フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

カテゴリー「詩歌俳諧俳句」の332件の記事

2019/02/03

白居易「長恨歌」原詩及びオリジナル訓読・オリジナル訳附

[やぶちゃん注:原文は昭和三九(一九六四)年集英社刊田中克己著「漢詩大系 第十二巻 白楽天」のそれに概ね従った(一部の漢字を正式な繁体字に代えた)。訓読は私が本詩篇に出逢った高校二年の時の衝撃的印象記憶に残るものに従っており、田中氏の訓読とは字空けを含み、かなり異なる。また、本詩篇は完全に一つに繋がったものであるが、読み易さを考えて。私の考えるシークエンスごとに一行を空けてある。後に附したものは、私が二十代の終りに授業用に作ったオリジナルな全篇の訳である。これは現在電子化注をしている「和漢三才図会」の「比翼鳥」のために急遽電子化したものである。]

 

 長恨歌   白居易

 

漢皇重色思傾國

御宇多年求不得

楊家有女初長成

養在深閨人未識

天生麗質難自棄

一朝選在君王側

囘眸一笑百媚生

六宮粉黛無顏色

 

春寒賜浴華淸池

溫泉水滑洗凝脂

侍兒扶起嬌無力

始是新承恩澤時

雲鬢花顏金步搖

芙蓉帳暖度春宵

春宵苦短日高起

從此君王不早朝

 

承歡侍宴無

春從春遊夜專夜

後宮佳麗三千人

三千寵愛在一身

金屋粧成嬌侍夜

玉樓宴罷醉和春

姊妹弟兄皆列士

可憐光彩生門

遂令天下父母心

不重生男重生女

 

驪宮高處入靑雲

仙樂風飄處處聞

緩歌慢舞凝絲竹

盡日君王看不足

漁陽鼙鼓動地來

驚破霓裳羽衣曲

 

九重城闕煙塵生

千乘萬騎西南行

翠華搖搖行復止

西出門百餘里

六軍不發無奈何

宛轉蛾眉馬前死

花鈿委地無人收

翠翹金雀玉搔頭

君王掩面救不得

囘看血淚相和流

 

黃埃散漫風蕭索

雲棧縈紆登劍閣

峨嵋山下少人行

旌旗無光日色薄

蜀江水碧蜀山靑

聖主朝朝暮暮情

行宮見月傷心色

夜雨聞鈴腸斷聲

 

天旋日轉𢌞龍馭

到此躊躇不能去

馬嵬坡下泥土中

不見玉顏空死處

君臣相顧盡霑衣

東望都門信馬歸

 

歸來池苑皆依舊

太液芙蓉未央柳

芙蓉如面柳如眉

對此如何不淚垂

春風桃李花開夜

秋雨梧桐葉落時

西宮南苑多秋草

宮葉滿階紅不掃

梨園弟子白髮新

椒房阿監靑娥老

夕殿螢飛思悄然

孤燈挑盡未成眠

遲遲鐘鼓初長夜

耿耿星河欲曙天

鴛鴦瓦冷霜華重

翡翠衾寒誰與共

悠悠生死別經年

魂魄不曾來入夢

 

臨邛道士鴻都客

能以精誠致魂魄

爲感君王輾轉思

方士慇懃覓

排空馭氣奔如電

升天入地求之徧

上窮碧落下黃泉

兩處茫茫皆不見

忽聞海上有仙山

山在虛無縹緲

樓閣玲瓏五雲起

其中綽約多仙子

中有一人字太眞

雪膚花貌參差是

 

金闕西廂叩玉扃

小玉報雙成

聞道漢家天子使

九華帳裏夢魂驚

攬衣推枕起徘徊

珠箔銀屛邐迤開

雲鬢半偏新睡覺

花冠不整下堂來

風吹仙袂飄颻舉

猶似霓裳羽衣舞

玉容寂寞淚闌干

梨花一枝春帶雨

含情凝睇謝君王

一別音容兩渺茫

昭陽殿裏恩愛

蓬萊宮中日月長

囘頭下望人寰處

不見長安見塵霧

唯將舊物表深情

鈿合金釵寄將去

釵留一股合一扇

釵擘黃金合分鈿

心似金鈿堅

天上人會相見

 

臨別慇懃重寄詞

詞中有誓兩心知

七月七日長生殿

夜半無人私語時

在天願作比翼鳥

在地願爲連理枝

天長地久有時盡

此恨綿綿無

 

 

 

●「長恨歌」オリジナル訓読

 

 長恨歌   白居易

 

漢皇 色(いろ)を重んじ 傾國を思ふ

御宇(ぎよう) 多年求むれども 得ず

楊家に女(ぢよ)有り 初めて長成し

養はれて深閨(しんけい)に在り 人 未だ識らず

天生の麗質 自(おのづか)ら棄て難く

一朝 選ばれて 君王の側に在り

眸(ひとみ)を囘(めぐ)らして一笑すれば 百媚生じ

六宮(りくきゆう)の粉黛(ふんたい) 顏色なし

 

春寒うして 浴を賜ふ 華淸(かせい)の池

溫泉 水 滑かにして 凝脂(ぎようし)を洗ふ

侍兒 扶(たす)け起すに 嬌(きやう)として力なく

始めて是れ 新たに恩澤(おんたく)を承(う)くる時

雲鬢(うんびん) 花顏(くわがん) 金步搖(きんぽえう)

芙蓉(ふよう)の帳(とばり) 暖かにして春宵を度(わた)る

春宵 苦(はなは)だ短くして 日高くして起き

此れより 君王(くんのう) 早朝(さうてう)せず

 

歡(くわん)を承(う)け 宴(えん)に侍して 閒暇(かんか)なく

春は春の遊びに從ひ 夜(よ)は夜を專(もつぱ)らにす

後宮の佳麗 三千人

三千の寵愛 一身にあり

金屋(きんをく) 粧(よそほ)ひ成つて 嬌として 夜に侍し

玉樓 宴(えん)罷(や)んで 酔ひて 春に和す

姊妹弟兄(しまいていけい) 皆 土(ど)を列(つら)ね

憐(あは)れむべし 光彩 門(もんこ)に生ずるを

遂に 天下の父母の心をして

男を生むを重んぜず 女を生むを重んぜしむ

 

