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カテゴリー「原民喜」の290件の記事

2018/03/13

原民喜 曲者 ―― 六十八回忌の祥月命日に

 

[やぶちゃん注:初出は底本(以下)の「編註」には『世界評論』に初出とあるが、掲載原資料は『未確認』としており、発行年月日も未詳である。底本は芳賀書店版「原民喜全集」第二巻(昭和四一(一九六六)年刊)を元にしている。この初出誌とされる『世界評論』はよく判らないのだが、国立国会図書館の書誌データによれば、東京の世界評論社発行で、昭和二一(一九四六)年二月に創刊しており、昭和二五(一九五〇)年五月に第五巻第四号で休刊していることが判った。因みに、原民喜は昭和二六(一九五一)年三月十三日の午後十一時三十一分、吉祥寺・荻窪間の鉄路に身を横たえて自死した

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「夏の花」の後の「拾遺作品集Ⅱ」のパートに配してある)、以上の書誌データ及び底本の配置から、本作の発表は明らかに敗戦後であることが判るが、歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今まで通り、かく処理した。本文中の段落の頭にある『☆』印は底本のママである。

 なお、本篇はその内容から見て、戦前の原民喜の作品のシュールレアリスティクな幻想的雰囲気が、ある意味、濃厚に感じられ、また、作中に「燈火管制」「戰鬪帽」「疎開荷造」と出るから、或いはもしかすると、戦中又は戦後すぐに書かれたもの(特に最終条はその臭いを漂わせてはいる)の可能性がかなりある、と私は秘かに感じてはいる

 本篇を、私は、原民喜の六十八回忌の祥月命日に公開することとする。【二〇一八年三月十三日 藪野直史】

 

 

 曲者

 

☆その男が私の前に坐つて何か話してゐるのだが、私は妙に脇腹のあたりが生溫かくなつて、だんだん視野が呆けてゆくのを覺える。例によつて例の如く、これは相手の術策が働いてゐるのだなと思ふ。私は内心非常に恥しく、まる裸にされて竦んでゐる哀れな女を頭に描いてゐた。そのまる裸の女を前にして、彼は小氣味よさうに笑つてゐるのである。急に私は憎惡がたぎり、石のやうに頑なものが身裡に隱されてゐるのを知る。しかし、眼の前にゐる相手は、相變らず何か喋りつづけてゐる。見ると彼の眼もかすかに淚がうるんでゐる。ところで、漸くこの時になつて私は相手が何を話してゐたかを了解した。ながながと彼が喋りつづけてゐるのは自慢話であつた。

☆わはつと笑つて、その男が面白げに振舞へば振舞ふほど、後に滑り殘される空虛の淵が私を困らせた。その淵にはどうやら彼の祕密が隱されてゐることに私は氣づいてゐたが、そこは彼も見せたくない筈だし、私も見たくない筈であつた。それにしても彼は絶えず私の注意を動搖させておかないといけないのだらうか、まるで狐の振る尻尾のやうに、その攪亂の技巧で以て私を疲勞させた。生暖かいものが疼くに隨つて、その淵に滑り墜ちさうになると、私ははつとして頓馬なことを口にしてゐた。すると、餌ものを覘ふ川獺の眼差がちらりと水槽の硝子の向に閃いてゐるのだつた。

☆私はその男と談話してゐる時、相手があんまり無感覺なので、どうやら心のうちで揉み手をしながら、相手の團子鼻など眺めてゐる。私を喜ばす機智の閃きもなく、私を寛がす感情のほつれも示さず、ただ單にいつもやつて來てはここに坐る退屈な相手だ。どうしたらこの空氣を轉換さすことが出來るかと、私は頻りに氣を揉んでゐるのだが、そんな時きまつて私は私の母親を思ひ出し、すると、私のなかに直かに母親の氣質が目覺め、ついつまらないことを喋つたりするのだ。待つてゐた、とこの時相手はぶつきら棒に私の腦天に痛擊を加へる。すると、私はひどく狼狽しながら、むつとして、何か奇妙に情なくなるのだつた。

☆私はそこの教室へ這入つて行くと、默りこくつて着席するのだが、這入つてゆく時の表情が、もうどうにもならぬ型に固定してしまつたらしい。はじめて、その教室に飛込んだ時、私は私といふ人間がもしかするとほかの人間達との接觸によつて何か新しい變化を生むかと期待してゐたのだが、どうも私といふ人間は何か冷やかな人を寄せつけない空氣を身につけてゐるのか、どんな宿命によつてかうまでギコチない非社交性を背負はされたのか、兎に角ひどく陰氣くさい顏をしてゐる證據に、誰も今では私を相手にしようとしないのである。皆はそつと私を私の席にとり殘しておいてくれるだけである。そこで私は机に俯向いた儘、自分の周圍に流れる空氣に背を向けてゐる。私は目には見えない貝殼で包まれた一つの頑な牡蠣であらうか。すぐそのまはりを流れてゐる靜かな會話や娯しげな笑聲や、つまり友情といふものの溫氣さへ――まるで、ここへはてんで寄りつくことを拒まれてゐるやうに、凝と無性に何か我慢してゐるらしいのである。

☆その男は私の部屋にやつて來て、長い脚を伸して橫になつてゐる。時々、鼻でボコボコといふ大きな息をしたり、あーいと、湯上りのやうな曖昧な欠伸をしてゐる。さうかと思ふと、間の拔けた聲で流行歌を歌ひ出す。私は大きな棒が一本ここに轉がり込んだやうに面喰らひながら、だんだん不機嫌にされる。何時になつたら腰をあげるつもりなのだらうと焦々する。この男と暮してゐたのでは、こちらまで氣持が墮れてしまふし、私は私の時間が浪費されるのをじつと恨みながら、我慢しなきやならないのか。こんな相手は御免だと思ひながら、いつもいつもこんな目に遇はされてゐるので、さうすると、私はもう一生を空費してしまつたもののやうに、茫として、とりかへしのつかぬ思ひに身は痛くなるのだ。そして、今、彼の方を見れば、相手は牛のやうに部屋の隅で假睡してゐるのだつた。

☆その人に久振りに過つた私は、すぐ暇を乞ふつもりでゐたところ、その人はじつに私をうまうまと把へてしまつたのである。日は暮れ燈火管制の街は暗く、歸りを急ぐ心は頻りなのに、「まあもう一寸」とその人はゆるやかなオーバーを着込んだまま娯しさうな顏をしてゐるのである。電車やバスに搖られて、混み合ふ中だから、話もとぎれとぎれしか出來ないのに、さうして、廣い會場に連れて行かれると、ここではなほさら人が騷いでゐて話も碌に出來ないのに、その人はどの人とも巧みに二こと三こと冗談を云ひ合つたり、私が置てけぼりになりさうなのをちやんと心得てゐて一寸側に戾つて來たりする。そして、だらだらと粘強いこの人の親和的な辯舌を聞いてゐると、私は例の曲者を私のうちに意識する。一體この人のどこからああ果てしない糸のあやは流れ出、その綾に私はつつまれてゐるのだらうか。隨分昔からの交際ではあるが、今更ふしぎになつてもくるのだ。「もう遲いから失禮しますよ」と電車の中で私が時計を取出すと、「なあにまだ早いさ」と云つて、その人も懷中時計を出したが、その時計は停つてゐた。「この時計も、古いのだなあ、君も知つてゐるだらう」とその人は時計を見つめながら何か昔のことを喋り出したが、あたりの雜音にかき消されてしまつた。――翌日、私は勤め先でどうも私のものごしに、人に對して親和的な調子が溢れさうになるのを、どうすることもできなかつた。あの人の調子がずるずるとまだ私に働いてゐるのであつた。

☆私はその女を雇つてゐたため、食ひ辛棒の切ない氣持にされてしまつた。はじめ、その若い女が私の家へやつて來た時、眼玉がギロリと光つて暗黑な魂を覗かせてゐたが、居つくにつれて、だんだん手に負へない存在となつた。いつでも唾液を口の中に貯へてゐて、眼は貪欲でギラギラ輝く。臺所の隅で何かゴソゴソやつてゐるかとおもふと、ドタバタと疊を蹈んで表に飛出す。だらりと半分開いた唇から洩れて來る溜息は、いつも烈しい食欲のいきれに滿ちてゐた。そして、何かものを云はうとする時、眼玉をギヨロリとさせて、纏らない觀念を追ふやうに唇をゆがめ、舌足らずの發音で半分ほど文句を云つておき、さて突然烈しい罵倒的表現に移るのであつた。いつもその女は私の氣質を嘲弄するのであつたが、私も相手に生理的嫌惡を抱きつづけた。が、悲しいかなしかも、どうしたことであらう、凡そ、今日世間一般が飢餓狀態に陷つてしまつたお蔭で、私も四六時中空腹に惱まされてゐるのだが、どうかすると、私の眼はあの女の眼のやうにキロリとたべものの方へ光り、私の溜息は食慾のために促され勝ちで、私の魂はあの女のやうに昏迷し、食つても食つても食ひ盡せないものを食ひきらうとするやうに、悲憤の焰を腸に感じるのである。

☆私はその男に賴みごとがあつて行くと、相手は大きな木の箱へ釘を打込んでゐた。ワンピース(?)の作業服を着て戰鬪帽を橫ちよに被り、彼ほもつぱら金槌の音に堪能してゐるらしい。私の言はうとすることなんか、まるで金槌の音で抹殺されるのだし、相手は社長さんでありながら、好んで人夫のやうなことをしてゐながら、人足だ人足だ、今や日本は人足の時代だ、と云はんばかりの權幕で疎開荷造に餘念なく、靑く剃りあげた顎をくるりと𢌞して、こちらを睥んだりする。愈々私はとりつきかねるのだが、何だか忌々しく阿呆らしいので相手をじろじろ眺めてやると、向もこちらを忌々しげに睥み返し、用事がなければさつさと歸れ、と金槌の音を自棄につけ加へるのであつた。

☆私はその男の親切な顏をどういふ風に眺めたらいいのだらうかと、いつも微妙な惱みに惱まされるのだ。柔和な表情はしてゐるが、どこか底知れないものを湛へてゐるし、どうかした拍子に顳顬(こめかみ)に浮かぶギラリとしたものが、やはり、複雜な過去を潛めてをり、さう單純に親切ではあり得ないことを暗示してゐるやうでもある。どうにもならない戰災者の棄鉢で、やたらにその男にものごとを賴みに行けば、その男は萬事快く肯いてくれるのではあるが、それでゐてやはり私は薄暗い翳にうなされてゐるやうだつた。

☆私は家を燒かれ書齋を喪ひ、隨つて外部から侵略されて來る場所を殆ど持てなくなつた。むしろ、今では荷厄介なこの己の存在が、他所樣の安寧を妨げるのを、そつと靜かにおそれてゐるのである。どうしても、他所の家の臺所の片隅で乏しい食事を頒けてもらはねばならぬし、縮こまつて箸をとつてゐる己の姿は自分ながら情ないのである。私は知人から知人の間を乞食のやうな氣持で訪ねて行く。昔ながらの雰圍氣のいささかも失はれてゐないもの靜かな田舍の廣い座敷に泊めてもらつて、冬の朝そこの家の玄關をとぼとぼと立去つてゆく私の後姿には、後光が射してゐるのであつた。後光が?……おお、何といふ痛ましい幻想だらう。しかし、私はその幻想をじつと背後に背負ひながら、この新たなる曲者に對つて面喰つてゐるのであつた。

 
 

2018/03/12

原民喜 鶯

 

[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年四月号『文藝汎論』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、今まで通り、戦前の作品であること、歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。傍点「ヽ」は太字に代えた。

 本篇はネット上では電子化されていないと思われる。

 明日は原民喜の命日である。【二〇一八年三月十二日 藪野直史】]

 

 

 

 

 その友達は私の部屋に這入つて來るなり、机の上にドカンと腰を下した。ポケツトから煙草を出してマツチを擦つた。

 ところが非常にあわてて擦つたものとみえて、マツチ箱に火が移つて、しゆつと燃え上つた。チエ! といまいましさうに舌打して、友達は燃えてゐる箱を窓から道路の方へ捨ててしまつた。

 なほ、何だかいまいましさうな容子で、眉の邊をもずもずさせてゐる。むにやむにや! 今日は大變面白くなくて立腹だぞ! とその顏には書いてある。

 それで、私は何だか濟まないやうな氣持になり、ぐつたり草臥れてしまふ。すると、友達はひよいと私に對つて憐むやうな視線を投げつけると、また何か腹が立つらしく、顏をそむける。それから、また一寸私の顏を睥み、顏をそむけては煙草を一服吸ふ。五六度そんな痙撃的な動作を續けてゐるうちに、自分でもをかしくなつたのか、破顏一笑して机から離れた。それから友達は五六囘部屋の中をぐるぐる𢌞つてゐたが、ひよいと私に對つて「表へ出ようぜ」と云ひ殘すと、どかどかと廊下へ步き出した。

 私は友達が投げつけた鈎のやういな合圖に引懸つて、そのまま彼の後について行く。友達は玄關のところで、二三足の下駄を忌々しさうに蹴散らかすと、道路へ出た。

 何時の間にか外は夜になつてゐて、露次にはさつき友達が投捨てたマツチの箱がまだ美しく燃えてゐた。すると、友達はその側を通りかかつて、非常に怒つて、私の方を振返つた。そして靴のさきをくるくる𢌞しながら、その火を消すと、なほぶつぶつ何か不平さうに呟いて步く。

 その露次には貧相な侘しげな家ばかり並んでゐて、路が凸凹なので、友達はその惡口を云つてゐるらしい。かういふ貧相なところへ私が下宿して不景氣な顏して學問するなんて、以ての外であると云つてゐる。第一、お前なんか、ぐにやぐにやのべらべらの腦味噌しかない、と、その友達は肩でさう云ふことを私に暗示しながら步いてゐる。

 私は次第に情なくなつたが、恰度左手に支那料理屋があるので、其處で一杯のそばでも食べたら、その、べらべらのぐにやぐにやの腦味噌が少しは肥えるかと思へたので友達の肩をそつと叩いた。すると友達は「何!」と振返つて物凄い眼つきで私を睥みつけたが、ふと合點して微笑むと、亂暴に支那料理屋の扉を蹴つて開けた。

 そこには普通の女の三倍もありさうな大女が、ぺつたりと後の壁に凭掛つた儘腰掛けてゐた。大變あてやかな茫とした顏で、時々彼女は思ひ出したやうに小さなあくびをした。すると、透きとほつたあくびの輪がふわふわと浮いて友達の鼻さきに漾つて來る。そのふんわりしたあくびの輪のために友達の氣持も少しは鎭まつたのか、妙に子供らしい顏つきになつた。

 ところが間もなく友達はすぐ隣りのテーブルに鳥籠が置いてあるのに眼をつけた。その烏籠のなかには玩具の鶯がゐて、五錢白銅貨を入れると囀り出す仕掛になつてゐた。友達はポケツトから大きな蟇口を出して、五錢白銅貨を投じたが、鶯は一向に啼かない。で、友達は籠を手許に引寄せて、さかさまに搖すぶつてみたり、橫にしてみたり、不器用な手つきで修繕しようとし出した。どうしてもうまく行かないので、チエ、チエ、と一度に二囘の舌打をしながら一生懸命工夫した。友達の頰は焦れて靑ざめ、眼球は乾いて光り出した。

 そのうちに鶯はホーホと一聲啼いたが、それはまるで彼を調弄つてでもゐるのか、後はもう絶對に續けなかつた。到頭、友達は引込みのつかない程、憤然とした。そして、輪を吹く女と私を交互に睥んで、今にも兩方へ喰つてかからうとした。

 その時、女は靜かに懶さうな顏をして、壁の隅の方を指差した。友達も私も何事かとその方角を眺めると、そこには鉢植ゑの酸漿があつた。奇妙なことに、その眞紅に熟してゐる酸漿の實は時々、枝が自然に土の方へ吸ひ寄せられ酸漿が土に接する度に、じゆつ、じゆつと鳴る。鳴つてはまた上の方へ釣上げられ、暫くするとまた土に近づいて來る。何だかその袋は女の眉のやうに思へて、私には段々氣味惡くなつた。酸漿の上には雨が降つて來て、あたりはまつ暗になり、ただ赤い塊りだけが、じゆつ、じゆつと緩い運動を續けてゐた。

 

2018/01/14

原民喜「眩暈」(恣意的正字化版)

 

[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年十月号『文藝汎論』発表。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「瞠いて」「みひらいて」と訓じていよう。

 「ブラツケー」は不詳であるが、文脈からは貝の方言名と読める。すると、個人サイト「お魚の図鑑 珍魚すくい」ページに、ホラガイ(腹足綱吸腔目フジツガイ科ホラガイ属ホラガイ Charonia tritonis)の異名として「ブラゲー」(他に「ブラ」「ブラー」「ブラゲー」「ブラヌーン」などもある)を見出せた。これでよいとしたいところだが、気になるのは前に民喜が「法螺貝」を出してしまっていることである。「がうな貝」は一般にヤドカリの異名であるが、ここは貝と見て、小型の巻貝(腹足類)を指すと考えるなら、ここで民喜が「ブラツケー」と言ったものは「法螺貝」に似ているが、違う巻貝、もっと大きな或いはもっと高そうに見える絢爛たる巻貝を指しているかのように私には思われる(但し、本邦産で法螺貝を超える大型種は存在しない)。或いは、「稀れに見る巨大な法螺貝」を特異的に「ブラツケー」と読んでいる野かもしれぬと私は思ったりした。

