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カテゴリー「和漢三才圖會 禽類」の55件の記事

2018/09/04

和漢三才圖會第四十二 原禽類 鷓鴣(しやこ) (シャコ)

Syako

しやこ 越雉

鷓鴣

 

チヱヽ クウ

 

本綱鷓鴣形似母雞頭如鶉臆前有白圓點如眞珠背毛

有紫赤浪文好啖半夏烏頭苗【故肉有微毒】性畏霜露早晚稀

出夜栖以木葉蔽身多對啼云鉤輈格磔今俗謂其鳴曰

行不得哥也其飛必南向雖東西囘翔開翅之始必先南

翥其志懷南不徂北也其性好潔獵人因以黐竿粘之或

用媒誘取商人專炙食肉白脆味勝雞雉【不可與竹笋同食】

藻塩 しやこといふ鳥の上尾の紅に散りし紅葉の殘なりけり

△按字彙云鷓鴣其飛數隨月若正月一飛而止蓋未知

 然否近年亦有來中華最爲珍

 

 

しやこ 越雉

鷓鴣

 

チヱヽ クウ

 

「本綱」、鷓鴣、形、母雞に似、頭は鶉〔(うづら)〕のごとし。臆(むね)の前に白き圓點有り、眞珠のごとく、背の毛に紫赤の浪の文、有り。好んで半夏〔(はんげ)〕・烏頭〔(うづ)〕の苗を啖〔(く)〕らふ【故に肉に微毒有り。】。性、霜露を畏る。早晚には出〔(いづ)〕ること稀なり。夜、栖〔(すみか)〕に〔て〕、木の葉を以つて身を蔽ふ。多く、對し〔て〕啼きて、「鉤輈格磔(キユイチウコキツ)」と云ふ。今の俗、其の鳴くを謂ひて、「行不得哥〔(シンブウデエグウ)〕」と曰ふなり。其れ、飛ぶこと、必ず、南に向ふ。東西に囘-翔(とびかく)ると雖も、開翅の始めは、必ず、先づ、南に翥(と)ぶ。其の志、南を懷〔(おも)ひ〕て、北に徂(ゆ)かざるなり。其の性、潔を好む。獵人、因りて黐-竿(ゑさしざほ)を以つて之れを粘〔(ねん)〕ず。或いは媒(をとり)を用ひ、誘(さそ)い[やぶちゃん注:ママ。]取る。南人、專ら、炙り、食ふ。肉、白く脆(もろ)く、味、雞・雉に勝れり【竹笋〔(たてのこ)〕と同食すべからず。】

「藻塩」 しやこといふ鳥の上尾の紅(くれなゐ)に散りし紅葉の殘るなりけり

△按ずるに、「字彙」に云はく、『鷓鴣、其の飛ぶ數、月に隨ふ。正月のごときは一飛〔(ひととび)〕して止む。』〔と〕。蓋し、未だ然るや否やを知らず。近年、亦、中華より來たること有り、最も珍と爲す。

[やぶちゃん注:シャコ(鷓鴣)はキジ科 Phasianidaeの鳥の一群の総称で、キジとウズラの中間の体形を持つものを俗称するものであって、分類学上の区分ではない。良安も述べている通り、本来は日本には棲息しない鳥であるが、私には実はすこぶる親しい名なのである。何故なら、私の好きなツルゲーネフの「猟人日記」(私のサイトの「心朽窩新館」に翻訳電子化有り。以下のリンク先も同じ)や「散文詩」(これは中山省三郎氏訳)、また、同じく偏愛するジュール・ルナールの「博物誌」「にんじん」(孰れも岸田国士氏訳)にしばしば登場する鳥だからであり、果ては宋代の僧無門慧開(一一八三年~一二六〇年)が編んだ公案集「無門關」(私には暴虎馮河の「無門関 全 淵藪野狐禅師訳注版」(サイト一括版)がある)の「二十四 離却語言」(こちらはブログ単発版)にも登場し、実はその時の訳注作業によって「行不得哥」に「シンブウデエグウ」という音も添えることが出来たのである。幾つかの種を挙げると、ヨーロッパやロシアで古くから狩猟鳥として有名で、上記の作品群にも登場する、

キジ科ヤマウズラ属ヨーロッパヤマウズラ Perdix perdix(フランス名:Perdrix rouge:ペェルドリ・ルージュ/英名:Grey partridge:グレイ・パートリッジ)

や、中国南部・東南アジア・インドに分布し、家禽としても飼育され、中国では単に「鷓鴣」「中國鷓鴣」及び、ここに出る「越雉」や、習性として記されてある「懷南」の別名を持つ、

シャコ属コモンシャコ(小紋鷓鴣)Francolinus pintadeanus

また、カフカス山脈・ヒマラヤ山脈・チベットなどに棲む高山性の、

セッケイ(雪鶏)属 Tetraogallus

のセッケイ類、また、中国南部原産であるが、北陸地方以北を除く本州・四国・九州に移入して定着し、私の家の裏山にもワンサカいる、既に我々にお馴染みの鳴き声「チョットコイ、チョットコイ」で知られる、

コジュケイ属コジュケイ(小綬鶏)Bambusicola thoracicus thoracicus

及び、神戸周辺に定着している同種の亜種、

タイワンコジュケイ(テッケイ(竹鶏))Bambusicola thoracicus sonorivox

等がいる。コジュケイとテッケイはウィキの「コジュケイ」によれば、本邦には『ペットとして移入された』。『狩猟用に基亜種が』大正八(一九一九)年に『東京都や神奈川県で(』大正四(一九一五)年『には既に脱走していたとされる』『)、亜種テッケイが』昭和八(一九三三)年に『埼玉県や兵庫県で放鳥された』とある。

 また、荒俣宏「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「シャコ」の項を見ると、ここで良安が挙げる「本草綱目」の「鷓鴣」は、同書の校訂を行った一人である木村重博士(但し、彼は魚類学者である)によれば、それはシャコではなく、『サンケイ Lophura swinhoii(英名 Taiwan blue pheasant)にあてられる』としつつ(以下、コンマを読点に代えた)、『しかしこれも仮の同定で、テッケイの一種を指すともされる』とあって、さらに中国『北部ではウズラを鷓鴣(チエークー)とよび、シャコは石鶏(シーチー)と称する、と述べている』とある。さらに荒俣氏は『日本にもシャコはまれに渡来したらしい』とされて、「蔵玉和歌集」(室町時代の歌集。一巻。草木鳥月の異名などを詠み込んだ和歌を類聚し、簡単な注を施したもの)から、まさに良安が引いている一首を挙げ(良安の引用元は、後の戦国時代の連歌師宗碩(そうせき 文明六(一四七四)年~天文二(一五三三)年の編になる、連歌を詠む人のために編まれた辞書的な性格を持った語句集「藻塩草」)、次いで貝原益軒の「大和本草」(宝暦六(一七〇九)年刊。私は同書の水族の部に特化した電子化注を継続中)の「鷓鴣」を引いておられる。序でなので、原本に当って電子化しておく。第十五巻の終りの方で、たった一行である(後の訓読は私が推定で附した。「雌」は原典では(つくり)の「隹」が「鳥」であるが、表記出来ないので、かくした)。

   *

鷓鴣 昔年日本ニ渡ス矮雞(チヤボ)ノ雌ニ似テ頭ハ鶉ノ如シ

(鷓鴣 昔年(せきねん)、日本に渡(わたり)す。矮雞(チヤボ)の雌に似て、頭は鶉(うづら)のごとし。)

   *

「渡す」と言ってもシャコ類は総じて飛翔がすこぶる苦手で、とても海は渡れぬから、飛来したのではなく、無論、人為的に移入されたのである。荒俣氏は以下、『江戸時代には、琉球経由でときたまもたらされ、〈世にも稀成るもの、若き人はよく見覚へて、後世の人に言伝へべし〉と《飼鳥必用》』薩摩藩御鳥方比野勘六の著になる「鳥賞案子(ちょうしょうあんし)」(享和二(一八〇二)年序)『にも記されている。また寛政年間』(一七八九年~一八〇一年)『に刊行された橘南谿の《東西遊記》には、九州でシャコを実見した話が見える。それによると、この鳥は肥前肥後付近の海にいて、船人たちは〈シャク〉とよんでいた。南谿は熊本の医者の家で、この鳥の珍味を楽しんだという』とある。最後のそれは、「西遊記 続編」の「巻之二」の「鷓鴣」であるが、そこには『肥前、肥後の海上に、脛高く口ばし長く少し鼠色にて、翼に白き点紋ある鳥なり』(引用は東洋文庫版を使用した。太字下線は私が附した)とあって、これは形状から見て、私は全く以ってシャコではなく、チドリ目チドリ亜目シギ科 Scolopacidae のシギの中間と見た。「しゃく」も「しゃこ」の訛りなのではなく、シギ類の和名中にしばしば見られる、大きく反った嘴を譬えた「杓」(しゃく)であろうと思う。

 ともかくも、本条の「シャコ」は、

コモンシャコ(小紋鷓鴣)Francolinus pintadeanusグーグル画像検索「Francolinus pintadeanus

コジュケイ属コジュケイ(小綬鶏)Bambusicola thoracicus thoracicusウィキの「コジュケイ

タイワンコジュケイ(テッケイ(竹鶏))Bambusicola thoracicus sonorivoxグーグル画像検索「Bambusicola thoracicus sonorivox

サンケイ(山鶏)Lophura swinhoii(但し、現行では本種は台湾固有種である。これ(ブログ「ウズラ大学(うずら 鶉 ウズラ)」の同種のページ)

の孰れかということになろう。でないとすれば、それは恐らく、現在、認識されている「シャコ」類では、ないと思う。最後に。私はあの「チョットコイ、チョットコイ」という鳴き声が好きで好きでたまらない。

「鶉〔(うづら)〕」ウズラ類はキジ目キジ科ウズラ属 Coturnix であり、我々の知っている狭義のそれはウズラ Coturnix japonica である。

「臆(むね)」「胸」に同じい。

「半夏〔(はんげ)〕」ここでは、コルク層を除いた塊茎を生薬で「半夏」と呼ぶ、単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク(烏柄杓)Pinellia ternata ととっておく。ウィキの「カラスビシャク」によれば、『鎮吐作用のあるアラバンを主体とする多糖体を多く含んでおり、半夏湯(はんげとう)、半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)などの漢方方剤に配合される。他にホモゲンチジン酸を含む。またサポニンを多量に含んでいるため、痰きりやコレステロールの吸収抑制効果がある。またかつては、つわりの生薬としても用られていた』。但し、『乾燥させず生の状態では』有毒劇物である『シュウ酸カルシウムを含んでおり』、『食用は不可能』とある。他に、真正和名が「半夏生」の双子葉植物綱コショウ目ドクダミ科ハンゲショウ属ハンゲショウ Saururus chinensis があるが、これは毒にも薬にもならないから、これではない。

「烏頭〔(うづ)〕」強毒を有する双子葉植物綱モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum の古い総称異名。

「早晚」朝晩。

「對し〔て〕」二匹(雌雄)が相い対して。

「鉤輈格磔(キユイチウコキツ)」現代中国語では「gōu zhōu gé zhé」で「ゴォゥ・ヂォゥ・グゥー・ヂゥー」。中文サイトによれば、唐の李群玉の詩「九子坡聞鷓鴣」の「正穿詰曲崎嶇路 更聽鉤輈硌磔聲」を出典とするらしい。単にオノマトペイアで漢字を当てたものらしいが、敢えてそれぞれの意味を示すと、「鉤」は「釣り針・鉤手(かぎて)」、「輈」は「車の長柄」、「格」は動詞だと「打つ・殴る・阻む・背(そむ)く」、「磔」は「はりつけ」である。

「行不得哥〔(シンブウデエグウ)〕」一般には最後を繰り返し、「行不得哥哥」。上と同様に「xíng bù dé yě gē gē」で「シィン・プゥー・ドゥー・イエ・グゥー・グゥー」と読み、これは「行かないで、兄さん!」という意味になる中国人はこの鷓鴣の鳴き声に、このような人語を聴き、如何にもの哀しいものを感じるという。ということは、この鷓鴣の鳴き声に限っては、中国人は日本人と同じように左脳で聴いているのかも知れない! なお、荒俣氏は前掲書でこれに『アブテカ』というルビを振っておられる。

「翥(と)ぶ」「飛ぶ」に同じい。飛び上がるの意。

「徂(ゆ)かざる」「行かざる」に同じい。

「潔」潔癖の意か。だから「黐-竿(ゑさしざほ)」黐(とりもち)を附けた餌差し竿で鳥体に触れると、その粘着(ねばつ)きを嫌って剝そうとし、却って搦め捕られてしまうというのか。

「媒(をとり)」囮(おとり)の雌か。

「味、雞・雉に勝れり」「雞・雉」はニワトリ(ヤケイ)やキジ。荒俣氏は前掲書で『ただしこの鳥の自然死したものを食べることは忌まれたという。それは、天地の神が毎月』一『羽ずつこの鳥を死なせて至尊神に捧げるのだと信じられたためだった。実際、自然死したシャコを食べ、食あたりをおこすことも多かったようだ』と記しておられる。

「しやこといふ鳥の上尾の紅(くれなゐ)に散りし紅葉の殘るなりけり」個人サイト「孤島国JAPAN」の「鳥崇拝時代のノスタルジー[10]-越の雉-」には、この和歌の後に(改行を総て繋げた。句点はママ)、『鳥のうは毛の紅とは。鷓胡と云鳥は。さむがりをするなり。仍[やぶちゃん注:「よつて」。]秋の末になれば。もみぢのちるを。せなかにおひかねて。霜雪の寒をふせぐなり。深山にあり。鳴聲すごく淋しといえり。此鳥に山がら似たりといふ説あり』とある。後に「蔵玉和歌集」とあるので、同歌集に書かれているものらしい(但し、国立国会図書館デジタルコレクションと早稲田大学図書館古典総合データベースの同書の画像を縦覧したが、私の探し方が悪いのか、見当たらなかった)。しかし、ここでスズメ目スズメ亜目シジュウカラ科シジュウカラ属ヤマガラ Parus varius に似ているということになる、これは「シャコ」類ではないということが逆に明らかになると言える。

「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。]

2018/09/03

和漢三才圖會第四十二 原禽類 白鷴(ハツカン) (ハッカン)

 

Hakkan

 

はつかん 白【音寒】閑客

白鷴

ベツヒヱン

[やぶちゃん注:「」は東洋文庫版を一部参考にした(東洋文庫版は「鳥」を付けない)が、原典は二字ではなく、一字にしか見えず、しかも「鳥」の上に「幹」の字のような字(旁(つくり)の(かさ)の下が「未」のように見える字)がくっ付いたものである。]

 

本綱白鷴出江南雉之屬也似山雞而色白有黑文如漣

漪尾長三四尺體備冠距紅頰赤嘴丹爪其性耿介

其卵可以雞伏【肉甘平】又有黑鷴

△按白鷴近年自中華來其羽毛甚美畜于樊中爲珍

 

 

はつかん 白鳥〔(はつかん)〕【音、「寒」。】

     閑客

白鷴【「」も同じ。】

ベツヒヱン

 

「本綱」、白鷴、江南に出づ。雉の屬なり。山雞〔(やまどり)〕に似て、色、白く、黑き文、有り、漣-漪(さゞなみ)のごとし。尾、長さ、三、四尺。體に冠(さか)・距(けづめ)を備へ、紅き頰、赤き嘴、丹〔(あか)〕き爪あり。其の性、耿介〔(こうかい)〕なり。

其の卵、雞〔(にはとり)〕を以つて伏〔(ふさ)〕すべし【肉は甘、平。】。又、黑鷴〔(こくけい)〕、有り。

△按ずるに、白鷴、近年、中華より來たる。其の羽毛、甚だ美なり。樊〔(かご)〕の中に畜〔(か)〕ひて、珍と爲す。

[やぶちゃん注:キジ目キジ科 Lophura 属ハッカン Lophura nycthemera。中国南部(本文の「江南」に一致)及びインドシナ半島・ミャンマーにかけて棲息し、ウィキの「ハッカン」によれば、♂で全長九十~百三十センチメートル、体重九百グラムから一・五キログラム、♀で全長五十~七十センチメートル、体重七百から一キログラムになる。♂は『白と黒の染め分けになった独特の羽毛を持ち(種小名nycthemeraはこの染め分けのコントラストに因む命名で『夜のような黒』と言った意味が込められている)、顔の裸出と脚の赤が目立つ』が、♀『は多くのキジ類と同じく』、『褐色で地味』である。標高二千七百メートル『前後の山地の森や竹薮に暮らして』おり、『地上性』で、『餌は草の実や芽、昆虫など。繁殖期にはオスは金属的な鳴き声を発する』。平凡社の「世界大百科事典」で補足すると(コンマを読点に代えた)、♂は『頭部には黒色の冠羽があり、顔は裸出して赤い。のどから下腹にかけては』、『青みを帯びた光沢ある黒色で、背面は白く、黒く細い横線があり、尾羽は白く、脚は赤い』。『ハッカンは飼鳥として著名で、江戸時代の飼鳥の本には、クジャク、キンケイとともに飼い方が記されている』とある。確かに♂の白黒赤のコントラストが非常に美しいグーグル画像検索「Lophura nycthemeraをリンクさせておく。

「白」「」は既に注した通り、原典では、「鳥」の上に「幹」の字のような字(旁(つくり)の(かさ)の下が「未」のように見える字)がくっ付いたものである。中文サイトを調べると、「」を雉子の別名とする意外に、この単漢字で「ハッカン」を意味するという古辞書もある。いろいろ調べているうちに、国立国会図書館デジタルコレクションの、常陸笠間藩第四代藩主牧野貞幹天明七(一七八七)文政一一一八二八)年)の描いた「鳥類写生図の中に白鷴の雄と雌の絵を見出したので、以下に掲げる(孰れも上下左右をトリミングした)。

 

Hakkanosu

 

Hakkanmesu

 

この雄の図の右上にキャプションがあり、そこには、

 

白鷴【和名 カノコ鳥 或云 シラキジ】

 釈名 白※ 閑客

    一名 越禽【呉名】

    鷴鳥【典籍便覧】

    玄素【紺珠】

 

