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カテゴリー「伊良子清白」の262件の記事

2019/06/19

魚屋の金八さんは 伊良子清白

 

魚屋の金八さんは

 

魚屋(なや)の金八さんは

入札場(ふだば)の鍾馗

いつも高札

一とにらみ

 

魚屋(なや)の金八さんは

三年に片頰

船で神鳴り

稻光り

 

魚屋(なや)の金八さんは

敲けば鳴らう

意地じや負けまい

情(なさけ)で折れる

 

魚屋(なや)の金八さんの

商賣(あきなひ)は

伊勢は一圓

雜喉場(ざこば)の浪華(なには)

鯛の千疋

いつもうごかす

 

[やぶちゃん注:昭和七(一九三二)年十一月三十日刊の『新日本民謠』(第一)に掲載されているが、底本全集の「作品年表」では初出はそれ以前の『新日本民謠』かとする。

「魚屋(なや)」「さかなや」であるが、その音の略ではなく、原義は「納屋」で、室町時代に海産物を保存するために海岸に設けられた納屋に基づくものである。

「入札場(ふだば)」漁港の競り場。

「鍾馗」中国の民間信仰の魔除けの神。俗説では、唐の玄宗が病中に鍾馗が悪鬼を退治する夢を見、鍾馗の図を呉道子に描かせたことから始まるという。本来は大みそかに鍾馗の図を貼って悪霊を祓ったが、その後、端午の行事に吸収され、本邦にもそれで伝わった。容貌魁偉にして黒髭で、右手に剣を握る。

「三年に片頰」「みとせにかたほ」と訓じておく。「三年に片頰」で「滅多に笑わない」の意。慣用句「男は三年(さんねん)に片頰(かたほお)」で「男は何時も笑っていると威厳が損なわれるから、滅多に笑わぬ方がよい」という意味で用いる。

「雜喉場(ざこば)」広義には小魚(雑魚)を始めとする大衆魚を扱う魚市場を言い、「雑魚場」などとも表記されるが(但し、「雑魚」は当て字で、「喉」は魚を数える数詞という。ただ、「うじゃうじゃといる小さな物」という意味の「じゃこ」が語源であって「雑喉」も当て字とする説もある)、ここは狭義のそれで昭和六(一九三一)年まで大阪府大阪市西区の旧靱(うつぼ)地区の西部(この中央附近。グーグル・マップ・データ)にあった「雑喉場魚市場」を指す。慶安・承応(一六四八年~一六五五年)の頃にかけてここに開かれた古い魚市場で、遠近から魚介類が集積し、天満(てんま)の青物市場とともにその名をうたわれた(以上は所持する一九八四年講談社学術文庫刊の牧村史陽編「大阪ことば事典」に拠った)。]

入江のある風景 伊良子清白

 

入江のある風景

 

入江のある風景――

リヤス式海岸地形の一角、

白い燈臺が君臨する。

蜑女(あま)の眼鏡は黑い。

海圖にある大松が、

今日は全幹を以て震搖する。

内灣は川のやうに、

陸地に侵入した。

何と光つた秋の空だ、

鷗の翼が燒失する。

 

[やぶちゃん注:昭和七(一九三二)年九月一日発行の『女性時代』(第三年第九号)に前の「神島外海」とともに掲載。署名は「伊良子清白」。

「リヤス式海岸地形」リアス式海岸。「rias」はスペイン語で「深い入り江」(「ria」で「入江」)の意で、スペイン北西部ガリシア地方の入り江の多い海岸地形に因む)浸食で多くの谷の刻まれた山地が、地盤沈降又は海面上昇によって沈水し、複雑に入り組んだ海岸線を形成したものを指し、本邦では三陸海岸・志摩半島・若狭湾などが代表的である。]

神島外海 伊良子清白

 

神島外海

 

どうしてこんな景色があるか。

靑い髮の海が食ひちぎつたのだ。

危巖亂立、目もはるかに續く。

波の手が白く閃めく。

ど、ど、どーん、ど、ど、どーん、

ひつきりなしの釣瓶打だ。

天地廓寥、ただ響。

この沸えくりかへる坩堝(るつぼ)が、

がらんどうの中でつぶやく。

灰色の退屈が、

霧のやうに降るではないか。

 