 「蒟蒻」は「こんにやく(こんにゃく)」。

 「齒朶」は「しだ」。羊歯。

 「見憶」「みおぼえ」。「見覺え」。

 「饂飩」「うどん」。因みに「饂飩のマントを纏ひ」はママである。

 「覗間」「すきま」と訓じておく。

 「在處」「ありか」。

 「凭つたまゝ」「よりかかつたまま(よりかかったまま)」と訓じておく。

 「蔓り」「はびこり」。

 「雞」「にはとり」或いは単に「とり」と訓じているかも知れぬ。「鷄」に同じ。

 「逸散に」「いつさんに(いっさんに)」。「一散に」。一目散に。

 「鸚哥」「いんこ」。小鳥のインコのこと。

【2018年1月14日 藪野直史】]

 

 

 眩暈

 

 溝の中でくらくら搖れてゐる赤い糸蚯蚓、太陽は泥に吸ひつく蛭の化けもの。

 砂がザラザラ押流され、ザラザラと睡むたい顏が溝の緣で、眼球を瞠いてゐる。

 それは彼であるが、彼ではない。

 砂はザラザラと彼の眼の前を橫切り、今は貨幣であるが、がうな貝、法螺貝、ブラツケー、見たこともない異樣な貨幣で彼の頭は混濁してゆく。

 見よ、數字が雜音とともに、この時、一齊に攻擊して來る。

 夢中で彼は求める。何かを、何ものかを、――たしかに、はつきりしたもののきれつぱしを。

 そして、彼は怪しく不自由な手つきで、空間を探る。

 電車の釣革の如きもの、ベルの如きものが彼の指に在る。その手觸りは遠い母親の乳房に似てゐる。

 と、(誰だ、そんなものを拾ふのは)と耳許で叱聲。

 彼はあわてゝ飛びのく。

 彈の破片が眼を掠め、くらくらと鋪道は蒟蒻と化し、建物が飴のやうにとろける。

 かすかに(明日の天氣豫報を申上げます)明日の、待つて呉れ。とたんに彼は目を白黑させてゐる。

(教へてあげないわよ)と女の聲。まごついてしまつた窓。

 暫くして、白い柱の嘲笑の列。

 

 いくつもいくつも太い眞白な柱は天井へ伸び、その白い柱の前に立留まつた彼は、出口を探さうとしてゐるが、この、きてれつの大ビルヂングは混沌として答へず。

 見上げる天井に水晶の三日月。

 はや足許に蔓草が茂り、蛇を潛めし太古の闇は階段の方を滑つて來る。バサバサと齒朶類は戰ぎ、鈍重な太鼓の音が陰濕と熱氣を沸きたたせば、既に彼は身動もならず悶死の姿で橫臥してゐた。

 やがて、巨龍の顎によつて、彼はカリカリと嚙碎かれてゐる。記憶を絶し、記憶を貫く、今の、昔の、彼の眼底に、ひそかに白象の妙なる姿は現じた。

 と、忽ち、外科醫の鋸が彼を強く威嚇する。不思議な裝置に依つて彼を裁くもの、實驗材料は縮まつて、悲しい啞の眼をしばたたく。その寢臺のまはりを群衆は無關心に通過してゐる。祭日めいた群衆の旗は散じ、彼は身の自由を得てゐる。

 しかし、混沌とした建物の内部にゐることに變りはない。彼は出口を求めて、再び放浪する。

 向に見憶のある噴水の池。

 明るい造花の房を音樂の蜜蜂が𢌞り、ロボットの女は默々と糸を紡いでゐる。そのあたりから、いけない豫想が微かに唸りを放つ。

 忽ち、彼の同僚の一人が裸身に饂飩のマントを纏ひ、池をめがけて突走つて來る。

 その顏は苦業に火照り、裸身は飜つて、池に投じた。くらくらと湯氣に饂飩は崩れ、その男の眼が發狂して彼を睥む。

 發散する湯氣はその言え池を消し、その男を消し、疲勞を重加された彼のみが、いつしか昇降機によつて運ばれてゐる。密林や暗雲が鐵格子扉の覗間に、時折、靑い紋條をもつ宇宙の破片も閃き、遂に眞暗な天蓋に達したと思ふ時、昇降機ははや針金の如き細き一本の煙突にすぎなかつた。

 彼の重みによつて、煙突はもろくも傾きはじめる。全身全靈の祈願と戰慄は彼を乘せた細い煙突の割目に集中され、やがて呻吟とともに身は放り落された。

 

 その足は床に達せず、いつまでもコンクリートの廊下の上を腹匍ふやうに飛んでゐる。この苦しい低空飛行がはじまるとともに、彼は飢えを覺え、食堂の在處を探してゐるのだが、群衆の往交ふ廊下は侘しい障害物である。

 ふと、この混迷の中を彼の幼友達が同じ恰好で飛んでゐるのを見つけ、彼は微かに安堵を覺えた。だが、彼の蹠(あしうら)に轉がる空氣の球をうまく操りながら進むには、妖しい一つの氣合が保たれねばならぬ。

 苦しい努力に依り、彼はゆるやかにタイルの上を流れ、テーブルの一隅に辿りついた。人々の犇めく空氣が背後で杜絶え彼の眼の中には眞白なテーブル・クロース。眼の前にある銀の匙とカツプに陰々と困憊の影はこもり、それをもし指にて觸れば、忽ち金切聲で感應するであらう。觸ることの豫想の苦惱に悶え疲れ、暗澹と彼は椅子に凭つたまゝ、妖しくゆらぐ空氣を吸ふうち、椅子はひとりでに床を進行してゆく。

 

 椅子のエスカレーターに運ばれて、彼はホールに來てゐる。

 會衆は暗闇の中に茸の如く蔓り、合唱とも囁きともつかぬものが刻々に高まりゆけば、暗黑の舞臺に突如、劍を閃かして一人の老人が舞ふ。雞の冠を頭につけ、眼は瞋恚に燃え、莊嚴な劍にて突差すところから、めらめらと焰が發して、見る間にあたりは火の海と化した。黑烟の渦と噴出する火に追跡されて彼は逸散に遁走する。

 

 曲つた柱。黑焦の階段。鉛の水槽。痙攣する窓枠を拔けて、彼は巨大な梁の上を傳ふ。

 今、凄慘な工事中の建物の橫腹が彼の頭上に聳え、赤黑い錆の鐵材と煉瓦の懸崖が目を眩ます場所にある。

 彼は墜落しさうな足許を怖れて、一心に異常な風景を描く。

 靑葉の中に閃いてゐた鮎。白い美しい網で掬はれた蝶。消えてしまつた幼年の石塊。

 その彼の骨を引裂く大速力の車輪のなかの情景の露が空中に見え隱れして、彼は危い梁の上の匍匐狀態を脱した。

 

 やがて屋上に來た。こゝでは工夫達が身を屈めて、コンクリートの床に鯖を釘で打つけてゐる。

 何のために、そんなことをするのか。困惑がこゝにも落ちてゐるといふのか。

 困惑する彼の眼に、一匹の鯖は近寄り、一本のネクタイと化せば、次いで彼の全視野は雜貨商品の群に依つて滿たされた。

 蜥蜴の靴下。彫刻の馬。鸚哥の女。猫の帽子。苺の指環。金魚の菓子。火打石。

 それらの虹も疲勞の渦で灰色となり、すべては存在しないに等しい。ゆるくゆるく灰色ばかりが彼の眼蓋をすぎてゆき、やがて罫線の麗しい白い紙があり、彼は靜かに氣をとりなほした。

 彼はペンを執つて、事務のつづきを始める。ペンの音が紙の上を空滑りしてゐて、間もなく數字は葡萄の粒々となる。

 すると、いつもの天井の方からするすると一すぢの綱を傳つて、一人の兇漢が彼の背後に近寄る。

 わあつと、呻き聲とともに、彼は兇漢のまはりを泳いでゐる。

 

2018/01/13

原民喜「弟へ」(恣意的正字化版)

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和一九(一九四四)年二月号『三田文學』に発表されたものである。原民喜三十八歳の時の作品。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「弟」は原家七男(民喜は五男。六男六郎は四つで夭折している)の十一年下の敏であろう。

 冒頭前書で「なにしろ中學生相手の僕のことだから」と出るが、原民喜は妻貞恵が昭和一四(一九三九)年九月に発病(糖尿病と結核)しており、小説で食えないので、昭和一七(一九四二)年一月より千葉県立船橋中学校(現在の千葉県船橋市東船橋にある県立船橋高等学校)に英語教師として週三回通勤を始めていた。但し、本篇が発表された翌月には退職している(同年夏頃に朝日映画社嘱託となる。九月、貞恵、逝去)。

 「燕」の「大神宮下の驛」京成電鉄の千葉県船橋市宮本にある「大神宮下(だいじんぐうした)駅」。(グーグル・マップ・データ)。一キロメートルほど西北西に現在の千葉県立船橋高等学校がある。

 「貝殼」の「八千代橋」は大神宮下駅の東直近の海老川に架かる橋。(グーグル・マップ・データ)。

 「牛」の「宮本」は(グーグル・マップ・データ)。「怺へたまま」は「こらへたまま」。堪(こら)えたままで。

 「津田沼」の「菠蔆草」は「はうれんさう(ほうれんそう)」のこと。「生き」は名詞。生きざま。生活のさま。

【2018年1月13日 藪野直史】]

 

 

 弟へ

 

 僕は近頃「無心なるもの」と題して短文をノオトに書溜めてゐる。これは通勤の道すがら、目に觸れた微笑ましいものを、何氣なく書綴つたものにすぎないのだが、それがだんだん溜つてゆくといふことも何となく僕にはたのしいことなのだ。今日はそのうちから、三つ四つ君にお目にかけよう。なにしろ中學生相手の僕のことだから、文章も中學生じみてゐるかもしれないが、まあ笑つて讀んでくれ給へ。

 

 

  

 

 大神宮下の驛では、電車が着くホームの軒に、燕の巢がある。軒とすれすれのところに電車の屋根は停まるのに、燕はあやふく身を飜へして巢に戾る。それにしても、巢の中の仔は電車の雜音でおちおち睡れないであらう。國民學校の生徒を引率した先生が、珍しげに軒の巢を見上げてゐた。あまり天氣は良くないが、平穩な遠足の歸りなのだらう。燕は線路を飛越え、人家の陰へ消えてしまつた。

 

  貝殼

 

 八千代橋の手前の貝殼に埋れたやうな露次は、どこよりも早く夏の光線が訪れる。どの軒下も大概貝殼が積重ねてあり、それは道路の方にも溢れ、奧では盛んに貝を剝いでゐるので、刻々に殖えて行く白い殼で、やがてそこいらは埋沒してしまひさうだ。空の辨當箱を示し、貝を賣つてくれないかと男に尋ねると、あまりいい顏もせず默つて貝を剝いでくれる。それが出來る迄暫く軒下にたたずんでゐると、地面の白い光線がくらくらして、ふと側に子供が立つてゐる。よごれた繪本を展げて、眩しげにこちらを見てゐるのだが、その展げた繪本は南洋の椰子の樹の日の丸の繪で、その中から子供は拔け出して來たやうにもおもへる。

 

  

 

 暑い暑い宮本町の坂。夏の朝、牛はゆつくりゆつくり、このだらだら坂を二つ越えて行く。途中の家畜病院の空地に牛や馬が繋がれてゐるところまでやつて來ると、步いてゐた牛ほもーおと鳴く。繋がれてゐる牛の方は何とも應へない。ある日休暇の兵隊が二三人づれで、繫がれてゐる牛の側に立寄つた。そして一人がそろつと牛の耳を撫でてみた。

 坂を下つて來る牛もつらさうだ。よく見ると牛の鼻のまはりには四五匹の蠅が黑くくつついてゐる。牛はそれをじつと怺へたまま步いてゐるのだ。

 

  

 

 ある朝、坂の下の方から猫の啼聲がだんだん近づいて來た。と思ふうちに後から自轉車がやつて來た。後に函らしい風呂敷包が括り附けてあり、啼聲はその中からするのだ。ところで、自轉車に乘つてゐる人の後姿は、妙に忙しげで、どうも早く片づけてしまひたいといふ風なのだが、哀れな泣聲はなかなか歇まない。自轉車がもう遠ざかつてしまつても、まだその泣聲はまだつづいてゐる。あの坂の向ふは茫々とした畑となつてゐるのだ。

 

  津田沼

 

 上野行に乘替へるため一番線ホームに行くと、そこら一杯に葱・菠蔆草・大根の束をちらかし黑い大きな風呂敷包の山の中に坐り込んで、辨當を披いてゐるもの、襤褸ぎれを綴り合はせて足袋を拵へてゐるもの、女行商人の生きの姿はとりどりであつたが――それも今は既に見られない風景となつた。嘗て、このホームから向のホームを見てゐたら、國民服を着た靑年と若い娘が睦じげに佇んでゐた。その娘の姿は婦人雜誌などのよく出來た繪にありさうな、凛とした姿で、靑空を背景に、並んで立つてゐる男の胸のあたりをたのもしげに見上げてゐるのであつた。

 

  木の葉

 

 烈風が歇んだ野の道を、二三人の子供がパラパラと駈出して來た。背の低い羽織を裏返しに着てゐる、何か興奮してゐると思つたら眼には靑い木の葉をくり拔いて嵌めてゐるのだつた。

 

 

2018/01/12

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 魔女 / 「死と夢」~了

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「魔女」は昭和一三(一九三八)年十月号『文藝汎論』に発表された。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「活人畫」は「くわつじんぐわ(かつじんが)」と読み、布などに描いた背景の前で、扮装した人がポーズをとって、一幅の人物画のように見せる芸能を指す。明治から大正にかけて余興などで行われ、古今東西の名画や歴史上の有名人などが題材とされた。「翳して」は「かざして」と読む。「かなめ垣」(かなめがき)は若葉が紅色を帯びて美しい要黐(かなめもち:バラ亜綱バラ目バラ科ナシ亜科カナメモチ属カナメモチ Photinia glabra)で作った垣根のこと。「簷忍」は「のきしのぶ」と読む。「つりしのぶ」のこと。「黔んだ」は「くろずんだ」と読む。

 なお、本篇には主人公(姉からは「順ちやん」と呼ばれている)の姉が登場するが、因みに原民喜には二人の姉がおり、孰れからも民喜は非常に可愛がられた。長姉の操は十四年上で大正一三(一九二四)年に亡くなっており、次姉のツル(民喜より八つ年上)は大正七(一九一八)年(民喜十三歳)の時に亡くなっている。この二人の思い出が本篇に強く作用していることは間違いない。

 以上を以って原民喜作品群「死と夢」は終わるが、発表年次は順列となっておらず、公開する場合を考えて、原民喜が並べ替えている(ブログ・カテゴリ「原民喜」の公開順を参照)。同作品群十篇を発表年次で並べ替えると

「行列」(昭和一一(一九三六)年九月号『三田文學』)・「幻燈」・「玻璃」・「迷路」・「暗室」・「魔女」・「曠野」・「湖水」・「溺沒」・「冬草」(最後の「溺沒」と「冬草」の二篇は『三田文學』(昭和一四(一九三九)年九月号)への同時発表)

となる。【2018年1月12日 藪野直史】]

 

 

 魔女

 

 私は姉や姉の友達七八人に連れられて、人喰人種を見に行くのだつた。恰度、夕方のことで街は筒のやうに暗かつた。うまくすると、人喰人種が夕食を食つてゐるところが見せて貰へるかもしれない、と一人の女學生は云つた。昔の女學生は庇髮のやうな髮を結つてゐて、丈が高かつた。そして長い袴を穿いてゐて、氣高い顏をして步いた。私は人喰人種が今夜は何を食ふのかしらと思つた。人喰人種はきつと寒がつて、裸體の上に赤い毛布をくるくる卷いて、宿直の屋の疊に六七人蹲つてゐるやうな氣もした。

 そのうちに石疊の狹い露次へ來ると、旅館が二三軒並んでゐた。姉達は一軒一軒旅館の玄關で、人喰人種は來てゐないかと訊ねて步いた。どうも人喰人種が泊つてゐる宿屋はもつとさきらしかつた。もう一つ裏側にある路へ這入ると、今度はたしかにそれらしい旅館だつた。皆は眞暗な玄關の土間に立つて、一人が聲をかけた。すると眞暗な障子がするりと開いて、婆さんが現れた。「人喰人種が泊つてゐるのはこちらで御座いますか」と一人が訊ねた。婆さんは頷いた。それで私は何だか吻とした。「人喰人種が御飯食べるところ見せて下さいませんか」とまた一人が口をきいた。婆さんは何を思つてか、ぢつと默り込んでしまつた。それで、もう一人が同じことを嘆願した。「駄目です!」急に婆さんは口惜しさうな聲で呶鳴つた。皆はびつくりして、そのまま往來へ飛出した。それからだんだん急ぎ足になつて、とうとう走り出した。

 

 私は門口の處で、石に蹴躓いて膝頭を擦剝いた。膝坊主は火がついたやうにヒリヒリ痛んだ。見ると、膝頭には土がくつついてゐて雲母の破片がキラキラ光つてゐるので、私の眼さきは曇つてチラチラ慄へ出した。家に歸ると、もう辛抱が出來なくて、おいおい泣いた。すると、緣側で活花をしてゐた姉は靜かに鋏を置いて、私の傷を調べ出した。姉は私を疊の上に寢轉がして、「眼を閉ぢてゐなさい」と命令した。私が素直に眼を閉ぢると、姉は私の額の上に何か輕いものを置いた。靑々した木の葉の匂ひがするので、一寸眼を開けてみると、やはり額の上に置かれてゐるのは木の葉らしかつた。「まだ、眼をあけてはいけません」と姉はおごそかに云つた。

