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カテゴリー「詩歌俳諧俳句」の347件の記事

2018/11/19

絶望

私は、後、唯一人だけ、村上昭夫の詩を全電子化するのだけを、楽しみにして生きてきた……しかし、遂に来たるTPPの発効によって、その切なる夢は無惨に潰えることとなった……これは実に私の今年の最後の最大最悪の事件となるのだ…………

2018/09/26

鮎川信夫 「死んだ男」 附 藪野直史 授業ノート(追記附)

 
 

死んだ男   鮎川信夫

 

たとえば霧や

あらゆる階段の跫音のなかから、

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。

――これがすべての始まりである。

 

遠い昨日……

ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、

ゆがんだ顔をもてあましたり

手紙の封筒を裏返すようなことがあった。

「実際は、影も形もない?」

――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

 

Mよ、昨日のひややかな青空が

剃刀の刃にいつまでも残っているね。

だがぼくは、何時何処で

きみを見失ったのか忘れてしまったよ。

短かかった黄金時代――

活字の置き換えや神様ごっこ――

「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

 

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、

「淋しさの中に落葉がふる」

その声は人影へ、そして街へ、

黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

 

埋葬の日は、言葉もなく

立会う者もなかった。

憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。

空にむかって眼をあげ

きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。

「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」

Mよ、地下に眠るMよ、

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

   *

「鮎川信夫詩集」(昭和三〇(一九五五)年荒地出版社刊)より。

鮎川信夫(大正九(一九二〇)年~昭和六一(一九八六)年)本名は上村隆一。東京生まれ。早稲田大学英文科中退。昭和一二(一九三七)年、中桐雅夫編集の詩誌『LUNA』、翌年には村野四郎らの『新領土』に参加、昭和一四(一九三九)年森川義信らと詩誌『荒地』を創刊した。諸和一七(一九四二)年十月に青山の近衛歩兵第四連隊に入隊、翌年、スマトラに出征したが、マラリアや結核を発症、昭和十九年五月、傷病兵となって送還され、福井県の傷痍軍人療養所に入所、昭和二〇(一九四五)年四月、外泊先の岐阜県から退所願いを出し、福井県大野郡石徹白村で終戦を迎えている。翌年、詩誌『新詩派』『純粋詩』に参加、昭和二二(一九四七)年、第二次『荒地』を創刊した。同年に発表された本詩「死んだ男」は戦後詩の出発点と称されている。昭和二六(一九五一)年には田村隆一・黒田三郎らを同人とし、年間アンソロジー『荒地詩集』を創刊、戦後現代詩を作品と詩論の両面にわたってリードする地位を決定的なものとした。詩作品の他にも多くの翻訳・詩論・評論・随筆がある。平凡社「マイペディア」及びウィキの「鮎川信夫を参考にした)。

 

【鮎川信夫「死んだ男」 藪野直史 授業ノート】

 

●第一連

◆「遺言執行人」=作者=死んだ友人M(に代表される戦死(第三連)していった人々)の代わりに生きる《役目》を与えられてしまった「ぼく」

◎《戦後》という時代を《遺言執行人》として生きることを自らに課した詩人の登場

★何故「遺言執行人」なのか?

*「遺言執行人」は「遺言配達人」でも「遺言告知人」でもないことに気づかせる。果敢に「執行」するのである。

《モノクロームのサスペンス映画のオープニングのように「遺言執行人」のシルエットが見え始める印象的な映像的処理》

 

●第二連

・回想~戦前

◆「遠い昨日」=(第三連)つい「昨日」であったにも拘わらず「遠い昨日」である「短かかった黄金時代」=(第四連)しかし、同時にある意味では戦後の「今日」に、飴のように延びきって続いてしまっている「昨日」でもある

・「ゆがんだ顔をもてあます(こと)」

┃ 並列(等価)

・「手紙の封筒を裏返すようなこと」

◎ニヒリズム(虚無主義)を気取った文学青年の知的で、アンニュイ(倦怠)に満ちたデカダン(退廃的)な雰囲気の醸成

《心内の映像もカメラをやや傾かせて撮るのがよい》

☆「手紙の封筒を裏返すようなこと」とは何か?

