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カテゴリー「和漢三才圖會 禽類」の142件の記事

2019/01/14

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 角鷹(くまたか) (クマタカ)

 

Kumataka

 

くまたか

      【和名久万太加】

角鷹

 

△按角鷹乃鷹之類而大悍者也全體形色雌雄大小皆

 同于鷹大於鷹三倍焉本草綱目鷹與角鷹相混云頂

 有毛角故曰角鷹蓋毛角在耳穴上蔽耳毛宛如角然

 鷹毛角微而常不見怒則四五分竪爾此毛角常脹起

 如憤則四五寸竪故特立角鷹名性最猛悍多力能搏

 狐狸兔猿之類不劣於鷲奧州常州有之彼山人毎養

 之馴教以使搏鳥獸亦如鷹取其尾造箭羽其尾十二

 枚黑白文重重成列鮮明者爲上老則尾文斜而逆上

 謂之逆彪最爲貴珍

八角鷹 乃角鷹之屬小者大如鳶皁色尾羽黑與赤黃

 斑如畫間有如八字文此亦爲箭羽以爲奇珍

[やぶちゃん注:「畫」は「盡」であるが、ルビと送り仮名の「ヱカクカ」により、誤字と断じて特異的に訂した。]

 

 

くまたか

      【和名、「久万太加」。】

角鷹

 

△按ずるに、角鷹は乃〔(すなは)〕ち鷹の類にして、大いに悍(たけ)き者なり。全體の形・色、雌雄の大小、皆、鷹に同じく、鷹より大なること、三倍せり。「本草綱目」に、鷹と角鷹と、相ひ混じて云はく、『頂きに、毛角有り。故に「角鷹」と曰ふ』と。蓋し、「毛角」〔と〕は、耳の穴の上に在りて、耳を蔽ふ毛〔にして〕、宛(さなが)ら、角(つの)のごとく〔に〕然〔(しか)〕り。鷹の毛角は微〔(かすか)〕にして、常に〔は〕見へず[やぶちゃん注:ママ。]。怒(いか)るときは、則ち、四、五分〔(ぶ)〕竪(た)つのみ。此の〔角鷹の〕毛角は常に脹(ふく)れ起こる。如〔(も)〕し憤(いきどほ)るときは、則ち、四、五寸、竪つ。故に特に角鷹の名を立つ。性、最も猛悍、多力にして、能く狐・狸・兔〔(うさぎ)〕・猿の類を搏つこと、鷲に劣らず。奧州・常州に、之れ、有る。彼〔(か)〕の山人、毎〔(つね)〕に之れを養ひ、馴〔らし)〕教へて、以つて鳥獸を搏たしむ。亦、鷹のごとく、其の尾を取りて、箭(や)の羽を造る。其の尾、十二枚、黑白の文〔(もん)〕重重〔(ぢゆうぢゆう)として〕[やぶちゃん注:重なり合うように。]列を成す。鮮-明(あきら)かなる者、上と爲す。老〔(らう)〕すれば、則ち、尾の文、斜めにして、逆に上る。之れを「逆彪(さかふ)」と謂ひ、最も貴珍と爲す。

八角鷹(はちくま) 乃ち、角鷹の屬の小き者なり。大いさ、鳶のごとく、皁〔(くろ)〕色。尾羽(〔を〕ばね)、黑と赤黃と斑〔(まだら)〕にして畫(ゑが)くがごとし。間〔あひだ)〕に「八」の字のごとくなる文〔(もん)〕有り。此れも亦、箭の羽と爲して、以つて奇珍と爲す。

[やぶちゃん注:本邦産はタカ目タカ科クマタカ属クマタカ亜種クマタカ Nisaetus nipalensis orientalisウィキの「クマタカ」によれば、『ユーラシア大陸南東部、インドネシア、スリランカ、台湾』に分布し、全長はで約七十五センチメートル、で約八十センチメートル。翼開長は約一メートル六十センチメートルから一メートル七十センチメートルに達し、『日本に分布するタカ科の構成種では大型であることが和名の由来(熊=大きく強い)。胸部から腹部にかけての羽毛は白く咽頭部から胸部にかけて縦縞や斑点、腹部には横斑がある。尾羽は長く幅があり、黒い横縞が入る』。但し、『翼は幅広く、日本に生息するタカ科の大型種に比べると』、実は『相対的に短い。これは障害物の多い森林内での飛翔に適している。翼の上部は灰褐色で、下部は白く黒い横縞が目立つ』。『頭部の羽毛は黒い。後頭部には白い羽毛が混じる冠羽をもつ。この冠羽が角のように見えることも和名の由来とされる。幼鳥の虹彩は褐色だが、成長に伴い黄色くなる』。『森林に生息する。飛翔の際にあまり羽ばたかず、大きく幅広い翼を生かして風を』捉らえて『旋回する(ソアリング)』(soaring:上昇気流を利用して長時間滞空すること。)『こともある。基本的には樹上で獲物が通りかかるのを待ち襲いかかる。獲物を捕らえる際には翼を畳み、目標をめがけて加速を付けて飛び込む。日本がクマタカの最北の分布域であり』、『北海道から九州に留鳥として生息し、森林生態系の頂点に位置している。そのため』、『「森の王者」とも呼ばれる。高木に木の枝を組み合わせた皿状の巣を作る』。『食性は動物食で森林内に生息する多種類の中・小動物を獲物とし、あまり特定の餌動物に依存していない。また森林に適応した短めの翼の機動力を生かした飛翔で、森林内でも狩りを行う』。『繁殖は』一『年あるいは隔年に』一『回で、通常』一『回につき』一『卵を産むが』、『極稀に』二『卵産む。抱卵は主にメスが行い、オスは狩りを行う』。『従来、つがいはどちらかが死亡しない限り、一夫一妻が維持され続けると考えられてきたが』、二〇〇九『年に津軽ダムの工事に伴』って『設置された猛禽類検討委員会の観察により、それぞれ前年と別な個体と繁殖したつがいが確認され、離婚が生じることが知られるようになった』。『クマタカは森林性の猛禽類で調査が容易でないため、生態の詳細な報告は少ない。近年繁殖に成功するつがいの割合が急激に低下しており、絶滅の危機に瀕している』という。『大型で攻撃性が強いため、かつて東北地方では飼いならして鷹狩りに用いられていた』。『クマタカは、「角鷹」と「熊鷹」と』二『通りの漢字表記事例がある。歴史的・文学上では双方が使われてきており、近年では、「熊鷹」と表記される辞書が多い。これは「角鷹」をそのままクマタカと読める人が少なくなったからであろう。なお、鳥名辞典等学術目的で編集された文献では「角鷹」の表記のみである』とある。なお、クマタカの英名は「Mountain hawk-eagle」或いは単に「hawk eagle」である。即ち、「hawk」(「鷹」。タカ:俗にタカ目 Accipitriformes(ワシタカ目とも訳す)の中の大型種)であり、「eagle」(「鷲」ワシ:俗にタカ(ワシタカ)目の中の中・小型種)であるという奇体な(中間型という謂いであろう)もので、中央・南アメリカに棲息するタカ目タカ科セグロクマタカ属 Spizaetus の「スピザエトゥス」は、荒俣宏氏の「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「タカ」の項によれば、『ギリシャ語の〈ハイタカ spizas〉と〈ワシ aetos〉』の合成であるとある。如何に「ホークとイーグル」「鷹と鷲」の民俗的分類がいい加減かが露呈する、いい例である。

 

「本草綱目」良安が本書名をフルで書くのは極めて珍しく、しかも鷹と角鷹を一緒くたに説明している、と正面切って批判的に述べているのも特異点である。「禽部」の巻四十九、「禽之四 山禽類」の「鷹」の「釋名」に以下のように出る(良安が一部を既に鷹」で引いている)。

   *

鷹【「本經中品」。】

釋名角鷹【「綱目」。】。鷞鳩。時珍曰、鷹以膺擊、故謂之鷹。其頂有毛角、故曰角鷹。其性爽猛、故曰鷞鳩。昔少皥氏以鳥官名。有祝鳩・鳲鳩・鶻鳩・睢鳩・鷞鳩五氏。蓋鷹與鳩同氣禪化、故得稱鳩也。「禽經」云、『小而鷙者皆曰隼、大而鷙者皆曰鳩』是矣。「爾雅翼」云、在北爲鷹、在南爲鷂』。一云、大爲鷹、小爲鷂。「梵書」謂之嘶那夜。

   *

「八角鷹(はちくま)」「乃ち、角鷹の屬の小き者なり」後者は誤りであるが、姿は確かによく似ている。「蜂熊」「八角鷹」「蜂角鷹」はクマタカとは属の異なる独立種、タカ科ハチクマ属ハチクマ Pernis ptilorhyncus であるウィキの「ハチクマ」を引く。『和名は同じ猛禽類のクマタカに似た姿で、ハチを主食とする性質を持つことに由来する』。『ユーラシア大陸東部の温帯から亜寒帯にかけての地域に広く分布する。ロシアのバイカル湖付近から極東地域、サハリン、中国東北部にかけての地域とインドから東南アジアで繁殖し、北方で繁殖した個体は冬季南下して、インドや東南アジア方面の地域に渡り越冬する』。『日本では初夏に夏鳥として渡来し、九州以北の各地で繁殖する』。『日本で繁殖した個体は、同様に東南アジアにわたるサシバ』(タカ科サシバ属サシバ Butastur indicus。既注)『が沖縄・南西諸島を経由して渡りをおこなうのとは異なり、九州から五島列島を経て大陸に渡り、そこから南下する。鹿児島県下甑島を通過する個体もおり、年齢を判別できた個体のうち、幼鳥が』九十二%『であった』。『渡りの方向は西方向が中心で北や南への飛去も観察されている』。『春には秋とは異なる経路をとり、大陸を北上した後、朝鮮半島から南下することが』、『人工衛星を使った追跡調査から明らかになっている』。全長五十七~六十一センチメートルで、他種と同じく、『雌の方がやや大きい。体色は通常体の上面は暗褐色で、体の下面が淡色若しくは褐色であるが、特に羽の色は個体差が大きい。オスは風切先端に黒い帯があり、尾羽にも』二『本の黒い帯があり、瞳が黒い。メスは尾羽の黒い帯が雄よりも細く、瞳が黄色い』。六亜種に分類されている。本邦種『ユーラシア大陸西部に分布するヨーロッパハチクマ』(Pernis apivorus)『とは近縁種で、同種とする見解もある』。『丘陵地から山地にかけての森林に、単独かつがいで生活する。日本での産卵期は』六『月で、樹上に木の枝を束ね産座に松葉を敷いたお椀状の巣を作り』、一~三個(通常は二個)の『卵を産む。抱卵期間は』二十八~三十五『日で、主に雌が抱卵する。雛は孵化してから』三十五~四十五『日で巣立つ。巣立ち後』、三十~六十『日程度で親から独立する。冬になると』、『東南アジアに渡って越冬するが、毎年同じ縄張りに戻ってきて育雛をする。このとき』、『巣も毎年繰り返し再利用するため、年々新たに付け加えられる木の枝によってかなりの大きさとなる。その下部は排泄物がしみこんで富栄養の腐植質となるが、ここでハナムグリの一種である』アカマダラハナムグリ(昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科コガネムシ科ハナムグリ亜科 Cetoniinae のマダラハナムグリ属アカマダラハナムグリ Poecilophilides rusticola)『の幼虫が発育する』。『食性は動物食で、夏と冬にはスズメバチ類やアシナガバチ類といった社会性の狩り蜂の巣に詰まった幼虫や蛹を主たる獲物とし、育雛に際してもばらばらの巣盤を巣に運んで雛に与える。コガタスズメバチのような樹上に営巣するハチのみならず、クロスズメバチやオオスズメバチなど、地中に巣を作るハチの巣であっても、ハチが出入りする場所などから見つけ出し、同じ大きさの猛禽類よりも大きい足で巣の真上から掘り起こし、捕食してしまう。また、時には養蜂場のハチの巣を狙うこともある』。『ハチの攻撃を受けても』、『ハチクマは滅多に刺されることがない。これは硬質の羽毛が全身に鱗のように厚く密生しており、毒針が貫通しないためと考えられている。また、ハチクマの攻撃を受けたハチは』、『やがて反撃をしなくなることがあるが、詳しい理由は判明していない。ハチの攻撃性を奪うフェロモン、もしくは嫌がる臭いを身体から出しているという説や、数週間にわたって、時には複数羽で連携してしつこく巣に波状攻撃を仕掛けることで、ハチに巣の防衛を諦めさせ、放棄して別の場所に移るように仕向けさせているという説がある』。『ハチ類の少なくなる秋から冬にかけては昆虫類や小鳥、カエル、ヘビ等の動物も捕食する』。『猛禽類では餌を独占する傾向が強いが、ハチクマは、餌を巡り滅多なことでは同種同士で争うことはない。これは上記のように集団で巣を襲うからと考えられる』とある。]

2019/01/08

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)

 

Hayabusa

 

はやぶさ   鸇【音旃】 鶻【音骨】

       晨明

【鶽同】

      【和名八夜布佐】

チユン

 

陸佃云鷹之搏噬不能無失獨隼爲有準毎發必中張九

齡曰雌曰隼雄曰鶻【𩾲𩾥並同】蓋鷹不擊伏隼不擊胎如遇懷

胎者輙放不殺鶻擊鳩鴿及小鳥以煖足旦則縱之此鳥

東行則是日不東往擊物西南北亦然此天性義也隼狀

似鷹而蒼黑胸腹灰白帶赤其背腹斑紋初毛不正易毛

後略與鷹同全體不似鷹鷂能擊鴻鴈鳬鷺不能擊鶴鵠

及告天子鶺鴒之類性猛而不悍鷹鷂之屬同類並居則

相拒而争攫隼鶻者雖同類並居而不拒或同鷙一鳥亦

相和並食

 鷹摯鴻鴈動以翅被搏而昏迷是所以鷹脚長也隼摯

 鴻鴈而不搏翻攀首喰折是所以隼脚短也

三才圖會云鶻拳堅處大如彈丸俯擊鳩鴿食之鳩鴿中

其拳隨空中卽側身自下承之捷於鷹

[やぶちゃん注:「隨」では訓読出来ないので、東洋文庫訳を参考にして、これを「堕」と読み換えて訓読した。この前の部分もそのままでは文が繋がらないので自在勝手に語を挿入した。]

               西園寺相國

  はけしくも落くるものか冬山の雪にたまらぬ峰の朝風

佐之婆 隼之小者其大如鳩有青色者【阿於佐之婆】赤毛者

 【阿加佐之婆】共能捉小鳥自朝鮮來未聞本朝巢鷹之

                  定家

  夕日影櫛もさしばの風さきに野邊の薄の糸やかけまし

 

 

はやぶさ   鸇〔(せん)〕【音、「旃〔(セン)〕」。】

       鶻〔(こつ)〕【音、「骨」。】

       晨明〔(しんめい)〕

【「鶽」、同じ。】

      【和名、「八夜布佐」。】

チユン

 

陸佃〔(りくでん)〕が云はく、「鷹の搏〔(う)ち〕噬〔(か)むに〕、失〔すること〕無きこと、能はず。獨り、隼は準〔(じゆん)〕[やぶちゃん注:照準。狙い。]有りと爲〔(し)〕、發(はな)つ毎に、必ず中〔(あた)〕る」〔と〕。張九齡が曰く、雌を「隼(はやぶさ)」と曰ひ、雄を「鶻」と曰ふ【「𩾲」「𩾥」、並びに同じ。】。蓋し、鷹は伏〔(ふ)せるもの〕を擊たず、隼は胎〔(はら)めるもの〕を擊たず。懷胎の者に遇ふごときは、輙〔(すなは)〕ち、放ちて、殺さず。鶻は鳩・鴿〔(いへばと)〕及び小鳥を擊〔(げき)〕して、以つて足を煖〔(あたた)〕め、旦〔(あした)〕には、則ち、之を縱(ゆる)す。此の鳥、東に行けば、則ち、是の日は、〔鷹は〕[やぶちゃん注:東洋文庫訳を参考に補った。]東に往きて物を擊たず。西・南・北、亦、然り。此れ、天性の義なり。隼、狀、鷹に似て、蒼黑、胸・腹、灰白にして赤を帶ぶ。其の背・腹、斑紋あり。初めの毛は正しからず、毛を易へて後、略(あらあら)鷹と同じ〔たり〕。全體、鷹・鷂〔(はいたか)〕に似ず、能く鴻〔(ひしくひ)〕・鴈〔(がん)〕・鳬〔(かも)〕・鷺を擊つ。鶴・鵠〔(くぐひ)〕及び告天子〔(ひばり)〕・鶺鴒〔(せきれい)〕の類を擊つこと、能はず。性、猛にして悍(たけ)からず。鷹・鷂の屬は、同類、並み居れば、則ち、相ひ拒(こば)んで、争ひ、攫(つか)む。隼・鶻は、同類、並み居ると雖も、拒まず、或いは同じく一鳥を鷙(と)るにも亦、相ひ和して並(なら)び食ふ。

 鷹は鴻・鴈を摯(と)るに、動(ややもす)れば、翅を以つて搏(う)たれて昏迷す。是れ、鷹の脚の長き所以なり。隼は鴻・鴈を摯(う)ちても搏(う)たれず。翻(ひるがへ)りて、首を攀〔(よ)〕ぢ、喰ひ折る。是れ、隼の脚の短き所以なり。

「三才圖會」に云はく、『鶻、拳(こぶし)の堅き處、大いさ、彈丸のごとく、俯して鳩・鴿を擊ちて、之れを食ひて〔ける〕。鳩・鴿、其の拳に中〔(あた)〕る〔に〕、空中に堕〔(お)〕つ。卽ち、身を側〔(そばだ)〕て、自〔みづか)〕ら下〔(くだ)〕り、之れを承〔(う)く〕ること、鷹よりも捷(はや)し』〔と〕。

               西園寺相國

  はげしくも落ちくるものか冬山の

     雪にたまらぬ峰の朝風

佐之婆(さしば) 隼の小さき者なり。其の大いさ、鳩のごとく、青色有る者【「阿於佐之婆〔(あをさしば)〕」。】、赤き毛の者【「阿加佐之婆〔(あかさしば)〕」。】〔と云ひ〕、共に能く小鳥を捉〔(と)〕る。朝鮮より來たる。未だ本朝〔にては〕巢鷹のを聞かず。

                  定家

  夕日影櫛〔(くし)〕もさしばの風さきに

     野邊の薄〔(すすき)〕の糸やかけまし

[やぶちゃん注:ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ亜科ハヤブサ属ハヤブサ亜種ハヤブサ Falco peregrinus japonensis なんだけど、何だか、絵図が幻鳥並みにスゴいんですけど?! ウィキの「ハヤブサ」を引く。『南極大陸を除く全世界』に分布する。『種小名peregrinusは「外来の、放浪する」の意』で、『寒冷地に分布する個体群は、冬季になると温帯域や熱帯域へ移動し』、『越冬する』。『日本では亜種ハヤブサが周年生息(留鳥)し、冬季に亜種オオハヤブサ』(Falco peregrinus pealei)『が越冬のため』、『まれに飛来する(冬鳥)』。全長はが三十八~四十五センチメートル、は四十六~五十一センチメートルで、翼開長は八十四~百二十センチメートル体重〇・五~一・三キログラムで、外のタカ類同様、『メスの方が大型になる』。『頭部の羽衣は黒い。頬に黒い髭状の斑紋が入る』。『体上面や翼上面の羽衣は青みがかった黒』。『喉から体下面の羽衣は白く、胸部から体側面にかけて黒褐色の横縞が入る』。『眼瞼は黄色く』、『虹彩は暗褐色』。『嘴の色彩は黒く、基部は青灰色』で『嘴基部を覆う肉質(ろう膜)は黄色』。『河川、湖沼、海岸などに生息する。和名は「速い翼」が転じたと考えられている』『主にスズメやハト、ムクドリ、ヒヨドリなどの体重』一・八『キログラム以下の鳥類を食べる』。『獲物は飛翔しながら後肢で捕えたり、水面に叩きつけて捕える』。『水平飛行時の速度は』百『㎞前後、急降下時の速度は、飼育しているハヤブサに疑似餌を捕らえさせるという手法で計測したところ、時速』三百九十キロメートル『を記録した』。『巣をつくらずに(人工建築物に卵を産んだり、他の鳥類の古巣を利用した例もある』『)、日本では』三~四月に三~四『個の卵を断崖の窪みに産む』。『主にメスが抱卵し、抱卵期間は』二十九~三十二日で、『雛は孵化してから』三十五~四十二『日で巣立つ』。『生後』二『年で性成熟する』とある。

