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カテゴリー「Miscellaneous」の281件の記事

2012/05/07

義理の姪の結婚式の感動

義理の姪の結婚式に痛く感激した。
僕は自分が結婚式を行っていないのだけれど――こんな結婚式なら、僕もやってみたい――そんな気がした――
ウエディング・ケーキ入刀の後にサプライズ。新郎新婦の両親が呼び出され、再度、両親が更にケーキに入刀した。三組のケーキ入刀だ。姪の父親(僕の義弟に当たるが遙かに年上)はまさかウエディング・ケーキを、人生にもう一度カットするなどとは思っていなかった、と言って笑っていた。でも、とても嬉しそうだった。
ドレス・チェンジ(お色直しと言わないのもいい)では、姪はそのエスコート役ととして、自分の母親(僕の妻の妹)と「尊敬する伯母」(僕の妻)をサプライズ・コールした。正直に言えば、僕の妻とその妹は必ずしも仲が良いわけではない。それをこうして選んだ姪は、実に心細やかであった(妻は感涙して泣いていた)。
新郎のエスコートは彼の母親で、「小さな時を思い出して二人で手をつないで」のエスコートである。これは僕も心打たれた。後で新郎の御母堂に(恐らく私より若い)に尋ねたところ、「吃驚しましたが、とても嬉しかったです」とお答えになられた。
よくある生い立ちのフィルム構成上映も、素晴らしかった。何より60人からいる披露宴の招待客が全員映っているのである。そもそもが僕は、姪とは血も繋がっておらず、最も縁遠い究極の出席者であったが、最後に映し出された写真には、妹家族と一緒に行った数少ない温泉旅行の際の三十四歳の僕がちゃんと映っていた。式に出られなかった入院中の義母の笑顔と一緒に。
これらは今時の結婚式の当たり前のプログラムの一つなのかも知れない。
しかし、そうしたプログラムを選び、出席者を一人残らず、披露宴の主役の一齣に据えようとした、この若い二人の比類ない誠実さに、僕は心から打たれたのである。
これから結婚をされる方へ――是非、こうしたサプライズ(実際に以上の「サプライズ」は当事者に一切伝えられてはいなかったのである。だから「サプライズ」なのである)をお奨めする。
自分たちの幸せの自己満足ではない、呼んだ招待者一人ひとりの心に、正に手作りの一灯の暖かさを燈して、記憶に残る、そんな結婚式を――

2012/05/03

暫く

義理の姪の結婚式と義母の見舞いのため、明日より暫く名古屋へ行く。宇野浩二の「芥川龍之介」は仕上げたかったが(残すところ40ページ弱)、焦ってもいい仕事は出来ない――いや――時間はたっぷり、あるからな――では、随分、御機嫌よう――

2012/04/28

教え子の便り

僕の愛する(これは社交辞令ではない。本気だ)教え子が職に就いた――

「外にばかりでなく、自分の内側にも目と耳をもっていようと思います。そして、いつまでも学ぶ姿勢とその喜びを忘れずに頑張ります。」

彼女は美しい――未来永劫に美しい……

2012/04/19

教え子への返歌 歐陽修 醉翁亭記 やぶちゃん義太夫風現代語訳

歐陽修の「醉翁亭記」は二十五六年前に読んだきりで忘れていた。
一つ暇に任せて訳してみようと思い立つ。
せめてもの、古き教え子への正しき返歌として――

原文は文言版維基文庫の「醉翁亭記」を用い、句読点及び記号の一部を変更した。訓読(句読点を増補改変し、一部に歴史的仮名遣で読みを振った)と現代語訳に際しては、一部の難解な部分に昭和五十三(一九七八)年朝日新聞社刊「中国古典選 唐宋八家文」所収の清水茂氏の解説・通釈を参考にさせてもらったが、訓読も訳も、あくまで自然流であるから、学術的には使用不可である。語釈は付けると膨大になり、時間もかかるので、今回は現代語訳のみとした。

