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カテゴリー「芸術・文学」の239件の記事

2009/12/18

片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲

『片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

これが、200000アクセス記念を除く、今年の私にとって忘れ難い最後の作品ということになろうかと思う。

相応な趣向を凝らした。御笑覧あれかし。

*昨夜、プレ公開したが、題名・結構に幾つかの不満足があり、また、ルートの一部に勘違いしていた箇所を発見したので、今、修正した。クレジットに変化は起こらないので、特に補正の注記はしていない。これで正式公開である。

2009/10/08

エディプス・コンプレクス

内臓に屹立するファルス――これは男系社会の愚劣な妄想である――眼を突くエディプスはもっと違う形象ではないか?

*僕は最近、エディプス・コンプレクス自体をフロイトという保守的夫系社会の創り出した非科学的精神分析であると感じるようになったのだが、同時に女好みのパラ・パラレルなユング的世界(夢を積極的未来予知性とするシャーマン的認識において)も、エセだという気がしてきている。

その折衷案みたような原母に切断されるファルス――これが――「口裂け女」の総ての正解であるような分析は、噴飯ものである気がずっとしているのだ――

2009/10/07

有機交流

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日  宮澤賢治

2009/09/24

猫の眼月

僕が最近とっても気に入った一枚の知人の絵なんだ!――

僕はこの鼠なんだ!――

窮鼠猫を愛すって知らないか? 知らなきゃ、見れ!

Kc3h00391

ちょっと色編集してころんnote

Nekoto

 

 

 

 

  

 猫の眼月   尾形亀之助

嵐がやんで
大きくくぼんだ空に
低く 猫の眼のような月が出てゐる

私の靜物をぬすんでいつたのはお前にちがひない ――
嵐のあとを
お前がいくら猫の眼に化けても

お前に眼鏡をとられるようなことのないやうにさつきから用心してゐる

2009/09/21

絶対に演じることは出来ないが故に演じてみたい役というものがある

――芝居をやったことのある者なら、必ず秘かに、絶対に演じることが出来ないが故に演じてみたい役というものが、ある――

――僕は――思い出せば、その最初は中学生に遡る。その頃に見た、あのローレンス・オリビエの映画「ハムレット」の、ハムレット、であった。そうである。あの近代的知識人としての画期的に内省的な、あの、かっちょいい「オリビエのハムレット」、を演じてみたいと思ったのである。そのためには「オリビエ自身」でなくてはならないのだ――オリビエとなってハムレットを演じること――それは実際に「シチーグロフ郡のハムレット」として生きることよりも遙かに魅力的である――僕の「絶対に演じることが出来ないが故に演じてみたい」という謂いが、お分かり頂けるだろう――

――後は――そう、タルコフスキイの「惑星ソラリス」のクリスだ。いや、ロシア語どころかあの撮影の頃、僕はまだ中学生だ。ビデオ回想シーンのクリスの息子時代の役ぐらいしか出来ない(あれはクリス役のドナタス・バニオニスの実の息子が演じていて、当たり前のようによく似ている)。本当は冷徹な内的変態であるサルトリウスをやりたいが、演じているアナトーリ・ソロニーツィンはタルコフスキイ組で絶対無理だから、役を降ろされそうになったドナタスしか、ないのだ――タルコフスキイの映画に端役としてでも出演して夭折すること――それは愚劣な人生を生きることよりも遙かに魅力的である――おまけに相方ハリー役のナタリア・ボンダルチュクはチョー魅力的だしねheart01――遺憾ながら彼女の現在の写真だけは見ない方がよいことだけは付け加えておこうban――

――閑話休題。実は僕がやりたいがやれない役の話をここで持ち出したのは――ほかでもない――その役は、今日、リニューアルした芥川龍之介の「淺草公園」の、あの少年の役、なのだ――僕は抱きしめたくなるくらい、この少年が愛しい。そうして僕は、この少年の役をやりたくて、やりたくて仕方がないのである――

――因みに僕はもう、自身の台詞の記憶力のなさに絶望的になっており、この右手の不具合も、演技者としては致命的である――しかし――しかし、それでもやってみたい役は、実は一つだけ、ある――それは正しく今のこの老いさらばえ、身体もぼろぼろの僕に相応しい――台詞も長台詞の殆んどは録音テープだしな――サミュエル・ベケットの――「クラップ最後のテープ」――なのである――