 

「鸇〔(せん)〕」この字、本邦ではハヤブサを指す以外に、別種のタカ目タカ科サシバ(差羽・鸇)属サシバ Butastur indicus をも指すので注意が必要である。後に出る「佐之婆(さしば)」がそれだ。ウィキの「サシバ」によれば、別名を「大扇(おおおうぎ)」とも呼び、中国北部・朝鮮半島・『日本で繁殖し、秋には沖縄・南西諸島を経由して東南アジアやニューギニアで冬を越す。一部は沖縄・南西諸島で冬を越す。日本では』四月頃、『夏鳥として本州、四国、九州に渡来し、標高』千メートル『以下の山地の林で繁殖する』。『全長は、で約四十七センチメートル、で約五十一センチメートル、翼開長は一・〇五~一・一五メートル』。『雄の成鳥は、頭部は灰褐色で、目の上の白い眉斑はあまりはっきりせず、個体によってはないものもいる。体の上面と胸は茶褐色、のどは白く中央に黒く縦線がある。体下面は白っぽく』、『腹に淡褐色の横縞がある。雌は眉斑が雄よりも明瞭で、胸から腹にかけて淡褐色の横縞がある。まれに全身が黒褐色の暗色型と言われる個体が観察される』。『主にヘビ、トカゲ、カエルといった小動物、セミ、バッタなどの昆虫類を食べる。稀にネズミや小型の鳥等も捕らえて食べる。人里近くに現』われ、『水田などで狩りをする』。『本種は鷹の渡りをみせる代表的な鳥である。秋の渡りは』九『月初めに始まり、渡りの時には非常に大きな群れを作る。渥美半島の伊良湖岬や鹿児島県の佐多岬ではサシバの大規模な渡りを見ることができる。なお春の渡りの際には秋ほど大規模な群れは作らない』。『本州の中部地方以北で繁殖したサシバは第』一『番目の集団渡来地、伊良湖岬を通り、別のサシバと合流して佐多岬に集結』、『大陸の高気圧が南西諸島に張り出し、風向きが北寄りに変化したときに南下飛行を開始』し、第三の渡来地である徳之島で休息、次に第四の渡来地である『宮古群島で休息する。一部は沖縄本島、周辺の離島で休息する鳥もいる』。その後、第五渡来地が台湾の満州郷、第六渡来地が『フィリピンのバタン諸島で』、後に『フィリピン、インドネシアまで広がって越冬する』とある。『平均時速は約』四十キロメートルで、『一日の平均距離は』四百八十キロメートル前後にまで達するとある。『朝の飛び立ちは』六時頃で、その日の』午後六時までには『すべて休息地に入る』。『ノンストップ』だと、十二『時間飛び続ける』ことが可能ともある。『越冬する鷹も』おり、『宮古諸島では「落ち鷹」という』。その『宮古島では渡りのサシバを捕らえて食べる文化があった。夜、木に登り、樹上で眠っている本種の足を握り、捕えていた。また、子どものおもちゃとしても用いられることもあった』が、『現在の日本では禁猟であり、捕えると処罰対象となる』。『宮古島においては、サシバが飛来する季節には、周知のためのポスターの掲示やパトロール班による見回りが行われる』そうである。『まれに鷹狩に用いられた』ともあった(下線太字やぶちゃん)。そうか! 芭蕉と杜国が見たのは、サシバだったのだ!


 鷹一つ見付てうれし伊良湖崎   芭蕉


私の古い
「芭蕉、杜国を伊良湖に訪ねる」(但し、分量膨大に附き、ご覚悟あれかし)を、どうぞ! 因みに、中国では本種サシバは現在「灰面鷲」の漢名で呼ばれ、中国では本種が十月十日前後に北方から南へ渡って来て越冬し、その渡りの主要地が台湾の八卦臺地及び恆春半島で、しかも十月十日は中華民國の「國慶日」であるため、「國慶鳥」の名で呼ばれることが中文の同種のウィキに記されてあった。なお、余談であるが、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機「隼(はやぶさ)」は愛称で、正式には「一式戦闘機」と言い、太平洋戦争に於ける事実上の主力機として五千七百機以上が製造された。旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機(零戦)に次いで二番目に多く、陸軍機としては第一位であった。昔、模型を作ったのを思い出した。

「旃〔(セン)〕」この字は「旃旌(センセイ)」という熟語で漢文や軍記物でよく見かける。「旗・無地の赤い旗」の意である。

「晨明〔(しんめい)〕」渡りの際に早朝に飛び立つからではあるまいか?

「陸佃〔(りくでん)〕」(一〇四二年~一一〇二年)は宋代の文人政治家。以下は彼の著わした訓詁学書「埤雅(ひが)」から。巻十四に、『今鷹之搏噬不能無失獨隼為有準故其毎發必中』とあった。

「張九齡」(六七三年~七四〇年)は盛唐の詩人で政治家。玄宗の宰相となって、安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患をて」と玄宗に諫言したことでも知られるが、悪名高い李林甫や楊国忠らと対立して荊州(湖北省)に左遷された。官を辞した後は故郷に帰り、閑適の世界に生きた。詩の復古運動に尽くしたことでも知られ、文集に「曲江集」がある。名詩「照鏡見白髮」は原禽類 鴿(いへばと)(カワラバト)の私の注を参照。しかし、彼には「鷹鶻圖讚序」というのはあるものの、調べた限りでは、ここに書かれたような内容は記されていない。どこまでが引用なのかも含めて、出典不詳と言わざるを得ない。但し、「御定淵鑑類函」の巻四百二十二に、

   *

鷂一

原爾雅曰鷣負雀鷂也 廣雅曰籠鷂也 詩義問曰晨風今之鷂餘並以鸇爲晨風 詩義疏曰隼鷂也齊人謂之題肩或曰雀鷹春化爲布穀此屬數種皆爲隼 莊子曰鷂爲鸇鸇爲布穀布穀復爲鷂此物變也 增本草釋名曰鴟鳶二字篆文象形一云鴟其聲也鳶攫物如射也隼擊物凖也鷂目擊遥也詩疏云隼有數種通稱爲鷂爾雅謂之茅鴟齊人謂之擊正或謂之題肩梵書謂之阿黎耶 本草集解曰鴟似鷹而稍小其尾如舵極善髙翔專捉雞雀鴟類有數種按禽經云善摶者曰鷂竊黝者曰鵰骨曰鶻瞭曰鷂展曰鸇奪曰又云鶻生三子一爲鴟鶻小於鴟而最猛捷能擊鳩鴿亦名鷸子一名籠鸇色靑向風展翅迅搖搏捕鳥雀鳴則大風一名晨風小於鸇其脰上下亦取鳥雀如攘掇也一名鷸子隼鶻雖鷙而有義故曰鷹不擊伏隼不擊胎鶻握鳩而自暖乃至旦而見釋此皆殺中有仁也小雅采芑注曰隼鷂屬文直作爲鷂 孔穎逹曰隼者貪殘之鳥鸇鷂之屬玉篇云宿祝鳩也 春秋考異郵曰隂陽氣貪故題肩擊宗均注曰題肩有爪芒爲陽中隂故擊殺也 郯子曰虎之摶噬也疑隼之搏噬也凖鷹之搏噬不能無失獨隼爲有凖故每發必中

   *

というこの辺りに酷似した文章を見出せた。また、同じところに、

   *

唐柳宗元鶻曰有鷙曰鶻者巢於長安薦福浮圖有年矣浮圖之人室於其下者伺之甚熟爲余之曰冬日之夕是鶻也必取鳥之盈握者完而致之以燠其爪掌左右易之旦則執而上浮圖之跂焉乃縱之延其首以望極其所如往必背而去之焉東矣則是日也不東逐西南北亦然嗚呼孰謂爪吻毛翮之物而不爲仁義器耶

も叙述との一致部分がありそうだ。私の能力ではここまで。悪しからず。

「雌を「隼(はやぶさ)」と曰ひ、雄を「鶻」と曰ふ【「𩾲」「𩾥」、並びに同じ。】」この最後の割注は「鶻」に限定したそれであろう。

「初めの毛は正しからず」最初に生える毛は成体のそれではなく。

「略(あらあら)」ほぼ。

「悍(たけ)からず」獰猛ではない。

『「三才圖會」に云はく……』国立国会図書館デジタルコレクションの画像のに図、に解説が載る。ああ、しかし、「堕」ではなく、やっぱり「隨」だなあ?【2019年1月10日追記】いつも種々のテクストで情報をお教え下さるT氏から、以下のメールを頂戴した。

   《引用開始》

三才圖會の「鶻拳堅處大如彈丸俯擊鳩鴿食之鳩鴿中其拳隨空中卽側身自下承之捷於鷹」の元ネタは陸佃の「埤雅巻第八」の「釈鳥」の「鶻」です。

調べて、ビックリで、四書全書版「埤雅巻第八」の「釈鳥」の「鶻」では、

鶻拳堅處大如彈丸俯擊鳩鴿食之鳩鴿中其拳「隨」空中卽側身自下承之捷於

ですが、しかし、「重刊埤雅巻第八」の「釈鳥」の「鶻」では、

鶻拳堅處大如彈丸俯擊鳩鴿食之鳩鴿中其拳「堕」空中卽側身自下承之捷於鷹

となっています。[やぶちゃん注:中略。ここには上記の詳細な引用元が示されてある。]全然一件落着になりませんが、何か、筑摩書房の編集校正が入ったような状態なのでしょうか?

ついでに、以下は「埤雅卷八」の「隼」と、「本草綱目」の「鴟」の「集解」、「五雜俎」の「卷九」の「物部一」、「本朝食鑑」の「隼」の「集解」が元ネタです。

陸佃云鷹之搏噬不能無失獨隼爲有準毎發必中(「埤雅」卷八「隼」)

張九齡曰雌曰隼雄曰鶻【𩾲𩾥並同】(元不明)

蓋鷹不擊伏隼不擊胎如遇懷胎者輙放不殺鶻擊鳩鴿及(「本草綱目」「鴟」「集解」。「云、曰鷹不擊伏、隼不擊胎。鶻握鳩而自暖、乃至旦而見釋、此皆殺中有仁也」)

小鳥以煖足旦則縱之此鳥東行則是日不東往擊物西南北亦然此天性義也(「五雜俎」卷九「物部一」。「云、鶻與隼、皆鷙擊之鳥也。然鶻取小鳥以暖足、旦則縱之。此鳥東行、則是日不東往擊物、西南北亦然、蓋其義也。隼之擊物、過懷胎者、輒釋不殺、蓋其仁也、至鷹則無所不噬矣。故古人以酷吏比蒼鷹也」)

隼狀似鷹而蒼黑胸腹灰白帶赤其背腹斑紋初毛不正易毛後略與鷹同全體不似鷹鷂(「本朝食鑑」卷六「禽之四」「隼」「集解」。「隼似ㇾ鷹而蒼黑、臆腹灰白帶ㇾ赤、其背腹斑紋、初毛不ㇾ正、易ㇾ毛後略與ㇾ鷹同、然全體不ㇾ似鷹鷂」)

能擊鴻鴈鳬鷺不能擊鶴鵠(「本朝食鑑」同前。「能擊鴻鴈鳬鷺不ㇾ能ㇾ摯鶴鵠及雲雀鶺鴒燕之類

告天子鶺鴒之類性猛而不ㇾ悍鷹鷂之屬同類並居則相拒而争攫隼鶻者雖同類並居而不拒或同鷙一鳥亦相和並食(「本朝食鑑」同前。「雲雀[注:=「告天子」・鶺鴒之類、性猛而不ㇾ悍、鷹鷂之屬、同類並居、則相拒而爭攫、隼者雖同類並居而不ㇾ拒、相和並食」)

鷹摯鴻鴈動以翅被搏而昏迷是所以鷹脚長也隼摯鴻鴈而不搏翻攀首喰折是所以隼脚短也(「本朝食鑑」同前。「凡鷹摯鴻鳫、動以ㇾ翅被ㇾ搏而昏迷、至損傷亦有、是鷹脚)

   《引用終了》

私が引用を端折ってしまった箇所を総て挙げて下さり、御礼のしようもないほど感激している。ともかくも、冒頭の「隨」か「堕」かの点であるが、T氏への御礼の返信として、私は、

   *

「堕」の字は旧字体が「墮」で、調べて見ますと、本邦の古文の中でもしばしば、この旧字の「墮」を、誤って「隨」と記すものが見受けられますから、私は恐らくこれは「墮」が正しく、「堕」、「落ちる」の意でやはりよいのではないかと思っています。いつも文句を言ってばかりいる東洋文庫に従うのはちょっとシャクですが、そうでないと、この部分を意味が通るように読むことが難しいように私は感じるからです。

   *

と言うことしか出来なかった。今年もまた年初からT氏に御厄介になってしまった。再度、御礼申し上げるものである。「呆られることなく、今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。」。

「西園寺相國」「はげしくも落ちくるものか冬山の雪にたまらぬ峰の朝風」「西園寺相国鷹百首」「西園寺殿鷹百首」とも呼ばれる歌集で、作者は西園寺公経(承安元(一一七一)年~寛元二(一二四四)年)とも西園寺実兼(建長元(一二四九)年~元亨二(一三二二)年)作ともされるが、未詳。明応四(一四九五)年に尭恵が細川成之に同書の注を授けていることから、十四世紀後半から十五世紀末には成立していたと考えられている。伝本は非常に多い。その中の一首。「朝風」は「晨風(しんぷう)」を訓読して字を代えたもので、実はハヤブサの別名である。

「巢鷹のを聞かず」巣を作って繁殖したという話は聴かない。

「定家」「夕日影櫛〔(くし)〕もさしばの風さきに」「野邊の薄〔(すすき)〕の糸やかけまし」不詳。定家の生活から思うに、空想もいいとこという気がするね。]

2019/01/07

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 雀鷂(すすみだか・つみ) (ツミ)

 

Tumi

 

すゝみだか  【和名須々美太加

 つみ     或云豆美】

雀鷂

        雀𪀚【ゑつさい】

       【和名悦哉】

△雀鷂乃鷂之屬翅彪橫如卷成者名藤黑彪

雀𪀚 雀鷂之雄也其大如鵯共能捉雀小鳥

                  定家

    かたむねをなほかひ殘すゑつさいのいかにしてかは鶉とるらん

鶙鵳【和名乃世】 鷂之屬今人不畜用之捉鳥不及諸鷹也

 

 

すゞみだか  【和名、「須々美太加」。

 つみ     或いは云ふ、「豆美」。】

雀鷂

        雀𪀚〔(ヱツサイ)〕【「ゑつさい」。】

       【和名、「悦哉」。】

△雀鷂〔は〕乃〔(すなは)ち〕鷂〔(はいたか)〕の屬(たぐ)ひ。翅〔の〕彪(ふ)、橫に卷き成す者のごとくなるを、「藤黑の彪(ふ)」と名づく。

雀𪀚(ゑつさい)は 雀鷂(つみ)の雄なり。其の大いさ、鵯(ひよどり)のごとく、共に能く雀・小鳥を捉〔(と)〕る。

                  定家

    かたむねをなほかひ殘すゑつさいの

       いかにしてかは鶉とるらん

鶙鵳〔(ていけん)〕【和名、「乃世〔(のせ)〕」。】 鷂の屬。今、人、之れを畜用せず。鳥を捉(と)ること、諸鷹〔(しよよう)〕に及ばざればなり。

[やぶちゃん注:タカ目タカ科ハイタカ属ツミ Accipiter gularis gularis の他に、八重山列島固有亜種リュウキュウツミ Accipiter gularis iwasakiiが確認されている。「雀鷹」とも書く。ここは主文がそので、「雀𪀚(ゑつさい)」がそのである。ウィキの「ツミ」によれば、インドネシア・カンボジア・シンガポール・タイ・中国・台湾・フィリピン・ブルネイ・ベトナム・マレーシア・ラオス及びマーシャル諸島・朝鮮半島・日本に棲息し、夏季に中国『東部や日本、朝鮮半島で繁殖し、冬季は中』『国南部や東南アジアに南下して越冬する。日本では基亜種が温暖な地域では周年生息(留鳥)するが、寒冷地では冬季に南下(夏鳥)することもある』。全長はで三十センチメートル、で二十七センチメートル、翼開長は五十~六十三センチメートル、体重は七十五~百六十グラム。漢字表記の「雀」は『「小さい」の意で、和名はスズメタカが変化したメスに対しての呼称に由来する』(とか言って、この転訛過程、全然判らないんですけど! 信じ難い!)。『下面は白い羽毛で覆われる』。『眼の周囲は黄色』い。『幼鳥は上面が暗褐色、下面が淡褐色の羽毛で覆われる。胸部に縦縞、腹部にハート状、体側面に横縞状の暗褐色の斑紋が入る。虹彩は緑褐色。オスの成鳥は上面が青味がかった灰色、胸部から体側面はオレンジ色の羽毛で覆われる。虹彩は赤褐色。メスの成鳥は上面は灰褐色、下面には暗褐色の横縞が入る。虹彩は黄色』い。『平地から山地の森林に生息』し、『単独もしくはペアで生活する』。『食性は動物食で、主に小形鳥類を食べるが、爬虫類、小形哺乳類、昆虫なども食べる。漢字表記の雀はスズメも含めた小型の鳥類を捕食することにも由来し、英名』(Japanese sparrowhawk)『(sparrow=スズメ)と同義』。『繁殖期には縄張りを形成する。針葉樹の樹上に木の枝を組み合わせた巣を作り』四~六『月に』一『回に』二~五『個の卵を産む。メスのみが抱卵を行い、抱卵期間は約』三十『日。雛は孵化から約』三十『日で巣立つ』。『本来』、『ツミは、巣の半径』五十メートル『以内に侵入するカラスなどの捕食者に対し』、『防衛行動を行うことから、卵や雛の捕食を避けるためにオナガ』(スズメ目カラス科オナガ属オナガ Cyanopica cyana)『がツミの巣の周囲で繁殖することが多かった。だが』、『近年ではカラスの個体数が増加し、ツミが防ぎきれなくなったことから』、『カラスに対し』、『あまり防衛行動を行わなくなり、オナガがツミを頼りにすることが減ってきている』とある。

「かたむねをなほかひ殘すゑつさいのいかにしてかは鶉とるらん」よく判らん。片方の胸(或いは翼か)をひどく怪我しているのか?

