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カテゴリー「伊東静雄」の13件の記事

2008/04/14

鶯 (一老人の詩) 伊東靜雄

   鶯  (一老人の詩)   伊東靜雄

(私の魂)といふことは言へない

その證據を私は君に語らう

――幼かつた遠い昔 私の友が

或る深い山の縁(へり)に住んでゐた

私は稀にその家を訪うた

すると 彼は山懷に向つて

奇妙に鋭い口笛を吹き鳴らし

きつと一羽の鶯を誘つた

そして忘れ難いその美しい鳴き聲で

私をもてなすのが常であつた

然し まもなく彼は醫學校に入るために

市(まち)に行き

山の家は見捨てられた

それからずつと――半世紀もの後に

私共は半白の人になつて

今は町醫者の彼の診療所で

再會した

私はなほも覺えてゐた

あの鶯のことを彼に問うた

彼は微笑しながら

特別にはそれを思ひ出せないと答へた

それは多分

遠く消え去つた彼の幼時が

もつと多くの七面鳥や 蛇や 雀や

地蟲や いろんな種類の家畜や

數へ切れない植物・氣候のなかに

過ぎたからであつた

そしてあの鶯もまた

他のすべてと同じ程度に

多分 彼の日日であつたのだらう

しかも(私の魂)は記憶する

そして私さへ信じない一篇の詩が

私の唇にのぼつて來る

私はそれを君の老年のために

書きとめた

「私はそれを君の老年のために書きとめた」……こんな剃刀のような、髭を当たる髪床の剃刀のように鮮やかにシュと……ジッツ! と……殺いだ言葉は、なかなか、僕には言い出せないのである……

伊東静雄を知らない? では、僕の「心朽窩」新館の「伊東靜雄全詩集(やぶちゃん版)」へ、よかったら、どうぞ――

2006/03/26

やぶちゃん版伊東靜雄全詩集補遺

遅れてきた菜の花忌への追悼として、「心朽窩 新館」の「伊東靜雄全詩集(やぶちゃん版)」に、伊東靜雄全集の詩篇以外の散文・日記・書簡から拾い出した詩篇を「やぶちゃん版伊東靜雄全詩集補遺」として公開。これで、テクストとして僕の一つの独自性を獲得できたと考えている。

2005/10/18

倦んだ病人 伊東靜雄 

倦んだ病人     伊東靜雄 

夜ふけの全病舍が停電してる。

分厚い分厚い闇の底に

敏感なまぶたがひらく。

(ははあ。どうやら、おれは死んでるらしい。

  いつのまにかうまくいつてたんだな。

  占めた。ただむやみに暗いだけで、

  別に何ということもないようだ。)

しかしすぐ覺醒がはつきりやつて來る。

押しころしたひとり笑い。次に咳き。

この終行は、入院生活をした者でないと、決して実感は湧かぬであろう。

そうして、しかし、ボードレールの言う如く、「人生は病院である」。凡庸に。

「人生は病いである」と言い切らなかった彼は、やはりアランの軽蔑するただの麻薬中毒者だったのか。

それでも、「女は宿命的に暗示的である」という彼のカルテは、ノーベル医学賞ものだろう。

2005/10/02

伊東靜雄全詩集(やぶちゃん版)

「伊東靜雄全詩集(やぶちゃん版)」を完成、「心朽窩」内に配した。伊東靜雄の全詩集である

伊東靜雄 詩集「わがひとに與ふる哀歌」
伊東靜雄 詩集「夏花」   
伊東靜雄 詩集「春のいそぎ」   
伊東靜雄 詩集「反響」   
伊東靜雄 詩集「『反響』以後」   
伊東靜雄拾遺詩篇

を旧字体旧仮名遣い、僕の注釈付で公開した(底本についてはそれぞれに考えるところがあり、異なる。各ページのトップで確認されたい)。詩集「反響」については創元社版「伊東靜雄詩集」を所持せず、確認できないために、やや疑義を残したが、ここで一息つける気がする。   
昨夜来、憑かれるように入力し続けた。

ものみな我に死ねと言ふ……靜雄よ、「水中花」の一節は、この方がすつきりしはしないか? 僕には染々、そう感じられるのだ……

2005/09/29

伊東靜雄 春のいそぎ 『反響』以後

伊東靜雄の詩集「春のいそぎ」と「『反響』以後」全篇を「心朽窩」に公開した。既にある「伊東靜雄拾遺詩篇」と、以前に紹介したサイトの代表詩集「わがひとに与ふる哀歌」「詩集夏花」 「反響」の三作を合わせて、これでWeb上でとりあえずほぼ全ての伊東靜雄の詩が読めることになる。

