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カテゴリー「原民喜」の288件の記事

2018/01/14

原民喜「眩暈」(恣意的正字化版)

 

[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年十月号『文藝汎論』発表。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「瞠いて」「みひらいて」と訓じていよう。

 「ブラツケー」は不詳であるが、文脈からは貝の方言名と読める。すると、個人サイト「お魚の図鑑 珍魚すくい」ページに、ホラガイ(腹足綱吸腔目フジツガイ科ホラガイ属ホラガイ Charonia tritonis)の異名として「ブラゲー」(他に「ブラ」「ブラー」「ブラゲー」「ブラヌーン」などもある)を見出せた。これでよいとしたいところだが、気になるのは前に民喜が「法螺貝」を出してしまっていることである。「がうな貝」は一般にヤドカリの異名であるが、ここは貝と見て、小型の巻貝(腹足類)を指すと考えるなら、ここで民喜が「ブラツケー」と言ったものは「法螺貝」に似ているが、違う巻貝、もっと大きな或いはもっと高そうに見える絢爛たる巻貝を指しているかのように私には思われる(但し、本邦産で法螺貝を超える大型種は存在しない)。或いは、「稀れに見る巨大な法螺貝」を特異的に「ブラツケー」と読んでいる野かもしれぬと私は思ったりした。

 「蒟蒻」は「こんにやく(こんにゃく)」。

 「齒朶」は「しだ」。羊歯。

 「見憶」「みおぼえ」。「見覺え」。

 「饂飩」「うどん」。因みに「饂飩のマントを纏ひ」はママである。

 「覗間」「すきま」と訓じておく。

 「在處」「ありか」。

 「凭つたまゝ」「よりかかつたまま(よりかかったまま)」と訓じておく。

 「蔓り」「はびこり」。

 「雞」「にはとり」或いは単に「とり」と訓じているかも知れぬ。「鷄」に同じ。

 「逸散に」「いつさんに(いっさんに)」。「一散に」。一目散に。

 「鸚哥」「いんこ」。小鳥のインコのこと。

【2018年1月14日 藪野直史】]

 

 

 眩暈

 

 溝の中でくらくら搖れてゐる赤い糸蚯蚓、太陽は泥に吸ひつく蛭の化けもの。

 砂がザラザラ押流され、ザラザラと睡むたい顏が溝の緣で、眼球を瞠いてゐる。

 それは彼であるが、彼ではない。

 砂はザラザラと彼の眼の前を橫切り、今は貨幣であるが、がうな貝、法螺貝、ブラツケー、見たこともない異樣な貨幣で彼の頭は混濁してゆく。

 見よ、數字が雜音とともに、この時、一齊に攻擊して來る。

 夢中で彼は求める。何かを、何ものかを、――たしかに、はつきりしたもののきれつぱしを。

 そして、彼は怪しく不自由な手つきで、空間を探る。

 電車の釣革の如きもの、ベルの如きものが彼の指に在る。その手觸りは遠い母親の乳房に似てゐる。

 と、(誰だ、そんなものを拾ふのは)と耳許で叱聲。

 彼はあわてゝ飛びのく。

 彈の破片が眼を掠め、くらくらと鋪道は蒟蒻と化し、建物が飴のやうにとろける。

 かすかに(明日の天氣豫報を申上げます)明日の、待つて呉れ。とたんに彼は目を白黑させてゐる。

(教へてあげないわよ)と女の聲。まごついてしまつた窓。

 暫くして、白い柱の嘲笑の列。

 

 いくつもいくつも太い眞白な柱は天井へ伸び、その白い柱の前に立留まつた彼は、出口を探さうとしてゐるが、この、きてれつの大ビルヂングは混沌として答へず。

 見上げる天井に水晶の三日月。

 はや足許に蔓草が茂り、蛇を潛めし太古の闇は階段の方を滑つて來る。バサバサと齒朶類は戰ぎ、鈍重な太鼓の音が陰濕と熱氣を沸きたたせば、既に彼は身動もならず悶死の姿で橫臥してゐた。

 やがて、巨龍の顎によつて、彼はカリカリと嚙碎かれてゐる。記憶を絶し、記憶を貫く、今の、昔の、彼の眼底に、ひそかに白象の妙なる姿は現じた。

 と、忽ち、外科醫の鋸が彼を強く威嚇する。不思議な裝置に依つて彼を裁くもの、實驗材料は縮まつて、悲しい啞の眼をしばたたく。その寢臺のまはりを群衆は無關心に通過してゐる。祭日めいた群衆の旗は散じ、彼は身の自由を得てゐる。

 しかし、混沌とした建物の内部にゐることに變りはない。彼は出口を求めて、再び放浪する。

 向に見憶のある噴水の池。

 明るい造花の房を音樂の蜜蜂が𢌞り、ロボットの女は默々と糸を紡いでゐる。そのあたりから、いけない豫想が微かに唸りを放つ。

 忽ち、彼の同僚の一人が裸身に饂飩のマントを纏ひ、池をめがけて突走つて來る。

 その顏は苦業に火照り、裸身は飜つて、池に投じた。くらくらと湯氣に饂飩は崩れ、その男の眼が發狂して彼を睥む。

 發散する湯氣はその言え池を消し、その男を消し、疲勞を重加された彼のみが、いつしか昇降機によつて運ばれてゐる。密林や暗雲が鐵格子扉の覗間に、時折、靑い紋條をもつ宇宙の破片も閃き、遂に眞暗な天蓋に達したと思ふ時、昇降機ははや針金の如き細き一本の煙突にすぎなかつた。

 彼の重みによつて、煙突はもろくも傾きはじめる。全身全靈の祈願と戰慄は彼を乘せた細い煙突の割目に集中され、やがて呻吟とともに身は放り落された。

 

 その足は床に達せず、いつまでもコンクリートの廊下の上を腹匍ふやうに飛んでゐる。この苦しい低空飛行がはじまるとともに、彼は飢えを覺え、食堂の在處を探してゐるのだが、群衆の往交ふ廊下は侘しい障害物である。

 ふと、この混迷の中を彼の幼友達が同じ恰好で飛んでゐるのを見つけ、彼は微かに安堵を覺えた。だが、彼の蹠(あしうら)に轉がる空氣の球をうまく操りながら進むには、妖しい一つの氣合が保たれねばならぬ。

 苦しい努力に依り、彼はゆるやかにタイルの上を流れ、テーブルの一隅に辿りついた。人々の犇めく空氣が背後で杜絶え彼の眼の中には眞白なテーブル・クロース。眼の前にある銀の匙とカツプに陰々と困憊の影はこもり、それをもし指にて觸れば、忽ち金切聲で感應するであらう。觸ることの豫想の苦惱に悶え疲れ、暗澹と彼は椅子に凭つたまゝ、妖しくゆらぐ空氣を吸ふうち、椅子はひとりでに床を進行してゆく。

 

 椅子のエスカレーターに運ばれて、彼はホールに來てゐる。

 會衆は暗闇の中に茸の如く蔓り、合唱とも囁きともつかぬものが刻々に高まりゆけば、暗黑の舞臺に突如、劍を閃かして一人の老人が舞ふ。雞の冠を頭につけ、眼は瞋恚に燃え、莊嚴な劍にて突差すところから、めらめらと焰が發して、見る間にあたりは火の海と化した。黑烟の渦と噴出する火に追跡されて彼は逸散に遁走する。

 

 曲つた柱。黑焦の階段。鉛の水槽。痙攣する窓枠を拔けて、彼は巨大な梁の上を傳ふ。

 今、凄慘な工事中の建物の橫腹が彼の頭上に聳え、赤黑い錆の鐵材と煉瓦の懸崖が目を眩ます場所にある。

 彼は墜落しさうな足許を怖れて、一心に異常な風景を描く。

 靑葉の中に閃いてゐた鮎。白い美しい網で掬はれた蝶。消えてしまつた幼年の石塊。

 その彼の骨を引裂く大速力の車輪のなかの情景の露が空中に見え隱れして、彼は危い梁の上の匍匐狀態を脱した。

 

 やがて屋上に來た。こゝでは工夫達が身を屈めて、コンクリートの床に鯖を釘で打つけてゐる。

 何のために、そんなことをするのか。困惑がこゝにも落ちてゐるといふのか。

 困惑する彼の眼に、一匹の鯖は近寄り、一本のネクタイと化せば、次いで彼の全視野は雜貨商品の群に依つて滿たされた。

 蜥蜴の靴下。彫刻の馬。鸚哥の女。猫の帽子。苺の指環。金魚の菓子。火打石。

 それらの虹も疲勞の渦で灰色となり、すべては存在しないに等しい。ゆるくゆるく灰色ばかりが彼の眼蓋をすぎてゆき、やがて罫線の麗しい白い紙があり、彼は靜かに氣をとりなほした。

 彼はペンを執つて、事務のつづきを始める。ペンの音が紙の上を空滑りしてゐて、間もなく數字は葡萄の粒々となる。

 すると、いつもの天井の方からするすると一すぢの綱を傳つて、一人の兇漢が彼の背後に近寄る。

 わあつと、呻き聲とともに、彼は兇漢のまはりを泳いでゐる。

 

2018/01/13

原民喜「弟へ」(恣意的正字化版)

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和一九(一九四四)年二月号『三田文學』に発表されたものである。原民喜三十八歳の時の作品。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「弟」は原家七男(民喜は五男。六男六郎は四つで夭折している)の十一年下の敏であろう。

 冒頭前書で「なにしろ中學生相手の僕のことだから」と出るが、原民喜は妻貞恵が昭和一四(一九三九)年九月に発病(糖尿病と結核)しており、小説で食えないので、昭和一七(一九四二)年一月より千葉県立船橋中学校(現在の千葉県船橋市東船橋にある県立船橋高等学校)に英語教師として週三回通勤を始めていた。但し、本篇が発表された翌月には退職している(同年夏頃に朝日映画社嘱託となる。九月、貞恵、逝去)。

 「燕」の「大神宮下の驛」京成電鉄の千葉県船橋市宮本にある「大神宮下(だいじんぐうした)駅」。(グーグル・マップ・データ)。一キロメートルほど西北西に現在の千葉県立船橋高等学校がある。

 「貝殼」の「八千代橋」は大神宮下駅の東直近の海老川に架かる橋。(グーグル・マップ・データ)。

 「牛」の「宮本」は(グーグル・マップ・データ)。「怺へたまま」は「こらへたまま」。堪(こら)えたままで。

 「津田沼」の「菠蔆草」は「はうれんさう(ほうれんそう)」のこと。「生き」は名詞。生きざま。生活のさま。

【2018年1月13日 藪野直史】]

 

 

 弟へ

 

 僕は近頃「無心なるもの」と題して短文をノオトに書溜めてゐる。これは通勤の道すがら、目に觸れた微笑ましいものを、何氣なく書綴つたものにすぎないのだが、それがだんだん溜つてゆくといふことも何となく僕にはたのしいことなのだ。今日はそのうちから、三つ四つ君にお目にかけよう。なにしろ中學生相手の僕のことだから、文章も中學生じみてゐるかもしれないが、まあ笑つて讀んでくれ給へ。

 

 

  

 

 大神宮下の驛では、電車が着くホームの軒に、燕の巢がある。軒とすれすれのところに電車の屋根は停まるのに、燕はあやふく身を飜へして巢に戾る。それにしても、巢の中の仔は電車の雜音でおちおち睡れないであらう。國民學校の生徒を引率した先生が、珍しげに軒の巢を見上げてゐた。あまり天氣は良くないが、平穩な遠足の歸りなのだらう。燕は線路を飛越え、人家の陰へ消えてしまつた。

 

  貝殼

 

 八千代橋の手前の貝殼に埋れたやうな露次は、どこよりも早く夏の光線が訪れる。どの軒下も大概貝殼が積重ねてあり、それは道路の方にも溢れ、奧では盛んに貝を剝いでゐるので、刻々に殖えて行く白い殼で、やがてそこいらは埋沒してしまひさうだ。空の辨當箱を示し、貝を賣つてくれないかと男に尋ねると、あまりいい顏もせず默つて貝を剝いでくれる。それが出來る迄暫く軒下にたたずんでゐると、地面の白い光線がくらくらして、ふと側に子供が立つてゐる。よごれた繪本を展げて、眩しげにこちらを見てゐるのだが、その展げた繪本は南洋の椰子の樹の日の丸の繪で、その中から子供は拔け出して來たやうにもおもへる。

 

  

 

 暑い暑い宮本町の坂。夏の朝、牛はゆつくりゆつくり、このだらだら坂を二つ越えて行く。途中の家畜病院の空地に牛や馬が繋がれてゐるところまでやつて來ると、步いてゐた牛ほもーおと鳴く。繋がれてゐる牛の方は何とも應へない。ある日休暇の兵隊が二三人づれで、繫がれてゐる牛の側に立寄つた。そして一人がそろつと牛の耳を撫でてみた。

 坂を下つて來る牛もつらさうだ。よく見ると牛の鼻のまはりには四五匹の蠅が黑くくつついてゐる。牛はそれをじつと怺へたまま步いてゐるのだ。

 

  

 

 ある朝、坂の下の方から猫の啼聲がだんだん近づいて來た。と思ふうちに後から自轉車がやつて來た。後に函らしい風呂敷包が括り附けてあり、啼聲はその中からするのだ。ところで、自轉車に乘つてゐる人の後姿は、妙に忙しげで、どうも早く片づけてしまひたいといふ風なのだが、哀れな泣聲はなかなか歇まない。自轉車がもう遠ざかつてしまつても、まだその泣聲はまだつづいてゐる。あの坂の向ふは茫々とした畑となつてゐるのだ。

 

  津田沼

 

 上野行に乘替へるため一番線ホームに行くと、そこら一杯に葱・菠蔆草・大根の束をちらかし黑い大きな風呂敷包の山の中に坐り込んで、辨當を披いてゐるもの、襤褸ぎれを綴り合はせて足袋を拵へてゐるもの、女行商人の生きの姿はとりどりであつたが――それも今は既に見られない風景となつた。嘗て、このホームから向のホームを見てゐたら、國民服を着た靑年と若い娘が睦じげに佇んでゐた。その娘の姿は婦人雜誌などのよく出來た繪にありさうな、凛とした姿で、靑空を背景に、並んで立つてゐる男の胸のあたりをたのもしげに見上げてゐるのであつた。

 

  木の葉

 

 烈風が歇んだ野の道を、二三人の子供がパラパラと駈出して來た。背の低い羽織を裏返しに着てゐる、何か興奮してゐると思つたら眼には靑い木の葉をくり拔いて嵌めてゐるのだつた。

 

 

2018/01/12

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 魔女 / 「死と夢」~了

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「魔女」は昭和一三(一九三八)年十月号『文藝汎論』に発表された。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「活人畫」は「くわつじんぐわ(かつじんが)」と読み、布などに描いた背景の前で、扮装した人がポーズをとって、一幅の人物画のように見せる芸能を指す。明治から大正にかけて余興などで行われ、古今東西の名画や歴史上の有名人などが題材とされた。「翳して」は「かざして」と読む。「かなめ垣」(かなめがき)は若葉が紅色を帯びて美しい要黐(かなめもち:バラ亜綱バラ目バラ科ナシ亜科カナメモチ属カナメモチ Photinia glabra)で作った垣根のこと。「簷忍」は「のきしのぶ」と読む。「つりしのぶ」のこと。「黔んだ」は「くろずんだ」と読む。

 なお、本篇には主人公(姉からは「順ちやん」と呼ばれている)の姉が登場するが、因みに原民喜には二人の姉がおり、孰れからも民喜は非常に可愛がられた。長姉の操は十四年上で大正一三(一九二四)年に亡くなっており、次姉のツル(民喜より八つ年上)は大正七(一九一八)年(民喜十三歳)の時に亡くなっている。この二人の思い出が本篇に強く作用していることは間違いない。

 以上を以って原民喜作品群「死と夢」は終わるが、発表年次は順列となっておらず、公開する場合を考えて、原民喜が並べ替えている(ブログ・カテゴリ「原民喜」の公開順を参照)。同作品群十篇を発表年次で並べ替えると

「行列」(昭和一一(一九三六)年九月号『三田文學』)・「幻燈」・「玻璃」・「迷路」・「暗室」・「魔女」・「曠野」・「湖水」・「溺沒」・「冬草」(最後の「溺沒」と「冬草」の二篇は『三田文學』(昭和一四(一九三九)年九月号)への同時発表)

となる。【2018年1月12日 藪野直史】]

 

 

 魔女

 

 私は姉や姉の友達七八人に連れられて、人喰人種を見に行くのだつた。恰度、夕方のことで街は筒のやうに暗かつた。うまくすると、人喰人種が夕食を食つてゐるところが見せて貰へるかもしれない、と一人の女學生は云つた。昔の女學生は庇髮のやうな髮を結つてゐて、丈が高かつた。そして長い袴を穿いてゐて、氣高い顏をして步いた。私は人喰人種が今夜は何を食ふのかしらと思つた。人喰人種はきつと寒がつて、裸體の上に赤い毛布をくるくる卷いて、宿直の屋の疊に六七人蹲つてゐるやうな氣もした。

 そのうちに石疊の狹い露次へ來ると、旅館が二三軒並んでゐた。姉達は一軒一軒旅館の玄關で、人喰人種は來てゐないかと訊ねて步いた。どうも人喰人種が泊つてゐる宿屋はもつとさきらしかつた。もう一つ裏側にある路へ這入ると、今度はたしかにそれらしい旅館だつた。皆は眞暗な玄關の土間に立つて、一人が聲をかけた。すると眞暗な障子がするりと開いて、婆さんが現れた。「人喰人種が泊つてゐるのはこちらで御座いますか」と一人が訊ねた。婆さんは頷いた。それで私は何だか吻とした。「人喰人種が御飯食べるところ見せて下さいませんか」とまた一人が口をきいた。婆さんは何を思つてか、ぢつと默り込んでしまつた。それで、もう一人が同じことを嘆願した。「駄目です!」急に婆さんは口惜しさうな聲で呶鳴つた。皆はびつくりして、そのまま往來へ飛出した。それからだんだん急ぎ足になつて、とうとう走り出した。

 

 私は門口の處で、石に蹴躓いて膝頭を擦剝いた。膝坊主は火がついたやうにヒリヒリ痛んだ。見ると、膝頭には土がくつついてゐて雲母の破片がキラキラ光つてゐるので、私の眼さきは曇つてチラチラ慄へ出した。家に歸ると、もう辛抱が出來なくて、おいおい泣いた。すると、緣側で活花をしてゐた姉は靜かに鋏を置いて、私の傷を調べ出した。姉は私を疊の上に寢轉がして、「眼を閉ぢてゐなさい」と命令した。私が素直に眼を閉ぢると、姉は私の額の上に何か輕いものを置いた。靑々した木の葉の匂ひがするので、一寸眼を開けてみると、やはり額の上に置かれてゐるのは木の葉らしかつた。「まだ、眼をあけてはいけません」と姉はおごそかに云つた。

 私は眼を閉ぢた儘、どういふことが次に起るのだらうかと、少し面白くなつて來た。暫く何の物音もせず、靑靑した木の葉の匂ひが鼻さきを掠めてゐた。やがて姉がそつと立上る氣配がして、疊の上を靜かに步いて行く跫音がした。姉は簞笥の前で立止まつたらしく、微かに簞笥の環が搖れる音がした。間もなく、すーつと抽匣を拔く音がしたので、成程繃帶を持つて來るのだな、と私は思つた。そこから姉が私の側へ歸つて來るまでには隨分時間がかかつた。とうとう私は、何時、姉が、どういふ風に私の膝頭に槻帶を卷いてくれたのか、わからなかつた。姉はパチパチと植木鋏を使ひながら、「もう眼をあけてもいいよ」と云つた。

 

 私は父の大切にしてゐた萬年筆を踏んで壞してしまつた。生憎、見てゐる人がなかつたので、それが却つていけなかつた。壞れた萬年筆が父親の顏のやうに思へて、もう私は怖くてその方を見ることも出來なかつた。私はびくびくしながら緣側の方へ行つた。すると、何も知らない姉が、「もう、お風呂よ」と云つて、私を捉へた。それから私の帶をほどいて、私を裸にさせた。姉は私に手拭を渡した。それから姉は湯を汲んで、私の背中にざぶざぶ掛けた。

 磨硝子の窓に靑葉を照す陽光が搖れてゐて、風呂場は明るかつたが、私は窓の外に蓑蟲がゐることや、漆喰に黑い苔が生えてゐるのを見ると、何だか地獄に陷ちてゐるやうな氣がした。やがて、姉も頤のあたりまで湯に浸つて、私の顏と姉の顏は對ひ合つた。私は天井を見上げると、太い竹で組んだ天井は煤けて怕さうだつた。その時、私は姉が何か訊ねるやうな眼をしたので、「地獄極樂」と口走つた。すると、姉は一寸呆れたやうな顏をして、私の眼の中を視凝めた。それから姉の眼は、私の惱みの種を見つけて摘み出さうとする眼に變つてゐた。

 

 私は姉に連れられて街を步いてゐた。公會堂で活人畫や何かがあるのを見に行くのだつた。打水をされた路はピカピカ光つて、時々泥が裾の方に跳上つた。どの店舖も日覆を圓く脹らまして、奧の方はひつそりして薄暗かつた。屋敷の塀の續いてゐる日蔭へ來ると、ポプラが風車のやうに葉を飜してゐた。氣持のいい微風が路の角や電柱の橫から吹いて來ることもあつたが、斜上から差して來る陽はかなり蒸暑かつた。姉は白いパラソルを翳して步いてゐた。靑い木蔭へ來ると、パラソルも顏も靑く染められた。

 私は稍ひだるい氣持になり、少しぼんやりして來た。その時、一匹の大きな揚羽蝶がかなめ垣から飛出して來て、姉のパラソルの上を橫切つて消えた。暫くすると、またその揚羽蝶はふわふわと漾つて來て、姉のパラソルのまはりを飛んでゐた。それから間もなく揚羽状の姿は何處かへ見えなくなつたが、私は別に氣にも留めず步いてゐた。ところが、ふと、氣がつくと、姉の白いパラソルには何時の間にか、さつきの揚羽蝶が刺繡にされて、くついてゐるのだつた。私はびつくりして聲を放てなかつた。刺繡の蝶はまだパタパタと片方の翅を動かして、そこから今にも飛出さうとしてゐるのだつた。

 

 私が夏の午後、小學校から歸つてゐる途中のことだつた。電車道を越えると、路は片蔭になつてゐて、靜かな家が並んでゐた。妙に靜かな時刻で、家のうちの時計の振子の音が外でも聞えるのだつた。私はその時、屋根の方から誰かが呼んでゐるやうな氣がした。すると、聲はまた確か「順ちやん」と云つてゐた。見上げると、二階の障子が半分開いて、蔭から姉の顏が覗いてゐた。私は無言のまま暫く立留まつてその家を見た。ベンガラを塗つた格子のある中位の家で、二階の軒には簷忍と風鈴が吊つてあつた。そこへ姉は嫁入してゐたのかしら、と私は久し振りに見る姉の顏が妙に透徹つてゐるやうに思つた。すると、姉は默つて障子の奧へ引込んでしまつた。私はそれから間もなく自分の家へ戾つた。

 ところが、家へ戾ると、私の父は、「今、これから姉さんを停車場へ出迎へに行くのだから、お前も一緒に來い」と急きたてるのだつた。私はカバンを家に置いて、そのまま父の後に從いて出掛けた。急ぐと、太陽が後からギラギラ照りつけて大變暑かつたが、驛へ來ると、そこは風があつて涼しかつた。絽の羽織を着た女の人と、父と私と三人はホームに出た。やがて汽車が着くと、中から姉が出て來た。姉は透徹つた顏をしてゐて大變疲れてゐるやうな容子だつた。それから皆は俥に乘つた。姉の俥が先頭に街を走つた。俥は私の家の方へ行かないで、小學校へ行く路の方へ折れた。そして、さつき私が驚いて見上げた家の前で俥は留まつてしまつた。

 

 私は姉の入院してゐる病院に見舞に行つた。姉はベットに寢た儘、だるさうな容子で暫く私を相手に話してゐたが、枕頭の藥壜を取つて、唇に含んだ。「少し睡いから、これを飮んで睡むらう」さう云つてゐるうちに、もう姉はすやすやと小さな鼾をたてはじめた。私は椅子に腰掛けた儘することもなかつた。窓の外には侘しい病院の庭があつて、常盤木の黔んだ姿が見えるはかりだつた。壁に懸つてゐる額や、小さな人形や植木鉢のほか、目に留まるものもなかつた。白い侘しい時間だつた。

 ふと、ベットの方で姉の起上る氣配がした。見ると、姉は蒲團の上に坐り直つて、頻りに兩手を上の方へ伸しながら、何か綱のやうなものでも把まうとしてゐる恰好だつた。その眼は虛ろに大きく開かれて、何にも見えないのではないかと怪しまれた。姉は同じやうな動作を續けながら、次第に身體の重みを失つてゆくらしかつた。突然、姉は宙を浮上ると、天井の處に姉の身體はあつた。と思ふと、ベツトの下の方で姉の得意げに笑ふ聲がした。それから姉は額の裏や、植木鉢の下や、電球の中に、自在に身を潛めて、暫く飛𢌞つた。その間私は凝と椅子に縛り附けられてゐるやうな氣持だつた。やがて、ベツトの方で姉のうめき聲が聞えた。見ると姉はぐつたり疲れたやうに蒲團の中に埋れてゐた。

 

 私は午睡から覺めて、ぼんやりと玄關のところへ行つた。西の方の空にはまだ雲の峰が出てゐて、表の道路は白つぽく乾いてゐた。さうして往來を通る人も殆んどなかつた。無性に誰か私は人が現れないかと待つた。すると、近所の氷屋のおかみさんがバケツを提げて通つた。あのバケツの中にはけむりの立つ氷を入れてゐるのかと思ふと、一寸をかしくなつた。おかみさんは、しかし、すぐに視野から消えて、往來は再びもとの靜寂にかへつた。

