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カテゴリー「和漢三才図会巻第三十八 獣類」の20件の記事

2019/03/21

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 野豬(ゐのしし) (イノシシ)

Inosisi



ゐのしゝ

野豬

     【和名久佐

      井奈岐

      俗云井乃

      之々】

本綱野豬有深山形如豬但腹小脚長毛色褐或黃作羣

行牙出口外如象牙其肉有至二三百斤者能與虎闘或

云能掠松脂曳沙石塗身以禦矢也最害田稼亦啖蛇虺

獵人惟敢射最後者若射中前者則散走傷人

肉【甘平】 治癲癇補肌膚益五臟【青蹄者不可食忌巴豆】其肉赤如馬

 肉食之勝家豬牝者肉更美

                  爲家

 新六はた山の尾上つゝきのたかゝやにふすゐありとや人とよむらん

△按野豬怒則背毛起如針頸短不能顧左右觸牙者無

 不摧破如爲獵人被傷去時人詈謂汝卑怯者蓋還乎

 則大忿怒直還進對合與人决勝負故譬之猛勇士惟

 突傷鼻及腋則斃

――――――――――――――――――――――

嬾婦獸 出嶺南似山豬而小善害田禾惟以機軸紡織

 之噐置田所則不復近也

ゐのしゝ

野豬

     【和名、「久佐井奈岐〔(くさゐなき)〕」。

      俗に云ふ、「井乃之々」。】

「本綱」、野豬は深山に有り。形、豬〔(ぶた)〕のごとく、但〔(ただ)〕、腹、小さく、脚、長く、毛の色、褐、或いは、黃。羣行を作〔(な)〕す[やぶちゃん注:群れを成して行動する。]。牙、口の外に出でて、象の牙のごとし。其の肉、二、三百斤[やぶちゃん注:明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、百十九キロ強から百七十九キログラムに当たる。実際のイノシシの成体個体としては正当な数値である。後注の下線太字部参照。]に至る者、有り。能く虎と闘ふ。或いは云ふ、能く松脂〔(まつやに)〕を掠〔(りやく)〕して[やぶちゃん注:擦り採って。]、沙石に曳き、身に塗りて、以つて矢を禦ぐ〔と〕。最も田稼〔(でんか)〕[やぶちゃん注:田畑の作物の総称。]を害し、亦、蛇・虺〔(まむし)〕を啖(くら)ふ。獵人、惟だ、敢へて〔群れの〕最も後〔(しり)〕への者を射る。若〔(も)〕し、射て、前の者に中〔(あた)〕るときは、則ち、散走して人を傷つくる。

肉【甘、平。】 癲癇を治し、肌膚を補し、五臟に益あり【青〔き〕蹄〔(ひづめ)〕の者〔は〕食ふべからず。巴豆〔(はづ)〕を忌む。】。其の肉、赤く、馬の肉ごとし。之〔れを〕食〔ふに〕、家-豬(ぶた)に勝れり。牝(め)は、肉、更に美なり。

                  爲家

 「新六」

   はた山の尾〔(を)の〕上〔(へ)〕つゞきのたかゝやに

      ふすゐありとや人とよむらん

△按ずるに、野豬(ゐのしゝ)、怒れば、則ち、背の毛、起ちて針のごとし。頸、短く、左右を顧みること能はず。牙に觸るる者、摧(くじ)き破(わ)らざるといふこと無し。如〔(も)〕し、獵人(かりうど)の爲に傷(きづ)ゝけられて去る時、人[やぶちゃん注:その猟人。]、詈(のゝし)りて「汝、卑怯(ひきよ〔う〕)者、蓋〔(なん)〕ぞ還(かへ)さざるや」〔と言へば〕、則ち、大きに忿-怒(いか)りて、直ちに還り、進んで對し、合〔(がつ)〕して、人と勝負を决す。故に、之れを「猛き勇士」に譬〔(たと)〕ふ。惟だ〔し〕、鼻及び腋〔(わき)〕を突き傷つくれば、則ち、斃〔(へい)〕す[やぶちゃん注:斃(たお)れ死す。]。

――――――――――――――――――――――

嬾婦獸〔(らんぷじう)〕 嶺南に出づ。山豬(ゐのしゝ)に似て、小さく、善く田〔の〕禾〔(いね)〕を害す。惟だ〔し〕、機軸(はたをり)・紡織の噐〔(き)〕を以つて田の所に置かば、則ち、復た〔とは〕近かづかざるなり。

[やぶちゃん注:本邦の本土(北海道を除く)産は哺乳綱鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ亜種ニホンイノシシ Sus scrofa leucomystax。他に亜種リュウキュウイノシシ Sus scrofa riukiuanus が南西諸島(奄美大島及び琉球諸島の一部(沖縄島・石垣島・西表島等)に分布する(以下に引用するように八重山諸島の群を別亜種として三亜種とする主張や、これらは亜種ではない同属のタイプ種とは別種とする説もある)。ウィキの「イノシシ」を引く。良安も述べている通り、『「猪突猛進」という成句がある』ように、『突進力が強い半面、犬と同じくらい鼻が敏感で、神経質な動物でもある。本種の家畜化がブタである』。『学名は「Sus scrofa」であり、リンネによる命名である。ウシやウマなど他の家畜の学名では野生種より前に家畜種に命名されている例が多々あり、先取権の点から問題となった(審議会の強権により解決された)が、イノシシとブタの間ではそのような問題は起きなかった。古い大和言葉では「ヰ(イ)」と呼んだ。イノシシは「ヰ(猪)のシシ(肉)」が語源であり、シシは大和言葉で「肉」を意味する(「ニク」は音読みの呉音)。現代中国語では、「猪(豬)」の漢字は主にブタの意味で用いられており、イノシシは「野猪(豬)」と呼んで区別する。』。『元来はアジアやヨーロッパなどを中心に生息していた。人間によってイノシシまたはその家畜化されたブタが再野生化したものがアメリカ大陸やオーストラリア大陸などにも放され、爆発的に生息域を広げることになった。分布地域によって個体に大きな差があり、米国アラバマ州では体長約』二・八メートル、体重約四百七十キログラムにも達する『巨大なイノシシが過去には仕留められている。中国東北部のイノシシも体重』三百キログラム以上に達する個体も『ある。日本には北海道を除いてニホンイノシシとリュウキュウイノシシの』二『亜種』乃至『八重山諸島のグループをさらに分けた』三『亜種が分布する。いずれもイノシシの亜種ではなく、別種として分類すべきとの議論もなされている』。なお、ニホンイノシシの場合は性的二型で、よりも小さく、体長はで百十~百七十センチメートル、で百~百五十センチメートル、肩高は六十~九十センチメートル、尾長は三十~四十センチメートル、体重は八十~百九十キログラム(岐阜市で約二百二十キログラムもの個体が捕獲されたことがある)『古くから狩猟の対象とされてきた動物の一つであるが、非常に神経質で警戒心の強い動物である。普段より見慣れないものなどを見かけると、それをできるだけ避けようとする習性がある』。『非常に突進力が強く、ねぐらなどに不用意に接近した人間を襲うケースも多い』。イノシシの成獣個体は七十キログラムか、それ以上の体重を有し、さらに、時速四十五キロメートルで走ることも『可能であり、イノシシの全力の突撃を受けると、大人でも跳ね飛ばされて大けがを負う危険がある。オスの場合には牙も生えているため、たとえ立ち止まっている場合でも』、『オスの場合は鼻先をしゃくり上げるようにして牙を用いた攻撃を行う。オスの牙は非常に鋭く、訓練された猟犬であっても』、『縫合が必要な大きな裂傷や深い刺傷を負う場合があり、作業服程度の厚さの布も容易に切り裂いてしまうという』。『この牙による攻撃は』、丁度、『成人の太ももの高さに当たるため、人間が攻撃された場合、大腿動脈を破られて失血死するケースが多く、非常に危険である』。『メスは牙が短い為、牙を直接用いた攻撃をする事は少ないが、代わりに大きな顎で噛み付く場合がある。メスであっても』、『小動物の四肢の骨程度であれば』、『噛み砕く程の力がある』(イノシシだけではない。私は二十数年前、養豚場のブタが、飼い主の老婦人の臀部に噛みつき、同人が出血性ショックで亡くなった事件を知っている)。『多くの匂いに誘引性を示し、ダニ等の外部寄生虫を落としたり』、『体温を調節したりするために、よく泥浴』『・水浴を行う。泥浴・水浴後には体を木に擦りつける行動も度々観察される』(本文の「松脂」云々の記載はそれを誤認したものであろう。そのように意識的に汚した体表毛は時に硬く固まって鎧のような効果も持つように思われる)。『特にイノシシが泥浴を行う場所は「沼田場(ヌタバ)」と呼ばれ、イノシシが横になり転がりながら全身に泥を塗る様子から、苦しみあがくという意味のぬたうちまわる(のたうちまわる)という言葉が生まれた』。『生息域は低山帯から平地にかけての雑草が繁茂する森林から草原であり、水場が近い場所を好む。食性は基本的に山林に生えている植物の根や地下茎(芋など。冬場は葛根も食べる)、果実(ドングリなど)、タケノコ、キノコなどを食べる、草食に非常に偏った雑食性(植物質:動物質≒9:1)である。芋類は嗅覚で嗅ぎ付け、吻と牙で掘り起こして食べる。動物質は季節の変化に応じて昆虫類、ミミズ、サワガニ、ヘビなどを食べる。食味が良く簡単に手に入れられる農作物を求めて』、『人家近辺にも出没することがある。穀物も採餌対象であり、田畑で実った稲』『やトウモロコシも食害に遭う。鳥類やアカシカなど小型哺乳類なども採餌し、死骸が落ちていた時に食餌する。基本的には昼行性で日中に採餌のため徘徊し、人間活動による二次的な習性で夜行性も示す』。『野生下での寿命は長くて』十『年であり、一年半で性成熟に達する。幼少期にはシマウリ(縞瓜)に似た縞模様の体毛が体に沿って縦に生えており、成体よりも薄く黄褐色をしている。イノシシの幼少期は天敵が多く、この縞模様は春の木漏れ日の下では保護色を成す。その姿かたちからウリ坊(ウリン坊とも言う)、うりんこ、うりっことも呼ばれ、この縞模様は授乳期を過ぎた生後約』四『か月程度で消える』。『繁殖期は』十二『月頃から約』二『か月間続く。繁殖期の雄は食欲を減退させ、発情した雌を捜して活発に徘徊する。発情雌に出会うと、その雌に寄り添って他の雄を近づけまいとし、最終的にはより体の大きな強い雄が雌を獲得する。雌の発情は約』三『日で終わり、交尾を終えた雄は次の発情雌を捜して再び移動していく。強い雄は複数の雌を獲得できるため、イノシシの婚姻システムは一種の一夫多妻であるとも言える。雄は長い繁殖期間中ほとんど餌を摂らずに奔走するため、春が来る頃にはかなりやせ細る』。『巣は窪地に落ち葉などを敷いて作り、出産前や冬期には枯枝などで屋根のある巣を作る。通常』四『月から』五『月頃に年』一『回、平均』四・五『頭ほどの子を出産する。秋にも出産することがあるが、春の繁殖に失敗した個体によるものが多い。妊娠期間は約』四『か月。雄は単独で行動するが』、『雌はひと腹の子と共に暮らし、定住性が高い。子を持たない数頭の雌がグループを形成することもある』。『短い脚と寸胴に似た体形に見合わない優れた運動能力を持ち、最高では人間の短距離走世界記録保持者』(百メートルを約九秒台後半から十秒で走り、時速は三十六キロメートル強に相当する)『をも凌ぐ約』時速四十五キロメートルの『速さで走ることが可能である。農研機構近畿中国四国農業研究センターの実験によると』、七十キログラムの成獣が一メートル二十一センチメートルの『高さのバーを』、『助走もなしに跳び越えることができた』という。但し、『立体感のあるものは苦手で、斜めに立てられた柵は越えることができない』。『扁平になった鼻の力(実際には首~上肢の力)はかなり強く、雄で』七十キログラム『以上、雌でも』五十~六十キログラム『もある石を動かすことができる』。『基本的には水を嫌い泳ぐことはないが、追い立てられたりして止むを得ず泳ぐこともある。犬かきで時速』四キロメートル『程度を出せ』、三十キロメートルの距離を『泳ぐことも不可能ではないという』。『瀬戸内海では島の間を渡る猪がたびたび目撃されている』。『積極的に前進することや向こう見ずに進むことを「猪突猛進」といい、これはイノシシが真っすぐにしか進めないところからきていると言われている。実際のイノシシは他の動物と同様前進している際、目の前に危険が迫った時や危険物を発見した時は急停止するなどして方向転換することができ、真っすぐにしか進めないという認識は誤りである』。『大型肉食動物(トラ、ライオン、ヒョウ、オオカミ、クマ、ワニ、大蛇など)とイノシシの生息地が被る際には、主に幼獣を含む中小の個体が他の有蹄類と同様に捕食対象となる。逆に大型の個体では撃退はおろか返り討ちにするケースも見られる。なお、それらが生息していない地域や、過去には生息していたが』、『現在では絶滅している地域では、成獣を殺害・捕食する大型動物は人間以外にはほぼ存在しない。そうした地域では野犬やカラス、キツネや大型の猛禽類等が幼獣を捕食する程度である』。『縄文時代にはシカとともに主要な狩猟対象獣であった。北海道や離島からも骨が出土し、これらの島には人為的に持ち込まれたと考えられている』。『山梨県北杜市大泉町の金生』(きんせい)『遺跡は八ヶ岳南麓に立地する縄文時代後期の遺跡で、配石遺構が出土したことが知られる。金生遺跡からは焼けたイノシシ幼獣の下顎骨がまとまって出土しており、馴化して飼養状態において、食用に間引いていたとも考えられている』。『イノシシは多産であることから、縄文時代には豊穣の象徴として、縄文時代の精神世界においても重視されていたとされ、土器文様としてイノシシ装飾が見られる。金生遺跡の焼骨も何らかの祭祀に関わる遺物であると考えられている』。『日本で獣肉食が表向き禁忌とされた時代も、山間部などでは「山鯨(やまくじら)」(肉の食感が鯨肉に似ているため)と称して食されていた。「薬喰い」の別名からもわかるように、滋養強壮の食材とされていた。「獅子に牡丹」という成句から、獅子を猪に置き換えて牡丹肉(ぼたんにく)とも呼ばれる』『イノシシ肉の鍋料理を「ぼたん鍋」と称する』とある(引用に際しては、いくつかの項を省略している)。

「久佐井奈岐〔(くさゐなき)〕」小学館「日本国語大辞典」によれば、イノシシの古名とし、本邦初の漢和薬名辞書とされる「本草和名(ほんぞうわみょう)」(全二巻。深根輔仁(ふかねすけひと)著。延喜一八(九一八)年頃の成立。本草約千二十五種の漢名に別名・出典・音注・産地を附し、万葉仮名で和名を注記してある)に、『野猪黃 和名久佐爲奈岐』とし、「今昔物語集」巻第二十の、私の偏愛する一篇「愛宕護山聖人被謀野猪語第十三」(愛宕護(あたご)の山の聖人、野猪(くさゐなぎ)に謀(たまか)れたる語(こと)第十三)の文中の例を引く(前にも「象」で紹介したが、私の『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その3) 附小泉八雲Common Sense原文+田部隆次譯』で全文を電子化してある)。語源説には、最初に『クサヰノキ(草猪黄)の義か。クサイは、ブタ(家猪)に対してヰノシシ(野猪)をいう語。キ(黄)は脳の意。脳を薬用にするところから〔大言海〕』を挙げ、次に『クサナギ(草坐長)の義〔日本語原学=林甕臣〕』とする。

