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カテゴリー「博物学」の335件の記事

2016/08/08

博物学古記録翻刻訳注 ■17 橘崑崙「北越奇談」の「卷之三」に現われたる珊瑚及び擬珊瑚状生物

――前頭葉挫滅一周年記念――


[やぶちゃん注:「北越奇談」は文化九(一八一二)年に刊行された随筆集で全六巻。越後国の文人橘崑崙(たちばなこんろん)の筆になり、校合・監修・序文は稀代の戯作者柳亭種彦、挿絵はその大部分をかの葛飾北斎が描いている(崑崙自身が書いた下絵を元にしており、一部には崑崙の自筆も含まれるが、以下の図は崑崙の落款がないので北斎が描き直したものと思われる)。底本は平成二(一九九〇)年野島出版(新潟三条市)刊(第五版)橘崑崙著「北越奇談」を使用したが、恣意的に正字化し、読みは振れるものだけに限った。その代り、読みの一部を本文に出して句読点も増やし、読み易く改変した。一部の歴史的仮名遣の誤りは訂した。踊り字「〱」は正字化した。]

 

 

   ○ 玉石(ぎよくせき)

 

 頸城郡(くびきごほり)米山(よねやま)の西三里に、土底(どそこ)といへる濱(はま)あり。此の所の漁夫(ぎよふ)、三、四月の間、鰈魚場(かれいば)といへりて、米山の海岸をはなるゝこと、八、九里、佐州、荻の間(ま)見渡しなるに、船を放ち、網をさげ、釣をたるゝ所あり。凡そ此の海底、數十尋(ぢん)の下、少し小高き島ありて、奇木奇石を生ずること、あげて算(かぞ)ふべからず。赤珊瑚(あかさんご)・黑珊瑚・靑白琅玕(せいはくらうかん)・拂子石(ほつすせき)・木賊(とくさ)石・海松(うみまつ)・海柳(うみやなぎ)等なり。左に圖するごとし。黑珊瑚・海松の類は常に、おほし。實に、交趾合浦(こうちがつぽ)ともいへつべき所なり。漁舟(ぎよしう)の網にかゝりて、根より引(ひき)ぬけて、あがるもの、おほし。はじめ、水を出でたるときは、水垢(みづあか)にて色もわからず、匂ひ、あしく、手にも、とるべからざるがごとし。淸水にひたし、よく洗ひ、日に乾かすときは、潤色光澤(じゆんしよくくはうたく)、其の奇、いふべからず。又、自然に大風波(だいふうは)のためにちぎれ來りて濱に打ちあげ、砂石のうちに拾ひ得たるものは、殊(こと)に、光澤、絶妙なり。拂子石・琅玕・木賊石の類は稀れに、あがる。赤珊瑚のごときは、今は絶えてなしといへり。十ヶ年前までは、數品(すひん)、日々(ひび)、漁夫の網にかゝり、あがるといへども、其の奇物(きぶつ)なることをしらず。皆、海底にうちすてたり。其の折りまでは、たまたま赤色なるものもありし、と、いへり。其の後(ご)、好事(かうず)の者、漁夫の話を聞きて是れを尋ね求むるにより、今は舟ごとに賴むといへども、其の求むる人、多きがゆへに、得ること、かたし。故に價(あたひ)もまた尊(たつと)し。一種、俗に薩摩貝(さつまがひ)といふ物あり。玉石に類し、琅玕に似れども、光澤なく、形(かたち)、屈曲すぎて、不ㇾ雅(が、ならず)。はじめ、水を出る時、淡紅にして愛すべし。風雨に曝(さ)らすときは、即ち、白し。總て珊瑚より以下、皆、海中にある中(うち)は、やはらかにして、玉石の類にあらざるがごとし。水をはなれ、乾くときは、即ち、金石(きんせき)のごとし。予は、海濱に年々(としどし)遊玩(ゆふぐわん)して、已(すで)に五、六品(ひん)を得(う)。以つて好事の客(かく)にふけるのみ。其の餘、北海數十里の濱(ひん)、みな稀れに此の奇木玉石を拾ひ得ることありといへ共、風波(ふうは)のために打ちあぐる物にして、海底より直(たゞち)に引きあげたるはあらじ、と、おぼゆ。

 

[やぶちゃん注:以下、底本からトリミングして画像補正を加えた図版を示す。図版番号は私が附した。それぞれで出るキャプション及び本文を翻刻したが、読み易くするために句読点及び記号と、読み(推定)・送り仮名・訓読を添えた。字の大きさが有意に小さい箇所は割注と判断して、【 】で括った。本文に出ないものは、以下で先に注した。]

 

図版

Gyokuseki1

・本文の最後の『風波の(ふうは)のために打(うち)めぐる物(もの)にして、海底(かいてい)より直(たゞち)に引(ひき)あげたるはあらじ、と、おぼゆ』が右端に出る。

・キャプション

珊瑚(さんご)【淡紅色。光彩、潤沢。根石付(づき)のところ、少し黑く、其の上、淡綠、次第に赤色也(なり)。】

[やぶちゃん注:「次第に赤色也」とは岩礁に附着している仮根の上部の箇所は淡い緑色をしているが、上方に行くにしたがってだんだん赤みを帯びて全体に淡いしっとりとした感じの光沢のある紅色へと遷移する、の謂いであろう。]

青白琅玕(せいはくらうかん) 二種(しゆ)

【光彩、可愛(あいすべし)。石上(せきしやう)に生ず。】

[やぶちゃん注:「可愛」愛玩賞美するに最適である。]

 

図版

Gyokuseki2

・キャプション

木賊石(とくさいし) 清白・黒節

【似琅玕(らうかんに、にる)。奇玩(きぐわん)、絶品なり。】

【一根(いつこん)數莖(すうけい)なるもの、玉林(ぎよくりん)のごとし。】

[やぶちゃん注:一つの仮根から有意に複数の細い茎(くき)状のものが突出する個体は、まるで玉石で出来た美しい林を遠望するような趣がある。]

黒珊瑚(くろさんご)

【光沢、潤色。人を、てらす。】

[やぶちゃん注:その潤沢なる光彩を持つ茎状の箇所を近づいて見るならば、その人の顏さえ鏡のように映る、というのであろう。]

 

図版

Gyokuseki3

・キャプション

海松(うみまつ)【一(いつ)に鉄樹(てつじゆ)。】

【潤黑色。葉、似榧(かやに、に)、少しく高し。】

[やぶちゃん注:「榧」裸子植物門 マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera こと。本種の葉の表面は濃緑色で光沢があり、革質で硬く、枝に螺旋状に附くが、これと分岐した細部が似ている、というのである。]

海柳(うみやなぎ)【葉、細長し。】

 

図版

Gyokuseki4

・キャプション

拂子石(ほつすせき)

【一根、數百莖を生じ、長き物、二、三尺、短(たん)なるもの、四、五寸。太さ、爲銀針(ぎんしんたり)。白玉鮮潔也。高さ、賢實にして折れやすし。机上の絶玩(ぜつぐわん)なり。】[やぶちゃん注:「二、三尺」六十一センチから九十一センチ弱。

「四、五寸」十二センチから十五センチほど。

「爲銀針」(まさに)銀の針(そのもの)である。

「机上の絶玩なり」机上に飾って愛でるには最上の愛玩品である。]

 

図版

Gyokuseki5

・キャプション

【海濱(かいひん)の俗、これを「しほごり」といふ。】

「塩凝」、漢名を、しらず。白色、堅實なり。

「菊銘石(きくめいせき)」の似て、麁(あら)し。肥大なるもの、五、六尺。

[やぶちゃん注:「しほごり」「塩凝」は本文には出ない。結構、同定が難しい。まずは、

刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目 Alcyonacea の一種

を考えたが、彼らは炭酸カルシウムの骨軸を持たず、多肉質で軟らかいのでこれに当たらない(同定考証される場合は越後国の沖合(詳細は以下の注を参照)である点にも注意されたい)。なお、

海綿動物門石灰海綿綱 Calcarea に属する種群

は炭酸カルシウムから成る方解石やアラレ石で出来た骨針を持ち、死後も他の海綿と異なり硬いので、それも考えたが、同綱の種群は群体を造っても小さく、高さも直径も十センチメートルほどの淡褐色で、ここに示されたような大きさにはならない。お手上げである。図を最初に見た時には、容易に同定出来ると思ったのだが。識者の御教授を乞う。

「菊銘石」この場合は陸で発見され、古くから愛石家に珍重された軟体動物門頭足綱アンモナイト亜綱Ammonoidea の絶滅種群であるアンモナイト類の化石のことであろう。日本や中国では菊の葉を連想することから昔から「菊石(きくいし)」と呼ばれ、生前にキチン質で出来ていた殻の表面部分の殻皮を剥がし、磨きをかけて商品化される(「菊銘石」は現在、代表的な造礁サンゴの一つで塊状或いは半球状の群体を造る刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イシサンゴ目キクメイシ科Faviidae の珊瑚をも指すが、ここはそれとは私はとらない)。

「麁(あら)し」粗い。

「五、六尺」十五センチから十八センチほど。]

 

図版

Gyokuseki6

・キャプション

琅玕の類か、山中石髓・乳石盤の類か。其の大なるもの、二、三尺。

俗に薩广貝(さつまがひ)と称するもの。水にあるとき、淡紅色。日(ひ)に曝すときは、淡白、堅實なり。

[やぶちゃん注:「山中石髓・乳石盤」やや、おかしな謂いである。海産の珊瑚或いは擬珊瑚様の生物を語っているのに、山中から出土する「石髓」(「玉髄」と同じならば石英の微細な結晶の集合体が岩石の割れ目や空洞を満たして放射状や葡萄状などを成して産したもので、含有する不純物の色によって紅玉髄・緑玉髄などと呼ばれて飾り石にする)或いは「乳石盤」(鍾乳石のことか)であろうか、と疑問文にしてあるからである。但し、筆者がそういったものが海底から出たとしても、陸にあるのだから海の底にあってもおかしくないと考えたとして、当時ならば、おかしくはないとは言える。しかし、石英の変成したものや鍾乳石が普通にしばしば浜辺に漂着したり、漁師の網にかかるというのは考え難いことである。そもそもこの図版Ⅵのそれは、そんなものじゃあ、ない(後の「薩摩貝」の注を参照)。]

 

□やぶちゃん注

・「頸城郡(くびきごほり)米山(よねやま)」越後国頸城郡は旧新潟県中頸城郡米山村の海浜域であろう。現在の新潟県柏崎市米山町及びその近隣と思われる。

・「三里」十一・八キロメートル弱。

・「土底(どそこ)」新潟県上越市大潟区土底浜(どこそはま)。現在の上越本線米山駅から南西に直線十四キロメートルほどの位置に土底浜駅がある。

・「三、四月」陰暦なので注意。晩春から初夏である。

・「鰈魚場(かれいば)」カレイ目カレイ科 Pleuronectidae のカレイが多く獲れる海域を指すと考えてよい。場所はずっと南であるが、歌川広重「六十余州名所図会」に「若狭 漁船 鰈網」の図がある。

・「八、九里」三十二~三十五キロメートル強。土底から佐渡へ北へ直進した場合、丁度、その半ばぐらいに当たる。浜から南西へ直進したとも読めるが、船の位置や海域を確認するには直進した方が分かり易いと私は思う。

・「佐州」佐渡国。佐渡ヶ島。

・「荻の間(ま)」これは現在の佐渡市小木(おぎ)のことで、佐渡の南の端、小木半島に位置する。「間」はまさに前に注した通り、土底と小木の中間点を指すのではあるまいか?

・「見渡しなるに」「小木半島」を見渡す位置。半島が海域特定の指標となるのである。

・「數十尋(ぢん)」一尋は六尺(約一・八メートル)であるから百八メートルほどか。

・「赤珊瑚」現行では狭義には、

刺胞動物門花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目サンゴ(骨軸・石軸)亜目サンゴ科 Paracorallium 属アカサンゴ Paracorallium japonicum

を指す(淡紅色のものは日本近海に何種かいるが、太平洋岸の深海に限られ、長崎県五島列島辺りならば、Corallium属ゴトウモモイロサンゴ Corallium gotoense は採れるが、ここでは挙げられない)。

・「黑珊瑚」現行では、

花虫綱六放サンゴ亜綱ツノサンゴ目全指亜目ウミカラマツ科 Antipathidae

に属する珊瑚類を広く指すが、後に「海松」が出るから、筆者橘崑崙は現在の種のレベルで違うある種群、或いは、一定の太さを持った個体を「黒珊瑚」、別なある種群或いは前者よりも有意に背の高い個体を「海松」として区別していたと私は推理する。後の「海松」の注も参照のこと。

・「靑白琅玕(せいはくらうかん)」単に「靑琅玕」ならば、八放サンゴ亜綱共莢(アオサンゴ)目アオサンゴ科アオサンゴ属アオサンゴHeliopora coerulea をまず名指せるのであるが、図版の二種(二種を纏めて出し、ひっくるめてこう呼んでいることからは別種ではなく、成長度の異なる二個体と考えてもよいように私には思われる)は孰れもその形状からアオサンゴではない同種は藍青色の骨格が多数板状に癒着し、骨格は石灰質で硬く、先端は波をうっていて一センチほどの厚さがあるゴツゴツとしてずんぐりした形状だからである(大きなものでは高さ一メートルにもなる群体を造る)。比較的浅海に棲む、

Corallium属シロサンゴ Corallium konojoi

ではなかろうか。同種は東シナ海から日本近海の広い範囲に棲息している。宝石珊瑚としては桃色珊瑚に分類されるものの、白を基調としている。中でも象牙色(淡黄白色)を帯びたものは希少性が高く、細工がより際立ち、仕上がりも美しいことから高値で取引される、と宝石関連の記事にある。図はシロサンゴ Corallium konojoi の枝の形状ともよく一致するように思われる。

・「拂子石(ほつすせき)」これは、

海綿動物門六放海綿(ガラス海綿)綱両盤亜綱両盤目ホッスガイ科ホッスガイHyalonema sieboldi

 である。英名“glass-rope sponge”。柄が長く、僧侶の持つ払子(「ほっす」は唐音。獣毛や麻などを束ねて柄をつけたもので、本来はインドで虫や塵などを払うのに用いた。本邦では真宗以外の高僧が用い、煩悩を払う法具)に似ていることに由来する。深海産。この根毛基底部(即ち柄の部分)には「一種の珊瑚蟲」、

 刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目イマイソギンチャク亜目無足盤族 Athenaria のコンボウイソギンチャク(棍棒磯巾着)科ヤドリイソギンチャク Peachia quinquecapitata

 が着生する。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物」のホッスガイの項によれば、一八三二年、イギリスの博物学者J.E.グレイは、このホッスガイの柄に共生するヤドリイソギンチャクをホッスガイHyalonema sieboldi のポリプと誤認し、本種を軟質サンゴである花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目 Gorgonacea の一種として記載してしまった。後、一八五〇年にフランスの博物学者A.ヴァランシエンヌにより本種がカイメンであり、ポリプ状のものは共生するサンゴ虫類であることを明らかにした、とあり、次のように解説されている(アラビア数字を漢数字に、ピリオドとカンマを句読点を直した)。『このホッスガイは日本にも分布する。相模湾に産するホッスガイは、明治時代の江の島の土産店でも売られていた。《動物学雑誌》第二三号(明治二三年九月)によると、これらはたいてい、延縄(はえなわ)の鉤(はり)にかかったものを商っていたという』。『B.H.チェンバレン《日本事物誌》第六版(一九三九)でも、日本の数ある美しい珍品のなかで筆頭にあげられるのが、江の島の土産物屋の店頭を飾るホッスガイだとされている』とある。私は三十五前の七月、恋人と訪れた江の島のとある店で、美しい完品のそれを見た。あれが最後だったのであろうか。私の儚い恋と同じように――(画像は例えばこちら)。私の「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 五 共棲~(2)の2」も参照されたい。

・「木賊(とくさ)石」これは、

ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目角軸(全軸)亜目トクササンゴ科トクササンゴ属 Ceratoisis のトクササンゴ類

である。英文サイト“Ocean Explorer” Ceratoisis flexibilis の美しい縞を見よ!

・「海松(うみまつ)」こちらは、

六放サンゴ亜綱ツノサンゴ目ウミカラマツ科ウミカラマツAntipathes japonica

に同定しておく。「ツノサンゴ」「クロサンゴ」「マヨケサンゴ」などの異名を持つ。「角珊瑚」「黒珊瑚」の名は硬く黒い骨軸に由来するもので、「魔除珊瑚」は、昔、ヨーロッパでこの類の骨軸から作った御守が魔除けとして使われたことによるとされる。本州中部以南に広く分布し、水深十メートル以深の岩礁に着生する。通常の高さは五十センチメートル内外で、樹状群体を形成するが、時には二~三メートルの高さに及ぶものもある。一本の幹から斜め上方に向けて一平面上に広がった羽状枝を多数出して群体を造る(ここは平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

・「海柳(うみやなぎ)」現行では狭義に、八放サンゴ亜綱ウミエラ目ウミエラ(半坐)亜目ヤナギウミエラ科ヤナギウミエラVirgularia gustaviana を別名「ウミヤナギ」と呼ぶが、これは相模湾以南に分布し、一〇メートル以深の砂泥海底に朱色の柄部で以って直立する(長さ三十~四十センチメートル)。発達した骨軸を中心にして、柄上部には紫色の三角形をした葉状体が羽根のようにあって、葉状体上縁には二百以上の大きなポリプが並んでいる。ところが、これと図版の左のそれは全く一致しない。従ってこれは現在の「ウミヤナギ」たるヤナギウミエラVirgularia gustaviana ではないことが判る。寧ろ、これは同じ図版の右手に「海松」として別種として掲げられてあるものとかなり相似的であることが判る。だから、これも、

花虫綱六放サンゴ亜綱ツノサンゴ目全指亜目ウミカラマツ科 Antipathidae

に属する珊瑚類の一種と見た方が自然である。

・「交趾合浦(こうちがつぽ)」「交趾」郡(ベトナム語:Giao Chỉ:「こうし」とも読み、「交阯」とも書く)は前漢から唐にかけて、現在のベトナム北部の紅河(水源は中国雲南省)の中下流域に置かれた中国の郡の名。指し、後にこの地域が独立した後も、この地域をかく呼称し続け、日本でも「コーチ・シナ」(英語:cochinchina, cochin china)が永く使われた。「合浦」郡は漢代から唐代にかけて現在の広西チワン族自治区北海市一帯に設置された郡の名。ここは古くから合浦真珠で知られるから、それも含めて、孰れも南海の高級宝石、珊瑚の産地といったニュアンスに匹敵するという謂いである。ちょっと大袈裟。かく呼ばうなら、日本の南西諸島の方がより相応しい。

・「いへつ」ママ。

・「匂ひ、あしく」多く珊瑚虫類の生体は海上に揚げると独特の生臭さがあり、破損して網に掛かったり、近海へ漂着したものなどは、個虫が既に死んでいるか、死にかけているものが多いため、腐敗臭もかなり激しい。私は沖繩の海岸でかつて体験済みである。

・「十ヶ年前」「北越奇談」は文化九(一八一二)年刊行であるから、一八〇〇年前後とすると寛政中頃から享和辺りである(一八〇一年が寛政十三・享和元年)。

・「舟ごとに賴む」網元ではなく、一人ひとりの舟を持つ漁師を個別に訪ね、珊瑚が獲れたら優先的に直接売ってくれることを依頼する。

・「薩摩貝(さつまがひ)」私は思うに、生体の色といい、コンガラガッた奇体な形状といい、これは珊瑚や鉱物なんぞではなく、クモヒトデの仲間で千メートルほどの深海底に棲息する、

棘皮動物門クモヒトデ(蛇尾)綱カワクモヒトデ(革蛇尾)目テヅルモヅル亜目テヅルモヅル科オキノテヅルモヅル Gorgonocephalus eucnemis

或いはその近縁種の死亡個体の触手の断片ではないかと疑っている。何故と言うに、私は数年前、まさに佐渡の水族館で同種の巨大な生個体(標本は何度も見たが、生きたそれを現認したのはその時が初めてだった)を見たことがあるからである。何故、「薩摩」なのかは不詳。生時の色が薩摩芋の皮の赤味と似ているからか。オキノテヅルモヅルについては私の栗本丹洲「栗氏千蟲譜」巻九も是非、ご覧戴きたい。以下の同種の図はそちらで底本とした「国立国会図書館デジタルコレクション」のもの。当時は使用許可制であったが、総て事前に許可書を貰ってある。

Okinotezurumoduru1

・「海濱に年々(としどし)遊玩(ゆふぐわん)して」「遊玩(ゆふぐはん)」は賞玩・玩弄に同じい。所謂、毎年毎年、ビーチ・コーミングをして、の意である。

・「ふける」ラ行四段活用の自動詞で「見せびらかす」の意。

・「數十里」二百三十六キロメートル前後。現在の新潟県を沿岸に沿って計測すると二百六十キロメートルほどは確かにある。

・「濱(ひん)」ここのみ、音読みしている。

 

□やぶちゃん現代語訳

 

   ○ 海産の玉石(ぎょくせき)

 

 頸城郡(くびきごおり)の米山(よねやま)の西、三里のところに、「土底(どそこ)」という浜がある。

 この場所の漁師は、毎年三月から四月の時期、「鰈魚場(かれいば)」と称する、米山の海岸線から離れること、真北へ八里から九里の、佐渡ヶ島の小木との中間のところ、その小木の半島を見渡せる海上に、船を流しつつ、網を海に下げ降ろし、鰈を始めとして種々の魚介を漁(すなど)る海域がある。

 だいたいからして、ここの海底(うなぞこ)、周囲は深いのであるが、その辺りの数十尋(じん)の下方には、少し小高くなった岩根のあって、そこに奇木・奇石が、びっしりと生えておること、これ、その数を数えるに、枚挙に暇がないほどである。

 「赤珊瑚(あかさんご)」・「黒珊瑚」・「青白琅玕(せいはくろうかん)」・「払子石(ほっつすせき)」・「木賊石(とくさいし)」・「海松(うみまつ)」・「海柳(うみやなぎ)」などがその主たるものである。

 それらは左に図示したような形を成しておる。

 「黒珊瑚」・「海松」の類は常に多く見らるる。

 げに、本邦に於ける「交趾合浦(こうちがっぽ)」――古えより、美しい真珠や珊瑚が獲れると聴き及ぶ、海の彼方、南方の海中の楽園――と言ってもおかしゅうない珍物の名所なのである。

 漁師の小舟の網にかかって、根の部分より引き抜けて、海上へと揚がってくるもの、これ、まことに多い。

 当初、海水から出たばかりの時は、水垢(みずあか)で汚れきっており、その地(じ)色も定かでないほどに穢(きたな)く、加えて何とも言えぬ、ひどい匂いのして、手にとるのも憚られるほど、厭な感じのするものではある。

 ところが、それを陸(おか)に揚げて、清水(しみず)に浸した上、よぅく洗い、陽(ひ)に乾かして見れば、その潤いをもった色彩や光沢、はたまた、その奇体(きたい)な形は、これ、言いようもなく、素晴らしい。

 また、自然に大風(おおかぜ)や大波(おおなみ)のために、海底(うなぞこ)の岩根から千切れ流れてきて、浜にうち揚げられ、砂や石の中に拾い得たそれは、小さくなってはおるものの、自然の力にて、時をかけて磨かれてあればこそ、殊(こと)にその光沢、これ、絶妙である。

