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カテゴリー「梅崎春生」の297件の記事

2020/09/07

梅崎春生 無名颱風 一括PDF縦書サイト版 公開

梅崎春生「無名颱風」の一括PDF縦書版をサイトで公開した。ルビや傍点も底本通りにしてある。

2020/09/06

梅崎春生 無名颱風 (後) / 無名颱風~了

 

      一一

 

 私の直覚は正しかった。

 大体その頃からの数十分が、高鍋の町における、この無名の颱風の最盛期にあたっていたようである。

 不気味な、真空状態に似た静寂が、二分間ほどつづいた。と思うと、地鳴りのような音を立てて、ふたたび烈風が飛びかかってきたのだ。猛烈に飛びかかってきた。文字通りその感じであった。それはひと休みして、最後の打撃を加えてくる猛獣に似ていた。

 私がころがりこんだのは、土間がだだっぴろい、農家造りみたいな家屋であった。分厚い閤を手探りながら、やっと私は上(あが)り框(がまち)にとりついた。框には土や砂がかぶさっているらしく、脛(すね)にザラザラと触れた。人が住んでいる気配はさらにない。だから挨拶も略して、そこにある柱にすがって、土足のまま畳へ這いのぼった。手ざわりの感じでは、その柱は丸く太く、直径も一尺ぐらいはあるようである。暗くて家の内部は見えないが、柱のたくましい感触は、いくぶんの安心感を私に与えた。その柱に身をすりよせて、私は大きく呼吸をした。

「――困ったな。困ったことになったな」

 皆とはぐれてしまったことが悔(くや)まれてならなかった。皆といっしょならば、気も紛(まぎ)れるだろうし、危機を避けるすべもあるだろう。こう独りとなっては、すべて自分の判断と直覚でうごく外(ほか)はない。しかし私は自分のそれに、ほとんど自信をなくしていたのである。体が冷えてぞくぞくと寒かった。気温も急に低下してくるようだ。その悪寒(おかん)と疲労の底で、足を縮めて丸まった昆虫の姿勢を自分に感じながらも、吹きつける風の方向や強度に私は全神経をあつめていた。

 風の間隔がしだいに近まってくるらしい。それと一緒に風速も加わってくることが、家の揺れ方ではっきり感じられる。古い造りだと見えて、家の各部分が風圧に応じて、猛烈なきしりを立てる。四五秒置きの突風は、今までの音とちがって、へんに乾いた狂噪的な響きを帯びている。家の内部は暗い。音だけが私を取り巻いている。滑車に似た梁(はり)の軋(きし)りが、一風ごとに増大してきて、私が倚(よ)る太柱もぐぐっと揺れて、私の身体を衝き上げてくる。おそろしい手答えをその度に私に伝えてくるのだ。

 ――ここは危険だ?

 そんな考えがちらっと頭をかすめる。と、居ても立ってもいられない気持にかられ、闇のなかに片手を伸ばし、私は柱の下をはなれて、徐々に奥の方に移動し始めた。じっとしていることに耐えられなかった。

 伸ばした手が、なにか横木にふれた。なお手探ると、それは階段の登り口のようである。この家には、二階がある。

 ――階下はあぶない!

 そのことが矢のように、私の頭にひらめいた。昭和六年の颱風のとき、風で倒壊したある二階家の有様が、その瞬間、まざまざとよみがえっていたのだ。その家は二階は原形のまま、階下だけがぐしゃりと潰(つぶ)れていたのである。私は反射的に足をかけ、濡れた衣囊を引きずりながら、盲虫のように階段を這いのぼり始めた。

 こういう危急の状況に、なぜ重い衣囊を遺棄して、身軽にならないのか。私はほぼ無意識に、衣囊を引きずっていたのだろうが、その時側から、それを捨てろと忠告されたとしても、おそらくは捨て切れなかったに違いない。身軽になるということは、ただひとりの自分になることだ。それは言うまでもなく、余りに辛すぎる。その気持が、この重量ある伴侶(はんりょ)に、多分の頼もしさを、私に感じさせていたのだろう。ことに、どこに通じるのかも判らない階段を、盲めっぽうに登っている今の状況としては!

 まったく、此の家の構造や間取りを、私は何も知らないのだ。そしてこの家が、高鍋の町のどの地点にあるかということも。――だいいち高鍋の町からして、地図の上で、九州のどの辺に位置するかも、私には見当がつかないのである。「たかなべ」などという駅名を、今日下車してみて、始めて見知った程だから。その私にとって無名にひとしいこの町の、無名の地点の、無名の家の階段を、しゃにむに登ってゆく。その階段の恰好も、それを登る自分の姿勢さえも、まっくらだから、私には全然見えないのである。ただ判るのは、その階段がひどく揺れているということだけだ。

(何ということだろう!)

 今朝炎天の下で部隊を離れる時には、予測もできなかった運命が、私におちようとしている。一寸先は闇。文字通り今の状況は、一寸先は闇であった。その闇を手探る私の指が、階段の最上段に触れたらしい。そして私はぎくりとして、ほとんど衣囊を取り落そうとした。

「誰だ。そこにくるのは」

 闇の中から、そんなしゃがれた声が、いきなり飛んできたからである。空家だと思っていたのに、誰かがこの二階にいる。それが私をおどろかせた。私は身構えた。その押しつぶされたような声は、隔意と警戒だけでなく、はっきりと敵意を含んでいたからである。[やぶちゃん注:「隔意」(かくい/きゃくい)は「心に隔たりのある思い・打ち解けない感じ」の意。]

「怪しい者じゃない」

私の返事もすこしかすれた。舌がもつれて、長いこと声帯を使用しなかったような気がした。

「しばらく、雨宿り、させて呉れ。たのむ」

 その時、白い稲妻の光が、そこらを瞬間的に、仄明るくした。中二階みたいな、狭い板じきの部屋である。その部屋の真中を、太い柱が立ち貫いていて、その柱のかげにうずくまっている一人の男の形を、私はちらと眼に収めた。上半身が裸だったようである。その裸の胸や手が、私にむかって構えていた。距離は一間[やぶちゃん注:一メートル八十二センチほど。]ほどであった。むこうも私の姿を認めたようだ。

「雨宿りだあ?」

 ふたたび闇に沈んだ部屋の中から、男のたかぶった声が戻ってきた。私はそれに短く応じながら、衣囊を引っぱり上げ、柱の方ににじり寄って行った。階下よりもやはりここの方が、安全なような気がしたし、身近に人間が一人でもいるということが、私には力強く思われたから。

「やけに吹きまくるじゃないか」

 私は柱のそばにいた。柱は先刻のより、一廻り大きかった。この家の大黒柱みたいなもののようであった。

[やぶちゃん注:「昭和六年の颱風」この当時、梅崎春生は福岡修猷館中学を卒業した十七歳の時で(一浪して翌年に五高に入学)、福岡にいた。この年の台風については、前に見たサイト「四国災害アーカイブス」の中に「昭和6年10月の台風」があり、一九三一年十月十三日に『台風が九州、四国をかすめ、和歌山南方に上陸した。非常に速かったので、短時間強雨の被害になった』(下線太字は私が附した。後も同じ)旨の記事があるとある。当該ページには原資料へのリンクがあるので、それで見ると、「中村市史 続編」の「災害編」の中の「明治二十七年より昭和二年に至る風水害」の年表に(実際の年表には昭和九年までのデータが載る)、昭和六(一九三一)年の条に『十月十三日 台風』とあって、『九州四国を掠め、和歌山南方で上陸した七三五㎜の台風。非常に速かったので短時間強風の被害となる』とあって、後者の原資料を信ずるなら、ここでの描写と親和性があると言える

「盲虫」「ざとうむし」と当て訓して読んでいるものと思う。節足動物門鋏角亜門蛛形(クモガタ)綱ザトウムシ目 Opiliones に属するグループの総称和名で、異名総称としては「メクラグモ」とも呼ばれるが、その呼称は地方によっては、全く別種の真正のクモ類である足の長い鋏角亜門クモ綱クモ目ユウレイグモ科 Pholcidae の類をも指すので注意が必要。節足動本邦産は約百種ほどおり、通常は体は七〜八ミリメートルの豆粒状を呈し、五〜六センチメートル、時には十数センチメートルにも及ぶの糸のような長い四対の脚を、盲人が杖で探り歩くように、全身を震わせながら歩行することからの和名である(差別和名として検討が必要だろう。「座頭」自体がその内、若者には漢字も当てられなくなるであろうし)。腹部に明らかな体節構造を持つ点、しかも頭胸部と腹部が密着して見た目が概ね楕円体に纏まって見える点(クモ類は両部の間に明確なくびれが認められる)、出糸突起を有さない(糸を生成しない)ことでクモ類と区別される。夜行性。山地に多いが、平地や海岸にも棲み、岩の割れ目や壁面の角などに多数で固まっていることがある。クモ類には生理的嫌悪感の免疫がある私だが、彼らはダメ。]

 

      一二

 

 その部屋から、今登ってきた階段を通して、表の道路が見えた。

 雲はあちこち断(き)れて、雨はすでに止んでいるらしい。道路はぼうと明るく、その向うに家が並んでいるのが見える。月が出ているのかも知れない。突風が乾いた音をますます強めてくる。揺れの点では階下よりもここが烈しいようだ。大浪に揺られる船の底みたいに、ぎぎっと軋み、かたむき揺れる。ロウリングのみならず、不気味なピッチングも加わる。[やぶちゃん注:「ロウリング」(rolling)「ピッチング」(pitching)梅崎春生も主人公も元海軍兵(既に解員されている)であるから、自然にこうした表現が出る。船舶が海上を航行する場合、強風や波浪により、横揺れ(ローリング)や縦揺れ(ピッチング)、及びその他それらが複雑した動揺が発生する。ピッチングは前や後ろからの波風によって船首と船尾が恰もシーソーのように上下に揺れることで、ローリングは船体が横からの波風によって左右に揺れることを指す。]

 突風のたびに無意識に身体が凝縮して、どうしても、柱にすがりつく姿勢になってしまう。闇の中でその都度(つど)、私の手が男の腕に触れ合ったりする。男の肌は濡れてつめたかった。

 さっき板片をぶっつけた私の二の腕が、じんじんと熱い。ぬるぬるする。皮膚が裂けて、出血しているらしい。また眼鏡を飛ばされたとき、右耳のうしろを傷つけたと見えて、そこもじんじんと疼(うず)く。脈搏がそこに打っているのが判る。不整調で、早い。

 部屋が悲鳴をあげてざわめき揺れる度に、男もはげしく柱にしがみついて来るようだ。掌や腕がぶつかり合う具合で、それは判る。嵐に恐怖をかんじてしることが、その動きで私に伝わってくる。触れた感じでは男の体軀は、私よりも細く小さいようだ。男の呼吸は鞴(ふいご)のように荒い。

 突風のあい間に、私たちは短い言葉を交し合っていた。私からの発言や質問の方が多い。しゃべることで、相手や自分を確かめていないと、不安と恐怖で押しつぶされるような気がするのだ。顔かたちもまだ見知らぬのに、私はその男に、生物的な親近感をつよく保ち始めている。しかしそれは私の一方的な感じかも知れない。男の返事や話しかけには、もはや敵意はほとんど消えていても、まだ隔意の風情(ふぜい)が頑強にのこっているのだ。そこに異質のものが、こつんと感じられてくる。

「あんたも、兵隊かね?」

 切迫しているので、言葉が長いセンテンスでは出てこない。そう訊ねながら、私はできるだけ衣囊を身近に引きよせる。万一の場合の衝撃を、それで避けようとする下心からだ。こんなものが役立つかどうか。しかしその計算を離れて、ほとんど無自覚に私は動作している。

 男はあらく息づくだけで、それには答えない。

 次の風のあい間に、異様に緊張した声で、男は口をひらく。私に問いかけるともなく、独白ともつかぬ、中途半端なうわずった調子で。

「こ、ここは危いかな。外に出た方が、いいかなあ」

「外は駄目だよ」

 私は次のあい間に、頼むように言う。

「ここよりは、もっと危いよ」

 この男にいま駈け出されては、私もはなはだ困るのだ。そして実際、ここから見える仄白い道路に、いろんな形のものが、すばらしい速度で走り廻っているのである。板片や瓦のようなものだけでなく、相当な大きさをもっものまでが。

 戸板や唐紙が立ったまま、何枚も何枚も、道路の上をトコトコと走って行く。ふしぎに倒れない。妖怪じみたおそろしさがある。そして急に速度を増して、宙天(ちゅうてん)に捲き上る。

 

      一三

 

 とにかくその男は、すこしずつ変であった。

 変ではあるけれども、確かに変であると感じるだけのゆとりが、私にはなかった。

 包囲する轟音がたちゆるむとき、好奇心や相手をたしかめたい欲望が、ふと皮膚や唇の上に戻ってくるのだが、次の瞬間に、それはばらばらにかき消されてしまう。

「どうぞ。――どうぞ」

 音響と振動が通りすぎるのを、祈るような気持で待っている。そして短い小康がくる。電光が時々白っぽく流れる。

 この家には、雨戸は立ててあるようだが、唐紙や障子などの建具は何もないようであった。手探りでも触れなかったし、稲光もそれらを照らし出さない。家具らしいものの形もない。しめっぽい臭いからしても、空家のように思われるが、そうすればこの男は何だろう。私と同じ境遇だろうと、漠然と私はきめているのだが(そう思うのが一番カンタンだからだ)、どこかしっくりしない。食い違ってくるものがある。しかしむこうでも、私をそんなに感じているかも知れない。なにぶん動顚(どうてん)の状態だから、感情や挙動が平常通りにゆく訳もないのだ。

(とにかく、とにかく、これが済んでから。――)

 なにもかも後廻し、ひたすらその気持であった。戦争中やっと命を全うしてきたのに、やっと解放された当日に、はからざることになっては大変だ。是が非でも。是が非でも。私は衣囊に肩を埋めてみたり、柱の方に身じろいでみたり、架空の圧力にたいして、絶えず防禦(ぼうぎょ)の姿勢をととのえながら、神経だけで力んでいた。この家の屋根瓦(がわら)をばりばりと持ち去る、すさまじい音がする。壁の外側にも、重いものやするどいものが、ひっきりなしにぶつかってくるのである。

「――もう、駄目かも知れないぜ」

 やがて闇の底で、男の投げ出すような声がした。

「もうそろそろ、今度は駄目らしい」

「駄目なもんか」

 即座に私は答える。その言葉に引きずりこまれることから、懸命に抵抗しながら。――しかしそろそろ、この男が気持の隔てをなくしかけていることが、その語調から感じられた。

「そら、少し収まったようじゃないか」

「風向きが変る前に、ちょっと収まるんだ」と男が答える。「さっきから聞いているから、おれにはよく判るんだ」

 突風がすこしとぎれて、余波みたいな雑然たる音響がごうごうと鳴っている。

「何か食うもの、ないか」

「あるよ、何かあるだろう」

 私はあわただしく衣囊を引きよせて、紐(ひも)をまさぐる。紐が濡れてからみつき、なかなか解けない。中には今朝支給された弁当がある筈だ。少しして、男が言う。

「お前は、テンゾクか」

「え。テンゾクって何だい」

 なにか賊(ぞく)みたいな意味かと、私は理解しかねていた。紐がやっと解ける。

「テンゾクさ。ほら」

 男の説明で、やっと、転属だということが判る。この言葉は海軍では使わないから、耳慣れない。部隊から別の部隊へ変ることを意味するようだ。この男は陸軍の兵隊だ、と私は推知する。しかしそれにしても、少しずつ妙だ。何を考えているのか、と私はちょっと訝(いぶか)り思う。思うだけで、考えがそこから進まないのだが。男が探るような声を出してくる。[やぶちゃん注:諸記載を見るに、海軍では「転出」と言ったようである。]

「荷物持ってるんだろう、なあ、お前」

 男の掌が暗がりの中で、私の衣囊を手さぐっているのが感じられる。私の手がやっと衣囊の中で、食物を入れた包みに触れた。胃のへんがぎゅっと収縮してくる。空腹感というよりは、空虚感にちかい。

 指に濡れてべとべとしたものがくっついてきた。私はそれをいきなり口に持って行く。甘い。口腔の粘膜に、とつぜんその甘さは沁み入ってゆく。饀(あん)の甘さだ。航空糧食のお萩の粉末が、雨でどろどろに溶けて、饀粉と御飯にそっくり出来上っているのだ。外包がやぶれて、チューブからしぼり出るように、それがはみ出していたのである。

 ふたたびひとかたまりの突風が、破裂するような音をたてて、斜めに空から舞い降りてきた。浪のように揺れる闇の中を、私は男の掌をあわててまさぐって、どろどろのお萩をおしつけてやる。そして私も忙がしく、自分の掌を唇に押し当てる。それだけが仕事のように。

(あいつはどうしているだろうな。あのミミズクの旦那は!)

 航空糧食からの聯想(れんそう)が、ちらとそこに走る。子供に食べさせてやりたい、と言った老兵のぶよぶよした表情。

 ――その時、階段を通して見える道の向うに、白っぽい光芒がひらめして、小さな藁(わら)屋根の家の形が、くっきりと浮き上った。それはゼラチンのように、抵抗にはげしく慄えていた。と思うと、ぐにゃぐにゃと折れ曲って、無雑作に平たくなった。無声映画でも見るように、崩壊音もひびいて来ない。しかしおそろしい実感が、私を打ってきて、思わず全身が硬直した。

 私は何か叫び声を立てたかも知れない。

 

 おそらく、この突風だったのだろう。(と後で私は思うのだが)

 この家から数町ほど離れた、あの新装の高鍋駅が、ほぼこの時刻に、轟然と倒壊していたのである。駅舎に残っていた少数の人々は、ほとんどその前に危険をかんじて、すべて身をもって退避していたのだが、その突風の寸前の小康時にふと気を許したとみえて、その中の二人ほどが、駅舎に遺棄した衣囊を取りに、ふたたび駅に駈け入ったのである。崩壊は、それと同時であった、と言う。――そしてその不運な一人が、あのミミズクに似た老兵であった。(翌朝、私はそれを知った)おそらくは子供に土産の衣囊を見捨てるに忍びなかったのであろう。

 ――しかし私はそのときは、そういうことも知らずに、大浪のように揺れる柱に片手でしがみつき、片手でしきりにお萩を摑みながら、瞼をかたく閉じていたのである。生きているという実感が、まもなく奪いさられるかも知れない。その瞬間を全身をもって恐怖しながら、その実感を保って行こうと努力するかのように、しきりにお萩の甘さを口いっぱいに押し込んでいたのである。

 まだ甘い。まだ甘い。と口腔内にひろがる甘さを、舌と粘膜でドンランに確かめつづけながら。――

[やぶちゃん注:「数町」一町は百九メートル。

 なお、私は非常に残念に思う。「おそらく、この突風だったのだろう。(と後で私は思うのだが)」(この前の一行空けは本篇で唯一の特異点である)と次の二段落は(厳密には、まず行空けはせず、さらに「――しかし私はそのときは、そういうことも知らずに、」の部分だけを変えて、「――私はそのとき、大浪のように揺れる柱に片手でしがみつき、片手でしきりにお萩を摑みながら、瞼をかたく閉じていたのである。生きているという実感が、まもなく奪いさられるかも知れない。その瞬間を全身をもって恐怖しながら、その実感を保って行こうと努力するかのように、しきりにお萩の甘さを口いっぱいに押し込んでいたのである。」とすべきであったと思うのである。これがあることで本作のコーダのリアルな映像としての衝撃が甚だ薄まってしまうことになるからである。]

 

       一四

 

 いつの間にか雲が断(き)れ、月が出ていた。

 あたりがぼうっと明るくなっている。

 風威はまだ衰えない。ますます強い。難破船の船艙(せんそう)のように、ぎぎっと撓(たわ)み揺れるこの部屋の、その内部の模様が、おぼろに見分けがついてくる。眼が慣れてきたのだと思ったら、ふと眼を上にやると、明り取りのちいさな天窓の彼方に、ぽっかりと月が出ている。血を塗ったような赤さだ。

「月が!」

 十一二夜の月齢だ。ちぎれた海藻(かいそう)みたいな断雲がしきりに月面をかすめ飛ぶので、月そのものがぐんぐん走っているように見える。そしてこの部屋も月に引張られて、いっしょに走って行くようだ。と思うと、またひとしきり、風のかたまりがぐゎんとぶつかってくる。たちまち部屋全体が、めりめりと慄えあがる。

 私たちはいつか身体を寄せ合って、お互いを楯(たて)とするような形になっていた。そして風の合い間に、衣囊に手をつっこんで、にちゃにちゃになったお萩を摑み出して、しきりに口に押しこんでいた。

「もう、ないのか、もう――」

 男の声が、私をうながす。衣囊の内側にべたべた付着した分をのこして、航空糧食のお萩もあらかた食べ終ったのだ。男の声はなにか切迫していて、私はぎょっとする。

「まだ、何か、あるだろう。食わせろや」

 天窓からおちる月の明りで、私はその時初めて、このふしぎな相客の顔を眺めていた。男は裸の上半身をねじむけて、衣囊をのぞきこむようにしている。その輪郭がはっきり判るほどは明るくない。ぼんやりと目鼻立ちがうかがわれる程度だ。うつむいたその顔の下辺が、へんに黒っぽく隈どられていると思ったら、眼を近づけてみると、それはおびただしく密生した無精髭(ぶしょうひげ)である。私が黙っているので、男は急に顔をあげて、しかし言葉は哀願するような調子になった。

「なあ。おれは、腹へってんだぞ」

「腹がへっているって――」

 当感したような語調になるのが、自分でもわかる。男の異常な食慾もへんに思われるし、受けとめかねるような気持である。

「あと、何かあったかなあ。あとは、生米と、カンヅメと――」

「あ、カンヅメがいいや」

 男の声はとたんに生き生きとなる。若い響きを帯びてくる。うすぐらいので、年配もよく判別できないが、この男は私より若いのかも知れない。そして上半身をななめに曲げて、壁ぎわに腕を伸ばす。そこらにこまごましたものが、重ねて置かれてあるようだ。押えたような声で、

「早く、カンヅメを出せや。おれが、切ってやる」

 姿勢をおこした男の右手に、細長いものが握られている。ゴボウ剣だ、と判るまでに、時間を要しない。彼は腕を曲げて、私に向ってそれをかざしている。催促するというより、威嚇(いかく)するような姿勢だ。表情も定かでないが、何かすてばちな圧力を、私に加えてくるふうである。私はいささかむっとする。と同時に、不安にもなる。この男は、何者だろう。一体なにごとか。男の顔の角度がすこしずつ動いて、私の全身を睨(ね)め廻すらしい。私は身体を固くして、男を見返していた。

 やがて男の手が、ふと下に下りる。そして気を許したような、とんきょうな声で、

 「なんだ。怪我してるじゃないかよ。おまえ」

 男の視線が、私の左腕におちているらしい。さっき防火水槽のそばで、何かに打ちつけたところだ。と気付いた時、とつぜんその部分がじんじんと熱くなり、するどい痛みがよみがえってきた。私は思わず、そこへ掌をやる。

 濡れた服地が、そこだけベロリと破れている。指がいきなり、ぬるぬるした皮膚にふれる。血だ。血が乾かないまま、そこらを黒く濡らしている。指を触れた部分にヒリリと痛みが走る。

「待てよ。おれが直ぐ、緊縛(きんばく)してやっからな」

 男の声は急になごやかになる。ふたたび壁ぎわに于を伸ばす気配で、

「どこで、ころんだんだ。え」

「何かにぶつかったんだよ、表で」

 私は用心しながら、上衣をそろそろと脱いで、襯衣(シャツ)だけとなる。脱いだ服地はぞんぶんに水を吸って、じっとりと重い。襯衣も雨水と汗に濡れて、気味悪く肌にべたべたと貼(は)りついてくる。

「痛い」

 私は思わず口に出す。男の指が乱暴に、油薬みたいなものを、傷口へなすりつけてきたのだ。そして黒っぽい布きれで、器用にそこらを緊縛する。しめつけられた傷口を、熱い血が鼓動をうって、じんじんと流れてゆくのが判る。男は布きれの端を、きりりと結び上げながら、低いささやくような声で、

「――お前も、兵隊だな?」

 私はうなずいて見せる。しかし相手に通じたかどうかは判らない。

 緊縛が済むと、私は素直な気持になって、衣囊の中を探る。奥の方に固いものが、ごろごろと指に触れる。その二つ三つをひっぱり出す。そして男に手渡す。

 私は柱にもたれて、ゴボウ剣の刃先が、カンヅメに突きささる音を、しばらく聞いていた。その音が、騒然たる風の音と、いきなり重なり合ってくる。ぎい、ぎぎっ、と部屋が歪む。私は柱に爪を立て、呼吸をつめる。階段口を通して、仄白い道路が眼に入ってくる。さっき崩壊した向いの家が、ごちゃごちゃした堆積となって、そのなかから、突風にうながされて、板片やブリキ板が、猛然と飛び立ってゆく。まるで無鉄砲な選手みたいだ。

「もう、駄目かなあ」

 その危惧が、瞬間私をおびやかす。この家の柱や梁(はり)の軋りが、妙に疲れたような響きを帯びてきている。それがひどく気になるのだ。

[やぶちゃん注:「十一二夜の月齢」いつもお世話になっている「暦のページ」で、昭和二〇(一九四五)年八月の月齢を見ると、それに当たるのは十九日か二十日になる。

「ゴボウ剣」刀身の長さと黒い色から通称された陸軍の「三十年式銃剣」のこと。明治三〇(一八九七)年採用。第二次世界大戦に於ける日本軍の主力銃剣である。]

 

      一五

 

「こりゃ、すごいや、お赤飯だぜ、おめえ」

 男はふたたび柱のそばに、にじり寄ってきた。

 部屋の広さは六畳ほどもあった。板張りの上に、ござが敷いてあるが、ひっきりなしに落ちてくる砂や壁土で、そこら一面がざらざらだ。家具も、道具も、なにもない。物置きみたいに、がらんとしている。がらんとした空間に、太柱がいっぽん突きぬけている。その柱の下にうずくまって、私たちは額を寄せ合い、カソヅメの赤飯を手摑みに、しきりに口に頰ばっていた。こんなお目出度くない状況で、お赤飯とはなにごとか。そんな思いが、ちらちらと私をはしる。しかし我が相客は、そんなことを考えもしないらしい。ただひたすら、食べている。食べることだけに、熱中している。その旺盛な咀嚼音(そしゃくおん)が、すぐ側で聞えるので、それに追われるように、私も顎を動かしている。そしてふと感じたままを、そっくり私は口に出す。私のつもりでは、相手に親しみをこめた感じだったのだが。

「ずいぶん、食うじゃないか、お前」

 ぎょっとしたように、男は柱から身を引く。そして私もはっと固くなる。男の右手がまさしく、ゴボウ剣を摑んでいたからだ。私は遽(あわ)てて、言葉をつぐ。

「ど、どうしたんだよ」

「食って、悪いのか」

 ひどく険しい声が、男の口から、はねかえってきた。二の句をつがせぬほど、その語調は激しい。しかしその激しさは、どこか空虚だ。私につっかかるというより、発作的に喚(わめ)いたという感じがある。私は黙る。黙ったまま、無意識に身構える。そして男の動静に、全神経をあつめている。男の体軀は、私よりも細く、ひよわそうだ。しかしその右手に、ゴボウ剣を握って、私をねらっている。風がどどっと吹きつけると、男の身体もその形のまま、よろよろとゆらぐようだ。私も思わず片手をついて、動揺に抵抗する姿勢になる。

 男の影が、すこしずつ、後ずさりするらしい。そして押しつけるような、ぶきみに緊張した声で、

「おめえ。どういうつもりで、ここへ来たんだ」

「雨宿り、だよ」

「なに。どこから、来たんだ」

「高鍋の駅、からだ」

「駅からだあ?」

 男はひるんだような声を立てた。しかし直ぐ盛(も)り返すように、甲(かん)高い声で、

「駅から、わざわざ、どんなつもりだい」

 私は黙ってしまう。どんなつもりだったのか、私にも判らないのだ。むちゃくちゃに走り出したとたんに、皆を見失ってしまったのである。と思うけれども、しかしあの時、私は皆から意識的に離れたかったのではないか。そんな思いが、今ちらと頭をかすめる。とにかく独りに、なりたかったのではないか。しかし独りになって、私は一体、どうするつもりだったのか。

 私が黙っているので、男はすこしずついらだって来るらしい。とつぜん乱れたような声になって、

「おめえは、いったい、誰だ。誰だよ」

 ある疑念が瞬間に、私の胸に結実する。この男は、何かをおそれている。おそれていることで、極度に過敏になっている。――しかし次の瞬間、その疑念もたちまち断ち切れ、かき消されてしまう。身も心もすくむような音響とともに、突風がぐゎんとぶつかってきたからだ。巨大な掌で、いきなりひっぱたかれるような衝撃。梁(はり)や柱や垂木(たるき)が、それぞれ終末的な悲鳴をあげて、不協和に騒ぎたてる。部屋全体が大きくぐらぐらと揺れ、どこからか砂や土塊(つちくれ)がばらばらと飛んでくる。私は脚をちぢめた昆虫のようになって、必死に柱に身体をおしつけている。その私のすぐ背後からおちてくる、物が引き裂けるような、すさまじい音響。

 総身が凝縮するような気がして、思わず私はその音へ振り返っていた。

 

      一六

 

 私の背後の壁面の、柱と壁の部分がめりめりと引き裂けて、幅五寸ほどにも分離していたのである。

 そこから風が棒になって、どどっと私の正面に殺到してきた。

 あのアッシャア館の最後のように、その裂け目から月光がさし入り、無気味な音とともに、その月の光の幅が、しだいに拡がってくるのだ。全身の毛穴がけば立つような気持で、私はそれを見た。[やぶちゃん注:「アッシャア館の最後」アメリカの幻想作家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe 一八〇九年~一八四九年)が一八三九年に発表したゴシック・ロマンの名篇「アッシャー家の崩壊」(The Fall of the House of Usher)。]

「大変だ!」

 それからどういう風に、自分の身体が動いたのか、ほとんど自覚がない。とつぜん視界がむちゃくちゃに入り乱れ、そこらで音が鳴りはためき、私は衣囊もなにも遺棄して、階段口まで来ていた。いつの間にか、汗でぬるぬるした男の身体を、私は右手でしっかり抱えていたようである。そしてそのまま転がり落ちるように、まっくらな階段を駈け降りていた。その瞬間壁面の一部が倒壊したと見え、むせるような壁土の臭いが、私たちを追っかけてきた。

 腕で顔をおおいながら、私はやみくもに土間へ飛んで、表の方に駈け出そうとした。その私の肩に、男の両手がしがみついてきた。

「そ、そっちは、あぶないんだ」

 私はたちまち判断力を失って、もろくも引き戻された。男のあらあらしい呼吸が、耳のそばに聞える。そして私は引きずられるように、柱や戸板に二三度ぶつかりながら、暗い土間を、裏手の方に走っていた。男の掌が私の肩を、しびれるほどきつく摑んでいる。出口の敷板に爪先をしたたか打ち当てて、私たちは嵐の中にころがり出た。

「は、はやく」

 白っぽい月の光の下で、そこは裏庭のような広場になっているのだ。私たちはよろめきながら、そこを斜めに駈け抜けた。繩や木の板みたいなものが、顔や肩をかすめて飛ぶ。そして私たちは背を曲げて、裏庭のすみへ走った。低い土塀がそこで直角に折れている。その一角へ、呼吸をはずませて、私たちはころがり込んだ。

 そこにしやがみこんだまま、私たちはものも言わず、眼だけを大きく見開き、しばらく犬のようにあえいでいた。

 私たちが今飛び出した二階家は、ぼんやりした空明りを背景にして、奇怪な形にねじくれていたのである。二階の梁木がいっぽん外(はず)れて、軒からだらりとぶら下り、風にゆらゆらと揺れているのだ。と見る間に、それはもぎ取られたように軒端(のきば)をはなれて、ふわりと中空を泳ぐようにして、向うの方に落下して行った。そのとたんに、屋根全体ががっくりと傾いて、屋根瓦が月の光をはじきながら、ざらざらとこぼれ落ちるのを、私はありありと目撃した。さいわい私たちの位置から、そこまで二十米あまりある。

 ひとつの危険からのがれ得たという実感が、私にはっきり来るまでに、なお二三分はかかったと思う。やっと人心地ついたとき、衣囊をあの二階に遣棄してきたことが、初めて意識にのぼってきた。

(これは大変だ!)

