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2019/05/30

太平百物語卷五 五十 百物語をして立身せし事 附 奥書・冠首・全巻目録 /「太平百物語」~全電子化注完遂

100monogataririsin

 

   ○五十 百物語をして立身せし事

 或(ある)國主(くにのかみ)の若君、御とし、未(いまだ)十才斗(ばかり)にならせ給ふが、ある日の事なりし、朝、とく、おきさせ玉ひて、御書院に出(いで)させ玉ひけるに、手水鉢(てうずばち)の際(きは)に、猫の切られて死(しゝ)ゐけるを御覽ありて、近習(きんじゆ)の人を召(めし)、

「是れは。いかに。」

と仰(おほせ)下されければ、

「されば候。いかなる者か、仕り候やらん。」

とて、則(すなはち)、御家中(ごかちう[やぶちゃん注:ママ。])へ觸(ふれ)ながして、御僉議(ごせんぎ)有(あり)ければ、御兒小姓(おんこごしやう)に蔭山只之進と申者、罷出(まかりいで)て申しけるは、

「某(それがし)、夜前(やぜん)御寢番(おんねばん)を相勤(あひつとめ)候所に、五更の比(ころ)ほひ、用事に罷出候ひしが、此[やぶちゃん注:「この」。]御緣先(ごゑんさき)に、たけ六尺斗(ばかり)[やぶちゃん注:約一・八二メートル。]と見へし女の、髮を乱して立[やぶちゃん注:「たち」。]ゐけるまゝ、變化(へんげ)の者と存じ、やがて切(きり)はなし候へば、何國(いづく)ともなく迯失(にげうせ)候ふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、今日(こんにち)、御沙汰にもおよび奉らざるに、扨(さて)は、此[やぶちゃん注:「この」。]猫にて、御坐有(ござあり)けるにや。」

と申し上げければ、若君、殊の外、御きげんにて、仰(おほせ)けるは、

「かゝる事も、世に有(ある)事にや。」

と御尋(たづね)ありければ、御近習頭(ごきんじゆかしら)伴丈右衞門(ばんじやうゑもん)、申し上られけるは、

「さん候。其實否(じつふ[やぶちゃん注:ママ。])は存じ奉らず候ふといへども、世にばけ物有(あり)と申す事は、每度、咄(はな)しに承り候。」

と答へ奉れば、

「さらば、咄し仕(つかまつ)れ。」

と仰(おほせ)ありしほどに、取(とり)あへず、恐ろしき昔物がたりを申し上られければ、限りなく興(けう)ぜさせ玉ひて、それより、ひたと、化者咄しを御さいそく有(あり)ければ、御近習(ごきんじゆ)の人々も、御奉公の事なれば、御機嫌をとりどりに、樣々、おもひ出(いづ)るまゝ、御咄し申し上られけるが、每日每夜の事なれば、今は御咄しのたねつきて、皆々、案じ煩(わづら)ひけるが、御臺所に御料理方(おんりやうりかた)をつとめ居(ゐ)ける与次(よじ)といふ者あり。

 いろいろの恐しき咄を能(よく)覚へゐるよし、沙汰しければ、若君、此よし、聞し召(めし)、「急ぎ參りて、御はなし、申し上(あぐ)べき」よしの御意有難く、御前(おんまへ)に罷出(かまりいで)、いろいろの、ばけもの咄、或は、ゆうれひ[やぶちゃん注:ママ。]・ろくろ首・天狗のふるまひ・狐狸(きつねたぬき)のしわざ・猫また・狼が惡行(あくぎやう)、おそろしき事、哀(あはれ)なる事、かなしきむくひ、武邊成(なる)手柄(てがら)ばなし、臆(おく)したる笑ひ草(ぐさ)[やぶちゃん注:「気後(きおく)れしてしまって大失敗したような笑い話」。前の「武辺とするに相応しい手柄話」の対義表現。]など、手をかへ、品を分(わか)ち、御咄しを申し上ければ、若君、限りなき御機嫌にて、それより、每日每日、

「与次、与次。」

と召されけるが、此若君、御成長の後(のち)、國主(こくしゆ)と成(なり)玉ひければ、彼(かの)与次を召出(めしいだ)され、

「汝、我(わが)いはけなかりし比(ころ)ほひ、さまざまの物語をして、心を慰めしが、稚心(おさなごゝろ[やぶちゃん注:ママ。])に剛臆(がうおく)の差別を知り[やぶちゃん注:剛毅であることとと臆病であることの真の違い。]、恥と譽(ほまれ)の是非好惡(かうあく)を弁(わきま)へし程に、今、以て、益ある事、おほし。然(しか)れば、其儘、下﨟(げらう)にして、遣(つか)ふべきに、あらず。」

とて、忝(かたじけなく)も新知(しんち)[やぶちゃん注:新たに下賜された知行地。]三百石下され、大小姓格(おほこしやうかく)になされけるぞ、有難き。

「是(これ)、偏(ひとへ)に、百物語の數々、能(よく)覚居(おぼへゐ[やぶちゃん注:ママ。])たりし奇特(きどく)なり。」

とぞ、羨まぬ人は、なかりけり。

 目出度かりける、ためしなり。

 

 

太平百物語卷之五終

[やぶちゃん注:本話を以って「太平百物語」は終わっている。この一篇は本書中の特異点で、怪談でも擬似怪談でもなく、謂わば、本「百物語」のような、一見、他愛もない馬鹿げたあり得ない怪談でさえも、それを覚えておくことが、人生の中の思いがけない好機を摑む契機となることもあるという、噂話(実際に在り得そうな世間話)として全体を締め括るなかなかにニクい効果を狙っているものと言え、それは正に以下に示す「冠首」の語りと絶妙に応じている。「菅生堂人惠忠居士」はただの動物怪奇談の名手であるばかりではなく、怪談の大事な規範的属性を体現した、いや、なかなかの作者と存ずるものである。

 以下、現在の奥附に当たる奥書。]

 

 

        作者菅生堂人惠忠居士

        畫工髙木幸助貞武

  享保十七年子三月吉日出來

 

         大坂心齋橋筋書林

           河内屋宇兵衞新刊

 

