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カテゴリー「「進化論講話」丘淺次郎」の33件の記事

2017/06/11

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(5) 五 自然界の平均 /第六章~了

 

    五 自然界の平均

 

 動植物ともに若し生れた子が悉く生存し繁殖したならば、忽ち驚くべく增加すべきこと、及び實際に驚くべく增加した例の少からざることは以上述べた通りであるが、總べての動植物が斯く增加しつゝあるかといふに、之は無論出來ないことで、大體に於ては昨年も今年も來年も同一處に於ける動植物の數には甚しい相違はない。雀は年々十疋づつ子を生んでも格別に殖える樣子もなく、夏、肉類に附く蠅は一度に二百萬も卵を生み、卵は直に孵化して僅に十四五目で生長し終るから、二週間每に百萬倍に增加すべき筈であるが、少しも目立つ程には殖えぬ。然らば如何なる動植物が實際驚くべき增加をしたかといふに、前に擧げた例は皆偶然或は故意に人間が移殖したものばかりで、何十萬種もある動植物の中から見れば、實に極めて僅少な例外の場合に過ぎぬ。且それも何時までも限りなく同じ割合で繁殖する譯ではない。或る度に達すれば必ず自然に增加も止んでしまふもので、かの評判の高いオーストラリヤの兎でさへも、今は或る地方では最早增加の極に達した模樣があり、初めは只でも貰ひ人の無かつた兎の、冷藏して輸出するやうになつてからは、之を取扱ふ商人も殖え、互に競爭するので、原料も追々高くなり、今では昔のやうに儲からぬといふが、之は兎が最早盛に增加せぬ證據である。南アメリカの牛馬も略々之と同樣な有樣に達して居る。

[やぶちゃん注:「度」「ど」。レベル。]

 

 かやうに繁殖の極に達してしまふと、最早增加の餘地がないのであるから、一對の動物からは平均二疋だけの子が生存し、一本の木からは平均一粒だけの種が生存して、たゞ親の跡を繼ぐだけとなるより外に仕方はないが、若し同一地方に産する動植物が悉くこの有樣となつたならば、その地方は年々歳々動植物の數に少しの變化も起らず、鳥の減ることもなく、雀の殖えることもなく、去年百疋居たものは、今年もやはり百疋居る割合で、何年過ぎても自然界の有樣が依然として變ぜぬ理窟である。實際この通りの有樣が長く續くことは世界中どこへ行つてもないが、動植物相互の關係を考へて見ると、複雜極まるもので、到底他の種類と全く無關係に或る一種だけが獨立に增加することは出來ぬ。例へばこゝに一種の草を食ふ昆蟲があると想像し、この蟲が盛に繁殖增加すると假に定めたならば、その結果は如何。忽ち今まであつた或る草を食ひ盡して、自分も食物の無くなつたために共に倒れなければならぬやうになる。また一方には今までこの蟲を食物として居た或る鳥は餌の急に增したのに力を得て忽ち繁殖し、遂にはこの蟲を食ひ盡すまでに殖えるであらうが、蟲を食ひ盡してしまへば、この鳥も亦餓死せざるを得ぬ。若しこの時にかの草の種が幾粒か殘つて居て、生え出したとしたらば、之を食ふ蟲が居ぬこと故、忽ち增加してその邊一杯に蔓延る。また若しこの時にかの蟲の卵が幾つか殘つて居て孵化したとしたらば、食物は幾らでもあり、敵は全く居ぬから、忽ち繁殖して盛にかの草を食ふやうになる。これらの關係に就いては更に後の章で詳しく述べるが、兎に角、生物相互の間には非常に複雜な關係のあるもので、或る一種が增加しようとすれば、之を食ふものも殖えて之を抑へ、なかなか勘定通りに速に繁殖することは出來ぬ。恰も少しでも高く賣らうとする賣人(うりて)と、少しでも安く買はうとする買人(かひて)との間に、幾らならば賣らう買はうといふ物の相場が定まるのと同じやうに、長く一箇所に住する動植物の間には、食はれる動物何疋に對し、之を食ふ動物が何疋の割合ならば、一方で食はれて減るだけを、他方で繁殖して補うて行けるといふやうな具合に、動植物各種の數の割合の相場が自然に定まるものであるが、この通りに行つて居れば、動植物各種の數は年々同じことで、自然界に急劇な變動は決して起らぬ。この有樣を自然界の平均と名づける。尤も物の相場に日々多少の變動のある如く、自然界の平均を保つべき動植物の數の割合も、寒暖の相違、風雨の多少などの如き、その時々の事情で常に多少の變動をなすことは無論である。

[やぶちゃん注:「速に」「すみやかに」。]

 

 この章に擧げた動植物の劇しく增加した例は、敦れも自然界の平均を人工的に破つた場合である。人間が牛馬を輸入せぬ前にはアメリカではアメリカ産の動植物だけで自然界の平均が保たれ、年々著しい變動も無かつた。そこへ突然牛馬が入つて來たが、その增加を制限すべき敵動物が無かつたと見えて、忽ち斯くの如く繁殖したのである。オーストラリヤの兎なども之と同樣で、元來オーストラリヤ産の動植物だけで、自然の平均を保つて居た所へ、突然兎を輸入した故、前述の如き結果に達したのである。水面の高さの異なつた二個の池も、その間に連絡のない間は兩方ともに水も動かず、水量に增減もないが、堀を造つて二個の池を續けると、忽ち一方から水が流れ込み、一方の水が增す。倂し何時までも增すのではなく、兩方の池の水面が平均すれば流れは止んで、水は再び靜になる。自然界の平均を破つたときも、恰も之と同樣で、殖えるべきものは速に殖え、減るべきものは速に減り、何年か何十年かを經て再び自然界の平均が取れるやうになれば、捨て置いても自然に止むものである。アメリカの牛馬、オーストラリヤの兎も、今日は既に殆どこの境遇に達して居る。自然界の平均といふことは、動植物の生存上自然の結果として生ずるもの故、この平均を破る場合でなければ、動植物の或る種類が突然急に增加するやうなことは決してない。たとひ一時急に增加した如くに見えるものがあつても、忽ち平均までに減じてしまふ。

 

 我々の常に目の前に見る自然界は、略々平均を保つた有樣で、年々歳々動植物各種の數に著しい變化がない。我々は常にこの有樣を見慣れて居る故に、動植物の增加力の劇しいことには平生少しも氣が附かず、計算して見て初めて驚く位である。倂しこの章に擧げた例でも解る通り、動植物の增加力の實際極めて劇しいことは確で、毫も疑ふべきものでない。之から考へて見ると、自然界の平均といふものは、一種每に無限に增加しようとする動植物が、數百種も數千種も相接して生活し、增加力を以て互に相壓し合ひ、その壓し合ふ力の平均によつて、暫時急劇な變動を現さぬ狀態をいふものである。その有樣は全く世界中にある國々が皆戰爭の準備に莫大な入費を掛け、軍艦を造り、砲臺を築くので、僅に暫時世の中が平和を保つのと異ならぬ。この事は生物界の現象を論ずるに當つては重大な事項で、然も常に人が忘れ易い點であるから、特にこゝに述べたのである。

[やぶちゃん注:「壓し」「おし」と読んでいるようである。]

 

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(4) 四 植物の急に增加した例

 

    四 植物の急に增加した例

 

 外國より輸入した植物が急に繁殖增加した例は、動物よりは著しいものが多い。我が國で最も目立つのは「おらんだげんげ」といふ白い花の咲く蓮華草のやうな草である。之は多分外國から送つて來た荷物などに紛れ込んで、偶然輸入せられたもので、明治の初年頃にはまだ何處にも無かつたのが、僅か十年か二十年の間に非常に繁殖し、明治二十年頃には既に東京帝國大學の敷地内などに一面に生えて居た。今では殆ど之を見ない處はない位で、東京高等師範學校の敷地内にも外の草なしにこの草ばかりの生じて居る處が、隨分廣くある程になつた。この草は我が國ばかりでかやうに增加した譯でなく、温帶地方には南北兩半球ともに何處にも非常に蔓延(はびこ)り、ニュージーランドなどではこの草の殖えたために、從來有つた土著の草が幾種も絶え失せた位である。西洋料理で用ゐるクレソンといふ草も、今では我が國に野生となつて殖え、一時は靜岡の城の堀などにも殆ど水の見えぬほどに一面に生えて居た。

[やぶちゃん注:「おらんだげんげ」お馴染みのマメ目マメ科シャジクソウ属Trifolium 亜属Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens の別称。「クローバー」のこと。漢字表記は「白詰草」であるが、これは弘化三(一八四六)年 のこと、『オランダから献上されたガラス製品の包装に緩衝材として詰められていたことに由来する』。『日本においては明治時代以降、家畜の飼料用として導入されたものが野生化した帰化植物』であると、ウィキの「シロツメクサ」にある。

「東京高等師範學校」旧東京教育大学、現在の筑波大学の前身。

「クレソン」正式和名は「オランダガラシ」(和蘭芥子:フウチョウソウ目アブラナ科オランダガラシ属オランダガラシ Nasturtium officinale)。現行ではよく似たコバノオランダガラシ(Nasturtium microphyllum 或いはNasturtium officinale var. microphyllum)とともに、川や溝で野生化・雑草化しているのをよく見かける。参照したウィキの「オランダガラシ」によれば、『日本には明治の初めに在留外国人用の野菜として導入されたのが最初とされている。外国人宣教師が伝道の際に日本各地に持って歩いた事で広く分布するに至ったと言われている。日本で最初に野生化したのは、東京上野のレストラン精養軒で料理に使われたもので、茎の断片が汚水と共に不忍池に流入し根付いたと伝えられている。現在では各地に自生し、比較的山間の河川の中流域にまで分布を伸ばしており、ごく普通に見ることができる』。『爆発的に繁殖することで水域に生育する希少な在来種植物を駆逐する恐れや水路を塞ぐ危険性が指摘されている』。現在、『日本では外来生物法によって要注意外来生物に指定されており、駆除が行われている地域もある』とある。私も湘南から伊豆半島にかけて多量に繁殖しているのを何度も見かけた。]

 

 外國の例を引けば澤山にある。今日南アメリカラプラタ地方には、元ヨーロッパ産の薊(あざみ)が二三種ばかり一杯に生えて、殆ど他の草を交へぬやうな野原が何百方里もある。またアメリカ産のパンヤといふ綿を生ずる草も、今では熱帶地方には雜草として生えて居る。ニュージーランドでは輸入植物の繁殖を特に調べた學者があるが、幾種かの植物は增加が極めて迅速で、忽ち全島に繁茂した。中にも「おらんだからし」などは何處の河にも一杯に生えて、船の通行に邪魔な程となり、クライスト・チャーチ市の處で、アヴン河に生える「おらんだからし」を常に刈り取るだけの經費が年に三千圓も掛つたといふ。その他黃色の花の咲く一種の菊科植物は偶然この島に紛れ込み、急に增加し、上等の牧場も僅か三年の間に、この雜草のために全く役に立たぬやうになつた處もある。

