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カテゴリー「海岸動物」の74件の記事

2018/04/27

今日は他のテクストを総て休止して以下の一本にかけることする

私は既に「栗氏千蟲譜」の海産動物のパートを原文・訓読・原画画像・オリジナル注附で、自己サイト「鬼火」「心朽窩旧館」の「栗本丹洲」に於いて、

巻七及び巻八より――蛙変魚 海馬 草鞋蟲 海老蟲 ワレカラ ホタルムシ 丸薬ムシ 水蚤

巻八より――海鼠 附録 雨虎(海鹿)

巻九 全

巻十 全

を公開している。私は以上で「千蟲譜」に載る海産動物は総てを電子化注したと思っていた。ところが、たまたま所持する丹洲の「栗氏千蟲譜」(国立国会図書館蔵の曲直瀬愛旧蔵写本「栗氏千蟲譜」を底本とした、昭和五七(一九八二)年恒和出版刊『江戸科学古典叢書』第四十一巻)を久し振りに眺めていたところ、奇妙なものを見つけた。

それは、第六巻で、図版はクモ類から始まり、かなりの量のクモの図が終わると、ゲジゲジ一図とムカデの三図が続いた、次の頁であった。

ムカデに似た生物(にその時は見えた)二頁に亙って全部で五個体描かれていた。

しかし、その図を見るに脚の描き方が明らかにムカデではないことに気づいた。初めは、脚の体幹部からの出方(でかた)が複数本のように見えたことから、

「ヤスデかな?」

と思ったが、どうも、これまた、全体のフォルムがヤスデらしからぬのだ

次の瞬間、私の冥い脳内に、白熱電球が

「パッ!」

と灯った!

急いでキャプションを読む。

案の上、小川の中で見つかった奇虫とあるじゃあないか!

場所も書いてあるので、確認する(後で翻刻し、注で示す)。

「うん! 海に近いぞッツ!!」

と思わず、膝を叩いたんだ!

次いで、急いで、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認した。同国立国会図書館は五種の「千蟲譜」写本を蔵するが(「千蟲譜」の丹洲の自筆本は残念ながら存在しない)、その内の三種を見た。これとこれ(こちらはコマが分かれ、ここと、ここになる)とこれ(所持する恒和出版本はこれ)である(後でそれぞれの書誌は示し、また画像も改めて掲げる)。これら(所持する先の本は高い本だったが、全ページ、モノクローム画像)は孰れもカラー画像なのが嬉しい!

そうして――そうして――いやはや、赤、黒、黄色、緑に白、五色(ごしき)だぞッツ!

そうして――そうして――その鮮やかな色彩を見て、私の思いは確信犯となったのである!

「これはバチだ! イトメだよ!」

と、独り、暗い書斎で叫んだ!

これは、図の流れのムカデ(節足動物門 Arthropoda 多足亜門 Myriapoda ムカデ上綱 Opisthogoneata 唇脚(ムカデ)綱 Chilopoda なんぞとは全く無縁な、河川の河口附近や、その近くの汽水域及びそこに繋がっている淡水域(河川下流域)や田圃等にまで広く分布し、大潮の夜になると、生殖体勢体に変形して淡水域に遡上し、そこで生殖群泳を展開する、かの、

環形動物門 Annelida毛綱 Polychaetaサシバゴカイ目 Phyllodocidaゴカイ科 Nereididae Tylorrhynchus 属イトメ Tylorrhynchus heterochaetus

に間違いないのであった!

知らない? 釣りをする方ならよく知っていよう。餌にする、あれ、である。

釣もしない、元国語教師のお前が、そんなもんに詳しいのか? ってテカ?

おう! 豈にはからんや、詳しいんだよな、これがさ!

何ってたって、以前には、新田清三郎先生の『「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて――(全十回。リンク先は第一回。最終回はこちら)を電子化注したり、同じ生殖群泳で知られ、食用にする(というか、イトメも食べられるよ! 生ガキっぽくて結構、美味い! ウィキの「イトメ」にも、『中国語の標準名は「疣吻沙蚕」』『というが、中国広東省の順徳料理や広州料理では「禾虫」(広東語 ウォーチョン)の名で、生殖体を陳皮風味の卵蒸し』『や炒め物などの料理にして食用にする。シャリシャリした食感があり、タンパク質と脂肪が多く、アミノ酸バランスもよい』『とされる。珠江デルタにある水田には多く生息しており』五月から六月と、八月から九月の彼らの『繁殖期に水田に水を入れると』、『流れに乗って集める事ができるため、採り集めて出荷する』とあるからね。お前はどこで食ったかって? 釣りの餌だよ、あれを生食してみたんだっつーの!)、多毛綱イソメ目 Eunicida イソメ科 Eunicidae Palola属タイヘイヨウ(太平洋)パロロ Palola siciliensis(英名:Pacific paloloについて書かれた『博物学古記録翻刻訳注 10 鈴木経勲「南洋探検実記」に現われたるパロロ Palola siciliensis の記載』なんてものも手掛けてる、謂わば俺は〈イトメ・フリーク〉なのさ。

 閑話休題。

 そこで以上の「千蟲譜」のそのパートだけを電子化注することとした。

 図は国立国会図書館デジタルコレクションの画像で三種(同図書館は他に「千蟲譜」二種を蔵する)を掲げ(書誌はそれぞれの画像で述べる)、キャプションはほぼ同文であるが、読み易い曲直瀬愛(まなせめぐむ 嘉永四(一八五一)年~?:詳しくは「栗本丹洲自筆「翻車考」藪野直史電子化注 始動」の私の注を参照)旧蔵本のそれを底本とし、適宜、他の二種と校合した。

2018/01/31

エウラギシカ・ギガンティアの生態映像

南極の海底にしか棲息しないゴカイ目ウロコムシ科のエウラギシカ・ギガンティア Eulagisca gigantea の生態映像!  これは凄い! 如何にも不気味なエイリアン型の数個の標本しかないが、これは、何と美しいことか!

2016/02/24

「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて――   新田清三郎 (Ⅹ) / 「いとめ」の生活と月齢との関係――附やぶちゃん注~完

 

       五 電氣による「いとめ」の精蟲と卵及び人類の精蟲の實驗

 

 大正十四年十月二十一日午後四時より八時に至る精液電氣實驗。當日氣温十四度氣壓七六三粍。「いとめ」の精液一グラム0.8%の食鹽水五〇グラムに混じ、之れに屋井乾電池を用ひて四・五ボルトの電流を通じたるに精蟲は+極(プラス)に集合し、精蟲を包容する粘液は-極(マイナス)に集合した。實驗後五分乃至十分にして之を檢するに精蟲は活潑に運動してゐた。人類の精蟲につきて實驗したるに是亦粗同樣の結果を得た。蒸溜水中に於いても同樣の作用が行はれた。死したる精蟲につきて實驗するも猶同樣の結果を得た。之を以て見れば精蟲は好氣性の爲に+極(プラス)に集まると云ふ議論は立たざることになる。大正十五年四月四日大日本生理學會例會に於ける京都府立醫科大學水野忠一氏代演越智教授の講演の際人類の精蟲電氣實驗に關する右の事實を追加補足して置いた。

 

 Itome5  

 

[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ」のものを補正して示した。キャプションを以下の通り。

   *

A圖 「いとめ」の精液電氣實驗

    +極に集まれる精蟲

    -極に集まれる精液

 

B圖 「いとめ」の卵の電氣實驗

   *

文中の「+極(プラス)」「-極(マイナス)」はそれぞれ「+極」の二字に「プラス」、「-極」の二字に「マイナス」のルビが振られてある。

「屋井乾電池」乾電池の発明者屋井先蔵(やいさきぞう 文久三(一八六四)年~昭和二(一九二七)年)の名を冠した乾電池。国立公文書館公式サイト内の「公文書にみる発明のチカラ」の「乾電池の発明(屋井先蔵)」に詳しい。それによれば、一八八八年にドイツ人ガスナーらが液のこぼれない乾電池を発明する前年の明治二〇(一八八七)年に、当時、電池時計の技術者であった屋井が(ウィキの「屋井先蔵」では『東京物理学校(現:東京理科大学)の実験所付属の職工』とある)、陽極の炭素棒にパラフィンを染みこませることによって液漏れしない「屋井乾電池」を発明した事実が記されてある。ウィキのエピソード欄には、乾電池を世界に先駆けて『発明にしたにもかかわらず、貧乏のため乾電池の特許を取得はできなかった(当時の特許取得料金は高額だった)。また、乾電池を発売した当初、大半の世論は「乾電池などという怪しいものが正確に動くはずがない」というもので、先蔵の乾電池は全く売れなかった。さらに持病の為に寝込む日が続き生活は貧窮を極めた。さらに、先蔵の乾電池の価値を知った外国人が万博にて自分が発明したものだと主張したため、しばらく時間が経つまで世界で最初に乾電池を発明したのが先蔵であると認知されなかった』とある。ここではっきりと闡明しようではないか! 人類史上、乾電池を最初に発明したのは、この屋井先蔵であると!

「死したる精蟲につきて實驗するも猶同樣の結果を得た」「精蟲は好氣性の爲に+極(プラス)に集まると云ふ議論は立たざることになる」塩水及び蒸留水の電気分解にあっては+(陽極)に水酸化物イオン(OH)が誘引され、水酸化物イオンは陽極に電子を渡して水と酸素になるため、結果として陽極には酸素が発生する。逆に-(陰極)には水素イオン(H)とナトリウムイオン(Na)が誘引されるが、ナトリウムイオンは原子になるよりもイオンの状態の方が遙かに安定しているため、ナトリウムイオン自体は水溶液中に残り、水素イオンが電子を受け取って、結果、陰極からは水素が発生する。この場合、死んだ精子を実験しても同じ結果が生じたということは、生体の精子が好気性を特異的に指向するために自律的に陽極に集合したのではない、ということがはっきりする。精液は細胞成分である精子と、それを包む液体成分である精漿(せいしょう)とに分かれるが、ここでは物理的電気的性質としては精子が陽極に引かれる負(陰電気)の電位を有し、精漿が陰極に引かれる正(陽電気)の電位を有するという物理的電気的事実が分かるということである。新田氏がこのように書くということは、恐らく当時の生理学者の中には、ヒトが好気性生物であるが故に精子も同じく、正の好気性を保持した生命体であるに決まっているという誤った考え方(類推)があったことを批判しているのではないかと思われる。

「京都府立醫科大學水野忠一氏」不詳。

「越智教授」不詳。]

 

 Itome6  

 

 「いとめ」の卵の電氣實驗は卵の或量を取りて0.8%の食鹽水に混和し、四・五乃至一八ボルトの電流を通じたるに卵は少しも破壞されなかつた。唯電流を通じない前の卵は甲圖の如く顆粒が中心より遠ざかつてゐたが、強き電流を通じたる場合には卵の顆粒が乙圖の如く僅かに中心に近寄つたのみであつた。0.8%食鹽水五〇グラム中にバチの粉碎せざる卵一グラムを混じたるに何れの極へも集まらなかつた。又受精せざる雞卵及び受精したる雞卵の卵黄を別々に取つて粉砕し、之に各々前と同樣の實驗を施したるに兩極に分離した。以上の實驗に使用したる電力は時計形直流用電壓電流計にて測り、電池は屋井乾電池を用ひた。

[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ」のものを補正して示した。図に示した通り、この段落中の「じたるに卵は少しも破壞されなかつた。唯電流を通じない前の卵は甲圖の如く顆粒が中心より遠ざかつてゐたが、強き電流を通じたる場合には」の部分は原典の十四頁の下(一行八字組)にあり、「唯電流を通じない前の卵は甲圖」と「の如く顆粒が中心より遠ざかつてゐたが」の間にその甲図と乙図が挟まっている(従って甲・乙図はイトメの卵子の電気実験の図であってヒトのそれではないので注意)。また、その十四頁上方には「人間の精蟲電氣實驗」という附図があり、以下のキャプションが附されてある(附図には「Nov.1st, 1925  At Kiba, Fukagawa,  Tokyo」というクレジットが記されてある)。

   *

 

大正十四年十一月一日人間の精液電氣實驗二十分後の圖當日氣壓七六八粍、室内氣温二〇度電流四ボルト使用

 

Aは粘液、 Bは精蟲

 

十五分時にしてB極を檢するに精蟲がなほ運動を繼續してゐた。再び攪拌するも十分時にして圖の如く明かなる分野を形造つた

 

   *

 なお、この段落以下、後の二段落の内容については、私は幾つかの箇所に於いて筆者の謂わんとするところが十全には呑み込めなかった。そこで公開に先だって生命科学を専門とする私の教え子に意見を乞うた。以下の注の中で《教え子の見解》として『 』で示した箇所がそれである(というより殆んどが彼の見解の引用である。この場を借りて深く謝意を表するものである)。公開許諾は得ている。但し、それでも私と教え子の疑問は完全に氷解してはいない。何方か更に別な解釈や理解をお持ちの方があれば、是非御教授をお願いしたい。

「強き電流を通じたる場合には卵の顆粒が乙圖の如く僅かに中心に近寄つたのみであつた」先に示した古屋康則・恩地理恵・古田陽子・山内克典「イトメ Tylorrhynchus heterochaetus(環形動物:多毛類)の人工受精法および発生過程の観察」を再び管見したところ、イトメの卵子には「卵ゼリー層」と呼ばれるものが形成されることが分かった。イトメの生体内の未受精卵にはこのゼリー層は見られないが、海水に浸漬したり受精することで、卵の周囲にゼリー層が形成されるのであるが、『このようなゼリー層はゴカイの卵にも見られ(岡田,1960),ゴカイでは卵を海水に浸けただけでは形成されず,受精が起きなければ形成されないという(沢田,1969).一方,イトメにおいてはゼリー層形成と受精との相互関係は明瞭ではなく(高島・川原,1952),受精とは無関係に形成されることも知られている』とあって、その「図5.イトメの未受精卵および受精卵の発生過程」の「D)未受精卵でのゼリー層形成」とキャプションのある画像を見ると、これが本文に載る「乙圖」と酷似しているように私には見えるのである。しかもこのゼリー層形成を検証した実験では『媒精しないで卵のみを希釈海水に入れたときのゼリー層形成は,海水から3/4海水では5534%であったが,2/3海水では全く形成されなかった.しかし,それよりも薄い1/2海水では50%の卵で形成された』。『これは,ゼリー層が受精によってのみ形成されるゴカイ(沢田,1969)とは大きく異なる点である.また,ゼリー層形成はある程度浸透圧の影響を受けることを示唆している』という記述をも見出された(下線やぶちゃん)。但し、当該論文では「顆粒」ではなく『卵核胞を取り囲むように十数個の油球が見られる』(下線やぶちゃん)とある。これは一つの可能性の推測であるが、この新田氏の「乙圖」は実はそのゼリー層が形成された後の卵子の、油球が中央の卵核胞を取り囲むように見える状態を描いたものなのではあるまいか? しかしその場合、それは電気刺激によって現出した現象とは言い難い。何故なら、これは通電をする以前に実験に用いた食塩水濃度(〇・八%)に、この卵子が反応してゼリー層を形成した結果、「油球」が中央へ寄った可能性が私は高いと思うからである。新田氏が通電を行った後に、たまたま塩分濃度による浸透圧で形成されたゼリー層の形成に新田氏が気づかず、通電によって「顆粒」状の油球が中央に有意に移動したと錯覚した可能性である。無論、イトメのゼリー層形成のメカニズムが現在でも完全に解明されていない以上、逆に、電気刺激によってもゼリー層は形成され油球が中央へ移動した可能性もないとはいえない(私が専門家なら直ちに実験してみたいのだが)。時に、このゼリー層形成に新田氏は気づいていないのは一見奇妙に思える。新田氏は既に『四 食鹽水及び淡水による「いとめ」の精蟲及び卵の實驗』でこのゼリー層形成という現象を見ているはずではないのか? ところが新田氏は見ていないのである。何故なら、同章では多様な塩分濃度での実験の対象は専らイトメの精子に当てられており、卵子の実験は『卵は0.3%乃至1%の食鹽水中に在つては生理的に破壞されないが、蒸溜水に卵を混図れば十分乃至一時間にして生理的に全部破壞せられる』の三パターンの記録記載しかなく、それも専ら塩分濃度の違いによる細胞質破壊をしか実験目的にしていないかのように見えるからである。

0.8%食鹽水五〇グラム中にバチの粉碎せざる卵一グラムを混じたるに何れの極へも集まらなかつた」《教え子の見解》『そのまま読むと、少なくとも完全な卵として存在するときには電気的に中性であると読める。』

「又受精せざる雞卵及び受精したる雞卵の卵黄を別々に取つて粉砕し、之に各々前と同樣の實驗を施したるに兩極に分離した」《教え子の見解》『もしも分離に偏りがある場合は(鶏卵の卵黄に)電気的な偏りがあると考えることもできるが、そうした記述は特になく、陰性または陽性の極性分子の集合であるが、全体としては中性と読める。』]

 

 

 思ふに精蟲が生殖の際卵をめがけて突進するは電気作用によるのであらう。精液が電気の爲めに二ツに分れ、+極(プラス)及び-極(マイナス)に集まる事實より推測するに、精液として存在するときは陰陽兩電氣が中和せられてゐるが、之が水中に散布せられて粘液を脱し精蟲のみとなる時は陰性となるを以て卵子に含まれたる陽性に近づかんとするのは當然のことであらう。

[やぶちゃん注:「卵子に含まれたる陽性」《教え子の見解》『上の記述を読む限りは、卵子に陽極性分子が含まれていても全体としては中性という結果であるため意味が通じない。なお、現在、精子が卵子に誘導される機構は、卵子より放出される分子を精子がシグナルとして受容することによるものであるとされている。精子の側の受容体の反応から、ブルゲオナール様の分子である可能性が示唆されている(“Identification of a Testicular Odorant Receptor Mediating Human Sperm Chemotaxis”[やぶちゃん補注:教え子の記載のアドレスを当該論文(英文)標題とリンクに代えた。標題は「精巣嗅覚受容体を媒介するヒト精子走化性の同定」(機械翻訳)。])が、いまだに具体的な分子の正体は不明である。』]

 

 

 「いとめ」及びパロロの生殖作用が空中電氣の影響あることも右の實驗によつて否定すべからざることであらうが、これは研究未完成なれば他日に讓ることゝする。

[やぶちゃん注:「空中電氣」地磁気と言うならまだしも、これは言っている意味がよく分からない。教え子も『一般的には大気中の電気現象一般のことだが、ここでの意味は不明』とのことであった。]

 

 

 

   六 結  論

 

 (一)バチの群游は東京灣附近に於ては通常十月及び十一月に渉りて四回行はれるが、稀には九月に群游することもある。大正十四年の如き萩原朔太郎九月に一回あつた。

 漁夫等は此四回の群游に夫々第一バチ、第二バチ、第三バチ、第四バチの名を附してゐる。東京灣附近に於ては通常千住附近が第一バチ、小松川が第二バチ、深川が第三バチ、羽田が第四バチの順序である。そして群游の目的は水中に産み精蟲を散布して生殖を容易ならしめるにある。

 (二)バチの群游期は朔望より四日以内にある。通常望よりも朔の翌日が盛んである。最大滿干潮は朔望よりも三日以内で、九、十、十一月に在りては多くは日没後の滿干潮が夫々同日の他の滿干潮よりも強大である。又東京附近に於ては通常朔の大潮が強大である事實がよくバチの群集に一致する。大潮の滿潮時(朔望)には海水が隅田川河口よりも上流に達するも、小潮時(弦月)には潮少きが故に海水が上流に達しない故に小潮時には群游しないのである。

 (三)稀には朔望の前にバチの群游することもある。大正十四年の如きは、十一月十六日が朔で、バチの群游が同月十三日の日沒であつた。

 (四)大群游は日沒後滿潮(High Water)面より約一寸位引きかけた時に始まり、河水面がバチの爲に赤色を帶ぶるに至る。斯う云ふ現象は約二時間繼續する。即ちバチの群游は滿潮時にあらずして落潮時(Ebb)の始めに於て盛大に行はれるのである。

[やぶちゃん注:以下、この「結論」の章では注を中に入れ込むことにし、後に空欄は設けない。

High Water」(英語)上げ潮。新田氏は次の段で別に「差し潮即ち滿潮(Flood)」と用いているところからは、ここは満潮時に最も海水面が上昇する時、という意味でこれを用いたようである。

Ebb」(英語)引き潮。「干潮」は「High Water」の対で示すなら、“low water”であるが、新田氏はここを今度は「潮が引いてゆく」という干潮時に経過する現象としてのそれとして示しているのかも知れない。]

 (五)落潮時に群游を行ふ理由は、精蟲は淡水中にては運動を停止し、卵は淡水中にて破壞せられる。之に反して精蟲は海水中にては猛烈なる運動をなし、卵は破壞されることが無い。差し潮即ち滿潮(Flood)はバチを淡水の方に押上げ鹽分の濃度を減じ精蟲の運動を弱め生殖作用を妨げる虞がある。之に反して落潮時には最も盛んなる活動に適する海水の方へバチを押流しつゝ生殖作用を完全に行はしめる。之れ自然に順應するものにして適者存續の法則に一致する。

[やぶちゃん注:「差し潮即ち滿潮(Flood)」「Flood」(英語)は“ebb”の対義語としての上げ潮。やはり前の注で示したように、ここでは今度は「鹽が満ちてゆく」という現象を示そうとしていると考えてよさそうだ。]

 (六)海水の鹽分の濃度が多い程比重の關係上浮游し易い。これバチが落潮を利用して受胎作用を行ふ所以である。

 (七)海水の濃度は夜半及び曉よりも日沒後が高い。暖かな方が精蟲の運動に適してゐる。又大潮時の滿潮は日沒時と未明に多い。

 (八)バチが日沒後に群游することは強き日光を避くる爲であることは勿論なれども、敵に發見せられないと云ふ事も理由の一ツとして考へられる。何となれば多くの魚類は宵の口に眠るからである。

 (九)群游中に太陰出づる時は群游しつゝあるバチが一齊に深く水中に沈んで行く。之を漁夫等は底バチと云つてゐる。

[やぶちゃん注:「太陰」太陽に対しての「月」を指す。天文学・暦法・潮汐学に於いては一月・二月などの「月」との混同を避けるためにかく用いる。なお、新田氏はこの月が出ると同時にイトメが水中に沈んでゆく理由を述べていないが、これは月光に敏感に反応して潜るものと考えてよく、それによって水中からの夜間の捕食者の目につかないようにするための行動のようにも私には思われる(次の(十)の記載から生殖行動をそれによって中断されないようにするためである)。]

 (十)一度群游を行つたバチは生殖後死滅し、或は魚類の食となり、次の群游期に再び生殖作用を行ふことがない。だから第一回目に群游するバチと第二回目に群游するバチとは同一でない。第一回目の時に成熟不十分であつたものが第二回目に浮び出るので、以下順次に四回行はれるのである。

 (十一)「いとめ」の群游は其生存する環境のあらゆる刺戟が最も大にして且つあらゆる必要なる條件が全く一致せし時に起る。實驗上鹽分のパーセント、氣壓の差、及潮差等皆朔望に於て最も大である。(完)

[やぶちゃん注:以上で本文が終わる。以下の「參考」は原典では全体が四字下げである。「{」は原典では三つが繋がったもので、“Bülow”“Friedländer”もそれぞれ上下三行に及ぶもの。“Friedländer”の方を太字にして区別した。原典では“Bülow”“Friedländer”は「{」の上に横向き(左から右)に記してあり、“Friedländer”は上に“Fried-”、下に“länder”となっているが、繋げて表記した。]

 

 

  パロロの群游時(參考)

                       Astoronom.    Letztes Viertel    Paloloschwärme

                              am                      um                         am
     
21. Okt.             7h59′früh                  21. Oct.

Bülow         11. Okt.             5 h 7′ ˮ                      10. Oct.

     
9. Nov.             1 h 40′ ˮ                      9. Nov.

     
29. Okt.             3 h 54′ ˮ                    28. Oct.

Friedländer  18. Okt.             9 h 42′ ˮ                    17. Oct.

