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カテゴリー「和漢三才圖會卷第三十七 畜類」の7件の記事

2019/02/15

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 黃羊(きひつじ) (モウコガゼル)

 

Kihituji

 

きひつし 璽耳羊

 

黃羊

バアン ヤン

 

本綱黃羊生西番諸處有四種狀與羊同但低小細肋腹

下帶黃色角似羖羊喜臥沙地生沙漠能走善臥獨居而

尾黑者名黑尾黃羊

生野草内或羣至數十者名曰黃羊

出南方者深褐色黒脊白斑與鹿相近也

甚大而尾似麞鹿者名洮羊其皮皆可爲衾褥【出於臨州洮州故名】

 

 

きひつじ 蠒耳羊〔(けんじよう)〕

 羊〔(はんよう)〕

黃羊

バアン ヤン

 

「本綱」、黃羊、西番〔(せいばん)の〕諸處に生ず。四種有り。狀、羊と同じ。但だ、低く小さく、細き肋〔(あばら)にて〕、腹の下に黃色を帶ぶ。角、羖羊〔(くろひつじ)〕に似たり。喜〔(この)〕んで沙地に臥し、沙漠に生ず。能く走り、善〔(よ)〕く臥し、獨居して、尾、黑き者を「黑尾黃羊」と曰ふ。

野草の内に生じ、或いは、羣〔(むれな)〕し、數十に至れる者を名づけて、「黃羊」と曰ふ。

南方に出づる者〔は〕、深褐色〔にして〕黒〔き〕脊、白〔き〕斑〔(まだら)なり〕。鹿と相ひ近きなり。

甚だ大にして、尾、麞鹿〔(のろじか)〕に似る者、「洮羊(てうよう)」と名づく。其の皮、皆、衾-褥〔(しとね)〕と爲すべし【臨州・洮州に出づ、故に名づく。】

[やぶちゃん注:これはヒツジの仲間ではなく、哺乳綱鯨偶蹄目鯨反芻亜目ウシ目ウシ亜目ウシ科 Bovidae の、ブラックバック亜科 Antilopinae ブラックバック族 Antilopini チベットガゼル属モウコガゼル Procapra gutturosa であろうと思われる。挿絵は角があるので同種のであるウィキの「ウコガゼルによれば、中国の内モンゴル自治区・モンゴル・ロシア(ネルチンスク周辺)に分布し、体長は一メートル十から一メートル四十八センチメートル、尾長は五~十二センチメートル、肩高六十二~七十六センチメートルで、体重は二十八~四十キログラム。『前肢の』、『人間でいう手首(手根)に』、『わずかながら』、『房状に体毛が伸長する』。『頭骨の長さ』は二十二・五センチメートル『以上に達』し、『耳介は中程度で先端が尖る』。『眼下部(眼下腺)や後肢内側基部(鼠蹊腺)に臭腺がある』。『オスにのみ』、『基部から上方に向かい』、『外側に湾曲し』、『先端が内側へ向かう細く短い角がある』。角長は三十二~三十九センチメートルで、『角の表面の節は』、『あまり発達しない』また、『繁殖期のオスは喉が膨らむ』。『夏季は短い体毛で被われ、毛衣は黄褐色』。『冬季は長い体毛で被われ、毛衣は灰褐色や淡黄褐色』。『砂漠や乾燥した草原、ステップに生息する』とある。

 

「西番」「西蕃」とも書く。明代から中華民国期にかけて、甘粛・四川・雲南地方の漢民族が、隣接するカム地方のチベット系民族を指して用いた蔑称。

「四種有り」現在、チベットガゼル亜族 Procaprina チベットガゼル属 Procapra には、モウコガゼルの他に、

プシバルスキーガゼル(Przewalski's gazelleProcapra przewalskii

チベットガゼル Procapra picticaudata

がいる。しかし、これでは三種なので、或いは別種の何かを数えているか、その三種の中の見た目の他個体群と異なって見えるグループを別種としているのかも知れない。

「尾、黑き者を「黑尾黃羊」と曰ふ」グーグル画像検索「Procapra gutturosa」を見ると、尾が黒く見える個体がいる。

「麞鹿〔(のろじか)〕」反芻亜目シカ科オジロジカ亜科ノロジカ属ノロジカ Capreolus capreolusウィキの「ノロジカより引く。『ヨーロッパから朝鮮半島にかけてのユーラシア大陸中高緯度に分布する。中国では子と呼ばれる』。体長約一~一・三メートル、尾長約五センチメートルの『小型のシカ。体毛は、夏毛は赤褐色で、冬毛は淡黄色である。吻に黒い帯状の斑があり、下顎端は白い。喉元には多彩な模様を持つのが』、『この種の特徴である。臀部に白い模様があるが、雌雄で形は異なる。角はオスのみが持ち、表面はざらついており、先端が三つに分岐している。生え変わる時期は冬』。『夜行性で、夕暮れや夜明けに活発に行動する。食性は植物食で、灌木や草、果実などを食べる』とある。

「洮羊(てうよう)」如何なる種を指しているか、不詳。上記のガゼル類画像を幾つか見たが、ノロジカと似ているというのは、正直、解せない。識者の御教授を乞う。

「衾-褥〔(しとね)〕」布団や敷物。

「臨州・洮州」孰れも現在の甘粛省南部の旧地方名。]

2019/02/14

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 羊(ひつじ) (ヒツジ)

 

Hituji

 

ひつじ 羖【牡羊又名羝】

 𦍺【牝羊又名牂】

【音陽】

 【白】 羭【黑】

★   羖【多毛】 羯【去勢】

ヤン  【和名比豆之】

[やぶちゃん注:★の個所に上図の下部左にあるヒツジの首の形に象った篆文が入る。

 

本綱羊字象頭角足尾之形胡羊䍲羺無角曰※【曰】羊

[やぶちゃん注:「※」=「翔」-「羽」+「童」。]

子曰羔其五月曰羜六月曰𦎦七月曰羍生江南者爲

羊頭身相等而毛短生秦晉者爲夏羊頭小身大而毛長

而剪其毛以爲氊物謂之綿羊諸羊皆孕四月而生

其目無神其腸薄而縈曲在畜屬火故易繁而性熱在卦

屬兌故外柔而内剛其性惡濕喜燥食鉤吻草肥食仙茅

而肪食仙靈脾而食躑躅而死物理之宜忌不可測也

其皮極薄南番以書字羊外腎曰羊石子

肉【苦甘大熱】 治虛勞補中益氣安心止兒驚癇【銅噐煑之男子損陽女子暴下反半夏菖蒲忌蕎麥麵豆醬及醋】

乳【甘溫】 治虛勞潤心肺乾嘔及反胃解蜘蛛咬毒【有人爲蜘蛛咬

腹大如姙徧身生絲其家棄之乞食有僧教啖羊乳未幾其疾愈也】

                  有房

 新勑程もなく隙行く駒を見ても猶哀羊のあゆみをそ思ふ

△按自華來牧之未蓄息戯食紙卽喜食之羊乳番語名

 介伊辞

陸佃云羊善群行故羣字从羊羊以瘦爲病故羸字从羊

羊貴大故羊大爲美羊有角而不用類仁執之不鳴殺之

不嘷類死義飮其母必跪類知禮也本草所載羊類甚多

大尾羊 凡羊尾皆短而哈密及大食國有大尾羊細毛

 薄皮尾上旁黄重一二十斤行則以車載之【唐書謂之靈羊】

胡羊 大食國出胡羊高三尺餘其尾如扇每春月割

 取脂再縫合之不取卽脹死

地生羊 出西域以羊臍種于土中漑以水聞雷而生羊

 臍與地連及長驚以木聲臍乃斷便能行齧草至秋可

 食臍内復有種名瓏種羊

 土之精也其肝土也有雌雄不食季桓子曾掘土

 得之 又千樹精亦爲青羊

 

 

ひつじ 羖(をひつじ)【牡羊、又、「羝」と名づく。】

 𦍺(めひつじ)【牝羊、又、「牂」と名づく。】

【音、「陽」。】

 (しろひつじ)【白。】

    羭(くろひつじ)【黑。】

★   羖(むくげのひつじ)【多毛。】

    羯(へのこなしのひつじ)【勢を去る〔もの〕。】

ヤン  【和名、「比豆之」。】

[やぶちゃん注:★の個所に上図の下部左にあるヒツジの首の形に象った篆文が入る。]

 

「本綱」、「羊」の字、頭の角・足・尾の形に象どる。胡羊を「羺䍲〔(げいどう)〕」と曰ひ、角無きを「※〔とう)〕」と曰ふ【「〔(た)〕」〔とも〕曰ふ。】[やぶちゃん注:「※」=「翔」-「羽」+「童」。]。羊の子を「羔〔こう)〕」と曰ひ、其の五つ月〔(づき)〕なるを「羜〔ちよ)〕」と曰ひ、六つ月なるを「𦎦〔(ぶ)〕」と曰ひ、七つ月なるを「羍〔(たつ)〕」と曰ふ。江南に生ずる者を「羊」と爲し、頭身相ひ等しくて、毛、短し。秦・晉[やぶちゃん注:現在の陝西省・山西省。]に生ずる者を「夏羊」と爲し、頭、小さく、身、大にして、毛、長し。二にして、其の毛を剪りて、以つて、氊〔(せん)の〕物[やぶちゃん注:毛織りの敷物。毛氈(もうせん)。]と爲す。之れを綿羊と謂ふ。諸羊、皆、孕〔みて〕四月〔(よつき〕)にして生まる。其の目、神〔(かがやき)〕、無く、其の腸、薄くして、縈曲〔(えいきよく)〕[やぶちゃん注:ぐるぐるとめぐって曲がりくねっていること。]なり。畜に在りては、「火〔(くは)〕」に屬す。故に繁〔(しげ)〕り易くして[やぶちゃん注:繁殖し易くて。]、性〔(しやう)〕、熱す。卦に在りては、「兌〔(だ)〕」に屬す。故に外柔にして内剛〔なり〕。其の性、濕を惡〔(にく)〕み、燥を喜〔(この)〕む。鉤吻草〔(こうふんさう)〕を食ひて肥へ[やぶちゃん注:ママ。]、仙茅〔(せんばう)〕を食ひて肪(あぶらつ)き、仙靈脾〔(せんれいひ)〕を食ひて(たわ)け[やぶちゃん注:淫乱となり。]、躑躅(もちつゝぢ)を食ひて死す。物〔の〕理〔(ことわり)〕の宜忌〔(よしあし)〕[やぶちゃん注:良し悪し。]、測かるべからざるなり。其の皮、極めて薄し。南番〔→南蠻〕〔にては、これを〕以つて字を書く。羊の外腎を羊石子(たけり)と曰ふ[やぶちゃん注:この言いから見て、「外腎」とは♂の外生殖器(或いは陰茎)のことのように思われる。]。

肉【苦、甘。大熱。】 虛勞[やぶちゃん注:「虚損労傷」の略で、各種の過労のために肉体が衰弱し、精神も困憊している状態を指す。]を治し、中(ちゆう)[やぶちゃん注:漢方で言う「脾胃」。二つが三焦(現代医学のリンパ系相当とされる)の中焦の系に属することによる。]を補し、氣を益し、心〔(しん)〕を安ず。兒の驚癇[やぶちゃん注:漢方で言う癲癇症状のこと。]を止〔(とど)〕む【銅噐にて之れを煑れば、男子は陽を損じ[やぶちゃん注:ここは狭義の重い精力減退を指すか。]、女子は暴下す[やぶちゃん注:激しい下痢症状を呈す。]。半夏・菖蒲に反し、蕎麥・麵・豆醬〔(みそ)〕及び醋〔(す)〕を忌む。】。

乳【甘、溫。】 虛勞〔を治し〕、心肺を潤ほし、乾嘔〔(からえずき)〕[やぶちゃん注:漢方で吐き気がして吐こうとするが、その音だけがあって実際には嘔吐物がない症状を指す。]及び反胃〔(はんい)〕[やぶちゃん注:食ったものを吐き戻す症状。]を治す。蜘蛛の咬みたる毒を解す【人、有り、蜘蛛の爲めに咬まるるに、腹、大〔となりて〕姙〔(はらみめ)〕のごとく〔なりて〕、徧身〔(へんしん)に〕、絲を生ず。其の家、之れを棄(す)つ。〔棄てられし者は〕乞食〔(こつじき)〕す。僧、有り、羊乳を啖〔(の)まんことを〕教ふ。未だ幾〔(いくばくな)ら〕ずして其の疾ひ、愈〔ゆる〕なり。】。

                  有房

 「新勑」

   程もなく隙〔(ひま)〕行く駒〔(こま)〕を見ても猶ほ

      哀〔(あは)れ〕羊のあゆみをぞ思ふ

△按ずるに、華[やぶちゃん注:中国。]より來たり、之れを牧(か)へども[やぶちゃん注:飼ってはいるが。]、未だ蓄息〔(ちくそく)〕せず[やぶちゃん注:繁殖していない。]。戯れに紙を食はしむる〔に〕、卽ち、喜びて之れを食ふ。羊の乳、番語〔→蠻語〕に「介伊辞(ケイジ)」と名づく。

陸佃が云はく、『羊は善く群行す。故に「羣」の字、「羊」に从〔(したが)〕ふ。羊は、瘦るを以つて病ひと爲る。故に「羸」[やぶちゃん注:音「ルイ」。「瘦せる・疲れる・弱る」また「弱い」の意。]の字、「羊」に从ふ。羊は大〔なるを〕貴ぶ。故、「羊」に「大」〔にて〕「美(うつく)し」と爲す。羊、角、有りて、用ひず。〔これ、〕「仁」に類す。之れを執〔(と)〕るに[やぶちゃん注:捕まえても。]鳴かず、之れを殺すに、嘷(ほ)へず[やぶちゃん注:ママ。「吠えず」。]。〔これ、〕「義」に死するに類す。〔子羊の、〕其の母〔の乳を〕飮むときは、必ず、跪〔(ひざまづ)〕く。〔これ、〕「禮」を知るに類す』〔と〕。「本草」に載する所の羊の類、甚だ多し。

大尾羊 凡そ、羊の尾は、皆、短く、而るに、哈密〔(ハミ)〕[やぶちゃん注:ハミ王国、クムル汗(ハン)国などとも呼ばれた、現在の中国の新疆ウイグル自治区の最東部にあるクムル(現在のハミ)を中心に展開したウイグル人の国。一六九六年から一九三〇年まであった。]及び大食(だいし)國[やぶちゃん注:アラビアの旧漢名。]に「大尾羊」有り。細〔き〕毛、薄〔き〕皮にして、尾の上の旁〔(かたはら)〕、黄に〔して〕、重さ一、二十斤[やぶちゃん注:明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、六キログラム弱から十一キロ八百五十六グラムとなる。]。行〔くに〕、則ち、車を以つて、之れを載す【「唐書」之れを「靈羊」と謂ふ。】。

胡羊 大食國に「胡羊」を出だす。高さ三尺餘。其の尾、扇のごとし。每〔(まいとし)〕春月、脂を割り取り、再び之を縫〔ひ〕合〔はす〕。〔脂を〕取らざれば、卽ち脹〔(は)れて〕死す。

地生羊〔(ぢせいよう)〕 西域に出づ。羊の臍〔(へそ)〕を以つて土中に種〔(う)〕ゑ、漑(そゝ)ぐに水を以つてす。雷〔(かみなり)〕を聞きて羊を生ず。臍と地と連る。長ずるに及び、驚かすに木の聲〔(おと)〕を以つてすれば[やぶちゃん注:木を叩く音で驚かすと。]、臍、乃〔(すなは)〕ち斷〔(き)れ〕て、便〔(すなは)〕ち、能く行きて、草を齧(は)む。秋に至れば、食ふべし。臍の内〔に〕、復た、種、有り。「瓏種羊〔(ろうしゆよう)〕」と名づく。

羊〔(ふんよう)〕 土〔(つち)〕の精なり。其の肝は土なり。雌雄、有り。食はず。季桓子〔(きかんし)〕といふもの、曾つて土を掘りて、之れを得〔と〕。 又、千の樹の精も亦、「青羊」と爲〔ると〕。

[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科ヒツジ属ヒツジ Ovis aries (所謂、家畜化された綿羊(メンヨウ))及びヒツジ属に属する種群ウィキの「ヒツジ」によれば、『ヒツジは反芻動物としては比較的体は小さく、側頭部のらせん形の角と、羊毛と呼ばれる縮れた毛をもつ』。『原始的な品種では、短い尾など、野生種の特徴を残すものもある』。『家畜のヒツジは』五十四『本の染色体をもつが、野生種は』五十四本から五十八『本の染色体を有し、交雑可能である。自然状態の雑種の中には』五十五『本や』五十七『本の染色体をもつ個体も存する』。『品種によって』、全く角を持たないもの、『雄雌両方にあるもの、雄だけが角を持つものがある。螺旋を巻きながら直状に伸びた角をラセン角、渦巻き状に丸く成長する角をアモン角と称する。角のある品種のほとんどは左右に』一『対だが、古品種には』、『ヤギのように後方に湾曲しながら伸びる』二、三対(四~六本)の『角をもつものもいる』。『野生のヒツジの上毛の色合いには幅広いバリエーションがあり、黒、赤、赤褐色、赤黄色、褐色などがある。毛用のヒツジは主に染色に適した白い羊毛を産するように改良が加えられているが、ほかにも純白から黒色まであり、斑模様などもある。白いヒツジの群れのなかに有色の個体が現れることもある』。『ヒツジの体長や体重は品種により大きく異なり、雌の体重はおよそ』四十五~百キログラムで、『雄はより大きく』、四十五~百六十キログラムほどある。『成熟したヒツジは』三十二『本の歯を持つ。ほかの反芻動物と同じように、下顎に』八『本の門歯がある一方、上あごには歯がなく、硬い歯茎がある。犬歯はなく、門歯と臼歯との間に大きな隙間がある』。四『歳になるまで(歯が生え揃うまで)は、前歯は年に』二『本ずつ生えるため、ヒツジの年齢を前歯の数で知ることができる。ヒツジの平均寿命は』十『年から』十二『年であるが』、二十『年生きるものもいる』。『前歯は齢を重ねるにつれ失われ、食べるのが難しくなり、健康を妨げる。このため、通常放牧されているヒツジは』四『歳を過ぎると』、『徐々に数が減っていく』。『同じヤギ亜科に属するヤギと違い、草だけを食べる(ヤギは木の芽や皮も食べる)。食草の採食特性は幅広いとされる』。『ヒツジの聴力はよい。また視力については、水平に細い瞳孔を持ち、優れた周辺視野をもつ。視野は』二百七十度から三百二十度で、『頭を動かさずに自分の背後を見ることができる。しかし、奥行きはあまり知覚できず、影や地面のくぼみにひるんで』、『先に進まなくなることがある』。『暗いところから明るいところに移動したがる傾向がある』。『通常は、妊娠期間』百五十『日ぐらいで仔を』一『頭だけ産む』のが普通であるが、二頭或いは三頭『産むときもある』。『ヒツジは非常に群れたがる性質をもち、群れから引き離されると』、『強いストレスを受ける。また、先導者に従う傾向がとても強い(その先導者はしばしば単に最初に動いたヒツジであったりもする)。これらの性質は家畜化されるにあたり極めて重要な要素であった』。『なお、捕食者がいない地域の在来種は、強い群れ行動をおこさない』。『群れの中では、自分と関連あるもの同士が一緒に動く傾向がある。混種の群れの中では同じ品種で小グループができるし、また雌ヒツジとその子孫は大きな群れの中で一緒に動く』。『ヒツジにとって、危険に対する防御行動は単純に危険から逃げ出すことである。その次に、追い詰められたヒツジが突撃したり、蹄を踏み鳴らして威嚇する。とくに新生児を連れた雌にみられる。ストレスに直面すると』、『すぐに逃げ出し』、『パニックに陥るので、初心者がヒツジの番をするのは難しい』。『ヒツジは非常に愚かな動物であるというイメージがあるが、イリノイ大学の研究によりヒツジのIQがブタよりは低く』、『ウシと同程度であることが明らかになった。人や他のヒツジの顔を何年も記憶でき、顔の表情から』、『心理状態を識別することもできる』。『ヒツジは非常に食べ物に貪欲で、いつもエサをくれる人にエサをねだることもある。羊飼いは牧羊犬などで群れを動かす代わりに、エサのバケツでヒツジを先導することもある。エサを食べる順序は身体的な優位性により決定され、他のヒツジに対してより攻撃的なヒツジが優勢になる傾向がある』。『オスのヒツジは角のサイズが群れでの優位を決める重要な要素となっていて、角のサイズが異なるヒツジの間ではエサを食べる順番をあまり争わないが、同じような角のサイズを持つもの同士では争いが起こる』。以下、「家畜化の歴史」の項。『新石器時代から野生の大型ヒツジの狩猟がおこなわれていた形跡がある。家畜化が始まったのは古代メソポタミアで、紀元前』七〇〇〇~六〇〇〇年頃の『遺跡からは野生ヒツジとは異なる小型のヒツジの骨が大量に出土しており、最古のヒツジの家畜化の証拠と考えられている』。「臀部に脂肪を蓄えるヒツジ」の項。本文の「胡羊」はこれであろう。『家畜化されたヒツジの祖先は、モンゴルからインド、西アジア、地中海にかけて分布していた』四『種の野生ヒツジに遡ることができる。中央アジアのアルガリ』(Ovis ammon)、『現在の中近東にいるアジアムフロン』(Ovis orientalis)、『インドのウリアル』(Ovis orientalis vignei)、『地中海のヨーロッパムフロン』(Ovis aries musimon)『がこれにあたる。これら』四『種は交雑が可能であり、遺伝学的手法によっても現在のヒツジの祖を特定するには至っていないが、いくつかの傍証からアジアムフロンが原種であるとの説が主流となっている』。『ヒツジを家畜化するにあたって最も重要だったのは、脂肪と毛であったと考えられている。肉や乳、皮の利用はヤギが優れ、家畜化は』一千から二千年程度『先行していた。しかし山岳や砂漠、ステップなど乾燥地帯に暮らす遊牧民にとって、重要な栄養素である脂肪はヤギからは充分に得ることができず、現代でもヒツジの脂肪が最良の栄養源である。他の地域で脂肪摂取の主流となっているブタは、こうした厳しい環境下での飼育に適さず、宗教的にも忌避されている。こうした乾燥と酷寒の地域では尾や臀部に脂肪を蓄える品種が重視されている。それぞれ、脂尾羊、脂臀羊と分類される』。以下、「日本の羊の歴史」の項。『日本列島には古来より、旧石器・縄文時代のイヌや弥生時代のブタ・ニワトリ、古墳時代のウマ・ウシなど家畜を含め様々なものが海を越えて伝わったが、羊の飼育及び利用の記録は乏しい。寒冷な土地も多く防寒用に羊毛が利用される下地はあったが、動物遺体の出土事例も報告されていないことから、ほとんど伝わらなかったものと考えられている』。『考古資料では鳥取県鳥取市の青谷上地遺跡において弥生時代の琴の部材と考えられている木板に』、『頭部に湾曲する二重円弧の角を持つ動物が描かれており、ヒツジもしくはヤギを表現したものとも考えられている』。『文献史料においては』、「魏志倭人伝(「魏書」の「東夷伝倭人」の条)では弥生末期(三世紀前半代)に於いては『日本列島にはヒツジがいなかったと記されている』。八『世紀初頭に成立した』「日本書紀」には、推古天皇七(五九九)年の条に、『推古天皇に対し』、『百済(朝鮮半島南西部)からの朝貢物として駱駝(らくだ)、驢馬(ろば)各』一『頭、白雉』一『羽、そして羊』二『頭が献上されたという』。『西域の動物であるラクダやロバとともに献上されていることから、当時の日本列島では家畜としてのヒツジが存在していなかったとも考えられている』とある(以上の原文は、

   *

七年夏四月乙未朔辛酉、地動、舍屋悉破。則令四方俾祭地震神。秋九月癸亥朔、百濟貢駱駝一匹・驢一匹・羊二頭・白雉一隻。

   *

である)。『奈良時代、天武天皇の時代に関東で活躍した人物に「多胡羊太夫(たご ひつじだゆう)」という人物がいると伝わり、関連して地元に羊神社などが残る程度であり、羊自体の存在や飼育記録は確認できない』。八『世紀には、奈良県の平城宮跡や三重県の斎宮跡から羊形の硯(すずり)が出土している』。八『世紀中頃には、正倉院宝物に含まれる「臈纈屏風(ろうけちのびょうぶ)」にヒツジの図像が見られる』。「日本紀略」に『よれば、嵯峨天皇の治世の』弘仁一一(八二〇)年には、『新羅からの朝貢物として鵞鳥』二『羽、山羊』一『頭、そして黒羊』二『頭、白羊』四『頭が献上されたという』。『さらに、醍醐天皇の治世の』延喜三(九〇三)年には、唐人が「羊、鵞鳥を献ず」『とあり、他の記録も含め』、『何度か』、『日本に羊が上陸した記録はあるが、その後』、『飼育土着された記録はない。故に日本の服飾は長く、主に植物繊維を原料とするものばかりであった』。『仏教の影響を色濃く受けた故に』m『肉食があまり推奨されてこなかったことから』、『食肉用はともかく、羊毛製品には全く需要がなかったわけではなく、貿易品としての羊の毛織物は人気は高』かった。しかし、『高額であり、長らく一部の有力者や富裕層のみに珍重されていた』に過ぎなかった。『江戸時代』になって、文化二(一八〇五)年、『江戸幕府の長崎奉行の成瀬正定が羊を輸入し、唐人(中国人)の牧夫を使役して肥前浦上で飼育を試みたが、失敗』している(本「和漢三才図会」はそれに先立つ九十三年も前の正徳二(一七一二)年の成立であるから、以上の話よりも百ほど前に既にそうした飼養を試みた人間がいたことが本文の記載から判る)。『幕府の奥詰医師であった本草学者の渋江長伯は行動的な学者であったらしく、幕命により蝦夷地まで薬草採集に出向いたりしていた。長伯は幕府医師だけではなく、江戸郊外にあり幕府の薬草園であった広大な巣鴨薬園の総督を兼ねていたが』、文化一四(一八一七)年から『薬園内で綿羊を飼育し、羊毛から羅紗織の試作を行った』。そのことから、「巣鴨薬園」は、当時、『「綿羊屋敷」と呼ばれていた』。『明治期に入ると』、『お雇い外国人によって様々な品種のヒツジが持ち込まれたが、冷涼な気候に適したヒツジは日本の湿潤な環境に馴染まず、多くの品種は定着しなかった。日本政府は牛馬の普及を重視したが、外国人ル・ジャンドル』(チャールズ・ウィリアム・ジョセフ・エミール・ルジャンドル(Charles William (Guillaum) Joseph Émile Le Gendre 一八三〇年~一八九九年:フランス生まれのアメリカの軍人で外交官。明治五(一八七二)年から明治八年まで、明治政府外交顧問、明治二三(一八九〇)年から明治三十二年までは朝鮮王高宗(一八九七年からは大韓帝国皇帝)の顧問を務めた)『が軍用毛布のため』、『羊毛の自給の必要性を説き、明治八(一八七五)年に『大久保利通によって下総に牧羊場が新設された。これが日本での本格的なヒツジの飼育の始まりである』。『民間では』、明治九(一八七六)年に、『蛇沼政恒』(じゃぬままさつね 弘化二(一八四五)年~大正九(一九二〇)年)『が岩手県で政府から』百『余頭の羊と牧野を借りて始めたのが先駆で、以後、数百頭規模の牧場が東日本の各地に開かれた』。『ただ、生産された羊毛を買い上げるのは軍用の千住製絨所に限られ、品質で劣る日本産羊毛の販売価格は低く、羊肉需要がないこともあって、経営的には成功しなかった』。明治二一(一八八八)年には『政府の奨励政策が打ち切りになり、官営の下総牧羊場も閉鎖され』てしまう。『しかし、国内の羊毛製品需要は軍需・民需ともに旺盛で、しだいに羊毛工業が発達した。戦前から戦後間もない時期までの日本にとって毛織物は重要な輸出品だったが、その原料はオーストラリアとニュージーランドなどからの輸入に頼っていた。一度は失敗を認めた政府にも、国産羊毛を振興したいという意見が根強くあり、大正七(一九一八)年から『「副業めん羊」を普及させた。農家が自家の農業副産物を餌にして』一『頭だけ羊を飼い、主に子供が世話をして家計の足しにするという方法である』。『副業めん羊は東日本の山間地の養蚕農家の間に広まった』とある。

 

『羖(をひつじ)【牡羊、又、「羝」と名づく。】「漢字林」には、「羖」は、牡の夏羊(かよう:黒い色をした羊の名)の意とし、『牝は「羭」』とある。

𦍺(めひつじ)【牝羊、又、「牂」と名づく。】』「牂」は「漢字林」には三歳に達した牝の羊とする。

「羖(むくげのひつじ)」「」は「漢字林」には、やはり、『ヤギ(山羊)の一種、夏羊』とする。

『「羊」の字、頭の角・足・尾の形に象どる』正しい。

『胡羊を「䍲羺〔(げいどう)〕」と曰ひ』「本草綱目」では、「䍲羺」と文字列が逆である。良安の引用ミスの可能性が高い。東洋文庫訳は断りなしで『羺䍲(どうげい)』とする。冒頭注参照。

「孕〔みて〕四月〔(よつき〕)にして生まる」先の引用では妊娠期間を約百五十日とするから、事実からは一ヶ月も短め目。

「神〔(かがやき)〕」東洋文庫のルビを援用した。現在の「神」の字に「輝き」の意味はないのだが、そもそも「神」という漢字は中国古代にあっては激しい神鳴りを伴う天の神を意味したから、こう当て訓しても、必ずしも突拍子もないものではないと心得る。恐らくは、精神・心というニュアンスであろう。因みに、私の妻などが「ヒツジやヤギの眼が空ろで恐い」という(私は全くそう思わないが)のも、そうした目の印象(人間が見て)が彼らにはあるのやも知れぬ。

