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2023/12/07

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鳥類の智慧」 / 「ち」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、これを以って、「ち」の部は終わっている。]

 

 鳥類の智慧【ちょうるいのちえ】 〔耳囊巻五〕木下何某の領分、在邑の節、領内を一目に見晴す高楼有りて、夏日近臣を打連れて、右楼に登り眺望ありしに、遙かの向ふに大木の松ありて、右梢に鶴の巣をなして、雄雌餌を運び、養育せる有さま、雛も余程育立て、首を並べて巣の内に並べるさま、遠眼鏡にて望みしに、或時右松の根より、か程ふとき黒きもの、段々右木へ登る様、うはばみの類ひなるべし。やがて巣へ登りて、雛ををとり喰《くら》ふならん、あれを制せよと、人々申しさわげども、せん方なし。しかるに二羽の鶴の内一羽、右蛇を見付けし体《てい》にてありしが、虚空に飛去りぬ。哀れいかゞ、雛はとられなんと、手に汗して、望み詠(なが)めしに、最早かの蛇も梢近く至り、あはやと思ふころ、一羽の鷲はるかに飛来り、右の蛇の首を喰(くは)へ、帯を下げし如く[やぶちゃん注:ママ。以下の私の電子化では「帶を下(くだし)し如く」である。]、空中を立帰りしに、親鶴も程なく立帰りて、雌雄巣へ戻り、雛を養ひしとなり。鳥類ながら、その身の手に及ばざるをさとりて、同類の鷲をやとひ来りし事、鳥類心《こころ》ありける事とかたりぬ。 〔牛馬問巻二〕予<新井白蛾>が類縁に、宇松貞といへる医あり。一とせ夏鍼《しん/はり》をならべ置きたるに、鉄鍼を紛失せり。尋ぬれども終に得ずして止みぬ。翌年の夏のはじめ、徒然して坐し居たるに、縁の上へ血したゝり落つ。不思議に詠め見る所に大なる蛇落ちて死にける。この由を審かにするに、燕来て、年々此家に巣を作るといへども、この蛇のために卵をとられ、生育する事なかりしに、去年の鍼を巣に貯へ、今年終に敵《かたき》をとりぬ。物おのづからこの理有り。これ予親しく聞く所なり。

[やぶちゃん注:前者は私のは、底本違いで、「耳嚢 巻之六 鳥類助を求るの智惠の事」。後者「牛馬問」は「烏賊と蛇」で既出既注。この正字原文は国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧三期・㐧五卷(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここの「卷之二」の掉尾にある『○燕の敵』がそれ。

「宇松貞」現代仮名遣で「うしょうてい」か。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「長泉院の鐘」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 長泉院の鐘【ちょうせんいんのかね】 〔甲子夜話続篇巻十〕梅塢曰く、駿州榛原郡<静岡県内>長泉院と云ふ曹洞宗の寺に、昔し雲遊の僧来て行乞たるに、折ふし住持は碁を打ち居たるが云ふには、この寺は素より窮乏にて、貯へとては一銭だに無し、有るものはたゞ撞鐘のみなり、これにても持ちゆくべしと答ふれば、僧聞て持ちたりし錫杖にその鐘を掛け、雲を凌いで飛去りぬ。この僧は役行者の神変にて、この鐘は大峯深山の灌頂堂《くわんじやうだう》に今に存在せり。即ち榛原《はんばら》郡長泉院と銘その儘にありと。その後代を歴てこの寺の鐘を鋳たるに、月日立《たち》ても音出《いで》ず。このこと承応の頃なるに、安永のほどまで此《かく》の如くなりしかば、時の住持思ひ興《おこ》し、役行者(えんのぎやうじや)の堂を建立し、その堂に懸る鐘を鋳んことを行者に起誓し祈りしかば、或夜霊夢を見る。因てその告げにまかせ、寺の境内を掘りたるに、応永年中この寺の前住が鋳たりし鐘を感得す。この鐘今に行者堂の鐘とて、この寺の法事祭事に用ゆると云ふ。(この話梅塢が門人村岡修理なる者親しく見しと)<遠州原田荘《しやう》長福寺の鐘に関して伝えるところ、殆んど右に同じ。同書同巻同項に出ている>

[やぶちゃん注:宵曲のヒドい手抜きを、私が「フライング単発 甲子夜話續篇卷十 14 駿州長泉院【或云、遠州長福寺】の古鐘」で是正したので、見られたい。

フライング単発 甲子夜話續篇卷十 14 駿州長泉院【或云、遠州長福寺】の古鐘

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。カタカナの読みは珍しい静山のルビ。]

10-14

 梅塢(ばいう)曰(いはく)、

――駿州榛原郡(はいばらのこほり)長泉院と云(いふ)曹洞宗の寺に、昔し雲游(うんいう)の僧、來(きたり)て、行乞(ぎやうこつ)たるに、折ふし、住持は棊(ご)を打居(うちをり)たるが、言ふには、

「此寺は、素(もと)より、窮乏にて、貯(たくはへ)とては、一錢だに、無し。有るものは、たゞ撞鐘(つきがね)のみなり。是にても、持(もち)ゆくべし。」

と答(こたへ)れば、僧、聞(きき)て、持(もち)たりし錫杖に其鐘を掛け、雲を凌(しのい)で、飛去(とびさ)りぬ。

 この僧は、役行者(えんのぎやうじや)の神變(しんぺん)にて、この鐘は、大峯深山の灌頂堂(くわんじやうだう)に今に存在せり。卽ち、榛原郡長泉院と、銘その儘にあり、と。

 其後(そののち)、代を歷て、この寺の鐘を鑄(い)たるに、月日立(たち)ても、音、出(いで)ず。

 このこと、承應の頃なるに、安永のほどまで、此(かくの)如くなりしかば、時の住持思ひ興(おこ)し、役行者の堂を建立し、其堂に懸る鐘を鑄んことを行者に起誓し祈りしかば、或夜、靈夢を見る。因(よつ)てその告(つげ)にまかせ、寺の境内を堀[やぶちゃん注:ママ。]りたるに、應永年中この寺の前住が鑄たりし鐘を感得す。この鐘、今に「行者堂の鐘」とて、この寺の法事・祭事に用ゆる。――

と云(いふ)。【この話、梅塢が門人村岡修理なる者、親(したし)く見し、と。】

 行智、曰(いはく)、

――金峯山(きんぼうさん)の高峯(たかみね)を「鐘掛(かねかけ)」と云ふ。絕頂の平坦に堂あり。「山上堂」と云ふ。これ金嶽(カネノミタケノ)神社にして、堂には金剛藏王權現を安置す。堂内の梁に鐘一口を懸けたり【行智が見る所は、大抵、高さ三尺許(ばがり)あるべし。】。銘、あり、曰(いはく)、

  遠江國佐野(サヤノ)郡原田莊(しやう)長福寺

  天慶七年六月二日

 昔し、遠州原田莊に長福寺と云(いふ)あり。

 一夕(いつせき)、山伏、來(きたり)て齋料(ときれう)を乞ふ。

 住持、特に碁(ご)を打居ければ、起(おき)て、物を施すに懶(ものう)く、居(ゐ)ながら、山伏を顧(かへりみ)て、

「この寺、貧にして、布施に供ずべき物なし。たゞ堂上に巨鐘あり。是にてよくば、持行(もちゆく)べし。」

と言ふ。

 山伏、これを聞き、領掌(りやうしやう)して、直(ただち)に鐘堂(しようだう)に登り、鉤鐘(つりがね)を引下(ひきおろ)し、持來(もちきた)れる錫杖を龍頭(りゆうづ)に指(さ)しとほして、輕々と肩に打(うち)かけ荷(にな)ひ去る。

 住持、大に駭(おどろ)き、卽(すなはち)、人を走らせて、山伏のあとを追行(おひゆか)しむるに、疾風の如くにして、及(およぶ)べからず。遂に、その跡を失ふ。

 又、後に、大峯より還れる山伏の物語に云ふ。

「彼(か)の山上、嚴石(がんせき)の出(いで)たる所に、この寺の鐘の掛れるを見たり。」

と。

 因(より)て、住持、始めて曉(さと)る、

「これ、役行者の眷屬などの所爲ならん。」

と知り、これを悔ひ、大に恐れ、寺中に「役行者の堂」を建て、これを祀り、後、又、寺を捨(すて)、金峯に入(いり)て修行し、山伏の徒(ともがら)と成れりと云(いふ)。

 夫(それ)よりして、彼(か)の山嶺を「鐘掛」とは呼(よび)ならはせり。――

と【行智曰(いはく)、『「峯中緣記」に見ゆ。又、「行者靈驗記」に出(いだ)す所は少(すこ)しく異說と聞(きこ)ゆ。又、近くは「東海道名所圖會」にも載(のせ)たり。』。】

――右、長福寺と云へるは、東海道掛川驛より、二里許(ばかり)、秋葉山へ往く道の側(かたはら)に在り。眞言宗にて、門前に、「大峯鐘掛役行者舊跡」とある榜(たてふだ)を竪(たて)たり。寺中に、「行者堂」、今にあり。此寺に爾來、鐘を置くこと、なし。適々(たまたま)鑄れども、成らず。又、他(ほか)より求來(もとめきたり)て置(おく)ときは、必ず、災異あり。依(よつ)て今に鐘を寺内に禁ず――

と云へり。

 此二說、ひとしからず。要するに、奇異の事也。

■やぶちゃんの呟き

「梅塢」幕臣荻野八百吉(おぎのやおきち 天明元(一七八一)年~天保一四(一八四三)年)。天守番を勤めた。仏教学者として知られ、特に天台宗に精通して、寛永寺の僧らに教えた。「続徳川実紀」の編修にも参加している。名は長・董長。梅塢(ばいう)は号。静山より二十一年下。

 以下の語注は、「柴田宵曲 妖異博物館 持ち去られた鐘」の私の注を見られたい。なお、他にも「諸國里人談卷之五 ㊉器用部 大峰鐘」も参考になるので、どうぞ!

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「手水鉢の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 手水鉢の怪【ちょうずばちのかい】 〔耳囊巻六〕御医師に人見幽元と申すあり。茶事にも心ありしか。番町<東京都千代田区内>にて(名も聞きしが忘れたり)古き石の手水鉢あるを見て、しきりに所望なせしが、右は年久しく庭にありて、調法なすにもあらざれど、殊の外根入《ねいり》ふかき由言ひければ、それは人を懸けて、据らせ申すべき間、何卒給はるべしと約束して、その日になりて人夫をやとひ、根入りはいと深けれど、難なく掘出《ほりいだ》し、光栄事幽足方へ持込み、扨々珍器を得たりと、殊の外欽《よろこ》び寵愛せしに、その夜より右手水鉢帰るべき由中すよし、家内これさたに、石の物言ふといふ事、有るべきやうなしと。兎角夜に入れば、物言ふ事やまず。恐れて元に帰しけるとや。訳ありて事を怪にたくしけるか、石《いし》魂《たましひ》ありてかくありしや、知らず。

[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之十 古石の手水鉢怪の事」。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「釣客怪死」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 釣客怪死【ちょうかくかいし】 〔続蓬窻夜話〕紀州に鈴木周徳と云ふ者あり。城中の奥坊主にて身上《しんしやう》も貧しからず世を過しけるが、周徳常に魚を釣る事を好みて、公用閑暇の折節は雑賀崎(さいかざき)・田ノ浦など云ふ処へ磯釣と云ふ事に行きて、終日巌の上を徘徊し、魚を釣てぞ楽しみける。享保十年の暮、或る日周徳外へ行く事のありて出けるが、晩(くれ)に至つて帰り来《きた》るを見れば、その著たる衣服内さま、肩より裾に至るまで一身皆水に湿(ぬれ)たり。家内大いに驚きて、誤つて海などへ落ちられるけるにやと問ひけれども、その身も何方《いづかた》にて湿たると云ふ事を知らず。人々大いに怪しみ、不思議なる事と云ひ合ひけり。その後《のち》程経て周徳何地《いづち》へか行きたりけん、仮初に出行きて家に帰らざりしかば、一家従類驚き騒ぎ、足を飛ばして方々を尋ね巡りけるほどに、至らぬ所もなく捜し求むるに、更に行衛を知ることなし。余りに尋ね兼ねて、常々釣を好みたれば、若し田ノ浦・雑賀崎辺へ行きて、磯巌浪にも打たれて底の水屑ともなりやしぬらんと、跡を求めて田ノ浦へ尋ね行き、爰かしこと捜し求めけるに、磯辺より一段高き岩山の如くなる処に、咽(のど)の喉(ふえ)を搔切りて死してあり。これはと驚き寄り聚《あつま》りてその躰《てい》を見たりけるに、喉はかき切てあれども、脇指は鞘に納めてあり。その外刃物の類《たぐひ》は見えず。不思議に思ひて脇指を抜きて見れば、刃には少し血付きたり。自身切てまた鞘に納めて後死したるかと、その沙汰評議区(まちまち)なり。この田ノ浦の磯には昔より怪しき所ありて、事を知《しり》たる所の者などは、その場へ行きて魚を釣る者なし。事を知らぬ外の者は、この場怪しきことありとも、所の者はさもあるべし、外より来《きた》る者には何事か有らんとて、推《お》して釣する人も有りけるよし、而も其処は魚も多く集る磯なれば、此周徳もそのやうなる場所を避けず、年々釣りて楽しみたる故にて、海神・山鬼の祟りをなし、この山へ呼びよせて、かゝる乱心の者となし、不明の自滅を致しけるかと、人々疑ひ怪しみけり。

[やぶちゃん注:「続蓬窻夜話」「蟒」で既出既注だが、本書の「引用書目一覽表」のこちらによれば、作者は「矼(こう)某」で、享保一一(一七二六)年跋。写本しかないようである。原本に当たれない。但し、今回、ネットで一件認めたサイト「座敷浪人の壺蔵」の「釣人怪死」の現代語訳を見ても、それも、先の「蟒」中の一篇も、而して、この話も、明らかに紀州藩藩士個人に係わる子細な話であることから、作者は同藩藩士と推定は出来る。

「雑賀崎(さいかざき)」現在の和歌山県和歌山市雑賀崎(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「田ノ浦」雑賀崎の南東直近のここ

「磯巌浪」読み不詳。音読みなら「きがんらう」。]

モーゼさへ鐵槌下すネタニヤフ


モーゼさへ鐵槌下すネタニヤフ

「ネタニヤフ」=ヘブライ語「ヤハウェが与える」の意。
「ヤハウェ」はユダヤ教・キリスト教では神聖にして口に出してはいけない言葉である。
『あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。』(ウィキソース「出エジプト記」二十章七節)。
既にして、こんな名を持つ彼奴は「呪われた男」なのである――

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「宙を行く青馬」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 宙を行く青馬【ちゅうをゆくあおうま】 〔我衣十九巻本巻十一〕多紀安長先生<医家>の三番目の弟は、貞吉殿とて、幼稚より医をきらひ、儒学の功つもりて一家をなし、頗(すこぶ)る雅《みやび》も有りて、医学館の傍(そば)に住まれし。七月十八日の夜、家内の男女三四人連れて、両国橋に暑をさけんと、夜行の帰りは九ツ時<夜半十二時>過にや成りけん。広小路も人まばらにして、月さへよく照り増りたるに、いがらしが家の上比(ころ)と覚えし所より、花火の如き物飛出《とびいで》て、元柳橋の方へゆらめき行く。あれよと見上げたるに、その後より狩衣(かりぎぬ)着たる人の青馬に乗りて宙を行く。その高さ壱丈ばかり上なり。馬の膝より上は見えて、蹄のあたり見えず。皆恐怖して目と目を見合せ、忙然たるばかりにて、女などは戦慄して宿所に帰りて、その夜一目も合はずと[やぶちゃん注:一睡も出来なかったとのこと。]。その兄御成山崎宗固に右の趣《おもむき》語られしを、師君の於御城直聞かれしと予<加藤玄亀[やぶちゃん注:作者加藤曳尾庵の本名。]>に語り給ふ。いかなるものなるや。不審(いぶか)しきの極《きはみ》といふべし。

〔街談文々集要丙子の中〕同丙子<文化十三年>七月十七日の夜、萌黄(もえぎ)の狩衣を著し、あし毛の馬に乗りて天を飛びしものあり。両国広小路にて見しもの多くあり。此とびものの時、馬の先ヘ立て火の王も飛びしよし。翌日広小路の講釈師、この事を咄したるよし。奇怪なる事なり。

[やぶちゃん注:前者「我衣」は先の「紅毛人幻術」の注で述べた通りで、原本に当たる気にならない。悪しからず。

「街談文々集要」作者は石塚豊芥子(別名「集古堂豊亭」 文政一一(一七九九)年~文久二(一八六二)年)。文化・文政期(一八〇四年~一八二九年)の巷間の聴書を記したもの。国立国会図書館デジタルコレクションの『珍書刊行會叢書』第六冊(大正五(一九一六)年珍書刊行会刊)のここで視認出来る。標題は『第七 闇夜飛妖物』(やみよえうぶつとぶ)。以上の二話は日付の変わる時間であるから、同一の現象を語ったものと考えてよい。逆転層等による蜃気楼現象とみて問題ない。宵曲は余程、この手の話が好きだったようで、既に先行する「馬にて空中を飛来る」でも採用しており、それも文化十三年で、全く同じの話である。「もう飽きました。宵曲せんせ!」]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「大事出來」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Daijisyuttai

 

     

 

       ―― 芝 居 風 に ――

 

    第 一 場

 

ルピツク夫人――どこへ行くんだい?

にんじん(彼は新しいネクタイをつけ、靴へはびしよびしよに唾をひつかけた)――父さんと散步に行くの。

ルピツク夫人――行くことはならない。わかつたかい? さもなけや・・・(彼女の右手が、勢ひをつけるために後ろへさがる)

にんじん(低く)――わかつたよ。

 

    第 二 場

 

にんじん(柱時計の下で考へ込みながら)――おれは、どうしたいつていふんだ  痛い目にあわなけや、それでいゝんだ。父さんは、母さんより、そいつが少い。おれは勘定したんだ。父さんには氣の毒だが、まあしやうがない。[やぶちゃん注:初めの一文のあとの二字空隙はママ。戦後版は「? 」。脱字の可能性が極めて高いが、ママとしておく。]

 

    第 三 場

 

ルピツク氏(彼はにんじんを可愛がつてゐる。しかし、いつこう、かまひつけない。絕えず、商用のため、東奔西走してゐるからだ)――さあ、出掛けよう。

にんじん――うゝん、僕、行かないよ。

ルピツク氏――行かないたあ、なんだ? 行きたくないのか?

にんじん――行きたいんだよ。だけど、駄目なんだ。

ルピツク氏――譯を云へ、どうしたんだ?

にんじん――なんでもないの。だけど、家にゐるんだ。[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「いへ」と訓じておく。]

ルピツク氏――あゝ、さうか、また例の氣紛れだな。五月蠅い眞似はよせ。一體、どうすれやいゝんだ! 行きたいつて云ふかと思ふと、もう行きたくない。ぢや、いゝから家にゐろ。そして、勝手に泣き面かくがいゝ。

 

    第 四 場

 

ルピツク夫人――(彼女は何時でも、人の話がよく聞えるやうに、用心深く、戶の蔭で聽き耳を立てゝゐるのである)――よしよし、可哀さそうに!(猫撫聲で、彼女は、彼の髮の毛の中に手を通し、それを引つ張る)――淚をいつぱい溜めてるよ、この子は・・・。さうだらうとも、父さんが・・・(そこで彼女は、ルピツク氏の方をそつと見る)――いやだつていふもんを無理に連れて行かうとするからだね。母さんはそんなことしないよ、そんな殘酷ないぢめかたは・・・。(ルピツク夫婦は、背中を向き合はせる)

 

 

    第 五 場

 

にんじん(押入の奧である。二本の指を口の中へ、一本を鼻の孔へ突つ込み)――誰れもかれも、孤兒(みなしご)になるつてわけにやいかないや。

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、標題中の「出來」は「しゆつたい(しゅったい)」と読む。

原本はここから。なお、「にんじん」には、本書刊行から六年後に書かれた全十一場からなる、同名の戯曲(一九〇〇年初演)が存在する。

「第五場」の前の行空けは二行空けはママ。

 以下の原文は、ト書きに斜体処理が施されているので、一部の字配を除いて、全面的に大文字などを含め、再現した。]

 

 

 

 

    COUP DE THÉÂTRE

 

     SCÈNE PREMIÈRE

 

     MADAME LEPIC

   Où vas-tu ?

