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カテゴリー「「進化論講話」丘淺次郎」の28件の記事

2016/12/12

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(6) 六 植物の變異 / 第五章 野生の動植物の變異~了

 

     六 植物の變異

 

 植物の變異は餘程著しい例が多い。從來植物學者といへば少數の植物生理學などを除けば、その他は皆植物の分類即ち種屬識別のみに靈力したもの故、變異性を調べるための材料は既に十分にある。スイス國の有名な植物學者ドカンドルは世界中の樫の種類を殘らず集めて研究したが、初め標本の數の少い間は、各種屬を判然區別することが出來たが、追々標本の集まるに隨ひ曖昧なものが出て來て、前に判然區別のある二種と思つたものも、その間の境が解らなく成つて、大に困難を感ずるに至つた。例へば一本の枝だけを取つても、詳細に調べて見ると、葉柄の長さには三と一と位の相違があり、葉の形狀にも楕圓形と倒卵形とがあり、葉の周邊が完全なものもあり、鋸齒狀のものもあり、また羽狀に分れたものもあり、葉の尖端の鋭いものもあり、圓いものもあり、葉の基部の細いもの、圓いもの、或は心臟形に逼出したものもあり、葉の表面に細毛の生じたものもあり、平滑で全く毛のないものもあり、雄蘂の數にも種々の變異があり、果實の長さにも一と三と位の相違があり、果實の成熟する時期にも種々の變化があるといふやうな場合があるので、なかなか若干の標準に從つて種屬を確定することは容易でない。ドカンドルはこの有樣を見て、各種屬の間に判然した境界があると思ふのは標本を多く見ない中の謬見である、標本を多く見れば見るほど各種屬の特徴が定め難くなると論じた。

[やぶちゃん注:「樫」ブナ目ブナ科 Fagaceae の常緑高木の一群の総称。ウィキの「カシによれば、狭義にはコナラ属Quercus 中の常緑性の種をカシと呼ぶが、同じブナ科でマテバシイ属のシリブカガシもカシと呼ばれ、シイ属 Castanopsis も別名でクリガシ属と呼ばれる』とあるが、『英語で常緑性のカシのみを指す場合はライヴオーク(live oak)と呼ぶ。ヨーロッパにおける常緑性のカシ類の分布は南ヨーロッパに限られており、イギリスをはじめとする中欧・北欧に分布する oak は、日本語では植物学上ナラ(楢)と呼ばれているものばかりであるが、文学作品などではカシとして翻訳されている例が多く誤訳を元にした表記である』とあるから、或いはここも、ブナ科コナラ属 Quercus の中で本邦に植生しない種が多数含まれている、我々が「楢」と呼称する種の仲間が多数含まれていると考えるべきであろう。

「ドカンドル」オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール(Augustin Pyramus de Candolle 又は Augustin Pyrame de Candolle 一七七八年~一八四一年)はスイス生まれの植物学者。ダーウィンの自然淘汰の原理に影響を与えた〈自然の戦争〉の考え方を示し、異なる種が、類似する環境のもとで、同じような性質を発達させる、所謂、「相似(analogy)」の現象を認識した(現行の「平行進化」と同義であろう)。ウィキの「オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール他によれば、『また、一定の光の下でも、植物の葉の動きが日変化することを認識し、植物に内部的な生物時計があることを主張した』学者としても知られる。『ジュネーヴに役人の息子に生まれた。先祖は』十六世紀に『宗教迫害からジュネーヴに逃れたフランスの名家であった』。七歳の『時に水頭症にかかるが、文学などに才能をみせた。Collège Calvin』(コレージュ・カルバン:ジュネーブ最古の高等学校)『でジャン=ピエール・ヴォーシェ』(Jean Pierre Étienne Vaucher 一七六三年~一八四一年:スイスの神学者・植物学者で、藻類の研究で知られる)『に学び、植物学を研究することを決めた』。一七九六年にデオダ・ギー・スィルヴァン・タンクレード・グラーテ・ドゥ・ドロミュー(Déodat Guy Sylvain Tancrède Gratet de Dolomieu 一七五〇年~一八〇一年:フランスの地質学者・鉱物学者)『の招きをうけてパリに赴き』、一七九八年にはフランスの植物学者でパリ植物園植物学教授ルネ・デフォンテーヌ(René Louiche Desfontaines 一七五〇年~一八三三年)『の助けでシャルル=ルイ・レリティエ・ドゥ・ブリュテル』(Charles Louis L'Héritier de Brutelle 一七四六年~一八〇〇年):フランスの役人でアマチュア植物学者)『の薬草園で働いた。この仕事で評価を受け』、一七九九年に『最初の著書、Plantarum historia succulentarum(「肉質植物(サボテン)誌」:以下、書名和訳は私の自己流なので注意されたい。リンク先には和訳はない)『を出版し』、一八〇二年にAstragalogia(「ゲンゲ属」)を『出版した。ジョルジュ・キュヴィエやラマルクの注目するところとなり、キュビエの推薦で』、一八〇二年にコレージュ・ド・フランスで仕事を得、ラマルクからFlore française(「フランス植物誌」第三版の『編集を任された。この仕事で、カール・フォン・リンネの人工的分類法と異なる、植物の特徴に従う自然分類法を採用した』。一八〇四年にはEssai sur les propriétés médicales des plantes(「植物の医学的性質に関する考察」)を出版し、パリ大学の医学部から医学の学位を得た』。二年後、Synopsis plantarum in flora Gallica descriptarum(「ガリカ種(バラ属)の分類学的植物概説」)を『出版した。その後』六年間、『フランス政府の求めで、フランス各地の、植物、農業の調査を行った』。一八〇七年、『モンペリエ大学医学部の植物学の教授に任じられた』。一八一三年にThéorie élémentaire de la botanique(「植物学の基礎理論」)を『出版し、初めて分類体系(taxonomy)という用語を使った』。一八一六年に『ジュネーヴに戻り』、一八三四年まで『ジュネーヴ大学で植物学と動物学の教授を務めた』。一八一七年には『ジュネーヴで最初の植物園を設立し』ている。その後は、『植物の完全な分類をめざす著作』Regni vegetabillis systema natural(「植物界の自然系統」)の執筆に費やすが、二巻を『発行した時点で大規模なプロジェクトの完成を断念』、一八二四年からは、より小さいProdromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis(「植物界の自然系統序論」)の刊行を始め、初期構想の三分の二の分量に当たる七巻を完成した。種を百『以上の属に実証的な特徴で分類を行った』とある。

「逼出」「ひつしゆつ(ひっしゅつ)」恐らく、狭まって突き出ていることの意であろう。]

 以上はたゞ一例に過ぎないが、その他殆どどの植物を取つても之に似たことがある。何處の國でも有名な學者の著したその國産の植物誌を二三册も集めて比較して見ると、必ず一方の學者が五種と見倣すものを他の學者は十種と見倣すといふやうな識別の相矛盾する例が澤山にある。英國の書物から一例を擧げて見るに、英國産の大薔薇といふ一種には二十八通りも明な變種があり、その間には順々の移り行きがあつて境が判然せぬが、標本を一つづゝ別に見ると各々別種の如くに見えるので、之まで誰かの植物家が之に七十何種も名を附けたことが出て居る。倂し遠い英國の例を引くまでもなく、日本でも植物家の著述を彼此比較すると、甲が獨立の一種と見倣すものを乙は單に或る種類中の變種と認めて、互に説の合はぬ所が甚だ多い。シーボルドの植物誌と近頃の植物學雜誌とでも比較して見たら、かやうな例は殆ど幾らでも見附けることが出來る。

[やぶちゃん注:「シーボルドの植物誌」かの幕末に来日したドイツの医師・博物学者フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 一七九六年~一八六六年)が日本追放後、日本で採取した植物の押し葉標本(約一万二千点)を基に、ドイツの植物学者でミュンヘン大学教授であったヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニ(Joseph Gerhard Zuccarini 一七九七年~一八四八年)との共著で一八二五年から一八三〇年にかけて刊行したFauna Japonica(「日本植物誌」)。そこでの記載種数は二千三百種に及ぶ。]

2016/10/16

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(5) 五 習性の變異

 

     五 習性の變異

 

 外部の形狀、内部の構造の變異は數字を以て表に示せるが、動物の習性の變異の如きは、そのやうに精密には現せぬ。倂し習性にもなかなか變異の多いものであることは、次の二三の例でも解るであらう。抑々動物の習性に變異があるかないかといふことは、生物進化の往路を考へる上に大關係のある問題で、若し動物の習性に決して變異はないものとしたならば、動物の進化も容易には出來ぬ理窟である。それ故、近頃動物を研究する人は特にこの點に注意して居るが、丁寧に觀察して見ると、どの動物も習性の變異が隨分多くある。先年來アメリカの鳥類だけを專門に調べた某氏などは、その報告書の中に、鳥類の習性は決して從來人の思つて居た如くに一定不變のものではなく、一種中にも一疋每に多少の相違があり、産地が異なれば更に甚だしい相違があると特書した。


Nestor

[ネストル]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]

 

 ニュージーランドの中央の島の山地に棲むネストルといふ奇妙な鸚鵡があるが、この鳥は他の鸚鵡の如く從來、花の蜜を吸い、果實を食つて生きて居たものであるが、西洋人が移住し來つてから、その習性に思ひ掛けぬ變異が起つた。或る時羊の生皮が日に乾してある處に來て、之を喙(ちば)んだのが始(はじまり)で、急に肉食を好むやうになり、千八百六十八年即ち我明治元年頃から牧場に居る生きた羊の脊を喙み、肉に食い入り、殊に好んで腎臟を食ふやうになつた。羊は無論そのために死んでしまふ。斯く突然大害を生ずるやうになつたので、牧羊者は捨て置く譯に行かず、力を盡してその撲滅に從事したから、この面白い鸚鵡の種類も今では極めて稀になつた。孰れ遠からぬ中には全く種が盡きてしまふであらう。元來鸚鵡の種類は決して肉食せぬもの故、爪の丈夫なのも嘴の太く曲つて居るのも、皆たゞ樹木を攀ぢ、枝の上を巧に運動するためであるが、一旦習性が變ると、形の相似たのを幸に、直に之を鷲・鷹同樣に、肉を裂き食ふために利用する具合はなかなか妙である。