「鶙鵳〔(ていけん)〕【和名、「乃世〔(のせ)〕」。】」うじゃうじゃ良安言って「ノセ」という和名の独立種がいるように書いているのだが、そんな名のハイタカの仲間は見当たらない。「和名類聚鈔」の巻十八「羽族部第二十八 羽族名第二百三十一」に、

   *

鶙鵳 「廣雅」云、『鶙鵳【「帝」「肩」二音。「漢語抄」云「乃世」。】]鷂屬也』。

   *

と、鷹匠辺りがダメな鷹を「ノセ」とか言っているように誤認したか、或いはそう、区別していたかして、独立種と誤認したものではなかろうか? 現行では単にハイタカの異名としている。鷹」では、雌より雄が小さいことから、『「兄(せう)」と稱す【和名、「勢宇」。「小(セウ)の字音のごとし。】」とあったし、」の項では鷂の雄を「兄鷂(このり)」としていた。「兄」は古語で「せ」である。「野」生のハイタカ類のちんまい弱そうな鷹狩には使えそうもない雄を「野兄」で「のせ」と呼んだのではあるまいか? などと夢想したりした。]

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷂(はいたか・はしたか) (ハイタカ)

 

Haitaka

 

はしたか    鷣【音淫】 負雀

はいたか   【和名波之太加俗云波以太加】

【音耀】

      
○兄鷂【このり】

セウ    【和名古能里】

 

△鷂似鷹而小者非鷹之雛別此一種也遍身如鷹多黑

斑腹有黃黑斑者有赤白交斑者又有胸腹灰赤色交黑

赤斑背純黑含光者皆能捉鳬鷺已下小鳥而鷙鴻鴈等

者少矣

兄鷂 鷂之雄也脚極細而易折能捉鶉已下小鳥最俊

 者捉鷺 又有丹兄鷂者毛色如塗丹

凡鷹以雌爲狩獵之用惟鷂雌雄共兼用尾州木曾山中

 及北國有之

                  定家

  はいたかの飛て落たる村草に駒打よせてひねりぬく也

  同じ秋渡るこのりはさもあらて雀鷹こそ餌ふたふになれ

 

 

はしたか    鷣〔(いん)〕【音「淫」。】 負雀

はいたか   【和名、「波之太加」。

        俗に云ふ、「波以太加」。】

【音、「耀〔(エウ)〕」。】

      ○兄鷂【「このり」。】

セウ    【和名、「古能里」。】

 

△鷂は鷹に似て、小さき者なり。鷹の雛に非ず。別に、此れ、一種なり。遍身、鷹のごとく、黑斑多く、腹に黃黑の斑有る者、赤白〔の〕斑を交じる者有り。又、胸・腹、灰赤色に〔して〕黑赤〔の〕斑を交へ、背、純黑〔にして〕光〔澤〕を含む者〔も〕有り。皆、能く鳬(かも)・鷺已下〔(いか)〕〔の〕小鳥を捉へ、鴻〔((ひしくひ))〕・鴈〔(がん)〕等を鷙〔(と)〕る者は少し。

兄鷂(このり) 鷂(はいたか)の雄なり。脚、極めて細くして折れ易し。能く鶉〔(うづら)〕已下の小鳥を捉〔(と)〕る。最も俊なる者は鷺を捉る。 又、「丹兄鷂(たんこのり)」といふ者有り、毛の色、丹〔(に)〕を塗りたるがごとし。

凡そ、鷹〔は〕雌を以つて狩獵の用と爲す。惟だ、鷂は雌雄共に兼用す。尾州・木曾の山中及び北國〔に〕之れ有り。

                  定家

  はいたかの飛びて落ちたる村草〔(むらくさ)〕に

     駒打ちよせてひねりぬくなり

  同じ秋渡るこのりはさもあらで

     雀鷹〔(すずめだか)〕こそ餌〔(ゑ)〕ふたふになれ

[やぶちゃん注:なぜかしら私の非常に好きな、タカ目タカ科ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisusウィキの「ハイタカ」によれば、『ユーラシア大陸の温帯から亜寒帯にかけての広い地域に分布して』おり、『日本では、多くは本州以北に留鳥として分布しているが、一部は冬期に暖地に移動する』。全長はで約三十二センチメートル、で約三十九センチメートル。『オスは背面が灰色で、腹面には栗褐色の横じまがある。メスは背面が灰褐色で、腹面の横じまが細かい』。『「疾き鷹」が語源であり、それが転じて「ハイタカ」となった。かつては「はしたか」とも呼ばれていた』(孰れも「疾」の訓の「早い」の「はし」の転訛であろう)。『元来』、『ハイタカとは、ハイタカのメスのことを指す名前で、メスとは体色が異なるオスはコノリと呼ばれた』「大言海」に『よれば、コノリの語源は「小鳥ニ乗リ懸クル意」であるという』。『低地から亜高山帯にかけての森林や都市部に生息する。樹上に木の枝を束ねたお椀状の巣を作る』。『食性は動物食で、鳥類や昆虫類などを空中または地上で捕食する』。一回で四、五個の『卵を産む』。『オオタカ』(タカ目タカ科ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis)『と共に鷹狩に用いられた』とある。グーグル画像検索「Accipiter nisusをリンクさせておく。

 

「鳬(かも)」広義のカモは、カモ目カモ亜目カモ科 Anatidae の仲間、或いはマガモ属 Anas の中でも、小型な種群を指す。

「鷺」広義にはサギ科 Ardeidae のサギ類を総称するが、ここはサイズが中型から小型のものに限られてくるので、はっきりとは言い難い。但し、サギ科コサギ属コサギ Egretta garzetta 辺りより小型の種群を指していると考えるのが妥当であろう。それでも成体は全長六十センチメートルにも達する。

「鴻〔((ひしくひ))〕」カモ科マガン属ヒシクイ Anser fabalis。全長七十八センチメートルから一メートルに達する

「鴈」広義のガン(「雁」)は先に示した広義のカモよりも大きく、ハクチョウ(カモ科AnserinaeCygnus属の六種及びCoscoroba 属の一種の全七種。全長百四十~百六十五センチメートルで、翼開長は二百十八~二百四十三センチメートルあるだけでなく、飛翔する現生鳥類の中では最大級の重量を有する種群で、平均七・四~十四、最大で十五・五キログラムにも達する)より小さい種群の総称である。

「鶉〔(うづら)〕」キジ目キジ科ウズラ属ウズラ Coturnix japonica。全長は約二十センチメートルで、翼開長でも九・一~十・四センチメートルである。のハイタカのターゲットの個体の大きさの限界値は頗る小さい。恐らくは、より体重が小さく、脚も細いから、襲う対象の全長がさらに三回以上も小さくなってしまうのであろうか。

「村草〔(むらくさ)〕」叢。

「雀鷹〔(すずめだか)〕」「雀鷂」とも書き、前項の「鷹」に既出。タカ目タカ科ハイタカ属ツミ Accipiter gularis 

「餌〔(ゑ)〕ふたふになれ」意味不明。識者の御教授を乞う。]

2019/01/06

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷹(たか)

 

Taka

 

たか    題肩 鷞鳩

      鷙鳥 征鳥

【音膺】

      噺那夜【梵書】

イン   【和名太加】

 

本綱鷹【以膺擊物故名】鳥之疏暴者也資金方之猛氣擅火德之

炎精指重十字尾貴合盧觜同鈎利脚等荊枯或白如散

花或黑如漆大文若錦細斑似纈身重若金爪剛如鐵

毛衣屢改厥色無常寅生酉就總號爲黃一周作鴘三歳

[やぶちゃん注:「本草綱目」と異同有り(校合済み)。「一周」は「二周」、「鴘」は「鷂」。]

成蒼雌則體大雄則形小察之爲易調之實難薑以取熱

酒以排寒生於窟者好眠巢於木者常立雙骹長者起遲

六翮短者飛急蓋鷹與鳩同氣禪化故得稱鳩

五雜組云産於遼東者爲上故中華之鷹不及高麗産凡

教鷹者先縫其兩目仍布囊其頭閉空屋中以草人臂之

初必怒跳顚撲不肯立久而困憊始集臂上度其餒甚以

少肉啖之初不令飽又數十日眼縫開始聯其翅而去囊

焉囊去怒撲如初又憊而馴乃以人代臂之如是者約四

十九日廼開縱之高飛半晌羣鳥皆伏無所得食方以

竹作雉形置肉其中出没草間鷹見卽奮攫之遂徐收其

縧焉習之既久然後出獵擒縱無不如意矣

△按神功皇后四十七年自百濟國始貢鷹其後仁德帝

 【四十二年】依納屯倉阿弭古獻異鳥授百濟國酒君令養之

[やぶちゃん注:「四十二年」は「四十三年」の誤記。訓読では特異的に訂した。]

 以韋緡著其足以小鈴著其尾居腕上而未幾能馴天

 皇幸百舌鳥野而遊獵多獲雉是本朝鷹狩始也

 凡【雄大而勝雌小而劣】鷹雄小而劣稱兄【和名勢宇如小字音】雌大而勝稱

 弟【和名太伊如大字音】當歳生育於山者曰黃鷹【和名和賀太加】其色土

 黃而縱有黑彪易毛爲灰白色横生彪

二歳曰撫鷹又曰片鴘【訓加太加閉利】三歳曰再鴘【毛呂加閉利】

離巢自求食時捕來者曰網掛【阿加計】取巢育人家者曰巢

鷹【須太加】當時鷹匠人臂之閑居于燈下毎夜自酉至子如

此二十日許而徐馴矣後出於野外著經緒放之而呼則

還來此謂於幾和太利

                 定家

  去年よりはとやまさりする片かへり狩行末の秋そ悲しき

在山中歷年者曰野褊【又山鴘】人養之難馴

                 正經

  みかり人野されわか鷹山かへり思ひ思ひに手に居て行

凡鷹餌用雀一隻爲一餌諸鳥肉亦准之以毎日十五餌

也如欲獲鴈鵠者減餌也三分一而令鷹飢則能摯大鳥

四月羽毛將易時解去韋緡放于鳥屋内餌食任意逐日

落而還生新毛七月中旬如舊謂之片鳥屋二歳易毛

謂兩鳥屋三歳謂兩片鴘蓋易其尾也一枚一枚生

是異他禽

                 定家

  鷹ははやもろかたかへり過ぬ也今幾年かとやをかはまし

鷹尾十二枚長五六寸能合而末圓有黑白重紋遇天寒

則疊尾如一枚尾如遇損傷則取漆樹汁用他鷹之尾

尾下有三品毛曰尾末毛【於須計】亂絲【美太禮伊止】狹衣【佐古呂毛】

下尾曰石打【伊之宇知】尾端白者曰杓華【比志也久波奈】背毛曰母衣

毛【保呂計】其脇出白毛曰茅花【都波奈】觜脇毛曰齒黑付【加祢豆計】

肘内毛曰水搔毛【美豆加計】脚著韋緡處曰無毛脛【計奈之波岐】共

皆俗稱也

                 定家

  箸鷹のさころもの毛を重ても松風さむみあられふる也

鷹翦不見者尋之朝則東夕則西其尋聲呼於宇於宇如

隼則呼波伊波伊如鷂雀鷂雀𪀚則呼保宇保宇

                 定家

  秋のこし方を忘れすしたひてや夕の鷹は西へゆくらん

背腹白觜灰白色者稱白鷹迄爪白者稱雪白鷹眉上白

者稱目白鷹古者白鷹爲珍奇近世希有之羅山文集如

出白鷹近來皆遇不祥之兆或云凡鷹不可近于燈羽毛

煤※[やぶちゃん注:「※」=「耳」+「黑」。]

                 定家

  日の本の山てふ山にかへる巢に白鷹の子のなとなかるらん

                 同

  燈火をあたり近くは置きもせし若白鷹のすすけもそする

五雜組云狡兔遇鷹來撲輙仰臥以足擘其爪而裂之鷹

卽死又鷹遇石則不能撲兔見之輙依巖石傍旋鷹無

如之何則盤飛其上良久不去人見之跡之兔可徒手捉

得也

源齊頼【滿政之孫】任出羽守源頼義東征之時齊頼以善養鷹

 爲鷹飼之長而從焉至于今好田獵者皆學齊頼之術

 且有武名有戰功虜貞任之弟良昭於羽州亦一勝利

 也

 

 

[やぶちゃん注:「鷹類」(鳥綱 Aves 新顎上目 Neognathae タカ目 Accipitriformes)の総論部であるが、異様に長い(本未明に始めて公開までほぼ十二時間かかった)ので、読み難いとは思うが、訓読文内に注を総て入れ込み、本文と区別するために太字で示した(本文内のものは飛ばして読めるように下線も附した)。]

 

たか    題肩 鷞鳩〔(しようきう)〕

      鷙鳥〔(しつてう)〕 征鳥

【音、「膺〔(ヨウ)〕」。】

      噺那夜〔(しなや)〕【梵書。】

イン   【和名、「太加」。】

 

「本綱」、鷹【膺〔(むね)〕を以つて物を擊つ。故に名づく。】鳥の疏暴なる者なり。金方〔(きんはう)〕の猛氣を資〔(う)〕く。火〔(くわ)〕德の炎精を擅(ほしいまゝ)にす。指の重さ、十字。尾、合盧〔(がうろ)〕を貴〔(たふと)〕ぶに同じ。脚は荊枯〔(けいこ)〕に等(ひと)し。或いは白く、散〔らせる〕花のごとく、或いは、黑くして漆〔(うるし)〕をずるがごとくして、大なる文〔(もん)〕、錦〔(にしき)〕のごとく、細かなる斑〔(まだら)は〕纈〔(くくりぞめ)〕に似たり。身、重きこと、金〔(かね)〕のごとく、爪、剛〔(こう)〕にして鐵のごとし。毛衣、屢々(しばしば)改まり、厥〔(その)〕色、常〔(つね)〕、無し。寅〔(とら)〕に生じ、酉〔(とり)〕に就總號して「黃(わかたか)」と爲す。一周〔して〕「鴘〔(わかたか)〕」と作〔(な)〕り、三歳〔にして〕蒼〔(さう)〕。雌は、則ち、體、大きく、雄は、則ち、形、小さし。之れを察すること、易〔(やす)〕し爲〔(な)〕す。之れを調〔(てう)〕すること、實〔(まこと)〕に難し。〔暑き折りは〕薑〔(はじかみ/しやうが)〕を以つて熱を取り、〔寒き折りは〕酒を以つて寒を排〔(のぞ)〕く。窟〔(いはや)〕の生〔(せい)〕する者は好んで眠り、木に巢(すづく)りする者は常に立雙〔(たちなら)〕ぶ。骹〔(はぎ)〕長き者、起くること遲く、六〔つ〕の翮〔(つばさ)〕の短き者、飛ぶこと、急なり。蓋し、鷹と鳩と〔は〕氣を同じく〔し〕禪化〔(ぜんか)〕する。故に得て、「鳩」と稱す。

[やぶちゃん注:「鷹」は新顎上目タカ目 Accipitriformesタカ科 Accipitridae に属する鳥の内で、比較的、大きさが小さめの種群を指す一般通称である。ウィキの「によれば、オオタカ(タカ目タカ科ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis)・ハイタカ(ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisus)・クマタカ(クマタカ属クマタカ Nisaetus nipalensis)などが知られる種がいる。タカ科に分類される種の中でも、比較的、大きいものを「鷲」(わし:Eagle)、小さめのものを「鷹」(Hawk)と呼び分けてはいるが、これは明確な区別ではなく、古くからの慣習に従って呼び分けているに過ぎず、生物学的区分ではない。また、大きさからも明確に分けられているわけでもなく、『例えば』上記の『クマタカはタカ科の中でも大型の種であり大きさからはワシ類といえるし、カンムリワシ』(タカ科カンムリワシ属カンムリワシ Spilornis cheela)『は大きさはノスリ』(タカ科ノスリ属ノスリ Buteo japonicus)『程度であるからタカ類といってもおかしくない』。『縄文時代の遺跡からはタカ類の骨が発掘されており、当時は人間の食料であったと考えられている』。『鷹の糞は「鷹矢白」(たかのくそ)として、医薬品として用いられたことが平安時代の医薬書である』「本草和名」に載る。鷹の羽などが、家紋として使用されている。『タカ科及びハヤブサ科』(新顎上目ハヤブサ目 Falconiformes ハヤブサ科 Falconidae)『の鳥は優れた狩猟の能力をもつため、古くから多くの国で厳しい訓練を施したうえで鷹狩に使われてきた』。『モンゴルや中央アジアの遊牧民の間では「鷹」という言葉が力ある者の象徴として人名に用いられた。トゥグリル・ベグの「トゥグリル」やオン・ハンの本名「トグリル」はいずれも鷹という意味である』。『長野県では昔、タカの捕獲が盛んだった。タカの巣から幼鳥などを捕獲したので「巣場」がつく地名がみられる。森巣場、右京巣場、日向巣場、麦草巣場、六助巣場、抜井巣場、善右衛門巣場、原小屋巣場、などである』。『また、タカの眼球やタカの爪を煎じて飲むという伝統風習が長野県阿智村や喬木村にあった』とある。

「金方〔(きんはう)〕の猛氣を資〔(う)〕く」「金」は五行で「西方」を指す。「金方の狂氣」については東洋文庫版の注に「漢書」の『「五行志」に」「金西方万物既成。怒気之始也」とある』とある。

「指の重さ、十字」「サ」の送り仮名はママ。これでは意味不明である。原典も確かにこの文字列ではあるが、ここは「十字に重なれり」と読むべきではないか? 東洋文庫訳でも『指は十字形で』と訳してある。

合盧〔(がうろ)〕を貴〔(たふと)〕ぶ」意味不詳。「盧」には「黒い」の意があり、複数の尾羽がびしっとと相い合して「黒々としている」ことをよしとする、の意ではあるまいか? 東洋文庫訳では『尾はぴったりとして』と訳してある。

「鈎利〔(こうり)〕」尖った鉤(かぎ)。

「荊枯〔(けいこ)〕」枯れて堅くなった茨(いばら)の意であろう。

「金〔(かね)〕」黄金。

「寅〔(とら)〕」その日或いは時(午前三時頃から午前五時頃)や方位(東北東寄り)の意か。

「酉〔(とり)〕に就く」死ぬその日時(午後五時頃から午後七時頃)や方位(西)の意であろう。当初は、或いは幼体から成体となることかも知れないなどとも思ったが、それではバランスが悪い。

「一周〔して〕「鴘〔(わかたか)〕」と作〔(な)〕り」どうも「本草綱目」の「二周」の違いが気になってしょうがない。東洋文庫訳は『一年たてば(つまり二歳になれば)』という割注を施しているが、これは根本的な解決にならない。単純に良安の誤写と考えて、二年経ったなったらそれはもう「立派な若い成体の鷹」と成るの謂いでとっておくのが私は正しいように思う。また、「鴘」は文脈では問題なく本邦の訓「わかたか」「若鷹」でよめるのであるが、「本草綱目」の「鷂」ちょっと悩ましい字で、これは本邦では「はいたか」と訓じ、狭義に鷹の一種であるタカ目タカ科ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisus を指す。時珍は「鷂」で中型の鷹類の初成体個体群をそのように呼んだ可能性が濃厚であるが、ここは良安の「鴘」の方が引用上は誤りでも、躓かずに読めるのである。そもそもが次項は「鷂(はいたか)」でそこで良安ははっきりと、「鷹に似て小さいが、鷹の雛ではなく別な一種である」と明言しているのである。だからこそなおさら、この「本草綱目」の「鷂」の字には従えなかったのである。

「蒼〔(さう)〕」年老いた個体の意。或いはそうした鷹の老成個体を「蒼」と呼ぶのかも知れぬ。その場合は鍵括弧となる。

「調〔(てう)〕」調教。

「骹〔(はぎ)〕」「脛」に同じい。

「禪化〔(ぜんか)〕」東洋文庫訳は『禅化(化身)』とする。変化して姿を変えることらしい。「禪」には「禅譲」のように「後に譲る」の意味があることからか。

『故に得て、「鳩」と稱す』これも半可通でよく意味が判らない。「得」は「禪化」を経ることを言うのだろうが、そうしたら、全く見た目は「鳩」になるのであるから、「鳩」と称するのは当たり前で、謂いがおかしい。寧ろ、鷹のことを別に「鳩」と呼ぶのはそうした理由からである、というのであれば、私も納得もしよう。]

