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カテゴリー「和漢三才圖會 禽類」の43件の記事

2018/07/14

和漢三才圖會第四十一 水禽類 都鳥 (ユリカモメ/ミヤコドリ)

 

Miyakodori

 

みやことり 正字名義未詳

都鳥

     【訓美也古止里】

 

△按都鳥大如鸕鷀白色唯嘴與脚正赤關東多有之畿

 内未有之人亦不食之有業平視都鳥於隅田川之語

 著聞集云【建長六年十二月】有獻都鳥於京師者因叡覽宮女

 有歌    すみた川すむとしききし都鳥けふは雲井の上に見る哉

 

 

みやこどり 正字・名義、未だ詳かならず。

都鳥

     【訓、「美也古止里」。】

 

△按ずるに、都鳥、大いさ、鸕鷀〔(みそさざい)〕のごとし。白色。唯、嘴と脚と正赤。關東に多く之れ有り。畿内に〔は〕未だ之れ有らず。人、亦、之れを食はず。業平(なりひら)、都鳥を隅田川に視るの語〔(かたり)〕有り。「著聞集」に云はく、『【建長六年十二月。】都鳥を京師〔(けいし)〕に獻〔(たてま)〕つる者、有り、因りて叡覽したまふ。〔そのをりの〕宮女〔が〕歌、有り。

 すみだ川すむとしききし都鳥けふは雲井の上に見る哉

[やぶちゃん注:これは体は「白色」であるが、嘴(くちばし)と後脚のみが正しく赤い鳥であるから、

鳥綱チドリ目カモメ科カモメ属ユリカモメ(百合鷗)Larus ridibundus

である。ウィキの「ユリカモメ」によれば、『ユーラシア大陸北部やイギリス、アイスランドなどで繁殖し、冬は南下しヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへ渡りをおこない越冬する。北アメリカ東海岸に渡るものもいる』。『日本では冬鳥として、北海道から南西諸島まで広く渡来し、小型のカモメ類の大半が本種である。ただし、北海道では厳冬期にはほとんど見られなくなる。主に、全国の海岸や河川、沼地などに普通に渡来する』。『全長は約』四十センチメートル、翼開長は約九十三センチメートル。『足とくちばしは赤色。夏羽は頭部が黒褐色になる(英名:Black-headed Gull)。冬羽は頭部が白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴。ズグロカモメ』(カモメ科 Chroicocephalus 属ズグロカモメ Chroicocephalus saundersi)『と似ているが、ズグロカモメのくちばしは黒色で本種よりずっと短い等の違いで識別できる』。『海岸、内陸の湖沼や河川に比較的大規模な群を作』って『生活する。大きな河川では河口から』十キロメートル『以上も遡る。夜は海に戻り、沖合のいかだなどを塒』(ねぐら)『とする』。現在は普通に『京都市の鴨川でも多くの個体が観察される。鴨川のものは比叡山上空を通過し、琵琶湖で夜を過ごす。基本的にはカモメ科と同じく魚や甲殻類、オキアミを食べるが、カモメ科としては珍しく様々な環境に対応できるので雑食性で、近くに水草が生えている河川や池では昆虫や雑草の種子などを食べ、港では不要な捨てられた魚を食べ、時には人の食べ物や売られている魚を横取りすることも少なくない。その他に市街地や農村では人のゴミをあさるので同じく餌場にいるカラスなどの他の鳥と取り合いなどの喧嘩をすることもある。昼間は常に餌場近くにおり、夜間はこれとは異なる海上や湖で過ごす』。『栃木県では』一九七四『年以降、本種の記録が著しく増加している。宇都宮市と真岡市鬼怒川の記録によると、渡来時期は主に』四月と十から十一月にかけて『であり、渡りのときには内陸部を通過しているものと思われる』。『夏に繁殖するため、日本では基本的に営巣しない』。『日本の古典文学に登場する「都鳥」は、現在の和名が』、後に掲げる『ミヤコドリ(Haematopus ostralegus)である鳥ではなく、ユリカモメを指すとする説が有力である』。その根拠がまさに良安が挙げる「伊勢物語」第九段(通称「東下り」)の章段の知られた末尾の部分である(引用は私が独自に行った)。

   *

 なほ行き行きて、武藏の國と下(し)つ總(ふさ)の國との中に、いと大きなる河あり。それを「隅田河」といふ。その河のほとりにむれゐて、

「思ひやれば、限りなく遠くも來にけるかな。」

とわびあへるに、渡守(わたしもり)、

「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」

と言ふに、乘りて渡らむとするに、みな人、ものわびしくて、京に思ふ人、なきにしもあらず。

 さるをりしも、白き鳥の、嘴(はし)と脚(あし)と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ、魚(いを)を食(く)ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人、見知らず。渡守に問ひければ、

「これなむ都鳥(みやこどり)。」

と言ふを聞きて、

  名にし負はばいざこと問はむ都鳥

    わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟、こぞりて、泣きにけり。

   *

『このように、「都鳥」は「隅田川にいる鳥で、体が白く、嘴と脚が赤い、シギ程度の大きさ、魚を食べる水鳥」とされているが、この条件に当てはまる鳥としてはユリカモメが最も近い。そのため、「都鳥=ユリカモメ」と推定されている。なお、ミヤコドリは嘴と脚が赤いものの』、『体色は黒(腹部を除く)であり、英語名(Oystercatcher)の通り、食性はカキなどの貝類を食べる。このように』、『両者は異なる』。『なお、現在の京都ではユリカモメは鴨川などで普通に見られるありふれた鳥であるが、鴨川に姿を見せるようになったのは』一九七四年のことであ』って、『それ以前は「京には見えぬ鳥」であった』とガッツリ書かれてある(太字下線やぶちゃん)。さればこそ、比較対照出来るように、チドリ目ミヤコドリ科ミヤコドリ属ミヤコドリ亜種ミヤコドリ Haematopus ostralegus osculans ウィキの「ミヤコドリ」にから引いておく。体長は四十五センチメートルほどで、『ハトより少し大きい。くちばしと足は長くて赤い。からだの上面は黒く、胸から腹、翼に白い部分がある』。『北欧、中央アジア、沿海州、カムチャツカ半島などで繁殖し、西欧、アフリカ西岸、中東、中国南部、日本にかけての海岸で越冬する。かつて日本では旅鳥または冬鳥として主に九州に渡来していたが、近年は東京湾でも定期的に観察されるようになった。海岸で小さな群れを作ってすごすことが多い』。『英名の「Oystercatcherとは、カキなどの二枚貝を食べる習性に由来している。くちばしは上下に平たくて先が鋭く、わずかに口を開けた二枚貝に素早くくちばしを差し込み、貝柱を切断して殻を開け、中身を食べる。ほかにカニやゴカイなども食べる』。なお、『カモメ科の「ユリカモメ」のことを古代・中世に「ミヤコドリ」と呼んでいたという説がある(古今和歌集に登場する都鳥など』)とあるが、現行、あらゆる古典教材及び参考書は、少なくとも「伊勢物語」のこのシークエンスの「みやこどり」は「ユリカモメ」と断定同定しているしかし私に言わせれば、この「ミヤコドリ」の解説は正当なのであって、例えば、最古の歌例で「万葉集」の唯一の「みやこどり」の詠草、巻第二十の大伴家持の一首(四四六二番)、

 舟競(ふないは)ふ堀江の川の水際に來居(きゐ)つつ鳴くは都鳥かも

を見ると、これは絶対にユリカモメであって、ミヤコドリではないとは鳥類学者でも断言出来ないと私は思う。寧ろ、この二種に江戸以前の日本人は「都鳥」の名を与えていたのだと考える方が自然である。されば参考書等がイラストや写真で一律に「ユリカモメ」を掲げて「都鳥」と断ずることには私は大いに問題があると考えている。二十年以上前、古文の参考書の「みやこどり」の絵が実際の「ミヤコドリ」になっている(詳細を思い出せないが多分そうだろう)のを間違いだと指摘して新聞にまで載った女子生徒の手柄話があったが、私はその時も、はなはだ違和感を感じたのを思い出すのである。

「鸕鷀〔(みそさざい)〕」スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属ミソサザイ Troglodytes troglodytes

『「著聞集」に云はく……」「古今著聞集」の「卷第二十 魚蟲禽獸」にある追加捕入の一条、「或殿上人右府生秦賴方(はたのやすかた)[やぶちゃん注:伝不詳。]の進じたる都鳥を橘成季に預けらるる事」である。新潮日本古典集成版(西尾光一・小林保治校注)を参考に、恣意的二に正字化して以下に示す。割注は概ね当該書の注を参照した。これを読むと、実は女房の代作として太政大臣藤原(西園寺)実氏が詠んだ歌であることが判る

   *

院[やぶちゃん注:後嵯峨天皇。在位は仁治三(一二四二)年から寛元四(一二四六)年。]の御隨身(みずいじん)右府生(うふせい)秦賴方、「みやこどり」を、ある殿上人に參らせたるを、成季[やぶちゃん注:橘成季(?~文永九(一二七二)以前に没)。従五位上・右衛門尉。大隅守・伊賀守などを歴任。本「古今著聞集」の著者(建長六(一二五四)年完成)。]にあづけられて侍り。くひ物などもしらで、よろづの蟲をくはせ侍るも、所せくおぼえて[やぶちゃん注:面倒に感じて。]、ゆゆしきもの飼ひ[やぶちゃん注:非常に珍しいものを飼っている人物。]なるによりて、小田河美作(おだがはみまさか)の茂平(しげひら)[やぶちゃん注:小早川茂平の誤り。暦仁(りゃくにん)元(一二三八)年に美作守。]がもとへ遣りて、飼はせ侍しを、建長六年十二月廿日[やぶちゃん注:ユリウス暦一二五五年一月二十九日。]、節分の御方違(おんかたたがへ)のために、前(さき)の相國(しやうこく)[やぶちゃん注:藤原(西園寺)実氏。後深草天皇生母姞子(きつし)の父。当時は太政大臣で六十一歳。]の富の小路の亭に行幸なりて、次の日一日、御逗留ありし。相國、みやこ鳥をめして、叡覽にそなへられけり。返し遣はすとて、少將の内侍[やぶちゃん注:左京権大夫藤原信実の娘。後深草院弁内侍の妹。]、紅の薄樣(うすやう)に歌を書きて、鳥につけて侍りける、

  春にあふ心は花の都鳥のどけき御代のことや問はまし

[やぶちゃん注:参考底本の訳に『あすは立春となりますが、春にめぐり合う気持にはなやぎます。さて、花の都の名を持つこの都鳥に天下太平のこの大御代の感想を尋ねたいものです』とある。]

大臣(おとど)、又、女房にかはりて、檀紙[やぶちゃん注:白い奉書紙のようなものを指す。]に書きて、おなじくむすびつけける、

  すみだ川すむとしききし宮こ鳥けふは雲井のうへに見るかな

[やぶちゃん注:参考底本の訳に『武蔵のすみだ川に住んでいると聞いた、その都鳥を、今日はうれしくも都の雲居(宮中)で見ることであります』とある。]