     POIL DE CAROTTE

Il a mis sa cravate neuve et craché sur ses souliers à les noyer.

   Je vais me promener avec papa.

     MADAME LEPIC

   Je te défends d’y aller, tu m’entends ? Sans ça… Sa main droite recule comme pour prendre son élan.

     POIL DE CAROTTE, bas.

   Compris.

 

 

     SCÈNE II

 

     POIL DE CAROTTE

  En méditation près de l’horloge.

Qu’est-ce que je veux, moi ? Éviter les calottes. Papa m’en donne moins que maman. J’ai fait le calcul. Tant pire pour lui !

 

     SCÈNE III

 

     MONSIEUR LEPIC

   Il chérit Poil de Carotte, mais ne s’en occupe jamais, toujours courant la pretentaine, pour affaires.

   Allons ! partons.

     POIL DE CAROTTE

   Non, mon papa.

     MONSIEUR LEPIC

   Comment, non ? Tu ne veux pas venir ?

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! si ! mais je ne peux pas.

     MONSIEUR LEPIC

   Explique-toi. Qu’est-ce qu’il y a ?

     POIL DE CAROTTE

   Y a rien, mais je reste.

     MONSIEUR LEPIC

   Ah ! oui ! encore une de tes lubies. Quel petit animal tu fais ! On ne sait par quelle oreille te prendre. Tu veux, tu ne veux plus. Reste, mon ami, et pleurniche à ton aise.

 

     SCÈNE IV

 

     MADAME LEPIC

   Elle a toujours la précaution d’écouter aux portes, pour mieux entendre.

   Pauvre chéri ! Cajoleuse, elle lui passe la main dans les cheveux et les tire. Le voilà tout en larmes, parce que son père… Elle regarde en dessous M. Lepic… voudrait l’emmener malgré lui. Ce n’est pas ta mère qui te tourmenterait avec cette cruauté. Les Lepic père et mère se tournent le dos.

 

     SCÈNE V

 

     POIL DE CAROTTE

Au fond d’un placard. Dans sa bouche, deux doigts ; dans son nez, un seul.

   Tout le monde ne peut pas être orphelin.

 

2023/12/06

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蝌斗(おたまじやくし)」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Otamajyakusi

 

     蝌 斗(おたまじやくし)

 

 

 にんじんは、獨り、中庭で遊んでゐる。それも、ルピツク夫人が窓から見張りの出來るやうに、まん中にゐるのである。で、彼は、神妙に遊ぶ稽古をする。そこへ丁度、友達のレミイが現はれた。同い年の男の子で、跛足(びつこ)をひき、しかも、しよつちゆう走らうとばかりする。自然、わるい方の左の脚は、もう一方の脚に引きずられ、決してそれに追ひつかない。彼は、笊をもつてゐる。そして云ふ――

 「來ない、にんじん? うちのお父つあんが川へ網をかけてるんだ。手傳ひに行かう。そいで、僕たちは笊でオタマジヤクシをしやくおうよ」

 「母さんに訊けよ」

と、にんじんは答へる。

 

レミイ――どうして? 僕がかい[やぶちゃん注:句点無しはママ。誤植。]

にんじん――だつて、僕だと許しちやくれないからさ。

 

 丁度、ルピツク夫人が、窓ぎはに姿を現はす。レミイは云ふ――

 「小母さん、あのねえ、濟みませんけど、僕、オタマジヤクシ捕りに、にんじんを連れてつていゝですか」

 ルピツク夫人は、窓硝子に耳を押しつける。レミイは、聲を張り上げて、もう一度云ひ直す。ルピツク夫人は、わかつた。口を動かしてゐるのが見える。こつちの二人には、なんにも聞えない。で、顏を見合せて、もぢもぢする。しかし、ルピツク夫人は、頭を振つてゐるではないか。明らかに、不承知の合圖をしてゐるのだ。

 「いけないつてさ」――にんじんは云ふ――「きつと、後で、僕に用事があるんだらう」

レミイ――ぢやあ、しやうがないや。とつても面白いんだけどなあ。なあんだ、いけないのか。

にんじん――ゐろよ。ここで遊ばう。

レミイ――いやなこつた。オタマジヤクシ捕りに行つた方が、ずつといゝや。暖かいんだもん、今日は・・・。僕、笊に何杯も捕つてみせるぜ。

にんじん――もう少し待つてろよ。母さんは、何時でも、はじめいけないつて云ふんだ。後になつて、どうかすると、また意見が變るんだ。

レミイ――ぢや、十五分かそこらだよ。それより長くはいやだぜ。

 

 二人とも、そこに突つ立つたまゝ、兩手をポケツトに入れ、素知らぬ顏て踏段の方に氣を配つてゐる。と、やがて、にんじんは、レミイを肱で小突く。

 「どうだ、云つた通りだらう」

 なるほど、戶が開いて、ルピツク夫人が、片手ににんじんのための笊を持ち、踏段を一段おりた。が、彼女は、不審げに、立ち止る。

 「おや、お前さんまだゐたの、レミイ? もう行つちまつたのかと思つた。お父つあんに云ひつけるよ、そんなとこで無駄遊びをしてると・・・」

 

レミイ――おばさん、だつて、にんじんが待つてろつていふんだもの・・・。

ルピツク夫人――なに、それやほんとかい、にんじん?

 

 にんじんは、さうだともさうでないとも云はない。自分ながら、もうわからないのだ。彼はルピツク夫人のどこから何處までを識り拔いてゐる。だからこそ、今もまた、彼女の腹の中を見拔いたわけ。だのに、このレミイの間拔野郞が、事を面倒にし、なにもかもぶち毀してしまつた。にんじんは、もう結末がどうであらうとかまはないのである。彼は、足で草を踏み躪り、そつぽを向いてゐる。[やぶちゃん注:「彼はルピツク夫人のどこから何處までを識り拔いてゐる。」日本語としておかしな訳である。原文は“Il connaît madame Lepic sur le bout du doigt.”で、極めてシンプルに「彼はルピック夫人のことをよく知っている。」である。岸田氏の訳に沿う形なら、「彼はルピツクうじんのことを何處(どこ)も彼處(かしこ)も識り拔いてゐる。」でいいわけだ。「踏み躪り」「ふみにじり」。]

 「そんなこと云ふけど、考へてごらん」と、ルピツク夫人は云ふ――「母さんは平生でも、一度云つたことを取消したりなんかしないだらう」

 その後へは、一言も附加へない。

 彼女は、また踏段を登つて行く。序に笊も持つてはひつてしまふ。にんじんがオタマジヤクシをしやくふために持つて行く笊だ。そして、そいつは、彼女がわざわざ生(なま)の胡桃(くるみ)をあけて來たのである。[やぶちゃん注:この最後の一文は意味に於いて、或いは躓く読者が出てくるかも知れない。原文は“qu’elle avait vidé de ses noix fraîches, exprès.”で、「彼女は、生の胡桃の実を入れて置いておいた、その笊を、わざわざ、それらを除けて、『にんじん』のところへ持ってきたのだった。」の意である。則ち、その行動の開始時には、ルピック夫人はオタマジャクシ捕りに行かせてやろうとしたことを意味する。しかし、彼女は、「にんじん」が彼女の起こすであろう気まぐれな行動を、あらかじめ予期していたこと、気まぐれな行動をさえ気づかれてしまっていたを知って、完全にキレたのである。]

 レミイは、もう、はるか彼方にゐる。

 ルピツク夫人は、殆んど戲談口を利かない。それで他所の子供たちは、彼女のそばへ來ると用心をする。まづ學校の先生程度に怖ろしいのである。[やぶちゃん注:「他所」「よそ」。戦後版でもそうルビしている。]

 レミイは、向うの方を、川を目がけて、一目散に走つてゐる。その駈けつ振りの早さと來たら・・・相變らず遲れる左の足が、道の埃へ筋をつけ、踊り上り、そして鍋のやうな音を立てゝゐる。

 折角の一日を棒に振つて、にんじんは、もう、何をして遊ぶ氣にもならない。

 彼は、素晴らしい慰みを取逃がした。

 これから、そろそろ口惜しくなるのだ。

 彼は、それを待つばかりである。

 佗しく、賴りなく、にんじんはぢつとしてゐる――退屈が來るなら來い! 罰が當たるなら當れ! だ。[やぶちゃん注:「罰」戦後版では『ばち』とルビする。それで採る。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「鍋のやうな音を立てゝゐる」この「鍋」は原文では“casserole”で、これは「シチュー用のソースパン」(片手の厚手の深鍋(ふかなべ))、又は「シチュー」そのものを指す。これは全くの感じだが、走り去るミレイの、その不自由な左足が、地面を、「ポク、ポク、……」若しくは、「コト、コト、……」と叩く音が、ソースパンでシチューを煮込んでゐる際の音と似ているという表現ではなかろうか? 識者の御教授を乞うものである。]

 

 

 

 

    Les Têtards

 

   Poil de Carotte joue seul dans la cour, au milieu, afin que madame Lepic puisse le surveiller par la fenêtre, et il s’exerce à jouer comme il faut, quand le camarade Rémy paraît. C’est un garçon du même âge, qui boite et veut toujours courir, de sorte que sa jambe gauche infirme traîne derrière l’autre et ne la rattrape jamais. Il porte un panier et dit :

   Viens-tu, Poil de Carotte ? Papa met le chanvre dans la rivière. Nous l’aiderons et nous pêcherons des têtards avec des paniers.

   Demande à maman, dit Poil de Carotte.

     RÉMY

   Pourquoi moi ?

     POIL DE CAROTTE

   Parce qu’à moi elle ne me donnera pas la permission.

 

   Juste, madame Lepic se montre à la fenêtre.

   Madame, dit Rémy, voulez-vous, s’il vous plaît, que j’emmène Poil de Carotte pêcher des têtards ?

   Madame Lepic colle son oreille au carreau. Rémy répète en criant. Madame Lepic a compris. On la voit qui remue la bouche. Les deux amis n’entendent rien et se regardent indécis. Mais madame Lepic agite la tête et fait clairement signe que non.

   Elle ne veut pas, dit Poil de Carotte. Sans doute, elle aura besoin de moi, tout à l’heure.

     RÉMY

   Tant pis, on se serait rudement amusé. Elle ne veut pas, elle ne veut pas.

     POIL DE CAROTTE

   Reste. Nous jouerons ici.

     RÉMY

   Ah ! non, par exemple. J’aime mieux pêcher des têtards. Il fait doux. J’en ramasserai des pleins paniers.

     POIL DE CAROTTE

   Attends un peu. Maman refuse toujours pour commencer. Puis, des fois, elle se ravise.

     RÉMY

   J’attendrai un petit quart, mais pas plus.

Plantés là tous deux, les mains dans les poches, ils observent sournoisement l’escalier et bientôt Poil de Carotte pousse Rémy du coude.

   Qu’est-ce que je te disais ?

   En effet, la porte s’ouvre et madame Lepic, tenant à la main un panier pour Poil de Carotte, descend une marche. Mais elle s’arrête, défiante.

   Tiens, te voilà encore, Rémy ! Je te croyais parti. J’avertirai ton papa que tu musardes et il te grondera.

     RÉMY

   Madame, c’est Poil de Carotte qui m’a dit d’attendre.

     MADAME LEPIC

   Ah ! vraiment, Poil de Carotte ?

 

   Poil de Carotte n’approuve pas et ne nie pas. Il ne sait plus. Il connaît madame Lepic sur le bout du doigt. Il l’avait devinée une fois encore. Mais puisque cet imbécile de Rémy brouille les choses, gâte tout, Poil de Carotte se désintéresse du dénouement. Il écrase de l’herbe sous son pied et regarde ailleurs.

   Il me semble pourtant, dit madame Lepic, que je n’ai pas l’habitude de me rétracter.

   Elle n’ajoute rien.

   Elle remonte l’escalier. Elle rentre avec le panier que devait emporter Poil de Carotte pour pêcher des têtards et qu’elle avait vidé de ses noix fraîches, exprès.

   Rémy est déjà loin.

   Madame Lepic ne badine guère et les enfants des autres s’approchent d’elle prudemment et la redoutent presque autant que le maître d’école.

   Rémy se sauve là-bas vers la rivière. Il galope si vite que son pied gauche, toujours en retard, raie la poussière de la route, danse et sonne comme une casserole.

   Sa journée perdue, Poil de Carotte n’essaie plus de se divertir.

   Il a manqué une bonne partie.

   Les regrets sont en chemin.

   Il les attend.

   Solitaire, sans défense, il laisse venir l’ennui, et la punition s’appliquer d’elle-même.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「茶碗屋敷」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 茶碗屋敷【ちゃわんやしき】 〔思出草紙巻七〕『陰徳録』といへる書に、陰徳をなして陽報の有りし事あまたしるして、後の鏡とすれども、たまたま人の為に忠ある志をなしても、我は顔に慢じ、人にも語りて誉められん事をおもひ、また陰徳と思ふ事をなし得ても、陽報あらんやと心に待つの類ひ多し。これ何ぞ天の理にかなふべきや。この事は至つて難き事なるべし。遠からぬ頃ほひ、熊本の家中、国元より勤番し来《きた》る足軽あり。至つて実儀あつき者にて、仏道にかたむき信心浅からず。朝夕の勤めとなし、拝する本尊一体安置なしたしとて、兼ねて常々願ひ居《をり》たりしが、ある時、表長屋自分の住居《すまゐ》なす部屋の窓より外を詠(なが)めて居たるに、古金《ふるがね》を買ひて渡世となすもの、笊(ざる)ふりかたげて通るを見れば、長さ弐尺ばかりの阿弥陀の木仏、いかにも本古仏《ほんふるぼとけ》と見えて、古道具の中に交へて入れ置きしかば、足軽大いに悦び、直《ただち》に乞ひなして弐百文に買取り、水にて洗ひ清め、部屋の角(すみ)に安置なしつゝ、香花《かうげ》を供へ礼拝して、看経《かんきん》の本尊となしたりしが、何卒修覆し箔を置《おき》て、荘厳《しやうごん》美麗に致し度《たく》心がけ、仏師の方へ持参し、その事を相談せんとて、右の木像を棚よりおろして、風呂敷につゝまんとせしが、誤まちて取落したるが、台座われて顚倒なしたるに、台座の下をゑり抜きし所より紙つゝみ落ちたり。足軽あやしんでひらき見るに、古金《こきん》三拾両小判にてありしかば、大におどろき且は歎じて、この本尊の売主を聞出《ききいだ》し返すべし、これ極めて先祖よりこの金を入れ置きしとも知らずして売りしと見えたり。その元を聞きて、是非々々返し与へんものをとて、同勤同住の面々へ深くかくして、その金子《きんす》を秘し納め置きて、このほど買取りし元《もとの》金買《かねがひ》の通るやと心懸け、朝夕窓の内より詠めつゝ、他行《たぎやう》往来の途中にても、右の商人《あきんど》に行逢《ゆきあ》ひしまゝ足軽が曰く、先頃汝より買ひ取りし仏像は、いづくより買ひ来りたるぞ。商人これを聞て、大きに心得違ひしていはく、随分々々確かなる所より買ひ取りたる品なり、いさゝか盗みしもの等にはあらず、気遣ひし給ふまじ。足軽笑つて曰く、全く左様の事にあらず、外に訳のある事なれば、その先方へ案内なしてくれよ、これは酒代にせよとて、鳥目を取らせぬれば、かの男いかなる事かといぶかしき思ひながら、然《さ》れば御しらせ申すべしとて、足軽をつれ立ちて、麻布<東京都港区内>古川といへる所に至り、ひなびたる家居《いへゐ》まばらの賤《しづ》が家に案内《あない》なしたるに、足軽大きに悦び、一礼を述べて渠《かれ》を返し、内に入《いり》て見るに、いかにもさびしき住居にて、朝夕の煙りもたえ間がちなる風情なり。主人は浪人と見えて、夫婦ならびに坐せり。足軽は先づ知人になりたる上は、事訳《ことのわけ》の始終を述べて、尊像の台座に入れ有りし金子を返して、請取り給へと差出《さしいだ》しければ、亭主の曰く、さてさて世には正直不思議の方も有るものかな、われら事は西国方《さいごくがた》に生れて、さる国の主《あるじ》の譜代の家来なりしが、讒者(ざんしや)の為に運つたなく浪人となり、それより江戸に出《いで》たる所に、する事なす事水のあわ[やぶちゃん注:ママ。後掲する活字本も同じ。]となり、両人の子は病死なし、よくよく微運の我々夫婦、国元の親類縁者も絶えはて、広き世界にこの身の上を置く所さへなき難渋、その上三ケ年の長病《ながやまひ》にて、何くれとなす事知らず、依《よつ》ていかんともする事なき悲しさ、日々に暮し方もさしつかへ、持伝へたる諸道具も売代《うりしろ》なして、米にかへ薪《まき》に替へて、露の命をたすかりぬるは、誠にはかなき我等が身のなるはて[やぶちゃん注:「成る果て」(活字本は『成はて』)で名詞で閉じているものと思われる。]、この程売りし弥陀如来も、先祖より持伝へたる持仏堂の本尊なり、然るに計らずもその本尊の台座の下より封金の出《いで》しこそ、極めて先祖の入れ置きしなるべし、不思議にもその元《もと》[やぶちゃん注:「そのもと」は「そこもと」に同じ。活字本は『其許』で、これなら私は普通に「そこもと」と読める。宵曲の拠ったものは、巻末にある「引用書目一覧」から、同じものと断定出来ることから、思うに宵曲が校訂して書き変えた際に、以下に出る「其元」と同じに処理をして統一したものだろうと思われる。「そのもと」の読みは私は嫌いなので、後も「そこもと」と読んでおいた。]の手に入りしは、天よりさづかり給ふといふものなり、我等方《かた》に幾年か安置せる折からは、その金の顕れざるは天のなす事にして、我運の尽きたる所なり、然れば申請《まうしう》くべき筋なしとて押返すを、足軽のいはく、いやいやさにあらず、この金子、不思議に手に入りし上に、只今までの持主を尋ねても知れざる時は是非もなし、眼前其元《そこもと》の先祖たくはへ金《きん》を入れ置かれしと見ゆるを、この方へ取らば賊に等しかるべし、是非に納め給へ。浪人決して請取らず申しけるは、我に天より与へざる金をいかでか猥(みだ)りにこれを取らんや、貴公へ天より授けられたるなり、それを我申請けたる時は、これ天に背くなり。足軽が曰く、貴公の金なれば是非々々返さんとて、大いに争ひてやまず。後には声高になりしかば、家主おどろいてはせ来り、何事にて候やと尋ねけるに、足軽答へて、ありし事の始終を物語りぬれば、家主大いに感心して、やゝうち傾《かたぶ》き考へて後《のち》に申しけるは、御両人、清潔のみさを正しき事尤も至極せり、爰に某《それがし》了簡あり、この事に応ぜらるべしとて、浪人に向つて曰く、その元[やぶちゃん注:活字本『其元』。]の御詞《おことば》も一理ありといへども、この事元来知らざる事なれども、元はその元[やぶちゃん注:同前。]の金子なり、然《しか》るに爰許《ここもと》にて受納し難きとある事も、またこれ御もつともなり、依てこの金は先づ請取られ、外《ほか》に持伝へられし品あらば、代りとして送らるべしと教道《きやうだう》し、また足軽に向ひ申しけるは、今聞かるゝ通りに、取扱かひたる間、その元[やぶちゃん注:同前。]へ謝礼として御亭主より代物品《かはりのぶつぴん》を請取られて、双方申分なく済《すま》し給へ。両人これを聞き、漸々《やうやう》得心して、その旨に任せける。時に浪人の曰く、恥かしき事なれども、打続きおば[やぶちゃん注:恐らく「尾羽」であろう。]打《うち》からしたる長《なが》浪人にて、伝来の器物調度残りなく売代(うりしろ)なしたり。然し先祖より持伝へし古茶碗壱ツあり、これは世に珍らしき品なりとて、我父たるもの、幼少の折から申せしかと覚えしが、茶の道を知らざる我等売り残してあり。これを参らせんとて取出《とりいだ》し与へけるは、いかにも古き茶の湯者《もの》の取扱ふべき形ちの茶碗なり。足軽も家主が口入れにて茶碗を請取り、猶またこれを縁として、この末《すゑ》懇意になすべしなど云ひて立分れ帰りけるが、人にも語らず、心中にのみ納めて光陰を送れり。かの貰ひ得たる茶碗、美麗にも見えざれば、常々渋茶のみぬる器《うつは》として朝夕に所持し、かたはらを放さず。ある時茶道坊主《ちやだうばうず》、これを見かけて、その茶碗かせよと乞ひ受け持ち帰り、凡《ぼん》ならざる器なれば、目利者《めききしや》に見《みせ》たるに、希(ま)れなる井戸茶碗なり。このあたひ金百両に買ふべしといふにぞ、茶道坊主大いにおどろき吹聴《ふいちやう》に及びし事、家《けの》老中の耳に入りて、足軽風情にてかゝる名器を所持なす事、必定盗み取りしものならんとて、かの足軽を呼寄せ、糺明《きうめい》に及べる間、足軽今はつゝむ所なく、始終残らず申述《まうしの》べたるにぞ、この事よく糺《ただ》したる上に、大守の聞《ぶん》に達しける。大守大に感じ、下賤のものには珍らしくその性《せい》美なるものなりとあつて、右の茶碗の代金百両足軽へ遣《つかは》し、五十石加増なして侍分《さぶらひぶん》に取立《とりたて》となれり。その姓名聞きしかど忘れたり。この事専ら風談あつて、あまねく世に広まれり。これ陰徳陽報たるべし。その頃、高名《かうみやう》天《あめ》が下にとゞろき、岸に登れる朝日のごとく威光かゞやき渡る田沼主殿頭《とものかみ》、此事を聞き、殿中にて細川家に対し申しけるは、足下《そこもと》には井戸茶碗を御所持のよし、拝見致し度《たき》との事ゆゑ、細川早速持たせ遣しける。田沼暫く借用の仕《つかまつ》りたしとて留置《とめお》き、日数《ひかず》も程経るといへども戻さず。なほざりに打過《うちすご》したりしに、細川が家老の中《うち》、智謀すぐれし者ありて申しけるは、かの茶わん催促には及ばず。致方《いたしかた》こそあれとて、同席相談して、大守へも申聞《まうしき》けたる[やぶちゃん注:一応、そう読みをおいたが、こんな言い方はあまり馴染みがない。]上にて、願書認《したた》めて公儀へさし出《いだ》す。その文に、屋敷手ぜまに付、家中のものさし置候場所にさしつかへ難渋仕る間、何卒神田橋御門外の明地《あきち》拝領仕り度候と書して、田沼御用番の節、差出して厚く頼みけるに、田沼先達ての茶碗懇望にて有りし事と、段々厚く願ひぬる事といひ、その願ひ取上げて評議に及びしとかや。元来この地面は、御城内火除《ひよけ》の場所にて、已(すで)に先年水野氏拝領なし、家作《かさく》して住居となせど、また返上して明地となりたり。依(より)て中々容易に拝領地となすべき場所ならねども、その節威光つよき田沼なれば、いかゞ上向《うへむき》を取結《とりむす》びぬるか、願ひの通り仰付けられて、右の明地を拝領せり。依てこの訳《わけ》知りたるものは、この屋敷を茶碗屋敷といへり。<『近世珍談集』にこの話がある。ただし阿弥陀像にあらずして大黒天像、卅両にあらずして弐百両なり>[やぶちゃん注:どうでもいいことだが、この宵曲の附記、第二文が古文ぽいのは何でやねん?]