「田稼」「稼」は本来、「穀物を植える」(熟語の「稼穡(かしょく)」は「穀物の植え付け」と「穫(と)り入れ」、「種蒔き」と「収穫」の意で、転じて「農業」の意とする)や「穫り入れた穀物」(熟語の「禾稼(かか)」は「禾」が「穀類の総称」、「稼」は「実った穀物」の意で穀物・穀類)の意なのであり、そこから「働く・かせぐ」の意に転じたのである。

「虺〔(まむし)〕」「蝮」で、爬虫綱有鱗目ヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属 Gloydius のマムシ類。

「巴豆〔(はづ)〕」常緑小高木であるキントラノオ目トウダイグサ科ハズ亜科ハズ連ハズ属ハズ Croton tigliumウィキの「ハズ」によれば、『種子から取れる油はハズ油(クロトン油』(本種の英名 Croton に基づく)『)と呼ばれ、属名のついたクロトン酸のほか、オレイン酸・パルミチン酸・チグリン酸・ホルボールなどのエステルを含む。ハズ油は皮膚に』附着するだけで、『炎症を起こす』。『巴豆は』中国古代の本草書「神農本草経下品」や医書「金匱要略(きんきようりゃく)」に『掲載されている漢方薬であり、強力な峻下作用』(下剤の中でも作用の強いものを峻下剤と呼ぶ)『がある。走馬湯・紫円・備急円などの成分としても処方される』が、『日本では毒薬または劇薬に指定』『されているため、通常は使用されない』とある。

「爲家」「新六」「はた山の尾〔(を)の〕上〔(へ)〕つゞきのたかゝやにふすゐありとや人とよむらん」藤原定家の子藤原為家の「新撰六帖題和歌集」(「新撰和歌六帖」とも呼ぶ。六巻。藤原家良(衣笠家良:いえよし)・為家・知家・信実・光俊の五人が、仁治四・寛元元(一二四三)年から翌年頃にかけて詠まれた和歌二千六百三十五首を収めた、類題和歌集。奇矯で特異な歌風を特徴とする)の「第六 草」の載る。「日文研」の「和歌データベース」で校合済み。「畑山(山裾の畑)の尾の上續きの(山頂から続いている尾根)高萱に(背の高い草の生い茂ったところに)伏す(或いは臥す)猪ありとや人響(とよ)むらん(人々が大声を上げて騒いでいるようだ)」の意であろう。

「汝、卑怯(ひきよ〔う〕)者、蓋〔(なん)〕ぞ還(かへ)さざるや」「お前! 卑怯者め! どうして戻って来ないんだ?!」。

「進んで對し、合〔(がつ)〕して」自(みずか)ら真っ直ぐに進み出て、その狩人に対面し、ガチで組み合って。

「嬾婦獸〔(らんぷじう)〕」不詳。イノシシ属の一種ではあろうか? 「嬾婦」は中国語で「怠け者の女・無精な女」の意であり、それが以下の機織り(これは洋の東西を問わず、女性の大事な(古くは神聖な)仕事であった)の織機を置くと来なくなるというのと親和性があり、古伝承でそうした婦人が猪に変じたものと言うのであろうか「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)」には、

   *

俚語〔(りご)〕に『趨織(こほろぎ)鳴けば、嬾婦〔(らんぷ〕驚く』と言へること、有り。

   *

とあり、また、私の『栗本丹洲自筆「翻車考」藪野直史電子化注(10) 考証第二部』の中に、

   *

「寧波府志」云はく、『江豚、形、猪に似る。一名「大白」。其の身、脂(あぶら)多く、以つて紡績せるを照らせども、則ち、昏(くら)く、賭博を照らして、則ち、明(めい)たり。舊傳に嬾婦(らんぷ)の所化(しよけ)[やぶちゃん注:化け物に変化(へんげ)すること。]せると』と。

   *

とあったのを思い出したのだ。私の考証過程はそちらをじっくりと見て戴きたいが、なにより、そこの「江豚」の文字と「形、猪に似る」に着目して貰いたいのである。「江豚」は結果して私は哺乳綱鯨偶蹄目ハクジラ亜目マイルカ上科ネズミイルカ科スナメリ属スナメリ Neophocaena phocaenoides に比定同定した。無論、この「嬾婦獸〔(らんぷじう)〕」の記事では「善く田〔の〕禾〔(いね)〕を害す」と言っているのであるから、スナメリとは、一見、思えないようでもあるのだが、現在、長江には完全な淡水に棲息するスナメリの個体群がいることが判っており、彼らが水路を伝って水深のある水田に侵入して、稲を食害するかどうかは別としても、田を荒すことは十分に考えられる。また、上記引用の「寧波」や「長江」は「嶺南」ではないものの、嶺南の沿岸地帯にもスナメリは棲息するのである(ウィキの「スナメリ」分布図を見よ)。これは私の推理に過ぎないであるが、この「嬾婦」(「本草綱目」の「野豬」の「集解」の終りに出る)は、或いは、例えば「形、猪に似る」というのを陸の獣と勘違いしたものではあるまいかとも考えているのである。

「嶺南」中国南部の南嶺山脈よりも南の地方の広域総称。現在の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と、湖南省・江西省の一部に相当する(部分的には「華南」と重なっている)。参照したウィキの「嶺南」地図(キャプションに『華南/嶺南の諸都市。なお』、『福建省(かつての閩)は、多くの場合』、『嶺南には含まれない』ともある)。]

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 ※牛(もうぎう) (前と同じくヤク)



Mugyuu


もうぎう  犣牛◦犏牛

※牛【音毛】

マ◦ウ ニウ

[やぶちゃん注:「※」=「牜」+(「旄」-「方」)。「◦」は単に字が詰まったので、繋がっていないことを示すための記号。]

本綱※牛乃野牛也人多畜養之狀如水牛體長多力能

載重迅行如飛性至粗梗髀膝尾背胡下皆有黒毛長尺

許其尾最長大如斗亦自愛護草木鈎之則止而不動今

人以爲纓帽毛雜白色者以茜染紅色

三才圖會云天子車在纛以※牛尾爲之

△按野牛自中華來於肥州長崎偶有之不蕃息

もうぎう  犣牛〔(れふぎう)〕

      犏牛〔(へんぎう)〕

※牛【音、「毛」。】

ウ ニウ

[やぶちゃん注:「※」=「牜」+(「旄」-「方」)。なお、「れふぎう」は現代仮名遣「りょうぎゅう」。]

「本綱」、※牛は、乃〔(すなは)〕ち、野牛なり。人、多く之れを畜養す。狀、水牛のごとく、體、長し。多力にして能く重きを載す。迅〔(はや)〕く行くこと、飛ぶがごとし。性、至つて粗梗〔(そかう)〕なり。髀〔(もも)〕・膝・尾・背・胡〔(こ)の〕下〔(した)〕に、皆、黒毛有り、長さ、尺許り。其の尾〔は中でも〕最も長大にして、斗〔(ひしやく)〕のごとく、亦、自〔(みづか)〕ら〔も〕愛護す。草木、之れに鈎(かゝ)るときは、則ち、止〔まり〕て動かず。今の人、以つて纓帽〔(えいぼう)〕と爲す。毛、雜白色の者を、茜〔(あかね)〕を以つて紅色に染む。

「三才圖會」に云はく、『天子の車に纛(たう)在り。※牛の尾を以つて之れを爲る』〔と〕。

△按ずるに、野牛、中華より肥州長崎に來たる。偶々〔(たまたま)〕、之れ、有〔れども〕、蕃息せず[やぶちゃん注:本邦では繁殖させることが出来ない。]。

[やぶちゃん注:「※牛」の「」は「犛」と同じで繁体字「氂」と同字であり、「本草綱目」の時珍も、実物を知っているらしい良安も、単に「野牛」に言い換えてしまっており、記載内容も前項の「犛牛(らいぎう)(ヤク)」と酷似するから、同じくウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク(野生種の学名は Bos mutus。家畜化された種としての学名はBos grunniensなのだ。思うに、いろいろな字で古代から記されたことから、後代、これらが類似する別種として誤認されたものであろう。或いは、前項に、「※は小さく、犛は大なり」とあることから、「※」はヤクの♀、「犛」は♂を別種と誤認したとも思われ、或いは、各地のヤクの個体変異を別種としたともとれなくもない。

「粗梗〔(そかう)〕」荒々しく強い。

「髀」腿(もも)。

「胡〔(こ)〕」牛などの顎の下の垂れ下がった肉を指す語。東洋文庫訳では『えぶくろ』とルビするが、これでは胃の意味になり、私は不適切と思う。

「斗〔(ひしやく)〕」柄杓。

「鈎(かゝ)るときは」引っ掛かった際には。

「止〔まり〕て動かず」毮ㇾたりして傷つくことを恐れて動かないのである。

「纓帽〔(えいぼう)〕」前項に既注であるが、再掲すると、頂きから赤い房を垂らした官人の式帽を指す。

「雜白色」白を基調として雑色の混じるもの。

「茜〔(あかね)〕」キク亜綱アカネ目アカネ科アカネ属アカネ Rubia argyi。但し、ウィキの「アカネ」によれば、和名は「赤根」で『根を煮出した汁』を本邦でも古く『上代から赤色の染料として用い』『ていた』が、『日本茜を使って鮮やかな赤色を染める技術は室町時代に一時』、『途絶えた』とある。

『「三才圖會」に云はく……』同書「儀制三巻」の「皁纛」。ここに図(左頁)、ここ(左頁)に解説が載る(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。

「纛(たう)」(現代仮名遣「とう」)旗棹の上端に附ける、ヤクの毛を束ねて垂らした、威儀の飾り。これに旗を附けて「纛の旗」と称する。前の「三才図会」の図を参照されたい。

「偶々〔(たまたま)〕、之れ、有〔れども〕」「たまに見かけることがあるけれども」。しかし、高地高原性のヤクを果たして日本に連れて来たことがあるのかどうか、甚だ疑問ではある。何か別の種のウシ類を誤認したものではあるまいか?

「蕃息せず」「本邦では結局、繁殖させることが出来ないでいる」の意。当たり前田のクラッカーだっつうの!

2019/03/20

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 犛牛(らいぎう) (ヤク)