[やぶちゃん注:「髙木幸助貞武」(生没年不詳)は大坂の浮世絵師。幸助は通称。ウィキの「高木貞武」他によれば、『大坂の人』で、素黙・素黙斎と号した。『はじめは斎藤幸助と称したという。延享』四(一七四七)年刊行の「難波丸綱目」には『「高木幸助」として名が載っている』。『狩野派の絵師牲川充信』(にえかわみつのぶ 生没年不詳:江戸中期の画家で享保(一七一六年~一七三六年)頃に活躍した大坂の人。狩野派の鶴沢探山(つるざわたんざん)に学び、独自の画風を拓いた)『の門人だったと伝わるが、残されている作には画風に西川祐信』(にしかわすけのぶ 寛文一一(一六七一)年~寛延三(一七五〇)年):江戸前期から中期にかけての浮世絵師。江戸を中心とした一枚摺の作品で主に語られる浮世絵の歴史の中で、祐信は京で活躍し、絵本を主に手がけたため、やや等閑視されるきらいがあるが、当世風俗描写を主体としていたそれまでの浮世絵に、古典の知識を作中に引用してこれを当世風に表わすなど、抑揚の効いた理知的な美を追求し、次代の浮世絵師たちに大きな影響を与えた作家である)『の影響がうかがえる。作画期は享保』五(一七二〇)年から宝暦二(一七五二)年の『間にかけてで、主に版本の挿絵を描く。宝暦の初年または明和の初年』(明和元年は一七六四年)『に没したといわれる』とある(代表的作品はリンク先を参照。本書も挙げられてある)。

「享保十七年」は壬子(みづのえね/じんし)で一七三三年。因みに、この年は江戸四大飢饉の一つである「享保の大飢饉」の年である。ウィキの「享保の大飢饉」によれば、前年享保十六年『末より天候が悪く、年が明けても悪天候が続』き、この板行の直後の夏から『冷夏と害虫により』、『中国・四国・九州地方の西日本各地、中でもとりわけ瀬戸内海沿岸一帯が凶作に見舞われた。梅雨からの長雨が約』二『ヶ月間にも及び』、『冷夏をもたらした。このためウンカなどの害虫が稲作に甚大な被害をもたらして蝗害として記録された。また、江戸においても多大な被害が出たといい、その死者の供養のために隅田川花火大会が始まったとされる』。『被害は西日本諸藩の』内、四十六『藩にも及』び、『藩の総石高は』二百三十六『万石で』あった『が、この年の収穫は僅か』二十七%『弱の』六十三『万石程度』しかなく、『餓死者』は実に一万二千人『(各藩があえて幕府に少なく報告した』とする説もある)『にも達した』(「徳川実紀」では餓死者を九十六万九千九百人とする)。また、二百五十『万人強の人々が飢餓に苦しんだと言われる。また、翌享保一八(一七三三)年『正月に飢饉による米価高騰に困窮した江戸市民によって』「享保の打ちこわし」も発生している。なお、『最大の凶作に陥った瀬戸内海にあって』、現在の愛媛県の最北に位置し、愛媛県今治市に属する芸予諸島の中の一つで、大山祇神社がある「神の島」として知られる、同県に属する最大の有人島『大三島』(おおみしま)『だけは』、『下見吉十郎』(秀譽(あさみきちじゅうろうひでたか 寛文一三(一六七三)年~宝暦五(一七五五)年:ここ大三島などの瀬戸内海の島々へサツマイモを広めた六部僧。松浦宗案・義農作兵衛とともに「伊予の三農」と称される人物)『がもたらしたサツマイモによって餓死者を出すことはなく、それどころか』、『余った米を伊予松山藩に献上する余裕があった。 この飢饉を教訓に、時の将軍徳川吉宗は米以外の穀物の栽培を奨励し、試作を命じられた青木昆陽らによって東日本各地にも飢饉対策の作物としてサツマイモの栽培が広く普及した』とある。これを以ってしても「太平」どころではなかったのであった。

 以下、ペンディングしていた本書冒頭に配された「冠首」(序)を示す。]

 

 

太平百物語冠首

 やつがり、年比(としごろ)、西國に經歷して、貴賤・僧俗・都鄙(とひ)・遠境(ゑんきやう)の分ちなく、打交(うちまじは[やぶちゃん注:ママ。])り語らひける中に、あやしの物語どもの、それが中にも、出所(しゆつしよ)の正しきをのみ集(あつめ)て、反古(ほうご)の端に書綴(かきつゞ)り置(おき)しをみれば、其數(かず)、百に滿(みて)り。然るを笥中(しちう)に藏(こめ)て虫糞(むしくそ)となさんも本意(ほゐ[やぶちゃん注:ママ。])なければ、是を梓(あづさ)に壽(いのちながふ)して、吾にひとしき輩(ともがら)に見せなば、永き夜(よ)の眠(ねふ)りを覚(さま)し、寂寞(つれづれ)なぐさむ一助ともならんと、剞劂氏(きけつし)に命じぬ。実(げ)に怪力亂神を語るは、聖(ひじり)の文(ふみ)の誡(いまし)めながら、かく拙き物語も、おかし[やぶちゃん注:ママ。]と見る心より、自然と善惡の邪正(じやしやう)を弁(わきま)へ、賢愚得失の界(さかひ)にいらば、少(すこし)き補ひなきにしもあらずと、いにしへの百物語に太平の御代(みよ)を冠(かふむら)しめて、筆(ふんで[やぶちゃん注:ママ。])を浪花菅生堂(らうくはかんしやうどう[やぶちゃん注:ママ。])の窓中に抛(なげう)つといふ事、しかなり。

 時は谷の戶(と)出(いづ)る鶯の

   初聲(はつこゑ)そふる比ならし

           市中散人

            佐(ゆうすけ)書

[やぶちゃん注:「弁(わきま)へ」の「弁」の字は下部が複雑な異様な字形であるが、似たような字を見出せなかったので、この通用字で代えた。最後の署名の位置は実際には前二行の下方中央から二行目下にかけてで、最後に大きな落款が打たれてある(字は私には判読出来ない)。私が底本とした巻首全文の画像(「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のそれ()をリンクさせておく。

「やつがり」「僕(やつがれ)」に同じ一人称人代名詞。「奴(やつこ)」たる「吾(あれ)」の音変化とされる。古くは「やつかれ」と清音(底本でも「が」は濁音)。自分を遜(へりくだ)っていう語。上代・中古では男女を通じて用いたが、近世以降は男性がやや改まった場で用いるに限られた。

「剞劂氏(きけつし)」元は板木を彫る人、板木師のこと。ここは板行する板元(具体的には巻末に出た大坂心斎橋の書林河内屋宇兵衛を指す。

「怪力亂神を語るは、聖(ひじり)の文(ふみ)の誡(いまし)め」「論語」の「述而篇」の「子不語怪力亂神」(子、怪力亂神(かいりきらんしん)を語らず)の孔子の言を指す。「怪」は「尋常でない事例」を、「力」は「粗野な力の強さを専ら問題とする話」を、「乱」は「道理に背いて社会を乱すような言動」を、「神」は「神妙不可思議・超自然的な、人知では解明出来ず、理性を以ってしても、説明不能の現象や事物」を指す。孔子は仁に満ちた真の君子というものは怪奇談を口にはしない、口にすべきではない、と諭すのである。しかし、この言葉は、実は逆に古代から中国人が怪奇現象をすこぶる好む強い嗜好を持っていたことの裏返しの表現であることに気づかねばならぬ。