[やぶちゃん注:「ラプラタ地方」ラ・プラタ(La Plata)はアルゼンチン共和国のブエノスアイレス州の州都。一八八〇年以降に開発された近代の計画都市。

「薊」キク目キク科アザミ亜科 Carduoideae、或いは、同アザミ連 Cynareae アザミ属 Cirsium に属するアザミ類の仲間。

「何百方里」「方里」は「はうり(ほうり)」で一里四方の面積単位。二千三百四十平方キロメートル前後。

「パンヤ」アオイ目アオイ科或いはパンヤ科パンヤ亜科セイバ属パンヤノキ(カポック)Ceiba pentandraウィキの「カポックによれば、『アメリカ・アフリカ原産』で、『アメリカや東南アジアなどで栽培されている』。『カポックの実から採れる繊維は、糸に加工するには不向きで、燃えやすいという難点がある一方で、撥水性に優れ軽量である。枕などの詰め物やソフトボールの芯として使われている他、第二次世界大戦頃までは救命胴衣や救難用の浮き輪にも利用されていた。今でも、競艇業界や海上自衛隊では救命胴衣のことをカポックと呼んでいる』。『近年、この繊維が油を大量に吸収することが発見され、油吸収材として使用されるようになった他、農薬・化学肥料を使わず、また、樹木を切り倒す必要の無いなどのことから、地球に優しいエコロジー素材としても関心が高まっている』とある。

「クライスト・チャーチ市」(Christchurch)はニュージーランド南島中部のカンタベリー平野東海岸側に位置する、現在、ニュージーランド国内では二番目、南島では最大の人口を有する都市。

「アヴン河」エイヴォン川(Avon River)。クライストチャーチの市街の中心部を流れる。]

 

 ランタナといふ馬鞭草科の植物が、西印度からセイロン島に輸入せられたのは、今より僅に六十年前のことであるが、氣候に適したものと見えて、忽ち繁殖し、今ではセイロン全島に蔓延り、平地は素より三千尺位の高い處まで、この植物のために殆ど景色も變る程の勢である。

[やぶちゃん注:「ランタナといふ馬鞭草科」「馬鞭草科」は「ばべんそうか」(現代仮名遣)と読む。最近、園芸植物としてよく見かける、シソ目クマツヅラ科シチヘンゲ(七変化)属ランタナ Lantana camara のことである。ウィキの「ランタナによれば、『南アメリカ原産』であるが、『世界中に帰化植物として定着している。日本では小笠原諸島、沖縄諸島に移入分布している』。『多数の小花からなる散形花序をつける。開花後、時間がたつと次第に花色が変わるため、同一花序でも外側と内側では花色が異なる(内側が新しい)。開花時期がアジサイと重なり葉の形も似ているが、アジサイとは全く別種で全体的に小さく花の色は派手である』。『果実は黒い液果で有毒といわれるが、鳥が食べ種子を散布する(種子を噛み砕く可能性の強い哺乳類には有毒だが』、『鳥類には無毒という液果をもつ植物は多い)。茎は断面が四角で細かいとげが密生する。葉は対生し表面がざらついている。暖地では戸外でもよく育ち』高さ一・五メートルほどになるが、『世界の侵略的外来種ワースト』百『に選定されている』ことも忘れてはならない。『ランタナ属は中南米や南欧原産の約』百五十種の『低木または多年草を含む。熱帯・亜熱帯では広く野生化し、オーストラリアや東南アジアではやっかいな雑草として問題になっている。ややツル状に横に這って茂みを作り、茎には細かい逆棘があるため扱いにくい。他方、花には多くのチョウが集まり、見応えがある』とある。

「三千尺」九百九メートル。]

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(3) 三 オーストラリヤの兎

 

    三 オーストラリヤの兎

 

 ヨーロッパからオーストラリヤに輸入した兎が暫くの間に非常に殖えて、今では始末に困るやうになつたことは、殆ど知らぬもののない位に有名な話である。何時頃移殖したか詳しいことは解らぬが、ヨーロッパ人がオーストラリヤに移住したのが、今より僅に二百二十九年前、タスマニアには二百二十四年前、ニュージーランドには百八十九年前であるから、兎の輸入せられたのは、無論之より餘程後のことに違ひない。然るに今日の兎の夥しいことは實に非常なもので、汽車の窓から見ても、そこにもこゝにも野兎の跳んで居るのが見える程である。元來オーストラリヤといふ處は、獸類といへば皆カンガルーの如き腹に袋を有する類ばかりで、普通我々の見るやうなものは一疋も産せず、またニュージーランドの如きは一種の蝙蝠を除く外は、獸類といふものは全く居なかつた。斯かる所へ何疋かの兎が入り來つたこと故、食物は素より澤山にあり、敵は皆無といふ有樣で、兎の繁殖を妨げるものが何もなかつたので、忽ちに增加して終に今日の姿になつたのである。

[やぶちゃん注:「兎」哺乳綱ウサギ目ウサギ科ウサギ亜科 Leporinae のウサギ類。ウィキの「ウサギ」によれば、『南極大陸や一部の離島を除く世界中の陸地に分布している。ペットとして持ち込まれたものも多く、オーストラリア大陸やマダガスカル島には元々は生息していなかった』とある。

「今より僅に二百二十九年前」本書は東京開成館から大正一四(一九二五)年九月に刊行された新補改版(正確には「第十三版」)であるから、そこを起点とするなら、一六九六年になるが、どうも数字が具体過ぎるのが気になるのだが、どうもピンとくるエポックではない(幾つかの版に於いて丘先生は律儀に数字を刊行時に合わせて修正していることが窺えるのだが。例えば、明治三七(一九〇四)年刊の初版は「二百十五年前」となっている)。ウィキの「オーストラリアによれば、一六〇六年に『当大陸に最初に到来した白人はオランダ人』地理学者(地図製作者)Willem Janz(ウィレム・ヤンスゾーン 一五七一年~一六三八年)『であった。だが、赤道付近の熱帯の北部地域に上陸し、その周辺のみしか探索しなかったため、植民地には向かないと判断し、オランダ人は入植しなかった』。一七七〇年に『スコットランド人のジェームズ・クックが温帯のシドニーのボタニー湾に上陸して領有を宣言し、入植が始まった。東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。アメリカの独立により』、一七八八年から『アメリカに代わり』、『流罪植民地としてイギリス人の移民が始まった。初期移民団』千三十人のうち、七百三十六人が囚人(男五百八十六人・女二百四十二人という説がある)で、『その他はほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でも当地に流刑されたという』。一七九一年の第二回囚人護送は千十七人で、航海中に二百八十一人が死んだが、『植民地での食糧難を加速させたため、政府は』一年を待たずして自由移民を募り、『農地を拡大させた』。一八二八年に『全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。内陸を探検し、農牧地を開拓した。その段階で先住民のアボリジニから土地を取り上げて放逐、殺害した』とある(下線やぶちゃん)。或いは初版時の経過記載自体が誤りだったのを気づかずに、小手先で修正を施した気になっておられた可能性もある。ウィキの記載を信ずるなら、本底本から一七七〇年は百五十五年前となる(初版時なら百三十四年前)。どうも何か一致点のない数字で甚だ注するに困る。

「タスマニアには二百二十四年前」ウィキの「タスマニアによれば、一八〇三年に『シドニーから最初の植民が行われた。初期の植民者は流刑囚とその看守であり、南東部のポート・アーサーと西海岸のマッカリー・ハーバーが流刑植民地となった』。一八二六年十二月三日に『ニューサウスウェールズ植民地から分離した。オーストラリアの植民地政府としては』二『番目の古さである。島の原住民タスマニア・アボリジニ』とは一八三〇年代まで「ブラック・ウォー」と『呼ばれる戦争を起こしたが、タスマニア・アボリジニたちはフリンダーズ島へ強制移住させられるなど激減し、純血のタスマニア・アボリジニは、ハンティングの獲物とされたといった悲劇を経て』、一八七六年に純粋なアボリジニは『絶滅している』。本底本から「二百二十四年前」は一七〇一年で百年も前にずれてしまっている(初版は「二百年前」となっている)。やはり、丘先生の思い違いのままだだったものが、初版からずっとただ数値を変えるだけで温存されてしまったもののように思われる

「ニュージーランドには百八十九年前」初版は「百六十五年前」。ウィキの「ニュージーランドによれば、ヨーロッパ人で初めて現在のニュージーランド諸島を「発見」した(マオリ族が先住していた)のはオランダ人探検家アベル・ヤンスゾーン・タスマン(Abel Janszoon Tasman 一六〇三年~一六五九年)で、一六四二年十二月のことであった。彼が訪れてから百年以上の後に、イギリスの海軍士官で探検家のジェームズ・クック(James Cook 一七二八年~一七七九年)が一七六九年から翌年にかけて訪れ、島全体及び『周辺の調査を行った。この調査の結果、ヨーロッパ人の捕鯨遠征が始まった。その後、イギリスを始めヨーロッパ各地からの移民流入が始まった』。一八三〇年代『前半に、ロンドンに植民地会社が組織されると、移民はさらに増加した』。一八四〇年の二月、『イギリスは、先住民族マオリとの間にワイタンギ条約を締結し、イギリス直轄植民地とした』。一八六〇年代には『入植者とマオリ族との間で土地所有をめぐり緊張が高まり』、一八四三年と一八七二年、二度に渡って、戦争が勃発したが、鎮圧されたとある。本底本から「百八十九年前」は一七三六年。前ほどではないにしても、やはり前にずれ過ぎている。]

 

 一寸考へるとかやうに兎が多く居れば、之を捕へてその肉を食ひ、その毛を織つたならば、最も利益がありさうであるが、實際は大反對で、政府が兎退治のために費した金だけでもなかなか莫大なものである。全體オーストラリヤは世界の牧羊場ともいふべき處で、盛に羊を飼つて居るが、兎の餌とするものは卽ち羊の食物なる牧草故、兎と羊とは到底兩立することが出來ず、兎が殖えて牧草を食へば、羊を飼ふことが困難になり、牧場の地價も百圓したものが五十圓に下るとか、處によつては全く牧羊の見込がなくなり、隨つて地所も無代價になつた場合がある。また野菜も兎が好んで食ふ故、畑を造ることも出來ぬ。それ故、オーストラリヤではむづかしい法律を設けて兎の撲滅を計り、時々聯合の兎狩を催したり、また年に幾度か日を定めて毒を煉り交ぜた團子を地面に撒くことを勵行したりして、恰もペスト流行の際の鼠狩と同樣な騷をして居る。斯くすれば、兎は何萬とも數えられぬ程に取れるが、餘り多過ぎるので如何ともし難く、たゞ山に積んで腐らすばかりであつた。今では之を冷藏して輪出し、每年數百萬疋もヨーロッパヘ送るが、この位なことでは兎の數はまだなかなか減らぬやうである。