[やぶちゃん注:昭和七(一九三二)年九月一日発行の『女性時代』(第三年第九号)に次の「入江のある風景」とともに掲載。署名は「伊良子清白」。この年、伊良子清白、満五十五歳。年初より歌誌『白鳥(しらとり)』への短歌の投稿が定期的となり、十月からは『鳥人』で毎号短歌評も手掛けるようになった。十二月四日、佐藤惣之助が来訪、一泊している。

「神島」既出既注

「廓寥」「くわくれう(かうりょう)」は「広いだけで何もなくて寂しい様子・なんとなく寂しいこと」を謂う。]

2019/06/18

やれ買はう、それ買はう 伊良子清白

 

やれ買はう、それ買はう

 (小濱懷古)

 

やれ買はうそれ買はう、諸國は來るし

世間が明(あか)るていつも春

きけよ昔の小濱(をはま)の浦は

黃金(きん)の瓦が光つてた

 

浦は兩浦ふところ湊

冬は南受(したう)け溫室(むろ)の中

千石船があたたまりによ

小濱民部(をはまみんぶ)(一)の森したによ

 

東京通ひの船頭の泊(とま)る

宿は伽羅の橋渡り

成田屋擬(もど)きで緞子(どんす)に胡坐(あぐら)よ

何虞でも夜(よ)つぴて風呂がたつたよ

 

所娘がやの字の帶で

お母(か)ん往(い)て來る提燈點けな

金魚のやうな花魁(おいらん)が

古市(ふるいち)(二)からもきてゐたよ

船に殘るは船靈御精靈(ふなだまごしやうりやう)

灘(なだ)の新菰(しんこも)鏡を拔いて

だだらあそびの風待(かざま)ちよ

戀の中宿東京は遠いしよ

 

山が枯れると帆檣(はしら)の林

雪の下にも歌舞の里よ

海からあがる日天(につてん)樣でも

揚屋(あげや)の大戶はあけられまいよ

 

昔々の赤鉢卷で

も一つ踊ろかそもそもの起りは

伊達の若衆の鞘當(さやあて)で

大船頭(おほせんどう)の頭(あたま)も剃つたよ

 註(一) 室町時代の地頭の名、今も旧址に
    お臺所松あり。

  (二) 冬は山田古市の遊廓より妓女多く
    來りて加勢せりといふ。

 

[やぶちゃん注:底本で昭和六(一九三〇)年十二月一日に推定された『新日本民謠』(第二年第二号。茨城県水戸出身で東京主計学校卒の口語自由詩詩人大関五郎(明治二八(一八九五)年~昭和二三(一九四八)年:大正一〇(一九二一)年頃、「詩話会」の機関誌『日本詩人』に作品を発表、後に童謡や新民謡に転じ、北原白秋や野口雨情らの協賛で昭和六(一九三一)年に雑誌『新日本民謡」を刊行。詩集に「愛の風景」、民謡集に「煙草のけむり」など)の主宰した雑誌)に掲載。署名は「伊良子清白」。江戸以前の、当時、伊良子清白が診療所を構えていた鳥羽小浜(おはま)(現在の鳥羽市小浜町(おはまちょう))の時代懐古詠。「帆檣(はしら)」の「はしら」は二字へのルビ。

「冬は南受(したう)け溫室(むろ)の中」「南受(したう)け」は既出既注の南風のことで、「溫室(むろ)の中」はそのお蔭で冬でもとても暖かなことの比喩。

「小濱民部(をはまみんぶ)」答志郡小浜村に本拠を置き、伊勢湾に勢力を持っていた海賊の頭目で、戦国時代から安土桃山時代にかけては伊勢国司の北畠家に属した海賊的集団「小浜衆」の内、知られた小浜景隆(天文九(一五四〇)年~慶長二(一五九七)年:志摩国出身で、後に武田信玄・徳川家康に仕えた水軍の将。通称は民部左衛門。伊勢守)は大型の軍船安宅船(あたけぶね)を所有し、北畠家の海賊衆を束ねていたが、織田信長の援助を受けて志摩国統一を狙った九鬼嘉隆に敗れ、伊勢湾を追われた(以上はウィキの「小浜景隆」に拠った)。