Raigyu


らいぎう  毛犀 牧牛
      竹牛 犘牛
      貓牛 犨牛
犛牛
      犛【毛俚來三音】
本綱犛牛【※1牛之屬】野牛也居深山中狀及毛尾俱同※1牛但
[やぶちゃん注:「※1」=「牜」+(「旄」-「方」)。]
※1小而犛大有重千斤者其體多長毛其尾可爲旌旄纓
帽之用身角如犀故曰毛犀角甚長而黃黒相間以僞犀
角卒莫能辯也角之花班皆類山犀而無粟紋其理似竹
不甚爲奇蓋犛之角勝于※1而※1之毛尾勝于犛
犩牛 如牛而大肉重數千斤又名虁牛
※2牛 色青黃與蛇同穴性嗜鹽人褁手塗鹽取之其角
 如玉可爲噐
[やぶちゃん注:「※2」=(上)「魏」+(下)「牛」。]
海牛 形似牛鼉脚鮎毛其皮甚軟脂可燃燈一名潜牛
山牛 狀如牛角有枝如鹿茸
月支牛 出大月氏國今日割取肉明日其創卽復合也
 【以上五種亦野牛之類也】
らいぎう  毛犀 牧牛
      竹牛 犘牛〔(ばぎう)〕
      貓牛〔(びやうぎう)〕
      犨牛〔(しうぎう)〕
犛牛
      犛は【毛〔(マウ)〕・俚〔(リ)〕・
      來〔(ライ)〕の三音〔たり〕。】
「本綱」、犛牛は【※1牛〔(やく)〕の屬。】野牛なり。深山の中に居り、狀及び毛・尾、俱に※1牛に同じ。但し、※1は小さく、犛は大なり。重さ、千斤[やぶちゃん注:明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、五百九十七キログラム弱とあるが、あり得ない。中国得意の誇張表現。後に出る架空の巨牛「犩牛」の数値である。]の者〔も〕有り。其の體、長毛多く、其の尾、旌旄〔せいぼう〕[やぶちゃん注:旗竿の先に「旄」というヤクの毛の旗飾りを附け、これに鳥の羽などを垂らした旗。天子が士気を鼓舞するのに用いたり、皇帝から将軍や使節に任命の印章として与えられた旗。]・纓帽〔(えいぼう)〕[やぶちゃん注:頂きから赤い房を垂らした官人の式帽。]の用と爲すべし。身・角、犀のごとし。故に「毛犀」と曰ふ。角、甚だ長くして、黃・黒、相ひ間(まじ)はる。以つて犀角を僞はる。卒(つい[やぶちゃん注:ママ。])に能く辯ずること莫し[やぶちゃん注:本物と偽物を見分けることは出来ない。]。角の花〔の〕班〔(まだら)も〕、皆、山犀に類して、粟〔のごとき〕紋、無し。其の理(きめ)、竹に似て、甚だ奇なりと〔は〕爲さず。蓋し、犛の角、※1より勝れり。※1の毛尾は犛より勝れり。[やぶちゃん注:「※1」=「牜」+(「旄」-「方」)。]
犩牛(き〔ぎう〕) 牛のごとくにして大〔(だい)〕なり。肉の重さ、數千斤。又、「虁牛」と名づく。
※2牛〔(だうぎう)〕 色、青黃なり。蛇と穴を同〔じう〕す。性、鹽を嗜〔(この)〕む。人、手を褁〔(つつ)み〕て鹽を塗りて、之れを取る。其の角、玉のごとく、噐〔(うつは)〕と爲すべし。[やぶちゃん注:「※2」=(上)「魏」+(下)「牛」。]
海牛 形、牛に似、鼉〔(わに)〕の脚、鮎〔(まなづ)〕の毛。其の皮、甚だ軟〔か〕なり。脂、燈〔(ともし)〕に燃すべし。一名、「潜牛」。
山牛 狀、牛のごとく、角に枝有りて、鹿茸〔(ろくじよう)〕[やぶちゃん注:鹿の袋角(ふくろづの)。]のごとし。
月支牛 大月氏國に出づ。今日、割〔(さ)き〕て肉を取るに、明くる日〔には〕其の創(きず)、卽ち、復(い)ゑ[やぶちゃん注:ママ。「愈え」と同義。]合ふなり[やぶちゃん注:翌日には肉を取った部分の傷は忽ちのうちに癒合していて、元通りに治っている。]【以上の五種も亦、野牛の類ひなり。】。
[やぶちゃん注:ウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク。野生種の学名は Bos mutus。家畜化された種としての学名はBos grunniensウィキの「ヤク」を引く。『インド北西部、中華人民共和国(甘粛省、チベット自治区)、パキスタン北東部に自然分布』する。体長は♂で二メートル八十~三メートル二十五センチメートル、♀で二メートル~二メートル二十センチメートル。尾長は♂で八十センチメートルから一メートル、♀で六十~七十五センチメートル。肩高は♂で一メートル七十センチメートルから二メートル、♀で一メートル五十~一メートル六十センチメートル。体重は♂で八百グラムから一キログラム、♀で三百二十五~三百六十キログラム。『高地に適応しており、体表は蹄の辺りまで達する黒く長い毛に覆われている』。『換毛はしないため、暑さには弱い。肩は瘤状に隆起する』。『鳴き声はウシのような「モー」ではなく、低いうなり声である』。『基部から外側上方、前方に向かい、先端が内側上方へ向かう角がある』。『最大角長』は九十二『センチメートル』に達する。『四肢は短く』、『頑丈』。『標高』四千から六千『メートルにある草原、ツンドラ、岩場などに生息する』。八~九『月は万年雪がある場所に移動し、冬季になると』、『標高の低い場所にある水場へ移動する』。『高地に生息するため、同じサイズの牛と比較すると』、『心臓は約』一・四『倍、肺は約』二『倍の大きさを有している。食性は植物食で、草、地衣類などを食べる』。『妊娠期間は約』二百五十八日で、六月に、一回に一頭の『幼獣を産む』。『生後』六~八『年で性成熟し、寿命は』二十五『年と考えられている』。『野生個体は食用の乱獲などにより生息数は激減して』おり、中国では『法的に保護の対象とされている』、一九六四年に『おける生息数は』三千から八千『頭と推定されている』。二千『年前から家畜化したとされる』、一九九三『年における家畜個体数は』千三百七十万『頭と推定されている』。殆どの『ヤクが家畜として、荷役用、乗用(特に渡河に有用)、毛皮用、乳用、食肉用に使われている。中』『国ではチベット自治区のほか、青海省、四川省、雲南省でも多数飼育されている』。『「ヤク」の語はチベット語』の「g-yag」(発音)『 に由来するが、チベット語では雄のヤクだけを指す言葉で、メスはディという』。『チベットやブータンでは、ヤクの乳から取ったギー』『であるヤクバターを灯明に用いたり、塩とともに黒茶を固めた磚茶(団茶)』『を削って煮出し入れ、チベット語ではジャ、ブータンではスージャと呼ばれるバター茶として飲まれている。また、チーズも作られている』。『食肉用としても重要な動物であり、脂肪が少ないうえに赤身が多く味も良いため、中国では比較的高値で取引されている。糞は乾かし、燃料として用いられる』。『体毛は衣類などの編み物や、テントやロープなどに利用される』。『ヤクの尾毛は日本では兜や槍につける装飾品として武士階級に愛好され、尾毛をあしらった兜は輸入先の国名を採って「唐の頭(からのかしら)」と呼ばれた。特に徳川家康が「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と詠われたほど好んだため、江戸時代に入って鎖国が行われてからも』、『清経由で定期的な輸入が行われていた』。『幕末、新政府軍が江戸城を接収した際に、収蔵されていたヤクの尾毛が軍帽として使われ、黒毛のものを黒熊(こぐま)、白毛のものを白熊(はぐま)、赤毛のものを赤熊(しゃぐま)と呼んだ』。『これらの他に、歌舞伎で用いる鏡獅子のかつら』『や、仏教僧が用いる払子にもヤクの尾毛が使用されている』とある。
「犩牛(き〔ぎう〕)」「肉の重さ、數千斤」からまともに考える気にならない。悪しからず。そもそも異名として出す「虁」は中国神話上の龍の一種、或いは牛に似たような一本足の妖獣、或いは妖怪の名である。ウィキの「虁(中国神話)」によれば(そこにある「山海経」のトンデモ絵図をリンクさせておく)、古い伝承では『音楽と深い関係にあるとされた。夔についての伝承は時代や地域によって大きく異なっている』。『元は殷代に信仰された神で、夔龍とも呼ばれる龍神の一種であった。一本足の龍の姿で表され、その姿は鳳と共に夔鳳鏡といった銅鏡等に刻まれた。鳳が熱帯モンスーンを神格化した降雨の神であった様に、夔龍もまた降雨に関わる自然神だったと考えられており、後述の『山海経』にて風雨を招くとされるのもその名残と思われる。後に一本足の牛の姿で表されたのも』、『牛が請雨のために龍神に捧げられた犠牲獣であったためとされている。一本足は天から地上へ落ちる一本の雷を表すともいわれる』。『『山海経』第十四「大荒東経」によれば、夔は東海の流波山頂上にいる動物である。その姿は牛のようだが角はなく、脚は一つしかない。体色は蒼である。水に出入りすると必ず風雨をともない、光は日月のように強く、声は雷のようである。黄帝は夔を捕らえてその皮から太鼓をつくった。この太鼓を雷獣の骨で叩くと、その音は五百里にまで響き渡ったという。『繹史』巻五に引用されている『黄帝内伝』によれば、この太鼓は黄帝が蚩尤と戦ったときに使われたものだという。また『山海経広注』に引用されている『広成子伝』によると蚩尤が暴れるのをとめたのは夔ではなく同音の軌牛であったという』。『夔は『説文解字』第五篇下における解説では「竜のような姿をしていて角がある」とされている。また『法苑珠林』に引用されている『白沢図』によれば「鼓のようで、一本足である」という』。『『国語』「魯語」に三国時代の韋昭が付した注によると、夔は一本足であり、越人はこれを山繰と呼び、人の顔、猿の体で人語を解する動物であるという。『史記』「孔子世家」では夔は木石の怪であるとされ、魍魎と同一視されている。同様の記述が『抱朴子』「登渉篇」にもある』。『『書経』「舜典」では、夔は舜帝の配下である人間で、帝によって音楽を司るように命じられた。夔は「私が石を高く低く打てば百獣がそれに従って舞うことでしょう」と言ったという』。『『韓非子』「外儲説左下」第三十三では、夔が一本足であるかどうかについての議論が行われている。このことを問われた孔子は「夔は一本足ではない。夔は性格が悪く人々は何も喜ばなかったが、誰からも害されることはなかった。なぜなら正直だったからである。この一つで足りる、だから一足というのである」。または「夔は何の才能もなかったが、音楽の才能だけは突出していた。そのため堯帝が『夔は一で足りる』と言った」と答えたという』。『山梨県笛吹市春日居町鎮目に鎮座する山梨岡神社には、一本脚の神像が伝わっており、「山海経」に登場する夔(キ)の像として信仰を受けている』。十年に一度(現在では七年に一度)四月四日に『開帳され、雷除け・魔除けの神として信仰されている』。「虁」『神像に関する記録は、荻生徂徠』『の『峡中紀行』が初出とされる。甲府藩主・柳沢吉保の家臣である荻生徂徠は』宝永三(一七〇六)年に『吉保の命により甲斐を遊歴し、山梨岡神社にも足を運んでいる。この時、徂徠が山梨岡神社に伝来していた木像を』「虁」『に比定し、以来』、「虁」『神としての信仰が広まったと考えられている』「虁」『神の来由を記した中村和泉守』の「鎮目村山梨岡神社虁神来由記」(慶応二(一八六六)年)・『山梨県立博物館所蔵)によれば、江戸後期には』「虁」『神像に関して、天正年間に織田信長軍が山梨岡神社に乱入した際に疫病によって祟ったというような霊験譚が成立している』虁『神信仰は江戸後期の社会不穏から生じた妖怪ブームにも乗じて広まったと考えられており』、虁『神の神札が大量に流通し、江戸城大奥へも献上されている』。『明治初期には山中共古『甲斐の落葉』において紹介され』ているものの、そこでは「虁」神像として『欠損した狛犬の像が』示されており、それが『「山海経」の「』虁『」と結びつけられたものであると考えられている』。『また、山梨県では山の神に対する信仰や雨乞い習俗、雷信仰などの山に関する信仰、神体が一本脚であるという伝承がある道祖神信仰が広く存在し』虁『神信仰が受け入れられる背景にもなっていたと考えられている』。『このほか、『古事記』に出てくる一本足(という読みもある)の神久延毘古の「クエ」という音は、夔の古代中国での発音kueiと似ており、関連がある可能性がある』とする説もあり、『また』、『水木しげるは、日本の一本足の妖怪「一本だたら」「山爺(やまちち)」と夔の類似性を指摘している』とある。
「※2牛〔(だうぎう)〕」(「※2」=(上)「魏」+(下)「牛」)不詳。蛇と共生する牛難なんていないだろ! 但し、牛や犀が実際に塩を好むことはよく知られている。
「海牛」「牛に似」て、「鼉〔(わに)〕」(脊椎動物亜門四肢動物上綱爬虫綱双弓亜綱主竜型下綱ワニ形上目ワニ目 Crocodilia の爬虫類のワニ類)の脚を持ち、「鮎〔(まなづ)〕の毛」(中国では「鮎」はアユではなく、条鰭綱新鰭亜綱骨鰾上目ナマズ目ナマズ科ナマズ属ナマズ Silurus asotus を指すことは、禅の公案図「瓢鮎図」等でとみに知られる。この「毛」はナマズの鬚(ひげ)のことであろう)、則ち、頭部にヒゲを持つこと、「其の皮」は「甚だ軟」らかであり、その肉から「脂」を搾ることができ、それが「燈」火を「燃」やすのに利用できるという各点から、これはもう、海棲哺乳類のアフリカ獣上目海牛(ジュゴン)目Sirenia のジュゴン科 Dugongidae・マナティー科 Trichechidae のカイギュウ(海牛)類と採ってよい。時珍の知識の中には、或いは、近代に人間が肉と脂肪と皮革を手に入れるために絶滅させてしまった寒冷適応型のカイギュウ類の最後の生き残り(北太平洋のベーリング海に棲息していた)であったジュゴン科ステラーカイギュウ亜科†Hydrodamalinae ステラーカイギュウ属ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas も含まれていると見るべきである。属ステラーカイギュウは体長七メートルを超え、一説には最大八・五メートルに達し、体重は五~十二トンあったとも言われている巨大海獣である。我々の愚かな行為(またしてもジュゴンの滅亡劇が今現に沖縄で起こりつつある)を忘れないためにも、ステラーダイカイギュウについては、南方熊楠「人魚の話」附やぶちゃん注の私の注13を是非お読み頂きたい。
「山牛」調べる気にならない。何故かって? 「説文解字」の「巻十一」のここ(中文サイト「中國哲學書電子化計劃」)を御覧な、この「山牛」に似ている動物というのは、ほうれ、前に出た聖獣「獬豸(かいち)」だ、「山牛」で野生のウシの原種だなんて安易にやらかしたら、そこに異常な皮膚や骨増殖の起こった疾患動物が一角獣の実在を証明することになるなんていう異常変態博物学は私個人の妄想の中なら至極楽しいが、こうした注でまともにやらかす内容ではないからだよ。
「月支牛」産する「大月氏國」とは匈奴に追われて西遷してバクトリア(大夏(たいか)中央アジアの現在のアフガニスタン北部にあった国。トゥハーリスターン或いはトハラ)を支配した月氏(秦から漢代にかけて中央アジアで活躍したイラン系遊牧民族)の根拠地(後にアフガニスタン及び北インドに支配を拡大したクシャン朝をも、中国では「大月氏」と呼んだ)で実在するのであるから、この牛は実在する特定の種(或いは品種)に比定出来そうだが、判らぬ。一つ浮かんだのは、そのインドや東南アジアに分布するウシ亜科ウシ属ガウル Bos gaurus ではあったが、積極的に比定する気にはならない。速攻、傷が治るなんていうおいしい話は眉唾だからね。]

2019/03/17

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 一角(うんかふる/はあた:犀角) (海獣イッカクの角)

 

Unikauru

 

うんかふる 巴阿多

はあた   宇無加布留【共蠻語也】

一角

      疑此稱犀之

      通天者乎

 

△按宇無加布留俗用一角二字阿蘭陀市舶偶來而爲

 官物尋常難得其長六七尺周三四寸色似象牙而微

 黃外靣有筋畾畾如竿麩至末一二尺細尖而筋亦無

 之微曲斜也内有空穴其穴徑四分許價最貴故以白

 犀角充之其白犀角從交趾來【近年是亦希也】其色白不潤長

 者尺餘破之如竹有禾理外靣無筋見其全躰則大異

 矣

――――――――――――――――――――――

辟塵犀爲簪梳帶胯塵不近身 辟寒犀夏月能淸暑氣

辟寒犀其色如金冬月暖氣襲人 蠲忿犀爲帶令人蠲

去忿怒此皆希世之珍

 

 

うんかふる 巴阿多

はあた   宇無加布留【共に蠻語なり。】

一角

      疑〔ふらく〕は、此れ、犀の

      通天と稱する者か。

 

△按ずるに、宇無加布留〔(ウンカフル)〕、俗に「一角」の二字を用ふ。阿蘭陀の市舶〔(しはく)〕[やぶちゃん注:交易船。]、偶(〔たま〕たま)來りて官物[やぶちゃん注:幕府への公納品。]と爲す。尋常〔には〕得難し。其の長〔(た)〕け、六、七尺。周〔(めぐ)〕り三、四寸。色、象牙に似て微〔かに〕黃。外靣、筋〔(すぢ)〕有り、畾畾〔(るいるい)〕[やぶちゃん注:「累々」に同じ。]として、竿麩(さをふ)[やぶちゃん注:棒麩と同義でとっておく。]のごとし。末、一、二尺に至りて細く尖り、筋も亦、之れ無し。微かに曲〔りて〕斜〔めとなる〕なり。内に、空穴、有り、穴〔の〕徑〔(わた)り〕四分[やぶちゃん注:一センチ二ミリメートル。]許り。價ひ、最も貴〔(たか)〕し[やぶちゃん注:非常に高額である。]。故に白犀〔(しろさい)〕の角を以つて、之れに充(あ)つ。其の白犀の角は交趾(カウチ)[やぶちゃん注:ベトナム北部。]より來たる【近年、是れ亦、希れなり。】。其の色、白くして潤〔(うるほ)〕はず。長き者〔は〕尺餘り。之れを破れば、竹のごとき禾理(のぎめ)[やぶちゃん注:節理構造。]有り。外靣、筋無く、其の全躰を見れば、則ち、大きに異なり[やぶちゃん注:少し離れて全体を見た時と、このように割り裂いた場合に観察される様態は大いに異なっているのである。]。

――――――――――――――――――――――

「辟塵犀〔(へきじんさい)〕」は簪-梳〔(かんざし)〕帶-胯〔(おびどめ)〕と爲す。塵、身に近づかず。 「辟寒犀」は、夏月、能く暑氣を淸め、「辟寒犀」は、其の色、金のごとく、冬の月、暖氣、人を襲〔(つつ)〕む[やぶちゃん注:自然に温める。]。 「蠲忿犀〔(しよくふんさい)〕」は帶と爲〔さば、〕人をして忿怒〔(ふんぬ)〕を蠲-去(さ)らしむ。此れ、皆、希世の珍なり[やぶちゃん注:世にも稀なものの中のまたまた珍品というべきものである。]。