この事を兼直の宿禰[やぶちゃん注:卜部(うらべ)兼直。神道家で侍従・吉田神社禰宜・正三位。]、つたへ聞きて、本主[やぶちゃん注:持ち主。秦頼方。]に申しこひて見侍りて、返すとて、

   都鳥の芳名、昔、萬里の跡に聞く。

   微禽の奇體、今、一見の望みを遂ぐ。

   畏(かしこ)みて之れを悦ぶ餘り、

   謹みて心緖(しんしよ)を述ぶるのみ。

  にごりなき御代にあひみる角田(すみだ)川すみける鳥の名をたづねつつ

   前の參河の守卜部兼直 上(たてまつ)る

[やぶちゃん注:前書は原本では漢文のようである。「心緖」心の一端。歌は参考底本の訳に『政道の正しいこの大御代に幸いに生れあい、一見の望みも遂げました。すみだ川に住んでいたという都鳥にはその名にひかれて恋い続けていたのです』とある。]

   *]

和漢三才圖會第四十一 水禽類 剖葦鳥(よしはらすずめ) (ヨシキリ)

Yosiwarazuzume

よしはらすゝめ 蘆虎【兼名苑】

剖葦鳥

        蘆原雀葭剖

        蘆鶯【以上俗称】

 

本綱【鷦鷯之下】剖葦似雀而青灰斑色長尾好食葦蠧亦鷦

鷯之類也倭名抄【兼名苑注】云巧婦鳥好割葦皮食中虫亦名

蘆虎

△按剖葦鳥【俗云蘆原雀】狀似倭𪄙大如雀青灰斑色長尾

 在田澤蘆葦中好食葦中虫其鳴喧聲高亮也天晴

 風静則愈群鳴蓋鷦鷯【-名巧婦鳥】與剖葦不一種【本草及和名抄

 爲一種非也】

 

 

よしはらすゞめ 蘆虎〔(ろこ)〕【「兼名苑」。】

剖葦鳥

        蘆原雀(よしはらすゞめ)

        葭剖(よしきり)

        蘆鶯(〔よし〕うぐひす)

        【以上、俗称。】

 

「本綱」【「鷦鷯〔(しやうれう)〕」の下。】、剖葦は雀に似て、青灰、斑色。長き尾。好んで葦の蠧〔(きくひむし)〕を食ふ。亦、鷦鷯の類ひなり。「倭名抄」【「兼名苑」の注に。】云はく、『巧婦鳥、好んで葦の皮を割〔(き)り〕て中の虫を食ふ。亦、「蘆虎」と名づく。』〔と〕。

△按ずるに、剖葦鳥は【俗に「蘆原雀」と云ふ。】狀、倭の𪄙〔(うぐひす)〕に似て、大ないさ、雀のごとし。青灰、斑色、長き尾。田澤の蘆-葦〔(あし)〕の中に在りて、好んで葦の中の虫を食ふ。其の鳴くこと、喧(かまびす)しき聲、高亮〔(かうりやう)〕なり。天、晴〔れて〕、風、静かなるときは、則〔ち〕、愈々、群鳴す。蓋し、鷦鷯【-名「巧婦鳥」。】剖-葦(あしはらすゞめ)と一種ならず【「本草」及び「和名抄」、一種と爲〔すは〕非なり。】。

[やぶちゃん注:鳴き声が特徴的な(私は姿も鳴き声も好き)、鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目ウグイス上科ヨシキリ科 Acrocephalidae のヨシキリ類(鳴き声と動画は例えばYou Tube ここ(オオヨシキリ)やここ(コヨシキリ))。本邦では、

ヨシキリ科ヨシキリ属オオヨシキリ Acrocephalus arundinaceus

ヨシキリ属コヨシキリ Acrocephalus bistrigiceps

の二種が夏鳥として渡って来る。両種とも背面は淡褐色で腹面は黄白色、オオヨシキリはおもに水辺のヨシ原など、コヨシキリは低地から山地の草原に棲息し、御椀形の巣を作る。いずれも東アジアで繁殖し、冬は南方へ渡る。本州中部以南に多いのはオオヨシキリで、繁殖期にはヨシ(単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク(暖竹)亜科ヨシ属ヨシ Phragmites australis:「アシ」は同一種の異名で、「葦」「芦」「蘆」「葭」も狭義には総て同一種を指す)などに止まって「ギョッ、ギョッ」と囀ることから、「行々子(ギョウギョウシ)」の異名を持つ。個人サイト「お気楽バーダー」の「ヨシキリ」の写真が二種ともにあり、よい。カッコウ(カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus)によく托卵される。ウィキの「カッコウ」に、自分より大きいカッコウの雛に餌を与えるオオヨシキリの写真が載る。荒俣宏「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「ヨシキリ」の項によれば、『属名アクロケファルスはギリシア語で』『〈とがった akron kephalē〉のこと』でヨシキリ類の『頭頂の羽が突きでているためである』とある。

「兼名苑」唐の釋遠年撰の字書体の語彙集であるが、佚して伝わらない。但し、本邦の「本草和名」「和名抄」「類聚名義抄」に多く引用されてある。

「蠧〔(きくひむし)〕」これは狭義の鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目 Cucujiformia 下目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae のキクイムシ類ではなく、ヨシなどの茎に寄生して食害する虫類(或いはその幼虫)を指している。

「鷦鷯」先行する記載では良安は本邦種としてはこれに「みそさざい」を当てている。「さざい」は、「小さい鳥」を指す古語「さざき」が転じたものであるが、狭義には現在、これはスズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属ミソサザイ Troglodytes troglodytes を指す。先行する鶖(とつしう)〔ウ〕」の「鷦鷯」の私の注を参照されたい。

𪄙」「鶯」の異体字。スズメ目ウグイス科ウグイス属ウグイス Horornis diphone

「高亮」原義は「志高く行いの正しいこと」であるが、ここは「声が高く澄んでいること」の意。

『蓋し、鷦鷯【-名「巧婦鳥」。】剖-葦(あしはらすゞめ)と一種ならず【「本草」及び「和名抄」、一種と爲〔すは〕非なり。】』先に掲げた荒俣宏「世界博物大図鑑」の「ヨシキリ」の項に(ピリオド・コンマを句読点に代えた)、『ヨシキリの』古い『中国名は相当に困難である』(現代中国語では「苇莺」で「葦鶯」である)。『《本草綱目》にある鷦鷯(しょうりょう)(ミソサザイ)』(先に挙げたミソサザイ Troglodytes troglodytes)『の項では、その』一『種としている〈剖葦〉を《爾雅》』(じが:中国最古の辞書。著者には諸説あり未詳。全三巻。紀元前 二〇〇年頃の成立)より引用紹介している(ただし『《爾雅》原文では〈』「」『の一種〉となっている)』(「鷯」は「たうりやう(とうりょう)」と読んでおく)。『しかし一般に、ヨシキリは中国の鷦鷯(一名、巧婦鳥)それ自身であるとの見解が江戸時代から普及していた。そのため』、それに意を唱えて良安はここで『両者を別種としている』のであるとある。さらに、『日本でつくられた』小野蘭山による「本草綱目」の『注釈書《重修本草綱目啓蒙》は、李時珍による剖葦の引用を誤りとし、《爾雅》の原文に〈鷯〉とあり、明らかに〈鷦鷯〉とは別種だ、としている』とある。また荒俣氏は続けて『《甲子夜話》の著者松浦』(まつら)『静山は、巧婦鳥の巣を実見した結果、それが蘆花でできており、精細巧緻なところから、俗名〈女匠〉〈巧婦〉(巣づくりの巧みな鳥)が出たと解釈している』(「甲子夜話」の原文は後日、暇な折りに探して追加する)。『また、南都では高い木に巣をつくるところから〈高見(たかみ)鳥〉という』とある。但し、「保草綱目」では『鷦鷯を巧婦鳥とよぶのは、鳩は性(セックス)が稚拙であり、鷦は性が巧みだからであるとして』おり、『また、《爾雅》では〈桃蟲(巧婦鳥の別称)は鷦(しょう)なり、その雌を鷯という〉と述べ、鷦鷯を雌雄』一『対の名としている』とある。以上の「本草綱目」(後の「爾雅」もそこに引用されているが、そこでは「鷯」は「」と表記されてある。因みに、この「」は「鷯」の異体字ではないものの、中文の字書サイトには「鷦鷯の雌」或いは「鷦鷯の別称」と書かれてある)の原文は「本草綱目」巻四十八の「禽之二」の「巧婦鳥」である。

   *

巧婦鳥【「拾遺」。】

釋名鷦鷯【「詩疏」。】桃蟲【「詩經」。】蒙鳩【「荀子」。】女匠【「方言」。】黃脰草【時珍曰、按、「爾雅」云、桃蟲、鷦。其雌曰。揚雄「方言」云、桑飛自關而東謂之巧雀、或謂之女匠。自關而西謂之襪雀、或謂之巧女。燕人謂之巧婦。江東謂之桃雀、亦曰有母。鳩性拙、鷦性巧、故得諸名。】

   *

ともかくも、良安は自分が既に同定比定している「鷦鷯」=スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属ミソサザイ Troglodytes troglodytes と、この「剖葦鳥」=スズメ目スズメ亜目スズメ小目ウグイス上科ヨシキリ科 Acrocephalidae のヨシキリ類は全くの別種であると主張していることになり、これはすこぶる正当な謂いであることが判るのである。]

2018/07/09

和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴴(ちどり)

Tidori

ちとり   千鳥【俗】

     【萬葉集爲乳鳥又爲智鳥】

 

△按鴴在江海水邊百千成羣仍稱千鳥類鴫似鶺鴒而

 小其頭蒼黑頰白眼後有黑條背青黑翅黑腹白胸黑

 嘴亦蒼黑尾短脛黃蒼而細長冬月最多飛鳴于水上

 呼侶肉味美也歌人詠賞之

一種頭背翅俱黑腹白尾黑似燕尾而有岐常群飛江上

 其翔翺甚迅疾也人剪紙作片以擲于彼則喜飛而弄

 之播州遠州多有之凡鴴種類甚多【有四十八品種云】皆有少異

 蓋諸鳥脚三指皆有前杜鵑三指前二後一鴴四指前

 三後一唯此二物異他鳥矣

                  西行

  一つをも千鳥といへる鳥あれは三つ有とても蝶はてふなり

 

 

ちどり   千鳥【俗。】

     【「萬葉集」、「乳鳥」と爲し、

      又、「智鳥」と爲す。】

 

△按ずるに、鴴、江海の水邊に在り、百千〔の〕羣れを成す。仍つて「千鳥」と稱す。鴫の類にして鶺鴒に似て小さく、其の頭、蒼黑。頰、白く、眼の後に黑條有り。背、青黑。翅、黑。腹、白く、胸、黑し。嘴も亦、蒼黑。尾、短く、脛、黃蒼にして細長し。冬月、最も多し。水上に飛び鳴きて、侶〔(とも)〕を呼ぶ。肉味、美なり。歌人、之れを詠賞す。

