかしら?」

「さあ」私は十歩ほどあるいてから答えた。「どうなるか貴女は知ってるでしょう。だからそんなことが言えるんですよ」

「そうよ。そうだわ」

 びっくりする程素直な調子になって、麻子はうなずいた。それは私につよく、女というものを感じさせた。

 公園を出てから、私たちは別れた。別れぎわに私は麻子の住所を聞いて書き取った。麻子は私の住所を聞こうとはしなかった。道を右、左にわかれて、私は振りかえらずにまっすぐ歩いた。私は背中に麻子の視線を感じた。

 ――廊下を引かれてゆくとき、石狩は何と言ったのだろう。何を言おうとしたのだろう?

 あれは意味のない叫び声だったかも知れない、と私は自分に言いきかせるように呟いた。しかしあの瞬間の声や眼付は、私の意識のなかに長く長くとどまるだろう。その予感は私にあった。そして石狩の眼に収められたあの時の私の姿が、長く長く石狩の意識にとどまるだろうということを、裏打ちするように思い合せたとき、烈しい悔恨のようなものが私をおそった。

[やぶちゃん注:「単独裁判」簡易裁判所及び地方裁判所に於ける「単独審(たんどくしん)」のこと。一人の裁判官が単独で裁判(審理・判決など)を行う裁判。これに対し、我々が普通に見かけることが多い、複数の裁判官が裁判を行う場合は「合議審」という。本邦では単独審を行うことが出来るのは判事又は特例判事補の限られるが、簡易裁判所は一人の裁判官が総ての事件を審理し(則ち、簡易裁判所には合議審はない)地方裁判所に於いてのみ両審がある。地方裁判所では単独審と合議審があり、必ず合議体で審理しなければならない事件(法定合議事件。殺人・放火等のような重い刑罰が定められている犯罪の裁判)及び争点が複雑であるなどの理由から本来は単独事件で審理出来るものを特に合議制で審理する事件(裁定合議事件)の別がある。上訴審である高等裁判所や最高裁判所は常に合議審であるから,この区別はない。このシークエンスのそれは簡易裁判所のそれである。]

 

 駅の前の暗がりには、沢山女が群れていて、通る男たちをつかまえようとしていた。ビルの蔭になっていて、そこらはひとしお暗かった。すこしむこうには手相見の燈やピーナツ売りの燈がならんでいた。また彼方にはがたがたのマーケットが明るく浮き上り、人影をちらちらさせていた。そこへむかって歩いてゆく私の右腕を、よりそうように近づいてきて女の手がとらえた。

「ね。行かない?」

 女は黒っぽい服をつけていた。むこうの明りの照りかえしで、私は女の顔をみた。ひらたい感じの顔に、口紅をあざやかに点じていた。女は身体をすりよせた。そして掌で私の服にふれた。

「ねえ。一緒にあそばない?」

 私の背後でも、そんな取引の声がいくつも起っていた。女の嬌声もそこに混った。私は身体を引いて、離れようとした。

「どこに行くの。まだ飲むの。もう相当酔ってるじゃないの」

 女は私にからまって、四五歩ついてきた。照りかえしが女の顔を移動した。女は白く化粧はしていたが、声音(こわね)や身のこなしが三十を越した年齢を私に感じさせた。何故かそれが私を気安い気特にした。

「行ってもいいよ。しかしもう一廻りして、あとで行く」

「ほんと、ほんとね。あら。これは何?」

 女の指が私のポケットをおさえていた。女は私を見上げて、すこし惨めな笑い顔をした。私は女の指を押えて、ポケットに手を入れた。掌のさきがざらざらと偽卵に触れた。

「卵だよ。上げようか」

「あとでね。ほんとね」

 女の手が私から離れた。私はそこを通りぬけた。

 うすっぺらな板でつくったマーケットの店のひとつに、私は腰かけた。そして酒を注文した。マーケットの一番外(はず)れの位置に、この店はあった。すでに酔いが私の身体の部分部分に廻っていた。ばらばらに千切れたような酔いを、ひとつの酩酊にまとめるものを、私は漠然と欲していた。やがて酒がざらざらの卓の上に来た。客は私ひとりしかいなかった。私はすこしずつ酒を唇に流しこんだ。

 ――あの服は麻子のに似ていたな。しかしどうしてあんな色の服を着るのだろう?

 いまの女のことを私はふと考えていた。その着ているスーツからの聯想(れんそう)が、麻子につながった。軟かそうな麻子の肩の印象が、つづいてよみがえった。私は麻子の年齢も知らない。もう知ることもないだろう。しかし八年後には、あの女も黒い服がすっかり似合うようになって、眼の色ももつと乾いてくるだろう。公園とあの建物の間の鋪道で、ほんとに可哀そうだ、と麻子は口走った。あの言葉は石狩に対してなのか、それとも自分に対してなのか。私にも判らないけれども、麻子にも判らないだろう。誰だって何も判っていやしない。みんな馬鹿な鶏みたいに、自分の口から出たことや自分の眼で見たこともはっきり判らないで、やっとその日を生きている。……酔いに沈んだ頭の片隅を、そのような想念が走った。

 台の上には、卵が鉢に盛られていた。私はふと思いついて、ポケットからあの偽卵を出して、そこにならべた。電燈の光の下では、私の偽卵は黄色さを消して、ほんものの卵のように見えた。その光景はすこし私を浮き立たした。それを眺めながら、私はまた酒を口にふくんだ。偽卵の用途についてぼんやり考えていた。しかし鶏について私はほとんど知識をもたなかった。ただ鶏の巣箱にひとつずつ入れてあることは知っていた。産卵を刺戟するために、それが入れられているのかも知れなかった。しかし硝子や粘土のかたまりを、自らの生理と誤まるほど、鶏は馬鹿なのか?(鶏だって知っているのかも知れない)

 私は指で台上の偽卵をつついた。それは軽やかな音をたててころがった。卵の形をとりながら、やはりそれは卵ではなかった。実質のない土偶にすぎなかった。

 ほんものの卵を産むためにこんな土偶でも必要だとすれば、と私は酔いに乱れた頭でかんがえた。本当の感動をうむために、擬似の感動をかさねてゆくことも、無駄ではないだろう。ある確実な何かをつかむためにも、もっともっと馬鹿なことを私はやって行くのだろう。――

 短くて長い時間がすぎた。私はのれんを透して、駅の方を眺めていた。眼がちらちらと定まらなかった。駅の前のくらい場所には、まだ人影が見えたが、先刻よりずっと減っているらしかった。次々お客がついて、女たちは去ってゆくのらしい。だんだん減って行って、やがてひとりもいなくなるのだろう。

 ――もし先刻の女が最後の一人になって残ったら、いっしょに行ってもいいな。

 そんなことを私は考えながら、更に酒を口にふくんだ。女がポケットの偽卵にふれたときの、あの惨めそうな笑い方を私は思い出した。あの女はそれを、私の欲望の形象として感知したにちがいなかった。あの女は善い女かも知れない。私にふさわしい女かも知れない。最後まで残ったら、私はそこへ行く。海底撈月(ハイテイラオイエ)みたいな好運!

 金を払って外へ出た。偽卵をおさめたポケットを護符のようにたたきながら、私はすこしよろめいて歩いた。

[やぶちゃん注:最後の方の本物の鶏卵の山に偽卵を積んでみるシークエンスは確信犯で、かの梶井基次郎の「檸檬」(リンク先は私の古い電子テクスト)へのオマージュと私には読める。私の昔の教え子諸君には私の『梶井基次郎「檸檬」授業ノート』も懐かしかろう、ご笑覧あれ。
「海底撈月(ハイテイラオイエ)」如何にも李白みたような文人趣味のように見えるが、中国語に堪能とは思われない梅崎春生にして、「うん? これってもしかして?」と調べてみたら、案の定だ! これは麻雀(マージャン)の役(やく)の名であった。私は麻雀を全く知らないので、マージャン・サイトの「海底撈月(ハイテイラオユエ) 最後に笑う為に覚えるべきルール」から引いておく。『牌山(ハイヤマ)の最後の牌を海底といい、その牌をツモしてアガると成立。海底摸月(ハイテイモーユエ)とも呼ぶこともあります』。『「海に映った月をすくい取る」そんなロマンチックで美しい名前を持つ役、それが海底撈月(ハイテイラオユエ)です。別名を海底摸月(ハイテイモーユエ)とも言いますが、海底撈月には四字熟語で「無駄骨を折るだけで全然見込みのないこと」という意味もあります。ロマンチックな名前を持ちながら、なかなか見る事ができない海底撈月とは一体どんな役なのでしょうか』とあって、以下、解説されており、そこに海底牌とは『王牌(ワンパイ)を除いた壁牌(ピーパイ)の最後の』一『枚』で、『つまり、プレーヤーがツモをする事ができる最後の牌の事です』とある(私にはよく判らないが、附図を見るとなんとなく判る)。『最後の一枚である海底牌をツモるチャンスがあるのは一人だけ、加えてそのプレーヤーの手牌がテンパイになっていないとならない海底撈月、「無駄骨を折るだけで全然見込みのないこと」というのもなんとなく頷ける気がします』とある。どうぞ、詳しくはリンク先をお読みになられたいが、これで正しく梅崎春生の言っている「最後まで残ったら、私はそこへ行く。海底撈月(ハイテイラオイエ)みたいな好運!」の謂いを正しく理解出来た気にはなった。因みに、調べてみると、「海底撈月」は中国語の発音では「hǎi dǐ lāo yuè」で「ハァィ ディー ラァォ ュエ」が正しいようだ。]

2019/08/02

ブログ1250000アクセス突破記念 梅崎春生 万吉

 

[やぶちゃん注:昭和二六(一九五一)年八月号『文芸』初出、昭和三二(一九五七)年四月角川書店刊「侵入者」に収録された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第一巻」を用いた。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。

 梅崎春生は満二十九歳の昭和一九(一九四四)年六月、海軍に召集され、佐世保相ノ浦海兵団に入団、そこで暗号特技兵となっているから、主人公の述べるそれと完全に一致しているので、本作は実体験に基づくものである可能性が極めて高い。同海兵団は昭和十六年十一月二十日に長崎県佐世保市相浦に「佐世保第二海兵団」として設置されているが、昭和十九年一月四日に「佐世保相ノ浦海兵団」に改称しているから、作中で主人公が「この海兵団はその頃まだ出来立てで、充分に整理されていなかった」というのは改称による内部編成の変更などを考えれば、腑に落ちる謂いとなろうとも思う。

 「罰直」は所謂、軍隊内で行われた私的制裁、上級兵による下級兵に対する体罰、いじめである。

 「ヒョウソ」瘭疽。手足の指の末節の急性化膿性炎症。この部位は、組織の構造上、化膿が骨膜や骨に達し易く、また、知覚が鋭いために激痛を伴う。局所は化膿・腫脹・発赤・熱感の症状を起こし、治療が不全であると、壊死が進んで、指の切断が必要となったり、骨髄炎やリンパ管炎を併発して重症化する場合もある。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日午前八時前後に、1250000アクセスを突破した記念として公開する。【2019年8月2日 藪野直史】]

 

   万  吉

 

「佐二補水第一〇〇〇〇号」――この男をおれたちは、最初のうち憎んだ。

 おれたちは皆、佐世保海兵団に同月同日に召集された、第二補充兵の水兵だった。そしてそれぞれ、実験用の小動物か何かみたいに「佐二補水第……号」という兵籍番号をつけられていた。この男が、その「一万号」に当たったのだ。つまり佐世保管区第二補充兵の、丁度(ちょうど)一万人目の召集水兵だという訳だ。

「ねえ」

 入団最初の日の夕食のとき、彼は途中で箸(はし)を投げ出し、あたりを見廻して言った。家族にでも話しかけているような、ごくあたりまえの口調だった。

「いやだなあ、こんな兵隊屋敷。ほんとに僕はいやだよ。何だい、このオカズ。骨ばっかり」

 それほど大きな声ではなかったし、卓も末席だったので、教班長の耳には届かなかったらしい。しかし近くにいるおれたちには、それはハッキリ聞きとれたのだ。誰も相槌(あいづち)を打たなかった。皆ムッとしたような顔付で、ぼそぼそと飯を口に運んでいた。オカズは魚の汁かなにかで、身はばらばらに溶けて、小骨はかりになっていた。――誰も返事しなかったが、いささかもそれを意に介さない風情で、彼はせっせと食べているおれたちの姿を、物珍らしそうに眺め廻していた、と思う。おれはかなり強い反撥を、その彼にかんじた。彼のそのやり方は、傍若無人だと、言えば言えた。今思えば、彼は率直に自分の心境を語ったのに過ぎないのだが、そのとき周囲に与えた印象は、そうではなかった。へんに投げやりなひとを舐(な)めた態度に見えた。――おれたちはこのたび不運にも召集された。その運命を甘受するためには、今の自分の境遇を、出来るだけ悪いものに思いなしたくない。そういう心理がおれたちにははたらいている。その意識が、彼への反撥を引き起したのだろう。兵隊屋敷。まったくそれには違いなかったのだが、自分が今から起臥する場所を、そのような侮蔑的な呼称で表現することは、おれたちにはあまり愉快なことではなかったのだ。

 このようなことで、彼は先ずおれの印象にとどまった。体は小さく弱そうなくせに、いくらか倣慢(ごうまん)で横着そうな人間として。

 

 彼は背丈は低かった。五尺一寸か、せいぜい二寸。見かけこそいくらか肥っていたが、さわるとぶよぶよと手応えがなく、色も生白くて、すこぶる筋肉薄弱な体つきだった。

 ――こんな身体はもっとも軍隊に適しない。

 そのような体力のマイナスは、直ぐに軍隊生活の日常にひびいてくる。朝の駈(か)け足、作業、海軍体操、吊床訓練など。すべてがそうなのだ。案の定彼はもっとも動作が遅く、もっとも覚えが悪く、そしてもっとも数多く殴(なぐ)られた。おれたちは皆第二補充兵だから、もちろん良い体の者は一人もいやしない。その中でも彼は、いちばん体力が貧しい、そしていちばん動作の鈍い兵隊だったのだ。

「どうしておれはかりが、こんなに殴られるんだろうな」

夜の煙草盆などで、彼はこぼしたりするのだ。それもひとごとみたいな言い方で。「まるで目の仇みたいに、おればっかりをさ」

「あたりまえよ」と誰かがつけつけと言う。「万吉、お前にはな、やる気がないんだろう。殴られたって、あたりまえさ」

 いつか彼には「万吉」という渾名(あだな)がついていた。兵籍番号が一万号というところから、そうつけられたのだ。その渾名は、いかにも彼によく似合った。彼の風貌には、どこかとぼけたようなところがあったし、いつも失敗ばかりしているので、そろそろ皆から莫迦(ばか)にもされ始めていたのであるから。

「やる気がないって――」と万吉は口をとがらせて言う。

「あんなの、やる気持になれるかい。じゃお前らは、喜んでやっているとでも言うのかい」

 そういうことをヌケヌケと言うから、万吉は皆から憎まれたりするのだ。その上万吉が失敗すれば、時には連帯責任で、班員全部が罰直にあったりすることがある。その点では、万吉という男は、はなはだ迷惑な困った存在だった。しかしその反面、たとえば吊床訓練などで、万吉がビリになって呉れるから、他の連中はビリにならず殴られずに済むのだ、そういう点では、重宝(ちょうほう)な存在だとも言えた。――そしていつもそんな風に、しくじって殴られてばかりいるせいか、日が経つにつれて、万吉はしだいに憂欝になってくるようだった。

「なんだってこんな戦争を、おっぱじめたんだろうな、日本という国は」

 ある時そんなことを万吉が、おれに言ったことがある。その頃おれは万吉と、かなり親しくなっていた。

「おれみたいなものまで引っぱらなくても、戦争をやりたい奴だけで、やればいいのにな。ほんとにおれはいやだよ」

「だからサボるのかい」とおれは聞いてみた。

「まあハッキリとそういう訳でもないが――」と万吉はちょっと沈欝な顔をした。「一所懸命やっててもね、何でこんなことをやってるかと思うと、とたんに莫迦(ばか)莫迦しいような、情ないような気特になってね――」

 これが万吉の本音だったかどうか、おれにはよく判らない。莫迦莫迦しいといっても、あとで殴られることを思うと、そうそう仕事を投げる気になれるかどうか。しかし万吉にとっては、自分の気持に従うのが自然で、その余のことは彼の考慮の中に、入ってこなかったのかも知れない。

 また別のとき、万吉はこんなことも言った。「どうもおれはこの『一万号』という奴が、気にくわないよ。ここで会ったが百年目、何だかそれに似たような感じでね。あまりいい気持がしないよ」

 

 そのうち、召集兵の中から学校出ばかりを集めて、針尾海兵団にうつされることになった。万吉もおれもその中に入った。

 万吉はその頃、二十三歳だったかしら。とにかくおれよりは四つ五つ下だった。彼はどこかの文科大学を卒業して、そのとたんに召集されたものらしい。そう言えばまだ世慣れない、妙に頑固な融通の利かなさが、この万吉にはあったようだ。

 ある時その海兵団で身上調査みたいなことがあって、所定の用紙にいろいろと書き込ませられた。「将来の希望」という欄に、万吉は「会社員」と書き込んだ。隣に坐っていたから、おれはそっとのぞいて見たのだ。そして一寸可笑しいような、軽蔑したくなるような気持にもなった。おれ自身が召集前まで会社員で、会社員の下らなさをよく知っており、希望に価するものでは決してないことを、ハッキリ知っていたから。――「趣味」という欄は、万吉のは、「芝居」だった。おれは「ナシ」と書いたけれども。

 おれがのぞいているのに気付くと、万吉は照れた笑いを見せ、用紙をずらしてかくすようにした。

 この海兵団はその頃まだ出来立てで、充分に整理されていなかったから、おれたちの仕事は毎日毎日、土運びとか材木片付けだとか、そんな作業はかりだった。教育とか訓練とかは、ほとんどなかった。朝食が済むと、すぐ整列して、作業にとりかかる。別段ノルマというようなものはなく、夕方までダラダラと働き続けさせられる。下士官の眼が光っているから、なかなか怠けられない。それでもその眼を盗んで、おれたちは適当に怠けてはいたけれども。

 しかし万吉の怠け方を知ったとき、おれは少からず驚いた。どうも作業中に、とかく万吉の姿が見えないと思っていたら、彼は毎日兵舎の床の下で、ほとんど一日中を過ごしていたのだ。朝の整列が済むと、バラバラと作業にとりかかる。万吉もその群に入りながら、機を見てうまく、兵舎の床下にもぐり込む。そこでじっと寝ころんでいるのだ。――昼食近くになると、そっと這い出てくる。午後は午後で、またごそごそともぐりこむ。作業止めの懸け声がかかるまで。ここなら下士官の眼は届かない。

 一度おれも万吉にさそわれて、半日を床の下で過ごしたことがある。ゾウリ虫やムカデみたいのが這い廻り、暗くじめじめしていて、あまり居心地のいいところではなかった。万吉はそこに板を敷いて、平気で寝ているのだ。気持わるくないか、とおれが訊(たず)ねたら、働くよりはマシだ、と彼は答えた。並んで寝ころんで、おれたちは低声で色んな話をした。

 芝居の話になると、万吉は急に人なつこい表情になり、おしゃべりにもなった。俳優の声色(こわいろ)をやってみせたりする。声が高くなりそうなので、おれは少からずハラハラした。もし兵舎に下士官でもいて、床下から声色が聞えてくれば、どういうことになるか。

「お前という人間はつくづく軍隊向きじゃないようだな」

 おれはそうささやいた。実際に強くそう感じたから。

「そうなんだよ」万吉は藪蚊(やぶか)をはらいながら口をとがらせて答えた。「おれの兄弟は、皆そうなんだ。兄貴が二人いたんだが、二人とも運悪く戦病死してしまった。生れつきひよわなんだな。残ったのはこのおれ一人だ。おれは、このおれだけは、絶対に殺されたくないよ」

「誰だって、殺されたくないさ」

 いくらか身勝手な感じがして、おれはきめつけるように言った。――しかし万吉の、そんな考え方や性格に、おれはもうそれほど腹が立たなくなっていた。むしろ親近な感じさえ、持つようになっていたのだ。つまりこの男は、いくらか身勝手なところがあるとしても、他から強制されない、平凡な生活を愛しているんだ、ということがうすうす判りかけてきていたから。その点は、このおれも共通だった。

 しかし床下にもぐりこむのは、その日だけで御免こうむった。おれはゾウリ虫やムカデの類を、あまり好きではない。――しかしあいつは、一日中床の下に寝そべって、一体どんなことを考えていたのだろう。あいつを思い出すたびに、今でもおれはそんなことを思う。

 

 学校であるからには、何か特技を修練せよという強制で、おれは暗号術をえらぶことにした。これがいちばん肉体的にはラクなような気がしたから。――万吉も同じ理由でか、これをえらんだ。そこでおれたちはひとまとめにされて、防府海軍通信学校に連れて行かれた。

 ここでは、夏のことだから、体操や駈(か)け足のかわりに、引率されて海岸に泳ぎに行ったりした。ある日、よせばいいのに万吉が、禁を犯して沖の方に泳ぎ出て、溺れそうに

なったことがある。沖の方でアップアップしているので、一時は大騒ぎだった。

 それから兵舎に戻ってくると、万吉の班は、皆を騒がせたというかどで、罰直(ばつちょく)にあった。その方法は、当の万吉を卓の上にのせ、班員全部でその卓を両手で差し上げるのだ。これは始めのうちはラクだが、十分二十分経つうちに、両手がしびれたようになり、油汗が出てくる仕組みになっている。

 しかしそれにもまして辛いのは、卓上の当人だろう。悪いことをしたのは自分だが、その自分だけがラクをして、他の班員全部が自分を差し上げるために、したたか汗を流している。これは当人にとって一種の心理的な拷問なのだ。

 万吉は居ても立ってもいられないような表情で、卓の上に乗っかっていた。泣き出しそうに、顔を歪めている。時時、アッ、アッと呻き声を立てて、身じろぎをするので、支えている班員たちはなおのことやり切れなくなってくるのだ。そこで下から、のろいの声をあげるから、万吉はますます身の置き所もなくなる。溺れ死んだ方がよかったと思ったに違いない。

 おれはその時、万吉の心事につよく同情し、班員の苦痛にもつよく同情し、同時に万吉がおれの班でなかったことを、すこしばかり祝福した。しかし、自分は免かれて、他人の苦痛を眺めるのは、それほどいい気持のものじゃない。ことに軍隊においては、いつそのお鉢がこちらに廻ってくるか、判らないのだから。

 罰直が済んで、その夜、万吉は班員たちから、ひどく殴られたということだ。この出来事を境にして、万吉は急に無口な男になったようだ。よほどこたえたのだろうと思う。

 おれは今でも時々、卓の上に乗っかっている万吉の顔や恰好を、ありありと思い出す。それは捕鼠器にとらえられた鼠に、どことなく似ていた。出口を求めて空しくもがき苦しんでいるあの鼠の顔に。

 

 二十日ほどこの通信学校にいて、何かの都合で暗号術講習がとりやめになり、一行百名余り、再び佐世保海兵団に戻ってきた。

 戻ってくると、また毎日作業の連続だ。こんどは海兵団内の作業ではなく、遠くへトラックで働きに行く。行く末はどうなることか判らないし、ひょっとすると南方行きになるのではないかと、おれたちは毎日ビタビクしながら作業に従事していた。

 万吉が川棚(作業場の地名)で足指にケガしたのも、その頃だ。

 なんでも大砲の薬莢(やっきょう)か何かが、いきなりたおれかかってきて、足指がその下敷きになったという話だった。万吉はビッコを引きながらも、頑強に医務室には行かなかった。それでそこからはいきんが入って、ヒョウソになった。

 後になって、万吉はおれにこう話した。

「――脚一本ぐらい、折ってもいいと考えてたのさ。そうしたら召集解除になるだろうと思ってね。ところが下敷きになったのは、足の親指一本だけさ。人間の神経って、妙なもんだな。たおれかかってくるのを見て、やはり反射的に足を引っこめたらしいんだ。我ながら厭になってしまうよ」

 足を引っこめたばかりに、万吉の企図は挫折したわけだ。そのかわりにヒョウソとなり、作業も免ぜられ、彼は毎日医務室に通い始めた。うまくやったと、万吉をうらやむ者も出てきた。何しろ川棚の作業は、針尾のそれと違って、相当な重労働だったから。

 万吉は自分のヒョウソを、できるだけ長びかせるように、努めたのじゃないかしら。なかなかなおらないばかりか、次第に悪化して、ついに足指を切断しなけれはならない破目になったのだ。そしてある日、軍医の執刀で、右足の親指をチョン切られた。

 その丁度(ちょうど)同じ日、帰ってきた百余名の中から、三十人が選抜されて、佐世保通信隊に暗号術臨時講習員として派遣されることになったのだ。幸いにも、おれもそれに入っていたし、万吉の名も入っていた。しかし万吉は、生憎ヒョウソの手術で動けないというので、すぐに他の者が指名された。つまり万吉はヒョウソのために、海兵団に居残りになったわけだ。

 おれは身仕度をととのえて、急いで医務室に万吉に会いに行った。手術直後だったので、万吉はあおい顔をして、しょんぼりと片すみの椅子に腰かけて小た。足には真白な繃帯(ほうたい)がごてごてと巻かれていた。

「どうもおれは、しまったことをしたらしいなあ」

 おれを見て直ぐ、万吉はしみじみした口調で言った。うっすらと涙を浮べているようだった。

「まだ判らないさ」とおれはなぐさめた。「人間の運不運は、あとになってみなくちゃ、判らないさ、判りっこないさ」

「いや」と万吉はかたくなに首を振った。「でもお前も、生きてろな。おれもどうにかして、生きてゆくから。戦争が済んだら、またどこかで逢おうよ」

「足指を切って、それで解除にはならないのかね」声をひそめて、おれは訊ねてみた。すると万吉はふたたび力なく首をふった。

「実はおれもそう思ったりしたんだがね、どうも無理らしいや。もっとひどい奴が、解除にもならず、残っているんだから」

 そして万吉はボンヤリした視線を、足の繃帯におとした。その繃帯は真新しく、不吉を感じさせるほどの真白な色だった。そしてその一箇所だけ、鮮紅色の血が惨んでいた。やがて万吉は低い声で言った。

「痛かったぞ、この手術。軍医の奴、麻酔もかけないで、切りやがったんだ。ほんとうにムチャクチャだよ、海軍というところは」

 

 それきり万吉に逢わない。

 おれはそれからどうにか暗号兵となった。そして翌年の春、佐世保通信隊付の暗号兵として、勤務していた。沖繩の海軍部隊からの電報で、暗号書は「仁」だった。「仁」というのは、もっぱら人事関係の通報に使用する暗号だ。

「本日ノ戦死者氏名左ノ通リ」

 電報はそんな文章から始まっていた。暗号書を操るにつれて、次々氏名が訳出されてくる。「佐二補水第一〇〇〇〇号」と出てきたとき、おれはぎょっとした。おれは思わず声を立てそうになった。万吉ではないか。

 それはやはり、万吉であった。あの海兵団からどんな経過で、沖繩に渡るようになったのか、おれは知らない。しかし自分が訳出したその電文をじっと眺めていると、沖繩の焼野原で、あの体の小さな色の生白い万吉が、虫のように死んで行ったことを、まざまざと実感出来た。軍隊に入れば生死も常でないとは知っていたが、やはりおれはその時涙が出そうな気がした。

「あいつもとうとう死んだな」翻訳文を当直長のところに届けに行きながら、おれは思った。「あんなに軍隊や死を厭がり、平凡な生活への復帰を望んでいたあいつが――」

 おれのこの翻訳文で、万吉の戦死が確認され、鎮守府から万吉の両親へ公報が発せられる。そのことを思うと、なにか耐えがたい気持がした。兄二人も戦死したというから、彼の兄弟はすべて、戦争で殺されたという訳になる。その公報を、受け取って、彼のおやじやおふくろは、どんな気持でそれを読むのだろう。

 当直長はおれの翻訳文を、もちろん無感動な顔付で受け取った。そしておれはまた卓へ戻り、別の電報の翻訳にとりかかった。万吉との二箇月ほどの交情を、ちらちらと思い浮べたりしながら。――だからその翻訳はなかなかはかどらなかった。

 

 おれは今でも万吉のことを思い出す。時々思い出す。再軍備などという文字を見ると、すぐに彼のことを思い出す。もっとも拘束をいとい、もっとも平凡な生活にあこがれた万吉が、全くその反対の状況において、虫けらのようにむなしく死んで行った。「佐二補水第一〇〇〇〇号」という、囚人みたいな番号をぶら下げたまま。

 勿論これは万吉には限らなかったろう。たくさんの人間が、そうやって空しく死んで行ったのだろう。何という悲惨なことか。やはりこういうことは、再びあらしめてはいけない。そういう気がおれにはする。強くそう思う。

 

 

2019/07/03

ブログ1240000アクセス突破記念 梅崎春生 紐 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二二(一九四七)年六月号『新小説』に発表されたもので、後、同年九月に発表したヒット作「日の果て」を標題にした第一作品集「日の果て」(昭和二三(二九四八)年思索社刊。作品集「桜島」(大地書房)は翌月の刊行)に収録された、戦後の前年に「桜島」(昭和二一(一九四六)年九月『素直』(創刊号)初出)を引っ提げて登場した梅崎春生の作家デビュー直後の初期作品の一つである。当時、梅崎春生三十二歳。一月に雑誌『令女界』『若草』の編集者であった山崎江津と結婚し、当時は豊島区要町に居を構えていた。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、十三年で、本ブログが今朝方、1240000アクセスを突破した記念として公開する。【2019年7月3日 藪野直史】]

 

   

 

 石で畳んだ廊下を靴で踏む堅い響きが、反響しながら次第に近づいて来た。そして房(ぼう)の前で止った。

「あ、これを!」

 そう言ったようだった。その声と一緒に鉄格子の間に、新聞紙にくるんだ小さな包みが押し込まれた。包みは鉄格子の横桟(よこさん)に二三度ひっかかりながら房の床にばさりと落ちた。

 壁に背をもたせてうつらうつらしていた鬼頭はその音でハッと眼が覚めた。その時鬼頭が見たものは床に落ちた白い紙包みと格子の外に立つ黒服の男の姿であった。男の腰には短い警察官用の短剣がキラと光った。鬼頭が思わず身を起しかけた時、男はへんに黄色い顔を格子の間からじっと鬼頭に向け、そしてその姿はあわてたように其処を離れた。堅い靴音は少し乱れながら、再び元の方向に戻って行った。理由の判らない不吉なものにふと鬼頭は怯えながら、身体を壁にずらして紙包みに手を触れた。湿気を含んだような柔軟な重みが指に感じられた。

(これは何だろう。何の為に投げ入れられたんだろう)

 指が少し慄えて紙ががさがさと鳴った。紙の中から出て来たものは、綺麗(きれい)にたたみこまれた一本の青い絹紐(きぬひも)だったのだ。

「紐が!」

 思わず叫びかけて鬼頭はあわてて口をおさえた。鬼頭の眼はその時、同房の向う側の壁に膝を抱いた男の視線とぴたりと合った。

 紐は鬼頭の指からすべって、膝から床に重く垂れくねっているのである。

 

 六車(と言うのがもー人の男の名であるが)は、紙包みの中から絹紐が生き物のように床に這い流れた瞬間、ぞっとする程の戦慄が背筋を奔り抜けるのを感じた。すべて直線で囲まれた此の狭い世界の中に、それは妖しく微光を放ちながら鬼頭の膝にまつわっているのだ。それはいきなり肉体に響いて来る不快な衝動をまじえていた。六車は乾いた唾を嚥(の)みこみながら、思わず手を伸ばしながらあえぐように呟いた。

「そ、それは何だね」

 彼は、鬼頭が瞬間の放心から覚めたようにぎょっと身体を堅くして、あわてて絹紐を拾い上げるのを見た。紐はその形で丸められたまま、鬼頭の懐(ふところ)に押込まれた。

「絹の紐だよ」

 鬼頭の顔は折檻(せっかん)を受けた幼児のような表情を浮べていた。そして片掌をしっかり懐の上にあてていた。そしてそれ切り二人は黙りこんだまま、探り合うようにお互の顔をみつめていた。房内の温気がこもるように高まって来た。

 暫(しばら)くすると鬼頭は急に頭を垂れて膝の間に埋めた。そして長いことそのまま動かなかった。

 泣いているのではないか。六車は神経質な眼を見はったまま、壁に背筋をぐりぐり押しつけながらそう考えていた。

 

 房の外では戦争の嵐が吹き荒れていた。

 しかし外界と此処とは、厚い混凝土(コンクリート)の壁と鉄格子で隔てられていた。ただ此の房の上の方に小さな窓が外にむいて開かれていた。

 それは人の背丈よりももっともっと高かった。そんな小さな窓にも頑丈な鉄棒が三本ほどはめられていた。そこからは区切られた青空が見えた。音が其の窓から入って来た。それは電車の軋(きし)る音でもあったし、万歳を叫ぶ人々の行列らしい音でもあったし、かけ忘れたラジオらしい音楽でもあった。それらの音が雑然と沈み込む暗い房の底で、二人の男は黙然(もくねん)と膝を抱いて向き合っていた。[やぶちゃん注:「かけ忘れた」「かけて切り忘れた」の意であろう。亡き母は何時もラジオをつけることを「ラジオをかける」と言っていたのを思い出した。]

 午後になると必ず六車は呼出されて房を出て行った。そして一時間程経って戻って来た。

 そんな時の六車の顔は汗いっぱいになり、眠が獣のようにぎらぎら輝いていた。房の床にくずれ落ちると、肩で荒い呼吸を支え、あえぐような呻(うめ)きを口から洩らしているのであった。その姿を見る度に鬼頭の胸にはある畏(おそ)れが突き上げて来た。

 鬼頭は此処に入れられて以来、一度も呼出されない。何時になったら取調べが始まるのか、数えて見るともう半月も経って、入房当初の剃刀(かみそり)をよく当てたすべすべした頰には、黒いちぢれた鬚(ひげ)が密生し始めていた。

 

 格子から投込まれた絹の紐を一目見た時、鬼頭はいきなり心臓をぐさと摑(つか)まれた気がしたのである。

 彼はある軍需会社の営業部の主任だった。突然ある朝刑事がやって来て彼を拘引した時、彼がさほどあわてなかったというのも、彼の会社での仕事というのが関係筋に付届けをする事であり、その関係筋というのが監督官や管理官や地方役人や、警察官だからであった。彼が口を割れば此の土地のそれらの人々は皆収賄の罪に問われる筈であった。彼はその朝おろおろと戸惑う妻に、何でもない直ぐ済む事だ、と一言残して拘引されて来たのである。妻の父も、此の土地で警察署長をやっていた。

 だから鬼頭は救いの手を信じて疑わなかった。その救いがどんな形で現われるのか、それを待って半月経った。

 あの時鉄格子に黄色い顔を押しつけてじっと彼を凝視したあの巡査は、彼が見覚えがない男だった。何時もの巡査とは違っていた。そして彼がふと脅えながら指に拾い上げたものがあの冷たいずっしりした絹紐の塊だったのだ。

(俺の口を割らせない為には、俺を救い出すよりも俺を殺した方が早いのだ)

 それがいきなり頭に来た。そして六車の神経的な鋭い視線に堪えながら、暫(しばら)く惑乱しようとするものを支えていた。そしてがっくり頭を落すと、瞼のうらにさまざまな人の顔が浮んで来た。入乱れた顔々の中に、思い詰めたような妻の顔がひとしお大きく浮び上って来た。

 

 その日も夕方近くになって、六車は呼出されて出て行った。暫くすると変に静まった通路の屈折を抜けて、呻吟(しんぎん)や叫喚(きょうかん)が幽(かす)かに此の房まで聞えて来た。それは毎日のことであったが、音が幽かであればある程、鬼頭には取調室の六車の姿がヴィヴィッドに思い浮べられるのであった。

(俺は死なないぞ。俺は死なないぞ)

 そんな事を呟きながら、鬼頭は懐の紐をしきりにまさぐっていた。

 やがて六車は汗みどろになって房にもどって来た。房に 入ると一時に気力を失うらしく、床にうずくまって犬のように荒々しくあえぎつづけていた。その細い肩や腺病質的な横顔を眺めながら、鬼頭は此の男を支えつづけている気力とは一体何であろう、とふと訝(いぶか)るのであった。そう訝かると直ぐ、彼は今日絹紐を見た時の六車の瞳のいろを想い出した。それは乾いてキラキラ光る瞳だった。それがまっすぐ彼にそそがれていたのだ。

(此の男はあの時、どんな事を感じていたのだろう~)

 鬼頭は六車から眼を外らすと、斜めに小窓を見上げた。昏(く)れかかった青空を切り取る三本の鉄棒が、浮き上るように彼の目にしみて来た。

 

 夜、うすい毛布にくるまって二人は寝ていた。消燈後のくらがりの中から、鬼頭は低い声で聞いた。

「お前は、政治犯なのか」

 うん、と暫くして六車の返事が戻って来た。鬼頭は更に問いを重ねた。

「毎日、何故打たれてるんだね」

 返事は無かった。長いこと沈黙がつづいていた。もう眠つたのかと鬼頭が寝がえりを打とうとしたとたん、六車のやや早口な声音が耳の側でした。

「俺が今白状すれば、皆駄目になるんだ。俺の白状が二日遅れれば遅れるだけ、すべてが有利になるんだ。俺はそう思って歯を食いしばって辛抱しているんだ。今日だって、俺がじっと堪えたばかりに、何人かが命をたすかっているのだ。何もかもうまいこと行っているんだ」

 急に烈しい呼吸(いき)使いが耳の側で乱れた。

「しかし――俺は白状してしまうだろう。明日か、明後日か、それは判らない。俺はあの苦痛には堪えられないのだ。声を立てまいとしても声が出てしまう。――頭がくらくらになってしまうのだ」

 声がとぎれ、深い溜息がそれにつづいた。鬼頭は毛布を顎(あご)にまで引上げながら、屈折した廊下を伝わって来る六車の苦痛の叫声を想い出した。

(此の男を白状から妨げているものは、彼自身の良心だ。ところが俺の場合、俺の口をつぐませようとしているものは――此の絹紐だ)

 鬼頭は汗ばんだ胸の膚にすべすべとからまる絹紐の感触を確めていた。

(しかし、此の紐で、どんなにして首をくくれというのだろう。どこにひっかければいいのだろう)

 

 暁方、鬼頭は夢を見ていた。何だかと格闘しているようなひどく苦しい夢だった。首を絞められて、鬼頭は夢の中で大声を立てていた。そして眼が覚めた。

 ぼんやりした朝の光が房の中にひろがっていた。髪を汗ばんだ額にへばりつかせたまま、鬼頭は起き上ろうとした。そして彼は、首の辺にしんなりとまつわる蛇のようなものを感じて、再び叫び声を上げて掌で払った。それはあの青い絹紐だった。紐は弓形にしないながら宙を飛んで壁に当った。

 鬼頭は異音な顔をしていた。

 その側で矢張り半身を起した六車が、薄く瞼を開いてじつと紐を見詰めていた。鬼頭の声に驚いて起き直ったものらしかった。六車もそして真蒼だった。紐はべたっと床に貼りついていた。その側に紐を包んでいた新聞紙が昨日の形のまま、小さく丸められてころがっている。……

 

 ――六車は昨日あの絹紐を一瞥(いちべつ)した瞬間から、紐が暗示する或る物へ、どうすることも出来ない牽引(けんいん)を感じ始めていた。

 その日もうつうつと膝を抱いて壁に倚りかかっていた。時々うすく瞼を開いて鬼頭の方を見た。その度に鬼頭は鬚の間から、暗欝な眼付を光らせて彼を見返した。

(此の男は何者だろう)と六車は考えた。

(此処に入って以来不敵な態度を保ちつづけていて、俺とも余り口を利こうともしない。それにしても、あの包みを開いた時の此の男の脅え方は何だろう?)