「五雜組」に云はく、『遼東に産する者。上と爲す。故に中華の鷹は、高麗産に及ばず[やぶちゃん注:何故、「故に」なのかが不分明。例えば、タカ類でも優秀な鷹狩の担い手であるタカ目タカ科ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis が、北方種であるから、劣ると言うのであろうか。]。凡そ、鷹を教ふる者、先づ、其の兩目を縫(ぬ)ひ、仍〔(よつ)て〕其の頭を布にて囊(つゝ)み、空屋(あきや)の中を閉ぢて、草人〔(さうじん)〕[やぶちゃん注:等身大の藁人形。]を以つて之れを臂(ひじ)せしむ。初めは必ず、怒り跳り、顚撲〔(てんぼく)して〕[やぶちゃん注:引っ繰り返っては頻りに搏ち羽ばたき。]、肯〔(あへ/うべなひ)〕て立たず。久しくして困憊(くたび)れて、始めて臂の上に集〔(ゐ)〕る[やぶちゃん注:おとなしくとまる。]。其の餒(う)[やぶちゃん注:「飢」に同じい。]ゆること甚だしきを度(はか)り、少〔しの〕肉を以つて之れを啖(くら)はしむ。初め、飽かしめず[やぶちゃん注:食い足りて飽きるほどには肉をやらない。]。又、數十日にして、眼の縫(ぬひ)を開き、始めて其の翅を聯〔(つら)〕ねて[やぶちゃん注:翼を自由にしててやる、の意と採る。]、囊を去る。囊を去れば、怒り撲〔(う)〕つこと、初めのごとく、又、憊(つか)れて馴〔(な)〕る。乃〔(すなは)〕ち、〔草人を〕人を以つて代へて、之れを臂にす。是くのごとき者、約(おほむね)四十九日、廼(すなは)ち、を開き、之れに高飛〔すること〕半晌〔(はんしよう)〕[やぶちゃん注:短い時間。片時。]を縱(ゆる)す。羣鳥、皆、伏し、食を得る所、無し。方(まさ)に竹を以つて雉〔(きじ)〕の形(なり)に作り、肉を其の中に置き、没草〔(くさむら)〕[やぶちゃん注:私の勝手な当て読み。]の間に出づ。鷹、〔これを〕見るときは、卽ち、之れを奮(ふる)ひ攫(う)つ。遂に、徐(そろそろ)其の縧〔(うちひも)〕[やぶちゃん注:東洋文庫訳のルビに従った。「真田紐」などの意味があり、「打ち紐」でここでの鷹と調教する鷹匠との間に連結さてある抑制用の紐(リード)のことを指しているものであろう。]を收め、之れを習ふ。既に久しくして、然して後、出獵〔せば〕、擒〔(とらふ)ること〕縱〔(ほしいまま)にて〕、無不如意のごとくならずといふこと無し。』〔と〕。

[やぶちゃん注:「遼東に産する者。上と爲す。故に中華の鷹は、高麗産に及ばず」何故、「故に」なのかが不分明。例えば、タカ類でも優秀な鷹狩の担い手であるタカ目タカ科ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis が、北方種であるから、劣ると言うのであろうか。

「草人〔(さうじん)〕」等身大の藁人形

「顚撲〔(てんぼく)して〕」引っ繰り返っては頻りに搏ち羽ばたき。

「集〔(ゐ)〕る」おとなしくとまる。

「餒(う)ゆる」「飢ゆる」に同じい。

「飽かしめず」食い足りて飽きるほどには肉をやらない。

「半晌〔(はんしよう)〕」短い時間。片時。

「没草〔(くさむら)〕」私の勝手な当て読み。

「縧〔(うちひも)〕」東洋文庫訳のルビに従った。「真田紐」などの意味があり、「打ち紐」でここでの鷹と調教する鷹匠との間に連結さてある抑制用の紐(リード)のことを指しているものであろう。]

按ずるに、神功皇后四十七年[やぶちゃん注:ユリウス暦二四七年。]百濟國より始めて鷹を貢ず。其の後、仁德帝【四十三年[やぶちゃん注:三五四年。]依納屯倉阿弭古(よさむのみやけあびこ)、異〔(あや)し〕き鳥を獻〔(たてまつ)〕り、百濟國の酒〔(さけ)〕の君〔(きみ)〕之れを養はせしむ。韋緡(をしかは)を以つて其の足に著け、小さき鈴を以つて其の尾に著け、腕の上に居(す)へて、未だ幾ばく〔も〕ならざるに、能く馴れる。天皇、百舌鳥野(もずの)に幸(みゆき)し、遊獵し、多く雉を獲(え)たまふ。是れ、本朝鷹狩の始めなり。

[やぶちゃん注:「韋緡(をしかは)」の「韋」(音「ヰ(イ)」)は「毛を取り去って柔らかくした動物の皮、鞣革(なめしがわ)の意で、「緡」は細い繩を束ねて根元を括ったものを指す。ここはさすれば、現在の鷹匠のように自分の腕に皮革製保護具を装着するのではなく、鷹の脚の方にそうした革と繩を巻きつけたものと解釈するしかないようだ。

「百濟國の酒の君」「日本書紀」にみえる百済の王族。仁徳天皇四十一年に紀角(きのつの)が百済に遣わされた際、角に無礼をはたらいたために捕らえられ、日本に送られた。この二年後に罪を許され、天皇から鷹の飼育を命じられた。「鷹甘部(たかかいべ)」の始祖とされる。]

 凡そ【雄の大にして勝〔(まさ)れ〕る、雌の小にして劣る。】、鷹、雄は小にして劣れり、「兄(せう)」と稱す【和名、「勢宇」。「小〔(セウ)〕」の字音のごとし。】。雌は大にし勝(まさ)れり、「弟(だい)」と稱す【和名、「太伊」。「大」の字音のごとし。】當歳生れて[やぶちゃん注:生後一年。]、山に育つ者を「黃鷹(わかたか)」と曰ふ【和名、「和賀太加」。】。其の色、土黃[やぶちゃん注:黄土色。]にして、縱〔たて)〕に黑き彪〔(ふ)〕有り。毛を易(か)へて、灰白色と爲り、横に彪を生ず。

二歳を「撫鷹〔(なでたか)〕」と曰ふ。又、「片鴘(かたがへり)」と曰ふ【訓、「加太加閉利」。】。三歳を「再鴘(もろがへり)」と曰ふ【「毛呂加閉利」。】。

[やぶちゃん注:鷹匠のサイトを見ると、「片鴘」には「山帰り(やまがえり)」という別称がある。これは第一回の換羽後の鷹或いは第一回換羽後に捕獲された鷹である(後の良安の謂いとは矛盾する)。「小山帰(こやまがへり)」という呼称もあり、これは「小山鴘」とも書く。これは、前年に生まれた鷹が翌春になっても未だ羽毛が完全には抜け変わっていない状態の若鷹を指す語である。他にも生後四歳の鷹(一説には三歳又は四歳以上のものを指す「諸片回・両片回(もろかたがへり)」などもある。]

巢を離れて、自ら求-食(あさ)る時、捕へ來たる者、「網掛(あがけ)」と曰ふ【「阿加計」。】。巢を取りて人家に育てる者を「巢鷹」と曰ふ【「須太加」。】。當時[やぶちゃん注:当節。]の鷹匠の人、之れを臂にして、燈下に閑居する。毎夜、酉より子に至るまで此くのごとくすること二十日許りにして、徐(そろそろ)馴る。後、野外に出でて、經緒(へを)[やぶちゃん注:長いリードであろうか。]を著けて之れを放つ。而〔して〕呼ぶときは、則ち、還り來たる。此れを「於幾和太利〔(おきわたり)〕」と謂ふ。

                 定家

  去年〔(こぞ)〕よりはとやまさりする片がへり

     狩り行く末の秋ぞ悲しき

[やぶちゃん注:藤原定家は大の鷹好きで、天文八(一五三九)年には「定家鷹三百首」などという和歌鷹集なんぞをものしている(国立国会図書館デジタルコレクションに有り)。ここにあるのもそれからか。私は定家が嫌いだし、校合資料も持ち合せていないので、これを含め、以下総てを放置する。悪しからず。]

山中に在りて、年を歷〔(ふ)〕る者、「野褊(のざれ)」と曰ふ【又、「山鴘〔(やまがへり)〕」。】。人、之れを養ふに、馴れ難し。

                 正經

  みかり人野ざれわか鷹山がへり

     思ひ思ひに手に居〔(す)〕ゑて行く

[やぶちゃん注:作者不詳。校合の不能。]

凡そ、鷹の餌〔(ゑ)〕は、雀一隻〔(いつせき)〕[やぶちゃん注:一羽。]を用ひて、一餌〔(ひとゑ)〕爲す。諸鳥の肉も亦、之れに准じて、以つて、毎日、十五餌なり。鴈〔(がん)〕・鵠〔(くぐひ)〕[やぶちゃん注:白鳥。]を獲(と)らんと欲するごとき者は、餌を減ずることなり。三分〔の〕一にして鷹を飢へせしめ、則ち、能く大鳥を摯〔(う)〕つ[やぶちゃん注:「摯」(音「シ」)は「捕る」「摑む」の意。]

四月、羽毛、將に易(か)へんとする時、韋緡(をしかは)を解き去り、鳥屋(とや)の内に放つ。餌食〔(ゑじき)〕、意に任せ、日を逐〔(おひ)〕てけ落ちて、還(ま)た新毛を生じて、七月中旬、舊(もと)のごとし。之れを「片鳥屋(〔かた〕とや)」と謂ふ。二歳、毛を易〔(か)ふ〕る〔を〕「兩鳥屋(もろ〔とや〕)」と謂ふ。三歳を「兩片鴘(もろかたがへり)」と謂ふ。蓋し、其の尾を易ることや、一枚、(す)けて、一枚、生〔(は)〕ゆる。是れ、他禽に異〔(ことなる)〕なり。

                 定家

  鷹ははやもろかたがへり過ぎぬなり

     今幾年かとやをかはまし

鷹〔の〕尾〔は〕、十二枚〔にして〕、長さ五、六寸。能く合ひて、末〔(す)〕へ[やぶちゃん注:ママ。]、圓〔(まどか)にして〕黑白〔の〕重〔ね〕紋、有り。天寒に遇へば、則ち、尾を疊み、一枚のごとくにす。尾、損傷に遇ふがごとき〔とき〕は、則ち、漆〔の〕樹の汁を取りて用ひて、他〔の〕鷹の尾を接(つ)ぐ。尾の下に、三品の毛、有り。「尾末毛(をすけ)」【「於須計」。】・「亂絲〔(みだれいと)〕」【「美太禮伊止」。】・「狹衣〔さごろも)〕」【「佐古呂毛」。】と曰ふ。下の尾を「石打〔(いしうち)〕」【「伊之宇知」。】と曰ひ、尾の端の白き者を「杓華(ひしやく〔はな〕)【「比志也久波奈」。】と曰ひ、背の毛を「母衣毛(ほろ〔け〕)」【「保呂計」。】と曰ひ、其の脇に出づる白毛を「茅花(つばな)」【「都波奈」。】と曰ひ、觜の脇〔の〕毛を「齒黑付(かねつけ)」【「加祢豆計」。】と曰ひ、肘〔(ひじ)〕の内の毛〔を〕「水搔毛(みづかけ)」【「美豆加計」。】と曰ひ、脚に韋緡(をしかは)を著(つ)くる處を「無毛脛(かなしはぎ)」【「計奈之波岐」。】と曰ふ。共に皆、俗稱なり。

                 定家

  箸鷹〔(はしたか)〕のさごろもの毛を重ねても

     松風さむみあられふる也

鷹、翦(そ)れて見へ[やぶちゃん注:ママ。]ざる者、之れを尋ぬるに、朝は、則ち、東、夕べは、則ち西〔たり〕。其の尋ぬる聲、「於宇於宇〔おうおう〕」と呼ぶがごとし。隼(はやぶさ)は、則ち、「波伊波伊〔(はいはい)〕」と呼ぶがごとし。鷂〔(はいたか)〕・雀鷂(つみ)・雀𪀚(ゑつさい)、則、「保宇保宇〔(ほうほう)〕」と呼ぶ。

[やぶちゃん注:「雀鷂(つみ)」タカ目タカ科ハイタカ属ツミ Accipiter gularis。「雀鷹」とも書く。ここはその(次注参照)。

「雀𪀚(ゑつさい)」ウィキの「ツミ」に『鷹狩りにおいては古くからオスをエッサイ(悦哉)と呼称することもある』ので、上記ツミのである。]

                 定家

  秋のこし方を忘れずしたひてや

    夕べの鷹は西へゆくらん

背・腹、白く、觜、灰白色なる者、「白鷹〔(はくたか)〕」と稱す。爪に迄(いたるま)で白き者を「雪白鷹〔(ゆきはくたか)〕」と稱す。眉の上の白き者、「目白鷹〔(まじろ〔だか〕)」と稱す。古-者(いにし)へは、白鷹を珍奇と爲〔せり〕。近世、希〔(まれ)〕に之れ有り。「羅山文集」にいはく、『如〔(も)〕し白鷹を出だせば、近來、皆、不祥の兆〔(きざし)〕に遇ふ』〔と〕。或いは云ふ、「凡そ、鷹、燈〔(ともしび)〕に近づく〔る〕べからず。羽毛、煤-(すゝぼ)るなり[やぶちゃん注:「」=「耳」+「黑」。]

[やぶちゃん注:江戸初期の朱子学派儒学者で、幕府ブレーンとなる林家の祖である林羅山(天正一一(一五八三)年~明暦三(一六五七)年)の死後(寛文二(一六六二)年)に編された著作大成。]

                 定家

  日の本の山てふ山にかへる巢に

     白鷹の子のなどなかるらん

                 同

  燈火〔(ともしび)〕をあたり近くは置きもせじ

     若白鷹のすすけもぞする

「五雜組」に云はく、『狡兔〔(かうと)〕[やぶちゃん注:狡知に長けたウサギ。]、鷹、來りて撲(う)つに遇へば、輙〔(すなは)〕ち、仰〔(うつむ)〕き臥し、足を以つて其の爪を擘〔(う)ち〕て之れを裂く。鷹、卽死す』〔と〕。『又、鷹、石に遇へば、則ち、撲つこと能はず。兔、之れを見、輙ち、巖石の傍に依りて、旋轉〔せんてん)〕す[やぶちゃん注:その大岩の周囲を急速にぐるぐると旋回し続ける。]。鷹、之れを如何(いかん)とものすること無く、則ち、其の上を盤-飛(めぐ)り、良〔(やや)〕久しくして〔も〕去らず。人、;之れを見て、之れに跡〔(あと)〕すれば、兔、徒(たゞ)で手に捉(とら)へ得べしなり。』〔と〕。

[やぶちゃん注:鷹への絶妙な狡知を持った兎は、厭らしい人の狡知のために鷹に食われず、人に食われる。ちと、シチュエーションが段階を踏んで難しい(鳥界のチャンピオンで怖いものなしの鷹は石だけは打ち砕くことは出来ない(だから苦手だ)それを知っいる鷹に狙われた兎は巨大な巌石の直下の根廻りを速攻ダッシュで旋回し続ける鷹はなかなか諦めきれずに上空で目立って旋回をし続けるそれを人が目撃してその真下を捜しに行く旋回運動に入れ込んでいる兎は人の接近に気づかずに人に素手でやすやすと捕まって食われてしまう)故事成句に成り損ねた感があるな。]

源齊頼(ときより)【滿政の孫。】出羽守に任ず。源頼義〔の〕東征の時、齊頼、善く鷹を養ふを以つて、鷹飼〔(たかがひ)〕の長〔(をさ)〕と爲りて從ふ。今に至るまで田獵を好む者、皆、齊頼の術を學ぶ。且つ、武名、有り、戰功、有り。羽州に貞任が弟良昭を虜(いけど)りしも亦、一勝利なり。

[やぶちゃん注:「源齊頼(ときより)」とあるが、現在では「まさより」「なりより」「せいらい」が正しいようだ。ウィキの「源斉頼によれば、平安中期の『武将・官人・鷹匠。清和源氏満政流。駿河守・源忠隆の長男。政頼、正頼とも記され』る。長元八(一〇三五)年に『催された藤原頼通家歌合(「関白左大臣頼通歌合」)に源頼実、藤原経行らと共に蔵人所雑色として参加したことが知られる』。『蔵人兼右兵衛尉在任時であった』天喜三(一〇五五)年には、『内裏の蔵人所町屋(蔵人の詰所)に逃げ込んだ抜刀の暴漢を郎等の滝口武者源初、小野幸任らと共に取り押さえた功により』、『検非違使に任ぜられ』ている。同五(一〇五七)年、「前九年の役」で『苦戦する源頼義の後援として源兼長に代わり』、『出羽守に任ぜられ下向した』。『しかし』、『出羽赴任後の斉頼は頼義に対して非協力的な態度を示し、その戦功も役の終盤に出羽に逃れた安倍良照』(あべのりょうしょう 生没年不詳:僧。名は「良昭」「官照」とも。俗名は則任。安倍忠良の子で安倍頼時の弟に当たる。『若くして僧籍にあったため』、『甥の家任を養子とした』。永承六(一〇五一)年からの「前九年の役」では『頼時に従って家任とともに小松柵の守備にあたった。小松柵が頼義軍に焼き払われ、さらに家任らが出家して帰降するなど』、『安倍軍の敗北が決定的となると』、『出羽国に落ち延びたが出羽守源斉頼に捕らえられて大宰府に配流となった。同じく太宰府に配流された家任の没後家任の遺児秀任の養育にあたったという』とある。ここはウィキの「安倍良照に拠った)『とその甥正任を捕縛する程度のものに留まっている』。『後代、三男・惟家の子孫が近江国高島郡に土着して善積氏を称したほか、一女(正確には孫娘)は摂津源氏の源頼政の室となり、源仲綱や二条院讃岐などの母となった』。『斉頼は優れた鷹飼であったことが知られ、高麗から渡来した鷹匠・兼光(出身地・名には異説あり)より継承したとされるその秘技は「呉竹流」あるいは「政頼流」などと呼ばれ、後の諏訪流とその諸派に伝承された』。鎌倉『初期に編纂された説話集』「古事談」によれば、『当時の風潮から』、『殺生に対し』、『批判的な表現が書き加えられながらも』、『終生』、『鷹を飼う事を生業とし』、『盲目となった晩年にも撫でるだけで鷹の産地を言い当てたという説話があり、また「斉頼(せいらい)」という言葉が「その道の達人」を指す名詞として流布するなど、伝説的な鷹飼として語り継がれ』たとある。史実は良安の記すのとはかなり印象が違う。]

2019/01/05

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 食火鷄(ひくひどり) (ヒクイドリ)

 

Hikuidori

 

ひくひとり 馳蹄鷄 駝鳥

      骨托禽

食火鷄

     【俗云火久比止利】

 

本綱載諸書云其有不同鴈身駝蹄蒼色舉頭高七八

尺張翅丈餘食大麥或食鐵石火炭足二指利爪能傷人

腹致死日行七百里其飛不高卵大如甕此鳥出波斯國

三佛齋安息等西南天竺

△按阿蘭陀人貢咬𠺕吧國火鷄彼人呼曰加豆和留肥

 州長崎或畜之形畧類雞而大高三四尺能食火燼及

 小石其糞乃炭或石也人近則赶而爲啄

獸 食火獸也狀如犬而能食火其糞復爲火能燒

 人屋

火鴉 出於蜀徼狀類鴉而能啣食火

 

 

ひくひどり 馳蹄鷄〔(だていけい)〕 駝鳥〔(だてう)〕

      骨托禽〔(こつたくきん)〕

食火鷄

     【俗に云ふ、「火久比止利」。】

 