とあり、「※」の部分に、まさにこの「和漢三才図会」の原典の字が使われているのを確認出来た

「耿介〔(こうかい)〕」前の「鶡雞(かつけい)(ミミキジ)」にも出た。「堅く志や節を守ること」の意。ここでは習性を語っていないのであるが、こちらの個人ページのハッカンの解説によれば、『ハッカン、と聞くと耳慣れない名前だが、要はキジの仲間である。濃い紺色と白のコントラストが美しい、至極見事な姿のキジだ。英語圏では「銀色のキジ」と言う呼び名で親しまれている』(ハッカンの英名は Silver Pheasant で「フェゼント」は雉の意)。『飼い鳥の事を詳しく編纂した昔の図鑑に曰く、「ハッカンは非常に猛々しい鳥で、禽舎内で人に向かってくる事など珍しくなく、発情期には猛り狂って同居するメスを殺してしまう事がある」とある。だがこれは、前世代的な狭い禽舎内で飼われた末の病的な反応らしい。以前、都内某所の子供動物園に出かけた時、卵を抱きかかえ身じろぎもしないメスのハッカンと、それを守るようにケージの目の前に仁王立ちするオスのハッカンを見た。客がメスを見ようと身を乗り出すと、その動きに合わせてオスは客の前に立ちはだかり、大きな尾羽を広げてメスを覆い隠そうとする。明らかに彼は自分の連れ合いを客の視線から守っていた。元来、キジ類のオスは子育てにあまり関与しない、と言われてはいる。しかし、こんな意見もある。「キジ類のオスが豪奢な姿をしているのは、繁殖期に多くのメスを惹きつけるのみならず、メスが子育てする時節、目立つ姿で捕食者の視線を自分に向けて子供とメスを守ろうとする習性があるからだ」』と。『真偽の程は定かではないが、しかし前述のハッカンのエピソードはまさしくその説に当てはまる。動物の行動とは図鑑の説明だけで推し量れるものでない事を、ハッカンは身を以って私に教えてくれたような気がする』(とても素晴らしい解説と観察記録なので、解説部を総て引かせて貰った)とあり、この毅然とした態度はやはり、「堅く志や節を守ること」の方だろうと感じたものである。

「伏〔(ふさ)〕すべし」意味を採り易いように使役で訓じた。「抱卵させるとよい」であるが、何故かは「本草綱目」にも記していない。♀が抱卵をやめることがままあるものか。

「黑鷴」中文の百度百科「黑を見ると、ハッカン属ミヤマハッカン(深山白鷴)Lophura leucomelanos のことであることが判る。ヒマラヤ山脈やタイに分布する。アメリカ合衆国のハワイ州には一九六二年に導入され、帰化していると、ウィキの「ミヤマハッカン」にあった。ハッカンとの違いは、名にし負うており、グーグル画像検索「Lophura leucomelanosを見れば、一目瞭然。

「樊」既出既注。「籠」に同じい。]

2018/08/24

和漢三才圖會第四十二 原禽類 鶡雞(かつけい) (ミミキジ)

Katukei

かつけい

鶡雞【音曷】

 

アツキイ

 

本綱鶡雞狀類雉而大黃黑色首有毛肉如冠性愛其黨

有被侵者直徃趣鬪雖死猶不置故武人以爲冠象此也

性復粗暴毎有所攫應手摧碎【凡物黃黑色者曰褐】此鳥褐色故名

鶡 一種青黑色者名曰性耿介也

 

 

かつけい

鶡雞【音、「曷」。】

 

アツキイ

 

「本綱」、鶡雞、狀、雉に類して大に〔して〕、黃黑色。首に毛〔の〕肉有りて、冠のごとく、性、其の黨〔(たう)〕を愛す。侵さるゝ者有れば、直〔(ただち)〕に徃〔(ゆ)〕き趣きて鬪ふ。死すと雖も、猶を[やぶちゃん注:ママ。]置かず。故に、武人、以つて冠〔(くわん)〕と爲(す)ること、此れを象〔(かたど)〕るなり。性、復〔(ま)〕た、粗暴なり。毎〔(つね)〕に攫(つか)む所有れば、手に應じて、摧-碎(くだ)くる【凡そ、物、黃黑色の者、「褐」と曰ふ。】。此の鳥、褐(きぐろ)色なる故、「鶡」と名づく。

一種、青黑色の者、名づけて「〔(かい)〕」と曰ふ。性、耿介〔(こうかい)〕なり。

[やぶちゃん注:キジ目キジ科ミミキジ(耳雉)属ミミキジ Crossoptilon mantchuricum中国の河北省及び陝西省の高地性の固有種同種中文ウィキを見ると、北京周辺の山地も生息域とする。北京は河北省の内にあるが、直轄市で省と同格)。全長九十六センチメートル~一メートル。翼長はで二十七~三十一・二センチメートル、で二十六・五~二十九センチメートル。体重はで一・六~二・五キログラム、で一・五~二キログラム。尾羽の枚数は二十二枚。頬から後方へ羽毛が伸長し、全身は褐色の羽毛で被われている。頭頂・頸部は黒や濃褐色、腹部は淡褐色の羽毛で被われている。腰・尾羽基部の上面(上尾筒)は白い羽毛で被われ、尾羽の色は白く、先端は紫みを帯びた褐色を呈する。顔には羽毛がなく、赤い皮膚が露出し、嘴の色は赤みを帯びた黄色。後肢は赤い。標高千三百~三千五百メートルにある森林・岩場・草原などに棲息し、雑食で植物の根・果実・種子・昆虫・ミミズなどを捕食する(以上は主にウィキの「ミミキジに拠った)。なお、サイトの「鶡雞も非常に参考になる。必見。良安は附言をしていないので、短い「本草綱目」の記載(但し、上記は総てではなく、抜粋の、順列の組み替えが行われてある)の形態・生態及び色彩の叙述から、本邦には産しない鳥と判断したのであろう。

「其の黨〔(たう)〕」同種の仲間たち。

「侵さるゝ者」他の鳥獣(前で「其の黨を愛す」(広義の同種総ての意で採る)と言っている以上、そう理解する)で、彼らの一部の縄張りを犯して侵入或いは攻撃してくるもの。

「徃き趣きて」「往き赴きて」に同じい。

「死すと雖も、猶を置かず」相手が退かぬ限りは、死に至るまで闘いを止めない。

「武人、以つて冠〔(くわん)〕と爲(す)ること、此れを象〔(かたど)〕るなり」東洋文庫版現代語訳では、『それで武人はこの鳥の羽毛を冠の飾りとして勇猛の象徴としているのである』とある。

「攫(つか)む所有れば、手に應じて、摧-碎(くだ)くる」後肢に触れて摑(つか)むことの出来る対象物が存在すれば、必ず、それを即座に強く摑み獲ると、完膚なきまでに粉砕してしまう。

【凡そ、物、黃黑色の者、「褐」と曰ふ。】。此の鳥、褐(きぐろ)色なる故、「鶡」と名づく。

〔(かい)〕」不詳。ミミキジの近縁種か。「説文」には「出羌中」とあるから、中国西北部の羌(きょう)族(西羌。現在のチャン族)の住んでいる地域に棲息しているらしいから、やはり高地性である。

「耿介〔(こうかい)〕」堅く志や節を守ること。別に「徳が光り輝いて偉大なさま」の意もあるが、ここは前者。]

2018/08/16

和漢三才圖會第四十二 原禽類 吐綬雞(とじゆけい) (ジュケイ類)

Tojyukei

とじゆけい  避株 吐錦雞

       錦囊 眞珠雞

       孝鳥 鷊【音尼】

吐綬雞

 

トウシウキイ

 

本綱吐綬雞人多畜玩大如家雞小者如鴝鵒頭頰似雉

羽色多黑雜以黃白圓點如眞珠斑項有嗉囊内藏肉綬

常時不見毎春夏晴明則向日擺之項上先出兩翠角二

寸許乃徐舒其頷下之綬長濶近尺紅碧相間采色煥爛

踰時悉斂不見或剖而視之一無所覩此鳥生亦反哺行

則避草木故有避株及孝鳥之名

 

 

とじゆけい  避株 吐錦雞

       錦囊 眞珠雞

       孝鳥 鷊〔(じゆけい)〕【音、「尼」。】

吐綬雞

 

トウシウキイ

 

「本綱」、吐綬雞は、人、多く畜(か)ひ、玩〔(もてあそ)〕ぶ。大いさ、家雞のごとし。小なる者は鴝鵒(ひゑどり)のごとく、頭・頰、雉に似て、羽色、多く、黑し。雜〔(まぢへ)〕るに黃白を以つてす。圓點あること、眞珠のごとくして、斑(まだら)あり。項〔(うなじ)〕に、嗉囊(ゑぶくろ)有り。内に、肉綬〔(にくじゆ)〕を藏〔(おさ)〕む。常の時は見えず、毎〔(つね)〕に、春・夏、晴明なるとき、則ち、日に向ひて之れを擺〔(はい)〕す。項の上に、先づ、兩〔つの〕翠〔(みどり)の〕角、二寸許りを出だす。乃〔(すなは)〕ち、徐〔(ゆる)〕く其の頷〔(あご)〕の下の綬を舒〔(の)〕ぶ。長さ・濶〔(ひろ)〕さ、尺に近し。紅と碧と相ひ間(まぢ)はる。采色、煥爛〔(くわんらん)たるも〕、時を踰(こ)へて[やぶちゃん注:ママ。]悉く斂〔(をさ)〕めて見へず。或いは、剖〔(き)〕りて、而して之れを視れども、一つも覩〔(み)〕る所、無し。此の鳥、生〔(せい)〕して亦、反哺〔(はんぽ)〕す。行くときは、則ち、草木を避く。故に、「避株」及び「孝鳥」の名、有り。

[やぶちゃん注:キジ目キジ科ジュケイ属 Tragopan の種群、或いはジュケイ Tragopan caboti。良安が「本草綱目」のみを引き、全く自身の評言を添えていないことで判る通り、本邦には棲息しない。ウィキの「ジュケイ属」によれば、『インド北部、台湾、中華人民共和国、ネパール北部、パキスタン北部、ブータン、ミャンマー西部』に分布し、『尾羽の数は』十八『枚』で、『本属の構成種を指す総称であるジュケイは一部の種でオスが下面が赤い羽毛で被われ、白い斑紋が入り勲章のように見える(ジュ<綬>は勲章に付ける短い紐)ことに由来する。オスは側頭部に肉質の突起と喉に肉垂がある。この肉質突起と肉垂は普段は収縮している。後肢には』一『つずつ』、『短い蹴爪がある』とし、五種を挙げる。一方、ウィキの「ジュケイ」(こちらは種(群)のページ)では、『中華人民共和国(広東省北部、江西省、湖南省南東部、浙江省、福建省、広西チワン族自治区)固有種』とし、『オスは頭部は黒、頸部は赤褐色の羽毛で被われる。側頭部にはオレンジ色の羽毛が伸長(冠羽)する。背は赤褐色の羽毛で被われ、淡褐色の斑紋や白や黒の斑点が点在する。胸部や腹部は淡褐色の羽毛で被われる。眼の周辺や頬に羽毛がなく黄色やオレンジ色の皮膚が露出する。喉に外縁が淡青色で灰緑色の斑紋が入る肉垂れがある。肉垂れの中央部はオレンジ色で紫色の斑紋が入る。メスは全身が褐色の羽毛で被われ、淡褐色や黒、白の斑紋が点在する』。標高七百~千四百メートルの高地の、『下生えに草やササが密生した混交林に生息』し、『食性は雑食で、植物の葉、種子などを食べる』。地表から二・五~四メートルに『あるリスの古巣に巣をつくるが、地表から』九メートルも上の『樹上に巣をつくった例もある』とある。グーグル画像検索「Tragopan cabotiをリンクさせておく。まあ、キンケイに並べて配するには相応しい、超ド派手な鳥ではある。

「鷊〔(じゆけい)〕【音、「尼」。】」不審。日本語の場合、「鷊」の音は「ゲキ・ギヤク(ギャク)」であるのに対し、「尼」は「ニ・ネイ」或いは「ヂ(ジ)・デイ」で通音しない。現代中国語でも前者は「」で、「尼」は「」で全然、違う。

「鴝鵒(ひゑどり)」スズメ目ムクドリ科ハッカチョウ(八哥鳥)属ハッカチョウ Acridotheres cristatellus(三亜種がいる)。ウィキの「ハッカチョウ」によれば、『原産地は、中国大陸南部、および、インドシナ半島。国別で言えば、中華人民共和国中部地域および南部地域、台湾、ベトナム、ラオス、ミャンマーに分布する』。現在の日本にもいるが、外来種で、『観察された地域は』、東京・神奈川・大阪・兵庫・福島・栃木・愛知・大阪・京都・和歌山・香川・鹿児島など広汎に亙っており、『神奈川、兵庫などでは繁殖の記録もある』。『なお、沖縄県与那国島・鹿児島県など』、『南日本での観察記録は、台湾などから飛来した迷鳥(すなわち自然渡来)の可能性もある』とする。全長は約二十六~二十七センチメートルで』、『ムクドリ大』、『全身の色は黒い。翼には大きな白い斑点があり、飛翔する際によく目立つ。下尾筒(かびとう)』『の羽縁と尾羽の先端が白い。突き出した冠羽が頭部前方を飾っているのが特徴的である。嘴(くちばし)の色は橙色、肢は暗黄色。この翼の斑点と、頭部の飾り羽によって識別は容易』とする。『食性は雑食で、植物の種子等のほか、タニシなど陸棲貝類、ケラなど地中棲の昆虫、甲虫類とその幼虫、イナゴ等のバッタ類である。ムクドリと同様の群れを作る例もある』。『鳴き声は、澄んだ声でさまざまな音をだす。ものまねもする習性がある』。『人によく懐き、飼い鳥とされる。人語などを真似るということでも親しまれて』おり、『マレーシアやシンガポールなどの都市部ではハトやすずめ以上に街中でよく見かける鳥であり、ホーカーセンター(東南アジアの屋台街)での食事中でも人をまったく怖がる様子もなく、近づいてきては食べ残しを漁っている』とある。或いは、この一、二年、私の家の周囲で五月蠅く盛んにいろいろな鳴き方で鳴いているのを、私は大陸産の人為的移入による特定外来種であるスズメ目チメドリ科ガビチョウ(画眉鳥)属ガビチョウ Garrulax canorus とばかり思っていたのだが(眼の周囲及びその後方に眉状に伸びた特徴的な白い紋様を持つ)、或いは、こやつかも知れん。今度、もう一度、面相をよく見てやろう。

「擺〔(はい)〕す」開く。

「采色、煥爛〔(くわんらん)たるも〕」彩りは、極めて煌びやかで強烈な耀きを持っているが。

「時を踰(こ)へて[やぶちゃん注:ママ。]」通常の日常的な時空間に於いては。

「悉く斂〔(をさ)〕めて見へず」総て完全に体内に収納していて見せない。

「生〔(せい)〕して」成長して成体となると。

「反哺〔(はんぽ)〕す」東洋文庫訳は、ここを、『母親に逆に食物を口移しに食べさせる』と訳している。]

2018/08/14

和漢三才圖會第四十二 原禽類 錦雞(きんけい)

 

Kinkei

 

きんけい  鷩雉 金鷄

      山雞 采雞

 鵕䴊

錦雞

 

本綱【錦雞鷩雉】二物同類而稍有分別俗呼爲一矣

鷩雉狀如小雞其冠亦小背有黃赤文綠項紅腹紅嘴利

距而鬪以家雞鬪之卽可獲養之禳火災

錦雞狀小於鷩而背文揚赤膺前五色炫燿如孔雀羽其

文尤燦爛如錦故名【又名文】或云錦雞鷩雉之雄也亦通

[やぶちゃん注:」は取り敢えず東洋文庫版訳の漢字を当てたが、原典では明らかに違う。潰れてよく判らない箇所があるが、「鳥」の上に「車」+「余」(の字のように見える)か。なお、「本草綱目」の「鷩雉」(「錦雞」を別名で挙げる)には、この「又名文」という記載はなく、その後(次の次)にある「白鷴」という別項の鳥の記載の中で、『當作白如錦鷄謂之文也』とは出るから、東洋文庫がこの字を選んだ意図はよく判りはする

是一類不甚相遠也愛其羽毛照水卽舞目眩多死照鏡

亦然鸐雞愛尾餓死皆以文累其身者也

△按錦雞自異國來畜于樊中狀似雉而五色項白有黑

 細文冠亦白頰黃胸腹紅背緑翅黑腰帶細白毛尾長

 三尺黃黑紫斑下尾稍短純朱色觜淡紅脛灰黑利距

 善鬪價貴故畜之者少矣而未見鷩雉

柹雉 狀類錦雞而頭背尾紅如紅柹色帶黃有光彩是

 亦自中華來俗呼曰柹雉蓋此鷩雉乎

 

 

きんけい  鷩雉〔(へつち)〕 金鷄

      山雞 采雞

 鵕䴊〔(しゆんぎ)〕

錦雞

 

「本綱」、【錦雞・鷩雉】〔の〕二物、同類にして、稍〔(やや)〕分別有り〔といへども〕、俗、呼んで一〔(いつ)〕と爲す。

鷩雉は、狀、小雞〔(しやうけい)〕のごとく、其の冠〔(さか)〕も亦、小さく、背に、黃赤の文、有り。綠りの項〔(うなじ)〕、紅の腹、紅の嘴、利き距(けづめ)にして、鬪ふ。家雞(にはとり)を以つて之れに鬪はせて、卽ち、獲るべし。之れを養へば、火災を禳(はら)う[やぶちゃん注:ママ。]。

錦雞は、狀〔(かた)〕ち、鷩〔(へつ)〕より小にして、背の文、揚赤〔(ようせき)〕、膺(むね)の前、五色〔に〕炫-燿〔(ひかりかがや)き〕、孔雀の羽のごとし。其の文、尤も燦爛〔(さんらん)〕して錦のごとし。故に名づく【又、「文〔(ぶんかん)〕」と名づく。】。或いは云はく、『錦雞は乃〔(すなは)〕ち鷩雉の雄なり』〔と〕。亦、通〔(とほ)〕して、是れ、一類にして甚だ相ひ遠からざるなり。其の羽毛を愛し、水に照らして、卽ち、舞ふ。目-眩〔(めくるめ)〕きては、多く、死す。鏡を照しても、亦、然り。鸐雞の尾を愛して、餓死するも、皆、文〔(もん)〕を以つて其の身を累(わづら)はす者なり。