*実際の封筒(横開きの開口部が大きいものを使用)を何人かの生徒に渡し、自由にやらせてみる。《実演させる》

*ただ封筒の裏(裏書き部)返す生徒には、その意味を聴き、それが「ゆがんだ顔をもてあます(こと)」と同属性を持つ意味を聴く(経験的には「住所・名前を見るため」「その手紙の内容が恋人からの最後の手紙であるから」「知人の訃報」等。但し、私が正答と考えるそれを躊躇なく行う生徒もいる)。

・「手紙の封筒を裏返すようなこと」の「ようなこと」とは、それが、普通でないことであり、尋常でない「ような」ヘンな「こと」なのではないか?

   ↓ とすれば

・ただ封筒を表から裏に「裏返す」ことではないのではないか?

   ↓ とすれば答えは一つ

袋状の封筒の内側を外側にひっくり返す、反転させること

   ↓ さればこその

「実際は、影も、形もない?」(Mの台詞)

=現実や人間社会なんて、内も外もない「空っぽ」なもの

=存在自体の空虚さ

=アンニュイでデカダンなニヒリスティクな〈当時の〉雰囲気

   ↓ しかしそれは、「今」に響き合う

・「――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった」~現在への意識転換

   ↓

『「死にそこなっ」た〈戦後〉の自分のこの空虚感の予言だったのだ』という認識

 

●第三連

◆「昨日のひややかな青空」~Mと共にあった作者の思い出の象徴的イメージ

 クールな(存在の空虚さを孕んだ)詩的な感覚世界

 (その頃からぼくらの心情はいつだって感傷的な)「秋だった」(第四連)

*「剃刀の刃」から連想する語句を生徒に挙げさせ、その属性を記す。例えば、

「自殺」~デカダンな議論にしばしば登場

「鋭い」~詩人の持ちがちな「反」社会性・「非」社会性。人生そのものへの批判的な「抉るような」「鋭敏な」感覚

「傷つける・切り裂く」~自己の或いは人の心を

「危険」~無謀な感性

    ↓

 《青春の属性》

◎「活字の置き換え」

 ~戦前のモダニズム・ダダイズム風の詩的実験や制作上の試み

*西脇順三郎・北園克衛・高橋新吉・萩原恭次郎等の作例を示す。

◎「神様ごっこ」

 ~詩人としてミューズから霊感を受けたような天才気取りの競い合い

《詩的絶対者然とした者たちの果てしない議論のシークエンス》

    ↓ それが

★「僕たちの古い処方箋だった」

『一時の気休めとして用意(処方)された、前時代的な効き目のない古くさい慰戯に過ぎなかったんだよ。』(これはMの亡霊の台詞か?)

☆「ぼく」が「M」を「見失ってしまった」のはなぜか?

①(彼らの過去時制で考えると)時代(ファシズム・戦争への傾斜)の渦へと巻き込まれて行き、その中で自分さえも見失ってしまったからか?

②(詩作時の現時制で考えると)現在(戦後)の作者の意識の中で、Mの存在が同一化してしまっているからか?

*私は②でとる。そうすることで、この詩は真に〈話者の重層化〉(話し手が、Mでもあり、作者でもある)が行われ、「遺言執行人」としての「ぼく」の存在も同時に明確となるからである。

 

●第四連

◆「いつも季節は秋だった」

 Mや「ぼく」の青春期を覆う時代の色調

   ↓

 決定的にうそ寒く、淋しく、暗い。

   ↓ しかも

 戦前・戦中(「黒い鉛の道」)の「昨日も」、戦後の「今日も」(変わりはしない)

*この詩句は直ちにヴェルレーヌの「秋の歌」の詩を想起させ、当該詩篇の冒頭にはランボーの詩篇の一部が引かれており、彼らの悲劇的な同性愛関係とその決裂を考え合わせると、Mと「ぼく」との間に同性愛的な意識関係があったと仮定することは無理がないと考えている。

・「淋しさの中を落葉がふる」(Mの詩篇か? 作者のそれか? はたまた彼らの意識の中の共通したヴェルレーヌでありランボーでもあるような寂しいミューズか?)

