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カテゴリー「芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)【完】」の205件の記事

2017/08/24

岩波文庫ニ我ガ名ト此ノぶろぐノ名ノ記サレシ語(コト)

先週、近代文学研究家の山田俊治氏(現・横浜市立大学名誉教授)より、自筆の御葉書を戴いた。

山田氏の名は芥川龍之介新全集の諸注解で存じていた。最近では特に、ブログでの「侏儒の言葉」のオリジナル注企画で頻繁に引用させて戴いたが、無論、終生、巷間の野人たる小生は面識もない。何か誤ったことでも私がブログで書いているのを注意されでもしたものかと思うて読んでみたところが、そこには、

『この度 芥川龍之介の紀行文集を岩波文庫から出版することになり、注解にあたっては、ブログを拝見して、大いに刺激されるとともに、一般書のため、逐次 注にできませんでしたが、大変 参考にさせていただきました。そこで、一部献本させていただきますので、御受納いただければ幸いです』

とあって、驚いた。

昨日、それが届いた。

2017年8月18日発行・山田俊治編「芥川竜之介紀行文集」(850円)
 

Aku1

 
である。中国特派の際の五本は「Ⅱ」として纏められてあるが、それ以外の「松江印象記」(リンク先は私の初出形)に始まる九本の選択も非常に面白い。注を縦覧したが、語句や表現要所が非常によく押さえられており、「Ⅱ」パートでは地図なども附されてあってお薦めである(数年前に他社の文庫でもこれらは出ていたが、本屋で立ち読みしただけで、その注のお粗末さに呆れた果てたのを覚えている)。
特に、あの時代にあって稀有のジャーナリストたらんとして――芥川龍之介は自らを「ジヤアナリスト兼詩人」(「文藝的な、餘りに文藝的な」(リンク先は私の恣意的時系列補正完全版)の「十 厭世主義」)と称し、遺稿の「西方の人」(リンク先は私の正・続完全版)ではキリストを「古い炎に新しい薪を加へるジヤアナリスト」と評している――書かれた中国特派のそれらは、もっと読まれるべきものであると私は強く感じている(芥川龍之介の「上海游記」「江南游記」「長江游記」「北京日記抄」はそれぞれブログ分割版(全)があり、それらの一括版及び「雜信一束」はHTML横書版で「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の「芥川龍之介」パート内の「§ 芥川龍之介中国紀行関連作品 §」に収めてある)。

さて。山田氏の解説の最後を読んで、さらに驚いた。
 

Aku2


 
何と! その末尾、参照先行文献の一覧の最後の最後には、天下の岩波版「芥川龍之介全集」(新全集)がずうっと並んだその終りに……『および、藪野直史「Blog鬼火~日々の迷走」』とあるではないか!?!

私のような凡愚の野人の仕儀が、誰かの役に立つとならば、逆に、恩幸、これに過ぎたるはないと言うべきで、ここに山田俊治先生に深く謝意を表したい。
 
 

2016/06/20

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 「侏儒の言葉」草稿(全) ~ 全注釈完遂

  「侏儒の言葉」草稿

 

[やぶちゃん注:以下は岩波新全集二十一巻「草稿」の『「侏儒の言葉」草稿』を底本としつつも、漢字を旧字体に恣意的に変えたものである。底本では、頭に『〔侏儒の言葉〕』と標題し、それぞれの章に「Ⅰ」から「Ⅵ」の記号が新全集編者による推定排列で打たれてあるが、この注釈版では削除し、注に組み入れて解説した。但し、底本後記によれば、『「侏儒の言葉」と見られるものからまとまりのあるものを選んだ。但し、前後の切れたものは除外した』とあり、現存する総てではないことが分かる。]

 

 

 

奴隷

 

 奴隷廢止と云ふことは唯奴隷たる自意識を廢止すると云ふことである。我々の社會は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和國さへ、奴隷の存在を豫想してゐるのは必しも偶然ではないのである。

 

       又

 

 暴君を暴君と呼んだ爲に鼎鑊爐火の苦を受けたのは我々の知らぬ昔であ[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号がある。続きは存在しない。]

 

[やぶちゃん注:底本で『Ⅰ』とする連続する草稿。第一章は現行の「侏儒の言葉」の中の大正一三(一九二四)年六月号『文藝春秋』発表分、

 

       奴隷

 

 奴隷廢止と云ふことは唯奴隷たる自意識を廢止すると云ふことである。我我の社會は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和國さへ、奴隷の存在を豫想してゐるのは必ずしも偶然ではないのである。

 

と完全に相同である。ところが続く、「又」は現行のそれ、

 

       又

 

 暴君を暴君と呼ぶことは危險だつたのに違ひない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危險である。

 

とは冒頭の「暴君を暴君と呼」の七文字が一致するだけで、以下の不完全部分は異なっている。なお、次の「悲劇」の冒頭に附した私の注も参照されたい。

 