……而して、訳しながら思ったこと――章末には載道の儒教精神の発露を覗かせながら、その実、百花を愛でて川端に酔って天然自然を見巡り、遊び、居眠りをする欧陽先生は道家的人物を色濃く反映し、最後の楽を知る/知らないという論理も反転させれば、鳥も客も太守も「知る/知らない」という関係性を越境して渾然一体となる「自然」である。そこでは総てが「知る/知られている」のであり、それは正に「荘子」の「知魚楽」(外篇 秋水第十七)を髣髴とさせるではないか――などと勝手なことを考えた。

醉翁亭記 歐陽修

環滁皆山也。其西南諸峰、林壑尤美。望之蔚然而深秀者、琅琊也。山行六七里、漸聞水聲潺潺、而瀉出於兩峰之間者、釀泉也。峰回路轉、有亭翼然臨於泉上者、醉翁亭也。作亭者誰。山之僧智仙也。名之者誰。太守自謂也。太守與客來飲於此、飲少輒醉、而年又最高、故自號曰醉翁也。醉翁之意不在酒、在乎山水之間也。山水之樂、得之心而寓之酒也。

若夫日出而林霏開、雲歸而巖穴暝、晦明變化者、山間之朝暮也。野芳發而幽香、佳木秀而繁陰、風霜高潔、水落而石出者、山間之四時也。朝而往、暮而歸、四時之景不同、而樂亦無窮也。

至於負者歌於途、行者休於樹、前者呼、後者應、傴僂提攜、往來而不絕者、滁人遊也。臨溪而漁、溪深而魚肥、釀泉為酒、泉香而酒洌、山肴野蔌、雜然而前陳者、太守宴也。宴酣之樂、非絲非竹、射者中、弈者勝、觥籌交錯、起坐而諠譁者、眾賓歡也、蒼顔白髮、頹然乎其間者、太守醉也。

已而夕陽在山、人影散亂、太守歸而賓客從也。樹林陰翳、鳴聲上下、遊人去而禽鳥樂也。然而禽鳥知山林之樂、而不知人之樂、人知從太守遊而樂、而不知太守之樂其樂也。醉能同其樂、醒能述以文者、太守也。太守謂誰。廬陵歐陽修也。

〇やぶちゃんの書き下し文

醉翁亭の記   歐陽修

滁(じよ)を環りて皆、山なり。其の西南の諸峰、林壑(りんがく)、尤も美なり。之を望むに蔚然(ゐぜん)として深秀なるは、琅琊(らうや)なり。山、行くこと六七里、漸く水聲潺潺(せんせん)として、兩峰の間に瀉(そそ)ぎ出づるを聞くは、釀(ぢやうせん)泉なり。峰(みね)、回(めぐ)り、路(みち)、轉じて、亭、翼然として泉上に臨む有り。醉翁亭なり。亭を作れるは誰〔た〕そ。山の僧、智仙なり。之を名づくは誰そ。太守、自ら謂ふなり。太守と客と、此に飲み來たり、飲むこと少(わづ)かにして輒(すなは)ち醉(ゑ)ひ、而も年、又、最も高く、故に自ら號して醉翁と曰ふ。醉翁の意、酒に在らず、山水の間に在る。山水の樂は、之を心に得て之を酒に寓する。

若し夫れ、日出でて林霏(りんぴ)開き、雲、歸りて、巖穴、暝く、晦明變化(へんげ)するは、山間の朝暮なる。野芳(やほう)、發(ひら)きて幽香あり、佳木、秀いでて繁陰あり、風霜高潔にして、落ちて石の出づるは、山間の四時なる。朝(あした)に往き、暮れに歸り、四時の景、同じからず、而して樂しみも亦、窮まり無きなり。

