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カテゴリー「芸術・文学」の335件の記事

2018/04/22

飯田幸治郎 看板風景 昭和7(1932)年

写真家飯田幸治郎の「看板風景」(昭和7(1932)年)が、つげ義春の「ねじ式」の一コマのように衝撃的!

Dbtjulfv0aamwan

 

【一時間後に追記】

さらにさらにオロロイタことに、つげのあのアリエナイと思っていたかの「ねじ式」のワン・シーンは――なんと! 実際の台湾の街の写真が元である可能性が強い、という

「坂井直樹のデザインの深読み」のこちらの記事

(つげのコマと「げげげっつ!」って感じの当該実景写真掲載! 王双全の作品で、1962年に台南市内の「明元堂」又は「珠明堂」を撮影したもの、とリンク先にはある)を読んで、アラマッチャンデベソが宙返りしてしまった!!!
 
つーか、さらにツイッターで検索掛けたら、「つげ義春漫画術」で、つげ自身が『これは台湾の町筋を見て描いたのです』と直話で述べているのを発見。とある投稿者は、これは眼科ではなく(つーか、コンな目医者にはワシは絶対入らんぞ!)、古本屋で、その主人が趣味で、古い眼科の看板を集めて吊るしていたのではないか、とあった。いやいや! こりゃ、ムチャ、スゴかとでしょう!
 

2018/04/21

オースン・スコット・カード 無伴奏ソナタ

昨日、髪結いに行き、夕刻の妻のリハビリの帰りまでの時間潰しに、戸塚から大船まで歩いた。柏尾川には鴨や白鷺や青鷺や川鵜がいて、調整池では牛蛙が鳴いていた。皐月がすっかり満開だった。

歩きながら、アメリカのSF作家オースン・スコット・カードの「無伴奏ソナタ」Orson Scott CardUnaccompanied Sonata 1980)を読んだ(ハヤカワ文庫・冬川亘訳)。

……私は教師を辞めて以来、この6年の間、各種テクストの電子化作業以外の目的で、純粋に読書を楽しむために読んだ本は、十数冊しかない。教員時代は二日に一度は本屋に向かい、一ヶ月の本の購入総額も数万円を下らなかったが、今や、本屋には滅多に行くこともなく(今から以前に行ったのは実に一ヶ月半ほども前だ)、野人になって、ただ読むために買った本も、ただ、四、五冊しかない。書斎には、昔、買い溜めてしまった本が、あたら、紙魚の餌食となっているばかり。私は私の所持している書籍・雑誌の半分も読んでいないだろう。今日は不図、二十四年も前に買っていながら、ろくに読みもしなかったそれ(当該の原書及び訳書は十一篇の短編集)をポケットに入れて家を出たのであった……
 
この短篇、何か、ひどくしみじみしてしまった。

SFで、かく、しみじみしてしまったのことは、実に二十代の始めに読んだ、諸星大二郎の漫画で手塚賞入選した「生物都市」と、同じ彼の「感情のある風景」(これは漢文で「杜子春」をやった時に授業でも扱ったので覚えている教え子諸君も多かろう。私の小攷『立ち尽くす少年――諸星大二郎「感情のある風景」小論』もサイトにある。私は実を言うと、この「感情のある風景」を読み終わった時、図らずも落涙したことを告白しておく)ぐらいなものだのに……。しかし、まあ、ネタバレになるから、「無伴奏ソナタ」の梗概はここには書かない。一寸書いても、私の感じた「しみじみ」感は損なわれると思うからだ。

同文庫本の他の作品は、SFでも、かなり偏頗なグループに属するものであり、一冊まるごと買うのは、そうしたフリーキーでない方以外には、お薦め出来ないが、たった三十ページだし、立ち読み出来る。なされんことをお薦めする。

2018/02/15

心中宵庚申

昨日、観た文楽「心中宵庚申」のエンディングには思わず落涙した。

2018/01/01

元日パブリック・ドメイン記念テクスト 虎見邦男作「ウルトラQ バルンガ」

 
   2018年 迎春
 

今年最初の、私が満を持して作成した電子テクスト、元日パブリック・ドメイン記念テクストとして「心朽窩旧館」に、

「ウルトラQ バルンガ(虎見邦男脚本 ベタ・テクスト・データ)」HTML横書版

及び

同PDF縦書版

   *

「ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注」HTML横書版

及び

同PDF縦書版

の二篇四種を公開した。



――奈良丸明彦博士とサタン一号墜落事故で亡くなった御子息に捧ぐ――

2017/12/29

予告(「ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注」冒頭注)

ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注(予告・同冒頭注のみ)

 

[やぶちゃん注:以下は、昭和四一(一九六六)年三月十三日日曜日の午後七時から七時半にTBSで放映された特撮番組「ウルトラQ」(製作:円谷プロダクション・東京放送テレビジョン)の第十一話(シナリオ・ナンバーは十七・製作ナンバーは十六)として放映された「バルンガ」(監修:円谷英二・監督:野長瀬三摩地(のながせさまじ)・特技監督:川上景司(けいじ))の製作用台本の電子化である。

 脚本を担当した虎見邦男氏は、本作の重要な登場人物である奈良丸明彦博士と同じく、事蹟記載の少ない謎めいた脚本家であるが、私の所持する膨大な特撮関連書籍の記載等によれば、彼は昭和四二(一九六七)年三月末に若くして亡くなっている(昭和五(一九三〇)年生まれか? 没年確認をされたい方は、例えば、ブログ「JKOYAMA LAND番外地」のこちらの脚本家上原正三氏の証言を御覧戴きたい)ので、本作は二〇一八年一月一日午前零時を以ってパブリック・ドメインとなる

 底本は同作の台本をもとにした(故あって、本底本の出所は明かさない)。なお、現在知られる「バルンガ」の台本は一種のみのはずである。一行字数と柱・台詞等の字配位置は台本に従った。台本印刷の都合と思われるが、本文中では拗音や促音表記がなされていないが、それも再現した。シークエンスの柱の間は一行空けた。中に入った「」記号の前後は一行空けた。

 完成放映作品のエンディングには、監督野長瀬氏によってなされたものかと思われる、脚本にない忘れ難い、ショッキングなナレーション(石坂浩二)が附されてあり、これ等については「ウルトラQ」のDVD(複数所持するが、今回は映像・音声ともにブラッシュ・アップされた「総天然色ウルトラQ」(二〇一一年初版)を使用)を用いてシナリオと放映版との違いを検証し、当該相違箇所に私が注を挿入した。放映版の台詞は聴き取りで、句読点や漢字化は私の好みに従った。放映版では台詞の前に添えられる感動詞が俳優によっては、もっと豊富にあり、脚本の表記とは異なるものも多いが、五月蠅くなるだけなので、前の台詞との絡みなどの特性のあるものに限って注記した。放映版のモブ・シーンや複数シーンでは、幾つかオフで、はっきりと聴き取れる主キャスト(一平の「先輩!」や由利子の声はかなりオフで入る)や端役の台詞もあるが、これは煩瑣になり読み難くなるだけなので、話の本筋に抵触しないものは採録しなかった。しかし、この仕儀は原シナリオを甚だ読み難くしてしまっているので、本データとは別に、私の注を除去した原シナリオ・ベタ・テクスト・データも同時に公開することとしたので、そちらも参照されたい。

 なお、虎見氏は最初に発見されるその生物(バルンガ)を「半透明ゼラチン質の、動物とも植物としも見わけのつかぬ物体」とト書きしておられるが、この生々しい生理的視認感をバルンガの原造形にもう少し表現出来ていたら、と、私は正直、少しばかり残念に思う。また、江戸川由利子(ゆりちゃん)がこの生物を見て、「風船虫かしら?」と呟くシーンがあるが、先日、ヒョンなことから、通称「風船虫」なる生物がいることを知った。半翅(カメムシ)目異翅(カメムシ)亜目タイコウチ下目ミズムシ上科ミズムシ科 Corixidae の大型種に対する異名である。私実に永い間、私の愛するゆりちゃんが「バルンガ」に名づけた架空の生物名だとばかり思っていた

 本作は私の偏愛する作品であり、リアル・タイムで放映を見(小学校四年生であった)、放映の翌日である昭和四一(一九六六)年三月十四日月曜日の朝(当日は北海道の一部を除いて快晴であった)、思わず、太陽を見上げた少年であった。特に私には、奈良丸明彦博士を演じた俳優青野平義(あおのひらよし 大正元(一九一二)年~昭和四九(一九七四)年)氏の抑制の利いた素晴らしい演技と声が五十年以上経った今でも鮮やかに甦るし、彼の台詞は総て暗記しているほどである。2018年1月1日(公開予定日) 藪野直史】]

 