驪宮(りきゆう) 高き處 靑雲に入り

仙樂 風に飄(ひるが)へりて 處處(しよしよ)に聞ゆ

緩歌(くわんか) 慢舞(まんぶ) 絲竹(しちく)を凝(こら)し

盡日(じんじつ) 君王 看れども足らず

漁陽の鼙鼓(へいこ) 地を動かして來たり

驚破(きやうは)す 霓裳羽衣(げいしやううい)の曲

 

九重(きうちよう)の城闕(じやうけつ) 煙塵(えんじん)生じ

千乘 萬騎(ばんき) 西南に行く

翠華(すゐくわ) 搖搖(えうえう) 行きては復(ま)た止(とど)まり

西のかた 都門を出づること 百餘里

六軍(りくぐん) 發せず 奈何(いかん)ともする無し

宛轉(ゑんてん)たる蛾眉 馬前に死す

花鈿(くわでん) 地に委(す)てられ 人の收むる無く

翠翹(すゐげう) 金雀 玉搔頭(ぎよくさうとう)

君主 面(おもて)を掩(おほ)ひて 救ひ得ず

囘看(くわいかん)すれば 血淚(けつるゐ) 相ひ和して流る

 

黃埃(くわうあい) 散漫 風 蕭索(せうさく)

雲棧(うんさん) 縈紆(えいう) 劍閣を登る

蛾媚山下 人の行くこと 少(まれ)に

旌旗(せいき) 光り無く 日色 薄し

蜀江 水 碧(みどり)にして 蜀山 靑し

聖主 朝朝暮暮(てうてうぼぼ)の情

行宮(あんぐう)に月を見れば 心を傷ましむるの色

夜雨(やう)に鈴を聞けば 腸(はらわた)を斷つるの聲(おと)

 

天 旋(めぐ)り 日 轉じて 龍馭(りゆうぎよ)を𢌞(めぐ)らす

此(ここ)に致りて 躊躇して 去る能はず

馬嵬坡下(ばくわいはか) 泥土の中(うち)

玉顏を見ず 空しく死せし處

君臣 相ひ顧みて 盡(ことごと)く衣(ころも)を霑(うるほ)し

東のかた 都門を望み 馬に信(まか)せて歸る

 

歸り來たれば 池苑(ちゑん) 皆 舊に依(よ)る

太液(たいえき)の芙蓉(ふよう) 未央(びあう)の柳

芙蓉は面(おもて)のごとく 柳は眉(まゆ)のごとし

此れに對して 如何(いかん)ぞ 淚 垂れざらん

春風(しゆんぷう) 桃李(たうり) 花開くの夜(よ)

秋雨(しうう) 梧桐(ごとう) 葉落つるの時

西宮(せいきゆう) 南苑 秋草 多く

宮葉(きゆうえふ) 階(きざはし)に滿つれども 紅(こう) 掃(はら)はず

梨園の弟子(ていし) 白髪新たに

椒房(せうばう)の阿監(あかん) 靑娥(せいが)老ゆ

夕殿(せきでん) 螢 飛んで 思ひ 悄然(せうぜん)

孤燈 挑(かか)げ盡くして 未だ眠りを成さず

遲遲たる鐘鼓(しようこ) 初めて 長き夜

耿耿(かうかう)たる星河 曙(あ)けんと欲(す)る天

鴛鴦(ゑんあう)の瓦 冷ややかにして 霜華(さうくわ)重く

翡翠(ひすゐ)の衾(しとね) 寒うして誰(たれ)とか共にせん

悠悠たる生死 別れて年を經たり

魂魄 曾て來たりて夢に入らず

 

臨邛(りんきよう)の道士 鴻都(こうと)の客(きやく)

能(よ)く精誠(せいせい)を以つて 魂魄を致す

君王 展轉(てんてん)の思ひに感ずるが爲(ため)に

遂に 方士をして慇懃(いんぎん)に覓(もと)めしむ

空(くう)を排(はい)し 氣に馭(ぎよ)して 奔(はし)ること 電(いなづま)のごとく

天に升(のぼ)り 地に入りて 之れを求むること 遍(あまね)し

上(かみ)は碧落(へきらく)を窮め 下(しも)は黃泉(こうせん)

両處 茫茫(ばうばう)として 皆 見えず

忽(たちま)ち聞く 「海上に仙山有り

山は虛無縹緲(きよむへうべう)の閒(かん)に在り」 と

「樓閣 玲瓏(れいろう)として 五雲 起こり

 其の中(うち) 綽約(しやくやく)として 仙子(せんし)多し

 中に 一人(ひとり)有り 字(あざな)は太眞(たいしん)

 雪の膚(はだへ) 花の貌(かんばせ) 參差(しんし)として是れなり」と

 

金闕(きんけつ) 西廂(せいしやう) 玉扁(ぎよくけい)を叩き

轉じて小玉(せうぎよく)をして 雙成(さうせい)に報(ほう)ぜしむ

聞道(きくなら)く 漢家(かんけ)天子の使ひなりと

九華帳裏(きうくわちやうり) 夢魂(むこん) 驚く

衣(ころも)を攬(と)り 枕を推(お)し 起(た)ちて徘徊す

珠箔(しゆはく) 銀屛(ぎんぺい) 邐迤(りい)として開く

雲鬢(うんびん) 半ば偏(かたむ)きて 新たに睡りより覺(さ)む

花冠(くわくわん)整へず 堂より下(くだ)り來たる

風は仙袂(せんべい)を吹きて 飄颻(へうえう)として舉がり

猶ほ 霓裳羽衣の舞(まひ)に似たり

玉容(ぎよくよう) 寂寞(せきばく) 淚 闌干(らんかん)

梨花(りか) 一枝(いっし) 春 雨を帶ぶ

情(じやう)を含み 睇(てい)を凝らし 君主に謝す

一別 音容 兩(ふた)つながら 渺茫(べうばう)

昭陽殿裏(せうやうでんり) 恩愛 

蓬萊宮中(ほうらいきゆうちゆう) 日月(じつげつ) 長し

頭(かうべ)を囘(めぐ)らし 下(しも) 人寰(じんくわん)を望む處

長安を見ず 塵霧を見る

唯だ 舊物(きうぶつ)を將(も)つて深情を表はす と

鈿合(でんがふ) 金釵(きんさ) 寄せ將(も)ち去らしむ

釵(さ)は一股(いつこ)を留(とど)め 合(がふ)は一扇(いつせん)