・「鼎鑊爐火」「ていくわくろくわ(ていかくろか)」。「鼎鑊」は原義は、肉を煮るのに用いた三本足の鼎(かなえ)と脚のないそれ又は大きな鼎を指すが、中国の戦国時代に重罪人を煮殺すのに用いた道具或いは煮殺す刑罰を言う。「爐火」は通常は囲炉裏の火を指すが、これは前から見て、炮烙(ほうらく)の刑(殷の紂王のそれに倣えば、猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡して熱し、その丸太の上を罪人に裸足で渡らせる火刑)の謂いである。似たような、刑罰を指す四字熟語に「刀鋸鼎鑊(とうきょていかく)」などがある。]

 

 

 

       悲劇

 

 悲劇とはみづから羞づる所業を敢てしなければならぬことである。この故に萬人に共有する悲劇は排泄作用を行ふことである。

 

[やぶちゃん注:底本で『Ⅱ』とする草稿。底本後記には、この次の『ラツサレの言葉』と一緒で一枚の原稿用紙に書かれたものであるが、この原稿用紙の冒頭には、前原稿(現存せず)からの続きと思われる、

 

呼ぶこともやはり甚だ危險である。

 

とあるが、それは採用しなかった旨の記載がある。この『呼ぶこともやはり甚だ危險である。』というのは現行の「侏儒の言葉」の中の大正一三(一九二四)年六月号『文藝春秋』発表分「侏儒の言葉」の中の、「奴隷」の第二章、

 

 暴君を暴君と呼ぶことは危險だつたのに違ひない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危險である。

 

の十六字(句点含む)分と全く相同である。これは一つの可能性として、草稿の「奴隷」は前の草稿にある後部不全のそれに続いて甚だ長い一章(二百字詰め原稿用紙一枚分)があったか、或いは「奴隷」の「又」が今一つあって現行の第二章に続いていたかの孰れかと考え得る。

 なお、現行でも「奴隷」(二章)の次は「悲劇」であり、それは、

 

       悲劇

 

 悲劇とはみづから羞ずる所業を敢てしなければならぬことである。この故に萬人に共通する悲劇は排泄作用を行ふことである。

 

で完全に相同である。]

 

 

 

     ラツサレの言葉

 

 「未來は聰明の不足を咎めない。咎めるのは情熱の不足だけである。」

 これはラツサレの言葉である。が、この言葉の當嵌まるのは必しもひとり未來ばかりではな[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号があり、以下は存在しない。]

 