一種、頭・背・翅、俱に黑く、腹、白く、尾、黑く、燕の尾に似て、岐(また)有る〔あり〕。常に江上〔(こうしやう)〕に群れ飛ぶ。其の翔〔(と)び〕翺〔(かけ)るや〕、甚だ迅-疾(はや)し。人、紙を剪〔(き)〕りて片と作〔(な)し〕、以つて彼〔(かれ)〕に擲〔(なげう)〕つときは、則ち、喜〔として〕飛〔びきたつ〕て之れを弄〔(もてあそ)ぶ〕。播州・遠州に多く之れ有り。凡そ鴴の種類、甚だ多し【四十八品種有りと云ふ。】。皆、少異有り。蓋し、諸鳥の脚は三指(ゆび)にて、皆、前に有り。杜鵑(ほとゝぎす)は三つ指〔にして〕、前に二つ、後に一つ。鴴は四つ指にして、前に三つ、後に一つなり。唯だ、此の二物、他の鳥に異〔(こと)〕なり。

                  西行

 一つをも千鳥といへる鳥あれば三つ有りとても蝶〔(てふ)〕はてふなり

[やぶちゃん注:チドリ目チドリ亜目チドリ科 Charadriidae の属する種の総称(チドリという種は存在しない)。では十二種が観察され、その内の五種が繁殖する。参照したウィキの「チドリ」からそのれらの種を引く。

チドリ科タゲリ(ケリ)属タゲリ(田鳧)Vanellus vanellus(繁殖種)

タゲリ(ケリ)属ケリ(鳧) Vanellus cinereus(繁殖種)

チドリ科チドリ属ハジロコチドリCharadrius hiaticula

チドリ属イカルチドリ(桑鳲千鳥)Charadrius placidus(繁殖種:「いかる」は古語で「大きい・厳めしい」の意)

チドリ属コチドリ Charadrius dubius(繁殖種)

チドリ属シロチドリ Charadrius alexandrinus(繁殖種)

チドリ属メダイチドリ(目大千鳥)Charadrius mongolus

チドリ属オオメダイチドリ(大目大千鳥)Charadrius leschenaultii

チドリ属オオチドリCharadrius veredus

チドリ科 Eudromias 属コバシチドリ(小嘴千鳥)Eudromias morinellus

ムナグロ(胸黒)科ムナグロ属ムナグロ Pluvialis fulva

ダイゼン(大膳)Pluvialis squatarola(和名は平安朝に於いて宮中の食事を司った大膳職に於いて特に美味であったことから食材としてしばしば用いられたことが由来とされる)

小学館「日本大百科全書」によれば、『雌雄の羽色はほとんど同色、体つきはずんぐりしていて、頭と目が大きいのが一般的特徴である。嘴』『は短めで、先のほうに膨らみがある。足の指はかなり長めで』、ダイゼンを除いて後趾(こうし)がなく、三本指である(チドリの後趾が退化しているのは、速歩に都合が良いからである。良安の「鴴は四つ指にして、前に三つ、後に一つなり」というのはおかしい指摘である)。『大部分は海岸地域や平野にすんでいるが、山地にすむものもいる。採餌』『は草原や川原、河川、水辺、湖沼、海岸などで行い、ミミズ類、昆虫類などを主食とする。採餌の際、すこし歩いては地面をつついて餌』『をとり、また数歩歩いてはつつく。頭を下げたまま採餌するのはシギ類で、チドリ類はそうした動作はしない。巣は荒れ地や草地のへこみを使い、小石や枯れ草などを多少敷いて』三、四『卵を産む。雛』『は孵化』『後数時間で歩くことができる。卵の色は周囲の荒れ地に紛れるように模様がある』。『なお、「千鳥」は俳句の季語としては冬に入れられているが、日本のチドリ類の生態をみると、かならずしもあたってはいないので注意を要する。また、海岸にたくさんの鳥が集まっているようすから「千鳥」とよぶこともありうるが、この場合はチドリ類のみでなく、同様の環境でみられるシギ類をもさしていると思われる。シギ・チドリ類の群れは冬にもみられるが、春と秋の渡りの時期に大きな群れがみられる』。古く万葉時代から『歌材として詠まれ、「近江(あふみ)の海(み)夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにしへ)思ほゆ」』(巻第三・柿本人麻呂)『などと詠まれている。「友呼ぶ千鳥」や「佐保(さほ)の川原で鳴く千鳥」など、類型としてよく詠まれた。また、「思ひかね妹(いも)がり行けば冬の夜の川風寒(さむ)み千鳥鳴くなり」』(「拾遺和歌集・冬・紀貫之)『などと詠まれるように、冬の景物となった。「浜千鳥」という形でも多く詠まれ、筆跡・手紙・書物の意に用いられるようにもなった』。「枕草子」の『「鳥は」の段に「いとをかし」と記され』、「源氏物語」では「須磨」「総角(あげまき)」に三例、『冬の心象風景としてみえる』とある。

「侶〔(とも)〕」伴侶。

「翔〔(と)び〕翺〔(かけ)るや〕」同紙の部分の読みは東洋文庫訳を援用した。「や」は間投助詞として補った方が判りがよいと思い、私が挿入した。

「四十八品種有り」これは多過ぎ。本邦で見られる十二種の内、チドリ科タゲリ(ケリ)属タゲリ(田鳧)とタゲリ(ケリ)属ケリ(鳧)は古くから「千鳥」としてではなく、別に「鳧」(先行する「計里(けり)」を参照)として認知されていたから、それを除くと、十種で、♂♀の相違(本邦のチドリ類には大きな性的二型を持つ種は少ないが)や幼鳥と夏羽・冬羽を四掛けしても、四十種。恐らくは、チドリ類とは異なる川や海の小型の鳥類をも「千鳥」と呼んでいたのであろうと思われる。

「諸鳥の脚は三指(ゆび)にて、皆、前に有り」誤り。鳥類の趾(あし)は四本が基本型で、前に三本、後ろに一本が多い。これを「正足(せいそく)」或いは「三前趾足(さんぜんしそく)」と称する。枝に止まる時は前向きの三本と後ろ向きの一本の指で枝を摑む。

「杜鵑(ほとゝぎす)は三つ指〔にして〕、前に二つ、後に一つ」これも誤り。前二本、後二本という珍しい形態をしている。これは「対趾足(たいしそく)」と称し、長時間、安定して枝に止まれるように進化したものと推定されている。どうも良安は鳥類を親しく観察した経験があまりないのではないかと思われる。鳥の趾の細かな形態の違いについては、ウィキの「趾(鳥類)」が詳しいので参照されたい。

「一つをも千鳥といへる鳥あれば三つ有りとても蝶〔(てふ)〕はてふなり」偽作。落語「西行」に、

 一羽にて千鳥といへる鳥もあらば何羽飛ぶとも蝶は蝶なり

と出る。「千鳥」の「千」を「蝶」で「兆」に掛けている、下らぬ狂歌である。良安は何でこんなものをここに引いたのか、よく判らぬ。幾つか真正の西行の「千鳥」の歌を引いておく。

 淡路潟(あはぢがた)磯囘(いそわ)の千鳥聲繁み瀨戸の潮風冴えわたる夜は(「山家集 上 冬」)

 淡路潟瀨戸の汐干(しほひ)の夕暮れに須磨より通ふ千鳥鳴くなり(「山家集 上 冬」)

 冱(さ)え渡る浦風いかに寒からむ千鳥群れゐる木綿崎(ゆふさき)の浦(「山家集 上 冬」)

   月の夜(よ)、賀茂にまゐりて詠み侍りける

 月の澄む御祖川原(みおやがはら)に霜冱えて千鳥遠立(だ)つ聲きこゆなり

なお、東洋文庫版は幾つかの和歌を注で参考に示しているので、それを参考までに、恣意的に正字化し、出典を補填して掲げておく。

 千鳥鳴く佐保の河瀨のさざれ波止む時もなし我が戀ふらくは (藤原麿に大伴郎女(いらつめ)が答えた歌・「万葉集」巻第四(五二五番))

 さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな (大伴家持に大神郎女が贈った歌・「万葉集」巻第四(六一八番))

 しほの山さしでの磯にすむ千鳥君(きみ)が御代(みよ)をばやちよとぞ鳴く (読人知らず・「古今和歌集」巻第七「賀歌」(三四五番))

最後の「やちよ」は千鳥の鳴き声のオノマトペイア「ちよちよ」に「八千代」を掛けたもの。]

和漢三才圖會第四十一 水禽類 鶺鴒(せきれひ/にはくなぶり) (セキレイ)

Sekirei

せきれひ    【鶺同】 雝渠 雪姑

にはくなふり 【和名爾波久奈布里

        
又云止豆木乎之木閉止里】

鶺鴒 

スヱッリン  【今用字音呼之】

 

三才圖會云鶺鴒雀之屬飛則鳴行則揺大如鷃長脚尾

腹下白頸下黑如連錢故又謂之連錢其色蒼白似雪鳴

則天當大雪故俗稱雪姑

△按鶺鴒狀類燕而青灰色頸下眼後有黑條長尾尖嘴

 腹白胸有黑文毎鳴于水邊求匹能揺首尾字彙云其

 首尾相應比兄弟一名雝渠是也【諸本草未載鶺鴒】

黃鶺鴒【胸正黃色】 背黒鶺鴒【背正黑色】 白鶺鴒【背白項黒】

 樊中貯水石以畜之亦能馴焉特以白者爲珍

 日本紀伊弉諾伊弉冉二神時有鶺鴒飛來揺其首尾

[やぶちゃん注:「伊弉冉」の「冉」は原典では「册」の字に似た異体字であるが、現行の一般的なそれで示した。]

 神見之而學得交道

  逢ふ事をいな負せ鳥の教へすは人を戀路に惑はましやは

 

 

せきれひ    〔(せき)〕【「鶺」に同じ。】

        雝渠〔ようきよ)〕

        雪姑〔(せつこ)〕

にはくなぶり 【和名、

       「爾波久奈布里〔にはくなぶり)〕」、

        又、云ふ、

       「止豆木乎之木閉止里〔とつぎ

        をしへどり〕」】

鶺鴒

スヱッリン  【今、字音を用ひて之れを呼ぶ。】

 

「三才圖會」に云はく、『鶺鴒は雀の屬、飛べば、則ち、鳴く。行くときは、則ち、揺〔(ゆら)〕ぐ。大いさ、鷃〔(ふなしうづら)〕のごとく、長き脚・尾、腹の下白く、頸の下、黑く、連錢(れんせん)のごとし。故に又、之れを「連錢」と謂ふ。其の色、蒼白、雪に似る。鳴〔かば〕則ち、天、當(まさ)に大雪〔(おほゆきふ)〕るべし。故に俗に「雪姑」と稱す。』〔と〕。