[やぶちゃん注:」は取り敢えず東洋文庫版訳の漢字を当てたが、原典では明らかに違う。潰れてよく判らない箇所があるが、「鳥」の上に「車」+「余」(の字のように見える)か。なお、「本草綱目」の「鷩雉」(「錦雞」を別名で挙げる)には、この「又名文」という記載はなく、その後(次の次)にある「白鷴」という別項の鳥の記載の中で、『當作白如錦鷄謂之文也』とは出るから、東洋文庫がこの字を選んだ意図はよく判りはする

△按ずるに、錦雞、異國より來りて樊(かご)の中に畜(か)ふ。狀、雉に似て、五色、項(うなじ)、白くして、黑く細〔(こま)〕かなる文、有り。冠〔(さか)〕も亦、白く、頰、黃。胸・腹、紅にて、背、緑。翅(〔つば〕さ)黑く、腰に細き白毛を帶す。尾、長きこと、三尺。黃・黑・紫の斑(まだら)。下の尾、稍や短く、純朱色。觜、淡紅。脛、灰黑。利き距(けづめ)、善く鬪ふ。價〔(あたひ)〕、貴し。故に之れを畜ふ者、少しなり。未だ鷩雉を見ず。

柹雉(かききじ) 狀、錦雞の類にして、頭・背・尾、紅にして紅柹色〔(べにがきいろ)〕のごとし。黃を帶びて、光彩、有り。是れ亦、中華より來りる。俗に呼んで「柹雉」と曰ふ。蓋し、此れ、「鷩雉」か。

[やぶちゃん注:キジ目キジ科 Chrysolophus 属キンケイ Chrysolophus pictus属名クリソロフスはギリシャ語で「金の羽冠」の意。私にとっては小学校時代の鳥小屋の定番記憶であった。ウィキの「キンケイ」によれば、『主に中国南西部からチベット、ミャンマー北部にかけて分布。標高』九百~千百メートルの『山地に棲息し、住環境としてササやシャクナゲの密生した藪のような場所を好む』。『全長はオスで』九十センチメートル前後、メスは五十~六十センチメートルほどで、『オスは赤と金属光沢のある黄色を基調とした派手な色彩をしている。網目模様が入った褐色の尾羽、毛髪状の金色の冠羽、襟首の日本兜のしころ状を呈する明るい黄色と黒の飾り羽が特徴。全身が明るい黄色を呈する飼養品種があり、俗に「黄金キンケイ」と呼ばれる。メスは他種のキジ類同様褐色に黒っぽい斑模様で比較的地味である』。『用心深く身を隠すのが巧いため、派手な色彩とは裏腹に、棲息地でも野外で見かけることは困難である。そのため、野生下での繁殖行動や食性については不明な点があるが、飼育が容易で』、『動物園や個人で飼育される機会が多く、ある程度のデータは判明している。発情期になると』、『オスは金属的な声をあげて他のオスを牽制し、同時にメスを呼ぶ。また、メスの前に立ったオスは尾羽を広げる、襟の飾り羽を広げるなどの求愛行動を示してメスの気を惹く。前述の通り飼育が容易であるため』、一七四〇年頃(本邦では元文五年相当)から『海外に愛玩目的で輸出されていた。原産地では古くから知られ、装飾品や絵画の題材にされていたが、西欧の学者間では』、『あまりにも豪奢な体色から実在が信じられず、長らく想像上の鳥と思われていた。なお、『山海経』の記述によると古代の中国では、この鳥類の羽毛を火伏せの護符として用いていたらしい』とある。しかし、このウィキの謂いはどうか? 本「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年の自序で、ウィキの言う元文五年よりも二十八年も前である。さすれば、実はキンケイは実際には一七一〇年前後には日本に移入されていたのではあるまいか?

「鷩雉〔(へつち)〕」「錦雞」は既に前項の「山雞(やまどり)」でも挙げられており、どうも「本草綱目」を書いている李時珍自身も明確に使い分けが出来ていない感じが濃厚に漂ってくる。当然、良安自身の記述や表記もそうした錯雑に呑まれがちになっているのであるが、「本草綱目」に載るある種の鳥が、本邦には棲息しない中国産のものであるということをちゃんと主張している点で(本件では正鵠を射ている)、私は彼を相応に評価したい。無批判にして安易に、大陸にしかいない種を、本邦産の別種や固有種に平気で同定している本草学の大家は、後々まで、ゴマンといるからである。

『「本綱」、【錦雞・鷩雉】〔の〕二物、同類にして、稍〔(やや)〕分別有り〔といへども〕、俗、呼んで一〔(いつ)〕と爲す』やはりここでも、同類ではあるが、種としては違う近縁種という時珍のニュアンスを私は強く受ける。

「小雞〔(しやうけい)〕」当初、「にはとり」と訓じようと思ったが、同一の文章内で「家雞(にはとり)」と訓じているからには、少なくとも良安は別なものとして扱っていると考え、前者を敢えて音読みとした。まあ、ヤケイ(野鶏)とそれが家畜化されたニワトリであるから、別に区別しなくてもいいようにも実は思うのだが。

「之れを養へば、火災を禳(はら)う」前のウィキの引用の最後を参照されたい。

「揚赤〔(ようせき)〕」赤い色が浮き揚がるようにくっきりとしていることを指す。

「膺(むね)」「胸」に同じい。

「文〔(ぶんかん)〕」もし、この「」は音は「翰」(カン)で、肥えた雉の謂いらしい。鮮やかでくっきりとした紋を持っているから、目立って肥えて見えるというのではなろうかなどと勝手に想像したりした。だったら、読みは「もんかん」の方がいい気がする。

「通〔(とほ)〕して」一般的総合的に比較観察するならば。

「一類にして甚だ相ひ遠からざるなり」この「甚だ~ざる」は明らかに「殆んど~ない」であるから、この見解を示す連中は、同種或いは亜種或いは個体変異に過ぎない(近縁種より近い意味)と考えていることが判る。

「其の羽毛を愛し、水に照らして、卽ち、舞ふ。目-眩〔(めくるめ)〕きては、多く、死す。鏡を照しても、亦、然し」錦雞(キンケイ)は、その自分の鮮やかにして煌びやかな異羽毛を自愛し、ナルキッソスの如く、その己が姿を水に映しては、無闇矢鱈に舞い踊り続け、遂には眩暈を引き起こして昏倒し、頓死してしまう。人がキンケイの前に鏡を持ち出して、彼らに彼らの姿を映し見せても、全く同じ現象が起こる、というのである。

「鸐雞の尾を愛して、餓死する」「山雞」を参照。

「文〔(もん)〕を以つて其の身を累(わづら)はす者なり」その美しい豪奢な紋様によって、あたら、身を煩わし、遂には亡ぼされるのである、とは、如何にも中国文学の載道派的牽強付会のトンデモ解釈で甚だ面白い。

「柹雉(かききじ)」不詳。キンケイの色彩変異個体ではなかろうか。]

2018/08/10

和漢三才圖會第四十二 原禽類 山雞(やまどり)

 

Yamadori

 

やまとり 鸐雞 山雉

山雞

     【和名夜万止利】

 

本綱雉居原野鸐居山林故得山名形似雉而小尾長三

四尺人多畜之樊中

鷮雉 似鸐而尾長五六尺者能走且鳴俗通呼爲鸐矣

鷮鸐共勇健自愛其尾不入叢林雨雪則岩伏木栖不敢

下食徃徃餓死南方人多挿其尾於冠其肉皆美于雉有

小毒傳云四足之美有麃兩足之美有鷮

鸐雉鷮雉【一類】鷩雉錦鷄【一類】此四種皆稱山雞【名同小異】

が小異がある〕。

万葉 あし曳の山鳥の尾のしたりをの長々し夜を独りかもねん

                  人丸

△按鸐形大於雉而尾長二三尺頭背尾皆赤羽端有白

 圈文頂與兩頰有紅毛如冠腹淡赤而毛端有白彪觜

 黑而末赤脚黑色其尾數二十六中最長者二俗呼曰

 引尾歌所謂絲埀尾是也有黑横紋白纎紋相双爲文

 亦如虎彪其彪凡十一二【有十三者爲珍】白彪中有黑點者爲

 常【無點鮮明者貴爲眞羽】爲箭羽以射邪魅或爲楊弓箭亦佳

 雌者黑色帶赤而腹畧白其尾短五寸許端白而頂無

 冠形色遥劣也深山中皆有之丹波之産形小於東北

 者出於薩州者極大而有尾三四尺者所謂鷮雉是矣

 肉脂多然有酸味劣於雉凡山雞性乖巧而難捕人緩

 則禹歩急則暴飛爲之終日費人力非鐵銃不可獲偶

 獲者養于樊中飼以芹性愛尾令尾不礙于物也相傳

 云鸐雌雄日則在一處夜則隔溪谷視有雌影寫于雄

 尾而啼謂之山鳥鏡【万葉集枕双紙良材集等載之】歌人爲口弄

六帖 晝はきて夜は別るゝ山鳥の影みる時そねはなかれける

 

 

やまどり 鸐雞〔(てきけい)〕

     山雉〔(さんち)〕

山雞

     【和名、「夜万止利」。】

 

「本綱」、雉は原野に居り、鸐は山林に居る。故に「山」の名を得〔(う)〕。形、雉に似て、小さく、尾の長さ、三、四尺あり。人、多く、之れを樊〔(かご)の〕中に畜〔(か)〕ふ。

鷮雉〔(きやうち)〕 鸐(やまどり)に似て、尾の長さ、五、六尺ある者、能く走り、且つ鳴く。俗、通〔(とほ)〕し呼んで、「鸐」と爲す。

鷮・鸐、共に、勇健にして、自〔(みづか)〕ら、其の尾を愛す。叢林に入らず、雨雪するときは、則ち、岩に伏し、木に栖(す)み、敢へて下り〔ては〕食はず、徃徃、餓死す。南方の人、多く、其の尾を冠〔(かんむ)〕りに挿す。其の肉、皆、雉より美なり。小毒、有り。傳へて云はく、『四足の美〔なる〕は麃〔(おほじか)〕に有り、兩足の美〔なる〕は鷮に有り』〔と〕。

鸐雉と鷮雉【一類。】、鷩雉〔(へつち)〕と錦鷄〔(きんけい)〕【一類】、此の四種、皆、「山雞(やまどり)」と稱す【名と同じくして小異〔あり〕。】

「万葉」

 あし曳きの山鳥の尾のしだりをの長々し夜を独りかもねん

                  人丸〔(ひとまろ)〕

△按ずるに、鸐、形、雉より大にして、尾の長さ、二、三尺。頭・背・尾、皆、赤く、羽の端に白〔き〕圈文〔(けんもん)〕有り。頂と兩頰とに、紅〔き〕毛、有り。冠(さか)のごとし。腹、淡赤にして、毛の端に白き彪〔(ふ)〕、有り。觜、黑くして、末、赤く、脚、黑色。其の尾の數、二十六〔の〕中、最も長き者、二つ、俗に呼んで「引尾〔(ひきを)〕」と曰ふ。歌に所謂〔(いはゆ)〕る、「絲埀尾(しだりを)」、是れなり。黑〔き〕横紋有り、白く纎(ほそ)き紋、相ひ双びて文(あや)を爲す。亦、虎の彪(ふ)のごとし。其の彪(ふ)、凡そ、十一、二【十三有る者、珍と爲す。】。白〔き〕彪の中に黑點有る者を常と爲す【點、無く、鮮明なる者、貴〔(とうと)〕し。「眞羽」と爲す。】。箭〔(や)〕の羽と爲して、以つて、邪魅を射る。或いは、楊弓の箭と爲〔すも〕亦、佳し。

雌は黑色に赤を帶びて、腹、畧〔(ほぼ)〕白く、其の尾、短く、五寸許〔り〕。端、白し。頂に冠(さか)無し。形・色、遥かに劣れり。深山の中、皆、之れ有り。丹波の産、形、東北の者より小さし。薩州より出〔(いづ)〕る者、極めて大きにして、尾、三、四尺の者、有り。所謂る「鷮雉」、是れならん。

肉脂、多し。然れども、酸〔(す)〕き味有りて、雉より劣れり。凡そ山雞の性、乖巧〔(りこう)〕にして捕へ難し。人、緩(ゆる)きときは、則ち、禹歩〔(うほ)〕す。急なるときは、則ち、暴(には)かに飛ぶ。之れが爲に、終日、人力を費す。鐵銃に非ざれば獲るべからず。偶〔(たまたま)〕獲る者、樊〔(かご)の〕中に養ひて、飼ふに芹(せり)を以てす。性、尾を愛す。尾をして物に礙〔(さ)〕へ〔ぎら〕ざらしむなり。相ひ傳へて云はく、『鸐は雌雄、日(〔ひ〕る)、則ち、一處に在り、夜、則ち、溪谷を隔〔(へだ)て〕て、雌の影、雄の尾に寫ること有るを視て、啼く。之れを「山鳥の鏡」と謂ふ』〔と〕【「万葉集」「枕双紙」「良材集」等に之れを載す。】。歌人、口弄(〔くち〕ずさみ)と爲す。

「六帖」 晝はきて夜は別るゝ山鳥の影みる時ぞねはなかれける

[やぶちゃん注:日本固有種であるヤマドリは、

キジ目キジ科ヤマドリ属ヤマドリ Syrmaticus soemmerringii scintillans

ウスアカヤマドリ(薄赤山鳥)Syrmaticus soemmerringii subrufus

シコクヤマドリ(四国山鳥)Syrmaticus soemmerringii intermedius

アカヤマドリ(赤山鳥)Syrmaticus soemmerringii soemmerringii(基亜種)

コシジロヤマドリ(腰白山鳥)Syrmaticus soemmerringii ijimae

の五亜種がいる。ウィキの「ヤマドリ」によれば、『名前は有名だが、野外で出会うのは少し困難な鳥でもある』とし、全長はで約一メートル二十五センチメートル、翼長二十・五センチメートル。は約五十五センチメートル、翼長十九・二~二十二センチメートル。体重は九百グラム~一・七キログラム、七百グラム~一キログラム。尾はの方がかなり長く、尾長はで四十一・五~九十五・二センチメートルあるのに対し、は十六・四~二十・五センチメートルしかない。尾羽の数は十八~二十枚。の『羽色は極彩色のキジと異なり、金属光沢のある赤褐色を呈す。およそ頭部の色が濃く胴体から脚にかけて薄くなる傾向があるが、その程度は亜種により様々である。よく目立つ鱗状の斑がある。目立つ冠羽はないが、興奮すると頭頂の羽毛が逆立ち冠状に見えることもある。顔面にキジ同様赤い皮膚の裸出部がある。尾は相対的にキジよりも長く、黒、白、褐色の鮮やかな模様がある。脚には蹴爪を持つ』。の羽色は褐色で、キジのに似る。』主に標高千五百『メートル以下の山地にある森林や藪地に生息し、渓流の周辺にあるスギやヒノキからなる針葉樹林や下生えがシダ植物で繁茂した環境を好む』。『冬季には群れを形成する』。『食性は植物食傾向の強い雑食で』、『植物の葉、花、果実、種子、昆虫、クモ、甲殻類、陸棲の巻貝、ミミズなどを食べる』。は『鳴くことはまれだが、繁殖期になると』、は『翼を激しくはばたかせ、オートバイのエンジン音に似た非常に大きな音を出す(ドラミング、ほろ打ち)ことで縄張り宣言を』すると同時に、の『気を惹く。また、ドラミング(ほろ打ち)の多くは近づくものに対する威嚇であるともされる』。『木の根元などに窪みを掘り木の葉や枯れ草、羽毛を敷いた直径』二十センチメートル、深さ九センチメートル に『達する巣に』、四月から六月にかけて、六~十二個の『卵を産む』。『殻は淡黄褐色』。のみ『が抱卵』する。『婚姻形態は一夫多妻であると推定されていたが、実際は一夫一妻であることが』、『三重県津市の獣医師によって突き止められた』とある。

「通〔(とほ)〕し呼んで」通称で。

「鸐」と爲す。

「麃〔(おほじか)〕」東洋文庫訳では『なれじか』とルビする。漢和辞典「麃」には「おおしか」(大鹿)及び「なれしか」(馴鹿)と同義として示してある。「なれじか」なら、私には「麋」の方が漢文では馴染み深い。現行では狭義に「馴鹿」とは哺乳綱獣亜綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科トナカイ属トナカイ Rangifer tarandus を指すが、トナカイは北極圏周縁地域にしか棲息せず、中国にはいない。しかし、私はしばしば漢文の中で「麋」に出逢ってきた。その場合、私は大きな鹿という意味で認識してきたし、「本草綱目」のそれも、見たことも恐らくは食ったこともないトナカイを指しているなどとは逆立ちしても思えない。大鹿でよい。

「兩足」二脚類(鳥類)。

「鸐雉と鷮雉【一類。】、鷩雉と錦鷄【一類】」「一類」とは今風に言うなら、同じ仲間であるが、完全な同一種ではない亜種か、或いは同一種でありながら有意な変異が認められる個体変異と言った意味であろう・異なった「名」も持つの「と同じくして小異〔あり〕」と言っているからである。「鷩」は漢和辞典にヤマドリに似た鳥とあり、実は次の独立項が「錦雞」(=「錦鷄」)であり、その異名欄には「鷩雉」が挙げられてある。しかしながら、そのそれぞれの解説は、明らかに「鷩雉」と「錦雞」を個別に違ったコンセプトで間接してある(「本草綱目」準拠)。これらは無論、中国産の別(亜)種等にそれぞれ当て嵌めることが出来るように思われるが、それは中国のユーザーに任せる。

「あし曳きの山鳥の尾のしだりをの長々し夜を独りかもねん」「小倉百人一首」で柿本人麻呂の歌とされて人口に膾炙している、この歌は「万葉集」では詠み人知らずの一首であるから「人丸」とするのは誤りである。「万葉集」巻第十一の中の一首(二八〇二番)、

 思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を

という歌の左注に、「或る本の歌に曰はく」として、

 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜をひとりかも寢む

と補注する中に出るばかりなのであり、あくまで作者は未詳であり、しかも異形歌なのである。これが人麻呂の歌として所収されたのは「拾遺和歌集」で定家はそれに基づいて「百人一首」に選んだわけであり、古文の序詞の授業ではこれがまた必ず引かれるわけだが、私は教師になる以前、高校時代から、この異様に迂遠な序詞が甚だ嫌いであり、嫌悪の対象であった。『こんなことを捏ねくりませる余裕があるということは、独り寝も楽しかろう』と、皮肉の一つも投げたくなるぐらいなのである。従って、私は和歌嫌いだが、それでもこれが歌聖人麻呂の真作だと思ったことは一度もないのである。