 兵隊の本能がうごいて、先ずそれが頭にきた。次の瞬間、自分がすでに解員された身だと気がつくと、弛緩(しかん)した笑いが私の咽喉(のど)にこみ上げてきた。

 私は声を立てて、わらったのかも知れない。

 

      一七

 

 その時そばの男が、背をぐっと起したのだ。

 そしていきなり私に向き直った。

「おれは、……だ」

「え?」

 男の顔色はまっさおに見えたが、声は低く落着いている。私の顔を真正面から見据えながら、

「おれは、逃げたんだ。逃げてきたんだ」

 男の身体には、土塀の影が黒々とおちているが、首だけがその影から抜けて、月光にしらじらと浮いている。汗が玉になって、その額や頰に光っている。涙かも知れない。蒼白い塑像(そぞう)のように、顔の筋肉が緊張している。その唇だけがわずかに動いて、呟くような声で、

「つまり、おれは、逃げなきゃ、よかったんだ。つまり――」

 咄嗟(とっさ)にして、私はそれを了解した。この男の常ならぬ挙動。ふしぎな容貌の衰えなどのすべてを。ちょっとした沈黙の後、私は問い返す。

「――いつ、脱走してきたんだね?」

 私は自分の声が、急にいやらしい猫撫で声になるのを感じる。そのことで私は、ふと自分を嫌悪(けんお)する気特におちる。

 なにか重大な立会人になることを拒否する気持が、私の内部ではっきり動いていた。しかし私は視線を、男の顔からそらさない。私の顔も、月の光に浮いている筈だ。そして私の額にも、ぎらぎらと汗の玉が並んでいるだろう。

 やがて男はがっくりと、背を土塀にもたせかける。そして力が抜けたように、こんどは素直な口調になって、とぎれとぎれしゃべり出す。急に元気を喪(うしな)ったことについて、何故か私はこの男に、憎しみに似た感情を持ち始めているのだ。そしてその感情をいらいらともてあましながら、しばらく私は口をつぐんでいた。

 風威がしだいにその頃から、衰えてくる気配があった。

 

      一八

 

 農家風の低く厚い土塀が、私たちを風から守っているのだが、その土塀にぶつかる突風の震動が、すこしずつ間遠になってくるようであった。それと同時に、風に乗って土塀を越え、頭上をかすめ去る板屑(いたくず)などの数が、目に見えて減少してくるのが感じられた。決定的な音響がしだいに弱まり、余波みたいな雑然たる騒音となって、遠くに消えてゆくらしい。しかし時折、発作的な逆風が捲き起って、庭の水溜りをさあっと吹き上げ、しぶきを私たちに浴びせてくるのだが、それにしても颱風が峠をこしたことは、四囲の状況からも、もう疑えなかった。

 張りつめていた緊張がとけて、妙に不安な下降感が私にやってきた。頭の一部に変に陽気な気分をのこしたまま、急にとろけるように睡くなってくる。疲労からくるひどい変調をかんじながら、濡れてざらざらした土塀に背をもたせ、この経験を知らぬ脱走兵の言葉に、私はうつうつと耳を傾けていた。そして神経的に手を動かして、地面の草をしきりにむしり取っていた。男の声は、低くみだれている。自分だけでしゃべっているような語調だ。ほとんど聞きとれないのである。

 男のその呟きが、ふと途(と)切れる。そして私は初めて発言の機会をつかむ。強い抵抗がそこにある。それは何故だろう。彼の自由を告げるというのに、私の気特ははなはだしく残酷になっている。この上もない意地悪いことを敢行するような気分だ。私の内にあるもの、善意というより、はっきりした悪意であるようだ。おのずから不機嫌な口調となって、思いきって。

「だって、お前、もう戦争は、すっかり済んだんだぜ」

 男の姿勢がぎゅっと凝縮するのが、はっきりと判る。男の刺すような視線を頰に感じながら、再びおっかぶせるように、

「――逃亡も、脱走も、あるもんか。みんな御破算だよ」

 とつぜん男が笛みたいな叫びを立てたようだ。そしてそれっきり。立ち上ろうとして、またへたへたと腰をおろす。風がいろんなものを飛ばしてくるので、立ち上るのはまだ危いのだ。

 風の音が、またひとしきり、潮騒(しおさい)のように押しよせてくる。いくぶん弱まってきたとは言え、まだこの厚い土塀を根元から、ずしんと震動させてくるのだ。私は膝を抱いて、じっとしている。そして感覚の全触手を、隣の男にあつめていた。男は死にかかった章魚(たこ)のように、無抵抗に壁によりかかったままでいるらしい。小刻みに慄えているのが判る。性急な息づかいがつたわってくる。何か言いそうなものなのに、かたくなに黙り込んでいるのだ。

(ざまあみろ)

 私も黙りこくったまま、ふとそう思ってみる。すると胸のなかの残酷な主調が、急に憐憫(れんびん)にとってかわるのを自覚する。この男にたいする憐憫ではない。もっと別の、なにものに対してとも知れぬ、叫び出したくなるような焦噪と憐憫。――そして一時に発してくる、深い疲労と倦怠。

 私は月を見上げていた。いやらしい赤さで、それは中天に懸(かか)っている。ふいにかすかな嘔(は)き気がこみ上げてくる。そして咽喉(のど)の奥から、小さなアクビがつづけざまに出てくる。口の中がカラカラに乾いて、舌の根が引きつるように痛い。月の面のうすぐろい斑点を見詰めていると、やがて虚脱したような睡気が、ふかぶかとかぶさってくる。その誘(いざ)ないに応じるのが、今の私にはもっとも自然らしく感じられた。

「おれは、ちょっと、やすむよ」

 そう言ったと思う。そして眼を半分見開いたまま、私は眠りに入ったらしい。神経の一部を残して、あとはすっかり喪神したように。

 そしてどの位経ったのか、私にはよく判らない。一時間足らずのことだと思う。

 

      一九

 

 ニラの匂いがしていた。

「ニラだな」

「うん、そう」

「なつかしい匂い、だな」

「うん」

 意識は醒(さ)めないのに、口だけが醒めて、隣の男と会話のやりとりをしていたようだ。寝言のつづきのような自分の返事で、私はぼんやりと目を醒ましていた。

 気がつくと、風の音はずっとおだやかになっている。空の高みでコウコウと鳴っているだけで、地上ではほとんど収まったようである。

 月の位置が移動したのか、私たちがいる土誹塀のかげも、すっかり白々と明るくなっている。そこらいっぱいに密生しているのが、ニラらしい。すべてなぎ倒されたように、ひらたく折れ伏している。その青く細い葉々の間から、白く小さな花が黙々とのぞいている。先刻私が無意識に、しきりにむしっていたのも、これらしい。その葉の折れ口から、ニラ特有の匂いが、ぷんとただよってくる。あの時は気がつかなかったのに、今は親しく鼻にのぼってくる。

「これ、タマゴとじにすると、とてもうまいぜ」

「うん。うまい」

 男にならって、私も手を伸ばして、花をつけた細茎をもぎとっていた。そして何故ともなく、眼に近づけて見る。小さい花だ。六枚の白い花びら。六本の細い花芯(かしん)。ひとつの茎に、七つ八つのその花が、傘状にくっついている。そこらに月の光がちらちら揺れている。鼻にもって行っても、ほとんど匂わない。強いて嗅ぎ当てようとするように、私はしきりに鼻を鳴らしながら、何となく考えている。

(この小さな花のことを、あとになって、何度も何度も、おれは思い出すだろう!)

 やがて横で男の影が、ゆるゆると立ち上った。そしてなにか試すように、二三度足踏みしている。それを見上げながら、私はぼんやりと話しかけている。

「もう、行くのかい」

「うん。もう、大丈夫だろう」

「そりゃもう、大丈夫だろうな」

「もう大丈夫だよ」

「じゃ、おれも、行こうかな」

 壁に掌をついて、やっとのことで、私も立ち上る。身体の節々がいたい。それと同時に、眠っている間に、自分の情緒がすっかり変化したことに、私はすこしずつ気付いている。この男の存在も、なにかよそごとみたいに、今は感じられるのだ。

 男はややびっこを引きながら、庭をよこぎって、家の方に歩いて行く。ひどく無表情な背中だ。その背について、私も歪んだ家の中に入ってゆく。暗い土間の中途で、私は立ち止って、自分の声でないような声で、

「やはりおれは、ここでもう少し、休んで行くよ」

 まだ眠いし、疲れてはいるし、動くのは大儀であった。外に出てもまだ暗いし、行くあてもない。濡れていない場所で、もう一休みしたかった。ひたすら、それだけである。

「そうかい」

 男はちらとふり返る。そして無感動な声で、

「じゃ、アバよ」

「アバよ」

 表通りの月光に、男の痩せた黒い影がうかび、ちょっと右手をあげる。そしてそのまま横へ切れて、私の一夜の同伴者の姿は、それっきり消えてしまう。私はただそれを見ている。無感動に見送っている。表皮が妙に硬化して、感動がうごく幅や余地が、胸のなかからなくなったような感じだ。やがて私は手探りで、ごそごそと框(かまち)に這い上る。

 土や砂でザラザラした板の間のすみに、むしろみたいなものを探りあてる。肌にべたつく襯衣(シャツ)を脱ぎ捨て、そこヘ横になり、私はゆっくりと背骨を伸ばす。そして瞼を閉じる。あとは朝を待つだけだと、自分に言い聞かせながら。――

 

      二〇

 

 朝の日光の下で、高鍋の駅前は、ざわざわと混雑していた。

 一夜の晦冥(かいめい)がすぎると、嘘のように晴れ、風は凪(な)ぎ、陽(ひ)はかんかん照り始めている。蝉(せみ)の声があちこちにむらがり響き、今日もまた暑くなりそうな天気である。空には雲ひとつ見えない。青々と澄みわたっている。嵐をすっかり忘れたような、素知らぬ表情だ。颱風の痕跡は、地上にだけとどまっている。道路や溝のあふれた雨水。なぎ倒された樹々。倒れた電柱。地面を這う電線。倒壊した家屋。そこらを人々の姿が、縫うように動いている。

 高鍋の駅舎も、まったく原形を失って、雑多なものの堆積(たいせき)になっていた。板片やガラスや瓦の破片が、そこらいっぱいに散乱している。巨大な掌で、一挙にぐしゃりと潰されたように見える。その上に、七八人の男たちが登って、ツルハシやシャベルで、その堆積を掘り起している。

「おおい。どうしたい」

 駅前の待合所みたいな家の中から、私に呼びかける声がする。見ると、部隊で顔なじみになっていた、看護科の若い下士官だ。

「どうしたね。おや、眼鏡は?」

「うっかりしてて、飛ばされたよ」

「へえ。損害はそれだけかい。うまくやったね」

 そして下士官は、わかわかしい声で笑い出す。笑いながらも、しきりに身体を動かして、薬品箱を開いたり、注射器の整理をしたりしている。その待合所の中には、五六人の男たちが、立ったり動いたりしている。国民服を着た、町の役員らしいのもいる。消毒薬の臭いがただよっている。下士官は倒壊した駅舎の方を、顎でしゃくりながら、

「どうだい。ひでえもんだろう」

 待合所の土間に、戸板が二つ敷いてある。そしてその上に、二人の男が横たわっている。その一人は苦しそうにうめいている。あとの一人は、血の気をすっかり失って、瞼をじっと閉じている。私が見たのは、その男の顔であった。それは汽車で座席がいっしょだった、あのミミズクに似た老兵の顔である。皮膚が灰白色になって、表情も歪んだまま硬ばっているが、あの男の顔にまぎれもなかった。いきなり胸を衝かれたような気持で、私は口走る。

「どうしたんだい、これは」

 思わず詰問的な口調となった。びっくりしたような顔で、下士官は私を見る。

「息引き取ったんだよ。さっき」

 そして下士官は、器用に注射器に薬液をみたしながら、

「運が悪いやつだよ。この男は」

 いったん駅舎から身をもって退避しながら、風の小康(しょうこう)時に、遺棄した衣囊を取りに、ふたたび駅舎に入ったという。そしてその瞬間に、駅舎は轟然と倒壊したのだという。

「はたの者が、止めたというんだがな。なにしろ運が悪い男だよ」

 そう言い捨てて下士官は、注射器を指にはさんで、もう一人の怪我人の方にあるいてゆく。

 私は土間のしきい口に立ったまま、しばらく老兵の死貌(しにがお)に眼をおとしていた。戸板の枕許に、老兵のものらしい衣囊が、泥によごれて置いてある。この衣囊の中に、子供の写真や、子供へ土産の航空糧食が、ぎっしり入っているのだろう。しかしこれがこの男の生命の代償としては、あまりによごれて、あまりにも惨めに変形している。泥と布のかたまりのような、その衣囊をじっと見ていると、私はやはり急に耐え難くなってくる。しかし私にも、どうするすべもないのだ。私に判るのは、ただそれだけである。

 駅前や道路で、呼び交す声や別れを告げる声が、遠く近くひびいている。ぞろぞろと人が動いている。次の駅まで、皆徒歩であるくのだ。着のみ着のままの男。衣囊を重そうにかついだ男。どこからか大八車をやとってきて、それに荷物を運ばせている一群。それらの上に、晩夏の太陽がかっと照りつけ、人々の濡れしめった衣服から、白く水蒸気が立ちのぼっている。ものや人の影が、地上に鮮かに動いている。日を背に受けて私の影も、私の足許から濡れた地面に、平たく黒々と伸びているのだ。このいやらしい影を、えいえいと引き摺(ず)って、やがて私も次の駅まで、三里の道を歩かねばならぬことは、確実であった。

 

梅崎春生 無名颱風 (前)

 

[やぶちゃん注:昭和二五(一九五〇)年八月刊『別冊文芸春秋』第十七号及び、同年十月刊の同雑誌第十八号に連載され、後、同年十一月刊の月曜書房の作品集「黒い花」に収録された。

 底本は「梅崎春生全集」第一巻(昭和五九(一九八四)年五月刊)に拠った。

 なお、梅崎春生「生活」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「ヽ」は太字とした。

 一部に注を附した。

 全体が十章からなる。このブログ版では、二部に分けて「一」から「十」と、「十一」から終章までに分ける。後にサイト一括版をPDF縦書版としてアップする予定である。

 

   無 名 颱 風

 

      

 昭和二十年八月下句、かなりの風速をもった颱風(たいふう)が、九州南西部の一帯を通り抜けた。終戦後、とは言っても、まだ数日を経たばかりだから、しゃれた名前のつきようもない。無名の颱風である。

 この颱風が、どんな性質のものだったのか、どこから来てどの方面へ抜けたのか、私は未だによく知らない。知るよしもない。

 ただ私は当時、その風域の一端にいて、それが狂暴に地表を擦過し、物と人とを傷つきやぶる状況を、つぶさに体験した。地点によって異るだろうが、私の場合この颱風は、薄暮の一刻にとつぜん始まり、夜中を荒れ通し、翌朝の晩方に終った。この一夜の印象は、その時おかれた環境のゆえもあって、今なお私に鮮烈である。

 かなりの風速、と、さきに書いたけれど、控え目に記億を探ってみても、やはりそれはかなり以上の風速だったような気がする。昭和六年の夏北九州をおそった、風速四十五米の颱風を私は知っているが、身に迫る兇暴さにおいて、それと同程度の、ある瞬間にはそれ以上のものを、この無名颱風は具(そな)えていたようだ。身を倚(よ)るすべもない、ふつうでない状況が、あるいはそれを実際以上に、私に感じさせたのかも知れないが。――

[やぶちゃん注:敗戦直後の大災害を齎した台風としては枕崎台風(昭和二〇(一九四五)年台風第十六号)が有名だが、それは九月十七日に鹿児島県川辺郡枕崎町付近の上陸で、ここに描かれる台風ではない。サイト「四国災害アーカイブス」の「昭和20年8月の台風」に、昭和二〇(一九四五)年八月二十五日として、現在の香川県三豊(みとよ)市高瀬町(たかせちょう:リンク先に国土地理院の地図有り)、当時の当地、旧三豊郡比地二村(ひじふたむら)の村役場「日誌簿」に、同日、午後四時より夜半にかけて暴風雨が襲った旨の記事があるとある。当該ページには資料へのリンクがあるので、それで見ると、「高瀬町史 通史編 現代」の「三 災害の発生」の冒頭に、「暴風雨の災害」と項立てし、『終戦の年の比地二村役場『日誌簿』八月二十五日の欄に、「午後四時ヨリ夜半ニカケテ暴風雨、敵ノ占領上陸ヲ明日ニ控ヘテ神風吹クカト疑カハシムル計リナリ」』とあった(この記載もなんとも哀しいが、香川には崇徳院の白峯陵がある。昭和天皇は開戦に際し、ここに崇徳院がアメリカに加担せぬことを祈って遣使を遣わしていることを思い出し、寧ろ、荒ぶるその御霊の歓喜を想起したことを告白しておく)。当時の村役場があったのは現在のJA香川県比地二支店(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であると、ウィキの「比地二村」にある。以下の「二」の最初のロケーションは鹿児島駅で、敗戦解除直後(当時の残務処理・物資分配などから考えても十七日以降と考えてよかろう。「二」に無蓋の鹿児島駅のホームで「二日も三日も待ってる人だってある」という描写があるからには、十八日以降としてもいいと思う)である(そのシーンの初めは炎天下である)。「三」の頭では、「都城を過ぎる頃から、列車をおおう空模様が、あやしく乱れ始めてきた」とあり、「六」で雨が降り始め、「九」の宮崎の高鍋駅で既に風雨激しく、川が氾濫しているという記載がある。而してこの「一」の描写を見ると、作品後半の台風の襲来と通過は凡そ十二時間で、その時のロケーションは高鍋駅近くである。鹿児島駅と旧比地二村役場の位置は直線で約四百十九キロメートル離れている。さらに、途中に出る都城駅と先の同村役場を直線で引くと、そのルートの真下に高鍋があることが判るはずである。されば、実際に敗戦直後に発生したこの台風がこの「無名颱風」のモデルであると断じてよい。なお、調べてみたところ、株式会社「気象サービス」の「気象トピック」の「終戦の日」によれば、当時のラジオ放送の天気予報は同月二十二日から再開されたとある。昭和一六(一九四一)年十二月八日のハワイの真珠湾攻撃を境としてラジオの天気予報は放送が禁止されていた。実に三年八ヶ月振りの天気予報であったが、ちゃんと報じられたとすれば、まさにこの台風はその予報の中で伝えられてあったはずである(と思ったが、以下の引用にあるようにそれはなかったと考えた方がよいようである。因みに、敗戦の日の天気図がサイト「SORA 2016年8月号」の「気象アーカイブス(17) 終戦の日の空は本当に晴れていたのか?」で確認出来る)。どうも気になって、さらに調べてみたのだが、妙な記事が見つかった。「いであ株式会社」のサイト「お天気豆知識」の「終戦と台風」である。そこには『終戦後の最初の台風』(リンク先に『終戦後最初に上陸した台風の経路図』とキャプションした日本地図がある)『は、豆台風でしたが』、『終戦の日の約』一『週間後、ラジオで天気予報が再開された翌日の』八月二十三日『未明に房総半島に上陸して関東地方を北西方向に通過しています。気象観測は空襲で破壊されていない気象官署で行われていました。しかし、海上の観測は皆無です。現在でも海上の気象観測は航行中の船の観測が頼りですが、当時は航行する船舶はほとんどありませんでした。さらに通信回線も完全に復旧しておらず、離島からの情報は入ってきませんでした。このため、台風が接近していることがわからず、まさに不意打ちだったようです』とあったからである。この台風は小さいし、その進路は明後日の方角で、鹿児島・宮崎・香川に影響を与えたとは思われない。梅崎が台風を捏造したというなら、香川の記録がおかしなことになる。同年同月の「中央気象台月報」を国立国会図書館デジタルコレクションで探してみたが、ない。もし、この昭和二〇(一九四五)年八月下旬の天気図を見られた方は、御教授戴けると幸いである。

 

      

 

 その当時、とにかくすべてのものが、ひどく混乱していた。交通状態、人の往き来、そんなものが何もかも。――ことに南九州一円においては、他の地方にくらべても、混乱状態は一段とひどかっただろう。所在の交通機関は、沖繩米空軍にさんざんたたかれていたし、また内地の第一線として、一部隊の数もおびただしく、やがて連合軍が鹿屋(かのや)に進駐してくるというので、それらがほぼ一斉に解散してしまったからだ。

 だからそこらの街道、停車場、波止場(はとば)、汽車や牛車やトラックに、復員荷物を背負ったさまざまの兵士が満ちあふれ、動き廻り、右往左往していた。晩夏の烈日のもとで、それらはまるで巣をつつかれた蟻(あり)のように、右へ左へ無目的な動き方をしていた。もちろん個々をあたれば、各自の故郷にむかって動いているに違いないのだが、全体としては、錯雑したでたらめな蠢(うごめ)きにしか見えなかった。

 それらが整然とした動きをとらないのは、いきなり軍務から解き放たれた情緒の混乱と、とにかく一刻も早く故郷へ戻ろうという焦躁(しょうそう)で、それぞれが方途を失っていたせいでもあったが、交通機関の不整備がまず第一の原因であった。鉄道の状況は、ことにひどかった。汽車が何時(いつ)くるのかも判らなかった。故郷を遠隔地に持ち、鉄道のみをたよりにする者たちに、それは大きな不安と焦躁をもたらした。何しろ食糧も、一日分しか支給されていないのに、汽車が来なければ、一体どうなるのか。

 ――建物も天蓋(てんがい)もない、歩廊だけの鹿児島駅で、陽(ひ)にかんかん照らされながら、私たちは空(むな)しく汽車を待っていた。待っている外はないのである。歩いて帰るわけにも行かないのだから。[やぶちゃん注:「歩廊」ホームのこと。]

 ひどくむしむしと暑い日であった。歩廊にあふれた群のなかで、ふとした言葉の行き違いで、小競合(こぜりあい)がおこったり、下士宮が兵隊に袋叩きにされたりした。その側に将校がいても、横目でそれを眺めているだけで、別に止めようとするでもなかった。かと思うと、向うの方では、変にはしゃいだ歌声がおこって、自棄(やけ)っぱちな笑い声が立ったりした。すべてが別々に、揺れ動いていた。そしてみんな同じ境遇にもかかわらず、妙につめたい無関心が、どこかに動いているのが感じられた。陽は相変らずかんかん照りつけ、風は死んで動かない。空気はじっとりと湿気を含んで重かった。歩廊の彼方の線路ぎわに、向日葵(ひまわり)の花が七つ八つ、一列にうなだれて咲いている。嘔(は)きたくなるような真黄色の大輪だ。時折思い出したように、私は汗づく眼を見開いて、線路の方を眺めるのだが、その度にそこに汽車の姿はなく、花の色ばかりが目に沁(し)みてくる。もう四五時間にもなる。

「――ええい。いつまで待たせる気だい」

 近くで誰かが、うなるように叫んだりする。誰もそれに答えない。いつ汽車が来るか、誰も知る訳はないのだ。駅員や駅長でさえも知らないのだから。

「莫迦(ばか)にしてやがる。この重い荷物を背負って、五六箇所も歩くんだとよ」

 ――さっき私たちの要求によって、駅員が歩廊にやってきて、その説明によると、九州本線は確実に五六箇所きれ、徒歩連絡せねばならぬが、日豊線は全然状況が不明だと言う。うまく行けば全部つながっているが、断(き)れていれば、どこで降ろされるか判らない。それはそれとして、だいいち、汽車が何時くるのかも分明しないと言う。ダイヤの混乱、それどころの話ではなかった。

「今日中に乗れれば、運が好い方ですよ。二日も三日も待ってる人だってある位だから」

 ――歩廊の一隅に積み重ねた枕木のかげに、私は衣囊(いのう)を、抱いてうずくまっていた。炎日の直射を避けて、七八人の兵士が私のまわりにひしめきしゃがんでいる。私より年長の、応召兵ばかりだ。顔がみんな汗でびっしょり濡れている。一体に顔面筋肉の動きがすくない。しかしそれでも、いらいらした表情や、不安げな色を、皆かくし切れないでいる。早く汽車に乗らないと、部隊から呼び返しに来ないかと、怖れている風にも見える。それをごまかすように、彼等は線路を見渡したり、時々ぼそぼそと私語したりしている。注意するともなく、私はその私語をとびとびに耳にとめている。

「――ひどくむしむしするなあ。おい」

「――ほら、こんなにべとべとや」

「――嵐でも来るんじゃないかいな」

「――とにかく早く汽車がこんかのう」

「そううまく行けば、なあ」

 そんな風にきれぎれの会話が、ぼそぼそと始まったり、止んだりしている。しばらくしてその中の一人が、暑そうに身じろぎしながら、ぼんやりしたような口調で言う。その声と、むくんだような顔付が、ひどく印象的だ。

「――俺たちはいつも、運がわるい方だったから、のう。いつも、いつも」

 しかしこの度は、彼等(私をふくめて)は運が悪い方ではなかった。と言うのは思いもかけず、間もなく奇蹟のように、汽車がやってきたからだ。

 歩廊の一角がざわめき立ったと思うと、前触れもなく汚れた汽車が、するすると歩廊に入ってきたのである。午後の二時。客車を五六輛しかつけない、短く矮小(わいしょう)な列車であった。それが僥倖(ぎょうこう)にも、丁度私たちの前に止ったのだ。四方からわっと沸(わ)きたって押しよせる中を、私たちはむちゃくちゃに動いて、どうにか客車に乗り込んでいた。歩廊の群を半分以上積み残し、叫声と罵声(ばせい)をあとにして、やがてとにかく汽車は動き出した。積み残された者達の呪(のろ)いを背にうけて、私たちは曲りなりにも、座席の一角に必死にとりついていた。

 今思って見ても、これはとにかく一応の幸運だったと言えるだろう。(真の幸運だったかどうかは判らない)後で聞いたのだが、この汽車に乗りそこねて、それから二日間、ここで日曝(ひざら)しになっていた兵隊もあった、という話だから。

 

     

 

 都城(みやこのじょう)を過ぎる頃から、列車をおおう空模様が、あやしく乱れ始めてきたのである。

 大きな掌をひろげるように、薄墨色の雲群が地平からぐんぐん伸びて、やがて太陽を包みかくしてくるらしい。車窓に飛び去る稲田や疎林が、風が立ちそめたと見えて、思い思いになびき揺れている。その風景の部分部分が、急に蒼然と日の色をうしなってくる。

 なにか不安なものが、かすかに胸に滲(にじ)んでくる。今朝部隊を離れるときの、あのへんに狂騒的な亢奮(こうふん)がもう醒(さ)めかかっていて、窓から吹き入る風に私は顔をさらしたまま、しきりに首筋や背中の汗をこすりとっていた。湿度がしだいに高まるらしく、顔を内側にむけると、眼鏡がすぐに曇ってきた。

 隼人(はやと)駅で、九州本線に乗り換える者が、ぞろぞろとかたまって下車したが、それ以上の人数が入れ替りに押し入ってきて、車内は身動きもできない程であった。人いきれでむんむんする。大部分は年とった補充兵だが、年若い兵隊や下士官などもばらばらといた。

 下士官が通路にしゃがんだりしていても、座席の兵隊は今は席をゆずろうとしなかった。そしてそれは不自然ではなかった。ごくあたり前の情景に見えた。部隊では一律に同じような生彩のない顔をしていた連中が、汽車でそこから離れ遠ざかるにつれて、すこしずつ娑婆(しゃば)の表情をとりもどしてくるのが、はっきり感じられた。遠慮がちだがやはり浮わついた調子で、皆会話を交したり、控え目な笑い声をたてたりしている。老兵が席を占め談笑するそばに、若い下士官が疲れてうずくまっている。数日前までは想像もできない風景だが、今ではすでに、軍服はまとっていても、世間のおじさんが席にかけ、生白い若者がしゃがんでいる、そんな風にしか見えない。戦終って数日経ち、軍務をとかれた今となっては、おのずから年齢という世間の掟(おきて)が、この車室にも通用し始まるらしい。それを不自然でなく眺める私も、いつしか世間の感情を、徐々にとりもどし始めているのだろう。――しかしその自覚は、必ずしも今の私に愉快ではないのだ。ひどい倦怠(けんたい)のさなかにいるような、また密度の違う世界に無理矢理に追いこまれるような、生理的にかすかな厭らしささえ、ありありと感じられる。何故だろう。戦争から解放されて、今はすっかり自由になったというのに、私のこの感じは一体何だろう?

 私の前の座席には、鹿児島駅いらいミミズクに似た顔をした四十四五の老応召兵がちょこんと腰かけていた。

 押しつけられた窮屈な姿勢のまま、彼はさっきから衣囊の口を開いて、その中の風呂敷包みを結び直したり、小さな木箱をとり出して、その中のものを詰め換えたり、整頓したりしていた。木箱の中には、解員時に分配された航空糧食や携帯口糧がぎっしり詰っている。ふと見るとその上に、小さな写真が一葉、表をむけて乗っかっている。

 その私の視線に気付いたのか、垂れた瞼(まぶた)をひっぱりあげるようにして、その老兵は顔を起した。濁った大きな眼である。首を左右にふりながら、はっきりしない呂律(ろれつ)でつぶやいた。

 「――子供がふたりもあるのですよ。九つに六つ」

 特に私にむかって言った調子でもない。独白じみた呟(つぶや)きである。表情のはっきりしない、いくらか沈欝な感じのする容貌だが、その瞬間にある笑いが、喜悦とも羞恥ともつかぬ色をのせて、ぶわぶわと顔いっぱいに拡がるのを、私ははっきり見た。

 ある感じをもって、私はぐっと背を立てた。そして少し乱暴な動さで右手を伸ばし、老兵の木箱の中から、すばやくその写真をかすめ上げた。老兵のカサカサした掌が、あわててそれを追ったが、私はもうその写真を、自分の眼にかざしていた。

「ふん。これがその、あんたの息子さんたち、というわけだね」

[やぶちゃん注:「都城駅」はここ。宮崎県都城市。「隼人駅」はそこから西直線で三十一キロ手前の鹿児島寄りのここ。現在は鹿児島県霧島市隼人町(はやとちょう)。因みに、私はあくまで地理に不案内な方のために注しているだけで、私のために附しているのではない。私の母はこの日この時、鹿児島県曽於市大隅町岩川にいた。十三歲であった。祖父は旧志布志線岩川駅近くの歯科医であった。]

 

      

 

 この老兵は、さっき鹿児島駅の歩廊で、私のそばにしゃがんで、仲間とぼそぼそ私語をしていたあの男だ。それを私は知っている。そして汽車がきた時、私の手にたすけられて、やっと窓から転がりこんで、私の前の座席にすわったのだ。

 しかしこの印象的な風貌を、私はその時初めて意識にとめたのではない。

 この赤く濁った大きな眼を、ミミズクに似た顔を、ずっと前から私はよく見覚えているのである。この老兵は鹿児島ふきんの海軍基地で、私と同じ部隊にいたのだ。

 この部隊に転勤になった当初のころ、私は足指にヒョウソを病んで、毎日医務室にかよっていた。診察の順番を待つための行列のなかに、私はこの男の顔をしばしば見た、と思う。

 元来設営の袖充兵らしいのだが、身体にどんな故障があったのか知らないが、そんな具合に医務室へ出入しているうちに、設営の任に堪えないと診断されたのかも知れない。その次(つぎ)気がついたときは、彼はいつの間にか医務室の雑用がかりになっていたようである。顔色は悪くぶよぶよとふくれてはいるが、肩や胸が不釣合にほそく、手指が妙に長くて、掌全部はまるで鳥類のそれのようにカサカサに乾いていた。

 部隊に赤痢が蔓延(まんえん)していると言うので、その掌に消毒剤を入れた噴霧器を握り、あちこち消毒をして廻っていた。これはおおよそ楽な配置であっただろう。私の居住区にも、両三度来た。

 ある夕方、私は当直の疲れで寝台に横になり、うとうとと眠り始めていた。

 するといきなり生ぬるい霧のようなものが、裸の胸や脇腹にふきつけてきたので、ぎょっとして眼醒めたら、この男が噴霧器を乙な形にかまえて、寝台の側に立ちはだかっていた。[やぶちゃん注:底本には最後の句点がないが、誤植と断じ、補った。]

 私はとたんに腹を立てた。

「なんだ。寝てるところに、薬をかけるやつがあるか。目は疣(いぼ)か」

 私は思わず上半身を起してどなっても、この男の顔つきは、なぜ私がどなるのか理解しかねる、といったようなぼんやりした表情であった。

「兵曹。私は消毒をばしているところです」

 大きな眼をみひらいて私を見ているのだが、その眼は丁度、昼間に大きく開いていても視力を喪失しているあのミミズクの眼に、そっくりであった。こっちの姿が彼の瞳孔(どうこう)にうつっているのかどうか、はなはだたよりない。

 こんな場合に怒ったって、相手はみじんも反応も示さないにきまっている。それは私はかねて充分承知しているのだから、にがにがしく舌打ちでもしてから、呟く外はない。

「いい加減にしろよ、ほんとに」

 

      

 

 いい加減にしなよ。ほんとに。

 私は知っている。

 私も補充兵だから、年配で海軍に召集された男たちの気持は、だいたい類推できる。

 私たち三十歳前後の連中は、前年召集されたのだが、四十代の男たちはおおむねこの年に入ってからだ。だから私は、私の後から次々入ってくる連中の様子を、つぶさに眺めてきた。彼等は大体同じコースをたどって、同じ型の兵隊になってゆくのだ。

 入団する当初は、彼等は皆それぞれの世間の貌(かお)をぶらさげてくる。自尊心だとか好奇心だとか、軍隊内では通用しそうもない属性を、表情に漲(みなぎ)らせてやってくる。もちろんある種の構えをもって、――いかにも烈しい肉体的訓練を充分覚悟しているぞ、といった風な気構えを誇示しながら、悲壮な面(おも)もちで入ってくる。

 ところが一箇月もたたないうちに、息子ほどの年頃の兵長に、ようしやなく尻を打たれたり、甲板掃除で追い廻されたり、だんだん自分が人間以下に取りあつかわれていることが、身に沁みて判ってくる頃から、彼等の世間なみの自尊心や好奇心や、その他もろもろの属性は、しだいに消えてなくなってゆく。喜怒哀楽が表情に出てこなくなる。

 しかし消えてなくなるのは、表面からだけだ。彼等の感情は表に出ずに、もっぱら心の内側に折れこんでゆくのだ。するどく深く、折れ曲ってゆくのである。彼等は総じて無表情となる。

 そして彼等は頑強に無表情をたもち、そこでいろんなものを韜晦(とうかい)することによって、その日その日を生きようと思い始める。肉体を、上から命ぜられても、最小限度に使用しようと心にかたくきめる。肉体のみならず、精神をも。[やぶちゃん注:「韜晦」自分の本心や才能・地位などを敢えて包み隠すこと。]

 かくして彼等はみな一様に動作がにぶくなり、しだいに痴呆に似た老兵となってゆくのだ。勿論これらは、根本的にはポーズにすぎない。しかしもうその時は、それが擬体か本体か、外部からは見分けがつかなくなっている。そして若い兵長や下士官が、なんて年寄りはのろくさいのかと怒り嘆いても、彼等がふたたび娑婆に戻れば、生馬(いきうま)の眼を抜くような利発な商人であったり、腕っこきの職人であったり、あるいは俊敏な学者であることには、とうてい思い及ばないだろう。[やぶちゃん注:「擬体」表記はママ。後で正しく「擬態」と出る。同じミスは既発表の梅崎春生「生活」にも認められるので、丁寧な再推敲もせずに援用していることが判る。]

 流体がおのずと抵抗のすくない流線形をとるように、彼等はいろんな抵抗を避けるために、概していかなる擬態をも採用する。その為につんぼの真似をしたり、馬鹿をよそおったりすることも、珍らしいことではないのだ。

 ここに仮に、彼等と書いた。彼等ではない。もちろん私ならびに私たちである。

 ただ三十前後の私たちが、長いことかかっても、完全には化け終(おお)せなかったところを、此の年召集された四十前後は、極めて巧妙に、しかも頑固になしとげたようである。世間で苦労してきた賜(たまもの)という外(ほか)はない。

 だから私は、軍隊で会ったいかなる人間も、だいたい信用しない。ことに四十代の兵隊を。私ですら贋(にせ)の表情をどうにか保ちつづけてきたから、この男たちもうまく仮面をかぶり終せたに違いないのだ。

 今この座席から見渡せる幾多の老兵らも、部隊にいた時は、ただひとつの表情しか持ちあわせなかった。それがただ部隊をはなれ汽車に乗ったというだけで、もはや娑婆の風情(ふぜい)をとりもどし始めている。

 私の前にいる老兵も、部隊にいたころは、なにか得体の知れぬ痴鈍な感じだったのが、今ははっきり解放された喜びを、身のこなしにあらわしている。向うの座席に、所書(ところがき)をかいて交換している二人の老兵も、弁当を分け合って食べている他の群も、それはもはやあの一つの表情からぬけ出している。世間人としての匂いを立て始めている。老兵からかすめた小さな写真に眺め入っているこの私にしても、はたから見ればやはりそう見えるのかも知れないのだ。――しかし召集前、私はそんな世間の貌(かお)を信用していたのか。世間の中で私は、自らを韜晦(とうかい)せずに純粋に生きてきたのか。ふとその事に思い当ると、にがい唾が口にいっぱいあふれるような気持がして、私は写真をぐっと老兵の方につき戻した。