 私は眼を閉ぢた儘、どういふことが次に起るのだらうかと、少し面白くなつて來た。暫く何の物音もせず、靑靑した木の葉の匂ひが鼻さきを掠めてゐた。やがて姉がそつと立上る氣配がして、疊の上を靜かに步いて行く跫音がした。姉は簞笥の前で立止まつたらしく、微かに簞笥の環が搖れる音がした。間もなく、すーつと抽匣を拔く音がしたので、成程繃帶を持つて來るのだな、と私は思つた。そこから姉が私の側へ歸つて來るまでには隨分時間がかかつた。とうとう私は、何時、姉が、どういふ風に私の膝頭に槻帶を卷いてくれたのか、わからなかつた。姉はパチパチと植木鋏を使ひながら、「もう眼をあけてもいいよ」と云つた。

 

 私は父の大切にしてゐた萬年筆を踏んで壞してしまつた。生憎、見てゐる人がなかつたので、それが却つていけなかつた。壞れた萬年筆が父親の顏のやうに思へて、もう私は怖くてその方を見ることも出來なかつた。私はびくびくしながら緣側の方へ行つた。すると、何も知らない姉が、「もう、お風呂よ」と云つて、私を捉へた。それから私の帶をほどいて、私を裸にさせた。姉は私に手拭を渡した。それから姉は湯を汲んで、私の背中にざぶざぶ掛けた。

 磨硝子の窓に靑葉を照す陽光が搖れてゐて、風呂場は明るかつたが、私は窓の外に蓑蟲がゐることや、漆喰に黑い苔が生えてゐるのを見ると、何だか地獄に陷ちてゐるやうな氣がした。やがて、姉も頤のあたりまで湯に浸つて、私の顏と姉の顏は對ひ合つた。私は天井を見上げると、太い竹で組んだ天井は煤けて怕さうだつた。その時、私は姉が何か訊ねるやうな眼をしたので、「地獄極樂」と口走つた。すると、姉は一寸呆れたやうな顏をして、私の眼の中を視凝めた。それから姉の眼は、私の惱みの種を見つけて摘み出さうとする眼に變つてゐた。

 

 私は姉に連れられて街を步いてゐた。公會堂で活人畫や何かがあるのを見に行くのだつた。打水をされた路はピカピカ光つて、時々泥が裾の方に跳上つた。どの店舖も日覆を圓く脹らまして、奧の方はひつそりして薄暗かつた。屋敷の塀の續いてゐる日蔭へ來ると、ポプラが風車のやうに葉を飜してゐた。氣持のいい微風が路の角や電柱の橫から吹いて來ることもあつたが、斜上から差して來る陽はかなり蒸暑かつた。姉は白いパラソルを翳して步いてゐた。靑い木蔭へ來ると、パラソルも顏も靑く染められた。

 私は稍ひだるい氣持になり、少しぼんやりして來た。その時、一匹の大きな揚羽蝶がかなめ垣から飛出して來て、姉のパラソルの上を橫切つて消えた。暫くすると、またその揚羽蝶はふわふわと漾つて來て、姉のパラソルのまはりを飛んでゐた。それから間もなく揚羽状の姿は何處かへ見えなくなつたが、私は別に氣にも留めず步いてゐた。ところが、ふと、氣がつくと、姉の白いパラソルには何時の間にか、さつきの揚羽蝶が刺繡にされて、くついてゐるのだつた。私はびつくりして聲を放てなかつた。刺繡の蝶はまだパタパタと片方の翅を動かして、そこから今にも飛出さうとしてゐるのだつた。

 

 私が夏の午後、小學校から歸つてゐる途中のことだつた。電車道を越えると、路は片蔭になつてゐて、靜かな家が並んでゐた。妙に靜かな時刻で、家のうちの時計の振子の音が外でも聞えるのだつた。私はその時、屋根の方から誰かが呼んでゐるやうな氣がした。すると、聲はまた確か「順ちやん」と云つてゐた。見上げると、二階の障子が半分開いて、蔭から姉の顏が覗いてゐた。私は無言のまま暫く立留まつてその家を見た。ベンガラを塗つた格子のある中位の家で、二階の軒には簷忍と風鈴が吊つてあつた。そこへ姉は嫁入してゐたのかしら、と私は久し振りに見る姉の顏が妙に透徹つてゐるやうに思つた。すると、姉は默つて障子の奧へ引込んでしまつた。私はそれから間もなく自分の家へ戾つた。

 ところが、家へ戾ると、私の父は、「今、これから姉さんを停車場へ出迎へに行くのだから、お前も一緒に來い」と急きたてるのだつた。私はカバンを家に置いて、そのまま父の後に從いて出掛けた。急ぐと、太陽が後からギラギラ照りつけて大變暑かつたが、驛へ來ると、そこは風があつて涼しかつた。絽の羽織を着た女の人と、父と私と三人はホームに出た。やがて汽車が着くと、中から姉が出て來た。姉は透徹つた顏をしてゐて大變疲れてゐるやうな容子だつた。それから皆は俥に乘つた。姉の俥が先頭に街を走つた。俥は私の家の方へ行かないで、小學校へ行く路の方へ折れた。そして、さつき私が驚いて見上げた家の前で俥は留まつてしまつた。

 

 私は姉の入院してゐる病院に見舞に行つた。姉はベットに寢た儘、だるさうな容子で暫く私を相手に話してゐたが、枕頭の藥壜を取つて、唇に含んだ。「少し睡いから、これを飮んで睡むらう」さう云つてゐるうちに、もう姉はすやすやと小さな鼾をたてはじめた。私は椅子に腰掛けた儘することもなかつた。窓の外には侘しい病院の庭があつて、常盤木の黔んだ姿が見えるはかりだつた。壁に懸つてゐる額や、小さな人形や植木鉢のほか、目に留まるものもなかつた。白い侘しい時間だつた。

 ふと、ベットの方で姉の起上る氣配がした。見ると、姉は蒲團の上に坐り直つて、頻りに兩手を上の方へ伸しながら、何か綱のやうなものでも把まうとしてゐる恰好だつた。その眼は虛ろに大きく開かれて、何にも見えないのではないかと怪しまれた。姉は同じやうな動作を續けながら、次第に身體の重みを失つてゆくらしかつた。突然、姉は宙を浮上ると、天井の處に姉の身體はあつた。と思ふと、ベツトの下の方で姉の得意げに笑ふ聲がした。それから姉は額の裏や、植木鉢の下や、電球の中に、自在に身を潛めて、暫く飛𢌞つた。その間私は凝と椅子に縛り附けられてゐるやうな氣持だつた。やがて、ベツトの方で姉のうめき聲が聞えた。見ると姉はぐつたり疲れたやうに蒲團の中に埋れてゐた。

 

 私は午睡から覺めて、ぼんやりと玄關のところへ行つた。西の方の空にはまだ雲の峰が出てゐて、表の道路は白つぽく乾いてゐた。さうして往來を通る人も殆んどなかつた。無性に誰か私は人が現れないかと待つた。すると、近所の氷屋のおかみさんがバケツを提げて通つた。あのバケツの中にはけむりの立つ氷を入れてゐるのかと思ふと、一寸をかしくなつた。おかみさんは、しかし、すぐに視野から消えて、往來は再びもとの靜寂にかへつた。

 暫くして、何か異樣な影が路傍に落ちて來た。が、それは今、人力車が通るのだつた。その人力車の上には、つい先日死んだ姉がちやんと乘つてゐて、頻りにこちらの家の方を氣にしてゐる容子だつた。俥はそのまま家の前を通り過ぎた。私は早速下駄を穿いて門口に出てみた。すると、俥の姿はもう見えなく、往來はひつそりとして、砂がギラギラ光つてゐるばかりだつた。

 

 私はサーカスの綱渡りの女に姉がなつてゐるのを見た。姉が死んだ頃から算へると、もう二十年も經つてゐた筈だが、綱渡りをしてゐる女は恰度死んだ姉の齡頃であつた。何時か姉は内證で私の家の前を俥に乘つて通り過ぎたのは、こんな所に身を潛めるためだつたのだらうか、――さう思ふと、今、衆目に晒されてゐる姉の身の上が氣の毒でもあり、腹立たしかつた。子供の時の私は姉に魔術を懸けられて、いろんな不思議な目に遇はされたが、私ももう成長してゐるので、さう簡單な暗示には陷るまいと思つた。しかし、どうもけしからんのはその女が現に死んだ姉なのだから、これは大變いけないことにちがひなかつた。私は樂隊の音につれて、今、綱を渡つて來る姉の眼をぢつと遠方の客席から視凝めてゐると、姉もどうやら私に氣が着いたらしい。しかし、私は腹に力を入れて、猶も視線をはづすまいと努めた。が、どういふものか、私のすぐ眼の前に小さな塵がくるくるくるくる𢌞り出した。樂隊の音が急に高まり、姉の眼に悶絶の色が浮んだと見たのは一瞬であつた。もう客席は總立ちになつて、墜落した姉の樣子を見ようとしてゐた。

 私はその後、負傷した姉を病院に見舞つた。けれども彼女はけげん相に私の顏を眺めてゐるばかりで、一向私に氣がつかないらしかつた。私は先日姉が綱から墜ちた時のことを話して、姉の記憶を甦らさうとした。すると、姉は突然私を睥みつけて、「出て行け、この馬鹿野郎!」と口ぎたなく罵り出した。私は姉が負傷のため精神に異狀を呈したのだらうと察し、そのまま其處を立去つた。

 

 私はその後、暫く姉と邂逅ふこともなかつた。しかし、姉は魔法使だから何時何處に現れて來るかわからないと思つてゐた。そのうちに、私の生活は段々行詰つて來て、私の精神は衰弱して行くばかりだつた。ある蒸暑い夏の深夜、私はふらふらと寢床を匍ひ出すと、緣側の天井の太い橫木に自分の帶を吊した。さうして蹈臺の上に立つてゐると、何處かで車井戸を汲上げてゐる音がした。どうもその物音がをかしいので、暫く耳を傾けてゐると、蹈臺のすぐ下で、ほほほほと笑聲が洩れて來た。

 何時の間にか私は死ぬることを忘れてしまつて、秋になると、高い山へ登つて行つた。山の宿で一泊する積りで、早くから寢間に這入つてゐたが、不思議と目が冴えて來た。何かぷつりと雨戸に突當る音がしたので、私は雨戸を開けてみた。月明を含んだ一めんの霧だつた。恰度、眞上の方の雲が裂けて、どうやら月が現れ始めるところだつた。私は下駄を穿いて外に出てみた。頭をあげて月の方を見てゐると、よはど速い雲脚なのだらう、月の面輪は絶えず光を變へてゆく。そして、氣がつくと、向うの杉の木立の中をちらちら何か眞白なものが跣足で走り𢌞つてゐるのだつた。

 

 私は見知らぬ地方の靑葉の景色をたつぷり眺めて、最後にケーブルカーに乘つて、火口湖があるところまで行つた。火口湖のほとりに小さな四阿があつて、そこで私は腰を下してゐた。氣がついてみると、そんなところに休んでゐるのは私一人であつた。湖水の靜かな波の音と小鳥の聲が聞えるばかりで、あたりはひつそりしてゐた。外輪山は薄い雨雲につつまれてゐて、雨に濡れた靑葉に混つて、躑躅の花も咲いてゐた。そのうちに私が眺めてゐる山も湖水もみんなうつとりと大氣の中に溶けて行き、しまひにはもうなにもなくなつてゆくのかとおもへた。ただ、向うの森の澤山の小鳥の囀りのなかから、一羽だけ注意を惹く鳥の音があつた。その小鳥の聲は何か無意識に私の心を支配しさうだつた。やつぱし居たな、と私は森の方を彈んで苦笑ひした。

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 冬草

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 冬草

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「冬草」は昭和一四(一九三九)年九月号『三田文學』に発表されたもので、前の「溺沒」と同号での発表である。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「溫袍」は「どてら」と読み、例の綿を厚く入れた広袖の着物で防寒や寝具に用いるそれを指し、「湯沸」は「ゆわかし」、「萵苣」は「ちさ」或いは「ちしや(ちしゃ)」でレタスのことである。「獵虎」は「らつこ(らっこ)」と読み、例の海棲哺乳類である。嘗ては毛皮が盛んに利用された。「拂いた」は「たたいた」と訓じていよう。「沓石」は「くついし」で「沓脱石(くつぬぎいし)」の略であるが、あまり良い用法ではない。何故なら「沓石」は通常、礎石の上に置いて柱や縁の束柱(つかばしら)の下に据える根石(ねいし)を指す語であるからである。「護謨」は「ゴム」と、「禿びて」は「ちびて」(「先がすり減って」の意)と読む。【2018年1月12日 藪野直史】]

 

 

 冬草

 

 座敷の廊下の玻璃戸越しに山茶花が白く渦卷いてゐた。秋彦は自分の跫音で廊下の輕く軋むのを聽きながら胸は頻りと波打つた。茫とした溫かい、いきれが頰の下に蠢いてゐて、山茶花の白い花辨が眼に惱しかつた。

 秋彦は行つて父に挨拶しなさいと母から云はれた。しかし秋彦は父に逢ふのが、まだ何となく氣恥しかつた。さつき彼がうとうとしてゐた隙に、突然、父は歸つて來たのだつた。

 父は歸つて來ると、座敷の方へ引籠つて、人を避けて、まだ家族の者の他は逢つてゐなかつた。秋彦はとにかく大變なことになつたと思つた。廿年も前に彼は父の葬式が行はれたのを憶えてゐる。父の死骸が棺桶に收められ、燒かれた骨を拾つたことまで、こまごまと憶ひ出されるのだつたが、それらが今は却つて夢であつたのかしらと怪しまれた。そして、現に今、頻りと淚を出して嬉しがつてゐる母を見ると、どうしても秋彦は父の生還を信じない譯には行かなかつた。

 

 障子の際に屛風が立てられてゐて、奧には確かに人の居る氣配が感じられた。思ひきつて、障子を開けると秋彦は子供のやうにぎこちない姿で疊の上に蹲つた。それから眼を上げて父の方を覗ふと、その人は侘しげな姿で微かに頷いた。「秋彦です」と彼は改まつて、膝の上に掌を置いた。けれども父は耳が遠くなつてゐるのか、ぼんやりした眼ざしでゐる。何處か拔殼のやうに見えるのは、年齡の所爲でもあらうか。よく視ると、父は黃八丈の溫袍を着て厚い藁蒲團の上に半身を起した儘、膝の方は羽根蒲團に埋もれ、肩はすつぽりと毛布を掛けられてゐるのだつた。そして、側の大きな桐火鉢では石綿のなかに赤い火が燒つてゐて、銀の湯沸が忙しげに沸騰してゐた。

 秋彦は父が容易ならぬ處から歸つて來たのを感じた。何處からどうして還つて來られたのか、それを父の口から訊くのはいけないことのやうに思へた。それに、父の容態はやはり良くなささうだつた。

 次第に淚で視野が濁つて來たので、秋彦はそつと立上つて、そのまま障子の外に出た。すると、さきほどから聲を潛めてゐた感動が身裡に盛上つて來て、今はわーツと哭きたくなつた。

 家のうちは急に取込んで、女中や姉妹達が忙しさうに立働いた。緣側には土藏から持出された來客用の火鉢や座蒲團が並べられてゐた。姉は白いエプロンの袖をちよこちよこ動かして火鉢から敷島の吸殼を拾ひ取つて庭先に捨ててゐる。と思ふと、玄關の方の電話口のベルが鳴り出して、應對に出た母の聲は普段より浮々してゐる。

 

 秋彦は緣側から下駄を突掛けて、土藏の裏の方へ行つた。やはり、ひとりになつて暫く氣持を落着けたかつた。土藏の裏は小さな野菜畑になつてゐて萵苣や春菊が乏しい綠を貯へてゐた。隣境の黑い板塀を越えて、午後の陽が一めんに白壁を照らしてゐた。秋彦は薪小屋の空俵の上に身を凭掛けた。そこにも陽は一杯溢れてゐた。足許のすぐ側の枯れた薔薇の木に、陽は金色に煙つてゐた。――さうだ、花を作らう、秋彦はふと獨白した。

 秋彦が幼かつた頃には、このあたりは一めんの花壇だつたのだ。罌粟や矢車草や石竹の咲亂れた姿が髣髴と眼の前に甦つて來た。すると、秋彦の胸はわくわくと波打つて、たうとう淚を流し始めた。淚は幼げな心に貫かれて、もうこれからは大丈夫だ、もうこれからは大丈夫だ、と繰返し繰返し同じ言葉が浮んだ。瞼を閉ぢて、顏を日の光の方へ向けると明るい光の矢が秋彦をめがけて降灑いだ。秋彦はその光に取縋つて一心に祈るやうな氣持がした。淚が閉ぢてゐる瞼からまた新しく溢れ出るのだつた。

 やがて、誰かの近づく跫音がして、秋彦はふと我に返つた。見ると、さつき緣側で火鉢を掃除してゐた姉が、父の着て歸つた外套を物乾竿に乾さうとしてゐるのだつた。襟の處に獵虎の毛皮の附いた、昔、秋彦が見慣れてゐた外套を、姉は重たさうに抱へて背伸して竿に掛けると、パタパタと面白さうに兩手で裾の方を拂いた。外套の塵が日に透いて、地面の雜草の上に舞つた。すると、冬の日の埋葬の途上でみた靑い草がかすかに秋彦の頭を掠めた。凍てついた灰色の路に靑々と殘つてゐる草が少年の哀傷に似て思ひ出される。