[やぶちゃん注:「ネストル」オウム目フクロウオウム科ミヤマオウム属ミヤマオウム Nestor notabilis ウィキの「ミヤマオウム」によれば、『マオリ語ではケア(Kea)。ほかに、ケアオウム、キアとも』。『ニュージーランド南島固有種』で、全長四十六センチメートル。体重七百グラムから一キログラムにも達する。『全身はオリーブグリーン色の羽毛で覆われ、翼下部の羽毛は赤い。頭部から腹部の羽毛は灰色がかっており、蝋膜』(ろうまく:猛禽類やオウム・インコなどの上の嘴の付け根を覆う肉質の部分)と『眼は濃い灰色』。幼鳥(零歳から三歳)は、『蝋膜、目の周りとくちばしが黄色』。『ミヤマオウム属は、カカ』(Nestor meridionalis)、『ミヤマオウム、絶滅種キムネカカ(ノーフォーク島カカ)』(Nestor productus)の三種を含む。三種類全ては千五百万年前の『ニュージーランドで『プロト・カカ』から分化したと考えられる』。『ミヤマオウム属に最も近い親類はフクロウオウム(カカポ)』(フクロウオウム属フクロウオウム Strigops habroptilus)『と考えられ、併せてフクロウオウム科 Strigopidae に分類される。この科はミヤマオウム科 Nestoridae とも呼ばれるが、先に記載された「Strigopidae」が有効である』。『高山帯の森林や草原等に生息する。別名は鳴き声に由来し、日本語話者には「きーあー」と聞こえる。食物の少ない環境に対する適応として知能や体力、学習能力、好奇心、協調性、適応性が極めて高く、ゴミ箱の蓋を外す、ボルトナットを外す、自転車のタイヤに噛み付いてパンクさせるなど、極めて簡単にこなせ、集団で協力して様々ないたずらをする』。『食性は雑食で、葉や花の蜜、果実、昆虫類、鳥類の雛等を食べる。穴居性の海鳥(ミズナギドリなど)の雛を襲う時は鋭い嘴で巣穴を掘り拡げ、中に潜む雛を掴み出して噛み殺す』。『入植者が植生を破壊し』、『羊を放牧する様になった後、集団で羊を襲ってその背中の肉を食べることがあったため』、『多数が射殺されたが、絶滅寸前になったため』、『一九八六年以降は法令によって保護されている』(レッド・リストの絶滅危惧種の絶滅寸前種(CR)指定)。『冬期にパン、バター、ファーストフード等の残飯を漁って食べる、スキー場のロッジで飲酒するなどの個体が認められ、冬期には、これら高カロリー食品を簡単に入手できる山岳地帯のスキー場の近傍に営巣するつがいも出現している』とある。グーグル画像検索「Nestor notabilisをリンクさせておく。]

 

 またヨーロッパからニュージーランドに輸入して放した雀類の小鳥なども、その習性が大に變じて、ヨーロッパに於けるとは根本的に形の違ふ巣を造るやうになつた。「ひわ」は雀と同じく元來穀物を食ふ鳥であるが、ハワイ附近のレイサン島に居る一種は海鳥の卵を食ふやうになつた。一體、習性といふものは餘程までは眞似(まね)に基づくもので、通常は餘り變異せぬもののやうに見えるが、一疋何か變つたことをするものが現れると、直に他のものが之に習つて、ここに新しい習性が出來る。それ故異なつた場所に移すと、動物の習性に變異を生ずることが比較的に多いのであらう。

[やぶちゃん注:「ひわ」スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae に属する鳥の中で一般的には種子食で嘴の太くがっしりした小鳥の総称。英語の「フィンチ」(finch)は、以前は、ヒワ亜科に似た穀食型の嘴をもつ他の科の鳥もひっくるめた総称として用いられたため、現在でもヒワ亜科でない別種の鳥にも英名「フィンチ」の残っている種が多い。ヒワ亜科には約百二十種が含まれ、ユーラシア・アフリカ・南北アメリカに広く分布し、日本でもヒワ亜科カワラヒワ属マヒワ Carduelis spinusなど十六種が棲息する(なお、「ヒワ(鶸)という和名の種は存在しない)。孰れも穀食型の短く太い嘴を持ち、主に樹木や草の種子を摂餌する。一般に雌雄異色で、雄は赤色又は黄色の羽色を有する種が多く、日本の伝統色である鶸色は、先のマヒワの雄の緑黄色に由来した色名である(以上は主に小学館「日本大百科全書」を参照した)。

「レイサン島」レイサン島(Laysan:ハワイ語:Kauō)はホノルルから千五百キロートル北西に位置する火山島。ウィキの「レイサン島」によれば、面積四平方キロメートルの長方形を成し、中心部にレイサン湖がある。この湖はハワイに五つだけ存在する貴重な天然の湖の一つであり、温泉が湧き出している。現地ハワイ語名の「Kauō」は「卵」を意味する。レイサン島では『固有種、固有亜種』で『人間の密猟や戦争行動、外来種の脅威によって絶滅』したツル目クイナ科ヒメクイナ属レイサンクイナ Porzana palmeri や、カモ目カモ科マガモ属レイサンマガモ Anas laysanensis(CR指定)、『絶滅寸前の』ヒワ亜科ハワイミツスイ族 Telespiza 属レイサンハワイマシコ Telespiza cantans (絶滅危惧種の絶滅危急種VU指定)といったもいるとあり、恐らくこの最後のレイサンハワイマシコ Telespiza cantans は、まさに丘先生の言う人間が持ち込んだヒワ類によってこういう状態に陥ったものとも思われる。]

 

 以上は動物の習性の變異の最も有名な例である。斯く著しい例は餘り多くはないが、前にも述べた通り多少の變異は極めて普通であるから、親子の間と雖も、習性が全く同一とは限らぬ。また同じ子孫の中でも、或るものは舊習性を守り、或るものは新習性を取ることもあり、その間に自然に相違が現れるのは素よりである。

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(4) 三 他の動物の變異 / 四 内臟の變異

     三 他の動物の變異

 

 下等動物には變異の甚だしいものが頗る多い。中にも海綿の類などは餘り變異が烈しいので、種屬を分類することが殆ど出來ぬ程のものもある。現に海綿の或る部類は種屬識別の標準の立て方次第で、一屬三種とも十一屬百三十五種とも見ることが出來るといふが、これらの動物ではたゞ變異があるばかりで、種屬の區別はないといつて宜しい。その他蝸牛などがまた變異の盛な動物で、何處の國に行つても、多くの變種のないことはない。フランスの或る學者の調によると、「森蝸牛」といふ一種には、百九十八の變種があり、「園蝸牛」といふ一種には九十の變種がある。我が國などでも、蝸牛の標本を數多く集めて見ると、一種每になかなか變異が多くて、往々自分の手に持つて居る標本が執れの種に屬するか、判斷に困ることがある。といつて宜しい。

[やぶちゃん注:「森蝸牛」「園蝸牛」孰れもこんな和名は聴いたことがない。フランス語で検索もしてみたが、当該種と思われるものを発見出来ない。個人的には、変種数の多さから見て、これは「森林性カタツムリ」(地上性と樹上性の二種がいるが、多くは湿度が一定以下に低下すると生きて行けない種群が多いとは思われる)と「都会性カタツムリ」(我々が日常的に観察出来る、人家の近くや庭、かなり人工の手の入った公園をフィールドする種群。但し、環境がかなり自然状態に近い自然公園の場合には森林性カタツムリが有意に観察されている)といった生息域による、現在ではやや非科学的な旧分類に基づく、別種を変種扱いにしているようにも思われる。識者の御教授を乞う。私は実は陸産貝類はテリトリでない。]

 

 蛤、「あさり」等の貝殼の斑紋にも、隨分變異が多い。或は全部白色のものもあり、或は全部色の濃いものもあり、または波形の模樣あるもの鋸の齒の如き斑あるものなど、一つ椀の中にあるだけでも全く同一のものは決してない。之は單に貝殼の外面の模樣に過ぎぬから、殆ど何の意味もないことと思ふ人もあるかも知れぬが、かやうに色の違ふのは、やはり之を生ずる内の方に一定の相違があるに基づくことであらう。

[やぶちゃん注:「内」ハマグリやアサリの生体として軟体部本体。その色や形状の違いを産み出すところの、分泌物や分泌システム、或いは殻を構成する際のシステムの手順の微妙な相異は、単に環境に対する適応・不適応の個体単位の反応のみでなく(それも無論、多い)、その種の中のある群の中に特徴的に遺伝的に組み込まれており、それが代々保存されている可能性を丘先生は示唆しているのであろう。]

 

 以上掲げたのは最も手近な例を二三選み出したに過ぎぬが、今日の生物測定學の結果を見ると、如何なる生物でも變異を現さぬものは一種もない。然も執れも隨分著しい變異を示して居る。

 

     四 内臟の變異

 

 動物各種の變異は身長・斑紋等の如き單に外部に顯れた點に於てのみではない。内部の細かい構造にもなかなか著しい變異がある。併し動物か一疋每に解剖することは、たゞ身長を測つたりするのとは違ひ、大に手數のかゝるもの故、多數の標本を解剖して比較した例は甚だ少い。たゞ解剖學者が解剖する際に、偶然發見した變異を記錄して置いたものだけであるが、それだけでも變異の甚しい例が既に澤山にある。

 脊骨の數、肋骨の數なども往々一種の動物内で變異があり、一二本多過ぎたり、足らなかつたりすることは、決して珍しくはない。通常、解剖の書物には煩を避けるために、何事もたゞ模範的のものだけが掲げてあるから、初學の者は總べてこの如きものばかりであると思ひ込み、實際解剖して見て書物と違ふので大に驚くことがあり、また氣の早い者は一廉(かど)の新事實を發見した積りで、非常に騷ぐこともある。どの器官にも多少の變異はあるが、血管・神經の配布などには特に變異が甚しい。

[やぶちゃん注:私の昔の同僚の生物の先生は肋骨の最下部の第十二肋骨が左右とも生まれつきないとおっしゃっていた。作家の竹中労氏の父君で画家として知られた竹中英太郎氏は内臓逆位(Situs inversus:内臓の配置が鏡に映したようにすべて左右反対であることを指す。百万に一人と言われる)であった。]

 

 次の表は獨逸國の水産局の係の人が、一つ處で取れた鯡(にしん)を三百疋ばかり解剖して調べた脊骨の數の變異を現すものである。縱の線は脊骨の數を示し、橫の線は百分比例で疋數の割合を示すやうに出來て居るが、總數の殆ど四割五分は五十五個の脊骨を有し、略々四割は五十六個の脊骨を有するに反し、五十七個の脊骨を有するは僅に一割、五十四個を有するは僅に五分に過ぎない。五十八個或は五十三個を有するものは總體の中に僅に五六疋よりない。かやうに疋數の多少には著しい相違はあるが、鯡の脊骨の數は少きは五十三個、多きは五十八個で、都合六個の變異がある。

[やぶちゃん注:「鯡」条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii。]

