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カテゴリー「生田春月」の9件の記事

2011/01/13

思念 生田春月

野をこめて

夜霧はふかく

露ふかく

哲人黙して

寒燈の

及ばぬところ

ただ風が鳴る

2010/12/26

詩人 生田春月

自分の聲に倦いた詩人が

泉のそばで音樂を聽く。

詩人は聽衆であるとき、

最も良い詩人である。

2010/12/18

獏 生田春月

夢を食(く)ふ獏(ばく)といふ獸(けもの)がある……

みにくい獏はみにくい夢を食ふ、

おれは獏だ、みにくい獏だ、

それでいい――うまい夢にさへありつければ!

 

だが、もう夢もみんな食ひ盡くした……

さて、これから何を食はう?

やはらかな夢の下から出たものは硬い現實、

その現實を、獏よ、おまへも食はねばならぬ!

 

食(くら)ひ付け、食(くら)ひ付け、その現實に、

でなければ、おまへは餓死(うへじ)ぬぞ!

獏は食(くら)ひ付く、現實に、硬くみにくい現實に……

それでいい――さて、おまへも一人前だ!

(「澄める靑空」より)

2007/11/24

丘邊のさまよひ 生田春月

若き日の夢

  丘邊のさまよひ   生田春月

月おぼろにして我が影うすし、

我が生命(いのち)さへ覺束なきかな。

靜かなる心だにあらば

たのしさは來らむものを。

あはれ、日にして夜(よる)として

我が胸の靜なることはあらず。

ある時は、死の谷に迷ひ、

ある時は、嘆きの海に溺る。

こゝに一日(ひとひ)の惱みよりのがれ出でて

ひとり丘邊にさまよひ來(く)れば、

繁れる松の樹の影もうすし。

夕風のなかにそよげる草のごとくに

寂しくてたえだえなる我が生活は、

節ほそく哀れに鳴りて、

おぼろおぼろの歌とこそなれ、

影もろともに薄らぎつゝも。


第一詩集「霊魂の秋」の巻頭を飾る。「若き日の夢」という大題目があるが、そこに記されるのは、この詩のみである。今日までに春月の「末期の眼」のみに捕らわれていた。これは、十九歳の春月の、詩人の最初の呟きである。底本は昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」であるが、可能な部分を恣意的に正字に直した。

〔一生は他愛もなく過ぎるのだ。〕 生田春月

  ○

一生は他愛もなく過ぎるのだ。

人間は人間で終るのだ。

痴人は痴人で終るのだ。

もうおさらばだ。

美しい世よ、醜い世よ、

もつと美しくなれ、

もつと醜くなれ。

 

堂ビルホテルの八階から

おれは大阪の街(まち)を見てゐる。

街のきらめく火の海を見て、

人の營み、いよいよ寂しく。

これが人の世。

これが一生。

利(り)は寂しさを消すだらうか。

おれはもう切り上げる……

       昭和五年五月十八日(大阪)

注:遺稿詩集『長編「時代人の詩」』の掉尾「終篇 愚かな白鳥」の巻頭の無題詩。底本は昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」であるが、「営」を恣意的に「營」に直した。

底本では詩の末尾日付との間下に

「文学時代」二巻七号より

の記載があるが、省略した。これは恐らく編者の注であり、それは没後二箇月後に出た生田春月の追悼号「文学時代」7月号を指すと推定されるからである。また、末尾の日付の下には続いて

=死の前日の作

とあるが、これも同様の理由により省略した。

実際には、遺稿詩集『長編「時代人の詩」』の掉尾「終篇 愚かな白鳥」は、この詩を含めて3篇の詩で構成されている。この詩に続いて、「エリゼ・ルクリユを思ふ」、「カアペンタアを思ふ」であるが、前者は(一九三〇・一・三〇)の日付を、後者は(一九三〇・五・一一)の日付を持ち、少なくとも詩作そのものは、この作品と切り離すことが可能と考えて、本詩のみを、春月のもう一つの「末期の眼」として、テクスト化した。