 ふと姉は秋彦の方を振向いて、にこやかな顏をした。秋彦はなぜか暗澹とした面持になつてゐた。姉はこちらへ步み寄つて來て、袂から紙片を差出すと、またちよつと笑つた。「すぐにこの電報を打つて來て頂だい」さう云ふ姉は小さな子供をあやすやうに浮々した表情をした。

 受取つた紙片を讀んでみると、それは遊學中の兄へ宛てた、父の生還を知らす電文であつた。秋彦は急にいそいそした氣持で立上ると、玄關の方へ𢌞つた。何氣なく見ると沓石のところに父の黑靴が揃へてあつた。それも昔、よく父が穿いてゐた靴で、もう近頃はあまり見掛けない型だつた。秋彦は壞しげに暫く熟視した。すると、さういふ品物にまでまだ子供らしい愛着が殘つてゐるのだつた。それから秋彦は傍に置いてある櫻のステツキを手に執つてみた。片手でそのステツキを突きながら、片手で秋彦の手を引き氏神神社の石段を父が昇り降りしたのが、たつたこの間のやうに思へた。柄の端に羊の首を型どつてある銀の飾りもたしか見憶えがあつた。

 さうして暫く玄關ばなに腰を下して、ぼんやりしてゐると、やはり父を喪つた當座、よく彼は表の方から父が俥に乘つて歸つて來さうな氣がして、ぼんやりと腰を下してゐたことなど憶ひ出した。その頃、すぐに歸つて來てくれたなら、どんなによかつただらう。秋彦はふとまた眼頭が熱くなるやうな氣がした。それから電報のことを思ひ出すと、急いで表の方へ出た。

 

 外は何も彼も急に美しくなつてゐた。街の果てにある靑い山脈もはつきり見え、家々の軒の上を電線が遠くまで伸びてゐる。それに、いくらか中高に盛上つた地面が護謨のやうに彈力があつて、柔かな陽光が秋彦の背に緩く流れて來た。

 秋彦は果物屋の前まで來ると、うつとりとして店頭を眺めた。薄い紙に包まれたネーブルや綺麗に磨かれた林檎などが、ずつと盛上つてゐる薄暗い奧に、小さな女の子をねんねこに背負つたおかみさんが甲斐々々しく、紙を疊んでゐた。おかみさんの脇の壁に天狗の面が掛けてあるのを、何だか昔見たことのあるやうな感じで、秋彦は暫く無心に見入つてゐた。

 それからまた思ひ出したやうに步き出したが、今度は硝子張の印判屋の前で立留まつた。車が通る度にその硝子窓はよく搖れたが、内ではいが栗頭の男がせつせと小刀を使つてゐた。小刀のさきに浮いて來る粉を唇で吹拂ふのがいかにも娯しさうなのだつた。

 

 秋彦は滿ち足りたやうな氣持で、郵便局へ這入つて行つた。窓口で賴信紙を貰つて、隅の方で秋彦は紙を展べ背を屈めた。挨まみれのインク壺にペンを突込んだが、ペンが禿びてゐて、文字が思ふやうに書けなかつた。秋彦は何だか少し焦々して來たが、この時になつて、彼はふと自分の妻へも電報を打つてやらねばならないと氣づいた。それで、もう一枚紙を貰つた。見ると、その賴信紙は黃色く古びてゐて、靑い罫は今にも消えさうになつてゐる。ふと、疲勞のやうなものが彼をとりまいた。秋彦は容易ならぬ矛盾に躓かされてゐるのを知つた。考てみれば、兄が東京にゐたのは、もうずつと以前のことで、現に自分にさへ妻がありながら、まだ兄が遊學中の筈はなかつた。

 冷やりとした氣持で、秋彦はさつき姉から渡された紙片を見つめた。それを見てゐると心臟は奇異に高鳴り、今にも破裂しさうになつた。秋彦は途方に暮れながら妙に急き立てられ、窓口のところで切手を買つた。それから二枚の切手をがつかりした眼つきで眺めた。切手の中の細かい模樣などを殊更熟視すると一層困惑は募つた。彼はもう自分のしてゐることが信じられなく、ふわふわと夢遊病者のやうな氣持であつた。

 重苦しい嗟嘆とともに彼は、窓口のところで元氣よくスタンプを押してゐる空色の上衣を着た娘の姿をちよつと眺めた。すると、その時、何處からともなく「秋彦さん」といふ聲がしたので、彼ははつとしてまた娘の方を振向いた。もとよりその娘が彼の名を呼んだのではなささうだつた。――とにかく、ひどく疲れてしまつた、と秋彦は暗然としてひとりごちた。

 

 秋彦の心臟は再び異常に高鳴り出した。直ぐに家の方へ引返すのが恐しくなつて、秋彦は郵便局から四五間さきの橋の方へ步いて行つた。暫く氣持を落着けなければいけなかつた。秋彦は袂から姉の渡した紙片を引出して確かめようとしたが、何時の間にかこなごなに引裂かれてゐた。紙片は愕然とした秋彦の指を滑つて橋の上から花辨のやうに水に散つて行つた。流れてゆく紙片を暫く見送つてゐたが、次第に秋彦は自分の不幸を感じて來たた。そして、今初めて氣づいたことがあつた。それをはつきり考へるのさへ怕く、それと氣づくと、もうそのことは爭へない事實ではあつた。秋彦は顏色を變へながら、今はもう遠くへ流れて行つた紙片の行方を追ひ、ガタガタと顫へ出した。さつき彼に電報を賴んだあの姉も、既に十幾年も前に死んでゐた筈だつた。父が死んだ四年目にたしか彼女は亡くなつてゐたのだ。それを思ふと、全身が闇に沒してゆくやうな感じで、しかし、さつき見た姉の姿が奇妙に懷しくもなるのであつた。もう今は茫として夢のやうにしか浮ばないが、姉の半襟についてゐた小さな刺繡の花がピカピカと光つた。

 

 秋彦は欄杆に凭れて身を支へてゐた。これから步いて家へ歸る元氣もなささうだつた。家へ戾れば、僅かの間に、何も彼も變りはててゐるやうな氣がした。御伽噺にでもありさうな、奇怪な身の上を訝りながら、秋彦はぢつと川の面を見下してゐたが、彼のすぐ側を絶えず車や人が往來するのであつた。その橋とあまり隔たらないところに鐵橋があつて、もうさつきから電車が四五臺も通つて行つた。秋彦は段々空腹を覺え寒くなつて來た。

 

 日は何時の間にか翳り、往來には暮色が下りて來た。暗い店頭などでは早くも灯が點けられてゐて、燒芋屋の前には子供達が群がつてゐた。

 秋彦が自分の家の門を潛ると、玄關の方はとつぷり暗くなつてゐた。跫音をきいて衝立の蔭から誰かがそつと覗いた。その顏が暗闇に靑く呆けてゐるのに秋彦は驚かされたが、そのまま上つて行くと、どうやらそれは母であつた。奇妙なことに母は何に昂奮してゐるのか、頻りにそはそはした樣子をしてゐた。秋彦は母が落着かない譯をぼんやり怪しみながら奧の間へ這入つて行つた。ふと秋彦は母もこの三年ほど前に死んでゐることを憶ひ出した。秋彦は慄然として、それから無性に淚が流れだした。それでは、やはり今迄のことはみんな夢であつたのかと疑ひながら、淚はとめどなく頰を傳つてゆく。すると、影の呆けた母がやつて來て、「暗いぢやありませんか」と云ひながら電燈を點けてくれた。部屋はパツと明るくなつたが、秋彦は母の方を正視することが出來なかつた。

「もう一度行つて、お父さんに挨拶して來なさい。容態が惡くて今夜がもう危いのです」と母は聲を潛めて秋に語つた。

 

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 溺沒

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「溺沒」(できぼつ:おぼれて沈むこと・溺れて死ぬこと)は昭和一四(一九三九)年九月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 「眥」は「まなじり」、「滾らせて」は「たぎらせて」、「拉がれて」は「ひしがれて」、「覘つて」は「うかがつて」と読む。

 この終章は私には、あたかも、原民喜の十二年後の自死の瞬間を感じさせて、慄然とせざるを得ない。【2018年1月12日 藪野直史】]

 

 

 溺沒

 

 錯亂は昂進し、河の堤に積上げてある礫の山がガラガラと崩れる。

 雷鳴を學んだ空の下、猛夫は礫ともに崖を轉び墜ちると、石と砂と靑い水が彼の顏を押流し、電柱の閃めき、夾竹桃、黑焦の杭が遙かなる空間を滑走する。

 游泳者の群の風にちぎられる聲が耳朶を打ち、今、斷末魔の眥に、白い巨大な網のやうな梯子が、おごそかな天空を搖れうごき、そこに生死不明の兄の姿が浮び出す。

 兄は、するすると身輕に梯子を傳つて來て、猛夫の片腕を握り締める。その昔、ふるさとの河で、彼の溺死を救つてくれた異腹の兄は、今、猛夫の片腕に兇暴な力を振ひだす。

 片腕は痺れて、既に、軌道の側に轉つてゐる死骸の一部と化したのか。

 胴の上、赤と綠のシグナルが瞬く闇に、涼風の窓を列らねた省線が走り、その女の靴の踵が、轢死した彼の上を通過してゐる。

 洋裁を習つて、二人の妹を養はねばならぬと、その女の踵。

 ガラガラとミシンは囘轉し、女の踵は猛夫の額を蹈み、蹈む。ああ、それも、これも、背き去らねばなら衰運の兒のさだめか。再び、彼の頭上を省線は橫切り、無用の頭蓋を粉碎してしまふ。

 

 既に、その魂魄は粉碎されてゐたのであらうか。

 ぐつたりと身を眞晝の部屋に橫へて、決行の時機を待つばかりであつた。絆は切斷された、と、自らに云ひきかせた。生きてゆく目的も、意志も喪はれてゐた。すべてが、君は無用の男だと、暗に、――それは殆ど不明瞭ながら、人の言語の端に、表情の裏に潛まつてゐるのを、彼は夙に感知した。

 窓を閉切つた、その部屋の屋根では、今も樹木が搖れてゐる。

 樹木、――少年時代にはそれが靜謐の心靈のやうに思へてゐたものだが、――樹木もまた狂亂の樹液を滾らせてゐるのか。栗の花、樟の若葉――一週間前、公園の靑葉は猛烈な叫びを放つて彼に迫つて來た。

 靑葉の焰にとりまかれながら、誰かを撲りつけてしまひたい衝動に驅られた。誰を、何のために、――理由のない怒りは不燃燒のまま、身裡に疼くばかりだつた。突貫だ、突貫だと叫びながら彼は坂を登つて行つた。太陽がギラギラ、樹木は爆發し、雲は雪よりも白かつた。なにものも心を滿たすものは無いのか。猛夫はくらくら燃える靑空に見入つた。と、眞晝の淡い月輪のかなたに、巨大な透明な梯子が浮上つた。

 梯子は夢にみる神の死骸のやうに空を緩く搖れて移動した。

 突然、猛夫の一方の瞳にチラリと奇異な痛みが襲つた。戰慄とともに涙が頰を傳はつた。眼の痛みによつて流されてゐるのか、號泣してゐるのかわからない氣持で、夕刻から酒場を飮み步いた。

 だらだらと淚が流れた。

 記憶にない三日間――否、數年間かもしれない――が過ぎた。ふと、眼科病院の控室のソフアで猛夫は意識を恢復してゐた。手も足も負傷はしてゐなかつたが、何ごとかを叫んだり、破壞したり、狂亂の限りを盡してゐたやうに思へた。眼帶をして、巷に出ると、眼は心配するほどの病氣でもなかつたが、顏は罪劫に拉がれてゐた。

 郷里の父に電報で送金を顧み、夜遲くアパートへ戾つて來た。敷ぱなしの夜具の上に、先日封を披いて讀捨てたままの、女からの手紙があつた。(あなたは來春御卒業なさればもう何不自由ない身分ではありませんか、私はまだ後に二人も妹がありまして、それを私の細腕で養つてゆかねばならないのです)――婉曲な拒絶。しかし、誰が誰に求愛なぞしてゐたのだつたか。このためにではない、と猛夫はこなごなに手紙を引裂いてしまつた。それから、夜具の中に石のやうに重い頭を埋めてゐた。

 

 頭は泣いたり、怒つたりして、夢はまだ微かに光を求めてゐた。

 夢は中學生の感傷に還つて、ふるさとの河邊をさまよつた。月見草の咲く堤に橫臥して、暗い世を嘆いて淚した。淚することにまだ慰籍はあつた。兄の出奔の記憶も生々しかつた頃で、猛夫は切に上京を夢みた。宇宙の核心を頭の中に捉へること、その鍵を、子供の時から想像してゐた。その鍵を得たならば、その時はじめて一切は充足するであらう。間もなく上京して學問をして行つたならば、その鍵は捉めるであらうと。川波のさざめき、舵の音、かぐはしの太陽、つばくらめ――今、いぎたなく睡り呆けてゐる眼に淚はひたぶるだ。

 忽ち河は汎濫し、水が狂奔する。水は其黑な怒りを湛へた牛。川床を轉がりゆく礫は猛夫。

 夕ぐれの窓では、出奔決行直前の紙のやうに白い兄の顏がある。父親と衝突して半年も監禁されてゐた兄は、夕闇の中に脱出の隙を覘つてゐる。

 ひらりと灰白いものが、窓から滑り落ちる、兄の白い脛が小走りに闇を消えて行く。一錢も持たなくて出奔した兄は――もう歸つて來ない。夕闇は宙をさまよつて移動する。

 

 猛夫は郊外の叢にゐる。友達と二人で冷酒をあふつてゐる。叢は火藥の臭ひがし、夕闇は鼻さきに漾ふ。街の方の空にはもう燈がともつてゐる。

 突然、兇惡な力が地下の闇から跳ね返つて來る。猛夫はそいつに彈かれて、だ、だ、だ、と走りだす。置き去りにされた友が後から何か喚いてゐる。

 いきせききらせて、アスフアルトの路はまつしくらに續く。街が、燈が、人が、前後左右から犇いて來る。そのうちに彼はどたんと誰かと衝突する。相手は彼に組附いて來る。舖道に投出された二人は組附いて離れぬ。群衆に取圍まれ、血みどろの格鬪が囘轉してゐる。この譯のわからぬ無我夢中の格鬪は次第にだらだらと間のびして來る。

 

 それからまた叫喚の中をつ走つてゐる。いくつも、いくつも同じやうな夜の街が怒號する。猛夫はへとへとになり、ふらふらと步みだす。終に街は盡きて、向うに河が見えて來る。それは故郷の夜の河に似て、心を鎭める。

 ふと、猛夫は孤獨な父親のことを想ひ出す。兄の失踪以來、氣の衰へて、猛夫には無性に優しい父親。祖母とともに家計を節約しながら、彼には莫大の學資を送つて來た。哀しい父は今も薄暗い電燈の下で算盤を彈いてゐるのだらうか。絆は堅く猛夫を締めつけ、放蕩の、愚行の負債は重く押しつけて來る。いつかは、いつかはすべてを償はねはなるまい。しかし、いつ、いつの日にか果して其の力は湧くのか。

 暫くすると、家の窓が見えて來る。窓には明るい電燈がつき、物干臺には襁褓が飜つてゐる。三人目の妻を迎へて若返つた父親が、今度生れた弟を抱いて、ふと窓から首を出す。

 忽ち猛夫を載せた地面はぐらぐら墜落してゆく。だらだらと淚が流れ、何處に自分がゐるのかまるでわからなくなる。

 額のすぐ上に星。無限の韻律が靜かに漾つて來る。碎かれた心を抱いて、物干臺に寢そべる暑中休暇の銀河なのか。さうしてゐるとまた胸の底に、眞黑な、不逞な、悲しい思考が宿る。一つの思考と睥み合つてゐると、彼の眼は靑く凍てつく。

 すると、かすかに絹ずれの音がして、白いベールをした女が現れて來る。その女は、倒れてゐる猛夫を宥め起し、彼を家まで送つてくれるといふのだ。猛夫は遠かに素直な氣持になり、默つて後から從いてゆく。街燈が霧に煙り、深夜の靴音は冴えて朧だ。曲角のところで、ふと、女は消え失せてしまふ。

 

 嵐は來た。今度こそ、今度こそだと、咆哮して嚙みつく嵐。嵐にむかつて、咆哮してゐる、もう一つの嵐。

 彼は風雨の中をずぶ濡れになつて走つてゐる。向うに旅館の燈が靑葉の動亂を射、水溜りは飛沫をあげてゐる。

 そこの玄關に駈けつけると、彼はほとほと倒れさうになる。廊下にゐた女中が彼の姿を認め、靑ざめて奧に引込む。やがて怯えきつた番頭の顏がやつて來る。番頭はおづおづと彼を奧へ案内してくれる。

 突當りの鏡で、ふと彼は自分の顏を覗く。血まみれだ、ひどい負傷だ。もう、助かるまい。

 

 かくて、脂汗の、夢現の數十時間が過ぎて行つた。

 ふと、戸の隙間から、部厚な封書が抛り込まれてゐるのに氣づいた。はじめ、猛夫は父親からの送金かと思つて、急いで封を切つた。卷紙に認められてゐるのは繼母の筆であつた。憂鬱な眼で紙をぐるぐる開いてゆくと終りに今度生れた赤ん坊の寫眞が挿んであつた。

(これでよろし)と猛夫は呟いて、手紙を捨てた。(さて、それから)と、猛夫はぐるぐる室内を步きだして眺めた。金になりさうなものは、殘つてゐる學生服だけだつた。(よし、こいつだ)と、無造作に風呂敷に包んだ。

 夕ぐれであつた。それはまるで夢のつづきに似てゐたが、夢はどの興奮もなかつた。質屋で服を金に替へ、彼は省線に乘つた。ある驛で降りた。驛前の居酒屋で長い間何かを待つた。