[やぶちゃん注:「思出草紙」「古今雜談思出草紙」が正式名で、牛込に住む栗原東随舎(詳細事績不詳)の古今の諸国奇談珍説を記したもの。『○茶碗屋敷の事』がそれ。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここから正規表現で視認出来る。

「陰徳録」不詳。識者の御教授を乞う。

「井戸茶碗」高麗(こうらい)茶碗の一つ。濁白色の土に、淡い卵色の釉(うわぐすり)のかかっているもの。室町以後、茶人に愛用された。その名称の由来については諸説があって定まらず、「大井戸」・「古井戸」・「青井戸」・「井戸脇」など、その種類も多い(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「田沼主殿頭」田沼意次。当該ウィキによれば、明和四(一七六七)年に御側御用取次から側用人へと出世し、明和六(一七六九)年には侍従に上り、老中格になっている。安永元(一七七二)年には、現在の静岡県内の相良(さがら)藩五万七千石の大名に取り立てられ、老中を兼任した。因みに、彼は『側用人から老中になった初めての人物』である。しかし、天明六(一七八六)年八月二十五日、将軍家治が死去した。『死の直前から「家治の勘気を被った」としてその周辺から遠ざけられていた意次は、将軍の死が秘せられていた間』『に失脚するが、この動きには反田沼派や一橋家(徳川治済)の策謀があったともされる。意次は』八月二十七日、『老中を辞任させられ、雁間詰に降格』、同年閏十月五日には『家治時代の加増分の』二『万石を没収され、さらに大坂にある蔵屋敷の財産の没収と』、『江戸屋敷の明け渡しも命じられた』。『その後、意次は蟄居を命じられ』、二『度目の減封を受ける。相良城は打ち壊され、城内に備蓄されていた』八『万両のうちの』一万三千両と、『塩・味噌を備蓄用との名目で没収された』、『長男の意知はすでに暗殺され、他の』三『人の子供は全て養子に出されていたため、孫の龍助が陸奥下村』一『万石に減転封のうえで、辛うじて大名としての家督を継ぐことを許された。同じく軽輩から側用人として権力をのぼりつめた柳沢吉保や間部詮房が、辞任のみで処罰はなく、家禄も維持し続けたことに比べると、最も苛烈な末路となった』。『その』二『年後にあたる』天明八(一七八八)年六月二十四日、『江戸で死去した。享年』七十であった。

「近世珍談集」作者・書誌不詳。僅か三篇のみから成る。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第二十二(三田村鳶魚・校訂/随筆同好会編/昭和四(一九二九)年米山堂刊)でここから視認出来る。標題は『神田橋御門外細川侯茶碗屋舗の謂れの事』である。こちらは、漢文脈部分がかなり多い。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「金庫」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Kinko

 

     金  庫

 

 

 翌日、にんじんはマチルドに會ふ。彼女は彼に云ふ――

 「あんたんちの母さん、うちの母さんにあのことを云ひつけに來たわよ。あたし、うんとお尻をぶたれちやつた。あんたは?」

 

にんじん――僕、どうだつたつけ、忘れちやつた。だけど、お前、ぶたれるわけはないよ。僕たちなんにも惡いことしやしないんだもの。

マチルド――えゝ、さうよ。

にんじん――僕、お前と夫婦になつてもいゝつて云つたらう、あれ、眞面目にさう云つたんだよ、ほんとだよ。

マチルド――あたしだつて、あんたと夫婦になつてもいゝわ。

にんじん――お前は貧乏で、僕は金持ちだから、ほんとなら、お前を輕蔑しちやうふんだけど、心配しないだつていゝよ。僕、お前を尊敬してるから・・・。

マチルド――お金持ちつて、いくらもつてんの。

にんじん――僕んちには、百萬圓あるよ。

マチルド――百萬圓つて、どれくらゐ?

にんじん――とても澤山さ。百萬長者つて云や、幾らお金を使つたつて使ひきれないんだから。

マチルド――うちの父さんや母さんは、お金がちつともないつて、よくこぼしてるわ。

にんじん――あゝ、うちの父さんや母さんだつてさうだ。誰でも、人に同情されようと思つてこぼすんだ。それと、妬(ねた)んでる奴にお世辭を使ふのさ。だけど、僕たちは、金持ちだつてことは、ちやんとわかつてるんだ。每月一日には、父さんが一人つきりで暫く自分の部屋へ引込んでる。金庫の錠前がギイギイつて音を立てるのが聞こえるんだ。夕方だらう、それが・・・。まるで靑蛙が鳴くみたいさ。父さんは誰あれも知らない――母さんも、兄貴も、姉さんも誰あれも知らない文句を一言(ひとこと)云ふんだ。それを知つてるのは、父さんと僕とだけさ。すると、金庫の扉が開く。父さんは、そん中からお金を出して、お勝手のテーブルの上へ置きに行く。なんにも云はずにさ。たゞ、お金をがちやがちやつて云はせるだけだ。それで、竈(へつつい)の前で用をしてる母さんに、ちやんとわかるんだ。父さんが出て行く。母さんは後ろを振り向く。お金を搔き集める。每月每月、その通りのことをするんだ。それが、もう隨分長く續いてるもんだもの、金庫の中に、百萬圓の上はいつてゐる證據だらう。[やぶちゃん注:「每月一日」戦後版では、『毎月(まいげつ)一日(じつ)』とルビする。それを採る。「誰あれ」戦後版では『誰(だ)あれ』とルビする。それを採る。而して、後の「每月」も同じく読むこととする。]

マチルド――で、開ける時に、父さんが云ふ文句つて、それや、どんな文句?

にんじん――どんなつて、訊くだけ無駄だ。僕達が夫婦になつたら敎へてあげるよ。たゞ、どんなことがあつても人に喋らないつて約束しなきや・・・。

マチルド――今、すぐ敎へて・・・。そしたら、今すぐ、人に喋らないつて約束するわ。

にんじん――駄目だよ。父さんと僕との秘密だもの。

マチルド――あんなこと云つて、自分でも知らないくせに・・・。知つてるなら、あたしに云へるわけだわ。

にんじん――お生憎さま、知つてますよだ。

マチルド――知らないよだ。知らないよだ。やあい、やあい、いゝ氣味(きび)だ。

 

 「よし、知つていたら、何よこす」

と、にんじんは、嚴かにいつた。

 「なんでもいゝわ。なに?」

 マチルドは、躊(ためら)ひ氣味だ。

 「僕がさわり[やぶちゃん注:ママ。直後の以下は正しいのに。不審。]たいところへさはらせろよ。そしたら、文句を敎へてやら」

 にんじんが、かう云ふと、マチルドは、相手の顏を見つめた。よくわからないのだ。彼女は、狡(ずる)さうな灰色の眼を、思ひ切り細くした。さあ、かうなると、知りたいことが、一つでなく、二つになつたわけだ。

 「先へ文句を敎へてよ、にんじん」

 

にんじん――ぢや、指切りだよ。敎へたら、僕がさわり[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。一々注さない。]たいところへさわらせるね。

マチルド――母さんが、指切りなんかしちやいけないつて。

にんじん――ぢや、敎へてやらないから。

マチルド――いゝわよ、そんな文句なんか・・・。あたし、もうわかつちやつた。そうよ、もうわかつちやつたわ。

 

 にんじんは、しびれを切らし、手つ取り早く事を運ぶ。

 「ねえ、マチルド、わかつてるもんか。ちつともわかつてやしないや。だけど、君が喋らないつて云ふなら、それでいゝよ。父さんが金庫を開ける前に云ふ文句はね、オペレケニユウ。さあ、もうさわつてもいゝね」

 「オペレケニユウ! オペレケニユウ!」――一つの秘密を知つた悅びと、それが好い加減ぢやないかといふ心配とで、マチルドは、後すざりをする――「ほんと? あたしをだましてんぢやないの?」

 で、にんじんが、返事もせずに、いきなり片手を伸ばして向つて來るので、彼女は逃げ出す。彼女のケヽヽヽといふ笑ひ聲がにんじんの耳にはひる。

 彼女の姿が消えると、後ろで、誰かが嘲笑ふ聲がする。[やぶちゃん注:「嘲笑う」「あざわらふ」。]

 後ろを振り向く。厩の天窓から、お屋敷の下男が頭を出し、齒を剝(む)いてゐる――

 「見たぞ、にんじん。おつ母さんに云ひつけちやらう」

 

にんじん――巫山戲たんだよ、ピエール小父さん。あの娘(こ)をつかまへようと思つたんぢやないか。オペレケニユウつてのは、僕が好い加減に作つた名前だよ。第一、ほんとのことは、僕だつて知りやしないよ。[やぶちゃん注:「巫山戲た」「ふざけた」。]

ピエール――安心しな、にんじん、オペレケニユウはどうだつていゝんだ。おめえのおツ母さんにそんなこたあ云やしねえ。それより、もう一つのことを云はあ。

にんじん――もう一つのことつて?

ピエール――さうよ、もう一つのことよ。おらあ、見たぞ、見たぞ、にんじん。さうぢやねえつて云つてみな。へえ、年にしちや、やるぞ、おめえ。いゝから、みてろ、今夜、耳がどうなるか。いやつてほど引張られるぞ、やい!

 

 にんじんは、別に云ふべきことはない。髮の毛の自然な色が消えたかと思ふほど顏を赤くし、兩手をポケツトに突つ込み、鼻をすゝりながら、蟇のやうに遠ざかつて行く。[やぶちゃん注:「蟇」戦後版は『がま』とルビする。それを採る。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「彼女は、狡(ずる)さうな灰色の眼を、思い切り細くした。」確かに原文には“sournoise”といふ「腹黒い・陰険な・食えない」若しくは、以上の「そのやうな感じがする」といふ意味の語が用いられているのだが、このシーンには、やや違和感を感じる。意訳になるのかもしれないが「いかにも気が許せないわといつた感じの眼」の方が、私には、腑に落ちる。

「オペレケニユウ」岸田氏の訳語は意味不詳(もともと、オリジナルに意味のない奇天烈な訳語をお考えになったのかも知れない)原作では“« Lustucru »”([lystykry]音写「リュスチュクリュ」)で、意味は、これ、ある。俗語で「間抜け」の意味である。]

 

 

 

 

    Le Coffre-Fort

 

   Le lendemain, comme Poil de Carotte rencontre Mathilde, elle lui dit :

   – Ta maman est venue tout rapporter à ma maman et j’ai reçu une bonne fessée. Et toi ?

     POIL DE CAROTTE

   Moi, je ne me rappelle plus. Mais tu ne méritais pas d’être battue, nous ne faisions rien de mal.

     MATHILDE

   Non, pour sûr.

     POIL DE CAROTTE

   Je t’affirme que je parlais sérieusement, quand je te disais que je me marierais bien avec toi.

     MATHILDE

   Moi, je me marierais bien avec toi aussi.

     POIL DE CAROTTE

   Je pourrais te mépriser parce que tu es pauvre et que je suis riche, mais n’aie pas peur, je t’estime.

     MATHILDE

   Tu es riche à combien, Poil de Carotte ?

     POIL DE CAROTTE

   Mes parents ont au moins un million.

     MATHILDE

   Combien que ça fait un million ?

     POIL DE CAROTTE

   Ça fait beaucoup ; les millionnaires ne peuvent jamais dépenser tout leur argent.

     MATHILDE

   Souvent, mes parents se plaignent de n’en avoir guère.

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! les miens aussi. Chacun se plaint pour qu’on le plaigne, et pour flatter les jaloux. Mais je sais que nous sommes riches. Le premier jour du mois, papa reste un instant seul dans sa chambre. J’entends grincer la serrure du coffre-fort. Elle grince comme les rainettes, le soir. Papa dit un mot que personne ne connaît, ni maman, ni mon frère, ni ma soeur, personne, excepté lui et moi, et la porte du coffre-fort s’ouvre. Papa y prend de l’argent et va le déposer sur la table de la cuisine. Il ne dit rien, il fait seulement sonner les pièces, afin que maman, occupée au fourneau, soit avertie. Papa sort. Maman se retourne et ramasse vite l’argent. Tous les mois ça se passe ainsi, et ça dure depuis longtemps, preuve qu’il y a plus d’un million dans le coffre-fort.

     MATHILDE

   Et pour l’ouvrir, il dit un mot. Quel mot ?

     POIL DE CAROTTE

   Ne cherche pas, tu perdrais ta peine. Je te le dirai quand nous serons mariés, à la condition que tu me promettras de ne jamais le répéter.

     MATHILDE

   Dis-le-moi tout de suite. Je te promets tout de suite de ne jamais le répéter.

     POIL DE CAROTTE

   Non, c’est notre secret à papa et à moi.

     MATHILDE

   Tu ne le sais pas. Si tu le savais, tu me le dirais.

     POIL DE CAROTTE

   Pardon, je le sais.

     MATHILDE

   Tu ne le sais pas, tu ne le sais pas. C’est bien fait, c’est bien fait.

   – Parions que je le sais, dit Poil de Carotte gravement.

   – Parions quoi ? dit Mathilde hésitante.

   – Laisse-moi te toucher où je voudrai, dit Poil de Carotte, et tu sauras le mot.

   Mathilde regarde Poil de Carotte. Elle ne comprend pas bien. Elle ferme presque ses yeux gris de sournoise, et elle a maintenant deux curiosités au lieu d’une.

   – Dis le mot d’abord, Poil de Carotte.

     POIL DE CAROTTE

   Tu me jures qu’après tu te laisseras toucher où je voudrai.

     MATHILDE

   Maman me défend de jurer.

     POIL DE CAROTTE

   Tu ne sauras pas le mot.

     MATHILDE

   Je m’en fiche bien de ton mot. Je l’ai deviné, oui, je l’ai deviné.

   Poil de Carotte, impatienté, brusque les choses.

   – Écoute, Mathilde, tu n’as rien deviné du tout. Mais je me contente de ta parole d’honneur. Le mot que papa prononce avant d’ouvrir son coffre-fort, c’est « Lustucru ». À présent, je peux toucher où je veux.

   – Lustucru ! Lustucru ! dit Mathilde, qui recule avec le plaisir de connaître un secret et la peur qu’il ne vaille rien. Vraiment, tu ne t’amuses pas de moi ?

   Puis, comme Poil de Carotte, sans répondre, s’avance, décidé, la main tendue, elle se sauve. Et Poil de Carotte entend qu’elle rit sec.

   Et elle a disparu qu’il entend qu’on ricane derrière lui.

   Il se retourne. Par la lucarne d’une écurie, un domestique du château sort la tête et montre les dents.

   – Je t’ai vu, Poil de Carotte, s’écrie-t-il, je rapporterai tout à ta mère.

     POIL DE CAROTTE

   Je jouais, mon vieux Pierre. Je voulais attraper la petite. Lustucru est un faux nom que j’ai inventé. D’abord, je ne connais point le vrai.

     PIERRE

   Tranquillise-toi, Poil de Carotte, je me moque de Lustucru et je n’en parlerai pas à ta mère. Je lui parlerai du reste.

     POIL DE CAROTTE

   Du reste ?

     PIERRE

   Oui, du reste. Je t’ai vu, je t’ai vu, Poil de Carotte ; dis voir un peu que je ne t’ai pas vu. Ah ! tu vas bien pour ton âge. Mais tes plats à barbe s’élargiront ce soir !