 暫くして、何か異樣な影が路傍に落ちて來た。が、それは今、人力車が通るのだつた。その人力車の上には、つい先日死んだ姉がちやんと乘つてゐて、頻りにこちらの家の方を氣にしてゐる容子だつた。俥はそのまま家の前を通り過ぎた。私は早速下駄を穿いて門口に出てみた。すると、俥の姿はもう見えなく、往來はひつそりとして、砂がギラギラ光つてゐるばかりだつた。

 

 私はサーカスの綱渡りの女に姉がなつてゐるのを見た。姉が死んだ頃から算へると、もう二十年も經つてゐた筈だが、綱渡りをしてゐる女は恰度死んだ姉の齡頃であつた。何時か姉は内證で私の家の前を俥に乘つて通り過ぎたのは、こんな所に身を潛めるためだつたのだらうか、――さう思ふと、今、衆目に晒されてゐる姉の身の上が氣の毒でもあり、腹立たしかつた。子供の時の私は姉に魔術を懸けられて、いろんな不思議な目に遇はされたが、私ももう成長してゐるので、さう簡單な暗示には陷るまいと思つた。しかし、どうもけしからんのはその女が現に死んだ姉なのだから、これは大變いけないことにちがひなかつた。私は樂隊の音につれて、今、綱を渡つて來る姉の眼をぢつと遠方の客席から視凝めてゐると、姉もどうやら私に氣が着いたらしい。しかし、私は腹に力を入れて、猶も視線をはづすまいと努めた。が、どういふものか、私のすぐ眼の前に小さな塵がくるくるくるくる𢌞り出した。樂隊の音が急に高まり、姉の眼に悶絶の色が浮んだと見たのは一瞬であつた。もう客席は總立ちになつて、墜落した姉の樣子を見ようとしてゐた。

 私はその後、負傷した姉を病院に見舞つた。けれども彼女はけげん相に私の顏を眺めてゐるばかりで、一向私に氣がつかないらしかつた。私は先日姉が綱から墜ちた時のことを話して、姉の記憶を甦らさうとした。すると、姉は突然私を睥みつけて、「出て行け、この馬鹿野郎!」と口ぎたなく罵り出した。私は姉が負傷のため精神に異狀を呈したのだらうと察し、そのまま其處を立去つた。

 

 私はその後、暫く姉と邂逅ふこともなかつた。しかし、姉は魔法使だから何時何處に現れて來るかわからないと思つてゐた。そのうちに、私の生活は段々行詰つて來て、私の精神は衰弱して行くばかりだつた。ある蒸暑い夏の深夜、私はふらふらと寢床を匍ひ出すと、緣側の天井の太い橫木に自分の帶を吊した。さうして蹈臺の上に立つてゐると、何處かで車井戸を汲上げてゐる音がした。どうもその物音がをかしいので、暫く耳を傾けてゐると、蹈臺のすぐ下で、ほほほほと笑聲が洩れて來た。

 何時の間にか私は死ぬることを忘れてしまつて、秋になると、高い山へ登つて行つた。山の宿で一泊する積りで、早くから寢間に這入つてゐたが、不思議と目が冴えて來た。何かぷつりと雨戸に突當る音がしたので、私は雨戸を開けてみた。月明を含んだ一めんの霧だつた。恰度、眞上の方の雲が裂けて、どうやら月が現れ始めるところだつた。私は下駄を穿いて外に出てみた。頭をあげて月の方を見てゐると、よはど速い雲脚なのだらう、月の面輪は絶えず光を變へてゆく。そして、氣がつくと、向うの杉の木立の中をちらちら何か眞白なものが跣足で走り𢌞つてゐるのだつた。

 

 私は見知らぬ地方の靑葉の景色をたつぷり眺めて、最後にケーブルカーに乘つて、火口湖があるところまで行つた。火口湖のほとりに小さな四阿があつて、そこで私は腰を下してゐた。氣がついてみると、そんなところに休んでゐるのは私一人であつた。湖水の靜かな波の音と小鳥の聲が聞えるばかりで、あたりはひつそりしてゐた。外輪山は薄い雨雲につつまれてゐて、雨に濡れた靑葉に混つて、躑躅の花も咲いてゐた。そのうちに私が眺めてゐる山も湖水もみんなうつとりと大氣の中に溶けて行き、しまひにはもうなにもなくなつてゆくのかとおもへた。ただ、向うの森の澤山の小鳥の囀りのなかから、一羽だけ注意を惹く鳥の音があつた。その小鳥の聲は何か無意識に私の心を支配しさうだつた。やつぱし居たな、と私は森の方を彈んで苦笑ひした。

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 冬草

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 冬草

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「冬草」は昭和一四(一九三九)年九月号『三田文學』に発表されたもので、前の「溺沒」と同号での発表である。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「溫袍」は「どてら」と読み、例の綿を厚く入れた広袖の着物で防寒や寝具に用いるそれを指し、「湯沸」は「ゆわかし」、「萵苣」は「ちさ」或いは「ちしや(ちしゃ)」でレタスのことである。「獵虎」は「らつこ(らっこ)」と読み、例の海棲哺乳類である。嘗ては毛皮が盛んに利用された。「拂いた」は「たたいた」と訓じていよう。「沓石」は「くついし」で「沓脱石(くつぬぎいし)」の略であるが、あまり良い用法ではない。何故なら「沓石」は通常、礎石の上に置いて柱や縁の束柱(つかばしら)の下に据える根石(ねいし)を指す語であるからである。「護謨」は「ゴム」と、「禿びて」は「ちびて」(「先がすり減って」の意)と読む。【2018年1月12日 藪野直史】]

 

 

 冬草

 

 座敷の廊下の玻璃戸越しに山茶花が白く渦卷いてゐた。秋彦は自分の跫音で廊下の輕く軋むのを聽きながら胸は頻りと波打つた。茫とした溫かい、いきれが頰の下に蠢いてゐて、山茶花の白い花辨が眼に惱しかつた。

 秋彦は行つて父に挨拶しなさいと母から云はれた。しかし秋彦は父に逢ふのが、まだ何となく氣恥しかつた。さつき彼がうとうとしてゐた隙に、突然、父は歸つて來たのだつた。

 父は歸つて來ると、座敷の方へ引籠つて、人を避けて、まだ家族の者の他は逢つてゐなかつた。秋彦はとにかく大變なことになつたと思つた。廿年も前に彼は父の葬式が行はれたのを憶えてゐる。父の死骸が棺桶に收められ、燒かれた骨を拾つたことまで、こまごまと憶ひ出されるのだつたが、それらが今は却つて夢であつたのかしらと怪しまれた。そして、現に今、頻りと淚を出して嬉しがつてゐる母を見ると、どうしても秋彦は父の生還を信じない譯には行かなかつた。

 

 障子の際に屛風が立てられてゐて、奧には確かに人の居る氣配が感じられた。思ひきつて、障子を開けると秋彦は子供のやうにぎこちない姿で疊の上に蹲つた。それから眼を上げて父の方を覗ふと、その人は侘しげな姿で微かに頷いた。「秋彦です」と彼は改まつて、膝の上に掌を置いた。けれども父は耳が遠くなつてゐるのか、ぼんやりした眼ざしでゐる。何處か拔殼のやうに見えるのは、年齡の所爲でもあらうか。よく視ると、父は黃八丈の溫袍を着て厚い藁蒲團の上に半身を起した儘、膝の方は羽根蒲團に埋もれ、肩はすつぽりと毛布を掛けられてゐるのだつた。そして、側の大きな桐火鉢では石綿のなかに赤い火が燒つてゐて、銀の湯沸が忙しげに沸騰してゐた。

 秋彦は父が容易ならぬ處から歸つて來たのを感じた。何處からどうして還つて來られたのか、それを父の口から訊くのはいけないことのやうに思へた。それに、父の容態はやはり良くなささうだつた。

 次第に淚で視野が濁つて來たので、秋彦はそつと立上つて、そのまま障子の外に出た。すると、さきほどから聲を潛めてゐた感動が身裡に盛上つて來て、今はわーツと哭きたくなつた。

 家のうちは急に取込んで、女中や姉妹達が忙しさうに立働いた。緣側には土藏から持出された來客用の火鉢や座蒲團が並べられてゐた。姉は白いエプロンの袖をちよこちよこ動かして火鉢から敷島の吸殼を拾ひ取つて庭先に捨ててゐる。と思ふと、玄關の方の電話口のベルが鳴り出して、應對に出た母の聲は普段より浮々してゐる。

 

 秋彦は緣側から下駄を突掛けて、土藏の裏の方へ行つた。やはり、ひとりになつて暫く氣持を落着けたかつた。土藏の裏は小さな野菜畑になつてゐて萵苣や春菊が乏しい綠を貯へてゐた。隣境の黑い板塀を越えて、午後の陽が一めんに白壁を照らしてゐた。秋彦は薪小屋の空俵の上に身を凭掛けた。そこにも陽は一杯溢れてゐた。足許のすぐ側の枯れた薔薇の木に、陽は金色に煙つてゐた。――さうだ、花を作らう、秋彦はふと獨白した。

 秋彦が幼かつた頃には、このあたりは一めんの花壇だつたのだ。罌粟や矢車草や石竹の咲亂れた姿が髣髴と眼の前に甦つて來た。すると、秋彦の胸はわくわくと波打つて、たうとう淚を流し始めた。淚は幼げな心に貫かれて、もうこれからは大丈夫だ、もうこれからは大丈夫だ、と繰返し繰返し同じ言葉が浮んだ。瞼を閉ぢて、顏を日の光の方へ向けると明るい光の矢が秋彦をめがけて降灑いだ。秋彦はその光に取縋つて一心に祈るやうな氣持がした。淚が閉ぢてゐる瞼からまた新しく溢れ出るのだつた。

 やがて、誰かの近づく跫音がして、秋彦はふと我に返つた。見ると、さつき緣側で火鉢を掃除してゐた姉が、父の着て歸つた外套を物乾竿に乾さうとしてゐるのだつた。襟の處に獵虎の毛皮の附いた、昔、秋彦が見慣れてゐた外套を、姉は重たさうに抱へて背伸して竿に掛けると、パタパタと面白さうに兩手で裾の方を拂いた。外套の塵が日に透いて、地面の雜草の上に舞つた。すると、冬の日の埋葬の途上でみた靑い草がかすかに秋彦の頭を掠めた。凍てついた灰色の路に靑々と殘つてゐる草が少年の哀傷に似て思ひ出される。

 ふと姉は秋彦の方を振向いて、にこやかな顏をした。秋彦はなぜか暗澹とした面持になつてゐた。姉はこちらへ步み寄つて來て、袂から紙片を差出すと、またちよつと笑つた。「すぐにこの電報を打つて來て頂だい」さう云ふ姉は小さな子供をあやすやうに浮々した表情をした。

 受取つた紙片を讀んでみると、それは遊學中の兄へ宛てた、父の生還を知らす電文であつた。秋彦は急にいそいそした氣持で立上ると、玄關の方へ𢌞つた。何氣なく見ると沓石のところに父の黑靴が揃へてあつた。それも昔、よく父が穿いてゐた靴で、もう近頃はあまり見掛けない型だつた。秋彦は壞しげに暫く熟視した。すると、さういふ品物にまでまだ子供らしい愛着が殘つてゐるのだつた。それから秋彦は傍に置いてある櫻のステツキを手に執つてみた。片手でそのステツキを突きながら、片手で秋彦の手を引き氏神神社の石段を父が昇り降りしたのが、たつたこの間のやうに思へた。柄の端に羊の首を型どつてある銀の飾りもたしか見憶えがあつた。

 さうして暫く玄關ばなに腰を下して、ぼんやりしてゐると、やはり父を喪つた當座、よく彼は表の方から父が俥に乘つて歸つて來さうな氣がして、ぼんやりと腰を下してゐたことなど憶ひ出した。その頃、すぐに歸つて來てくれたなら、どんなによかつただらう。秋彦はふとまた眼頭が熱くなるやうな氣がした。それから電報のことを思ひ出すと、急いで表の方へ出た。

 

 外は何も彼も急に美しくなつてゐた。街の果てにある靑い山脈もはつきり見え、家々の軒の上を電線が遠くまで伸びてゐる。それに、いくらか中高に盛上つた地面が護謨のやうに彈力があつて、柔かな陽光が秋彦の背に緩く流れて來た。

 秋彦は果物屋の前まで來ると、うつとりとして店頭を眺めた。薄い紙に包まれたネーブルや綺麗に磨かれた林檎などが、ずつと盛上つてゐる薄暗い奧に、小さな女の子をねんねこに背負つたおかみさんが甲斐々々しく、紙を疊んでゐた。おかみさんの脇の壁に天狗の面が掛けてあるのを、何だか昔見たことのあるやうな感じで、秋彦は暫く無心に見入つてゐた。

 それからまた思ひ出したやうに步き出したが、今度は硝子張の印判屋の前で立留まつた。車が通る度にその硝子窓はよく搖れたが、内ではいが栗頭の男がせつせと小刀を使つてゐた。小刀のさきに浮いて來る粉を唇で吹拂ふのがいかにも娯しさうなのだつた。

 

 秋彦は滿ち足りたやうな氣持で、郵便局へ這入つて行つた。窓口で賴信紙を貰つて、隅の方で秋彦は紙を展べ背を屈めた。挨まみれのインク壺にペンを突込んだが、ペンが禿びてゐて、文字が思ふやうに書けなかつた。秋彦は何だか少し焦々して來たが、この時になつて、彼はふと自分の妻へも電報を打つてやらねばならないと氣づいた。それで、もう一枚紙を貰つた。見ると、その賴信紙は黃色く古びてゐて、靑い罫は今にも消えさうになつてゐる。ふと、疲勞のやうなものが彼をとりまいた。秋彦は容易ならぬ矛盾に躓かされてゐるのを知つた。考てみれば、兄が東京にゐたのは、もうずつと以前のことで、現に自分にさへ妻がありながら、まだ兄が遊學中の筈はなかつた。

 冷やりとした氣持で、秋彦はさつき姉から渡された紙片を見つめた。それを見てゐると心臟は奇異に高鳴り、今にも破裂しさうになつた。秋彦は途方に暮れながら妙に急き立てられ、窓口のところで切手を買つた。それから二枚の切手をがつかりした眼つきで眺めた。切手の中の細かい模樣などを殊更熟視すると一層困惑は募つた。彼はもう自分のしてゐることが信じられなく、ふわふわと夢遊病者のやうな氣持であつた。

 重苦しい嗟嘆とともに彼は、窓口のところで元氣よくスタンプを押してゐる空色の上衣を着た娘の姿をちよつと眺めた。すると、その時、何處からともなく「秋彦さん」といふ聲がしたので、彼ははつとしてまた娘の方を振向いた。もとよりその娘が彼の名を呼んだのではなささうだつた。――とにかく、ひどく疲れてしまつた、と秋彦は暗然としてひとりごちた。

 

 秋彦の心臟は再び異常に高鳴り出した。直ぐに家の方へ引返すのが恐しくなつて、秋彦は郵便局から四五間さきの橋の方へ步いて行つた。暫く氣持を落着けなければいけなかつた。秋彦は袂から姉の渡した紙片を引出して確かめようとしたが、何時の間にかこなごなに引裂かれてゐた。紙片は愕然とした秋彦の指を滑つて橋の上から花辨のやうに水に散つて行つた。流れてゆく紙片を暫く見送つてゐたが、次第に秋彦は自分の不幸を感じて來たた。そして、今初めて氣づいたことがあつた。それをはつきり考へるのさへ怕く、それと氣づくと、もうそのことは爭へない事實ではあつた。秋彦は顏色を變へながら、今はもう遠くへ流れて行つた紙片の行方を追ひ、ガタガタと顫へ出した。さつき彼に電報を賴んだあの姉も、既に十幾年も前に死んでゐた筈だつた。父が死んだ四年目にたしか彼女は亡くなつてゐたのだ。それを思ふと、全身が闇に沒してゆくやうな感じで、しかし、さつき見た姉の姿が奇妙に懷しくもなるのであつた。もう今は茫として夢のやうにしか浮ばないが、姉の半襟についてゐた小さな刺繡の花がピカピカと光つた。

 

 秋彦は欄杆に凭れて身を支へてゐた。これから步いて家へ歸る元氣もなささうだつた。家へ戾れば、僅かの間に、何も彼も變りはててゐるやうな氣がした。御伽噺にでもありさうな、奇怪な身の上を訝りながら、秋彦はぢつと川の面を見下してゐたが、彼のすぐ側を絶えず車や人が往來するのであつた。その橋とあまり隔たらないところに鐵橋があつて、もうさつきから電車が四五臺も通つて行つた。秋彦は段々空腹を覺え寒くなつて來た。

 

 日は何時の間にか翳り、往來には暮色が下りて來た。暗い店頭などでは早くも灯が點けられてゐて、燒芋屋の前には子供達が群がつてゐた。

 秋彦が自分の家の門を潛ると、玄關の方はとつぷり暗くなつてゐた。跫音をきいて衝立の蔭から誰かがそつと覗いた。その顏が暗闇に靑く呆けてゐるのに秋彦は驚かされたが、そのまま上つて行くと、どうやらそれは母であつた。奇妙なことに母は何に昂奮してゐるのか、頻りにそはそはした樣子をしてゐた。秋彦は母が落着かない譯をぼんやり怪しみながら奧の間へ這入つて行つた。ふと秋彦は母もこの三年ほど前に死んでゐることを憶ひ出した。秋彦は慄然として、それから無性に淚が流れだした。それでは、やはり今迄のことはみんな夢であつたのかと疑ひながら、淚はとめどなく頰を傳つてゆく。すると、影の呆けた母がやつて來て、「暗いぢやありませんか」と云ひながら電燈を點けてくれた。部屋はパツと明るくなつたが、秋彦は母の方を正視することが出來なかつた。

「もう一度行つて、お父さんに挨拶して來なさい。容態が惡くて今夜がもう危いのです」と母は聲を潛めて秋に語つた。

 

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 溺沒

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「溺沒」(できぼつ:おぼれて沈むこと・溺れて死ぬこと)は昭和一四(一九三九)年九月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「眥」は「まなじり」、「滾らせて」は「たぎらせて」、「拉がれて」は「ひしがれて」、「覘つて」は「うかがつて」と読む。

 この終章は私には、あたかも、原民喜の十二年後の自死の瞬間を感じさせて、慄然とせざるを得ない。【2018年1月12日 藪野直史】]

 

 

 溺沒

 

 錯亂は昂進し、河の堤に積上げてある礫の山がガラガラと崩れる。

 雷鳴を學んだ空の下、猛夫は礫ともに崖を轉び墜ちると、石と砂と靑い水が彼の顏を押流し、電柱の閃めき、夾竹桃、黑焦の杭が遙かなる空間を滑走する。

 游泳者の群の風にちぎられる聲が耳朶を打ち、今、斷末魔の眥に、白い巨大な網のやうな梯子が、おごそかな天空を搖れうごき、そこに生死不明の兄の姿が浮び出す。

 兄は、するすると身輕に梯子を傳つて來て、猛夫の片腕を握り締める。その昔、ふるさとの河で、彼の溺死を救つてくれた異腹の兄は、今、猛夫の片腕に兇暴な力を振ひだす。

 片腕は痺れて、既に、軌道の側に轉つてゐる死骸の一部と化したのか。

 胴の上、赤と綠のシグナルが瞬く闇に、涼風の窓を列らねた省線が走り、その女の靴の踵が、轢死した彼の上を通過してゐる。

 洋裁を習つて、二人の妹を養はねばならぬと、その女の踵。

 ガラガラとミシンは囘轉し、女の踵は猛夫の額を蹈み、蹈む。ああ、それも、これも、背き去らねばなら衰運の兒のさだめか。再び、彼の頭上を省線は橫切り、無用の頭蓋を粉碎してしまふ。

 

 既に、その魂魄は粉碎されてゐたのであらうか。

 ぐつたりと身を眞晝の部屋に橫へて、決行の時機を待つばかりであつた。絆は切斷された、と、自らに云ひきかせた。生きてゆく目的も、意志も喪はれてゐた。すべてが、君は無用の男だと、暗に、――それは殆ど不明瞭ながら、人の言語の端に、表情の裏に潛まつてゐるのを、彼は夙に感知した。

 窓を閉切つた、その部屋の屋根では、今も樹木が搖れてゐる。

 樹木、――少年時代にはそれが靜謐の心靈のやうに思へてゐたものだが、――樹木もまた狂亂の樹液を滾らせてゐるのか。栗の花、樟の若葉――一週間前、公園の靑葉は猛烈な叫びを放つて彼に迫つて來た。

 靑葉の焰にとりまかれながら、誰かを撲りつけてしまひたい衝動に驅られた。誰を、何のために、――理由のない怒りは不燃燒のまま、身裡に疼くばかりだつた。突貫だ、突貫だと叫びながら彼は坂を登つて行つた。太陽がギラギラ、樹木は爆發し、雲は雪よりも白かつた。なにものも心を滿たすものは無いのか。猛夫はくらくら燃える靑空に見入つた。と、眞晝の淡い月輪のかなたに、巨大な透明な梯子が浮上つた。

 梯子は夢にみる神の死骸のやうに空を緩く搖れて移動した。

 突然、猛夫の一方の瞳にチラリと奇異な痛みが襲つた。戰慄とともに涙が頰を傳はつた。眼の痛みによつて流されてゐるのか、號泣してゐるのかわからない氣持で、夕刻から酒場を飮み步いた。

 だらだらと淚が流れた。

 記憶にない三日間――否、數年間かもしれない――が過ぎた。ふと、眼科病院の控室のソフアで猛夫は意識を恢復してゐた。手も足も負傷はしてゐなかつたが、何ごとかを叫んだり、破壞したり、狂亂の限りを盡してゐたやうに思へた。眼帶をして、巷に出ると、眼は心配するほどの病氣でもなかつたが、顏は罪劫に拉がれてゐた。

 郷里の父に電報で送金を顧み、夜遲くアパートへ戾つて來た。敷ぱなしの夜具の上に、先日封を披いて讀捨てたままの、女からの手紙があつた。(あなたは來春御卒業なさればもう何不自由ない身分ではありませんか、私はまだ後に二人も妹がありまして、それを私の細腕で養つてゆかねばならないのです)――婉曲な拒絶。しかし、誰が誰に求愛なぞしてゐたのだつたか。このためにではない、と猛夫はこなごなに手紙を引裂いてしまつた。それから、夜具の中に石のやうに重い頭を埋めてゐた。

 

 頭は泣いたり、怒つたりして、夢はまだ微かに光を求めてゐた。

 夢は中學生の感傷に還つて、ふるさとの河邊をさまよつた。月見草の咲く堤に橫臥して、暗い世を嘆いて淚した。淚することにまだ慰籍はあつた。兄の出奔の記憶も生々しかつた頃で、猛夫は切に上京を夢みた。宇宙の核心を頭の中に捉へること、その鍵を、子供の時から想像してゐた。その鍵を得たならば、その時はじめて一切は充足するであらう。間もなく上京して學問をして行つたならば、その鍵は捉めるであらうと。川波のさざめき、舵の音、かぐはしの太陽、つばくらめ――今、いぎたなく睡り呆けてゐる眼に淚はひたぶるだ。

 忽ち河は汎濫し、水が狂奔する。水は其黑な怒りを湛へた牛。川床を轉がりゆく礫は猛夫。

 夕ぐれの窓では、出奔決行直前の紙のやうに白い兄の顏がある。父親と衝突して半年も監禁されてゐた兄は、夕闇の中に脱出の隙を覘つてゐる。

 ひらりと灰白いものが、窓から滑り落ちる、兄の白い脛が小走りに闇を消えて行く。一錢も持たなくて出奔した兄は――もう歸つて來ない。夕闇は宙をさまよつて移動する。

 

 猛夫は郊外の叢にゐる。友達と二人で冷酒をあふつてゐる。叢は火藥の臭ひがし、夕闇は鼻さきに漾ふ。街の方の空にはもう燈がともつてゐる。

 突然、兇惡な力が地下の闇から跳ね返つて來る。猛夫はそいつに彈かれて、だ、だ、だ、と走りだす。置き去りにされた友が後から何か喚いてゐる。

 いきせききらせて、アスフアルトの路はまつしくらに續く。街が、燈が、人が、前後左右から犇いて來る。そのうちに彼はどたんと誰かと衝突する。相手は彼に組附いて來る。舖道に投出された二人は組附いて離れぬ。群衆に取圍まれ、血みどろの格鬪が囘轉してゐる。この譯のわからぬ無我夢中の格鬪は次第にだらだらと間のびして來る。

 

 それからまた叫喚の中をつ走つてゐる。いくつも、いくつも同じやうな夜の街が怒號する。猛夫はへとへとになり、ふらふらと步みだす。終に街は盡きて、向うに河が見えて來る。それは故郷の夜の河に似て、心を鎭める。

 ふと、猛夫は孤獨な父親のことを想ひ出す。兄の失踪以來、氣の衰へて、猛夫には無性に優しい父親。祖母とともに家計を節約しながら、彼には莫大の學資を送つて來た。哀しい父は今も薄暗い電燈の下で算盤を彈いてゐるのだらうか。絆は堅く猛夫を締めつけ、放蕩の、愚行の負債は重く押しつけて來る。いつかは、いつかはすべてを償はねはなるまい。しかし、いつ、いつの日にか果して其の力は湧くのか。

 暫くすると、家の窓が見えて來る。窓には明るい電燈がつき、物干臺には襁褓が飜つてゐる。三人目の妻を迎へて若返つた父親が、今度生れた弟を抱いて、ふと窓から首を出す。

 忽ち猛夫を載せた地面はぐらぐら墜落してゆく。だらだらと淚が流れ、何處に自分がゐるのかまるでわからなくなる。

 額のすぐ上に星。無限の韻律が靜かに漾つて來る。碎かれた心を抱いて、物干臺に寢そべる暑中休暇の銀河なのか。さうしてゐるとまた胸の底に、眞黑な、不逞な、悲しい思考が宿る。一つの思考と睥み合つてゐると、彼の眼は靑く凍てつく。

 すると、かすかに絹ずれの音がして、白いベールをした女が現れて來る。その女は、倒れてゐる猛夫を宥め起し、彼を家まで送つてくれるといふのだ。猛夫は遠かに素直な氣持になり、默つて後から從いてゆく。街燈が霧に煙り、深夜の靴音は冴えて朧だ。曲角のところで、ふと、女は消え失せてしまふ。