 以下、各巻冒頭に配された目次を一挙に示す。目録各項は底本では二字下げ「○」で始まっており、話数と表題の間は有意に空いている(上記のリンクの左頁を参照)が、ブラウザの不具合を考えて、引き上げた。但し、読みは既に本文で出してあるので、一部、難読と判断したものを除いて省略した。歴史的仮名遣に反する表記も総てママである。]

 

太平百物語卷之一目錄        前編

○一   松岡同雪狐にばかされし事

○二   馬士八九郞狐におどされし事

○三   眞田山のきつね伏見へ登りし事

○四   冨次郞娘蛇見入れし事

○五   春德坊きつねに化されし事

○六   愚全坊化者の難を遁れし事

○七   天狗すまふをとりし事

○八   調介姿繪の女に契りし事

○九   經文の功力にて化者の難遁れし事

 

太平百物語卷之二目錄        前編

○十   千々古といふばけ物の事

○十一  緖方勝次郞獺を射留し事

○十二  小僧天狗につかまれし事

○十三  或僧愛宕山にて天狗と問答の事

○十四  十作ゆうれひに賴まれし事

○十五  吉田吉郞ばけ物を切し事

○十六  玉木蔭右衞門鎌倉にて難に逢ひし事

○十七  榮六娘を殺して出家せし事

○十八  小栗栖のばけものゝ事

○十九  狐人たがへして憑きし事

○二十  本行院の猫女にばけし事

○二十一 孫兵衞が妾(しやう/てかけ)蛇になりし事

 

太平百物語卷三目錄         前編

○二十弐 きつね仇をむくひし事

○二十三 大森邪神往來の人を惱す事

○二十四 くらがり峠三つの火の魂の事

○二十五 惡次郞天狗の栖に至る事

○二十六 高木齋宮相摸にて難に逢ひし事

○二十七 紀伊の國隱家の事

○二十八 肥前の國にて龜天上せし事

○二十九 和田八熊を殺して發心せし事

○三十  小吉妻のゆうれひと物語する事

 

太平百物語卷之四日錄        前編

○三十一 女の執心恨を永く報ひし事

○三十二 松浦庄太夫猫またと問答の事

○三十三 孫六陰蜘(ぢやらうぐも)にたぶらかされし事

○三十四 作十郞狼に逢ひし事

○三十五 三郞兵衞妻の幽㚑の事

○三十六 百(ど)々茂左衞門ろくろ首に逢ひし事

○三十七 狐念仏に邪魔をなせし事

○三十八 藥種屋長兵衞金子をひろひし事

 

太平古物語卷之五目錄        前編

○三十九 主部(とのべ)筆太化物に宿かりし事

○四十  讃岐の國騎馬のばけ物の事

○四十一 力士の精(せい)盗人を追退けし事

○四十二 西の京陰魔羅鬼(おんもらき)の事

○四十三 能登の國化者やしきの事

四十四 或侍猫またを切し事

四十五 刑部屋敷ばけ物の事

四十六 獺人とすまふを取し事

四十七 松田五市たぬきを切し事

四十八 紺屋のばけ物の事

四十九 天狗祟りをなせし事

五十  百物語をして立身せし事

 

 以上前編終(おはり)後編跡より出(いだ)し申

 

[やぶちゃん注:最後に以上の予告があるが、遂に後編は未刊であった。最終の「五十」に「百物語をして立身せし事」を持ってきていることと、その内容が、本「太平百物語」全体の半公式的な本百物語の所縁をシチュエーションとして確信犯で「キリ」として語っている点から見ても、筆者は実際には後編を出す意志は実際にはなかったのではないかと私は推察する。

太平百物語卷五 四十九 天狗祟りをなせし事

 

   ○四十九 天狗祟りをなせし事

 或國(あるくに)の大守君(たいしゆくん)、御領分の山々の樹木を、おほく切(きら)せられければ、其中(そのなか)に、天狗の栖家(すみか)、おほく有(あり)て、此天狗ども、安からぬ事におもひ、

「いざや。此恨みに返報をなさばや。」

とて、御別埜(おんしたやしき)におかせ玉ふ女房達の黑髮を、夜每(よごと)に、壱人宛(づゝ)、髻(もとゞり)より切(きり)ければ、ありあふ女中、打集(うちあつま)り、皆々、恐れ歎きつゝ、

「いかゞせん。」

とぞ、あきれ居(ゐ)たり。

 主君、此よしを聞(きこ)し召(めし)、大きに驚かせ玉ひ、

「是、天狗の所爲(しよゐ)ならめ。」

と、おぼし召(めし)て、

「此後(このゝち)、樹木を剪採(きりとる)事、かたく停止(てうじ)仕(つかまつ)るべき。」

よし、仰出(おほせいだ)されければ、これにこゝろや足(たり)けん、其後(そのゝち)は、此災(わざはひ)もなかりしとぞ。

[やぶちゃん注:以下は原典では全体が本文の二字下げで、有意に字が小さく、本文同様、ベタで(改行せずに)書かれてある。]

 評じて曰(いはく)、此事、何國(いづく)の事といふ事を、しらず。或人のいふ、

「是は唐土(もろこし)の事をば、此道のすき人、わが國に附會して、ちか比[やぶちゃん注:「ちかごろ」]のやうに、いひなしける。」

とも、いひあへりぬ。

 何(いづ)れか是(ぜ)なるや、しる人は、しるべし。われは、しらざるを、しらず。

[やぶちゃん注:評の末尾は、「中国の原話を日本に付会したに過ぎない翻案とする説と、確かな本邦で起こった実話とする説(それをことさらに挙げてはいないが、それを対峙させなければ、怪談本としての面目は丸潰れである)との、孰れが正しいかは、まあ、知っている人は、知っているのであろう。私は知らない。知らないことは知らないと言うしかない。」という謂いであろう。既に見た通り、巻三の「三十 小吉が亡妻每夜來たりし事」は明の瞿佑(くゆう)作の志怪小説集「剪燈(せんとう)新話」の中の、知られた一編「牡丹燈記」を素材として用いているし、他にも発想や展開を中国の伝奇・志怪小説に求めていると思しいものもあるから、これも逆に見れば、筆者が、「翻案だ」の「これが種本だ」のという五月蠅い穿鑿(「批判」と言うのはあまり当たらない。当時は同時代人に書いたものでさえ、ほぼ真似て板行しても「盗作だ」などとする感覚はほぼ皆無に等しかったからである。要は面白ければよかったのである)をかわすためポーズとも見られる。]

