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カテゴリー「肉体と心そして死」の1000件の記事

2019/04/22

服用すべき薬物を間違える

今日になって気がついた。五日間も、一日一錠の糖尿病薬を別な薬物と間違えて、二錠も服用していてことに気が附かなかった! 何たる、ていたらく! 万死だぜ、これはよ!

世界は

世界は――追懐は当然如く「今、一度……」の惨めな浪漫主義もあろうはず無く何処かの詩人面(づら)した輩の「絶対の孤独」もあろうはずなく植木等の諧謔もない「ハイ」「ソレマデ」という民俗学用語のカタカナ表記の一般名詞化による埋没的殺戮に過ぎなかった――と――私はそう今日此の頃実感している

2019/04/17

追伸

現物標本よりも精密な模造の方が遙かに金がかかるし、技術も不可欠だ。何より、実物は厳粛であると同時に、より科学的に教育的であることは言うまでもない。言っとくぜ! 実物の標本があって「何が悪い!」と。因みに、母と俺と妻の肉体は慶応大学に献体だ。医学部志望の誰彼は俺を切刻んで学ぶのだ。俺はそこでちゃらけた奴が俺の耳を切って「壁に耳あり」とやらかしたとしても、「全然いいぜ」と言える人間なのだ――

胸糞悪い最下劣なタイプ標本とは、実人骨なんぞではなく、偉そうにして生きて人民を支配して「日本人」の代表――タイプ種然としている誰彼そのものだろう。そいつらこそ今、廃棄されるべきおぞましい対象物である。

生物室の髑髏

先日来の報道を聴きながら、思い出すことがある。私が最初に勤務した学校の(別に言っても構わないが、それが下らぬ官庁の大騒ぎになってあの校長やらが大騒ぎをすると……♪ふふふ♪……困るかも知れぬから……言わぬこととしよう)生物教官室にあった頭骨標本は、インドの女性の実物標本であった(報道ではインドから輸入された標本が多数あったとあった)。私の尊敬した甲殻類を専門で学ばれた生物教師(故人)は、その頭蓋骨の人物の名前も教えてくれた。合宿でその部屋に泊まる時は、その標本に蔽いをかけて見ないようにしていると言われておられたのを思い出す。私はそれを聴きながら、梶井基次郎の「愛撫」を思い出していたことも遠い昔に呼び返したことも(リンク先は私の古い電子テクスト)。

私は醫科の小使といふものが、解剖のあとの死體の首を土に埋めて置いて髑髏を作り、學生と祕密の取引をするといふことを聞いてゐたので、非常に嫌な氣になつた。何もそんな奴に賴まなくたつていいぢやないか。そして女といふものの、そんなことにかけての、無神經さや殘酷さを、今更のやうに憎み出した。しかしそれが外國で流行つてゐるといふことについては、自分もなにかそんなことを、婦人雜誌か新聞かで讀んでゐたやうな氣がした。――

……高等學校の……生物學教室に……印度の女性の頭蓋骨が……ある…………ああ……さても「此の世のものでない休息が傳はつて來る」ではないか…………

2019/04/10

夜行列車で……

大学4年の夏、ゼミの合宿の帰り、深夜の誰も乗っていない上越線の鈍行に渋川から乗り込み、富山方向に帰ろうとした。
誰も乗っていない――そこに三十ほどの青年が前の車両からやってきた。
山歩きの格好をしているが、何も持っていない。
「ここ空いてますか?」
と私のボックス席の向いを指差した。
当然、空いているから「はい」と答えるしかない。
「山登りをしようときたのですが、リュック一式を盗まれましてね……」
と彼は言った。
そうして、彼は、ぽつりぽつりと、身の上話をし始めた……
「……自分は元航空自衛隊のパイロットだったんですがね……練習中に……エンジンにトラブルが起きたのです……」
「……後ろの座席に上官が乗っていたんですが、即座に『脱出しろ!』と言うのです……」
「……躊躇していましたが、再度、命ぜられて、脱出用のレバーを引きました……」
「……でも……上官は何故か……脱出出来なかった……装置に不具合があったのかどうか……私には……分りません……」
その事故は知っていた。
数年前の日本海上空での事故であった。
パイロットが助かり、指導教官が亡くなったことも覚えていた。
……そのまま……彼は黙って……真っ暗な窓の外を……見詰めていた…………