「仙茅〔(せんばう)〕」単子葉植物綱キジカクシ目キンバイザサ科Curculigo 属キンバイザサ Curculigo orchioides「田辺三菱製薬」公式サイト内の「生薬について」の「仙茅」を見ると、「仙茅」の「茅」は葉が茅(カヤ)の葉に似ていることに由来し(ヒツジが食うのであるから、本種の葉である)、「仙」はこの根茎を久しく服すると、体が軽くなって、仙人のようになるからであると、宋の「開宝本草」(九七三年成立)には記されているとあり、『古くから中国では仙薬とされていたのですが、実はこれを』中国人が『知ったのはインドからだったのです。インドでは「タラムリ」と称され、強精薬として使われていました。中国に伝来したのは』、『西域の婆羅門僧が玄宗皇帝にこれを用いる方法を教えたのが始まりだといわれています。発する効果が人参のようなので「婆羅門参」ともいわれているそうです』。『仙茅は「温腎壮陽、寒除湿」の効果があり、インポテンツの治療薬としては代表的な生薬です。お年寄りの夜間尿、婦人の更年期による諸症状にも応用されています。この中にクルクリゴシド(CurculigosideC21H24O11)という少し変わった成分が含有されており、これが強精作用の主役で』、『免疫力を賦活したり、興奮性機能も報告されてい』る、とある。

「仙靈脾〔(せんれいひ)〕」まさに別名を「淫羊藿(いんようかく)」「千両金」といった別名を持つ強精剤の原材料とし知られるもので、モクレン亜綱キンポウゲ目メギ科イカリソウ属イカリソウ Epimedium grandiflorum var. thunbergianum(生薬となるのは全草)。ウィキの「イカリソウ」によれば、『日本の東北地方南部より南の太平洋側と四国など各地の丘陵や山裾の雑木林など山野に分布し、樹陰に自生する』。『イカリソウ属は』二十五『種ほどがアジアから南ヨーロッパにかけて分布する』。『春の』四月から五月に『かけ、吊り下がった薄紅紫色の花が咲き』、四『枚の花弁が、中に蜜をためる距を突出し、ちょうど船の錨のような形をしているため』、『この名がある』。『根茎は横にはって多数のひげ根を出す』。『数本の茎を出し、茎部には鱗片がある』。『根出葉には長い葉柄がつ』く。『茎の先が』三『本の葉柄に分かれ、それぞれに』三『枚の小葉がつくため、三枝九葉草(さんしくようそう)の別名がある』。『小葉は全体が卵形で、先が尖って基部は心臓型をしており、葉縁に刺毛状の細かい鋸歯がある』。『園芸用や薬用に栽培されることもある。浅根性で乾燥に弱く、半日陰の肥沃土を好む性質があり、繁殖は秋から初冬にかけて株分けにより行われる』。『薬効は、インポテンツ(陰萎)、腰痛のほか』、『補精、強壮、鎮静、ヒステリーに効用があるとされる』。『全草は淫羊霍(いんようかく、正確には淫羊藿)という生薬で精力剤として有名で』、この「淫羊霍」は、五~六月頃の『開花期に茎葉を刈り取って』、『天日干しにしたもので、市場に流通している淫羊霍は、イカリソウの他にも、トキワイカリソウ』Epimedium sempervirens や『キバナイカリソウ』Epimedium koreanum 及び『海外品のホザキノイカリソウ』Epimedium sagittatum『も同様に使われる』。『本来の淫羊霍は中国原産の』、その『ホザキノイカリソウ』『(常緑で花は淡黄色)』が原料で、『名はヒツジがこれを食べて精力絶倫になったという伝説による』(注に「本草綱目」に『「西川(せいせん、地名)に淫羊(発情した羊)あり、この藿(かく、花蕾)を食べて、一日百編交合す。」と記され、これ故に淫羊藿と名付けたとされる』とある、これは「巻十二下 草之一」の『淫羊藿【「本經中品」】』で、そこでは異名を「仙靈脾」「放杖草」「棄杖草」「千兩金」「乾雞筋」「黄連祖」「三枝九葉草」とし、『弘景曰、服之使人好爲隂陽。西川北部有淫羊、一日百遍合蓋食此藿所致、故名淫羊』とあるのに基づく)。『ホザキノイカリソウの淫羊霍に対して、イカリソウの方を和淫羊霍とすることもある』。『イカリソウの茎葉には有効成分としてはイカリインというフラボノイド配糖体と、微量のマグノフィリンというアルカロイドなどが含まれ、苦味の成分ともなっている』。『充血を来す作用があり、尿の出を良くする利尿作用もあるとされている』『イカリインには実際に』『平滑筋が弛緩し』、『陰茎などの血流が増えると考えられる』効果があるとし、『マウスを用いた実験で、男性ホルモン様の作用が報告されている』とある。『体を温める作用があることから、手足の冷え症や、冷えから来る腰痛症、下半身が疲れやすい人のインポテンツによいとされる一方で、火照りやすい人やのぼせやすい人への服用は禁忌である』とする。

「躑躅(もちつゝぢ)」ビワモドキ亜綱ツツジ目ツツジ科ツツジ属ツツジ亜属ツツジ節モチツツジ列モチツツジ Rhododendron macrosepalum。黐躑躅。通常のツツジのタイプ種はツツジ属アルペンローゼ Rhododendron ferrugineumであるが、本邦のツツジ類は他種に亙る。ツジ科ツツジ属に属する植物。落葉(半落葉)低木で本州(静岡県・山梨県~岡山県)と四国に分布する。ウィキの「モチツツジ」によれば、『主に低山地や丘陵地に自生し、高さ』一~二メートルに『なる。明るい林(アカマツ林など)のなかで多くみられ、通常』、四~六月に開花するが、『散発的に年間を通して咲いているのも見られる』。『花びらは五』で、『濃紅色の斑点などがみられる。葉は秋を迎えると』、『紅葉し、芽を囲む一部を除き、大きく茂った葉は落葉する。また、樹皮は暗褐色または暗灰色をしている』。和名の如く、『花の萼や柄、葉(両面)、若枝、子房、果実に腺毛が多く見られ、そこから分泌される液滴によって粘着性を持つ。野外ではここに多くの昆虫が粘着してとらえられているのが観察される。この腺毛は花にやってくる、花粉媒介に与る以外の昆虫を捕殺して、花を昆虫に食害されるのをふせぐために発達したものらしく、実験的に粘毛を剃ると、花は手ひどく食害される』。『また、ここに捕らえられた昆虫を餌とする昆虫も知られる。ヤニサシガメ』(脂刺亀:昆虫綱半翅目異翅亜目サシガメ科アカサシガメ亜科ヤニサシガメ属ヤニサシガメ Velinus nodipes:体長十二~十五ミリメートルで、体は黒色でやや光沢があり、触角と脚に黄白色紋がある。頭部は長く、複眼は頭部中央より前方に位置し、目の後部は丸みが強い。腹部の側縁は大きく張り出し、波状を呈する。体の表面は松脂状の粘着物質で覆われる。マツ樹上で生活し、幹上などに静止し、アリなどほかの昆虫を捕食する。幼虫はマツやスギの幹の窪みや樹皮下で小集団を形成して越冬する。本州・四国・九州及び朝鮮半島・中国に分布する)『などのサシガメ類がよくここに居ついている他、モチツツジカスミカメ』(異翅亜目カスミカメムシ科アオナガカスミカメムシ属モチツツジカスミカメ Orthotylus (Kiiortotylus) gotohi:必ずモチツツジにおり、モチツツジの若芽や若葉・花柄には一面に粘毛が密生しているが、この種はその部分におり、素早く移動するのが見られる。モチツツジは若葉や花の粘毛には、多くの昆虫が粘着して捕らえられるが、本種にとってはよく保護された逃げ場になっていると見られる。但し、何故、粘毛に捕まらないかは不明である。食性は基本的には草食性で、モチツツジを食草としているが、同時に昆虫も食うことが確認されている。上記のようにツツジの粘毛にはよく昆虫が捕まっているが、それらの昆虫に近づいて口吻を刺すことが観察されている。体長は四・五ミリメートルと非常に小さい)『という、ここに専門に居つく』『カメムシも知られて』いる。『花柄の粘りが鳥もちなどに似ているとして、名前の由来となっている。また、餅が由来として餅躑躅と書かれる場合もある』。『園芸用ツツジの交配親としても用いられ、園芸種にはハナグルマ(花車)などがある』。『そのほか、野外では花を折り取って、衣服や帽子にくっつける、という楽しみもある』とある。

「其の皮、極めて薄し。南番〔南蠻〕〔にては、これを〕以つて字を書く」羊皮紙のこと。「図書館情報学用語辞典」(日本図書館情報学会が編集した図書館情報学の専門用語を収録した用語辞典)によれば(ピリオド・コンマを句読点に代えた)。『子牛や羊、ときには山羊やその他の獣皮の毛や脂肪などを除去して作られた書写材あるいは製本材。パーチメント』Parchment『ともいう。子牛の皮で作ったものをベラム』vellum『として区別する場合もある。製法は、生皮を石灰水でよくさらし、毛や汚れを取るため』、『こすって薄くする。さらに表面にチョークを塗り、軽石でなめらかに仕上げる。前』二『世紀頃からパピルス』: papyrus『に代わる書写材として小アジアの古代都市ペルガモン(Pergamum)を中心に使用されるようになった。一説には、ペルガモンのエウメネス二世』(Eumenēs:在位:紀元前一九七年~紀元前一五九年)『とエジプトのプトレマイオス五世(Ptolemaios V』紀元前二一〇年~紀元前一八一年)『との間の図書収集をめぐる確執から、エジプトのパピルスが禁輸となった。この事件からペルガモンでは、以前から使用されていた動物の皮革の書写材に改良が加えられ、優れた書写材となった.パーチメントの語も Pergamum の形容詞形から転じたもの。羊皮紙やベラムは、パピルスに比べ』、『耐久性や柔軟性に富み扱いやすい。そのため』、四『世紀頃から、中近東やヨーロッパではパピルスに代わる書写材として』使われ、十五『世紀以降、活版印刷術の普及による刊本の時代を迎え』、『その地位を紙に譲るまで、主流となっていた』とある。

羊の外腎を羊石子(たけり)と曰ふ[やぶちゃん注:この言いから見て、「外腎」とはの外生殖器(或いは陰茎)のことのように思われる。]。

「腹、大〔となりて〕姙〔(はらみめ)〕のごとく〔なりて〕、徧身〔(へんしん)に〕、絲を生ず」前半は腹水と読めるが、とすれば、クモ毒ではない、人獣感染症の性質の悪い寄生虫の可能性が高いように思われる。後半はトンデモ症例でどのような症状を言っているのか、よく判らぬ。一種の黴のように見える皮膚疾患か?

「有房」「新勑」「程もなく隙〔(ひま)〕行く駒〔(こま)〕を見ても猶ほ哀〔(あは)れ〕羊のあゆみをぞ思ふ」「新勅撰和歌集」(鎌倉時代の勅撰和歌集。全二十巻。貞永元(一二三二)年、後堀河天皇の勅により、藤原定家が撰し、文暦二(一二三五)年成立。定家の「仮名序」があり、歌数約千三百七十首。代表歌人は藤原家隆・藤原良経・藤原俊成・慈円など)の「巻十八 雑三」にある。「日文研」の「和歌データベース」で校合した。

「介伊辞(ケイジ)」オランダ語かとも思ったが、ピンとくる一致語が見当たらなかった。識者の御教授を乞う。

「陸佃が云はく」北宋の陸佃(りくでん 一〇四二年~一一〇二年:字は農師、越州山陰(現在の浙江省紹興市)出身で、王安石の門人であったが、王安石の改革には必ずしも賛成でなかったが、改革が失敗に終わった後も忠誠を尽くした。神宗・哲宗・徽宗に仕え、官は尚書左丞にのぼった。なお、南宋の政治家で著名な詩人陸游は陸佃の孫)によって編集された辞典「埤雅(ひが)」。全二十巻。主に動植物について説明した本草書。

『羊は善く群行す。故に「羣」の字、「羊」に从〔(したが)〕ふ』正しい解字である。

『羊は、瘦るを以つて病いと爲る。故に「羸」の字、「羊」に从ふ』嘘。カタツムリが伸び縮みするさまが原義。

『羊は大〔なるを〕貴ぶ。故、「羊」に「大」〔にて〕「美(うつく)し」と爲す』正しい解字。

「羊、角、有りて、用ひず。〔これ、〕「仁」に類す。……」以下、典型的な載道派の何だかなの牽強付会説である。

「大尾羊」堀内勝氏のブログ「夜の旅人 研究ブログ」の素晴しい羊の脂尾に載るのがその品種であろう。巨大な脂尾を持つ羊の画像やスケッチ、及び『動きやすく車を後ろに付け、巨大な脂尾を乗せる』図等、ここで言っている不審顚が一気に解決する。必見!

「唐書」唐一代の歴史を記したもので「旧唐書(くとうじょ」と「新唐書」の二種があるが、孰れか不詳。

「每〔(まいとし)〕春月、脂を割り取り、再び之を縫〔ひ〕合〔はす〕。〔脂を〕取らざれば、卽ち脹〔(は)れて〕死す」これが事実かどうか、確認は出来なかった。

「地生羊〔(ぢせいよう)〕」キタ!!! って感じ! 植物と羊のハイブリッド奇怪生物「スキタイの羊」じゃん! ウィキの「バロメッツを引く。『バロメッツ(Barometz)は、黒海沿岸、中国、モンゴル、ヨーロッパ各地の荒野に分布するといわれた伝説の植物である。この木には、羊の入った実がなると考えられていた』。『スキタイの羊』(Scythian Lamb)『ダッタン人の羊』(Agnus Tartaricus)『リコポデウム』(Lycopodium)『とも呼ばれるこの木は、本当の名を「プランタ・タルタリカ・バロメッツ」』(Planta Tartarica Barometz)『といい、ヒョウタンに似ているものの、引っ張っても曲がるだけで折れない、柔軟な茎をもっているとされた』。『時期が来ると実をつけ、採取して割れば』、『中から肉と血と骨をつ子羊が収穫できるが、この羊は生きていない。実が熟して割れるまで放置しておくと』「ゥメー」と』『鳴く生きた羊が顔を出し、茎と繋がったまま、木の周りの草を食べて生き、近くに畑があれば食い散らかしてしまう。周囲の草がなくなると、やがて飢えて、羊は木とともに死ぬ。ある時期のバロメッツの周りには、この死んだ羊が集中して山積みになるので、それを求めて狼や人があつまって来るのだと言う。この羊は蹄まで羊毛なので無駄な所がほとんど無く、その金色の羊毛は重宝された。肉はカニの味がするとされた』。『この伝説は、ヨーロッパ人の誤解から生まれた物だと考えられている。バロメッツから採れる羊毛とされた繊維は木綿の事で、木綿を知らなかった当時のヨーロッパ人は「綿の採れる木」を「ウールを産む木」だと解釈して、この植物の伝説が産まれたとされる』とある。なお、一名の「リコポデウム」は現在のヒカゲノカズラ植物門ヒカゲノカズラ綱ヒカゲノカズラ目ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属 Lycopodium の属名となっている。同種は広義のシダ植物に属するが、その姿は、寧ろ、巨大な苔(こけ)を思わせるものである。

羊〔(ふんよう)〕 土〔(つち)〕の精なり。其の肝は土なり。雌雄、有り。食はず。季桓子〔(きかんし)〕といふもの、曾つて土を掘りて、之れを得〔と〕」これは「捜神記」の第十二巻の以下に出るこれ。但し、そこでは「羊」はなく、「賁羊」である。訓読は自然流。

   *

季桓子穿井、獲如土缶、其中有羊焉、使問之仲尼、曰、「吾穿井其獲狗、何耶。」。仲尼曰、「以丘所聞、羊也。丘聞之、木石之怪、夔、『魍魎』。水中之怪、龍、『罔象』。土中之怪曰『賁羊』。」。夏鼎志曰、「『罔象』如三兒、赤目、黑色、大耳、長臂、赤爪。索縛、則可得食。」王子曰、「木精爲『遊光』、金精爲『淸明』也。」。

(季桓子[やぶちゃん注:春秋時代の魯(紀元前一〇五五年~紀元前二四九年)の大夫。]井を穿ち、土の缶(かめ)のごときを獲(え)、其の中に、羊、有り。使問之れを仲尼[やぶちゃん注:孔子の字(あざな)。]をして問はしむ。曰はく、「吾、井を穿つに、其れ、狗を獲る。何んぞや。」と。仲尼曰はく、「丘の聞く所を以つてせば、羊なり。丘、之れを聞くに、木石の怪、夔(き)[やぶちゃん注:古い伝承によれば一本足で、音楽と関わる神獣とするが、後に零落して概ね妖怪となった。]にして、『魍魎』といふ。水中の怪、龍にして、『罔象(まうしやう)』といふ。土中の怪、曰はく、『賁羊』と。」と。「夏鼎志(かていし)」[やぶちゃん注:不詳の書。]に曰はく、「『罔象』は三兒のごとく、赤き目、黑き色、大いなる耳、長き臂(ひ)、赤き爪たり。索縛せば、則ち、食ふを得べし。」と。「王子」[やぶちゃん注:不詳の書。]に曰はく、「木の精は『遊光』と爲し、金の精は『淸明』と爲すなり。」と。)

   *

「青羊」中文辞書では「黒い羊」とか、木の精霊とが、伝説上の凶神とある。]

2019/02/12

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)

 

Heisa

 

へいさらばさら

へいたらばさら

       【二名共蠻語也】

鮓荅

 

 タ

 

本綱鮓荅生走獸及牛馬諸畜肝膽之間有肉囊裹之多

至升許大者如雞子小者如栗如榛其狀白色似石非石

似骨非骨打破層疉可以祈雨輟耕録所載鮓荅卽此物

也曰蒙古人禱雨惟以浄水一盆浸石子數枚淘漉玩弄

密持咒語良久輙雨石子名鮓荅乃走獸腹中所産獨牛

馬者最妙蓋牛黃狗寶之類也鮓荅【甘鹹平】治驚癇毒瘡

△按自阿蘭陀來有平佐羅婆佐留其形如鳥卵長寸許

 淺褐色潤澤似石非石重可五六錢目研磨之有層層

 理如卷成者主治痘疹危症解諸毒俗傳云猨爲獵人

 被傷其疵痕成贅肉塊也蓋此惑也乃爲鮓荅也明

 矣

 

 

へいさらばさら

へいたらばさる 【二名共に蠻語なり。】

鮓荅

 

 タ

 

「本綱」、鮓荅〔(さたふ)〕[やぶちゃん注:今までのやり方では標題の読み「へいさらばさら」或いは「へいたらばさる」で読むことになるが、それは如何にも面倒であるので、通常のこちらの読みで統一する。]は走獸及び牛馬諸畜の肝膽の間に生ず。肉嚢有りて、之れを裹〔(つつ)〕む。多きは升〔(しやう)〕許りに至る。大なる者は雞子〔(にはとりのたまご)〕のごとく、小なる者は栗のごとく、榛(はしばみ)のごとし。其の狀〔(かた)〕ち、白色〔にして〕、石に似て、石に非ず。骨に似て、骨に非ず。打ち破れば、層疉〔(さうでふ)〕す。以つて、雨を祈るべし。「輟耕録」に載する所の「鮓荅」は、卽ち、此の物なり。曰く、蒙古(むくり)の人、雨を禱〔(いの)〕るに、惟だ淨水一盆を以つて、石子〔(せきし)〕[やぶちゃん注:小石。]數枚を浸し、淘-漉〔(すすぎこ)〕し、玩弄し[やぶちゃん注:水で何度も洗い濯(すす)いでは、水の中で転がし、という意。]、密〔(こまや)か〕に咒語〔(じゆご)〕[やぶちゃん注:呪(まじな)いの呪文。]を持〔(じ)〕すれば[やぶちゃん注:呪文を用いて唱えれば。]、良〔(やや)〕久しくして、輙〔(すなは)〕ち、雨(〔あめ〕ふ)る。〔この〕石子を鮓荅と名づく。乃〔(すなは)〕ち、走獸の腹中に産する所〔のものなり〕。獨り、牛馬の者〔は〕、最も妙なり』〔と〕。蓋し、「牛黃〔(うしのたま)〕」・「狗寶〔(いぬのたま)〕」[やぶちゃん注:。]の類ひなり。鮓荅【甘鹹、平。】は驚癇[やぶちゃん注:漢方で言う癲癇症状のこと。]・毒瘡を治す。

△按ずるに、阿蘭陀〔(オランダ)〕より來たる「平佐羅婆佐留〔(へいさらばさら)〕」有り。其の形、鳥-卵(たまご)のごとく、長さ、寸許り、淺〔き〕褐(きぐろ)色、潤澤〔たり〕[やぶちゃん注:ある程度の水気を帯び、光沢があることを言う。]。石に似て、石に非ず。重さ、五、六錢目可(ばか)り[やぶちゃん注:日本の単位ではないので、明代のそれとすれば、一銭は三・七三グラムであるから、十八・六五から二十二・三八グラムで、二十グラム前後となる。]。之れを研磨すれば、層層たる理(すぢ)有りて、卷き成す者のごとし。痘疹の危症[やぶちゃん注:天然痘の重篤化したもの。]を治すを主〔(つかさど)〕る。諸毒を解すと〔いふ〕。俗傳に云はく、『猨〔(さる)〕、獵人の爲に傷せられ、其の疵-痕(きづ)、贅(こぶ)と成りて〔→たる〕肉-塊(かたまり)なり』と。蓋し、此れ、惑なり。乃ち、鮓荅たること、明らけし。

 [やぶちゃん注:私は既に十年前の二〇〇九年に、「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の「猨」で本項の電子化注を行っているが、今回はそれを加工データとしつつ、リニュアルしたものを示す。この「鮓荅」は各種の記載を総合してみると、良安の記すように、日本語ではなく、ポルトガル語の「pedra」(「石」の意。ネイティヴの発音をカタカナ音写すると「ペェードラ」)+「bezoar」(「結石」ブラジルの方の発音では「ベッゾア」)の転であるとする。また、古い時代から、一種の解毒剤として用いられており、ペルシア語で「pādzahr」、「pad (expelling) + zahr (poison) 」(「毒を駆逐する」の意)を語源とする、という記載も見られる。本文にある通り、牛馬類から出る赤黒色を呈した塊状の結石で、古くは解毒剤として用いたとある。別名を当該の獣類の名に繋げて「~のたま」と呼び、「鮓答(さとう)」とも書いた。但し、例えば大修館書店「廣漢和辭典」の「鮓」を引いても、この物質に関わる意味も熟語示されていない。現代中国音では「鮓荅」は「zhǎ dā」(ヂァー・ダァー)で、やや「ペェードラ」に近い発音のように思われるから、それを漢音写したものかも知れない(但し、以下の引用ではモンゴル語説が示されてある)。良安が前の「狗寳(いぬのたま)」で「本草綱目」を引いている通り、『牛の黃(たま)・狗の寶・馬の墨(たま)・鹿の玉・犀の通-天(たま)、獸の鮓-荅(たま)、皆、物の病ひにして、人、以つて寳と爲す』であって、各種獣類の胎内結石或いは悪性・良性の腫瘍や免疫システムが形成した異物等を称するものと思われ、漢方では現在でも高価な薬用とされているらしい。そこの注でも引いた、「中国の怪情報」というサイトのこちら(記者は編集長妙佛大爺氏)によれば、『古くから珍重されて来た希少な漢方薬の中に三宝と呼ばれるものがある。三宝とは馬宝、牛黄、狗宝の』三『種の漢方薬の総称』であるとされ、『いずれも動物の体内にごく稀に存在する』病変『物質である』。「狗宝」は既に前項で示したが、他の二つについてリンク先では以下のように説明されてある。『馬宝の正体は馬の腸内にできる結石であると言われている。結石の形成は偶然に左右されるので、ひとつひとつの形状や品質は全て異なる。それに応じて価格も変動する』。『オークションでの落札価格を見ると、高いものは日本円で数千万円の値段がついている』。『牛黄』niú huáng『は日本語で「ごおう」と読まれる』。『牛黄は現在の中国では比較的使用頻度が高い漢方薬だ。ただし』、『本物の牛黄ではなく』、『牛の胆汁で代用しているのだ。本物の牛黄はあまりにも高価なので通常は薬として使われることはない』。『牛黄の正体は牛の胆結石である。天然の牛黄は非常に高価である。特に大きなものは珍し』く、三百『グラムを超える牛黄に日本円で』一『億円以上の値段がついたこともある。やはりオークションでの価格だ』。一方、『馬宝』mǎ bǎo『は馬の体内に形成される石のような物体である。馬糞石、黄薬、鮓答(さとう)などの別名で呼ばれることもある』とある。因みに、リンク先には鶏のそれも記されてあり、『動物の体内から得られる希少な漢方薬は三宝だけではない。実はニワトリの体内にも石のような物体が生成されることがあるのだ』。『それを鶏宝』jī bǎo『という』。『鶏宝の正体については諸説ある。ひとつは馬宝や狗宝と同じように結石であるという説だ』。『もうひとつの説は卵胞の異常発育説である』。『本来なら卵巣内で育つはずの卵胞が腹腔内に侵入し、そこで大きく発育したものが鶏宝だというのだ。卵の黄身の部分に相当するものが腹腔内に形成され、それが硬化すると鶏宝になるということだ』。『このような現象は結石ができるよりもさらに発生頻度が少ないだろう。それだけ珍しいということになる』。『鶏宝には卵の黄身とそっくりな色と形のものがある一方で、石のようなものもあると言われている』。『恐らく鶏宝には卵胞から形成されるものと、結石と同じメカニズムで形成される』二『つのタイプがあるのだろう』。『福建省に恵安県(けいあんけん)という土地がある。世界史でも習う港町・泉州(せんしゅう)に属する街だ。花崗岩の産地であり、日本に墓石などを輸出している』。『その恵安県で鶏宝が発見されたというニュースが報道されたことがある。鶏宝の発見はそれほど大きなできごとなのだ。その概略を紹介しよう』。『恵安県の螺陽鎮(らようちん)という小さな村でのことだ』。『ある女性がニワトリを絞めて解体したところ、腹の中から』、『卵の形をした不思議な物体が現れた』。『それは内臓のようにも見えるが、普段からニワトリを解体している女性は、これはただの内臓ではないと気が付いた』。『その女性は以前新聞で鶏宝の記事を読んだことがあった。それはニワトリの腹の中にある非常に珍しく高価な薬であり、城ひとつと同じ価値があるとすら言われるほどの宝だというのだ』。『女性はさっそく上海のオークション業者』四『社に写真を送って鑑定を依頼した。その結果、女性が発見した不思議な物体が鶏宝である可能性はおよそ』九十『%であるとの結論を得たのだ』。『もしこれが本物の鶏宝であれば、最高』千七百五十『万元(日本円換算でおよそ』二億八千万円『)の価格がつく可能性があるという』。『高価な漢方薬の発見は中国ならではのチャイニーズ・ドリームだ。中国の田舎には家畜を捌くたびに一攫千金の夢がある』とある。

 それにしても、この「ヘイサラバサラ」「ヘイタラバサル」という発音は、かの「ケサランパサラン」と何だか雰囲気が似ていないだろうか? 私はふわふわ系の未確認生物のイメージしかなかったから、偶然かと思ったら、どっこい、これを同一物とする説があった。サイト「ん」の中の『けさらんぱさらん』の正体に関する諸説の『「家畜動物の腸内結石」説』に詳しい(リンクも再現した。一部に記号を挿入させて貰い、改行も施した)。

   《引用開始》

腸内結石に関しては岩手大学農学部獣医学科のHPの説明では、

腸結石 Intestinal Concretion:糞便内の小石、釘、針金、釦などの異物に無機物が沈着して出来たもので主として馬の大腸、特に結腸内に見られる。

とある。

同じく岩手大学農学部獣医学科のHPの説明では、毛球と呼ばれる牛・羊・山羊などの動物の消化器内で発生する物質について書かれている。

毛球 Hair Ball:牛、羊、山羊などの反芻類が嚥下した被毛あるいは植物繊維より成るもので第一胃及び第二胃に、稀に豚や犬の胃腸に見られることもある。表面に被毛の見えるものを粗毛球、表面が無機塩類で蔽われ硬く滑かで外部から毛髪の見えないものを平滑毛球 というとの事。

(毛球と腸結石の写真が同HPに載っています。)

また、毛球に関しては犬からも発生する場合もあるとの事。

この説によると、「動物タイプ」はこのうち粗毛球を指し、「鉱物タイプ」は平滑毛球や腸内結石を指す事になるわけです。

「馬ん玉」や「へいさらぱさら」はまさしく「ケサランパサラン 鉱物タイプ」の別名であり、「ケサランパサラン 動物タイプ」の別名として「きつねの落とし物」があるのもうなずけます。

おそらく、きつねが糞といっしょに粗毛球を排泄したのを見た方がつけたのでしょう。

また、[やぶちゃん注:中略。]「鉱物タイプ」を雨乞いに用いた事に関して、[やぶちゃん注:中略、]日本の雨乞いの方法の一つに,牛馬の首を水の神様に供える、或いは水神が棲む滝壷などにそれらを放り込む、という方法があります。これは、不浄なものを嫌う水の 神を怒らせることによって、水神=龍が暴れて雨が降るという信仰から来ているようです。以下は(この説を教えてくれた方の)私見ですが、「へいさらばさら」は、その不浄な牛馬の尻[やぶちゃん注:体内と読み換えたい。]から出てくるものですから、神様が怒るのも当然という理屈で用いられたのではないでしょうか。ただし、これは日本における解釈であり、馬と共に暮らす遊牧民族であるモンゴル人が、同じ考えでそれを行ったかどうかは不明です。[やぶちゃん注:中略。]