[やぶちゃん注:前項の「犀」(サイ)(哺乳綱奇蹄目有角亜目 Rhinocerotoidea 上科サイ科サイ属(タイプ属)Rhinoceros)の角は中実角(ちゆうじつづの)で、サイ類に見られる、中に空洞も骨質の芯もない角で、毛状の繊維(毛ではない)が固まって出来ており、絶えず成長するタイプのものであるから、ここで角の中に穴があると言っている以上、それはサイの角ではない外来語とする「うにかふる」「宇無加布留〔(ウンカフル)〕」はポルトガル呉の「ウニコール」(unicorne)で、これは原義は西洋の想像上の動物である一角獣(ユニコーン:ドイツ語:Einhorn/フランス語:licorne:角を持つ馬に似た姿で描かれることが多く、伝承は聖書に溯り、最強の動物で捕らえ難いが、処女(=聖母マリア)には馴れ親しむ。則ち、ユニコーンをイエス・キリストに見立てるキリスト教的寓意譚もある)であるが、実際のその正体は海棲哺乳類であるイッカク(鯨偶蹄目イッカク科イッカク属イッカク Monodon monoceros:一属一種)のの牙である。ウィキの「イッカク」によれば、体長はで約四・七メートル、雌で約四・二メートルに達し、の体重は一・五トンにも『達することがあるが』、は一トンに『満たない。胸びれは短く、成体では先端が上方に反る』。『また、背びれは持たない。尾びれは扇形で、中央に顕著な切れ込みがある』。『身体の大部分は青白い地に茶色の斑点模様であるが、首、頭部、胸びれや尾びれの縁などは黒い。年長の個体の模様は若い個体よりも明るい。老齢の個体はほぼ真っ白になるため、角が確認出来なかった場合などに』同じイッカク科Monodontidae であるシロイルカ(鯨偶蹄目 Whippomorpha 亜目 Cetacea 下目ハクジラ小目イッカク科シロイルカ属シロイルカ Delphinapterus leucas)『と誤認される事もある』。『イッカクの雄の特徴は』一『本の非常に長い牙で』、『この牙は歯が変形したものである。イッカクの歯は上顎に』二『本の切歯があるのみであるが、雄では左側の切歯が長く伸びて牙となる。牙には左ねじ方向の螺旋状の溝がある。その大半が中空で、脆い。先端はつやのある白』で、『体長が最大で』四・七メートル『程度であるのに対し』、『牙の長さは』三メートル、『重さは最大』で十キログラム『に達することもある。通常牙は一本であるが』、五百『頭に』一『頭程度の割合で』二『本有する個体も存在する。この場合、もう一本の角は左側より短いが、同様に左ねじ方向の螺旋状である。また雌は通常、牙を持たないが、約』十五%『程度の確率で』一・二メートル『ほどの華奢な牙が生える。また、野生においては一例、二本の牙を持つ雌が確認されている』。『牙の役割については多くの議論が交わされてきた。以前』『は棲息地である北極海を被う氷に穴を開けるために発達しているという説や反響定位(エコーロケーション)のための器官であるという説、この牙で獲物を気絶させ』、『捕食する説などがあった』が、『最近』『では牙の電子顕微鏡検査によって内側から外へ向かう神経系の集合体と判明し、高度な感覚器として知られるようになった。この牙を高く空中に掲げることにより』、『気圧や温度の変化を敏感に知ることがイッカクの生存環境を保つ手段となっている。 また、大きな牙を持つ雄は雌を魅了することができるようである。ゾウの牙と同様に、イッカクの牙は一旦折れてしまったら』、『再び伸びることはない』。『イッカクは俊敏で活動的な哺乳類であり、主な食料はタラの類の魚である。しかしながら、ある海域では餌としてイカを食べることに適応している。イッカクは』五『頭から』十『頭程度の群を作る。夏の間、いくつかの群が一緒に行動し』、『同じ海岸へ集まることがある。繁殖期には雄同士が牙を使って争う。ただし、この争いは角を使って傷つけ合う戦いではなく』、『互いの角の長さや持ち上げた角度で優劣を決める戦いであるということが近年』、『分かってきた。この争いにより勝った雄は』、『雌を多数従えたハーレムと呼ばれる繁殖集団を形成する』。『イッカクは潜水が得意で』、『典型的な潜水は』毎秒二メートル『程度の速度で』八『分から』十『分間下降して』一千メートル『程度の深海に達し、数分間過ごした後、海面に戻る』千百六十四メートル『まで潜水した記録がある。通常の潜水時間は』二十『分間程度であるが』二十五『分間潜水したという記録も例外的にある』。『イッカクが見られる海域は北極海の北緯』七十『度以北、大西洋側とロシア側である。多くはハドソン湾北部、ハドソン海峡、バフィン湾、グリーンランド東沖、グリーンランド北端から東経』百七十『度あたりの東ロシアにかけての帯状の海域(スヴァールバル諸島、ゼムリャフランツァヨシファ、セヴェルナヤ・ゼムリャ諸島など)などで見られる。目撃例の最北端はゼムリャフランツァヨシファの北、北緯』八十五『度で、北緯』七十『度以南で観察されることは稀である』。『大多数の個体が棲息している海域は、カナダの北やグリーンランドの西のフィヨルドや入り江であると推測されている。航空機を用いた上空からの調査により、生息数は約』四『万頭程度であるという結果が報告されている。上空からは視認できない深度の海中にいたであろう個体数を加算すると、全生息数は』五『万頭を超えると推測される』。『イッカクは回遊』し、『夏の間は海岸近くの海域に移動する。冬が近づき海の凍結が始まると、海岸から離れて浮氷に覆われた海域に移動する。春になり浮氷の裂け目が広がる季節になると、再び海岸に近くに戻ってくる』。『イッカクの主な捕食者はホッキョクグマとシャチである』。『イッカクの棲む海域はヨーロッパの人々にとってはあまりにも北であったため』、十九『世紀までは伝説の動物だった。イヌイットとの交易を通してのみ、イッカクの存在が伝わっていた。イヌイットの間では』、『ある女性が銛にしがみついたまま海に引きずり込まれ、その後、女性はシロイルカにくるまれ、銛は牙となって、それがイッカクとなったという伝説が伝わっている』。以下、角についての記載。『ユニコーン(額に一本の角の生えた馬の姿を持つ伝説上の生物)の角は解毒作用があると考えられたため、中世ヨーロッパではユニコーンの角と偽ってイッカクの角が多数売買された』。『江戸時代の日本にもオランダ商人を通じてイッカクの角はもたらされた。当時の百科事典である』本書「和漢三才図会」にも『イッカクが』かく『紹介されて』おり、後の博物学的文人であった木村蒹葭堂(けんかどう 元文元年(一七三六)年~享和二(一八〇二)年)『の著した「一角纂考」という書物には、鎖国の中で』ありながら、『木村自身が調べあげたイッカクの生態や、ユニコーンなどの西洋の伝説と共に、実際の詳細な骨格や、珍しい』二『本の牙を持つイッカクのことも紹介されている』。『漢方薬の材料としてもイッカクの角は使われ、研究者が標本として、漢方薬店で見つけたイッカクの角を購入した事もある』とある。なお、イカックの角については、サイト根付て」の「ウニコールとセイウチの見分け方が画像もあり、非常によい。それによれば、『ウニコールは、象牙や黄楊よりも大変貴重で、江戸時代には毒消しや難病の漢方薬として同じ重さの金以上の価格で取り引きされていました。そのような薬を根付として携帯することで、同時に薬を携帯するという一石二鳥の意味もあったようです』『ヨーロッパにおいても、ユニコーン伝説を元にして、北洋の船乗り達が持ち帰った一角鯨の角は、貴重品として王侯貴族に献上されたようです。現在でも欧米のオークションで一角鯨の角は、置物や美術品として高値で取り引きされています』とし、リンク先に写真で示された二・五メートルのもので約百万円の値がついているとある。『ウニコールの最大の特徴は、表面にあるその左まき螺旋状のひだ模様です。ウニコールをまねたフェイク根付には、このひだ模様を巧みに真似たものがありますが、その味のある独特の模様は人工的に彫刻して再現することは困難です。簡単に見破れます。よって、江戸時代の根付師には、材質がウニコールであることを証明するため、このひだ模様を意匠の中にわざと一部分残して彫刻した者もいます』とある。必見!

 

「巴阿多」語源不詳であるが、仏典の漢訳的雰囲気はある。

「通天」前項参照。

「周〔(めぐ)〕り」角の円周。

「白犀〔(しろさい)〕」文字通り受け取ってしまうと、シロサイ属シロサイ Ceratotherium simum となるが、シロサイはアフリカ大陸の東部と南部にしか分布しないので、「交趾(カウチ)[やぶちゃん注:ベトナム北部。]より來たる」もので、鎖国当時の本邦にその角が齎された可能性はゼロに近いと思われ、何より、中実角の問題があるから、シロサイではあり得ず、やはりイカックのそれであろう。

「辟塵犀〔(へきじんさい)〕」中文サイトを見るに、ここは唐の劉恂(りゅうじゅん)の「嶺表録異」の注からの「本草綱目」への引用。

「帶-胯〔(おびどめ)〕」東洋文庫訳は『おびがね』とルビする。

「辟寒犀」ここは五代の王仁裕 (八八〇年~九五六年) の「開元天宝遺事」からの「本草綱目」への引用。

「蠲忿犀〔(しよくふんさい)〕」中文サイトを見るに、唐の蘇鶚(そがく)の「杜陽雜編」からの「本草綱目」の引用。「蠲」には中国語の古語で「免除する」の意がある。]

2019/03/16

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 犀(さい) (サイ)

 

Sai

 

さい    朅伽【梵書】

      兕犀【牝也一名沙犀】

【音西】

 

本綱犀狀似水牛豬首大腹卑脚其脚似象有三蹄黒色

舌上有刺皮上毎一孔生三毛如豕有山犀水犀兕犀三

種又有毛犀似之【毛犀乃旄牛也】

山犀居山林人多得之水犀出入水中最難得並有二角

一有鼻一有額鼻角長而額角短水犀皮有珠甲【山犀皮無珠甲】

兕犀【一名沙犀】卽犀之牸者止有一角在頂文理細膩班白分

明不可入藥蓋牯角文大而牸角文細也【郭璞謂犀有三角者訛也】其

紋如魚子形謂之粟紋紋中有眼謂之粟眼黒中有黃花

者爲正透黃中有黒花者爲倒透花中復有花者爲重透

並名通犀乃上品也花如椒豆班者次之烏犀純黒無花

者爲下品

犀角【苦酸鹹寒】足陽明藥解一切諸毒中毒箭以犀角刺瘡

 中立愈犀角置穴狐不敢歸【辟一切邪鬼也可知】癰疽化膿作水

 治吐血衂血下血及痘惡症

 犀角有黒白二種以黒者爲勝角尖又勝【鹿取茸犀取尖】凡犀

 角鋸成當以薄紙裹于懷中蒸燥乗熱搗之應手如粉

 【故謂翡翠屑金人氣粉犀是也】

天卽腦上之角經千歳長且鋭白星徹端能出氣通

 天則通神破水入水水開三尺置屋上烏鳥不敢集夜

 視有光夜露不濡入藥至神騐

                  寂蓮

  夫木うき身にはさいの生角えてしかな袖の泪もとをさかるやと

[やぶちゃん注:「とをさかる」(遠ざかる)はママ。]

按犀角從暹羅柬埔寨多將來凡長一尺四五寸其蛻

 角者不佳俗謂之野晒【目利人能辨之】

 

 

さい    朅伽〔(けつが)〕【梵書。】

      兕犀〔(じ(し)さい)〕

      【牝なり。一名、「沙犀」。】

【音、「西」。】

 

「本綱」、犀は、狀、水牛に似て、豬〔(ぶた)〕の首、大きなる腹、卑〔(みぢか)〕き脚〔なり〕。其の脚、象に似て、三つの蹄、有り、黒色。舌の上に刺(はり)有り。皮の上、毎〔(まい)〕一孔〔に〕、三〔つの〕毛、生ず。〔それ、〕豕〔(ぶた)〕のごとし。山犀・水犀・兕犀〔(じさい)〕の三種、有り。又、毛犀、有り〔て〕之れに似たり【毛犀は乃〔(すなは)ち〕旄牛〔(ぼうぎう)〕なり。】。

山犀は山林に居〔(を)り〕、人、多く、之れを得。水犀は水中を出入して、最も得難し。並びに[やぶちゃん注:孰れも。]、二つの角、有り、一つは鼻に有り、一つは額に有り。鼻の角(つの)は長くして、額の角は短し。水犀の皮には珠甲〔(しゆこう)〕有り【山犀の皮には珠甲無し。】。

兕犀〔(じさい)〕【一名、「沙犀」。】卽ち、犀の牸(め)[やぶちゃん注:。]なる者〔にして〕止(た)ゞ一角有り。頂きに在りて、文理〔(もんり)〕細〔(こま)かに〕して膩〔(なめら)か〕、班〔(まだら)たる〕[やぶちゃん注:「班」はママ。良安の誤った書き癖である。]白、分明にして、〔これ、〕藥に入るべからず。蓋し、牯(を)[やぶちゃん注:。]の角は文〔(もん)〕大にして、牸(め)の角は、文、細かなり【郭璞〔(かくはく)〕、謂はく、『犀に三つの角有り』とは、訛〔(あやまり)〕なり。】其の紋、魚の子の形のごとく、之れを「粟紋〔(ぞくもん)〕」と謂ふ。紋の中、眼、有り。之れを「粟眼〔(ぞくがん)〕」と謂ふ。黒き中〔に〕黃〔なる〕花有る者を「正透〔(しやうとう)〕」と爲し、黃なる中に黒〔き〕花有る者うぃ「倒透〔(たうとう)〕」と爲す。花の中に復た花有る者を「重透〔(ぢゆうとう)〕」と爲す。並びに[やぶちゃん注:以上の総てを。]「通犀〔(つうさい)〕」と名づく。乃〔(すなは)〕ち、上品なり。花、椒豆〔(しやうたう)〕[やぶちゃん注:山椒の実の粒。]のごとき班〔(まだら)〕なる者は、之れ〔ら〕に次ぐ。「烏犀(うさい)」は純黒にして花無し。〔その〕者、下品と爲す。

犀角〔(さいかく)〕【苦、酸、鹹。寒】足の陽明の藥〔にして〕一切の諸毒を解す。毒の箭〔(や)〕に中〔(あた)〕れば、以つて犀角を瘡〔(きず)〕の中に刺せば、立ちどころに愈ゆ。犀の角を穴に置〔かば〕、狐、敢へて歸らず【一切の邪鬼を辟〔(さ)く〕ることや、知るべし。】癰疽〔(ようそ)〕[やぶちゃん注:悪性の腫れ物。「癰」は浅く大きいもの、「疽」は深く見た目は小さく狭いものを指す。]の膿みを化して水と作〔(な)〕す。吐血・衂血〔(はなぢ)〕・下血及び痘[やぶちゃん注:疱瘡。天然痘。]の惡症[やぶちゃん注:症状が重症化したもの。]を治す。

犀角に、黒・白の二種有り。黒き者を以つて勝〔(すぐ)〕れりと爲す。角の尖り、又、〔黑きは〕勝れり【鹿は茸〔(じよう)〕[やぶちゃん注:嚢角(ふくろづの)。若角のこと。]を取り、犀は尖れるを取る。】。凡そ、犀角、鋸〔(のこ)のごとく〕成〔れば〕、當に薄紙〔(うすがみ)〕を以つて懷中に裹(つゝ)み、〔人肌の溫(ぬく)みを以つて〕蒸し、燥〔(かは)〕かし、熱〔する〕に乗じて、之れを搗くべし。手に應じて、粉〔(こな)〕のごとし【故に『翡翠は金を屑にし、人の氣は犀を粉〔に〕す』と〔は〕是れなり。】。

通天〔(つてん)〕は、卽ち、腦の上の角〔なり〕。千歳を經(へ)て、長く、且つ、鋭(とが)る。白〔き〕星、端に徹(とを)り[やぶちゃん注:ママ。]、能く氣〔(き)〕を出だす。「通天」は、則ち、神に通ず。水を破る。水に入れば、水、開くこと、三尺といふなり[やぶちゃん注:水の入れようとすると、犀角から水は九十三センチ三ミリメートル(明代のそれで換算)も自然に退(しりぞ)き、また、水面が窪んでそこに空間が開くと言われている。]。屋の上に置〔かば〕、烏・鳥、敢へて集らず。夜、視〔れば〕、光、有り。夜の露に濡(ぬ)れず。藥に入るるに、至つて、神騐〔(しんげん)〕あり[やぶちゃん注:「騐」は「驗」の異体字。]。