 誰かやつて來たやうであつた。そこで彼は立上つた。

 彼は酒屋を出て、蹈切の方へ步いて行つた。今、電車は杜絶えて、あたりは森としてゐた。やがて微かに軌道が唸りはじめた。響はすぐに增して來た。光と礫の洪水の中に、異腹の兄に似た白い顏がさまよつてゐた。

 

2018/01/11

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 湖水

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「湖水」は昭和一四(一九三九)年三月号『文藝汎論』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 一部の段落末に簡単な注を附した。【2018年1月11日 藪野直史】]

 

 

 湖水

 

 湖水めぐりの汽船は蟻のやうな遊覽客を滿載したまま、薄ら陽の洩れる棧橋に碇泊してゐた。

 白地に赤く『湖水めぐり』と染められた旗が寒い風に吹かれて慄へてゐる。水の中に浸された杉の丸太が、靑い波に搖られ、綱が鋭く杭を引張つてゐる。棧橋の建物から透いて見える向の道路は、黑い牛の牽く荷車や、黃色の襷をかけた團體客の姿などが、いびつに縮まつてちらちらする。

 今、幽靈のやうな顏をした靑年が切符に鋏を入れてもらふと、棧橋を渡つて、汽船の側までやつて來た。彼は甲板の上の群衆をおどおどと目で測つてゐたが、とても割込めさうな席のないのを覺ると、また切符賣場の方へのこのこと後戾りして行つた。

「これを一等に直して下さい」

「どうぞ、お乘りになつてからお拂ひ下さい」と女事務員は素氣なく應へた。そこで、彼は再びのこのこと棧橋を歩いて行き、甲板に登つた。その歩調がまるで夢遊病者のやうにおぼつかなかつた。もう彼には切符の問題が氣になつてゐるのであつた。もし、二等の切符で一等へ乘つてゐて、咎められたらどうしようか。お乘りになつてからお拂ひ下さいと、確かに女事務員はさつき彼の耳に云つたのは云つたのだが……。何だか氣疎い氣分の儘、一等室の扉を押して入ると、其處もまた恐しく滿員であつた。

 彼は窓近くのテーブルに、それでも、一脚椅子が剩つてゐるのを見つけると、吻としたやうに腰を下した。すると、一等室に陣どつてゐた船客達は、突然迷ひ込んで來た、この不吉さうな男に對つて、一勢にけげんな眸を向けた。彼は玻璃越しに見える靑い水に眼をやり、ともかく、氣持を落着けようとした。絶えず、力のない咳が出て、眼は熱のために潤んでゐた。彼は淡紅色に染まつたハンケチを鼻にあて、靴の踵で床を突張つてゐた。周圍のざはめきのなかから、

「もう、あいつは長いことないよ」といふ聲が聞えた。その聲を夢現に聞きながら、彼はぼんやりと岸の方を見とれてゐた。[やぶちゃん注:「剩つてゐる」「あまつてゐる(あまっている」。「剩」は「餘」と同義。]

 棧橋から續く、なだらかな岸の石崖は拗ずんでゐて、松の姿も落着いて見える。その石崖に繫がれてゐる一艘の船は、今頻りと船底から魚を取出して、笊に入れてゐるのだ。手づかみにされる魚は大きく跳ねて、笊の中に滑り込んで行く。さながら、それが彼には夢のなかの情景のやうに思へて來た。すると、彼のすぐ側へ一人の中年輩の女がやつて來て、何か不滿さうにもぢもぢしてゐた。

「あ、椅子が無くなりましたね、や、ここにまだありますぜ」と、黑い背廣服の胡麻塩髮の男が、早速中央の柱の側から一脚の椅子を持出して、その女に勸めた。

 ふと見ると、中央のテーブルには一升壜が四五本、白い風呂敷で包まれた嵩張つた折が二包み置いてあつた。狹い一等室であつたが、其處を占領してゐるのは、幾家族かで寄合つた一團體であることが、彼にもわかつて來た。どうやら、これから酒盛が始まるらしい形勢だつた。とんでもない場所に迷ひ込んだ彼は、いよいよ侘しげに窓の外の方へ顏を背けた。そのうちに、詰襟を着た船長が機關室の方から現れて來た。

「皆さん、間もなく船も出帆致しますが、追つて名所舊跡の御説明も申上げますから、どうか長閑なる春の一日を、心ゆくままに御淸遊下さい」と朗詠詞で挨拶をし、案内書を配つて步いた。彼が船長に切符のことを話しかけると、「いや、その後で代金は頂きます」と云つて、その儘、隅の方の棚からレコードのケースを取出した。蓄音器が行進曲を奏でだすと、船はカタカタと搖れて動き出した。

 船室は既に賑ひに滿ち、人聲で溢れた。機關室の方から、エプロンをした少女の姿が現れると、「ねいさん、お茶を御馳走しておくれよ」と誰かが號んだ。少女は大きなお盆に靑塗の藥罐を持つて來て、テーブル每にお茶を注いで步いた。しかし、隅つこの窓際にゐる陀しげな男だけは無視した。そして少女は横關室の方へ引返す時、「まあ、おいしさうな御馳走だこと、涎が零れさうになるわ」と感嘆して獨白した。その言葉に釣られて、彼が向うを振向くと、成程既にさつきの包みは開かれ、赤や白や綠の何とも見分けのつかぬ賑やかな食物が分配されようとしてゐた。

 

 陸が遠ざかつて、汽船は今、湖水のまんなか邊を走つてゐた。遙か對岸に見える山々はうつすらと熟睡んでゐて、水の色も淡くおぼつかなかつた。汽船の曳いてゆく水脈は鉛色に搖れ、その上の空氣は冷々と曇つてゐる。鷗に似た白い鳥がいくつもいくつも緩く水の上を掠めてゐた。その鳥の翼は熱に浮されたもののやうに、高く舞上つては儚い姿で波に戾つて行つた。さながら、彼は今や自分の斷末魔が、あそこで暈いてゐるやうに思へた。だが、その鳥は水にも空にも安心しきつて、甘えて振舞ふてゐるのかもしれない。[やぶちゃん注:「熟睡んで」「まどろむ」と訓じているとしか思えないが、「まどろむ」のは「熟睡」ではなく、うとうとするのであって、漢字では「微睡む」である。「ねむりこんで」と当て読みすることも出来るが、それでは上で修飾している「うつすらと」に反するから、原民喜自身の誤りと言わざるを得ない。「暈いて」もどうもピンとこない。「くらめいて」と読むしかないが、意味が通らない。前の鳥の動きからは「霹く」(はためく)とか「閃く」(ひらめく)が浮かぶが、誤字としては如何にもである。特に「閃」は「ひらめいて」の読みで後で正しく使っているから、あり得ない。]

「船長さん、浪花節のレコードはありませんか」と、彼の前のテーブルにゐる若い男が大聲で云つた。その若い優男は赤のネクタイを締め、もういくらか酩酊したらしい肩で、隣の茶の服を着た男の肩に凭掛つてゐた。間もなく、船室の隅の方から、世にも混濁した聲で浪花節の一ふしが軋みながら低迷して來た。優男の後にゐた小肥の女がくりくりと眼を輝しながら浪花節大會の噂を始め出すと、男達はぐにやぐにやの姿勢になり、浪花節の一節を繰返し繰返し唸つた。[やぶちゃん注:「優男」「やさをとこ」。]

 エプロン姿の少女が再び機關室の方から、重さうに何か抱へて現れた。少女は大きな罐のやうなものをテーブルの上に置くと、

「皆さんに申上げます。ここの湖水で獲れました貝から眞殊が出るので御座います。御遊覽の記念に一ついかがで御座いませう。大きいのでも小さいのでも出て來るまでは御試しになつて、代金は二圓頂きます」と説明し出した。するともう室内の客は殆どそのテーブルに吸寄せられて、物珍しさうに見物するのだつた。

「何だ、何だ、それで、大きいのでも、小さいのでも、とにかく、貝を剝いで出て來るまでは、いくら剝いでもいいのだらう」と、丈の高い角刈の男が聲高く少女を問ひつめる。

「左樣で御座います」

「それならば、一體、剝いでも剝いでもいくら剝いでも萬が一、出て來なかつた場合にはどうしてくれるのだい」

 さうかと思ふと、そのテーブルを白眼視して近寄らなかつた二三の年寄連中は、「あんな、人工養殖の眞殊なんかつまらない」と眞珠の話を始めた。

 

 影のやうな男は相變らず窓の外に見入つてゐる。今、雲の切間から靑空の深みが現れ、水がはてしない相を湛へた。汽船の吐く煤煙が遠のいて消えてゆく彼方に、木の葉位の舟が搖れてゐた。その舟には緋の袴を穿いた女の姿が小さく見え、袴が燃える火のやうに思へた。やがて、その火はぽつちりと消えた。と、また、彼の見てゐるすぐ眼の前を矢のやうな速さで舟が走つて來た。舟には緋の袴を穿いた振分髮の女が眩しい謎の眼ざしで立つてゐる。次いでまた一艘の舟が汽船とすれすれに現れた。その舟はのろのろと波に搖られながら、侘しい船頭の姿が段々遠ざかつて行つた。

 その時、汽笛が鳴り、船の速度が緩んで來た。

「さて、皆さん、間もなくゼビへ着きます。停船時間は十五分であります。ゼビの堰を御覽になつて下さればいい譯で、堰は堰ですから格別御説明申上げる程のこともありません」と船長が喋つてゐる間に、船は岸に橫づけになつた。船客はぞろぞろ堤防の方へ渡つて行つた。そこにはまだ櫻が咲殘つてゐて、茶店も二三軒ある。何の紀念碑か靑い石の肌に麗かな陽があたつてゐる。その紀念碑を背景にして、もうカメラを弄つてゐる連中もある。一等船客の後へ從いて、彼もぼつねんと堰堤の路を步いて行つた。そこは湖水の咽喉口にあたり、一旦喰止められた水が、その堰を潛ると、急流となつて落されて行くのだつた。堰は鐵とコンクリートの嚴しい裝置で水の上に長々と橫はつてゐた。人々は堰の背骨の上に佇み、靑く渦卷く水と、蹴落されて咆哮する水を、ぽかんとして見較べるのであつた。[やぶちゃん注:「弄つてゐる」「いぢつてゐる」。]

 早目に彼が船室の方へ引返して行くと、船長ははじめて切符の直りの金を受取つてくれた。「下の方の部屋も空いて居りますよ」と船長はこの病弱さうな靑年に教へた。見ると、さつきまで張つてあつた階段の入口の綱が今は取外されてゐた。そこで彼は階下の部屋へ降りて行つた。少し汚れた白い覆の掛つてゐるソフアが窓に添つて据附けてあり、低い天井の下はがらんとして陀しく、誂向の病室のやうであつた。彼はソフアに長々と脚を伸し、窓に凭掛つて、疲れた體を休めた。もう頭の上の方では、戾つて來た船客達がゴトゴトと床を蹈鳴らしてゐた。船は動き出した。[やぶちゃん注:「直り」「なほり(なおり)」。劇場や寄席その他に於いて、より上等な席に移ることを言う語。「誂向」「あつらへむき」。]

 水面に近い窓から遙かに上を見上げると、空が少し顫へてゐた。今、彼の見るものは、みんな微熱を帶びて顫へ出すのであつた。船の近づいて行く方角に、靑い優しい岸があつた。圓味のある丘が花鬘をかざし、怨嗟の眼ざしで水に映つてゐる。それは遠い昔の亡靈に似てゐた。と思ふと、すぐ窓の下に走る水が、さつと二つに割れ、湖底の方から石の階段や甍が閃いて現れた。昔、水底に陷沒した衢は今もまだ殷賑を極め、石疊の上をぞろぞろと人の往交ふ光景が見えた。だが、走る水は忽ち姿を變じ、人骨の破片や、魚の骨が白々と浮沈しながら從いて來た。[やぶちゃん注:「花鬘」これは「けまん」であろう。釣り環(わ)で長押(なげし)や梁に懸ける仏堂の荘厳(しょうごん)具の一つ。「衢」「ちまた」。]

 そのうちにも、靑い優しい向岸の姿は段々大きく近づいて來た。背後に鬱蒼たる山を控へてゐる白い岸を遊山客がひききりなしに蠢いてゐる。船は間もなくダビ寺の棧橋に停まつた。「今度の停船時間は三十分であります」と、船長が頻りに繰返し、船の煙突は濁つた煙を吐き出してゐる。彼も船底の部屋からふらふらと立上ると、人混のなかに紛れて步いて行つた。

 太陽が眞上から照らし、ダビ寺の山門を潛れば、石の多い山徑がうねつてゐた。その徑に人々は一杯溢れ、紅白の花や、艷々した葉が渦卷いてゐる。彼は苦しい呼吸を續けながら、漸く山徑を登り、とある空地のベンチに腰を下した。すると、耳の中がじーんとして、氣が遠くなるやうであつた。今、下に見える山門の甃石に大きな牛車が這入つて來た。烏帽子に直垂を着た男達が一杯牛車のまはりを取圍み、押合へしあひしてゐる。車の金具が燦爛と輝き、旌がひらひら飜つてゐる。と思ふと、彼のゐるベンチのすぐ脇を、一人の老人が音もなく通り過ぎた。茶色の頭巾を被り、澄んだ眼をしてゐるその人はたしか彼の記憶にある人ではあつたが、誰ともわからなかつた。すると、今度はまがふこともない一等船客の連中が現れた。古代模樣の着物を着てゐる娘を左右から押すやうにして、二人の若者が蹣跚と步いて來る。その後を桃色のシヨールをした小肥の女が何か云ひながらつけて來るのだ。[やぶちゃん注:「甃石」「しきいし」(敷石)と訓じていよう。「牛車」「ぎつしや」。「烏帽子」「えぼし」。「直垂」「ひたたれ」。上衣と袴からなる武家の衣服。「燦爛」「さんらん」。光り輝くように華やかで美しいさま。「旌」「はた」。幟旗(のぼりばた)。古来、朝廷での儀式祭礼の具として用いた。「蹣跚」「まんさん」。よろめくように歩くさま。]

 そこで彼はベンチを捨てて、麓の方へ降りて行つた。茶店や土産店の並んでゐる路は、こゝは浮れた人々の浮れた振舞ばかりであつた。手拭で踊りながらやつて來る老婆や、それに釣込まれて歌ふ老人の姿など、昔から見なれた繪の中の有樣のやうで、ぼんやりしてゐる間に三十分は過ぎてしまつた。

 そして、彼は再び船底の部屋のソフアに身を橫へた。更に氣分は重苦しく、體は熱のために震へた。船はダビ寺の岸を離れて、次第に湖水の中央へ向つてゐる。それが今、彼には長い長い旅のやうに思はれた。見ると、窓の外の水の果てに、煙突の林立した空が現れた。煤煙で汚れた空の一部が、確かあの邊に工場などあるらしいのではあつたが、それも何か不思議な過去のやうであつた。

 

 彼が孤獨の部屋を領してゐると、上にゐた乘客が到頭やつて來た。はじめ、赤ネクタイの優男とその連れの若者がふらふらの足つきで階段を降りて來て、侘しい船室を物色してゐたが、直ぐにソフアの上にごろりと橫になつてしまうた。彼等は少し辛らさうに足をパタンパタンやりながら浪花節を唸つてゐたが、間もなく赤ネクタイの方が頭を兩掌で抱へて睡むり込まうとすると、連れの男が小聲で何か絶えず話しかけるので、赤ネクタイの男はいよいよ足をパタつかせる。そのうちに古代模樣の着物を着た娘が階段から船底を覗くと、大變嬉しさうに男達の側へやつて來て、べちやくちや喋り出した。

 次いで桃色のシヨールを卷いた小肥の女が現れた。

「まあ、こんなところへ逃込んでずるいわ」と、その女は二人の男の眞中へ割込んで坐つた。すると、今度は桃色のシヨールの相棒らしい、更に元氣さうな女がやつて來た。

「なるほどこんなところがあつたのね、上の皆をここへ呼んで來ませう」と、その女は上の船室へ引戾すと、誰彼を誘つてやつて來た。[やぶちゃん注:「引戾すと」はママ。「「引き返すと」或いは「戾ると」でないとおかしい。]

「どれどれ、ほう、ここもまたよろしい」と胡麻塩鬚の親爺は呟いた。何時の間にか船底の部屋は團體客で一杯になつてしまつた。彼等は上の室から折詰や德利を運び、又改めて騷ぎ出すのだつた。すると、船長までが遂にこの船底の室へ訪れて來た。

 船底の部屋は人いきれで澱み、人聲も睡むさうになつた。船長は汚れた窓の外を差覗きながら、慣れた口調で説明しだした。

「あの向うに見えまする松原はダバの松原と申しまして、昔、戰爭があつたところです。松原の上の山もやはり戰場の跡で御座います」

 今も船長が指差す方角の岸には槍や兜がキラキラと霞の中に光り、五月人形のやうな武士達が屯してゐた。と思ふと、松原の上の山腹からワーと鯨波の聲が揚つて、騎士の一隊がなだれ落ちた。影のやうな男は船長の説明を夢現に聞きながら、妖しい戰爭に見とれてゐた。[やぶちゃん注:「屯」「たむろ」。「鯨波の聲」「ときのこゑ」と読みたい。]