 

Misinsekituikotu

 

[鯡の脊椎の數の變異]

[やぶちゃん注: 国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。縦軸が「百疋に付」、横軸が「脊椎の數」。]

 

Kareisiribire

 

[鰈の臀鰭の線の數の異變]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。縦軸が「百疋に付」、横軸が「臀鰭の線の數」。]

 

 尚一つ掲げたのは、蝶(かれい)の臀鰭の骨の數の變異を示す表であるが、蝶は人の知る通り海底に橫臥して居る魚で、左右兩側は全く色が違ふて恰も他の魚類の背と腹との如くに見え、眞の背と腹とは却て他の魚類の左右兩側の如くに見える。而して斯く背と腹との同じく見えるは、普通の魚類では腹の後部にあるべき臀鰭といふ鰭が、非常に大きくて殆ど背鰭と同じ位になつて居る結果であるが、この臀鰭の骨の數を算へると、種々の變異を發見する。こゝに出した表はイギリス國のプリマスで取れた一種の蝶に就いてその變異を表したものであるが、四十二本・四十三本を有するものが最多數で、稀には三十八本に過ぎぬのもあれば、また四十八本もあるのも何疋かある。而して面白いことには同一種の蝶でも、産地によつてこの數が違ひ、ドイツ國北海岸の西部では、四十一本・四十二本のものが最多數で、東部へ行くと三十九本のものが最も多い。之を表に造れば産地が東へ寄る程、曲線の山の頂上に當る所が表の左方へ進んで行く譯である。

[やぶちゃん注:「蝶」条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科 Pleuronectidae に属するカレイ類であるが、私はこれは、ある程度、臀鰭(カレイ類の臀鰭とは頭部の傍にある小さな腹鰭から尾鰭の根元まで続く(多くの種では右に頭とした場合の手前の鰭。背鰭は有意に頭部近い位置から始まって尾鰭の根元まで)の骨を数え易い大型種で、しかも食用だけでなく、大型で単純な釣りとしても人気があり(とすれば、検体個体としても入手し易い)、更にプリマスの位置する北大西洋からドーヴァー海峡を経て北海ドイツ沿岸に多く分布するという点では、この「鰈の一種」とはオヒョウ属タイセイヨウオヒョウ Hippoglossus hippoglossus ではなかったかと推理している。]

 

 斯くの如く縱橫に線を引き、之によつて生物の變異の有樣を現すことは、今日生物測定學で最も普通に用ゐる方法である故、特にその例を示したのであるが、この法によれば生物の變異は何時も一つの弧線によつて現され、その弧線の形狀により變異の多少は素より、一種每の變異の爲樣(しやう)の特異の點までを一見して直に知ることが出來る。

2016/09/03

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(3) 二 鳥類の變異

     二 鳥類の變異

 

 鳥類は研究者の數も隨分多く、體の大さも通常寸法を測るのに丁度手頃(てごろ)であり、且從來鳥類を調べる人は標本を獲る每に身長、翼の長さ、嘴の長さ、足の長さ等を一疋づゝ詳しく測ることが、必要上習慣となつて居たので、變異に關する事實も自然他の動物に比すると餘程多く知れてある。

 雀でも鳥でもたゞ遠くから見て居ると、どの雀もどの鳥も全く同じやうで、互の間に少しも相違がないやうに思はれるが、親しく之を手に取つて比較して見ると、一疋として全く相同じきものがないのみならず、その間の相違は隨分著しいもので、身長・翼長等に一割半から二割或は二割半位までの差異のあることは殆ど常である。二割の相違といへば五尺と六尺との相違で、若し之が人間であつたならば一は雲突くやうな大男といはれ、一は徴兵にも取られぬ脊低(せびく)といはれる。人間ならば斯く著しく人の目に附く程の割合に相違して居ても、雀や烏であると一向人が知らずに居るのは、全く誰も之に注意せぬからである。無論こゝに述べたのは生長の終つたものばかりで、日々生長する幼鳥は除いての話である。鳥類の壽命は比較的甚だ長いが、人間と同じやうに一旦生長の終つた後は何年經ても身體に著しい增減はないから、以上述べた相違は一時的でなく、一生涯中の相違である。

[やぶちゃん注:「五尺と六尺との相違」一メートル五十一センチ五ミリと一メートル八十一センチ八ミリとの相違。]

 

Toriruiheni1

[鳥類の變異の表(一)]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。グラフは上から「嘴長」、「翼長」、「尾長」の順である。]

 

 我が國にはまだ十分な取調がないから、鳥類の變異の有樣を詳しく示すには、外國産のものを例に取らねばならぬが、こゝに掲げた表はアメリカ産の雀に似た鳥の變異を現したものである。先づこの表の造り方から述べて見るに、初中央へ一本の縱線を引き、之を平均の長さを示す目標とし、次に一疋づゝ鳥の身長を測り、數十疋ある標本を殘らず測り終つた後、その平均の長さを計算し置き、更に再び一疋ゝを取つてその實際の長さと、先に計算によつて得た平均の長さとの差を測り、例へば三分だけ平均より短かければ縱線の左へ三分隔つた處に一つ黑點を附け、五分だけ平均より長ければ、縱線の右へ五分隔つた處に一つ黑點を附けるといふやうにし、斯くして身長の調が濟めば、次には同樣の方法で翼長を調べ、また次に尾長を調べて造つたものである。それ故、各段に於て黑點の數は鳥の頭數を示し、各黑點の位置は平均との差異の多少を現す。この表一つだけを見ても如何に野生の鳥類に、夥しい變異があるか、明に推察が出來るであらう。

 

Toriruiheni2

[鳥類の變異の表(二)]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。グラフは上から「身長」、「翼長」、「尾長」、「嘴長」の順である。]

 

 尚一つこゝに掲げたのはアメリカ産の烏に似た鳥の變異の表である。前のと全く同じ方法で造つたもの故、別に説明にも及ばぬが、之には嘴の長さの變化が示してある。その他今日特別に鳥類の變異を調べて造つた表には、指の長さ、脚の長さ、眼の大きさ、羽毛の長短の順序などを丁寧に示したものが澤山にあるが、煩しいから、こゝには總べて略する。

2016/08/25

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(2) 一 昆蟲類の變異 

 

     一 昆蟲類の變異

 

[變異と適應]

Henitotekiou

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。学術文庫版ではこの図は省略されてしまっている。以下、キャプションを電子化する。

 

【右図外】

地方的變種の例

1「こひをどしてふ」中部ヨーロツパ産

2同南部ヨーロツパ産

3同北部ヨーロツパ産

【左図外】

季節的變種の例

4「あかまだら」夏形

5同冬形

變異の例

6789「はなばち」の一種、

雌雄二形、

10蝶の一種雌

11同雄

【図下部外】

水中生活に適する動物の例 12 13「かげろふ」の幼蟲と成蟲 14「まつもむし」

水中生活に適する植物の例 15 16「ひし」とその實 17「うめばちも」の一種

 

 以下の注で本図の生物の同定を試みるが、図自体がモノクロ(色彩変異が判別出来ない)な上に外国のものらしく、種までの正確な同定は困難である。

「こひをどしてふ」本邦産の、

昆虫綱双丘亜綱有翅下綱長節上目鱗翅(チョウ)目アゲハチョウ上科タテハチョウ科タテハチョウ亜科タテハチョウ族タテハチョウ族 Aglais 属コヒオドシ(小緋縅)Aglais urticae

のヨーロッパ産の別種、或いは同族か同属の仲間、或いは近縁種、或いは丘先生が執筆された当時は近縁種とされた別種と思われる。但し、図の三つともに前翅前縁にある紋様はコヒオドシ Aglais urticae のそれとよく一致する。なお、本種コヒオドシ Aglais urticae には「姫緋縅(ヒメヒオドシ)」の別名もある(ある学術データでは、これをアカタテハ属コヒオドシとし、学名を Vanessa urticae f. connexa とするのであるが、“f.”(品種)というのは解せないので採らない)。ウィキの「コヒオドシ」及びグーグル画像検索「Aglais urticaeをリンクさせておく。

「あかまだら」タテハチョウ科サカハチチョウ属アカマダラ Araschnia levana ウィキの「アカマダラ」によれば、分布は日本『国内では北海道のみで、渓畔に多いサカハチと違い平地・低山地にも広く生息する』。『国外では中央~東ヨーロッパの低地に広く分布し、その分布範囲を西ヨーロッパにも広げつつある』とし、本種は『春型と夏型で全く外見が異な』り、『夏に生まれたものは黒地に白の模様でイチモンジチョウ』(タテハチョウ科イチモンジチョウ亜科イチモンジチョウ族オオイチモンジ属イチモンジチョウ Limenitis camilla 。同種も固有のかなり異なった個体色彩変異(季節変異は不明瞭とどの記載にもあるからこれは地域変異か)を持つ。ウィキの「イチモンジチョウ」の画像を参照されたい)『を小型にしたような姿であり、春型にあるようなオレンジ色が見られない。これは幼虫時代の日照時間の長さが影響する(日を短くして飼育すると春型になる)』とある。ウィキの「アカマダラ」の画像で、その別種としか思えない季節二形が、よく判る。必見。

「はなばち」膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科 Apoidea に属する蜂類の内、幼虫の餌として花粉や蜜を蓄える種群の総称。私にはこの図ではこれ以上の同定は不能である。

「かげろふ」有翅亜綱旧翅下綱 Ephemeropteroidea上目蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeroptera の仲間。幼虫は総て水生。現在、二十三科三百十属二千二百から二千五百種が確認されており、この図からさらに限定することは私には出来ない。

「まつもむし」狭義には有翅下綱節顎上目カメムシ目カメムシ亜目タイコウチ下目マツモムシ上科マツモムシ科マツモムシ亜科マツモムシ属マツモムシ Notonecta triguttata を指すが、本邦だけでも三属(マツモムシ属・Anisops属・Enithares属)九種が棲息するから、本図のそれはマツモムシ属 Notonecta、或いはマツモムシ亜科 Notonectidae のレベルで留めておくのが無難であろう。

「ひし」フトモモ目ミソハギ科ヒシ属ヒシ Trapa japonica 或いは近縁種(本邦でもヒメビシ Trapa incisa・変種オニビシ Trapa natans var. japonica が植生する)。

学名

「うめばちも」「梅鉢藻」或いは「梅花藻」と表記する「ウメバチモ」は、日本固有種であるキンポウゲ目キンポウゲ科キンポウゲ属バイカモ亜属イチョウバイカモ変種バイカモ Ranunculus nipponicus var. submersus の別名であるから、この図のそれはバイカモ亜属 Batrachium のバイカモ類の一種としておくのがよい。