[やぶちゃん注:底本で『』とする草稿で、前の「悲劇」と連続するが、この不完全な「ラツサレの言葉」と相同或いは相似の章句は「侏儒の言葉」(遺稿をその他を含む)の中には存在しない。「ラツサレ」は恐らく、プロイセン(ドイツ)の政治学者・社会主義者で、後の「ドイツ社会民主党」(Sozialdemokratische Partei DeutschlandsSPD)の母体となる「全ドイツ労働者同盟」(Allgemeiner Deutscher ArbeitervereinADAV)の創設者であったフェルディナント・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle 一八二五年~一八六四年)であろう。ウィキの「フェルディナント・ラッサール」には、『社会主義共和政の統一ドイツを目指しつつも、ヘーゲル哲学の国家観に強い影響を受けていたため、過渡的に既存のプロイセン王政(特に宰相オットー・フォン・ビスマルク)に社会政策やドイツ統一政策を取らせることも目指した。その部分を強調して国家社会主義者に分類されることもある』とある。小学館「日本大百科全書」の松俊夫氏の解説によれば、『ドイツの社会主義者。ユダヤ人絹商人の子としてブレスラウ(現ポーランド、ブロツワフ)に生まれる。ブレスラウ、ベルリン両大学に学び、ヘーゲル哲学の影響を受けたが、ローレンツ・フォン・シュタインの著作やシュレージエン織工の蜂起』『をもたらした社会情勢に刺激されて社会主義的思想を抱いた』。一八四五年、『研究のためパリに赴き、そこでハイネと交わり、また』一八四八年の革命(同年のフランスの二月革命の影響を受けて翌三月にドイツ各地に起った市民革命)では、『新ライン新聞』に『寄稿してマルクスとも知り、彼の影響を受けた』。一八四九年、『革命の際の活動を理由に禁錮刑の判決を受けたが、出獄後は革命前から手がけていたハッツフェルト伯爵夫人』ゾフィー(Sophie Grfin von Hatzfeldt 一八〇五年~一八八一年)の離婚訴訟を勝利に導き、以後、夫人から多大の経済援助を受ける身となった』(ウィキの「フェルディナント・ラッサール」によると、『夫であるエドムント・フォン・ハッツフェルト(Edmund von Hatzfeldt)伯爵は放蕩者なうえ、妻ゾフィーに様々な迫害を加えていた。ゾフィーは伯爵との離婚を希望していたが許してもらえずにいた。そのことをラッサールに相談したところ、彼はこれを「封建主義の横暴に対する闘争」と看做し、彼女に代わって伯爵と闘う決意を固めた』。『ラッサールははじめ伯爵に決闘を申し込んだが、「バカなユダヤの小僧」と相手にしてもらえなかった』。『結局離婚訴訟で闘うことになり、ラッサールは』一八四六年から一八五四年までの『長きにわたってこの訴訟に尽力することにな』り、八年にも及んだ『訴訟に疲れたハッツフェルト伯爵が夫人に対して彼女が持つべき財産を返還すると和解を申し出た結果』、『離婚訴訟は終了』、『これにより』、『伯爵夫人は巨額の財産を獲得し、ラッサールも伯爵夫人からかなりの年金を受けるようになり、裕福な生活を送れるようになった』。『この年金はラッサールにとって執筆業や政治活動に専念する上で重要な収入源となった』という解説がある)、一八六二年、『ベルリン郊外の手工業者組合で講演し、官憲の忌諱(きき)に触れて起訴されたが、』それを同年六月に「労働者綱領」(Zur Arbeiterfrage)として公刊、さらに翌一八六三年三月に「公開答状」(Offenes Antwortschreiben)によって(ここはウィキの「フェルディナント・ラッサール」の著作データに拠った)『彼の所見を具体化した。そのなかで彼は、賃金鉄則の考え方を基礎に、国家の補助による生産者協同組合の設立、普通選挙権の獲得などを強調したため、マルクスから強い批判を受けたが、労働者には大きな影響を与えた。その結果』、一八六三年、『彼の起草した綱領草案に基づいて設立された全ドイツ労働者協会の会長となり、目的の達成を図ってビスマルクにも接近した』。しかし一八六四年八月、『スイス滞在中に女性問題をめぐってルーマニアの貴族と決闘、その際』に『受けた負傷によって同月』三十一日、『急死した』とある(決闘の経緯はウィキに詳しい)。なお、ウィキの「フェルディナント・ラッサール」には、『日本におけるラッサール』の項があり、『日本における社会主義草創期である明治時代末にはラッサールは日本社会主義者たちのスターだった』。『幸徳秋水にとってもラッサールは憧れの人であり』、明治三七(一九〇四)年には『ラッサールの伝記を著している。その著作の中で幸徳は「想ふに日本今日の時勢は、当時の独逸と極めて相似て居るのである。(略)今日の日本は第二のラッサールを呼ぶの必要が有るのではないか」と書いている。また吉田松陰とラッサールの類似性を主張して「若し松陰をして当時の独逸に生まれしめば、矢張ラッサールと同一の事業を為したかも知れぬ」と述べる』。『社会主義的詩人児玉花外もラッサールの死を悼む詩を作っている』。『後にコミンテルン執行委員となる片山潜もこの時期にはラッサールの国家社会主義に深く傾倒し、ラッサールについて「前の総理大臣ビスマルク侯に尊重せられし人なり。然り、彼は曹てビスマルクに独乙一統の経営策を与え、又た進んでビスマルクをして後日社会主義の労働者制度を執らしめたる偉人物」と評した』。『しかしロシア革命後には社会主義の本流はマルクス=レーニン主義との認識が日本社会主義者の間でも強まり、ラッサールは異端視されて社会主義者たちの間で語られることはなくなっていった』。『逆に反マルクス主義者の小泉信三や河合栄治郎はマルクスの対立者であるラッサールに深い関心を寄せるようになり、彼に関する評伝を書くようになった』。『小泉は「マルクスは国家と自由は相いれないと考えていたが、逆にラッサールは自由は真正の国家のもとでのみ達成されると考えていた」とし、マルクスの欠陥を補ったのがラッサールであると主張した』。『河合はビスマルク、マルクス、ラッサールを』「十九世紀『ドイツ社会思想の三巨頭」と定義し、ラッサールが他の二人と違う点として「社会思想家なだけではなく社会運動家」だった点を指摘する』。『この二人と二人の研究を引き継いだ林健太郎が戦前の主なラッサール研究者であった』とある。こうした当時の本邦でのコンセプトのラッサール受容の文脈の中で、芥川龍之介がここで彼の言葉を引こうとしたこと、さらにその引用されたラッサールの言葉の意味、それに添えて述べようとした龍之介の見解を推理する必要があろう。

 

・「未來は聰明の不足を咎めない。咎めるのは情熱の不足だけである。」引用元のラッサールの著作は不詳。識者の御教授を乞う。]

 

 

 

       強弱

 

 強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一擊に敵を打ち殺すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷けることには兒女に似た恐怖を感ずるものである。

 弱者とは友人を恐れぬ代りに敵を恐れるものである。この故に又至る處に架空の敵ばかり發見するものである。[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号がある。]

 

[やぶちゃん注:底本で『Ⅲ』(単独)とする草稿。大正一三(一九二四)年六月号『文藝春秋』発表分、

 

       強弱

 

 強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一擊に敵を打ち倒すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷けることには兒女に似た恐怖を感ずるものである。

 弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る處に架空の敵ばかり發見するものである。

 

とは、ご覧の通り、「弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである」の読点が読点が除去されている以外は同じであり、底本新全集で原稿の切れを示す鉤記号があるものの、公開分でもこの後に文は続いておらず、完結した一章を成している。因みに公開分でも同一号に続いて「S・Mの知慧」が載る。]

