フォト

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

Exlibris Puer Eternus

  • 猫の眼月
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

忘れ得ぬ人々:写真版

  • ポンペイのドイツ人
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

HP増設コンテンツ一覧(2008年1月~)

無料ブログはココログ

カテゴリー「南方熊楠」の26件の記事

2009/03/17

南方熊楠 奇異の神罰 附やぶちゃん強力注

南方熊楠「奇異の神罰」を強力な注を附して「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。今回の注は半端じゃない。但し、内容が内容だけに自己責任でお読み戴きたい、とここでも再度、断っておく。

それにしても――僕は上代が苦手なのだが、何だか訳しているうちに、やっぱり上代はよく言われるように、直くたくましく、あっけらかんとしていいもんだなあ、と思うようになった(今更、遅すぎるが)――

それにしても――今朝は3時半に目覚めてしまった。若い頃は低血圧(今も血圧は低いが)と二日酔(これも変わらぬが)で、如何にも寝覚めが悪かったのに。早起きに如何にも「老い」を感じるのである(さりながら、昔から『若くありたい』とは一度も思ったことはないのだが)――

それにしても――厳密に言えば『若くありたい』とは思わなかったものの、歳相応に見られたいとは思ったものだ。何せ、二十歳になる前に、知人に連れられて行った青山の高級バーで、ホステスに34、5と呼ばれて以来、44の時に担任した教え子たちと飲んで、先生はもう54、5になられますか、と言われるまで、無敵の老態を誇って来た。この「54、5事件」で一念発起し、歳相応に見られたい症候群を発症した結果、最も容易な方途として、今に至るまで、髪を染め続けている。実際にはもうかなり白い。幸い、髪は多過ぎるほどあるので、どうも最近は歳不相応攻撃は受けなくなった(何のことはない、魂の現存在年齢と実年齢と肉体の実年齢が漸く一致し出したに過ぎないのであるが)――

2009/03/15

ハマった南方先生

昨夜からずっと久々の南方熊楠のテクスト作業にハマっている。このテクスト、文字通り、「ハマって」いるが相応しいのであるが……。本文は短いのだが、今の時点で注が有にその三倍を軽く越えてしまった。「日本書紀」の原文に当たりたいが、自宅にはないので、明日、職場の図書館まで持ち越しである。が、明晩には公開したい。久しぶりに注を打ちつつ、また現代語訳をしながら、如何にも楽しくなってきたのだった。作品名? それはヒ、ミ、ツ! 乞う、御期待!

2009/02/07

熊野三山牛王符全三種(やぶちゃん蔵)

 熊野波速玉大社牛王符

Hayatama

  

 

 

  熊野那智大社牛王符

Nati

 

 

 

  熊野本宮大社牛王符

Hongu

 

 

  

 

    2006年8月の紀伊の旅で各社を詣でて。

2008/05/04

南方熊楠 守宮もて女の貞を試む

昨日の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」の「蠑螈」(イモリ)に関わり、次の「守宮」(ヤモリ)にも、民俗学的に関わる作品として、南方熊楠「守宮もて女の貞を試む」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。やや、意味の不分明な箇所があるが、とりあえず公開出来る程度には、注も付けたつもりである。

南方先生、下ネタ、バクハツ!

2007/04/15

安宅関の弁慶 後注追加

南方熊楠「安宅関の弁慶」中の、イタリア史について、世界史の同僚から教授してもらった知見を後注で追加した。

2007/04/07

南方熊楠 安宅関の弁慶

南方熊楠「安宅関の弁慶」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

ちなみに、僕が中学・高校時代を過した富山県高岡市伏木こそ、ここに登場する「義経記」の如意の渡しであった。ついでに言えば、友人と道草をした町中の旧刹勝興寺は大伴家持の旧跡でもあり、すぐ近くに国府跡があった。高校のあった丘の下の浜辺まで来たと思われる芭蕉は「早稲の香や」の名句を詠んだ。卒業した県立伏木高等学校の校歌には「奈呉の浦」「有磯の海」「如意が丘」が詠み込まれていた。当時としては斬新な伏木中学校の校歌(実は校歌ではなく「伏木中学校の歌」である。校歌がそもそもないのである。僕は如何なる出身校にも勤務校にも愛着を持たないが、何故かこの「伏木中学校の歌」は忘れずに覚えていて、歌える)を作詞した堀田善衛は町の廻船問屋の息子で、初期の短編小説に登場する先の浜辺、国分浜の連れ込み旅館の蔭で、僕はしばしば煙草をくゆらせたものだった。丁度その頃、その浜から北朝鮮に拉致された人がいたこともつい先日知った。へたをすれば、間違いなく僕は拉致されていた。それほどあの浜が、僕は好きだったから。それにしても僕はこのような、文学的香気とは全く無縁に、あそこで6年を過したのだった。僕の青春は、日本海の、あの人を拒絶する濃い海の色と、荒れ荒(すさ)んだ沖合いの三角波に象徴されていた気がする。しかし、もう行くこともないであろう、あの北陸の沈んだ港町が、今の僕には妙に懐かしくもあるのである。

南方熊楠 大きな蟹の話

南方熊楠「大きな蟹の話」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

2007/01/13

明治6年横浜弁天橋の人柱

明治6(1873)年の8月の或る早朝、西戸部監獄から、一艘の舟が、静かに大岡川を下っていった。その舟には、当時の異人相手のラシャメンが産み落とし、不良となって逮捕され、収監されていた混血児の少年ばかり4人が縛られたまま、乗せられていた。行く先は、竣工間近の弁天橋の工事現場であった。彼らは、何も分からぬ内に、そこに掘られた穴に突き落とされ、そのまま生きながらにして、人柱と、された……
……忘れちゃあいけない、明治6年の話だ、江戸の話じゃあ、ないんだ……そうして、弁天橋とは、ほら、学校の行き帰りにも見える、あの桜木町の駅からすぐの、そうだ、君も渡ったことのある、あの橋さ……そうして、あの、君の踏んだ足の下に……今もその少年たちは……「いる」のだよ……人柱として……

南方熊楠 人柱の話 他(全集未収録含)

南方熊楠「人柱の話」を二種(全集未収録・初出稿・正字正仮名版)・(改訂増補された一般的に知られている版・新字新仮名版)、及び後者の注記という形で南方熊楠の「徳川家と外国医者」の、都合、三作品を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これは、実際に頭注を見て頂ければ分かるが、僕としては、かなり南方熊楠の電子テクストとして、特異なものとなったと思う。増補改訂版の「人柱の話」の注は、満足していない。後半の「甲子夜話」等の原文や「やぐら」について僕なりに言いたいことが山ほどあるのだが、とりあえず、「人柱の話」の知られることの少ないプロトタイプと、ハイパータイプのダブル公開で、南方熊楠の推敲の流れを見られる意義を重視し、本日公開とした。

2007/01/11

南方熊楠 女性における猥褻の文身

南方熊楠「女性における猥褻の文身」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。この鳶の姐さん、僕は逢ってみたかったなあ……きっと、ぞっこん惚れちまうわな。