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カテゴリー「宮澤賢治」の55件の記事

2018/11/13

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート二

 

            
パート二

 

たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし

雨はけふはだいじやうぶふらない

しかし馬車もはやいと云つたところで

そんなにすてきなわけではない

いままでたつてやつとあすこまで

ここからあすこまでのこのまつすぐな

火山灰のみちの分だけ行つたのだ

あすこはちやうどまがり目で

すがれの草穗(ぼ)もゆれてゐる

 (山は靑い雲でいつぱい 光つてゐるし

  かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)

ひばり ひばり

銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ

たつたいまのぼつたひばりなのだ

くろくてすばやくきんいろだ

そらでやる Brownian movement

おまけにあいつの翅(はね)ときたら

甲蟲のやうに四まいある

飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と

たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる

よほど上手に鳴いてゐる

そらのひかりを吞みこんでゐる

光波のために溺れてゐる

もちろんずつと遠くでは

もつとたくさんないてゐる

そいつのはうははいけいだ

向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える

うしろから五月のいまごろ

黑いながいオーヴアを着た

醫者らしいものがやつてくる

たびたびこつちをみてゐるやうだ

それは一本みちを行くときに

ごくありふれたことなのだ

冬にもやつぱりこんなあんばいに

くろいイムバネスがやつてきて

本部へはこれでいいんてすかと

遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた

でこぼこのゆきみちを

辛うじて咀嚼(そしやく)するといふ風にあるきながら

本部へはこれでいゝんですかと

心細(こころぼそ)さうにきいたのだ

おれはぶつきら棒にああと言つただけなので

ちやうどそれだけ大(たい)へんかあいさうな氣がした

けふのはもつと遠くからくる

 

[やぶちゃん注:・「そいつのはうははいけいだ」は底本では「そいつのほうははいけいだ」。「其奴(そいつ)の方は背景だ」であろうが、さすれば、「ほう」は「はう」の誤りである。原稿でも「ほう」であるが、「正誤表」で訂正されているので直した但し、「正誤表」がまた誤っていて、ページ数を「七四」とすべき、ところを「四七」としてしまっていて、読者には意味が判らぬものとなっている。つくづく運のない本である。まあ、しかし、ここは正誤補正されたものと採って、直す。

・「本部へはこれでいいんてすかと」「て」はママ。原稿は「で」。誤植。

 

「たむぼりん」タンバリン(tambourine)のこと。カタカナ音写は「タンバリーン」が近い。なお、サンバやボサノヴァなどのブラジル音楽で使用される似た発音のタンボリン(Tamborim)があるが、これは片面太鼓をスティックで打つ打楽器で、全く異なる。ここは飛天の楽の音(ね)のイメージか。何らかの音響的な気象現象とは思われない。恐らく、後に出るブラウン運動の微粒子の衝突の音を幻想したものと思われる。

「しかし馬車もはやいと云つたところで」/「そんなにすてきなわけではない」/「いままでたつてやつとあすこまで」/「ここからあすこまでのこのまつすぐな」/「火山灰のみちの分だけ行つたのだ」逆接の接続詞「しかし」は前の部分を指すのではなく、「パート一」の、ぐじぐじした馬車への乗車願望が満たされなかったことへの不満の代償的批評である。これはかなりの粘着質である。私は賢治の人格にはそうした妙な細部に拘る強い、神経症的な固着性を感ずる(これは私にも若干あるのでよく判る)。本書の「手入れ」もその証左である。

「すがれ」「末枯(すが)れ」(これで「うらがれ」とも読む)「盡(すが)れ」。草木の枝先や葉先が枯れること。

「ひばり ひばり」/「銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ」/「たつたいまのぼつたひばりなのだ」前にも注した「揚げ雲雀」の急速な上昇と縄張りを主張する鳴き声をも字背のサウンド・エフェクトとして入れ、それを見上げた刹那の視覚上のハレーショーンを組み込んだ。以下は、それを賢治得意に科学用語の錬金術で装飾する。

Brownian movement」ブラウン運動。現行では英語は「Brownian motion」。液体のような溶媒中に浮遊する微粒子(例:コロイド)が、不規則(ランダム)に運動する現象で、一八二七年に、スコットランド生まれの植物学者ロバート・ブラウン(Robert Brown 一七七三年~一八五八年)が、水の浸透圧で破裂した花粉から、水中に流出して浮遊した微粒子を顕微鏡下で観察中に現象として発見し、翌年、論文「植物の花粉に含まれている微粒子について」(A brief account of microscopical observations made on the particles contained in the pollen of plants)で発表した。参照したウィキの「ブラウン運動」によれば、『この現象は長い間原因が不明のままであったが』一九〇五年に『アインシュタインにより、熱運動する媒質の分子の不規則な衝突によって引き起こされているという論文が発表され』、『この論文により』、『当時不確かだった原子および分子の存在が、実験的に証明出来る可能性が示された。後にこれは実験的に検証され、原子や分子が確かに実在することが確認された』とある。

「おまけにあいつの翅(はね)ときたら」/「甲蟲のやうに四まいある」/「飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と」/「たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる」四枚あるわけでは無論ないが、強力な飛翔力・上昇力を持つスズメ目スズメ亜目ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis は、見た目の羽根全体が、体の大きさの割には閉じている時にはよく後部に延びてシャープでありながら、質的にはみっちりしてもいる。ウィキの「ヒバリ」によれば、全長十七センチメートルに対して、翼開長は三十二センチメートルあり、『後頭の羽毛は伸長(冠羽)する』。『上面の羽衣は褐色で、羽軸に黒褐色の斑紋(軸斑)が入る』。『下面の羽衣は白く、側頸から胸部にかけて黒褐色の縦縞が入る』。『胸部から体側面にかけての羽衣は褐色』、『外側尾羽の色彩は白い』。『初列風切は長く突出』し、『次列風切後端が白い』とあり、こうした羽毛の色の違いから、賢治の言う以上の謂いは実は非常に腑に落ちると言えるのである。なお、私は、雲雀が大好きだ。なお、原稿を見ると、「漆ぬりの方と」は「漆ぬりの鞘と」とあり、私は「二枚ある」の非科学性を相殺するのに「鞘」の方が良かったと感じている。

「光波のために溺れてゐる」宮澤家「手入れ本」ではこの行を縦線で抹消している。これは前行の「そらのひかりを吞みこんでゐる」という能動性を、反転させた裏からの感覚描写なのであったろうが、二項対立的になってしまって確かによくない

「イムバネス」Inverness。インバネス・コート。ケープ(cape:外套の一種。肩を覆って腰丈に達する程度までのものを指し、前開きを特徴とする)のついた袖無しの外套。丈が長く、ゆったりとしている。名称はスコットランドのインバーネス地方に由来する。日本には明治初期に移入され、男性の外套として「二重回し」「とんび」などと呼ばれて明治の中頃には特に流行した。

「心細(こころぼそ)さうにきいたの」に「おれはぶつきら棒にああと言つただけ」だった「ので」「ちやうどそ」うした冷たく荒っぽく答えた分「だけ」、「大(たい)へんかあいさうな氣がし」てしまった、というのは、ある種、つき合い難いであろう賢治の対人間の膜のようなものに対して、実は自身がある自責意識を同時に持っていたことが判る。それは賢治の、ひねくれて見える存在の核心にある、限りない対象への優しさの実在の証明である。

「けふのはもつと遠くからくる」これは或いは本パートの中で唯一、読解に困る一行であるかも知れぬが、しかし、これは前の部分の複雑した感懐の添え辞である。即ち、そうした自身の実際のすげない冷たい態度に対して、そんなことをすることへの憐憫から生ずる自己批判の感情が、直ちに彼の心内へと突き刺さるのではなく、大きな波長で、遠くの方から、投擲するように、大きな大きなカーブを描いて、彼に伝わってくる、彼を指弾してくるのである。そう解釈した時、前の聊か事大主義的ともとれる「遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた」という換喩が生きてくると言えるのいではないか? その男の投げかけた問いは、大海の大波(波長)に投げて、挿し浮かべられた標的、賢治の心性のあり方を試すための「buoy」だったのである。

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート一

 

  小 岩 井 農 塲

 

[やぶちゃん注:以下、上記大パート標題のもとに、同題の「小岩井農塲」が載る。本全詩篇は詩篇本文全五百九十一行から成る長篇詩で、「パート○」(丸は漢数字)と呼ばれるゴシックの分割小見出しで一応、分かれている。但し、何故か「パート五」と「パート六」が一緒に縦一行に標題だけあって本文がなく、また、何故か「パート八」相当が存在せず、「パート七」の次に「パート九」が配されている変則的なものである。なお、本全詩篇は一九二二年五月二十一日の作とする。

 非常に長いので、注が附け難いため、パート毎に分割して示す。なお、賢治自身がパート分割をしているからには、こうした電子化表記が原詩篇を著しく損なう仕儀だとは私は考えていない。パート間にブレイク(休息)があってよいと私は思っている。全一括版は加工底本の渡辺宏氏の「森羅情報サービス」内の「宮沢賢治作品館」の「心象スケッチ 春と修羅」の「小岩井農場」、或いは、「宮澤賢治の詩の世界」のこちらで読める(但し、前者は漢字の一部が正字、後者は新字である)。なお、後者「宮澤賢治の詩の世界」では、先行する「草稿」(筑摩版全集の言う「下書稿」)の最終形態が複数のページに亙って美事に復元されてあるので(上記の本詩篇の最下部の左手にリンクがある)、そちらも参照されたい。これはなかなかに大変な作業で、感服した。因みに、その反対の右下には宮澤家「手入れ本」の全最終形も示されてある。私はここでは、その「手入れ」の内、有意に大きく変異していて気になる箇所のみを注(語注部分)で指示するに留める。

「小岩井農塲」ウィキの「小岩井農場によれば、明治二三(一八九〇)年十一月に『日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の』明治二十四年、『日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり』、三『名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた』。『当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した』。明治三二(一八九九)年に『三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となる。戦前は育馬事業も行われており』、『三冠馬・セントライトなど数々の名競走馬を輩出した』。現在の『小岩井農場には、明治時代から昭和初期にかけて建設された牧畜関連の建築物がまとまって残っている。牛舎やサイロのほかに、事務所、倉庫、宿泊や職員の集会用の施設である「倶楽部」、煉瓦の躯体に土をかぶせた天然の冷蔵庫など、農場に関わる各種の建物が残っている。牛舎には大空間を確保するためにトラス架構が取り入れるなど、建築史のうえでも注目され、これらの建築群は日本の近代建築史、近代農業史を知るうえで価値が高い。これらの建物を使用しつつ保存するということが所有者である小岩井農牧の方針であり、文化庁もこうした所有者側の意向に理解を示している。牛舎では現在も牛が飼われており、現役の農場施設として使用しつつ保存するということで、文化財保存の新たな方向性を示すものでもある』とあり、『宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策した。中でも』大正一一(一九二二)年五月の『散策は』、本詩篇の『もとになった。この詩の中には当時の農場の様子(飼育されていたハクニー馬や倉庫など)も描写されている』とある。]

 

 

 

          

 

 

 パート 一

 

わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた

そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ

けれどももつとはやいひとはある

化學の並川さんによく肖(に)たひとだ

あのオリーブのせびろなどは

そつくりをとなしい農學士だ

さつき盛岡のていしやばでも

たしかにわたくしはさうおもつてゐた

このひとが砂糖水のなかの

つめたくあかるい待合室から

ひとあしでるとき……わたくしもでる

馬車がいちだいたつてゐる

馭者(ぎよしや)がひとことなにかいふ

黑塗りのすてきな馬車だ

光澤消(つやけ)しだ

馬も上等のハツクニー

このひとはかすかにうなづき

それからじぶんといふ小さな荷物を

載つけるといふ氣輕(きがる)なふうで

馬車にのぼつてこしかける

 (わづかの光の交錯(かうさく)だ)

その陽(ひ)のあたつたせなかが

すこし屈んでしんとしてゐる

わたくしはあるいて馬と並ぶ

これはあるひは客馬車だ

どうも農塲のらしくない

わたくしにも乘れといへばいい

馭者がよこから呼べばいい

乘らなくたつていゝのだが

これから五里もあるくのだし

くらかけ山の下あたりで

ゆつくり時間もほしいのだ

あすこなら空氣もひどく明瞭で

樹でも艸でもみんな幻燈だ

もちろんおきなぐさも咲いてゐるし

野はらは黑ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて

わたくしを欵待するだらう

そこでゆつくりとどまるために

本部まででも乘つた方がいい

今日ならわたくしだつて

馬車に乘れないわけではない

 (あいまいな思惟の螢光(けいくわう)

  きつといつでもかうなのだ)

もう馬車がうごいてゐる

 (これがじつにいゝことだ

  どうしやうか考へてゐるひまに

  それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)

ひらつとわたくしを通り越す

みちはまつ黑の腐植土で

雨(あま)あがりだし彈力もある

馬はピンと耳を立て

その端(はじ)は向ふの靑い光に尖り

いかにもきさくに馳けて行く

うしろからはもうたれも來ないのか

つつましく肩をすぼめた停車塲(ば)と

新聞地風の飮食店(いんしよくてん)

ガラス障子はありふれてでこぼこ

わらじや sun-maid のから凾や

夏みかんのあかるいにほひ

汽車からおりたひとたちは

さつきたくさんあつたのだが

みんな丘かげの茶褐部落や

繋(つなぎ)あたりへ往くらしい

西にまがつて見えなくなつた

いまわたくしは步測のときのやう

しんかい地ふうのたてものは

みんなうしろに片附(づ)けた

そしてこここそ畑になつてゐる

黑馬が二ひき汗でぬれ

犁(プラウ)をひいて住つたりきたりする

ひわいろのやはらかな山のこつちがはだ

山ではふしぎに風がふいてゐる

嫩葉(わかば)がさまざまにひるがへる

ずうつと遠くのくらいところでは

鶯もごろごろ啼いてゐる

その透明な群靑のうぐひすが

 (ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の

  ハンスがうぐひすでないよと云つた)

馬車はずんすん遠くなる

大きくゆれるしはねあがる

紳士もかろくはねあがる

このひとはもうよほど世間をわたり

いまは靑ぐろいふちのやうなとこへ

すましてこしかけてゐるひとなのだ

そしてずんずん遠くなる

はたけの馬は二ひき

ひとはふたりで赤い

雲に濾(こ)された日光のために

いよいよあかく灼(や)けてゐる

冬にきたときとはまるでべつだ

みんなすつかり變つてゐる

變つたとはいへそれは雪が往き

雲が展(ひら)けてつちが呼吸し

幹や芽のなかに燐光や樹液(じゆえき)がながれ

あをじろい春になつただけだ

それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね

すみやかなすみやかな萬法流轉(ばんぽうるてん)のなかに

小岩井のきれいな野はらや牧塲の標本が

いかにも確かに繼起(けいき)するといふことが

どんなに新鮮な奇蹟だらう

ほんたうにこのみちをこの前行くときは

空氣がひどく𥺝密で

つめたくそしてあかる過ぎた

今日は七つ森はいちめんの枯草(かれくさ)

松木がおかしな綠褐に

丘のうしろとふもとに生えて

大へん陰欝にふるびて見える

 

[やぶちゃん注:・「ひとあしでるとき……わたくしもでる」底本は八点リーダであるが、字が有意に下がってしまうので、六点で表記した。

・「これはあるひは客馬車だ」底本では半角下がって組まれているが、これは組版の誤りと断じ、前後からもそうする意味はなく、現存の底本原稿もそのようになっていない。迂闊に読めば見落とすレベルであるから、ここは特異的に詰めた。

・「わたくしを欵待するだらう」「欵待」は原稿では「歡待」であるが、これでも意味は同じいので問題はない。底本校訂本文も「欵待」を採用している。

・「新聞地風の飮食店(いんしよくてん)」「新聞地風」はママ。原稿は「新開地風」で誤植。「正誤表」にはない。「手入れ本」は修正している。

・「わらじ」「草鞋」であろうが、であれば「わらぢ」が正しいが、原稿も「わらじ」。全集校訂本文もママである。

・「犁(プラウ)をひいて住つたりきたりする」「住つたり」はママ。原稿は「往つたり」で誤植。「正誤表」にはない。「手入れ本」は本行の書き換えをしながら、「住」を修正していない。気づかなかったようである。

・「馬車はずんすん遠くなる」「ずんすん」はママ。原稿は「ずんずん」で誤植。「正誤表」にはない。「手入れ本」も修正なし。気づかなかったようである。

・「すみやかなすみやかな萬法流轉(ばんぽうるてん)のなかに」のルビ「ばんぽうるてん」の「ぽ」はママ。原稿は正しく「ばんぱうるてん」であるから、誤植。「正誤表」にはない。しかし「手入れ本」には修正がない。但し、古典作品でも「法」を「ぽう」とするケースは頗る多く、気にはならない。

・「空氣がひどく𥺝密で」𥺝密」は原稿もママ。「稠密」(「ちうみつ(ちゅうみつ)」と読み、「一つ所に多く集まっていること・混み合っていること」の意)の完全な誤字であるが(「𥺝」は「康熙字典」に「𥹜𥺝」で「米粉餠」とある)、「手入れ本」にも修正したものはない。筑摩版全集校訂本文は、流石に完全な誤字として特異的に「稠密」としている。