     
17. Nov.            2 h 25′ ˮ                    16. Nov.

 

 

[やぶちゃん注:引用元の指示がないが、ドイツ語でしかもパロロのデータであるから、先に出たヘルパッハの「風土心理的現象:気象・気候・風光の精神生活への影響」からのものであろうか(或いは、以下の「LITERATUR」の「2」(私は未見)にそこから孫引きされたものか)。なお、以下、当初はドイツ語に冥い私でも何とかなるだろうという甘い気持ちでドイツ語辞書片手に注を附けてみたものの、出来上がったものは私自身如何にも心もとないものであった。単なる辞書的記載では到底読み解けない部分があると判断し、先の『三、「いとめ」の成熟時の活動狀態』のドイツ語文献引用で全面的に御協力頂いた Feldlein(フェルトライン)氏の私の拙稿を校閲して戴くこととした。これは同一論文中、鉄壁の注が氏の御協力で成すことが叶ったにも拘らず、最後の最後で竜頭蛇尾の誹りを受けては当の Feldlein 氏の顔に泥を塗ることに等しいと考えたからでもある。以下、本注は全面的に Feldlein 氏の注と依拠したことを最初に述べておく。なお、私の誤読は自戒のために取り消し線を附などしてなるべく残し、《Feldlein 氏》『 』として御指摘戴いたものを後に附すこととした(引用は了承済。下線は私が附した)。

Astoronom.ピリオドがなければ「天文学者」であるが、ここは「観察時」という意か。Feldlein 氏》『astronomischを省略するために、ピリオドをつけていると考えます。たとえば、university unive. とピリオドをつけて略すように。私は、天文学的な情報・数値・日付を表すということと解しました。』

Letztes Viertel」下弦の月の意。月が欠けて新月になる最後の日、朔日の前日の「晦」(かい/みそか)のこと。

Paloloschwärme」「wärmeは温暖・熱/温度/体温の意であるが、比喩表現で熱心/熱情という意味があるから、これはパロロの生殖群泳をかく表現したものであろうか。Feldlein 氏》『これは、前回の懸案であったドイツ語引用にある「この大いなる群がり」に相当します。ここでは、「大きな」「偉大な」はなく、「パロロ」プラス「(うようよした)群がり」の組合せです。「パロロの蟻集」「ぱろろの群がり」と訳せます。』これは如何に私が、先の本文の「三」でのFeldlein 氏の御教授を全く以って学習していなかったを如実に示すもので、私の不徳と致すところである。

am」は“an den”(前置詞+冠詞)であるから「~時に」、「月日」の意であろう。《Feldlein 氏》『はい、日付を表しています。an dem のことです。ここでは日本語に訳す必要はないと思います。』。

um」正確な時刻。以下に「früh」(副詞「早く」)とあるから、「月の出」の時刻であろう。《Feldlein 氏》『はい、時間を表しています。何時に、というときの「に」ですが、ここでは訳す必要はないと思います。ここでは「früh」は、「朝」という意味で使っています。朝7時59分。あるいは「午前」でも良いでしょう。』。

Bülowビューロゥ。観察者の名。《Feldlein 氏》『これはスラヴ語起源の名前なので、woの長母音を表します。ビュロー、あるいはビューローで良いと思います。Wilhelm von Bülow という人が、サモアのパロロについて報告を書いていているようなので、その人のことと思われます。』。Feldlein 氏の御指摘を受け、Palolo Bülow の二つの単語で検索してみたところ、幾つかの文献でこの人物の名を発見出来た。

Okt.Oktber。十月。

Nov.November。十一月。

Friedländerフリートランダー。観察者の名。《Feldlein 氏》『フリートレンダーと音写すると良いかと思います』。ä 『は「エ」の発音になるので、ラではなくレになります。 Palolo Bülow の二つの単語で検索しましたら、同じく、ビューローとともに他所でも言及されている名前ですので、観察者・報告者で間違いないと思います。』。Feldlein 氏の御指摘を受け、Palolo Bülow Friedländer の三つの単語で検索してみたところ、中身は見えないが、例の Willy Hellpach, Die Geopsychischen Erscheinungen が検索に掛かってくるところから観察者と判断出来る。

 

 

 LITERATUR

1.  Dr.Ijima, 動物學提要

2.  Dr.Iizuka,「いとめ」の成熟と其群泳

3.  Willy Hellpach, Die Geopsychischen Erscheinungen, 1923.

 

[やぶちゃん注:「3」の書名は原典では「Geopsychische Erscheinungen」だが、ここは大事な参考文献箇所でもあり、前掲に倣って綴りを訂し、正しく冠詞を補った上、斜体ローマンとした。この書物については『三、「いとめ」の成熟時の活動狀態』の注で既注。

LITERATUR」ドイツ語で「参考書目」。

1. Dr.Ijima, 動物學提要」動物学者・魚類学者として知られる東京帝国大学理学部教授飯島魁(いさお 文久元(一八六一)年~大正一〇(一九二一)年)が大正七(一九一八)年に出版した、明治・大正期の動物学を総括した千頁を超える大著。長く生物学に於いて必読の教科書とされ、日本に於ける動物学普及に貢献した(ウィキの「飯島魁」に拠った)。

2. Dr.Iizuka,「いとめ」の成熟と其群泳』論文詳細は不明であるが、作者は動物学者飯塚啓(あきら 慶応四(一八六八)年~昭和一三(一九三八)年)である。環虫類の世界的権威として知られ、特にゴカイの研究は世界のトップと言っても過言ではなかった。著書「海産動物学」は名テキストとして長く使用された。学習院大学教授で東京科学博物館動物学部長としても活躍した(ここまではウィキの「飯塚啓」に拠った)。鹿児島大学理学部佐藤正典氏の論文「干潟における多毛類の多様性」に、飯塚は明治三九(一九〇六)年十二月十七日に、『瀬戸内海の岡山県児島湾に赴き、そこでH. japonica 生殖群泳を観察した様子や、そこの干潟における成体の分布状況などは原記載論文に詳しく記述されていた』とある(下線やぶちゃん。文中の『H. japonica』は多毛綱サシバゴカイ目ゴカイ超科ゴカイ科カワゴカイ属アリアケカワゴカイ Hediste japonica のことで、『原記載論文』とは Izuka, A. (1908) On the breeding habit and development of Nereis japonica n. sp. Annot. Zool. Jap., 6, 295-305. を指す)。

 

[やぶちゃん注:以下、最終頁は奥附。左下方に太い黒枠の中に示されてある。ポイントの大きさ字体は総て同じにした。底本では全体が太い長方形の枠に囲まれており、中の「不許複製」はごく細い真四角の枠の中に太字ゴシックで示されてある。「発行所」もそれだけが太字ゴシックである。言わずもがなであるが、「著作兼」は「著作權」の誤りなのではなく、「著作」兼(けん)「發行者」の謂いである。]

 

 大正十五年十月 十日 印刷

 大正十五年十月十五日發行

            東京市深川區木場町十二番地

           著  

                新 田 淸 三 郎

  不 許      發  

        東京市牛込區早稻田鶴卷町百〇四番地

  複 製      印  者 吉 原   良 三

        東京市牛込區早稻田鶴卷町百〇四番地

           印  所 康   文   社

       東京市下谷區中徒士町三丁目二重貮番地

發 行 所          日      

 

2015/06/09

「今昔物語集」卷第三十一 常陸國□□郡寄大死人語 第十七

「今昔物語集」卷第三十一 常陸國□□郡(こほり)に寄る大ひなる死人(しにん)の語(こと) 第十七

 

 今昔、藤原の信通(のぶみち)の朝臣と云ける人、常陸の守(かみ)にて其の國に有けるに、任畢(にんはて)の年、四月許(ばかり)の比(ころ)、風糸(いと)おどろおどろしく吹て、極(いみじく)く荒ける夜、□□の郡の東西の濱と云ふ所に、死人(しにん)被打寄(うちよせ)られたりけり。

 其の死人の長(た)け、五丈餘也けり。臥長(ふしたけ)、砂(いさご)に半ば埋められたりけるに、人、高き馬に乘て打寄(うちより)たりけるに、弓を持たる末(すゑ)許(ばかり)ぞ此方(こなた)に見えける。然(さ)ては其の程を可押量(おしはか)るべし。其の死人、頸(くび)より切(きれ)て、頭(かしら)、無かりけり。亦、右の手、左の足も無かりけり。此れは、鰐(わに)などの咋切(くひきり)たるにこそは。本(もと)の如くにして有ましかば、極(いみ)じからまし。亦、低(うつふ)しにて砂(いさご)に隱たりければ、男女(なんによ)何れと云ふ事を知らず。但し、身成り・秦(はだ)つきは女にてなむ見えける。國の者共、此れを見て、奇異(あさまし)がりつ、合(あひ)て見喤(みののしり)ける事限無し。

 亦、陸奧(みちのく)の國に海道(かいだう)と云ふ所にて、國司(くにのつかさ)□の□□と云ける人も、此(かか)る大人(おほきなるひと)寄たりと聞て、人を遣(や)て見せけり。砂(いさご)に被埋(うづまれ)たりければ、男女(なんによ)をば難知(しりがた)し。女にこそ有(あん)めれとぞ見けるを、智(さと)り有る僧なむどの云けるは、「此(こ)の一世界(いつせかい)に此(かか)る大人(おほきなるひと)、有る所有(あり)と、佛、説(とき)給はず。此(これ)を思ふに、阿修羅女(あしゆらによ)などにや有らむ。身成(みなり)などの糸(いと)淸氣(きよげ)なるは、若(も)し然(さ)にや」ぞ疑ひける。

 然(さ)て、國の司(つかさ)、「此(かか)る希有(けう)の事なれば、何(いか)でか國解(こくげ)不申(まうさ)では有(あ)らむ」とて、申上むと既にしけるを、國の者共、「申し上げられなば、必ず官使(くわんし)下(くだり)て見むとす。其の官使の下らむに、繚(あつかひ)大事(だいじ)也(なり)なむ。只(ただ)隱して、此の事は有るべき也(なり)」と云ければ、守(かみ)、不申上(まうしあげ)で隱して止(やみ)にけり。

 而る間、其の國に□□の□□と云ふ兵(つはもの)有けり。此の大人(おほきなるひと)を見て、「若(も)し、此(かか)る大人(おほきなるひと)寄來(よりき)たらば、何(いか)がせむと爲(す)る。若(も)し箭(や)は立(たち)なむや、試(こころみ)む」と云て射たりければ、箭、糸(い)と深く立(たち)にけり。然(しか)れば、此れを聞く人、「微妙(めでた)く試たり」とぞ、讚(ほ)め感じける。

 然(さ)て、其の死人、日來(ひごろ)を經(へ)ける程に亂(みだれ)にければ、十(じふ)、二十(にじふちやう)町が程には、人否(え)不住(すま)で、逃(にげ)なむどしける。臭さに難堪(たへがた)ければなむ。

 此の事、隱したりけれども、守(かみ)、京に上にければ、自然(おのづか)ら聞えて、此(か)く語り傳へたるとや。

 

□やぶちゃん注

 出典は未詳であるが、二件の記事のカップリングから見ても、創作ではなく、事実として風聞されたものであると考えてよい。小学館「日本古典全集」版の解説では、『三面記事的説話であるが、また巨人伝説的な匂いもある。海流の関係で、常陸・陸奥の海岸には、遠い国々から漂着がまれにあったようだ』とし、『本話は史実に合致する国司の名も見えることから』(後注参照)『誇張はあるが一応事実を伝えたものであろう』と評している。私の授業やサイトに親しんでおられる方は、即座に滝沢馬琴の「兎園小説」に出る「うつろ舟の蛮女」(「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」参照)を想起されるであろう。特に、後半の話に於いて、お上に報告すると、検分の調査団が派遣されて来て、その接待や何やかやで、当方の一方ならぬ難儀となるということで、秘かに握り潰す(「兎園小説」では円盤状の乗り物に乗って漂着した金髪の白人成人女性をまた同船に載せて突き流している)辺り、遠く本話に通底している。

 さらに私は、本話の二例ともに、遺体が非常に大きいこと、首や四肢が大きく欠損しており(腐敗脱落や本文にあるように鮫などに喰われたと考えてよい)、人形(ひとがた)とはいうものの、通常の人体そのままにそれが何倍(前者では「五丈」であるから十倍近い)にもなった生命体であるとは述べていないことに着目する。私はこれはしばしば人魚の正体とされる大型海生哺乳類の遺体ではなかろうか? 知られたジュゴン(哺乳綱 Mammalia 海牛(ジュゴン)目 Sirenia ジュゴン科 Dugongidae ジュゴン属 Dugong ジュゴン Dugong dugon)は三メートルを超える個体もいる。但し、ジュゴンの生息分布が現在は沖繩が北限であることを云々する向きには、後半の陸奥の遺体はアシカ・アザラシ類のそれであると見ておけば問題あるまい。では驚くべき大きさの前者はどうなる、と問われるであろうが、まず現実的な人々は――これはクジラ類の腐敗進行した遺体であろう――と推理されることは想像に難くない。しかし、私は寧ろ、前者も後者も別な生物を考えているのである。「五丈」をありがちな誇張表現と見て、半分の五~六メートルから七~八メートルほどとするならば(そもそもそう考えないと胴高比からそのままではだらんした長々しいものになって人に見えぬ)、ぴったりの生物がいるからである。ジュゴンの仲間で、北方種(寒冷適応型カイギュウ類)である私の愛するステラ、

海牛目ジュゴン科ステラーカイギュウ亜科 Hydrodamalinae ステラーカイギュウ属 Hydrodamalis ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas

である。本種は通常の成体個体でも体長五~六メートル、大きいものでは七メートルを超え、記録によれば最大八・五メートルにも達し、体重は五~十二トンにもなったと言われる超巨大海獣である。知らない? 当然だ。一七六八年或いはそれ以降に、既にヒトが乱獲したために絶滅してしまったからである(今また沖繩辺野古でジュゴンの棲家が破壊されつつある。こうして人類は着実に己れの身勝手から他の生物を殺戮し根絶やしにする野蛮人である)。詳細はウィキの「ステラーカイギュウ」を参照されたい。最後に。私の電子テクストである南方熊楠「人魚の話」の私の注もご覧戴けるならば、恩幸これに過ぎたるはない。外国サイトのステラの頭骨を見られよ。私はこれを見る都度、涙を禁じ得ないのである。……

・「藤原の信通」(生没年未詳)は底本注によれば、公卿藤原永頼(承平二(九三二)年~寛弘七(一〇一〇)年)の子で、『常陸介には万寿元年(一〇二四)から在任』しており、『同四年、子の永職』(「ながもと」と読むと思われる)について、公卿藤原実資の日記「小右記」に『父、明春、得替(とくたい)』(「得替」とは国司などの任期が終わって交替することをいう)とあることから、『任期は同五年(一〇二八)年まで』とあり、まさに「任畢(にんはて)の年、四月許(ばかり)の比(ころ)」がリアルに時制限定出来るのである(下線やぶちゃん)。

・「常陸の守」常陸国は親王が遙任国「守」として任ぜられた国であるが、実務国司であった常陸「介」(ひたちのかみ)を、通称(恐らく特に現地に於いて)では「常陸の守(かみ)」と呼称していた。

・「東西の濱」諸本、所在地未詳とする。

・「長け五丈餘」体長十五・二メートル超。

・「臥長(ふしたけ)」横転しているその胴の高さ。

・「人、高き馬に乘て打寄たりけるに、弓を持たる末許ぞ此方に見えける。然ては其の程を可押量るべし」当時の馬の丈はポニーほどであったから(百三十五~百四十七センチメートル)、高い百五十として、それにに成人男性が跨って漂着個体の向こう側に近づいた際、その左手(ゆんで)に掲げた弓筈(ゆはず)だけが、こちら側で立っている人間に見えた、というのは、両者の立ち位置にもよるが、胴高は二メートル弱はあったことを意味すると思われる。

・「鰐」鮫類の古称。特に大型のものをいう。

・「身成り・秦(はだ)つきは女にてなむ見えける」「身成り」は見た感じの体つきの意、「秦」は「肌」「膚」の当て字。ウィキの「ステラーカイギュウ」の復元図は黒みの強い灰色であるが、『冬になって流氷が海岸を埋めつくすと、絶食状態になり、脂肪が失われてやせ細った。このときのステラーカイギュウは、皮膚の下の骨が透けて見えるほどだったという』とある。

・「陸奧の國」当時、こう言った場合は福島以北の東北地方全般を指す。

・「海道」底本注で池上氏は『いわゆる浜通り(福島県の太平洋岸)をいうか』とされ、「日本古典全集」版注では不詳としながらも、「大日本地名辞書」を引き、『常陸(茨城県)多珂郡より入り、逢隈の渡し(宮城県曰理郡)に至る間を曰へり」とある』とする。「多珂郡」は多賀郡と同じで、茨城県北端の現在の高萩市・北茨城市・日立市(一部を除く)に相当する。「曰理郡」は現在の亘理(わたり)郡のことであろう。多賀郡に北で接する。因みに私は前話の「東西の濱」というのも、この「浜通り」に接する南部分を言っているのではなかろうかと考えている。とすると「常陸國□□郡」とは「多珂郡」となる。

・「阿修羅女」六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主である阿修羅の女鬼神版。「観音経義疏」には『阿脩羅千頭二千手。萬頭二萬手。或三頭六手。此云無酒。一持不飮酒戒。男醜女端。在衆相山中住。或言居海底。』とある(「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」に拠る)のを、「智り有る僧」なればこそ知っていたのであろう。

・「身成などの糸淸氣なる」僧侶が視認した対象をかく評しているのは興味深い。この個体は死んで間もなかったのであろう。私はアシカやアザラシであったなら、人によっては不快感を懐かずにこう表現すると思う。各地で出現しては話題になるそれらを考えてみれば、納得出来る。

・「ぞ疑ひける」「ぞ」の前の引用の格助詞「と」が脱落したものであろう。

・「繚(あつかひ)」諸注は接待・世話とする。訳の結果はそれでもよいが、本字はもともと、もつれる・まつわる・まきつかせるの意であるから、ここには寧ろ、面倒・厄介のニュアンスが強く感じられると私は思う。

・「十、二十町が程」遺体から半径一キロメートルから二・二キロメートル。倍の差があるのは、風向きによるものであろう。

・「臭さに難堪ければなむ」北方適応型の海産哺乳類の大きな特徴である厚い脂肪が腐って、もの凄い臭気を発しているのである。

 

□やぶちゃん現代語訳

 

 常陸国の××郡に大きな死人(しん)が漂着した事 第十七

 

 今となっては……昔のことじゃ……藤原の信通(のぶみち)の朝臣(あそん)とおっしゃられたお方が、常陸の守(かみ)として、かの国にあられた――が、それは、そのお方の国司の任の終わられた、その――四月ばかりの頃のことじゃった、と。……

 その日は昼間っから、風がたいそう、おどろおどろしゅう吹いて、そりゃあもう、夜中じゅうひどぅ荒れに荒れたんじゃ。

 その翌朝のことじゃった。××の郡(こおり)の「東西ノ浜」という所ところに、一体の死人(しびと)がこれ、うち寄せられて御座ったじゃ。

 その死人の身の丈けは、何とこれ! 五丈あまりもあった!……

 胴はこれ……そうさな……砂に半ばは埋まって御座ったが、の――傍らに人の立って、その向こうに、丈けの高い馬に乗ったお侍がうち寄せてこられたところが、その騎馬のお侍の、左手(ゆんで)に持って掲げておられた弓筈(ゆはず)ばかりが、ちょっこし、こっち側(がし)から見えた――というこっちゃから、さても、その胴体の高さのほども推し量れようほどに。……

 さて、その死人はの、頸(くび)のところより上は切れて、頭(かしら)はこれ、御座らなんだんじゃ。

 また、右の手(てぇ)も左の足も、ちぎれて、のぅなっておった。

 これは按ずるに、鰐鮫(わにざめ)なんどが、食わんがために噛み切ったものに違いない。……が……もし……もし、頭も右手も左足も皆、元の通り、ちゃんとちゃんとついとったとしたらば……これ……と、とんでもない大きさの人間じゃったに違いなかろうほどに。……

 また、うつ伏しになって砂に半ば埋もれておって、隠しどころは全く見えなんだによって、男女(なんにょ)孰れの巨人なるかは……残念なことに、分からず終いじゃった。が……しかし……そのふくよかなる体つきや……肌の白さや、その柔らかさから推すに……これ――女の巨人――には見えたのぅ。……

 常陸の国の衆(しゅ)は、これを見て、皆、驚き呆れあっては見、見ては大騒ぎすること、果てしがなかった、と。……

   *

 さてもまた、別な似たような一件じゃて。

 これも、常陸からは、ほど遠からぬ陸奧(みちのく)の国の、「海道」と申す海っ端(ぱた)でのことじゃ。

 国司(くにのつかさ)×の××と申さるるお方の許へ、これ、前(さき)の話のようなる、大きなる人間が浜に漂着致いたとの知らせのあったによって、家来を遣して検分させてみた。

 こちらもやはり……下半身の砂に埋もれておったによって……男女(なんにょ)の区別は分からなんだ。が……しかし……やはり、そこはかとなく、これは女に違いなかろうと人々の見て感じておった、と。

 そこへ、土地の学識のある僧なんどのしゃしゃり出て参って言うことには、

「……現世の遍き人間(じんかん)の世界のうちに――かかる巨人の存しておるなんどということ――御仏(みほとけ)はこれ一切――お説きになっておられぬ。――さすればこそ――これ思うに――かの六道の今一つの、修羅道界に住まうところの――阿修羅女(あしゅらにょ)――などと呼ばわるところの女(にょ)の鬼神などにても御座ろうか?……体つきの滑らかなる感じ……なんとも光沢(つや)のあって……えも言われず綺麗なところなんどをみると……もしや、まさに……ひょっとして、ひょっとするかも、知れんのぅ……」

なんどと、分かったような妙なことを申しておった。……

 さて、その国司さまは、これ、かの遣わせる者の報告を受けると、

「……これはもう……まっこと、稀有(けう)の珍事出来(しゅったい)なればこそ……何はさて置き、ともかくも国解(こくげ)を、これ、上申せねばなるまいのぅ。……」

と、まさに国解のための文書をも記し、さても使者を以って都に上(のぼ)せんとしたところが、下役の国の地の者どもがこれ皆、口を揃えて、

「……もし上申なさってしまわるると、これ、必ずや、お上の御使者の方々、こちらへお下りになられ、子細に御検分ということとなりましょう。……そうした官使の方々が、これお下りになられますると……これ、そのぅ……準備やら接待やらなんやかやと……これ、費用も手間も心労も、大きにかかりまして……大変に厄介なことと、なりましょうぞ。……さればこれ……ここは一つ、ただただ、この大女がことは……お隠しになられ……黙っておられまするが、これ、よろしいかと存じ奉るので……御座いまする。……」

と、有体(ありてい)に申し上げた。されば結局、守(かみ)もその謂いをもっともなりと、上申書は出さず終いとなり、奇体な巨女が遺骸の漂着の一件はこれ、全く以って隠し通してしまったとのことで御座った。

 そうこうしておる間のことじゃ。……その国に××の××と申す侍の御座ったが、この者、この漂着した巨人を見物に参り、一目見るや、

「……さても! もし、かかる巨人の我が国へ攻め来ったとならば、これ、一体、どう闘(たたこ)うたらよいものか?……まさか……矢(や)はこれ、この巨体に……果たして……立つものであろうか?……何よりますはそこじゃて! 一つ、試してみようぞッツ!!」

と思い立つや、その場にて即座に、

――よっぴいて、ひょう!

と放った。

 すると矢は、巨人の遺骸へ、尾羽根も隠れんばかりに、

――ぶっす!