「雌雄二形」典型的な性的二形の例を示したものであろうが、もっと極端に異なった全く違う生物に見えるもの種(昆虫類でも数多くある)を示した方がよかったとは思う。一枚図版で処理しようとしたために、却って性的二形の実体の驚愕が伝わってこないのは遺憾である。]

 

 凡そ如何なる動植物の種類でも、標本を數多く集めて之を比較して見ると、一として總べての點で全く相同じきもののないことは、今日の研究で十分に解つて居るが、その互に相異なる點の性質によつては、特別の機械を以て精密に測らなければ解らぬやうなこともある。身長の差違、體重の差違等でも、天秤や物指しを用ゐなければ、明には知れぬが、況して體面の屈曲の度とか凸凹の深淺の割合とかの相違を調べるには、特にそのために造られた複雜な器械を用ゐなければならぬ。たゞ彩色・模樣等の相違は眼で見ただけでも一通りは解るから、野生動植物の變異性のことを述べるに當つては先づ模樣の變化の著しい例を第一に擧げてみよう。それには我が國何處にも普通に産する小形の黄蝶などが最も適切である。[やぶちゃん字注:最後の一文中の「どこにも」は底本では「どにこも」となっている。錯字と断じて特異的に訂した。]

 注ぎに掲げたのは黃蝶の圖であるが、翅は一面に美しい黃色で、たゞ前翅の尖端の處だけが黑色である。幼蟲は荳科の雜草の葉を食ふもの故、この蝶は到る處に澤山居るが、春から夏へ掛けて多數を採集し、之を竝べて見ると、翅の黑い處の多い少いに著しい變化があり、或る標本ではこの圖の(左上)のものの如く前翅の端が大部分黑く、後翅の緣も黑い程であるが、また他の標本ではこの圖の(右下)[やぶちゃん字注:これは「右上」或いは「右上と右下」とするべきである。]のものの如く翅は前後ともに全く黃色ばかりで、黑い處が殆どない。それ故、初めはこの蝶には幾種もあると思ひ、實際黑色の部の多少によつて之を數種に區別し、各種に一々學名を附けてあつたが、岐阜の名和氏、橫濱に居たプライヤー氏などの飼養實驗によつて、悉く一種内の變化に過ぎぬことが判然したので、今では之に種々の變化を現す黃蝶といふ意味の學名が附けてある。

[やぶちゃん注:「荳科」「マメか」。普通のマメ目マメ科 Fabaceae のこと。

「名和氏」ギフチョウ(アゲハチョウ科ウスバアゲハ亜科ギフチョウ族ギフチョウ属ギフチョウ Luehdorfia japonica)の再発見者(命名者)として知られる昆虫学者名和靖(安政四(一八五七)年~大正一五(一九二六)年)。美濃国本巣郡船木村字十五条(現在の岐阜県瑞穂市重里)生まれ。

「プライヤー氏」イギリスの動物学者ヘンリー・プライアー(Henry James Stovin Pryer 一八五〇年~明治二一(一八八八)年)。明治四(一八七一)年に中国を経て来日、横浜の保険会社に勤務する傍ら、同地で急逝するまで、昆虫類(特に脈翅目類(蝶・蛾))や鳥類を採集・研究した。単なるコレクターではなく、蝶を飼育して気候による変異型を明らかにした研究は高く評価されている。主著は日本産蝶類の初の図鑑「日本蝶類図譜」(一八八六年~一八八九年。本書の英文には和訳が添えられており、採集地に敬意を表した彼のナチュラリストとしての見識が窺える)、ブラキストン線で知られる、北海道に滞在したこともあるイギリスの貿易商で博物学者トーマス・ライト・ブレーキストン(Thomas Wright Blakiston 一八三二年~一八九一年)との共著「日本鳥類目録」(一八七八年~一八八二年)がある。

「今では之に種々の變化を現す黃蝶といふ意味の學名が附けてある」以下に注するように、現行のキチョウの学名はEurema hecabeであるが、これはリンネの命名によるものであるから、このような意味がこの種小名にあるはずはない(これはギリシア神話に登場するイリオスの王プリアモスの妻女王ヘカベー(ラテン語:Hecuba)の名由来であると思うが、この女王にはそのような伝承はない。或いは、彼女が十九人もの子を産んだことに由来するか? ウィキの「ヘカベーを参照されたい)。不審。或いは、以前に別な種小名(シノニム)があったものか? 識者の御教授を乞う。因みに属名はギリシャ語の「発見・発明」の意の“heurema”の語頭の“h”を省略したもの)。]

 

Kityounoheni

[黃蝶の變化

(翅端の黑き部分の有無多少を示す)]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。本種は普通に見られる、

鱗翅目Glossata亜目Heteroneura下目アゲハチョウ上科シロチョウ科モンキチョウ亜科キチョウ属キチョウ Eurema hecabe

であるが、ウィキの「キチョウ」によれば、『従来「キチョウ」とされていた種は、キチョウ(ミナミキチョウ、南西諸島に分布)とキタキチョウ(Eurema mandarina、本州~南西諸島に分布)の』二種に『分けられることになったが、外見による識別は困難』とする。前翅長は二〇~二七ミリメートルで、『近縁のモンキチョウ』(モンキチョウ属モンキチョウ Colias erate)『よりもやや小さい。翅は黃色で、雄の方が濃い色をしている。前翅、後翅とも外縁は黑色に縁どられ、裏面に褐色の斑点がある。夏型と秋型があり、前者は外縁の黑帯の幅が広いが、後者は黑色の縁が先端に少し残るか、もしくはない。成虫は年に』五、六回『発生し、越冬も行う。早春には活発に飛び回る姿が見られる』とある。]

 

 黃蝶のみに限らず、蝶類は一體に甚だ變異の多い動物で、目本に普通な「べにしゞみ」といふ奇麗な小蝶も、採集の時と場所とに隨つて、紅色の著しいものもあり、また黑色の勝つたものもある。また揚羽蝶(あげはてふ)の中には産地によつて後翅から後へ出て居る尾のやうなものが有つたり無かつたりする種類もある。他の昆蟲類とても隨分變異が著しい。或る甲蟲類では翅が有つたり無かつたりする程の甚だしい變異を一種内に見ることがある。また昆蟲類の變異は成蟲に限る譯ではなく、隨分幼蟲や蛹などにも盛な變異があり、或る學者の調によると、一種の蛾の幼蟲に十六通りも變異があつた場合がある。今日昆蟲學者と稱して昆蟲を採集する人は世界中に何萬人あるか知らぬが、多くはたゞ新種らしきものを發見し記載することばかりに力を盡し、この面白い變異性の現象を學術的に研究する人は、西洋でも比較的甚だ少い。

[やぶちゃん注:「べにしゞみ」アゲハチョウ上科シジミチョウ科ベニシジミ亜科ベニシジミ属ベニシジミ Lycaena phlaeas ウィキの「ベニシジミによれば、『春に日当たりの良い草原でよく見られる小さな赤褐色のチョウである。成虫の前翅長は』一・五センチメートルほどで、『前翅の表は黒褐色の縁取りがあり、赤橙色の地に黒い斑点がある。後翅の表は黒褐色だが、翅の縁に赤橙色の帯模様がある。翅の裏は表の黒褐色部分が灰色に置き換わっている。時に白化する場合もある』。『成虫は年に』三~五回ほど、『春から秋にかけて発生するが、特に春から初夏』、四月から六月にかけて『多く見られる。春に発生する成虫(春型)は赤橙色の部分が鮮やかだが、夏に発生する成虫(夏型)は黒褐色部分が太く、黒い斑点も大粒になる』とある。

「揚羽蝶(あげはてふ)」アゲハチョウ上科アゲハチョウ科 Papilionidae に属するアゲハチョウ類。世界で五百五十種ほどが知られる。

「或る甲蟲類では翅が有つたり無かつたりする程の甚だしい變異を一種内に見ることがある」甲虫類(鞘翅(コウチュウ)目 Coleoptera)に限定され、しかも「翅が」退化したのではなく、「無」いとなると、昆虫の苦手な私には直ぐには浮かばない(性的二形での翅が退化していて飛べない種なら、例えば鞘翅目多食(カブトムシ)亜目ホタル上科ホタル科ホタル属ヒメボタル Luciola parvula がいる)。識者の御教授を乞う。

「調」「しらべ」。]

2016/06/22

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(1) 序

 

    第五章 野生の動植物の變異

 

 前章に於て述べた通り、人間の飼養する動植物には遺傳の性と變異の性とが備はつてある所へ、人間が干渉して一種の淘汰を行つた結果、終に今日見る如き著しい變種を生ずるに至つたことは疑ふべからざる事實であるが、さて野生の動植物は如何と考へると、之にもやはり同樣な事情がある。

[やぶちゃん注:「遺傳の性と變異の性」孰れも「性」は性質の意であるが、では丘先生はこれを「しやう(しょう)」と読んでいるかというと、私は甚だ疑問に思う。であれば、今までの経験から推して、先生ならルビを振られると思うからである。次のの段の冒頭で即座に正確な「遺傳性と變異性」という表現を出されている点からもここは「せい」と読んでおく。]

 先づ遺傳性と變異性とに就いて考へて見るに、野生の動植物では前にも言つた通り、親子兄弟の關係が明瞭に解らぬから、一個づゝを取つて、何れだけの性質が遺傳により親から傳はつたか、また何れだけの點は變異によつて親兄弟と違ふか、直接に調べることは出來ぬが、長い間絶えず採集しまたは同時に多數を採集して比較すれば、こゝにも遺傳及び變異の性質が備はつてあることを明に證明することが出來る。その中、遺傳の方は昔から人の少しも疑はなかつた所で、從來人の信じ來つた生物種屬不變の説も、畢竟今年採集した標本も昨年採集した標本も五年前のも十年前のも、同一種に屬するものは皆形狀が殆ど同一である所から、親の性質は悉く遺傳によつて子に傳はり、子の性質は悉く遺傳によつて孫に傳はり、何代經ても形狀・性質に少しの變化も起らぬものと考へ、之より推して天地開闢より今日まで生物の各種類は一定不變のものであると論結した次第故、野生の動植物に遺傳の性の備はつてあることは他人の證明を待つまでもなく、誰も初めより信じて居る。語を換へていへば、進化論以前の博物家は、子は寸分も親に相違せぬもの、孫は寸分も子に相違せぬものと、初めより思ひ込んで居たので、生物の變異性に氣が附かず、偶々少し變つた標本を獲ても、たゞ偶然に出來たものと輕く考へ、變異性の重大なる意味に思ひ及ばなかつたのである。