                  寂蓮

  「夫木」

    うき身にはさいの生角〔(いきつの)〕えてしがな

       袖の泪〔(なみだ)〕もとをざかるやと

按ずるに、犀角は暹羅(シヤム)[やぶちゃん注:現在のタイ王国の前身。]・柬埔寨(カボヂヤ)[やぶちゃん注:現在のカンボジア王国の前身。]より、多く將(も)ち來たる。凡そ、長さ一尺四、五寸[やぶちゃん注:五十四~五十七センチメートル。]。其の蛻〔(ぬ)け落ちたる〕角は、佳ならず、俗に之れを「野晒(〔の〕ざらし)」と謂ふ【目〔の〕利の人、能く之れを辨ず。[やぶちゃん注:目のよく利く人はこれ(「野晒し」でないかどうか)を一目で弁別することが出来る。落語見たような謂いじゃげな。]】。

[やぶちゃん注:哺乳綱奇蹄目有角亜目 Rhinocerotoidea 上科サイ科サイ属(タイプ属)Rhinoceros で、現生種は、

インドサイ属インドサイ Rhinoceros unicornis(インド北部からネパール南部)

インドサイ属ジャワサイ Rhinoceros sondaicus(インドネシアのジャワ島西部)

シロサイ属シロサイ Ceratotherium simum(アフリカ大陸の東部と南部)

スマトラサイ属スマトラサイ Dicerorhinus sumatrensis(インドネシア(スマトラ島・ボルネオ島)・マレーシア・ミャンマー。カンボジア・ベトナムに分布する可能性もある)

クロサイ属クロサイ Diceros bicornis(アフリカ大陸の東部と南部)

の五種である。ウィキの「サイ」を引く。『かつてサイ科の属する奇蹄目は、始新世から漸新世にかけて繁栄し』、二百四十『属と多様性を誇った。サイの祖先たちは、ほぼ全ての地域(可住域)に分布し』ていた。『特に漸新世には陸上哺乳類史上最大の種(パラケラテリウム』(サイ上科ヒラコドン科インドリコテリウム亜科パラケラテリウム属 Paraceratherium)『)が現れるなど、繁栄を極めた。しかし』、『中新世以降は地球の寒冷化によって多くの種が絶滅し、またウシ亜目などの反芻類の進化に押されて衰退し』、『更には人間の狩猟と乱獲、開発によって、現在の分布になったと考えられ』ている。シロサイは体長三メートル七十~四メートル、体重二千三百キログラム(最大で三千六百キログラムという記録があるという)。『現生種ではインドサイ・シロサイはオスがメスよりも大型になるが、他種は雌雄であまり大きさは変わらない』。『皮膚は非常に分厚く硬質で』、一・五~五センチメートルの『厚みを持ち、格子構造になったコラーゲンが層をなしている。皮膚はあらゆる動物の中でも最硬といわれ、肉食獣の爪や牙を容易には通さない。インドサイ等は、だぶついた硬い皮膚が特徴的で、体全体が鎧で覆われているように見える。体色は灰色をしている種が多いが、サイは泥浴びを好み、水飲み場などでよくこれを行うので、土壌の色で茶色などを帯びたように見えることもある。スマトラサイを除き』、『体毛がない。しかし』、『耳介の外縁や睫毛、尾の先端に毛を残している。幼獣は成獣より毛深く、成熟するにつれて体毛が薄くなる。スマトラサイは耳介も含めて全身が粗く長い茶褐色の体毛で被われているものの、野生種では泥にまみれるか、抜け落ち、あまり目立たない』。『非常に大きな頭蓋骨は、前後に長く、後頭骨が立ち上がっている。鼻骨は大きく前か上にせり出し、前上顎骨よりも前に飛び出る。角が接合する部分は、鼻骨の表面がカリフラワー状に荒れている。頭部に』一『本(インドサイ属)または』二『本(クロサイ・シロサイ・スマトラサイ)の角がある』。『ラテン語の呼称および英名のrhinocerosはこの角に由来し』、『古代ギリシャ語で鼻を指すrhisと』、『角を指すcerasを組み合わせたものとされる』。『スマトラサイでは後方の角が瘤状にすぎない個体もいたり』、『ジャワサイのメスには角のない個体もいる』。『角はケラチンの繊維質の集合体で、骨質の芯はない(中実角)』(ちゆうじつづの:サイ類に見られる、中に空洞も骨質の芯もない角で、毛状の繊維(毛ではない)が固まって出来ており、絶えず成長するタイプの角を指す。次項は「一角(うんかふる/はあた)」で犀の角とするが、実はそれはどうも犀の角ではない。そちらでまた考証する)。『何らかの要因により角がなくなっても、再び新しい角が伸びる』。『シロサイやクロサイでは最大』一・五メートル『にもなる』。『サイの角は肉食動物に抵抗するときなどに使われる。オスのほうがメスより角が大きい。目は小さく、視力は非常に弱い。シロサイは』三十メートル『も離れると』、『動かないものは判別できない』。但し、『嗅覚は非常に発達』しており、また、『聴覚も発達し、耳介は様々な方向へ向け動かすことができる』。『脳は哺乳類の中では比較的小さい』(四百〜六百グラム)。『後腸をもつ後腸発酵草食動物で、必要とあらば』、『樹皮のような硬い植物繊維質も食料源とすることができる。単胃であるため』、摂餌が『頻繁で、反芻しない。体は硬い皮膚に覆われているが』、『口先はやわらかく、感覚に優れている。口先の形状は種によって異なり、種によって食性が微妙に違うことを示している』という。『吻端はシロサイを除いて尖る』。『インドサイやクロサイは上唇の先端がよく動き、木の枝などを引き寄せることができ』、『シロサイは頭部が長くて唇が幅広く、丈が短い草本を一度に広い範囲で食べることに適している』。二十四から三十四本の『歯を持ち、小臼歯と大臼歯ですり潰す』。『アジアのサイの下顎切歯を除けば、犬歯および切歯は痕跡的である。これは突進時の衝撃への適応と考えられている』。『アフリカのサイ』二『種は前歯を持たず』、『その代わりに口先(吻)で餌を挟み取る。四肢は短く頑丈で、指趾は』三本である。『乳頭は後肢の基部にあり、乳頭数は』二『個』。『精巣は陰嚢内に下降』せず、『陰茎は後方を向き、雌雄共に後方に向かって尿をする』。『出産直後の幼獣はやや小型で、体重で比較すると母親の約』四%『(インドサイ・シロサイ約』六十五『キログラム、クロサイ約』四十『キログラム)しかない』。『草原や森林、熱帯雨林、湿地に生息する。スマトラサイとジャワサイは、特に河川や沼の周辺に好んで生息する。サイは夜行性あるいは薄明薄暮性である。母親とその幼獣を除けば』、『主に基本的に単独で生活するが、シロサイは若獣が連れ添ったり』、『幼獣がいないメスで』、六、七『頭の群れを形成することもあり』、『大規模な群れを形成することもある』。『短期間であれば』、『日陰や水浴びなどの際に集合することもある』。『雄は通常、縄張りを持ち、尿や糞、足跡(スマトラサイ)などでマーキング』し、その『一生のほとんどを自分のなわばりの中で暮らす』。『縄張りの大きさは』、二〜百平方キロメートルとさまざまで、しかも『縄張りは厳密ではなく、繁殖期以外は他者の侵犯を見逃したり、縄張りが重なりあう。食料事情や繁殖の為に、縄張りの大きさも変動する。昼間は木陰で休む、水場で水を飲む、水浴びや泥浴びをして体温調節したりする。水浴びや泥浴びを好み、前者は体温の上昇・後者は虫を避ける(皮膚は分厚いが表皮は薄くすぐ下に血管が通っているため)効果があると考えられている。薄明時や夕方に食物を摂取する』。『食性は植物食』で、『近くに水場があれば毎日水を飲むが、アフリカ大陸に分布する種は』四、五日は『水場へ行かないこともある』。『また、塩やミネラルを摂取することが重要で、塩を舐める』行動をとり、『スマトラサイやジャワサイは塩分を摂るために海水を飲むことがある』という。『クロサイやインドサイは最高時速』五十五キロメートル『で走ると言われる』。『硬い皮膚と大きな体躯を持つことで、肉食獣に襲われて捕食されることはあまり多くない』が、『幼獣はその限りではない』。『オス同士ではクロサイとシロサイは前方の角を、他種は下顎の牙状の歯を使い激しく争う。妊娠期間』十五~十八ヶ月。『種によってまちまちだが、オスは約』八~十『歳で性的に成熟し、メスは』五~七『歳で成熟する。飼育下での寿命は』三十五~五十『年、野生では』二十五~四十『年程度と言われている』。『角は』現在でも『工芸品』や『ジャンビーヤと呼ばれる中東の短剣の柄、漢方薬の犀角、その他の伝統医学の材料として珍重されている』が、時珍が記すような犀角に薬としての特別な効用があるとは私には思われない。以下、「文化への影響」の項。『サイは古代から人類と関係を持っていたと考えられている。現存する人類最古の絵画であるフランスのショーヴェ洞窟壁画にもサイ』『は描かれており、これは』一~三『万年前のものである』。一五一五年、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer 一四七一年~一五二八年)は『サイがリスボンに輸入された時の様子を描いた無名の画家のスケッチを元にして、有名な犀の木版画を創作した。デューラーは実物を見ることができ』なかったようであるが、『描写はいくぶん不正確』なものの、『この木版画は「動物を描写した作品のうち、これほど芸術分野に多大な影響を与えたものはおそらく存在しない」とまでいわれている作品でもある』。この犀の図は『西洋において何度も参照され、絵画や彫刻に影響を与え』、本邦『にも伝わり、谷文晁がそれを模写をした』「犀図」を残してもいるリンク元の有名なその図。このサイは長旅のために重い皮膚病に罹っていたと考えられており、体表のそれは実は誇張ではなく、そうした病変を正確に写しとっているのだとも言われる。私は統合後のドイツの旧東ドイツで本原画を見た)。『ビルマ、インド、マレーシアでは、サイが火を潰すとする伝説がある。神話のサイは badak api (マレー語) の名称で呼ばれ、badakは犀、apiは火を意味する。森林の中で火が燃え広がるとサイが現れ、それを踏み消すとされる』。但し、『この事実が確認されたことはない』。『日本や中国』『では、水犀(みずさい)と呼ばれる動物が絵画などに見られる。頭には角、背中に甲羅、足には蹄を持つと』もされるらしいが、『平安末期の国宝鳥獣人物戯画の乙巻には、虎・象・獅子・麒麟・竜といった海外の動物や架空の動物とともに水犀が描かれている。江戸末期の北斎漫画にも水犀が描かれて』おり、『日光東照宮の拝殿東面、妻虹梁下にも水犀(通天犀とも)が彫刻されている』とある。

 

「朅伽〔(けつが)〕」サンスクリット語からの漢音写であろうが、「朅」には中国語の古語で「行く」或いは「勇敢で堂々としている」の意があるので、サイに相応しい気はする。

「兕犀〔(じ(し)さい)〕」「兕(じ)」は水牛に似た一角獣で、「山海経」に記載されている想像上の動物。中国では古くから国外から「犀角」を薬として輸入していたが、角の部分だけで本物の見たことがある人は少なく、また「犀角」は偽物が水牛の角による代用品であったりしたケースも多く、それを誤魔化した由来が幻獣の「兕」のイメージと合ってしまったものででもあろう。従って後に出る「山犀」・「水犀」・「兕犀」の種別も、博物学的に正しい実在種の記載とは思われない。但し、次注参照。

「毛犀」「旄牛〔(ぼうぎう)〕」これは哺乳綱ウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク Bos grunniens である。ウィキの「ヤク」によれば、二千年前から家畜化されたとされる。インド北西部・中国(甘粛省・チベット自治区)・パキスタン北東部に自然分布する。『「ヤク」の語はチベット語』『に由来するが、チベット語では雄のヤクだけを指す言葉で、メスはディという』。『チベットやブータンでは、ヤクの乳から取ったギー』『であるヤク』・『バターを灯明に用いたり、塩とともに黒茶を固めた磚茶(団茶)』『を削って煮出し入れ、チベット語ではジャ、ブータンではスージャと呼ばれるバター茶として飲まれている。また、チーズも作られている』。『食肉用としても重要な動物であり、脂肪が少な』く、『赤身が多く味も良いため、中国では比較的高値で取引されている。糞は乾かし、燃料として用いられる』。『体毛は衣類などの編み物や、テントやロープなどに利用される』。『ヤクの尾毛は日本では兜や槍につける装飾品として武士階級に愛好され、尾毛をあしらった兜は輸入先の国名を採って「唐の頭(からのかしら)」と呼ばれた。特に徳川家康が「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と詠われたほど好んだため、江戸時代に入って鎖国が行われてからも』、『清経由で定期的な輸入が行われていた』という。『幕末、新政府軍が江戸城を接収した際に、収蔵されていたヤクの尾毛が軍帽として使われ、黒毛のものを黒熊(こぐま)、白毛のものを白熊(はぐま)、赤毛のものを赤熊(しゃぐま)と呼んだ』。『これらの他に、歌舞伎で用いる鏡獅子のかつら』『や、仏教僧が用いる払子にもヤクの尾毛が使用されている』。体長はで二百八十~三百二十五センチメートル、で二百~二百二十センチメートルで、体重はで八百キログラムから一トン、で三百二十五~三百六十キログラム。『高地に適応しており、体表は蹄の辺りまで達する黒く長い毛に覆われて』おり、『換毛はしないため、暑さには弱い。肩は瘤状に隆起する』。『鳴き声はウシのような「モー」ではなく、低いうなり声である』という。『基部から外側上方、前方に向かい、先端が内側上方へ向かう角があ』って、最大角長九十二センチメートルに達し、『四肢は短く』、『頑丈』。標高四千~六千メートルに『ある草原、ツンドラ、岩場などに生息』し、八~九月は『万年雪がある場所に移動し』ており、『冬季になると』、『標高の低い場所にある水場へ移動する』。『高地に生息するため、同じサイズの牛と比較すると心臓は約』一・四』『倍、肺は約』二『倍の大きさを有している。食性は植物食で、草、地衣類などを食べる』。『妊娠期間は約』二百五十八日で、六月に、一回に一頭の『幼獣を産む』。『生後』六~八年で『性成熟し、寿命は』二十五年ほどと『考えられている』とある。三つ後の独立項に出る。

「珠甲〔(しゆこう)〕」粒立った粒状の非常に硬い突起があるということであろう。

「郭璞、謂はく、『犀に三つの角有り』とは、訛〔(あやまり)〕なり」東洋文庫訳割注に「爾雅注疏」を出典とし、「爾雅注疏」は同書の書名注に、『十一巻、晉の郭璞』『注、北宋の刑昺(けいへい)疏。『爾雅』の注釈書。大変すぐれたもので、後世の人々から注疏の手本とされている』とある。

「魚の子」東洋文庫訳は「魚子」とし、それに『ななこ』とルビを振る。小学館「日本大百科全書」の「魚々子(ななこ)」に、『金工技法の一つ。魚子とも書く。切っ先の刃が小円となった鏨(たがね)を打ち込み、金属の表面に細かい粟粒』を撒いた『ようにみせる技法。隣接して』、『密に打たれたさまが、あたかも魚の卵を』撒き『散らしたようにみえるところから』、『この名がある。普通は文様部以外の地の部分に打たれ』、『日本には中国から伝播』『したと考えられるが』、正倉院文書に『「魚々子打工」とみえるところから、奈良時代にはすでに専門工がいたことが知られ、正倉院には当時使用された魚々子鏨が伝存している。遺品の古い例としては』、天智天皇七(六六八)年『創建の滋賀』の『崇福寺塔心礎出土の鉄鏡や』、その後の』奈良の長谷寺の銅板の「法華説相図」に見られるとあり、『奈良時代から平安時代までは概して魚々子の打ち方は不』揃い『のものが多いが、時代が下るとともに整然と打たれるようになり、江戸時代には「互(ぐ)の目魚々子」とか「大名縞(しま)魚々子」といった変わり打ちも出現した』とあるが、原典字体に「魚の子」とあり、これを「ななこ」と読むことは、原典訓読のルールから外れるものであり、時珍の謂いは、文字通りの魚卵の謂いであることは間違いないと私は思う。