「本綱」に諸書を載せて云ふ〔も〕、其の、同じからざること有り。鴈〔(かり)〕の身、駝〔(らくだ)〕の蹄〔(ひづめ)にして〕蒼色。頭を舉ぐれば、高さ、七、八尺。翅を張れば、丈餘。大麥を食い[やぶちゃん注:ママ。]、或いは鐵・石・火炭〔(ひずみ)〕を食ふ。足〔は〕二つ。指に利〔(と)き〕爪あり、能く、人の腹を傷つけ、〔人、〕死に致る。日(ひ)に行くこと、七百里[やぶちゃん注:明代の一里は五百五十九・八メートル。約三百九十二キロメートル弱。]。其の飛ぶこと、高からず。卵の大いさ、甕〔(かめ)〕のごとし。此の鳥、波斯(ペルシヤ)國・三佛齋(サフサイ)・安息〔(あんそく)〕等の西南、天竺より出づ。

△按ずるに、阿蘭陀人、咬𠺕吧(ジヤガタラ)國の火鷄〔(くわけい)〕を貢ず。彼〔(か)〕の人、呼んで「加豆゙和留〔(カヅワル)〕」曰ふ。肥州長崎に或いは之れを畜ふ。形、畧〔(ほぼ)〕雞に類して、大きく、高さ、三、四尺。能く火燼(もへぐい[やぶちゃん注:ママ。])及び小石を食ふ。其の糞は乃〔(すなは)〕ち、炭或いは石なり。人、近づくときは、則ち、赶〔(お)ひ〕て[やぶちゃん注:「追ひて」に同じい。]啄(つつ)かんと爲〔(す)〕。

禍斗獸〔(くわとじう)〕 火を食ふ獸〔(けもの)〕なり。狀〔(かたち)〕、犬のごとくにして、能く火を食ふ。其の糞も復た、火と爲〔(な)〕り、能く人の屋〔(いへ)〕を燒く。

火鴉〔(くわあ)〕 蜀[やぶちゃん注:四川省の古名。]〔の〕徼〔(くにざかひ)〕より出づ。狀、鴉に類して、能く火を啣〔(は)〕む[やぶちゃん注:「啣」は「くはえる」(口に挟む)で、ここは「食う」に同じい。]。

[やぶちゃん注:これは羽が小さ過ぎ、しかも体重が重いために「飛べない鳥」となった、ヒクイドリ(火食鳥)目ヒクイドリ科ヒクイドリ属ヒクイドリ Casuarius casuarius である。ウィキの「ヒクイドリ」より引く。原産地はインドネシア(ニューギニア島南部・アルー諸島)・オーストラリア北東部・パプアニューギニアの『熱帯雨林に分布し』、『オーストラリアでは標高』千百 メートル以下、『ニューギニアでは標高』五百メートル以下に『好んで生息する』、『かつてはもっと広範囲に生息していたと推測されているが、他の走鳥類と同様、熱帯雨林の減少と移入動物の影響により個体数が減少しており、絶滅が危惧されている。森林が減ってきていることから、雛が生き残る確率は』一%『以下という研究結果も発表されている』。『和名は「火食鳥」の意味であるとされている』が、無論、『火を食べるわけではなく、喉の赤い肉垂が火を食べているかのように見えたことから名づけられたとの説が有力である』グーグル画像検索「Casuarius casuarius」を見よ。『日本にもたらされたのは、江戸時代初期の寛永』一二(一六三五)年に、『平戸藩により江戸幕府に献上されたのが最初である』。『記録には「陀鳥(だちょう)」とあるが、明らかにヒクイドリのスケッチが残されている。その後もオランダの貿易船により持ち込まれた。黒い羽毛、赤い肉垂、青い首に大きなとさかと、特徴的な外見を持つ』。『ヒクイドリ属』中の『最大種』。『ヒクイドリ目』(ヒクイドリ目 Casuariiformes はヒクイドリ科 Casuariidae とエミュー科 Dromaiidae とからなる二属四種のみ)『の中では最大で』、現生種では先のダチョウに次いで二番目に重い鳥で、最大体重は八十五キログラム、全長は一メートル九十センチメートルにもなる(一般的な全長は一・二七~一・七〇センチメートルで。の体重は約五十八キログラムであるのに対し、の体重は約二十九~三十四キログラムでの方がよりも大きい。調べて見ると、皮膚の色もの方が鮮やかであり、頭頂の角質の兜様部分もの方が大きいから、性的二形である。『頭頂に大型で扁平な兜状の角質突起がある』。『頭部から頸部にかけて羽毛がなく、青い皮膚が裸出する』。『頭に骨質の茶褐色のトサカがあり、藪の中で行動する際にヘルメットの役割を果たす』他に、『暑い熱帯雨林で体を冷やす役割がある』。『毛髪状の羽毛は黒く、堅くしっかりとしており、翼の羽毛に至っては羽軸しか残存しない。顔と喉は青く、喉から垂れ下がる二本の赤色の肉垂を有し、体色は極端な性的二型は示さないが、メスの方が大きく、長いトサカを持ち、肌の露出している部分は明るい色をしている。幼鳥は茶色の縦縞の模様をした羽毛を持つ』。『大柄な体躯に比して翼は小さく飛べないが、脚力が強く時速』五十キロ『程度で走ることが出来る』。三『本の指には大きく丈夫な刃物のような』約十二センチメートル『の爪があり』、『鱗に覆われた頑丈な脚をもつ。性質は用心深く臆病だが』、『意外と気性が荒い一面がある。この刃物のような鉤爪は人や犬を、刺すなどをして殺す能力もある』。『低地の熱帯雨林に生息する』。『主に単独もしくはペアで生活する』。『食性は果実を中心とした雑食性で、森林の林床で落ちている果実を採餌し、大きな種子を持った果実でも啄ばんで丸呑みする』。一『日に』五キログラム『のえさを必要とし、そのために』一『日に』二十キロメートル『も歩き回る』。『ヒクイドリ属の鳥には、他の動物には毒性をしめすキョウチクトウ科ミフクラギ属のコバナミフクラギ』(Cerbera floribunda)『という植物の果実を安全に消化する能力がある』。『果実と一緒に飲み下された種子は糞と共に排出される事で芽吹き、ヒクイドリ属の鳥の移動とともに広範囲に種子が散布される』『ので、果実食の習性は彼等が生きる森林を維持するのに重要な役割を担っている』とも言える。『カタツムリや小型の哺乳類の死骸も食べる』。『繁殖期は』六~十月で、『オスは地上に、草本植物を使って』五~十センチメートル『の厚さで、幅が最大』一メートル『ほどの巣を作る』。『これは卵の周辺から水分を排出するのに十分な厚さである。メスは卵を産むのみで、産卵後は別のオスを探しにその場から消える。メスは』九・五~十三・五センチメートル『の大きさの卵を』、一回に三つから四つ『産卵する。卵は表面がざらざらしており、最初は明るい薄緑色で、時を経るにつれ色あせていく』。『オスが卵を抱卵し、ヒナを単独で育てる。卵がかえるのはおよそ』二『ヵ月後で、充分な餌が取れないオスはその間、体重が』五キログラム『前後減る。ヒナは産毛もなく、トサカは生えかかった程度である。ヒナにとってオオトカゲが天敵で、オスはオオトカゲを威嚇して追いはらう。成長したトサカが生えるまで』三~四年かかる。『繁殖期の間、とどろくような鳴き声やシューという鳴き声、もしくはゴロゴロというような鳴き声を発する。幼鳥はオスを呼ぶために高い音程の口笛のような鳴き声を頻繁に発する』。『食用とされることもあり、成鳥は銃などによって狩猟され、雛は捕えて生育してから食べられることが多い』。『森林伐採・農地開発による生息地の破壊、食用の狩猟などにより生息数は減少している』。『一方で近年の調査では生息数が従来考えられていたよりも多いと推定され』、二〇一七『年現在は絶滅のおそれは低いと考えられている』。『オーストラリアではサイクロンによる影響(サイクロンの後は本種の交通事故が増加するという報告もある)も懸念されている』とある。本文でも人を殺傷することが記されてあるが、ネットでは『鬼キックで人も殺せる!世界一危険な鳥「ヒクイドリ」』が、その恐ろしさをよく判らせる。実際に恐ろしさを知らずに殺された人のケースも挙げてある

「馳蹄鷄〔(だていけい)〕」歩行速度の速さと頑丈な脚を意味する異名であろうと思ったが、「本草綱目」を見ると、「駝」で、これは誤字だわさ。とすると、駱駝の蹄(ひづめ)のような強力な爪のことか

「駝鳥〔(だてう)〕」これは本種ヒクイドリが江戸初期の「駝鳥」(だちょう)であったことをよく示している。良安がここで「鳳五郎 (現在の真正の駝鳥(ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属ダチョウ Struthio camelusと本種を並べているところに、そうした意外な実相が見えてきて、誠に面白いではないか。

「骨托禽〔(こつたくきん)〕」頭頂に大型で扁平な兜のような「骨」のように硬い角質突起を「載せている」(「托」)鳥の意であろうかと考えたのだが、「本草綱目」の説明(以下に出す)では、「駝」のただの転訛字とする。じゃあ、「骨」は何?

『「本綱」に諸書を載せて云ふ〔も〕、其の、同じからざること有り……最初に良安が言い添えするかのような、珍しい引き方に見えるが、実は以下を見ると判る通り、これは本文末にある時珍の言葉「諸書所記稍有不同」(諸書、記す所、稍(やや)同じからざる有るも)を恰も自分の言葉のように最初に仕込んだだけのことである。しかも時珍は「實皆一物也」(實は、皆、一物也なり)と断じているのを外した結果、妙に尻座りの悪い引用になってしまっている。あかんね、良安先生。「本草綱目」では項目名が既にして「駝鳥」であるのも確認されたい。

   *

駝鳥【「拾遺」。】

釋名駝蹄雞【「綱目」】。食火雞【同上】。骨托禽。時珍曰、「駝」象形、「托」亦駝字之訛。

集解蔵器曰、駝鳥如駝、生西戎。髙宗永徽中、吐火羅獻之。髙七尺、足如槖駝、鼓翅而行、日三百里、食銅鐵也。

時珍曰、此亦是鳥也、能食物所不能食者。按草李延壽「後魏書」云、波斯國有鳥。形如駝、能飛不髙高、食草與肉。亦噉火、日行七百里。郭義恭「廣志」云、安息國貢大雀、雁身駝蹄、蒼色、舉頭高七八尺、張翅丈餘、食大麥、其卵如甕、其名駝鳥。劉郁「西域記」云、富浪有大鳥、駝蹄、髙丈餘、食火炭、卵大如升。費信「星槎錄」云、竹步國、阿丹國俱出駝蹄雞、高者六七尺、其蹄如駝。彭乘「墨客揮犀」云、骨托禽出河州。狀如鵰、高三尺餘、其名自呼、能食鐵石。宋祁「唐書」云、開元初、康國貢駝鳥卵。鄭曉「吾學編」云、洪武初、三佛臍國貢火雞、大于鶴、長三四尺、頸足亦似鶴、嘴軟紅冠、毛色如靑羊、足二指、利爪、能傷人腹致死、食火炭。諸書所記稍有不同、實皆一物也。

屎【氣味】無毒。

主治人誤吞鐵石入腹、食之立消【蔵器。】。

   *

「主治」が面白いね。

「鴈〔(かり)〕」広義のガン(「鴈」「雁」)はCarinatae 亜綱Neornithes 下綱Neognathae 小綱カモ目カモ科ガン亜科 Anserinae の水鳥の中で、カモ(カモ目 Anseriformesカモ亜目 Anseresカモ科 Anatidae の仲間、或いはマガモ属 Anasより大きく、ハクチョウ(カモ科Anserinae亜科Cygnus属の六種及びCoscoroba 属の一種の全七種)より小さい種群の総称である。

「駝〔(らくだ)〕」哺乳綱ウシ目ラクダ科ラクダ属ヒトコブラクダ Camelus dromedarius とフタコブラクダ Camelus ferus であるが、ウィキの「ラクダ」によれば、『ヒトコブラクダの個体群はほぼ完全に家畜個体群に飲み込まれたため、野生個体群は絶滅した。ただ、辛うじてオーストラリアで二次的に野生化した個体群から、野生のヒトコブラクダの生態のありさまを垣間見ることができる。また』、二〇〇一『年には中国の奥地にて』一千『頭のヒトコブラクダ野生個体群が発見された。塩水とアルカリ土壌に棲息していること以外の詳細は不明で、遺伝子解析などは調査中である。この個体群についても、二次的に野生化したものと推測されている。したがって、純粋な意味での野生のヒトコブラクダは絶滅した、という見解は崩されずにいる』。一方、『野生のフタコブラクダの個体数は、世界中で約』一千『頭しかいないとされて』おり、二〇〇二年に『国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定され、レッドデータリストに掲載されている』とある。

「丈餘」三メートル強。

「大麥」単子葉植物綱イネ目イネ科オオムギ属オオムギ Hordeum vulgare

「火炭〔(ひずみ)〕」真っ赤に焼けている炭。

「波斯(ペルシヤ)國」現在のイランの古名。

「三佛齋(サフサイ)」ウィキの「三仏斉(さんぶつせい)」によれば、十世紀初めから十五世紀初めまでの『漢文史料に登場する東南アジアの交易国家』で、嘗ては『室利仏逝(シュリーヴィジャヤ王国)』(インドネシア・マレー半島・フィリピンに大きな影響を与えたスマトラ島のマレー系海上交易国家。アラブの資料では「ザバック」「サバイ」「スブリサ」の名で出る。王国の起源ははっきりしないが、七世紀にはマラッカ海峡を支配して東西貿易で重要な位置を占めるようになっていた国家であるという)『と同一視されてきたが、同時に複数の三仏斉国が中国の王朝に朝貢したという記録があり、三仏斉注輦(チョーラ)国、三仏斉詹卑(ジャンビ)国、三仏斉宝林邦(パレンバン)などの表記がみられたりするところから、単一の国家ではなく、マラッカ海峡地域における港市国家の総称と把握されるようになった。三仏斉とシュリヴィジャヤ・グループのビッグ・スリーすなわちチャイヤー、ケダー、ジャンビの』三『カ国が朝貢のための統一政体として』九『世紀の末に形成されたものと考えられる』一〇二五年に『タミール王国(南インド)にケダーをはじめマレー半島が占領されたが、これはマレー半島横断通商路の独占を狙ったものであり』、一〇八〇年頃には『返還された。南宋が朝貢制度をやめ』、『市舶司制度に』一『本化する』十二『世紀末まで続いた』。『三仏斉は』、九『世紀後半以降のアラビア語史料に現れるザーバジュ』『に相当するとみられる。アラブ史料によれば、ザーバジュの大王が治める』国々『には、スマトラ島北端部のラムリ、マレー半島西岸のクダ、それにスリブザなどがあったとされており、このスリブザこそ、かつてのシュリーヴィジャヤではなかったかとみられる。三仏斉になってもザーバジュ(三仏斉)のなどと呼ばれていた。西方諸国は三仏斉の内容については関知していなかったようである。三仏斉は朝貢品をパッタルンに集約し、Sating Phra港から中国向けに出荷していたものとみられる。これは後期「訶陵」(シャイレンドラ)時代からそうしていたものと考えられる』とある。因みに、東洋文庫訳では、『三仏斉』に『さんぶつさい』のルビを振った後に、割注で『シュリーヴィジャ。ジャワ・スマトラ』としている。この句点と中黒は如何にも半可通でやな感じである。

「安息〔(あんそく)〕」古代イランに存在した王朝パルティア(紀元前二四七年~紀元後二二四年)の漢名。ウィキの「パルティア」によれば、『王朝の名前からアルサケス朝(アルシャク朝)とも呼ばれ、日本語ではしばしばアルサケス朝パルティアという名前でも表記される。前』三『世紀半ばに中央アジアの遊牧民の族長アルサケス』世(アルシャク世)に『よって建国され、ミトラダテス』世(ミフルダート世 在位:紀元前一七一年~紀元前一三八年)の『時代以降』、現在のイラク・トルコ東部・イラン・トルクメニスタン・アフガニスタン西部・パキスタン西部に相当する西アジアの広い範囲を支配下に置いていた。その広域の旧地方をここは指す。紀元前一世紀以降、『地中海世界で勢力を拡大するローマと衝突し、特にアルメニアやシリア、メソポタミア、バビロニアの支配を巡って争った。末期には王位継承を巡る内乱の中で自立したペルシスの支配者アルダシール』世(在位:二二六年~二四〇年)に『よって滅ぼされ、新たに勃興したサーサーン朝に取って代わられた』とある。

「咬𠺕吧(ジヤガタラ)國」インドネシアの首都ジャカルタの古称及び同国。

「加豆゙和留〔(カヅワル)〕」漢字の「豆」に濁点が打たれているのである。

「火燼(もへぐい[やぶちゃん注:ママ。])」「燃え杭(ぐひ)」。「燃え灰(ぐひ)」とも書くようだ。未だ火の残っている燃えさしのこと。

「禍斗獸〔(くわとじう)〕」「火を食ふ獸〔(けもの)〕なり。狀〔(かたち)〕、犬のごとくにして、能く火を食ふ。其の糞も復た、火と爲〔(な)〕り、能く人の屋〔(いへ)〕を燒く」これは「禽部」のここにして掟破りである。しかも、これは中国南部の少数民族に対する忌まわしい差別語でもあるのである。ウィキの「禍斗」を引く。『禍斗(かと Huotou)は中国南方の少数民族。しかし南方異民族を妖怪化させるため犬の姿をし、犬の糞を食べ、炎を吹き散らす怪物として形容された。禍斗の至る』『所では火災が発生するとされ、古代においては火災をもたらす不吉な象徴とされた。また一説では炎を食べ、火を帯びた糞を排出するとも言われる。その名は「火を食う獣」を意味する』。『妊娠後』一『ヶ月後の母犬に流星の破片が当たり』、『生まれた犬が禍斗であるとされる。禍斗の外見は普通の犬と同じであるが、禍斗の体毛は黒色であり独特の光沢を帯びている。外見上は怪物であることは分からないが、火神を助け、時に火神がその職を辞した際には火神の職司を司ることもあった』。『禍斗は一般の犬が食べる食物には興味を持たず、火神に従い』、『炎を食べるとされる。雷神は雷車に乗り』、『大地を巡幸する際には禍斗は雷神の後ろに従う。雷神が雷斧を振りかざし地上に火災を引き起こすと』、『禍斗は炎の中に飛び出し』、『その炎を食らい、排出する便もまた炎である。禍斗の口から炎が噴出すこともあり、禍斗』の周囲『は炎で包まれるとされ、古人の恐怖の対象となった』。また「山海経」に『よれば、禍斗が食事をしない際には』、『南方海上に位置する厭火国に集まって暮らしているとされる』とある。

「火鴉〔(くわあ)〕」中文サイトにのみ見出せ、よく判らぬが、どうも前の「禍斗獸」と同じ忌まわしい感じがする。

「徼」(音「ケウ(キョウ)」慣用音「ゲウ(ギョウ)」)は「巡る・見廻る」「求め得ぬものを無理に求める」の他に「境・国境」の意がある。]

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳳五郎(ほうごらう) (【図と名だけで当てたら、あなたはなかなかの鳥通!】)

Hougorou

 

ほうごらう

鳳五郞

 

食鑑云往年貢於阿蘭陀國狀類天鵝而大高六七尺灰

白色帶黃頰及觜黑脚掌類雞而肥大能食鐵石竹木彼

國人代馬令負柴薪貨物

 

 

ほうごらう

鳳五郞

 

「食鑑」に云はく、往(いん)ぬ〔る〕年、阿蘭陀〔(オランダ)〕國より貢ず。狀〔(かたち)〕、天鵝〔(くぐひ)〕[やぶちゃん注:白鳥。]に類して、大きく、高さ、六、七尺。灰白色、黃を帶ぶ。頰及び觜、黑く、脚・掌、雞〔(にはとり)〕に類して肥大〔たり〕。能く鐵・石・竹木〔(ちくぼく)〕を食ふ。彼の國人、馬に代へて、柴・薪・貨物(にもつ)をして負(の)せしむと云云〔(うんぬん)〕。

[やぶちゃん注:判りませんか?……図はね! 荷物を背負わされてるんです! 取ってやって下さい! 私は人が乗っているのを見たことがありますよ! 荷物が載せられるほど大きいんです! 今の種小名には「カメルス」ってあるけど、駱駝(らくだ)じゃあなくて、当然、「鳥」なんですよ! 小石も食べるんですよ! 陸上の生物ではいっとう大きな眼を持ってるんです! 卵だって大きいなんてもんじゃないんですよ! この卵の黄身はね、現在、確認されている世界最大の単細胞体なんですよ! ニワトリの卵の二十五倍! 一・五キログラムのあるんです! 判りました? そう! ピンポン!