△按ずるに、鶺鴒、狀、燕に類〔(たぐひ)〕して、青灰色。頸の下・眼の後に黑條有り。長き尾、尖りたる嘴。腹、白く、胸に、黑き文、有り。毎〔(つね)〕に水邊に鳴きて、匹〔(つれあひ)〕を求め、能く首尾を揺〔ゆら)〕す。「字彙」に云はく、『其の首尾、相ひ應じて〔あるを〕、兄弟に比す。一名、「雝渠」〔は〕是れなり【諸本草、未だ鶺鴒を載せず。】。

黃鶺鴒(きせきれい)【胸、正黃色。】 背黒(せぐろ)鶺鴒【背、正黑色。】 白鶺鴒〔(はくせきれいひ)〕【背、白く、項〔(うなじ)〕、黒し。】

 樊〔(かご)の〕中に水石を貯へて、以つて之れを畜〔(か)ふ〕。亦、能く馴れ、特に白き者を以つて珍と爲〔(な)〕す。

 「日本紀」、伊弉諾〔(いさなき)〕・伊弉冉〔(いさなみ)の〕二神(ふたはしら)の時、鶺鴒、有り、飛來して其の首尾を揺〔(ゆら)〕す。神、之れを見て、得交(とつぎ)の道を學ぶ。

 逢ふ事をいな負〔(おほ)〕せ鳥〔(どり)〕の教へずは人を戀路に惑はましやは

[やぶちゃん注:尾を上下に振ることでお馴染みの私の好きな鳥、スズメ目スズメ亜目セキレイ科セキレイ属 Motacilla・イワミセキレイ属 Dendronanthus に属するセキレイ類である。本邦で普通に見られるセキレイは

セキレイ属セグロセキレイ(Motacilla grandis:固有種)

ハクセキレイ(セキレイ属タイリクハクセキレイ亜種ハクセキレイ Motacilla alba lugens

キセキレイ(Motacilla cinerea

の三種である。

イワミセキレイ Dendronanthus indicus

は一属一種(和名は鳥取県岩美町で最初に観察されたことに由来。全長約十五センチメートルで、頭から上尾筒までの上面は緑灰色を呈し、喉から下尾筒までの下面はくすんだ白色。黄白色を眉斑を持ち、胸に黒いT字形の斑がある)で、ロシア極東沿海地方・中国北部から東部・朝鮮半島で繁殖し、冬期はインド東部からジャワ島・ボルネオ島までの東南アジア方面に渡って越冬するが、日本では数少ない旅鳥又は冬鳥として、春秋の渡りの時に渡来し、西日本での観察記録が多い。ごく少数の個体は夏鳥として渡来し、福岡県・島根県では繁殖記録もある。因みにイワミセキレイは尾を左右に振る(ここはウィキの「イワミセキレイに拠る)。カワセミ類はその特徴的な尻振り行動から、異名が異様に多く、イシクナギ(石婚ぎ)・イモセドリ(妹背鳥)・ニワクナギ(庭婚ぎ)・ニワクナブリ(後注参照)・イシタタキ(石叩き・石敲き)・ニワタタキ(庭叩き)・イワタタキ(岩叩き)・イシクナギ(石婚ぎ)・オシエドリ(教鳥)・コイオシエドリ(恋教鳥)・トツギオシエドリ(嫁教鳥:後注参照)など、その大半は性行為のメタファーであるように私には思われる。中国名は「相思鳥」である(主にウィキの「セキレイを参照した)。

「雝渠」「雝」は和睦の意があるから、水路での睦み合いからの合字か。

「にはくなぶり」「庭」で「くなぶ」るような動きをする鳥の意であろう。「くなぶる」は恐らく、「婚(くな)ぐ」(交合する・性交する)と「嬲(なぶ)る」(手で弄(い)じる・もてあそぶように玩弄する)の合成語ではないかと私は思う。

「とつぎをしへどり〕」の「と」は「戸」「門」で上代には「と」は男女両性器・陰部のある「處」(ところ)を意味しており、その両方の「と」を「継(つ)ぐ・接ぐ」という意で、「御戸(みと)の目合(まぐあ)ひ」(交合・性交)の意となった。後に出る通り、そのコイッスの仕方を「教え」て呉れた「鳥」の意である。

「鷃〔(ふなしうづら)〕」旋目鳥(ほしごい)(ゴイサギの幼鳥)で既出既注であるが、再掲しておくと、この漢字は現代中国ではチドリ目ミフウズラ(三斑鶉)科ミフウズラ属チョウセンミフウズラ Turnix tanki に与えられている。但し、このミフウズラ類はウズラと体形等がよく似ているものの、ウズラ類はキジ目キジ科ウズラ属Coturnixであり、我々の知っているウズラ Coturnix japonica とこのチョウセンミフウズラ Turnix tanki は縁遠い種である。

「字彙」既出既注

「其の首尾、相ひ應じて〔あるを〕、兄弟に比す」これは、恐らく「詩経」の「小雅」にある「常棣」(じょうてい)に基づく謂いである。セキレイの尾を頻りに振る行動を、兄弟が火急の危機を相手に教えようとしているものと採ったのである。簡単にはサイト「今日の四字熟語」の「【鴒原之情】(れいげんのじょう)を、詩篇「常棣」総てを知るゆとりのある方は個人ブログraccoon21jpのブログを、それぞれ参照されたい。

「樊」(音「ハン」)には「籠・鳥籠」の意がある。]

和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵠(くぐひ) (コハクチョウ)

Kuguhi

くゞひ

【音各】 【和名久久比】

コッ

 

三才圖會云鵠鳴哠哠夜飛眼光而不宿者也遠舉難中

中之卽可以告故射侯棲鵠中則告勝字彙云鵠小鳥也

射者設之以命中小而飛疾故射難中是以中之爲儁

夫木

 暮かゝる波のねぬなはふみしだき刈田のくゞひ霜拂ふなり

                  資隆

鵠大似水雞而頭背灰色腹白翅及脚灰黑色觜黑

 飛捷難捕也蓋鵠同名異鳥有【胡谷切音斛大鳥白鳥古祿切音谷小鳥久久

 比】人以相混雜矣【詳于前白鳥下】

 

 

くゞひ

【音、「各」。】 【和名、「久久比」。】

コツ

 

「三才圖會」に云はく、『鵠の鳴くこと、「哠哠〔(かうかう)〕」たり。夜、飛び、眼、光りて宿せざる者なり。遠く舉〔(あ)がり〕て中〔(あた)り〕難し。之れ、中〔る〕時は、卽ち、以つて告ぐべし。故に射-侯(まと)、鵠を棲〔(す)まはせ〕、中るときは、則ち、勝(かち)を告ぐ』〔と〕。「字彙」に云はく、『鵠は小鳥なり。射る者、之れを設(もふ)け、以つて中(あ)つることを命〔ずるも〕、小にして飛ぶこと、疾し。故に射(ゆみい)るに、中り難し。是れを以つて之れに中〔(あつ)〕るを儁〔(しゆん)〕と爲〔(な)〕す。

「夫木」

 暮〔(くれ)〕かゝる波のねぬなはふみしだき刈田のくゞひ霜拂ふなり

                  資隆

按ずるに、鵠の大いさ、水雞〔(くひな)〕に似て、頭・背、灰色。腹、白。翅及び脚、灰黑色。觜、黑。飛〔ぶこと〕、捷〔(はや)く〕して捕へ難し。蓋し、「鵠」、同名異鳥、有り【「胡谷」の切、音「斛」は、大鳥〔にして〕白鳥なり。「古祿」の切、音「谷」は、小鳥〔の〕「久久比」なり。】。人、以つて、相ひ混雜す【前の白鳥の下に詳〔かなり〕。】。

[やぶちゃん注:「鵠」(くぐい)は広義の「白鳥」(鳥綱カモ目カモ科ハクチョウ属 Cygnus 或いは類似した白い鳥)の古名であるが、辞書によっては、

ハクチョウ属コハクチョウ亜種コハクチョウ Cygnus columbianus bewickii

とする。私もそれを採る。ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季になると、ヨーロッパ(アイルランド・イギリス南部・オランダ・デンマークなど)・カスピ海周辺(西部個体群)か、大韓民国・中華人民共和国東部・日本など(東部個体群)へ南下し、越冬する。ハクチョウ属内では相対的に頸部が太く短く、全身の羽衣は、より白い。嘴の先端が丸みを帯びるか、或いは角張って、突出せず、色は黒い。鼻孔は嘴の中央部より、やや先端寄りに開口する。気管が長く紐状で、後肢は黒い(幼鳥は全身の羽衣が淡灰褐色を呈する)。翼長はで五十一・五~五十三・五センチメートル、で四十七・五~五十二・五センチメートル。上嘴の基部から鼻孔にかけて、黄色い斑紋が入るのを本亜種の特徴とする(以上はウィキの「コハクチョウ」を参照した)。

「哠哠〔(かうかう)〕」オノマトペイア。「廣漢和辭典」にも載らないので、歴史的仮名遣(現代仮名遣は「コウコウ」)は「皓」を参考に推定した。

「遠く舉〔(あ)がり〕て中〔(あた)り〕難し。之れ、中〔る〕時は、卽ち、以つて告ぐべし」素早く飛翔し、弓矢が当たり難い。だから、運よくこれを仕留めた時には、これを人に告げて自慢するだけの価値がある、というのである。

「射-侯(まと)、鵠を棲〔(す)まはせ〕、中るときは、則ち、勝(かち)を告ぐ」東洋文庫訳の注に弓術に於ける『射侯』(まと)『は十尺四方の的で』、『中に鵠の画がかかれてある』とある。鵠の絵が描かれている的の画像は見出せなかったが、個人ブログ「BIFFの亜空間要塞」の『「正鵠」の意味は、単なる「的の中心」ではないという話』で「鵠」の字を的の真ん中に書いたものを見ることが出来る。そこに『「弓の的」という意味の成り立ちを持っているのは、この「侯」という文字で』あり、『一方で誰もがごく普通に「まと」だと思っている「的(てき)」という文字は、本来「あきらか」という意味で、それが転じて「弓のまと」の意味に使われるようになったもので』あるとする。辞書を引いてみると、「侯」の原字は「矦」とあり、「人」と「厂」(がけ)と「矢」の合字で、「厂」は「的に張った布」の意とある。さらに『古代の中国では、弓の的を「侯」「鵠」「正」など種類別の名で呼ぶことが多かった』が、『これら「侯」「鵠」「正」を日本語に訳すと、どれも「まと」ということにな』るとされ、『「鵠」や「正」の大きさはどのくらいであったかというと、「周礼」の注釈に「十尺四方のものを「侯」といい、四尺四方のものを「鵠」といい、二尺四方のものを「正」という」とあり』、『周代の一尺は現在の』二十二・五センチメートル程であるから、「鵠」は九十センチメートル四方、「正」でも四十五センチメートル四方はあったことになる、と記されておられ、『現在の日本の弓道で、遠的競技(通常』六十メートル『の距離から射る)に使われる的が直径』一メートル、二十八メートルの距離から射る近的競技『に使われる的が直径』三十六センチメートルである『から、「鵠」や「正」はほぼそれらに匹敵する大きさで』、『どちらも「的の中心の黒星」などという代物では』なく、『かなり立派な大きさの四角い「まと」であると』ある。因みに辞書には、古えは天子・諸侯クラスの者達が春・秋に「大射の礼」を行ったことから転じて、「侯」の字が君・諸侯の意に用いられるようになったといったことが書かれてあった。