 あの絹紐が此の男にどんな意味を持つのだろう、そう思うと六車は直ぐ、床に貼りついたような不気味な紐の形を思い浮べた。

 壁が背のぬくみであたたまると、六車は身体をずらした。

 ずらした股のあたりに、何かがさがさしたものが触れた。ふと見ると、あの丸められた新聞紙であった。六車はそっと膝の間にそれを拡げた。

 ある記事がふと彼の心をとらえた。記事は次のような内容だった。

「何郡何村鬼頭利親(三四)は去四日朝贈賄の嫌疑で自宅から拘引された。背後関係に戦争を喰物にする某軍需会社を控え、官界各層や地方名士も連関あるらしく、成行を重視されている模様である。猶同人妻ハナ子(二三)は聖戦下に於ける世間体を恥じ……」

 新聞紙は其処で千切れていた。

 大車は二度その記事をゆっくり読み返した。そして音のしないように丸めると、床の上に落した。頭を膝の間に埋めるようにしながら、上目使いに鋭く鬼頭をぬすみ見た。

 鬼頭は頭を壁にもたせ、軽く眼を閉じていた。懐が少しふくらんでいた。紐がそこに入っているのである。

(紐の差入人は、此の記事を此の男に読ませたかったのだな)

 世間体を恥じて此の男の妻は何をしでかしたというのだろう。六車はそんな事を考えつづけながら、鬼頭の胸のふくらみから眼を離さないでいた。

 

 六車の神経的なまなざしが、ともすれば鋭く紐の在処(ありか)に走るのを、鬼頭ははっきりと感じ始めていた。眼を閉じていても、それは気配で判った。

(あの眼付は只の好奇心か?)

 いや、違う、と鬼顔は思った。そして彼は昨夜の六車の話を想い出していた。あれが入房以来交した最も長い会話であった。その時の六車の荒い呼吸はまるで泣声のようだった。

(そんなに辛けれは何故白状してしまわないのか?)

 しかし鬼頭はふと、あの紐を受取った時の自分の絶望に突当っていた。彼には白状する気はなかった。長い間救いを信じていた。もし彼が口を割れば――第一に傷つくのは妻の父にあたる隣村の警察署長だった。それが先ず彼に堪えられない事であった。彼は彼の若い妻を愛していたのだ。

(しかし誰があの紐を寄越(よこ)したのか?)

 鉄格子から覗いた巡査の黄色い顔が、嘔(は)きたくなるようなどぎつい鮮かさで彼の瞼のうらに浮び上って来た。彼は青ぶくれのした顔を大きく振ってその想念を追払いながら、向うの壁にうずくまる六車の姿に、ひととき眼を据えていた。

 昼過ぎになると六車は眼に見えて生気を喪いはじめるらしかった。瞼をふるわせて廊下を眺めたり、ぎょっとした風に聴耳を立てたりした。取調べの時刻が近づくのだ、と鬼頭は感じながら、何故か自分も一緒にいらだち始めている事に気がついた。

 彼は湧き上って来る衝動を嚙み殺しながら、陰欝な視線を六車の薄い肩のへんから暫(しばら)く動かさないでいた。

 

(今日こそは俺は白状してしまうかも知れない!)

 そんな暗い予感で、六車はじっと呼出しを待ちながら、背をしきりに壁に押しつけていた。そうしていらだたしく爪を嚙んだ。

 もはや彼の心の中では、外界の同志の記憶や運動の推移などは、実体的な形象を喪失し始めていたのだ。それは実体を失って、悪夢のような茫漠たるものになって、彼の心を遠くから取巻いているだけに過ぎなかった。昨夜ふと彼が激情にかられて鬼頭に口走ったことは、半分は真実だが、半分は嘘だった。白状が一日遅れれば、それだけ有利になる。この事を、彼は観念の中だけで計算し得たが、肉体ではもはや感じ得なくなっていた。

 肉体によって信じられるものは、あの堪え難い拷問の苦痛だけであった。それだけが真実の重さをもつて彼にのしかかって来た。

 彼が今辛うじて、その苦痛に堪えて口を割らぬのは、外界の情勢を思う故ではなかった。ただ彼の自尊心に外ならなかった。

(すべてが既に俺個人の問題だ)

 白状するという事は、もはや六車個体の敗北であったのだ。その敗北を自分に確認することが、救いようのない絶望に通ずることを彼ははっきりと予感していた。

(此の房に不用な物は一切あり得ないのだ)

 房の中に存在するものは総(すべ)て俺達の用に立てねばならぬ。六車は、敗北から逃れ得る唯一の可能な方法を、こんな形で思い詰めて居た。そんな時に六車の視線は、蛇のような執拗な力を帯びて鬼頭の胸の辺を走った。

 石畳の廊下を遠くから踏んで来る跫音(あしおと)を感じて、六車はぎょっと眼を見開いた。そして鬼頭の視線とひたと合った。鬼頭の眼も脅えたような光をたたえて、汗の玉が額から頰に幾筋も流れていた。

 

 六車が房を呼出されて独りになると、鬼頭は急に訳の判らない恐怖を感じた。鬼頭は思わず身体を壁に這わせてよろめき立ちながら、無意識に視線を小窓の明りに向けていた。懐の中で汗を吸って、絹紐はぐちゃぐちゃにかたまっていた。

 彼は切取られた青空に、大きな掌を幻影に見た。彼は視野の一部が錯乱して行くのを感じながら、一度それを確めようとした。するとその掌から、巨大なうねりを持った絹紐が垂れ下るのを感じた。

(死なないぞ。俺は死なないぞ)

 彼は心で呻きながら眼を外らした。そして房の中を見廻した。房の中には彼一人であった。すると彼は、六車がいないことに、言いようもない不安を感じた。彼は思わず脚をずらせながら、格子の所まで出て行った。

 石畳の廊下には人気がなかった。

 両掌で鉄格子を握り、無意識の中で彼は自分の背丈を鉄格子に合せていた。鉄格子は彼の顔より低かった。これではくくっても失敗する。そうぼんやり考えながら、彼はその事にぎょっと驚いていた。

(俺は何を考えているのだろう?)

 彼は顔を格子に押しあてて、じっと眼をつむった。瞼のうらに妻の姿を描き出そうと努力を集めた。しかし妻の顔も、彼の記憶から定かな形を薄れ始めるらしかった。――

 その時通路の彼方から、幽かに六車の叫声が屈折しながら流れて来たのだ。その叫声は笛のように断続しながら、切なく高まって来た。鬼頭のかたく閉じた瞼に、突然熱い涙があふれて来た。

 

 闇の底に沈み込んだ房の床に、うすい毛布にくるまって二人はじっと横たわっていた。

 六車は打たれた身体の節々が、今しんしんと疼(うず)き出すのに堪えながら、顔のすぐ近くで鬼頭の規則正しく動く厚い肩を感じていた。

(此の男は何も知らないのだな?)

 ふと六車はそう思ってみた。そして今日疲れ果てて房に戻って来た時、何故か鬼頭が甲斐甲斐(かいがい)しく介抱して呉れた事を考えていた。

(世間体を恥じて彼の妻は何をしたというのだろう。たしかハナコという名だったが)

 あの新聞紙は丸められたまま、まだ房の隅にころがっている筈であった。六車にとって世間というものは、感覚で到達出来ない遠離の彼方にあった。それは彼の心に痕跡を止めているだけであった。だから彼の前に横たわる鬼頭が、そんな世間と繫(つな)がっているという事が彼には極めて奇異に思われた。

(しかし此の男は、あの紐を受取ってからでも、まだ本当に絶望はしていない!)

 どこかの一点で彼が救いを賭けていることを、六車は漠然と感じていた。それはどの一点か六単には判らない。

 ただ昼間、鬼頭が彼を房に迎え入れた時、鬼頭は彼の耳に口をよせて一言、白状したのか、と鋭い声で訊ねたのだ。その声を今六車は胸が詰るような気持で手繰り寄せていた。それが此の房に生きる鬼頭の、真実の肉声だった。

 その声を六車は肉体でじかに受止めていた。その時六車はほとんど涙が出そうになるのを押えて、頭を振っていたのだ。此のような短い肉声を、単純な身振りを重ねて行けばどうなって行くのだろう。

(その時は俺達はもはや、此の小房に閉じこめられた二匹の昆虫だ!)

 六車はその時、今鬼頭を揺り起して新聞記事の内容を知らしてやりたいという強い欲望にかられていた。

「ちょつと――」

 彼は手を伸ばそうとして声を吞んだ。鬼頭の体が大きく身じろいだ、まだ眼覚めていることを示したからである。

 

 長い夜が明けて、また鈍色(にびいろ)の一日が始まった。

 六車の眼は赤く血走っていた。夜の間のまだ一日あるという幾分寛(ひろ)やかな気持が、寝覚めと共に暗い予感を伴って荒々しくいらだって来るのであった。身体の痛みは一夜を越えても既に恢復(かいふく)しなくなっていた。彼はもはや露骨なまなざしで鬼頭のふくらんだ懐をたじろがず眺めた。

(あの絹紐を執拗に隠し続けることこそ、此の男が絶望していない証拠だ)

 六車の刺すような視線を弾きながら、鬼頭は沈痛に膝を抱きかかえていた。

(昨夜は俺に何を言おうとしたのだろう)

 あの時鬼頭は眼覚めていて、全身でその言葉を聞いた。何か凝集した空気のまま言葉はそこで途切れたのだ。

(――あれは何か余程重大な事だったに違いない)

 鬼頭は大きく眼を見開いて床の肌理(きめ)を眺めていた。彼が今ぼんやり考えていることは、自分に自白する機会は永遠に来ないだろうという事であった。此の房を出る為には屍体となって出る他はないという想念であった。しかしその想念も、まだ彼にははっきりした現実感は無かった。

(俺は死なないぞ!)

 鬼頭は空虚な声で呟いた。しかし彼は心の中に、渦に次第に吸い寄せられる木片のようなものを、此の時はっきり思い浮べていたのである。渦の底には何があるのか。ただそのような擾乱(じょうらん)が彼の心いっぱいを満たしていたのだ。その擾乱が平衡を保って永遠に続いて呉れることを彼は必死に念願した。

 彼の姿をじっとみつめていた六車が、突然甲(かん)高い声で言った。

「お、お前に死ぬ必要があるのか?」

 鬼頭はぎょっと身体をすさり、暗欝な視線を上げた。

 

 午後になると房の中の気温が急に高まって来た。小窓が切取る空のいろは灰白色の雲影であつた。そして何時もの時間が近づいて来た。

 六車は午前中のあの毒々しい気色をすっかり無くして、蟹(かに)のように打ちひしがれた表情で、しきりに額の汗を拭った。鬼頭も黙りこくって頭を低く垂れていた。

 湿度に満ちた空気を伝って、石畳を踏む靴音が幽かにした。

 二人とも一度に頭を上げた。

 鬼頭は腰を浮かすようにして、早口で問いかけた。

「昨夜は、お前は何を言いかけたのだ?」

 六車は鬼頭の青ぶくれた鬚面の間からギラギラ光る眼の色をじっと見た。そしてゆっくりと床の隅の新聞を指さした。

「あれに書いてある」

 声はみじめにつぶれて聞き取れない程だった。

「――しかし、今は読むな。俺が戻って来るまで待て!」

 六車の眼は哀願の色を浮べて、青くまたたいた。跫音が房の外に止った。――

 

 鬼頭は鉄格子に全身をもたせかけ、掌でしっかり鉄棒を握っていた。掌と鉄棒の間にはあの紙片が押しつけられていた。

 通路の彼方の、長いこと続いていた六車の叫喚が急に止んだ。

 鬼頭は急いで身を離すと、紙片を慄える指で拡げて、光の方にかざした。食入るようにしてそれを読んだ。眠が一箇所に定まるとそれ切り動かなかった。

 むくんだ顔の青さから、やや血の気が落ちて行くようだった。しかし変化はそれだけであった。鬼頭は二本の脚の上に彫像のように動かないでいた。

 暫くすると、跫音が乱れながら石畳の通路を近づいて来るらしかった。それは段々反響を加えながら、此の房に戻つて来るらしい。

 

 狭いくぐり扉から床に崩れ込んだ六車は、荒々しく肩であえぎながら、汗で濡れて光る顔をようやく振りむけた。その眼は燃えるような色であった。そして鬼頭の顔を突通すように見た。

「――読んだか?」

 と六車はあえいだ。返事はなかった。が六車は真実を全身で感じ取った。そして鬼頭の低い声がゆっくり落ちて来た。

「自白したのか?」

 六車は子供のように首を振った。そして急に表情を歪めて上半身を起き直った。

「お、おれは、あと三十秒、あ、あの苦痛が続けば、口を割っていた。あ、あと三十秒だった」

 片腕を顔にあてると、六車は虫のように奇妙な声を立てて泣きじゃくり始めた。が、それも一分間経たぬ中に止んだ。六車はへんに乾いた眼で再び鬼頭を見上げていた。涙も涸れて流れ出ないらしかった。

 鬼頭の懐がゆるんで、青い絹紐が半分程だらりと垂れていたのである、六車の灼きつくような視線に気付くと、鬼頭もゆっくり顔をうつむけた。

 紐は淡い光を吸うて不気味にひかった。

 鬼頭はそのまま床にしゃがみ込んでいた。二人の視線がそろって光を求めるように小窓を見上げた。

「――俺もそう思っていたんだ」

 二人はそれぞれ踏台に、お互の背中の事を考えていた。鬼頭は六車の背に、六車は鬼頭の背に、そして青い絹紐を小窓の鉄棒にひっかける。――

 六車はまだ微かにあえぎながら、小窓の灰色を背景に浮出した三本の黒い鉄棒をにらんでいた。頸に始め柔かく、次の瞬間に烈しく食込む絹紐の感触を、ほとんど快よい戦慄と共に空想し始めていた。

 その六車の耳の側で、

「どうやって籤(くじ)をつくるんだ?」

 何か憎しみに満ちた鬼頭の声がした。

2019/06/09

ブログ1230000アクセス突破記念 梅崎春生 不動

[やぶちゃん注:本篇は作家デビュー以前の梅崎春生のごく初期の作品の一つである。昭和一八(一九四三)年六月発行の『東京市職員文芸部雑誌』第一号初出(当時、梅崎春生二十八歳)。戦後の昭和二三(一九四八)年八月講談社刊の第三作品集「飢ゑの季節」に収録された。底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。戦前の作であるから、少なくとも本篇初出は正字・旧仮名であるはずだが、原本を所持しないので、底本通り、新字新仮名とする。傍点「ヽ」は太字とした。本文中に私のオリジナルな注を挿入した。

 梅崎春生は昭和一四(一九三九)年三月に東京帝国大学文学部国文科を卒業(満二十五歳。卒業論文は「森鷗外」八十枚)後、この当時は東京市教育局養育研究所に勤務していた(同研究所は上野公園にあった。現在は国立西洋美術館が建っている)。実は本篇発表時は最後の「東京市」なのであって、この翌月七月一日に内務省主導による「東京都制」が施行され、地方自治体としての「東京市」と「東京府」は廃止されて現在の「東京都」が設置され、それまでの「東京市役所」の機能はこれ以降、「東京都庁」に移管されたのであった。但し、本作発表の前年の昭和十七年一月に召集を受けて対馬重砲隊に入隊したものの、肺疾患のために即日帰郷となり、同年一杯、福岡県津屋崎療養所、後に同福岡市街の自宅で療養生活を送っているので、ほぼ一年近くの休職期間がある。因みに、翌昭和十九年三月には、徴用を恐れて東京芝浦電気通信工業支社に転職したが、六月に二十九歳で再び海軍に召集され、佐世保相ノ浦海兵団に入団、そこで暗号特技兵となって、終戦まで九州各地を転々としたのであった(以上は底本全集別巻年譜に拠った)。

 また、本作の主人公の友人として登場する「天願氏」は初期作品の傑作「風宴」(昭和一四(一九三九)年八月号『早稲田文学』(副題『新人創作特輯号』)に掲載された。リンク先は「青空文庫」のもの)でも一種、主人公のトリック・スターのように重要な役回りをするが、彼のモデルは梅崎春生の終生の友人であった同い歳の作家霜多正次(しもたせいじ 大正二(一九一三)年~平成一五(二〇〇三)年:沖縄県国頭郡今帰仁村生まれ。沖縄県立第一中学校から旧制五高に進学し、そこで梅崎春生と同級となって親交を結んだ)であるとされる。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、十三年で、本ブログが昨夜、1230000アクセスを突破した記念として公開する。因みに、本作は掌品ながら、後の漫画家つげ義春のある種の作品のような、奇妙なるリアリズムを感じさせる佳品と思う。【2019年6月9日 藪野直史】]

 

   不  動

 

 午後の二時頃、天願氏と私は上野駅のホールに立って、壁にかかっている時間表を眺めたり、ぼんやりと構内の雑踏を見渡したりしていた。日曜日のことであつたから、駅内はいつもより混んでいて、リュックサックを背負ったような男女や、バスケットを提げた田舎風の人々や、野菜行商の女達が、改札のあたりから出入口にかけて忙がしく往来した。窓や出入口から射す昼の光はあかるくて、拡声器の声は、次から次に、はっきりしない語尾をひびかせながら、建物の天井を這って消えて行った。

 此処まで来ても、まだ何処に行こうというあてはなかった。曖昧な気特で時間表を見上げたり、また行くのは止そうかと思ったりした。駅の構内に入っただけで、もう疲れたような気がした。

「とにかく、松戸まで買おうか」

 うん、と生返事しながら、まだ私はためらっていた。新宿の、鬼堂という友人のところへあそびに行こうか、などと思ったりして、気持がはっきり定まらなかった。しかし、駅内の群集の動きや、時折聞える汽笛の音が、何となくしきりに天願氏の旅情をかき立てるらしかった。

「とにかく、先ず松戸まで買つて、気がむけば途中で江戸川あたりに降りてもいいじゃないか」

「それもそうですね。しかし、もう二時だから」

「充分だよ。日が長いからね。とにかく切符を買う」

 天願氏は、渋団扇(しぶうちわ)のように張った肩を左右に振るような歩き方で、切符売場の方に急いで行った。私は、ふところ手をしたまま、そのまま佇(た)っていた。郊外に、新緑を見に行くという試みを、さまたげる事情は私には何もなかった。しかし、野や山に生い立った青葉や若葉を頭に浮べようとしても、なにか感興がうすかった。

 やがて切符を買って来た天願氏と共に、改札を通って歩廊に出た。歩廊は、季節にしては強い日光のために、鮮やかに日の当る部分と影の部分にわかれていた。そして歩廊の果ての、混凝土(コンクリート)の坂になったあたりを、風が白く吹いていた。私達は、歩廊の真中ほどにあるベンチにもの憂(う)く腰をおろした。長い間経った。線路の遠くから、カーヴのところでは少し傾きながら、電車が近づいて来る。その振動が、微かではあつたが歩廊ににぶく伝わって来た。それはだんだん大きくなる。私達は莨(たばこ)を捨てて立ち上った。

 

 松戸で電車からはき出された。歩廊から見る松戸の町は、昼間だのに夕暮のような感じがした。奥行きのなさそうな、此の佗しい町のむこうは、砂塵がうつすりと立っている。

「なにも、無さそうだな」

 ふところに突込んだ手で、肋(あばら)のあたりを撫でながら、私は向うの歩廊に目を転じた。汽車が着いていて、機関車が白い蒸気を出していた。

「あの汽車は何処行きだろう」

「我孫子(あびこ)に行こう」

 突然天願氏がさけんだ。「あの汽車にのれば間に合う」

 私達はそのまま、考える間もなく歩廊を走った。階段をかけ降りて、またかけ昇った。昇降口にかけ込んだとき、汽車がごとりと動き出した。私達は息を切りながら、顔を見合わした。

「よかったですね。間に合って」

「まったく」

 何がよかったのか、自分でもはっきり判らなかったが、私はそう言い、大へん得をしたような気持になっていた。列車は、大へん混んでいた。

 私達は車掌室の横に止ち、それから中には入れなかった。人いきれのこもった室の中で、私はじっと立っていた。私のそばには、陸軍の将校が二人やはり立っていて、時折低く話し合っていた。故郷に行くところらしかった。二人とも純粋な東北訛(なま)りで話していたが、将校というものは何時も立派な標準語で会話するものだというような、漠然たる感じを持っていた私は、そのことが珍しく、また親しみ深い良い感じがした。久し振りにうちに帰ると、小さい子供が自分を見忘れていて、もとのようになるまで十日位かかるという話をしていた。一駅も過ぎないうちに私は疲れて、壁に身を支えたりしたけれど、二人の将校は毅然と立ったままの姿勢で、汽車が揺れてもあまり身体を動かさなかった。

 

「此処まで来たんだから、ついでに成田まで行って見ようじゃないか」

 我孫子で乗越し賃銀をはらい、待合室に入ったとき、天願氏がこう言った。

「そう、ぼくはどうでも良いですよ」

 私は、成田が何処にあるかは知らない。此の我孫子ですら、地図の上ではどの辺になるのか見当がつきかねた。東京を離れた以上は、どこにどう行こうと私は同じ思いであった。時間を調べると、三十分後に出る汽車があった。[やぶちゃん注:主人公同様に不案内の読者のために、東京と我孫子と成田の位置関係をグーグル・マップ・データで示しておく。]

 そこらを一寸歩くことにきめて、私達は駅を出た。変哲もない田舎町がつづいている。まずしげなお土産屋や飲食店が、ほこりだらけの道の両側にならんでいる。道側に遊んでいる子供たちの眼は、東京の子にくらべると変に鋭くて、敵意を含んでいるような気配があった。

 馬糞の多い道を一丁程[やぶちゃん注:約百九メートル。]行くと、突きあたり、道は両側に分れていた。一つは、沼に行く道らしかった。そこにある近郊案内の立て札を読み、また同じ道をあるいて戻って来た。何ということもない。また待合室に腰かけて、汽車を待った。「疲れたかね」[やぶちゃん注:「沼」現在の我孫子市の北辺縁に貼り付くように東西に長い手賀沼のこと。]

 天願氏がにやにやしながら私の顔を見た。「貴公は、自然というものに対して興味を持たんらしいな」

「いや」と私も少し笑った。「興味もたないという訳じゃないけれど、――人間の方が面白いですな、自然よりは」

 しかし、何事に対しても興味の持ち方がうすいということは、私にとって生来のものであった。私は、自分が異質のものであるとは思いたくなかったけれど、そうした傾向は否めなかったのだ。人間に対しても、ミザンスロピィの形でしか、感情なり興味なりを持ち得なかった。もつとも環境のせいもあつた。役所で毎日、話と言えは猥談か、気の利いたつもりで泥臭い冗談しか言えないような同僚や上司と一しょに働いていれば、馬鹿でない限りはそうなってしまう。[やぶちゃん注:「ミザンスロピィ」misanthropy。英語で「人間不信・人間嫌い」の意。]

「これでも昔は、野山に行くのは好きだったんですがね」

 指で肋(あばら)を一本一本おさえながら、私は天願氏に言った。

 そのうちに改札が始まった。田舎の内儀(おかみ)さんの群と一緒に、ぞろぞろと歩廊になだれ込んだ。

 

 沼が右手に遠く、鈍く光ってはまた隠れ、また樹々の間からあらわれた。日はようやく傾きかけたようであつた。汽車は、空いていた。汽車が進んでゆくにつれ、天願氏は少しそわそわし始めた。

「どうしたんです」

「いや、一寸」窓の外ばかり見ている。

 天願氏の、数年前別れた妻との間にある男の子が、今日は日曜日だから、母方の祖父のうちに遊びに行っているかも知れない。(その子供は、妻の方に引きとられていた)祖父のうちが、此の沿線の汽車の窓から見えるところにあると言うのだ。

「もすこし先なんだ。もすこし――」語尾が少しふるえた。

 窓の外を、松林や、丘陵や、小川が次々に通り抜けた。家がぽつぽつと現われて来たかと思うと、たちまちそれが小さな部落となり、樹々にかこまれた低い家々が限界をさえぎったとき、天願氏は身体ごと乗り出すようにして、目をきらきらと光らした。

「あそこ!」

 瞬間にして、汽車はその部落を奔(はし)り過ぎた。

 暫(しばら)くの間私達はむき合って、黙っていた。汽車の轟音だけが、ごうごうとひびいた。窓から入る光線が、天願氏の顔をゆっくりと移動して行った。顔の陰影が変化するのは、丁度(ちょうど)表情が変って行くように見えた。

「ああ、成田までじゃなく、どこか遠いところまで行きたいなあ」

 暫く経って天願氏は独り言のように低い声で言った。

 

 成田の駅前は、大広場になっていて、夕方の淡い光の中で、成田停車場はまるで玩具のように見えた。天願氏の髪を、風がばらばらに吹いた。私達は参詣近道と書いた裏通りをゆるゆるとあるき出した。狭い道は不規則に折れ曲り、怪しげなカフェや、居酒屋がつらなっていた。門口に厚化粧をした女たちが椅子を出して腰かけ、私たちをうさん臭そうな顔で眺めたりした。それは変に私の嫌悪をそそった。私は出来るだけ目を外らしながら、少し前屈みになって急いだ。道は僅かながらも、登り坂になっていたのだ。そのうちに、大通りに出た。

「裏参道などと書いて、あれはきっとカフェの連中が客寄せに書いたんだろう」と私達は笑い合った。大通りは、どこの神社の町にもあるような土産店や、表だけがけはけばしい旅館などがずらずらと列(なら)んでいて、人々が動いているにも拘らず、芝居の書割りのように生気がなかった。夕方のせいか参詣客らしい姿はあまり見えず、道を歩いているのは町の男たちや商人らしかった。夕方の空には、綺麗(きれい)な鰯雲(いわしぐも)が出ていて、白い昼の月がうすくかかっていた。旅情が、それを見たとき始めて私の胸にほのぼのと湧き上って来た。

 不動は、森にかこまれていた。亀のいる池の石橋をわたり、石段をのぼった。石柱が沢山立っていて、寄付金と名前、壱千円也某、五百円也某といった具合に、金額が多いほど石柱も大きかった。それらが石段の両側に、墓碑のように連なり、風はそれをおおう樹々の茂みにそうそうと鳴った。私たちは黙って一歩一歩、石階をふんだ。

 本堂を横に切れて、後ろに廻ると、もはや本堂の背は夜であったが、壁面に僅か黄昏(たそがれ)が残っていた。そこには木彫の板がいくつもはめこんであった。私たちは顔を寄せてひとつひとつ見てあるいた。何の図柄か判らなかったが、どの絵も人間がたくさん彫られ、どの人間も同じ表情をし、同じ着物を着ていた。俗っぽい彫り方にもかかわらず、妙な迫真力があつた。不意に何か不気味なものを感じて振り返ると、人一人いない境内が背後にしらじらとひらけていた。[やぶちゃん注:私は成田山新勝寺に行ったことがないので、調べたところ、公式サイト内の「釈迦堂」によって、ここは現在、「本堂」(江戸後期の建立に成る)から「釈迦堂」に変更されていること、彼らが見たのは、この旧本堂の回廊の堂壁部分に施された、嶋村俊表作「二十四孝」や、松本良山作「五百羅漢」(及びその外の外回りの彫刻を彫物師後藤縫之助が手掛けているとある)の彫刻群であることが判明した。リンク先には画像もある。]

「寒い」

 夕方になって、少し冷えて来たのだ。その感じも、東京を離れた思いに強かった。

 まだ数枚の木彫板を見残して、私達は境内を通り抜け、脇へ降りる道をあるいた。

「すこし、金があるかね」

 私は袂(たもと)を探った。乏しい銅貨の音がした。街路に出て、燈の下で天願氏は金入れを出して、内をかぞえた。七円なにがしの金があった。

 相談の末、汽車賃だけ残して、のこりで一杯のむことにし、私達は歩きだした。先に立った天願氏の肩は、骨太だけれども何処か影がうすく、わびしかった。暗いところをあるくとき、二人の影は淡く地面にうつり、天願氏の影は、歩きぐせのために地面で躍るように動いた。空には、二十三夜の月が少しずつ光を増し、私達はことさら明るい通りを避けて、適当な居酒屋を探して行った。[やぶちゃん注:「二十三夜の月」但設定と思われる晩春の狭義の「二十三夜の月」は、夜の十一時近くの「月の出」になるので、時刻が遅過ぎるから(実は後のシーンで「九時を廻っているらしかった」とある)、ここは二十三日以前の三日月に成りかけた下弦の月をかく洒落て言ったに過ぎないと採っておくべきであろう。]

 薄汚ない暖簾(のれん)をかかげ、指で盃の形をつくつて見せ、あるかね、と聞くと、台所から親爺が顔を出して、まあ入んな、と答えた。そこで私達は中に入った。土間には卓子(テーブル)が一脚あって、両側に紅殻(べんがら)の剝げた樽が腰掛け代りに五つ六つ置いてあった。

「白だけど、いいかね」

「ああ、結構だよ」

 あちらこちら探し歩いた後だったから、もはやどんなものでもいい気特になっていた。私は、樽に腰を下して、掌を何となくすり合わした。

 湯吞茶碗を前にして、暫くしたら親爺が奥から大切そうに持って来た瓶から、冷たい濁酒(どぶろく)がとくとくと注がれた。粒が多い、濃い濁酒であった。

 親爺が、注文もしないのに持って来た、ほうぼうの煮付や、白い魚肉の酢味噌、そんなものをつつきながら、茶碗をほした。

「此の白馬はどこから持って来たのかね」[やぶちゃん注:「白馬」「しろうま」で濁酒の異名。白馬は神の供をする、酒は神に供える、というところからの色彩連想による俗語。違法醸造によるものであるから、かく隠語として用いたもの。]

「なに、河向うからだよ」と答えて、えへへ、とわらった。もしかすると、汽車賃に食い込むかも知れないと思ったが、そのうちに酔って来て、そんなことはどうでもよくなった。

 私達に向い合って馬方らしい老人がやはり飲んでいて、親爺と、今日見た溺死人の話をしていた。

 土間のむこうは部屋になっていて、親爺の女房らしい大きな女が牛のように横になっていた。側で子供がひとり手習いしていた。

 その子供には顎(あご)がなかった。[やぶちゃん注:事故によるものでないとすれば、先天性下顎骨欠損症或いは下顎骨が痕跡しかない疾患となろうか。]

「わたしたち二人で」と親爺は寝ている女をゆびさした。

「月に七升要りますがな」

 風が、暖簾を動かしていた。

 私達は、琉球(りゅうきゅう)や台湾や、遠い国の話をした。パパイヤや檳榔(びんろう)や、停子榔や泣き女の話をした。酔いが廻って来るにつれて、天願氏の放浪癖は益々そそられるらしかった。ずっと若い頃の、数年間にわたる大放浪の話を天願氏は低い声でめんめんと語った。[やぶちゃん注:「停子榔」読みも意味も不詳。当初、私は以下の「泣き女」との対表現から、台湾で檳榔や煙草を売る若い女性を指す「檳榔西施」かと思ったが、それはごく直近の風俗らしいので当たらない(御存じない方はウィキの「檳榔西施」を参照されたい)。次に前の「檳榔」の「榔」の一致と「子」から、アジアの広い地域で嗜好品とされる単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu の実、檳榔子(びんろうじ:アレコリン(arecoline)というアルカロイドを含み、タバコのニコチンと同様の作用(興奮・刺激・食欲の抑制など)を引き起こすとされ、依存性があり、また、発癌性が認められている)のことかとも思って調べて見たところ、ビンロウの中文ウィキに「倒吊子檳榔」の項があり、そこや他の中文記事を見ると、どうも檳榔子の中に下から上方へ成る実があり、その成分は他の実に比して激烈で、これを使用すると、死に至ることさえあるというようなことが書かれているようであり(私は中国語は解せない)、この「倒」は「停」と似ていて「子」も「榔」もあるから、これか? とも思ったのだが、そうすると「泣き女」との対表現が如何にも悪い。だったら、梅崎春生なら、「パパイヤや檳榔(びんろう)、その停子榔こと、或いは泣き女などの話をした」辺りの表現をするであろうと考えた。お手上げ。識者の御教授を乞う。但し、「停子榔」の文字列は日本語でも中国語でも引っ掛からない。「泣き女」葬儀や葬列の際に雇われて号泣する女性。本邦にも旧習としてあったが、中国・朝鮮半島・台湾を始めとして、ヨーロッパや中東など汎世界に見られる伝統的習俗であり、かつては普通に職業としても存在した。]

 そのうちに、もう何杯飲んだか判らなくなって、肴もあらかた食い尽した。全身が酔いのかたまりになるような気になった。馬方もかえってしまった。奥で寝ていた女房が起きて来て、土間に降りて暖簾を外し始めた。

「さて帰るかな」

 勘定をきくと、八円いくらになっていた。私は金は無いのだから、黙って天願氏の顔を見ていた。天願氏は黙然(もくねん)と金入れを出して、さかさに振った。しやがれた声で言った。

「親爺さん。一円ばかり足りない。上衣置いて行くから、明日まで待っと呉れ」

 器物を洗っていた親爺の顔に、ちょっと険しい表情が現われて、消えた。そして笑い顔になった。

「いや、そうおっしやるなら、明日でも良ござんす。上衣はいらないよ」

 私達は礼を言って、露地に出た。露地をあるくとき、私はにやにやした笑いが出てとまらなかった。理由はなく、可笑(おか)しくて可笑しくてたまらなかった。月が、馬鹿みたいに明るく照っていた。とうとう二人とも、一文なしになってしまった。天願氏も笑い出した。