太平百物語卷五 四十八 紺屋ばけ物の事

 

   ○四十八 紺屋(こんや)ばけ物の事

 阿波の國に松屋五郞八といふ紺屋あり。

 或る夜、子の刻ばかりに、家内(かない)、何となく、騷がしかりしかば、五郞八、目覚めて、あたりを見廻しけるに、色の黑き、犬よりは大き成[やぶちゃん注:「なる」。]獸(けだもの)、兩手をあげて、足(あし)二本にて、庭を步(ある)きけるが、染物につかふ糊(のり)をこしらへ置(おき)けるを、悉く、喰(くら)ひ仕廻て、

「そろそろ。」

と、上にあがり、燈(ともしび)の油を、ねぶりける。

 五郞八、此体(てい)を、よくよく、みるといへども、餘りのおそろしさに、しらぬふりにて[やぶちゃん注:騒いだり、音を立てたり、することも出来ず。]、伺ひ居(ゐ)たり。

 扨、夜明(よあけ)ければ、其邊(あたり)の若者共に、「此よし」を語り、

「如何(いかゞ)せん。」

と議(ぎ)しければ、いづれも、はやりお[やぶちゃん注:ママ。「逸(はやり)り男(を)」。]の者どもなれば、皆々、いさんで、五郞八が宅(たく)に集(あつま)り、

「今宵、化者きたらば、打殺(うちころ)さん。」

とて、木刀、又は、樫(かし)の棒なんど、思ひ思ひに脇ばさみ、物かげに隱れ居て、

『今や來(きた)る。』

と待(まち)けるに、案に違(たが)はず、夕(ゆふべ)の刻限[やぶちゃん注:前夜と同じ子の刻。]と覚しき折節、かのばけ物、顯(あらは)れ出(いで)、あたりを、

「きつ。」

と見廻し、又、糊棚(のりだな)にかゝる所を、待(まち)かけ居たる若者共、一度に、

「どつ。」

と、飛出(とびいで)て、

「遁(のが)すまじ。」

と打(うち)ければ、化物、これにおそれをなし、迯ぐる所を、彼方此方(かなたこなた)と追廻(おひまは)けるに、少(すこし)戶の透間(すきま)の有(あり)し所より、

「つ。」

と、拔(ぬけ)て迯出(にげいで)ければ、

「何國迄(いづくまで)も。」

と追(おひ)かけたりしが、平山(ひらやま)といふ所にて、大き成[やぶちゃん注:「なる。]榎(ゑのき)の内に隱れけるを、猶も、かけ寄(より)、尋(たづね)めぐれば、壱つの、火の玉、ほのほとなりて飛出(とびいで)しに、皆々、おそれて、迯歸(にげかへ)りしが、其後は、五郞八が宅へも、再び、來(きた)らざりける、とぞ。

 いかなる化者にてや、有りけん、しらずかし。おぼつかな。

[やぶちゃん注:確信犯の因果も根拠も一切不明の物の怪であり、しかも本書の強い特色である獣類の変異である、黒犬よりも有意に大きい獣(狼より有意に大きく、月の輪熊よりは一回り小さいといったニュアンス)の見かけを持り、しかもそれは直立二足歩行を日常的に行う四足動物の形状を成す。糊や灯しの油を舐(ねぶ)る(妖猫・妖狐・妖狸・妖獺・妖鼬の類いに繋がりそうな属性ではある)。かなり残念なのは、二日目の夜の出現の、複数の目撃者がいるリアルさを出すべき「キモ」のシークエンスで、全く、その視認された「物の怪」の形状や習性を、全く描かれていない点ではある(それはそれで筆者の、読者の最後まで不明性の恐怖を与えるための確信犯なのであろうが)。最後のロケーションである、榎は、老木になると、怪異を生ずるともされるし、大きな榎の洞にはやはり年経て化け物と成った大蛇・化鳥・妖獣の類いを想起は出来る。但し、「火の玉」の出現(私は狐火より(榎の内は狐の棲み家としては相応しくない)も、火と強い相性を持つとされる妖鼬の「火柱」を想起した。私の「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち)(イタチ)」を参照されたい。まあ、この部分も追跡者を退散させて話を切り上げるには展開上で必要ではあったのだが)は、視覚上に小道具として如何にもな、三文芝居のそれで、却って、読んでいて失笑してしまった。

「おぼつかな」形容詞語幹の用法による詠嘆。正体不明のこの「化け物」に対する不信・恐怖を余韻として添えて効果的である。それは「おぼつかなし」の「ぼんやりしていて、その実体がはっきりせず、不気味に火の玉となってほのかに消えてしまう」という原義を含みつつ、派生するところの不安感情としての「ひどく気がかりで、不安で」「不審極まりなく、如何にも疑わしいではないか?!」という響かせである。]

2019/05/29

太平百物語卷五 四十七 松田五市狸を切りし事

Matudagorou 

 

   ○四十七 松田五市狸を切りし事

 ある國の事なりし。

 御城下を、每夜每夜、役人衆、夜廻りに通られけるに、丑三つ[やぶちゃん注:午前二時。]の此ほひ、町はづれにて、若き女の綿帽子をかづきて、只一人(いちにん)、いと忍びやかに通りしかば、役人衆、此体(てい)をみて、心得ぬ事におもひ、跡を付(つけ)て行(ゆか)れけるに、此女、ふり歸りみて、

「莞尓(につこ)。」

と、わらひ、又、靜(しづか)に步み行(ゆき)けるまゝ、いよいよ、あやしくおもひ、猶々、慕(した)ふて行(ゆく)に[やぶちゃん注:ますます不審を募らせて、なおもその後(あと)をつけて行ったところが。]、此女、しだひしだひ[やぶちゃん注:ママ。]に、たけ高くなりて、大きなる松の木の許(もと)に行(ゆく)ぞ、と見へし。

 かの綿ぼうしを取(とり)て、役人の衆中(しゆぢう[やぶちゃん注:ママ。])を、

「はつた。」

と、ねめしをみれば、眼(まなこ)は日月(じつげつ)のごとく、口は耳のもと迄さけて、頭(かしら)におどろの髮を乱し、眉間(みけん)に一つの角(つの)を生(おひ)たりしかば、さしもに武(たて)き面々も、身の毛、