と、美事、突き立って御座ったという。

 されば、これを見聴き致いた人々はこれ、

「あっぱれ! 試射し果(おお)せたり!! やんや、やんや!!!」

と、褒めそやして感激せぬ者は、これ、おらなんだ、ということじゃった。

 さて、その大女(おおおんな)の死体、これ、日の経つにつれて、ジュクじゅくジュクじゅくと腐れ朽ちて参ったによって、遺体の周囲、これ実に十~二十町が内は、人が住めずなって逃げ去り、また、立ち入らんとする者も、一人としておらなんだ。

 嗅いだ鼻が腐って落ちんばかりの――あまりの臭さに、堪えきれなんだからであった。

 この後者の一件、先に申した通り、当時、世間にては一切、隠し通してあったのであるが、その×の××と申さるる国司のお方が、その後、任の果てて京にお戻りになられて後、誰からともなく、自然と噂の如く湧き出して、瞬く間に広ごり、かく、語り伝えらるるようになった、とかいうことである。

2015/06/07

博物学古記録翻刻訳注 ■16 滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載

[やぶちゃん注:先般、カテゴリ『毛利梅園「梅園魚譜」』の「ハリセンボン」を翻刻訳注した際、そこに「佐渡には三十種の異魚あり」とあるのに出逢った。諸本を調べてみると、これは滝澤馬琴の考証随筆「燕石雑志」及び「烹雑(にまぜ)の記」がその濫觴らしいことが判明した。そこでこの二つの該当箇所を電子化訳注することとした。

 「燕石雑志」は五巻六冊。文化八(一八一一)年刊。多岐にわたる古今の事物を和漢の書物から引用しつつ、考証したもの。「烹雑の記」も同年刊で、管見するに完全に「燕石雑志」の続編である。

 前者については早稲田大学図書館の画像データベースでダウンロードした原典画像を視認して吉川弘文館「日本随筆大成」第二期第十一巻のそれと校合して、後者は「立命館大学アート・リサーチセンター」の同書の画像及び国立国会図書館デジタルコレクションの同書の画像の二つのデータを同じく「日本随筆大成」の第一期第二十一巻のそれと校合して翻刻した。掲載した図は「烹雑の記」に出る図譜で、「日本随筆大成」第一期第二十一巻のものを使用したが、実は「立命館大学アート・リサーチセンター」の原典の当該画像(以下の-1-2-2下相当画像。同センターの画像はウェヴ公開を商用利用と位置づけて使用許可申請を要求しているので、ここでは以上の通り、リンクを示すのみとした)を見ると、単色乍ら、「日本随筆大成」所収のものとは遙かに異なる画像であることが分かった。特に陰影による魚体のグラデーションやマトウダイの円紋をはっきりと見て取ることが出来る。必見。

 Ⅰでは、ルビは原典画像にあるカタカナをそのまま使用し、一部難読と思われる箇所に歴史的仮名遣で私が読みを附した。読み易さを考えて随筆大成版を参考にしつつ、読点や中黒を追加した。また。原典の角の丸い囲い文字は【 】に代えた。]

 

 

 『滝澤馬琴「燕石雜志」卷之一(十)物の名』より

[やぶちゃん注:《 》は「日本随筆大成」の方にのみ所収が確認出来る頭書で、恣意的に正字化して示した。こちらの引用と訳は、項目ごと、丸々を対象とした。]

□原文

江の源五郎鮒(フナ)は、室町家のとき、錦織(ニシゴリ)源五郎といふもの、湖水(コスイ)の漁猟(ギヨリヤウ)を司(ツカサド)りて、毎朝、大(おほい)なる鮒を京都に進(マヰ)らせしかば、この名ありといふ。佐渡(サド)に鯛の婿(ムコ)源八といふ魚(ウヲ)あり。しか名づけたる故は、しらず。この餘(ヨ)、【トクヒレ】・【瘤鯛】・【針千本】・【箱ふぐ】・【鮫の守り】・【かねたゝき】・【コウフク】・【龍宮の鷄】などいふ魚三十種(シユ)ありとぞ。予(ヨ)、いまだその魚を見ざれば、繪も圖(ヅ)せず。しれる人にたづぬべし。

《こゝに錄せし針千本、箱ふぐの類は、予、いぬる秋、左(さ)の乾(かれ)たるものを得たり。こゝに圖を出さゞるを遺憾とするのみ。》

 

□やぶちゃん注

 原典では「○」が一字分上に突出している。「日本随筆大成」版では上文に続いて、

   *

靜慮云。古歌当作連歌。蒐玖波集十四雑の連歌、

   草の名も所によりてかはるなり

   難波の蘆はいせの濱荻

   *

と出るが(恣意的に正字化した)、これはどう見ても、次の条(地方によって固有名詞の呼称に大きな違いがあるという記載)の枕であるので除去した。

・「錦織(ニシゴリ)源五郎」原則、注を附さないと言い乍ら、早速に禁則破りであるが、大好きな鮒鮨絡みなれば少しだけ。これ、「フナズシ・ドットコム」の「琵琶湖の話 ニゴロブナの由来」に詳しい。それによると、源五郎は元は琵琶湖の漁師であったとあり、身分違いの大納言の姫君に恋をし、彼が父大納言に立派な焼き鮒を献上して姫が食したところ、その腹中より源五郎の恋文が出て参って二人は結ばれたとある。更に同じ馬琴の別の紀行「壬戌羇旅漫録(じんじゅつきりょまんろく)」にも『近江の源五郎鮒は。一説に佐々木家一國の主たりし時錦織源五郎といふ人。漁獵のことを司る。湖水に漁りたる大鮒を。年々京都将軍に獻ず。その漁獵の頭人たるによりて魚の名によび來たれり。』と引用、「錦織源五郎」が「源五郎鮒」に、それが「似五郎鮒」と転訛したという説を示しておられる。何となく、この「錦織」という姓、まさか、な……と思って調べて見たら……フェイスブックのとある御仁の書き込みに、正真正銘、「この」錦織源五郎、「かの」錦織圭のルーツに繋がる宇多源氏佐々木氏の家来だった、とあった。テニスにゃ、全くも以って興味はないが、一応――うっひゃあ!――と言っておこう。

・「トクヒレ」以下に掲げられる異魚については、後掲する「烹雑の記」で詳細に同定注するので注から原則、外した。「烹雑の記」の本文と図のキャプションでは「禿骨畢列(とこひれ)」。

・「コウフク」「烹雑の記」に出る「カウゴリ」と同一であろう。濁音表記しない「カウコリ」の手書き字は「コウフク」と誤写し易いように思われる。現代語訳ではそのままとした。

・「左(さ)の」「左右」で「さう(そう)」と読む「さ」(そ)を「その」の指示語に当て字したものであろう。

・「こゝに圖を出さゞるを遺憾とするのみ」手に入れた秋には本書が校了しており、版木を彫ってしまった後であったのであろう。だから図を附すことが出来なかったのだと推定される。事実、後に示すように、「烹雑の記」の当該箇所の冒頭には、この時のことを回想して記したと思しい、『しかるに、彼(かの)編刻成(なる)のころ、相川の夏海子(なつみし)、件の異魚の乾(かれ)たるを贈れり。〔凡四品。〕」こゝにおいて、その図を載ざるを遺憾とす。故に今、これを圖す』とあるから、間違いない。

 

□やぶちゃん現代語訳

○近江の源五郎鮒は、室町幕府のあった頃、錦織(にしごり)源五郎といふ者が、琵琶湖水に於ける漁猟を幕命によって掌っており、毎朝、大いなる鮒をこれ、京都に進上していたことから、この名があると伝える。佐渡には、「鯛の婿源八(むこげんぱち)」という魚がいる。かく、名づけたその由縁は知らぬ。この他にも佐渡にては、「トクヒレ」・「瘤鯛」・「針千本」・「箱ふぐ」・「鮫の守り」・「かねたたき」・「コウフク」・「龍宮の鶏(にわとり)」などという、奇体な魚が三十種もいるとのことである。私は未だその異魚類を見たことがないので、絵も描くことが出来ない。そのうち、知れる人に尋ねてみようと思っている――ここに載せた「針千本」及び「箱ふぐ」の類いについては、私は昨年の秋、その乾したものを手に入れた。入れる余裕がないので図を出せないことを遺憾とするばかりである――

 

 

 『「烹雜の記前集 上二卷」「二 多湊(さはと)ぶり」』より

[やぶちゃん注:同標題内の一条。「多湊(さはと)」とは冒頭で「佐渡はさはとの中略なり」とあるように、この「多湊ぶり」の章は膨大な佐渡の物類呼称及び地誌・物産誌に相当する。ここでは標題の佐渡異魚三十種と、それに続くところの海洋生物関連らしきものを含む記載までとした。但し、図Ⅰはその後に続く佐渡産の奇石類等の絵を多く含んでおり、それがまた、すこぶる興味深く、原文を示して注したい願望に駆られるのであるが、そうするとまたまた本テクストの公開が遅れるので、またの機会としたい(左画面下に画師の署名と落款があるが、これは「辰斎」で、葛飾北斎門人であった柳々居辰斎である)。一つだけ指摘しておくと、奇石の図の中に、さり気なく配されてある中央下の「カニツカ」(右図の左端。蟹塚。蟹の墓場の謂いであろう)、キャプションは『蟹のぬけたるそのはさみ、浪にゆりよせられいくつともなく、つきて、蓮花の如し。これは佐渡ならでもあり。今、童蒙の爲にこゝに圖す』とあって、これは極めて高い確率で足動物門甲殻亜門顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚下(フジツボ)綱下綱完胸上目有柄目ミョウガガイ亜目ミョウガガイ科カメノテ Capitulum mitella のことを指している。佐渡ではカメノテを食べることを私は確認している。〔 〕は割注。《 》は頭書(漢文脈箇所は訓読し、「々」の字を正字化した)。こちらの原典はほぼ総ルビであるが、五月蠅いので取捨選択してパラ・ルビとした。読み易さを考えて一部に改行を施した。]


図Ⅱ-1

Nimaze01
図Ⅱ-2

Nimaze02

□本文原文

佐渡に三十種の異魚ありといふ。予、曩(さき)に燕石雜志を編(あめ)るとき、その三、四種を載(のせ)たりしが、いまだ形を見ざりき。しかるに、彼(かの)編刻成(なる)のころ、相川の夏海子(なつみし)、件の異魚の乾(かれ)たるを贈れり。〔凡四品。〕」こゝにおいて、その図を載ざるを遺憾とす。故に今、これを圖す。所云(いはゆる)三十種の異魚は、

○「とこひれ」〔文鰩魚(とびうを)に似たり。六ノ稜(かど)、及、小き刺(はり)あり。〕

○針千本〔かたち、しほさえふぐといふものに似て、全身に刺(はり)あり。〕

《追考。「和名鈔」に『鯸1(コウイ)、和名布久閉(フクベ)、之を犯ときは則、怒る。怒れは則、腹、脹(ハ)りて水上に浮み出る者なり。』。これ、江戸の俗の、「しほさえふぐ」と唱るものなり。石伏は1なり。「和名鈔」に、『「1」は、音、夷。和名、「伊師布久」、性、伏沈して石間に在る者なり。』。》

[やぶちゃん字注:「1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。]

○箱河豚〔海すゞめといふものに似たり。〕

○鯛の聟(むこ)源八〔鯛に似て、極(きはめ)てちひさし。〕

○鮫の守(まも)り〔魚にあらず、海ほうづきといふもの如し。又、そのかたち、藤(ふぢ)まめに似たり。〕

○鉦たゝき〔鏡鯛に似たり。〕

かうごり〔末ㇾ詳、石伏(いしふし)の事にや。石伏の一名を「ゴリ」といふ。このもの、二種あり。海・河ともにあり。眞物(まもの)は、腹の下に、ひれありて、杜父魚(とほぎよ)に似て、小なり。声ありて夜(よる)鳴く。ひれに、はりあり。海なるは、やわらかにして、河なるは、するどきよし、「山海名産圖会」にいへり。「カウゴリ」は、河石伏(かふごり)なるべし。〕

○瘤鯛(こぶだひ)〔佐渡にてかんたひといふ、これにや。未ㇾ詳。〕

○海馬(かいば)〔佐渡ならでもあり。大きなるは稀なり。〕

○竜宮雞(りうぐうのとり)〔鬼頭魚の奇品なり。〕

この類、三十種ありとぞ。余はいまだ詳(つばら)ならず。これらを本草に考なば、漢名(かんみやう)のしらるゝも、又、能(のう)・毒もあるべけれど、今、倉卒(さうそつ)の間(あはひ)に錄(ろく)するをもて漏(らう)せり。他日(たじつ)、考(かふがへ)たゞすべし。〔トコヒレ鉦たゝき竜宮の雞は、ある人所蔵の画幅を臨写す。〕

又海中に生ずる異草四種あり。

○雪海苔〔土呼(とちのとなへ)は詳ならず。〕

○蔓藻〔海藻(もくず)なり。〕

○海松(かいせう)

○海柳(かいりう)

[やぶちゃん注:ここには原典で改行がある。]

又、海濱(うみべた)に稀に流れよるもの四種。

○藻玉(もたま)

○蛸船(たこふね)

○巨葭(おほよし)

○椰子(やし)〔今按ずるに、藻玉(もたま)、一名(いちみやう)「藤榼子(とうかふし)」、一名「猪腰子(ちよようし)」。この物、蛮國に生ず。「本草綱目啓蒙」卷ノ十四の上、「榼藤子(たふとうし)」の条下を考ふべし。蛸舟(たこふね)は、相摸の江ノ島にていふ鰹の烏帽子(えぼし)の類(たぐひ)なるべし。又、按ずるに、「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十、背椰子の條下に、椰子、通名(つうめう)「ヤシホ」、又、津軽にては、「タウヨシノミ」といふよし、見えたり。〕

[やぶちゃん注:ここには原典で改行がある。]

又、花卉(かさう)・鳥獣は、

○黒萩(くろはぎ)〔小倉村にあり。他所(たしよ)にあるは葉、短し。〕

○白蒿(しろよもぎ)〔小泊村、及、西三河にあり。〕

○雪割草〔方言、未だ詳ならず。銀山にあり。又、他所にもあり。〕

○福壽草〔小川村・達者村の辺、特に多かり。〕

○人參草(にんじんさう)〔長江・栗(くり)ノ口・大野等の村にあり。〕

○鷲の巣〔二見(ふたみ)・北2・岩屋口(いわやくち)・関願(せきぐわん)・深浦(ふかうら)・沢崎(さわさき)・大杉(おほすぎ)等(とう)の村々にあり。〕[やぶちゃん字注:「2」「犭」+「夷」。]

○寄鯨(よりくじら)〔稀にあり。〕

瑁(たいまい)〔このもの、元文三年のころ、獲たりし事ありとぞ。海亀(うみかめ)は常にあれども、玳瑁は、そのゝち、聞えず。〕

○海獺(うみをそ)

○海豹(かいひやう)〔稀にあり。〕

○葦鹿(あしか)〔北海の俗、「トヾ」といふ。〕

○山獸は狸と兎のみなり。貉(うじな)ありといへども、狸に混雑して慥(たしか)ならずとなん。

○雪なだれ〔形、海月(くらげ)に類す。その色、潔白にして、雪の解(とく)るがごとし。この物、稀にあり。土俗(とちのひと)、これを「雪なだれ」といふ。これ、「大和本草」に所云(いはゆる)、北海に雪魚(ゆきうを)あり。方一丈餘(よ)、その形、鰈(かれい)のごとし。その肉、白くして雪のごとく、脂(あぶら)なし。好(このみ)て海上に睡(ねむ)ると、いへり。これなるべきよし、ある物にしるされたり。〕

 

-1図右上の「針千本」(ハリセンボン)のキャプション

 針千本

かたちは、「しほさへふぐ」の如くして、惣身の刺(ハリ)は、栗のいがの如し。

 

-1図左上中央の「箱フグ」(ハコフグ)のキャプション

 箱フグ

「海すゝめ」に似て、かたち、もつとも四角なり。

 

-1図左上の「鯛ノ聟源八」(マツカサウオ)のキャプション

 鯛の聟 源八

鯛に似て、極めてちひさく、鱗は甚だ、するどし。

 

-2上図の「禿骨畢列」(トクビレ)のキャプション

 禿骨畢列〔とくひれ魚〕

解(とく)、按ずるに、方言「とこひれ」とは、「長鬣魚(とこひれうを)」の義にや。又、「鋭鰭(ときひれ)」の義にや、「こ」と「き」と通ず。この物、鮫の種類ならん歟(か)。目は黄なり。頭より脊(せなか)に至(いたり)て、すべて薄靑(うすあを)色也。鰭の端は褐色(かちいろ)にて、その餘(よ)は水色に薄黒を帯(おび)て、斑(まだら)に点あり。鰓(あぎと)の端、少(すこし)許、紅(あかし)。

[やぶちゃん字注:以下、下段。]

或記云(あるひとのきにいはく)、此(このうを)、全躰(ぜんたい)、文鰩魚(とびうを)に似たり。六の稜(かど)に小(ちひさ)なる刺(はり)あり。針毎(こと)に細脉(こまかなるすぢ)、亀甲の紋の如し。その質(しつ)、堅硬(かたし)。乾枯(ほしからし)たるものは、年を径(ふ)れども壞(やぶ)れず、径(ふ)ること久しければ、褐色(かちいろ)に變じて、漁人(ぎよじん)、肉を食(くら)ふこと、をしまず。只、乾腊(ほしなし)として玩物(もてあそび)に供(けうす)るの者、長大なるものは、長さ尺餘(よ)なり。上下の長鬣(ちやうれう/ナガキヒゲ[やぶちゃん字注:後者は右に附す。])これをひらけば、雨傘(からかさ)の如し。他魚(たのうを)とおなじからず、といふ。

 

-2下図の「龍宮の鷄」(アカナマダ?)のキャプション

 龍宮の鷄

或(あるひと)のいへらく、「龍宮鷄(りうぐうのとり)」とは、佐渡の方言也。これ、「鬼頭魚(おこじ)」の奇品なるものなり。後(うしろ)に冠(かん)ありて、鷄(にわとり)に似たり。横肚(よこはら)に小(ちいさ)なる方点(はうのてん)、高起(たかくいで)て、刻鏤(きざみゑれ)る如し、乾枯(ほしから)したるものは堅硬(かたく)して、海馬(かひば)に似たり。今、按するに、全體、その色、薄紅(うすくれなゐ)にして、火魚(かなかしら)の如し。實に「おこし」の種類なるべし。

 

-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション

 鉦敲魚

この魚は佐渡のみにあらず、相(さがみ)・豆(いづ)の海中に多くあり。或(あるひと)いへらく、魚の形、大小、一ならず、大なるものは尺(しやく)許(よ)に至るもあり。鱗、なし。その色、薄黑(うすすみ)に靑と黄を帯(おび)て、光澤(つや)あり。横肚(よこはら)は水色の中に薄紅(うすくれなゐ)を帯(おび)たり。鰺(あぢ)の如し。両面に黒圓(くろまろき)紋(もん)あり。この魚、脂(あぶら)ありて、味(あぢわひ)、美なり。相(さがみ)・豆(いづ)の海中、冬・春の交(あいだ)、多くこれを獲る。漁戸(れうし)、これを「的魚(まとうを)」といふ。又、「賀陀比(かだひ)」と呼ぶとぞ。

[やぶちゃん注:以下、同個体の尾鰭の下方にある。]

今、按するに、これ、江戸にていふ「加々美夛比(かかみたひ)」の奇品なるべし。

 

   琴嶺興継写 (落款)(落款)

 

□やぶちゃん注

・「相川の夏海子」佐渡相川生まれの絵師石井夏海(天明三(一七八三)年~嘉永元(一八四八)年)。通称は静蔵、別号に安瀾堂。絵画を谷文晁と紀南嶺に、測量や油絵を司馬江漢に学んだ。佐渡奉行所地方付(じかたつき)絵図師として天保八(一八三七)年、子の文海とともに伊能忠敬作成の「佐渡図」を改訂した。滝沢馬琴・式亭三馬らと親交があり、狂歌も詠んだ。戯作「小万畠双生種蒔(こまんはたけふたごのたねまき)」などの創作もものした(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠る)。「日本随筆大成」の丸山季夫氏の解題によれば、この「烹雑の記」に記された膨大な佐渡の情報や資料の多くは、この夏海から齎されたものと言われているとある。個人ブログ「佐渡広場」の「佐渡の画廊37:石井夏海・文海の絵画・絵図」で豊富な画像とともに、この石井夏海の業績を知ることが出来る。必見!

・「とこひれ」解説よりなにより、附図を見れば一目瞭然、これは条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目カジカ亜目トクビレ科トクビレ亜科トクビレ属 Podothecus sachi である。ウィキの「トクビレ」によれば、『ハッカク(八角)のほか、サチなど多くの地方名』があり、『和名のトクビレ(特鰭)は、雄にみられる大きな背鰭と臀鰭から付けられた。北海道と関東ではハッカクといい、これは角張った体の断面を八角とみた。青森ではサチといい、学名の Sachi はこれによる。他にヒグラン、フナカヘシ、ワカマツなどがある。北海道では雄をワカマツ、雌をマツヨ、あるいは雄をカクヨ、雌をソビヨと呼び分ける地域もある』とある。『トクビレは北日本・ピョートル大帝湾・朝鮮半島の東岸など、太平洋北西部を中心に分布する海水魚である。沿岸の浅い海で暮らす底生魚で、岩礁や砂泥に体を横たえ、甲殻類や多毛類を主に捕食する』。『体は細長く角張っていて、頭が鼻先に向けて尖る。ホウボウの仲間と類似し』、体長は四十~五十センチメートル程度まで成長する。背鰭は八~十本の棘条と、十二~十四本の軟条で構成されるが、鰭の形態に性的二形があり、雄の第二背鰭と臀鰭の軟条が異様に長く発達するのを特異的差異として観察出来る。また、『吻(口先)が長く突き出ており、腹側に』十本以上の『短い口ヒゲを有することが、近縁種との明瞭な鑑別点となる』(附図はそれも描いている)。『本種は味の良い白身魚で、日本では底引き網・定置網・刺網などで漁獲される。刺身・ 塩焼き・干物・軍艦焼き(腹に味噌を詰めて焼く郷土料理)など、さまざまな調理法が知られている』とある。所謂、異形に属する魚体ながら、私も大変に――見るのも食うのも――好きな魚である。

・「文鰩魚(とびうを)」「随筆大成」版は『文鰡魚』とし、ルビを振らないが、原典二種の画像を見る限り、私には「鰩」としか見えず、しかも孰れもはっきりと「とびうを」とルビする。因みに「鰡」はボラである。このトクビレ、ボラとトビウオ、どっちに似ているかといったら、私は断然、トビウオと思う。

・「針千本」条鰭綱刺鰭上目スズキ系フグ目ハリセンボン科ハリセンボン Diodon holocanthus 。附図は怒張し状態に模して乾燥させた加工品の図と思われる。同種の詳細については、私の『毛利梅園「梅園魚譜」ハリセンボン』の注を参照されたい。

・「しほさえふぐ」呼び名からは現在のフグ目フグ亜目フグ科トラフグ属ショウサイフグTakifugu snyderi が想起されるが、ネット情報を見ると、現在でも同じトラフグ属のコモンフグ Takifugu snyderi を「ショウサイフグ」と呼称する地域や市場もあるとあるので、必ずしも特定同定はしない方が無難である。なお、「ショウサイフグ」は漢字では「潮際河豚」「潮前河豚」などと表記するようであるが、参照した「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ショウサイフグ」によれば、『もとは東京、江ノ島、大阪などでの呼び名。意味由来は不明だが、このように細かな斑文のあるコモンフグも「しょうさいふぐ」という地域があり、波の崩れる様を思わせるためか?』とあり、さらに江戸で好んで食われた「フグ」はこのショウサイフグであったことを示唆する内容が書かれてある。さすれば、馬琴がこう言ったことを考えれば(馬琴は頭書で『これ、江戸の俗の、「しほさえふぐ」と唱るものなり』と言っている点にも着目されたい)、ショウサイフグ Takifugu snyderi に同定してよい可能性はかなり高いとも言えるように思われる。

・『「和名鈔」に『鯸1(コウイ)……』(「1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。)源順の「和名類聚鈔」には、

   *

1魚 崔禹錫「食經」云、鯸1〔侯怡、二音。和名、布久。一云、布久閉。〕犯之則怒。怒則腹脹、浮出水上者也。

   *

とある。「1」は音「イ」で、「廣漢和辭典」によれば、中国ではフグを指す。

・「石伏」は現在は通常、「いしぶし」と訓じ、小石の多い水底にいる魚の意で、ハゼ科のウキゴリ、カワアナゴ科のドンコ、ハゼ科のヨシノボリといった淡水産のハゼ型をした魚類の別名として通用しているが、どうもその他にも雑多な河川性の淡水魚を広範に指す語と思われる(但し、くどいが中国では「1」はフグを指す)。「和名類聚鈔」には、

   *

1 崔禹錫「食經」云、1〔音、夷。和名、伊師布之〕、性、伏沈在石間者也。

   *

とあり、馬琴の「伊師布久」は誤字或いは誤刻である。

・「箱河豚」フグ目ハコフグ上科ハコフグ科ハコフグ属ハコフグ Ostracion immaculatus 。詳しくは、『毛利梅園「梅園魚譜」ハコフグ』の私の注を参照されたい。

・「海すゞめ」ハコフグ科コンゴウフグ属ウミスズメ Lactoria diaphana 。ネット上の記事を読むと、最近、市場ではハコフグと一緒くたにされて売買されているようであるが、ウミスズメには眼の上部や尻鰭の基部の前方に短い棘状突起があることで容易に識別出来る。

・「鯛の聟源八」棘鰭上目キンメダイ目マツカサウオ科マツカサウオ Monocentris japonica 。詳細については、やはり私の先の『毛利梅園「梅園魚譜」ハリセンボン』の注を参照されたい。

・「鮫の守り」図を見て戴ければこれも一目瞭然、軟骨魚綱メジロザメ目トラザメ科トラザメ Scyliorhinus torazame の卵嚢と同定してよかろう。ウィキの「トラザメ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を¥も変更した)トラザメの『雌は輸卵管一本につき一個、合計二個の卵を産む。卵は滑らかで半透明、花瓶型をした黄色い卵鞘に包まれている。卵鞘は幅一・九センチメートル、長さ五・五センチメートルになる。卵鞘の四隅には長い巻きひげがある。卵は特定の成育場に産み付けられ、例えば函館の水深百メートルの地点にそのような場所がある。胚は、三・六センチメートル時点では外鰓を持ち、鰭は未発達で色素はない。五・八センチメートルになると外鰓が消失し、皮膚が小さな皮歯で覆われ始める。七・九センチメートルになると、よく発達した鰭と色素を持つようになり、成体と似た姿になる』。孵化までには水温によって差があり、一五ヶ月から七~九ヶ月がかかり、孵化時の大きさは概ね八センチメートル以上になる、とある。「鮫の御守り」という名は実に言い得て妙の美しい名である。卵嚢の中に小さな鮫がいることから「鮫の」と正しい親が知られ、その形から御守りとした、この美しい日本の古き良き市井の人々を、私は限りなく愛する。英語の“Mermaid Purse”(人魚の財布)の品のなさはどうか! 私の『生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 三 卵 (3) 鮫の掛け守とうみほおずき 又は ……あなたは「うみほおずき」を鳴らしたことがありますか……僕には……あります……に絵が出る。