「さて、これからどうするかな。今何時頃だろう」

 もう九時を廻っているらしかった。

「もう帰れないな」

「汽車賃もなし」

「宿屋に泊ろうか」

「金無しで?」と私は聞き返した。

 しかし、そうする外に方法はなかった。それでも私は苦境に立ったという気は少しもなかった。酔いのせいであったかも知れない。

 不動の裏手の、旧街道らしい道のそばにある成田屋という傾いた古い旅館に入って行った。女中も誰もいない。内儀らしい老女が出て来て、何だかだだっ広い部屋に通された。

 一本だけつけて貰って、二人で盃をゆるゆるとあけた。

「何だか変な具合になったな」

「新緑を見に来る筈だったんだが」

 ああそうだ、新緑を見に来たんだと、始めて気が付いた。しかし、上野を発ったときから、どんな新緑を見たか思い出そうとしても、頭に浮んで来るのは、灰色の家々や影のような人間の姿ばかりであった。

 此処の宿代は、今考えても仕方がないから、明朝起きて考えることにして、飯を食べた。酔いは依然として続いていた。

 部屋の硝子戸の外は不動の大樹がそびえ、月の光がぼんやりさしていた。私達は手拭いを借りて、階下の風呂場に行った。

 薄暗いじめじめした風呂で裸になり、代る代るすみっこの五右衛門風呂に入った。熱い湯に、腹から胸へと浸って行くとき、心臓がどきどき鳴って、咽喉(のど)まで何かかたまりが出て来るような気がした。手拭いで顔を拭きながら、にわかに荒涼たる想念が胸にのぼった。勿論、今日のことも、私にとってはごくささやかな放蕩にすぎぬ。しかし、此のような無定見な放蕩をくりかえすことによって、私の青春はやがて終って行くのであろう。

 流し場にしやがんでいる天願氏に、私は声をかけた。

「天願さん。ぼくが歌うから、あなた踊りなさい」

「よし」と天願氏は立ち上った。

 流し場の真中にきっと不動の如く立って、両手をそろえて体の両側につけた。肉の落ちた肩や胸をそらして、私の顔を見て、ハイツと言った。私はゆるく手を叩きながら歌い出した。天願氏の、故郷のうたであった。

 

  旅や浜宿い 草の葉ど枕

  寝(に)てん忘(わし)りらぬ  我家(わうや)のう側(すは)

  千鳥(ちじ)や浜うて  ちゅいちゅいな

 

 天願氏の肉体が、あやつり人形のように薄晴い電燈の下で、縦横無尽に動いた。ときどき歌の合のてに、元気よく掛声をかけた。出鱈目(でたらめ)の、その踊りを見ているうちに、私は変に悲しくなって来た。ふと先刻の汽車の中のことを思い出した。あのとき天願氏は、あの家の中に、自分の子供の姿をありありと見たのではないか。あのときは何も天願氏は言わなかったが、きっと子供の姿を見たに相違ない。私はそう思うといよいよ悲しくなり、顎を縁にのせたまま手拭いで風呂の湯をぴちやぴちやたたきながら、次第に歌の調子を早めて行った。


[やぶちゃん注:最後に天願氏が歌うのは、八重山民謡「浜千鳥」の一番である。たるー氏のブログ「たるーの島唄まじめな研究」の「浜千鳥」によれば、「浜千鳥」は「はまちじゅやー」と発音し、たる一氏の表記歌詞と沖繩方言音写では(歌詞には多様なヴァージョンがある旨の記載がある)、

 

旅(たび)や浜宿(はまやどぅ)い 草(くさ)ぬ葉(ふぁー)ぬ枕(まくら)

寝(に)てぃん忘(わし)ららん  我親(わや)ぬ御側(うすは)

千鳥(ちじゅやー)や浜(はま)うぅてぃ  ちゅいちゅいなー

 

である。私は梅崎春生はかなり正確に音写していると思う。リンク先では全曲と流派の異なる別バージョン、本民謡のルーツまで解説されているので、必見。]

2019/05/11

ブログ・アクセス1220000突破記念 梅崎春生 囚日

[やぶちゃん注:本作は昭和二四(一九四九)年四月発行の『風雪』別冊第二号に発表され、後の同年十月に刊行された単行本小説集「ルネタの市民兵」に収録された。底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 以下、少し、事前に言っておくべきことと、語注をネタバレにならぬように附す。

 初っ端から躓く若い方がいるかとも思われるので、最初に言っておくと、冒頭(二段落目)に登場する「水野国手」の「国手」は名前ではなく、「水野医師」の謂いである。「国手」は「こくしゅ」で、「国を医する名手」の意味であって、「名医」或いは「医師の尊称」である。但し、この語には別に各種の技芸に於ける「すぐれた名人」、中でも特に「囲碁の名人」を指すことがあり、梅崎春生は囲碁が好きであったから、以下は想像だが、この水野医師も実在のモデルがおり、その人物は囲碁仲間で、しかも相応な囲碁力を持っていて、職業は医師であったという、読者には伏せた楽屋落ちの含みをも持たせてあるのかも知れない。なお、正直、私自身、この語を使ったことはない。因みに「国手」の由来は、原始人氏のブログ「原始人の見聞」の『「国手(こくしゅ)」の由来』によれば、春秋時代を対象とした史書「国語」(著者は「春秋左氏伝」の著者とされる魯(紀元前十一世紀~紀元前二五六年)の左丘明であると言われているものの定かではない。但し、古くから本書は「春秋左氏伝」の「外伝」であるとする説が唱えられており、「漢書」の中では「国語」のことを「春秋外伝」という名称で記している)、の『中に「晋(しん)の平公(へいこう)が病気になった時、秦(しん)の景公がこれを聞き、医師を遣わして診察をさせたことがあった。その際に趙文子(ちょうぶんし)という人が』、『「一国の王様を治療するのだから医が国に及ぶ訳ですね」と申し上げると、景公は「全くその通りだ。上医は国を救い、その次のものは人を救うものだ」と答えた」とあり、それから名医のことを「国の病を治すほどの名手」だと尊敬して「国手」と呼ぶようになったという』とある。

 また、本作の、特に前半部には、そのロケーションや登場人物の特異性と、書かれた時代の限界性とから、差別的な言辞・表現・描写がかなり出現する。また、登場人物の不適切にして差別用語をも含む感懐が語られる場面もある。また、現行では、患者に対して差別的であると同時に当該疾患を示すのに医学的にも不適切であるという理由から、廃止されて新たに改称されたり、今は使われることが少ない旧疾患名も出てくる。それらについては、批判的視点からの読解をなされるようにお願いする(ネタバレになりそうな具体的なそれらについての語注は作品の最後に後注として置いておいたので、読後に、必ず、読まれたい)

 「エレクトロンのアトム」というのは「電子」を意味する“electron”(或いは“elektron”)、「原子」を意味する“atom”で、恐らく登場人物は原子構造の模型に於ける電子殻(でんしかく:electron shell)、所謂、原子核を取り巻く電子軌道或いはその複数の集まりをイメージしたものであろう。この人物、もとは相応の知識人かとも思われる。

 「麻葉模様」(あさばもよう)は、基本形は正六角形の幾何学模様である。グーグル画像検索「麻葉模様」をリンクさせておく。

 「焮衝(きんしょう)」とは、身体の一局部が赤く脹れて、熱を持って痛むこと。「炎症」に同じい。

 「配給」とあるが、戦後の配給制度(米穀通帳による米分配販売配給が減衰する時期)は本作が発表された翌昭和二十五年から二十六年(一九五〇年~一九五一年)頃までは未だ残っていたのである。

 因みに言っておくが、私は、本作を非常に高く評価している。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1220000アクセスを突破した記念として公開する。【2019年5月11日 藪野直史】]

 

 

   囚  日

 

 敷地が数万坪もあるというこの脳病院には、数百人の気の狂った人がいるという話であった。比較的軽症の人々は、敷地内の農耕にでていて、鍬(くわ)を使ったり収穫をはこんだりする姿が、遠くに見えた。重症の患者たちは、みな病棟に閉じこめられていた。空模様の面白くない午後であった。鉛色に垂れた雲のしたに、コの字型の病棟が、道をはさんでいくつも建っていた。

 水野国手に案内されて、病棟のなかをつぎつぎ、私たちは見て廻った。水野国手は白い清潔な診察着をつけ、廊下をゆっくりと先にたってあるいた。時々たちどまって、病室の患者と問答をかわし、私たちを振返って、その患者の病状をしずかな声で解説した。

 頑丈な扉のついた病室ばかりの棟があった。扉には銃眼に似た刳抜窓(くりぬきまど)があり、内部がのぞけるようになっていた。発作のはげしい患者などが、ひとりひとりそこに入っていた。扉の厚さは五寸ほどもあった。なかをのぞくと、布団にくるまって寝ていたり、またいきなり起き上って、顔を窓のところに持ってきたりした。そして訴えることは、訴えのなかだけで論理が通っていて、私たちの世界とは、ある一点ですさまじくかけ離れていた。この廊下には、動物の檻(おり)のようなにおいが、うっすらとただよっていた。麻痺性痴呆や、躁欝病や、分裂病の患者たちであった。そういう患者を、ひとりひとり見てゆくうちに、見ているこちらが狂っているのではないか、という錯覚に私はふと落ちたりした。廊下は乾いているにもかかわらず、踏むスリッパは、なにか濡れたものを引きずるような音をたてた。

 女ばかりの病棟があつた。

 うすぐらい一室の扉のかげに、わかい裸体の女が、顔を膝に埋めてうずくまっていた。一片の衣類もつけぬその裸体は、つめたく均勢がとれていて、むしろ陶器じみた白さであった。一切の物音から遮断されたかのように、それは身じろぎもしなかった。

 廊下の角に、いきなり声をあげてうたい出す女がいた。小刻みに身体をゆすり、身振りを交えながら、私たちのあとを追ってきた。女の顔は忘我的な陶酔のいろを濃く浮べ、瞳は色情をふくんで軽やかにうごいた。これほどたのしそうな歌声を、私は長い間、聞き忘れていたような気がした。

「躁病の爽快感情ですね」あるきながら水野国手が静かに言った。「あのひとは、発作が起きそうになると、自分で判って、進んで入院してくるのです。発作にも周期がありましてね、もう何回目の入院でしたかしら」

 眉をひそめた生真面目な表情で、忙しげに廊下の端をすりぬけてゆく中年の女もいた。襟(えり)には手巾(ハンカチ)をあて、歳にしては地味すぎる着物を、引き詰めるように着ていた。付添いの女かと思うと、これも患者なのであった。

 廊下をひとめぐりして、もとの入口にもどってくると、私たちは靴をはき、道をよこぎつて、また次の病棟に移って行った。その道をあるいていたり、入口の石段に腰かけて休んでいたりする男たちが、あれが軽症患者なのか、看護人なのか、私には見分けがつかなかった。私自身にしても、水野国手と同道でなかったら、他からはどう見えるかは判らなかった。その考えは幾分、私の心を寒くした。しかしそんなことを感じるのは、私だけであるらしく、数万坪のこの区域内に居住する人々は、おおむね他人の生き方に無関心なふうであった。放心とか黙殺というのではなく、もっとつめたく澄んだ無関心が、ここ全体を支配していた。

 大きな病室がつらなっている病棟では、ひとつの病室に、十人も十五人もいて、思い思いの姿勢で、じっと動かなかった。布団をかぶって寝ているのもいたし、壁に倚(よ)ったままにぶい眼を私たちにむけるのもいた。みな欝然として表情をなくし、自分の世界にとじこもっているようであった。病室をでて、中庭に休んだり、なんとなく廊下をゆききしているのも少しはいた。その一人は、私たちが廊下にふみ入ったとたんから、水野国手のそばにくっついて歩きながら、しつこく同じことばを操りかえしていた。

「ねえ。よその病棟にうつして呉れませんか。ここは面白くないですよ。ねえ。お願いしますよ」

 十秒ほどの間隔をおいて、同じ言葉を同じ抑揚で、まるで同じところを廻転するレコードのように、この男は早口に発音するのであった。しかし男の顔には、その語調ほどの切実な表情はうかんでいなかった。相手にされなくても、ただその言葉を、飽きず繰りかえすだけであった。

「ねえ。よその病棟にうつして呉れませんか。ここは面白くないですよ。ねえ。お願いしますよ」

 気持の重さをやや感じながら、私も水野国手のあとをあるいた。先に立つ水野国手の襟足は、わかわかしく脂肪をのせていて、なにか疲れを知らぬ、つよい精気のようなものが感じられた。医者という職業人が、ほとんど例外なくもつ、あの肉体的な感じであった。曲角の病室にくると、また水野国手は立ちどまって、廊下から部屋のなかに、しずかな声で話しかけた。

「どうだね。加減は?」

 話しかけられた男は、入口近くのすぐ下にうずくまり、布団をからだにぐるぐる巻きつけ、茸(きのこ)のように首だけを出していた。こちらに顔をあげて、のろのろとなにか答えた。男の答える言葉は、ひどく辛そうであった。唇のあたりに、亡友の死霊が憑(つ)いていて、どうしても離れず、それがいろんなことを命令するというのであった。

「……今朝からも、芋を食うな、食うちゃならん、と命令するもんですから、どうしても食べられんで、朝食も昼食も、まだすこしも食べずにおります……」

 くるしそうな声で、とぎれとぎれ言いながら、その男は片掌をあげて、黄色く褪(あ)せた唇の辺をはらうようにした。男の眼は、内側に折れまがったような暗い光をおびて、ちらちらと水野国手にむいて動いた。顔色は不自然なほど黄色で、すこしむくんでいた。自分の症状を正確にはなすことで、自分の苦痛をすこしでも柔らげることが出来るかのように、男はくるしそうに掌をふりながら、質問にこたえて、くぎりくぎり発音した。

「……なんと言ったらいいか……ここらあたりに……霧のような……もやもやとして……エレクトロンのアトムのような……そんな形になって……それがしょっちゅう私のここのところを……」

 男の指はふるえながら、しきりに唇の辺を探るふうにうごいた。水野国手の肩ごしに、私はその男を、そして身体に巻きつけた布団の柄を見おろしていた。その布団は、ところどころ生地がやぶれ、うすくなった綿が、ちぎれた旗のように垂れさがっていた。布もひどくよごれ、褪色(たいしょく)していたけれども、それはたしかに、青い地に白の麻葉の模様であった。その色調や模様と同じものが、とつぜん記憶の中からよみがえって、つよく私の心を射た。

(――ああ、あれは石狩の布団とおなじ模様ではないか――)

 まぎれもなく、同じ布地の布団であった。その布団を、まとめて千五百円でしか引取れないという古道具屋に、私は二千円で買えと、しつこく言いつのっていた。それは一週間ほど前のことであった。立合っていたわかい刑事は、腕組みをしたまま、にやにや笑っていたし、老人の古道具屋は、布団と本箱と古外套など合せて、六千円以上はだせないと、古物商特有の声を殺した口調で、頑固にくりかえした。

「コミじゃ困るんだ。別々に値をつけて」

「別々にしても、布団は千五百ですよ。結局は同じ値でさ。旦那」

 これらの品物の持主が私でないことを、ほんとの持主は警察に行っていて、当分戻る見込がないから、品物を処分していることを、この老人は知っているらしく、自分の言値をさらに動かす気配は見せなかった。その布団であった。その布団と同じ模様が、この怨霊(おんりょう)に憑かれた狂人の身体をくるんでいたのである。

「ええ。ええ」

 この男はほとんど泣きだしそうな声で、水野国手の質問にこたえていた。

「……それは、それは判っておりますが、それでも、なんだか、必ずたたりがあるような気がして……」

 声がだんだん小さくなって、そのまま麻葉模様に、顔をくるしそうに埋めた。もうなにも開いて呉れるなと、言っているように見えた。

「分裂病の病状としても、まだ初期ですから、幻覚じゃないかと言うと、あんな具合に反応するのですが――」

 廊下をあるきだしながら、水野国手が低い声で言った。

「これが進むと、すっかり自分の妄想の世界に入りこんでしまって――」

 つぎの大きな部屋には、私たちが廊下を通っても反応を示さない、うずくまったままの患者が何人も住んでいた。それらはなにか鉱物のように、ばらばらに孤立した感じであった。水野国手の指が、それらを漠然と指さした。

「ついには、あんな具合に、感情が鈍磨荒廃して、全く無為の状態になってしまったりするのです」

「――みんなああいう風になるのかね?」

 暫(しばら)くたって私の連れが、そんなことを聞いた。

「それが多いんだね」

 病棟の入口までもどってきたので、スリッパを靴にはきかえながら、水野国手はすこし陰欝な調子になってこたえた。

「彼等が閉じこもっている世界が、どんなものであるか、これは誰にも判らないんだよ。分裂病患者は、同一人に対して、愛と憎しみといったような、正反対の気持を同時に感じたり、また同時に泣くことと笑うことが出来たりするんだ。医者の方で、両価性と名付ける特性なんだが――」

 石階を降りて、鉛のような雲のいろを映した道に、私たちは出た。水野国手は道ばたにしばらく佇(たたず)んで、くろずんだ病棟の列をながめていた。

「――もう、こんなものですよ。あとの病棟も、同じようなものですよ」

 すこし経(た)って、水野国手がぼんやりと私にそう言った。その端麗な顔には、ふしぎな退屈の色が、つよく浮んでいた。それは、私の気持で、そう見えたのかも知れなかった。長い廊下をつぎつぎにあるいて、異様な緊張が私に持続していたにも拘らず、ある退屈感が私の胸に重くひろがっているようであった。なにかしなければならないことを、やり残しているような、そしてそれを忘れて思い出せないような、へんにはっきりしない気分が、鈍く私を押しつけてきた。

「ええ。もう結構です。これで大へん勉強になりました」

「――医局に行って、脳外科手術の器械などごらんに入れますか」

 もとの静かなはっきりした態度になって、水野国手がそう言った。

 本館にむかってあるくとき、すれちがって水野国手に頭を下げる軽症患者の、三人にひとりは、前頭部の両側に、うすい傷痕をつけていた。水野国手はいちいち会釈をかえしながら、また時には声をかけたりした。

「ちかいうちに、ここで演芸会をやりますよ。見にきて下さい」

 水野国手はそんなことを私に一言った。この病院のなかだけでやる会で、患者ばかりが出演する劇もあるそうであった。それを聞いたとき、焮衝(きんしょう)に似た感じが、私の胸の底をはしった。

「患者だけでもやれるのかい?」と私の連れが聞いた。

「やれるさ。軽症の患者だから」水野国手は連れの方をむいて答えた。「精神病というと、なにもかも僕らと違うと、君はかんがえているんだろう」

 本館の裏口から、看護婦がふたり、話しながら出てきた。背景が暗いので、それらは白く鮮かに浮き上って見えた。私たちはその方向へあるいた。

 

 郵便局によるために、新宿で私は連れの友人に別れた。別れると直ぐ、郵便局へゆくのも物憂くなって、また戻って友人の姿をさがしたが、人混みにまぎれてもう見当らなかった。この友人が水野医師と知合いで、今日見学に私を伴ってくれたのである。

 狭い鋪道の人混みを、私は反対の方角へのろのろ動きだした。人の進みが、いつもよりのろいような気がした。大きな建物が、ところどころ曇天をくぎっていて、その谷間にあたる小さな店に、おいしそうな麺麭(パン)がたくさん積まれていた。買おうかな、とふと思い、立ち止りかけたが、うしろから押されるまま、ずるずると通りすぎた。身体の芯(しん)が疲れているようで、気持を強く保つものが、私から失われているらしかった。はっきりしたあてもなく、大通りをそれて、私は横町にあゆみ入った。

 ある喫茶店に腰をおろして、私は珈琲(コーヒー)をのんでいた。珈琲はへんに甘たるかった。この契茶店は、両側の壁に椅子をならべてあるから、客たちはそれぞれ壁を背にして向きあうようになっていた。七八人の客がばらばらに腰かけていた。脚を組んだり頰杖をついたり、飲物を飲んだり莨(たばこ)をすったりしていた。鉢植の葉の影が、黄色の壁におちていた。お互につながりを持たぬ人々がかもしだす、ある一つの感じがそこにあつた。客が出て行ったり、新しく入ってきたりすると、その感じは揺れうごくが、やがて水面が波紋を消して倒影をとりもどすように、またもとの感じがたちかえってきた。

 遠くから流行歌が聞えていた。何かの具合で、聞えたり聞えなくなったりした。聞いたことがあるような節だと思うと、それはあの躁病の女がうたった同じ歌であつた。すると濡れたように重いスリッパの感じが、私によみがえってきた。つづいて私は唇に死霊がついた男の顔を思いうかべた。あの顔はむくんで、この喫茶店の壁のような色をしていた。とぎれとぎれにしゃべる声が、耳のそばで聞えるような気がした。

 そうだ、ととつぜん思い出した。あの男の口調が、なにか心にからみついたのも、私の故郷の訛(なま)りがそこにあったからであった。実際に聞いていたときに、なぜ私はそれに気が付かなかったのだろう。あの時、鼓膜にだけとどまっていたものが、今になって意識にのぼってきたのは何故だろう。

 あの病院は配給の関係上、患者を都民に限っていたから、あの男も私と同じ故郷から東京にでてきて、まだ訛りもとれないうちに発病して、そして病院に収容されたにちがいあるまい。どんな経歴の男か知るよしもないが、あまりゆたかでない証拠には、あれは公費患者の病棟であったし、そしてあの布団も、破れ目から綿がちぎれかけていた。布団の麻葉模様も、大きな汚れた蜘蛛のような形に見えた。

(布団まで売り払らったというのも、下獄の決心をしたからに相違ないのに、なぜ今となって、保釈をたのむような気特になったのか?)

 あの布団や道具をみんな整理して金に換えてくれと、最初に面会に行ったとき石狩は、直ぐ私に頼んだのであつた。留置場の食事は充分でないので、他から補充するために金を必要とするのかも知れなかったが、布団まで売る気持というのも、五年や七年の下獄を覚悟したからにちがいなかった。それだのに係りの刑事から、本人が保釈をつよく希望しているという連絡があったのは、昨日のことであった。その時私は、石狩の部屋で売れのこつたがらくたの中から持ってきた、彼の小説原稿をばらばらと拾い読みしていた。それはこういうところであった。主人公が暗い夜、北陸のある町をあるいている時、うしろから歩いてくる二人の男の会話を、ふと聞くともなく聞く場面であった。

 

「ええ、もう気持が駄目かと思った――」

「逃げれはよかったんだよ――」

「ええ、ほんとに逃げたいと思ったんです……だが――」

 くるしそうなほそい声だった。

「だがもなにもないよ、実行だけだよ此の世で通用するのは。逃げたいと思ったら逃げれはよかったんだ!」

 

 電話口にたって、保釈にかんする刑事の連絡をきいたとき、私ははげしい昏迷のようなものを感じた。

「保釈って、そんな簡単にできるものかしら。本人はどう言っているんです?」

 石狩が犯した罪というのは、強盗なのであった。一度は二三町離れた医者の家で、妻女をおどして六千円盗り、一度は四五軒はなれた家に入って、千円ほど盗ったというのであった。両方とも主人が留守の家であった。医者の家では、夜中に主人が往診にでかけるのを見すまして、玄関から押入ったのであり、あとの方は、主人が社用で遠方に出張していて、妻女と子供だけの留守宅であった。そのどちらも、彼は浴衣がけで、玄関にちやんと下駄を脱いで入って行った。面を覆うという細工もしなかったから、顔の特徴も見覚えられてしまっていた。すぐ近所に押入るというのに、覆面もしないというのは、なんという無計算だろう。しかもまるで招かれた客人のように、玄関にきちんと下駄をそろえて、捕縛されるのを予定しているようなふるまいであった。

「あなたにただそう連絡してくれという本人の話なんです」

 電話の声はそれだけであった。電話を切って部屋に戻ってきて、莨(たばこ)をいらいらと吸いつけながら、私はかんがえていた。

(――保釈で出てきて、何をやろうというつもりだろう、あの男は)

 保釈で出るとしても、いずれ刑の執行をうけねばならぬから、身の自由な期間もごく短い筈であった。それを石狩が知らぬわけがない。また保釈願いを出したとしても、再犯の危険なしとして、許されるかどうかは判らないことであった。そういう可能性のすくない保釈にまでたよって、束(つか)の間(ま)の自由を得たいというのは何だろう。警察に面会に行ったとき、留置場から刑事部屋へ呼出されてきた石狩の、くらい不気味な感じの眼を、私は思いだしていた。それはごく特徴のある眼のいろであった。

「うちには知らさないで」押しつけるような低い声でそう言った。「絶対にうちには知らさないで呉れ。心配させても仕様が、ないんだから」

 友人か誰かに会いたければ連絡しようか、と私が言ったとき、石狩はそれが聞えなかったのか、眼を宙に外(そ)らして、とつぜん早口で別のことを言った。

「あ。僕はやましくないんだよ。やましい気持はない」

 石狩の両親は、北陸のちいさな町にいて、鍼灸(はりきゅう)を業としていることを、私は聞いていた。父親は盲人であるし、母親もほとんど視力がなくて盲人に近く、だからそこの台所なども、よその家の台所とちがって、器物や棚の配置が、手探りに便利なように出来ているということであった。視力の欠けた者同士が、一緒になれるものかどうか、石狩の話を私はふと疑ったけれども、台所の話では、それは本当なのかも知れなかった。そういえば彼と相知ってから、私がよんだ七八篇の彼の小説はことごとく、ほとんど生理的な暗さに満ちていた。出生のくらさを底に秘めているようであった。そして近頃のものほど、その傾向がつよかった。光からわざと自分をしめ出すような作品が多かった。その頃から石狩は、自分の行手にくらい罠(わな)を感じていたのかも知れなかった。しかし石狩にとっては、小説そのものも暗い罠である筈であった。あの無計画な衝動に身をまかせたことが、彼にあっては、あのような小説を書き綴ることと、どう違うのだろう。違うと誰が言いきれるだろう。

 しかし石狩が、自分はやましくないと早口で言ったとき、私は聞えないふりをして、窓の外を眺めていた。しばらくして、金が要るかと私が聞いたとき、石狩は直ぐ、その時は自分の布団や道具を売払ってくれ、と私にこたえた。それは始めから考えていたような口振りであった。だから私はその日、刑事といっしょに石狩の部屋にゆき、古道具屋を呼んで、売れるものはみな売払った。復讐に似た感じが私にあった。古道具屋に、もすこし値良く買えと言いつのったのも、石狩の為をかんがえた訳(わけ)ではなかった。石狩が多くの金を得ようと得まいと、私の気特に関係はなかった。

 値段の折合いがついて、私たちは外に出た。古道具屋はリヤカーに荷をつんで、先をあるいた。布団はその一番上にのせられてあった。麻葉模様が白い蜘蛛の形にかんじられたのも、その時であった。私はあるきながら、金を刑事に手渡し、石狩にわたして呉れるようにたのんだ。石狩を逮捕したのは、このわかい刑事である。石狩にちがいないと目星をつけて、この刑事は四晩つづけて石狩の部星の窓のしたに、見張りをしていたということであった。あるきながら刑事はその時の話をした。

「二度やったんだから、また必ずやると思ってね。夜の九時頃から暁方まで、植込のなかに四晩張込みましたよ」

「その四日間は、彼は外に出なかった訳ですね」

「出なかったね。しかしあれはどうも変でしたよ。四晩とも、あれは三時ごろまで起きていてね。なにしてるかと思って、ときどきそっと窓から覗(のぞ)いてみたんだが――」

 石狩は机の前にすわって、本も読まず何も書かず、ただ眼をひらいたまま、いつ見てもじっとしていたという。何時間も何時間も、同じ場所にすわったまま、どんなことを石狩はかんがえていたのだろう。あの特徴のあるくらい眼を見ひらいたまま、彼が見ていたのはどんな世界なのだろう。それはもう救いというものがない世界にちがいなかった。今日脳病院で、ほとんど外界に反応をみせない分裂病患者をみたとき、私がすぐ思いうかべたのは、深夜の部屋にすわって、壁をながめている石狩のすがたであった。その石狩のすがたは、実際に私が見たわけでないにもかかわらず、眼底に鮮烈に浮き上っていた。あの時の刑事のかんたんな叙述が、私の胸にやきついていたのだ。

「――どうもあの眼は変だね。木莵(みみずく)の眼みたいな感じがしてね……」

 私はその日、刑事と途中でわかれると、心を決めて、その足で郵便局へ行った。そして石狩の実家あてに、電報を打った。そうすることに、気持の抵抗がない訳ではなかった。しかし家に知らせるなという石狩の言葉も、彼の根源のところではなにも意味がないのではないか。そう自分に言いきかせることで、私は電文を一字一字したためた。郵便局の備えつけのペンは、先が割れていて、粗悪な頼信紙はざらざらとささくれ立った。石狩がいま避けようとしている実家とのつながりを、この電文が一挙にむすびつけてしまうのだと、私は考えた。あるいはこのことが、彼の唯一の救いになるのかも知れない。しかしそう思うことは、私にひどく苦しかった。自分で嘘をかんがえていると思った。そして自分がそのつながりの中にいることが、私の心を重くした。私の気持は、ひどく退屈しているときの感じにそっくりであった。発信人の名前をしるすときに、ためらうものがあって、私は私の名を書かなかった。石狩の件について話があるから、あの警察まで来てくれ、という意味をつづり、名前は書かなかった。盲目の両親は、この電報をうけとって、どうやって読むのだろう。だれか晴眼のひとにたのんで、読んでもらうのだろうか。発信者のないこの電文を、ふた親はどういう心の状態でうけとるのだろう。それを想像したとき、軽い悪感(おかん)が身体をとおりぬけるのを私は感じた。

 

 石狩が保釈をのぞんでいる旨の電話を、あの刑事から受けたとき、まず私の頭にきたのは、親が上京したにちがいないということであった。しかし電話口で私がただしたところによると、その様子はなかった。それが私をすこし不安にした。電報は五六日前に、実家にとどいている筈であった。しかし盲人ゆえ、仕度に手間どるのであろうし、付添いの晴眼者も必要なのだろう。まだ上京していないとすれは、石狩のいまの心を揺り動かしているものは何だろう。あの時布団まで売払ったというのも、身の果てをそこに感じたからではなかったか。

(――両親に知らせてくれるな、と言った石狩の気持を、どう考えたらいいのか?)

 実刑を宣告され、執行されるときになれは、原籍地に通知がゆくことは、すぐ考えられることであった。あるいは石狩は、保釈で出る機会をつかみ、別の身の果てをかんがえているのかも知れないと思ったとき、強い疼(うず)きのようなものが私の心に起った。それはあの日、石狩の布団を売払ったときの気特にも似ていた。あの時の石狩の口吻(こうふん)は、直ぐ金が必要というのでもなさそうであった。いずれ機を見て金にかえてくれという語調であった。それにもかかわらず私は即日、刑事に立合いをたのみ、追っかけられるように一切を古道具屋に渡してしまった。そうすることによって、石狩がおちた罠の食いこみ目を、更に決定的にするかのように。すべて断ち切らせることで、彼の不幸が不幸でなくなるかも知れぬと、気持の表面だけでそのとき私は考えたが、しかもその足で、私は郵便局に行って電報を打ったのであった。それ以後は一度も石狩に面会しに行っていない。なにもかも放ったままであった。そういう自分の行動を、私は論理づけてとっている訳ではなかった。追われるように私はそうしていた。

 坂田という友人が、石狩に面会しての帰りだといって訪れてきたとき、先ず私が聞いたのはそれであった。

「保釈のことをなにか言ってたかね」

「そんなことも言っていた」

「どういうつもりだろうな、あれは。どうも判らない。おれはやましくない、と言やしなかったかい。おれのときは言ったけれど――」

「やましくなければ、保釈をねがわないだろう」

 坂田は考え考え、吟味するような口調で言った。坂田とはそんな言い方する男であつた。坂田は私と石狩の共通の友人で、どこかの小役人をつとめていた。

 この時私は脳病院で、この病室は不愉快だから変えてくれと、執拗(しつよう)に水野国手につきまとっていたあの患者を、ふと考えていたのである。あんなに執拗に言っていても、あの患者は常住それを感じているのではなく、医師の顔をみたとき、そんなことを思いついて繰り返しているにすぎないと、水野国手の説明はそうであった。石狩がその類だと思うのではなかった。ただ留置場が石狩にとって不愉快な場であるとしても、保釈で出てきた社会が、彼にとって不愉快な場でないとは、断言できないことである。むしろそれが不愉快な場であることは、彼が身をもって実験ずみの筈であった。

「保釈もあきらめさせるがいいだろうな。薄情のようだけれど」

「そうだな。それも相談してからだろう。おふくろさんも丁度上京したし――」

 今日坂田が石狩と面会していたとき、母親が刑事部屋にたずねてきたというのであった。そしてそこで始めて、石狩の犯罪を知った訳だった。それだけ言うと、坂田は口をつぐんで私を見た。つめたいものが身体を走りぬけるような気がした。

「今日出京してきたという訳だね」

「おふくろさんは眼が見えないということを、君は知ってるか?」

 知っていると私が答えると、坂田はなにか面白くなさそうな表情でうなずいた。

 坂田が帰ったあとで、私は気持がひどくだるい感じがした。退屈感に似たしらじらしさがあった。坂田が私のところに寄ったのは、石狩の伝言があったためだった。私に話したいことがあるから、一度来てくれという伝言であった。その言葉が、坂田だけとの面会中に話されたのか、母親が加わってから話されたのか、言わないままに坂田はかえって行った。母親が来ない前の言葉なら、母親が来たということで、意味がなくなったかも知れないとも考えたが、また新しく私に話したいことが出来たのかも知れなかった。私は石狩にかかわりを持つ自分を、微かにうとむ気分におちながら、また逆に、駆りたてられるような落着かぬ気特にもなった。

 身仕度をし、私は新宿にでて行った。そしてはっきりしない心持のまま、そこらをあるいた。あるきながら眼についた店で、ふくらんだ麺麭(パン)を三個買い求めた。石狩のところに直ぐ面会に行こうと、釣銭を待ちながら、ぼんやり私は考えていた。しかしこの麺麭も、石狩に食べさせようというはっきりした気持ではなかった。街では広告塔のような方向から、流行歌のにごった旋律がながれていた。あの脳病院の帰りに、横町の喫茶店に寄った日を、私はふと思いだした。

 ――脳病院だってあの喫茶店だって、似たようなものさ。

 人混みを縫って駅の方にあるきながら、そんなことを私は思った。その中にいる人たちが、お互に無関心で生きているという相似を、私はあの日も感じていたのであった。無関心で生きているというのも、ひとりひとりが他からは理解されない世界を、ひとつずつ内包しているせいなのだろう。その世界がだんだん歪んできて、この世の掟や約束を守れなくなると、人は脳病院に入ったり、刑務所に入ったりするのだろう。

 警察まで、電車で一時間かかった。警察は広い鋪装路に面した古い建物であった。玄関の脇から入り、逃亡防止の金網塀に沿ってすすむと、狭い廊下のむこうが刑事部屋であった。時刻が夕方であつたから、面会できるかどうかは判らなかった。あのわかい刑事がいれば、取計ってもらえるかも知れなかった。私は廊下に立ち、すこし背伸びして、部屋のなかをのぞいた。薄暗い部屋のなかには七八人の人間がいるらしかったが、眼の慣れない私には、よごれた硝子窓を通して、それはちらちら動く影であった。その影がしだいに私の限界に形をさだめてきて、私は机にむかって椅子にかけた小さな人影をとらえた。それは小さく黒い姿であつた。ある予感が私の胸をついた。

(石狩の母親か?)