 「払子石」・「琅玕」・「木賊石」の類は、ごく稀れに漁の中で揚がる。しかし、「赤珊瑚」のごときは、これ、今はまず、絶えて漁獲されることがない、と伝え聴いておる。

 十年ほど前までは、毎日のようにそれら数品が漁師の網にかかって揚がったと言うが、それが珍奇なる品として高値(こうじき)で取り引きされるなどということは、野夫(やぶ)のことなれば、全く知らなかったがため、これ、何と、皆、海底(うなぞこ)にうち捨てておったということである。

 その頃までは、ごく、たまに、赤珊瑚のようなるものも揚がったと申す。

 その後(のち)、好事(こうず)の者が、こうした漁師の古い話を聴き知って、これらの奇物(きぶつ)を執拗に訊(たず)ね求めるようになったによって、今はそれぞれ小舟を持ったる漁師に一人ひとり個別に巡り訪ねては、奇物が揚がったらよろしく、と頼んでおるのであるが、これ、その奇物を求める者の方が多いがために、実際に珍品を得ることは、すこぶる難しい。故にこそ値段もまた、さらにさらに高値(こうじき)となっておる。

 なお一種に、俗に「薩摩貝(さつまがい)」という奇物がある。

 これも玉石に類するもので、先に示した「琅玕」と似てはおれども、光沢をまるで欠いており、またその形も、これ、異様に、ぐにゃぐにゃ、ごちゃごちゃ、と屈曲し過ぎておって、雅(みや)びな感じが全くない。これ、海水から揚がった当初は、淡い紅(くれない)を帯びており、私は可愛らしいと感ずる。但し、浜に漂着して風雨に曝(さら)されてしまったそれは、これ、全く白うなってしもうておる。

 須(すべから)く、珊瑚より以下に掲げた物は、これ皆、海中にあるうちは、手触りは概ね軟らかであって、それは少しも玉石の類ではないようにしか見えぬ。ところが、これら、水を離れ、十分に乾いた時には、まさしくこれ、金石(きんせき)の如くに硬(かと)うなるものなのである。

 私は、海浜に毎年、遊んでは、こうしたものを蒐集しきたって、そうさ、すでに名品と思われるもの、五、六品(ひん)を得た。と申せども、それを売り捌(さば)くというわけではなく、ただこれを以って、好事の客(きゃく)に見せびらかすだけのことで御座る。

 その他(ほか)、この越後北海の数十里に及ぶ浜辺には、どこでも、今は稀れとはなったものの、この奇木・玉石を拾い得ることは、ある。とは申せども、それはたまたま、大風や大波のためにうちあげられた物であって、前に述べたような、海底より、直(ただち)に引き揚げた、欠けたところの少ないほぼ完品に近いものは、これ、望めまい、とは思うておる。

2016/07/05

4:17 蜩初音

涼風に目覚めた直後の4時17分に蜩の初音を聴く。7月5日。今年は遅いな。

2016/03/07

ブログ790000アクセス突破記念 梅崎春生 チョウチンアンコウについて 附マニアックやぶちゃん注

[やぶちゃん注:『近代文学』昭和二四(一九四九)年十月号に初出、後の作品集「馬のあくび」(昭和三二(一九五七)年一月現代社刊)に所収された短い随筆である。

 底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集 第七巻」を用いた。

 底本の傍点「ヽ」(二ヶ所の「いぼ」にのみ附される)はブログでは太字とした。後に私のかなり迂遠でマニアックな注を附した。

 本電子化は、その私の注のマニアックさの恐るべきだらだら(本文の凡そ七倍)を以ってして、別に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、私のブログの790000アクセス突破記念ともすることとした。【2016年3月7日 藪野直史】]

 

   チョウチンアンコウについて

 

 チョウチンアンコウという魚がいる。アンコウの一種である。深い海の底の真暗なところに住んでいる。真暗なところを泳いでゆく関係上、この魚は提灯(ちょうちん)を持っている。すなわち頭のさきから長い鞭(むち)のようなものが生えていて、それが光をはなつのである。暗夜に提灯を突き出しているような具合に。

 この魚の雄と雌との関係について、寺尾新博士が書いた文章をよみ、私は大層面白かった。その文章の要旨をここに書いておこうと思う。

 この提灯を持っているのは、この魚の雌なのである。提灯はもちろん自分の泳ぐ道を照らすためもあるだろうが、同時に餌となる小動物をおびきよせる手段にもなっている。雄は提灯を持たない。大きさも雌の十分の一である。なんの変ったところもない、極く平凡な、あたり前の魚である。あの提灯をぶらさげた壮大な雌魚の、亭主にあたる魚とはとても思えない。

 この雌に対して、この小さな平凡な雄が、どういう具合で亭主たる位置につくかというと、彼はただじっとその機会を待っているだけなのである。そして偶然に雌が自分に近づいてくると、彼は雌の背中であろうが、頭であろうが、腹であろうが、ところかまわずにいきなり唇で吸いつくのである。吸いついたら、それきりである。どんなことがあっても離れない。雌が泳ぐままに、ぶら下って動く。そしてここに変ったことがおこる。

 吸いつかれた雌の体の皮が、だんだん延びてきて、彼の唇と切っても切れないようにつながってしまう。こうなれば彼は独立した一匹の魚ではなくなって、雌の体の一部となってしまう。それから彼の体のなかに、さまざまの変化が起り始めるのである。

 先ず、唇をふさがれて食物をとるすべを失った彼の体の中で、役に立たなくなった消化器官が、だんだんと消えてなくなる。

 次に、独立生活のとき必要であったが、今こんな状態では必要でなくなった諸器官が追々に姿を消してゆく。

 雌にくっついて移動してゆくからには、眼などは不必要である。で、眼はすっかりなくなってしまう。

 眼がなければ、もはや脳も不必要だということになる。すなわち、脳も退化して、姿を消してしまう。

 すっかり雌の体の一部となった彼は、その血管が雌の血管とつながり、それを通じて全部雌から養われ、揚句の果て、彼は雌の体に不規則に突起したいぼのような形にまで成り下ってしまう。

 いぼにまで成り下っては、彼は自身の存在の意義を失ったようにも見えるが、ただひとつだけ器官を体の中に残しているのである。それは精巣である。精子をつくるために残留しているのだ。雌がその卵を海中に産み放すとき、ほとんど精巣だけとなった彼は、全機能を発揮して、二階から目薬をさすように、その精子を海中に放出する。深海であるから流れの動きがほとんどないので、その精子は洗い流されることもなく、雌の卵にうまくくっつくのである。

 

 この瞬間のことを考えると、私はなにか感動を禁じ得ない。どういう感動かということは、うまく言えないけれども。

 

 

 

やぶちゃん注

「チョウチンアンコウ」(漢字表記「提灯鮟鱇」)は狭義には、

 

動物界脊索動物門脊椎動物亜門条鰭綱新鰭亜綱側棘鰭上目アンコウ目アカグツ亜目チョウチンアンコウ上科チョウチンアンコウ科チョウチンアンコウ属Himantolophus

 

に属する種、及び代表種(初回発見種)である、

 

チョウチンアンコウ Himantolophus groenlandicus Reinhardt, 1837

 

を指す――のであるが――実は、結論から先に言うと、

 

梅崎春生が単に「チョウチンアンコウ」と記すのは厳密には正しくない

 

のである。梅崎春生を指弾するのではないので、好意的に言い変えると、

 

梅崎春生の指す「チョウチンアンコウ」は広義の「提灯鮟鱇」の類の一種ではあるが、狭義の種である標準和名「チョウチンアンコウ」と同一種ではない別種である

 

ということである。やや面倒であるが、順を追って説明しよう。

 

 まず、ウィキの「チョウチンアンコウ科」を見よう。

チョウチンアンコウ科Himantolophidae はチョウチンアンコウ属(Himantolophus)の一科一属十八種で構成

されており、現在のところ、十八種が確定記載されているが、棲息域がやや深く、習性から見てもそれよりもさらに深層に新たな種が棲息する可能性が感じられ、私には恐らくはもっと増えるように思われる。『チョウチンアンコウ科の魚類はすべて深海魚で、太平洋・インド洋・大西洋など世界中の海の深海に分布する』。『背鰭の棘条が長く伸びて変化した誘引突起』(イリシウム:ラテン語の「illicio」(イリキオ:魅力によって引きつける・誘い込む)を語源とする。但し頭が大文字「Illisium」となると、トウシキミ Illicium verum ・シキミ Illicium anisatum など仏事に用いる有毒植物である被子植物門アウストロバイレヤ目マツブサ科シキミ属 Illisium を指すので注意が必要)『を持ち、先端には擬餌状体』(ぎじじょうたい/エスカ esca :本科に属する種群やアンコウ目カエルアンコウ亜目カエルアンコウ科 Antennariidae (十二属四十二種。カエルアンコウ属 Antennarius・カエルアンコウモドキ属 Antennatus・ハナオコゼ属 Histrio 等)のカエルアンコウ(旧「イザリウオ」)類などが一般に頭部に持つ誘引突起の先端部の呼称。ラテン語で「(獲物を誘(おび)き寄せるための)餌」という意)『と呼ばれる膨らみがある。擬餌状体には発光バクテリアによる共生発光器を備え、餌となる小動物をおびき寄せて捕食する。目は小さく、軟らかな薄い骨格、ゼリーのような柔らかい肉でおおわれ、表皮は薄い』。『吻(口先)が短く滑らかであることが、他のチョウチンアンコウ上科』Ceratioidea『の仲間と異なる点の一つである』。『雌雄ともに、生涯を通じて頭頂骨を欠く』。各鰭の鰭条はそれぞれ、胸鰭が十四から十八本、背鰭五から六本、臀鰭四本・尾鰭九本で、椎骨は十九個ある。『チョウチンアンコウ科の魚類は他のチョウチンアンコウ上科に属する種類と比べて大型で、』は体長が五十センチメートルほどにまで成長する一方、は非常に小さく、最大でも四センチメートルほどにしかならない。これはチョウチンアンコウ上科に共通する特徴で』、こうした同種中でがすこぶる小さなものを「矮雄(わいゆう)」と呼ぶが、『他科の矮雄では』に『付着して一体化する場合もあるが、チョウチンアンコウ科の』は『このような寄生を行わず、自由生活を送る』(下線やぶちゃん。以下、総て同じ)とあるのである。

 

 即ち、狭義の真正の和名「チョウチンアンコウ」の(矮雄)はに寄生しない

のである。

 因みに、ウィキの「チョウチンアンコウ」も見てみよう。『丸みを帯びた体型と、餌を誘うために用いられる頭部の誘引突起(イリシウム)を特徴とし、深海魚として比較的よく知られた存在である』。『チョウチンアンコウは、おもに大西洋の深海に分布し、カリブ海などの熱帯域からグリーンランド・アイスランドのような極圏付近までの広範囲に生息する』。『太平洋・インド洋からの記録もあるものの、その数は非常に少ない』。『生息水深ははっきりしていないが、熱帯・亜熱帯域の中層』(特に水深二百メートルから八百メートル)『から捕獲されることが多い。一方で、大型の個体はより北方の海域から底引き網によって、または漂着個体として得られる傾向がある』。凡そ百六十種が『含まれるチョウチンアンコウ類の中で、最初』(一八三七年)に『記載された種が本種で』、その基準標本は一八三三年に『グリーンランドの海岸に打ち上げられた漂着個体であるが、海鳥による食害を受けたため保存状態は非常に悪く、現存しているのは誘引突起の一部のみである』。以降、二〇〇九年までに百四十三個体『(変態後の雌)が標本として記録されているが、これは科全体について得られた全標本のうちの三分の一を超える数であり、チョウチンアンコウ科の中で最もよく研究された種となっている』。昭和四二(一九六七)年二月二十二日夕刻に鎌倉の坂下海岸に生きたまま(ここは荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」(平凡社一九八九年刊)の「深海魚」の「チョウチンアンコウの飼育記録」で補填した)『打ち上げられたチョウチンアンコウが』「江の島水族館」(旧称。名称が旧は平仮名の「の」である。改築後のそれは後掲されるように「新」が冠されてしかも「江ノ島」とカタカナの「ノ」に変わっているので注意)で八日間、『飼育観察された際に、誘引突起から発光液を噴出する様子が世界で初めて観察された。一回に噴出された発光液は、海水中において、魚体とほぼ同等の範囲に広がる程度の量であったという。また、その発光は、海水中に噴出された後には徐々に弱まり、ついには消光したと報じられている』。『発光液の放出には、獲物を捕食する際に相手の目を眩ますなどの効果があるのではないかと推定されている』。上記の鎌倉で捕獲された個体のその『死後、その主発光器内部から得た組織を分離源として行われた培養試験において、発光バクテリアが分離・培養されていないところから、本種の発光は、自身で生産した発光物質によるものであり、発光バクテリアの共生によるものではないとみられている』。『なお、上記の個体は死後に液浸標本とされ、現在では』「新江ノ島水族館」『で展示されている』。『チョウチンアンコウは丸みを帯びた体型をしており、体表は小さないぼ状突起によって覆われる』。体色は灰色乃至黒褐色で、これまでに得られたの体長は三・二センチメートルから四十六・五センチメートルの有意に異なる範囲内にある(幼生個体と成個体或いは長生個体の差と考えておくが、寿命自体が不明であるので確言は出来ない)。鰭条数はそれぞれ背鰭が五本、臀鰭が四本で、胸鰭は十四本から十八本で、誘引突起はその背鰭の『第一棘が変形したもので』、本チョウチンアンコウ科の場合、『その長さは体長の半分程度であることが多い』。『誘引突起の先端には膨隆した擬餌状体(エスカ)と、そこから分岐した』十本の皮弁を持つ。『擬餌状体の形態と、体長と比較した皮弁の長さの割合が、チョウチンアンコウ科の他の仲間から本種を識別するための重要な形質となっている。太平洋を主な生息域とする』Himantolophus sagamiusPacific footballfish:一部の記載ではこれに「チョウチンアンコウ」の和名を附すものがあるが、これは頗るよろしくない)とは『特に形態が類似しているため、小型の個体では区別が難しい』(以下に注意!)。

よりも『極端に小さい矮雄(わいゆう)であるが、体長は』四センチメートルほどあり、への『寄生をしない自由生活性の矮雄としては最も大きく成長する』。

但し、『チョウチンアンコウ科に属する種の』固体は『形態学的な特徴に乏しく、これまでに本種の』として『確実に同定された個体は記録されていない』。これらの個体群は『いくつかのグループとして分類されており、本種は』「Himantolophus brevirostris Group」に含まれるとみられている、とあるので和名の共有記載はそれを勝手に敷衍してしまったものであろう(私は、本種の生活史内での性決定に未だ我々の認知しないシステムがあるか、或いは何らかの性転換現象があるようにも疑っている。以下のチョウチンアンコウ上科についての引用も参照のこと)。

 

 以上によって、梅崎春生の言っている「チョウチンアンコウ」は狭義の「チョウチナンコウ」ではないという私の謂いが判って戴けたものと存ずる。

 

では、その正体は何か?

 

 その疑問は、以下に示すウィキの「アンコウ目」の「チョウチンアンコウ上科 Ceratioidea 」の解説で氷解する。この

チョウチンアンコウ上科(チョウチンアンコウ科ではないことに注意!)は十一科三十五属百五十八種で構成

され、殆どの『科は地中海を除く全世界の深海に分布する。フサアンコウ上科・アカグツ上科を起源とし、深海中層の生態系において重要な位置を占める一群である。ほとんどの種類は体長』八センチメートルに『満たない小型の魚類で、外洋の深海』(特に水深一千メートルから三千メートルの漸深層)を『漂泳し、誘引突起を利用して餌を捕食する。誘引突起を持つのは基本的に』だけで、『発光バクテリアによる共生発光を行うなど機能の発達が著しい。本上科に共通の形態学的特徴として、腹鰭・鱗を持たないこと、前頭骨が癒合しないことなどがある』(さても以下が重要な箇所!)。

『体格上の性的二形が顕著で』、の三分の一から十三分の一程度の『大きさしかない。このように』と比較して極端に小さいを『矮雄(わいゆう)と呼ぶ。ミツクリエナガチョウチンアンコウ科など少なくとも』四科のは、に『寄生して生活することが知られている。これらの寄生性の』は『種に特異的なフェロモンを介して』を発見して、『腹部に噛み付いて一体化する』。の体にはの『血管が伸びて栄養供給を完全に依存するようになり、生殖以外の機能は退化する』。

『変態を行う前の幼魚(浅海で生活することが多い)はしばしば親魚とまったく異なる形態をとり、同一種でありながら』・幼魚が『別の種類として認識されていた例もある』。『捕獲されることが稀な種類が多く』、雄・雌・稚魚の『いずれかしか見つかっていないもの、ごく少数の標本に基づ』いてしか記載されていない種類もある、とある。そこで同ウィキの以下の科タクサの記載を調べてみると、以下の記述を見出せる(番号は私が打った)。

   *

ヒレナガチョウチンアンコウ科 Caulophrynidae (二属五種)

に『寄生するが、性成熟は寄生の有無と関係なく達成される』。)

キバアンコウ科 Neoceratiidaeキバアンコウ Neoceratias spinifer (一属一種)

は寄生性で、『それぞれが性成熟に到達するためには』、へ『付着することが必須条件であると考えられている。同様の性質はミツクリエナガチョウチンアンコウ科・オニアンコウ科にも認められる』。)

ラクダアンコウ科 Oneirodidae (十六属六十二種)

(『チョウチンアンコウ上科の中で最大のグループとなっている。一部の属は寄生性の』を持つ。)

ミツクリエナガチョウチンアンコウ科 Ceratiidae (二属四種)

『チョウチンアンコウ上科の中では最も大きくなるグループで、ビワアンコウ(Ceratias holboelli)は最大』一・二メートルにまで『成長する』。は『寄生性で、性成熟には』への『寄生が必須である』。

オニアンコウ科 Linophrynidae (五属二十三種)

に『寄生し、寄生後に両性の性成熟が起こる』。)

   *

 この内、のラクダアンコウ科は『一部の属』とあるので、先の記載者の言うところのに『寄生して生活することが知られている』四科とは①②④⑤の科であることが判明する。

 そこで更に考えてみよう。

 この中で梅崎春生が最もポイントとするのは、が完全寄生性であって性成熟にはへの寄生が必須であることと、性的二形の個体の大きさが烈しく異なる(が異様に小さい)点である。

即ち、

より有意に遙かに大きくなくてはならず、必ずに寄生する種でないといけない

のだ。とすれば、

 

ここで梅崎春生が言うところの「チョウチンアンコウ」とは、実はが『寄生性で、性成熟には』への『寄生が必須である』ところの、しかも『チョウチンアンコウ上科の中では最も大きくなるグループで』ある(性的二形の個体サイズが激しく異なる)ところの、ミツクリエナガチョウチンアンコウ科 Ceratiidae (二属四種)の一種と考えるのが最も自然である

 

と私は思う、いや、断言したいのである。因みに、ウィキの「ヒレナガチョウチンアンコウ科」を見ると、『性成熟後の雌雄の体格は著しい性的二形を示し』、よりも『極端に小さい矮雄で』、の体に食いついて一体化し、寄生生活を送るようになる』とあるものの、『雄に寄生されていない雌の標本の多くが、よく成熟した卵巣を持つことから、少なくとも雌の性成熟に雌雄の結合は必要ないと考えられている』とある。また、リンク先の図を見て戴くと分かるが、和名の通り、背鰭と臀鰭の鰭条が我々のイメージする一般的な「提灯鮟鱇」なるものに比して有意に長く、私などは最初に「これ、ちゃうで!」と感覚的には言いたくなってしまうフォルムである。また、キバアンコウ科 Neoceratiidae(ネオケラティス科)は、へ『付着することが必須条件であると考えられている』と記載が不確かであることと、画像を検索して見ると、これがまた名前通りの、ホラー映画のジェイソンみたように異様に上下の歯が長くまばらに出て如何にも「ヘン!」、しかも体型が妙にスマートでこれも「アンコウや、ない!」と叫びたくなるお姿なんである。

 したがってヒレナガチョウチンアンコウ科とキバアンコウ科は私は「ゼッタイ! パス!」なんである。

 但し、最後のオニアンコウ類は、ウィキの「オニアンコウ科」を見ると、如何にも「提灯鮟鱇」らしい形であること、また、『雌雄の体格は著しい性的二形を示し』、よりも極端に小さい。『Acentrophryne 属を除く』四属は『比較的豊富な雌雄の標本が存在し』、は『寄生性であることがわかっている』。『一方、Acentrophryne 属の』個体は『いまだに得られておらず、寄生性かどうかも確かめられていない』。変態後のは『餌を一切取らず、よく発達した眼球と嗅覚器を利用して』を探し、発見するや、『体に食いつき、以降は』と『一体化した寄生生活を送るようになる。オニアンコウ属の』は一匹の雌に対して一匹のみしか『付着しない一方、他の属では複数の雄が同一の雌に寄生する例がしばしば見られる』(以下に引用するミツクリエナガチョウチンアンコウのケースと比較されたい)。『付着部位は Borophryne 属・オニアンコウ属ではほぼ腹部に限られ』、殆どのは『前方を向き、逆さまの状態となっている』。『これとは対照的に、Haplophryne 属・Photocorynus 属では寄生する場所や』の『体勢は定まっておらず、眼の真上や背部、あるいは擬餌状体に付着していた例も知られている』。『自由生活期の』の『精巣は例外なく未発達で、成熟した卵巣をもつ』には常に寄生したの付着が見られる『ことから、雌雄の結合は互いの性成熟を達成するための必要条件とみなされている』。『Photocorynus 属の』一種Photocorynus spiniceps)の或る個体に付着した寄生の体長は僅かに六・二ミリメートルで、『性成熟に達した脊椎動物として最小の例の一つと考えられている』とあって、彼らは「梅崎さんが言ってるのは僕たちです!」と手や鰭ならぬイリシウムを振りそうなので、

 

オニアンコウ科オニアンコウ属 LinophryneBorophryne 属・Haplophryne 属・Photocorynus 属も梅崎春生の言う「チョウチンアンコウ」の候補

 

として残しおくこととはする。

 