なお、昨夜、ブログ・カテゴリに「生田春月」を作成した。

2007/11/23

生田春月絶筆 詩集「象徴の烏賊」斷章

斷  章   生田春月

南仙子默示録(The Revelation of Nonsense)
の名のもとに完成せんとしたものの斷章である。
一部分は東京で、大部分は大阪で。
      (一九三〇・五・一八 大阪にて)
―――――――――――――――

   天地の間

われ今日、天地に異象を見たり。
地になきものを天に見、
天になきものを地に見る
天と地になきもの、
天と地の間に見る。

   オーサカ

ロンドン、パリ、ニュウヨオク、
ベルリン、ヰイン、トオキョウ……
飢ゑた貧しい詩人が月を見てゐる、
月が詩人の髯を見てゐる。
おまへはあまりに知られすぎた月、
これはあまりに知られない詩人、
みんなに見られてゐる月と
誰も讀まない詩人とは、
この世で誰よりも親しいのだ。

詩人の運命はインタアナショナル、
すべて平凡、すべて無趣味、
煤煙と塵挨との中
商業主義の花は開き、
機械の中に神の呪阻を聞き、
貨幣の音に詩が生れる。
新しい詩は金である、
この電力の世に、まだ紙に詩をかく
詩人といふ種族が生き殘つてゐたのか。

オーサカで、詩人は滅びる……

   汚 水

大都會の下水の中を
ひとりで流れてゐた。
自ら自らの何であるかを知らない、
ただ果てしらず流れるのを知つてゐた。

ここはマンハッタンか、
ここは堂島、
一生はただ下水のどぶ、
わたしほただ流れる。

   無眼子

桃を見る人あり、
竹を撃つ人あり、
かれもさとり
これもさとる。

われは山を見て山を見ず、
海をみてまた海を見ず、
さとりもなく
一生は終る。

   變 形

或る時は生に充ちてゐる、
或る時は死に充ちてゐる。
蠶食されるもの、
氾濫するものとなる。

   破 滅

おれは墮ちたる天使である、
白皙の神通力を失つて
翼破れて、喜んでゐる。
もうおれは絶對自由である、
黑く波に身をのまれつつ。


注:底本は昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」であるが、可能な部分を恣意的に正字に直した。


遺稿詩集「象徴の烏賊」の掉尾を飾る詩群。5月17日から大阪の堂ビルホテルに一人投宿、翌18日にかけて客室に閉じこもったまま、これらの詩を書き上げたものと思われる。5月19日、9時発の別府行菫丸に一人乗船した。見送った幼馴染の田中幸太郎は「彼は心から嬉しさうであつた。おだやかに冴えた顏をしてゐた」と記す。船中にあってその田中への遺書及び「女性関係で死ぬのではない。謂はゞ文学者としての終りを完うせんがために死ぬやうなものだ」等と記した内縁の妻であった生田花世宛の遺書、そうして先に掲げた絶筆「海図」を書き上げて入水。

このやや歯ごたえの悪い遺書の意味を、上記書籍の年譜を参考に少し説明しておく。春月は大正3(1914)年22歳の時、雑誌「青鞜」の同人であった長曽我部菊子(本名・西崎花世)が寄せた感想文「恋愛及び生活難について」の内容に感激、彼女と共同生活を始めたが、大正五(1916)年には森田草平門下の山田田鶴子と、死の前年、37歳であった昭和三(1928)年には、自らが主宰していた雑誌「文藝通報」の投稿者であった内山恵美及び伴淡路との恋愛に陥っていた。春月は性格の不一致を示した花世との関係について、「空想的人道主義」であったと晩年、自嘲的に述べている。

生田春月絶筆 海圖 及び 生田春月略年譜

Kaizu_2

  

 

   海圖   生田春月

甲板にかゝつてゐる海圖――それはこの内海の海圖だ――ぢつとそれを見てゐると、一つの新しい未知の世界が見えてくる。
 普通の地圖では、海は空白だが、これでは陸地の方が空白だ。たゞわづずかに高山の頂きが記されてゐる位なものであるが、これに反して、海の方は水深やその他の記号などで彩られてゐる。
 これが今の自分の心持をそつくり現してゐるやうな氣がする。今迄の世界が空白となつて、自分の飛び込む未知の世界が、彩られるのだ。