 すこし背を曲げて机にむかっていた。そばに立っているのは、あの若い刑事に似ていた。視線をそこに定めたまま、私は身体をすこしずつずらせて、刑事部屋の扉のところまで来た。扉は半開きになっていた。押すとギイと軋(きし)んで、そこらにいる三四人が私の方を見た。椅子のそばに立っているのは、やはりあの刑事であった。

「あ、ちょっと」

 ちらと私の方を見て、手で制するようなしぐさをした。それも無意識でやったような軽いそぶりであった。椅子にはひとりの老女がかけていた。閾(しきい)に立って私はそれを見た。老女の手の指は机の上の白いものに触れていた。顔は半分伏せるようにして、眼のあたりは暗く影に沈んでいた。机上の白いものは、用箋じみた紙であった。横窓から入る夕方のあわい光がそこに落ちていて、紙面には黒い点のようなものが無数にちらばっていた。老女はその上に指をまさぐらせながら、顔をそこに近づけるようにした。

 ――点字電報だ、と私は直覚した。とたんに身体のどこかがばらばらに散らばるような不快な感覚が、私をはしって抜けた。それは石狩の母親にちがいなかった。そしてそれが、石狩の父親からの電報であることがすぐ胸にきた。すると紙の上にちらばった点々が、急におそろしいものとして、私の眼にせまってきた。老女の細い指が、確めるようにそこを動いた。

(このまま、帰ってしまおうか。石狩に会うのはこの次にして――)

 麺麭のつつみを振ったまま、私はそう考えた。ひとつの帰結をこういう形で見ることが、私に堪え難い感じを起させたのであった。ある無残な感じが、凝結してそこにあった。しかしそれは私の罪でもなければ、誰の罪でもなかった。老女の盲(めし)いた横顔から眼をそむけて、私は身体をうしろにずらした。

 

[やぶちゃん後注:「麻痺性痴呆」「進行性麻痺」「進行麻痺」という疾患名もあるが、一般人は「痴呆」にのみ目が行って心因性精神疾患と誤認する傾向があるので、ダイレクトであるが、「脳梅毒」の方が誤解を受けない病名であると私は思っている。脳実質が梅毒トレポネーマ(細菌ドメインのスピロヘータ門 Spirochetesスピロヘータ綱スピロヘータ目スピロヘータ科トレポネーマ属梅毒トレポネーマ Treponema pallidum)に侵されることによって発症する病気。梅毒に罹患してから数年から数十年ほどを経て後、梅毒の第二期及び第三期に出現する梅毒性脳膜炎(例外的に脳脊髄液に病的変化が認められるだけで他の症状を殆んど示さない無症候性神経梅毒もある)。第二期の場合は発熱・意識混濁・譫妄(せんもう:中・軽度の意識障害に加え、幻覚・妄想・運動不安などが加わった精神状態を指す)などの急性脳炎症状が強く出現し、第三期になると、他に性格変成・認知障害などの精神症状が強く現われ、正常な思考が不可能となり、末期は痴呆状態となる。完治は期待出来ない場合が多い。大正六(一九一七)年に野口英世が患者の脳からトレポネーマを発見し、疾患の原因究明に役立ったのみでなく、精神病に対する理解やその疾病分類学に大きく貢献した。進行麻痺は、嘗つては、精神科入院患者の二十%をも占め、統合失調症(後注参照)に次ぐ位置にあったが、梅毒罹患防止対策の進歩とともに患者数が減少し、日本では現在、殆んど発生することがなくなっている(以上は複数の百科事典を参考にして記載した。以下の二つも同様である)。著名人では哲学者のニーチェ、画家のヴァン・ゴッホ、小説家ギ・ド・モーパッサン等が高い確率でそれに罹患していたと考えられている。

「躁欝病」現行でも一般人や医師(患者や家族に判り易いため)もこの病名を現役のように用いているが、これは最早、病名としては古称であって、現在は「双極性障害」(Bipolar disorderと呼ぶ。有意な躁状態の時期と抑鬱状態の時期との病相を循環する精神疾患である。原因は外因性(或いは身体因性)・内因性・心因性(或いは性格環境因性)と多様であるが、一部の発症事例では遺伝的素因の可能性も指摘されている。

「分裂病」現在は「統合失調症」と呼び、「精神分裂病」の呼称は今は廃されており、使用してはならない。本邦では永く、かく呼ばれてきたが、もっとひどい呼称では「早発性痴呆」もかなり命脈を保った。思考・知覚・感情・言語・自己の感覚及び行動に於ける他者との歪みによって特徴づけられる症状を持つ精神疾患名(というか、原因(推定)や症状・病態遷移・器質的変化などによって明らかに異なる疾患の場合があるように見えることから「統合失調症候群」という方が私は正しいと考えている)。一般的には幻聴・幻覚・異常行動などを伴うが、罹患者によって症状は多種多様である。遺伝と環境の両方が関係しているが、現在では遺伝的要因の影響が大きいと考えられているものの、不明で、現代医学の一つの大きな壁とされる。欧米語の「スキゾフレニア」(英語:Schizophrenia/フランス語:Schizophrénie/ドイツ語:Schizophrenie)も元はギリシャ語由来の「schizo(分離した)+ phrenia(精神)」であるが、新称は、古くからの精神科医の本症状の観察の共通項である「思考の途絶」(思考が自分の意志に反して突如絶たれてしまうように感じられること)と「自生思考(じせいしこう)」(相互に無関係な考えが次々と浮かんでくることで思考が全く纏まらなくなったり、自身の意志ではなく、ある考えが自然に浮かんできて、それが異常な連想で以って繋がって拡大してゆく(関係妄想))という病態に基づいた新語として変更されたものである。ウィキの「統合失調症」によれば、本邦では当該疾患への理解が進まず、『患者の家族に対して』も『社会全体からの支援が必要とされておりながら、誤った偏見による患者家族の孤立』『も多く、その偏見を助長するとして』、『患者・家族団体等から、病名に対する苦情が多』くあり、『また、医学的知見からも「精神が分裂」しているのではなく、脳内での情報統合に失敗しているとの見解が現』わ『れ始め、学術的にも分裂との命名が誤りとみなされて』、二〇〇二年の「日本精神神経学会」総会で、『Schizophrenia に対する訳語を統合失調症にするという変更がなされた』とある。

「脳外科手術の器械」本作冒頭では「脳病院」とあり、後の病院内の様子からも判る通り、ここは精神病院であって、脳外科の専門病院ではない。但し、脳外科医はおり、脳外科の術式も行なうから、手術道具はあるということである。従ってここで言う「脳外科手術」というのは、この当時、精神疾患に有効とされた脳に対する外科的外部的術式を行う器具を指していることが判る。さすれば、時代的に見て、その「器械」とは、極めて高い確率で、かのおぞましい呪われたロボトミー(lobotomy:前頭葉白質切断術)の器具がそこにはあった可能性がある。まぶたの下から、単純な細く長いアイスピック状の器具(Orbitoclast当該の英文ウィキの画像)をハンマーで叩いて前頭葉まで打ち込み、それを左右に回すようにして、前頭葉を視床から切り離すという驚くべき粗野にして乱暴な術式である。かつては、統合失調症・双極性障害その他の精神疾患の内の重篤な患者に対して、抜本的な治療法として盛んに実施された。その歴史を辿ると、一九三五年、ポルトガルの神経内科医アントニオ・エガス・モニス(António Caetano de Abreu Freire Egas Moniz 一八七四年~一九五五年)が精神病患者に反復的な思考パターンを引き起こすと思われる神経回路を遮断するため、前頭葉前皮質に高純度のエチルアルコールを注入する手術を行なった。モニスはやがて脳内白質を切断する専用の器具を開発し、前頭前野と視床を繋いでいる神経線維の束を、物理的に切り離した。手術の結果にはばらつきがあったが、当時は興奮・幻覚・暴力・自傷行為などの症状を抑える治療法が他に殆んどなかったことから、この術式が広く行なわれるようになった。一九三六年、アメリカの脳神経科外科医ウォルター・フリーマン(Walter Jackson Freeman II 一八九五年~一九七二年)と同ジェームズ・ワッツ(James Winston Watts 一九〇四 年~一九九四年)が改良を加え、一九四〇年代にはごく短時間で行なえる術式を開発、多くの患者に実施した。ロボトミーを受けた患者の大部分は、緊張・興奮などの症状が軽減したものの、無気力・受動的で、意欲の欠如や集中力の減衰、さらには全般的な感情反応の有意な低下などの症状が多く現われた。しかし、こうした副作用は一九四〇年代には広く報じられず、長期的影響はほぼ問題視されなかった。それどころか、ロボトミーが幅広い成功を収めたという理由から、モニスは一九四九年にノーベル生理学・医学賞を受賞してさえいる。しかし、一九五〇年代半ば(昭和三十年前後)に入って、精神疾患患者の治療や症状緩和に有効な向精神薬が普及すると、ロボトミーは殆んど行なわれなくなった(ここは主文を「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「前頭部の両側に、うすい傷痕をつけていた」間違えては困るが、これは前に注したロボトミーの手術痕ではない。「電気痙攣療法(Electro Convulsive TherapyECT)を複数回受けたその痕である(ネット上にはこれをロボトミーの手術佷と断定する記載を複数見かけるのであるが、私の認識する限り、この位置から切開したり、器具を挿入する術式を私は知らない。そうだと言う医師がおられれば、是非、御教授頂きたい)。ウィキの「統合失調症」によれば、『薬物療法が確立される以前には』、麻酔なしで行う、過酷な『電気痙攣療法(電気ショック療法)が多く用いられてきた。これは左右の額の部分から』百ボルト『の電圧、パルス電流を脳に』一~三『秒間』、『通電』することで、痙攣を『人工的に引き起こすものである』。『電気』痙攣『療法の有効性は確立されている』『が、一方で』、『有効性の皆無も臨床実験で報告されて』も『いる』。また、嘗つて電気痙攣療法が『「患者の懲罰」に使用されていたこともあり』(私は昭和四五(一九七〇)年の新聞連載記事(私は中学二年)で、その当時でも、この電気ショックによるサディズム的傷害懲罰行為が行われていた事実があったことを読んで、激しい憤りを覚えたのを忘れない。恐らく、その当時の切抜きは今も書庫の底に眠っているはずである)、『実施の際』、『患者が』痙攣『を起こす様子が残虐であると批判されている』。『稀に電気』痙攣『療法が脊椎骨折等の危険性があるため、現在では麻酔を併用した「無痙攣電気』痙攣療法」(修正型(modified)電気痙攣療法:mECT)が『主流である。しかし、副作用や無痙攣電気』痙攣『療法の実施の際には、麻酔科医との協力が必要であることなどからして、実質的に大規模な病院でしか実施できない。現在では、この治療法は主力の座を薬物療法にその座を譲ったものの、急性期の興奮状態の際などに行われることもある』。『NICE』(イギリス国立医療技術評価機構)『は「現在の根拠では、ECTを統合失調症の一般的管理としては推奨することはできない」として』、『ECTは全ての治療選択肢が失敗したか、または差し迫った生命危機の状況のみに使われるべきであるとしている』とある。]

2019/04/14

梅崎春生 ルネタの市民兵 (サイト版公開)

最近、梅崎春生のテクスト化を無沙汰していたので、「ルネタの市民兵」を電子化しようかと、ネットに先行するそれがないことを確認していたところ、ふと、『梅崎春生「ルネタの市民兵」―〈川俳会〉ブログ』というのが気になって開いて見たところが、コメント欄に『既に電子化されている主要作品以外も、早く電子化して欲しいものです』。『下の個人サイトでも、この作品はまだ電子化されていないようですし……』とあって、その下にはなんと私のブログ・カテゴリ「梅崎春生」がリンクされているのであった。

これは……「意気に感ず」と言わずんばなるまい!

さても本未明から今までかけて、電子化した。当初はブログでの分割電子化を考えていたが、それでは上記の御仁の御希望に応えるには失礼と存じ、久しぶりにサイト版ルビ附きで作成した。 以下である。

梅崎春生「ルネタの市民兵」

2018/11/09

ブログ1160000アクセス突破記念 梅崎春生 百円紙幣

 

 

[やぶちゃん注:『日本』昭和三三(一九五八)年三月号に発表された。底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第五巻」を用いた。

 

 傍点「ヽ」は太字に代えた。以下、簡単に注する。

 

・「百円紙幣」ここに登場するのは日本銀行兌換券の「乙号券」(通称「一次百円」)と呼ばれるもので、表面に聖徳太子と夢殿、裏面に法隆寺境内図が描かれている。サイズは縦九センチ三ミリ・横十六センチ二ミリ。発行開始日は昭和五(一九三〇)年一月十一日で、通用停止日は昭和二一(一九四六)年三月二日。新円切替(昭和二一(一九四六)年二月十六日夕刻に幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行と、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策に対する総称)の際には証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行されたから、本作の発表の時点でも通用していたものと思われる。以上を参照したウィキの「百円紙幣のパブリック・ドメインの画像(表・裏)を以下に掲げておく。

 

Series_otsu_100_yen_bank_of_japan_n

 

 

 

Series_otsu_100_yen_bank_of_japan_2

 

 

 

・「はさめて呉れたんだい?」の「はさめて」はママ。後も同じ。

 

・「譫妄(せんもう)状態」意識混濁に加え、奇妙で脅迫的な思考や幻覚・錯覚が見られるような精神状態を指す。病的なものやそれに準じた拘禁性のもの、入院などによる抑制などによっても生じるし、寝ている人間を急に起こしたりした場合にも起こることがある。

 

・「西木東夫」ルビがないが、難読氏名で「にしきはるお」(五行思想の「春」は「東」である)と読んでおく。

 

・「五尺八寸」一メートル七十五センチメートル。梅崎春生も身長は高かった。

 

 本電子化は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1160000アクセス突破記念として公開する。【2018年11月9日 藪野直史】]

 

 

 

   
円 紙 幣

 

 

 

 酒癖なんて言うものは、その人の身についたものでなく、ちょいとしたことで変化するものですねえ。何かの機会で酔い泣きをすると、それが癖になってしばらく泣き上戸(じょうご)になったり、それからいつの間にか怒り癖がついて怒り上戸(じょうご)になったり、そんな具合に一定のものではないようです。

 

 今から二十年ばかり前、僕がかけ出しのサラリーマンの頃、妙な酒癖が僕にとりついたことがあります。どんな癖かと言うと、酔って戻って来て、部屋のあちこちに紙幣や銀貨をかくすと言う癖なのです。

 

 どうしてこんな困った癖がついたか。

 

 ある夜、おでん屋でいっぱい傾けながら、連れの同僚が僕にこんなことを言いました。物を拾う話から、このような話になったんです。

 

「この間の大みそかは実にうれしかったねえ」

 

「何を拾ったんだい?」

 

 と僕は訊(たず)ねました。

 

「拾ったわけじゃないんだがね」

 

 同僚は眼を細めて、たのしげな声を出しました。

 

「日記帳の大みそかの欄をあけて見たら、そこに十円紙幣がはさまっていたのさ」

 

「へえ。そいつはどう言うわけだね。誰がはさめて呉れたんだい?」

 

「誰もおれなんかにはさめて呉れないよ。はさんだのはおれ自身らしいのだ」

 

「君が?」

 

「そうなんだよ。酔っぱらって、はさんだらしいんだ」

 

 この同僚も酒好きで、泥酔するたちで、僕同様まだ独身でした。

 

「どう言うわけではさんだか、もちろんおれは覚えてないが、大みそかになって、夜ひとり静かに日記帳を開く。すると思いもかけぬ十円紙幣が出て来る。そこでおれはあっと驚き、かつ喜ぶ。その驚きと喜びを、酔っぱらったおれが期待したらしいのだね。つまりこれは、酔っぱらいのおれから、素面(しらふ)のおれへの、暮れのプレゼントなんだろうと思うんだが、どうだね」

 

 なるほどねえ、僕はすっかり感服した。感服のあまりに、僕にそれと同じ酒癖がついてしまったと言うわけです。酔っぱらって戻ってから、なるほどあの話は面白かったなあ、おれもひとつやって見よう、素面(しらふ)のおれは実にしょんぼりして可哀そうだからなあ、ひとつここに五円紙幣をはさんで置いてやるか、てな具合にかくしてしまうらしい。らしいと言うのは、素面の時にはその時のことがよく思い出せないからです。

 

 僕も同僚に劣らぬ酒好きで、酒を味わう方でなく、ひたすら酩酊(めいてい)するたちで、しかも酩酊すると前夜の記憶をさっぱり失ってしまうたちでした。金(かね)かくしの好条件が具っていたというわけです。

 

 その頃僕は独身で、アパートに一部屋を借りて住んでいました。月給は八十円か八十五円、今の金に直して三万四、五千円ぐらいなものですか。アパート代は月十四、五円です。時勢とは言いながら、今のサラリーマンにくらべて、比較にならぬほど豊かでした。だから、毎日ではないが、遇に二度ぐらいはラクに飲める。飲んで紙幣をかくす余裕もあったのも当然です。

 

 で、その頃から、僕の部屋のあちこちから、たとえば押入れの中の夏服の胸ポケットから、風邪薬の袋の中から、硯(すずり)箱の硯の下から、ありとあらゆる突拍子もないところから、一円紙幣だの五十銭銀貨などが、ぽっかりと発見される、と言うようなことが起きて来ました。机の裏に五円紙幣が押しピンでとめてあるのを、偶然な機会に発見したこともあります。しかしたいていは小額紙幣や銀貨で、何故そういうことになるかと言えば、十円紙幣などはかくしても、翌朝眠が覚めて在り金を勘定する。いくら飲んだくれでも、おでん屋なんかで飲む分では、一晩に十円も使う筈(はず)はないのですから、ははあ、昨夜かくしやがったな、と気が付く。そしてあちこち探し廻って、しらみつぶしに探し廻って見つけてしまうということになるのです。十円紙幣を探し廻っているついでに、五十銭玉を三個も四個もおまけに発見することなどもあって、たのしいと言えばたのしいようなもんですが、とにかくそれは困った酒癖でした。

 

 古雑誌をクズ屋に売り払う時でも、一応全頁をめくってしらべないと、はさんだまま売ってしまうおそれがある。油断もすきもないのだから、かないません。

 

 月末になって、金がなくなる。いっぱいやりたい。どこかにかくれてやしないかと、部屋中を探し廻って、一枚の五十銭銀貨すら見付け出せなかった時の空しさ、侘(わび)しさ、哀しさは、これはもう言語に絶しました。そんな時には素面(しらふ)の僕は、飲んだくれの僕を、呪(のろ)う気特にすらなるのです。

 

「チェッ。こんな時のために、五円紙幣一枚ぐらい、かくして置いたってよさそうなもんじゃないか。一体何をしてやがんだい!」

 

 酔っぱらったら必ずかくすと言うんじゃなく、酔っぱらった時の気分や、持ち金の多寡、その他いろいろの条件がそろった時、初めてかくそうと言う考えを起すらしい。だから、何時でも、部屋の中のどこかに、金がかくされているわけではありません。だからこんな具合に、すっぽかされることも、度々あるのです。

 

 しかしこれは、別に他人に迷惑をかける悪癖じゃありませんから、特別に努力して矯正しようとも思ってなかったのですが、その酒癖のために、僕はある時大損害を受けるということになりました。以下がその話です。

 

 ある晩友達と一緒に飲み、れいの如く酔っぱらって、ひとりでアパートに戻って来た。ずいぶん飲んだので、翌朝は宿酔の状態で眠が覚めた。枕もとにゃ洋服やネクタイ類が、脱ぎ捨てられたまま散乱しています。僕は痛む頭をやおらもたげ、不安げに上衣を引寄せた。内ポケットから袋を引っぱり出し、逆さにしました。

 

「おや。おかしいぞ」

 

 僕はおろおろ声で呟(つぶや)き、あわててあたりを見廻しました。

 

「一枚足りないぞ。また昨夜かくしやがったのか」

 

 袋と言うのはボーナス袋で、ないと言うのは百円紙幣のことなのです。昨日二百五十余円のボーナスを貰い、百円紙幣が二枚入っていた筈なのに、今朝袋から出て来たのは、百円紙幣が一枚だけで、あとは十円や五円が数枚。昨夜ハシゴで飲んで廻ったとは言え、百円紙幣に手がつく筈は絶対になかったのです。

 

「まさか落したんじゃないだろうな。落したとすればたいへんだぞ」

 

 百円紙幣は、今の金に直すと、四万円ぐらいにでも当るでしょうか。その値打において、今の五千円紙幣の七、八枚分に引合うでしょう。いくらのんきな僕でも、さすがに顔があおくなって、眼がくらくらするような気分でしたねえ。

 

 早速僕は電話で会社に、病気で欠勤する旨(むね)を伝え、痛む頭を押さえながら、直ちに百円紙幣探しに取りかかりました。十円紙幣や五円紙幣なら、ボーナスの翌日のことですから、いずれどこからか出て来るだろうと、笑って放って置けるが、百円紙幣となればそうは行かない。かくしたのか落したのか、はっきりさせて置かないことには、何にも手がつきません。

 

 それに僕の給料は八十円そこそこなんですから、百円紙幣にお眼にかかれる機会はほとんどなく、それ故に実際以上に貴重に思われるのでした。探す手付きに熱意がこもったのも、当然と言えるでしょう。

 

 そしてその百円紙幣は見付かったか。

 

 午前中潰(つぶ)しての探索も、ついに効は奏さず、とうとうその百円紙幣は発見されなかったのです。たかが六畳の部屋で、独身者だから荷物も多くはない。午前中かければ、もう探すところはなくなってしまうのです。洗濯して行李にしまってあった足袋の中から、五十銭銀貨が二枚ころがり出ただけで、肝腎(かんじん)の百円紙幣はついにどこにも発見されませんでした。

 

「ああ。何たることだ!」

 

 僕は天井を仰いで、がっかり声を出した。

 

「折角二枚貰ったのに、残るはこれ一枚になってしまった」

 

 残る一枚を大切そうに撫でながら、僕は痛嘆しました。実際昔の百円紙幣は、今の四万円分だけあって、実にどっしりして威厳がありましたねえ。表には聖徳太子と夢殿の図。『此券引換に金貨百円相渡可申候』という文字。裏には法隆寺の全景が印刷してあります。眼をつむれば今でも、その模様や字の形が、瞼の裡にありありと浮んで来るほどです。紛失したんだから、なお一層記憶が鮮明であるのかも知れません。

 

 でも、百円紙幣がなくなったからって、そう何時までも大の男が、嘆き悲しんではいられない。忘れてしまうというのではないが、その嘆きも時が経つにつれ、だんだん薄れて行ったようです。

 

 そして二箇月ほど後、僕はこのアパートから、食事付きの下宿に引越すことになりました。アパートは食事付きでないので、月給を貰うと、ついゴシゴシと飲み過して、月末には飯代にも窮するということになり勝ちです。下宿なら金がなくなっても、飯だけは食わせて呉れますからねえ。

 

 

 

 下宿に移ってから四箇月経って、次の賞与、つまり暮れのボーナスですな、それが出ることになりました。額は前期に毛の生えた程度です。

 

 その晩僕は同僚たちとあちこち飲み廻り、いい気特に酩酊、十二時過ぎに下宿に戻って参りました。どっかと机の前に坐り、ボーナス袋から紙幣を取出した。その百円紙幣を一枚つまみ上げたとたん、僕の手は僕の意志に反して、と言うより手自身が意志を持っているかのように、狐の手付きのような妙な動き方をしたのです。僕はびっくりして、自分に言いました。

 

「おい。どうしたんだい?」

 

 すると手の動きは、はたととまった。(ここらは酩酊していて、翌朝のぼんやりした記憶ですから、たいへんあやふやです)

 

「へんだねえ」

 

 ふたたび僕は僕に言いました。

 

「何かやりたいんじゃないか。やりたいように、やってみたらどうだい」

 

 何か微妙な感覚が僕の内部にひそんでいて、それがしきりに僕をうながすらしい。僕はそれを探りあてるために、

 

「こうして」

 

「こうやって」

 

「次にはこうやって」

 

 と呟(つぶや)きながら、その感じを確かめようとすると、僕は自然にそのまま立ち上り、百円紙幣を四つに折り、ふらふらと部屋の隅に歩き、自然と背伸びの姿勢となった。紙幣をつまんだ指が、鴨居(かもい)にかかりました。紙幣をその溝に押し込もうとするようです。

 

「なるほど」

 

 一種の譫妄(せんもう)状態での動作だし、どうもぼんやりしている。それから僕は机の前に戻って来て、はげしいねむ気を感じたが、必死の努力で机上の紙片に今のことを書きつけたらしいのです。素面(しらふ)の僕に知らせようとしたのか、そこらは全然はっきりしない。漠として、夢魔におそわれたようです。

 

 で、翌朝、宿酔の状態でぼんやりと眼が覚めました。見ると机上の紙に、字がぬたくってある。ほはあ、何か書いてあるな。何度も指でなぞって見て、やっと判読出来ました。

 

『カモイの中に百円札かくした』

 

 昨夜の動作が、その文字の意味から、漠とした形ですが、端から少しずつつながるようにして、思い出されて来ました。僕はふらふらと立ち上って、鴨居(かもい)を探ると、はたして四つ折りの百円紙幣がそこから出て来た。

 

「どうもおかしいぞ」

 

 百円紙幣をつまんで寝床に戻った時、ある荒涼たる疑念が、突然僕の胸につき上げて来ました。酔っぱらって百円紙幣をつまんだ。条件反射的に鴨居にかくした。これは一体どう言うことなのか。深層心理に埋もれていたものが、酩酊(めいてい)時に百円紙幣に触れたとたんによみがえり、それを素面の僕に知らせるために、僕にそんな動作を取らせたのではないか。

 

「あのアパートの部屋には、鴨居に溝があったかどうか?」

 

 あのアパートでの百円紙幣探しで、自分の荷物は丹念に点検したけれども、鴨居のことには注意が向かなかったことを、僕はぱっと思い出したのです。

 

「しまったなあ。どうすればいいか」

 

 溝があったとすれば、その中に百円紙幣がかくされている可能性は充分にある。しかしあの部屋には、もう他人が住んでいる。おいそれと入ってのぞいて見るわけには行かない。泥棒と間違えられる。と言って、五円や十円ならあきらめるけれど、ことは百円紙幣だ。月給を上廻る額の紙幣が、あの部屋の鴨居に、現実に眠っているかも知れぬ。現在の住人も、一々鴨居の中まで調べはしないだろうから(調べる必要はないわけだから)百円紙幣があそこに温存されている可能性はたいへん多い。僕は声には出さず、自問自答しました。お前はどうする? あきらめるか。放って置くか。お前に放って置けるか。いいか。百円だぞ。汗水出して働いた一箇月の給料より多いんだぞ。しかももともと、お前の所有物なんだぞ。誰のものでもない。お前の金なんだぞ。どうする?

 

 

 

 とにかくその男と、いや、女である可能性もある。その人物と、どういう方法かで、近づきになる必要がある、と僕は思いました。

 

 アパートは下宿と違って、鍵がかかるのですから、その鍵を持った当人に近づかねば、あの部屋には入れない。

 

 で、僕は勤めの余暇、休日などを利用して、調査を開始しました。あの鴨居に四つ折りの百円紙幣が入っているとして、百円紙幣に脚は生えていないのだから、逃げたり消失したりするわけはない。だから、急がなくてもいいようなものの、やはり早くカタをつけた方がいい。無ければ無いでいいから、気持をはっきりさせたい。こう言う気持、お判りでしょうねえ。

 

 西木東夫。これがあのアパートの部屋の住人の名でした。齢は僕より三つか四つ上。勤め先は市役所の会計課です。西木がこの部屋の住人となったのは、僕が引越して三日目のことで、当分あの部星から引越すつもりはないらしい。と言うのは、アパートの管理人に訊(たず)ねてみたら、なかなか居心地の良い部屋だと、西木は満足しているとの答だったのです。満足しているとすれば、当分引越しはしないでしょう。引起しするんだったら、も一度僕があの部屋を借りてもいい、そう思ったんですがねえ。

 

 以下、管理人からそれとなく聞き出したことと、僕が尾行したりして調べたことをないまぜにすると、西木はたいへん几帳面(きちょうめん)な性格で、会計課なんかには打ってつけな性質で、毎日の生活も判でも押したようにきまっている。朝出て行く時間や、夜戻って来る時間も、特別の場合をのぞいて、五分と狂いがない程です。食事は外食で、アパートの近くに大野屋と言う安食堂があり、朝と夕方はそこで食事をするのです。調査の関係上、僕も西木と並んで飯を食べてみましたが、なにしろ定食が朝が十銭、昼と夕が十五銭というのですから、たいへん安い。したがって味の方はあまり上等ではありません。そして毎日の献立がほとんど変化がなく、よく毎日々々ここに通って、同じものを食っておられるなと、ちょっと感心させられる程でした。几帳面な性格だからして、西木は飯の食べ残しなんかしない。一粒残さず食べてしまう。食べ終ると、パチンと銅貨を置き、背を丸めてとっとと出て行く。西木は背が高かった。五尺八寸はあったでしょう。背が高いから、あんな猫背になるのでしょう。

 

 背が高いと言う点で、僕はちょっと心配でした。背が高けりや高いほど、鴨居には近くなるわけですからねえ。

 

 酒はどうかって?

 

 その点僕もよく観察したのですが、西木も酒は好きらしい。好きらしいけれども、ケチなのか、あるいは給料がすくないのか、度々は飲まないようです。二週間に一度だけ、それも土曜日だけで、勤め先の近くででも飲んで来るのか、大野屋に入って来る時刻が、二時間やそこらは遅れる。赤い顔をして入って来て、定食を注文する。定食の前に一本つけさせることもあったようです。

 

 西木に近づきになるためには、この土曜日を利用するのが最上だ。僕はそう考えました。洒と言うものは、見知らぬ同士をよく仲良しにさせますからね。それに僕らは、もう見知らぬ同士じゃなかった。調査の関係上、僕はよく大野屋に出入りして、飯を食ったり酒を飲んだりしていたので、向うでも僕の顔を覚え込んだようでした。話こそしたことはないが、向い合って飯を食ったこともあるのですから、顔ぐらい覚えるのは当然でしょう。

 

 そしてある土曜日、僕は大野屋におもむき、ちびちびと盃(さかずき)をかたむけながら、西木東夫が入って来るのを待っていました。大野屋のお銚子は、一本二十銭でした。シメサバなんかを肴に、ちびちびやっていると、のれんを肩でわけるようにして、猫背の西木が入って来ました。予期した通り、顔が赤くなっています。時刻が遅いので、他にお客は一人もいませんでした。

 

 僕の斜め前に腰をおろすと、西木はちらと僕の方を見ました。僕の前にはもうお銚子が四本も並んでいます。西木はそれを見て、定食を注文しようか、それとも一本つけさせようかと、ちょっと迷ったらしいのです。そこで僕はすかさず、酔っぱらい声で話しかけました。

 

「どうです?」

 

 僕は盃を突き出しました。

 

「一杯行きませんか」

 

 西木は面くらったように眼をぱちぱちさせましたが、少しは酒が入っていることとて、すぐに乗って来ました。

 

「そうですな。いただきますか」

 

 西木は席を僕の前にうつし、女中を呼んで、自分のお銚子と肴を注文しました。

 

「寒いですなあ。お酒でも飲まないと、やり切れないですなあ」

 

「そうですね。帰っても待っているのは、つめたい蒲団だけですからねえ」

 

 と僕は相槌(あいづち)を打ちました。

 

「あなたもお独りですか」

 

「そうですよ。アパート暮しですよ」

 

「そうですか。僕も以前アパートに住んでたこともあるが、アパートは下宿より寒々しいですな」

 

 僕は西木に酒を注いでやりました。

 

「どちらのアパートです?」

 

 西木はアパートの名を言いました。僕はわざとびっくりしたような声を出しました。

 

「へえ。僕もそのアパートに住んでいたことがあるんですよ」

 

「ほう。どの部屋ですか」

 

「二階の六号室です」

 

「ほう」

 

 今度は西木がびっくり声を出した。

 

「僕が今住んでいるのは、その部屋なんですよ」

 

「それはそれは」

 

 僕は眼を丸くして、また西木に盃をさしました。

 

「奇遇と言いますか。ふしぎな御縁ですなあ」

 

「ほんとですねえ」

 

 同じ部屋に住んだという因縁だけで、西木はとたんに気を許したらしいのです。いっぺんに隔てが取れて、西木は急におしゃべりになりました。もちろん僕も。

 

 部屋の話から管理人の話、勤め先の話から月給の話などに立ち入る頃には、僕らの卓にはもう十本ほども並んでいました。僕は作戦上、自分はあまり飲まず、もっぱら西木に飲ませるようにと心がけたので、西木もすっかり酩酊したようでした。

 

 そろそろ看板の時間が近づいたので、僕は手を打って女中を呼び、いち早く十円紙幣を出して、勘定を済ませてしまいました。几帳面な性格だから、西木はしきりに割勘を主張して、

 

「そりゃ悪いよ。僕も出すよ」

 

 と言い張りましたが、

 

「いいんだよ。お近づきのしるしだから、いいんだよ」

 

 と僕は無理矢理に西木を納得させました。

 

 それから二人は大野屋を出て、ぶらぶらとアパートの方に歩き出しました。西木は酒に強いようで、あれほど飲ませたのに、あまり足もふらついていないようです。

 

 アパートの前にたどりつくと、僕は帽子に手をかけて、

 

「では」

 

 と言うと、こちらの作戦通り、儀礼的にでしたが西木は僕を呼びとめました。

 

「ちょっと寄って、お茶でも飲んで行かないか」

 

「そうだねえ」

 

 僕は考えるふりをして、それから答えました。

 

「じゃ寄らせて貰うか。昔の部屋も見たいから」

 

 

 

 靴を脱いで階段を登り、西木のあとについて部屋に入る時、僕の胸はわくわくと高鳴った。ちらと見上げると、ちゃんと鴨居に溝がついているではありませんか。

 

「ちょっと待ってて呉れ給え」

 

 西木は外套も脱がず、薬罐(やかん)を下げて廊下に出て行きました。部屋の中に水道がないので、洗面所まで汲みに行ったのです。

 

「今だ!」

 

 僕はばっと壁にへばりつき、鴨居の溝をさぐり始めました。ずうっとさぐって行くと、東北隅の溝のところで、ぐしゃっと指に触れたものがある。僕の心臓はどきりと波打ちました。

 

「しめた。あったぞ」

 

 声なき声を立てて、それをつまみ出すと、驚いたことにはそれは百円紙幣でなく、数枚の十円紙幣でした。その時入口のところから、僕の背中めがけて、つめたい声が飛んで来た。

 

「君はそれを取るために、今日僕に近づいて来たのか!」

 

 いっぺんに空気がひややかになって、緊張が部屋いっぱいに立ちこめました。僕は西木をにらみながら、指先で十円紙幣の枚数を読んだ。それは五枚ありました。

 

「あれをくずして、五十円使ったのは君か!」

 

 僕も低い声で言い返しました。

 

「あれは君の金ではない筈だぞ」

 

「しかしここはおれの部屋だぞ」

 

 西木はめらめらと燃えるような眼で、僕をにらみ据えた。

 

「おれの部屋の中で勝手なことをする権利は、君にはない。家宅侵入罪で告発するぞ」

 

「じゃ出て行きやいいんだろ。出て行きゃ」

 

 僕は五枚の十円紙幣を、そろそろと内ポケットにしまい込みました。

 

「そのかわり、この五十円は、僕が貰って行くぞ」

 

 西木は何か言い返そうとしたが、思い直したらしく、空の薬罐を持ったまま、じりじりと部屋に上って来た。二人はレスリングの選手のように油断なくにらみ合ったまま、ぐるぐると部屋を廻った。そして僕は扉のところに、西木はその反対側に位置をしめたのです。僕は声に力をこめた。

 

「では、帰らして貰うぞ。あばよ」

 

 うしろ向きのまま、僕は廊下に出た。そろそろと扉をしめました。階段の方に歩きながら、追っかけて来るかなと思ったが、西木はついに追っかけて来ませんでした。そして僕は無事に靴をはき、寒夜の巷(ちまた)に出ました。

 

 百円紙幣の話は、これでおしまいです。とうとう百円紙幣は取り戻せず、半額だけが僕の手に戻って来た。

 

 でも、あの鴨居の中の百円紙幣を、どうやって西木は見付け出したのだろう。その疑問は二十年経った今でも、僕の頭に残っています。鴨居の溝なんかのぞき込むなんてことは、なかなかない筈のもんですがね。

 

 偶然の機会に百円紙幣を発見、そして西木は金に困る度に少しずつ使ったのではないか、と僕は想像しています。丁度半金使い果たした時に、僕があらわれたと言うわけでしょう。ちゃんとおつりを元の鴨居に隠して置くところに、彼の几帳面さがあったわけでしょう。その几帳面のおかげで、僕は半金を取り返せたのですから、むしろ僕は感謝すべきだったのかも知れません。


 

2018/09/20

ブログ1140000アクセス突破記念 梅崎春生 三日間

 

 

[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年一月号『新潮』初出。底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集第六巻」を用いた。

 

 底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集第六巻」を用いた。底本の傍点「ヽ」は太字に代えた。

 

 簡単な語注を最初に添えておく。

 