2019/04/01

人間の二様について

人間には二様がある。あることを言ってそれが相手にどんな変調を起こすかを理解する人間と、それを全く認知しない人間である。私は確かに前者だとは言わないが、後者の人間は、実は無数にいる。それをまた全く当人は理解していない。それを精神疾患或い境界例とするのは、精神医学の進歩なのかも知れないが、私は分らない。しかし、厭なことが理解され得ないということに於いて「私確かにテツテ的絶対的に厭なのだ」――

イスラエルに告ぐ

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」などと詩人づらをしたテオドール・W・アドルノが、イスラエルがパレスチナの無辜の民や嬰児を殺戮してしている現実を見て、「イスラエルの殺戮以後、詩を書くことは野蛮である」と言わなかったら、先の命題は「偽」に他ならない!

漢字「令」或いは戴冠せる天皇をないがしろにするファッショ的日本政府について

まず、この漢字の部首を答えられる日本人は三分の一以下であろうと私は思う。
部首は「人」部である(知っていた方には礼拝しよう)。
解字は(かんむり)の「人」が「集める」の意ともされ、頭上に戴く「冠」の意ともされる、その下部の形は「人の跪く」形で、「人々が神意を拝聴する」さまを表わし、「言いつける」の意を表わす(大修館書店「廣漢和辭典」に拠る。以下も同じ)。
意味は「命ずる」・「君主の仰せ」・「法令・布告」・「教訓・訓戒」。「官吏の長官」・「善い」・「立派にする」・「他人の親族への敬称」・「避ける」・「上位の者が誰かを召す」・「全きこと」・「皇后・太子・諸侯等の命令文」・「小間使い」・使役の助而・仮定の助字・鳥の「鶺鴒」といった意味だ。
少なくとも私はこの「令」の字を書くのは非常に厭だ。
頗るバランスを取りにくいからである。
三画目を「ヽ」にし、四画目の最後を左上に撥ね、五画目も「ヽ」にする字体変性もあるのは、いいのかね? 役所であの男が掲げた字でないと受け付けないのではないのかね?(私の「藪」の字は戸籍謄本で(くさかんむり)の間が、ある時、官吏の誤りで繋げられてしまって、今では繋げなければ受け入れられないという事実を言っておく)。
しかも、「令月」(吉祥の月、或いは、陰暦二月の異名)なんて熟語は二月生まれの私は使ったこともないぜ? あの公表会見で菅とか安部は「令月」を判ったように何も説明しなかったのは、実は、意味さえ知らなかったからじゃないのか?!
 
何が平和だ! 何が幸福な時代だ! 糞野郎!!!
薄っぺらの平「和」を上から命「令」する時代が、また性懲りもなくやってきた――

2019/03/25

中高時代の故郷へ旅した

この時期、毎年、友人らと旅をしている。
今回は、新湊・氷見・富山であった。
企画は友人任せだが、この場所は私が中高時代を過ごした地である。
高岡からは派手な「ドラえもんトラム」に乗って、新湊へ(帰りには立川志の輔が停車駅を解説していたけれど、土地の人にはちと喧しかろうに)。新湊は海王丸が係留され、橋尽くしの観光船が巡り、一大テーマ・パークに変貌していた。氷見線には「忍者ハットリくん」列車が走り(それは停止車体を見かけただけだが、帰りは新高岡まで「べるもんた」に載り、珍しい車体の路線移動を体験した。昔は最終車両の接続部はドアも何もなく、私はそこから去りゆくレールの風景を見るのを好んだものだった)、氷見の商店街には藤子不二雄Aのモニュメントが至るところに林立していた(これもセンサー対応で人が通るたびに自己紹介をするのには閉口した)。海岸線が大幅に埋め立てられて、唐島(からしま)が陸に繋がりそうになり、日本一という道の駅風の「ひみ番屋街」が観光客を誘って、いや、まさに「桑田変じて」の逆を行っていた。
友人らと一緒であるし、一泊で、個人で行動することは出来ないので、私が六年間を過ごした伏木の町は、車窓から垣間見ただけだったけれど、中学の同級生が自転車で下ってきて交通事故で亡くなった坂道が見えた……惨めな失恋の憂愁を慰めてくれた国分浜も……如意が丘に建つ母校伏木高校も……深夜にこっそり訪ねて、家人に見つからぬように窓から入れて貰った友人の家も、皆、そのままに……蟹突きをしていてクサフグに腰を噛まれた雨晴……友人とキャンプした島尾の海岸……当時の恋人とデートして歩んだ氷見の町並み……何もかもが、波状的に胸を打った。
私の青春の故郷は確かに――あの高岡の伏木――だった。
・父が両端の橋柱のデザイン(合掌の形)した高岡の鳳鳴橋を見に行きたかったが、時間がなかった。されば、グーグル・ストリート・ビューからトリミング画像を貼っておく。最後のものは橋竣工式典の際にデザイン者として招待された折りの父の写真である。