「冠(さか)」既出の通り、鶏冠(とさか)の古語。

「彪〔(ふ)〕」「斑(ふ)」の積りで訓じたのであるが、「まだら」(斑)と訓じてもよいと考える。「彪」(音「ヒュウ」(歴史的仮名遣:ヒウ)。「ヒョウ」(同前:ヘウ)は実は慣用音である)は「まだら・鮮やかな虎皮模様・縞模様」の意である。

「箭〔(や)〕の羽と爲して、以つて、邪魅を射る」矢に矧(は)ぐ鳥の羽根は主に鷲・鷹・鳶・雉・山鳥などの翼の羽と尾羽が用いられ、プラグマティクには矢の飛行方向を安定させるために附けるものである。「護田鳥尾(うすべお)」・「中黒」・「切り斑(ふ)」など、まさにその斑紋の名で呼称される。矢には「破魔矢(はまや)」の文字通り、魔を払う意味があり、しかもそこではこの矢羽(やば)が(特に白い部分で)非常に目立つから、そこに邪悪な気や魔物を射抜き、破る呪力があると信じられたことは容易に想像がつく。

「楊弓」楊柳(ヤナギ)で作られた遊戯用の小弓を用いて的を当てる遊戯。ウィキの「楊弓」によれば、弓の長さは二尺八寸(約八十五センチメートル)、矢の長さは七寸から九寸二分(二十一センチメートルから二十八センチメートル弱)とされる。『中国の唐代で始まったとされ、後に日本にも伝わり、室町時代の公家社会では、「楊弓遊戯」として遊ばれた』が、『江戸時代に入ると、神社や盛り場などで、楊弓場(ようきゅうば)または矢場(やば)と呼ばれる楊弓の遊技場が設けられるようになった。楊弓場には矢拾女・矢場女(やばおんな)と呼ばれる、矢を拾ったり客の応対をしたりする女性がいたが、後に娼婦の役目を果たすようになった。また、的に的中させた時の景品も』、『時代が下るにつれて高価になっていったことから、天保の改革では、売春と賭博の拠点として取り締まりの対象となった。幕末から明治初期にかけて全盛期を迎えた』。『東京へは明治初年に浅草奥山(浅草寺の西側裏手一帯)に楊弓場が現れ、一般には「矢場」と呼ばれ広まった』。『店は競って美人の矢取り女(矢場女・矢拾い女)を置き、男たちの人気を集めた。矢取り女は射た矢を集めるのが仕事だが、客に体を密着させて射的方法を教えたり、矢を拾う際に足を見せたりして媚びを売った。戯れに矢拾い女の尻にわざと矢を当てる客もあり、それをうまくかわす女の姿がまた客を喜ばせた。店裏で売春もし、客の男たちは女の気を引くために足繁く通い、出費で身を滅ぼす者も出た。しかし、次第に値段の安い銘酒屋に』『人気を奪われ、明治中期以後』、『急速に衰退した』。『東京では関東大震災の影響もあって、昭和に入る頃には楊弓場・矢場は姿を消したと』される。

「丹波の産」ウィキの「ヤマドリ」にある分布域から見て、ヤマドリ Syrmaticus soemmerringii scintillans の可能性が濃厚。別名をキタヤマドリ(北山鳥)と言うように、本州関西地区の北部名古屋の北附近に当たる北緯三十五度二十分以北、及び、島根県北部・兵庫県北部より北に分布する。『細く短い尾羽を持ち、全身の羽色は淡色』で、『腰の羽毛は羽縁が白く、肩羽や翼の羽縁も白い』とある。

「薩州より出〔(いづ)〕る者」同前により、分布域と尾が有意に長い点から見て、コシジロヤマドリ Syrmaticus soemmerringii ijimae と断定してよい。九州中南部(熊本県南部・宮崎県南部・鹿児島県)に分布するとされるが、現在、準絶滅危惧種。『太く長い尾羽を持ち、全身の羽色は濃色』で、『腰の羽衣が白く、肩羽や翼に白色斑が入らない』。

「乖巧〔(りこう)〕」「りこう」のルビは私が意味から附した。「悧巧・利巧」である。「乖」には「小賢しい」の意があり、「乖巧」は現代中国語(カタカナ音写「グゥアィ チィアォ」)でも「賢い・利口である・如才ない・頭の回転が早い」の意がある。

「人、緩(ゆる)きときは」人が知らん振りをして寛いで見せる時は。

「禹歩」たまには東洋文庫訳の注を引こう。原義は『古代の聖帝禹の步き方。まず左足を踏み出し、右足をその前へ踏み出す。次に後の左足を右足に引きつける。これで一歩。次いで右足を踏み出し』、『左足をその前へ、そして後の右足を左足に引きつける。以上を交互にくり返す步き方で』、道教に於いては、呪力を持つ歩き方とされる。ここは山鳥も、一見、のんびりと楽しむように歩いているさまであろうが、或いは、既にして道家的な呪術的結界を賢い山鳥は禹歩で形成しているのであると、匂わせているのかも知れない。

「急なるときは」人が山鳥に注意を向け、俄然、捕獲しようと動かんとした瞬間には。

「暴(には)かに飛ぶ」危険を事前に察知して俄かに飛び立ってしまう。

「終日、人力を費す」日がな一日、山鳥を捕えようとして、失敗に終わり、無駄に過ごすことになってしまう。

「鐵銃」鉄砲。

「芹(せり)」セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica

「尾をして物に礙〔(さ)〕へ〔ぎら〕ざらしむなり」東洋文庫訳では、『尾が物に触れたり、さまたげられたりしないようにする』とある。

「日(〔ひ〕る)」昼間。

「夜、則ち、溪谷を隔〔(へだ)て〕て、雌の影、雄の尾に寫ること有るを視て、啼く。之れを「山鳥の鏡」と謂ふ」「万葉集」の巻第十四の「相聞」に(三四六八番)、

 山鳥の尾(を)ろの初麻(はつを)に鏡懸け唱(とな)ふべみこそ汝に寄(よ)そりけめ

という一首がある。「初麻」はその年に最初に穫(と)れた麻で拵えた緒。それで祭具である鏡を懸けるのである。「唱ふ」は「呪文を唱えて神を祀る」ことを指す。「べみ」は「べきこそ」で「~するに違いないので」。講談社文庫版の中西進氏の注によれば、この歌は『男の誘い歌』であり、この「唱ふ」までが、祝婚の祭事』(男の願望か)なのであり、その『祭儀を示す表現に下句』(私をそなたの傍に寄せるに違いない)『をついだ歌』であるとある(挿入した訳は私の勝手な解釈であるので注意されたい)。しかし、この山鳥はやはり長い麻緒を引き出すための序詞であって、ここで言っている「山鳥の鏡」という語句形成とは関係がない(ように私には見える)。「枕双紙」=「枕草子」では「鳥は」(「鳥尽くし」)の章段に、

   *

山鳥、友を戀ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。

   *

とある。石田穣二訳注「枕草子 上巻」(昭和五四(一九七九)年角川文庫刊)では、『以上の記載』は『歌学的な知識であろう』と脚注した上、補注で以下のように詳細に述べておられる。

   《引用開始》

『俊頼髄脳』は「山鳥のをろのはつ尾に鏡かけとなふべみこそなによそりけめ」(原歌、『万葉集』巻十四)の解として「この歌の鏡のこと、たしかに見えたることなし。昔、隣の国より山鳥を奉りて、鳴く声たへにして聞く者うれへを忘るといへり。みかど、これを得て喜び給ふにまたく鳴くことなし。女御のあまたおはしけるに、この鳥鳴かせたらむ女御を后には立てむと宣旨を下されたりけれは、思ひはかりおはしける女御の、友を離れて独りあれは鳴かぬなめりとて、明かなる鏡をこのつらに立てりければ、鏡を見て喜べるけしきにて鳴くことを得たり。尾をひろげて鏡のおもてに当てて喜び鳴く声まことにしげし。これを鳴かせ給へる女御、后に立ちて、かたはらの女御、ねたみそねみ給ふこと限りなしと言へり。是が心を取りてよめるとぞ」とある。続いて「足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもぬる」(『拾遺集』巻十三、人麻呂)の解として、山鳥の雌雄、夜は山の尾を隔てて一所には臥さないものである云々の説が見える。『奥義抄』には、先の『万葉』の「鏡かけ」の歌の解として、同様の、女御の説話を挙げ、「或説には、山鳥は夜になれば、め鳥と山を隔ててべちべちにぬるに、暁になりて雄鳥の尾をもたげて見るにめ鳥のある所の鏡にて見ゆる也」という異説を挙げる。『袖中抄』にも諸説が列挙されている。

   《引用終了》

とあった。因みに辞書を見ると、「尾ろの鏡」(をろ(おろ)のかがみ)の語が載るものの、先の「万葉集」の当該歌から出た中世の歌語としながら、『語義未詳。異性への慕情のたとえに用いられる。山鳥の尾の鏡。はつおの鏡』などという半可通な解説が載るばかりである。石田氏の上記の記載が唯一納得出来る内容と言える。どうも、山鳥の雄は尾羽の中に鏡を隠し持っていると伝承があったらしいのである。

「良材集」「歌林良材集」。東洋文庫版「書名注」に、『二巻。室町中期。一条兼良撰。歌学・歌論の書』とある。また、東洋文庫版本文注に同書の巻五の『由緖ある歌、十九に「山鳥の尾の鏡の事」という項があり、そこに『萬葉集』の』『歌(三四六八)を引いて故事の説明をしている』とある。

「六帖」「古今和歌六帖」。平安時代に編纂された私撰和歌集。全六帖。成立時期・撰者ともに不明。ウィキの「古今和歌六帖によれば、『おおよその目安として、天禄から円融天皇の代の間』(九七〇年から九八四年の間)『に成立したといわれており、撰者については紀貫之とも、また兼明親王とも具平親王ともいわれるが、源順が撰者であるという説もある』。『およそ四千数百首の和歌を題別に収録する(伝本によって歌数に相違があり、重複して採られている和歌がある)』とある。

「晝はきて夜は別るゝ山鳥の影みる時ぞねはなかれける」これは「新古今和歌集」の巻第十五の「戀歌五」に詠み人知らずの一首として(一三七二番)、

 晝(ひる)はきて夜(よる)はわかるる山鳥(やまどり)の影みるときぞ音(ね)はなかれける

と採録されてある。]

 

2018/08/08

和漢三才圖會第四十二 原禽類 白雉(しらきじ)

Sirakiji

しらきじ

白雉

 

△按白雉形狀不異而白色頰紅自有雌雄然不多近年

 間來於異國而養于樊中惟愛其美耳

 日本紀孝德天皇大化六年穴戸國【今云長門】獲白雉獻之

 是休祥也故以年號改白雉元年

高麗雉 來於朝鮮狀類雉而光彩最美麗頸有白環紋

 彼地亦以爲珍凡養雉正月餌蜥蜴則好交生卵使雞

 孚之捕其蜥蜴者繫蠅於髮𢳄地邊則蜥蜴出於穴

 

 

しらきじ

白雉

 

△按ずるに、白雉は形-狀〔(かたち)〕、異ならずして、白色。頰、紅なり。自〔(おのづか)〕ら雌雄有りて、然〔しか〕も、多からず。近年、間(まゝ)異國より來りて樊〔(かご)の〕中に養ふ。惟だ、其の美を愛するのみ。

「日本紀」孝德天皇大化六年に穴戸國【今、云ふ、長門。】より、白雉を獲り、之れを獻ず。是れ、休祥〔(きうしやう)〕なり。故に年號を以つて白雉元年に改む。

高麗雉 朝鮮より來たる。狀、雉に類して、光彩、最も美麗なり。頸、白き環(わ)の紋(もん)有り。彼の地にも亦、以つて珍と爲す。凡そ、雉を養ふに、正月、蜥蜴(とかげ)を餌(ゑ)とすれば、則ち、好く交(つる)みて卵を生ず。雞〔(にはとり)〕をして之れを孚〔(かへ)〕らしむ。其の蜥蜴を捕ふには、蠅を髮に繫(つな)ぎ、地邊を𢳄(ひきず)れば、則ち、蜥蜴、穴より出づ。

[やぶちゃん注:冒頭で結論を出してしまうと、私は前条の

キジ目キジ科キジ属キジ Phasianus versicolor の亜種類のアルビノ(albino:白化個体)

或いは、当時、長崎を経由して舶来してきた、大陸産の、

キジ目キジ科キジ属コウライキジ Phasianus colchicus のアルビノ

か、同様に齎された、本邦のキジに体型が酷似した、大陸産の、

キジ科 Phasianidae の仲間のアルビノ

と考える。無論、本邦産のキジのアルビノは稀ではある。が、ネット上で画像や動画を調べると、結構、本邦での彼らを見ることが出来るのである。さて、附記されている「高麗雉」(同種の多くの亜種には首に白い輪状の模様があるのが特徴であり、頬は赤い。但し、基準種Phasianus colchicus colchicusにはこの白い首輪状模様はない。自然分布はカスピ海地方から朝鮮半島にかけてと考えられているが、古くから狩猟鳥として親しまれたため、世界各地に人為的に移入されており、参照したウィキの「コウライキジ」によれば、『対馬と瓜島には、すでに中世に朝鮮半島から移入されていたとされる』とある)に着目する方もあろう。何で、こんなところに添えるんだろうという疑問から、良安の言う「白雉」はコウライキジなのじゃないかと思う方もいるのではないか? そうさ、コウライキジが「白雉」だとする見解を示しておられる方は実際に、いる。雉は流石に国鳥だ。白い雉についてマニアックに記しておられる人は、予想外に多いのであるが、例えば、個人ブログ「樹樹日記」の「白いキジと黒いキジを読まれたい。要点を記すと、「魏志倭人伝」の中に「この国には黒い雉がいる」という記述があり、これは『日本の鳥に関する最古の』対象が雉であることになること、そして「魏志倭人伝」の記者が『日本のキジを「黒い」と感じるのは、中国大陸のキジ(コウライキジ)と比べて』「白い」と感じたのであり、『コウライキジを見慣れている中国人が日本のキジを見て「黒い」と感じるのは不思議では』ない、『逆に言えば、日本のキジを見慣れている日本人にはコウライキジが白く見えるはず』だとされ、『「白雉」という元号は白化個体ではなく』、『コウライキジに由来するのではないか』、『朝鮮半島から対馬あたりにコウライキジが移入され、それが今の山口県の国司に渡り、さらに朝廷に献上されたのではない』か、という推論も示しておられるのである。私は最後の改元推理の部分には賛同出来ないものの、前半の解釈は共感出来る。しかし、これは「魏志倭人伝」の「黒雉」とその認識の内側に措定されてある「白雉」を考察するという条件下に於いての共感である。何故なら、もし、この良安の「白雉」が「コウライキジ」そのものなのだとするならば、良安が「白雉は形-狀〔(かたち)〕、異ならずして、白色。頰、紅なり」(言っておくと、「本草綱目」には「白雉」はないから、この項のメインの「白雉」のパートは良安のオリジナルなものである。さすれば、この謂いは良安が実際に「白雉」を実見して書いたものと考えるべきである)とは、絶対に書かないと信ずるからである。私は既に「和漢三才図会」の動物類を十三巻ばかり電子化注してきた。原文を基本、生でタイピングする作業の中で、良安の観察眼については、一般人よりはずっと理解しているつもりである。無論、時に彼の観察には杜撰なところも散見されるが、しかし、博物学者としての鋭さはしっかり持っている。その良安が、本邦のキジより、多色刷り図鑑により相応しい明るい多彩色の、白い首輪模様をしたコウライキジを見たとしても、彼は決して「白色。頰、紅なり」とは書かない。ちゃんと「高麗雉」のところにある通り、「雉に類して、光彩、最も美麗なり。頸、白き環(わ)の紋(もん)有り」と記すのである。則ち、この「白雉」の項を立てて、そこにその仲間っぽいものとして良安が「高麗雉」を追記したことを考えても、「白雉」と「高麗雉」は少なくとも良安の中では、やはり全然、別種として観察されたということなのである。ただ、良安はここで、「近年、間(まゝ)異國より來りて樊〔(かご)の〕[やぶちゃん注:「樊」には「鳥籠」の意がある。]中に養ふ。惟だ、其の美を愛するのみ」と言っておいて、後に「高麗雉」の項を添えたからには、この「白雉」がコウライキジのアルビノである可能性はかなり高くはなることは事実であるように思われはする。

 時に、本邦の「白雉」の記載はどうなのか? これも私には足元にも及ばぬような、フリークがいらっしゃった。Seikuziブログ不思議なことはあったほうがいいの「雉(ち)」である。これはもう必見の要保存で、実に古文献から二十例を調べ上げておられ、そこでの白雉の発見地は北九州(筑前・大宰府・壱岐等)で六例、畿内とその近郊(但馬・美作・丹波・山城等)で六例、武蔵国を中心とした東国信越(陸奥・越中・飛騨等)で六例とあって、ブログ主も驚いておられる通り、本邦内で均等に見出されてあるのである。東国信越は本邦産のキジのアルビノであると考えてよく、これは寧ろ、古えにあっても本邦の各所で白い雉は目撃されていた確かな証拠なのである。

『「日本紀」孝德天皇大化六年に穴戸國【今、云ふ、長門。】より、白雉を獲り、之れを獻ず。是れ、休祥なり。故に年號を以つて白雉元年に改む』西暦六五〇年。「日本書紀」の原文は、個人サイトみかえりの里 In ほっちゃの「白雉伝承についてを参照されたい。「休祥」(きゅうしょう)の「休」は「目出度い」の意で「よい前兆・吉兆」の意。

𢳄」「旋」の異体字。「長く引きずる」の意。]

2018/08/07

和漢三才圖會第四十二 原禽類 野鷄(きじ きぎす)

Kiji

きじ    雉【音 】 華蟲【尚書】

きゞす   䟽趾【曲禮】

      迦頻闍羅【梵書】

野鷄

ヱ、キイ 【和名木々須

      一云木之】

 