 

「わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた」これは六行後で「さつき盛岡のていしやばでも」とあることから、盛岡駅でないことが判る。これは大正一〇(一九二一)年六月二十五日の盛岡・雫石間の橋場線開通とともに開業した「小岩井駅」である。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「化學の並川さん」宮沢家「手入れ本」では「化学の古川さん」に訂されてあるが、Michia氏のブログ「宮澤賢治、風の世界」の「宮沢賢治の直喩Ⅰ 『春と修羅』、「小岩井農場」を中心に―人間への思い―」によれば、『〈古川さん〉は盛岡高等農林学校教授古川仲右衛門』(明治一一(一八七八)年~昭和三六(一九六一)年)『と推定される。出版時には、現存人物の名前を避けていた結果と思われる』とする。原稿でも「並川」であるから、この推察は正しいかも知れない。同ブログでは続けて、『古川は』大正三(一九一四)年から大正一〇(一九二一)年まで『在職し、担当科目は、土壌、肥料、化学、分析化学、同実験、食品化学、農学大意だった』。大正四年から同七年に『在校した賢治は、指導を受け、得業論文の終りに古川の名前をあげて』『〈終リニ臨ミテ本論ヲ草スルニ際シ、終始指導ノ労ヲ執ラレタル古川教授、並ビニ多クノ注意ヲ賜ハリタル関教授ニ深謝ス。〉』と謝辞を表しており、『この詩のほかに、歌稿A546に〈ゆがみたる青ぞらの辺に仕事着の古川さんはたばこふかせり〉(歌稿B〈ゆがみたる蒸溜瓶の青ぞらに黒田博士はたばこふかせり〉)がある』とされ、『古川は』大正十年に『同校を退職して大垣に帰り、サツマイモからのアルコールの抽出などの実験、トマトの栽培の普及、電線の敷設や、医師の招聘、土壌調査、天然ガスの採掘など、農村振興に寄与した』。『在任中からの姿勢も同様であれば、賢治のその後の農業への姿勢は、古川の教育の影響とも言える』と記しておられるから、賢治にとって忘れ難い恩師であったことが窺える。

「砂糖水のなかの」/「つめたくあかるい待合室」コロイド粒子の「ゾル」の空気感の表現である。

「ハツクニー」ハクニー種(Hackney)。イギリスのノーフォーク県を中心とする地方原産の馬。速歩をよくする。ノーフォークトロッター(Norfolk Trotter)にサラブレッドをかけ合せた、本来は乗用馬として改良されたものであったが、後、軽輓馬(けいばんば:軽い車や橇などをひかせる馬)として速歩能力のある馬となったもので、特に前後肢の関節を深く折り曲げ、前膝を伸展させながら歩く高揚歩様を行うことで知られる。性質は温順で、毛色は栗毛が多く、軽四輪馬車の輓馬やショー・ホースなどとして使用されるところから全部、断尾されていることが多い(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「わづかの光の交錯(かうさく)だ」映画の監督或いは撮影者の意図的にハレーションを「これから五里もあるくのだし」「五里」は二十キロメートル弱。現在の小岩井駅から現在の小岩井農場の現在の管理センターまでを実測してみても、六キロメートル弱であるが、小岩井農場自体が広汎であり、次に見る通り、彼はここまでの倍以上は有にある鞍掛山山麓まで足を延ばす予定であるのだから、おかしくない。

「くらかけ山」既出既注であるが、再掲する。岩手県滝沢市にある鞍掛山。標高八百九十七メートル。岩手山の南東の裾野の低いピークで、小岩井農場の北方(直線)八キロ弱に位置する。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「おきなぐさ」既出既注

「黑ぶだう酒(しゆ)」赤ワインのこと。現在でも、赤ワインに使用されるブドウ品種は「黒ブドウ」と総称する。黒味がかった紫の果皮を持つ。なお、宮澤家「手入れ本」では、この「野はらは黑ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて」/「わたくしを欵待するだらう」の二行に「☓」印を附して削除している。

「本部」当時の小岩井農場内の本部と呼ばれた地区。小岩井農場本部事務所があった。suzukikeimori氏のブログ「宮澤賢治の里より」の「155 小岩井農場(その1)」で、まさにこの詩篇の通りに、小岩井駅から農場本部までの道を辿った記録が写真とともに読め、陸地測量部大正元年測図の地図も添えられている(なお、この地図から実測すると、当時の小岩井駅からこの本部まではせいぜいニキロメートル強であり、この距離の短さが、ここでの「本部まででも乘つた方がいい」という言い回しのニュアンスを腑に落ちさせる)。必見!

「あいまいな思惟の螢光(けいくわう)」/「きつといつでもかうなのだ)」馬車に乗って行きたい気が詩人の中で強く蠢いている。その紳士や御者が同乗を誘ってくれないかなどとも心内では密かに思ってもいる。しかし、賢治の持つ、ある種の、他者との接触や関係性を持つに際しての強く躊躇する感覚、不快な対人関係性を強く忌避する感覚が、同時に同じレベルで起こってきているようである。それが「もう馬車がうごいてゐる」という事実を前に、逆に「どうしやうか考へてゐるひまに」/「それが過ぎて」しまって、それまでの自分のこんがらかった意識が無化されてしまい、結局、「滅(な)くなるといふこと」を「これがじつにいゝことだ」とフィード・バックするのである。これは、この私(藪野)にはすこぶる腑に落ちることである。私も賢治と同じ感じを、日々、あらゆる場面で感ずる神経を持ってしまった人種だからである。なお、宮澤家「手入れ本」では、この二行を削除し、代りに丸括弧なしの「ところがどうだ」にしてあり、「(これがじつにいゝことだ」/「どうしやうか考へてゐるひまに」/「それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)」も一緒に「☓」印で削除している。こうした自身のアンビバレントな捩じれた感覚を賢治は最終的に抑制すべきと判断したようである。それは次の異様な削除と無縁ではあるまい。

「うしろからはもうたれも來ないのか」宮澤家「手入れ本」はこの行を縦線で削除し、そればかりか、次行の「つつましく肩をすぼめた停車塲(ば)と」から九行目の「西にまがつて見えなくなつた」までの全十行に「☓」印を附し、上部の余白に『一行空け』と指示している。強い異様な賢治の内的検閲が感じられる。

「つつましく肩をすぼめた停車塲(ば)」小岩井駅のこと。「フォト蔵」の「あそびんにん」さんの撮られた現在の小岩井駅の写真をリンクさせておく。

sun-maid のから凾」「Sun-Maid」は現在も続く、一九一二年創業のアメリカ合衆国のドライ・フルーツ会社。公式サイト(日本語)の沿革をリンクさせておく。特に主力商品であるカリフォルニア・レーズンの乾葡萄で世界的に知られ、ここもそのトレード・マークの赤い帽子を被った摘んだ葡萄を入れた籠を抱えた少女を描いた罐(空「凾」(かん))であろう(前の「ガラス障子」に繋がるなら店の飾り窓に置かれたものか、しかし敢えて「空の罐」と言っているところや草鞋と併置されていて詩人はずんずん歩いているのであれば、誰かが食べ終えて打ち捨て、汚れて錆びたもののように私は見る)。グーグル画像検索「Sun-Maidでその意匠が見られる。

「丘かげの茶褐部落」「繋(つなぎ)」「宮澤賢治の詩の世界」の『「小岩井農場」詩碑』に、『「丘かげの茶褐部落」というのは、これだけではどこのことかわかりません。しかし「盛岡手づくり村・四季だより」というページの記載によれば、これは現在は御所ダムの造成によって御所湖の湖底に沈んでしまった』、二十『数戸の「尾入野部落」あたりを指すのだそうです。昔そのあたりには、長くて高い「茶褐色」の岩肌が露出した崖があったことと関係しているようです』。『 駅から出てきた人々の行き先としてもう一つ挙げられている「繋」の部落ともども、どちらも小岩井の駅からは線路をはさんで反対側の、南の方角にあたります』とある。

「步測のときのやう」遺跡や地質調査の際の歩測による距離実測をするかのように、謂いであろう。

「犁(プラウ)」plow。英語。耕作用の犁(すき)。『しばしば農業の象徴とされる』と英和辞典にある。

「ひわいろ」「鶸色」。鶸(スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae に属する種群の総称であるが、「ヒワ」という種は存在しない)の羽の色に因んだ、黄味の強い明るい萌黄色。これ(サイト「伝統色のいろは」の鶸色のページ)。

「嫩葉(わかば)」「若葉」に同じい。

「鶯もごろごろ啼いてゐる」これはウグイスの囀りのオノマトペイアではあるまい。あちこちの茂みの中に「ごろごろ」いて、盛んに囀ているのであろう。

「(ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の」/「ハンスがうぐひすでないよと云つた)」「ドイツ讀本」はドイツ語学習の初級読本のことであろう。幾つかの解釈があるようだが、私は「ハンス」をデンマークの詩人で童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen 一八〇五年~一八七五年)とし(そのドイツ語訳が先の本に載っていてなんら不思議でない)、彼の、中国を舞台に小夜啼鳥(さよなきどり:スズメ目ヒタキ科 Luscinia 属サヨナキドリ Luscinia megarhynchos:「西洋の鶯(うぐいす)」とも称せられるほど鳴き声が美しいとされ、「ナイチンゲール」の名でも知られる。別名を「ヨナキウグイス」(夜鳴鶯)或いは「墓場鳥」とも)の鳴き声を巡る童話「小夜啼鳥」(デンマーク語:Nattergalen/英語:Nightingale)のこととするのが、取り敢えずは腑に落ちるウィキの「小夜啼鳥童話によれば、同作は『「みにくいアヒルの子」などとともにアンデルセンの童話の中で最も有名なもののひとつで』、「ナイチンゲール」「夜鳴きうぐいす」の『題名でも知られる』。「あらすじ」は、『中国の皇帝の住む御殿と御苑は』、『とてもきらびやかでぜいたくなものであった。世界中の国から旅行者が中国の都にやってきて、だれもが』、『その御殿や御苑に感心したが、その中でも御苑の林に住む』、『さよなきどりの声が』、『いちばん素晴らしい』、『と皆が賞賛し、その声は』、『書物を通じて』、『皇帝の耳に入るようになった。しかし』、『皇帝自身は』、『さよなきどりを知らず、家来に』、『さよなきどりを探させる』。『家来の求めに応じて宮中に赴いたさよなきどりは』、『その美しい鳴き声で皇帝を感動させ』、『宮中にとどまるが、ある日、日本の皇帝から』、『細工物のさよなきどりが贈られる。宝石で飾られた美しい細工物のさよなきどりは』、『疲れることを知らず』、『同じ節で美しい鳴き声を奏で、いつしか』、『本物のさよなきどりはいなくなってしまう。しかし、皆は』、『常に同じ節で鳴く細工物のさよなきどりで満足し』、『誰もが』、『その節を覚えてしまう』。『それから五年がたち、皇帝は重い病にかかる。皇帝はすでに死神に魅入られており、皇帝は細工物のさよなきどりの声を求めるが』、『ねじを巻くものは誰もいなかった。そこに本物のさよなきどりがやってきて』、『鳴き声を聞かせる。死神はさよなきどりの美しい声を聞くと消えてしまい、皇帝は死の淵から復活する』というものである。この寓話は、世間の人々が「ほんたうの鶯」(≒サヨナキドリ=夜啼鶯)「の方」を愛さず、「〈機械仕掛けの偽物の鴬(≒サヨナキドリ=夜啼鶯)〉を賞翫した救い難い愚かさを中心に据えているわけだが、私は、それを賢治は、「ほんたうの鶯の方」を「ドイツ讀本の」「ハンス」・アンデルセンの「ナイチンゲール」の童話では(それは「ほんたうの鶯」(「うぐひす」)「でない」「サヨナキドリ」の物語であるけれども)「ほんたうの鶯」(≒サヨナキドリ=夜啼鶯)「の方」を愚かな人々は「うぐひすでないよと云つた」哀れに悲しい話を書いていたのを思い出した、と言いたいのではなかろうか? と読むのである。即ち、ここには実は、賢治が他者に対して内心強く持っていた「君たちの認識や感覚はどこか違う! そこには致命的な誤認があるのではないか?」という他者との乖離感情に裏打ちされたものがあると読み、しかも同時にまた、それを抑圧せねばならないという意識も働いたために、この部分には表現上の舌足らずな、一見、難解に見える捩じれ(フロイト風に言えば「言い間違い」)が生じたのではないか? というのが私の分析である。

「このひとはもうよほど世間をわたり」/「いまは靑ぐろいふちのやうなとこへ」/「すましてこしかけてゐるひとなのだ」私が前の注の末尾に示した賢治の世間(外界の一部である人間社会)に対する強い乖離感覚による、批判的言辞として私にはすこぶる腑に落ちる。

「冬にきたときとはまるでべつだ」宮澤家「手入れ本」では、この行を縦線で抹消し、次行「みんなすつかり變つてゐる」以下、最後まで総てに「☓」印を附している。則ち、前の「すましてこしかけてゐるひとなのだ」という物言いを以って断ち截られてしまっているのである。これは尋常なこととは思われない。だからこそ、私は前に述べた乖離が、この「手入れ」をしている最中、ある種、病的なまでに賢治の中で昂まっていたようにさえ感ずるのである。しかし、本詩篇パートがかくされて公刊されていたら、私はこの「小岩井農場」のイメージは激しく厭な感じに変性していたと思う。

「萬法流轉(ばんぽうるてん)」日蓮宗の信者の彼らしい言い方である。万「物」流転ではないのである、「物」は単なる仮の姿の変性したものに過ぎない(私に言わせれば、「荘子」の言う「物化」そのものである)、大切な真の実在は仏教にあっては「法」(カルマ)のみである。因みに日蓮宗の「南無妙法蓮華經」の定番の筆書きは鬚文字と呼ばれ、つんつんと棘のように飛び出ているのは御存じだろう。但し、「法」にのみそれはない。カルマに棘があってはいけないのである。

「標本」これは科学的な冷たい実体標本の意味ではなく、「標本」本来の持つ意味、則ち、動物・植物・鉱物などの自然界の対象物の全種・全種類の、その自然のままの基本的属性・あるがままの正しき様態を示すために存在し、「繼起(けいき)」(着実にその核心を継ぎ、また新たに生起する)ものの総ての象徴の謂いである。それはまさに「新鮮な奇蹟」以外の何ものでもない。

「七つ森」既出既注であるが、再掲しておく。岩手県岩手郡雫石町の岩手山南麓に広がる里山の森。賢治の幻想の「イーハトーブ」世界の一部に比定されている(現在、国名勝指定)。「生森(おおもり)」・「石倉森」・「鉢森」・「三角(みかど)森」・「見立森(みてのもり)」・「勘十郎森」・「稗糠(ひえぬか)森」の七つの独立した丘陵を名数として数える。ここ(グーグル・マップ・データ)。

2018/11/12

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)

 

Annerida1

Annerida2

Annerida3

 

     蠕蟲(アン ネリダ)舞手(タン  エーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガア)の液ですよ)

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさな蠕蟲(ぜんちゆう)が

水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれたこけの花軸など

 (ナチラナトラのひいさまは

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

   ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

  エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

  ことにもアラベスクの飾り文字)

水晶体や鞏膜(きやうまく)の

オペラグラスにのぞかれて

おどつてゐるといはれても

眞珠の泡を苦にするのなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   わたしは石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

それともみんなはじめから

おぼろに靑い夢だやら

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   ハツハツハ

 (はい またくそれにちがひません

   エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字)

 

[やぶちゃん注:私が仮に使用した「8」・「γ」・「e」・「6」・「α」に相当する文字は非常に特殊なもので、現行の如何なるフォントとも異なるため、冒頭に底本の全詩篇を画像で示しておいたネット上では、信頼のおける優れた宮澤賢治サイトでも、どこも異様にでっぷりした「8」「6」の数字が無惨にも使用されてあり、これは見ただけで気分が悪くなって食指が動かなくなる)。本文では比較的近いかとも思われるフォント「Monotype Corsiva」(モノタイプ・コルシバ)を「γ」(これはTimes New Roman)使用し、それらをまた、斜体にしたり、太字にしたりして使用して底本のそれに近づけてはみた。ブラウザの不具合を考えて標題のルビを小さくした。

・最終行から十行前の「ひいさま いらつしやます」はママ。原稿は「いらつしやいます」となっているので誤植であるが、「手入れ本」にもない。全集校訂本文は特異的に原稿に従って補正している。

・最終行から七行前の「ふん、水はおぼろで」の「おぼろ」は底本では「おぼろ」であるが、「正誤表」に載るので訂した。

・最終行から二行目の「(はい またくそれにちがひません」の「またく」は原稿では「まつたく」で誤植

 大正一一(一九二二)年五月二十日の作。現存稿は底本原稿のみで、これ以前の発表誌等も存在しない。

 読んでいて違和感を感じた方も多いと思うが、一部の字下げに致命的な植字ミスがあり、「手入れ本」」でも修正されてあるので、以下に原稿を示す。推敲過程も示した。「■」は全集編者の判読不能字。