   ↓ 衰滅を比喩する「秋」

◆戦争と絶望と死、そして戦後という荒れ果てた地(現実+精神)への道は永久に「淋しさの中を落葉がふる」「道」であった

《この連は一見すると最もリアリスティクな二人の町を行く映像が相応しい》

 

●第五連

◆戦没死したMの埋葬=「ぼく」の想像の中の心象風景《イメージ・フィルム》

・「憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった」=全否定で表現された絶対の沈黙・絶対の孤独=感情という中途半端なものが、一切、かき消えた無感動・無表情~虚無感

・「空に向かって」あげられたMの視線

 ~ここでは『戦争において死にそこなったもののすべては、はっきりとみつめかえされて』いる(長田弘評)

★「さよなら、太陽も海も信ずるにたりない」

「太陽」~人間の儚い「希望」?

「海」~生命の根源としての無限の包容力をもった広大無辺とされる「愛」のようなもの?

   ↓

  全否定

  ↓

 現実への深い懐疑・絶対の強烈な絶望

*この言葉はMのみのものか?

 「遺言執行人」としての「ぼく」の言葉でもあることは言を俟たぬ

★「Mの傷口」が作者の「胸の」傷口でもあるとすれば?(Mと作者との一体化からそう考えるのが自然)

 過去(主に第二連以降)~死者「M」に代表される者の思い(胸の傷=心傷(トラウマ))

    ↓ が直ちに

 現在(主に第一連)~生き残った自分に代表される者の思い

    ↓ であるとすれば、それはやはり直ちに

 未来へと投げかけられる

    ↓ 命題であり、だからこそ「ぼく」=「M」は言う

「これがすべての始まりである。」

 

*本詩篇全体を包んでいる徹底した陰鬱な気分は、戦争体験者の、回復し難い「生の意識」の喪失感と、戦後の虚構に満ちた〈平和〉社会への違和感・拒絶感の表明でもあろう。

 

【二〇一八年九月二十六日附記】

 授業(私が最初にこれを授業したのは一九八〇年の柏陽高校の三年生に対してで、その後、最低でも二回はやったと記憶する。暗く難解だという理由で、教科書の載っていても、やらない国語教師は多かった。国語教師は現代詩の授業を苦手とする者が実は非常に多い。現代詩好きの国語教師であればあるほど、逆にやらない傾向さえある。感性重視派のそうした現代詩を偏愛する人々ほど、普遍的な解釈や分析を生理的に甚だ嫌うからである)では意識的に「M」が誰であるかを語らなかった。それは本詩篇を生徒が個人的な感傷に還元して処理してしまうことを避けたいと思ったからである。

 この「M」は鮎川信夫の親友で詩人の森川義信である。大正七(一九一八)年十月十一日に香川県三豊郡栗井村本庄で生まれ、香川県立三豊中学時代に「鈴しのぶ」のペン・ネームで文芸投稿誌『若草』(宝文館発行)や西條八十主宰の詩誌『臘人形』(両誌は後に詩誌『詩研究』に統合された)に投稿、早稲田第二高等学院英文科に入学(十四年十二月中退)した昭和一二(一九三七)年に中桐雅夫の編集していた『LUNA』に参加して筆名を「山川章」と改名、中桐・鮎川信夫を知り、昭和十四年には鮎川の主宰した第一次『荒地』に参加したが、昭和一六(一九四一)年四月に丸亀歩兵連隊に入隊、翌昭和一七(一九四二)年八月十三日、ビルマのミートキーナで戦病死した。享年二十五、未だ満二十三歳であった。

 私の古い電子化に森川義信詩集 ちゃ版」(二〇〇五年一月七日公開。底本は昭和五二(一九七七)年国文社刊の鮎川信夫編「森川義信詩集」)があり、青空文庫」現在二十四詩篇公開てい