「そうです。そうです」私が写真を眺めている間、彼は私の顔をじっと見守っていたらしい。ぶよぶよと頰にゆるんだ笑いをうかべて、しきりに合点合点をしながら、調子をつけるように、

「これが長男、これ、次男」

 ピントの合わぬ、ぼやけた写真であった。縁が色褪(あ)せているのは、おそらく汗がしみたのであろう。納屋(なや)みたいな感じの建物の前に、子供が二人写っていた。二人とも、まぶしそうに笑っていた。大きい方は頭が平たく、手には小旗を持っていた。小さい方はくりくりした眼を、あらぬ方に向けている。その眼の形が何となく、この老兵にそっくりである。子供たちの背後に、三十五六の女が立っている。母親なのだろう。これは笑っていない。うっむいているので、眉の間に暗い翳(かげ)がおちている。女も子供も、上等の服装はしていない。あまり裕福な感じではない。しかしこの素人(しろうと)らしい撮り方のゆえに、子供の頰の乳くさい軟かさや、日向(ひなた)に照らされた着物の匂いのようなものまで、かえってなまなましく画面に浮びただよっている。

「うしろのは、おかみさん?」

「ええ。ええ」

 老兵はそれを大事そうに、ちらと私にかざして見せた。車窓からどっと吹き入る風が、その縁をひらひらとなびかせる。風が急にひやりとした湿気をふくんでくる。部隊にいた頃は、過去もなにもない、現象みたいにしか眺められなかったこの男が、ふるさとには家庭と職業をちゃんと持っているということが、俄(にわ)かに実感として私に迫ってきた。その実感は私自身にからんで、なにかかすかに不快な抵抗を伴ってくる。

「故郷(くに)はどこなんだね。どこまで帰るのか」

「ヘヘえ」写真を丁寧に箱にしまいながら「原籍は福岡県です。しかし、その、居住区は別府」

 居住区だってやがら、と通路に立った若い上等兵がわらい出した。乾いてぎすぎすしたわらい声であった。老兵はきょとんとした顔をあげたが、そちらを見るでもなく、こんどは別の小さな紙包みを箱から取り出して、無神経に私の顔の前にひらひらさせた。

「あなたさん」私のことをそう呼んだ。「これを湯で溶かすと、そっくりお萩(はぎ)になりますがな。饀粉(あんこ)は饀粉、御飯は御飯、とな。さっき駅で仲間のものが、うまいとこ拵(こしら)えて食べよりました」

 航空糧食の一種で、お萩を粉末にしたものである。私も三四箇支給をうけて、衣囊の中にしまってある。

「あんたはなぜ食べなかったんだね」

「へへえ」老兵はまた曖昧(あいまい)な笑い方をしながら「子供に食べさしてやりたい、と思いまして、な」

「子供に会いたいかね」

 老兵は何か言いかけて、口ごもった。灼(や)けつくような色が、その赤らんだ眼の底をはしって消えるのを、私は見た。老兵の略帽は、長いこと洗濯しないと見えて、うすぐろく変色している。

 

      

 

 野面(のづら)に光が蒼然とおとろえ、数百の復員兵をのせたこの小さな列車は、いやな軋(きし)りを立てながら、がらんとした大きな駅に辷(すべ)りこんでとまった。

 停車と同時にあちこちの窓から、ぴょんぴょん蝗(いなご)のように飛び出して、歩廊の水道栓に兵隊らは走ってゆく。群りひしめく彼等の青いシャツの裾が、一斉(いっせい)にはたはたとなびく。吹きつける風はさらに、歩廊の表面をぬめぬめと光らせ、線路の側で小さな渦巻きをつくっている。

 眼をあげると、油煙を溶かしたような黒雲が、もはや南の空の半分をおおい、その千切れた雲端をはげしく揺すりながら、ひくく垂れ下ってくるらしい。それを眺めていると、胸が急に息苦しくなってくるような、背後から追い立てられるような、不安に満ちた緊張感が私に迫ってくる。

「これは嵐になるかな。悪くすれば」

 なにかをごまかすように、口の中でつぶやいてみる。

 汽車が突然ごとんと動き出すと、水を汲み残したままの水筒をかかえ、七八人の兵達が叫びながら歩廊をはしって、ばらばらと汽車を追ってくる。汽車は速力を早めた。

 毀(こわ)れくずれた町並が、線路にそって連なる。大きな踏切りを越えた。線路沿いのせまい道を、カンカン帽をかぶった中年の男があるいて行く。突風がいきなり帽子を吹き飛ばした。白い浴衣(ゆかた)のたもとを風でふくらませながら、男は腰をかがめてそれを追っかける。黒い柵伝いに、カンカン帽はどこまでも転がってゆくのだ。その男の姿体を、はっきり私の眼底に残したまま、汽車はそこを轟然(ごうぜん)とはしり抜けた。

 「ああ、あの感じなんだな」

 浴衣にカンカン帽をかぶった姿。そんな服装が暗示する生活。それがこの世間にあるということ、自分にふたたび始まるということが、なぜか先ず肌合わぬ感じとして私にきた。そんな生活を私もかつて営(いとな)んでいた。その記憶がとつぜん身体によみがえってくる。いつか私もあんな姿勢で、飛ばされた帽子を追っかけた。その時の気持や身体の感覚。――この汽車で東京にもどる。着物を着て、畳の上で飯をくう。背広をきて、毎日役所にかよう。夕方夕刊を買って、省線で戻ってくる。時には風で帽子を吹き飛ばされたり、乏しい銭で安酒を飲んでみたり、そんな生活の枝葉。(しかしそんな生活をこそ、この二年近くの間、私はひそかに渇望しつづけていた!)

 それだのに今となって、その渇望は渇望の形のまま、ヘんに不透明な翳(かげ)をひき始めている。ごく微かな、ぼんやりした侘しい翳を。それはいきなり気圧の低い世界に立たされたような、生理的に不安定な感じを伴っている。湿って不味(まず)いほまれを、ざらざらと口に吸い付けながら、私はしきりに煙をはき出していた。今朝部隊の門を出るときの、あの昂揚(こうよう)された自由感が、何時の間にか、なにか質の違ったものとすり替えられている。そんな筈はあり得ないのに、その感じは膜のように私にかぶさってくる。そいつの襞(ひだ)を探りあてようと焦(あせ)りながら、私は視線だけをぼんやり窓外にあずけていた。その私の頰や額を、とつぜん水粒をふくんだ風が、つめたく弾(はじ)き撲(なぐ)った。[やぶちゃん注:「ほまれ」軍隊内で需品として支給されていた軍用煙草の銘柄の一つ。「保万礼」「譽」「ほまれ」の表記のものもある。大蔵省専売局が製造・発売した紙巻煙草の銘柄で発売当初は民間用だったが、後に軍隊専用となった。旭日旗を交差させたデザインである。]

「雨だ」

 車内があわただしくざわめいて、ガタガタと窓のガラスを立て始めた。いきなり人いきれがこもって、ぼうと眼鏡が内側から曇る。

 長い時間不自然な姿勢で、座席にいるせいで、尻の骨がぐきぐきと痛い。前の老兵が衣囊の紐(ひも)をぐいぐいしめる度に、そのかたい角が私のすねをつき上げてくる。外は蒼然と昏(く)れかかるのに、車室には燈が全然ともらない。

 車内の皆は、やや談笑に疲れたのか、ぼんやりしている者が多いが、それらの眼が明かに不安を宿して、時折窓外にはしるのも、あやしい空模様につながって、列車が何時停まるか知れないという危惧(きぐ)を、はっきり感じているに違いないのだ。その危惧は、私をも強く摑んでいる。(戦争がすんで、やっと身軽になったというのに、また見知らぬ土地におろされて、厄介なことになるのは、もう御免だ)しかし誰もまだ、それを口に出さない。うっかり口辷らせると、たちまちそれが実現するかも知れない。そんな畏(おそ)れが、皆の口をつぐませている風に見える。そこだけを避けて、低声の会話が交されている。

「さっきのあの駅、宮崎?」

「え。広瀬。広瀬だろう」

「大分(おおいた)着は、明朝かな。この分では午(ひる)過ぎになるかなあ。え」[やぶちゃん注:独立した「え」は相手への応答を促す辞。]

 衣囊の紐を結び終えた前の老兵は、すこしの間窓の外を見ていたが、ふと心配そうに私に間いかけてきた。

「この汽車はまっすぐ、別府まで行くとでしょうか」

[やぶちゃん注:「宮崎」駅はここ、「広瀬」駅は現在の宮崎県宮崎市にある佐土原駅の旧称。後の昭和四〇(一九六五)年七月に佐土原駅に改称している。]

 

       

 

「おれは知らんよ」あとは思わず口に出た。「おそらくどこかで、断(き)れているだろう」

「断れているとすれば、私どもはどうなるとでしょう」

「降りるんだよ」

 そっけなく私は答える。日豊線をえらんだことについて、しだいに私は後晦し始めていたのである。隼人(はやと)で下車して、九州本線に乗り換えればよかった。さんざん選んで、これでは悪い籤(くじ)を引きあてたかも知れない。いやな予感がする。隼人駅で手を振りながら降りて行った連中の姿が、ある感じをもって瞼にうかんでくる。

 しきりに顔の汗をぬぐいながら、ガラス窓に吹きつける風雨の音を聞いているうちに、私はしかし急に胸がいらだってきた。

「どうせ、どのみち、家へ帰れるんだ。二日や三日伸びたって、大したことはないさ」

「え。へえ」

「そんな早く帰り着いても、しかたがないじゃないか」

 老兵は頰にちょっと厭な色をうかべて黙った。そしてまっすぐ私を見て言った。

「私どもは、一刻も早く、帰りたいとです」

 はっきりした口調であった。私はすこしひるんだ。部隊にいたときのように、命令を受けても理解できない風であったり、寝ている人間に消毒液をかけたり、そんなけたを外(はず)した動作や感情は、もうこの男にはない。あれはやはり擬態だったのだ、と思う。意識した擬態ではないとしても、保護色や警戒色のように外界に反応して、自然とその個体に具わったのだろう。しかしそれはどちらでもいい。もはや私と関係ないことだし、それほどの興味もない。ないにも拘(かかわ)らず、この老兵の顔を見ていると、私はしてやられたという感じが強かった。

 私から眼をそらさず、老兵はまた追っかけるように、口をひらいた。

「あなたさんはそれほど、帰りたくないとですか」

「いや」私はたじろいだ。すぐ気を立てなおして、こんどは逆に相手をたしかめるように「そんなに帰りたいものかな。家では何をやっていたんだね」

「人形を造るとです。人形師」

 別府土産の人形をつくるのが、その商売だという。それから老兵は、やや雄弁になって、粘土から人形を造り上げる工程を、いちいち話し出した。時々手真似も入る。小さな工房をもち、そこで注文の仕事をするのらしい。職人は使っていないが、弟が一人いて、それと一緒に働いていたのだという。

「――私が学資を出してやりましてな、中学を卒業させました。ところが中学出ても、人形をば造りたいと言うもんで、仕事の加勢をさせておりますが、これが私ども以上の腕利きで、これが人形は、別府でいっとう良い店から、いくらでん注文があるとです。え、二月。二月に私が海軍に引っぱられたあとは、弟一人でやっておりましたが、これも六月頃陸軍に引っぱられたということで、女房からその便りがあったきり、その後のことは判りませんです」

「お内儀(かみ)さんはあの写真のうしろに立っていた人だね」

 外ではますます、風雨がつのってくるらしい。列車は左右に厭な振動をつづけながら走ってゆく。窓ガラスに雨滴がぶつかって、筋となって流れおちる上を、また新しい雨滴がつぎつぎ打ちつけてくる。車室の内部も暗く、人々の顔の輪郭も定かならぬほどだ。反対側の窓の彼方に、海が墨色に拡がっているように見えるが、それも海かどうか判らない。視野はいちめんに昏く、一色に轟々と鳴りはためいている。

 通路で誰かがマッチをすった。瞬間そこらあたりが、ぽうと薄赤くほのめく。その光に浮き上った人々は皆、顔にかぐろく隈(くま)をつくり、まことに荒(すさ)み果てた感じであった。

 身体のしんに熱っぽい疲労を感じあてながら、私は背を曲げて、時折物憂(う)くあいづちを打ちながら、老兵がしゃベるのをうつうつと聞いていた。他に何かやらねばならぬことが、沢山あるような気ばかりしながら。

 

      

 

「……巡検が終りますとな、いつも砂浜の莨盆(たばこぼん)にでて、仲間のものと夜遅くまで話しこむとです。皆帰りたいという話ばかりで、何の因果(いんが)でこんな海軍に入ったんじゃろか、孫子の代まで海軍には入れんちゅうてな。私は医務室の仕事になったから、まあ良かったけんど、他の連中は、この汽車にも乗っとりますが、毎日モッコかつぎで、肩の肉がやぶれたり底豆を出したり、とにかく満足な体の奴はおらんとです。みんな私が楽な仕事をしているのを羨しがりましてな、いつも言い返してやったとですが、お前らは要領がわるい、軍人は要領を旨とすべしと知らんかてな。しかしあまり可哀そうなんで、医務室から薬をもってきてやって、煙草と交換してやったりしましたたい。その薬を罠盆のまわりでつけ合いながら、こんなとこ見たらカアチャンが泣くだろう、そんなことか二人が言ったりしますとな、笑うどころか皆しんとしてしまって、そんな具合にしてやっと、八月十五日になりました」[やぶちゃん注:「そこまめ」。足の裏にできる肉刺 (まめ) 。]

「――ラジオががあがあ言うだけで、なんにも判らず、隊長さんの訓辞では、今よりももっと働かねばならんという話で、居住区へ戻ってきて、陛下もこれ以上やって皆死んでしまえとは、何とむごいことをおっしやるかと、みな寄り合って悲観しているうちに、あのラジオは終戦のことと判りましてな、班長や分隊士がやけになって酒をば打ちくろうて、まことに今まで一生懸命にやってこられたのに、何ともはや気の毒とは思いましたけんど、私どもは皆してこれで家へ帰れる、子供や女房の顔も拝めるちゅうて、悪いと思ったが、肩をたたき合うて喜びましたがな。この世ではもう逢えぬ、こんりんざい逢えぬと、私どもはあきらめて、なるたけ思い出すまいとつとめておったところへ、とっけもなくこんな事になって、私はそれから女房や子供のことばっかり考えつづけですたし」[やぶちゃん注:「とっけもなく」「思いもよらず、とんでもないことに」の意。熊本弁として認識している向きが多いが、江戸後期の「東海道中膝栗毛」に既に口語形容詞として使用されており、宮城生まれ東京育ちの志賀直哉の名作「暗夜行路」でも使用されている。]

「――ヘええ。女房は今年三十二になります。おとなしい、良い奴でしてな。出てくる時、おれが死んだら弟と一緒になれ、そう言うたらな、情(じょう)がないちゅうてむちゃくちゃに泣きましてな、私もそんな覚悟でいた処をこんなことになって、あいつもさぞかし喜ぶじゃろ。あいつにもなにか軍隊土産(みやげ)でも持って行きたい、と思いましても、隊で支給されたのは兵隊のものばっかりでな、甘いものも少しは貰ったけんど、これは子供の分。その他は、毛布や、米や、罐詰(かんづめ)や。女むきの土産物は、何もありやせんちゅうて、笑い合ったりしましたけんどな」

「――何も要らん、帰してさえ呉れれば、何も要らん。こつちから金出してもいい、と言うてた連中が、いよいよ帰れるとなると、皆とたんに慾張りになりましてな、俺の毛布はスフだから純毛のがほしいとか、靴をかっぱらわれたから又盗(と)ってくるとか、浅間しいと思いますけんど、私もそれでな。これだけあれば、四五年は着る物の不自由はせん、そうなれば女房もたすかるだろうし、また伜(せがれ)たちにしても……おや?」[やぶちゃん注:「スフ」レーヨン (rayon)の旧称。人絹(絹のように光沢を持つことから)とも言った。「ステープル・ファイバー(staple fiber)」(本来は「不連続な長さの繊維状のもの」の意)の略。太平洋戦争中、輸入削減によって綿花が極端に不足したため、それを補うために国内の化学繊維で作った紡績用の短繊維を指す。]

 がたんと汽車がとまった。どこかの駅についたらしい。と思ったとたん、濡れた窓ガラスの向う側に、人の顔が五つ六つひしめき迫って、手でガラスをがたがたとたたく。同時に叫び喚(わめ)いているらしいのだが、何を言っているのか、さっぱり聞きとれない。ガラスがべっとりと水に濡れているので、それらの顔の形は暗く歪(ゆが)んで、幽鬼じみてこちらに迫ってくる。

「あけるな。あけるな」

「喚いたって乗れやせんぞ。こんなにいっぱいだあ」

 車内の通路から、そんな声がとぶ。

 しかしその勢に押されて、ついに開いた一つの窓から、外の声々が決定的な意思を伝えて、かん高く突き通ってくる。

「この汽車は、ここ停りだぞ」

「先には行けんぞ」

「早く降りろ、降りろ」

 口々に喚きながら、窓からいきなり荷物を押しこんだり、気も早く上半身を車内につっこんでくるのもいる。みな年若い兵隊や下士官らだ。

「先にはもう行けんぞお。鉄橋が落ちたんだあ。ぼさぼさするなあ」

 この駅のすぐ先の鉄橋が、増水のため落ちて、不通になっているというのだ。この連中は延岡(のべおか)付近の特攻基地の解員兵で、徒歩連絡で河を越え、鹿児島方面へ帰郷する途次だという。全員びっしょりと雨に濡れている。動作はあらあらしく、殺気立っている。[やぶちゃん注:「延岡」ここ。]

 出る者と入ろうとする者で、たちまち狭い車室は大混乱になった。暗い車内に、黒い影がいそがしく入り乱れ、濡れた肌の臭いがひしひしと充満した。名前を呼び合う声や、ののしり合う声に混って、窓ガラスがパリパリパリと砕け散る音がひびきわたった。

 重い衣囊に引きずられるようにして、私は真暗な中を、なかば窓から転がり落ちた。飛沫をふくんだ烈風が、その時私の全身に、横ざまに吹きつけてきた。私は立ち上ろうとしてよろめいた。

[やぶちゃん注:「先にはもう行けんぞお。鉄橋が落ちたんだあ」次章冒頭に出る高鍋駅のすぐ北で小丸(おまる)川河口に架かる小丸川橋梁がある。この橋は小丸川の河口部直近内側が南北に延びる砂州の内側で大きく抉れて広くなっている部分に架橋されているため、非常に長いことが判る(リンクさせたグーグル・マップ・データ航空写真を拡大されたい)。ウィキの「高鍋駅」には、昭和二〇(一九四五)年七月十六日に『空襲により』、『駅本屋構内被災全焼し』、『小丸川橋梁落橋』とあるものの、七月二十七日に『橋梁復旧』とするのだが、「国土交通省 九州地方整備局」公式サイト内のこちらの「小丸川鉄道(おまるがわてつどう)橋」を見ると、『日豊線整備の一環として大正』八(一九一九)年に『小丸川鉄橋が着工、同』一〇(一九二一)年の春、『長さが九州第一の』八百五・四九メートルに及ぶ『大鉄橋、小丸川鉄橋が完成した。これによって高鍋、美々津間の日豊線が開通した』。しかし、昭和二〇(一九四五)年六月二十九日の『大空襲で小丸川鉄橋は大型爆弾の集中投下を受けて』五『ヵ所のガードが落ち』、『不通となり、日豊線は折り返し運転となった。さらに』、昭和二〇(一九四五)年八月二十七日の台風によって被害を受けた、とあり、昭和二三(一九四八)年三月二十日になってやっと再建された、とある。この最後の記載はまさにここで描写される台風のことを意味しているように思われる。日付が前の香川県のデータの後になってはいるが、この時、台風が襲来した事実の傍証ともなろうかとも思われるので示しておく。]

 

      

 

 日豊線高鍋駅。

 その建物を、その時、私は初めて見たのである。(そしてもう永久に、見ることはない)

 ペンキの塗立てみたいな、つい近頃建てたという感じの、しょうしゃな駅舎であった。しかしそこら一帯が停電で、燈ひとつない暗さだから、はっきりと見て確かめた訳ではない。ただそういう感じがしただけである。

 私たちは降りしぶく歩廊をはしり、改札をぬけて、この駅舎の中に集っていた。総数にして、千名近くの復員兵が、汽車を見捨てて、暗い待合室に続々と詰めかけてきた。

 駅のすぐ前から、高鍋の町が始まっているらしい。薄黝(うすぐろ)い屋根の稜角が、ぼんやりした空明りを背にして、凸凹にそそり立っている。雨をともなった烈風が、そこら一帯を間歇(かんけつ)的に、どどっ、どどっ、と吹き荒れている。汽車を乗捨ててきた歩廊の方角は、激しいしぶきにさえぎられて、一面の真暗闇である。[やぶちゃん注:「黝」は音「ユウ」で、「蒼黒い・黒・黒い・黒む・薄暗い」などの意を持つ。]

 しかも風威はしだいに加わってくるらしい。

 風と風との間の小休止が、だんだん短くなってくる。

 切迫した空気が、急に闇のなかに立てこめてきた。汽車の中では、自分も動いているのだから、それほどには感じなかったが、こうして静止して見ると、ただごとでない状況におかれたことが、ひしひしと身に迫ってくる。と言ってこちらからは、何も手を下しようがない。無抵抗に身をすくめて、それが収まるのを待つ外はないのだ。

 暗い待合室には人と荷物がぎっしり詰め合って、輪郭も定かに見えないが、気配だけは物々しく動いていた。あらあらしい呼吸、物を引きずる音、それらが触れ合いぶっつかる音、呼びあう声々、それらを圧倒するように、地鳴りと雷鳴を伴った烈風が、建物全体をぐゎんと撲りつけてくる。建物は生きもののように悲鳴を上げながら、ぐらぐらと身震いをする。その瞬間だけは、駅舎内の物音と人声はすベて絶え、呼吸をつめた沈黙がそこに凝縮する。建物の振動や軋(きし)り音の感じから、この駅舎がひよわな細っこい建て方をしてあることが、皮膚にじかに伝わってくるのである。

「こいつはまずいな。こいつはまずいな」

 闇の底に衣囊を置き、それにのしかかるように身をもたせながら、私はしきりにつぶやいていた。雨に濡れて肌は冷えているのに、額からはじとじとと汗が滲み出てくる。今は暗くて判らないけれども、明るいところで見るこの駅の有様を、私は頭のすみで想像に組み立てていた。近頃出来に特有な、資材不足で手を抜いて、ペンキやベニヤ板などで外観だけをととのえた、やわな建物の外貌を――その建物の在り方をのろう言葉が、思わず口に上ってくる。何かしら呟いていないと、すこし不安なのだ。[やぶちゃん注:「近頃出来」「ちかごろしゅったい」と読んでおく。]

「あぶないぞう。あぶないぞう」

 闇の遠くから、そんな声がちぎれちぎれに間えてくる。

 風の合い間には、やはりそこらで色んなものが動き廻り、短い会話のやりとりが交されている。この風雨を冒(おか)して、川向うの駅まで徒歩連絡に出かけた一団が、やがて空しく戻ってきたらしい。大丸川は大氾濫(はんらん)していて、橋をすべて没し、渡河は不可能だという。不安からくる緊張が、それらの会話を生き生きさせている。どこかで笑い声さえひびいている。すべてが狂躁的に、呼吸(いき)ぎれしたようにはずんでいる。[やぶちゃん注:「大丸川」小丸(おまる)川の誤り。既に注で述べた通り、高鍋駅から北へ出てすぐの位置に大きな河口がああり、そこに九州一の橋梁が掛かっている。]

 烈風がおどろな響きをつれてひとしきり襲ってきた。建物は熱病やみのようにはげしく慄え立ち、不快な軋り音を発して揺れた。ガラスが破れる音、なにかがもぎとられるような音がして、つめたい飛沫がさあっと顔にかぶさってくる。建物の一部が、窓か壁か天蓋かが破れて、そこから雨が直接降りしぶいてくるのだ。

 私は無意識裡(り)に、衣囊を身体でおおう姿勢になっていた。衣囊が濡れるのが心配なのか。その倒錯に気付くと、私は急に腹だたしくまた可笑(おか)しくなって、勢よく背をおこして立ち上った。風威はいささかも衰えるもようはないが、雨はいくぶん小止みになった様子で、それで空がすこし明るんだのか、あるいは眼が闇に慣れてきたのか、ものの動きのぼうとした輪郭が、視野にちらちらととらえられて来た。

 駅舎内から三々五々飛び出して、風雨に安全な場所をもとめて、人影が街なかに駈け出してゆくらしい。そこらで呼びあう声が、風の音にまぎれて聞えてくる。白い稲光(いなびかり)がぱっと流れて、軒下を駈けてゆく人々の姿を、瞬時に照らし出した。

 その時建物の土台から、ぎぎっと突然不気味な音がひろがって、風圧に耐えかねて駅舎全体が、すこし傾きかしいだらしい。突風がうなりを立てて、どどっと吹き入ってきた。

 顔の皮が急につめたくなるような気がして、私も衣囊を引摑むと、いろんなものとぶつかり合いながら、出入口の仄(ほの)明りへ飛び出した。そして呼吸をはずませて街なかに走り入った。

 

      一〇

 

 その高鍋の町の有様は、その夜の私のきれぎれの印象を、今ここにつづり合せて見ても、ことのほか異様である。

 しかし私は少からず動顚(どうてん)していたから、その時それを異様に感じる余裕はなかった。またその動顚ゆえに、私の印象もはなはだしく錯誤しているかも知れない。記憶や印象の脱落も、もちろんある。

 その夜の私の印象では、高鍋という町は、ぜんぜんの無人の巷(ちまた)である。住民ひとり居ない感じの、死に絶えた町の様相であった。

 大きな家や小さな家が、参差(しんし)して並んではいるが、すベて爆撃か爆風で根太(ねだ)がゆるんで、傾いたり歪んだりして建っている。全町あげて疎開し、この嵐の下に、がらんどうの家々だけが残っている。あわただしく駈けぬけた印象では、まさしくそうであった。[やぶちゃん注:「参差」互いに入り交じるさま。高低・長短などがあって不揃いなさま。]

 私は呼吸をはずませて走っていた。走っているつもりだが、衣囊が重いのと、風圧がはげしいため、よろめき歩くに過ぎないようである。仝身にしぶいてくるのは、雨なのか、水溜りを逆風が吹き上げてくるのか、よく判らない。

 吹き倒されそうになると、物かげに身をよせたり、電柱に抱きついたりして、風の弱まりを待って、進んでゆく。何分か、何十分か、そんなふうにして動いていたか、私はよく覚えていない。風雨から完全に避けられる場所を求めて、少しずつ移動しているうちに、どの屋根の下もたよりなく見えて、いっそ歩いている方が安全だ、という気特にもなっていたのだろう。全身は水から引き上げられた犬みたいに、もうこれ以上濡れようがない状態になっていた。

 一緒に街に駈けこんだ連中とも、いつかばらばらに別れて、風のみが吹き荒れる暗い夜道を、私はほとんど無我夢中でうごいていた。しぶきが眼鼻をふさいでくるので、時時舌を垂らして私はあえいだ。風物の輪郭は小暗くみだれ、歪みぼやけている。さっき駅舎を飛び出したとたん、突風が私の眼鏡をさらって行ったのだ。

 視界がちらちらとする。瞳孔が対象に定まらない。そのことが私の判断力を、なおのこと狂わせてくる。私は眼を大きく見開こうと努力しながら、その瞼の引っぱり上げる感覚で、ふいに先刻の老兵の顔を、あわただしく思い出したりしている。

「あいつは、どうしただろうな。あいつは」

 ――私はとある家の軒下のような処に身をよせていた。おぼろに眼に入ってくる風物の感じからでは、街外(はず)れのような一角であるらしい。神経はとがっていても、体が綿のように疲れていて、これ以上風に抗して足を踏み出すことは、とても出来そうになかった。ここで夜明ししようか。肩で小刻みに呼吸しながら、私はそうかんがえた。そのうちに風も収まるだろう。

 それからどの位経ったか判らない。そこらの記億がない。暗い軒下にある防火水槽のかげににじり寄って、私はひとりうずくまっていた。濡れた肌から身体の内部に、冷えがしんしんと沁み通ってきて、私はがたがたと慄えながら、衣囊の紐をといていた。毛布などを取出して、万一の場合の防禦物(ぼうぎょぶつ)にしようと思ったのである。衣囊につっこんだ手が、ふと濡れた箱包みに触れたとき、私は今朝から何も食べていないのを思い出した。虚脱した空腹感が、いきなり胃をしめつけてきた。私は昏迷を感じながら、あわただしくその箱を引きずり出そうとした。

 その時、さかまく突風がななめに私におちてきて、いきなり濡れた服の裾を、猛烈にあおり立てた。うずくまる私の腰を浮かすほど、その風圧ははげしく強かった。それと同時に、板片(いたぎれ)みたいな堅く小さなものが、瞬間に顔の皮をかすめて、私の腕にしたたかぶつかってきた。圧痛が二の腕をはしった。

 私は悲鳴を上げたのだろうと思う。防火水槽の混凝土(コンクリート)に思わず懸命にしがみつきながら、眼鏡をとばした不確かな視力で、風の行方を見定めようとしていた。雲が切れて、そこからおちてくる夜の光で、仄(ほの)白く浮き上った夜の道を、板片や木の枝や、屋根瓦のようなものまでが猛烈な速力で走ってゆくのだ。しかも風位が定まらぬと見えて、それらは突然方向を変えたり、鼠花火のようにそこらを狂い廻ったりしている。

 しんじつの恐怖が、その時始めて私に湧き上った。この颱風は峠をこしていない。まだまだ烈しくなる。その予感が私をぎゅっと摑んだ。それは直覚的に私にきた。

 私は衣囊もろとも、軒下から土間にころがりこんだ。むしろの下に逃げこむムカデみたいに、嵐の眼から自分を隠すことで、ひたすら生命を保とうとするかのように。安全地を選択する余裕は、もう無かった。――身体がひとりでに、本能で動いた。

 

2020/09/05

梅崎春生 年齢

 

[やぶちゃん注:昭和四〇(一九六五)年五月号『小説新潮』。単行本未収録。本作は遺作となってしまった「幻化」の前月、死の二ヶ月前の発表である。

 底本は「梅崎春生全集」第一巻(昭和五九(一九八四)年五月刊)に拠った。

 なお、梅崎春生「生活」の私の冒頭注を参照されたい。この小説、梅崎春生の作品の中では段落の長さが短いのが特徴である。

 一部に注を附した。]

 

   年  齢

 

 汽車は轟々と走っていた。と書きたいところだが、実はよたよたと走っていた。時々停ったり、また動き出したりして、いつ目的地に着くのか判らない。終戦直後の九州の汽車なので、ムリもない。乗客はほとんど復員兵であった。

 車輛は木造で、掃除もろくにしないと見え、すすけでいた。手指が触れると、煤(すす)でまっくろになりそうだ。動きが遅いのは、保線の不完全と、燃料が粗悪なせいだろう。ダイヤがめちゃめちゃだった。いや、ダイヤなんてものはなかった。動いている汽車は、全部臨時列車だった。車輔も不揃いで、天井に穴のあいたものもある。晩夏の烈日の下で、歪んだその列車は、私たちや荷物を満載して、よたよたと進行していたのだ。

「実際ひどい汽車だな」

「よごれ放題と来やがる」

 などと批判の声はあちこちから上っていたが、不平や不満の響きはほとんど感じられなかった。彼等は汽車に乗れたということだけで、おおむね満足していたのである。乗れなくて駅に取り残されたのもたくさんいるのを、知っていたからだ。これに乗っていれば、とにかく故郷に復員出米る。その気分が皆を陽気にしていた。

 第一鹿児島を発(た)つ時から、賭けだった。九州本線に乗るか、日豊線を利用するか。各駅間の電信も杜絶(とぜつ)しているらしく、状態がさっぱり判らない。完通しているという噂もあれば、三箇所断(き)れていて徒歩巡絡だという情報もある。どれが真相で、どれがデマか、誰も確言出来る者はいない。

 私は福岡県の福岡へ復員する予定だった。九州本線を利用しても、日豊線に乗っても、臣離的にはそう違わない。しかし歩かせられるのはイヤだ。重い復員荷物を特っている関係上、汽車だけで帰りたかった。荷物は衣囊(いのう)中にいっぱい。放出物資の毛布や靴や航空糧食などで、やたらに重い。これをかついで、二里も三里もはとても歩けない。是非歩けというなら、歩けないこともないが、すこし内容を整理して捨てる必要がある。世間に物資が乏しいことは知っていた。はち切れそうな物資をかついでいる姿が、娑婆(しゃば)の人々(民間人を指す軍隊用語)の反感を買うことは知っていたが、こちらからすれば、

「一年半近く海軍で追い廻され、棒でたたかれたりして、なんでこの荷物が捨てられるか!」

 というのが私の気持で、生命がたすかったことだけで満足すべき筈なのに、私は他の連中と同じく、はなはだエゴイスティクな心境になっていた。当時としては、まあ当然のことだろう。

 昨日の午後、鹿児島駅で、汽車を待っていた。駅といっても、建物も天蓋もない。歩廊があるだけで、そこに各基地からあつまった復員兵がひしめき合っている。そこにするすると汚れた汽車が、前触れもなく入って米た。そこで大混乱が湧き起った。汽車に乗ろうとするためだ。

 幸運だったのは、その汽車が丁度私が休んでいる前に停ったことである。他人をかき分けて乗るのは、私の一番ニガ手とするところだが、目前に停ったので、急いで荷物を放り込み、窓から強引に乗り込んでしまった。駅に待機していた兵の半分は、歩廊に取り残されたのである。乗り込んだわれわれは、お互いにその幸運を祝い合った。これがほんとの幸運であったかどうか、あとにならねば判らない。

 夕方頃から嵐が吹き始め、宮崎県の大丸川の鉄橋がこわれてしまい、乗客一同は日豊線高鍋駅でおろされて、台風のさなかを高鍋の町に閉じ込められるという結果になる。[やぶちゃん注:「高鍋駅」はここ(グーグル・マップ・データ)であるが、「大丸川」というのはその先で長い鉄橋で渡る小丸川の誤りであろう。なお、次は一行空けである。]

 

 で、今よたよたと走っている汽車は、昨日の汽車ではない。夜明けまで高鍋の町に閉じ込められ、台風一過の好天気の中を次の駅まで歩いた。歩いたのは身ひとつで、荷物は牛車をやとって乗せた。その牛車の割カンが一人当り三円で、十数人分を乗せたのだが、私にはひどい高値に思われた。二年近く世間と接しないので、ものの値段が判らなくなっていたのである。[やぶちゃん注:「次の駅」は川南(かわみなみ)駅(グーグル・マップ・データ)。現在の営業距離では一・一キロメートルであるが、大丸川を渡るためにかなり迂回せねばならないので(大丸川は少なくとも現在は河口部内側(日豊線の鉄橋がある部分)が妙に広くなっている)、現在の国道十号高鍋バイパスも破壊されていた可能性を考えると、実測で最悪の場合、十二キロメートル弱の距離を歩くことになる。]