「伽羅の橋」「伽羅」は「きやら(きゃら)」。梵語の漢訳で、狭義には香木として有名な沈香(例えばアオイ目ジンチョウゲ科ジンコウ属アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha 等)の別名であるが、ここは高級材を用いた贅沢な橋の謂い。

「成田屋」もとは歴代の歌舞伎俳優市川団十郎及びその一門の屋号。代々、成田不動を信仰したのに由来するという。ここは、後に彼らが荒事を得意としたところから転じて、「江戸前の景気のよいこと・威勢のよいこと」の意となった、それの意。

「緞子(どんす)」経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の色を変えて、繻子織(しゅすおり:経糸・緯糸それぞれ五本以上から構成され、経・緯どちらかの糸の浮きが非常に少なく、経糸又は緯糸のみが表に表れているように見える織り方。密度が高く、地は厚いが、柔軟性に長け、光沢が強い。但し、摩擦や引っ掻きには弱い)の手法で文様を出す絹織物のこと。精錬した絹糸を使う。

「古市(ふるいち)」三重県伊勢市古市地区(グーグル・マップ・データ)。ウィキの古市(伊勢市)によれば、『参宮街道の、外宮・内宮の中間にある古市丘陵』部に当たる一帯で、『江戸時代以前は、丘陵にあるため』、『水利が悪く民家もほとんどなく楠部郷に含まれていたが、伊勢参りの参拝客の増加とともに、参拝後に精進落としをする人々が増加したことにより』、『遊廓が増え』、『歓楽街として発達し、宇治古市として楠部』(くすべ)『郷から分かれた』。『江戸時代前期に茶立女・茶汲女と呼ばれる遊女をおいた茶屋が現れ、元禄』(一六八八年~一七〇三年)『頃には高級遊女も抱える大店もできはじめた』。寛政六(一七九四)年の大火では『古市も被害を受けたものの、かえって妓楼の数は増え、最盛期の天明』(一七八一年~一七八九年)『頃には妓楼』七十『軒、遊女』千『人、浄瑠璃小屋も数軒、というにぎやかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳があるほどに活気に溢れていたという』。『十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場した』。『江戸時代末には、北は倭町から南は中之町まで娼家や酒楼が並び』、『江戸幕府非公認ながら、江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊廓、あるいはさらに大阪の新町、長崎の丸山をたして五大遊廓の一つに数えられた。代表的な妓楼としては、備前屋(牛車楼・桜花楼とも呼ばれた)、杉本屋(華表楼とも)、油屋(油屋騒動で有名』『)、千束屋(一九の膝栗毛に登場』『)などがあった』。『明治期に古市丘陵を迂回する道路が整備され』るに伴い、『衰退し』た、とある。

「鏡を拔いて」「鏡」は形が古鏡に似ていることから酒樽の蓋を指し、これで祝宴で酒樽の蓋を槌で割り開くことを言う。

「揚屋(あげや)」江戸時代、客が置屋(おきや)から太夫・天神・花魁などの高級遊女を呼んで遊んだ店のこと。

「鞘當(さやあて)」意地立てから起こる喧嘩を言う。ここは遊女絡みのそれ。「恋の鞘当て」がまさにそれを意味する語で、もとは遊里で一人の遊女を巡って二人の武士が鞘当てをする歌舞伎の題材から生まれた語である。

「お臺所松」現存しないようである。]

吐綬鷄の賦 伊良子清白

 

吐綬鷄の賦

 

七面鳥は飛ばぬ鳥ですが

笑ふ鳥です

また、歌ひ手です

希代の艶魔で

煤を朱にする羽根を持てゐます

古風な勇婦ですが

また、派手な近代女性です

老孃で肥滿家です

日光の健啖家です

吐綬鳥です

美しい肉の組紐を見せびらかします

 

巴峽や閩廣(びんくわう)の山中には

野生の七面鳥が棲むといひます

それは神話中の鳥です

あなたの家の主婦は

朝な朝な大空によびかけます

天使は靑銅色と黑色とを授けます

七面鳥は廢墟ですか

そうです、薔薇の谷です

七面鳥は爛れてゐますか

そうです、美は創痍(きづ)の一種です

七面鳥は春の鳥ですか

そうです、地上の太陽です

 