 さても。而して大本命の「ミツクリエナガチョウチンアンコウ」である。ウィキの「ミツクリエナガチョウチンアンコウ科」から引く。因みに、本和名は「箕作柄長鮟鱇」で東京帝国大学理科大学で日本人として最初の動物学教授となった生物学者箕作佳吉への献名として命名された(本種ミツクリエナガチョウチンアンコウ Cryptopsaras couesiiのシノニムにも Ceratias mitsukurii がある)は、本種のシノニムである(いい加減、面倒なので以下はアラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『いわゆるチョウチンアンコウ類として知られる深海魚の一群で、ビワアンコウ・ミツクリエナガチョウチンアンコウなど二属四種が記載される』。『ミツクリエナガチョウチンアンコウ科の魚類は太平洋・インド洋・大西洋など、世界中の海の深海に幅広く分布する』。『海底から離れた中層を漂って生活する、漂泳性深海魚のグループである。ビワアンコウ属の一種(Ceratias tentaculatus)は主に南極海とその周辺海域における水深六五〇~一五〇〇メートルの範囲に分布し、残る三種は三大洋すべての深海に生息する汎存種となっている。ビワアンコウ Ceratias holboelli は水深四〇〇~二〇〇〇メートル、エナシビワアンコウ Ceratias uranoscopus は五〇〇~一〇〇〇メートル、ミツクリエナガチョウチンアンコウ Cryptopsaras couesii は五〇〇~一二五〇メートルからの採集例が多い』。『本科魚類はチョウチンアンコウ類としては最も大きく成長し、最大種のビワアンコウは全長七七~一二〇センチメートルに達する。雌雄の体格は著しい性的二形を示し、よりも極端に小さい矮雄で』、『変態後のは餌を一切とらなくなり、大きな球状の眼を利用してを探す。を発見した雄は鉤状の歯を使って体に食いつき、一体化して寄生生活を送る。の結合は、互いの性成熟を達成するための必要条件となっている』。『一匹のに寄生するは』概ね、『一匹だが複数の場合もあり、最大で八匹』もの『雄が付着した個体が知られている。付着部位はほぼ常に腹部で、寄生雄の多くが前方を向いていることから、雌の後方から接近しているとみられている』。『ミツクリエナガチョウチンアンコウ科の仲間は左右に平たく、側扁した細長い体型をもつ。一般にチョウチンアンコウ上科には体長十センチメートル未満の小型魚が多いが、本科魚類はほとんどが全長数十センチメートル程度にまで成長し、ビワアンコウは一・二メートルに達する。口は斜め上向きでほとんど垂直につくこと、前上顎骨によく発達した突起をもつことが他科との容易な鑑別点となっている』。同じチョウチンアンコウ上科でも、一属一種のケントロプリュネー科 Centrophrynidae と『多くの形態学的共通点を有し、両者は近い関係にあると考えられている。全身を皮膚が変形した突起によって覆われること、誘引突起は前頭骨から起始し吻の前に突き出ること、蝶形骨・方形骨・角関節骨および前鰓蓋骨のトゲを欠くことは二科に共通する特徴である』。『本科魚類の重要な特徴として、背鰭の二~三鰭条が変形し、肉質の突起(caruncle)として存在することが挙げられる。背鰭第一棘条は卵形の擬餌状体を備えた誘引突起として成長し、誘引突起を支える担鰭骨は非常に細長く、頭蓋骨背部のほぼ全長に及ぶ。背鰭第二棘条は仔魚および稚魚の時点では発光器官を有しているが、成長とともに退縮し、成魚では皮膚に埋もれてしまう』。『背鰭および臀鰭の軟条は四~五本で、多くの場合四本である。胸鰭は十五~十九』本の『軟条で構成される。尾鰭の鰭条は八~九本で』、そのうち、『四本は分枝し、下位の第九鰭条は痕跡的となる。頭頂骨は大きい』。『チョウチンアンコウ類の矮雄は一般に眼が小さく、その代わりによく発達した嗅覚器官をもつ場合が多いが、ミツクリエナガチョウチンアンコウ科のは大きなボール状の眼球をもつ一方、嗅覚器は微小である。吻の先端には担鰭骨と接続する一対の大きな歯を備え、に付着する際に用いられる。前上顎骨は退縮し、顎の歯を欠く。自由生活期のの皮膚は滑らかで色素をもたないが、寄生生活に入ると多数の突起が現れ、一様に黒色』に変ずる。『自由生活期のは科全体で少なくとも百七十五点の標本が存在し、いずれも全長は二センチメートルに達しない。に付着した寄生雄は八十一例が知られ、そのサイズは〇・八~十四センチメートルの範囲である『』(以下、「仔魚」の項があるが、省略する。)『ミツクリエナガチョウチンアンコウ科にはNelson2006)の体系において二属四種が記載される。含まれる二属(ビワアンコウ属・ミツクリエナガチョウチンアンコウ属)はいずれもチョウチンアンコウ類を代表するグループの一つとなっており、変態後の雌の標本はそれぞれ少なくとも四百四十点・九百八十点に及ぶ数が知られている』。以下、代表種は、

 

 ビワアンコウ属 Ceratias

(『誘引突起は長く、擬餌状体は比較的小さい。背部の肉質突起は二つで、大型の個体では退縮傾向にある。下鰓蓋骨のトゲを欠く。尾鰭の九本目の鰭条は痕跡的。属名の由来は、ギリシア語の「keraskeratos(角)」』に由来する。)

   エナシビワアンコウ Ceratias uranoscopus

   ビワアンコウ Ceratias holboelli

 Ceratias tentaculatus

 

 ミツクリエナガチョウチンアンコウ属 Cryptopsaras

(『誘引突起は極端に短く、「釣竿」のほとんどが擬餌状体の構造で覆われる。肉質の突起は三つあり、大型個体でも明瞭。下鰓蓋骨に前向きのトゲをもつ。尾鰭の第九鰭条を欠く。属名の由来は、ギリシア語の「kryptos(秘密の/隠された)」と「psaras(漁師)」』に由来する。)

   ミツクリエナガチョウチンアンコウ Cryptopsaras couesii

 
 
である。

 さて、ウィキ嫌いの似非アカデミスト連のために、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」(平凡社一九八九年刊)の「深海魚」の「チョウチンアンコウ」の項をも引いておこう(しかし、ウィキ嫌いの非博物学的輩は同時にほぼ荒俣氏も嫌いだろうなぁ)。なお、ピリオド・コンマを句読点に、アラビア数字を漢数字に、記号の一部をカタカナに変えさせて戴いた。

   《引用開始》

【チョウチンアンコウ】一八三七年、J.C.ラインハルトがグリーンランドにおいてチョウチンアンコウ Himantolophus groenlandicus [やぶちゃん注:真正狭義の「チョウチンアンコウ」のこと。]を観察してから、この魚は世界の注目を集め、チャレンジャー号探検航海、ダーナ号探検航海(一九二〇-二一)などの深海調査の結果、多くの種が発見されるにいたった。たとえばW.ビービは一九三四年に、二本のアンテナをもち、レモン色の光を放つチョウチンアンコウを観察したと報告している。

 いっぼう、一九二二年B.セムンドソンはチョウチンアンコウ[やぶちゃん注:これはチョウチンアンコウ上科 Ceratioidea の先に示した四科の孰れかで、以下最後まで狭義の「チョウチンアンコウ」ではないことに注意。荒俣氏は以下で『ある種の』広義の『チョウチンアンコウの』上科に含まれる『なかま』と述べられており、間違いではない。]の大きな雌の体に幼魚が付着している標本を採集したと報告した。一九二六年になって、この幼魚と思われていたものはじつは雄であることが、C.T.レーガンによって発表された。

 実際、ある種のチョウチンアンコウのなかまはきわめて特異な繁殖戦略をもつ。雄が雌に寄生し、ほとんど自家受精に近い生殖を行なうのだ。すなわち、チョウテンアンコウ類は深海で産卵受精すると、その後卵は海上まで浮かび上がる.約二ミリメートルの大きさの仔魚が孵化し、二か月間一〇〇~二〇〇メートルの層で生活する(成長にしたがって深みに移動)。その後急速に変態し、二次性徴がはっきりとする。ビワアンコウ[やぶちゃん注:ミツクリエナガチョウチンアンコウ科ビワアンコウ Ceratias holboelli。]の場合、変態は水深一〇〇〇メートルの層で行なわれる。変態後は雌のみが採食し、雄はペンチ状の顎をもつものの、小さな食物でさえ食べることはできない。雄は、仔魚期に貯えた栄養がゼラチン状になって体のまわりを包んでいるが、これがなくならないうちに雌に出会えないと死ぬしかない。雌に出会うと雄は雌の皮膚のどこにでも咬みつき、両者の体は癒合(ゆごう)する。このとき雄の精巣はまだ未発達。その後、雄は器官系のほとんどを失い、精巣を包んだ袋だけの存在となる。その精巣は雌の指令がないかぎり発達しない。雄は、胎盤のような組織を通じて雌の血液に含まれる栄養を吸収しながら生きるのである。こうして雌は雄を体表に付着させることによって、〈自家受精〉する雌雄合体へと発達するのである。クロアンコウ[やぶちゃん注:クロアンコウ科クロアンコウ属 Melanocetus。一属五種。]などはこのような寄生の形態をとらないが、生殖のときはやはりペンチ状の顎で雌の体に喫みつき、受精効率を高める。

 ところで、チョウテンアンコウの雄はどのようにして雌を発見するのだろうか。深海魚はハダカイワシ[やぶちゃん注:条鰭綱ハダカイワシ目ハダカイワシ科 Myctophidae。因みに、本魚群は一般に鱗が剝がれ易く、網などで深海から捕獲された際には、鱗が剥がれ落ちて、ない状態になっているために「裸鰯」と呼称されるのであって、始めっから裸なのではない。]やメルルーサ[やぶちゃん注:条鰭綱タラ目メルルーサ科 Merlucciidae の深海魚、或いは同科の Merluccius capensis を指す。和名は本種などを指すスペイン語の「Merluza」からで、英語では「ヘイク」(Hake)と呼ぶ。]などの一部の種を除いて、群れをなすことがない。というより、深海のようにエネルギー源が乏しい世界では、群れをなすほど個体を増やせないのである。したがって雌雄がめぐりあうこともたやすいことではない。ブラウアーの採集したチョウチンアンコウは、嗅覚器官が発達していた。これより雌は雄が感応するようフェロモンのような分泌物を出していると考えられる[やぶちゃん注:例外が実はこのが寄生するミツクリエナガチョウチンアンコウで、先に引用した通り、確かに『チョウチンアンコウ類の矮雄は一般に眼が小さく、その代わりによく発達した嗅覚器官をもつ場合が多いが、ミツクリエナガチョウチンアンコウ科のは大きなボール状の眼球をもつ一方、嗅覚器は微小である』とある。]。また、雄は発達した目をもつものも多いことから、雌の擬似餌状の突起が雄に対して灯台の役割を果たすこともあると考えられる。

 こうしたチョウチンアンコウの生態は、深海という劣悪な環境のなかで種として生き残るための自然の知恵といえる。生物が種を保存するためには、ひと組のペアをつくるのに原則的には雌雄が一体ずつあらわれる。しかし、深海においてはエネルギーのむだづかいが個体、ひいては種全体の命とりとなる。そこで徹底的に効率性が求められた結果、一体で種の保存をしてしまおうという傾向があらわれた。つまり、産卵という多大なエネルギーを費す雌だけが大きくなり、雄は精巣だけを発達させる雌の寄生物となったのだ。雌雄両方を平等に大きくしなくてすむぶん、種全体のエネルギーが効率よく使われるのである。小松左京のSFにアダムの商という、未来の人間社会で男性はペニスだけの存在になる話があるが、チョウチンアンコウの世界ではそれがいち早く実現しているのである。

   《引用終了》

 なお、以上のウィキペディアの生物学的記載でも「ミツクリエナガチョウチンアンコウ」を普通に広義に「チョウチンアンコウ」類の一種と呼称し、荒俣氏も同様に記述していることから見ても、作家梅崎春生が「チョウチンアンコウ」と記述しても、これ、何らの瑕疵には当たらぬことは自明である。

 ウィキ嫌いアラマタ嫌いの雁字搦めの象牙の塔好きのために最後に、「独立行政法人 水産総合研究センター 開発調査センター」公式サイト内の「南半球の魚図鑑」の、リンクを張っといてやろう。

ミツクリエナガチョウチンアンコウ(Triplewart seadevil,“mitsukuri-enaga-chouchin-ankou”Cryptopsaras couesii Gill, 1883

 何だっていいじゃねえか、なんどとほざく連中の中には恐らく――どうせ、食ってる「鮟鱇」と同んなじじゃあねえか――なんどと勘違いしてる救い難い阿呆もあろう。以上のチョウチナンコウの捕獲標本数の少なさをよく、見ぃな! 本邦で食っている奴はな、アンコウ目 Lophiiformes でも科のレベルで違う、

アンコウ科 Lophiidae のアンコウ属アンコウ(クツアンコウ) Lophiomus setigerus

キアンコウ属キアンコウ(ホンアンコウ)Lophius litulon

だぜ! そういう、いい加減な手合いに限ってだな、深海魚のワックス(高級脂肪酸)たっぷり、ビタミンAたっぷりの魚肉や肝臓を、知らずに「うまうま」などと恍惚に食って、これまた、死ぬほど腹を下したり、全身の皮膚がズル剥けになったりするんだってえんだ! 覚えときなぃ!

 

「寺尾新」(てらお あらた 明治二〇(一八八七)年~昭和四四(一九六九)年)は動物学者。東京生まれ。明治四五(一九一二)年に東京帝国大学理科大学動物学科を卒業、昭和四(一九二九)年に理学博士。農林省水産講習所教授・民族科学研究所研究員・宮崎大学教授・同大学図書館長・宮崎県南部海区漁業調整委員などを歴任し、この間にジョンズ・ホプキンス大学に留学、生物測定学を学んだ。水産動物の増殖と加工などの研究で知られ、著書も「優生学と生物測定学」「科学魂」「海・魚・人」「海の科学随記」「生物と人世」「生物学」「動物はささやく」など多数(日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」に拠る)。私は不学にして寺尾氏の書籍は一冊も読んだことがないので、本記載元が何であるかは確認出来ない。識者の御教授を乞うものである。]

2016/02/24

「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて――   新田清三郎 (Ⅹ) / 「いとめ」の生活と月齢との関係――附やぶちゃん注~完

 

       五 電氣による「いとめ」の精蟲と卵及び人類の精蟲の實驗

 

 大正十四年十月二十一日午後四時より八時に至る精液電氣實驗。當日氣温十四度氣壓七六三粍。「いとめ」の精液一グラム0.8%の食鹽水五〇グラムに混じ、之れに屋井乾電池を用ひて四・五ボルトの電流を通じたるに精蟲は+極(プラス)に集合し、精蟲を包容する粘液は-極(マイナス)に集合した。實驗後五分乃至十分にして之を檢するに精蟲は活潑に運動してゐた。人類の精蟲につきて實驗したるに是亦粗同樣の結果を得た。蒸溜水中に於いても同樣の作用が行はれた。死したる精蟲につきて實驗するも猶同樣の結果を得た。之を以て見れば精蟲は好氣性の爲に+極(プラス)に集まると云ふ議論は立たざることになる。大正十五年四月四日大日本生理學會例會に於ける京都府立醫科大學水野忠一氏代演越智教授の講演の際人類の精蟲電氣實驗に關する右の事實を追加補足して置いた。

 

 Itome5  

 

[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ」のものを補正して示した。キャプションを以下の通り。

   *

A圖 「いとめ」の精液電氣實驗

    +極に集まれる精蟲

    -極に集まれる精液

 

B圖 「いとめ」の卵の電氣實驗

   *

文中の「+極(プラス)」「-極(マイナス)」はそれぞれ「+極」の二字に「プラス」、「-極」の二字に「マイナス」のルビが振られてある。

「屋井乾電池」乾電池の発明者屋井先蔵(やいさきぞう 文久三(一八六四)年~昭和二(一九二七)年)の名を冠した乾電池。国立公文書館公式サイト内の「公文書にみる発明のチカラ」の「乾電池の発明(屋井先蔵)」に詳しい。それによれば、一八八八年にドイツ人ガスナーらが液のこぼれない乾電池を発明する前年の明治二〇(一八八七)年に、当時、電池時計の技術者であった屋井が(ウィキの「屋井先蔵」では『東京物理学校(現:東京理科大学)の実験所付属の職工』とある)、陽極の炭素棒にパラフィンを染みこませることによって液漏れしない「屋井乾電池」を発明した事実が記されてある。ウィキのエピソード欄には、乾電池を世界に先駆けて『発明にしたにもかかわらず、貧乏のため乾電池の特許を取得はできなかった(当時の特許取得料金は高額だった)。また、乾電池を発売した当初、大半の世論は「乾電池などという怪しいものが正確に動くはずがない」というもので、先蔵の乾電池は全く売れなかった。さらに持病の為に寝込む日が続き生活は貧窮を極めた。さらに、先蔵の乾電池の価値を知った外国人が万博にて自分が発明したものだと主張したため、しばらく時間が経つまで世界で最初に乾電池を発明したのが先蔵であると認知されなかった』とある。ここではっきりと闡明しようではないか! 人類史上、乾電池を最初に発明したのは、この屋井先蔵であると!

「死したる精蟲につきて實驗するも猶同樣の結果を得た」「精蟲は好氣性の爲に+極(プラス)に集まると云ふ議論は立たざることになる」塩水及び蒸留水の電気分解にあっては+(陽極)に水酸化物イオン(OH)が誘引され、水酸化物イオンは陽極に電子を渡して水と酸素になるため、結果として陽極には酸素が発生する。逆に-(陰極)には水素イオン(H)とナトリウムイオン(Na)が誘引されるが、ナトリウムイオンは原子になるよりもイオンの状態の方が遙かに安定しているため、ナトリウムイオン自体は水溶液中に残り、水素イオンが電子を受け取って、結果、陰極からは水素が発生する。この場合、死んだ精子を実験しても同じ結果が生じたということは、生体の精子が好気性を特異的に指向するために自律的に陽極に集合したのではない、ということがはっきりする。精液は細胞成分である精子と、それを包む液体成分である精漿(せいしょう)とに分かれるが、ここでは物理的電気的性質としては精子が陽極に引かれる負(陰電気)の電位を有し、精漿が陰極に引かれる正(陽電気)の電位を有するという物理的電気的事実が分かるということである。新田氏がこのように書くということは、恐らく当時の生理学者の中には、ヒトが好気性生物であるが故に精子も同じく、正の好気性を保持した生命体であるに決まっているという誤った考え方(類推)があったことを批判しているのではないかと思われる。

「京都府立醫科大學水野忠一氏」不詳。

「越智教授」不詳。]

 

 Itome6  

 

 「いとめ」の卵の電氣實驗は卵の或量を取りて0.8%の食鹽水に混和し、四・五乃至一八ボルトの電流を通じたるに卵は少しも破壞されなかつた。唯電流を通じない前の卵は甲圖の如く顆粒が中心より遠ざかつてゐたが、強き電流を通じたる場合には卵の顆粒が乙圖の如く僅かに中心に近寄つたのみであつた。0.8%食鹽水五〇グラム中にバチの粉碎せざる卵一グラムを混じたるに何れの極へも集まらなかつた。又受精せざる雞卵及び受精したる雞卵の卵黄を別々に取つて粉砕し、之に各々前と同樣の實驗を施したるに兩極に分離した。以上の實驗に使用したる電力は時計形直流用電壓電流計にて測り、電池は屋井乾電池を用ひた。

[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ」のものを補正して示した。図に示した通り、この段落中の「じたるに卵は少しも破壞されなかつた。唯電流を通じない前の卵は甲圖の如く顆粒が中心より遠ざかつてゐたが、強き電流を通じたる場合には」の部分は原典の十四頁の下(一行八字組)にあり、「唯電流を通じない前の卵は甲圖」と「の如く顆粒が中心より遠ざかつてゐたが」の間にその甲図と乙図が挟まっている(従って甲・乙図はイトメの卵子の電気実験の図であってヒトのそれではないので注意)。また、その十四頁上方には「人間の精蟲電氣實驗」という附図があり、以下のキャプションが附されてある(附図には「Nov.1st, 1925  At Kiba, Fukagawa,  Tokyo」というクレジットが記されてある)。

   *

 

大正十四年十一月一日人間の精液電氣實驗二十分後の圖當日氣壓七六八粍、室内氣温二〇度電流四ボルト使用

 

Aは粘液、 Bは精蟲

 

十五分時にしてB極を檢するに精蟲がなほ運動を繼續してゐた。再び攪拌するも十分時にして圖の如く明かなる分野を形造つた

 

   *

 なお、この段落以下、後の二段落の内容については、私は幾つかの箇所に於いて筆者の謂わんとするところが十全には呑み込めなかった。そこで公開に先だって生命科学を専門とする私の教え子に意見を乞うた。以下の注の中で《教え子の見解》として『 』で示した箇所がそれである(というより殆んどが彼の見解の引用である。この場を借りて深く謝意を表するものである)。公開許諾は得ている。但し、それでも私と教え子の疑問は完全に氷解してはいない。何方か更に別な解釈や理解をお持ちの方があれば、是非御教授をお願いしたい。

「強き電流を通じたる場合には卵の顆粒が乙圖の如く僅かに中心に近寄つたのみであつた」先に示した古屋康則・恩地理恵・古田陽子・山内克典「イトメ Tylorrhynchus heterochaetus(環形動物:多毛類)の人工受精法および発生過程の観察」を再び管見したところ、イトメの卵子には「卵ゼリー層」と呼ばれるものが形成されることが分かった。イトメの生体内の未受精卵にはこのゼリー層は見られないが、海水に浸漬したり受精することで、卵の周囲にゼリー層が形成されるのであるが、『このようなゼリー層はゴカイの卵にも見られ(岡田,1960),ゴカイでは卵を海水に浸けただけでは形成されず,受精が起きなければ形成されないという(沢田,1969).一方,イトメにおいてはゼリー層形成と受精との相互関係は明瞭ではなく(高島・川原,1952),受精とは無関係に形成されることも知られている』とあって、その「図5.イトメの未受精卵および受精卵の発生過程」の「D)未受精卵でのゼリー層形成」とキャプションのある画像を見ると、これが本文に載る「乙圖」と酷似しているように私には見えるのである。しかもこのゼリー層形成を検証した実験では『媒精しないで卵のみを希釈海水に入れたときのゼリー層形成は,海水から3/4海水では5534%であったが,2/3海水では全く形成されなかった.しかし,それよりも薄い1/2海水では50%の卵で形成された』。『これは,ゼリー層が受精によってのみ形成されるゴカイ(沢田,1969)とは大きく異なる点である.また,ゼリー層形成はある程度浸透圧の影響を受けることを示唆している』という記述をも見出された(下線やぶちゃん)。但し、当該論文では「顆粒」ではなく『卵核胞を取り囲むように十数個の油球が見られる』(下線やぶちゃん)とある。これは一つの可能性の推測であるが、この新田氏の「乙圖」は実はそのゼリー層が形成された後の卵子の、油球が中央の卵核胞を取り囲むように見える状態を描いたものなのではあるまいか? しかしその場合、それは電気刺激によって現出した現象とは言い難い。何故なら、これは通電をする以前に実験に用いた食塩水濃度(〇・八%)に、この卵子が反応してゼリー層を形成した結果、「油球」が中央へ寄った可能性が私は高いと思うからである。新田氏が通電を行った後に、たまたま塩分濃度による浸透圧で形成されたゼリー層の形成に新田氏が気づかず、通電によって「顆粒」状の油球が中央に有意に移動したと錯覚した可能性である。無論、イトメのゼリー層形成のメカニズムが現在でも完全に解明されていない以上、逆に、電気刺激によってもゼリー層は形成され油球が中央へ移動した可能性もないとはいえない(私が専門家なら直ちに実験してみたいのだが)。時に、このゼリー層形成に新田氏は気づいていないのは一見奇妙に思える。新田氏は既に『四 食鹽水及び淡水による「いとめ」の精蟲及び卵の實驗』でこのゼリー層形成という現象を見ているはずではないのか? ところが新田氏は見ていないのである。何故なら、同章では多様な塩分濃度での実験の対象は専らイトメの精子に当てられており、卵子の実験は『卵は0.3%乃至1%の食鹽水中に在つては生理的に破壞されないが、蒸溜水に卵を混図れば十分乃至一時間にして生理的に全部破壞せられる』の三パターンの記録記載しかなく、それも専ら塩分濃度の違いによる細胞質破壊をしか実験目的にしていないかのように見えるからである。