「その後の調査で、「輟耕録」に記載されている雨乞いの方法(盥に水を入れ呪を唱えながら水中で石を転がす)が『ケサランパサラン日記』のそれと酷似しており[やぶちゃん注:西君枝と言う方が草風社から一九八〇年に刊行した著作であるらしいが、未見であり、指示する当該記載が判らないので、この部分、何と酷似しているのかは不明である。]、また、このように水の中で転がして原形をとどめていられるのは硬い球形の馬玉タイプであることや、モンゴル語で雨を意味する「jada」という語に漢字を当てたものが「鮓荅」であると考えられることなどから、「へいさらばさら」の雨乞いのルーツは、中国の薬物書である「本草綱目」によって伝えられたモンゴル人の祈雨方法にあり、それに用いられたのは白い球状の鮓荅であると考えた方がよいようです。ついでに言えば「毛球」については、反芻をする動物(ウシやシカなど)に特に多いようですが、毛づくろいの際に飲み込んだ毛でできるため,犬以外のペット小動物、例えばウサギ、猫などでもメジャーな病気のようです。ペットに多いのは、野生の場合、毛が溜らないようにするための草を動物が知っていて、これを時々食べることによって防いでいるためで、ペット用に売られている「猫草」も、毛球症予防に効果があるようです。」[やぶちゃん注:中略。]

 また、水神=龍から、龍の持つ玉のイメージが想起されることから、雨乞いに用いられた「へいさらばさら」は、主に白い球状のタイプだったのではないかと推測されます。」[やぶちゃん注:この最後の部分は最後に鍵括弧があるので、これもその情報提供者の追伸かとも思われる。]

   《引用終了》

 

「肉囊」肉状の軟質に包まれていることを指す。胆嚢結石とすれば、これは胆嚢自体を指すとも考えられるが、実は馬や鹿等の大型草食類には胆嚢が存在しない種も多い。その場合は胆管結石と理解出来るが、ある種の潰瘍や体内生成された異物及び体外からの侵入物の場合、内臓の損傷リスクから、防御のための抗原抗体反応の一種として、それを何等かの組織によって覆ってしまう現象は必ずしも特異な現象ではないものとも思われる。

「榛」ブナ目カバノキ科ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii の実。ドングリ様の大きな実のようなものを想定すればよいか。へーゼルナッツはこのハシバミの同属異種である。

「層疉」立体同心円(球状)の層状結晶を言うか。

「輟耕録」明代初期の学者陶宗儀(一三二九年~一四一〇年)撰になる随筆集。先行する元代の歴史・法制から書画骨董・民間風俗といった極めて広範な内容を持ち、人肉食の事実記載等、正史では見られない興味深い稗史として見逃せない作品である。記載は「巻四」の「禱雨」。

   *

往往見蒙古人之禱雨者、非若方士然、至於印令旗劍符圖氣訣之類、一無所用。惟取淨水一盆、浸石子數枚而已。其大喪者若雞卵、小者不等。然後獸默持密咒、將石子淘漉玩弄、如此良久。輒有雨、豈其靜定之功已成、持假此以愚人耳。抑果異物耶。石子名曰鮓答、乃走獸腹中所、獨牛馬者最妙。恐亦是牛黃・狗寶之屬耳。

   *

「蒙古(むくり)」蒙古(もうこ)はモンゴルの中国語による音写で、古く鎌倉時代に「もうこ」のほかに「むくり」「むこ」などと呼称した、その名残りである(因みに、鬼や恐ろしいものの喩えとして泣く子を黙らせるのに使われる「むくりこくり」とは「蒙古高句麗」で蒙古来襲の前後に「蒙古(むくり)高句麗(こくり)の鬼が来る」と言ったことに由来する)。遊牧民であるから、牛馬の結石は、我々に比べたら、稀ではあるが、遙かに入手可能なものであったものかも知れない

「牛黃」牛の胆嚢や胆管に生ずる胆石で、日本薬局方でも認められている生薬である。解熱・鎮痙・強心効果を持つ。この後、「牛」の項の後に「牛黄」の項があるので、そこでまた詳述する。

「毒瘡」瘡毒と同じか。ならば梅毒のことである。もっと広範な重症の糜爛性皮膚炎を言うのかも知れない。

「俗傳に云はく、『猨〔(さる)〕、獵人の爲に傷せられ、其の疵-痕(きづ)、贅(こぶ)と成りて〔たる〕肉-塊(かたまり)なり』と。蓋し、此れ、惑なり。乃ち、鮓荅なること、明らけし」ここの部分、東洋文庫版では、『世間一般では猿の身体にある鮓荅をさして、これは猿が猟人のために傷つけられ、その傷の痕(あと)が贅肉(こぶ)となったものであるという。しかしこれは間違いで、鮓荅であることは明らかである』と訳しているが、これはおかしな訳と言わざるを得ない。ここは、『俗説に言うには、「猿が猟師に傷つけられ、その傷の痕が瘤となった、その肉の塊が鮓荅である」とする。しかし、これはとんでもない妄説である。以上、見てきたように、鮓荅というものはそのような人が猿に及ぼした傷由来の瘤なんぞではなく、人及び獣類の体内に生ずるところの結石であることは、最早、明白である』と言っているのである。]

2019/02/11

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 狗寳(いぬのたま) (犬の体内の結石)

 

Inunotama

 

いぬのたま

狗寳

 

ウハ

 

本綱狗寶生癩狗腹中狀如白石帶青色其理層疊亦難

得之物也昔任丘縣民家一犬甚惡後病衰爲衆犬所噬

而死剖之其心已化似石非石其重如石而包膜絡之如

寒灰觀其脈理猶是心不知何緣到此

甞聞人患石淋有石塊刀斧不能破又甞見龍脛骨中髓

皆是白石虎目光落地亦成白石星之光氣落地則成石

松亦化石蛇蠏蠶皆能成石萬物變化如此不可一槩斷

時珍静思之牛之黃狗之寶馬之墨鹿之玉犀之通天獸

之鮓荅皆物之病而人以爲寳人靈於物而猶不免此病

况物乎人之病淋有沙石者非獸之鮓答乎人之病癖有

心似金石者非狗之寳乎此皆囿於物而不能化者故禽

鳥有生卵如石者焉

程氏遺書載云有波斯人發古塚棺内俱盡惟心堅如石

鋸開觀之有山水青碧如畫傍有一女靚粧凭欄葢此女

有愛山癖朝夕注意故融結如此又浮屠法循行般舟三

昧法示寂後火焚惟心不化出五色光有佛像高三寸非

骨非石百體具足此皆志𡱈於物用志不分精靈氣液因

感而凝形正如孕女感異像而成鬼胎之類非祥也病也

有情之無情也

 

 

いぬのたま

狗寳

 

ウハ

 

「本綱」、狗寶、癩狗の腹中に生ず。狀、白石のごとくにして、青色を帶ぶ。其の理〔(きめ)〕、層疊して、亦、得難き物なり。昔、任丘縣[やぶちゃん注:現在の河北省滄州市任丘市(グーグル・マップ・データ)。]の民家に一犬あり。甚だ惡〔(あしき)〕なり[やぶちゃん注:身体が悪かった。]。後、病衰して衆犬の爲めに噬(か)まれて死す。之れを剖〔(さ)〕くに、其の心〔(しん)〕[やぶちゃん注:漢方で名指す心臓。]、已に化して石に似て、石に非ず。其の重さ、石のごとくにして、包膜、之に絡〔(まと)〕ひ、寒灰〔(かんくわい)〕[やぶちゃん注:火が燃え尽きた後に残る灰。冷たい灰。]のごとし。其の脈-理〔(すぢ)〕[やぶちゃん注:肌理(きめ)。]を觀るに、猶ほ、是れ、心のごとし。何に緣〔(よ)り〕て此れを〔に〕到〔れる〕ことを、知らず。

甞つて聞く、人、石淋を患ひて、石の塊(かたまり)有り、刀・斧〔を以つてしても〕破ること、能はず〔と〕。又、甞つて龍〔の〕脛骨の中の髓を見〔しが〕、皆、是れ、白石なり。虎の目の光、地に落ちて、亦、白石と成り、星の光氣、地に落つるときは、則ち、石と成り、松も亦、石に化し、蛇・蠏〔(かに)〕[やぶちゃん注:蟹。]・蠶〔(かひこ)〕、皆、能く石と成る。萬物の變化、此くのごとし。一槩[やぶちゃん注:「槪」の異体字。]に斷ずるべからず。

時珍、静かに之れを思ふに、牛の黃(たま)・狗の寶・馬の墨(たま)・鹿の玉・犀の通-天(たま)、獸の鮓-荅(たま)、皆、物の病ひにして、人、以つて寳と爲す。人は物の靈[やぶちゃん注:万物の霊長の類。]にして、猶ほ此の病ひを免れず。况んや、物をや。人の、淋を病むに、沙石[やぶちゃん注:小石状の結石。]有るは、獸の鮓答(たま)に非ざるか[やぶちゃん注:反語。同じであると言っているのである。以下も同じ。]。人の癖〔(へき)〕を病み[やぶちゃん注:性癖が極端に偏頗し、精神上、病的な状態となり。]、心、有りて、金石に似たるは、狗の寳(たま)に非ざるか。此れ、皆、物に囿〔(こだは)り〕て[やぶちゃん注:拘泥して。]、化する能はざる者なり。故に禽-鳥〔(とり)〕の卵を生むに、石のごとくなる者、有る〔なり〕。

「程氏遺書」に載せて云はく、『波斯(ハルシヤ[やぶちゃん注:ママ。或いは「パルシヤ」のつもりかも知れない。])に、人、有り、古塚を發(ひら)く。棺〔の〕内、俱に盡きて、惟だ、心、堅くして石のごとし。鋸〔(のこぎり)〕をもつて開けて、之れを觀るに、山水、有り、青碧にして畫(ゑが)くがごとし。傍らに、一女、有り。靚粧〔(せいさう)〕[やぶちゃん注:現代仮名遣「せいそう」。「靚」は「飾りよそおう」の意で、美しく飾りよそおうこと。綺麗に化粧すること。めかしこむこと。]して、欄〔(おばしま)〕に凭(よりか)ゝる。葢〔(けだ)〕し、此の女、山を愛する癖、有りて、朝夕、意を注す。故に、融結して此くのごとし。又、浮屠〔(ふと)〕[やぶちゃん注:仏僧。]〔の〕法循は、「般舟三昧法〔(はんじゆざんまいはう)〕」を行ひしが、寂を示して後、火〔に〕焚〔くに〕、惟だ、心、化せず、五色の光を出だし、佛像、有り。高さ三寸。骨に非ず、石に非ず、百體具足す。此れ、皆、志、物に𡱈〔(きよく)〕して[やぶちゃん注:「局」の異体字。一つの対象に集まること。]、志しを用ふること、分かた〔ざるが故に〕精靈・氣液、感〔ずる〕に因つて、形を凝らす。正に孕(はらみ)女〔の〕異像に感じて鬼胎を成すの類ひのごとし。祥[やぶちゃん注:祥瑞。]に非ずして、病ひなり。有情〔(うじやう)〕の無情なり[やぶちゃん注:有情の存在が無情の物体に変化した異常な生成機序に過ぎない。]。

[やぶちゃん注:日中辞書によれば、イヌの胆嚢や腎臓・膀胱内に生ずる結石を言うとする。Q&Aサイトの回答では、犬の結石で青白い現在でも漢方で高級品として需要があるらしく、天然物で約百グラムくらいで十万元(今現在で百六十二万円相当)ほどとし、人工のものは天然物の十分の一の値段としつつ、天然と比べると薬効は低いとする。画像があるものでは、「中国の怪情報」というサイトのこちらで(サイトの名前の妖しさのわりには、記載はかなりしっかりしている)、そこには、『狗宝』(gǒu bǎo)『は犬の胃の中などで生成される石のような物体だ。通常は』一~五センチメートルほどの『オリーブ形をして』おり、『表面はなめらかで』、『爪で傷がつくほどの硬さである』とし、『価値があるのは中心のわずかな部分だけであり、その重量はせいぜい』二グラムから七グラム『程度しかないという。高齢の犬ほど大きな狗宝を持っている確率が高いそうだ』とし、『天然の狗宝のオークション落札価格を見ると、やはり日本円で数千万円の値段がついている』とある。

 

「石淋」腎臓(腎盂・腎杯)・尿管・尿道。膀胱に結石が生ずる疾患。結石の約八十%はシュウ酸(蓚酸)カルシウム CaC2O4 又は(COO)2Ca)・リン酸(燐酸)カルシウム(狭義にはリン酸三カルシウム:Ca3(PO4)2)などのカルシウム結石で、その他ではリン酸マグネシウムアンモニウム(MgNH4PO46H2O)や尿酸(C5H4N4O3)の結石などがある。

「龍〔の〕脛骨」思うに、脊索動物門脊椎動物亜門顎口上綱爬虫綱双弓亜綱主竜形下綱恐竜上目 Dinosauria に属する、所謂、恐竜、中生代三畳(現在から約二億五千百万年前から一億九千九百六十万年前)に現われ、約六千六百万年前の白亜紀と新生代との境に多くが絶滅したそれらの化石である可能性が極めて高い。古くから、それらの化石が龍の骨とされ、漢方で薬剤として用いられてきた歴史がある。但し、生物化石ではなく、全くの鉱物由来のものである可能性を除外は出来ない。

「蠶〔(かひこ)〕、」「能く石と成る」これについては「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 雪蠶」に「石蠶」と出るものを私が考証した注、及び、「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 石蠶」等を参照されたい。何故、ここで簡単に語らないかというと、リンク先を見て戴ければ判る通り、カイコ(鱗翅(チョウ)目カイコガ科カイコガ亜科カイコガ属カイコガ Bombyx mori とは全く別の生物を想定している可能性が多分に含まれること(例えば、昆虫綱毛翅上目トビケラ目 Trichoptera に属する昆虫類の水棲幼虫)の他に、カイコの病気(特にカビに感染されることでカビに水分を奪われ、乾燥して硬いミイラ状態になるケース)等の複数の可能性を時珍が言っている可能性があるからであり、しかもそれをこの注で語ることは、かなりの脱線(私の注は常に脱線だらけだが)となるからである。

「牛の黃(たま)・狗の寶・馬の墨(たま)・鹿の玉・犀の通-天(たま)、獸の鮓-荅(たま)」総てそれぞれの、或いは、他の四足獣類の体内結石及び悪性・良性の結節性腫瘍等を指す。次に「鮓荅」(通常はこれで「さとう」と読む。牛・馬・豚・羊などの胆石や腸内の結石で、古来、諸毒の解毒剤とされたり、雨乞いの呪(まじな)いの呪具として用いられた。「石糞」「馬の玉」「ヘイサラバサラ」「ドウサラバサラ」等、異名が多い)の独立項があり、後には「牛黃」も独立項なのでここでは特に注しない。「犀」は無論、脊椎動物亜門哺乳綱奇蹄目有角亜目 Rhinocerotoidea上科サイ科 Rhinocerotidae のサイ類(現生種は五種で、アフリカ大陸の東部と南部(シロサイ・クロサイ)、インド北部からネパール南部(インドサイ)、マレーシアとインドネシアの限られた地域(ジャワサイ・スマトラサイ)に分布している)を指す。次巻の「獸類」に「犀」があるので待たれたい。

「人の癖〔(へき)〕を病み、心、有りて、金石に似たるは、狗の寳(たま)に非ざるか。此れ、皆、物に囿〔(こだは)り〕て、化する能はざる者なり」ここは時珍が精神医学的なかなり肯んずることの出来る、なかなか鋭いことを比喩で言っているようにも思われ、非常に興味深い。但し、最後の「化する能はざる者なり」は、私は「化する能はざる無き者なり」とあるべきではないか、と思う。東洋文庫訳はここを、『人が癖を病めば心が金石のようになるのも狗の宝と同じではないか。これはみな心が物に拘泥(こうでい)すると整理の循環が阻害され、身体の器官が円滑に機能しなくなるのである』と訳している。美事だと思うし、そういう意味で時珍は書いているのであろうと確かに思うけれども、私には、逆立ちしても、この原文をこのように訳すことは不可能である。「化」を正常な精神作用の意で採ることは、この文脈では無理であると考えるからである。なお、原文の文字列も「此皆囿於物而不能化者」でこのまんまではある。大方の御叱正を俟つものではある。

「程氏遺書」北宋の思想家で朱子学・陽明学のルーツとされる程顥(ていこう 一〇三二年~一〇八五年:号を「明道」と称した)と程頤(ていい 一〇三三年~一一〇七年:号を「伊川」と称した)兄弟(この二人をして「二程子」と称した)の語録集。南宋の朱熹(しゅき)が編纂したもの。二十五巻・附録一巻。以下の引用の原文を調べ得なかったが、これはどうなんだろう? これ、人工物じゃないんじゃないかなぁ? 堆積岩や火成岩玄武岩内部に形成された空洞である「晶洞」、ギリシア語で「大地に似た」の意の「ジオード」(英語:Geode)、内部に熱水や地下水のミネラル分によって美しい(「青碧」はまさにそれらしいのだ)自形結晶が形成されたそれを見て、シミュラクラ(Simulacra)を起こしたのではないか? 大方の御叱正を俟つ。

「波斯(ハルシヤ)」ペルシャ。現在のイランを表わす漢訳古名。

に、人、有り、古塚を發(ひら)く。棺〔の〕内、俱に盡きて、惟だ、心、堅くして石のごとし。鋸をもつて開けて、之れを觀るに、山水、有り、青碧にして畫(ゑが)くがごとし。傍らに、一女、有り。靚粧〔(せいさう)〕[やぶちゃん注:現代仮名遣「せいそう」。「靚」は「飾りよそおう」の意で、美しく飾りよそおうこと。綺麗に化粧すること。めかしこむこと。]して、欄〔(おばしま)〕に凭(よりか)ゝる。葢〔(けだ)〕し、此の女、山を愛する癖、有りて、朝夕、意を注す。故に、融結して此くのごとし。又、浮屠〔(ふと)〕[やぶちゃん注:仏僧。]〔の〕

「法循」不詳。

「般舟三昧法」小学館「日本国語大辞典」の「般舟三昧」によれば、サンスクリット語「pratyutpanna samādhi」の音訳で、「諸仏現前三昧」「仏立三昧」等と漢訳し、阿彌陀仏を念じて諸仏の現前を見る三昧法(修法)で、この三昧を修して成就した際には、一切の諸仏が悉く行者の眼前に立つというところからの命名とある。天台宗では「常行三昧」と称する、とある。

「百體具足す」「百體」は「総て」の意。仏の姿の特徴を数え上げた「三十二相八十種好」が総て備わっていたというのである。私は読みながら、直ちに想起したのは、「仏像真珠」である。中国の南部に於いては十三世紀には行われていた工芸で、貝殻の内壁に真珠層を持つ淡水産の斧足綱古異歯亜綱イシガイ目イシガイ超科イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイ Cristaria plicata 等の貝殻と外套膜の間に、土や鉛で作った仏像の型を挿入し、真珠層で覆わせるものである。鴻阜山人氏のサイト『「購入者の側に立った」入門シリーズ』の真珠パートの真珠の養殖と加工に画像がある。]

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 狗(ゑぬ いぬ) (イヌ)


Inu


ゑぬ    犬【音圏】 地羊

いぬ    【厖同多毛之犬】

【音苟】

      獒【高四尺犬】

      猗【去勢犬】

ウ     【和名惠沼俗伊沼】

 

本綱狗叩也吠聲有節如叩物犬字象巻尾懸蹄之形狗

類甚多其用有三田犬【一名獫】長喙善獵吠犬【一名猲】短喙善

守食犬體肥供饌【凡本艸所用皆食犬也】

狂犬曰猘一子𤢭【又曰】二子曰獅三子𤡆

凡犬以三月而生在畜屬木在卦屬艮在禽應婁星豺見

之跪虎食之醉犬食番木鼈則死物性制伏如此

肉【鹹酸溫】 治五勞七傷益氣力安腎補胃氣【黃犬爲上黒犬白犬次之】

 凡食犬不可去血去血則力少不益人【但因食穢不食者衆】術家

 以犬爲地厭能禳辟一切邪魅妖術故道家不食犬【商陸

 蒜菱與犬同不可食】

乳汁【白犬者良】 治十年青盲取白犬生子目未開時乳頻

 之狗子目開卽瘥又赤禿髮落者頻塗甚妙

                  京極

  月淸主しらぬ岡部の里をきてとへはこたへぬ先に犬そとかむる

文犬鳴曰吠【訓保由】王符論云一犬吠形百犬吠聲

左傳使犬聲曰嗾牽犬繩曰緤【訓岐豆奈】一名攣維犬鏁曰鋂

廣博物志云白犬烏頭白犬黒尾黒犬白耳黒犬白前足

黃犬白尾此等犬畜之共吉祥也

按犬性喜雪怕暑惡濕知恩酬仇鼻利能齅氣能守家

 不入非常人於内嚴吠防竊盜官家賤民共不可不畜

 之者也其田犬則狩獵時先放入山野令齅禽獸所在

 乃官家之寶獸也凡犬離栖家遠走則數遺尿於路傍

 至歸齅其尿氣雖數十里不失己栖猶山行之栞也不

 苦創傷如被小疵則自舐卽瘥若傷耳鼻則不能舐而

 不易治急煑小豆令食則癒性喜肉腥而不害生物吃

 糞穢而不舐鮾腐多食魚膓則却皮毛禿爛故魚肆癩

 狗多焉常不遺糞於四壁閒却不畜犬門外犬糞多矣

 凡犬子等寒暑不假人手自育早壯而速衰其一歳當

 人十歳乎過十歳者希也至病死不令見其屍

 如中馬錢毒者急令水吞則解

 治猫犬病以烏藥汁灌之【以下藥方出竹堂簡便方】

 治猫犬生癩用桃樹葉搗爛遍擦其皮毛隔少時洗去

 之

 治狗猫生虱用白色朝腦滿身擦之以桶或箱覆蓋之

 少時放出其虱俱落生癬疥者好茶濃煎通夜冷洗之

 凡狗舌出而尾埀者卽風狗也人被之咬用木鱉子七

 個檳榔二錢水二鍾煎七分服【祕笈云碎杏仁納傷處卽愈】

 所謂風狗卽猘犬也保嬰全書云凡猘犬之狀必吐舌

 流涎尾埀眼赤誠易辨如所咬則毒甚

 凡犬忠功勝于人者所載于史不少舉其一二

搜神記云孫權時有李信純家養一狗字曰黒龍愛之

一日大醉臥於草中遇太守鄭瑕出獵見草深遣人爇之

[やぶちゃん注:「爇」は底本では「「熱」が(上)「執」で、その(下)が「火」である。これは「爇」の異体字であるが、表示出来ないし、現行の「捜神記」の同話でもこの漢字を用いているので、これに代えた。]

信純不知火之來犬見乃以口拽衣而純不動臥處有一

溪相去三五十步犬卽奔往入水濕身走來臥處周迴以

身灑之獲免主人火難犬運水困乏致斃于側信純醒來

見犬已死遍身濕毛甚訝太守聞而慟哭之憫之曰犬之

報恩甚於人卽命具棺槨衣衾葬之今紀南有義犬

[やぶちゃん字注:「」=(上)「苑」+(下)「土」。]

十餘丈

述異記云陸機有後仕洛戯語犬【名黃耳】曰家無音汝

能馳往否犬揺尾作聲似應之機爲書盛以竹筩繫頸犬

出驛路走向饑則食草經水輙依渡者上船到機家取

書看畢又向人作聲如有所求其家作書納筩仍馳還洛

後犬死葬之呼黃耳塚

本朝於河内餌香川原有被斬人數百頭身既爛姓字難

 知但以衣色収取其身者爰有櫻井田部連膽渟所養

 之犬嚙續身頭伏側固守使収已至乃起行之

守屋家臣捕鳥都萬之白犬亦拾主之屍頭能守飢死於

 其側【載日本紀於詳河内名所】

畑六郞左衞門之犬名獅子暗夜侵敵軍犬先入陣中伺

警衞之隙速歸而掉尾告之以故得捷【詳太平記】

播州牧夫之二犬救主急難而囓殺其敵【詳播州犬寺下】

宇都右衞門五郞之犬誤所斬而其頭飛囓殺蛇救主

 危難【詳參州犬頭社下】

 

 

ゑぬ    犬【音、「圏」。】 地羊

いぬ    (むくいぬ)【「厖」も同じ。

        多毛の犬。】

【音、「苟〔(コウ)〕」。】

      獒(たうけん)[やぶちゃん注:闘犬。]

      【高さ、四尺の犬。】

      猗(へんこなしのいぬ)

       【勢〔(せい)〕を去れる犬。】

ウ     【和名、「惠沼」。俗に「伊沼」。】

 

「本綱」、狗は叩〔(コウ)〕なり。吠(ほ)ゆる聲、節〔(ふし)〕有りて、物を叩(たゝ)くがごとし〔なればなり〕。「犬」の字、巻きたる尾・懸-蹄(かけづめ)の形に象〔(かたど)〕る。狗の類ひ、甚だ多し。其の用、三つ、有り。「田犬〔(でんけん)〕」【一名「獫〔(けん)〕」。】は長き喙〔(くちさき)〕〔にして〕善く獵〔(か)〕る。吠犬〔(はいけん)〕【一名、「猲〔けつ)〕。】短き喙〔にして〕善く守る。「食犬〔(しよくけん)〕」は、體、肥え、饌〔(せん)〕[やぶちゃん注:神への供え物。]に供ふ【凡そ、本艸に用ふる所の〔もの〕、皆、食犬なり。】。

狂犬なるを「猘〔(せい)〕」と曰ふ。一子〔(ひとりご)〕を「𤢭〔(がう)〕」【又、「〔(き)〕」と曰ふ。】、二子〔(ふたご)〕を「獅」と曰ひ、三子〔(みつご)〕を「𤡆〔そう〕」と曰ふ[やぶちゃん注:この読みについては、前の「豕(ぶた)」の同様(但し、(へん)が異なる)の呼び名についての私の注を参照されたい。]。

凡そ、犬、三月〔(みつき)〕を以つて生ず。畜〔(ちく)〕[やぶちゃん注:家畜。]に在りては、「木〔(もく)〕」に屬し、卦〔(け)〕に在りては、「艮〔(こん)〕」に屬し、禽〔(きん)〕[やぶちゃん注:星座の動物(配当)の意である。]に在りては、「婁星〔(ろうせい/たたらぼし)〕」に應ず。豺〔(やまいぬ)〕、之れを見て、跪(ひざまづ)き、虎、之れを食へば、醉〔(ゑ)〕ふ。犬、番--鼈〔(マチン)〕を食ふときは、則ち、死す。物〔の〕性〔(しやう)の〕制伏〔(せいふく)〕[やぶちゃん注:征服・服従に於ける当事者関係。]此くのごとし。

肉【鹹、酸。溫。】 五勞七傷を治し、氣力を益し、腎を安〔(やす)〕じ、胃の氣を補す【黃犬を上と爲し、黒犬・白犬、之れに次ぐ。】。凡そ、犬を食〔ふに〕、血を去るべからず。血を去れば、則ち、力〔(ちから)〕少くして、人に益あらず【但し、食穢〔(しよくゑ)〕に因りて食はざる者、衆〔(おほ)〕し。】術家[やぶちゃん注:道教の方士。]は、犬を以つて地厭〔(ぢおん)〕[やぶちゃん注:地の邪気を払う呪術。]を爲し、能く一切〔の〕邪魅・妖術を禳-辟(はら)ふ。故に道家不に〔ては〕犬を食はず【商陸〔やまごばう〕[やぶちゃん注:後注を必ず参照のこと。]・蒜〔(のびる)〕・菱〔(ひし)〕〔は〕犬と同〔じうして〕食ふべからず。[やぶちゃん注:薬用併用及び食い合わせが極めて悪いことを言っている。]】。

乳汁【白犬の者、良し。】 十-年〔(ながねん)[やぶちゃん注:長年。]の〕青盲(あきめくら)を治す。白犬、子、生まれて、目、未だ開〔かざる〕時の〔母犬の〕乳を取り、頻りに之れをず。狗の子、目、開〔かば〕、卽ち、瘥〔(い)〕ゆ。又、赤禿(〔あか〕はげ)〔て〕、髮、落〔つる〕者に頻りに塗る。甚だ妙〔なり〕。

                  京極

  「月淸〔(げつせい)〕」

    主〔(ぬし)〕しらぬ岡部〔(をかべ)〕の里をきてとへば

       こたへぬ先に犬ぞとがむる

文」に、『犬の鳴くを、「吠(ほ)ゆ」と曰ふ【訓、「保由」。】』〔と〕。「王符論」に云はく、『一犬、形〔(かたち)〕に吠ゆれば、百犬、〔その〕聲に吠ゆといへり。』〔と〕。

「左傳」に、『犬を使ふ[やぶちゃん注:調教する際の。]聲を「嗾〔(さう)〕」と曰ひ、犬を牽〔(ひ)〕く繩を「緤(きづな)」と曰ひ【訓、「岐豆奈」。】、一名〔を〕「攣〔(れん)〕」〔とも曰ふ〕。犬を維(つな)ぐ鏁(くさり)を「鋂〔(ばい)〕」と曰ふ。』〔と〕。

「廣博物志」に云はく、『白犬にして烏〔(くろ)〕き頭〔(かしら)〕、白犬にして黒き尾、黒犬にして白き耳、黒犬にしてい白き前足、黃犬〔(わうけん)〕にして白き尾、此等(これら)の犬、之れを畜〔(か)〕へば、共に吉祥なり。』〔と〕。