 

 

 

       S・Mの知慧

 

 これは友人のS・Mの僕に話した言葉である。

 辯證法の功績――所詮何ものも莫迦げてゐると云ふ結論に到達せしめたこと。

 少女――どこまで行つても淸冽な淺瀨。

 早教育――ふむ、知慧の悲しみを知ることにも責任を持つには當らないからね。

 自己――結局は自己にかへることかね。その醜い裸體の自己と向かひ合ふのも一興だらうさ。[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号があり、以下は存在しない。]

 

[やぶちゃん注:底本で『Ⅳ』(単独)とする草稿。以下に示す、大正一三(一九二四)年六月号『文藝春秋』発表分とはかなりの箇所に異同があり(異同部に下線を引いた)、「自己――結局は自己にかへることかね。その醜い裸體の自己と向かひ合ふのも一興だらうさ。」に相当するものは現行分には全く存在しない。

 

       S・Mの智慧

 

 これは友人S・Mのわたしに話した言葉である。

 辨證法の功績――所詮何ものも莫迦げてゐると云ふ結論に到達せしめたこと。

 少女――どこまで行つても淸冽な淺瀨。

 早教育――ふむ、それも結構だ。まだ幼稚園にゐるうちに智慧の悲しみを知ることに責任を持つことにも當らないからね。

 追憶。――地平線の遠い風景畫。ちやんと仕上げもかゝつてゐる。

 女。――メリイ・ストオプス夫人によれば女は少くとも二週間に一度、夫に情欲を感ずるほど貞節に出來てゐるものらしい。

 年少時代。――年少時代の憂欝は全宇宙に對する驕慢である。

 艱難汝を玉にす。――艱難汝を玉にするとすれば、日常生活に、思慮深い男は到底玉になれない筈である。

 我等如何に生くべき乎。――未知の世界を少し殘して置くこと。

 

この「自己――結局は自己にかへることかね。その醜い裸體の自己と向かひ合ふのも一興だらうさ。」という一条の謂いとは、これ、じっくりと対峙してみる価値がある。但し、くれぐれも注意しなくてはならないのは、これは芥川龍之介の言葉ではなく、「S・Mの智慧」、室生犀星の言葉という形をとっていることではある。但し、彼に仮託した芥川龍之介の言葉ととっても無論、構わないわけではあるが。]

 

 

 

 武者修業と云ふことは修業の爲ばかりの旅だつたであらうか? 僕は寧ろ己自身以外に餘り名人のゐないことを確める爲だつたと思つてゐる。少くとも武者修業の甲斐があつたとすれば、それはたとひ偶然にもせよ、餘り名人のゐないことを發見した爲だつたと思つてゐる。

 

 

[やぶちゃん注:底本では、表題なく、この前の稿の次行の頭に『Ⅴ』のローマ数字が配されて以上が示されてある。但し、これは遺存するこの草稿原稿の前が欠損しているために標題がないだけである。これは以下に掲げる大正一三(一九二四)年十一月号『文藝春秋』に発表された、「武者修業」の内容と相似する。

 

       武者修業

 

 わたしは從來武者修業とは四方の劍客と手合せをし、武技を磨くものだと思つてゐた。が、今になつて見ると、實は己ほど強いものの餘り天下にゐないことを發見する爲にするものだつた。――宮本武藏傳讀後。

 

決定稿の方が、遙かに無駄が殺がれ、引き締まったアフォリズムとなっている。]

 

 

 

       天才

 

 天才は羽根の生へた蜥蜴に似てゐる。必しも空ばかり飛ぶものではない。が、四つん這ひになつた時さへ、不思議に步みの疾いものである。

 

[やぶちゃん注:底本『Ⅴ』で前の不完全なものに続いて載る草稿。大正一四(一九二五)年三月号『文藝春秋』に五章から成る「天才」があるが、これと類似する章句は存在しない。]

 

 

 

       飜譯

 

 偉大なる作品はたとひ外國語に飜譯したにしろ、原作の光彩を失はないさうである。僕は勿論かう云ふ放言に餘り信用を置いたことはない。[やぶちゃん注:底本新全集ではここで切れていることを示す鉤記号がある。]

 

[やぶちゃん注:底本『Ⅴ』で前の「天才」に続いて載る草稿。これと類似する標題も章句も存在しない。]

 

 

 

 は炒豆を嚙んで古人を罵るを快とせし由、炒豆を嚙めるは儉約の爲か、さもなければ好物の爲なりしなるべし。然れども古人を罵れるは何の爲なるかを明らかにせず。若し強いて解すべしとせば、妄りに今人を罵るよりはうるさからざりし爲ならん乎。我等も罵殺に快を取らんとせば、古人を罵るに若くはなかるべし。幸ひなるかな、死人に口なきことや。

 

[やぶちゃん注:底本では、表題なく、この前の稿の次行の頭に『Ⅵ』のローマ数字が配されて以上が示されてある。但し、これは遺存するこの草稿原稿の前が欠損しているために標題がないだけである。「萩生徂徠」の「萩」は底本の岩波新全集のママ。このアフォリズムは大正一四(一九二五)年九月号『文藝春秋』発表分の「荻生徂徠」、