注:本テキストは昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」の口絵写真原稿から起した。当該口絵のキャプションは「投身直前、瀬戸内海航海中の菫丸船内にて認められた詩人・春月の絶筆<海図>原稿」。

1 標題の「海圖」及び作者名は原稿になく、一行20字の原稿用紙三行目から書き始めている。

2 「それはこの内海の海圖だ」の「この」は右に挿入書き入れ。

3 「位なものであるが、」の「あるが」は左に挿入書き入れ。 

4 「これに反して、」は右に挿入書き入れ。

5 「彩られるのだ。」の「彩られ」は「生きてくるのだ」と初稿を抹消して左に書き入れ。

生田春月
明治25(1892)年3月12日、鳥取県米子町生。生田家は酒造業ながら最早破産した家庭で、少年期は激しい貧困と労働の辛酸を舐めた。大正3(1914)年、ツルゲーネフ「はつ恋」の単行本翻訳を刊行、大正6(1917)年に第一詩集「霊魂の秋」が好評と伴に迎えられ、翌年、第二詩集「感傷の春」を刊行、新進詩人としての地位を確立。他に詩集では「春月小曲集」、「慰めの国」、「澄める青空」、「麻の葉」(小曲民謡)、「夢心地」、「自然の恵み」、「象徴の烏賊」(遺稿)等があり、7巻と終篇からなる二段組で86ページ(上記底本詩集で)という驚くべき長詩(但し、これは昭和3年から、書き溜められ、死の前日5月18日頃に完成させたものと考えられる)                                                           翻訳家としての業績もドストエフスキイの「罪と罰」(共訳)、「ツルゲーネフの「散文詩」、「ゲエテ詩集」、プラトンの「饗宴」等、多岐に渡る。特に大正8(1919)年新潮社刊の「ハイネ詩集」や「ハイネ全集」での翻訳(大正9年の越山堂版と大正14年以降のの春秋社版の二種の翻訳に関わる)は、日本での社会派・革命詩人としてのハイネ紹介の大きな功績として高く評価されている。数多くの詩作品を訳出した。他にも長編小説「相寄る魂」やエッセイ・評論集等多数。
 文学的には、その境遇から社会主義的情熱に始まり、キリスト教的・人道主義的傾向を持つに至る。その後、社会的不平等への激しい義憤、社会主義的解決への疑問等によって次第にニヒリスティックな傾向を深刻化していってしまう。「否定も肯定もない、善も悪もない、楽天も厭世もない一如不二の世界」で「絶望は終局ではなくして、かへつて出発点」とし、「詩を生かすものは、裏の生活である。即ち、生活の深い底である」と言い、「詩はその本質からして、アナキスティックであるべきものだ」とするに至る。時は将に軍靴の音の高まりを告げていた。昭和3(1928)年7月24日、同年であった芥川龍之介の自死の報に接した春月は、「やられた!」とこぼし、激しい衝撃を受けた。

 げに、

 絶望よりの

 その一飛びに

 われは生きん。

 死によつて、

 死の中に

 死の生を。

(長篇「時代人の詩」の「第一巻 死と恋の曲――わが半生の挽歌」巻頭のの詩の末尾。末尾に「昭和三年三月二十二―三十一日(蘆屋―東京)」の記載有り。)

 死もまた

 生きんとする意志だ。

 絶望を生きよ、

 死を生きよ。

(長篇「時代人の詩」の『第五巻 赤裸人の歌――「自由人の歌」続篇』の三番目の詩の末尾。クレジットはない。)

――昭和5(1930)年5月19日午後11時過ぎ、春月は「海圖」の詩を認(したた)めると、月明の瀬戸内海航路別府行菫丸の船上より播磨灘に身を投じた。享年38歳。


以上は、昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」の年譜及び解説等を参考にして、僕が自在に構成したものである。