按ずるに、犬の性、雪を喜び、暑さを怕(をそ[やぶちゃん注:ママ。])れ、濕を惡〔(にく)〕む。恩を知り、仇を酬ふ。鼻、利〔(と)〕くして、能〔(よ)〕く氣〔(かざ)〕を齅(か)ぐ。能く家を守りて、非常の人[やぶちゃん注:普段、見かけない人。]を内に入れず、嚴しく吠えて、竊盜〔(せつたう)〕を防ぐ。官家・賤民、共に、畜はずんばあるべからざるの者なり。其の田犬、則ち、狩獵の時、先づ、山野に放ち入れ、禽獸の所在を齅(か)ゞせしむ。乃〔(すなは)ち〕、官家の寶獸なり。凡そ、犬、栖-家(すみか)を離れて、遠く走るときは、則ち、數々、尿(ゆばり)を路傍に遺し、歸るに至れば、其の尿の氣(かざ)を齅ぐ。數十里と雖も、己〔(おの)〕が栖を失はず。猶ほ、山行の栞(しをり)のごときなり。創傷を苦しまず、如〔(も)〕し、小さき疵を被むる〔ときは〕、則ち、自ら舐(ねぶ)りて、卽ち、瘥〔(い)〕ゆ〔やす〕。若〔(も)〕し、傷、耳・鼻、則、舐ること能はずして、治〔すること〕易から〔ざるは〕、急ぎ小豆〔(あづき)〕を煑て、食はしめば、則ち、癒ゆ。性、肉〔の〕腥〔(なまぐさき)〕を喜(この)めれども、生〔き〕物を害(こそな)はず、糞穢〔(ふんゑ)〕を吃(く)へども鮾-腐〔(だいふ)〕[やぶちゃん注:腐った魚肉。]を舐らず。多く魚の膓〔(わた)〕を食〔へば〕、則ち、却つて、皮毛、禿(は)げ、爛〔(ただ)〕る。故に、魚の肆(たな)[やぶちゃん注:「店(たな)」に同じ。]に癩狗〔(らいく)〕[やぶちゃん注:単に毛が抜けたり、激しい炎症を起こした犬のことを指す。「癩」には業病として激しく差別された(天罰によって生きながら地獄の業火に焼かれている等とされた)ハンセン病以外に、「薬負け・傷・疥癬(かいせん)」の意があり、ここもそれ。直ぐ後に猫や犬の後者の「癩」を治す方法が出てくることからもそれが判る。]多し。常に糞を〔栖家(すみか)の〕四壁の閒〔(あひだ)〕に遺さず。〔されば〕却つて犬を畜はざる〔家の〕門外には、犬の糞、多し。

凡そ、犬--等(ゑのころ)は寒暑〔に關はらず〕、人の手假(か)らずして自ら育ち、早く壯(そう)じて、速く衰ふ。其の一歳、人の十歳に當るか。十歳を過〔(すぐ)〕る者、希れなり。病死するに至りて、其の屍〔(かばね)〕を見せず。

如〔(も)〕し、馬錢(マチン)の毒に中〔(あた)〕者〔あれば〕、急ぎ水を吞ませば、則ち、解〔(げ)〕す[やぶちゃん注:解毒出来る。]。

猫・犬の病ひを治す〔には〕、烏藥〔(うやく)〕の汁を以つて、之れに灌〔(そそ)〕ぐ〔べし〕【以下の藥方は「竹堂簡便方〔(ろくちくだうかんべんはう)〕」に出づ。】。

猫・犬の癩を生ずるを治する〔には〕、桃〔の〕樹〔の〕葉を用ひ、搗き爛らして、遍〔(あまね)〕く其の皮毛を擦〔(す)〕る。少時を隔てて、之れを洗ひ去る〔べし〕。

狗・猫〔の〕虱を生ずるを治す〔には〕、白色の朝腦[やぶちゃん注:不詳。「てうなう」と読んでおく。東洋文庫訳も『不詳』とする。但し、防虫剤に用いるクスノキの木片を水蒸気蒸留して製する「樟脳」(C10H16O)っぽい感じが私はするのだが。]滿身に之れを擦る。〔後、〕桶或いは箱を以つて之れを覆〔ひ〕蓋〔(ふた)〕す。少-時(しばら)くして、放〔ち〕出〔(いだ)〕せば、其〔の〕虱、俱に落つ。癬疥〔(せんかい)〕[やぶちゃん注:ヒトの感性症としても知られる疥癬(かいせん)。皮膚に穿孔して寄生する、節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱ダニ目無気門亜目ヒゼンダニ科 Sarcoptidae ヒゼンダニ Sarcoptes scabiei var. hominis による皮膚感染症。「湿瘡」「皮癬」とも称する。知られている皮膚疾患の中では掻痒は最高度。]を生ずる者は、好〔(よ)き〕茶〔を〕濃(こ)く煎じ、通夜、冷して、之れを〔以つて〕洗ふ〔べし〕。

凡そ、狗、舌を出だして、尾を埀るる者、卽ち、「風狗」[やぶちゃん注:狂犬。]なり。之れに咬まらるれば、木鱉子〔(もくべつし)〕七個・檳榔〔(びんらう)〕二錢[やぶちゃん注:一銭は三・七五グラムであるから、七・五グラム。]・水二鍾〔(しよう)〕[やぶちゃん注:一鍾(しょう)は四十九・六六四リットルであるから、九十九リットル強。かなり多い。]を用ひ、七分〔(しちぶ)〕に煎じて服す【「祕笈〔(ひきゆう)〕」に云はく、『杏仁〔(きやうにん)〕を碎き、傷の處に納〔むれば〕、卽ち、愈ゆ』〔と〕。】

所謂、「風狗」は、卽ち、「猘犬(せいけん)」[やぶちゃん注:狂犬。]なり。「保嬰〔(ほえい)〕全書」に云はく、『凡そ、猘犬の狀、必ず、舌を吐き、涎れを流し、尾を埀らし、眼、赤く、誠に辨じ易し。如〔(も)〕し咬まるれば、則ち、毒、甚だし。』〔と〕。[やぶちゃん注:狂犬病に罹患した動物は噛みつき、騒ぐ「狂騒型」(或いは狂騒期)と、空ろな目でしょんぼりとしまう「沈鬱型」(或いは狂騒期の後の麻痺期)の二種の症状(期)があるという。]

凡そ、犬の忠功〔なるものは〕、人に勝〔(すぐ)〕る。史〔書〕に載する所、少なからず。其の一、二を舉ぐ。

「搜神記」に云はく、『の孫權の時、李信純といふもの有り、家に一狗を養ふ。字(あざな)を「黒龍」と曰ひ、之れを愛す。一日、大いに醉ひて草の中に臥す。遇(たまたま)、太守の鄭瑕〔(ていか)〕、出でて獵りす。草の深きを見て、人をして之れを爇(や)かしむ。信純、火の來たるを知らず。犬、見て、乃〔(すなは)ち〕、口を以つて衣を拽(ひ)く。而〔(しか)れど〕も、純、臥し處〔(どころ)〕を動かず。一〔つの〕溪(たに)有り、相ひ去ること、三、五十步あり。犬、卽ち、奔り往〔(ゆ)〕きて、水に入り、身を濕(ひた)し、臥し處に走り來りて、周迴〔(しうくわい)〕し、身を以つて之れに灑(そゝ)ぐ。主人の火難を免〔(まぬか)〕ることを獲〔(う)〕。犬は、水を運(はこ)んで、困-乏し、側〔(そば)〕に斃〔(へい)〕するに致る[やぶちゃん注:倒れてしまった。]。信純、醒-來〔(めざ)め〕て、犬、已に死して、遍身、濕(ぬ)れたる毛を見、甚だ訝(いぶか)る。太守、聞きて慟-哭(な)き、之れを憫(あはれ)みて「犬の恩を報ふこと、人卽(より)も甚だし。」。〔とし〕、命じて棺槨〔(かんかく)〕[やぶちゃん注:柩(ひつぎ)。]・衣衾〔(いきん)〕[やぶちゃん注:遺体を覆う衣類や蒲団。帷子(かたびら)。]を具(そな)へ、之れを葬る。今、紀南[やぶちゃん注:現在の湖北省荊州区紀南鎮。ここ(グーグル・マップ・データ)。]に「義犬〔の〕〔はか〕」有り。高さ、十餘丈[やぶちゃん注:「捜神記」は東晋の干宝が著した志怪小説集であるから、当時の「一丈」は二・四四五メートルであるが、それでも二十五メートルほどになる巨大な墓だ。但し、残念なことに、現存はしないようだ。]。』〔と〕。

[やぶちゃん字注:「」=(上)「苑」+(下)「土」。]

「述異記」に云はく、『陸機、に有り。後、洛[やぶちゃん注:西晋の首都であった洛陽。]に仕(つか)へ、戯れに犬に語りて【「黃耳〔(くわうじ)〕」と名づく。】曰はく、「家と(た)へて[やぶちゃん注:ママ。]音(をとぶれ)無し。汝、能く馳〔(は)せ〕て往かんや否や」〔と〕。犬、尾を揺らし、聲を作〔(な)〕して、之れに應(こた)ふるに似たり。機、書を爲し、盛〔(も)〕るに[やぶちゃん注:犬に持たせるのに。]、竹の筩(つゝ)を以つて、頸に繫ぐ。犬、驛路に出でて走りて、に向ふ。饑〔(うう)〕るときは、則ち、草を食〔(は)み〕、水を經(わた)れば、輙〔(すなは)〕ち、渡者(わたしもり)に依〔(より)〕て船に上(の)り、機が家に到り、〔家の者、〕書を取り〔て〕看〔(み)〕畢〔(おは)〕れば又、人に向ひ、聲を作し、求むる所、有るがごとし。其の家〔の者〕、書を作〔(な)し〕て、筩〔(つつ)〕に納(い)れしかば、仍つて、馳せて洛に還る。後、犬、死す。之れを葬る。「黃耳塚」と呼ぶ。

本朝、『河内〔(かはち)の〕餌香川原(〔ゑが〕の〔かはら〕)に於いて、斬らるる人、有り、數百の頭-身(むくろ)、既に爛(たゞ)れて、姓字〔(せいじ)〕、知れ難し[やぶちゃん注:「姓字」は「名字と名前」の意であるが、要は腐乱が進んで、誰が誰だか判らなくなっていたのである。]。但〔(ただ)〕、衣の色を以つて、其の身(むくろ)を収め取る。爰〔(ここ)〕に櫻井田部連膽渟(〔さくらゐ〕の〔たべ〕のむらじいぬか)、養ふ所の犬、身頭(むくろ)を嚙み續け、側に伏し、固く守りて、収めしむ。已に至〔れば、〕乃〔(すなは)〕ち起きて之れと行く』〔と〕。

守屋が家臣、捕鳥都萬(とつとり〔べ〕の〔よろ〕づ)が白犬も亦、主〔(あるじ)〕の屍頭〔(むくろ)〕を拾(いろ)いて[やぶちゃん注:ママ。]、能く守り、其の側に飢死す【「日本紀」に載る。河内の名所に詳らかなり。】。

[やぶちゃん挿入注:この二条の話は「田部連膽渟」(桜井田部胆渟(さくらいの たべの いぬ ?~用明天皇二(五八七)年:飛鳥時代の武人で物部守屋の家臣。連(むらじ)は正式な姓。桜井田部氏は河内国河内郡(大阪府東大阪市近辺)に起源を持つ豪族伴造(とものみやつこ)の一族。彼は河内国餌香河原(えがのがわら)で戦死している)や「守屋が家臣」の「捕鳥都萬」の名によって、用明二(五八七)年七月に、蘇我馬子や厩戸皇子(うまやどのみこ:聖徳太子)らの蘇我軍の主力が、物部守屋軍の先鋒と激戦の末に突破したとされる「餌香川原の戦い」の後の光景であることが判る。そこでは両軍ともに多くの戦死者を出している(物部軍を突破した後、難波宮の守屋の私邸の占拠に成功した)。この川は、現在の石川で、大和川水系の支流で藤井寺市の東に接して流れる。大阪府の東南部の、奈良県境にある金剛山地の西側斜面と丘陵地の水を集めて北へ流れ、市の北東部で大和川と合流する。この辺りでは、石川の中程が隣りの柏原市との境界ともなっている。この「餌香川原の戦い」の場所は、まさにその合流地点の南の部分、現在の大阪府藤井寺市国府付近の石川に比定されているらしい。ここ(グーグル・マップ・データ)。ここは主に「藤井寺南小学校」公式サイト内の「大和川と石川」に拠った。以上は、「日本書紀」の崇峻天皇即位前紀用明天皇二(五八七)年七月の条の「平亂之後」のパートの、以下の部分が引用元である。

   *

爰有萬養白犬、俯仰𢌞吠於其屍側、遂嚙舉頭收置古冢、橫臥枕側、飢死於前。河内國司、尤異其犬、牒上朝庭。朝庭哀不忍聽、下苻稱曰、「此犬、世所希聞、可觀於後。須使萬族作墓而葬。」。由是、萬族、雙起墓於有眞香邑葬萬與犬焉。河内國言、「於餌香川原有被斬人、計將數百。頭身既爛、姓宇難知、但以衣色收取其身者。爰有櫻井田部連膽渟所養之犬、嚙續身頭伏側固守、使收己主乃起行之。」。

   *]

畑六郞左衞門の犬、「獅子」と名づく[やぶちゃん注:ママ。名は「犬獅子(けんじし)」が正しい。]。暗夜に敵軍を侵す。犬、先づ、陣中に入りて、警衞の隙〔(す)〕きを伺ひ、速やかに歸りて、尾を掉(ふ)りて之れを告ぐ。故を以つて、捷を得。【「太平記」に詳らかなり。】

[やぶちゃん挿入注:「畑六郞左衞門」は南北朝時代の南朝方新田義貞の側近であった武将畑時能(はたときよし 正安元年九(一二九九)年~興国二/暦応四(一三四一)年)のこと。ウィキの「畑時能」によれば、『武蔵秩父郡出身。義貞に従って各地を転戦し』、延元三/建武五(一三三八)年、『義貞が藤島の戦いで平泉寺勢力に敗死すると、義貞の弟脇屋義助に従い、坂井郡黒丸城、千手寺城、鷹栖城を転戦、足利方の斯波高経と激戦を繰り返したが、ついには追い詰められ、鷲ヶ岳に郎党』十六『騎で立て籠った。高経は、平泉寺が再び南朝に味方したと勘違いし、伊知地(現福井県勝山市伊知地)へ』三『千の軍勢を差し向け』、十月二十二日、『斯波勢へ突撃した時能は数時間に及ぶ激闘の末、肩口に矢を受け、三日間苦しんだ後に亡くなったという』とある。同ウィキには『江戸時代に描かれた畑時能のイメージ』として歌川国芳の「武勇見立十二支・畑六良左エ門」の犬を連れた彼の絵が載り、「太平記」には、『時能が犬「犬獅子」と「所大夫房快舜」、「悪八郎」の二人の従者とともに足利氏の砦を陥とす物語がある』とキャプションがある。後注で「太平記」の当該箇所を掲げる。]

播州牧夫〔(ひらふ)〕[やぶちゃん注:「牧夫」はママ。後注参照。]が二犬、主の急難を救ひ、而も其の敵を囓み殺すと。【播州犬寺の下に詳らかなり。】

宇都(うつ)右衞門五郞が犬、誤りて斬らる。而〔(しか)れど〕も、其の頭〔(かうべ)〕、飛びて、蛇(うはばみ)を囓み殺し、主の危難を救ふ【參州犬頭〔(けんづ)〕の社〔(やしろ)〕の下に詳らかなり。】。

[やぶちゃん注:哺乳綱 Mammalia獣亜綱 Theria 真獣下綱 Eutheria ローラシア獣上目 Laurasiatheria 食肉(ネコ)目 Carnivora イヌ亜目 Fissipedia イヌ下目 Cynoidea イヌ科 Canidae イヌ亜科 Caninae イヌ族 Canini イヌ属タイリクオオカミCanis lupus 亜種イエイヌ Canis lupus familiarisウィキの「イヌ」によれば、『属名 Canis、種小名 lupus はラテン語でそれぞれ「犬」「狼」の意。亜種名 familiaris はやはりラテン語で、「家庭に属する」といった意味。また、英語: familiar、フランス語: familier など「慣れ親しんだ」を意味する現代語の語源でもある』。『古く日本ではヤマイヌ(狼)に対して「イエイヌ」とも言っていた。英語名 domestic dog は、伝統的な学名』Canis familiaris『(家族の-犬)を英訳にしたもので、日本では domestic dog の訳語として古来からのイエイヌの語をあてるようになった』。『また、広義の「イヌ」は広くイヌ科に属する動物(イエイヌ』・(タイリク)オオカミ・コヨーテ(イヌ属コヨーテ Canis latrans)・ジャッカル(現生種は四種で、イヌ属キンイロジャッカル Canis aureus(南アジア・中央アジア・西アジア・東南ヨーロッパ・北アフリカ・東アフリカに棲息)・アビシニアジャッカル Canis simensis(エチオピアに棲息。「アビシニアオオカミ」などとも呼び、「ジャッカル」に含めない説もある)・セグロジャッカル Canis mesomelas(南部アフリカに棲息)・ヨコスジジャッカル Canis adustus(中部アフリカに棲息)・キツネ(イヌ科キツネ属アカギツネ亜種ホンドギツネ Vulpes vulpes japonica ほか)・タヌキ(タヌキ属タヌキ Nyctereutes procyonoides)・ヤブイヌ(ヤブイヌ属ヤブイヌ Speothos venaticus)・リカオン(リカオン属リカオン Lycaon pictus)『など)の総称でもあるが、日本ではこちらの用法はあまり一般的ではなく、欧文翻訳の際、イヌ科動物を表す dogs canine の訳語として当てられるときも』、『「イヌ類」などとしてイエイヌと区別するのが普通である』。『イエイヌは人間の手によって作り出された動物群である。最も古くに家畜化されたと考えられる動物であり、現代でも、ネコ Felis silvestris catus と並んで代表的なペット』『として、広く飼育され、親しまれている』。『野生化したものを野犬といい、日本語ではあたかも標準和名であるかのように片仮名で「ノイヌ」と表記されることも多いが、野犬(やけん)を誤って訓読したため』に『生じた新語であり、分類学上は種や亜種としてイエイヌと区別される存在ではない』。『犬種については』『ジャパンケネルクラブ(JKC)では、国際畜犬連盟(FCI)が公認する』三百三十一『犬種を公認し、そのうち』、百七十六『犬種を登録してスタンダードを定めている。なお、非公認犬種を含めると』、約七百から八百の犬種がいるとされている』。『また、世界全体では』四『億匹の犬がいると見積もられている。血液型は』八『種類』ある。『イヌの染色体は』七十八『本(2n)あり、これは』三十八『対の常染色体と』一『対の性染色体からなる。これは同じイヌ』科『のドール』(ドール属ドール Cuon alpinus)・リカオン・ジャッカル類・『コヨーテ類などとも共通である。これらの種は交配可能であり、この雑種は生殖能力をもつ。ただし、これらは行動学的に生殖前隔離が起こり、また、地理的にも隔離されている。ジャッカル類は主にアフリカに、(アジアに分布の及ぶキンイロジャッカルはジャッカル類では』なく、『オオカミに近縁だとされる)、コヨーテ類は北アメリカ大陸に分布する』、『また、オーストラリア大陸と周辺地域に生息するディンゴ』(イヌ属タイリクオオカミ亜種ディンゴ Canis lupus dingo)『と、ニューギニア島に生息するニューギニアン・シンギング・ドッグ』(New Guinea Singing Dog:パプアニューギニア原産の野生化した犬種。現在、絶滅寸前。ウィキの「ニューギニアン・シンギング・ドッグを参照されたい)『は、人類によって約』四千『年前に持ち込まれたイヌであり、かつては別種とされていたが、現在はイエイヌとともに、タイリクオオカミの』一『亜種とされている』。『イヌの属するイヌ科は、森林から開けた草原へと生活の場を移して追跡型の狩猟者となった食肉類のグループである。待ち伏せ・忍び寄り型の狩りに適応したネコ科』Felidae『の動物に対して、イヌ科の動物は、細長い四肢など、持久力重視の走行に適した体のつくりをしている』。『また、イヌは古くから品種改良が繰り返されて、人工的に改良された品種には、自然界では極めて珍しい難産になるものも多く、品種によっては、出産時に帝王切開が必要不可欠となる(主にブルドッグ)』(以下、「生態的・形態的特徴」として「骨格」に始まり、「知能」までの十四項目がある。それぞれ、本文の叙述のよき科学的補説となるが、キリがないので総て省略する。各自で参照されたい)。以下、「イヌの起源」の項。『イヌは最も古くに家畜化された動物であり、手に仔犬(イヌかオオカミかはっきりしない)を持たせて埋葬された』一万二千年ほど『前の狩猟採集民の遺体がイスラエルで発見されている。分子系統学的研究では』一万五千年位上前に『オオカミから分化したと推定されている。イヌの野生原種はタイリクオオカミ Canis lupus)の亜種のいずれかと考えられている。イヌのDNAの組成は、オオカミとほとんど変わらない。イヌがオオカミと分岐してからの』一万五千年という『期間は種分化としては短く、イヌを独立種とするか』、『オオカミの亜種とするかで議論が分かれているが、交雑可能な点などから』、『亜種とする意見が優勢となりつつある』。以下、「イヌと歴史・文化」の「世界におけるイヌの歴史」。『古代メソポタミアや古代ギリシアでは彫刻や壷に飼いイヌが描かれており、古代エジプトでは犬は死を司る存在とされ(アヌビス神)、飼い犬が死ぬと埋葬されていた。紀元前』二千『年頃の古代メソポタミアの説話』「エンメルカルとアラッタ市の領主」では、『アラッタ領主が「黒でなく、白でなく、赤でなく、黄でなく、斑でもない犬を探せ」と難題を命じる場面がある。つまり、既にこれらの毛並みの犬が一般的だったわけである。紀元前に中東に広まったゾロアスター教でも犬は神聖とみなされるが、ユダヤ教では犬の地位が下り、聖書にも』十八『回登場するが、ここでもブタとともに不浄の動物とされている。イスラム教では邪悪な生き物とされるようになった』。『イスラム圏では牧羊犬以外にイヌが飼われることは』今でも少ないようだが、』『欧米諸国では多くの犬が家族同然に人々に飼われている。日本でも』五『世帯に』一『世帯がイヌを飼っているといわれている。中世ヨーロッパの時代には、宗教的迷信により、魔女の手先(使い魔)として忌み嫌われ虐待・虐殺されたネコに対し、犬は邪悪なものから人々を守るとされ、待遇は良かった』。『古代中国では境界を守るための生贄など、呪術や儀式にも利用されていた』。『「けものへん(犬部)」を含む「犬」を部首とする漢字の成り立ち』を見ても、そうした呪的機能を担ったであろう『ことが窺われる。古来、人間の感じることのできない超自然的な存在によく感応する神秘的な動物ともされ、死と結びつけられることも少なくなかった(地獄の番犬「ケルベロス」など)。漢字の成り立ちとして、「犬」の「`」は、耳を意味している』。『中央アジアの遊牧民の間では、家畜の見張りや誘導を行うのに欠かせない犬は、大切にされた。モンゴル帝国のチンギス・カンに仕えた側近中の側近たちは、四駿四狗(』四『頭の駿馬と』四『頭の犬)と呼ばれ』、『讃えられた』。『ヨーロッパ人に「発見」される前のアメリカ大陸では、犬は唯一とも言える家畜であり、非常に重要な存在であった。人間にとってなくてはならない労働力であり、狩猟、番犬、犬ぞり、祭りでの生贄やご馳走として様々に利用された。ユイピの儀式など、祭りにおいて犬の肉は重要な存在である。また、白人によって弾圧されたインディアン諸部族の中で、シャイアン族の徹底抗戦を選んだ者たちは、Hotamétaneo'o(ドッグ・ソルジャー、犬の戦士団)という組織を作り、白人たちと戦った』。『欧米諸国では、古代から狩猟の盛んな文化圏のため、猟犬としての犬との共存に長い歴史がある。今日では特に英国と米国、ドイツなどに愛犬家が多い。英国には「子供が生まれたら』、『犬を飼いなさい。子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。」という諺がある』。『一方』、十九『世紀後半のイギリスでは狂犬病の原因を巡って大きな論争が起きた。狂犬病はイヌに噛まれることによる感染症であるという主張が流布し、不潔な下層階級の飼う犬、気性の荒い狩猟犬が特に疑いの目を向けられた。人々のヒステリックな対応により、何万匹ともいわれるイヌが』、『狂犬病予防の名目で殺されたが』、アメリカの『歴史家のハリエット・リトヴォ』(Harriet Ritvo  一九六四年~)『によれば』、十九『世紀に殺されたイヌのうち、精神に異常をきたしていたイヌは』五『パーセントに過ぎず、そのうちの四分の三は』癲癇(てんかん)或いは『風変わりな外見』であったに過ぎなかったという。『犬は欧米や日本など世界の広い地域で一般的に親しまれている』『一方で、犬を忌み嫌ったり、虐げたりする文化圏や民族もある。サウジアラビアでは一般に嫌悪の対象である』。『コンゴのムブティ族は、犬を狩りに必要な「貴重な財産」と見なしつつも』、『忌み嫌っており、彼らの犬は馬鹿にされ』、『殴る蹴るなどされる』。『欧米では犬をペット・家族の一員と考えるため』、『犬肉食はタブー視されるが、一方、インドや中東で犬肉を食べる習慣がないのは、古代ヒンドゥー教やイスラム教では犬を卑しく汚らわしい害獣と見なしているためだと考えられる』。『犬は一般に出産が軽い(安産)とされることから、日本ではこれにあやかって戌の日に安産を願い、犬張子や帯祝いの習慣が始まるようになる』。『「人間の最良の友(Man's best friend)」と言われるように、飼い主やその家族に忠実なところはプラスイメージが強い。近代日本では忠犬ハチ公の逸話が多くの国民に愛されたほか、江戸時代以前にも主人の危機を救おうとした伝説・民話も多い(秋田県大館市の老犬神社など)。他方、東西の諺や、日本語にある「犬死に」「犬侍」』『「負け犬」といったネガティブ成語・熟語に使われることも多い。また、忠実さを逆手にとって、権力や体制側に順従に従っている人物や特定の事物(思想や団体・有名人など)を盲目的に支持・信奉する人物やスパイの意味でも「犬」が用いられる。また「雌犬」は女性への侮辱語として使われる。植物の和名では、イヌタデ』(ナデシコ目タデ科ミチヤナギ亜科 Persicarieae Persicariinae 亜連イヌタデ属イヌタデ Persicaria longiseta。本種は薬味として使用される、同じイヌタデ属ヤナギタデ Persicaria hydropiper に対して(ヤナギタデは異名で「マタデ」「ホンタデ」とも呼ぶ)、役に立たないものとしての「イヌ」である。しかし私はあの「あかのまんま」の花がとても好きだ)のように、本来、『その名をもつ有用な植物と』は、『似て非なるものを指すのにしばしば用いられる』。以下、「日本におけるイヌの歴史」。『日本列島においては犬の起源は不明であるが、家畜化された犬を飼う習慣が日本列島に渡ってきたと考えられている。縄文時代早期からの遺跡から犬(縄文犬)が出土している。その一部は埋葬された状態だが、多数例は散乱状態で出ており、家族の一員として飼われた犬と、そうでない犬がいたと考えられる』(縄文犬の埋葬遺跡の最初期の発見者の一人は、私の父の考古学の師であった酒詰仲男先生(明治三五(一九〇二)年~昭和四〇(一九六五)年)である。私はサイトで「土岐仲男」名義で書かれた詩集「人」を電子化注している)。『縄文早期から中期には体高』四十五『センチメートル前後の中型犬、縄文後期には体高』四十『センチメートル前後の小型犬に変化し、これは日本列島で長く飼育されたことによる島嶼化現象と考えられている』。『なお』一九九〇『年代に縄文人と犬との関係の定説に再考を迫る発見があった。霞ヶ浦沿岸の茨城県麻生町(現:行方市)で発掘調査された縄文中期から後期の於下貝塚から、犬の各部位の骨が散乱した状態で出土。犬の上腕骨』一『点に、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。調査報告では、犬を食用として解体していた物的証拠と評価しており、日本列島における犬食の起源がさらに遡る可能性が高い』。『弥生時代に犬の埋葬例は激減する』。『また、墓に供えられた壺の中に、犬の骨の一部が入っていることがあり、犬が人間の墓の供え物になったことがわかる』。『長崎県の原の辻遺跡などでは、解体された痕のある犬の骨が発見され、食用に饗されたことも窺える。遺跡からは縄文犬と形質の異なる犬も出土しており、大陸から連れてこられたと考えられる』。「日本書紀」には、『日本武尊が神坂峠を超えようとしたときに、悪神の使いの白鹿を殺して道に迷い、窮地に陥ったところ、一匹の狗(犬)が姿を現し、尊らを導いて窮地から脱出させたとの記述がある。そして、同書の天武天皇五(六七五)年四月十七日の条には、四月一日から九月三十日までの『期間、牛・馬・犬・猿・鶏の、いわゆる肉食禁止令を出しており、犬を食べる人がいたことは明らかである。なお、長屋王邸跡から出土した木簡の中に子を産んだ母犬の餌に米(呪術的な力の源とされた)を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸では、貴重な米を犬の餌にしていたらしいが、奈良文化財研究所の金子裕之は、「この米は犬を太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だった」との説を発表し』ている、とある。『奈良時代・平安時代には貴族が鷹狩や守衛に使う犬を飼育する職として』、『犬養部(犬飼部)が存在した』。『平安京では、犬が人間の残飯や排泄物を食べていた。また、埋葬されない人の死体が放置され、犬に食われることが珍しくなかった』。『鎌倉時代には』、『武士の弓術修練の一つとして、走り回る犬を蟇目矢(ひきめや。丸い緩衝材付きの矢)で射る犬追物や犬を争わせる闘犬が盛んになった』。『肉食忌避の観念がある一方で、犬を食べる風習も廃れてはおらず、室町時代の草戸千軒町遺跡』(広島県福山市内)『からは食用にした跡が残る犬の骨が見つかっ』ている。『浄土真宗の宗祖親鸞は』、「大般涅槃経」を『参考に浄肉(食べてもよい肉)・不浄肉(食べてはいけない肉)の区別を行った際、犬肉を猿肉などとともに不浄肉に分類するなど、犬肉食を忌避する考え方も生まれた』。『南北朝時代以降には軍用犬として犬を活用する武将も現』われ、本文にも出る通り、「太平記」には『越前国鷹巣城(現・福井県高須山)攻防戦に於いて、南朝方の守将、畑時能が愛犬「犬獅子」と』二『人の従者と共に寄せ手の北朝方の砦を攻め落とす逸話が記述されており、江戸時代に歌川国芳が干支の動物と縁の深い歴史上の人物を浮世絵に描いた』、「武勇見立十二支」にて戌年に畑時能と犬獅子が描かれるなど、人々に広く知られる存在となった』(この絵の画像は以下でリンクしてある)。『戦国時代には武蔵国の武将太田資正が、岩槻城と松山城の緊急連絡手段として伝令犬を用い、北条氏康方の包囲を突破して援軍要請に成功し、度々撃退していた逸話が』「関八州古戦録」や「甲陽軍鑑」に『記述されている。太田資正の伝令犬戦術は「三楽犬の入替え」と呼ばれ、日本における軍用犬運用の最初の例とされている』。江戸『中期、江戸では野犬が多く、赤ん坊が食い殺される事件もあった』。第五『代将軍』『徳川綱吉は戌年の戌月の戌の日の生まれであったため、彼によって発布された「生類憐れみの令」』(貞享二(一六八五)年~宝永六(一七〇九)年とリンク先はするが、同令は波状的に細かく出されたもので、当初から非人間的な厳罰処置が行われたわけではなかった)『において、犬は特に保護』(「生類憐れみの令」は『人間を含む全ての生き物に対する愛護法令)され』、元禄九(一六九六)年には、『犬を殺した江戸の町人が獄門という処罰まで受けている。綱吉は当時の人々から「犬公方」(いぬくぼう)とあだ名された。綱吉自身大の愛犬家で狆を百匹飼い、駕籠(かご)で運ばせていた。この法令が直接適用されたのは幕府直轄領であったが、間接的に適用される諸藩でも』、『将軍の意向に逆らうことはできなかった。綱吉の後を継いだ徳川家宣の治世当初に生類憐れみの令は廃止された。天明の大飢饉により』、『米価が高騰し』、『深刻な米不足が起こった際、江戸北町奉行・曲淵景漸がイヌやネコの肉の価格を示して「米がないなら』、『イヌやネコの肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で打ちこわしまで引き起こす結果となった』。他にもリンク先は諸事項の記載があるが、後一つだけ、「歴史に名を残した犬」一番古い部分だけを引いて終りとする。垂仁天皇八十七(五〇年?)頃、『足往(あゆき)』(『名前が記録に残る日本最古の犬』である)が、『むじな』(イヌ型亜目クマ下目イタチ小目イタチ上科イタチ科アナグマ属ニホンアナグマ Meles anakuma 或いはイヌ科タヌキ属タヌキ Nyctereutes procyonoides)『を殺して出て来た勾玉が献上された』と、「日本書紀」の垂仁天皇の条に出る』とある。これは垂仁天皇八十七年二月五日の記事中に出るもので、