 

       荻生徂徠

 

 荻生徂徠は煎り豆を嚙んで古人を罵るのを快としてゐる。わたしは彼の煎り豆を嚙んだのは儉約の爲と信じてゐたものの、彼の古人を罵つたのは何の爲か一向わからなかつた。しかし今日考へて見れば、それは今人を罵るよりも確かに當り障りのなかつた爲である。

 

と内容的には同じであるが、擬古文である(これは対象が徂徠であることや「古人を罵る」ということからの色附けのための仕儀であったろう)以外に、言い回しが草稿は如何にも、くどい。決定稿の方が遙かによい。]

2016/06/19

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) (「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」)

 

(「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」)

 

[やぶちゃん注:以下は、岩波旧全集第十二巻に編者の表題『(斷片)』として所収するものである。私はその風合いから、明白な「侏儒の言葉」の続篇の断片草稿と断ずる。但し、現存する「侏儒の言葉」には、この「二 唾」のような、先行するアフォリズムを引用しての補正的アフォリズムは見当たらず、極めて特異なものとは思われる。底本には後記記載も一切なく、出所等も一切不明。文末に(大正十五年?)の編者記載があるのみである。私は、本稿は小穴隆一に自殺の決意を告げたとされる大正一五(一九二六)年四月十五日から遡る三箇月前の一月から、自死の直前までが執筆範囲であろうと推定している。そこで仮に『(「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」)』と標題しておいた。]

 

 

 

       一 ある鞭

 

 僕は年少の時、硝子畫の窓や振り香爐やコンタスの爲に基督教を愛した。その後僕の心を捉へたものは聖人や福者の傳記だつた。僕は彼等の捨命の事蹟に心理的或は戲曲的興味を感じ、その爲に又基督教を愛した。即ち僕は基督教を愛しながら、基督教的信仰には徹頭徹尾冷淡だつた。しかしそれはまだ好かつた。僕は千九百二十二年来、基督教的信仰或は基督教徒を嘲る爲に屢短篇やアフォリズムを艸した。しかもそれ等の短篇はやはりいつも基督教の藝術的莊嚴を道具にしてゐた。即ち僕は基督教を輕んずる爲に反つて基督教を愛したのだつた。僕の罰を受けたのは必しもその爲ばかりではあるまい。けれども僕はその爲にも罰を受けたことを信じてゐる。

 

[やぶちゃん注:・「硝子畫」(「ガラスぐわ(が)」。ステンド・グラス。

・「コンタス」contas。ポルトガル語で「数える」の意。カトリック教会に於いて聖母マリアへの祈りを繰り返し唱える際に用いる、十字架やメダイ・キリスト像などのついた数珠状の祈りの用具である、ロザリオ(ポルトガル語:rosário・ラテン語:rosarium)のこと。本邦では十六世紀にイエズス会宣教師によって伝えられたが、以後の隠れ切支丹の時代まで永く「こんたつ」(マリア賛礼の「アヴェ・マリア」(ラテン語:Ave Maria)の祈禱を口にした数を数えるもの)と呼ばれてきた経緯があり、龍之介はそれを踏まえた。

・「福者」「ふくしや(ふくしゃ)」(ラテン語:Beatus(ベアトゥス)・英語:Blessed(ブレッセッド)はカトリック教会に於いて、死後、その活動や殉教などの聖なる生涯から信徒の崇敬の対象となることを教会法に従って認められた者を指す。福者の列に加えられる手続きを「列福」と呼び、更に教会が二つ以上の奇跡に相当する行為や優れた宗教生活等が加えて認定された時、「列聖」の手続きを経て、「聖人」(聖者)とされる(主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

・「捨命」「しやみやう(しゃみょう)」と読み、本来は仏教用語で、悟りのために命を捨てること。

・「千九百二十二年」西暦一九二二年は大正十一年で、この年の一月一日には私の偏愛する怪作、南蛮寺の神父オルガンティノの面前に神道の祖霊の老人が出現して論争する「神神の微笑」を発表、同年九月には実の父母が亡くなって地獄に堕ちている以上、自分独りが天国に行くわけにはゆかないと敢然と棄教する「おぎん」、翌年の四月にはキリストを臆病者と喝破する「おしの」、大正十三年一月には聖女をネガティヴに反転させる「糸女覺え書」。昭和二(一九二七)年の〈聖アントニウスの誘惑〉をインスパイアしたレーゼ・ドラマ「誘惑――或るシナリオ――のなどの切支丹物の作品群があり、また当然、「基督教的信仰或は基督教徒を嘲る爲」の「アフォリズムを艸した」とするところの、この大正一二(一九二三)年一月に始まった「侏儒の言葉」それにも含まれる。しかし「神神の微笑」と「誘惑――或るシナリオ――」を除くと、後期の龍之介の切支丹物はキリスト教批判を皮肉な形で確かに顕在化させながらも、どうも小手先の屁理屈を捏ね回している感があって切れ味が鈍いように思う。「僕は基督教を輕んずる爲に反つて基督教を愛した」という謂いはそういう意味に於いてアイロニカルには私には腑に落ちる。