   *

 

     蠕蟲(アン →ネ〕リダ)舞手(タン  エーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガー)の液ですよ)[やぶちゃん注:「アガー」はママ。]

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさな〔→ぜ〔→ん〕〕蟲(ちゆう)が[やぶちゃん注:これだと、本文は「ぜん蟲(ちゆう)」となるはずが、実際には「蠕蟲(ちゆう)」である。]

水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれた苔の花軸など[やぶちゃん注:「苔」は底本では「こけ」。]

 (ナ〔ティテゥ→チュ〕ラナトラのひいさまは[やぶちゃん注:これだと「ナチユラトラ」(全集は促音表記を実施)となるはずだが、実際は「ナチラナトラ」である。「手入れ本」修正もない。]

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)[やぶちゃん注:底本では、「えゝ」の後の一字空けはない。]

  ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)[やぶちゃん注:底本はカタカナの読みを本文として並べるだけで、文字はない。しかし、「手入れ本」に修正はない。]

  〔→こ〕とにもアラベスクの飾り文字)

水晶体や鞏膜(きやうまく)の

オペラグラスにのぞかれて

おどつてゐるといはれても

眞珠の泡を苦にするのなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   〔→わたし〕は石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

   それともみんなはじめから[やぶちゃん注:底本の致命的誤植(字下げなし)。]

   おぼろに靑い夢だやら[やぶちゃん注:底本の致命的誤植(字下げなし)。]

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやいます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) γα〕(アルフア)[やぶちゃん注:底本はカタカナの読みを本文同ポイントとして並べるだけで、文字はない。しかし、「手入れ本」に修正はない。]

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   ハツハツハ

 (はい まつたくそれにちがひません

  〔88〕(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 66(スイツクス) α(アルフア)[やぶちゃん注:行を二字下げから三字下げに変更指示。底本はカタカナの読みを本文同ポイントとして並べるだけで、文字はない。しかし、「手入れ本」に修正はない。]

  ことにもアラベスクの飾り文字)[やぶちゃん注:行を二字下げを三字下げに変更指示。]

 

   *

ごちゃついたので、原稿通りに行った場合を、以下に再現してみる。

   *

 

   *

 

     蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガー)の液ですよ)

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさなぜん蟲(ちゆう)が水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれた苔の花軸など

 (ナチユラナトラのひいさまは

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

水晶体や鞏膜(きやうまく)の

オペラグラスにのぞかれて

おどつてゐるといはれても

眞珠の泡を苦にするのなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   わたしは石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

   それともみんなはじめから

   おぼろに靑い夢だやら

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやいます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   ハツハツハ

 (はい まつたくそれにちがひません

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

   ことにもアラベスクの飾り文字)

 

   *

最後に宮澤家「手入れ本」の最終形を再現しておく。「《い》」は私の推定挿入補正字。

   *

 

     蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガー)の液ですよ)

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさなぜん蟲(ちゆう)が水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれた苔の花軸など

 (赤いちいさなひいさまは

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

せなかきらきらかゞやいて

ちから《い》つぱいおどつてゐるといはれても

じつはからだの泡を苦にしてはねまはるなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   わたしは石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

   それともみんなはじめから

   おぼろに靑い夢だやら

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやいます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   あゝくすぐつたい

 (はい まつたくそれにちがひません

 エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字)

 

   *

 私は、総ての行のそれを「8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)」で表記すべきであったと個人的には思う。

 なお、筑摩旧校本全集版ここに限らず、底本にも原稿にもある読点を、校訂本文では総て除去していることに気づいた。これはひどい仕儀で暴挙に等しく、激しく失望した。

「蠕蟲(アン ネリダ)舞手(タン  エーリン)」ルビの字空けは底本を再現しただけ。実際には「アンネリダ・タンツエーリン」でよく、「Annelida Tänzerin」。「Annelida」は動物界環形動物門 Annelida のこと。ヒル・ミミズ・ゴカイ類(多毛類)の仲間。但し、ここに出る対象生物は環形動物ではない。後注する。一方、Tänzerin」の方はドイツ語で、「踊る女・女流武道家・女性ダンサー・バレリーナ・舞姫」の意である。カタカナ音写は「テンツェリン」が近い。

「水ゾル」「ゾル」はドイツ語「Sol」で、コロイド粒子(colloid:物質が〇・一~〇・〇〇一マイクロメートル程度の微粒子となって液体・固体・気体の中に分散している状態)が液体中に分散していて且つ流動性を呈しているもの。ここはそうした水溶液を指す。

「寒天(アガア)の液」「アガア」は「agar」でテングサなどの紅藻類から粘液質を煮出して凍結・乾燥した寒天。食材の他、微生物培養の培地などに用いる。ここは恐らく、ちょっした、相応に時間が経過して、菌類・藻類・小動物等が、ある程度まで繁殖し、粘性が高まった、水溜り(後で「みづ底のみかげ」(御影石。神戸の御影地方が産地として有名だったことから、花崗岩質岩石の石材名)と出るので、池ではあっても、人造の樽とか鉢のような容器ではない)のそれを指している。

「日は黃金(きん)の薔薇」前記の水溜りの太陽光が差し、液体中の微粒子の密度が高くなっているために、複雑な乱反射を起しているのを形容していよう。

「赤いちいさな蠕蟲(ぜんちゆう)諸家の多くが、ただボウフラ(蚊(節足動物門昆虫綱双翅(ハエ)目長角(糸角・カ)亜目カ下目カ上科カ科 Culicidaeの幼虫)とするが、いただけない。これは「赤い」とあるのだから、明らかに通常のカの幼虫ではなく、カ下目 Culicomorpha のユスリカ上科ユスリカ科 Chironomidae のユスリカ(揺蚊)類の幼虫であるアカムシ(アカボウフラ)である。本邦の釣りや金魚の生餌に販売されている国産種(実際には海外からの低価格なものが多い)のそれは、ユスリカ属オオユスリカ Chironomus plumosus・アカムシユスリカ Tokunagayusurika akamusi などであるが、ウィキの「ユスリカ」によれば(下線太字やぶちゃん)、『非常に種類が多く、世界から約』一万五千『種、日本からは約』二千『種ほどが記載されて』おり、『水生昆虫の中では』一『科で擁する種数が最も多いものの一つである』とある。『成虫は』蚊『によく似た大きさや姿をしているが、刺すことはない。また』、『カのような鱗粉も持たないため、カと見誤って叩いても、黒っぽい粉のようなものが肌に付くことはない』(但し、成虫群体の死骸が喘息を引き起こすアレルゲンにはなる。しかしそれは彼らに限ったことではない)。『しばしば』、『川や池の近くで蚊柱をつくる』。蚊に『よく似ており、電灯の灯などにもよく集まるが、カとは科が異なる昆虫で、カのように動物や人を刺したり、その血液を吸うことはない。他の双翅目の昆虫同様、翅は』二『枚のみで、後翅は平均棍という微小な器官に変化している。成虫は微小』か『小型で、体長は』〇・五~一センチメートル『程度。メスの触角は普通だが、オスのそれは全方位に生えた多数の横枝』を有して『ブラシ状を呈し、カのそれよりも短めでふさふさに見える』。『幼虫はその体色からアカムシまたはアカボウフラと呼ばれるが、カの幼虫である本来のボウフラとは形状が大幅に異なる。通常』、『細長い円筒形で、本来の付属肢はない。頭は楕円形で、眼、触角、左右に開く大腮や、そのほか多くの付属器官があ』る(『これらの微細な形態』は『幼虫の分類に使われる』)。『口のすぐ後ろには前擬脚と呼ぶ』一『つの突起があり、その先端には多くの細かい爪があって付属肢の様に利用する。腹部末端にも』一『対の脚があり、やはり』、『先端に爪があり』、『体を固定したりするのに役に立っている。また通常、体の後端には数対の肛門鰓をもっており、ユスリカChironomus など一部のグループには腹部にも血鰓(けっさい:血管鰓とも言う)を有するものもある』。『川や用水路などで発生するが、特に生活排水などで汚れた「どぶ川」では大量発生することがある。ドブの泥を集めて棲管を作り、そこから上半身をのりだしてゆらゆらするのがよく見られる。ただし、種数からすれば』、『ドブにすむものはごく一部で、富栄養化の進んでいない普通の川や池沼、あるいは清流にすむものも多い。ウミユスリカ類』(ユスリカ科エリユスリカ亜科 Orthocladiinae ウミユスリカ属 Clunio・モバユスリカ属 Thalassosmittia 等)『の幼虫は潮間帯やサンゴ礁に棲む。また渓流の落ち葉に潜り込むもの、岩の上に棲管を張り付かせるもの、わずかに水が流れる岩の上に棲むもの、土壌中に棲むもの、その他、特殊な生息場をもつものも知られている。周囲の泥や砂をつづって巣を作るものもあり、ナガレユスリカ属』(ユスリカ科ナガレユスリカ属 Rheotanytarsus)『のように巣の入り口に特殊な縁飾りを作るものや、トビケラ目』(昆虫綱毛翅上目トビケラ目 Trichoptera)『に似た可携巣』(かけいそう:個体自体が持ち運び可能な巣。昆虫一般には蓑虫状・小型ドーム状等を呈することが多い)『を作るものなどがある。食生はデトリタスを食べるものが多いと考えられるが、モンユスリカ亜科』(Tanypodinae:五十属以上)『のように肉食のものや、他の水生昆虫に寄生するものなどもある。蛹はカのそれであるオニボウフラを細長くしたような姿で、水面に泳ぎ上がって、水面で羽化が行なわれる』。『羽化した成虫は川の近くで、たくさん柱状に集まって飛んでいることがよくある。いわゆる「蚊柱」をつくっている昆虫である。蚊柱は』、一『匹の雌と多数の雄で構成されている。これは群飛(swarming)と呼ばれる』。『蚊柱が形成される理由は交尾のためで、成虫は交尾を済ませ産卵を終えるとすぐに死ぬ。成虫の寿命は長くても』、一~『数日ぐらいである』。『また、成虫は口器が無く』、『消化器も退化して痕跡化しているので、一切餌を摂る事ができない』。ああ、蜉蝣(かげろう)たちと同じだ……吉野弘の「I was bornを思い出す(リンク先は私のものではない)……

「えゝ」後の、「いゝえ」との軽い呼応を考えれば、ここは軽い応答の添え辞である「はい」の意であろう。

「ことにも」「殊にも」。

「アラベスクの飾り文字」アラベスク(arabesqu:アラビア風)はモスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式。幾何学的文様(しばしば植物の唐草模様や動物をごくフォルム化した形を基とする)の反復形をとる。ここは言わずもがな、「8(エイト)」・「 γ(ガムマア)」・「e(イー)」・「 6(スイツクス)」・「α(アルフア)」のそれぞれの文字のような軌跡をアカムシたちが水中でダンスすることの、別比喩である。

「羽むし」「羽蟲」。狭義にはアリ・シロアリ類で、初夏から盛夏にかけての交尾期に、羽化して巣から飛び立った女王アリと雄アリを指す。所謂、「はねあり」であるが、ここは小型の薄い翅を持つ類を広く指していよう。

「いちゐ」種としては被子植物門双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属イチイガシ Quercus gilva を指すが、岩手県には植生しないから(関東以西)、これは同じコナラ属 Quercus の「小楢(コナラ)」(Quercus serrata)・「水楢(ミズナラ)」(Quercus crispula)・「柏・槲(カシワ)」(コナラ亜属 Quercus Mesobalanus節カシワ Quercus dentata)・「楢柏(ナラガシワ)」(Quercus aliena)・「櫟(クヌギ)」(Quercus acutissima)の孰れかの賢治の誤認(誤呼称・当地での慣用呼称)と思われる。なお、裸子植物門イチイ綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ Taxus cuspidate は全く違う種なので注意。

「眞珠の泡」粘性が高まっているから、この形容は腑に落ちる。

「ナチラナトラ」私は漠然と「ナチューラ・ナトゥーラ」でラテン語に同じ意味のフランス語かイタリア語辺りの「自然」の語を組み合わせた、「本源的な自然」の意味で読んでいたが、考えてみれば、この重語には何か意味がありそうで、調べてみると、玉井晶章氏の論文『宮澤賢治「蠕虫舞手アンネリダタンツェーリン)」ナチラナトラの意味京都語文二〇一六十一月・佛教大学国語国文学会刊)PDFで、これについて、

   《引用開始》[やぶちゃん注:注記号と引用の字下げを除去させて貰った。]

 この単語について『定本宮澤賢治語彙辞典』を確認すると「意味不明の語だが、おそらく賢治は日本語で「天然自然」と重ねるように、ラテン語の natura (ナートゥーラ、本性、自然、ドイツ語ではナトゥールNatur)の音を借りてエキゾチックに、「本性、自然のおひめさま」の意味で使った」と説明されているが、やはりよく分からない。ただ、少なくとも賢治の造語でないことは確かなようだ。

 この「ナチラナトラ」の意味だが、大正一三年九月発行の雑誌『改造』に発表された辻[やぶちゃん注:辻潤。]の「錯覚したダダ」に、それを読み解くヒントがある

 

 しかし、中には平野青夜の如き男爵にしてエスペランチストであるダダでもあり、隠れた素晴らしい形而上学者もいるのである。ダダを単一狭隘な範疇に押し込めようとするのがそもそもの誤訳であって、一切のナチュラナトゥランスはダダなのだから、宮澤賢治君が『春と修羅』にそれを唱うことは毫も不思議とするに足りないのである。

 

 辻は平野青夜がダダ詩人でありながら、優れた形而上学者でもある視点を、賢治にも取り入れている。そして賢治がダダ詩人でありながら、詩で「ナチュラナトゥランス」を表現していると批評した。ここにある「ナチュラナトゥランス」とは一体どういう意味なのだろうか。この単語だが、恐らくはスピノザやブルーノといった西洋の近世哲学者が用いた「natura naturans」を指しているものと思われる。一般的にはスピノザが『エチカ』(一六七七年)において解説した、一切の存在を産み出す、万物の内在的原因である唯一の実体としての神の意味が知られており、「ナチュラナトゥランス」もその発音読みであると見て間違いない。

   《引用終了》

とある。森本誠一サイトに、『能産的自然(natura naturans)』として、『創造主としての神を意味し、自然はこの唯一絶対的な実体である神が生ぜしめているものとされる。スピノザの標語』とあった。同氏サイト記載によれば、スピノザは「所産的自然(natura naturata)」という語(概念)も用いており、そちらは、『神から産み出された被造物としての自然を指す。この意味での自然は神から産み出されたものとしての自然であり、それゆえ神即自然というスピノザの標語となっている』ともある。なお、「赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)」について、先の玉井晶章氏は、主人公(詩人宮澤賢治)『とってのい小さな生物の本体とは、信仰の対象としての神である。「ワタシ」が「ナチラナトラのひいさま」に対して敬語を用いるのも、信仰の神に対する尊崇の念と捉えれば、すんなり読み解けるのではないだろうか』と述べてもおられることを、ここに示してはおく(それに賛同しているわけではない)。

「ひいさま」「姫様(ひめさま)」の転訛。 高貴な人の令嬢を敬っていう語。お嬢様。無論、アカムシを指す。強い目立つ赤い色は私には「ひいさま」が腑に落ちる。

「黃いろなかげ」アカムシの「おひいさま」自身の太陽光の乱反射による黄色い影。

「とがつた二つの耳をもち」アカムシの前頭部上方にある一対の触角を指すと思われる。

「燐光珊瑚の環節」「燐光」は賢治の幻想上の形容と思う(但し、「燐光」はないが、珊瑚類には「蛍光発光」するものがいることは事実である(蛍光する理由はよくわかっていない)。しかし、それをこの当時、賢治が知っていたとは思われない。こちらの旅行会社のブログの「蛍光発光ダイビング(FLUO-diving)」を参照されたい)。腔腸(刺胞)動物であるサンゴ類に対して「環節」という表現は正しい謂いである。

「水晶体や鞏膜(きやうまく)の」/「オペラグラスにのぞかれて」覗いている主体者である詩人を客体化した表現。「水晶体」は賢治の眼球の「水晶体」であり、彼の眼の「鞏膜」(角膜とともに眼球の外壁を構成する強靱な膜)であり、その前に当てがっている「オペラグラス」(ここは拡大鏡をお洒落に言い換えた。アカムシの「ひいさま」のバレエ・オペラの華麗なる舞台を見ているのだから)によって私に「のぞかれて」いるのである。

「眞珠の泡を苦にするのなら」中深のそれや水面近くのそれらは内側に働く表面張力によって、アカムシ「ひいさま」は、その球体面に吸い着いてしまうと、身動きも呼吸も不自由になってしまうからである。]

2018/11/11

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 眞空溶媒

 
 

 眞  空  溶  媒

 
 
 
      眞 空 溶 媒

       ( Eine Phantasie im Morgen

 