Houmeibasi01

Houmeibasi02

Houmeibasi03

Houmeibasi04

Houeibasisyunkou

2019/02/28

沖繩のこと

 沖縄本島に米軍が上陸した(四月一日朝本島中西部)直後の昭和二〇(一九四五)年四月二日附『朝日新聞』に、かの高村光太郎は「琉球決戰」という題名の詩篇一篇を掲載している。
 
   *
 
     琉 球 決 戰   高村光太郞
 
神聖オモロ草子の國琉球、
つひに大東亞最大の決戰場となる。
敵は獅子の一擊を期して總力を集め、
この珠玉の島うるはしの山原谷茶(やんばるたんちや)、
万座毛(まんざまう)の綠野(りよくや)、梯伍(でいご)の花の紅(くれなゐ)に、
あらゆる暴力を傾け注がんとす。
琉球やまことに日本の頸動脈、
万事ここにかかり万端ここに經絡す。
琉球を守れ、琉球に於て勝て。
全日本の全日本人よ、
琉球のために全力をあげよ。
敵すでに犧牲を惜しまず、
これ吾が神機の到來なり。
全日本の全日本人よ、
起つて琉球に血液を送れ。
ああ恩納(おんな)ナビの末裔熱血の同胞等よ、
蒲葵(くば)の葉かげに身を伏して
彈雨を凌ぎ兵火を抑へ、
猛然出でて賊敵を誅戮し盡せよ。
 
   *
 当時、彼は「文學報國會」の詩部会長であった(因みに、幹事長は西條八十、理事は佐藤春夫)し、真珠湾攻撃を賞賛し、自ら積極的に戦意高揚のための戦争協力詩を多く発表した。しかし、彼はまた、敗戦後、最も真剣に自らの戦争責任を真摯に問うた、数少ない芸術家の一人でもあった。昭和二〇(一九四五)年十月、疎開していた宮澤清六(宮澤賢治の弟でそこは賢治の実家でもあった)方を出て、花巻郊外に鉱山小屋を移築して独居を始めている。これは自身の戦争責任に対する一つの自己幽閉という処罰でもあり、この農耕自炊の独居生活は昭和二七(一九五二)年十月まで続いた。この間、肺結核の症状が進行している(昭和一三(一九三八)年十月五日に亡くなった妻千恵子もその死因は肺結核である)。昭和三一(一九五六)年三月二日、中野の自宅アトリエで肺結核のため、没した。
 
 かの詩人の上の詩篇と自身に課した落とし前を考えるとき、私は、今の本土の国民と日本政府の沖縄に対する姿勢は、戦時中の国民と軍事政府よりも、遙かに、救いようがなく、劣悪だ、と強く感じている。
 
 なんとも言えず、謂いたい気持ちにかられた。
 
 附録
 
 参考までに「文學報國會」の他の部会の一部を掲げておく。
  小説部会長・徳田秋声 幹事長・白井喬二 理事・菊池寛
  劇文学部会長・武者小路実篤 幹事長・久保田万太郎 理事・山本有三
  短歌部会長・佐佐木信綱 幹事長・土屋文明 理事・水原秋桜子
  俳句部会長・高浜虚子

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