・「海ほうづき」腹足類(巻貝)の卵嚢の呼称。植物のホオズキの実と同様に、口に含んでキュッキュッと音を鳴らして遊んだ。若い人は実物さえ見たことがもうないであろう。少し、哀しい気がする。前に引き続き、是非、『生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 三 卵 (3) 鮫の掛け守とうみほおずき 又は ……あなたは「うみほおずき」を鳴らしたことがありますか……僕には……あります……の図と私の注をお読み戴きたい。……キュッ……キュッ……という音とともに……遠い日の……私の思い出が……甦る……

・「藤まめ」マメ目マメ科マメ亜科フジ連フジ Wisteria floribunda の実。グーグル画像検索フジの豆をリンクしておく。

・「鉦たゝき」キャプションをお読みあれ。これはもう、新鰭亜綱棘鰭上目マトウダイ目マトウダイ科マトウダイ属マトウダイ Zeus faber である。冒頭で述べたように、「立命館大学アート・リサーチセンター」の原典の当該画像でキマリだ! ウィキの「マトウダイ」から引く(注記記号は省略した。下線部やぶちゃん)。『口が前に伸びて馬面になる』『が、体側面に弓道の的のような特徴的な黒色斑をもち、マトダイ(的鯛)などとも呼ばれる『地方名に、カガミダイ(福島県、千葉県)、ハツバ(千葉県小湊)、カネタタキ(新潟県、愛媛県宇和島市)、クルマダイ(新潟県、富山県、石川県、福井県)、モンダイ(石川県能登町宇出津)、バト(福井県)、バトウ(京都府与謝郡、島根県)、ツキノワ(鳥取県)、オオバ(山口県萩市)、ホンマト(愛知県豊橋市)、マトウオ(和歌山県太地)、マトハギ(和歌山県串本)、マトウ(兵庫県)、ワシノイオ(福岡県)などがある』。『漢名は「海魴」、別名に遠東海魴、日本的鯛、月亮魚などがあり、英語のdoryに基づく多利魚という言い方もある』。『本種は英語で「John dory」と呼ばれるがその起源ははっきりわかっておらず、フランス語の「jaune d'orée(黄色い辺縁をもつもの)」など、由来については諸説ある。一方、ドイツ語(Petersfisch)・フランス語(Saint-Pierre)・スペイン語(pez de San Pedro)など他の複数の言語では、キリスト教における十二使徒の一人、聖ペトロにちなんだ名前で呼ばれる。聖ペトロは貢物のお金をマトウダイの口から取り出したとする伝承があり、本種の黒色斑はこのときにつけられた聖ペトロの指紋に見立てられている。また、英語でも的に見立てた「target perch」という別名もある』。『マトウダイは西部太平洋・地中海・インド洋・東部大西洋に分布する海水魚である。日本の近海にも多く、本州中部から東シナ海にかけての沿岸域に生息する。温暖な海の海底付近で暮らす底生魚で、群れは作らず単独で遊泳していることが多い』。『通常の食性は魚食性で、ときおり甲殻類や頭足類を捕食する。産卵は冬から春にかけて行われ、具体的な時期は地域によって異なる。卵は分離性浮性卵で、仔魚および稚魚は浅い海で成長した後、次第に』水深五十~百五十メートルの『深みに移行する。成長は比較的遅く、性成熟には』四年を『要することもある』。『左右に平たく、著しく側扁した楕円形の体型をもつ』。全長四十センチメートルほどの個体が多いが、最大では九十センチメートルにまで達する。『口は大きく斜め上向きで、前方に素早く突き出すことができ、そうやって餌をとらえる。稚魚の体はほぼ円形で、黒色~褐色の不規則な縦縞をもつ』。『体の両側面には明瞭な縁取りをもつ円形の黒色斑が存在し、本種の大きな特徴となっている。眼に似ていることから眼状斑とも呼ばれ、幼魚のときは鮮明だが成魚になるとやや不鮮明になる。同じマトウダイ科に所属する近縁のカガミダイ(Zenopsis nebulosa)は本種とよく似た姿をしているが、黒色斑が不明瞭であること、頭部背側がやや陥凹することなどで区別される』。背鰭の棘条は九~十一本で、『前方部の鰭膜は糸状に細長く伸び』背鰭軟条は二十二~二十四本、尻鰭は四本の棘条と二十~二十三本の軟条で構成されている。『鱗は微小で、皮膚に埋もれる』。『白身魚で、味が良いため日本を含む世界各地で食用として利用され』、『旬は産卵期の前で、刺身・煮付け・唐揚げ・フライ・鍋料理などさまざまな方法で調理される。 肝も大きいため食用とされる』とある。

・「鏡鯛」マトウダイ目マトウダイ科カガミダイ属カガミダイ Zenopsis nebulosa 。前注引用にあるように、的が妙に薄くはっきりせず、何よりも、頭部の眼の上のオデコの部分が有意に凹んでいるのでマトウダイとは容易に識別出来る。馬琴先生、キャプションの『これ、江戸にていふ「加々美夛比(かかみたひ)」の奇品なるべし』は蛇足でごわした。

・「かうごり」最後の『「カウゴリ」は、河石伏(かふごり)なるべし』は腑に落ちる。以下、ウィキの「ゴリ」が多様な種を含む「ゴリ」の総説としてよいので、まず引用させてもらう。『ゴリ(鰍、杜父魚、鮖または鮴)は、一般的には典型的なハゼ類の形をした淡水魚を指す一般名、地方名である。ただし、一部にメダカ類やシマドジョウ類を指す地方も存在する』。「ゴリ」は特定魚類の『標準和名ではなく、ゴリの名で呼ばれる魚は地方によって異なる。スズキ目・ハゼ科に属するヨシノボリ類、チチブ類、ウキゴリ類など小型のハゼ類や、カサゴ目・カジカ科に属するカジカ類、あるいはその両方を合わせて呼ぶ場合などがある。「ゴリ」という語が標準和名に組みこまれているのは、ハゼ科・ウキゴリ属のウキゴリ類だけである』。『これらはいずれも川底に生息する淡水魚で、ハゼ類に典型的な大きな頭部、飛び出した目、大きな口などが特徴である。体色は褐色から暗褐色』で、概ねかく呼称される魚類は全長数センチメートル程しかない『小型魚である。一般に種類ごとの特徴がわかりにくく、よく似ている。ハゼ科の「ゴリ」では』、二枚の腹鰭が合わさって一つの吸盤のような役割を担っていて、『これで水底の岩などに吸い付くことで流れの比較的速い川にも生息できる。また、宮城県、島根県、高知県、大分県などの沿岸地域ではハゼ類の幼魚をゴリとよぶ場合がある』(カジカ類の腹鰭ではこうした吸盤化は見られない。本記述で馬琴が「眞物は、腹の下に、ひれありて」という叙述はその特徴を指そうとしているように読める点、正確である)。『青森県の南部地方、石川県の一部などでメダカを指す例があり、岐阜県郡上市ではシマドジョウを指す例がある』。『全国的には、淡水に生息するハゼ類がゴリと呼ばれる場合が比較的多い。しかし、琵琶湖近郊やその重要市場である京都市や徳島県などでは、ハゼ科のヨシノボリのことをゴリと呼ぶ』。『高知県、特に四万十川、それに和歌山県の東部ではハゼ科のチチブの幼魚をゴリと呼ぶ』。『地方によっては、ゴリカジカ、ゴリンベト、ゴリンチョ、ゴリンジョ、ゴリンドーなどの呼び名を使う例もある』。『日本語で「鰍」は「ゴリ」を意味するが、中国語で「鰍」はドジョウを意味する。中国語で「ゴリ」は、「杜父魚」と書かれる』。なお、慣用句の「ごり押し」について、『ハゼ科の「ゴリ」は、吸盤状の腹ビレで川底にへばりつくように生息するため、漁の際には網が川底を削るように、力を込めて引く必要がある。この漁法が、抵抗があるところを強引に推し進めるという意味の「ごり押し」の語源となっているという説がある』とある。

「このもの、二種あり。海・河ともにあり」一般にはゴリ類は河川性の純淡水産と思われがちであるが、実際には前の引用に出る「ゴリ類」の代表種であるチチブ・ヨシノボリ・ウキゴリなどは海と川を回遊し、河口付近の汽水域にも姿を見せるから、おかしな言いではない。また私は当時の「ゴリ」という呼称はハゼ型の形態を示すあらゆる魚類の汎称であったと考えており、そうすると純海産のマハゼやトビハゼなどをも含んでいたに違いなく、この謂いはしっくりくるのである。

・「杜父魚」最も真正にして代表的な「ゴリ」であるところのカサゴ目カジカ科カジカ(河鹿)Cottus pollux 及びその近縁種の漢名。本邦では「鰍」が一般的(但し、この字は中国ではドジョウを意味する)。以下、ウィキの「カジカ」より引く。『地方によっては、他のハゼ科の魚とともにゴリ、ドンコと呼ばれることもある。 体色は淡褐色から暗褐色まで、地域変異に富んでいる。日本固有種で、北海道南部以南の日本各地に分布する。ただし、北海道に生息するのは小卵型のみである』。『分類については定説がまだなく、 大卵型(河川陸封型)中卵型(両側回遊型)小卵型(両側回遊型)をそれぞれ別種に、湖沼陸封型は小卵型と亜種に分ける説なども出ている』。『生活型によって、一生を淡水で過ごす河川型を大卵型、孵化後に川を下り稚魚の時期を海で過ごして成魚になると再び遡上する小卵型、琵琶湖固有のものをウツセミカジカ Cottus reinii と分けることが多かったが、近年の研究により小卵型にウツセミカジカを含め、大卵型と小卵型に分けるようになった。また、これらは別種レベルの違いがあると考えられている。大卵型は、山地の渓流などの上流域を中心に、小卵型は中流域から下流域にかけて生息する。石礫中心の川底を好み、水生昆虫や小魚、底生生物などを食べる』。以下、三タイプの解説。河川型(湖沼陸封型)は『淡水を生活圏とし、水棲昆虫を餌とする。きれいな水を好みイワナやヤマメ、アマゴ等の魚と生息域が重なる。カジカ及びカンキョウカジカの性的成熟は』一年魚以上で、は体長七センチメートル、は体長六センチメートルを越えると産卵を行う。『卵には付着性があり卵塊となって石に付き、オスが孵化まで保護をする。産卵床の形成場所は、比較的流れの緩い"平瀬""とろ場"が多く、浮き石や沈み石は用いない。また、泥砂質の河床も利用しない』。開口部が一箇所しかない『洞窟状になった動きにくい石の河床との隙間が多く利用される。水通しの悪い卵塊では、ミズカビに犯され孵化しない』。『山地渓流の個体はダムや砂防堰堤などの構造物の設置によって移動が妨げられ、個体群の分断化がより進行している。また、平地域の個体は、埋め立て、コンクリート護岸化、道路建設などによって生息適地が縮小し、湧水量の減少にともない生息数が減少している』。両側回遊型は『比較的流れの緩やかな砂礫質の川底を好む。広い分布域を持つが、ダムや堰の建設により降海と遡上が阻害され全国的に減少している』。降河回遊型は『河川(淡水)で繁殖を行い、稚魚期を海水中で過ごし河川に遡上する。稚魚期は河口付近の表層を遊泳し、有る程度成長すると着底生活を送』り、孵化後八十日前後の三十ミリメートル程度に成長すると『遡上を開始すると考えられ』ている、とある。なお、「杜父魚」を近縁種であるカジカ科カマキリ Cottus kazika(一般には「アユカケ」の異名の方が知られ、太平洋側は神奈川県相模川以南に、日本海側は青森県岩崎村津梅川以南に分布)に同定する辞書もある。

・「声ありて夜鳴く」これは「河鹿鳴く」の和歌に詠まれ、前の「ゴリ」の代表種であるカサゴ目カジカ科カジカ Cottus pollux に混同誤認された両生綱無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル Buergeria buergeri の鳴き声と思われる。現在でもこう誤認されている方は結構多い。因みに、カジカを獲らえた際にキューとかギーとか鳴くというのは、事実ではあるが、凡そ、この反証にはならない。

・「山海名産圖会」五巻から成る物産図会。木村蒹葭堂(けんかどう)序・蔀(しとみ)関月画で、撰者は蒹葭堂ともいうが不詳。「日本山海名物図会」再板(寛政九(一七九七)年板行。五巻。平瀬徹斎編著・長谷川光信画。江戸中期以降の物産会所や物産学の隆盛を背景に初版は宝暦四(一七五四)年板行。鉱山業・農林水産・民芸・軽工業・市など庶民生活に関する産業技術を図解している優れた物産図会である)のあとをうけて寛政十一(一七九九)年大阪の塩屋長兵衛を板元として刊行されたもの。私は所持していないが、先行する「日本山海名物図会」はあるので一応見てみたところ、こちらにもゴリの記載はあるものの、ここで馬琴が述べている淡水産と海産の相違は語られていないように思われる。

・「瘤鯛」これは現行でもスズキ目ベラ亜目ベラ科タキベラ亜科コブダイ Semicossyphus reticulatus で、また馬琴が佐渡方言とする「かんたひ」は「カンダイ」であり、これは現行でも方言ではなく、コブダイの、頭部の上下が異様に大きく瘤状に膨れあがっているところの、の呼称である(本種は後で示すように成長過程でからへ性転換する雌性先熟である)。以下、ウィキの「コブダイ」から引く。『日本南部の太平洋、東シナ海、南シナ海に分布している』。は体長八十センチメートルから大型個体では一メートル超に達する。『体色は茶色や黒、白色などが入った赤色』、『雌性先熟で、子供の頃はメスで、卵を産む』が五十センチメートルを超える頃から『コブが張り出してきて、オスに性転換する』。『名前の由来である頭部の上下は大きな瘤状に膨れあがっている。雌はカンダイと呼ばれ、雄に比べて遙かに小さいために、かつては別な種類の魚だとさえ思われており、雄のように頭部が異様な形にはならず、体長も大きくても雄の半分ほどにしかならない。口には巻き貝を砕くために大きな歯と強力な顎を持つ』。『幼魚は体色がオレンジ色で上下の鰭が黒く、白い線が体の横に入り、成魚とは大きく異なる』。『本種はハーレムを創る魚として有名であり、雄は自分のテリトリーを主張し、そこに入ってきた他の雄を容赦なく攻撃して、縄張りを確保しながら、複数の雌を呼び寄せる性質を持つ。また、幼魚には手を出さず、幼魚はそうして成魚に守られながら成長し、学習していくともいわれる』。『非常に強力な顎と硬い歯でサザエやカキ、カニなどをかみ砕き、喉の奥の咽頭歯で更に砕いて中の肉を殻ごと食べてしまう。繁殖は雄と雌が海上付近で体をくねらせながら産卵、受精する』。『本種は暖海性だが、死滅回遊魚でもあり、黒潮に乗って、北海道付近にまで北上することもある』。寿命は二十年前後とされている、とある。カンダイは旬である時期から、「寒鯛」かと推定される。

・「海馬」トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の大型種の大型成体個体と思われる。本邦産のタツノオトシゴ類は「本朝食鑑 鱗介部之三 海馬」の私の注を参照されたい。

・「竜宮雞(りゆうぐうのとり)」という訓から容易に連想されるのは「龍宮の使い」という和名であろう。確かにウィキの「リュウグウノツカイ」を見ると、『中国・台湾では「鶏冠刀魚」』と呼ぶとあり、ミクシィの投稿記事には京都府での同種の呼称として「リュウグウノツカイ」が出る。いやいや……極め付けがある……東北芸術工科大学東北文化研究センターのアーカイブズの絵葉書にちゃんとリュウグウノツカイが描かれておってそこには「リュウグウノニワトリ」と書いてありまんがな……しかしでんなぁ、この附図のそれは、どうみても、

新鰭亜綱アカマンボウ目リュウグウノツカイ科リュウグウノツカイ Regalecus glesneグーグル画像検索「Regalecus glesne

にしては体長も如何にも寸詰りやし、「使い」らしゅう、おまへんがな。……かと言うて、少し短そうな、

フリソデウオ科サケガシラ Trachipterus ishikawae(グーグル画像検索Trachipterus ishikawae

も「鷄」にゃあ、見えへんし……そっか、「龍宮の使い」や「鮭の頭(かしら)」(クリチャーのギミックめいた頭部構造から「裂け頭」とついたという説もあるが、私は採らない)みたようなお偉いさんやのぅて……「龍宮の庭先で飼ってるニワトリ」だんがな!……じゃけ、これは紅い鶏冠(とさか)みたようなものがおますんやろ……と、当てずっぽうで調べて見れば、それらしいんは、

アカマンボウ目フリソデウオ科フリソデウオ Desmodema polystictumグーグル画像検索Desmodema polystictum

か? いやいや!

アカマンボウ目アカナマダ科アカナマダ Lophotus capelleiグーグル画像検索「Lophotus capellei

が私にはピン! と来た! 背鰭の紅が鶏冠や! わては勝手にこれに決めました! まずはウィキの「アカナマダ」から解説を引く。体長は七十センチメートルから一メートルを越える程度だが、大型個体では二メートルを越えるものもいる。『太平洋と大西洋の暖海域に分布し、日本でもまれに漁獲され、主に北海道函館沖、神奈川県相模湾から鹿児島県沖、高知県沖、山口県沖などで漁獲、もしくは台風などの後に海岸に打ち上げられる事がある』。『強く側扁した細長い体や灰色の体色、基底が長く、頭部分の張り出しが目立つ赤色の背鰭といった特徴からフリソデウオ科の魚に似るが、臀鰭があることや前頭部が隆起していることで区別できる。口には幾つか歯が生えている』。『うきぶくろの下方に墨汁嚢を持ち、肛門から墨汁のような液を噴出する奇妙な習性がある』。『深海魚なので、詳しい事は不明。他のアカマンボウ目の魚類のように、表層部分を頭部を上にして漂っていると言われるが、定かではない』。『墨汁を吐くのは敵から身を守るためと云われるが、太陽の光が届かない暗黒の深海で墨汁を吐く意味と必要性については確かめられておらず、謎に包まれている』とある。――さても、そもそもがこの附図の個体、頭が如何にもニワトリニワトリしているのが、却って怪しいじゃないか?! 鰓部から上の鶏じみた頭部はこれ、明らかに時間が経って大方の部分が剥落したといった感じで見た方が自然に理解出来ると私は思う。前頭部からひょろりと出ているのが、生体では旗指物のように見える刎部直上に生える赤色の背鰭痕跡であるらしいこと、尻鰭があることなどから私はアカナマダに譲らないのである。なお、アカナマダは「赤波馬駄」と書くらしいが、「ナマダ」というのは関東でウツボを指す語である。これは「赤いウツボみたような変な魚」という意ではなかろうか。

・「鬼頭魚」後で注するように「おこじ」と訓じる箇所が出るし、この「龍宮の鷄」の異形の魚体を見る者は百人が百人、これは新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目 Scorpaeniformes に有象無象巣くうけったいな魚相魚体のオコゼ連中のことだ、と思うに違いない。しかし私は、ここは勝手に、現行でも生きている「シイラ」のことではないか? と直感するのである。それはこの「龍宮の鷄」をアカナマダに同定したことに由来する。アカナマダとシイラとオコゼの仲間を並べて見て貰いたい。これはもう、偏平で頭のでかいシイラとアカナマダにこそ、兄弟の契りはあろうというもんだ! 因みに、シイラという外国語みたような名の由来は「秕(しいな)」であって、これは殻ばかりで実のない籾(もみ)のことを言う。シイラは皮が硬い上に身が扁平で薄いことから可食部分が少ない、という不名誉な呼称なのである。

・「この類、三十種ありとぞ。余はいまだ詳(つばら)ならず」残り、二十種の名前だけでも記して欲しかったです! 馬琴先生!! 「他日、考たゞすべし」て言ってるのに! もう!! 何となく、たとえばミノカサゴとか、ね……佐渡の漁師の方、一つ、三十種数え挙げてみて呉れませんか?

・「倉卒の間(あはひ)」「倉卒」は「さうそつ(そうそつ)」と読み、突然であること。だしぬけ。慌ただしいこと。忙しくて落ち着かないこと。軽はずみであること。いい加減であることで、ここはの意。通常は「倉卒の間(かん)」と読む。「倉」も「卒」も孰れも、にわか・慌てる・慌ただしいの意があり、畳語である。

・「雪海苔」岩海苔。ウィキの「岩海苔」の解説文中に、『雪海苔として知られる新潟県の岩海苔』と出、「産地」の最後にも『雪海苔-北陸地方の日本海沿岸』とある。以下、ここでも今まで通りの詳細な注を附したい願望に駆られるが(特に私は海藻には眼がなく、二度行った佐渡では神馬草(ホンダワラ)を始めとして十種近くの海藻を土産に買ってしまった海藻フリークでもある)、以降は佐渡異魚三十種から外れるので、今は、あさあさと済ませることとする。

・「蔓藻〔海藻(もくず)なり。〕」「日本随筆大成」版は『藻海』とあってルビがない。誤植か。これは不等毛植物門褐藻綱ナガマツモ目モズク科イシモズク属イシモズク Sphaerotrichia divaricata と思われる。本邦では産生が少ないモズク属モズク Nemacystus decipiens に比すと、より食感が堅く、佐渡では養殖もされていて、私も最も好む食感のモズクである。因みに種名 Sphaerotrichia は「球+糸」、種小名 decipiens は「二股に分かれた」の意である(以上は、学名の由来も丁寧な私のすこぶる偏愛する海藻図鑑田中次郎氏の解説になる「基本284 日本の海藻」(二〇〇四年平凡社刊)に拠る)。

・「海松(かいせう)」緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル Codium fragile に同定しておく。因みに、「みる」は万葉以来の古称であるが、語源は不明である。不明ゆえにこそ、私は何とも美しい響きと感じるものである。

・「海柳(かいりう)」恐らくは十種ほどしか植生しない日本産海産種子植物の代表種である単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科アマモ Zostera marina 、いやさ、最も長い植物名(異名)として知られるリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(龍宮の乙姫の元結の切り外し)であろう。

・「藻玉(もたま)」「藤榼子(とうかふし)」「猪腰子(ちよようし)」『この物、蛮國に生ず。「本草綱目啓蒙」卷ノ十四の上、「榼藤子(たふとうし)」の条下を考ふべし』 マメ目ネムノキ科モダマ(榼藤子)属モダマ Entada phaseoloides というマメ科の常緑蔓性植物があるが、これはアジア・アフリカの熱帯・亜熱帯に分布し、本邦では屋久島乃至は沖繩の海岸近くの樹林に生ずる莢が長さ一メートルほどにもなる巨大なことで知られる陸生植物であるが、そもそもがこれ以降は「海濱(うみべた)に稀に流れよるもの四種」なのであって、海産生物である必然性はないのである。「この物、蛮國に生ず」とし、後に「巨葭」「椰子」が出ることから考えると、このマメ科のモダマの莢が、はるばる対馬海流に乗って佐渡まで漂着したのだと考えても、これ強ち、おかしなことではない。しかも「本草綱目啓蒙」の当該項を読んでみると、蘭山の記述もこれ、明らかにモダマの実と感じさせる叙述なのである。諸州に漂着し、『皆、海藻に混ず。故に拾ひ得るものあれば、誤認して藻實とす。因て「モダマ」の名あり』とし、その実の形は『圓扁、大さ一寸、あつさ三分ばかり。あるひは二寸、あつさ四分許。大小、常ならず。栗殻色あるひは赤を帶、或は黑をおぶ』とあるのである。これはもうモダマ Entada phaseoloides でキマリ、である。

・「蛸船(たこふね)」「蛸舟は、相摸の江ノ島にていふ鰹の烏帽子の類なるべし」頭足綱八腕形上目タコ目アオイガイ科アオイガイ属タコブネ Argonauta hians が生成する貝殻である。タコブネについては「大和本草卷之十四 水蟲 介類 タコブ子」の私の注を参照されたい。「鰹の烏帽子の類なるべし」は誤認。「鰹の烏帽子」は言うまでもなく、刺胞動物門ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科に属する群体クラゲであるカツオノエボシPhysalia physalis であってタコブネとは何の関係もない(カツオノエボシについては私の『海産生物古記録集1「立路随筆」に表われたるカツオノエボシの記載』の注を参照されたい)。タコブネが海上を帆走遊泳するというトンデモ流言による程度の低い安易な敷衍解釈で、稀代の戯作者馬琴先生にしては少々イタい誤りである。私も高校時代、富山の氷見海岸で採取した大型の三個体の殻を宝としている。

