[やぶちゃん注:底本は佐野花子・山田芳子(花子さんの実娘)「芥川龍之介の思い出」(短歌新聞社『彩光叢書第8篇』・昭和四八(一九七三)年刊)の中の「遺詠」パートを用いた。表記は歴史的仮名遣であるが、促音は小さく打ってある。漢字は新字体であるが、一部、旧字を使用している箇所もある。思うに、元原稿は旧字体であったものを、概ね、新字体に書き換えたものと思われる。また、歌の下に稀に前書き風の記載がポイント落ちであるが、これは最小ポイントに落とした。短歌の間は一コマ空隙とした。その記載附きではなく、短歌単独でも、二行に渡ってしまうものもある。
佐野花子の経歴は、よく纏まったものが少ないので、底本の芳子さんの「母の著書成りて」(①で示す。以下同じ。)、及び、同書の歌人片山恵美子さんの「序として」(②)をメインとし、翰林書房の関口安義編「芥川龍之介新事典」の「佐野花子」の項(③)を参考にしつつ、以下にオリジナルに示す。
*
佐野花子(旧姓・山田)は明治二八(一八九五)年一月十七日に、長野県諏訪郡下諏訪町東山田(「ひなたGIS」)で生まれた。父山田力之丞、母ゑいの長女で、旧家の和やかな大家族の中で育まれ、諏訪高等女学校を首席で卒業し、数え年十七歳で東京女子師範学校(現在の「お茶の水女子大学」の前身)に入学した。国文学者・歌人として知られる尾上芝舟(おのえさいしゅう)に、本「遺詠」の巻頭を飾る、
よどみなく坂を車の登るごとわがはたとせは過ぎさりにけり
を詠み、褒められたとされる。卒業から一年後の大正六(一九一七)年春、当時、横須賀機関学校で(以上は①)物理担当に教授(ここのみ③)であった佐野慶造と結婚した。慶造は、前年大正五年十二月、同校の英語担当の教授嘱託となった芥川龍之介と知り合いとなっていたため、夫婦ともに龍之介との交際があった。花子の兄は関東大震災の折り、赤痢で病死し、慶造は五十一歳(昭和一二(一九三七)年(この没年は五島正夫氏の論文「芥川龍之介はなぜ横須賀を去ったかⅡ―佐野花子―」(ネット(「神奈川歯科大学リポジトリ」)のものがPDFで入手出来る)の「序」の記載に拠った))で急死、花子と弟由信は、労苦の末に結核に罹患した母親を看病したが、この由信も第二次世界大戦の東京空襲にて死亡している(①)。花子は昭和三六(一九六一)年八月二十六日、満六十六歳で亡くなった(②)。なお、死因は孰れにも記載がない。
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なお、必要と感じた部分、特にネイティヴでない読者に向けて、私の注を附した。しかし、私は、中学生の時から自由律俳句の『層雲』に入っており、大学時分は俳諧・俳句研究を主としていたが、実は、大の和歌・短歌嫌いであるので、或いは、とんでもない解釈をし、誤った注をしている可能性がある。されば、誤った部分を見つけられた方は、是非指摘され、御教授願いたい。よろしくお願い申し上げるものである。]
遺 詠 佐 野 花 子
音もなく坂を車ののぼるごとわがはたとせは過ぎ去りにけり
紅梅の花の香りをあびて立つ朝な夕なの春のわが庭
なすこともなくて過ぎゆくこの頃を惜しとも思ひのどかとも見る
心より心に通ふ道ありきこの長月の空の遙けさ
汲み交はすその盃に千代かけて君がみ幸を寿ぎまつる 芥川氏結婚
[やぶちゃん注:「芥川氏」芥川龍之介。彼は、大正七年二月二日、田端で、塚本文と結婚式を挙げている。]
柿の実は朱くつぶらに色づきて君を待ちつつ秋更けてゆく
暮れてゆくみ空眺めてたたずめば雁なきてゆく父ます方へ 信濃なる父上ヘ
果てしなきみ空仰ぎて得ることは雲なかりきといふやすらけさ
大空はいよよ冴えたり仰ぎみる瞳にうつる上弦の月
木犀の花の香りをあびて立つ朝な夕なの秋のわが庭
大輪の黄色の菊のいみぢしさにつとふれし手のつめたきあした
ほのかにもぱっと漂ふ一輪の花の薫りぞ今朝のよろこび
わが庭の紅の芙蓉のいろまして秋のあしたの雨のめでたさ
萩の花光に匂ひつつ薄むらさきの露ぞこぼるる
かにかくに思ひわづらふ一事も我なきあとはただに消えなむ
一筋に思ひしことの数々もわれなきあとはただに消ゆべし
還暦を迎へたる身の衰へよ思へばかなしうれしはかなし
もの皆がただに消ぬべき死にといふことを思ふも病みてあるゆゑ
お茶の水四年の友の懐かしき面輪浮かび来老いて病む身に
六十路が程逝くはよろしと八十の父言ひましきわが病む六十路
六十路にて逝くはよろしと父言ひぬ六十路となりて病みぬこの身は
[やぶちゃん注:以上の二首の「六十路」は「むそぢ」と読む。前の歌は上句初句が字余りであるが、父の台詞として第二句で繋がるため、声を挙げて読んでみると、全く、違和感がないことが判る。]
うれしさもかなしさも世のきびしさも聞き給へかし同窓の友よ
哀へのかすかにかすかに癒えてゆくこの命こそあやしかりける
おとろへの癒えて行くてふうれしさを夢とも思ひうつつともみる
わが病ひ癒ゆると知りて吾子芳子心よりこそよろこびくるる
[やぶちゃん注:「よろこびくるる」の「くるる」は「呉(く)る」の連用形「くるる」。余情・なごりを添える連体中止法(連体止め)。]
食欲は常にも増してあるものをなど細りゆくいとしこの身よ
癒えぬれば庭におり立ち踏む上の柔らかくして春はうれしも
春の庭に立ちて思へば死ぬことも老いたる身にはうれしきものを
熱なくて衰へてゆくわが病ひ不思議と思ひつつ病みてをり
宵々の夢に来まして語らひぬ老いて病む身に父母は恋しき
夜の夢に父母の来まして語らへど老いて病む身ぞしづこころなき
半年の長きいたつき癒えしゆゑ心いささか清くなりにき
慕ひ寄る二人の孫のいとしさにつなぎとめたるわが命かも
なつかしき君が面輪の浮かび来て語らまほしもはかなごとなど
[やぶちゃん注:この「君」⋯⋯私は、つい、芥川龍之介を想定してしまうのである。]
人目には事なきごとく歩み来て還暦といふ年迎へたり
八十四の父逝きましぬその病ひ老衰ときけば心やすらか
病み臥せど心やすらかわが夫の形見と思ふ恩給あれば
[やぶちゃん注:「夫」は古語・詩歌で「つま」と読む。言わずもがな、この「つま」は「配偶者」の意味である。]
おだやかに沈みゆく陽のやすらけさ静けさにわが命死なまし