負ふ者は、途に歌ひ、行く者は、樹に休らひ、前(まへ)にある者は呼ばはり、後ろにある者は應(こた)へ、傴僂提攜(うるていけい)、往來して絶へざる者に至りては、滁の人の遊なり。溪に臨みて漁(すなどり)すれば、溪(たに)深くして、魚、肥え、泉を釀(かも)し、酒を為(つ)くれば、泉、香んばしくして、酒、洌(きよ)し。山肴野蔌(さんかうやそく)、雜然として前に陳(なら)ぶれば、太守の宴なる。宴、酣(たけなは)の樂しみは、絲(し)に非ず、竹(ちく)に非らず、射る者の中(あた)り、弈(えき)する者の勝てば、觥籌交錯(こうちうかうさく)、起坐して諠譁する者は、眾賓(しゆうひん)の歡びなる、蒼顔白髮、其の間に頹然たる者は、太守の醉ひなる。

已にして、夕陽、山に在り、人影散亂、太守歸りて、賓客、從ふ。樹林陰翳、鳴聲上下、遊人去りて禽鳥樂しむ。然して禽鳥山林の樂しむを知り、人の樂しむを知らず、人は太守の遊に從ひて樂しむを知りて、太守の其の樂しむを樂しむことを、知らざるなり。醉ふては能く其の樂しみを同じくし、醒めては能く述ぶるに文を以てするは、太守なり。太守とは誰(た)れをか謂ふ。廬陵の歐陽修なり。

〇やぶちゃんの勝手自在現代語訳

醉翁亭の記   歐陽修

滁州(じょしゅう)は見巡(みめぐ)り、山また山、
その西南に控かえしは、
峨々たる峰に森と谷、
その言いようもなき美しさ。
眺望遠望、深奥の、
彼方に聳ゆる峰々は、
かの知られたる琅琊峰(ろうやほう)。
山を行くこと六、七里、
次第次第に耳に入る、
さやりさやさや流る音(ね)は、
双(ふた)つ峰(みね)より湧き出づる、
聞こえた、その名も釀(じょう)の泉(せん)。
峰を巡りて、路うねり、
辿(たど)り着きたる四阿(あずまや)の、
醸の泉(いずみ)に寄り添うて、
翼広げし鳥の如(ごと)、
建ってあったが、醉翁亭。
――「この亭を、さても建てたは、誰じゃいの?」
――「山僧、智仙と申す者。」
――「この亭を、さても奇体に名づけしは、一体、どこの何様じゃ?」
――「滁州の太守……この儂(わし)じゃ。」
太守は客を連れ来たり、はるばる亭まで飲み来たる、
一口舐めたばかりにて、太守は直(じき)にべらんめえ、
しかもすっかり爺いなれば、
さすればこそと自ずから、
「醉翁てふは儂のこと」、
さてもところがその醉翁、その心根の向くところ、
全く以て酒に、ない――
そは美しき、この山水、そこにこそのみ、あるのじゃて――
かの「山水の楽しみ」を、直ちに心にともにする、
而して酒は、方便じゃ――

ためしにともに見るがよい――
曙(あけぼの)、東雲(しののめ)、日の出づる、
靄(もや)から森が開けてゆき――
彼誰(かわたれ)、黄昏(たそがれ)、逢魔が時、
昼間に降った雲々も、元の山へと帰り去り、
山崖虚空(さんがいこくう)の岩窟も、
今はすっかり玄(くろ)うなる――
昏く明るく、明暗に――永遠(とわ)に変われる日々のそれ――
それ、この山峡(やまかい)の、明け暮れの、天然自然の「真(まこと)」なり……
草木の薫る春の日に、花の開きてそこはかと、えも言いがたき香りして――
夏の緑樹のすくすくと、茂り繁りて木蔭あり――
白き秋風、吹きすさび――
川面(かわも)の冬は水落ちて、河床(かしょう)の石もはや露(あら)わ――
それ、山峡(やまかい)の四季という、「楽(らく)」たるものの「真(まこと)」なり……
かくも愛(いと)しき明け暮れに、
かくも愛(いと)しき四時の間(ま)に、
朝に出できて、暮れに歸(き)す――
四時の景色は同じうせず――
さすれば「楽(らく)」も、永劫に窮まり盡くることも、なし――