「寂蓮」「夫木」「うき身にはさいの生角〔(いきつの)〕えてしがな袖の泪〔(なみだ)〕もとをざかるやと」「国文研」の和歌データベースの「夫木和歌抄」の「巻二十七 雑九」に、

 うきみにはさいのいきつのえてしかなそてのなみたもとほさかるやと

とある。]

2019/03/14

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 象(ざう/きさ) (ゾウ)

 

Zou

 

ざう     伽耶

きさ    【文作𤉢

       象耳牙鼻足

       之形】

【音牆】

★      【和名岐佐】

スヤン

[やぶちゃん注:★の部分に上図の篆文の文字が入る。]

 

本綱象交趾雲南及西域諸國野象至成群畜之長則飾

而乘之有灰白二色形體擁腫靣目醜陋大者身長丈餘

高稱之大六尺許肉倍數牛目纔若豕四足如柱無指而

有爪甲行則先移左足臥則以臂着地其頭不能俯其頸

不能囘其耳一軃其鼻大如臂下埀至地鼻端甚深可以

開合中有小肉爪能拾針芥食物飮水皆以鼻卷入口一

身之力皆有於鼻故傷之則死耳後有穴薄如皷皮刺之

亦死口内有食齒兩吻出兩牙夾鼻雄者長六七尺雌者

幾尺餘耳交牝則有水中以胸相貼與諸獸不同三年一

乳五歳始産六十年骨方足其性能久識嗜芻豆甘蔗與

酒而畏烟火獅子巴蛇殺野象多設机穽以之或埋象

鞋於路以貫其足捕生象則以雌象爲媒而誘獲之飼而

狎之久則漸解人言使象奴牧之制之以釣左右前脚罔

不如命也

象牙【甘寒】治諸鐵及雜物入肉【刮牙屑和水敷之立出】諸物刺咽【磨水

 服之愈】癇病切邪魅及諸瘡【世人知燃犀可見水怪而不知沉象可驅水怪又夏

 月合藥宜置象牙于傍】凡犀以望月紋生角象聞雷聲則花發牙

 西域重象牙用飾牀座中國貴之以爲笏象毎牙自

 埋藏之人以木牙潛易取焉【象牙殺取者上也自死者次之山中多年者下

 矣或謂一歳一換牙者非也

象膽【苦寒微毒】明目治疳【其膽隨四時春在前左足夏在前右足秋後左足冬後右足也】

 拾玉妙法經かく道塲の曉に白象天を見ぬは見ぬかは 慈圓

寰宇記云象見傷則群黨相扶將去南向跪拜鳴三匝以

木覆之【人如以斧刄刺象其象遁去則半日卽合故人象皮燒灰敷金瘡不合者愈】

五雜組云人畜象如牛馬然騎以出入裝載糧物而性

尤馴又有作架於背上兩人對坐宴飮者遇坊額必膝行

而過上山則跪前足下山則跪後足穩不可言有賊所劫

者窘急語象以故象卽捲大樹於鼻端迎戰而出賊皆一

時奔潰也惟有獨象時爲人害則穽而殺之

 

 

ざう     伽耶〔(かや)〕

きさ    【「文」に「𤉢」の字に作る。

       耳・牙・鼻・足の形を象る。】

【音、「牆」。】

★      【和名、「岐佐」。】

スヤン

 

「本綱」、象は交趾(カウチ)[やぶちゃん注:ヴェトナム北部。]・雲南及び西域の諸國に〔出づ〕。野象、群れを成すに至る。之れを畜ひて、長ずるときは、則ち、飾りて之れに乘る。灰・白の二色、有り。形體、擁腫〔(ようしゆ)せるがごとく〕[やぶちゃん注:腫れ物でを病んでいるかのようで。]、靣目〔(めんもく)〕[やぶちゃん注:「靣」は「面」の異体字。]、醜陋(みにく)し。大なる者は、身の長け、丈餘り[やぶちゃん注:明代の一丈は三・一一メートル。]、高さ、之れに稱(かな)ふ[やぶちゃん注:見合った分だけある。]。大いさ、六尺許り[やぶちゃん注:同換算で一メートル八十七センチメートル。]。肉、數牛に倍す[やぶちゃん注:牛数頭分に当たる。]。目、纔〔(ちいさ)くし〕て、豕(ぶた)のごとし。四足、柱のごとく、指、無くして、爪甲(つめ)、有り。行くときは、則ち、先づ、左の足を移し、臥すときは、則ち、臂〔(ひぢ)〕を以つて地に着く。其の頭、俯(うつむ)くこと能はず、其の頸、囘(まは)すこと、能はず。其の耳、一つに軃〔(たれさが)り〕、其の鼻、大にして、臂のごとく下に埀れて、地に至る。鼻の端〔(は)〕し、甚だ深く、以つて、開合すべし[やぶちゃん注:開いたり、合わさったりすることが出来る。]。中に小さき肉の爪有り〔て〕能く針芥を拾い[やぶちゃん注:ママ。良安は細く小さな針や塵を拾うという意味で訓読しているようだが、これは誤りであると思う。「拾針芥」は「磁石(磁「針」)が細かな屑鉄(芥)を引きつけるように、どんなに小さなものでも吸いつけて「拾」う」の謂いと私は読む。]、物を食ひ、水を飮むにも、皆、鼻を以つて卷きて口に入る。一身の力、皆、鼻に有る故に、之れを傷くるときは、則ち、死す。耳の後に、穴、有り。薄くして皷〔(つづみ)〕の皮のごとし。之れを刺すに、亦、死す。口の内に、食齒、有り。兩の吻(くちわき)に出づ。兩牙、鼻を夾〔(はさ)〕む。雄なる者、長〔(た)〕け、六、七尺[やぶちゃん注:一メートル八十七~二メートル十八センチメートル弱。]。雌なる者、幾尺[やぶちゃん注:数尺。]餘りのみ。牝に交(つる)むときは、則ち、水中に有りて、胸を以つて相ひ貼〔(てん)〕ず[やぶちゃん注:胸を合わせるように交尾する。]。〔これ、〕諸獸と同じからず。三年に一たび、乳〔(はらみ)〕す。五歳に始めて産し、六十年に〔して〕、骨、方(まさ)に足(た)る[やぶちゃん注:成体の頑丈な骨と成る。]。其の性〔(しやう)〕、能-久(よ)く識(し)り、芻豆(すうたう)・甘蔗(さたうのくさ)と酒とを嗜みて、烟火〔(はなび)〕・獅子・巴蛇〔(はだ)〕を畏る。野象を殺すには、多く、机穽(をとしあな[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。])を設(もふけ[やぶちゃん注:ママ。])て以つて之れを(をとしい)る。或いは、象の鞋〔(くつ/わな)〕を路に埋づめて、以つて其の足を貫く。生きたる象を捕ふるには、則ち、雌の象を以つて媒(なかだち)[やぶちゃん注:囮(おとり)。]と爲して、之れを誘つ〔て〕獲る。飼(か)ひて之れに狎(な)るゝ〔こと〕久しきときは、則ち、漸〔(やうや)〕く、人言を解し、象奴〔(ざうつかひ)〕をして之れを牧(か)はしむ。之れを制するに〔は〕以つて左右の前脚を釣〔(つり)〕す[やぶちゃん注:錘(おもり)をぶら下げる。]。命のごとくならざるといふこと、罔(な)し[やぶちゃん注:そうしておけば、通常は、思いのままに操ることが出来ないなどということは、ない。]。

象牙〔(ざうげ)〕【甘、寒。】諸鐵及び雜物、肉に入るを治す【牙の屑を刮〔(けづ)り〕て水に和して之れを敷〔(つ)くる〕に立〔たちどころ)〕に出づ。】諸物、咽〔(のど)〕に刺(た)つに【水に磨して之れを服〔さば〕愈ゆ。】癇病・一切の邪魅及び諸瘡【世人、犀〔の角〕を燃せば水怪を見つべきことを知りて、而〔れども〕、象〔の骨〕を沉〔(しづ)〕めて水怪を驅すべきことを知らず。又、夏月、藥を合するに、宜しく象牙を傍らに置くべし。】凡そ、犀は、望月を以つて、紋、角に生ず。象は、雷聲を聞くときは、則ち、花[やぶちゃん注:「本草綱目」では「光」である。良安の誤字。]、牙に發す、西域には象牙を重じ、用ひて牀座〔(いす)〕を飾る。中國にも之れを貴んで、以つて笏に爲(つく)る。象、毎〔(つね)〕に牙を(をと[やぶちゃん注:ママ。])すれば〔→時は〕、牙を自ら埋〔(うづ)〕んで[やぶちゃん注:ママ。]、之れを藏(かく)す。人、木の牙を以つて潛(ひそ)かに易(か)へて焉〔(これ)〕を取る【象牙、殺して取る者を上とす。自死〔せる〕者は之れに次ぐ。山中に〔(おと)して〕多年〔なる〕者は下〔たり〕。或いは、「一歳〔に〕一たび牙を換ふ」と謂ふは、非なり。】。

象の膽〔(きも)〕【苦、寒。微毒。】目を明らかにし、疳[やぶちゃん注:「脾疳(ひかん)」。乳児の腹部膨満や異常な食欲を示す症状の総称。]を治す【其の膽、四時に隨ふ。春は前の左足に在り、夏は前の右足に在り、秋は後ろの左足に、冬は後ろの右足にあるなり。】。

 「拾玉」

   妙法經〔(によはうぎやう)〕かく道塲〔(だうじやう)〕の曉に

      白象天を見ぬは見ぬかは 慈圓

「寰宇記(くはん〔うき〕)」に云はく、『象、傷(きづゝ[やぶちゃん注:ママ。])けらるるときは、則ち、群-黨〔(むれ)〕、相ひ扶(たす)けて將〔(ひき)〕い〔て〕去る。南に向き、跪〔(ひざまづ)き〕て拜し、鳴き、三匝〔(みめぐり)〕して、木を以つて之れ[やぶちゃん注:友の遺体。]を覆ふ』〔と〕。【人、如〔(も)〕し、斧・刄〔(かたな)〕を以つて象を刺し、其の象、遁れ去るときは、則ち、半日〔にして〕、卽ち、合す[やぶちゃん注:傷は自然に合して塞がれる。]。故に、人、象の皮を灰に燒き、金瘡〔(きんさう)〕の合はざる者に敷〔(つ)け〕て、愈ゆ。】。

「五雜組」に云はく、『滇〔(てん)〕人〔(ひと)〕、象を畜ふ〔こと〕牛馬のごとし。然〔(しか)〕も、騎して、以つて出入し、糧物〔(れうもつ)〕を裝-載(の)せる。而〔(しか)〕も、性、尤も馴る。又、架(たな)を背の上に作りて、兩人、對坐して宴飮〔(えんいん)〕する者、有り。坊額〔(ばうがく)〕[やぶちゃん注:巷間の扁額を掲げた門。]に遇へば、必ず、膝(いざ)り行きて、過ぐ。山を上るときは、則ち、前足を跪(ひざまづ)く。山を下るときは、則ち、後足を跪く。穩なること[やぶちゃん注:穏和な性質であることは。]、言ふべからず。賊、有りて、劫〔うばひ〕さるゝ者〔ある時〕は、窘急〔(きんきふ)〕[やぶちゃん注:「緊急」に同じい。]なること、象に語るに、故に以つす[やぶちゃん注:いかなる事態が生じているかを懇切丁寧に語り聴かせる。]。象、卽ち、大なる樹を鼻の端に捲(ま)ひて[やぶちゃん注:ママ。]、迎〔へ〕戰〔(う)ち〕て出づ。賊、皆、一時に奔(はし)り潰(つ)ゆなり[やぶちゃん注:ママ。]。惟だ、獨象有りて、時に、人の害を爲(な)せば[やぶちゃん注:なすことがあったりするが、その時は。]、則ち、穽(をとしあな[やぶちゃん注:ママ。])して之れを殺す。

[やぶちゃん注:現生最大の陸生哺乳類であるアフリカ獣上目長鼻(ゾウ)目ゾウ上科ゾウ科 Elephantidae のゾウ類。現生種は以下に示すアジアゾウに四亜種、アフリカゾウに二亜種で、二種六亜種(マルミミゾウ(体高二~二・四メートルと小柄で、中央・西アフリカの森林地帯に棲息することから「シンリンゾウ」とも呼ばれ、耳が小さく丸みを帯びている点、牙が真っ直ぐ下へ向かって生えている点を特徴とする。近年、別種する記載が多く見られ、その場合は三種五亜種となる)がいる。一種はインド産の、アジアゾウ属アジアゾウ亜種インドゾウ Elephas maximus indicus で、もう一種はアフリカ産のアフリカゾウ属アフリカゾウ Loxodonta Africana である。アジアゾウの亜種はインドゾウの他に、セイロンゾウ Elephas maximus maximus・スマトラゾウ Elephas maximus sumatrana・マレーゾウ Elephas maximus hirsutus であり、アフリカゾウはサバンナゾウ Loxodonta africana africana・マルミミゾウ Loxodonta africana cyclotis(先に記したように独立した一種として扱う場合は「Loxodonta cyclotis」となる)である。たまには子供向け風に両者の違いを判り易く示す。アジアゾウ(アジアゾウ属 Elephas )では、

  ・耳が小さな四角形を成す

 ・鼻の尖端は上だけに突起を有する

 ・頭頂部は左右に二つのピークを持つ

 〇前足の蹄は五つで後ろ足が四つ

 ・背中が丸い

  牙は極めて短く、♀には牙がないこともある

 のに対し、

アフリカゾウは、

 ・耳が大きな三角形を成す

 ・鼻先の上下に突起を有する

 ・頭頂部が平たい

 〇前足の蹄(ひづめ)が四つで後ろ足が三つ

 ・肩と腰が有意に盛り上がっていて背中は窪んでいる

  ♂♀ともに前方にカーブした牙を持ち、♂では三メートル以上に延びる

点である(以上は「富士サファリパーク」公式サイト内の「アフリカゾウとアジアゾウの比較」を参照した)。以下、ウィキの「ゾウ」を引く(下線太字は私が附した)。『「象」の字は、古代中国にも生息していたゾウの姿にかたどった象形文字であるとされる』。『これとは別に、日本にはゾウがいないにもかかわらず、日本語には「きさ」という古称があり』、「日本書紀」では『象牙を「きさのき」と呼んでいる』(以下の「日本書紀」と「和名類聚鈔」の引用は独自に私が作成した)。

 「日本書紀」のそれは、天智天皇一〇年(六七一)十月の条。

   *

是月、天皇遣使、奉袈裟・金鉢・象牙・沈水香・栴檀香及諸珍財於法興寺佛。

(是の月、天皇(すめらみこと)、使ひを遣はして、袈裟・金鉢(こかねのはち)・象牙(きさのき)・沈水香(ちむすいかう)・栴檀香(せんたんこう)及び諸々の珍財を法興寺の佛に奉らしめたまふ。)[やぶちゃん注:北野本の室町時代の訓を参考にした。]