若干気になるのは、「青空文庫」のものが、新字体であり、「つれづれの文車」版「反響」が一作品単独ページの作りとされていることである。

後者は女性の手なる、美麗なレイアウトの素晴らしいサイトで、新参者の僕は羨望さえ感じる。が、詩集を通して鑑賞するのには、やや不便ではある。

前者について述べると、電子テクストの開拓者であり、僕も大いに恩恵を蒙っているのだが、しかし、この作品に限らず、「青空文庫」の方針上、入力者が自由に底本を選べるという特色が、テクストの信頼性にやや疑問を生じるのではないかと、僕は常々考えている。

即ち、誰もが気軽に入力できるという、ある側面から見れば、素晴らしい取り決めが、極めて小さいとは言いながら、思わぬ誤読を生み出す可能性を排除できないのではないかという懸念である。付け加えると、古い作品では普通に行われる校合がなされないことも、やや気にはなるのだ。但し、ここの伊東靜雄の両詩集は日本図書センター版が用いられており、それ自体の底本価値が高いことへ疑義を持つものではない。ただ、この本は、ページの最下部にその「凡例」が示されているように、まさに編集者の「判断」により、正字が新字に改変されているし、改変非改変の「判断基準」も『正字(旧字体)を生かしたものある』(注:下線やぶちゃん)と、微妙にブレがあるような記載である。やっぱり気になるのだ。広く公開される以上、まず、その底本とすべきは、やはり、決定版の全集、初版(又はその復刻)であろうし、それだけでは、古い書籍の場合、逆に単純な誤植があるわけで、やはり複数の、(一方はなるべく新しい出版物との)校合が望ましいとも思うのである。

勿論、「青空文庫」には、そのために校正者もおり、誤植や錯文等の表記ミスを連絡するシステムもある(ただ最近休止中であり、また、僕の体験から言うと、ものによっては、訂正までに底本確認や判定の討議で、思いの外、時間がかかり過ぎるのはちょっといただけなかった)ので、大きな誤読に発展することはないとは思う。しかし、最適のテクストとは言えないものが底本とされた場合は、リスクは排除できない。

されどこれは、自分の電子テクストの校正ミスを棚上げにしての意見であり、ちゃんちゃらおかしいと言われれば、尤もである。また定本の厳正という観点からも、「伊東靜雄拾遺詩篇」の「VERKEHRSINSEL 銃」の注記にも書いたが、人文書院版定本全集は、定本と冠するにあるまじき噴飯ものの誤植があって、それらを冠していても、信頼におけるとは言えないことも実感した。

ただそれを措いたとしても、正直言うと、芥川龍之介や伊東靜雄といった、僕の偏愛する作家の文章に対する文字への愛撫感覚は、如何ともし難い拘りがあり、やはり正字体で読みたいのである。これも厳密には、表記できない字が実はゴマンとある訳だが、それでも江戸川乱歩の「虫」は「蟲」でなくてはならないし、「薮」なんて字は漢和辞典に、本当はないんだ(ちなみに、「青空文庫」にはそのような感覚の方が居られ、旧新字体の二つが公開もしくは作業中となっているものもあるのは、大変好ましく思っている)。

さすれば、やはり自分で納得のゆく ものを創るに若くはなく、それが出来ることも、このネット世界の面白さなのであろう。而して、向後、「わがひとに与ふる哀歌」「詩集夏花」 「反響」の三作品も含めた、僕なりの伊東靜雄のWeb全詩集を目指すこととする。

これは、電子テクスト・サイトへの物言いでもなんでもないのであって、実は、何か、そんな目標でも創らないと、「じつと手を見る」ばかりだから、なのである。

2005/09/28

伊東靜雄詩集「春のいそぎ」予告

入力は、もう数篇を残すのみとなった。作業をしながら、この詩集をWeb上で公開することを、躊躇させるものがあるのであろうことが分かったような気がする。戦後、作者が詩集「反響」を編む時、7編の詩や冒頭の自序を削除したと聞くが、それは彼自身の、彼による、彼の詩集への冒涜として、残念だと、僕は思う。明日(明日は代休である)の公開を待たれよ。一読、お分かりになるであろう。しかし、而して、そのような躊躇や削除は、文学の本質とは、遠く隔たったものだということも、お分かり頂けるものと信じる。(2005年9月29日追記:いろいろ調べるうちに、削除が本人によるものという事実を知り、以上の記述の一部を変更したが、ここで述べている僕自身の感懐に影響は、全く、ない)

2005/09/24

「伊東靜雄拾遺詩篇」(全)