荷を負う人は路(ろ)に歌い、
旅ゆく人は、樹(き)に休らい、
前なる者の呼ばわれば、
後(あと)なる者はそに応え、
腰の曲がった老爺(ろうや)から、
手をひかれゆく童(わらべ)まで、
絶えることなき行き来にも、
この変哲もなき四阿(あずまや)は、
たかが四阿、されど四阿、
滁州の民の心の「遊(ゆう)」じゃ。
谷に臨んで魚をとり、
淵、深ければ、魚も肥え、
清泉汲んで、酒醸(かも)さば、
泉は山の香を含み、
醸(かみな)す酒は清冽々(せいれつれつ)。
山幸、野の幸、そのままに、
田舎料理の太守の宴(えん)。
宴、酣(たけなわ)の楽しみは、
琴に非ず、
笛に非ず、
投壺や囲碁の、ざっくばらん、
壺を射とめるも、射とめぬ者も、
石打勝つたるも、負けたる者も、
互いに酒を酌み交わし、
今宵は、なんの、無礼講、
踊れ、詠(うた)えの大騒ぎ、
客人すっかりご満悦。
――その群衆のただ中に――
しょぼくれ顔の、白髪(しらがみ)の、
ぐでんぐでんの、爺いが一人、
それぞ、お馴染み、酔いぐれた、おいぼれ太守の襤褸(ぼろ)姿。

――夕陽もすっかり山の端(は)に、
落ちてしもうて、人影も、すっきりまばらとなりまして、
太守御帰還、賓客、お供――
森は翳って――
されど、それ――鳥の声の、しきり騒ぐ声(ね)のするは――
物見の民の、喧(かまびす)しき皆、去りゆきて――
野の鳥の、おのが天地を、十全に、心ゆくまで楽しめる――
――然して、鳥は心から、この山林の「楽(らく)」を知り――
――されども人の「楽しみ」の、野点(のだて)の宴(えん)の「楽」知らぬ――
――また客人は、老いぼれの、太守がここで飲んだくれ、居眠りこける「楽しみ」を、それだけ知ってはおるものの――
――老いぼれ太守はその瞬時、滁州の民草(たみぐさ)心より、幸(さち)に生くるの思いの強く、さすればこその「楽しみ」と、酔うた心に満ち足りて、その「楽しみ」をただ独り、楽しみおるを、知りもせぬ――
――さても――
酔うたら、何時(いつ)でも、悦び、一緒!
――じゃが――
酔いが醒めても、その「楽しみ」、
確かにしっかとくっきりと、
文に綴れる芸当を――やらかす奴こそ――この、太守――
――「太守、太守、と……誰やねん?」
――「この儂、廬陵の歐陽 修じゃ。」……

こんなことが出来るのも、野人なればこそ――至福じゃわい――藪野直史

2012/04/18

中国にいる教え子からの消息文

以下に示すのは三日前に僕の古い教え子から貰った消息である。彼は彼の仕事の関係で現在、中国の上海に家族とともに居る。僕はこんな、僕自身を啓発してくれる便に出逢った時、本当に教師をして(「いて」ではなく、完全な過去形であるが)よかったと思うのである。こんな達意で、尚且つ、胸に迫る、そして読む者誰をも、ちょっぴり微苦笑させる素晴らしい文章を書ける彼と友――最早、今はしゃっちょこばった師弟なんぞではない、対等な友であることを誇りに思うのである。僕は偶々「教師」として、彼を教えたに過ぎないのだが、僕が三年間担任でもあって、彼はまた何と僕の現代文しか高校時代に教わっていない如何にも不幸な人物なのである。その彼のこの文の響きは、どうか。正に「文藻」とは、かくの如きものを言うという見本を他の人々にも知って戴きたいのである。彼は奈良をこよなく愛し、能をこよなく愛し、中国をこよなく愛し、家族をこよなく愛する好青年である(僕の中の――puer eternus――プエル・エテルヌス(永遠の少年)という意味に於いて好「青年」であり続ける)。先程、本人からの承諾も得た(著作権は彼にある。引用の際は、このブログからの引用であることを必ず明記されたい)。本名は明かさない。ただ「私の古き友」としておく。