「ぞつ。」

と、立(たち)ければ、皆、引色(ひきいろ)に見へにける[やぶちゃん注:流石に、殆んどだれもが怖気てしまい、身を退かせ気味になったように見受けられたという。]。

 其中に、松田五市といふ人、心勝(こゝろまさ)りの男(おのこ[やぶちゃん注:ママ。])にて、頓(やが)て、刀を拔放(ぬきはな)し、橫樣(よこざま)に切付(きりつけ)しかば、其儘、形(かた)ちは消失(きへうせ[やぶちゃん注:ママ。])て、切(きり)こみしは、松の木なりしが、大勢の聲として、

「どつ。」

と、笑ふ音して、其後は、何事も、なかりけり。

 能(よく)々きけば、

「此所に數(す)百年を經し古狸(ふるだぬき)の所爲(しよゐ)なり。」

とぞ、いひあへりける。

2019/05/28

太平百物語卷五 四十六 獺人とすまふを取し事

 

   ○四十六 獺(かはうそ)人とすまふを取し事

 さぬきの國に山城屋甚右衞門といふ者あり。

 「一穴(ひとつあな)」といふ所に田地(でんぢ)を持ちける程に、常に下人を遣(つかは)して耕作をさせける。

 一日(あるひ)、每(いつも)のごとく、耕作に、孫八といふ下人をつかはしけるに、主人の子甚太郞とて、今年十一才なるが、此「一つ穴」に遊びゐたり。

 孫八、いふ樣、

「今日(けふ)は、高松の叔父君(おぢご)、御出(おんいで)ありて、父上、もてなし給ふに、何とて、内には居(ゐ)玉はぬや。はやはや、歸り玉へかし。」

といへば、此甚太郞、返答(いたへ)もせず、うちわらひ、

「相撲(すまふ)をとらん。」

といふ。

 孫八も、おかしながら[やぶちゃん注:ママ。ここは「ちょっと不審に思いながら」という現代語に近い用法であろう。]、

「いで、さらば、取申さん。」

と、

「無手(むず)。」

と組合(くみあひ)、僞りて、孫八、まけければ、甚太郞、悅び、

「今、一番。」

といふに、又、取て、まけたり。

 甚太郞、限りなく悅び、歸りぬ。

 孫八も黃昏(たそがれ)に歸りて、甚太郞にいふやう、

「扨々。今日は『一つ穴』にて、二番迄、相撲に負(まけ)申たり。無念にこそ侍るなり。」

と、戲(やはむれ)て申しければ、甚右衞門夫婦、いひけるは、

「今日は、高松の叔父、御出(おんいで)なれば、甚太郞は終日(ひねもす)、他行(たぎやう)せず。何をか、いふぞ。」

と申しければ、甚太郞もうちわらひ、

「孫八が、晝寐(ひるね)の夢をや、見つるならん。」

と嘲(あざ)ければ、孫八、ふしぎをなし、

「正(まさ)しく『一つ穴』にて相撲を取(とり)しが、扨は、聞(きゝ)およぶ、あの邊(へん)の獺ならん、惡(にく)き事かな。重(かさね)て出(いで)なば、打殺(うちころ)さん。」

と、いひて、明(あけ)の日も耕作に行(ゆき)けるが、案のごとく、又、甚太郞に化(け)して、

「すまふを取らん。」

と、いふ。

 孫八、

『扨は。昨日(きのふ)の獺ならん。』

と思ひ、

「心得たり。」

とて、頓(やが)て引組(ふつくみ)けるが、孫八、力量の者なれば、其儘、宙(ちう[やぶちゃん注:ママ。])に引提(ふつさげ)、かたへに有(あり)し岩角(いはかど)を目當(めあて)に、なげ付(つけ)ければ、頭(かうべ)を巖(いはほ)に打碎(うちくだか)れ、水の流るゝ事、一斗ばかりして、忽(たちまち)、獺となりて、死(しゝ)たり。

 孫八、うちわらひ、歸りて、甚右衞門夫婦に「かく」と語りけるが、其夜、孫八に物の化(け)付(つき)て、口ばしりけるは、

「扨々、情なや。わが夫(おつと)を、よくも、殺しぬ。われ、此敵(かたき)を取(とら)ずんば、何(いつ)までも、歸るまじ。惡(にく)や、惡や。」

と叫びしかば、甚右衞門夫婦、是におどろき、頓(やが)て、実相坊といふ修驗者(しゆげんしや)を賴みて、祈禱し、樣々に詫(わび)ければ、やうやうに、物の化(け)、落(おち)たり。

 然(しかれ)ども、孫八、心氣(しんき)つかれて、其後(そのゝち)は、力量もおとろへ、病心者(びやうしんもの)となりけるとかや。

[やぶちゃん注:本篇は既に二年前に「柴田宵曲 妖異博物館 河童の力」の注で電子化しているのであるが、今回は底本を原板本としたので、完全に一からやり直してある。こちらがより正確と心得られたい。

「獺」本作では、人を化かす妖獺としてのメイン・キャラクターとしての登場は、「卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事」に続く二度目の登場である。そちらで妖怪としての「かわうそ」は注してあるので参照されたい。また、たまたま、その翌日に電子化注した「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ)(カワウソ)」も参照して戴ければ、幸甚である。

「一穴(ひとつあな)」地名として捜してみたが、見当たらぬ。しかし、この地名、作者の確信犯の意味深長な架空地名ではあるまいか? 諺に「蟻(あり)の一穴(いっけつ)天下の破れ」或いは「蟻の一穴」という成句があり、「大事はほんの些細なことから生じ、ちょっとしたことが原因で大変なことになる」の謂いであるからである。たかが獺の化けたものと相撲を取り、それが物の怪と知ってより、それをぶち殺した結果として、「ぶらぶら病」となった甚八は、まさにその諺と一致するからである。しかもこの語は「同じ穴の狢」などの語との相性もあって、一見、無関係のように見えても実は同類・仲間(特に悪事を働く存在)であることの喩えと通ずる。獺の連れ合いの牝が殺された牡同様に変化(へんげ)の妖術を持ち、甚八に憑くことが、まさしくそれを髣髴とさせるからでもある。]

2019/05/27

太平百物語卷五 四十五 刑部屋敷ばけ物の事

 