釵は黃金(わうごん)を擘(さ)き 合は鈿(でん)を分かつ

但(た)だ心をして 金鈿(きんでん)の堅きに似しむれば

天上 人間(じんかん) 會(かなら)ず相ひ見(まみ)えん

 

別れに臨みて 慇懃(いんぎん)に重ねて 詞(ことば)を寄す

詞中(しちゆう) 誓ひ有り 兩心のみ 知る

七月七日(しちぐわつなぬか) 長生殿

夜半 人無く 私語(しご)の時

 「天に在りては 願はくは比翼の鳥と作(な)り

  地に在りては 願はくは連理(れんり)の枝(えだ)と爲(な)らん」と

天長く 地久しきも 時有りて 盡(つ)く

此の恨みは 綿綿として ゆるの期(とき) 無からん

 

 

 

「長恨歌」私訳

 

  長恨歌

 

漢の帝(みかど)は色好みで、絶世の美女を求めて止まぬ。

帝の地位に就いてからというもの、ずっと求め続けたけれども、得られない。

さて。ここに楊家の娘がいた。成年になったばかり。

奥深い部屋で、大事大事に育てられてきたので、世間ではその器量は知られていなかった。

しかし、天生の美貌、そのまま打ち捨てられてはおかれない。

ある日、特に選ばれて、帝に召し出された。

瞳をめぐらして、ちょっと微笑(ほほえ)めば、ありとある魅力が生まれ、

後宮(こうきゅう)のあまたの美女も色褪(いろあ)せて見えるほど。

春まだ寒い頃、帝から華清池に入ることを許された。

温泉の湯は、白くむっちりとした肌を、滑らかにつたっていく。

上がろうとして、お付きの者が助け起こすと、のぼせて、なよなよと、力もない。

さあ、支度整い、帝の愛を受けるときがきた。

豊かな美しい髪、花のかんばせ、揺れる黄金のかんざし。

蓮の花を縫い取ったカーテンの中は、暖かだ……春の宵は過ぎてゆく……。

ああ、春の宵はひどく短い。帝はやっと昼になってお起きになる。

これより、帝は早朝の政務をおやめになった。

帝のお呼びで、うたげのお供。一人になれる暇もない。

春は春で物見遊山にお連れになり、夜は夜で貴妃一人をご寵愛。

後宮には三千人の美人。

その三千人分のご寵愛を、貴妃がすっかり独り占め。

立派な御殿は綺麗に飾られ、艶っぽく帝の夜にお付合い。

美しい高殿の宴会が終われば、その酔い姿がこれまた、まるで春に溶け込んでしまいそう。

貴妃の一族は、皆、諸候に取り立てられ、領地を得る。

ああ、うらやましい! 家の栄えぶり!