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昔丹波國桑田村有人。名曰甕襲。則甕襲家有犬。名曰足徃。是犬咋山獸名牟士那而殺之。則獸腹有八尺瓊勾玉。因以獻之。是玉今有石上神宮。

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である。……どうもいけない……一昨年逝った三女アリスのことが思い出されてしまうのだ……注をしながら、そこここでもの狂ほしくなってゆく……ばかり…………

 

「ゑぬ」小学館「日本国語大辞典」によれば、この語源説は、『ヱはイハ(家)の約音。ヌは詞助〔東雅〕。ヱイヌ(飼犬)の約。古代に専ら犬の子を鷹、鶏の飼』(やしなう相手の意か)『にしたということからか〔大言海〕。ワヌワヌという鳴声に基づいた語か〔言元梯・大言海・国語の語根と分類=大島正雄〕ヱヌスミ(餌盗)の略〔名言通〕』とあるが、私は「ゑぬ」というのを初めてここで見た。

「地羊」これは犬食を隠すための換字のように私には思われる。

「懸-蹄(かけづめ)」「ケンテイ」は、本来は牛・羊などの偶蹄類の蹄(ひづめ)のうちで、

「食犬〔(しよくけん)〕」ウィキの「犬食文化」を参照されたい。私は引用に堪えない。因みに、私の妻は南京大学に日本語派遣教員として出向した折り、教え子が取り寄せて作ったそれを食べている。食には保守的な女性であるが、非常に美味しかったと告白している。

「凡そ、犬、三月〔(みつき)〕を以つて生ず」犬の妊娠期間は交配日から数えて約六十三日(九週間)と言われているので、科学的に正しい。

「婁星〔(ろうせい/たたらぼし)〕」現在の「おひつじ座」の西の頭部分に相当する三つの星を指す。二十八宿(前項で既注)の一つで、西方白虎七宿の第二宿で、距星(きょせい:各宿の基準点となる星)はおひつじ座β(ベータ)星。「婁」には「群衆、または天獄。塿(小さい丘)」の意がある。

「番--鼈〔(マチン)〕」「馬錢」。リンドウ目マチン科マチン属マチン Strychnos nux-vomicaウィキの「マチン」によれば、『アルカロイド』(alkaloid:窒素原子を含み、ほとんどの場合、塩基性を示す天然由来の有機化合物の総称)『のストリキニーネ』(strychnine(オランダ語):C21H22N2O2無色の針状結晶で、猛毒。硬直痙攣を起こさせるが、微量では神経興奮剤となる)『を含む有毒植物及び薬用植物として知られる。種小名(ヌックス-フォミカ)から、ホミカともいう』。『インド原産と言われ、インドやスリランカ、東南アジアやオーストラリア北部などに成育する。高さは』十五メートルから三十メートル以上になる高木。『冬に白い花を付け、直径』六~十三センチメートルの『橙色の果実を実らせる。果実の中には数個の平らな灰色の種子がある。マチンの学名』は、一六三七年に『マチンがヨーロッパにもたらされたとき、カール・フォン・リンネにより命名された。種小名の』nux-vomica『は「嘔吐を起こさせる木の実」という意味だが、マチンの種子には催嘔吐作用は無いとされている』。『マチンの毒の主成分はストリキニーネ及びブルシン』(brucineC23H26N2O4 )『で、種子一個でヒトの致死量に達する。同じマチン属の』Strychnos ignatia『の種子(イグナチア子、呂宋果(るそんか))にもストリキニーネ及びブルシンが含まれる。こちらはフィリピン原産。マチン科』Loganiaceae『には他に、ゲルセミウム属』Gelsemium『(代表種はカロライナジャスミン』Gelsemium sempervirens『)などがある』。『漢方では生薬としてマチンの種子を馬銭子(まちんし)、蕃木鼈子(ばんぼくべつし、蕃は草冠に番)、またはホミカ子と称し』、『苦味健胃薬として用いられる。インドでは、木部を熱病、消化不良の薬に用いる。日本薬局方では、ホミカの名で収録されている。ただし、前述の通り』、『マチンは有毒であり』、『素人による処方は慎むべきである』とある。

「五勞七傷」東洋文庫注に「五勞」とは『心労・肝労・脾労・肺労・腎労の五臟の病』いとし、「七傷」『は五臟の他、身體と志とを加えて、この七つを傷めることとも、また、陰寒・陽萎・裏急・精漏・精少・精清・小便数を七傷とするという説もある。いずれも、過労の積み重なりにより発病する内臓の慢性疾患である』とある。

「商陸〔やまごばう〕」被子植物門双子葉植物綱ナデシコ目ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属ヤマゴボウ Phytolacca esculenta 或いは同属の総称。本種は中国原産の薬用植物で、本邦にも帰化し植生するが(他にマルミノヤマゴボウ Phytolacca japonica・ヨウシュヤマゴボウ Phytolacca americana(別名:アメリカヤマゴボウ)も分布する)、ヤマゴボウ属は有毒であり、食用には供してはいけない。本属の根には多量の硝酸カリウムや有毒な配糖体のフィトラッカトキシン(phytolaccatoxin)・サポニンであるフィトラッカサポニン(phytolaccasaponin)が含まれている。硝酸カリウムには利尿作用があり、古くから利尿薬として利用されてきたが、有毒成分のフィトラッカトキシンのため、食べると、嘔吐や下痢が発症し、さらには中枢神経麻痺から痙攣や意識障害が生じ、重い場合は、呼吸障害や心臓麻痺によって死亡することもある。では何故、ここに出るのかと言えば、毒を以って毒を制す式のそれで、漢方では、この根に逐遂・消腫の効能があり、水腫・腹水・脚気・腫れ物などに用いるからである(「逐水」とは瀉下と利尿作用によって腹水・胸水・浮腫などを治療することを指す)。全身性浮腫を伴う喘息症状には木通・沢瀉などと配合し、肝硬変などに起因する腹水には牡蠣・沢瀉などと配合して用いる。但し、毒性が強いため、慎重に投与する必要がある。外用薬としては、新鮮な商陸に塩を加えて搗き潰したものを頑固な腫れ物に用いたりする。アメリカでは嘗て、ヨウシュヤマゴボウの根を扁桃炎・耳下腺炎・乳腺炎・水腫などの治療に用いていたとされる。さても! ここからが肝心! では、本邦で我々が山菜として「山牛蒡」(やまごぼう)と呼称している漬物は何か? これはこの標準和名ヤマゴボウの根なんぞではなく、モリアザミ(キク目キク科アザミ属モリアザミ(森薊)Cirsium dipsacolepis)・オニアザミ(アザミ属オニアザミ Cirsium borealinipponense)・オヤマボクチ(雄山火口:キク科ヤマボクチ属オヤマボクチ Synurus pungens:和名は茸毛(じょうもう:葉の裏に生える綿毛状のもの)が嘗ては火起こし時の火口(ほくち)として用いられたことに由る)・ヤマボクチ(山火口:ヤマボクチ属ヤマボクチ Synurus palmatopinnatifidus var. indivisus)の根、及び、本物の牛蒡(ゴボウ)であるキク目キク科ゴボウ属ゴボウ Arctium lappa (余り知られていないの言っておくと、本種ゴボウは紫色のアザミによく似た、総苞に棘のある花を咲かせる)の根の通称総称なのであり、先のヤマゴボウ属ヤマゴボウ Phytolacca とは一切の類縁関係がない、全くの別物だということである。ご用心! ご用心!(以上は実は既に「和漢三才圖會第四十三 林禽類 杜鵑(ほととぎす)」の注で既注済なのであるが、私の周囲には勘違いしている人が多数いるので再掲した)。

「蒜〔(のびる)〕」野蒜。ヒガンバナ科ネギ亜科 Allieae 連ネギ属ノビル Allium macrostemon。小さな頃、母と一緒に裏山でよく採って食べたのを思い出す。

「菱〔(ひし)〕」フトモモ目ミソハギ科ヒシ属ヒシ Trapa japonica。池沼に生える一年草で、葉が水面に浮く浮葉水草。花は両性花で、夏から秋の七~十月にかけて、葉の脇から伸びた花柄が水面に顔を出し、花の直径が一センチメートルほどの可憐な白い花を咲かせる。花期が終わると、二つある胚珠のうちの一方だけが発育し、大きなデンプンを蓄えた種子となる。食用(私の大好物である)。実を横から見ると、菱形を成し、両端に逆向きの二本の鋭い刺(とげ:蕚(がく)由来)を有する。秋に熟した果実が水底に沈み、冬を越す。私は母の実家のあった大隅半島の中央の岩川の山の池で、天然のそれを取って食べた。私の年齢で、自然の菱を採取して食べたことがあるひとは少ない。少なくとも、私は未だかってそういう私以外の思い出を持つ私から下の他人に逢ったことが、哀しいことに、ない。「青盲(あきめくら)」「明き盲」で、外見上、眼球に何らの変性を認めないにも拘らず、目が見えない症状を言うのであろう。

「子、生まれて、目、未だ開〔かざる〕時の〔母犬の〕乳」ヒトの場合、初乳には免疫システム上の、重要な成分が含まれているとされるので、それと関連するか。但し、「狗の子、目、開〔かば〕、卽ち、瘥〔(い)〕ゆ」という辺りは、フレーザーの言う、類感呪術的な非科学的なもののようにも思われる。

「京極」「月淸」「主〔(ぬし)〕しらぬ岡部〔(をかべ)〕の里をきてとへばこたへぬ先に犬ぞとがむる」「秋篠月清集(あきしのげっせいしゅう)」の「巻一 十題百首」の中の一首。同歌集は九条良経(嘉応元(一一六九)年~元久三(一二〇六)年)の家集。良経は鎌倉初期の公卿で、九条家の祖で太政大臣に上り詰めた九条兼実の次男。母は藤原季行の娘。「後京極殿」とも呼ばれる。治承三 (一一七九) 年に元服し、文治四(一一八八)年、兄良通が二十二で夭折してしまい、九条家を継いだ。翌年、権中納言、次いで権大納言兼左大将、建久六(一一九五)年には内大臣に進んだが、同七年、父関白兼実が失脚したため(ウィキの「九条兼実」によれば、後白河院崩御後、新たな「治天の君」となった『後鳥羽天皇や上級貴族が厳格な兼実の姿勢に不満を抱き、一方』、『院近臣への抑圧は宣陽門院』(後白河院の末の皇女覲子(きんし)内親王が宣下された院号名)『を中心に』した『反兼実派の結集』を齎し、『門閥重視で故実先例に厳格な姿勢は中・下級貴族の反発を』も『招いた』。また、『頼朝も』長女『大姫入内のために丹後局』(宣陽門院の生母)『に接近し、兼実への支援を打ち切った』。『後鳥羽天皇との対立は深刻化し』、彼の娘で後鳥羽帝の中宮であった任子が『皇子を産まなかったことで廷臣の大半から』も『見切りをつけられ』、遂に建久七(一一九六)年十一月に『関白の地位を追われ』たとある)良経も籠居した。正治元(一一九九) 年に左大臣、建仁二 (一二〇二)年に土御門天皇の摂政となり、元久元(一二〇四)年には従一位、次いで太政大臣とはなったものの、同三年、寝所で急死した(後代、刺殺されたという説も生まれている)された。良経について、叔父慈円(同母弟)は著書「愚管抄」で「能芸、群ニヌケタリキ、詩歌・能書、昔ニハヂズ、政理・公事、父祖ヲツゲリ」と記している。「新古今和歌集」の仮名序の作者で、代表的歌人の一人であり、漢詩集「詩十体」などがある。書家としても著名で、その書風は「後京極流」と称された。一方、有職故実の研究にも力を入れ、「大間成文抄(除目大成抄)」「春除目抄」「秋除目抄」等の著書を残しているほか、日記「殿記」がある。因みに藤原定家は、もと、この良経の家司(けいし:家政を掌る職員)であった(以上は複数の信頼出来る辞書の記載をジョイントした。私は珍しく古典の歌人の中で特に好きな一人であるので、詳注させて貰った)。「日文研」の「和歌データベース」で校合した。

文」既出既注

「王符論」後漢末の儒者王符の「潜夫論」のこと。十巻。「潜夫」とは在野の士という意で、王符は当時(二世紀中頃)の学者であったが、官僚として栄進することが出来ずに隠棲して本書を著わし、時勢を批判した。その立場は学問・道徳を重んじ、徳による人民教化を政治の眼目とするもので、当時の社会や政治を強く批判し、また、迷信・占いなどを排撃した(「ブリタニカ国際大百科事典」の拠る)。

「一犬、形〔(かたち)〕に吠ゆれば、百犬、〔その〕聲に吠ゆ」「一犬、形に吠ゆれば、百犬、声に吠ゆ」「一犬、虚に吠ゆれば、万犬(ばんけん)実(じつ)を伝う」等で人口に膾炙する故事成句。「一人がいいかげんなことを言うと、世間の多くの人は、それを真実のこととして広めてしまう」ということの喩え。

「左傳」「春秋左氏傳」。「春秋公羊伝」「春秋穀梁伝」と合わせて春秋三伝の一つ。孔子と同時代の左丘明が孔子の「春秋」の正しい意味が失われることを恐れ、本書を作り、また「国語」を著わしたと伝えられているが、実際は漢代の学者が「国語」その他の伝承史料により、「春秋」の編年体に合せて編集したものと考えられている。「公羊伝」の政教主義を捨て、「春秋」の背景の史実をのびのびとした文章で記述し、これに義例を加えて倫理道徳の教えを展開したもの(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「犬を使ふ」調教する。

「廣博物志」明の董斯張(とうしちょう)撰になる古今の書物から不思議な話を蒐集したもの。全五十巻。

「其の一歳、人の十歳に當るか」ペットフード・ペット用品通販の「日優犬高松」公式サイト犬の「犬の年齢を人間に換算」によれば、孰れの品種も生後一年で十五歳(私は嘗ては十七歳と聴いた記憶があるが)となり、生後二年で二十四歳で、以下、小型犬は、三年目で二十八歳、中型犬は三年目で二十九歳、大型犬は三年目で三十歳、超大型犬は三年目は三十二歳とする。、小型犬は一年ごとに四歳ずつ、歳を取るような感じで、中型犬・大型犬はもう少しペースが速くなるとある。一昨年の十月二十六日に脳腫瘍で安楽死させた私の三女のアリスは十二年と一ヶ月生きたが、この計算だと、六十五歳を越えていたことになる。そんなおばあさんじゃなかったよね、可愛いアリス……六十の僕の方が……もっとずっと爺さんだったよ…………

「猫・犬の病ひを治す〔には〕」東洋文庫ではこの訳文相当の箇所に注して、『ここは一般的な犬や猪という意味にもとれるが、狆(ちん)(猫犬』(ねこいぬ)『とも狗猫(いぬねこ)ともいう)のことかもしれない。狆は外來種の犬で特別扱いされた唯一の室内犬であった』とする。

「烏藥〔(うやく)〕」クスノキ目クスノキ科クロモジ属クロモジ節 Lindera の常緑低木。中国原産で日本の暖地の山地にも野生する。高さ約三メートル。葉は薄い革質の広楕円形で先がすぼまっており、三本の主脈がはっきりしている。若葉のころは長くて柔らかい毛がある。雌雄異株で、春、淡黄色の小さい花が葉腋(ようえき)にかたまって咲く。実は長さ一センチメートルほどの楕円形で、緑色から赤褐色を経て、黒く熟し、油がとれる。根は暗褐色の長い塊状で香気をもち、健胃剤とする(ここまでは小学館「日本国語大辞典」に拠る)。テンダイウヤク Lindera strychnifolia が知られ、この「烏」というのは本種の根がカラスの頭に似ているため、或いは果実がカラスのように黒いことからとされる。また、和名「天台烏薬」の「天台」とは、中国南部の浙江省の天台地方で良い品質のものがとるためで、ボルネオール(borneolC10H18O:「竜脳」「ボルネオショウノウ」とも呼ばれる二環式モノテルペン(MonoterpeneC10H16:テルペンの分類の一つで、二つのイソプレン単位からなり、環を持つタイプ。テルペン(terpene)とはイソプレン(isoprene:二重結合を二つ持つ炭化水素を構成単位とする炭化水素)を構成単位とする炭化水素で、植物・昆虫・菌類などによって作り出される生体物質の一つ)などの成分を含み、整腸作用があり、一般用漢方製剤二百九十四処方のうち、「烏薬順気散」・「烏苓通気散」など、五処方に配合されている、と「武田薬品工業株式会社」の「京都薬用植物園」公式サイト内のこちらにあった。

竹堂簡便方〔(ろくちくだうかんべんはう)〕」東洋文庫版の「書名注」では、「竹堂簡便諸方」『か。全二巻。明の徐陟』(じょちょく)『撰。医書』とする。

「木鱉子〔(もくべつし)〕」ウリ目ツルレイシ属ナンバンカラスウリ Momordica cochinchinensisウィキの「ナンバンカラスウリ」より引く。『中国南部からオーストラリア北東部、タイ王国、ラオス、ミャンマー、カンボジア、ベトナムに分布する』蔓『植物で』、『別名ナンバンキカラスウリ、モクベツシ(木鼈子)。ベトナム語の名称からガック』『とも呼ばれる』。『雌雄異株の』蔓『植物で、果実は普通』、長さ十三センチメートル、直径十センチメートル『ほどの球形から楕円形』で、『熟した果実の表面は暗橙色で短い刺におおわれ、内部の仮種皮は暗赤色である。収穫期は比較的短く』、十二月から一月が『最盛期となる。農村部の家の玄関や庭園の垣にからんで生えているのが』、『よく見られる』。『ナンバンカラスウリの実は垣根に這わせている植物や自生している植物から収穫される。利用されるのは仮種皮と種子で、もち米と炊き込んでソーイ・ガック』『という濃い橙色の甘いおこわにすることが多い』。『ソーイ・ガックは、旧正月(テト)や結婚式などの慶事に供される料理で』、『米などと混ぜる前に、仮種皮と種子を取り出し、度数の高い酒をふりかけて下処理をすると』、『仮種皮の赤色がより鮮やかになり、種子が外れやすくなる』。『ナンバンカラスウリの果実は薬用としても利用される』。『ナンバンカラスウリの果実はビタミンAの前駆体であるβ-カロテン』(β-carotene)『のようなカロテノイド』(carotenoid:黄・橙・赤色などを示す天然色素の一群)『を豊富に含む』。『ナンバンカラスウリ由来のβ-カロテンを含む米料理を食べたベトナムの子供たちは、対照群と比較してβ-カロテンの血中濃度が高かった』。『ナンバンカラスウリの仮種皮に含まれる油脂には高濃度のビタミンEが溶けている』。『仮種皮の油に含まれる脂肪酸には、カロテノイドのような脂溶性の栄養素の吸収を促進する効果があるかもしれない』。『仮種皮はβ-カロテンとリコペン』(lycopene:カロテンの一種で鮮やかな赤色を呈す有機化合物)『を豊富に含むため』、『ナンバンカラスウリの抽出物はソフトカプセルに入ったサプリメントやミックスジュースとして販売されている。ナンバンカラスウリの果実はリコペンとβ-カロテンの他にも、ガン細胞の増殖を抑える効果がある可能性を持つタンパク質を豊富に含んでいる』とある。

「檳榔〔(びんらう)〕」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu の種子を原材料とした漢方薬剤であろう。アルカロイドを含み、一般には「檳榔子(びんろうじ)」と呼ばれる。ウィキの「ビンロウ」によれば、『檳榔子の粉は単独では歯磨剤や虫下しに使用される。漢方方剤では、女神散(にょしんさん)、九味檳榔湯(くみびんろうとう)などに配合される。日本では薬局方にも記載されている』とある。

「祕笈〔(ひきゆう)〕」東洋文庫の割注に、『明の陳眉公の叢書の名』とある。

「杏仁〔(きやうにん)〕」ウィキの「杏仁」によれば、バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属アンズ Prunus armeniaca の『種子の中にある仁(さね)を取り出したもの。長さは』一・一~一・五ミリメートルと極小で、『形状は扁平の先の尖った卵円形』を成すが、『基部は左右対称ではない』。『古くからバラ科植物の仁は生薬や食用に利用され、杏仁(アンズ)のほか、桃仁(モモ)、梅仁(ウメ)、アーモンドなど』のそれがある。『杏仁には苦みの強い苦杏仁(くきょうにん』『Prunus maximowiczii)と、甘みのある甜杏仁(てんきょうにん)があり、前者は薬用に、後者は杏仁豆腐(あんにんどうふ)、アマレットなどの材料として用いられている』。生薬としての『杏仁は、三国時代(三世紀)頃に編纂されたもっとも古い漢方薬書である』「傷寒論」に載り、「麻黄湯」「大青竜湯」等の『重要な処方に配剤されている大切な薬味である』。『古くから「毒のある薬味」とされており、処方する際は分量を慎重に決めるものとされていた。現在では、分解されると』、『青酸を発生するアミグダリン』(amygdalinC20H27NO11:青酸配糖体の一種。梅干の種にも含まれる)『が含まれていることがわかっている』。『漢方では鎮咳剤として多く用いられている』。『なお、バラ科植物の仁の区別はアーモンドなどを除き』、『極めて』難しく、「本草辨疑」には『桃仁は見分けやすいが、杏仁と梅仁はよく似ているため、杏仁と梅仁が混じって売られていることがあると記されている』。『現実の生薬市場では』前掲書で『見分けやすいとされている桃仁にも』、『杏仁が混入している場合がある』とある。

「保嬰全書」東洋文庫の「書名注」に、医学書「保嬰撮要」『二十巻のことか。明の薛鎧(せつがい)撰。小児の諸種の病状と原因、治療について述べたもの。伝本は稀』とある。

「搜神記」六朝時代の文語志怪小説集。四世紀の晋の干宝の著になる志怪小説集。神仙・道術・妖怪などから、動植物の怪異・吉兆・凶兆の話等、奇怪な話を記す。著者の干宝は有名な歴史家であるが、身辺に死者が蘇生する事件が再度起ったことに刺激され、古今の奇談を集めて本書を著したという。もとは 三十巻あったと記されているが、現在伝わるものは系統の異なる二十巻本と八巻本である。当時、類似の志怪小説集は多く著わされているが、本書はその中でも、比較的、時期も早く、歴史家らしい簡潔な名文で、中国説話の原型が多く記されており、後の唐代伝奇など、後世の小説に素材を提供し、中国小説の萌芽ということが出来る(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。以下の話は、「第二十巻」の以下。

   *

孫權時李信純、襄陽紀南人也、家養一狗、字曰黑龍、愛之尤甚、行坐相隨、飲饌之間、皆分與食。忽一日、於城外飮酒、大醉。歸家不及、臥於草中。遇太守鄭瑕出獵、見田草深、遣人縱火爇之。信純臥處、恰當順風、犬見火來、乃以口拽純衣、純亦不動。臥處比有一溪、相去三五十步、犬卽奔往入水、濕身走來臥處、周囘以身灑之、獲免主人大難。犬運水困乏、致斃於側。俄爾信純醒來、見犬已死、遍身毛濕、甚訝其事。睹火蹤跡、因爾慟哭。聞于太守。太守憫之曰、「犬之報恩、甚於人、人不知恩、豈如犬乎。」卽命具棺槨衣衾葬之、今紀南有義犬葬、高十餘丈。

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なお、同書では、これに続いて、今一件の忠犬譚が載るので、それも引いて、自己流の訓読を附しておく。

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太興中、民華隆、養一快犬、號的尾、常將自隨。隆後至江邊伐荻、爲大蛇盤繞、犬奮咋蛇、蛇死。隆僵仆無知、犬彷徨涕泣、走還舟、復反草中。徒伴怪之、隨往、見隆悶。將歸家。犬爲不食。比隆復蘇、始食。隆愈愛惜、同于親戚。

(太興中[やぶちゃん注:東晋の元帝の年号。三一八年から三二一年。]、の民に華隆あり。一快犬[やぶちゃん注:賢い犬。]を養ひ、「的尾」と號し、常に自づから隨はせて將(ひきゆ)く。隆、後、江邊(かはべ)に至りて荻を伐るに、大蛇、盤繞(ばんねう)を爲す。犬、奮として蛇を咋(は)み、蛇、死す。隆、僵-仆(たふ)れて、知る無し[やぶちゃん注:昏倒して意識がない。]。犬、彷徨し、涕泣して、舟に走り還り、復た、草中に反(か)へる。徒伴(とはん)のもの[やぶちゃん注:舟中にいたこの日の華隆の連れの者。]、之れを怪しみ、隨ひ往き、隆の悶せるを見る。家に將きて歸る。犬、食(ものく)はず[やぶちゃん注:主人のことを心配して物を食おうとしない。]。隆、復た蘇(よみがへ)れる比(ころ)、始めて食ふ。隆、愈々、愛惜し、親戚に同じうす[やぶちゃん注:肉親同様に扱った。]。)

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本文の最後で良安も挙げる、「諸國里人談卷之一 犬頭社(けんとうのやしろ)」(リンク先は私の電子化注)等で知られる、大蛇から主人を救う話柄の最も古形の(ハッピー・エンドの)一つである。

「孫權」(一八二年~二五二年)は三国時代の呉の第一代皇帝(在位:二二二年~二五二年)。呉郡富春(現在の浙江省富陽県)の人。孫堅の子。二〇〇年、兄孫策の急死により、跡を継いだ。孫権は土着豪族及び北から南下した名士の支持を得て、巧みな政治的外交的手腕を揮(ふる)い、遂に江南支配を達成した。劉備と連合して曹操の南下を食止めた「赤壁の戦い」はその間に起ったものである。二二二年、呉王となり、建元して黄武といったが、その時は実際にはまだ、魏の封策を受けていた。二二九年には皇帝の位について独立、建業を首都とした。

「述異記」南斉の祖沖之が撰したとされる志怪小説集。以下が原文。

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陸機少時、頗好游獵、在豪盛客獻快犬名曰黃耳、機後仕洛、常將自隨。此犬黠慧能解人語、又嘗借人三百里外、犬識路自還、一日至家。機羈旅京師、久無家問、因戲語犬曰、「我家無書信、汝能齎書馳取消息不。」。犬喜搖尾、作聲應之。機試爲書、盛以竹筒、系之犬頸。犬出驛路、疾走向、飢則入草噬肉取飽。每經大水、輒依渡者弭耳掉尾向之、其人憐愛、因呼上船。裁近岸、犬卽騰上、速去如飛。逕至機家、口銜筒作聲示之。機家開筒取書、看畢、犬又向人作聲、如有所求、其家作答書筒、複系犬頸。犬既得答、仍馳還洛。計人程五旬、而犬往還裁半月。後犬死、殯之、遣送還葬機屯南、去機家二百步、聚土爲墳、屯人呼爲「黃耳塚」。