2017/12/23

ひとみ座特別公演「ぼくらのジョーモン旅行」

私の父の原案になる、人形劇団ひとみ座による「ぼくらのジョーモン旅行」を父と妻と私とで見る。二ヶ月前に亡くなったアリスも登場。良き手向けとなった。

Jyoumon_omote

2017/11/15

宮澤賢治「銀河鉄道の夜」より

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一諸に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば 僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
「うん。僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
「けれどもほんたうのさいわひは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。
「僕わからない。」カムパネルラ がぼんやり云ひました。
「僕たちしっかりやらうねえ。」ジョバンニが 胸いっぱい新らしい力が湧くやうにふうと息をしながら云ひました。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるやうにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいてゐるのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずたゞ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云ひました。
「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう。」
「あゝきっと行くよ。 ああ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐるのぼくのお母さんだよ。 」カムパネルラは 俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。

2017/09/16

宮澤賢治「心象スケッチ 春と修羅・第二集」 一六六 薤露青 一九二四、七、一七 末尾

 
 
  ……あゝ いとしくおもふものが
   そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
   なんといふいゝことだらう……
 
かなしさは空明から降り
黑い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模樣が
そらに白く數條わたる
 
 

2017/08/24

岩波文庫ニ我ガ名ト此ノぶろぐノ名ノ記サレシ語(コト)

先週、近代文学研究家の山田俊治氏(現・横浜市立大学名誉教授)より、自筆の御葉書を戴いた。

山田氏の名は芥川龍之介新全集の諸注解で存じていた。最近では特に、ブログでの「侏儒の言葉」のオリジナル注企画で頻繁に引用させて戴いたが、無論、終生、巷間の野人たる小生は面識もない。何か誤ったことでも私がブログで書いているのを注意されでもしたものかと思うて読んでみたところが、そこには、

『この度 芥川龍之介の紀行文集を岩波文庫から出版することになり、注解にあたっては、ブログを拝見して、大いに刺激されるとともに、一般書のため、逐次 注にできませんでしたが、大変 参考にさせていただきました。そこで、一部献本させていただきますので、御受納いただければ幸いです』

とあって、驚いた。

昨日、それが届いた。

2017年8月18日発行・山田俊治編「芥川竜之介紀行文集」(850円)
 

Aku1

 
である。中国特派の際の五本は「Ⅱ」として纏められてあるが、それ以外の「松江印象記」(リンク先は私の初出形)に始まる九本の選択も非常に面白い。注を縦覧したが、語句や表現要所が非常によく押さえられており、「Ⅱ」パートでは地図なども附されてあってお薦めである(数年前に他社の文庫でもこれらは出ていたが、本屋で立ち読みしただけで、その注のお粗末さに呆れた果てたのを覚えている)。
特に、あの時代にあって稀有のジャーナリストたらんとして――芥川龍之介は自らを「ジヤアナリスト兼詩人」(「文藝的な、餘りに文藝的な」(リンク先は私の恣意的時系列補正完全版)の「十 厭世主義」)と称し、遺稿の「西方の人」(リンク先は私の正・続完全版)ではキリストを「古い炎に新しい薪を加へるジヤアナリスト」と評している――書かれた中国特派のそれらは、もっと読まれるべきものであると私は強く感じている(芥川龍之介の「上海游記」「江南游記」「長江游記」「北京日記抄」はそれぞれブログ分割版(全)があり、それらの一括版及び「雜信一束」はHTML横書版で「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の「芥川龍之介」パート内の「§ 芥川龍之介中国紀行関連作品 §」に収めてある)。

さて。山田氏の解説の最後を読んで、さらに驚いた。
 

Aku2


 
何と! その末尾、参照先行文献の一覧の最後の最後には、天下の岩波版「芥川龍之介全集」(新全集)がずうっと並んだその終りに……『および、藪野直史「Blog鬼火~日々の迷走」』とあるではないか!?!

私のような凡愚の野人の仕儀が、誰かの役に立つとならば、逆に、恩幸、これに過ぎたるはないと言うべきで、ここに山田俊治先生に深く謝意を表したい。
 
 

2017/08/17

今日の「青空文庫」の公開作である高見順の随筆「かなしみ」を読み易くしてみる

今日の「青空文庫」の公開作は高見順の随筆「かなしみ」であった。

私は高見淳が好きだが、これは初めて読んだ。しかし実に、佳品であった。最後の部分が自ずと、ジジーンと、きた。原文は改行なしの一段で読点が禁欲的でちょっと今時の若者には読み難いようだから、恣意的に改行と読点代わりに字空けを施して以下に示す。若い読者向けに私の注を入れた。読みは歴史的仮名遣で示した。