本綱雉形大如雞而斑色繡翼雄者文采而尾長雌者文

暗而尾短其性好闘其名曰鷕【音杳】其交不再其卵褐色將

卵時雌避其雄而潜伏之否則雄食其卵也月令仲冬雉

始雊謂陽動則雉鳴而勾其頸也其飛如矢一徃而墜故

字從矢雉屬離火雞屬巽木故煑之雞冠變雉冠紅也

雉肉【酸微寒】 食品之貴然有小毒不可常食損多益少春

夏不可食爲其食蟲蟻及與蛇交變化有毒也【胡桃木耳菌葱蕎麥

不可合食】月令云十月雉入大水爲蜃【蜃者大蛤】埤雅云蛇交雉則

生蜃【蜃者蛟屬】或云正月蛇與雉交生卵遇雷入土數丈爲蛇

形經二三百年成蛟飛騰若卵不入土乃爲雉耳【蓋蜃同字而大

異物也詳各其條下】

夫木 ききす鳴くあしたの原を過行はさわらひわたりほろろうつなり

                  經家

按雉卽野鷄處處多有之東北産最佳雄者頂有雙角

 毛頭頸胸腹翠黑色有光頰眼紅觜蒼而尖背翮彩斑

 色腰有長緑毛尾長有文采翅短而蒼黑斑脛掌亦似

 雞而勁雌者黃赤黑斑而文暗尾短

 春月伏卵於叢中雄不離去其近邊狐狸狼犬或人至

 則頻翥鳴此愛情之所然也本綱所謂雄食其卵者與

 此相反矣又春月山人燒野火既欲至伏卵處時雌先

 張翅而仰臥于地雄來啣數卵置雌之翅之内而後雄

 啣雌之觜急引退以避火是雉之性自然之智也雉欲

 潜人則藏首見尾却爲人易獲焉是亦自然之愚也蛇

 與雉欲相食之而雉啄蛇頭蛇却卷雉也數匝雉畧張

 翅見纏而急翥鷕則蛇身斷落而後悉啄之也弱雉者

 乃隨其纏而窄翅故不得翥而終死焉蛇悉食之也蓋

 蛇交雉生蛟龍之説雖出於諸書難信未知是非疑着

 蛇卷雉以爲交乎

 理學類篇云植雉尾於車上以候雨晴天將雨則先埀

 向下終晴便直立

 

 

きじ    雉【音[やぶちゃん注:欠字。]】

きゞす   華蟲【「尚書」。】

      䟽趾〔(そし)〕【「曲禮」。】

      迦頻闍羅〔(かびんじやら)〕【梵書。】

野鷄

ヱ、キイ 【和名、「木々須」。

      一つに「木之」とも云ふ。】

 

「本綱」、雉の形・大いさ、雞〔(にはとり)〕のごとくして、斑色〔(まだらいろ)〕、繡翼〔(しうよく)〕。雄は文采〔(もんさい)〕ありて、尾、長く、雌は、文〔(もん)〕、暗にして、尾、短く、〔短し。〕其の性、好んで闘ふ。其れを名づけて「鷕〔(ほろろうつ)〕」【音、「杳〔(エウ)〕」。】曰〔(い)〕ふ。其れ、交(つる)び、再たびせず。其の卵、褐色。將に卵をする時、雌、其の雄を避(さ)けて潜かに之れを伏す。否(しからざ)るときは、則ち、雄、其の卵を食ふなり。「月令〔(がつりやう)〕」に、『仲冬、雉、始めて雊(さか)る』〔と〕。謂〔(いはゆ)〕る陽動するときは、則ち、雉、鳴きて其の頸を勾〔(まぐ)〕るなり。其れ、飛ぶこと、矢のごとく、一たび徃〔(ゆき)〕て墜つ。故に、字、「矢」に從ふ。雉は〔(こん)〕・離・火に屬し、雞は巽〔(そん)〕・木に屬す。故に、之れを煑る〔ときは〕、雞は、冠〔(さか)〕、變じ、雉、冠、紅(あか)し。

雉肉【酸、微寒。】 食品の貴なり。然れども、小毒、有り、常に〔は〕食ふべからず。損、多く、益、少なし。春・夏は食すべからず。其れ、蟲・蟻を食ひ、及び、蛇と交(つる)み變化して、毒有るが爲めなり。【胡桃(くるみ)・木耳(きくらげ)・菌(くさびら)・葱・蕎麥、合〔(あ)〕ひ食すべからず。】「月令」に云はく、『十月、雉、大水に入り、蜃〔(シン)〕と爲る』〔と〕【蜃とは大蛤〔(おほはまぐり)なり〕。】。「埤雅〔(ひが)〕」に云はく、『蛇と雉と交むときは、則ち、蜃を生ず』〔と〕【〔この〕蜃とは蛟〔(みづち)〕の屬〔なり〕。】。或いは云はく、『正月、蛇と雉と、交みて卵を生ず。雷に遇ひて、土に入るること、數丈、蛇の形と爲り、二、三百年を經て、蛟(みづち)と成り、飛び騰(あが)る。若〔(も)〕し、卵、土に入らざれば、乃〔(すなは)ち〕、雉と爲るのみ【蓋し、「蜃」、同字〔なれども〕、大きに異なる物なり。各々、其の條下に詳かなり。】。

「夫木」

 きぎす鳴くあしたの原を過ぎ行けばさわらびわたりほろろうつなり

                  經家

ずるに、雉、卽ち、野鷄〔(やけい)〕なり。處處、多く之れ有り。東北産、最も佳なり。雄は頂きに雙〔(ならび)〕たる角毛、有り。頭・頸・胸・腹、翠黑(みどり〔ぐろ〕)〔き〕色〔にして〕、光り有り。頰・眼、紅〔(くれな)〕い[やぶちゃん注:ママ。]に、觜、蒼くして尖り、背の翮(はね)、彩斑(いろどりまだら)〔の〕色〔たり〕。腰に長き緑毛有り。尾、長くして文采〔(もんさい)〕有り。翅(つばさ)、短くして蒼黑斑〔(あをぐろまだら)〕なり。脛・掌も亦、雞に似て、勁(つよ)し。雌は黃赤黑斑〔(わうせきくろまだら)〕にして、文〔(もん)〕、暗く、尾、短し。

 春月、卵を叢中に伏せ、雄、其の近邊を離れ去らずして、狐・狸・狼・犬或(もしく)は人、至るときは、則ち、頻りに翥(はう)つて、鳴く。此れ、愛情の然〔(しか)〕る所なり。「本綱」に所謂(いふところ)の、雄、其の卵を食すといふは、此れと相ひ反す。又、春月、山人、野を燒く火、既に卵を伏す處に至らんと欲(す)る時、雌、先づ、翅を張りて仰(あふぎ)て地に臥す。雄、來つて、數卵を啣(ふく)み、雌の翅の内に置きて、而〔る〕後、雄、雌の觜を啣〔(くは)〕へ、急に引き退〔(しりぞ)〕き、以つて火を避く。是れ、雉の性、「自然の智」なり。雉、人に潜〔(かく)れ〕んと欲〔(す)〕るときは、則ち、首を藏〔(かく)〕して、尾を見〔(あら)〕はす。却つて、人の爲めに、獲(と)られ易〔(やす)〕からしむ。是れ亦、「自然の愚」なり。蛇と雉と、之れを相ひ食はんと欲すれば、雉、蛇の頭〔かうべ〕を啄(つゝ)く。蛇、却つて雉を卷くことや、數匝〔(すうそう)〕、雉、畧(ち)と翅を張りて纏(まと)はり見る。而して、急に翥鷕(ほろゝう)つときは、則ち、蛇の身、斷落〔(だんらく)〕す。而して後〔(のち)〕、悉く、之れを啄むなり。弱(わか)き雉は、乃〔(すなは)〕ち、其の纏ふ隨ひて翅を窄(すぼ)める故、翥(ほろう)つことを得ず、終〔(つゐ)〕に死す。蛇、悉く、之れを食〔(は)〕むなり。蓋し、蛇、雉に交(つる)みて蛟龍〔(かうりう)〕生ずるの説、諸書に出づると雖も、信じ難し。未だ是非を知ら〔ざれども〕、是れ、疑ふらくは、蛇、雉を卷〔(ま)き〕て着きて、以つて、交(つる)むと爲〔(す)〕るか。

 「理學類篇」に云はく、『雉の尾を車の上に植(た)てゝ、以つて雨晴を候〔(うらな)〕ふ。天、將に雨〔(あめふ)〕らんとす。則ち、先(さ)き埀れて、下に向ふ。終〔(つゐ)〕晴るるときは、便〔(すなは)ち〕、直〔(まつす)〕ぐに立つ。』〔と〕。

[やぶちゃん注:キジ目キジ科キジ属キジ Phasianus versicolor Vieillot, 1825 であるが(現在、学名を Phasianus colchicus とする主張もある)、ウィキの「キジ」によれば、本邦には、

Phasianus versicolor versicolor Vieillot, 1825 キュウシュウキジ(分布(以下同じ):本州南西部・九州・五島列島)

Phasianus versicolor robustipes Kuroda, 1919 キジ(本州北部・佐渡島)

Phasianus versicolor tanensis Kuroda, 1919 シマキジ(本州の伊豆半島・紀伊半島・三浦半島、及び伊豆大島・種子島・新島・屋久島)

Phasianus versicolor tohkaidi Momiyama, 1922 トウカイキジ(本州中部・四国)

とし、現在ではこれらの交雑が進んで、亜種の区別が明瞭でなくなりつつあって本来の純亜種自体の絶滅を危惧向きもあるとした上、さらに、大陸産で本来は本邦にいなかったキジ属コウライキジ Phasianus colchicus が人為移入されて、その交雑種も既に見られることが記されてある。「雉」は日本の国鳥である。種小名 versicolorは、ラテン語で「色変わりの」を意味』する。全長はオスで八十一センチメートルほどで、メスが五十八センチメートルほど。翼開長は凡そ七十七センチメートル、体重はオスで八百グラムから一・一キログラム、メスで六百から九百グラムである。『オスは翼と尾羽を除』いて『体色が全体的に美しい緑色をしており、頭部の羽毛は青緑色で、目の周りに赤い肉垂がある。背に褐色の斑がある濃い茶色の部分があり、翼と尾羽は茶褐色。メスは全体的に茶褐色』を呈する(但し、上記の交雑によってこうした特徴に有意な乱れが生じている)。『山地から平地の林、農耕地、河川敷などの明るい草地に生息し』、『地上を歩き、主に草の種子、芽、葉などの植物性のものを食べるが、昆虫やクモなども食べる』。『繁殖期のオスは赤い肉腫が肥大し、縄張り争いのために赤いものに対して攻撃的になり、「ケーン」と大声で鳴き』、『縄張り宣言をする』。『その後』、『両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が、「母衣打ち(ほろうち)」と呼ばれる』。『メスは「チョッチョッ」と鳴く』。『子育てはメスだけが行う』。『地面を浅く掘って枯れ草を敷いた巣を作』り、四~七月に六~十二個の『卵を産む』。『オスが縄張りを持ち、メスは複数のオスの縄張りに出入りするので』、『乱婚の可能性が高い。非繁殖期には雌雄別々に行動する』。『夜間に樹の上で寝る』。『飛ぶのは苦手だが、走るのは速』く、スピード・ガンによる測定では時速三十二キロメートルの記録があるという。また『人体で知覚できない地震の初期微動を知覚できるため、人間より数秒速く』、『地震を察知することができる』ともされる。

「きゞす」古語では「雉子」で「きぎす」「きぎし」であるが、語源ははっきりしない。「日本国語大辞典」によれば、「きぎ」は鳴き声の「けんけん」「けいけい」「きんきん」「ききん」などの訛ったもので「し」は鳥の称呼に用いる辞とする説(「す」はけたたましく鳴く雄(おす)の「す」とする別説もある)、賢い鳥であることから「聞き知り鳥」の義とする説、性質が荒いことから激しいの意の古語「けげし」(私はこんな古語は知らない)の義とするもの、野にあって春を掌る「木蛬(きぎす)」(「蛬」はコオロギとかキリギリスで秋を伝える彼らの声を対応させたものか)だという判ったような判らぬ説が載る。まあ、鳴き声由来かな、とは私は思う。なお、平安時代に既に「きじ」の呼称は一般化しており、「きぎす」は殆んど和歌にしか用いられなくなっていた、と小林二郎論文「雉 季語(小山工業高等専門学校研究紀要」第二十一号・PDF)にあった。

「尚書」五経の「書経」の古称。伝孔子編。尭・舜から周までの政論や政教を集めたもの。「書経」と呼ばれるようになったのは宋代以降。

「䟽趾」後に出る「埤雅」(ひが:宋代の文人政治家陸佃(りくでん 一〇四二年~一一〇二年)の著わした訓詁学書)の「雉」には、『指間に幕無し。其の足は䟽なり。故に䟽趾と曰ふ』(引用は加納喜光氏の「埤雅の研究-中国博物史の一斑-」の「雉」に拠った)とあり、加納氏は『「䟽」は「疏」の誤りであると思われる』と校記で記しておられ、とすれば、「疏」は「塞がっていた対象を切り開いて通す」であるから、蹼のような膜がない後肢の趾(あしゆび)の意で、腑に落ちる。

「曲禮」五経の一つ「礼記(らいき)」の巻頭にある篇名。古い礼の定めを細かに雑記したもの。

「迦頻闍羅〔(かびんじやら)〕」読みは東洋文庫訳のルビを参考に振った。中国の仏典や本草書に出る雉類の旧称。

「繡翼」刺繡を施したような煌びやかな翼の謂いらしい。

「文采」多彩な紋様。

「其の性、好んで闘ふ」前の文が切れていないので、雌がそうだという風に読めてしまうが、闘争心が激しいのはであるから、おかしいので、補正注を本文に入れた。

「鷕〔(ほろろうつ)〕」(音は現代仮名遣で「ヨウ」)東洋文庫訳のルビが面白いので援用したが、この漢字は本来は「雌()の雉が雄()を求めて鳴く」の意である。「ほろろうつ」というのは古語で「雉が羽ばたきをする・羽ばたきをして鳴く」の意であり、先のウィキの中に出る「母衣打(ほろう)ち」と同じことである。後に出る「翥鷕(ほろゝう)つ」も同じ。

「交(つる)び、再たびせず」交尾は一度しかしない。しかし、先の引用で、は複数のの縄張りに平気で出入りすることから、『乱婚の可能性が高い』とあったよね。愚かなるはブイブイ言わせてるということか。

「月令」「礼記」の「月令」(がつりょう)篇(月毎の自然現象・古式行事・儀式及び種々の農事指針などを記したもの。そうした記載の一般名詞としても用いる)。『雁北、鵲始巢。雉雊、雞乳』と載る。「雊(さか)る」というこの「雊」自体が「雉が鳴く」の意である。

「陽動する」陽の気が活動を始める。

「勾〔(まぐ)〕る」曲げる。

「其れ、飛ぶこと、矢のごとく、一たび徃〔(ゆき)〕て墜つ。故に、字、「矢」に從ふ」この解字は思わず、膝を打ってしまうが、実際には「矢」は矢の仲間の「矰繳(いぐるみ)」と呼ばれるもの、「射包(いくる)み」ではあるが(甲骨文では「矢」ではなく「夷」)、これは逆に、飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛けで、矢に網や長い糸をつけて当たるとそれが絡みつくようにしたものであり、それで鳥一般を捕獲する意味が原義であった。それが、捕獲する雉に転用されたに過ぎない

〔(こん)〕」八卦の「艮(こん)」。

「離」八卦の一つ。

「巽〔(そん)〕」雞」に出た。

「冠〔(さか)〕」鶏冠(とさか)。

「貴」貴重。

「損、多く、益、少なし」総体的に見ると、食用することによる各種の障害が結果的に多く、補益する効果が極めて限られており、処方としては益が少ない。

「菌(くさびら)」茸(きのこ)。

「大蛤〔(おほはまぐり)」蜃気楼を吐くとされる伝説上の巨大な二枚貝。

「蛟〔(みづち)〕」ウィキの「蛟龍」によれば、『中国の竜の一種、あるいは、姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)だとされる』。『日本では、「漢籍や、漢学に由来する蛟〔コウ〕・蛟竜〔コウリュウ〕については、「みずち」の訓が当てられる。しかし、中国の別種の竜である虬竜〔キュウリュウ〕(旧字:虯竜)や螭竜〔チリュウ〕もまた「みずち」と訓じられるので、混同も生じる。このほか、そもそも日本でミズチと呼ばれていた、別個の存在もある』(ここで言う本邦での「みずち」(古訓は「みつち」)は水と関係があると見做される竜類或いは伝説上の蛇類又は水神の名である。「み」は「水」に通じ、「ち」は「大蛇(おろち)」の「ち」と同源であるともされ、また、「ち」は「霊」の意だとする説もある。「広辞苑」では「水の霊」とし、古くからの「川の神」と同一視する説もあるという)。『ことばの用法としては、「蛟竜」は、蛟と竜という別々の二種類を並称したものともされる。また、俗に「時運に合わずに実力を発揮できないでいる英雄」を「蛟竜」と呼ぶ。言い換えれば、伏竜、臥竜、蟠竜などの表現と同じく、雌伏して待ち、時機を狙う人の比喩とされる』。荀子勧学篇は、『単に鱗のある竜のことであると』し、述異記には『「水にすむ虺(き)は五百年で蛟となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で応竜となる」とある。水棲の虺』は、一説に蝮(まむし)の一種ともされる。「本草綱目」の「鱗部・龍類」によれば(以下、最後まで注記番号を省略した)、『その眉が交生するので「蛟」の名がつけられたとされている。長さ一丈余』(約三メートル)『だが、大きな個体だと太さ数囲(かかえ)にもなる。蛇体に四肢を有し、足は平べったく盾状である。胸は赤く、背には青い斑点があり、頚には白い嬰』(えい:白い輪模様或いは襞(ひだ)或いは瘤の謂いか?) 『がつき、体側は錦のように輝き、尾の先に瘤、あるいは肉環があるという』。但し、蛟は有角であるとする「本草綱目」に反して、「説文解字」の『段玉裁注本では蛟は「無角」であると補足』して一定しない。「説文解字」の小徐本系統の第十四篇によれば、「蛟竜屬なり、魚三千六百滿つ、すなわち、蛟、これの長たり、魚を率いて飛び去る」(南方熊楠の「十二支考 蛇に關する民俗と傳説」から私が改めて引用した)『とある。原文は「池魚滿三千六百』『」で、この箇所は、<池の魚数が』三千六百『匹に増えると、蛟竜がボス面をしてやってきて、子分の魚たちを連れ去ってしまう、だが「笱」』(コウ/ク:魚取り用の簗(やな)のこと)『を水中に仕掛けておけば、蛟竜はあきらめてゆく>という意』が記されてあるそうである。「山海経」にも『近似した記述があり、「淡水中にあって昇天の時を待っているとされ、池の魚が二千六百匹を数えると蛟が来て主となる」とある。これを防ぐには、蛟の嫌うスッポンを放しておくとよいとされるが、そのスッポンを蛟と別称することもあるのだという』。更に時珍は「本草綱目」で『蛟の属種に「蜃」がいるが、これは蛇状で大きく、竜のような角があり、鬣(たてがみ)は紅く、腰から下はすべて逆鱗となっており、「燕子」を食すとあるのだが、これは燕子〔つばくろ〕(ツバメ)詠むべきなのか、燕子花〔カキツバタ〕とすべきなのか。これが吐いた気は、楼のごとくして雨を生み「蜃楼」(すなわち蜃気楼)なのだという』。『また、卵も大きく、一二石を入れるべき甕のごと』きものである、とする。