0.8%食鹽水五〇グラム中にバチの粉碎せざる卵一グラムを混じたるに何れの極へも集まらなかつた」《教え子の見解》『そのまま読むと、少なくとも完全な卵として存在するときには電気的に中性であると読める。』

「又受精せざる雞卵及び受精したる雞卵の卵黄を別々に取つて粉砕し、之に各々前と同樣の實驗を施したるに兩極に分離した」《教え子の見解》『もしも分離に偏りがある場合は(鶏卵の卵黄に)電気的な偏りがあると考えることもできるが、そうした記述は特になく、陰性または陽性の極性分子の集合であるが、全体としては中性と読める。』]

 

 

 思ふに精蟲が生殖の際卵をめがけて突進するは電気作用によるのであらう。精液が電気の爲めに二ツに分れ、+極(プラス)及び-極(マイナス)に集まる事實より推測するに、精液として存在するときは陰陽兩電氣が中和せられてゐるが、之が水中に散布せられて粘液を脱し精蟲のみとなる時は陰性となるを以て卵子に含まれたる陽性に近づかんとするのは當然のことであらう。

[やぶちゃん注:「卵子に含まれたる陽性」《教え子の見解》『上の記述を読む限りは、卵子に陽極性分子が含まれていても全体としては中性という結果であるため意味が通じない。なお、現在、精子が卵子に誘導される機構は、卵子より放出される分子を精子がシグナルとして受容することによるものであるとされている。精子の側の受容体の反応から、ブルゲオナール様の分子である可能性が示唆されている(“Identification of a Testicular Odorant Receptor Mediating Human Sperm Chemotaxis”[やぶちゃん補注:教え子の記載のアドレスを当該論文(英文)標題とリンクに代えた。標題は「精巣嗅覚受容体を媒介するヒト精子走化性の同定」(機械翻訳)。])が、いまだに具体的な分子の正体は不明である。』]

 

 

 「いとめ」及びパロロの生殖作用が空中電氣の影響あることも右の實驗によつて否定すべからざることであらうが、これは研究未完成なれば他日に讓ることゝする。

[やぶちゃん注:「空中電氣」地磁気と言うならまだしも、これは言っている意味がよく分からない。教え子も『一般的には大気中の電気現象一般のことだが、ここでの意味は不明』とのことであった。]

 

 

 

   六 結  論

 

 (一)バチの群游は東京灣附近に於ては通常十月及び十一月に渉りて四回行はれるが、稀には九月に群游することもある。大正十四年の如き萩原朔太郎九月に一回あつた。

 漁夫等は此四回の群游に夫々第一バチ、第二バチ、第三バチ、第四バチの名を附してゐる。東京灣附近に於ては通常千住附近が第一バチ、小松川が第二バチ、深川が第三バチ、羽田が第四バチの順序である。そして群游の目的は水中に産み精蟲を散布して生殖を容易ならしめるにある。

 (二)バチの群游期は朔望より四日以内にある。通常望よりも朔の翌日が盛んである。最大滿干潮は朔望よりも三日以内で、九、十、十一月に在りては多くは日没後の滿干潮が夫々同日の他の滿干潮よりも強大である。又東京附近に於ては通常朔の大潮が強大である事實がよくバチの群集に一致する。大潮の滿潮時(朔望)には海水が隅田川河口よりも上流に達するも、小潮時(弦月)には潮少きが故に海水が上流に達しない故に小潮時には群游しないのである。

 (三)稀には朔望の前にバチの群游することもある。大正十四年の如きは、十一月十六日が朔で、バチの群游が同月十三日の日沒であつた。

 (四)大群游は日沒後滿潮(High Water)面より約一寸位引きかけた時に始まり、河水面がバチの爲に赤色を帶ぶるに至る。斯う云ふ現象は約二時間繼續する。即ちバチの群游は滿潮時にあらずして落潮時(Ebb)の始めに於て盛大に行はれるのである。

[やぶちゃん注:以下、この「結論」の章では注を中に入れ込むことにし、後に空欄は設けない。

High Water」(英語)上げ潮。新田氏は次の段で別に「差し潮即ち滿潮(Flood)」と用いているところからは、ここは満潮時に最も海水面が上昇する時、という意味でこれを用いたようである。

Ebb」(英語)引き潮。「干潮」は「High Water」の対で示すなら、“low water”であるが、新田氏はここを今度は「潮が引いてゆく」という干潮時に経過する現象としてのそれとして示しているのかも知れない。]

 (五)落潮時に群游を行ふ理由は、精蟲は淡水中にては運動を停止し、卵は淡水中にて破壞せられる。之に反して精蟲は海水中にては猛烈なる運動をなし、卵は破壞されることが無い。差し潮即ち滿潮(Flood)はバチを淡水の方に押上げ鹽分の濃度を減じ精蟲の運動を弱め生殖作用を妨げる虞がある。之に反して落潮時には最も盛んなる活動に適する海水の方へバチを押流しつゝ生殖作用を完全に行はしめる。之れ自然に順應するものにして適者存續の法則に一致する。

[やぶちゃん注:「差し潮即ち滿潮(Flood)」「Flood」(英語)は“ebb”の対義語としての上げ潮。やはり前の注で示したように、ここでは今度は「鹽が満ちてゆく」という現象を示そうとしていると考えてよさそうだ。]

 (六)海水の鹽分の濃度が多い程比重の關係上浮游し易い。これバチが落潮を利用して受胎作用を行ふ所以である。

 (七)海水の濃度は夜半及び曉よりも日沒後が高い。暖かな方が精蟲の運動に適してゐる。又大潮時の滿潮は日沒時と未明に多い。

 (八)バチが日沒後に群游することは強き日光を避くる爲であることは勿論なれども、敵に發見せられないと云ふ事も理由の一ツとして考へられる。何となれば多くの魚類は宵の口に眠るからである。

 (九)群游中に太陰出づる時は群游しつゝあるバチが一齊に深く水中に沈んで行く。之を漁夫等は底バチと云つてゐる。

[やぶちゃん注:「太陰」太陽に対しての「月」を指す。天文学・暦法・潮汐学に於いては一月・二月などの「月」との混同を避けるためにかく用いる。なお、新田氏はこの月が出ると同時にイトメが水中に沈んでゆく理由を述べていないが、これは月光に敏感に反応して潜るものと考えてよく、それによって水中からの夜間の捕食者の目につかないようにするための行動のようにも私には思われる(次の(十)の記載から生殖行動をそれによって中断されないようにするためである)。]

 (十)一度群游を行つたバチは生殖後死滅し、或は魚類の食となり、次の群游期に再び生殖作用を行ふことがない。だから第一回目に群游するバチと第二回目に群游するバチとは同一でない。第一回目の時に成熟不十分であつたものが第二回目に浮び出るので、以下順次に四回行はれるのである。

 (十一)「いとめ」の群游は其生存する環境のあらゆる刺戟が最も大にして且つあらゆる必要なる條件が全く一致せし時に起る。實驗上鹽分のパーセント、氣壓の差、及潮差等皆朔望に於て最も大である。(完)

[やぶちゃん注:以上で本文が終わる。以下の「參考」は原典では全体が四字下げである。「{」は原典では三つが繋がったもので、“Bülow”“Friedländer”もそれぞれ上下三行に及ぶもの。“Friedländer”の方を太字にして区別した。原典では“Bülow”“Friedländer”は「{」の上に横向き(左から右)に記してあり、“Friedländer”は上に“Fried-”、下に“länder”となっているが、繋げて表記した。]

 

 

  パロロの群游時(參考)

                       Astoronom.    Letztes Viertel    Paloloschwärme

                              am                      um                         am
     
21. Okt.             7h59′früh                  21. Oct.

Bülow         11. Okt.             5 h 7′ ˮ                      10. Oct.

     
9. Nov.             1 h 40′ ˮ                      9. Nov.

     
29. Okt.             3 h 54′ ˮ                    28. Oct.

Friedländer  18. Okt.             9 h 42′ ˮ                    17. Oct.

     
17. Nov.            2 h 25′ ˮ                    16. Nov.

 

 

[やぶちゃん注:引用元の指示がないが、ドイツ語でしかもパロロのデータであるから、先に出たヘルパッハの「風土心理的現象:気象・気候・風光の精神生活への影響」からのものであろうか(或いは、以下の「LITERATUR」の「2」(私は未見)にそこから孫引きされたものか)。なお、以下、当初はドイツ語に冥い私でも何とかなるだろうという甘い気持ちでドイツ語辞書片手に注を附けてみたものの、出来上がったものは私自身如何にも心もとないものであった。単なる辞書的記載では到底読み解けない部分があると判断し、先の『三、「いとめ」の成熟時の活動狀態』のドイツ語文献引用で全面的に御協力頂いた Feldlein(フェルトライン)氏の私の拙稿を校閲して戴くこととした。これは同一論文中、鉄壁の注が氏の御協力で成すことが叶ったにも拘らず、最後の最後で竜頭蛇尾の誹りを受けては当の Feldlein 氏の顔に泥を塗ることに等しいと考えたからでもある。以下、本注は全面的に Feldlein 氏の注と依拠したことを最初に述べておく。なお、私の誤読は自戒のために取り消し線を附などしてなるべく残し、《Feldlein 氏》『 』として御指摘戴いたものを後に附すこととした(引用は了承済。下線は私が附した)。

Astoronom.ピリオドがなければ「天文学者」であるが、ここは「観察時」という意か。Feldlein 氏》『astronomischを省略するために、ピリオドをつけていると考えます。たとえば、university unive. とピリオドをつけて略すように。私は、天文学的な情報・数値・日付を表すということと解しました。』

Letztes Viertel」下弦の月の意。月が欠けて新月になる最後の日、朔日の前日の「晦」(かい/みそか)のこと。

Paloloschwärme」「wärmeは温暖・熱/温度/体温の意であるが、比喩表現で熱心/熱情という意味があるから、これはパロロの生殖群泳をかく表現したものであろうか。Feldlein 氏》『これは、前回の懸案であったドイツ語引用にある「この大いなる群がり」に相当します。ここでは、「大きな」「偉大な」はなく、「パロロ」プラス「(うようよした)群がり」の組合せです。「パロロの蟻集」「ぱろろの群がり」と訳せます。』これは如何に私が、先の本文の「三」でのFeldlein 氏の御教授を全く以って学習していなかったを如実に示すもので、私の不徳と致すところである。

am」は“an den”(前置詞+冠詞)であるから「~時に」、「月日」の意であろう。《Feldlein 氏》『はい、日付を表しています。an dem のことです。ここでは日本語に訳す必要はないと思います。』。

um」正確な時刻。以下に「früh」(副詞「早く」)とあるから、「月の出」の時刻であろう。《Feldlein 氏》『はい、時間を表しています。何時に、というときの「に」ですが、ここでは訳す必要はないと思います。ここでは「früh」は、「朝」という意味で使っています。朝7時59分。あるいは「午前」でも良いでしょう。』。

Bülowビューロゥ。観察者の名。《Feldlein 氏》『これはスラヴ語起源の名前なので、woの長母音を表します。ビュロー、あるいはビューローで良いと思います。Wilhelm von Bülow という人が、サモアのパロロについて報告を書いていているようなので、その人のことと思われます。』。Feldlein 氏の御指摘を受け、Palolo Bülow の二つの単語で検索してみたところ、幾つかの文献でこの人物の名を発見出来た。

Okt.Oktber。十月。

Nov.November。十一月。

Friedländerフリートランダー。観察者の名。《Feldlein 氏》『フリートレンダーと音写すると良いかと思います』。ä 『は「エ」の発音になるので、ラではなくレになります。 Palolo Bülow の二つの単語で検索しましたら、同じく、ビューローとともに他所でも言及されている名前ですので、観察者・報告者で間違いないと思います。』。Feldlein 氏の御指摘を受け、Palolo Bülow Friedländer の三つの単語で検索してみたところ、中身は見えないが、例の Willy Hellpach, Die Geopsychischen Erscheinungen が検索に掛かってくるところから観察者と判断出来る。

 

 

 LITERATUR

1.  Dr.Ijima, 動物學提要

2.  Dr.Iizuka,「いとめ」の成熟と其群泳

3.  Willy Hellpach, Die Geopsychischen Erscheinungen, 1923.

 

[やぶちゃん注:「3」の書名は原典では「Geopsychische Erscheinungen」だが、ここは大事な参考文献箇所でもあり、前掲に倣って綴りを訂し、正しく冠詞を補った上、斜体ローマンとした。この書物については『三、「いとめ」の成熟時の活動狀態』の注で既注。

LITERATUR」ドイツ語で「参考書目」。

1. Dr.Ijima, 動物學提要」動物学者・魚類学者として知られる東京帝国大学理学部教授飯島魁(いさお 文久元(一八六一)年~大正一〇(一九二一)年)が大正七(一九一八)年に出版した、明治・大正期の動物学を総括した千頁を超える大著。長く生物学に於いて必読の教科書とされ、日本に於ける動物学普及に貢献した(ウィキの「飯島魁」に拠った)。

2. Dr.Iizuka,「いとめ」の成熟と其群泳』論文詳細は不明であるが、作者は動物学者飯塚啓(あきら 慶応四(一八六八)年~昭和一三(一九三八)年)である。環虫類の世界的権威として知られ、特にゴカイの研究は世界のトップと言っても過言ではなかった。著書「海産動物学」は名テキストとして長く使用された。学習院大学教授で東京科学博物館動物学部長としても活躍した(ここまではウィキの「飯塚啓」に拠った)。鹿児島大学理学部佐藤正典氏の論文「干潟における多毛類の多様性」に、飯塚は明治三九(一九〇六)年十二月十七日に、『瀬戸内海の岡山県児島湾に赴き、そこでH. japonica 生殖群泳を観察した様子や、そこの干潟における成体の分布状況などは原記載論文に詳しく記述されていた』とある(下線やぶちゃん。文中の『H. japonica』は多毛綱サシバゴカイ目ゴカイ超科ゴカイ科カワゴカイ属アリアケカワゴカイ Hediste japonica のことで、『原記載論文』とは Izuka, A. (1908) On the breeding habit and development of Nereis japonica n. sp. Annot. Zool. Jap., 6, 295-305. を指す)。

 

[やぶちゃん注:以下、最終頁は奥附。左下方に太い黒枠の中に示されてある。ポイントの大きさ字体は総て同じにした。底本では全体が太い長方形の枠に囲まれており、中の「不許複製」はごく細い真四角の枠の中に太字ゴシックで示されてある。「発行所」もそれだけが太字ゴシックである。言わずもがなであるが、「著作兼」は「著作權」の誤りなのではなく、「著作」兼(けん)「發行者」の謂いである。]

 

 大正十五年十月 十日 印刷

 大正十五年十月十五日發行

            東京市深川區木場町十二番地

           著  

                新 田 淸 三 郎

  不 許      發  

        東京市牛込區早稻田鶴卷町百〇四番地

  複 製      印  者 吉 原   良 三

        東京市牛込區早稻田鶴卷町百〇四番地

           印  所 康   文   社

       東京市下谷區中徒士町三丁目二重貮番地

發 行 所          日      

2016/02/02

小野蘭山「本草綱目啓蒙」より「蝸牛」の項

[やぶちゃん注:小野蘭山(享保一四(一七二九)年~文化七(一八一〇)年)は本草学者。二十五歳で京都丸太町に私塾衆芳軒を開塾、多くの門人を教え、七十一歳にして幕命により江戸に移って医学校教授方となった。享和元(一八〇一)年~文化二(一八〇五)年にかけ、諸国を巡って植物採集を行い、享和三(一八〇三)年七十五歳の時に自己の研究を纏めた「本草綱目啓蒙」を脱稿した。これは本草一八八二種を掲げた大著で三年かけて全四十八巻を刊行、日本最大の本草学書になった。衰退していた医学館薬品会を再興、栗本丹洲とともにその鑑定役ともなっており、親しい間柄であった。後にこの本を入手したシーボルトは、蘭山を『東洋のリンネ』と賞讃した。以上はウィキの「小野蘭山」に拠る。

 「本草綱目啓蒙」は厳密に言うと、明の本草学者李時珍の著になる本草学の大著「本草綱目」について蘭山が口授した「本草紀聞」を、孫と門人が整理したものである。引用に自説を加えて方言名なども記されてある。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの当該画像(リンク先は「蝸牛」の項の第一帖)を視認した。割注は〔 〕で同ポイントで示した。冒頭の地方名と異名(殆んどが漢籍からの引用と思われる)は底本では「蝸牛」以下に不規則な字空けを以って総てだらだらと繋がって記されてあるが、非常に読み難いので、一字下げで頭に総て並べた(複数呼称は一緒にした)。本文同ポイントで〔 〕で記すものは割注と区別して【 】で示した。一部の変体字や約物(「時」の意の「寸」、「シテ」の意の「乄」、「事」の意の「ヿ」など)は正字化したが、漢字はなるべく原本通りとした。また、本文を読み易するために、手前勝手に読んで、句読点と記号を適宜打ってみた。違っている箇所もあろう。安易に引用せずに、くれぐれも上記リンク先の原文に当たられ、御自分で電子化されたい。

 本電子化注は私の柳田國男「蝸牛考」の資料として、急遽行ったものである。本文電子化を最優先したため、頭書などの翻刻は省略し、注も字注のみとした。また後日、注を追加する可能性はある。]

 

蝸牛

 カタツブリ〔古名〕

 マイマイツブリ〔江戸〕

 マヱマヱ〔筑前〕

 マイマイ〔同上遠州越前防州作州備後〕

 カサパチマイマイ〔駿州〕

 デヾムシ〔京〕

 デムシ デブシ〔豫州松山〕

 デツポロ  カタヽ〔共同上吉田〕

[やぶちゃん注:「吉田」現在の愛媛県松山市内の南吉田町附近か。]

 デゴナ〔勢州津〕

 デバノ〔桑名〕

 デイデイ〔同上松阪〕

 デンデンコボシ〔和州〕

 デンデンゴウ〔讚州髙松〕

 デンデンムシ〔同上丸龜阿州備前〕

 デンノムシ〔播州立野〕

 デノムシ〔同上赤穗四國九州〕

 デンボウラク〔相州〕

 ヤマダニシ〔隅田川邊〕

 マイボロ〔常州〕

 オオボロ〔下野〕

 ヘビノテマクラ〔仙

 ヘビノタマクラ ツノダシムシ〔共同上〕

 メンメン〔涌谷〕

[やぶちゃん注:「涌谷」現在の宮城県北部の遠田郡涌谷町(わくやちょう)。]

 タマクラ〔同上〕

 ダイダイムシ〔雲州〕

 モウイ〔石州〕

[やぶちゃん注:「石州」は石見国の別称。]

 デンガラムシ〔能州〕

 クワヘヒヤウ〔隅州〕

 ツンナン〔琉球〕

【一名】

 瓜牛〔事物異名〕

 寄居〔同上〕

 書梁〔事物紺珠〕

 篆壁 附蠃〔共同上〕

 野螺螄〔藥性奇方〕

 麦牛兒〔濟世全書〕

 蝸〔典籍便覧〕

 蝸舍 僕纍〔共同上〕

 草螺子〔訓蒙字會〕

 蝸蟲〔三才圖會〕

 都馬蛇〔郷藥本草〕

 海羊〔願體廣類集〕

 海洋〔醫燈續焰〕

 蜒蚰〔附方〕

 水蜒蚰〔同上〕

 ※1※2

[やぶちゃん字注:「※1」=「嗁」-「口」+(へん)「虫」。「※2」=(へん)「虫」+(つくり)「侯」。]〔正字通〕

 篆愁君〔清異錄〕

 水牛〔盛京通志〕

冬月ハ、石間、或ハ土中ニ蟄シ、寒ヲ避、春雨ヲ得レバ、ハヒ出テ、草樹ニ上ル。天晴ル時ハ、葉下ニ隱レ懸リ、雨フル時ハ、出縁テ、新葉ヲ食フ。殊ニ香草ヲ嗜ミ、嫩芽ヲ害ス。梅雨中、卵化、一・二分ノ大サナル蝸牛、多ク出、最モ嫩苗ヲ害ス。其形、扁螺(シタヾミ)ノ如クニシテ、殻薄ク、碎ケヤスク、厴(フタ)ナシ。行時ハ、形、蛞蝓ノ如クシテ、殻ヲ背上ニ負、頭ニ兩角ヲ出ス。故ニ蝸牛ト名ツク。下ニ兩ノ短角ノ如ナル者アリ。故、保昇『有四黒角一。』ト云。「本草原始」ニ『因頭、有ㇾ角、負ㇾ鍋、而行、故名蝸牛。』ト云。殻色、淡黄白、或ハ金色、或ハ微黒、或ハ微紫、或有黒斑點、或有黒條。其形圓ナル者ハ「ツンナン」〔琉球〕ト云、扁ナル者ハ「ヒラツンナン」〔同上〕ト云、深山ニハ極テ扁クシテ、褐毛アル者アリ。又尾髙ク出毛ナキ者アリ。「ユフガホ」ト云、其殊ニ髙キ者ハ「マキアゲユフガホ」ト云、此厚殻ナルヲ「バフツンナン」〔中山〕ト云。尋常ノ蝸牛ノ厚キ者ヲ「ヤマミナ」〔薩州竹島〕ト云、又殻厚クシテ尾尖リ斑文アリテ圓厴アル者ヲ「フタツンナン」〔琉球〕ト云。又、大木上、或ハ山中ニハ濶サ一寸餘ナルアリ。殻モ硬クシテ黒條横ニアリ、此ヲ「ヤマノクルマ」ト呼。此外數品アリ。凡、蝸牛、夏月、雨濕ニ乘シテ、髙キニ上リ、忽、晴テ乾ク時ハ、縁下ル事、能ハズシテ死ス。「大倉州志」ニ古詩、『升ㇾ髙不ㇾ知ㇾ疲。竟作粘ㇾ壁枯一、即此物也。』ト云。

2015/12/01

眼からホッキ!

本日の「青空文庫」新規公開より――



   ホッキ巻   知里真志保
 
 北海道名産の一つに北寄貝がある。標準和名はウバ貝であるが、今はホッキ貝というのが通り名になってしまった。この名の語源については、北の海にしかない貝だから北寄貝だと思っている人もある様だが、北方特産の動植物の名称によくある様に、これももとはアイヌ語から来た名称である。アイヌ語ではこれをポッキセイ(pok-sei)と云い、ポッキは女性の象徴、セイは貝のことである。半開きになった貝殻の間から俗にサネと称する舌状物を突き出している時の様子がすこぶる女性の何かを思わせるものがあるというのでこの名がある。そう云えば日本語のウバ貝なども案外語原はその辺に胚胎しているのかもしれない。この貝は罐詰になって東京辺のデパートにも出ている様だが、ホッキの味は何と云っても生肉の刺身が一番だということになっている。
 ホッキ貝は東北から北海道樺太にかけて寒海に分布し外洋に面した砂泥の浅海に棲息する。これを獲るには、マンガンと称する木の胴に鉄の爪を植え並べた熊手の親分みたいな器械を磯舟に積んで沖へ出ていき、適当な場所を選んでそれを海中に投下し長いロープで海底をひくのである。すると鉄の爪が海底の泥の中から貝を掻き集め、掻き集めた貝は、マンガンの進行に連れて後方に取りつけてある網袋の中へ自分から飛びこんで行く様な仕掛になっている。マンガンは重いのでそれを動かすために舟の上で轆轤ろくろを巻く。ホッキ漁のことを一般に漁師はホッキまきと云っているが、それは轆轤を巻いてホッキを獲るからである。
 夏から秋にかけて室蘭線を汽車で通ると、鷲別幌別あたりの沖に点々と黒豆を撒いた様に浮んでいるのはホッキまきの磯舟である。ホッキまきは例年8月15日に始まって翌年の4月15日に終ることになっている。
 
〈『北海道風物誌』楡書房 昭和31年8月〉
 

 
知里真志保、なかなかやな! 「この貝は罐詰になって東京辺のデパートにも出ている様だが、ホッキの味は何と云っても生肉の刺身が一番だということになっている。」これが前文を受けると、スゴ過ぎ!