・「トンコ節」旧録旧版と新録新版の二種(歌詞が異なる)があり、昭和二四(一九四九)年一月に久保幸江と楠木繁夫のデュエットで日本コロムビアから発売されたのが前者で、昭和二六(一九五一)年三月に、同じく久保幸江が新人歌手であった加藤雅夫とともに吹き込んだものが後者。作詞は西條八十、作曲は古賀政男である。ウィキの「トンコ節」によれば、一九五〇年『以降から売れ出した理由には朝鮮戦争の特需景気による「お座敷の繁盛」という社会状況の変化が大きかったともいわれ、歌詞に見られる「さんざ遊んでころがして」や「上もゆくゆく下もゆく、上も泣く泣く下でも泣くよ」といったアブナ絵的な文句が、特需景気で増えた新興成金層による宴会などで騒ぐためのお座敷ソングとして定着したことが大きな要因とされている』。『新版を発売するにあたりコロムビアは、引き続きの作詞者である西條八十に対して「宴会でトラになった連中向きの唄を」と依頼しており、それに応える形で八十は当時としてはエロ味たっぷりの文句に書き直した。評論家の大宅壮一はこれを「声のストリップ」として批判している』とある。本作の初出から見て、ここで若者に歌われるのは後者のヒットを受けてのもの、即ち、エロい歌詞のそれと考えてよい(読めば分かるが、この性的ニュアンスは梅崎春生の確信犯である)。後者の当該録音はこれである(You
Tube
0klz39氏のアナログ七十八回転レコード再生版)。歌詞だけならばj-lyric.netのこちらで新版が、同じくこちらで恐らくは旧版と思われるものが読める

 

・「成意」は「せいい」で、「当然の権利として認識しているといった感じを表わした主張」といった意味で使っているようである。

 

・老人が唄う子守歌の一節は「五木の子守歌」のお座敷唄の最終節である。歌詞全篇はウィキの「五木の子守歌を参照されたい。

 

・「坊主枕」は「括(くく)り枕」。布帛で筒形に縫い合わせ、蕎麦殻や茶殻などを入れて、両端をくくって作った円筒形の中・大型の枕のことで、元来は箱枕・木枕などと区別して言う語であったが、ここはもう、現行の我々が使っている普通の枕の大き目の奴と思えばよろしい。

 

・「一仕切」「ひとしきり」で、「仕事が一段落ついた」「一区切りついた」の意。

 

・「五六間」九・一~十一メートル弱。

 

・「軽燥(けいそう)」落ち着きがなく騒がしいこと。思慮が浅く軽弾みなこと。ここは一種の擬人法的用法。

 

・「厚物咲」「あつものざき」で、分厚く、花弁の多い鑑賞用の菊を指す語。

 

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1140000アクセス突破を記念として公開した。【2018年9月20日 藪野直史】]

 

 

 

  三日間

 

 

 

「長いヘチマだね」

 

「ああ、なんてひょろ長えんだ」

 

 畳屋が二人、庭で仕事をしていた。

 

 縁側のすぐ前に、低い木台をならべ、畳が一枚ずつ乗っている。畳は、部屋にはめこまれている時よりも、厚ぼったく、またその面積もいくらか大き目に見えた。あたりには、剝(は)ぎとられた古畳のへりや、よれよれの糸屑、新しい畳表の裁(た)ち片などが、雑然とかさなり、ちらばっている。そこらに午後の陽は照り、空気は乾き、ときどき藺(い)のにおいがただよい動いた。

 

 畳屋の一人は、五十五六のあから顔の男で、体軀(たいく)もがっしりしていた。片方は、まだ三十歳にならぬ、どこかしなびたような、青白い若者だ。若者の方は左利きらしく、老畳屋とは逆の姿勢で、反対の動作で仕事をすすめていた。左手で畳針を刺す。はみ出た畳表の端を、ずんぐりした刃物で断ち落す。薬罐(やかん)の口をじかにくわえて、水を霧にしてふきつける。しかしその動作は、はなはだ鈍い。陽をななめに受けて、霧の中には小さな虹が立った。

 

 この家の主(あるじ)、人見莫邪(ばくや)は、縁側に大あぐらをかき、放心したような眼付きで、二人の動作を見くらべている。畳屋の仕事の手ぶりにつられて、そっとその手が動きそうになる。はっきりしないような声で言った。

 

「長いだろう」

 

「長えね。なんだってこんなに、伸びたんだろう」

 

「ほっといたら伸びたんだ」

 

 ヘチマは古びたヘチマ棚から、ただ一本、ひょろひょろとぶら下り、その尖端は、老畳屋の頭から一尺ほどのところに揺れている。直径は一寸ばかりなのに、長さは三尺もある。さっきからそれが気になっているらしく、仕事の手をやすめて、老人はまぶしそうにヘチマを見上げた。眼尻に飴色(あめいろ)の眼やにがたまっている。干(ひ)からびた油絵具のかけらを、莫邪はふと聯想(れんそう)した。

 

「初めはヒョウタンだとばかり、思ったんだがね」

 

「ヒョウタンとは違うよ」

 

 この春、駅前の苗木屋で、この苗を求めたのだ。たしかにヒョウタンと指定した筈なのに、実って見ると、まぎれもなくヘチマである。ヘチマでは、中をくりぬいて酒を入れるというわけには行かない。と言って半年前のことだから、苗木屋に文句つける気にもなれない。近頃このヘチマの恰好(かっこう)を見る度に、莫邪はしてやられたような、また莫迦莫迦(ばかばか)しい気分になる。

 

「ヘチマ、嫌いかね?」

 

「嫌いじゃないよ」と老人は答えた。「嫌いじゃないけれど、あんまり長過ぎる。長過ぎると、感じが良くないね。おれは長えもの、この頃なんだか厭だねえ」

 

「欲しけりや上げるよ。多分いいアカスリが出来るよ」

 

「うん。荷車なんかに竹竿を積んだりするのがあるだろう。竿が長過ぎて、うしろにはみ出てさ、地面に引きずっている。あんなのは大嫌いだね。見ていると、口の中がカラカラになって、おでこが痛くなってくるんだ」

 

 莫邪と老人の対話を、若者はちらちら横目を使うようにしながら、聞いていた。青白い頰に、愚鈍らしい笑いをうかべている。その掌や肱(ひじ)や肩は、相変らずのろのろと動いている。莫邪はその腕を見ていた。若者の腕はすべすべして、肱の畳ダコも、老人のそれにくらべると、型も小さく不確かであった。そのタコの形や色に、莫邪は突然するどい生理的な色情を感じた。莫邪は視線を浮かせた。畳を剝ぎ取られたはだかの部屋に、柱時計がかかっている。針は三時五分前を指している。

 

 

 

 ガスに点火して、薬罐(やかん)をのせる。新しいのは、霧吹き用に畳屋に貸したから、つるのとれかかった古薬罐だ。そそくさと台所を出、渡り廊下をぬけて、画室に入る。画室と言っても、莫邪が自分でそうきめているだけで、離れの四畳半を改造した、へんてつもない板の間である。イーゼルは埃(ほこり)をかむって、部屋のすみに押しやられ、床には彩色しかけた小さな金具が、足の踏み場もなく散らばっている。(長いものが嫌いだとは妙な爺さんだな)莫邪はそう思いながら、床から煙草の袋をつまみ上げ、中味をしらべてポケットに入れる。台所に戻ってくると、ガス台の薬罐は、もうシュンシュンと白い湯気を立て始めていた。

 

 ラッキョウを盛った井と煮立った薬罐をぶら下げて、莫邪が縁側に戻ってきた時、畳屋は二人とも縁に腰をかけ、煙草をふかしていた。その二人に、彼は急須から茶を注いでやった。

 

「こいつは早くヘチマ水を取るといいね」

 

 ラッキョウを掌に受け、器用に口にほうりこみながら、老人が言った。

 

「そうかい。それはどうやって取るんだね?」

 

「茎を切って、それから――」

 

 水の取り方を、老人は熱心に説明し始めた。莫邪はいい加減に相槌(あいづち)を打ちながら、ろくに聞いていなかった。肥った頰の肉がややゆるんで、うす笑いをしているように見える。運動不足のせいか、近頃また一まわり肥ったようだ。老人は話し終った。すばやい手付きで、ラッキョウを五六粒口に投げこむ。

 

「ヘチマ水には、用はないんだ」

 

 少し経って莫邪は低い声で言った。

 

「そりや旦那には用はねえだろうさ。男だから――」

 

「女房はいないんだよ」

 

「へええ」

 

 老人はちらりと莫邪の顔を見た。べつだん驚いた表情でもなかった。

 

「旦那はいくつだね?」

 

「三十五だよ。爺さんは?」

 

「おれの女房か。いることはいるが、今病院に入っている。もう三年ごしだ」

 

「あれ、あんなにナメクジがいやがら」

 

 と若者が口をさしはさんだ。若さに似ずかすれたような声である。その指さした庭のすみっこに、ナメクジが七八匹白っぽくぐちゃぐちゃにかたまっていた。莫邪の指は無意識のうちに、肥った膝の上で、むずむずとなにかこすり落すような動き方をした。

 

「さっきは俺の膝にも、一匹這(は)いのぼって来たぜ」

 

 庭を仕切る長者門の扉がぎいと開いて、変な器械をぶら下げた男が、つかつかと入ってきた。平気な顔で庭を横切り、台所の方に歩いてゆく。莫邪も立ち上って、汚れた床板を爪先立って歩き、台所に入った。その男は案内も乞わず、職業的な無表情さで、がたがたと上ってくる。(こういう連中は、よく台所のありかを見当つけるもんだな。職業的習練というやつかな)そんなことを考えながら、莫邪はだまって男の動作を眺めている。

 

 男はヤッと小さなかけ声をかけて、ガス台の上によじのぼった。手にした変な器械を、ヒューズのところに近づけたり遠ざけたり、しきりになにかを調べている。三分ほどしてまた、ヤッというかけ声と共に、男の軀(からだ)は床に降り立った。揚げ板ががたんと弾(はじ)けた。

 

「ちいっとばかり、漏電の気味ですな」

 

 男は蒼(あお)黒い顔を、初めて莫邪にむけた。

 

「注意したがいいですよ」

 

「どこが漏電してるんだね」

 

 と莫邪は興味をおこして訊(たず)ねてみた。

 

「まあ漏電というほどじゃないが、天井裏の配線のどこかに、具合の悪いところがある」

 

「じゃ、その配線をとっかえればいいんだね」

 

「そうすりゃ、一番安全だ。はあ」

 

「君んとこの会社で、それをやって呉れるのかい?」

 

「いや、うちじゃやらんね」

 

「じゃどうすりやいいんだい」

 

「注意することですね」

 

 と男は憐れむような眼差しで、莫邪を見おろした。

 

「この家はもう古いからね、どうしても配線が傷んでるね。電熱器とか大きな電球は、使用しないことですね」

 

 男は三和土(たたき)に降りて、板裏草履をつっかけた。ガラス扉に手をかけた。

 

 その後姿に、莫邪は声をかけた。

 

「君はメートル調べじゃないんだね。漏電を調べる係りなんだね」

 

「そうですよ」

 

「漏電を調べるだけで、あとは何もしないのかね。つまり、漏電箇所の修繕とか修理だとか――」

 

「それはやらない。そりゃわたしの任務じゃない。ただ漏電の状況を調査するだけ」

 

「ふん」

 

 莫邪は割切れない気持でつけ足した。

 

「いい商売だね」

 

「あまり良くもないさ。ところであんたは画描きかね?」

 

「いや、なぜ?」

 

「絵具のにおいがしたから」

 

 莫邪は黙っていた。男は外に出て、も一度蒼黒い顔を彼にふりむけた。

 

「なにしろ古家だからね。建ってから三四十年は経つね。だから、あちこち破れたり湿ったりしている。出来りゃ電気をもう使わないことですね。はあ。そうすりや漏電したり、火事になったりすることは絶対にない」

 

 ガラス扉がしめられ、湿土を踏む草履(ぞうり)の音が遠ざかってゆく。莫邪は何となく手を伸ばして、ついでのようにガスの栓をひねってみた。シュウシュウと音が立った。においが鼻に来た。莫邪は栓をゆっくりしめた。昔は止んだ。

 

「さて」

 

 裸の床板を兎(うさぎ)飛びして、縁側に戻ってくると、二人はまだ縁に腰かけて、煙草のけむりをはいていた。茶碗も空だし、丼のラッキョウもすっかり空になっていた。老人は莫邪の顔を見ると、ゆるゆると腰を上げ、半纏(はんてん)の裾をはたはたと叩いた。

 

「さあ、仕事だ」

 

 若者も立った。ヘチマの胴を指でちょっとつつく。秋陽の中で、そのだらしなく細長い物体は、不承不承(ふしょうぶしょう)に揺れた。

 

 

 

 流しのすみにも、小さな飴(あめ)色のナメクジが、一匹へばりついていた。空の丼を洗ったついでに、そいつもついでに流し落し、手をズボンで拭き、莫邪は台所を出た。そして画室に入った。(畳屋というやつは、ラッキョウを五六十粒も、よく食えるもんだ)床に散乱した金属片をかきわけて、莫邪は床に坐りこんだ。あたりを見廻した。

 

「さあ、こちらも仕事だ」

 

 さまざまの形のブリキ片は、パチンコ台に使用する金具である。比較的大きいのはケースと言って、玉のたまるところを飾る金具。小さいのはハッタリという名で、穴をかざるブリキ片のことだ。それらの彩色を、知合いの辰長パチンコ台製作所から依頼されて、明後日までに仕上げて届ける約束になっている。彩色代は、ケースは一枚につき二十円、ハッタリは五円だ。それほど悪い手間ではない。ハッタリなどはその気になれば、一日に四百や五百は彩色出来る。それぞれの形に応じて、七福神の顔を描いたり、猿や牛や梟(ふくろう)を描いたり、花や機関車や昆虫を描く。面白い仕事ではないが、引換えに金を呉れるので、収入としては確実だ。以前勤めていた雑誌社よりは割がいい。

 

 一年前その雑誌社をクビになって以来、莫邪はひどく苦労した。身寄りには、丸の内に事務所をもっている異母兄があるが、そうそう援助を仰ぐわけにも行かない。ある日偶然、莫邪は電車の中で、中学校時代の旧友辰野長五郎に出会った。莫邪の失業を知ると同情して、俺のところの仕事をやってみないかと言った。

 

「君はたしか絵ごころがあったな、あの頃から」

 

「仕事って何だね?」

 

 と莫邪は反問した。辰野は名刺を出した。辰長パチンコ台製作所長という肩書がついている。辰野は大きな掌を莫邪の肩に置き、慈善者特有の過剰な光を眼に宿しながら、なだめるように言った。

 

「なに、絵ごころがあれば、素人(しろうと)だってやれるさ。古なじみだから、特に割を良くしておくよ」

 

 それから四ヵ月、莫邪はもっぱらこの仕事で生計を立てている。画室にとじこもって、終日この仕事をしていると、何だか自分が囚人にでもなったような気がしてくる。雑誌記者時分に、彼はF刑務所を見学に行ったことがある。その時たくさんの囚人たちは、黙々と坐って、玩具をつくったり箱の紙貼りをしたりしていた。一日中ブリキ片と向い合っていると、自分の表情が囚人たちのそれと、全くそっくりになってくるのが判る。その自覚は重苦しかった。

 

「さあ、仕事だ」

 

 莫邪はも一度、ぼんやりと四辺(あたり)を見渡した。しかし手は画筆の方には伸びない。急に腹が減ったような感じで、マカロニみたいなものが突然食べたくなってくる。咽喉(のど)がぐうと鳴った。

 

「あいつら、仕事してるかな?」

 

 畳を換えようと思い立ったのは、半年ばかり前、春頃のことだ。金のやりくりの都合で今まで伸び伸びになったが、今だってやりくりがついたわけではない。畳はますます傷(いた)んでくる。雨が降ると部屋のすみに茸(きのこ)が生えたりする。なるたけ畳の上は踏まずに、縁や廊下や敷居を歩くようにしているが、それでもいよいよ傷んでくる。やむなく思い立って、月払畳表替株式会社というのに頼んで、畳替えをして貰うことになった。替代は、今月から四ヵ月、月割で会社に払い込めばいい。今来ている二人は、その会社がよこした畳職だ。だから金銭支払いについては、この二人は直接莫邪とは関係がない。彼等は会社から、きまった日当を貰うのだろう。二人の働き方がのろのろしているのは、どうもそのへんに関係があるらしい。

 

 莫邪としては、何日かかろうとも、とにかく畳が新しくなればいいのだから、その働きぶりに干渉する気もないが、今朝からなんということもなく、何度も縁側に足を運び、二人の仕事ぶりを仔細らしく眺めた。どうも連中の動作は、他のことに気をとられているような具合で、はっきりしないところがある。ラッキョウを食べる時ははっきりしているが、いざ仕事に向うと、労働していると言うより、単に止むを得ず動いているようなおもむきだ。

 

「へんなもんだな」

 

 彼は無意識に画筆をとり、左手で鈍色(にびいろ)のブリキの一片をつまみ上げていた。その表面に、芋虫みたいな模様をさっさっと描きつけると、画筆をそばに置いて、しばらくそれを眺めていた。笑いに似た翳を頰にはしらせながら、そのまま立ち上った。ブリキ片はカチャリと床に落ちた。猫足で渡り廊下を過ぎ、台所に入った。

 

 塩は食器戸棚の壺の中にあった。一握り、大づかみにつかむと、莫邪は下駄をつっかけ、勝手口から外に出た。庭に廻ると、畳屋はさっきと同じ姿勢で、のろのろと手や体を動かしていた。場所は老人と若者が入れ代っている。ヘチマのすぐ下で、若者は肱(ひじ)でぐりぐりと畳を押しながら、低い声で流行歌をうたっていた。その背を廻り、庭のすみに莫邪はしゃがみこんだ。根太の根元に、ナメクジ群はかすかにうごめきかたまっている。うしろで眠そうな老人の声がした。

 

「ナメクジかい?」

 

「うん。塩をかけてやるんだ」

 

「よしなよ。もったいない」

 

しかし莫邪は、塩をばらばらとふりおとし、最後に掌全部を使って、ぐしゃりとそこに塩を押しつけた。塩は白い土饅頭(まんじゅう)の形となり、その表面に掌や指の形を不明確に残した。声を含んで笑いながら、莫邪は立ち上った。若者はまだ低声でトンコ節を口吟(くちずさ)んでいる。

 

 すこし経って、莫邪は二人のどちらにともなく声をかけた。

 

「どうだね。今日中には済みそうにないね」

 

「ああ、済まないね」

 

 老人は気のない返事をして、空を見上げた。空には雲が出始めていた。

 

「明日にかかるね。まあのんびりやるんだね」

 

「明日もいい天気だといいけどね」

 

 

 

 再び画室に戻って、二時間ほど、こんどは仕事が相当にはかどった。ケースを十枚に、ハッタリ五十枚ばかり。その代りにこれらは、注文通りの意味ある絵模様ではなく、色と形の単純な組合せばかりだ。さっきの芋虫模様で思いついて、こんな試みをやって見たのだが、大黒やお多福の図案より面白く出来上ったと思う。でも辰長パチンコの方で何と言うか判らない。

 

(シュールはいけませんや、シュールは)製作所主任の棚山がそう言いながら、両掌で莫邪の方に空気を押しもどす。そんな状況を、莫邪はちらと頭のすみで想像した。

 

 縁側の方から声がした。

 

 彩色を仕上げたブリキ片を、床にていねいに四列縦隊にならべて、目算する。柱時計が五時を打った。風が出ている。夏から窓にぶら下げ放しの小さな竹の虫籠が、ふらふらと揺れている。その中には、しなびた胡瓜(きゅうり)の残骸と、かなぶんぶんの死骸が二個人っている。かなぶんぶんは鳴かないし、ごそごそ這(は)い廻るだけだし、飼って見て面白味のある動物ではなかった。死骸になればなおのこと面白くない。生きていれば、ハッタリのモデルぐらいにはなるだろうけれども。

 

 声が呼んでいるらしい。

 

 縁側には、畳屋二人が腰をおろして、庭を眺めていた。道具や木台はすっかり片づいている。出てゆくと、座敷の方から新しい畳のにおいが、莫邪の嗅覚をうった。そのまま座敷に踏み入り、二三回ぐるぐると歩いて見る。新畳は陽を吸って、蹠(あしうら)になまあたたかかった。それは快よさというより、妙に不吉なものを、莫邪に感じさせた。かすかな身慄いを感じながら、彼は縁に出て来た。

 

「もう溶けたかな」

 

 塩饅頭のあたりを見ながら、莫邪はぼんやりと口を開いた。老人はその言葉を聞き違えたらしい。

 

「いや、今日はもう時間だよ。あとは明日だ。明日の昼までには済むよ」

 

「そりやご苦労さま。それで――」

 

 手間賃は会社から出るんだろうね、と言いかけて止しにした。言わなくても判っていることだし、無駄なことは言わないがいい。あやふやに言葉をついだ。

 

「お茶でも沸かすか」

 

「焼酎がのみたいな」

 

 若者がざらざらした声でそう言った。莫邪は若者を見た。若者は脣(くちびる)を曲げてへなへなと笑っている。別に成意のある表情でもない。老人はむっと黙っている。背をまっすぐに立てて、ヘチマの揺れを眺めている。莫邪は柱によりかかり、ゆっくりと口を利いた。

 

「焼酎はないよ。お茶ならあるが」

 

「買って来るよ」

 

「金は僕が出すのかね?」

 

 そんなしきたりなのかと思いながら、莫邪ほ反問した。

 

「俺もすこし、出すよ。爺さんも出すだろ。な、爺さん」

 

「え?」

 

 初めて気がついたように、老人はふりむいた。

 

「出せって、いくらだい?」

 

 柱に身をもたせたまま、莫邪はあいまいな微笑を浮べていた。彩色の仕事が予定以上にはかどったから、飲んでもいいという気持はあった。老人はどんぶりから、何枚かの皺(しわ)くちゃの紙幣をつかみ出した。節くれ立った指が、不器用にそろえて数え始める。やや意地悪い視線で、莫邪はそれを見ていた。

 

「いいよ」

 

 老人が数え終った時、莫邪は言った。

 

「僕がいっぱい買うよ」

 

「そうかい」

 

 彼はポケットに手を入れた。この二人をもりつぶしてやると面白いだろうな。そんな思い付きが、素早く頭を通りぬけた。

 

「一升も買えばいいな」

 

「おめえ、ひとっぱしりして、買ってこい」

 

 沓脱(くつぬ)ぎに立っている若者に、老人は声をかけた。莫邪は若者に金を渡した。台所に戻り、湯呑み三つに食パンを持ってきた時は、もう若者の姿は見えなかった。外はだんだん暗くなり、庭隅の塩のかたまりだけが、ほの白く残っている。

 

「へんな男だろう」

 

 老人は表の方を指差した。若者のことを言っているらしかった。

 

「そうかい。それほどでもないよ」

 

「すこし頭がいかれているんだ。全くのハンチク野郎さ」

 

「でも、腕は割に確かなようだね」

 

 莫邪はお世辞のつもりで、反対のことを言った。

 

「あれ、あんたの息子さんかね?」

 

「とんでもない。あかの他人さ。あいつ、この間デモ行列で、巡公に頭なぐられてよ、それからしょっちゅう変てこなんだ」

 

「へえ、畳屋でもデモに出るんだね」

 

「出ちゃいけないのかね?」

 

「そりゃいいさ。出てもいいが――」

 

「頭を殴(なぐ)られると、鉢が歪(ゆが)むんだってな。ついでに脳味噌だって歪まあな」

 

 老人は考え深そうに、眼をしばしばさせた。

 

「それまでは酒一滴のまねえ、実直な男だったが、毎晩大酒を呑むようになった。やっぱり頭は殴られちゃいけねえな」

 

 沈黙が来た。風の音が強くなってくる。少し経って、老人が口を開いた。

 

「旦那はこの家に、ひとり住いかね?」

 

「今のところ、そうだよ」

 

「もったいねえ話だな」

 

「この家も売ってしまいたいんだけどな、買い手はないかねえ」

 

「売るのかい?」

 

 老人は頸(くび)を廻して、家内をじろじろと見廻し、天井を見上げたりした。莫邪も同じことをした。

 

「相当傷(いた)んでるね。がたがただ」

 

「昼間見ると、なおひどいよ」

 

「いくら位で手離すつもりだね?」

 

「まだ金額はきめてない。すこし手を入れなきゃ、買い手はつかないだろう」

 

「まあ心当りがないこともないね。話してやってもいいよ」

 

 少しして老人は押えたような声を出した。その件に乗気になっていることは、その眼の色でも判った。老人は膝を曲げて、縁にすこしずり上った。

 

「この家、火災保険つけてあるかい?」

 

「ある。なぜ?」

 

「知合いがその仕事やってるんでね。そうか。入ってるのか」

 

 それから老人は、莫邪の職業を訊ねた。どういうつもりなのかは判らなかった。失業していると答えるのは、気が進まなかった。画を描いて暮していると彼は答えた。

 

「へえ。画を描いて暮せるのかい。いい身分だね。どんな画だね」

 

「いろいろさ」

 

「見せて呉んねえか」

 

 莫邪は暗い庭を見た。画室に散乱しているブリキ片のことを思った。分厚いものに埋没してゆくような不快さがあった。

 

「見られるのは厭だよ」

 

「やはりそうかねえ。じゃ俺と同じだ」

 

「そうかね。見られるのは厭かね。でも畳屋さんだったら、どうしても眺められるだろう」

 

「眺められるね。縁側から見られるのが、ちょっと辛いね。白洲(しらす)に坐ってるみたいな気になる。どういうものか――」

 

 表から跫音(あしおと)が近づいた。会話を切って、二人はそちらを見た。薄暗がりの長者門から、酒瓶を下げた若者が、ぬっと姿をあらわした。呼吸をすこしはずませている。

 

「酒屋で瓶はあとで返して呉れってさ」

 

 

 

 妻に病まれた老人と、頭がおかしい若者と、ひとり者の中年失業者は、それから一時間半ばかり、薄暗い縁側に車座をつくり、食パンをちぎって肴にして、一瓶の焼酎を飲み合った。会話はいっこうとりとめなく、ばらばらだったが、酔いは着々と進行した。老人は膝を打ち打ち、(花はなんの花、つんつんつばき、水は天からもらい水)という子守歌を、くり返しくり返し歌った。若者は湯呑みを、左手でいそがしげに口に運んだ。その揚句、畳屋は二人ともすっかり酔っぱらい、莫邪も不本意にも酩酊(めいてい)した。食パンは耳の端まで食べ尽し、瓶底には液体が潦(たまりみず)ほど残った。老人が先ず帰ると言い出した。縁側から地下足袋をはくのにも、二人は手付きがあやしく、なかなか暇どった。商売道具をめいめいの自転車の尻にゆわえつける。自転車の二つの前燈が、庭の部分を黄色くした。老人が声を出した。

 

「ヘチマ、貰ってくよ」

 

 老人はヘチマにすがりつき、ぶら下るようにした。ヘチマ棚はわさわさ揺れた。引きちぎったヘチマを、老人は警棒のように腰にむすびつけた。

 

「じゃ明日」

 

 明日また来るのなら、商売道具を置いておけばいいではないか。そう思っただけで、口には出さない。酔いが体の芯(しん)に沈みこんで、口をきくのも大儀だ。二つの自転車の燈の輪は、押し手の背を黒く浮き立たせながら、長者門をくぐり、四ッ目垣の向うに遠ざかってゆく。大声で話し合っているらしいのだが、内容は聞きとれない。(あれで自転車に乗れるかな。どこまで帰るのかな?)すっかり燈が見えなくなってから、莫邪は時間をかけて、あちこちの戸締りをした。泥棒に入られても盗られるものは何もないが、畳を新しくしたので、厳重に戸締りをする気になった。台所に入って丁寧に手を洗い、枕もとに置くための薬罐に水をみたす。この薬罐の口に畳屋が、じかに唇をつけていたことを、莫邪は思い出す。若者の腕は青白くほっそりとしていた。(あの連中、一休何を考えているんだろうな)莫邪は頰をゆるめ、笑っているような顔になり、薬罐をぶら下げて座敷に入った。時間はまだ八時頃だから、寝るには早いが、仕事する気にもなれなかった。ばたんばたんと寝床をしき、薬罐(やかん)を枕もとに置いた。ごうと地鳴りがして、軽い地震がきた。莫邪は口を半開きにしてあおむき、眼を光らせて、電燈の揺れを見詰めている。柱や敷居がみしみしと軋(きし)む。天井裏をかけ廻る鼠の跫(あし)音。配電線、と莫邪はちらと考えた。揺れはゆるやかに止んだ。電燈が動かなくなるのを確めて、莫邪はごろりと横になった。畳はあたたかいのに、布団はひやりと冷たかった。

 

「花はなんの花、つんつんつばき、か」

 

 老人の子守歌の抑揚が、皮膚の内側に、まだじんじんと沁み入っている。閉じた瞼の裏に、ヘチマの形や蒼黒い電気屋の顔や、ブリキ片の色などが入り乱れ、そして莫邪はいびきをかいて眠っていた。夢を見ていた。

 

 

 

 朝は曇って、寒かった。黒い大きな犬が、四ッ目垣をくぐって、ひっそりと庭に入ってきた。地面をくんくん嗅ぎながら、庭の隅にあるいてくる。立ち止ると、首を垂れて、薄赤い長い舌を出し、いきなり白いものをべろべろと舐(な)めた。縁側で歯ブラシを使いながら、莫邪はそれを見た。大声を出した。犬はびくっとふりかえり、莫邪の姿を見て、構っ飛びに垣根をくぐって逃げた。莫邪は庭に降り、そこに近づいた。盛り塩の型はくずれ、不規則に散らばっている。ナメクジの姿は、どこにも見当らなかった。莫邪は下駄の歯で、湿った土とともに、塩を縁の下に蹴ちらした。歯みがき粉が昨日で切れ、今朝は塩を使っている。口の奥が突然にがくなってきた。こみ上げてくるものを押えようとして、莫邪の咽喉(のど)は苦しく痙攣(けいれん)した。表に自転車のベルが鳴り、畳屋の若者が入って来た。

 

「今日は」

 

 莫邪は顔を歪めて、若者を見た。その瞬間、今朝がたの夢にこの若者が出てきたことを、莫邪は憶(おも)い出した。ねばねばした肉質の夢の感じはすぐに来たが、どんな筋の夢だったか、それはよみがえって来なかった。血の糸の混った白い唾を地面におとしながら、莫邪は訊ねた。

 

「お早う。爺さんは?」

 

「死んだ」

 

 道具箱を自転車からおろしながら、若者はかんたんに答えた。

 

「死んだ?」

 

「うん」

 

 箱をかかえて、沓脱(くつぬ)ぎの上に置く。若者の顔には、別にきわだった表情はなかった。どんよりと動かない。

 

「今朝、会社から、電話がきた。爺さんは死んだから、一人で行けって」

 

「本当かい。嘘だろう」

 

「本当だ。嘘はついたことない」

 

「何で死んだんだね」

 

「それは聞かなかった。告別式は、明日の二時からだって。電話が途中で切れたんだ」

 

 のろのろした動作で、若者は木台を組み立てている。老人の死に無関心なのか、あるいは感情の起伏を押えているのか、よく判らない。しかし嘘を言っているのではないようであった。なにか膜をへだてて分明しないような、じりじりした感じが莫邪に来た。しかしその感じを、莫邪はうまく表白できなかった。

 

「変だな」

 

 と彼は言った。昨夜ヘチマを警棒みたいにぶら下げて、自転車を押していた老人の姿を考えた。あの時たしかに、危いなと思ったが、帰りに事故でも起きたのか。

 

「どこで別れたんだね、昨晩」

 

 若者は町の名を言った。その町がどこにあるのか、莫邪は知らなかった。若者は草履を脱いで、茶の間に上った。かけ声をかけて古畳をおこす。よろよろと、畳を引きずるようにして、庭に降りてくる。歯ブラシをくわえたまま、それを木台に乗せるのを、莫邪は手伝った。

 

「帰りに自動車にでも、ぶつかったんじゃないかな」

 

「そうかも知れない」

 

「ずいぶん酔ってたようだね」

 

「生酔いだろう」

 

 若者の身体は、スルメのようなにおいがした。その体臭と口調が、莫邪をやや不快にさせた。

 

「爺さんの豪、知ってるかね?」

 

 若者は考え考えしながら、老人の名前と住所を答える。そして思い付いたように聞いた。

 

「昨晩の瓶、酒屋に戻したかい?」

 

「いいや、まだ」

 

「早く戻すがいいよ。親爺がそう言ってたよ。すぐ戻して呉れって」

 

 莫邪は返事しないで、若者に背を向けた。勝手口に廻り、口をゆすいだ。水がつめたく奥歯にしみた。台所のすみに、昨夜の一升瓶がころがっている。小量の液体が残っている。莫邪は台所に上り、栓をとってコップにあけた。それはコップを半分充たした。(瓶のことばかり心配してやがる!)莫邪はコップを口に持ってゆき、ぐっと一息にあおった。コップを流しの上に戻し、少しの間莫邪は神妙な顔で突立っていた。やがて腸のあちこちが熱くなり、すぐに消えた。「つまり」と彼は口の中で言った。「畳替えが昼までに済むかわりに、夕方までかかるということだな」しかし、老人の死を聞いた時のショックは、まだかすかに莫邪に残っていた。勝手口から、若者が首を出した。

 

「薬罐貸しとくれよ」

 

「そこにあるよ」

 

 薬罐を下げた若者に、莫邪は習慣的な口をきいた。

 

「今日中に済みそうかい?」

 

「済むだろう。済まなきゃ、残ってやるよ。明日は日曜だからよ」

 

 

 

 電熱器に手を伸ばそうとした時、昨日の漏電係の言い草を、莫邪は思い出した。眉をひそめ、そのままかまわずスイッチをひねる。ニクロム線は見る見る赤熱してくる。古薬罐を乗せ、莫邪は心もとなげに天井を見上げた。天井は蜘蛛(くも)の巣だらけで、部分的には房になって垂れ下っている。天井板の向うにある煤(すす)だらけの配電線を、莫邪はある抵抗と共に想像した。この古家への、そしてここに棲息する自分へのぼんやりした憎悪が、莫邪の胸にじわじわとひろがってきた。しかしこの瞬間でも、莫邪の顔はあおむいている関係上紅潮し、頰の贅肉(ぜいにく)もたぶたぶとゆるんでいるので、いかにも楽しげに見える。彼は呟(つぶや)いた。

 

「玉置庄平、か」

 

 さっき聞いた老人の名だ。玉置老人の住んでいる町の名は、莫邪は聞き覚えがある。たしか辰長ハチンコと隣り合った町の名だ。その町の老いたる一住人が、昨夜なんらかの事故か病気によって死亡した。自分に納得させるように、莫邪はわざと筋道をつけて、そんなことを考えてみた。北向きの画室は寒かった。やがて薬罐がしゅんしゅんと沸(わ)き立ってきた。食慾はなかった。沸き立った湯にコーヒーをいれ、彼は二杯飲んだ。電熱器を切った。画筆をとり上げる。画筆もブリキ片も、指につめたかった。

 

 昼までにハッタリを百二十箇ばかり彩色した。昨日みたいな色調ではなく、今日はちゃんと顔や鳥や獣など。描いている間は、それに没頭する。玉置庄平の死も、ほとんど頭に上ってこなかった。

 

 十二時、莫邪は空腹をかんじた。

 

 庭では、剝ぎ取った古畳表をござの代りにして、若者が弁当を食べていた。びっくりするほど大きな弁当箱に、白い御飯がぎっしり詰めてある。縁側から莫邪はそれを見下した。若者は旨(うま)そうに舌を鳴らした。御飯に埋もれた紅生姜(べにしょうが)の色が、莫邪の眼にしみた。

 

「お茶、飲むかね?」

 

「うん。欲しいね」

 

 今日もこの男は酒を飲みたいと言い出すかな、と莫邪は考えた。空はまだ曇って、どんよりと暗い。ヘチマ棚からは、実を千切られた蔓(つる)が一本、ふらふらと揺れている。(あのヘチマはどうなっただろう) 背中にうそ寒さを感じながら、莫邪はのそのそと部屋に入った。仕事は予想外に進行していて、古畳をあと三枚残すのみになっている。

 

(畳だけ取っ換えても、あんまり意味がなかったな)今の索莫(さくばく)とした情緒が、老人の死の報知とも関連がある。それは確かだけれども、どういう筋道の関連があるのか、よく判らなかった。台所の方に歩きながら、明日は旨い鮨でも食べようかな、と彼は考えた。考えてみただけで、すぐそれは頭から消えた。この日一日、莫邪はもう鮨のことを全然思い浮べなかった。

 

 

 

 翌朝眠が覚めた時、まっさきに意識にのぼってきたのは、鮨(すし)のことであった。莫邪は眼をぱちぱちさせながら、視線をあてどなく天井に這わせていた。鮨は夢の中にも出てきたらしい。坊主枕ほどもある巨大な鮪が、ずらずらと並んでいる。そういう場面をたしかに見たような気がする。そこから引きつがれた後味として、それは寝覚めの莫邪の頭に浮んできたらしかった。あたたかい寝床に手足を伸ばし、莫邪は五分間ばかり、その夢の前後の筋道を、ぼんやりと反芻(はんすう)している。雨戸がしまっているので、部屋の中はうすぐらい。畳のにおいがする。とりとめのない平安と幸福感がその匂いの中にある。熟眠した果ての目覚めの少時(しばらく)が、一日中で莫邪にはもっとも甘美な時間に感じられる。やがて彼は、大きなかけ声をかけて、むっくりと起きあがる。立ち上って着物を着る。今朝は昨日ほど寒くない。帯をぐるぐる捲きつけながら、もう鮨のことはすっかり忘れてしまっている。彼は呟く。

 

 「もう戻ってきてもいい時分だがなあ」

 

 この家付きの老女中のお君さんというのが、肉親の不幸で郷里に戻って、もう二週間も経つ。その間莫邪は、自ら雨戸をあけ立てし、自ら食事をつくり、自ら寝床の始末をし、毎日そうすることに、そろそろうんざりし始めてきた。たかが自分一人が生きて行くために、こんなに煩瑣な行事と手続きがあるとは、今まで想像だにしなかった。お君さんはしっかりした働き手では決してない。天井が蜘蛛(くも)の巣だらけでも放っておくような女で、むしろ怠け者に属するが、それでも彼女の一日中の仕事の量は相当なものだと、莫邪は体験を通じて始めて認知した。三度の料理だけでも並大抵ではない。お君さんがいなくなって三日目のこと、莫邪はカレーライスを作製する野心をおこし、大失敗をした。カレー粉の分量を誤ったらしく、辛くて辛くて口に入らない。捨てるのは勿体(もったい)なく、砂糖をまぜたり味噌を入れたり、水や粉を増量したり、いろいろ試みてみたが、ますます奇怪な味になってゆくばかりで、とうとう大鍋一杯のそれを全然無駄にした。それ以来莫邪は複雑な料理を断念して、かんたんなもので我慢している。食物の夢をよく見るのも、おそらくそんな関係からだろう。

 

(近頃塩分が不足しているんじゃないか?)