   *

 また、平安中期の源順(したごう)の辞書「和名類聚鈔」(「巻一八毛群部第二十九 毛群名第二三四)に(ここは独自に全文を引いた)、

   *

象 「四声字苑」云、「𤉢【祥兩反上聲之重字。亦、作「象」。和名「岐佐」。】。獸名。似水牛、大耳、長鼻、眼細、牙長者也。

   *

とある。他にも「宇津保物語」・「宇治拾遺物語」・「徒然草」、江戸時代の滝澤馬琴の「椿説弓張月」などにも『「象」の記述がある』。ゾウの『鼻は』、『上唇と鼻に相当する部分が発達したものであり、先端にある指のような突起で仁丹のような小さな物から、豆腐といったつかみにくい物までを器用につかむことができる』。『また嗅覚も優れており、鼻を高く掲げることで』、『遠方より風に乗って運ばれてくる匂いを嗅ぎ取ることができる。聴覚も優れている』が、『視力は弱く、色覚もなく、外界の認識は主に嗅覚と聴覚によっている』。『第』二『切歯が巨大化した「牙」を持ち、オスのアフリカゾウでは牙の長さが』三・五メートル『にまで達することもある。牙は象牙として珍重され、密猟の対象となる。巨大な板状の臼歯が上下に』一『本ずつの計』四『本しかない。自分の体重や歩くことによって足にかかる負担を少なくするため』、『足の骨と足の裏の間には脂肪に包まれた細胞がつまっており、足の裏の皮膚は固く角質化している。蹄を持つため』、『有蹄類として分類されることもある』。『雌と子供で群れを形成し、雄は単独か』、『雄同士で別に群れを形成して生活する。巨大な体躯のため、成体のゾウが襲われることはほとんどないが、しかし人間を初め』、『敵が皆無という訳ではなく、アフリカではライオンの群れ、インドではトラが、主に若いゾウや幼獣を襲うことが確認されている』。『そのため、群れの成獣たちは常に幼獣の周りを取り囲んで、これらの敵から身を守っている。その巨体ながら』、時速四十キロメートル『程度で走ることができる』。『寿命は』六十『歳から』七十『歳で』、二十『歳ほどで成獣になる』(本記載(時珍)の「六十歳」がいい加減ではないことが判る)。人間には聞こえない低周波音(人間の可聴周波数帯域下限である約』二十ヘルツ『のそれ以下)で会話していると言われ、その鳴き声は最大約』百十二デシベル『もの音圧(自動車のクラクション程度)があり、最長で約』十キロメートル『先まで届いた例もある。加えて、象は足を通して低周波を捕えられることも確認された』。『ゾウの足の裏は非常に繊細であり、そこからの刺激が耳まで伝達される。彼らはこれで』三十~四十キロメートルも『離れたところの音も捕えることができる。この生態領域はまだ研究途中であるが、雷の音や、遠く離れた地域での降雨を認知できるのはこのためではないかと考えられている。また、足の裏のひび割れには滑り止めの役割があり、人間の指紋のように個体によってひび割れの模様は違っている。ゾウのしわは表面積を大きくし』、『熱を発散させるという』。人間を見分けることもできるほどに高い認知能力を持っているといわれており、例えば』、『飼育下では優しく接してくれた人間に対しては甘えたり』、『挨拶したりするが、逆に自らや仲間に危害を加えた人物に対しては非常に攻撃的になる。また、人の言語の違いを聞き分けられるとも言われ、象を狩っていたマサイ族の言語を非常に警戒したとの報告もある。ただし、同じマサイ族でも狩りに参加しない女性にではなく、男性だけを避けようとする等々、様々な逸話が伝えられる。また、群れの仲間が死んだ場合に葬式』(これも本記載の正しさが認められる)『ともとれる行動をとることがある。死んだ個体の亡骸(なきがら)に対し、周りに集まり鼻を上げて匂いを嗅ぐような動作や、労わるように鼻でなでる等の行動をとった記録がある。これらの行為の意味については疑問点も多いが、いずれにせよかなり優れた記憶力や知能を持っていると推察されている。近年、ゾウには鏡映認知(鏡に映った自身を自身と理解する能力)があることが明らかになった』。『草・葉・果実・野菜などを食べる。ミネラルをとるために泥や岩塩などを食べることもある。草食動物で』一『日に』百五十キログラム『の植物や』百リットル『の水を必要とし、野生個体の場合は』、『ほぼ一日中』、『食事をしている。体が大きく必要となる食物も並大抵の量ではないため、森林伐採などの環境破壊の影響を受けやすく、また食欲と個体数増加に周囲の植生回復が追いつかず、ゾウ自身が環境破壊の元凶になってしまうこともある。また糞の量も多く成獣だと』、一『日平均』百二十キログラムもの『糞を出す。動物園で飼われている象で』は、一『日に』二百五十キログラムもの『糞をした記録もある』。『成熟した成獣のオスにはマスト(ムスト)と呼ばれる』、一定期間、『凶暴になる時期がある。ゾウはこめかみの辺りからタール状の液体を出すが、マストとなった個体はその分泌量が多くなるため、その判断材料とされる。動物園等では、この時期の個体は』、『保安のため、檻の中で鎖に繋いでおくことが多い』。『ゾウの死体や骨格は自然状態では全くと言っていいほど発見されなかったため、欧米ではゾウには人に知られない定まった死に場所があり、死期の迫った個体はそこで最期を迎えるという「ゾウの墓場」伝説が生まれた。だが、実際には他の野生動物でも死体の発見はまれで、ゾウに限ったことではない。自然界では動物の死体は肉食獣や鳥、更には微生物によって短期間で骨格となり、骨格は風化作用で急速に破壊され、結果的に文明人の往来が少なかったアフリカでは遺骸が人目につくことはなかった。そうした事情が基になり、この伝説ができたものと考えられている。象牙の密猟者が犯行を隠すためにでっち上げたという説もある。なお、人の往来が頻繁になった近年はアフリカのサバンナでもゾウの遺骸が見られる事がある』とある。「役畜としてのゾウ」の項。『ゾウは使役動物としてかつて現地の人たちには移動手段として使われ、重いものを運ぶのにも利用された。戦象として軍事用に使われたこともある。こうした役畜としての使用はおもにアジアゾウに限られ、アフリカゾウも使われた』(ローマ時代)『記録はあるものの、あまり役畜としての利用はせず、飼育もあまりされてこなかった』。『また、ゾウに芸をさせることもあり、サーカスではゾウに逆立ちさせたり台に上らせたりといった芸をさせる。タイではゾウにサッカーをさせる行事がある。また、かつてインドでは象に罪人の頭を踏みつぶさせる処刑があった』。以下、文化的記載。『インドの神話でゾウは世界を支える存在として描かれる』。『ヒンドゥー教には、ゾウの頭を持つガネーシャと呼ばれる神様がいる。仏教では歓喜天に当たり、シヴァ神の長男で富と繁栄の神様とされる。また、天帝インドラはアイラーヴァタと呼ばれる白象に乗っている』。『仏教の影響下、東南アジアでも白いゾウ(白象)は神聖視された。釈迦は白象の姿で母胎に入ったという。ゾウは普賢菩薩の乗る霊獣として描かれることが多い』。『古代地中海世界では戦象としてゾウを軍用に使役していた。古代ローマ人が初めてゾウと遭遇したのはピュロスのイタリア半島侵入の際で、ヘレニズム世界で使用されていた戦術をピュロスがそのまま持ち込んだものであった。このときローマ軍が戦象と戦った場所ルカニアから』、『ローマではゾウはルカニアの牛と呼ばれた。こうしたピュロスのエピソード以上に第二次ポエニ戦争の際、カルタゴの将軍ハンニバルがその傭兵部隊に加えて』三十九『頭の象を引き連れ、イタリア半島に侵攻したことはよく知られている。アルプス山中で受けた妨害と寒さや餓えのため、イタリアの平野部に到達した象は元の半数以下だったが、それもトレビア川の戦いでインドゾウの一頭を残してことごとく倒れた(最後のゾウ以外はアフリカゾウ(マルミミゾウ)であった)』。『ゾウはローマにおいては一般的なものではなく、そのため』、『ローマ帝国期においては』、『ときおり』、『ゾウがローマ市まで連れてこられ、パンとサーカスの一環として見世物に供された』。紀元八〇『年にローマ市中心部において完成したコロッセウムにおいても、ゾウが皇帝に挨拶をしたり』、『ダンスを踊った記録が残されている。また、ゾウとほかの猛獣とを戦わせる見世物も行われた』。『ゾウはその生息地だけでなく、ゾウの生息しない地域においても大きさや温和さ、強さ、賢さなどのイメージから、さまざまなシンボルに使われてきた』。以下、「日本人とゾウ」の項。『日本列島がまだユーラシア大陸と陸続きだった頃、日本にはナウマンゾウ』(ゾウ科パレオロクソドン属ナウマンゾウ Palaeoloxodon naumanni『が生きており、石器時代には獲物とされていた。日本においては約』二『万年前に絶滅したとされるが、その骨は後の時代も珍重され、正倉院にもナウマンゾウの臼歯が竜骨として保管されていた』。『文献上、現世のゾウが日本へ人為的に初渡来したのは応永』十五年六月二十二日(ユリウス暦一四〇八年七月十五日)で、『東南アジア方面からの南蛮船により、足利義持への献上品として現在の福井県小浜市に入港』し、『上京した後、朝鮮に贈られた記録がある』。『それ以前より』、『仏教の影響でゾウの存在は知られており』、「今昔物語集」には、『イノシシがゾウに乗った普賢菩薩に化けて僧を誑かす逸話がある』(これは私のすこぶる附きに好きな話で、私は『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その3) 附小泉八雲“Common Sense”原文+田部隆次譯』の注で電子化している。「今昔物語集」の「卷第二十」の「愛宕護山聖人被謀野猪語第十三」(愛宕護(あたご)の山(やま)の聖人、野猪(くさゐなぎ)に謀(たばか)らるる語(こと)第十三)」がそれである。未読の方は是非読まれたい)。十二『世紀から』十三『世紀に成立したと言われる鳥獣人物戯画の乙巻には、長い鼻や太い足、牙など象の特徴をよく捉えた絵が描かれている』。天正三(一五七五)年には、『明の船が象と虎を連れて豊後国臼杵に到来し、大友宗麟に献上されたほか』慶長二(一五九七)年には、『ルソン総督が豊臣秀吉への献上品として、また』、慶長七(一六〇二)年には交趾(コウチ:現在のベトナム北部)から、『徳川家康への献上品として虎・孔雀とともに贈られた。神戸市立博物館所蔵の桃山時代の南蛮屏風には日本に連れて来られた象が描かれている』。享保一三(一七二八)年六月には、♂♀二頭の『象が江戸幕府』八『代将軍・徳川吉宗に献上するために広南(ベトナム)から連れてこられた。メスは上陸地の長崎にて』三ヶ月『後に死亡したが、暴れることを想定し』、『それに耐えうる頑丈な国産船が当時無かったことから、オスは長崎から陸路歩行で江戸に向かい、途中、京都では中御門天皇の上覧があり、庶民からもかなりの人気があった』。『上覧には位階が必要なため、オスのゾウには「広南従四位白象」と位と姓名が与えられている。江戸では徳川吉宗は江戸城大広間から象を見たという。その後、ゾウは浜御殿にて飼育されていたが、飼料代がかかり過ぎるため』、寛保元(一七四一)年四月、『中野村(現東京都中野区)の源助という農民に払い下げられ、翌年』十二『月に病死した。現在も馴象之枯骨(じゅんぞうのここつ)として、中野の宝仙寺に牙の一部が遺されている』その後、文化十年六月二十八日(グレゴリオ暦一八一三年七月二十五日)に『イギリス船シャルロッテ号とマリア号が長崎に来航した際、将軍への特別の贈り物としてメスの象』一『頭が連れてこられている。長崎奉行遠山景晋』(かげくに/かげみち:「遠山の金さん」こと景元の実父)『がその象の検分に当たり、しばらく長崎に滞留していたが、同年』九月一日に『幕府から受け取り拒否の回答が伝えられたため、その象は再び船に乗って日本を出国していった。なお、このイギリス船の来航の本当の目的は、トーマス・ラッフルズの命により、出島のオランダ商館をイギリスに引き渡すようにオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフに要求するためで、象はその挨拶がわりだったのではないかとされている』。

 以上の本邦渡来の内、最後の文化一〇(一八一三)年のそれは、私の「耳囊 卷之十 文化十酉年六月廿八日阿蘭陀一番舟渡來象正寫の事」に記載があり(図有り)、そこで私は七回の渡来について詳細を注しておいたので、是非、参照されたい。

 

「伽耶〔(かや)〕」インド中部の伽耶(がや)城西方にある、釈迦が修行・説法をしたとされる伽耶山に因むものであろう。この山は別名を「象頭山(ぞうずせん)」とも呼び、その山容が象の頭に似ていると言われる。

「きさ」「岐佐」小学館「日本国語大辞典」の「きさ【象】」を見ると、石山寺本「大智度論」の平安初期の注に、『善勝白象(キサ)を下りて、怨家に施與して』と出るとあり、「語源説」の項には、①『牙に木目のような筋がありるところからキサ(橒)の義〔東雅。和訓栞/大言海〕』(「橒」は材木の断面に見られる木目を指す語で、この語源は刻(きざみ)の義・蚶貝(殻の外側の肋の有意に太いアカガイ等の貝類の称)模様に似ることから等の語源説がある)、②『牙サシ出ルの義〔日本釈名〕』、③『キザシ(牙)の略〔名言通〕』、④『ケサ(牙蔵)の転〔言元梯〕』、⑤『キバヲサ(牙長)の義〔日本語原学=林甕臣〕』、⑥『カミシラ(髪白)の反』切、という六が載る。

文」既出既注

「雲南」中国南西部の雲南省(グーグル・マップ・データ)。ヴェトナム・ラオス・ミャンマーに接する。

「一つに軃〔(たれさが)り〕」「軃」は中文サイトの辞書に「下垂」とある。東洋文庫訳は『一対(つい)垂れ下がり』とする。

「耳の後に、穴、有り。薄くして皷〔(つづみ)〕の皮のごとし。之れを刺すに、亦、死す」鼓膜のことを言っているとしたら、これは誤りである。ゾウの耳の穴はあの大きな耳朶の後ろではなく、前にあるからである。cageman-channelのブログ「ケイジマン チャンネル」の『ゾウさんの耳の「穴」を直視したこと、ありますか?意外なところにあった!?東山動植物園で撮影』を見られたい。

「牝に交(つる)むときは、則ち、水中に有りて、胸を以つて相ひ貼〔(てん)〕ず」嘘。普通に陸上で後背位で行う。

「芻豆(すうたう)」中国語では広く牛馬の飼料となる草を指す。さしずめ、マメ目マメ科マメ亜科シャジクソウ連ウマゴヤシ属ウマゴヤシ Medicago polymorpha などの仲間であろう。

「甘蔗(さたうのくさ)」単子葉植物綱イネ目イネ科サトウキビ(砂糖黍)属サトウキビ Saccharum officinarum の別称。ウィキの「サトウキビによれば、『サトウキビ発祥の地は、現在のニューギニア島あたりで、紀元前』六〇〇〇『年前後に現在のインド、さらに東南アジアに広まったといわれている』。『また、インドを原産とする文献もあ』り、『古代サンスクリット語による古文書の記載から』、少なくとも、製品としての『砂糖の精製は北インドが発祥ではないかとされている』とある。