 元來野生の動植物の變異性を認めることは自然淘汰説の一要件で、若し生物に變異性がないものとしたらば、無論如何なる淘汰も行はれよう筈がない。斯く生物學上肝要な問題なるにも拘らず、野生の動植物の變異性に注意し、廣く事實を集めて確實に之を研究しようと試みたのは、殆どダーウィンが初めてである故、かのダーウィンの著した「種の起源」といふ本の中にはこの點に關する事項が割合に少い。併しその後にはこの問題は追々丁寧に研究せられ、研究の積むに隨ひて生物の變異性の著しいことが明瞭になり、今日の所では大勢の學者が力を盡して之を研究して居たので、變異性を調べる學科は生物測定學といふ名が附いて生物學中の獨立なる一分科の如き有樣となり、この學のみに關した專門の雜誌まで發行せられて居る。生物の變異性に關する知識はダーウィン時代と今日とでは殆ど雲泥の相違があると言つて宜しい。

[やぶちゃん注:「生物測定學」(バイオメトリー:biometry)は現行では生物統計学(バイオスタティクス:biostatistics)とも呼ばれる。ウィキの「生物統計学によれば、『統計学の生物学に対する応用領域で、様々な生物学領域を含む。特に医学と農学への応用が重要である。医学では生物統計学、農学では生物測定学の名を用いることが多い。古くは』「バイオメトリクス」(biometrics)の名が使用されたが、現在、これは所謂、生体認証(「バイオメトリック(biometric)認証」「バイオメトリクス認証:ヒトの身体的(生体器官上――指紋・虹彩・手の血管(静脈パターン)・音声等――)の特徴や行動特徴(所謂、癖)の情報に基づいて用いて行う個人認証システムや技術分野を意味する語に変わってしまっている。但し、これら『バイオメトリクスの基本的な理念や方法論(例えば指紋による個人識別)は古典的な生物統計学にルーツを求めることができる。また理論生物学とも密接な関係がある』。『生物統計学的な研究は、現代の生物学および統計学の成立に重要な役割を果たし』ており、『チャールズ・ダーウィンのいとこに当たる』フランシス・ゴルトン(Sir Francis Galton 一八二二年~一九一一年:イギリスの統計学者で人類学者・優生学者(「優生学」という語は彼が濫觴)。彼の母ビオレッタはエラズマス・ダーウィンの娘で、チャールズ・ダーウィンの父ロバート・ウォーリングとは異母兄妹に当たった)『や、その後継者の数学者カール・ピアソン』(Karl Pearson 一八五七年~一九三六年:イギリスの数理統計学者・優生学者。記述統計学の大成者とされる)は、十九世紀から二十世紀にかけて、『進化を数量的に研究することを試み、その過程で統計学を進歩させた』。二十世紀初頭に『メンデルの法則が再発見され、一見矛盾する進化と遺伝とをどう整合的に理解するかが、ピアソンら生物統計学者と』ウィリアム・ベイトソン(William Bateson 一八六一年~一九二六年:イギリスの遺伝学者。メンデルの法則を英語圏の研究者に広く紹介した人物で、英語で遺伝学を意味する「ジェネティクス:genetics」という語の考案者でもある。但し、彼はダーウィンの自然選択説に反対し、染色体説にさえも晩年までは懐疑的であった)『ら遺伝学者との間で重大問題として議論された。その後』、一九三〇年代までに『統一的モデルが作られ、ネオダーウィニズムが成立した。これを主導したのも統計学的研究であり、これによって統計学が生物学における重要な方法論として確立した』。ロナルド・フィッシャー(Ronald Aylmer Fisher 一八九〇年~一九六二年:イギリスの統計学者・進化生物学者・遺伝学者・優生学者)が生物学研究の過程で基本的な統計学的方法を確立し、シューアル・ライト(Sewall Green Wright 一八八九年~一九八八年):アメリカの遺伝学者)とJBS・ホールデン(John Burdon Sanderson Haldane 一八九二年~一九六四年:イギリスの生物学者)『も統計学的方法により集団遺伝学を確立した。統計学と進化生物学は一体のものとして発展したわけである』。『またこれと平行して、ダーシー・トムソン』(D'Arcy Wentworth Thompson 一八六〇年~一九四八年:イギリスの生物学者・数学者)『の行った生物の形態の数学的研究』(著書On Growth and Form(「成長と形態」一九一七年公刊)に纏められた)も、『生物学の量的研究における先駆けとなった』。但し、これらの記載から概ね想像されることと思うが、彼らの多くはヒトの優生学の発展にも大きく関与し、何人かは明白な差別主義者であったことを忘れてはいけない。名著とされる「攻撃」(Das sogenannte Böse 一九六三年)で誰もが知る、オーストリアの動物行動学者コンラート・ローレンツ(Konrad Zacharias Lorenz 一九〇三年~一九八九年)でさえ、ナチス政権下で大学教授の職を得、ナチスの「人種衛生学」を支持したことを忘れてはいけない。私は今も普通に読まれているかの「攻撃」の中にさえ、凡そ差別意識に基づく、とんでもない非生物学的な誤った考察がまことしやかに書かれていると強く感じているくらいである。]

 「種の起源」の發行後尚暫くの間は、有名な動植物學者の中にも自然淘汰の説に反對した人が澤山あつたが、その理由は孰れも生物の變異に關する知識が頗る乏しく、野生の動植物が如何程まで變異するものであるかを知らなかつたからである。今日の如くに變異性の研究の進んだ以上は最早苟も生物學を修めた者には生物進化の事實を認めぬことは到底出來ぬ。かやうに大切な事項故、本書に於ても野生の動植物の變異の有樣を成るベく十分に述べたいが、一々實例を擧げて具體的に説明しようとすると、勢ひ無味乾燥な數字ばかりの表や、弧線などを澤山に掲げなければならぬから、ここにはたゞ若干の例を引いて、大體のことを述べるだけに止める。

[やぶちゃん注:「苟も」「いやしくも」。仮にも。相応にかくも~したとならば。]

2016/05/14

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(4) 五 その結果 / 第四章~了

     五 その結果

Hitujitobuta

[羊と豚

(人爲淘汰の結果を示す)]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。

 上方の異様に毛の長く垂れた羊は、幾つかの品種羊の画像と改良史を比較してみた感じでは、私はイギリス東海岸のリンカーンシャー地方を原産として改良された「リンカーン種」(Lincoln)ではないかと判断する。在来種にイギリス・レスター地方原産の食肉種「レスター種」(Leicester)を交配してつくられた主目的は肉用種(羊毛採取は従)で、羊の中では最も体格が大きく、成体のの体重は一四〇~一六〇キログラムに達し、毛長は 三〇センチメートルにも及ぶ。毛質はメリノ種よりも劣るものの、白色の絹糸様の光沢を持っている(「リンカーン種」については「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。但し、本文の記載は明らかに羊毛用種例として掲げているようにしか読めないのがやや気になる。私の同定が誤っている可能性もあるので、識者の御教授を乞うものである。

 一方、下方の異様に肥えた豚は一見、「西遊記」の「猪八戒」のモデルとも言われている、中国の太湖豚(タイフウトン)系原種豚の一品種である「梅山豚(めいしゃんとん)」を想起させるが、あれほどに異形ではないし、上のリンカーン種(と仮定して)と並べて描かれたとすれば、それでは如何にもおかしい。そういう観点からネット上の画像を見てゆくと、英国最古のブタの品種の一種で、イングランド東南部のコーンウォールを原産とする「ラージ・ブラック種」(Large Black)ではないかと思い至った。サイト「サイボクぶた博物館」のラージブラック」によれば、南西部などで在来の品種を合成して十九世紀中期に作出され、以来百年余に渡って純粋繁殖が続けられてきた品種で、『被毛は黒く黒色を呈し、頭は長さ中等で、耳は大きく垂れ、目を覆っている。頬、顎は軽く、胴伸びと肋張りが良い。後躯は長く腿の発達も良い。体格は大型で体重は平均』でが三八〇キログラム、で三〇〇キログラムに達し、の中には五〇〇キログラムを越える個体もある、とある。『体質は強健で粗食に耐え、放牧に適している。性格はおとなしく、繁殖力、哺育能力に優れ、産子数は平均』で一〇・三頭、体が長く、『肉は精肉・加工いずれにも適しているが、厚脂になりやすい。ヨーロッパ各国、北米、南米、オーストリアに輸出されているが、特にドイツではコーンウォールの名でかなり飼われていた』。『我が国には』、昭和三八(一九六三)年頃に『若干数が輸入されたが、一般には普及』せず、『原産地のイギリスでも』現在は『希少品種に指定され、国民の浄財で運営されている農場で保存されるだけになっている』とある。]

 

 人爲淘汰を行ふに當つて、飼養者は何を標準とし、何を目的とするかといふに、大抵は價の高いものを造つて金を儲けようとかまたは珍奇なものを造つて他人に誇らうとかいふ二通りより外には無い。而して實用を主とする動物では如何なるものが最も多く世に需められるかといへば、之は勿論その動物の實用に適する點の最も發達したもので、乳牛ならば乳の最も多く出るもの、毛羊ならば毛の最も善いものである。また玩弄的動物ならば、普通のものとは違つた奇態な方面に變化したものが多く人に珍しがられ、價も自然高い。かの無暗に胸を脹らせる鳩の種類や、尾を扇子の如くに擴げる鳩の種類などは、この例である。代々かやうな點を淘汰の標準とし、かやうな點の最も發達したものを選み出し、之に子を生ませて飼養し來つたから、今日ヨーロッパで價の高い上等の家畜は執れもこれらの點が非常に發達して、恰も注文に應じて特別に製造した如き形狀・性質を備へて居る。例へば肉を食ふための豚は腹が地面に觸れぬばかりに身體が肥滿し、四足も短く、鼻も短く、丸で大きな腸詰肉が步き出した如くである。また毛を取るための綿羊は柔い毛が非常に澤山に生じて、恰も綿の塊に四足を附けた如くに見える。また乳を搾るための牝牛は乳房だけが無暗に大きく發達し、一日に二斗以上も乳を出して、殆ど乳汁製造器械と名づけてもよいやうな構造を持つて居る。

[やぶちゃん注:まず最初に述べておかねばならないが、実は底本では人名に下線、国名・地名等に二重下線が施されてある。今まで何のためらいもなく、そのようにワードで区別してきたのであるが、公開している私のブログでは二重下線はただの下線に自動的に変換されてしまうことを忘れていた。この度より、底本の「二重下線」は「太字下線」とするので御理解戴きたい。過去公開分はおいおい修正することとする。悪しからず。

「二斗」三十六リットル。]