――クラップ――69歳の誕生日――独身にして老人ボケにしてアル中にしてインポテンツ(バナナを銜えるのはその暗示であろう)――彼は若い時から自分の誕生日になると、過ぎた一年を回顧して小型のリール・テープへメッセージを吹き込むことを習慣としていた。老いさらばえた薄汚いクラップは、薄汚れた自分の部屋で、30年前のテープを引っ張り出して聴く。そこで生臭い精液の匂いをプンプンさせる若き日の自分自身の自信に満ちた、希望と傲慢に満ち満ちた饒舌――しかし、今のクラップはもうその饒舌を自分自身が語ったことさえも――分からなくなっているのである――断絶するクラップとクラップ――断ち切れた現在と過去――前衛劇・不条理演劇の神様、あの「ゴドーを待ちながら」のアイルランドのベケットの、僕が1歳の時、1958年に初演された一人芝居である――

2009/08/11

夢野久作「氷の涯」終章

……

「お前と一緒に逃げたお陰で、とうとう結末がついちゃったね」
 ニーナはプイッと拗(す)ねたような恰好でペーチカの方に向き直った。そうして思い出したように、梨の喰いさしとナイフを頭の上に高々とさし上げて、
「……あァあ、妾の仕事もおしまいになっちゃったァ。……アンタに惚れたのが運の尽きだったわよ」
 といううちに又もガリガリと梨を嚙り始めるのであった。
 僕はうまい葉巻の煙を天井に吹き上げていた。気のせいか又も二、三発、停車場の方向で銃声を聞いたように思いながら……。
 病気のせいもあったろう。すべてを諦め切っていた僕の神経はこの時、水晶のように静かに澄み切っていた。そうしてこの時ぐらい煙草がうまいと思ったことはなかった。天井から吊した十燭の電燈が、ちょっと暗く……又明るくなった。
 その時にニーナは又も、新しい小さい梨を一つポケットから出して、今度は丁寧に皮を剥いた。そうしてその白い、マン丸い、水分の多い肌合いを暫くの問ジッと眺めまわしていたが、やがてガブリと嚙みつくと、スウスウと汁を畷り上げながら無造作に言った。
「ねえアンタ」
「何だい」
「……妾と一緒に死んでみない……」
 僕はだまっていた。ちょうど考えていたことを言われたので……。
「ねえ。……ドウセ駄目なら銃殺されるよりいいわ。ステキな死に方があるんだから……」
「フーン、どんな死に方だい」と僕は出来るだけ平気で言った。少しばかり胸を躍らせながら……ところが、それから梨を嚙み嚙み説明するニーナの言葉を聞いているうちに僕はスッカリ興奮してしまった。表面は知らん顔をして葉巻の煙を吹き上げ吹き上げしていたが、恐らくこの時ぐらい神経をドキドキさせられた事はなかったであろう……。
 僕はニーナの話を聞いているうちに、今の今までドンナ音楽を聞いても感じ得なかった興奮を感じた。僕の生命の底の底を流れる僕のホントウの生命の流れを発見したのであった。……そうして全然生まれ変ったような僕自身の心臓の鼓動を、ガムボージ色に棚引く煙の下にいきいきと感じたのであった。
 ニーナはその晩から部屋を飛び出して準備を始めた。そうして昨日の午前中に三階に住んでいる中国人崔の手を経て、馬つきの橇を一台手に入れる約束をした。それから宿の払いと買物をした残りのお金で、昨夜から今日一日じゅう、御馳走を食べ続けて無煙炭をドシドシペーチカに投げ込んだ。
 僕は病気も何も忘れてこの遺書を書き始めた。発表していいか悪いかを君の判断に任せるために……もっとも書きかけの西比利亜漂浪記の中から抽き出して書いたのだから、大して骨は折れなかった。
 ニーナはまだ編物を続けている。寄せ糸で編んだハンド・ハッグみたようなものが出来上りかけている。
 注文した馬と橇はモウ下の物置の中に、鋸屑を敷いて繋いで在る。張り切っている若馬だから一晩ぐらい走り続けても大丈夫だと、世話をしてくれた崔が保証した。
 僕らは今夜十二時過にこの橇に乗って出かけるのだ。まず上等の朝鮮人参を一本、馬に嚙ませてから、ニーナが編んだハンド・バッグに、やはり上等のウイスキーの角瓶を四、五本詰め込む。それから海岸通りの荷馬車揚場の斜面に来て、そこから凍結した海の上に、辷り出すのだ。ちょうど満月で雲も何もないのだからトテモ素敵な眺めであろう。
 ルスキー島をまわったら一直線に沖の方に向って馬を鞭打つのだ。そうしてウイスキーを飲み飲みどこまでも沖へ出るのだ。
 そうすると、月のいい晩だったら氷がだんだんと真珠のような色から、虹のような色に変化して、眼がチクチクと痛くなって来る。それでも構わずグングン沖へ出て行くと、今度は氷がだんだん真黒く見えて来るが、それから先は、ドウなっているか誰も知らないのだそうだ。
 この話はニーナが哈爾賓にいるうちにドバンチコから聞いていたそうで、そのドバンチコは又、ある老看守から伝え聞いていたものだそうだが、大抵の者は、途中で酔いが醒めて帰って来るそうである。又年寄りの馬はカンがいいから、橇の上の人間が眠ると、すぐに陸の方へ引返して来るそうで、そのために折角苦心して極楽往生を願った脱獄囚が、モトの牢屋のタタキの上で眼を醒ました事があるという。
「……しかしアンタと二人なら大丈夫よ」
 と言って彼女が笑ったから、僕はこのペンを止めて睨みつけた。
「もし氷が日本まで続いていたらドウスル……」
 と言ったら、彼女は編棒をゴジャゴジャにして笑いこけた。