・「巨葭(おほよし)」文字通りの、単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク亜科ヨシ Phragmites australis の大きく成長して植生地の河口附近から脱落して漂着したものであろう。ネット検索をかけると、富山県で今年(二〇一五年)の四月の新聞記事で、富山市神通川河口の海岸沿いに大量のアシが漂着し、住民を困らせている、というニュースを見出せる。

・「椰子(やし)」『「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十、背椰子の條下に、椰子、通名(つうめう)「ヤシホ」、又、津軽にては、「タウヨシノミ」といふよし、見えたり』。単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceae のヤシ類の実の漂着である。『「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十』この数字は誤りである。少なくとも現行の「重訂本草綱目啓蒙」では「卷之二十七果部」の「果之三」の十五番目に「椰子」はある。巻数ばかりではなく、この「背」も不審である。これは全くの推理に過ぎないのだが、これは原稿には正しく「卷ノ二十七椰子」と書いてあったのではなかったか? 翻刻の誤りの可能性である(訳では勝手に訂した)。七の大字(「壱」「伍」のように改竄や誤認を避けるために単純な字形の漢数字の代わりに用いる漢字)の一つは「柒」で、恐らく草書では「背」に似ているのではなかろうか? なお、「本草綱目啓蒙」の当該箇所では『椰子 通名 ヤシホ トウヨシノミ〔津輕〕』と確かにある。

・「黒萩(くろはぎ)」不詳。ヤマハギの変種で、マメ科ハギ属クロバナキハギ(黒花木萩)Lespedeza bicolor var. higoensis というのがWeblio辞書 植物図鑑」にあるが、分布域が愛知県と熊本県とあって一致しない。

・「小倉村」現在の(以下省略)佐渡市小倉。小佐渡のほぼ中央。棚田で知られる。

・「白蒿(しろよもぎ)」キク亜綱キク目キク科ヨモギ属シロヨモギ Artemisia stelleriana ウィキの「シロヨモギ」によれば、本邦では『北海道、本州の新潟県・茨城県以北に分布し、日当たりのよい海岸の砂地に生育』し、『全体が白い綿毛でおおわれ、雪白色になるため、シロヨモギ(白蓬)という』とある。

・「小泊村」佐渡市羽茂小泊。小佐渡の西、素浜(そばま)海岸に面する。

・「西三河」佐渡市西三川。小泊の内陸側。砂金山で知られる。施設や地理対象によって「西三河」とも表記されている。

・「雪割草」これはキンポウゲ目キンポウゲ科ミスミソウ Hepatica nobilis var. japonica及び同変種のオオミスミソウHepatica nobilis var. japonica f. magna 及びHepatica nobilis var. japonica f. variegata を指す(現在和名として別に高山植物のツツジ目サクラソウ科サクラソウ属セイヨウユキワリソウ亜種ユキワリソウPrimula farinosa subsp. modesta があるが、これではない)。私の定宿「ホテル大佐渡」のブログの写真をリンクしておく。

・「銀山」佐渡市下相川及び相川北沢町を中心とした大量の金銀を産出した所謂、佐渡金山、相川鉱山のことであろう。

・「福壽草」キンポウゲ目キンポウゲ科フクジュソウ Adonis ramosa 。特に珍しいものではないと思われるが、おそらく夏海から得た情報にリストされてあったのであろう。絵師であった彼にして荒海の佐渡で春を告げる福寿草は、殊の外、忘れ難い美花であったであろうことは想像に難くない。

・「小川村」佐渡市小川。北部の大佐渡の尖閣湾の一部である海府海岸(そとかいふかいがん)の西端に位置する。

・「達者村」佐渡市達者。尖閣湾の一角で小川の東北部。山椒太夫伝承で生き別れとなっていた母とその子厨子王がこの地で再会して互いの達者を喜んだことに由来する。

・「人參草(にんじんさう)」ニンジンソウはざっと調べて見ても、以下の三種が候補に挙がる。

バラ亜綱セリ目セリ科ヤブジラミ           Torilis japonica

       セリ科セントウソウ          Chamaele decumbens

キク亜綱キク目キク科キク亜科ヨモギ属カワラニンジン Artemisia apiacea

同定不能。但し、これも孰れも全国に分布する種である。

・「長江」佐渡市長江。加茂湖の北西。

・「栗(くり)ノ口」不詳。佐渡市栗野江という地名が。小佐渡の内陸寄りにある。

・「大野」長江の北方にある佐渡市梅津大野か。

・「二見」佐渡市二見。大佐渡の最西南端で真野湾の西の端に位置する。

・「北2」(「2」「犭」+「夷」。)不詳。ただ、現在、両津湾の西側の大佐渡に佐渡市北五十里(きたいかり)という地名を見出せる。現代語訳ではこう訓じた。

・「岩屋口」佐渡市岩谷口。大佐渡の北、外海府海岸に位置し、修行僧の籠った岩屋洞窟がある。

・「関願(せきぐわん)」岩谷口の南にある佐渡市関か。

・「深浦」佐渡市深浦。小佐渡の西端の港町。

・「沢崎(さわさき)」佐渡市沢崎(さわさき)。深浦の北側。

・「大杉」佐渡市大杉。小佐渡の本土側の海岸線に位置する。

・「寄鯨(よりくじら)」これは能動的に寄ってくる鯨ではない。死んだり弱ったりして海岸に漂着したクジラを指す語である。

・「玳瑁(たいまい)」鼈甲細工の原料とされて別名「鼈甲亀」とも呼ばれた、一属一種の爬虫綱カメ目潜頸亜目ウミガメ上科ウミガメ科タイマイ Eretmochelys imbricata 。彼らはインド洋・大西洋・太平洋の熱帯・亜熱帯の海水域を繁殖域とし、本邦は最北の繁殖地として石垣島や黒島などで少数の産卵が見られるばかりであるから、この佐渡でのタイマイの捕獲(ここは「海亀は常にあれども」「獲たり」とあり、死後の亀甲の漂着ではない感じがする)は、迷走して渡って来たとすると驚異的である(タイマイは珊瑚礁が発達した海洋を棲息域としてカイメン類を常食とするウミガメで、外洋を回遊すること自体が稀だからである。ここはウィキの「タイマイを参照した)。

・「元文三年」西暦一七三八年。

・「海獺(うみをそ)」哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科アシカ亜科 Otariinae のアシカ類を指す。中でもこれは、本邦に回遊してくるそれではなく、常在的に棲息していたニホンアシカ Zalophus japonicus を指している可能性が濃厚である。そして本種は既に……乱獲され、保護政策が全くとられないうちに絶滅してしまった日本固有種のアシカだったのである(ウィキの「ニホンアシカ」を是非、参照されたい)。……

・「海豹(かいひやう)」イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類。ウィキの「アザラシ」によれば、本邦近海では北海道を中心にゴマフアザラシ・ワモンアザラシ・ゼニガタアザラシ・クラカケアザラシ・アゴヒゲアザラシの五種が棲息する。

・「葦鹿(あしか)〔北海の俗、「トヾ」といふ。〕」アシカは前出なので、ここはアシカ類の中でも割注に出るトドで採りたくはなる。一属一種の巨獣アシカ科トド Eumetopias jubatu である。但し、ウィキの「トド」によれば、『"トド"という和名は、アイヌ語の"トント"に由来し、これは「なめし革」を意味する。日本各地にトド岩という地名も散見されるが、過去においては日本ではトドとアシカ(ニホンアシカ)は必ずしも区別されておらず、アシカをトドと呼ぶ事も度々みられ、本州以南のトド岩の主はアシカであったようである』とあるから、ここも巨大なトドを除く、中型のアシカ類の中で「海獺」と「葦鹿」が区別されていたと考える方が無難のようには思われる。先の「佐渡の画廊37:石井夏海・文海の絵画・絵図」で夏海が描くオットセイ(膃肭臍)の図などを手掛かりに考証したくなるところだが、取り敢えず、名残惜しいけれど、ここまでとしておく。

・「山獸は狸と兎のみなり」佐渡には狐はいない。狸もいなかったが、慶長六(一六〇一)年に佐渡奉行となった大久保石見守が金山で使用する鞴(ふいご)の革素材にするためタヌキを移入したのが始まりなのである。こんなことを何で知っているかというと、「耳嚢 巻之三 佐州團三郎狸の事」に出、続く「耳嚢 巻之三 天作其理を極し事」にも出て、さんざん調べたからなんである。

・「貉(うじな)」ネコ目イタチ科アナグマ亜科アナグマ Meles meles のことであるが、「うじな」という読みは初見。

・「雪なだれ」『「大和本草」に所云、北海に雪魚あり。方一丈餘、その形、鰈のごとし。その肉、白くして雪のごとく、脂なし。好て海上に睡ると、いへり』不詳。――形はクラゲに似ている――色はすこぶる白いもので雪が解けかけたもののような印象である――佐渡の人々がその見た感じがそっくりなことから「雪雪崩(ゆきなだれ)」と呼んでいる――貝原益軒の「大和本草」に『北海産の「雪魚」という海洋生物/約三メートル四方の鰈(かれい)に似た、大きさに比べて平たい四角っぽい形を成した生物/肉は全くの白身で脂がない/好んで海面にその巨体を浮かべては眠りこけている生物』であるとある書物に書かれていた生物……さても……私が最初に頭に浮かべたのは

――刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ユウレイクラゲ科 Cyanea capillata の大型個体

だ。……しかしなぁ……「白身」や「脂」どころか、刺されたら、これ、てえへんなクラゲだしなぁ……次に……「白味」で「脂」がなくて「鰈」に似ている巨大な「魚」で考えてみたのは吊り上げでしばしば皆、CG合成と見紛う

――新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科オヒョウ属タイヘイヨウオヒョウ Hippoglossus stenolepis 

だった。巨大なものは体重二百キログラム超、確かに三メートルを超える……しかし、オヒョウは海面に浮かんで昼寝はせんぜよ!……となると白身で平たくてでっかくて四角くて海面で横たわって寝るとなると……こりゃ、もらもらちゃんや、ないかい?

――条鰭綱フグ目フグ亜目マンボウ科マンボウ Mola mola

しかしだ……何より困ったことには、幾ら捜して見ても、益軒の「大和本草」には、ここに馬琴が引くような記載が見当たらないんである。……おまけに「大和本草」にはマンボウが項目として挙がっているものの、ここに書いてあるのとは、違う、如何にも自然なマンボウ君の話なのである。……最早、識者の御教授を乞うばかりである。よろしくお願い申し上げる。……

 

-2上図の「禿骨畢列」のキャプション・パート

・「解(とく)」滝澤馬琴の本名(元の興邦から改名したもの)。

・「乾腊(ほしな)して」丸干しにして。

・「他魚(たのうを)とおなじからず」この「おなじからず」の部分、判読に自信がなく、意味も良く分からぬ(訳は誤魔化した)。識者の御教授を乞う。

 

-2下図の「龍宮の鷄」のキャプション・パート

・「火魚(かなかしら)」カサゴ目ホウボウ科カナガシラ Lepidotrigla microptera であろう。まあ、全体の頭でっかちの体型と、背面の橙色から赤褐色を呈した派手な雰囲気は、似ていないことはない(が「如し」とまでは私なら言わない。グーグル画像検索「Lepidotrigla micropteraをリンクしておくので、前にリンクしたアカナマダのそれと比較されたい)。

 

-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション・パート

・「許(よ)」「餘」に同じい。

・「薄黑(うすすみ)」「黑」はママ。

・「賀陀比(かだひ)」ウィキの「マトウダイ」には別名として、地方名に、カガミダイ・ハツバ・カネタタキ・クルマダイ・モンダイ・バト・バトウ・ツキノワ・オオバ・ホンマト・マトウオ・マトハギ・マトウ・ワシノイオを掲げるが、それらしいものはない。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「マトウダイ」を見ると、マツダイ・マテ・マトダイ・マトエ・ツキノワ(月の輪)・ツキ・ヤイトウオ(灸魚)・ワシウオ・ワシダイ・モンダイ(紋鯛)・モンツキ(紋付)・ウマダイ(馬鯛)・ウマウオ(馬魚)・カガミとあり、その中に遂に「ガダイ」というのを見つけた。これはどうも円紋を絵に画いたように見えるという「画鯛」ではあるまいか?

・「加々美夛比」「夛」は「多」の異体字。

・「琴嶺興継写」馬琴の一人息子滝澤興継(おきつぐ)。琴嶺は号。他に宗柏。松前候の医員であった。馬琴はこの子を非常に可愛がり、医師としての評判を上げてやるために自作の作品の中で宣伝をしたり、彼の名で自身が代筆までしているが、正体不明の病いを患い、天保六年(一八三五)に三十八歳で若死にしている。上図の「禿骨畢列」の絵も同じ。署名は「十四屋(?)琴嶺」か。彼は「琴嶺舎」とも号したから「屋」は何となく分かるが「十四」は不詳。識者の御教授を乞う。

 

□やぶちゃん現代語訳

[やぶちゃん注:一部の文脈を、より分かり易い位置に変更してある。]

 

 佐渡に三十種の異魚がいるという。私は先に「燕石雑志」編した際、その三、四種をそこに載せたが、実は未だにそれらの実物を親しく見たことがなかったのであった。しかるに、かの編が翻刻なったそも折りも折り、佐渡相川在の石川夏海(なつみ)氏が、件(くだん)の異魚の標本を私に贈って呉れたのであった――その数はおよそ四品――。その時、私はそれらの図を載せなかったことをすこぶる遺憾に思うておった。ゆえに今、これを図すこととした。さても所謂、その三十種の異魚とは、

 

○「とこひれ」――文鰩魚(とびうお)に似ている。体側に六つの稜(りょう)及び小さな棘(とげ)を有している。

 

○針千本――その形は、当地江戸に於いて「しおさえふぐ」と呼び慣わす魚に似て、全身に棘(とげ)がある。

 

○箱河豚――「海すずめ」と呼ぶものに似ている。

 

○鯛の聟(むこ)源八(げんぱち)――鯛に似て、極めて小さい。

 

○鮫の守り――本品は魚ではない。所謂、「海鬼灯(うみほおずき)」と呼ぶものに似ている。また、その形は藤の豆にも似ている。

 

○鉦たたき――鏡鯛(かがみだい)に似ている。

 

○こうごり――いまだ詳らかでない。これは「石伏(いしぶし)」のことであろうか? 「石伏」の一名を「ゴリ」とも言う。この「ゴリ」には二種ある。海と河ともに、全く別な魚として棲息しているものを言うのである。一般に知られる真正の「ゴリ」とは、その腹の下に鰭があって、本草書で言うところの「杜父魚(とほぎょ)」に似ており、しかもがたいの小さいものである。これは魚でありながら声を発し、夜(よる)、しきりに鳴く。その鰭には有意な棘(とげ)がある。一方、海産の方の「ごり」なる魚はというと、その鰭が如何にも柔らかであるのに対し、淡水産の「ゴリ」なるものは、すこぶる鋭いと、以上、「山海名産図会」に記されてあった。以上からこの「コウゴリ」というのは「河石伏(こうごり)」の意、と考えてよいであろう。

 

《追考を示す。「和名類聚鈔」には、『鯸1(コウイ)、和名、「布久閉(フクベ)」。これを刺激する際には直ちに、怒る。怒ると、即座にその腹が怒張し、海上に浮かび出るものである。』と。さてもこれは、江戸に於いて俗に「しおさえふぐ」と呼び慣わす魚に他ならない。さればこそ「石伏」は「1(イ)」なのである。「和名類聚鈔」には、『「1(イ)」は、音、(い)。和名は「伊師布久(いしぶし)」、性(しょう)、伏沈(ふくちん)して石の間に棲息する魚である。』と記す。[やぶちゃん字注:「1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。]》

 

○瘤鯛(こぶだい)――佐渡にては「かんだい」と言うのが、これであろうか。未だ詳らかではない。

 

○海馬(かいば)――佐渡でなくても棲息している。しかし、佐渡のように大きなものは稀れである。

 

○竜宮の鶏(とり)――鬼頭魚(きとうぎょ)の奇品である。

 

 以上、これら佐渡の異魚の類い、計三十種ある、とのことである。私はいまだ、その三十種すべてを詳しく知っている訳ではない。これらの種に就いて、種々の本草書に照らし合わせ、考証したならならば、その正式な漢名を知ることが出来るであろうし、また、その効能や毒性もこれ、知り得るであろうけれども、今これ、何かと慌ただしい中にあって、それらのことを落ち着いて精査し記録することが、やりたくとも出来ず、本書からは遂に漏れ損ずることと相い成ってしまった。他日(たじつ)を期して、じっくりと考証してみるつもりである。――なお、「トコヒレ」・「鉦たたき」・「竜宮の鶏」の三種については、とある御仁の所蔵せる画幅を以って臨写しておいた。

 

 また、これとは別に、海中に生ずるところの異草四種がある。

 

海苔(ゆきのり)――佐渡土俗にては何と呼称しているかは、よく分からない。

 

――所謂、「海藻(もずく)」である。

 

○海松(かいしょう)

 

○海柳(かいりゅう)

 

 また、海辺に稀れに流れ寄せてくるところの稀品四種。

 

○藻玉(もだま)

 

○蛸船(たこぶね)

 

○巨葭(おおよし)

 

○椰子(やし)

 

――今、按ずるに、藻玉(もだま)というのは、一名「藤榼子(とうこうし)」、また一名「猪腰子(ちょようし)」と称する。この物は外国に植生するものである。「本草綱目啓蒙」巻の十四の上の「榼藤子(とうとうし)」の条下を参考にされたい。

――蛸舟(たこぶね)は、相模の江の島にて謂うところの「鰹の烏帽子(えぼし)」の類いであろう。

――また、按ずるに、「本草綱目啓蒙」卷の二十七の「椰子」の条下に『椰子、通名(つうみょう)「ヤシホ」、また、津軽にては「トウヨシノミ」と言う』といった記載が見える。

 

 また、佐渡の花卉(かき)・鳥獣については、

 

萩(くろはぎ)――小倉村に植生する。他所(よそ)にある黒萩というのは、ここのものよりも遙かに葉が短かい。

 

蒿(しろよもぎ)――小泊村及び西三河に植生する。

 

割草(ゆきわりそう)――当地での方言は未だ詳かでない。当地の銀山に植生する。また、これは佐渡に限らず他所(よそ)にても植生するものではある。

 

○福寿草――小川村・達者村の辺りに特に多く植生する。

 

○人参草(にんじんそう)――長江(ながえ)・栗ノ口(くりのくち)・大野などの村に植生する。

 

○鷲の巣――二見・北2(きたいかり)・岩屋口(いわやくち)・関願(せきがん)・深浦・沢崎(さわさき)・大杉などの村々で現認出来る[やぶちゃん字注:「2」「犭」+「夷」。]。

 

○寄鯨(よりくじら)――稀れに見ることがある。

 

瑁(たいまい)――このものは元文三年の頃、捕獲したことがあったということである。海亀(うみがめ)は佐渡の臨海に常に棲息しているけれども、玳瑁はこの時の捕獲を以って、その後は漁獲したということを聴かない。

 

○海獺(うみおそ)

 

○海豹(かいひょう)――稀れに見かける。

 

○葦鹿(あしか)――佐渡の北の海の方(かた)にては、俗にこれを「トド」と呼ぶ。

 

○山の獣は狸と兎のみである。貉(むじな)もいるとは言うが、狸と雑種化してしまっていて、果たして純粋に貉として独自に生態系を作っているかどうかはこれ、よく分からないという。

 

雪なだれ――その形は海月(くらげ)の仲間と類似している。その色はあくまで混じり気のない純白であって、言うなら、雪が解け始めた折りの状態にそっくりである。このものは稀れに姿を現わす。土地の人はこれを「雪なだれ」と呼んでいる。これはかの「大和本草」に謂うところの『北海に雪魚(ゆきうお)がいる。大きさは一丈四方余り、その形は魚の鰈(かれい)に似ている。その肉は極めて白くて雪のようであり、脂身はない。この生物は好んで海面に寝そべって眠る。』と記してあった。さても、まさにこれこそが、この佐渡の「雪なだれ」に違いないといったことが、これ、とある書文書に記されてあったのである。

 

□Ⅲ-1図右上の「針千本」(ハリセンボン)のキャプション

 針千本

形は「しおさえふぐ」に似ていて、惣身の棘(とげ)は栗の毬(いが)にそっくりである。

 

-1図左上中央の「箱フグ」(ハコフグ)のキャプション

 箱フグ

「海すずめ」に似て、形は遙かに四角い様相を呈する。

 

-1図左上の「鯛ノ聟源八」(マツカサウオ)のキャプション

 鯛の聟 源八

鯛に似て、極めて小さく、鱗は、はなはだ鋭い。

 

-2上図の「禿骨畢列」(トクビレ)のキャプション

 禿骨畢列――とくびれ魚

私こと解(とく)が按ずるに、方言である「とこひれ」というのは、「長鬣魚(とこひれうお)」の義ではなかろうか? また、「鋭鰭(ときひれ)」の義でもあろうか? 「こ」と「き」とは音では容易に通ずるものである。この魚はこれ、鮫の一種類であろうか? 目は黄色である。頭より背中(せなか)に至るまで、総て薄青色を呈する。鰭の端は褐色(かちいろ)であって、その他の部分は水色に薄黒を帯びており、斑らに点がある。鰓(えら)の端が少しだけ、紅(あか)い。ある人の記したものによれば、『この魚は、その魚体全体は文鰩魚(とびうお)に似ている。体側に沿って六つの稜(りょう)があり、小さな棘(とげ)を有する。その針ごとにまた、細かな筋があって、それが亀甲(きっこう)の紋様を呈するのである。身の肉質は極めて硬い。乾燥させて干物にしたものは時間が経過しても原形はこれ、一向に崩れず、さらに時を経ると、全体が褐色(かちいろ)に変じて、漁師はまた、そうなった肉を食らうことを、却ってすこぶる好む。ただ丸干しにして子どもの玩具に供する者に至っては、長大なるものは長さ一尺余りになるものもある。この上下の長い鬣(ひれ)を広げた際には、人一人分が入れる唐傘(からかさ)のようでさえある。ともかくもこれ、尋常の他の魚とは、何から何まで、異なっている。』とのことである。

 

-2下図の「龍宮の鷄」(アカナマダ?)のキャプション

 龍宮の鷄

ある人が言うことに、『「龍宮の鶏(とり)」というのは佐渡の方言である。これは「鬼頭魚(おこじ)」の奇品中の奇品とも言うべきものである。後方に冠(かんむり)があって、鶏(にわとり)によく似る。横腹には、小さな四角い点が有意に魚体から盛り上がって浮き出ており、あたかも刻み鏤(え)ったようである。完全に乾燥させたものは、すこぶる硬くして、かの海馬(かいば)の干物に似ている。』と。今、按ずるに、この魚の全身、その色は薄紅(うすくれない)であって、所謂、火魚(かながしら)のようである。実にこの魚は「おこじ」の近縁であるに違いない。

 

-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション

 鉦敲魚

この魚は佐渡のみに限らず、相模・伊豆の海中にも多く棲息している。ある人が言うことには、『この魚の形は、大小も一方ならず、大きなものは一尺を超える個体もある。鱗はない。その色は薄墨に青と黄を帯びて、光沢(つや)がある。横腹は水色の中に薄紅を帯びている。鯵に似ている。体側の両面に黒い丸いくっきりとした紋がある。この魚の身は脂(あぶら)がよくのっており、その味わいたるや、まことに美味いものである。相模・伊豆の海中に、冬から春にかけて多くこれを獲る。漁師はこの魚を「的魚(まとうお)」と呼んでいる。また、「賀陀比(かだい)」とも呼ぶ。』とのことである。今、按ずるに、この魚はこれ、江戸で言うところの「加々美夛比(かかみだい)」の奇品と見た。

 

   琴嶺興継(きんれいおきつぐ)写す。(落款)(落款)


2015/06/06

――博物学古記録翻刻訳注 ■16 滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載――を作製中

――博物学古記録翻刻訳注 ■16 滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載――を作製中……

明日には何とか完成出来るかなぁ?……

2015/05/04

博物学古記録翻刻訳注 ■15 栗本丹洲筆自筆本「蛸水月烏賊類図巻」に現われたる「舩頭烏賊 タチイカ」の図

博物学古記録翻刻訳注 ■15 栗本丹洲筆自筆本「蛸水月烏賊類図巻」に現われたる「舩頭烏賊 タチイカ」の図

 

[やぶちゃん注:「蛸水月烏賊類図巻」は「たこくらげいかるいずかん」と読む。二十五種を掲げるが、その内の十九点は蘭癖大名として知られた讃岐高松藩主松平頼恭(よりたか)の編集した図譜「衆鱗図」からの転写である旨、国立国会図書館の「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」の解説にある(但し、このタチイカがそれであるかどうかは私は「衆鱗図」を未見なので不詳である)。なお、既に本作は海産生物古記録集■8 「蛸水月烏賊類図巻」に表われたるアカクラゲの記載で取り上げている。

 画像は国立国会図書館デジタルコレクションの保護期間満了「蛸水月烏賊類図巻」当該画像を用いた。キャプション以外のテキスト・データのない資料で「博物学古記録翻刻訳注」というのも口幅ったいが、人見必大の「本朝食鑑」の「烏賊魚」の項の電子化訳注に花を添えるために作成した。【2015年5月4日 藪野直史】ブログでの栗本丹洲の「蛸水月烏賊類図巻」の全電子化注に伴い、再考し、種同定を変更した。【2018年4月12日 追記】]

 

   舩頭烏賊 タチイカ

 

Aoriika

 

[やぶちゃん注:「舩」は「船」の俗字。これは、

頭足綱
CephalopodaSepiida  鞘形亜綱 Coleoidea 十腕形上目 Decapodiformes コウイカ目 Sepiida コウイカ科 Sepiidae コウイカ属 Sepia コウイカ Sepia (Platysepia) esculenta

であって、「本朝食鑑」で「太刀烏賊(タチイカ)」とする鯣にするイカ、

閉眼目
 Oegopsida アカイカ科 Ommastrephidae スルメイカ亜科 Todarodinae スルメイカ属 Todarodes スルメイカ Todarodes pacificus 


ではないので注意されたい(と言うか見りゃ分かる)。イカの和名異名は著しく錯綜していることがこれからも分かる。それにしても何と美しいことだろう!]