 

 嵐は來た。今度こそ、今度こそだと、咆哮して嚙みつく嵐。嵐にむかつて、咆哮してゐる、もう一つの嵐。

 彼は風雨の中をずぶ濡れになつて走つてゐる。向うに旅館の燈が靑葉の動亂を射、水溜りは飛沫をあげてゐる。

 そこの玄關に駈けつけると、彼はほとほと倒れさうになる。廊下にゐた女中が彼の姿を認め、靑ざめて奧に引込む。やがて怯えきつた番頭の顏がやつて來る。番頭はおづおづと彼を奧へ案内してくれる。

 突當りの鏡で、ふと彼は自分の顏を覗く。血まみれだ、ひどい負傷だ。もう、助かるまい。

 

 かくて、脂汗の、夢現の數十時間が過ぎて行つた。

 ふと、戸の隙間から、部厚な封書が抛り込まれてゐるのに氣づいた。はじめ、猛夫は父親からの送金かと思つて、急いで封を切つた。卷紙に認められてゐるのは繼母の筆であつた。憂鬱な眼で紙をぐるぐる開いてゆくと終りに今度生れた赤ん坊の寫眞が挿んであつた。

(これでよろし)と猛夫は呟いて、手紙を捨てた。(さて、それから)と、猛夫はぐるぐる室内を步きだして眺めた。金になりさうなものは、殘つてゐる學生服だけだつた。(よし、こいつだ)と、無造作に風呂敷に包んだ。

 夕ぐれであつた。それはまるで夢のつづきに似てゐたが、夢はどの興奮もなかつた。質屋で服を金に替へ、彼は省線に乘つた。ある驛で降りた。驛前の居酒屋で長い間何かを待つた。

 誰かやつて來たやうであつた。そこで彼は立上つた。

 彼は酒屋を出て、蹈切の方へ步いて行つた。今、電車は杜絶えて、あたりは森としてゐた。やがて微かに軌道が唸りはじめた。響はすぐに增して來た。光と礫の洪水の中に、異腹の兄に似た白い顏がさまよつてゐた。

 

2018/01/11

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 湖水

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「湖水」は昭和一四(一九三九)年三月号『文藝汎論』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 一部の段落末に簡単な注を附した。【2018年1月11日 藪野直史】]

 

 

 湖水

 

 湖水めぐりの汽船は蟻のやうな遊覽客を滿載したまま、薄ら陽の洩れる棧橋に碇泊してゐた。

 白地に赤く『湖水めぐり』と染められた旗が寒い風に吹かれて慄へてゐる。水の中に浸された杉の丸太が、靑い波に搖られ、綱が鋭く杭を引張つてゐる。棧橋の建物から透いて見える向の道路は、黑い牛の牽く荷車や、黃色の襷をかけた團體客の姿などが、いびつに縮まつてちらちらする。

 今、幽靈のやうな顏をした靑年が切符に鋏を入れてもらふと、棧橋を渡つて、汽船の側までやつて來た。彼は甲板の上の群衆をおどおどと目で測つてゐたが、とても割込めさうな席のないのを覺ると、また切符賣場の方へのこのこと後戾りして行つた。

「これを一等に直して下さい」

「どうぞ、お乘りになつてからお拂ひ下さい」と女事務員は素氣なく應へた。そこで、彼は再びのこのこと棧橋を歩いて行き、甲板に登つた。その歩調がまるで夢遊病者のやうにおぼつかなかつた。もう彼には切符の問題が氣になつてゐるのであつた。もし、二等の切符で一等へ乘つてゐて、咎められたらどうしようか。お乘りになつてからお拂ひ下さいと、確かに女事務員はさつき彼の耳に云つたのは云つたのだが……。何だか氣疎い氣分の儘、一等室の扉を押して入ると、其處もまた恐しく滿員であつた。

 彼は窓近くのテーブルに、それでも、一脚椅子が剩つてゐるのを見つけると、吻としたやうに腰を下した。すると、一等室に陣どつてゐた船客達は、突然迷ひ込んで來た、この不吉さうな男に對つて、一勢にけげんな眸を向けた。彼は玻璃越しに見える靑い水に眼をやり、ともかく、氣持を落着けようとした。絶えず、力のない咳が出て、眼は熱のために潤んでゐた。彼は淡紅色に染まつたハンケチを鼻にあて、靴の踵で床を突張つてゐた。周圍のざはめきのなかから、

「もう、あいつは長いことないよ」といふ聲が聞えた。その聲を夢現に聞きながら、彼はぼんやりと岸の方を見とれてゐた。[やぶちゃん注:「剩つてゐる」「あまつてゐる(あまっている」。「剩」は「餘」と同義。]

 棧橋から續く、なだらかな岸の石崖は拗ずんでゐて、松の姿も落着いて見える。その石崖に繫がれてゐる一艘の船は、今頻りと船底から魚を取出して、笊に入れてゐるのだ。手づかみにされる魚は大きく跳ねて、笊の中に滑り込んで行く。さながら、それが彼には夢のなかの情景のやうに思へて來た。すると、彼のすぐ側へ一人の中年輩の女がやつて來て、何か不滿さうにもぢもぢしてゐた。

「あ、椅子が無くなりましたね、や、ここにまだありますぜ」と、黑い背廣服の胡麻塩髮の男が、早速中央の柱の側から一脚の椅子を持出して、その女に勸めた。

 ふと見ると、中央のテーブルには一升壜が四五本、白い風呂敷で包まれた嵩張つた折が二包み置いてあつた。狹い一等室であつたが、其處を占領してゐるのは、幾家族かで寄合つた一團體であることが、彼にもわかつて來た。どうやら、これから酒盛が始まるらしい形勢だつた。とんでもない場所に迷ひ込んだ彼は、いよいよ侘しげに窓の外の方へ顏を背けた。そのうちに、詰襟を着た船長が機關室の方から現れて來た。

「皆さん、間もなく船も出帆致しますが、追つて名所舊跡の御説明も申上げますから、どうか長閑なる春の一日を、心ゆくままに御淸遊下さい」と朗詠詞で挨拶をし、案内書を配つて步いた。彼が船長に切符のことを話しかけると、「いや、その後で代金は頂きます」と云つて、その儘、隅の方の棚からレコードのケースを取出した。蓄音器が行進曲を奏でだすと、船はカタカタと搖れて動き出した。

 船室は既に賑ひに滿ち、人聲で溢れた。機關室の方から、エプロンをした少女の姿が現れると、「ねいさん、お茶を御馳走しておくれよ」と誰かが號んだ。少女は大きなお盆に靑塗の藥罐を持つて來て、テーブル每にお茶を注いで步いた。しかし、隅つこの窓際にゐる陀しげな男だけは無視した。そして少女は横關室の方へ引返す時、「まあ、おいしさうな御馳走だこと、涎が零れさうになるわ」と感嘆して獨白した。その言葉に釣られて、彼が向うを振向くと、成程既にさつきの包みは開かれ、赤や白や綠の何とも見分けのつかぬ賑やかな食物が分配されようとしてゐた。

 

 陸が遠ざかつて、汽船は今、湖水のまんなか邊を走つてゐた。遙か對岸に見える山々はうつすらと熟睡んでゐて、水の色も淡くおぼつかなかつた。汽船の曳いてゆく水脈は鉛色に搖れ、その上の空氣は冷々と曇つてゐる。鷗に似た白い鳥がいくつもいくつも緩く水の上を掠めてゐた。その鳥の翼は熱に浮されたもののやうに、高く舞上つては儚い姿で波に戾つて行つた。さながら、彼は今や自分の斷末魔が、あそこで暈いてゐるやうに思へた。だが、その鳥は水にも空にも安心しきつて、甘えて振舞ふてゐるのかもしれない。[やぶちゃん注:「熟睡んで」「まどろむ」と訓じているとしか思えないが、「まどろむ」のは「熟睡」ではなく、うとうとするのであって、漢字では「微睡む」である。「ねむりこんで」と当て読みすることも出来るが、それでは上で修飾している「うつすらと」に反するから、原民喜自身の誤りと言わざるを得ない。「暈いて」もどうもピンとこない。「くらめいて」と読むしかないが、意味が通らない。前の鳥の動きからは「霹く」(はためく)とか「閃く」(ひらめく)が浮かぶが、誤字としては如何にもである。特に「閃」は「ひらめいて」の読みで後で正しく使っているから、あり得ない。]

「船長さん、浪花節のレコードはありませんか」と、彼の前のテーブルにゐる若い男が大聲で云つた。その若い優男は赤のネクタイを締め、もういくらか酩酊したらしい肩で、隣の茶の服を着た男の肩に凭掛つてゐた。間もなく、船室の隅の方から、世にも混濁した聲で浪花節の一ふしが軋みながら低迷して來た。優男の後にゐた小肥の女がくりくりと眼を輝しながら浪花節大會の噂を始め出すと、男達はぐにやぐにやの姿勢になり、浪花節の一節を繰返し繰返し唸つた。[やぶちゃん注:「優男」「やさをとこ」。]

 エプロン姿の少女が再び機關室の方から、重さうに何か抱へて現れた。少女は大きな罐のやうなものをテーブルの上に置くと、

「皆さんに申上げます。ここの湖水で獲れました貝から眞殊が出るので御座います。御遊覽の記念に一ついかがで御座いませう。大きいのでも小さいのでも出て來るまでは御試しになつて、代金は二圓頂きます」と説明し出した。するともう室内の客は殆どそのテーブルに吸寄せられて、物珍しさうに見物するのだつた。

「何だ、何だ、それで、大きいのでも、小さいのでも、とにかく、貝を剝いで出て來るまでは、いくら剝いでもいいのだらう」と、丈の高い角刈の男が聲高く少女を問ひつめる。

「左樣で御座います」

「それならば、一體、剝いでも剝いでもいくら剝いでも萬が一、出て來なかつた場合にはどうしてくれるのだい」

 さうかと思ふと、そのテーブルを白眼視して近寄らなかつた二三の年寄連中は、「あんな、人工養殖の眞殊なんかつまらない」と眞珠の話を始めた。

 

 影のやうな男は相變らず窓の外に見入つてゐる。今、雲の切間から靑空の深みが現れ、水がはてしない相を湛へた。汽船の吐く煤煙が遠のいて消えてゆく彼方に、木の葉位の舟が搖れてゐた。その舟には緋の袴を穿いた女の姿が小さく見え、袴が燃える火のやうに思へた。やがて、その火はぽつちりと消えた。と、また、彼の見てゐるすぐ眼の前を矢のやうな速さで舟が走つて來た。舟には緋の袴を穿いた振分髮の女が眩しい謎の眼ざしで立つてゐる。次いでまた一艘の舟が汽船とすれすれに現れた。その舟はのろのろと波に搖られながら、侘しい船頭の姿が段々遠ざかつて行つた。

 その時、汽笛が鳴り、船の速度が緩んで來た。

「さて、皆さん、間もなくゼビへ着きます。停船時間は十五分であります。ゼビの堰を御覽になつて下さればいい譯で、堰は堰ですから格別御説明申上げる程のこともありません」と船長が喋つてゐる間に、船は岸に橫づけになつた。船客はぞろぞろ堤防の方へ渡つて行つた。そこにはまだ櫻が咲殘つてゐて、茶店も二三軒ある。何の紀念碑か靑い石の肌に麗かな陽があたつてゐる。その紀念碑を背景にして、もうカメラを弄つてゐる連中もある。一等船客の後へ從いて、彼もぼつねんと堰堤の路を步いて行つた。そこは湖水の咽喉口にあたり、一旦喰止められた水が、その堰を潛ると、急流となつて落されて行くのだつた。堰は鐵とコンクリートの嚴しい裝置で水の上に長々と橫はつてゐた。人々は堰の背骨の上に佇み、靑く渦卷く水と、蹴落されて咆哮する水を、ぽかんとして見較べるのであつた。[やぶちゃん注:「弄つてゐる」「いぢつてゐる」。]

 早目に彼が船室の方へ引返して行くと、船長ははじめて切符の直りの金を受取つてくれた。「下の方の部屋も空いて居りますよ」と船長はこの病弱さうな靑年に教へた。見ると、さつきまで張つてあつた階段の入口の綱が今は取外されてゐた。そこで彼は階下の部屋へ降りて行つた。少し汚れた白い覆の掛つてゐるソフアが窓に添つて据附けてあり、低い天井の下はがらんとして陀しく、誂向の病室のやうであつた。彼はソフアに長々と脚を伸し、窓に凭掛つて、疲れた體を休めた。もう頭の上の方では、戾つて來た船客達がゴトゴトと床を蹈鳴らしてゐた。船は動き出した。[やぶちゃん注:「直り」「なほり(なおり)」。劇場や寄席その他に於いて、より上等な席に移ることを言う語。「誂向」「あつらへむき」。]

 水面に近い窓から遙かに上を見上げると、空が少し顫へてゐた。今、彼の見るものは、みんな微熱を帶びて顫へ出すのであつた。船の近づいて行く方角に、靑い優しい岸があつた。圓味のある丘が花鬘をかざし、怨嗟の眼ざしで水に映つてゐる。それは遠い昔の亡靈に似てゐた。と思ふと、すぐ窓の下に走る水が、さつと二つに割れ、湖底の方から石の階段や甍が閃いて現れた。昔、水底に陷沒した衢は今もまだ殷賑を極め、石疊の上をぞろぞろと人の往交ふ光景が見えた。だが、走る水は忽ち姿を變じ、人骨の破片や、魚の骨が白々と浮沈しながら從いて來た。[やぶちゃん注:「花鬘」これは「けまん」であろう。釣り環(わ)で長押(なげし)や梁に懸ける仏堂の荘厳(しょうごん)具の一つ。「衢」「ちまた」。]

 そのうちにも、靑い優しい向岸の姿は段々大きく近づいて來た。背後に鬱蒼たる山を控へてゐる白い岸を遊山客がひききりなしに蠢いてゐる。船は間もなくダビ寺の棧橋に停まつた。「今度の停船時間は三十分であります」と、船長が頻りに繰返し、船の煙突は濁つた煙を吐き出してゐる。彼も船底の部屋からふらふらと立上ると、人混のなかに紛れて步いて行つた。

 太陽が眞上から照らし、ダビ寺の山門を潛れば、石の多い山徑がうねつてゐた。その徑に人々は一杯溢れ、紅白の花や、艷々した葉が渦卷いてゐる。彼は苦しい呼吸を續けながら、漸く山徑を登り、とある空地のベンチに腰を下した。すると、耳の中がじーんとして、氣が遠くなるやうであつた。今、下に見える山門の甃石に大きな牛車が這入つて來た。烏帽子に直垂を着た男達が一杯牛車のまはりを取圍み、押合へしあひしてゐる。車の金具が燦爛と輝き、旌がひらひら飜つてゐる。と思ふと、彼のゐるベンチのすぐ脇を、一人の老人が音もなく通り過ぎた。茶色の頭巾を被り、澄んだ眼をしてゐるその人はたしか彼の記憶にある人ではあつたが、誰ともわからなかつた。すると、今度はまがふこともない一等船客の連中が現れた。古代模樣の着物を着てゐる娘を左右から押すやうにして、二人の若者が蹣跚と步いて來る。その後を桃色のシヨールをした小肥の女が何か云ひながらつけて來るのだ。[やぶちゃん注:「甃石」「しきいし」(敷石)と訓じていよう。「牛車」「ぎつしや」。「烏帽子」「えぼし」。「直垂」「ひたたれ」。上衣と袴からなる武家の衣服。「燦爛」「さんらん」。光り輝くように華やかで美しいさま。「旌」「はた」。幟旗(のぼりばた)。古来、朝廷での儀式祭礼の具として用いた。「蹣跚」「まんさん」。よろめくように歩くさま。]

 そこで彼はベンチを捨てて、麓の方へ降りて行つた。茶店や土産店の並んでゐる路は、こゝは浮れた人々の浮れた振舞ばかりであつた。手拭で踊りながらやつて來る老婆や、それに釣込まれて歌ふ老人の姿など、昔から見なれた繪の中の有樣のやうで、ぼんやりしてゐる間に三十分は過ぎてしまつた。

 そして、彼は再び船底の部屋のソフアに身を橫へた。更に氣分は重苦しく、體は熱のために震へた。船はダビ寺の岸を離れて、次第に湖水の中央へ向つてゐる。それが今、彼には長い長い旅のやうに思はれた。見ると、窓の外の水の果てに、煙突の林立した空が現れた。煤煙で汚れた空の一部が、確かあの邊に工場などあるらしいのではあつたが、それも何か不思議な過去のやうであつた。

 

 彼が孤獨の部屋を領してゐると、上にゐた乘客が到頭やつて來た。はじめ、赤ネクタイの優男とその連れの若者がふらふらの足つきで階段を降りて來て、侘しい船室を物色してゐたが、直ぐにソフアの上にごろりと橫になつてしまうた。彼等は少し辛らさうに足をパタンパタンやりながら浪花節を唸つてゐたが、間もなく赤ネクタイの方が頭を兩掌で抱へて睡むり込まうとすると、連れの男が小聲で何か絶えず話しかけるので、赤ネクタイの男はいよいよ足をパタつかせる。そのうちに古代模樣の着物を着た娘が階段から船底を覗くと、大變嬉しさうに男達の側へやつて來て、べちやくちや喋り出した。

 次いで桃色のシヨールを卷いた小肥の女が現れた。

「まあ、こんなところへ逃込んでずるいわ」と、その女は二人の男の眞中へ割込んで坐つた。すると、今度は桃色のシヨールの相棒らしい、更に元氣さうな女がやつて來た。

「なるほどこんなところがあつたのね、上の皆をここへ呼んで來ませう」と、その女は上の船室へ引戾すと、誰彼を誘つてやつて來た。[やぶちゃん注:「引戾すと」はママ。「「引き返すと」或いは「戾ると」でないとおかしい。]

「どれどれ、ほう、ここもまたよろしい」と胡麻塩鬚の親爺は呟いた。何時の間にか船底の部屋は團體客で一杯になつてしまつた。彼等は上の室から折詰や德利を運び、又改めて騷ぎ出すのだつた。すると、船長までが遂にこの船底の室へ訪れて來た。

 船底の部屋は人いきれで澱み、人聲も睡むさうになつた。船長は汚れた窓の外を差覗きながら、慣れた口調で説明しだした。

「あの向うに見えまする松原はダバの松原と申しまして、昔、戰爭があつたところです。松原の上の山もやはり戰場の跡で御座います」

 今も船長が指差す方角の岸には槍や兜がキラキラと霞の中に光り、五月人形のやうな武士達が屯してゐた。と思ふと、松原の上の山腹からワーと鯨波の聲が揚つて、騎士の一隊がなだれ落ちた。影のやうな男は船長の説明を夢現に聞きながら、妖しい戰爭に見とれてゐた。[やぶちゃん注:「屯」「たむろ」。「鯨波の聲」「ときのこゑ」と読みたい。]

「なるほどいいこと云ふなあ」と、その時、側の靑年が呟いたので、彼ははつとした。今迄何を船長が話してゐたのか、彼には不明瞭になつた。

「さて、間もなくワビに着きます。停船時間は十五分で御座いますから隨時御參拜を願ひます。ワビの御堂も去る年の颱風で吹飛ばされ、今はコンクリート建になつてをります。ここにも哀傷きはまりない昔物語があります」と、船長が話してゐるうちに、船はワビの岸へ橫づけになつた。舷から見ると、漁師の家らしいものがちらほら見える侘しい村落で、岸には蒲の穗が白く枯れたまゝ並んでゐた。[やぶちゃん注:「舷」「ふなばた」と訓じたい。]

 船客達は我勝に岸へ渡つて行つた。群衆に遲れて、彼も後から步いて行つた。見ると、もう多くの人々の足並がひどく亂れてゐるのだつた。賑やかに蹣跚けながら從いて行く、ひよつとこや、しどろもどろに男に絡みついてゐる、おかめなど、人々は狹い路に溢れて、ワビの御堂の方へ押流されて行つた。御堂の境内には年齡を經た松や石碑もあつたが、もう大概の人々は何が何だか、いゝ加減に見て步くばかりだつた。コンクリートの御堂をぞろぞろ一𢌞りしてみると、みんな納得してぞろぞろ船へ戾つて行つた。船は岸に添つて暫く航行を續けたが、やがて、ガガへ着いた。[やぶちゃん注:「蹣跚け」「よろけ」。]

「ガガで御座います。こゝは松で有名ですが、惜しいことにもう昔のは遠の昔に枯れました」と船長が云つた。

「さあ降りませう」と桃色のショールは胡麻鹽賀の腕を引張つた。

「えい、松が何ぢやい」と、もう親爺は面倒臭氣に腰を上げようとしない。

「ま、ま、ま、ま行つて見ておきませう」と角刈の男に誘はれると、不承不承立上つた。影に似た男もここが最後の停船場ときいて、人々の後から從いて行くのだつた。松はぽつんと路傍にあつた。「松もいいが櫻もいいな」と嘆じる男もあれば數珠を取出して松を拜む老婆もある。「なるほど、なるほど」と、別に感銘もなさゝうに人人は船へ引返して來た。

 船底の室は騷音に滿ちた。女達が多分ワビの御堂の境内で買つたのだらう、ピピピピと鳴る狂笛を今、口にあてゝ、男達の面前で吹鳴らす。男達が煩さがれば煩さがるだけ、女連中はしっこく吹鳴らす。ピピピピピと頰を脹らかして、頤を突出した、ふてぶてしい姿は、何だか却つて子供らしくもなるのであつた。[やぶちゃん注:「煩さがれば」「うるさがれば」。]

 ピピピピと鳴り喚く笛にのぼせてしまつたのか、向うの隅でじつと苦しさうに顏を顰めてゐた親爺が、ソフアの上に蹣跚けながら吐瀉を始めた。その橫には、これももう意氣消沈した大年增が圓くなつて身を縮めてゐた。しかし、元氣な女達は笛を吹いては、花あられをパリパリ貪り、はてしもない有樣であつた。

 船長は平然として、また窓の外の説明を始めた。

「向うに見える山の一帶は千年前賑はつた場所であります。あの白堊の建物はホテルです。この邊一帶は再び面目を一新し、やがては公園となり、今に豪華を誇る日も遠くありません」

 すると一の水上飛行機が汽船の間近を通り過ぎた。が、向うに見える山の一帶は今靜かにうつとりと過去の睡りをつづけてゐるのだつた。船長は説明を終ると吻として、風呂敷包を抱へてやつて來た。[やぶちゃん注:「吻として」「ほつとして」。]

「今日の遊覽の紀念で御座います。タオル、ハンカチーフなど取揃へてあります。お値段は普通の店より格安になつてをります」と、船長はテーブルの上に店を展げた。日はもう斜に傾いて窓に眩しく差込んで來る。何時の間にか、眞珠を賣つてゐた少女も、ここへやつて來て、箒で床を掃除し出した。掃除が濟むと少女はぽかんとしてソフアに腰を下した。船長も喋り草臥れてソフアに掛けてゐる。角刈の男は何時までも元氣で、少女の肩へ手を掛けながら、船長に對つて、

「これは私の妹ですから、よろしくお願ひします」と無駄口をきいてゐる。[やぶちゃん注:「對つて」「むかつて」。]

 ……すつかり物憂い氣持で、さまざまな情景を見せつけられてゐた影のやうな男には、しかし、今はもうこの船客達がみんな誰も彼も因果の殘骸のやうに思へた。それは遠い日の記憶に𢌞る人々とどこか似かよふところもあつたが、みんな、もう千年も昔から生き殘つてゐるのかもしれない。

「しかし、船長さん、人間の命をあづかつてゐるからには、やほり責任は重大ですな」と、角刈は續けてゐる。

 さうだ、ここの湖水も一たび怒れば船も人も吞んでしまふにちがひない。すると、今、遠く水銀色に光る水の面に、ちらりと奇怪な翳が宿つた。急に底冷えのする風が窓から侵入すると、船はくらりと一搖れした。次いで耳を擘く叫喚が汽船を目がけて押寄せて來る。汽船はキリキリと激浪に揉まれ、メリメリと窓枠が崩れた。ざざざと波が一同の顏を押流す。影のやうな男はその波の中に捲込まれて消えて行つた。

 

 それから船は最初の港へ無事で戾つたが、影のやうな男の姿は見失はれてゐた。

 

2018/01/10

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 曠野

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「曠野」(「あらの」と訓じておく)は昭和一四(一九三九)年二月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。傍点「ヽ」は太字に代えた。

 一部の段落末に簡単な注を附した。【2018年1月10日 藪野直史】]

 

 曠野

 

 頭の上の空は眞靑だつたが足許には霧が這ひ𢌞つてゐる。あんまり風もないのに霧は霧だけの流れに隨つてゐるらしかつた。唯彦のまはりには見渡す限り丈高い草が波打つてゐる。草には初めてみるやうな珍しい花が咲いてゐて、根元では鈴蟲が靜かに啼いてゐたが、彼の跫音が近づいても啼き歇むやうなことはなかつた。極彩色の小さな蝶が留まつてゐる枝のすぐ隣には靑い蜘蛛が糸を垂れて、透明な糸に纏る幽かな光を娯しんでゐる。

 一羽の鷓鴣が唯彦の姿を珍しがつてか、暫く後から、ひよこひよこ從いて來る。唯彦はちよつと鷓鴣を手籠めにしてしまひたいやうな誘惑や、もしかするとこの鳥は死んだ妹の絹子ではあるまいかしらといふ憐愍を抱きながら振返つて後を見たいのを怺へてゐた。惜しいことに、彼の眼の前にある、とりどりの花は何といふ名稱を持つてゐるのか唯彦には解らなかつた。それなのに彼は自分の今步いてゐる場所を描寫でもするやうな心構へでゐ

た。振返ると淋しい微笑が泛んだ。[やぶちゃん注:「鷓鴣」「しやこ(しゃこ)」と読み、広義にはキジ目キジ科Phasianidae の鳥のうちでウズラ(ウズラ属ウズラ Coturnix japonica)より一回り大きく、尾が短く、茶褐色の地味な色彩をしたものの一般的な呼称である。狭義にはキジ科シャコ属Francolinusに含まれる四十一種を指すものの、このシャコ類は殆んど本邦に棲息しないから、ここはウズラの成鳥或いは大型個体を想起してよいと私は思っている。「怺へて」「こらへて」堪(こら)えて。]