「字彙」既出既注であるが、再掲しておく。明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。

「之れを設(もふ)け」実際の生きた鵠を射的対象として準備し。

「儁〔(しゆん)〕」ここは射芸に秀でた名手の意。

「暮〔(くれ)〕かゝる波のねぬなはふみしだき刈田のくゞひ霜拂ふなり」「夫木和歌抄」の巻十七 冬二」に載るが、「波」は「沼」の誤り

 暮れかかる沼のねぬなはふみしだき刈田(かりた)のくぐひ霜拂(はら)ふらし

である。「資隆」は平安後期の官吏で歌人の藤原資隆(生没年未詳)か。「ねぬなは」は「根蓴」「根蓴菜」でジュンサイ(スイレン目ハゴロモモ科ジュンサイ属ジュンサイ Brasenia schreberi)のこと。

「水雞〔(くひな)〕」既出の鳥綱ツル目クイナ科クイナ属クイナ亜種クイナ Rallus aquaticus indicus

『「鵠」、同名異鳥、有り』ハクチョウ属オオハクチョウ Cygnus cygnus を指していると考えてよい。「オオハクチョウ」の中文ウィキ大天に『又名』とある。

『「胡谷」の切、音「斛」は、大鳥〔にして〕白鳥なり。「古祿」の切、音「谷」は、小鳥〔の〕「久久比」なり』反切(はんせつ:漢字の発音を示す伝統的な方法の一つで、二つの漢字を用い、一方の声母と、他方の韻母及び声調を組み合わせて当該漢字の音を表わすもの)いよって同名異種を解説しているのであるが、正直、孰れも「コク」で、中国語が判らなければ、この解説は一般の日本人には違いは判らない。因みに現代中国語では「斛」は「」、「谷」は「」或いは「」である。

「前の白鳥」先の天鳶(はくちやう)のこと。]

2018/05/13

和漢三才圖會第四十一 水禽類 水雞 (クイナ・ヒクイナ)

Kuhina

くひな   鼃鳥

水雞

      【和名久比奈】

 

△按水雞大如鳩而頭背翅皆有蒼黑斑帶淡黃赤色眼

 上有白條觜蒼而長頷胸之間白有白黑斑尾短脚長

 淡黃夜鳴達旦聲如人敲戸蓋在水邊告晨故名水鷄

  拾遺たたくとて宿の妻戸を明たれは人もこすゑのくひななりけり

赤水雞【又名緋水雞】 頭背黃赤色胸腹脚皆赤觜黑其肉味

 淡不美夏月焼食之

鼠水雞 形色畧似而有黑斑見人則竄岸塘之間如鼠

 逃竄故名之乎八九月出

大水雞 形大而似鶉以上三種俱無敲戸之聲

 本綱秧雞【肉甘溫】大如小雞白頰長嘴短尾背有白斑多

 在田澤畔夏至後夜鳴逹旦秋後卽止【蓋是此云大水雞乎】

 一種 雞 秧雞之類也大如雞而長脚紅冠雄大

 而褐色雌稍小而斑色秋月卽無其聲甚大【本朝未見如此鳥】

 

 

くひな   鼃鳥〔(あてう)〕

水雞

      【和名、「久比奈」。】

 

△按ずるに、水雞、大いさ、鳩のごとくにして、頭・背・翅、皆、蒼と黑き斑有りて、淡黃赤色を帶ぶ。眼の上に白條有り。觜、蒼くして長し。頷〔(あご)と〕胸の間、白くして、白黑〔の〕斑有り。尾、短かく、脚、長し。淡黃にして、夜、鳴きて、旦〔(あした)〕に達す。聲、人の戸を敲(たゝ)くごとし。蓋し、水邊に在りて、晨〔(あさ)〕を告ぐる故に「水鷄」と名づく。

「拾遺」

 たたくとて宿の妻戸〔(つまど)〕を明けたれば

    人もこずゑのくひななりけり

赤水雞(あかくいな)【又、「緋水雞〔(ひくひな)〕」と名づく。】 頭・背。黃赤色。胸・腹・脚、皆、赤くして、觜、黑。其の肉味、淡く、美ならず。夏月、焼きて之れを食ふ。

鼠水雞(ねずみ〔くひな〕) 形・色、畧ぼ似て、黑斑有り。人を見るときは、則ち、岸・塘〔(つつみ)〕の間に竄(かく)るゝこと、鼠、逃(に)げ竄(かく)るがごとし。故に、之〔(これ)〕、名づくるか。八、九月、出づ。

大水雞〔(おほくひな)〕」 形、大にして鶉〔(うづら)〕に似たり。

以上の三種、俱に戸を敲くの聲、無し。

「本綱」、「秧雞〔(あうけい)〕」【肉、甘、溫。】大いさ、小さき雞〔(にはとり)〕のごとし。白き頰、長き嘴、短き尾、背、白斑有り。多く、田澤の畔に在り。夏至の後は、夜、鳴きて、旦(あした)に逹し、秋の後、卽ち止む【蓋し、是れ、此〔(ここ)〕に云ふ「大水雞」か。】。

一種 「雞〔(とうけい)〕」 「秧雞」の類なり。大いさ、雞のごとくして、長き脚、紅-冠(〔と〕さか)。雄は大にして褐-色(きぐろ)、雌は、稍や小にして斑〔(まだら)〕色。秋月は、卽ち、無し。其の聲、甚だ大なり【本朝、未だ此くのごとき鳥を見ず。】

[やぶちゃん注:現行の生物種としてのクイナは、

鳥綱ツル目クイナ科 Rallidae クイナ属クイナ Rallus aquaticus

であるが、本邦で見られるのは、

亜種クイナ Rallus aquaticus indicus

で(朝鮮半島・日本(本州中部以北)・シベリア東部などで繁殖し、冬季に本州中部以南へ南下して越冬)、最後の「本草綱目」の叙述に出るのは、

亜種 Rallus aquaticus korejewi

(イラン東部・インド北部・中華人民共和国北西部(新疆・甘粛・青海・四川等)で繁殖し、冬季にアフガニスタン・イラク・中華人民共和国中部へ移動して越冬)となろうかと思ったのであるが、しかし、ところがどっこいウィキの「クイナ」を読むと、『日本の古典文学にたびたび登場する「くひな」「水鶏」は、別属のヒクイナを指していることが多い』(太字やぶちゃん)とあるから、結果、ここは本文に出る「緋水雞」、

クイナ科ヒメクイナ属ヒクイナ Porzana fusca

をまず挙げておいて、それから、やおら、クイナ Rallus aquaticus indicus としておくのが、少なくとも前の良安の叙述部に限っては、よいようである。ヒクイナは幸い、中華人民共和国東部・台湾。日本などで繁殖し、冬季になると、インドシナ半島・中華人民共和国南部・日本(本州中部以南)へ南下し、越冬するとあるから、問題なく、一種とする「雞〔(とうけい)〕」の「紅-冠(〔と〕さか)」という、頭部が有意に赤味を帯びるところとも一致するから問題ない。

 先にウィキの「ヒクイナ」から引いておくと、全長十九~二十三センチメートルで、翼開張は三十七センチメートル、体重百グラム程度。『上面の羽衣は褐色や暗緑褐色』、『喉の羽衣は白や汚白色』、『胸部や体側面の羽衣は赤褐色』、『腹部の羽衣は汚白色で、淡褐色の縞模様が入る』。『虹彩は濃赤色』。『嘴の色彩は緑褐色で、下嘴先端が黄色』。『後肢は赤橙色や赤褐色』。『卵の殻は黄褐色で、赤褐色や青灰色の斑点が入る』とあり、『湿原、河川、水田などに生息する』。『和名は鳴き声(「クヒ」と「な」く)に由来し、古くは本種とクイナが区別されていなかった』。『食性は動物食傾向の強い雑食で、昆虫、軟体動物、カエル、種子などを食べる』。『古くは単に「水鶏」(くひな)と呼ばれ』、『連続して戸を叩くようにも聞こえる独特の鳴き声』『は古くから「水鶏たたく」と言いならわされてきた』。『「水鶏」は「敲く」とするから「扉」の縁語になって』おり、『夏の季語』とするとあり、以下の例が掲げてある。

   *

「くひなのうちたたきたるは、誰が門さしてとあはれにおぼゆ」(紫式部「源氏物語」「明石」)

たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深く尋ねては來む(菅原孝標女「更級日記」)

「五月、菖蒲ふく頃、早苗とる頃、水鷄の叩くなど、心ぼそからぬかは」(卜部兼好「徒然草」)

此宿は水鷄も知らぬ扉かな(芭蕉)

   *

鳴き声はこれは確かに少し離れていれば、戸を叩く音に聴こえる

 次にウィキの「クイナも引いておく。全長二十三~三十一センチメートル、翼開長三十八~四十五センチメートル。体重百~二百グラム。『上面の羽衣は褐色や暗黄褐色で、羽軸に沿って黒い斑紋が入り縦縞状に見える』。『顔から胸部にかけての羽衣は青灰色』。『体側面や腹部の羽衣、尾羽基部の下面を被う羽毛は黒く、白い縞模様が入る』。『湿原、湖沼、水辺の竹やぶ、水田などに生息』し、『半夜行性で』、『昼間は茂みの中で休む』。『和名は本種ではなく』、『ヒクイナの鳴き声(「クヒ」と「な」く)に由来し、古くは本種とヒクイナが区別されていなかった』。『驚くと』、『尾羽を上下に動かし、危険を感じると茂みに逃げ込む』。『食性は雑食で、昆虫、クモ、甲殻類、軟体動物、魚類、両生類、小型鳥類、植物の茎、種子などを食べる』。『虹彩は赤』く、『嘴は長い』。『嘴の色彩は褐色で、基部は赤い』。『後肢は褐色や赤褐色』。『卵の殻は黄褐色で、赤褐色や青灰色の斑点が入る』。『繁殖期は嘴が赤い』とある。鳴き声サイトサントリーの愛鳥活動の「クイナ」がよい。「ヒクイナ」とは間違えようがないほど、違う。しかし、半夜行性なのはこっちだ。夜っぴいて鳴くのは寧ろ、こっちだ。私まで混乱してきたわい。

 なお、良安が特異的に先に自分の解説を持ってきて、「本草綱目」を後に回したのは、恐らく、「秧雞」「」が、今までのように、巻四十七の「水禽部」ではなく、巻四十八の「原禽類」に入っていること、彼から見て、雞」は本邦の「くひな」とは全く思われなかったこと(「とさか」と訓ずると、形状が甚だ異なり、雄鶏みたようになる)、しかもそれが「秧雞」の一種というならば、実は「秧雞」も「くひな」とは異なる鳥を指しているのではないかという強い疑義を持ってしまったからではなかろうか? しかし言っておくと、現代中国語ではクイナ科は今でも「秧鷄科」なのである。