 

   Poil de Carotte ne trouve rien à répliquer. Rouge de figure au point que la couleur naturelle de ses cheveux semble s’éteindre, il s’éloigne, les mains dans ses poches, à la crapaudine, en reniflant.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「マチルド」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Matirudo

 

     マチルド

 

 

 「あのね、母(かあ)さん・・・」と、姉のエルネスチイヌは息を切らして、ルピツク夫人に云ひつけた――「にんじんがね、また原つぱで、マチルドと夫婦ごつこをしてるわよ。フエリツクス兄さんが着物を着せてんの。だつて、あんなことしちやいけないんでせう」

 成る程、原つぱでは、小娘マチルドが、白い花をつけた牡丹蔓の衣裳で、ぢつと鯱こばつてゐた。おめかしは十分、これならまぎれもなく、オレンヂの枝で粧はれた花嫁そつくりだ。しかも、つけたわ、つけたは、疝痛の藥だけに、世の中の疝痛が殘らず止まるほどだ。

 そこでこの牡丹蔓だが、まず頭の上で冠形に編まれ、それが波を打つて頤から、背中、さては腕に沿つて垂れ下り、絡み合ひ、胴に捲きつき、やがて地べたを逼つて尻尾(しつぽ)となる。それをまたフエリツクスが延ばすこと延ばすこと。[やぶちゃん注:「逼つて」「はつて」。「這って」の意だが、既に何度も出た岸田氏の思い込み誤用である。]

 やがて、彼は、後すざりをして云ふ――

 「もう動いちやいけないよ。さ、お前の番だ、にんじん!」

 今度は、にんじんが、新郞の衣裳をつける番だ。同じやうに牡丹蔓を捲きつける。が、ところどころへ、罌栗(けし)、山査子(さんざし)の實(み)、黃色い蒲公英(たんぽぽ)をぱつとあしらふ。マチルドと區別をするためだ。彼は、笑ひたくない。で、三人とも、それぞれ大眞面目である。彼等は、儀式々々に應はしい空氣といふものを心得てゐる。葬式では、始めから終りまで悲痛な顏をしてゐなければならぬ。婚禮では、彌撒(みさ)が濟むまで嚴肅でなければならぬ。さもないと、何ごつこをしても面白くないのである。[やぶちゃん注:「應はしい」「ふさはしい」。]

 「手をつないで!」と、フエリツクスは云ふ――「前へ進め! 靜かに!」

 彼等は、足を揃へ、からだを離して步き出す。マチルドは、お引摺りが足に纏(まつは)りつくと、自身でそれを捲り上げ、指の間に挾む。にんじんは、片足を上げたまゝ、優しく、彼女を待つてゐる。

 兄貴のフエリツクスは、彼等を原つぱぢう引張り廻す。彼は後(うしろ)向きになつて步くのである。兩手を振子のやうに振つて、拍子を取る。彼は、自分が村長のつもりで彼らに會釋をし、それから、司敎らしく祝福を與へ、次いで、友達としてお祝ひを述べ、お世辭を云ふ。それからまたヴアイオリン彈きになり、棒切れと棒切れとをこすり合す。[やぶちゃん注:「合す」「あはす」。]

 彼は、二人を縱橫に步かせる。

 「止まれつ!」と彼は云ふ――「ずれて來やがつた」

 が、マチルドの花冠を平手で押しつぶすだけの暇で、また、行列は動き出す。[やぶちゃん注:「花冠」戦後版では『はなかむり』とルビする。それで採っておく。]

 「あ痛たあ!」

 マチルドは、顰め面をして叫ぶ。

 牡丹蔓の節くれが髮の毛を引張るのだ。兄貴のフエリツクスは、髮の毛ごとそいつを取り除(の)ける。また續行だ。

 「ようし・・・。さあ、婚禮がすんだ。キスし合つて・・・」

 二人が遠慮してゐると、

 「おい、どうしたんだい。キスしないかよ。婚禮がすんだら、キスするんだよ。兩方から寄つかゝつて行きな。なんとか云ふんだぜ。まるで棒杭みたいだ、お前たちや」

 自分が上手(うはて)とみて、彼は、二人の不器用(ぶきつちよ)さを鼻で嗤ふ。多分もう、愛の言葉ぐらゐ口にしたことがあるのだらう。彼はそこで手本を示す。まつ先にマチルドにキスする。骨折賃といふところだ。[やぶちゃん注:「嗤ふ」「わらふ」。]

 にんじんは勇氣を奮ひ起す。蔓草の隙間からマチルドの顏を探し、その頰に唇をあてる。

 「戲談だと思はないでね。僕、ほんとにお前と夫婦になつてもいゝや」

 マチルドは、された通り、彼にキスを返す。忽ち二人ともぎごちなく、羞んで、眞つ赤になる。[やぶちゃん注:「羞んで」「はにかんで」。]

 兄貴のフエリツクスは、そろそろ敵意を示しだす。

 「やあい、照れた、照れた・・・」

 彼は二本の指をこすり合せ、唇を中へ捲き込み、足をぢたばたさせた。

 「圖々しい奴! ほんとに、その氣になつてやがらあ」

 「第一、照れてなんかゐやしない」と、にんじんは云つた――「それから、囃(はや)したけれや、囃したつていゝよ。僕がマチルドと夫婦になるのを、兄さん、いけないつて云へるかい。母さんがいゝつて云へばだよ」

 しかし、折も折、その母さんが、自分で、「そいつはいかん」と返事をしに來た。彼女は原つぱの界の木戶を押し開ける。そして、告げ口をしたエルネスチイヌを從へて、はひつて來た。生籬のそばを通る時、彼女は茨の枝をへし折り、棘だけ殘して葉をもぎ取つた。[やぶちゃん注:「界」「さかひ」。]

 彼女は、眞つ直ぐにやつて來る。嵐と同樣、避けることはできない。

 「ぴしやつと來るぞ」

 兄貴のフエリツクスは云つた。もう原つぱの端まで逃げて行き、からだを隱して眼だけ出してゐる。

 にんじんは決して逃げない。平生から、臆病ではあるが、早く始末をつけた方がいゝのだ。それに、今日は、なんとなく勇猛心が起つてゐる。

 マチルドは、慄へながら、寡婦(やもめ)のやうに噦(しやく)り泣きをしてゐる。

 

にんじん――心配しないでいゝよ。母さんつて人、僕を識つてるんだ。僕だけとつちめようてんだ。萬事引き受けるよ。

マチルド――そりやいゝのよ。だけど、あんたの母さん、なんでもうちの母さんに云ひつけるわ。うちの母さん、あたしを打(ぶ)つわ。

にんじん――折檻する。セツカンするつて云ふんだよ、親が子供をぶつ時は・・・。お前の母さん、折檻するかい?

マチルド――ええ、時々・・・。事柄によるわ。

にんじん――僕なんか、もうきまつてるんだ。

マチルド――だけど、あたし、なんにもしやしないわ。

にんじん――いゝつたら・・・。そら、エヘン。

 

 ルピツク夫人は近づいた。もう逃げようつたつて逃がさない。暇は十分にある。彼女は步を緩める。側へ寄れるだけ寄る。姉のエルネスチイヌは、これ以上近寄ると、棒がはね返つて來た時に危いと思ひ、行動の中心地帶を境として、その線上に立ち止る。にんじんは、「お嫁さん」の前に立ち塞る。「お嫁さん」は、ひときわ[やぶちゃん注:ママ。]激しく泣き出す。牡丹蔓の白い花が入り亂れる。ルピツク夫人は茨の枝を振り上げる。將に打ち降ろさうといふ時だ。にんじんは、蒼ざめ、腕を組み、そして頸を縮め、もう腰のへんが熱く、脹脛(ふくらはぎ)が豫めひりひり痛い。が、彼は、傲然と云ひ放つ――[やぶちゃん注:「塞る」「ふさがる」。]

 「いゝぢやないか、そんなこと・・・戲談なんだもの・・・」

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「牡丹蔓」キンポウゲ目キンポウゲ科キンポウゲ亜科 Anemoneae 族センニンソウ(クレマチス)属 Clematisウィキの「クレマチス」によれば、『蔓性多年草のうち』、『花が大きく観賞価値の高い品種を総称してクレマチスと呼ぶ』とあり、また『茎や葉の汁が皮膚に付くと』、『かぶれたり』、『皮膚炎を起こすことがある』。古くは、『この毒性を利用し、乞食がわざと自分の体を傷つけ、そこにクレマチスの葉をすりこむことがある。それは治療のためではなく、ただれたできものを作り、憐みを得ようとするためで、クレマチスには「乞食の植物」という別名がある』とあった。

「オレンヂの枝で粧はれた花嫁」原文は“fiancée garnie d'oranger”で、“garnie”は「飾られた」の意であり、また“couronne de fleurs de oranger”と言えば、「純潔」の象徵として結婚式の日に花嫁が被るオレンジの花の「冠」のことを指すから、ここは「枝」ではなく「花」とすべきところであるが、実態がクレマチスの蔓であることを意識して、岸田氏は「枝」とされたのかも知れない。

「疝痛」例えば、フランスには植生しないが、センニンソウの近縁種シナボタンヅルClematis chinensis の根を乾燥したものは、漢方では「威霊仙」と呼ばれ、鎮痛・抗菌作用を持つ。特に、鎮痛薬として神経痛・リウマチ・痛風・筋肉痛・腰痛等に用いて効果があるとするから、フランスに植生するクレマチス類には同様の効果を持つものがあってもおかしくない。

「折檻する。セツカンするつていふんだよ、親が子供をぶつ時は・・・。お前の母さん、折檻するかい?」この部分、読んでいて、表記が気になるところだ。実は、ここは大人びた言葉を用いたフランス語の「洒落」になつているのである。原文のこの台詞は、“Poil de Carotte : Corriger ; on dit corriger, comme pour les devoirs de vacances. Est-ce qu'elle te corrige, ta maman ?”で、“corriger”には、まず、「訂正する・直す。改める」といふ意味があり、別に「懲らしめる・折檻する・懲罰を加える」の意味がある。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清氏の訳では、『にんじん――ぶつんじゃなくて、せっかんするつていふんだよ、親が子供をぶつときは……。夏休みの宿題のときのようにね。君のママ、せつかんするかい?』と訳し(最初の「せっかん」にのみ傍点がある)、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻の該当部分は、『おしおき(コリジエ)つて言うんだ。夏休みの宿題を直す(コリジエ)のと同じさ。君のママ、おしおきするかい?』で、「おしおき」に「コリジェ」、「直す」に「コリジェ」とルビを振っておられる。]

 

 

 

 

    Mathilde

 

   Tu sais, maman, dit soeur Ernestine essoufflée à madame Lepic, Poil de Carotte joue encore au mari et à la femme avec la petite Mathilde, dans le pré. Grand frère Félix les habille. C’est pourtant défendu, si je ne me trompe.

   En effet, dans le pré, la petite Mathilde se tient immobile et raide sous sa toilette de clématite sauvage à fleurs blanches. Toute parée, elle semble vraiment une fiancée garnie d’oranger. Et elle en a, de quoi calmer toutes les coliques de la vie.

   La clématite, d’abord nattée en couronne sur la tête, descend par flots sous le menton, derrière le dos, le long des bras, volubile, enguirlande la taille et forme à terre une queue rampante que grand frère Félix ne se lasse pas d’allonger.

   Il se recule et dit :

   Ne bouge plus ! À ton tour, Poil de Carotte.

   À son tour, Poil de Carotte est habillé en jeune marié, également couvert de clématites où, çà et là, éclatent des pavots, des cenelles, un pissenlit jaune, afin qu’on puisse le distinguer de Mathilde. Il n’a pas envie de rire, et tous trois gardent leur sérieux. Ils savent quel ton convient à chaque cérémonie. On doit rester triste aux enterrements, dès le début, jusqu’à la fin, et grave aux mariages, jusqu’après la messe. Sinon, ce n’est plus amusant de jouer.

   Prenez-vous la main, dit grand frère Félix. En avant ! doucement.

   Ils s’avancent au pas, écartés. Quand Mathilde s’empêtre, elle retrousse sa traîne et la tient entre ses doigts. Poil de Carotte galamment l’attend, une jambe levée.

   Grand frère Félix les conduit par le pré. Il marche à reculons, et les bras en balancier leur indique la cadence. Il se croit monsieur le Maire et les salue, puis monsieur le Curé et les bénit, puis l’ami qui félicite et il les complimente, puis le violoniste et il racle, avec un bâton, un autre bâton.

   Il les promène de long en large.

   Halte ! dit-il, ça se dérange.

   Mais le temps d’aplatir d’une claque la couronne de Mathilde, il remet le cortège en branle.

   Aïe ! fait Mathilde qui grimace.

   Une vrille de clématite lui tire les cheveux. Grand frère Félix arrache le tout. On continue.

   Ça y est, dit-il, maintenant vous êtes mariés, bichez-vous.

   Comme ils hésitent :

   Eh bien ! quoi ! bichez-vous. Quand on est marié on se biche. Faites-vous la cour, une déclaration. Vous avez l’air plombés.

   Supérieur, il se moque de leur inhabileté, lui qui, peut-être, a déjà prononcé des paroles d’amour. Il donne l’exemple et biche Mathilde le premier, pour sa peine.

   Poil de Carotte s’enhardit, cherche à travers la plante grimpante le visage de Mathilde et la baise sur la joue.

   Ce n’est pas de la blague, dit-il, je me marierais bien avec toi.

Mathilde, comme elle l’a reçu, lui rend son baiser. Aussitôt, gauches, gênés, ils rougissent tous deux.

   Grand frère Félix leur montre les cornes.

   Soleil ! soleil !

   Il se frotte deux doigts l’un contre l’autre et trépigne, des bousilles aux lèvres.

   Sont-ils buses ! ils croient que c’est arrivé !

   D’abord, dit Poil de Carotte, je ne pique pas de soleil, et puis ricane, ricane, ce n’est pas toi qui m’empêcheras de me marier avec Mathilde, si maman veut.

   Mais voici que maman vient répondre elle-même qu’elle ne veut pas. Elle pousse la barrière du pré. Elle entre, suivie d’Ernestine la rapporteuse. En passant près de la haie, elle casse une rouette dont elle ôte les feuilles et garde les épines.

   Elle arrive droit, inévitable comme l’orage.

   Gare les calottes, dit grand frère Félix.

   Il s’enfuit au bout du pré. Il est à l’abri et peut voir.

   Poil de Carotte ne se sauve jamais. D’ordinaire, quoique lâche, il préfère en finir vite, et aujourd’hui il se sent brave.

   Mathilde, tremblante, pleure comme une veuve, avec des hoquets.

     POIL DE CAROTTE

   Ne crains rien. Je connais maman, elle n’en a que pour moi. J’attraperai tout.

     MATHILDE

   Oui, mais ta maman va le dire à ma maman, et ma maman va me battre.

     POIL DE CAROTTE

   Corriger ; on dit corriger, comme pour les devoirs de vacances. Est-ce qu’elle te corrige, ta maman ?

     MATHILDE

   Des fois ; ça dépend.

     POIL DE CAROTTE

   Pour moi, c’est toujours sûr.

     MATHILDE

   Mais je n’ai rien fait.

     POIL DE CAROTTE

   Ça ne fait rien. Attention !

 

   Madame Lepic approche. Elle les tient. Elle a le temps. Elle ralentit son allure. Elle est si près que soeur Ernestine, par peur des chocs en retour, s’arrête au bord du cercle où l’action se concentrera. Poil de Carotte se campe devant « sa femme », qui sanglote plus fort. Les clématites sauvages mêlent leurs fleurs blanches. La rouette de madame Lepic se lève, prête à cingler. Poil de Carotte, pâle, croise ses bras, et la nuque raccourcie, les reins chauds déjà, les mollets lui cuisant d’avance, il a l’orgueil de s’écrier :

   Qu’est-ce que ça fait, pourvu qu’on rigole !

 

2023/12/05

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「李(すもゝ)」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Sumomo

  

     (すもゝ)

 

 

 しばらく寢つかれないで、彼らは羽布團の中でもぞもぞしてゐる。小父さんが云ふ――

 「坊主、眠つてるかい?」

 

にんじん――うゝん。

小父さん――わしもだ。どら、起きてやらうかな。お前も、よかつたら、蚯蚓(みゝず)捕りに行かう。

 「よかろう」

と、にんじんは云つた。

 二人は寢臺から飛び降り、着物をひつかけ、カンテラに火を點け、そして、裏庭へ出る。

 にんじんがカンテラを提げ、小父さんが半分泥の塡まつたブリキ罐を持つて行く。この中へ、釣り用の蚯蚓を蓄へて置くのである。それから、その上へ濕つた苔を載せる。これで、蚯蚓がなくなることはない。一日雨が降つたやうな時は、收獲は豊富である。

 「踏みつけないやうに氣をつけろ」と、彼は、にんじんに云ふ――「そつと步けよ。わしも風邪を引きさへしなけや、布靴(ぬのぐつ)を穿くんだ。ちよつとした音でも、蚯蚓のやつ、穴へ引つ込んぢまうから・・・。奴さん、家(うち)から這ひ出しすぎた時でなけれやつかまらんのだ。急に押へて、滑らないくらゐに、そつとつまむんだぜ。半分頭を突つ込んだら、放しちまへ。ちぎるといかん。切れた蚯蚓は、なんの役にも立たんのだ。第一、ほかのやつを腐らしちまふ。それに、品のいゝ魚(さかな)は、そんなものは見向きもしない。漁師の中には、蚯蚓をけちけちするのがゐる。これや、間違ひだ。丸ごと、生きてゐて、水の底で縮こまる蚯蚓でなけれや、上等な魚は釣れんのだ。魚は、そいつが逃げるとみて、後を追つかけ、安心しきつて、ぱくりとやる」

 「どうも、失敗(しくぢ)つてばかりゐる」と、にんじんは呟く――「それに奴等の穢(きた)ねえ涎(よだれ)で、こら、指がべたべたすらあ」

 

小父さん――蚯蚓は穢(きたな)かない。蚯蚓は世の中で一番奇麗なもんだ。奴あ、土を食つて生きてる。だから、潰してみろ、土を吐き出すだけだ。わしだつたら、食つてみせる。

にんじん――僕だつたら、小父さんに進呈すらあ。食べてごらん。

小父さん――こいつらは、ちつとでけえや。先づ、火で炙(あぶ)らにや。それから、パンの上へなすりつけるんだ。だが、小さいのなら、生(なま)で食ふぜ。そら、李についてる奴よ、云つてみりや・・・。

にんじん――うん、そんなら知つてるよ。だから、家のもんが小父さんを厭だつて云ふんだ。母さんなんか、ことにさうだ。小父さんのことを考へると、胸が惡くなるつてさ。僕あ、眞似はしないけど、小父さんのすることは好いと思つてるよ。だつて、小父さんは、文句を云はないもの。僕たちは、まつたく意氣投合してるんだ。

 

 彼は、カンテラを擧げ、李の枝を引き寄せ、李を幾つかちぎる。そして、良いのを自分が取つておき、蟲のついたやつを小父さんに渡す。すると、小父さんは、順々に、丸いのをそのまゝ、種ごと、一と息に吞み込んで、そして云ふ。

 「かういふのが、一等うまいんだ」

 

 にんじん――なに、僕だつて、しまひに、それくらゐのことはするさ。そんなのを小父さんみたいに食べてみせるよ。ただ、あとが臭いといやなんだ。母さんが、若しキスした時、氣がつくもの。

 

 「臭いもんか」

と、小父さんは云ふ。そして、にんじんの顏へ息を吐きかける。

 

にんじん――ほんとだ。煙草の臭ひがするつきりだ。これやひどい、鼻ぢゆういつぱい臭ふぜ。・・・僕、小父さんは大好きだ、いゝかい、だけど、若し煙管(パイプ)を吸はなかつたら、もつと、それこそ、ほかの誰よりも好きなんだがなあ。

小父さん――云ふなよ、坊主・・・。こいつは、人間の持ちをよくするんだ。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「李(すもゝ)」バラ亜綱バラ目バラ科サクラ属 Prunus の中でもPrunus節(オールドワールドプラム)に属する、ヨーロッパと南西アジアで栽培されている主要なプラムであるセイヨウスモモ Prunus domestica である。

「そら、李についてる奴よ、云つてみりや・・・。」勿論、ミミズではない。所謂「シンクイムシ」(芯食虫)である。鱗翅目の中で、果実や野菜・樹木の芯を食害する一般的には昆虫類の幼虫の俗称で、メイガ(暝蛾)科Pyralidaeに属する蛾の幼虫を指すことが多いが、ハマキガ科Tortricidaeには、Grapholita属スモモヒメシンクイガ Grapholita dimorpha というスモモに特化した種もおり、このGrapholita属(中国語では「小食心虫属」と呼んでいる)にはフランス語の同属のウィキを見るに、スモモ好きの種が他にもいるようなので、同属の比定としてもよいのかも知れない。

「云ふなよ、坊主・・・。こいつは、人間の持ちをよくするんだ。」この最後の台詞は、原文では“Canard ! canard ! ça conserve.”である。“conserve”は「人が若々しさや元気を保ち続ける」の意である。さて、“canard”は本来は「アヒルの♀」を指す語なのであるが、俗語で愛称語として、「かわいい奴」という意味があるのである。]

 

 

 

 

    Les Prunes

 

   Quelque temps agités, ils remuent dans la plume et le parrain dit :

   Canard, dors-tu ?