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「陸機」三国時代から西晋にかけての文学者・政治家・武将であった陸機(二六一年~三〇三年:呉(江蘇省呉県)の人。祖父遜は呉の宰相、父抗は大司馬となった名門の出身 二十歳の時、呉が滅びると、暫く別荘に引き籠っていたが、太康の末に、弟の陸雲とともに晋に仕えた。宰相張華に認められ、また賈謐(かひつ)のもとに集まる文学集団にも加わり、北方文人とも交わった。やがて恵帝の代となって政局が不安定となり、八王の乱が起ったとき、そのなかに巻込まれ、陸雲とともに殺された。その詩は修辞に重きを置き、華麗な言葉や対句の技巧を用い、六朝の華美な詩風の先駆けとなった。また、「文賦」は彼の文学批評の方法を述べたものとして著名である。作品は「陸士衡集」十巻に纏められている。ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)の家は呉の都建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったらしいウィキの「陸機」に拠る)建業は嘗ての呉の首都であったから、取り敢えず上海よりは洛陽に近いこことしても、その距離は、直線でも、六百五十キロメートルを超える。また、「『三国時代の文学スレッド』まとめサイト」のこちらに、「晉書」の「陸機伝」及び、良安が参照したと思われるものとほぼ同じ(より詳しい)、「芸文類聚」巻九十四の原文・書き下し文・訳が贅沢に載るので、必見。そこの「スレッド」の書き込みでは、陸機の故郷である華亭(上海市松江県)までの直線距離を示してあり、ざっと一千キロメートルとする。なお、「黃耳塚」も残念なことに現存しないようである。

『「太平記」に詳らかなり』「太平記」の巻第二十二の巻頭にある「畑六郎左衞門事」であるが、全体はかなり長い。冒頭から彼の「犬獅子」に関わる所までを以下に引く。底本は新潮日本古典集成版を参考に、恣意的に漢字を正字化して示し、一部の注は同書の傍注や頭注を参照した。

   *

 さる程に京都の討手大勢にて攻下しかば、杣山城(そまやまのしろ)も落とされ、越前・加賀・能登・越中・若狹五箇國の間に、宮方(みやがた)[やぶちゃん注:南朝方。]の城、一所も無かりけるに、畑六郞左衞門時能(ときよし)、僅に二十七人籠りたりける鷹巢城(たなのすのしろ)ばかりぞ相殘りたりける。一井兵部少輔(いちのゑひやうぶのせう)氏政は、去年、杣山城より平泉寺へ越えて、衆徒(しゆと)を語ひ、旗を擧げんと議せられけるが、國中(こくちゆう)、宮方、弱うして、與力する衆徒も無かりければ、これも同く鷹巢城へぞひき籠りける。

「時能が勇力(ゆうりよく)、氏政が機分(きぶん)、小勢なりとてさしおきなば、いかさま天下の大事に成るべし。」

とて、足利尾張守高經・高(かうの)上野介師重、兩大將として、北陸道七箇國の勢七千餘騎を率して、鷹巢城の四邊を千、百重(ひやくぢゆう)に圍まれ、三十餘箇所の向ひ城(じろ)をぞ取つたりける。

 かの畑六郞左衞門と申すは、武藏國の住人にてありけるが、歳十六の時より相撲を好んで取りけるが、坂東八箇國に更に勝つ者、無かりけり。腕の力、筋(すぢ)太うして、股のむら肉(じし)厚ければ、かの薩摩の氏長[やぶちゃん注:薩摩隼人で後に平氏を名乗った、仁明天皇の御代(天長一〇(八三三)年~嘉祥三(八五〇)年)の相撲の名人。]もかくやと覺えておびただし。その後、信濃國に移住して、生涯、山野江海、獵り・漁(sなど)りを業(げふ)として、年久しくありしかば、馬に乘つて惡所・岩石を落とす事、あたかも神變を得るが如し。ただ、造父(ざうほ)[やぶちゃん注:周の穆(ぼく)王に仕えた馬術の名人。]が御(ぎよ)を取つて、千里に疲れざりしも、これには過ぎずとぞ覺えたる。水練は、また、憑夷(ふい)[やぶちゃん注:「憑夷」が正しい。中国の治水神の名。]が道を得たれば、驪龍頷下(りりようがんか)の珠(たま)[やぶちゃん注:黒龍の顎の下にあるとされた宝珠。]をもみづから奪ふべし。弓は養由(やういう)[やぶちゃん注:春秋時代の弓の名人。]が迹を追ひしかば、弦(つる)を鳴して、遙なる樹頭(じゆとう)の栖猿(せいゑん)をも落しつべし。謀(はかりごと)巧みにして、人を眤(むつ)び、氣、すこやかにして心たわまざりしかば、戰場に臨むごとに敵を靡(なび)け、堅きに當たる事、樊噲(はんくわい)・周勃[やぶちゃん注:漢の高祖に従い、漢建国に功績があった。]が得ざる道をも得たり。されば、物は類を以つて聚まる習ひなれば、彼が甥に所大夫房快舜(ところのだいふばうくわいしゆん)とて、少しも劣らざる惡僧あり。また、中間(ちゆうげん)に惡八郞とて、缺脣(いぐち)[やぶちゃん注:兎口(みつくち)。]なる大力(だいりき)あり。又、「犬獅子(けんじし)」と名を付けたる不思議の犬、一疋、有りけり。此三人の者ども、闇にだになれば、或いは帽子冑(ばうしかぶと)[やぶちゃん注:鉢が丸く、帽子のように見える兜。]に鎖を著て、足輕に[やぶちゃん注:素早く。]出で立つ時もあり。或いは大鎧(おほよろひ)に七つ物持つ時もあり。さまざまに質(だて)[やぶちゃん注:方法。]を替へて敵の向ひ城に忍び入る。先づ、件(くだん)の犬を先立てて、城の用心の樣(さま)を伺ふに、敵の用心きびしくて、隙(ひま)を伺ひ難き時は、此の犬、一吠、吠えて、走り出で、敵の寢入り、夜𢌞りも止む時は、走り出でて、主に向ひて尾を振つて告げける間、三人ともに此の犬を案内者にて、屛(へい)をのり越え、城の中へ打ち入つて、喚(をめ)き叫んで、縱橫無碍(むげ)に切りて𢌞りける間、數千の敵軍、驚き騷いで、城を落されぬは無りけり。「夫(それ)、犬は守禦(しゆぎよ)を以つて人に養はる」といへり。誠に心無き禽獸も、報恩・酬德の心有るにや、斯かる事は先言(せんげん)にも聞きける事あり。昔、周の世衰へんとせし時、戎國(じゆうこく)亂れて王化に隨はず、兵を遣はして是れを責む雖も、官軍、戰ひに利無く、討たるる者、三十萬人、地を奪はるる事、七千餘里、國、危く、士、辱しめられて、諸侯、皆、彼に降(くだ)らん事を乞ふ。爰(ここ)に周王、是を愁へて、扆[やぶちゃん注:玉座。元は王座の後ろに立てた屏風。]を安じ給はず。折節、御前に犬の候ひけるに、魚肉を與へ、

「汝、若(も)し心有らば、戎國に下つて、竊かに戎王を喰ひ殺して、世の亂(みだれ)を靜めよ。然らば、汝に三千の宮女を[やぶちゃん注:「から」の意。]一人下して、夫婦となし、戎國の王たらしめん。」

と戲れて仰せられたりけるを、此の狗、勅命を聞きて、立つて、三聲、吠えけるが、則ち、萬里の路を過ぎて、戎國に下りて、偸(ひそ)かに戎王の寐所へ忍び入りて、忽ちに戎王を喰ひ殺し、其の頸を咆(くは)へて、周王の御前へぞ進(まゐ)りける。等閑(なほざり)に戲れて勅定(ちやうぢやう)ありし事なれども、

「綸言(りんげん)改め難し。」[やぶちゃん注:皇帝の仰せを覆すことは出来ない。]

とて、后宮(こうきゆう)を一人、此の狗に下されて、夫婦と爲(な)し、戎國を其の賞にぞ行はれける。后(きさき)三千の列に勝(すぐ)れ、一人(いちじん)の寵(ちよう)厚(あつ)かりし其の恩情を棄てて、勅命なれば力無く、かの犬に伴ひて、泣々、戎國に下りて、年久しく住み給しかば、一人の男子を生めり。其の形、頭(かしら)は犬にして、身は人に變はらず。子孫相續いて戎國を保ちける間、之れに依つて、かの國を「犬戎國」とぞ申しける。彼(かれ)を以つて之れを思ふに、此の「犬獅子」が行くをも、珍しからずとぞ申しける。されば、此の犬、城中に忍び入りて、機嫌[やぶちゃん注:攻め込むに相応しい時機。]を計りける間、三十七箇所に城を拵へ分かつて、逆木(さかもぎ)を引き、屛(へい)を塗りたる向ひ城ども、每夜、一つ二つ打ち落され、物具(もののぐ)を捨て、馬を失ひ、恥をかく事多ければ、敵の強きをば顧みず、御方(みかた)に笑はれん事を恥ぢて、偸(ひそ)かに兵粮(ひやうらう)を入れ、忍び忍び、酒・肴を送りて、

「然るべくは、我が城を夜討になせそ。」

と、畑を語(かた)らはぬ者[やぶちゃん注:頼んで懇請をしない者。]ぞ無かりける。[やぶちゃん注:以下、略。]

   *

『播州牧夫〔(ひらふ)〕が二犬、主の急難を救ひ、而も其の敵を囓み殺すと』本邦の犬塚(義犬墓)を渉猟した非常に優れた考察である必見の日本獣医史学会理事長小佐々学氏の論文「日本愛犬史 ヒューマン・アニマル・ボンドの視点からPDF。なお、「Human Animal Bond」は「人と動物の絆」の意。略して「HAB(ハブ)」とも呼ばれる)に、「播州犬寺(いぬでら)の義犬塚」として(ピリオド・コンマを句読点に、アラビア数字を漢数字に代えさせて戴いた)、

   《引用開始》

 蘇我入鹿に従軍した播磨の長者枚夫(ひらふ)(または秀夫(しゅうふ))を殺そうとした下僕を咬み殺して主人を救った白犬と黒犬の二頭を弔うために、枚夫が犬寺(金楽山法楽寺)と墓碑を建立したとされている。福本の義犬墓〔七世紀初期〕の話、兵庫県神河町福本〕は、「白犬石塔」という梵字以外無銘の宝筺印塔(ほうきょういんとう)と「黒犬石塔」という無銘の五輪塔がある。また、長谷の義犬塚〔同時代の話、同県神河町長谷〕には、枚夫の二頭の義犬のうち一頭がこの地で死んだため弔ったとされる無銘の犬塚がある。これらの墓は後世の作で犬の墓とする確証はなく、二頭の犬に三カ所の墓があることになる。

   《引用終了》

とある。「播州犬寺」の異名を自称される兵庫県神崎郡神河町中村にある真言宗法楽寺(ここ(グーグル・マップ・データ))の公式サイトのこちらにも「縁起」と、詳しい「播州犬寺物語」が載るので参照されたい。それによれば、事件は大化年間(六四五年~六五〇年)とする。但し、そこで枚夫が入鹿の要請で都に上ったとする解説部分では、これは蘇我入鹿が斑鳩宮の聖徳太子の子山背大兄王を襲撃させた時の出陣命令かと推定している。だとすると、それは皇極天皇二年十一月一日(六四三年十二月二十日)であるから、ズレがある。なお、以上から良安の「牧夫」は「枚夫」の誤認と考えられる。次注も参照されたい。

「播州犬寺の下に詳らかなり」本「和漢三才図会」の「第七十七巻」の「播磨」の「犬寺」の項を指す。以下に電子化する。

   *

犬寺   在書寫山之奥

 播州牧夫【蘇我入鹿之從者】之妻與僕密通僕却欲弑主語曰

 山中有鹿猪集處不令他人知君與我潜往獵之牧夫

 大喜行焉有二黑犬相從入深山僕上高處彎弓曰我

 紿倡來今奪命而能濟君身後牧夫解所帶畋粮與犬

 曰我死於此汝等囓其屍莫令有遺餘矣二犬埀耳聴

 已一犬躍行囓斷僕之弓絃一犬嚼僕之喉斃之牧夫

 將二犬還家乃逐其妻又以爲二犬如猶子我資財皆

 是二犬之有也然畜齡短不幾二犬自斃牧夫歎曰前

 言不可渝也便捨田貨建伽藍安千手大悲像薦冥福

 祠二犬爲地主神桓武帝聞之勑爲官寺

犬寺(いぬでら)   書寫山の奥に在り

播州の牧夫(かみが)[やぶちゃん注:総てママ。]【蘇我入鹿の從者。】の妻、僕(めしつかひ)と密かに通づ。僕、却つて主〔(あるじ)〕を弑(し)せんと欲し、語りて曰はく、「山中に、鹿・猪の集まる處、有り。他人をしてしらしめずして、君と我と、潜〔(ひそか)にに往きて之れを獵〔(と)〕牧らん」〔と〕。牧夫、大いに喜んで行く。二つに黑犬、有り。相ひ從へて深山に入る。僕、高〔き〕處に上り、弓を彎(ひ)いて、曰はく、「我、紿(あざ)むき、倡〔(ともな)〕い[やぶちゃん注:ママ。]來たる。今、命を奪ひて、能く君の身後〔(しんご)〕を濟(すく)はん[やぶちゃん注:後生を弔って差し上げましょうぞ。]」〔と〕。牧夫、帶ぶる所の畋-粮〔ゑさ〕[やぶちゃん注:狩りの際に携帯する糧食。]を解き、犬に與へて曰はく、「我れ、此に死す。汝等、其の屍(しかばね)を囓(うはへ)て、遺餘有らしむること莫〔(なか)〕れ」と。二犬、耳を埀れて聴き、已に一犬、躍り行くには、僕が弓の絃〔(つる)〕を囓(く)ひ斷(き)る。一犬、僕が喉を嚼(か)みて之れを斃〔(たふ)〕す。牧夫、二犬を將〔(ひきい)〕て家に還りて、乃〔(すなは)〕ち、其妻を逐(をひや)り、又、以爲(おもへ)らく、『二犬、猶子のごとし。我が資財、皆、是れ、二犬の有(ゆう)なり』〔と〕。然れども、畜の齡(よはひ)、短く、幾(いくばく)ならず〔して〕、二犬、自-斃(し)す。牧夫、歎して曰はく、「前言、渝(かは)るべからず」と。便〔(すなは)〕ち、田貨を捨て[やぶちゃん注:寺に喜捨し。]伽藍を建てて、千手大悲の像を安じ、冥福を薦〔(ささ)げ〕、二犬を祠り、地主の神と爲す。桓武帝、之れを聞き、勑して官寺と爲す。

   *

東洋文庫訳では、割注で二匹の犬の名を『大黒・小黒』とし、また、最後に以上の良安の解説は「元亨釈書」(げんこうしゃくしょ:鎌倉後期の仏教書。全三十巻・目録一巻。虎関師錬(こかんしれん)著。元亨二(一三二二)年成立。仏教渡来から七百年間の高僧四百余名の伝記と史実を漢文体で記したもの)に拠る旨の割注が附されてある。

「宇都(うつ)右衞門五郞が犬、誤りて斬らる。而〔(しか)れど〕も、其の頭〔(かうべ)〕、飛びて、蛇(うはばみ)を囓み殺し、主の危難を救ふ」先にも掲げた「諸國里人談卷之一 犬頭社(けんとうのやしろ)」の本文及び注で、人物やロケーションを仔細に述べてあるので参照されたい。なお、次の注も見られたい。

「參州犬頭〔(けんづ)〕の社〔(やしろ)〕の下に詳らかなり」本「和漢三才図会」の「第七十七巻」の「參河」の「犬頭社(けんづのやしろ)」の項を指す。以下に電子化する。

   *

犬頭社   在上和田森崎

 犬尾社在下和田天正年中領主宇津左門五郞忠茂

[やぶちゃん注:「左門」はママ。訓読では「衞」を補った。]

 一時獵入山家有白犬從走行到一樹下忠茂俄爾催

 睡眠犬在傍咬衣裾引稍寤復寐犬頻吠于枕頭忠茂

 怒妨熟睡拔腰刀切犬頸頭飛于樹梢嚙着大蛇頸主

 見之驚切裂蛇而還家感犬忠情埋頭尾於兩和田村

 立祠祭之 家康公聞之甚感嘆焉且以有徃徃靈驗

 賜采地蓋宇津氏大久保一族先祖也【犬有忠功也多詳于狗之下】

犬頭(けんづの)   上和田森崎に在る

 犬尾〔(けんび)の〕社は下(しも)和田に在り。天正年中[やぶちゃん注:ユリウス暦一五七三年からグレゴリオ暦一五九三年。]に、領主宇津左衞門五郞忠茂、一時(あるとき)、獵(かり)して山に入る。家に白犬有りて從ひて走り行く。一樹の下に到りて、忠茂、俄-爾(にはか)に睡眠を催(もよほ)し、犬、傍に在っりて、衣の裾(すそ)を咬(くは)へて、引く。稍〔(やふや)〕く寤(さ)めて〔むるも〕、復た、寐(ね)る。犬、頻(しきり)に枕頭に吠ゆ。忠茂、熟睡を妨(さまたぐ)ることを怒りて、腰刀を拔きて、犬の頸(くび)を切る。頭〔(かしら)〕、樹の梢に飛んで、大蛇の頸(くびすぢ)に嚙(く)ひ着(つ)く。主、之れを見て驚き、蛇を切り裂き、家に還る。犬の忠情を感じ、頭尾を兩和田村に埋(いづ)み、祠(ほこら)を立て、之れを祭る。 家康公、之れを聞(きこしめ)して、甚だ感嘆あり。且(そのうへ)、徃徃(わうわう)靈驗〔(れいげん)〕有るを以つて采地を賜ふ。蓋し、宇津氏は大久保一族の先祖なり【犬、忠功有るや、多し。詳狗の下に詳(つまびら)かなり。】。

   *

ここで忠茂が俄かに眠くなってしまうのは、樹上の蟒蛇(うわばみ)が邪悪な霊力を以ってしたことであることは言うまでもない。また、ここで忠茂が首を刎ねたことを、暗愚と思うのは読みが浅いと言わざるを得ない。寧ろ、この犬は、主人に首を刎ねてもらうために、敢えて裾を引いたのかも知れぬ、ということに気づかねばならない。そうでなくては、樹上の高い位置に潜む大蛇の、その急所たる首筋に咬みつくことは、犬には到底、不可能だからである。急所を押えれば、死にはせずせずとも、主人に掛けた麻酔の術は中断されて解けるからである。さても、既にお判りの方もあろう。これは中国の「干将莫耶(かんしょうばくや)の剣と眉間尺(みけんじゃく)」に纏わる、かの数奇異様な伝奇伝承のエンディングの首が闘う凄惨な(一面からはブットビ過ぎて滑稽とも言える)シークエンスが淵源にあるのではないかと私は踏むからである。この話を御存じない方は、私の柴田宵曲 續妖異博物館「名劍」(その1)の本文や私の注を参照されたい。


 ―本電子化注を亡き三女アリスに捧ぐ―

 
 

2019/02/08

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 豕(ぶた) (ブタ)

 

和漢三才圖會卷第三十七

      攝陽 城醫法橋寺島良安尚順

 

   畜類

 

Buta

 

ぶた     豭【牡】  彘【牝】

       豶【去勢】 𤜸【大豕】

       猪【豕子豬同豚𣫔並同】

【音詩】

      豕【和訓井俗云布太】

スウ     猪【和訓井乃古】

[やぶちゃん注:の個所に上図の下の篆書風の文字が入る(これは今まで通り、東洋文庫の挿絵を読み込み、編集権に抵触しないように、印字された大標題の活字「豕」及び左端の「スウ」を消去したものである。即ち、実際には、標題「豕」の右手に、この左印の「豕」の字が入る、特異点なのである(「スウ」は「」への左ルビなのではなく、今まで通り、大標題である「豕」への中国語カタカナ音写である)。私の言っている意味が判らない方のために、私が訓点の判読に迷う際や図版を清拭する時の汚れの確認等の参考にしている、国立国会図書館デジタルコレクションの明三四(一九〇二年中外出版社刊「和漢三才圖會」の当該部分の画像をトリミングして以下に掲げておく。

 

Butasankou

 

この画像で、今までの私の標題部の電子化の仕儀が納得いかれることであろう。なお、参考画像の下部が二重罫線になっているのは同書が二段組で、当該画像は、その下部記事であるための大枠の下部罫線であるためである。原典の罫線は下部も並の一本線である。]

 

本綱豕高大有重百餘斤食物至寡甚易畜養之甚易生

息天下畜之而各有不同或耳有大有小足有長有短皆

從土地異其孕四月而生在畜屬水在卦屬坎應室星其

性趨下喜穢也文豕字象毛足而後有尾形牡曰豭牝

曰彘【又曰豝曰】去勢曰豶四蹄白曰猪高五尺曰𤜸豕之

子曰豬【猪同】一子曰特二子曰師三子曰豵末子曰么生三

月曰六月曰凡豬骨細筋多

肉【苦微寒有小毒】 傷寒瘧痢痰痼痔漏諸疾食之必再發【反烏梅桔

梗黃連胡黃連令人潟痢合生薑食生靣合蕎麥食落毛髮】

脂膏【俗云末牟天伊加】 通小便黃疸水腫治皸裂及諸瘡

猪膽 治大便不通【以葦筒灌入膽汁立下】 小兒五疳殺蟲

 西戎人用猪膽作藥名底野迦似久壞丸藥赤黑色胡

 人甚珍重之主治百病中惡心腹積聚

猪頭 五月戊辰日以之祀竃所求如意以臘猪耳懸梁

 上令人豊足此亦厭禳之物也

按豕以易畜長崎及江戸處處多有之然本朝不好肉

 食又非可愛翫者故近年畜之者希也且豕猪共有小

 毒不益于人而華人及朝鮮人以雞豕爲常食

字彙云犬者喜雪馬者喜風豕者喜雨天將雨則豕進渉

 

 

ぶた     豭(をいのこ)【牡。】

       彘(めいのこ)【牝。】

       豶(へのこなしのい)

        【勢を去〔れるもの〕。】

 𤜸〔(やく)〕【大豕。】

       猪(いのこ)

        【豕の子なり。「豬」〔も〕同じ。

         「豚」「𣫔」、並〔びに〕同じ。】

【音、「詩」。】

      豕(ぶた)【和訓、「井〔(ゐ)〕」。

         俗に云ふ、「布太」。】

スウ     猪(ゐのこ)【和訓、「井乃古」。】

[やぶちゃん注:読み(原典ルビ)の「い」は総てママ。「へのこ」は通常は「陰茎」を指すが、ここは去勢することであるから、睾丸を含むの生殖器のこと。]

 

「本綱」、豕は高大にして重さ百餘斤有り。物を食ふ〔こと〕至つて寡(すくな)く甚だ畜〔(か)〕ひ易く、之れを養〔ふも〕、甚だ生-息(そだ)ち易し。天下、之れを畜(か)いて、而〔(しか)〕も、各々、不同〔(どう)〕をせざる有り、或いは、耳に、大、有り、小、有り、足に長き有り、短き有り、皆、土地に從〔(より)〕て異なり。其〔れ、〕孕(はら)むこと、四月〔(よつき)〕にして生ず。畜〔(ちく)〕[やぶちゃん注:家畜。]に在りては、「水(すい)」に屬し[やぶちゃん注:五行の「水」。]、卦〔(けい)〕に在りては、「坎(かん)」に屬し[やぶちゃん注:八卦(はっけ)の一つ。]、「室星〔(しつせい/はつゐぼし)〕」に應ず。其の性〔(しやう)〕、趨下(すうげ)[やぶちゃん注:ある存在の下方に向かうことを言う。]にして穢〔(けがれ)〕を喜〔(この)〕む。「文」、「豕」の字、毛足ありて後ろに尾有る〔ものの〕形に象(かたど)る。牡を「豭〔(か)〕」と曰ひ、牝を「彘〔(てい)〕」と曰ふ【又、「豝〔(は)〕」と曰ひ、「〔(らう)〕」と曰ふ。]】勢(へのこ)を去るを「豶〔(ふん)〕」と曰ひ、四つの蹄〔(ひづめ)〕の白〔き〕を「猪〔(がいちよ)〕」と曰ふ。高さ五尺なるを「𤜸〔(やく)〕」と曰ふ。豕の子「豬〔(ちよ)〕」と曰ふ【「猪」に同じ。】。一子を「特」と曰ひ、二子を「師」と曰ひ、三子を「豵〔そう〕」と曰ひ、末子を「么〔(えう)〕」と曰ふ。生じて三月〔(みつき)〕なるを「〔(けい)〕」と曰ひ、六月〔(むつき)〕なるを「〔(そう)〕」と曰ふ。凡そ、豬〔(ぶた)〕は、骨、細く、筋〔(すぢ)〕、多し。

肉【苦、微寒。小毒、有り。】 傷寒・瘧痢〔(ぎやくり)〕・痰痼〔(たんこ)〕・痔漏〔などの〕諸疾、之れを食へば、必ず、再發す【烏梅〔(うばい)〕・桔梗・黃連〔(わうれん)〕・胡黃連に反し[やぶちゃん注:以上の特定の薬物と相性が極めて悪いことを言う。]、人をして潟痢〔(しやり)〕[やぶちゃん注:下痢。]せしむ。生薑〔(しやうが)〕と合して食へば、靣[やぶちゃん注:顔に生ずる著しい吹き出物。]、生ず。蕎麥〔(そば)〕と合〔はせ〕食へば、毛髮を落とす。】。

脂膏〔(しかう/あぶら)〕【俗に云ふ、「末牟天伊加〔(マンテイカ)〕」。】 小便・黃疸・水腫を通じ、皸裂〔(ひびわれ)〕及び諸瘡を治す。

猪膽〔(ちよたん)〕 大便〔の〕不通を治す【葦(よし)の筒を以つて、膽汁を灌〔(そそ)〕ぎ入〔るれば〕、立ちどころ〔に〕下〔(くだ)れり〕。】。 小兒の五疳〔の〕蟲を殺す。

西戎〔(せいじゆう)〕の人、猪膽を用ひて、藥を作り、「底野迦〔(テリアカ)〕」と名づく。久-壞(ふる)き丸藥に似て赤黑色〔なり〕。胡人、甚だ之れを珍重す。百病中〔の〕惡心〔(おしん)〕・腹〔の〕積聚〔(せきじゆ)〕[やぶちゃん注:腹の中のしこり。]を治することを主〔(つかさど)〕る。

猪頭〔(ちよとう)〕 五月戊辰〔の〕日、之れを以つて、竈〔(かまど)〕を祀〔(まつ)〕れば、求むる所、意のごとし。臘猪〔(らうちよ)〕[やぶちゃん注:臘月(ろうげつ:旧暦十二月の異名)に屠殺した豚。]の耳(みゝ)を以つて梁(うつばり)の上に懸くれば、人をして豊足〔(はうそく)〕ならしむ[やぶちゃん注:「豊衣足食」の略。衣服も食べ物も満ち足りて、豊かな生活が出来ること。]。此れも亦、厭禳〔(えんじやう)〕[やぶちゃん注:祝祭することで邪気を払う呪(まじない)をなすこと。]の物なり。

按ずるに、豕は、畜ひ易きを以つて、長崎及び江、處處に、多く之れ有り。然れども、本朝、肉食を好まず、愛翫すべき者に非ず。故に、近年、之れを畜ふ者、希なり。且つ、豕〔(ぶた)〕・猪(ゐのこ)共に小毒有りて、人に益〔(えき)〕あらず。而か〔れど〕も、華人及び朝鮮人、雞・豕を以つて常食と爲す。

「字彙」に云はく、『犬は、雪を喜び、馬は風を喜び、豕は雨を喜ぶ。天、將に雨〔(あめふ)〕らんとするに、則ち、豕、進みて水を渉〔(わた)〕る』〔と〕。

[やぶちゃん注:動物界 Animalia 脊索動物門 Chordata 脊椎動物亜門 Vertebrata 哺乳綱 Mammalia 鯨偶蹄目 Cetartiodactyla イノシシ亜目 Suina イノシシ科 Suidae イノシシ属 Susイノシシ亜種ブタ Sus scrofa domesticus。イノシシ(Sus scrofa)を家畜化したもの。なお、イノシシの方は次の巻第三十八の「獸類」に「野豬(ゐのしし)」として出るから、この条の字には「猪」「豬」などあり、「いのこ」などとも読んでいるが、一部(最後の方の良安の「猪(ゐのこ)」は原種であるイノシシのことであろう)を除き、総て「イノシシ」ではなく、「ブタ」を指している点を注意して読まれたい。余りに馴染みのある動物であるので(因みに、私は物心ついた頃から、生きているブタが大好きな人間で、出来れば、飼いたいと思ったことさえある)、ウィキの「ブタ」からは、「ブタの飼育史」の「東アジア」の項のみを引く。『東アジアでは中国の新石器時代からブタは家畜化されていた。中国南部を発祥地とするオーストロネシア語族は南太平洋にまでブタを連れて行った。満州民族の先祖である挹婁人、勿吉人、靺鞨人は寒冷な満州の森林地帯に住んでいるので、ブタを盛んに飼育し、極寒時にはブタの脂肪を体に塗って寒さを防いでいた』。『豚は現代中国や台湾でもよく食べられ、中華料理で重要な食材となっている。中国語で単に「肉」といえば豚肉を指すほどで、飼育量も世界最大である。これに対して、中国で牛肉は農耕用に使われた廃牛や水牛を利用する程度で、食用としては硬すぎたり』、『筋張ったりし、それほど好まれなかった』。『朝鮮半島(特に韓国)では、縁起の良い動物とされている。漢字の「豚」を朝鮮語読みした「トン』『」が、「お金」を意味する朝鮮語(固有語)と綴りが同じためである。ブタ型の貯金箱に人気があり、「ブタの夢を見るとお金が貯まる」と言われ、宝くじを買ったりする。なお、朝鮮語の固有語では「豚」は「テジ』『」といい、イノシシは「メッテジ』『」という』。『ベトナム料理でも祝い事や廟への供物などに子豚の丸焼きを用意したり、ティット・コー(豚の角煮』『)や、焼豚を載せたライスヌードルであるブン・ティット・ヌオン』『が日常的に食べられたりするなど、中国文化を受けて』、『ブタは食材として重要である。中国語同様、ベトナム語でも単に「肉』『」といえば豚肉』『を指す』。『現代中国語では、「ブタ」は「豬(=繁体字)/猪(=簡体字)」と表記され、チュー(zhū)と呼ぶ。古語では「豕」(シー shǐ)が使われた』。「西遊記」に『登場する猪八戒は』、『ブタに天蓬元帥の魂が宿った神仙で、「猪(豬)」は「朱」(zhū、中国ではよくある姓)と音が通じるために姓は「朱」にされていた。しかし明代に皇帝の姓が「朱」であったため、これを憚って』、『もとの意の通り「猪(豬)」を用い、猪八戒となった』。『韓国やベトナムを含め、日本を除く東アジア漢字文化圏では、原則として亥年は「豚年」である』。