 こゝに一つ注意すべきは、以上の如き性質は皆人間が自分の需要に應じて或る年月の間に造り上げたもの故、人間に取つては孰れも極めて便利有益なものであるが、その動物自身に取つては何の役にも立たず、寧ろ邪魔になることである。豚の肥えることは之を食ふ人間に取つては誠に結構であるが、豚自身に取つてはたゞ步行が困難になるだけで何の利益もない。羊の毛の多いことは之を剪つて毛布を織る人間に取つては誠に調法であるが、羊自身から見れば恰も夜具を被せて步かされたやうなもので迷惑至極な話である。また牝牛の乳の非常に多く出るのは之を搾つて飮む人間には誠に有難いが、自分の生んだ子が到底飮み盡せぬ程に澤山の乳が出ることは親牛に取つてはたゞうるさいばかりで何にもならぬ。その他金魚の尾の長いのは、之を見る人間には奇麗で宜しいが、金魚自身はそのため速く泳ぐことが出來ぬ。また八重咲の花や、種子無の蜜柑は、之を眺めたり食うたりする人間には悦ばれるが、その植物自身はそのため肝心の生殖作用が出來ぬ。

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(3) 四 選擇のこと

     四 選擇のこと

 

 凡そ物を選擇するといふ以上は、多數の相異なつたものの中から或るものを選擇するに定まつて居る。なぜといふに、全く同じものばかりならば數は幾ら多くあつても彼と此との間に少しも相違がないから、孰れを選むといふことも出來ず、また數が少くて五個あるものの中から四個を選み出し、十個の中から九個を選むといふやうでは、勢ひ不合格のものまで採用せざるを得ぬから、十分の選擇は出來ないのである。

 我々の飼養する動植物に就いて考へて見るに、一對の動物が一生涯に僅に二疋だけより子を生まぬものも決してなく、一本の植物で一生涯にたゞ一個より種子を生ぜぬものも決してない。皆必ず親の後を繼ぐに足るだけの數よりは數倍・數十倍或は數百倍・數千倍も多くの子を生ずる。例へば一粒蒔いた麥の種子から數百粒の種子が出來、一對の蠶の蛾から數百粒の卵が生れる。牛馬の如き大きな獸類は繁殖の最も遲いものであるが之でも一對の牝牡からは一生涯の間には十疋以上の子が生れる。而して斯く多數に生れる子が變異性によつて皆多少相異なつて居るから、飼養者はこの中より自分の理想に最も近い性質を帶びたものを十分に選み出すことが出來るのである。

 兎の例は前に擧げたが、斯くの如く或る一定の標準に從つて一代每に最も優れたものを丁寧に選擇し、他のものは總べて繁殖せしめず、ただ當選したものだけに子を生ませて、益々或る一定の性質の發達を計ることは、素より兎に限ることでなく、今日農業の開けた國ではどこでも盛に行つて居ることで、この法を嚴重に行ふ處ほど比較的短い時期の聞に立派な變種が出來る。馬・牛・羊などは何處でも特に選擇を嚴重にするものであるが、各々その目的に隨ひ標準を立て、競馬用の馬ならば、足の最も速なものを選み、荷馬ならば最も力の強いものを選み、肉用の牛ならば最も肉の多くて生長の速なものを選み、また乳牛ならば最も多量に乳の出る牝牛、或はその牝牛を生んだ親の牡牛、或はその牝牛から生れた子の牡牛を選んで、繁殖の用に供する。羊にも毛を取るためのもの、肉を食うためのもの、兩用のものなどあるが、毛を取るための羊では選擇が極めて嚴重で、先づ多くある羊の中から最も毛の良かりさうなものを澤山に選み出し、その中から二疋だけを引き出して、選擇用として特別に設けた臺の上に竝び立たせ、丁寧に毛を比較し調べて見て、毛の優れる方を臺の上に殘し、毛の劣れる方を臺より下して、その代りに次の一疋を載せて再び調べ、優れる方を殘し劣れる方を退けて、順々にありだけの羊を皆比較し、總べての中で眞に第一等の毛を有するものを選み出して、之に子を生ませる。羊の毛の最も上等なものを二つ竝べてその間の微な優劣を識り別けるのは、なかなかの熟練の入ることで普通の人には到底出來ぬが、そのため牧羊の盛な土地には羊毛の鑑定を職業とし、種羊選擇の際に相當な報酬を取つて方々へ傭はれて行く人々がある。今日世界に有名なメリノ羊などは全く斯かる嚴重な淘汰を長い間勵行した結果出來たである。
 
[やぶちゃん注:「速な」「すみやかな」。]


 

Merino

[メリノ羊]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。

「メリノ羊」毛質が繊細で最も優れており、体質も強健で群居性に富むことから放牧にも適した羊毛用改良品種の一種であるメリノ種(Merino)のこと。ウィキの「ヒツジ」によれば、『野生タイプのヒツジの上毛(ケンプ)は黒色、赤褐色や褐色であったが、改良によってヘアーやウールタイプのヒツジからは淡色や白色の毛が得られ、染料技術と共にメソポタミアからエジプトに伝播し、彩色された絨毯は重要な交易品となった。紀元前』一五〇〇年頃から、『地中海に現れたフェニキア人によって白いウールタイプのヒツジがコーカサス地方やイベリア半島に持ち込まれた。コーカサス地方のヒツジは、のちにギリシア人によって再発見され、黄金羊伝説となった。このヒツジはローマ時代には柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。ローマ人が着用した衣服はウールの織物である。一方、イベリア半島では、すでに土着していたウールタイプのヒツジとタランティーネ種の交配による改良によって、更なる改良が続けられ』、紀元後一三〇〇年頃の『カスティーリャで現在のメリノ種』『が登場した』(但し、諸辞書の記載では起源は明らかでないとするものも多い)。『理想的なウールだけを産するメリノ種は毛織物産業を通じてスペインの黄金時代を支えた。メリノ種はスペイン王家が国費を投じて飼育し、数頭が海外の王家へ外交の手段として贈呈される以外は門外不出とされた。これを犯した者は死罪だった』。十八世紀になると『スペインの戦乱にヨーロッパの列国が介入し、メリノ種が戦利品として持ち去られて流出、羊毛生産におけるスペインの優位性が喪失された。イギリスでは羊毛の織物と蒸気機関を組み合わせた新産業が興った』。一七九六年、『南アフリカ経由で』十三頭の『メリノ種がオーストラリアに輸入された』この中の三頭が『現在のオーストラリアのメリノ種の始祖になったと伝えられている。この羊を買い取ったニュー・サウス・ウェールズ州のジョン・マッカーサーはヒツジの改良に努め、オーストラリアの羊毛産業の基礎を築いた』とある。]

 

 我々は前にも述べた如く、遺傳の理由・法則は一向詳しく知らぬが、親の性質が餘程まで子に傳はることは每日實際に見る所で、少しも疑ふべからざる事實である。また我々は變異の理由・法則は一向詳しく知らぬが、同一の親より生まれた子が皆多少互に相異なることは每日實際に見る所で、之また少しも疑ふことの出來ぬ事實である。この二通りの事實があつて、その上、子の生れる數は親の數に比して頗る多いことも事實であるから、たゞ一代每に之を淘汰する人さへあれば、その結果として必ず動植物ともに漸々形狀・性質が變化し、且種々の變種が生ずべき筈である。單に理論から言つても、斯くの通りであるが、現に今日西洋諸國で見る如き飼養動植物の著しい變種は、實際皆この方法によつて出來たものである。

 人爲淘汰の働き方を尚一層明瞭に理會するためには、前に掲げた矢で的を射る譬に比べて考へて見るが宜しい。的を狙つて矢を放つことは、生物の方でいへば、恰も遺傳性の働に比すべきもので、その放つた矢が殆ど悉く的の中心よりは何方かへ外づれることは、恰も變異性の働に匹敵する。また一囘に放つ矢の數は一對の親から生れる子の數と見て宜しかろう。そこで、先づ或る處に的を懸け、之を狙つて二十本なり三十本なり矢を放ち、次に矢の當つた孔の中で最も右へ寄つたものの處に的を懸け直し、更に之を狙つて二十本なり三十本なりの矢を放ち、またその矢の當つた孔の中で最も右へ寄つたものの處に的を移し、數囘或は數十囘も同樣なことを繰り返すと假定したらば、その結果は如何、的は必ず每囘多少右の方へ移り、終には最初在つた處とは餘程右の方へ遠ざかつた處に來るに違ひない。人爲淘汰によつて動植物の變化する有樣は簡單に言へば略々斯くの如き具合である。

 併し、一代每に動植物を規則正しく淘汰して最も優等なものだけを繁殖用とすることは、飼養者の貧富等の事情によつて出來る場合もあり、また出來ぬ場合もある。英國の如く大地主が數百乃至數千の家畜を養つて居る處では、代々十分の淘汰も出來て、比較的短い時の間に隨分立派な種類も生ずるが、貧乏人が一軒每に一二疋づゝを飼つて居る處では、到底そのやうな眞似は出來ず、隨つて何年過ぎても餘り進步する見込はない。現に驢馬の如きは西洋諸國で昔から人の飼つて居る獸であるが、多くは貧乏な百姓などの飼ふもの故、今日と雖もまだ一向に立派な變種も出來ない。また馬でも牛でも立派な變種のあるのは皆政府或は個人で廣い場所に多數を飼養し、學理に隨つて常に丁寧に淘汰を行ふ國だけである。我が國などに昔から馬も牛も大も鳩も皆たゞ一種類だけよりなかつたのは、今まで餘り人爲淘汰の行はれなかつた結果であらう。我が國では今日と雖も總べての家畜類に甚だしい變種がないから、人爲淘汰のこともたゞ話に聞くだけで餘り深くは感じないが、西洋では何の類にも著しい變種が多いから、人爲淘汰の效力を特に深く感ずる。而してこの點で最も進步した國は英國であることを考へると、英國人なるダーウィンが人爲淘汰のことから野生動植物のことに考へ及ぼし、自然淘汰の理に考へ當つたのは、決して偶然とはいはれぬ。

2016/04/15

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(2) 三 變異性のこと

     三 變異性のこと

 

 ここに變異といふのは、一疋の動物、一本の植物の一生涯の間に起る變化を指すのではない、一代と次の代との間に生ずる變化、同一の親より生れた子同士の間に現れる相違をいふのである。この事を短くいひ現すに適當な語がないから、據(よんどころ)なく假に變異と名づけて置くが、之が人爲淘汰の出來る第二の條件である。