 次の駅で数時間待ち、かろうじてつかまえたのがこの汽車で、もちろん満員である。一区画四人席に、四人乗っている。それじゃ満員じやないではないか、と思う向きもあるだろうが、人間の他に荷物がある。それが座席の上に乗っている。通路に坐ったり立ったりしている復員兵の荷物も、座席に積んである。そして乗客は荷物の上に、または荷物の間に、ちぢこまっているのだ。もうこれ以上、荷物や人を乗せる余地はない。

 私の斜め前に、若い復員兵が一人、やはり荷物の間に腰かけていた。ずんぐりして、蟹(かに)のような感じがする。その若者は手拭いで鉢巻をしている。その鉢巻に、血が滲んでいる。発熱でもしているのか、眼がとろんとうるんでいる。私はその顔も名もはっきりと見知っていた。木田という兵長だ。もちろん向うも。

 その若者は最初、網棚の上に寝ていた。しかし汽車の網棚は狭いので、寝返りも打てないし、体が鋼鉄の部分に当って、ごつごつするに違いない。私にはその経験はないが、やがてやり切れなくなったのだろう、短い体を無器用に折り曲げて、座席の上に下りて来た。そして私の顔を見た。

 私もじっとそいつの顔を見返した。

 若者は荷物の間に、ぐにゃぐにゃと体を入れる隙を見つけて、窮屈な姿勢で収まった。眼を閉じる。少し経って、またあける。窓外の景色を見る。また閉じる。いかにもつらさを誇張しているみたいだ。

「兵長。どうかなさったのですか?」

 私の横にいる老兵が、その若者に問いかける。老兵といっても三十七、八の年配で、ふつうの世間では『老』などと言われる齢ではない。海軍に召集されたばかりに、爺さん扱いをされるのである。まだ解員された直ぐなので、自分は社会の『壮年』だという意識を取り戻せないのだ。腕には『一等水兵』のしるしをつけている。

「昨夜の嵐で、ケガしたんだ」

 若者がもの憂(う)く答える。兵長が一水に答えるつっけんどんな調子だ。私はにがい笑いを押えて、兵長の顔を横目で見ている。にがいだけではない。かすかな憎しみもある。

「繃帯(ほうたい)を上げまっしょうか。看護科からたくさん貰って来ましたんで。薬も――」

老兵はなお執拗に言葉を続ける。言葉だけでなく、自分の衣囊の紐(ひも)を解こうとする。老兵と若者は、齢がずいぶん違う。親子ほども違う。年若の者に対するいたわりなのか。それとも旧上級者への阿諛なのか。

「よせよ」

 私は傍から口を出した。

「折角もらって来たんだろう。家まで持って帰れよ」

「でも――」

 老兵は私の顔を見て、おどおどと答える。体に似合わないぶくぶくした略服を着ている。今年になって召集されたのだろう。

 昭和二十年の初めから、陸海軍は兵員数をふやすために、競争で民間人をごしごしと召集した。その結果、若いのは狩りつくして、三十代の後半や四十過ぎたのも召集された。彼等はおおむね体力が弱い。強いのはとっくの昔に召集されていたからだ。そこで体力のない老兵たちは何をしたか? 自分たちの居住する壕掘りなどに使役され、掘り終らないうちに戦は終った。結局彼等はたいてい、軍隊の飯を食い棒で尻をたたかれただけで、ほとんど何もしなかったということになる。ムダなことをしたもんだ。

「でもも、へったくれも、ないだろう」

 私はすこし語気荒く言った。

「娑婆に戻れば、繃帯なんかは貴重品だぜ。なかなか手には入らない」

「へい」

 はい、と、へえ、の間のような答え方をした。

「では、やめときます。兵曹」

 解いた紐をまた結び直した。木田兵長はうすら眼で、それを見ている。私は兵曹だから、兵長より位が上だ。老水兵が私の勧告に従うのは、当然である。そういう計算を見通して、私は口を出したのだ。兵長は血に汚れた鉢巻に手を触れた。明かに新しい繩帯を欲しがっていた。――

 

 私、三十歳。昭和十九年六月一日召集。兵隊で一年ほど過ごし、下士官志願。二十年五月海軍二等兵曹となる。陸軍の位に直すと、伍長だ。

 なぜ下士官を志願したか? 兵の生活がつらかったからである。なぜつらかったか? 甲板掃除や、夜の罰直があったからである。

 召集されたのは、二十九歳で、当時私は老兵だった。(昭和二十年になると、三十代、四十代が召集されて来で、私も老でなく、中年増(どしま)ぐらいになったが)現役や志願の兵隊といっしょに働くのは、ムリであった。いや、働くのはそうムリでなかったが、軍隊の持つ不合理さに耐えるのに苦労をした。

 海軍は陸軍と違って、合理的な軍隊だと思っていたら、入団早々おかしなことにぶっつかり、呆れた。入団当日吊床(ハンモック)のくくり方を習い、その夜それに寝る。翌朝、かけ声がかかった。

「総員起し五分前」

 だから私は吊床から降りて、くくり始めた。すると下士官が飛んで来て、いきなり私をぶんなぐったのだ。

「なぜ起きるんだ?」

 なぜなぐられるのか、私には判らなかった。説明によると、総員起しで起きるべきであって、五分前には起きてはいけないんだそうである。早起きしてほめられるかと思ったら、その逆であった。しかしかけ声で眼が覚める。五分間じっとしておれというのは、どうにも理解出来なかった。

 甲板掃除も、そうだ。

 甲板というのは、軍艦の甲板だけでなく、陸上の兵舎の床のことも言う。それを水兵たちが掃布(そうふ)というもので、しゃがんで、あるいは尻を立てて拭き上げる、もっとも原姶的な掃除の仕方をやる、そんなことをせずに、水をざあっと流して機械で拭き上げるとか、電気掃除機のように塵埃を吸い取るとかすればいい。当時の科学の精粋みたいな軍艦でも、そんなバカなことをやっていた。それが私には理解出来なかった。水を含んで重い掃布を、大正時代の下宿の女中さんのように尻を立て、端から端まで押して走る。二十年の初めに、私は指宿(いぶすき)航空隊に通信兵としていたが、そこでの勤務が一番つらかった。数年前に心覚えに書きとめた文章がある。それを記すと――

 薩摩半島というのは、日本本土のだいたい最南端にあって、その中でも指宿は内海に面している関係上、冬でも寒さ知らず、温泉がわき熱帯植物が生え、雪なんかは見たことがない別天地だという風に、近頃の新聞に書いてあった。ホントかね、と私は疑う。

 実は私は戦争中、一冬を指宿で過ごしたことがある。もちろん避寒や疎開でなく、兵隊として行ったのだ。寒かった。

 しかし兵隊生活がラクでなかったのは、寒さのためだけではない。まず勤務がつらかった。ふつう通信科の勤務は三交替制、たとえば三時間勤務すれば六時間休みという具合だったが、ここは二交替制で、当直の時間は二十四時間だ。つまりきょうの正午に当直につけば、翌日の正午までぶっつづけに働くのである。夜間は交替に暗号室に毛布をしいて眠る。しかし時間が来たからといって、兵曹だの兵長だのを揺り起せば、たちまち彼等は機嫌を悪くするので、われわれ一等水兵は遠慮して、彼等のぶんまで起きで勤務する。そんな事情で徹夜となることが、しばしばであった。三十歳だから身体がもったが、今ではとても出来ないことだ。

 では、二十四時間働いて、次の二十四時間は休養かというと、そうは問屋がおろさない。兵隊に休養というものはないのだ。いろんな仕事がある。たとえば甲板掃除だ。朝夕二回やる。オスタップ(大きなたらいのこと)に水を入れ、えっさえっさと運ぶ。掃布という雑巾の親玉みたいなので、床をこすって廻る。冷たい水なので、手足はひびあかぎれだらけになった。[やぶちゃん注:「オスタップ」wash tab(洗浄用バケツ)の訛った日本海軍の隠語。]

 それに掃除面積がやけに広かった。電信室、暗号室、居住区その他。あの部隊は何でも大ぶりに出来ていて、電信室などはちょいとした雨天体操場ぐらいもあった。兵長の号令一下、四つんばいになって重い掃布を端から端まで押して行く。呼吸が苦しくて膝ががくがくとなる。すると兵長が叫ぶ。

「マ、ワ、レエッー」

 すなわち廻って、同じ姿勢で戻って来ねばならぬ。途中でへばりでもしようものなら、兵長の持った頑丈(がんじょう)な棒が、尻に飛んで来る。

「何であんな掃除の仕方をやらせるんだろうなあ」

 私は相棒の老兵としばしば訝(いぶか)り、嘆き合ったものだ。清潔にするというより、下級兵士をいじめるためにその方法が考案されたとしか、考えようがない。

 夜の掃除が終って巡検、それで眠れるかというと、そうでない。それからがたいへんだ。居住区の甲板にわれわれを整列させ、兵長が文句を言う。長々と紋切型の説教をする。どこの部隊でも決り文句だったから、明治大正の頃から次々に言い伝えられたものに違いない。揚句(あげく)の果てに、

「きさまたち、やる気がないなら、やるようにしてやる!」

 一人ずつ順々に前に出て、兵長から棒で尻をなぐられる。その棒を海軍精神注入棒と称し、野球のバットみたいなもので、バットより少し長めに太めに出来ていた。

 筋骨たくましい兵長がそれを振り上げ、力任せに振りおろすのだから、その痛さは言語に絶した。その日の兵長の心境によって、三本ぐらいで済むこともあるが、十本もなぐられることもある。尻に紫色のあざの絶え間がなかった。

 棒でなぐるのは、手でなぐるより、拳を傷めない。その点では合理的だが、なぐられる側からすると、犬や猫じゃあるまいし、非合理極まる私刑だった。

 そこに年齢の間題が加わる。

 兵長は、志願で来ると二十歳、現役でも二十二三ぐらいである。三十にもなって、そんな青二才から尻をなぐられる。死んだ気になって勤めてはいたが、やはり私にも体力の限界がある。

「畜生。何も知らないくせに、おれの尻を叩きやがって!」

と、いつも思う。

 実際彼等は世間のことを何も知らなかったし、想像力というものを持っていなかった。齢が三十だろうと四十だろうと、自分たちと同じように働ける、手足が柔軟に動かせると思い込んでいた。そこでわれわれが出来ないのは、努力していない、怠けていると考えるのだ。そこに思い違いがあった。

 年齢の問題には、自尊心もからまって来る。

 現役の兵隊は、二十一か二十二で、上等水兵になる。この連中が志願兵の二十ぐらいの兵長からしめ上げられる。一つか二つの年下の兵長から叩かれて、彼等は無念の涙を流して、口惜しがる。

 そんなに口惜しいなら、十歳も違う私たちをどうして呉れるんだと言いたいけれども、かえって一二歳違う方が口惜しく、我慢出来ないのかも知れない。

「早く兵長になりてえなあ」

というのが彼等の嘆きで、

「その時は志願兵の若いのを、一人残らず叩きのめしてやる!」

 そこが私たちと考えの違うところで、私は兵長になって人をたたきたいなどと、ケチな考えは絶対に持たなかった。三十にもなって、十八九の子供のような新兵を叩いたって、仕方がないではないか。

 

 以上のように海軍の年齢は、海軍に入った年月日できまるのであって、世間での年齢は通用しない。私たちは世間の年齢は多かったにもかかわらず、『若い兵隊』と呼称されていた。老兵にして若い兵隊であるとは、妙な話だが、実状はそうだった。

 一箇月でも半月でも、早く入った方が上なのである。

 そこで妙な経験をした。

 防府海軍通信学校で、私たち老兵は一隊となり、暗号の講習を受けていた。別の棟には志願兵の一隊がいた。もうこの頃は十五六歳から志願を受けつけていたのだろう。子供子供したのが多くて、隊は違うけれど洗面所や烹炊所で、時々いっしょになる。

 初めの中、その少年たちはわれわれに敬意を払っていた。齢をとっているので、よほど偉く思っていたらしい。話しかけると、

「ハイ」

「ハイ」

 と直立した姿勢で答える。

 ところがある日、少年たちはわれわれの入団日が六月一日であることを知った。私の仲間がうっかりしゃべったらしいのである。俄然(がぜん)少年兵たちの態度が変った。

「おれたちは五月二十五日に入ったんだぞ」

「六月一日(いっぴ)の兵隊のくせに、大きな面をするな」

 と、洗面の場所もゆずって呉れないし、烹炊所での受取りもあと廻しにされる。私たちはあきれて、慨嘆した。

「たった五日先に入っただけで、あんなに威張るのかねえ」

「一体どういう気特だろう。あいつらは」

 まあそれはそれでよかった。海軍での屈辱に私は慣れ始めていたし、不合理を言い争う気分にはなれなかった。

 ある日のことだ。私たちと少年兵たちとは、入浴の時間が、いつもはかけ違っていたが、何かの都合でいっしょになったことがある。私は少年兵たちの裸を見て、内心アッとおどろいた。彼等の大半は、下半身が無毛だったのだ。無毛症なのではない。体が未成熟で、まだ生えていなかったのである。

 毛も生え揃わぬ青二才、などという言葉があるが、そんなのからお前呼ばわりされている。その違和感というか哀しさというか、それが先ず来た。こちらの体は浮世の辛酸(しんさん)をなめ尽しているのに、あいつらの体は蠟燭みたいにのっぺりして、苦労の跡がないじゃないか。

 海軍年齢とは、かくの如くバカバカしいものであった。これは銘記されていい。仕事の能力とは関係ないのだ。もっとも現今においても、官公署や会社の序列は、年齢順にはなっていないようだが、海軍にくらべるとまだマシだ。

 で、私は下士官になった。暗号の下士官だ。

 下士官になってほっとしたのは、甲板掃除や飯運びをしないですむ。それよりも棒でぶんなぐられずにすむことであった。尻なぐりはもっぱら兵長がやるので、いかな兵長でも私に手を出すことは出来ない。

 軍隊では士官と下士官、下士官と兵とは、はっきりした区別があって、兵同士のいさかいは隊内で処理されるが、兵と下士官ではそう行かない。うっかりすると抗命罪ということに問われるらしい。

 ちやんと敬礼もしなけりゃいけない。しなきや欠礼ということになる。

 その点で兵長たちが口惜しがり、かげ口をきいていることを、私は知っていた。

「あいつは十九年六月入りのくせに、いっぱしの下士官面をしやがって!」

 部下の一水や上水にも、いろんな性格の者がいて、そう告げ口をして来る。告げ口する性格の人間をあまり好きでないが、その言はたいへん参考になる。

 生理的年齢や精神年齢において、私は彼等よりずいぶん上なので、上官になるのは当然のようなものだが、どうも彼等は海軍ぼけがしているとしか思えなかった。

「娑婆(しゃば)に出て見ろ。お前たちはチンピラで、三十代、四十代の今いじめている老兵たちには頭が上らないんだぞ」

 と思う。思うが口には出さない。出しても判るような相手ではない。

 他の下士官とも微妙な隔てがあった。他のは皆二等水兵から営々と勤め上げ、今は下士官になっている。下士官になると一応分別もつくから、直接私に当りはしないが、とかくのけ者にする気配がある。海軍年齢の若さにこだわっているのだ。

 戦争中江田島出の士官と、学徒出の予備士官と確執があった。それに兵隊から上って来た特務士官も加わって、心理的にスムーズに行かないという事情があったようだ。士官たちの世界はその頃私と関係なかったし、知りたい興味もなかった。戦後、手記や小説で読んだだけである。今思うに、私と他の下士官との関係は、特務士官対予備士官の関係、それに近いものがあったかとも思う。[やぶちゃん注:「特務士官」海軍の学歴至上主義のために大尉の位までに制限配置された後になって設けられた準階級で、叩き上げの優秀なエキスパートであっても、将校とはなれず、将校たる正規の「士官」よりも下位とされた階級。兵曹長から昇進した者は海軍少尉ではなく、海軍特務少尉となった。]

 ただ違うのは、私が部隊で一人であり、他の下士官はたくさんいた。対立するような人数が揃っていなかった。たとえばどちらも集団で、十人対十人なら、かならず確執が起きる。それが哀しい人間の宿命である。

 しかし私の場合、相手は何人もいるが、こちらは一人である。だから確執までには至らなかった。

 終戦の日、私が降伏を知ったのは、午後六時である。ラジオで天皇の放送があるのは知っていたが、眠さが先に立って、居住壕の寝台で正午から六時まで、ぐっすりと眠ってしまった。六時から暗号の当直に立つ。暗号室に入って、暗号控えを見ると『終戦』という文字が突然眼に飛び込んで来て、びっくりした。掌暗号長に、

「戦争は終ったんですか?」

と聞いた。

 掌暗号長は特務士官である。特務士官というのは、水兵から順々に進級して下士官となり、準士官を経て、士官となる。そこで年齢も三十を越えている。思うに敗戦で一番ショックを受けたのは、特務士官ではなかっただろうか。

「そうだよ」

 掌暗号長は妙な笑い方をして答えた。あの笑いには、無量の感慨がこめられていたに違いない。

「終ったんだよ。海軍はなくなってしまうんだ。しかし他の連中には言うな」

 私は自分の机の前に腰をおろした。五分ほど暗号控えをめくっている中に、何か耐え難くなって、掌暗号長に便所に行くと断り、外に出て、居住壕に駆け帰った。駆け帰ったけれども、何もすることはない。居住壕の一番奥に、べンチが設いてある。そこに電信科の下士官がぼんやりと横になっていた。私の顔を見て言った。

「戦争、負けたんだって?」

る。

「そうですよ」

「アメリカ軍が上陸して来たら、日本の軍隊はどうなるんだ?」

「武装解除ということになっています」

 敗戦や武装解除の件は、口外禁止と掌暗号長に念を押されたが、私はしゃべってしまった。口外禁止と言っても、すぐ知れ渡ることだし、かくしおおせるものでない。

「武装解除、か」

 と、下士官は答えた。あとで思うと、武装解除という言葉を、武器を捨てて解散という風には取らず、アメリカ軍の前に一列に並んで武器をもぎ取られるという風に解釈したらしい。無念げな表情で、眼をつむった。それで私は暗号室に戻った。戻りながら、三十歳という年齢が、にわかに自分に戻って来るのを感じた。

「戦争が済んだ。もうおれは若い兵隊でもないし、若い下士官でもない」

 

 翌日になった。朝、暗号や電信の下土官たちが、壕の奥で何かひそひそ話をしている。私がそこに顔を出すと、昨日の下士官が言った。

「梅崎二曹はいいなあ。娑婆へ戻れば、会社の課長か何かだろう」

 ひそひそ話は、この後の身のふり方について、相談でもしていたらしい。そこに私が現われたので、早速そ言葉が飛び出したのだろう。

 私は笑って答えなかった。

 復員しても、私は課長なんかではない。しかし、

「私は諜長ではないですよ」

 と弁解するのも変だし、黙っている他はなかった。私は学校出ではあったが、下っ端の役人だった。それを説明したって、彼等のなぐさめにはならなかっただろう。

 その夕方のことだ。

 私が暗号の当直に立つために暗号室に入って行くと、私の前の当直長の木田兵長というのが、顔をまっかにして当直の兵隊を怒鳴りつけている。木田は日頃無口な男だが、何かかんかんに怒っているようだ。この木田は志順兵でなく、現役兵である。私は当直が違うので、ほとんど会話を交したことがない。

 木田は私と会っても、敬礼をしたことがない。そっぽ向いてしまう。とがめようと思えば、とがめることが出来るが、私はそうしなかった。二十二三の若者とはり合っても仕方がない。

「この中に軍機を洩(も)らしたやつがいる!」

 木田は海軍精神注入棒で地面をたたきつけた。兵隊はしゅんとなっている。

「日本軍が武装解除されると、しゃべったやつはどこにいる!」

 私を横目に見ながら、そう怒鳴った。あきらかに私を意識している。昨日電信の下士官にしゃべったことを、私は思い出した。あの下士官がまた別の男たちに、言い触らしたのだろう。木田はその下士官から、元兇は私であることを、探り出したに違いない。

「さっき設営の応召兵が、おれんとこに聞きに来た」

 武装解除はほんとかどうかと、老兵が聞きに来たということらしい。なぜ木田が今怒鳴っているかというと、丁度(ちょうど)当直の交替時刻で、私が暗号室にやって来るのを予期していたのだ。

「しゃべったのは、どこにいる!」

 木田はさらに声をはり上げた。

「覚えのあるやつは、立て! 軍機を洩らしたやつは、おれが今ぶってやる。上官であろうと何であろうと、おれはそいつを徹底的にぶちのめしてやるぞ!」

「木田。もういいじゃないか。やめろ!」

 今まで黙って聞いていた掌暗号長が顔を上げて、木田をにらみつけた。

「上官であろうと何であろうととは、何ていう言い草だ。たかが兵長のくせに、言葉が過ぎるぞ!」

 私は黙って椅子に腰をかけていた。心の中で考えていた。木田よ。そんなに気違いのように怒ることはないじゃないか。お前だって志願で入ったんじゃなく、徴集で入ったんだろう。つまり海軍が好きではなく、無理矢理に引っぱられたのだろう。だからお前は志願兵にいじめられて、ひねくれたんじゃないか。海軍を好きでないという点では、お互いさまだ。被害者同士がどうして傷つけ合わねばならないのか。木田よ。よく考えろ。

 私は木田の顔を見た。木田は私に向って、にらむような目付になった。そして何か言い出そうとして、周囲を見廻した。掌暗号長や兵隊の眼が、にがにがしげに、恨めしげにそそがれる。彼はがっくり来たらしい。表情を突然くしゃくしゃに歪め、精神棒を地面にごろりと放り投げ、急ぎ足でとっとっと壕を出て行った。くしゃくしゃにした瞬間、涙がきらりと木田の眼に光るのを、私は見た。

「仕様がないな」

と私は言って、精神棒を拾い上げ、壕の外に出て、谷底に力まかせに投げ込んでやった。棒は急斜面をごろんごろんと転がって、夏草の中に見えなくなった。軍機を洩らした件は、それでうやむやになってしまった。

 

 で、復員列車で私の前に腰かけているのが、その木田兵長なのである。網棚から降りて来た時、私がいるのを見て、木田は、しまった、というような表情を見せた。それから急につらそうな態度となり、とろんとした眼をあけたり閉じたり、窓外を眺めたりしている。

「おい。兵長」

 やがて私は木田に話しかけた。

「頭は何でやられたんだ?」

 木田は黙っている。さっき繃帯(ほうたい)のことで、いやがらせをされたと思っているのだ。私はさらに強く言った。

「返事しないのか。お前、口はないのか?」

「瓦(かわら)です」

 木田は不承不承口を開いた。

 昨夜の嵐はひどかった。私は頑丈な空家に入って一夜を無事に過ごしたが、戸外では瓦や板やトタンが飛び交い、また家が倒れたりして、怪我人が何人も出た。木田も飛び来る瓦に頭を打たれたのだろう。眼がうるんでいるところを見ると、たしかに発熱している。出来れば早く手当をする必要がある。ただし自前でだ。老兵が繃帯を提供するのは、私は許せない気持になっている。

「瓦か。お前の家はどこだ」

「え。耶馬渓(やばけい)の近くです」

「じゃ中津で乗り換えだな。早く家に戻って、頭の手当をしろ。お前、繃帯持ってないのか」

 木田は黙っている。それが怪しかった。

「持ってるな。看護科から貰った筈だ」

 彼は私を見た。うなずいた。

「なぜ自分で取っ替えないんだ。戦争が済むと、兵長もヘったくれもないんだぞ」

 初めはゆっくり話し合うつもりだった。口をきいている中に、だんだん気持が折れ曲り、いこじになって来るのを感じる。大人気ないと思いながらも、そうなってしまう。

「お前、齢はいくつだい?」

 木田は眼を据えた。

「二十三です」

「そうか。おれは三十だ。そしてこのおっさんは――」

 私は老兵をかえりみる。老兵は勢こんで答えた。

「わたしは三十九ですたい」

「こちらは三十九だ」

 私は木田の顔から視線を離さず、そう言った。

「お前は終歌の翌日、暗号室で大いばりでわめいていたじゃないか。あれはどんなつもりだね?」

「いばっているのは兵曹の方じゃないですか」

 木田は口借しげに言い返した。

「何でそんなにいばってんです?」

「三十だからだ。お前より七つ齢上だからだ」

 私はすこし無茶を言った。

「何ならお前をひっぱたいてやろうか。顎を出せ。すったくってやる!」

 バカなことを言っているな、と自分でも感じながら、言った。木田の方から殴りかかるかも知れない。そう思って身構えた。

 木田はゆっくりと車内を見廻した。近くに下士官や兵が乗っている。興味探そうにこちらを見ている。木田は顔を元に戻した。うるんだ眼から、突然涙があふれ出た。彼は顔をおおって泣き出した。私にはそれが意外だった。自己嫌悪がまっくろに胸にひろがって来た。――それから中津までの一時間、木田は泣きじゃくっていた。中津駅で泣きやむと、悄然(しょうぜん)と窓から歩廊に出て行った。

 今思っても、気の毒なことをしたと思う。

[やぶちゃん注:「耶馬渓」大分県中津市にある山国川(やまくにがわ)の上・中流域及びその支流域を中心とした渓谷。日本三大奇勝として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「中津」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「乗り換え」当時は大分交通耶馬渓線(旧耶馬渓鉄道。この敗戦の年の四月に合併して改称していた)が中津駅から耶馬渓へと連絡していた。昭和五〇(一九七五)年に全線が廃止され、現在は存在しない。]

2020/08/29

ブログ1,410,000アクセス突破記念 梅崎春生 生活

 

[やぶちゃん注:昭和二四(一九四九)年一月号『個性』初出。単行本未収録。未収録である理由は未完成だからである。底本(以下参照)の古林尚氏の解題によれば、『「生活」は末尾に、「この作品は二年前にかいたもので、未完である。書こうと思った小説が、締切日までに完成しなかったので、やむなくこれを出した」の付記が添えられている。この「生活」の素材はつぎの「無名颱風」にそっくり生かされ、また「年齢」においても部分的に活用された。』とある。しかし、短編として一つの形を成しており、ちょん切れた感じは(しばしば梅崎春生の作品にはそうしたエンディングが見られる)寧ろ、私は感じない。

 底本は「梅崎春生全集」第一巻(昭和五九(一九八四)年五月刊)に拠った。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。一部に禁欲的に注を附した。

 上記の「無名颱風」及び「年齢」は近日中に公開する予定である。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の200576日)、本ブログが1,4100,000アクセスを突破した記念として公開する【2020829日 藪野直史】]

 

   生  活

 

 列車が都城(みやこのじょう)を過ぎる頃から、空模様はあやしく乱れ始めた。

 爆撃のためほとんど廃墟の相を呈する都城市は、踏みつぶされた蟹(かに)のような廃屋の断続する彼方に、淡黄色の砂塵(さじん)が紗をなして立ち騰(のぼ)り、日はまだ没しぎらないのに、すでに薄暮に似た感じであった。移勤してゆく視角のせいか、街全体がそのまま地底に沈んで行くようにも見えた。たちまちにして毀(こわ)れた街並は尽き、初秋の田園がひらけてくる。薄墨色の雲群が大きな掌をひろげるように地平から三方に伸びてゆくらしい。車窓に次々あらわれては消え去る稲田や疎林(そりん)が、ようやく立ちそめた風をうけて思い思いになびき騒いだ。何か不安なものが心に重くしずんでくる。さっき船着場から鹿児島駅まで歩き、駅で汽車のくるのを侍っていた間の、あのへんに狂騒的な亢奮(こうふん)がもはや醒めかかっていて、車窓から吹ぎ入る風に私は顔をさらしたまま、首筋や背中に滲みでてくる汗を何度も手拭いでこすりとった。湿度が次第に高まるらしく、顔を車窓の内側にむけると眼鏡がすぐに曇ってきた。

 車室は発車のときから満員であった。おおむねは私とおなじく今日桜島突撃隊を解員された兵員ばかりである。それぞれ大きな衣囊(いのう)を特ちこんでいるから足の踏場もない。車窓は全部あけ放ってあるにも拘らず、人いきれで暑かった。大半は年取った補充兵だが、中には年若い兵隊や下士官もまじっていた。下士官が通路にしゃがんだりしていても、座席の兵隊は今はそれに席をゆずろうとしなかった。そしてそれは不自然ではなかった。ごくあたり前の情景に見えた。部隊では一律に同じような生彩のない顔をしていた連中が、桜島を離れ遠ざかるにつれて、少しずつ娑婆(しゃば)の表情をとりもどして来るのが、はっぎり感じられた。皆すこしうわついた調子で、会話を交したり笑い声をたてたりしている。年寄った兵が席を占め談笑するそばに、若い下士官が疲れたおももちで通路にうずくまるのも、軍隊に入って以来私の経験しない風景であった。軍服はまとっているけれども既に、世間のおじさんが席に掛け、生白い若者が通路にしやがんでいる様にしか見えない。戦終って十日経(た)ち、部隊をはなれる今となっては、おのずから年齢という世間の掟がこの車室にも通用し始まるらしい。それを不自然でなく眺める私も、無意識裡に世間の感情をとりもどし姶めているのかも知れなかった。

 私の前の座席には木兎(みみずく)に似た顔の老兵がこしかけていた。

 さっき天蓋も建物もない歩廊だけの鹿児島駅で、陽にかんかん照らされながら私達は汽車を待っていた。駅員の話によると、列車はいつ来るかわからないと言う。桜島という隔絶した世界で、終戦後の世情がうまく行っていないだろう事は予測していたが、船で鹿児島に着くとすぐ、このようなダイヤの混乱という具体的な事実につきあたってみて、それがまことに実感として身にこたえた。九州本線は確実に三四箇所きれ、徒歩連絡せねばならぬが、日豊線は今のところ不明だと言う。うまく行けば全部つながっているが、断(き)れていればどこでおろされるか判らない。此の車室にいる兵達は皆私同様、漠然と桜島さえ離れたらすぐ汽車に乗れて、今日明日のうちにも故郷に帰りつけると思っていたに違いないのだ。此の木兎に似た老兵は、歩廊でも私の側にいて、いらいらした表情をうかべたり舌打ちしたり、不安げな様子をかくし切れない風であった。早く汽車に乗らないと桜島から呼びかえしに来はしないかと、怖れて居るかのように見えた。しかしそれは彼だけではなく、多かれ少かれ皆そんな表情を浮べていた。年取った兵ほど、その傾向が強かった。そんなに家に帰りたいのか、そんなに家は良い処なのかと、枕木を積み重ねた上に腰かけ、歩廊にくろぐろと印された自分の影を眺めながら、ぼんやり考え続けているうちに、前触れもなく汚れた汽車が駅に入って来、私達は衣囊をかつぎあげ、先を争って乗り込んだ。手際よく私が窓辺に座席をしめたら、向い合せにこの老兵が、窓から衣囊を押し入れて乗りこんできたのである。体力もない癖に、衣囊にはぎつしり詰め込み、船着場からここまでよく持ってこれたと思うほどだが、それを網棚にのせず大事そうに膝の前に置いた。自然私の膝は圧迫されて身体をねじって居なければならない。この私の姿勢を見ても、老兵は動ずる気配もない。此の無神経さは何だろう。老兵といっても四十四、五歳だが、終戦後規律がみだれたのを幸いに洗濯しないと見えて、ひどく汚れた略服を着ている。先程の憂欝そうな色は消え、むしろ、たのしそうに窓外の景色を眺めたり、隊で支給された弁当を長いことかかって食べたり、衣囊を拡げてその中の風呂敷包みを結び直したり、そLて小さな木箱の中のものを詰め換えて整頓したりした。箱の中には解員時に分配された航空糧食や携帯口糧がいっぱい詰っていた。そしてその上に小さな写真が一葉乗っている。私の視線に気付くと老兵は、垂れ下った瞼を引っばり上げるようにして顔を起した。濁った大きな眼である。はっきりしない呂律でつぶやいた。

「子供がふたりもあるのですよ。九つに六つ」

 特に私にむかって言った調子でもない。独白じみた呟(つぶや)きである。もともと表情のはっきりしない、むしろ沈欝な感じのする顔だが、この瞬間だけは一種の喜悦とも羞恥ともつかぬ色が顔いっぱいに拡がって消えたのを私は見た。この赤く濁った大きな眼は、この木兎(みみずく)に似た顔は、今日初めて見たものではない。この老兵は桜島で私と同じ部隊にいた。その頃から私はこの男をはっきりと記憶に止めている。

 桜島に転勤になった当初のころ、どうしたものか原因不明の熱が出て私は毎日医務室にかよった。診察をうけるために順番を待っている群のなかに私はこの男の顔をしばしば見た、と思う。元来設営の補充兵らしいのだが、身体にどんな故障があったのか知らないが、そんな具合に医務室に出入しているうちに設営の任に堪えないものと診断されたのかも知れない。その次気が付いたときは彼は医務室の雑用をするかかりになっていたようである。顔色は悪くぶわぶわとふくれて居るが、肩や胸が不釣合にほそく、手指は長くて掌全体はまるで鳥類のようにかさかさに乾いていた。部隊に赤痢(せきり)が蔓延(まんえん)しているというので、その掌に消毒剤を入れた噴霧器を握り、あちこち消毒して廻っていた。これはおそらく楽な仕事だっただろうと思う。私の居住壕にも両三度来た。

 ある昼間、私が当直の疲れで寝台に横になり、うとうとしていると、いきなり生ぬるい霧のようなものが裸の胸や脇腹に吹きつけてきたので、びっくりして眼を覚ましたら、此の男が噴容器を手に構えて、寝台の側に立ちはだかっていた。何ということをするかと私は腹を立てた。

「なんだ。寝ているところに薬をかけるやつがあるか」

 私が思わず身体を起してどなっても、この男はなぜ私からどなられるのか判らないような、ぼんやりした表情であった。

「消毒をばしているところです」

 大きな眼をみひらいて私を見ているのだが、その瞳は丁度(ちょうど)、昼間は大きく見開いていても視力を喪失しているあの木兎(みみずく)の眼に、そっくりであった。此方を向いてはいるが、此方の姿が彼の瞳孔にうつっているのかどうか、それは意力を失ったたよりない視線であった。しかしこれが本物であるかどうか、私は信用しない。