     POIL DE CAROTTE

   Non, parrain.

     PARRAIN

   Moi non plus. J’ai envie de me lever. Si tu veux, nous allons chercher des vers.

   C’est une idée, dit Poil de Carotte.

   Ils sautent du lit, s’habillent, allument une lanterne et vont dans le jardin.

   Poil de Carotte porte la lanterne, et le parrain une boîte de fer-blanc, à moitié pleine de terre mouillée. Il y entretient une provision de vers pour sa pêche. Il les recouvre d’une mousse humide, de sorte qu’il n’en manque jamais. Quand il a plu toute la journée, la récolte est abondante.

   Prends garde de marcher dessus, dit-il à Poil de Carotte, va doucement. Si je ne craignais les rhumes, je mettrais des chaussons. Au moindre bruit, le ver rentre dans son trou. On ne l’attrape que s’il s’éloigne trop de chez lui. Il faut le saisir brusquement, et le serrer un peu, pour qu’il ne glisse pas. S’il est à demi rentré, lâche-le : tu le casserais. Et un ver coupé ne vaut rien. D’abord il pourrit les autres, et les poissons délicats les dédaignent. Certains pêcheurs économisent leurs vers ; ils ont tort. On ne pêche de beaux poissons qu’avec des vers entiers, vivants et qui se recroquevillent au fond de l’eau. Le poisson s’imagine qu’ils se sauvent, court après et dévore tout de confiance.

   Je les rate presque toujours, murmure Poil de Carotte, et j’ai les doigts barbouillés de leur sale bave.

     PARRAIN

   Un ver n’est pas sale. Un ver est ce qu’on trouve de plus propre au monde. Il ne se nourrit que de terre, et si on le presse, il ne rend que de la terre. Pour ma part, j’en mangerais.

     POIL DE CAROTTE

   Pour la mienne, je te la cède. Mange voir.

     PARRAIN

   Ceux-ci sont un peu gros. Il faudrait d’abord les faire griller, puis les écarter sur du pain. Mais je mange crus les petits, par exemple ceux des prunes.

     POIL DE CAROTTE

   Oui, je sais. Aussi tu dégoûtes ma famille, maman surtout, et dès qu’elle pense à toi, elle a mal au coeur. Moi, je t’approuve sans t’imiter, car tu n’es pas difficile et nous nous entendons très bien.

 

   Il lève sa lanterne, attire une branche de prunier, et cueille quelques prunes. Il garde les bonnes et donne les véreuses à parrain, qui dit, les avalant d’un coup, toutes rondes, noyau compris :

   Ce sont les meilleures.

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! je finirai par m’y mettre et j’en mangerai comme toi. Je crains seulement de sentir mauvais et que maman ne le remarque, si elle m’embrasse.

   Ça ne sent rien, dit parrain, et il souffle au visage de son filleul.

     POIL DE CAROTTE

   C’est vrai. Tu ne sens que le tabac. Par exemple tu le sens à plein nez. Je t’aime bien, mon vieux parrain, mais je t’aimerais davantage, plus que tous les autres, si tu ne fumais pas la pipe.

     PARRAIN

   Canard ! canard ! ça conserve.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「泉」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Izumi

 

     

 

 

 彼は小父さんと一緖に寢はするが、それは、氣持よく眠るためではない。部屋は寒いには寒い。しかし羽根の寢床では暑すぎるのだ。それに、羽根は、小父さんの年取つたからだには柔らかく當りもしやうが、にんじんは汗びつしよりになつてしまふ。が、兎も角、彼は母親のそばを離れて寢られるわけだ。

 「おつ母さんが、そんなに怖いのか」

と、小父さんは云ふ。

 

にんじん――と云ふよりも、母さんには、僕がそれほど怖くないんだよ。母さんが兄貴を打(ぶ)たうとすると、兄貴は箒の柄へ飛びついて、母さんの前へ立ち塞るんだ。母さんは、手が出せずに、それつきりさ。だもんで、兄貴に向つちや、情味で行くよりしやうがないと思つてる。それでかう云ふのさ――フエリツクスはとても感じやすい性質だから、打(ぶ)つたり叩いたりしてもなんにもならない。にんじんの方は、まだそれでいゝけれどつて・・・。[やぶちゃん注:「塞る」「ふさがる」。「性質」戦後版は『たち』とルビする。それを採る。]

小父さん――お前も箒を試(ため)してみりやいゝのに・・・。

にんじん――そいつがやれりや、なんでもないさ。兄貴と僕とは、よく擲り合ひをするんだ。本氣でやることもあるし、巫山戲てやる時もあるけど・・・。どつちもおんなじぐらい强いんだぜ。だから僕だつて、兄貴のやうに、打(ぶ)たれないですむわけなんだ。でも、母さんに向つて、箒を手に持つなんてことをしてごらん。母さんは、僕がそいつを持つて行くんだと思ふよ。箒は僕の手から母さんの手に渡る、すると、母さんは、僕をひつぱたく前に、多分、「ご苦勞」つて云ふだらう。[やぶちゃん注:「擲り合ひ」「なぐりあひ」。「巫山戲て」「ふざけて」。]

小父さん――眠(ね)ろよ、坊主、もう眠(ね)ろ!

 

 兩方とも、眠れない。にんじんは、寢返りを打つ。息がつまる。空氣を探す。爺さんは、それが可哀さうなのだ。

 突然、にんじんがうとうとしはじめた頃、爺さんは、彼の腕をつかまへる。

 「そこにいたか、坊主・・・。あゝ、夢を見た」と、爺さんは云ふ――「わしや、お前がまだ、泉の中にゐるんだと思つた。覺えてるかい、あの泉のことを?」

 

にんじん――覺えてるどころぢやないさ。ねえ、小父さん、小言を言うわけづやないけど、幾度も聞くぜ、その話は・・・。[やぶちゃん注:「小言」「こごと」。]

小父さん――なあ、坊主、わしや、あのことを考へると、からだじゆう、顫へ上るよ。わしは、草の上で眠つてた。お前は泉のへりで遊んでゐた。お前は滑つた。お前は落ち込んだ。お前は大きな聲を立てた。お前は悶搔いた。それに、わしは、なんたるこつちや・・・なにひとつ、聞こえやせん。その水と云つたら、猫が溺(おぼ)れるほどもないのだ。だが、お前は、起き上らなんだ。災難は、つまり、そこからさ。一體全體、起き上ることぐらゐ考へつかなかつたかい?[やぶちゃん注:「悶搔いた」「もがいた」。]

にんじん――泉の中で、どんなことを考へてたか、僕が覺えてると思ふ、小父さん?

小父さん――それでも、お前が水をばちやばちや云はせる音で眼が覺めた。やつとこさで間に合つたんだ。この糞坊主! 可哀さうに、ポンプみたいに水を吐くぢやないか。それから、着物を着替へさせた。ベルナアルの日曜に着る服を着せてやつたんだ。

にんじん――あゝ。あいつは、ちかちかしたつけ。からだを搔きづめさ。馬の毛で作つた服だよ、ありや。

小父さん――さうぢやないよ。だが、ベルナアルは、お前に貸してやる洗ひたてのシヤツがなかつたんだ。わしは、今、かうして笑つてるが、あれでもう一二分、うつちやらかしといてみろ、起した時は、お前は死んでるんだ。

にんじん――今頃は、はるか遠くにゐるわけだね。

小父さん――よせ、こら! わしも、つまらんことを云ひ出した。で、それからつて云ふもの、夜、ぐつすり眠つた例しがないのだ。一生安眠を封じられても、これや、天罰だ。わしは文句を云ふところはない。

にんじん――僕は、文句を云ひたいよ、小父さん。眠むくつてしやうがないんだ。

小父さん――眠(ね)ろよ、坊主、眠ろよ!

にんじん――眠(ね)ろつていふなら、小父さん、僕の手を放してよ。眠(ねむ)つちまつたら、また貸したげるから・・・。それから、この脚をそつちへ引つ込めとくれよ。毛が生へてるんだもの。人が觸(さは)つてると、僕、眠られないんだ。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「情味」思いやり・優しさ等の人の心の暖かみ。そうした雰囲気で接すること。

「ベルナアル」「名づけ親」の「小父さん」の数少ない近くに住む友人(或いは彼は人付き合いがよくないから、単に「知人」というべきか)の姓であろう。但し、二ヶ所ともこの部分の原文は“petit Bernard”となっており、「にんじん」が着るには少年用の子ども着でなくてはならないから、ここは「小さなベルナアル」、則ち、「ベルナアルの子ども」の意でなくては、おかしいのである。臨川書店『全集』の佃氏の訳は、ちゃんと『ベルナールのせがれ』となっているのである。]

 

 

 

 

    La Fontaine

 

   Il ne couche pas avec son parrain pour le plaisir de dormir. Si la chambre est froide, le lit de plume est trop chaud, et la plume, douce aux vieux membres du parrain, met vite le filleul en nage. Mais il couche loin de sa mère.

   Elle te fait donc bien peur ? dit parrain.

     POIL DE CAROTTE

   Ou plutôt, moi je ne lui fais pas assez peur. Quand elle veut donner une correction à mon frère, il saute sur un manche de balai, se campe devant elle, et je te jure qu’elle s’arrête court. Aussi elle préfère le prendre par les sentiments. Elle dit que la nature de Félix est si susceptible qu’on n’en ferait rien avec des coups et qu’ils s’appliquent mieux à la mienne.

     PARRAIN

   Tu devrais essayer du balai, Poil de Carotte.

     POIL DE CAROTTE

   Ah ! si j’osais ! nous nous sommes souvent battus, Félix et moi, pour de bon ou pour jouer. Je suis aussi fort que lui. Je me défendrais comme lui. Mais je me vois armé d’un balai contre maman. Elle croirait que je l’apporte. Il tomberait de mes mains dans les siennes, et peut-être qu’elle me dirait merci, avant de taper.

     PARRAIN

   Dors, canard, dors !

 

   Ni l’un ni l’autre ne peut dormir. Poil de Carotte se retourne, étouffe et cherche de l’air, et son vieux parrain en a pitié.

   Tout à coup, comme Poil de Carotte va s’assoupir, parrain lui saisit le bras.

   Es-tu là, canard ? dit-il. Je rêvais, je te croyais encore dans la fontaine. Te souviens-tu de la fontaine ?

 

     POIL DE CAROTTE

   Comme si j’y étais, parrain. Je ne te le reproche pas, mais tu m’en parles souvent.

     PARRAIN

   Mon pauvre canard, dès que j’y pense, je tremble de tout mon corps. Je m’étais endormi sur l’herbe. Tu jouais au bord de la fontaine, tu as glissé, tu es tombé, tu criais, tu te débattais, et moi, misérable, je n’entendais rien. Il y avait à peine de l’eau pour noyer un chat. Mais tu ne te relevais pas. C’était là le malheur, tu ne pensais donc plus à te relever ?

     POIL DE CAROTTE

   Si tu crois que je me rappelle ce que je pensais dans la fontaine !

     PARRAIN

   Enfin ton barbotement me réveille. Il était temps. Pauvre canard ! pauvre canard ! Tu vomissais comme une pompe. On t’a changé, on t’a mis le costume des dimanches du petit Bernard.

     POIL DE CAROTTE

   Oui, il me piquait. Je me grattais. C’était donc un costume de crin.

     PARRAIN

   Non, mais le petit Bernard n’avait pas de chemise propre à te prêter. Je ris aujourd’hui, et une minute, une seconde de plus, je te relevais mort.

     POIL DE CAROTTE

   Je serais loin.

     PARRAIN

   Tais-toi. Je m’en suis dit des sottises, et depuis je n’ai jamais passé une bonne nuit. Mon sommeil perdu, c’est ma punition ; je la mérite.

     POIL DE CAROTTE

   Moi, parrain, je ne la mérite pas et je voudrais bien dormir.

     PARRAIN

   Dors, canard, dors.

     POIL DE CAROTTE

   Si tu veux que je dorme, mon vieux parrain, lâche ma main. Je te la rendrai après mon somme. Et retire aussi ta jambe, à cause de tes poils. Il m’est impossible de dormir quand on me touche.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「名づけ親」

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「名づけ親」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Nadukeoya

 

     づけ

 

 

 どうかすると、ルピツク夫人は、にんじんにその名づけ親のところへ遊びに行き、泊まつて來ることを許すのである。この名づけ親といふのは、無愛想な、孤獨な爺さんで、生涯を、魚捕りと葡萄畑で過ごしてゐる。彼は誰をも愛していない。我慢ができるのは、にんじん一人きりだ。[やぶちゃん注:「魚捕り」戦後版のルビを参考にするなら、「うをとり」である。それで採る。]

 「やあ、來たな、坊主」

と、彼は云ふ。

 「來たよ、小父(をぢ)さん・・・。釣竿の用意、しといてくれた?」

 にんじんは、さう云ふが、接吻はしない。

 「二人で一つあれやたくさんだ」

 にんじんは納屋(なや)を開けてみる。別に一本、釣竿の用意ができてゐる。かうして、彼は、にんじんを揶揄(からか)ふのが常である。が、にんじんの方では、萬時吞み込んで、もう腹を立てない。老人のこの癖も、二人の間柄をやゝこしくするやうなことは先づないのだ。彼が「さうだ」といふ時は、「さうでない」といふ意味、そのあべこべが、またさうなのである。それを間違へさへしなければいゝ。

 「それが面白いなら、こつちはどうだつておんなじだ」

 にんじんは、さう考へてゐる。

 で、二人は、相變らず仲善しだ。

 この爺さん、平生は一週に一度、一週間分の炊事をするだけだが、今日は、にんじんのために、隱元豆の大鍋を火にかけ、それに、ラードの見事な塊をほうり込む[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では正しくは「はふりこむ」。]。で、一日の豫定行動をはじめる前に、生(き)葡萄酒を一杯、無理に飮ますのである。

 さて、彼等は、釣りに出掛ける。

 爺さんは水の岸に腰をおろし、テグスを手順よくほどいて行く。彼は、敏感な釣竿を重い石で押さえて置く。そして、大きなやつしか釣り上げない。魚は、手拭にくるんで日蔭へ轉がす。まるで赤ん坊のお褓襁(むつ)だ。[やぶちゃん注:「お褓襁」はママ。通常、「むつき」「おしめ」を意味する漢字熟語は「襁褓」の順である。]

 「いいか、浮子(うき)が三度沈まなけれや、糸を揚げるぢやないぞ」

 

にんじん――どうして、三度さ?

小父さん――最初のは、なんでもない。魚(さかな)がせゝつただけだ。二度目が、ほんものだ。吞み込んだんだ。三度目は、もう大丈夫。離れつこない。いくらゆつくり揚げてもかまわんよ。[やぶちゃん注:実は底本では「かまんよ。」であるが、脱字と断じて、特異的に訂した。]

 

 にんじんは河沙魚(かははぜ)を釣るのが面白い。靴を脫ぎ、川にはひり、足で砂の底を搔きまわし、水を濁らせてしまふ。馬鹿な河沙魚は、すると、駈け寄つて來る。にんじんは糸を投げ込む每に、一尾(ぴき)づゝ引き上げるのである。小父(をじ)さんに、それを知らせる暇もない。

 「十六・・・十七・・・十八・・・」

 小父さんは、頭の眞上(まうへ)に太陽が來ると、晝飯に歸らうと云ふ。彼は、にんじんに白隱元をつめ込ませる。

 「こんな美味(うま)いものはないさ」と、小父さんは云ふ――「しかし、どろどろに煮たやつが、わしは好きだ。嚙むとごりごりするやつ、まるで、鷓鴣の羽根肉にもぐつてる鉛の彈丸みたいに、がちりと來(く)るやつ、あれを食ふくらゐなら、鶴嘴の先を嚙(かぢ)つた方がましだ」[やぶちゃん注:「彈丸」戦後版では、『弾丸(たま)』とルビする。それを採る。]

 

にんじん――こいつは、舌の上で溶けるね。いつも、母さんのこしらふ[やぶちゃん注:ママ。]のは、さう不味(まづ)かないけど・・・。でも、こんな具合にはいかないや。クリームを儉約するからだよ、きつと。

小父さん――やい、坊主、お前の食べるところを見てると、わしやうれしいよ。おつ母さんの前ぢや、腹一杯食へないだらう。

にんじん――母さんの腹具合によつてだよ。若し母さんがお腹をすかしてれば、僕も、母さんの腹いつぱい食ふんだ。自分の皿へ取るだけ、僕の皿へも、うんとつけてくれるからね。しかし、母さんが、もうおしまひだつていふ時は、僕もおしまひさ。

小父さん――もつとくれつて云ふんだ、さういふ時は・・・阿呆(あほう)!

にんじん――云ふは易しさ、小父さん。それに、何時も饑(ひもじ)いくらゐでよしといた方がいゝんだよ。

小父さん――わしは子供がないんだが、猿の尻(けつ)でも舐めてやるぜ、その猿が自分の子供なら・・・。なんとかしろよ。

 

 彼等は、その日の日課を葡萄畑で終へるのである。にんじんは、そこで、あるひは小父さんが鶴嘴を使ふのを眺め、一步一步その後をつけ、或は、葡萄蔓の束の上に寢ころび、空を見上げて、柳の芽を吸ふのである。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「名づけ親」一般の名前とは別な洗礼名(一般に聖人の名を用いる)をつけた人を指す。なお、この老人は、最終章の「にんじんのアルバム」の「八」で『名づけ親のピエエル爺さん』と、その名が明らかにされる。なお、岸田氏は台詞のパートでは頭に「小父さん――」と標してゐるが、原作では全て“Parrain :”(音写「パァラン」)となつており、これは文字通り、「名づけ親」の意味である。因みに、私は「にんじん」の中で、唯一、素直に文句なく大好きな登場人物は、この『名づけ親のピエエル爺さん』唯一人である。

「隠元豆」「白隱元」バラ亜綱マメ目マメ科インゲンマメ属インゲンマメPhaseolus vulgaris。この煮込み料理はフランス料理の定番である。

「生葡萄酒」通常のワインでは、最後に壜詰めする際、加熱処理をしてワインに残留してゐる酵母菌を殺菌する。その工程をする前の葡萄酒を「生葡萄酒」と呼んでいるものと思われる。これを、フィルターを通したりして、長い時間をかけて濾過したものは、逆に高級ワインとなる。

「テグス」現在、釣り糸は合成樹脂で作られているが、昔は、蛾の幼虫の体内からとつた造糸器官である絹糸腺を、氷水や酢酸等に浸して、引き伸ばして乾燥させて作った。本邦での「テグス」という呼称は、釣り糸に、その繭が用いられた華南・台湾に棲息する昆虫綱鱗翅(チョウ)目ヤママユガ科Saturniidaeに属する蛾、Saturnia 属フウサン(天蠶蛾・楓蠶)Eriogyna pyretorum の異名「テグスサン」に由来する。お馴染みのカイコガ科カイコガ亞科カイコガBombyx moriからも。無論、作れる。

「河沙魚(かははぜ)」戦後版のサイト版では、『ハゼ亜目 Gobioidei。淡水産といふことでドンコ科 Odontobutidaeまで狭めることが出来るかどうかまでは、淡水産魚類に暗い私には判断しかねる。』としたが、これは誤りであった。今回、先行してブログで改訂を行ったルナールの「博物誌」の「かは沙魚」で、これは、条鰭綱コイ目コイ科カマツカ亜科 Gobionini 群ゴビオ属タイリクスナモグリ Gobio gobio であることが判明した(本邦には分布しない)。

「鷓鴣」先の「鷓鴣(しやこ)」(しゃこ)の私の注を參照されたい。]

 

 

 

 

    Parrain

 

   Quelquefois madame Lepic permet à Poil de Carotte d’aller voir son parrain et même de coucher avec lui. C’est un vieil homme bourru, solitaire, qui passe sa vie à la pêche ou dans la vigne. Il n’aime personne et ne supporte que Poil de Carotte.