2015/07/24

今朝蜩初音

今朝蜩初音――4:16――

2015/06/09

「今昔物語集」卷第三十一 常陸國□□郡寄大死人語 第十七

「今昔物語集」卷第三十一 常陸國□□郡(こほり)に寄る大ひなる死人(しにん)の語(こと) 第十七

 

 今昔、藤原の信通(のぶみち)の朝臣と云ける人、常陸の守(かみ)にて其の國に有けるに、任畢(にんはて)の年、四月許(ばかり)の比(ころ)、風糸(いと)おどろおどろしく吹て、極(いみじく)く荒ける夜、□□の郡の東西の濱と云ふ所に、死人(しにん)被打寄(うちよせ)られたりけり。

 其の死人の長(た)け、五丈餘也けり。臥長(ふしたけ)、砂(いさご)に半ば埋められたりけるに、人、高き馬に乘て打寄(うちより)たりけるに、弓を持たる末(すゑ)許(ばかり)ぞ此方(こなた)に見えける。然(さ)ては其の程を可押量(おしはか)るべし。其の死人、頸(くび)より切(きれ)て、頭(かしら)、無かりけり。亦、右の手、左の足も無かりけり。此れは、鰐(わに)などの咋切(くひきり)たるにこそは。本(もと)の如くにして有ましかば、極(いみ)じからまし。亦、低(うつふ)しにて砂(いさご)に隱たりければ、男女(なんによ)何れと云ふ事を知らず。但し、身成り・秦(はだ)つきは女にてなむ見えける。國の者共、此れを見て、奇異(あさまし)がりつ、合(あひ)て見喤(みののしり)ける事限無し。

 亦、陸奧(みちのく)の國に海道(かいだう)と云ふ所にて、國司(くにのつかさ)□の□□と云ける人も、此(かか)る大人(おほきなるひと)寄たりと聞て、人を遣(や)て見せけり。砂(いさご)に被埋(うづまれ)たりければ、男女(なんによ)をば難知(しりがた)し。女にこそ有(あん)めれとぞ見けるを、智(さと)り有る僧なむどの云けるは、「此(こ)の一世界(いつせかい)に此(かか)る大人(おほきなるひと)、有る所有(あり)と、佛、説(とき)給はず。此(これ)を思ふに、阿修羅女(あしゆらによ)などにや有らむ。身成(みなり)などの糸(いと)淸氣(きよげ)なるは、若(も)し然(さ)にや」ぞ疑ひける。

 然(さ)て、國の司(つかさ)、「此(かか)る希有(けう)の事なれば、何(いか)でか國解(こくげ)不申(まうさ)では有(あ)らむ」とて、申上むと既にしけるを、國の者共、「申し上げられなば、必ず官使(くわんし)下(くだり)て見むとす。其の官使の下らむに、繚(あつかひ)大事(だいじ)也(なり)なむ。只(ただ)隱して、此の事は有るべき也(なり)」と云ければ、守(かみ)、不申上(まうしあげ)で隱して止(やみ)にけり。

 而る間、其の國に□□の□□と云ふ兵(つはもの)有けり。此の大人(おほきなるひと)を見て、「若(も)し、此(かか)る大人(おほきなるひと)寄來(よりき)たらば、何(いか)がせむと爲(す)る。若(も)し箭(や)は立(たち)なむや、試(こころみ)む」と云て射たりければ、箭、糸(い)と深く立(たち)にけり。然(しか)れば、此れを聞く人、「微妙(めでた)く試たり」とぞ、讚(ほ)め感じける。

 然(さ)て、其の死人、日來(ひごろ)を經(へ)ける程に亂(みだれ)にければ、十(じふ)、二十(にじふちやう)町が程には、人否(え)不住(すま)で、逃(にげ)なむどしける。臭さに難堪(たへがた)ければなむ。

 此の事、隱したりけれども、守(かみ)、京に上にければ、自然(おのづか)ら聞えて、此(か)く語り傳へたるとや。

 

□やぶちゃん注

 出典は未詳であるが、二件の記事のカップリングから見ても、創作ではなく、事実として風聞されたものであると考えてよい。小学館「日本古典全集」版の解説では、『三面記事的説話であるが、また巨人伝説的な匂いもある。海流の関係で、常陸・陸奥の海岸には、遠い国々から漂着がまれにあったようだ』とし、『本話は史実に合致する国司の名も見えることから』(後注参照)『誇張はあるが一応事実を伝えたものであろう』と評している。私の授業やサイトに親しんでおられる方は、即座に滝沢馬琴の「兎園小説」に出る「うつろ舟の蛮女」(「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」参照)を想起されるであろう。特に、後半の話に於いて、お上に報告すると、検分の調査団が派遣されて来て、その接待や何やかやで、当方の一方ならぬ難儀となるということで、秘かに握り潰す(「兎園小説」では円盤状の乗り物に乗って漂着した金髪の白人成人女性をまた同船に載せて突き流している)辺り、遠く本話に通底している。

 さらに私は、本話の二例ともに、遺体が非常に大きいこと、首や四肢が大きく欠損しており(腐敗脱落や本文にあるように鮫などに喰われたと考えてよい)、人形(ひとがた)とはいうものの、通常の人体そのままにそれが何倍(前者では「五丈」であるから十倍近い)にもなった生命体であるとは述べていないことに着目する。私はこれはしばしば人魚の正体とされる大型海生哺乳類の遺体ではなかろうか? 知られたジュゴン(哺乳綱 Mammalia 海牛(ジュゴン)目 Sirenia ジュゴン科 Dugongidae ジュゴン属 Dugong ジュゴン Dugong dugon)は三メートルを超える個体もいる。但し、ジュゴンの生息分布が現在は沖繩が北限であることを云々する向きには、後半の陸奥の遺体はアシカ・アザラシ類のそれであると見ておけば問題あるまい。では驚くべき大きさの前者はどうなる、と問われるであろうが、まず現実的な人々は――これはクジラ類の腐敗進行した遺体であろう――と推理されることは想像に難くない。しかし、私は寧ろ、前者も後者も別な生物を考えているのである。「五丈」をありがちな誇張表現と見て、半分の五~六メートルから七~八メートルほどとするならば(そもそもそう考えないと胴高比からそのままではだらんした長々しいものになって人に見えぬ)、ぴったりの生物がいるからである。ジュゴンの仲間で、北方種(寒冷適応型カイギュウ類)である私の愛するステラ、

海牛目ジュゴン科ステラーカイギュウ亜科 Hydrodamalinae ステラーカイギュウ属 Hydrodamalis ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas

である。本種は通常の成体個体でも体長五~六メートル、大きいものでは七メートルを超え、記録によれば最大八・五メートルにも達し、体重は五~十二トンにもなったと言われる超巨大海獣である。知らない? 当然だ。一七六八年或いはそれ以降に、既にヒトが乱獲したために絶滅してしまったからである(今また沖繩辺野古でジュゴンの棲家が破壊されつつある。こうして人類は着実に己れの身勝手から他の生物を殺戮し根絶やしにする野蛮人である)。詳細はウィキの「ステラーカイギュウ」を参照されたい。最後に。私の電子テクストである南方熊楠「人魚の話」の私の注もご覧戴けるならば、恩幸これに過ぎたるはない。外国サイトのステラの頭骨を見られよ。私はこれを見る都度、涙を禁じ得ないのである。……

・「藤原の信通」(生没年未詳)は底本注によれば、公卿藤原永頼(承平二(九三二)年~寛弘七(一〇一〇)年)の子で、『常陸介には万寿元年(一〇二四)から在任』しており、『同四年、子の永職』(「ながもと」と読むと思われる)について、公卿藤原実資の日記「小右記」に『父、明春、得替(とくたい)』(「得替」とは国司などの任期が終わって交替することをいう)とあることから、『任期は同五年(一〇二八)年まで』とあり、まさに「任畢(にんはて)の年、四月許(ばかり)の比(ころ)」がリアルに時制限定出来るのである(下線やぶちゃん)。

・「常陸の守」常陸国は親王が遙任国「守」として任ぜられた国であるが、実務国司であった常陸「介」(ひたちのかみ)を、通称(恐らく特に現地に於いて)では「常陸の守(かみ)」と呼称していた。

・「東西の濱」諸本、所在地未詳とする。

・「長け五丈餘」体長十五・二メートル超。

・「臥長(ふしたけ)」横転しているその胴の高さ。

・「人、高き馬に乘て打寄たりけるに、弓を持たる末許ぞ此方に見えける。然ては其の程を可押量るべし」当時の馬の丈はポニーほどであったから(百三十五~百四十七センチメートル)、高い百五十として、それにに成人男性が跨って漂着個体の向こう側に近づいた際、その左手(ゆんで)に掲げた弓筈(ゆはず)だけが、こちら側で立っている人間に見えた、というのは、両者の立ち位置にもよるが、胴高は二メートル弱はあったことを意味すると思われる。

・「鰐」鮫類の古称。特に大型のものをいう。

・「身成り・秦(はだ)つきは女にてなむ見えける」「身成り」は見た感じの体つきの意、「秦」は「肌」「膚」の当て字。ウィキの「ステラーカイギュウ」の復元図は黒みの強い灰色であるが、『冬になって流氷が海岸を埋めつくすと、絶食状態になり、脂肪が失われてやせ細った。このときのステラーカイギュウは、皮膚の下の骨が透けて見えるほどだったという』とある。

・「陸奧の國」当時、こう言った場合は福島以北の東北地方全般を指す。

・「海道」底本注で池上氏は『いわゆる浜通り(福島県の太平洋岸)をいうか』とされ、「日本古典全集」版注では不詳としながらも、「大日本地名辞書」を引き、『常陸(茨城県)多珂郡より入り、逢隈の渡し(宮城県曰理郡)に至る間を曰へり」とある』とする。「多珂郡」は多賀郡と同じで、茨城県北端の現在の高萩市・北茨城市・日立市(一部を除く)に相当する。「曰理郡」は現在の亘理(わたり)郡のことであろう。多賀郡に北で接する。因みに私は前話の「東西の濱」というのも、この「浜通り」に接する南部分を言っているのではなかろうかと考えている。とすると「常陸國□□郡」とは「多珂郡」となる。

・「阿修羅女」六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主である阿修羅の女鬼神版。「観音経義疏」には『阿脩羅千頭二千手。萬頭二萬手。或三頭六手。此云無酒。一持不飮酒戒。男醜女端。在衆相山中住。或言居海底。』とある(「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」に拠る)のを、「智り有る僧」なればこそ知っていたのであろう。

・「身成などの糸淸氣なる」僧侶が視認した対象をかく評しているのは興味深い。この個体は死んで間もなかったのであろう。私はアシカやアザラシであったなら、人によっては不快感を懐かずにこう表現すると思う。各地で出現しては話題になるそれらを考えてみれば、納得出来る。

・「ぞ疑ひける」「ぞ」の前の引用の格助詞「と」が脱落したものであろう。

・「繚(あつかひ)」諸注は接待・世話とする。訳の結果はそれでもよいが、本字はもともと、もつれる・まつわる・まきつかせるの意であるから、ここには寧ろ、面倒・厄介のニュアンスが強く感じられると私は思う。

・「十、二十町が程」遺体から半径一キロメートルから二・二キロメートル。倍の差があるのは、風向きによるものであろう。

・「臭さに難堪ければなむ」北方適応型の海産哺乳類の大きな特徴である厚い脂肪が腐って、もの凄い臭気を発しているのである。

 

□やぶちゃん現代語訳

 

 常陸国の××郡に大きな死人(しん)が漂着した事 第十七

 

 今となっては……昔のことじゃ……藤原の信通(のぶみち)の朝臣(あそん)とおっしゃられたお方が、常陸の守(かみ)として、かの国にあられた――が、それは、そのお方の国司の任の終わられた、その――四月ばかりの頃のことじゃった、と。……

 その日は昼間っから、風がたいそう、おどろおどろしゅう吹いて、そりゃあもう、夜中じゅうひどぅ荒れに荒れたんじゃ。

 その翌朝のことじゃった。××の郡(こおり)の「東西ノ浜」という所ところに、一体の死人(しびと)がこれ、うち寄せられて御座ったじゃ。

 その死人の身の丈けは、何とこれ! 五丈あまりもあった!……

 胴はこれ……そうさな……砂に半ばは埋まって御座ったが、の――傍らに人の立って、その向こうに、丈けの高い馬に乗ったお侍がうち寄せてこられたところが、その騎馬のお侍の、左手(ゆんで)に持って掲げておられた弓筈(ゆはず)ばかりが、ちょっこし、こっち側(がし)から見えた――というこっちゃから、さても、その胴体の高さのほども推し量れようほどに。……

 さて、その死人はの、頸(くび)のところより上は切れて、頭(かしら)はこれ、御座らなんだんじゃ。

 また、右の手(てぇ)も左の足も、ちぎれて、のぅなっておった。

 これは按ずるに、鰐鮫(わにざめ)なんどが、食わんがために噛み切ったものに違いない。……が……もし……もし、頭も右手も左足も皆、元の通り、ちゃんとちゃんとついとったとしたらば……これ……と、とんでもない大きさの人間じゃったに違いなかろうほどに。……

 また、うつ伏しになって砂に半ば埋もれておって、隠しどころは全く見えなんだによって、男女(なんにょ)孰れの巨人なるかは……残念なことに、分からず終いじゃった。が……しかし……そのふくよかなる体つきや……肌の白さや、その柔らかさから推すに……これ――女の巨人――には見えたのぅ。……

 常陸の国の衆(しゅ)は、これを見て、皆、驚き呆れあっては見、見ては大騒ぎすること、果てしがなかった、と。……

   *

 さてもまた、別な似たような一件じゃて。

 これも、常陸からは、ほど遠からぬ陸奧(みちのく)の国の、「海道」と申す海っ端(ぱた)でのことじゃ。

 国司(くにのつかさ)×の××と申さるるお方の許へ、これ、前(さき)の話のようなる、大きなる人間が浜に漂着致いたとの知らせのあったによって、家来を遣して検分させてみた。

 こちらもやはり……下半身の砂に埋もれておったによって……男女(なんにょ)の区別は分からなんだ。が……しかし……やはり、そこはかとなく、これは女に違いなかろうと人々の見て感じておった、と。

 そこへ、土地の学識のある僧なんどのしゃしゃり出て参って言うことには、

「……現世の遍き人間(じんかん)の世界のうちに――かかる巨人の存しておるなんどということ――御仏(みほとけ)はこれ一切――お説きになっておられぬ。――さすればこそ――これ思うに――かの六道の今一つの、修羅道界に住まうところの――阿修羅女(あしゅらにょ)――などと呼ばわるところの女(にょ)の鬼神などにても御座ろうか?……体つきの滑らかなる感じ……なんとも光沢(つや)のあって……えも言われず綺麗なところなんどをみると……もしや、まさに……ひょっとして、ひょっとするかも、知れんのぅ……」

なんどと、分かったような妙なことを申しておった。……

 さて、その国司さまは、これ、かの遣わせる者の報告を受けると、

「……これはもう……まっこと、稀有(けう)の珍事出来(しゅったい)なればこそ……何はさて置き、ともかくも国解(こくげ)を、これ、上申せねばなるまいのぅ。……」

と、まさに国解のための文書をも記し、さても使者を以って都に上(のぼ)せんとしたところが、下役の国の地の者どもがこれ皆、口を揃えて、

「……もし上申なさってしまわるると、これ、必ずや、お上の御使者の方々、こちらへお下りになられ、子細に御検分ということとなりましょう。……そうした官使の方々が、これお下りになられますると……これ、そのぅ……準備やら接待やらなんやかやと……これ、費用も手間も心労も、大きにかかりまして……大変に厄介なことと、なりましょうぞ。……さればこれ……ここは一つ、ただただ、この大女がことは……お隠しになられ……黙っておられまするが、これ、よろしいかと存じ奉るので……御座いまする。……」

と、有体(ありてい)に申し上げた。されば結局、守(かみ)もその謂いをもっともなりと、上申書は出さず終いとなり、奇体な巨女が遺骸の漂着の一件はこれ、全く以って隠し通してしまったとのことで御座った。

 そうこうしておる間のことじゃ。……その国に××の××と申す侍の御座ったが、この者、この漂着した巨人を見物に参り、一目見るや、

「……さても! もし、かかる巨人の我が国へ攻め来ったとならば、これ、一体、どう闘(たたこ)うたらよいものか?……まさか……矢(や)はこれ、この巨体に……果たして……立つものであろうか?……何よりますはそこじゃて! 一つ、試してみようぞッツ!!」

と思い立つや、その場にて即座に、

――よっぴいて、ひょう!

と放った。

 すると矢は、巨人の遺骸へ、尾羽根も隠れんばかりに、

――ぶっす!

と、美事、突き立って御座ったという。

 されば、これを見聴き致いた人々はこれ、

「あっぱれ! 試射し果(おお)せたり!! やんや、やんや!!!」

と、褒めそやして感激せぬ者は、これ、おらなんだ、ということじゃった。

 さて、その大女(おおおんな)の死体、これ、日の経つにつれて、ジュクじゅくジュクじゅくと腐れ朽ちて参ったによって、遺体の周囲、これ実に十~二十町が内は、人が住めずなって逃げ去り、また、立ち入らんとする者も、一人としておらなんだ。

 嗅いだ鼻が腐って落ちんばかりの――あまりの臭さに、堪えきれなんだからであった。

 この後者の一件、先に申した通り、当時、世間にては一切、隠し通してあったのであるが、その×の××と申さるる国司のお方が、その後、任の果てて京にお戻りになられて後、誰からともなく、自然と噂の如く湧き出して、瞬く間に広ごり、かく、語り伝えらるるようになった、とかいうことである。

2015/06/07

博物学古記録翻刻訳注 ■16 滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載

[やぶちゃん注:先般、カテゴリ『毛利梅園「梅園魚譜」』の「ハリセンボン」を翻刻訳注した際、そこに「佐渡には三十種の異魚あり」とあるのに出逢った。諸本を調べてみると、これは滝澤馬琴の考証随筆「燕石雑志」及び「烹雑(にまぜ)の記」がその濫觴らしいことが判明した。そこでこの二つの該当箇所を電子化訳注することとした。

 「燕石雑志」は五巻六冊。文化八(一八一一)年刊。多岐にわたる古今の事物を和漢の書物から引用しつつ、考証したもの。「烹雑の記」も同年刊で、管見するに完全に「燕石雑志」の続編である。

 前者については早稲田大学図書館の画像データベースでダウンロードした原典画像を視認して吉川弘文館「日本随筆大成」第二期第十一巻のそれと校合して、後者は「立命館大学アート・リサーチセンター」の同書の画像及び国立国会図書館デジタルコレクションの同書の画像の二つのデータを同じく「日本随筆大成」の第一期第二十一巻のそれと校合して翻刻した。掲載した図は「烹雑の記」に出る図譜で、「日本随筆大成」第一期第二十一巻のものを使用したが、実は「立命館大学アート・リサーチセンター」の原典の当該画像(以下の-1-2-2下相当画像。同センターの画像はウェヴ公開を商用利用と位置づけて使用許可申請を要求しているので、ここでは以上の通り、リンクを示すのみとした)を見ると、単色乍ら、「日本随筆大成」所収のものとは遙かに異なる画像であることが分かった。特に陰影による魚体のグラデーションやマトウダイの円紋をはっきりと見て取ることが出来る。必見。

 Ⅰでは、ルビは原典画像にあるカタカナをそのまま使用し、一部難読と思われる箇所に歴史的仮名遣で私が読みを附した。読み易さを考えて随筆大成版を参考にしつつ、読点や中黒を追加した。また。原典の角の丸い囲い文字は【 】に代えた。]

 

 

 『滝澤馬琴「燕石雜志」卷之一(十)物の名』より

[やぶちゃん注:《 》は「日本随筆大成」の方にのみ所収が確認出来る頭書で、恣意的に正字化して示した。こちらの引用と訳は、項目ごと、丸々を対象とした。]

原文

近江の源五郎鮒(フナ)は、室町家のとき、錦織(ニシゴリ)源五郎といふもの、湖水(コスイ)の漁猟(ギヨリヤウ)を司(ツカサド)りて、毎朝、大(おほい)なる鮒を京都に進(マヰ)らせしかば、この名ありといふ。佐渡(サド)に鯛の婿(ムコ)源八といふ魚(ウヲ)あり。しか名づけたる故は、しらず。この餘(ヨ)、【トクヒレ】・【瘤鯛】・【針千本】・【箱ふぐ】・【鮫の守り】・【かねたゝき】・【コウフク】・【龍宮の鷄】などいふ魚三十種(シユ)ありとぞ。予(ヨ)、いまだその魚を見ざれば、繪も圖(ヅ)せず。しれる人にたづぬべし。

《こゝに錄せし針千本、箱ふぐの類は、予、いぬる秋、左(さ)の乾(かれ)たるものを得たり。こゝに圖を出さゞるを遺憾とするのみ。》

 

やぶちゃん注

 原典では「」が一字分上に突出している。「日本随筆大成」版では上文に続いて、

   *

靜慮云。古歌当作連歌。蒐玖波集十四雑の連歌、

   草の名も所によりてかはるなり

   難波の蘆はいせの濱荻

   *

と出るが(恣意的に正字化した)、これはどう見ても、次の条(地方によって固有名詞の呼称に大きな違いがあるという記載)の枕であるので除去した。

・「錦織(ニシゴリ)源五郎」原則、注を附さないと言い乍ら、早速に禁則破りであるが、大好きな鮒鮨絡みなれば少しだけ。これ、「フナズシ・ドットコム」の「琵琶湖の話 ニゴロブナの由来」に詳しい。それによると、源五郎は元は琵琶湖の漁師であったとあり、身分違いの大納言の姫君に恋をし、彼が父大納言に立派な焼き鮒を献上して姫が食したところ、その腹中より源五郎の恋文が出て参って二人は結ばれたとある。更に同じ馬琴の別の紀行「壬戌羇旅漫録(じんじゅつきりょまんろく)」にも『近江の源五郎鮒は。一説に佐々木家一國の主たりし時錦織源五郎といふ人。漁獵のことを司る。湖水に漁りたる大鮒を。年々京都将軍に獻ず。その漁獵の頭人たるによりて魚の名によび來たれり。』と引用、「錦織源五郎」が「源五郎鮒」に、それが「似五郎鮒」と転訛したという説を示しておられる。何となく、この「錦織」という姓、まさか、な……と思って調べて見たら……フェイスブックのとある御仁の書き込みに、正真正銘、「この」錦織源五郎、「かの」錦織圭のルーツに繋がる宇多源氏佐々木氏の家来だった、とあった。テニスにゃ、全くも以って興味はないが、一応――うっひゃあ!――と言っておこう。