   *

 赤羽の方へ話をしに行つた日は 白つぽい春の埃が中空に舞ひ漂つてゐる日であつたが、その帰りに省線電車の長い席の いちばん端に 私が腰掛けて 向うの窓のそとの チカチカ光る空気に ぼんやり眼をやつてゐるといふと、上中里か田端だつたかで、幼な子を背負つた ひとりの若い女が入つてきて 手には更に 滅法ふくらんだ風呂敷をさげてをつた。

そこで 席を譲つた私であつたが、このごろ 幼な子となると この私としたことが、きまつて おのが細頸を捩ぢ曲げたり 或は長い頸をば 一層のばしたりしてまで その幼な子の顔をのぞいて さうして そのあどけなさをば、マア言つてみりや 蜂が騒々しく花の蜜を盗むみたいに なんとなく 心に吸ひ取り集めないでは ゐられないのであつたから、そのときも その幼な子に 遽しく[やぶちゃん注:「あはただしく」。]眼を向けたことは言ふまでも無いのだ。

どうやら 眼が見え出してから やつと一二月位にしかならないと察せられるその子は、眼と眼とのあひだの まだ隆起のはつきりしない鼻の上ンところに、インキのやうな 鮮やかな色合ひの青筋を見せてゐて、そのせゐもあるんだらうが、総じて脾弱な感じで 顔色も こつちの主観からだけでなく 病弱の蒼さと見られ、さういふ子には なほのこと 親ならぬ私ながら いとしさが唆られる[やぶちゃん注:「そそられる」。]のである。

ところが その親の若い女なんだが、これはまた どうして 骨太の おつとやそつとでは[やぶちゃん注:現在の「ちょっとやそっと」に同じい。] 死にさうもない体格の 牛みたいなやうな女で、そして さういふ女に有り勝ちの 眼暈[やぶちゃん注:ママ。「めまひ」(眩暈)と訓じていよう。]を催させるやうな色彩と柄の それにペカペカと安つぽく光るところの着物を着てゐる。

その背中で 小さな頼りない幼な子は キョトンとした青つぽい眼を あらぬ方に放つてゐたが、するうちに 何を見つけたか、弱さうな子でも やはりくびれは出来てゐる その頸を 精一杯うしろに曲げて、それは全く もやしの茎が ポキント 儚く[やぶちゃん注:「はかなく」。]折れるやうに 今にも折れはしないかと ハラハラする位に 無理に のけぞらせて、一心に何かを瞠め出したものだ。

何か横の 上の方にあるものに 幼な子は大変な興味を惹かれて了つたらしいのだ。

瞬きもせず瞠めてゐるのだつた、[やぶちゃん注:読点はママ。]

すぐその無理な恰好が苦しくなるのだらう、首を前に戻すのだが、その戻すのが戻すといつた式のものでなく ガクッと 首を前に倒す、いいえ、ぶつつけ ぶつ倒すのだ。

さうして 鼻をペチャンコに潰したまま 母親の襟に顔を埋め、しばらくは さうして フーフーと 息をついてゐる。

この幼な子にとつて 仰向いて瞠める[やぶちゃん注:「みつめる」。]のは それこそ 大変な労苦であることを それは ありありと語つてゐた。

と また 首を持ちあげ 頸を折るみたいにして 仰向く[やぶちゃん注:「あふむく」(あおむく)。]のであつた。

さうして再びガクッとやる。

はて 何が一体そんなにまで 幼な子の心を強く捕へたのか

と 私は心穏かでなく 幼な子の視線を辿るといふと、席の横に ひとりの背の低い青年が立つてゐて その男の顔を瞠めてゐることが分つた。

さりながら その顔は 至つてありきたりの雑作[やぶちゃん注:「ざふさく」(ぞうさく)。顔立ち。]であつて 別に不思議な顔といふのではなかつた。

けれど 如何にも不思議さうに 幼な子は見入つてゐる といふことを 青年は夙に[やぶちゃん注:「つとに」。とっくに。先(せん)から。]気づいてゐたらしく、青年らしい羞恥と困惑を押へ隠して さりげない風を敢へて装つてゐる表情であつたが、ここでまた 私の吟味的な視線を 面皰[やぶちゃん注:「にきび」。]の吹き出た頬に感じると、もはや我慢がならぬ といつた如くに 苦虫を噛み潰したやうな顔をした。

と その瞬間、私は ああさうだ と ひそかに合点をした。青年は セルロイド製の黒いふちの眼鏡を掛けてゐた。

たしかに その眼鏡に 幼な子は惹かれたのであるらしい。

軈て[やぶちゃん注:「やがて」。] 幼な子は小さな手まで上へ頼りなげに差しのべはじめたが、その手の動きも 私の推測の誤りでないらしいことを告げてゐると私はした。[やぶちゃん注:「した」はママ。「察した」の謂いか。]