 しかし、私は本邦で混同されていた「クイナ」と「ヒクイナ」が、中国でも永く同じように混同されていたと考えるなら、「本草綱目」の記載もそれらを指していると読めるし、そもそもが、良安が総論で「水雞(くひな)」という一種を挙げ、他に「赤(緋)水雞」と「鼠水雞」の二種、都合、三種の「くひな」がいるかのように書いているのも、種の混同に加えて、繁殖期の色彩変化をまで別種と見てしまった結果ではなかったかとも思うのである。

「たたくとて宿の妻戸〔(つまど)〕を明たれば人もこずゑのくひななりけり」「拾遺和歌集」の巻第十三「戀三」に載る「よみ人知らず」の一首(八二二番)、

 叩くとて宿の妻戸〔(つまど)〕を開けたれば人もこずゑの水鷄(くひな)なりけり

謂わずもがな、「梢」と「人も來ず」を掛ける。]

2018/05/08

和漢三才圖會第四十一 水禽類 計里 (ケリ)

Keri

けり  正字未詳

計里

    【万葉集用梟

     字爲歌助語

     然梟者不孝

     鳥之名與此

     大異

     者也】

 

△按計里鳥大似鳩而頭背灰黑而胸腹共白色翎末黑

 尾短而有黑斑觜黃赤而末黑脚脛長而黃常鳴水邊

 能捕魚其肉味甘美秋月賞之能治膈噎

山計里 狀似計里而頭背翅共青黑而翅裏帶淡赤色

 胸腹白嘴黑脚赤黑

 

 

けり  正字、未だ詳らかならず。

計里

    【「万葉集」、「梟」の字を用ひて、

     歌の助語と爲〔(な)〕す。然れ

     ども、「梟」は「不孝」の鳥の名

     〔にして〕、此れと、大〔いに〕

     異なる者なり。】

 

△按ずるに、計里の鳥、大いさ、鳩に似て、頭・背、灰黑にして、胸・腹、共に白色。翎の末、黑く、尾、短かくして黑斑有り。觜、黃赤にして末は黑し。脚・脛は長くして黃なり。常に水邊に鳴きて、能く魚を捕る。其の肉味、甘美にして、秋月、之れを賞す。能く膈噎〔(かくいつ)〕を治す。

山計里〔(やまけり)〕 狀、計里に似て、頭・背・翅、共に青黑にして、翅の裏、淡赤色を帶ぶ。胸・腹、白く、嘴、黑。脚、赤黑なり。

[やぶちゃん注:鳥綱 Avesチドリ目 Charadriiformesチドリ亜目 Charadriiチドリ科 Charadriidaeタゲリ属ケリ Vanellus cinereus漢字では「鳧」「水札」などとも表記する。現代中国語では「灰頭麦鳩」である。ウィキの「ケリより引く。『モンゴル、中国北東部、日本で繁殖する。冬には東南アジア、中国南部などに渡るものもいる。日本においては留鳥として、かつては主に東北地方に分布していたが』、『分布が拡大し』、『中部地方、関西地方を中心とした近畿以北の本州に』も広がっているらしく、『中国地方・北部九州など西日本でも繁殖が確認され始め』ているとする。全長は約三十四センチメートルで、『雌雄同色。くちばしは短く、黄色で先端が黒い。足は長くて黄色。目は赤橙色で黄色のアイリングがある。また。嘴の付け根には黄色い肉垂がある』(これも雌雄同色である)。『翼の小翼羽付近には爪があり、爪の大きさや色から雌雄の見当をつけることができる。成鳥の夏羽は頭部から胸上部が灰青色で、体上面は灰褐色で、体下面は白い。胸上部と体下面の境目には黒い胸帯がある。翼は先の方が黒く、基半部は白色と灰褐色で、飛ぶときこれらのコントラストが目立つ。尾は白色で黒い帯が入る。冬羽は頭部からの灰青色がやや褐色を帯びている。雛は淡褐色の綿羽に覆われている。若鳥は頭部からの胸部にかけて灰色でやや褐色を帯びる。胸帯は薄い。また目は褐色で、アイリング・肉垂とも小さく目立たない』。『水田、畑、河原、干潟、草原などに』棲息し、『食性は主に動物食で、昆虫類、ミミズ、カエルなどを捕食する。稀に穀類も食べる』。『繁殖期は』三月から七月で、抱卵は三月『初旬から中旬に始まり、抱卵・』雛養育は、それぞれ約一ヶ月ほど『かかる。クラッチサイズ』(clutch size:一回当たりの生産繁殖体数。「一腹卵数」「一巣卵数」等とも言う)は四卵で、時には三卵、稀に一卵から五卵が確認されている。『巣は水田内や畦などの地面に藁を敷き作る。よって』、『農作業による影響が著しく大きい。繁殖期中は時にテリトリーを変えるなどして最大』三『回営巣を試みる。非常に警戒心が強く、テリトリーにトビやカラス、人間などの外敵が近付くと、鳴きながら激しく威嚇し、追い払う。その為、夜でも鳴き声が聞こえてくる場合がある』。『非繁殖期には小群で行動する』。『甲高い声で鳴き、「キリッ、キリッ」、「ケリッ」、「ケケッ」というふうに聞こえる。この鳴き声からケリという名がついたといわれる』とあり、また、『「けりをつける」、「けりがつく」の“けり”は助動詞の“けり”から来た語だが、「鳧」の字を宛てることがあ』り、「鳧を付ける」というふうに当て字で今も使用する。鳴き声を含む動画はを。

 

『「万葉集」、「梟」の字を用ひて、歌の助語と爲〔(な)〕す。然れども、「梟」は「不孝」の鳥の名〔にして〕、此れと、大〔いに〕異なる者なり』良安は「梟」という字を「鳧」と勘違いをしているとしか思われない。まず以って「万葉集」は「梟」の字を助字になど使用していない。というよりも、「万葉集」にはフクロウ(フクロウ目 Strigiformesフクロウ科 Strigidae 或いは同科フクロウ属 Strixに相当する鳥をさえ詠みこんだ歌がないように思われる(中西進編「万葉集事典」(昭和六〇(一九八五)年講談社文庫刊)の「動物一覧」には「ふくろう」も「みみづく」も載らない)。東洋文庫の訳本の注にも、『助動詞「けり」に當てられている漢字は、「鳧」であって「梟」ではない。ただし『萬葉集』で「けり」に用いられている漢字は、計里・弗里・家里・來・異梨などで、「鳧」はむしろ巻七、一一九〇の歌のように「かも」と訓(よ)む用字となっている』とある。一一九〇番歌は、「覊旅作」(覊-旅(たび)にして作れる)歌群の中の一首で、

 

舟盡 可志振立而 廬利爲 名子江乃濱邊 過不勝鳧

舟泊(は)てて杙(かし)振り立てて廬(いほり)せむ名子江(なごえ)の濱邊過ぎかてぬかも

 

である(「杙(かし)」は舟を係留するための杭(くい)。「廬」は旅宿。「名子江」は位置不詳。「名児(なご)の海の入り江」としても住吉(現在の大阪湾)辺りとも、越中(富山県)ともされ、最早、確定不能である)。この「かも」詠嘆的疑問を示す係助詞で、係助詞「か」に係助詞「も」が付いて一語化したものである)。また、鳥としての「ケリ」は、巻第二十の四三三九番歌(防人歌で作者は刑部(おさかべの)虫麻呂。天平勝宝七(七五五)年二月作)で、

 

久尒米具留 阿等利加麻氣利 由伎米具利 加比利久麻弖尒 已波比弖麻多禰

國巡(めぐ)る猲子鳥(あとり)鴨(かま)鳧(けり)行き巡り歸り來(く)までに斎(いは)ひて待たね

 

詠われている。この「國」は筑紫国。「猲子鳥(あとり)」はスズメ目アトリ科アトリ属アトリ Fringilla montifringilla。「鴨(かま)」はカモの訛り。「斎(いは)ひてひて待たね」は「身を慎んで私の帰るのを待っていておくれ」の意。

「膈噎〔(かくいつ)〕」漢方では「噎」は「食物が喉を下りにくい症状」を指し、「膈」は「飲食物を嚥下出来ないこと」「一度は喉を通っても後で再び嘔吐する症状」を指す。精神的な嚥下不能から喉の炎症、アカラシア(achalasia:食道アカラシア。食道の機能障害の一種で、食道噴門部の開閉障害若しくは食道蠕動運動の障害或いはその両方によって飲食物の食道通過が困難となる疾患)や咽頭ポリープによるもの、更には食道狭窄症や逆流性食道炎、重いものでは咽頭癌・食道癌や噴門部癌や胃癌も含まれると思われる。

「山計里〔(やまけり)〕」これはケリの異名であって、別種ではない。]

2018/04/24

和漢三才圖會第四十一 水禽類 河鴉 (カワガラス)

Kawagarasu

かはからす 正字未詳

河鴉

 

△按河鴉大似鸜鵒而全體嘴脚共黑深山谷川有之飛

 不甚高而捷速難捕丹波及和州吉野山中多有之又

 以大鷭爲河鴉【河鴉黑燒有入小兒藥方用者宜選之】

 

 

かはがらす 正字、未だ詳かならず。

河鴉

 

△按ずるに、河鴉、大いさ、鸜鵒(ひよどり)に似て、全體・嘴・脚、共に黑く、深山・谷川、之れ、有り。飛ぶに、甚だは高からず、而〔れども〕、捷速〔(しようそく)にして〕捕へ難し。丹波及び和州の吉野の山中に多く、之れ有り。又、大鷭を以つて「河鴉」と〔も〕爲す【河鴉の黑燒、小兒の藥方に入るる〔こと〕有り。用ふる者は、宜しく之れを選ぶべし。】

 