[やぶちゃん注:「煉り交ぜた」「練り混ぜた」に同じい。]

 ニュージーランドでは近來豚も非常に殖えて、農業に著しい害を及ぼす程になつた。ネルソンといふ一縣だけでも、二十箇月間に二萬五干疋の野豚を狩り取つたとのことである。

[やぶちゃん注:「ネルソン」ニュージーランドの南島北端部に位置するネルソン地方(Nelson Region)。現在はワインの産地として知られる。]

 

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(2) 二 アメリカの牛馬

 

     二 アメリカの牛馬

 

 牛馬などの如き大形の獸類は一體繁殖の遲いものであるが、これらでさへ外界の都合が宜しかつたため忽ち夥しく增加した例がある。コロンブスが第二囘の航海の節サントドミンゴー島に牛を二三疋放したが、忽ち殖えて二十六七年の後には四千疋乃至八千疋の牛群が幾らもあるやうになつた。後に至つて之をメキシコその他の地方へ移したのが基になり、到る處に非常に繁殖し、千五百八九十年頃にはスペイン人がメキシコよりは六萬五干以上、サントドミンゴーよりは六萬五千以上、合せて十三萬以上の牛の皮を一年に輸出した。之は勿論その頃生きて居た牛の一小部分を捕へて殺したのに過ぎぬから、全體では遙に之よりは多數に居たのである。また千七百年代の末にはブエノス・アイレスの野原だけに牛が千二百萬疋も居たといふから、アメリカ全體ではどの位居たか解らぬ。之が皆初めコロンブスの放した二三疋の牛の子孫である。

[やぶちゃん注:「コロンブスが第二囘の航海の節」一四九三年の九月、十七隻千五百名で出発した。今回のそれは明確な植民目的で、彼の率いたスペイン軍はインディアンに対し、徹底的な虐殺弾圧を行っていることを忘れてはならない。因みに、同年は本邦では室町時代の明応二年に相当する。

「サントドミンゴー島」ウィキの「サントドミンゴ」Santo Domingo)によれば、コロンブスは一度目の新大陸発見の航海(一四九二年)に於いて、この島を「イスパニョーラ島」(La Española)と名付け、一四九六年に多数のスペイン人が島に定住、一四九八年八月五日を以って公式に南北アメリカで最も古い欧州風『都市となった。クリストファー・コロンブスの弟バーソロミュー・コロンブスは、居住区を創設し、スペイン女王のイサベル』一『世にちなんで、居住区をイザベラ(La Isabela)と名付けた。そこは後にドミニコに敬意を表してサント・ドミンゴと改名された』とある。後にフランス・イギリスの植民地を経て、一九七八年にイギリス連邦加盟国として独立、「ドミニカ共和国」となった(但し、イスパニョーラ島の西側三分の一は「ハイチ共和国」である。なお、東の小アンティル諸島にある小さな島国「ドミニカ国」とは全く違うので注意されたい)。

「牛を二三疋放したが、忽ち殖えて二十六七年の後には四千疋乃至八千疋の牛群が幾らもあるやうになつた」ウィキの「ウシによれば、新大陸には牛の原種とされるオーロックス(哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属オーロックス Bos primigenius)が存在せず、『クリストファー・コロンブスによって持ち込まれたのが始まりである。しかし新大陸の気候風土にウシは適合し、各地で飼育されるようになった』。『とくにアルゼンチンのパンパにおいては、持ち込まれた牛の群れが野生化し』、十九世紀後半には千五百万頭から二千万頭にも『達した。このウシの群れに依存する人々はガウチョと呼ばれ、アルゼンチンやウルグアイの歴史上重要な役割を果たしたが』、十九世紀後半になってパンパ全域が牧場化して、『野生のウシの群れが消滅すると姿を消した。北アメリカ大陸においてもウシは急速に広がり』、十九『世紀後半には大陸横断鉄道の開通によってウシを鉄道駅にまで移送し市場であるアメリカ東部へと送り出す姿が見られるようになった。この移送を行う牧童はカウボーイと呼ばれ、ウシの大規模陸送がすたれたのちもその独自の文化はアメリカ文化の象徴となっている』とある。

「千五百八九十年頃」本邦では戦国時代の天正八年(ユリウス暦一五八〇年)から同十八年(グレゴリオ暦一五九〇年:一五八二年二月二十四日にローマ教皇グレゴリウス十三世がユリウス暦を改良して制定)に相当する。

「千七百年代の末」十八世紀末で江戸中後期に相当。前世紀末の元禄文化が退潮、浅間山噴火(天明三年七月八日(一七八三年八月五日)や、東北地方を中心とした近世最大の生き地獄であった「天明の大飢饉」(主に天明二年から天明八年の時期を指す)などが引き金となって一揆や「打ちこわし」が続発、役人の賄賂政治の腐敗により田沼意次が失脚(天明六(一七八六)年八月に失脚、代わって第十一代将軍徳川家斉の下で老中首座となった松平定信が緊縮財政・風紀取締による寛政の改革(一七八七年から一七九三年)を行っている。]

 

 馬も昔はアメリカに居なかつたもので、アメリカ發見時代の人が船から上り馬に乘つて來るのを見て、舊土人等は上半分は人間の如く下半分は野牛のやうな怪物が來たといふて驚いたといふ話がある位であるが、その時代に偶然放した馬が種となつて、短い間に非常に繁殖し、特に廣い野原のある處では夥しい數となり、千七百年代の末にはブエノスアイレスの野原だけにも、既に三百萬疋以上の野馬が居るやうになつた。南アメリカの廣原では、每年斯かる野馬を何萬疋となく捕へるが、全體では何程居るやら殆ど想像も出來ぬ。之が皆最初數疋に過ぎなかつたものから僅か三四百年の間に生じた子孫である。

[やぶちゃん注:「馬も昔はアメリカに居なかつた」古生物学的には誤りである。ウィキの「ウマ(哺乳綱奇蹄(ウマ)目ウマ科ウマ属ウマ Equus caballus)によれば、『北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している』とし、『ウマ類の最古とされる化石は』、六千五百『万年前(始新世)の地層から発見された』ウマ科ヒラコテリウム Hyracotherium属(和名「アケボノウマ」)で、同属群は『北アメリカ大陸やヨーロッパの森林に生息し、若芽や草の実など柔らかい植物を摂取していたとされる』。『ヒラコテリウムはキツネほどの大きさ』しかなく、前肢は第一指がなく、後肢は第一指と第五指が退化していた。『その後、始新世のオロヒップス、エピヒップス、漸新世のメソヒップス、ミオヒップス、中新世のパラヒップス、メリキップスと』いった系統進化を経、約一千万年前の中新世前期から中期の『メリキップスは、真の草食性を示す高冠歯を獲得したことと、より高速での走行を可能にした下肢骨(尺骨と橈骨、脛骨と腓骨)の癒合の』二『点で画期的であった。当時は乾燥気候が広がるとともに大草原が拡大しつつあり、メリキップスの出現は、草原への進出の結果だった』。約四百万年前の中新世中期から後期のプリオヒップスは、第二指と第四指を『完全に消失させることで指が』一『本になり、現在のウマに近い形態をしていた。ウマの仲間は、更新世の氷河期にベーリング海を渡り、ユーラシア大陸やアフリカ大陸に到達し、現在のウマであるエクウス(ウマ属)に分化』したが、『南北アメリカ大陸に残ったウマ科の動物は、氷河期に絶滅した。ミオヒップスやメリキップスからも多様な種分化が起こり、ウマ類は一時、大きな発展を示したが、系統の大半はすでに絶滅し、現存する子孫が、ウマ、シマウマ、ロバの仲間のみとなっている現状は、反芻類の繁栄と対照的である』とあり、『Equus(エクウス:ウマ属)の学名で呼ばれるウマやロバの直接の先祖は』、二百万年前から百万年前に『あらわれたと考えられている。ヒトは古い時代からウマを捕食し、あるいは毛皮を利用していたことが明らかにされており、旧石器時代に属するラスコー洞窟の壁画にウマの姿がみられる。純粋な野生のウマは、原産地の北アメリカを含め、人間の狩猟によりほとんど絶滅した』とも記されている(下線やぶちゃん)。]

 

 驢馬もアメリカに輸入せられてから、五十年程の後に偶然逃げ出したものが野生となり、エクアドールの都キートー邊では、非常に繁殖して邪魔になる程となつた。旅行者の紀行によると、これらの驢馬は大群をなして原野に往み、馬が路を失つて紛れ込んだりすると、忽ち集まり來つて、之を嚙み殺すか蹴殺すかせずば止まぬさうである。

[やぶちゃん注:「驢馬」ウマ属ロバ亜属ロバ Equus asinusウィキの「ロバによれば、『最初に家畜として飼われ始めたのは』、約五千年前に野生種であるアフリカノロバ(アフリカ野驢馬:ロバ亜属アフリカノロバ Equus africanus)『を飼育したものとされる。古代から乗用、荷物の運搬などの使役に重用されたが、ウマに比べると、従順でない性質があり、小型でもあることが使役用の家畜として劣る点であった。逆にウマよりも優れていたのが非常に強健で粗食に耐え、管理が楽な点であった』。『野生種の中で現存するのは、ソマリノロバ(Equus africanus somaliensis)のみであり、ソマリアとエジプトの国境地帯に見られたが、ソマリア内戦の影響で激減したため、現在はその大部分がイスラエルの野生保護区で飼育されている。一方、ハワイ島には家畜から野生化したロバが多数生息している』とある。

「エクアドールの都キートー」、一八三〇年にコロンビアから独立したエクアドル共和国(スペイン語:República del Ecuador)の首都キト(Quito)。なお、本書刊行の一九二五年にはクーデターが発生、軍政に移っていた。

「旅行者の紀行」不詳。]

 

 豚も千四百九十三年にコロンブスサントドミンゴー島に放したものが僅かに五十年ばかりの間に非常に增加し、南北アメリカの大部に行き渡り、北緯二十五度から南緯四十度位までの間は何處でも多數に之を見るに至つた。

[やぶちゃん注:「豚」鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ 亜種ブタ Sus scrofa domesticusウィキの「ブタによれば、現在の飼育頭数の世界ランキング(二〇一三年現在)は中国がダントツ一位で四億八千二百万頭、次いで二位がアメリカで六千五百万頭弱。因みに、日本は十七位で百万頭弱である。