Kaizu

――昭和11(1936)年、門弟・詩友等によって組織された「春月会」の発起により、遺体が陸揚げされた(小豆島沖合いで一トロール船により遺体は6月11日に発見された)小豆島の坂手にある観音寺の海を見下ろす丘に、絶筆の「海図」の詩碑(直筆絶筆原稿そのもの)が石川三四郎や萩原朔太郎の参列のもと、建立された。左は、1975年8月23日、大学一年の夏に卒論準備を兼ねて尾崎放哉の墓参に小豆島に逗留した際、立ち寄って僕が撮ったものである(写真の版を大きいままにしたのは、はっきりは見えないがダウンロードして原稿の細部の雰囲気を少しでも味わえればと考えたからである)。

――同じ折、春月の遺体が運ばれた田ノ浦の海を写す。Tanoura

 

最後に。まさにその場所の本物の海図を見てみよう。

Bisanseto_2

 

 

――小豆島、そして彼が「途中下車」した、瀬戸内海航路である……

流水歌 生田春月を弔ふ 佐藤春夫

流水歌

   生田春月を弔ふ   佐藤春夫

君とわれとは過ぎし日の
歌と酒との友なりき
眉わかくしてもろともに
十年(ととせ)かはらぬ朝夕を
われらは何を語りしか
高ゆく風となる太息(といき)
虹まどかなるよき願ひ
幸ひ住めるをとめの瞳(め)
ひろき愛はた世の戰(いくさ)。

醉ひての後(のち)の歌ぐさを
さめて互(かた)みに示しつつ
ともにはげます身なりしが
人に驕れるわが性(さが)は
君が怒りを得にけらし
われ人づてに聞きけるは
君はわが身を憎めりと
君がこころをはかりかね
君よりわれは遠のきつ。

かくて十年(ととせ)はまた過ぎぬ
眠りなき夜のをりふしに
生き來(こ)し方(かた)を見かへれば
少年の友よき寶
またと有るべきものならじ
よき折あらば手をとりて
杯(さかづき)くまん日もがなと
思ふねがひはあだにして
君 今は世にあらざるか。

歌うづ高く世にのこし
むくろは水にゆだねつつ
騷愁(さうしう)の人いまは亡(な)し
ああ若き日の友は亡(な)し
愛も憎みもすて去りし
佛(ほとけ)の前に額(ぬか)づけば
七情(しちじやう)の巣のうつそ身の
わが眼や水は流れけり
君を葬(はふ)りしその水は。

友のメールより孫引き。

佐藤春夫と生田春月について、昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」の年譜を参考にしながら少し述べておく。明治42(1909)年11月、再度、文学者を目指して上京、一時、同郷の評論家生田長江(春月は前年の11月に彼の書生となったが、作品が長江の評価を得られず、失意の内に6月に帰郷していた)の家に身を寄せたが、その際、そこに同宿していた佐藤春夫と相知ることなった。

この「流水歌」で、佐藤春夫は「君が怒りを得にけらし」と歌うが、実際には年譜上から見ると、大正10(1921)年に春月が新潮社から出版した自伝的長編小説「相寄る魂」の中で、佐藤春夫がモデルとなった西尾宏なる人物の描き方に春夫が憤慨し(僕は本作を読んでいないので、憤慨したのだろうという推測であるが)、絶交状を送ったというのが事実のようである。

死の年、昭和5(1930)年4月15日、舟木邦之助(未詳)なる人物が絶交状態にあった佐藤春夫との和解の労をとるべく来訪し、春月は承知の旨を答えたとする。しかし、一月後、春月の入水によって、和解の実現は水の泡と消えたのであった。

2007/11/20

忘却 生田春月

   忘却   生田春月

 

影の匂ひに

裸身を浸し、

流轉の髪に

心をまかす。

 

蘆にかくれて

風を見つけ、

鳥をはなちて

聲ををさむ。

 

おもく埀れた

手は遠く、

動くものみな

忘れ去る。

 

色は死に

相(すがた)しりぞき、

時の巣に

ひとり眠る。

遺稿詩集「象徴の烏賊」より。底本は昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」であるが、可能な部分を恣意的に正字に直した。

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