 

台所で歯ブラシを使いながら、莫邪はちらと考えた。歯ぐきから血が出るらしく、毎朝唾に赤いものがまじる。全身がぶわぶわとむくんだような感じで、ちょっと動くのも大儀な気分になる。莫邪は眉をひそめた。あのナメクジを溶かしこんだ塩のかたまりと黒い犬のことが、ふっと頭に浮んできたからだ。

 

 ブリキ片の仕事はまだ少し残っていた。

 

 そそくさと鬚(ひげ)をそり、顔を洗い終えると、彼は薬罐をぶら下げて画室に入って行った。どのみち今日は外出するから、朝食は省略しても差支えない。

 

 午前九時、残余のブリキ片を、全部彩色し終えた。莫邪は押入れから、小さな古トランクを出す。乾いたのはそのまま、絵具で濡れているのは一枚一枚紙片をあて、そっくりトランクの中に重ねて入れる。電熱器をつけて、薬罐を乗せる。仕事が一仕切済んだこと、久しぶりに外出できることが、莫邪の気持をやや浮き立たせていた。立ち上って、洋服を引っぱり出す。近頃肥って服が窮屈になってきたので、肥った分だけ下着を減らさねばならない。冬に向うというのに辛い話だが、それも仕方がない。ネクタイを結びながら、莫邪は鼻歌をうたっている。カラーが咽喉(のど)仏をしめつけて、すこし息苦しい。意味もない鼻歌の節が、ふっと一昨夜の子守歌の抑揚に似てくる。あやふやな表情で、莫邪は歌を止めた。

 

「告別式は午後二時と言ってたな」

 

 柱鏡の中の自分の顔と、莫邪は中腰のまましばらく向き合っている。鏡面をしめるその顔は血色よく、屈託なげに紅潮し、笑う気持は毛頭ないのに、膚や頰の筋肉はゆるんで、おのずから不断の微笑をたたえている。くたびれた服やネクタイを見なければ、つまり顔かたちだけならば、けっこう特別二等重役ぐらいには見えるだろう。莫邪は八割がた満足して、柱鏡から身体をはなす。

 

 薬罐が煮え立っていた。

 

 莫邪は用心しいしい床に坐り込む。膝から腿(もも)のあたりまで、ズボンがはち切れそうになっている。慣れた手付きでコーヒーをいれる。溝く熱いのを時間をかけて飲み干す。トランクの蓋をしめ、ゆっくりと立ち上る。背伸びをしたついでにハンチングをつかみ、頭に載せる。トランクをぶら下げて、あとも見ず部屋を出る。

 

 落陽(うすび)さす朝の小路を、莫邪は駅の方に歩いていた。辰長パチンコに品物を届ける時はいつも、彼はこのいでたちである。このいでたちは、その度ごとに、莫邪の気に入っていた。鼠色の背広に、やや斜めにかぶったハンチング。手に提げた小さなトランク。どこから眺めても旅行者と見えるだろう。旅人。家郷を失い、あてどなくさまよいの旅に出る。その贋(にせ)の情緒が、常に莫邪の胸をこころよく刺戟し、莫邪の歩調をさわやかにする。莫邪の歩調にしたがって、ぶら下げたトランクの中では、数百のブリキ片が互いに触れ合いこすれ合い、ガチャガチャガチャと鈍く乾いた音を止てる。このやくざなブリキ片と引換えに、どれほどの金が貰えるか、やがて莫邪は神妙な瀕になり、口の奥でぶつぶつと呟きながら暗算を始めている。薄ら日は照っているが、空には雲が多い。冬に入る前兆のように、雲はそれぞれ翳(かげ)を持っている。

 

 

 

 すぐ背後で聞き覚えのある声がする。がらがらしてよく徹る声だ。(藤田の声に似ているな)一年前雑誌社で同僚だった男。ぎっしり詰った満員電車の中で、その会話を背にしながら、莫邪はいっそう体をすくめるようにする。その声は別の声と、胃の話をしている。(やはり藤田の声だ)振り返ろうと思えば出来ないことはないが、そうしたくない。なるべく自分と気付かれたくない。失業の引け目が莫邪をそうさせる。午前十時、電車は揺れながら奔(はし)っている。カーブにかかる毎に、トランクをはさんだ両脛(すね)がしなって痛い。

 

(満員電車に乗るのも久しぶりだな)

 

 そろそろ右手を頭に上げ、ハンチングの廂(ひさし)をそっと引きおろしながら、莫邪はそう思って見る。背中がうすうすと汗ばんでくる。背後の話題は、胃のことから寄生虫のことに移っている。Uという作家のこと。それが虫下しを呑んだら、回虫が二十四匹もぞろぞろと出てきたという話。おかげですっかり健康をとり戻したが、どういう訳か、とたんに小説が書けなくなったという話。相手側の低い笑声。

 

「つまりさ、今までのあいつの小説は、回虫が書いていたということさ。当人はただの仲介人さ。だから奴さん、近頃は後悔して、生野菜ばかり食ってるという噂だよ」

 

「そいつだけでなく、小説書くてえのは、大がい虫けらの部類じゃないのかい」

 

 声に笑いが混る。こんな会話の向うにある世界から、俺はもう一年も隔離している、と莫邪は思う。脛の間でトランクの中味がガチャリと揺れる。ある苦痛が莫邪の胸をはしり抜ける。それをごまかすために、すぐ前の男が窮屈そうにひろげた新聞の一部分に、莫邪は視線を固定する。丹念に一字一字をたどって読む。うなぎのどろ吐かせ。彼は意識を強引にそこに集中させた。どじょうやうなぎのドロを早く吐かせるには、料理をする前に唐辛子(とうがらし)を細かく刻んで少し振り込んだ水にしばらく放しておくと、きれいにドロを吐きます。これは唐辛子の辛味成分であるカプサイシンが、うなぎの胃を刺戟するためです。電車が速度をおとした。

 

「カプサイシン、か」

 

 電車はホームに、辷りこんだ。扉がはずみをつけて開く。莫邪は背をぐっと曲げ、大急ぎでトランクの把手をつかむと、その丸まった姿勢のまま扉へ突進し、ホームにころがり出る。カラーにしめつけられた首筋が汗ばみ、ワイシャツの釦がひとつ弾け飛んでいる。ずっしりと重いトランクを下に置き、莫邪は顔を前方に突出し、指をカラーと頸の間にはさんで風を入れた。鼻の両翼に汗が粒になってふき出ている。

 

「カプサイシン。こんな役に立たない言葉は、早く忘れなくちゃ」

 

 大切なことはすぐ忘れてしまう癖に、生活に関係のない不用のことは、いつまでもしつこく覚えている。記憶から排除しようとすればするほど、そいつらは爪を立ててしがみつく。近頃の莫邪の記憶の大部分は、そんなやくざなかけらばかりで満たされていて、本筋のものは忘却の後方に薄れかかっている。

 

「カプサイシン」

 

 電車が発車して、がらんとなった線路に、莫邪は忌々(いまいま)しく唾をはいた。唾は線路の鉄に当り、一部分は斜めにぐにゃりと枕木に、辷り落ちた。莫邪はハンチングの形を直し、トランクを持ち上げて、のろのろと改札の方に歩き出す。

 

 

 

 午前十時半。パチンコ部品係主任の棚山幸吉は、製作所の二階の小さな窓から、しごく無感動な顔付きで、通りを見おろしていた。製作所と言っても、小さな町工場程度のがたぴしした建物で、塗りもペンキも剝げかかっているし、入口なども貧弱な構えだ。眼下の通りをななめに横切って、今その入口の方に、トランクを重そうにぶら提げた人見莫邪が、ゆっくりと近づいてくる。棚山はその姿を眺めながら、チッと歯を鳴らした。

 

「よく肥ってやがるな、あの先生は」

 

 棚山はせんから莫邪という男を好きではない。それは棚山自身が瘦せているせいもあるが、莫邪のあの頰ぺたのあたりの、能の無さそうな笑いが、何となく気に食わないのである。彩色技術も優れているとは全然思えない。それなのに、所長辰野長五郎の旧友だというわけで、塗り代も特別高く取る。所長の言い付けだから仕方がないけれども、普通の彩色下請(したうけ)はケースが十円、ハッタリが三円が相場なのに、あの男たけにはその二倍も払っている。ムダな浪費のような気がして、全く面白くない。階段をのぼってくる重々しい跫音(あしおと)を聞きながら、棚山はかるく舌打ちをして、煙草に火を点けた。

 

「所長の気紛れにも、ほんとにうんざりするな」

 

 そんな余分の金があるなら、この俺の月給を上げて呉れればいいのに。彼がそこまで考えた時、うすっぺらな木扉がぎいと鳴って、汗ばんだ莫邪の丸い顔がぬっとあらわれた。

 

「今日は」

 

「今日は」

 

 棚山も反射的に愛想笑いをうかべて、あいさつを返した。莫邪は扉をしめて、口を半開きにして部屋中を見廻した。

 

「辰野君は、今日は留守ですか?」

 

「所長は昨日、名古屋に発(た)ちましてねえ」

 

 と棚山は歯の奥をチイッと吸った。

 

「近頃うちの売行きもあんまり香ばしくないんで、新知識を仕入れに、製造本場の見学ですわ。ははは」

 

「そうですか。それはそれは」

 

 莫邪はハンカチを振出して、がっかりしたように額をごしごしと拭いた。やや不安な眼付きになっている。

 

「売行きが良くないんですか」

 

「もうそろそろこの商売も下火でしょうな」

 

 棚山は意地悪さをかくして、にこにこと笑って見せた。

 

「もう業界も飽和状態ですしねえ」

 

 莫邪は困惑したような表情で、視線をあやふやに宙に浮かしている。棚山は煙の輪をはき出しながら、その莫邪の顔をじっと見詰めていた。莫邪はふと我に帰ったように、足もとのトランクを卓の上に載せ、おもむろに蓋を開いた。ぎっしり重ねて詰めこまれたブリキ片を、棚山はじろじろとのぞきこんだ。形式的に口を開いた。

 

「御苦労さまですな。毎度毎度」

 

「いやいや、こちらこそ」

 

 女みたいにふくらんだ莫邪の掌が、一重ねずつブリキ片を摑(つか)んで、次々卓上に並べ始める。ブリキ片は触れ合って音を立てる。棚山の手がつと伸びて、その卓の上の一片をつまみ上げた。

 

「こ、こりゃ何ですか?」

 

 莫邪は手を休めて、棚山の方に顔を上げた。それは一昨日描いた、あの無意味な色と形である。その一片が指にぶら下げられているのを見た時、予期しないかすかな羞恥と狼狽がのぼって来て、莫邪はそれをごまかすように、曖昧(あいまい)な笑いを頰に走らせた。棚山はその一片を、掌の上で二三度ころがした。

 

「手をお抜きになっちゃ、困りますな」

 

「いや、そりゃ、手、手を抜いたわけじゃなくて――」

 

 とどもりながら莫邪はあわてて弁解した。

 

「いつもいつも月並な模様じゃ、お客も飽きると思ってね。それでこう、ちょっとシュールの――」

 

「シュールは困りますな。シュールは」

 

 棚山はつめたい声でさえぎって、不機嫌な動作でそのブリキ片をことりとトランクに投げ戻した。

 

「大衆は月並で結構ですよ。ええ、シュールはお断り。これは描き直していただかなくちゃあ。この手のやつは、一体何枚あるんです?」

 

「ええ、何枚だったかな」

 

 莫邪は急に興覚めた顔になり、一昨日の分をより分け始める。棚山の手ももどかしげにその作業に参加して、二十本の指がしばらくそこらで忙がしく動いた。

 

「じゃ、この分は別として――」

 

 すっかり整理し終えた時、棚山は卓上に整列したブリキ片の数を読みながら、低い声で言った。

 

「今日お支払する分は、ええと、合計と願いましては、ええ、四千六百円也か。そうですな」

 

 棚山の瘦せた身体が隣りの部屋に消えて、紙幣(さつ)束を持ってまた現われる迄に、莫邪は不合格品をトランクに収め、もう元の表情を取り戻していた。棚山は紙幣束を莫邪につきつけた。莫邪は受取った。

 

「ええと、次の仕事は――」

 

「所長がお戻りになってからのことですな」

 

 棚山はわざと退屈そうな声を出した。

 

「私どもではよく判りませんで」

 

「そうですか。それじゃまた」

 

 紙幣束を内ポケットにしまい、頭をかるく下げて、莫邪は扉の外に出た。棚山は急いで窓のところに行き、ふたたび通りを見おろした。トランクを下げた莫邪の姿が、やがて真下の入口から出てくる。左右を見ながら、小走りに車道を横切る。向う側の歩道を四五間歩いて、ふと立ち止る。小さな鮨(すし)屋の前だ。

 

「奴さん。金が入ったんで、鮨でも食べる気だな」

 

 あざけりを含んだ笑いが、棚山の瘦せた頰にのぼってきた。莫邪の鼠色の服が、今彼方で紺ののれんをくぐろうとしている。

 

 

 

 マグロを六つ、あなごと烏賊(いか)を各四つずつ食べ、莫邪はちょっと頭をかしげ、服の上から胃のあたりを押えてみて、今度は鉄火巻を注文した。鮨屋がそれをつくっている間、莫邪はあがりを飲みながら、台の向う、大薬罐をのせた電熱器を、ぼんやりと眺めていた。薬罐はさかんに湯気をふいていた。

 

(告別式に行ってみるかな)

 

 どうせ今日は暇だし、家に戻っても仕方がない。それにあの老人の死は、こちらにも充分かかわりがある。

 

 鮨屋は鉄火巻をつくりかけて、うしろに手を伸ばし、電熱器のスイッチをパチンと切った。莫邪の眼はそれを見た。

 

(はてな?)

 

 彼の顔は急に緊張し、遠くを眺める空虚な眼付きになった。

 

(今朝、おれは、うちの電熱器を消してきたかな?)

 

 莫邪は大急ぎで記憶の中を探り廻した。右手がもぞもぞ動いて、スイッチをひねる手付きになる。切ったような気もするが、切らないような気もする。どうもはっきりしない。不安げな呟きが口から洩れ出た。

 

「さて、これは――」

 

「へい。おまちどお」

 

 六つに切った鉄火巻が、黒漆の台にずらずらと並ぶ。莫邪の手がそこへ行く。口ヘ運ぶ。海苔の香。ワサビ。莫邪の右手は、惰力で台と口を往復する。古家のこと、その屋根裏の配電線、火災保険のことなどを、莫邪はあれこれと考えている。最後の一つを口にほうりこみ、ろくに嚙みもせず、ぐつとのみこむ。(三十五にもなって、職もなければ、女房もない)莫邪は元の弛緩(しかん)した顔容にもどって、生ぬるいあがりを飲み乾しながら、うんざりしたような声を出した。もう家なんかどうでもいいような気分になっている。

 

「ああ、腹いっぱいになった。いかほど?」

 

「へい」

 

 千円札からおつりを貰いながら、莫邪はふたたび訊ねてみた。

 

「富田町三丁目というと、ここからどう行けばいいんだね?」

 

 昨日若者から聞いた玉置老人の住所である。この町と隣接しているから、ここからぶらぶら歩いて行ける筈であった。

 

 

 

 玉置庄平は黒い喪服を着け、玄関にしつらえた壇の歪みを直したり、弔花の位置を動かしたりしていた。この老人の頑丈な体軀(たいく)には、紋服はあまり似合わない。袖口から太い武骨な手首がにゅっと出ている。告別式の時刻までには、まだすこし間がある。庄平は壇の正面に廻って、不備やそそうの点がないか、ずっとそこらを見廻した。

 

 壇の一番奥には、黒く縁取られた引伸し写真がかかげてある。一昨日Q精神病院で死亡した庄平の妻の写真である。発病前に撮った写真なので、ひどく若々しく見える。庄平は眼をしばしばさせながら、それを眺めた。亡妻の死因は盲腸炎である。腹膜炎を併発して、一昨日の午前に息を引きとった。しかし庄平は今それほど悲しみを感じていない。生きていても、重症の精神分裂病だから、彼女は生涯庄平の生活に再び戻って来ることはなかったのだ。庄平にとっては、三年前の妻の発病の時の方が、よっぽど悲しかった。

 

「これでよし、と」

 

 庄平は踵(きびす)を返し、紋服の裾をわさわさ鳴らしながら、門のところまで出て来た。

 

 小路を向うからゆっくりした歩調で歩いてくる人影が、その庄平の姿を見て、ぎょっとした風に立ち止った。庄平はその男を見た。門から五六間隔てた、電柱のすぐ横である。電柱には「玉置家」と書いて矢印をつけた紙が貼ってある。

 

 男は鼠色の服をつけ、片手にトランクをぶら下げている。食パンのように肥っている。庄平は、眼を細めて男の顔を見た。そして庄平はそのきょとんとした顔の男が、一昨日仕事をやりに行った家の主であることを、やっと思い出した。

 

「やあ」と庄平は言った。

 

 莫邪はようやく驚きから覚めたように、トランクを左手に持ち換えて、そろそろと庄平の方に近づいてきた。近づきながら口の中で何かもごもご言ったようだが、庄平には聞き取れなかった。庄平はかさねて言葉をかけた。

 

「そんな恰好して、どこへ行くんだい?」

 

「うん」と莫邪はもつれたような混乱した口を利(き)いた。

 

「ちょっと、そ、そこまで」

 

「そうかい。俺んちは今日は、ちょっと取り込みでさ」

 

 庄平は顎(あご)を玄関の方にしゃくって見せた。壇の横や向うに、手伝いの人の影が、ちらちらと動いている。香のにおいが流れてきた。

 

「女房が死んだんでね」

 

「おお。それはそれは――」

 

 莫邪はとってつけたように頭をぴょこんと下げた。

 

「御愁傷さまでした。して、何の病気で?」

 

庄平はかんたんに亡妻の病状を説明した。他の人々に何度も説明したあとだから、口下手な庄平にしては、なかなか要領を得た話しぶりであった。莫邪はうなずきながら耳をかたむけている。

 

「それで昨日は来なかったんだね」

 

「ああ、そうだ。あの若僧っ子、何か言ってなかったかい?」

 

「いや、何とも」

 

 莫邪はうそをついた。本当のことを言うのも具合が悪かった。

 

「あの青年、妙な青年だね」

 

「うん、全くハンチクな野郎さ」

 

「ヘチマ、どうしたね?」と莫邪は思いついて訊ねてみた。

 

「そこに漬けてあるよ」

 

 門のすぐ傍の防火用水槽に、ヘチマは頭をすこし出して漬けられていた。水は青黒くどろりと濁っているので、底の方は見えなかった。

 

「何月か経つと腐って筋ばかりになるね。そうすりゃもう立派なアカスリだ」

 

「こいつは細長いから、背中こするのに都合がいいね」

 

 黒くよどんだ水面に、空がうつっていた。庄平は空を見上げた。

 

「今日は日曜だろ。Q病院の運動会さ。女房が生きてりゃ、見舞いがてら、そいつを見に行こうと思ってたんだがな」

 

「ほう。運動会って、気違いのかい?」

 

「そうだよ」

 

「そりゃ僕も見たいもんだな。面白そうだな」

 

 莫邪は興味をそそられて口走った。

 

「今から行けばまだやってるよ」

 

「そうかい。ひとつ行って見ようかな」

 

「行って見るといい。若え時にゃ何でも見とくもんだ」

 

「どこにあるんだね、その病院」

 

 庄平は説明を始めた。手伝いの若い男が、木机をかかえて、奥から出てくる。受付台にするのらしい。ハンチングをかぶり古トランクを下げた自分の姿が、どうも場違いのような感じがして、莫邪は落着かず身体をもじもじ動かした。

 

「じゃあ――」

 

 莫邪はハンチングに手をかけて、頭をちょいとかたむけた。

 

「そうかい」庄平もうなずき返した。

 

「こういう取り込みで、まだ家のこたぁ話してないんだ。そのうち連絡にゆくよ」

 

「家のこと?」

 

「そら、家を売る話さ」

 

 莫邪はあいまいに合点合点して、そろそろとそこを離れた。五六間歩くと、ふいに急ぎ足になりながら、ポケットからハンカチを出して、顔の汗をごしごし拭いた。手に提げたトランクの中では、不合格のブリキ片が踊る。(てんで出鱈目(でたらめ)だな)莫邪は歩調に合わせてわざとトランクを乱暴に振ってみる。ブリキ片たちはトランクいっぱいに、チリチリチャランと軽燥(けいそう)な音を立てて鳴った。

 

「もう、こうなれば――」

 

 何がこうなればなのか、莫邪は自分でも割切れないまま、頰の肉を力ませて呟いた。

 

「気違い共の運動会を見に行くより他はない」

 

 さっき鱈腹(たらふく)つめこんだ鮨が、胃をむっと膨脹させている。息苦しい。何であんな沢山食べたのだろう。そのせいか、思考に筋道がつかず、一向にとりとめがない。さっき見た霊前の菊の花はきれいだったな。あんなのを厚物咲というのかな。路地を出て横に曲りながら、莫邪はそんなことを考えている。

 

 

 

 病院の構内のやや広い空地に、気の確かな人々と不確かな人々が混然と群れ集い、旗ははためき、風船玉は揺れ、拡声器からはレコードの響きが、ひっきりなしに流れ出ていた。空地は高いポプラの樹々にかこまれ、空は厚い雲の層におおわれている。

 

 午後三時。呼物の仮装行列が終って、仮装の人々はアーチをくぐり、どよもす歓笑の中をしずしずと病棟の方に引き上げて行った。たくさんの子供たちが、放された風船を追って、乱れ走る。レコードが突然止んだ。男の声が拡声器に乗って、たかだかと響き渡る。

 

「ええ、次は、本日のプログラムの最後、プログラムの最後、綱引きでございます。東病棟対西病棟の、東西対抗綱引き。患者さんたちは全部出場して下さい。患者さんは全部」

 

 看護婦の白服がばらばらと、見物席の方に走ってゆく。空地の一隅から、屈強な男たちが七八人で、長い綱を引っぱり出してくる。看護婦たちが見物席の患者たちをうながして廻っている。見物席は不規則にぎわめき、乱れ立ち、列がくずれてくる。ばらばらと空地に出て来る。うながされても、しゃがんだまま動かないのもいる。男もいるし、女もいるし、年も服装も雑多な群衆は、かり立てられた家畜のようにのろのろと動く。空地の中央に長々と綱が横たえられる。呼び声や笑い声や叫び声。拡声器のアナウンス。やがてごちゃごちゃした雑沓は、すっかり一本の綱の両側に収まっている。黄色い砂塵が中空までうっすらと立騰(のぼ)っている。

 

 号笛一声。雑然たる懸け声と共に、砂塵をおこして綱引きが始まる。またたく間に終る。東病棟の圧倒的勝利。拡声器が鳴り渡る。

 

「本日は有難うございました。本日の運動会はこれで無事終了致しました。役員の方は至急本部まで集合して下さい。――」

 

 午後三時二十分。病棟にはさまれた石畳の道を、外部からやって来た見物人は、三々五々、正門の方に戻ってゆく。重症病棟の鉄格子の窓から、今日の運動会に参加出来なかった患者が、戻ってゆく人波を眺めている。黄色く色づいた銀杏(いしょう)の葉が、病棟の屋根にも石畳にもおびただしく散り、湿った風に吹かれている。Q精神病院の大きな石造の正門を、今トランクを提げた人見莫邪がのそのそと入ってくる。ぞろぞろと正門向けて動いてくる人々を見て、妙な顔をして立ち止る。黄色い銀杏の葉が一枚ひらひらと莫邪の肩にとまる。

 

「運動会はどこだね?」

 

 折柄傍に走ってきた子供らを呼びとめて、莫邪は訊ねる。子供らは立ち止って、小莫迦(こばか)にしたような顔を一斉に莫邪にむける。

 

「もうとっくに済んじゃったよ。なあ」

 

「今頃来たって遅いよ。デブ小父さん」

 

 そして子供たちは、口々に呼び交わしながら、てんでんばらばらに走って行く。莫邪は気の抜けたような鈍重な顔で、ぼんやりと佇(た)っている。それからのろのろと廻れ右をする。動いてゆく人波にまぎれこんで、今来た道を戻ってゆく。その肥った右肩には、さっきの銀杏の葉がまだとまっていて、莫邪の歩調と共にかすかに揺れている。

 

 

 

 

2018/08/02

ブログ1120000アクセス突破記念 梅崎春生 犯人

 

[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年三月号『改造』初出。後の作品集「馬のあくび」(昭和三二(一九五七)年一月現代社刊)に所収された。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第六巻」(昭和六〇(一九八五)年刊)を用いた。

 幾つかについて、最初に注しておく。短くて済むものは本文中に入れ込んだ。

 冒頭の短いシークエンスのロケーション、主人公が転がり込む友人のいる百姓屋のある「稲田堤」(いなだづつみ)は、神奈川県川崎市多摩区のJR東日本南武線稲田堤駅及び京王電鉄相模原線京王稲田堤駅周辺を指す地域名。町名としては南武線稲田堤駅が所在する菅稲田堤(すげいなだづつみ)が残る。この附近(グーグル・マップ・データ)。梅崎春生の随筆「日記のこと」にも登場するように、彼の実体験に基づくものである。梅崎春生自身、敗戦の一ヶ月後の昭和二十年九月に上京した際、川崎の稲田登戸の友人の下宿に同居している(現在の神奈川県川崎市多摩区登戸。現在の小田急電鉄小田原線の「向ヶ丘遊園駅」は昭和三〇(一九五五)年四月に改称されるまでは「稲田登戸駅」であった。ここ(グーグル・マップ・データ)。南武線登戸駅は南武線稲田堤とは二駅しか離れていない)。そうして、かの名作「桜島」(リンク先は私の電子化注PDF版。分割の連載形式のブログ版はこちら)は、まさにこの稲田登戸で書かれたのである(春生の「八年振りに訪ねる――桜島――」を参照のされたい)。

 「八八」は花札遊びの一種で、「江戸花」「東京花」の異称があり,特に関東で普及している。八八の名は花札の総点数が二百六十四点で,一人平均八十八点になることに由来する。三~四人で行い、場札六枚、手札各自七枚、残りは場の山にして始める。四人の場合は手札の状態により、一人、棄権できる。まず、親から場にある札と手札を合せて取り、次いで山札の一枚をめくって場に出す。場札とめくり札が同種の場合は取ることが出来る。このようにしてゲームを進め、取った札の組合わせによる出来役と持ち札の組合せによる手役の合計点で勝ちを決める。役は地方によって異なる。普通は勝負前に役の取決めを選択して行う(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

 「オイチョカブ」は主として京阪地方で行われた株札(かぶふだ:一から十までの札四組に,特別な札二枚(白札と鬼札)を入れた計四十二枚で遊ぶ賭博的遊戯。めくりかるたの一種。俗に「追丁(追帳)かるた」とも呼ばれる。遊び方は手札とめくり札を合せて、末尾の数字が九あるいは最もそれに近い者を勝ちとする)を用いた賭博の一種。花札を使うこともあり、その場合は十一月(雨)、十二月(桐)の八枚の札を除き、四十枚で行う。めくり札と手札の数を合せ、末尾の数が九もしくは九に最も近い数をもって勝ちとする。ほかに種々の役上がりがある。「おいちょ」はめくり札の八の数又は合計数字の末尾が八になる数をいい,「かぶ」とは九の数をいう(ここまでは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。三省堂「大辞林」によれば、これらは外来語とする説もあるが、未詳、とある(私は賭博遊戯を全く知らないので、前注とこれは私自身のために附した)

 「カツギ屋」話柄内時制の第二次大戦後の昭和二十年代、米などの統制物資を買い入れては、担(かつ)いで売り歩いた者を指す。

 「厚司(あつし)」は「厚子」とも書く。アイヌ語のアツシ(attush),つまり、オヒョウ(双子葉植物綱イラクサ目ニレ科ニレ属の落葉高木であるオヒョウ Ulmus laciniata。詳しくはウィキの「オヒョウ(植物)を参照されたい。アイヌ語由来の解説が詳しい)の樹皮からとった繊維で織った織物。アイヌの着物がこれでできているところから、厚司をアイヌの着物と解することが多い。着物としての厚司は袖は平袖(ひらそで)、丈はすねぐらいで、女物は男物よりやや長めで衽(おくみ:着物の左右の前身頃(まえみごろ)に縫い附けた、襟から裾までの細長い半幅(はんはば)の布。着用の便宜のために存在する)がない。厚司の特色は袖口・襟・背・裾回しなどに、木綿や絹で、アイヌ特有の模様を切付けにすることである。また、関西地方で考案された非常にじょうぶな厚手の木綿織物でつくられた、紺無地か、大名縞の労働着も厚司と呼ばれ、一般に用いられているから、ここは最後のそれであろう(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

 「ドルマンスタイル」dolman style。袖ぐりが深くゆったりしていて、手首に向かって細くなっていく袖。トルコ発祥の服装のスタイルを指す。「ドルマン」とはトルコ語で「衣服」を意味する語に由来するとされ、袖の付け根がゆったりした女性用の服を指すことが多く、袖の作りを特に指す場合は「ドルマンスリーブ」(dolman sleeve)と呼ぶ。

 「籠抜け」広義には「万引き・窃盗」の意であるが、ここは「闇」市の「ブローカー」による「籠脱け詐欺」で、関係のない建物を利用し、そこの関係者のように見せかけて相手を信用させ、金品を受け取ると、相手を待たせておき、自分は建物の裏口などから逃げる手口の詐欺のことを指していよう。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1120000アクセスを突破した記念として公開した。【2018年8月2日 藪野直史】]

 

   犯  人

 

 とにかくそれは一風変った男だった。僕はその男と、終戦後の数ヵ月間、同じ屋根の下に生活を共にしたのだ。その男の名は、これも本名だか偽名だかいまだに知らないが、風見長六と言う。その頃彼は、三十歳前後の、あばた面の大男だった。ふだんはむっつりしているが、しやべったり笑ったりすると、妙に人なつこい魅力があった。

 僕が風見と初めて知合ったのは、南武線沿線の稲田堤のある百姓家の庭先でだ。

 復員後、直ちに僕は東京に戻ってきたのだが、応召の時荷物をあずけた友人宅付近は、一面ぼうぼうの焼野原で、どこに行ったか判らない。苦心して探しあてたのがこの百姓家で、友人はその二階に間借りしていた。妻子は故郷に疎開させたままだという。とにかく私はその部屋にころがりこんだ。下の百姓に相談もせず、強引にだ。そうでもしなければ、行くあてはないし、野宿でもする他はなかったからだ。まああの頃は、一種の乱世だから、そんなこともそう不自然ではなかったわけだ。

 しかし、そういう僕に対して、百姓家の主人がいい顔をする筈がない。それでも割に気が弱い男だと見え、直接僕には強く当らない。」友人に向ってうらみごとを言ったり、愚痴をこぼしたりするのだ。へんな男を同居させたりして、最初の約束と違うじゃないか。そんなことをくどくど述べたてるらしい。もちろん僕がいないところでだ。全く主人にとっては、この僕は変な男に見えただろう。復員したてで職もなし、毎日面白くない顔でぶらぶらしていたのだから。そこで友人も板ばさみとなり、だんだん僕にいい顔を見せなくなってくる。友人は川崎の方の某会社に、ちゃんとした職を持っていた。僕のような風来坊を同居させることが、真面目な彼にとって、物心ともにそろそろ重荷になってきたらしい。鈍感でないから僕にもそれは判る。だんだん居心地がよくなくなって来た。

 そんなある日の午後のことだ。僕は所在なく階下の縁側で日向ぼこをしていた。二階は暗い部屋だが、ここはよく日が当る。友人は会社に出勤しているし、百姓一家はそろって野良に出ている。留守番は僕一人だ。日向ぼこが楽しみなくらいだから、時候も秋の終りの頃だったのだろう。僕は縁側に寝ころんで、新聞を読んだり、空行く雲を眺めたり、軒にずらずらとぶら下った干柿を見上げたりしていた。干柿ほほどよくくろずんで、実に旨(うま)そうだったが、ひとつちょろまかして食べるという訳には行かない。主人がちゃんと数を勘定している。毎朝、僕がいるところであてつけがましく勘定して、それからおもむろに野良に出てゆくのだ。それほど僕に信用がおけないらしい。千柿のみならず他の食物も、たとえば土間のサツマ芋なども、丹念に勘定されているらしい気配がある。終戦直後のことだから、闇売りで大儲けしているくせに、風来坊の僕などには、芋のかけら一つも渡すまいという魂胆だ。全く厭になってしまう。だから僕も歯を食いしばって、干柿を眺めるだけにして、ちょろまかすようなことは絶対にしないのだ。

 庭先に誰か入ってくる気配がした。僕はあわてて躰をおこした。主人が戻ってきたのかなと思いながら。しかしそれは主人ではなかった。

 軍隊外套を着け地下足袋をはき、大きな袋をぶら下げた男が、のっそりとそこに立っていた。背丈は五尺八寸ほどもあり、肩幅もそれに応じてがっしりと広かった。顔は大きなあばた面だ。その眼が探るように僕を見た。

「芋をすこし売って呉れないかね」

「さあね、僕にはわからない」

 と僕は答えた。

「僕はここでは、ただの間借人だから」

「ほかに誰もいないのかい」

「みんな野良に出ている。しかしここの芋は高いよ。東京に運んだって、儲けにはならないよ。止したがいい」

「いくらぐらいだね?」

「貫当り十五円だ」

「そりや高い。いくらなんでも高過ぎるな、東京で買っても、そんな相場だぜ」

「だから止しなと言うんだよ」

 男はがっかりしたような表情になり、縁側を通して土間に積まれた芋の山を、横目でちらっと眺めていた。それからどっかと縁側に腰をおろした。

「全くやり切れねえな。遠くに出かければ汽車賃がかさむし、近くだと百姓がこすっからいしなあ」

 その言い方が可笑(おか)しかったので、僕はちょっと笑った。

すると男はぎろりと眼をむいて、僕をにらみつけた。

「いや、これは笑いごとじゃないぞ」

 私は笑いを中止した。すると男は機嫌を直したらしく、ポケットから煙草をとり出して僕にすすめ、しばらく世間話などをした。煙草は手巻きの紙臭いやつだ。向うがいろいろ聞くので、僕は今の自分の身の上のことも話した。つまり、職がないことや、僕という存在がこの百姓家で厭がられていることなどだ。すこし誇張も混えて話したので、男はすっかり僕に同情した風だった。