 生物一般に變異といふ現象のあることも、我々の日々實際に見聞することで、之また改めて證明するに及ばぬ事實である。人間を例に取つても、同一對の父母から生れた兄弟姉妹でも、一人として總ての點に於いて他と全く相同じきものは決してない。どこかに必ず幾らかの相違があるが、この多少相異なつた兄弟等から生れた從兄弟も皆多少互に相違し、その子孫は尚更悉く相違して居て、我が國七千餘萬の人間の中で、竝べて置いて誰も間違へる程に相似たものは滅多にない。他の動物でも全く之と同樣で、犬でも猫でも同一の親から生れた子が皆互に多少は違つて、決して二疋全く同一なものはない。併し我々は犬や猫に對しては人間同士ほどに關係が深くないから、十分注意して一疋づつを見分ける必要もなく、隨つて一疋每の特徴に氣が附かぬから、往々どの犬を見ても、どの猫を見ても、全く同じやうに見えることがある。之は恰も西洋人を初めて見るときは、どの人も同じやうな顏に見えて、一向に區別が付かぬのと同樣であらう。慣れさへすれば、一人一人の相違が明になり、親密に交際するやうになれば、幾ら善く似て居る人でも決して間違へる氣遣はない。

[やぶちゃん注:我が國七千餘萬大正一四(一九二五)年当時は五千九百七十四万人ほどで、昭和一〇(一九三五)年で六千九万余人であるから、七千万人を越えるのは数値的にはその翌年以降で(昭和一五(一九四〇)年で七千四百万余)あって、かなりの誇大勘定である。]

 鷄でも鳩でも馬でも牛でも丁寧に調べて見さへすれば、一對の親から生れた子の中にも必ず變異のあることは直に解るが、さて動植物は如何なる理由により如何なる法則に從つて變化するものかと細かく考へると、之は前の遺傳と同樣甚だ困難で、現時の我々の知識では容易に了解の出來ぬことが多い。通常は親の性質を中心とし、或は之より過ぎたり、或は之に及ばなかつたりして、多少の變異を生ずるに過ぎぬが、時とすると、突然親には似ずして却つて數代前の先祖に似た子の生れることもあれば、また時としては親にも先祖にも似ない全く新しい性質を持つた子が不意に生れることもあつて、如何なる變異が起るかはなかなか前から正しく豫知することは出來ぬ。併し平均していへば、親に似ない子の生れるのは稀な例外で、百中九十九までは親の性質を全く受け繼ぎながら、たゞ或る範圍内で多少變化するだけである。前の兎の例を取つていへば、假に親兎の耳の長さが四寸であつたとすれば、子兎の生長した後の耳の長さは或は全く親と同じく四寸のものもあり、或は親よりは少し短くて僅に三寸九分位のものもあり、或は親よりは少し長くて四寸一分位のものもある。その中から耳の長さの四寸一分あるものを選み出し、之に子を生ませれば、その子の中には親と同じく耳の長さが四寸一分のものもあり、また親より短くて四寸か三寸九分位のものもあり、また親より優れて四寸二分位のものも出來る。植物でも理窟は之と同じである。總べて動植物の子が大體に於ては親に似ながらやはり多少親と違ふ有樣は、之を外の物に譬へていへば、恰も矢で的を射るのと同樣である。的を狙つて澤山の矢を放つてもその中で的の眞中に當るものは滅多に無く、大概は的の眞中よりは少し上とか、少し下とか、または少し左とか少し右とかへ寄つて、的を外れる。併し素より的を狙つて射るのであるから、所謂中(あた)らずと雖も遠からずで無暗に遠方へ外(はづ)れることは無く、孰れも的の近邊へ集まるものである。動植物の生む子も之と同じく、皆必ず或る程度までは親に似て居るが、親と寸分も違はぬといふものは極めて稀であつて、多くは親とも互とも少しづゝ相異なつて居る。之だけは我々の日々見聞する事實から歸納して確に斷言の出來ることである。

[やぶちゃん注:「四寸」十二・一二センチメートル。

「三寸九分」十一・三六センチメートル。

「四寸一分」十二・四二センチメートル。

「四寸二分」十二・七二センチメートル。

「皆必ず或る程度までは親に似て居るが」底本では「程度」は「度」。「度」一字では読めないので、学術文庫版で訂した。底本画像はこの前後のページが、破れた物を貼りつけてある関係上、判読に困る箇所があり、やはりどう文庫を参考にさせて戴いた。]

 以上は普通の場合であるが、前章で例に擧げたセス、ライトの足の短い羊や、前節で述べた六本指の人間などのやうに、突然親とも兄弟とも全く違つた性質を帶びた子の生れることが往々あるが、これらは如何なる具合で生ずるものやら全く理窟も解らず、また何時生ずるものやら毫も豫知することも出來ぬ。前の的を射る譬に比べると、恰も群を離れて遠く外れた矢の如きものであるが、斯かる突飛な變化は普通の變化とは根本的に性質の違ふものかまたは單に程度の相違だけであるかといふ問題に對しては、當時の學者の考も樣々で、中にはかやうな突然な變異だけが生物種屬の進化の原因となるものであると論じて居る人もある。詰まる所生物が變化するといふ事實は誰も認めざるを得ぬが、その理由・法則に至つてはまだなかなか解らぬ有樣である。

 併し解らぬ事程何とか我流に説明して見たいのが人情で、今日までに變異の現象を説明しようと試みた假説は幾つとなく考へ出された。實にダーウィン以後の進化論は理論的の方面は殆ど遺傳と變異とに關する假説ばかりと謂つて宜しい程である。變異に關する最近の研究に就いては更に後に述べるが、この章に論ずる人爲淘汰も後の章に述べる自然淘汰もたゞ生物に變異といふ性がありさへすれば必ず出來ることで、その原因や法則が十分に解らなくても大體に於ては説明上甚だしい差支はない。

2016/03/22

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(1) 序/一 淘汰の方法/二 遺傳性のこと

 

    第四章 人爲淘汰

 

 さて人間が飼養し來つた動植物は、如何なる理由により如何なる方法に隨つて、各種毎に斯く數多の異なつた變種を生ずるに至つたかといふに、その理由・原因は決して一通りに限つた譯でなく、種々の事情が與つて力あるやうに思はれる。同一の植物に生じた種子でも之を甲乙丙丁等の相隔つた國々に持つて行つて蒔けば、之より生ずる植物の間に多少の相違の起ることは決して珍しくない。尚三代四代と時の歷るに隨つてその相違も著しくなり、全く異つた植物かと思はれるまでに變化するものも往々ある。これらは皆地味、土質の相違、風雨・乾濕の多少、温度の關係等より起る自然の變化で、別に人間の力が加はつて居る譯ではない。かの秋田の大蕗(ふき)の種も、東京へ持つて來て蒔いては到底葉がかやうに大きくはならず、櫻島の大根の種も、京都・大阪に移しては決して半分の太さにも達せぬは、この類であらう。併し、西洋諸國で見る如き著しい變種は決して單に風土の異なるに隨つて出來たものばかりではない。例へばパウター・ファンテイルの如き鳩、グレイハウンド、ブルドッグの如き犬は、到底單に氣候や食物の關係から生じた變種とは思へぬ。これらは天然自然に起る變化の外に特別な原因があつて終に今日の如き著しい姿を呈するに至つたのである。

[やぶちゃん注:「秋田の大蕗」フキの変種である、キク亜綱キク目キク科キク亜科フキ属フキ亜種アキタブキ Petasites japonicus subsp. giganteusウィキの「アキタブキによれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を省略した)、『エゾブキ、オオブキとも呼ばれる』。『日本原産で、主に本州北部、北海道、千島、樺太に分布している 。葉柄が一メートルから二メートル、葉の直径は一・五メートルとなり、食用とする。秋田県を中心に加工用として』『栽培されている。特に寒冷地では牧草地で大繁殖する』。『江戸時代、秋田藩主の佐竹義和(義峯公とも)は江戸でこの傘の代わりにもなるフキの自慢をしたところ、他の藩主から信じてもらえなかった。そこで、藩主の名誉のために、領民は山野を捜索して二本の巨大フキを江戸に運び、藩主の名誉を回復したという。これにより、傘代わりにもなるこのフキの存在が国中に知られることとなった』とある。]

 

     一 淘汰の方法

 

 かやうな著しい變種は如何にして生じたかといふに、之は全く人間の世話によつて出來たものであるが、その方法は現に今日も飼養者が常に行つて居る所で、別に不思議な法ではない。たゞ多くある個體の中から飼養者の理想に最も近い性質を帶びたものを選み出し、之を繁殖の目的に用ゐ、その生んだ子の中からまた飼養者の理想に最も近い性質を帶びたものを選み出して之を繁殖せしめ、代々同じことを繰り返すに過ぎぬ。例へば極めて耳の長い兎を造つて一儲しようと思ふ人は、澤山ある兎の中から最も耳の長さうなものを選み出し、物指しを以て丁寧に耳の長さを測り、一番耳の長い牝に一番耳の長い牡を掛けて子を生ませ、その生れた子の中からまた一番耳の長いものを選み出して之に子を生ませる。斯く代々一番耳の長いものを選み出して之を繁殖の目的に用ゐるやうにすると、一代毎に少しづゝ耳の長い子が出來て、一代毎に少しづゝ飼養者の理想に近づいて來る。今日見る如き種々の動植物の著しい變種は皆かやうに代々飼養者が繁殖の用に供すべきものを選擇した結果であるが、之は人間の料簡で行ふ淘汰であるから人爲淘汰と名づける。我々の飼養する動植物の次第次第に改良せられて行くのは主として人爲淘汰の結果である。

 人爲淘汰を行うに當つて、飼養者がたゞ一人よりなく、その一人がただ一種だけの理想を標準として淘汰すれば、飼養せられる動物或は植物はたゞ一方へ向つて變化するばかりであるが、若し初から數人の飼養者が數種の理想を有し、あちらでは甲の標準により、こちらでは乙の標準によつて淘汰するといふやうに、別々に淘汰して行けば、その動植物は各々異なつた方向へ向つて變化し、次第次第に相遠ざかり、初同一種のものも終には全く相異なつた數多の變種に分れてしまふ。人の飼養する動植物に一種毎に今日の如く多くの變種の生じたのは、主としてかやうな具合に人爲淘汰を行ひ來つた結果である。