「數丈」一丈は三・〇三メートル。六掛けで十八メートル前後か。

「きぎす鳴くあしたの原を過ぎ行けばさわらびわたりほろろうつなり」は「正治初度百首(正治二年十一月二十二日(一二〇〇年十二月二十九日)附)及び「夫木和歌抄」の巻五の「春五」に載る、藤原経家(久安五(一一四九)年~承元三(一二〇九)年)の一首。

「雉、卽ち、野鷄〔(やけい)〕なり」現行、キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ属 Gallus がおり、この中のセキショクヤケイ(赤色野鶏)Gallus gallus を家畜化したものが、現在のセキショクヤケイ亜種ニワトリ Gallus gallus domesticus とされいるが、キジ亜科ではあっても、キジ属 Phasianus とは異なるので、この謂いは正しくない。

「翠黑(みどり〔ぐろ〕)〔き〕色〔にして〕」なるべく不自然でない読み方にしようと手を加えているが、この条では良安は非常に珍しく、斑紋を含んだ複雑な羽色をこれまた連続した複雑な熟語で表現している。或いは、総てを音読みしている可能性もあるのかも知れないが、四字連続を音で読むのは、如何にも佶屈聱牙なので、避けた。しかし、よく見ていると、確かに実際の色や斑紋が確かに目に浮かんでくるから、不思議だ。

「翮(はね)」良安は前に「羽-翮(はがひ)」という訓も振っている。「はがひ」は狭義には、鳥の左右の羽の畳んだ際に重なる部分を指すが、前もそうだったが、ここも全体の羽の謂いで用いている。

「彩斑(いろどりまだら)」東洋文庫版のルビを援用した。繊細な彩色と端正な斑紋の謂いであろう。

「翥(はう)つて、鳴く」羽ばたきながら、鳴く。

「數匝〔(すうそう)〕」「匝」はこの場合、数詞で、原義の「周囲をぐるりと一回りする」という意から、回る度数を数えるそれとして使用している。

「畧(ち)と」少し。

「斷落〔(だんらく)〕す」巻きついた蛇の体が寸々に截ち切れて、ばらばらと落ちる。

「是れ、疑ふらくは、蛇、雉を卷〔(ま)き〕て着きて、以つて、交(つる)むと爲〔(す)〕るか」快哉! 良安先生!

「理學類篇」明の張九韶(ちょうきゅうしょう)撰。一三八四年刊。東洋文庫版の書名注によれば、『先学の説や自説によって、天地・天文・地理など』、『七類について弁じた書』とある。]

2018/08/01

和漢三才圖會第四十二 原禽類 矮雞(ちやぼ)

 

Tyabo

 

ちやぼ

     【俗云 知也保】

矮雞

     矮【鴉棤切短也不長也】

 

本綱矮雞出江南脚纔二寸許也

△按矮鷄嘴脚黃色者爲上但脚有毛者不佳尾長勾届

 頸後復曲埀者謂之佐志尾翅潤張者並佳

南京矮鷄 初來於南京最小而脚及眼色黃甚賞之

同白矮鷄 純白有尨毛冠黑者最勝焉其冠赤者呼曰

 地南京次之

加比丹矮雞 眼色黑脚亦帶黑次之

 凡矮雞不能高飛聲亦小然告時不異諸雞也矮雞交

 于和雞所生者形小而脚不甚矮曰之半矮爲下品

 

 

ちやぼ

     【俗に「知也保」と云ふ。】

矮雞

     「矮」は【鴉棤の切。「短」なり。

          「長からず」なり。】

 

「本綱」、矮雞は江南より出づ。脚、纔かに二寸許りなり。

△按ずるに、矮鷄、嘴・脚、黃色なる者を、上と爲す。但し、脚に毛有る者、佳ならず。尾、長く、勾(まが)りて頸の後〔(しり)〕へに届(いた)る〔もの〕、復た、曲〔り〕埀〔たる〕る者、之れを「佐志尾〔(さしを)〕」と謂ふ。翅、潤〔(ひろ)〕く張〔れ〕る者、並びに佳なり。

「南京矮鷄」 初め、南京より來〔(きた)〕る。最も小さくして、脚及び眼の色、黃なり。甚だ之れを賞す。

同じく「白矮鷄」 純白で尨毛〔(むくげ)〕有り。冠〔(さか)〕、黑き者、最も勝れる。其の冠、赤き者を呼びて「地南京」と曰ふ。之れに次ぐ。

「加比丹矮雞〔(かびたんちやぼ)〕」 眼の色、黑く、脚も亦、黑を帶ぶ。之れに次ぐ。

 

 凡そ矮雞は高く飛ぶこと能はず。聲も亦、小さし。然れども、時を告ぐるは諸雞に異ならず。矮雞、和雞(しやうこく)に交〔(つる)〕〔みて〕生む所の者、形、小さくして、而〔れども〕脚〔は〕、甚だ矮(ひく)からず。之れを「半矮(〔はん〕ちや)」と曰ひ、下品と爲す。

[やぶちゃん注:ニワトリの品種チャボ(矮鶏)。既に述べた通り、「天然記念物」に指定されている。ウィキの「チャボ(鶏)より引く。『多くの品種を持ち、観賞用として古くから愛好されてきた』。『東南アジアと貿易を行った朱印船や南蛮貿易、あるいはそれ以前において』、十七『世紀まで存続したチャンパ王国』(一九二年~一八三二年:ベトナム中部沿海地方(北中部及び南中部を合わせた地域)に存在した王国)『の鶏品種を日本で改良し作出したと考えられている。名前の由来はチャンパ王国の主要住民であったチャム人か、そのままチャンパが訛ったとされる。当時は雑色のものであったらしい』。『「矮鶏」という漢字表記からも分かるとおり、他の品種に比べて小型であり、オスで』七百三十グラム、メスで六百十グラム『程度が標準的な体重である。また足が非常に短く、尾羽が直立していることが外見上の特徴である』。『また海外でもジャパニーズ・バンタムと呼ばれ愛好されている。こちらの由来は現在のインドネシアのバンテン州にあったバンテン王国』(十六世紀から十九世紀にかけてジャワ島西部バンテン地方に栄えたイスラム国家)『やその異称バンタムから。なお、チャボに限らず』、バンタム『と呼ばれる品種のうち』、『「真のバンタム」(true bantam)と呼ばれる品種は』、『小柄な品種が多く、格闘技の体重別階級における軽い選手の属する階級であるバンタム級の由来にもなった』とあり、以下、品種の羽色の変異等が続くが、それはリンク先を見られたい。また、神戸大学経済経営研究所「新聞記事文庫」の「畜産業(4-087)」中外商業新報昭和六(一九三一発行電子化ている、「日本ちゃぼ倶楽部総務三井高遂氏談の「日本ちゃぼの起原とその発達が非常に勝れている。必見。

「佐志尾〔(さしを)〕」前注の三井氏の談話の中に『菖蒲尾(又は佐志尾)は立尾であり、謡羽』(うたいばね:尾の中で真ん中の長い一群の尾羽を指す語)『に添尾のあるのを八ツ尾といっている。車尾は下品とされている』とあるから、ショウブの葉或いは花(外花被片(前面に垂れ下がった花びら))に擬えたものであろう。

「南京矮鷄」個人サイト大多喜軍鶏 田舎 暮らし 千葉県 大多喜町の「矮鶏と小軍鶏で画像が見られる。但し、この名では特定出来ないという記載も見かけたので、この中には、これまた、多数の品種がいるらしい。前注の三井氏の談話の中には『「南京」は小さいという意味』とある。確かに江戸以前は小さくて可愛いものであったり、珍しいものに「南京」という名称をつけていた。

『同じく「白矮鷄」』「同じく」は後に掲げた「地南京」の名前からも、「南京矮雞」と同系の品種であることを指す。

「加比丹矮雞〔(かびたんちやぼ)〕」やはり前注の三井氏の談話の中に、『「加比丹」が舶載して来』た『という意味からであろう』とある。

「和雞(しやうこく)」雞」に出た「小國」の当て訓。

「而〔れども〕脚〔は〕、甚だ矮(ひく)からず」文脈上から少し私が補填して訓読した。全体が有意に小さい割には、それほど短くない、と謂うのである。

「半矮(〔はん〕ちや)」ルビに疑義があるが、一応、かく読んでおいた。]

2018/07/28

和漢三才圖會第四十二 原禽類 雞(にはとり)(ニワトリ)

 

和漢三才圖會卷第四十二

     攝陽 城醫法橋寺島良安而順

  原禽類

Niwatori

にはとり  鳩七咜【梵書】

      燭夜

【鷄同】

      【和名加介

      又云久太加介

      又云木綿附鳥】

      【俗云庭鳥】

唐音キイ

 

本綱鷄者𥡳也能𥡳時也其大者曰蜀小者曰荊其雛曰

𪇗【比與子】在卦屬巽在星應昴其類甚多大小形色亦異

其鳴也知時刻其棲也知陰晴無外腎而虧小腸

凡人家無故群鷄夜鳴者謂之荒鷄主不祥若黄昏獨啼

者主有天恩謂之盗啼老鷄能人言者牝鷄雄鳴者雄鷄

生卵者竝殺之卽已俚人畜鷄無雄卽以雞卵告竈而伏

出之南人以鷄卵畫黑煮熟驗其黃以卜凶吉雄鷄毛燒

着酒中飮之所求必得古人言鷄能辟邪則鷄亦靈禽也

鷄雖屬木各以色配之故黃雌雞者屬土坤象溫補脾胃

也烏骨鷄者受水木之氣故肝腎血分之病及虛熱者宜

之但觀鷄舌黑者則肉骨俱烏也白雄鷄者得庚金太白

之象故辟邪惡者宜之其他亦准之

古者正旦磔鷄頭【白雄雞良】祭門戸【東門】辟邪鬼葢鷄乃陽之

精雄者陽之体頭者陽之會東門者陽之方以純陽勝純

陰之義也

少兒五歳以下食雞生蚘蟲 雞肉同糯米食生蚘蟲

鷄肉不可合葫蒜芥李食之 雞肉同生葱食成蟲痔

鷄肉同鯉魚食成癰癤

 都にてなれにしものを庭鳥の旅寢の空は戀しかりけり

万葉我がやとのきつにはめなてくたかけのまたきに鳴てせなをやりつる

古今たかみそき夕つけ鳥そ唐衣たつたの山に降りはへてなく

按鷄家家畜之馴於庭因稱庭鳥又稱家鷄以別野鷄

 其種類甚多尋常雞俗呼名小國能鳴告時而丑時始

 鳴者稱一番鳥寅時鳴者稱二番鳥人賞之丑以前鳴

 者爲不祥俗謂之宵鳴所謂荒鷄盗鷄之類矣呼鷄重

 言之聲曰【音祝】俗云止止止

蜀雞【俗云唐丸】 形大而尾短其中有冠如大鋸齒者呼曰大

 鋸初自中華來爲闘雞最強

暹羅雞【之夜無】 形大於蜀雞而尾殊微少大抵高二尺余

 肩張脛大距尖而長身毛多兀而冠小性勁剛能闘雖

 倒不欲逃是初自暹羅來焉

南京雞 初來於中華南京形似和雞而純白有尨毛脚

 蒼黑冠亦黑色也其冠赤者名地南京

矮雞 形小而脚甚矮【詳于後】

 本綱所謂朝鮮長尾鷄【尾長三四尺】南越長鳴鷄【晝夜鳴叫】南海

 石雞【潮至卽鳴】蜀中鶤鷄楚中鷄【竝高三四尺】此等本朝未曾有

雞卵【中有黃肉白汁白者性寒黃者性溫】 筑前豊前多出之而不及於畿

 内之卵味【畏山椒如藏之同噐則卵腐爛】煑之則白汁包黄肉爲塊譬

 之天地兩象殻乃象總廓無星天【如初投熱湯煑之則殼肉不可離】

 凡雞多淫生數子毎日生一卵人潜取之唯遺一卵則

 逐日生卵數不定始終不取則十二而止矣母雞伏卵

 於翅下二十日許而稍溫暖中子欲出吮聲曰啐母雞

 亦啄孚其雛不待哺自啄粟糏謂之有側則不交取避則生卵】

[やぶちゃん注:「」=「𣫠」-「殳」+「鳥」(一字の中の構成要素に「鳥」が二つある)。]

 凡經百八十日始鳴告時未亮亮如人呵坤又可二十

 日聲大定能爲各曷課之聲其鳴也雌先啄叩雄翅令

 知其時則雄發聲蓋此陰陽相待之義乎

 韓詩外傳曰雞有五德頭戴冠【文也】足傅距【武也】敵在前敢

 闘【勇也】見食相呼【仁也】守夜不失時【信也】葛洪云凡古井及五

 月井中有毒不可輙入卽殺人宜先以雞毛試之毛直

 下者無毒回旋者有毒也感應志云五酉日以白雞左

 翅燒灰揚之風立至以黑犬皮毛燒灰揚之風立止也

 相傳如有人溺于池川未尋獲屍骸則乘鷄於板筏泛

 水上鷄能知所在而鳴於是探獲其骸焉

 

 

「和漢三才圖會」卷第四十二

     攝陽 城醫法橋寺島良安而順編

  原禽類

 

にはとり  鳩七咜〔(きゆうしちた)〕【梵書。】

      燭夜〔(しよくや)〕

【「鷄」も同じ。】

      【和名、「加介〔(かけ)〕、

      又、「久゙太加介〔(くだかけ)〕とも

      云ふ。又、「木綿附(ゆふづけ)鳥」

      と云ふ。】

      【俗に「庭鳥」と云ふ。】

唐音キイ

 

「本綱」、鷄は「𥡳」なり。能く時を𥡳(かんが)ふなり。其の大なる者、「蜀」と曰ひ、小なる者、「荊〔(けい)〕」と曰ふ。其の雛を「𪇗(ひよこ)」と曰ふ【「比與子」。】。卦(け)に在りては、「巽〔(そん)〕」に屬し、星に在りては「昴(すばる)」應ず。其の類、甚だ多し。大小・形・色も亦、異なり。其の鳴や、時刻を知り、其の棲(す)むや、陰晴を知る。外腎、無くして小腸を虧(か)く。

凡そ、人家、故無くして、群鷄、夜(よひ)に鳴く者は、之れを「荒鷄〔くわうけい)〕」と謂ひ、不祥を主〔(つかさ)〕どる。若〔(も)〕し、黄昏(ゆふぐれ)に獨り啼く者は、天恩有ることを主どる。之れを「盗啼〔(とうてい)〕」と謂ふ。老鷄、人言〔(じんげん)〕能くする者、牝鷄(めどり)の雄鳴(を〔なき〕)する者、雄鷄(〔を〕どり)の卵(たまご)を生〔(しやう)〕ずる者、竝びに之れを殺すときは、卽ち、已〔(や)〕む。俚人、鷄を畜〔(か)〕ふて、雄、無きとき、卽ち、雞-卵(たまご)を以つて、竈〔(かまど)〕に告げて、伏して、之れを出だす。南人、鷄卵を以つて黑を畫(えが)き、煮熟して其の黃を驗(こゝろ)み、以つて凶吉を卜〔(うらな)〕ふ。雄鷄の毛を燒きて、酒中に着〔(つ)〕けて之れを飮めば、求むる所、必ず、得〔(う)〕。古人の言〔(いは)〕く、「鷄、能く邪を辟〔(さ)〕く」といふときは、則ち、鷄も亦、靈禽なり。鷄、「木」に屬すと雖も、各〔おのおの)〕色を以つて之に配す。故に黃雌雞(あぶらのめどり)は「土」に屬す。坤〔(こん)〕の象〔(かた)〕ち、脾胃を溫補するなり。烏骨鷄〔(うこつけい)〕は「水」・「木」の氣を受くる故に、肝腎・血分〔(けつぶん)〕の病ひ及び虛熱の者、之れに宜〔(よ)〕し。但し、鷄の舌、黑き者を觀る〔は〕、則ち、肉・骨、俱〔(とも)〕に烏(くろ)し。白〔き〕雄鷄は、庚・金・太白の象〔(しるし)〕を得。故に邪惡を辟〔(さ)〕くるは、之れに宜〔(よ)〕し。其の他、亦、之れに准〔(したが)〕ふ。

古(いにし)へには、正旦に鷄の頭〔(かしら)〕を磔(はりつ)け【白〔き〕雄雞、良し。】、門戸に祭り【東門。】邪鬼を辟く。葢し、鷄、乃〔(すなは)ち〕、陽の精、雄は陽の体〔(てい)〕、頭は陽の會〔(くわい)〕、東門は陽の方〔(かた)〕。純陽を以つて純陰に勝つの義なり。