「そりやあいかんな。いい状態じゃない」

 そして考え深そうにまばたきをして、

「早くおん出たがいい。邪魔者あつかいにされてまで、踏みとどまる手はなかろう」

「おん出るつて、行くところがないんだ」

 男は僕の顔をじっと見た。そして言った。

「じゃ、俺の家に来い。部屋が余ってる」

 僕はすこしびっくりした。しかし次の瞬間、僕はもうその男の言葉に乗る気になっていたのだ。これが現今のことなら、ためらったり、しりごみしたりする気持になるのだろうが、なにしろ終戦直後のことで、身のふり方など、どんなにでも簡単にとりあつかえる気持だったのだ。僕は答えた。

「そうかい。それじゃそう願おう」

 それであっけなく身のふり方がきまってしまった。この男が風見長六というのだ。今からでも一緒に来いというのだが、こちらは荷物のとりまとめもあるし、明日ということにして、とりあえず住居の地図を書いてもらった。なぜ風見が僕に好意ある申し出をしたのか、そんなこともあまり考えなかった。考えることなど、その頃の気持では、余分のことだった。軍隊時代の習慣が、まだ心身のどこかに残っていたのだろう。考えるよりも、動いたり流されたりする方が先。僕もそうだったが、風見だってあるいはそんな気分だったのだろう。

 僕が引越すと判って、友人は形式的な心配を示した。素姓(すじょう)も知れない人間の言葉を、かろがろしく信用したら駄目だというのだ。しかし、内心では、ほっとしているのは明らかだった。階下の百姓はもちろん大喜びだったらしい。翌朝僕に顔を合わせるとにこにこして、折角(せっかく)顔見知りになったのにお名残惜しい、時には遊びに来て呉れ、などと心にもないお世辞を言い、サツマ芋二貫目を餞別に呉れた。餞別と言っても、皮が剝けたのとか二つに折れたのとか、そんなクズ芋ばかりだ。でも無いよりはましだから、有難くお礼を言い、僕は稲田堤に別れをつげた。それから今日に至るまで、僕は稲田堤を訪れたことはないが、あの百姓も元気でいるかどうか。今思うとあの百姓は、少々ケチで慾張りだったが、決して悪い男ではなかったようだ。

 さて、お話し変って、風見長六の宅。この家の外観内容は、やや僕を驚かせた。僕は漠然とふつうの小住宅を予想してきたのだが、そうではなかったのだ。一応住宅の恰好(かっこう)はとっているが、当初住宅の目的で建てられたのではないことは、一眼で判る。一廓の焼跡の片すみに、そいつは道路に面してぽつんと立っている。もちろん屋根もあるし壁もあるが、窓は近頃あけたと見えて、材木の切口がまだ新しい。床も急造のものらしく、しかも素人(しろうと)細工だと見え、踏むと足もとがあぶなっかしいようだ。風見長六は、その上り框(がまち)に腰をおろして、飯盒(はんごう)飯をかっこんでいるところだったが、僕の顔を見て、しごく落着いた口調で、

「やあ、やって来たか」

 と言った。土間に荷物をおろしながら、僕は訊(たず)ねてみた。

「この家は、昔から住宅なのかね」

「いや」

 風見は腰をずらせて、僕の席をつくって呉れながら、

「これはもともと、ギャレージだ。母屋は焼けて、これだけ残ったんだ」

「へえ。君の家なのかい?」

「そうじゃない。借りたんだ」

 風見の話によると、彼も復員下士官で、あてもなく東京をほっつき歩いていると、この焼残りのギャレージが見つかったので、これを自分のすみかと定めたと言う。もちろんその頃は、床もなければ窓もなかった。そこへ住みついて二三日経つと、変な老人がやってきて、どういう権利でそこに住んでいるのだと聞く。その老人が語るには、この家の持主は田舎に疎開していて、自分が留守跡の運営や整理を任されていると言うのだ。そこで風見は、実は行くあてがないからこのギャレージを貸して呉れ、家賃は払う、と相談を持ちかけると、老人はちょっと考えて、月二百円なら貸してやろうと答える。終戦の年だから、月二百円というのは法外の高値だ。しかし風見はそれを承諾した。それから彼はあちこちから材木や板片を集めてきて、床をつくり、窓をこしらえ、どうにか住める程度にやっとこぎつけたという話。そのいきさつを聞いて僕は大層感服した。たとえばこの僕が、無為無策に友人のところに転がり込んでモタモタしている間に、才覚や実行力のある奴はちゃんと自分で道を切り開いて、どうにか恰好をつけている。僕は急に風見という男が頼もしくなったが、一方ではちょっとあることが心配にもなって来た。つまり月二百円の家賃が、割前として僕にかぶさって来やしまいかという、ケチな心配だ。風見はそれにおかまいなく、先に立って上り、ぐるりと見廻して、奥のすみの方を指差した。

「お前の部屋は、あそこがいいな。そういうことにしよう」

 部屋と言っても、仕切りも何もありゃしない。のっぺらぼうで隅から隅まで見渡せるのだ。床には古畳がずっと敷いてあって、隅の二枚分が僕の分だというのらしかった。それならばそれでもよかった。雨露さえしのげれば、あとはどうにかなるだろう。僕は何気ない口調で訊ねた。

「部屋代は、どうなるんだね。つまり、家賃の割前」

「そんなこと、どうにかなるよ」

 と風見は言下にさえぎった。僕は風見の表情をうかがった。払わなくても風見の方でどうにかすると言うのか。その表情からはよく判らなかった。しかし僕は、このギャレージに住んでいる間、一文も部屋代を払わなかったから、結局は風見の言う通りどうにかなったわけだ。こうして風見邸における僕の生活が始まったのだ。

 

 この風見邸の住人は、風見と僕だけではなかった。もう一人いた。乃木明治という名の、やはり僕らと同じ年頃の独身男で、区役所の戸籍課に勤めている。役所でもあまり上の地位ではないらしく、服装なども貧寒だし、恰幅も全然よろしくない。強い近視の眼鏡の片つるを、靴紐か何かそんなもので代用している。堂々たる名前に似ず、チョコチョコとした猫背の小男だった。

 乃木も以前の部屋を追い出され、カストリ屋でやけ酒を飲んでいる時、同席の風見と知合い、そして誘われてここに住み込むようになったのだそうだ。僕よりも半月前の先住者だ。僕だの乃木だの、そんな困った連中に住いを提供して、風見という男はなかなか親切な男だな、と僕が言うと、乃木は眼尻をくしゃくしゃにして答えた。

「あ、ありゃあ君、本当は淋しがりやなんだよ。だから、友達が欲しいんだな」

 この乃木の言葉は、全面的な真実を言い当てているとは思えないが、一面の真実はついていたようだ。今でも僕はそう思う。風見長六という男は、なかなか強靭なものを持つ半面、とても孤独には堪(た)えられないような弱い半面も確かにあったのだ。

 勤めを持っている関係上、三人の中では乃木が一番早起きだ。彼は朝早々に起き、国民服のズボンによれよれのゲートルを巻き、ちょこちょこ出かけて行き、夕方暗くなってちょこちょこと戻ってくる。夜になると、乃木は自分の机の前に坐り、原稿用紙をひろげ何か書いたり、腕組みして黙然と考えこんだりしている。乃木は探偵小説家志望なのだ。学生時代からの志望らしく、それに関する知識も豊富だし、また腕にも自信がある様子でもあった。戦争が済んだからには、きっと探偵小説が隆盛になるに違いない。そういうのが乃木の確信ある予想で、その潮にうまく乗ってやろうというのが、彼の今の現実の念願だった。しばしば口に出してそう言ったのだから、間違いはなかろう。

 ところが、こういう乃木の行動を非難して止めさせようとするのが、風見長六だった。わざわざ親切にも部屋を提供して、しかもその日常に干渉するなんて、ちょっとおかしな話だが、事実なんだから仕方がない。風見の言い分は、そんな愚にもつかない小説書きなんか止めて、八八かオイチョカブでもやろうというのだ。折角昼間汗水たらして働いたのだから、せめて夜ぐらいは花札で遊ぼう。これが風見の主張だ。乃木も部屋を借りてる関係上、そうそう断り切れない。三度に一度はつき合う。ところが風見という男は、おそろしく勝負が強く、僕らはいつもコテンコテンにやられ、相当額の金をまき上げられるのだ。乃木が口惜しがって、いつか僕に言ったことがある。

「風見の奴、バクチのカモにするために、俺たちをここに引入れたんじゃないのかな」

 しかし僕には風見の気持は、やや判るような気もする。小説みたいなへなへなしたものを軽蔑するのも、バクチや遊びが大好きなのも、強引にまた柔軟に、自分のやりたい事をやり通そうというのも、つまり風見長六は軍隊生活の意識や様式を、そっくり今の生活で押し通そうとしているのだ。風見の言によれば、彼は復員までに十年近くの軍隊生活を過したということだから、他の生き方はとても身につかないのだろう。しかしこれは僕の想像だから、当っているかどうか。

 風見には定職はなかった。それでも毎日働いてはいるのだ。カツギ屋をやったり、マーケットに出入りしてプローカーみたいなことをやったり、いろんな仕事をしているようだった。身体が強いから、どんな力仕事でもやれる。それが風見の取り柄だったが、頭の動きがあまり敏捷でないと見え、大きく儲(もう)けることはないようだった。埼玉から米をかついで来て、途中で警官にそっくり没収され、頭をかかえてぼやいていたこともある。

「ええ。三斗だぜ。それをまるまる没収だなんて、むちゃなことをしやがる」

 ぽやいていても、彼はまた翌日いそいそと、どこかに働きに出かけてゆく。家にじっとしていることが出来ないらしい。余暇というものを彼は知らないのだ。

 この奇妙なギャレージ家に、そんな風にして三人は生活していたわけだ。僕と乃木とはおおむね外食だが、風見だけは自炊の生活だ。土間のコンロや電熱器で、風見は飯をたいたり芋をふかしたり、料理をつくったりする。図体に似ず、そんな点は割にこまめだった。時には僕らにも御馳走して呉れることもあったが、それもごくまれで、僕らが腹を減らしていても、大体彼は無関心な風(ふう)だった。自分の分だけつくって、さっさと食べてしまう。ふくらんだ腹を撫(な)でさすりながら、さあオイチョカブをやろうと言い出したりする。時には彼は、僕らの外食の量の貧しさを知っていて、それを憫笑(びんしょう)したりするのだ。

「よくあんなもんで身体がつづくな」

 住居を提供した好意と、食物に関するこんな言動は、彼の心の中ではどう組合っていたのだろう。僕は今思うのだが、彼の胸の中では、たとえば気紛れと功利とが、善意と冷淡とが、衝動と計画とが、雑然と入り交り、不自然なく組合わさっていたに違いない。しかしどうもそこらのところはハッキリしないのだ。僕らに部屋を貸していても、彼は別段それを恩に着せる風(ふう)でもなかった。もしこの僕が彼の立場だったら、どうしても恩に着せる態度が出てくるだろうと思うのだが。

 三人で生活している間も、風見は仕事の帰りなどに、板や木片を拾ってきて、ギャレージを補修する。ちょいとした下駄箱をつくったり、また雨漏りでもあるとまっさきに屋根へ登るのは風見なのだ。僕ら二人はほとんど何もしない。風見のやることを眺めているだけだ。しかし風見は、そういう僕らに不満そうでもなく、むしろその仕事を楽しんでいるようだった。そのための大工道具一式を、ちゃんと彼は用意しととのえていたのだ。

 僕がこの家に入ってからも、住居としての整備は日ましに進行した。ギャレージくささがなくなって、だんだん小住宅らしくなってくる。そして風見はこの建物の周囲に、器用に垣根までもこさえ上げたのだ。そういうことがあの老差配を刺戟し、慾を出させたのだろうと思う。

 

 この焼跡の管理を任されているという老人を、僕らはムササビというあだ名で呼んでいた。この老人はいつも、変な仕立ての厚司(あつし)を着ている。手首のところは細く、腕の付根のところは極端に寛(ゆるや)かな、そんな風(ふう)な仕立て方だ。現今ならドルマンスタイルとか何とか言うのだろうが、あの頃はそんな言葉も知らないので、ムササビという名をつけた。ムササビという獣は、樹から樹へ飛び移る必要上、脇の下の皮膚が羽根のように寛かに拡がっている。老人のがそれにそっくりというわけだ。

 この老人は、たかがギャレージだと思って月二百円で貸す気になったのだろうが、風見の営々[やぶちゃん注:「えいえい」。せっせと一生懸命に働くさま。]の辛苦によってどうやら家らしくなったし、インフレの関係もあって、二百円という金はしだいに価値が下落してゆく。その頃の住宅は言語に絶したものだし、権利金もどんどん上っていたから、ムササビがこれに眼をつけたのは無理ないのだ。僕が入居する前から、老人は風見に文句を言いに来てたらしいが、僕が入ってから、その回数がますます頻繁になってきた。ムササビは僕と最初に顔を合わせた時、その時は僕一人が部屋にいたのだが、

「あれ、また一人ふやしやがったな」

 と小声で叫んだものだ。立退き要求に対抗するために、風見が同居人をまたふやしたと、老人は解したらしいのだ。僕は先程、僕を同居させたのは風見の気紛れだろうと書いたが、あるいは老人の解釈の方が当っているのかも知れない。少くともそういう気持が少しはあったのだろうと思う。と言うのは、風見はこの老人をとても苦手にしていたからだ。

 このムササビの性格は、見るからにねちねちしていて、一旦食いついたら決して離さないという風な趣きがある。そして世間智に長(た)けている。そういうところを風見は苦手とするのらしいが、その他にも苦手とする確たる理由があった。それはしごく単純なことだが、このムササビが退役の陸軍中佐だということなのだ。ムササビの立退き要求に対し、風見は強く反撥出来ない。柔軟にして消極的な抵抗を試みるだけだ。それを訝(いぶか)しく思って、ある日僕が訊ねたら、風見がそう答えたのだ。

「だってあいつは中佐殿だからな」

「中佐殿だって何だって、今はもう軍隊はないんだし、おそれることはないじゃないか」

「俺もそう思うんだけどな。あいつは俺の元の部隊長にそっくりなのさ。背丈から顔の形までよ。だから俺はつい弱気になってしまうんだ」

 何時もに似合わず弱ったような声だった。僕は風見の軍隊履歴をよく知らない。だから彼がそんな弱気になる理由が判らなかった。今でも判らない。なんか特別の事情でもあったのかと思う。

 ムササビの方は、元中佐の称号が風見を押しているとは、全然気付いていなかったと思う。しかし多年のカンから、押しに押しまくれば立退くだろうという予想と確信を持っていたらしい。疎開先の当主が戻って来るからとか、垣根をめぐらせたのは約束違反だとか、窓を無断であけたのは建物毀傷であるとか、いろいろ理屈をこじつけて、風見に立退きを迫ってくる。風見は決して弁は立つ方じゃないので、議論となると必ず言い負かされてしまうのだ。そして僕が入居した頃から、家賃を持って行っても、ムササビはそれを拒絶するようになってしまった。家賃なんか受取れないと言うのだそうだ。(だから僕も結局部屋代は払わずに済んだ)そしてもっぱら風見をいじめにかかる。ムササビは最初から僕だの乃木だのを問題にしていなかった。風見攻略の一点張りだ。風見を追い出せば、あとの二人は自然に出て行くと考えたのか。あるいは僕や乃木の世間智を見抜いて、その点一番弱そうな風見にねらいをかけたのか。風見という男は、実行力や才覚は充分にあるらしく見えるが、それも軍隊流のそれだから、娑婆(しゃば)では案外に脆(もろ)いのだ。闇米を没収されたり、ブローカーに籠抜けされたり、そんなことが三四度つづいて、風見の気持はすこしずつ沈滞してゆくようだった。僕が入居して二ヵ月近く経った頃のことだ。ムササビは相変らず、二日に一度ぐらいはやってきて、ねちねちと長談判をしてゆく。

「元中佐殿があんなことをやるんだからなあ」

 ある日風見がくさったように言った。もうその頃は、ムササビは神経戦術を開始していて、ギャレージは貸したけれどもギャレージの扉は貸さなかったという妙な論理で、皆が留守中に人夫を使って、大きな扉を外(はず)して行ってしまったのだ。とたんに屋内は風の吹きっさらしとなり、冬の最中のことだから、寒くて寒くて仕方がない。着ている布団がゴワゴワに凍る始末だ。取敢ず[やぶちゃん注:「とりあえず」。]入口には荒むしろをのれんみたいにぶら下げたが、寒気は容赦なく忍び入ってくる。これには僕らも弱った。余儀なく近所から木片を集めてきて、夜ともなれば土間で焚火(たきび)をやり、寒さをしのぐ。なにしろ屋内の焚火だから、危くもあるし、人目にもつく。そりゃ人目にはつくだろう。ギャレージ改装の小屋に、男ばかり三人が居住して、山賊みたいに焚火などをしているのだから。近所の連中が怪しむのも当然の話だ。

 そうこうしている中に、この界隈にしきりに空巣ねらいが出没するという事件が起った。あちらの家では服と外套を、こちらの家では釜や鍋をという具合で、一寸した際に物や金が盗まれる。よほど練達な奴だと見え、全然手がかりも残さない。隣組(配給の関係上その頃まだ存続していた)常会でも問題になったが、犯人はつかまらない。やがてその嫌疑が、どうも僕らにかかっているらしいということが、うすうすと判って来た。ある夜、変な男が突然僕らの小屋に訪問して来たのだ。それは背は低いが、顔の四角な、がっしりした男だった。

 

 なんでもそいつは一寸通りすがりと言った恰好で、むしろを分けて屋内をのぞいたのだ。そして低い声で言った。

「えへへ。ちょっと焚火にあたらせて呉れませんかね。めっぽう寒くて、しんまで凍りそうだよ」

 のそのそと入って来て、火に手をかざした。焚火と言っても、石油の空罐に木片を入れて燃すという簡単な仕組みだ。それでも結構あたたまる。あたたまると人間は口数が多くなるものだが、その上僕らはすこしアルコールが入っていた。近所の朝鮮人から仕入れた濁酒(どぶろく)を、三人でちびちび酌(く)み交わしていたのだ。風見はその男にもコップをすすめた。そして四人は車座になり、火にあたりながら、いろいろととりとめもない世間話を始めていたのだ。変な訪問者を別に怪しむ気持もなかったと思う。

 そのうちに話が近所を荒す怪盗のことになった。自然と話がそこに行ったのだ。その一両日前、僕らの小屋から道を隔てた斜め向いの家が、そいつに見舞われて、配給酒一升持ち逃げされたという。他のものは盗まず、酒だけ持って逃げたのは味がある、というようなことから、乃木が探偵小説家志望のところから推理を働かせたりして、どうも犯人はこの町内の者だろうということに意見が一致した。変な男も、いろいろ口をさしはさんで、その会話を助長させるような気配を示す。丁度(ちょうど)その夜淡雪が降っていて、地下足袋の跡が残っていた。そんなことを男が口に出した時、僕はそろそろこの男は変だなと思い始めた。通りすがりの男にしては、その泥棒に関する知識があり過ぎる。

「その地下足袋は、十一文半だったね。相当はき古したやつだ」

「よく知ってるな、君は」

 風見も妙だと思ったらしく、そう聞きとがめた。

「どうしてそんな事まで知ってるんだい?」

「えへへ。ちょっと調べてみたもんでね」

「刑事みたいだな、まるで」

 男は顎(あご)をふきながら、またえへへとわらった。その言葉を肯定するような仕草だった。僕が口を出した。

「何かい。するとあんたは、刑事かい?」

「そうだよ」

 男は落着いた声で、火にかざした両掌をごしごしとこすり合わせた。

「今日あたり、また出やしないかと思ってね、張込んでるんだ」

 それで三人しゅんと黙ってしまった。こちらは何も悪いことをしている訳じゃないが、同座の一人がはっきり刑事だと判ると、ふしぎに何も言い出せなくなるものだ。顔見合わせて、気まずく黙っている。その中に風見がすこし怒ったような声を出した。

「張込むったって、こんなところで火にあたってたんじゃ、仕様ないじゃないか。その間に泥棒は仕事してるかも知れない」

「それも道理だな」

 男は腰を上げ、いやな笑い方をしながら、そこらをじろりと見廻した。

「いや、いろいろ御馳走さまでした。また時々寄せて貰いますよ」

 そしてのそのそと表の暗闇に消えて行った。しばらくして乃木が声をひそめて言った。

「あいつ、僕たちの足もとばかり見てたぜ。さては僕たちに嫌疑をかけてるんだな」

「どうもそうらしいな」

 と僕も相槌(あいづち)を打った。

「時々やって来られちゃ、かなわんな」

 風見は黙っていた。不快そうな顔色だった。まあこの三人の中で、乃木は正業についているし、僕は居食いだし、カツギ屋などやっている関係上、風見が一番刑事には面白くないにきまっている。それからそこらを片づけて、それぞれの寝床に入ろうとする時、風見が思い詰めたような声を出した。

「おい。あの泥棒を、俺たちの手でつかまえてやろうじゃないか。そうでもしなきゃ、気がおさまらない」

「そりゃいいね」

 と僕も賛意を表した。

「乃木も探偵趣味があるし、風見は力が強いし、その気になりゃつかまえられるかも知れないな」

 ところがその翌日の夕方、一町ばかり離れた医者の家で、干してあった衣類がごっそり盗まれる事件が起った。そしてその夜、昨日の刑事がふらりと小屋にやって来た。れいの如く焚火の最中にだ。

「えへへ、昨晩は失礼」

 そんなことを言いながら、もう火に手をかざしている。

「今日もまた出たんでね。張込みさ。刑事稼業もつらいよ」

 追い出すわけにも行かず、僕らは黙っていた。すると刑事が突然こんなことを言い出したのだ。

「この焚火のことだがねえ、危いから取締ってくれという投書が、署宛てに来てるんだがね。寒いことは寒いだろうが、止めてくれんかね」

「そうですか」

 と僕が答えた。

「じゃ少しつつしむことにしよう。でも、その投書は、それだけですか?」

「いや、えへへ」

 れいのいやな笑い方をした。

「まあその他、いろいろ書いてあったよ。米のヤミやってるとか何とかまでもね。もっとも経済違反は俺のかかりじゃないがね」

「その投書、見せて貰えんかね」

「そりや駄目だ。原則として秘密になっとるんでね」

 投書の主はムササビじゃないかと思ったが、僕は黙っていた。刑事は二十分ほど火に当りながら、むだ話などして、戻って行った。帰りきわに、又寄せて貰いますよ、と捨ぜりふを残して。

「バカにしてやがる!」

 その間一言も口を利かなかった風見が、はき出すように言った。

「俺たちを泥棒だと思ってやがるんだ。ふざけやがって」

「そう怒るなよ」

 と乃木がなだめた。

「人をうたぐるなんて、そんなに日本人同士信用し合えねえのか。何という情けない世の中だ。あいつ、三人のうちで、この俺を特別疑ってるに違いない」

 眉の根をびくびくさせて怒っている。なだめるのに骨が折れた。やけになって怒ってるような具合だった。

 それから二三日経ってだ。気持の打開をはかるためだったのだろう、風見は北海道まで鮭(さけ)の買出しに行くと言い出した。仲間に誘われたんだと言う。いくらヤミの世の中とは言え、北海道まで鮭買いはすこし空想的だと思ったが、別段とめる筋合いもないので黙っていた。近距離の米かつぎでさえしばしば没収されるようなへマなところがあるのに、そんな遠走りはすこし無茶だ。

 そして風見は五日間留守をした。

 その間に、刑事が一度、ムササビが二度、訪れてきた。近所ではまたこそ泥が一件あった。将棋六段の留守宅に忍び入って、将棋盤と駒を盗んで逃げたという。畳の上に大きな泥の足跡があったそうだ。刑事が訪ねて来たのもその夜のことで、風見の不在を告げると、うたぐるような莫迦にしたような笑い声をたてた。焚火はもう中止していたので、手をあぶるわけにも行かず、刑事はすぐに帰って行った。

 六日目に風見は手ぶらで戻って来た。顔がげっそりこけて、疲労し果てている。どうだったと聞くと、

「むちゃくちゃだよ。あんなひどい旅行、今までにやったことがない」

 首尾よく鮭は東京に持ち帰り、もうさばいて来たのだと言う。相当な金にはなったらしいが、往復の旅費と体力の消耗(しょうもう)を計算に入れると、それほど有利な買出しとは言えなかったようだ。それでもその夜は、風見が金を出して濁酒を二升買い、三人でささやかな酒盛りをした。風見は疲労のせいか、眼をきらきらさせ、身体だけ酔っても気持は酔わない風で、うわずったような声で北海道の話などをした。将棋六段の盗難事件を話すと、ひきつれたような笑い声を発して、「これであのデカにも判っただろ。俺にゃアリバイがあるんだからな」

 この武骨な元下士官が、なぜアリバイなどとしゃれた言葉を知っているのか、それは乃木が教えたのだ。僕らは笑った。ついでに刑事の無能さを嘲笑し、こそ泥の敏速さを称讃さえもした。はたから見ている分には、これは結構面白い出来事だったからだ。

 ところが、結構面白いと義理にも言えない大事件が、それから、三日目に発生した。僕らの留守中、小屋に怪盗が侵入して、目ぼしいものをごっそりやられてしまったのだ。

 

 その時、風見は買出しに、乃木は区役所に、この僕はと言えば、新聞で社員を募集していた某出版社に出かけて、三人とも留守だったのだ。僕は朝十時に出かけて、夕方四時に戻って来たのだから、その間に侵入されたわけになる。近所の人の話によると、十七八の若者がリヤカーを引いてきて、小屋を出入りして荷物を運び出し、リヤカーに満載して立ち去ったと言う。何故とがめなかったかと言うと、真昼間のことだし、その若者の半纏(はんてん)にナントカ運送店と書いてあったから、てっきり引越しだと思って眺めていたんだそうだ。僕はケチで物惜しみのたちだから、すっかり仰天し、動転し、惑乱した。着ているものだけはたすかったが、あとは布団だけ残して、衣類も行李ぐるみ、持って行かれてしまった。僕の次に仰天したのは乃木明治で、これもすっかり打ちしおれてしまったが、どういうつもりか盗賊は書籍類は残して行ったので、その点蔵書家の彼は救いを見出したようだった。蔵書と言っても、探偵小説やその文献が主で、古ぼけたものばかりだったから、盗賊はガラクダと感違いしたのだろう。

「飛んでもないことになったなあ」

 がらんとした土間で、もうヤケになって再び盛大に焚火をやりながら、二人でぼやいている時、風見が空のリュックをぶら下げ、むしろを分けて入って来た。屋内を見廻して、ぎょつと表情を変えた。額の静脈がモリモリと盛り上った。

「ム、ムササビの仕業か?」

 これが風見の芝居だったとすれば、僕は今でも彼の演技に感嘆する。しかし、芝居だったかそうでなかったかは、僕は今でも判らないのだ。

「ムササピじゃない。泥棒だよ」

「泥棒?」

 僕は事のあらましを説明した。風見はがっくりと腰をおろして、黙って僕の説明を聞いていた。ほとんど無表情な顔だった。話し終ると、火をかこんで僕らはしばらく顔を見合わせていた。

 やがて風見は、考え深そうに眼をしばしばさせ、焰の高さをはかるようにした。そして言った。

「もすこし火を弱めろや。これじゃ天井が焦げてしまう」

 僕が見た感じでは、風見はこの事件に、それほど打撃を受けていないようだった。もっとも三人のうちで、風見が一番持物は少かったし、盗まれて惜しいものは持っていなかったのだ。ムササビの仕業じゃないと判って、むしろ彼は拍子(ひょうし)ぬけがした風(ふう)だった。それから彼は立ち上った。

「一応警察に届けた方がいいだろうな」

 あんな時代のことだから、届けても品物が戻る筈もなかったが、一応そうすることにした。すると例の刑事が翌朝やって来た。

「とうとうお宅もやられましたな」

 すこし態度も丁重になったようだし、また責任も少々感じているらしかった。なるべく僕らと視線を合わせないようにして、いろいろ事情を聞いたり、屋内を調べたりして、こそこそと戻って行った。終始僕らがつめたい視線で刑事を眺めていたのは言うまでもない。刑事が帰って行くと、風見は不機嫌な動作で、リュックを手にぶら下げ、土間に降りた。

「俺は出かけるよ」

 出かける時いつもこんなあいさつなので、また買出しに出かけるのだろうと思った。ところがその夜も、翌日の夜も、風見は小屋に戻って来なかった。そして三日目に、僕と乃木宛てにハガキが来た。

『新しい住居が見つかったから、そちらに引越すことにした。君たちにも気の毒したな』

 文面はそれだけだ。消印は下谷になっている。

 刑事が再び訪ねて来た時、そのハガキを見せたら、じだんだを踏むようにして口惜しがった。

「犯人はあいつだったんだ。もすこし様子見て、現行を押えようとして、逃げられた」

 刑事の説明では、僕らの盗難も風見の仕業で、運送屋をよそおった若者は、彼の共犯だという。ハガキの『気の毒したな』というのは、そんな目に合わせて気の毒だったという仁義だという説明だ。そんなことはあるまいと僕が言うと、刑事はいろいろな傍証をあげて、風見を犯人と断定した。その傍証のかずかずはもう忘れてしまったが、聞いているうちに段々に半信半疑の状態に追い込まれたのは事実だ。しかしもし彼が犯人とすれば、風見のその心理については、僕は今でも納得(なっとく)が行かない。もう一息で判りそうな気もするが、かんじんなところで漠とぼけてしまう。

 風見がいなくなったものだから、僕と乃木はたちまち支えを失って、それから十日目頃に、ムササビによってもろくも小屋を追い出されてしまった。追い出されたら追い出されたで、また直ぐ次の住居が見つかるから、世の中ってふしぎなものだ。

 それ以来、乃木とも、もちろん風見とも、一度も顔を合わせない。もう七年も経つから、風見と会って当時の真相でも聞きたいと思うが、連絡がないからそれも果たせない。乃木については、それ以後探偵雑誌など気をつけて見ているが、まだ彼の名前には接しないようだ。同居人が泥棒かどうかも見抜けないような男だったから、探偵小説を書いても、あまりパッとした出来ばえではないのだろう。しかしその点では僕も同じだから、あまり乃木の悪口も言えないようだ。

2018/07/12

ブログ・アクセス百十一万突破記念 梅崎春生 井戸と青葉

 

[やぶちゃん注:昭和三七(一九六二)年八月号『小説新潮』に発表された。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第四巻」(昭和五九(一九八四)年刊)を用いた。

 二箇所で鈎括弧の不具合を発見したが、孰れも脱落と誤植と断じて訂した。活字のカケも一箇所あったが、これも前後の文脈から字を確定して補正した。

 冒頭に出るこの当時の国際的社会的事件について簡単に注しておく。一部を除いて、本作品の主題とは無関係だが、若い読者のために、この時代の主人公にタイム・スリップして同化してもらえるよう、かなりマニアックに注してある。

「核爆発の実験」一九六二年当時は、前年四月に在米亡命キューバ人部隊がCIAの支援を受けてグアテマラで軍事訓練を行い、キューバに侵攻してカストロ政権の打倒をしようとした「ピッグス湾事件」が起こり(失敗。戦死者百十四名、捕虜千百八十九名)、同年八月末、ソ連共産党書記長フルシチョフはソ連が三年間停止していた核実験を終了して九月一日からの実験再開を宣言、これに対し、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディは核実験計画「ドミニク作戦」(Operation Dominic)の実施を承認することで応え、この一九六二年、アメリカは太平洋核実験場(主にクリスマス島(現在はキリバス共和国内))及びネバダ核実験場で百五回にも及ぶ核実験を実行している。ウィキの「ドミニク作戦」を見ると、この一九六二年には主な実験だけで本作公開の前六月までに三十七回も行われている米ソ冷戦の緊張が最も高い時期に行われた驚愕の痙攣的実行回数の核実験群であった。

「ラオス問題」一時、親米に偏っていたラオス王国では反政府活動が激化、一九六〇年八月、王国政府軍がクーデターを起こし、元首相に左派グループとの連立組閣を要請、連立政権が発足すると、アメリカはラオス援助を停止し、タイ王国もアメリカの要請で国境封鎖を断行した。これらの経済制裁のためにラオス政府は困窮し、ソビエトに援助を要請、国交を樹立した。アメリカはクーデターから避難していた右派の軍人を援助、軍を再編成して、一九六〇年十二月十六日、首都ヴィエンチャンを奪回して内閣を発足させた。それに対し、反政府側は一九六〇年末から、再び、軍事行動を開始、一九六一年一月一日のシエンクワーン占領を皮切りに、諸地域を次々と占拠していった。こうした事態を受け、アメリカ合衆国大統領ドワイト・アイゼンハワーは第七艦隊に警戒態勢を発動するなどして圧力をかけたが、反体制勢力の躍進は止まらなかった。一九六一年五月十六日からのジュネーヴ国際会議では、チューリッヒでラオス諸派の会談を設けることが決定され、翌一九六二年六月十二日のこの三派会談によってプーマ首相による新連立政権樹立が合意された(その後、これを受けてジュネーヴ国際会議は「ラオス王国の中立に関する宣言」を一九六二年七月に採択、ラオス王国内に駐留していたアメリカ軍及びベトナム軍は撤退し、ようやく平和が訪れたかに見えたが、一九六三年には中立派軍人と左派の外相が暗殺され、以後、右派の政治勢力が台頭することとなる。後、一九七五年五月首都で住民二万人規模の大規模な反右派デモが発生、十二月一日の「全国人民代表者会議」に於いて暫定国民連合政府によって当時のサワーンワッタナー国王の退位が承認され、王制廃止と共和制への移行が宣言され、スパーヌウォン最高人民議会議長兼国家主席を代表とする「ラオス人民民主共和国」が誕生した。以上は主にウィキの「ラオスの歴史に拠った)。

「電車衝突」国鉄戦後五大事故の一つに数えられる、この昭和三七(一九六二)年の五月三日に常磐線三河島駅構内で発生した「三河島事故」のことである。信号無視によって脱線した下り貨物列車に下り電車が衝突、さらにそこへ上り電車が突っ込んで二重衝突に発展、百六十人が死亡し、二百九十六人が負傷した

「ダンプカー事故」「交通戦争」(昭和三十年代(一九五五年~一九六四年)以降、交通事故死者数の水準が日清戦争での日本側の戦死者数(二年間で一万七千二百八十二人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして付けられた名称)の前期で大型車であったダンプカーによるそれも有意に多かった。ただ、明言は出来ないが、ここは前からの「電車衝突やダンプカー事故」でセットで読むと、踏切の無謀な通過を行おうとして列車との甚大な衝突事故がこの頃、頻繁に引き起されていた資料も見出せるので、その意味も含ませてあるのかも知れない

「水不足」ブログ「新聞集成昭和編年史」の「昭和37年(1962年)34月の主な出来事」の「社会」の項に、同年四月十六日、『東京都水道局、都内の水不足対策として夜間の第』二『次給水制限を実施』。五月一日、『臨時都渇水対策本部発足』。五月七日、『昼間の給水制限実施』され、これが解除されたのは夏を過ぎた九月十三日のことであるとある。春からの施策によってこの年の水不足の深刻さがよく判る。しかも練馬に住んでいた梅崎春生はまさにこの給水宣言をまともに喰らっていたのである。なお、この水不足は、例えば、四国災害アーカイブズ」の「昭和37年の干ばつ」を見ると、昭和三七(一九六二)年の九月から十月にかけて、徳島では『台風の影響が全くなく、深刻な水不足となり、電力は底をついた。また、阿波郡を中心とする吉野川北岸地区は農作物の干害が続出し、陸水稲、野菜、果樹の被害額は』実に二億五千万円にのぼったとあり、一年を通じてこの年は甚大な水不足に陥っていたことが判明する