七面鳥は殺さないで下さい

   (お聽きなさい)

千一夜物語の美女の肉が

巨人の家の鍋の底で

黑焦げに成つたといひます。

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三〇)年十一月一日発行の『女性時代』(第二年第十一号)に掲載。署名は「伊良子清白」。「創痍(きづ)」のルビはママ。

「吐綬鷄」ここはまずは、アメリカ合衆国・カナダ南部・メキシコに分布するキジ目キジ科シチメンチョウ亜科シチメンチョウ属シチメンチョウ Meleagris gallopavo の異名としてよかろう。和名「七面鳥」は、頭部や頸部の羽毛がない赤い皮膚が露出して発達した肉垂(にくだ)れが、興奮すると赤・青・紫などの色に変化することに由来する。羽色は暗褐色と暗緑色とからなり、金属光沢を有する。しかし、詩篇中、第二連で中国の山中に「野生の七面鳥が棲む」として語られるのは、キジ目キジ科ジュケイ属 Tragopan で、全くの別種である。私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 吐綬雞(とじゆけい)(ジュケイ類)」を見られたい。ジュケイ類はインド北部・台湾・中国・ネパール北部・パキスタン北部・ブータン・ミャンマー西部に分布し、ジュケイ Tragopan caboti・ミヤマジュケイ Tragopan blythii・ハイイロジュケイ Tragopan melanocephalus・ヒオドシジュケイ Tragopan satyra・ベニジュケイ Tragopan temminckii がいる。ジュケイ類は♂の側頭部に角のように見える二つの肉質突起があり、頸部の青や黄の肉垂れも大きく膨らむ(但し、この肉質突起と肉垂れは通常は収縮しており、興奮すると見える)。羽色も緋色・褐色・灰色などからなり、白っぽい円形斑紋を多数有し、和名はこの円紋が勲章(「綬」は「勲章に付ける短い紐」のこと)のように見えることに由来する。

「巴峽」「巴猿」の語で知られる湖北省恩施トゥチャ族ミャオ族自治州巴東県(グーグル・マップ・データ)の長江の急峻な渓谷。所謂「三峽」の域内である。

「閩廣(びんくわう)」狭義には福建省南部、広義にはそこに加えて台湾・浙江省南部・広東省東部と西部・海南省などを含むところの、所謂、閩南語を使用する地域の旧名。

「千一夜物語の美女の肉が」「巨人の家の鍋の底で」「黑焦げに成つたといひます」ちゃんと読んだことがないので判らぬが、巨人が出てくるところからは、「ハサン・アル・バスリの冒険(第五百七十六夜~第六百十五夜)」辺りか。]

2019/06/17

はだかむすめ 伊良子清白

 

はだかむすめ

 (浮世繪風に)

 

はだか娘は

千兩持むすめ

はだかなれども

あや錦

 

はだか娘は

海の精

靑い波間を

分けて入る

 

はだか娘は

寶をあさる

海の都の

たまあさる

 

はだか娘と

眞珠の貝は

波にもまれて

珠となる

 

裸むすめは

人魚か

しぼる濡髮

日に曝らす

 

はだかむすめよ

いつまではだか

金の解きがみ

櫛一つ

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三〇)年六月一日発行の『女性時代』(第二年第六号)に掲載。署名は「伊良子清白」。]

若布採り 伊良子清白

 

若布採り

 

嶋の二月(ぐわつ)は

若布採(わかめと)り。

若布採る日の

寒凪(かんなぎ)に、

海はちらちら

雪催ひ。

わかめ苅るとて

鎌(かま)次(す)げて、

すげた鎌の刅(は)

船首(みよし)にひかる。

夜明け千鳥の

磯めぐり。

 

島の二月は

若布採り。

雪の降る日の

薄くらがりに、

つめたい覗(のぞ)き箱(はこ)

波が越す。

やんれ、波越す

船(ふな)ばたに、

あがる若布の

淺みどり。

淚(なみだ)垂(た)るやうな

うしほの雫。

 