遂にこの世の親に、「男なんぞ役にも立たぬ、

 女を産んで玉の輿(こし)、女の子をこそもうけよう。」と思わせるようになったほど。

雲にそびえる華清宮、うたげも今や最高潮。

仙界の楽のそれかと思わせる、妙(たえ)なる音(ね)が風に乗ってそこここに聞こえ、

静かでゆったりとした歌や舞い、見事に響き合う管弦の音(ね)。

帝は、日がな一日見ていても、飽きることを知らない。

……しかし……漁陽の辺りから……攻め太鼓の低い音が……大地を揺り動かして聞こえてくる……。

……それが……折りから舞っていた……霓裳羽衣の曲を……断ち切った…………。

都の城門には、もうもうたる土ぼこり。

落ちのびる帝の長い行列は、西南の蜀を目指して行く。

帝の旗を付けた車は、ゆらゆら揺れて、ちょっと行っては、じき、止まる。

城門を出でて、西へほどなく、

帝の直属の兵たちは、貴妃の断罪を求め、一歩たりとも動かなくなった。

……もはや、どうしようもない。

美しい眉の美人は、帝の車を引く馬の前で、死んだ。

美しい花鈿は、地に捨てられて、拾う者もなく、

ああ、それだけではない、数多(あまた)の美しい髪飾り……。

帝は正視できず、面を覆うばかり……。

振り返る帝の頬を、血の交じった涙がつたってゆく……。

埃交じりの風がさびしく、

蜀の桟道は雲の中に登って行くように険しい。

峨嵋山の下、行く人もなく、

行列の旗も色褪せて、日の光も薄い。

蜀の川の水は、どこまでも緑に、蜀の山々は、どこまでも青い。

ああ、推して知るべし、朝な夕な貴妃を思う帝の心。

行宮(あんぐう)に月を見ても、心(こころ)傷つき、

夜の雨に鈴の音(ね)を聞いても、はらわたが断ち切れるような悲しみを覚える。

天が巡り、地が転じ、世情が一変して、帝の車は長安へ。

途中この地に至って、歩み進まず、立ち去ることも、出来ぬ。

馬嵬坡(ばかいは)の、泥土の中、

もはや、あの白玉のような美顔の貴妃は見えぬ……むざむざと死んでいった場所……。

君臣は互いに顔を見合わせては、皆、涙で衣(ころも)を濡らす。

帝は、東のかた、長安を望み見ながら、ただ馬の歩むにまかせて、とぼとぼと帰ってゆく。

都に戻れば、宮中の池も庭も、もとのまま。

太液池の蓮の花、未央宮の柳も、あいも変わらぬ美しさ。

その蓮の花は貴妃の顔に似て、その柳の葉は、あの人の眉のよう。

この景色に向かって、どうして涙を流さずにいられようか。

春風(はるかぜ)吹く、桃や李(すもも)の花咲くのどかな夕べも、

秋雨(あきさめ)降る、梧桐(あおぎり)の葉の寂しく散る時も、哀しみは尽きず、

上皇の御座所、西の宮殿、南の御苑は、秋ともなれば、草深く、

宮殿の木の葉は、階段(きざはし)に満ちて、紅(くれない)。訪ねる人もなく、それを掃き清める者も、いない。

梨園の音楽所で玄宗に楽曲を教わった若き楽士たちも、白髪が鬢(びん)に見え初(そ)め、

かつて皇后の御殿の女官長であった若き女房も、いまはすでに年老いてしまった。

夕暮れの御殿に飛ぶ蛍を見ては、心は淋しさにうちひしがれ、

ただひとつの燈火の芯(しん)を、掻(か)き上げ尽くし、それが消えた後(あと)も、まだ眠りにつくことが、できぬ。

時を知らせる鐘や太鼓の音(おと)も、いかにも遅く思われて、夜長(よなが)を感じ始める、秋。

銀河は淡く輝いているが、はや、夜も明けようとしている空。

屋根の鴛鴦(おしどり)をかたどった瓦も、冷ややかに、霜を置いて重たげに見え、

翡翠(かわせみ)の雌雄(つがい)が仲よく縫い取りされた夜着(よぎ)は冷たく、ただ一人寝の淋しさを、かこつ、ばかり。

生きている者と死んだ人とは、果てしなく遠く隔たり、別れて長く、年を経た。

貴妃の魂が玄宗の夢にも入って来ぬのは、まことに、淋しい限り。

蜀の臨邛(りんきょう)の道士が、長安に旅人として来ていた。

不思議な精神力で、よく魂を招くことが出来るという。

おそばの者は、玄宗の毎夜の煩悶に、同情し、

ついにこの方術の行者(ぎょうじゃ)に、貴妃の魂を心をこめて尋ねさせることとなった。

方士は、風を押し開き、雲霧に乗り、電光の如く奔り、

天に登り、地に入って、あまねく、捜した。

上は青空の奥まで、下は黄泉の国まで尋ねたが、

どちらも、果てしなくぼんやり遠く霞んで、貴妃の霊は見えぬ。

ふと聞いた。「東海の彼方に仙山がある。

 その山は、この世を超えた、物影一つ見えない、虚(むな)しい、この世から果てしなく遠い所にある」と。

「林立する高殿は玉の如く輝き、五色の雲が湧いている。

 その中に、たおやかな仙女が沢山いる。

 中に一人、字(あざな)を太真(たいしん)と呼ぶものがおり、

 雪の肌(はだえ)、花のかんばせ、まずは、この者らしい。」と。

道士は仙山に至り、黄金の闕のある宮殿の西の袖(そで)部屋に行き、白玉の閂(かんぬき)を叩いて案内を乞うた。

もと呉王夫差の女であった小玉(しょうぎょく)から、もと西王母の侍女であった雙成(そうせい)にと、次々に取りつがれ、太真のもとへと告げられた。

太真は「漢の朝廷の帝のお使い」と聞いて、沢山の花模様のある幄(とばり)の内で見ていた夢も驚き醒め、

紗(うすぎぬ)の衣を打ちかけて裾(すそ)をつまみ、枕を押しやって立ち上がり、「どうしよう」と戸惑って部屋を歩く。

玉の簾(すだれ)や銀の屏風が、連なって折れ曲がり、押し開かれ、ついに彼女が現われた。

雲のように豊かな黒髪は半ば傾き、今やっと眠りから醒めた風(ふう)。

花の冠も整わぬまま、広間から降りて来る。

風が衣のそでに吹いて、ひらひらと挙がり、

やはり、生前に舞った霓裳羽衣の舞の手ぶりに、それは似ていた。

その美しい顔は、寂しげで、涙は、止めどなく、はらはらと、こぼれる。

喩(たと)うれば、一枝(ひとえだ)の梨の花が春雨に濡れているよう。

太真は情をこめた目で、凝(じ)っと見つめ、帝の厚いお情けを謝して、言った。

「一たびお別れ申してより、お言葉もお顔も、果てしなく遠いものとなり、

 昭陽殿であなた様から頂いた恩愛も絶え、

 この蓬莱の宮中では仙境のことゆえ、月日は永遠。

 振り返って下方の人の世を遠く望んでも、

 長安は見えず、ただ塵と霧。

 思い出の品で、せつない私の思いをお示しすることしかできません。

 この青貝(あおがい)を鏤(ちりば)めた香盒(こうごう)と、金のかんざしを、お使いの者に預け、持って行って頂きまする。

 かんざしは黄金(きん)も二つに裂き、香盒は青貝の飾りも半分に外(はず)して。

 ただ、お互いを思う心を黄金や青貝の如く、堅く変わらぬものにしている限り、

 天上と人の世を超え、きっと私たちはお会いすることが出来ましょう。」と。

別れぎわに、懇(ねんご)ろに歌をことづける。

そこには二人だけが知っている秘密の誓いが……。

「七月七日(しちがつなぬか)、長生殿、

 夜更け、二人きりの語らいの時、

 『天にあっては願わくは比翼(ひよく)の鳥となり、

  地にあっては願わくは連理(れんり)の枝(えだ)となりましょう。』と。

――天地は永く続くとはいえ、いつかは、必ず、消え去ってしまう――

――しかし――この恨みは――永遠に――尽きることはない――

2018/11/19

絶望

私は、後、唯一人だけ、村上昭夫の詩を全電子化するのだけを、楽しみにして生きてきた……しかし、遂に来たるTPPの発効によって、その切なる夢は無惨に潰えることとなった……これは実に私の今年の最後の最大最悪の事件となるのだ…………

2018/09/26

鮎川信夫 「死んだ男」 附 藪野直史 授業ノート(追記附)

 
 

死んだ男   鮎川信夫

 

たとえば霧や

あらゆる階段の跫音のなかから、

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。

――これがすべての始まりである。

 

遠い昨日……

ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、

ゆがんだ顔をもてあましたり

手紙の封筒を裏返すようなことがあった。

「実際は、影も形もない?」

――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

 

Mよ、昨日のひややかな青空が

剃刀の刃にいつまでも残っているね。

だがぼくは、何時何処で

きみを見失ったのか忘れてしまったよ。

短かかった黄金時代――

活字の置き換えや神様ごっこ――

「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

 

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、

「淋しさの中に落葉がふる」

その声は人影へ、そして街へ、

黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

 