 前にはたゞ人爲淘汰の方法を示すために便宜上兎を例に取つたが、之は我が國でも兎の流行する時には實際物指しで耳の長さを測り、先に述べた通りのことを行ふから、單に最も手近な例として之を選んだに過ぎぬ。若し人爲淘汰の結果を示すためならば、兎は決して適當な例ではない。之には寧ろ西洋諸國にあるやうな著しい動植物の變種を擧げるが適當である。元來我が國の兎はたゞ一種の玩弄物で實際には何の役にも立たず、且流行するときは一疋五十圓も百圓もするものが、一且流行せなくなれば五十錢でも買人がなくなる位で、之を飼ふものも一時の投機事業と心得て、流行する間は極めて嚴重に淘汰を行ふが、流行が止めば全く棄てて顧みない。それ故、長い間、人に飼はれたにも拘らず、人爲淘汰の結果が目立つ程には積らず、今日の飼兎も百年前の飼兎も略々違はぬ。之に反して西洋諸國の農業の發達した處では、何に對しても絶えず人爲淘汰を十分に行ひ、改良の上にも改良を加へるやうに盡力したので、その結果として、前章に掲げた如き、殆ど注文に應じて特別に造つたかと思はれるやうな著しい變種を生ぜしめるに至つた。かやうな變種を列べてある共進會などに行き、目の前に之を見ると、實に淘汰の力は斯くまでに大きなものかと驚かずには居られぬ。

[やぶちゃん注:「共進會」産業の振興を図るために産物や製品を集めて展覧し、その優劣を品評する会。明治初年代より各地で開催された。「競進会」とも書く。]

 斯くの如く、人爲淘汰によりて動植物を人間の隨意に變化せしめることの出來るのは何故であるかと考へるに、之には三つの條件が備はつてあるからである。三つの條件とは、(第一)親の性質は子に傳はること、(第二)同一對の親より生れた子の間にも必ず多少の相違あること、(第三)生れる子の數は比較的多くて、その中より或るものを選み出すべき餘裕あることであるが、之だけの條件が殘らず備はつてあるから、淘汰も出來、淘汰の結果も現れるのである。

 

     二 遺傳性のこと

Tansisyou

[エッキス光線にて寫したる普通の手の指と短指との比較]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]

 

 親の性質が子に遺傳することは、我々の日々見聞する所で、改めて證明するに及ばぬ事實である。人間の子はたゞ人間であるといふのみならず、必ずその親なる特別の個人に似る如く、他の動物でも皆その通りで、兎の子は兎全體に通ずる性質を帶びて居る外、その親兎の特殊な性質をも持つて生れる。動植物ともにこの遺傳といふ性質があるから、人爲淘汰によつて之を種々に變化せしめることが出來るので、若し遺傳といふ現象が無く、親の特殊の性質が子に傳はらぬと定つて居たならば、人爲淘汰も無論何の役にも立たぬ。かの兎を飼ふ人が骨を折つて耳の最も長い兎を選み出して之を繁殖用に使ふのは、たゞ耳の長い親兎からはやはり耳の長い子兎が生れることを、經驗上信じて居るからである。

 斯く親の性質が子に遺傳することは、當然のこととして常には誰も殆ど之を念頭に置かぬ程であるが、親に何か特別な變つた點のあるときには、遺傳の現象が著しく人の目に觸れる。その中で最も明なのは手足に指が六本ある如き、畸形の場合であらう。一二の例を擧げて見るに、今より百六十年程前にエスパニヤの或る處に突然左右の手足ともに六本ずつ指のある男の子が生れ、この男が始(はじまり)となつて、それより三代の間に一家一門の中に殆ど四十人許も六本指の人が出來たことがある。若し六本指の男が必ず六本指の女と結婚して代々續けば、或は六本指の性質が固定して六本指の人種が出來るかも知れぬが、男でも女でも皆五本の指を持つて居る普通の男女と結婚するから、一代毎にこの性質は著しく薄くなり、三四代の後には全く消えてしまふ。またイタリヤの或る町で、同じく六本指の男が普通の女と結婚し、その間に出來た數人の子どもが皆六本指で、たゞ最後の一人だけ五本指であつたので、父なる男はこの子を自分の子と承認するを欲せなかつたといふ話もある。普通の人の手の指には拇指の外は皆三節あるが、往々短指といふて指の節の二つよりない指の短い畸形がある。之なども確に子孫に遺傳する。その他病氣の遺傳することも人の常に認める所で、特に精神病などになると、醫者が極めて嚴重にその系圖を穿鑿する。

[やぶちゃん注:「手足に指が六本ある如き、畸形」手足の先天性形状異常の一つである多指(多趾)症(polydactyly:ポリダクトリィ)。「ブリタニカ国際大百科事典」の「多指症」の項には、まさにこのスペインの例が引かれており、十八世紀半ば頃にスペインで四肢とも六本指の男子が生れ、その家系から三代の間に、同種の奇形が 四十人ほど出現したという記録がある、と記してある。ウィキの「多指症」によれば、『過剰な指(趾)が痕跡的に突き出るもの、細い茎でぶらぶらする指(趾)がつながっているもの(浮遊型)、完全な指(趾)の形を示すものまで見られさまざまである』。『人種的には黒人に多く見られるが、どの人種にも見られ、日本人では手指の場合は拇指(親指)に、足趾の場合は第V趾に多く見られる』。ブラジルでは十四人の『家族全員が先天的に指の数が多い多指症である例がある』。『現代、特に先進国では幼いうちに一本を切断し』、五本指と『することが多い。その際は指(趾)の大きさ、骨や関節、筋腱における異常を検討して切断指(趾)を決める。手術治療を行う場合は指の機能が確立される』一歳時までに『行うのが主流である。国や時代によっては尊ばれる身体的特徴となる場合もあり、「隋書」の西域伝によると、疏勒』(しょろく/そろく:かつて東トルキスタンに存在したオアシス都市国家。現在のタリム盆地の西端に位置する中華人民共和国新疆ウイグル自治区カシュガル地区カシュガル(喀什)市。漢代から唐代にかけてシルクロード交易の要所として栄えた)『では「人手足皆六指子非六指者不育(皆、手足の指が六指であり、産まれた子が六指に非ぬ場合は育てず)」という風習があったとの記述がある』と記す。

「指の節の二つよりない指の短い畸形」先天性畸形の一つである短指症。但し、五本総てではなく、一部の指の関節が有意に短い場合は「まむし指」などと称し、ネット検索をかける限りでは決して珍しくないようである(但し、そういう場合は「日本小児遺伝学会」公式サイト内の「国際基準に基づく小奇形アトラス」の解説を読むと、「短指症」とは呼ばないとある。画像があるのでリンクは張らない)。]

 併し、親の性質が殘らず子に遺傳するものでないことも、我々の善く知つて居る事實である。人間の例を取つても、鼻の高い人に鼻の低い子の出來ることもあり、肥えた人に瘦せた子の出來ることもある。けれども鼻は親に似ないが眼付きが親の通りであるとか、親よりは瘦せて居るが歩き具合がそのまゝであるとか、必ず何か親の性質の傳はらぬことはない。また生れた子の性質の中で、或る點は父より傳はり、或る點は母より傳はるが、何の性質は必ず父より傳はるとか、また必ず母より傳はるとかいふ定(きまり)は、少しもないやうで、例へば眼付きは父に似、口元は母に似た子もあれば、之と正反對で母の眼付と父の口元とを備へた子もある。斯くの如く遺傳といふ現象のあることは、目前の事實で、誰も疑ふことは出來ぬが、さて親の性質の中で、如何なる點だけが子に遺傳し、如何なる點は遺傳せぬか、または如何なる性質は父から傳はり、如何なる性質は母から傳はるかといふやうに、その詳細なる法則を考へると、之に關する我々の現在の知識は殆ど皆無といつても宜しい。

[やぶちゃん注:狭義に考えれば、現行では性染色体異常による優性の遺伝病が明らかにされており、それは「父」か「母」の孰れかから限定的特異的に遺伝する確率可能性は十分に持つとは言える。丘先生の言う「性質」とはそうしたものも含まれる。されば次の段落のような記述も生まれてくる。但し、性染色体が性決定に関与し、それが形質の遺伝や遺伝病と密接に関わることが研究され出すのは、やっと一九〇〇年代初めであって、本書初版の明治三七(一九〇四)年や底本第十三版の大正一四(一九二五)年頃に、本格化したばかりであったと考えられる。]

 その他或る性質は親から男の子ばかりに傳はつて、女の子には丸で傳はらぬことがある。またその反對の場合もある。千七百十七年に英國ロンドンに生れたランベルドといふ男は奇態な皮膚病で、身體の全面から短い棘が生えて居たので、「山荒し男」といふ綽名(あだな)を附けられて、有名なものであつたが、この性質は男の子や、男の孫には傳はつたが、娘や孫娘には全く現れなかつた。色盲といふて色の區別の分らぬ不具や、血友病と云うて些細な傷口からも血液が流れ出して止まぬ病氣なども、之と同じく子孫の中の男ばかりに現れる。また親の性質が子の代には現れずに孫の代に至つて現れる場合も幾らもある。牡牛は無論乳を生ぜぬものであるが、乳の善く出る牝牛の生んだ牡牛から出來た牝牛が祖母に似て澤山に乳を出すことは、牧畜家の常に知る通りであるが、それと同樣に牝羊には素より角の生えることはないが、特別の形した角を持つた牡羊から出來た牝羊の生んだ牡羊に祖父の通りの角が生えた例もある。かやうな場合に乳を多く出す性質或は特別の形した角を生ずる性質は、如何にして牡牛或は牝羊の身體の内に一生涯隱れて存し、その子の代に至つて初めて現れるかといふやうに、廣く遺傳に關する事實を集めその理由・法則等を考へて見ると、殆ど解らぬことばかりである。遺傳に關する實驗的の研究は、最近十數年間に非常に盛になつて、多くの新事實が發見せられたが、それだけまた新しい問題も生じてなかなか容易には決着しさうにもない。これらに就いては更に後の章に述べるが、我々は今日の所遺傳の現象の僅に一小部分のみを理解し得たに過ぎぬ。

[やぶちゃん注:文中、現在は差別用語とされる「不具」という語が現われるので批判的にお読み戴きたい。

「身體の全面から短い棘が生えて居た」この「千七百十七年に英國ロンドンに生れたランベルドといふ男」性の症例に行き遭わなかったが、遺伝しているところからは、先天性魚鱗癬様紅皮症の中でも最も重度とされる、鎧状の非常に硬い皮膚をもつ道化師様魚鱗癬か。]

 この困難な遺傳の現象を説明せんがために、ダーウィン以後に多數の學者が種々の假説を考へ出した。その重なものだけでも七つ八つもあるが、執れも十分な土臺のない架空の論で、到底一般の學者を滿足せしめ得るほどのものではない。元來遺傳の現象は生物進化の一要素であるから、その理法の明になるまでは、生物進化の説明も完全には出來ぬ譯であるが、ダーウィンの自然淘汰の説では、ただ遺傳の事實なることを認めさへすれば、生物進化の大體は説明が出來るから、こゝには以上述べただけに止めて置く。

 

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