・「トクヒレ」以下に掲げられる異魚については、後掲する「烹雑の記」で詳細に同定注するので注から原則、外した。「烹雑の記」の本文と図のキャプションでは「禿骨畢列(とこひれ)」。

・「コウフク」「烹雑の記」に出る「カウゴリ」と同一であろう。濁音表記しない「カウコリ」の手書き字は「コウフク」と誤写し易いように思われる。現代語訳ではそのままとした。

・「左(さ)の」「左右」で「さう(そう)」と読む「さ」(そ)を「その」の指示語に当て字したものであろう。

・「こゝに圖を出さゞるを遺憾とするのみ」手に入れた秋には本書が校了しており、版木を彫ってしまった後であったのであろう。だから図を附すことが出来なかったのだと推定される。事実、後に示すように、「烹雑の記」の当該箇所の冒頭には、この時のことを回想して記したと思しい、『しかるに、彼(かの)編刻成(なる)のころ、相川の夏海子(なつみし)、件の異魚の乾(かれ)たるを贈れり。〔凡四品。〕」こゝにおいて、その図を載ざるを遺憾とす。故に今、これを圖す』とあるから、間違いない。

 

やぶちゃん現代語訳

近江の源五郎鮒は、室町幕府のあった頃、錦織(にしごり)源五郎といふ者が、琵琶湖水に於ける漁猟を幕命によって掌っており、毎朝、大いなる鮒をこれ、京都に進上していたことから、この名があると伝える。佐渡には、「鯛の婿源八(むこげんぱち)」という魚がいる。かく、名づけたその由縁は知らぬ。この他にも佐渡にては、「トクヒレ」・「瘤鯛」・「針千本」・「箱ふぐ」・「鮫の守り」・「かねたたき」・「コウフク」・「龍宮の鶏(にわとり)」などという、奇体な魚が三十種もいるとのことである。私は未だその異魚類を見たことがないので、絵も描くことが出来ない。そのうち、知れる人に尋ねてみようと思っている――ここに載せた「針千本」及び「箱ふぐ」の類いについては、私は昨年の秋、その乾したものを手に入れた。入れる余裕がないので図を出せないことを遺憾とするばかりである――

 

 

 『「烹雜の記前集 上二卷」「二 多湊(さはと)ぶり」』より

[やぶちゃん注:同標題内の一条。「多湊(さはと)」とは冒頭で「佐渡はさはとの中略なり」とあるように、この「多湊ぶり」の章は膨大な佐渡の物類呼称及び地誌・物産誌に相当する。ここでは標題の佐渡異魚三十種と、それに続くところの海洋生物関連らしきものを含む記載までとした。但し、図Ⅰはその後に続く佐渡産の奇石類等の絵を多く含んでおり、それがまた、すこぶる興味深く、原文を示して注したい願望に駆られるのであるが、そうするとまたまた本テクストの公開が遅れるので、またの機会としたい(左画面下に画師の署名と落款があるが、これは「辰斎」で、葛飾北斎門人であった柳々居辰斎である)。一つだけ指摘しておくと、奇石の図の中に、さり気なく配されてある中央下の「カニツカ」(右図の左端。蟹塚。蟹の墓場の謂いであろう)、キャプションは『蟹のぬけたるそのはさみ、浪にゆりよせられいくつともなく、つきて、蓮花の如し。これは佐渡ならでもあり。今、童蒙の爲にこゝに圖す』とあって、これは極めて高い確率で足動物門甲殻亜門顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚下(フジツボ)綱下綱完胸上目有柄目ミョウガガイ亜目ミョウガガイ科カメノテ Capitulum mitella のことを指している。佐渡ではカメノテを食べることを私は確認している。〔 〕は割注。《 》は頭書(漢文脈箇所は訓読し、「々」の字を正字化した)。こちらの原典はほぼ総ルビであるが、五月蠅いので取捨選択してパラ・ルビとした。読み易さを考えて一部に改行を施した。]


図Ⅱ-1

Nimaze01
図Ⅱ-2

Nimaze02

本文原文

佐渡に三十種の異魚ありといふ。予、曩(さき)に燕石雜志を編(あめ)るとき、その三、四種を載(のせ)たりしが、いまだ形を見ざりき。しかるに、彼(かの)編刻成(なる)のころ、相川の夏海子(なつみし)、件の異魚の乾(かれ)たるを贈れり。〔凡四品。〕」こゝにおいて、その図を載ざるを遺憾とす。故に今、これを圖す。所云(いはゆる)三十種の異魚は、

「とこひれ」〔文鰩魚(とびうを)に似たり。六ノ稜(かど)、及、小き刺(はり)あり。〕

針千本〔かたち、しほさえふぐといふものに似て、全身に刺(はり)あり。〕

《追考。「和名鈔」に『鯸1(コウイ)、和名布久閉(フクベ)、之を犯ときは則、怒る。怒れは則、腹、脹(ハ)りて水上に浮み出る者なり。』。これ、江戸の俗の、「しほさえふぐ」と唱るものなり。石伏は1なり。「和名鈔」に、『「1」は、音、夷。和名、「伊師布久」、性、伏沈して石間に在る者なり。』。》

[やぶちゃん字注:「1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。]

箱河豚〔海すゞめといふものに似たり。〕

鯛の聟(むこ)源八〔鯛に似て、極(きはめ)てちひさし。〕

鮫の守(まも)り〔魚にあらず、海ほうづきといふもの如し。又、そのかたち、藤(ふぢ)まめに似たり。〕

鉦たゝき〔鏡鯛に似たり。〕

かうごり〔末ㇾ詳、石伏(いしふし)の事にや。石伏の一名を「ゴリ」といふ。このもの、二種あり。海・河ともにあり。眞物(まもの)は、腹の下に、ひれありて、杜父魚(とほぎよ)に似て、小なり。声ありて夜(よる)鳴く。ひれに、はりあり。海なるは、やわらかにして、河なるは、するどきよし、「山海名産圖会」にいへり。「カウゴリ」は、河石伏(かふごり)なるべし。〕

瘤鯛(こぶだひ)〔佐渡にてかんたひといふ、これにや。未ㇾ詳。〕

海馬(かいば)〔佐渡ならでもあり。大きなるは稀なり。〕

竜宮雞(りうぐうのとり)〔鬼頭魚の奇品なり。〕

この類、三十種ありとぞ。余はいまだ詳(つばら)ならず。これらを本草に考なば、漢名(かんみやう)のしらるゝも、又、能(のう)・毒もあるべけれど、今、倉卒(さうそつ)の間(あはひ)に錄(ろく)するをもて漏(らう)せり。他日(たじつ)、考(かふがへ)たゞすべし。〔トコヒレ鉦たゝき竜宮の雞は、ある人所蔵の画幅を臨写す。〕

又海中に生ずる異草四種あり。

雪海苔〔土呼(とちのとなへ)は詳ならず。〕

蔓藻〔海藻(もくず)なり。〕

海松(かいせう)

海柳(かいりう)

[やぶちゃん注:ここには原典で改行がある。]

又、海濱(うみべた)に稀に流れよるもの四種。

藻玉(もたま)

蛸船(たこふね)

巨葭(おほよし)

椰子(やし)〔今按ずるに、藻玉(もたま)、一名(いちみやう)「藤榼子(とうかふし)」、一名「猪腰子(ちよようし)」。この物、蛮國に生ず。「本草綱目啓蒙」卷ノ十四の上、「榼藤子(たふとうし)」の条下を考ふべし。蛸舟(たこふね)は、相摸の江ノ島にていふ鰹の烏帽子(えぼし)の類(たぐひ)なるべし。又、按ずるに、「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十、背椰子の條下に、椰子、通名(つうめう)「ヤシホ」、又、津軽にては、「タウヨシノミ」といふよし、見えたり。〕

[やぶちゃん注:ここには原典で改行がある。]

又、花卉(かさう)・鳥獣は、

黒萩(くろはぎ)〔小倉村にあり。他所(たしよ)にあるは葉、短し。〕

白蒿(しろよもぎ)〔小泊村、及、西三河にあり。〕

雪割草〔方言、未だ詳ならず。銀山にあり。又、他所にもあり。〕

福壽草〔小川村・達者村の辺、特に多かり。〕

人參草(にんじんさう)〔長江・栗(くり)ノ口・大野等の村にあり。〕

鷲の巣〔二見(ふたみ)・北2・岩屋口(いわやくち)・関願(せきぐわん)・深浦(ふかうら)・沢崎(さわさき)・大杉(おほすぎ)等(とう)の村々にあり。〕[やぶちゃん字注:「2」「犭」+「夷」。]

寄鯨(よりくじら)〔稀にあり。〕

玳瑁(たいまい)〔このもの、元文三年のころ、獲たりし事ありとぞ。海亀(うみかめ)は常にあれども、玳瑁は、そのゝち、聞えず。〕

海獺(うみをそ)

海豹(かいひやう)〔稀にあり。〕

葦鹿(あしか)〔北海の俗、「トヾ」といふ。〕

山獸は狸と兎のみなり。貉(うじな)ありといへども、狸に混雑して慥(たしか)ならずとなん。

雪なだれ〔形、海月(くらげ)に類す。その色、潔白にして、雪の解(とく)るがごとし。この物、稀にあり。土俗(とちのひと)、これを「雪なだれ」といふ。これ、「大和本草」に所云(いはゆる)、北海に雪魚(ゆきうを)あり。方一丈餘(よ)、その形、鰈(かれい)のごとし。その肉、白くして雪のごとく、脂(あぶら)なし。好(このみ)て海上に睡(ねむ)ると、いへり。これなるべきよし、ある物にしるされたり。〕

 

-1図右上の「針千本」(ハリセンボン)のキャプション

 針千本

かたちは、「しほさへふぐ」の如くして、惣身の刺(ハリ)は、栗のいがの如し。

 

-1図左上中央の「箱フグ」(ハコフグ)のキャプション

 箱フグ

「海すゝめ」に似て、かたち、もつとも四角なり。

 

-1図左上の「鯛ノ聟源八」(マツカサウオ)のキャプション

 鯛の聟 源八

鯛に似て、極めてちひさく、鱗は甚だ、するどし。

 

-2上図の「禿骨畢列」(トクビレ)のキャプション

 禿骨畢列〔とくひれ魚〕

解(とく)、按ずるに、方言「とこひれ」とは、「長鬣魚(とこひれうを)」の義にや。又、「鋭鰭(ときひれ)」の義にや、「こ」と「き」と通ず。この物、鮫の種類ならん歟(か)。目は黄なり。頭より脊(せなか)に至(いたり)て、すべて薄靑(うすあを)色也。鰭の端は褐色(かちいろ)にて、その餘(よ)は水色に薄黒を帯(おび)て、斑(まだら)に点あり。鰓(あぎと)の端、少(すこし)許、紅(あかし)。

[やぶちゃん字注:以下、下段。]

或記云(あるひとのきにいはく)、此(このうを)、全躰(ぜんたい)、文鰩魚(とびうを)に似たり。六の稜(かど)に小(ちひさ)なる刺(はり)あり。針毎(こと)に細脉(こまかなるすぢ)、亀甲の紋の如し。その質(しつ)、堅硬(かたし)。乾枯(ほしからし)たるものは、年を径(ふ)れども壞(やぶ)れず、径(ふ)ること久しければ、褐色(かちいろ)に變じて、漁人(ぎよじん)、肉を食(くら)ふこと、をしまず。只、乾腊(ほしなし)として玩物(もてあそび)に供(けうす)るの者、長大なるものは、長さ尺餘(よ)なり。上下の長鬣(ちやうれう/ナガキヒゲ[やぶちゃん字注:後者は右に附す。])これをひらけば、雨傘(からかさ)の如し。他魚(たのうを)とおなじからず、といふ。

 

-2下図の「龍宮の鷄」(アカナマダ?)のキャプション

 龍宮の鷄

或(あるひと)のいへらく、「龍宮鷄(りうぐうのとり)」とは、佐渡の方言也。これ、「鬼頭魚(おこじ)」の奇品なるものなり。後(うしろ)に冠(かん)ありて、鷄(にわとり)に似たり。横肚(よこはら)に小(ちいさ)なる方点(はうのてん)、高起(たかくいで)て、刻鏤(きざみゑれ)る如し、乾枯(ほしから)したるものは堅硬(かたく)して、海馬(かひば)に似たり。今、按するに、全體、その色、薄紅(うすくれなゐ)にして、火魚(かなかしら)の如し。實に「おこし」の種類なるべし。

 

-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション

 鉦敲魚

この魚は佐渡のみにあらず、相(さがみ)・豆(いづ)の海中に多くあり。或(あるひと)いへらく、魚の形、大小、一ならず、大なるものは尺(しやく)許(よ)に至るもあり。鱗、なし。その色、薄黑(うすすみ)に靑と黄を帯(おび)て、光澤(つや)あり。横肚(よこはら)は水色の中に薄紅(うすくれなゐ)を帯(おび)たり。鰺(あぢ)の如し。両面に黒圓(くろまろき)紋(もん)あり。この魚、脂(あぶら)ありて、味(あぢわひ)、美なり。相(さがみ)・豆(いづ)の海中、冬・春の交(あいだ)、多くこれを獲る。漁戸(れうし)、これを「的魚(まとうを)」といふ。又、「賀陀比(かだひ)」と呼ぶとぞ。

[やぶちゃん注:以下、同個体の尾鰭の下方にある。]

今、按するに、これ、江戸にていふ「加々美夛比(かかみたひ)」の奇品なるべし。

 

   琴嶺興継写 (落款)(落款)

 

やぶちゃん注

・「相川の夏海子」佐渡相川生まれの絵師石井夏海(天明三(一七八三)年~嘉永元(一八四八)年)。通称は静蔵、別号に安瀾堂。絵画を谷文晁と紀南嶺に、測量や油絵を司馬江漢に学んだ。佐渡奉行所地方付(じかたつき)絵図師として天保八(一八三七)年、子の文海とともに伊能忠敬作成の「佐渡図」を改訂した。滝沢馬琴・式亭三馬らと親交があり、狂歌も詠んだ。戯作「小万畠双生種蒔(こまんはたけふたごのたねまき)」などの創作もものした(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠る)。「日本随筆大成」の丸山季夫氏の解題によれば、この「烹雑の記」に記された膨大な佐渡の情報や資料の多くは、この夏海から齎されたものと言われているとある。個人ブログ「佐渡広場」の「佐渡の画廊37:石井夏海・文海の絵画・絵図」で豊富な画像とともに、この石井夏海の業績を知ることが出来る。必見!

・「とこひれ」解説よりなにより、附図を見れば一目瞭然、これは条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目カジカ亜目トクビレ科トクビレ亜科トクビレ属 Podothecus sachi である。ウィキの「トクビレ」によれば、『ハッカク(八角)のほか、サチなど多くの地方名』があり、『和名のトクビレ(特鰭)は、雄にみられる大きな背鰭と臀鰭から付けられた。北海道と関東ではハッカクといい、これは角張った体の断面を八角とみた。青森ではサチといい、学名の Sachi はこれによる。他にヒグラン、フナカヘシ、ワカマツなどがある。北海道では雄をワカマツ、雌をマツヨ、あるいは雄をカクヨ、雌をソビヨと呼び分ける地域もある』とある。『トクビレは北日本・ピョートル大帝湾・朝鮮半島の東岸など、太平洋北西部を中心に分布する海水魚である。沿岸の浅い海で暮らす底生魚で、岩礁や砂泥に体を横たえ、甲殻類や多毛類を主に捕食する』。『体は細長く角張っていて、頭が鼻先に向けて尖る。ホウボウの仲間と類似し』、体長は四十~五十センチメートル程度まで成長する。背鰭は八~十本の棘条と、十二~十四本の軟条で構成されるが、鰭の形態に性的二形があり、雄の第二背鰭と臀鰭の軟条が異様に長く発達するのを特異的差異として観察出来る。また、『吻(口先)が長く突き出ており、腹側に』十本以上の『短い口ヒゲを有することが、近縁種との明瞭な鑑別点となる』(附図はそれも描いている)。『本種は味の良い白身魚で、日本では底引き網・定置網・刺網などで漁獲される。刺身・ 塩焼き・干物・軍艦焼き(腹に味噌を詰めて焼く郷土料理)など、さまざまな調理法が知られている』とある。所謂、異形に属する魚体ながら、私も大変に――見るのも食うのも――好きな魚である。

・「文鰩魚(とびうを)」「随筆大成」版は『文鰡魚』とし、ルビを振らないが、原典二種の画像を見る限り、私には「鰩」としか見えず、しかも孰れもはっきりと「とびうを」とルビする。因みに「鰡」はボラである。このトクビレ、ボラとトビウオ、どっちに似ているかといったら、私は断然、トビウオと思う。

・「針千本」条鰭綱刺鰭上目スズキ系フグ目ハリセンボン科ハリセンボン Diodon holocanthus 。附図は怒張し状態に模して乾燥させた加工品の図と思われる。同種の詳細については、私の『毛利梅園「梅園魚譜」ハリセンボン』の注を参照されたい。

・「しほさえふぐ」呼び名からは現在のフグ目フグ亜目フグ科トラフグ属ショウサイフグTakifugu snyderi が想起されるが、ネット情報を見ると、現在でも同じトラフグ属のコモンフグ Takifugu snyderi を「ショウサイフグ」と呼称する地域や市場もあるとあるので、必ずしも特定同定はしない方が無難である。なお、「ショウサイフグ」は漢字では「潮際河豚」「潮前河豚」などと表記するようであるが、参照した「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ショウサイフグ」によれば、『もとは東京、江ノ島、大阪などでの呼び名。意味由来は不明だが、このように細かな斑文のあるコモンフグも「しょうさいふぐ」という地域があり、波の崩れる様を思わせるためか?』とあり、さらに江戸で好んで食われた「フグ」はこのショウサイフグであったことを示唆する内容が書かれてある。さすれば、馬琴がこう言ったことを考えれば(馬琴は頭書で『これ、江戸の俗の、「しほさえふぐ」と唱るものなり』と言っている点にも着目されたい)、ショウサイフグ Takifugu snyderi に同定してよい可能性はかなり高いとも言えるように思われる。

・『「和名鈔」に『鯸1(コウイ)……』(「1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。)源順の「和名類聚鈔」には、

   *

1魚 崔禹錫「食經」云、鯸1〔侯怡、二音。和名、布久。一云、布久閉。〕犯之則怒。怒則腹脹、浮出水上者也。

   *

とある。「1」は音「イ」で、「廣漢和辭典」によれば、中国ではフグを指す。

・「石伏」は現在は通常、「いしぶし」と訓じ、小石の多い水底にいる魚の意で、ハゼ科のウキゴリ、カワアナゴ科のドンコ、ハゼ科のヨシノボリといった淡水産のハゼ型をした魚類の別名として通用しているが、どうもその他にも雑多な河川性の淡水魚を広範に指す語と思われる(但し、くどいが中国では「1」はフグを指す)。「和名類聚鈔」には、

   *

1 崔禹錫「食經」云、1〔音、夷。和名、伊師布之〕、性、伏沈在石間者也。

   *

とあり、馬琴の「伊師布久」は誤字或いは誤刻である。

・「箱河豚」フグ目ハコフグ上科ハコフグ科ハコフグ属ハコフグ Ostracion immaculatus 。詳しくは、『毛利梅園「梅園魚譜」ハコフグ』の私の注を参照されたい。

・「海すゞめ」ハコフグ科コンゴウフグ属ウミスズメ Lactoria diaphana 。ネット上の記事を読むと、最近、市場ではハコフグと一緒くたにされて売買されているようであるが、ウミスズメには眼の上部や尻鰭の基部の前方に短い棘状突起があることで容易に識別出来る。

・「鯛の聟源八」棘鰭上目キンメダイ目マツカサウオ科マツカサウオ Monocentris japonica 。詳細については、やはり私の先の『毛利梅園「梅園魚譜」ハリセンボン』の注を参照されたい。

・「鮫の守り」図を見て戴ければこれも一目瞭然、軟骨魚綱メジロザメ目トラザメ科トラザメ Scyliorhinus torazame の卵嚢と同定してよかろう。ウィキの「トラザメ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を¥も変更した)トラザメの『雌は輸卵管一本につき一個、合計二個の卵を産む。卵は滑らかで半透明、花瓶型をした黄色い卵鞘に包まれている。卵鞘は幅一・九センチメートル、長さ五・五センチメートルになる。卵鞘の四隅には長い巻きひげがある。卵は特定の成育場に産み付けられ、例えば函館の水深百メートルの地点にそのような場所がある。胚は、三・六センチメートル時点では外鰓を持ち、鰭は未発達で色素はない。五・八センチメートルになると外鰓が消失し、皮膚が小さな皮歯で覆われ始める。七・九センチメートルになると、よく発達した鰭と色素を持つようになり、成体と似た姿になる』。孵化までには水温によって差があり、一五ヶ月から七~九ヶ月がかかり、孵化時の大きさは概ね八センチメートル以上になる、とある。「鮫の御守り」という名は実に言い得て妙の美しい名である。卵嚢の中に小さな鮫がいることから「鮫の」と正しい親が知られ、その形から御守りとした、この美しい日本の古き良き市井の人々を、私は限りなく愛する。英語の“Mermaid Purse”(人魚の財布)の品のなさはどうか! 私の『生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 三 卵 (3) 鮫の掛け守とうみほおずき 又は ……あなたは「うみほおずき」を鳴らしたことがありますか……僕には……あります……に絵が出る。

・「海ほうづき」腹足類(巻貝)の卵嚢の呼称。植物のホオズキの実と同様に、口に含んでキュッキュッと音を鳴らして遊んだ。若い人は実物さえ見たことがもうないであろう。少し、哀しい気がする。前に引き続き、是非、『生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 三 卵 (3) 鮫の掛け守とうみほおずき 又は ……あなたは「うみほおずき」を鳴らしたことがありますか……僕には……あります……の図と私の注をお読み戴きたい。……キュッ……キュッ……という音とともに……遠い日の……私の思い出が……甦る……