 私は知っている。私も補充兵だから、年配で海軍に召集された男たちの気持はほとんど類推できる。私達三十歳前後の連中は前年召集されたのだが、四十代の男たちはおおむね今年に入ってからである。だから私は、私の後から次次に入って来る連中の様子はつぶさに見て来た。彼等は例外なく同じコースをたどって同じ型の兵隊になって行くのだ。入団してきた当初は、彼等はみな世間の貌(かお)をぶらさげてくる。自尊心だとか好奇心だとか、軍隊の中で通用しそうにもない属性を表情に漲(みなぎ)らせてやって来る。勿論ある種の気構えをもって――いかにも烈しい肉体的訓練は充分覚悟しているぞといった風(ふう)な気構えを誇示しながら、悲壮な面もちで入ってくる。ところが一箇月もたつ間に、息子ほどの年頃の兵長にようしゃなく尻を打たれたり、甲板掃除で追い廻されたり、だんだん自分が人間以下に取りあつかわれていることが身に沁みてわかって来る頃から、彼等の世間なみの自尊心や好奇心や其他の属性は消えて無くなって行く。喜怒哀楽が表情に出てこなくなる。然し無くなるのは表面からだけだ。彼等の喜怒哀楽は表に出ずに心の内側に折れ込んで行くのだ。するどく深く折れまがって行くのだ。彼等は総じて無表情になる。自分を韜晦(とうかい)することによって生きて行こうと思い始める。肉体を、上から命ぜられる場合でも、最少限度に使用しようと心に決める。肉体のみならず、精神をも。かくして彼等はみな一様に動作がにぶくなり、痴呆に似た老兵となってゆくのだ。しかし勿論(もちろん)これらはポオズに過ぎない。だからわかい兵長らが彼等を前にして、何て年寄りはトロいのかと怒りなげいても、彼等がふたたび娑婆(しゃば)に帰れば、生馬の眼を抜くような利発な商人であったり、腕利きの職人であったり、あるいは俊敏な学者であることに、到底思いおよばないだろう。流体がおのずと抵抗のすくない流線型をとるように、彼等はその目的のためにいかなる擬体(ぎたい)[やぶちゃん注:「体」はママ。]をも採用する。佯狂(ようきょう)が最良の手段だと思えば、伴狂をすら取るのだ。馬鹿をよそおうこともつんぼとなることも、あり得るということを私は見て来た。私は今、彼等と書いた。彼等ではない。もちろん私並びに私達である。ただ三十前後の私達が長いことかかってもうまい具合に化け終(おお)せぬところを、此の年召集された四十前後は、極めて巧妙にしかも頑固になし遂げたようである。世間で苦労して来た賜物というほかはない。だから私は、軍隊で会った如何なる人間をも信用しない。ことに四十代の兵隊を。私ですらも贋(にせ)の表情をこさえ続けてきたから、この男達も仮面をかぶり終せたにちがいないのだ。此の私の座席から見わたせる幾多の老兵らは部隊にいた時は、ただひとつの表情しか持ちあわせなかった。それがただ、部隊からはなれ、狭い海峡をひとつ渡っただけで、もはや娑婆(しゃば)の表情を取りもどし始めている。このことは鹿児島駅で汽車に乗りこんだ時から、薄々と私は感じ始めていたのだ。部隊にいた頃は、私の前にいる老兵とても、なにか得体のしれない愚鈍な感じの男であったが、今ははっきりと解放された喜びが身のこなしに現われている。向うの座席の、所書[やぶちゃん注:「ところがき」。]でも書いて交換しているらしい二人の老兵も、弁当を分け合って食べている他の群も、それはもはやあの苦渋の表情から抜け出ている。世間人らしい匂いを立て始めている。窓縁に肱をついてぼんやり眼を見開いている私の顔も、他から見ればやはりそう見えるのかも知れないのだ。しかし召集前、私はそのような世間の貌を信用していたのか、世間の中で私は自らを韜晦(とうかい)せずに純粋に生きて来たのか、そういうことにふと思い当ると、私は突然にがいものを無理に口の中に押し込まれたような気がし、少し乱暴な動作で身体をよじり手を伸ばして、老兵の手箱の中からチラと見た写真をつまみ上げていた。老兵のかさかさした掌があわててそれを追ったが、その時は私はすでにその写真を私の眼の前にかざしていた。

[やぶちゃん注:「韜晦」自分の本心や才能・地位などを敢えて包み隠すこと。]

 ピントの合わぬぼんやりした写真であった。縁が色褪(あ)せているのはおそらく汗がしみたのであろう。納屋みたいな感じのする建物の前に子供が二人写っていた。二人ともまぶしそうに笑っていた。大きい方は頭が平たく、手には小旗を持っていた。小さな方はくりくりした眼を光線の具合かあらぬ方に向けて居るように見えた。その眼付が何となく此の老兵にそっくりである。先刻つぶやいた子供たちなのであろう。子供達の背後に、三十位の女が立っていた。これが母親だろう。上品な顔だちだが、これは笑っていない。眉の辺に暗い影が落ちている。子供たちが上等の服装をしていないことは、写真がぼやけていても直ぐに判る。あまり裕福でないに違いない。しかしこの小さな写真を見ていると、子供の頰の柔かい匂いや、日向に照らされた着物の匂いまで判るような気がした。写真をかえしながら、私は低い声で聞いた。

「これがその、息子さんたちかね」

「そうです。そうです」

 私が写真を眺めている間、私の顔をじっと見ていたらしい。私がそう言うと、ぶわぶわした頰にふしぎな笑いをうかべて、合点合点をした。桜島にいた頃は、過去も何も持たない、現象みたいにしか眺められなかった此の男が、ふるさとには家庭と職業を持っているということが、急に実感として私に迫ってきた。その実感は私自身にからんで何故か微かな不快の念を伴ってくる。それを押し殺しながら、私はこの老兵と次のような会話をした。

「故郷(くに)は何処なんだね。何処まで帰るのか」

「へええ」顔を上げずに写真を箱にしまいながら「原籍は福岡県ですたい。しかしその、居住区は別府」

 居住区だってやがら、と通路に立っていたわかい兵隊が笑い出した。とげとげしい乾いた笑い声であった。老兵は一寸びっくりしたような顔を上げたが、箱の中から小さい紙包みを取り出して私の顔の前でひらひらさせた。

「あなた」私のことをそう呼んだ。「之を湯で溶かすと、そっくりお萩になりますがな。餡粉(あんこ)は餡粉、御飯は御飯とな。先刻駅で仲間のものが慥(こしら)えて食べよりました」[やぶちゃん注:「慥」(「たしか」)の字に「こしらえる」の意味はない。恐らく「拵」の誤字或いは誤植である。]

 航空糧食の一種でお萩を粉末にしたものである。私も三、四個支給を受けて衣囊の中にしまってある。

「お前は何故食べなかったんだね」

「へへえ」老兵は女た曖昧(あいまい)なわらい方をしながら「子供に食べさしてやりたいと思いまして、な」

「子供に会いたいかね」

 老兵はぶよぶよと笑って返事をしなかった。しかしその眼に灼けつくような慕情が浮んで消えた。

 野面を斜めにてらしていた投日のかげが消えて、汽車は乾いた軋(きし)りを立ててがらんとした大きな駅に、辷(すべ)り込んだ。宮崎市である。混凝土(コンクリート)の歩廊[やぶちゃん注:プラット・ホームのこと。]を、風がさらに強く吹くらしく、歩廊面はぬめぬめと光った。眼を上げると油煙を溶かしたような黒雲がもはや南の空の半分を覆い、千切れた雲端は物凄い速度で渦巻きながらひくく垂れてくるらしい。湿気を帯びた風が線路をわたって私の頰をうつた。窓を飛びだして歩廊の水道栓に群れた兵隊の青い略服の裾が一斉(いっせい)にはたはたと動く。汽車がごとんと動き出すと、水を汲み残したまま水筒をかかえ、五、六人の兵達が歩廊を走って汽車に飛びのった。汽車は速力を早めた。毀(こわ)れた町が線路にそって連なる。大きな踏切りを越えた。線路沿いのせまい道を、カンカン帽を冠った男が歩いて行く。突風がいきなり帽子を吹き飛ばした。白い浴衣(ゆかた)のたもとを風でふくらませながら、男は腰をかがめてそれを追っかける。黒い柵(さく)伝いにカンカン帽はどこまでも転がって行くのだ。追っかける男の姿勢をはっきり、私の眼底に残したまま、汽車はそこを轟然(ごうぜん)とはしり技けた。

(ああ、あの感じなんだな)

 浴衣にカンカン帽子を冠った姿、それが先ず見慣れない感じであった。そんな服装が暗示する生活、それが此の世間にあるということが、何と無く肌合わぬ気がした。そしてそれと同時に、そのような市民生活を私も営んでいた時の記憶がふと肉体によみがえってきた。昔あんな見苦しい姿勢で私も吹きとばされた帽子を追っかけたことがある。その時の気持や肉体の感覚が、鮮かに呼び醒まされてきためだ。この汽車で東京に戻る。着物をきて畳のうえで妻子と飯を食う。背広をきて役所に通う。タ方夕刊を買って省線で戻ってくる。あるいは風で帽子を飛ばされたり、乏しい銭で安酒を飲んでみたりというような生活のディテイルが、驚くほどなまなましい感覚をもって、此の時私に思いだされてきた。

(此の感じをなぜ俺は長いこと思い出さなかったんだろう?)

 それは密度の違う世界に無理矢理に追いこまれるような、生理的な厭な気持であった。今日桜島の軍用波止場から出帆するときの、あの昂揚された自由感が、次第に質の違ったものにすり代えられて行くのが、私にはわびしく思われた。湿って火付きの悪いほまれを、口のなかがざらざらする気持になりながら、しきりに吸い込んだ。風のために莨(たばこ)の灰が鼻のよこに散って当った。

(そんな感じを思い起すことから、俺は懸命に逃げ廻っていたに違いないのだ。帰って行かねばならぬその世界が、厭(いや)な世界であるとは考えたくなかったのだ)

 しかしこの悪感[やぶちゃん注:「おかん」。]はすでに私の心を摑んでしまった。私は車窓をはしる景色にじっと眼を放って考えつづけていた。長い間座席にいるせいで、尻がすこし痛み出してきた。老兵が衣囊の紐(ひも)をぐいぐいしめる度に、衣囊のかたい内容が私のすねをつき上げて来る。整理もすんだと見える。蒼然と昏(く)れかかるのに、車室には燈が点(とも)らない。車室の男達はやや談笑に疲れた形で、ぼんやりしている者が多いが、その眼が明かに不安をやどして、時折窓外に走るのも、あやしい空模様につながって此の列車が何時とまるか判らないという危惧(きぐ)をかんじているに違いないのだ。

 衣囊の紐を結び終えた前の老兵がふと心配そうに私に話しかけた。

「此の汽車はまっすぐ別府まで行くとでしょうか」

「それは知らんよ。おそらく何処かで断(き)れているだろう」

「断れているとすれば、私どもはどうなるとでしょう」

「降りて次の駅まで歩くんだよ。重い荷物をかついで皆歩くんだ。どうせ家に帰れるんだ。一日や二日延びたって大したことはあるまい。そんなに早く帰り着きたい訳じゃないだろう」

 老兵は頰に一寸厭な色を浮べて、瞼を伏せた。独語のように言った。

「私どもは一刻も早く帰りたいとです」

 まだ幾分愚鈍な感じはあるとしても、此の老兵の受け答えや気特の動きは、すでに正常な市民のそれのように思われた。部隊に居たときのように、命令を受けてもそれを理解出来ない風であったり、寝ているところに消毒液をかけたりするような、けたを外した動作や振舞いは、まこと私が予想したように擬態(ぎたい)であるらしい。意識した擬態ではないとしても、保護色や警戒色のように自然の摂理として、此の老兵は自らの個体を守る為にあんな愚鈍さを身につけたのかも知れない。しかしその事は私とは何の関係もなく、また興味もない。ないにも拘らず、私は此の老兵の顔を見ていると、してやられたという感じが強かった。

「そんなに帰りたいのかね。家では何をやって居るんだね」

「人形を造るとです。人形師です」

 別府土産の人形を造るのがその商売だという。老兵はやや雄弁になって、粘土から人形を造り上げるまでの工程を、廻りくどく話し出した。時々手真似も入る。小さな工房を持っていて、そこで注文を受け仕事をしていたらしい。日当りの悪い房[やぶちゃん注:「ぼう」。部屋。]にすわって什事をしている光景が私の想像に浮んで来た。職人は別に使っていないが、弟が一人いて、それと一緒に仕事をしていると言う。

「私が学資を出してやりましてな、中学を卒業させました。ところが中学を出ても人形をば造りたいと言うもんで、仕事の加勢をさせて居りますが、これが私ども以上の腕利きで、これが人形は別府で一番良か店から幾らでん注文が来るとです。え。二月、二月に私どもが海軍に引っ張られたあとは弟一人でやっておりましたが、これも六月頃陸軍に引っ張られたということで、女房からその便りがあったっきりその後のことは判りませんです」

「お内儀さんはあの写真のうしろに立っていた人だね」

 野面はだんだん昏(く)れかかり、車室の中央は顔の輪郭も定かならぬほどになった。気温はやや降ったが、温度はますます高まるらしく、風もまた吹き募(つの)るらしかった。反対側の窓遠く、海が暗く見えるようであったが、それも海かどうか判らない。列車は左右に厭な振動をつづけながら進んでゆく。野面に遠く近く揺れる農家の燈を、私は眼をしばたたきながら眺めていた。そして老兵がしゃべるのをうつうつと聞いていた。

「巡検が終りますとな、何時も海岸の煙草盆に出て仲間の者と遅くまで話しこむとです。皆帰りたがる話ばかりで、何の因果でこんな海軍に入ったんじゃろか、孫子の代まで海軍には入(い)れんちゅうてな。私は医務室の仕事やっとったから良かったけんど、外の連中は、皆此の汽車に乗っとりますが、毎日もっこかつぎで肩の肉が破れたり底豆[やぶちゃん注:「そこまめ」。足の裏にできる肉刺 (まめ) 。]を出したり、満足な体の奴は居らんとです。みな私が楽な仕事をしているのを羨しがりましてな、私は何時も言い返してやったとですが、お前らは要領が悪い、軍人は要領を旨とすべしということを知らんかてな、しかしあまり可哀そうなんで医務室から薬持ってきてやって、煙草と交換してやったりしましたたい。その薬を煙草盆の周りでつけ合いながら、こんな処を見たらカアチャンが泣くだろうというようなことを一人が言ったりしますとな、笑うどころか皆しんとしてしまって、そのうちに八月十五日になりました。ラジオはがあがあ言うだけで何も判らず、隊長の訓辞では今までよりはもっと働かねばならんという話で、居住区に戻って皆と、陛下もこれ以上やって皆死んでしまえとは何とむごい事をおっしゃるかと、寄り合って悲観しているうちにあのラジオは終戦のことと判りましてな、班長や分隊士がやけになって酒打ちくろうて、まことに今まで一所懸命になってやって来られたのにと気の毒には思いましたけんと、私どもは皆してこれで家へ帰れる、子供や女房の顔も拝めるちゅうて、悪いとは思ったが肩をたたき合って喜びましたがな。もうこの世では逢えぬと私どもは諦(あきら)めて、なるたけ思い出すまいと思うて居ったところへ、こんな事になって、私はそれから女房や子供のことばっかり考えつづけですたい」

「お内儀さんはいくつだね?」

「へええ。三十二になります。おとなしい良い奴でしてな。今度も何か土産を持って行きたいけんど、隊で支給されたのは兵隊のものばっかりでな、甘い物を少し貰ったけんど、これは子供、その他毛布や服や米や罐詰や。何にも要らん、帰して呉れさえすれば何にも要らん、此方から金出してもいいと言ってさえ居た連中が、いよいよ帰れるとなるとみな慾張りになりましてな、俺の毛布はスフだから純毛のがほしいとか、靴をかっぱらわれたからまた何処からか取って来るとか、浅間しいと思いますけんど私もそれでな、何も自分ひとりの事を考えて居りやせん[やぶちゃん注:「や」が小書きでないのはママ。]、これだけあれは此の四、五年は着る物に不自由はせん、そうなれば女房もたすかるだろうし、また伜たちも……おや、雨が」

 雨滴が三粒四粒斜めに顔に当ったと思うと、次の瞬間には飛沫となってしぶいて来た。あわてて窓をがたがたと閉めた。車室のあちこちで窓を閉める音がする。汽車は今山峡のような場所を走っているらしい。雨滴が筋をなして流れる硝子窓のむこうを、樫(かし)の影がちらちら暗い空をくぎって飛びさる。通路で誰かマッチをすったので、瞬間車室は薄赤くほのめいたが、その光線に浮き上った人々の像は顔にかぐろく隈(くま)を作り、まことに疲れ果てた感じであった。桜島の静かな濤(なみ)の音を聞きながら、海岸の煙草盆のまわりに寄り合って、各々肉親の事を考え己れの不運をのろったのは、この老兵達の顔である。終戦の報を知った時、先ず彼等の頭にいっぱい拡がって来たのは、妻の、子供の、両親の顔であったに違いない。

2020/08/08

ブログ・アクセス1400000突破記念 梅崎春生 失われた男

 

[やぶちゃん注:昭和二三(一九四八)年四月号『個性』に発表され、後の単行本「B島風物誌」(同年十二月河出書房刊)に収録された。

 底本は「梅崎春生全集」第一巻(昭和五九(一九八四)年五月刊)に拠った。

 一部、段落末に注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の200576日)、本ブログが1,400,000アクセスを、昨日、突破した記念として公開する【202088日 藪野直史】]

 

   失われた男

 

 芝という兵隊と三浦という兵隊のことを、ぼくは書いておこうと思う。此の二人の兵隊の印象は、その当時はそうでもなかったけれども、月日が経るにしたがってますますぼくの胸の中で鮮烈なものとなって行くようである。それが何故であるか、ぼくにはっきりは判らない。ただこのふたりの兵隊のことを思い出すと、あるやりきれない感じが、たとえば身体の内側で何かがぎゅっと収縮するような気分が、いまでもぼくをおそってくる。当時この両人をぼくは冷静に眺めているつもりであったけれども、あるいはぼくは自分の胸の底にあったもやもやしたものを、無意識のうちに自分の盲点におしやっていたのかも知れないのだ。もっともこのような盲点を利用することで、ぼくは苦しかったあの軍隊生活を、さほど傷つきもせず通りぬけてきたのではあったけれども。

 ぼくがこの二人と一緒にいたのは、ある海沿いのちいさな町の外れにあった海軍警備隊である。戦争も末期のころであったから、此の部隊も応召の国民兵が相当な数をしめていて、芝も三浦も応召の老兵であった。もちろんぼくも応召兵で、いい加減歳をくった兵隊であったのだが、芝にしても三浦にしても年齢からいえば、ぼくよりも確か三つ四つ上であったと思う。二人とも体力のおとろえが、すでに姿勢や動作にあらわれはじめている年頃であったので、軍隊の勤務がぼくなどよりもずっとこたえていたことは間違いない。そうでなくてもこの部隊は、兵隊にとっては他処(よそ)よりも遙かにつらい勤務の部隊といわれていた位なのだから。

 ぼくたち三人は大層親しかった。しかし親しかったというのは、お互いが好意をもち合って仲良くしていたという意味ではない。他に話し合う相手がいなかったので、いわば余儀なく親しんでいるという形であった。何故というと此の警備隊でも、ぼくの分隊だけは特別で、応召の老兵というのはぼくら三人だけであったのだから。あとはすべて志願や徴募のわかわかしい兵隊で、その間に伍してぼくらが人並みにやってゆくということは、並たいていのことではなかったのだ。親しかったといっても、しょっちゅう話し合ったり行動を共にしていたという訳では絶対にないので、だいいちそんな余裕や閑暇のあるようなゆっくりした勤務なら、後に述べるような事件は起きなかっただろうと思う。ぼくら三人はもっとも下級の兵隊であったから、朝の起床時から夜の就寝ラッパまで、文字通り寸秒を惜しんで、勤務に食事当番に甲板掃除に追い廻されていたのである。ぼくら三人がゆっくり顔を合せられる時間というのは、ほとんど巡検後のひとときであって、そのひとときですら三日に一度は整列のために乱されてしまうのであった。[やぶちゃん注:「甲板」個人(昭和一九(一九四四)年九月松山海軍航空隊甲飛十五期で入隊された方)サイト「巡検ラッパ」の「海軍の基礎教育」のページに、『兵舎内は中央の通路をはさんで居住区と寝室部分とに分かれ』、『中央通路は甲板と称してデッキ掃除の競争の場となる』。『兵舎の中央部分は分隊士、教員の居住区と事務室となっている』とあった。]

 人間がその生活に、わずかの自由の時間をすらもたないということは、こんなにも辛いことなのか。きたない話だけれど厠(かわや)にしやがんでいる時などに、ぼくはよくそんなことを考え、溜息をついたりすることがしばしばであった。忙しいなかの厠というものは、ふしぎにそんな鮮明な反省をぼくにうながしてくるのが常で、その反省を急いで断ち切るようにして、ぼくはいつも厠を飛びだすのであったが、すると次の仕事がすぐ待っていて、血相かえてぼくはそれに立ち向わねばならぬという具合であった。つまり厠に入ることすらも、時間を最大限にやりくりしないと不可能な位であったので、顔を洗ったり歯を磨いたり、まして時間時間に莨(たばこ)を自由に喫(す)うことなどは、ぼくらにとってはもはや夢の彼方であった。うっかりすると一日中莨を喫うひまがなくて、夜の巡検が終ってからやっと一本喫いつけるような日もあった程だから、三人のうちで最も莨好きの三浦などは、この点だけでもやり切れなくなっていたに違いない。つねづね巡検後の莨盆(喫煙所のこと) に、三浦と芝とぼくの三人がおちあうことがあると、そんなときにその辛さを先ず口に出すのはきまって三浦であった。ぼくらが何時もおちあうのは兵舎の蔭の小さな莨盆で、入口の近くの大きな莨盆には下士官や兵長が莨をすいながら雑談しているから、自然とぼくらは吹きよせられる落葉みたいに兵舎の蔭にあつまって、ほそぼそと莨をすいつけるという訳であった。寒い北風に星群がまたたくのを眺めながら、ぼくらはいつも低い声で話をかわすのだ。ぼくらに共通の話題はおおむね今の境遇なので、詰も自然とそこに落ちるが、ふと話がそれて、故郷や過去や知っている女のことなどに走ることもある。そんな時いちばん熱心なのは三浦で、芝はおおむね黙っている。黙って煙草ばかりふかしている。やがて莨を喫いたいだけ喫ってしまうと、三人ともへんに興ざめたような表情になって、事業服の袖をかき合せながら、風のなかを小走りに薄暗い兵舎の甲板にもどってくるのである。[やぶちゃん注:「事業服」「事業服」海軍軍装の一種の正式呼称。正装の軍服ではないが、作業服の一ランク上のものであったらしい。ミリタリーグッズ・革ジャンの専門店「中田商店」のこちら(レプリカ)のようなものかと思っていたが、終わりの方で「白い事業服」とあるので、探したところ、白い上着は現物をサイト「Military Force」のこちらこちらで確認出来た。しかも、これには記名があり、その交付先は梅崎春生が属した佐世保海兵団の佐世保軍需部のものであった。]

 三浦は背が低く、瘦せて蒼白い顔の男であった。目鼻立ちはととのっていたが、額が抜けるようにはげ上って、身体つきもなにか不具じみたぎくしゃくした感じであった。もっとも三浦は身体がちいさなくせに、身にあまる事業服をあてがわれて着こんでいたから、なおのことその印象を深めていたのかも知れない。彼はすべての作業に、他人におくれをとることがしばしばであった。ことに身体がちいさいということは、ハンモック吊りには致命的なことなので、その点でも彼はひとかたならぬ労苦を忍んでいたようである。彼はそれをカヴァするために、短い手足を水車のように動かすことで、それをおぎなおうとしているらしかったが、それは必ずしも成功しているとは言い難かった。彼が吊床と組打ちしているところは、まるで水に溺れかかった人間が必死にもがいているようで、その瞳にもやはりすさまじい真剣ないろを浮べているのである。そういう点では彼は三人のうちでもっとも勤務に熱心であるといって良かった。しかし熱心だといっても、それは立派な兵隊になろうと念願しているわけではなくて、実をいうと、彼はただ自らの失態によって打たれたり殴られたりすることが一番恐かったのである。そのこと々ぼくは、彼と同じ分隊になってから程なくして感知したのだが、彼にしてみれば自分のそんな気持の動揺を、他人の眼からひたかくしにさえぎろうとしていたようであった。ぼくは彼ほど肉体的な苦痛にたいして敏感な男を、今までにあまり見たことがない。しかし苦痛といっても、たとえば腹痛とか頭痛のような痛さなら、彼は人並みにじっと堪え得るのである。彼がおそれるのは、外部から加えられる苦痛であった。いや、苦痛そのものというよりは、苦痛の予感に自分の身をおくことなのである。苦痛の瞬間が近づいてくるあのじりじりした時間が、彼にはもはや神経的に堪えられぬものらしかった。丁度注射などのときに、注射そのものの痛さより、それを待つ間の時間を辛いと、誰もが感じることがあるように。彼はことにその傾向がひどかったのだ。

 たとえば巡検後に総員整列がかかって、兵舎の蔭にならんで制裁の順序を待っているときなど、三浦はもともと血の気のうすい顔色をなおさら真蒼にして、伸ばした手の指をぶるぶるふるわせている。時には肩の辺までが、がたがた慄えだしたりするのだ。三浦の手の指は細くて、すんなりしている。掌は四十に手が届こうというのに、若い女のようにしなやかな皮膚である。戦争前は地方の小都会で、株屋の手代かなにかをやっていたというのだが、それにふさわしい小さな掌であった。その掌も毎夜の吊床訓練で、いつもひびわれたり血が流れたりしているのである。整列の時の三浦の姿をみていると、まるでこの掌だけが三浦の身体から分離してどこかに脱出したいともがいているように見えた。そんなときの三浦の眼はしろっぽく見開かれて、ほとんどなにも眺めていないように見えた。この掌がかつては味わった、軟かい女の体や紙幣や株券の感触の世界の記憶が、その時三浦の全身を緊迫的な衝動とともにみたしているのかも知れなかった。いわば彼は苦痛の予感と嫌悪にはらわたをまっくろにさせて、尻を棒で打たれる順番を指をがくがくさせながら待っているらしかった。しかし彼がどんなに力んだとしても、この順番の制裁は逃れるわけに行かなかったのだ。もしほかのものを代償としてこの場をのがれることができるなら、彼はほとんどどんなものでも代償としてさし出しただろう。彼の慄える指や空白の瞳は、無言のうちにそんなことを語っているように見えた。どんなにか彼はこのような苦痛の予感から逃げだしたかっただろう!

 先にかいたようにこの性格の弱味を、しかし彼は充分弱味として意識していて、それを他人に知られまいとして極度に努力していたのである。そして制裁が済んでしまうと、ひとつの苦痛が完了したというある解放感が、それゆえ俄(にわ)かに彼の身内をいっぱいにして来るらしく、そのあとでぼくらが夜寒の莨盆に落ちあうと、三浦の口調は一種の虚脱したようなはれやかさを帯びていて、それはぼくらにもすぐ感じられた。しかし彼はそれをまたぼくらから隠すためか、そんな時彼の声調は、へんに詠嘆をまじえた感傷的な調子になっていて、自分の故郷の小邑(しょうゆう)や過去の生活を語りはじめたりするのも、そんな時が多かった.。三浦の声は早口で、細く金属的である。しゃべっているうちに、彼はすぐ自分のつくった気分にはいってしまうらしく、最初のわざとらしい詠嘆の口調がぴったりと身についてきて、彼はもはや本気で過去の生活をまざまざとしのぶ風で、そこにふたたび帰って行けない自分を嘆き始めたりするのだ。彼がそんな時口に出すのは、牧江という女の名前で、その女と彼は恋仲になったまま、召集されてきたというのである。こんな年齢のこんな貧寒な男に、恋人が出来るなどとは、一寸ぼくも信用しかねるのだが、事実はいざ知らず、三浦の心の中に定着された牧江の存在は、三浦にとってはうごかすべからざる真実であるらしかった。そして、そうしているうちに、突然彼は自分の現在の状態への嫌悪を押えきれなくなってしまうのだ。早口の声が妙に不きげんに濁ってくるのである。そして彼の語調には変な強がりがまじってくる。ぼくは何時でもこんな時、道に三浦の弱さを嗅ぎとったような気特になり、何故か舌が重くなって不興げに相槌(あいづち)をうつたりするのだが、芝にしてもぼくと同じ気分になるのか、いつものぼそぼそした低い声をつぐんで、横をむいて莨(たばこ)はかりふかしているのが普通のようであった。二三本莨を喫いちらすと、ぼくらはいつもより一層しらけた気特になって、莨をそれぞれ踏み消すと、小走りで兵舎の甲板に戻ってくるのであった。ぼくらの吊床は甲板のすみに三本ならんで吊ってある。そんな夜はいつもより身体が冷えているから、なかなか寝つけない。事業服の上衣をたたんで枕にしたのに耳をつけていると、耳の底で暗い幽(かす)かな海鳴りのような冷えた血管の響きすら聞えてくるのである。そんな夜に寝つけないのはぼくばかりではない。芝や三浦の吊床などもときどき微かにゆらいで、いらだたしそうな溜息がぼくの耳まで伝わってきたりするのである。三浦の吊床はきちんと整頓されているが、芝の吊床はいつも曲っていたり吊繩がよじれたりしている。ちょっと調整すれば寝心地よくなるのだが、彼はそんなことをしないのだ。よじれてもよじれたままで放っておく。芝という男は、そんな風な男なのである。

 

 芝のくぼんだ眼は気の弱そうな暗い色を常にたたえている。軀(からだ)は先ず先ず均勢がとれているが、動作が変に間延びしたようなところがあって、それがわざとやっているようにもとれるのだ。何かやっていても、それは手足や身体だけのことで、頭では別のことを考えているように見える。ぼくら三人のうちではまず一番身体は丈夫だし、三浦あたりよりもずっと兵隊としての仕事はうまくやれるのである。それにもかかわらず、彼は兵長や下士官から一番憎まれている。もっとも仕事が出来ない三浦よりも、何とか理由をつけて殴(なぐ)られたりする回数は、芝の方がずっと多いのである。やる気がないなら、やるようにしてやる。こんな言葉が芝をなぐる時いつも使われる言葉であった。

 この部隊は兵隊にとつて、他処(よそ)よりもずっと難儀な部隊であったが、ことにぼくらは辛かった。何故というとこの部隊では、年齢に対する顧慮やいたわりは微塵(みじん)もなかったからだ。しかしそれは、ぼくらが年長であることに皆が無関心であったということでは全然ない。むしろ逆であった。年長であるからには若年の兵隊より仕事がうまく出来る筈(はず)だというような、そんなもっともらしいような理窟が皆を支配していて、何かといえばそんな言い方で、一番新しい兵隊であるぼくらは小姑(こじゅうと)みたいないびり方をされていたのである。今思えば彼等は、新しい兵隊だからという訳で追い廻していたにすぎないのだろうが、当時のぼくにしてみれば、年長であるが故に憎まれているのではないかという錯覚におち入るほどであった。年齢というものを、おそらく志願で入った兵隊などは、現実的な感覚でぼくらの上に眺めていたのではないのだろうと思う。その一例にぼくと芝が、ある若い上水から何かの理由で、兵舎の蔭で殴られそうになったことがある。その時その頰ぺたの赤い上水は殴ろうとする手をちょっと休め、芝の顔をまじまじと眺めながら突然、お前は歳いくつになる、と訊(たず)ねた。それはまことに少年らしい好奇の問いであったけれども、芝は自分の歳をあかすことになにか屈辱を感じたらしかった。暫く口ごもった揚句、絞るような低い声で芝が答えた時、若い上水はとんきょうな叫び声をあげた。「それじゃおれの親爺とひとつ違いじゃねえか」

 そのせいかどうか知らないが、ぼくらはその時ひとつずつ殴られただけで済んだ。これでも判るように、ぼくらの年齢というものは、実感として彼等にはなくて、彼等の眼の前には、老いぼれた現象としてぼくらが立っているという訳であった。この上水ですら次の日は、年齢についての現実的な感覚は忘れてしまったに違いないのだ。年齢のもつ意味にこだわっているのはむしろぼくたちだけで、ことに芝にいたっては、それをひしひしと意識するらしかった。作業や訓練の場合なら、幾分気持のごまかしもつくけれども、あの嘲弄的な制裁、たとえば鶯(うぐいす)の谷渡りとか蜂の巣などという屈辱的な芸当をやらされるときは、気持を盲点におくことに慣れているぼくですら、ときに顔が感情的にこわばるのを禁じ得ないほどであったから、芝などにいたってはことのほか惨めな気持のどん底を味わっていたに違いないのだ。空の衣囊棚(いのうだな)のなかに入って、ブーンブーンと蜂の鳴声のまねをさせられているときなど、ぼくは隣の芝が顔を紅潮させ、燃えるような眼つきになって、それでも命ぜられた通りにやろうとしているのを、ついちらりとぬすみ見てしまう。芝のそうした姿をみると、現在の唇をかむような屈辱的な気分が、ふしぎに和らいできて、嘲弄されている自分というものが、何故かさほど苦にならなくなるので、ぼくはいつもこの種の制裁のときは、意識的に芝の挙動に注意をはらっていたのである。三浦にいたっては、これらの制裁は肉体的な苦痛を伴わないのだから、棒を尻で受けるよりは、気持が楽だったのだろうと思う。しかしそれも三浦の身になってみなければ判らないことだ。実のところは、その体軀(たいく)や挙動の滑稽(こっけい)さのゆえに、三浦がもっとも嘲弄の対象になっていたのだけれども。[やぶちゃん注:「鶯の谷渡り」ルビー氏のブログ「太平洋戦争史と心霊世界」の「兵隊いびり (2)」には、絵とともに、『椅子の下をくぐり、テーブルをまたぎ、また椅子の下をくぐって、ホーケキョーと鳴きながら10テーブルをまわって元に位置につく。一つのテーブルを超すごとに、ホーケキョーと鳴く。鳴き声が教班長に気に入られないと、再度やり直しさせられる』と解説があり、「蜂の巣」についても、「兵隊いびり (1)」に、やはり絵とともに、『主に真夏の暑いときの罰直で、衣嚢(いのう)を収めておく40センチ角にしきられた奥行きの深い棚が、58列あるが、その枠内から衣嚢をだして、その中に一名ずつ頭から体を突っ込むのである』。『これは分隊180名のうち、80名が衣嚢に入り、あぶれた100名がバッター制裁』(上方に『尻をこん棒で叩く』こととある)『を受けることになる』。『これを一斉に決行するので、(バッター制裁を受けないよう)必死だ。みんな中段に的を絞るから、上部があく。すると、中部に入ろうとしている者の背中に乗って、上部をねらう者もいる』。『棚に入ったら、両肘を張って、足を引っ張られても頑張る。10分も辛抱すれば「やめ」となる』とあり、『下の方のロッカーに頭を突っ込んでいる人の背中を踏み台にして、さらに上の棚に登って頭を突っ込むようで』、『一種の椅子取りゲームみたいなもの』と言い添えておられる。]