島の二月は

若布採り。

山は南(した)うけ、

なぞえのほし場(ば)。

若布かけたよ、

日和雲(ひよりぐも)。

風も眼を持つ

繩のはし。

まだ如月(きさらぎ)の

日脚(ひあし)は早く。

わかめほす手の

やれさて忙(せは)し。

 註 覗き箱は四方を硝子張に密閉した龕灯がたの箱、

 海底を窺ふに用ふ。

 

[やぶちゃん注:底本で昭和六(一九三〇)年一月に推定された『むれ星』(第四巻第二号。東京中央電話局発行の雑誌か?)に掲載。署名は「伊良子清白」。同年四月二十日の詩人協会編アトリエ社刊のアンソロジー「一九三一年詩集」に再録(但し標題は「若布採」)。底本では数字を除く総ルビであるが、五月蠅いので、私の判断で必要と感じた部分だけのパラルビとした。「すげた鎌の刅(は)」の「刅」(刃)は底本では右の点はない字体である。「なぞえ」はママ。

「鎌(かま)次(す)げて」「挿げる」「箝げる」で、「枘(ほぞ)に嵌め込む」の意。海底から立ち上るワカメの仮根部分から上を掻き採るために長い竿の先に鎌を装着した漁具のそれである。

「南(した)うけ」既注。南風の異名と採る。

「なぞえ」斜面。歴史的仮名遣は「なぞへ」が正しい。

「覗き箱は四方を硝子張に密閉した」正直、一読、変な感じがする。私も嘗つて、能登の狼煙(のろし)の漁師の栄螺獲りに同乗させて貰ってそれを使用したことがあるが(バケツ一杯獲れた)、ワカメ刈り等に用いる覗き箱は、四方が板張りで底だけが硝子張りになっていて、覗くこちら側は無論、何もないのが普通ではないか? 四方も硝子張りにしたのでは強度が低下して壊れ易くなるし、水中の四方部分が硝子張りである必要性は私は全くないと思うのだが? これが正しいと言われる方は御教授あられたい。

「龕灯がた」「がんどう」型。「強盗提灯(がんだうぢやうちん(がんどうぢょうちん))」のことであろう。銅板・ブリキ板などで釣鐘形の枠を作り、中に自由に回転出来る蝋燭立てを取り付けた提灯。光が正面だけを照らすので、持つ人の顔は見えない。]

鳥羽小うた 伊良子清白

 

鳥羽小うた

 

伊勢でご參宮(さんぐ)二見をかけて

鳥羽の入江の島めぐり

  鳥羽はよいとこよい港

  いつもあかるい海の色

 

戀の港の土產の中に

磯のあわびの片おもひ

  鳥羽はよいとこよい港

  いつもあかるい海の色

 

お伊勢參りに鳥羽見てかんせ

海の鏡に月もさえ

  宿の庭先港につゞく

  町になでしこ咲いてまつ

 

志摩の磯邊に波かきわけて

海女の握る手波の花

  一度見せたや殿方に

  主(ぬし)と焚火(たきび)にゆるすはだ

 

[やぶちゃん注:底本で昭和六(一九三〇)年一月に推定された『鳥羽のうた』(詳細書誌不詳)に掲載。署名は「伊良子清白」。底本では総ルビであるが、五月蠅いので、私の判断で必要と感じた部分だけのパラルビとした。]

鳥羽小唄 伊良子清白

 

鳥羽小唄

 

   

伊勢で御參宮二見をかけて

鳥羽の入江の島めぐり

  鳥羽はよいとこよいみなと

  いつも明るい海の色

   

坂手菅島答志を越えて

七ツ飛び島阿古浦まで

   

三十六島大島小島

見えりやかくれるかくれりや見える

   

日和山から伊勢の海ながめ

吹くは春風眞帆片風

   

沖の神島伊良古も見えて

末の霞の遠州灘

   

昔語れば九鬼嘉隆よ

今も城山眞珠じま

   

海女の鮑採り荒磯埼で

玉のはだへが黑むやら

   

磯の焚火にあたるは海女よ

十歲二十歲波かきわけて

   

春の朝富士秋の夜の月を

鳥羽で見て來た樋の山で

   