   Te voilà, canard ! dit-il.

   Oui, parrain, dit Poil de Carotte sans l’embrasser, m’as-tu préparé ma ligne ?

   Nous en aurons assez d’une pour nous deux, dit parrain.

   Poil de Carotte ouvre la porte de la grange et voit sa ligne prête. Ainsi son parrain le taquine toujours, mais Poil de Carotte averti ne se fâche plus et cette manie du vieil homme complique à peine leurs relations. Quand il dit oui, il veut dire non et réciproquement. Il ne s’agit que de ne pas s’y tromper.

   Si ça l’amuse, ça ne me gêne guère, pense Poil de Carotte.

   Et ils restent bons camarades.

   Parrain, qui d’ordinaire ne fait de cuisine qu’une fois par semaine pour toute la semaine, met au feu, en l’honneur de Poil de Carotte, un grand pot de haricots avec un bon morceau de lard et, pour commencer la journée, le force à boire un verre de vin pur.

   Puis ils vont pêcher.

   Parrain s’assied au bord de l’eau et déroule méthodiquement son crin de Florence. Il consolide avec de lourdes pierres ses lignes impressionnantes et ne pêche que les gros qu’il roule au frais dans une serviette et lange comme des enfants.

   Surtout, dit-il à Poil de Carotte, ne lève ta ligne que lorsque ton bouchon aura enfoncé trois fois.

 

     POIL DE CAROTTE

Pourquoi trois ?

     PARRAIN

   La première ne signifie rien : le poisson mordille. La seconde, c’est sérieux : il avale. La troisième, c’est sûr : il ne s’échappera plus. On ne tire jamais trop tard.

 

   Poil de Carotte préfère la pêche aux goujons. Il se déchausse, entre dans la rivière et avec ses pieds agite le fond sablonneux pour faire de l’eau trouble. Les goujons stupides accourent et Poil de Carotte en sort un à chaque jet de ligne. À peine a-t-il le temps de crier au parrain :

   Seize, dix-sept, dix-huit !…

   Quand parrain voit le soleil au-dessus de sa tête, on rentre déjeuner. Il bourre Poil de Carotte de haricots blancs.

   Je ne connais rien de meilleur, lui dit-il, mais je les veux cuits en bouillie. J’aimerais mieux mordre le fer d’une pioche que manger un haricot qui croque sous la dent, craque comme un grain de plomb dans une aile de perdrix.

     POIL DE CAROTTE

   Ceux-là fondent sur la langue. D’habitude maman ne les fait pas trop mal. Pourtant ce n’est plus ça. Elle doit ménager la crème.

     PARRAIN

   Canard, j’ai du plaisir à te voir manger. Je parie que tu ne manges point ton content, chez ta mère.

     POIL DE CAROTTE

   Tout dépend de son appétit. Si elle a faim, je mange à sa faim. En se servant elle me sert par-dessus le marché. Si elle a fini, j’ai fini aussi.

     PARRAIN

   On en redemande, bêta.

     POIL DE CAROTTE

   C’est facile à dire, mon vieux. D’ailleurs il vaut toujours mieux rester sur sa faim.

     PARRAIN

   Et moi qui n’ai pas d’enfant, je lécherais le derrière d’un singe, si ce singe était mon enfant ! Arrangez ça.

 

   Ils terminent leur journée dans la vigne, où Poil de Carotte, tantôt regarde piocher son parrain et le suit pas à pas, tantôt, couché sur des fagots de sarment et les yeux au ciel, suce des brins d’osier.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蟄竜」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 蟄竜【ちつりゅう】 〔耳嚢巻一〕江州の富農石亭は、名石を好むの癖あり。既に『雲根志』といへる、愛石を記したる書を綴りし事は、誰しらぬ者なし。或年行脚の僧、これがもとに泊り、石亭が愛石の分を一見しけるゆゑ、石亭も御身も珍石や貯へ給ふかと尋ねしに、我等行脚の事ゆゑ、更に貯ふる事なけれど、一つの石を拾ひ得て、常に荷の内に蔵す、敢て不思議もなけれど、水気を生ずるゆゑに愛する由、語るを聞き、もとより石に心を尽す石亭なれば、強ひて所望してこれを見るに、その色黒く一拳《ひとこぶし》斗りの形にて、窪める所水気《すいき》あり。石亭感心限り無く、何卒お僧に相応の代《かはる》もの与へん間、給はるべきやと深切にもとめければ、我《わが》愛石といへども僧の事、敢て輪廻せん心なし、打鋪(うちしき)[やぶちゃん注:仏前の仏具などを置く卓上に敷く敷物。]にても拵へ給はらば、頓《とみ》に与へんといひしゆゑ、石亭大いに歓びて、金𮉚の打鋪を拵へ与へて、かの石とかへぬ。さて机上に置き、硯の上におくに、清浄の水《みづ》硯中に満ちて、そのさまいはんかたなし。厚く寵愛なしけるを、或る老人つくづく見て、かく水に気を生ずる石には、果して蟄竜有るべし、上天もなさば、大きなる憂ひもあらん、遠く捨て給へと申しけれど、常に最愛なしける石なれば、曾て其異見に随はざりしが、有時曇りて空さえざる折柄、右石の中より気を吐く事尋常ならざれば、大きに驚きて、過ぎし老人の言ひし事思ひ出《いで》て、村老近際の者を集めて、遠き人家なき所へ遣《つかは》すべしといひしに、その席に有りける老人、かくあやしき石ならば、いかなる害をやなさん、焼き捨つべしと云ひしを、さはすまじきとて、人離れたる所に一宇の社堂有りし故、彼《かの》処へ納め置きて、皆々帰りぬ。然るにその夜風雨雷鳴して、かの堂中より雲起り、雨烈しく、上天せるものありしが、跡にて右堂に至り見しに、かの石は二つにくだけ、右堂の様子、全く竜の上天なしける体《てい》なりと、村中奇異の思ひをなしぬ。その節彼《かの》やきうしなふべしと発意《ほつい》せし者の宅は、微塵になりしと人の語りぬ。

[やぶちゃん注:私のは、底本違いで「耳嚢 巻之八 石中蟄龍の事」である。本話自体の真贋も考証してあるので、是非、見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「地中の仏像」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 地中の仏像【ちちゅうのぶつぞう】 〔北窻瑣談巻四〕武蔵国上野界(かうづけざかひ)の地に、往来の街道に、人蹈《ふ》めば甚だ響く所あり。そのあたりの人、久しく怪しみ居《をり》たりしに、今年寛政甲寅《きのえとら》[やぶちゃん注:寛政六年。一七九四年。]の春、里人寄合ひて掘穿《ほりうが》ちて試みしに、やがて金石《きんせき》の如く堅く響く所に掘当《ほりあた》れり。すはやとて、大勢集りて掘りたりしに、土中に空虚ありて、里人一人落入りたり。人々驚きあわてゝ逃げのきたりしに、土中《どちゆう》よりはるかにその人の声して、助けてくれよと呼《よば》はるにぞ、さては未だ死せざりしとて、皆々集り縄を下《おろ》して引上げたり。その人に内はいかやうにやと尋ねしに、何ともしれず、底には土なく、唯金石のごとくに堅く、四方甚だ広く真暗《まつくら》にして、唯恐ろしかりしかば、動きも得せざりしといふにぞ、さらば猶々掘れとて、そのあたり広く掘りたりしに、大なる仏像の横ざまになりて、土中に埋《うづも》れたるなり。その仏像の腹に穴ありて、里人《さとびと》、仏像の腹中《ふくちゆう》に落入りたりしなり。その大なる事甚だし。庄屋など寄合ひて、かゝる物を掘出《ほりいだ》さば、官所に訴へなどして一村の騒動なるべし、このまゝ埋み置きて事なきには如かずとて、件《くだん》の穴の所には厚き板を当《あて》て、もとの如く埋《うづ》み終《をは》れりとぞ。畠中観斎方へ東国より申し来りしとて物がたりなりき。

[やぶちゃん注:「北窻瑣談」は「網に掛った銘刀」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで当該箇所が視認出来る(左ページ冒頭)。

「武蔵国上野界(かうづけざかひ)の地に、往来の街道」恐らくはこの中央附近のどこかであろう(グーグル・マップ・データ)。

「官所に訴へなどして一村の騒動なるべし」このような事件の場合、幕府からやって来る官憲の出張や、その接待の費用は、総て現地の人々の負担となった。貧しい山村にとっては、大いに迷惑であったのである。例えば、私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) うつろ舟の蠻女』を見られたい。同じような迷惑を考えて、処理をしている。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「地中の声」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 地中の声【ちちゅうのこえ】 〔筆のすさび巻一〕文政二年[やぶちゃん注:一八一九年。]春三月、備後深津《ふかつ》郡引野村<広島県福山市内>百姓仲介が宅の榎の根の地中に声あり。人の呻吟《しはぶき》のごとし。その家にては常の人の息のごとく聞え、三四町[やぶちゃん注:約三百二十七~四百三十六メートル。]よそにては余程大きに聞ゆ。よもすがら鳴りしは三五日の間、前後二十日ばかりにて昼は声なし。夜もまた聞えぬ夜もあり。次第次第に諒濶(りやうくわつ)になりて、終《つひ》にやみぬ。今に至りて凡そ二年になれども、かはりたる事もなしと、松岡清記来り話す。〔半日閑話巻十三〕三月、この頃中野の先関といふ処の地に、うなる声有りとて、人皆云ひ伝ふ。<『九桂草堂随筆巻八』に同様の文がある>

[やぶちゃん注:「筆のすさび」正式書名は「茶山翁(さざんをう)筆のすさび」。儒学者で漢詩人の菅茶山(かんさざん(「ちゃざん」とも) 延享五(一七四八)年~文政一〇(一八二七)年:名は晋帥(ときのり)。備後の農民の長男であったが、大志を抱いて学問を志し、京で朱子学を学び、帰郷して私塾「黄葉夕陽村舎」(こうようせきようそんしゃ)を開いた。頼山陽の師である)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十七巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)のこちらで正字表現で視認出来る。標題は『一地中聲(こゑ)を發(はつ)す』。

「備後深津郡引野村」「広島県福山市内」現在の広島県福山市引野町(ひきのちょう:グーグル・マップ・データ)。

「諒濶」はっきりとしていて、広く聞こえたことを言う。

「松岡清記」不詳。

「半日閑話」「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。標題は『○中野の訛言』(「訛言」は「くわげん(かげん)」で「なまった言葉」の意)である。宵曲は後半部を「地中の声」ではないので、カットしている。短いので、以下、全文を正字で示す。

   *

○中野の訛言  三月、此頃中野の先關といふ處の地に、うなる聲有《あり》とて、人皆云傳ふ。此頃の訛言に中野の邊の者、夜着《よぎ》を求めてかつぎて臥したるに、夜半に聲を出して、暑乎寒乎(アツイカサムイカ)と問ふ。其人おそれていそぎ舊主に返すといふ。石《いし》の言《いひ》しは春秋傳に見へ[やぶちゃん注:ママ。]たれど、夜着のものいふ例《ため》し聞ず。桃園《ももぞの》の桃にものいはぬも愧《はぢ》よかし。

   *

この話、喋る中身がちょっと違うが、私は、即座に小泉八雲の哀しい怪談、一般に「鳥取の布団」と呼ばれるそれを想起した(当該ウィキもある)。私の「小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (九)」を読まれたい(八年前の古い仕儀なので、正字不全があるが、許されたい)。

「先関」不詳。「さきぜき」か。

「九桂草堂随筆」「奇石」で既出既注。但し、これは前者「筆のすさび」の話と『同様』で、前の終りに附して欲しかった。お蔭で探すのに手間取ったわい! 国立国会図書館デジタル化資料の国書刊行会大正七(一九一八)年刊「百家随筆」のここ(左ページ下段最後)で、正規表現で視認出来る。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「池水の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 池水の怪【ちすいのかい】 〔甲子夜話巻六〕予<松浦静山>が幼時、鳥越邸の池辺《ちへん》の小亭にて遊戯し居《をり》たるに、池中より泡一つ二つ出づ。始めは魚鼈《ぎよべつ》の所為《しよゐ》ならんと思ふに、数点《すてん》になりて、それより泡のうちより煙いで、だんだん煙多く、後《のち》は釜中より煙立つ如くになりて、池水ぐるぐると廻り、輪の如く波たちたるが、やがて半天に虹を現《あらは》し、後は天に亘《わた》れり。それよりして池辺腥臭(なまぐさ)の気堪へがたかりければ、幼時のことゆゑ恐ろしくなりて、住居に立還り、後は知らず。

[やぶちゃん注:これは既にルーティンで「甲子夜話卷之六 24 鳥越邸の池、虹を吐く事」として電子化注してある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「竹林院不明の間」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 竹林院不明の間【ちくりんいんあかずのま】 〔閑窻自語〕山門<延暦寺>に竹林院といふ坊あり。その内に児《ちご》がやといひて、開かざる間あり。宝暦七年[やぶちゃん注:一七五七年]法華会《ほつけゑ》の行事に、権右中弁敬明まかりて、かの坊に宿りけるに、家人をしてひそかにかの間を開きこゝろみしむ。うちは暗くて、何もなかりける。冷気身をおそふとおぼえて、たちまちかの身のわづらひつき、家に帰るとそのまゝに失せぬ。また弁もそれより心地たゞならずなやみて、その次のとし三月ばかりに身まかりぬ。それよりして行事弁登山するに、この坊に宿することを用ひずとなん。

[やぶちゃん注:「閑窻自語」(かんさうじご:歴史的仮名遣)は公卿柳原紀光(やなぎわらもとみつ 延享三(一七四六)年~寛政一二(一八〇〇)年)の随筆。権大納言光綱の子。初名は光房、出家して「暁寂」と号した。宝暦六(一七五六)年元服し、累進して安永四(一七七五)年、権大納言。順調な昇進を遂げたが、安永七年六月、事により、解官勅勘を被った。翌々月には許されたが、自ら官途を絶って、出仕することなく、亡父の遺志を継いで国史の編纂に力を尽くし、寛政一〇(一七九八)年まで前後二十二年間を要して「続史愚抄」禅全八十一冊を著した。国立国会図書館デジタルコレクションの『隨筆三十種』第五集(今泉定介・畠山健校訂編纂/明三〇(一八九七)年青山堂刊)のここで視認出来る。標題は『延暦寺竹林院有兒靈事』[やぶちゃん注:「暦」はママ。読みは「えんりやくじちくりんゐんちごのれいあること」であろう。]である。]

「竹林院」現存しない里坊(延暦寺の僧侶の隠居所)。現在は庭園を持つ旧竹林院としてある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「児がや」「兒(ちご)が家・屋(や)」か。

「権右中弁敬明」江戸中期の公卿勧修寺敬明(かじゅうじ:名は「としあき・たかあき・のりあき」か:元文五(一七四〇)年~ 宝暦八(一七五八)年)。勧修寺家第二十二代当主。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「羊」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

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 にんじんは、最初、もやもやした丸いものが、飛んだり跳ねたりしてゐるのしかわからなかつた。それが、けたゝましい、どれがどれやらわからない聲を立てる。學校の子供が、雨天體操場で遊んでゐる時のやうだ。そのうちの一つが彼の脚の間へ飛び込む。ちよいと氣味がわるい。もう一つが、天窓の明りの中を躍り上つた。仔(こ)羊だ。にんじんは、怖わかつたのが可笑しく、微笑む。服がだんだん暗闇に慣れると、細かな部分がはつきりして來る。[やぶちゃん注:「微笑む」「ほほゑむ」。]

 分娩期が始まつてゐる。百姓のパジヨオルは、每朝數へてみると、仔羊が二三匹ふえてゐる。それは、母親たちの間をうろつき、不器用(ぶきつちよ)なからだつきで、粗(あら)く彫(ほ)つた四本の棒切れのやうな脚を、ぷるぷる顫(ふる)はせてゐる。

 にんじんは、まだ撫でゝみる氣がしない。そのうちで、圖々しいのが、そろそろ彼の靴をしやぶりはじめる。或は一すべの枯草を口に咬へ、前足を彼の方へのせかける。[やぶちゃん注:「一すべ」「一稭(ひとすべ)」。藁(わら)の穂の芯。藁蘂(わらしべ)。「ひとすべ」は「一本・一摑み」という意。「わらしべ」(稻藁の芯・くず)から派生した言葉であろう。]

 年を取つた、一週間目ぐらゐのやつは、後半身にやたら力を入れすぎて、からだが伸びたやうになり、宙に浮きながら電光形に步く。一日經(た)つたやつは、瘠せてゐて、角(かど)ばつた膝をがくりと突き、すぐ、元氣いつぱいに起ち上る。生れたての赤ん坊は粘(ねば)ねばだ。甞めてないのだ。その母親は、水氣で膨らんだ財布が、ゆさゆさ搖れる。それが邪魔なので、子供を頭で刎ね飛ばす。[やぶちゃん注:「甞めて」「なめて」。「水氣」戦後版では、『すいき』とルビする。「刎ね」「はね」。]

 「不都合な母親だ」

と、にんじんは云ふ。

 「畜生でも人間でも、そこはおんなじさ」

と、パジヨオルはいふ。

 「きつと、乳母にでも預けたいんだらう、こやつ」

 「まあ、そんなとこさ」と、パジヨオルが云ふ――「一疋から上になると、哺乳器つてやつをあてがはにやならん。藥屋で賣つてる、あゝいふやつさ。長くは續かねえ。母親が不憫がるだよ。尤も、艷消しにしとくだ」[やぶちゃん注:以上のパジョオルの台詞は意味が分かりにくい。特に最後が意味不明である。原作の当該部分は以下の通り。“Presque, dit Pajol. Il faut à plus d'un donner le biberon, un biberon comme ceux qu'on achète au pharmacien. Ça ne dure pas, la mère s'attendrit. D'ailleurs, on les mate.”さて、この“D'ailleurs, on les mate”、“ailleurs”は「別な方法で持って」の意であり、“mate”はチェスの「チェック・メイト」(王手)の「メイト」の動詞形で、「相手を押し込める」とか、「負かす」といふ意味であろう。さすれば、ここはパジョオルがそういう時には、「手荒い別な手法でもって、母羊に授乳させるように仕向けるのさ。」といふ意味ではなかろうか。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の倉田清訳の「にんじん」では、『一匹以上になったら、哺乳器(ほにゅうき)をやらなくちゃならない、薬屋で買うようなのを。でも、そんなに長くは続かない、母親が悲しくなるからな。とにかく、哺乳器じゃ子羊たちがかわいそうだ。』と訳し(この最後の部分は意訳に過ぎる気がする)、一九九五年臨川書店刊の『全集』第三巻の佃裕文訳の当該部分は『一頭ならず、哺乳瓶を与えなきゃならんのだ。薬局で買うようなヤツをな。母羊の愛情も戻っつてくるから、そうながいことではないがね。それに連中には言うことをきかせるしな。』と訳す。少なくとも良訳は一目瞭然である。岸田氏は哺乳瓶の中身が市販の牛乳であることを母羊に判らないようにするため、中身が見えてしまう透明なガラス・ボトルでない「艶消しガラス」を施したのを宛がう、という意味で採ってしまったものと推察する。]