 

2015/04/27

密かにカテゴリ「本朝食鑑 水族の部」創始

1977年平凡社東洋文庫刊の国語学者大島勇雄(いさお)氏の手に成る訳注本「本朝食鑑」を入手した。流石は国語学者、注の引用がもの凄い堆積である。その代り、生物学的考証記載は失礼乍ら、頗る貧困である。まずは順に「海鼠」から取り掛かってみたが、当初、考えていた公開版を残しての補正は、少なくとも「海鼠」では厳しい。これは僕の誤りが多いというのではなくて、公開から大島本を今日、見るまでの間に、全く個人的に自分の記載に対して、幾つかの補正が必要となったからである。現在、その改稿に着手しているが――これ、なかなか手強い。――しかし、だからこそ面白い。――今暫く、お待ちあれかし。――とりあえず、カテゴリ「本朝食鑑 水族の部」創始し、僕の新しいプロジェクトの予告と致す所存である。
 
ガチで――勝負だ!!!

2015/04/23

博物学古記録翻刻訳注 ■14 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海月の記載

博物学古記録翻刻訳注 ■14 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海月の記載

 

[やぶちゃん注:「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」「博物学古記録翻刻訳注 ■13 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載」「本朝食鑑」の第三弾。私の偏愛するクラゲである。「本朝食鑑」については上記「12」のリンク先の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館のデジタルコレクションの以下の頁から始まる「海月」パートの画像を視認した。本文は漢文脈であるため、まず、原典との対照をし易くするために原文と一行字数を一致させた白文を示し(割注もこれに准じて一行字数を一致させてある。底本にある訓点は省略した)、次に連続した文で底本の訓点に従って訓読したものに、独自に読みや送り仮名を附したものを示し、その後に注と訳を附した。原典ではポイント落ち二行書きの割注は〔 〕で同ポイントで示した。なお、原典では原文の所で示したように、頭の見出しである「海月」のみが行頭から記されてあり、以下本文解説は総て一字下げである。二度出て来る「鰕」とした字は原典では「叚」の右部分が「殳」であるが、表示出来ない字であるので、文意からこれと判断して示した。「蔵」「静」など異体字は原典のママである。字体判断に迷ったものや正字に近い異体字(「狀」など)は正字で採った。

 注文するも未だ東洋文庫版は到着せず。――暴虎馮河のオリジナル現代語訳を敢えて公開する。【二〇一五年四月二十三日 藪野直史】一九七七年平凡社東洋文庫刊の国語学者島田勇雄(いさお)氏の手に成る訳注本を昨日入手したので、追記箇所が分かるようにして補足した。訳のうち、最後の「然れども微温か。未だ詳らかならず」の箇所のみ島田氏の訳を参考に修正を行った。【二〇一五年四月二十八日追記】遅巻き乍ら、「本朝食鑑」には和漢の本草記載の違いを考察する「華和異同」という別項が各部の終りに附されていることに気づいたので、その本文に準じて追加することとした。但し、本文とダブる箇所が甚だ多いので注は最小限に留めてある。【二〇一五年五月二十三日追記】

 

□原文

 

海月〔訓久良介〕

 釋名水母〔鰕附從之如子之從母故曰水母源順

 曰食經海月一名水母貌如月在海中

 故以名之凡自古以海月而名者尚矣以形色名

 之則於水母不相當雖圓形而不正其色亦殊一

 種有水海月者色白形圓言之乎陳蔵器

 李時珍俱以江瑤爲海月是形色相當矣〕

 集觧狀如水垢之凝結而成渾然體静隨波逐潮

 浮于水上其色紅紫無眼口無手足腹下有物如

 絲如絮而長曳魚鰕相隨※1其涎沫大者如盤小

[やぶちゃん注字:「※1」=「口」+「匝」。]

 者如盂其最厚者爲海月頭其味淡微腥而佳江

 東未見之海西最多故煎茶渣柴灰和鹽水淹之

 以送于東而爲魚鱠之伴或和薑醋熬酒以進之

 一種有唐海月者色黄白味淡嚼之有聲亦和薑

 醋熬酒以進之是自華傳送肥之長﨑而來本朝

 亦製之其法浸以石灰礬水去其血汗則色變作

 白重洗滌之若不去石灰之毒則害人一種有水

 海月者色白作團如水泡之凝結亦曳絲絮魚鰕

 附之隨潮如飛漁人不采之謂必有毒又有無毒

 者而味不好江東亦多有之古人詠艶情之歌有

 海月遇骨之語是誕妄乎

 氣味鹹平無毒〔或曰鮾則生腥臭然微温乎未詳〕主治婦人朱血

 及び帶下食之而良或謂伏河豚毒

 

□やぶちゃん訓読文(原典の一字下げは省略した。読み易くするために句読点・記号・濁点・字空けを適宜、施した。一部に独自に歴史仮名遣で読みや送り仮名を附してあるが、読解に五月蠅くなるので、特にその区別を示していない。なお、原典には振られている読み仮名は少なく、片仮名で「尚(ヒサ)シ」・「水海月(クラケ)」(「水」にはない)・「水垢(アカ)」(「水」にはない)とあるのみである。また、「貌」(かたち)には「チ」が、「者」(もの)には「ノ」が、「狀」(かたち)には「チ」が送られてあるが、省略した。また、つまらぬ語注を減らすためにわざと確信犯で訓読みした箇所もあり、こうした恣意的な仕儀を経ている我流の訓読であるので、学術的には原典画像と対比しつつ、批判的にお読みになられたく存ずる。)

 

海月〔久良介(くらげ)と訓ず。〕

 釋名 水母〔鰕(えび)、附きて之れに從ふ。子の母に從うふがごとし。故に水母と曰ふ。源順(みなもとのしたごふ)が曰く、『「食經」、海月、一名、水母。貌(かたち)、月の海中に在るがごとし。故に以つて之れに名づく。』と。凡そ、古へより海月を以つて名づくる者、尚(ひさ)し。形・色を以つて之れに名づくれば、則ち、水母、相ひ當(あた)らず。圓形と雖も不正なり。其の色も亦、殊(こと)なり。一種、水海月(みづくらげ)と云ふ者、有り。色、白く、形、圓(まどか)にして之を言ふか。陳蔵器・李時珍、俱に江瑤(かうえう)を以つて海月と爲(な)す。是れ、形・色、相ひ當れり。〕

 集觧 狀(かたち)、水垢(みづあか)の凝(こ)り結びて成るがごとく、渾然、體(てい)、静かなり。波に隨ひ、潮を逐ふて、水上に浮かぶ。其の色、紅紫。眼・口、無く、手・足、無し。腹の下、物、有りて絲のごとく、絮(ぢよ)のごとくにして、長く曳く。魚鰕、相ひ隨ひて其の涎沫(よだれ)を※1(す)ふ[やぶちゃん注字:「※1」=「口」+「匝」。]。大なる者は盤のごとく、小さきなる者は盂(はち)のごとし。其の最も厚き者は、海月の頭と爲る。其の味はひ、淡(あは)く微腥(びせい)にして佳なり。江東、未だ之を見ず。海西、最も多し。故に煎茶渣(かす)・柴灰(しばはひ)、鹽水に和して之を淹(あん)じて、以つて東に送りて、魚鱠(うをなます)の伴と爲す。或いは薑醋(しやうがず)・熬酒(いりざけ)に和して、以つて之を進む。一種、唐海月(からくらげ)と云ふ者、有り。色、黄白、味はひ淡く、之を嚼(は)みて、聲、有り。亦、薑醋・熬酒に和して、以つて之を進む。是れ、華より肥の長﨑に傳送して來たる。本朝にも亦、之れを製す。其の法、浸すに石灰・礬水(ばんすゐ)を以つてして其の血・汗を去る。則ち、色、變じて白と作(な)る。重ねて之を洗ひ滌(のぞ)く。若(も)し、石灰の毒を去らざれば、則ち、人を害す。一種、水海月と云ふ者有り、色、白くして團(だん)を作(な)し、水泡の凝結するがごとく、亦、絲絮(しぢよ)を曳きて、魚鰕、之に附く。潮に隨ひて飛ぶがごとし。漁人、之れを采らず、謂ふ、必ず、毒、有ると。又、毒無き者有るとも、味はひ、好からず。江東にも亦、多く之れ有り。古人、艶情の歌を詠(えい)じて、「海月、骨に遇ふ。」の語、有り。是れ誕妄(たんばう)か。

 氣味 鹹平(かんへい)。毒、無し。〔或いは曰く、『鮾(あざ)る時は則ち、腥臭(せいしう)生ず。』と。然れども微温か。未だ詳らかならず。〕 主治 婦人の朱血及び帶下(こしけ)、之を食ひて良し。或いは謂ふ、河豚(ふぐ)の毒を伏すと。

 

□やぶちゃん語注(私は既に寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の――「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)の項――則ち、クラゲの項――の私の注で、包括的なクラゲについての概説と見解を述べてある。出来ればそちらも是非、参照されたい。但し、「本朝食鑑」全体の構成要素である「釋名」等の語意については既に「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」で施しているので繰り返さなかった。そちらを参照されたい。)

・「海月〔久良介(くらげ)と訓ず。〕……」以下、「くらげ」の語源説が示されてある「水母」のそれは私には初耳乍ら、その是非は別としても、クラゲの生態をよく観察していて興味深い(後注参照)。本邦の水族館としてのクラゲの本格常設展示の濫觴の後身である新江ノ島水族館の公式ブログ「えのすいトリーター日誌」の『9は9ラゲの9~(その5)「クラゲ」の語源』には、表記としては他に「水月」「鏡虫」「久羅下」を掲げ、

 ・海の中をクラクラと浮遊しているから、クラゲ

 ・暗闇にいる化物→暗化け→クラゲ

 ・目がなくてさぞかし暗いだろうから、暗げ

 ・丸くてくるくる回っている→くるげ→くらげ

 ・いるとなんとなく暗いから、暗げ

という語源説示す。目がないとされたところから「暗い」意或いは「黒い」意とするのは、松永貞徳「和句解」(寛文二(一六六二)年)や貝原益軒「本釈名」(元禄一二(一六九九)年)に載る旨、ネットのQ&Aサイトにあった。また、ウィキの「クラゲ」には別に、『丸い入れ物「輪笥(くるげ)」に由来するとの説』を見出せるが、この一見、古さを感じさせ、まことしやかに見える説については、村上龍男・下村脩共著「クラゲ世にも美しい浮遊生活 発光や若返りの不思議」(二〇一四年PHP研究所刊)の「クラゲの語源」で、『確かに形は似ているかもしれないが、比較的身近にいる生き物より、二つの言葉』(「くるむ」「くるめく」などの「丸い」の意を含む接頭辞「輪(くる)」と食器の「笥(け)」の二語ということ)『が合成されてでき上がった人工物の名のほうが古いとは考えにくいのではなかろうか。実際、「輪笥」という言葉は、古事記にも万葉集にも出てこない』とあり、私も頗る同感である。

 語源は辿れぬものの、私が遙かに興味深いのは、本邦の文学・史書に最初に現われる最初の生物こそが、この「くらげ」である事実なのである。ご存じのように、それは日本最古の史書にして神話である「古事記」の、それもまさに冒頭に登場するという驚天動地の事実なのである。「古事記」本文の冒頭を引く。

〇原文

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御巢日神、次神巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。

次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音、次天之常立神。訓常云登許、訓立云多知。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。

〇やぶちゃんの訓読

 天地(あめつち)の初めて發(おこ)りし時、高天(たかま)の原に成れる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かみむすひ)の神。此の三柱(みはしら)の神は、並(みな)、獨神(ひとりがみ)に成り坐(ま)して身を隱すなり。

 次に、國、稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)のごとくして、九羅下(くらげ)なす多陀用弊(ただよ)へる時、葦牙(あしかび)のごと、萌(も)え騰(あが)る物に因りて成れる神の名は、宇摩忘阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天之常立(あめのとこたち)の神。此の二柱(ふたはしら)の神も亦、獨神と成り坐(ま)して、身を隱すなり。

「獨神」とは、男女神のような単独では不完全なものではない相対的存在を超越した存在の意で、また「身を隱す」というのは、天地の本質の中に溶融して一体となったことを意味すると、私は採っている。「葦牙」は、生命の誕生の蠢動を象徴する春の葦の芽の意。

 これを見ても分かる通り、日本神話に於いてはこの地上の地面そのものがカオスからコスモスの形態へと遷移する浮遊状態にあったそれを「久羅下(くらげ)」に比しているのである。まさに――「くらげ」は日本に於いては世界で最初に神によって名指された生物である――ということになるのである! 私は「古事記」を大いにしっかり授業でやるべきだと考えている(『扶桑社や「新しい歴史教科書」を編集している愚劣な輩へ告ぐ!!!』をも参照されたい)。それは、若者たちが、こういう博物学的な興味深い事実にこそ心打たれることが大切だと考えるからである。それは、強い神国としての日本をおぞましくも政治的に宣揚するためにではなく、である。

・「鰕、附きて之れに從ふ。子の母に從うふがごとし」すぐ頭に浮かぶのは鉢虫綱根口クラゲ目イボクラゲ科エビクラゲ Netrostoma setouchiana であるが(私は二〇〇八年前に寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」ではこの共生するエビ類について『ここで共生するエビは、特定種のエビではないようである(ただ研究されていないだけで特定種かも知れない)』と述べたが、今回、二〇一一年刊の『広島大学総合博物館研究報告』の大塚攻・近藤裕介・岩崎貞治・林健一共著の論文「瀬戸内海産エビクラゲNetrostoma setouchiana に共生するコエビ類」によって『コエビ類の共生はエビクラゲのみから確認され』たこと、それによって『宿主特異性が高いこと』が判明していることが分かった)、さらに好んで鉢虫・ヒドロ虫類及びクシクラゲ類・サルパ類(この後者の二種は触手動物門や原索動物尾索類だ、などと鬼の首を捕ったように言う勿れ。彼らは広い意味で永く水中を漂う立派な「クラゲ」として「~クラゲ」としてその名を附して呼ばれたり、同じ仲間として認識されてきたのである)に寄生するエビとなれば、節足動物門大顎亜門甲殻綱エビ亜綱エビ下綱フクロエビ上目端脚目(ヨコエビ目)クラゲノミ亜目 Hyperiideaに属するクラゲノミHyperiame medusarumやオオタルマワシPhronima stebbingi などの同クラゲノミ亜目に属するウミノミ類の仲間辺りが挙げられよう。それ以外にも刺胞毒の強いヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科カツオノエボシ Physalia physali 等に共生(私はエボシダイがクラゲの体の一部を食べることがあること、エボシダイに明白なカツオノエボシの刺胞毒に対する耐性が認められることなどから、寄生或いは胡散臭いので好きな言葉ではないのだが片利共生と考えている)しているスズキ目エボシダイ科エボシダイ Nomeus gronovii の幼体など、調べて見れば、クラゲを「母」とする、特定の「子」は実は決して稀ではないことが分かるはずである。そうしてそういうものを目にしてきた漁師やそれを伝聞した本草家がいたということ、それがこうして記載されていることこそが、幸せな博物学の時代を象徴するしみじみとした事実として私の心を打つのだとだけは言っておきたいのである。

・「源順」(延喜一一(九一一)年~永観元(九八三)年)は平安中期の学者で歌人。嵯峨源氏の一族で、大納言源定の孫左馬允源挙(みなもとのこぞる)の次男。以下、ウィキの「源順」によれば、若い頃より奨学院において勉学に励んで博学として知られ、二十代で日本最初の分類体辞典「和名類聚抄」を編纂した。天暦五(九五一)年には和歌所の寄人(よりゅうど)となり、「梨壺の五人」の一人として「万葉集」の訓点と「後撰和歌集」撰集に参加した。漢詩文に優れた才能を見せる一方、天徳四(九六〇)年の内裏歌合にも出詠しており、様々な歌合で判者を務めるなど和歌にも才能を発揮した。特に斎宮女御徽子(きし/よしこ)女王とその娘規子内親王のサロンには親しく出入りし、貞元二(九七七)年の斎宮規子内親王の伊勢下向の際にも随行した。『だが、彼の多才ぶりは伝統的な大学寮の紀伝道では評価されなかったらし』い。それでも康保三(九六六)年に『従五位下下総権守に任じられ(ただし、遥任)、翌年和泉守に任じられるなど、その後は受領として順調な昇進を遂げるが、源高明のサロンに出入りしていたことが安和の変』(安和二(九六九)年に起きた藤原氏による他氏排斥事件。謀反の密告により左大臣源高明が失脚)『以後に影響を与え』、以後の昇進は芳しくなかった。『三十六歌仙の一人に数えられる。大変な才人として知られており、源順の和歌を集めた私家集『源順集』には、数々の言葉遊びの技巧を凝らした和歌が収められている。また『うつほ物語』、『落窪物語』の作者にも擬せられ、『竹取物語』の作者説の一人にも挙げられ』ている。以下は「和名類聚抄」からの引用。であるが、国立国会図書館のデジタルコレクションの当該頁を視認すると、やや異なる。以下に示す。

   *

海月 崔禹錫食經云海月一名水母〔和名久良介〕貌似月在海中故以名之

   *

・「食經」唐の本草学者崔禹錫撰になる食物本草書「崔禹錫食経」。現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測されている。順の「倭名類聚鈔」に多く引用されている。

・「水海月」現行、狭義のそれ、真正の「ミズクラゲ」は刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ミズクラゲ科ミズクラゲ属 Aureliaのミズクラゲ Aurelia aurita 。なお、本邦には他に北海道に分布するキタミズクラゲ Aurelia limbata がいる。これは傘径が三〇センチメートル前後と大型で(ミズクラゲは十三センチメートル前後)、放射管が網目状になっている点、触手や傘の辺縁部が褐色を帯びる点でミズクラゲ Aurelia aurita と識別出来る。しかし、本項の最後の叙述などを見ると、これは現在の狭義のミズクラゲとは一致しない謂いと私は採る(後注参照)。

・「陳蔵器」(六八一年?~七五七年?)は唐代の医学者で本草学者。浙江省の四明の生まれ。開元年間(七一三年~七四一年)に博物学的医書「本草拾遺」を編纂している。

・「李時珍」(一五一八年~一五九三年)は明代を代表する医学者で本草学者。湖北省の蘄州(きしゅう)の生まれ。中国古来の植物・薬物を研究、兼ねて動物や鉱物を加味しながら主として医用の立場で集成した本草学の確立者にして伝統的中国医療の集大成者。本「本朝食鑑」が模しているところの彼の主著「本草綱目」(五十二巻)は一五九六年頃の刊行で、巻頭の巻一及び二は序例(総論)、巻三及び四は百病主治として各病症に合わせた薬を示し、巻五以降が薬物各論で、それぞれの起源に基づいた分類がなされている。収録薬種一八九二種、図版一一〇九枚、処方一一〇九六種にのぼる。

 

・「江瑤」「瑤」は美しい宝玉の意。蔵器と時珍は「海月」に相当するものを「江珧」と呼んでいる事実はある。しかし、

 「海月」=「江珧」≠クラゲ

なのである(それは人見も認識しているようである)。例えばこの「江瑤」が、貝原益軒の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 タイラギ」にも以下のように表れている(これは貝の足綱翼形亜綱イガイ目ハボウキガイ科クロタイラギ属タイラギである。学名を示さないのには理由がある。リンク先を必参照)。以下、リンク先で私が書き下したものを示す(下線やぶちゃん)。

   *

たいらぎ 殻、大にて、薄し。肉柱、一つあり、大なり。食すべし。腸(はらわた)は食ふべからず。和俗、※1の字を用ゆ、出處なし。江瑤(かうえう)及び玉珧(ぎよくえう)は本草諸書にのせたり。肉柱、四つあり。殻、瑩潔(えいけつ)にして美なり。たいらぎは殻、美ならず。肉柱、一つあり。是れ、似て是れならず。然れども、たいらきも江瑤の類いなるべし。「※2※3」は本草に載せたり。「たいらぎ」と訓するは非なり。

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+「夜」。「※2」=「虫」+「咸」。「※3」=「虫」+「進」。]

   *

この「江瑤」がどこから出て来たものか、今の所、その水源を捜し得ないのであるが、まず「本草綱目」のどこに「江珧」が出るかというと、貝類の載る「介之二」なのである(底本は国立国会図書館のデジタルコレクションの「本草綱目」の画像を視認した。下線やぶちゃん。句読点や『 』の記号は、特に分かりやすくするために部分的に恣意的に用いている。語釈を附すと、痙攣的に注が終わらなくなるので一部を除いて略した。以下の引用でも同じ)。

   *

海月〔拾遺〕

釋名玉珧〔音姚〕 江珧 馬頰 馬頰〔藏器曰、『海月、蛤類也。似半月、故名。水沫所化、煮時猶變爲水時珍曰馬甲、玉珧、皆以形色名萬震贊云、厥甲美如珧玉、是矣。〕

集解〔時珍曰劉恂「嶺表錄異」云海月大如鏡、白色正圓、常死海旁。其柱如搔頭尖、其甲美如玉。段成式「雜俎」云玉珧形似蚌、長二三寸、廣五寸、上大下小。殼中柱炙蚌稍大、肉腥韌不堪。惟四肉柱長寸許、白如珂雪、以雞汁瀹食肥美。過火則味盡也

附錄海鏡〔時珍曰一名鏡魚、一名瑣、一名膏藥盤、生南海。兩片相合成形、殼圓如鏡、中甚瑩滑、映日光如云母。有少肉如蚌胎。腹有寄居蟲、大如豆、狀如蟹。海鏡飢則出食、入則鏡亦飽矣。郭璞賦云、『瑣※3腹蟹、水母目蝦、即此。〕

 

[やぶちゃん字注:「※3」=「王」+「吉」。]

氣味甘、辛平。無毒。主治消渴下氣、調中利五臟、止小便。消腹中宿物、令人易飢能食。生薑、醬同食之〔藏器〕。

   *

「拾遺」というのは「本草拾遺」だから、少なくとも時珍は蔵器の「海月」(ひいては「江珧」)も同一物だと言っているということになって、人見の言と一致はすることになると言える。しかし、この文脈、中国語の出来ない私がぼーぅと読んでいても、これは貝――それも貝柱を食用にする二枚貝、殻の形が月の様に丸いてなことを述べていることぐらいは分かる。即ち、この「海月」は「クラゲ」でないのである。しかもここに出る「海鏡」の形状はこれはまた今度はタイラギではなく、斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ上科マルスダレガイ科カガミガイPhacosoma japonicum 、いや寧ろ、光沢を持つ点では斧足綱翼形亜綱ウグイスガイ目ナミマガシワ超科 ナミマガシワ科マドガイPlacuna placenta が同定候補に浮上してくるという、まさに痙攣的な大混戦の様相を呈しているのである。但し、何と! 驚くべき偶然か? ここに出る郭璞の「江賦」からの引用の『水母目蝦』の「水母」というのは、それこそこれ私が前で注した、クラゲとそれに寄生する甲殻類と思われてくるではないか?!