 急に唯彦は鷓鴣を摑へてやらうと後を振向いた。と、その時にはもう鷓鴣の姿は無かつた。唯彦は足許に落ちてゐた濡れた靑い小石にふいと視線が留まつた。それだつて鳥だよ、絹子だ、君自身だ、と譯のわからない言葉に躓かされてしまつた。唯彦は屈んでその靑い小石に指をあててみた。濡れてゐるのに生溫かつた。美しい白い縞まであつた。指でまはりの土を拂つて掌にのせると、小石は急にドド…………と濁つたオルガンのやうな音をたて始める。中學時代、彼の家にあつた、ぼろぼろのオルガンと、それを片手で彈かうとする苛々した氣分がすぐに憶ひ出された。彼は小石を思ひきり遠くへ放つた。ドド…………と小石の音は唸つて遠ざかつてゐたが、突然ガチヤンと硝子の壞れる音がした。何處にも家らしいものはないので唯彦はけげんな顏をした。それよりも長い間、ものを放つたりしたことのない自分が久し振りに右の肩の筋肉が使へた方が珍しかつた。中學の時、野球で右手を挫いて以來、右手は使へなくなつてゐた。何だか晴々した氣分と同時に、やはり自分はもう死んでゐるのだな、と今更のやうに淋しく怖かつた。誰かが向うから現れて、硝子を壞したのを叱つてくれればいいと思へる。もしかそこに美しい可憐な少女が現れて咎めて呉れるのなら猶更いい。すれば、彼はもう生前のやうにそんなことを照れくさく感じないで、素直な快活な笑顏で迎へよう。しかし、ふと彼は自分がもう卅を越してゐるのを思ふと、却つて照れてしまつた。頰もそげ、眼も窪み、四肢さへよろよろとして、まだ十七歳の夢が少し殘つてゐた。[やぶちゃん注:「すれば」はママ。無論、「そうすれば」のごく口語的な用法。「自分がもう卅を越してゐる」発表当時の原民喜も三十三歳である。但し、私は後の注で原民喜の事蹟を参考に出したりはするものの、主人公唯彦はあくまで原民喜の想像した架空の人物であり、作者の事蹟と一致するものではない。]

 …………何のもの音もなく白兎がひよいと叢から現れた。眼がルビー色で、頻りに頰のあたりの鬚を細かく動かせて、彼を物色してゐるらしい姿だ。今度こそ捕へてしまへ、と唯彦は兩手を擴げて飛掛つた。兎はたんと土を蹴ると同時に叢へ消えた。

 暫く呆氣にとらはれて、唯彦は兎の消えた方角を見送つた。兎の足跡は砂の上に微かな記號を綴つてゐる。彼はその記號を追つて叢の方へ分け入つてみたくなつた。思つたよりも近くに兎の穴はあつた。唯彦は微かに胸のさはめきを感じた。屈んで覗き込まうとする刹那になつて、何か冷やりとする感觸が怖くなつた。穴の上からぶら下つた破れた蜘蛛の巢が耳朶に觸れる。と、穴の奧から褐色の鎌切が飛出して、唯彦の頤を衝いた。兎の穴にしては多少變だなと思ひはじめると、暗い視野の底にたしかに玻璃のやうな空間が浮び上つて來る。愈々眼を凝して瞬くと、その小さな空間には何か焦點の呆けた物の象が蠢いてゐるのだつた。そのうちに玻璃の表に懸つてゐる白い霞の覆ひが拭はれて、鮮かに小さな空間が定著されかけたかとみると、一度ぐらりと搖れて、今度はすべての象がそれぞれの位置に置かれた。

 端書ほどの大きさの廣間だが、そこに坐つてゐる人物は隨つて豆粒よりも小さかつたが、それがお寺の廣間で、唯彦の親爺や、親類が集つてゐることは直ぐにわかつた。桑田堅一も居る。彼は風邪をひいて居るのか頻りに袂から鼻紙を出して、洟をとつた。彼と唯彦が最後に逢つたのは何時のことだつたのか、はつきり憶ひ出せない、そんな風な慣れきつた間柄だつたので、桑田堅一が居ることは異樣ではなかつた。が、今、堅一の前に唯彦の親爺が近寄つて行くと、親爺は頭を疊に下げて、ちよつと空氣を掬ふやうな、ものなれたお叩儀をした。すると、堅一の頰は急に瞬間硬ばつて、それから硬直を解かうとするやうに微笑が現れた。唯彦はをかしかつた。が、何よりもいぢらしいのは、凡ての人物があんまり小さすぎる癖にそれが刻み出す動きが一つ一つ手にとる如く見えることだつた。[やぶちゃん注:「お叩儀」「おじぎ」と訓じているものと思われる。本作品群では「お叩頭」では出て来たが、これは初出の当て字。]

 黑い法衣の僧が、二人、つづいて錦を纏つた僧が現れ、太鼓が打たれ始めた。太鼓の前に、七つ八つの子供が駈けつけて行つた。それは叔父の息子に違ひない。子供はしかし僧の脇に來たものの、目的を失つてまた遠くへ駈け去つた。拍子木が打たれ、御經が僧の掌に執られた。愈々、唯彦の四十九日の法會は始まるらしかつた。ところがこの端書大の一切の光景は忽ち輪郭が濁り、色彩が亂されてしまつた。唯彦は自分の眼に淚が浮んでゐるのを知つた。今迄くすくす笑ひながら眺めてゐたのに、つい、うつかり泣いて居たのだつた。唯彦は何だか忌々しく、もう向うにある世界を覗かうとは思はなかつた。勝手にするがいい、と彼は掌に一握りの砂を搔き集めて、その小さな鏡をめあてにパラパラと投げつけた。何だか井戸の底に砂を投げた音が憶ひ出される。井戸の底には妹と彼の顏が映つてゐた、砂を投げつけると、彼等は崩れた。ところが一度映つた妹の顏は、その後妹を失つてから、唯彦が絶望のはて、少し空想が高ぶると、忽ち井戸の底に自在に再生することが出來るやうだつた。

 唯彦は再びもとの徑にひきかへした。霧は地面を低迷し、樹木らしいものも、山らしいものもない、ただ繚亂たる草花の原野だつた。そして、空の色は碧かつたが、ここでは時間が停止してゐるやうに日輪の運行が見出せなかつた。何時からこんな場所へ來てゐるのか、唯彦は次第に心細くなつた。まづ秩序だてて自分の足どりを憶ひ出さうとしても、すべては朧氣に色褪せてゐた。彼は頻りに糸口をつかまへようとあせり始めた。

 …………桑の葉に夜の雨が降り注ぐのを聽きながら、ぼんやりしてゐたのは隨分昔のことだつた。桑の木があつたのは唯彦の家が町はづれにあつた小學生の頃だつた。それが極く最近になつてから憶ひ出され、ぼんやりして夜の雨を身近かに甦らすと、屋根も畑もびしよ濡れの闇に、突然、だだだ……と遠方の海が立上つて襲つて來る。海は陸を一舐めにして、唯彦を海底へ引摺り込んでしまふ。さう云ふ風な空想に耽り出したのは、唯彦の餘命がもう朧氣ながら凡そ計算出來たからだつた。

 空想は海の底の藻屑と化した唯彦の怨靈の行方を追ふ。(そして昔、父親が屋島土産に買つて來た平家蟹の顏を思ひ出す。)海底へ塡り込んだ唯彦は魚類の游泳や藻草の搖曳に心を慰めながらも、やはり地上のことにも興味があつて、時々、覗き穴から陸の方を眺めると、そこでは何と澤山のドラマが演じられてゐることだらうか。さて愈々この地球も衰微してしまつて、もう間もなく滅亡する時期になると、海底の怨靈どもは會議を開き、どうせこんな地球なんか罌粟粒位のものなのだ、我々は始めからこんな地球なぞ選んで生れて來た譯ではなかつた、卽刻他の天體へ移住しようではないか、と云ふ怨靈や、まあ待ち給へ、どうで何處へ行つたつて滅びるものは滅びる、我々も今迄のめのめと死にながらへてはゐたが、ここで潔く、一切合切滅亡にまかせようではないか、滅びるのも亦なかなか壯嚴ではないか、と云ふ説も出る。…………この海底に關する突飛な死後の物語は、何時からともなしに唯彦の心を占めたのだが、もしかすると、最初のきつかけは三度目の喀血の時孕んだのかもしれなかつた。既に二年前の初秋の星月夜だつた。薄暗い路傍で突然くらくらと闇に突き陷されて、再び氣づいた時には彼は擔架で運ばれてゐた。すると、頭上の星空が實に美しく、彼のゐる地球は宇宙の藻屑と化してゐた。彼は水底の魚のやうにあぷあぷと眼を星空に据ゑてゐた。はるか彼方へ泳ぎ去らうとする念願が既にその頃から宿つてゐた。[やぶちゃん注:「どうで」副詞。孰れにせよ。「どうせ」の古めかしい言い方。]

 そして、唯彦が今泳ぎ着いて來た地帶は、はたして他の天體なのだらうか。それにしては何處か見憶えのある風景だつた。生れた地方以外にあまり旅行もしなかつた彼だが、それでも死期が豫想され出すと、頻りに見知らぬ國の風景が慕はれ、旅への誘ひが抑へきれなくなつた。それで、よく繪葉書や寫眞を集めて、頭のなかで他國の山河を沍り步いた。自分の墓所をあれこれと選ばうとして遍歷してゐるものの姿や、さては沙羅雙樹の下の寢釋迦の像が描かれた。たとへ繪葉書にしても、地球には何といふ立派な靑山があるのだつたらう。なだらかな山脈に圍まれた小さな湖水、大海の崖に建つ白亞の燈臺、森や丘を縫つてうねうねと續く優しい徑、さうした景色はごつちやになつて唯彦の頭に絡みつき、一つの景色が他の景色を孕み、産みおとされた景色は忽ちまた夢のやうに茫漠たるものの中に吞込まれて行く。そして、漠然とした大きな世界が、そこで彼が瞑目し、さまよひ步くであらう高原が、どうかすると白晝でも描かれるのであつた。

 けれども、唯彦は自ら好んで死を手繰り寄せたのではなかつた。それどころか、死ぬる際まで、生きる手段を考へては居たのだ。あの最後の日も、彼は家でラヂオを聽いてゐた。スペインの内亂のニユースが途中で搔き消されてしまふと、後は白い矢のやうなものが頻りに彼の身に降り注いだ。今度こそ駄目なのか、と彼は床に運ばれて少し樂になつた時考へた。彼は憂鬱の氷結した眼を凍と細め、今から何分間生命が保つのか、それをぢつと見守らなければならなかつた。[やぶちゃん注:「スペインの内亂」第二共和政期のスペインで勃発した軍事クーデターによるスペイン内戦は一九三六年七月に始まり、スペイン第二共和政の最後の大統領マヌエル・アサーニャ・ディアス(Manuel Azaña Díaz 一八八〇年~一九四〇年)率いる左派の人民戦線政府(共和国派)と、スペイン陸軍軍人フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(Francisco Franco y Bahamonde 一八九二年~一九七五年)を中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争い、反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援、欧米市民知識人らも数多く義勇軍として参戦したが、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持して直接参戦に拡大した。本作は昭和一四(一九三九)年二月であるが、その前月にはフランコはバルセロナを占領し、翌月一九三九年三月にはマドリードも陥落、三月三十一日、スペイン全土が反乱軍に制圧され、四月一日、フランコは内戦の終結と勝利を宣言している(ここはウィキの「スペイン内戦他を参照した)。あまり知られていないと思うので言い添えておくと、原民喜は慶応義塾大学在一、二年の頃、一時、左翼運動へ関心を高め、「解放運動犠牲者救援会」(昭和三(一九二八)年四月に結成された解放運動家の救援活動を行う支援団体であったが、翌年にはコミンテルンの指導の下に設立された「国際赤色救援会(モップル)」に加盟してその日本支部となって「日本赤色救援会」に改称、数年のうちに壊滅させられた)に所属し、昭和五(一九三〇)年には広島地区救援オルグにもなっているが、組織の衰弱化と崩壊に伴って、自然に運動から離れている。それでも結婚翌年の昭和九(一九三四)年五月には『昼寝て夜起きるという奇妙な生活を続けた』(青土社全集年譜。以下、引用は同じ)結果、『特高警察の嫌疑を受け、夫婦で検挙された』りしている(但し、『一晩の拘留で帰され』ている)。本作品群「死と夢」は最古の作品が先に電子化した「行列」(昭和一一(一九三六)年九月発表)で、しかも民喜は長い時間をかけて執筆・推敲する傾向が強いから、本作は「スペインの内亂」とは、内乱の悲惨な終決ではなく、寧ろ、内乱勃発の初期(昭和一一(一九三六)年から翌年辺り)をイメージした方がよいと私は思っている。但し、無論、その頃には原民喜は既に左派運動自体とは全く縁を切っていた。しかし、彼の内実の思想傾向がどうであったかは、定かではない。というより、本作はその点に於いて、確かに彼の名実の感懐を印してはいると言えよう。

 しかし、ニュースが中途で聽けなくなるまでは、彼の現世に對する欲望は持ち續けられてゐた。世界の情勢を研究した上で、相場をして、金儲をして、その金で出版屋を始めて、それから自分も著述をする。このお伽噺に似た計企も以前は病勢を防ぐ一つの役割をして居た。相場はしかし思ふやうにならなかつた。創作も十年前には頻りに不自由な左手でペンを走らせたものだが、最近ではまるで白紙狀態だつた。

 十七歳の秋、彼は教師と喧嘩をして中學を退學した。翌年、病魔は最初彼を訪れたのだが、彼の詩はたまたま中央の雜誌に掲載された。その頃から點火された文學に對する野望は、その後まるで形に現はれなかつたが、死ぬるまで、燻りながら彼を苦しめ續けて居たのだつた。彼は藥代で書籍を求めては讀み破つた。結核もしかし、二十代ではまだ若さによつて克服されて居た。何度も死に面しながらも、彼は放縱に振舞つて、病氣を虐待して居た。その間に、彼より遲れて病魔に襲はれた彼の年上の友はあつ氣なく死んでしまつた。その友が死ぬる前の年に、唯彦は相手と口論して地面に叩き伏せられたことがある。彼を叩き伏せた男の靜かな死顏も唯彦は憶えてゐる。

 唯彦から若さを奪ひとり、急に魂を萎縮させたのは、その次に來る妹の死であつた。絹子は彼の唯一のよき理解者であつたのだが、結婚もしないうちに死んでしまつた。その頃、彼と彼の父は郊外の畑中の家に移つて暮してゐたが、靜かな環境と妹の死とは彼をすつかり沈滯させてしまつた。彼はもう三十を越してゐた。二十代の自棄くその元氣を顧ると、それが止むを得なかつたことにしろ、或るにがにがしい氣分にされた。外部からも自分からも欺かれてゐたのだ。彼は家の裏に花畑を作つて、草花を植ゑほじめた。はじめはやるせない氣分を紛らすための侘のすさびであつたのだが、不自由な左手で土を掘つたりする時、土から湧き出して來る土の生々しいにほひは彼に忿懣の情を呼び起すのだつた。彼はよろよろとした手つきで、そこはかとない怒りを土に振りまいた。その姿は多少凄味をさへ感じさせた。そして疲れはてて立上ると、眼は眩しい靑空に昏みさうになるのだつた。さうした過勞が崇つて、三度目の喀血となつた。それから死に到るまでにはまだ二年の歳月がある。[やぶちゃん注:「自棄くそ」「やけくそ」。「顧ると」「かへりみると」。「忿懣」「ふんまん」。憤懣。憤(いきどお)り悶(もだ)えること。腹が立って苛々(いらいら)すること。]

 …………しかし、この、たどたどしい、朧な經歴も、今、唯彦のぼんやりとした囘想のうちに浮んで來たのだが、彼自身が囘想してゐるといふよりも、誰か外部の人間に依つて記述されてゐるやうな氣がした。誰が私のことを小説などにしてゐるのだ、と唯彦はふと遠方の空を眺めた。そこには眞白い星が二つ三つ微かに瞬いてゐる。

 不意と森の事を憶ひ出した。さては、あの男が今私のことをごたごた書いてゐるのだな、唯彦は急にをかしくなつた。勝手にするがいい、と唯彦は胸のうちで呟いた。遲かれ速かれ君だつて死ぬるのだ。さう云つて彼はまのあたりに森の姿を尋ねるやうに立留まつた。見ると草原は依然として同じやうな眺めではあつたが、光線が大分薄暗くなつてゐて、次第に霧の冷たさが足に感じられた。そして、耳を澄ませば、さつきまで啼いてゐた蟲の聲は杜絶えてゐる。氣がつくと、丈高い草の花辨はみんなうなだれ、どの葉もどの莖も萎れかかつてゐるのだつた。

「もし、もし」

 その時耳許ではつきり聲が聞えた。唯彦ははつとして底冷えのする周圍を見𢌞した。しかし、もとより誰の姿もそこにはなかつた。彼は氣にとめまいと思つて、すたすたと步き始めた。が、また妙に重苦しい氣特につき陷された。

 

 突然、遠くの方で、ビユーと風の唸る音がした。と思ふうちに、もう叢はさわさわと戰き始めた。嵐になるらしい空は、しかし今不思議に冴えて美しかつた。眞綿のやうな薄雲が五色の虹をおびて輕く浮んでゐる。ところが、その奧の方のもつと靑いもつと深い空のところに、嚇と其赤な牡丹の花が燃え出した。あつと思ふうちに、その花は眞黑な煙を吐き出して、形骸を失つてしまつたが、煙は忽ち唯彦の頭上まで伸び、空は濠々とした黃色なガスで覆はれた。唯彦は窒息しさうになつて、眼に淚が滲んだ。氣がつくと、彼の周圍に生えてゐる草は、みんな眞白に枯れて、それは枯木のやうに思へた。が、再びそれを注意すると、枯木はみんな骸骨になつてゐた。骸骨どもは風に搖れて、カタカタと鳴つた。その時、空が一層暗くなつて、無數の鶴が飛んで行つた。鶴の羽音が去つた時、急に靜寂が立戾つたが、もうあたりは完全に闇と化してゐた。唯彦は茫然として闇の中に蹲つた。嵐は他所へ逸れてしまつたのか、今は何もののそよぎもなかつた。空を仰がうにも星らしいものの光はなく、すべてが闇と靜寂に鎖されてゐるのだつた。唯彦は今居る場所がやはり狹い暗い墓の中らしいのを感じた。今迄身は輕ろやかに自在に空の下を散策出來たと思つてゐたのに、もはや己は闇の底に幽閉されてしまつてゐるのだらうか。[やぶちゃん注:「戰く」「わななく」。ざわざわと音を立てる。]

 暫くすると、闇に慣れた視力に、ふと何か仄かに白いものが蹲つてゐるのが見えて來た。唯彦はそれがすぐ近くにゐて、たしかに息をしてゐるらしいのを感じた。次第に唯彦は怕さに神經を尖らしながら、息を潛めた。しかし、相手はもうちやんと唯彦の存在を知つてゐるやうに、落着いてゐるらしかつた。一體、何者なのだらう、と唯彦は猶も緊張したまま蹲つてゐた。その時相手は今迄怺へてゐた言葉を放つ最初のきつかけを作るやうに、「ほう」と奇妙な聲を放つた。それで唯彦はまづ相手が人間であることがわかつて、ちよつと安心した。一聲洩したまま、相手はまた沈默したが、その聲の調子ではどうやら相手は年寄つた女らしかつた。何のために俺の身邊にやつて來て、言葉を掛けようともぢもぢしてゐるのか、唯彦は妙に腹立たしく感じ始めた。

「ほう、見える、よく見える」と相手はまた獨白をつづけてゐた。「私の眼は死ぬる前には、殆ど役立たなかつたのに、今はまるでよく見えるやうになつた」

 それから相手はまた默つてゐたが、

「あのう、そこにおいでになるのは淸水さんではありませんか」と急に彼女は唯彦の姓を呼んだ。

「あなたは誰です」唯彦はびつくりして相手を視凝めた。何時の間にか闇はさつきより薄らいでゐて、相手の輪郭は朧氣ながらも見出すことが出來た。やはり年寄の女が一人ぼんやりと彼の方を視凝めてゐるのだつた。

「淸水さんですか。やつぱしさうですか。よく似た方だと思つてゐました。それでは何時あなたはなくなられたのですか」

「あなたは誰です」と唯彦は相手が名乘らないのでまた訊ねた。

「おや、まだ云ひませんでしたか、私は森です、森の母です。二度か三度あなたは家へおいでになつたでせう」

 唯彦は彼女が怪しいものではないことを知ると微笑した。しかし、纔か生前二三度顏を遇はせただけの人に憶えられてゐることは、あんまり嬉しい氣持ではなかつた。

「あなたが去年だか、息子が家へ歸つて來た際、訪ねて下さいましたが、あの時もやはり咳などしてゐられたので、丈夫ではないらしいと後で話し合つてゐましたが、やはり駄目だつたのですか」

 唯彦は返事のしやうがなかつた。「あなたも死んでらつしやるのですか」と唯彦は訊ねてみた。すると彼女は輕く頷いた。

「ええ、私などは何と云つても、もう齡が齡ですから仕方もないことですが、あなたなぞはさぞ殘念なことでせう」唯彦は返答しなかつた。

「それに私でもまだ後に殘した子供達のことを考へると矢張り後髮を牽かれる想ひです」

 彼女はたしかに少し自分の言葉に興奮し始めた。「さうです、子供達は一體これから先どうなるのでせう。子供達の生きてゐる地球はほんに何だか無氣味なことだらけのやうです。何がどう云ふ風になつて行くのやら私のやうな無學者ではさつぱりわかりませんが、死際まで私は變な妖しい夢に脅かされました。一體どういふことになるのでせう、あなたのやうな若い方にはそれがよくお解りではありませんか」

 唯彦は森の母がそんなことを言ひ出したので、ちよつと眼を圓くした。しかし、何と云つて答へたものか彼自身にもわからなかつた。「あなたが尋ねてゐられるのは世の中のことですか」と唯彦は訊ねた。相手は靜かに頷いた。ふと唯彦は何だか理由もなくをかしくなつて、しかもドキリと刃物をつきつけられたやうだつた。彼は笑顏を作つた。

「まあそんな心配なさらなくともいいでせう」

「さうでせうか」

 唯彦は曖昧に頷いて、なはも微笑を續けてゐた。「それより僕はどうしてあなたとこんな場所で逢へたのか、その方が今心配です。僕はこれからどうなるのでせう。どこへ行つたらいいのか解つてゐるのなら教へて下さい」

 すると彼女は訝しげに四邊を見𢌞した。「私もさつきまであなたとお逢ひ出來るとは思へなかつたのです。何處となしに迷ひ步いてゐるうちに色々、不思議なことがあつて、ふと眼の前が少し明るんで來たのですが、やはりここも前と同じやうな場所なのでせうか」

「おや向うにあんなものがあつたかしら」と老女は向うを指差した。見ると、淺黃色を呈してゐる空の下に乳白色の凹みがぼつと置かれてゐるのだつた。

「どうやら河らしいですね、しかし河にしては向岸がありさうなものだが」と唯彦は首を傾けた。そこまではかなり遠方のやうにも思へたが、光線の加減でさう思へるのかもしれなかつた。

「あの邊まで行つてみませんか」と彼女はさきに立つて步き出した。茫々とした草原の路は昏かつたが、その上に展がる空は今靜かに靑い光を孕んでゐた。唯彦の前に立つて步いてゐる女は、まるで向うの白い凹みに魅せられてゐるやうに、もう一言も口をきかなかつた。ふと、菊の花のにほひが漾つた。唯彦はあたりを見𢌞したが草原の闇は默々と續いてゐた。女の草履の音が侘しく鳴つた。唯彦はぼんやりと從いて步いた。

 ほつと眼の前が少し明るくなつた。唯彦の前にゐる女は立留まつた。氣がつくともう目的地まで來てしまつてゐた。大きな眞白な河が音もなくすぐ前を流れてゐる。そこの岸には一般の渡舟が退屈さうに繫がれてゐる。二人はその渡舟のところまで步いて行つた。急にその時後からせかせか下駄の音が近づいて來た。見るとそれは唯彦も街でよく見かけたことのある人らしかつた。眼が片一方潰れてゐるので、その男は唯彦の印象にぼんやり殘されてゐた。その男はせかせかと老女にむかつて話しかけた。

「まあ、あんたはここへゐたのですか。わしも隨分ぐるぐる步いてゐましたよ。さうさう、この間あんたが死んだ時の葬式にはわしは頭がいたうて行きませんでした。ええ、さうかと思へばわしは洗濯をやりながら腦溢血で斃れてしまつて、あんなことにならうとは……………………」

 

2018/01/05

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 迷路

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「迷路」は昭和一三(一九三八)年四月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した

 一部の段落末に簡単な注を附した。【2018年1月5日 藪野直史】]

 

 

 迷路

 

 淡い藍色の山脈の上には、その山脈の幅だけの空が、蜜柑色に暈どられてゐて、重苦しい雲がそのまはりを覆つて居たが、それが宗彦の眼には何かよくない徴(しるし)のやうに映つた。列車は夕闇の軌道の上を進んでをり、時刻は呆けた冬の靄を枯木に絡ませてゐた。宗彦は虛ろな顏つきで、硝子窓の外を視凝めてゐた。冷々として身も魂も地の底へ引込まれさうになるのだが、やがて目的地に着けば、今度こそ湯に浸れて憩へるのだつた。[やぶちゃん注:「暈どられて」「くまどられて」。]

 機關車は疲れたやうな吐息をつづけ、汽笛が優しい悲鳴をあげた。夕闇に包まれた山脈はなほも次々に姿を現はし、次第に輪畫がはつきりして來た。そのうちに窓の外が妙に白らんで來て、空の一隅に故郷の山が見え出した。宗彦ははつとした。しかし、眼に見えて來るのは、たしか見憶えのある地方の風景で、外はもうすつかり朝の姿なのだつた。宗彦は山の温泉へ行くつもりで、この汽車に乘つて居たのに、そして向ふへ着く時刻は夜と決まつて居たのに――すべてが不意に喰ひ違つてしまつた。