 彼は、親羊を抱き上げ、檻の中へ、そいつを別に入れる。頸へ藁の襟飾(ネクタイ)を結びつける。逃げた時にわかるやうにだ。仔羊は、その後について行つた。牝羊は鑢(やすり)のやうな音を立てて食つてゐる。すると、仔羊は、身顫ひをし、軟らかな脚を踏ん張り、鼻先へべろべろのものをいつぱいくつつけ、哀れつぽい調子で、乳をしやぶりたがる。

 「この母親にでも、いまにまた、人情つてものがもつと出るのかねえ」

 にんじんは云ふ。

 「尻(けつ)がもともと通りなほりや、むろんさね。お產が重かつたゞから・・・」

 パジヨオルが云ふ。

 「僕は、やつぱり、さつき云つたやうにした方がいゝと思ふなあ。どうして、しばらくの間、子供の世話をほかの牝羊にさせないのさ」

 「あつちで斷はらあね」

 なるほど、小屋の隅々から、母親たちの鳴き聲が交錯し、授乳の時刻を告げてゐる。それが、にんじんの耳には一律單調であるが、仔羊にとつては何處かに違ひがあるのだ。なぜなら、めいめいが、間誤つきもせず、一直線に母親の乳房へ飛びつくのである。[やぶちゃん注:「間誤つき」「まごつき」。]

 「此處ぢや、子供を盜んだりする女はゐねえ」

 バジヨオルが云ふ。

 「不思議だ、こんな毛糸の玉に、家族つていふ本能があるのは・・・」にんじんは云ふ――「なんて說明するかだ。鼻が銳敏なせいかも知れない」

 彼は、試しに、どれか一つ、鼻を塞いでみようと思つたくらゐだ。

 彼はまた、それからそれへ、人間と羊とを比較した。そして、仔羊の名前が知りたくなつた。

 仔羊たちが、ごくごく乳を吸つてゐる間、おつ母さん連は、脇腹を鼻の頭で激しく小突かれながら、安らかに、素知らぬ顏で、口を動かしてゐる。にんじんは、株槽(かひをけ)の水の中に、鎖のちぎれたのとか、車の轍(わだち)とか、すり切れたシヤベルなどがはひつてゐるのを見た。

 「こいつは綺麗だ、この株槽(かいをけ)は・・・」と、にんじんは、小賢(こざか)しい調子で云つた――「なるほど。金物を入れて、血を殖(ふ)やそうつてわけだね」

 「その通り。おめえだつて、丸藥を飮まされるだらう」

 彼は、にんじんに、その水を飮んでみろと勸める。もつと滋養分をつけるために、彼は、その中へなんでも抛り込むのである。

 「ダニ公をやろうか、ダニ公を・・・」

と、ハジヨオルは云ふ。

 「あゝ、おくれ。ありがたいぞ」

 にんじんは、何か知らずに、さう云つてみた。

 パジヨオルは、母(おや)羊の深い毛を搔き分けて、爪先で、一匹の、黃色い、丸い、肥つた、滿腹らしい、凄く大きなダニをつかまへた。パジヨオルに從へば、この手のダニが二疋もゐれば、子供の頭ぐらい李(すもゝ)のやうに食べてしまふといふのだ。彼は、そいつをにんじんの掌(てのひら)へのせた。そして、若し戲談なり惡戲なりがしたければ、兄貴や姉さんの、頸筋か髮の毛の中を逼(は)はしてやれと勸める。[やぶちゃん注:「逼(は)はして」の漢字はママ。複数回、既出既注。岸田氏の「這」の意の思い込み誤用。]

 もう、ダニは仕事にかゝり、皮膚を襲ひ出した。にんじんは指にちくちくと痛みを感じた。霙(みぞれ)が降つてゐるようだ。やがて、手頸、それから肱だ。ダニが無數に殖え、腕から肩へ食ひ上がつて行く氣持だ。

 えゝい、どうにでもなれ・・・にんじんは、そいつを握り締めた。潰してしまつたのだ。で、その手をパジヨオルが見てないふちに、牝羊の背中へこすりつけた。

 失(な)くなしたと云へばいゝのだ。

 それから一つ時、にんじんは、ぢつと、羊の啼聲を聽いてゐた。それが、だんだん鎭まつて行く。と、間もなく、乾草(ほしぐさ)がのろい頤の間で嚙み碎かれる鈍い音の外、なんにも聞えなくなる。

 縞の消えた廣袖(ひろそで)マントが、飼棚(かひだな)の柵にひつかかつて、それが、たゞ一つ、羊の番をしてゐるらしく見える。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「車の轍」この「轍(わだち)」といふのは、日本語としておかしい。“cercles de roues”は、荷車等の「鐵輪(かなわ)」そのものを指す語である。鉄製の車輪、若しくは、木製車輪を補強するために打ち込まれた鉄の輪(又は単なる補強用に張りつけた鉄板)の破片ということである。

「株槽(かひをけ)」牛馬の餌として與える草や藁・穀類などの秣(まぐさ:馬草)を入れておく桶。かいばおけ。

「ダニ」恐らく節足動物門鋏角亜門クモ綱ダニ目マダニ亜目Ixodoideaに属するマダニ属 Ixodes の一種と見てよい。シュルッエマダニ Ixodes persulcatus の十全に血を吸った満腹になった個体は、娘たちの長女と次女のアリス(孰れもビーグル犬)に食いついた奴を、何度か見たことがあるが、彼奴等は、吸血すると、途轍もなく大きく、想像を絶する形(スモモとは大袈裟だが、大豆の大きさは普通)になる。このシュルッエマダニはライム病・ダニ媒介性脳炎を媒介するため、棲息する東ヨーロッパ(フランスには分布しないようである。マダニの種は分布に片寄りがあり、種同定は難しい)やロシアでは恐れられている。

「廣袖(ひろそで)マント」原文は“limousine”で、これは当時、車夫や農夫が着用した白黒の縞の入つた粗い毛で作った外套の名。ちなみに、仏語辞典によれば、これが現在の「リムジン」と言う語(箱自動車)のルーツらしい。

「飼棚」これは秣(まぐさ)を入れておくための橫に組んだ棚であるらしい。]

 

 

 

 

    Les Moutons

 

   Poil de Carotte n’aperçoit d’abord que de vagues boules sautantes. Elles poussent des cris étourdissants et mêlés, comme des enfants qui jouent sous un préau d’école. L’une d’elles se jette dans ses jambes, et il en éprouve quelque malaise. Une autre bondit en pleine projection de lucarne. C’est un agneau. Poil de Carotte sourit d’avoir eu peur. Ses yeux s’habituent graduellement à l’obscurité, et les détails se précisent.

   L’époque des naissances a commencé. Chaque matin, le fermier Pajol compte deux ou trois agneaux de plus. Il les trouve égarés parmi les mères, gauches, flageolant sur leurs pattes raides : quatre morceaux de bois d’une sculpture grossière.

   Poil de Carotte n’ose pas encore les caresser. Plus hardis, ils suçotent déjà ses souliers, ou posent leurs pieds de devant sur lui, un brin de foin dans la bouche.

   Les vieux, ceux d’une semaine, se détendent d’un violent effort de l’arrière-train et exécutent un zigzag en l’air. Ceux d’un jour, maigres, tombent sur leurs genoux anguleux, pour se relever pleins de vie. Un petit qui vient de naître se traîne, visqueux et non léché. Sa mère, gênée par sa bourse gonflée d’eau et ballottante, le repousse à coups de tête.

   Une mauvaise mère ! dit Poil de Carotte.

   C’est chez les bêtes comme chez le monde, dit Pajol.

   Elle voudrait, sans doute, le mettre en nourrice.

   Presque, dit Pajol. Il faut à plus d’un donner le biberon, un biberon comme ceux qu’on achète au pharmacien. Ça ne dure pas, la mère s’attendrit. D’ailleurs, on les mate.

   Il la prend par les épaules et l’isole dans une cage. Il lui noue au cou une cravate de paille pour la reconnaître, si elle s’échappe. L’agneau l’a suivie. La brebis mange avec un bruit de râpe, et le petit, frissonnant, se dresse sur ses membres mous, essaie de téter, plaintif, le museau enveloppé d’une gelée tremblante.

   Et vous croyez qu’elle reviendra à des sentiments plus humains ? dit Poil de Carotte.

   Oui, quand son derrière sera guéri, dit Pajol : elle a eu des couches dures.

   Je tiens à mon idée, dit Poil de Carotte. Pourquoi ne pas confier provisoirement le petit aux soins d’une étrangère ?

   Elle le refuserait, dit Pajol.

   En effet, des quatre coins de l’écurie, les bêlements des mères se croisent, sonnent l’heure des tétées et, monotones aux oreilles de Poil de Carotte, sont nuancés pour les agneaux, car, sans confusion, chacun se précipite droit aux tétines maternelles.

   Ici, dit Pajol, point de voleuses d’enfants.

   Bizarre, dit Poil de Carotte, cet instinct de la famille chez ces ballots de laine. Comment l’expliquer ? Peut-être par la finesse de leur nez.

   Il a presque envie d’en boucher un, pour voir.

   Il compare profondément les hommes avec les moutons, et voudrait connaître les petits noms des agneaux.

   Tandis qu’avides ils sucent, leurs mamans, les flancs battus de brusques coups de nez, mangent, paisibles, indifférentes.

   Poil de Carotte remarque dans l’eau d’une auge des débris de chaînes, des cercles de roues, une pelle usée.

   Elle est propre, votre auge ! dit-il d’un ton fin. Assurément, vous enrichissez le sang des bêtes au moyen de cette ferraille !

   Comme de juste, dit Pajol. Tu avales bien des pilules, toi !

   Il offre à Poil de Carotte de goûter l’eau. Afin qu’elle devienne encore plus fortifiante, il y jette n’importe quoi.

   Veux-tu un berdin ? dit-il.

   Volontiers, dit Poil de Carotte sans savoir ; merci d’avance.

   Pajol fouille l’épaisse laine d’une mère et attrape avec ses ongles un berdin jaune, rond, dodu, repu, énorme. Selon Pajol, deux de cette taille dévoreraient la tête d’un enfant comme une prune. Il le met au creux de la main de Poil de Carotte et l’engage, s’il veut rire et s’amuser, à le fourrer dans le cou ou les cheveux de ses frère et soeur.

   Déjà le berdin travaille, attaque la peau. Poil de Carotte éprouve des picotements aux doigts, comme s’il tombait du grésil. Bientôt au poignet, ils gagnent le coude. Il semble que le berdin se multiplie, qu’il va ronger le bras jusqu’à l’épaule.

   Tant pis, Poil de Carotte le serre ; il l’écrase et essuie sa main sur le dos d’une brebis, sans que Pajol s’en aperçoive.

   Il dira qu’il l’a perdu.

   Un instant encore, Poil de Carotte écoute, recueilli, les bêlements qui se calment peu à peu. Tout à l’heure, on n’entendra plus que le bruissement sourd du foin broyé entre les mâchoires lentes.

   Accrochée à un barreau de râtelier, une limousine aux raies éteintes semble garder les moutons toute seule.

 

2023/12/04

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「地下生活卅三年」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、底本の標題中の「卅」は、左端の縦画も下が左方向には曲がらず、直線となっている。因みに、『ちくま文芸文庫』の標題は『地下生活三十三年』に書き換えられてある。] 

 

     

 

 地下生活卅三年【ちかせいかつさんじゅうさんねん】 〔半日閑話巻十五〕九月頃承りしに、夏頃信州浅間ケ嶽辺<長野県北佐久郡内か>にて、郷家の百姓井戸を掘りしに、二丈余も深く据りけれども水不ㇾ出《いでず》。さん瓦《がはら》を二三枚掘出しけるゆゑ、かゝる深き所に瓦あるべき様《やう》なしとて、またまた掘りければ、屋根を掘当てけるゆゑ、その屋根を崩し見れば、奥居間暗く物の目不ㇾ知《しれず》。されども洞穴の如く、内に人間のやうなる者居《ゐ》る様子ゆゑ、松明《たいまつ》を以て段々見れば、年の頃五六十の人二人有ㇾ之。依ㇾ之(これによつて)この者に一々問ひければ、彼《かの》者申すやうは、それより幾年か知れざれども、先年浅間焼《あさまやけ》の節《せつ》土蔵に住居《すまゐ》なし、六人一同に山崩れ、出る事不出来。依ㇾ之四人は種々《しゆじゆ》に横へ穴を明けなどしけれども、中々不ㇾ及して遂に歿《ぼつ》す。私《わたくし》二人《ふたり》は蔵に積置《つみお》きし米三千俵、酒三千俵を飲みほし、その上にて天命をまたんと欲せしに、今日各〻へ面会する事、生涯の大慶なりと云ひけるゆゑ、段々数へ見れば、三十三年に当るゆゑ、その節の者を呼合《よびあひ》ければ、これは久し振り哉《かな》、何屋の誰が蘇生しけるとて、直ちに代官所へ訴へ、上へ上げんと言ひけれども、数年《すねん》地の内にて暮しける故に、直ちに上へあがらば、風に中《あた》り死せん事をいとひ、段々に天を見、そろりそろりと上らんと言ひけるゆゑ、先づ穴を大きく致し、日の照る如くに致し、食物を当《あて》がへ置きし由、専らの沙汰なり。この二人先年は余程の豪家にてありしとなり。その咄し承りしゆゑ、御代官を聞合せけれども不ㇾ知《しれず》。私領などや、または巷説やも不ㇾ知。

[やぶちゃん注:あり得ない風説ではあるが、赤木道紘氏のサイト「火水風人」の「松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(二十七)」の「浅間嶽下奇談」(文末に『広報つまごい』の五百六十九号(平成一〇(一九九八)年九月号)に記載されたものとする注がある)で、本話が訳されて載り、最後に『この奇談が何処であった事か著者は明示していない。しかし真偽はともかく、その内容から鎌原村に係わる奇談として、ほぼ間違いないことであろう』とあった。松島氏の指定するのは、現在の群馬県吾妻郡嬬恋(つまごい)村鎌原(かんばら)である(グーグル・マップ・データ)。

「半日閑話」「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。標題は『○信州淺間嶽下奇談』である。但し、私は既に『柴田宵曲 續妖異博物館 「地中の別境」(1)』で正規表現で電子化している(注はなし)。

「九月頃」リンク先の前の項が『文化十二亥年六月』とクレジットする記事であり、数えで計算しているから、文化一二(一八一五)年である。

「さん瓦」「棧瓦」。横断面が波状をした瓦。一枚で、本瓦葺きの平瓦・丸瓦の両方を兼ねるもの。江戸中期に作られ、以後、一般住居に用いられた普通の瓦である。

「浅間焼」浅間山の「天明大噴火」。天明三年七月八日(一七八三年八月五日)に発生した浅間山史上、最も著名な噴火であり、「天明の浅間焼け」とも呼ばれる。当該ウィキによれば、噴火自体は同年四月九日(一七八三年五月九日)から始まり、七月七日夜から翌朝頃に激甚噴火を迎え、結果的に約九十日間、続いた。死者千六百二十四人(内、上野国一帯だけで千四百人以上)・流失家屋(噴火によって発生した大規模泥流が吾妻川・利根川を流下したため、流域の村々を次々に飲み込んで、洪水などによる大被害を与えたのであった)千百五十一戸・焼失家屋 五十一戸・倒壊家屋百三十戸余りに及んだ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「魂火」 / 「た」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 因みに、本篇を以って「た」の部は終わっている。]

 

 魂火【たまび】 〔甲子夜話巻十一〕人世には魂火《たまび》と云ふものあるにや。予<松浦静山>が内の泥谷《ひぢや》[やぶちゃん注:現行姓の圧倒的に多い読みを参考に、かく読んでおいた。]某、釣を好み夜々平戸の海<長崎県平戸>に浮んで鯛をつる。これは碇を投じては宜しからず。因て潮行に随ひて、海上を流れて釣糸を下す。舟処を違へざる為に、櫓を揺《おし》て流れ去らざらしむ。泥谷乃ち僕《しもべ》に櫓を揺させ、己は釣を下して魚の餌につくを待つ。またその海の向うは大洋、その辺半里ばかりに壁立の岸あり。ここより常に清泉湧き出づ。僕主人を顧みて云ふ、先より櫓を揺て咽乾くこと頻りなり、冀《ねがは》くは岸に舟をつけ泉水を一飲せん。泥谷云ふ、今釣の最中なり、手を離つべからずとて、舟を岸に著くことを許さず。僕止むことを得ず、櫓を揺(うごか)し立ちながら睡る。泥谷これを見るに、僕の鼻孔の中より酸漿実(ほゝづき)[やぶちゃん注:底本では「酸漿」にのみルビが振られているが、特異的に東洋文庫版の編者の配したルビに従った。]の如き青光《あをびかり》の火出たり。怪しと思ひたるに、ふはふはと飛び行きて、やがて彼《か》の岸泉の処に到り、泉流に止りてあること良久(ややしばし)なり。それよりまた飛び来てやゝ近くなる。愈〻(いよいよ)怪しみ見ゐたるに、僕の鼻孔に入りぬ。その時僕驚き醒めたる体なりければ、泥谷いかにせしと問ひたれば、さきに余りに咽乾きたる故、舟を岸につけんと申したるを止め給ひしゆゑ、勉強して櫓を揺しゐたれば覚えず睡りたり、然るに夢に岸泉《がんせん》の処に到り、水を掬《きく》し飲みて胸中快く覚えたるが睡り醒めぬ、もはや咽乾かずと言ひたり。泥谷もこれを聞きて恐ろしくなりて、好《すき》なる釣を止めてその夜は還りしと云ふ。またこれも平戸のことなり。田村某が家の一婢頗る容色あり。田村心に愛すと雖ども、妻の妬みを恐れて通ずること能はず。その婢年期を以て里に帰る。里《さと》殆《ほとんど》二里、田村時々潜かに往き暁に及んで還る。或日暮にまたゆく、時に小雨ふれり。途半にして村堤《むらづつみ》を行くに、前路十余間、地上を去ること五六尺にして青光の小火《せうび》あり、酸漿実(ほゝづき)[やぶちゃん注:同前の処理をした。]の如し。田村怪しみ狐狸の所為とし、已(すで)に斬らんとす。然れども火未だ遠し。因てこれに近づかんとするに、火乃《すなは》ち田村が前に行くこと初めの如し。田村立止れば火もまた止る。田村爲《せ》ん方なくして行く内に覚えず婢の家に抵(いた)る。婢いつも窓下《さうか》に臥す。因て密かに戸を開きて入る。今夜も常の如く入らんとするに、火は田村に先だつて窓中《さうちゆう》に入る。田村愈〻怪しみ、即ち返らんと為《せ》しが、約信を失ふも如何《いかが》と、乃ち戸を開きて入るに、婢よく寝て覚めず。田村揺起せば婢驚き寤《さ》め、且つ曰く君来《きた》ること何ぞ遅き、待つこと久しうして遂に睡《ねむ》れり。然《しか》るに夢中に君を迎へんとて、出《いで》て村堤の辺に到るとき君に逢ふ、因《より》て相伴ひて家に入ると思へば、君我を起し給へりと云ふ。田村聞きて婢の情《なさけ》深きを悦ぶと雖も、旁ら恐懼の心を生じ、これより往くこと稀になりしとなん。これも亦魂火なるべし。また平戸城下の町に家富める商估(しやうこ)あり。或日城門外の幸橋《さひはひばし》[やぶちゃん注:ここ(グーグル・マップ・データ)。]に納涼(すずみ)して居《をり》たるとき、その鼻孔より小火《せうくわ》出たり。これも酸漿実の如くにして青光あり。その人は云ふに及ばず。余人もあれあれと云ふうち次第に遠く去る。あきれて視ゐたるに愈〻高くあがり、報恩寺[やぶちゃん注:ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、幸橋からは平戸瀬戸を挟んで、東南東約二・五キロメートル離れた本土側であり、距離自体は短いものの、幸橋は低く、しかも両者の間には平戸城を挟んでいて、幸橋から報恩寺は見えない(「グーグルアース」で確認済み)。しかし、この一文は、火の玉となった方の商人の二つに分離した心の視線で見えているので問題はないのである。の森に入りたり。商(あきんど)思ふにこゝは我が檀那寺なり。あの火は魂《たましひ》なるべければ我《われ》死近きにあらん。貨財を有《も》つとも死して後《のち》何の益ぞ、蚤(はや)く散じて快楽を尽《つく》さんとて、日夜飲宴し、或ひはまた遊観に日を送りたるに、程《ほど》経ても死(し)する様子なく、その中《うち》に家産竭(つ)きて貧寠(ひんる)の身となりければ、剃髪して道心者《だうしんじや》となり、市里《いちさと》に乞食《こつじき》せり。それより三四年を経て、夏夕《なつゆふべ》かの幸橋に涼んで居《をり》たるに、以前小火の去りゆきたる寺林《じりん》の梢より、何か星の如きもの飛出《とびい》でたり。[やぶちゃん注:こちらは激しく問題がある。寺林の遙か上空なら、幸橋から見えなくもないが、その「林の梢」は絶対に見えない。これによって、この静山が聴いた奇談は、明らかに誰かの創作であり、地形上、あり得ない描写があることから、かなり頭の足りない迂闊な輩の杜撰なデッチアゲと判ってしまうのである。]怪しと望みゐたるに、来《きた》ること近くなるゆゑ不審に思ひたるに、間近くなると余人も怪しみ見るうち、忽ち道心が鼻孔の中に入りぬ。己《おのれ》も不思議ながら為《せ》ん方もなく、さりとて貧が富にも復せず。多くの年月をおくり、寿九十を越《こえ》て終れりと云ふ。これまた魂火の一つか。或ひは云ふ。人世乗除は何事にもあることなれば、この商財を散ぜずんば必ず死せしなるべし。財尽き身窮せしより寿命は延びしならんと。斯言《かかるげん》甚だ深理《しんり》あり。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷十一 25 平戶にて魂火を見し人の話」で正字表現のものを電子化注してあるので、まずはそちらを見られたい。]