融銅はまだ眩(くら)めかず

白いハロウも燃えたたず

地平線ばかり明るくなつたり陰(かげ)つたり

はんぶん溶けたり澱んだり

しきりにさつきからゆれてゐる

おれは新らしくでパリパリの

銀杏(いてう)なみきをくぐつてゆく

その一本の水平なえだに

りつぱな硝子のわかものが

もうたいてい三角にかはつて

そらをすきとほしでぶらさがつてゐる

けれどもこれはもちろん

そんなにふしぎなことてもない

おれはやつぱり口笛をふいて

大またにあるいてゆくだけだ

いてふの葉ならみんな靑い

冴えかへつてふるえてゐる

いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき

白い輝雪(きうん)のあちこちが切れて

あの永久の海蒼(かいさう)がのぞきでてゐる

それから新鮮なそらの海鼠(なまこ)の匂

ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた

こんなににはかに木がなくなつて

眩ゆい芝生(しばふ)がいつぱいいつぱいにひらけるのは

さうとも 銀杏並樹(いてふなみき)なら

もう二哩もうしろになり

野の綠靑(ろくせう)の縞のなかで

あさの練兵をやつてゐる

うらうら湧きあがる昧爽(まいさう)のよろこび

氷ひばりも啼いてゐる

そのすきとほつたきれいななみは

そらのぜんたいにさへ

かなりの影(えい)きやうをあたへるのだ

すなはち雲がだんだんあをい虛空に融けて

たうたういまは

ころころまるめられたパラフヰンの團子(だんご)になつて

ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ

地平線はしきりにゆすれ

むかふを鼻のあかい灰いろの紳土が

うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて

あるいてゐることはじつに明らかだ

(やあ こんにちは)

(いや いゝおてんきですな)

(どちらへ ごさんぽですか

  なるほど ふんふん ときにさくじつ

  ゾンネンタールが沒(な)くなつたさうですが

  おききでしたか)

 (いゝえ ちつとも

  ゾンネンタールと はてな)

 (りんごが中(あた)つたのださうです)

 (りんご、ああ、なるほど

  それはあすこにみえるりんごでせう)

はるかに湛(たた)える花紺靑の地面から

その金いろの苹果(りんご)の樹が

もくりもくりと延びだしてゐる

 (金皮のまゝたべたのです)

 (そいつはおきのどくでした

  はやく王水をのませたらよかつたでせう)

 (王水、口をわつてですか

  ふんふん、なるほど)

 (いや王水はいけません

  やつぱりいけません

  死ぬよりしかたなかつたでせう

  うんめいですな

  せつりですな

  あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)

 (えゝえゝ もうごくごく遠いしんるいで)

いつたいなにをふざけてゐるのだ

みろ、その馬ぐらゐあつた白犬が

はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて

いまではやつと南京鼠(なんきんねずみ)のくらゐにしか見えない

 (あ、わたくしの犬がにげました)

 (追ひかけてもだめでせう)

 (いや、あれは高價(たか)いのです

  おさへなくてはなりません

  さよなら)

苹果(りんご)の樹がむやみにふえた

おまけにのびた

おれなどは石炭紀の鱗木(りんばく)のしたの

ただいつぴきの蟻でしかない

犬も紳士もよくはしつたもんだ

東のそらが苹果林(りんごばやし)のあしなみに

いつぱい琥珀をはつてゐる

そこからかすかな苦扁桃(くへんたう)の匂がくる

すつかり荒(す)さんだひるまになつた

どうだこの天頂(ちやう)の遠いこと

このものすごいそらのふち

愉快な雲雀(ひばり)もたうに吸ひこまれてしまつた

かあいさうにその無窮遠(むきうゑん)の

つめたい板の間(ま)にへたばつて

瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない

もう冗談ではなくなつた

畫かきどものすさまじい幽靈が

すばやくそこらをはせぬけるし

雲はみんなリチウムの紅い熖をあげる

それからけわしいひかりのゆきき

くさはみな褐藻類にかはられた

こここそわびしい雲の燒け野原

風のヂグザグや黃いろの渦

そらがせわしくひるがへる

なんといふとげとげしたさびしさだ

 (どうなさいました 牧師さん)

あんまりせいが高すぎるよ

 (ご病氣ですか

  たいへんお顏いろがわるいやうです

 (いやありがたう

  べつだんどうもありません

  あなたはどなたですか)

 (わたくしは保安掛りです)

いやに四かくな背(はい)囊だ

そのなかに苦味丁幾(くみちんき)や硼酸(ほうさん)や

いろいろはいつてゐるんだな

 (さうですか

  今日なんかおつとめも大へんでせう)

 (ありがたう

  いま途中で行き倒(たほ)れがありましてな)

 (どんなひとですか)

 (りつぱな紳士です)

 (はなのあかいひとでせう)

 (さうです)

 (犬はつかまつてゐましたか)

 (臨終(りんじふ)にさういつてゐましたがね

  犬はもう十五哩もむかふでせう

  じつにいゝ犬でした)

 (ではあのひとはもう死にましたか)

 (いゝえ露がおりればなほります

  まあちよつと黃いろな時間だけの假死(かし)ですな

  ううひどい風だ まゐつちまふ)

まつたくひどいかぜだ

たほれてしまひさうだ

沙漠でくされた駝鳥(だてう)の卵

たしかに硫化水素ははいつてゐるし

ほかに無水亞硫酸

つまりこれはそらからの瓦斯の氣流に二つある

しやうとつして渦になつて硫黃華(くわ)ができる

    氣流に二つあつて硫黃華ができる

        氣流に二つあつて硫黃華ができる

 (しつかりなさい しつかり

  もしもし しつかりなさい

  たうたう參つてしまつたな

  たしかにまゐつた

  そんならひとつお時計をちやうだいしますかな)

おれのかくしに手を入れるのは

なにがいつたい保安掛りだ

必要がない どなつてやらうか

         どなつてやらうか

            どなつてやらうか

               どなつ……

水が落ちてゐる

ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ

惡い瓦斯はみんな溶けろ

 (しつかりなさい しつかり

  もう大丈夫です)

何が大丈夫だ おれははね起きる

 (だまれ きさま

  黃いろな時間の追剝め

  飄然たるテナルデイ軍曹だ

  きさま

  あんまりひとをばかにするな

  保安掛りとはなんだ きさま)

いゝ氣味だ ひどくしよげてしまつた

ちゞまつてしまつたちいさくなつてしまつた

ひからびてしまつた

四角な背囊ばかりのこり

たゞ一かけの泥炭(でいたん)になつた

ざまを見ろじつに醜(みにく)い泥炭なのだぞ

背囊なんかなにを入れてあるのだ

保安掛り、じつにかあいさうです

カムチヤツカの蟹の罐詰と

陸稻(をかぼ)の種子がひとふくろ

ぬれた大きな靴が片つ方

それと赤鼻紳士の金鎖

どうでもいゝ 實にいゝ空氣だ

ほんたうに液体のやうな空氣だ

 (ウーイ 神はほめられよ

  みちからのたたふべきかな

  ウーイ いゝ空氣だ)

そらの澄(ちやう)明 すべてのごみはみな洗はれて

ひかりはすこしもとまらない

だからあんなにまつくらだ

太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず

おれは數しれぬほしのまたたきを見る

ことにもしろいマヂエラン星雲

草はみな葉綠素を恢復し

葡萄糖を含む月光液(げつくわうえき)は

もうよろこびの脈さへうつ

泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる

 (もしもし 牧師さん

  あの馳せ出した雲をごらんなさい

  まるで天の競馬のサラアブレツドです)

 (うん きれいだな

  雲だ 競馬だ

  天のサラアブレツドだ 雲だ)

あらゆる變幻の色彩を示し

……もうおそい ほめるひまなどない

虹彩はあはく變化はゆるやか

いまは一むらの輕い湯氣(ゆげ)になり

零下二千度の眞空溶媒(しんくうようばい)のなかに

すつととられて消えしまふ

それどこでない おれのステツキは

いつたいどこへ行つたのだ

上着もいつかなくなつてゐる

チヨツキはたつたいま消えて行つた

恐るべくかなしむべき眞空溶媒は

こんどはおれに働きだした

まるで熊の胃袋のなかだ

それでもどうせ質量不變の定律だから

べつにどうにもなつてゐない

といつたところでおれといふ

この明らかな牧師の意識から

ぐんぐんものが消えて行くとは情ない

 (いやあ 奇遇ですな)

 (おお 赤鼻紳士

  たうたう犬がおつかまりでしたな)

 (ありがたう しかるに

  あなたは一体どうなすつたのです)

 (上着をなくして大へん寒いのです)

 (なるほど はてな

  あなたの上着はそれでせう)

 (どれですか)

 (あなたが着ておいでなるその上着)

 (なるほど ははあ

  眞空のちよつとした奇術(ツリツク)ですな)

 (えゝ さうですとも

  ところがどうもおかしい

  それはわたしの金鎖ですがね)

 (えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です)

 (ははあ 泥炭のちよつとした奇術(ツリツク)ですな)

 (さうですとも

  犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)

 (なあにいつものことです)

 (大きなもんですな)

 (これは北極犬です)

 (馬の代りには使へないんですか)

 (使へますとも どうです

  お召しなさいませんか)

 (どうもありがたう

  そんなら拜借しますかな)

 (さあどうぞ)

おれはたしかに

その北極犬のせなかにまたがり

犬神のやうに東へ步き出す

まばゆい綠のしばくさだ

おれたちの影は靑い沙漠旅行(りよかう)

そしてそこはさつきの銀杏(いてふ)の竝樹

こんな華奢な水平な枝に

硝子のりつぱなわかものが

すつかり三角になつてぶらさがる

 

[やぶちゃん注:全二百四十八行から成る長篇詩。大正一一(一九二二)年五月十八日の作。現存稿は底本原稿のみで、これ以前の発表誌等も存在しない。

 誤植が甚だ多く、最後部の三箇所以外(●で示した)は「正誤表」にも載らない。賢治自身の歴史的仮名遣の誤りや慣用誤用や口語使用も含まれるが、まず、それらを一括して箇条で掲げる。但し、原稿と相違していても、底本に用法上の違和感(私の、である)がなく、「手入れ本」での修正が行われいないものは省略した。

・「銀杏(いてう)」と後の「いてふ」「銀杏並樹(いてふなみき)」「銀杏(いてふ)」(最終行から四行目)はママ。最初のそれは底本原稿から、「いてふ」の誤植であることが判る。なお、「いてふ」とするのは、江戸時代の歴史的仮名遣の一つとして現に存在し、今もそう書く人も有意に多い。これは、当時、「公孫樹・銀杏」の読み(現代仮名遣「いちょう」)に対して唱えられた語源説の一つである「一葉(いちえふ)」の約されたものという説によったためであるが、現行では、正しい歴史的仮名遣は「いちやう」とされている。しかし、「手入れ本」には修正は全くない。賢治は歴史的仮名遣を「いてふ」で覚えいたということである。

・「新らしくで」原稿は「新しくて」。「で」は「て」の誤植であるが、「正誤表」にはないので、ママとした。「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「そらをすきとほしでぶらさがつてゐる」原稿「そらをすきとほして」。「で」は「て」の誤植。これには「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「そんなにふしぎなことてもない」原稿「ことでもない」。「て」は「で」の誤植。「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「冴えかへつてふるえてゐる」「ふるえる」は原稿もママ。筑摩版校訂本文も「ふるえる」のままとしている(同全集は賢治の独特の語彙や漢字使用及び表現の強い癖などの場合には、正統な歴史的仮名遣による強制補正を行っていない。これは私は正しいやり方だと考えている。同じ筑摩書房の萩原朔太郎全集が、その強制補正を朔太郎著作の総てに対し、有無を言わさず、行ってしまっているのとは大違いである)。「手入れ本」には修正はない。

・「輝雪(きうん)」ママ。原稿「輝雲(きうん)」であるから、強烈な誤植。迂闊な読者はルビで無意識に誤字と認めずに読み過ぎた者も多かろう。しかし、実は「手入れ本」には修正がないのである。高い確率で、賢治自身や彼の周辺の人々さえも、このルビで騙されて、誰一人として気づかなかったものと推定される。

・「綠靑(ろくせう)」ママ。原稿もママ。歴史的仮名遣は「ろくしやう」が正しい。筑摩版校訂本文も「ろくせう」のままとしている。

・「たうたういまは」の「たうたう」は原稿もママ。「到頭」であるから、「たうとう」が正しい。全集校訂本文は「たうたう」なままとしている。但し、「手入れ本」の二種には修正が有るから、ここは「たうとう」を校訂本文と採るべきであるように私は思う。

・「むかふを鼻のあかい灰いろの紳土が」「紳士」の誤植。「手入れ本」修正なし。私も初読時、見落とした。

・「(やあ こんにちは)」/「(いや いゝおてんきですな)」/「(どちらへ ごさんぽですか」の三行のみが字下げなしで記されているのはママ原稿では、これらは、ちゃんと一字下げとなっており、後の「なるほど ふんふん ときにさくじつ」の文字本文と綺麗に並んでいるから、これは誤植である。しかし、「手入れ本」にも修正指示がない。これはこの三行が底本の右ページ(三十八ページ)の末三行であるため、実際に本を開いて読んだ場合、ページが綴目の中央内側に反ること、また、この三行の丸括弧(「(」)のそれが、字下げしていないにも拘わらず、字下げ的な錯視的効果を与えることから、左ページの二字下げに視覚的に影響を受け、都合よく錯覚を起こしたからではないかと私は推定する。

・「湛(たた)える」原稿もママ。「手入れ本」の修正もない。筑摩版全集もママ。

・「「おれなどは石炭紀の鱗木(りんばく)のしたの」ルビは「りんぼく」の誤植。「手入れ本」修正なし。私も初読時、見落とした。

・「たいへんお顏いろがわるいやうです」末尾の丸括弧閉じるが、ない。原稿「たいへんお顏いろがわるいやうです)」。誤植。「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「いま途中で行き倒(たほ)れがありましてな)」原稿ではルビは「行き倒(だほ)れ」。「ほ」はママであるが、「だ」は誤植である。しかし「手入れ本」には修正はない。賢治やその周辺の人々はここに限っては誤り(ポイント最小のルビ活字の濁点の誤植)を見落としていたと考えられる。

・「たほれてしまひさうだ」「たほれ」は前注と同じく原稿もママ。全集校訂本文もママ。

・「すつととられて消えしまふ」ママ。原稿は「すつととられて消えてしまふ」なので、脱字。宮澤家「手入れ本」で「て」を補う。

・「(あなたが着ておいでなるその上着)」はママ。原稿は「(あなたが着ておいでになるその上着)」なので、脱字であるが、「手入れ本」の補正はない。「おいでなる」ではどうみてもおかしいから、これは見落としたものらしい。筑摩書房版は校訂本文を「おいでなる」と特異的に現存原稿のみに依拠して訂正している。まあ、これは無理もないか。

●「犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)」/「(なあにいつものことです)」は底本では、前行末に次行頭の「な」の活字が迷い込んで(と筑摩書房編者は理解している)、

犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですかな)

(あにいつものことです)

となっている。原稿を見ると誤植であり、「正誤表」にも載るので、原稿通りに《二箇所》を示した。

●「すつかり三角になつてぶらさがる」この最終行は底本では、

すつかり三角にならてぶらさがる  

となっているが、原稿は「すつかり三角になつてぶらさがる」で誤植であり、「正誤表」にも載るので、原稿通りに示した。

   *

 「原稿」と底本との異同で、以上以外で特に気になる点を掲げる。

・「しきりにさつきからゆれてゐる」が、原稿では「しきりにさつきからゆすれてゐる」となっているが、「手入れ本」でもこの「ゆれてゐる」部分への修正はない。最終校正刷で改したものかも知れない。但し、本書では先行する詩篇「春と修羅」で賢治は既に「ゆすれ」を二箇所で使用しており、語としての用法の強い違和感も私にはない。本篇の雰囲気からうすると、音数律上の変更とも思われない。

・唯一のリーダ使用部「どなつ……」のリーダ数は「………」で三字分である。

・その次の次の行の

ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ

は、原稿では、

さうだ神はほめられよ 雨だ

となっている。最終校正刷で大改変したものか。印刷屋には一番嫌われる仕儀である。

・「サラアブレツト」は、原稿では「サラーブレツド」。「手入れ本」修正なし。

・「おれたちの影は靑い沙漠旅行(りよかう)」は、原稿では「おれたちの影は靑い沙漠行旅(かうりよ)」。ルビから確信犯であるが、「手入れ本」に修正がないから、最終校正刷で普通に戻したか。

   *

 「手入れ本」については非常な長詩であるので略すが、その二種の最終形を整序した電子データが、サイト「宮澤賢治の詩の世界」にある(但し、漢字は新字)。宮澤家本がこちら菊池曉輝氏所蔵本がこちらであるので、参照されたい。ただ一点、非常に興味深いのは、宮澤家本に、「ゾーネンタールが沒(な)くなつたさうですが」の横に「陽の谷」という書き入れがあることで、全集脚注では『註か? 自筆ではない可能性もある』とあることである。これは、後の注(引用)を参照されたい。

「眞空溶媒」「溶媒」(英語:solvent)は一つの溶液に於いて、その溶液が作られるに当たって、溶かされた成分を「溶質」と称し、その「溶質」を溶かすのに用いた成分を「溶媒」と呼ぶ。溶質・溶媒の区別がつけ難い場合には、多量に存在する一方を通常は「溶媒」と考える。「溶質」は気体・液体・固体の孰れでもよいが、「溶媒」は一般には液体である。ところが「眞空」では、一般人である我々には溶媒も溶質も無化されるのではないかと躓いてしまう。ここは或いは、ダダイズムやシュールレアリスムが好んで用いた、最もかけ離れていて、凡そ熟語足り得ない二概念を持つ対象を衝突させることで、新たな芸術的イメージを創出しようとした(例えばダリの事大主義画題作品「恋愛感情を表わす二個のパン」(一九四〇年:但し、その実、私はダリの作品の中では非常に好きな作品である)のように「恋愛感情」と「パン」との結合である)手法を科学用語に用いたものとも思われるし、また、「眞空」なのは宇宙空間であり、それはビッグバンから完全収縮に至る開闢と消滅のドライヴである。真空空間には充満はしていなくとも、先に出たエーテル仮説や後のアインシュタインの光量子仮説と、同人がそれと同時に一九〇五年に発表している特殊相対性理論などを考え合わせるならば、夢想された人間存在という儚い「媒質」が、そうした最新科学の特異な属性を内包する真空という「触媒」の影響を受けて、時空間をやすやすと往来し、その形象さえも自在にメタモルフォーゼさせることが出来る、と賢治は仮定したのではあるまいか?