 狼狽して宗彦は周圍の人々に血走つた眼をくばつた。しかし、車内の人物は凡て前と變りなく、澱んだ電燈の下で、穩かな旅を續けて居るのだつた。と、思ふと、電燈がパツと消えて、人々の顏は却つて活々して來た。人人はてんでに網棚から荷物を取下ろし出した。宗彦は學生帽を被り、ボストンバツグを提げて昇降口の方へ出てみた。汽車は速度を緩めて、故郷の都市の一角が今眼の前を通過して居た。そのうちに昇降口には降りる人がぞろぞろ集まつて來た。列車はホームに橫づけになり、驛の白つぽい建物が前にはあつた。宗彦はふらふらとホームに降りてしまつた。

 人々の後から從いて、地下道へ降りて行つたが、宗彦はここまで來ると、またこの間のやうに改札口には誰かが出迎へに來てゐて呉れさうな氣がした。左右のコンクリートの壁に跫音が侘しく響き、疲勞した身體はまるで泳ぐやうに進んで行つた。やがて、改札口に出ると、はたして、誰かが彼の名を呼留めた。

「宗彦さんですか」相手の聲はひどく痙攣してゐたが、宗彦は吻としたやうな顏で頷いた。すると、相手は宗彦のバツグをひつたくるやうにして受取り、「早く! 早く! 早く!」と口走りながら、自動車を傭つた。しかし、宗彦はもう急いだつて仕方がないやうに思へた。「澤田まで行け! 澤田だ。大至急!」と、相手は運轉手を呶鳴りつけて、宗彦の橫に腰掛けた。何も彼もこの前と同じで、自動車の窓越しに見える橋の景色まで同じだつた。すると、まだ母は死んではゐなかつたのかしら――と、宗彦は次第に胸騷を覺え、臨終へ駈つけて行く息詰る氣分にされた。タイヤの下で唸る砂や、窓の隙間から吹込んで來る風があつた。[やぶちゃん注:「吻と」「ほつと」。]

 間もなく宗彦の家が見えて來た。見るとやはり二三人の女達が待兼ねて出迎へてゐるので、宗彦はがつかりしてしまつた。「早く、早く、早くいらつしやい!」と、うはずつた調子で女達は宗彦を奧へ導き入れた。宗彦ほ大變急いでゐるやうにして學生帽や、ボストンバツグを玄關脇に放り出したが、ふと何か躊躇を感じて、放り出したバツグの位置を直したりした。すぐ隣室の座敷からは女達の啜泣きや、人々の囁きが洩れてゐた。宗彦は廊下から𢌞つて隣室の方へ行くごく短かい距離を、今は大變困難な氣持で進んでゐた。それで、非常に急いでゐながらも暇がかかり、――これは一體どうふしたのかしらと怪しまれるのであつた。

 しかし、眼の前に座敷の光景が現れた時、忽ち一切に明瞭になつた。母は南枕でだらりと兩手を蒲團の上に投出してゐた。その兩手を左右から醫者と看護婦が握つて、鼻に酸素吸入器をあてがつてゐた。吸入器の液體を吸ふ音がすぽすぽと鳴つた。室内の光線は大變明るかつたが、立つたり坐つたりしてゐる人々の顏はみんな茫と霞んでゐた。腕組みして立つてゐた兄が、宗彦の姿を認めると、「君が戾つて來るまで注射でもたしてゐたのだ」と低い聲で云つた。

 「さうか!」と宗彦は不意に大きな聲を放ち、がくりと母の枕頭に蹲つた。母の顏色は普段と左程變つてゐなかつたが、閉ぢた瞼のあたりに灰色の暈が淺つてゐて、頻りと齒齦を開いて喘いでゐるのは、濛々とした夢のなかを今、潛つてゐるらしく、まるで嬰兒のやうに哀れであつた。しかし、宗彦はふと、一ケ月前に死んだ筈の母がまだそこにゐるのを不審に思つた。すると、母は急に寢返りして、顏を宗彦の方から背けてしまつた。宗彦ははつとして眼を瞠つた。が、周圍の人々には何の動搖も生じなかつた。遠くの廊下をドカドカと子供達が走り𢌞つたり、何か云ひ爭ふ聲が聞えた。宗彦のすぐ眞正面には他家へ嫁いだ妹が、唇を歪めて泣いてゐた。その袖に槌つて兄の小さな娘が、可愛い聲で泣いてゐた。皆はもう長い悲嘆に慣れつこになつてゐるやうな姿で、今はいささか氣も惰れてゐるやうに見えた。宗彦はそれでも醫者の側に寄つて、「注射でもててるのですか」と、訊ねないではゐられなかつた。醫者は默つて退屈さうに頷き、母の脈をぢつと數へてゐた。のろのろと時間が移つて行つた。母は宗彦の方に肩を見せた儘、絶えず苦しさうな息をついてゐた。[やぶちゃん注:「齒齦」音は「シコン」であるが、ここは意の当て訓「はぐき」でよいであろう。「惰れて」「だれて」。訓は「おこたる」であるが、ここは音と意から「気持ちが弛んで緊張感がなくなる・だらける」の意を表した当て字である。]

 そのうちに、宗彦の後にゐた叔母が「さあ、そろそろ末期の水をあげなさい」と促した。綿を纏つた箸を受取ると、宗彦は母の枕頭の方へ𢌞つて行つた。すると、母はまた寢返りを打つて顏を背けてしまつた。瀕死の病人がかうして樂々と動けるので、宗彦は次第に怕くなつた。周圍の空氣や人物まで、どうやら少しつつ奇怪に思へて來た。しかし、酸素吸入器は確實に少しつつ費されて行つた。そして、それが無くなつてしまふと、醫者は母の顏から器具を遠ざけた。間もなく母は大きな苦しさうな呼吸をし出した。「あ、大きな息が始まつたな」と、誰かが云つた時、母の赤らんだ顏は忽ち土色に變つて行つた。醫者は母の手を離し、時計を眺めた。「大きな息は一囘きりだつたな」と、また誰かが云つた。あつちでも、こつちでも新たに啜泣く聲が始つた。母はぐつたりと呼吸をとめて、今は微動だにしなかつた。

 この時になつて、宗彦には更にぞつとすることが生じた。今迄母の顏は普通の女の大きさだとばかり思つてゐたのに、氣がつくと、それは二倍も三倍も大きいのだつた。顏ばかりではなかつた、軀全體がまるで巨人のやうに脹らんで居て、胸などは高く蒲團を突上げて聳えて居た。そして母の額には嚴しい大きな皺が一杯刻まれ、土色の頰には次第に殘忍な表情が募つて行つた。宗彦は恐怖と悲哀で、そつと眼を伏せて淚ぐんだ。

 宗彦は再び視線をあげて、母の方を覗つた。すると忽ち母の顏には激しい不可解な怒りが漲つて行つた。大きな顏は今怒りではちきれさうになり、左右に投出されてゐる母の掌の指が一本づつ靜かに開かれた。母は手を差上げた。母の眼はかつと見開かれて、爛々と燃えた。母は苦しさうに巨體を上げて、床の上に立上つた。頭髮は亂れ、天井とすれすれに在つた。暫くは何か冷たい風のやうな唸りを齒間から發してゐたが、やがて宗彦の方をきつと睥み下すと、彼を指差して云つた。「こいつが、僕を疑つてるぞ!」それはまるで兇暴な男の發する聲であつた。一瞬、宗彦の耳にはビユーと鳴る風が通過した。と、座敷中に險惡な空氣が閃いて、無數の眼で威壓されてゐた。さつきまで淚を湛へてゐた人々の眼が、まるで狼のやうな怒りに燃え狂つて、ぢりぢりと宗彦の方へ迫つて來た。しかし、その時、母の威丈高な姿勢が次第に崩れそめた。母の廣い肩から、がくりと力が脱けたかと思ふと、母は兩手を宙に泳がせながら無念さうな身悶えをつづけ、暫くはまだ立上つてゐたが、やがてふらふらと床の上に倒れてしまつた。見ると、もう母には何の變化も認められなかつた、それはたつた今、呼吸をひきとつた母の姿であつた。そして氣がつくと人々はもう座を離れて、みんなてんでに働いてゐた。宗彦は悄然と立上つて次の間へ行つた。

 其處ではテーブルが持出されて、もう兄は頻りに死亡通知の電報を書いてゐたが、すぐ側のソファには義兄が橫になつて、子供の吹く喇叭を面白さうに口にあてて居た。義兄は今にも吹いて音を立ててみたいやうな顏つきで、それが餘程娯しさうだつた。宗彦は何をしていいのかわからなく、ばんやりと柱の脇に立疎んでゐた。今、外では紫色の雨が靜かに降つて、部屋のうちは非常に薄暗く、天井や疊に虛ろな黑い影がぼそぼそと這ひ𢌞つてゐた。ふと、宗彦のすぐ前に老人がよろよろと步いて來た。宗彦の父が生きてゐた頃からずつと店にゐたその人は、暫く振りに見ると、全く老衰してゐた。眼ばかりが鋭く輝き、動作は緩慢であつた。彼は宗彦の前に來ると、細い聲で、「お母さんが……」と呟いた。宗彦は急に悲しみが崩れて、今は子供のやうに泣聲をあげた。老人は老人で眼に指をあてて靜かに淚を拭つた。それから暫く宗彦を睥むやうな顏つきで見守つてゐたが、突然、眼底に變な閃きが生じたかと思ふと、老人はワハハハハと物凄い笑ひ方をした。そして、きつと宗彦を睥みつけ、またワハハハハと笑つた。「ざまあみやあがれ! 親の罰、天の罰、思ひ知れ!」と云ひざま、彼は宗彦の胸許を摑んで、ぐつと引寄せ背負投げで疊に叩きつけた。と、思ふとまた宗彦を引寄せ、繰返し繰返し背負投げを續けて行つた。[やぶちゃん注:「ソファ」はママ。]

 その時、隣の座敷から、鐘を鳴らす音がして、次いで讀經の聲が洩れて來た。すると老人は宗彦を蹴飛ばしておいて立去つてしまつた。宗彦はふらふらと立上ると、隣室へ誘はれて行き、一番後の閾のところに、ペつたりと坐つた。と思ふと、誰かがポカリと宗彦の橫面を撲つた。「もつと前へ出ろ!」と、すぐ橫に坐つてゐた兄が呶鳴つた。宗彦が二三人前の席へ割込んで行くと、見憶えのない女が彼の顏を覗き込んでくすりと笑つた。宗彦は凝と正面に眼を据ゑた。佛壇には澤山の香奠袋が重なり合つて竝べられ、蠟燭の燈が大變美しく搖れてゐた。宗彦の視線は人々の肩を越えて、そつと母の死骸の方へ漾つて行つた。母の寢床はもう部屋の一方へ片寄せられて、顏には白い覆ひが懸けてあつた。坊さんは御經を悠長な聲で讀んでゐたが、途中から止めてしまふと、吻としたやうな顏で一同にお叩頭をした。それから坊さんは紙と筆を運ばせて、立ちどころに戒名を書き、それを佛壇の前にそつと置いた。もう人々は座を立ちてんでに何か喋り合つてゐた。

 宗彦も吻として立上つたが、次の瞬間にはもう自分が何をしていいのやら解らないので迷はされた。が、恰度いい具合に妹が聲を掛けて呉れた。「暫くでした。いいことで出逢へたのならいいのですに……かう云ふことで出逢はうなどとは……」と妹は唇を歪めて泣いた。次いで伯父が宗彦の姿を認めて、一寸會釋してくれた。すると又別の人が宗彦の前に來てお叩頭をした。それから又別の人が現れた。宗彦は見憶えのない顏も多かつたが、相手はどんどん入替つて悔みを述べた。そのうちに「お面!」と云つて誰かが宗彦の頭を撲りつけた。すると後から後から皆がそれに倣つた。そして最後に、「ヤア」と云つて義兄に手を握られた。「面白いもの見せてやるから臺所へ行かう」と、義兄は宗彦の手を引いてよろよろと進んだ。大分もう酒に醉拂つてゐるやうな足どりだつた。

 臺所には皿や鉢が一杯竝べられて、人と料理でごつた返してゐたが、ふと片隅から頓狂な聲で宗彦は呼掛けられた。「まあ宗彦さん……」と、彼の家に長らく働いてゐる老婆はさう云つたまま暫く聲を吞んだ。そしてポロポロと淚を零した。淚は老婆が手にしてゐる皮を剝がれた赤蛙の肢に落ち、赤蛙はピリピリと肢を慄はせた。老婆はそれを串に刺して七輪に掛けた。火の上でも蛙はまだピクピク動いた。「なるほど、こいつはうまさうだね」と義兄が老婆に口をきいた。老婆はにつと笑つて、「それでも人數前、集めるのには苦心しましたよ」と呟いた。見ると老婆の後の箱には澤山の赤蛙がピヨンピヨン跳ね𢌞つてゐた。宗彦は何だか空恐しくなつて、そつと臺所を拔けて行つた。

 次の間の緣側では呉服屋がいろんな反物を竝べてゐて、四五人の女達が集まつて、てんでにその反物を見はからつて居た。どうやら喪服を註文してゐるらしいのだつた。「かう云ふ際だから私はついでに訪問着が欲しいわ」と妹が云つた。と、今度は姉が、「それなら私ほ今度生れて來る赤ん坊の産衣を證文しようかしら」と云つた。「さうよ、死んだ人より、生れて來る人の方がずつと大切だと思ふわ」と、眼鏡を懸けた女學生が口を挿んだ。氣がつくと、一番向ふの端に、死んだ筈の母がちやんと坐つてゐて、皆と同じやうに反物を繰展げてゐるのだつた。母はぼろぼろの普段着を纏つてゐて、眼がよく見えないものだから、何だか氣疎さうな容子で、手に展げてゐる反物にもあんまり興味を感じて居ないらしかつた。そして、娘達の話に加はるでもなしに、唯一人でぼんやりと存在して居た。しかし、母の凭掛つてゐる後の壁は雨漏りのために處々禿げて赤土を現はしてゐたが、その邊の光線はひどく朦朧としてゐた。暫くそれが氣になるので宗彦は立留まつて眺めてゐた。そのうちに母の一番近くにゐた妹が、ふいと母の方を振向くと、母の手にしてゐた呉服を何か云ひながら引手繰ると、母は默々と妹に手渡すのであつた。[やぶちゃん注:「氣疎さうな」「けうとさうな」。ここは前後から見て「気にそまない・納得がいかない」程度の謂いであろう。]

 その時、宗彦の背後から誰か子供らしい拳が來て、膜のあたりを頻りに撲り出した。宗彦はいい加減にあしらつてゐると、子供の方では圖に乘つて到頭、宗彦の身體に攀登つて來た。それで宗彦は後へ手を𢌞して押退けようとすると、子供はすかさず宗彦の耳のあたりを引搔いた。宗彦は無性に腹が立ち、全身を搖すつて、子供を振ひ落した。疊の上に倒れた子供は姉の子供だつた。甥の眼には興奮の淚が光つた。宗彦の方でも遠かに悲しくなり途方に暮れてしまつた。ところが小さな甥は猛然と跳ね起きて來た。甥は宗彦の頰に飛びついて、ガリガリと爪を立てた。甥の小さな指は血で染まつた。宗彦がぢつと怺へてゐればゐるほど、甥は益々猛り立つて來た。[やぶちゃん注:「怺へて」「こらへて」(堪(こら)へて)。]

 とうとう宗彦は湯殿へ逃げ込んで戸を立てた。が、其處には若い女中がひとり鏡に對つて、口紅を塗つてゐた。宗彦は傷けられた顏を冷水で洗つたが、何の感覺も感じられなかつた。鏡でちらと自分の顏を眺めると、顏は醜く曇つてゐて全體の輪畫がひどく歪んでゐた。宗彦の側にゐた女中は胡亂さうに彼を眺めてゐたが、彼が愚圖愚圖してゐるのに立腹したらしく、エヘンと咳拂ひをした。恰度そこへ彼を搜しに義兄がやつて來た。「あんまり搜させるものぢやないぞ、みんなもう揃つてるのにこんな所で何してたんだ」と、義兄は宗彦の片腕をぐいと摑んだ。もうひどく醉拂つてゐるらしく、義兄は大變力強くなつてゐた。そして、ぐんぐん彼を引張つて、廣間の方へ連れて行つた。[やぶちゃん注:「胡亂さうに」「うろんさうに」。「ウ」「ロン」ともに唐音。疑い怪しんでいる様子で。胡散(うさん)臭そうに。]

 廣間には大きな食卓が持出されてゐて、其處では澤山の人が飯を食つてゐた。大概の人が意氣昂然として、箸を持つてゐる手つきまで正々堂々としてゐた。あんまりいろんな顏があるので宗彦は呆氣にとらはれたが、不思議なことには、新聞の寫眞でよく見る偉い人の顏も二三ちらついてゐるのだつた。その偉い人達は鷹揚に威嚴を保ちながら酒を飮んでゐた。そして、人々が彼等を笑はせようとして何か云ふと、ぱくりと白い齒を剝いて笑ふのだつた。宗彦はそこに居る人達がみんな偉い人に思へて來た。と何時までも彼がぼんやりして居るのに業を煮やして、橫にゐた義兄が箸で彼の頰を彈いた。「食へ、何故食はうとしないのだ」と、義兄は宗彦の前の赤蛙の皿を指差した。見ると、皆はむしやむしやと、串燒にされた蛙を賞味してゐるのだつた。宗彦もそれに倣つて食ひ始めると、暫くしてまた義兄は彼を箸で小衝いた。「飮め、何故飮まうとしないのだ」宗彦の前の盃にはなみなみと液體が盛られてゐた。

 食事はだらだらと續けられて行つた。人々はぎつしりと食卓に席を占めてゐるので、宗彦には食堂車にゐるやうな氣がした。酒の醉が𢌞つたのか、身體が動搖して居るやうで、睡氣が顏中を襲つて來るのであつた。時々、隣にゐる義兄は宗彦を覺ますために箸で活を入れて呉れた。「とにかく電氣をつけるとしようぢやありませんか」と、誰かの發案の聲がした。すると、パツと部屋中が明るくなつた。もう夜になつたのかしら、と宗彦は感心した。しかし、食卓はまだなかなか賑やかであつた。宗彦は長い退屈な旅をしてゐるやうに、また睡氣がさして來た。

 その次に目が覺めた時は、大分客も減つてゐて、廣間はしーんと寂れてゐた。今夜はお通夜だな、と宗彦は思つた。眼がチラチラして、再び睡くなつた。澤山の星が一杯輝いてゐて、大變綺麗な夢をみた。それから再び眼が覺めると、廣間では大きな物凄い鼾が生じてゐた。義兄や妹が假睡してゐる姿が宗彦には大變大きく思へた。まるで彼等が山脈か何かのやうに思へた。さうして宗彦はどうも自分は何處かの山奧にゐるやうな疑ひが生じた。しかし、母はもう何處にも居ないのだ、と今更のやうに思ふと、突然、空間が破裂するやうな感覺に陷つた。そして、猛烈な嵐が耳を擘いて響いた。「居るぞ! 居るぞ!」と、鋭い唸り聲が上の方から捲起つた。見ると大きな黑い鳥が空中高く舞上つてゐて、次第に彼の頭上をめがけて近づいて來た。そして宗彦の左右にある山脈がするすると音もなく迫め寄せて來た。[やぶちゃん注:「擘いて」「つんざいて」。]

 

2017/12/31

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 暗室

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「暗室」は昭和一三(一九三八)年六月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 一部の段落末に簡単な注を附した。

 なお、本篇の後半部の一部の原稿(プレ決定稿か)の一枚(四百字詰め)が、「広島市立中央図書館」の「Web広島文学資料室」内のこちらで見られ(原稿の裏面に「鎭魂歌」の草稿が記されているため、一枚だけが画像公開されているもの)、そこでは、現行版及び漢字表記(正字でないもの)に次のような異同が見られる(下線部)

   *

しんは周章てて荷馬車のところへ飛出し、「これは私の娘です。何かいことでもしたのですか」と性急に尋ねた。馬丁は胡散さうな眼でじろつとしんを見下し、「お前さんは引込んでろ」と命令した。それから默々と妙子を眺め𢌞[やぶちゃん注:或いは「」。]してゐたが、「袂の裾を握るんぢやない」と一喝すると、妙子は電流に打たれたやうに兩手を袂から離した。しんは默つてゐられなくなつた。「何故、私の娘にそんな劍幕を振ふのかあなたは一誰だ」馬丁は輕[やぶちゃん注:或いは「」。]く肩を聳かして、「譯は後で話す[やぶちゃん注:或いは「」。]」と云つた。さう云つて今度は馬の腹へ近寄つて、馬具を直してゐたが、ふと妙子の方を振向いて、「ああん、いい加減に謝罪せんか」と云ふのであつた。妙子が相らず默つた儘うつむいてゐると、馬丁はまた彼女の側に近寄り、「強情張ると君の爲にならんぞ」と妙子の肩を小衝いて、それから靜かな口調で話し出した。「なあ、君は第一[やぶちゃん注:現行のここにある読点(、)がない。]左側通行を守らなんだのがいけないのだ、それに我輩の馬車に衝き

   *

これはプレ決定原稿であり、実際の初出では、当時は、当然の如く、多くの略字は正字化されていると考えるのが常識であるから、私の恣意的な漢字の正字化仕儀は正当であると信ずるものである。【2017年12月31日 藪野直史】]

 

 

  暗室

 

 しんは寢室に睡つてゐたが、雨戸の外の庭が、月の光で眞晝のやうに明るかつた。簷の近くの梅の樹の枝が二股に岐れてゐるところに、しんの二番目の息子の七つの時の顏が嵌められてゐた。その顏は眼のくりくりとした、好奇心に芽生えかかつた表情で、寫眞師の方へ向けられた顏で、たしか簞笥の戸棚のアルバムに貼つてある、古ぼけた寫眞の儘だつたが、梅の樹の股から覗いてゐる顏は、段々鼠のやうな顏になつて、寂しげに瞬してはしんを眺めるのであつた。しんは自分の産んだ子が動物になつてゐるのに驚かされて、胸は早鐘を打ち出した。不圖、また向ふの百日紅の枝に氣がつくと、そこには三番目の息子が眞裸で、すべすべする枝に登つて行くのだつた。いくら三郎の柄が小さくても、あんな小さな手足ではなかつたし、背中に猿そつくりの毛が生えてゐるのも哀れだつた。百日紅はさるすべりと云つて、お猿でさへ登れないのですよ、とあの子を背負つては教へてやると、あの子は一生懸命梢の方を振仰いだものだつた、あんなことを教へたために到頭、三郎は夢中で枝に這ひ登つてゆく。梢には點々と赤い花がみえ、それがすぐ眞下の井戸の底に青空と一緒に映つてゐる。三郎はふと、變な身構へをすると、むかふの枝に飛び移らうとする。あれは一度、尋常四年の時、機械體操から墜ちたから、それに中學の入學試驗にも落ちたから、何時もあんな恰好をする癖がついたのかもしれないが、もし飛び損なつたら今度こそ井戸の底に墜ちるのに、と、しんは氣が氣でなかつた。そのうちに、ぽしやり、と井戸の底に鯉が跳ねる音がすると、もう三郎の姿は樹上になかつた。しんはさつきから續いてゐた胸騷ぎが今はコチ、コチ、コチ、と氷を割る音に變つて行つた。笊の底の氷塊はごろごろと滑つて、うまく錐が立たなかつた。緣側のすぐ側の飛石が大きな龜の恰好をして地面に伏さつてゐるが、あれは長男の一雄の證據に、時々難儀さうに口を開けるのだつた。あんなに辛くなるまで我慢しなくてもよかつたのに、一雄は脚氣を怺へて試驗を受けようとしたのだつた。それで夜、あれが突然歸省して來て、玄關の戸を弱々しく叩いた時、しんは心臟を叩かれるやうな思ひがした。今も地面に伏さつてゐるからには餘程苦しいのだらうが、脚氣を氷で冷やしたら少しは樂になるのかしら、と、ついしんは餘計な思案をしながら錐の手を休めてゐた。すると、耳許で、しんの夫が、「馬鹿、早くしろ。一雄は脚氣ぢやない、疫痢だぞ」と吸鳴つて、錐をひつたくると、自分でゴツゴツと氷を割り出すのだつた。子供のことになると、無我夢中になる夫の姿をみると、しんは自分ののろくささに狼狽てながらも、内心微かに嬉しかつた。夫の義造は壯烈そのものの姿で錐を打ち込む。氷は頻りに白い煙を放ち、溶けた雫が笊の目から庭へ流れた。[やぶちゃん注:「怺へて」「こらへて」(堪へて)。]