   ○四十五 刑部(ぎやうぶ)屋敷ばけ物の事

 但馬の國に化者屋敷ありと專ら沙汰して、此家(いへ)に住む人なかりしが、木戶(きど)刑部と云(いふ)浪人、此よしを聞(きゝ)、

「我、行(ゆき)て住(すま)ん。」

とて、主從二人、住けるが、如何樣(いかさま)、人のいふに違(たが)はず、每夜每夜、一時(いつとき)[やぶちゃん注:二時間。]斗(ばかり)づゝ、家内(かない)震動して、偏(ひとへ)に大地震のごとし。

 刑部、心は武(たけ)しといへ共、其正体を見屆(みとゞけ)ざれば、力なく日を送りけるに、或夜、刑部が常に尊(たうと)みける智仙といふ僧、訪(とふら)ひ來(きた)られける。

 此僧は、道德、目出度(めでたき)人なりしかば、刑部、幸(さひはひ)と悅び、「しかじか」のよしを語る。

 智仙、聞玉ひて、

「いか樣、不審(いぶか)しき事にて侍る。我、今宵、此所に滯留して、樣子を見るべし。」

とて、一宿し玉ひけるが、每(いつも)の刻限にもなりしかば、刑部がいふに違はず、震動する事、冷(すさま)じかりし。

 智仙、つくづくこゝろを付て見給ふに、座(ざ)しゐられし所の疊、うねりしかば、其[やぶちゃん注:「その」。]高く疊の上(あが)る所を、

「じつ。」

と、おさへ玉ふに、さしも、今迄、騷(さはが)しかりしも、忽ち、治まりたり。

 時に智仙、小刀(こがたな)をとりて、疊をさし、刑部にむかひ、仰(おほせ)けるは、

「今宵は、はや、動くまじ。夜明(よあけ)てこそ樣子を正(たゞ)し玉へ。」

とて、其夜の明(あく)るを待ち、翌(あけ)の日、刑部、家來と共に、疊を上(あげ)、床(ゆか)の下を搜しみれば、數年(すねん)を經たる古墳(ふるづか)あり。

 洗ひてみれば、

『刄熊靑眼㚑位(じんゆうせいげんれいゐ』

といふ文字、幽(かすか)にありて、「眼」の字より、新(あらた)なる血、こぼれ居(ゐ)たり。

『扨は。夜前(やぜん)、智仙ひじりの小刀をさし玉ひける跡にや。』

と、刑部も奇異の思ひをなし、所に久しき百姓を招きて、此事を語るに、此者のいはく、

「むかし、此所に外記(げき)といへる人、住(すむ)で、人の爲に熊(くま)を、生(いき)ながら、血をしぼり取、殺しけるが、後難(こうなん)を恐れて、骸(なきがら)を土中(どちう[やぶちゃん注:ママ。])にうづみ、私(ひそか)に墳(つか)を築き吊(とぶ)らはれしに、猶も、其恨み、はれやらず、終に、外記を取殺(とりころ)しぬ。されば、其執心、此屋敷に留(とゞま)りて、夜な夜な、出(いづ)るといひ傳へしより、人、恐れて住(すま)ざりしが、ちか比(ごろ)、御身、住給ひしに、げにも。噂に、違ひ侍らず。」

と、委(くはし)く語れば、智仙、始終を聞玉ひ、

『不便(ふびん)の事。』

に、おぼして、則(すなはち)、二夜(や)三(さん)日が間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])、外記と熊の遠忌(ゑんき)を吊らはれければ、其後は、家鳴(やなり)・震動もやみて、何の事もなかりければ、此屋敷、永く、刑部が有(う)となりにけり。

[やぶちゃん注:「但馬の國」現在の兵庫県北部。

「遠忌」通常は「をんき(おんき)」没後に長い期間を経て行われる年忌。五十年忌以降の法会供養を指す。

「有(う)」所有。持ち分。]

2019/05/26

太平百物語卷五 四十四 或る侍猫またを切りし事

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   ○四十四 或る侍猫またを切りし事

 或侍【ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]ありて其名をしるさず。】朋友の方へ夜會(やぐはい[やぶちゃん注:ママ。])にゆかれけるに、樣々武邊の咄(はな)しをして後(のち)、厠にゆかれけるが、出(いで)んとするに、四方、皆、壁となりて、出口、なし。

『こはいかに。』

と思ひ、空を、

「きつ。」

と見るに、眼(まなこ)の光り、水晶のごとくなる者、此侍の頭(かうべ)を、

「しか。」

と、とらへて、虛空に上(あが)りぬ。

 されども、此侍、したゝか者にて、頓(やが)て、刀をぬき放し、

「はた。」

と、切付(きりつけ)たりければ、其儘、地にぞ落(おち)たり。

 あるじを始め、ありあふ人々、此音に驚き、出(いで)てみれば、侍、既に絕入(ぜつじゆ)しゐたりければ、急ぎ、顏に水を濯(そゝ)ぎて、呼起(よびおこ)しけるに、やうやう人心地つけば、

「いかゞし給ひける。」

と尋ぬるに、「しかじか」のよしをかたり、打(うち)もらしける事を無念がれば、人々、其邊(そのあたり)をうかゞひみるに、おほく、血(ち)、ながれたり。

「扨は。」

と、是を慕ひ求むれば、床(ゆか)の下に、血(のり)を引けり。

 頓て、床をこぢ放し搜しみるに、となり屋敷に久しく飼置(かひおかれ)たる古猫(ふるねこ)なり。

「扨こそ。此(この)『猫また』が所爲(しよゐ)。」

とぞ、人々、申合(あひ)けるとぞ。

[やぶちゃん注:【 】は底本では二行割注。本文同ポイントで挿入した。挿絵は例の通り、国書刊行会「江戸文庫」版(国立国会図書館蔵本)を用いたが、この絵には猫又をひしぎ込んだ侍の上部の庭の部分に、

  おのれ

  生ては

  おか■

   物を

(三行目は「おかす」(おかず)か「おかさぬ」の「ぬ」の脱字か? 「■」は「ミ」(み)のようにしか見えず、上手く判読出来ない。識者の御教授を乞う)という、侍のオリジナルな台詞(本文にはない)があるのであるが、「底本の「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の原板本の当該挿絵には、これはなく、空白である。再版で後から追刻したものか、或いは、旧蔵の持ち主が書き入れたものかは定かでない。

 既に「太平百物語卷四 卅二 松浦正太夫猫また問答の事」に「猫また」が出たが、余りにオーソドックスなので、つい注を忘れた。というより、猫又或いは猫の妖異や奇談については、私のブログでは無数に電子化注しているため、私の意識の中では猫の変化(へんげ)は余りに親し過ぎて注を必要としない状態なのである。ここでは改めて、総合的に纏まった注がしっかり出来ていると自身でも思い、話柄としてもよく結構されてある、「想山著聞奇集 卷の五 猫俣、老婆に化居たる事」及び「宿直草卷四 第一 ねこまたといふ事」の二例を挙げて、不親切のお詫びとしておく。]