Eine Phantasie im Morgen」ドイツ語で「朝(午前)の想像(空想・幻想)」。

「融銅はまだ眩(くら)めかず」融解した銅(銅の融点は摂氏一千八十五度弱)。日の出の太陽の色を形容しているのであろう。ブログ「金沢・金の科学館」の「融銅はまだ眩めかず」という記事で、『吹管分析という方法で銅の鉱石のひとつである孔雀石から銅を取り出せ』るとあり、『この融銅の眩めきというのが見たくなり』、学校で(ブログ主は教師らしい)硫酸銅を用いて実験してみたとされ、『木炭にドライバーで小さな穴をあけ、硫酸銅粉末を入れ、吹管で炎を吹き付けてみた』ところ、『一発で、立ち上る朝日のような球状に輝く銅が出てきた』とあり、『実験を見ていた生徒も「すごい!」と感動した』と記されて、『賢治もこの実験をやって感動したに違いないと思え』たと述べておられる。その実験映像を見られたい。これは確かに、日の出後に赫奕(かくやく)とする太陽そのものである。

「ハロウ」英語「halo」英語読み:ヘイロー)とは、太陽やその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことである。日暈(にちうん)。太陽や月を光源として、それらに薄い雲がかかった際、その周囲に発生するように見える光の輪。日暈(ひがさ)。語源はギリシャ語の当該現象を指す語で、お馴染みの写真や映像で、強い光が当たった部分が白くぼやけることを指す「ハレーション」(halation)は、この「halo」に結果や状態を表わす名詞語尾「-ation」が附いたものである。他に宗教的聖像などの後光・光輪・光背の意もある。

「銀杏(いてう)なみき」の「その一本の水平なえだに」「りつぱな硝子のわかものが」「うたいてい三角にかはつて」「そらをすきとほしでぶらさがつてゐる」「けれどもこれはもちろん」「そんなにふしぎなことてもない」私の大好きなアメリカのブラザーズ・クエイ(Brothes Quay)の「ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋」(The Cabinet of Jan Svankmajer:一九八四年)や、そこでオードされたチェコスロバキア・プラハ生まれのシュルレアリストでアニメーション作家・映像作家ヤン・シュヴァンクマイエル(Jan Švankmajer 一九三四年~)の素晴らしい諸作品を面白がれる余裕があれば、この数行は難解でも何でもない。

「いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき」この「alcohol 瓶のなかのけしき」は生物のアルコール液浸標本のことであろう。アルコールでは長期の固定保存は不可能で、経年劣化が進むと、対象生物によっては、繊維組織が抜け出たり、個体の一部や全体が溶解を起して液中に崩れたり、溶け出したりする。以下の形容は、饐えた臭いと、黄変して雪の降るようになったり、個体表面が崩れて、内部へと裂け目の出来た標本瓶たちのカット・バックだ。高校まで理科部(中学・海塩核班/高校・生物班)であった私には、当たり前の日常の風景であった。無論、ここは公孫樹並木(瓶)とその隙間の「輝」く「雲」が切れて、そこから垣間見える「海」の如くに「蒼」黒い空の実景をそれらに換喩して夢想を楽しんでいるのである。……ああ……それにしても……まさに今の私(藪野)にとっては、自身の記憶自体が、誰も見に来ない理科室の展示棚の中のそうした液浸標本みたようなものである……

「あの永久の海蒼(かいさう)がのぞきでてゐる」前注に述べた通り、であるが、それは次の換喩である「新鮮なそらの海鼠(なまこ)の匂」からのフィード・バックとも言えよう。

「二哩」一マイルは一キロ六百十メートル弱。二マイルは三キロ二百十九メートル弱。

「昧爽(まいさう)」夜明け。「昧」は「暗い」で「爽」は「明るい」の意であるから、夜明け方のほの暗い時間。曙(日の出直前までの時間帯)である。辞書によっては「暁(あかつき)」とするが、これは正しくない。「あかつき」とは朝であるが、まだ真っ暗な状態、「曙」の前の時間を明確に分けて指す語だからである。

「氷ひばり」「神戸宮沢賢治の会」の公式サイトの「会報No.39 -氷ひばり-」に、『その鳴き声が透き通っているところから、賢治がつけた早春のひばりの総称。従って次行の「きれいななみ」とは、ひばりの声波のことで』あるとある。

「ゾンネンタール」上記引用先には、『ドイツの俳優、あるいは近所の資産家、との説がありますが、賢治は単に語呂が面白くて会話中にその名を登場させたとの説が妥当のようです』とあるが、それこそ『単に』『語呂が面白くて』で終わらせるというのは、考証・考察ではない、『単』なる感想・思いつきでしかない。面白い語呂なんだったら、「存念垂る」のアナグラムでもいいんですね、とツッコみたくなる。私は若き日にこれを読んだ時は「ネアンデタール」人を直ちに想起した(と言ってもその単連想であって、それが賢治のミラクル・ワールドに繋がるものとは思ってはいなかった)。この如何にも怪しい名の解読は大塚常樹氏の「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」(一九九三年朝文社刊)に於いて、まさに目から鱗の解読がなされてある。その「無意識が見させる夢――中生代爬虫の悪夢――」の中で大塚氏は、

   《引用開始》[やぶちゃん注:注記号は省略させて戴いた。]

ここに登場する「ゾンネンタール」は、「原人」の隠喩であろう。この名について恩田逸夫はネアンデルタール人ヒント説を[やぶちゃん注:昭和四六(一九七一)年角川書店刊「日本近代文学大系 三十六 高村光太郎・宮沢賢治集」の注釈。大塚氏の注に拠る。]、栗原敦は役者ゾンネンタール説を提示している[やぶちゃん注:平成四(一九九二)年新宿書房刊「宮沢賢治 透明な軌道の上から」。同前。]。仮に「原人」と把握すれば、「しんせき」「ごくごく遠いしんるゐ」[やぶちゃん注:本詩篇の後の部分。]の意味も明らかになる。すなわち《現人類》の遠い親戚であり、彼らと同様の原始人であったころの記憶や感情が《現人類》にも残存している、という意味になるからである。この一節のすぐ後に、自分は石炭紀の鱗木の下の一匹の蟻だ、という一節があることからも「ゾンネンタール」の発想の基盤に進化論や地質年代的知識があったことはほぼ間違いないだろう。

 この「ゾンネンタール」(宮沢賢治家所蔵本には、賢治の手入れかどうかは不明だが、陽の谷、という訳語が記入されている[やぶちゃん注:ネアンデルタール人(ヒト属ホモ・ネアンデルターレンシス Homo neanderthalensis)の本格的な科学的研究の対象となった化石の発見(一八五六年)場所であるドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷(ドイツ語: Neanderthal 又は Neandertal)であった。綴りが二種あるのは、一九〇一年にドイツ語の「正書法」改革により、「Thal」(タール:谷)の綴りが「Tal」に改められたからで、命名時の綴りを保持するのが分類学上の慣例であることから、ネアンデルタール人の学名 Homo neanderthalensis(ヒト亜種とする場合は Homo sapiens neanderthalensis は綴り方の変更の影響を受けないことによる)。]は、栗原の言うように作品後方の「泥炭」の「タール」に引っかけた名前でもあるだろう。賢治が地質時代の悪夢をしばしば体験したこと、石炭紀や白堊紀の湿地(氾濫原)が修羅のさまよう場所としてイメージされたことは本書の「序論」でも詳しく見たとおりである。泥炭地帯とはこうしたはるかむかしの氾濫原や湿地帯の、今日的地層地帯のことにほかならない。「ゾンネンタール」は「冬のスケッチ」にも、

  しろびかりが室をこめるころ

  澱粉ぬりのまどのそとで

  しきりにせのびをするものがある

  しきりにとびあがるものがある

  きっとゾンネンタールだぞ。

と描かれている。ここにも過去の「原人」の記憶に対する、賢治の恐怖心が読み取れるのではないか。

   《引用終了》

と述べておられるのである(「冬のスケッチ」は以前にも注で出したが、創作年代は不詳であるものの、製作史的には賢治の短歌時代と口語詩時代の狭間に位置する若い頃のものと推定される短唱的作品群で、引用は旧稿本全集では第六巻の「七」パートにあるソリッド(この五行で完結している)なものである)。これは、まさしく、田舎の冴えない高校生であった私が「ネアンデルタール人」をこの語に重ねたときの、何とも言えぬ慄然とした感じを開明して呉れたのである。そうしてそれは後にユングの著作に触れ、その「集団的無意識」説を読んだ時の、私の中の妙に腑に落ちるもの(これを以って私の小学生高学年以降のフロイトの汎性理論への無批判な信望は瓦解した)をも解き明かして呉れたのでもあった。宮澤賢治を全的に解読するには彼のファンダメンタルな日蓮宗への信仰部分を除去して語ることは全く不可能だと思っているが、それ以上に、賢治の科学者(特に地学・古生物学)を中心とした博物学的自然哲学的な学際的解析が不可欠であることは言うまでもなかろう。而してこの大塚常樹氏(現在、お茶の水大学基幹研究院人文科学系教授)の「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」は、まさにそうした、特に後者の部分をターゲットとした論考として、他に類を見ない研究書として、非常に優れたものであるので一読をお薦めするものである。大塚氏は、かの原子朗氏の「新宮沢賢治語彙辞典」(一九九九年東京書籍刊。私は所持しないのでここで活用できないのは残念である)の分担執筆者の筆頭者でもあられる。因みに、大塚常樹氏の連れ合いである大塚美保氏(現在、聖心女子大学日本語日本文学科教授)は第一線の森鷗外の研究者として知られるが、彼女は私が最初に担任を持った生徒であり、お二人の結婚式にも招待され、錚々たる日本文学研究者たちの並居る中、ユングの「ヨブへの答え」を朗読するというトンデモ祝辞をやらかしてしまった(これは全くの偶然で、ただ直近で読んだそれにいたく感銘していたことからなのであるが)。今思うと、まっこと恥ずかしい限りであるが、しかし、懐かしい思い出である。

「花紺靑」「はなこんじやう(はなこんじょう)」と読む。紫色を帯びた暗い青色のこと。サイト「伝統色のいろは」の「花紺青」に、『人類最古のコバルト顔料「スマルト」の和名。スマルトはエジプトやミケーネ文明の頃から用いられて』おり、『日本では顔料の「紺青色 こんじょういろ」の中でも、人造の顔料を「花紺青」、天然のアズライト』(藍銅鉱:らんどうこう:azurite:アズライト。炭酸塩鉱物の一種で、「ブルー・マラカイト」と呼ばれる宝石でもある)『を原料とする顔料を「石紺青 いわこんじょう」と呼んで区別してい』る、とある。色はリンク先で確認されたい。曙方の地面の色であろうが、そこに金の皮の林檎があるのだとすれば、それは異界を示す色でもあろう。

「苹果(りんご)」「苹」(音「ヘイ・ヒヤウ(ヒョウ)」)は原義は「浮草(うきくさ)」或いは「蓬(よもぎ)であるが、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の、まさに、『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の中でリンゴが「苹果」と表記されている。「林檎」と「苹果」では意味の違いがあるのか』という質問への回答として、

   《引用開始》

『日本語源大辞典』(小学館)の「りんご」の項に「林檎」は「西洋リンゴが普及する以前の和リンゴの総称」で、「中国では、古く西洋から伝わったリンゴを『奈』「頻婆』『苹果』などと表した。それに対し、中国原産のものが『林檎』である」と示される。また、『新宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍)の「苹果」の項でも「『林檎』は、もともと西洋リンゴ輸入前の小粒の和リンゴの総称で、西洋リンゴ(大りんご)の表記は『苹果』であった」としている。明治29年刊行の『果樹栽培全書第二編』(博文館)を確認したところ、「苹果樹栽培法」の中で「苹果ナルモノハ一名『おふりんご』ト称シ本邦在来林檎ノ一種」で「苹果ハ即チ漢名ニシテ清國ニハ其産アリ欧米産ノ品ト異ナラズ」と記されている。

   《引用終了》

「(金皮のまゝたべたのです)」/「(そいつはおきのどくでした」/「はやく王水をのませたらよかつたでせう)」/「(王水、口をわつてですか」/「ふんふん、なるほど)」/「(いや王水はいけません」/「やつぱりいけません」/「死ぬよりしかたなかつたでせう」/「うんめいですな」/「せつりですな」/「あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)」/「(えゝえゝ もうごくごく遠いしんるいで)」「王水」の後の読点は原稿にもあり、底本にもあるのに、何故か、全集校本の校訂本文では除去されている。「王水」は「わうすい(おうすい)」と読み、濃塩酸と濃硝酸の混合物である。通常は濃塩酸三に対して濃硝酸一を加えたものを指し、強酸化剤として知られ、硝酸では溶解しない金・白金などの貴金属をも溶かすことから、この名を持つ。この部分については、先に引用した大塚常樹氏の「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」の引用文の直前で、『恐らくこの幻想的な会話は、シンボリックな会話である。「金の華果」を食べて死ぬとは、有名な失楽園のパロディであろう。「うんめい」「せつり」にはこうしたキリスト教的な人類の宿命(原罪)が暗示されていよう』(以下、『また』を挟んで、先の引用の『ここに登場する「ゾンネンタール」は……』と続く)とあり、激しく共感する。

「南京鼠(なんきんねずみ)」モルモットのこと。齧歯目ネズミ上科ネズミ科ハツカネズミ属ハツカネズミ Mus musculus の実験用・愛玩用の飼養白変(アルビノ)種。

「おれなどは石炭紀の鱗木(りんぼく)のしたの」/「ただいつぴきの蟻でしかない」同じく大塚氏は「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」の、巻頭にある「宮沢賢治の空間意識」の中で、この二行を引かれ、『この「鱗木」は実は杉の遠い祖先と言われている。賢治が影響を受けたドイツの進化論生物学者エルンスト・ヘッケルの提唱する、進化論的生命発生原則(本書「宮沢賢治とへッケル」を参照されたい)に従えば、五年位の若い杉(いわば子供の杉)は、祖先の「鱗木」に非常によく似ていることになるのである。「春と修羅」で賢治が描いた「Zypressen」[やぶちゃん注:発音は「ツュプレッセン」で、ドイツ語で糸杉類(球果植物門マツ綱マツ目ヒノキ科ヒノキ亜科イトスギ属 Cupressus)を指す。英語の「Cypress」(サイプレス)のこと。先行する「春と修羅」の注を参照されたい。]、すなわち糸杉は、よく言われるようにゴッホの「糸杉」が念頭に置かれていただけではなく、石炭紀の「鱗木」のイメージが重ねられていたのである』とある。大塚氏は『ゴッホの「糸杉」』に注され、『大正八年』(一九一九年)『ころの短歌に「ゴオホサイプレスの歌」の連作がある)と述べておられる。これは、以下(底本は校本全集第一巻を用いた)、

   *

 

ゴオホサイプレスの歌

 

サイプレスいかりはもえてあまぐものうづまきをさへやかんとすな

 

雲の渦のわめきのなかに湧きいでゝいらだちもゆるサイプレスかも

 

灯のしたにうからつどふをなはひとりたそがれに居てものおもひけん

 

薄明穹まつたく落ちて燐光の雁もはるかの西にうつりぬ

 

   *

で、また別な同時期の歌稿に(「巻」を恣意的に正字化した)、

   *

 

サイプレス

忿りは燃えて

天雲のうづ卷をさへ灼かんとすなり。

      ※

天雲の

わめきの中に湧きいでて

いらだち燃ゆる

サイプレスかも。

 

   *

とある(「忿り」は「いかり」、「天雲」は「あまぐも」と読んでおく)。大塚氏の挙げられた、エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel 一八三四年~一九一九年)は、「個体発生は系統発生を繰り返す」という命題で知られた、私の好きな生物学者・自然哲学者で、今まで多くの記事で述べてきたが、ここは取り敢えず私見を殆んど交えていない、「進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(3) 三 ハックスレーとヘッケル」をリンクさせておく。なお、彼の名は、後の「青森挽歌」の中に「ヘツケル博士!」/「わたくしがそのありがたい證明の」/「任にあたつてもよろしうございます」という挿入句の中に登場する。