「なるほどいいこと云ふなあ」と、その時、側の靑年が呟いたので、彼ははつとした。今迄何を船長が話してゐたのか、彼には不明瞭になつた。

「さて、間もなくワビに着きます。停船時間は十五分で御座いますから隨時御參拜を願ひます。ワビの御堂も去る年の颱風で吹飛ばされ、今はコンクリート建になつてをります。ここにも哀傷きはまりない昔物語があります」と、船長が話してゐるうちに、船はワビの岸へ橫づけになつた。舷から見ると、漁師の家らしいものがちらほら見える侘しい村落で、岸には蒲の穗が白く枯れたまゝ並んでゐた。[やぶちゃん注:「舷」「ふなばた」と訓じたい。]

 船客達は我勝に岸へ渡つて行つた。群衆に遲れて、彼も後から步いて行つた。見ると、もう多くの人々の足並がひどく亂れてゐるのだつた。賑やかに蹣跚けながら從いて行く、ひよつとこや、しどろもどろに男に絡みついてゐる、おかめなど、人々は狹い路に溢れて、ワビの御堂の方へ押流されて行つた。御堂の境内には年齡を經た松や石碑もあつたが、もう大概の人々は何が何だか、いゝ加減に見て步くばかりだつた。コンクリートの御堂をぞろぞろ一𢌞りしてみると、みんな納得してぞろぞろ船へ戾つて行つた。船は岸に添つて暫く航行を續けたが、やがて、ガガへ着いた。[やぶちゃん注:「蹣跚け」「よろけ」。]

「ガガで御座います。こゝは松で有名ですが、惜しいことにもう昔のは遠の昔に枯れました」と船長が云つた。

「さあ降りませう」と桃色のショールは胡麻鹽賀の腕を引張つた。

「えい、松が何ぢやい」と、もう親爺は面倒臭氣に腰を上げようとしない。

「ま、ま、ま、ま行つて見ておきませう」と角刈の男に誘はれると、不承不承立上つた。影に似た男もここが最後の停船場ときいて、人々の後から從いて行くのだつた。松はぽつんと路傍にあつた。「松もいいが櫻もいいな」と嘆じる男もあれば數珠を取出して松を拜む老婆もある。「なるほど、なるほど」と、別に感銘もなさゝうに人人は船へ引返して來た。

 船底の室は騷音に滿ちた。女達が多分ワビの御堂の境内で買つたのだらう、ピピピピと鳴る狂笛を今、口にあてゝ、男達の面前で吹鳴らす。男達が煩さがれば煩さがるだけ、女連中はしっこく吹鳴らす。ピピピピピと頰を脹らかして、頤を突出した、ふてぶてしい姿は、何だか却つて子供らしくもなるのであつた。[やぶちゃん注:「煩さがれば」「うるさがれば」。]

 ピピピピと鳴り喚く笛にのぼせてしまつたのか、向うの隅でじつと苦しさうに顏を顰めてゐた親爺が、ソフアの上に蹣跚けながら吐瀉を始めた。その橫には、これももう意氣消沈した大年增が圓くなつて身を縮めてゐた。しかし、元氣な女達は笛を吹いては、花あられをパリパリ貪り、はてしもない有樣であつた。

 船長は平然として、また窓の外の説明を始めた。

「向うに見える山の一帶は千年前賑はつた場所であります。あの白堊の建物はホテルです。この邊一帶は再び面目を一新し、やがては公園となり、今に豪華を誇る日も遠くありません」

 すると一の水上飛行機が汽船の間近を通り過ぎた。が、向うに見える山の一帶は今靜かにうつとりと過去の睡りをつづけてゐるのだつた。船長は説明を終ると吻として、風呂敷包を抱へてやつて來た。[やぶちゃん注:「吻として」「ほつとして」。]

「今日の遊覽の紀念で御座います。タオル、ハンカチーフなど取揃へてあります。お値段は普通の店より格安になつてをります」と、船長はテーブルの上に店を展げた。日はもう斜に傾いて窓に眩しく差込んで來る。何時の間にか、眞珠を賣つてゐた少女も、ここへやつて來て、箒で床を掃除し出した。掃除が濟むと少女はぽかんとしてソフアに腰を下した。船長も喋り草臥れてソフアに掛けてゐる。角刈の男は何時までも元氣で、少女の肩へ手を掛けながら、船長に對つて、

「これは私の妹ですから、よろしくお願ひします」と無駄口をきいてゐる。[やぶちゃん注:「對つて」「むかつて」。]

 ……すつかり物憂い氣持で、さまざまな情景を見せつけられてゐた影のやうな男には、しかし、今はもうこの船客達がみんな誰も彼も因果の殘骸のやうに思へた。それは遠い日の記憶に𢌞る人々とどこか似かよふところもあつたが、みんな、もう千年も昔から生き殘つてゐるのかもしれない。

「しかし、船長さん、人間の命をあづかつてゐるからには、やほり責任は重大ですな」と、角刈は續けてゐる。

 さうだ、ここの湖水も一たび怒れば船も人も吞んでしまふにちがひない。すると、今、遠く水銀色に光る水の面に、ちらりと奇怪な翳が宿つた。急に底冷えのする風が窓から侵入すると、船はくらりと一搖れした。次いで耳を擘く叫喚が汽船を目がけて押寄せて來る。汽船はキリキリと激浪に揉まれ、メリメリと窓枠が崩れた。ざざざと波が一同の顏を押流す。影のやうな男はその波の中に捲込まれて消えて行つた。

 

 それから船は最初の港へ無事で戾つたが、影のやうな男の姿は見失はれてゐた。

 

2018/01/10

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 曠野

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「曠野」(「あらの」と訓じておく)は昭和一四(一九三九)年二月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。傍点「ヽ」は太字に代えた。

 一部の段落末に簡単な注を附した。【2018年1月10日 藪野直史】]

 

 曠野

 

 頭の上の空は眞靑だつたが足許には霧が這ひ𢌞つてゐる。あんまり風もないのに霧は霧だけの流れに隨つてゐるらしかつた。唯彦のまはりには見渡す限り丈高い草が波打つてゐる。草には初めてみるやうな珍しい花が咲いてゐて、根元では鈴蟲が靜かに啼いてゐたが、彼の跫音が近づいても啼き歇むやうなことはなかつた。極彩色の小さな蝶が留まつてゐる枝のすぐ隣には靑い蜘蛛が糸を垂れて、透明な糸に纏る幽かな光を娯しんでゐる。

 一羽の鷓鴣が唯彦の姿を珍しがつてか、暫く後から、ひよこひよこ從いて來る。唯彦はちよつと鷓鴣を手籠めにしてしまひたいやうな誘惑や、もしかするとこの鳥は死んだ妹の絹子ではあるまいかしらといふ憐愍を抱きながら振返つて後を見たいのを怺へてゐた。惜しいことに、彼の眼の前にある、とりどりの花は何といふ名稱を持つてゐるのか唯彦には解らなかつた。それなのに彼は自分の今步いてゐる場所を描寫でもするやうな心構へでゐ

た。振返ると淋しい微笑が泛んだ。[やぶちゃん注:「鷓鴣」「しやこ(しゃこ)」と読み、広義にはキジ目キジ科Phasianidae の鳥のうちでウズラ(ウズラ属ウズラ Coturnix japonica)より一回り大きく、尾が短く、茶褐色の地味な色彩をしたものの一般的な呼称である。狭義にはキジ科シャコ属Francolinusに含まれる四十一種を指すものの、このシャコ類は殆んど本邦に棲息しないから、ここはウズラの成鳥或いは大型個体を想起してよいと私は思っている。「怺へて」「こらへて」堪(こら)えて。]

 急に唯彦は鷓鴣を摑へてやらうと後を振向いた。と、その時にはもう鷓鴣の姿は無かつた。唯彦は足許に落ちてゐた濡れた靑い小石にふいと視線が留まつた。それだつて鳥だよ、絹子だ、君自身だ、と譯のわからない言葉に躓かされてしまつた。唯彦は屈んでその靑い小石に指をあててみた。濡れてゐるのに生溫かつた。美しい白い縞まであつた。指でまはりの土を拂つて掌にのせると、小石は急にドド…………と濁つたオルガンのやうな音をたて始める。中學時代、彼の家にあつた、ぼろぼろのオルガンと、それを片手で彈かうとする苛々した氣分がすぐに憶ひ出された。彼は小石を思ひきり遠くへ放つた。ドド…………と小石の音は唸つて遠ざかつてゐたが、突然ガチヤンと硝子の壞れる音がした。何處にも家らしいものはないので唯彦はけげんな顏をした。それよりも長い間、ものを放つたりしたことのない自分が久し振りに右の肩の筋肉が使へた方が珍しかつた。中學の時、野球で右手を挫いて以來、右手は使へなくなつてゐた。何だか晴々した氣分と同時に、やはり自分はもう死んでゐるのだな、と今更のやうに淋しく怖かつた。誰かが向うから現れて、硝子を壞したのを叱つてくれればいいと思へる。もしかそこに美しい可憐な少女が現れて咎めて呉れるのなら猶更いい。すれば、彼はもう生前のやうにそんなことを照れくさく感じないで、素直な快活な笑顏で迎へよう。しかし、ふと彼は自分がもう卅を越してゐるのを思ふと、却つて照れてしまつた。頰もそげ、眼も窪み、四肢さへよろよろとして、まだ十七歳の夢が少し殘つてゐた。[やぶちゃん注:「すれば」はママ。無論、「そうすれば」のごく口語的な用法。「自分がもう卅を越してゐる」発表当時の原民喜も三十三歳である。但し、私は後の注で原民喜の事蹟を参考に出したりはするものの、主人公唯彦はあくまで原民喜の想像した架空の人物であり、作者の事蹟と一致するものではない。]

 …………何のもの音もなく白兎がひよいと叢から現れた。眼がルビー色で、頻りに頰のあたりの鬚を細かく動かせて、彼を物色してゐるらしい姿だ。今度こそ捕へてしまへ、と唯彦は兩手を擴げて飛掛つた。兎はたんと土を蹴ると同時に叢へ消えた。

 暫く呆氣にとらはれて、唯彦は兎の消えた方角を見送つた。兎の足跡は砂の上に微かな記號を綴つてゐる。彼はその記號を追つて叢の方へ分け入つてみたくなつた。思つたよりも近くに兎の穴はあつた。唯彦は微かに胸のさはめきを感じた。屈んで覗き込まうとする刹那になつて、何か冷やりとする感觸が怖くなつた。穴の上からぶら下つた破れた蜘蛛の巢が耳朶に觸れる。と、穴の奧から褐色の鎌切が飛出して、唯彦の頤を衝いた。兎の穴にしては多少變だなと思ひはじめると、暗い視野の底にたしかに玻璃のやうな空間が浮び上つて來る。愈々眼を凝して瞬くと、その小さな空間には何か焦點の呆けた物の象が蠢いてゐるのだつた。そのうちに玻璃の表に懸つてゐる白い霞の覆ひが拭はれて、鮮かに小さな空間が定著されかけたかとみると、一度ぐらりと搖れて、今度はすべての象がそれぞれの位置に置かれた。

 端書ほどの大きさの廣間だが、そこに坐つてゐる人物は隨つて豆粒よりも小さかつたが、それがお寺の廣間で、唯彦の親爺や、親類が集つてゐることは直ぐにわかつた。桑田堅一も居る。彼は風邪をひいて居るのか頻りに袂から鼻紙を出して、洟をとつた。彼と唯彦が最後に逢つたのは何時のことだつたのか、はつきり憶ひ出せない、そんな風な慣れきつた間柄だつたので、桑田堅一が居ることは異樣ではなかつた。が、今、堅一の前に唯彦の親爺が近寄つて行くと、親爺は頭を疊に下げて、ちよつと空氣を掬ふやうな、ものなれたお叩儀をした。すると、堅一の頰は急に瞬間硬ばつて、それから硬直を解かうとするやうに微笑が現れた。唯彦はをかしかつた。が、何よりもいぢらしいのは、凡ての人物があんまり小さすぎる癖にそれが刻み出す動きが一つ一つ手にとる如く見えることだつた。[やぶちゃん注:「お叩儀」「おじぎ」と訓じているものと思われる。本作品群では「お叩頭」では出て来たが、これは初出の当て字。]

 黑い法衣の僧が、二人、つづいて錦を纏つた僧が現れ、太鼓が打たれ始めた。太鼓の前に、七つ八つの子供が駈けつけて行つた。それは叔父の息子に違ひない。子供はしかし僧の脇に來たものの、目的を失つてまた遠くへ駈け去つた。拍子木が打たれ、御經が僧の掌に執られた。愈々、唯彦の四十九日の法會は始まるらしかつた。ところがこの端書大の一切の光景は忽ち輪郭が濁り、色彩が亂されてしまつた。唯彦は自分の眼に淚が浮んでゐるのを知つた。今迄くすくす笑ひながら眺めてゐたのに、つい、うつかり泣いて居たのだつた。唯彦は何だか忌々しく、もう向うにある世界を覗かうとは思はなかつた。勝手にするがいい、と彼は掌に一握りの砂を搔き集めて、その小さな鏡をめあてにパラパラと投げつけた。何だか井戸の底に砂を投げた音が憶ひ出される。井戸の底には妹と彼の顏が映つてゐた、砂を投げつけると、彼等は崩れた。ところが一度映つた妹の顏は、その後妹を失つてから、唯彦が絶望のはて、少し空想が高ぶると、忽ち井戸の底に自在に再生することが出來るやうだつた。

 唯彦は再びもとの徑にひきかへした。霧は地面を低迷し、樹木らしいものも、山らしいものもない、ただ繚亂たる草花の原野だつた。そして、空の色は碧かつたが、ここでは時間が停止してゐるやうに日輪の運行が見出せなかつた。何時からこんな場所へ來てゐるのか、唯彦は次第に心細くなつた。まづ秩序だてて自分の足どりを憶ひ出さうとしても、すべては朧氣に色褪せてゐた。彼は頻りに糸口をつかまへようとあせり始めた。

 …………桑の葉に夜の雨が降り注ぐのを聽きながら、ぼんやりしてゐたのは隨分昔のことだつた。桑の木があつたのは唯彦の家が町はづれにあつた小學生の頃だつた。それが極く最近になつてから憶ひ出され、ぼんやりして夜の雨を身近かに甦らすと、屋根も畑もびしよ濡れの闇に、突然、だだだ……と遠方の海が立上つて襲つて來る。海は陸を一舐めにして、唯彦を海底へ引摺り込んでしまふ。さう云ふ風な空想に耽り出したのは、唯彦の餘命がもう朧氣ながら凡そ計算出來たからだつた。

 空想は海の底の藻屑と化した唯彦の怨靈の行方を追ふ。(そして昔、父親が屋島土産に買つて來た平家蟹の顏を思ひ出す。)海底へ塡り込んだ唯彦は魚類の游泳や藻草の搖曳に心を慰めながらも、やはり地上のことにも興味があつて、時々、覗き穴から陸の方を眺めると、そこでは何と澤山のドラマが演じられてゐることだらうか。さて愈々この地球も衰微してしまつて、もう間もなく滅亡する時期になると、海底の怨靈どもは會議を開き、どうせこんな地球なんか罌粟粒位のものなのだ、我々は始めからこんな地球なぞ選んで生れて來た譯ではなかつた、卽刻他の天體へ移住しようではないか、と云ふ怨靈や、まあ待ち給へ、どうで何處へ行つたつて滅びるものは滅びる、我々も今迄のめのめと死にながらへてはゐたが、ここで潔く、一切合切滅亡にまかせようではないか、滅びるのも亦なかなか壯嚴ではないか、と云ふ説も出る。…………この海底に關する突飛な死後の物語は、何時からともなしに唯彦の心を占めたのだが、もしかすると、最初のきつかけは三度目の喀血の時孕んだのかもしれなかつた。既に二年前の初秋の星月夜だつた。薄暗い路傍で突然くらくらと闇に突き陷されて、再び氣づいた時には彼は擔架で運ばれてゐた。すると、頭上の星空が實に美しく、彼のゐる地球は宇宙の藻屑と化してゐた。彼は水底の魚のやうにあぷあぷと眼を星空に据ゑてゐた。はるか彼方へ泳ぎ去らうとする念願が既にその頃から宿つてゐた。[やぶちゃん注:「どうで」副詞。孰れにせよ。「どうせ」の古めかしい言い方。]

 そして、唯彦が今泳ぎ着いて來た地帶は、はたして他の天體なのだらうか。それにしては何處か見憶えのある風景だつた。生れた地方以外にあまり旅行もしなかつた彼だが、それでも死期が豫想され出すと、頻りに見知らぬ國の風景が慕はれ、旅への誘ひが抑へきれなくなつた。それで、よく繪葉書や寫眞を集めて、頭のなかで他國の山河を沍り步いた。自分の墓所をあれこれと選ばうとして遍歷してゐるものの姿や、さては沙羅雙樹の下の寢釋迦の像が描かれた。たとへ繪葉書にしても、地球には何といふ立派な靑山があるのだつたらう。なだらかな山脈に圍まれた小さな湖水、大海の崖に建つ白亞の燈臺、森や丘を縫つてうねうねと續く優しい徑、さうした景色はごつちやになつて唯彦の頭に絡みつき、一つの景色が他の景色を孕み、産みおとされた景色は忽ちまた夢のやうに茫漠たるものの中に吞込まれて行く。そして、漠然とした大きな世界が、そこで彼が瞑目し、さまよひ步くであらう高原が、どうかすると白晝でも描かれるのであつた。