 鮎川の本詩篇「死んだ男」は、実はそれら、森川の詩篇を読むことで、森川の詩想を確信犯で裏打ちした作品であることが判る。例えば、彼の(引用は私の上記詩集から。但し、今回、森川が敗戦前に亡くなっていることから、現在の私のポリシーに従い、恣意的に漢字を概ね正字化して示した)「衢路」(「くろ」。「岐(わか)れ道」の意)、

   *

 

 衢路

 

友よ覺えてゐるだらうか

靑いネクタイを輕く卷いた船乘りのやうに

さんざめく街をさまよふた夜の事を――

鳩羽色のペンキの香りがかつたね

二人は オレンジの波に搖られたね

お前も少女のやうに胸が痛かつたんだろ?

友よ あの夜の街は新しい連絡船だつたよ

窓といふ窓の灯がパリーより美しかつたのを

昨日の虹のやうに ぼくは思ひ出せるんだ

それから又 お前の掌と 言葉と 瞳とが

ブランデーのやうにあたたかく燃えた事も

友よ お前は知らないだろ?

ぼくが重い足を宿命のやうに引きづつて

今日も昨日のやうに街の夜をうなだれて

猶太人のやうにほつつき步いてゐる事を

だが かげのやうに冷たい霧を額に感じて

ぼくははつと街角に立ち止つて終ふのだ

そしてぼくが自分の胸近く聞いたものは

かぐはしい昨日の唄聲ではなかつたのだ

ああ それは――昨日の窓から溢れるものは

踏みにじられた花束の惡臭だつたのだ

やがて霧は深くぼくの肋骨を埋めて終ふ

ぼくは灰色の衢路にぢつと佇んだまま

小鳥のやうに 昨日の唄を呼ばうとする

いや一所懸命で明日の唄をさがさうとする

ボードレエルよ ボードレエルよ と

ああ 力の限りぼくの心は手をふるのだつたが

――又仕方なく昏迷の中を一人步かうとする

 

   *

のシチュエーションや全体のダルな雰囲気(十六行目の「かげ」及び十七行目の太字「はつ」は底本では「丶」点)、或いは、「衢にて」(「ちまたにて」と訓じておく。意味は先の「衢路」に同じい。全体の雰囲気からはより広義の「街路」「街中」でもよいと思う)、

   *

 

 衢にて

 

翳に埋れ

翳に支へられ

その階段はどこへ果ててゐるのか

はかなさに立ちあがり

いくたび踏んでみたことだらう

ものいはず濡れた肩や

失はれたいのちの群をこえ

けんめいに

あふれる時間をたどりたかつた

あてもない步みの

遲速のままに

どぶどろの秩序をすぎ

もはや

美しいままに欺かれ

うつくしいままに奪はれてゐた

しかし最後の

膝に耐え

こみあげる背をふせ

はげしく若さをうちくだいて

未完の忘却のなかから

なほ

何かを信じようとしてゐた

 

   *

の冒頭部、或いは、森川の代表作の一篇である「勾配」、

   *

 

 勾配

 

非望のきはみ

非望のいのち

はげしく一つのものに向つて

誰がこの階段をおりていつたか

時空をこえて屹立する地平をのぞんで

そこに立てば

かきむしるやうに悲風はつんざき

季節はすでに終りであつた

たかだかと欲望の精神に

はたして時は

噴水や花を象眼し

光彩の地平をもちあげたか

淸純なものばかりを打ちくだいて

なにゆえにここまで來たのか

だがきみよ

きびしく勾配に根をささへ

ふとした流れの凹みから雜草のかげから

いくつもの道ははじまつてゐるのだ

 

   *

は、既にして詩篇全体が、本「死んだ男」との激しい親和性を持っていることが判る(「ゆえ」はママ)。

 但し、これはインスパイアなどという、なまっちょろいものでは決して、ない。

 元に戻り給え、本「死んだ男」は既にして詩人鮎川信夫と詩人にして盟友の森川義信のハイブリッドな産物なのであるから――
 
 