 しかし芝は巡検後の莨盆でも、自分の気持の苦しさについては、一言も口に出したことはなかった。低いぼそばそとした声で、その日の出来事を話し合う程度で、話が愚痴におちてくると、黙りこくって莨ばかりをふかしているか、そっぽむいて星を眺めていたりするのだ。その態度はへんにかたくなな感じでもあったが、また妙に淋しげでもあった。芝は気質的に愚痴をこぼせないたちであるらしかった。彼は気が弱いくせにそんなところは妙に頑固であった。そのような人間的な甘さのないことが、自然と彼の姿勢や動作にあらわれていて、下士官や兵長から彼がにくまれるのも、あるいはそんなところからかも知れなかった。だから例えばちょっとした落度――卓の上に誰のものとも判らない手箱が置き忘れてあったりすると、すぐ芝のせいになって、彼は他の兵隊のぶんまで殴られてしまうのだ。息子ほどの年頃の兵長から殴られるとき、彼はその瞬間言いようのない苦渋(くじゅう)の色を顔いっぱいにたたえている。そしてぎらぎらした眼を見開き、殴ろうとする相手から視線をそらして、どこか遠くの方を一心に見詰めているのである。それは恐怖の表情ではなくて、やるすべのない悲しみの色であった。しかし見た感じから言えば、彼は殴られる自分に悲しみを感じているのではなくて、なにか他の形のないものにぎりぎりの憤怒を燃しているように思われた。それがなおのこと殴り手の気持を刺激するものらしかった。一つで済むところを三つも四つも殴られる。だから三浦の言葉を借りれば、芝は殴られる要領を知らない、という訳になるのだが、この説にはぼくもほぼ同感してもいいと思う。[やぶちゃん注:「手箱」兵に貸与された海軍手箱。Sarunasi氏のブログ「サルナシの掘り掘り日記~越後黄金山の砂金を訪ねて~」の「海軍手箱 ~軍隊生活の悲哀が染みこんだ私物箱~」に実物の画像とともに、『下士官・兵が石鹸、文房具、裁縫道具等の日用品を入れておく貸与品の箱で、時には机や腰掛の代わりにもなった』。『規格寸法は幅30×高さ16』×『奥行20㎝で、木材の種類、内箱の仕切りの作り、持ち手の形状・有無、鍵の有無など細かいバリエーションが存在する。物資不足の戦後の生活の中でも使用されたため、中の小物入れなどは取り外されているものがほとんどで、完璧な状態で残っているものは非常に少ない』とある。また、下方には「手箱と罰直」という、これを放置したことへの罰直ではなく、これを用いた制裁(「大黒様」と呼ばれたもの)についても解説が添えてある。]

 先にも書いたように、ここはおそろしく忙しい分隊で、加えて下士官や兵長の小姑(こじゅうと)的な監視があったから、仕事がとぎれてもぼんやりしているという訳にはゆかないので、ぼくらがゆっくり話し合う機会も昼の間にはあろうわけがなく、自然と巡検後の莨盆に落ちあうことになるのだが、そんな時莨をふかしながら、だまってお互いの姿を感じあっているだけで、ぼくの心はなぐさめられるような気がした。しかしこの気分は、ある一面で不快なものを含んでいることを、同時にぼくははっきりと感じていたのである。それは丁度傷ついた獣同士が、黙ってお互いの傷口を舐(な)めあうような、そのような親近感であったけれども、それだけにお互いの惨めさを認め合うことは、その底にあるやりきれない安易さをぼくに感じさせるのであった。そのことは芝もはっきり感じていたのではないかと思う。そのくせやはり巡検が済むと、睡眠を犠牲にしてまでふらふらと兵舎の蔭にあつまってくるのも、この労苦をひとりでおさめているということが、どうにも耐えられないからであった。莨盆にあつまっても、本当のところは何も話し合うことはない。言葉にすれば嘘(うそ)になってしまうから、やむなくぼくらはその日の出来事などをぼそぼそ話し合うだけに止(とど)めてしまう。ただ三浦の場合は、その気持の芯(しん)に妙に弱いところがあって、黙って気持だけをよりそわせているだけでは不安になるらしく、時に言葉でその隙を埋めようとあせったりするのだ。だから夜の莨盆では、三浦がいちばん饒舌(じょうぜつ)である。細い声で早口にたたみかけるようにしゃべる。しかしぼくらに共通したぎりぎりの惨(みじ)めな気特は、それを埋め得る言葉などあろう筈はないので、彼は仕方なく故郷のことや自分の過去を、聞きもしないのにしゃべり出したりするのである。そのことで自分の気持がなおのこと惨めになってゆくことも意に介せずに。そんな時、舌重く相槌(あいづち)うつのはぼくだけで、芝はすぐ黙りこんでしまう。

 故郷の町の牧江という女が重い病気にかかったということを、三浦が話して聞かせたのは、やはりそんな夜の莨盆でのことであった。その朝の手紙で彼はそれを知ったらしく、その手紙も牧江が重態の床で自らかいたということであった。その手紙を彼は事業服の内ポケットから出して、ぼくに見せて呉れたのである。もちろん暗がりで内容が読めるわけはなかったが、月明りで表書きの「三浦嘉一様江」と記したみだれた筆文字だけはかすかに読めた。こんな場所で見る女の筆文字というものは、変に鮮かなもどかしいような、ふしぎな印象を与えたことをぼくは今でも覚えている。いつもならそんな話題は生返事で散らしてしまうのだが、その印象のためにぼくはふと好奇心をおこして、その女はひとりなのか、と聞いてみた。すると三浦はしょんぼりした声になって、うつたえるようにぼくにこたえた。

「そうなんや。誰もみとる奴がいないんや。おれだけをたよりにしていたんだからな」

 月の光が三浦の広い額におちていて、彼は面をそむけてうつむくような姿勢になった。三浦は今朝からへまばかりやって、さっぱり元気がなかったことをぼくはその時、ある忌々(いまいま)しさと共に思い出していたのである。そして三浦の感傷的な細い声と、それを裏切るような身体に合わないぶざまな事業服の姿とに、へんにとげとげしい反撥が咽喉(のど)までこみ上げてくるのを感じて、ぼくはそっけない声で言った。

「――お前が行って、看病してやればいいじゃないか」

 昼間の作業で三浦がへまをやったため、その連帯でぼくらも殴られ、痛みが頰骨にまだ残っていたのだ。そのようなへまをやった原因がこんな手紙にあって、しかもその手紙を材料に三浦がぼくによりそおうとしていることを感じると、自然とぼくはつっぱねるような口調にならざるを得なかったのである。三浦はちょっとひるんだ風に身じろいだが、しばらくして自嘲するように、

「行くったって、行けるわけないやないかよ」

「病人が出来たといえば、休暇をくれるさ」

「しかし看護休暇は、肉親にかぎるんだろ」

「そうさ。だからさ」ぼくはちょっとつまったが「そりゃどうにでもなるさ。よそに縁づいた妹とか何とか、ごまかせそうなもんじゃないか」

 ぼくが言ったのは勿論(もちろん)、この場の思い付きで、実現の可能性があるなどとは夢にも思っていなかったのである。可能性のないでたらめをいうことで、ぼくはこの話題をうち切ろうという心算(つもり)であった。それにも拘(かかわ)らず、ぼくのつっぱねた口調がぼくの確信のゆえと受取ったせいか、三浦はぼくの言葉に突然すくなからぬ衝撃を感じたらしかった。はっと上げた顔が夜目にも真剣な色をたたえて、その視線はまっすぐにぼくにそそがれていたのである。ある切迫したものが、ひよわな三浦の体から流れてくるようで、ぼくは思わず背中を兵舎の壁にこすりつけながらたじろいだ。そして黙って見詰めあったまま、暫(しばら)く経った。

 ふと沈黙を破って、芝の低い声がした。

「帰れるわけがないじゃないか。色気をだすのはよせよ」

 莨を手にもったまま、その時芝の眼は立ちすくんだ三浦の姿を、なぜか舐(な)め廻すように眺めていたのである。その声はいつもの芝のぼそぼそした口調とちがって、なにか哀れみと憎しみの抑揚がそこにこめられているようであった。その声で三浦はふと我にかえったらしかった。そして夢から醒めたように身ぶるいすると手にもっていた手紙を折りたたんで、内ポケットに押しこもうとした。月明りのなかで手紙を握った掌は、なにか浮上るようにひらめいて、彼の内側にかくれた。暫く莨を喫い終えるまで、ぼくらはそれぞれの姿勢でふたたび黙りこくつたまま立っていた。

 

 牧江という女から来た手紙を、その夜ぼくは表書だけ月明りの下で一瞥(いちべつ)しただけで、とうとう内容は読まずじまいであった。しかしこの手紙が三浦の気持を、決定的なものへ傾けたことは、おそらく確かである。あの夜看護休暇の件について、三浦がぼくの言葉にすがってふと錯乱をおこしたのも、彼がなにか思い詰めていたからに相違なかった。あの瞬間、たんに詠嘆の対象であった彼のはるかな現実が、一挙に距離をとびこえて三浦のそばまで近づいていたのであろう。長いこと禁煙していた男が、いっぽんの莨に手をふれることで、一挙に堰(せき)をはずしてしまうように、もはやひとつの欲望が実感的な形として彼の心をぎゅっと摑んでしまったらしかった。その翌日からの彼の動作や態度に、それを裏書きするような微妙な変化を、ぼくははっきり感じていたのである。

 そしてあの夜の会話で一応けりがついていたにもかかわらず、三浦がその手紙を分隊士のところに持って行って、看護休暇を願いでたということも、わらを摑む気持であったのかも知れないが、思い詰めたことから出た放心状態のせいではなかったかとぼくは思うのだ。勿論(もちろん)これは分隊士によって却下された。看護休暇というものは、原住地の市町村長からの書類でなければ貰えないので、そのことは三浦にしても知らない筈はないのである。そしてそれは単に却下されただけでなく、分隊士から叱責されたらしいことも、ぼくは三浦の口ぶりから推察できた。それよりもなお悪かったのは、そのような手続きを班長を経ずして、直接分隊士にもって行ったということで、二三日後の夜の整列のとき、彼ひとり呼び出されて、ひどく制裁をうけたことであった。制裁をうける前、彼への叱責はずいぶん長かったから、その点なおのこと彼は辛かっただろうと思う。頭を垂れて聞いている彼の後姿は、ぶかぶかの服のなかで硬直しているらしく、掌はぴったり腿にくっつけていても、むざんにがくがくと慄えていた。そして毛をむしられた鶏のように惨めに、彼は太い棒片(ぼうぎれ)で尻を打たれたのである。

 その夜の莨盆で三人がおちあったとき、三浦は兵舎の壁によりかかって、身ぶるいを時々しながら、莨(たばこ)を喫っていたが、やはりこたえたと見えて口数は極めて少なかった。ぼくもなんとなく責任を感じるような気持もあるので、なにか慰めたいと思うのだが、うまい言葉がどうしても出なかった。それで国許へそっと手紙を出して、市長から電報打ってもらえばいいではないかと気安めみたいな言葉を三浦にむかって言いかけたら、三浦は顔をあげてさえぎるように口を開いた。

「そんなことしたって、間に合うもんかよ。逢いたければ、脱走するまでや」

 そばで莨をふみ消していた芝が、その時何故かぎょっと三浦の方を振りむいた。そして暗い眼の奥から、するどく三浦をみつめるらしかった。白けたような緊張がきて、三浦はふてくされたような仕草で莨を投げすてた。その時芝がいつもの低い声で、押しつけられたような調子で言った。

「脱走だって、脱走できるものか、お前に」

「やろうと思えばやるさ。何でもない」

「じゃ、どうやって逃げるんだ」

 三浦は返事をしなかった。黙ってかすかに身ぶるいをした。その姿に芝はじっと視線を定めたまま暫く経った。芝はふと視線を外(そ)らすと、今度はすこし早口になって突然口を開いた。それは三浦に言っているとも、ぼくに言っているともつかぬ、中途半端な切りだしかたであった。しかしその語調はおそろしく切迫した響きをふくんでいた。

「――もし俺が逃げるんだったらな、俺はこんな具合にやる。砲術科倉庫のわきから赤土の登り道があるだろう。あれを伝って裏山に入っちまうんだ。山は一本道だ――」

 芝はそこまで一気に言ってしまうと、そして一寸言葉を止めてためらうように首を振ったが、また思いなおしたように肩をそびやかして、今度は非常に綿密に考察された脱走の経路を、たまっているものを一遍にはきだしてしまうような口調でしゃべりだしたのである。それはぼくを驚かせるに充分であった。いつも無口な彼が、こんなに勢こんでしゃべることがあるなどとは、夢にも想像できなかったからである。そしてその内容も、行きあたりばったりの思い付きでなく、かねてから心の中で整理されているらしいことが、ぼくをおとろかせると同時に、ぼくの心をはげしくひっぱたいたのだ。芝が説明するその経路は、山のどの道をどう越えて向う側の町に行くとか、もちろん服装は途中のどこのあたりの農家あたりで変えてしまうとか、そしてその服装で何時何分の汽車の切符を買う、といった具合で、その駅の汽車の時間まで詳しく予定されていたのである。芝の口調はそしてだんだん憑(つ)かれたように熱を帯びてきはじめた。ぼくはそれを聞いているうちに、胸をしめつけられるような息苦しさがつのってきて、思わず顔を芝の方に近づけて行った。近づけると芝の眼は燃えるような光を帯びていて、それはあの殴られるときの眼付とすっかり同じであった。戦慄のようなものがぼくの背中をはしりぬけた。気がつくと、三浦も身体をのりだして、薄暗がりで動く芝の唇に見入っているのであった。三浦の体は服のなかで、絶えず小刻みにふるえているらしかった。そして芝はふいに言葉を途切(とぎ)らせて、ぼくらの顔をじっと見廻した。

「――で、おれならそういう具合だ」暫くして芝はそう言いながら事業服の袖でしきりに額をこするようにしながら、またもとの低い声になって沈痛に言いそえた。「しかし――俺は、逃げないんだ」

「お、おれも逃げやせんで」

 三浦もしばらくしてかすれた声でそう言った。その声はなにか脅えたような響きをもっていた。――

 その夜の吊床のなかでぼくは眠れないまま、いろいろなことを考えていた。看護休暇の件はもはや全然望みがないことを、三浦は今日ではっきり思い知った曹であった。そうだとすれは、地球に一度だけ近づいてまた永遠に飛び離れる彗星(すいせい)のように、彼の気持は実感として一度だけ故郷の方に傾き、そしてまた無理矢理に遠く隔てられたような形である。しかし人間の気持がそのように割切れたものであるかどうか。そう思うとぼくは、おれも逃げない、といった三浦の言葉がすぐに頭に浮んできた。あの声の脅えた調子の意味するものが、いま三浦の胸の中でどのような屈折を遂げているのだろう。そしてそれに対応して、芝にあの計画を組立てさせた情熱とは何だろう。脱走という言葉に刺戟されて、芝が心に秘めておくべきことを口に出してしまったというのも、かねてから計画だけは立ててみたものの、自分に実行する勇気がないことを、芝自身が歴然と知ったからではないのか。ぼくはそして、それをしゃべっている時の芝の、悲しみに燃えるような眼付を思いうかべた。そしてすぐ次に芝の声の調子を。それは甘く誘惑的なひびきに変って、ぼくの耳によみがえってきた。ぼくは意識の中に探りあてられる核のようなものを、ひとつひとつ潰して行きながら、脱走の経路をかねてから黙々と思いめぐらしていた芝よりも、それをはき出すようにしゃべってしまった芝の方が、もっとかなしいあり方なんだと考えた。あるいは脱走の欲望を自分ひとりの胸のうちで処理しきれなくなって、しゃべってしまうことでその欲望を散らそうと、芝の頭でその時そんな無意識の計画がはたらいたのかも知れなかった。しかしそうだと考えてみても、芝という男のかなしさがぼくの胸にひびいてくることは同じであった。この脱走の意図は芝の胸のなかで、何時はっきりした形をとり始めたのか。此の分隊での今までの日々のことが、継続してぼくの頭をかすめた。そしてこうした日々が未来へずっと灰色に伸びていることが、確かな実感としてぼくにその時重くのしかかってきた。その想念からのがれようとしてぼくが、吊床をきしませて寝がえりを打とうとした瞬間、ぼくは自分の胸の中に、芝がはき出した欲望の破片が、するどく突きささっていることを突然自覚した。ぼくはそのとき銀色の月明りの下で裏山へのぼって逃れて行く自分の姿を、はっきりと瞼のうらに思い描いていたのである。ぼくは思わず両掌で顔をおおって幽(かす)かな呻(うめ)き声を立てていた。――

 それから暫(しばら)くしてぼくはとろとろ眠ったらしかった。もやもやした悪夢がきれたりつながったりして、夜がしんしんと更けて行くようであった。耳のすぐそばで何か物がすれあうような微かな物音がして、その音でぼくはぼんやり眼をひらいたらしかった。夢をみていたせいで背筋にいっぱい汗をかいていて、気味わるく肌着がくっついていた。兵舎の硝子窓からつめたい月の光がななめにさし入っていた。ぼんやり暗い甲板に、となりの吊床から今三浦がすべり降りたところであった。空になった吊床がそのあおりでふらふらと揺れた。ぼくはそれを見ていた。そして頭の片すみでかんがえた。(便所に行くのかな?)

 しかしぼくはふしぎな力で摑まれたように、ぼんやり眼を見開いて三浦の影から視線をはなさないでいた。吊床がずらりとならんだ甲板はしんと静かで、夢のつづきを見ているような錯覚をぼくに起させた。半醒(せい)半眠のぼくの視野のなかで、三浦の影がひっそりとうごいて、跫音(あしおと)のしないように衣囊棚(いのうだな)の方にゆくらしい。月の光のなかに突然三浦の顔がうかび上った。そしてそれでぼくははっきりと眼が覚めた。浮び上ったその顔は硬く歪んでいて、月の光のせいかまっしろに見えたのだ。ふだんの三浦のかおとは少しちがっていた。ぼくはぼくの全意識が俄かにするどく冴えわたるのを覚えながら、凝然(ぎょうぜん)と身体をかたくした。

 ――衣嚢棚に何の用事があるのか?

 三浦の姿は窓で四角にきりとられた月光のなかから、ふと暗がりの方に消えた。その暗がりの底を白い事業服の背中が、音もなくくず折れるように低くなった。三浦はそこにしゃがんだらしかった。そして衣囊を引き出す音がかすかに聞えた。ぼくはぼくの心臓が烈しい音をたてて鳴り出すのを感じながら、引き寄せられるように視線をそこにそそいでいた。やがてほの白い姿がゆらいで、三浦はそっと立ち上ったらしかった。

 広い兵舎の甲板は、すべて眠りに入っていて、死んだように静かであった。そこにずらりと吊られた吊床の下をくぐって、三浦の姿が通路の方にでてゆくらしい。名状しがたい不安がぼくをぎゅっとしめつけてきて、ぼくは上半身を思わず起した。骨がぽきぽきと鳴るのがわかった。声を出そうと思うのだが、切なく心臓がひびくので、ぼくは咽喉(のど)の奥でわずかあえいだだけであった。火のようにあつい頭の一部分で、しかしぼくはこんなことも考えていたのだ。

(衣囊のなかから紙を出して、それで便所に行ったのかも知れない)

 突然背後で荒い呼吸遣いの音が、ふとぼくの耳をかすめたのだ。ぼくはぎくっとして頭をねじむけた。反対側の芝の吊床で、芝は毛布の中から首だけを立ててじっとしていた。蒼然とくらい吊床のなかで、芝の眼窩(がんか)はふかい陰影をつくつていて、どこを眺めているのか判らなかった。ただぜいぜいという呼吸音だけが、次第に早くなるらしかった。そしてその時通路をこっそり出てゆく三浦の靴音が、すこし乱れをみせながら、ぼくらの耳から遠ざかって行った。それはぼくらのひそかに保ちつづけていたひとつの欲望が、ぼくらの身辺から確実に遠ざかって行く音のように耳から消えて行った。

 

 翌朝になってやはり三浦がいないことが明かになって、部隊は大さわぎになった。ぼくと芝は隣り合せに寝ていたというわけで、分隊士などからいろいろ訊問(じんもん)されたけれども、ぼくらは全然知らなかったという一点ばりで押し通した。芝の顔は青くふくれていて、それもあきらかに寝不足のためであった。ぼくの顔もそんな風になっているらしかつた。

 朝食がすんで食器を烹水所(ほうすいじょ)に収めに行くとき、ぼくは芝と一緒になつた。ぼくらは変にだまりこくつて、重い食器を下げながら道をいそいだ。食器を収めるとすぐ課業整列のため兵舎に戻らねばならなかった。砲術科倉庫のそばを通りぬけるとき、ぼくはふとあることを思いついて、頭をそちらに向けた。倉庫のそばから赤土の上り道となり、その道はすぐ群れ立つ樹々の間に消えていたのである。ぼくは突然そこまで行ってみたい欲望に猛然とかられて、芝を呼びとめた。[やぶちゃん注:「烹水所」兵員烹炊所。一般には軍艦の台所をこう呼称する。]

「ちょっとあそこまで行ってみよう」

 芝はぎくりとしたようにぼくの指さす方を見たが、その限は暗くきらきらと光った。そしてぼくらは建物の狭い間際を通りぬけて、そこまで小走りに走って行った。

 道は山から流れる水のためにじとじと濡れていて、少し登ったところで迂回して山ふところに入るらしかった。ぼくらは道の入口のところに立ち止った。そこには申し訳みたいな門柱が立っていて、それがこの部隊と山とを隔てているわけであった。この山がいまひとりの三浦を呑んでいるのかも知れないことが、妙に実感としてぼくに来た。山がささやかな秘密を蔵している感じであった。赤土の道はその秘密のなかに濛然(もうぜん)と消えていた。

(しかし三浦は果してこの道をたどったのだろうか?)

 三浦が昨夜通路を出て行ってからも、ぼくは長い間眠らずに、彼が戻ってくるかも知れないという漠然たる期待で、全身の感覚を緊張させていたのだ。そしてその期待のうらに、三浦がこのまま逃げ終せてくれればいいという気持がするどく動いていたのを、ぼくは今判然と思い起していたのである。

「あ!」

 その時そばに佇立(ちょりつ)していた芝が、呼吸を引くような声を立てた。ぼくは芝の視線がそそがれている箇所に、はっと眼を走らせた。そこは道が一部分高まっていて、そこの濡れた赤土に靴のすべった痕がはつきりのこっていた。赤土がそこだけ滑らかに濡れていた。芝が見つめているのは、それではなかった。そこから二尺ほど離れたところに、軟かい赤土の上に、滑った男が印したのであろう、はっきりした掌の型がそのままの形で残っていたのである。五本の指が力をこめて開かれていて、指の先のところで土が凹みをつけてえぐられていた。それは本当の掌をみるより、もっと掌というものを感じさせた。掌につづく全身が、まざまざと想像された。それはあのぶかぶかの服をまとった、不具みたいな感じのする三浦の身体のイメイジであった。その掌の型と三浦の姿がぼくの想像のなかで、瞬時にしてぴたりとむすびついていたのである。

 芝がつかつかとそこに歩みよった。芝の顔は蒼ざめて硬ばっていた。そしてしゃがんで自分の掌をそこに押しつけた。掌型は芝の掌より、ひとまわり小さかった。赤土をえぐった指のあとは、女の指みたいに細かつた。芝はしゃがんだまま首をあげてぼくの顔をみた。

「――あいつの掌だ」

 無理に押し出したような声で、芝はそう言った。そして眼をおとすと、それを確かめでもするように、何度も何度も押しつけた。三浦の掌型はつぶれて、芝の掌型がそれに代った。芝はなおも力をこめて、えいえいと掌を押しつけた。そうすることによって、自分の気持を変えてしまうことが出来るかのように。執拗に、烈しく。

 ぼくはそのそばに立ちすくんだまま、芝の手がだんだん赤土色にまみれてゆくのを、そして芝の横顔がそれにつれてしたたか殺気を帯びてくるのを、凝然と眺めていたのである。

 

 三浦がうまく逃げ終せたのか、それとも捕まったか、それはぼくは知らない。なぜというと間もなくぼくは此の警備隊から他に転勤になったのだから。だから芝ともそこで別れた。芝ともその後逢(あ)わないから、どうなったのか判らない。

 ぼくは今でも時々かんがえる。今はおそらく社会人にもどったにちがいない二人が、どこかの町角あたりでばったり逢ったら、どういう光景がみられるだろう。しかしぼくの空想はそこで止ってしまう。それよりもぼくがもし、この二人に町角であったら、ぼくは虚心に手を振ってあいさつするだろうか。また知らぬふりして、ぼくはすれちがってしまうかも知れないのだ。それは何故そうするのかぼくは自分でも判らない。何故だかは判らないけれども、ぼくは此の二人の男を思いうかべると、身体の内側がぎゅっと収縮するようないやな感じに必ずおそわれる。奇怪な悪夢のような後味が、ぼくの胸にからみついてくるのだ。二人のことはぼくの心の中で、ぼくが生きて行く日を重ねるにつれて、ますます鮮明になって行くのだけれども。

 

2020/07/24

梅崎春生 長編 砂時計 電子化注一括縦書PDFサイト版 公開

こちらで分割公開した梅崎春生の長編「砂時計」の全電子化注をサイトでPDF縦書一括版として公開した。どうぞ、御ゆるりとお読みあれかし。

2020/07/22

梅崎春生 砂時計 29 / 砂時計~了

 

     29

 

 駅から夕陽養老院にいたる石ころ道を、栗山佐介は鞄と卓上ピアノを胸に抱き、びっこを引きながら歩いていた。空は明るく平和と栄光に満ち、樹立ちはあおあおと天を指して伸びていた。道ばたに簇生(そうせい)した雑草の花々に蝶や蜂が群れ、中空を時折つばめがしなやかに身をひるがえして飛翔(ひしょう)する。卓上ピアノは佐介のびっこの足並にしたがって、ぐるるんぐるるんと不機嫌な音を立てた。昨日よりもずっと音色がわるい。靴で蹴飛ばされ、堤の斜面をころがり落ちたせいで、木質部の接合がゆるみ、釘の頭さえ出ていたし、形そのものが総体的にすこし歪(ゆが)んでいた。音階も狂っているらしい。[やぶちゃん注:「簇生」「叢生」とも書く。草木などが群がり生えること。]

(堤をころがり落ちたくらいで、こんなにガタガタになるなんて)卓上ピアノを持ち換えながら佐介は思った。(だから日本品は駄目なんだ。世界の市場からボイコットを食うんだ)

 日の位置は正午をぐっと越していた。遠くで牛の鳴き声が聞え、また近くの林の中から、犬が何匹も厭な声で鳴き立てながら、街道を横切って走って行った。さっき上水路に辷り落ちそうになったことも忘れて、佐介はのんびりと口笛を吹いていた。口笛のつもりでも、唇の形が悪いので、それは音となっては出ない。やがて夕陽養老院の鉄の正門が近づいてきた。

「お腹(なか)がすいたな」口笛を中止して佐介は呟(つぶ)いた。「そうだ。今日は経営者会議だったな。木見婆さんが俺のために、御馳走の残りを取って置いてくれるといいんだがな。しかしあの婆、ふくぶくしい格好はしているが、見かけによらず全然親切げのない婆さんだからなあ。あの木見婆さん」

「木見婆さん」

 調理室の半開きの扉から、松木第五郎爺の顔がそっとあらわれて、押し殺したような声で呼びかけた。焼き終えた鰻(うなぎ)を折りに詰めつつあった木見婆は、ぎょっとそちらに振り向いた。松木爺の顔が歯の抜けた口をひらいてにやにやわらっている。「入ってもいいか」

 木見婆は折詰めの作業を継続しながら、入ってもいい、という身振りを黙ってしてみせた。松木爺はすばやく調理室に飛び込んで、用心深く扉をしめた。そして調理台に近づいた。

「ふん。ウナギか」松木爺は見下げ果てたような高慢ちきな声を出した。「折詰めと来たな。ふん、そうか。お土産か」

「ねえ、ニラ爺さんはどこにかくれている?」作業の手を休めないまま、木見婆は哀願的な声を出した。「もう見付かったの?」

「知らないね」松木爺は鰻に向って鼻翼を動かした。「まだだろう」

「ねえ、ニラ爺はどんなことをしゃべったのさ」木見婆は肥った軀(からだ)を切なげにくねらした。「そして、聞いたのはあんただけ?」

「ずいぶん御心配だね」松木爺ははぐらかした。「心配することはないよ。おれたち、黙っててやるからな」

「おれたち?」木見婆は顔色を変えた。「あんたひとりにしゃべったんじゃないんだね。あのニラの糞爺!」

「昨夜の会議が遅かっただろう。だからおれたちは寝不足で、とても疲労している」松木爺はおもむろに本題に入った。「疲労回復には糖分摂取が第一だな。おれたちはこの数ヵ月というものは、汁粉という名の食物を一度も口にしたことがない。婆さんもこしらえたことがないだろう」

「院長先生がニラ爺さんを呼んで来いとおっしゃるんだよ」木見婆は苦しそうにばたばたと足踏みをした。「もう何か院長先生の耳に届いたんじゃないかしら。だからそれを確かめるために、ニラ爺を呼んで来いとおっしゃったんじゃないかしら」

「なに。院長がニラ爺を?」松木爺はいぶかしげに木見婆を見た。「そりゃおかしいな。聞き捨てにならんぞ。何時のことだ」

「何時だったかしら」今度は木見婆が質問をはぐらかした。院長から口止めされていることをふっと思い出したのだ。「な、なにを食べたいと言うの。汁粉という名の食物をかい?」

「おい!」松木爺は猿臂(えんぴ)を伸ばして、木見婆の肩をぎゅっとつかんだ。「ニラ爺を呼べと院長が言ったのは、会議の席上でか。それともそれ以外の場所でか?」[やぶちゃん注:「猿臂」猿の腕。転じて、そのように長い腕。]

「痛いよ!」木見婆は顔をしかめ、勢いを込めて松木爺の掌を肩から振り放した。「痛いじゃないか。いきなり人の肩をつかんだりしてさ。助平!」

「助平?」松木爺は失笑した。「そんなせりふは若い娘が言うことだ。六十にもなって、うぬぼれもはなはだしいよ。それよりも院長は、ニラ爺のことを何と言ってた?」

「うぬぼれで悪かったね。イイだ」木見婆は顎(あご)を憎々しげに突き出して、両掌をパンパンと打ち合わせた。折詰め製作をすっかり完了してしまったのだ。「そんなこと、教えてやらないよ。こちらが何か訊ねると、はぐらかしてろくすっぽ教えないくせに、白分の都合となると、しつこく聞きたがる。何て身勝手な爺さんだろう」

「そ、そんなことを言っていいのか、お前」

「お前?」木見婆はその呼称で自尊心をぐっと傷つけられたらしく、顔色を変えた。「お前。お前とは何だよ。お前呼ばわりされる覚えはあたしにゃないよ。あたしゃあね、これでも自分で働き、自分の力で食ってんだよ。養老院に放り込まれ、お情けで食わして貰っているヨタヨタ爺とは違うんだ」

「なに。ヨタヨタ爺とは何だ!」松木爺はたまりかねたように拳固をかためて振り上げた。「お情けで食わせて貰ってるとは、何という言い種(ぐさ)だ。よし、お前がそういう気持なら、おれにも考えがある。おれは今直ぐにでもお前のことを、あらいざらい院長に……」

 木見婆は身構えたまま、松木爺は拳固を振り上げたまま、はたと絶句した。調理室の扉が外からコツコツと叩かれたからだ。二人は一斉に扉を見、そして黙って顔を見合わせた。そして松木爺はふり上げた拳固をへなへなとおろし、かくれ場所を求めるように忙がしく視線を動かした。ノブがぎぎっと回された。木見婆がするどく叫んだ。

「誰?」

「なんだ。鍵がかかってないのか」扉が開かれて声がはっきり飛び込んできた。「僕だよ。栗山だよ。ああ、おなかがすいた」

 栗山佐介は皮鞄と卓上ピアノを窮屈そうに抱きかかえ、びっこを引きながら調理室に入ってきた。ふと立ち止って、不審げな視線を松木爺に向けた。松木爺はすっかり困惑して、あざらしのように顔をあてどなく左右に動かした。木見婆は頰をふくらませて手早く折詰めを五つ積み重ねた。

「木見婆さん。何か食べるものないかね」佐介は荷物を米櫃(こめびつ)の上に置きながら言った。「僕はおなかが。ヘコペコだよ」

「何もないよ。お茶漬けでも食べな」木見婆はつっけんどんに答えた。腹立ちがまだ続いていたし、それに彼女はこの栗山書記をあまり高くは買っていなかった。「それは何だい。そのごろりんしゃん」

「卓上ピアノだよ」佐介は丼をとり大釜の方に歩きながら答えた。「もう会議は始まってるのかい?」

「もう終りかかってるよ。あんたの来ようが遅いんで、院長先生カンカンになってるわよ」

「だって僕、膝をネンザしたんだよ」飯をよそう手を休めて、佐介は不審げに松木爺の顔を見た。「はて、ここは在院者の立入禁止地区じゃなかったかな」

「そうなんだよ」木見婆は両手で折詰めをかかえ上げ、とげとげしく言った。「立入禁止だと言うのに、この爺さん、無理矢理に押し入って来たんだよ。図々しい」

「入ってもいいと言ったじゃないか」松木爺はふたたび勃然(ぼつぜん)といきどおって、両方の掌が自然に拳固の形になった。[やぶちゃん注:「勃然」突然に起こり立つさま。或いは、顔色を変えて怒るさま。むっとするさま。]

「入っていいという格好をしたから、俺はよんどころなく入って来たんだ。図々しいとはどちらのことか」

「まあまあ」両方の剣幕が意外にもはげしいので、佐介はびっくりしてとりなした。「まあそれはどちらでもいいよ。僕は別段とがめてやしないんだ。でも、院長に見付かるとまずいから、松木爺さんも早いとこ出て行った方がいいな」

「出ればいいんだろう、出れば」松木爺はくるりと背を向けた。「木見婆。ニラ爺の件で後悔するなよ!」

 松木爺は捨ぜりふを残し、扉をパンと開き放したまま、肩をいからせて廊下に出て行った。

「ニラ爺さんがどうかしたのかね?」佐介はきょとんとした顔で木見婆に訊ねた。ニラ爺の件とは何だろう。リヤカーのことか?」

「ニラ爺さんの姿が今朝から見えないんだよ」木見婆はとぼけてごまかした。「悪者にでもさらわれたんじゃないかしら」

「そうかも知れないね。とっ拍子もない爺さんだからね」佐介は丼飯に茶をざぶざぶとかけ、木椅子にちょこなんと腰をおろして冗談めかした口をきいた。「悪者どもにかどわかされ、押入れか何かに幽閉され、今頃は嘆き悲しんでるかも知れないな」