いやさ! 「鳳五郎(ホウゴラウ)」たあ、ダチョウ(ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属ダチョウ Struthio camelus)のことよ!

辞書によれば、江戸時代に持ち込んだオランダ商人がオランダ語の「ダチョウ」を意味する「struis vogel」と言ったところ、その「vogel」(音写は「ヴォーヒゥル」「ヴォーヘル」「フォーヘル」。「鳥」の意)の部分を無理矢理日本語に当て転写したものだとあった。さらに、七井誓氏のブログ「方五郎的蘭学事始」の『何故ダチョウの方五郎の「蘭学事始」にしたか?』に、講談社の「オランダ語辞典」に、『Truisvogel(男性名詞)【鳥】ダチョウostrich(駝鳥は江戸時代渡来の珍鳥のなかでもきわめて珍しいものであった。記録上』、『確実なのは』、万治元年一月十五日(但し、正確には明暦四年。同年は旧暦七月二十三日(グレゴリオ暦一六五八年八月二十一日)に改元しているからである)、当時の出島商館館長であったボーへリオンが第四代将軍徳川家綱に献上したという「ほうころすてれいす」『(『德川実紀』)のみである。狩野派絵師によるよる絵には「鳥の名ほうごろうとろいし、背の高さ地より五尺許り、せなみよりくびのながさ五尺余り鳥のえ、な、せり、こめ」』(文末尾意味不明)『とある。これによって当時オランダ語では駝鳥はstruisvogelではなくvogelstruisであったことがわかる。オランダ側の記録を見ても』、『この年』の二月十七日(グレゴリオ暦。確認済み)『将軍にVogel-struisを一羽贈呈したところ』、『大いに喜ばれた。毎日六人の者が世話をしていたが』、七月十四日(旧暦六月十四日)、『とびはねているうちに胸を柱に打ちつけて御前で死んでしまった』、『と報告されている。その後、駝鳥の渡来は稀であったので、ヒクイドリ食火鶏kasuarisと混同され、ほうごろ、凰五郎と呼ばれるようになった。)《講談社オランダ語辞典』七七一『頁から引用、一部アレンジ》とあるのだそうで、しかし、この説明では凰五郎はほうごろうとは読めない。鳳がホウなので、この記事の出典も記されてない以上』、『信憑性に欠ける記事』であるとある。「和漢三図会」も「本朝食鑑」(後掲)も「鳳五郎」であるから、この「凰五郎」は講談社の「オランダ語辞典」の誤植と思われる。」(人見必大の「本朝食鑑」は元禄一〇(一六九七)年刊、本「和漢三才図会」の自序は正徳二(一七一二)年であるから、時制上の矛盾はない)。

 ウィキの「ダチョウ」を引く。『鳥でありながら飛ぶことは出来ず、平胸類』(現生鳥類の中で原始的なグループである古顎類の中で、完全な地上棲息性に特化して進化したグループ。走鳥類・走禽類とも呼び、狭義にはダチョウ目(Struthioniformes。現生ではダチョウ科 Struthionidae ダチョウのみ)を平胸類とするが、広義なそれは短距離ならば飛ぶことが可能なシギダチョウ目シギダチョウ科 Tinamidae シギダチョウを含める。但し、「飛べない鳥」の部分集合ではあるが、イコール(共集合)ではないので注意が必要)『に分類される』。『亜種として北アフリカダチョウ、マサイダチョウのレッドネック系、ソマリアダチョウ、南アフリカダチョウのブルーネック系、南アフリカで育種されたアフリカンブラックがある』。『属名 Struthio はギリシア語でダチョウの意。 往時、ダチョウはサハラ砂漠以北にも棲息し、地中海世界にもある程度馴染みのある鳥であった。 この語はまた、英語』の「ostrich」『など、ヨーロッパ各国でダチョウを意味する語の語源でもある。 種小名 camelus は「ラクダ」の意』。アフリカのサバンナや砂漠に生息している。嘗ては『アフリカ全域およびアラビア半島に生息していたが、乱獲などにより野生での生息範囲は減少し、現在ではアフリカ中部と南部に生息するのみである。以前は中東に亜種S. c syriacusが分布していたが、』一九六六『年頃に絶滅した』。『オーストラリア、スワジランドに移入』されている。『オスの成鳥となると』、体高は二メートル三十センチメートル、体重も百三十五キログラムを『超え、現生する鳥類では最大種である。 頭部は小さく、頸部は長く小さな羽毛に覆われている。ダチョウは翼を持っているが、竜骨突起がなく』、『胸筋は貧弱である。また羽毛は羽軸を中心に左右対称でふわふわとしており、揚力を得て飛行する構造になっていない。肢(あし)は頑丈で発達しており、キック力は』百『平方センチメートル当たり』四・八『トンの圧力があるといわれる』。『趾(あしゆび)は大きな鉤爪がついている中指と外指の』二『本で、三本指のエミュー』(ヒクイドリ目ヒクイドリ科エミュー属エミュー Dromaius novaehollandiae:オーストオラリア原産。二足歩行する、所謂、「飛べない鳥」の一種)『やレア』(レア目レア科レア属レア Rhea americana:南米原産)『と異なる。翼と尾の羽根が白く、胴体の羽根はオスが黒色、メスが灰褐色である』。二〇一四年時点の『BirdLife Internationalでは亜種S. c. molybdophanesを、独立種S. molybdophanesとして扱っている』。『サバンナや砂漠、低木林等に生息する。群居性であり、年齢・性別を問わず混合してグループを形成するが、繁殖期には』一『羽のオスと複数羽のメスからなる小規模な群れを形成し、オス同士でテリトリーを巡って争うことがある』。『オスが地面を掘ってできた窪みにメスが卵を産む。最初に卵を産むメスが群れの中でも優位であり、最初のメスが産む卵の周りに他のメスが産卵して外敵に備える。卵は長径約』十一『センチメートルの大きさがあり、その卵黄は現在確認されている世界最大の細胞である』。『鳥類は元々他の動物に比べて視力が優れているが、その中でも一番視力が良い』。『食性は雑食性とする説もあるが、腸は他の鳥類に比較して非常に長く、馬やウサギと同様に草の繊維質を腸で発酵させてエネルギー源とすることがわかっており、草食動物と定義することができる。また、飲み込んだ石を胃石とし、筋胃において食べた餌をすり潰すことに利用する』。『鳥として食肉、採卵、羽根が利用され、また大型であるため皮革をとることができ、一部では乗用としても利用された。利用価値が高いため』、『繁殖地域では人為的な「飼育」も行われて交易品となった』。『近世に個人的蒐集から公共的な目的を以て制度化された動物園で人気種として親しまれている。ダチョウは陸上生物の最大の眼球を持つ(脳よりも片方の眼球の方が重いといわれる)とされ、睫毛が長い愛嬌ある顔と人を恐れない性質があり、ダチョウ特有の一日見ても飽きのこない愛らしさ、滑稽さを持つ行動は、人の目を釘付けにし楽しませてくれる』。『一定の需要があるため、日本国内にも観光用の飼育施設だけでなく、食用の肉や卵を供給するための専門の「ダチョウ牧場」がある』。『古代エジプトの壁画に、ダチョウを飼育していた様子が描かれている』。一六五二『年、オランダ人が南アフリカのケープタウンに上陸した後は、他の野生動物と同じくダチョウの捕獲・屠殺が盛んに行われた』。十七『世紀頃からダチョウの飼育が活発化し』、二十『世紀に至るまで』、『金・ダイアモンド・羊毛と並んで』、『ダチョウの羽根が南アフリカの主要貿易品となるに至った。長らく南アフリカの独占的畜産業であったが』、一九九三年、『南アフリカからの種卵・種鳥の輸出が解禁され、後発の家禽として世界中に飼育が広まった。日本においても』一九九〇『年代後半から飼育数が増加し生産者団体が発足するなど活発化し』、二〇〇八『年に家畜伝染病予防法の対象動物となった』。『古代ローマの料理家だったマルクス・ガビウス・アピシウスがダチョウ肉料理の記録を残している。なお、旧約聖書においては禁忌とされる動物に名を連ねている。ダチョウ肉は高蛋白質・低脂肪であるため、欧米、特に欧州連合(EU)諸国ではBSE問題が追い風となり、健康面に配慮した一部消費者により』、『牛肉の代替赤肉として消費されている。消費量は世界的には年間数万』トン、『日本国内においては』百トン『程度の消費量が推計されている』。『ダチョウの肉は鉄分が豊富で赤みが強く、歯応えのある食感をしている。また低脂肪でL-カルニチンも豊富であることからヘルシー食肉として認知が広まりつつある。他の畜肉と比べアラニン、グリシンといった甘み成分のアミノ酸が豊富である。料理法としてはステーキ、焼肉、ハンバーグ、カツレツのほか刺身、タタキといった生食でも嗜好される。脂肪が少ない分、クセは少なく』、『和洋問わず味付けの幅は広い。牛肉に比べると加熱し過ぎると固くジューシーさが失われることがあり、ダチョウ肉に見合った調理加減が必要である』。『ダチョウには竜骨突起がないため』、『ムネ肉がほとんど存在しない。食用とする肉の大部分はモモ肉である。各国、各生産者の分類によるが』、『モモ肉のうち特に柔らかい肉がフィレ肉と分類されていることが多い。また首の肉や砂肝、肝臓、心臓等の内臓肉も食用に用いられる』。『卵は可食であり、非常に大きいが』、『味は薄く』、『決して美味ではない。アフリカの狩猟民族にとっては貴重な蛋白源である。ただし、現地では専ら子供や老人の食べ物とされ、成人が食べるのは恥とする習俗がある。卵は鶏卵の』二十『個分の量となる』。『古来から普段は動かないように見える卵から生命が孵ることから「復活」のシンボルとされており、大型のダチョウの卵はキリスト教会などでイエスの復活に擬えて人々の前で飾られ、懺悔心を呼び起こすシンボルともされた』。『卵殻は厚さが』二『ミリほどもあって頑丈なため、現在はアートなどにも利用される』。『京都府立大学教授塚本康浩がダチョウの卵を利用して抗体を低コストでつくることを発案し』、既に『このダチョウ抗体を使用したマスクが販売されている』。『通常、抗体の生産には鶏卵を用いるのが一般的であるが、巨大なダチョウ卵は』一『個の卵で抗体』四グラム『を造ることができ、マスクにすると卵』一『個で』四~八『万枚を生産することができるとしている』。『同研究グループではインフルエンザウイルス等の抗体のほか』、『ニキビ原因菌の抗体などの生成にも成功しており』、『商品化が進んでいる』。『羽根は古代エジプトにおいて真実と公正の象徴として、エジプト神話の神々やファラオの装飾品に用いられた。欧米でも孔雀の羽などとともに装飾品として利用されている。中世ヨーロッパでは騎士の兜の装飾品に使用された。イングランドのエドワード黒太子がダチョウの羽根』三『本を紋章(スリーフェザーマーク)としたことから、現在もプリンス・オブ・ウェールズの徽章(ヘラルディック・バッジ; Heraldic badge)に用いられている。帽子飾りに良く使われるほか、大量の羽を使用した装飾は舞台衣装に使われることも多い。なお、宝塚歌劇団のトップスターが着用する羽飾りもダチョウの羽である』。『また、この羽はほとんど静電気を帯びないため、情報機器や自動車のダスターにも使用される』。『「オーストリッチ」と呼ばれる皮革製品はダチョウの背中の部分の皮膚を利用したものである。軽くて丈夫なことを特色とし、バッグ、財布、靴などに幅広く利用されている。 外見にも特徴があり、「クィル(英語: quill)」「シボ」などと呼ばれる羽毛痕が多数散らばり、全体として水玉のような模様を見せる』。『馬などと比べると』、『乗用に適しているとは言い難いが、人間を乗せて走ることができる。日本の観光農場(岡山県 オーストリッチファーム湯原)等においてもダチョウに乗ることができる。アメリカ合衆国では騎手を乗せたダチョウレースが開催されており』、一九〇七『年にオハイオ州のグリーンヴィルで開催されたダチョウレースで騎手を乗せたダチョウが半マイル』(約八百メートル)を一分三秒『で走ったという記録がある』(リンク元に一九三三年頃にオランダで行われたダチョウ・レースの動画がある)。『ダチョウは、危険が迫ると』、『砂の中に頭を突っ込む習性があるという迷信がある。実際にはダチョウにこのような習性はないが、この迷信上の姿から「He is hiding his head like an ostrich」「follow an ostrich policy」といったような言い回しが派生した。これは現実逃避する、都合の悪いことを見なかったことにするといった意味だが、日本語では「頭隠して尻隠さず」の諺をこれらの言い回しの訳に当てることが多い。国内・国際政治でも、安全保障上などの危機を直視しようとしないことを「Ostrich policy」(「ダチョウ政策」「ダチョウの平和」』『)と呼ぶ比喩表現がある』。『ダチョウは古来より「火を食う」「石を食う」「鉄を食う」「銅を食う」などと言われている。唐の』「本草拾遺」「北史」にも『このようなダチョウの食性についての記述が見られる。アルベルトゥス・マグヌス』(Albertus Magnus 一一九三年頃~一二八〇年)は「大聖アルベルト(St.Albert the great)」で「ケルンのアルベルトゥス」とも呼ばれる十三世紀のドイツのキリスト教神学者。アリストテレスの著作を自らの体験で検証して注釈書を多数著わし、また、錬金術をも実践して検証した、変わり種の神学者である)『はダチョウが火を食べることは否定しているが、石を食べることは肯定している』とある。

『「食鑑」に云はく……』(国立国会図書館デジタルコレクションの当該頁の画像)。ここはちゃんと書名を言っているから剽窃ではない。但し、人見氏の方がやっぱり、正直。最後に『未ㇾ知ㇾ之』(未だこれを知らず)とあるもの。

「天鵝〔(くぐひ)〕」広義には白いハクチョウの仲間でハクチョウ属 Cygnusとなるが、ここはサイズの大きさの比較でマキシムで出しているから、オオハクチョウ Cygnus Cygnus と限定してよい。

「六、七尺」一・八二~二・一二メートル。]

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鸞(らん) (幻想の神霊鳥/ギンケイ)

 

Ran

 

らん

鸞【音鑾】

 

三才圖會云鸞神靈之精也赤色五采鷄形鳴中五音其

雌曰和雄曰鸞其血作膠可續弓弩琴瑟之弦或曰鸞鳳

之亞也鳳久則五采變易人君進退有度則至

△按青鸞近世自外國來畜之樊中以弄其麗色狀小於

 孔雀大於雉形類雉而采毛似孔雀頭灰色帶紫頂後

 有毛角眉頰淺赤似雉頸臆紫黃似虎彪腹灰黑帶赤

 有白紋背黃有紫斑翮上亦黃有灰黑斑羽紫黑有翠

 白圓紋或二三重或有青紅畫紋尾長者一二莖七八

 尺許灰青色兩端有紫毛上有翠白小星文如鋪砂短

 尾五六莖三四尺許而灰青色帶紫上有翠白小星文

 如砂子也觜如雉而黃色脛掌亦如雉而紅色其雌者

 黃冠黃頭黃腹皆色淡有黑斑頸紫有黑斑翅紫黑有

 黃白文尾如番蕉葉一尺許黃白有黑紋黃觜紅脛孕

 於樊中而伏卵者少矣故其類不蕃【近頃載于本朝食鑑甚詳】

 

 

らん

鸞【音、「鑾〔(ラン)〕」。】

 

「三才圖會」に云はく、『鸞、神靈の精なり。赤色、五采の鷄〔(にはとり)〕の形。鳴くこと、五音〔(ごいん)〕に中〔(あた)〕る。其の雌を「和」と曰〔(い)〕ひ、雄を「鸞」と曰ふ。其の血、膠〔(にかは)〕に作り、弓弩〔(きうど)〕・琴瑟〔(きんしつ)〕の弦を續くべし。或いは曰はく、「鸞は鳳の亞(つぎ)なり。鳳、久しくするときは、則ち、五采、變-易〔(かは)〕る。人君〔(じんくん)〕の進退、度〔(ど)〕、有れば、則ち、至る」〔と〕』〔と〕。

△按ずるに、青鸞、近世、外國より來たり、之れを樊〔(かご)〕の中に畜〔(か)〕ふて、以つて其の麗色を弄〔(もてあそ)〕ぶ。狀〔(かたち)〕、孔雀より小さく、雉より大なり。形、雉の類〔(たぐひ)〕にして、采毛、孔雀に似たり。頭、灰色にして紫を帶ぶ。頂、後ろに、毛の角、有り。眉・頰、淺赤〔にして〕雉に似たり。頸・臆〔(むね)〕、紫黃〔にして〕虎彪(とらふ)に似て、腹、灰黑、赤を帶び、白紋有り。背、黃に紫斑有り。翮〔(はがひ)〕の上も亦、黃に灰黑の斑、有り。羽、紫黑〔にして〕翠白〔の〕圓紋有り。或いは、〔その〕二、三重〔か〕、或いは青紅〔の〕畫〔(か)き〕紋、有り。尾の長き者、一、二莖〔ありて〕、〔おのおの〕七、八尺許り。灰青色。兩の端、紫〔の〕毛有り、〔その〕上に翠白の小さい星の文〔(もん)〕、有り、砂を鋪(し)くがごとし。短き尾、五、六莖〔ありて〕、三、四尺許りにして灰青色、紫を帶ぶ。〔これも〕上に翠白の小さき星の文、有りて砂子のごとし。觜、雉のごとくにして、黃色。脛・掌も亦、雉のごとくにして紅色。其の雌は黃なる冠〔(さか)〕、黃なる頭、黃なる腹、皆、色、淡(うす)く、黑斑有り。頸、紫〔にして〕黑斑有り。翅、紫黑〔にして〕黃白の文、有り。尾、番蕉(そてつ)〔の〕葉〔(は)〕のごとく、一尺許り、黃白〔にして〕黑紋有り。黃なる觜、紅〔き〕脛。樊中に孕みて卵を伏(かへ)すは少しなり。故に、其の類、蕃(をほ[やぶちゃん注:ママ。])からず【近頃、「本朝食鑑」に載せ、甚だ詳らかなり。】

[やぶちゃん注:ネット上の記載は、ひどく不全なものが多いのに甚だ呆れる。何が不全かと言えば、大上段に振りかぶって、「和漢三才図会」では実在の鳥としている、と始めにやらかしているものばかりだからである。読めば分かる通り、寺島良安はここで、明の王圻(おうき)の類書(百科事典)「三才図会」著をまず引くが、それは中国の本草書の内容を掲示しただけであって、それを良安はその通りだなどとは一言も言っていない良安が実在するとする「鸞」を良安自身が神霊の精が鳥となったものであると信じてなどいないし、その血から、弓や弩(おおゆみ:(音「ド」)和弓と異なり、立てずに、横倒しにした弓(「翼」と言う)に弦を張り、木製の台座(「臂」或いは「身」と言う)の上に矢を置き、引き金(「懸刀」と言う)を引く事によって矢や石などが発射されるクロスボウ(crossbow)風の大型のもの。この引き金の機構全体を「機」と言い、初期は剥き出しのまま「臂」に埋め込まれてあったが、後には「郭」という部位に格納され、それが「臂」に埋め込まれるようになった)或いは琴(キン:中国の古形のもの(但し、それが現在の琴(筝)に進化した)。初期は十弦ほどあったようだが、中国の戦国時代末期には七弦となった。和琴(わごん)の初期は六弦であるが、現行の本邦の通常の琴(こと)は七弦である)や瑟(シツ:中国古代の弦楽器の一。箏に似ているが、遙かに弦が多く「大琴」等とも表記される。通常の瑟は二十五弦)の弦と本体部の接着剤となることを実際に実在する「鸞」の血液を採取してやって立証したわけでもなんでもないのに、そういう謂いはないだろう、と言いたいのである(因みに、実在するある鳥の血液から膠が出来るとも私は思わない。鳥皮や腱や骨を煮詰めたゼラチンなら可能であろうとは推測するけれども)。則ち、「三才図会」の引用部は実在しない〈幻想の神霊鳥〉であり、良安の評言部は「鸞」を漢名・和名に当てた幻想でも何でもない、実在する鳥を記述しているのであって、良安は「幻想の神霊鳥である鸞は実在する!」などと鬼の首捕って語ってなどいないのだ。「和漢三才図会」の書式方法も良安の中国本草書へのアプローチの仕方(かなり杜撰な部分はある)も知らずに、原文さえも見もしないで、『「和漢三才図会」は「鸞」を実在の鳥としている』と〈まことしやかに大嘘をつく〉表現が活字本も含めて、致命的に蔓延しているのである。おかしいだろ?! 諸君!