「百餘斤」明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、六十キログラム弱。

「室星〔(しつせい/はつゐぼし)〕」二十八宿(中国古代の星座の区分。黄道(こうどう)を二十八に分けて、星座の所在を示した)の一つ。現在のペガスス座のαβ星に相当する。 

「彘(めいのこ)【牝。】」なるほど。「鴻門の会」で樊噲(はんかい)が出されて食った生の豚肉の硬い肩の肉はの豚のそれだったのだな。漢の高祖の死後に呂后(りょこう)が高祖の愛妾戚(せき)夫人の手足を切って、目を抉り、耳を焼き、厠に入れて「人彘(じんてい)」と名づけたのも、これでしっくりくるというものか。なお、そこで便所に入れたのは、古くから、豚が便所の下で飼われており、人糞を有効にリサイクルして餌としていたからであって、その部分は異常な仕儀なのではないので、念のため。「圂」があり、これは字を見れば一目瞭然で、元は「豚小屋」の意であるが、その上には概ね、人が便所あったわけで、後に「圂」は厠の意ともなったのである。

「豶(へのこなしのい)」陰茎去勢した牡豚普通に牡の豚の意もある。

𣫔」は前に出た「黃腰獸」という異獣の別名でもあるので注意されたい。

文」「説文解字」。既出既注

『牡を「豭〔(か)〕」と曰ひ、牝を「彘〔(てい)〕」と曰ふ【又、「豝〔(は)〕」と曰ひ、「〔(らう)〕」と曰ふ』「本草綱目」(「巻五十上」の「獸之一畜類二十八種 附七種」の巻頭の「豕」)の釈名では、単に「牡曰豭曰牙牝曰彘曰豝曰」と並べるだけであるので、これらの「豝」と「」をどのような豚(性別・形状)に当たるかを述べていない。ところが、調べてみると、「豝」は二歳の豚を指すともあり(「漢字林」)、中文サイトの辞書では「」は「母猪」とある。よく判らぬ。

『一子を「特」と曰ひ、二子を「師」と曰ひ、三子を「豵〔そう〕」と曰ひ、末子を「么〔(えう)〕」と曰ふ』これは中国の人間の長幼の序の呼称の比定呼称だろうから(載道派の文人は好んで人に比喩するものである)、そうなると、「一子」は「いつし」で第一子で、以下、順に「二子」は「にし」、「三子」は「さんし」、「末子」(「ばつし・まつし」)は末っ子ということになると私は読んだ。ところが、東洋文庫訳は原文の「一子」を『ひとつ子』と訳し、「二子」に『ふたご』とルビする。とすれば、ルビはないが、「三子」は「みつご」だ。それはそれで文句はないが、だとすると、最後の「末子」だけが呼称がおかしいことになる。こういう文章で最後だけが属性が異なるというのは、漢文学の表現では稀ではないかと思う。しかし、現行の豚(改良されいるから何とも言えないが)は一度に十匹以上は産むのが普通だ。明代(ここはやはり「本草綱目」の「釈名」に出ている)のブタが、産頭数が少なかったのかも知れぬ(この叙述をそのように読むなら、四頭生むのが普通だったとも読める)。以上、私には不審なので特に言い添えておく。なお、最後の「么」は現代仮名遣で音「ヨウ」「小さな・幼い」の意で腑に落ちる。「豵」は「漢字林」には一歳の豚とする。【2019年2月9日追記】いろいろな記事で小生の疑問に答えて下さるT氏より、メールを戴いた。以下、整理させて貰うと、まず、この記載の最も古いものは「爾雅」の「釋獸」で、

   *

豕、子豬。、豶。幺幼。奏者。豕生三豵、二師、一特。所寢、檜。

   *

とある。この「爾雅」にはいろいろな注釈があるが、知られた郭璞の「爾雅注疏」の「巻十」「釋獸第十八」の中に、

   *

豕子、豬。[やぶちゃん注:中略。]么、幼【最後生者、俗呼爲么豚。么、音腰。】。[やぶちゃん注:中略。]豕生三豵、二、師、一、特。豬生子常多、故別其少者之名。

   *

とあり、また、宋の羅願撰の「爾雅翼」の「巻二十三」の「豵」の釈文に、

   *

豕、生三子謂之「豵」、生二則謂之「師」、生一則謂之「特」。郭氏以爲、豕生子、常多故、別其少者之名「豵」。從「從」義、猶「從」也。

   *

 

とあることをお教え下さり、この『一子を「特」と曰ひ、二子を「師」と曰ひ、三子を「豵〔そう〕」と曰ひ、末子を「么〔(えう)〕」と曰ふ』のは、中国で『昔から多産の豚が』、『少子しか生まなかった時に』、『特別に名づけ』た名『との事』で、『「末子曰么」は』先の『「爾雅」の「 幺幼。」の変奏と思います』とお伝え下さった。私は返信で、『少ない産児に対する呼称でしたか。少ないからこそ名を付けて大事にしたのでしょうか。或いは、その呼称に呪的な意味があり、ちゃんと成豚となり、子を増やすような呪的意味があったのかも知れませんね』と記した。因みに、T氏はこの「么」の字を良安が使用していることに着目され、『この「末子曰么」ですが、日本で刊行された国会図書館で公開の「本草綱目」を見ると、寛文一六三二本草綱目(以下、総て当該頁リンクといた)が「么」、寛永一四(一六三七)が「公」、承應二(一六五三)も「公」、正徳 (一七一四)も「公」、刊期不明の江戸版の「本草綱目」でも「公」と、寛永十四年以降のものは「末子曰公」となっています(爾雅から言って校正ミスか?)。良庵先生は中国舶載版「本草綱目」をもっていたか、寛文九年またはそれ以前の日本版(?)を持っていたと推定されます。ちなみに、貝原益軒の「大和本草」以降は、中国でしか役に立たない知識として、この手の記述は完全無視となります』とあった。これも、良安の記載と「本草綱目」を比較する際の重要な指標となるものと思うので、特にここに追記させて戴き、T氏に心より御礼申し上げるものである。しかし、ということは、前の三つはやはり、東洋文庫の「ひとつ子」「ふたご」「みつご」の訳が正しいということになり、和訓するなら「ひとりご」「ふたご」「みつご」で、最後の「末子」のみが、それまでの並びとは別に、最後に生まれた子の意の「すゑつこ」ということになる(そこが、若干、やはり気にはなるが)。

「筋〔(すぢ)〕、多し」困ったもんや! で、「五雑組」では『豚(ゐのこ)には筋〔(すぢ)〕は無』し、と言っとったやん!

「傷寒」漢方では高熱を伴う急性疾患を指し、腸チフスなどとされる。

「瘧痢〔(ぎやくり)〕」「おこり」(概ね現在のマラリア)による高熱に起因する消化器不全による下痢症状を指す。

「痰痼〔(たんこ)〕」東洋文庫訳の割注は『慢性の喘息』とする。

「烏梅〔うばい)〕」梅の未熟な実を干して燻製(くんせい)にしたもので、漢方で下痢止めや駆虫などの薬とする。

「桔梗」正双子葉植物綱キク目キキョウ科キキョウ属キキョウ Platycodon grandifloras は根根にサポニン(saponin)を多く含むことから生薬「桔梗根(キキョウコン)」として利用される。去痰・鎮咳・鎮痛・鎮静・解熱作用があるとされ、消炎排膿薬・鎮咳去痰薬などに使われる。

「黃連〔(わうれん)〕」小型の多年生草本である、キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica 及び同属のトウオウレン Coptis chinensisCoptis deltoidea の根茎を乾燥させたもの。『体のほてり(熱)を抑える性質が』ある『とされ、胃や腸を健やかに整えたり、腹痛や腹下りを止めたり、心のイライラを鎮めたりする働き』を持つ。『この生薬には抗菌作用、抗炎症作用等があるベルベリン(berberine)というアルカロイドが含まれている』とウィキの「オウレンにあった。

「胡黃連」上記のオウレンとは全く異なる、高山性多年草の、シソ目ゴマノハグサ科コオウレン属コオウレン Picrorhiza kurrooa(ヒマラヤ西部からカシミールに分布)及びPicrorhiza scrophulariiflora(ネパール・チベット・雲南省・四川省に分布)の根茎を乾かしたもの。古代インドからの生薬で、健胃・解熱薬として用い、正倉院の薬物中にも見いだされる。根茎に苦味があり、配糖体ピクロリジン(picrorhizin)を含むものの、薬理効果は不明である。

「脂膏〔(しかう/あぶら)〕」「末牟天伊加〔(マンテイカ)〕」スペイン語「manteca」。猪・豚などの脂肪。江戸時代、膏薬に加えたり、器機の錆止めに用いたりした。

「猪膽〔(ちよたん)〕」豚の胆嚢。まあ、イノシシでもいいだろう。

「葦(よし)」単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク(暖竹)亜科ヨシ属ヨシ Phragmites australis。「アシ」は同一植物の異名。漢字の「葦」「芦」「蘆」「葭」も生物学的には総て同一種。

「小兒の五疳〔の〕蟲」、小児の身体の中にいて「心疳」・「肺疳」・「脾疳」・「腎疳」・「肝疳」の「五疳」の症状(時代や学派によって解釈が異なるが、症状としては夜泣き・乳吐き・ひきつけなどの現在の小児性の神経症的疾患を多く含んだ)を引き起こすと信じられていました「蟲」、所謂、「疳の虫」のことで、実際のヒト感染性の寄生虫を特に指すものではない(但し、極端に多数の寄生虫が寄生している場合には、小児の場合、嘔吐(古くは虫体を吐き出す「逆虫」という症状が記録されている)や腹痛を訴える症状は出たであろうが、通常では無症状である)。

「西戎〔(せいじゆう)〕」古代中国人がトルコ族・チベット族など西方の異民族を言った蔑称。

「底野迦〔(テリアカ)〕」「theriaca」でオランダ伝来の薬。色の赤い練り薬で毒蛇などの有毒動物の咬傷に効くとされた解毒剤。テリアギア(以上は小学館「日本国語大辞典」)。次に「ブリタニカ国際大百科事典」の記載。解毒薬。紀元五〇年から紀元六〇年頃、ローマ皇帝ネロの侍医アンドロマクスが発明したとされ、当初は毒蛇咬傷の解毒薬で、約七十種もの薬物からなる薬方であった。東洋には七世紀に伝わり、中国の「新修本草」(六五九年成立中国の本草書。唐の高宗が蘇敬らに書かせた中国最古の勅撰本草書)に外国渡来の薬方として記載されている。中世には黒死病(ペスト)など感染症の特効薬として使われ、以来、十九世紀まで、洋の東西で万能薬として珍重された。材料の薬種や数は国・時代によって多種多様であったが、蛇は必ず入っていた。次に平凡社「マイペディア」の解説がらの引用。『中国や日本にも底野迦の名で伝わったが』、『これは特に獣類にかまれたときの解毒に用いられたという』。

「長崎及び江戸」長崎は出島があり、西洋人が食すから判るが、何故、江戸なのだろう? 識者の御教授を乞う。

「豕〔(ぶた)〕・猪(ゐのこ)共に」この後者はイノシシである。

「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は、清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。]

2019/02/07

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 起動 / 総論部・目録

 
 

寺島良安「和漢三才図会」の「巻三十七 畜類」の電子化注を、新たにブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 畜類」を起こして始動する。

私は既に、こちらのサイトHTML版で、

卷第四十  寓類 恠類

及び、

卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類

卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類

卷第四十七 介貝部

卷第四十八 魚部 河湖有鱗魚

卷第四十九 魚部 江海有鱗魚

卷第五十  魚部 河湖無鱗魚

卷第五十一 魚部 江海無鱗魚

及び

卷第九十七 水草部 藻類 苔類

を、また、ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 蟲類」で、

卷第五十二 蟲部 卵生類

卷第五十三 蟲部 化生類

卷第五十四 蟲部 濕生類

を、更に最も新しいものとして、ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 鳥類」で、

卷四十一 禽部 水禽類

卷四十二 禽部 原禽類

卷四十三 禽部 林禽類

卷四十四 禽部 山禽類

を完全電子化注している。余すところ、同書の動物類は「卷三十七 畜類」「卷三十八 獸類」「卷三十九 鼠類」となった。思えば、私が以上の中で最初に電子化注を開始したのは、「卷第四十七 介貝部」で、それは実に十二年半前、二〇〇七年四月二十八日のことであった。当時は、偏愛する海産生物パートの完成だけでも、正直、自信がなく、まさか、ここまで辿り着くとは夢にも思わなかった。それも幾人かの方のエールゆえであった。その数少ない方の中には、チョウザメの本邦での本格商品化飼育と販売を立ち上げられながら、東日本大地震によって頓挫された方や、某国立大学名誉教授で日本有数の魚類学者(既に鬼籍に入られた)の方もおられた。ここに改めてその方々に謝意を表したい。

 総て、底本及び凡例は以上に準ずる(「卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」を参照されたい)が、HTML版での、原文の熟語記号の漢字間のダッシュや頁の柱、注のあることを示す下線は五月蠅いだけなので、これを省略することとし、また、漢字は異体字との判別に迷う場合は原則、正字で示すこととする(この間、文字コードの進歩で多くの漢字を表記出来るようになったのは夢のようだ)。また、私が恣意的に送った送り仮名の一部は特に記号で示さない(これも五月蠅くなるからである。但し、原典にない訓読補塡用の字句は従来通り、〔 〕で示し、難読字で読みを補った場合も〔( )〕で示した。今までも成した仕儀だが、良安の訓点が誤りである場合に読みづらくなるので、誤字の後に私が正しいと思う字を誤った(と判断したもの)「■」の後に〔→□〕のように補うこともしている(読みは注を極力減らすために、本文で意味が消化出来るように、恣意的に和訓による当て読みをした箇所がある。その中には東洋文庫版現代語訳等を参考にさせて戴いた箇所もある)。原典の清音を濁音化した場合(非常に多い)も特に断らない)。ポイントの違いは、一部を除いて同ポイントとした。本文は原則、原典原文を視認しながら、総て私がタイプしている。活字を読み込んだものではない(私は平凡社東洋文庫版の現代語訳しか所持していない。但し、本邦や中文サイトの「本草綱目」の電子化原文を加工素材とした箇所はある)。【2019年2月7日始動 藪野直史】

 

和漢三才圖會卷第三十七目録

  畜類

按四足而毛者總名曰獸【和名介毛乃】豢養者曰畜【和名介太毛乃】

 周禮曰庖人掌六畜【馬牛羊豕犬雞】六獸【麋鹿狼麕野豕免】辨其死生

 鮮薨之物也鮮者【與鱻同】新肉也薨【音考】乾肉也

日本紀云天武天皇四年四月詔曰自今以後莫食牛馬

 犬猿雞之完以外不在禁例若有犯者罰罪之

五雜組云馬無膽麋亦無膽兔無脾猿亦無脾豚無筋猬

 亦無筋

 獸莫仁於麟莫猛於狻猊【卽獅子】莫巨於貐【其長百尺】莫速

 於角端【日行一萬八千里】莫力於𥜿𥜿莫惡於窮奇【食善人不食悪人】

麟之長百獸也以仁獅子之服百獸也以威鳳之率羽族

 也以德鸇之懾羽族也以鷙然麟鳳爲王者之祥獅鸇

 禁禦之玩也 獅子畏鉤戟虎畏火象畏鼠狼畏鑼

苑云鵲食猬猬食鵕䴊鵕䴊食豹豹食駮駮食虎

 玄龜食蟒飛鼠斷猨狼虱喫鶴黃腰獸食虎皆以小制

 大也

文云犬性獨也羊性羣也鹿性麤也狐性孤也埤雅云

 狐性疑疑則不可以合類故從孤省

抱朴子云千歳之狐豫知將來千歳之貍爲好友千歳

 之猿變爲老人

 

 

和漢三才圖會卷第三十七目録

  畜類

按ずるに、四足にして毛ある者、總名を「獸(けもの)」と曰ふ【和名、「介毛乃」。】。豢(やしな)ひ養(か)ふ者を「畜(けだもの)」と曰ふ【和名、「介太毛乃」。】「周禮〔(しうらい)〕」に曰はく、『庖人〔(はうじん)〕、六畜〔(りくちく)〕【馬・牛・羊・豕〔(ぶた)〕・犬・雞〔(にはとり)〕】・六獸【麋〔おほじか/へらじか〕・鹿・狼・麕〔(のろじか)〕・野豕〔(ゐのこ/ゐのしし〕・免〔(うさぎ)〕】を掌(つかさど)る。其の死生鮮薨〔(しせいせんこう)〕を〔の〕物を辨〔(わきま)〕ふるなり』〔と〕。「鮮」とは【「鱻」と同じ。】「新しき肉」なり。「薨」【音、「考」。】は「乾肉」なり。

「日本紀」に云はく、『天武天皇四年[やぶちゃん注:六七五年。]四月、詔(みことのり)して曰〔(のたま)〕はく、今より以後、牛・馬。犬・猿・雞の完(しゝ)[やぶちゃん注:肉。]を食ふこと莫〔(な)〕かれ。以(こ)の外〔(ほか)〕は禁例に在らず。若〔(も)〕し、犯す者有らば、之れを罪(つみな)へ』〔と〕。

「五雜組」に云はく、『馬には膽〔(たん)〕無く、𪋛〔くじか〕も亦、膽、無し。兔〔(うさぎ)〕には脾〔(ひ)〕無く、猿も亦、脾、無し。豚(ゐのこ)には筋〔(すぢ)〕は無く、猬(はりねずみ)も亦、筋、無し』〔と〕。

獸は「麟(りん)」より仁〔(じん)〕なる莫〔(な)〕く、「狻猊(からじゝ)」【卽ち、獅子〔なり〕。】より猛(たけ)きは莫し。「貐〔(あつゆ)〕」より巨〔(おほ)〕きなるは莫く【其の長〔(た)〕け百尺[やぶちゃん注:「五雜組」の記載であるから(但し、この注は原文(にはないから良安のそれか後代の注である。文末の注を参照)、明代の一尺は三十一・一センチメートルなので、三十一メートル十センチとなる。]。】、「角端」より速(はや)きは莫し【日に行くこと、一萬八千里[やぶちゃん注:同じように(これは注として確認出来たが、そこでは「一萬里」とあった)、明代の一里は五百五十九・八メートルしかないから、一万七十六キロメートル相当。]。】。𥜿𥜿(ひひ)より力あるは莫く、窮奇〔きゆうき〕より惡なるは莫し【善人を食ひ、悪人を食はず。】。

麟の百獸に長たるは、仁を以つてなり。獅子の百獸を服するや、威を以つてなり。鳳の羽族を率(ひきふ)るは、德を以つてなり。鸇(たか)の羽族を懾(おひかく)るは、鷙〔(しつ)〕[やぶちゃん注:猛禽。]を以つてなり。然るに、麟・鳳は、王者の祥〔(きざし)〕なり。獅・鸇は禁禦〔(きんぎよ)〕[やぶちゃん注:禁裏。宮廷。]の玩(もてあそ)びなり。 獅子は鉤戟〔(こうげき)〕を畏れ、虎は火を畏れ、象は鼠を畏れ、狼は鑼〔(どら)〕を畏る。

苑〔(ぜいゑん)〕」に云はく、『鵲〔(かささぎ)〕は猬(けはりねずみ)を食ひ、猬は-(にしきどり)を食ひ、鵕䴊は豹を食ひ、豹は駮(はく)を食ひ、駮は虎を食ふ』〔と〕。

玄龜〔(げんき)〕は蟒〔(うはばみ)〕を食ひ、飛鼠〔(ひそ)〕は猨〔(さる)〕・狼を斷(た)ち、虱〔(しらみ)〕は鶴を喫〔(きつ)〕し、黃腰獸〔(こうようじう)〕を虎を食ふは、皆、小を以つて大を制すなり』〔と〕。

文〔(せつもん)〕」に云はく、『犬〔の〕性〔(しやう)〕は獨(ひとり)なり。羊の性は羣(むらが)るなり。鹿の性は麤(あらけ)きなり。狐の性は孤(ひとり)なり』〔と〕。「埤雅〔(ひが)〕」に云はく、「狐の性、疑〔なり〕。疑ふときは、則ち、以つて合類〔(がふるい)〕すべからず。故に、「孤」の省(はぶ)くに從ふ』〔と〕。[やぶちゃん注:最後の部分は「孤」の字を省く(「子」を取って(けものへん)を添えた字としたのである、の意。]

「抱朴子」に云はく、『千歳の狐は、豫(あらかじ)め、將-來(ゆくすゑ)を知る。千歳の貍(たぬき)は、好-友(ともだち)と爲〔(な)〕る。千歳の猿は變じて老人と爲る』〔と〕。

[やぶちゃん注:「獸(けもの)」「毛つ(の)物」「毛生る物」等の略という。

『豢(やしな)ひ養(か)ふ者を「畜(けだもの)」と曰ふ』本義は「けもの」と同じであるが、小学館「日本国語大辞典」の「けだもの」の意の二番目に『特に家畜をいう』とあり、典拠を源順の「和名類聚鈔」等を挙げているから、古くからこの使用区別はあったものらしい。「豢」は「養」と同じで「やしなう」であるが、特に「家畜を飼う」の意がある。

「周禮」中国最古の礼書の一つ。「しゆらい(しゅらい)」とも読み、「周官」とも書く。「礼記(らいき)」「儀礼(ぎらい)」と合わせて「三礼(さんらい」と称し、周公旦の撰と伝え、周代の行政制度を記述したもの。秦の焚書に遇ったが、漢代に五編が発見され、「考工記」を補って六編とした。

「庖人〔(はうじん)〕」王の食用に供するものを調理する官人。

「麋〔おほじか/へらじか〕」「大きな鹿」の意の他に、種としての哺乳綱獣亜綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科ヘラジカ属ヘラジカ(箆鹿)Alces alces をも指す。同種は別名を「オオジカ」と称し、中国東北部にも棲息するので、同種と採っても問題はないが、まあ、見た目の大鹿でよかろうか。

「鹿」シカ科 Cervidae に属するシカ類の現生種は世界で約十七から十九属に、三十数種がいる。

「狼」哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目イヌ科イヌ亜科イヌ属タイリクオオカミ Canis lupusウィキの「オオカミによれば、現存する亜種は、長く、三十三(絶滅含めて三十九亜種)に分類されてきたが、近年の研究では、現存十三亜種・絶滅二『亜種への統合が提案されている』とある。中国産亜種はユーラシア北端部に分布するとされる、Canis lupus albus(ツンドラオオカミ/シベリアオオカミ)・Canis lupus lupus(ヨーロッパオオカミ/チョウセンオオカミ:シベリアオオカミとも呼ぶので前者と同一と主張する考えがあるか)を挙げておけばよいか。

「麕〔(のろじか)〕」シカ科オジロジカ亜科ノロジカ属ノロジカ Capreolus capreolus。漢字表記は多数あり、「麞鹿」「麇鹿」「獐鹿」(或いはそれらから「鹿」を取った単漢字)等がある。「ノロ」「ノル」とも呼び、これは朝鮮語で同属のシベリアノロジカ Capreolus pygargusを指す「노루」(ノル)に基づく。ノロジカ属の現生種はこの二種のみである。

「野豕〔(ゐのこ/ゐのしし〕」鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ Sus scrofa。先の「五畜」の「豕」は本種が家畜化された、イノシシ属イノシシ亜種ブタ Sus scrofa domesticus である。

「免〔(うさぎ)〕」兎形(ウサギ)目ウサギ科ウサギ亜科 Leporinae

「死生鮮薨〔(しせいせんこう)〕」対象獣類の生死の判別と、その肉の状態(生の新鮮な肉か、干し肉(脯)か)の識別。

『「日本紀」に云はく……』以下は、「日本書紀」の天武天皇四(六七五)年四月庚寅十七日の条。

   *

庚寅。詔諸國曰。自今以後、制諸漁獵者。莫造檻穽及施機槍等之類。亦四月朔以後、九月三十日以前。莫置比滿沙伎理梁。且莫食牛・馬・犬・猿・鷄之完。以外不在禁例。若有犯者罪之。

   *

「罪(つみな)へ」「つみなふ」は「罪なふ」という他動詞ハ行四段活用で、「処罰・処刑せよ」の意。

「五雜組」「五雜俎」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で遼東の女真が、後日、明の災いになるであろうという見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。同所の「九 物部一」に、

   *

獐無膽、馬亦無膽、兔無脾、猴亦無脾、豚無筋、猬亦無筋。

   *

とある。また、「五雜組」の「巻七」に、

   *

獸莫仁於麟、莫猛於被視【師。】、莫巨於貌輪關、莫速於角端爛【一萬里。】、莫力於萬嵩、莫惡於亨了食【蓋言八不。】。

   *

ともあった。

「膽〔(たん)〕」漢方では肝臓(相当機能の臓器)或いは胆嚢を指すが、後者で採っておく。

𪋛〔くじか〕」シカの古名。

「筋〔(すぢ)〕」所謂、腱(けん)のことか? よく判らぬ。

「麟(りん)」霊獣とされる架空の幻獸である麒麟の別名。

『「狻猊(からじゝ)」【卽ち、獅子〔なり〕。】』狻猊(さんげい)は中国の伝説上の生物で、しばしば「獅子」(ライオンがモデルとなった伝説上の生物。神社の左右の狛犬のうちで角が無いもの、或いは獅子舞の獅子)と同一視される。ウィキの「狻猊」によれば、古くは、「爾雅」の「釈獣」に『「狻麑」として見え、猫』(さんびょう)『(トラの一種)に似て、虎豹を食うとしている。郭璞の注では』「獅子」『のこととしている』、「穆天子伝」(ぼくてんしでん:周の穆王の伝記を中心とした全六巻からなる歴史書。成立年代も作者も不詳。西晋(二六五年~三一六年)の時に魏の襄王の墓が盗賊により盗掘された際、竹簡として発見された。一部では奇書とされる)では、『「狻猊は五百里を走る」と』ある。『漢訳仏典でも狻猊は獅子の別名として使われる。玄奘訳』の「大菩薩蔵経」(「大宝積経」菩薩蔵会)に『「喬答摩(ガウタマ)種狻猊頷、無畏猶如師子王。」と』あり、「玄応音義」では『「狻猊は獅子のことで、サンスクリットでは僧訶(シンハ)という」とする』。『仏陀はしばしば獅子にたとえられるため、仏陀のすわる場所を「獅子座」と呼ぶことがある』。『ここから高僧の座る場所も「獅子座」あるいは「猊座」といい、「猊座の下(もと)に居る者」という意味で、高僧の尊称や、高僧に送る手紙の脇付けは「猊下」となった』。『銅鏡、各神獣鏡の意匠、特に唐の時代に作られた「海獣葡萄鏡」に多数見受けられる瑞獣を海獣または狻猊と呼ぶことがある。なお、海獣とは砂漠の向こうに住む「海外の獣」という意味であるという』。『明代には竜が生んだ九匹の子である竜生九子(りゅうせいきゅうし)の一匹とされ』、楊慎(一四八八年~一五五九年)の「升庵外集」に『よれば、獅子に似た姿で煙や火を好み、故に香炉の脚の意匠にされるという』とある。なお、『「狻」の読みは、しばしばつくりの「夋」に引かれて』、百姓読(ひゃくしょうよ)み(漢字が結合した熟語の誤読であり、形声文字の音符(旁や脚の部分)につられた読み方をすること)で『「シュン」との表記が散見されるが、反切は』「唐韻」で「素官切」、「集韻」などでは「蘇官切」と』『あり、「サン」が正しい(酸と同音)』とある。

貐〔(あつゆ)〕」所持する実吉達郎(さねよしたつお)氏の「中国妖怪人物事典」によれば、本来は「窳」と書き(同じく「あつゆ」と読む)、もとは天界の神々の一人であったが、弐負(じふ)という悪神によって殺され、黄帝によって蘇生したものの、精神に異常をきたし、崑崙山の下を流れる弱水(じゃくすい:「西遊記」の沙悟浄の住んでいた流沙河がそれとする)に飛び込んで水棲の食人性の怪物に変じたとする(「貐」の名はそれ以降)。牛に似るが、顔は人に酷似し、脚は馬(蹄が一つ)であった。その鳴き声は赤子のようで、数えきれないほどの人間を食った。形態は説によりまちまちで、半ばは龍に似ているとも、虎の爪を持つとも、足が速いなどとも言われる。後に太陽を射落したとされる弓の名人羿(げい)に退治されたとある。調べてみると。「述異記」(南朝梁(五〇二年~五五七年)の任昉(にんぼう)が撰したとされる志怪小説集)には、巨大で、竜の頭、馬の尾、虎の爪を持ち、全長は四百尺(当時の一尺は二十四・二四センチメートルで、約九キロ七百メートル)であったと記す。