2018/09/24

醜奴兒 書博山道中壁   辛棄疾

 
 醜奴兒 書博山道中壁   辛棄疾
 
少年不識愁滋味
愛上層樓
愛上層樓
爲賦新詞强説愁
 
而今識盡愁滋味
欲説還休
欲説還休
却道天涼好個秋

  
  醜奴兒(しうぬじ)
 
    博山道中の壁に書(しよ)す   辛棄疾(しんきしつ)
 
 少年は識らず 愁ひの滋味を
 愛(この)みて層樓に上る
 愛みて層樓に上り
 新詞を賦するに强(しひ)て愁ひを説(い)ふ
 
 而今(じこん) 識り盡くす 愁ひの滋味を
 説(い)はむと欲して還(ま)た休(や)む
 説はむと欲して還た休め
 却つて道(い)ふ 天涼しくして好き秋なり と
 
 
   醜奴兒

     博山への道中の壁に書(しる)す   辛棄疾
 
  少年の頃は知らなかった 本当の悲しみの味なんてもんは
  好んで高いところに登ったもんさ
  好きで高いところに登ったもんさ
  そうして 新しい唄を詠もうと わざわざ「哀しみ」を詠じたもんさ
 
  でも もう今は 哀しみはいやになるほど知っちまった
  何か語りたいとも思うけど 止める
  訴えたいと思うけど いや 止める
  そうして 寧ろ 言おう 「天は涼やかで、なんと、いい秋なんだろう」って……

   *
 
・辛棄疾(一一四〇年~一二〇七年)は金・南宋の政治家で詩人。
 

2018/06/13

好きなものは

 

好きな単
-語(もの) Schema(シェーマ)Trauma(トウラマ) raison d'etre(レゾン・デトール)

  

好きな発-音(もの) 心象 puer eternus(プエル・エテルヌス)


 

2018/04/22

寧日 山口芳光 (思惟的変更テクスト)

 
母、吾が爲に
  
鼠の子蟲籠に入れて與へぬ
 
病間の徒然なる
 
吾指もて小づき戲れ
 
心明るう時を經にけり。
 
あはれ鼠の子まこと子なれば
 
耳朶桃色に 血管(ちすぢ)の脈打つも生物(いきもの)らしく
 
今は前肢を捧げ餌食みゐるも﨟たけし。
 
やがて夕べの風出でぬ――時を經ぬ間に
 
何時か牛乳(ちち)の時間となりぬれば
 
吾鼠の事も忘れ
 
靑葉繁れる窓に
 
牛乳(ちち)を飮みゐたり。
  
 
 
[やぶちゃん注:本日、「青空文庫」公開分の一篇である同詩篇を恣意的に漢字を正字化し、原文の「耳孕」を「耳朶」に訂して示した。]

2018/03/24

我が中国を愛する友へ――

 

歸去來辭 陶淵明
 
   
余家貧 耕植不足以自給 幼稚盈室 缾無儲粟 生生所資 未見其術 親故多勸余爲長吏 脱然有懷 求之靡途 會有四方之事 諸侯以惠愛爲德 家叔以余貧苦 逐見用于小邑 于時風波未靜 心憚遠役 彭澤去家百里 公田之利 足以爲酒 故便求之 及少日 眷然有歸歟之情 何則 質性自然 非矯勵所得 饑凍雖切 違己交病 嘗從人事 皆口腹自役 於是悵然慷慨 深愧平生之志 猶望一稔 當斂裳宵逝 尋程氏妹喪于武昌 情在駿奔 自免去職 仲秋至冬 在官八十餘日 因事順心 命篇曰 歸去來兮 乙巳歳十一月也
 
歸去來兮
田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役
奚惆悵而獨悲
悟已往之不諫
知來者之可追
實迷途其未遠
覺今是而昨非
 