 では戻って、例えば「本草綱目」にクラゲは出ないのかと言えば、これが出ているのである。しかしそれは「鱗之四」の「海※4」(「※4」=「虫」+「宅」。「かいた」或いは「かいだ」。〕なのである。底本はやはり国立国会図書館のデジタルコレクションの「本草綱目」の画像を視認した(下線やぶちゃん。句読点や『 』の記号は、特に分かりやすくするために部分的に恣意的に用いている)。

   *

海※4〔「拾遺」〕

釋名水母〔拾遺〕 樗蒲魚〔拾遺〕 石鏡〔時珍曰作、宅二音。南人訛爲海折、或作蠟、 者、並非。劉恂云閩人曰、※4廣人曰水母。「異苑」、名石鏡也。〕

集解〔藏器曰、※4、生東海、狀如血■、大者如牀、小者如斗、無眼目腹胃、以蝦爲目蝦動。※4沉、故曰水母目蝦亦猶※5※5之與※6※7也。煠出以薑醋進之海人以爲常味。時珍曰、水母、形渾然凝結其色紅紫、無口眼腹。下有物如懸絮、羣蝦附之、其涎沫浮泛如飛。爲潮所擁、則蝦去而※4不得歸。人因割取之、浸以石灰礬水、去其血汁色遂白。其最濃者、謂之※4頭、味更勝。生、熟皆可食茄柴灰和鹽氷淹之良。〕

[やぶちゃん字注:「■」は判読不能。「血」+(「焰」-「火」のような(つくり)か?)。「※5」=「跫」-「足」+「鳥」。「※6」=「馬」+「巨」。「※7」=「馬」+「虛」。

氣味鹹、溫。無毒。主治婦人勞損、積血帶下、小兒風疾丹毒、湯火傷〔藏器〕。療河魚之疾〔時珍出異苑〕。

   *

因みに、後に寺島良安は、この部分を「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)で以下のように訓読している(私の語注がリンク先にある)。

   *

「本綱」に『海※2は、形ち、渾然として凝結し、其の色、紅紫、口・眼、無く、腹の下に物有り。絮(しよ)を懸けたるがごとし。羣蝦(むれえび)、之に附きて、其の涎沫(よだれ)を(す)ふ。浮汎(ふはん)すること、飛ぶがごとく、潮の爲に擁せらるれば、則ち蝦去りて、※2、歸るを得ず。人、囚りて割〔(わけ)〕て之を取る。常に蝦を以て目と爲す。蝦、動けば、※2、沈む。猶ほ蛩蛩(きようきよう)の※6※7(きよきよ)とのごとし。其の最も厚き者、之を※2頭と謂ふ。味【鹹、温。】、更に勝れり。生・熟、皆、食ふべし。薑醋(しやうがず)を以て之を進む。茄柴の灰、鹽水に和して、之を淹(い)れて良し。又、浸すに石灰・礬水(ばんすゐ)を以つて、其の血汁を去れば、其の色、遂に白し。』と。

   *

 以上で検証は一先ず終りとするが、私にはやはり調べれば調べるほど、人見の叙述は多様な別種を神経症的に羅列し、博物学的には興味深いものの、なかなか真正のクラゲに至っていないやや迂遠な解説、という気がしてならないのだが、如何であろう?【二〇一五年四月二十八日追記】島田氏の注に、「国訳本草綱目」(戦前の刊行なので「支那」とあるので注意)に「和名いたやがひ」とし、その頭注で白井光太郎氏が『海月・王珧、元ト二物、時珍之ヲ合ス誤リナリ』とし、木村康一氏は『海月ハ扇状ノ二枚貝。左右概ネ不同ニ膨ラム。殻表ハ淡褐赤色ナリ。支那本土ニ海岸ニ分布ス』と附しているとある。これだと、斧足綱翼形亜綱カキ目イタヤガイ亜目イタヤガイ科イタヤガイ Patinopecten albicans ということになる(同定候補としてはそれもありではあろう)。また、島田氏は中国でのその貝の異名として王珧・江瑤・馬頰・角帯子・江珠・楊妃舌・江瑤柱を示しておられる。因みに楊妃舌は現代中国語ではイタヤガイ科のホタテガイ Patinopecten yessoensis を指す。

 

・「渾然」全く差や違和感がなく、一つのまとまりになっているさま、もしくは角や窪みのないさまを言う。まさに、クラゲのためにあるような語である。

・「腹の下、物、有りて絲のごとく、絮のごとくにして、長く曳く」は、主として鉢クラゲ類で目立つ口腕及び一部の種のその口腕の付属器を指しているのであろう。当然、その他の縁弁を含む傘縁触手や有櫛動物の場合の触手も含んでいると考えてよい。「絮」は綿・真綿・草木の綿毛の意。

・「涎沫」音は「センマツ」で、ここもこう音読みしている可能性は高いと思われるが、私は達意の観点から確信犯で「よだれ」と訓じた。唾(つばき)や口から吹いた泡のこと。

・「※く」(「※」=「口」+「匝」)この字は音「サフ(ソウ)」で、射は吸う・啜るの意。

・「盤」食物を盛る大きな皿。盥(たらい)の意もある。

・「盂」本来は中国古代の礼器の一つで土器・青銅器ともにあり、飲食物の容器で大口の深鉢に足と左右の取手が附いているものを言うが、ここは比較的小さな飲食物を盛る口の広い鉢を指している。

・「海月の頭と爲る」クラゲの親分になるというのか? それもおかしいので一応、クラゲの頭部(傘)となると訳しておいた。【二〇一五年四月二十八日追記】この注の記載後に入手した東洋文庫版の島田勇雄氏訳注でも『最も厚いところは海月の頭といわれ』と訳しておられた。

・「江東、未だ之を見ず。海西、最も多し」ここでは既にして、食品加工用の特定のクラゲを指している。即ち、鉢虫綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta 、その近縁種で有明海固有種のヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum 、ビゼンクラゲに極似したスナイロクラゲ Rhopilema asamushi (現在は原材料としないようである)である。但し、最後のスナイロクラゲの分布域は九州から陸奥湾に広く分布するのであるが、恐らくは古くより、これらを採取して食品として加工する技術が主に西日本で発達したことに由来する、分布理解の不十分な認識によるものであろう。なお、後で注するが、同科の現在の日本近海では主に有明海と瀬戸内海に棲息する本邦のクラゲ中でも最大級の種としてのエチゼンクラゲ Nemopilema nomurai は、実は江戸時代には食用クラゲとしての加工の歴史はなかったので、ここには出していない。

・「唐海月」「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)に、

   *

肥前水母【又、唐水母と名づく。】 一物にして、異製なり。其の製、明礬に鹽を和して揉み合はせ、之を漬ける。色、黄白ならしめ、使ふ時、能く洗浄し、礬氣を去る。肥前の産、最も佳し。故に名づく。其の味、淡く、之を嚼(か)むに聲有り。

   *

と出る。これに就いて私は当該注で、以下のように記した。

   *

「肥前水母」ヒゼンクラゲ 良安はこれを塩クラゲの製法違いとしているが、既に横綱エチゼンクラゲに土俵入りしてもらっている以上、やはり種としてのヒゼンクラゲにも控えてもらおう。

 ところが、その前に片付けておかなくてはならない事柄がある。私は実は、肥前(ひぜん:佐賀県と長崎県の一部)や備前(びぜん:岡山県と兵庫県の一部)といった採取された旧国名からついた和名が極めて似ているため、このヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum という種とビゼンクラゲ Rhopilema esculenta という種が同一のクラゲのシノニムであると思っていた(事実、前掲の二冊のかなり新しいクラゲの出版物でも索引にはビゼンクラゲしか載らない)。次に少し経って、ヒゼンクラゲというのは、ビゼンクラゲに極めて類似したスナイロクラゲ Rhopilema asamushi のシノニムではないかとも疑った。ところがレッドーデータ・リスト等を検索する内、実際にはこの三種はすべて別種であるという記載があり、また多くの観察者の記載を見るに、私もこれらは異なった種であろうという印象を持つに至った。即ちクラゲ加工業者の間で「白(シロクラゲ)」と呼称されるヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum は有明海固有種であり、私がシノニムを疑ったスナイロクラゲ Rhopilema asamushi はその分布域が九州から陸奥湾に広く分布するという記述だけで最早同一ではあり得ず、またビゼンクラゲ Rhopilema esculenta は業者が「赤(アカクラゲ)」と呼称するように、傘が有意に褐色を帯びており(但しヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum でも傘に紅斑点があるものがあり、その方が塩クラゲにするには上質とされるらしい)、見るからに異なったクラゲに見えるのである。今後のアイソザイム分析が楽しみである。

 更に付け加えておくと昨今、大量発生で問題になっているエチゼンクラゲについては、実は日本では過去に塩クラゲ加工の歴史はなかった、というのも眼からクラゲであった。昔は来なかったんだよな。はい、江戸博物書の注であっても、やっぱり温暖化の問題は避けて通れませんね。

 更に追伸。「唐水母」という名称は、今の異名としては残っていない。ところが「唐海月」という語ならば、井原西鶴の「好色一代女」卷五の冒頭「石垣戀崩」に『おそらく我等百十九軒の茶屋いづれへまゐつても。蜆やなど吸物唐海月ばかりで酒飲だ事はない。』と出て来る(近世物は苦手なので注釈書が手元にないのでこれまでである)。しかし、これはもしかするともともとは中国製の加工食品としての塩クラゲを言う言葉ではなかったか。その製法が江戸期に日本に伝わり、肥前で作られたものにこの呼称が残ったとは言えまいか(あ、さればそのルーツはまさにエチゼンクラゲ製であったかも知れないぞ)。

 最後にちゃんと名前を挙げよう。鉢クラゲ綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum 。種名の頭は「ヒ」! 「ビ」じゃあない!

   *

くどいが、ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta とヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum はご覧の通り、違う種である。八年も前の自分の叙述に、不覚にも思わず読み入ってしまった。……

・「華より肥の長﨑に傳送して來たる。本朝にも亦、之れを製す」以上述べた通り、中国からの舶来の加工クラゲの原材料は本邦では対象としなかった(或いは漂ってこなかった)エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai のものである可能性が大きく、後者はビゼンクラゲ Rhopilema esculenta・ヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum・スナイロクラゲ Rhopilema asamushi (現在は原材料としないようである)であったということになる。味わいの違いはそうした素材種や個体の大小の違い(無論、処理方法の違いもあるであろうが)によるものであったとも言えよう。なお、現行の加工過程は「国立研究開発法人 水産総合研究センター 中央水産研究所」公式サイト内の『水産加工品のいろいろ「塩蔵クラゲ」』がよい。ここでは石灰の使用が記載されていないが、他サイトを見るとやはり使用しているようである。またサイト「くらげ普及協会」もなかなかに必見である。

・「石灰・礬水」「礬水」は「どうさ」と当て字読みし、膠(ニカワ)とミョウバンを水に溶かした液体のことを指す。一般には和紙や絹地の表面に薄く引いて、墨や絵具等が滲むのを防ぐ効果を持つ顔料である。しかし、ここでは単に明礬(ミョウバン)=硫酸アルミニウムカリウム12水和物AlK(SO4)212H2Oの水溶液を指していると考えられる。言うまでもないが「石灰」は消石灰=水酸化カルシウムCa(OH)2のことである。

・「一種、水海月と云ふ者有り、色、白くして團を作し、水泡の凝結するがごとく、亦、絲絮(しぢよ)を曳きて、魚鰕、之に附く。潮に隨ひて飛ぶがごとし。漁人、之れを采らず、謂ふ、必ず、毒、有ると。又、毒無き者有るとも、味はひ、好からず。江東にも亦、多く之れ有り」ここまで総てがこの「水海月(みづくらげ)」なるものの、一貫した記載であるとしか読めないのであるが、これはどうもミズクラゲの単種を指しているとはどうしても読めない。まず漁師が「必ず、毒、有る」と確信犯で述べている点である。これは漁師の言としてはやや奇異である。但し、ミズクラゲの刺胞毒は極めて弱いことで知られるが、個人差があってミズクラゲでも刺される人はおり、体質によっては結構な症状を呈する。私の高校時代の友人にもミズクラゲで痛みを感じ、実際に炎症を起こす者がいた。例えば「三重県農林水産部水産資源課」公式サイト内の「ミズクラゲに刺される ミズクラゲを侮るなかれ」を参照されたい(そもそも真正のクラゲ類では、まず刺胞毒が全くないものといのは極めて稀で殆んどないとと言ってもよい。本邦産のものは基本、如何なるクラゲも刺胞には安易に触らぬ神にの類いではある。但し、傘なら安全と言う訳でもない。海外のケースであるが、TV番組で傘だけを持ったレポーターが数日後に激しい炎症を起こした事例を知っている)。話を戻すと、私は当時の漁師にとって「必ず毒がある」としてまず採らないというのは強毒のアカクラゲやカツオノエボシなどで(通称言うところの電気クラゲであるアンドンクラゲなども強い刺胞毒を持つが、この手のクラゲは獲るも獲らないも、小さ過ぎて初めから漁獲対象足り得ないから挙げない)、ミズクラゲに対して、このような忌避表現をするとは思えないというのが一。今一つは、「亦、絲絮を曳きて、魚鰕、之に附く」という部分で、ミズクラゲにも幼魚や甲殻類がいることはあるものの、「絲絮を曳きて」と表現するのは寧ろ、やはりアカクラゲやカツオノエボシで、それらには前に述べたようにエボシダイの幼魚や小海老と言うべきウミノミ類のような寄生や片利共生を容易に現認出来るからである。

・「古人、艶情の歌を詠じて、海月、骨に遇ふの語、有り」延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集「夫木和歌抄」の巻二十七雑九に、

 

  我が戀は浦の月をぞ待ちわたるくらげのほねに逢ふ夜ありやと  仲正

 

とあるのを指すものであろう(寺島は「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)で本歌をやや手を加えて引いている)。源仲正(仲政とも書く)は平安末期の武士で、酒呑童子や土蜘蛛退治で有名なゴーストバスター源頼光の曾孫である。即ち、ひいじいさんの霊的パワーは彼の息子、鵺(ぬえ)退治の源頼政に隔世遺伝してしまい、仲正の存在はその狭間ですっかり忘れ去られている。しかし歌人としてはこの和歌に表れているような、まことにユーモラスな歌風を持つ。訳しておくと、

   *

やぶちゃん訳:私の恋は、浦に上る遅い月をひたすら待ち続けるようなもの……意地悪くも、その上ぼる月が水面に映ったかと見紛う海月……その海月の骨に出逢う夜が――世が――時が――やって来るのであろうか? いや、それは海月に骨がないように、私の恋は、決して成就することなどないに違いない……

   *

といった感じである。

・「誕妄」「妄誕」で「ばうたん(ぼうたん)」の方が一般的か。言うことに根拠のないこと、また、その話の意。「妄」は「まう(もう)」と読んでもよい。

・「鮾る」魚肉などが腐る。

・「然れども微温か。未だ詳らかならず」漢方で軽く温める効果を持つものを「微温」と称するが、腐ると腥い臭気を帯びるものは微温ではなく微寒の効果を持つはずなのに、という人見の疑問か? ここ、文脈の繋がり方がよく分からない。識者の御教授を乞うものである。訳では分からないながらに逐語訳して誤魔化した。【二〇一五年四月二十八日追記】この注の記載後に入手した東洋文庫版の島田勇雄氏訳注では、この割注全体は『鹹平。無毒。あるいは鮾敗(くさ)ると腥臭を発生するともいうが、微温かどうかはは未だ詳らかでない』と訳しておられるので、ここは「然れども微温なるかは未だ詳らかならず」で、私の認識とは逆に――腐ると腥(なまぐさ)い臭いを発するという以上、微温の性質であるということであるらしいが、本当にそうかどうかはいまだよく分からない――という意味である。その方が叙述としては自然に感じられるので、私の訳もそのように今回改変した。

・「失血」不詳。漢方用語にはない。以下の並列する「帶下」から考えると貧血ではバランスが悪く、生殖器からの異常な不正出血を指すものか。

・「帶下」女性生殖器からの血液以外の分泌物。普通、通常の分泌を越えて不快感を起こす程度に増量した状態を指す。

・「河豚の毒を伏す」先の海鼠の記載にも出るが、不詳。私はこのような民間療法を聴いたことはない。識者の御教授を乞う。

 

■やぶちゃん現代語訳(読み易さを考えて適宜改行した。一部、前後の文脈との齟齬のある箇所は翻案している。)

 

海月〔久良介(くらげ)と訓ずる。〕

 釋名 水母〔小海老がついてきてこれに従う。子が母に從うが如くである。故に「水母」と言う。源順(みなもとのしたごう)の「和名類聚抄」に言う、『「食経」に、「海月、一名、水母。形(かたち)は月の海中にあるかの如くである。故に以って、かく名づけている。」と。』とある。

 およそ、古えより「海月」を以って名づくる海産動物は、これ、随分とあって、また相応に古いものである。

 形と色を以ってこれに名づけるとするならば、如何にも「水母」というのは相応しくない。そもそも円形を成していると言っても、その形は正円ではなく歪(いびつ)である。さらにその色もまた多種多様で、月の如き清澄な銀色を呈していないものも多い。但し、一種に「水海月(みずくらげ)」という種がおり、その色は確かに白く、形も円(まど)かであるから、これを以って「海月」と称しているものか。陳蔵器や李時珍はともに、二枚貝の「江瑤(こうよう)」を以って「海月」と同定している。これならば形・色ともに、よく当たっている。〕

 集觧 形は水垢(みずあか)が凝結して成った如きもので、渾然一体となった体を持ち、至って静かな生態を持つ。波に随い、潮を追って、水上に浮かんでいる。その色は紅紫色を呈する。眼や口はなく、手足もない。腹の下に一物があって、これは糸の如く、綿毛の如きものであって、それを長く曳いている。魚や小海老が、この垂下物につき随っており、その海月が摂餌の滓(かす)として垂らす涎沫(よだれ)を吸っては、またそれを餌としている。大きなものでは盥(たらい)ほどもあり、小さなものでは小鉢ほどといった感じである。その最も大きく厚い部分が、所謂、「海月の頭(あたま)」、傘となるのである。

 その味わいは、淡くして、やや海の香を香らせて、良きものである。

 東日本では、いまだこの類を見ない。西日本の海に、最も多くこれが認められる。

 故に煎茶の渣(かす)や柴を燃やした残りの灰(はい)に塩水(えんすい)を混ぜて、その液の中に、この生の海月を塩漬けにして、以って東に送って、魚の刺身の友としている。

 或いは生姜酢や熬(い)り酒を加えて、以ってこれを珍味として出だす。

 一種に「唐海月(からくらげ)」と言うものがいる。この色は黄白色を呈し、味わいは頗る淡いもので、これを噛むと、きゅっきゅっという如何にも絶妙な音を立てる。これもまた先と同様に生姜酢や熬酒を注いで、以ってこれを珍味として出だす。これは、中華より肥前の長崎に伝送されて齎(もたら)される舶来の品である。本朝に於いてもまた、これと同じものを製する。

 その方法は、まず、石灰と明礬(みょうばん)の水溶液に海月を浸し、以ってその血や体液を取り去る。すると色が変じて白色となる。これをさらに水で洗って汚れを細かに取り除く。特に万一、この折りに有毒な石灰の除去が不完全であると、食した者に害が及ぶ。

 一種、「水海月(みずくらげ)」というものがいる。色は白くして団塊状をなして、謂わば、水泡が凝結したかの如き形態であり、また、下に糸や綿毛様のものを長々と曳いていて、そこに小魚や小海老が好んで住みついている。潮に随って飛ぶように漂う。漁師はこれを獲らない。何故と謂うに、「必ず、毒があるから。」とのこと。また、毒がないものもいるけれども、その味わいは、これ、良くない、と。この「水海月」は東日本にもまた多くいる。

 古人に、艶情の思いを歌に詠じて、「海月、骨に遇う。」という表現をする。これは、無論、根拠のない戯言(たわごと)というべきものであろう。

 氣味 鹹平(かんへい)。毒はない。〔或いは言う、『塩海月は腐りかけた時には、すなわち、腥(なまぐさ)い臭いをずる。』と。しかし、本当に「微温」の性質を持つ食材であるかどうかについては、いまだ私にはよく分からない。〕 主治 婦人の失血及び帯下(こしけ)の症状には、これを食して良い効果がある。或いは言う、河豚(ふぐ)の毒をよく制する、とも。
 
 
 

◆華和異同

□原文

   海月

曰水母曰※或名樗蒲魚又名石鏡或謂華之海月

[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「宅」。]

者江瑤也然崔氏食經云海月一名水母貌似月在

海中然則華人以水母亦爲海月惟疑崔氏所言者

以色白者則指水海月而言乎海月色紫不似月之

色若以團容而言則可也南産志曰色正白濛濛如

沫者今之水海月也乎

 

□やぶちゃんの書き下し文

   海月

曰く、水母(すいぼ)。曰く、※(たく)[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「宅」。]。或いは樗蒲魚(ちよぼぎよ)と名づく。又、石鏡(せききやう)と名づく。或いは華の海月と謂ふ者は江瑤(かうえう)なり。然れども崔氏が「食經」に云く、『海月。一名、水母。貌(かたち)、月に似て、海中に在り。』と。然らば則ち、華人、水母を以つても亦、海月と爲す。惟だ、疑ふ、崔氏が言ふ所は、色、白きを以つてする時は、則ち水海月(みづくらげ)を指して、言ふか。海月、色、紫、月の色に似ず。若し、團容(だんよう)を以つて言ふ時は、則ち可なり。「南産志」に曰く、色、正に白にして濛濛(もうもう)として沫(あは)のごときとは、今の水海月ならんや。

 

□やぶちゃん注

・「樗蒲魚」「樗蒲」は「かりうち」とも訓じ、中国から伝来した博打(ばくち)の一種を言う。「かり」と呼ばれる楕円形の平たい四枚の木片を采(さい)とし、その一面を白、他面を黒く塗って、二つの采の黒面に牛、他の二つの采の白面に雉子を描き、投げて出た面の組み合わせで勝負を決するものを言うから、恐らくはその采の形状をクラゲに擬えたものであろう。

・「江瑤」本文の私の同注を参照されたいが、ここで人見はまさにこれをクラゲではない、恐らくは斧足類のタイラギやカガミガイとして理解しようとしているように私には読める。

・「水海月」ここでは、ここに限ってなら、これは現行のミズクラゲ科ミズクラゲ属 Aureliaのミズクラゲ Aurelia aurita と採ることが可能である。

・「海月、色、紫」人見はクラゲの一般的な色彩を「紫」と言っている。鉢虫綱根口クラゲ目ムラサキクラゲ Thysanostoma thysanura は一般には黄褐色(実際には目につくクラゲ類ではこの色のクラゲ類が最も多いように私には思われる)であるが、時に非常に美しい紫色を呈する個体もいる。他の種でも、色彩の変異がしばしば見られ、当時の紫という色範囲が青味の強いものも含むから、ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科カツオノエボシ Physalia physali まで含まれると考えれば、強ち、おかしな認識とは言えないように思われる。

 

□やぶちゃん現代語訳

   海月

「水母(すいぼ)」と言う。「※(たく)」とも言う[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「宅」。]。或いは、「樗蒲魚(ちょぼぎょ)」と名づける。また、「石鏡(せききょう)」と名づける。或いは、中国に於いて「海月」と言った場合、その物は二枚貝の一種である「江瑤(こうよう)」を指す、とする。しかし、崔禹錫氏の「食経」には、『海月。一名は水母。その形は月に似ており、海中に棲息している。』と述べてある。とするならば、中国人は本邦で言う「水母(くらげ)」を以ってしても、二枚貝の「江瑤」を「海月」というのと別にやはり、「海月」と称しているのである。但し、疑問に思うことは、ある。崔氏が謂うところの生物は、色の白いものを以ってかく称しているということで、則ちこれは、今言うところの「水海月(みずくらげ)」を指して言っているのだろうか、という疑義なのである。何となれば現在、私の知れる一般的な海月(くらげ)の色は基本、紫色であって、白銀の月の色には似ていないからである。但し、もしも海月(くらげ)の頭のその丸い形を以ってして海の「月」と称しているのであるとするならば、それはそれで正しいとも言える。さすれば、「閩書南産志」に曰く、『色は真っ白で、その形は何かぼんやりとしていてはっきりと捉えることが出来ぬ、謂わば水面に浮いた泡のような』とあるのも、現在の「水海月(みずくらげ)」のことを指して言っているのであろうか。

2015/04/20

博物学古記録翻刻訳注 ■13 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載

[やぶちゃん注:本テクストは先の私の「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」を受けて作成したものである。「老海鼠」は「海鼠」の条の次にあり、ホヤはナマコに劣らず、私の偏愛の対象だからでもある。