少兒、五歳以下にして雞を食へば、蚘蟲〔(くわいちゆう)〕生ず。

雞肉、糯米〔(もちごめ)〕と同じく食へば、蚘蟲、生ず。

鷄肉、葫蒜〔(にんいく)〕・芥〔(からし)〕・李〔(すもも)〕に合せて之れを食ふべからず。

雞肉、生葱〔(なまねぎ)〕と同じく食へば、蟲痔と成る。

鷄肉、鯉魚〔(こい)〕と同じく食へば、癰癤〔(ようせつ)〕と成る。

 都にてなれにしものを庭鳥の旅寢の空は戀しかりけり

「万葉」

 我がやどのきつにはめなでくだかけのまだきに鳴〔(なき)〕てせなをやりつる

「古今」

 たがみそぎ夕つげ鳥ぞ唐衣たつたの山に降りはへてなく

按ずるに、鷄、家家、之れを畜ひて庭に馴〔(な)〕る。因りて「庭鳥」と稱す。又、「家鷄(かけ)」と稱す。以つて「野鷄〔(やけい/きじ)〕」に別〔(わか)〕つ。其の種類、甚だ多し。尋常(よのつね)の雞、俗に呼びて「小國〔(しやうこく)〕」と名づく。能く鳴きて、時を告げて、丑の時より始めて鳴く者を「一番鳥」と稱す。寅の時、鳴く者を「二番鳥」と稱し、人、之れを賞す。丑より以前に鳴く者を不祥と爲す。俗に之れを「宵鳴〔(よひなき)〕」と謂ひ、所謂、「荒鷄」・「盗鷄」の類ひなり。鷄を呼ぶ重言の聲を「(とゝ)」【音、「祝」。】と曰ひ、俗に「止止止(と〔とと〕)」と云ふ。

蜀雞(とうまる)【俗に「唐丸」と云ふ。】 形、大にして、尾、短し。其の中、冠(さか)、大鋸(だいぎり)の齒(は)の者ごとくなる者、有り。呼んで、「大鋸〔(だいぎり)〕」と曰ふ。初め、中華より來りて闘雞(とりあわせ[やぶちゃん注:ママ。])を爲す。最も強し。

暹羅雞(しやむどり)【「之夜無」。】 形、蜀雞〔(とうまる)〕より大にして、尾、殊に微少なり。大抵、高さ二尺余。肩、張り、脛〔(はぎ)〕、大(ふと)く、距(けづめ)尖りて長く、身の毛、多くは兀(はげ)て、冠(さか)小さし。性、勁剛にして、能く闘(たゝか)ふ。倒〔(たふる)〕と雖も、逃げんと欲せず。是れ、初め、暹羅より來れり。

南京雞(なんきんどり) 初め、中華の南京より來たる。形、和雞(しやうこく)に似て純白。尨毛(むくげ)有り。脚、蒼黑、冠も亦、黑色なり。其の冠〔(さか)〕、赤き者を「地南京」と名づく。

矮雞(ちやぼ) 形、小にして、脚、甚だ矮(ひく)し【後に詳〔(つまびら)〕かにす。】

 

 「本綱」に所謂〔(いはゆ)〕る、朝鮮の「長尾鷄」【尾の長さ、三、四尺。】・南越〔の〕「長鳴鷄〔(ながなきどり)〕」【晝夜、鳴き叫ぶ。】・南海の「石雞〔(せきけい)〕」【潮、至れば、卽ち、鳴く。】・蜀中の「鶤鷄〔(うんけい)〕」・楚中の「鷄〔(さうけい)〕」【竝びに、高さ三、四尺。】、此等は、本朝、未だ曾つて有らず。

雞卵(たまご)【中に、黃肉・白汁、有り。白き者、性、寒。黃の者、性、溫。】 筑前・豊前、多く之れを出だす。而〔れども〕、畿内の卵の味に及ばず【山椒を畏る。如〔(も)〕し之れを同〔じき〕噐〔うつは〕に藏せば、則〔すなはち〕、卵、腐爛す。】。之れを煑るに、則ち、白汁、黄の肉を包む。塊〔(かたまり)〕を爲す。之れを天地の兩象〔りやうしやう〕に譬〔(たと)〕へ、殻は乃〔(すなは)ち〕、總廓無星天に象〔(かた)〕どる【如〔(も)〕し、初めより熱湯に投じて之れを煑れば、則ち、殼・肉、離るべからず。】。

 凡そ、雞は多淫にして、數子を生む。毎日、一卵を生ず。人、潜かに之れを取りて、唯、一卵を遺(のこ)せば、則ち、日を逐(お)ひて卵を生ず。數、定まらず、始終、取らざるときは、則ち、十二にして止む。母雞、卵を翅の下に伏せ、二十日許りにして、稍〔(やや)〕溫-暖(あたゝま)り、中の子、出でんと欲して吮〔(すす)〕る。〔その〕聲を「啐(しゆつ)」と曰ふ。母雞も亦、啄(つゝ)いて、孚(かへ)る。其の雛、哺(くゝめ)を待たず、自〔(みづか)〕ら粟・糏(こゞめ)を啄(ついば)む。之れを「(ひよこ)」と謂ふ【〔母雞、〕〔(ひよこ)〕、側〔(そば)〕に有るときは、則ち、交(つる)まず。、取り避けなば、則ち、卵を生ず。】。凡そ、百八十日を經て、始めて鳴きて時を告ぐ。未だ亮亮〔(りやうりやう)〕ならず。人の呵坤(あくび)するがごとし。又、二十日可(ばか)りにして、聲、大きに定まり、能く「各曷課(こつかつこを[やぶちゃん注:ママ。])」の聲を爲す。其の鳴くや、雌(めどり)、先づ、雄の翅を啄-叩(つゝ)いて、其の時を知らしむるとき、則ち、雄〔(をどり)〕、聲を發す。蓋し、此れ、陰陽相待の義か。

[やぶちゃん注:「」=「𣫠」-「殳」+「鳥」(一字の中の構成要素に「鳥」が二つある)。]

 「韓詩外傳」に曰く、『雞に五德有り。頭に冠(さか)を戴くは【「文」なり】。足に距(けづめ)を傅〔(つ)くる〕は【「武」なり】。敵、前に在りて、敢へて闘ふは【「勇」なり】。食〔(しよく)〕を見ては相ひ呼ばふは【「仁」なり】。夜を守りて時を失はざるは【「信」なり】』〔と〕。葛洪〔(かつこう)〕が云はく、『凡そ、古井(ふるゐ)及び五月〔の〕井中、毒、有り、輙(かるがるし)く入るべからず。卽ち、人を殺す。宜しく、先づ、雞の毛を以つて之れを試すべし。毛、直〔ただち〕に下る者は、毒、無し。回-旋(めぐ)る者は、毒、有るなり。』〔と〕。「感應志」に云はく、『五〔の〕酉〔(とり)〕の日、白雞の左の翅を以つて、灰に燒き之れを揚ぐれば、風、立ちどころに至る。黑犬の皮毛を以つて、灰に燒き、之れを揚ぐれば、風、立どころに止むなり。』〔と〕。相ひ傳ふ、如〔(も)〕し、人、有りて、池川に溺(をぼ[やぶちゃん注:ママ。])れて、未だ屍骸を尋ね獲〔(え)〕ざれば、則ち、鷄を板筏〔(いたいかだ)〕に乘せて水上に泛〔(うか)ぶれば〕、鷄、能く所在を知りて、鳴く。是に於いて、其の骸〔(むくろ)〕を探(さぐ)り獲〔(と)〕る。

[やぶちゃん注:鳥綱キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ属セキショクヤケイ亜種ニワトリ Gallus gallus domesticus

𥡳」「稽」と同字。「稽」には「考える」の意がある。時の経過を認識するから鬨を挙げることが出来るのである。

「陰晴を知る」天候を予知する。

「外腎」漢方では「腎」「内腎」・「副腎」・「外腎」の三部に分かたれ、「内腎」・「副腎」は西洋医学の腎臓と副腎を指し、「外腎」は、腎臓及び副腎を除いた泌尿器(膀胱や尿道)と雌雄生殖器を指す。無論、この認識はトンデモないことなるが、鳥類は単一の総排出腔であるから、そうした認知があったとして不思議ではない。

「小腸を虧(か)く」「虧」は「缺」(欠)に同じい。よく判らぬが、漢方医学では六腑の中の「小腸」は五行の「火」を司る機能を持つとされる。さて以下では鷄について五行に当て嵌めた叙述が続くが、そこでは基本、鷄は「木」に当たるとしつつも、色によってエレメントが変わり、「黃雌雞(あぶらのめどり)」は「土」であり、「烏骨鷄〔(うこつけい)〕は「水」・「木」であるとする。さらにまた、「白〔き〕雄鷄は、庚・金・太白の象〔(しるし)〕を得」と「金」が出る。則ち、この叙述を見る限りでは、「鷄」は五行の内の四つのエレメント「木」・「土」・「金」・「水」と親和性があることが記されているから、「火」の臓器である「小腸」はないということになるのかも知れぬ。

「夜(よひ)」「宵」。

「不祥」不吉な前兆。

「天恩有ることを主どる」東洋文庫版注に、「本草綱目」は『版によっては「天恩」が「火患」となっているものがある。「天恩」なら吉兆であろうが、「火患」なら凶兆であろう。意味は全く逆になる』とある。私の見た版では「火患」であり、朝を告げるのが吉兆で、夜は凶兆とくれば、物の怪の跳梁する夜の到来を危ない境界時間である黄昏、逢魔が時に鳴くそれはやはり凶兆(警告としての)であろう。「盗啼〔(とうてい)〕」という名も瑞兆を齎すものへの命名とは私には思われない。但し、後にも和歌に出るように「夕告げ鳥」は鶏のフラットな別名ではある。

「人言〔(じんげん)〕能くする者」人語を巧みに操る鷄。遇いたくない。

「牝鷄(めどり)の雄鳴(を〔なき〕)する者、雄鷄(〔を〕どり)の卵(たまご)を生〔(しやう)〕ずる者」これは鳥類では多種でも見られる化(雄変:ホルモン・バランスの変化によって生じ、のような行動(大きな鬨や求愛行動)を起したり、ニワトリの場合は鶏冠が並みに大きくなる現象)を誤認したものであろう。発生学上、鳥類が性転換することはあり得ない。

「竝びに」一律に。孰れも。

「雄、無きとき、卽ち、雞-卵(たまご)を以つて、竈〔(かまど)〕に告げて、伏して、之れを出だす」これは恐らく、鶏を飼育したものの、雄がいない場合は、彼らが生んだ卵を、竈に持って行き、竈神にその由を告げて、祈った上、雌鶏に「伏」せさせて=抱かせると、必ずや、雛が孵る、と言っているようである(東洋文庫訳もそのように訳している)。但し、雌鶏しかいないのだから、それは無精卵であって、決して孵ることはないのだから、これはあり得ない。こんなことが起こり得るのは、こっそり間男した近所の雄鶏とつるんで出来た有精卵だったんだろうねぇ。

「南人」旧中国の南方の民。

「鷄卵を以つて黑を畫(えが)き、煮熟して其の黃を驗(こゝろ)み、以つて凶吉を卜〔(うらな)〕ふ」「本草綱目」は、

   *

南人、以鷄卵畫墨、煑熟驗其黃、以卜吉凶。

   *

であるから、「黑」は「墨」誤記で、「墨(すみ)を以って占うための記号としての字を殻に画(か)き、それを茹でて、割れて噴出した、或いは割って見た黄身の様態を観察して、吉凶を占った、という意味と思われる。

「黃雌雞(あぶらのめどり)」鶏の一品種らしい。中文サイトのこちらに画像がある。

「脾胃」漢方では広く胃腸、消化器系を指す語。

「烏骨鷄〔(うこつけい)〕」ウィキの「烏骨より引く。『烏骨(黒い骨)という名が示す通り、皮膚、内臓、骨に到るまで黒色である。羽毛は白と黒がある。成鳥でもヒヨコ同様に綿毛になっている』。『足の指が、普通のニワトリと同じ前向き』三『本に加え、後ろ向きの指が普通のニワトリの』一本に対し、二~三本あり、計五~六本あるのも『大きな特徴である。一般的な鳥類は指の数が』四『本であり』、五『本(以上)ある種類は本種のみである』。『一般的なニワトリのみならず、鳥類全般から見ても特異な外見的特徴から、中国では霊鳥として扱われ、不老不死の食材と呼ばれた歴史がある。実際、栄養学的に優れた組成を持ちまた美味であるため、現在でも一般的な鶏肉と比較して高価格で取引されている。また、卵も同様の理由により非常に人気が高く、産卵数も週に』一『個程度と少ないことから、一般的な鶏卵と比較して非常に高価である』。『商用として飼育するほかにも愛玩用として家庭で飼育される事もある。コンテストなども開かれている。手入れ次第では鶏とは思えないほど非常に綺麗な毛並みとなる』。『マルコ=ポーロ著「東方見聞録」にもウコッケイに関する記述が見られる』とある。

「血分」病が血にあるもの、温熱病(急性の熱性疾患)でも最も深いレベルに病いがあること、月経閉止により水気病(水の代謝異常に起因する病気)になること等を指す。

「虛熱」陽気は正常値であるが、陰気が不足しているために発生する熱性症状を指す。

「庚・金・太白の象〔(しるし)〕」東洋文庫注に。『庚は十干の一つ。五行では金、星では太白にあたる』とある。

「蚘蟲〔(くわいちゆう)〕回虫。現行では狭義には線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱回虫目回虫科カイチュウ Ascaris lumbricoides であるが、ここでは広汎なヒト寄生虫の総称。

「蟲痔」不詳。或いは寄生虫が多数寄生して腸を閉塞させて生じた痔か。単なる便秘とも思われない。

「癰癤〔(ようせつ)〕」「癰」は浅く大ききな悪性の腫れ物。「癤」は毛包(毛根の周囲)が細菌に感染し、皮膚の中で膿が溜まって炎症を起こしている毛嚢炎の状態を指す。

「都にてなれにしものを庭鳥の旅寢の空は戀しかりけり」出典不詳。

「我がやどのきつにはめなでくだかけのまだきに鳴〔(なき)〕てせなをやりつる」「万葉」集とするが、「伊勢物語」の誤り。これは第十四段(「姉葉の松」)に出る女の歌、

 夜も明けばきつにはめなで腐家鷄(くたかけ)のまだきに鳴きてせなをやりつる

で、陸奥が舞台で、方言らしく、諸説ある歌として知られる。「腐れにわとり」め未だ明けぬに鳴いて「背な」(愛しい男)を帰してしまったわ! 夜が明けたらあいつを「きつ(水を入れた木桶)に嵌(は)め込んで溺れ殺してやらぬものか!」とも、「狐(きつ)に食(は)ませてやる!」の意とも。初句も異なり、どこからどうして引いたものか? 不審極まりない

「たがみそぎ夕つげ鳥ぞ唐衣たつたの山に降りはへてなく」「古今和歌集」巻第十八「雑歌下」の「よみ人知らず」の一首(九九五番)であるが、「鳥ぞ」は「鳥か」の誤りであり、「降り」の漢字表記は半可通な誤りと思う。

 誰(た)が禊(みそぎ)ゆふつけ鳥か唐衣(からもろも)龍田の山にをりはへて鳴く

技巧臭い頗る厭な歌だが、一応、注しておく。「禊」「ゆふつけ」(後述)「唐衣」及び「龍田」の「たつ」(截つ)や「をり」(織(お)り。「古今和歌集」では「おりはえて」と歴史的仮名遣を誤記している)は縁語であろう。「ゆふつけ鳥」は「木綿(ゆふ)付け鳥」(木綿は楮(こうぞ)の木の皮で作った襷(たすき)で神への奉仕の際に掛ける神聖具であるが、古くは鶏にこの木綿をつけて、都の四境の関所で祓(はらえ)をした)と「夕告げ鳥」(鶏の異名)の掛詞。なお、前者及び後者の鶏は人を隔てる関というアイテムから、通常は男女の関係を邪魔するものとして使用されることが殆んどで、ここも時間の経過を急かすように告げるそれと読んでよかろう。「唐衣」「たつ」の枕詞。「をりはへて」「をる」は「重ねる」の、「はふ」は「延ばす」の意で、「長く続けて」。

「野鷄〔(やけい/きじ)〕」鳥綱キジ目キジ科キジ亜科キジ属キジ Phasianus versicolor。なお、現在は別にニワトリを含むキジ亜科ヤケイ属 Gallus が種群として実際に別に存在するので注意が必要。次の次で独立項「きじ きぎす 野鷄」として出る。

「其の種類、甚だ多し」ウィキの「ニワトリ」によれば、『欧米では、主に卵用や肉用に、産卵性や増体性を特化させて飼育されてきた品種が多い中』、日本では古くから『観賞用に多くのニワトリを飼育し、親しまれてきた。外観の美しさを重視したものでは、尾や蓑の羽毛が長いもの、色彩の豊かなもの、個性的な特徴をもつものを選抜した。さらに、鳴き声にも注目し、美しく鳴くもの、長く鳴くもの、変わった鳴き方をするものを選抜した。そうして作られた品種を日本鶏(にほんけい)と呼ぶ』。世界規模ではニワトリは二百五十品種(より細分化すると、五百品種を上回るとされるものの、素性が不明なものが多く含まれる)程の品種が存在するが、その内、日本鶏は五十品種に上回る、とある。

「小國〔(しやうこく)〕」一般的には「小国鶏」と書いて「しょうこく」と呼ぶことが多く、別に「おぐにどり」と呼ばれることもある。既に昭和一六(一九四一)年に国指定「天然記念物」となっている。主な飼育地は京都府・三重県等。平安初期に中国寧波府昌国(現在の浙江省舟山(しゅうざん)市定海区昌国。ここ(グーグル・マップ・データ))から日本に渡来したことからの命名とされる。闘鶏の一種として古くから飼われ、多くの日本鶏の成立に関わった。体重は二千グラム・千四百五十グラム。鳴き声は長く、時間を正しく知らせたことから「正告」または「正刻」とも呼ばれた。「尾長鶏」は、この品種から改良されたものだと伝えられる(「はてな・キーワード」の「小国鶏」を主に参考にした)。凛々しい姿はサイト「烏骨鶏 にわとりのページ」の「にわとり画像掲示板」のこちらで見られる。