「角端」個人ブログ「プロメテウス」の角端:甪端(ろくたん)とも呼ばれる翼を持つ中国の祥瑞の神獣によれば(一部の括弧記号を変更させて戴いた)、『角端は中国の古代伝説中の祥瑞の獣名で、形状は鹿に似て翼を持ちパンダほどの大きさです。鼻に角が一本ついており、一日に一万八千里を行くことができ、さらに四方の言語に精通していると言います。このため邪を避ける目的も兼ねて芸術作品にも多く登場しており、またの名を甪端(ろくたん)とも言い』、『漢代頃からその名が見られるようになっています。「宋書」の「符瑞志下」には、「甪端は日に一万八千里行き、四方の言語を知り名君の在位に明るく、遠方の物事にも明るく則ち書を奉ると現れる」』とあり、『甪端は端端、端とも言います。獬豸、豸莫、独角獣などと形状は似ていますが、これらは別々の神獣です。麒麟の頭に獅子の体で翼があり、独角、長尾、四爪で、上唇が特に長く前に伸びている者上向きに巻いている者など様々なタイプがいます。甪端は宋代の神獣の彫刻を代表する形状であり、様々な皇帝の陵墓にその姿が見られています。彫刻に見られる甪端は』、『重厚で』、『胸が突き出ており』、『鼻の端にある一本の角が誇張されて』、『獅子が吠えているように見え』、『気勢を上げています』。『翼を持つ神獣の形状は古くはペルシャやギリシャなどで見られています。翼は飛行のためと言うよりも神性を示すための象徴として用いられています。この翼を持った神獣は歴代の皇帝たちに愛されました。ある文献によると、頭に角が一本ある神獣を麒麟と言い、二本あると避邪、角がないものを天禄と呼ぶ、と記載されています。しかし、彫刻に用いられる形状にはそれほど厳格な規則はなく、宋の時代の甪端の形状は南北朝から唐にかけて』、『麒麟や天禄、翼馬などの特徴が加えられて変化していきました。この甪端の特徴は明、清の諸陵石に刻まれた麒麟にも継承されています』。『史書中の甪端の記述には外見に関して三種類の記述があります。一つは豚型で、二つ目は麒麟が田、三つめは牛型です。実際には、「史記・司馬相如列伝」には「獣則ち麒麟、甪端」とあり、昔の人たちは甪端を古くから祥瑞の神獣として用いてきました』。『甪端は麒麟に似ていますが』、『麒麟ではなく、形状は豚や牛に近いです。麒麟自体は毛皮を持った動物の長であるとされています。漢代や唐代には甪端は様々な効能をもたらすとされていましたが、神格化は行われておらず』、『宋代になると』、『甪端はさらに神秘的な存在にされていきました。この時期に祥瑞の属性を付加された上に翼や巻いた唇などが付け加えられるようになりました』。『甪端の造形は天禄や避邪などとの共通点が見て取れ、工芸ではその特徴が脈々と継承されています。明清時代になると宋代に変化して独特になってしまった形状の漢や唐代への回帰が起こり』、『元の麒麟に近い形状に戻っていきました。つまり、宋代の甪端はその形状のみならず地位も独特で、この時代特有のものとなっています』。『甪端に加えて歴代の麒麟、避邪、天禄、獬豸などは中国の各王朝で祥瑞の象徴として用いられてきました』。また、『甪端の角を用いて弓を作ったと言う話が残っており、「後漢書・鮮卑伝」には、「野馬、原羊、甪端牛の角を以って弓を為し、俗にいう角端弓である。」とあります。この場合、甪端は牛として描かれています。甪端牛は古代の鮮卑の異獣名であり、形状は牛に似ており』、『角は鼻の上にあったので甪端牛の名前はこれに因んでいます』とある。

𥜿𥜿(ひひ)」これは実在する『オナガザル科ヒヒ属の哺乳類の総称』と「漢字林」にはある。哺乳綱霊長目直鼻猿亜目高等猿下目狭鼻小目オナガザル科オナガザル亜科ヒヒ属 Papio であるが、しかしこれ以外が総て幻獣であるからには、これは強力な臂力を持った妖猿とした方がよかろう。

「窮奇〔きゆうき〕」ウィキの「窮奇」によれば、『中国神話に登場する怪物あるいは霊獣の一つ。四凶』(古代の聖帝舜によって中原の四方に流されて、魑魅(妖怪)の侵入を防がせた四つの悪神(獣)。「書経」「春秋左氏伝」に記されてあるが、内容はそれぞれ異なり、後者のそれが一般的で、文公十八年(紀元前六〇九年)の条で、他は「渾敦(沌)(こんとん)」(一説に大きな犬の姿)・「饕餮(とうてつ)」(一説に羊身人面で眼は脇の下にあるとする)・「檮杌(とうこつ)」(一説に人面虎脚で猪の牙を持つとする)である)『の一つとされる』。「山海経」では、『「西山経」四の巻で、ハリネズミの毛が生えた牛で、邽山(けいざん)という山に住み、イヌのような鳴き声をあげ、人間を食べるものと説明しているが、「海内北経」では人食いの翼をもったトラで、人間を頭から食べると説明している。五帝の』一『人である少昊』(しょうこう)『の不肖の息子の霊が』、邽山(けいざん)に『留まってこの怪物になったともいう』。「山海経」に倣って『書かれた前漢初期の』「神異経」では、『前述の「海内北経」と同様に有翼のトラで、現在ではこちらの姿の方が一般的となっている。人語を理解し、人が喧嘩していると正しいことを言っている方を食べ、誠実な人がいるとその人の鼻を食べる。悪人がいると』、『野獣を捕まえてその者に贈るとしている』。『善人を害するという伝承がある反面、宮廷でおこなわれた大儺(たいな)の行事に登場する十二獣(災厄などを食べてくれる』十二『匹の野獣)の中にも』「窮奇」という『名の獣がおり、悪を喰い亡ぼす存在として語られている』(下線太字やぶちゃん)。「淮南子」では、『「窮奇は広莫風』『(こうばくふう)』(「北風」の意)『を吹き起こす」とあり、風神の一種とみなされていた。因みに、『日本の風の妖怪である鎌鼬(かまいたち)を「窮奇」と漢字表記してよませることがあるが、これは窮奇が「風神」と見なされていたことや、かつての日本の知識人が中国にいるものは日本にもいると考えていたことから、窮奇と鎌鼬が同一視されたために出来た熟字訓であると考えられている』とある。リンク先に清の汪紱(おうふつ)の「山海経存」の「窮奇」がある。

「鸇(たか)」現行、本邦ではこの漢字には、タカ目タカ科サシバ属サシバ Butastur indicus を当てている。サシバ(差羽)については、私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ)(ハヤブサ・サシバ)」の注を参照されたい。

「玩(もてあそ)び」専ら、王者のシンボルとし、さらに鷹狩りに飼養されたことを指すのであろう。

「鉤戟〔(こうげき)〕」当初、私は本文内に「返しの付いた矛」と注したのであるが、東洋文庫の注に、『一般には先の曲ったほこをいうが、ここはあるいは獸の名かも知れない』とあるので、こちらに移した。

「鑼〔(どら)〕」あの金属製の楽器のそれである。

苑〔(ぜいゑん)〕」前漢末の学者劉向(りゅうきょう)の撰になる前賢先哲の逸話集。全二十巻。「君道」・「臣術」等二十篇(一篇一巻)からなり、各篇の初めに序説があって、その後に逸話を列挙してある。元来が先秦及び漢代の書物から天子を戒めるに足る遺聞逸事を採録したもので、現存する諸子百家の書と、かなり重複する。但し、すでに佚して本書にしか見えないものもあり、今日から見ると、貴重な古代説話集である(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「鵲〔(かささぎ)〕」スズメ目カラス科カササギ属カササギ亜種カササギ Pica pica sericea。雑食性だが、生きたハリネズミはちょっと食いそうもないと私は思うが……。

「猬(けはりねずみ)」哺乳綱 Eulipotyphla ハリネズミ科ハリネズミ亜科 Erinaceinae のハリネズミ類。日本を除く東アジアにも棲息する。雑食性で鳥類の雛や動物の死骸を食いはするようではあるが……。

-(にしきどり)」「錦鳥」ならば、本邦では、キジ科 Chrysolophus 属キンケイ(金鶏)Chrysolophus pictus の異名である。しかし、中文サイトでは「鵕䴊」(シュンギ)を「神鳥」とか記すものもあることはある。だったら、豹(食肉(ネコ)目ネコ科ヒョウ属ヒョウ Panthera pardus:中国にも棲息する)を食うかも。でも、ここに並ぶのは殆んどが実在種だからなぁ……。いやいや! キンケイの黄色は、食った豹のヒョウ柄なのかも?!

「駮(はく)」これは確実に幻獣。馬に似て、しかも虎や豹を食う、と大修館書店「廣漢和辭典」に載る。「山海経」の、まず「西山経」に、

   *

又西三百里、曰中曲之山、其陽多玉、其陰多雄黃、白玉及金。有獸焉、其狀如馬而白身黑尾、一角、虎牙爪、音如鼓音、其名曰駮、是食虎豹、可以禦兵。有木焉、其狀如棠、而員葉赤實、實大如木瓜、名曰櫰木、食之多力。

   *

と出、また、「海外北経」でも、

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北海内有獸、其狀如馬、名曰騊駼。有獸焉、其名曰駮、狀如白馬、鋸牙、食虎豹。有素獸焉、狀如馬、名曰蛩蛩。有靑獸焉、狀如虎、名曰羅羅。

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前者では、白い馬に似るが、角が一本あり、尾は黒く、虎の牙と爪を有し、吠える声は太鼓を叩くようだ、とする。また、武具の難を防ぐ能力を有するともある。

「玄龜〔(げんき)〕」先にも引かさせて戴いた「プロメテウス」の「玄亀(旋亀):山海経に出てくる妖怪怪物は実在する種もあった」に、『日本では亀は万年と言いますように、亀は長寿の象徴となる生き物として扱われる場合があります。中国では長寿の象徴に加えて』、『亀の甲羅は殷の時代以前から亀甲占いに使用されていたため、古くは冥界の使いとみなされていました。火にくべた亀の甲羅の割れ方が神の意志という意味で、亀が神様に合って受けた神託を甲羅の割れ方で知らせた、という訳です』。『亀をモチーフにした有名な神獣に四象の一柱である玄武がいますが、玄武のもともとの名前は玄冥といい、冥界へ行き神託を得ることができる神聖な生き物とされていました。このため、後世では朱雀や青龍などよりも一歩とびぬけて』、『真武大帝として祀られるようになりました』。『ちなみに玄は黒という意味です。五行説では色の属性がありますので』、『赤龍や白龍などのように赤、青、白、黄、黒の五色が割り当てられます。すなわち』、『玄亀は黒い亀という意味になります』。『玄亀はまたの名を旋亀(せんき)、元亀、大亀などと呼ばれます。玄武は亀と蛇とが合わさった形状をしていますが、同じ亀をモチーフとした玄武と異なる点は玄亀は純粋な亀の形状をしている点です』。「太玄宝典」には、「『北方には滄海があり、滄海は玄亀を生み、玄亀は真気を吐き、真気は神水に変わり、神水は腎を生む。』」『とあります。真気とは生命活動を維持する根源のことです』。『玄亀は黒と赤の亀です』「山海経」には、「『怪水出て憲翼の水に注ぐ。その中に玄亀多し、その形状亀の如く鳥の首と毒蛇の尾を持っており、その名を旋亀と言い、その音木が裂ける如く、これを使用すると聾にならず、足のたこを治療するのによい』」『とあります』。『玄亀は神獣や妖怪の類であると思われていましたが』「山海経」の『描写に非常に似た亀が吉林省の松花江及びその上流の支流で見つかり、希少生物となっています』。『また、玄亀の別名である旋亀の名前は』、『有名な禹の治水工事の中にも見られます。この治水工事では応龍が尾で地を掃き』、『水道を作り、洪水で溢れそうになった水を逃がして海へと注がせました。そして旋亀は背中に息壌を乗せて禹の後について回りました。そして、禹は少し歩くと』、『息壌の小さな塊を』摑『んで大地に投げ入れました。息壌とは自分自身で成長して大きくなる神土の事です。地面に投げられた息壌はすぐに大きくなって洪水を埋め尽くしてしまいました。この記述から旋亀は治水工事の際に重要な地位を占めていることが判ります』とある。「山海経」のそれは「南山経」の以下。

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又東三百七十里、曰杻陽之山、其陽多赤金、其陰多白金。有獸焉、其狀如馬而白首、其文如虎而赤尾、其音如謠、其名曰鹿蜀、佩之宜子孫。怪水出焉、而東流注于憲翼之水。其中多玄龜、其狀如龜而鳥首虺尾、其名曰旋龜、其音如判木、佩之不聾、可以爲底。

   *

引用に出た、「山海経」の描写によく似た亀というのは、これか? 何だか、恐ろしくデカい、ゴッツゴツのゾッとしないカメの画像の上に、

 

長春2002812日在吉林省吉林市出現了一個身似龜、嘴似鷹、背似恐龍的不知名怪物。多年從事古文化研究的原長春光機學院宮玉海教授認為,根據《山海經》記載,它應是《山海經》中記載的"旋龜"。但還沒有自然科學家對此怪物做出最後鑑定。

 

とあるわ! 写真の背中の三つのキールや、口刎がタカに似ているというのは、カメ目ワニガメ属ワニガメ Macrochelys temminckii にそっくりだと思うが、しかし……吉林市(ここ(グーグル・マップ・データ)だよね? ワニガメはアメリカ固有種だしなぁ……。ただ、同じような記事が中文報道サイトにもある。でも、やっぱ……この写真のカメは、もう、モロ、ワニガメやろ?……

「蟒〔(うはばみ)〕」これは伝説の大蛇でよかろう。

「飛鼠〔(ひそ)〕」これは哺乳綱ローラシア獣上目翼手(コウモリ)目 Chiroptera のオウモリ(蝙蝠)類の別名である。「斷(た)ち」というのを「噛み破る・咬みつく」という意味にとり、例えば、その感染症(狂犬病は有名だが、他にも媒介する)で「猨〔(さる)〕」(=猿)や狼が死ぬ可能性はないとは言えない。吸血性コウモリ(哺乳類の血を吸血するのはコウモリ目陽翼手亜目ウオクイコウモリ下目ウオクイコウモリ上科チスイコウモリ科チスイコウモリ属ナミチスイコウモリDesmodus rotundus一種のみである)を想起する人もいようが、彼らは中南米にしか存在しないし、殆んどのコウモリ類は昆虫や花の蜜を吸うだけである

「虱〔(しらみ)〕は鶴を喫〔(きつ)〕し」「喫〔(きつ)〕し」は「吸い」の意味でマッチする。《シラミの類い》は全種が血液や体液を吸うからである。但し、ここではツルを出している(これは大型の鳥の代表として劉向が出したものである)が、実は、鳥類に寄生する「羽蝨・羽虱(はじらみ)」は咀顎目目 Psocodea の、ホソツノハジラミ亜目 Ischnocera・ゾウハジラミ亜目 Rhynchophthirina・マルツノハジラミ亜目 Amblycera に属するハジラミ類(Menoponidae:英文で調べてみても亜目レベルの分類が明確でないようなので以下の追加した学名は概ね単独で出す)で、ウィキの「シラミ」によれば、前者の通常のシラミ類(節足動物門昆虫綱咀顎目シラミ亜目 Anoplura )のは、この『ハジラミ類』から『分化したと考えられるが、化石上の証拠はな』く、『シラミはハジラミ類同様』、『外部寄生虫として哺乳類の被毛の中で生活するが、ハジラミ類と異なり鳥類からはまったく知られていない』とあるのである。ウィキの「ハジラミ」によれば、上記の三亜目の『うち、マルツノハジラミ亜目は他の』二『亜目より系統的に離れていて、ハジラミは多系統である。他の』二『亜目はシラミとも近縁である』とあり、『鳥の羽毛や獣の体毛の間で生活し、小型で扁平、眼は退化し翅は退化している。成虫の体長は』〇・五~十ミリメートル『で、雄は雌より少し小さい。体色は白色、黄色、褐色、黒色と種によってさまざまである。大部分が鳥類の外部寄生虫で鳥類のすべての目に寄生し、一部は哺乳類にも寄生する。全世界で』二千八百『種ほどが知られ、うち』、二百五十『種が日本から記録されている』。『ハジラミは全体の形はシラミに似るが、細部では多くの点で異なっている。胸部の各節は完全に癒合することはなく前胸部は明らかに分かれる。肢の転節は』一、二節『で、先端に』一『個または』一『対の爪がある。体表は剛毛に覆われ、多いものと比較的少ないものがある。また口器はシラミと違って吸収型でなく』、『咀嚼型で』、『大顎が発達している。宿主の羽毛、体毛と血液を摂取するが、フクロマルハジラミ』Menacanthus stramineus『のように血液を成長中の羽毛の軸からとる種もある。ペリカンやカツオドリの咽喉の袋にはペリカンハジラミ属』Pelecanus『やピアージェハジラミ属やピアージェハジラミ属』Piagetiella『が寄生し、大顎で皮膚を刺し、血液や粘液を摂取する』。『不完全変態で、卵若虫成虫となる。卵は長卵型でふつう白く、宿主の大きさに対応し』一ミリメートル以下から二ミリメートルに『近いものまである。卵は宿主の羽毛か毛に産みつけられるが、羽軸内に産みこむものもある。若虫は成虫に似ており』、一『齢若虫では小さく色素をもたないが、脱皮ごとにしだいに大きくなり着色し』、三『齢を経て』、『成虫となる』。『ハジラミは温度や宿主のにおいに敏感で、適温は宿主の体表温度である。宿主が死に』、『体温が下がると』、『ハジラミは宿主から脱出しようとする。そのままでいれば、宿主が死ぬと』、『ハジラミも数日内に死ぬ』。『ハジラミの感染は交尾、巣づくり、雛の養育』、砂浴びなど、『宿主間の接触で起こる。もう一つの方法は翅のある昆虫に便乗することで、吸血性のシラミバエ』(双翅(ハエ)目短角(ハエ)亜目ハエ下目シラミバエ上科シラミバエ科 Hippoboscidae)『の体に大顎でしがみつき』、『他の鳥に運ばれる。自然の集団では雌が多く、ある種では雄がほとんど見つからない。ウシハジラミ』(ホソツノハジラミ亜目ケモノハジラミ科ウシハジラミ Bovicola bovis)『では処女生殖が知られている。前胃にハジラミの断片が見つかることがあるが、この共食いの現象は個体数の調節に役だつと考えられている』。『ハジラミの最大の天敵は宿主であって、ついばみ、毛づくろい』砂浴びに『よって殺される。また鳥の蟻浴も同様の効果がある。くちばしを痛めた鳥は十分毛づくろいができないので、非常に多数のハジラミの寄生をうけ弱る。哺乳類のハジラミは有袋類、霊長類、齧歯類、食肉類、イワダヌキ類』(哺乳綱イワダヌキ目 Hyracoidea であるが、同目の現生種はハイラックス科 Procaviidae のみである。アフリカ大陸と中東にのみ棲息し、耳を小さくしたウサギのような感じの動物だが、驚くべきことに、ゾウ目 Proboscidea や海牛(ジュゴン)目 Sirenia と類縁関係にあり、足に蹄に似た扁爪(ひらづめ)がある、原始的な有蹄類の仲間らしい。ウィキの「ハイラックスを見られたい)『および有蹄類に寄生し』、『皮膚の分泌物や垢を食べているが、トリハジラミほど多くはない』。『ハジラミの祖先はチャタテムシのコナチャタテ亜目Nanopsocetae下目であると見られる』(引用元のネコハジラミ Felicola subrostratus の拡大画像を見た瞬間に確かに「チャタテムシだ!」と叫んだ私がいた)。『自然の中で地衣類やカビを食べ』、『自由生活をしていたチャタテムシが、三畳紀、ジュラ紀といった中生代初期から新生代の初期である古第三紀の間に羽毛を持つ動物の巣に寄生する生活を経て、生きた鳥の羽毛にとりつき寄生するようになったと考えられるが、化石は発見されていない。ちなみに、近年では羽毛は鳥の祖先の恐竜の一部の系統で既に発達していたことが知られるようになってきているので、初期のハジラミは鳥の出現以前に恐竜に寄生していた可能性もある』。『系統学的解析により、ハジラミは』二『つの系統が別々に進化したことがわかっている。哺乳類・鳥類に外部寄生するという特徴的な生態により、収斂進化が進んだ。うち』、一『つの系統は、咀嚼性から吸収性へと進化したシラミを生み出した』。『ある種のハジラミは』二『種以上の鳥に寄生することがあるが、それは鳥の進化の速さがハジラミのそれを上まわったためと考えられている。つまり、宿主が環境に適応して変化しても、ハジラミにとっての生活環境である鳥体表面の条件、つまり食物の栄養や、温度条件などはあまり変化しないからだ』、『というのである。これをVL・ケロッグは遅滞進化と名付けた。例えばアフリカのダチョウ』(ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属ダチョウ Struthio camelus)『と南アメリカのレア』(レア目レア科レア属レア Rhea americana)『には共通のハジラミが寄生しており、今日では形態も分布も異なっているとしても、これらのダチョウは共通の祖先から分化したことを物語っている。ミズナギドリ』(ミズナギドリ目ミズナギドリ科 Procellariidae:現生種は十四属八十六種)『の仲間には』十六『属』百二十四『種のハジラミが知られているが、ハジラミの知見は大筋において』、『ミズナギドリの分類系と一致するといわれている』。『アジアゾウ』(哺乳綱長鼻目ゾウ科アジアゾウ属アジアゾウ Elephas maximus)や『アフリカゾウ』(ゾウ科アフリカゾウ属アフリカゾウ Loxodonta africana)『などに寄生するゾウハジラミ』(ゾウハジラミ亜目ゾウハジラミ科ゾウハジラミ属 Haematomyzus)『は体長』三ミリメートル『足らずの小さなシラミで、長い吻をもち吸血するが、その先端に大顎をもち』、『完全にハジラミの形態をそなえており、ハジラミとシラミの間を結ぶ中間型とされる』。『人間に直接に加害するものはいないが、家畜や家禽につくものがある。ハジラミが多数寄生すると、鳥や獣はいらだち、体をかきむしり体を痛め、食欲不振や不眠をきたす。家禽は産卵数が減り太らなくなり、ヒツジは良質の羊毛をつくらなくなる。ニワトリハジラミはニワトリに寄生するハジラミ類の総称で、畜産上はニワトリナガハジラミ』Lipeurus caponis・『ハバビロナガハジラミ』Cuclotogaster heterographus・『ニワトリマルハジラミ』(この和名では見当たらない)・『ヒメニワトリハジラミ』Goniocotes hologaster『の』四『種が重要である。そのほか、ニワトリハジラミ』Menopon gallinae『やニワトリオオハジラミ』Menacanthus stramineus『も寄生する。これらはいずれも世界共通種である。キジ目の中には家禽となるものが多いが、同目のニワトリと近縁であるからいっしょに飼えば』、『ハジラミの混入が生ずる。シチメンチョウオオハジラミ』(この和名では見当たらない)『はその一例である。多数寄生すれば』、『ニワトリは羽毛がたべられかゆみのため』、『体力が弱まり、成長が遅れ』、『産卵率の低下をみる。防除には殺虫剤を使い、鶏舎内を清潔に保つことが必要である』。『また』、『イヌハジラミ』Trichodectes canis や『ネコハジラミはウリザネジョウチュウ』(要するに、「サナダムシ」の一種。扁形動物門条虫綱多節条虫(真正条虫)亜綱円葉目ディフィリディウム科 Dipylidiidae ウリザネジョウチュウ(瓜実条虫=犬条虫)Dipylidium caninum で、イヌやネコの小腸に普通に見られ、体長五十センチメートルに達する。頭節に近い片節は短くて幅広いが、後方になるにつれ幅より長さを増し、所謂、「瓜の実」(種(たね))型になる。各片節には二組の生殖器を備えている。老熟片節は排出された後、しばらく、動きながら、卵を放出する。このため、人の目にとまりやすい。卵は中間宿主のノミの幼虫に食べられ、ノミの体内で発育して、ノミが成虫に変態した後、擬嚢尾虫(ぎのうびちゅう)という幼虫になる。このような幼虫を宿したノミは運動が不活発になり、イヌやネコに食べられやすくなる。感染しても殆、んど無症状のことが多い。成虫の駆除とともに、中間宿主となるノミの駆除も必要となる。ヒト(とくに幼児)に寄生することもある。ここは小学館「日本大百科全書」に拠った。すんまへんなぁ、寄生虫は私のフリーク対象の最たるものなんですねん。「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 四 成功の近道~(2)」とか、「生物學講話 丘淺次郎 第十七章 親子(7) 四 命を捨てる親」にも、この子、登場しますによって、見とおくれやす)『の中間宿主となる』とある。

「黃腰獸〔(こうようじう)〕」豹とか羆(ひぐま)に似た獣らしいが、どうもよく判らぬ。「本草綱目」の「虎」に、

   *

黃腰、「蜀志」、名黃腰獸。鼬身貍、首長則食母。形雖小而能食虎及牛鹿也。又孫愐云、音斛似豹而小腰以上黃、以下黑、形類犬食獼猴名黃腰。

   *

等とあるのが、それらしい。この後の「卷三十八 獸類」の「𣫔」(音「コク・カク」)があるので、そこで再度、考証する。

文〔(せつもん)〕」現存する中国最古の部首別漢字字典「説文解字」。後漢の許慎の作で、西暦一〇〇年)に成立、一二一年に許慎の子許沖が安帝に奉納した。本文十四篇・叙(序)一篇の十五篇からなり、叙によれば、小篆の見出し字九千三百五十三字、重文(古文字及び篆書体や他の異体字等)千百六十三字を収録する(現行本では、これより少し字数が多い)。漢字を五百四十の部首に分けて体系づけ、その成立を解説し、字の本義を記してある。

「埤雅〔(ひが)〕」北宋の陸佃(りくでん)によって編集された辞典。全二十巻。主に動植物について記す。

「抱朴子」東晋の葛洪(かつこう)の著で、内篇二十巻、外篇五十巻。内篇は神仙・方薬・鬼怪・変化・養生・長生・悪魔払い・厄除け等、道教乃至神仙道の理論と実践(道術)を説く。理論面では嵆康(けいこう)からの影響が顕著であり、道術の中では左慈(さじ)に由来する錬金・練丹術が最も重視されている。外篇は政治・社会・文明の批判の書であって、当時の世相を窺う好材料である(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。ただ、以下に引かれる部分は、ある中文サイトで、晉朝葛洪「抱朴子」の「對俗篇」に「玉策記」を引いて「狐狸豺狼皆壽八百、滿五百則善變爲人形」とし、さらに「玉策記」には佚文が有り、そこでは「千之狐、豫知將來、千之狸、變爲好女」とある、とある。即ち、「好-友(ともだち)と爲〔(な)〕る」というのは「好女」の誤りで、「婀娜っぽい女」の謂いである。東洋文庫訳も修正注で「友」を「女」としてある。その方が確かにしっくりくることは、くる。

 

 

 

   卷之三十七

    畜類

[やぶちゃん注:以下は原典では三段組。ここではルビも一緒に示し、句句読点は振らなかった。本章は、家畜動物の間に、当該家畜動物の臓器や生成物・当該動物を原料にした製品物、及び、疾患によって発生した体内異物等がやたらに混在している。なお、それらは各項で考証するので、ここでは一部の不審を持たれるであろう箇所を除いて、注をしてない。]

(ぶた)  【猪】

(いぬ)

狗寳(いぬのたま)

鮓荅(へいさらばさら)

(ひつじ) 【羊乳(ケイジ)】

[やぶちゃん注:「羊乳」のルビ「けいじ」はママ。「羊」の項に「羊乳」の条はあるが、このようなルビは振られていない。「羊」の音に「ケイ」はなく(「乳」には「ジユ」はあるが「ジ」はない)、また、中国音でも「yáng rǔ」(イァン・ルゥー)で全く合わない。一つのヒントは、この目録ページのルビは本文と異なり(本文は標題和名のみがひらがなでルビは総てカタカナである)、「ひらがな」と「カタカナ」が判然と区別されて振られている(標題は総てひらがな)ことと、後の「牛乳(ボウトル)」である。後者の「ボウトル」とは英語の「butter」のカタカナ音写に酷似することが判然とする(後の開国後の横浜で「バター」は「ボウトル」と呼ばれた。ただ「牛乳」にそれを振るのは誤りではあるが)。従って、この「羊乳(ケイジ)」も外来語である可能性が高いと考え、調べてみると、「チーズ」(cheese)のことを、ポルトガル語で「ケイジョ」(Queijo)と呼ぶことが判った。半可通な部分はあるが、羊の乳で作ったチーズの意を、羊の乳の意と誤認したのではあるまいか? せめて「酪」があるんだから、そっちに割注してほしかったなぁ、良安先生! とまあ、確定ではないので、識者の御教授を乞う。]

黃羊(きひつじ)

(うし)  【牛乳(ボウトル)】

牛黃 【いしのたま】

阿膠(あきやう) 【にかは】

黃明膠(すきにかは)

(にゆうのかゆ) 【酥 醍醐 乳腐】

(むま)

(むらさきむま)

(ら)

[やぶちゃん注:、雄のロバと雌のウマの交雑種である騾馬(らば)(哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ラバ Equus asinus × Equus caballus)のこと。]

駱駝(らくだ)


 

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