重なれる注射のあとの痛みさへ馴れてわびしも長病みなれば
[やぶちゃん注:「重なれる」「かさなれる」。]
悲しみも憂ひも持たぬこの身ぞと思ふ端より物案じする
かりそめの事に憂へてかりそめのことに心の和みけるかな
いささ川水のめでたささらさらと底のさざれの数みせてゆく
[やぶちゃん注:「いささ川」「いささがは」。「いささ」は造語で、接頭語として「小さい・僅かな・細(ささ)やかな」の意を表わし、「小川・川幅の狭い川」で、時には「雨水の流れるのを小川に喩えて言う語」でもある。]
いささ川浮べば消ゆるうたかたのそれにも似たるわが思ひかな
思ひ葉を流して吉と占ひぬ心うれしき朝なりしかな
[やぶちゃん注:「思ひ葉」(おもひば)は「触れ合って重なり合うように茂っている草木の葉」を指すが、多く、「男女の恋慕・相愛」などに喩える。]
何ごともよしとみて皆よろこばむさやけき秋に心やすかれ
[やぶちゃん注:「さやけし」「明けし・清けし・爽けし」で、この場合は、「清らかである・さっぱりしている・(気分が)さわやかである・すがすがしい」の意。]
まことあるわれとし生きむ願ひあり君や知りますわれの心を
[やぶちゃん注:この「君」もまた、私は、芥川龍之介を想起してしまう。]
蕗の薹三つ四つ二つふくらみてわが庭隅に春訪づるる
[やぶちゃん注:「蕗の薹」歴史的仮名遣「ふきのたう」、現代仮名遣「ふきのとう」。キク亜綱キク目キク科キク亜科フキ属フキ Petasites japonicus の若い花茎。食用。日本原産で、樺太・朝鮮半島・中国でも見られる。]
しかなりと知り得し時の嬉しさにはた悲しさに泪流るる
[やぶちゃん注:「泪」「なみだ」。]
ほのかにも漂ふ菊はくくられて十三夜の月にかげをあらそふ
君がまこと残さむものと思ひけり老いて病む身のはかな心に
[やぶちゃん注:この「君」は、直前に公開した「私は芥川龍之介のかくれた愛人だった」をものした以上、芥川龍之介ではあり得ないと断言出来る。]
人恋し人は恋しく懐かしくかくてわが身のいつか果つべき
[やぶちゃん注:同前。]
懐しき君のおもわをありありと想ひてあかず月光青し
[やぶちゃん注:「月光」から、間違いなく、同前。]
君がみ影浮びては消ゆうれしさにひたりて過ごす今日の一日も
[やぶちゃん注:やはり「君」は芥川龍之介であろう。]
わが命消えなむとして又保つかなしきものぞ我れの終りは
新たなる年を迎へて嬉しきは君健やかにいますといふこと
[やぶちゃん注:「君」これは花子さんの実娘山田芳子さんであろう。]
逢ひがたき君(きみ)に見えし嬉しさも束の間にして過ぎしそのかみ
[やぶちゃん注:特異的な「君(きみ)」(底本ではルビ)は、やはり、嘗つて、芥川龍之介と邂逅した折の過去詠であろう。]
霙ふりまうら悲しき元且に思ふいつまでわが命ありや
[やぶちゃん注:「霙」「みぞれ」。「まうら」は「目裏」で「瞼(まぶた)の裏側」であるが、ここは、そこから、「目裏(めうら)」=「心」で「心に思い浮かべること」の意である。]
うらうらと日はさし初めて臘梅の蕾ながらに透くはさびしゑ
[やぶちゃん注:「臘梅」(歴史的仮名遣「らうばい」・現代仮名遣「ろうばい」)はクスノキ目ロウバイ科ロウバイ亜科ロウバイ属ロウバイ Chimonanthus praecox 。
「さびしゑ」これは「さぶしゑ」とも使い、「寂しさ」を表わす形容詞「さびし(さぶし)」に、嘆息・強い詠嘆(感嘆)の情を伴なう古代の終助詞「ゑ」が附いたもので、「万葉集」などの上代語に既に見られるが、明治以降の『根岸派』(この派によってこの語句が再生再興させたともされる)や、近現代の歌人らによって、短歌の中で好んで使われたものである。]
消えわびぬ憂ひかさねて来しものをまたあらたなる年は来にけり
池いちめんきらめき止まぬうすらひのうすきを歩む青き小鳥は
[やぶちゃん注:「うすらひ」もとは万葉語で、古くは「うすらび」とも。「薄く張った氷(こおり)・薄氷(うすらい)・薄氷(はくひょう)」の意。]
君がみたより読みつつあればそのかみの御声韻き来思ひほのかなり
[やぶちゃん注:「御声」は「みこゑ」で、「韻き来」は「ひびきく」。さても、その「声」の主たる「君」は、やはり芥川龍之介である。詠んだのは、彼自作の短歌か俳句か、まず、短歌であろう。]
風邪癒えてこころさやけき朝なれど君がみたより見ぬがかなしき
[やぶちゃん注:下句の「君がみたより」は、それに続く「見ぬがかなしき」の表記の違いから、「君が見たより」ではなく、「君が御便り」であろうと解釈した。「君が見たより」で採ってしまうと、論理的に意味が通じなくなってしまう以前に、既にお判りであろうが、「見た」では、現代仮名遣となってしまうから、そもそも、あり得ないのである。翻って、さらに、この一首を、物理的に、じっと眺めてみると、上句は、画数の多い漢字が詰まっていて、頭でっかちになっている印象が、ある。さても、それに加えて、もし、「君が御便り」と表記してしまうと、さらに字画がゴチャついてしまい、純粋に視覚的観点から、佶屈聱牙(きっくつごうが)な雰囲気を醸してしまう、と感ずるのである。仮に、そうして表記を変えてみよう。
風邪癒えてこころさやけき朝なれど君が御便り見ぬがかなしき
これ、私でも、『ちょっと、「漢字」が「感じ」悪くて、ゴツゴツしてるぞ⋯⋯』と感じるのである。それを避けるために、わざわざ「みたより」と平仮名としたのだ、と、私は、考える。いや、何より、そう解釈すると、
「風邪が治って、心持ちも、すっきりと迎えた朝であったのに、あなたさまの御便(みたより)を見ることができない⋯⋯それだけで、私は、なんとも、哀しかったのでした⋯⋯」
と、きわめてなめらかに、音楽のスラーのように読解することが可能となるのである。而して、この「君」は、亡き芥川龍之介の幻(まぼろ)しと、私が読むことは、言うまでもない。]
恋ふべかる君にもあらず恋はるべき我ならなくに忘れかねつも
[やぶちゃん注:この「君」は、やはり、芥川龍之介である。]
あらたなる年を迎へていよいよにふかきいたはりのまなざし持つ娘(こ)
スプートニク飛ぶとふ空を仰ぎみれば事もなげにも澄める朝月