・「藤まめ」マメ目マメ科マメ亜科フジ連フジ Wisteria floribunda の実。グーグル画像検索フジの豆をリンクしておく。

・「鉦たゝき」キャプションをお読みあれ。これはもう、新鰭亜綱棘鰭上目マトウダイ目マトウダイ科マトウダイ属マトウダイ Zeus faber である。冒頭で述べたように、「立命館大学アート・リサーチセンター」の原典の当該画像でキマリだ! ウィキの「マトウダイ」から引く(注記記号は省略した。下線部やぶちゃん)。『口が前に伸びて馬面になる』『が、体側面に弓道の的のような特徴的な黒色斑をもち、マトダイ(的鯛)などとも呼ばれる『地方名に、カガミダイ(福島県、千葉県)、ハツバ(千葉県小湊)、カネタタキ(新潟県、愛媛県宇和島市)、クルマダイ(新潟県、富山県、石川県、福井県)、モンダイ(石川県能登町宇出津)、バト(福井県)、バトウ(京都府与謝郡、島根県)、ツキノワ(鳥取県)、オオバ(山口県萩市)、ホンマト(愛知県豊橋市)、マトウオ(和歌山県太地)、マトハギ(和歌山県串本)、マトウ(兵庫県)、ワシノイオ(福岡県)などがある』。『漢名は「海魴」、別名に遠東海魴、日本的鯛、月亮魚などがあり、英語のdoryに基づく多利魚という言い方もある』。『本種は英語で「John dory」と呼ばれるがその起源ははっきりわかっておらず、フランス語の「jaune d'orée(黄色い辺縁をもつもの)」など、由来については諸説ある。一方、ドイツ語(Petersfisch)・フランス語(Saint-Pierre)・スペイン語(pez de San Pedro)など他の複数の言語では、キリスト教における十二使徒の一人、聖ペトロにちなんだ名前で呼ばれる。聖ペトロは貢物のお金をマトウダイの口から取り出したとする伝承があり、本種の黒色斑はこのときにつけられた聖ペトロの指紋に見立てられている。また、英語でも的に見立てた「target perch」という別名もある』。『マトウダイは西部太平洋・地中海・インド洋・東部大西洋に分布する海水魚である。日本の近海にも多く、本州中部から東シナ海にかけての沿岸域に生息する。温暖な海の海底付近で暮らす底生魚で、群れは作らず単独で遊泳していることが多い』。『通常の食性は魚食性で、ときおり甲殻類や頭足類を捕食する。産卵は冬から春にかけて行われ、具体的な時期は地域によって異なる。卵は分離性浮性卵で、仔魚および稚魚は浅い海で成長した後、次第に』水深五十~百五十メートルの『深みに移行する。成長は比較的遅く、性成熟には』四年を『要することもある』。『左右に平たく、著しく側扁した楕円形の体型をもつ』。全長四十センチメートルほどの個体が多いが、最大では九十センチメートルにまで達する。『口は大きく斜め上向きで、前方に素早く突き出すことができ、そうやって餌をとらえる。稚魚の体はほぼ円形で、黒色~褐色の不規則な縦縞をもつ』。『体の両側面には明瞭な縁取りをもつ円形の黒色斑が存在し、本種の大きな特徴となっている。眼に似ていることから眼状斑とも呼ばれ、幼魚のときは鮮明だが成魚になるとやや不鮮明になる。同じマトウダイ科に所属する近縁のカガミダイ(Zenopsis nebulosa)は本種とよく似た姿をしているが、黒色斑が不明瞭であること、頭部背側がやや陥凹することなどで区別される』。背鰭の棘条は九~十一本で、『前方部の鰭膜は糸状に細長く伸び』背鰭軟条は二十二~二十四本、尻鰭は四本の棘条と二十~二十三本の軟条で構成されている。『鱗は微小で、皮膚に埋もれる』。『白身魚で、味が良いため日本を含む世界各地で食用として利用され』、『旬は産卵期の前で、刺身・煮付け・唐揚げ・フライ・鍋料理などさまざまな方法で調理される。 肝も大きいため食用とされる』とある。

・「鏡鯛」マトウダイ目マトウダイ科カガミダイ属カガミダイ Zenopsis nebulosa 。前注引用にあるように、的が妙に薄くはっきりせず、何よりも、頭部の眼の上のオデコの部分が有意に凹んでいるのでマトウダイとは容易に識別出来る。馬琴先生、キャプションの『これ、江戸にていふ「加々美夛比(かかみたひ)」の奇品なるべし』は蛇足でごわした。

・「かうごり」最後の『「カウゴリ」は、河石伏(かふごり)なるべし』は腑に落ちる。以下、ウィキの「ゴリ」が多様な種を含む「ゴリ」の総説としてよいので、まず引用させてもらう。『ゴリ(鰍、杜父魚、鮖または鮴)は、一般的には典型的なハゼ類の形をした淡水魚を指す一般名、地方名である。ただし、一部にメダカ類やシマドジョウ類を指す地方も存在する』。「ゴリ」は特定魚類の『標準和名ではなく、ゴリの名で呼ばれる魚は地方によって異なる。スズキ目・ハゼ科に属するヨシノボリ類、チチブ類、ウキゴリ類など小型のハゼ類や、カサゴ目・カジカ科に属するカジカ類、あるいはその両方を合わせて呼ぶ場合などがある。「ゴリ」という語が標準和名に組みこまれているのは、ハゼ科・ウキゴリ属のウキゴリ類だけである』。『これらはいずれも川底に生息する淡水魚で、ハゼ類に典型的な大きな頭部、飛び出した目、大きな口などが特徴である。体色は褐色から暗褐色』で、概ねかく呼称される魚類は全長数センチメートル程しかない『小型魚である。一般に種類ごとの特徴がわかりにくく、よく似ている。ハゼ科の「ゴリ」では』、二枚の腹鰭が合わさって一つの吸盤のような役割を担っていて、『これで水底の岩などに吸い付くことで流れの比較的速い川にも生息できる。また、宮城県、島根県、高知県、大分県などの沿岸地域ではハゼ類の幼魚をゴリとよぶ場合がある』(カジカ類の腹鰭ではこうした吸盤化は見られない。本記述で馬琴が「眞物は、腹の下に、ひれありて」という叙述はその特徴を指そうとしているように読める点、正確である)。『青森県の南部地方、石川県の一部などでメダカを指す例があり、岐阜県郡上市ではシマドジョウを指す例がある』。『全国的には、淡水に生息するハゼ類がゴリと呼ばれる場合が比較的多い。しかし、琵琶湖近郊やその重要市場である京都市や徳島県などでは、ハゼ科のヨシノボリのことをゴリと呼ぶ』。『高知県、特に四万十川、それに和歌山県の東部ではハゼ科のチチブの幼魚をゴリと呼ぶ』。『地方によっては、ゴリカジカ、ゴリンベト、ゴリンチョ、ゴリンジョ、ゴリンドーなどの呼び名を使う例もある』。『日本語で「鰍」は「ゴリ」を意味するが、中国語で「鰍」はドジョウを意味する。中国語で「ゴリ」は、「杜父魚」と書かれる』。なお、慣用句の「ごり押し」について、『ハゼ科の「ゴリ」は、吸盤状の腹ビレで川底にへばりつくように生息するため、漁の際には網が川底を削るように、力を込めて引く必要がある。この漁法が、抵抗があるところを強引に推し進めるという意味の「ごり押し」の語源となっているという説がある』とある。

「このもの、二種あり。海・河ともにあり」一般にはゴリ類は河川性の純淡水産と思われがちであるが、実際には前の引用に出る「ゴリ類」の代表種であるチチブ・ヨシノボリ・ウキゴリなどは海と川を回遊し、河口付近の汽水域にも姿を見せるから、おかしな言いではない。また私は当時の「ゴリ」という呼称はハゼ型の形態を示すあらゆる魚類の汎称であったと考えており、そうすると純海産のマハゼやトビハゼなどをも含んでいたに違いなく、この謂いはしっくりくるのである。

・「杜父魚」最も真正にして代表的な「ゴリ」であるところのカサゴ目カジカ科カジカ(河鹿)Cottus pollux 及びその近縁種の漢名。本邦では「鰍」が一般的(但し、この字は中国ではドジョウを意味する)。以下、ウィキの「カジカ」より引く。『地方によっては、他のハゼ科の魚とともにゴリ、ドンコと呼ばれることもある。 体色は淡褐色から暗褐色まで、地域変異に富んでいる。日本固有種で、北海道南部以南の日本各地に分布する。ただし、北海道に生息するのは小卵型のみである』。『分類については定説がまだなく、 大卵型(河川陸封型)中卵型(両側回遊型)小卵型(両側回遊型)をそれぞれ別種に、湖沼陸封型は小卵型と亜種に分ける説なども出ている』。『生活型によって、一生を淡水で過ごす河川型を大卵型、孵化後に川を下り稚魚の時期を海で過ごして成魚になると再び遡上する小卵型、琵琶湖固有のものをウツセミカジカ Cottus reinii と分けることが多かったが、近年の研究により小卵型にウツセミカジカを含め、大卵型と小卵型に分けるようになった。また、これらは別種レベルの違いがあると考えられている。大卵型は、山地の渓流などの上流域を中心に、小卵型は中流域から下流域にかけて生息する。石礫中心の川底を好み、水生昆虫や小魚、底生生物などを食べる』。以下、三タイプの解説。河川型(湖沼陸封型)は『淡水を生活圏とし、水棲昆虫を餌とする。きれいな水を好みイワナやヤマメ、アマゴ等の魚と生息域が重なる。カジカ及びカンキョウカジカの性的成熟は』一年魚以上で、は体長七センチメートル、は体長六センチメートルを越えると産卵を行う。『卵には付着性があり卵塊となって石に付き、オスが孵化まで保護をする。産卵床の形成場所は、比較的流れの緩い"平瀬""とろ場"が多く、浮き石や沈み石は用いない。また、泥砂質の河床も利用しない』。開口部が一箇所しかない『洞窟状になった動きにくい石の河床との隙間が多く利用される。水通しの悪い卵塊では、ミズカビに犯され孵化しない』。『山地渓流の個体はダムや砂防堰堤などの構造物の設置によって移動が妨げられ、個体群の分断化がより進行している。また、平地域の個体は、埋め立て、コンクリート護岸化、道路建設などによって生息適地が縮小し、湧水量の減少にともない生息数が減少している』。両側回遊型は『比較的流れの緩やかな砂礫質の川底を好む。広い分布域を持つが、ダムや堰の建設により降海と遡上が阻害され全国的に減少している』。降河回遊型は『河川(淡水)で繁殖を行い、稚魚期を海水中で過ごし河川に遡上する。稚魚期は河口付近の表層を遊泳し、有る程度成長すると着底生活を送』り、孵化後八十日前後の三十ミリメートル程度に成長すると『遡上を開始すると考えられ』ている、とある。なお、「杜父魚」を近縁種であるカジカ科カマキリ Cottus kazika(一般には「アユカケ」の異名の方が知られ、太平洋側は神奈川県相模川以南に、日本海側は青森県岩崎村津梅川以南に分布)に同定する辞書もある。

・「声ありて夜鳴く」これは「河鹿鳴く」の和歌に詠まれ、前の「ゴリ」の代表種であるカサゴ目カジカ科カジカ Cottus pollux に混同誤認された両生綱無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル Buergeria buergeri の鳴き声と思われる。現在でもこう誤認されている方は結構多い。因みに、カジカを獲らえた際にキューとかギーとか鳴くというのは、事実ではあるが、凡そ、この反証にはならない。

・「山海名産圖会」五巻から成る物産図会。木村蒹葭堂(けんかどう)序・蔀(しとみ)関月画で、撰者は蒹葭堂ともいうが不詳。「日本山海名物図会」再板(寛政九(一七九七)年板行。五巻。平瀬徹斎編著・長谷川光信画。江戸中期以降の物産会所や物産学の隆盛を背景に初版は宝暦四(一七五四)年板行。鉱山業・農林水産・民芸・軽工業・市など庶民生活に関する産業技術を図解している優れた物産図会である)のあとをうけて寛政十一(一七九九)年大阪の塩屋長兵衛を板元として刊行されたもの。私は所持していないが、先行する「日本山海名物図会」はあるので一応見てみたところ、こちらにもゴリの記載はあるものの、ここで馬琴が述べている淡水産と海産の相違は語られていないように思われる。

・「瘤鯛」これは現行でもスズキ目ベラ亜目ベラ科タキベラ亜科コブダイ Semicossyphus reticulatus で、また馬琴が佐渡方言とする「かんたひ」は「カンダイ」であり、これは現行でも方言ではなく、コブダイの、頭部の上下が異様に大きく瘤状に膨れあがっているところの、の呼称である(本種は後で示すように成長過程でからへ性転換する雌性先熟である)。以下、ウィキの「コブダイ」から引く。『日本南部の太平洋、東シナ海、南シナ海に分布している』。は体長八十センチメートルから大型個体では一メートル超に達する。『体色は茶色や黒、白色などが入った赤色』、『雌性先熟で、子供の頃はメスで、卵を産む』が五十センチメートルを超える頃から『コブが張り出してきて、オスに性転換する』。『名前の由来である頭部の上下は大きな瘤状に膨れあがっている。雌はカンダイと呼ばれ、雄に比べて遙かに小さいために、かつては別な種類の魚だとさえ思われており、雄のように頭部が異様な形にはならず、体長も大きくても雄の半分ほどにしかならない。口には巻き貝を砕くために大きな歯と強力な顎を持つ』。『幼魚は体色がオレンジ色で上下の鰭が黒く、白い線が体の横に入り、成魚とは大きく異なる』。『本種はハーレムを創る魚として有名であり、雄は自分のテリトリーを主張し、そこに入ってきた他の雄を容赦なく攻撃して、縄張りを確保しながら、複数の雌を呼び寄せる性質を持つ。また、幼魚には手を出さず、幼魚はそうして成魚に守られながら成長し、学習していくともいわれる』。『非常に強力な顎と硬い歯でサザエやカキ、カニなどをかみ砕き、喉の奥の咽頭歯で更に砕いて中の肉を殻ごと食べてしまう。繁殖は雄と雌が海上付近で体をくねらせながら産卵、受精する』。『本種は暖海性だが、死滅回遊魚でもあり、黒潮に乗って、北海道付近にまで北上することもある』。寿命は二十年前後とされている、とある。カンダイは旬である時期から、「寒鯛」かと推定される。

・「海馬」トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の大型種の大型成体個体と思われる。本邦産のタツノオトシゴ類は「本朝食鑑 鱗介部之三 海馬」の私の注を参照されたい。

・「竜宮雞(りゆうぐうのとり)」という訓から容易に連想されるのは「龍宮の使い」という和名であろう。確かにウィキの「リュウグウノツカイ」を見ると、『中国・台湾では「鶏冠刀魚」』と呼ぶとあり、ミクシィの投稿記事には京都府での同種の呼称として「リュウグウノツカイ」が出る。いやいや……極め付けがある……東北芸術工科大学東北文化研究センターのアーカイブズの絵葉書にちゃんとリュウグウノツカイが描かれておってそこには「リュウグウノニワトリ」と書いてありまんがな……しかしでんなぁ、この附図のそれは、どうみても、

新鰭亜綱アカマンボウ目リュウグウノツカイ科リュウグウノツカイ Regalecus glesneグーグル画像検索「Regalecus glesne

にしては体長も如何にも寸詰りやし、「使い」らしゅう、おまへんがな。……かと言うて、少し短そうな、

フリソデウオ科サケガシラ Trachipterus ishikawae(グーグル画像検索Trachipterus ishikawae

も「鷄」にゃあ、見えへんし……そっか、「龍宮の使い」や「鮭の頭(かしら)」(クリチャーのギミックめいた頭部構造から「裂け頭」とついたという説もあるが、私は採らない)みたようなお偉いさんやのぅて……「龍宮の庭先で飼ってるニワトリ」だんがな!……じゃけ、これは紅い鶏冠(とさか)みたようなものがおますんやろ……と、当てずっぽうで調べて見れば、それらしいんは、

アカマンボウ目フリソデウオ科フリソデウオ Desmodema polystictumグーグル画像検索Desmodema polystictum

か? いやいや!

アカマンボウ目アカナマダ科アカナマダ Lophotus capelleiグーグル画像検索「Lophotus capellei

が私にはピン! と来た! 背鰭の紅が鶏冠や! わては勝手にこれに決めました! まずはウィキの「アカナマダ」から解説を引く。体長は七十センチメートルから一メートルを越える程度だが、大型個体では二メートルを越えるものもいる。『太平洋と大西洋の暖海域に分布し、日本でもまれに漁獲され、主に北海道函館沖、神奈川県相模湾から鹿児島県沖、高知県沖、山口県沖などで漁獲、もしくは台風などの後に海岸に打ち上げられる事がある』。『強く側扁した細長い体や灰色の体色、基底が長く、頭部分の張り出しが目立つ赤色の背鰭といった特徴からフリソデウオ科の魚に似るが、臀鰭があることや前頭部が隆起していることで区別できる。口には幾つか歯が生えている』。『うきぶくろの下方に墨汁嚢を持ち、肛門から墨汁のような液を噴出する奇妙な習性がある』。『深海魚なので、詳しい事は不明。他のアカマンボウ目の魚類のように、表層部分を頭部を上にして漂っていると言われるが、定かではない』。『墨汁を吐くのは敵から身を守るためと云われるが、太陽の光が届かない暗黒の深海で墨汁を吐く意味と必要性については確かめられておらず、謎に包まれている』とある。――さても、そもそもがこの附図の個体、頭が如何にもニワトリニワトリしているのが、却って怪しいじゃないか?! 鰓部から上の鶏じみた頭部はこれ、明らかに時間が経って大方の部分が剥落したといった感じで見た方が自然に理解出来ると私は思う。前頭部からひょろりと出ているのが、生体では旗指物のように見える刎部直上に生える赤色の背鰭痕跡であるらしいこと、尻鰭があることなどから私はアカナマダに譲らないのである。なお、アカナマダは「赤波馬駄」と書くらしいが、「ナマダ」というのは関東でウツボを指す語である。これは「赤いウツボみたような変な魚」という意ではなかろうか。

・「鬼頭魚」後で注するように「おこじ」と訓じる箇所が出るし、この「龍宮の鷄」の異形の魚体を見る者は百人が百人、これは新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目 Scorpaeniformes に有象無象巣くうけったいな魚相魚体のオコゼ連中のことだ、と思うに違いない。しかし私は、ここは勝手に、現行でも生きている「シイラ」のことではないか? と直感するのである。それはこの「龍宮の鷄」をアカナマダに同定したことに由来する。アカナマダとシイラとオコゼの仲間を並べて見て貰いたい。これはもう、偏平で頭のでかいシイラとアカナマダにこそ、兄弟の契りはあろうというもんだ! 因みに、シイラという外国語みたような名の由来は「秕(しいな)」であって、これは殻ばかりで実のない籾(もみ)のことを言う。シイラは皮が硬い上に身が扁平で薄いことから可食部分が少ない、という不名誉な呼称なのである。

・「この類、三十種ありとぞ。余はいまだ詳(つばら)ならず」残り、二十種の名前だけでも記して欲しかったです! 馬琴先生!! 「他日、考たゞすべし」て言ってるのに! もう!! 何となく、たとえばミノカサゴとか、ね……佐渡の漁師の方、一つ、三十種数え挙げてみて呉れませんか?

・「倉卒の間(あはひ)」「倉卒」は「さうそつ(そうそつ)」と読み、突然であること。だしぬけ。慌ただしいこと。忙しくて落ち着かないこと。軽はずみであること。いい加減であることで、ここはの意。通常は「倉卒の間(かん)」と読む。「倉」も「卒」も孰れも、にわか・慌てる・慌ただしいの意があり、畳語である。

・「雪海苔」岩海苔。ウィキの「岩海苔」の解説文中に、『雪海苔として知られる新潟県の岩海苔』と出、「産地」の最後にも『雪海苔-北陸地方の日本海沿岸』とある。以下、ここでも今まで通りの詳細な注を附したい願望に駆られるが(特に私は海藻には眼がなく、二度行った佐渡では神馬草(ホンダワラ)を始めとして十種近くの海藻を土産に買ってしまった海藻フリークでもある)、以降は佐渡異魚三十種から外れるので、今は、あさあさと済ませることとする。

・「蔓藻〔海藻(もくず)なり。〕」「日本随筆大成」版は『藻海』とあってルビがない。誤植か。これは不等毛植物門褐藻綱ナガマツモ目モズク科イシモズク属イシモズク Sphaerotrichia divaricata と思われる。本邦では産生が少ないモズク属モズク Nemacystus decipiens に比すと、より食感が堅く、佐渡では養殖もされていて、私も最も好む食感のモズクである。因みに種名 Sphaerotrichia は「球+糸」、種小名 decipiens は「二股に分かれた」の意である(以上は、学名の由来も丁寧な私のすこぶる偏愛する海藻図鑑田中次郎氏の解説になる「基本284 日本の海藻」(二〇〇四年平凡社刊)に拠る)。

・「海松(かいせう)」緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル Codium fragile に同定しておく。因みに、「みる」は万葉以来の古称であるが、語源は不明である。不明ゆえにこそ、私は何とも美しい響きと感じるものである。

・「海柳(かいりう)」恐らくは十種ほどしか植生しない日本産海産種子植物の代表種である単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科アマモ Zostera marina 、いやさ、最も長い植物名(異名)として知られるリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(龍宮の乙姫の元結の切り外し)であろう。

・「藻玉(もたま)」「藤榼子(とうかふし)」「猪腰子(ちよようし)」『この物、蛮國に生ず。「本草綱目啓蒙」卷ノ十四の上、「榼藤子(たふとうし)」の条下を考ふべし』 マメ目ネムノキ科モダマ(榼藤子)属モダマ Entada phaseoloides というマメ科の常緑蔓性植物があるが、これはアジア・アフリカの熱帯・亜熱帯に分布し、本邦では屋久島乃至は沖繩の海岸近くの樹林に生ずる莢が長さ一メートルほどにもなる巨大なことで知られる陸生植物であるが、そもそもがこれ以降は「海濱(うみべた)に稀に流れよるもの四種」なのであって、海産生物である必然性はないのである。「この物、蛮國に生ず」とし、後に「巨葭」「椰子」が出ることから考えると、このマメ科のモダマの莢が、はるばる対馬海流に乗って佐渡まで漂着したのだと考えても、これ強ち、おかしなことではない。しかも「本草綱目啓蒙」の当該項を読んでみると、蘭山の記述もこれ、明らかにモダマの実と感じさせる叙述なのである。諸州に漂着し、『皆、海藻に混ず。故に拾ひ得るものあれば、誤認して藻實とす。因て「モダマ」の名あり』とし、その実の形は『圓扁、大さ一寸、あつさ三分ばかり。あるひは二寸、あつさ四分許。大小、常ならず。栗殻色あるひは赤を帶、或は黑をおぶ』とあるのである。これはもうモダマ Entada phaseoloides でキマリ、である。

・「蛸船(たこふね)」「蛸舟は、相摸の江ノ島にていふ鰹の烏帽子の類なるべし」頭足綱八腕形上目タコ目アオイガイ科アオイガイ属タコブネ Argonauta hians が生成する貝殻である。タコブネについては「大和本草卷之十四 水蟲 介類 タコブ子」の私の注を参照されたい。「鰹の烏帽子の類なるべし」は誤認。「鰹の烏帽子」は言うまでもなく、刺胞動物門ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科に属する群体クラゲであるカツオノエボシPhysalia physalis であってタコブネとは何の関係もない(カツオノエボシについては私の『海産生物古記録集1「立路随筆」に表われたるカツオノエボシの記載』の注を参照されたい)。タコブネが海上を帆走遊泳するというトンデモ流言による程度の低い安易な敷衍解釈で、稀代の戯作者馬琴先生にしては少々イタい誤りである。私も高校時代、富山の氷見海岸で採取した大型の三個体の殻を宝としている。

・「巨葭(おほよし)」文字通りの、単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク亜科ヨシ Phragmites australis の大きく成長して植生地の河口附近から脱落して漂着したものであろう。ネット検索をかけると、富山県で今年(二〇一五年)の四月の新聞記事で、富山市神通川河口の海岸沿いに大量のアシが漂着し、住民を困らせている、というニュースを見出せる。