先生、
今日は欧陽脩の名文「酔翁亭記」に誘われて、中2の長男と二人、安徽省滁州に新幹線で日帰り小旅行。薄曇りなのに長袖では汗ばむような陽気に、夏がもうそこまで来ているのを実感しました。小高い丘が連なる市街南郊の風景区には靄もかかり、大陸特有のどんよりした重い空気は、歩くと抵抗力さえ感じられました。肝心の酔翁亭は、大陸でよく見かけるような東屋で、そういう知識を持って見なければ特に感慨も沸かないような代物でした。しかし、私は暮れ行く春に身体ごと包まれる幸福を味わいました。小川に沿った小径の両脇は見渡す限り眩しい若葉に覆われ、藤色やピンクの花をつけた木々がところどころ夢のように佇んでいました。「暮れゆく人生の春」というような日本のどこかの詩句を思い浮かべながら、非日常の感覚を深く味わいました。一千年前にここを訪れた欧陽先生も同じような想いにとらわれたのかもしれません。そうでなければ、人を酔わせるあの名調子は紡ぎ出せなかったでしょう。そうして同じ感性が、東の島国からやってきた私の中に本当に生きているらしいことを不思議に感じ、密かに喜ばしく、そして誇りにも思いました。

今日はそれだけでは終わりませんでした。さきほど帰宅途上の上海地下鉄の列車内で、親子三代の一行に行き遭いました。三十そこそこの父親が車内に掲示された地下鉄路線図を仔細に調べていましたから、恐らくめったに上海に出て来ない郊外の家族が上海動物園にでも遊びに来た帰りだったのでしょう。孫の相手をしているおばあさんが列車の床に尻をついて座りこんだのも、年の頃幼稚園くらいの孫に、その場でシャボン玉遊びをさせたのも、中国生活5年を超えた私の想定範囲内でした。しかし、その子供のズボンを下ろして堂々と床に直接小便させたのには、さすがに度肝を抜かれました。周囲の乗客も、困ったなという苦笑い。

欧陽先生がタイムスリップしてあの地下鉄車内に乗り合わせたら、どうお感じになったでしょう。最近になってやっと私は、一千年前のこの国の文化のひとつの最高峰であった欧陽先生の美意識と、あのご家族を結ぶ線を、何となく思い描くことができるような気がします。とても乱暴ですが「生きていることをありのままに楽しむ」という、細いですが確かな線です。勝手な思い込みかもしれません。しかしこの国は、「美しいものは清浄な床の間に飾ることができる」という日本とは、もっと根底から違う文化の形を持っているような気がします。

先生、人生というものは淋しいものですね。径がいよいよ静寂に包まれ、別れてしまった人々はますます遠くなり、いつの間にか陽は傾き、木々の梢の輝きが失われても、最後まで一人で歩いていかなくてはならないのですね。この愛すべき逞しい国が、微笑みをたたえて歩き続ける力を私に与えてくれますように。

厚みのある気の中を少し前のめりになって息子と進む彼の姿が、暮春の中国のウェットな風景の中にまざまざと浮かんでくる――
また地下鉄の中の田舎の媼(おうな)の日焼けした満面の顔の皺とその笑顔が見える――
それが中国である――
何もかも丸ごと抱え込む強力な包容力を持つ中国そのものである――
肉体だけでなく心までも滅菌処理され、湿った饐えた魂魄さえも居心地が悪くなって逃げ出してしまったような、どこかの国の国民とは違うな……僕はこれを読みながら、そんなことを考えて、口元に知らず知らずのうちに、笑みを浮かべていたのであった……