町は千軒海には萬波

出船入船川となる

   十一

東、東京口、西、大阪口よ

うらは振分け鳥羽みなと

   十二

潮のみちひきそりや海の水

志摩の女は實がある

   十三

戀のみなとの土產の中に

磯の鮑の片思ひ

   

小濱鯛池千疋鯛が

はねてとびます水の上

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年一月十八日附『朝日新聞』三重版に掲載。署名は「伊良子清白」。伊良子清白、この年、満五十四歳。この年の一月に鳥羽の短歌雑誌『白鳥』(歌人で朝日新聞記者であった宮瀬渚花主宰の『白鳥(しらとり)』に新作の短歌九首を載せ、十二月にも同誌に発表、以後、この白鳥を中心に短歌の創作発表が続けられることとなる。九月十六日には五女明が生まれ、十二月には三女千里が結婚している。また、この年の十二月二十三日に春陽堂から刊行された「明治大正文学全集」第三十六巻「詩篇」に、詩集「孔雀船」から「安乘の稚兒」「五月野」「鬼の語」「月光日光」「不開の間」「秋和の里」が再録されている。

「坂手」三重県鳥羽市の沖六百メートルの直近の、伊勢湾口にある三重県鳥羽市坂手町坂手島(さかてじま)。地元では坂手を「さかで」とも呼ぶ。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「菅島」「すがしま」。既出既注

「答志」三重県鳥羽市市答志町及び桃取町に属する答志島(とうしじま)。東西約六キロメートル、南北約一・五キロメートル。面積約七平方キロメートルで、鳥羽湾及び三重県内では最大の島である。位置は、前の「菅島」の地図で確認出来る。

「七ツ飛び島」「七つ飛島」に既出既注そこで私なり考証をしている。

「阿古浦」「あこうら」。これは「阿漕浦」(あこぎうら)で、三重県津市東部の、三重県津市阿漕町(あこぎちょう)津興(つおき)附近を中心とした、岩田川河口から相川河口まで単調な砂浜海岸で、春は潮干狩り、夏は海水浴に利用され、冬は海苔の漁場となる。嘗つては伊勢神宮の供物の漁場で、殺生禁断の海であった。昔、貧しい漁夫平治(平次)が病母のためにこの海で魚を漁ったために罰せられ、簀巻きにされて海に沈められたという物語は、謡曲・浄瑠璃に歌われてよく知られる。同地の柳山津興に彼の霊を祀る阿漕塚がある。南半分は「御殿場浜」とも呼ぶ。この地名は、後世、より古い万葉以来の歌枕で、和歌山県御坊(ごぼう)市野島(のしま)附近の海岸とされるものの、未詳である「阿古根の浦」と混同され、この漢字表記もそれによるものと考えてよい。

「日和山」三重県志摩市磯部町的矢。私は毎年取り寄せる「的矢牡蠣」とともに、大好きな壺井栄の、ここをロケーションとし名掌品「伊勢の的矢の日和山」を思い出すのを常としている(リンク先は有峰書店新社の写真附きの電子テクスト)。私は嘗つて牡蠣を食いに訪れたが、タクシーの運転手に「日和山」と聴いても判らなかった。今回、再読してこの辺り(国土地理院図)の丘陵部と考えてよいことが判った(作品中で墓地のある高台で、ここにある禅法寺という寺の過去帳を見せてもらうシーンが出る)

「神島」既出既注

「伊良古」伊勢湾口対岸の伊良湖(いらご)岬。

「九鬼嘉隆」(天文一一(一五四二)年~慶長五(一六〇〇)年)は安土桃山時代の武将。右馬允・大隅守。代々、志摩国波切城(城址は三重県志摩市大王町波切のここ)を根拠地とし、初めは北畠氏に仕えたが、永禄一二(一五六九)年、織田信長が北畠具教を攻めるや、信長に応じ、以来、彼の麾下となり、水軍を率いてこれに従った。天正二(一五七四)年の伊勢長島の一向一揆、同五年の紀伊雑賀(さいか)の一向一揆を海上から攻撃し、また、翌六年の石山本願寺との合戦に際しては、本願寺側の援軍である毛利の水軍と対戦して、これを打ち破った。信長の死後、豊臣秀吉に仕え、四国・九州の両役及び「文禄・慶長の役」に際しても、水軍の将として軍功があって、鳥羽城主となり、三万五千石を領した。しかし、秀吉の死後、徳川家康と和せず、「関ヶ原の戦い」では、その子守隆が東軍に属したが、嘉隆は西軍に属して、敗れた。戦後、家康に許されたが,紀伊で自殺している(以上は主文を「ブリタニカ国際大百科事典」に拠ったが、一部を別史料で書き変えた)。