・「椰子(やし)」『「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十、背椰子の條下に、椰子、通名(つうめう)「ヤシホ」、又、津軽にては、「タウヨシノミ」といふよし、見えたり』。単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceae のヤシ類の実の漂着である。『「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十』この数字は誤りである。少なくとも現行の「重訂本草綱目啓蒙」では「卷之二十七果部」の「果之三」の十五番目に「椰子」はある。巻数ばかりではなく、この「背」も不審である。これは全くの推理に過ぎないのだが、これは原稿には正しく「卷ノ二十七椰子」と書いてあったのではなかったか? 翻刻の誤りの可能性である(訳では勝手に訂した)。七の大字(「壱」「伍」のように改竄や誤認を避けるために単純な字形の漢数字の代わりに用いる漢字)の一つは「柒」で、恐らく草書では「背」に似ているのではなかろうか? なお、「本草綱目啓蒙」の当該箇所では『椰子 通名 ヤシホ トウヨシノミ〔津輕〕』と確かにある。

・「黒萩(くろはぎ)」不詳。ヤマハギの変種で、マメ科ハギ属クロバナキハギ(黒花木萩)Lespedeza bicolor var. higoensis というのがWeblio辞書 植物図鑑」にあるが、分布域が愛知県と熊本県とあって一致しない。

・「小倉村」現在の(以下省略)佐渡市小倉。小佐渡のほぼ中央。棚田で知られる。

・「白蒿(しろよもぎ)」キク亜綱キク目キク科ヨモギ属シロヨモギ Artemisia stelleriana ウィキの「シロヨモギ」によれば、本邦では『北海道、本州の新潟県・茨城県以北に分布し、日当たりのよい海岸の砂地に生育』し、『全体が白い綿毛でおおわれ、雪白色になるため、シロヨモギ(白蓬)という』とある。

・「小泊村」佐渡市羽茂小泊。小佐渡の西、素浜(そばま)海岸に面する。

・「西三河」佐渡市西三川。小泊の内陸側。砂金山で知られる。施設や地理対象によって「西三河」とも表記されている。

・「雪割草」これはキンポウゲ目キンポウゲ科ミスミソウ Hepatica nobilis var. japonica及び同変種のオオミスミソウHepatica nobilis var. japonica f. magna 及びHepatica nobilis var. japonica f. variegata を指す(現在和名として別に高山植物のツツジ目サクラソウ科サクラソウ属セイヨウユキワリソウ亜種ユキワリソウPrimula farinosa subsp. modesta があるが、これではない)。私の定宿「ホテル大佐渡」のブログの写真をリンクしておく。

・「銀山」佐渡市下相川及び相川北沢町を中心とした大量の金銀を産出した所謂、佐渡金山、相川鉱山のことであろう。

・「福壽草」キンポウゲ目キンポウゲ科フクジュソウ Adonis ramosa 。特に珍しいものではないと思われるが、おそらく夏海から得た情報にリストされてあったのであろう。絵師であった彼にして荒海の佐渡で春を告げる福寿草は、殊の外、忘れ難い美花であったであろうことは想像に難くない。

・「小川村」佐渡市小川。北部の大佐渡の尖閣湾の一部である海府海岸(そとかいふかいがん)の西端に位置する。

・「達者村」佐渡市達者。尖閣湾の一角で小川の東北部。山椒太夫伝承で生き別れとなっていた母とその子厨子王がこの地で再会して互いの達者を喜んだことに由来する。

・「人參草(にんじんさう)」ニンジンソウはざっと調べて見ても、以下の三種が候補に挙がる。

バラ亜綱セリ目セリ科ヤブジラミ           Torilis japonica

       セリ科セントウソウ          Chamaele decumbens

キク亜綱キク目キク科キク亜科ヨモギ属カワラニンジン Artemisia apiacea

同定不能。但し、これも孰れも全国に分布する種である。

・「長江」佐渡市長江。加茂湖の北西。

・「栗(くり)ノ口」不詳。佐渡市栗野江という地名が。小佐渡の内陸寄りにある。

・「大野」長江の北方にある佐渡市梅津大野か。

・「二見」佐渡市二見。大佐渡の最西南端で真野湾の西の端に位置する。

・「北2」(「2」「犭」+「夷」。)不詳。ただ、現在、両津湾の西側の大佐渡に佐渡市北五十里(きたいかり)という地名を見出せる。現代語訳ではこう訓じた。

・「岩屋口」佐渡市岩谷口。大佐渡の北、外海府海岸に位置し、修行僧の籠った岩屋洞窟がある。

・「関願(せきぐわん)」岩谷口の南にある佐渡市関か。

・「深浦」佐渡市深浦。小佐渡の西端の港町。

・「沢崎(さわさき)」佐渡市沢崎(さわさき)。深浦の北側。

・「大杉」佐渡市大杉。小佐渡の本土側の海岸線に位置する。

・「寄鯨(よりくじら)」これは能動的に寄ってくる鯨ではない。死んだり弱ったりして海岸に漂着したクジラを指す語である。

・「玳瑁(たいまい)」鼈甲細工の原料とされて別名「鼈甲亀」とも呼ばれた、一属一種の爬虫綱カメ目潜頸亜目ウミガメ上科ウミガメ科タイマイ Eretmochelys imbricata 。彼らはインド洋・大西洋・太平洋の熱帯・亜熱帯の海水域を繁殖域とし、本邦は最北の繁殖地として石垣島や黒島などで少数の産卵が見られるばかりであるから、この佐渡でのタイマイの捕獲(ここは「海亀は常にあれども」「獲たり」とあり、死後の亀甲の漂着ではない感じがする)は、迷走して渡って来たとすると驚異的である(タイマイは珊瑚礁が発達した海洋を棲息域としてカイメン類を常食とするウミガメで、外洋を回遊すること自体が稀だからである。ここはウィキの「タイマイを参照した)。

・「元文三年」西暦一七三八年。

・「海獺(うみをそ)」哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科アシカ亜科 Otariinae のアシカ類を指す。中でもこれは、本邦に回遊してくるそれではなく、常在的に棲息していたニホンアシカ Zalophus japonicus を指している可能性が濃厚である。そして本種は既に……乱獲され、保護政策が全くとられないうちに絶滅してしまった日本固有種のアシカだったのである(ウィキの「ニホンアシカ」を是非、参照されたい)。……

・「海豹(かいひやう)」イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類。ウィキの「アザラシ」によれば、本邦近海では北海道を中心にゴマフアザラシ・ワモンアザラシ・ゼニガタアザラシ・クラカケアザラシ・アゴヒゲアザラシの五種が棲息する。

・「葦鹿(あしか)〔北海の俗、「トヾ」といふ。〕」アシカは前出なので、ここはアシカ類の中でも割注に出るトドで採りたくはなる。一属一種の巨獣アシカ科トド Eumetopias jubatu である。但し、ウィキの「トド」によれば、『"トド"という和名は、アイヌ語の"トント"に由来し、これは「なめし革」を意味する。日本各地にトド岩という地名も散見されるが、過去においては日本ではトドとアシカ(ニホンアシカ)は必ずしも区別されておらず、アシカをトドと呼ぶ事も度々みられ、本州以南のトド岩の主はアシカであったようである』とあるから、ここも巨大なトドを除く、中型のアシカ類の中で「海獺」と「葦鹿」が区別されていたと考える方が無難のようには思われる。先の「佐渡の画廊37:石井夏海・文海の絵画・絵図」で夏海が描くオットセイ(膃肭臍)の図などを手掛かりに考証したくなるところだが、取り敢えず、名残惜しいけれど、ここまでとしておく。

・「山獸は狸と兎のみなり」佐渡には狐はいない。狸もいなかったが、慶長六(一六〇一)年に佐渡奉行となった大久保石見守が金山で使用する鞴(ふいご)の革素材にするためタヌキを移入したのが始まりなのである。こんなことを何で知っているかというと、「耳嚢 巻之三 佐州團三郎狸の事」に出、続く「耳嚢 巻之三 天作其理を極し事」にも出て、さんざん調べたからなんである。

・「貉(うじな)」ネコ目イタチ科アナグマ亜科アナグマ Meles meles のことであるが、「うじな」という読みは初見。

・「雪なだれ」『「大和本草」に所云、北海に雪魚あり。方一丈餘、その形、鰈のごとし。その肉、白くして雪のごとく、脂なし。好て海上に睡ると、いへり』不詳。――形はクラゲに似ている――色はすこぶる白いもので雪が解けかけたもののような印象である――佐渡の人々がその見た感じがそっくりなことから「雪雪崩(ゆきなだれ)」と呼んでいる――貝原益軒の「大和本草」に『北海産の「雪魚」という海洋生物/約三メートル四方の鰈(かれい)に似た、大きさに比べて平たい四角っぽい形を成した生物/肉は全くの白身で脂がない/好んで海面にその巨体を浮かべては眠りこけている生物』であるとある書物に書かれていた生物……さても……私が最初に頭に浮かべたのは

――刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ユウレイクラゲ科 Cyanea capillata の大型個体

だ。……しかしなぁ……「白身」や「脂」どころか、刺されたら、これ、てえへんなクラゲだしなぁ……次に……「白味」で「脂」がなくて「鰈」に似ている巨大な「魚」で考えてみたのは吊り上げでしばしば皆、CG合成と見紛う

――新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科オヒョウ属タイヘイヨウオヒョウ Hippoglossus stenolepis 

だった。巨大なものは体重二百キログラム超、確かに三メートルを超える……しかし、オヒョウは海面に浮かんで昼寝はせんぜよ!……となると白身で平たくてでっかくて四角くて海面で横たわって寝るとなると……こりゃ、もらもらちゃんや、ないかい?

――条鰭綱フグ目フグ亜目マンボウ科マンボウ Mola mola

しかしだ……何より困ったことには、幾ら捜して見ても、益軒の「大和本草」には、ここに馬琴が引くような記載が見当たらないんである。……おまけに「大和本草」にはマンボウが項目として挙がっているものの、ここに書いてあるのとは、違う、如何にも自然なマンボウ君の話なのである。……最早、識者の御教授を乞うばかりである。よろしくお願い申し上げる。……

 

-2上図の「禿骨畢列」のキャプション・パート

・「解(とく)」滝澤馬琴の本名(元の興邦から改名したもの)。

・「乾腊(ほしな)して」丸干しにして。

・「他魚(たのうを)とおなじからず」この「おなじからず」の部分、判読に自信がなく、意味も良く分からぬ(訳は誤魔化した)。識者の御教授を乞う。

 

-2下図の「龍宮の鷄」のキャプション・パート

・「火魚(かなかしら)」カサゴ目ホウボウ科カナガシラ Lepidotrigla microptera であろう。まあ、全体の頭でっかちの体型と、背面の橙色から赤褐色を呈した派手な雰囲気は、似ていないことはない(が「如し」とまでは私なら言わない。グーグル画像検索「Lepidotrigla micropteraをリンクしておくので、前にリンクしたアカナマダのそれと比較されたい)。

 

-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション・パート

・「許(よ)」「餘」に同じい。

・「薄黑(うすすみ)」「黑」はママ。

・「賀陀比(かだひ)」ウィキの「マトウダイ」には別名として、地方名に、カガミダイ・ハツバ・カネタタキ・クルマダイ・モンダイ・バト・バトウ・ツキノワ・オオバ・ホンマト・マトウオ・マトハギ・マトウ・ワシノイオを掲げるが、それらしいものはない。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「マトウダイ」を見ると、マツダイ・マテ・マトダイ・マトエ・ツキノワ(月の輪)・ツキ・ヤイトウオ(灸魚)・ワシウオ・ワシダイ・モンダイ(紋鯛)・モンツキ(紋付)・ウマダイ(馬鯛)・ウマウオ(馬魚)・カガミとあり、その中に遂に「ガダイ」というのを見つけた。これはどうも円紋を絵に画いたように見えるという「画鯛」ではあるまいか?

・「加々美夛比」「夛」は「多」の異体字。

・「琴嶺興継写」馬琴の一人息子滝澤興継(おきつぐ)。琴嶺は号。他に宗柏。松前候の医員であった。馬琴はこの子を非常に可愛がり、医師としての評判を上げてやるために自作の作品の中で宣伝をしたり、彼の名で自身が代筆までしているが、正体不明の病いを患い、天保六年(一八三五)に三十八歳で若死にしている。上図の「禿骨畢列」の絵も同じ。署名は「十四屋(?)琴嶺」か。彼は「琴嶺舎」とも号したから「屋」は何となく分かるが「十四」は不詳。識者の御教授を乞う。

 

やぶちゃん現代語訳

[やぶちゃん注:一部の文脈を、より分かり易い位置に変更してある。]

 

 佐渡に三十種の異魚がいるという。私は先に「燕石雑志」編した際、その三、四種をそこに載せたが、実は未だにそれらの実物を親しく見たことがなかったのであった。しかるに、かの編が翻刻なったそも折りも折り、佐渡相川在の石川夏海(なつみ)氏が、件(くだん)の異魚の標本を私に贈って呉れたのであった――その数はおよそ四品――。その時、私はそれらの図を載せなかったことをすこぶる遺憾に思うておった。ゆえに今、これを図すこととした。さても所謂、その三十種の異魚とは、

 

「とこひれ」――文鰩魚(とびうお)に似ている。体側に六つの稜(りょう)及び小さな棘(とげ)を有している。

 

針千本――その形は、当地江戸に於いて「しおさえふぐ」と呼び慣わす魚に似て、全身に棘(とげ)がある。

 

箱河豚――「海すずめ」と呼ぶものに似ている。

 

鯛の聟(むこ)源八(げんぱち)――鯛に似て、極めて小さい。

 

鮫の守り――本品は魚ではない。所謂、「海鬼灯(うみほおずき)」と呼ぶものに似ている。また、その形は藤の豆にも似ている。

 

鉦たたき――鏡鯛(かがみだい)に似ている。

 

こうごり――いまだ詳らかでない。これは「石伏(いしぶし)」のことであろうか? 「石伏」の一名を「ゴリ」とも言う。この「ゴリ」には二種ある。海と河ともに、全く別な魚として棲息しているものを言うのである。一般に知られる真正の「ゴリ」とは、その腹の下に鰭があって、本草書で言うところの「杜父魚(とほぎょ)」に似ており、しかもがたいの小さいものである。これは魚でありながら声を発し、夜(よる)、しきりに鳴く。その鰭には有意な棘(とげ)がある。一方、海産の方の「ごり」なる魚はというと、その鰭が如何にも柔らかであるのに対し、淡水産の「ゴリ」なるものは、すこぶる鋭いと、以上、「山海名産図会」に記されてあった。以上からこの「コウゴリ」というのは「河石伏(こうごり)」の意、と考えてよいであろう。

 

《追考を示す。「和名類聚鈔」には、『鯸1(コウイ)、和名、「布久閉(フクベ)」。これを刺激する際には直ちに、怒る。怒ると、即座にその腹が怒張し、海上に浮かび出るものである。』と。さてもこれは、江戸に於いて俗に「しおさえふぐ」と呼び慣わす魚に他ならない。さればこそ「石伏」は「1(イ)」なのである。「和名類聚鈔」には、『「1(イ)」は、音、(い)。和名は「伊師布久(いしぶし)」、性(しょう)、伏沈(ふくちん)して石の間に棲息する魚である。』と記す。[やぶちゃん字注:「1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。]》

 

瘤鯛(こぶだい)――佐渡にては「かんだい」と言うのが、これであろうか。未だ詳らかではない。

 

海馬(かいば)――佐渡でなくても棲息している。しかし、佐渡のように大きなものは稀れである。

 

竜宮の鶏(とり)――鬼頭魚(きとうぎょ)の奇品である。

 

 以上、これら佐渡の異魚の類い、計三十種ある、とのことである。私はいまだ、その三十種すべてを詳しく知っている訳ではない。これらの種に就いて、種々の本草書に照らし合わせ、考証したならならば、その正式な漢名を知ることが出来るであろうし、また、その効能や毒性もこれ、知り得るであろうけれども、今これ、何かと慌ただしい中にあって、それらのことを落ち着いて精査し記録することが、やりたくとも出来ず、本書からは遂に漏れ損ずることと相い成ってしまった。他日(たじつ)を期して、じっくりと考証してみるつもりである。――なお、「トコヒレ」・「鉦たたき」・「竜宮の鶏」の三種については、とある御仁の所蔵せる画幅を以って臨写しておいた。

 

 また、これとは別に、海中に生ずるところの異草四種がある。

 

雪海苔(ゆきのり)――佐渡土俗にては何と呼称しているかは、よく分からない。

 

蔓藻――所謂、「海藻(もずく)」である。

 

海松(かいしょう)

 

海柳(かいりゅう)

 

 また、海辺に稀れに流れ寄せてくるところの稀品四種。

 

藻玉(もだま)

 

蛸船(たこぶね)

 

巨葭(おおよし)

 

椰子(やし)

 

――今、按ずるに、藻玉(もだま)というのは、一名「藤榼子(とうこうし)」、また一名「猪腰子(ちょようし)」と称する。この物は外国に植生するものである。「本草綱目啓蒙」巻の十四の上の「榼藤子(とうとうし)」の条下を参考にされたい。

――蛸舟(たこぶね)は、相模の江の島にて謂うところの「鰹の烏帽子(えぼし)」の類いであろう。

――また、按ずるに、「本草綱目啓蒙」卷の二十七の「椰子」の条下に『椰子、通名(つうみょう)「ヤシホ」、また、津軽にては「トウヨシノミ」と言う』といった記載が見える。

 

 また、佐渡の花卉(かき)・鳥獣については、

 

黒萩(くろはぎ)――小倉村に植生する。他所(よそ)にある黒萩というのは、ここのものよりも遙かに葉が短かい。

 

白蒿(しろよもぎ)――小泊村及び西三河に植生する。

 

雪割草(ゆきわりそう)――当地での方言は未だ詳かでない。当地の銀山に植生する。また、これは佐渡に限らず他所(よそ)にても植生するものではある。

 

福寿草――小川村・達者村の辺りに特に多く植生する。

 

人参草(にんじんそう)――長江(ながえ)・栗ノ口(くりのくち)・大野などの村に植生する。

 

鷲の巣――二見・北2(きたいかり)・岩屋口(いわやくち)・関願(せきがん)・深浦・沢崎(さわさき)・大杉などの村々で現認出来る[やぶちゃん字注:「2」「犭」+「夷」。]。

 

寄鯨(よりくじら)――稀れに見ることがある。

 

玳瑁(たいまい)――このものは元文三年の頃、捕獲したことがあったということである。海亀(うみがめ)は佐渡の臨海に常に棲息しているけれども、玳瑁はこの時の捕獲を以って、その後は漁獲したということを聴かない。

 

海獺(うみおそ)

 

海豹(かいひょう)――稀れに見かける。

 

葦鹿(あしか)――佐渡の北の海の方(かた)にては、俗にこれを「トド」と呼ぶ。

 

山の獣は狸と兎のみである。貉(うじな)もいるとは言うが、狸と雑種化してしまっていて、果たして純粋に貉として独自に生態系を作っているかどうかはこれ、よく分からないという。

 

雪なだれ――その形は海月(くらげ)の仲間と類似している。その色はあくまで混じり気のない純白であって、言うなら、雪が解け始めた折りの状態にそっくりである。このものは稀れに姿を現わす。土地の人はこれを「雪なだれ」と呼んでいる。これはかの「大和本草」に謂うところの『北海に雪魚(ゆきうお)がいる。大きさは一丈四方余り、その形は魚の鰈(かれい)に似ている。その肉は極めて白くて雪のようであり、脂身はない。この生物は好んで海面に寝そべって眠る。』と記してあった。さても、まさにこれこそが、この佐渡の「雪なだれ」に違いないといったことが、これ、とある書文書に記されてあったのである。

 

-1図右上の「針千本」(ハリセンボン)のキャプション

 針千本

形は「しおさえふぐ」に似ていて、惣身の棘(とげ)は栗の毬(いが)にそっくりである。

 

-1図左上中央の「箱フグ」(ハコフグ)のキャプション

 箱フグ

「海すずめ」に似て、形は遙かに四角い様相を呈する。

 

-1図左上の「鯛ノ聟源八」(マツカサウオ)のキャプション

 鯛の聟 源八

鯛に似て、極めて小さく、鱗は、はなはだ鋭い。

 

-2上図の「禿骨畢列」(トクビレ)のキャプション

 禿骨畢列――とくびれ魚

私こと解(とく)が按ずるに、方言である「とこひれ」というのは、「長鬣魚(とこひれうお)」の義ではなかろうか? また、「鋭鰭(ときひれ)」の義でもあろうか? 「こ」と「き」とは音では容易に通ずるものである。この魚はこれ、鮫の一種類であろうか? 目は黄色である。頭より背中(せなか)に至るまで、総て薄青色を呈する。鰭の端は褐色(かちいろ)であって、その他の部分は水色に薄黒を帯びており、斑らに点がある。鰓(えら)の端が少しだけ、紅(あか)い。ある人の記したものによれば、『この魚は、その魚体全体は文鰩魚(とびうお)に似ている。体側に沿って六つの稜(りょう)があり、小さな棘(とげ)を有する。その針ごとにまた、細かな筋があって、それが亀甲(きっこう)の紋様を呈するのである。身の肉質は極めて硬い。乾燥させて干物にしたものは時間が経過しても原形はこれ、一向に崩れず、さらに時を経ると、全体が褐色(かちいろ)に変じて、漁師はまた、そうなった肉を食らうことを、却ってすこぶる好む。ただ丸干しにして子どもの玩具に供する者に至っては、長大なるものは長さ一尺余りになるものもある。この上下の長い鬣(ひれ)を広げた際には、人一人分が入れる唐傘(からかさ)のようでさえある。ともかくもこれ、尋常の他の魚とは、何から何まで、異なっている。』とのことである。

 

-2下図の「龍宮の鷄」(アカナマダ?)のキャプション

 龍宮の鷄

ある人が言うことに、『「龍宮の鶏(とり)」というのは佐渡の方言である。これは「鬼頭魚(おこじ)」の奇品中の奇品とも言うべきものである。後方に冠(かんむり)があって、鶏(にわとり)によく似る。横腹には、小さな四角い点が有意に魚体から盛り上がって浮き出ており、あたかも刻み鏤(え)ったようである。完全に乾燥させたものは、すこぶる硬くして、かの海馬(かいば)の干物に似ている。』と。今、按ずるに、この魚の全身、その色は薄紅(うすくれない)であって、所謂、火魚(かながしら)のようである。実にこの魚は「おこじ」の近縁であるに違いない。

 

-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション

 鉦敲魚

この魚は佐渡のみに限らず、相模・伊豆の海中にも多く棲息している。ある人が言うことには、『この魚の形は、大小も一方ならず、大きなものは一尺を超える個体もある。鱗はない。その色は薄墨に青と黄を帯びて、光沢(つや)がある。横腹は水色の中に薄紅を帯びている。鯵に似ている。体側の両面に黒い丸いくっきりとした紋がある。この魚の身は脂(あぶら)がよくのっており、その味わいたるや、まことに美味いものである。相模・伊豆の海中に、冬から春にかけて多くこれを獲る。漁師はこの魚を「的魚(まとうお)」と呼んでいる。また、「賀陀比(かだい)」とも呼ぶ。』とのことである。今、按ずるに、この魚はこれ、江戸で言うところの「加々美夛比(かかみだい)」の奇品と見た。

 

   琴嶺興継(きんれいおきつぐ)写す。(落款)(落款)

2015/06/06

――博物学古記録翻刻訳注 ■16 滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載――を作製中

――博物学古記録翻刻訳注 ■16 滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載――を作製中……

明日には何とか完成出来るかなぁ?……

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