「丑の時」午前一時から午前三時頃。

「寅の時」午前三時から午前五時頃。

「荒鷄」「あらどり」と訓じておく。古い時代に完全に野生化した個体群であろう。

「盗鷄」「ぬすみどり」と訓じておく。比較的近い時期に家畜であったものが脱走し、野生化した個体群であろうか。

「鷄を呼ぶ重言の聲」ニワトリを呼び寄せる時に声がけする連続した同一音のこと。

(とゝ)」現代中国語(zhōu:カタカナ音写:ヂォゥ)でも、擬声擬態語で「鶏を呼ぶ声」とあり、辞書には『喌喌』で『トットッ』と訳がある。

「蜀雞(とうまる)【俗に「唐丸」と云ふ。】」昭和一四(一九三九)年に国指定「天然記念物」となっている。サイト「畜産ZOO鑑」の「長鳴き鶏ってこんなニワトリ!」によれば、新潟県産で、『力強い中高音で謡』い、『謡(うたい)の中間は特に強く張り上げるのが良いとされ、ひらがなの「ろ」を横に見たような謡いかたが良いとされている』。『声の長さ』は八秒から十三秒で、最長記録は約二十三秒(リンク先では、その長鳴きが実際に聴ける。必聴!)。『大型で尾羽も豊富でやや長く、雄大な体形。尾羽は幅が広く、また羽軸が丈夫なため』、『「獅子頭」の髪として使われる』とある。羽は『全身光沢にとんだ緑黒色で、脚も黒く「真黒(ほんぐろ)」とよばれる』。『体重』はで約四キロクラム。『活発で』、『体質も強く』、『寿命が長い。やや警戒心が強いが』、『飼い主には良く慣れる』とある。

「冠(さか)」良安は一貫して「さか」としかルビを振らない。国立国会図書館デジタルコレクションの中外出版社刊の活字版「和漢三才圖會」(明三四(一九〇一)年より翌年にかけて刊行)の「雞」でも『サカ』とする。これは「鶏冠(とさか)」の古語で上代から見られる。「とさか」はニワトリなどのキジ科 Phasianidae の一部の鳥に見られる頭上の肉質の冠状突起で、形状によって「単冠(たんかん)」・「ばら冠」・「豌豆(えんどう)冠」などに区別される。♀♂の識別やディスプレイのための機能を持ち、よりでよく発達しており、発達の程度は性ホルモンの影響を受ける(前に記したの雄変ではのトサカがのように肥大してくる)

「大鋸〔(だいぎり)〕」「とさか」の形状からの鶏自体の名称であろう。

「暹羅雞(しやむどり)【「之夜無」。】」現在の「軍鶏(しゃも)」のことである。「日本農林規格」に於けるニワトリの在来種ともされ、昭和一六(一九四一)年に国指定「天然記念物」。ウィキの「軍鶏によれば、『シャモの名は、当時のタイの旧名・シャムに由来する。日本には江戸時代初期にタイから伝わったとされるが、正確な時期は不明。闘鶏の隆盛とともに各地で飼育され、多様な系統が生み出された。闘鶏は多く賭博の手段とされたため、賭博が禁止されるとともに闘鶏としての飼育は下火になったが、食味に優れるため』、『それ以後も飼育は続けられた。現在は各地で食用として飼育されている(天然記念物でも、飼育や食肉消費は合法)』。『オスは非常に闘争心が強い』。『三枚冠もしくは胡桃冠で首が長く、頑強な体躯を持つ。羽色は赤笹、白、黒等多様。身体の大きさにより大型種、中型種、小型種に分類されるが、系統はさらに細分化される』という。『闘鶏、食肉、鑑賞目的に品種改良が行われてきた。本来が闘鶏であるため』、『オスはケージの中に縄張りをつくり、どちらかが死ぬまで喧嘩をするため、大規模飼育が難しい。食肉用には気性の穏やかな他の品種との交配種も作られ、金八鶏など品種として定着したものも存在する。また海外に輸出され、アメリカにおいてはレッドコーニッシュ種の原種ともなった』。『主な飼育地は、東京都、茨城県、千葉県、青森県、秋田県、高知県など。沖縄方言ではタウチーと呼ぶが、台湾でも同じように呼ばれており、昔から台湾(小琉球)と沖縄(大琉球)の間に交流があったことの裏づけとなっている』。『闘鶏には気性の激しい個体ほど好まれ、闘鶏で負けた鶏や、闘争心に欠けると判定された鶏は、ただちに殺されて軍鶏鍋にされた。そのため、江戸時代から食用としても知られ、江戸末期には軍鶏鍋が流行したとされる。また、戦いのために発達した軍鶏の腿や胸の筋肉には、ブロイラーにはない肉本来のうまみがあり』、『愛好者が多く、他の地鶏に比べて大型であるために肉量が多い。他の地鶏とシャモを掛け合わせた一代雑種の「おとし」、「しゃもおとし」が軍鶏鍋に使われるようになると、鶏肉の代名詞として定着するようになった』とある。私は即座に漱石の「こゝろ」の以下の印象的なシークエンス(リンク先は私のブログ版の公開当時と月日をシンクロさせたもの)『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月17日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十五回の「先生」とKの房州旅のコーダの『我々は眞黑になつて東京へ歸りました。歸つた時は私の氣分が又變つてゐました。人間らしいとか、人間らしくないとかいふ小理窟は殆ど頭の中に殘つてゐませんでした。Kにも宗教家らしい樣子が全く見えなくなりました。恐らく彼の心のどこにも靈がどうの肉がどうのといふ問題は、其時宿つてゐなかつたでせう。二人は異人種のやうな顏をして、忙がしさうに見える東京をぐるぐる眺めました。それから兩國へ來て、暑いのに軍鷄(しやも)を食ひました。Kは其勢(いきほひ)で小石川迄歩いて歸らうと云ふのです。體力から云へばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ應じました』を思い出す。

「兀(はげ)て」「禿」の誤字。「兀」は「高く突き出ているさま」を指す語。

「南京雞(なんんきんどり)」南京軍鶏或いは越後南京軍鶏であろう。小型の軍鶏で、前者については丈は三十センチメートルほどにしかならず、手乗りになるという記載もある。

「和雞(しやうこく)」先の「小國」の当て訓。

「矮雞(ちやぼ)」昭和一六(一九四一)年、国天然記念物に指定。次の独立項で「ちやぼ 矮雞」として出るのでそちらで注する。

「本綱」巻四十八の「禽之二 原禽類」の巻頭の「雞」。

「長尾鷄」高知県原産の尾長鶏国特別天然記念物指定)がいるじゃないかと思った。ウィキの「オナガドリ」を見ると、『オナガドリの始まりは、江戸時代に土佐藩主の山内家が、参勤交代の際に使う飛鳥という槍飾りに用いる長い鶏の尾を農民から集めたことに』始まり、明暦(一六五五年~一六五七年)頃の土佐国大篠村(現在の高知県南国市大篠)で、武市利右衛門がオナガドリの原種白藤種を作り出した』。『伝説では地鶏とキジや山鳥と交配して作ったとされているが、正確な記録は残されていない』とある。本「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年頃(自序クレジット)の完成であるから、既にオナガドリはいたと考えてよい。以下、『土佐には東天紅鶏やチャボを含めて鶏の美しさを競う文化があり、オナガドリもその一環として、昭和初期には高知県内全体で飼育数が』五百『羽以上に増えた。雨戸の戸袋で飼って尾羽の抜けを防ぐ、ドジョウなど動物性蛋白質の餌を与えるといった、尾羽を伸ばすための工夫が凝らされた』。大正一二(一九二三)年に『国の天然記念物に指定されたが、太平洋戦争が始まり、その数は』九『羽まで激減』したため、昭和二七(一九五二)年に『国の特別天然記念物に指定された』。『ニワトリは通常一年に一度羽が生え換わるが、オスのオナガドリは尾羽が生え換わらないため、尾が非常に長くなる。明治時代までは尾の長さは』三メートル『程度であったが』、『大正時代に止箱(とめばこ)と呼ばれる縦長の飼育箱が開発され、尾が損傷しないよう』、『鳥の動きを抑制する飼育法が行われるようになり、尾がさらに長く成長するようになった』。『尾は若いうちは一年に』八十センチメートルから一メートル『程度、成長するが』、『加齢とともに尾の伸びる早さは鈍る。鶏が長生きした場合には尾の長さが』十メートル『以上に達することもあり、最も長いのは』昭和四九(一九七四)年に十三メートル『という記録がある』。『現在では尾がそれほど長くならなくな』『っている』が、『これは近親交配の増加が影響しているとみられ、南国市ではDNA解析を基にした交配で、元の姿を取り戻す保護作戦を始めている』とある。無論、「本草綱目」の「長尾鷄」は全くの別品種である可能性が高いかも知れぬが、まあ、わざわざ「本朝、未だ曾つて有らず」と言うのはおかしいでショウ! 良安先生!

「長鳴鷄〔(ながなきどり)〕」先に掲げた、サイト「畜産ZOO鑑」の「長鳴き鶏ってこんなニワトリ!」には「蜀鷄(トウマル)」の他に、「東天紅鶏(トウテンコウ)」と「声良鶏(コエヨシ)」が挙げられている。少なくとも今は超長鳴きの三種がいますよ! 良安先生!

「南越」中国南部からベトナム北部にかけての地方(嶺南地方)の旧称。

「南海」広東省の沿岸地域ととっておく。

「石雞〔(せきけい)〕」これは現代中国でも「石鷄」を当てるものの、広義に見てもニワトリの類ではない、キジ科イワシャコ属イワシャコ(岩鷓鴣)Alectoris chukar である。同種につてはウィキの「イワシャコ」を参照されたい。但し、本種は中国では殆んどの分布が内陸の丘陵や高地であり(渤海湾湾奧のやや内陸部には分布)、「潮、至れば、卽ち、鳴く」という叙述とは(これが海辺であるとするならば)齟齬する気がするので、「本草綱目」のそれは或いは全くの別種である可能性が高いのではないかと私には思われる。

「蜀中」四川省。

「鶤鷄〔(うんけい)〕」これは現行では先の「蜀雞(とうまる)」の異名である。

「楚中」湖南・湖北地方。

鷄〔(さうけい)〕」不詳。なお、「本草綱目」では「鷄」となっている。

【竝びに、高さ三、四尺。】此等は、

「總廓無星天」不詳。無限の宇宙の外郭のことか。

「吮〔(すす)〕る」「吸う・舐める」の意。殻の内側をそうするということであろう。

「啐(しゆつ)」辞書に「啐啄(そったく)」という語が載り、「そつ」は「啐(さい)」の慣用音。雛が孵(かえ)ろうとする際に雛が内から突(つつ)くのを「啐」、母鳥が外から突くのを「啄」と称するとあって、原義は「禅に於いて師家と修行者との呼吸がぴったり合うこと。機が熟して弟子が悟りを開こうとしている時を指して言う語」とし、そこから、転じて「得難(えがた)い絶好の時機」の意とある。今の安倍政権の政治には「啐啄(そったく)」はなく、あるのはただ「忖度(そんたく)」のみというわけだ。ただ、言っておくが、今現在、「忖度」を悪い意味でしか認識していない国民が、最早、大半なのではないかと思うと悲しい。これは、それほど「忖度」という語が死語になりかかっていたということなのだ。「忖」も「度」もフラットに「はかる」の意であり、「他人の気持ちを推(お)し測ること・推察」というやはりフラットな意味だということをもっと理解しないと、そのうち、「忖度」は悪い用語として「特定の人間の便宜を図る不公平な配慮」という意味に成り下がってしまう! 「良い忖度」と「悪い忖度」という使い分けをするべきである。安倍政権のそれは無論、「最悪不当の差別的忖度」と言うわけだ。

「哺(くゞめ)」動詞「哺(くく)む」(マ行下二段活用・「口の中食べ物を含ませる」の意)の名詞化。

(ひよこ)」(「」=「𣫠」-「殳」+「鳥」(一字の中の構成要素に「鳥」が二つある))雛(ひよこ)。実は東洋文庫訳では字を説明するのに用いた「𣫠」の字で翻刻しているのであるが、私の調べた限りでは、この字は「鳥の卵」の意であって、「雛(ひよこ)」の意味ではないので採らない

「糏(こゞめ)」屑米。米の欠片(かけら)。

「亮亮〔(りやうりやう)〕」ごく明瞭ではっきりしていること。

「呵坤(あくび)」「欠伸」。

「各曷課(こつかつこを[やぶちゃん注:ママ。])」「課」は音「クヮ(カ)」で、現代中国音「」(カタカナ音写:クゥーァ)で異様な感じに見えるが、オノマトペイアとして、れを素直に発音してみると、「コッカッコオ!」で、今の鶏鳴の擬音「コッコッ、コケッコ!」に非常に近いことが判る。

「其の鳴くや、雌(めどり)、先づ、雄の翅を啄-叩(つゝ)いて、其の時を知らしむるとき、則ち、雄〔(をどり)〕、聲を發す。蓋し、此れ、陰陽相待の義か」鶏が鳴く時は、実は、まず、雌鶏(めんどり)が雄鶏(おんどり)の羽を突(つつ)いて、「鬨を挙げる時が来ましたよ」とそれとなく知らせる。すると雄鶏が、やおら鬨の声を発するのである。いや、これはまさに雌雄=陰陽相待(普通は相対する陰陽が時に相い応じて新たな創造的変化の推進を行うこと)の原理に基づくものか。

「韓詩外傳」前漢の韓嬰(かんえい)の撰になる「詩経」の詩句を引いて古事古語を考証した書。説話集に近い。現行本は全十巻。ウィキの「韓詩外によれば、韓嬰は「漢書」の「儒林伝」によれば、『文帝の博士・景帝の常山太傅』を歴任し、『武帝の前で董仲舒と論争をしたが、韓嬰の説くところは明晰であって、董仲舒は論難することができなかったという』碩学である。「詩経」の『学問として、前漢では轅固生の斉詩・申公の魯詩・韓嬰の韓詩の』三『つの説が学官に立てられた。これらを三家詩(さんかし)と呼ぶ。現行の毛詩が古文の説であるのに対し、三家詩は今文に属する』。『韓詩について』は「漢書」の「芸文志」にはそれらの多数の著作が挙げられてあるが、『宋以降』、この「外伝」『以外は滅』んでしまい、三家詩ではこれが『現存する唯一の書物である』とある。同書は直接に「詩経」と『関係する書物ではなく、一般的な事柄や、いろいろな故事を述べた上で、話に関係しそうな』「詩経」の『句を引いたもので』、全部で三百条あまりの『話を載せるが、その中には「詩経」を『引いていないものも』二十八『条あり、脱文かと』も言われる、とある。以下の鶏の五徳は巻二に以下のように出る。良安の割注挿入はよろしくない。

   *

伊尹去夏入殷、田饒去魯適燕、介之推去晉入山。田饒事魯哀公而不見察、田饒謂哀公曰、「臣將去君、黃鵠舉矣。」。哀公曰。「何謂也。」。曰、「君獨不見夫雞乎。首戴冠者、文也。足搏距者、武也。敵在前敢鬥者、勇也。得食相告、仁也。守夜不失時、信也。雞有此五德、君猶日瀹而食之者、何也。則以其所從來者近也。夫黃鵠一舉千里、止君園池、食君魚鱉、啄君黍粱、無此五者、君猶貴之、以其所從來者遠矣。臣將去君、黃鵠舉矣。」。哀公曰、「止。吾將書子言也。」。田饒曰、「臣聞、食其食者、不毀其器、陰其樹者、不折其枝。有臣不用、何書其言。」。遂去、之燕。燕立以爲相、三年、燕政大平、國無盜賊。哀公喟然太息、爲之辟寢三月、減損上服。曰、「不愼其前、而悔其後、何可復得。」。「詩」云、「逝將去汝、適彼樂國、樂國樂國、爰得我直。」。

   *

「文」人倫の道の基本となる学識。

「傅〔(つ)くる〕は」装着しているのは。

「食〔(しよく)〕を見ては相ひ呼ばふは」餌を見つけると、互いに同朋を呼ばうのは。

「夜を守りて時を失はざるは」熟睡することなく、夜を測って、時間をうっかり忘れてしまうことなく(鬨を作る)のは。

「葛洪」(二八三年~三四三年)は西晋・東晋時代の道教研究家。ウィキの「葛洪から引く。『字は稚川で、号は抱朴子、葛仙翁とも呼ばれる。後漢以来の名門の家に生まれたが』、『父が』十三『歳の時になくなると、薪売りなどで生活を立てるようになる』。十六『歳ではじめて』「孝経」「論語」「易経」「詩経」を『読み、その他』、『史書や百家の説を広く読み暗誦するよう心がけた。そのころ』、『神仙思想に興味をもつようになったが、それは従祖(父の従兄弟)の葛仙公とその弟子の鄭隠』(ていいん)『の影響という。鄭隠には弟子入りし、馬迹山中で壇をつくって誓いをたててから』、「太清丹経」「九鼎丹経」「金液丹経」と『経典には書いていない口訣を授けられた』という。二十歳の『時に張昌の乱で江南地方が侵略されようとしたため、葛洪は義軍をおこし』、『その功により』、『伏波将軍に任じられた。襄陽へ行き広州刺史となった嵆含』(けいがん)『に仕え、属官として兵を募集するために広州へ赴き』、『何年か滞在した。南海郡太守だった鮑靚』(ほうせい)『に師事し、その娘と結婚したのもその頃である。鮑靚からは主に尸解法(自分の死体から抜け出して仙人となる方法)を伝えられたと思われる』。三一七『年頃、郷里に帰り』、『神仙思想と煉丹術の理論書である』「抱朴子」を『著した。同じ年に東晋の元帝から関中侯に任命された。晩年になって、丹薬をつくるために、辰砂』(硫化水銀)『の出るベトナム方面に赴任しようとして家族を連れて広東まで行くが、そこで刺史から無理に止められ』、『広東の羅浮山に入って金丹を練ったり』、『著述を続けた。羅浮山で死ぬが、後世の人は尸解したと伝える。著作には「神仙伝」「隠逸伝」「肘後備急方」『など多数がある』。

「凡そ、古井(ふるゐ)及び五月〔の〕井中、毒、有り」酸素欠乏を指している。

「感應志」東洋文庫版の「書名注」に、『晉の』博物学者として知られる『張華の『感応類従志』か。一巻。宋の賛寧にも『感応類従志』一巻がある』とある。調べて見たが、孰れかは判らなかった。

「五〔の〕酉〔(とり)〕の日」元旦から数えて五回目の酉の日の意か。

白雞の左の翅を以つて、灰に燒き之れを揚ぐれば、風、立ちどころに至る。黑犬の皮毛を以つて、灰に燒き、之れを揚ぐれば、風、立どころに止むなり。』〔と〕。相ひ傳ふ、如〔(も)〕し、人、有りて、池川に溺(をぼ[やぶちゃん注:ママ。])れて、未だ屍骸を尋ね獲〔(え)〕ざれば、則ち、鷄を板筏〔(いたいかだ)〕に乘せて水上に泛〔(うか)ぶれば〕、鷄、能く所在を知りて、鳴く。是に於いて、其の骸〔(むくろ)〕を探(さぐ)り獲〔(と)〕る。]

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