「苦扁桃(くへんたう)」アーモンド(Almond:バラ目バラ科モモ亜科サクラ属ヘントウ Amygdalus dulcis であるが、ここは感覚的な美的比喩であろう。或いは、その種子から油を搾った滓(かす)を発酵させたものを蒸留して得る無色の液体(主成分はベンズアルデヒド)で香料に用られる苦扁桃油(くへんとうゆ)の杏の種のような匂い(朝の地面や植物からの揮発したものの混淆した微かな甘酸っぱい匂い)かも知れない。

「その無窮遠(むきうゑん)の」/「つめたい板の間(ま)」蒼穹の果てのイメージである。

「リチウムの紅い熖をあげる」リチウム(lithium)の炎色反応は深紅色。winnie1046氏のYou Tube の動画を見られたい。

「褐藻類」不等毛植物門褐藻綱 Phaeophyceae。ごく一部を除いて海産の多細胞藻類で、コンブ目 Laminariales(英語:Sea kelp)等、極めて大型になるものが含まれる。ここで賢治が「にかはられた」と言っているのは、日の出から推移した景観色をかく言ったものであろうが、それはその実景に太古の海のイメージをも幻視しているようにも感じられる。

「(どうなさいました 牧師さん)」と声を掛けてくる人物がいて、「あんまりせいが高すぎるよ」と不満の心内語が発せられる。声を掛けてきたのが、後の胡散臭い風体の「保安掛り」と読め、さすれば、ここは主人公(詩人宮澤賢治)を、その田舎にしては妙な風采から「牧師」と誤認したのであろう(あのお馴染みの賢治の帽子とコートの姿に逢えば、私も牧師と誤認する気がする)。後半で「でおれといふ」/「この明らかな牧師の意識から」とある。

「苦味丁幾(くみちんき)」「苦味チンキ」(「チンキ」は「tincture」チンキ剤で、生薬をアルコールで浸出させたり、溶かした水液薬剤)は異の芳香をもつ苦い黄褐色の液剤で、センブリを原料とする苦味薬を橙皮(トウヒ)・サンショウなどの芳香剤と混じてアルコールで浸出したもの。健胃薬とする。

「硼酸(ほうさん)」(底本の「硼」は「月」が「萠」のように斜体であるが、表示出来ないので以上で示した)。ホウ酸(Boric acid)或いはオルトホウ酸は、H3BO3またはB(OH)3で表わされるホウ素のオキソ酸で、温泉などに多く含まれ、殺菌剤・殺虫剤・医薬品(うがい薬・軟膏の基剤・眼科の結膜の洗浄や消毒及び目薬の保存料等)に用いられる。四角な背嚢を背負い、その中にこれらのものが入っているというのは、所謂、行商の薬売りのポーズであるが、無論、他の人物同様、幻影の産物である。

「黃いろな時間」「露」とあるから、黄昏時を指すのか? 夕暮れとなって夜露が下りれば蘇生するというのか?

「沙漠でくされた駝鳥(だてう)の卵」の比喩が「硫化水素」の臭いのするような「ひどい風」を形容するか。

「無水亞硫酸」二酸化硫黄の俗称。所謂、亜硫酸ガス。同前。

「硫黃華(くわ)」「いわうくわ(いおうか)」は人工的には硫黄の蒸気を急冷して固化させて得られる黄色の粉末。天然には硫黄泉の噴出口に見られる。「昇華硫黄」とも呼ぶ。

「氣流に二つあつて硫黃華ができる」このくどいリフレインの表現としての意味(「氣流に二つあ」るという解説)は私にはよく判らない。しかし、強力な硫黄臭を読者にも嗅がせ、しかも主人公も、その毒気に詩人の意識が薄れてゆくことを表わしているのであろうとは思われる。

「テナルデイ軍曹」ヴィクトル・ユーゴー(Victor Marie Hugo 一八〇二年~一八八五年)が一八六二年に執筆したロマン主義の名作「レ・ミゼラブル」(Les Misérables)に登場する悪党テナルディエ(Thénardier)のこと。非常に詳しいウィキの「レ・ミゼラブル」の、「登場人物」の彼の条を参照されたい。

「みちからのたたふべきかな」「御力の讃ふべきかな」。「ウーイ」に挟まれた、冒頭の「神は」褒「められよ」という命令形と、この紋切型の讃嘆表現は、前の「液体のやうな空氣」を吸い込み過ぎて酔っぱらった(酸素は劇薬であり、酸素濃度が高まると、酸素酔いを起こすことは周知の通り)雰囲気を醸し出している。

「そらの澄(ちやう)明 すべてのごみはみな洗はれて」/「ひかりはすこしもとまらない」/「だからあんなにまつくらだ」空気中の塵が無くなり、乱反射を起こす対象物が存在しなくなれば、光りは人間の眼には見えなくなるという理屈よりも、またしても真空溶媒が起動して、新たな時空間の反転現象が起きているのであろう。「太陽がくらくら」してくるほどに。日没と日入りを繰り返しては時間が逆転し、同時に太古の時間の「數しれぬほしのまたたきを見」るというのか?

「マヂエラン星雲」マゼラン星雲(Magellanic Clouds:マゼラン雲)は、地球のある銀河系のすぐ隣にある銀河で、大マゼラン星雲と小マゼラン星雲の二つの不規則型銀河からなる(天球上では互いは約二十三度離れている)。視直径はそれぞれ十・八度、四・七度と、非常に大きく、肉眼では、名の通り淡い小さな雲のように見え、南十字星とともに南半球の空を代表する天体で、明るさでは全天随一とされるが、日本からは見えない。十五世紀頃から、南方へ行く船乗りの間で、その存在が知られていたが、初めて世界一周の航海をしたフェルディナンド・マゼラン(一四八〇年~一五二一年:航海途中、フィリピンで戦死したが、彼が率いたスペインの艦隊は翌年に帰国を果たし、史上初の世界一周が成し遂げられた)に因んで名づけられた。距離が約一六万光年と、我が銀河系に最も近い銀河であることから、その明るい星々は一つ一つに分解して観測できるため、天文学上、きわめて重要な天体とされる。近年ではマゼラン星雲を取り囲む水素ガスの雲が発見され、これらが天球上をほぼ一周するように分布していることから、大・小マゼラン星雲は、互いに重力的に引き合う二重銀河となって、我々の銀河系の周囲を約十億年かけて回っているとの説が有力である(以上は主に小学館「日本大百科全書」に拠る)。

「草はみな葉綠素を恢復し」/「葡萄糖を含む月光液(げつくわうえき)は」/「もうよろこびの脈さへうつ」時空間が逆回転していると仮定すれば、これらの反転再生(文字通りの「再生」、「蘇生」である)は私には悉く腑に落ちるのである。それ故に、「泥炭」になってしまったはずの「保安掛り」が、「泥炭」のままに「なにかぶつぶつ言つてゐる」のも少しも不自然ではないのである。

「サラアブレツド」thoroughbred。サラブレッド。 Thorough (完璧な・徹底的な)+ bred(品種)で、「人為的に完全管理された血統」「純血種」の意。家畜の馬の一品種で、英国原産種にアラビア馬その他を交配して数世紀に亙って主として競走用に改良・育成された「零下二千度」摂氏(degree Celsius:セルシウス度。人名の中国語漢訳「摂爾修斯」に基づく略号)マイナス二百七十三・一五度(華氏(degree Fahrenheit:ファーレンハイト度:人名の中国語漢訳「華倫海特」に基づく略号)四百五十九・六七度)が絶対零度(Absolute zero)の下限であることは、無論、賢治は知っていたから、この数値は確信犯の幻想。「眞空溶媒」は恐るべき低温世界であり、総てのエネルギをブラック・ホールのように瞬時に吸引して「それでもどうせ質量不變の定律だから」日常的観察では質量は不変であるが、アインシュタインの特殊相対性理論では質量も変化することは賢治も知っていたろうが、ここは流石に、読者を煙にまくことはしなかったということか。

「奇術(ツリツク)」原稿では最初、「トウリツク」と振って、「ツリツク」に直している。無論の「trick」のこと。

「北極犬」所謂、ハスキー犬(HuskySiberian husky)を、極地方に住む北アメリカのインディアンやイヌイットの人々は「北極犬」と呼ぶようである。

「犬神」これは単なる犬を支配する神の意。本邦の土俗の「犬神」とは無縁(そちらについて暗い方は最近の私の仕儀、古今百物語評判卷之一 第七 大神、四國にある事を読まれたい)。]

2018/11/09

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 かはばた

 

      か は ば た

 

かはばたで鳥もゐないし

(われわれのしよふ燕麥(オート)の種子(たね)は)

風の中からせきばらひ

おきなぐさは伴奏をつゞけ

光のなかの二人の子

 

[やぶちゃん注:これを以ってパートとしての「春と修羅」は終わっている。大正一一(一九二二)年五月十七日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。「手入れ本」は、菊池曉輝氏所蔵本が全行文字末(二行目は「種子は」の後)に「……」を附し、宮澤家本が、「おきなぐさは伴奏をつゞけ」を「どのおきなぐさもゆれつゞけ……」と改変している。

「かはばた」「川端」と採っておく。

「しよふ」は「背負ふ」であろうか。

「燕麥(オート)」単子葉植物綱イネ目イネ科カラスムギ属エンバク Avena sativa で、同属の野生種で私たちにお馴染みの、カラスムギ Avena fatua の栽培種である。明治のごく初期に日本に移入され、東北や北海道で盛んに栽培された。粗挽き或いは圧扁した「オートミール」oatmealで知られる他、味噌やウィスキーの原料、及び肥料に用いられた。……亡き祖母がよく作ってくれたオートミール……美味しくなかったけど、今は懐かしい……。

「風の中からせきばらひ」「われわれのしよふ燕麥(オート)の種子(たね)は」の係助詞「は」は、この主格をも示すように読め、だとすれば、燕麦の乾いた種子の籾等を吸い込んで咳払いをするのは「風」とも読める。孰れにせよ、実在の「われわれ」ではあるまい。

「おきなぐさは伴奏をつゞけ」「おきなぐさ」は「おさ」で既出既注であるが、「伴奏をつゞけ」はよく判らない。次の不詳の「光のなかの二人の子」(あるネット記載では後の「小岩井農場」で「わたくしの遠いともだちよ」と賢治が呼びかける「ユリア」と「ペムペル」のような存在とあるのを見かけた)が天使のような存在の幻視とすれば(これも前の続きで、実際の子どものようには私にも読めない)、彼らが奏でる天界の楽の音(ね)を「おきなぐさ」が先取り、奏でているというのであろうか?]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 おきなぐさ

 

      おきなぐさ

 

風はそらを吹き

そのなごりは草をふく

おきなぐさ冠毛(くわんもう)の質直(しつぢき)

松とくるみは宙に立ち

  (どこのくるみの木にも

   いまみな金(きん)のあかごがぶらさがる)

ああ黑のしやつぽのかなしさ

おきなぐさのはなをのせれば

幾きれうかぶ光酸(くわうさん)の雲

 

[やぶちゃん注:実は底本では「金(きん)の」の「きん」のルビは「金」にではなく、その下の平仮名「の」に振られてしまっている。「正誤表」にはないが、誰が見ても判る完璧な誤植であり、これは再現すると、とんでもないことになるので、当初に決めた自身の原則に敢えて逆らって特異的に訂した。大正一一(一九二二)年五月十七日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。

「おきなぐさ」私の好きな、キンポウゲ目キンポウゲ科オキナグサ(翁草)属オキナグサ Pulsatilla cernua。葉や花茎など、概ね、全草が白い長い毛で覆われる。花期は四~五月で、暗赤紫色の花を花茎の先端に一つだけつけ、萼片(我々がオキナグサの花と思っているものが蕚である)の外側も白い毛で覆われる。開花後も種子が付いた白い綿毛が目立つ。和名は白く長い綿毛がある果実の集まった姿を、老人の白頭に喩えたもの。別名でネコグサとも呼ぶ。童話「おきなぐさ」の冒頭で賢治は(筑摩版全集から引くが、漢字を恣意的に正字化した。促音は底本のまま採った。空欄はママ)、

   *

 うずのしゅげを知ってゐますか。

 うずのしゅげは 植物學ではおきなぐさと呼ばれますがおきなぐさといふ名は何だかあのやさしい若い花をあらはさないやうにおもひます。

 そんならうずのしゅげとは何のことかと云はれても私にはわかったやうな亦わからないやうな氣がします。

 それはたとへば私どもの方でねこやなぎの花芽をべむべろと云ひますがそのべむべろが何のことかわかったやうなわからないやうな氣がするのと全くおなじです。とにかくべむべろといふ語のひびきの中にあの柳の花芽の銀びらうどのこゝろもち、なめらかな春のはじめの光の工合が實にはっきり出てゐるやうに、うずのしゅげといふときはあの毛莨科[やぶちゃん注:「きんぽうげか」。キンポウゲ(金鳳花)科 Ranunculaceae の別な漢字表記。]のおきなぐさの黑朱子[やぶちゃん注:「くろしゆす(くろしゅす)」。「黒繻子」とも書く。濃黒色に染めた綿サテンの生地。しなやかな風合いと美しい光沢が特徴。]の花びら、靑じろいやはり銀びろうどの刻みのある葉、それから六月のつやつや光る冠毛がみなはっきりと眼にうかびます。

 まっ赤なアネモネの花の從兄、きみかげそうやかたくりの花のともだち、このうずのしゅげの花をきらいなものはありません。

 ごらんなさい。この花は黑朱子ででもこしらえた變り型のコップのやうに見えますが、その黑いのはたとへば葡萄酒が黑く見えると同じです。[やぶちゃん注:以下は、後で示す引用に続く。]

   *

と記している。

「質直(しつぢき)」通常は「しつちよく(しちょく)」の読みが普通。地味で真面目なこと。「質朴」に同じい。

「金(きん)のあかご」胡桃の実の換喩。

「黑のしやつぽ」オキナグサの花は、開花の初め頃は俯いて咲き、暗赤紫色のそれは、黒ずんで見えるので、それを指しているように思われる。

「おきなぐさのはなをのせれば」これは賢治がオキナグサの花を摘んで瞼に乗せ、寝転がっているのではあるまいか? 童話「おきなぐさ」では先に続けて賢治は(同前)、

   *

この花の下を終始往ったり來たりする蟻に私はたづねます。

「おまえはうずのしゅげはすきかい、きらひかい。」

 蟻は活撥に答へます。

「大すきです。誰だってあの人をきらひなものはありません。」

「けれどもあの花はまっ黑だよ。」

「いいえ、黑く見えるときもそれはあります。けれどもまるで燃えあがってまっ赤な時もあります。」

「はてな、お前たちの眼にはそんな工合に見えるのかい。」

「いいえ、お日さまの光の降る時なら誰にだってまっ赤に見えるだらうと思ひます。」

「さうさう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから。」

「そしてあの葉や莖だって立派でせう。やわらかな銀の糸が植えてあるようでせう。私たちの仲間では誰かゞ病氣にかかったときはあの糸をほんのすこうし貰って來てしずかにからだをさすってやります。」

「さうかい。それで、結局お前たちはうずのしゅげは大すきなんだらう。」

「さうです。」

「よろしい。さよなら。氣をつけておいで。」

   *

とある。賢治が花を摘むのは不適切不謹慎と言われるのであれば、ここで賢治は蟻になってオキナグサの花を通して陽を仰いでいる、とすればよかろうかい。Azaleaブログ宮沢賢治と「アザリア」の友たちの「おきなぐさ作品に関することでそのように撮影されたオキナグサの素敵な画像を見ることが出来る。必見!