[やぶちゃん注:「スプートニク」ロシア語で“спутник” は「衛星」の意。ソビエト連邦が一九五七(昭和三二)年十月四日に打ち上げた世界初の人工衛星「スプートニク1号」(спутник-1)である(私はこの年の二月に生まれた)。本「遺詠」の中で、初めて作歌時期が特定出来る一首である。花子、満三十八歳の時である。作中の背景は明確に現在形であるから、無論、ずっと二十年以上も前の過去の詠では、ある。恐らく、当時の現代風の一首として、彼女は、特に気に入っていた一首であったのだろう。しかし、或いは、ずっと晩年になって多少の改作をしているかも知れない。
「朝月」「あさつき・あさづき」。私は前者で読む。]
めぐり来し春のよろこび誰とかも語らむものぞ沈丁花咲く
[やぶちゃん注:私は「来し」は「こし」で、「誰」は「たれ」で読む。]
人の死も人の泪も知らぬげに牡丹のつぼみふくらみてゆく
[やぶちゃん注:「泪」「なみだ」。彼女に名誉のために「人の死」は、ここでは、夫慶造(彼の忌日は不明である)の死と採っておく。芥川龍之介の自死とするには、各種ボタンの開花期の初めとは、全く一致しないからでもある。]
御たよりを読みもてゆけばわが袖の泪に濡れてくるる春の日
[やぶちゃん注:言い方から便りの主は芥川龍之介であろう。過去詠が元か。]
娘が買ひ来し初いちごの実つぶらにて故郷の野苺おもひつつ食む
[やぶちゃん注:「娘が買ひ来し」「こがかひこし」。字余り。
「故郷の野苺」「さとののいちご」。花子の郷里は諏訪湖の北岸であるが、対岸には、今、「諏訪湖いちご園」があり、よく知られている。
「食む」「はむ」。]
逢ひがたき人に逢ひにしうれしさよ命あやふき今日このごろに
御姉妹いと健やけく嵯峨の野にたたすみ姿思ひやるわれ 学友中島様京都散策
[やぶちゃん注:「御姉妹」「おんしまい」。
「健やけく」「すこやけく」。
「たたみ姿」「たたみすがた」。
「学友中島様」不詳。但し、次の一首によって、東京女子師範学校の学友であることが判明する。]
病むことも老いも思はずお茶の水の友と行きにし関西の旅
[やぶちゃん注:これは、また、次の一首によって、東京女子師範学校時代の関西(京都含む)への修学旅行であった可能性が極めて高い。さればこそ、先の一首で、その修学旅行での、過去の嵯峨野の背景を以って容易に想像出来たわけである。]
関西の旅を想へばまなうらにありありと浮かぶ亡き師のみかげ
[やぶちゃん注:「まなうら」「眼裏」。「鮮烈な印象が焼き付く場所としての目の奥」の意。]
さやさやと野の宮近き竹の葉の音鳴り出づれ行くべくも無し
[やぶちゃん注:「野の宮」京都市右京区嵯峨野宮町(さがののみやちょう)にある野宮神社(グーグル・マップ)であろう。同神社は数万本の竹が茂る「竹林(ちくりん)の小径(こみち)」の中心にある。]
遙けくも世に経しこの身いたはりて子の為孫のため永らへむ
[やぶちゃん注:これは、花子の思いであるが、前の野宮神社との意識上の連想が感じられる。同神社は、学問・恋愛成就・子宝安産等の祭神を祀っている。
「遙けくも」「はるけくも」。
「経し」「へし」。
「為」「ため」。]
速やかに廻りまはれよ待つ我に早く来れよ回覧のふみ お茶の水文化同級生の回覧文
[やぶちゃん注:永く東京女子師範学校時代の校友の通知が来ているのであろう。]
かしこしや陸奥の国より病む我をみまもり給ふ君いますこと
[やぶちゃん注:「陸奥」「むつ」。現在の青森県と、岩手県の一部に相当するが、ここは青森県であろう。]
今さらに何か嘆かむ病みながきこの身かなしとあきらめをれば
うれしさとはたかなしさとゆき通ひ心乱るる君います日は
[やぶちゃん注:「はた」副詞。この場合は、テンションのマックスを、「唐突に」行ったり来たりする心情の振(ぶ)れを指す。]
面影の昔にまさる清しさに君がみ幸を祈りこそすれ
[やぶちゃん注:「清しさ」「すがしさ」。
「み幸」「みさち」であろう。お幸(おしあわ)せ。この「君(きみ)」は誰かは判らない。しかし、ふと、この一首が、例えば、芥川龍之介が文さんと婚約、或いは、結婚した時期に、花子が詠んだものだと仮定すると、しっくりはくる、と、一瞬、感じたりした。しかし、これは、私が花子の意識に対して、龍之介バイアスが、強くかかってしまっているから、そう考えただけであり、よく見れば、この前後の歌群は、連続した連作であって、「かしこしや陸奥の国より病む我をみまもり給ふ君いますこと」に読み込まれた花子の友人が、花子のことを気にかけて呉れていることへの、素直な感謝の念を詠んだものと、とるのが、自然だった。悪しからず。]
相あひて別れしのちのわびしきに一人想ふもみちのくの空
[やぶちゃん注:以下、「みちのく」の友は、結局、花子のもとに見舞いに来たのであろう。]
病む身こそいとどつらかれ君と居て語らふことの能はざりしよ
語らむこと残りしものをとのたまひしその郷言葉忘られなくに
[やぶちゃん注:「郷言葉」「さとことば」。東北方言。]
その昔君に見えし中里のかりの住居も恋ひしかりける
[やぶちゃん注:「見えし」「まみえし」。この言い方から、この「君」は、明らかに再び、芥川龍之介であると私は思う。]
隣室にきこゆるみ声なつかしみ泪するかな病みあつき身は
[やぶちゃん注:これは、芥川龍之介が慶造の家に呼ばれたが、花子は体調不良で、隣りの部屋で病臥していたというシチュエーションであろう。]
君をおもひ眺むる夜半の月かげの天心にしてはかなかりける
[やぶちゃん注:これも「君」は芥川龍之介。]
中里にありし日君のおとづれをいかに待ちけむ君は知らじな