埋葬の日は、言葉もなく

立会う者もなかった。

憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。

空にむかって眼をあげ

きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。

「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」

Mよ、地下に眠るMよ、

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

   *

「鮎川信夫詩集」(昭和三〇(一九五五)年荒地出版社刊)より。

鮎川信夫(大正九(一九二〇)年~昭和六一(一九八六)年)本名は上村隆一。東京生まれ。早稲田大学英文科中退。昭和一二(一九三七)年、中桐雅夫編集の詩誌『LUNA』、翌年には村野四郎らの『新領土』に参加、昭和一四(一九三九)年森川義信らと詩誌『荒地』を創刊した。諸和一七(一九四二)年十月に青山の近衛歩兵第四連隊に入隊、翌年、スマトラに出征したが、マラリアや結核を発症、昭和十九年五月、傷病兵となって送還され、福井県の傷痍軍人療養所に入所、昭和二〇(一九四五)年四月、外泊先の岐阜県から退所願いを出し、福井県大野郡石徹白村で終戦を迎えている。翌年、詩誌『新詩派』『純粋詩』に参加、昭和二二(一九四七)年、第二次『荒地』を創刊した。同年に発表された本詩「死んだ男」は戦後詩の出発点と称されている。昭和二六(一九五一)年には田村隆一・黒田三郎らを同人とし、年間アンソロジー『荒地詩集』を創刊、戦後現代詩を作品と詩論の両面にわたってリードする地位を決定的なものとした。詩作品の他にも多くの翻訳・詩論・評論・随筆がある。平凡社「マイペディア」及びウィキの「鮎川信夫を参考にした)。

 

【鮎川信夫「死んだ男」 藪野直史 授業ノート】

 

●第一連

◆「遺言執行人」=作者=死んだ友人M(に代表される戦死(第三連)していった人々)の代わりに生きる《役目》を与えられてしまった「ぼく」

◎《戦後》という時代を《遺言執行人》として生きることを自らに課した詩人の登場

★何故「遺言執行人」なのか?

*「遺言執行人」は「遺言配達人」でも「遺言告知人」でもないことに気づかせる。果敢に「執行」するのである。

《モノクロームのサスペンス映画のオープニングのように「遺言執行人」のシルエットが見え始める印象的な映像的処理》

 

●第二連

・回想~戦前

◆「遠い昨日」=(第三連)つい「昨日」であったにも拘わらず「遠い昨日」である「短かかった黄金時代」=(第四連)しかし、同時にある意味では戦後の「今日」に、飴のように延びきって続いてしまっている「昨日」でもある

・「ゆがんだ顔をもてあます(こと)」

┃ 並列(等価)

・「手紙の封筒を裏返すようなこと」

◎ニヒリズム(虚無主義)を気取った文学青年の知的で、アンニュイ(倦怠)に満ちたデカダン(退廃的)な雰囲気の醸成

《心内の映像もカメラをやや傾かせて撮るのがよい》

☆「手紙の封筒を裏返すようなこと」とは何か?

*実際の封筒(横開きの開口部が大きいものを使用)を何人かの生徒に渡し、自由にやらせてみる。《実演させる》

*ただ封筒の裏(裏書き部)返す生徒には、その意味を聴き、それが「ゆがんだ顔をもてあます(こと)」と同属性を持つ意味を聴く(経験的には「住所・名前を見るため」「その手紙の内容が恋人からの最後の手紙であるから」「知人の訃報」等。但し、私が正答と考えるそれを躊躇なく行う生徒もいる)。

・「手紙の封筒を裏返すようなこと」の「ようなこと」とは、それが、普通でないことであり、尋常でない「ような」ヘンな「こと」なのではないか?

   ↓ とすれば

・ただ封筒を表から裏に「裏返す」ことではないのではないか?

   ↓ とすれば答えは一つ

袋状の封筒の内側を外側にひっくり返す、反転させること

   ↓ さればこその

「実際は、影も、形もない?」(Mの台詞)

=現実や人間社会なんて、内も外もない「空っぽ」なもの

=存在自体の空虚さ

=アンニュイでデカダンなニヒリスティクな〈当時の〉雰囲気

   ↓ しかしそれは、「今」に響き合う

・「――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった」~現在への意識転換

   ↓

『「死にそこなっ」た〈戦後〉の自分のこの空虚感の予言だったのだ』という認識

 

●第三連

◆「昨日のひややかな青空」~Mと共にあった作者の思い出の象徴的イメージ

 クールな(存在の空虚さを孕んだ)詩的な感覚世界

 (その頃からぼくらの心情はいつだって感傷的な)「秋だった」(第四連)

*「剃刀の刃」から連想する語句を生徒に挙げさせ、その属性を記す。例えば、

「自殺」~デカダンな議論にしばしば登場

「鋭い」~詩人の持ちがちな「反」社会性・「非」社会性。人生そのものへの批判的な「抉るような」「鋭敏な」感覚

「傷つける・切り裂く」~自己の或いは人の心を

「危険」~無謀な感性

    ↓

 《青春の属性》

◎「活字の置き換え」

 ~戦前のモダニズム・ダダイズム風の詩的実験や制作上の試み

*西脇順三郎・北園克衛・高橋新吉・萩原恭次郎等の作例を示す。

◎「神様ごっこ」

 ~詩人としてミューズから霊感を受けたような天才気取りの競い合い

《詩的絶対者然とした者たちの果てしない議論のシークエンス》

    ↓ それが

★「僕たちの古い処方箋だった」

『一時の気休めとして用意(処方)された、前時代的な効き目のない古くさい慰戯に過ぎなかったんだよ。』(これはMの亡霊の台詞か?)

☆「ぼく」が「M」を「見失ってしまった」のはなぜか?

①(彼らの過去時制で考えると)時代(ファシズム・戦争への傾斜)の渦へと巻き込まれて行き、その中で自分さえも見失ってしまったからか?

②(詩作時の現時制で考えると)現在(戦後)の作者の意識の中で、Mの存在が同一化してしまっているからか?