「北緯二十五度から南緯四十度位まで」地図を見て戴ければ判るが、この閉区間には日本は含まれず、中国もアメリカも殆んど含まれていないので注意されたい。]

 

2017/05/23

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(1) 序 / 一 增加の割合

 

    第六章 動植物の增加

 

 野生の動植物にも遺傳性と變異性とのあることは前章に述べた通りであるから、一種の淘汰が之に加はりさへすれば、恰も飼養動植物が人爲淘汰によつて種々の著しい變種を生じたのと同樣に、代々必ず少しづゝ變化し、終には積つて先祖とは甚しく異なつたものとなる筈であるが、實際は如何と考へて見るに、野生の動植物間には確に人爲淘汰よりも嚴しい一種の淘汰が日夜絶えず自然に行はれて居る。その有樣を簡單に述べれば次の通りである。

 先づ動植物の繁殖の割合は何種を取つてもなかなか盛であるが、地球上に動植物の生存し得る數には、食物その他の關係から一定の際限があつて、到底生れた子が悉く生長し終るまで生存することは出來ず、一小部分だけは親の跡を繼いで行くが、その他は總べて途中に死に絶えて、全く子孫を殘さぬ。卽ち生存の競爭に打勝つたものは後へ子孫を遺すが、敗けたものは皆死に失せる。而して如何なる者が生存競爭に打勝つかといへば、無論生活に適した者が生存するに定まつて居るから、代々多數のものの中から、最も生活に適したもののみが生存して繁殖する譯になるが、之がダーウィンが初めて心附き、生物進化の主なる原因として世に公にした自然然淘汰である。

 

     一 增加の割合

 

 自然淘汰の働きを明に理會するためには、先づ動植物は如何なる割合に繁殖するもので、若し生れる子が悉く生長するものとしたならば、如何なる速力で增加するものであるかを知ることが必要である。

 嘗てリンネーは植物の增加力の盛なことを示すために、次の如き場合を假想した。こゝに一本の草があり、二個の種子を生じて一年の末に枯れてしまふ。翌年にはその二個の種子から二本の草が出來、各二個づゝの種子を生じてその年の末に枯れてしまふ。斯く代々一本の草が各々二個づゝの種子を生じて進んで行つたならば、如何に增加すべきかといふに、十年の後には千本以上となり、二十年の後には百萬本以上となり、三十年の後には十億本以上となる。之は東京邊でよく人のいふ愛宕山の九十六段ある石段の一番下の段に一粒、次の段に二粒、また次の段に四粒といふやうに、倍增して米粒を置いて行くときは一番上の段まで置くには幾粒を要するかといふ問と同じ理窟で、一段每の增加はたゞ一と二との剖合であるが、所謂幾何級數卽ち鼠算で殖えて行くから、忽ち驚く程に增加し、十囘每にアラビア數宇の位取りが三段づゝも進む勘定となるから、百囘目には數字を三十以上も竝べて書かなければならぬ程の、到底我々の考へられぬやうな大數となる。象は總ベての動物中で最も繁殖の遲いものであるが、凡そ三十歳位で生長を終へ、九十歳になるまでの間に平均六疋の子を生み、百歳まで生きると見積つて勘定しても、若し生れた子が悉く成長するものとしたならば、七百四五十年の間には一對の象の子孫が千九百萬疋程になる。

 以上は兩方ともに繁殖力の最も少い場合を想像したものであるが、動物中に象ほど少く子を生むものは外に例が少い。また每年僅に二個の種子より生ぜぬやうな植物は實際決して一種類もない。どの動植物でも之よりは遙に多數の子を生ずるものであるが、動物の中で最も多くの子を生むもので、人のよく知つて居る例は、魚類・昆蟲類等である。新年の祝儀に使ふ數(かず)の子(こ)は鯡(にしん)の子であるが、卵粒の頗る多い所から子孫の多く生れるやうに、一家の益々繁昌するやうにとの意を寓して斯く一般に用ゐるのであらう。一體、魚類は卵を生むことの多いものであるが、鱈(たら)などは一度に殆ど千萬に近い程の卵を生む。我が國の人口の七分の一に匹敵する程の卵を一度に生むとは實に驚くべきである。また蠶の種紙には一面に附いて居る細い卵粒は僅の雌蛾の生み付けたものである。多くの昆蟲は略々之と同樣に多くの卵を生む。かやうな例か一々擧げたらば到底限はない。次に植物は如何と見るに、之は尚一層明で、一年生の小い草でも一粒の種子から出來た草に何百粒かの種子が生ずる。大きな樹木になれば、每年何個づゝの種子を生ずるかなかなか數へ盡せぬ。更に菌類などを調べると、その種子の數は實際無限といふべき程で、一個一個の種子は、五六百倍の顯微鏡で見なければ解らぬ位な、極めて微細なものであるが、その數は到底我等は想像も出來ぬ。傘の開いた生の松蕈を黑塗の盆の上に伏せて置くと、暫くの間に傘の下だけが一面に白く曇るが、之は全く無數の目に見えぬ程の種子が落ちて積つたためである。

[やぶちゃん注:「鱈(たら)などは一度に殆ど千萬に近い程の卵を生む。我が國の人口の七分の一に匹敵する」本書は大正一四(一九二五)年九月刊行の版で、その前年で、

大正一三(一九二四)年 58875.6千人(約五千八百八十七万五千人)

刊行の同年でも、

大正一四(一九二五)年 59736.7千人(約五千九百七十三万七千人)

であるから、丘先生は一千万人ほど多く鯖を読んでいる。参照した総務省統計局公式データ(エクセル・データ)よれば、日本の人口が七千万人に達するのは、刊行から十一年後の

昭和一一(一九三六)年 70113.6千人(約七千   十一万三千人)

である。

「松蕈」「まつたけ」。松茸(菌界担子菌門真正担子菌綱ハラタケ目キシメジ科キシメジ属 Tricholomaキシメジ亜属 Tricholomaマツタケ節 Genuinaマツタケ Tricholoma matsutake)。]

 

 斯くの如く動植物の一代の間に生む子の數には種々の相違があり、象の如く僅に六疋位より生まぬもの、菌類の如く無限の種子を生ずるものなどがあつて、子の多い少いには甚だしい不同があるが、若し生れた子が悉く生長し繁殖したならば、必ず幾何級數の割合に增加すべきことは理窟上明白なこと故、孰れの場合に於ても、代々生れた子が悉く生存することは決して望むべからざることである。非常に多數の子を生ずる動植物が代々生れただけ悉く生長したならば、忽ち地球の表面に一杯になるであらうとは、誰も直に考へるであらうが、少數の子を生む動植物とても幾何級數で進む以上は、理窟は全く同樣で、前に擧げた愛宕山の石段に米粒を置く譬の如く忽ちにして地球の表面には載せ切れぬ程になつてしまふ。たゞこの有樣に達するのが、多くの子を生む動植物に比べると、幾年か後れるといふだけに過ぎぬ。遠海の無人島に海鳥や膃肭獸類が無數に群集してゐるのも、決して親が每囘多數の子を産むためではなく、僅に一箇の卵または一疋の子を産んだものが多く生き殘つて繁殖する結果である。

[やぶちゃん注:「膃肭獸」「おつとせい」と読んでいる。通常、現在では「オットセイ」(哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科オットセイ亜科 Arctocephalinae)の漢字表記は「膃肭臍」である。]

 

Robben

 

[「ろっぺんがも」の群棲]

[やぶちゃん注:底本キャプション(右から左書き)の鍵括弧は一見、丸括弧のように見えるほどに有意に歪んでいるが、鍵括弧と断じた。以下、これは注さない。

「ろっぺんがも」英和辞典で調べると、“guillemot”(ギルマート)でウミガラス(学名は後掲)・ウミバト(チドリ目ウミスズメ科ウミバト属ウミバト Cepphus columba)の類の海鳥の総称として出るが、図に出る形態とその断崖上での群棲様態から見てこれは、チドリ目ウミスズメ科ウミガラス属ウミガラス(海烏)Uria aalgeである。ウィキの「ウミガラス引用はそこ。但し、それ以外の一部ではその他のネット記載も複数、参考にした)等によれば、体長四十~四十五センチメートルで体重は一キロ程になり、『背中が暗褐色で、腹は白い。冬羽では頬のあたりまで白い部分が増える。くちばしは長く、脚は尾の近くにあって、翼も尾も短く、陸上で直立歩行をする姿はペンギンを想像させる』(「北のペンギン」という異称もある)。『北太平洋と北大西洋、北極海に広く分布する。日本周辺では樺太の海豹島』・海馬島・ハバロフスク周辺・歯舞群島に『分布し、冬期には本州の北部まで南下する』。『水中では翼で羽ばたいて泳ぎ、水深』五十メートル(最深観察記録百八十メートル)を三分間ほど『潜水できる』。但し、『脚が体の後方にあるため、陸上を歩くのが苦手である。巧みに潜水してイカ』・シシャモ・イカナゴ・カジカ・ギンポ『などを捕食する。雛に給餌する場合、半分のどに入れた状態で繁殖地へ戻る』。『飛ぶ時は短い翼を高速で羽ばたき、海面近くを飛ぶ』。『繁殖期には無人島や陸生の捕食者が近づけないような崖や崖の上に集団でコロニー(集団繁殖地)を作る』。密度は最大で一平方メートル当り二十羽で、『多くの個体の繁殖開始年齢は』五歳。少なくとも二十年は『繁殖が可能である』。『巣を作らず岩や土の上に直接』、一個のみ『産卵する。卵が失われた場合』は、一『度だけ産み直すことがある』。『卵は他の鳥に比べると一端が尖っており、「セイヨウナシ型」と呼ばれる。この形状は転がっても』、『その場で円を描くようにしか転がらないため、断崖から落ちにくい。平均抱卵日数は』三十三日で、ヒナは生後、平均二十一日間は『繁殖地にとどまり』、『親鳥の半分くらいの大きさでまだ飛べないうちに繁殖地から飛び降り』て『巣立ち』するが、それ以後二ヶ月の間は未だ『海上で親鳥の世話を受ける』。『かつては北海道羽幌町天売島、松前町渡島小島』・ユルリ島・モユルリ島『で繁殖し、その鳴き声から「オロロン鳥」と呼ばれていた。しかし、漁網による混獲、観光による影響、捕食者の増加、エサ資源の減少などにより数が減少したと考えられ』、二〇一〇年には天売島で十九羽が飛来し、『数つがいが繁殖するのみで』、『国内の繁殖地が失われる危機にある。天売島では繁殖地の断崖にデコイや音声装置を設置し、繁殖個体群の回復の試みがおこなわれている』もののあまりかんばしい成果は上がっていない模様である。『繁殖失敗の原因の一つはハシブトウミガラス』(チドリ目ウミスズメ科ウミガラス属ハシブトウミガラス Uria lomvia:本種とよく似ているが、嘴の根元に白い線が入ること、夏羽の喉元に白い羽毛が字型に切れ込むこと、冬羽でも顔が殆んど黒いことなどで区別出来る)や『オオセグロカモメ』(チドリ目カモメ亜目カモメ科カモメ属オオセグロカモメ Larus schistisagus)『による卵や雛の捕食である。オオセグロカモメは大型のカモメで近年数を増加しており』、『漁業や人間の廃棄物を餌として利用してきたことがその原因の可能性がある。天売島では捕食者であるオオセグロカモメがウミガラスの個体数よりも多く、他の繁殖地よりもウミガラスへの捕食圧が高いことを示唆している。実際に、天売島のウミガラスは過去に繁殖していた赤岩・屏風岩・カブト岩などの開けた場所では繁殖しなくなり、捕食者の攻撃から卵や雛を守り易い狭い岩のくぼみなどで音声やデコイによって誘引されながらかろうじて繁殖をしている状況である』。なお、丘先生の呼称にある「ロッペン」はサハリンの繁殖地海豹島の原島名「ロッペン島」に由来する。同島は一六四三年(寛永二十年相当)にオランダの航海家マルチン・ゲルリッツエン・フリースが発見し、“Robbe Eylant”Robbeneiland)と名付けたことに由来する。ウィキの「によれば、『オランダ語で単にRobbenといえばアザラシのことであるが、アシカをOorrobben(耳のあるアザラシの意)と呼ぶなど鰭脚類の動物一般を指す言葉でもあるこれはヨーロッパの言語では珍しいことではなく、英語ではオットセイをfur seal(毛皮用のアザラシの意)と呼び、あるいはリンネはオットセイの学名をPhoca ursina(熊のようなアザラシの意)としたなどの例が挙げられる。したがってこの島をRobbenと名付けたのはオットセイに由来すると考えられ、それを海豹(アザラシ)と翻訳したのはある種の誤訳といえる』とし、ロシア語の名称の“Остров Тюлений”(チュレーニー島)も同じ「アザラシの島」の意であり、現行の日本語の島名もオランダ語の直訳であるとする。]