[やぶちゃん注:「中里にありし日」この「中里」は不詳であるが、試しに、見当をつけて知らべたら、頭に当たった(と考えている)。現在の横須賀市上町(うわまち)に、嘗つて「中里村(なかざとむら)」があった。明治二二(一八八九)年に周辺の村と合併し、豊島(としま)村となり、その後、町制施行で「豊島町」になった後、明治三九(一九〇六)年に横須賀町(現在の横須賀市)へ編入された結果、「中里」の地名は残っていない。しかし、「中里通り商店会」や町内会の名称、而して、同所の中里神社にその名残が残っていると、ガイド・サイト「三浦半島日和」のこちらにあった。この旧上里は現在の横須賀市上町内(グーグル・マップ。以下、無指示は同じ)にあることになる。さて、旧横須賀機関学校は、ここに「海軍機関学校跡の碑」がある。ここは、三笠桟橋・猿島渡船場の東北直近で、この一帯が同機関学校であったのである。「ひなたGIS」の戦前の地図を見ると、中央にあるのが、学校である。ここで視認すると、横須賀駅と学校の間は、直線で六百メートルほどで、近い。佐野花子の作品の記載に拠れば、芥川龍之介が佐野慶造と一緒の花子に初めて逢ったのは、横須賀駅である。二人は、この日、新婚旅行に出かけるところであった。さて、一方、横須賀駅から旧中里までは(「ひなたGIS」の戦前の地図に中央に「中里」とある)、直線で東南東に二キロ強である。即ち、佐野夫婦の住まいが、この旧中里にあったと考えても、仕事場との関係からも、何ら問題がないのである。さすれば、この一首の「君のおとづれをいかに待ちけむ」というのは、龍之介の訪問を彼女が何時も秘かに待っていたことを告白していると断じてよい、と私は、思うのである。]
寝てはさめ覚めては思ふこのごろのはかな心を何にたとへむ
[やぶちゃん注:これは花子の「老いの儚(はかな)さ」を詠んだものと採る。]
君がためこの身いとしむ老いの身のかなしきおもひ知る人ぞ知る
[やぶちゃん注:同前。]
夕されば萩をみなへしなびかせて優しの野辺の風の彩かな
[やぶちゃん注:「夕されば」夕べが来ると。「彩」は「あや」。この場合は「風(かぜ)」であるから、「風の起こす様(さま)」の意。]
師の君に逢ひ参らせしうれしさは何にたとへむものならなくに 小松先生
[やぶちゃん注:「小松先生」これは、短歌の彼女の師であろうか。時代的に、『アララギ』派の有力な歌人で、選者としても知られていた小松三郎が想起されるが、花子が如何なる短歌結社に属していたかが、全く判らないことから、考証のしようがない。その辺りについて、御存知の方は、御教授下されたい。]
三十年を思ひ煩ひ経し我れに花咲く春のめぐり来むとは
[やぶちゃん注:前の一首と合わせるなら、新たに歌人としての再起の話があったものか。]
思ひきやとだえ絶えにし友情の老いて病む身にかへり来むとは
[やぶちゃん注:「小松先生」――「春のめぐり来(こ)む」――「とだえ絶えてしまった友情」――の連関性は、以上の通り、よく判らない。万事休す。]
絶対安静まもりて過ぎし幾月を心軽くも顧みるかな
わが病よろしとききてよろこびを告げなむ人のあまりに遠し
[やぶちゃん注:「告げなむ人のあまりに遠し」先に出た青森の旧友か。]
小春日のさやけき光身にうけて庭にたたずむひな鳥見つつ
ふる里の赤き柿の実送り来ぬこの愛しさを誰に告ぐべき
[やぶちゃん注:「愛しさ」「いとしさ」。「誰」は強意で「たれ」と読みたい。直(じか)に語る人が、いないという、当時の花子の孤独感をよく表現している。]
言はざるは言ふに優るとききにしを君言はざるははかなかりける
[やぶちゃん注:これは亡き芥川龍之介への恨み言(ごと)であろう。自分を愛していながら、明確なそれを、遂に作品の中で示さなかったことへの恨み節と採る。]
相生ひの松とも仰ぐ御夫妻は嫗翁ぞこれのうつしゑ
[やぶちゃん注:「嫗翁」七音に合わせる以上は、「おみなおきな」であろう。但し、一般的な語は「翁嫗」(をうあう/をうをん)で、この順列とするのが普通である。なお、私は、この一首は、後の四首目の「悼名取春山翁」と添えられた詞書(ことばがき)を持つ一首と遠くない、彼女の中の感情的な無意識的関連(関係妄想的と言ってもよい)があるように感じている。そちらの私のやや長い注を参照されたい。]
師の君に逢ひ参らせし心地しぬ御うつしゑにまなこ疑らせば
[やぶちゃん注:「疑らせば」は、明らかに「凝」(こ)「らせば」の花子の誤記、若しくは、本「遺詠」の編者である花子の娘山田芳子さんの判読ミスであると思われる。]
初めしは誰ぞや別れとふことをはかなさ知らぬ人やはじめし
[やぶちゃん注:この一首、音数律から「はじめしは/たれぞやわかれ/とふことを/はかなさしらぬ/ひとやはじめし」であろう。「とふ」は「問ふ」。しかし、上句は表現としては上手くない。]
光足らふ春を心に持ちてよりいのちふふめる土になじみぬ
[やぶちゃん注:「光足らふ」「ひかりたらふ」(字余り)であろう。
「いのちふふめる」「ふふめる」は「含める」で、この場合は「花や葉がふくらんでいるが、未だ、開ききらないで蕾(つぼみ)のままでいる。」の意で、それを、初「春」の「土」に広げた表徴表現である。しかし、少々、語音としては、スマートさを欠いているように感ずる。]
芹なづなさはに摘み来し幼ならよ夕げの膳にみどり匂へり
[やぶちゃん注:思うに「幼ならよ」は、芳子さんの誤判読で、「幼(をさ)なけよ」「幼なげよ」(和歌では普通に、また近現代短歌でも濁点を打たないことが、よくある)であろう。
「芹」「せり」。セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica 。本種は日本原産。「ぺんぺん草(グサ)」の異名で知られ、古代から食用にした「春の七草」の筆頭。
「なづな」アブラナ目アブラナ科ナズナ属ナズナCapsella bursa-pastoris(シノニム: Capsella bursa-pastoris var. triangularis 。北半球に広く分布する。同じく「春の七草」の一つ。]
信濃なる山裾の野辺夢にたつ蕗の薹摘み雪消えの春
[やぶちゃん注:「信濃」花子の故郷。]
既に世に在らずと思ひし春仙が毒死の報を受けて泪す 悼名取春仙翁