……歐陽修先生、東の国から来たこの青年は、まさに正しく、先生に繋がる「三上三多」の弟子で御座いましょう?……

2012/04/16

チャツネは鬼門だ

昨日、午後半日かけてカレーを作った。ところが、作っている途中から腹が痛くなってきた。食べ終わった7時には激しいキリモミ状態となり、今朝までに4度トイレに行き、全身の水溶物が流れ出るかのような酷い下痢に見舞われた。一昨日の夜に岩ガキとホヤを食べたが、これはそのような生半可な中毒症状とはわけが違った。胃が焼けるような感じで、こんな持続する痛みは全く初めてであった。

現在も何も食べていない。今夜も食えるかどうかわからない。

原因を考えてみた――昨日のカレーの今までとは違った部分――チャツネを通常の倍近く投入した辛くて甘いカレー――今までも入れてはいたチャツネだが……こんなに入れたのは……初めて……

そうだ! 成分のマンゴーだ! チャツネはマンゴーが主原料――

私は今から7年前に山でウルシにかぶれた――

その時に調べたら、マンゴーもウルシオールと似たマンゴールを含むとあった――

マンゴーは私の好物だったがそれ以来、口にしていない(因みに青マンゴーというのをお食べになったことはあるか? あれはとっても上品で美味しいですぞ)――

今まで必ずカレーには途中でチャツネを入れていたが、今回のように、一壜の半分を投入したのは初めてだった――

母も同じアレルギだった。マンゴーの入ったケーキをうっかり僕が買ってきて、ゲリピーになって大騒ぎになったことがあった――僕は母さんと同じだったんだんだね、やっぱり……母さん、やっちまったよ――♪てへへ♪

2012/04/11

花泥坊

山櫻一枝折りとりて母の霊前に飾りけり――

20120411184520

2012/04/10

アリスと花見

アリスと1時間余り、ワインの余薫の中、散歩しながら花見と洒落込んだ――

5種以上の桜を愛でて、菜の花畑からラベンダー、椿、そして今はハナニラが何と美しいことだろう――

アリスを散歩させていて、こんな余裕を持ったのは今日が始めてだ――

僕は犬の散歩さえ義務のように日々を生きて生きたのか――

僕は陶淵明の気持ちが――少しばっかり腑に落ちた――

さてもフローラは今までの僕の苦手とするところだったが――一つ、やらかして――みるか――

山燃え

昨日と今日、母の相続登記のために鎌倉の法律事務所に通う。妻は名古屋の母の介護に昨日から行った――

僕の書斎からもそうなのだが、北鎌倉の手前から西の山並、北鎌倉からトンネルを抜けた鎌倉側の谷戸の東(向かって右手)の峰々が桜と新緑で素晴らしく燃えている。こんな季節に僕は鎌倉をしみじみ見ることはなかったのだと気づいた。まるで黒澤明の「生きる」みたように、僕は何で55歳という老齢に至るまで、こんなに;美しいグラデーションの鎌倉の景を見ることなく生きて来たのだろう、と激しく後悔した――

横須賀線の車内からでよい(寧ろ、その方がいい。佐助に向かうあの間道でさえ、人息れは吐きたくなるぐらい酷いから)、近日中に御覧になることをお奨めする。電車に乗って、行って、戻る――何と贅沢なことだろう――

たらば書房で岩波文庫を一万円強分買って、行きつけの大船ルミネの「アジオ」で遅い昼食と赤ワイン。気に入っているウェイトレスの子が挨拶に来た。横井也有「鶉衣」の面白さにのめり込んで一時間ほどいたが、僕と隣りのローマ史の本を読んでおられたご老人以外は、総て御婦人方で、しかも僕は明らかに平均年齢を下げている存在であった――まあ、お互い、何と贅沢なことであろう――

僕は侮れない旨い赤ワインのカラヘを美事に空にしながら、平日の真昼間の一時の至福を祝したのであった――

2012/03/25

随分 御機嫌よう

明日より名古屋の義母を見舞いに行く――では随分、御機嫌よう――

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