 けれども、唯彦は自ら好んで死を手繰り寄せたのではなかつた。それどころか、死ぬる際まで、生きる手段を考へては居たのだ。あの最後の日も、彼は家でラヂオを聽いてゐた。スペインの内亂のニユースが途中で搔き消されてしまふと、後は白い矢のやうなものが頻りに彼の身に降り注いだ。今度こそ駄目なのか、と彼は床に運ばれて少し樂になつた時考へた。彼は憂鬱の氷結した眼を凍と細め、今から何分間生命が保つのか、それをぢつと見守らなければならなかつた。[やぶちゃん注:「スペインの内亂」第二共和政期のスペインで勃発した軍事クーデターによるスペイン内戦は一九三六年七月に始まり、スペイン第二共和政の最後の大統領マヌエル・アサーニャ・ディアス(Manuel Azaña Díaz 一八八〇年~一九四〇年)率いる左派の人民戦線政府(共和国派)と、スペイン陸軍軍人フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(Francisco Franco y Bahamonde 一八九二年~一九七五年)を中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争い、反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援、欧米市民知識人らも数多く義勇軍として参戦したが、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持して直接参戦に拡大した。本作は昭和一四(一九三九)年二月であるが、その前月にはフランコはバルセロナを占領し、翌月一九三九年三月にはマドリードも陥落、三月三十一日、スペイン全土が反乱軍に制圧され、四月一日、フランコは内戦の終結と勝利を宣言している(ここはウィキの「スペイン内戦他を参照した)。あまり知られていないと思うので言い添えておくと、原民喜は慶応義塾大学在一、二年の頃、一時、左翼運動へ関心を高め、「解放運動犠牲者救援会」(昭和三(一九二八)年四月に結成された解放運動家の救援活動を行う支援団体であったが、翌年にはコミンテルンの指導の下に設立された「国際赤色救援会(モップル)」に加盟してその日本支部となって「日本赤色救援会」に改称、数年のうちに壊滅させられた)に所属し、昭和五(一九三〇)年には広島地区救援オルグにもなっているが、組織の衰弱化と崩壊に伴って、自然に運動から離れている。それでも結婚翌年の昭和九(一九三四)年五月には『昼寝て夜起きるという奇妙な生活を続けた』(青土社全集年譜。以下、引用は同じ)結果、『特高警察の嫌疑を受け、夫婦で検挙された』りしている(但し、『一晩の拘留で帰され』ている)。本作品群「死と夢」は最古の作品が先に電子化した「行列」(昭和一一(一九三六)年九月発表)で、しかも民喜は長い時間をかけて執筆・推敲する傾向が強いから、本作は「スペインの内亂」とは、内乱の悲惨な終決ではなく、寧ろ、内乱勃発の初期(昭和一一(一九三六)年から翌年辺り)をイメージした方がよいと私は思っている。但し、無論、その頃には原民喜は既に左派運動自体とは全く縁を切っていた。しかし、彼の内実の思想傾向がどうであったかは、定かではない。というより、本作はその点に於いて、確かに彼の名実の感懐を印してはいると言えよう。

 しかし、ニュースが中途で聽けなくなるまでは、彼の現世に對する欲望は持ち續けられてゐた。世界の情勢を研究した上で、相場をして、金儲をして、その金で出版屋を始めて、それから自分も著述をする。このお伽噺に似た計企も以前は病勢を防ぐ一つの役割をして居た。相場はしかし思ふやうにならなかつた。創作も十年前には頻りに不自由な左手でペンを走らせたものだが、最近ではまるで白紙狀態だつた。

 十七歳の秋、彼は教師と喧嘩をして中學を退學した。翌年、病魔は最初彼を訪れたのだが、彼の詩はたまたま中央の雜誌に掲載された。その頃から點火された文學に對する野望は、その後まるで形に現はれなかつたが、死ぬるまで、燻りながら彼を苦しめ續けて居たのだつた。彼は藥代で書籍を求めては讀み破つた。結核もしかし、二十代ではまだ若さによつて克服されて居た。何度も死に面しながらも、彼は放縱に振舞つて、病氣を虐待して居た。その間に、彼より遲れて病魔に襲はれた彼の年上の友はあつ氣なく死んでしまつた。その友が死ぬる前の年に、唯彦は相手と口論して地面に叩き伏せられたことがある。彼を叩き伏せた男の靜かな死顏も唯彦は憶えてゐる。

 唯彦から若さを奪ひとり、急に魂を萎縮させたのは、その次に來る妹の死であつた。絹子は彼の唯一のよき理解者であつたのだが、結婚もしないうちに死んでしまつた。その頃、彼と彼の父は郊外の畑中の家に移つて暮してゐたが、靜かな環境と妹の死とは彼をすつかり沈滯させてしまつた。彼はもう三十を越してゐた。二十代の自棄くその元氣を顧ると、それが止むを得なかつたことにしろ、或るにがにがしい氣分にされた。外部からも自分からも欺かれてゐたのだ。彼は家の裏に花畑を作つて、草花を植ゑほじめた。はじめはやるせない氣分を紛らすための侘のすさびであつたのだが、不自由な左手で土を掘つたりする時、土から湧き出して來る土の生々しいにほひは彼に忿懣の情を呼び起すのだつた。彼はよろよろとした手つきで、そこはかとない怒りを土に振りまいた。その姿は多少凄味をさへ感じさせた。そして疲れはてて立上ると、眼は眩しい靑空に昏みさうになるのだつた。さうした過勞が崇つて、三度目の喀血となつた。それから死に到るまでにはまだ二年の歳月がある。[やぶちゃん注:「自棄くそ」「やけくそ」。「顧ると」「かへりみると」。「忿懣」「ふんまん」。憤懣。憤(いきどお)り悶(もだ)えること。腹が立って苛々(いらいら)すること。]

 …………しかし、この、たどたどしい、朧な經歴も、今、唯彦のぼんやりとした囘想のうちに浮んで來たのだが、彼自身が囘想してゐるといふよりも、誰か外部の人間に依つて記述されてゐるやうな氣がした。誰が私のことを小説などにしてゐるのだ、と唯彦はふと遠方の空を眺めた。そこには眞白い星が二つ三つ微かに瞬いてゐる。

 不意と森の事を憶ひ出した。さては、あの男が今私のことをごたごた書いてゐるのだな、唯彦は急にをかしくなつた。勝手にするがいい、と唯彦は胸のうちで呟いた。遲かれ速かれ君だつて死ぬるのだ。さう云つて彼はまのあたりに森の姿を尋ねるやうに立留まつた。見ると草原は依然として同じやうな眺めではあつたが、光線が大分薄暗くなつてゐて、次第に霧の冷たさが足に感じられた。そして、耳を澄ませば、さつきまで啼いてゐた蟲の聲は杜絶えてゐる。氣がつくと、丈高い草の花辨はみんなうなだれ、どの葉もどの莖も萎れかかつてゐるのだつた。

「もし、もし」

 その時耳許ではつきり聲が聞えた。唯彦ははつとして底冷えのする周圍を見𢌞した。しかし、もとより誰の姿もそこにはなかつた。彼は氣にとめまいと思つて、すたすたと步き始めた。が、また妙に重苦しい氣特につき陷された。

 

 突然、遠くの方で、ビユーと風の唸る音がした。と思ふうちに、もう叢はさわさわと戰き始めた。嵐になるらしい空は、しかし今不思議に冴えて美しかつた。眞綿のやうな薄雲が五色の虹をおびて輕く浮んでゐる。ところが、その奧の方のもつと靑いもつと深い空のところに、嚇と其赤な牡丹の花が燃え出した。あつと思ふうちに、その花は眞黑な煙を吐き出して、形骸を失つてしまつたが、煙は忽ち唯彦の頭上まで伸び、空は濠々とした黃色なガスで覆はれた。唯彦は窒息しさうになつて、眼に淚が滲んだ。氣がつくと、彼の周圍に生えてゐる草は、みんな眞白に枯れて、それは枯木のやうに思へた。が、再びそれを注意すると、枯木はみんな骸骨になつてゐた。骸骨どもは風に搖れて、カタカタと鳴つた。その時、空が一層暗くなつて、無數の鶴が飛んで行つた。鶴の羽音が去つた時、急に靜寂が立戾つたが、もうあたりは完全に闇と化してゐた。唯彦は茫然として闇の中に蹲つた。嵐は他所へ逸れてしまつたのか、今は何もののそよぎもなかつた。空を仰がうにも星らしいものの光はなく、すべてが闇と靜寂に鎖されてゐるのだつた。唯彦は今居る場所がやはり狹い暗い墓の中らしいのを感じた。今迄身は輕ろやかに自在に空の下を散策出來たと思つてゐたのに、もはや己は闇の底に幽閉されてしまつてゐるのだらうか。[やぶちゃん注:「戰く」「わななく」。ざわざわと音を立てる。]

 暫くすると、闇に慣れた視力に、ふと何か仄かに白いものが蹲つてゐるのが見えて來た。唯彦はそれがすぐ近くにゐて、たしかに息をしてゐるらしいのを感じた。次第に唯彦は怕さに神經を尖らしながら、息を潛めた。しかし、相手はもうちやんと唯彦の存在を知つてゐるやうに、落着いてゐるらしかつた。一體、何者なのだらう、と唯彦は猶も緊張したまま蹲つてゐた。その時相手は今迄怺へてゐた言葉を放つ最初のきつかけを作るやうに、「ほう」と奇妙な聲を放つた。それで唯彦はまづ相手が人間であることがわかつて、ちよつと安心した。一聲洩したまま、相手はまた沈默したが、その聲の調子ではどうやら相手は年寄つた女らしかつた。何のために俺の身邊にやつて來て、言葉を掛けようともぢもぢしてゐるのか、唯彦は妙に腹立たしく感じ始めた。

「ほう、見える、よく見える」と相手はまた獨白をつづけてゐた。「私の眼は死ぬる前には、殆ど役立たなかつたのに、今はまるでよく見えるやうになつた」

 それから相手はまた默つてゐたが、

「あのう、そこにおいでになるのは淸水さんではありませんか」と急に彼女は唯彦の姓を呼んだ。

「あなたは誰です」唯彦はびつくりして相手を視凝めた。何時の間にか闇はさつきより薄らいでゐて、相手の輪郭は朧氣ながらも見出すことが出來た。やはり年寄の女が一人ぼんやりと彼の方を視凝めてゐるのだつた。

「淸水さんですか。やつぱしさうですか。よく似た方だと思つてゐました。それでは何時あなたはなくなられたのですか」

「あなたは誰です」と唯彦は相手が名乘らないのでまた訊ねた。

「おや、まだ云ひませんでしたか、私は森です、森の母です。二度か三度あなたは家へおいでになつたでせう」

 唯彦は彼女が怪しいものではないことを知ると微笑した。しかし、纔か生前二三度顏を遇はせただけの人に憶えられてゐることは、あんまり嬉しい氣持ではなかつた。

「あなたが去年だか、息子が家へ歸つて來た際、訪ねて下さいましたが、あの時もやはり咳などしてゐられたので、丈夫ではないらしいと後で話し合つてゐましたが、やはり駄目だつたのですか」

 唯彦は返事のしやうがなかつた。「あなたも死んでらつしやるのですか」と唯彦は訊ねてみた。すると彼女は輕く頷いた。

「ええ、私などは何と云つても、もう齡が齡ですから仕方もないことですが、あなたなぞはさぞ殘念なことでせう」唯彦は返答しなかつた。

「それに私でもまだ後に殘した子供達のことを考へると矢張り後髮を牽かれる想ひです」

 彼女はたしかに少し自分の言葉に興奮し始めた。「さうです、子供達は一體これから先どうなるのでせう。子供達の生きてゐる地球はほんに何だか無氣味なことだらけのやうです。何がどう云ふ風になつて行くのやら私のやうな無學者ではさつぱりわかりませんが、死際まで私は變な妖しい夢に脅かされました。一體どういふことになるのでせう、あなたのやうな若い方にはそれがよくお解りではありませんか」

 唯彦は森の母がそんなことを言ひ出したので、ちよつと眼を圓くした。しかし、何と云つて答へたものか彼自身にもわからなかつた。「あなたが尋ねてゐられるのは世の中のことですか」と唯彦は訊ねた。相手は靜かに頷いた。ふと唯彦は何だか理由もなくをかしくなつて、しかもドキリと刃物をつきつけられたやうだつた。彼は笑顏を作つた。

「まあそんな心配なさらなくともいいでせう」

「さうでせうか」

 唯彦は曖昧に頷いて、なはも微笑を續けてゐた。「それより僕はどうしてあなたとこんな場所で逢へたのか、その方が今心配です。僕はこれからどうなるのでせう。どこへ行つたらいいのか解つてゐるのなら教へて下さい」

 すると彼女は訝しげに四邊を見𢌞した。「私もさつきまであなたとお逢ひ出來るとは思へなかつたのです。何處となしに迷ひ步いてゐるうちに色々、不思議なことがあつて、ふと眼の前が少し明るんで來たのですが、やはりここも前と同じやうな場所なのでせうか」

「おや向うにあんなものがあつたかしら」と老女は向うを指差した。見ると、淺黃色を呈してゐる空の下に乳白色の凹みがぼつと置かれてゐるのだつた。

「どうやら河らしいですね、しかし河にしては向岸がありさうなものだが」と唯彦は首を傾けた。そこまではかなり遠方のやうにも思へたが、光線の加減でさう思へるのかもしれなかつた。

「あの邊まで行つてみませんか」と彼女はさきに立つて步き出した。茫々とした草原の路は昏かつたが、その上に展がる空は今靜かに靑い光を孕んでゐた。唯彦の前に立つて步いてゐる女は、まるで向うの白い凹みに魅せられてゐるやうに、もう一言も口をきかなかつた。ふと、菊の花のにほひが漾つた。唯彦はあたりを見𢌞したが草原の闇は默々と續いてゐた。女の草履の音が侘しく鳴つた。唯彦はぼんやりと從いて步いた。

 ほつと眼の前が少し明るくなつた。唯彦の前にゐる女は立留まつた。氣がつくともう目的地まで來てしまつてゐた。大きな眞白な河が音もなくすぐ前を流れてゐる。そこの岸には一般の渡舟が退屈さうに繫がれてゐる。二人はその渡舟のところまで步いて行つた。急にその時後からせかせか下駄の音が近づいて來た。見るとそれは唯彦も街でよく見かけたことのある人らしかつた。眼が片一方潰れてゐるので、その男は唯彦の印象にぼんやり殘されてゐた。その男はせかせかと老女にむかつて話しかけた。

「まあ、あんたはここへゐたのですか。わしも隨分ぐるぐる步いてゐましたよ。さうさう、この間あんたが死んだ時の葬式にはわしは頭がいたうて行きませんでした。ええ、さうかと思へばわしは洗濯をやりながら腦溢血で斃れてしまつて、あんなことにならうとは……………………」

 

2018/01/05

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 迷路

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「迷路」は昭和一三(一九三八)年四月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した

 一部の段落末に簡単な注を附した。【2018年1月5日 藪野直史】]

 

 

 迷路

 

 淡い藍色の山脈の上には、その山脈の幅だけの空が、蜜柑色に暈どられてゐて、重苦しい雲がそのまはりを覆つて居たが、それが宗彦の眼には何かよくない徴(しるし)のやうに映つた。列車は夕闇の軌道の上を進んでをり、時刻は呆けた冬の靄を枯木に絡ませてゐた。宗彦は虛ろな顏つきで、硝子窓の外を視凝めてゐた。冷々として身も魂も地の底へ引込まれさうになるのだが、やがて目的地に着けば、今度こそ湯に浸れて憩へるのだつた。[やぶちゃん注:「暈どられて」「くまどられて」。]

 機關車は疲れたやうな吐息をつづけ、汽笛が優しい悲鳴をあげた。夕闇に包まれた山脈はなほも次々に姿を現はし、次第に輪畫がはつきりして來た。そのうちに窓の外が妙に白らんで來て、空の一隅に故郷の山が見え出した。宗彦ははつとした。しかし、眼に見えて來るのは、たしか見憶えのある地方の風景で、外はもうすつかり朝の姿なのだつた。宗彦は山の温泉へ行くつもりで、この汽車に乘つて居たのに、そして向ふへ着く時刻は夜と決まつて居たのに――すべてが不意に喰ひ違つてしまつた。

 狼狽して宗彦は周圍の人々に血走つた眼をくばつた。しかし、車内の人物は凡て前と變りなく、澱んだ電燈の下で、穩かな旅を續けて居るのだつた。と、思ふと、電燈がパツと消えて、人々の顏は却つて活々して來た。人人はてんでに網棚から荷物を取下ろし出した。宗彦は學生帽を被り、ボストンバツグを提げて昇降口の方へ出てみた。汽車は速度を緩めて、故郷の都市の一角が今眼の前を通過して居た。そのうちに昇降口には降りる人がぞろぞろ集まつて來た。列車はホームに橫づけになり、驛の白つぽい建物が前にはあつた。宗彦はふらふらとホームに降りてしまつた。

 人々の後から從いて、地下道へ降りて行つたが、宗彦はここまで來ると、またこの間のやうに改札口には誰かが出迎へに來てゐて呉れさうな氣がした。左右のコンクリートの壁に跫音が侘しく響き、疲勞した身體はまるで泳ぐやうに進んで行つた。やがて、改札口に出ると、はたして、誰かが彼の名を呼留めた。

「宗彦さんですか」相手の聲はひどく痙攣してゐたが、宗彦は吻としたやうな顏で頷いた。すると、相手は宗彦のバツグをひつたくるやうにして受取り、「早く! 早く! 早く!」と口走りながら、自動車を傭つた。しかし、宗彦はもう急いだつて仕方がないやうに思へた。「澤田まで行け! 澤田だ。大至急!」と、相手は運轉手を呶鳴りつけて、宗彦の橫に腰掛けた。何も彼もこの前と同じで、自動車の窓越しに見える橋の景色まで同じだつた。すると、まだ母は死んではゐなかつたのかしら――と、宗彦は次第に胸騷を覺え、臨終へ駈つけて行く息詰る氣分にされた。タイヤの下で唸る砂や、窓の隙間から吹込んで來る風があつた。[やぶちゃん注:「吻と」「ほつと」。]