幼な子の 春の芽のやうな 可愛い手は 然し[やぶちゃん注:「しかし」。] 充分にあがらず、空間を模索的に動かしてゐるうち 青年の洋服の袖をとらへた。

すると、この、幼児を身辺に持つたことのないらしい青年は すつかり照れて、冗談ぢやないよ といつた風に すげなく、だが さう あらはに 引つこめるのも大人気ない といつた様子で 静かに 手をひくと 同時に 幼な子は 例の ガクッと やる やり方で顔を伏せた。

丁度 そのとき 電車は駅に入り、青年は降りて了つた。

そして 又 電車が動き出すと その動揺に促された如くに 幼な子は やをら 首を挙げて 不思議な眼鏡を観察すべく 上を見たはいいが、さあ大変、大事な眼鏡は消え失せてゐる。

今まで ちやんと あつたものが あッといふ間に なくなるとは 信じ難い、さういつた眼を 幼な子は ムキになつて向けてゐたが、やがて なんとも いひやうのない哀しい顔付をしたとおもふと、それはすぐ無慙な歪んだ顔に成り、ヒーヒーと泣き出した。

その泣き声が、抗議的な爆発的な叫喚的なものならいいんだが、いかにも弱々しい低い 絶え入るやうな哀しいものであつたのも 私の心を ひとしほ 苦しめた。

若い母親は、ああ よしよし と言つて 背中をゆすぶり、その体躯にふさはしい 勇ましい振り方をするもので、幼な子はガクンガクンと首をがくつかせて そして 泣きつづける。

泣きつづけるので 母親は、ああよしよし、もうすぐだよ、上野に着いたらやるからネ と言って[#「言って」はママ][やぶちゃん注:この注は「青空文庫」の入力者によるもの。] 自分の人差指を 幼な子の口に突き込んだのであつたが、どうやら それは おしやぶり代りに当てがふ積りらしく、幼な子の泣き出した事情も 遣る瀬ないそのかなしみも 知らない母親は 一図に 幼な子が空腹から泣いたもの と解したのであらう。

幼な子は そんな汚いおしやぶりは拒否したけれど、荒いゆすぶりに脳震蕩気味に成つたのか 連続的に泣くのは控へて 時々泣く泣き方に移つて行つた。

その頃は私も さう ジロジロ見るのは悪いやうな気がして 心ならずも ソッポを向いてゐたのだが、やはり どうも 気になつて さりげなく横目でのぞくと、幼な子の顎の下にあるべき涎掛けが ずれてゐて 涎が母親の晴着の襟を汚してゐる。

これはいけないと 直してあげようとしかけたとき 女は隣りにゐる 草色のズボンをはいて 上はシャツだけの 若い男に話し掛け、その言葉は そのまだまるで若い男が[やぶちゃん注:「まだ」はママ。「そのまるで」(およそ父親とは見えない)「まだ」(未婚のような)「若い男」の謂いか。] どうも 幼な子の父親であるらしいことを 私に知らしめ、さうなるといふと 私のしようとすることなどは 当然 その若い父親のすべきことであり、それを 男を さておいて 私がすることは 何か恥をかかせることに成る恐れがある といふことを 私に知らしめた。

そこで 私はやめたのだが、然し、その若い父親は 泣きじやくる幼な子に てんで眼を呉れようとはしないだけでなく、うるさい幼な子の存在に腹を立ててさへゐるかのやうな顔を ツンと 横に向けてゐる。

さうして 襟は汚されるままで、言ひかへると 幼な子は そのかなしみを遂に察して貰へず、一向に顧られない[やぶちゃん注:「かへりみられない」。]ままで いつか 上野へ着いて、さて 私は これが最後だ と 別れの挨拶を 幼な子にかけようとするみたいな想ひで 改めて 眼をやるといふと、幼な子は 母親の濡れた襟に ぴたりと頬をくつつけて、何か 自分から諦めた そんな安らかさで 眼をつぶつて、そして 自分の下唇を 口のなかに食ひ込ませ 乳の出ないそんなものを チクチクと しきりに吸つてゐるのであつた。

幼な子のかなしみが、いや、かなしみとは 常に かういふものなのであらう、――かなしみが ジーンと 私の胸に来た。幼な子が車内から去つた ずつとあとも 私の心には 深いかなしみが残されてゐた。それは 幼な子へのあはれみ といふのでなく、いつか 私自身のかなしみ といふのに 成つてゐた。

   *

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