2019/05/25

太平百物語卷五 四十三 能登の國化者やしきの事

 

   ○四十三 能登の國化者やしきの事

 能登の國に、化物屋敷ありて、おほく人を取りけるよし、專ら沙汰しける程に、後々は住(すむ)人もなかりしに、幾田八十八(いくたやそはち)といふ侍、おこの者にて[やぶちゃん注:「おこ」はママ。]、此屋敷を所望し、好みて住みけり。

 然れども、化物、更に出でざれば、八十八、笑つて、

「さこそあるべし。化物も人によりてこそ出(いづ)らめ。」

と、独(ひとり)嘲(あざけ)り居(ゐ)たりしが、ある夜(よ)、深更におよび、厠に行(ゆき)けるに、下(した)より長き毛の手にて、八十八が尻を、なでける。

「さればこそ。」

とて、能(よき)ほどに、なでさせ、頓(やが)て、引(ひつ)とらまへて、力に任せ、引(ひき)ければ、次第次第に長くのびけるが、空(そら)を[やぶちゃん注:厠内(かわやうち)の上方を。]、

「きつ。」

と見上ぐれば、屋根、板、めくれて、さもすさまじき頰(つら)だましゐの者、八十八を、

「はつた。」

と白睨(にらむ)。

 八十八も、同じく、にらみ付(つけ)、先(まづ)、此手を取(とつ)て、外に出(いづ)るに、『出(いで)じ』と力(りき)むを、八十八、大力量の者なれば、苦もなく引出(ひきいだ)しけるに、空より白睨(にらみ)し化物、其儘、落(おち)たり。

 能(よく)々みれば、此、化者が手なり。

 それより、兩方引組(ひつくみ)、上になり下になり、互に負(まけ)じと爭(あらそひ)しが、八十八、力や勝れけん、終に化者を組留(くみとめ)、やうやうに、さし殺しけるが、我身も所々に疵を蒙りけり。

 夜明けて、みれば、猿の劫(かう)經たるにてぞありける。

 其屋敷のうらに、年經りたる槇(まき)の木の有(あり)しを、怪しくおもひ、悉く、きらせ見るに、果(はた)して、樹上(じゆしやう/きのうへ)には、年來(ねんらい)取喰(とりくらひ)し人の屍(しかばね)、おほく有りしとぞ。

 八十八、此ばけ物を退治して後(のち)は、何の事もなかりければ、人皆(みな)、八十八が勇力(ゆうりき)不敵の程を、かんじける。

[やぶちゃん注:「おこの者」「烏滸(おこ)の者」。ここでは物好きな変人・奇人の意でとっておいてよい。「おこ」はなかなかに含蓄のある語で、総合的には「馬鹿げていて或いは滑稽で人の笑いを買う・誘うような様態」を指す語であるが、但し、それを確信犯として行う者の中には、なかなかに逆に賢いトリック・スターが有意に含まれる。ウィキの「烏滸」によれば、記紀に既に「をこ」もしくは「うこ」として『登場し、「袁許」「于古」の字が当てられる。平安時代には「烏滸」「尾籠」「嗚呼」などの当て字が登場した』。『平安時代には散楽、特に物真似や滑稽な仕草を含んだ歌舞やそれを演じる人を指すようになった。後に散楽は「猿楽」として寺社や民間に入り、その中でも多くの烏滸芸が演じられたことが』、「新猿楽記」に描かれており、「今昔物語集」(巻第二十八)や「古今著聞集」などの、平安から鎌倉時代にかけての説話集には、所謂、「烏滸話」と『呼ばれる滑稽譚が載せられている。また、嗚呼絵(おこえ)と呼ばれる絵画も盛んに描かれ』、「鳥獣戯画」「放屁合戦絵巻」は『その代表的な作品である』。『南北朝・室町時代に入ると、「気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な」』(「日葡辞書」)『など、より道化的な意味を強め、これに対して』、『単なる愚鈍な者を「バカ(馬鹿)」と称するようになった。江戸時代になると、烏滸という言葉は用いられなくなり、馬鹿という言葉が広く用いられるようになった』とある。平安期には既に「癡(痴)」を当てて「痴(を)こがまし」という形容詞が(「源氏物語」)、「宇治拾遺物語」には「痴こがる」という語も生まれている。

「槇(まき)の木」裸子植物門マツ綱マツ目マキ科マキ属イヌマキ Podocarpus macrophyllus、マツ目コウヤマキ科コウヤマキ属コウヤマキ Sciadopitys verticillata などを指す。前者は二十メートル、後者は三十メートルで幹の直径が一メートルを越える巨木に成長する個体もある。]

2019/05/24

太平百物語卷五 四十二 西の京陰魔羅鬼の事

 

   ○四十二 西の京陰魔羅鬼(おんもらき)の事

 山城の國西の京に、宅兵衞といふ人、有(あり)。

 折しも、夏日(がじつ[やぶちゃん注:ママ。])のたへがたき比(ころ)、其近邊成(なる)寺に行(ゆき)て、方丈の緣にいで、しばらく納凉(なうりやう/すゞみ)してゐけるに、いと心能(こゝろよく)して、眠りを催しける時、俄に物の聲ありて、

「宅兵衞。宅兵衞。」

と、呼ぶ。

 宅兵衞、おどろき覚(さめ)て、起(おき)あがり、みれば、鷺(さぎ)に似て、色黑く、目の光る事、灯火(ともしび)の熾(さかん)なるが如くにして、羽をふるひ、鳴(なく)聲、人のごとくなり。

 宅兵衞、恐れて、法緣を退(しりぞ)き、窺(うかゞ)へば、翼をひろげて、羽(は)たゝきす、と見へし。

 頭(かしら)より、次第次第に消(きへ[やぶちゃん注:ママ。])て、終に、形は、失(うせ)けり。

 宅兵衞、奇異のおもひをなし、則(すなはち)、此寺の長老に語りて、樣子をとひけるに、長老、答へて、

「此所に、今迄、さやうのばけ物、なし。此比(このごろ)、死人をおくり來(きた)る事ありしが、假(かり)に納めおきたり。おそらくは、それにてやあらん。されば、始(はじめ)て新たなるしかばねの氣、變じて、如此(かくのごとき)もの、あり。是を名付けて『陰魔羅鬼(おんもらき)』といふよし、藏經(ざうきやう)の中(うち)に、のせ侍る程に。」