[やぶちゃん注:鳥綱 Avesスズメ目Passeriformesカワガラス科 Cinclidaeカワガラス属カワガラス亜種カワガラス Cinclus pallasiii pallasiiウィキの「カワガラスによれば、『ヒマラヤ北部からインドシナ半島北部、中国、台湾、サハリン、日本、カムチャツカ半島に分布する』。『生息地では、基本的には留鳥である』。『日本では、北海道、本州、四国、九州、屋久島にかけて広く分布する』。『留鳥として、河川の上流から中流域にかけてと山地の渓流に生息する』。全長は二十一~二十三センチメートル、翼開長は約三十二センチメートル、体重六十五~九十グラム。『ヒヨドリやツグミより』、『少し小さい。全身が濃い茶色(チョコレート色』を呈するが、『光の具合により』、『赤茶色に見えることもある』『)の羽毛におおわれているのが名前の由来だが、カラスの仲間ではない』(下線やぶちゃん)。『尾羽は短めで黒味の強い焦茶色』。『目は茶色で、目を閉じると』、『白いまぶたが目立つ』。『雌雄同色』。『くちばしは黒く』、『足は灰色でがっちりしている。ミソサザイを大きくしたような体形で、短めの尾羽を立てた独特の姿勢をとる』。『幼鳥は喉から腹にかけて』、『白くて細かいうろこ模様がある』。『平地から亜高山帯の川の上流から中流の岩石の多い沢に生息する。冬期(積雪期)には下流側に生息場所を移動することもある。一年中、単独(非繁殖期は単独で行動している』『)もしくは番いで行動し群れを形成することはない。つがい形成期には、一夫二妻行動をとることがある』。『ピッピッと鳴きながら、速い羽ばたきで川面の上を一直線に飛翔する』。『頑丈な脚で岩をつかみ、水流の圧力を利用して川底を歩きながら水中で捕食を行う』。『尾羽を上下に動かしたり、風切羽を半開きにしたり、まばたきし白いまぶたを見せながら、石や流木の上で休息する』。『食性は動物食。水に潜ってカゲロウ、カワゲラなどの幼虫などの水生昆虫やカニなどの甲殻類、小魚を捕食する』。『水面上を泳ぎながら首を水中に入れて覗き込み、頻繁に潜水する』。『水中では水底を這うように歩き回って川底の餌を探し、『渓流の素潜り名人』と称されることがある』。『水にもぐっているときは羽毛の間に空気がふくまれるため、全身が銀色にみえる』。『ほかの鳥にくらべて繁殖を始めるのが早く』、十二『月頃からオスがさえずり』、『縄張り宣言を行う。暖地では』一『月頃から繁殖を始める』。『滝の裏の岩の隙間にコケや植物の根で半球状のドーム形の巣をつくる』。『岩の陰やコンクリート護岸の排水口、橋桁』『などの人工物にも巣を作ることもある』。『造巣の際の雌雄の貢献度は』、『ほぼ等しく分業は行われない』。『日本では』二~六月に、一腹で四、五個『の卵を産む。抱卵日数は』十五~十六日で、『雌が抱卵する育雛は雌雄共同で行う』。『雛は』二十一~二十三『日で巣立つ。雛は飛べない内から、水中を泳いだり歩くことができる』。『オスは』十二『月頃の繁殖期から「ピピピ チュシュ ピッピッ ピュュ」と鳴き始める』。『セグロセキレイ似た濁った声で「チーチージュピチリリ」と複雑に鳴く』。『地鳴きは「ピッ ピッ」』とある。鳴き声はで。

 

「鸜鵒(ひよどり)」鳥綱スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis。但し、中文名の「鸜鵒」はスズメ目ムクドリ科ハッカチョウ(八哥鳥)属ハッカチョウ Acridotheres cristatellus で、しかもこのハッカチョウの方が真っ黒で、より「河鴉」的には見えるウィキの「ハッカチョウを参照されたい。現在、本邦にもいるが、人工移入の外来種である)のは、偶然か。なお、ハッカチョウはよく人語を真似ることで知られ、江戸時代にはこれを飼うことが流行り、「小九官鳥」とも呼ばれる。

「捷速」非常に素早いさま。

「和州」大和国。

『大鷭を以つて「河鴉」と〔も〕爲す』項「鷭」を参照。]

 

和漢三才圖會第四十一 水禽類 鷭 (バン) 附 志賀直哉「鷭」梗概

Ban

ばん  正字未詳

鷭【音煩】

 

△按鷭大如鳩黑色短尾尖嘴本紅末黄脚長而正青常

 鳴于田澤人養之亦能馴而伏卵其雛可愛夏月以鷭

 爲上饌味美

大鷭 形似鷭而大其嘴白而額下鼻上有白肉瘤脚色

 黑短於鷭脚而似鸊鷉掌其雌者小而無鼻瘤俗以大

 鷭爲河鴉【河鴉別有一種】

 

 

ばん  正字、未だ詳かならず。

鷭【音、「煩」。】

 

△按ずるに、鷭、大いさ、鳩のごとく、黑色。短き尾。尖りたる嘴の本〔(もと)〕は、紅〔にして〕、末は黄。脚、長くして正青。常に田澤に鳴く。人、之れを養ひても、亦、能く馴れ、卵を伏す。其の雛、愛すべし。夏月、鷭を以つて上饌と爲し、味、美なり。

大鷭〔(おほばん)〕 形、鷭に似て、大なり。其の嘴、白くして、額の下・鼻の上に白き肉の瘤(こぶ)有り。脚の色、黑く、鷭の脚より短くして、鸊鷉(にほどり)の掌に似たり。其の雌は小さく、鼻の瘤、無し。俗に「大鷭」を以つて「河鴉(かはがらす)」と爲す【「河鴉」は別に一種有り。】。

 

[やぶちゃん注:鳥綱 Avesツル目 Gruiformesクイナ科 Rallidae Gallinula属バン Gallinula chloropusウィキの「バン」より引く。体長は三十五センチメートルほどで、『ハトくらいの大きさ。翼開長は』五十二センチメートルほど。『成鳥のからだは黒い羽毛におおわれるが、背中の羽毛はいくらか』、『緑色をおびる。額にはくちばしが延長したような「額板」があり、繁殖期には額板とくちばしの根もとが赤くなる。足と足指は黄色くて長く、幼鳥はからだの羽毛がうすい褐色で、額板も小さい』。『オセアニアを除く全世界の熱帯、温帯に広く分布し、中央アジアや沿海州、アメリカ東部などで繁殖したものは冬には暖地へ移動する。日本では東日本では夏鳥で、西日本では留鳥となる』。『分布域が広く、地域ごとにいくつもの亜種に分かれている』。『湖沼、川、水田、湿地などに生息するが、公園の池などにも生息することがある。長い足を高く上げながら』、『水際や浮いた水草の上を歩き回る。泳ぐことも水にもぐることもできるが、足に水かきはなく、尾が高く上がった前のめりの姿勢で』、『ぎこちなく泳ぐ。食性は雑食性で、昆虫、甲殻類、植物の種などいろいろなものを食べる』。『「クルルッ」と大きな声で鳴き、この声から水田を外敵から守る「番」をしている鳥として名前の由来になったとされる』。『水辺に巣を作るが、ヒナは生まれてすぐに歩くことができ、巣立ちも早い。成鳥はひと夏に』二『回繁殖することもあるが』、二『度目の繁殖では』一『度目のヒナがヘルパーとして両親の手助けをすることもある』。『江戸時代の頃には「三鳥二魚」と呼ばれる』五『大珍味の』一『つに数えられていた。水戸藩から皇室に献上されていた郷土料理である。三鳥二魚とは、鳥=鶴(ツル)、雲雀(ヒバリ)、鷭(バン)、魚=鯛(タイ)、鮟鱇(アンコウ)のことである』とある。バンの鳴き声はこちらで聴ける。

 私は鷭というと、志賀直哉(明治一六(一八八三)年~昭和四六(一九七一)年十月二十一日)の小説「鷭」(大正一五(一九二六)年一月号『新潮』初出)を思い出す。志賀は無駄に長生きしたせいで(晩年は創作意欲が枯渇し、旧作を改悪するなど散々であった)、恐らく、私の生きているうちにはパブリック・ドメインにはならないから、少し要約して示そう。自身をモデルとした画家矢島柳堂(やじまりゅうどう)を主人公とした四篇の内の一つである。

 ある秋の日、柳堂が縁先から見える沼の景を眺めながら、猟犬を連れて猟師が行くのを見、鉄砲の音が二発続けて響いた後、「俺は鷭(ばん)が飼ひたいよ」と突然、妹のお種(たね)に言い出すシーンから始まる。彼は「中庭に綺麗な水を流し込んで、葭を植ゑ、其處へ一羽でも二羽でもいいが、鷭を放し飼ひにするのだ」と言う。

 彼が鷭を愛するのは、『前髮に赤い手絡(てがら)を結び、萌えだしの草の茎のやうな足で葭の間を馳け步く姿を見ると、その羞む[やぶちゃん注:「はにかむ」。]やうな樣子が彼には十四五の美しい小娘を見る気が』するからなのであるが、それはお種には言えない。それは柳堂が十数年前、京都に住んでいる頃、町家(ちょうか)の小娘に或るしくじりをしたことがあり、その当時の小娘と鷭の姿が重なるから、なのである。

 一週間後、彼の話をお種から聴いた隣りの婆さんが田に仕掛けた鰻の流し針で捕まえた鷭が、彼の元に齎される。

 しかし、鷭は少しも彼に馴れないのであった。『馴れないばかりでなく、餌(ゑ)を全く食はない。そして柳堂がゐないと逃げようとし、騷いでゐるが、彼の姿を見ると直ぐ』、鷭のために拵えた『箱の隅の方へ行つて、彼方(あつち)向きに凝つとしてしまふ』のであった。最初は隣りから貰った鮠(はや)や小鮒をやってみたが、食わない。気を揉んだ彼は、泥鰌を買って与えてみたり、目の前の沼から、蜻蛉の幼虫(ヤゴ)をわざわざ捕ってこさせてやってみたりするが、やはり一向に食わない。『柳堂はその鷭の』、いろいろな場面で柳堂のやることに対し、『驚く樣子や、隅へ行つて拗ねた[やぶちゃん注:「すねた」。]やうに凝つとしてゐる樣子が、猶且、十四五の小娘のそれのやうに思はれて仕方なかつた。彼は憶ひ出したくない事を憶ひ出し、不愉快にな』るのであった。

 ある朝、鷭を見に行くと、『鷭は箱の中で、橫倒しに長い足を延ばし、死んでゐた。そのまはりには鰌や蜻蛉の幼蟲が這ひ𢌞つてゐた。柳堂はいやな顏をして、暫くそれを見てゐた』。その日の晩のことである。茶の間で、弟子の今西が、彼に「鷭は非常にうまい鳥ださうですな。埋(うづ)めた話をしたら隣で大變惜しがつてゐましたよ」と言う。柳堂が応える。

   *

「いくらうまくたつて、飼ふ氣で飼つたものは食べないよ。俺は一朝、志を得ても、もう鷭を飼ふ事はやめだ」さう云つて柳堂はにが笑ひをしてゐた。

   *

と終わる。

 自分の日記帳に妻とセックスをした日には『肉』と御丁寧に記した異常な志賀直哉、小僧に寿司を奢って神様にされて喜ぶお目出度い彼の、それほど不快ではく、さほど厭味も感じない一篇として、私の記憶に残っている一篇なのである(引用は所持する岩波書店新書版全集の第三巻(昭和三〇(一九五五)年刊)を用いた)。

 

「卵を伏す」卵の上に伏して抱だく。

「其の雛、愛すべし」神奈川県大和市上草柳にある「泉の森」のこちらの写真を参照されたい。

「大鷭〔(おほばん)〕」鳥綱ツル目クイナ科オオバン属オオバン Fulica atra。詳しくはウィキの「オオバン」を参照されたいが、その写真を見て分かる通り、面相(嘴が白く、上嘴から額にかけても白い肉質(額板)で覆われている)がバンとは、全然、異なる