 ともかくも腹を鎮める。では、良安は「鸞」を現在のどの種に同定比定しているのか? まず、

南蛮貿易で「近頃」(和漢三才図会」の自序は正徳二(一七一二)年。第六代将軍徳川家宣はこの年に死去。正徳の次は享保)齎されたものであることから、生息地は中国か東南アジアである可能性高いこと。

「鸞」は「鳳凰」等の〈幻想神霊鳥〉と混同されて語られることが甚だ多いことから、その「鳳」やら「凰」やら「鸞」やら「鸑鷟(がくさく)」やら「鵷鶵(えんすう)」やら「青鸞」やら「鴻鵠(こうこく)」やらのモデルとされる実在する鳥の一つであること。

・但し、それらトンデモ〈幻想神霊鳥〉のモデルの有力な一つである「孔雀」が前項で良安によって語られているしまっているから、これは「クジャク」(キジ目キジ小目キジ上科キジ科キジ亜科クジャク属インドクジャク Pavo cristatus 或いはマクジャク Pavo muticus)ではないこと。

何より、ここで良安自身が「籠」の中の実際の「鸞」を現認しつつ、微に入り、細に入り、観察記録を残しているように見えること(しかし、この各部観察叙述、本書の他の項に比べて異様に精密である。それもそのはずで、実はこれ殆んど「本朝食鑑」の丸写しなのだ。後のリンク先を参照されたいが、これによって良安の実地観察説は無効とせざるを得ない)。

それにも増して実在し、人の食用に供される動植物のみを対象としている、医師で本草学者であった人見必大「本朝食鑑」(人見必大(寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹、字(あざな)は千里、通称を伝左衛門といい、平野必大・野必大とも称した。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書)に実在する食える「鸞」について非常に詳しく記載されていること。

から、これはほぼ同定が可能と思われるのである。だのに、殆んど誰もそれをちゃんとしていないから腹が立つのである。

 さてもそこでまず、本巻冒頭の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳳凰(ほうわう)(架空の神霊鳥)」の私の注を見て戴こう。

 そもそもが中国の諸本草書の「鳳凰」を始めとするトンデモ〈幻想神霊鳥〉は記載がどれも具体性を欠いていたり、よく意味が判らなかったり、記載が本によって入れ替わっていたりしていて、拠るべき正本や定説が皆無で、従ってトンデモ〈幻想神霊鳥〉分類や各絵図の比較などはほぼ全く無効なのである。そこでそれらをひっくるめて、これかあれかの議論が過去に交わされてあり、そのまあ穏当(但し、分布的に、中国や本邦にあり得ない鳥を持ち出している奴もいるから要注意だ。以下からはそれは外した)なものが、、ウィキの「鳳凰」に掲げられた以下である。

マクジャク(真孔雀:キジ目キジ科クジャク属マクジャク Pavo muticu)・キンケイ(金鶏:キジ科 Chrysolophus 属キンケイ Chrysolophus pictus・ギンケイ(銀鶏:キジ科Chrysolophus 属ギンケイ Chrysolophus amherstiae)或いはオナガキジ(キジ科ヤマドリ属オナガキジ Syrmaticus reevesiiやジュケイ類(綬鶏類。キジ目キジ科ジュケイ属 Tragopan。ジュケイ Tragopan cabot 等)といった中国に棲息するキジ類とする説

マレー半島に棲息する キジ科 Phasianidae の大型鳥セイラン(青鸞:キジ科セイラン属セイラン Argusianus argus)とする説(吉井信照ら)

マレー半島に棲息するカンムリセイラン(キジ科カンムリセイラン属カンムリセイランRheinardia ocellata)とする説(鳥類学者蜂須賀正氏はケンブリッジ大学に提出した卒業論文「鳳凰とは何か」に於いて、鳳凰のモデルをカンムリセイランとし、頭が鶏に似、頸が蛇のようで、背中に亀甲状紋様があり、尾が縦に平たくて魚に似ている、といったカンムリセイランの特徴を挙げている)

ツバメ(スズメ目ツバメ科ツバメ属ツバメHirundo rustica)説(中華人民共和国の神話学者袁珂(一九一六年~二〇〇一年)の説。「爾雅」の記載の「鳳凰」の別名音「エン」を「燕」と解釈したもの)

この内、単純な「隅の老人」の訓詁学的な「鳳凰」に限った解釈説であるは「燕」を既に独立項で出しているのであるから問題外であり、先に述べたことから、のマクジャクも外れる。更に、先行独立項「きんけい 錦雞」があり、そこで私はそれをキンケイに同定しているから、これも外れ、同様に先行独立項「とじゆけい 吐綬雞」を私はキジ目キジ科ジュケイ属に同定しているので、これも外れる。

 次に逆を行くと、のフリーキーな鳥類学者蜂須賀正のそれは、まさに論文名が「鳳凰とは何か」であり、彼はいい加減なグラーデションではなく、ずばり「鳳凰」をマレー半島産カンムリセイラン(クランタン州南部及びパハン州北部に棲息。但し、現在、これはマレーカンムリセイランRheinardia ocellata nigrescens とされ、亜種Rheinardia ocellata ocellata がベトナム中部及びラオスに棲息することが判明している)としているからこれも外し得る。但し、そう限定をかけると、その和名のないカンムリセイランの亜種Rheinardia ocellata ocellata の方が「鸞」の候補として逆に挙がってくるとも言える。そうしておく。

 以上、残った候補は以下となる。

 キジ科Chrysolophus 属ギンケイ Chrysolophus amherstiae(画像)

 キジ科ヤマドリ属オナガキジ Syrmaticus reevesii(画像)

 キジ科セイラン属セイラン Argusianus argus(画像)

 キジ科カンムリセイラン属カンムリセイラン亜種レイナルディア・オケラータ・オケラータ Rheinardia ocellata ocellata(画像)

四種となる。まずは、それぞれの(画像)を比較しよう(それぞれの後ろ。学名でグーグル画像検索したもの。但し、最後のレイナルディア・オケラータ・オケラータのそれは、Rheinardia ocellata nigrescens も含まれている。確かな Rheinardia ocellata ocellata は例えばこれ(英文サイト画像)である)。

 ここで「本朝食鑑」を見る。「禽部之四」「青鸞」で、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらから次のページの画像で読めるが、またしても、良安先生、殆んどこれの丸写しであることが判明してしまう。しかし人見必大が確かに現認して観察筆記していることは確実であるから、「和漢三才図会」の「」以下の本文自体は有効性を持つと見てよい。一つ、注目すべきは、人見の最後の部分(国立国会図書館デジタルコレクションの次のページ)で、「近世來自外國……」読むと、「青鸞」の尾羽はとても美しく、それを人々が見せ合って競い合うことを記している(但し、好事家がその羽尾で矢羽や矢場や遊びの楊弓の羽に作るものの、鷹や鵠(くぐい:白鳥)の羽よりも重いために矢が十分に飛ばずに堕ち易いともある)ことである。これに着目してしまうと、「青鸞」だから「セイラン」だろうとはいかないのである。則ち、の「キジ科セイラン属セイラン」との「キジ科カンムリセイラン属カンムリセイラン亜種レイナルディア・オケラータ・オケラータ」は所謂、尾羽が長大にして盛大ではあるものの、決して雅びに華麗ではないからなのである。「黃白〔にして〕黑紋有り」という記載は、この二種には全く適合しないのである。

 そうなると、の「ギンケイ」か、の「オナガキジ」か、ということになる。尾の描写は「オナガキジ」のそれが色といい、矢羽にするという点でもピンとくるのだが、ピンくるのは実はそこだけで、外の部分が如何にもな雉や山鳥ののような地味系なのだ。さてもそうして、

他の体部形状や色の描写は、実は、悉くが「ギンケイ」に一致する

のである。私は、良安の言っている=人見必大の言っている、

「鸞」はキジ目キジ科 Chrysolophus 属ギンケイ Chrysolophus amherstiae

としたい。ウィキの「ギンケイ」によれば、『全長はオスで』一・二~一・五メートル『と大型だが、その半分以上が長い尾羽で占められる。メスは』五十~七十センチメートル『ほど。オスは緑と白を基調とした派手な色彩をしている。赤い冠羽と、襟首の日本兜のしころ状を呈する白と黒の飾り羽が特徴。メスは他種のキジ類同様、比較的』。『地味である』。『主に中国南西部からチベット、ミャンマー北部にかけて分布しており、標高の高い山岳地帯の』藪『や竹林に生息している』とし、同種は同属種の、より金ぴかのキンケイ Chrysolophus pictus先行独立項「きんけい 錦雞」)『との雑種が多い』とあるから、或いは人見が観察したそれは、キンケイとの交雑種で、尾の白紋部が黄色がかっていた個体なのかも知れない。

 

「鑾〔(ラン)〕」この字は「天子の馬車などに添え附ける鈴(すず)」の意で、転じて「天子の馬車」「天子」の意に汎用された。そもそもが幻想の神聖鳥である「鸞」の声を、この天子の鈴の音は真似たものであるとされるのである。

『「三才圖會」に云はく……』「鳥獸一卷」の「鸞」。この左頁が図で、この右頁が解説(孰れも国立国会図書館デジタルコレクションの当該画像)。

 

「赤色、五采の鷄〔(にはとり)〕の形」全体に赤いが、そこに「五采」、五色(ごしき:靑・黄・赤・白・黒)の色が混じっている、全体形状は鶏の形と同じであるというのである。全体に赤いというのは如何にもキンケイらしく見えるが、実はギンケイでも腹部の下方が鮮やかに赤い部分を持つ個体もおり、後の多色であるのは寧ろ、ギンケイに一致する。交雑種が古くから見られた可能性が高いから、ここでそれを以ってこれはキンケイでギンケイではないとすることは出来ない。

「五音〔(ごいん)〕」既出既注であるが、再掲しておく。中国音楽で使われる五つの音程(五声(ごせい)とも称する)。「宮(きゅう)」・「商(しょう)」・「角(かく)」・「徴(ち)」・「羽(う)」の五つで、音の高低によって並べると、五音音階が出来る。西洋音楽の階名で「宮」を「ド」とした場合は、「商」は「レ」、「角」は「ミ」、「徴」は「ソ」、「羽」は「ラ」に相当する。後に「変宮」(「宮」の低半音)と「変徴」(「徴」の低半音)が加えられ、七声(七音)となり、「変宮」は「シ」、「変徴」は「ファ#」に相当する。なお、これは西洋の教会旋法の「リディア旋法」の音階に等しく、「宮」を「ファ」とおいた場合は、宮・商・角・変徴・徴・羽・変宮」は「ファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ」に相当する(以上はウィキの「五声」に拠った)。

「中〔(あた)〕る」相当する正確な音程の声を出す。

『其の雌を「和」と曰〔(い)〕ひ、雄を「鸞」と曰ふ』だったら、「鸞和」と言いそうなもんだと思って調べたら、中文サイトに「鸞和」として、『都是天子座車上的鈴』とあった。ハイ、ハイ。

「膠〔(にかは)〕に作り」冒頭注の私の言い添えを参照されたい。

「弓弩〔(きうど)〕・琴瑟〔(きんしつ)〕」同前。

「鸞は鳳の亞(つぎ)なり」鸞は鳳凰に次ぐ二番目に神聖な鳥であるの意。

「鳳、久しくするときは」鳳凰が老成すると。

「五采、變-易〔(かは)〕る」体色に変化が起こる。「鳳凰(ほうわう)」には同じように「羽(はね)に五采を備へ」とはあるものの、その後で『赤多き者、「」なり。青多き者は「鸞」なり』(但し、そちらは「本草綱目」の引用)と言っているから、もう、この時点で「三才図会」の方は――「鸞」は年寄った「鳳(凰)」だ――と言ってしまってことになるので、中国本草の分類学のヒッチャカメッチャカ振りがよく判るのである。以下にムチャクチャかというと、「淮南子」では麒麟は諸獣を生み、鳳凰は鸞を生み、その鸞が諸鳥を生んだとされていて、そこでは「鳳凰は鸞のおっかさん」ということになる。

「人君〔(じんくん)〕」ここは君主の政道。

「度〔(ど)〕」節度。儒家風に言えばそこである程度に肝心な「仁」が行われていること。

「至る」飛来する。「礼記」に王が仁に則った政治を行った時、麒麟が現れるの類い。

「番蕉(そてつ)」」裸子植物門ソテツ綱ソテツ目ソテツ科ソテツ属ソテツCycas revoluta。なお、ソテツは南西諸島で「蘇鉄地獄」と呼ばれた、可食(種子)ながら、処理を誤ると、死に至る有毒植物であるウィキの「ソテツ」によれば、『日本の南西諸島の島嶼域では、中世から近代まで食用にされてきた。ソテツは、有毒で発癌性物質のアゾキシメタンを含む配糖体であるサイカシン(Cycasin)を、種子を含めて全草に有』する。『サイカシンは、摂取後に人体内でホルムアルデヒドに変化して急性中毒症状を起こす。しかし』、『一方でソテツには澱粉も多く含まれ、幹の皮を剥ぎ、時間をかけて充分に水に晒し、発酵させ、乾燥するなどの処理を経てサイカシンを除去すれば』、『食用が可能になる』。『鹿児島県奄美群島や沖縄県においては、サゴヤシ』(単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科サゴヤシ属サゴヤシ(ホンサゴ)Metroxylon sagu)『のようにソテツの幹から澱粉を取り出して食用する伝統がある』。『また、種子から取った澱粉を加工して蘇鉄餅が作られたり、奄美大島や粟国島では、毒抜き処理と微生物による解毒作用を利用して無毒化された蘇鉄味噌が生産されたりしており、蘇鉄味噌を用いたアンダンスーが作られることもある』。『奄美・沖縄地域では、郷土食以外にも飢饉の際にソテツを救荒食として飢えを凌いだ歴史があったが、正しい加工処理をせずに食べたことで食中毒により死亡する者もいた。大正末期から昭和初期にかけて、干魃や経済不況により』、『重度の貧困と食糧不足に見舞われた沖縄地域は、ソテツ食中毒で死者を出すほどの悲惨な状況にまで陥り、これを指して「ソテツ地獄」と呼ばれるようになった』。『与論島でも、戦後から本土復帰』(昭和二八(一九五三)年)『後の数年間は島民の生活は大変貧しく、ソテツの種子で飢えを凌いでおり、その有り様も「ソテツ地獄」と称された』。『ソテツ澱粉を水に晒す時間が不十分で毒物が残留していたり、長期間にわたる食用で体内に毒素が蓄積されるケースが多く報告されており、例えばグアム島など、ソテツ澱粉を常食している住民がいる地域ではALS/PDC(筋萎縮性側索硬化症/パーキンソン認知症複合、いわゆる牟婁病)と呼ばれる神経難病が見られることがある』。『ソテツは、あくまで他の食料が乏しい時の救飢食として利用されているものであって、素人が安易に試すのは避けるべきとされる。また、同じソテツ属でも revoluta 以外のものは可食性は未確認である』とある。

「樊中に孕みて卵を伏(かへ)すは少しなり。故に、其の類、蕃(をほ)からず」籠の中で孕むが、産んだ卵を上手く孵化させて、雛を育てる番いは少ない。そのため、その「鸞」の同類は本邦では多くない。]

2019/01/04

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 孔雀(くじやく) (インドジャク・マクジャク)

 

Kujyaku

 

くじやく  越鳥 南客

      摩由邏【梵書】

孔雀

     【和名宮尺】

 

本綱交趾廣州南方諸山多生高山喬木之上大如鷹高

三四尺不減於鶴細頸隆背頭載三毛長寸許數十羣飛

棲遊岡陵晨則鳴聲相和其聲曰都雌者尾短無金翠

雄者三年尾尚小五年乃長二三尺夏則毛至春復生

自背至尾有圓文五色金翠相繞如錢自愛其尾山棲必

先擇置尾之地雨則尾重不能高飛人因徃捕之或暗伺

其過生斷其尾以爲方物若回顧則金翠頓減矣山人養

其雛爲媒或探其卵雞伏出之飼以猪腸生菜之屬聞人

拍手歌舞則舞其性妬見采服者必啄之孔雀不匹以音

影相接而孕或雌鳴下風雄鳴上風亦孕又云孔雀雖有

雌雄將乳時登木哀鳴蛇至卽交故其血膽猶傷人禽經

所謂孔雀見蛇則宛而躍者是矣尾有毒入目令人昏翳

肉【鹹凉】夷人多食或以爲脯腊能解百毒

△按日本紀推古帝六年自新羅國貢孔雀一候近世自

 外國來畜之樊中雖孕子難育

 

 

くじやく  越鳥 南客

      摩由邏〔(まゆら)〕【梵書。】

孔雀

     【和名「宮尺」。】

 

「本綱」、交趾(カウチ)・廣州の南方の諸山に多く、高山〔の〕喬木の上に生ず。大いさ、鷹のごとく、高さ、三、四尺。鶴に減(おと)らず、細き頸、隆〔(たか)〕き背〔たり〕。頭に三毛を載き、長さ寸許り。數十、羣(むらが)り飛びて岡陵〔(こうりやう)〕に棲遊〔(せいいう)〕し、晨〔(あした)〕には、則ち、鳴く。聲、相ひ和す。其の聲、「都護〔(とご)〕」と曰ふ〔がごとし〕。雌は、尾、短くして、金翠、無く、雄は、三年にして、尾、尚を[やぶちゃん注:ママ。]、小なり。五年にして、乃〔(すなは)〕ち、長ずること、二、三尺。夏は、則ち、毛をす。春に至りて復た生ず。背より尾に至るまで、圓文有り。五色の金翠、相ひ繞〔(めぐ)り〕て錢〔(ぜに)〕のごとし。自〔(みづか)〕ら其の尾を愛す。山〔に〕棲するに、必ず、先づ、尾を置くの地を擇ぶ。雨ふるときは、則ち、尾、重くして高く飛ぶこと能はず。人、因りて、徃〔(ゆ)〕きて之れを捕ふ。或いは暗〔(あん)〕に其の過〔(よ)〕ぐるを伺ひて、生きながら、其の尾を斷つ。以つて方物〔(はうぶつ)〕と爲〔(な)〕す。若〔(も)〕し、回顧すれば、則ち、金翠、頓〔(とみ)〕に減ず。山人、其の雛を養ふ〔も、それを〕媒(をとり)と爲す。或いは其の卵を探り、雞〔(にはとり)をして〕伏〔して〕之れを出す。飼ふに、猪〔の〕腸〔(はらわた)〕・生菜〔(にがぢしや)〕の屬を以つてす。人、手を拍(う)つて歌舞するを聞くときは、則ち、舞ふ。其の性〔(しやう)〕、妬(ねた)む。采服の者を見ては、必ず、之れを啄ばむ。孔雀、匹せず、音影を以つて相ひ接〔(まぢ)〕はりて孕む。或いは、雌は下風に鳴き、雄は上風に鳴きて、亦、孕みす。又、云く、『孔雀、雌雄有りと雖も、將に乳〔(つる)〕まんとする時〔は〕、木に登りて哀鳴す。〔そこに〕蛇、至れば、卽ち、交(つる)む。故、其の血・膽〔(きも)〕、猶ほ、人を傷(きづつく)る』〔と〕。「禽經」に、所謂〔(いはゆ)〕る、『孔雀、蛇を見るときは、則ち、宛〔(ゑん)〕として躍〔(をど)〕る』といふは、是れなり。尾に毒有り、目に入れば、人をして昏翳〔(こんえい)〕せしむ。