「ニセ千円札事件」この前年末からこの翌年にかけて発生し続けた「チ-37号事件」ウィキの「チ-37号事件」によれば、昭和三六(一九六一)年十二月七日、『秋田県秋田市にある日本銀行秋田支店で、廃棄処分にされる紙幣の中から』、『偽千円札が発見された。これ以降』、二年後の昭和三八(一九六三)年まで、実に二十二都道府県から合計三百四十三枚もが発見された(「チ」は紙幣偽造事件において千円札を意味する警察コードで、「37」は「三十七番目の千円札の偽札事件」であることを意味する符牒である)。『偽札は本物に比べて紙の厚さや手触りに違いがあったが、あくまで本物と比較した場合に「辛うじて判別できる程度」の細微な違いであり、偽札だけを手に取っても、まず判別は不可能であるほどの精巧な作りであったという』。『警視庁捜査第三課が捜査するも、-37号は巧妙化していった。初めは通し番号が「WR789012T」と連続した数字で、数字の配列が右下がりになっていたことが新聞で報道され』たが、翌一九六二年春に発見されたものでは、『数字が「DF904371C」となった上、数字の配列が真っすぐになるなど、より偽札の精度が高いものになっていった。また、肖像の目尻が本物より下がっていると指摘を受けると、それも修正』が行われて使用されている。『警察庁は、地方紙だけに情報を載せることによって、犯人の居場所を特定しようとしたが、犯人はどんな小さな記事も見逃さず、偽札に改良を加えていった』。『偽札を使った「犯人らしき人物」は、何度か目撃されている』。昭和三七(一九六二)年九月十日、『千葉県佐倉市の駄菓子屋で、偽の』千『円札を使用してチューインガム』百『円を購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。男性は年齢は』三十五~三十六『歳、白いハンチング帽を被り、体は小柄だが』、『ガッシリしており、顔は黒かった』。一九六二年九月六日、『警視庁は、偽千円札を届け出た者に対して』一『枚につき』三千『円の謝礼、犯人に繋がる重要な情報を提供した者には』一『万円から』百『万円の謝礼を出すことを決定した。銀行協会も犯人への有力情報に』百『万円の懸賞金を出すことを発表し』ている(当時の大卒初任給平均は約一万四千八百円)。昭和三八(一九六三)年三月五日、『静岡県清水市(現・静岡市清水区)の青果店で、偽の』千『円札を使用して』百『円のミカンを購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。男性は年齢は』三十『歳くらい、背丈は』百五十五『センチくらい、丸顔であった』。昭和三八(一九六三)年三月六日、『静岡県静岡市の青果店で、偽の』千『円札を使用して』三十『円の干し椎茸を購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。男性は年齢は』三十『代、黒いハンチング帽を被り、黒縁メガネをかけ、丸顔であった』。『佐倉市の目撃証言は、駄菓子屋の主人が片目に障害があったため、人相がはっきりしなかったが、清水市と静岡市の人相に関する目撃証言によって、モンタージュが作成されて公開されたが、検挙には至らなかった』。昭和三八(一九六三)年十一月四日に『偽札が発見されたのを最後に、偽札が出てくることはなくなった』。昭和四八(一九七三)年十一月四日、『公訴時効が成立して、捜査打ち切りで迷宮入りとなっ』ているとある(うん? 偽造・変造通貨行使罪の公訴時効は十五年のはずだが? この時代は十二年だったのかなあ? にしても月日が合わないのもよく判らないな。誰か、教え子の法学部出の人、教えて!)なお、この事件を受けて翌一九六三年十一月一日には、『紙幣の信頼維持のため、肖像を聖徳太子から伊藤博文に変更した新千円紙幣(C号券)』が発行されたともある。また、『事件や警視庁の』謝礼『対応は当時の小学生にも知れ渡り、「Aさんが』三百『円の品物を千円札で買ったところ』、二千七百『円のお釣りが返ってきた。それはなぜか」という内容のクイズが流行した。これは漫画「三丁目の夕日」でも描かれている』とある。「チ-37号」は『「日本の偽札史上、最高の芸術品」といわれている』とある(下線太字はやぶちゃん)。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが百十一万アクセスを突破した記念として公開する。【2018年7月12日 藪野直史】]

 

  井戸と青葉

 

 某月某日、朝、山名君から電話がかかって来た。丁度(ちょうど)その時、私は朝食をすませて、また寝台にごそごそと這い登り、新聞を丹念に読んでいた。

 近頃の新聞記事や解説は実に多様多彩で、読みでがあって、時間がかかる。読みでがあるというと他人事みたいだが、核爆発の実験やラオス問題、身近には電車衝突やダンプカー事故、水不足やニセ千円札事件、ことごとくわが身に直接間接降りかかって来る問題なので、丹念に読まざるを得ないのである。四種類の新聞を読み終るのに、最低一時間やそこらはかかる。

 新聞はそのままにして、電話口に出た。山名君の声が言った。

「もしもし。今日、お暇ですか」

「そうだね。さし当って今日は、取り急ぐ予定はないけれど、忙しいと言えば忙しい」

「朝飯は食ったんですか」

「うん。子供といっしょに済ませて、今寝床で新聞を読んでいる」

「子供というと、学校に通ってるから、朝飯も早いんでしょう?」

「うん」

「それからあんたはずっと新開を読んでんですか?」

 電話の向うで、彼は舌打ちのような音を立てた。

「寝ころがって一時間半も新聞を読んでいて、よくも忙しいなどと――」

「いや。何も暇つぶしに新聞を読んでいるわけじゃない。君も知ってるだろ。近頃はいろんな事件があって――」

「しかし、こんないい天気だというのに、いくら何でも、一時間半は読み過ぎですよ。折角部屋を明るくして上げたのに、のうのうと寝ていては困りますねえ。この間もこんこんと説明したでしょう」

 先日山名君はふらりとわが家に遊びに来て、生憎(あいにく)とその日私が書斎にごろ寝して雑誌などを読んでいたもんだから、枕もとに坐り込んで文句をつけた。

「冬や夏じゃあるまいし、今の時節に暗い部屋でふて寝をしているなんて、運動不足になるのは当然ですよ。起き上って、そこらを散歩したり、かけ回ったりしてはどうですか」

 山名君は私より七つ八つ年少の友人で、たいへん親切な男ではあるが、少しそそっかしく早呑み込みをする癖がある。それに親切が過ぎて、おせっかいの傾向もあるのだ。

「そうじゃないよ。ごろ寝を始めたのは、今から五分ぐらい前だ。郵便屋さんが雑誌をどさりと配達したもんだからね。雑誌類を僕が寝ころんで読むことを、君は知ってるだろ」

「雑誌などは、いつでも読めます。配達されたからって、すぐ読まなきやいけない義理はないでしょう。それにこんなに光線の入らない部屋で――」

「そりゃ君が日盛りからいきなりここに入って来たから、暗いように感じられるんだよ。初めからここにいる分には、けっこう明るい」

「何ですか。それはまるで童話のモグラモチのセリフです。眼を悪くしたら、どうするつもりですか」

 もっとも私の書斎は、東と南に大きな窓があるが、周囲に雑多な樹を植え過ぎて、それがむんむんと梢を伸ばし葉をつけて、太陽光線はその隙間をやっと通り抜け、青い光となってこの部屋を満たしている。椿。蘇芳(すおう)。サンショウ。藤。グミ。その他名の知れぬ木など。

 これらが若葉の頃は、実によかった。光や風が適当に通り、部屋の空気は若葉に染まっていたが、近頃は青葉が重なり過ぎて、この部星に身体を伸ばしていると、深海魚とまでは行かないが、中海魚みたいな気分になって来る。しかしこの気分も悪くないので、そのままにしている。

「こんなに葉っぱを繁らせて、その中でじっとしているなんて、ミノ虫みたいですな」

 彼はあきれ果てたように言った。

「五分前に寝ころんだとおっしゃるけれど、ぼくがお宅に伺う時は、いつも横になっているじゃないですか。寝ているか、酒を飲んでいるか――」

「そういうことになっているか」

 しかし、私の方から言わせると、ごろ寝をしたり酒を飲み始めたりすると、きっと山名君がやって来るのである。世の中にはそんな不思議な現象はよくあるもので、説明してやろうと思ったが、彼は自分の見たものしか信じない休験派の性格なので、説得は取りやめにした。来る度に寝ころがっているのを見て、一日中ふて寝をしていると断ずるのは、一斑を見て全豹を卜(ぼく)すようなものだと思うけれども。

 結局その日は何やかやの押問答があって、私の体の調子の良くないのは、結局私の運動不足のためという結論(彼だけの)に達し、その不足の原因のひとつは、この青ぐらい書斎のせいだということになった。

「体のためにいいわけはないですよ。風通しは悪いし、毛虫は這い込むし――」

 そして山名君は庭木の梢や葉の整理を勧告し、私をうながして、うちにある木鋏や花鋏、脚立(きゃたつ)のたぐいまで総動員させて、伐採(ばっさい)に取りかかった。考えてみると、葉が繁り過ぎて、私も幾分うっとうしいような気にもなりかけている。どうせ植木屋を入れなくちゃならない時期が近づいているから、山名君がそんな申し出をして呉れるのなら、渡りに舟である。タダほど安いものはない。そう了承して、手分けして作業にとりかかった。

 書斎の周囲は彼にまかせ、私は庭の中央にあるニセアカシヤに取りついた。この木は、その葉の形からそうきめているが、あるいは別種の木かも知れない。まことに可笑(おか)しな木で、冬の間は枯木のように縮まって、まるで棒を地面に突き刺したように見える。春が来ても、まだ枯れている。他の木が若葉をつけ終った頃、やっと幹から芽を出して、それからの成長ぶりがものすごい。枝だの梢だのをやたらに伸ばし、幹の高さも二倍ぐらいになる。枝や梢も勝手に葉をつけ、むんむんと繁茂する。ところが肝心(かんじん)の幹が、背は伸びたが太さは旧のままで、枝葉が栄えている割には、どうも足元が心もとない。

 春が過ぎて、夏が来る。夏の終りに大風が吹く。そうするとムリに高度成長したこのニセアカシヤはひとたまりもない。一夜の嵐が過ぎて、雨戸をあけると、他の木はさしたる被害もないのに、この木だけは枝は折れ幹は裂け、ふくろ叩きにあったクラゲみたいな惨状を呈している。仕方がないから折れた枝を払い、裂けたところをつくろってやると、すなわち一本の幹になってしまう。秋から冬にかけて、彼はそのまま一本棒である。こんなに傷めつけられたのだから、もう枯れたんだろうと思っていると、次の年の春になると、またもりもりと枝葉を伸ばし始める。この木を植えて五年になるが、毎年その繰返しである。

「も少し計画的に枝葉を伸ばせば、どうにかなるだろうに、この木はバカじゃないだろうか」

 と私はかねて思っているが、木には木の思惑があるのかも知れない。しかし嵐の後の惨状を見るに忍びないから、今のうちに幹の負担を軽くしてやろうと、先ず私はこの木に取りついたのである。

 枝を取り払うというのも、かんたんな作業ではない。風向きを考え、恰好(かっこう)のことも考慮し(眺めて観賞する都合があるから)少しずつ切って行く。時々縁側に腰かけて、タバコをのみながら、今度はどの枝をどのくらい刈ろうかと思案する。庭師や植木屋がしばしば休憩して、茶を飲んで庭を眺める。あの気分と同じなのである。一時間ほどかかって、やっと形良く仕立てたら、山名君がやって来て、あきれ声を出した。

「まだこの木にかかっているんですか。実際悠長なものですなあ。書斎のまわりは、全部済みましたよ」

 そこで初めてそちらの方を見て、私はアッと驚いた。バッサバッサと伐採して、枝葉が地面にうず高く積み重なり、足の踏み場もないほど散乱している。樹々は丸裸とまでは行かないが、わずかに下着をとどめた乙女みたいに、身をよじて恥かしがっているように見えた。

「ああ。何て傷ましい」

 私は慨嘆した。

「こりやあまり切り過ぎじゃないか。他人の家の木だと思って。可哀そうだとは思わないか」

「何を言ってんですか。可哀そうだなどと」

 山名君はせせら笑った。

「木はね、人間と違って、切られても痛くも何ともないんですよ。感傷的な言い草はよしなさい」

「そりゃ痛くはないかも知れないが――」

「僕はあんたのためを思って、枝を払って上げたんですよ。人間と植物と、一体どちらが大切です?」

 山名君も縁に腰をおろして、タバコの煙をくゆらした。

「それに根本からバッサリ切るのは、これは気の毒ですよ。しかし枝をチョイチョイと払った程度ですから、人間で言えば爪や髪を切ったのと同じで、またすぐ生えて来ます。さて、残りのやつも、一気呵成(かせい)にやっつけますか」

「いえ。もう結構。あとは僕がやるよ」

 そこで二人は縁に上り、書斎に戻ったら、青い部屋の雰囲気は消え、なんだか白っ茶けた感じの部屋となり、畳の汚れや焼焦げがへんに目立って見えた。私は何もムードを尊重するたちではないが、空気がいきなり散文的になるのは、好もしいものではない。がっかりして部屋を見回していると、山名君は得意そうな面もちで、

「どうです。さっぱりしたでしょう。この空気の明るさ。それに風通しのいいこと」

 窓をあけ放って、深呼吸をした。

「しかし、風通しがいいからと言って、ここにじっとしてちゃ、何にもなりませんよ。少し出歩いて、山登りをするとか、魚釣りをするとか、体を動かさなくちゃダメです」

「そんなものかね」

「そうですとも。だから切り落した枝葉の始末は、あんたがやりなさい。本来なら僕がやるべきだけれど、そうすると為にならないから、そのままにしときます」

「え? おれに片付けさせると言うのかい?」

「そうですよ」

 山名君はうまそうに茶を飲んだ。

「これから出来るだけチャンスをつくって、あなたに運動させることにしましょう。無精というやつが、一番人間をダメにさせる。判りましたね」

 

 電話がかかって来たのは、それから五日目のことである。

「うん。判ってるよ。あれから毎日、適当に運動しているよ」

「ほんとですか?」

 疑わしそうな声が、受話器を通して聞えた。

「今日はあんたにひとつ運動していただこうと思って、いえ、散歩や庭掃きみたいな小運動ではなく、ちょいとした大運動です」

「大運動って、何だい?」

「そりゃ拙宅に来ていただければ判ります。服装? そりゃなるべく簡略な、お粗末な方がいいですな。少しよごれるかも知れないから」

「魚釣りかね?」

「魚釣り、じゃありません。水には関係がありますが――」

「水に?」

「そうです。とにかく十二時までに是非うちに来て下さい。今日は予定はないと言ったでしょう。お待ちしています」

 おい、おい、一体どんな仕事だと、問い返す前に、彼は電話をがちゃりと切ってしまった。話が一方的で、押しつけがましいのが、彼の生れつきの性格なのである。

 仕方がないから、一番粗末なシャツとズボンを着用、下駄ばきで十一時半に出かけた。この間の植木刈りではタダ働きをしてもらったんだから、すっぽかすわけには行かない。私の家から山名宅まで、バスと徒歩を併用して三十分の行程で、丁度(ちょうど)正午に着いた。山名君は門の外に立って待っていた。

「やあやあ、よく来て呉れましたね」

 山名君は操(も)み手をしながら、喜ばしげに言った。彼が揉み手をするなんて、珍しいことだ。

「お昼はまだでしょう」

「うん。まだだ」

「ではザルソバ、いや、モリソバでも振りましょう。どうぞお上り下さい」

 彼の画室に通ると、三人の先客が待っていた。それぞれ名前を紹介されたが、三人とも山名君と同年輩で、絵の方の仲間らしい。あいさつを交して、私はおもむろに山名君に訊ねた。

「水に関係のある運動って、一体何だい?」

「井戸掘りですよ」

 彼はあっさりと答えた。

「水道の水が全然出ないでしょう。それで今度うちで井戸掘りすることにしたんです」

「井戸掘り?」

 私は思わず大声を出した。

「僕にそれをやらせようと言うのか。そりゃ運動じゃなくて、労働じゃないか」

「運動も労働も、体を動かすという点では、同じようなものです。青空の下でやるんだから、健康にはとてもいいですよ」

「健康にはいいかも知れないが、井戸掘りなどという器用な真似(まね)は、僕には出来ないよ。そんなのは井戸屋に委(まか)せりゃいいじゃないか。おれ、もう帰るよ」

「いえ。ちょっと待って下さい。実は井戸屋に頼んだんですけどね――」

 

 モリソバを食べながら、山名君が説明するところによると、ここらは都内でも有数の水道の出の悪いところで、夜間は全然断水、昼間でもチョロチョロ水で、コップ一杯を充たすのに一分間ぐらいかかるという。周囲の畠が宅地に変って、家が建て込んで来たが、管の太さが旧のままで、ふだんでも出が悪いのに、昨今の断水騒ぎでますます状態が悪化した。ついに意を決して、井戸屋に頼みに行く気特になった。

 井戸屋は山名君の家から一町ほど行ったところにあって『井戸掘ります』と紙の看板がぶら下げてある。いつも散歩の行き帰りに、その看板がふらふらと風に揺られているのを見て、何と不景気な看板だろうと彼は憫笑(びんしょう)していたが、いざ頼みに行ってみると、そこのオヤジは実に横柄だったそうである。案内を乞うと、

「井戸の用事かい。庭の方に回んな。庭の方に」

 そこで庭に回ったら、丁度時分どきで、オヤジさんは刺身だのトンカツなどを肴にして、ビールを飲んでいた。不景気な看板にしては、豪勢な食事をとってるなあと、山名君は感嘆しながら、

「実はね、うちの水道の出が悪いんで、井戸を一つ掘ってもらいたいんだがね」

「水道の出は、どこだって悪いよ」

 コップを傾けながら、オヤジはそっけなく答えた。上れとも何とも言わないから、彼は余儀なく縁側に腰かけて言った。

「うちのは特に出が悪いんですよ。コップ一杯ためるのに、五分間かかる。これじゃ飢え死、いや、干乾(ひぼ)しになるおそれがあるんで、大至急に井戸を――」

「大至急? そりゃダメだね」

 オヤジは刺身を見せびらかすようにしながら、ぽいと口に放り込んだ。

「近頃申し込み殺到でね、大至急だなんて、そんなゼイタクな――」

「じゃ掘って呉れないと言うんですか?」

「そりや商売だから、掘りますよ。順番を登録しといて、番が来たら通知するから、それまで待つんだね」

「待つと言うと、一週間ぐらいですか」

「とんでもねえ。そうさね」

 オヤジは壁にかけた黒板を見上げた。

「まあ早くて、一カ月だね。とにかく予定がつまってんだから」

 そう言われて山名君は愕然とした。しかし考えてみると、今の水道の状態では、皆が井戸屋に殺到するのは当然の話である。も少し早く申し込めばよかったと思っても、もう遅い。

「弱ったなあ。どうにかなりませんか。親方」

 親方呼ばわりはしたくはないが、一カ月も待たせられてはかなわないので、彼は下手に出た。

「僕は貧乏絵描きで、冷蔵庫もまだ買ってないんです。それでビールを飲みたいと思っても、冷やす場所がない。せめて井戸でもあればねえ。親方。どうにかなりませんか。」

「うん」

 オヤジは若干心を動かされたらしく、箸の動きがとまった。

「ビールや西瓜(すいか)を冷やすには、やはり井戸が一番だ。なにしろ大自然の冷蔵庫だからな」

「そうでしょう。時にその親方のビールは、よく冷えてるようですねえ。うらやましいですよ」

「うん。これはあの真中の井戸で冷やしたんだ」

 オヤジが庭の方に顎(あご)をしゃくったので、見ると庭には三つも井戸が掘ってある。実物見本のつもりなのだろう。でも、

「では、あれを一つ譲って下さい」

 と持って帰るわけには行かないところに、山名君のつらさがある。オヤジは得意そうに、また憐れみをこめて言った。

「あんた、絵描きかね?」

「そうですよ。絵を描くのにも、やはり水が要るんです。どうですか。料金二割増しというところで、大至急願えませんか」

「うん。二割増しか」

 オヤジはコップを置いて、壁の黒板をにらみ、しばし首を傾けた。

「よし。どうにかやりくりして、明日やって上げることにしよう。特別だよ。あっしは芸術家が好きなんだ」

「え? 明日? そりゃありがたい」

 山名君は躍(おど)り上りたいような気特になった。

「是非お願いします」

「でもね、あんたは今の人手不足は知ってるだろ」

 オヤジはビールをぐっとあおった。

「ホリヤとゲンバはこちらから出すが、ツナコとドロカキはそちらで集めてもらいたいね」

「ホリヤと言いますと?」

「ホリヤとは井戸を掘る人だよ。こりゃ専門家じゃなくちゃ、出来ねえ」

「ゲンバは?」

「ゲンバは現場に立ち合って、指図する人のことだ」

 オヤジは面倒くさそうに、舌打ちか舌鼓か知らないが、舌をタンと鳴らした。

「明日の午後、二人さし向けるから、ちゃんと用意しときな」

「ツナコにドロカキは、何人ぐらい必要でしょうか」

「まあ四、五人てえところかな」

「ええ。承知しました。では、明日、お待ちしています」

 話をしている中に、オヤジの気が変ったらたいへんなので、山名君はペこりと頭を下げて、早々に退散したのだそうである。

「井戸屋があんなに威張ってるとは、僕も気がつきませんでしたよ」

 と、山名君は述懐した。

「もっとも水がないんですからねえ、横柄なのもムリはないと患うけれど。終戦直後の農家と同じですな」

「しかし、井戸屋が水を持ってるわけじゃない。水はおれたちの地面が持ってるんだ」

 仲間の一人がそう言った。

「あいつらが持っているのは、それを地面に引っぱり上げる技術だけだ」

 そう言えば終戦の時と、ちょっと違うような気が私もする。

 この間キャベツが一箇五十円とか七十円の高値をつけた時、私は八百屋に聞いてみた。

「一箇七十円だなんて、儲かって儲かって、笑いがとまらないだろうね」

「とんでもありませんよ。旦那」

 八百屋は真剣な顔をして手を振った。

「こりや市場で仕入れた元値で売ってるんです。キャベツを置いとかねえと、なんだ、キャベツも置いてねえのかって、お客さんからバカにされるんでねえ。儲かったのは、去年の安値の時ですよ」

 話によると、去年のバカ安値の時は、市場に行っても、小売商がそっぽを向くから、キャベツがごろごろ転がっている。そいつを一箇一円ぐらいで仕入れて来て、店に並べ、

「どうです。奥さん。こんなでっけえの、一箇十円」

 と突き出すと、奥さんは大喜びで十円玉を出し、笑いがとまらない風で帰って行く。八百屋もそれを見送りながら、笑いがとまらない。それが今年の七十円の値になると、奥さんは忌々しそうに百円札を出し、キャベツ一箇とおつりの三十円を持って、口惜し涙にかきくれながら立ち去って行く。八百屋さんも口惜し涙を流しながら見送るという寸法で、

「あっしどもの商売もつらいもんですよ」

 とのことであった。その反対に一部の農民が笑いをとどめかねたり、悲憤の涙を流したりしているのだから、結局は終戦の時と同じだとも言えるが、威張る奴がいないのは幸せなことである。

 その井戸屋も、芸術家が好きだから便宜(べんぎ)をはかったのではなく、料金二割増しに心を引かれたのだろう。

 モリソバを御馳走になったからには、おれはイヤだよ、と席を蹴って帰るわけには行かない。もじもじしていると、山名君が、

「あなたにはドロカキをやっていただきましょう」

「ドロカキ? ドロカキは困るよ」

 ドロカキってどんな仕事かしらないが、私ははっきりと断った。

「何故です?」

「名前が気に食わない。ドロカキというと、最低の仕事のような気がする。せめてツナコの方に――」

 と言いかけた時、玄関の方から、御免、御免、という声が聞えて、もう井戸屋がやって来たのである。それっ、と言うわけで、私も山名君にうながされて、古ズボンの裾をまくり上げ、裸足で庭に飛び出た。山名宅の庭にも木が多く、むんむんと青葉を繁らせている。全然手入れしてなく、桜の木などには毛虫がたくさん巣をつくっている。自分の庭はほったらかして、わざわざ他人の庭木の手入れに来るんだから、おせっかいもはなはだしいと言うべきであろう。

 井戸掘りの場所は、その庭の隅ということに決った。

 

 そしていよいよ井戸掘りが始まった。

 ホリヤというのが、山名君が言っていたれいの横柄なオヤジらしい。初めの中は私たちはただ眺めているだけだったが、段々掘り進むと、穴の中にバケツをおろし、綱を滑車にのせて、ゲンバの命令一下、その綱を勢いよく引っぱって走る。ヨイトマケにもちょっと似ているが、あんなにのんびりはしていない。穴の壁から水がシュウシュウ噴き出すので、大急ぎで引き上げねばならぬ。ゲンバがその泥水をあける。ツナコというのは、その引っぱり役のことだ。何の因果でおれがツナコなどを勤めねばならないのか。少々腹立たしくなって来たし、十分ぐらいやっていたら、日頃の運動不足がたたって息が切れて来たので、もはや耐え難くなり、ドロカキをやっている山名君に、

「おい。おれ、少しくたびれたよ。ドロカキにして呉れえ」

「そうでしょう。だから初めからドロカキをやりなさいと言ったんだ」

 山名君はそう言って代って呉れ、とうとう私は最低のドロカキになってしまった。最低と言っても、これは割にラクな仕事である。ゲンバがあけた泥水を、スコップで整理するだけなので、そう急ぐ必要はない。いい加減に桜の木の下に積んだり、下水溝に流したり、あれこれやっている中に、垣根の向うに人だかりがして来た。服装から見ると、近所の人達らしい。もの珍しさと、いつかは自分のとこでも掘るからその参考にと、集まって来たのだろう。

 その衆人環視の中で、私はなかばヤケッパチになって、せっせと泥をかいた。どうにでもして呉れと、居直るより他はないのである。

 井戸は夕方になって、やっと完成した。ちゃんと蓋をつけて、ポンプも取りつけた。私はくたびれ果てて、先に足を洗って画室の長椅子に横たわっていたので、山名君が井戸屋にいくらぐらい支払ったか知らない。井戸掘りの相場は知らないけれど、ツナコとドロカキの日当が只だから、結局相場より安くついたんじゃないかと思う。

 私が画室にいると、庭の方で何か言い争うような声が聞えて、やがて山名君が画室に飛び込んで来た。

「困ったことになりましたよ」

「何だい?」

「何だいって、あんた、流水をずいぶん下水溝に流したでしょう」

「うん。流したよ。それがドロカキの仕事なんだもの」

「弱りましたねえ。それで下の方の溝に泥が停滞して、近所から文句が来たんですよ。今日中にさらって呉れなきゃ、流し水が道にあふれるってね。あんたの責任ですよ」

「冗談じゃないよ」

 私はむっとして言い返した。

「これ以上おれに泥かきをさせようと言うのか。四十面を下げて、下水の泥かきが出来ると思ってるのかい」[やぶちゃん注:本作発表当時、梅崎春生は四十七歳であった。]

「そ、そう言わずに、あとでビールか何かを御馳走しますから、五人で手分けをして――」

「イヤだよ」

 私は断乎としで言った。

「君たち四人で手分けしてやれ。僕はビール買いの役目を引き受ける」

「そうですか」

 山名君は不服そうな声を出した。しかしテコでも動かぬという態度を私が示したので、ついに諦めて画室を出て行った。私は重い腰を上げ、下駄をつっかけて、酒屋におもむいた。

「ビールをだね、二ダースばかり届けて呉れ。うん。すぐそこの山名の家にだ」

 日当分ぐらい飲まなきゃ、腹の虫が収まらない。

「それからカニ罐、牛罐、南京豆もたのむ。勘定は山名から取って呉れ」

 家に戻って待っていると、やがて届けて来た。すなわち大盥(たらい)を井戸端に持ち出し、ギイコギイコと水を入れ、ビールをその中にひたした。なるほど水道の水よりはずっとつめたいようだ。

 一時間ほど経って、ドブさらいを終えた山名君たちが、どやどやと井戸端に行く気配がした。私は立ち上って、窓から眺めていると、大盥を見て山名君はギョッとした様子である。

「あれっ。豪勢に買い込んだもんだなあ」

 山名君の嘆息の声が聞えた。私は窓を開いて、声をかけた。

「まだもう一ダース、あるんだよ。それから罐詰もたくさん買っといた」

「え?」

 山名君は渋面をつくったが、三人の仲間は嬉々として、代りばんこにポンプを押して、手足を洗っていた。タダほど高いものはないと、彼も身にしみて知ったに違いない。

 それから画室で酒宴を開いたが、疲労しているせいか、すぐに酔ってしまった。せめて七八本は飲んでやろうと思っていたのに、三本ぐらいで私は千鳥足となってしまったのである。これから他人に酒をおごるには、くたびれた時を見はからって飲ませるに限る、という貴重な教訓を私はこの夜学んだ。

 

 一週間ほど経った。山名君から印刷のハガキが来た。

[やぶちゃん注:以下の山名からの手紙文は、二箇所ともに底本では全体が一字下げとなっているが、ブログ上の不具合を考え、引き上げて示した。]

 

『拝啓

 水不足の折柄、たいへんお困りのことと存じます。小生宅ではこの度井戸を掘りました。深さは五メートル程度ですが、とてもつめたく、おいしい水です。飲みたい方は拙宅においで下さい。腹いっぱい飲ませて差し上げます。もちろんタダです。

 貴台の健康をいのりつつ、まずは御報告まで』

 

 印刷までしたところを見ると、ずいぶん沢山の人に出したのだろう。移転通知や年賀状じゃあるまいし、たかが井戸一つ掘っただけで印刷状を出すなんて、大げさな話だと思う。でも誇りたい気持は私も判らないではない。私の家でも水道はチョロチョロである。

 印刷文の空白に、ペンで次のように書いてある。

 

『この間は御苦労さまでした。いい運動とレクリエイションになったと思います。今度は魚釣りに行きませんか』

 

 何がレクリエイションかと、面白くない気特になったが、しかし考えてみると、私が恨むべきは山名君でなく、都の水道局、いや、都知事や都議であるのかも知れない。彼等の無能無策のために、私はドロカキにまで身を落した。これで税金だけは、遠慮容赦なく取り立てるのは、一休どういう気持なのだろうと思う。

 それから五日目に、山名君が私の家に姿を現わした。白っ茶けた書斎に寝ころんで、週刊誌を読んでいた時だったので、あわてて私は起き上り、机の前に坐った。彼はのっそりと書斎に入って来た。手に一升瓶をぶら下げている。

「おや。今日はふて寝をしていませんね。めずらしいことだ」

「いつもいつも寝ててたまるか」

 私は答えた。

「なんだい、その酒瓶。この間のお礼に持って来たのか」

「冗談じゃないですよ。お礼はこの間の晩に、たっぷりしましたよ」

 山名君は大切そうに一升瓶を置き、あぐらをかいた。

「ほんとに皆よく飲み、よく食べましたねえ。酒屋の請求書を見て、僕はがっくりしましたよ。あれじゃあアルバイト学生でも雇った方が得だった」

「まあまあ、そんなにがっかりするなよ」

 少し気の毒になって、私はなぐさめてやった。

「ではその酒、どこかに持って行くのか」

「こりゃ酒じゃありません。うちの井戸水です」

「ほう。僕に飲ませようと持って来たのか」

「いえ。そうじゃありません」

 彼は忌々(いまいま)しげにポケットから一遇の手紙を取り出した。

「これ、田園調布に住んでいる後輩から来たんですがね、まあひとつ読んで下さい」

 私は封筒から引き出して、文面を読んだ。

[やぶちゃん注:以下の手紙文は字下げはない。]

 

『井戸をお掘りになられました由、おめでとうございます。しかし小生はお宅の井戸水がうまいということに関して、一抹の不安を感じるのであります。すなわち、井戸は昔から深い方が良い水が出ることは定評があり、浅い場合は充分ロカされない汚れが井戸水に混入するおそれがあります。率直に申しますと、御近所の便所のカメが破れていたりしますと、ハイセツ物はどうなるでありましょうか。言うまでもなく地面に吸収されるのであります。地面に吸収されたそのモノは……。とにかく山名先生の御健康のためにも、御近所の便所の構造が完全であることを、小生は祈りたいと思います。味がよいなどという宣伝は、ひかえられた方がよくはないでしょうか。化学で習った限りでは、水は無味、無臭、透明な液体であるべきなのです。

 先輩に直言して失礼とは思いますが、お許し下さい。

     水道局の水道の愛好者の

    一人であるところの 三谷朱男』

[やぶちゃん注:「ロカ」(濾過)・「ハイセツ」(排泄)・「モノ」(「物」だか、ここはカタカナの方がよりよい表記ではある)のカタカナはママ。]

 

「ね。癪にさわるでしょう」

 読み終えるのを待って、山名君は言った。

「三谷の奴はね、僕が井戸を掘ったのを嫉妬してんですよ。あいつの家は高台で、水道の出が悪いんです。そこへ僕のあいさつ状が届いたもんだから、カッと頭に来て、こんないやがらせの手紙を書いたんです」

「そうかも知れないね」

 私は答えた。

「この文面はケチをつけてやろうという精神に満ちあふれているね。それで、その一升瓶を田園調布に持って行って、その男に飲ませようと言うのか」

「いえ。それほど酔狂なことはやりませんよ」

 山名君は苦笑いをした。

「これを保健所に持って行って、水質検査してもらおうと思うんです。その証明書を二通つくってもらって、一部を三谷に送ってやろうと思うんですがね」

「証明書たって、飲料には不適という結果が出るかも知れないじゃないか」

「いえ。大丈夫です。うちの井戸に限って、不適なんてなことはあり得ません」

 自信たっぷりの表情で彼は断言し、それから保健所におもむくために、立ち上った。それから二週間経つが、山名君は私の家にやっても来ないし、電話もかけてよこさない。もしかすると、飲料不適の結果が出て、大言壮語の手前、姿を現わさないのかも知れないと、私は心配している。

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Art Caspar David Friedrich Miscellaneous Иван Сергеевич Тургенев 「プルートゥ」 「一言芳談」【完】 「今昔物語集」を読む 「北條九代記」【完】 「宗祇諸國物語」 附やぶちゃん注【完】 「新編鎌倉志」【完】 「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳【完】 「明恵上人夢記」 「栂尾明恵上人伝記」【完】 「澄江堂遺珠」という夢魔 「無門關」【完】 「生物學講話」丘淺次郎【完】 「甲子夜話」 「第一版新迷怪国語辞典」 「耳嚢」【完】 「諸國百物語」 附やぶちゃん注【完】 「進化論講話」丘淺次郎【完】 「鎌倉攬勝考」【完】 「鎌倉日記」(德川光圀歴覽記)【完】 「鬼城句集」【完】 アルバム ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」【完】  ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ【完】 中原中也詩集「在りし日の歌」(正規表現復元版)【完】 中島敦 中島敦漢詩全集 附やぶちゃん+T.S.君共評釈 人見必大「本朝食鑑」より水族の部 伊東静雄 伊良子清白 佐藤春夫 八木重吉「秋の瞳」【完】 北原白秋 十返舎一九「箱根山七温泉江之島鎌倉廻 金草鞋」第二十三編【完】 南方熊楠 博物学 原民喜 和漢三才図会巻第三十九 鼠類【完】 和漢三才図会巻第三十八 獣類【完】 和漢三才圖會 禽類【完】 和漢三才圖會 蟲類【完】 和漢三才圖會卷第三十七 畜類【完】 国木田独歩 土岐仲男 堀辰雄 増田晃 夏目漱石「こゝろ」 夢野久作 大手拓次詩集「藍色の蟇」【完】 宇野浩二「芥川龍之介」【完】 宮澤賢治 富永太郎 小泉八雲 尾形亀之助 山之口貘 山本幡男 山村暮鳥全詩【完】 忘れ得ぬ人々 怪奇談集 映画 杉田久女 村上昭夫 村山槐多 松尾芭蕉 柳田國男 柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」 柴田宵曲 栗本丹洲 梅崎春生 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】 梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】 橋本多佳子 武蔵石寿「目八譜」 毛利梅園「梅園介譜」 毛利梅園「梅園魚譜」 江戸川乱歩 孤島の鬼【完】 沢庵宗彭「鎌倉巡礼記」【完】 津村淙庵「譚海」 海岸動物 火野葦平「河童曼陀羅」【完】 片山廣子 生田春月 由比北洲股旅帖 畑耕一句集「蜘蛛うごく」【完】 畔田翠山「水族志」 神田玄泉「日東魚譜」 立原道造 篠原鳳作 肉体と心そして死 芥川多加志 芥川龍之介 芥川龍之介 手帳【完】 芥川龍之介「上海游記」【完】 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)【完】 芥川龍之介「北京日記抄」【完】 芥川龍之介「江南游記」【完】 芥川龍之介「河童」決定稿原稿【完】 芥川龍之介「長江游記」【完】 芥川龍之介盟友 小穴隆一 芸術・文学 萩原朔太郎 蒲原有明 藪野種雄 西東三鬼 詩歌俳諧俳句 貝原益軒「大和本草」より水族の部 野人庵史元斎夜咄 鈴木しづ子 鎌倉紀行・地誌 音楽 飯田蛇笏