 間もなく宗彦の家が見えて來た。見るとやはり二三人の女達が待兼ねて出迎へてゐるので、宗彦はがつかりしてしまつた。「早く、早く、早くいらつしやい!」と、うはずつた調子で女達は宗彦を奧へ導き入れた。宗彦ほ大變急いでゐるやうにして學生帽や、ボストンバツグを玄關脇に放り出したが、ふと何か躊躇を感じて、放り出したバツグの位置を直したりした。すぐ隣室の座敷からは女達の啜泣きや、人々の囁きが洩れてゐた。宗彦は廊下から𢌞つて隣室の方へ行くごく短かい距離を、今は大變困難な氣持で進んでゐた。それで、非常に急いでゐながらも暇がかかり、――これは一體どうふしたのかしらと怪しまれるのであつた。

 しかし、眼の前に座敷の光景が現れた時、忽ち一切に明瞭になつた。母は南枕でだらりと兩手を蒲團の上に投出してゐた。その兩手を左右から醫者と看護婦が握つて、鼻に酸素吸入器をあてがつてゐた。吸入器の液體を吸ふ音がすぽすぽと鳴つた。室内の光線は大變明るかつたが、立つたり坐つたりしてゐる人々の顏はみんな茫と霞んでゐた。腕組みして立つてゐた兄が、宗彦の姿を認めると、「君が戾つて來るまで注射でもたしてゐたのだ」と低い聲で云つた。

 「さうか!」と宗彦は不意に大きな聲を放ち、がくりと母の枕頭に蹲つた。母の顏色は普段と左程變つてゐなかつたが、閉ぢた瞼のあたりに灰色の暈が淺つてゐて、頻りと齒齦を開いて喘いでゐるのは、濛々とした夢のなかを今、潛つてゐるらしく、まるで嬰兒のやうに哀れであつた。しかし、宗彦はふと、一ケ月前に死んだ筈の母がまだそこにゐるのを不審に思つた。すると、母は急に寢返りして、顏を宗彦の方から背けてしまつた。宗彦ははつとして眼を瞠つた。が、周圍の人々には何の動搖も生じなかつた。遠くの廊下をドカドカと子供達が走り𢌞つたり、何か云ひ爭ふ聲が聞えた。宗彦のすぐ眞正面には他家へ嫁いだ妹が、唇を歪めて泣いてゐた。その袖に槌つて兄の小さな娘が、可愛い聲で泣いてゐた。皆はもう長い悲嘆に慣れつこになつてゐるやうな姿で、今はいささか氣も惰れてゐるやうに見えた。宗彦はそれでも醫者の側に寄つて、「注射でもててるのですか」と、訊ねないではゐられなかつた。醫者は默つて退屈さうに頷き、母の脈をぢつと數へてゐた。のろのろと時間が移つて行つた。母は宗彦の方に肩を見せた儘、絶えず苦しさうな息をついてゐた。[やぶちゃん注:「齒齦」音は「シコン」であるが、ここは意の当て訓「はぐき」でよいであろう。「惰れて」「だれて」。訓は「おこたる」であるが、ここは音と意から「気持ちが弛んで緊張感がなくなる・だらける」の意を表した当て字である。]

 そのうちに、宗彦の後にゐた叔母が「さあ、そろそろ末期の水をあげなさい」と促した。綿を纏つた箸を受取ると、宗彦は母の枕頭の方へ𢌞つて行つた。すると、母はまた寢返りを打つて顏を背けてしまつた。瀕死の病人がかうして樂々と動けるので、宗彦は次第に怕くなつた。周圍の空氣や人物まで、どうやら少しつつ奇怪に思へて來た。しかし、酸素吸入器は確實に少しつつ費されて行つた。そして、それが無くなつてしまふと、醫者は母の顏から器具を遠ざけた。間もなく母は大きな苦しさうな呼吸をし出した。「あ、大きな息が始まつたな」と、誰かが云つた時、母の赤らんだ顏は忽ち土色に變つて行つた。醫者は母の手を離し、時計を眺めた。「大きな息は一囘きりだつたな」と、また誰かが云つた。あつちでも、こつちでも新たに啜泣く聲が始つた。母はぐつたりと呼吸をとめて、今は微動だにしなかつた。

 この時になつて、宗彦には更にぞつとすることが生じた。今迄母の顏は普通の女の大きさだとばかり思つてゐたのに、氣がつくと、それは二倍も三倍も大きいのだつた。顏ばかりではなかつた、軀全體がまるで巨人のやうに脹らんで居て、胸などは高く蒲團を突上げて聳えて居た。そして母の額には嚴しい大きな皺が一杯刻まれ、土色の頰には次第に殘忍な表情が募つて行つた。宗彦は恐怖と悲哀で、そつと眼を伏せて淚ぐんだ。

 宗彦は再び視線をあげて、母の方を覗つた。すると忽ち母の顏には激しい不可解な怒りが漲つて行つた。大きな顏は今怒りではちきれさうになり、左右に投出されてゐる母の掌の指が一本づつ靜かに開かれた。母は手を差上げた。母の眼はかつと見開かれて、爛々と燃えた。母は苦しさうに巨體を上げて、床の上に立上つた。頭髮は亂れ、天井とすれすれに在つた。暫くは何か冷たい風のやうな唸りを齒間から發してゐたが、やがて宗彦の方をきつと睥み下すと、彼を指差して云つた。「こいつが、僕を疑つてるぞ!」それはまるで兇暴な男の發する聲であつた。一瞬、宗彦の耳にはビユーと鳴る風が通過した。と、座敷中に險惡な空氣が閃いて、無數の眼で威壓されてゐた。さつきまで淚を湛へてゐた人々の眼が、まるで狼のやうな怒りに燃え狂つて、ぢりぢりと宗彦の方へ迫つて來た。しかし、その時、母の威丈高な姿勢が次第に崩れそめた。母の廣い肩から、がくりと力が脱けたかと思ふと、母は兩手を宙に泳がせながら無念さうな身悶えをつづけ、暫くはまだ立上つてゐたが、やがてふらふらと床の上に倒れてしまつた。見ると、もう母には何の變化も認められなかつた、それはたつた今、呼吸をひきとつた母の姿であつた。そして氣がつくと人々はもう座を離れて、みんなてんでに働いてゐた。宗彦は悄然と立上つて次の間へ行つた。

 其處ではテーブルが持出されて、もう兄は頻りに死亡通知の電報を書いてゐたが、すぐ側のソファには義兄が橫になつて、子供の吹く喇叭を面白さうに口にあてて居た。義兄は今にも吹いて音を立ててみたいやうな顏つきで、それが餘程娯しさうだつた。宗彦は何をしていいのかわからなく、ばんやりと柱の脇に立疎んでゐた。今、外では紫色の雨が靜かに降つて、部屋のうちは非常に薄暗く、天井や疊に虛ろな黑い影がぼそぼそと這ひ𢌞つてゐた。ふと、宗彦のすぐ前に老人がよろよろと步いて來た。宗彦の父が生きてゐた頃からずつと店にゐたその人は、暫く振りに見ると、全く老衰してゐた。眼ばかりが鋭く輝き、動作は緩慢であつた。彼は宗彦の前に來ると、細い聲で、「お母さんが……」と呟いた。宗彦は急に悲しみが崩れて、今は子供のやうに泣聲をあげた。老人は老人で眼に指をあてて靜かに淚を拭つた。それから暫く宗彦を睥むやうな顏つきで見守つてゐたが、突然、眼底に變な閃きが生じたかと思ふと、老人はワハハハハと物凄い笑ひ方をした。そして、きつと宗彦を睥みつけ、またワハハハハと笑つた。「ざまあみやあがれ! 親の罰、天の罰、思ひ知れ!」と云ひざま、彼は宗彦の胸許を摑んで、ぐつと引寄せ背負投げで疊に叩きつけた。と、思ふとまた宗彦を引寄せ、繰返し繰返し背負投げを續けて行つた。[やぶちゃん注:「ソファ」はママ。]

 その時、隣の座敷から、鐘を鳴らす音がして、次いで讀經の聲が洩れて來た。すると老人は宗彦を蹴飛ばしておいて立去つてしまつた。宗彦はふらふらと立上ると、隣室へ誘はれて行き、一番後の閾のところに、ペつたりと坐つた。と思ふと、誰かがポカリと宗彦の橫面を撲つた。「もつと前へ出ろ!」と、すぐ橫に坐つてゐた兄が呶鳴つた。宗彦が二三人前の席へ割込んで行くと、見憶えのない女が彼の顏を覗き込んでくすりと笑つた。宗彦は凝と正面に眼を据ゑた。佛壇には澤山の香奠袋が重なり合つて竝べられ、蠟燭の燈が大變美しく搖れてゐた。宗彦の視線は人々の肩を越えて、そつと母の死骸の方へ漾つて行つた。母の寢床はもう部屋の一方へ片寄せられて、顏には白い覆ひが懸けてあつた。坊さんは御經を悠長な聲で讀んでゐたが、途中から止めてしまふと、吻としたやうな顏で一同にお叩頭をした。それから坊さんは紙と筆を運ばせて、立ちどころに戒名を書き、それを佛壇の前にそつと置いた。もう人々は座を立ちてんでに何か喋り合つてゐた。

 宗彦も吻として立上つたが、次の瞬間にはもう自分が何をしていいのやら解らないので迷はされた。が、恰度いい具合に妹が聲を掛けて呉れた。「暫くでした。いいことで出逢へたのならいいのですに……かう云ふことで出逢はうなどとは……」と妹は唇を歪めて泣いた。次いで伯父が宗彦の姿を認めて、一寸會釋してくれた。すると又別の人が宗彦の前に來てお叩頭をした。それから又別の人が現れた。宗彦は見憶えのない顏も多かつたが、相手はどんどん入替つて悔みを述べた。そのうちに「お面!」と云つて誰かが宗彦の頭を撲りつけた。すると後から後から皆がそれに倣つた。そして最後に、「ヤア」と云つて義兄に手を握られた。「面白いもの見せてやるから臺所へ行かう」と、義兄は宗彦の手を引いてよろよろと進んだ。大分もう酒に醉拂つてゐるやうな足どりだつた。

 臺所には皿や鉢が一杯竝べられて、人と料理でごつた返してゐたが、ふと片隅から頓狂な聲で宗彦は呼掛けられた。「まあ宗彦さん……」と、彼の家に長らく働いてゐる老婆はさう云つたまま暫く聲を吞んだ。そしてポロポロと淚を零した。淚は老婆が手にしてゐる皮を剝がれた赤蛙の肢に落ち、赤蛙はピリピリと肢を慄はせた。老婆はそれを串に刺して七輪に掛けた。火の上でも蛙はまだピクピク動いた。「なるほど、こいつはうまさうだね」と義兄が老婆に口をきいた。老婆はにつと笑つて、「それでも人數前、集めるのには苦心しましたよ」と呟いた。見ると老婆の後の箱には澤山の赤蛙がピヨンピヨン跳ね𢌞つてゐた。宗彦は何だか空恐しくなつて、そつと臺所を拔けて行つた。

 次の間の緣側では呉服屋がいろんな反物を竝べてゐて、四五人の女達が集まつて、てんでにその反物を見はからつて居た。どうやら喪服を註文してゐるらしいのだつた。「かう云ふ際だから私はついでに訪問着が欲しいわ」と妹が云つた。と、今度は姉が、「それなら私ほ今度生れて來る赤ん坊の産衣を證文しようかしら」と云つた。「さうよ、死んだ人より、生れて來る人の方がずつと大切だと思ふわ」と、眼鏡を懸けた女學生が口を挿んだ。氣がつくと、一番向ふの端に、死んだ筈の母がちやんと坐つてゐて、皆と同じやうに反物を繰展げてゐるのだつた。母はぼろぼろの普段着を纏つてゐて、眼がよく見えないものだから、何だか氣疎さうな容子で、手に展げてゐる反物にもあんまり興味を感じて居ないらしかつた。そして、娘達の話に加はるでもなしに、唯一人でぼんやりと存在して居た。しかし、母の凭掛つてゐる後の壁は雨漏りのために處々禿げて赤土を現はしてゐたが、その邊の光線はひどく朦朧としてゐた。暫くそれが氣になるので宗彦は立留まつて眺めてゐた。そのうちに母の一番近くにゐた妹が、ふいと母の方を振向くと、母の手にしてゐた呉服を何か云ひながら引手繰ると、母は默々と妹に手渡すのであつた。[やぶちゃん注:「氣疎さうな」「けうとさうな」。ここは前後から見て「気にそまない・納得がいかない」程度の謂いであろう。]

 その時、宗彦の背後から誰か子供らしい拳が來て、膜のあたりを頻りに撲り出した。宗彦はいい加減にあしらつてゐると、子供の方では圖に乘つて到頭、宗彦の身體に攀登つて來た。それで宗彦は後へ手を𢌞して押退けようとすると、子供はすかさず宗彦の耳のあたりを引搔いた。宗彦は無性に腹が立ち、全身を搖すつて、子供を振ひ落した。疊の上に倒れた子供は姉の子供だつた。甥の眼には興奮の淚が光つた。宗彦の方でも遠かに悲しくなり途方に暮れてしまつた。ところが小さな甥は猛然と跳ね起きて來た。甥は宗彦の頰に飛びついて、ガリガリと爪を立てた。甥の小さな指は血で染まつた。宗彦がぢつと怺へてゐればゐるほど、甥は益々猛り立つて來た。[やぶちゃん注:「怺へて」「こらへて」(堪(こら)へて)。]

 とうとう宗彦は湯殿へ逃げ込んで戸を立てた。が、其處には若い女中がひとり鏡に對つて、口紅を塗つてゐた。宗彦は傷けられた顏を冷水で洗つたが、何の感覺も感じられなかつた。鏡でちらと自分の顏を眺めると、顏は醜く曇つてゐて全體の輪畫がひどく歪んでゐた。宗彦の側にゐた女中は胡亂さうに彼を眺めてゐたが、彼が愚圖愚圖してゐるのに立腹したらしく、エヘンと咳拂ひをした。恰度そこへ彼を搜しに義兄がやつて來た。「あんまり搜させるものぢやないぞ、みんなもう揃つてるのにこんな所で何してたんだ」と、義兄は宗彦の片腕をぐいと摑んだ。もうひどく醉拂つてゐるらしく、義兄は大變力強くなつてゐた。そして、ぐんぐん彼を引張つて、廣間の方へ連れて行つた。[やぶちゃん注:「胡亂さうに」「うろんさうに」。「ウ」「ロン」ともに唐音。疑い怪しんでいる様子で。胡散(うさん)臭そうに。]

 廣間には大きな食卓が持出されてゐて、其處では澤山の人が飯を食つてゐた。大概の人が意氣昂然として、箸を持つてゐる手つきまで正々堂々としてゐた。あんまりいろんな顏があるので宗彦は呆氣にとらはれたが、不思議なことには、新聞の寫眞でよく見る偉い人の顏も二三ちらついてゐるのだつた。その偉い人達は鷹揚に威嚴を保ちながら酒を飮んでゐた。そして、人々が彼等を笑はせようとして何か云ふと、ぱくりと白い齒を剝いて笑ふのだつた。宗彦はそこに居る人達がみんな偉い人に思へて來た。と何時までも彼がぼんやりして居るのに業を煮やして、橫にゐた義兄が箸で彼の頰を彈いた。「食へ、何故食はうとしないのだ」と、義兄は宗彦の前の赤蛙の皿を指差した。見ると、皆はむしやむしやと、串燒にされた蛙を賞味してゐるのだつた。宗彦もそれに倣つて食ひ始めると、暫くしてまた義兄は彼を箸で小衝いた。「飮め、何故飮まうとしないのだ」宗彦の前の盃にはなみなみと液體が盛られてゐた。

 食事はだらだらと續けられて行つた。人々はぎつしりと食卓に席を占めてゐるので、宗彦には食堂車にゐるやうな氣がした。酒の醉が𢌞つたのか、身體が動搖して居るやうで、睡氣が顏中を襲つて來るのであつた。時々、隣にゐる義兄は宗彦を覺ますために箸で活を入れて呉れた。「とにかく電氣をつけるとしようぢやありませんか」と、誰かの發案の聲がした。すると、パツと部屋中が明るくなつた。もう夜になつたのかしら、と宗彦は感心した。しかし、食卓はまだなかなか賑やかであつた。宗彦は長い退屈な旅をしてゐるやうに、また睡氣がさして來た。

 その次に目が覺めた時は、大分客も減つてゐて、廣間はしーんと寂れてゐた。今夜はお通夜だな、と宗彦は思つた。眼がチラチラして、再び睡くなつた。澤山の星が一杯輝いてゐて、大變綺麗な夢をみた。それから再び眼が覺めると、廣間では大きな物凄い鼾が生じてゐた。義兄や妹が假睡してゐる姿が宗彦には大變大きく思へた。まるで彼等が山脈か何かのやうに思へた。さうして宗彦はどうも自分は何處かの山奧にゐるやうな疑ひが生じた。しかし、母はもう何處にも居ないのだ、と今更のやうに思ふと、突然、空間が破裂するやうな感覺に陷つた。そして、猛烈な嵐が耳を擘いて響いた。「居るぞ! 居るぞ!」と、鋭い唸り聲が上の方から捲起つた。見ると大きな黑い鳥が空中高く舞上つてゐて、次第に彼の頭上をめがけて近づいて來た。そして宗彦の左右にある山脈がするすると音もなく迫め寄せて來た。[やぶちゃん注:「擘いて」「つんざいて」。]

 

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