[やぶちゃん注:詞書「悼名取春仙翁」(たう なとりしゆんせんをう)。名取春仙(明治一九(一八八六)年~昭和三五(一九六〇)年)は版画家・挿絵画家・浮世絵師・日本画家。中巨摩郡(なかこまぐん)明穂村(あけほむら)、現在の南アルプス市小笠原(おがさわらちょう)生まれで、久保田米僊(べいせん)に師事し、明治四〇(一九〇七)年、『東京朝日新聞社』に入社し、夏目漱石の「虞美人草」「三四郎」「それから」「明暗」等の挿絵を描いて、ジャーナリズムに認められ、以降、多くの挿絵を手掛け、長塚節の「土」、島崎藤村の「春」、泉鏡花の「白鷺」、石川啄木の「一握の砂」などの名作の挿絵で知られる。花子の郷里長野県諏訪郡下諏訪町東山田とは、直線で六十一キロメートル離れるが、この一帯は中部地方の中央高地地域に包含され、彼女には文化的に彼への近親感があったものであろう。但し、本首の「既に世に在らずと思ひし」の謂いから、実際に本人と面会したことはなかったものと思われる。以上を一部、参考にした当該ウィキに拠れば、昭和三三(一九五八)年二月に、『長女を肺炎で亡くし』、二年後の(以下は私が太字とした)昭和三五(一九五七)年三月三十日午前七時、『妻の繁子とともに』現在の東京都港区北青山の『高徳寺境内』にあった『名取家』の『墓前で』、『服毒自殺した』。満七十四歳であった。『法名は浄閑院芳雲春仙信士。遺書には、寺院へ迷惑をかけることの詫びと、将来、夫婦のどちらか一人だけが残されることは望まぬため、娘の傍で二人で逝くことにした旨が記されていた』とあった。恐らく、彼の凄絶な自死、さらに妻との冥途への道行という事実に、花子は強烈な共振的(愛した芥川龍之介の自死・夫慶造の急死等)ショックを受けたものと推測するに難くない。以下二首が同じく春仙を詠んでいることからも判る。読者に異論があれば、何時でも相手になる。なお、この一首も、作歌時期が限定出来る一首である。]
生きながら世に忘られて居たりける名取春仙その身断ちしか
夏目漱石泉鏡花の小説のさしゑ今なほ目にぞのこるを
拡ごりて光れる雪の野を遠く小さく汽車の進みゆく見ゆ
[やぶちゃん注:「拡ごりて」「ひろごりて」。但し、私は「拡」(原稿は「擴」であるかもしれない)の字は、この短歌では、生理的に厭な感じがする。]
いたづらの孫を叱ればいたづらを止めしが淋し春の日向に
[やぶちゃん注:「日向」「ひなた」。]
娘がくれし座椅子によりてウィルヘルム・マイスター読みぬ年よりの日よ 昭和三十五年九月十五日
[やぶちゃん注:珍しい作歌クレジットがある。昭和三十五年は一九六〇年で、花子は満六十五歲。逝去の約一年前の作歌である。
「ウィルヘルム・マイスター」ドイツの巨匠ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ( Johann Wolfgang von Goethe )が書いた教養小説の古典「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」(‘ Wilhelm Meisters Lehrjahre ’)。一七九六年発であるが、後に続篇「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」(‘ Wilhelm Meisters Wanderjahre ’)がある。両方ともに読んだものとしておく。]
ペンとればそのきしみさへしるくして夜半しづけしも秋のわが室
[やぶちゃん注:「しるくして」はっきりと(厭(いや)に)ギシギシと聴こえて。
「室」「へや」。]
山牛蒡の佃煮買ひぬ信濃路にみねばとよびて摘みし日恋し
[やぶちゃん注:「山牛蒡」(やまごばう)という、一般に、寿司屋などで、この名で供されるものは――漬物――で――「佃煮」――ではないのである。その材料は広義のアザミ(薊)様(よう)の植物の☆根で、
○キク目キク科アザミ属モリアザミ(森薊) Cirsium dipsacolepis
○同属オニアザミ(鬼薊)Cirsium borealinipponense
○キク科ヤマボクチ(山火口)属オヤマボクチ(雄山火口)Synurus pungens
等などの☆根の総称である。さらに困ったことに、「ヤマゴボウ」という正式和名を持つのは、日本在来種の、目タクソンで異なる、全く違う、
✕ナデシコ(撫子)目ヤマゴボウ(山牛蒡)科ヤマゴボウ属マルミノヤマゴボウ(丸実山牛蒡) Phytolacca japonica
中国原産で本邦に帰化している、
✕ヤマゴボウ(山牛蒡)Phytolacca acinosa
等で、これは、上記のアザミ様のグループとは、全く、異なる種であり、しかも、このヤマゴボウ類は、全草に強い毒(アルカロイドのフィトラッカトキシンphytolaccatoxin 等)があり、食用にはならないのである。更に、残念ながら、
★花子の言う「みねば」というのは「山牛蒡」ではない
のである。次の注を見られたい。
「みねば」これは、キク亜綱キキョウ目キキョウ科ツリガネニンジン(釣鐘人参)属サイヨウシャジン(細葉沙参)変種ツリガネニンジン Adenophora triphylla var. japonica の地方名で、若苗・若葉・花を食用にする。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『地方によって別名は、トトキ』(何故か知らんが、太字になっている)、『アマナ、ツリガネソウ、チョウチンバナ、ヌノバ、ミネバ』(☜)『ヤマシャジンなどの方言名でも呼ばれている』とあり、また、根については、『姿が朝鮮人参に似た根は強壮作用があるといわれ、年間を通じて採取でき、細いひげを取ってから千切りにしてきんぴらなどにする』とあった。ところが、実は、ここでも悩ましいものがあって、「きんぴら(金平)」は炒め物であって、「佃煮」ではないのである。しかし、この場合、この「みねば」という方が本命であるからして
「山牛蒡」=「みねば」=ツリガネリンジン
と採らざるを得ないと結論しておく。個人的には、私の大好物で寿司屋で食うのは前者だから、極めて残念なのだが⋯⋯。]
亡母が語りし雪女むじなの昔ばなし孫はわが膝にすがりて聴ける
[やぶちゃん注:これは、詠み方で困り果てた。「亡母」は音数律から「なきはは」と読んで見たが、そうすると、以下の「語りし雪女むじなの」パートがえらく字余りになって、現実的でない。そこで、苦し紛れに、以下のように考えた。
「亡母が語りし」は、硬い響きだが、「ばうもがかたりし」で一字余りとし、
「雪女むじなの」の「雪女」を「ゆきをんな」と詠まずに(あまりに音数が多過ぎるため)「ゆきめ」とし、「ゆきめむじなの」で、きっちり、七音となり、