・「藝術的莊嚴」この「莊嚴」「しやうごん(しょうごん)」と訓じておく。本来は浄土などの仏国土及び仏・菩薩などの徳を示す美しい姿や飾り、また、寺院仏閣の仏堂・仏像などを美しく飾ることやその装飾具を指すが、ここは「捨命」と同じく援用して読むべきである。

・「即ち僕は基督教を輕んずる爲に反つて基督教を愛したのだつた。僕の罰を受けたのは必しもその爲ばかりではあるまい。けれども僕はその爲にも罰を受けたことを信じてゐる」この「罰」とは具体にこの後の自裁を指すと考えてよいが、私は寧ろ、イエス・キリストを一人のジャーナリストとし、その人間として彼に真摯に真っ向から対峙した「西方の人」は、芥川龍之介が真に「基督教を愛した」証しであり、それだけで私は彼は「罰」から免れてよい/免れていると思う。さらには芥川龍之介は〈復権するユダ〉であってよい/であるべきだ、とまで大真面目に思っているのである。]

 

 

 

       二 唾

 

 僕は嘗かう書いた。――「全智全能の神の悲劇は神自身には自殺の出來ないことである。」恰も自殺の出來ることは僕等の幸福であるかのやうに! 僕はこの苦しい三箇月の間に屢自殺に想到した。その度に又僕の言葉の冷かに僕を嘲るのを感じた。天に向つて吐いた唾は必ず面上に落ちなければならぬ。僕はこの一章を艸する時も、一心に神に念じてゐる。――「神の求め給ふ供物は碎けたる靈魂なり。神よ。汝は碎けたる悔いし心を輕しめ給はざるべし。」

 

[やぶちゃん注:・「嘗」「かつて」。

・「全智全能の神の悲劇は神自身には自殺の出來ないことである。」これは大正一三(一九二四)年七月号『文藝春秋』巻頭に載せた「侏儒の言葉」の「神」の第一章を指すが、微妙に表現上の異なりがある。以下に並べておく。

 

(先行「神」版)

 あらゆる神の屬性中、最も神の爲に同情するのは神には自殺の出來ないことである。

(本稿「唾」版)

 全智全能の神の悲劇は自身には自殺の出來ないことである。

 

・「僕はこの苦しい三箇月の間に屢自殺に想到した」これが冒頭注で私が『本稿は小穴隆一に自殺の決意を告げたとされる大正一五(一九二六)年四月十五日から遡る三箇月前の一月から、自死の直前までが執筆範囲であろうと推定している』根拠である。

・「神の求め給ふ供物は碎けたる靈魂なり。神よ。汝は碎けたる悔いし心を輕しめ給はざるべし。」これは「旧約聖書」詩篇の第五十一章第十七節、

   *

神のもとめたまふ祭物(そなへもの)はくだけたる靈魂(たましひ)なり。神よ、なんぢは碎けたる悔(くい)しこころを藐(かろ)しめたまふまじ。

   *

の引用である(引用は明治元訳)。]

2016/06/18

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 或問答

 

       或問答

 

 「君は破壞しに來たのか?」

 「いいえ。」

 「建設しに來たのか?」

 「いいえ。」

 「では君は何をしに來たのだ?」

 「どちらにすれば好いか考へる爲に。」

 

[やぶちゃん注:「君は何をしに来たのだ?」――「破壊か建設か……そのどちらにすればよいか、考えるために来たのだ。』――「では、聞こう。……クォ・ヴァディス?」――Quo Vadis ?(「あなたはどこに行くのか?」新約聖書「ヨハネによる福音書」第十三章第三十六節)…………





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芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 強盜

 

       強盜

 

 社會は金を出さない限り、我我の生存を保護しない。これは強盜の「有り金を渡せ、渡さなければ命をとる」と脅迫するのも同じことである。すると強盜とは何かと云へば、つまり社會の行ふことを個人の行ふことと云はれるであらう。ではなぜ強盜は罰せられるか? 社會は夙に團體的強盜のパテントを取つてゐるからである。

 

[やぶちゃん注:先の暴力よりも、よりはっきりと権力社会批判を明確に出してある。しかしその分、当たり前になってしまっていて面白くない。

 

・「パテント」patent。特許(権)・特許品・特許証。この場合は、合法的に刑罰と言う暴力殺人を行使することを独占的に使用することを許可された権利という皮肉である。]

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 愛國心

 

       愛國心

 

 我我日本國民に最も缺けてゐるものは國を愛する心である。藝術的精神を論ずれば、日本は列強に劣らぬかも知れぬ。又科學的精神を論ずるにしても、必しも下位にあるとは信ぜられまい。しかし愛國心を問題にすれば、英佛獨露の國國に一儔を輸することは事實である。