 「本朝食鑑」については上記リンク先の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館のデジタルコレクションの以下の頁の画像を視認した。本文は漢文脈であるため、まず、原典との対照をし易くするために原文と一行字数を一致させた白文を示し(割注もこれに准じて一行字数を一致させてある。底本にある訓点は省略した)、次に連続した文で底本の訓点に従って訓読したものに、独自に読みや送り仮名を附したものを示し、その後に注と訳を附した。原典ではポイント落ち二行書きの割注は〔 〕で同ポイントで示した。なお、原典では原文の所で示したように、頭の見出しである「老海鼠」のみが行頭から記されてあり、以下本文解説は総て一字下げである。なお、「老海鼠」の「鼠」の字は原典では「鼡」の(かんむり)部分が「臼」になったものであるが、コードにない漢字であるので、正字の「鼠」で統一した。「殻」「帯」など異体字は原典のママである。字体判断に迷ったものや正字に近い異体字(「状」など)は正字で採った。

 「本朝食鑑」は東洋文庫で訳注が出ているが、私は現在所持しないので、語注と現代語訳は全くの我流の産物である。真に学術的なものを求めておられる方は、そちらをお薦めする。何箇所かで意味が通じない箇所にぶつかったため、恣意的な翻案もしてある。大方の御批判を俟つものである。

 なお、この記載はおかしな部分が異様に多い。人見御大には失礼乍ら、注では相当に指弾批難しているので、悪しからず。また、申し上げよう。私の読解は好事家の恣意的なそれではあるが、相応に本気だ。――今朝、アカデミックな東洋文庫の訳注本を全巻注文しておいた。私の拙考や訳が下らないものかどうか? その時は私の記載はそのままに補足を致したく存ずる。……さても……鬼が出るか? 蛇が出るか?……お楽しみあれ――♪ふふふ♪……では、それまでまた……【二〇一五年四月二十日 藪野直史】一九七七年平凡社東洋文庫刊の国語学者島田勇雄(いさお)氏の手に成る訳注本を昨日入手したが、披見したところ、手を加える必要性を認めなかったので、これをそのまま私の定稿とする(ちょっと残念)。但し、同書(巻四三三〇~三三一頁)にある注四は恐らく平安から近世に至るまでのホヤの記載の蒐録として現在最も詳しい記載と拝察する。必読である。【二〇一五年四月二十八日追記】遅巻き乍ら、「本朝食鑑」には和漢の本草記載の違いを考察する「華和異同」という別項が各部の終りに附されていることに気づいたので、その本文に準じて追加することとした。但し、本文とダブる箇所が甚だ多いので注は最小限に留めてある。【二〇一五年五月二十三日追記】

 

□原文

 

老海鼠

 釋名保夜〔此俗訓古亦然〕

 集觧狀如言海鼠之老變而一箇肉片色紫赤外

 雖有如※鼇之殻者而粘石脱去肉味類海鼠而

[やぶちゃん字注:「※」=(上)「觧」+(下)「虫」。]

 硬或似鰒耳水母而極堅應節而生花如披人之

 指掌也江淹郭璞同言石蜐乎今芝品川間有之

 相豆總之海濵亦希采海西最多醃而送傳之古

 者若狹作交鮨貢之而不知造法内膳部有參河

 國保夜一斛今未聽國貢也

 氣味鹹冷無毒主治利小水止婦人帯下

 

□訓読文(原典の一字下げは省略した。読み易くするために句読点・記号・濁点・字空けを適宜、施した。一部に独自に歴史仮名遣で読みや送り仮名を附してあるが、読解に五月蠅くなるので、特にその区別を示していない。なお、原典には振られている読み仮名は少なく、片仮名で「間(マヽ)」とあるのみである。また、「今」(いま)には「マ」が送られてあるが、省略した。また、つまらぬ語注を減らすためにわざと確信犯で訓読みした箇所もあり、こうした恣意的な仕儀を経ている我流の訓読であるので、学術的には原典画像と対比しつつ、批判的にお読みになられたく存ずる。)

 

老海鼠

 釋名 保夜〔此れ俗訓。古へ亦、然り。〕

 集觧 狀(かた)ち、海鼠(なまこ)の老變(らうへん)と言ふがごとくにして、一箇の肉片。色、紫赤。外、※鼇(けいがう)のごとき殻有ると雖も、石に粘(ねん)じて脱け去る。肉味、海鼠(なまこ)に類して硬し。或いは鰒(あはび)の耳・水母(くらげ)に似て、極めて堅し。節に應じて花を生ず。人の指掌(ししやう)を披(ひら)くがごとし。江淹(かうえん)・郭璞(かくはく)、同じく言ふ、「石蜐(せきけふ)」か。今、芝・品川、間(まま)之れ有り。相(さう)・豆(づ)・總(さう)の海濵にも亦、希れに采(と)る。海西、最も多し。醃(しほづけ)して之を送り傳ふ。古へは若狹、交鮨(まぜずし)と作(な)して之を貢す。造法を知らず。「内膳部」に『參河(みかは)の國、保夜一斛(ひとさか)。』と有り。今、未だ國貢(こくこう)を聽かざるなり。

[やぶちゃん注:「※」=(上)「觧」+(下)「虫」。]

 氣味 鹹冷(かんれい)。毒、無し。主治 小水を利(り)し、婦人の帯下(こしけ)を止(と)む。

 

□やぶちゃん語注(既に私がものした、

寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「老海鼠」

「海産生物古記録集■2 「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載」

「海産生物古記録集■4 後藤梨春「随観写真」に表われたるボウズボヤ及びホヤ類の記載」

「海産生物古記録集■5 広瀬旭荘「九桂草堂随筆」に表われたるホヤの記載」

「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 ホヤ」

などでさんざん注を施してきたので、寧ろ、それらを参考がてら、お読みに戴けるならば、恩幸、これに過ぎたるはない。但し、「本朝食鑑」全体の構成要素である「釋名」等の語意については既に「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」で施しているので繰り返さなかった。そちらを参照されたい。)

・「老海鼠」食用としての記載であるから、脊索動物門尾索動物亜門海鞘(ホヤ)綱壁性(側性ホヤ)目褶鰓(しゅうさい)亜目ピウラ(マボヤ)科 Pyuridae マボヤHalocynthia roretzi 及びアカボヤHalocynthia Aurantium を挙げておけばよかろう。本書より後の寺島良安の「和漢三才図会」では、巻第四十七の「介貝部」に「老海鼠」を入れており(これは現代の一部の魚屋が本種を「ホヤガイ」と呼んで貝類と思い込んでいるのと同じである)、そこでは『「和名抄」は魚類に入る。以て海鼠の老いたる者と爲すか』と記している。因みに、人見はこの「老海鼠」を棘皮動物の「海鼠」と条鰭綱トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の魚類「海馬」(タツノオトシゴ)の間に挟み入れている(「本邦食鑑」の配列には強い細かな分類意識は働いていないように私は感じられる)。人見も「狀ち、海鼠の老變と言ふがごとくにして」と言っている辺り、海鼠と近縁と考えるにはやや躊躇があったようにも感じられはするが、寺島ほど強い批判的雰囲気は感じられない。

・「保夜〔此れ俗訓。古へ亦、然り。〕」しばしば俗にホヤには強壮効果があって「夜に保つ」ことからこう書くという説があるが、「保夜」は「ホヤ」という生物呼称が成立して以降に生まれた当て字であって誤りである。「ほや」という呼称は平安以前の非常に時代に発生しており、現在はその語源を解き明かすことは出来ない。

・「※鼇」(「※」=(上)「觧」+(下)「虫」)この「※」は「蟹」の異体字と判断する。「鼇」は大亀で、現行では大きなウミガメ(海亀)やスッポン(鼈)の類を指す。確かにホヤの「殻」(皮革質の被嚢)は蟹の甲羅やスッポン及びウミガメ類でも皮骨と鱗から成る比較的軟らかいオサガメの類の甲羅が発達しないタイプのそれによく似ているとは言えると思う。

・「節に應じて花を生ず。人の指掌を披くがごとし」問題の箇所である。この二箇所はどう考えてもホヤの生態、少なくとも食用にするマボヤやアカボヤのそれではあり得ない叙述である。百歩譲って、着底したホヤが成体となることを「花」と言い、被嚢の入水管・出水管の二本と皮革状の表面に発生する疣状或いは突起状のもの三つを合わせて「人の」「掌」(てのひら)や五本の「指」に譬えたのだと措定してみても、それを自然な表現であるとする人はまずいないはずである。あれは「花」には見えないし、五本の指のある人の掌には決して見えない。これがホヤだというのなら、その言っている本人は、実際の海中での生体としてのホヤは勿論、採れたての捌かないホヤを実見したことがない人間による誤った記載としか思われないのである。まず、この「人の指掌を披くがごとし」というのは、「披く」が明白に「花」を受けているから、前の「節に應じて花を生ず」ような運動に対する明白な補足比喩である。しかも後の「石蜐」の注で示すように、これは郭璞の「江賦」の中にある「石砝」(石蜐に同じい)の叙述である『石砝應節而揚葩』という表現を無批判に安易に自分の言葉として使ってしまった誤り(と私は断言する)なのであって、到底、人見が生体のホヤ実見していたとは思えないのである。しかもしかし、ここで一旦、立ち止まってよく見ると、これは、

――「節」(時。季節とは限らない。満潮時・干潮時も立派な「節」である)に「應じ」るかのように、「人の指掌」のようなものが窄(すぼ)んだ状態から、ぱっと「掌」を「披」いたかのように、「花を生」じたかのように見える、それは時によって人の「指」や閉じた「掌」のように見え、時によってそこから「花」に見紛うようなものが「掌」をぱっと開くように出て来る――

という運動を見せる生物体を描写していると読むのが自然であるということが分かってくる。こう書けば、少しでも海岸動物を知っておられる方は、これがホヤなどではなく、

甲殻亜門顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚(フジツボ)下綱完胸上目有柄目ミョウガガイ亜目ミョウガガイ科カメノテ Capitulum mitella

の形状にぴったり一致していることがお分かり戴けるはずである。そうして何より、「石蜐」は現代中国語でまさしくカメノテを指していることがはっきりと分かるのである(例えば中文サイトのここここをご覧あれ)。

・「殻有ると雖も、石に粘じて脱け去る」この叙述もおかしい。生体を水中で鋭利な道具を以って直接切り裂くのでもなければ、如何に乱暴な漁獲法を持ってしても、被嚢は容易には抜け落ちることはない。これを見ても人見はホヤ漁はおろかホヤの無傷の生体個体を実見したことがないように思われてならないのである。

・「肉味、海鼠に類して硬し。或いは鰒の耳・水母に似て、極めて堅し」この描写も、また大いに矛盾する。食用にするホヤの筋体部は硬くなく、寧ろぐにゃぐにゃしている。海鼠のそれに比すならこれは遙かに軟らかいし、凡そアワビの歩足体の外套膜の胴辺縁のように硬いのは筋体ではなく被嚢である。クラゲを出しているのは食用に処理されたクラゲの硬さを言っていると読めるが、ホヤのコリコリする硬い可食部は被嚢との入・出水口の接合部分のぐらいしかない。しかもそれは極めてそれは僅かな部位である。即ち、この人見が異様に硬いと言っているのは、どう考えても食べられない被嚢(皮革)部分を指しているである。これも人見がホヤの実体に極めて疎いことが知れ、彼は実はホヤの可食部をよく分かっていないのではないか、という強い疑惑を抱かざるを得ない奇妙な叙述なのである。

・「江淹」(四四四年~五〇五年)は六朝時代の文学者。河南省考城 の生まれ。字は文通。宋・斉・梁の三代に仕え、梁の時、金紫光禄大夫に至った。貧困の中で勉学に励み、若くして文章で名を挙げた。詩文に清冽な風格をもつが、特に「恨賦」「別賦」は抽象的な感情を題材として精緻な描写のうちに深い情緒を込めた、六朝の賦の一方の代表作とされる(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。ウィキの「江淹」によれば、南宋の詩人厳羽の「滄浪詩話」には「擬古は惟(こ)れ江文通、最も長ず。淵明に擬すれば淵明に似、康樂に擬すれば康樂に似、左思に擬すれば左思に似、郭璞に擬すれば郭璞に似たり。獨り李都尉に擬する一首、西漢に似ざるのみ」とあるとする。因みに「康樂」は東晋・南朝宋の詩人謝霊運のこと、「左思」は西晋の知られた文学者である(下線はやぶちゃん)。

・「郭璞」(二七六年~三二四年)は六朝時代の東晋の学者・文学者。山西省聞喜の生まれ。字は景純。博学で詩賦をよくし、特に天文・卜筮(ぼくぜい)の術に長じた。東晋の元帝に仕えて著作郎などを勤め、たびたび大事を占っている(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

・「石蜐」現代仮名遣「せききょう」(「せきこう」とも読める)。江淹のそれは彼の「石蜐賦序」にある『海人有食石蜐、一名紫𧄤、蚌蛤類也』に基づき、郭璞のそれは、彼の博物的な長江の生物層を詠じた「江賦」の中にある『石砝應節而揚葩』とある「石砝」を指しており、先の「節に應じて花を生ず」という人見の記述も、実はそれに拠っていることが分かる(以上の原文引用は中文サイトの検索による複数の情報から最も信頼出来ると判断したものから引用した)。前注で解き明かした通り、これは――生活史の一部にあって高等な脊索を持った尾索動物のホヤ――とは全く以って無縁で、似ても似つかぬ、逆立ちしたまま固着して動かない(そこは偶然にもホヤの生活史と一致するが)エビ――蔓脚類のフジツボの仲間であるカメノテのこと――なのである。

・「芝」現在の東京都港区芝。浜松町駅の南西、東京タワーの南東に位置し、江戸時代には付近一帯の海岸は「芝浜」と呼ばれ、その中に「雑魚場(ざこば)」と呼ばれる魚市場があった。江戸前の小魚や魚介類などが豊富に水揚げされ、「芝肴(しばざかな)」と呼ばれ、江戸庶民に賞味され、浅草海苔の生産地としても知られたが、江戸末期以降には漁獲量も減り、周辺の湾岸も徐々に埋め立てられて昭和四五(一九七〇)年には雑魚場のあった海岸も完全に埋めたてられ、その跡は本芝公園となった(この情報は芝四丁目の町内会「本芝町会」公式サイトの「町会の概要」の記載に基づいたものである)。

・「海西、最も多し」不審。皆さんもお分かりのように、ホヤ、特に最も食用に供されるマボヤは海西どころか、東北や北海道に多く、特に牡鹿半島・男鹿半島以北に多い。人見は北前船で回って来たホヤの塩辛が、西で獲れてそこで処理されてもたらされたものと勘違いしているのではあるまいか? とすれば、彼は少なくともホヤに関しては生態どころか、流通経路にも暗かったことになる。あんまり考えたくないが、そう思わないとこの悉くおかしな叙述は私には理解出来ないのである。

・「醃(しほづけ)」音は「エン」で、広く魚・肉・卵・野菜・果物などを塩・砂糖・味噌・油などで漬けることを言うが、ここは塩漬けで訓じた。

・「古へは若狹、交鮨と作して之を貢す」「交鮨」は「まぜずし」と訓じておいたが、これは一般的には見かけない語ではある。ところが「古へは若狹」が大きなヒントなのだ。「福井県文書館」公式サイト内の「『福井県史』通史編1 原始・古代」の「第四章 律令制下の若越 第二節 人びとのくらしと税 三 人びとのくらし」の「漁村のくらし」の中に、「延喜式 主計部 上」に『若狭からの調品目に貽貝保夜交鮨というのがある』とし、前文で紹介されてある若狭国遠敷(のちの大飯)郡青郷(里)に関わる木簡の『貽貝富也交作』や『貽貝富也并作』という記載について、『おそらく木簡にみえる交作・并作は交鮨のことであろう。そうであるならこれは、貽貝と海鞘とを混ぜこんで作った鮨ということになろう』と記されてあるのである。そうしてこれはほぼ間違いなく「いすし」、「飯寿司」「飯鮨」、本邦では非常に古くからあった飯と食材を「交」ぜて乳酸発酵させて作る「なれずし」のことを指しているのである。そうしてそれは平安時代の「土佐日記」や「枕草子」にさえ出ることは「海産生物古記録集■2 「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載」で既に述べたところである。

・「内膳部」「延喜式」のそれ。宮内省の内膳司(ないぜんし:皇室・朝廷の食膳を管理した役所。)に関するパート。

・「一斛」一石。「斛」は古代の体積の単位で、一斛は十斗で約百八十リットル。米換算なら百四十キログラムほど。

・「帯下」女性生殖器からの血液以外の分泌物。普通、通常の分泌を越えて不快感を起こす程度に増量した状態を指す。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

老海鼠(ほや)

 釋名 保夜(ほや)〔これは俗訓。古えもまた、この通り。〕

 集觧 形は海鼠(なまこ)の老いて変じたとでも言ふようなものであって、一箇の肉片である。色は赤紫(あかむらさき)。肉の他に、蟹や鼈(スッポン)の如き殻を持ってはいるがしかし、この殻は石に強く附着していて、漁(と)った際に抜け去る。肉の味は、海鼠(なまこ)に類しており、硬い。或いは鮑(あわび)の耳や食用に加工された水母(くらげ)に似て、極めて堅い。

 この生物はまた、時節に応じて花のようなものを体表に生ずる。それは、あたかも人が掌の指をぱっと開くような感じである。

 江淹(こうえん)や郭璞(かくはく)の二人が、孰れも「石蜐(せきこう)」と呼んでいるものは、実はこの老海鼠(ほや)なのか?

 今、武蔵の芝・品川に於いて、まま、これを獲る。相模国・伊豆国・上総国や下総国の海浜にてもまた、稀(まれ)にこれを獲る。

 対して西日本では、これは最も多く漁獲され、塩漬けにして各地へ、その珍味が送られ齎(もたら)されるのである。

 古えは若狭に於いて馴(な)れ鮨(ずし)になして、これを貢納していた。しかし、その造法は詳らかでない。「延喜式 内膳部」にも『三河の国、保夜一斛(ひとさか)。』とある。しかし今は、この古えの「老海鼠の馴れ鮨」なるものが国へ貢納されているということは全く以って聴かない。

 気味 鹹冷(かんれい)。毒はない。主治 小水(しょうすい)の出をよくし、婦人の帯下(こしけ)を抑える。
 
 

◆華和異同

□原文

  老海鼠

石蜐又有紫𧉧〔音却〕紫〔音枵〕龜脚之名南産志曰石𧉧

福曰黄※1泉曰仙人掌莆曰佛爪春而發華故江賦

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。]

有石𧉧應節而揚葩之語而謝朓詩亦云紫※2曄春

[やぶちゃん字注:「※2=(くさかんむり)+「噐」。]

流今按春而發華者春月肉吐在外秋冬則否

 

□やぶちゃんの書き下し文

  老海鼠

石蜐(せきけう)。又、紫𧉧しけう)〔音、劫(けう)。〕・紫(しけう)〔音、枵(けう)。〕・龜脚(ききやく)の名、有り。「南産志」に曰く、『石𧉧福に「黄※1」と曰ふ[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。]。泉に「仙人掌」と曰ふ。莆(ほ)に「佛爪」と曰ふ。春にして華を發(ひら)く。故に「江の賦」、「石𧉧、節に應じて葩(はな)を揚ぐ」の語、有りて、謝朓(しやてう)が詩にも亦、云く、「紫※2、春流に曄(かゝや)く」と。』と[やぶちゃん字注:「※2」=(くさかんむり)+(「噐」の「工」を「臣」に代えた字体。]今、按ずるに春にして華を發く者は、春月、肉を吐きて外に在り。秋・冬、則ち、否(しから)ず。

 

□やぶちゃん注

・「龜脚」これだけは本邦の「ホヤ」ではなくて「カメノテ」にしっくりくることは言を俟たぬ。但し、その場合もミョウガガイやエボシガイなどもこう表現する可能性が高く、既に本文の「石蜐」の注でさんざんっぱら、いちゃもん考証をしたように他にも全く異なる種を指している可能性があり、必ずしも完全に限定同定は出来ないので注意が必要である。

・「南産志」「閩書南産志」。既注。

・「福」福州。現在の福建省の北の臨海部にある省都。閩江(びんこう)下流北岸にある港湾都市で木材・茶の集散地として知られる。

・「黄※1」(「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。)音不詳。「クワウイン(コウイン)」か?

・「泉」泉州。福建省の台湾海峡に面する港湾都市。唐代から外国貿易で発展し、インドやアラブまで航路が通じていた。マルコ=ポーロが「ザイトン」の名でヨーロッパに紹介している。

・「莆」現在の福建省莆田(プーテン)県。古くは興化(現在の江蘇省興化市とは別)とも呼ばれ、莆陽(プーヤン)・莆仙(プーシェン)とも呼ばれる。北は福州と隣接、南は泉州と隣接する。西には戴雲山脈があり、東南は台湾海峡に面している。世界的にも稀な三つの河口を有し、臨海部には百五十に及ぶ島嶼群がある。

・「江の賦」既注の「文選」所収の東晉の郭璞の手になる「江賦」。

・「謝朓が詩」謝朓(しゃちょう 四六四年~四九九年)は南朝の斉の詩人。陽夏(現在の河南省)の生まれ。字(あさな)は玄暉(げんき)。宣城の太守であったので謝宣城と呼ばれ、詩人として知られる同族の謝霊運(しゃれいうん 三八五年~四三三年:六朝時代の宋の詩人。字は宣明。)に対して「小謝」とも称された。但し、ここで人見が引く「詩」とは彼の詩ではなく、以下に見るように、まさにその謝霊運の方の詩である。

・「紫※2、春流に曄(かゝや)く」(「※2」=(くさかんむり)+(「噐」の「工」を「臣」に代えた字体。)前注で示した通り、これは謝朓の詩ではなく、謝霊運の「郡東山望溟海」(郡の東山にて溟海を望む)の一節である。個人の中国史サイト「枕流亭」の掲示板のこちらの過去ログの中にある殷景仁氏の投稿(投稿日三月五日(金)13236秒のもの)によれば(リンク先には原詩が総て載る)、

   *

白花皜陽林 白花 陽林に皜(て)り

曄春流 (しこう) 春流に曄(かかや)く

   *

で、当該部分を、

   《引用開始》

花の白さは南の林の中で映え、よろいぐさの紫色は春の川の流れの中で一際明るく輝く。

   《引用終了》

と訳しておられ、この「紫をセリ目セリ科シシウド属ヨロイグサ Angelica dahurica とされている。ロケーションからも(題名に海が出るが、実はこの詩には海の景観は読み込まれていない。リンク先の殷景仁氏の解説を必参照のこと)、この「紫」は「ホヤ」でも「カメノテ」でもないのである。これは全くの人見の見当違いなのである。因みに、これについて東洋文庫の島田氏の訳注が一切、問題にされていないのは、頗る不審と言わざるを得ない。

・「春にして華を發く者は、春月、肉を吐きて外に在り。秋・冬、則ち、否ず」意味不明。ホヤやカメノテの習性にこのような現象は見られない。私がさんざん本文で考証したように、人見は中国の本草書の「石蜐」を安易に一律に「老海鼠」(ホヤ)と同定してしまった結果、自分でも何を言っているのか分からないような、苦しい説明に堕したものと私は判断するものである(そうして言わせてもらうなら、人見はホヤの生態を全く以ってご存じないのに、分かったように書いている事実がここでもはっきりと見てとれるということである)。序でに言わせて頂くと、島田氏の訳(『春に華を発(ひら)くとみえるのは、春月に肉を外に吐き出しているんでおあって、秋・冬にはそんなことはない。』)も失礼乍ら、私には何だか半可通なものである。誤解なら誤解なりに納得出来る訳を心掛けるべきだと、若輩者乍ら、私は思うのである。そういう訳としたつもりである。

 

□やぶちゃん現代語訳

  老海鼠

石蜐(せききょう)。又、紫𧉧(しきょう)〔音、劫(きょう)。〕・紫(しきょう)〔音、枵(きょう)。〕・龜脚(ききゃく)の名がある。「閩書南産志」に曰く、『石𧉧(せききょう)は福州に於いては「黄※1(きいん)」と言い、泉州に於いては「仙人掌」と言い、莆(ほ)州に於いては「仏爪(ぶっそう)」と言う。春になると花を開いたように見える。故に郭璞(かくはく)の「江(こう)の賦」に、「石𧉧、節に応じて葩(はな)を揚ぐ」の語があり、謝朓(しゃちょう)の詩にもまた、「紫※2(しこう)、春流に曄(かかや)く」とある。』と記す。今、按ずるに、春になって華を開くという謂いは、春の時節には、この老海鼠(ほや)がその肉を外にべろりと吐きだしている状態を表現したものである。老海鼠は確かに、秋や冬には、そのような現象を見せない。

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。「※2」=(くさかんむり)+(「噐」の「工」を「臣」に代えた字体。]

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