「幾きれ」「幾巾」。幾片もの。

「光酸(くわうさん)」科学用語に「光酸発生」という語が存在する。サンアプロ㈱研究所高嶋祐作光酸発生剤PDF)によれば、『光酸発生剤は、光を照射されることにより酸を発生する化合物である。発生する酸は、主に二つの用途で用いられる。一つは光硬化性樹脂のカチオン重合を開始させる光カチオン重合開始剤である。光硬化性樹脂は、飲料缶用塗料、コーティング剤、3Dプリンターなどに用いられる三次元光造形用樹脂、光

硬化型接着剤、半導体や液晶用のネガ型レジストなどで実用化されている。もう一つは、半導体のフォトリソグラフィー』『に用いられる化学増幅型レジストである。ここでは、酸はアルカリ不溶性のレジストを可溶性に変える反応の触媒となる』とある(私は理解して引用しているのではない。そうした現象や薬物が存在することを示すために半可通で引用している。悪しからず)。また、小林ブログ宮澤賢治、風の世界風―1922年5月 (2)オキナグサに、

   《引用開始》

『標準化学用語辞典』(丸善 1991)によると〈光酸化〉は「光の吸収によって起こる酸化反応の総称。光を吸収した物質の酸化から光励起種が酸性物質を活性化して起こす酸化までを含む」とあり、他の辞典で光による退色等も含むとあります。賢治が何を意図して〈光酸〉という語を使ったかは不明ですが、雲が太陽光によって、化学変化を起こしたような色彩に変化していることだと思います。

   《引用終了》

とある。肯んじられる解釈である。なお、小林氏はこの前の部分で、先の「黑いしやつぽのかなしさ」を問題にされ、これを実際に、当時、賢治が被っていた帽子と採って、以下のように考察されておられる。

   《引用開始》

 ここで大きな疑問は〈黒のしやつぽ〉がなぜ〈かなし〉いのか、〈黒のしやつぽ〉とは何かです。5月14日の日付の詩「休息」に〈帽子をとつてなげつければ黒のきのこしやつぽ〉があり、時間的、位置的にも近いので、同じ帽子と見て良いと思います。これは、風景にそぐわない帽子―すなわち自分という繋がりでしょうか。

 賢治は終生帽子を愛用していたようです。よく知られているのは、ベートーヴェンを真似たという写真で着用している、ボーラーハット―山高帽―で盛装用です。これは黒色ですが〈きのこしやつぽ〉とは言えない気がします。2000年7月24日岩手日報記事によると、父政次郎氏が賢治に買い与えたものらしいという茶色のフェルト帽が見つかりましたが、これも山高帽型です。

 佐藤隆房『宮沢賢治素顔のわが友』(冨山房)に出て来る帽子は、麦わら帽子、鉋屑帽子、黒い帽子、パナマの帽子などでした。(ちなみに鉋屑帽子(かんながらぼうし)は鉋屑で編みあげた帽子で、1924年農学校の生徒たちと土質調査に行った時に着用していたとされます。現在も存在するもので、ヒノキなどで編めば心地よい香りに包まれそうです。)

 1922年当時、あるいは賢治は身だしなみを意識して黒いお洒落な帽子を着用して野原を歩き、この帽子の違和感を持ち始めたのかもしれません。〈かなしさ〉という言葉は、賢治のそんな心の動きを表現しようとしたものでしょうか。

 空の底に横たわった賢治は、その帽子とオキナグサを一つの絵として捉えて後、そのまま眼を空に向けます。ここでも手元の〈黒のしやつぽ〉から上方の〈雲〉への視線の変化があります。

   《引用終了》

とあり、確かに「休息」に続く詩篇としては、実際の帽子という読みは自然であり、同じく解釈として共感出来るものがある。但し、そうすると、この一行だけが、賢治自身の実映像と心象風景ということになり、やや詩篇全体からは浮いた(という表現が悪ければ、特異点としての)カット挿入とは、なる。いや、寧ろ、小林氏の賢治の実動作の実映像に私のオキナグサを透かして陽を見る夢想を重ねれば、それはそれでしっくりくるものと私にはなるように思われる。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 休息

 

      休   息

 

そのきらびやかな空間の

上部にはきんぽうげが咲き

 (上等の butter-cup(バツタ カツプ)ですが

  牛酪(バター)よりは硫黃と蜜とです)

下にはつめくさや芹がある

ぶりき細工のとんぼが飛び

雨はぱちぱち鳴ってゐる

 (よしきりはなく なく

  それにぐみの木だつてあるのだ)

からだを草に投げ出せば

雲には白いとこも黑いとこもあつて

みんなぎらぎら湧いてゐる

帽子をとつて投げつければ黑いきのこしやつぽ

ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く

あくびをすれば

そらにも惡魔がでて來てひかる

 このかれくさはやはらかだ

 もう極上のクツシヨンだ

雲はみんなむしられて

靑ぞらは巨きな網の目になった

それが底びかりする鑛物板だ

 よしきりはひつきりなしにやり

 ひでりはパチパチ降つてくる

 

[やぶちゃん注:十四行目「どての」(土手の)は底本では「どこの」となっているが、「正誤表」に「どこ」とあるので、その通りに訂した。ルビの「バツタ」「バター」の違いはママ。大正一一(一九二二)年五月十四日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。底本原稿は、

【異同】下げの二つ目の第四連「(よしきりはなく なく」/「それにぐみの木だつてあるのだ)」の二行の本文字下げは、底本より一つ下、則ち、二行とも本文三字下げ(一行目の丸括弧の始めは三字目)となっている。

・【推敲跡】その一行目の

「よしきりはなく なく」がもとは、

 かけすはやる やる

であったのを書き換えている。

・【推敲跡】一字下げ最終連の

「よしきりはひつきりなしにやり」の「よしきり」が、前条と同じく、元は「かけす」であったものを書き換えている。

以外には異同はない。

 宮澤家「手入れ本」は、字下げ第二連「(上等の butter-cup(バツタ カツプ)ですが」/「牛酪(バター)よりは硫黃と蜜とです)」に「☓」印を附してある。なお、「それにぐみの木だつてあるのだ」の「それに」を抹消しながら、またその横に「それに」と書き直している。

「きんぽうげ」「butter-cup(バツタ カツプ)」キンポウゲ(金鳳花)目キンポウゲ科キンポウゲ属 Ranunculus。キンポウゲ科 Ranunculaceae の彼らは全世界に二千種以上いるから断定は控えるが、賢治が見ているのは、私の好きな亜高山性・高山性の、ミヤマキンポウゲ Ranunculus acris var. nipponicus ではないかと感じている。「buttercup」は「キンポウゲ(属)」(ラナキュラス)の英名。現行ではハイフンは不要。「バターの盃」。英語のスラングでは「可愛い子ちゃん」や、可憐で弱々しい対象を親しみを込めて呼ぶ際にしばしば用いられる。

「つめくさ」既出既注。マメ目マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens のこと。ヨーロッパ原産の帰化植物。

「芹」セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica。私は亡き母と裏山の池の傍の湿地でよく摘み取ったのを懐かしく思い出す……。

「ぶりき細工のとんぼ」隠喩。

「よしきり」鳴き声が特徴的な(私は姿も鳴き声も好き)、鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目ウグイス上科ヨシキリ(葦切)科 Acrocephalidae のヨシキリ類(鳴き声と動画は例えばYou Tube ここ(オオヨシキリ)やここ(コヨシキリ))。本邦ではヨシキリ科ヨシキリ属オオヨシキリ Acrocephalus arundinaceus・ヨシキリ属コヨシキリ Acrocephalus bistrigiceps の二種が夏鳥として渡って来る。私の和漢三才圖會第四十一 水禽類 剖葦鳥(よしはらすずめ)(ヨシキリ)も参照されたい。

原稿の元の「かけす」はスズメ目カラス科カケス属カケス Garrulus glandarius。私は体験上は印象のよくない鳥である(だから賢治が変えて呉れたのは嬉しい)が、ウィキの「カケスによれば、『「ジェー、ジェー」としわがれた声で鳴く。英語名の『Jay』はこの鳴き声に由来する。また他の鳥の鳴き声や物音を真似するのが巧く、林業のチェーンソーや枝打ち、木を倒す時の作業音を「ジェージェー」の間奏を入れつつ再現することもある。飼い鳥として人に慣れたものは人語の真似までする』とある。

「ぐみの木」バラ目グミ科グミ属 Elaeagnus のグミ類は本邦に十数種が植生するが、分布から考えると、アキグミ Elaeagnus umbellata ではないかと思う。ウィキの「グミによれば、『根にフランキア属』(真正細菌放線菌門放線菌綱フランキア目フランキア科フランキア属 Frankia)『の放線菌が共生し』、『窒素固定を行うので、海岸などのやせた土地にも育』ち、『方言名に「グイミ」がある。グイはとげのこと、ミは実のことをさし、これが縮まってグミとなったといわれる。その他に中国地方ではビービー、ブイブイ、ゴブなどとも呼ばれている』とある。なお、アキグミの実(但し、本ロケーション時期とはずれて、秋に朱から赤色の球形果をつける)は食用になるものの、タンニンを多く含むため、そのままでは強い渋みがある。但し、実にトマトの七倍から十七倍ものカロチンの一種リコピン(lycopene)を含むことでもよく知られる。

「しやつぽ」シャッポ。帽子。フランス語「chapeau」であるが、特にツバのある帽子を指す。茸狩りで見つけた者が帽子を投げて採る前に占有を主張するのはヨーロッパではごく普通のことである。精神分析医のフロイトはこれの名人であった。「キノコ」「帽子」「被せる」……彼の汎性理論の教科書みたような事実である。

「鑛物板だ」鉱物質で出来た平滑で鋭く輝く板のようだ。

「ひでり」「陽照り」。「旱」ではない。]

2018/11/08

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 習作

Syusaku1

Syusaku2


      習  作

 

キンキン光る

西班尼(すぱにあ)製です

  (つめくさ つめくさ)

こんな舶来の草地でなら

黑砂糖のやうな甘つたるい聲で唄つてもいい

と┃また鞭をもち赤い上着を着てもいい

ら┃ふくふくしてあたたかだ

よ┃野ばらが咲いてゐる 白い花

と┃秋には熟したいちごにもなり

す┃硝子のやうな實にもなる野ばらの花だ

れ┃ 立ちどまりたいが立ちどまらない

ば┃とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ

そ┃みきは黑くて黑檀(こくたん)まがひ

の┃ (あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)

手┃このやぶはずゐぶんよく据えつけられてゐると

か┃かんがへたのはすぐこの上だ

ら┃じつさい岩のやうに

こ┃船のやうに

と┃据えつけられてゐたのだから

り┃……仕方ない

は┃ほうこの麥の間に何を播いたんだ

そ┃すぎなだ

ら┃すぎなを麥の間作ですか

へ┃柘植(つげ)さんが

と┃ひやかしに云つてゐるやうな

ん┃そんな口調(くちやう)がちやんとひとり

で┃私の中に棲んでゐる

行┃和賀(わが)の混(こ)んだ松並木のときだつて

く┃さうだ

 

[やぶちゃん注:「┃」は底本では連続(改ページ部分は除く)長い横線である(本篇全画像を上に示した)。大正一一(一九二二)年五月十四日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。

 さて、この各行の一字目を縦に読む(これだけは、横書電子化のうま味のあるところで、すんなり読めて意味も用意に採れる)と、「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」という七五調定型詩のようなものが現われる。さてもこれは、大正八(一九一九)年一月一日に、かの「藝術座」が松井須磨子主演で(明治一九(一八八六)年~大正八(一九一九)年:この公演中の四日後の一月五日に東京市牛込区横寺町(現在の東京都新宿区横寺町)にあった「芸術倶楽部」の道具部屋に於いて縊死自殺した。ともに劇団を立ち上げた不倫相手島村抱月(妻子がいた)は二ヶ月前の前年の十一月五日にスペイン風邪で病死しており、それが自死の引き金であった)東京有楽座で公演した、かのメリメ原作のビゼーのオペラ「カルメン」の劇中歌として、北原白秋が作詞し(但し、白秋は英訳本「カルメン」からアリア「ハバネラ」(Habanera:冒頭の歌詞から「恋は野の鳥」(L'amour est un oiseau rebelle)の題名でも呼ばれる)を意訳したもの)、中山晋平が作曲した「戀の鳥」の詩句の一部を下敷きとして組み直したものである。以下に、所持する正字正仮名の新潮文庫昭和二五(一九五〇)年刊「北原白秋詩集」より引く。

   *

 

   恋の鳥

    ――『カルメン』の唄より――

       (カルメンのうたふ小曲)

 

捕らへて見みればその手から、

小鳥は空へ飛んで行く、

泣いても泣いても泣ききれぬ、

可愛いい、可愛い戀の鳥。

 

たづねさがせばよう見みえず、

氣にもかけねばすぐ見みえて、

夜も日も知らず、氣儘鳥、

來きたり往(い)んだり、風の鳥。

 

捕(と)らよとすれば飛とんで行き、

逃げよとすれば飛びすがり

好(す)いた惚(ほ)れたと追つかける、

翼(つばさ)火の鳥、戀の鳥。

 

若しも翼を擦り寄せて、

離しやせぬぞとなつたなら、

それこそ、あぶない魔法鳥、

戀ひしおそろし、戀の鳥。

 

   *

見て戴けば、判る通り、第二連冒頭の「捕(と)らよとすれば」に、第一連の「その手から」/「小鳥は空へ飛んで行く」を接合したものである。但し、こう歌詞をいじくり、しかも、奇妙な形の本詩篇の構造を考えると、そこには、何か、誰かにしか判らない暗号とまで言わないまでも、本篇本文の意味するところを、誰かに何か匂わせるような性質が、この詩篇には潜ませてあるのではないか? という思いはしてくる。そんな思いの中でネット上を調べてみたところ、azalea氏のブログ『宮沢賢治と「アザリア」の友たち』の「八ヶ岳エスペラント館|宮澤賢治センター2月の定例研究会 とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く[作品に関すること]」に行き当たった。そこには、まさに私が推測した通りの可能性が語られていたので、少々、吃驚した。賢治がこの詩を密かに捧げたと思われる相手の候補は、かの「銀河鉄道の夜」のカンパネルラのモデルともされる同い年の盛岡高等農林学校時代(保阪の方が一年後輩。同校の文芸同人誌『アザリア』でともに詩や文章を競ったが、大正七(一九一八)年三月発行の第六号に保阪が寄稿した「社会と自分」という文章の中に、「今だ。今だ。帝室を覆すの時は。ナイヒリズム」という一節があったことが問題視されて保阪は退学処分となった)からの親友で文芸記者から農業実践家となった保阪嘉内(ほさかかない 明治二九(一八九六)年~昭和一二(一九三七)年)であった(保阪についてはウィキの「保阪嘉内」ウィキの「宮澤賢治」を参照されると、概ね、関係が判るが、端折って言うと、宗教上の問題で、大正一〇(一九二一)年(賢治が東京へ家出した年)の七月に二人は決裂してしまい、以後は悲しいことに、書簡のやり取りも激減し、疎遠となってしまった)。azalea氏のブログには、以下のように記されてある。まず『「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」という賢治の詩「習作」に書かれているものと同じ詩句が、保阪家で歌われてきた家庭歌の歌詞の一節にもなってい』たことが語られ、この白秋の詩篇が改変されてあるのは(書簡番号は後に合わせて半角とし、行空部分には「*   *   *」を附した)、

   《引用開始》

これは賢治の記憶違いでしょうか、それとも何か意味があるのでしょうか。

私は、これが大正8年に賢治と嘉内が再会したことを物語っていることの一つではないかと考えています。

ではなぜ、そう考えるのかと言えば、当時としては流行歌であった「恋の鳥」の歌詞を賢治も嘉内も同じように間違えるとは思えないからです。

しかも賢治はこの詩句をアンダーラインを引いた上に右から左に横一列に書くという、ずいぶん目立った書き方をしています。

そこには何らかの意図があると思わざるを得ません。

   *   *   *

ここで賢治の書簡を見ると、大正9年7月22日付け保阪嘉内宛の書簡166に「東京デオ目ニカゝッタコロハ」という文言があります。これは大正7年12月31日付け保阪嘉内宛の書簡102で賢治が「私は一月中旬迄は居なけばならないのでせう。/あなたと御目にかゝる機会を得ませうかどうですか」と嘉内に再会を持ちかけていることと対応するものと考えてよいのではないでしょうか。

大正8年、東京では1月1日から芸術座で松井須磨子主演の「カルメン」が上演されました(その松井須磨子は1月5日未明に自殺し、公演は中止になってしまいますが)。「恋の鳥」はその劇中歌の一つで、当時の流行歌ともなりました。

おそらく二人が大正8年に再会した時、一緒に「カルメン」を見たか(註2)、あるいは「カルメン」か「恋の鳥」について語りあった(松井はトルストイ原作の「復活」を演じていますし、嘉内は白秋の作品を好んでいたので十分あり得ることと思います)ことがあったのではないでしょうか。

その時、おそらくは嘉内が「僕なら1番と3番を一緒にして『とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く』とするけどな。その方が絶対にいいよ」みたいなことを言った。

賢治は「習作」を発想した時、その嘉内の言葉を思い出した。

もしかしたらその時の賢治の心の中には「恋の鳥」の旋律が流れていたのかも知れません。

さらには、その再会の時に話題となった諸々のこと(たとえば*[やぶちゃん注:伏字で中略する。ブログ主の知人の個人ハンドル名が出るため、*で伏字とした。]さんが推測されているように書簡102aにつながることなど)も思い出したかも知れません。

そして、賢治は上述のようにして「習作」にその詩句を記した。

この詩を含む『春と修羅』が嘉内の元に賢治から送られ、嘉内は「習作」を読んでニヤリと笑った・・・というのは想像しすぎですが、そんな感じで賢治を懐かしく思い出したのではないでしょうか。

(この時なにがしかの手紙も本と一緒に入っていたかも知れません)

「『とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く』か、懐かしいな。そういえば、そんなことがあったな。賢治さんは、覚えていてくれたんだねえ・・・」

この詩の中に、二人にしかわからない暗号のようなものが隠されているとすれば、そういうことではないかと思います。

   *   *   *

嘉内は『春と修羅』を開き「習作」を目にするたびに、賢治と東京で大正8年に再会した時のことを思い出し、やがてその詩句に自分の賢治への思いを交えて歌を作った。

それがどの時点のことかは今のところ見当がつきませんが、早ければ『春と修羅』が刊行された大正13年のこと、遅ければ嘉内が賢治の没後に花巻を訪ねたころのことのような気がします。