 

Ottoseigusei

 

[「をつとせい」の群棲]

 

 動植物は單に理窟上ここに述べた如く速に增加すべき力を有するといふのみならず、實際に於て殆ど斯かる割合に繁殖した例が幾らもある。動植物の增加力の非常に盛なことは自然淘汰を論ずるに當つて一刻も忘るべからざる肝要の點である故、二三の著しい實例を次に擧げて見よう。

 

2016/12/12

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(6) 六 植物の變異 / 第五章 野生の動植物の變異~了

 

     六 植物の變異

 

 植物の變異は餘程著しい例が多い。從來植物學者といへば少數の植物生理學などを除けば、その他は皆植物の分類即ち種屬識別のみに靈力したもの故、變異性を調べるための材料は既に十分にある。スイス國の有名な植物學者ドカンドルは世界中の樫の種類を殘らず集めて研究したが、初め標本の數の少い間は、各種屬を判然區別することが出來たが、追々標本の集まるに隨ひ曖昧なものが出て來て、前に判然區別のある二種と思つたものも、その間の境が解らなく成つて、大に困難を感ずるに至つた。例へば一本の枝だけを取つても、詳細に調べて見ると、葉柄の長さには三と一と位の相違があり、葉の形狀にも楕圓形と倒卵形とがあり、葉の周邊が完全なものもあり、鋸齒狀のものもあり、また羽狀に分れたものもあり、葉の尖端の鋭いものもあり、圓いものもあり、葉の基部の細いもの、圓いもの、或は心臟形に逼出したものもあり、葉の表面に細毛の生じたものもあり、平滑で全く毛のないものもあり、雄蘂の數にも種々の變異があり、果實の長さにも一と三と位の相違があり、果實の成熟する時期にも種々の變化があるといふやうな場合があるので、なかなか若干の標準に從つて種屬を確定することは容易でない。ドカンドルはこの有樣を見て、各種屬の間に判然した境界があると思ふのは標本を多く見ない中の謬見である、標本を多く見れば見るほど各種屬の特徴が定め難くなると論じた。

[やぶちゃん注:「樫」ブナ目ブナ科 Fagaceae の常緑高木の一群の総称。ウィキの「カシによれば、狭義にはコナラ属Quercus 中の常緑性の種をカシと呼ぶが、同じブナ科でマテバシイ属のシリブカガシもカシと呼ばれ、シイ属 Castanopsis も別名でクリガシ属と呼ばれる』とあるが、『英語で常緑性のカシのみを指す場合はライヴオーク(live oak)と呼ぶ。ヨーロッパにおける常緑性のカシ類の分布は南ヨーロッパに限られており、イギリスをはじめとする中欧・北欧に分布する oak は、日本語では植物学上ナラ(楢)と呼ばれているものばかりであるが、文学作品などではカシとして翻訳されている例が多く誤訳を元にした表記である』とあるから、或いはここも、ブナ科コナラ属 Quercus の中で本邦に植生しない種が多数含まれている、我々が「楢」と呼称する種の仲間が多数含まれていると考えるべきであろう。

「ドカンドル」オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール(Augustin Pyramus de Candolle 又は Augustin Pyrame de Candolle 一七七八年~一八四一年)はスイス生まれの植物学者。ダーウィンの自然淘汰の原理に影響を与えた〈自然の戦争〉の考え方を示し、異なる種が、類似する環境のもとで、同じような性質を発達させる、所謂、「相似(analogy)」の現象を認識した(現行の「平行進化」と同義であろう)。ウィキの「オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール他によれば、『また、一定の光の下でも、植物の葉の動きが日変化することを認識し、植物に内部的な生物時計があることを主張した』学者としても知られる。『ジュネーヴに役人の息子に生まれた。先祖は』十六世紀に『宗教迫害からジュネーヴに逃れたフランスの名家であった』。七歳の『時に水頭症にかかるが、文学などに才能をみせた。Collège Calvin』(コレージュ・カルバン:ジュネーブ最古の高等学校)『でジャン=ピエール・ヴォーシェ』(Jean Pierre Étienne Vaucher 一七六三年~一八四一年:スイスの神学者・植物学者で、藻類の研究で知られる)『に学び、植物学を研究することを決めた』。一七九六年にデオダ・ギー・スィルヴァン・タンクレード・グラーテ・ドゥ・ドロミュー(Déodat Guy Sylvain Tancrède Gratet de Dolomieu 一七五〇年~一八〇一年:フランスの地質学者・鉱物学者)『の招きをうけてパリに赴き』、一七九八年にはフランスの植物学者でパリ植物園植物学教授ルネ・デフォンテーヌ(René Louiche Desfontaines 一七五〇年~一八三三年)『の助けでシャルル=ルイ・レリティエ・ドゥ・ブリュテル』(Charles Louis L'Héritier de Brutelle 一七四六年~一八〇〇年):フランスの役人でアマチュア植物学者)『の薬草園で働いた。この仕事で評価を受け』、一七九九年に『最初の著書、Plantarum historia succulentarum(「肉質植物(サボテン)誌」:以下、書名和訳は私の自己流なので注意されたい。リンク先には和訳はない)『を出版し』、一八〇二年にAstragalogia(「ゲンゲ属」)を『出版した。ジョルジュ・キュヴィエやラマルクの注目するところとなり、キュビエの推薦で』、一八〇二年にコレージュ・ド・フランスで仕事を得、ラマルクからFlore française(「フランス植物誌」第三版の『編集を任された。この仕事で、カール・フォン・リンネの人工的分類法と異なる、植物の特徴に従う自然分類法を採用した』。一八〇四年にはEssai sur les propriétés médicales des plantes(「植物の医学的性質に関する考察」)を出版し、パリ大学の医学部から医学の学位を得た』。二年後、Synopsis plantarum in flora Gallica descriptarum(「ガリカ種(バラ属)の分類学的植物概説」)を『出版した。その後』六年間、『フランス政府の求めで、フランス各地の、植物、農業の調査を行った』。一八〇七年、『モンペリエ大学医学部の植物学の教授に任じられた』。一八一三年にThéorie élémentaire de la botanique(「植物学の基礎理論」)を『出版し、初めて分類体系(taxonomy)という用語を使った』。一八一六年に『ジュネーヴに戻り』、一八三四年まで『ジュネーヴ大学で植物学と動物学の教授を務めた』。一八一七年には『ジュネーヴで最初の植物園を設立し』ている。その後は、『植物の完全な分類をめざす著作』Regni vegetabillis systema natural(「植物界の自然系統」)の執筆に費やすが、二巻を『発行した時点で大規模なプロジェクトの完成を断念』、一八二四年からは、より小さいProdromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis(「植物界の自然系統序論」)の刊行を始め、初期構想の三分の二の分量に当たる七巻を完成した。種を百『以上の属に実証的な特徴で分類を行った』とある。

「逼出」「ひつしゆつ(ひっしゅつ)」恐らく、狭まって突き出ていることの意であろう。]

 以上はたゞ一例に過ぎないが、その他殆どどの植物を取つても之に似たことがある。何處の國でも有名な學者の著したその國産の植物誌を二三册も集めて比較して見ると、必ず一方の學者が五種と見倣すものを他の學者は十種と見倣すといふやうな識別の相矛盾する例が澤山にある。英國の書物から一例を擧げて見るに、英國産の大薔薇といふ一種には二十八通りも明な變種があり、その間には順々の移り行きがあつて境が判然せぬが、標本を一つづゝ別に見ると各々別種の如くに見えるので、之まで誰かの植物家が之に七十何種も名を附けたことが出て居る。倂し遠い英國の例を引くまでもなく、日本でも植物家の著述を彼此比較すると、甲が獨立の一種と見倣すものを乙は單に或る種類中の變種と認めて、互に説の合はぬ所が甚だ多い。シーボルドの植物誌と近頃の植物學雜誌とでも比較して見たら、かやうな例は殆ど幾らでも見附けることが出來る。

[やぶちゃん注:「シーボルドの植物誌」かの幕末に来日したドイツの医師・博物学者フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 一七九六年~一八六六年)が日本追放後、日本で採取した植物の押し葉標本(約一万二千点)を基に、ドイツの植物学者でミュンヘン大学教授であったヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニ(Joseph Gerhard Zuccarini 一七九七年~一八四八年)との共著で一八二五年から一八三〇年にかけて刊行したFauna Japonica(「日本植物誌」)。そこでの記載種数は二千三百種に及ぶ。]