「城山」三重県鳥羽市鳥羽の鳥羽城址

「眞珠じま」上の地図で直近にある現在の「ミキモト真珠島」(正式島名)。明治二六(一八九三)年、当時「相島(おじま)」と呼ばれていたこの島で、御木本幸吉(安政五(一八五八)年~昭和二九(一九五四)年)が真珠養殖に成功して、ここを本拠地としたが、この当時はまだ「相島」であった。

「海女の鮑採り」音数律(小唄であるからより厳密であるはずではある)から「鮑」は「はう」と音読みしているかとも考えたが、如何にも耳障りが悪い。「あわび」で読んでおく。

「荒磯埼」わざわざ「埼」の字を選んでいるので、固有名詞と思ったが、見当たらない。一般名詞で採っておく。

「朝富士」三重県鳥羽市にある灯明(とうめい)山(遠目山とも書く)の別称。先の神島にあり、標高百七十一・七メートル(国土地理院図)。

「樋の山」鳥羽市鳥羽町の、旧伊良子清白の診療所の西方背後にある「樋ノ山」

「小濱鯛池」{おはまたひいけ」。サイト「鳥羽デジタルアーカイブズ」のこちらによれば、伊良子清白が診療所を開いていた小浜(おはま)村現在の鳥羽市小浜町(おはまちょう)(国土地理院図))明治二二(一八八九)年に鳥羽町に合併されるが、昭和四二(一九六七)年に浜辺橋が完成するまでは、町営の渡船を利用しなければ、往来出来ない漁村であった。また、鳥羽町大字小鳥羽町大字小浜にあった料理旅館「鯛池 相生館」には鳥羽浜辺浦から定期船が運航されていた。ブログ「三重の鳥瞰図デジタルアーカイブ」のこちらで、往時の案内図が見られ(必見!)、「鯛池案内」の表紙絵を見ると、「千疋鯛」も判る気がする。]

2019/06/16

新涼三景 伊良子清白

 

新涼三景

 

 

  都 市

 

秋が走るよ

町々を

をとこをんなの

秋の脚

舖道(ほだう)のしめり

暑うても

秋の日射しは

花やかに

深山の奧の

生栗(なまぐり)が

靑い八百屋で

ゑみ割れる

無花果(いちじゆく)、葡萄

秋の實(みの)り

人の稔(みの)りの

秋の裝ひ

時が流れる

なめらかに

銀器(ぎんき)の

手ざはり

夕冷えに

月の片割れ

一つは空に

のこる一つは

ふところに

涼しや涼しや

 

 

  漁 村

 

とぶよ若鯔(わかいな)

  火のやうに

走る秋雲

  風や吹く

ただならぬ空の

  けしきとて

船はみだるる

  をちこちに

沖の朝日の

  鈍(にび)いろよ

 

 

  農 村

 

暑いとて、あついとて

  畠(はた)のとうもろこし

     毛があついとて

  星のふる夜は

     露もふる

  露にぶたれて

     玉蜀黍(とうもろこし)の

  赤い毛並(けなみ)が

     よれよれに

 

[やぶちゃん注:昭和五(一九三〇)年六月九日発行のアンソロジー「一九三〇年詩集」(詩人協会編アルス刊)に先の「ここは雲の路」及び後の「近代女性の顏」とともに掲載。「とうもろこし」のルビはママ。署名は「伊良子清白」。

「若鯔(わかいな)」出世魚として知られる条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus の比較的成長した若魚(通常成体の「ボラ」(体長五十センチメートル前後)の前段階)の呼称。地域によって多少異なるが、概ね十八センチメートルから三十センチメートルほどまでのものを指すことが多い。]

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