 ガチヤリ、ガチヤリといふ音響で暫く氣がつかなかつたが、ふいと視ると、向ふの百日紅の方から飛石を蹈んで、二人の警官と一人の女がやつて來るのだつた。彼等はもう義造のすぐ側まで近づいてゐたので、どうなることかと、しんが少し心配し始めた時、「おい!」と一人の警官が義造の首筋を摑んで呶鳴つた。「なにをしてゐるのだ、君は」義造は吃驚して暫く口をもごもごやつてゐたが、「何をしてゐるかつて、息子が疫痢だから氷を割つてるのですよ」と答へた。「噓をつくな。君は變なものを拵へる氣だな。證人がゐるぞ、夜通しごそごそやつてたとこの女が云つてるぞ」さう云つて警官が指差した女は、しんの家へ每日牛乳を配達する女だつた。彼女は若い時、キヤツチボールの球が額にあたつたので、耳が遠かつた。「ええほんとに每晩ここの家からは變な物音がして、二三丁離れたところからでもよく聽えます」と牛乳配達の女は得意さうに鼻を蠢かした。「とにかく、一應調べねばならん」と、二人の警官は臺所の方へ上り込んで、ガス・メートルの數字を頻りに首を捻りながら眺めてゐたが、「とにかく、ちよつと來てもらほう」と義造を眞中に挿むと、ずんずん表の方へ行つてしまつた。彼等が見えなくなると、後に殘つてゐた牛乳屋の女は急にしんに同情するやうな振りで、「ほんとにお氣の毒で御座います。それといふのもお宅の御主人はお稻荷さんに寄附をなさらなかつたから罰があたつたので御座いますが、後に殘されたお子樣がおいたはしう御座います」さう云ひながら、ぽろぽろと大粒の淚を前垂の下に零した。しんは腹の底が煮えくり返るほど口惜しかつたが、眼さきがちらちらして、赤や靑の火の玉が灰色の闇に漾つて流れた。ふと、耳許で義造の呶鳴る聲がして、しんはやつと眼の前が明るくなつた。何時の間に歸つて來たのか、義造は大變憤慨して緣側に立ちはだかつてゐる。牛乳屋の女はさつきからの鳴咽を持ちつづけながら、今は時々頭を下げては詫びてゐる。「いい加減なことを喋るといふにも、いふにも、程があるぢやないか」と義造はまだ怒りが解けないらしく、足を蹈み鳴らした。すると何時の間にか父の側に二郎と三郎がゐて、父の眞似をして足を蹈み鳴らした。緣側は雷鳴のやうにゴロゴロと響いた。「あああ」と牛乳屋は聲をあげて泣き出した。「私は聾ですから時々感違ひするのです。惡う御座いました。惡う御座いました」そして、こほん、こほんと奇妙な咳をし出し何時までたつても歇まなかつた。「もういいから歸れ」と義造が云ふと、急に嬉しさうにひよこんとお叩頭をして、牛乳屋は下駄の齒を、きゆる、きゆる、きゆる、と露次の敷石に鳴らしながら消えて行つた。

 義造は怒つた後の氣疲れで、柱に凭掛つて空を眺めてゐたが、ふと、梅の枝に頰白が留まつてゐるのに目をとめると、「四部さんよ、可哀相に」と話しかけて淚を浮かべた。「誰がお前を殺したのかしら、お前に枇杷を食べさせて疫痢にさせたのは誰なのだらう」と、義造は段々興奮して來た。ふと、頰白は何かに驚いたらしく、ききき、と不思議な啼きかたをして、急にばたばたと逃げて行つた。義造は不思議さうに頰白の逃げて行つた跡を見 送つてゐたが、急に何かに思ひあたつたらしく、ぽんと膝を叩いて立上つた。「さうだ。狐だ、狐の仕業だぞ。何も彼も狐の奴が企んでるのだわい。解つた、解つたぞ。あの牛乳屋の婆も狐だぞ。こほん、こほん、啼いたりなんかしやあがつた。狐が儂の一家を覘つてるのだな、畜生!」さう云ひながら義造は握拳を振り𢌞して、緣側を往つたり來たりしてゐたが、ふと、しんの側に立留まつて、「おい、お前は何歳(なにどし)生れだつたかいな」と尋ねた。解りきつてることを尋ねるので、しんが默つてゐると、「さうだつた、酉だつたな。酉だと、こいつは大變だ。いよいよ以て狐が覘ふわけだ」と、義造の顏は急に靑ざめて、手足が少し慄へ出した。「鷄の子なら雛だ。雛を覘ふてるのだな、狐の畜生が」義造は獨りで呟いてゐたが、また急に語調を高めて、「ああ、殘念だ。狐に一杯食はされたぞ。狐の乳とは知らずに皆に牛乳飮ませてたか。ああ、殘念なことをした。こいつは早く醫者に相談して手當しなきや大變だ」さう云つて、閾の上にどかんと坐つてしまつたが、「まてよ、醫者ももしかすると狐かもしれないぞ」と呟いた。しんは義造があんまり變なことを云ふので、くすりと笑つた。「何がをかしい!」と義造は鋭く咎めた。「だつて、醫者と狐は違ひますもの」「默れ、お前までが狐の味方するのか、一雄や二郎や三郎や芳枝や妙子を狐の餌食にする氣なのか」「だつて、そりやあ、あなたが疑ひすぎるのですわ」「そんなこと云つてるから、狐はいい氣になつて圖に乘つて來だすのだぞ。畜生、ウオオオ!」と義造は終に咆哮して、胸をどんと叩いた。「ウオオオ、俺は虎だぞ、寅歳生れだぞ。さあ來い、狐の二匹三匹嚙み殺してくれるぞ。さあ來い、何なりと來い。ウオオオ!」義造はほんとの虎のやうに疊の上を跳ね𢌞り出した。四つん這ひになつてぢつと蹲つてゐるかと思ふと、突然飛上つて、神棚にある榊の枝を齒で捩ぎ除つて、左右に振𢌞した。義造は榊を齒で弄びながら、左と右の眼で交互にしんの方を睥んだ。その眼球が次第に虎に變つてゆくのでしんは怕くなつた。そのうちに義造はウウウと口をあけて一聲唸つたかと思ふと、のそのそとしんの方へ迫つて來た。しんはビクビク顫へながら、部屋のうちを逃げ惑ひ、どういふものか、きやつと叫ばうとしたのに、こここここ、といふ呼聲になつてしまつた。それでは自分も鷄にされてしまつたのかしら、やれ情ない、と考へながら、しんはちよこちよこと兩脚で步いては羽擊をした。そのうちに虎はしんの尻尾に嚙みついてしまつたので、しんはこここここと悲鳴をあげて、眼球を白黑させた。[やぶちゃん注:数箇所に出る「覘」は通常は「うかがふ」であるが、ここでは総て「ねらふ」(狙ふ)と訓じていると思われる。「捩ぎ除つて」「もぎとつて(もぎとって)」(捥ぎ取つて)と訓じていよう。「羽擊」「はばたき」と訓じているものと思われる。「睥んだ」「にらんだ」(睨んだ)。]

 しかし、今、虎の齒はしんの背骨にがくりと嚙みついたのだが、しんは全身が怠く、少し火照つて來るだけで、あんまり烈しい痛みは生じなかつた。それで、ぐつたりとした儘、少しつつ眼を開けてあたりを見𢌞すと、をかしなことに、すぐ彼女の四五尺前に、義造が疊の上に大きな鼾をかきながら假睡してゐるのだつた。まあ、よかつたと安心すると同時にしんは義造の寢顏をしげしげ眺めた。義造は時々何か愉快さうに夢でもみてゐるのか、すやすやと笑ふのだ。そのうちに涼しい風が頻りに疊の上に流れて釆た。こんな處で何時までも假睡してゐては風邪を引くだらうと思つて、しんは義造の肩を搖つて起さうとした。義造はぱつと眼を開くと、半身を起して、すぐ側に落ちてゐる榊の枝を手に執つてみとれた。それから如何にも安心したらしく、枝の葉を一枚一枚數へながら、いかにも嬉しさうな顏をした。しんは、どう云ふ譯で義造があんなことをしてゐるのか合點が行かなかつたが、默つて眺めてゐると、義造はそれらの葉を一枚づつ枝から挘ぎ取ると、丁寧に揃へて懷中に收めて行つた。「福の神が飛び込んだぞ。この株券の配當たら、どんなもんだい、二倍、三倍、四倍、この調子で行つたら凄いものだぞ。おい、ちよつと算盤を持つて來い」と、義造はしんに命じた。しんはどうも合點が行かないながら、すぐ側の机から算盤をとつて渡した。すると、義造はさつき懷中に收めた、榊の葉を一枚一枚、疊の上に竝べ出したが、不思議なことに、樹のははちやんと立派な株券になつてゐる。しんはこれは大變なことになるのではあるまいかと心配してゐると、はたして義造は遽かに眼の色を變へて、一枚の株券をぐいと彈みつけた。義造は株券を手に持つたまま、暫くはものも云へないほど興奮した。それから、「フーン」と感嘆の息を吐くとともに、「こいつは、幽靈株だな」と叫んだ。すると、義造が手に持つてゐるのは、榊の葉であつた。義造はそれに氣がついたらしく、大急ぎで懷の葉をはねくり出して、全部疊の上にちらかした。「やりやあがつたな。狐め! かつぎやあがつたな。畜生! よくも木の葉を株券にしてくれたな」義造は怒號とともに木の葉を八方へ蹴散らかしたが、やがてがくりと疊の上に躍ると、もう全身の力を失つて、よろよろと橫になつてしまつた。橫に倒れながらも、餘程口惜しいのだらう、義造の胸は大きく波打ち、鞴のやうに激しい息をついた。「水をくれ、水を」と義造は喘ぎながら、しんに訴へた。しんが鐵瓶の水をコツプに汲んで差出すと、義造はぼんやりコツプを掌にしたまま眺めてゐたが、「をかしいな、このコツプのなかには金魚が泳いでゐるね」と子供のやうな調子で話しかけた。「いいえ、鐵瓶の水ですから金魚なんかゐませんよ」と、しんが云ふと、義造はすつかり安心したらしく、唇にコツプをあてたが、不圖また、コツプを離して、「どうも蛭のやうなものがちらちらする」と云つて眉を顰めた。しんが義造の額に掌をやつてみると火のやうに熱かつた。そのうちに義造はガタガタ慄へて、眼が潤んで眞靑になつた。「ああ、怕い。狐が、攻める。攻める、狐が」と義造は悶えながら口走つた。しんは義造の身體をしつかり摑へながら、「何處に、何處に狐がゐます」と尋ねると、義造は默つて頤で天井を指差した。見ると天井には何十匹の狐がぐらぐらと蠢いてゐた。狐達は絶えず入替つては上から義造の方を覗いてゐた。そのために、もさ、もさ、もさ、もさ、といふ狐達の跫音がしんの耳にも聽えた。そのなかの一匹は今にも天井から飛出しさうな氣配だつた。しんは思はず、「しよい!」と叫はうとしたが、聲は咽喉のあたりに痞へた。ところが、それと同時に一匹の狐はちよろちよろと壁を傳つて降りて來た。しんはまるで自分の背中の上を狐に走られてゐるやうな氣持がした。既に一匹が疊の上に達した頃には、他の狐達も一勢に四方からどろどろと雪崩れ落ちて來た。頭から水を浴せ掛けられたやうに全身びしよ濡れになつて、暫くは何も見えなかつた。やがて氣がついた時には、もう狐達は退却したのか緣側をどろどろと走つて行く音がした。[やぶちゃん注:「假睡」「うたたね」(轉寢)と訓じていよう。「挘ぎ取る」「挘」は「むしる」であるが、「ぎ」に繋がらぬから、「もぎとる」と読みたくなるのであるが、既に「捩ぎ」でそう訓じている(と私は採ってしまっている)わけで、とすれば、これは別な読みとして漢字を当てたと考えねばならず、葉であるから「はぎとる」(剝ぎ取る)か。「鞴」「ふいご」。「痞へた」は「つかへた」。]

 見ると側の義造は何時の間にか氷囊を額の上にやつて、すやすやと睡つてゐるのだつた。緣側を走る跫音は再びしんの方へ近づいて來た。やがて、跫音は障子の外まで來たかと思ふと、ぴたつと立留まつて、何か囁き合つてゐる樣子だつた。さうして、すーつと障子が開けられた。はつとして振向くと、そこには二郎と三郎の顏が覗いた。「お父さんが病氣なのですから騷動してはいけません」と、しんは少し怕い顏で叱つた。義造はその物音で眼が覺めたとみえて、一寸頭をもちあげて、「こちらへはいつておいで」と云つた。子供達は父の枕頭にかしこまつて坐つた。二郎も三郎もシヤツ一枚で暑さうに額に汗の玉をかいてゐる。「二郎はもう霜燒はなほつたかい」と父が尋ねると、二郎は默つて額く。義造は額の氷嚢の口を開けて「さあ、氷砂糖をやらう」と、二人の掌に二つ三つ渡した。子供達は早速それを頰張り出した。「もう、あちらへ行つて遊びなさい。靜かにしてゐるのですよ」と、しんが云ふと子供達はそつと座を立つて出て行つた。やがて暫くすると、蜜柑色の光線が障子に射して來て、茫とした樹の枝が映つて、雀たちが一頻り囀り出すのだつた。しんは雀たちの呼聲を聽いてゐると、何だか少し睡たくなつて、とろとろしかけたが、時々、義造の額の上の氷囊がガチヤガチヤいふ音で、はつとして眼を開いた。それからまた、とろとろしてゐると、雀たちはいい氣になつて囀り𢌞るし、義造の氷囊のガチヤリといふ音は睡むりはなを見はからつては始まるので、しんはうつらうつらと裁縫をしてゐるやうな氣持だつた。長い間の看護疲れもあつたが義造は段々快方へむかつてゆくし、子供達が庭で元氣さうに遊戲をやつてゐるのを聽いてゐると、しんはすつかり安心してしまつた。實際のところ、あれは子供達が騷いでゐるのか、それとも雀の啼聲なのか、しんの耳には區別が出來なかつたが、そんなことはどうでもよかつた。そのうちに暫くあたりが靜かになつたかと思ふと、今度は庭の方で合唱が始まつた。「もし、もし、お前は誰ですか」と子供達は聲を揃へて歌つた。誰かが一人、「私はここらの狐です」と答へた。

 と、今迄すやすやと睡つてゐた筈の義造はまるで電流を懸けられたやうに、かばと跳ね起きた。それから緣側へ飛出し、「馬鹿!」と大音聲で號んだ。子供達は義造の劍幕に恐れて、パタパタと逃げ出してしまつた。義造は緣側に立はだかつて、餘勢を持てあましてゐたが、やがて、「エイ!」と二聲氣合を入れたかと思ふと、右手に樫の棒を握り締めてゐるのだつた。「一雄二郎みんな來い。今晩這入つて來る泥棒を今に儂が退治するぞ」と義造はすつかりいい機嫌になつて、たつた今叱つたばかりの子供達を呼びかへした。子供等は珍しさうに父の後からぞろぞろと從いて步いた。義造はすつかり得意さうに樫の棒を振り翳し、時々、「エイ」「ヤア」と、手あたり次第柱や壁を撲りつけ、「そもそも泥棒はどこから這入る」と、家のうちをぐるぐる見張りして步くのであつた。そのうちに、義造は便所の脇の廊下に大きな足跡を發見して、「やあ、あつたぞ。あつたぞ」と叫んだ。「さあ曲者だ。さあ曲者だ」と家のうちをぐるぐる走り𢌞つて、簞笥から押入から佛壇まで到る處を探し𢌞つたが、もう曲者は逃げた跡らしかつた。「ああ、殘念だつたな。一足ちがひだつた」と義造は腕組して考へ出したが、「うん、大工を呼んで來て、あの足跡のところを切拔いてもらはう」と云つた。と、もうさつきの足跡のところには大工がやつて來て、鋸でゴシゴシ廊下の板を切拔いてゐた。義造は大工の側に行つて、「隨分大きな足跡だなあ」と感心しながら話しかけた。「足跡といふものは大きく見えるのですよ」と大工は切拔いた足跡を義造に手渡した。「ふん、これは參考になるから一つ小學校へ寄附してやらう」と、義造はその板を大切さうに袱紗に包んだ。[やぶちゃん注:「かば」はママ。]

 その時、突然、火事の半鐘がガンガンとすぐ近くで鳴り出した。と思ふと、近所の小學校の方角の空に濛々と煙が立昇つてゐるのが見えた。「やあ、小學校が火事だ。僕が寄附した足跡が燒けてしまつては大變だ」と義造は樫の棒を抱へて表へ飛出してしまつた。しんも凝としてゐられなくなつて、二階の物乾棚へ上つてみると、もう向ふの小學校の講堂の屋根の上では、義造が樫の棒を振𢌞して活躍してゐた。さつき階下でみた時ほど、あんまり煙も立たないので、しんはもう消えたのかしらと思つたが、ワイワイといふ人聲や、往來を走る足音がまだ頻りに聞えた。義造はたつた一人、講堂の屋根で頑張つてゐるので、彼の姿が大變大きく見えた。義造の後の空はまるで火事とは反對に靜まり返つてゐるので、義造も少し退屈して欠をした。今、火事の騷ぎで飛出したらしい鴉が四五羽、義造の頭上を逃げて行つた。彼は樫の棒を振上げて、ポカポカと撲りつけた。すると、みごとに手答へあつて、鴉は四五羽ともぽとぽとと屋根の上に墜ちてしまつた。義造はすつかり偉大になつたらしく、今、樫の棒をしんの方向へむかつて正眼に構へると、忽ち彼の身體は宙を飛んで、もうしんの居る物乾棚のところへ戾つて來た。[やぶちゃん注:「欠」「あくび」。「あくび」の意の場合は「缺」としないのが正しい。]

 ふと見ると、さつき義造が叩き落した鶉どもが、今靜かに舞上るのが恰度、蜻蛉位の大きさに見えた。鴉はまるで飛行機のやうな唸りを發して、物乾棚の方へだんだん近づいて來た。しんは大變心配したが、義造は一向に氣がつかなかつたらしい。やがて、サイレンが物々しく鳴渡り、パタパタと人の逃げ惑ふ足音や、犬の呼聲があちこちで生じた。その騷ぎの上を撫でまくるやうに、ぐわんといふ唸りと、大きな翼の影が橫切つた。しんは義造の手を引張つて、物乾棚を飛降りると、段階を滑り落ちて、風呂場の方へ逃げて行つた。何時の間に普請したのか、流しの所が地下室の入口になつてゐて、そこは百貨店の地階の入口のやうに飾つてあつた。しんは逃げながら、ちらと、模樣の變つてゐるのを見て、風呂場が便利になつたのが一寸嬉しかつたが、やがて地階の床へ足がとどいた時には、どたりと倒れてしまつた。もう大丈夫だらうと安心してゐると、すぐ外をオートバイの走る音がして、ガチヤンと硝子の壞れる音がした。「やられた!」と、しんのすぐ側に倒れてゐた義造は悲痛な聲で唸つた。しんは吃驚しながらあたりを見𢌞すと、壁のところに龜裂が生じてゐて、そこから白い煙が少しづつ洩れ入つて來た。義造は顏を痙攣させながら、淚を湛へて、「儂は今度こそもう助かるまい」と云つた。さう云つたかと思ふと義造の顏は少し落着いて來た。「それでなくても胃が惡いのに、あんな毒瓦斯を吸はされてはもう駄目だ」と、義造は壁の裂け目をぢつと視凝めてゐたが、「今死んでは子供が可哀相だが」と云つて淚ぐんだ。しんも淚を湛へて、ぢつと義造を見守つた。すると、義造はひよつこり立上つて風呂場の方へ步いて行き出した。

 しんが氣づかつて後からおろおろ從いて行くと、義造は風呂桶をじろじろ見ながら段々、不平さうな顏色になつた。「あれほど儂の棺桶は檜で拵へて呉れと云つておいたのに、これは松ぢやないか。それに節穴だらけだし、恰好だつてなつてはゐないぢやないか」と、義造はしんを叱り出した。しんは死際になつてまで叱られるのが悲しかつたし、それに身に憶えのないことでもあつた。「いいえ、そんなこと私は聞きませんでした。それにこの桶は松ではありません。檜です」すると、義造は一そう怒り出した。「何! 儂が死なうとする時にあたつて、まだ口答へしたり強情はるのか。これは松だ。松だ。松だわい」「ええ、やつぱし松でした」と云つて、しんはそつと淚を零した。すると、お互に沈默がつづいた。「おい」と義造がたうとう口をきいた。「お前泣いてゐるのかい」しんは默つて答へなかつた。しんは義造がとつくに死んでゐた筈なのに、まだ生きてゐるのが今不思議に思はれた。「お前は悲しいのかい」と義造がまた尋ねた。しんは首を橫に振つた。「いいえ、死んだはずのあなたに、かうして叱られてゐるのが何よりも嬉しうあります」そして、義造の方を見上げようとすると、しんの言葉は餘程、義造の弱點に觸れたのか、義造の姿は見る見るうちに細りながら悶えて、空を摑まうとし出した。ああ惡いこと云つてしまつた、と、しんは後悔しながら義造の方を見ると、今、彼は煙のやうに空氣のなかに溶けて吸ひ込まれて行くのだつた。義造の眼の色だけが一番終りまで殘つて、その眼は少し羞んでゐるやうな恰好になつた。やがて左側の眼はぼつと消えてしまつたが、右側の眼だけがまだ美しく殘り、段々その眼球は魚の眼に似て來たが、最後に貝殼の釦のやうに平たくなつて、茫とした燐光を放つのであつた。しんはその靑い塊りを指先で弄つてみたくなつたが、いくら手を伸してみても其處にはとどかないので、不思議なもどかしさと怕さがあつた。何だか氣拔けしたやうな氣分で、しかし、誰かに後から催眠術でもかけられてゐるのか、しんは自分で自分の身體が自由にならず緩いリズムとともに兩手を前方へ上げたり下ろしたりし出した。胸のあたりが疼くやうに切なかつた。そのうちにしんはこれはどうも後の方に誰か立つてゐるらしいと感づいたが、振向かうとしても首筋が硬直して動かない。眼の前が段々昏むで行くと、さつきまで光つてゐた向ふの眼球が急にするすると墜落して見失はれてしまつた。それと同時にしんも立つてゐる力が失はれて、思はず足許へ蹲んだ。

[やぶちゃん注:「羞んで」「はにかんで」。「蹲んだ」「しやがんだ(しゃがんだ)」。]

 激しい耳鳴と目暈の渦が靜まつた時には、しんは洗濯をするやうな恰好で盥に兩手を突込んでゐた。さうして兩手は水の中に浸された義造の襦袢の襟をしつかりと握り締めてゐた。じやぶ、じやぶ、とやりながら、しんはお腹のなかに子供がゐて兩足を突張るのが苦しかつた。さつきから誰かが頻りに後でものを云ひたげにしてゐるらしかつたが、しんは暫くの間、素知らぬ顏で洗濯をつづけた。が、ふと、手を休めると、後では暖かさうな咳拂ひがした。それで、あ、お父さんだなと、しんは思つた。父親は用事がなくても時々家へ立寄るのが癖なのだから、しんは大して氣にもしないで、また洗濯を續けて行つたが、何時の間にかお腹のなかの子供が輕くなつて行つて、非常に身體の具合が樂になつた。

[やぶちゃん注:「目暈」「めまい」(眩暈)。]

 盥には洗濯石鹼の泡が日の光で美しく輝き、それに庭の楓の若葉が映つた。さうすると、隣の家の方で若い衆が臼を碾きながら緩い聲で歌を歌つてゐるのが聞え、時々、車井戸の車がヒラヒラヒラと可愛い金切聲をあげてゐた。往來を飴賣が太鼓を叩きながら通つた。チンチンテンチンと鈴が鳴つて、おそなへ賣もやつて來るらしい。しんのすつかり若やいだ頰にはちよろちよろと微風が來て撫でた。微風はまるで小さな魚のやうにしんの襟首をくるくる𢌞つて、髮油のにほひを遠くへ持運んだ。すると、しんの挿してゐる花簪を花と間違へて縞蜂がやつて來た。しんは恍惚として、お祭の提燈が續いてゐる軒や、水に浸つた海酸漿を思ひ、洗濯にいそしんだ。しんの頭にはあの祭の宵の藍色の空が美しくひろがつてゐた。それで、もう盥に浸つてゐるのは彼女の派手な長襦袢であつた。しんは娘友達の誰彼と一緒にはしやぎながら過す時のことを思ふとますます氣持が浮立つて來た。[やぶちゃん注:「車井戸」「くるまいど」は滑車の溝に掛け渡した綱の両端に釣瓶(つるべ)をつけて綱を手繰って水を汲み上げるようにしてある井戸。「縞蜂」一般に普及している蔑称としては、膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科クロスズメバチ属クロスズメバチ Vespula flaviceps の異名である。スズメバチ類の中では相対的にはおとなしい部類に属するが、毒成分はやはり相応に強い。幼虫や蛹を食用に供する種として古くから知られ、人間との関係は近しくはある。「海酸漿」「うみほほづき(うみほおづき)」。海産の腹足類(巻貝)の卵嚢で、特に赤螺(腹足綱吸腔目アクキガイ超科アクキガイ科 Rapana 属アカニシ Rapana venosa)・天狗螺(アクキガイ超科テングニシ科カンムリボラ(テングニシ)属テングニシ Hemifusus ternatanus)・ナガニシ(アクキガイ超科イトマキボラ科ナガニシ亜科ナガニシ属ナガニシ Fusinus perplexus)のそれを指す。長刀(なぎなた)状・軍配状など種々の形状があり、植物のホオズキの果皮と同様、口に含んで、「キュッツ」と鳴らして遊ぶ。特に鳴らし易いのはテングニシの団扇状のものである。私の遠い思いでの懐かしい玩具である。]

 すると微風がまたやつて來て、今度はしんの袖を引張つた。しんが知らない顏でゐると、微風は一そう強く引張り出す。まあ、まるで人間のする通りに袖を引張るので、しんは何だかをかしくなつて、振向いて微笑した。ところがすぐしんの後の柱には一雄が大變不機嫌な顏をして突立つてゐるのだつた。しんはちよつと意外な氣持がして、同時にまたをかしくなつて笑つた。息子はますます憂鬱に顏を曇らした。大きな男がまるで子供のやうに不貞腐れてゐるのを視ると、しんは、「まあ、まあ、そんなに怒るものぢやありませんよ」と云つた。すると一雄は悲しさうな聲で、「どうせお母さんなんかにはわからないのさ」と云つた。「僕がいくら眞面目に相談しても、茶化すことしか出來ないのだもの」と一雄は怕い眼でしんを睥み出した。「おや、さうかい。何か相談があつたのかい。ちよつとも知らなかつたのだよ。それなら早く云へばいいのに、一體どうしたの」としんは心配になつて尋ねた。すると一雄は頑に口を噤んでしまつた。「どうしたのよ、何がいけないの」としんはまた優しく尋ねた。「わかつてらあ」と一雄は突慳貪に云つて、とつとと向ふへ行つてしまつた。