2016/10/16

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(5) 五 習性の變異

 

     五 習性の變異

 

 外部の形狀、内部の構造の變異は數字を以て表に示せるが、動物の習性の變異の如きは、そのやうに精密には現せぬ。倂し習性にもなかなか變異の多いものであることは、次の二三の例でも解るであらう。抑々動物の習性に變異があるかないかといふことは、生物進化の往路を考へる上に大關係のある問題で、若し動物の習性に決して變異はないものとしたならば、動物の進化も容易には出來ぬ理窟である。それ故、近頃動物を研究する人は特にこの點に注意して居るが、丁寧に觀察して見ると、どの動物も習性の變異が隨分多くある。先年來アメリカの鳥類だけを專門に調べた某氏などは、その報告書の中に、鳥類の習性は決して從來人の思つて居た如くに一定不變のものではなく、一種中にも一疋每に多少の相違があり、産地が異なれば更に甚だしい相違があると特書した。


Nestor

[ネストル]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]

 

 ニュージーランドの中央の島の山地に棲むネストルといふ奇妙な鸚鵡があるが、この鳥は他の鸚鵡の如く從來、花の蜜を吸い、果實を食つて生きて居たものであるが、西洋人が移住し來つてから、その習性に思ひ掛けぬ變異が起つた。或る時羊の生皮が日に乾してある處に來て、之を喙(ちば)んだのが始(はじまり)で、急に肉食を好むやうになり、千八百六十八年即ち我明治元年頃から牧場に居る生きた羊の脊を喙み、肉に食い入り、殊に好んで腎臟を食ふやうになつた。羊は無論そのために死んでしまふ。斯く突然大害を生ずるやうになつたので、牧羊者は捨て置く譯に行かず、力を盡してその撲滅に從事したから、この面白い鸚鵡の種類も今では極めて稀になつた。孰れ遠からぬ中には全く種が盡きてしまふであらう。元來鸚鵡の種類は決して肉食せぬもの故、爪の丈夫なのも嘴の太く曲つて居るのも、皆たゞ樹木を攀ぢ、枝の上を巧に運動するためであるが、一旦習性が變ると、形の相似たのを幸に、直に之を鷲・鷹同樣に、肉を裂き食ふために利用する具合はなかなか妙である。

[やぶちゃん注:「ネストル」オウム目フクロウオウム科ミヤマオウム属ミヤマオウム Nestor notabilis ウィキの「ミヤマオウム」によれば、『マオリ語ではケア(Kea)。ほかに、ケアオウム、キアとも』。『ニュージーランド南島固有種』で、全長四十六センチメートル。体重七百グラムから一キログラムにも達する。『全身はオリーブグリーン色の羽毛で覆われ、翼下部の羽毛は赤い。頭部から腹部の羽毛は灰色がかっており、蝋膜』(ろうまく:猛禽類やオウム・インコなどの上の嘴の付け根を覆う肉質の部分)と『眼は濃い灰色』。幼鳥(零歳から三歳)は、『蝋膜、目の周りとくちばしが黄色』。『ミヤマオウム属は、カカ』(Nestor meridionalis)、『ミヤマオウム、絶滅種キムネカカ(ノーフォーク島カカ)』(Nestor productus)の三種を含む。三種類全ては千五百万年前の『ニュージーランドで『プロト・カカ』から分化したと考えられる』。『ミヤマオウム属に最も近い親類はフクロウオウム(カカポ)』(フクロウオウム属フクロウオウム Strigops habroptilus)『と考えられ、併せてフクロウオウム科 Strigopidae に分類される。この科はミヤマオウム科 Nestoridae とも呼ばれるが、先に記載された「Strigopidae」が有効である』。『高山帯の森林や草原等に生息する。別名は鳴き声に由来し、日本語話者には「きーあー」と聞こえる。食物の少ない環境に対する適応として知能や体力、学習能力、好奇心、協調性、適応性が極めて高く、ゴミ箱の蓋を外す、ボルトナットを外す、自転車のタイヤに噛み付いてパンクさせるなど、極めて簡単にこなせ、集団で協力して様々ないたずらをする』。『食性は雑食で、葉や花の蜜、果実、昆虫類、鳥類の雛等を食べる。穴居性の海鳥(ミズナギドリなど)の雛を襲う時は鋭い嘴で巣穴を掘り拡げ、中に潜む雛を掴み出して噛み殺す』。『入植者が植生を破壊し』、『羊を放牧する様になった後、集団で羊を襲ってその背中の肉を食べることがあったため』、『多数が射殺されたが、絶滅寸前になったため』、『一九八六年以降は法令によって保護されている』(レッド・リストの絶滅危惧種の絶滅寸前種(CR)指定)。『冬期にパン、バター、ファーストフード等の残飯を漁って食べる、スキー場のロッジで飲酒するなどの個体が認められ、冬期には、これら高カロリー食品を簡単に入手できる山岳地帯のスキー場の近傍に営巣するつがいも出現している』とある。グーグル画像検索「Nestor notabilisをリンクさせておく。]

 

 またヨーロッパからニュージーランドに輸入して放した雀類の小鳥なども、その習性が大に變じて、ヨーロッパに於けるとは根本的に形の違ふ巣を造るやうになつた。「ひわ」は雀と同じく元來穀物を食ふ鳥であるが、ハワイ附近のレイサン島に居る一種は海鳥の卵を食ふやうになつた。一體、習性といふものは餘程までは眞似(まね)に基づくもので、通常は餘り變異せぬもののやうに見えるが、一疋何か變つたことをするものが現れると、直に他のものが之に習つて、ここに新しい習性が出來る。それ故異なつた場所に移すと、動物の習性に變異を生ずることが比較的に多いのであらう。

[やぶちゃん注:「ひわ」スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae に属する鳥の中で一般的には種子食で嘴の太くがっしりした小鳥の総称。英語の「フィンチ」(finch)は、以前は、ヒワ亜科に似た穀食型の嘴をもつ他の科の鳥もひっくるめた総称として用いられたため、現在でもヒワ亜科でない別種の鳥にも英名「フィンチ」の残っている種が多い。ヒワ亜科には約百二十種が含まれ、ユーラシア・アフリカ・南北アメリカに広く分布し、日本でもヒワ亜科カワラヒワ属マヒワ Carduelis spinusなど十六種が棲息する(なお、「ヒワ(鶸)という和名の種は存在しない)。孰れも穀食型の短く太い嘴を持ち、主に樹木や草の種子を摂餌する。一般に雌雄異色で、雄は赤色又は黄色の羽色を有する種が多く、日本の伝統色である鶸色は、先のマヒワの雄の緑黄色に由来した色名である(以上は主に小学館「日本大百科全書」を参照した)。

「レイサン島」レイサン島(Laysan:ハワイ語:Kauō)はホノルルから千五百キロートル北西に位置する火山島。ウィキの「レイサン島」によれば、面積四平方キロメートルの長方形を成し、中心部にレイサン湖がある。この湖はハワイに五つだけ存在する貴重な天然の湖の一つであり、温泉が湧き出している。現地ハワイ語名の「Kauō」は「卵」を意味する。レイサン島では『固有種、固有亜種』で『人間の密猟や戦争行動、外来種の脅威によって絶滅』したツル目クイナ科ヒメクイナ属レイサンクイナ Porzana palmeri や、カモ目カモ科マガモ属レイサンマガモ Anas laysanensis(CR指定)、『絶滅寸前の』ヒワ亜科ハワイミツスイ族 Telespiza 属レイサンハワイマシコ Telespiza cantans (絶滅危惧種の絶滅危急種VU指定)といったもいるとあり、恐らくこの最後のレイサンハワイマシコ Telespiza cantans は、まさに丘先生の言う人間が持ち込んだヒワ類によってこういう状態に陥ったものとも思われる。]

 

 以上は動物の習性の變異の最も有名な例である。斯く著しい例は餘り多くはないが、前にも述べた通り多少の變異は極めて普通であるから、親子の間と雖も、習性が全く同一とは限らぬ。また同じ子孫の中でも、或るものは舊習性を守り、或るものは新習性を取ることもあり、その間に自然に相違が現れるのは素よりである。

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(4) 三 他の動物の變異 / 四 内臟の變異

     三 他の動物の變異

 

 下等動物には變異の甚だしいものが頗る多い。中にも海綿の類などは餘り變異が烈しいので、種屬を分類することが殆ど出來ぬ程のものもある。現に海綿の或る部類は種屬識別の標準の立て方次第で、一屬三種とも十一屬百三十五種とも見ることが出來るといふが、これらの動物ではたゞ變異があるばかりで、種屬の區別はないといつて宜しい。その他蝸牛などがまた變異の盛な動物で、何處の國に行つても、多くの變種のないことはない。フランスの或る學者の調によると、「森蝸牛」といふ一種には、百九十八の變種があり、「園蝸牛」といふ一種には九十の變種がある。我が國などでも、蝸牛の標本を數多く集めて見ると、一種每になかなか變異が多くて、往々自分の手に持つて居る標本が執れの種に屬するか、判斷に困ることがある。といつて宜しい。

[やぶちゃん注:「森蝸牛」「園蝸牛」孰れもこんな和名は聴いたことがない。フランス語で検索もしてみたが、当該種と思われるものを発見出来ない。個人的には、変種数の多さから見て、これは「森林性カタツムリ」(地上性と樹上性の二種がいるが、多くは湿度が一定以下に低下すると生きて行けない種群が多いとは思われる)と「都会性カタツムリ」(我々が日常的に観察出来る、人家の近くや庭、かなり人工の手の入った公園をフィールドする種群。但し、環境がかなり自然状態に近い自然公園の場合には森林性カタツムリが有意に観察されている)といった生息域による、現在ではやや非科学的な旧分類に基づく、別種を変種扱いにしているようにも思われる。識者の御教授を乞う。私は実は陸産貝類はテリトリでない。]

 

 蛤、「あさり」等の貝殼の斑紋にも、隨分變異が多い。或は全部白色のものもあり、或は全部色の濃いものもあり、または波形の模樣あるもの鋸の齒の如き斑あるものなど、一つ椀の中にあるだけでも全く同一のものは決してない。之は單に貝殼の外面の模樣に過ぎぬから、殆ど何の意味もないことと思ふ人もあるかも知れぬが、かやうに色の違ふのは、やはり之を生ずる内の方に一定の相違があるに基づくことであらう。

[やぶちゃん注:「内」ハマグリやアサリの生体として軟体部本体。その色や形状の違いを産み出すところの、分泌物や分泌システム、或いは殻を構成する際のシステムの手順の微妙な相異は、単に環境に対する適応・不適応の個体単位の反応のみでなく(それも無論、多い)、その種の中のある群の中に特徴的に遺伝的に組み込まれており、それが代々保存されている可能性を丘先生は示唆しているのであろう。]