このようにして生まれたのが、保阪家の家庭歌(「勿忘草の歌」という題は保阪庸夫氏が2007年に付けたものです)として伝わっている歌ではないでしょうか。

   *   *   *

要は、

(1)『春と修羅』所載の「習作」に記された標記の詩句は賢治から嘉内に宛てたメッセージのようなものであり、それを汲み取った嘉内が同じ詩句を使って家庭歌を作ったのではないか

(2)そのメッセージは大正8年に賢治と嘉内が再会したことに由来するものと思われる

ということですが、いずれもまだまだ想像の域を出るものではありません。[やぶちゃん注:以下、引用が度を越すので略すが、以下の部分も非常に重要な考察を行っておられるので、リンク先を読まれんことを切に願う。]

   《引用終了》

とあるのである。推論ではあるけれども、以上は謎めいた特異敬体を持つ本篇を考える上で、極めて重要な提言であると思われる。なお、そこに出る「保阪家の家庭歌」(「勿忘草の歌」)というのは、ブログ「宮澤賢治の詩の世界」の『「勿忘草」の人に示されていたので、以下に引く(「心友 宮沢賢治と保阪嘉内」からの引用とある。恣意的に漢字を正字化し、歴史的仮名遣に変更した。「保坂」はママ)。

   *

 

   勿忘草(わすれなぐさ)の歌

            ―保坂家家庭歌―

 

捕(とら)よとすればその手から小鳥は空へ飛んで行く

仕合はせ尋ね行く道の遙けき眼路に淚する

 

抱かんとすれば我が掌(て)から鳥はみ空へ逃げて行く

仕合はせ求め行く道にはぐれし友よ今何處(いづこ)

 

流れの岸の一本(ひともと)はみ空の色の水淺葱(みづあさぎ)

波悉(ことごと)く口付けしはた悉く忘れ行く

 

   *

その一行目はまさしくこれだ。そこには『保阪嘉内が家族とともによく歌っていたという』ともあった。

 「手入れ本」は藤原嘉藤治所蔵本の一本(現在、所在不明のもの)で、二行目の「西班尼(すぱにあ)製です」が「西班尼(すぱにあ)製のそら」で「です」を削除、「(あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)」の「痛いもや」(「靄」であろう)を「痛い霧」と変えているだけである。この改変の少なさも本書中の今までのそれと比して特異点であり、本詩篇が何か特別な個人的思い入れがあることと関係があるようにも思われる。

「西班尼(すぱにあ)」イスパニア。スペイン王国(Reino de España)。「西班牙」が一般的であるが、こうも漢字表記する。「スペイン」は英語表記の「Spain」に基づく通称。

「つめくさ」マメ目マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節 シロツメクサ Trifolium repens のこと。ヨーロッパ原産の帰化植物。本邦に夥しく繁殖したのは、明治以降に家畜の飼料用として導入されたものが野生化して以降のことであるから、「こんな舶来の草地」という謂いはすこぶる正しい。

「鞭をもち赤い上着を着てもいい」ここまでドライヴしてくると、これは一読、「カルメン」の一場面だろうと推測出来る。生憎、私は正当なオペラの「カルメン」の舞台を見たことがない(有名どころの海外のモダン・バレエ脚色を二種見たが、私には退屈で、愛したアントニオ・ガデス舞踏団のそれだけが記憶に残っているだけ)のだが、何となくありそうな感じがした。「赤い上着」はカルメンの衣装だし、「鞭」も鳴らすとこがあったような気がした。うろ覚えでは仕方がないので、調べてみたところ、やはり、ブログ「宮澤賢治の詩の世界」の『賢治は「カルメン」を見たか(本篇)』にあった。詳しくはそちら(海外の舞台リハで鞭を鳴らすシーンが動画でリンクされてある)を見られたい

「黑檀(こくたん)」ツツジ目カキノキ科カキノキ属 Diospyros に属する熱帯性常緑高木の数種に与えられている総称。インド・スリランカなどの南アジアからアフリカに広く分布する。本黒檀(セイロン・エボニー/イースト・インディアン・エボニー)Diospyros ebenum が最も知られる最高級種で、インドやスリランカを原産とする。他にインドネシア原産の縞黒檀(マカッサル・エボニー/カリマンタン・エボニー)Diospyros celebica・ラオスなどの東南アジア原産の斑入(ふいり)黒檀(ブラック・アンド・ホワイト・エボニー/ペール・ムーン・エボニー)Diospyros malabarica・ラオスやベトナムなどの東南アジア原産の青黒檀(ムン・エボニー/ブラック・アンド・ホワイト・エボニー)Diospyros mun などがある。しかし「野ばら」バラ亜綱バラ目バラ科バラ亜科バラ属ノイバラ Rosa multiflora の木の幹って「黑檀まがひ」の感じかなぁ。家の亡き母が丹精した薔薇の木の幹は確かにごつごつとして黒っぽいけど。

「すぎな」シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属スギナ Equisetum arvense。この栄養茎が「杉菜」で、胞子茎が土筆(つくし)。

「間作」「あひさく(あいさく)」とも読むが、「かんさく」でよかろう。農作物の収穫後に次の作物を作り始めるまでの余暇期間を利用して、野菜などを栽培すること。

「柘植(つげ)さん」これは木の柘植ではない。先に引いた「宮澤賢治の詩の世界」の『「勿忘草」の人に、『柘植六郎という盛岡高等農林学校の教授で、園芸などを担当していたということです(『新宮澤賢治語彙辞典』より)』とある。保阪と繋がる人物がここに出てきた。ブログ主も『賢治は、どこかの(スペイン風とも感じられる)気持ちのよいつめくさの草地を歩いているようですが、もう』四『年あまり前に卒業した盛岡高等農林学校のことを思い出して、書き込んでいるのです』と記しておられる。これはますます賢治と保阪の本詩篇での関係性が、いやさかに浮かび上がって来ざるを得ない。

「和賀(わが)」松井潤ブログ「HarutoShura習作記事に、『「和賀」は岩手県中西部の地域で、秋田県との県境の』一千『メートル級の山々が連なる和賀山塊や国内最大級のブナの巨木のある原生林などで知られる。かつては多くの鉱山があって賑わい、賢治はひんぱんに出かけている。かつては和賀軽便軌道が敷設され、軌道と道路の両側に松並木が植えられていたようだ』とある。岩手県和賀郡西和賀町の和賀岳は標高千四百三十九メートル。(グーグル・マップ・データ)。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 風景

 

      風   景

 

雲はたよりないカルボン酸

さくらは咲いて日にひかり

また風が來てくさを吹けば

截られたたらの木もふるふ

 さつきはすなつちに厩肥(きうひ)をまぶし

   (いま靑ガラスの模型の底になってゐる)

ひばりのダムダム彈(だん)がいきなりそらに飛びだせば

  風は靑い喪神をふき

  黃金の草 ゆするゆする

    雲はたよりないカルボン酸

    さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ

 

[やぶちゃん注:現存稿は底本原稿のみで、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年五月十二日の作。原稿にある校正指示が完成品では生かされていないので(「手入れ本」には揷する操作が示されていないから、後に取り消したのかも知れない)、その通りにした場合を復元してみる

   *

 

      風   景

 

雲はたよりないカルボン酸

さくらは咲いて日にひかり

また風が來てくさを吹けば

截られたたらの木もふるふ

 さつきはすなつちに厩肥(きうひ)をまぶし

 ひばりのダムダム彈(だん)がいきなりそらに飛びだせば

   (いま靑ガラスの模型の底になってゐる)

  風は靑い喪神をふき

  黃金の草 ゆするゆする

    雲はたよりないカルボン酸

    さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ

 

   *

宮澤家「手入れ本」の最終形(一部は私が推定で処理した)は、以下のようになっている。

   *

 

      風   景

 

雲はたよりないカルボン酸

さくらは咲いて日にひかり

また風が來てくさを吹けば

截られたたらの木もふるふ

 ……さつきはすなつちに厩肥(きうひ)をまぶし

   いまは模型のコバルトガラス――

むらさきなダムダム彈(だん)が

いきなりそらに飛びだせば

  風は靑い喪神をふき

  黃金の草 ゆするゆする

    雲はたよりないカルボン酸

    さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ

 

   *

但し、最後の二行は、一度、上まで引き上げて、三行にし、

   *

……雲はたよりないカルボン酸

さくらは白く日に光る。

氣海の蛙の卵である

   *

と大きく改変しながら、後で☓印等で削除している(「光る。」の句点はママ)。また、菊池曉輝氏所蔵本では、「ひばりのダムダム彈(だん)がいきなりそらに飛びだせば」を、

   *

ひばりの黑いダムダム彈(だん)が

いきなりそらに飛びだせば

   *

と「黑い」を挿入した上で、二行に分けられてある。

「カルボン酸」(carboxylic acid)はカルボキシル基を持つ有機化合物の総称。カルボキシル酸とも呼ぶ。代表的な有機酸で、脂肪酸・アミノ酸・ヒドロキシ酸・ケト酸などもこれに含まれる。ウィキの「カルボン酸」によれば、『生物が作りだすカルボン酸、およびその塩は自然界に普遍的に見出すことができるので、物質としては有史以来』、『親しまれてきた。錬金術の時代以来、単離・命名されて来たので』、『酢酸のような慣用名を持つものが少なくない』とある。このウィキの記載から、それを「雲」の形容に「たよりないカルボン酸」とした辺りは、前の「雲の信號」の〈性的な雲〉のイメージと親和性があるようにも読める気がする。そもそもこの冒頭は見開き左ページ(二十三ページ)で四行示されているが、その右ページと左ページ三行が前の「雲の信號」の全篇提示となっているから、読者が前の詩を十分に引きずって読む可能性はすこぶる高くなるように組まれているのである。但し、ブログ宮澤賢治世界」の「二相系いろいろでは、応用化学者神代瑞希氏の「化学の視点から捉える賢治作品のおもしろさ~なぜ雲はたよりないカルボン酸のイメージなのか~」の講演の中で、『カルボン酸の説明や従来のこの部分の解釈を紹介した後、結局このイメージは、代表的なカルボン酸である酢酸から由来しているのではないかという考えを示されました。酢酸は融点が比較的高く、たとえば実験室に置いてある試薬も冬になると凍ったりすることから、「はっきりしない⇒たよりない」という印象が生まれたのではないか、「酢酸が凍ったり溶けたりする様子が高等農林の体験等から思い出されたのでは?」「雲ができたり消えたりするイメージ?」との推測です』。『また発表時のスライドでは、⑴過冷却状態にある液体の酢酸に、核となる微粒子を入れると見る見る固化して、液体と固体が共存した状態になる様子、⑵酢酸に炭酸塩を入れると二酸化炭素の泡が発生して、まるで雲が湧くように見える様子、という二種類の動画も見せて下さって、とても印象的でした』とあった。科学者宮澤賢治を支点にすれば、それもすこぶる腑に落ちる。

「たらの木」セリ目ウコギ科タラノキ属タラノキ Aralia elata

「すなつち」「砂土」。

「厩肥(きうひ)」牛・馬・豚等の家畜の排泄物と敷き藁との混合物で、有機質肥料として自給肥料の中でも重要なものとされる。

「ひばりのダムダム彈(だん)」「ダムダム彈」(dumdum bullet)はイギリスがインドで植民地反乱を鎮圧するために用いた銃弾。カルカッタ郊外のダムダム地区の兵工廠で製造したことから、十九世紀末頃からこう呼ばれた。通常の銃弾の弾頭は鉛の芯を銅又はニッケルで包んであるため、動物や人間に当ると、貫通するが、ダムダム弾は被銅の先端を取り除き、且つ、被銅を薄くしてあるため、命中すると、柔らかい鉛が潰れ、傘のように広がる盲管銃創となり、殺傷能力に大きな効果があった。残虐であるという理由から、一八九九年の「ハーグ平和会議」で国際的に戦時の使用が禁じられた(ここは主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。ここは、スズメ目スズメ亜目ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis が、驚くべきスピードで高く上がって行く、「揚げ雲雀」とも呼ばれる、縄張り宣言の飛翔を、強力な兵器としてのダムダム弾に擬えたのであろう。ヒバリについての博物学的なことは、最近私がものした和漢三才圖會第四十二 原禽類 鷚(ひばり)(ヒバリ)を参照されたい。

「いま靑ガラスの模型の底になってゐる」「風は靑い喪神をふき」「黃金の草 ゆするゆする」これらは賢治独特の詩語法で異界的硬質的違和感(悪く言えば、ちょっと判り難く)を確信犯で出しているが、要は、独り、農作業をし、いささか疲れた賢治が、畑の土や作物の様子、そこを吹き抜ける五月の風、収穫時を迎えた麦畑の黄金色の穂の揺らぎをカット・バックしたものであろう。「喪神」は「魂が抜けたようにぼんやりすること・放心」の意であるが、ここはそこに立っている心地よい疲労の中の賢治の、心象の投影された田園風景であると言える。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 雲の信號

 

      雲 の 信 號

 

あゝいゝな、せいせいするな

風が吹くし

農具はぴかぴか光つてゐるし

山はぼんやり

岩頸(かんけい)だって岩鐘(がんしやう)だって

みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ

  そのとき雲の信號は

  もう靑白い春の

  禁慾のそら高く掲(かか)げられてゐた

山はぼんやり

きつと四本杉には

今夜は雁もおりてくる

 

[やぶちゃん注:「岩頸(かんけい)」のルビの「かんけい」はママ(底本原稿も「かんけい」なので誤植ではない。但し、無論、「がんけい」が正しい)。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同はないので示さない)、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年五月十日の作。宮澤家「手入れ本」は、以下のようになっている。

   *

 

      雲 の 信 號

 

あゝいゝな、せいせいするな

風が吹くし

農具はぴかぴか光つてゐるし

山は! ぼんやり

岩頸(かんけい)だって岩鐘(がんしやう)だつて

みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ

  そのとき雲の信號は

  もう靑じろい禁慾の

  春ぞら高く掲(かか)げられてゐた

山はぼんやり

きつと四本杉には

今夜は雁もおりてくる

 

   *

「雲の信號」農事の開始を告げる春の雲の到来

「岩頸」「火山岩頸」の略。火山体が浸食されて、火道(かどう:volcanic vent:マグマが地中に貫入したその通り道)を満たしていた溶岩などが塔状に露出して残った岩体。岩栓(がんせん)・突岩(とつがん)とも呼ぶ。山塊・山麓・海岸線・海中等に楯状に突き出る岩の塊りで、大きなものでは、アメリカ合衆国ワイオミング州北東部にある、スピルバーグの映画「未知との遭遇」(一九七八年日本公開)で知られるようになった「デビルス・タワー(Devils Tower)」がそれ。

「岩鐘」賢治の呼称で、前の岩頸の、なだらかな円錐(釣鐘)状の突出を指しているようである。地球物理学者で日本文藝家協会(日本文芸家協会)会員でもある島村英紀サイト地球科学者と読む宮沢賢治の「その1:楢ノ木大学士の野宿が賢治の複数の作品も引用されていて、素敵だ。そこに『賢治の研究家で、「賢治の事務所」というホームページを開設しておられる加倉井厚夫(かくらい あつお)』(同サイトからは私も既に引用させて戴いている)『さんから教えていただいたことによれば、 賢治が見ていた岩頸は、盛岡の西南西の郊外の南昌山あたりではないか、という』とある。そこにリンクされてある需要研究所サイトイーハトーヴォの「南昌山も必見。南昌山は岩手県岩手郡雫石町と紫波郡矢巾町との境にある、標高八四八メートルの山で、岩の鐘(私が画像を見た限りでは口の広い鉢)を伏せたような均整のとれた形をしている。坂上田村麻呂の時代から霊山として崇敬され、賢治も何度も訪れていた(ここはウィキの「南昌山に拠った)。(頂上は岩手県紫波郡矢巾町煙山。グーグル・マップ・データ)。

「みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ」人類が生まれる以前の太古の造山運動の時代を想起し、自身の性的衝動をそこに昇華(フロイト的な意味で)しようとしている賢治がそこには、いる。

「そのとき雲の信號は/もう靑じろい禁慾の/春ぞら高く掲(かか)げられてゐた」「雲」個人ブログトポイポイねっと中路正恒 第二ブログの「≪宮沢賢治の雲≫ 芸術学コース 須田雅子の「(3)性的な雲」に、『押野武志は、性欲や性愛を煩悩とみなし、克服しようとする賢治が、「おれは、たまらなくなると野原へ飛び出すよ、雲にだって女性はゐるよ」と藤原嘉藤治に話したというエピソードを紹介している』とあるのは、この字下げ第二連の謎めいた謂いを読み解く、強力な鍵のように思われる。雲が性欲の象徴であるとすれば、「人」類「未生以前」の「太古」の意識の中では、「雲の信號」(肉体的性的衝動)「は」「もう靑じろい禁慾の」「春ぞら」遙か「高く」手の届かないところに「掲(かか)げられて」「ゐた」と賢治は謂うのではないか? その時は、あたかも地蔵菩薩像の股間のように、男根は渦を巻いて内部に貫入して封蔵されていたのだ、とでも言えそうな気が煩悩即菩提を嘯く私には、する、のである。]

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