「烟火〔(はなび)〕」花火。

「巴蛇〔(はだ)〕」「黒蛇(こくだ)」「黒蟒(こくぼう)」とも称する大蛇(蟒蛇(うわばみ))。ウィキの「巴蛇」によれば、「山海経」の「海内南経」に『よると、大きなゾウを飲み込み』、三『年をかけてそれを消化したという。巴蛇が消化をしおえた後に出て来る骨は「心腹之疾」』(治療困難な難病とされるが、詳細は不詳)『の薬になるとも記されている。また』、同じ「山海経」の「海内経」の中の、『南方にある朱巻の国という場所の記述には「有黒蛇 青首 食象」とあり、同じよう大蛇が各地に存在すると信じられていた』。「山海経」注には、「蛇(ぜんだ)吞鹿、鹿已爛、自絞於樹腹中、骨皆穿鱗甲間出、此其類也」と『あって』、『ゾウの話は蛇(大蛇)がシカなどを飲み込むような事を示したものであろうと』ある。「聞奇録」には、『山で煙のような気がたちのぼったのを見た男が』、『あれは何かとたずねたら「あれはヘビがゾウを呑んでるのだ」と答えられたという話が載っている』。『ゾウ(象)を食べるというのはウサギ(兔)という漢字との誤りから生じたのではないかとの説もある』。「本草綱目」では蚋子』(ぶと)『(蚊の小さいもの)は巴蛇の鱗の中に巣をつくる、と記している』(私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚋子(ぶと)」を参照されたい)。また、「山海経」の「大荒北経」には、『大人国に青い大蛇がおり、大きなシカを食べたという』ともある。『金州城(金州)』(現在の遼寧省大連市金州区附近)『の城隍廟にあった槐』(マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum)『の木には大蛇が住んでいるとされていて、その姿を見ると』、『病気になると言われていた。小さい廟が備えられてあり、「蟒大帥」「蟒老将軍」「黒蟒将軍」という神牌が供えられていたという』。「南裔異物志」には、蛇の牙(長さ』六~七『寸)は土地の者が魔除けとして珍重しており、ウシ数頭分の価値があった、と記されている』とある。

「象の鞋〔(くつ/わな)〕」東洋文庫は『象鞋』でルビを振らず、注で、『穴を掘って中に上向きに大きな錐(きり)を埋め』、『草で覆っておく道具(わな)』とする。

「癇病」癲癇やひきつけ。

「瘡」限定的には梅毒や、広義の皮膚病を指すが、別に「傷」の意もあるので、ここは最後のそれでよかろうと思う。

「犀〔の角〕を燃せば、水怪を見つべきことを知りて、而〔れども〕、」犀の角を燃やすと、水に潜んでいる、普通は目に見えない妖怪を人が見ることが出きるということは知っているが。

「象〔の骨〕を沉〔(しづ)〕めて水怪を驅すべきことを知らず」象の骨をその水怪の棲息する水に沈めるだけで、奴らをそこから駆逐することが出来ることを知らない。

「夏月、藥を合するに、宜しく象牙を傍らに置くべし」夏に薬物を調合する際には、象牙をその傍に置いて行うと非常によろしい、というのである。暑さによる混合前の別箇な生薬が溶けるのを抑えるか、或いは、当該生薬に耐性のある毒虫などが集るのを防ぐというのであろう。

「拾玉」「妙法經〔(によはうぎやう)〕かく道塲〔(だうじやう)〕の曉に白象天を見ぬは見ぬかは 慈圓」誤りがある。水垣久氏のサイト「やまとうた」内の十題百首 慈円『拾玉集』よりによれば、「十題十首和歌」の「獸」の「象」に、

 如法經(によほふきやう)かく道場の曉(あかつき)に

    日象天(につしやうてん)を見ぬは見ぬかは

である。「慈圓」は「慈鎭」に同じ。獅子」の注を参照。「如法經」とは、一定の法式に従って経文を筆写することやその筆写した経文を指すが、多くの場合は「法華経」について言う。「日象天」は不詳。これが「獸」の「象」の歌であるならば、象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の二つの像様が知られる歓喜天のことかと思うが、「日象天」とは言わない。ただ、歓喜天は別に「聖天」(しやうてん)と呼ぶから、それに「天尊」(これも異名)を掛けて、暁の後の曙や日の出のプレとしての「日」の「象」(かたち)の「天」=太陽を暗にイメージしたものか? この手の釈教歌はよく判らぬ。

「寰宇記(くはん〔うき〕)」「太平寰宇記」。北宋の楽史(九三〇年~一〇〇七年)の著になる地理書。本文二百巻・目録二巻。中国では早くから八巻分が欠損していたが、本邦に残存していた宋刊本によって、現在、その中の五巻余を補うことが出来る。宋が天下を統一した九七九年を基準として、中国内地の他、周辺の異民族地域の歴史地理を記述する。今に残らない南北朝から唐代にかけての地理書を多く引用し、人物の略伝や名所旧跡の詩を採録しているのを特徴とする(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

「五雜組」既出既注

「滇〔(てん)〕」漢代の西南国境外に生活していた一種族。滇池(現在の雲南省昆明湖(グーグル・マップ・データ))付近に住み、髷(まげ)を結い、田を耕し、村落を形成していた。戦国時代には楚の荘蹻(そうきょう)がこの地に国を建てたというが、これは後世の伝説と思われる。前漢の武帝が西南夷経略を行うと、滇は紀元前一〇六年に漢に降(くだ)り、ここに益州郡が置かれたが、滇の首長は滇王に封ぜられて王印を賜わっている。昭帝の時、大乱が起こって、滇国は滅びたと推定されている。近年、雲南省晋寧郡石寨(せきさい)山から「滇王之印」の四字を刻した漢印が発見されている。また、滇は現在の雲南省の別称ともなった。

「奔(はし)り潰(つ)ゆなり」潰走(かいそう:戦いに惨敗し、秩序なく逃げ去ること)してしまう。]

2019/03/11

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 㺊(つつが) (幻獣)

 

つゝが

【音】

唐韻狀如獅子食虎豹及人

神異經曰北方大荒中有獸咋人則疾名曰

 恙也嘗入人室屋黃帝殺之【自此人無憂疾謂之無恙也】

[やぶちゃん注:図なし。原本では、項目名の下に最初の二行が二字下げで入っている。三行目は表記通りの一字下げ。前の「囓鐵獸と同じ翻刻上の理由と推測する。]

 

 

つゝが

【音、[やぶちゃん注:欠字。]】

「唐韻」、『狀〔(かた)〕ち、獅子のごとく、虎・豹及び人を食ふ』〔と〕。

「神異經」に曰はく、『北方〔の〕大荒〔(だいこう)〕[やぶちゃん注:地名と思われるが不詳。]の中に、獸、有り、人を咋(か)むときは、則ち、疾〔(や)〕む。名づけて、「」と曰ふ。は「恙」なり。嘗つて、人の室屋に入〔るも〕、黃帝、之れを殺したまふ【此れより、人、憂-疾〔(うれひ)〕無き〔を〕、之れ、恙無〔(つつがな)〕しと謂ふなり。】。

[やぶちゃん注:幻獣。なお、現行の狭義のツツガムシ病及びそれを媒介するツツガムシの一種については、和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 沙虱(すなじらみ)で相応に考証したので繰り返さない(他の和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蜮(いさごむし) 附 鬼彈等でも比定候補として考えもしたので、私はかなり慎重に同定比定をしたと考えている)。

「唐韻」唐代に孫愐(そんめん)によって編纂された韻書。もとは全五巻。中国語を韻によって配列し、反切 によってその発音を示したもので、隋の陸法言の「切韻」を増訂した書の一つ。後、北宋の徐鉉(じょげん)によって、「説文解字」大徐本の反切に用いられたが、現在では完本は残っていない(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「神異經」後漢末に東方朔が著したとされる、中国の神話集成。

「黃帝」中国古代の伝説上の帝王。三皇五帝(三皇は燧人(すいじん)・伏羲(ふっき)・神農(或いは女媧(じょか)を数えることもあり、別に天皇・地皇・人皇とするケースももある)、五帝は黄帝・顓頊(せんぎょく)・嚳(こく) ・堯(ぎょう)・舜(しゅん)とするのが一般的ではあるが、こちらも命数には数説がある三皇五帝説の確かな成立は戦国時代であった)の一人。姓は公孫。軒轅氏とも、有熊氏(ゆうゆうし)ともいう。蚩尤(しゆう)の乱を平定し、推されて天子となり、舟車・家屋・衣服・弓矢・文字を初めて作り、音律を定め、医術を教えたとされる。]

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 狡兔(かうと) (幻獣)

 

Kouto

 

かうと

狡兔

 

本綱狡兔生昆吾山形如兔雄色黃雌白食丹石銅鐵昔

呉王武庫兵噐皆盡掘得二兔一白一黃腹中腎膽皆鐵

取鑄爲劍切玉如泥五雜組云狡兔遇鷹來撲輙仰臥以

擘其爪而裂之鷹卽死

 

 

かうと

狡兔

 

「本綱」、狡兔、昆吾山〔(こんごさん)〕に生ず。形、兔〔(うさぎ)〕のごとく、雄は、色、黃、雌は白し。丹石[やぶちゃん注:辰砂(丹砂)の意でとっておく。は硫化水銀(Ⅱ)(HgS)からなる鉱物。]・銅・鐵を食ふ。昔し、呉王、武庫の兵噐、皆、盡(つ)く。〔されば、地を掘るに、〕二つの兔を掘り得て、一つは白く、一つは黃なり。〔その兔を裂くに、〕腹中の腎・膽、皆、鐵〔たり〕。取りて鑄て、劍と爲し、玉〔(ぎよく)〕を切るに、泥のごとし〔と〕。「五雜組」に云はく、『狡兔、鷹の來〔たりて〕撲〔(う)つ〕に遇〔へば〕、輙〔(すなは)〕ち、仰(あふむ)き臥して、足を以つて、其の爪を擘(つんざ)き、之れを裂く。鷹、卽ち、死す』〔と〕。

[やぶちゃん注:現行では、「狡兔(=すばしっこいウサギ)」は専ら「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)(或いは「良狗」「良犬」)烹らる」の故事成句でしかお目にかからない(「韓非子」の「内儲説下」や「呉越春秋」の「夫差内伝」等に見える比喩。狡兎が死んでいなくなれば、優れた猟犬は最早、不用となり、煮て食われる。敵国が滅びれば、それまで手柄のあった謀臣も邪魔にされて殺される運命にある)が、ここはトンデモ幻獣。この話、和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷹(たか)でも良安は引いていた。そこでは半可通な注(「すばしっこいウサギ」の意で採った結果の大呆け)を附していたので、今回、追記をしておいた。お恥ずかしい。

 

「昆吾山」は幻想地誌「山海経」の「中山経」に出る山で、そこに、

   *

又西二百里、曰昆吾之山、其上多赤銅。有獸焉、其狀如彘而有角、其音如號、名曰蚳、食之不眯。

   *

「赤銅」(しゃくどう)を多産するというのが金属食の「狡兔」と親和性があり、但し、それは「彘」(いのこ)=ブタのようで、角を有し(これは一致)、その鳴き声は叫ぶようで、名は「蚳」(ろうち)(但し、後人の校訂では「蛭」(ろうてつ)とする)、これを食うと「不眯」、眼がかすまない、とする。或いは、この獣が「狡兔」のルーツであると考えてもよいのかも知れぬ

「呉王」呉は紀元前五八五年頃から紀元前四七三年まで続くが、寿夢(じゅぼう?~紀元前五六一年/在位:紀元前五八五年~没年)が国名を「句呉」から「呉」に改名し初めて王を名乗ってから、呉王は最後の「臥薪嘗胆」で知られる、夫差(紀元前四九五年~紀元前四七三年)まで、七人いる。夫差が飛び抜けて有名だが、この奇体な話は私は知らない。そもそもこの時珍の引いた話は何に載るのであろう? 識者の御教授を乞うものである。

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 豻 (幻獣)

 

【音岸】

 本綱豻胡狗也胡地野犬也似狐而黒身長七

 尺頭生一角老則有鱗能食虎豹蛟龍銅鐵獵

 人亦畏之

[やぶちゃん注:図なし。原本では、項目名の下に最初の二行が二字下げで入っており、三行目もその位置まで下がって並んでいる。]

 

 

〔(がん)〕【音。「岸」。】

「本綱」、豻は胡狗〔(こく)〕なり。胡地の野犬〔(のいぬ)〕なり。狐に似て、黒き身、長〔(た)〕け、七尺。頭に一角を生ず。老すれば、則ち、鱗、有り。能く虎・豹・蛟〔(みづち)〕・龍・銅・鐵を食ふ。獵人も亦、之れを畏る。

[やぶちゃん注:幻獣。野犬とするところからはモデルを比定したくなるが、真っ黒なキツネに似た一角獣で「七尺」(明代の一尺は三十一・一センチメートルであるから、二メートル十八センチメートル弱)もあり、老成した個体には鱗が生え、トラ・ヒョウはもとより、龍の前駆段階である水棲の小さな蛟からそれが長じた聖獣龍まで食うどころか、銅や鉄まで餌とするのでは、同定する気も起らぬ。「本草綱目」では先の「貘」の「附錄」として前の「囓鐵」に続けて、以下のように記載する。

   *

豻 禽書云豻。應幷星胡狗也。狀似狐而黑身長七尺頭生一角。老則有鱗能食虎豹蛟龍銅鐵獵人亦畏之。

   *

「胡」中国人が、古くは北方の、後に西方の異民族及びその一帯を呼んだ卑称。戦国時代には万里の長城塞外地域の異民族の居住地を、漢代には主として匈奴とその居住地を指したが、南北朝時代以後は、主に西トルキスタンのイラン系民族、特にソグド人の居住する方面を指した(ここは主文を「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 囓鐵獸 (幻獣)

 

囓鐵獸

 本綱南方有獸角足大小狀如水牛毛黒

 如漆食鐵而飮水糞可爲刀其利如鋼名

 曰囓鐵【唐史云吐火羅國獻大獸高七尺食鋼鐵日行三百里】

[やぶちゃん注:図なし。原本では、項目名の下に最初の二行が二字下げで入っている。三行目は表記通りの一字下げ。これは本来は、前の二行の頭位置で揃えたかったのであるが、そうすると、最後の割注が入らなくなり、少しの残りのために一行増えてしまうのを嫌った仕儀であろうと推測する。]

 

 

囓鐵獸〔(けつてつじう)〕

「本綱」、南方に獸、有り、角・足、大小〔ありて〕、狀〔(かた)〕ち、水牛のごとし。毛、黒きこと、漆のごとし。鐵を食ふ。而〔して〕水を飮む。糞、刀に爲〔(す)〕るべし。其の利(と)きこと、鋼(はがね)のごとし。名づけて「囓鐵」と曰ふ【「唐史」に云はく、『吐火羅國〔(トカラこく)〕より大獸を獻ず。高さ七尺、鋼鐵を食ふ。日に行くこと、三百里』〔と〕。】。

[やぶちゃん注:幻獣。「本草綱目」では前の「貘」の「附錄」として以下のように記載する。

   *

囓鐵 時珍曰、按「神異經」云、南方有獸角足大小、狀如水牛毛黑如漆、食鐵而飮水。糞可爲兵、其利如綱、名曰囓鐵。「唐史」云、叶火羅獻大獸髙七尺食銅鐵日行三百里。

   *

『「唐史」に云はく……』以下は「新唐書」の「列傳第一百四十六下 西域下」に確かに「吐火羅」国が献じたとして載るが、「本草綱目」は確かに「大獸」とするものの、原書では「大鳥」となっており、原文を見ると、

   *

永徽元年、獻大鳥、高七尺、色黑、足類橐駝、翅而行、日三百里、能啖鐵、俗謂駝鳥。

   *

とあって、この献上されたそれは実は実在するダチョウであることが判明してしまう。

「吐火羅國」ウィキの「トハラ人によれば、トハーリスターン(トハリスタン)と呼ばれた地域で、『中国や日本の史書では吐火羅』『と表記される』とする、附近(同ウィキの地図)。]

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