※【但し、私は中世以降の怪奇談を多量に電子化注しているが、「雪女」を「ゆきめ」と呼んだ例は、記憶に、ない。「日文研」の「怪異・妖怪伝承データベース」でも存在しない。ただ、一つだけ、「雪女」が「うぶめ」の姿をしているという事例があるものの、採取地は会津であり、ピンと来ない。そもそも、花子が、これを以って「うぶめ」と訓じる可能性は、極めてゼロに近いと思う。『⋯⋯だったら、「ゆきめ」だろう!』と私は思ったである。】
「昔ばなし」は、そのままで、
「孫はわが膝に」で一字字余り、
「すがりて聴ける」は、七音、
で、まあ、いささか、ギクシャクはするものの、詠唱は可能であると思う。さても、もっとよい読み方があると言われる方は、御教授願いたい。]
桔れのこる胡瓜の茎にこほろぎは黒く澄みたるまなこもてすがる
[やぶちゃん注:「胡瓜」「きうり」。最後は、一字余り。]
初袷清しみ庭に降りたちぬ鶏頭の冷え身にせまり来る
[やぶちゃん注:「初袷」「はつあはせ」は「その年はじめて袷(あわせ)を着ること・その袷」で、所謂、「衣替(ころもが)え」で、陰暦四月一日(新暦では五月上旬から六月上旬)、冬衣(ふゆごろも)を袷と着替える行事を指す。
「清しみ」「すずしみ」。この「み」は接尾語で、原因・理由の意で連用修飾の関係を示す。この場合、『涼しいので、(庭に)「降りたちぬ」』となるのである。
「鶏頭」ナデシコ目ヒユ科ケイトウ属ケイトウ Celosia argentea 。原産地はアジア・アフリカの熱帯地方と推定されるが、本邦には、奈良時代に中国を経由して渡来した。花期は五月から始まる。実際に、あのニワトリの鶏冠みたような「花」に触ったことは、誰も、あられるであろう。すると、実際――「ひんやりと」する――のである。さて、ご存知とは思うが、ケイトウの鮮やかな赤い(他にもピンク・オレンジ等がある)のふさふさした「花」と呼びたくなる部分は、茎が変形したものであり、「花」のように見える部分は「花序・花穂(かすい)」である(実際の花は、珊瑚のように見える箇所の、その下にあって、細かな毛のようなものが附いているだけであって、花弁は存在しないのである)。さて、ケイトウの花序は、夏から秋の暑い時期に咲くため、何より、強い日光から自分を守るため、盛んに蒸散を行って、自(みずか)らの組織の温度を、周囲の気温よりも低く保っている。さても、水分が空気中に蒸発する際には、周囲の熱を奪う気化熱が発生する。そのため、花序に触れた際、時に「ひんやり」と感ずるのである。]
ひたすらに娘を頼み過ぐる日日にしてこのやすけさに病癒えなむ
[やぶちゃん注:「やすけさ」「安けさ」。「身体の感覚が穏やかになること・良くなること」で、「さすけし」の名詞形であるが、この「やすけし」という語は、実は万葉語としてこの意味の用例があったが、暫くして、使われることが少なくなった。しかし、江戸時代には、再び歌人や国学者らが用いたことがあり、近代、またしても歌人らが、その意味で再興して盛んに用いるようになったものなのである。]
蜜吸ひし蜂ふくらみて優しけれ菊の花むら明るきところ
[やぶちゃん注:「花むら」「花叢」で「花が群がり咲いている場所・花の咲いた草叢」を指す語。]
惜しからぬ命なりなど思ひしに経り居れば斯く楽しき日ある
[やぶちゃん注:「惜しからぬ」「をしからぬ」。惜しくもない。
「経り居れば」「へりをれば」。少しそうした状態でいられるようになったので。]
亡き母の眉にも似たる朝月のひそけきを見ぬ烏啼き過ぐ
[やぶちゃん注:「朝月」「あさつき」。早朝の空に昇って見える月。
「ひそけき」「ひそけし」は、「物音或いは対象物が静かで目立たない様子」或いは「もの寂しくひっそりとしているさま」を表わす語。
「烏」「からす」。]
ほととぎす庭をよぎりぬ故郷の柿の実は赤からむ亡き父母恋し
[やぶちゃん注:「故郷」「ふるさと」。
「柿の実は赤からむ」「かきんみはかからむ」で二字余り。]
御眉のただ懐しく偲ばれて恩師の米寿祝ぎまつるわれ 吉田熊次先生三十六年一月十日
[やぶちゃん注:「吉田熊次先生」この人物は、花子が東京女子高等師範学校在学中の教授であった文学博士吉田熊次(よしだくまじ 明治七(一八七四)年~昭和三九(一九六四)年)。詳しくは当該ウィキを見られたい。
「御眉」「おほんまゆ」。
「三十六年一月十日」昭和三十六年は一九六一年。花子は、この時から約八ヶ月後、逝去している。]
高齢の母が欲りせし塩鯟ほしとこそ思へわれもこのごろ
[やぶちゃん注:「欲り」「ほせり」。
「塩鯟」「しほにしん」。実際に花子が料(つく)ったのは、「春告魚(はるつげうお)」の異名を持つ条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii のニシンの一塩にしたものであろう。脂がのって旨い。但し、花子に母の想起していたのは、長野での記憶であるから、強力に塩漬けにした、強力に塩辛かったそれでは、あろう。]
並みいますみ仏のなかに立ちまじり満ち足りいます君を夢みき 田丸やす子様
[やぶちゃん注:「田丸やす子」不詳。]
夢にみし君が面輪の今日ひと日心を去らずほのぼのとあり
[やぶちゃん注:前の連作であろう。「面輪」「おもわ」。「輪」は「輪郭」の意。狭義には、人の顔や顔の輪郭及び表情を表わす古語であるが、この場合は、もっと幅のある「面影」(おもかげ)の意である。]
裏山に朝のひかりのさだまれば若葉のなかに百鳥啼けり
[やぶちゃん注:「百鳥」音数律と清音優先で「ももとり」。たくさんの鳥たち。ここでは、いろいろな種の鳥とも合わせた意で採る。]
花の庭にたちて思へば死てふ事もおとろへし身にうれしきものを
[やぶちゃん注:「死てふ事も」「しぬてふことも」。死ぬということも。]
なす事もなくて過ぎゆくこの頃を憂しとも思ひのどかとも見る
ゆく川の水にしづきて春の野のすみれたんぽぽゆれ止まぬ昼
[やぶちゃん注:「しづきて」は動詞で「靜(しづ)く」である。「万葉集」では「水底(みなそこ)に沈んでいる」の意で使われてあり、平安前期の「古今和歌集」では「水に映って見える」の用法がある。ここでは、後者で採り、川辺に花を咲かせている菫(すみれ)や蒲公英(たんぽぽ)の花たちが流れる川面(かわも)に映って揺れて止まないでいるモーション・シークエンスとして詠じたもので、妙な技巧を用いずに、よく描いていると言える。]