(三一書房1969年刊「夢野久作全集3」より)

夢野久作「氷の涯」のエンディングである。

僕の好きな夢野久作の、その中でも格段に好きな、僕の拘縮した指が凍って痛みもなく切れんとするような慄っとする程美しく素敵なエンディングだ――

*やぶちゃん語注:「ガムボージ色」“Gamboge”:インドシナ半島に植生するオトギリソウ科の雌黄樹から採る透明感のある黄又は黄褐色のガム樹脂。有毒。

それは丁度――

バッハの「平均律クラヴィア曲集第1巻前奏曲第1番ハ長調」とともにが雪原の彼方に消えてゆくグレン・グールド――

「シテール島への船出」のラスト・シーン、桟橋に乗ったまま朝霧の海彼へと流れて去ってゆくスピロとカテリーナの老夫婦――

……僕らは今夜十二時過にこの橇に乗って出かける……

……上等の朝鮮人参を一本、馬に嚙ませてから、ニーナが編んだハンド・バッグに、やはり上等のウイスキーの角瓶を四、五本詰め込んで……

……海岸通りの荷馬車揚場の斜面に来て、そこから凍結した海の上に、辷り出す……

……ちょうど満月で雲も何もない……

……トテモ素敵な眺め……

……ルスキー島をまわって一直線に沖の方に向って馬を鞭打つ……

……そうしてウイスキーを飲み飲みどこまでも沖へ出る……

……月のいい晩……

……氷がだんだんと真珠のような色から、虹のような色に変化して、眼がチクチクと痛くなって来る。それでも構わずグングン沖へ出て行く……

……氷がだんだん真黒く見えて来る……

……それから先は、ドウなっているか……誰も知らない……氷の涯 だ――

2009/07/11

骸子形の鍾乳石

ロローズ・セラヴィよ、くしゃみをしたな?!

大好きな大滝秀治氏へ――「家庭教師のトライ」のCMに抗議を!

「家庭教師のトライ」の「特捜最前線」の映像を使ったCM、あなたはギャラを貰っていますか。映像の著作権を持っている民放会社が許可を出したのでしょうから、貴方はあんなものがTVで流れていることを、御存知ないかも知れません。しかし、酷過ぎます。犯人の説得に来た母親、犯人に走り寄ろうとする彼女を止める貴方――貴方の、そして彼女の演技を笑い飛ばすCM――私は貴方から抗議して、あの愚劣で不快なパロディCMを放映差し止めを断固要求すべきだと思います。演技者の演技が、あのように使われることは、権利以前の、役者の演技への冒瀆以外の何物でもない。私は役者の端くれ(教師とはそのようなものと心得ています)として断じて許せません。

言っておく。

僕は本気で怒っている――

2009/06/27

前田青邨「洞窟の頼朝」

「美の巨人」を今、見た。

大事な一点を致命的に洩らしている。

あれは平家の梶原景時一行が、洞窟を見つけた、その一瞬をスカルプティング・イン・タイムした、その瞬間の切り出しである――

彼らの視線こそが、あの絵の眼目であろうが!

2009/06/18

梅蘭芳

この「彼女」は誰(たれ)よりも美しい!

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