 息子が殘して行つた跫音が何時までもカタカタと緣側で鳴つた。しんは心配になつて、跫音を辿つて行つてみると、二階の階段の中途で息子の跫音はぱつたり止んでゐた。それでは、もしかすると、と思ふと、しんの胸は惡い豫感に襲はれて呼吸がはずんだ。やつと二階へ辿りついて、襖の隙間からそつと覗いてみると、一雄は元氣で本と相撲をとつてゐるのだつた。一雄が相手にしてゐる大きな書物は、本の癖に手足をもつてゐて、なかなか倒れない。一雄は餘程汗が出るとみえて、たうとう肌脱ぎになつて、手拭で鉢卷をした。それから奮然と本へ組みついて行つたが、海龜のやうな書物は、見る見るうちに一雄をばつたりと疊の上に倒してしまつた。一雄は元氣を失つて、顏が眞靑になつた。ひどいことをする奴だと、しんは口惜しくなつて、次の間へ飛込んで行つた。しんが一雄の頭を抱へて起さうとすると、一雄は蟲のやうな息をしてゐた。「どうしたのです。元氣を出しなさい」としんが云ふと、息子は細い眼を見開いて、「ああ、若しかつた」と呟いた。それから不審さうにあたりを見𢌞して、「さつき、ここに大きな龜がやつて來て僕をいぢめたのだが、何處に行つたのかしら」と云つた。しんも息子に氣をとられてゐて、さつきの書物の怪物のことを忘れてゐたが、氣がつくともうそれらしいものは見あたらなかつた。ただ、一雄の周圍にはいろんな書物が散亂してゐて、どたんばたんやつたらしい形跡が殘されてゐた。

 一雄はうつろな瞳孔を開いて、ぼんやり天井を眺めてゐるのだが、餘程さつきの海龜が怕かつたのだらう、まだ心臟がどきどきと、しんの膝の上に響いた。さうしてゐる息子の姿は段々、素直な顏になつて行くので、しんは嬉しかつた。額から眉のあたりがそつくり義造に似てゐて、頤や下唇は子供らしくつるりとしてゐたが、頰が病後のやうに瘦せてきて、産毛が侘しさうに生えてゐるのは、どうやら一雄ではなくて二郎のやうな氣がした。さう思ひ出すと、たしかその顏は二郎であつた。二郎は長い病ひですつかり窶れた靑年らしい瞳に、なほ生きることの希望を燃やしてゐるらしく、美しくキラキラ光る淚を湛へて、しんの顏を見上げてゐるのだが、さうされると何だかしんは自分が苛められてゐるやうに辛かつた。ところが幸なことに二郎は次第に元氣を恢復して行つた。やがてむつくりと立上ると、さつきしんに甘えてゐたのを今になつて恥ぢてゐるのか、しんの方へは顏を外けたまま机の前の座蒲團に坐つた。それからあたりに散亂してゐる書物を兩手で寄せ集めると机の上に積み重ねて行つた。まるで橫木細工をしてゐるやうに書物の山は段々高くなつて行つたが、土臺の方が弱つてゐるために、ぐらぐらと左右に少しつつ搖れてゐるのだつた。それを二郎はまだ氣がつかないのか、無造作に後から後から積重ねて行く。しんは注意してやりたくなつたが、ああして折角獨りでいい機嫌で遊んでゐるものを、餘計なことを云つて怒らすにもあたるまいと、我慢してゐた。ふと本棚の方を見ると、壁の隅の薄暗い處から何かのこのこ這ひ出さうとしてゐるので、しんはまたさつきの海龜ではないかと冷やりとした。が、靜かに音もなく立上つて出て來たのは、三郎の友達だつたのでまづ安心した。

 ところが、第一、二郎のところへ弟の友達が來るのも變だし、あんな處から這ひ出て來るのも怪しげだつたが、その友達は大きなペン軸を槍のやうに右手に抱へて、壁に映る影は細長い蜂のやうだつた。その友達は足音を祕めて、二郎の後へ近づいて行くので、これは怪しからぬと、しんが一聲叫ばうとした時、もうペン軸の先で机の上の書物に一擊を與へてしまつた。ガラガラガラと書物は崩れ落ち、それに和して窓のすぐ外で三郎の友達が五六人一齊に歡聲をあげて顏を覗かせた。ほつとして今氣がついたらしいのは三郎だつた。三郎は口惜しさに靑ざめ、ガタガタ手足を慄はせながら、窓の方を睥み返してゐたが、もうその時には友達は逃げてしまつたらしく、遠くでげらげら笑つてゐる聲が響いた。口惜しさは三郎の頭の芯を打つたのか、眼がぢいつと据つてしまひ、あんまり殺氣立つてゐるのでもう何にも見えないらしく、頭髮から茫と白い湯氣さへ立つてゐた。暫くすると三郎は何か手探るやうにして本棚の方へ近寄つて行つたが、抽匣から手斧を取出すと、やにはにあたりに散つてゐる書物を割り出した。三郎は薪を割るやうな恰好で斧を振上げ振下すのだが、書物が割れる度にパツパツと火花が散つた。呼吸をもつがずやつてゐるのは餘程口惜しさの餘りだらうが、あんなに弱い身體の癖に、あんまり無茶をやつてくれなきやよいがと、しんははらはらして留めるすべもなかつた。[やぶちゃん注:「抽匣」「ひきだし」。]

 そのうちに三郎は到頭ふらふらになつて倒れてしまつたが、まだ口惜しさが殘つてゐるのか、倒れたままも地蹈鞴を蹈むやうなつもりで、足をバタバタやつてゐた。はだかつた懷から鳩尾の凹みがみえ、その凹みには膏汗が貯まつて、薄い煙を發してゐた。あんなにひどく怒つては今に死んでしまふだらうに、どうして平靜になれないのかしらと、しんは疊の上に落ちてゐた厚紙で遠くからそろそろ煽いでやつた。すると多少人心地がついたのか、三郎はぱつと眼を見開いた。「あんまり怒るものぢやないよ」としんが宥めると、三郎は不思議に淚ぐみ出した。「お前のやうに何でも彼でも一々本氣にとりあはうものなら腹も立つだらうが、世間には腹を立てるのが馬鹿馬鹿しい程腹の立つことだつてざらにある。お前がそんなものに一々腹を立てるなら、それこそ相手の望むところで、馬鹿をみるのはお前一人だよ」と、しんが云ひ聞かせてゐるうちに、三郎の顏は段々赤ん坊らしくなつて來た。赤ん坊になつてしまつてからも、三郎はまだ時々噦るやうに呼吸をするので、しんは兩手に抱き上げて、口に乳房を含ませてやつた。

[やぶちゃん注:「地蹈鞴を蹈んで」「地蹈鞴」の「蹈」は底本の用字(但し、後の「蹈んで」は底本では「踏んで」)。「地蹈鞴」は「ぢだたら」で鞴(ふいご)を頻りに踏むことから、「地団駄(じだんだ)を踏む」、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むの意と同義。「噦る」「さくる」或いは「しやくる(しゃくる)」と読み、しゃっくりをする、或いは、しゃくりあげて泣く、の意。]

 すると、三郎は咽喉が乾いてゐたとみえて、夢中で乳豆をしやぶり出すのだつた。しんは三郎の鼻翼に出てゐる汗をそつと拭き除つてやりながら、厚紙で襟の邊へ風を入れてやると、三郎はすつかり安靜になつたらしく、すやすやと陸り出した。三郎はまだ乳房を離さなかつたので、しんは暫くぼんやりと坐つてゐた。三郎は時々、乳の出の惡い乳豆を無理に吸はうとして、ちゆるちゆると膚を鳴らしてゐたが、突然、がくりと乳豆に嚙みついた。「痛いよう」と、しんがびつくりして悲鳴をあげ、三郎を押返けようとすると、乳豆に嚙みついてゐるのは死んだ娘の芳枝だつた。今も死んでゐるのか、蠅のやうな頭をして、大きな丸髷ばかりが艷々と黑かつた。

 きやつと叫んで、しんは逸散に逃げ出した。どこをどう逃げて行つたのか、何時の間にやら、階下の緣側まで來てゐたが、其處でまたばつたりと芳枝に出逢つた。しんは到頭、觀念して、ぺつたりと緣側に坐り、念佛とともにガタガタ傑慄へた。ところが芳枝はさつきからしんの肩を搖さぶりながら、頻りに心配さうな聲で、「お母さん、お母さん」と呼んでゐるらしい。しんは眼を塞いだまま、「ああ、おどろかさないでくれ」と絶え入るやうな聲で云つた。「何を云つてるのよう。お母さん、しつかりして頂戴な」と云ふ聲がすぐ耳許でして、温かい息が首筋に觸れた。それでそつと薄眼を開いて見ると、どうやら相手は芳枝ではなく妙子らしかつた。「ああ、びつくりした。お前の顏が死んだ姉さんそつくりに見えたのだもの」さう云つてしんはまだ苦しさうな息をした。「私の方が吃驚するぢやないの。どうなさつたのかと思つてはらはらしてしまつたわ」と妙子は少し不平さうに云つた。「あんまり苦勞を重ねたせゐだよ」としんが詫びるやうに甘え心地で云つた。それから、しんはすつかり安堵して、却つて子供らしくなつた。「一緒に少し步いてみないか。晴々するよ」「まあ、もう氣分は大丈夫なのですか。をかしい」と妙子は笑ひながら、それでもしんの手を執るばかりにして、外へ出た。

 玄關を出ると、すぐ家の前にはアスフアルトを修繕するために變な車が置かれてゐて、その車から陽炎がぺらぺら昇つてゐた。大變、季節がいい證據には、街の上の空が靑く潤んでゐて、白壁からはみ出してゐる無花果の葉に透き徹る陽光があつた。しんの後から微風が吹いて來て、妙子の髮がふわふわと搖れた。しんは娘の髮が明るい光でみると赤茶けて煙つてゐるのを後から眺めながら步いた。ふと、妙子は振向いて、「お母さん、どこへいらつしやるの」と尋ねた。「お寺」としんは子供のやうな聲で答へた。すると娘はまるで母親のやうに分別顏で頷いた。その時、妙子の頭のすぐ二三間上を蝙蝠が一匹くるくる舞ひながら飛んで行つた。しんは娘に何だか置去りにされさうで不安になつたが、手を引いてくれと云ふのが遠慮だつた。向ふの角の疊屋のところから栗毛の馬を連れた洋服の男が現れた。馬の橫腹がピカピカ光つてゐて、おそろしく元氣がよささうだつた。惡いことには、さつき飛去つた蝙蝠がまた現れて來たかと思ふと、馬の鼻つらを掠めて飛んで行つた。パタン! とピストルを撃つやうな音がした。馬が暴れ出したのだつた。忽ち馬は四つの足で地面を蹴飛ばしながら、鬣を反らして、しんの方へ突進して來る。しんは周章てて果物屋の奧へ身を潛めたが、妙子を顧る暇がなかつた。その時、はつしゆ、はつしゆ、ぷるぷる、と、白いいきれと其赤な塊りが門口を掠めて過ぎ去つた。やがて蹄の音も遠のいたので、しんは恐る恐る往來を覗いた。

 ところが、何時の間に現れたのか三人の無賴漢が妙子の腕を拗ぢ上げて、今何處かへ連れ去らうとしてゐた。三人とも鼬のやうに後を見ながら、足はせかせかと步いてゐた。拗ぢ上げられてゐる妙子の白い腕は今にも折れさうに曲つてゐた。しんは泣聲で往來へ飛出すと、男達の後を追つて、「妙子を返せ、妙子を返せ!」と號んだ。男達は暫く困つたらしく立留まつて、しんを橫眼で眺めてゐたが、やがて何か策略が出來たのか、三人は突然お互にお叩頭をし合つて、「やあ、これは暫くでした」「ところで景氣は如何です」「いえ、何しろお互にワハハハ」と立話をし始めた。見ると何處へ隱してしまつたのか妙子の姿はなかつた。しんは一層嚇怒して、「妙子を返せ、妙子を返せ」と三人のまはりをぐるぐる喚き𢌞つた。男達は一向平氣で談笑を續けてゐたが、「あの女は何でせう」「さあ、この邊の氣違でせうな」「見たことのあるやうなキじるしですな」「何やら喚いてるやうですな」「なあに、亭主が欲しい、亭主が欲しいつて云ってるのでせうよ」三人は面白さうにじろじろと、しんを見物し出した。「その手は喰はぬぞ。ひとの娘を如何して隱した。さあ、妙子を返せ、妙子を返さぬか」と、しんは三人に喰ひついてやり度くなつた。[やぶちゃん注:「拗ぢ上げられて」またしても違う漢字であるが、これは普通に正しく「ねぢあけられて」と訓ずることが出来る。「嚇怒」「かくど」で激しく怒ること。激怒と同義。]

 その時後から、「お母さん、お母さん」と呼ぶ聲がしたので、振向くと、何時の間にか娘は元の姿で平氣さうに立つてゐる。「どこへ迷つてたの、隨分探したのに」と娘は脹れ面をした。「お前こそ、どこへ消えてたの」としんは嬉しさに息もつげなかつた。それから何度も娘の顏を見守つたが、たしかに妙子であつた。見るとさつきの三人連れは何時の間にか向うの方へぶらぶら步いて行くのだつたが、如何にも紳士らしく落着拂つて肩を竝べてゐた。「もうこれからは消えないでおくれよ」と、しんは娘と竝んで步きながら云つた。「何を云ふのよ。變なことばかり云つてお母さん駄目ぢやないの」と娘はつんと澄ましてゐた。そのうちに二人はお寺の門まで來てゐた。すると娘は急に忙しさうな顏をして、「後でお迎ひに來ますから一人でお説教聽いてゐらつしやい」と命令した。「お前も一緒にまゐつてはくれないのかい」「だつて、私はまだ洗濯もしなきやならぬし、縫物だつて貯つてゐるのですよ」さう云つたかと思ふともうとんとんと勝手な方向へ消えて行つてしまつた。

 しんはぼんやり立留まつて、躊躇してゐたが、やがて諦めてお寺の門を潛つて行つた。何時の間に改築されたのか、甃石がタイル張りになつてゐたし、正面の建物もまるで銀行のやうな扉があつた。石段を昇つて、しんが重たい扉の前でおどおどしてゐると、洋服を着た少年がいち早く扉を開けてくれた。内部はステンドグラスの天井から綠色の照明が落ちてゐて、金網で向ふが仕切られてゐた。金網の向ふには大きな時計や金庫らしいものがあつたが、「一錢也十錢也百圓也三錢也」と奇妙な聲や、時々、ヂヤラン、ヂヤランと樂器を打つやうな音がした。髮を綺麗に分けた男子達が、金網の向ふで絶えず動作を變へてゐた。しんがぼんやり呆氣にとられてゐると、守衞らしい男が側にやつて來て、「あなたはこちらです」と。一つの窓口へ連れて行つて呉れた。その窓口には二郎の中學の時受持の先生だつた男とそつくりの紳士がゐた。相手は萬事、呑込顏で丁寧にお叩頭をすると、「どなた樣でしたかしら。ほあ、左樣でゐらつしやいますか。その、ええ、この節は銀行もよく破産致しますので、成程、御尤で御心配に達ひありませんが、いや、なあに、今日とも知らず明日とも知らずと申しますのは人間の壽命のことでして、それだから、そもそも人間、貯蓄をなさらなきやならぬのです。おわかりになりましたか」[やぶちゃん注:「甃石」「しきいし」と訓じていよう。]

 さう云ひながら、頻りに眼球をパチパチ𢌞轉させて、机の上で蜜柑を剝いでゐた。やがて彼は蜜柑を一袋、自分の唇へ持つて行つて默つて味はつてゐたが、急いで指尖で別の一袋を摘むと、それをしんの唇許へ突出して、「一ついかがです、まことに結構な味で御座います」と、にやにや笑ひ出した。あんまり突然だつたので、しんが周章てて、その蜜柑の一袋を掌で拂除けると、袋はゴロゴロと床の上に落ちた。「ワハハハ、お氣にさはりましたか。こいつはどうも、ワハハハ、まあ奧さん、あのおつこちた蜜柑の恰好見てやつて下さい。こいつはどうも、ワハハハ」あんまり彼が大袈裟に笑ひ出したので、他の銀行員達も何事かと彼の周圍へ集まつて來た。そして何が何やら譯もわからぬ癖に忽ち笑ひが傳染して、床の上の蜜柑の袋を指差しては「ワハハハ、こいつはどうも」「ワハハハ、こいつほどうも」とてんでに腹を抱へて騷ぎ出した。

 そのうちにまた、ヂヤラン、ヂヤランと樂器を打つやうな音が響き亙ると、今迄無意味に騷ぎ𢌞つてゐた連中はあわてて奧の方へ逃げて行つた。すると天井の方から、牡丹に唐獅子を染めた幕がするすると降りて來て、しんは何だか自分の立つてゐる處がくるくる𢌞つて行くやうな氣持だつた。と、思ふと、パチパチパチと拍手が湧いて、しんの周圍はぎつしり人で滿ちてゐるのだつた。と、しんのすぐ橫には三郎がキヤラメルをしやぶりながら小學生の帽子を被り、片手を頻りにしんの手に繫いでゐた。再びヂヤラン、ヂヤランと樂器が鳴つて」幕が上ると、辮髮の支那服の男が六七人どかどかと現れた。と見ると、彼等は忽ち、ヤハチヨンと掛聲もろとも、宙返りを打つて、手に持つてゐる鐵の棒をお互にガチンと打ち合はせた。それからもう逆立やら宙返りやら呼吸をもつがぬ猛烈な立𢌞りが始まり、それにつれて奇妙な囃が一頻り鳴渡つた。遠くの方で、時々、ウオーと唸るライオンの聲や、ピシ、ピシと打つ鞭の音も聞えた。その雜音のなかには焰硝の臭ひや、筵埃が立籠め、人いきれでしんの耳は熱く火照つて來た。もう何を見てゐるのやら目の前のごたごたした景色もぼんやりして、しんは睡むたいやうな、うつとりした氣持でゐた。ふと、氣がつくと、何時の間にかさつきの曲藝は終つてゐて、今舞臺には三人の紳士が竝んで立つてゐた。紳士達は何か始めるらしく、神妙な顏つきをしてゐたが、どうも見憶えのある顏だと思つたら妙子を誘拐かさうとした連中だつた。しんは胸騷がして、氣色が惡くなつたので、人混みのなかを揉分け、ずんずん出口の方へ出て行つた。外へ出ると少し淸々した。もう夕方らしい光線であたりは黃色つぽく染められてゐた。高い櫓の上からクラリネツトの音が風にちぎられて飛んでゐて、自轉車屋の飾窓に赤い太陽が溢れてゐた。しんはその飾窓が眩しいので、橫の日蔭の小路へ這入らうとすると、そこには大變な人だかりで、今、何事かあるらしかつた。[やぶちゃん注:「それにつれて奇妙な囃が一頻り鳴渡つた」の「囃」は底本では「口」+「雑」の字体である。ブラウザで表記出来ないこと、この字は「囃」(はやし)の異体字であることから、特異的に「囃」で示した。「ヤハチヨン」中国語の掛け声のカタカナ音写と思われるが、不詳。「焰硝」「えんせう(えんしょう)」で有煙火薬の俗称。「筵埃」読み不詳。「むしろほこり」「むしろぼこり」か。莚(むしろ)をはたいた時の埃か。「誘拐かさう」「かどわかさう(かどわかそう)」。]

 近寄つてみると、一臺の空の荷馬車が放つてあつた。しんは何のことか解らないので、暫くぽかんとしてゐた。すると間もなく人垣を押分けて、荷馬車のところへ馬丁が現れた。馬丁は悠々と落着拂つて何か考へてゐるらしかつたが、「ところでえーと、君、君、ちよつとここへ來い」と、誰かを指差して差招いた。呼ばれて出て來たのは、意外にも妙子であつた。妙子は頭をうなだれた儘、兩方の掌でしつかりと袂の裾を握り締めてゐた。しんは周章てて荷馬車のところへ飛出し、「これは私の娘です。何か惡いことでもしたのですか」と性急に尋ねた。馬丁は胡散さうな眼でじろつとしんを見下し、「お前さんは引込んでろ」と命令した。それから默々と妙子を眺め𢌞してゐたが、「袂の裾を握るんぢやない」と一喝すると、妙子は電流に打たれたやうに兩手を袂から離した。しんは默つてゐられなくなつた。「何故、私の娘覽にそんな劍幕を振ふのか。あなたは一體誰だ」馬丁は輕く肩を聳かして、「譯は後で話す」と云つた。さう云つて今度は馬の腹へ近寄つて、馬具を直してゐたが、ふと妙子の方を振向いて、「ああん、いい加減に謝罪せんか」と云ふのであつた。妙子が相變らず默つた儘うつむいてゐると、馬丁はまた彼女の側に近寄り、「強情張ると君の爲にならんぞ」と妙子の肩を小衝いて、それから靜かな口調で話し出した。「なあ、君は第一、左側通行を守らなんだのがいけないのだ、それに我輩の馬車に衝き當つておいて默つて行過ぎるつて法もないのだ」「それ位のことにそんな難癖つけるのですか」と、しんは再び口を挿んだ。「引込んでろ。お前さんに云つてるのぢやない。ああん」と呶鳴つておいて、馬丁は馬車の上にどかりと胡座をかいて坐つた。[やぶちゃん注:「胡坐」「あぐら」。]

「大體そのう、その精神がよくないのぢや。我輩はお前さんの子供を知つとるが、どいつもこいつも氣に喰はん。あんなことで世間が渡れると思ちよるのか。ああん」と云ひながら、馬丁は何時の間にか德利を出して、ごくごくと酒を飮むのであつた。「世間と云ふものは團栗の丈競べぢやが、お前さんの産んだ息子は氣違茄子ぢや」と馬丁は大分醉ぱらつたとみえて、變てこなことをべらべら喋り出した。しんは息子の惡口を云はれるので腹が立ち、ぢつと馬丁を睥み、まるで章魚のやうな男だと肚のなかできめた。ところが、馬丁は急にぷつと口を閉ぢると、眼をまぢまぢさせて、肩を左右に搖り出した。てらてら光つてゐた顳顬の邊が段々窄つて、ギラギラ輝いてゐた眼も霞み、と思ふと、窄めて突出してゐた唇をぴよいと開いて、ちゆちゆと空氣を吸はうとした。それからその男の表情はどうも自分ながら合點が行かないらしく宙にさ迷つてゐたが、もう全くほんものの章魚になつてゐた。するとさつきまで荷馬車だと思つてゐたのが早速爼に變つてしまつた。[やぶちゃん注:「章魚」「たこ」(蛸)。「顳顬」「こめかみ」(蟀谷)。二箇所の「窄」は「すぼ(む)」と訓じていよう。「爼」「まないた」(俎)。]

 爼の上にぐにやりと倒れた大きな章魚を、今、頻りに白い手が現れて揉み出した。皿のまはりには割烹着を着た女達が集まつてキヤツキヤツと笑ひ出した。見ると一雄の嫁も、妙子もゐる。皆ががやがや云つて、てんでに働いてゐる。白い德利や、小鉢や皿がぐらぐら笑ひ、鍋からぼつぽと白い輪が出る。さうなると、しんもぼんやりしてゐられないので、しちりんに掛つてゐる豌豆を笊に移した。すると、しんの袂の橫から、何時の間にか孫達がやつて來て、筑の碗豆を摘み喰ひする。竃の下に燃えてゐる火からザザザザザと走つて行く兵隊の靴の音がする。と、思ふと誰かが蛤をガラガラ洗ひ、何處かで機關銃もパンパンパンと鳴り出す。ひひひん、と女中が馬の笑ひ聲を放つ。JOZKJOZE……JO タツクタカチテタ、トテチテタと喇叭が鳴る。ビユーウとサイレンが鳴る。しんはそれらの騷音にすつかり逆上せ、今、背伸して頭を上にあげた。すると、眼には薄暗い天井の天窓が映つたが、忽ち腦貧血とともに、身はふわと宙に浮び、天窓の外へするすると運び出された。[やぶちゃん注:「JOZKJOZE……JO」意味不詳。識者の御教授を乞う。「逆上せ」「のぼせ」。]

 しんが屋根の上に這ひ出してみると、不思議なことに、そこは何時の間にか宴會場になつてゐるのだつた。紋附を着た男や女が、てんでに瓦の上に坐つて、御馳走を摘んでゐた。どれもこれもしんの内輪の人ばかりだつたし、第一すぐ頭の上に靑空があつて見晴しがいいせゐか、皆晴々とした顏であつた。見ると向ふの煙突には義造の寫眞が吊されてあつた。皆は空に浮ぶ白雲を眺めながら、悠々と酒を飮むのであつた。やがて、叔父が立上つて、「今日は義造さんの十七囘忌でほんとに結構なことです。それにこんなに皆が揃へて愉快この上ありません」と演舌し出した。「それにつけても、つけましても、とにかく、しんさんの偉大さは偉大なものです」すると皆がパチパチと拍手をした。その時、屋根の下にゐた鷄が、「お母さん、萬歳」と啼いた。皆は面白がつてまた拍手をした。そこで、しんは立上つて皆に晴々と挨拶をした。

「有難う、有難う。何も私がそんなに偉いのではありません。私はただ一羽の鳥ですよ。お父さんだつて一羽の鳥です。さうして皆さんもやつぱし終には鳥になられます。それ御覽なさい」と、しんが指差す義造の寫眞は、ぱつと眞白な鳥になつたかと思ふと、靑空へ飛んで行つた。おやおやおや、と皆が驚いてゐると、「私も飛んで行きますから、皆さんも後から來て下さい」と、しんが云ひ、さう云つたと同時に、しんはもう一羽の鳥になつて、義造の後を追つて行つた。あらあらあら、と皆は呆氣にとらはれながら、一人づつ、忽ち鳥となつては、ばたばたと飛んで行くのであつた。

 

2017/12/30

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 行列



[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「行列」は昭和一一(一九三六)年九月号『三田文學』に発表されたものである。「死と夢」では第三篇目に配されてあるが、実は「死と夢」群全十篇の中では、初出は最も古い一篇である。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、例によって、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。なお、幸い、この「行列」一篇に関しては、「広島文学館」公式サイト内の「文学資料データベース」に、同底本を電子化したベタ・データが既にあるため、それを加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる(但し、かなり長い脱文や誤字・表記ミスが複数箇所存在する)。

 一部の段落末に注を附した。【2017年12月30日 藪野直史】]

 

 

 行列

 