*私は②でとる。そうすることで、この詩は真に〈話者の重層化〉(話し手が、Mでもあり、作者でもある)が行われ、「遺言執行人」としての「ぼく」の存在も同時に明確となるからである。

 

●第四連

◆「いつも季節は秋だった」

 Mや「ぼく」の青春期を覆う時代の色調

   ↓

 決定的にうそ寒く、淋しく、暗い。

   ↓ しかも

 戦前・戦中(「黒い鉛の道」)の「昨日も」、戦後の「今日も」(変わりはしない)

*この詩句は直ちにヴェルレーヌの「秋の歌」の詩を想起させ、当該詩篇の冒頭にはランボーの詩篇の一部が引かれており、彼らの悲劇的な同性愛関係とその決裂を考え合わせると、Mと「ぼく」との間に同性愛的な意識関係があったと仮定することは無理がないと考えている。

・「淋しさの中を落葉がふる」(Mの詩篇か? 作者のそれか? はたまた彼らの意識の中の共通したヴェルレーヌでありランボーでもあるような寂しいミューズか?)

   ↓ 衰滅を比喩する「秋」

◆戦争と絶望と死、そして戦後という荒れ果てた地(現実+精神)への道は永久に「淋しさの中を落葉がふる」「道」であった

《この連は一見すると最もリアリスティクな二人の町を行く映像が相応しい》

 

●第五連

◆戦没死したMの埋葬=「ぼく」の想像の中の心象風景《イメージ・フィルム》

・「憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった」=全否定で表現された絶対の沈黙・絶対の孤独=感情という中途半端なものが、一切、かき消えた無感動・無表情~虚無感

・「空に向かって」あげられたMの視線

 ~ここでは『戦争において死にそこなったもののすべては、はっきりとみつめかえされて』いる(長田弘評)

★「さよなら、太陽も海も信ずるにたりない」

「太陽」~人間の儚い「希望」?

「海」~生命の根源としての無限の包容力をもった広大無辺とされる「愛」のようなもの?

   ↓

  全否定

  ↓

 現実への深い懐疑・絶対の強烈な絶望

*この言葉はMのみのものか?

 「遺言執行人」としての「ぼく」の言葉でもあることは言を俟たぬ

★「Mの傷口」が作者の「胸の」傷口でもあるとすれば?(Mと作者との一体化からそう考えるのが自然)

 過去(主に第二連以降)~死者「M」に代表される者の思い(胸の傷=心傷(トラウマ))

    ↓ が直ちに

 現在(主に第一連)~生き残った自分に代表される者の思い

    ↓ であるとすれば、それはやはり直ちに

 未来へと投げかけられる

    ↓ 命題であり、だからこそ「ぼく」=「M」は言う

「これがすべての始まりである。」

 

*本詩篇全体を包んでいる徹底した陰鬱な気分は、戦争体験者の、回復し難い「生の意識」の喪失感と、戦後の虚構に満ちた〈平和〉社会への違和感・拒絶感の表明でもあろう。

 

【二〇一八年九月二十六日附記】

 授業(私が最初にこれを授業したのは一九八〇年の柏陽高校の三年生に対してで、その後、最低でも二回はやったと記憶する。暗く難解だという理由で、教科書の載っていても、やらない国語教師は多かった。国語教師は現代詩の授業を苦手とする者が実は非常に多い。現代詩好きの国語教師であればあるほど、逆にやらない傾向さえある。感性重視派のそうした現代詩を偏愛する人々ほど、普遍的な解釈や分析を生理的に甚だ嫌うからである)では意識的に「M」が誰であるかを語らなかった。それは本詩篇を生徒が個人的な感傷に還元して処理してしまうことを避けたいと思ったからである。

 この「M」は鮎川信夫の親友で詩人の森川義信である。大正七(一九一八)年十月十一日に香川県三豊郡栗井村本庄で生まれ、香川県立三豊中学時代に「鈴しのぶ」のペン・ネームで文芸投稿誌『若草』(宝文館発行)や西條八十主宰の詩誌『臘人形』(両誌は後に詩誌『詩研究』に統合された)に投稿、早稲田第二高等学院英文科に入学(十四年十二月中退)した昭和一二(一九三七)年に中桐雅夫の編集していた『LUNA』に参加して筆名を「山川章」と改名、中桐・鮎川信夫を知り、昭和十四年には鮎川の主宰した第一次『荒地』に参加したが、昭和一六(一九四一)年四月に丸亀歩兵連隊に入隊、翌昭和一七(一九四二)年八月十三日、ビルマのミートキーナで戦病死した。享年二十五、未だ満二十三歳であった。

 私の古い電子化に森川義信詩集 ちゃ版」(二〇〇五年一月七日公開。底本は昭和五二(一九七七)年国文社刊の鮎川信夫編「森川義信詩集」)があり、青空文庫」現在二十四詩篇公開てい

 鮎川の本詩篇「死んだ男」は、実はそれら、森川の詩篇を読むことで、森川の詩想を確信犯で裏打ちした作品であることが判る。例えば、彼の(引用は私の上記詩集から。但し、今回、森川が敗戦前に亡くなっていることから、現在の私のポリシーに従い、恣意的に漢字を概ね正字化して示した)「衢路」(「くろ」。「岐(わか)れ道」の意)、

   *

 

 衢路

 

友よ覺えてゐるだらうか

靑いネクタイを輕く卷いた船乘りのやうに

さんざめく街をさまよふた夜の事を――

鳩羽色のペンキの香りがかつたね

二人は オレンジの波に搖られたね

お前も少女のやうに胸が痛かつたんだろ?

友よ あの夜の街は新しい連絡船だつたよ

窓といふ窓の灯がパリーより美しかつたのを

昨日の虹のやうに ぼくは思ひ出せるんだ

それから又 お前の掌と 言葉と 瞳とが

ブランデーのやうにあたたかく燃えた事も

友よ お前は知らないだろ?

