村上昭夫忌
村上昭夫忌に。
*
愛 村上昭夫
悪魔のように愛すると言ったなら
身をふるわせて幸福だというだろう
神のように愛すると言ったなら
かげろうよりもはかなく
言葉さえなくするだろう
未来永劫にくりかえされる
この世界のなかいっぱいに
紙片よりもうすい愛
はかない愛
うすい愛
嘘の愛
愛がただよう
村上昭夫忌に。
*
愛 村上昭夫
悪魔のように愛すると言ったなら
身をふるわせて幸福だというだろう
神のように愛すると言ったなら
かげろうよりもはかなく
言葉さえなくするだろう
未来永劫にくりかえされる
この世界のなかいっぱいに
紙片よりもうすい愛
はかない愛
うすい愛
嘘の愛
愛がただよう
残るものが残るのだ 村上昭夫
地上の一切のものが燃え滅びる時
残るものが残るのだ
しまいに残された一本の矢のように
それは焦土の焼けあとからはなたれるだろう
まじり気のない純金の光沢となって
焼けない宇宙に向かって飛び出すだろう
偽りの神々が
その神殿と装束は最ものろわれた溶解物となってさらされるだろう
神々がひとかたまりの醜塊をさらしあう時
残るものが残るのだ
*
村上昭夫という詩人=シャーマンのこの呪詛は、今現在の世の至る、確かな哀しい事実の表象である。
闇のなかの灯 村上昭夫
闇のなかに灯の歌はある
あまりに遠い荒野なのだから
あまりに遠い沈黙なのだから
灯がある限り
人は真実を待つだろう
灯が消えない限り
人は思い出したように
歩むのだ
*
明日、新しく出逢うであろう誰かに、これを贈る。僕は「灯の歌」を詠いながら、明日からまた、よろよろと、歩き出すのだ。
:僕の教え子にして高校三年生の時の担任生徒
:やはり僕の教え子であった童話絵本作家相野谷由起の高校美術部時代の盟友にして嘱望された造形作家
……輪島塗りまで体得して……それでいて、飄々としていた少女……トンボ眼鏡とカートをずるずる引ぱって本郷台の駅の地下道で衆人環視の中、「や、ぶ、の、せんせー!」と手を振ってくれて、ちょっぴり恥ずかしかったのを何故か覚えてる……僕のたまちゃん……そうだった、僕はちびまるこの「たまちゃん」が何故ファンなのか合点した……あれは君だったんだな……たまちゃん……命を絶つ前に、もうちょっとだけ、このむくつけきおじさんと話してくれたら良かったのにな……待ってろよ、俺は漆器の光沢の見識には、うるさいんだゼ、へへ……
[やぶちゃん注:本作の遺品としての所有者は相野谷由起嬢である。が、僕の相野谷と本間の作品を自分のブログで並べたいという強引な望みで、今回、彼女から送られた画像をここに飾ることを許諾してくれた。夏の一日、江ノ島で開かれた同窓会の後、相野谷嬢から、「先生、あそこに本間さんは来ていました。私はそう感じました。」という言葉を聞いた時……僕は一人、泣いた。]
月には兎がいるのだと
私は小さい時思っていた
恐らく月はでこぼこの冷めたい山が広がるばかりで
平地には崩れた塵埃が
幾重にも重なっているだけだろう
海というものは名ばかりで
一滴の水もない暗さが
深く沈んでいるだけだろう
だが今でも私は
月には兎がいるのだと思っている
月は昔疲れた飢えた旅人のために
身をささげた兎だったと
この涯というもののない宇宙のなかには
死んだものはひとつもないのだと
おそらく数知れない天体のなかには
数知れない兎がすんでいて
数知れない疲れた旅人もいるのだと
今でも子供のように思っている
(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)
黒いこおろぎ 村上昭夫
私らの苦しみは
黒いこおろぎの黒い足のつま先の
一万分の一にも値いしない
私らの考えていることは
黒いこおおろぎの黒い足のつまさきの
一万分の一にも値いしない
私らの持っている不治の病いも
かさなる願いごとも
私らの死でさえも
あの秋を鳴く黒いこおろぎの
細いつま先の
一万分の一にも値いしない
世界はまだできあがらない
黒いこおろぎなのだ
[やぶちゃん注:これを特定の何人かに宛てた僕のメッセージだ等と思わることを拒否する。確かに、僕の周辺にいる何人かが(それは確かに複数である)一つの「生の限定」を言い渡されているし、いるであろう。しかし、そもそも現世的「生」に僕は全く興味がない。それは常に愚劣な自己措定の限定に過ぎない(この点に関しての如何なる議論も私は同様に拒否する)。但し、僕の言う「現世」とは仏教的な謂いではない。単なる種個体としての地球上での生存を示す、もの謂いであるし、もの謂いでしかない。僕は来世も後世も信じない。敢えて言えば、僕は「僕」らしき「僕」という「特定の僕」にこれを贈ると言っておく。]