 しかしニラ爺は、幽閉されてはいたものの、嘆き悲しんではいなかった。悲しむかわりに怒っていた。その怒りはニラ爺の置かれた位置において、発散されることなく、刻刻と蓄積されつつあった。煙爺も同様であった。ぐしょぐしょにしめった古書類の上にあぐらをかき、両老人は耳を猟犬のようにそばだて、眼をきらきらと光らせて怒っていた。板戸ひとつ隔てた院長室では、さきほどからの論議の中心であった院長の責任割当が、やっと妥協点に到達していたのだ。二瓶のウィスキーはすっかり空になり、それらは分散されて六人の男女の腹中に入り、各人の額や頰や顎をあかく染めていた。菓子屋の眼はとろけかかっていたし、女金貸の動作はじだらくになっていたし、黒須院長にいたってはさながら赤インクをすっぽり浴びた巨大な海坊主であった。その赤い海坊主は咽喉(のど)までのぞけるほどの大口をあけて、ここちよげに哄笑(こうしょう)した。

「やっと折り合いましたな」笑いを収めて院長は会議録を開いた。「毎月二人宛か。これじゃわたしもたいへんだな。よっぽど努力しなくちゃ責任額が達せられないぞ」

「その代り二人以上殺したら」と女金貸がくねくねと身体をよじらせた。「一人当り二万円の手当がつくんじゃないの。いい身分ねえ。あたしが院長になりたいくらいだわ」

「そのかわりに二人に達しない場合には」院長は会議録にゴシゴシ書きつけながら答えた。「一人当り二万円ずつの割合で、月給から差引かれるんですからな。一人も死ななきゃ、わたしはその月は手弁当で働くということになる。大へんなサービスだ」

「だから今までみたいな行き当りばったりな方針をやめて」教授がずり落ちかかった鼻眼鏡の位置を正し、重々しく訓戒した。「組織的、かつ計画的に運営して行かねばならんよ。それが院長の幸福であり、ひいては我々の幸福となるんだ。こんな狭い国土ではだね、誰かが幸福になるためには、その分だけ誰かが不幸にならざるを得ない。他人の不幸をこいねがうことは、とりもなおさず自分の幸福をこいねがうことになるのだ。老いたる物質に不幸が皺(しわ)寄せになるのは、まあ止むを得ないことだし、当然のことでもある。しっかりやるんだな、院長」

 扉がことことと叩かれて、折詰めをかかえた木見婆がえっさえっさと入ってきた。教授は口をつぐんだ。木見婆は折詰めを卓上に、各自の前に並べ始めた。

「ニラ爺さんはまだか」院長が訊ねた。「何をしているんだね?」

「どこにいるのか見当らないのです」そして木見婆は思い余ったように院長に反問した。「一体ニラ爺さんに、どんな用事がおありになるのでしょうか?」

「ちょっと訊ねたいことがあるのだ」院長は自分のあから顔を掌でぶるんとこすった。「当院にはたいへん悪い奴がいる。それについて聞きたいのだ」

「悪い奴?」

 木見婆はぎくっと肩を慄わせて院長の顔を見た。院長の眼はとろんと好色的にうるんで、女金貸のふくよかな二の腕にそそがれていた。その腕も酔いのために桃色に染まっているのだ。そのままの姿勢で院長は大きくうなずいた。「そうだ。悪がしこい奴だ」

 木見婆の心臓はどきんと波打った。彼女はそのまま二三歩後退し、丁寧に頭を下げながらやっとのことで言った。

「もう用事はございませんか」

「もう用事はない」院長が掌を振った。「下ってもよろしい」

 何気ない院長のその言葉は、最後の宣告のように木見婆に響いた。木見婆はぶったおれそうな気分になり、扉を排して廊下に出た。よたよたと階段を降り始めた。教授が待ちかねたように口を開いた。

「在院者の回転率を高めるためにはだね、タイル張りのような物理的方法より、やはり化学的方法に重点を置くべきだと僕は思う。たとえば先ほどの黄変米の件だがね、あれを飯にたきこんで、一律に皆に食べさせるのは、あまり効果的な方法ではない」

「と申しますと?」

「たとえばだね、黄変米の中で、イスランジャ黄変米というやつは、これは人間の肝臓をおかす」教授は自分の肝臓の上を掌で押えた。「だから当院でも、肝臓の悪い人を集めて、これを食べさせるようにしたがよかろう。それからタイ国黄変米、これはもっぱら心臓や腎臓の障害をおこさせるな。だからこれは、心臓や腎臓の弱まった在院者にあてがうと効果的だ。そういう風に、黄変米と言っても、いろんな種類があるのだから、その種類に応じて医学的臨床的に使用することが大切だ。そうしないと、月二人は無理かも知れないよ。院長。当院在院者の健康診断簿はととのっているか」

「一応ととのってはいますが」院長は禿頭を押えて恐縮した。「なにしろ俵君は犬猫専門で、人間の方は専門ではありませんので」

「やはり人間専門の医者に変えるべきだねえ」食堂主が主張した。「獣医じゃ仕方がないし、それにあの俵医師はあまり当院に熱心でないようだからさ」

 木見婆は力無く肩をおとして、ふらふらと調理室に戻ってきた。二杯目の茶漬をかっこんでいる栗山佐介に眼もくれず、調理室のすみの戸棚の前に立ち、引出しから私物の大きな風呂敷をとり出して、そそくさとエプロンを外した。

「どうしたんだね」佐介はいぶかしく訊ねた。「顔色が悪いよ。病気じゃないのか」

「あたしゃもうここで働くのがイヤになったよ」木見婆は投げ出すように答えた。「もう辞(や)めちまおうかしら」

「辞めちまいなよ」佐介は冷淡に答えて、茶漬の残りをざぶざぶとかきこみ、ぎくしゃくと立ち上った。「さあ、院長室に出勤するかな」

「部屋割り変更の件ですが」院長は空瓶を卓の下に片付けながら説明した。「当院では年に一回部屋替えを行う。それもくじ引きによってです。今年はその期日は過ぎているのですが、わたしはわたしの考えがあって、わざとそれを引延ばしているのです」

「それは好都合だったな」と運送屋が言った。「じゃ先生の提案のような具合にして、部屋替えをやればいいな」

「先ず人間の医者を雇って来ることね」と女金貸。「そして早急に全員の綿密な健康診断をやることね。近頃、人間ドック入りというのが、あちこちで流行しているらしいわよ」

「そう、そう」食堂主が相槌を打った。「わたしも近いうちにそれに入ろうかと考えているんだ」

「しかし在院者にそれを感づかれてはまずいよ」教授が言った。「肝臓の悪い者は悪い者同士、心臓は心臓、胃腸は胃腸、卒中体質は卒中体質と、各グループにわけて部屋割りを行うんだ。そして、各グループによって、食事の種類をかえる。たとえば卒中体質グループなどには、酒煙草の特別支給を考慮してもいいな。肝臓グループにはイスランジャ黄変米のヤキ飯などだ。なに、政府が大がかりでまた大ざっぱにやっていることを、僕たちはこぢんまりと計画的にやってみるだけの話さ。ははは」

「誰だ。はいれ」黒須院長が大声を出した。扉がまたコツコツと鳴ったのだ。「韮山爺さんか?」

「僕です」扉のすき間から佐介がぽっこりと顔を出した。

「栗山書記です。いささか遅刻しました」

「なにがいささかだ!」院長は眉を吊り上げて、不興気にはき出した。「いささかということは、ちょっとと言うことだ。見ろ、会議は終りかけてるじゃないか」

「膝にネンザが起きたので、接骨医に行ってたのです」鞄と卓上ピアノをかかえて、佐介は恐縮した表情でびっこを引き引き入ってきた。「診断書をお見せしましょうか」

「診断書なんかいらん!」院長は怒鳴った。「もう君には、何も要求しないよ」

「まあまあ、おだやかに」と女金貸がなまめかしくとりなした。「ネンザなら仕方がないじゃないの。ねえ、書記さん。どうしたの。ころんだの?」

「ええ。犬に追っかけられて」佐介は習慣的なうそをついた。「僕は、もともところびやすく出来ているもんですから」

「そうでしょうねえ」女金貸は同情した。「書記さんはまったく頭でっかちだものねえ」

「ころびやすいのはまとめて」運送屋が本題に戻った。「二階の部屋に割当てるといいね。階段の登り降りということがあるから」

「水爆マグロなんか惜しいことをしましたな」食堂主が膝を叩いて口惜しがった。「魚河岸(うおがし)にわたしの従弟が勤めていてね、そいつに頼めばガイガーカウンターで調べる前のマグロを、都合して呉れたかも知れない。そしてそれを当院用に回せたのになあ」

「水燥マグロは、今は入荷してないのかい?」

「入荷してるかも知れないが」と食堂主。「昨年暮で政府は検査を中止してしまったんだ。だからどれが水爆マグロで、どれがふつうのマグロだか、見分けがつかないんだよ、険呑(けんのん)なことだ」

「どういう体質や病気に」教授がまたしても腕時計をのぞいた。「どういう食物が悪いか。その精密な一覧表を、来月の会議までに、院長は人間医者と相談して作成して呉れ。部屋割りとか、具体的な食事給与の方法については、どうしますか。今日ここでやりますか。それとも来月に――」

「来月だ」

「来月だ」

「来月ね」

「では、時間も来たようだし、今日の月例会議はこれで終ります」と教授が宣言した。「とにかくこういう事業を運営するには、人の和ということが大切です。われわれ経営者はもちろんのこと、院長との連絡、院長と部下、職員や書記や調理人にいたるまで、緊密に団結してことに当らねばならん。そうしないととても九十九名を相手として運営しては行けない。院長。部下の統率掌握という点には、ぬかりはないだろうな」

「そ、それは大丈夫です」院長は大げさに胸をどんと叩いた。「調理人の末々にいたるまでわたしにすっかり心服しています」

「木見婆さんが辞めたいと言っていましたよ」書記卓から佐介がうっかりと口を辷らした。「どういうわけですか、もうこんなところはイヤだって」

「なに?」院長は朱面をかり立てて佐介をにらみつけた。「いらざることに口を出すな。何も知らないくせに!」

「さあ、出かけるか」食堂主が立ち上りながら、居眠りをしている菓子屋をはげしく揺り起した。「おい、会議は終ったんだよ」

「え、なに、ああ、そうか」菓子屋は眼をぱちぱちさせながら口の端のよだれを拭いた。「僕のウナギはどれだ?」

 経営者たちはそれぞれ立ち上り、上着を着け、おのおの折詰めをぶら下げた。院長はすばやく入口の方にかけて行き、侍従のようにうやうやしく扉を押し開いた。教授を先頭に、五人の男女はぞろぞろと廊下に流れ出た。院長もそのあとにくっついて、階段を三四段降りかけたが、たちまち飛鳥のように階段をかけ登り、勢い込んで院長室にまい戻ってきた。書記卓の栗山佐介の前にいきなり立ちふさがった。

「もう君は今日限り、当院に出勤して来なくてよろしい。私物をまとめて帰って呉れたまえ」

「え。クビですか?」佐介はびっくりして院長の顔を見た。

「でも、僕がいないと、いろいろ当院の事務に支障……」

「後釜には女秘書がやってくることになっている」院長は怒りを押えて無理ににやりとわらった。「電報を打っても出て来ないし、出て来たと思うと、いらざることに口を出すし」

「昨晩は僕の方にも都合がありまして――」

 院長はその弁解を聞かず、くるりと身をひるがえして、経営者たちのあとを追って階段をどどどどとかけ降りた。経営者たちの群はおのおの折詰めをぶら下げ、すでに玄関を出て、陽光の玉砂利道を正門の方にゆるゆると進みつつあった。彼等の後ろ姿を見送るべく院長は笑いで頰を引きつらせながら、玄関の石畳のとば口に立ち止った。(今日はきゃつ等にも相当点数をかせがれたな)と院長は考えた。(ウィスキー戦術もあるいは逆効果だったかも知れないぞ)院長の頭上、バルコニーの端をかすめて、つばめが一羽すばらしい速度で飛んだ。その時院長室の書類戸棚が内側からがたごとと開かれて、煙爺とニラ爺がごそごそと這い出してきた。栗山佐介はぎょっとして書記卓の前に棒立ちになった。両老人の顔は憤怒と疲労と空腹のために、険(けわ)しい色にくまどられ、眼はにじみ出た涙や目やにのためにきらきらとかがやいていた。うしろめたい緊迫感と驚愕が佐介の身体を棒立ちのまま動けなくした。

「ど、どうして、そ、そんなところに」佐介の舌はもつれた。「這入ってたんです?」

「聞いたぞ」煙爺が腰をさすりながら低い声で言った。

「何もかも聞いたぞ?」

「お前たちの相談を」ニラ爺はかすれた声でわらった。

「すっかり聞いてやったぞ。ヒ、ヒ、ヒ」

「ぼ、ぼくは今来たばかりなんだ」弁解にならぬ弁解を佐介はした。「来たとたんにクビになってさ。何が何だかさっぱり判らないんだ」

 両老人はじりじりと書記卓に近づいてきた。長時間戸棚の中にちぢこまっていたので、二人とも足がしびれているらしく、その動作は緩慢であった。佐介は身体を固くして二人の動きをじっと見守っていた。しかし二老人はただ無意味に動いているだけで、どうしたら自分の感情を動きに移せるか、判っていないように見えた。ニラ爺の手が偶然に書記卓の卓上ピアノに触れ、さげすむような声を出した。

「なんや。これ、オルガンか?」

「ピアノだよ」佐介はおとなしく答えた。「あんたに上げるよ。そのつもりで持って来たんだ」

「またこれにも、たくらみがあるんじゃなかろうな」煙爺が佐介をきっとにらんだ。「全く油断もすきもないからな。強化米だとばかり思っていたら、黄変米だと来やがる。ニラ爺さんにそれを弾かせて、皆を神経衰弱にしようという仕組みだろう」

「そ、そんなことはないよ」

 ニラ爺は卓上ピアノから手を放したが、また直ぐに抱き上げて、何を思ったかふらふらとバルコニーの方に動き出した。開かれた窓からさわやかな空気が流れ入ってきた。煙爺は両手を上げて深呼吸をしながら、いらだたしげな足どりでそのあとにつづいた。バルコニーの上からは、あおあおと茂った院内菜園が見え、鈍(にび)色の鉄の正門が見え、かなた駅に至る一筋の石ころ道が見えた。その石ころ道を経営者たちの一行が小さく歩いていた。その右手にあたる雑木林の中から、大小数匹のよごれた犬がのそのそと這い出し、いやな声で啼き立てながら、こもごも入り乱れて石ころ道に走って来た。最初に悲鳴をあげたのは、一行の最後尾を歩いていた女金貸であった。

「犬が!」彼女は走り出そうとしたが、石ころにハイヒールの踵(かかと)をとられてよろめいた。「あっ、たすけてえ!」

 四人の男はぎょっとして振り向いた。よろめいた女金貸の折詰めを、大きな灰色の犬が濡れた鼻先を近づけてくんくんと嗅いだ。脚の短い小さな犬は金貸の背後に回り、そのふくよかな腰のあたりをくんくんと嗅ぎ回った。教授が叱咜するように言った。

「悲鳴を上げるんじゃない。そんな声を出すと、ますます犬からバカにされるんだ!」

 女金貸は大急ぎで眼の色をかえて起き上った。犬たちは二三歩後退した。眼の色を変えているのは彼女だけでなく、四人の男たちもすっかり変っていた。なかんずく恐怖で眼を青くしていた食堂主は、その肥った躰[やぶちゃん注:「からだ」。]にはずみをつけて、いきなりかけ出そうとした。教授が大声で叱りつけた。

「走るな! 走るとガブリと嚙みつかれるぞ。ふつうの歩調で歩くんだ」

「自分のことばかりを考えるな!」運送屋が必死に怒鳴った。しかしその運送屋も声がうわずって、足どりもすこし早くなっていた。「落着け。落着いて、かたまって歩け。犬になめられるな!」

「アレエ!」

 女金貸はふたたび絶叫して、鰻(うなぎ)の折詰めを手から放した。灰色犬がガブリと折詰めを嚙んで引っぱったのだ。犬たちはたちまち折詰めにたかり、押し合いへし合い、低くうなり合って牙を鳴らした。折詰めはただちにばらばらに分解され、犬たちは舌を鳴らして鰻の白焼きをむさぼり食い始めた。女金貸は小走りで一行に追い付いた。

「落着いて、ゆっくり歩け!」運送屋がふたたびうわずった声で注意した。「俺もビルマ俄線で野犬に後追いされたが、走っちゃダメだぞ。走ったとたんに飛びかかられるぞ。粛々(しゅくしゅく)と歩け!」

「狂犬じゃないかしら」女金貸が半分泣き声で言った。「狂犬だったらどうしましょう」

「不吉なことを言うな」菓子屋が慄えながら歩を早めた。

「ああ、神様!」

「ははは、犬にたかられてるな」玄関のとば口で背伸びしながら、院長がたのしげにひとりごとを言った。「二人や三人嚙みつかれた方がいいよ。だいたい経営者にはウルサ型が多過ぎるからな」

「折詰めなんかぶら下げてるもんだから」バルコニーの上で小手をかざしたまま、佐介はにこにことニラ爺をかえりみた。「犬から、うようよたかられているよ」

 ニラ爺は沈黙していた。沈黙したまま、バルコニーから半身乗り出して、真下をじっと見おろしていた。その真下には、開き切った向日葵(ひまわり)の花のような形で、黒須院長の禿頭があった。ニラ爺は手にした卓上ピアノを、ねらいをつけて、バルコニーからぐっと差し出した。そのまま手を放した。風圧を鍵盤(キイ)に受けて、卓上ピアノは微妙なメロディを奏しながら、まっすぐに大地めがけて落下し、院長の肩をわずかかすめて、めちゃめちゃな音響と共に石畳の角にぶつかった。声にならない声を立てて本能的に腰を曲げた院長の禿頭に、一本の小さな釘をともなった木質部の破片が、まるでねらいをつけたかのようにするどく飛びかかった。釘は禿頭にぐさりと突きささり、木の破片は釘にとめられてそのまま額にぶら下った。院長は頭を押えて、大声でわめいた。

「ああ、誰か、誰か来てくれ!」

 院長は玄関に逃げこみながら力をこめて釘を引き抜いた。引き抜かれた穴から、アルコール分を若干含有した鮮血がどくどくと流れ出て、院長の掌やこめかみや頰をべっとりと濡らした。院長は顔色を変えた。電球のガラスの針で脳天を突き刺し、そして死んでしまった父親のことを、パッと思い出したのだ。院長は追いつめられた鼠のような顔になり、忙しく左右を見回し、あえぐような声を出した。

「ああ、誰か来て呉れ。俵医師、いや俵じゃダメだ。木見婆さん。木見婆さん!」

 木見婆は私物や米やカンヅメを大風呂敷に包みこみ、すでに夕陽養老院の建物を離れ、小走りで裏門の方にかけていた。行きがけの駄賃に、米やカンヅメ類を欲張って押し込んだので、その風呂敷包みの重みで、木見婆の走り方はまるで泥酔者のそれであった。ニラ爺はバルコニーから院長室へかけこみ、廊下に飛び出して階段を大急ぎでかけ降りた。どこに行くというあてもなく、ニラ爺は顔中を汗と涙だらけにしながら、大声を上げて階下の廊下を走っていた。煙爺もあてもなくそれにつづいて走った。院長はふたたび玉砂利道に飛び出し、頭を両掌で押え、玉砂利を蹴散らしながら、鼠花火のようにそこらを無目的にかけ回っていた。経営者たちはてんでに折詰めを道ばたに投げ捨て、走るな、走るな、とお互いを牽制(けんせい)し合いながら、競歩の選手のように足を突張って駅に急いでいた。競歩と言うにはそれは規約を無視し過ぎていて、やはりそれは一種の疾走であった。犬たちは折詰めにたかってはそれを食べ尽し、また疾走する経営者たちのあとを追って走った。走ったりよろめいたりかけ回ったりしている人間や犬たちに、晩春の陽光はうらうらとさしわたり、さわやかな大気を切って紫黒色のつばめが飛んだ。つばめの尻尾は翅(はね)とともに長く、しゃれた形に分岐していて、それを自在に操作しながら方向を変えた。人間はとてもこういう具合に身軽には行かない。

 

[やぶちゃん注:以上を以って本篇「砂時計」は終わっている。]

梅崎春生 砂時計 28

 

     28

 

 東寮階下のどんづまりの部屋では、各爺さんがそれぞれ昼食を済ませ、それぞれ食後のいこいをとっていた。長老の遊佐爺は肱(ひじ)まくらでかるい午睡をとっていたし、滝川爺と柿本爺は手製の将棋盤で将棋をさしていた。松木爺は輪番制の畠仕事をさぼって、鋏(はさみ)でチョキチョキと足の爪を切っていた。午後の陽光はこの部屋にもななめに射し入っている。やがて松木爺は爪をすっかり切り終え、鋏を投げ出して大きな欠伸(あくび)をした。

「さて」欠伸を閉じて松木爺はひとりごとめかして言った。「も一度ニラ爺でも探しに出かけるかな」

 誰もそれに返事をしなかった。松木爺はふらふらと立ち上った。

 木見婆は空の岡持を提(さ)げて、ふらふらと中央大階段を降りてきた。すると廊下の向うからふらふらと歩いてくる甲斐爺、森爺の姿を認めたので、木見婆はぎくっと身体を緊張させ、急ぎ足になってその両爺に近づいて行った。

「まだ見付からないのかい?」木見婆は早口で訊ねた。

「まだ?」

「まだなんだよ」甲斐爺がしょんぼりと答えた。一体どこにかくれやがったのか。木見婆さんは心当りないか」

「あるわけないよ」そして木見婆は声を強めた。「もし見付けたらね、何はさしおいてもあたしのとこに飛んで来るようにと、そう伝言してお呉れよ。ほんとに大事な用事があるんだからさ。きっとよ」

「わかったよ」と森爺が答えた。「そのかわり、あんたが見付けたら、直ぐに知らしとくれよな。その岡持は何だい?」

「院長室で今会議をやってんだよ。それに料理を運ぶのさ」

「どんな料理?」と両爺は眼をかがやかせ唾をのみこみながら訊ねた。

「それは焼魚とか、きんとんとか」と、木見婆は答えた。「茶碗むしとか、いろいろさ」

「残飯費運搬費の値下げ、院内菜園のことなんかは、経営の本筋から言えば、末の末のことだ」気取った手付きで茶碗むしの蓋を取りながら教授が重々しく言った。「経営方法の大宗は、在院者を次々回転させるにある。電車会社の経営と同じだ。降りる人があってこそ、次々に人が乗ってくるのだ。乗りっぱなしにされては、経営が成り立たないよ。だから我々も枝葉末節を論ずることをやめて、大宗を論じなくてはならん。近時の当院の不振も、死ぬべき人が死んで呉れないという点に最大の原因がある。如何にして在院者の回転率を高めるべきか」[やぶちゃん注:「大宗」は「たいそう」は「物事の初め・おおもと」或いは「大部分・おおかた」の意。]

「そうだ。そうだ」と食堂主が賛意を表した。「わたしんちでも、卓に坐りっぱなしで、一日中かかってゆっくり食べられては、やり切れんものな」

「どうして近頃」と運送屋が小首をかたむけた。「皆死ななくなったんだろうなあ」

「やり方も悪いんだよ」と菓子屋。「院長の怠慢だ」

「いっそのこと」女金貸が手を上げて言った。「院長の責任制ということにしたらどう?」

「責任制?」

「割当制のことよ」女金貸は院長の方に向き直った。「今在院者は、九十九人、だったわね」

「そうです」

「すると、一ヵ月に三人死ぬ」と女金貸は指を折って数えた。「全部入れ替わるのに、三十三ヵ月、すなわち二年と九ヵ月かかるわけね。四人だと、ええ、約二十五ヵ月か」

「そう」教授がうなずいた。「二年と一月だ。商売柄だけあって、計算は正確だね」

「一ヵ月三人というところでどう?」女金貸は一座を見回した。「一ヵ月三人を院長の責任額にするのよ。三人に足りない場合は、院長の月給から比例して相当額を差し引く。三人以上死んだ場合は、もちろんその分だけ院長に手当を出す。そうすれば院長も仕事に励みが出るでしょう」

「それはいい考えだ」と運送屋が卓をたたいて賛成した。

「三人死ぬと、新入りが三人で三十万円か。適当なところだね。院長、一月に三人殺すのは、わけないだろうね」

「飛んでもない」院長はまっかになり、眉をびくびく動かして掌を振った。「一月三人もわたしが殺すなんて、そんな無茶な、非常識な――」

「殺すというから具合が悪い」教授がたしなめた。「死なしめて上げるんだよ。さっきも院長は言ったではないか。老人は死ぬために生きているって。つまり老朽物質を、無に帰させるわけだね」

「そ、それはそうですが――」

「死なしめて上げるって、精神的にこいねがっているだけではダメだ」教授はあかくなった額をゴシゴシと搔(か)いた。「こういうことは組織的に、計画的にやらんといけないな。行き当りばったりじゃ困る」

「そうよ」女金貸が勢い込んだ声を出した。「この間の風呂のタイル張りの件だって、行き当りばったりよ。辷って死んだのは、たった一人じゃないの。あのタイルの張り替えはいくらかかったの?」

「六万円です」と院長が帳簿を開きながら答えた。「そして直ちに林爺さんが辷って死んで呉れたので新入者が十万円持って入ってきました。すなわち差引き四万円……」

「ちょいと待った」運送屋が口を入れた。「その算術はおかしいぞ。死んだ林爺さんは満八十歳だったな。するとタイルで辷らないでも、いずれ何かの原因で遠からず死ぬべき状態にあったわけだ。それをかんたんに引き算で片付けようなんて――」

「しかし」院長は禿頭をふり立てて抗弁した。「今までのところは一人ですが、これから先、タイルが張ってある限り、何人もが辷って後頭部を打つでしょう。それをこいねがってわたしは、石鹸だけは爺さんたちに潤沢(じゅんたく)に配給してある」

「そう都合よく行くものか。鼠だって捕鼠器に一匹かかれば、あとは用心してかからなくなるよ。ましてこれは人間だ」

「六万円とは金をかけ過ぎたよ」と菓子屋。「ひっくりかえすには、廊下や階段に臘(ろう)[やぶちゃん注:漢字はママ。「蠟」の誤字か誤植。後も同じ。]を塗りたくった方が、はるかに安上りで効果的だったんじゃないか」

「しかし院長たるわたくしが、深夜ごそごそと床に臘を塗り回っている現場を、爺さんたちに見られたら具合が悪いですよ」と院長は言った。「それに廊下や階段に塗りたくって、爺さんたちでなく、あなた方が引っくり返ったらどうします?」

「そいつはごめんだ。桑原、桑原」食堂主は首をちぢめた。「わたしや近頃血圧が高いんだよ。頭を打ったらそれっきりだ」

「そうでしょう」院長は鼻翼をふくらませた。「わたしだって辷り転びたくない」

「黄変米の方はどうなってる?」教授が質問した。「継続して投与しているかね?」

「僕が毎月納入していますよ」と、菓子屋が引き取った。「菓子製造の加工用原料として払い下げを受けたやつの、その相当量を当院用に回しています」

「回ってきた分を、院長はチャンと飯にたき込んでいるか?」

「たき込んではいますがね」院長は瓶をとり上げ、各自のグラスに次々に充たしてやった。「あんまり多量に混入すると、ぼそぼそ飯になって、在院者は食べ残すし、それに黄色く色が染まるんでねえ。強化米などとごまかしてはいますが」

「その程度じゃ在院者に大した実害は与えないな」教授が軽蔑したような声を出した。「その程度なら一般国民も食べているよ。すでに現政府は、黄変米騒ぎのほとぼりがさめたのを見はからって、こっそりと毒米を配給ルートに乗せ始めてるよ。僕んとこの大学の消費生活協同組合が、配給外米をだね、どうもおかしいてんで専門家に頼んで検査して貰ったんだ。するとそれからイスランジャ菌がうじゃうじゃと検出されたんだ」

「その組合って、何をするところです?」

「学内食堂を経営しているんだよ」教授はグラスを手にした。「学生、職員の数干名がそこを利用しているんだぜ」

「ひどいな」

「ひどいもんですねえ」

「ひどいわね」

 面々は異口同音に、政府のやり方に対して、怨嗟(えんさ)の声を上げた。

「だから僕の家では」と教授は落着きはらった。「外米配給は一切辞退しているんだ」

「外米はまだ相当滞貨しているんですか?」

「相当あるようだね」と教授。「せんだって食糧衛生局長が、非公開の会議の席上でだがね、現在外米の滞貨は二十万トンに達しているが、なんとか早く配給ルートにのせて片付けてしまいたいと、語ったそうだ。二十万トンとは相当な量だよ」

「僕んとこにも毎月一定量」と菓子屋が説明した。「加工用原料として配給がある」

「全部を加工用原料に払い下げればいいのにね」

「加工用原料としての払い下げ価格は、たいへん安いんだよ」と教授。「全部を加工用に払い下げれば、食糧管理特別会計にたちまち五十億円の穴があくんだ。それじゃあ配給操作にもさしつかえるしねえ。だから政府は国民の目をごまかして、毒米を配給ルートに乗せたがっているし、また実際に乗せているんだよ」

「あんたその払い下げ米を」女金貸が菓子屋に顔を向けた。「タダで当院に納入してるの?」

「タダじゃないさ」菓子屋は困感したように見る見る渋面をつくった。「僕も商売人だがね。でも当院納入の分には、利益はほとんど見ていないです」

「いかほどで買ってるの」女金貸は院長に顔をねじ向けた。

「支払いは金じゃなくて、物々交換です」院長は帳簿を開いた。「ええと、払い下げ米三升につき、配給内地米一升という割です」

「それは暴利だ」食堂主と運送屋が一斉に叫んだので、菓子屋はいささか狼狽した。「払い下げ米はタダ同様だろ?」

「タダ同様じゃありませんよ」菓子屋は顔をぱっとあかくして必死に弁解した。「ちゃんとしかるべき値段を払っていますよ。しかし、諸君がそうおっしゃるなら、交換比率を改定してもよろしい。その用意はあります」

「あたりまえだよ」食堂主がきめつけた。「今までにあんたは相当儲(もう)けたな」

「儲けやしないよ」菓子屋はひらひらと掌を振った。「あんたんちの残飯と同じ程度だよ」

「皆さんがそんなに自分のことだけしかお考えにならないから」と院長は女金貸の方を掌で指した。「こちらから融資を受けねばならんということになり、また実際に融資を受けている。嘆かわしいことですな」

「金利はいくらだ」と運送屋が訊ねた。「まさか十一(トイチ)じゃあるまいな」

「おほほほほ」女金貸は手の甲で后をおおい、途方もなくいい声でわらった。「十一だなんて、そんなにわたしがむさぼるわけがないじゃないの。もう内輪揉(も)めは止しましょうよ。そんなこと、枝葉末節だわよ。ねえ先生」

「今日俵医師は出席しないのか」女金貸のながしめを受けとめて、教授が話題を転じた。「在院者の回転方法に関して、僕は俵医師の意見を聞きたいと思っていたのだが」

「先ほど申しました通り、当区の狂犬予防週間で」と院長が答えた。「そちらの仕事をやっているのです」

「今日のような大切な会議には」と運送屋が言った。「欠席されては困りますねえ。獣医だからそういうことになる。この際俵医師をクビにして、まっとうな人間の医者を雇うことにしたらどうですか」

「そうだよ」と食堂主が賛成した。「獣医は雇い賃が安い。しかし、安かろう悪かろうでは、かえって当院の損になる」

「俵医師を雇ったのは僕だがね」と教授がきらりと眼を光らせた。「獣医をえらんだのは、単に費用が安く上るからではない。君たちは人間医と獣医の心構えの差異を知っているか。人間医は人間の命を最高価値のものとして取りあつかう。ところが獣医はだね。たとえばここに一匹千円の犬がいて、それが病気になったとする。その病気を治すのに、千五百円の注射が必要だとする。その場合、獣医は決してその千五百円の注射液を使用しないものだよ。判るかね」

「なるほどねえ」と女金貸が相槌(あいづち)を打った。「注射液の方がその犬よりも、五百円がた高価な物質ってわけね」

「そうだ。まったく当院向きだ」教授は莞爾(かんじ)としてうなずいた。「それにしても俵医師の本日欠席はけしからんな」

「当区はとても狂犬が多いのです。都内随一の狂犬発生区なのです」と院長が説明した。「さきほど駅から当院までの道ばたに、犬が何匹もうろうろしていたでしょう。あれが全部野犬なのですよ」

『そいつはいけねえ』菓子屋が言った。「野放し犬が一番恐いんだ」

「在院者で誰か嚙まれた?」と女金貸。

「いや、まだ誰も」と院長。「どういうわけか当区の野犬は、爺さんには嚙みつかないようですな。旨くないからでしょう。嚙みつかれるのはたいてい働き盛りの男女です」

「もし嚙みづかれて、それが狂犬だったら、どうなるの?」

「発病したらもうたすからんね」と教授が説明した。「狂犬の唾液の中の狂犬病ビールスが、かみ傷から人体に入り、神経にとりついて脳の中に入りこみ、どんどん殖えて脳の細胞をメチャメチャに食い荒してしまう。それでかんたんに一巻の終りだ」

「怖いわねえ」女金貸はぞっと身を慄わせた。「帰りが怖いわ」

「狂犬のことはそれくらいにして」と教授は腕時計をちらと見た。「さっきの院長の責任制の間題だね、一ヵ月三人を割当てるという説が出たが、皆さんどうですか?」

「三人なんか飛んでもない!」院長は大声を立てて中腰になった。「三人なんか無茶ですよ。そんなに死ぬもんですか。当院の今までの歴史をしらべても、終戦前後の食糧悪事情の頃をのぞいては、月三人ということは絶対にありませんでしたよ」

「終戦前後はぞろぞろ死んだんだろ」と運送屋。「では、今にしても、やり方ひとつによっては、殺せない筈はない」

「そんなことをおっしゃるくらいなら」院長は興奮して卓をどんと叩いた。「当院に火をつけて、九十九名の爺さんもろとも、まる焼きにしたらどうですか。建物が古いから、火の回りは早いですよ。ただし、その炎上の責任はわたしは負いませんぞ」

「そりゃ無茶だよ。建物まで燃しては元も子もない。燃やしたいのは中身だけだよ」と運送屋が言い返した。「それにおれたちは、九十九人をいっぺんに死んで貰いたいとは言っていない。いっぺんにではなくて、順々に死んで貰いたいんだ。院長。一ヵ月三人。じたばたせずに引き受けたらどうだね」

「三人は無理です」院長は頑張った。「どうしても三人を押しつけるなら、わたしとしても辞職の他はない。辞めさせていただきます」

「じゃあ辞めて貰って」と運送屋は一座を見回した。「他に後釜を探しますか」

「どうぞお勝手に」院長はおどすように声をするどくした。「わたしが辞めると、後任の院長が来る。しかし世の中にはそうそう人物のいるわけがないから、今まで通りうまく行くと思ったら大間違いですよ。それに、ふつうの人間なら、院長と名がつけば、在院者の方を大切に考えるでしょうからねえ。わたしはいつでも院長の椅子を投げ出して、よろこんで後任と交替します。後悔なさらないように。黒須玄一みたいに都合のいい院長はいなかった。そうあとで考えても、もう遅いですよ」