 愛國心の發達は國家的意識に根ざすものである。その又國家的意識の發達は國境の觀念に根ざすものである。けれども我我日本國民は神武天皇の昔から、未だ嘗痛切に國境の觀念を抱いたことはない。少くとも歐羅巴の國國のやうに、骨に徹するほど抱いたことはない。その爲に我我の愛國心は今日もなほ石器時代の蒙昧の底に沈んでゐる。

 ルウル地方の獨逸國民はあらゆる悲劇に面してゐる。しかも彼等の愛國心は輕擧に出づることを許さぬらしい。我我日本國民は李鴻章を殺さんとし、更に又皇太子時代のニコライ二世を殺さんとした。もしルウルの民のやうに、たとへば鄰邦たる支那の爲に食糧等を途絶されたとすれば、日本に在留する支那人などは忽ち刺客に襲はれるであらう。同時に日本はとり返しのつかぬ國家的危機に陷るであらう。

 けれども我我日本國民は愛國心に富んでゐると信じてゐる。――いや、或は富んでゐるかも知れぬ。あらゆる未開の民族のやうに。

 

[やぶちゃん注:実は芥川龍之介は驚くべきことに(いや、当然の如く、と言うべきか)ここまでの「侏儒の言葉」の中で、ただ一ヶ所、戀は死よりも強しでしか、「愛國心」という語を用いていない。それも「食慾の外にも數へ擧げれば、愛國心とか、宗教的感激とか、人道的精神とか、利慾とか、名譽心とか、犯罪的本能とか――まだ死よりも強いものは澤山あるのに相違ない」という、クソ並列の中の一つに過ぎないのである。末尾の「けれども我我日本國民は愛國心に富んでゐると信じてゐる。――いや、或は富んでゐるかも知れぬ。あらゆる未開の民族のやうに。」という毒が心地よい。

 

・「一儔を輸する」虛僞に出た「一籌を輸する」(いつちうをゆする(いっちゅうをゆする))とが正しい。「一段階、劣る」「一歩、譲る」の意。「籌」は実務や占術に於いて数を数えるのに用いた木の串(くし)で「輸する」の「輸」には「致す・運ぶ・移す」以外に「負ける・負け」の意があり、ここはそれ。もともとは宋の陸游の詩「九月六夜夢中作笑詩覺而忘之明日戲追補一首」の最終句「道得老夫輸一籌」に基づくという。

・「ルウル地方」ルール川下流域に広がるルール地方(ドイツ語:Ruhrgebiet)はドイツ屈指の大都市圏で、嘗ては重工業地帯としてドイツの産業を牽引したが、第一次世界大戦に敗北したドイツは多額の賠償金の支払いを求められたが、その履行が十分でないという口実を以って、一九二三年にフランスとベルギーがここに進駐、占領してしまった。当時ルール地方は実にドイツが生産する石炭の七十三%、鉄鋼の八十三%を産出していた。翌年には撤退したが、ドイツ経済はこの占領によって激しい打撃を受けた。

・「李鴻章」(りこうしょう/リ・ホゥォンチャン 一八二三年~一九〇一年)は清代の政治家。一八五〇年に翰林院翰編集(皇帝直属官で詔勅の作成等を行う)となる。一八五三年には軍を率いて太平天国の軍と戦い、上海をよく防御して江蘇巡撫となり、その後も昇進を重ねて北洋大臣を兼ねた直隷総督(官職名。直隷省・河南省・山東省の地方長官。長官クラスの筆頭)の地位に登り、以後、二十五年間、その地位にあって清の外交・軍事・経済に権力を振るった。洋務派(ヨーロッパ近代文明の科学技術を積極的に取り入れて中国の近代化と国力強化を図ろうとしたグループ。中国で十九世紀後半に起った上からの近代化運動の一翼を担った)の首魁として近代化にも貢献したが、日清戦争(明治二七(一八九四)年~明治二八(一八九五)年)の敗北による日本進出や義和団事件(一九〇〇年~一九〇一年)での露清密約によるロシアの満州進出等を許した結果、中国国外にあっては傑出した政治家「プレジデント・リー」として尊敬されたが、国内では生前から売国奴・漢奸と分が悪い(以上はウィキの「李鴻章」及び中国国際放送局の「李鴻章清の末期の政治家」の記載を主に参照した)。

・「ニコライ二世を殺さんとした」ロマノフ朝第十四代にして最後のロシア皇帝ニコライ二世(Николай II 一八六八年~一九一八年/在位は一八九四年十一月一日~一九一七年三月十五日)は、皇太子時代の明治二四(一八九一)年五月十一日、訪問中の日本の滋賀県滋賀郡大津町(現在の大津市)で警備に当たっていた警察官津田三蔵に斬りつけられて負傷した(暗殺未遂。詳しくはウィキの「大津事件を参照されたい)。]

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 今昔

 

       今昔

 

 昔帝國文庫本の「三國志」や「水滸傳」を讀んだ時、十何才かの僕は「三國志」よりも「水滸傳」を好んだものである。これは年の長じた後もやはり昔と變らなかつた。少くとも變らないと信じてゐた。が、この頃何かの拍子に「三國志」や「水滸傳」を讀んで見ると、「水滸傳」は前よりも面白みを減じ、「三國志」はその代りに前よりもはるかに面白みを加へてゐる。