 

 以上掲げたのは最も手近な例を二三選み出したに過ぎぬが、今日の生物測定學の結果を見ると、如何なる生物でも變異を現さぬものは一種もない。然も執れも隨分著しい變異を示して居る。

 

     四 内臟の變異

 

 動物各種の變異は身長・斑紋等の如き單に外部に顯れた點に於てのみではない。内部の細かい構造にもなかなか著しい變異がある。併し動物か一疋每に解剖することは、たゞ身長を測つたりするのとは違ひ、大に手數のかゝるもの故、多數の標本を解剖して比較した例は甚だ少い。たゞ解剖學者が解剖する際に、偶然發見した變異を記錄して置いたものだけであるが、それだけでも變異の甚しい例が既に澤山にある。

 脊骨の數、肋骨の數なども往々一種の動物内で變異があり、一二本多過ぎたり、足らなかつたりすることは、決して珍しくはない。通常、解剖の書物には煩を避けるために、何事もたゞ模範的のものだけが掲げてあるから、初學の者は總べてこの如きものばかりであると思ひ込み、實際解剖して見て書物と違ふので大に驚くことがあり、また氣の早い者は一廉(かど)の新事實を發見した積りで、非常に騷ぐこともある。どの器官にも多少の變異はあるが、血管・神經の配布などには特に變異が甚しい。

[やぶちゃん注:私の昔の同僚の生物の先生は肋骨の最下部の第十二肋骨が左右とも生まれつきないとおっしゃっていた。作家の竹中労氏の父君で画家として知られた竹中英太郎氏は内臓逆位(Situs inversus:内臓の配置が鏡に映したようにすべて左右反対であることを指す。百万に一人と言われる)であった。]

 

 次の表は獨逸國の水産局の係の人が、一つ處で取れた鯡(にしん)を三百疋ばかり解剖して調べた脊骨の數の變異を現すものである。縱の線は脊骨の數を示し、橫の線は百分比例で疋數の割合を示すやうに出來て居るが、總數の殆ど四割五分は五十五個の脊骨を有し、略々四割は五十六個の脊骨を有するに反し、五十七個の脊骨を有するは僅に一割、五十四個を有するは僅に五分に過ぎない。五十八個或は五十三個を有するものは總體の中に僅に五六疋よりない。かやうに疋數の多少には著しい相違はあるが、鯡の脊骨の數は少きは五十三個、多きは五十八個で、都合六個の變異がある。

[やぶちゃん注:「鯡」条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii。]

 

Misinsekituikotu

 

[鯡の脊椎の數の變異]

[やぶちゃん注: 国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。縦軸が「百疋に付」、横軸が「脊椎の數」。]

 

Kareisiribire

 

[鰈の臀鰭の線の數の異變]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。縦軸が「百疋に付」、横軸が「臀鰭の線の數」。]

 

 尚一つ掲げたのは、蝶(かれい)の臀鰭の骨の數の變異を示す表であるが、蝶は人の知る通り海底に橫臥して居る魚で、左右兩側は全く色が違ふて恰も他の魚類の背と腹との如くに見え、眞の背と腹とは却て他の魚類の左右兩側の如くに見える。而して斯く背と腹との同じく見えるは、普通の魚類では腹の後部にあるべき臀鰭といふ鰭が、非常に大きくて殆ど背鰭と同じ位になつて居る結果であるが、この臀鰭の骨の數を算へると、種々の變異を發見する。こゝに出した表はイギリス國のプリマスで取れた一種の蝶に就いてその變異を表したものであるが、四十二本・四十三本を有するものが最多數で、稀には三十八本に過ぎぬのもあれば、また四十八本もあるのも何疋かある。而して面白いことには同一種の蝶でも、産地によつてこの數が違ひ、ドイツ國北海岸の西部では、四十一本・四十二本のものが最多數で、東部へ行くと三十九本のものが最も多い。之を表に造れば産地が東へ寄る程、曲線の山の頂上に當る所が表の左方へ進んで行く譯である。

[やぶちゃん注:「蝶」条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科 Pleuronectidae に属するカレイ類であるが、私はこれは、ある程度、臀鰭(カレイ類の臀鰭とは頭部の傍にある小さな腹鰭から尾鰭の根元まで続く(多くの種では右に頭とした場合の手前の鰭。背鰭は有意に頭部近い位置から始まって尾鰭の根元まで)の骨を数え易い大型種で、しかも食用だけでなく、大型で単純な釣りとしても人気があり(とすれば、検体個体としても入手し易い)、更にプリマスの位置する北大西洋からドーヴァー海峡を経て北海ドイツ沿岸に多く分布するという点では、この「鰈の一種」とはオヒョウ属タイセイヨウオヒョウ Hippoglossus hippoglossus ではなかったかと推理している。]

 

 斯くの如く縱橫に線を引き、之によつて生物の變異の有樣を現すことは、今日生物測定學で最も普通に用ゐる方法である故、特にその例を示したのであるが、この法によれば生物の變異は何時も一つの弧線によつて現され、その弧線の形狀により變異の多少は素より、一種每の變異の爲樣(しやう)の特異の點までを一見して直に知ることが出來る。

2016/09/03

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(3) 二 鳥類の變異

     二 鳥類の變異

 

 鳥類は研究者の數も隨分多く、體の大さも通常寸法を測るのに丁度手頃(てごろ)であり、且從來鳥類を調べる人は標本を獲る每に身長、翼の長さ、嘴の長さ、足の長さ等を一疋づゝ詳しく測ることが、必要上習慣となつて居たので、變異に關する事實も自然他の動物に比すると餘程多く知れてある。

 雀でも鳥でもたゞ遠くから見て居ると、どの雀もどの鳥も全く同じやうで、互の間に少しも相違がないやうに思はれるが、親しく之を手に取つて比較して見ると、一疋として全く相同じきものがないのみならず、その間の相違は隨分著しいもので、身長・翼長等に一割半から二割或は二割半位までの差異のあることは殆ど常である。二割の相違といへば五尺と六尺との相違で、若し之が人間であつたならば一は雲突くやうな大男といはれ、一は徴兵にも取られぬ脊低(せびく)といはれる。人間ならば斯く著しく人の目に附く程の割合に相違して居ても、雀や烏であると一向人が知らずに居るのは、全く誰も之に注意せぬからである。無論こゝに述べたのは生長の終つたものばかりで、日々生長する幼鳥は除いての話である。鳥類の壽命は比較的甚だ長いが、人間と同じやうに一旦生長の終つた後は何年經ても身體に著しい增減はないから、以上述べた相違は一時的でなく、一生涯中の相違である。

[やぶちゃん注:「五尺と六尺との相違」一メートル五十一センチ五ミリと一メートル八十一センチ八ミリとの相違。]

 

Toriruiheni1

[鳥類の變異の表(一)]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。グラフは上から「嘴長」、「翼長」、「尾長」の順である。]

 

 我が國にはまだ十分な取調がないから、鳥類の變異の有樣を詳しく示すには、外國産のものを例に取らねばならぬが、こゝに掲げた表はアメリカ産の雀に似た鳥の變異を現したものである。先づこの表の造り方から述べて見るに、初中央へ一本の縱線を引き、之を平均の長さを示す目標とし、次に一疋づゝ鳥の身長を測り、數十疋ある標本を殘らず測り終つた後、その平均の長さを計算し置き、更に再び一疋ゝを取つてその實際の長さと、先に計算によつて得た平均の長さとの差を測り、例へば三分だけ平均より短かければ縱線の左へ三分隔つた處に一つ黑點を附け、五分だけ平均より長ければ、縱線の右へ五分隔つた處に一つ黑點を附けるといふやうにし、斯くして身長の調が濟めば、次には同樣の方法で翼長を調べ、また次に尾長を調べて造つたものである。それ故、各段に於て黑點の數は鳥の頭數を示し、各黑點の位置は平均との差異の多少を現す。この表一つだけを見ても如何に野生の鳥類に、夥しい變異があるか、明に推察が出來るであらう。

 

Toriruiheni2

[鳥類の變異の表(二)]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。グラフは上から「身長」、「翼長」、「尾長」、「嘴長」の順である。]

 

 尚一つこゝに掲げたのはアメリカ産の烏に似た鳥の變異の表である。前のと全く同じ方法で造つたもの故、別に説明にも及ばぬが、之には嘴の長さの變化が示してある。その他今日特別に鳥類の變異を調べて造つた表には、指の長さ、脚の長さ、眼の大きさ、羽毛の長短の順序などを丁寧に示したものが澤山にあるが、煩しいから、こゝには總べて略する。

2016/08/25

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(2) 一 昆蟲類の變異 

 

     一 昆蟲類の變異

 

[變異と適應]

Henitotekiou

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。学術文庫版ではこの図は省略されてしまっている。以下、キャプションを電子化する。

 

【右図外】

地方的變種の例

1「こひをどしてふ」中部ヨーロツパ産

2同南部ヨーロツパ産

3同北部ヨーロツパ産

【左図外】

季節的變種の例

4「あかまだら」夏形

5同冬形

變異の例

6789「はなばち」の一種、

雌雄二形、

10蝶の一種雌

11同雄

【図下部外】

水中生活に適する動物の例 12 13「かげろふ」の幼蟲と成蟲 14「まつもむし」

水中生活に適する植物の例 15 16「ひし」とその實 17「うめばちも」の一種

 

 以下の注で本図の生物の同定を試みるが、図自体がモノクロ(色彩変異が判別出来ない)な上に外国のものらしく、種までの正確な同定は困難である。

「こひをどしてふ」本邦産の、

昆虫綱双丘亜綱有翅下綱長節上目鱗翅(チョウ)目アゲハチョウ上科タテハチョウ科タテハチョウ亜科タテハチョウ族タテハチョウ族 Aglais 属コヒオドシ(小緋縅)Aglais urticae

のヨーロッパ産の別種、或いは同族か同属の仲間、或いは近縁種、或いは丘先生が執筆された当時は近縁種とされた別種と思われる。但し、図の三つともに前翅前縁にある紋様はコヒオドシ Aglais urticae のそれとよく一致する。なお、本種コヒオドシ Aglais urticae には「姫緋縅(ヒメヒオドシ)」の別名もある(ある学術データでは、これをアカタテハ属コヒオドシとし、学名を Vanessa urticae f. connexa とするのであるが、“f.”(品種)というのは解せないので採らない)。ウィキの「コヒオドシ」及びグーグル画像検索「Aglais urticaeをリンクさせておく。