雪かとも散る夕桜手にとめて異国の友への文にはさまむ
花いかだ浮べてはゆく小川辺に野ぜりひたすらつむ少女居り
[やぶちゃん注:「花いかだ」「花筏」。この場合は、水面に散った花弁(はなびら)が連なって流れているのを筏に見立てた語である。即ち、その主語たる主体は「小川」である。
「野ぜり」セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica 。私は裏山の嘗つてあった農業水源地(そこは既に藤沢市であり、そこを下ると、まさにフジの鬱蒼と生えた渓谷が続いていた)の周辺で、母と山ほど、摘んでは、食べたものだった。そこは⋯⋯今や、総て、住宅地となってしまった⋯⋯。]
菜の花の翳りもあらず咲く道を子らとし行けばもの思ひもなし
[やぶちゃん注:「翳り」「かげり」。花子の一連の叙景歌は、捩じれた感情や、奇妙な衒(てら)いが、全くなく、よい。]
君が賜ひし羽織の裏の友禅を老いて見出でし宵のおどろき 芥川様より三十二年春
[やぶちゃん注:この詞書は「芥川様より」で切れ、短歌に出る「羽織の裏の友禅」を芥川龍之介から花子が頂戴したことを指す。これは、花子の「芥川龍之介の思い出」に、その話が載っている。当該部分を以下に示す(前後部分はブログの『佐野花子「芥川龍之介の思い出」 附やぶちゃん注 (五)~その1』を見られたい)。
*
或る日、帰宅した夫は、今度は当方から芥川君の新居をお祝いかたがた訪問することにして来たと申しました。私は子供連れでたいへんだからと、ためらっては見ましたもののやはり夫の意見に従い、出かけることにいたしました。
新居は松原を背に茂る青葉に包まれた小ぎれいな構えでございました。門辺には大きな芭蕉の葉がそよいでおりました。
彼は私ども一家揃っての訪問を心から待ち受けて呉れておりました。新夫人も初めての挨拶を私に与えられ、都育ちのあでやかさを清楚に整えた初々しさで若紫ということばにも例えたい佳人でいられました。この新妻のもてなし振りに私はすっかり嬉しくなり、しまいには初対面ということも忘れて寛いでおりました。私の田舎育ちの荒さや、女学校時代のスパルタ教育の名残りがどこかに出るようで、注意をしながらもはしゃいでしまうのです。彼の方は今日の訪問客のために髪を洗い、仕立て下ろしの浴衣を着て、すがすがしさを身につけた感じでした。若主人振りを私は心中まことに可愛らしいと思ったのです。
「実は今日、親友、久米正雄をご紹介しようと思いましてね。もうすぐ来ることになっているんですよ。どうぞ、夕方までおくつろぎ下さい。赤ちゃんは女中さんと海岸へでもおやりになっては如何ですか。うちの女中もお伴させますよ」
と、しきりに引きとめられたのですが、子供連れであり、初めての外出でございましたので、名残り惜しくも、頃よい時に辞去することになりました。
考えればこのときが、あとにも先にも、私にとっては彼を訪う一度の日だったのです。
ついでに思い出を書きますと、このとき、彼から贈られた初着は、男の子の柄ですから如何にも、すかっとした、見立てのよいもので、私自身がすっかり気に入り、実は、主人を通して彼の承諾も得てありましたが、私の羽織の裏に使わせていただくことになったのです。
機関学校では各々に子供誕生の折りには、初着用三丈の布を贈り合うことになっていたのです。彼もその規則にしたがって、彼自身の見立てで贈ってくれたのでございました。
また、当方からのお返しには、お盆をそれぞれ送りましたが、まだ、独身の彼のみは、お盆でも困るだろうとの話が、うちうちに交わされまして、主人と私で、お誘いかたがた横須賀の町でご馳走し、「さいか屋」という店で財布を買って差し上げ喜ばれました。財布は使って下さった由。羽織裏は長く、色あせるまで使用いたしました…………。
*
因みに、昭和「三十二年」は一九五七年(注している私の生まれた年である)であり、この「遺詠」は作歌年代が、殆んど整列していないことが、明らかとなる。]
ただひと目相見し故に人の世を独り経しとてたより賜ひき
[やぶちゃん注:この「たより」は芥川龍之介からのもののように読めるが、不詳。しかし、実際に芥川龍之介直筆の佐野花子宛書簡があって、晩年までその実物を所持していたのなら、それを花子は何故、何回かの全集編纂の際に報知しなかったのか、少々疑問である。夫慶造の目に触れないように廃棄したのかも知れない。また、彼が、このような秘密の懊悩を花子宛に書く可能性は、決してありえないとは断言出来ないと私は感ずる。龍之介なら、やらかし兼ねないと思うからである。]
寝てはさめさめては思ふこの頃のはかな心を何に譬へむ
何かは知らず早く明けたる春清し心はずみて筆をはしらす
[やぶちゃん注:「清し」「すがし」。]
四十年の昔一度相見し君なれどみたよりあればうれしかりける
[やぶちゃん注:「君」は、明らかに芥川龍之介である。]
古と変らぬものとのたまひてみちのく里に独りすむ君
[やぶちゃん注:読み込んだ「君」は既に出た青森に友人である。]
吹雪して散り来る桜手にうけぬ待てるわが子の家づとにせむ
[やぶちゃん注:「家づと」は「いへづと」で「家苞」。 家へ持ち帰るお土産。]
つと落ちし簪の草にふれしよりよき露のたまはらとこぼれぬ
[やぶちゃん注:「簪」「かんざし」。何らかのシンボライズされた朦朧とした一首である。しかし、本邦の文楽や歌舞伎に於いては、「かんざしを落とす」という行為が「秘密の発覚」や「動揺」を象徴する。されば、この歌は、夫を持つ花子が、芥川龍之介が彼女に赤らさまに向けた誘惑のモーションを、内心に於いて、実は受け入れたかったことを暗示しているように私には見えるのである。]
露の玉こぼれて消えてあともなしわれの思ひもかくあらまほし
[やぶちゃん注:前の――危険がアブナい歌――を、実景で言い直し、その過去のものであった不倫誘惑衝動を断ち切ろうとする希望を「あらまほし」(そうあってほしい)と述懐しているものと執る。]
つき草はかなしき花につゆおびて夕の憂ひをかたり気に咲く