「鸊鷉(にほどり)」鳥綱カイツブリ目カイツブリ科カイツブリ属カイツブリ Tachybaptus ruficollis。但し、似ているのはオオバンの夏季(夏羽期)の後肢の黄緑色或いは緑青色の時であって、冬季(冬羽)では有意に白い灰緑色に変じてしまい、カイツブリの脚掌とは明らかに異なる

『「河鴉」は別に一種有り』オオバンの成鳥は個体差があるが、見た目、かなり黒いから、そう呼ばれるのも腑に落ちる。ここで別種とするのは、真正のスズメ目カワガラス科カワガラス属カワガラス Cinclus pallasii で、これは次項で挙がっているので詳述しない。]

和漢三才圖會第四十一 水禽類 蚊母鳥 (ヨタカ)

Bunnmotyou

ぶんもちやう 吐蚊鳥

       鷆【音田】

蚊母鳥

ウエン モウ ニヤ◦ウ

本綱蚊母鳥江東多之生池澤茄蘆中大如鷄黑色其聲

如人嘔吐毎吐出蚊一二升夫蚊乃惡水中蟲羽化所生

而江東有蚊母鳥塞北有蚊母樹嶺南有母草此三物

異類而同功也

蚊母鳥【郭璞曰似烏𪇰而大黃白襍文鳴如鴿聲異物志云吐蚊鳥大如青鷁大觜食魚物】時珍曰

有數説也豈各地之差異耶

△按二説所比𪇰鷁並鸕鷀之種類而與雞不甚遠者也

 此圖據三才圖會

ぶんもちやう 吐蚊鳥〔(とぶんてう)〕

       鷆〔(てん)〕【音、田。】

蚊母鳥

ウエン モウ ニヤ◦ウ

「本綱」、蚊母鳥、江東に多し。之れ、池澤の茄蘆〔(かろ)〕中に生ず。大いさ、鷄のごとく、黑色。其の聲、人の嘔吐するがごとし。毎〔(つね)〕に、蚊、一、二升ばかりを吐き出だす。夫〔(そ)〕れ、蚊は、惡水の中にある蟲、羽化して生〔ずる〕所にして、而〔(しか)〕も江東には「蚊母鳥」有り、塞北には「蚊母樹」有り、嶺南には「母草〔(ばうもさう)〕」有り。此の三物、異類〔にして〕而〔(しか)〕も功(わざ)を同じくすと。

蚊母鳥【郭璞〔(かくはく)〕曰く、『烏𪇰〔(うぼく)〕に似て、而も大きく、黃白〔の〕襍文〔(しふもん)ありて〕、鳴けば、鴿〔(いへばと)〕の聲のごとし』〔と〕。「異物志」に云はく、『吐蚊鳥〔(とぶんちやう)〕、大〔いさ〕、青鷁〔(せいげき)〕のごとく、大〔なる〕觜〔(くちばし)ありて〕、魚物〔(ぎよぶつ)〕を食ふ』〔と〕。】時珍、曰く、『數説有〔るも〕、豈に、各地の差〔(さんさ)〕、異〔(こと)〕なるや。』〔と〕。

△按ずるに、二説に比する所の、𪇰〔ぼく〕・鷁〔げき〕並〔びに〕鸕鷀(う)の種類にして、而も、雞〔(にはとり)〕と甚だ遠からざる者なり。此の圖、「三才圖會」に據る。

 

[やぶちゃん注:「蚊母鳥(ぶんもちやう)」(「ちやう」は原典のママ。歴史的仮名遣は「てう」が正しい)は、意外なことに、ヨタカ目ヨタカ科ヨーロッパヨタカ(夜鷹)亜科ヨタカ属 Caprimulgus indicus の異名として今も生きている。これは、本種が夜行性の動物食で、昆虫などを、口を大きく開けながら飛翔して捕食することに由来するが、好んで蚊ばかりを食うわけではない。実は本項は既に和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚊(か) 附 蚊母鳥(ヨタカ?)で電子化注しているが、今回、再度、一から翻刻し直し、注も手を加えた。世界的分布はインドを中心に広域に及び、詳しくはウィキの「ヨタカを参照されたいが、それによれば、『種小名 indicusは「インドの」の意。夏季に中華人民共和国東部、ロシア南東部、朝鮮半島で繁殖し、冬季になるとインドネシアやフィリピン、インドシナ半島へ南下し越冬する。南アジアやマレー半島では周年生息する。日本では夏季に九州以北に繁殖のため飛来する(夏鳥)。伊豆諸島や南西諸島では渡りの途中に飛来する(旅鳥)。ヨタカ目では本種のみが日本に飛来する』。全長は二十九センチメートル、『全身の羽衣は暗褐色や褐色で、黒褐色や褐色、赤褐色、薄灰色などの複雑な斑紋が入る。この体色は樹上や落ち葉の上では保護色になると考えられている。翼は大型で先端は尖る』。『頭部は大型で扁平。虹彩は暗褐色。口は大型だが、嘴は小型で幅広い』。『オスの成鳥は頸部側面や初列風切、尾羽に白い斑紋が入る。メスの成鳥は頸部側面や初列風切に淡褐色の斑紋が入り、尾羽に明色の斑紋が入らない』。『平地から山地にかけての森林や草原などに生息する。渡りのときには日本海の離島でもよく観察され、海岸の岩場に止まっていることもある。夜行性で、昼間は樹上で枝に対して平行に止まり休む。抱卵中に危険を感じると』、『翼を広げて威嚇する。鳴き声は大きく単調な「キョキョキョキョ、キョキョキョキョ」。鳴き声からキュウリキザミやナマスタタキ、ナマスキザミなどの別名もある』。『繁殖形態は卵生。落ち葉の上などに』一回に一、二個の『卵を産む。主にメスが抱卵し、抱卵期間は』十七~十九日。『抱卵中や子育て中は敵に見つからないように、あまり動か』ず、『雛も目立たないように』、『あまり鳴かず』、『嘴を引っ張って餌をねだる』。『夜は雄が抱卵したり』、『子育てする』。『伐採跡に巣を作る』傾向があるらしい。『喉の袋に虫を溜めて雛にやる』。『雛は黄色だが』、『すぐに親鳥に似て』、『地面のような色になる』。『暑い時は口を開け喉の袋を膨らませる』。『開発による生息地の破壊などにより生息数は減少して』おり、「環境省レッドリスト」では準絶滅危惧(NT)に指定されている。『江戸時代、街頭で商売する私娼を夜鷹といった。宮沢賢治の童話』「よだかの星」(大正一〇(一九二一)年頃の執筆と推定され、賢治没年の翌年、昭和九(一九三四)年に発表された)では、『主人公のヨタカが』、『他の鳥たちから地味で醜い鳥と揶揄されている』。優れた宮澤賢治のサイト「森羅情報サービス」の星」をリンクさせておく。

 

「江東」長江の下流域の、特に南岸を指す。

「茄蘆」不詳。取り敢えず音読みしただけ。東洋文庫訳は『あかねぐさ』とルビするが、どうも従えない。これはキク亜綱アカネ目アカネ科アカネ属アカネ Rubia argyi の別称であろうが、池や沢の近くに生えるとする本文とはどうも相性が悪いように感しられるからである。識者の御教授を乞う。

「其の聲、人、嘔吐するがごとし」先に引用したウィキの「ヨタカ」によれば、『鳴き声は大きく単調な「キョキョキョキョ、キョキョキョキョ」。鳴き声からキュウリキザミやナマスタタキ、ナマスキザミなどの別名もある』とあるが、私の家の裏山ではよく鳴くが、人の嘔吐の音になどには似ていない。で聴ける。寧ろ、可愛い声であると私は感じる。

「塞北には蚊母樹有り、嶺南には母草〔ばうもさう)〕有り。此の三物、異類〔にして〕而〔(しか)〕も功(わざ)を同じくすと」「功(わざ)を同じくす」というのは、生きた蚊を多量に吐き出し、この世に送り込んでくるという習性・性質を指している。ここに東洋文庫では注を附して、「本草綱目」(虫部・化生類・蜚蝱)に『「嶺南には蚊子木がある。葉は冬青(もちのき)のようで實は枇杷に似ている。熟すと蚊が出てくる。塞北には蚊母草がある。葉中に血があり、虫が化して蚊となる」また、木は木葉の中から出てくる。飛んでよく物を囓(かじ)る。塞北にもいるが、嶺南には極めて多い、ともある』とする(原文は以下(後も引く)。「藏器曰嶺南有蚊子木葉如冬靑實如枇杷熟則蚊出塞北有蚊母草葉中有血蟲化而爲為蚊江東有蚊母鳥一名鷏每吐蚊一二升也」。やや訳と異なる)。しかし、『とはあぶのことである。良安の文はこれらを混同したものであろうか』としている。確かに、ここの部分はおかしい。なお、「冬青」の「もちのき」は本邦ではバラ亜綱ニシキギ目モチノキ科モチノキ属ソヨゴ Ilex pedunculosa を指す。但し、同属の中文名は冬青属 Ilex であるからよいか。

「烏𪇰〔(うぼく)〕」東洋文庫の注に、『水鳥で』(サギ類か)『に似ていて短頭。腹と翅は紫白。背は緑色、という』あるが、中文サイト「百度百科」の「を見ると、郭璞は(東洋文庫の注はそれを不完全に引いたものである)水鳥の一種でに似ているが、頸が短く、腹と翅は紫白、背の上が緑色であり、江東では「烏𪇰」と呼ぶ、とあって、これは「𪇰」と同じであることになっている。しかもそこには、古くは「鷺」と同じ、とあるのである。

「襍文」「(しふもん)」「襍」は「入り混じる」の意。東洋文庫訳では『雑文(いりまじったもよう)』と裏ワザのようなルビが振られてある。

「鴿〔(いへばと)〕」東洋文庫のルビに従った。普通に我々が「ハト」と呼んでいるハト目ハト科カワラバト属カワラバト Columba livia のこと。カワラバトとヨタカなら鳴き声は似ていないこともない

「異物志」「嶺南異物志」。東洋文庫書名注に、『一巻。孟琯(もうかん)撰。嶺南地方の珍奇な生物などについて記述したもの』とある。

「青鷁〔(せいげき)〕」不詳。「鷁」は想像上の水鳥で、白い大形の鳥。風によく耐えて大空を飛ぶとされ、船首にその形を置いて飾りとしたことで知られるから、実在する鳥に比定すること自体が無理である。鷁の羽色の青みを帯びたもの、としか言いようがない。

「數説有〔るも〕、豈に、各地の差〔(さんさ)〕、異〔(こと〕な)るや」時珍が「本草綱目」で珍しく不満をぶつけている部分。東洋文庫訳では『数説あるが、どうして各地でこのような差異があり得ようか、と李時珍』『は言っている』となっている。

「鸕鷀〔(ろじ)〕」これは実在する海鳥、カツオドリ目ウ科 Phalacrocoracidae の鵜(ウ)類を指す。]

 

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