ぼくが重い足を宿命のやうに引きづつて

今日も昨日のやうに街の夜をうなだれて

猶太人のやうにほつつき步いてゐる事を

だが かげのやうに冷たい霧を額に感じて

ぼくははつと街角に立ち止つて終ふのだ

そしてぼくが自分の胸近く聞いたものは

かぐはしい昨日の唄聲ではなかつたのだ

ああ それは――昨日の窓から溢れるものは

踏みにじられた花束の惡臭だつたのだ

やがて霧は深くぼくの肋骨を埋めて終ふ

ぼくは灰色の衢路にぢつと佇んだまま

小鳥のやうに 昨日の唄を呼ばうとする

いや一所懸命で明日の唄をさがさうとする

ボードレエルよ ボードレエルよ と

ああ 力の限りぼくの心は手をふるのだつたが

――又仕方なく昏迷の中を一人步かうとする

 

   *

のシチュエーションや全体のダルな雰囲気(十六行目の「かげ」及び十七行目の太字「はつ」は底本では「丶」点)、或いは、「衢にて」(「ちまたにて」と訓じておく。意味は先の「衢路」に同じい。全体の雰囲気からはより広義の「街路」「街中」でもよいと思う)、

   *

 

 衢にて

 

翳に埋れ

翳に支へられ

その階段はどこへ果ててゐるのか

はかなさに立ちあがり

いくたび踏んでみたことだらう

ものいはず濡れた肩や

失はれたいのちの群をこえ

けんめいに

あふれる時間をたどりたかつた

あてもない步みの

遲速のままに

どぶどろの秩序をすぎ

もはや

美しいままに欺かれ

うつくしいままに奪はれてゐた

しかし最後の

膝に耐え

こみあげる背をふせ

はげしく若さをうちくだいて

未完の忘却のなかから

なほ

何かを信じようとしてゐた

 

   *

の冒頭部、或いは、森川の代表作の一篇である「勾配」、

   *

 

 勾配

 

非望のきはみ

非望のいのち

はげしく一つのものに向つて

誰がこの階段をおりていつたか

時空をこえて屹立する地平をのぞんで

そこに立てば

かきむしるやうに悲風はつんざき

季節はすでに終りであつた

たかだかと欲望の精神に

はたして時は

噴水や花を象眼し

光彩の地平をもちあげたか

淸純なものばかりを打ちくだいて

なにゆえにここまで來たのか

だがきみよ

きびしく勾配に根をささへ

ふとした流れの凹みから雜草のかげから

いくつもの道ははじまつてゐるのだ

 

   *

は、既にして詩篇全体が、本「死んだ男」との激しい親和性を持っていることが判る(「ゆえ」はママ)。

 但し、これはインスパイアなどという、なまっちょろいものでは決して、ない。

 元に戻り給え、本「死んだ男」は既にして詩人鮎川信夫と詩人にして盟友の森川義信のハイブリッドな産物なのであるから――
 
 

2018/09/24

醜奴兒 書博山道中壁   辛棄疾

 
 醜奴兒 書博山道中壁   辛棄疾
 
少年不識愁滋味
愛上層樓
愛上層樓
爲賦新詞强説愁
 
而今識盡愁滋味
欲説還休
欲説還休
却道天涼好個秋

  
  醜奴兒(しうぬじ)
 
    博山道中の壁に書(しよ)す   辛棄疾(しんきしつ)
 
 少年は識らず 愁ひの滋味を
 愛(この)みて層樓に上る
 愛みて層樓に上り
 新詞を賦するに强(しひ)て愁ひを説(い)ふ
 
 而今(じこん) 識り盡くす 愁ひの滋味を
 説(い)はむと欲して還(ま)た休(や)む
 説はむと欲して還た休め
 却つて道(い)ふ 天涼しくして好き秋なり と
 
 
   醜奴兒

     博山への道中の壁に書(しる)す   辛棄疾
 
  少年の頃は知らなかった 本当の悲しみの味なんてもんは
  好んで高いところに登ったもんさ
  好きで高いところに登ったもんさ
  そうして 新しい唄を詠もうと わざわざ「哀しみ」を詠じたもんさ
 
  でも もう今は 哀しみはいやになるほど知っちまった
  何か語りたいとも思うけど 止める
  訴えたいと思うけど いや 止める
  そうして 寧ろ 言おう 「天は涼やかで、なんと、いい秋なんだろう」って……

   *
 
・辛棄疾(一一四〇年~一二〇七年)は金・南宋の政治家で詩人。
 

2018/06/13

好きなものは

 

好きな単
-語(もの) Schema(シェーマ)Trauma(トウラマ) raison d'etre(レゾン・デトール)

  

好きな発-音(もの) 心象 puer eternus(プエル・エテルヌス)


 

2018/04/22

寧日 山口芳光 (思惟的変更テクスト)

 
母、吾が爲に
  
鼠の子蟲籠に入れて與へぬ
 
病間の徒然なる
 
吾指もて小づき戲れ
 
心明るう時を經にけり。
 
あはれ鼠の子まこと子なれば
 
耳朶桃色に 血管(ちすぢ)の脈打つも生物(いきもの)らしく
 
今は前肢を捧げ餌食みゐるも﨟たけし。
 
やがて夕べの風出でぬ――時を經ぬ間に
 
何時か牛乳(ちち)の時間となりぬれば
 
吾鼠の事も忘れ
 
靑葉繁れる窓に
 
牛乳(ちち)を飮みゐたり。
  
 
 
[やぶちゃん注:本日、「青空文庫」公開分の一篇である同詩篇を恣意的に漢字を正字化し、原文の「耳孕」を「耳朶」に訂して示した。]

2018/03/24

我が中国を愛する友へ――

 

歸去來辭 陶淵明
 
   
余家貧 耕植不足以自給 幼稚盈室 缾無儲粟 生生所資 未見其術 親故多勸余爲長吏 脱然有懷 求之靡途 會有四方之事 諸侯以惠愛爲德 家叔以余貧苦 逐見用于小邑 于時風波未靜 心憚遠役 彭澤去家百里 公田之利 足以爲酒 故便求之 及少日 眷然有歸歟之情 何則 質性自然 非矯勵所得 饑凍雖切 違己交病 嘗從人事 皆口腹自役 於是悵然慷慨 深愧平生之志 猶望一稔 當斂裳宵逝 尋程氏妹喪于武昌 情在駿奔 自免去職 仲秋至冬 在官八十餘日 因事順心 命篇曰 歸去來兮 乙巳歳十一月也
 
歸去來兮
田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役
奚惆悵而獨悲
悟已往之不諫
知來者之可追
實迷途其未遠
覺今是而昨非
 