舟遙遙以輕颺
風飄飄而吹衣
問征夫以前路
恨晨光之熹微
 
乃瞻衡宇
載欣載奔
僮僕歡迎
稚子候門
三逕就荒
松菊猶存
攜幼入室
有酒盈樽
 
引壺觴以自酌
眄庭柯以怡顏
倚南窗以寄傲
審容膝之易安
園日涉以成趣
門雖設而常關
策扶老以流憩
時矯首而游觀
雲無心以出岫
鳥倦飛而知還
景翳翳以將入
撫孤松而盤桓
 
歸去來兮
請息交以絶遊
世與我而相遺
復駕言兮焉求
悅親戚之情話
樂琴書以消憂
 
農人告余以春及
將有事於西疇
或命巾車
或棹孤舟
既窈窕以尋壑
亦崎嶇而經丘
木欣欣以向榮
泉涓涓而始流
善萬物之得時
感吾生之行休
 
已矣乎
寓形宇内復幾時
曷不委心任去留
胡爲乎遑遑欲何之
 
富貴非吾願
帝鄕不可期
 
懷良辰以孤往
或植杖而耘耔
登東皋以舒嘯
臨淸流而賦詩
 
聊乘化以歸盡
樂夫天命復奚疑
 
 

2018/03/09

雪夜   三好達治  (三篇)

 
 
   雪夜 一 
 
雪はふる 雪はふる 聲もなくふる雪は 私の窗の半ばを埋める
私の胸を波だてた それらの希望はどこへ行つたか ――また今宵
それらの思出もとび去りゆく 夜空のかぎり 雪はふる 雪はふる
雪は思出のやうにふる 雪は思出のやうにふる また忘却のやうにもふる
 
 
   雪夜 二
 
思出 思出 いつまでも心に住むと 誓ひをたてた思出
その思出も年をふれば 塵となる 煙となる ああその
かの裏切りの片見なら 捉へがたない思出の 性も是非ない
行くがいい 行くがいい 私を殘して 歸る日もなく行くがいい 思出よ
 
 
   雪夜 三
 
 
夜更けて 油の盡きた暗いランプ 低い焔 煤けた笠
既に私の生涯も 剩すところはもうわづか ああ今しばし
ものを思はう 今しばし 私の仕事に精を出さう
やがて睡りの時がくる 悲しみもなく 私の眠る時がくる
 
 
 
 
[やぶちゃん注:本日、「青空文庫」で各篇分立で示されたものをカップリングした。ネット上の「三好達治全集」の第一巻目次によって『「山果集」拾遺』に三篇で纏まって収録されていることが判ったので、以上のように示した。因みに「山果集」は昭和一〇(一九三五)年十一月四季社刊で、梶井基次郎の墓前に捧げられた詩集である。]

2018/01/07

手の上にかなしく消ゆる螢かな   去來

   いもうとの追善に

 手の上にかなしく消ゆる螢かな   去來




2018/01/01

南郷(みなんご)庵夢幻



    南郷庵夢幻
 
 障子に指で穴空けて靑空を拜む    唯至




 

2017/03/06

小景異情   室生犀星




 小景異情

 

 

  その一

 

白魚はさびしや

そのくろき瞳はなんといふ

なんといふしほらしさぞよ

そとにひる餉(げ)をしたたむる

わがよそよそしさと

かなしさと

ききともなやな雀しば啼けり

 

 

  その二

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても

歸るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ淚ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや

 

 

  その三

 

銀の時計をうしなへる

こころかなしや

ちよろちよろ川の橋の上

橋にもたれて泣いてをり

 

 

  その四

 

わが靈のなかより

綠もえいで

なにごとしなけれど

懺悔の淚せきあぐる

しづかに土を掘りいでて

ざんげの淚せきあぐる

 

 

  その五

 

なににこがれて書くうたぞ

一時にひらくうめすもも

すももの蒼さ身にあびて

田舍暮しのやすらかさ

けふも母ぢやに叱られて

すもものしたに身をよせぬ

 

 

  その六

 

あんずよ

花着け

地ぞ早やに輝やけ

あんずよ花着け

あんずよ燃えよ

ああ あんずよ花着け

 

 

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