[やぶちゃん注2:このような注は、実際には小うるさいもの以外の何ものでもない。しかし、村上昭夫氏の場合、彼の著作権は遺族によって守られている(彼の著作権者は弟に当たる方であり、それは2006/10/11で既に書いた)。一般に引用で許される条件とは、まず作品引用が明記されていること(これは1999年思潮社刊行「現代詩文庫159 村上昭夫詩集」である、という記載によってクリアーされるのであるが、それは不要であるとも言える。何故なら、弟の当たる方との認知がこの書籍の出版に際してなされていないからである)、それが自身の記述の中の引用であること(そのための小うるさい注であると理解されたい。但し、認識論的には引用に附された注は従であり、本来の引用と論述の関係においては、「詩の引用」とは言えないことも重々承知である。それでもこの詩を読んでもらいたいという思いを、僕は優先する確信犯である)、更には全文引用でないこと(しかし、詩に限らず、全文を引用することは、その著作権者への礼儀であると僕は思っている)である。しかし、この詩集を、町の中小の本屋で見かけることは、まずない。多くのあなたも、この詩人を知らないであろう。だからこそ、そうした全てを、僕は彼の詩を多くの人々に知ってもらいたい総体的確信犯として犯していることを表明しておく。こんなことを書き連ねばならないということは――全く笑止千万だとさえ思っている人間であるということも付記しておく。書かれたものは、万民の「智」である。僕は僕の学校での授業に著作権を行使するつもりはない。それでも「僕」の授業は、「僕」だけの創造物である。それは、僕の教え子が何人でも証明してくれるものと信じている。]
航海を祈る 村上昭夫
それだけ言えば分ってくる
船について知っているひとつの言葉
安全なる航海を祈る
その言葉で分ってくる
その船が何処から来たのか分らなくても
何処へ行くのか分ってくる
寄辺のない不安な大洋の中に
誰もが去り果てた暗いくらがりの中に
船と船とが交しあうひとつの言葉
安全なる航海を祈る
それを呪文のように唱えていると
するとあなたが分ってくる
あなたが何処から来たのか分らなくても
何処へ行くのか分ってくる
あなたを醜く憎んでいた人は分らなくても
あなたを朝焼けのくれないの極みのように愛している
ひとりの人が分ってくる
あるいは荒れた茨の茂みの中の
一羽のつぐみが分ってくる
削られたこげ茶色の山肌の
巨熊のかなしみが分ってくる
白い一抹の航跡を残して
船と船とが消えてゆく時
遠くひとすじに知らせ合う
たったひとつの言葉
安全なる航海を祈る
(1999年思潮社刊「村上昭夫詩集」より)
注:第4連目は改ページの頭になっており、組版では一行空きではないが、僕の判断で、一連ととった。
*
この詩が、上記詩集の掉尾(追記:これが詩集最後の詩)となっているのは象徴的に見えるが、しかし、彼の詩は、そのどれもが、「最期」を意識した、搾り出された一編である。
これは確かに、辞世であって、辞世ではない。
1968年の今朝(追記:10月11日)、午前6時57分、肺結核と肺性心の合併症と長期に及んだ闘病生活による全身衰弱で、村上昭夫は亡くなった。
彼は詩稿ノートを人に見せるのが好きだったという。こうして、引用することを、彼は、きっと喜んでくれるであろう。
* *
以上は実は 2005/10/11 03:16 のブログの再録である。原文の一部に致命的なミスがあったので訂正して、元のブログを消去し、ここに新たに掲げる。
僕は君らの卒業式に電報も何も打たないことに決めた。
僕にとって君らの晴れの式場に日の丸や君が代がいらないのと同じように、そんなものは君たちにはいらない。
同様にそんなものがあのけち臭い職員室の入り口に張り出されるのも、僕自身が御免被るからだ。
当然、このおぞましい裏切り者である僕は、速やかに君らの記憶から忘れ去られるべき存在である。
まさに君らの卒業式から僕の存在は日の丸君が代同様、綺麗に払拭されるべきである――
しかし――僕を忘れない少数の誰かが居るとして――このページを覗いてやろうという奇特な誰かが居るとして――その数少ない誰かのために、僕は、心から「おめでとう!」を言おう。僕の人生の中の数少ない「権利」として――
だから――
「僕はどうにも、今、この時に、この詩を、君たちに贈らずにいられなかったのだと思って下さい。」
あと二日で君たちの僕が送るべきだった卒業がやってくる。
僕は何も言う資格がないことは分かっている。
済まなかった。
僕もこのおぞましい面を下げて、平然と君たちを送る場に、のこのこ出て行くことが出来るほどには鉄面皮ではない。
僕は少し離れたところにいるが、心は君たちを送る思いで一杯だ(これは僕の人生の中で多分、数少ない誰にも表明したことのない驚くべき正直な気持である)。
まず、君たちに朗読したかった詩を、贈ろう――
*
愛さねばならない 村上昭夫
この広い世界の何処かの
何処かにいるその人を
私は愛さなければならない
私が叫びようもなく叫んだ時
叫びもどしようもない私の叫びに
答えてくれたその人を
私が凍えた暁の野を歩んでいた時
捕らえようもない私の悲しみの前を
私よりもいち早く行ってくれた
その人を
ああ億万年を深く鋳込まれた星座のなかから
遠い私の記憶を捜し出すように
失われてしまった
私を思い出すように