「あかまだら」タテハチョウ科サカハチチョウ属アカマダラ Araschnia levana ウィキの「アカマダラ」によれば、分布は日本『国内では北海道のみで、渓畔に多いサカハチと違い平地・低山地にも広く生息する』。『国外では中央~東ヨーロッパの低地に広く分布し、その分布範囲を西ヨーロッパにも広げつつある』とし、本種は『春型と夏型で全く外見が異な』り、『夏に生まれたものは黒地に白の模様でイチモンジチョウ』(タテハチョウ科イチモンジチョウ亜科イチモンジチョウ族オオイチモンジ属イチモンジチョウ Limenitis camilla 。同種も固有のかなり異なった個体色彩変異(季節変異は不明瞭とどの記載にもあるからこれは地域変異か)を持つ。ウィキの「イチモンジチョウ」の画像を参照されたい)『を小型にしたような姿であり、春型にあるようなオレンジ色が見られない。これは幼虫時代の日照時間の長さが影響する(日を短くして飼育すると春型になる)』とある。ウィキの「アカマダラ」の画像で、その別種としか思えない季節二形が、よく判る。必見。

「はなばち」膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科 Apoidea に属する蜂類の内、幼虫の餌として花粉や蜜を蓄える種群の総称。私にはこの図ではこれ以上の同定は不能である。

「かげろふ」有翅亜綱旧翅下綱 Ephemeropteroidea上目蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeroptera の仲間。幼虫は総て水生。現在、二十三科三百十属二千二百から二千五百種が確認されており、この図からさらに限定することは私には出来ない。

「まつもむし」狭義には有翅下綱節顎上目カメムシ目カメムシ亜目タイコウチ下目マツモムシ上科マツモムシ科マツモムシ亜科マツモムシ属マツモムシ Notonecta triguttata を指すが、本邦だけでも三属(マツモムシ属・Anisops属・Enithares属)九種が棲息するから、本図のそれはマツモムシ属 Notonecta、或いはマツモムシ亜科 Notonectidae のレベルで留めておくのが無難であろう。

「ひし」フトモモ目ミソハギ科ヒシ属ヒシ Trapa japonica 或いは近縁種(本邦でもヒメビシ Trapa incisa・変種オニビシ Trapa natans var. japonica が植生する)。

学名

「うめばちも」「梅鉢藻」或いは「梅花藻」と表記する「ウメバチモ」は、日本固有種であるキンポウゲ目キンポウゲ科キンポウゲ属バイカモ亜属イチョウバイカモ変種バイカモ Ranunculus nipponicus var. submersus の別名であるから、この図のそれはバイカモ亜属 Batrachium のバイカモ類の一種としておくのがよい。

「雌雄二形」典型的な性的二形の例を示したものであろうが、もっと極端に異なった全く違う生物に見えるもの種(昆虫類でも数多くある)を示した方がよかったとは思う。一枚図版で処理しようとしたために、却って性的二形の実体の驚愕が伝わってこないのは遺憾である。]

 

 凡そ如何なる動植物の種類でも、標本を數多く集めて之を比較して見ると、一として總べての點で全く相同じきもののないことは、今日の研究で十分に解つて居るが、その互に相異なる點の性質によつては、特別の機械を以て精密に測らなければ解らぬやうなこともある。身長の差違、體重の差違等でも、天秤や物指しを用ゐなければ、明には知れぬが、況して體面の屈曲の度とか凸凹の深淺の割合とかの相違を調べるには、特にそのために造られた複雜な器械を用ゐなければならぬ。たゞ彩色・模樣等の相違は眼で見ただけでも一通りは解るから、野生動植物の變異性のことを述べるに當つては先づ模樣の變化の著しい例を第一に擧げてみよう。それには我が國何處にも普通に産する小形の黄蝶などが最も適切である。[やぶちゃん字注:最後の一文中の「どこにも」は底本では「どにこも」となっている。錯字と断じて特異的に訂した。]

 注ぎに掲げたのは黃蝶の圖であるが、翅は一面に美しい黃色で、たゞ前翅の尖端の處だけが黑色である。幼蟲は荳科の雜草の葉を食ふもの故、この蝶は到る處に澤山居るが、春から夏へ掛けて多數を採集し、之を竝べて見ると、翅の黑い處の多い少いに著しい變化があり、或る標本ではこの圖の(左上)のものの如く前翅の端が大部分黑く、後翅の緣も黑い程であるが、また他の標本ではこの圖の(右下)[やぶちゃん字注:これは「右上」或いは「右上と右下」とするべきである。]のものの如く翅は前後ともに全く黃色ばかりで、黑い處が殆どない。それ故、初めはこの蝶には幾種もあると思ひ、實際黑色の部の多少によつて之を數種に區別し、各種に一々學名を附けてあつたが、岐阜の名和氏、橫濱に居たプライヤー氏などの飼養實驗によつて、悉く一種内の變化に過ぎぬことが判然したので、今では之に種々の變化を現す黃蝶といふ意味の學名が附けてある。

[やぶちゃん注:「荳科」「マメか」。普通のマメ目マメ科 Fabaceae のこと。

「名和氏」ギフチョウ(アゲハチョウ科ウスバアゲハ亜科ギフチョウ族ギフチョウ属ギフチョウ Luehdorfia japonica)の再発見者(命名者)として知られる昆虫学者名和靖(安政四(一八五七)年~大正一五(一九二六)年)。美濃国本巣郡船木村字十五条(現在の岐阜県瑞穂市重里)生まれ。

「プライヤー氏」イギリスの動物学者ヘンリー・プライアー(Henry James Stovin Pryer 一八五〇年~明治二一(一八八八)年)。明治四(一八七一)年に中国を経て来日、横浜の保険会社に勤務する傍ら、同地で急逝するまで、昆虫類(特に脈翅目類(蝶・蛾))や鳥類を採集・研究した。単なるコレクターではなく、蝶を飼育して気候による変異型を明らかにした研究は高く評価されている。主著は日本産蝶類の初の図鑑「日本蝶類図譜」(一八八六年~一八八九年。本書の英文には和訳が添えられており、採集地に敬意を表した彼のナチュラリストとしての見識が窺える)、ブラキストン線で知られる、北海道に滞在したこともあるイギリスの貿易商で博物学者トーマス・ライト・ブレーキストン(Thomas Wright Blakiston 一八三二年~一八九一年)との共著「日本鳥類目録」(一八七八年~一八八二年)がある。

「今では之に種々の變化を現す黃蝶といふ意味の學名が附けてある」以下に注するように、現行のキチョウの学名はEurema hecabeであるが、これはリンネの命名によるものであるから、このような意味がこの種小名にあるはずはない(これはギリシア神話に登場するイリオスの王プリアモスの妻女王ヘカベー(ラテン語:Hecuba)の名由来であると思うが、この女王にはそのような伝承はない。或いは、彼女が十九人もの子を産んだことに由来するか? ウィキの「ヘカベーを参照されたい)。不審。或いは、以前に別な種小名(シノニム)があったものか? 識者の御教授を乞う。因みに属名はギリシャ語の「発見・発明」の意の“heurema”の語頭の“h”を省略したもの)。]

 

Kityounoheni

[黃蝶の變化

(翅端の黑き部分の有無多少を示す)]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。本種は普通に見られる、

鱗翅目Glossata亜目Heteroneura下目アゲハチョウ上科シロチョウ科モンキチョウ亜科キチョウ属キチョウ Eurema hecabe

であるが、ウィキの「キチョウ」によれば、『従来「キチョウ」とされていた種は、キチョウ(ミナミキチョウ、南西諸島に分布)とキタキチョウ(Eurema mandarina、本州~南西諸島に分布)の』二種に『分けられることになったが、外見による識別は困難』とする。前翅長は二〇~二七ミリメートルで、『近縁のモンキチョウ』(モンキチョウ属モンキチョウ Colias erate)『よりもやや小さい。翅は黃色で、雄の方が濃い色をしている。前翅、後翅とも外縁は黑色に縁どられ、裏面に褐色の斑点がある。夏型と秋型があり、前者は外縁の黑帯の幅が広いが、後者は黑色の縁が先端に少し残るか、もしくはない。成虫は年に』五、六回『発生し、越冬も行う。早春には活発に飛び回る姿が見られる』とある。]

 

 黃蝶のみに限らず、蝶類は一體に甚だ變異の多い動物で、目本に普通な「べにしゞみ」といふ奇麗な小蝶も、採集の時と場所とに隨つて、紅色の著しいものもあり、また黑色の勝つたものもある。また揚羽蝶(あげはてふ)の中には産地によつて後翅から後へ出て居る尾のやうなものが有つたり無かつたりする種類もある。他の昆蟲類とても隨分變異が著しい。或る甲蟲類では翅が有つたり無かつたりする程の甚だしい變異を一種内に見ることがある。また昆蟲類の變異は成蟲に限る譯ではなく、隨分幼蟲や蛹などにも盛な變異があり、或る學者の調によると、一種の蛾の幼蟲に十六通りも變異があつた場合がある。今日昆蟲學者と稱して昆蟲を採集する人は世界中に何萬人あるか知らぬが、多くはたゞ新種らしきものを發見し記載することばかりに力を盡し、この面白い變異性の現象を學術的に研究する人は、西洋でも比較的甚だ少い。

[やぶちゃん注:「べにしゞみ」アゲハチョウ上科シジミチョウ科ベニシジミ亜科ベニシジミ属ベニシジミ Lycaena phlaeas ウィキの「ベニシジミによれば、『春に日当たりの良い草原でよく見られる小さな赤褐色のチョウである。成虫の前翅長は』一・五センチメートルほどで、『前翅の表は黒褐色の縁取りがあり、赤橙色の地に黒い斑点がある。後翅の表は黒褐色だが、翅の縁に赤橙色の帯模様がある。翅の裏は表の黒褐色部分が灰色に置き換わっている。時に白化する場合もある』。『成虫は年に』三~五回ほど、『春から秋にかけて発生するが、特に春から初夏』、四月から六月にかけて『多く見られる。春に発生する成虫(春型)は赤橙色の部分が鮮やかだが、夏に発生する成虫(夏型)は黒褐色部分が太く、黒い斑点も大粒になる』とある。

「揚羽蝶(あげはてふ)」アゲハチョウ上科アゲハチョウ科 Papilionidae に属するアゲハチョウ類。世界で五百五十種ほどが知られる。

「或る甲蟲類では翅が有つたり無かつたりする程の甚だしい變異を一種内に見ることがある」甲虫類(鞘翅(コウチュウ)目 Coleoptera)に限定され、しかも「翅が」退化したのではなく、「無」いとなると、昆虫の苦手な私には直ぐには浮かばない(性的二形での翅が退化していて飛べない種なら、例えば鞘翅目多食(カブトムシ)亜目ホタル上科ホタル科ホタル属ヒメボタル Luciola parvula がいる)。識者の御教授を乞う。

「調」「しらべ」。]

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