[やぶちゃん注:「つき草」既に「万葉集」に用例がある「露草」=単子葉植物綱ツユクサ目ツユクサ科ツユクサ亜科ツユクサ属ツユクサ Commelina communis の古名。同種は、朝、咲いた花が、昼早くには凋(しぼ)み始めてしまうことから、「儚(はかな)さ」の象徴として詠まれたものが多い。
「夕」「ゆふ」。
「憂」(うれ)「ひを」「かたり気に咲く」「かたりげにさく」。憂いの悶々とした気持ちを語りたいかの如く「咲く」よ、というのである。無論、花子の内心の表象である。]
夕暮の雲にほのめく三日月のはつかなるより秋うらがなし
[やぶちゃん注:「はつかなる」形容動詞ナリ活用で、「はつ」は、「はつはつ」(=「わずか(に)・かすか(に)」。「万葉集」に用例がある「ほんのかすかに」「こんなにも~となるまでに」)と同語源で、「か」は接尾語である。「物事のはじめの部分がちらりと現われるさま・かすか・ほのか」の意で、特に「視覚・聴覚に感じられる度合が少ないさま」を表わす語である。]
病葉に弱き光を投げかけて澄みきはまりぬ十三夜の月
[やぶちゃん注:「病葉」「わくらば」と読む。これは、第一義に「木の若葉」であるが、第二義に「病気や虫に犯されて枯れた葉。特に夏の頃、紅葉のように、赤、又は、黄白色に色づき、枯れた葉」を指す。この場合は、後者の意味であるが、言わずもがな、それは花子自身の身体のメタファー(隠喩・暗喩)である。]
十三夜の月見むとしてはりの戸を明くればさむし長つきの空
[やぶちゃん注:「十三夜の月」陰暦九月十三日の夜。八月十五日の夜の「十五夜」に次いで月が美しいとされ、「後(のち)の月」とも言う。十五夜の月を「芋名月(いもめいげつ)」というのに対し、「豆名月・栗名月」とも呼ぶ。
「はり」「玻璃」。ガラス。
「長つき」長月。九月の異名。]
還暦を迎へたる身の衰へよ衰えヘばかなしうれしはかなし
[やぶちゃん注:「還暦」花子は明治二八(一八九五)年一月十七日生まれであるから、数えで還暦は昭和三一(一九五六)年一月一日である。彼女は昭和三六(一九六一)年八月二十六日に逝去しているから、狭義には、亡くなる五年前の元旦の詠と措定しておく。]
心経の墨いろ冴ゆる扇より風立つごとく秋に入りたり
[やぶちゃん注:「心経」「般若心経」、正確には「般若波羅蜜多心經」(はんにゃはらみったしんぎょう)である。現在、最も流布しているのは、玄奘三蔵訳とされる『小本系(しょうほんけい)』の漢訳であり、通常は、これを指す。冒頭の「佛說摩訶般若波羅蜜多心經」十二文字、及び、最後の締めの「般若心經」四文字題名を含めると二百七十八字となる。これは、小さな文字で扇に毛筆で書くことは可能であり、私も持っている(但し、蔵書の藻屑となっているので、見当たらない)。]
六十路が程逝くはよろしと八十の父言ひましき吾はいま病む
[やぶちゃん注:「六十路」「むそじ」。数え。花子の父山田力之丞は生没年が判らないので、本作の作歌時期を特定出来ない。
「八十」「やそ」。]
衰へのいえてゆくてふ嬉しさを夢とも思ひ現ともみる
[やぶちゃん注:「てふ」「という」の意。
「現」「うつつ」。現実。]
病いえぬ庭に下り立ちふむ土の軟らかにして春は来にけり
[やぶちゃん注:「病」「やまひ」。「いえぬ」「癒えた」の意。「下り立ち」「おりたち」。]
もち草の芽のやはらかさそとふれしおよびにも沁む春のいきほひ
[やぶちゃん注:「もち草」「もちぐさ」。「餅草」で、お馴染みのキク目キク科キク亜ヨモギ属ニシヨモギ変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii のこと。
「そと」そっと。
「および」「指(および)」。]
静かにもまた苦しくも歩み来て還暦といふ年迎へたり
病みぬれどなじか嘆かんこの日頃心足らひてすぎゆく我を
吾子とゐて病の床にふしたれば心尽して看取られてをり
[やぶちゃん注:「吾子」「あこ」。我が子。]
八十四の父逝きましぬその病老衰ときけば心暗むも
病みてあれど心は安しわが夫が形見の一つ病めるこの身も
ひとすぢに思ひし事の数かずよ我がなきあとをただに消ゆるな
宵よひの夢に来まして語らひぬ老いて病む身に霊は悲しき
[やぶちゃん注:「宵よひ」「よひよひ」。宵毎(よいごと)。毎晩。ここの来たる「霊」は、前後の歌の詠唱から見て、夫慶造か、実父、或いは、実母であろう。]
夜の夢に父母の来まして語らふよ老いて病む身ぞしづ心なき
半年といふ長きいたつき経し故に心何ほどか清まりにけん
[やぶちゃん注:「いたつき」古語の「労(いたつ)き・病(いたつ)き」で、この場合は、第一義的には「骨折り・苦労」であるが、この場合は、第二義の自身の「病気」である。]
慕ひ寄る二人の孫のいとしさにつなぎとめたる命とも見し
毎日の注射の針の痛みさへなれてわびしも長く病みゐて
なつかしき君がおもわを浮べては独り語らむはかな事など
[やぶちゃん注:「はかな事」「はかなごと」。「儚(はかな)い事がら」の意。頭の「なつかしき君」という語り方から、私は芥川龍之介であろうと思う。]
はかなくも思ひてすぎし君が上遙けく経てはわが事思ふ
[やぶちゃん注:上句の謂いから、「君」は芥川龍之介であろう。
「上」「うへ」。
「遙けく」「はるけく」。この場合、意味は「時空間的に遠い・久しい・ずっと昔である」を表としつつ、「心理的に隔たっている」を重層させているに違いない。さればこそ、この「君」は芥川龍之介である。]
花見ても人懐しく思ふかな老いて病む身のはかな心に
御たよりを読みもてゆけばわが袖の涙にぬれて読めずなりたり
幾年を思ひてすぎし吾れなれど君に見えむ時近づきぬ
[やぶちゃん注:花子の芥川龍之介への執心から、この「君」も芥川龍之介である。]
熱なくて哀へてゆくわが病ひ不思議と思ひ思ひつつやむ
食慾は常に変らであるものをなどてこの身の細りゆくらむ
紫は母が好める花なりとあまた摘み来る子は汗ばみて
降りくれし牡丹雪こそめでたけれ手に受けたればただに消えゆく
[やぶちゃん注:これは、辞世とは断定出来ぬが、詠唱対象の季節性と「ただに消えゆく」の謂いから、それに相応しいとは思われる。花子の素直な諦念が伝わってくる。]
佐野花子「遺詠」/終わり