今はげしくむせび泣きをしながらも
私はたった一人のその人を
愛さなければならない
*
……ディヌ・リパッティのBachのコラール前奏曲ハ短調……
……タルコフスキイの“SOLARIS”……
……「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」……
……「あなたは本当に真面目なんですか」……
……「よろしい」……「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。」……
……木犀の香りがする僕の、淋しくも美しい君らとの夢が、そこには、ある……
お母さん 村上昭夫
お母さん
海の音を聞かして下さい
海の貝殻の音を
母という名を聞かして下さい
私は思い出す
二億年ばかり前のこと
あなたが二億年変わらない海だった日を
ひろびろと広がるあなたのなかに
可憐な三葉虫の姿が
奇蹟のように生まれていた日のことを
私は思い出す
それからの火や泥の世界のことを
試みられていた愛のつぶつぶが
氷河よりも固く凍ってしまった
永い暗かった時間のことを
お母さん
その時あなたのなかに鳴り続けた
小さな貝殻の終わりのない音が
どんなにやさしくて強かったか
今日も波が寄せています
とても永かったあなたの疲労のように
貝殻がさやさや鳴っています
お母さん
あなたの音を聞かして下さい
あなたの白い貝殻の音を
静かに聞かして下さい
(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)
*
今日は、せめてこれを写して、出て行こう。
*
ご存知でない方のために、村上昭夫氏の実弟の方が、「村上昭夫資料室」というサイトを創っておられることを述べておこう。やはり同じ血をひかれるアーティストであられる。ご親族ならではの写真群、美事な朗読、村上昭夫本人の肉声(!)、そうして碑の序幕の日の「クロ」のエピソードは、「動物哀歌」の詩人の確かな不思議な「何か」を感じさせるではないか。
ただ、今後は、こうした引用も控えなければならないかな……。
――僕としては、この正統な著作権者の資料室に、村上昭夫という稀有の純粋な詩人のテクスト・データが、順次公開され、多くの方に彼を知ってもらうことを願ってやまない。何よりも、若い人々に彼を読んでもらいたいということ以外に僕の悲願はないのである――
兎 村上昭夫
月には兎がいるのだと
私は小さい時思っていた
恐らく月はでこぼこの冷めたい山が広がるばかりで
平地には崩れた塵埃が
幾重にも重なっているだけだろう
海というものは名ばかりで
一滴の水もない暗さが
深く沈んでいるだけだろう
だが今でも私は
月には兎がいるのだと思っている
月は昔疲れた飢えた旅人のために
身をささげた兎だったと
この涯というもののない宇宙のなかには
死んだものはひとつもないのだと
おそらく数知れない天体のなかには
数知れない兎がすんでいて
数知れない疲れた旅人もいるのだと
今でも子供のように思っている
(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)
*
この詩が、限りない愛惜を僕に感じさせるのは、恐らく僕たちが「大人」になってしまったその間合いに、誰もが感じた現実への一抹の失望との合致であろうし、同時にそれを肯じえない頑なな「少年」を身の内にひしひしと感じた瞬間の恍惚でもあったからでもあろう。しかし、それはやはり、アポロ月面着陸の宇宙中継を夜っぴいて赤くなった目で脇目も振らず見つめていた、また、後に「銀河鉄道の夜」のさそりの逸話にこれは繋がるのだななどとしたり顔で感ずることとなる救い難くおめでたい僕という存在は、彼のこの詩の、「おそらく数知れない天体のなかには 数知れない兎がすんでいて 数知れない疲れた旅人もいる」という感性を遂に持ち得ることはないのだという哀しい真理――この世に於いて詩人の魂を持ちうることは必ずしも誰にもできることではないという冷たい真理を、美事につきつけてくるのであった。
明日、村上昭夫忌。
ねずみ 村上昭夫
ねづみを苦しめてごらん
そのために世界の半分は苦しむ
ねづみに血を吐かしてごらん
そのために世界の半分は血を吐く
そのようにして一切のいきものをいじめてごらん
そのために
世界全体はふたつにさける
ふたつにさけう世界のために
私はせめて億年のちの人々に向って話そう
ねずみは苦しむものだと
ねづみは血を吐くものなのだと
一匹のねずみが愛されない限り
世界の半分は
愛されないのだと
(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)
*
もうじき、村上昭夫忌がやってくる。
1967年10月11日午前6時57分。
肺結核と肺性心の合併症と永年の闘病生活による全身衰弱のため、41歳で亡くなった。
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