と仰せければ、宅兵衞、此よしを聞(きゝ)、

「さも侍る事にや。」

とて、いよいよ、あやしみ、おもひける。

[やぶちゃん注:「陰魔羅鬼(おんもらき)」「陰摩羅鬼」とも書く。ウィキの「陰摩羅鬼」によれば、『中国や日本の古書にある怪鳥』で、経典「大蔵経」(本篇最後の「藏經」はそれを指す)に『よれば、新しい死体から生じた気が化けたものとされる』。『充分な供養を受けていない死体が化けたもので、経文読みを怠っている僧侶のもとに現れるともいう』。『古典の画図においては鳥山石燕の画集』「今昔画図続百鬼」(安永八(一七七九)年刊)にも『描かれており、解説文には中国の古書』「清尊録」(宋の廉宣撰撰になる志怪小説集)からの『引用で、姿は鶴のようで、体色が黒く、眼光は灯火のようで、羽を震わせて甲高く鳴くとある』。この「清尊録」には『以下のような中国の陰摩羅鬼の話がある。宋の時代のこと』、『鄭州の崔嗣復という人物が、都の外の寺の宝堂の上で寝ていたところ、自分を叱る声で目を覚ました。見ると、前述のような外観の怪鳥がおり、崔が逃げると』、『姿を消した。崔が寺の僧侶に事情を尋ねると、ここにはそのような妖怪はいないが、数日前に死人を仮置きしたという。都に戻って寺の僧に尋ねると、それは新しい死体の気が変化して生まれた陰摩羅鬼とのことだった』とあり、本話はその全くの(捻りなしの)翻案であることが判る』(原文が「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の陶宗儀纂の「説郛」正篇巻第三十四の画像のこちらで読める)。『陰摩羅鬼の名の由来は、仏教で悟りを妨げる魔物の摩羅(魔羅)に「陰」「鬼」の字をつけることで鬼・魔物の意味を強調したもの、もしくは障害を意味する「陰摩」と「羅刹鬼」』(もとは破壊と滅亡を司る神であったが、仏教に取り入れられ、四天王の一人多聞天(毘沙門天)に夜叉とともに仕える護法善神となった)『の混合されたものとの説がある』とある。]

太平百物語卷五 四十一 力士の精盗人を追ひ退けし事

 

   ○四十一 力士の精(せい)盗人を追ひ退けし事

 因幡の國に、作㙒屋(さくのや)の何某(なにがし)とて冨(とめ)る人あり。

 或夜の事なりし。

 盗人(ぬすびと)、五人、押入(おしいり)て、家内(かない)の者を悉く引き縛り、亭主壱人を扶(たす)け[やぶちゃん注:縛り上げず。]、藏の内の案内をさせける。

 亭主、力なく、土藏に伴ひければ、銀箱(かねばこ)を五つ取り出だし、五人の盗人、壱つ宛(づゝ)、かたげ[やぶちゃん注:肩に担(かつ)いで。]出でんとせし時、俄に、藏の中(うち)、鳴動して、一人の力士、顯れいで、盗人等が前に立塞(たちふさが)りければ、五人の者ども、是をみるに、頭(かしら)は赤熊(しやぐま)にして、眼(まなこ)は金(こがね)のごとく光りて、其有樣、世に冷(すさま)じかりければ、盗人共は肝を消し、彼(かの)銀箱(かねばこ)を打捨(うちすて)、一さんに迯歸(にげかへ)りければ、藏の中(うち)も程なく靜(しづま)り、彼(かの)力士も見へざりけり[やぶちゃん注:ママ。]。亭主此体(てい)をみて、限りなくよろこび、頓(やが)て家内の者のいましめを解(とき)て、「しかじか」のよしを語りければ、亭主の老母、橫手(よこで)を打(うち)、

「それこそ。此家に先祖より持傳(もちつた)へし、力士の精魂ならめ。それならば、土藏の二階に有(ある)べし。心見(こゝろみ)に取出(とりいだ)し見玉へ。」

といふ程に、頓(やが)て取いだしみるに、此木像、汗をながして坐(おは)しけるが、兩足(りやうそく)をみれば、土も付(つき)てありし程に、

「扨は。此奇瑞に疑ひなし。」

とて、夫(それ)より厨子を結構し、此力士を納め、永く祝ひ尊(たうと)みけるとかや。

[やぶちゃん注:以下は原典ではベタのやや字が小さく、本文で二字分下げで、改行せずに一行で記されてある。]

 或る人の曰(いはく)、

「此力士は『鳥佛師(とりぶつし)』の作にて、其後も、奇瑞、ありける。」

とぞ。

[やぶちゃん注:「赤熊(しやぐま)」兜の縅(おどし)や、能・歌舞伎で用いられる、赤く染めたヤク(ウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク。野生種の学名は Bos mutus。家畜化された種としての学名はBos grunniens。自然分布はインド北西部・中国西部(甘粛省・チベット自治区)・パキスタン北東部で本邦には棲息しないが、本邦ではヤクの尾毛が兜や槍につける装飾品や能や歌舞伎の装具として、古くから、特に武士階級に愛好され、江戸時代の鎖国下でも清を経由して定期的な輸入が行われていた。詳しくは私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 犛牛(らいぎう)(ヤク)」を参照されたい)の尾の毛、或いは、それに似た赤い髪の毛の飾り鬘(かつら)。

「橫手(よこで)を打(う)」つ、とは、思わず、両手を打ち合わせることで、意外なことに驚いたり、深く感じたり、また、「はた!」と思い当たったりしたときなどにする動作を指す。室町末期以降の近世語。

「鳥佛師(とりぶつし)」「鞍作止利・鞍作鳥(くらつくりのとり)」或いは「止利(とり)仏師」と呼ばれた飛鳥時代の代表的仏師の名。「日本書紀」によると、渡来人の司馬達等(しばたつと/しめだち)の孫で、坂田寺の丈六像を制作したと伝えられる鞍部多須奈(くらべのたすな)の子。法隆寺金堂の金銅釈迦三尊像(推古天皇三一(六二三)年)の作者として光背の銘文に名をとどめる。聖徳太子の命を受け、多くの仏像制作に従事し、推古一四(六〇六)年には元興寺金堂の丈六像を造り、その功として大仁位に叙せられて水田二十町歩(ちょうぶ)(約二十ヘクタール)を賜ったといわれる。中国北魏の仏像の形式や様式を基礎とし、より洗練された作風を持ち、板耳・杏仁形の目などの表情、指の長い大きな手、細く長い首、下裳の着方、裳懸座(もかけざ)などに特色を持つ。このような様式の仏像を「止利様(とりよう)」と称する(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]

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