舟遙遙以輕颺
風飄飄而吹衣
問征夫以前路
恨晨光之熹微
 
乃瞻衡宇
載欣載奔
僮僕歡迎
稚子候門
三逕就荒
松菊猶存
攜幼入室
有酒盈樽
 
引壺觴以自酌
眄庭柯以怡顏
倚南窗以寄傲
審容膝之易安
園日涉以成趣
門雖設而常關
策扶老以流憩
時矯首而游觀
雲無心以出岫
鳥倦飛而知還
景翳翳以將入
撫孤松而盤桓
 
歸去來兮
請息交以絶遊
世與我而相遺
復駕言兮焉求
悅親戚之情話
樂琴書以消憂
 
農人告余以春及
將有事於西疇
或命巾車
或棹孤舟
既窈窕以尋壑
亦崎嶇而經丘
木欣欣以向榮
泉涓涓而始流
善萬物之得時
感吾生之行休
 
已矣乎
寓形宇内復幾時
曷不委心任去留
胡爲乎遑遑欲何之
 
富貴非吾願
帝鄕不可期
 
懷良辰以孤往
或植杖而耘耔
登東皋以舒嘯
臨淸流而賦詩
 
聊乘化以歸盡
樂夫天命復奚疑
 
 

2018/03/09

雪夜   三好達治  (三篇)

 
 
   雪夜 一 
 
雪はふる 雪はふる 聲もなくふる雪は 私の窗の半ばを埋める
私の胸を波だてた それらの希望はどこへ行つたか ――また今宵
それらの思出もとび去りゆく 夜空のかぎり 雪はふる 雪はふる
雪は思出のやうにふる 雪は思出のやうにふる また忘却のやうにもふる
 
 
   雪夜 二
 
思出 思出 いつまでも心に住むと 誓ひをたてた思出
その思出も年をふれば 塵となる 煙となる ああその
かの裏切りの片見なら 捉へがたない思出の 性も是非ない
行くがいい 行くがいい 私を殘して 歸る日もなく行くがいい 思出よ
 
 
   雪夜 三
 
 
夜更けて 油の盡きた暗いランプ 低い焔 煤けた笠
既に私の生涯も 剩すところはもうわづか ああ今しばし
ものを思はう 今しばし 私の仕事に精を出さう
やがて睡りの時がくる 悲しみもなく 私の眠る時がくる
 
 
 
 
[やぶちゃん注:本日、「青空文庫」で各篇分立で示されたものをカップリングした。ネット上の「三好達治全集」の第一巻目次によって『「山果集」拾遺』に三篇で纏まって収録されていることが判ったので、以上のように示した。因みに「山果集」は昭和一〇(一九三五)年十一月四季社刊で、梶井基次郎の墓前に捧げられた詩集である。]

2018/01/07

手の上にかなしく消ゆる螢かな   去來

   いもうとの追善に

 手の上にかなしく消ゆる螢かな   去來




2018/01/01

南郷(みなんご)庵夢幻



    南郷庵夢幻
 
 障子に指で穴空けて靑空を拜む    唯至




 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Art Caspar David Friedrich Miscellaneous Иван Сергеевич Тургенев 「プルートゥ」 「一言芳談」【完】 「今昔物語集」を読む 「北條九代記」【完】 「宗祇諸國物語」 附やぶちゃん注【完】 「新編鎌倉志」【完】 「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳【完】 「明恵上人夢記」 「栂尾明恵上人伝記」【完】 「澄江堂遺珠」という夢魔 「無門關」【完】 「生物學講話」丘淺次郎【完】 「甲子夜話」 「第一版新迷怪国語辞典」 「耳嚢」【完】 「諸國百物語」 附やぶちゃん注【完】 「進化論講話」丘淺次郎【完】 「鎌倉攬勝考」【完】 「鎌倉日記」(德川光圀歴覽記)【完】 「鬼城句集」【完】 アルバム ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」【完】  ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 中原中也詩集「在りし日の歌」(正規表現復元版)【完】 中島敦 中島敦漢詩全集 附やぶちゃん+T.S.君共評釈 人見必大「本朝食鑑」より水族の部 伊東静雄 伊良子清白 佐藤春夫 八木重吉「秋の瞳」【完】 北原白秋 十返舎一九「箱根山七温泉江之島鎌倉廻 金草鞋」第二十三編【完】 南方熊楠 博物学 原民喜 和漢三才図会巻第三十九 鼠類 和漢三才図会巻第三十八 獣類【完】 和漢三才圖會 禽類【完】 和漢三才圖會 蟲類【完】 和漢三才圖會卷第三十七 畜類【完】 国木田独歩 土岐仲男 堀辰雄 増田晃 夏目漱石「こゝろ」 夢野久作 大手拓次詩集「藍色の蟇」【完】 宇野浩二「芥川龍之介」【完】 宮澤賢治 富永太郎 小泉八雲 尾形亀之助 山之口貘 山本幡男 山村暮鳥全詩【完】 忘れ得ぬ人々 怪奇談集 映画 杉田久女 村上昭夫 村山槐多 松尾芭蕉 柳田國男 柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」 柴田宵曲 栗本丹洲 梅崎春生 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】 梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】 橋本多佳子 武蔵石寿「目八譜」 毛利梅園「梅園介譜」 毛利梅園「梅園魚譜」 江戸川乱歩 孤島の鬼【完】 沢庵宗彭「鎌倉巡礼記」【完】 津村淙庵「譚海」 海岸動物 火野葦平「河童曼陀羅」【完】 片山廣子 生田春月 由比北洲股旅帖 畑耕一句集「蜘蛛うごく」【完】 畔田翠山「水族志」 神田玄泉「日東魚譜」 立原道造 篠原鳳作 肉体と心そして死 芥川多加志 芥川龍之介 芥川龍之介 手帳【完】 芥川龍之介「上海游記」【完】 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)【完】 芥川龍之介「北京日記抄」【完】 芥川龍之介「江南游記」【完】 芥川龍之介「河童」決定稿原稿【完】 芥川龍之介「長江游記」【完】 芥川龍之介盟友 小穴隆一 芸術・文学 萩原朔太郎 蒲原有明 藪野種雄 西東三鬼 詩歌俳諧俳句 貝原益軒「大和本草」より水族の部 野人庵史元斎夜咄 鈴木しづ子 鎌倉紀行・地誌 音楽 飯田蛇笏