 「水滸傳」は及時雨宋江だの、智多星呉用だのと云ふ、特色のある性格を描いてゐる。けれどもそれらの性格はスコツトの作中の性格と大差あるものとは思はれない。それだけに面白みを減じたのであらう。「三國志」は三國の策士の施した種種の謀計を描いてゐる。その又謀計は人間と云ふものを洞察した知慧の上に築かれてゐる。殊に少時神算とも鬼謀とも更に思はなかつたものほど、一層惡辣無雙なる策士の眼光を語つてゐる。これは或は「三國志」の作者の手柄と云ふよりも、寧ろ史上の事實そのものの興味に富んでゐる爲かも知れない。が、兎に角「三國志」の今の僕に面白いのはかう云ふ面白みの出來た爲である。僕は昔政治家などの所業に少しでも興味を感ずることは永久にないものと信じてゐた。しかし今の調子ではもうそろそろ久米正雄の所謂床屋政治家の域にはひりさうである。

 

[やぶちゃん注:・「帝國文庫本」最初期の文庫の名を持つ叢書。明治二六(一八九三)年に博文館が創刊した。但し、これは四六判クロス装全冊千頁を越えるという豪華本で、現在の廉価本としての文庫本のイメージからは遠いものであるので注意されたい(ここはウィキの「文庫本に拠った)。

・「及時雨宋江」「きふじう そうこう(きゅうじう そうこう)」と読む。生没年不詳で北宋末の一一二一年に現在の山東省附近で反乱を起こした人物であるが、その反乱事件を題材としたのが「水滸伝」で彼はその主人公、即ち、かの梁山泊百八人の豪傑の統領となっている。

・「智多星呉用」「ちたせい ごよう」と読むウィキの「によれば、『天機星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第三位の好漢』。『天下に並びない智謀の持ち主で、軍師として神算鬼謀の限りを尽くした』。但し、「三国志演義」の『諸葛亮のような神懸り的な人物ではなく、失敗もすれば冗談も飛ばす人間的な人物である。戦略や謀略の才には長けているが、実践の戦術や兵法に関する造詣は次席の軍師・朱武に多少劣る。また、鎖分銅の使い手でもある』とある。

・「スコツト」スコットランドの詩人で、歴史小説で名声を博した作家ウォルター・スコット(Walter Scott, 一七七一年~一八三二年)のことか。

・「少時」芥川龍之介の癖からは「しばらく」と訓じていよう。

・「神算」「しんさん」で神がかったような人知の及ばぬ謀(はかりごと)の意。次の「鬼謀」(きぼう)も、常人の思いも及ばぬような、鬼神の計らいででもあるかのような優れた謀の意であって悪い意味はない。「神算鬼謀」の四字熟語で使われることが殆んどである。こうして分解した方が、しかし、確かに読み易く、すんなり腑に落ちる。上手い手法である。

・「久米正雄の所謂床屋政治家の域」「床屋政治家」は既出で、床屋政談をする国民。髪結い床に来た客が髪を当たって貰いながら、店主と噂話でもするかの如く政談を展開することから、ろくな根拠もなしに、感情的で無責任な政治談議をすることを指す。因みに、久米正雄は昭和七(一九三二)年に石橋湛山の後を継いで鎌倉の町議に立候補してトップ当選したが、翌昭和八年に川口松太郎や里見弴とともに花札賭博で警察に検挙されているのだが、いや! 惜しいかな! 芥川龍之介自死の後であった……

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 評家病

 

       評家病

 

 リアリズムを高唱するものは今の世の批評家先生である。しかし何等かの意味に於ては、ロマン的傾向の作家と雖も、リアリズムを奉じてゐぬものはない。これに反して批評家先生は悉稀代のロマン派である。

 

[やぶちゃん注:芥川龍之介の文学史上の思潮は「新現実主義」である。あの世で龍之介はこの彼に冠されたそれを、如何にも痛い荊冠とは思うているに違いあるまい。]

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 修身

 

       修身

 

 辯難攻擊が盛だつた古雜誌を一册保存するが好い。さうして氣の屈した時にはその中の論文を讀んでみるが好い。如何に淺はかな主義主張は速かに亡んでしまふものか、それをしみじみと知る事は何人にも大切な修身である。

 

[やぶちゃん注:同題の「修身」が生前の公開分の三章目にごっそりとある。そこで言っている皮肉とコンセプトは同じである。]

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 信條

 

       信條

 

 作家は誰も信條通り、小説を書いてゐるのではない。その外に書きやうを知らないのである。それをまづ信條があり、その次に創作があるやうに云ふ。云ふものは畢竟人が惡いか、蟲が好いかどちらかである。

 

[やぶちゃん注:「云ふものは」の「ものは」は、古語の名詞「もの」+係助詞「は」の用法で、「~する。ところが、それは思いの外、……である。」という謂いである。]

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