「伊東靜雄拾遺詩篇」全詩入力終了し、「心朽窩」に公開した。Web未公開の「春のいそぎ」の分量も少ないし、全集を見ると『「反響」以後』は十数篇しかない。近いうちに、どちらも入力しよう。以下の詩集と合わせて、それで彼の詩は網羅される。

「わがひとに与ふる哀歌」
「詩集夏花」

青空文庫(共に新字旧仮名)

「反響」

つれづれの文車(旧字旧仮名)

「伊東靜雄拾遺詩篇」最後の訳詩、ケストネルの「上流社會の人達・海拔千二百米」は、その謂いと言い、口調と言い、飯吉光夫訳のパウル・ツェラン詩を彷彿とさせた。

今日は、糖尿病の主治医の処に、3箇月ぶりに行こうと思う。波乱万丈の話をしなくてはならぬ。昼からは、髪を染めに横浜へ出掛け、夕刻にワインを買って帰ろう。こうして書くと、「失われた時を求めて」の「私」みたいだな。

122と美事に血糖値が上がっていた。

糖尿病の主治医は、自ら振り分け医を任じている先生だが、骨折の僕にいつも以上に優しかった。

骨折直前までは、完全健康数値だったが、これで又、糖尿病の方も一から出直しだ。

帰り道、歩きながら考えた。

慶応大学医学部に献体している。

末期の時には、右腕に

「医学生諸君、チタンにボルト5本有、メスを折るなよ」

とマジックで書くことにしよう。

2005/09/23

「詩一篇」 伊東靜雄 

   詩一篇   伊東靜雄

危く、うつくしい方よ、あなたが出會つたひとは、終焉をいそいでゐたのです。

あのひとは死を通じてあなたを呼び、あなたは、喪ふために近づかれたのです。

 

そこであのひとはつか/\と死の中に、あなたの目の前で歩み入られた。

すべて美しいものの、それが運命です。  青春の意味なのです。

美しい、ひややかな方よ。あなたは引返しも、降りられもしないところで、

殘るでせう。  そして御自分のことで涙をお流しになることはなくなるでせう。

 

また、よしこのさき幸福と怡悦のなかに居られる時のあるにしても、

あなたのふかくなつたお瞳は、それを得信じないでせう。

「伊東靜雄拾遺詩篇」残り十五篇。削除した傍から、この詩、打ち込みながら、痛く気に入ったので、挙げておく。原文からうるさいルビを全て排除した。ルビは「また、よしこのさき幸福(しあわせ)と怡悦(よろこび)のなかに居(を)られる時のあるにしても、/あなたのふかくなつたお瞳(め)は、それを得(え)信じないでせう。」だけでよい。

これで今日の楽しみは尽きた。

2005/09/12

宿木 伊東靜雄

宿木    伊東靜雄  

冬のあひだ中 かれ枯れた楢の樹に

その一所だけ青んでゐたやどり木の

おまはこの目に區別もつかずに、

すつかりすつかり梢は緑に燃えてゐる。

 

何故(なぜ)にまた冬の宿木(やどりぎ)のことなど思ふのか。

外部世界はみんな緑に燃えてゐる。

數へ切れないほどの子供らが

花も過ぎた野薔薇のやぶで笑つてゐる。

そしてわたしの戀人はとうの昔

ひとの妻になつてしまつた。

 

疾うの昔に などとなぜ私は考へるのか。

いゝえ、あのひとにもわたしにも

やつと今朝青春は過ぎて行つたところだ。

窓邊につるした玻璃壺に

あはれに花やいだ金魚の影は、

はつきりとそのことを私につげる。

これはもう、タルコフスキイの「鏡」そのものではないか!

2005/09/11

VERKEHRSINSEL 「銃」 伊東靜雄

銃   伊東靜雄

私は廣大な森を所有つて居る

私が植林した樹列の間や

私が播種した草々の上に

私に自由を奪はれた

鳥らが放ち飼ひにしてある

注1:全集版で打ち込みながら、おやと思った。「私に自由を奪はれた」で終わっており、どう考えてもおかしい。角川書店版1974年刊「日本の詩集 15 伊藤静雄詩集」を確認、最終行が落ちていた。同書で、補正した。

注2:VERKEHRSINSEL=〔独〕安全地帯。

***

「日本の詩集 15 伊藤静雄詩集」

この本は僕にとって忘れられぬ存在だ。この本と共に、19歳の僕は、初めてある人に出会い、その人に教えられて伊東靜雄の詩に出会い、そうして僕の狭量故に、その人と別れた。それは間違いなく、僕の生涯の致命的な誤りだった。