 あんまり色彩のない家々と道路が文彦の眼の前にあつた。それでも、太い電信棒の頭には飴色の光線が紛れ込んでゐて、二月の靑空は奇妙に明るかつた。人物の影や形が少し靑みを帶びた空氣のなかに凍てたまま動いてゐた。金粉を塗つた竜の首や、靑銅色の蓮の葉や、葬式に使ふ、いろいろの道具が賑やかに路上を占めてゐた。そこに立留つて見物してゐる人間は、溷濁した表情で、靜かに時間が來るのを待つてゐるのだつた。近所のおかみさんの顏や、通りがかりの年寄の顏がそのなかにあつた。顏が控目に文彦の家を覗いてゐた。[やぶちゃん注:「溷濁」「こんだく」。混濁に同じい。意識がぼんやりしているさまを言う。]

 文彦は路上から自分の家の二階を見上げた。軒の天井に燕の空巢が白く見え、乾大根を吊した繩が緩んでずりさがつてゐた。昨夜、あそこの窓には白々と燈があり、烈風が電線を唸らせて通つて行つた。夏の宵にはあの軒に蝙蝠が衝き當るのだつた。文彦には知りすぎるほど知つてゐる場所の一つだつた。ふと、文彦の眼は玄關の格子戸に貼られた、忌中といふ文字に留まつた。たしか、叔父の筆蹟らしく、勢のいい文字が薄墨で滲み、悲しみを添へてゐた。その時、開放たれた戸口から、紋附を着た叔父の顏が覗き、何氣なしに往來を眺めた。文彦はあわてて帽子を脱ぎ、おじぎをしたが、叔父の眼鏡の反射は白くたつぷり光つて、何の反應もなかつた。やがて叔父はそのまま奧の方へ引込んでしまつた。

 文彦は玄關を潛り、鞄を放り出して、編上靴の紐を解き始めた。今放つた拍子に鞄のなかの辨當箱の箸が搖れて、ゴロゴロと音たてるのを聞きながら、彼はのそりと奧の方へ這入つて行つた。次の間の薄暗い女中部屋に、白木綿で覆はれた桶が、壁の方へ片寄せて置かれてゐた。覆ひをめくつてみると、木の香も新しい棺桶であつた。文彦は指でピアノを彈つやうに蓋の上を彈いてみた。[やぶちゃん注:「彈つ」「うつ」。]

 次の間からは、障子や襖が取除かれて、屛風が張られてゐるので、薄暗い家も廣々とした感じであつた。線香の煙と、讀經の聲と、ひそひそ話と、疊の上を滑るやうにして步く白足袋の音と、低い天井の下には沈んだ空氣が立罩めてゐた。文彦は正面の柱時計を眺めた。三時二十分で、恰度彼が中學から歸つてくる時刻だつた。柱時計の下に立てられてゐる屛風は、虎の繪だつた。死んだ父が、幼い日の文彦に虎といふものを教へて呉れた屛風で、父が死んだ時も、たしか柱時計の下に立てられてゐたのを文彦は憶ひ出す。文彦が久振に見る屛風にみとれていると、すぐ眼の前に、大阪の叔母がやつて來た。四五年振りに見る、器量のいい、叔母の姿に、文彦はちらと頰を染めたが、叔母は風のやうに急いで臺所の方へ行くのだつた。

 文彦は緣側に出て、冷たい空氣にあたりながら、服の釦をはづして、あくびをした。見るともなしに庭を眺めると、日あたりの惡い軒の梅はまだ固い蕾のままだつた。冬休みに彼が物置から引張り出して、弄んだ、古い扇風機のエレキが、今も庭の隅に放つたままになつてゐた。文彦は輕い空腹を覺え、母を探すために座敷の方へ行つた。[やぶちゃん注:「扇風機のエレキ」電気扇風機の古物の謂いであろう。]

 八疊の間には床がのべられ、恰度今、人々は枕邊を取圍んで、ざわめいてゐた。文彦は靜かに人々の後から死人の樣子を覗いてみた。文彦の母の指が、顏の上に被さつた白い布をめくると、その下に文彦の死顏があつた。白蠟のやうな文彦の顏が現れると、人々はまた新しく泣き出した。唇のあたりに産毛が生え、顏に小皺がみえ、閉ぢてゐる目蓋が悲しさうな表情だつた。何處となしに、それは文彦の父の死顏と似てゐた。そのうちに、母は筆にコツプの水を含めて、死者の唇を濕した。文彦は唇が變に冷やりとした。筆は文彦の兄の手に渡された。兄の手はいくらか震へ、筆は鼻の下の方を撫でた。その次に妹が筆を執つた。幼い妹は習字でもするつもりで、文彦の唇を重たく抑へた。それから叔父の番であつた。叔父は輕く文彦の唇を撫でた。筆は大阪の叔母に渡された。見れば、叔母の睫毛にも露が光つてゐた。文彦も自然に淚が浮んだ。その時、叔母は輕く筆をやつて、すぐに次の人に渡した。

 文彦は枕邊を離れて、佛壇の前に行つてみた。晝ながら賑やかに燈が點けられて、いろんな御供ものが上げられてゐた。その燦爛と輝く金色の小さな欄杆を眺めてゐると、文彦は二階が氣になつた。階段を昇り、二階の勉強部屋へ入つてみた。何時の間にか、文彦の机や書物は隅の方へ取片づけられ、そこで女達が着物を着替へたらしく、茣蓙の上にしどけない衣裳の拔殼があつた。それでも壁の方には、黑リボンをつけた、文彦の寫眞が貼られてあつた。この正月撮つた寫眞だが、何かに脅されて、ビクついてゐるやうな顏を見ると、文彦は自分ながら厭な氣持がした。往來に面した方の窓から下を覗いてみると、やはり、路には葬式屋が屯してゐた。さつきより、大分人數が增えたのは、いよいよ參列の人も揃つたのかもしれなかつた。[やぶちゃん注:「屯」「たむろ」。]

 モーニングを着て、山高帽を被つた男が、ひよいと文彦の窓の方を見上げた。受持の山田先生だつた。先生のまはりには廿人ばかりもクラスの生徒がゐた。文彦はちよつと意外な氣持がした。クラスでは除け者にされ、何時も冷笑されてゐたので吞込めないことであつた。それにしても、山田先生の何時もの愁はしげな顏はかういふ場所に應はしかつた。先生の陰に、白い齒を剝出してゐる生徒があつた。やまり生徒達は普段と變りなく笑つてゐるらしかつた。小學校で同級だつた、二三の女學生が映つた。これも意外なことであつた。そのなかの一人は、嘗て文彦が草履を盜まれて困つてゐた際に、何氣なしに革の草履を彼の足許へ差出して呉れた生徒だつた。その草履の緒には赤いきれが目じるしに着けてあつた。文彦はその女學生の襟首に眼を注いだ。白い固さうな襟をきちんと揃へて、大變眞面目さうな顏つきだつた。文彦はまた意外な人物を發見した。鳥打を被つて、襟卷をしてゐるその靑年は、彼が學校を怠けて、郊外をぶらぶら步いてゐる時など、きつと後からやつて來て、「先生につげ口してやるぞ」と脅すので、文彦は一度も相手にしなかつたのだつた。

 文彦は顏を引込めると、今度は別の窓から違つた方向を眺めた。その窓の方には、ところどころ禿げた山脈が遠くに見え、少し近くに黑くこんもりした小さな山があつた。その小さな山で、文彦は今日一日、學校へ行かず、怠けて暮らしたのだつた。山は文彦をよく知り拔いてゐるやうな表情であつた。文彦は暫くその山を視凝めて、さつきまでの生活を考へてみた。今日、山の枯草の上で辨當を食べたり、遠くに見える海を眺めて、日向ぼつこをしてゐたのは、みんなたしかなことだつた。しかし、どうも階下の樣子が氣になつて、また薄暗い階段をドシンドシンと降りて行くと、座敷には何時の間にか、棺桶が運ばれてゐた。

 今、掛布團がめくられて、白い帷子を着た文彦の死骸を、叔父と母とで抱へ起さうとしてゐるところだつた。餘程、死骸は重たくなつてゐるものとみえて、どうかすると、二人の手を滑り拔けようとした。がくりがくりと死骸が反抗する度に、文彦は何か苛立たしく、同時に愉快でもあつた。白い道化た衣裳を着せられて、硬直してゐる姿は、哀れつぽいと云ふよりも滑稽だつた。ところが死骸が愈々抱へ上げられて、棺桶へ入らうとする時、幼い妹は恐怖のため、わーつと泣き出した。すると、また新たな悲しみをそそられたらしく、母や叔母はひきしぼるやうな泣き聲を放つた。文彦は叔母がそんなにまで泣くとは思ひ掛けなかつたことで、やはり彼も一同の悲嘆につり込まれて、しくしく淚を啜り出した。しかし、死骸は母の手を離されたため、額が棺桶の緣に前屈みに伏さつてゐるので、文彦は額のあたりが疼くのを感じ、叔父の帶の間から洩れて來る、懷中時計のチクチクといふ響を聽いた。間もなく、叔父が文彦の額の位置を直し出した。叔父は文彦の兩手を揃へて、膝の上で合掌させると、數珠を嵌めてしまつた。それで死骸が今は窮屈な姿勢に固定し、何か大へん恨みを持つてゐるやうな容顏だつた。

 死骸は今にも飛起きて、暴れ出しさうだつた。その時、棺桶の片隅へ、叔父は黑い風呂敷包を挿入れた。文彦は何が包んであるのか氣になつたが、そのためにか、死骸に閃いた不穩な氣配は、暫く收まつて行つた。すると、叔父は桶に蓋をしてしまつた。その時、軒の廂に何の鳥か綺麗な小鳥がやつて來て、チヤチヤチヤと啼き出したので、一同の視線はふと期せずしてその方へ奪はれた。

 「文彦はもう鳥になつてしまひました」と母は眞顏で呟き、皆も靜かに息を潛めた。けれども、無心な小鳥はそのまま何處かへ行つてしまつたので、また作業は續けられて行つた。叔父は金槌でコンコンと桶に釘を打ち込んだ。文彦はもう棺桶の内部を視ることが出來なかつたが、幽閉された闇に屈む死骸は、金槌の音で脊柱が搖らぎ、烈しく身悶えしてゐるらしかつた。ところが、人々の顏には、ほんの微かではあるが、何か晴々した表情が閃き始めた。母はハンケチを持出して、さつきからの淚を拭ひ、熱くなつた眼球を冷たい空氣にあてながら爽やかな氣分になつて行くらしかつた。叔母はもう間もなく往來へ出ることを豫想して、ハンドバツクを開けて顏をつくろひ始めた。皆は、ともかく一段落ついたやうな顏で席をはづし出したが、叔父ばかりは態と落着き拂つて、釘の頭を丁寧に打込まなければ氣が濟まないらしかつた。最初に現れた、人々の冷淡さに、文彦は何か殘念で耐らない氣持をそそられた。そして、叔父が態と餘計な事に念を入れてゐるのを見ると、一層癪に觸るのだつた。

「叔父さん」と文彦は後から聲を掛けた。「僕はまだこんなにピンピンしてるんだよ」と文彦は、釘を打つてゐる方の叔父の腕をおづおづと把へた。だが、その聲はどうしても叔父の耳には入らない樣子だつた。文彦は叔父が強情張つてゐるのだと思つた。

「やめてくれ、やめてくれ、僕の葬式の眞似なんか、まつ平だ」と今度は力一杯で抗議し出した。すると、叔父は始めて文彦に氣がついたらしく、凝と彼を睥み下したかと思ふと、はしと、金槌で文彦の頭を撲りつけた。文彦は眼から火の出るやうな痛みと、怒りで、今は幼い子供のやうに、わーつと泣き出してしまつた。そして、隣室の方の母のところへ駈けつけて行つた。

「叔父さんが撲つた、僕の額を撲つた。お母さんが惡いのだ、死にもしないのに葬式なんか出すからこんなことになるのだ」と文彦は精一杯、號泣しながら、疊の上で身悶えをつづけた。けれども母は文彦に氣づかないらしく、そそくさと喪服の襟を正してゐた。文彦はまた凝としてゐられなくなつた。

「やめてくれ、やめてくれ、僕は死んぢやゐないぢやないか。ほら、ここにゐるのがわからないのか。馬鹿、みんな馬鹿、みんなとぼけて僕を葬らうとするのか」と、今度は家のうちの誰彼なしに把へては喚いた。が、誰も彼の存在に氣づかないらしかつたので、次第に文彦は氣拔けがして來た。とうとう文彦は幼い妹にむかつて、「おい、云うてくれ、僕がわかるだろう。そら、この通り僕はここにゐる」と、空の辨當箱を妹の耳許で振り𢌞してみた。すると、妹の顏には、ほんの微か、何かを凝視する表情が現れたが、それも無駄であつた。妹は向ふの壁にある鏡で彼女の顏を見てゐるにすぎなかつた。[やぶちゃん注:「とうとう」はママ。歴史的仮名遣では「たうとう」が正しい。後の二箇所も同じ。]

 文彦はもう一度棺桶をたしかめてみようと思つて、座敷へ引返した。すると、もう棺桶は玄關の方へ運ばれてゐて、恰度、人夫が柩に入れて擔いで出るところだつた。人々は今、玄關からてんでに下駄を穿いて、外へ出て行つた。さつき脱いだ、編上靴がまだ其處にあつたので、文彦もあわてて靴の紐を結んだ。

 外ではもう一同が整列してゐて、先頭の列は今靜々と步き出した。それはまるで始めから定められた秩序を着實に行つてゐるやうな落着を持つてゐた。もう先頭は文彦の家から半町あまり離れたところにゐた。道の兩側や、家々の戸口から人が立竝んで靜かに見物してゐた。先頭は恰度四つ角の交番のあたりを通つてゐたが、交番の巡査も暫く葬式の列にみとれてゐるのだつた。誰もこの葬式に疑ひをさしはさむものはなささうだつた。今、西の空から投げかける夕方の光線を、龍の首は正面に受け、それは西の方へむかつて進んで行くのだつた。蓮の花を持つた男や、三方を抱へた男が、默々と續いた。みんな、西の方を指して進み始めた。西の街はづれには火葬場があつた。

 文彦は列の外側から、ずんずん先頭の方へ進んで行つたが、ふと、花輪があるのに氣づいた。「北村文彦の靈前に」と、どういふ積りなのか、彼の名前が態々白布に誌るされて、花輪に吊されてある。文彦はそれを見ると、また氣がくしやくしやして、花輪を支げてゐる男の側に近寄つて行つた。[やぶちゃん注:「支げて」「ささげて」と訓じているらしい。支えて。]

「そんな花輪やめてくれ」と、花輪を奪ひ獲らうと、手を伸した。すると、相手は穩やかに手を振つて、文彦の手を拂ひ退けてしまつた。ほんとに文彦に氣づいて、花輪を守つたかどうか疑はしい動作であつたが、その男の肘の力は、なかなかものものしいことがわかつたので、文彦は暫く途方に暮れた。見ると、すぐ側に、俥に乘つた坊さんがゐた。それは文彦の家にもよく出入りする坊さんなので、文彦も知らない人ではなかつたが、今、美しい法衣を着て悠然と俥上にゐるのを見ると、文彦はまた癪に觸つた。

「やめてくれ、やめてくれ。こんな無茶な葬式出ささないぞ」と、文彦は車の轅を把へて呶鳴り出した。が、坊さんはただ面白さうに、にやにや笑つて、とりあはうともしないのであつた。それで文彦の方でも次第に氣勢がだれて來た。[やぶちゃん注:「轅」「ながえ」。長柄。]

 文彦は暫く路上に立止まつてぼんやりしてゐるうちに、行列はずんずん進んで、もう母も兄も妹も、彼の側を通り過ぎてしまつた。恰度、彼が氣づいた時には、叔父が側を通りかかるところだつた。さつきも金槌で顏を撲られたので、文彦は多少躊躇したが、やはり思ひ切つて、叔父の側にとり縋つた。

「ねえ、叔父さん、僕はもう喧嘩腰でものは云はないから、まあ聞いて下さい。僕はそら、この通りピンピン生きてるのに、どうして皆は僕を死んだことにして、葬式なんか出すのか、その譯が教へてもらへないでせうか」

 叔父は依然として不機嫌さうな顏で、

「死んだものは死んだ。だから葬式出すのだ」と云つたきり相手にしてくれなかつた。文彦はまた口惜しかったが、すぐに氣を取り直して、行過ぎた母を追つて訴えた。

「お母さん、僕を、この生きてる方の僕をよく見て下さい。僕がわからないとはお母さんもよつぽどどうかしてゐるのです。ね、わかるでせう」すると母は不思議さうに、文彦を視凝めてゐたが、ふと、

「おや、文彦だね、迷ってるのだね」と、おろおろ聲で云ふと、早くもハンケチを眼の緣に當てた。

「お母さんこそ迷つてるのだ。ひどいよ、ひどいよ、あんまり人を無視したやり方だ」と文彦は母の側で地蹈鞴を蹈んで喚きながら、母の袂を把へて行かすまいと試みた。ところが母は、ますます文彦の存在を無視するばかりで、「可哀相に、まだ迷つてるのかい。南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛」と、泣きながら念佛を唱へるので、手の下しやうがなかつた。文彦は今度は兄をとらへて談判してみた。[やぶちゃん注:「地蹈鞴を蹈んで」「地蹈鞴」は「ぢだたら」で鞴(ふいご)を頻りに踏むことから、「地団駄(じだんだ)を踏む」、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むの意と同義。]

「兄さん、兄さん、僕が誰だかわかるだらう。わかるなら返事をしてみてくれないか」兄は默つて頷いた。

「そら、わかるなら、何故葬式なんか出すのか、一つ君の考へを聞かせてもらひたいね」

 すると、兄は、「そんなこと知らないよ」と云つて、そつぽを向いてしまつた。

「知らないつて、現に生きてゐる僕の身の上になつてみてくれよ。何と云つてもこれは變ぢやないか」と文彦はまた尋ねた。

「いや、そんなこともあるかも知れないね。一體この世の中で變でないものはない」と、兄は冗談とも本氣ともつかない顏つきで、文彦を視凝め、「まあ、短氣を起こすなよ」と云ふのであつた。文彦は困惑して、暫く立留つてゐる隙に葬式の列はずんずん前へ進んで行つた。それで彼もまた、ちよこちよこと忙しげに列の脇を追つて行つたが、今は誰を相手に話しかけようとしてゐるのやら見當がつかなかつた。

 ふと、行列は電車通りを橫切るので、一度留まつた。氣がつくと、文彦の橫に、山田先生がゐるのであつた。文彦は何か先生の方で云ひ出しはすまいかと、暫くもぢもぢしてゐた。しかし先生は相變らず、もの靜かな顏で何も見てゐないやうな態度であつた。文彦はさつき迄、暴れ𢌞つたのがふと氣恥かしくなつた。平素はおとなしい、火の消えたやうな無口の文彦が到頭飛込むところまで飛込んだのだつた。彼は山田先生の方へ一步、步み依ると、思ひきつて口をきいた。

「先生、僕です。何故こんな無茶をみんなはするのでせう」すると、山田先生は文彦を多少憐むやうな顏つきで、

「それは君にわかつてゐるだらう」と云つた。恰度その時電車が通り過ぎたので、列はぞろぞろと進み出した。先生のまはりにゐたクラスの生徒達は今までぺちやくちや喋つてゐたが、ふと一人が文彦の姿を認めると、

「やあ、あそこに北村がゐらあ」と騷ぎ出した。

「やあ、やあ、やあ、北村の幽靈か」と、皆は遽かに活氣づいて、嬉しさうに囃し出した。

「生きてた時から、まるで幽靈のやうな野郎だつたもの。ハハハ、こいつは面白い」と、惡童の一人は、くるりと文彦の方へ向きかはると、擧手の敬禮をした。皆は一勢に口を開けて笑ひ出した。

「幽靈閣下に敬禮」と、またさつきの生徒は敬禮をした。文彦は恨めしさうに皆の惡口を見守つてゐたが、ふと我慢がならなくなつて、「默れ」と叫んだ。すると、二三秒、皆は吃驚したやうに沈默したが、忽ち一人の皮肉屋が云つた。

「やあ、幽靈が口をきいたぞ。古今未曾有だな」さうして、皆は再び騷然とした。文彦は今にも泣き出しさうな顏で口惜しさを堪へた。「靜肅にし給へ」と、その時、山田先生が皆を叱つた。皆はそれでも、じろじろと、列から顏を離しては、文彦の方へ輕蔑の視線を投げた。とうとう文彦は路上に立留つて、暫く皆の通過するまで待つた。さうしてゐるうちに、列は次第にしんがりの方になつて來て、文彦の小學時代の友達などの顏がちらほら見えた。が、彼等は文彦に遠慮してか、顏を外けて通り過ぎた。そして、とうとう最後になつた。一番しんがりには、文彦の家に永く働いてゐる老女が、普段着のまま列から大分後れ勝ちに步いてゐた。そこには、とりのこされた安らけさがあつた。

 老女は文彦を認めると、別に驚きもせず、口をきいた。

「なかなか賑やかな葬式で御座います」文彦は老女と竝んで步き出した。「しかし、これは誰の葬式なのかしら」と、彼はもう興奮しないで話すことが出來た。

「それは、あなたのお葬式なので御座いますよ」文彦はこの老女とこれまで殆んど口をきいたことがなかつたが、今は不思議に彼女の云ふことがしんみりと聞けた。

「それで僕はどうなるのかしら」

 老女は暫く默つてゐたが、「あなたは葬られるので御座いますよ」と答へた。

「葬られると、僕は滅びるのかしら」

「ええ、勿論で御座います」

「でも、僕はまだピンピン生きてるではないか」

「いいえ、あなたはあの柩のなかに收められてゐます」

「ぢやあ、ここにゐるのは誰なのかしら」

「それはあなたの拔け殼で御座いますよ」

 文彦は暫く默つて步いてゐたが、默つてゐるのが次第に怕くなつた。

「不思議だね、僕はずつと昔、子供の時、自分が死んで、葬式を出される夢をみたことがあるんだが、その時も自分で自分の葬式に從いて步いたり、皆が泣けば僕も泣いたのだつた」

 老女はちらつと若やいだ顏をして文彦を視凝めた。

「ああ、そんな夢なら、私もずつと以前にみたことが御座います」

「しかし、あれは夢でよかつた、が、今度は、今度は……」と、文彦はガタガタ戰きながら啜り泣いた。

「いいえ、今度だつて、まあまあ夢のやうなものですよ、觀念なさいませ」と、老女は靜かに文彦を宥めた。暫くして文彦は泣き歇むとまた口をきいた。

「僕は何度も普段から、死にたい、一そのこと一思ひに死んでしまひたいと思つてはゐた。しかし、かう云ふ變な目に遇はうとはまるで考へてゐなかつた」

「ええ、あなたは段々諦めが出來てまゐりました。さあ、もう二つ目の橋にまゐりましたから、燒場も間もなくです」と老女は靜かに向ふを指差した。恰度、橋の中程を文彦は步いてゐた。向岸の家々からは夕方の支度をするらしい煙が幾條も立昇つてゐた。その少し川上の方の、枯木のなかに、大きな赤煉瓦の煙突が高く聳えてゐた。今も、薄い微かな煙が昇つてゐて、その上の空を鴉が四五羽、頻りに舞つてゐた。

「ほんとに、これは夢であつてくれないかなあ」と文彦は絶望して呟いた。

「ええ、さうした嘆きなら、誰だつて何時も抱いてをりますとも」老女もそつと溜息をついた。

「ぢやあ、やつぱり僕はほんとに燒かれてしまふのかね」老女は默つて頷いた。

「さうか、僕は子供の時、地獄の鬼が赤い車を牽いて迎へに來る夢をみたことがあるが、やつぱし燒かれた後ではあんな赤い車が迎へに來るのかね」老女は何も返事しなかつた。列はもう橋を渡つて、堤にさしかかつた。

「そら、あなたは大分前、夏に伯母さんの葬式に行つたことがあるでせう。あの時この邊に葦簾が張つて御座いました」と老女は云つた。その邊には二三軒飮食店が竝んでゐた。

「さうだつた。この邊に置座が出てゐて、ラムネやサイダがバケツに浸けてあつた。この邊は夕涼みの場所なのだらうね」

「あの時のお葬式は途中で大變な雷が鳴りました」

「あ、さうだつたね。みんなびしよ濡れになつて歸つたもの」

「今日のお葬式は恰度いい天氣で幸で御座います」氣がつくと、むかふの方の空が美しい夕燒であつた。それはもう春のやうに明るい雲の加減であつた。文彦はふと、また溜息をついて呟いた。

「ああ、もう一度、川の堤で土筆を摘んでみたい」

 すると、老女は頑に頭を振つて云つた。「もうそんなことはおつしやいますな」

 燒場の石の門が見えて來た。行列の先頭の方はもう靜々と其處を潛つてゐた。文彦と老女は暫く默つたまま步いてゐたが、そのうち二人とも石の門へ來た。空地に今、會葬者が參列してゐた。正面の寂れた丈の高い建物は、かなり急な勾配の屋根で地面に迫つてゐた。その屋根の下に、白い壁や、太い柱や、祭壇らしいものが見えた。蠟燭の灯が燃えてゐた。文彦の柩はその前にあつた。柩の兩脇に、花輪や、龍の首や、造花などが、とりどりに置かれた。左右の椅子には母や兄や親戚の者が腰を下してゐた。一般の會葬者は一塊りになつて空地に立つてゐた。文彦と老女は一番端の方から、遠くの祭壇を眺めた。椅子にかけてゐる母は今頻りにハンケチを出して眼を拭ひ出した。ふと文彦は兄の席に目をやつた。あの隣の椅子に文彦は嘗て腰掛けたことのあるのを憶ひ出した。

 次第に人々の影は暮色に包まれて濁つて行つた。坊さんは今、だみ聲で讀經をあげてゐた。今は何も彼も色の褪せた寫眞のやうな氣持がして、父が死んだ時のうつろな悲しみと似てゐた。文彦はふと別のことを思ひ出して老女に話しかけた。

「あ、僕はうつかりしてた。今日學校を怠けて山で遊んでゐたのだが、懷中時計を樹の枝に置いたままで忘れて歸つた。あとで拾つておいてくれないか」老女は默々と頷いた。

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