肉【鹹、凉。】夷人、多く、食ふ。或いは以つて脯-腊〔(ほじし)〕と爲し、能く百毒を解す。

△按ずるに、「日本紀」に、推古帝六年に新羅國より孔雀一候を貢づる[やぶちゃん注:ママ。]〔と〕。近世、外國より來りて、之れを樊〔(かご)〕の中に畜〔(か)〕ふ。孕むと雖も、子、育(そだ)ち難し。

[やぶちゃん注:キジ目キジ小目キジ上科キジ科キジ亜科クジャク属インドクジャク Pavo cristatus・マクジャク Pavo muticus(他に一種、前二種の原始的な特徴を残した遺存種と考えられているコンゴクジャク属コンゴクジャク Afropavo congensis の三種がいるのみである)。ウィキの「クジャク」によれば、『中国から東南アジア、南アジアに分布するクジャク属』二種と、『アフリカに分布するコンゴクジャク属』一『種から成る。通常』、『クジャクといえば前者を指す』。『オスは大きく鮮やかな飾り羽を持ち、それを扇状に開いてメスを誘う姿が有名である。最も有名なのは羽が青藍色のインドクジャクで、翠系の光沢を持つ美しい羽色のマクジャクは中国からベトナム、マレー半島にかけて分布する。コンゴクジャクはコンゴ盆地に分布し、長い上尾筒(じょうびとう)を持たない』。『羽は工芸品に広く分布されてきたほか、神経毒に耐性を持つため』、『サソリ等の毒虫や毒蛇類を好んで食べることから、益鳥として尊ばれる。さらにこのことから転じ、邪気を払う象徴として「孔雀明王」の名で仏教の信仰対象にも取り入れられた。クルド人の信仰するヤズィード派の主神マラク・ターウースは、クジャクの姿をした天使である。また、ギリシア神話においては女神ヘーラーの飼い鳥とされ、上尾筒の模様は百の目を持つ巨人アルゴスから取った目玉そのものであるとする説がある』(私の従姉妹は小さな頃、あの孔雀の模様を文字通り「目」と言い、非常に恐がった)。『オスの飾り羽は尾羽のように見えるが、上尾筒という尾羽の付け根の上側を覆う羽が変化したものであり、メスにアピールするための羽である。褐色をした実際の尾羽はその下にあり、繁殖期が終わって上尾筒が脱落した後やディスプレイ中などに観察できる』。『オスの羽は異性間淘汰によって発達した例として知られるが、その発達の理由もいくつか提唱されている』。『整った羽を持つ個体は、寄生虫などに冒されていない健全な個体であると同時に生存に有利な遺伝子を持つことをアピールでき、優先的に子孫を残せるという説(オネストアドバタイズメント理論)』(Honest advertisement theory)、『捕食されやすい長い上尾筒を』健全な状態で保持していることを殊更に見せる『ことで、健全な個体であると同時に生存に有利な遺伝子を持つことをアピールでき、優先的に子孫を残せるという説(ハンディキャップ理論)』(Handicap theory)、『長い尾羽を持つオスの遺伝子と長い尾羽のオスを好むメスの遺伝子が互いを選択した結果、オスの尾羽が長くなったとする説(ランナウェイ説)』(runaway selection or Fisherian runaway)などがある。『鮮やかな羽の色は色素によるものではなく、構造色』(structural color:光の波長或いはそれ以下の微細構造による発色現象を指す。コンパクト・ディスクの記録部分の表面のそれやシャボン玉の色彩などがそれで、当該対象物自身には実は色が附いていないが、その微細構造によって光が干渉するため、色附いて見えることを言う。構造色の特徴は見る角度によって様々な色彩が見られることである)『によるものである』。『インドクジャクはインドの国鳥となっている』とある。

 

「摩由邏〔(まゆら)〕【梵書。】」中文繁体字経典サイトCBETA 漢文大藏經網」の隋北印度三藏闍那崛多(ジュニャーナグプタ/漢音写:じゃなくった:五二三年~六〇〇年?:北インド・ガンダーラ出身の訳経僧。北周から隋の時代に来朝し、仏典を漢訳した)漢訳になる「大威德陀羅尼經卷第七」の「0785c21」パートの鳥名を並べた部分に確認した。以下(下線太字は私)。

   *

叔迦(鸚鵡鳥)奢梨迦(鸜鵒鳥)拘翅羅(鵶鷗鳥)時婆時婆迦(命命鳥)恒娑(鵝)拘嚧安遮(穀祿鳥)摩由邏(孔雀鳥)求求娑妬迦(鷄鳩鳥)迦茶迦 迦賓闍邏野多奴磨 迦迦(鳥)迦茶 恒娑(鷹)謨邏(山鷄)斫迦囉婆迦(鴛鴦)婆嗜邏婆邏 迦茶恒婆迦(鴻)提都囉瑟吒羅 拘拘婆(白鴿)陀那婆利夜捨磨 尸揵雉都大 迦逋大(班鳩)迦迦婆迦頻闍邏(雉)奚陀那磨揵遮 鳩鳩吒(鷄)地那馱馱那磨迦伽迦迦 鳩邏邏揭利闍(鵰鷲)槃多捨迦柘邏 奚摩蘇多阿梨耶(鴻)嘶那夜(鷹)鞞提那 嘔盧伽(鵂猴鳥)至至夜婆致夜(鶉)末蹉利也 迦嚧磨伽 迦婆優婆伽

   *

「宮尺」「宮」には呉音に「ク」があるので(「宮内省」等)、「クジヤク」(くじゃく)と読める。

「交趾(カウチ)」既出既注であるが、再掲する。現在のベトナム社会主義共和国の北部のホンハ(紅河・旧名/ソンコイ川)流域地方を指す広域地名。前漢の武帝が南越を滅ぼして設置した九郡の一つに「交趾」の名が初見され(紀元前二世紀)、その名称は初唐(七世紀)まで続いた。初唐に「交趾郡」が「交州」と改められたが、「交趾」の名は、なお、県名として存続し、唐末にまで及んだ。 十世紀に現在のベトナムが「安南国」として独立した後も、中国ではこの国を呼ぶのに「交趾国」の称を用いることが、ままあった(この名称の起源については諸説あるが、確実なものはない。以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。本邦でも嘗ては「コーチシナ」などと呼んだ。

「廣州」狭義には広東省広州市であるが、現在でも同市は広東省のみならず、華南地域全体の中心都市であり(ここ(グーグル・マップ・データ))、地理的に見ても「交趾」と並列させる以上は、現行の広州から西の華南地方の広域を指すと考えるべきであろう。

「減(おと)らず」劣らず。

「其の聲、「都護〔(とご)〕」と曰ふ〔がごとし〕」孔雀の鳴き声は大きく、遠くまで響き渡り、「クエー」「エーホー」など、バリエーションが多い。特に繁殖期に多く鳴く。You Tube mokijp氏の「クジャクの鳴き声」をリンクさせておく。

「暗〔(あん)〕に」密かに。

「方物」その地方の産物。土産。

「若〔(も)〕し、回顧すれば、則ち、金翠、頓〔(とみ)〕に減ず」非常に変わったことことを言っている。雄の孔雀の尾(実際は冒頭注にある通り、尾羽の根元の上の羽である上尾筒)を採取する場合は、孔雀を殺さずに、その尾だけを雄孔雀に気取られぬように瞬時に截たねばならない。何故なら、手間取ると、雄孔雀は(優美な羽根を持っていた輝かしい〈ここは私の想像。殺す描写はないのだから、そう読み取るべきであろう〉)過去を思い出してしまい、その回顧の悲しい意識によって、尾の金と青緑の美しい輝きは急激に減衰してしまう、というのである。意識の強靭さと羽毛の美しさの類感呪術的関係を語っているのである。

「媒(をとり)」孔雀を獲るための「囮」(おとり)。雄孔雀の尾を採取するためと(しかし、その場合は雌でないと習性上は囮にならないだろう。孔雀の雄はまず相互に近寄らないからである)、後に出る通り、食うための両用と考えられる。

「雞〔をして〕伏〔して〕之れを出す」鶏の巣に入れて抱かせて孵化させる。

「生菜〔(にがぢしや)〕」現代中国語で「shēngcài」(シァンツァィ)、「苣」「苦苣」等とも書き、現在の所謂、レタス(キク目キク科アキノノゲシ属チシャ Lactuca sativa)のこと。地中海沿岸・西アジア原産であるが、非結球型の、所謂、現在の「サニーレタス」「リーフ(葉)レタス」「カッティングレタス」等と呼ばれる品種チリメンチシャ Lactuca sativa var. crispa)と考えてよいのではないと思われる。ウィキの「レタス」によれば(そこでは「カキジシャ」とする)、中国には七世紀頃に『導入され、日本にも同じ頃から奈良時代にかけて導入された。日本では導入がもっとも古いレタス(チシャ)である。生長するに従い、下葉をかき』(「穫(か)く」か。しかし、後で「掻き」と言っている)『(収穫)ながら食用とし、このためにカキヂシャ(掻き萵苣)と呼ばれる。日本でも食用としてきたが』、『多くの場合は生食せず、茹でておひたし、味噌和えなどにして消費してきた』。『戦後は消費量が大幅に減ったが』、『日本でも韓国のように焼肉をサンチュ』『に包んで食べる方法が普及したために、再び流通が増えてきている』とある、それである。但しウィキの「サニーレタス」とは歴史的記載が異なっており(こちらは栽培は戦後の一九六五年以降とする)、不審ではある。ただ、ここは「本草綱目」の記載であるから、前者を信ずれば、問題はないとも言える。

「人、手を拍(う)つて歌舞するを聞くときは、則ち、舞ふ」私は幼少の頃、確かに何処かの動物園でスピーカーから流れる音楽に合わせるように、クジャクが美しい羽を全開して悠然と歩むのを見た記憶がある。しかし、そんな無駄な習性(或いは調教)はあり得ない気がする。もしかすると、クジャクが羽を広げたのを入場している客にアピールするために、後から音楽を流していたのかも知れない。調教可能となれば、お知らせ戴きたい。

「其の性〔(しやう)〕、妬(ねた)む」華麗なそれからの擬人的な類感呪術的解釈である。

「采服」東洋文庫版はこれに『いろどりのふく』と当て訓している。

「必ず、之れを啄ばむ」これはテリトリー侵害ではなく(人を別な♂と見做しているのではなく)、防衛のための普通の防御反応であろう。

「匹せず」番(つがい)になろうとせず。無論、誤り。

「音影を以つて相ひ接〔(まぢ)〕はりて孕む」クジャクも凄いね! 鳴き声と雄の姿を見るだけで子が出来る!

「雌は下風に鳴き、雄は上風に鳴きて、亦、孕みす」通常、本草書で謂う「下風」は地面或いはそこにごく近い空間(ここは低木や高木の下方位置とするべきか)に吹く風を指し、「上風」は高木の上方を渡る風を指す。

「將に乳〔(つる)〕まんとする時〔は〕」今にも交尾(実際にはしないと言っている訳だが、これは前とは別説なので問題はない)しようとする(したいと雌の孔雀が思う)時は。「乳〔(つる)〕まん」は東洋文庫訳を参考に振った。

「其の血・膽〔(きも)〕、猶ほ、人を傷(きづつく)る」冒頭注のクジャクが『神経毒に耐性を持つため』、『サソリ等の毒虫や毒蛇類を好んで食べる』という部分から、腑に落ちる想像的な謂いではある。実際に有毒かどうかは不明。

「禽經」既出既注。春秋時代の師曠(しこ)の撰になるとされる鳥獣事典であるが、偽書と推定されている。全七巻。

「宛〔(ゑん)〕として」体をなよなよとくねらせて。

「尾に毒有り」恐らくは誤り。

「昏翳〔(こんえい)〕せしむ」。東洋文庫訳は『昏翳(くらくら)とする』(「させる」とすべき)とする。

「夷人」漢人でない異民族の謂い。野蛮人・未開人という蔑称。

「脯-腊〔(ほじし)〕」干し肉。

『「日本紀」に、推古帝六年に新羅國より孔雀一候を貢づる』「日本書紀」推古天皇六(五九八)年に、

   *

秋八月己亥朔。新羅貢孔雀一隻。

   *

とあり、また、大化三(六四七)年の条の一節にも、

   *

来、獻孔雀一隻。鸚鵡一隻。

   *

とある。]

2019/01/02

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 青鸐(せいだく) (架空の神霊鳥)

 

Seidaku

 

せいだく

青鸐【音濁】

 

拾遺記云幽州之墟羽山之北有善鳴之禽人靣鳥喙八

翼一足毛色如雉行不踐地名曰青鸐其聲似鐘磬笙竽

也世語曰青鸐鳴時太平故盛明之世翔鳴藪澤音中律

呂飛而不行至禹平水土棲於川岳所集之地必有聖人

出焉自上古鐘諸鼎噐皆圖像其形銘讃至今不

 

 

せいだく

青鸐【音、「濁」。】

 

「拾遺記」に云はく、『幽州の墟羽山の北に善く鳴くの禽有り。人靣〔(じんめん)に〕鳥の喙〔(くちば)〕し、八つの翼、一足〔たり〕。毛色、雉のごとく、行くこと、地を踐(ふ)まず。名づけて「青鸐」と曰ふ。其の聲、鐘〔(しやう)〕・磬〔(けい)〕・笙〔(しやう)〕・竽〔(う)〕に似たり。「世語」に曰はく、「青鸐、鳴く時、太平なり。故に盛明の世に藪澤〔(そうたく)〕に翔(かけ)り鳴く。音、律呂〔(りつりよ)〕に中〔(あた)〕る。飛びて行(ある)かず。禹、水土を平(たひら)ぐるに至りて、川岳〔(せんがく)〕に棲む〔こととなれり〕。集まりゐる所の地、必ず、聖人、出ずる有り。上古より鐘・諸々の鼎〔(かなえ)〕の噐〔(うつは)〕に、皆、其の形を圖-像(かたど)る。銘讃〔(めいさん)〕、今に至るまでへず[やぶちゃん注:「へ」はママ。]〔と〕。」』〔と〕。

[やぶちゃん注:この「青鸐」という漢名は、中文サイトを見るに、現在、日本産のキジ目キジ科ヤマドリ属ヤマドリ Syrmaticus soemmerringii 及びその近縁種で中国に棲息する「山雉」類に与えられていた(いる)ようであるが、言わずもがな、本来は神霊鳥である。

 

「拾遺記」中国の後秦の王嘉が撰した志怪小説集。全十巻。上古より東晋に及ぶ小説稗伝の類を収めている。王嘉は隴西郡安陽県の出身で、未来を予言する能力を持つ者として知られた一種の神仙でもあったが、三九〇年頃、後秦の創建主の姚萇(ようちょう)の機嫌を損ね、誅せられた。参照したウィキの「拾遺記」によれば、『王嘉が撰した原本は散佚しているが、梁の蕭綺(しょうき)が、その遺文を蒐集して』一『書とした。その際』、『附された綺の序によれば、元来は』十九『巻で』二百二十『編であったとされるが』、「晋書」の「王嘉伝」で「拾遺録」十巻を『撰したとするのとは一致していない』し、『現行本は東晋代の話まで収めるのも、蕭綺の序に「事は西晋末におわる」とあるのと一致しない』とある。以下、最後までが「拾遺記」の記載であることは、以下の中文サイトから拾って加工した「拾遺記」巻一から明らかである(太字部)。

   *

帝堯在位、聖德光洽。河洛之濱、得玉版方尺、圖天地之形。又獲金璧之瑞、文字炳列、記天地造化之始。四兇既除、善人來服、分職設官、倫攸敘。乃命大禹,疏川瀦澤。有、有北之地、無有妖災。沉翔之類、自相馴擾。幽州之墟、羽山之北、有善鳴之禽、人面鳥喙、八翼一足、毛色如雉、行不踐地、名曰靑鸐、其聲似鐘磬笙竽也。「世語」曰、「靑鸐鳴、時太平。」。故盛明之世、翔鳴藪澤、音中律呂、飛而不行。至禹平水土、棲於川岳、所集之地、必有聖人出焉。自上古鑄諸鼎器、皆圖像其形、銘贊至今不

   *

「一足」後肢は一本しかないのである。図を参照。

「行くこと、地を踐(ふ)まず」空中を浮遊して動くのである。

「磬〔(けい)〕」中国古代の打楽器で、「ヘ」の字形をした石又は玉・銅製の板を吊り提げて、桴(ばち)で叩いて音を出す。一枚だけから成る「特磬」と、複数の磬を並べて旋律を鳴らすことが出来るようにした「編磬」があるが、後者が一般的である。八音(はちおん:儒教音楽で使われる八種類の楽器を表わす語。古代中国では楽器は「金」・「石」・「糸」・「竹」・「匏」(ほう:スミレ目ウリ科ユウガオ属ヒョウタン変種ヒョウタン Lagenaria siceraria var. gourda のこと)・「土」・「革」・「木」の八種の素材から作られるとされ、かく区分されてあった。楽器の総称を表わす「金石糸竹」という四字熟語はこれに由来する)の一つである「石」に当たるため、古代以降にも中国の雅楽では使われ続けた(ここは主にウィキの「とそのリンク先に拠った)。

「竽〔(う)〕」既出既注であるが、再掲しておく。中国の古代の管楽器の一つ。笙(しょう)に似るが、笙より大きく、音も低い。 戦国時代から宋まで使われたが、その後は使われなくなった。本邦にも奈良時代に伝来したものの、平安時代には使われなくなってしまった。「竿」(さお)の字とは異なるので注意。

「世語」中国南北朝期の宋の劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた小説集「世説新語」のこと。「世説」とは「世間の評判」の意。

「盛明の世」正道が行われ、真智によって普く照らし出された繁栄せる太平の世。

「律呂〔(りつりよ)〕」中国・日本の音楽理論用語。「音律」のこと。中国では十二律を六律ずつの二つのグループに分けて「律」と「呂」とし、「律呂」と併記して「音律」の意に用いた。音律に関する文献は、多く「律呂」の語が題名に含まれている。日本の音楽文献の中にもこれを流用したものがあるが、本邦の雅楽では、「律」・「呂」の意味が中国の場合と違って、音階の名称になっていることもあり、両者を併記する場合でも、中国とは逆に、「呂律」ということが多い(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。「呂律(おれつ)が回らない」の語源である。

「飛びて行(ある)かず」先にも出たが、飛ぶばかりで、地面に足を下ろすことはなく、歩行することはないのである。

「禹、水土を平(たひら)ぐる」古代の聖王禹は中国全土の徹底した治水事業によって世に繁栄と静謐を齎したとされる。

「川岳〔(せんがく)〕」川上の高山か。]

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