「よし判った」教授がうなずき、にやりと笑った。「なかなかやるもんだねえ。どこかの首相みたいだ」

「わたしは信念をもってやっているのです」

「それじゃ院長さん」女金貸が院長にやわらかく言った。

「院長さんは一ヵ月に何人なら引き受けると言うの?」

「ええ、それはですねえ」院長は腕を組んで禿頭をかたむけた。「ええ、一ヵ月に一人というとこで、どうでしょう?」

「一人?」食堂主が眼を剝(う)いた。「するとこんな大きな所帯で、月々の収入がわずか十万円か」

「正式にはそうですが」院長は答えた。「他に羽根運動からの援助もありますし、菜園収穫物売却などの別途収入もありますので、最低の運営には差支えないと思います」

「一T人とは言いも言ったもんだ」運送屋が舌打ちをした。「全部入れ替わるのに、九十九ヵ月か。ああ、おれは気が遠くなる」

「一人を責任額にして、実はそれ以上毎月殺して、手当をごっそり稼ぐつもりだろう」と菓子屋。「ずるいぞ」

「あたしたちだって、ずいぶん犠牲をはらってるのにねえ」と女金貸。「院長だけがいい目を見るという法はないわ」

「院長」きんとんをもぐもぐ嚙みながら教授が言った。

「いくらかけ引きとは言え、皆の発言の通り、一ヵ月一人は無茶だよ。承服出来ないよ。では、我々もいくらか譲歩するから、君も大幅に歩み寄れ。な、一ヵ月二人半ではどうだね。そこらで妥協して手を打とうじゃないか」

[やぶちゃん注:「黄変米」ウィキの「黄変米」より引く(一部、私が補足した)。『黄変米(おうへんまい)とは、人体に有害な毒素を生成するカビが繁殖して黄色や橙色に変色した米のこと』。主に菌界子嚢菌門ユーロチウム菌綱 Eurotiomycetes ユーロチウム目 Eurotiales マユハキタケ科属アオカビ(ペニシリウム)属 (Penicillium) の『カビが原因となる。カビ自体は有害なわけではないが、カビが作り出す生成物が肝機能障害や腎臓障害を引き起こす毒素となる。カビ毒をマイコトキシン』(Mycotoxin)『と総称するが、総じて高温に強く』、『分解が困難なため』、『加熱殺菌によりカビ自体を死滅させても』、『毒素は無毒化されずに残存してしまう。黄変米はカビの拡散を防ぐためと毒素分解の必要性から高温で焼却して廃棄するのが最善の処理方法である』(とあるが、多くのアオカビ(ペニシリウム)属の種はマイコトキシンを産生しないため、これらが直接に重篤な食中毒の原因になることは殆どない。但し、アオカビが生えた食品では、他の有害なカビの増殖も進んでいると考えるべきではある。例外は次注参照)。『日本では戦後の食糧難の時代に外国から大量の米が輸入され、国民への配給が行われていた』が、昭和二六(一九五一)年十二月にビルマ(現在のミャンマー)より『輸入された6,700トンの米を横浜検疫所が調査したところ』、翌年の一月に約三分の一が『黄変米である事が判明し、倉庫からの移動禁止処分が取られた』。『すぐに厚生省(現厚生労働省)の食品衛生調査会で審議され、黄変米が1%以上混入している輸入米は配給には回さない事が決められた。基準を超えた米はやむを得ず倉庫内に保管されたが、その後も輸入米から続々と黄変米が見つかり』、『在庫が増え続けた。配給米の管理を行っていた農林省(現農林水産省)は処分に困り、黄変米の危険性は科学的に解明されていないという詭弁を用いて、当初の1%未満という基準を3%未満に緩和し』、『配給に回す計画を立てた。この計画が外部に漏れ、朝日新聞が』昭和二九(一九五四)年七月に『スクープしたことで世論の批判がおき、黄変米の配給停止を求める市民運動などが活発化することになる。在野の研究者も黄変米の危険性を指摘したが、政府は配給を強行し、配給に回されなかった米についても味噌、醤油、酒、煎餅などの加工材料として倉庫から出荷しようとした』。『この直後に厚生省の主導で黄変米特別研究会が組織され、農林省食料研究所の角田廣博士、東京大学医学部の浦口健二助教授などが黄変米の研究を開始した。研究会では、角田や浦口などの努力により極めて短期間に黄変米の高い毒性が解明される事になった』。『研究会の成果と、世論の強い反発のため』、『黄変米の配給は継続できなくなり、同年の』十『月には黄変米の配給が断念された。このため、黄変米の在庫は増え続ける一方となり、窮地に陥った政府は』昭和三一(一九五六)年二月、『明確な安全性の根拠が無いまま、黄変米を再精米し、表面のカビを削り落として配給を行う政策を再度発表』した。『だが、黄変米の在庫は減る事が無く』、『長期にわたって倉庫に保管され続けることになり、結局は再精米の上で家畜の飼料など食用以外の用途として』実に十『年間に』亙って『処分されたといわれている』。『なお、特別研究会に参加した角田は黄変米が発見された当初より』、『職を辞する覚悟で農林省に強硬に抗議した事が知られており、はじめの時点で1%基準が策定されたのも彼の尽力によるものが大きい。彼の努力が無ければ』、『黄変米の配給問題は誰にも知られずに闇に葬られていた可能性が高いと言われている』。『第二次世界大戦の影響で若い男性はすべて戦争に駆り出され』、『農村の労働力は枯渇していた。また、肥料をはじめとする農業資材も極度に不足していた。この状況で、復員兵や満州などからの帰還者が大量に日本国内に流入したため未曾有の食糧不足が発生した。当時の状況においては外国からの輸入物資に頼るほかに道は無かったが、肝心の外貨は底を突き、度重なる空襲によって生産設備は灰燼に帰していたので外貨の獲得手段も無かった』。『政府は少ない外貨を効率的に使用し、食料と復興のための必要物資を調達しなければならなかった。このため、外国で米を調達する際には価格優先で低品質のものを選択する以外なく、輸送船も荷物を安く運べさえすれば良いという選択肢を取らざるを得なかった。結果的に、輸送中に米にカビが生え』、『黄変米となってしまった。貴重な外貨で手に入れた物資だっただけに捨てる事もできず、新たに輸入するにはまた外貨が必要となるので、何とかして当初の目的どおりに使用しようと考えた為に発生した事件であ』った、とある(太字下線は私が本篇に語られる内容が事実であることを示すために附した)

「イスランジャ菌」上のウィキの「黄変米」では、『黄変米の原因となる主要なカビ』として以下の菌界子嚢菌門ユーロチウム菌綱ユーロチウム目マユハキタケ科属アオカビ(ペニシリウム)属の三種が挙げられてある(一部に私が補足を加えた)。

・ペニシリウム・シトレオビライデ Penicillium citreo-viride(「シトレオビリデ」とも表記される。当初は「ペニシリウム・トキシカリウム」(Penicillium toxicariume)と名付けられていた。毒素としてマイコトキシンの一種シトレオビリジン Citreoviridin という神経毒を生成し、呼吸困難・痙攣を引き起こす

・ペニシリウム・シトリヌム Penicillium citrinum(「シトリナム」とも表記される。毒素としてマイコトキシンの一種シトリニン citrinin を生成し、腎機能障害・腎臓癌を引き起こす

・ペニシリウム・イスランディクム Penicillium islandicum(「イスランジウム」「イスランジクム」「イスランジカム」とも表記される。毒素として孰れもマイコトキシンの一種であるシクロクロロチン Cyclochlorotine(イスランジトキシン islanditoxin とも呼ぶ)・ルテオスカイリン Luteoskyrin を生成し、肝機能障害・肝硬変・肝臓癌を引き起こす

さても、この最後のペニシリウム・イスランディクム Penicillium islandicum こそが俗名を「イスランジア黄変米菌」と呼ぶのである。「株式会社リンクス」のサイト「食品の二次汚染対策相談室」(同社藤川氏担当)の「ペニシリウム(Penicillium)属」を参照されたい。さらに、『日本植物病理学会報』(第二十号・昭和三一(一九五六)年発行・PDF)の『昭和30年度関西部会 於 神戸大学姫路分校 昭和301016, 17日』とある中の、「139」ページ右の、堀道紀氏と山本功男氏の講演要旨『(46) Peuicillium tardum の寄生に因る黄変米について』の中に『イスランジヤ黄変米』という表記が見出せる。以上の記載には「日本マイコトキシン学会」公式サイトのこちらも参照して正確を期した。ある種の現代作家は平気でいい加減な架空の病気や、都市伝説染みた病原体・細菌・ウイルスをまともな文脈の中に登場させて平気な顔している無責任なケースがあるが、梅崎春生はちゃんと調べ上げて記していることが判る。

「十一(トイチ)」十日で一割という金利(利息)を取ることを指すが、現在では十日に二割や三割といった暴利を貪る高利貸全般を対象に「といち」または「といち金融」と呼んでいる。

「当区はとても狂犬が多いのです。都内随一の狂犬発生区なのです」これは何かの資料を調べれば、夕陽養老院及びその他のロケーションをかなり絞ることが出来るのだが、当時の東京都の行政区別の狂犬病発生数を見出すことは出来なかった。しかし「東京都福祉保健局」公式サイト内の「日本における狂犬病の発生状況」に載る「全国及び東京での犬の狂犬病発生数」を見ると、

昭和二八(一九五三)年 【全国】176頭 【東京都】128

昭和二九(一九五四)年 【全国】  98  【東京都】  47

昭和三〇(一九五五)年 【全国】  23  【東京都】    3

とある。なお、昭和三二(一九五七)年以降、ヒトでは全国的に発生はない(外地罹患帰国発症事例は除く)。

「狂犬病ビールス」狂犬病の病原体は第五群(一本鎖RNA -鎖)モノネガウイルス目 Mononegavirales ラブドウイルス科 Rhabdoviridae リッサウイルス属狂犬病ウイルス (Genotype 1Rabies virus を病原体とするウイルス性の人獣共通感染症で、ワクチン接種を受けずに発病した場合、ほぼ確実に死に至る。確立した治療法はない。咬傷部から侵入した狂犬病ウイルスは、神経系を介して脳神経組織に到達して発症する。その感染の速さは、日に数ミリから数十ミリと言われており、従って咬傷を受けた部位が脳や中枢神経系から遠位であれば、咬傷後のワクチン接種処置の時間が稼げると言える。脳組織に近い傷ほど潜伏期間は短く、二週間程度で、遠位部では時に数ヶ月以上、事例の中には二年後という記録もあるという(ここはウィキの「狂犬病」他に拠った)。]

梅崎春生 砂時計 27

 

     27

 

 流れは相変らず碾茶色(ひきちゃいろ)にねっとりと濁り、塵芥や木片をのせて、かなりの早さで下流へ下流へと動いていた。その上水路の堤の急斜面を、栗山佐介は腰をひくくかがめ、斜面の立木の枝や草をつかみながら、用心深く降り始めた。昨夜半まで降りつづいた雨のために、草や地面はまだ濡れていた。濡れて辷りやすくなっていた。靴が辷るので、いい足場をえらぶ必要があった。

「大丈夫?」堤の上から曽我ランコが声をかけた。「靴を脱いだらどうなの。辷るとまた膝をいためるわよ」

「大丈夫だよ」佐介は堤上を見上げてわらった。「軍隊じゃもっともっと、危いことをやった」

 曽我ランコから四五間[やぶちゃん注:約七・三〇~八・一〇メートル。]離れた場所に、乃木七郎は立っていた。小腰をかがめては石を拾い、ちょいと小首をかしげ、対岸に生えたアカシヤの木にねらいをつけた。石は乃木七郎の手を離れて勢いよく飛んだ。石はアカシヤの幹にあやまたずに命中し、急斜面を水路にむかってころころところがり落ちた。小さな水しぶきをあげて石はたちまち見えなくなった。

「ふん。何だっけなあ。ええ。何だったかなあ」

 乃木七郎は、ひどい頭痛をこらえるような表情になり、左手に抱いた卓上ピアノをいらだたしげにゆすぶった。石を握ってねらいをつける、その手や肩や身体全体の感じ、それがうしなわれた記憶の中から、しきりに彼に何かを呼びかけて来ようとするのだ。もう一歩踏み込むと何もかも判りそうなのだが、その一歩がどうしても踏み込めない。事実頭の芯もしんしんと痛み始めていた。乃木七郎は再び腰をかがめて石を拾い、双の眼玉を中心に寄せて、ふたたび対岸のアカシヤにねらいをつけた。栗山佐介はあぶなっかしい腰つきで、斜面の四分の一ほどを降りた。

「大丈夫? 辷るとたいへんよ」

 曽我ランコはそう言いながら、そこらから棒きれを拾い、板裏草履をぬいではだしになった。はだしのまま棒を支えにして、彼女自らも佐介を追って斜面をそろそろと降り始めた。乃木七郎の石がまた空気をするどく切って、対岸に飛んだ。石はアカシヤの幹に見事にぶっつかり、カーンといい音を立てた。草を摑(つか)んだ不安定な姿勢で栗山佐介は顔を上げ、アカシヤの方に視線をむけてつぶやいた。

「いいコントロールだな。あんな奴にねらわれちゃたまらない」

「辷りやすいわねえ」用心深くのろのろと下方に移動しながら、曽我ランコがあぶなげな声を出した。「はだしでもツルツルするんだから、靴穿(は)きは用心した方がいいわよ」

「靴よりはだしの方が辷るんだ」佐介はやや不機嫌な声を出し、曽我ランコを見上げた。用事もないのにあぶない斜面を降りてくるランコに、なにか忌々(いまいま)しさを感じたのだ。それに乃木七郎をひとりに放置しておくことの不用心さもあった。「ダメだよ。君は降りて来ちゃいけないったら。辷り落ちたらどうするんだ。ここに落っこちたら、もう絶対にたすからないよ」

「あたしは大丈夫よ」曽我ランコは不安定な姿勢でせせらわらった。「わたしは小さい頃から、冒険ごっこが大好きだったんだもの」

 石が又しても対岸へ飛んだ。五十米ほど上流にかかった木橋を、二人の男が急ぎ足で渡り終え、土堤上の小径(こみち)をこちらに近づきつつあった。一人の男はカメラを肩から提げていたが、もはや口にチューインガムは嚙んでいなかった。もう一人の男は小型胴乱を小脇にかかえ、どういうつもりか鳥打帽子を前後さかさまにかぶっていた。

 曽我ランコはさらに下方に移動して、栗山佐介の地点に近づいた。佐介はさっきと同じ姿勢で、しかし何かまぶしげな眼付きになって、そのランコの姿をぼんやり見上げていた。姿勢の不安定さのために、彼女の若々しい肉体の輸郭が、スラックスの線に露わに出ていたのだ。佐介のその視線に気付くと、曽我ランコは急にとがめる眼つきになった。

「何見てるの。接骨木(にわとこ)はとらないの?」

「とるよ。今一休みしているところだ」佐介はあわてて視線を水路の方に向けた。接骨木は佐介の地点から更に三米ばかり下方に、その枝をひろげていた。そこに至る斜面は、今まで降りてきた斜面より、ずっと急になっている。その急斜のかたむきを佐介は眼で計って見た。

「さあ。降りるとすればここからかな」

「ずいぶん急ね」佐介の地点まで降りてきた曽我ランコは、その急斜をたしかめて二の足を踏んだらしかった。

「あたし、ここにつかまって、この棒を出したげるから、それにつかまって降りたらどう?」

「そうしようかな」

 佐介は亀のように斜面に貼りついた。ランコは右掌で紅葉の細い根っこを握りしめ、左手につかんだ棒ぎれを佐介の方にぐっとさし伸ばした。佐介はその棒の端をつかみ、あぶなげな足どりを斜面に踏み入れた。靴がずるずると五寸ばかりすべった。佐介は棒をつかむ掌に、ぐっと力を入れた。曽我ランコも顔を紅潮させ、ふといぶかしげな顔になって、土堤道をななめにふり仰いだ。いそがしく乱れた足音が聞えたからだ。乃木七郎は悠然と五つ目の石を拾い上げた。その背に二人の男の足音が殺到した。

「さあ、逃げるんだ」

 カメラ男がはあはあと呼吸をはずませ、そう言いながら乃木七郎の右手に自分の腕をからませた。

「早く。早く。あいつらが登って来ないうちに!」

 胴乱男が乃木の左方に回って、同じく腕をからませようとした。ところが乃木の左腕は卓上ピアノを抱いているので、白い鍵盤はけたたましい音を立てて、ジャランジャランと鳴りわたった。斜面の中途で曽我ランコが金切声を立てた。

「何、何をしてるの!」

「はあ」

 乃木七郎は間の抜けた声で返事をして、きょとんとした顔で斜面を見おろし、そして二人の男の顔を見回した。自分にどんな事態が起りつつあるのか、もちろん彼に理解出来なかっかのだ。胴乱男はいらだたしげに乃木七郎の肩をこづいた。

「さあ、早く。そんなもの、捨てちまうんだ!」

 肩をこづいた手で、胴乱男はいきなり卓上ピアノを乃木の左腕からはたき落した。ピアノはガシャンと地面に落ちた。カメラ男の靴がそれを蹴飛ばした。ピアノは大小高低の音をさまざまに響かせながら、斜面をにぎにぎしくころがり落ちた。

「待てえ!」曽我ランコがありったけの声で叫んだ。「泥棒。泥――棒!」

 卓上ピアノはその曽我ランコをめがけて奔転(ほんてん)した。ランコは佐介をつないだ棒きれを突き離し、奔転するものを辛うじて受けとめた。受けとめたというより、身体全体でせきとめた。栗山佐介は離された棒きれと共に、一気に三米の急斜をすべり落ち、これも辛うじて目指す接骨木の幹に必死にしがみついた。佐介の眼は恐怖と衝動で青味を帯びてきらきら光り、毛穴からふき出した冷汗と脂で、顔中はべっとりと濡れていた。ねとねとと濁った水路の急流が、佐介の眼下を音もなくうねっている。

「ああ」佐介はかすれた声でうめいた。「ああ、おれはいつもこんな具合になっちまう。惨(みじ)めで貧乏たらしい役割を、いつもおれはこんな具合に引受けてしまう」

 曽我ランコはがむしゃらな勢いで、草をつかみ木の根をつかみ、斜面を這い登っていた。堤上の小径を、乃木七郎を中にして、二人の男は足をぴょんぴょんとはね上げて、彼方に遁走しつつあった。得体(えたい)の知れない二人男の熱意にくらべると、乃木七郎はそれほど疾走の意志を持たないので、歩調がちぐはぐで、見た目の割にはスピードは出ていなかった。小学校の秋季運動会の父兄有志の三人四脚みたいな具合に、この三人編成の一団はぎくしゃくと動いていた。それでも曽我ランコが堤上に這い登った時、彼等の姿はもはや現場から六七十米の彼方にあった。人気のない堤の上を、並木に見えかくれしながら、一団は不格好にがたぴしと遠ざかって行く。

「待てえっ!」

 曽我ランコは板裏草履をつっかけ、走り出そうとしたが、すでに及ばぬとあきらめたらしく、口惜しげにじだんだを踏んだ。板裏草腹の裏で砂利がぐりぐりと鳴った。その曽我ランコの姿を、水際の接骨木にしがみついたまま、栗山佐介は眼を大きく見開いて見上げていた。恐怖の一瞬が過ぎ、佐介の耳にはしゅんしゅんとはげしい耳鳴りが始まっていた。まっさおな空と目の光を背景にして、堤上にじだんだを踏む曽我ランコの黒い輪郭の動きは、なにか嘔(は)き出したくなるような醜悪な感じをただよわせていた。堤上の小径から横に切れたらしく、一団三人の後ろ姿はその時ふっとランコの視野から消滅した。ランコは足踏みを中止し、ブラウスの袖で瞼を拭いながら、栗山佐介を見おろした。天井にとりついた弱々しげな冬の蝉のように、佐介の身体はしなやかな接骨木の幹にとまっていた。そのたよりない姿を、曽我ランコは笑いに似た影を頰に貼りつかせ、しばらく見おろしていた。佐介も黙ってしがみついたまま、耳鳴りを耳に聞きながら、じっと身動きをしないでいた。

「上っておいで」

 やがて曽我ランコが、非常にやさしい、ほとんど猫撫で声にちかい声で呼びかけた。佐介はそれに応じるようにもぞもぞと左手を動かした。ランコは喜悦をこめた厭らしい声で繰り返した。

「ひとりで、上っておいで。ひとりでよ」

 

 気温はじりじりと上昇しつつあった。

 森爺と甲斐爺は相変らずつながって、巣を失った蟻のように、院内のあちこちにふらふらと歩いていた。ニラ爺たちが見当らぬので、昼飯を食う気にもならないのであった。調理室で木見婆はぶよぶよと肥った顔に汗を滲(にじ)ませて、何かぶつぶつと呟きながら、調理に手をつけたり、半開きの扉の方をじろりとにらんだりしていた。

 風通しの悪い湿った院長室の書類戸棚の中では、ニラ爺と煙爺が玉の汗を顔いっぱいに吹き出して、ぎゅっとちぢこまっていた。ニラ爺の玉の汗は、暑さのためというよりも、尿意をこらえる努力によるものであった。折しも節穴から黒須院長のがらがら声が流れ込んできた。

「今日は暑いですなあ。失礼して上衣を脱(と)らせていただきます」院長は五つの釦(ボタン)を外して、詰襟服をぐいと脱ぎ、ちぢみのシャツだけになった。そして仕舞扇で胸元をばたばたあおぎ立てながら、皆を見回した。「どうです。皆さんもお脱ぎになってはいかがですか。お互いに胸襟を開いて語り合いましょうや」

「そうだな、そうするか」

 と菓子屋がそそくさと上衣をとった。つづいてデブの食堂主。逞(たくま)しい運送屋。最後に女金貸がボレロを脱いだ。白い肉付きのいい女金貸の左腕には、大きな種痘のあとが三つずつ二列縦隊にならんでついている。上衣をとらないのは教授だけであった。教授は鼻眼鏡をかけ、蝶ネクタイをきちんとしめて澄ましこんでいた。暑いのは気温の上昇のためだけでなく、ウィスキーのせいもあったのだろう。六人が六人とも頰や額をあかく染め、中には眼がとろんとなりかかっているのもいた。オムレツ付け合わせのジャガ芋の最後の一片を、ぽいと口に放り込んで味わいながら、食堂主がひとりごとを言った。

「ふん。あのムクムク婆さん、なかなか料理が巧者なもんだな」

「そうですか」院長はいい気持で答えた。「そうでしょう」

「あの婆さん、古いのかね?」

「いや、勤め始めて二年ばかりですが、腕も確かだし、それに実直一点ばりで、わたしどもも大変重宝していますよ」

「わたしんちのコックよりもうまいかも知れんぞ」食堂主はフォークの背をべろりと嘗(な)めて、お世辞を使った。「ところでどうです。わたしんちの料理は、在院者たちに評判いいかね?」

「まあまあと言うところでしょうな」そして院長は憂わしげに眉をひそめた。「残飯そのものの味より別に、困ったことがあるんですよ」

「何だね?」

「一口に言えば、鮮度の問題です。冬の間はまだまだよろしいが、こんなに気候があたたかくなって来るとね」院長は手で空気を引っかき回すようにした。「食堂さんから朝の残飯残肴(ざんこう)が当院に運搬されてくる。それを翌目の朝まで保たしておくことは、もう気温が許さないのです。だからそれを夕食にあてる他はない。同じ事情で食堂さんの晩の残飯残看は、当院では翌朝の食卓にあらわれるということになる。それで昨日も在院者の一部が、わたしに不平を言ってきた。朝には朝飯らしい食事、夕には夕方らしい食事を食わせろってね」

「何と返事した?」

「うまくごまかして、突っぱねましたがね。すると昨朝に出したテンプラ、あれが揚げ立てじゃなかったとか、身が千切れていたとか、そんなことをてんでに言い出してきた」

「わたしんちのお客の食い残しだから仕方がない」食堂主が頰をぷうとふくらませた。「それは在院者として、ゼイタクというもんだ」

「残飯残肴を食わせられていることを、在院者たちがそろそろかんづいて来たんではないか」教授が口をはさんだ。「どういう搬入方法をとってるのかね?」

「それは俺んとこで請負(うけお)ってるんですよ」運送屋が引取った。「オート三輪で運ぶんですがね、荷台は完全被覆だから、内部は全然のぞけないようになっている」

「そのオート三輪は、直接調理場の中まで入れるようになっているんです」院長が説明を補足した。「調理室はわたしの命令で、在院者は一切オフ・リミットになっている。だから残看積みおろしの現場を、在院者は絶対に見ることは出来ない。積みおろしだけでなく調理の現状もです」

「積みおろしの現状を見ないでも、食事の内容によって、在院者がそろそろかんづくということもあり得るな」

「そうです。そうです」院長は大きくうなずいて、グラスをとり上げた。「そこがわたしの立場の辛いところです」

「院内の食事内容に」女金貸が訊ねた。「残飯残肴は何割ぐらい占めてるの?」

「約半分です。あとは院内菜園からの収穫と、若干の購入品です」そして院長は食堂主に顔をねじ向けた。「ところでこの席上で食堂さんに御相談があるのですが」

「何だね?」

「この二ヵ月、当院の財政運営の上において、残念ながら若干の赤字を出しておる。それをわたしだけの責任のように皆さんはおっしゃるが、心外なことだと思うのです。赤字打開にはこの際皆さんの協力をも是非懇請したい。まずさしあたって、食堂さんの残飯残肴の購入価格ですが――」

「高いとでもいうのか?」食堂主はきらりと眼を光らせた。「あれが相場なんだぜ」

「相場であるかも知れませんが」院長はぐっと丹田に力を入れた。「この危機を乗り切るために、も少し安くしていただきたいと思う。なにしろ食料費というものは、当院経常費の大きな部分をしめているのですから、ちょっと負けていただいただけで、ぐんと違うと思うのです。わたしはなにも在院者の味方をして、そう言っておるのではない。わたしは信念をもって言っている。食堂さん、あなたも経営者の一人でしょう。残飯を安く入れてそれで当院が黒字になれば、黒字になったことによってあなたもトクすることになるでしょう」

「それも道理だ」先ほどから眼をとろんとさせて聞いていた菓子屋が、卓をぽんと叩いた。「うまい手を考えたな」

 教授と女金貸は互いに顔を見合わせて、賛意を表する如くうなずきあった。その一座の空気を察知して、食堂主はややいきり立った。

「院長は、わ、わたしんちばかりに皺(しわ)寄せをしてくるが、そいじゃ運送屋はどうなんだ?」

「お、おれは全然実費だよ」いきなり飛び火してきたので運送屋は目を白黒させた。「おれなんか残飯運搬で、全然儲(もう)けていないんだよ。犠牲的サービスだ。ガソリン代に毛の生えた程度しか受取っていない」

「その生えた毛を剃(そ)り落していただきたいものですな」

 と院長は強気に出た。経営不振の責任を分散させることによってのみ、院長の地位は保たれる。黒須院長はとっさにそう判断したのだ。教授と女金貸はふたたび顔を見合わせ、うなずきあった。それを見て運送屋は頑張るは非と判断したらしく、直ぐに折れて出た。

「じゃいいよ。おれ、ガソリン代だけに負けとくよ。光栄ある夕陽養老院の仕事だものなあ」

 菓子屋が手をパチパチとたたいた。食堂主は渋い顔をつくり、むっと頰をふくらませた。女金貸がその食堂主にむかって、なぐさめるように言った。

「残飯なんかタダみたいなもんじゃないの。在院者たちが食べて呉れるおかげで、処理費がまるまるたすかる勘定じゃなくって?」

「そうでもねえですよ」食堂主は渋面のまま答えた。「歿飯残肴というと、豚のエサにしかならないように人は思っているが、なに、そんなもんじゃない。豚が食うのは塵芥です。わたしんちみたいな高級食堂の残りものは、豚なんかには勿体(もったい)ないし、また当院なんかにも勿体ないぐらいですよ。あたしんちの残肴で、もりもり栄養をとって長生きされては困る、という心配もあるほどだ」

「そのかわり鮮度が落ちていますからな」院長がわらいながら言った。「どんなに高級な料理でも、古くなると味が落ちるし、栄養もなくなる」

「そうだな。それでは暫定処置として」教授が重々しく勧告した。「今頃から夏場にわたって、値段を下げることにしたらどうだね。食堂さんも、栄養や味が落ちるとあれば、仕方ないだろう」

「そんなものですかね」食堂主は面白くなさそうに答えた。「じゃ暫定的にわたしが譲歩しましょう」

 院長は大急ぎで会議録を開き、喜色を面上にみなぎらせて、残肴購入費ならびに運搬費の値下げを書き込んだ。食堂主はその院長の手付きを横目で見ながら、はき出すように言った。

「おれたちも犠牲的協力に出たんだから、院長も今いっそう経済を引きしめてもらいたいもんだな」

「さっきの報告で」運送屋が口を出した。「備品のリヤカーが破損したとのことだったが、どうして破損したんだね。気がゆるんで粗略に取り扱ったんじゃないか」

「ええ、それは」と院長は口ごもった。

「リヤカーなんてものは、よっぽどのことがなけりゃ破損しないもんだよ。おれんとこのように仕事の激しい運送屋でも、そんなことはめったにない」

「破損というのは」と女金貸。「どの程度なの?」

「なんなら俺んとこで」と運送屋。「実費で修繕してやってもいいよ」

「全壊です」と院長は腹を据(す)えて答えた。「修繕の余地はありません」

「修繕の余地がない?」食堂主が険(けわ)しい声を出した。一体どうしたんだ」

「本当のことを申し上げますが、これはわたしの手落ちでした」院長は恐縮と謹慎の意をこめて、禿頭をちょっと下げた。「当院に、韮山(にらやま)伝七という、すこしばかり頭の呆けたバカ爺さんがおりまして……」

「おい、お前のことを話してるぞ」書類戸棚の中で煙爺が、ニラ爺の脇腹を小突いてささやいた。「院長の声だぞ」ニラ爺は返事をしなかった。眼をかっと見開き、緊張して節穴をにらみつけていた。オシッコはまさに出そうだし、自分のことが話題に上っているし、緊張せざるを得ないのであった。黒須院長の説明が滔々(とうとう)と続いている。その一句々々を耳に収めながら、ニラ爺の顔はあかくなったりあおくなったり、歯を食いしばったりこめかみをビクビクさせたり、いろんな変化をした。

「沖禎介、横川省三の名前を出して、わたしはついにニラ爺を説得した」院長は得々として面々を見回した。「ニラ爺は欣然(きんぜん)としてその役目を引き受けることになりました」

「頭の呆けたバカ爺さんだと言ったが」食堂主が質問した。「そのバカ爺さんに、そんな重大な役目がつとまるかね?」

「つとまらなきゃ、ちょんとクビです。何とか名目をつけて追い出すだけです」

「院長は先刻、園内の栽培物は結局在院者の口に入るんだ、と言明しましたな」運送屋が意地悪い口調で言った。「ところが今の説明では、外部に売り出してるじゃないか」

「院内需要を充たした残りですよ」

「売上代金はちゃんと会計に繰入(くりい)れてあるだろうね」

「ええ、そ、それはもちろん」院長はどもった。「そうするつもりです」

つもりだって?」運送屋が声を高くした。「じゃ、まだやっていないのか、まさか自分のふところに……」

 その時扉が外側からほとほとと叩かれたので、運送屋は口をつぐんだ。院長が大声を出した。

「誰だ、はいれ」

 扉が開かれて、岡持を提げた木見婆がのそのそと入ってきた。彼女は無表情に卓に近づき、岡持の蓋(ふた)をあけ、皿小鉢のたぐいを並べ始めた。院長が声をかけた。

「木見婆さん。あんたの料理は皆さんのお賞(ほ)めにあずかったよ」

「うん。なかなか旨(うま)かった」

「鰻(うなぎ)なんか」と女金貸が言った。「とくに旨かったわよ。本職はだしだわ」

「ありがとうございます」と木見婆は白髪頭を下げた。

「鰻はまだ残ってるかね?」院長が訊ねた。「残ってたら、白焼きにして五人分、折詰めを頼むよ」

「かしこまりました」

「それからちょっと」と院長は声をすこし低くした。「ニラ爺さんにちょっと院長室に来るように伝えて呉れ」

「ニラ爺さん?」木見婆はぎくりとして、手にした小鉢を取り落しそうになった。

「そうだ。ニラ爺さんだ。ちょっと訊ねたいことがあるのだ」木見婆の態度に気付かず院長はつづけた。「他の爺さんに気取られないように、そっとだよ。そっと耳打ちするんだよ」

「お前のことを呼んでるぜ」煙爺がじゃけんにニラ爺の脇腹をこづき、とげとげしくささやいた。「お前、スパイだったのか?」

「スパイやない!」ニラ爺は顔を蒼白にしてささやきかえした。「院長が勝手に決めてるだけや」

「ほんとか?」

 ニラ爺は唇を嚙んだまま返事をしなかった。皿小鉢を並べ終って空の岡持をとり上げた木見婆に、院長は重ねて念を押した。

「いいか。そっとだよ。ことに遊佐爺や滝爺に気付かれないようにするんだよ。おや、木見婆さん、顔色がすこし悪いようだな。寝不足か」

「寝不足でございます」木見婆は答えた。「他に用事はございませんか」

「お前、出ないでいいのか?」煙爺がふたたびささやいた。「お前、呼び出されているんだぞ」

「出ない!」ニラ爺はささやき返した。「おれ、ここでおしっこをする。もう我慢出来ん」

「ちょっと待て!」

 煙爺はあわててごそごそと身体を動かして、ニラ爺との間隔を拡げた。ニラ爺は眼を据(す)えた。

[やぶちゃん注:「アカシヤ」これは真正のマメ目マメ科ネムノキ亜科アカシア属 Acacia ではなく(真正のアカシア類は温暖な気候でないと生育が難しく、本邦では関東以北では栽培が困難であるものが多いからである)、所謂、「ニセアカシア」、マメ科マメ亜科ハリエンジュ属ハリエンジュ Robinia pseudoacacia であると思われる。「ニセアカシア」=ハリエンジュは北アメリカ原産であるが、本邦には明治六(一八七三)年に移入され、街路樹・公園樹や砂防・土止めに植栽されているが、広範に野生化もしており、しかも面倒なことに輸入された「ハリエンジュ」(ニセアカシア)を当時は「アカシア」と称していたことから、現在でも根強く混同されているからである。例えば、「アカシアはちみつ」として販売されている蜂蜜は「ニセアカシア」(ハリエンジュ)の蜜なのである(以上は主にウィキの「ニセアカシア」に拠った)。]

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