フライング単発 甲子夜話卷十一 25 平戶にて魂火を見し人の話

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。三話からなり、原文でも改行を施してあるので、間に「*」を入れて区切りとした。]

 

11―25

 人世(じんせい)には「魂火(たまび)」と云(いふ)ものあるにや。

 予が内(うち)の泥谷(ひぢや)某(ぼう)、釣を好み、夜々(よよ)、平戶の海に浮(うかみ)て、鯛を、つる。

 これは碇(いかり)を投じては、宜(よろ)しからず。

 因(よつ)て、潮行(しほゆき)に隨(したがひ)て、海上を流れて、釣糸を下(おろ)す。

 故(ゆゑ)に、舟處(ふなどころ)を違(たが)へざる爲(ため)に、櫓(ろ)を搖(おし)て、流れ去らざらしむ。

 泥谷、乃(すなはち)、僕(しもべ)に櫓を搖(お)させ、己(おのれ)は釣を下して魚の餌(ゑ)につくを、待つ。

 又、その海の向(むかふ)は大洋(おほなだ)、其邊(あたり)半里許(ばかり)に壁立(へきりつ/かべだち)の岸(きし)あり。こゝより、常に、淸泉、湧き出づ。

 僕、主人を顧(かへりみ)て云ふ。

「先より、櫓を搖(おし)て、咽(のんど)、乾くこと、頻(しきり)なり。冀(ねがは)くは、岸に舟をつけ、泉水を一飮(ひとのみ)せん。」

 泥谷、云(いふ)。

「今、釣の最中なり。手を離つべからず。」

とて、舟を岸に着くことを、許さず。

 僕、止(やむ)ことを得ず、櫓を搖(お)し、立ちながら、睡(ねむ)る。

 泥谷、これを見るに、僕の鼻孔の中より、酸漿實(ほほづき)の如き、靑光(あをびかり)の火、出(いで)たり。

『怪し。』

と思ひたるに、

「ふはふは」

と飛行(とびゆき)て、やがて、彼(かの)岸泉(がんせん)の處に到り、泉流(せんりう)に止(とどまり)てあること、良(やや)久(しばし)なり。

 夫(それ)より、又、飛來(とびきたつ)て、やゝ近くなる。

 愈々(いよいよ)、怪(あやし)み、見(み)ゐたるに、僕の鼻孔に入(い)りぬ。

 その時、僕、驚醒(おどろきさ)めたる體(てい)なりければ、泥谷、

「いかにせし。」

と問(とひ)たれば、

「さきに、餘りに、咽(のんど)、乾(かはき)たる故、『舟を岸につけん』と申(まうし)たるを、止(とど)め給ひしゆゑ、勉强して、櫓を搖しゐたれば、不ㇾ覺(おぼえず)、睡(ねむ)りたり。然(しかる)に、夢に、岸泉(がんせん)の處に到り、水を掬(きく)し、飮みて、胸中、快(こころよ)く覺(おぼえ)たるが、睡(ねむり)、醒(さめ)ぬ。もはや、咽、乾かず。」

と言(いひ)たり。

 泥谷も、

「これを聞(きき)て、恐ろしくなりて、好(すき)なる釣を、止(やめ)て、其夜は、還りし。」

と云ふ。

   *

 又、これも、平戶のことなり。

 田村某が家の一婢(いちひ)、頗(すこぶる)、容色あり。

 田村、心に、愛すと雖ども、妻の妬(ねたみ)を恐れて、通ずること、能はず。

 その婢、年期を以て、里に歸る。

 里(さと)、殆(ほとんど)、二里。

 田村、時々、潛(ひそか)に往(ゆ)き、曉に及んで、還る。

 或日暮に、又、ゆく。時に、小雨(こさめ)、ふれり。

 途(みち)半(なかば)にして、村堤(むらづつみ)を行(ゆく)に、前路十餘間[やぶちゃん注:十間は十八・一八メートルであるから、約二十メートル。]、地上を去ること、五、六尺にして、靑光(あをびかり)の小火(せうび)あり。

 酸漿實(ほゝづき)の如し。

 田村、怪しみ、

『狐狸の所爲(しよゐ)。』

とし、已(すで)に斬らんとす。

 然(しか)れども、火、未(いまだ)、遠し。

 因(よつ)て、これに、近(ちかづ)かんとするに、火、乃(すなはち)、田村が前に行くこと、初(はじめ)の如し。

 田村、立止(たちどま)れば、火も、亦、止る。

 田村、爲(せ)ん方なくして行く内に、覺へ[やぶちゃん注:ママ。]ず、婢の家に抵(いた)る。

 婢、いつも、窓下(さうか)に臥す。因(よつ)て、密(ひそか)に戶を開(ひらき)て入(い)る。

 今夜も、常の如く入(いら)んとするに、火は、田村に先だつて、窓中(さうちゆう)に入る。

 田村、愈(いよいよ)、怪しみ、卽(すなはち)、返(かへら)んと爲(せ)しが、

『約信を失ふも、如何(いかが)。』

と、乃(すなはち)、戶を開きて入るに、婢、よく寐(ね)て、不ㇾ覺(さめず)。

 田村、搖起(ゆりおこ)せば、婢、驚き寤(さ)め、且つ、曰ふ。

「君、來(きた)ること、何ぞ遲き。待(まつ)こと、久(ひさし)。ふして、遂に睡(ねむ)れり。然(しか)るに、夢中に『君を、迎へん。』とて、出(いで)て、村堤の邊(あたり)に到るとき、君に逢ふ。因(より)て、相伴(あひともな)ひて、家に入る、と思へば、君、我を、起し給へり。」

と云(いふ)。

 田村、聞(きき)て、婢の情(なさけ)深(ふかき)を悅(よろこぶ)と雖も、旁(かたは)ら、恐懼(きようく)の心を生じ、これより、往(ゆく)こと、稀になりし、となん。

 是も亦、魂火なるべし。

   *

 又、平戶城下の町に、家、富める商估(しやうこ)あり。

 或日、城門外の幸橋(さひはひばし)に納涼(すずみ)して居(をり)たるとき、其鼻孔より、小火(せうくわ)出(いで)たり。

 これも、酸漿實の如くにして、靑光あり。

 その人は云(いふ)に及ばず、餘人も、

「あれ、」

「あれ、」

と云(いふ)うち、次第に、遠く、去る。

 あきれて視(み)ゐたるに、愈々、高くあがり、報恩寺の森に、入りたり。

 商(あきんど)、思ふに、

『こゝは、我が檀那寺(だんなでら)なり。あの火は、魂(たましひ)なるべければ、我(われ)、死、近きにあらん。貨財を有(も)つとも、死して後(のち)、何の益(えき)ぞ。蚤(はや)く散じて、快樂を盡(つく)さん。』

迚(とて)、日夜、飮宴(いんえん)し、或(あるいは)又、遊觀(いうくわん)に日を送りたるに、程(ほど)經ても、死(し)する樣子なく、其中(そのうち)に、家產、竭(つき)て、貧寠(ひんる)の身となりければ、剃髮して、道心者(だうしんじや)となり、市里(いちさと)に乞食(こつじき)せり。

 それより、三、四年を經て、夏(なつ)、夕(ゆふべ)、かの幸橋に涼(すずん)で居(をり)たるに、以前、小火の去(さり)ゆきたる寺林(じりん)の梢より、何か、星の如きもの、飛出(とびいで)たり。

「怪し。」

と望(のぞみ)ゐたるに、來(きた)ること、近くなるゆゑ、不審に思(おもひ)たるに、間近くなると、餘人も、怪(あやし)み見るうち、忽ち、道心が鼻孔の中に、入りぬ。

 己(おのれ)も不思議ながら、爲(せ)ん方もなく、さり迚(とて)、貧が、富にも、復(ふく)せず。

 多くの年月(としつき)をおくり、壽(じゆ)、九十(くじふ)を越(こえ)て、終(をは)れり、と、云(いふ)。

 是又、魂火の一つか。

 或(あるいは)、云(いふ)、

「人世、乘除(じやうじよ)は、何事にもあることなれば、此商(このあきんど)、財を散ぜずんば、必(かならず)、死せしなるべし。財、盡(つき)、身(み)、窮せしより、壽命は延(のび)しならん。」

と。

 斯言(かかるげん)、甚(はなはだ)、深理(しんり)あり。

■やぶちゃんの呟き

「人世」現世。六道の内のこの世である人間道のこと。

「魂火」「たまび」と読んだが、「こんくわ」でもよい。

「泥谷」「ひぢや」は現行姓の圧倒的に多い読みを参考に、かく読んでおいた。

「壁立の岸」この海岸が同定出来ないのは、海好きの私には悔しい。現地の方で、候補があれば、御教授願いたい。

「商估」商売店。

「幸橋」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「報恩寺」ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、幸橋からは平戸瀬戸を挟んで、東南東約二・五キロメートル離れた本土側であり、距離自体は短いものの、幸橋は低く、しかも両者の間には平戸城を挟んでいて、幸橋から報恩寺は見えない(「グーグルアース」で確認済み)。しかし、この一文は、火の玉となった方の商人の二つに分離した心の視線で見えているのであって、問題はないのである。

「小火の去ゆきたる寺林の梢より、何か、星の如きもの飛出でたり。怪しと望みゐたるに、」こちらは激しく問題がある。寺林の遙か上空なら、幸橋から見えなくもないが、その「林の梢」は絶対に見えない。これによって、この静山が聴いた奇談は、明らかに誰かの創作であり、地形上、あり得ない描写があることから、かなり頭の足りない迂闊な輩の杜撰なデッチアゲと判ってしまうのである。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「騙された狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇は非常に見知らぬ漢語・熟語が多用されており、甚だ躓くので、頭にきて、あらかたを文中で各個撃滅した。五月蠅いと感じる方は、どうぞ、太字部を無視して読まれたい。しかし、凡そ私の注がないと、狐に騙されるぐらい、キツい文章で御座るぞ。

 

 騙された狐【だまされたきつね】 〔北国奇談巡杖記巻五〕同国<越前>坂北郡三国<福井県坂井市三国町>の入江は、人王二十七代継体天皇いまだ大跡辺《をほあとべ》の王子と申せし頃、ましましける旧地なり。今は北国第一の大湊にして、娼家粉頭《ふんとう》[やぶちゃん注:妓女。]店《みせ》軒《のき》を並べて繁花たり。爰に出村《でむら》[やぶちゃん注:本村(ほんそん:ここでは「三国村」)から分かれた飛び地などにある分村(ぶんそん)のこと。]と続《つづき》て私科子《しかし》[やぶちゃん注:私娼を意味する漢語。]、遊君《いうくん》[やぶちゃん注:遊女。]、粉黛を粧ふ。中に黒丸権四郎といふ、しばくしば角力《すまひ》に名を振ひたる若ものありけるが、夜行大酒を好む。あるとき細呂木《ほそろぎ》といへる駅に用要《ようえう》[やぶちゃん注:大事な用事。]ありて、昼より出けるに、用談に日を暮し、既に夜半におよびし故、人々とゞめしかど、かの不敵なるものから、山路《やまぢ》茂林《もりん》不管《かかはらず》犬狼《けんらう》の患《うれへ》も知らざれば、闇夜に馬撾打《たたきうち》てほゝゑみかへりしが、半道《はんみち》[やぶちゃん注:細呂木から自宅までの距離の半分の意でとっておく。]あまり過ぎつらんとおぼしきころ、こなたの松原に鬼火をてらし、斑毛(まだらげ)の狐、薛茘(まさきのかづら)[やぶちゃん注:後に示す活字本では『薜茘』であり、この「薜」は「薛」とは全くの別字である。宵曲の転写ミス或いは誤植である。この「薜茘」は「大崖爬」とも書き、歴史的仮名遣では「おほいたび」と読み、小学館「日本国語大辞典」によれば、「おおいたびかずら(大崖爬葛)」の略で、『クワ科の常緑低木。本州中・南部、四国、九州の山地や石崖などに生える。茎は灰褐色で非常に強く、這い伸びる。葉は革質で楕円形。花はイチジクに似た花嚢(かのう)の中に密生し、実は熟して黒紫色となる』とし、「こずた」「いぬたぼ」「いたびかずら」の異名を掲げる。現行では、バラ目クワ科イチジク連イチジク属オオイタビ Ficus pumila に比定してよいか。当該ウィキを参照されたいが、そこには『日本の千葉県以西の太平洋側から南西諸島にかけて分布する』。『人家の壁や石垣、ブロック塀、樹木を覆って茂る』とあるが、他のネット記載を見ると、房総半島以西の日本各地に分布する常緑蔓性植物とするので、ロケーションに問題はないだろう。]を身にまとひ、ひとり躍《をどり》を催しゐける。黒丸もあまりの怪しさに、口を箍(たがね)て[やぶちゃん注:ぎゅっと閉じて。]通りけるに、黒丸を見るより二扮《にふん》[やぶちゃん注:別なものに姿を変えることらしい。]して、若衆と変ず。黒丸もこゝろにそれとしりながら、態《わざ》と何の様子も知らざるけしきにて過行きけるに、かの若衆脂顔[やぶちゃん注:「しがん」と音読みしておく。「顔を白粉(おしろい)で塗る」ことか。であれば、「おしろい」と訓じてもよいだろう。]して、申々《まうしまうし》と声かけたり。もとより強気の権四郎なれば、踏とゞまりて、何事候といふに、我は大聖寺《だいしやうじ》のさる町人の忰《せがれ》なるが、三国通ひに金銭を弃《す》てしものなり、何卒親元まで送りとゞけたまはれといふ。黒丸いふやう、これ安きことなり、しかし余ほどの道程《みちのり》なれば、この先の茶屋にて支度して送りとゞくべしといふ。さらば我も連れてともに酒にてもたうべしといふに、うなづき村端の茶店をたゝき起して、黒丸いふやう、三国通ひのさる有徳《うとく》の人の嫡子なり、この御客酒一献くみたきよし、はやく調ひ出すべしといふ。亭主心得顔にて、先づ鯉の薄味噌、鮭の鱠《なます》末茸のあつものに、摺柚《すりゆず》よ、酒滲《の》[やぶちゃん注:勝手な当て訓をしておいた。]めよといふまゝに、家内《かない》[やぶちゃん注:妻。]婢《はしため》も呼起《よびおこ》し、一間に請じて若衆を伴ひ、黒丸とふたり、数盃《すはい》を別盃にかたむけ、珍味飽くまゝに喰ひつゝ時分は爰(ここ)ぞと黒丸、勝手に逃足《にげあし》して、我は少々用事ありて先に行くべし、払ひは御客よりたまはるべしとて、我屋をさして逸足《いちあし》にたちかへりぬ。跡に若衆ひとり黒丸を呼ぶに、亭主立出で、それは先刻御帰り候ひぬ、これこれの雑用代金壱歩七百文たまはるべしといふに、斑狐も渠《かれ》に脅やかされて、少間《しばらく》愕《おどろ》くといへども、もとより吼噦(こんくわい)[やぶちゃん注:本来は狐の鳴き声「こんこん」のオノマトペイアであるが、転じて「狐」の意。]のことなれば、九尾を振《ふり》て走りまはるを、亭主怒りて棒を捻《ねぢ》りて、追へども追へども続《つづ》かばこそ、そのうちに木綿告(ゆふつげ)の鶏《とり》[やぶちゃん注:「木綿付鳥(ゆふつけどり)」が「ゆうつげどり」と発音されるようになり、「夕べを告げる鳥」と解されて生じた語。この場合は「夕べを告げる鳥」ではなく、単に夜明けを告げる鷄(にわとり)を指す。衒学趣味の筆者の風流のやり過ぎで、かえって話が躓く。]うたひ、山かづら引明《ひきあ》けて、口をしくも八顚九倒《はつてんきうたう》し、泣々亭主はねむたげに眶《まぶち》[やぶちゃん注:「瞼(まぶた)」に同じ。]かゝへて帰りけるこそ、よくよくの災《わざあひ》なり。只黒丸ひとり甘昧を味ひ、そのうへ哆《ほしいまま》[やぶちゃん注:この漢字はネットで調べても、ピンとくる意味が見当たらなかったので、所持する大修館書店「廣漢和辭典」を引いたところ、以上の漢語の意味があったので採用した。]しもあるべきか。狐を嬲(なぶ)りしは希代《けだい》の発明、あはれにも亦をかしき事になん侍る。

[やぶちゃん注:「北国奇談巡杖記」加賀の俳人島翠台北茎(ちょうすいだい ほっけい)著になる越前から越後を対象とした紀行見聞集。かの伴蒿蹊が序と校閲も担当しており、文化三(一八〇六)年十一月の書肆の跋がある(刊行は翌年)。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第九巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで、正字活字で読める。標題は『○黑丸權四郞哆斑狐』(「くろまるげんしらう、まだらぎつねをたらす」か。この場合の「たらす」は「上手く取り扱って騙す」の意)。しかし、この文章、異様に見かけない漢語を多用しており、衒学的で好きになれない。

「同国」「越前」「坂北郡三国」「福井県坂井市三国町」「の入江」「東尋坊」の周辺(グーグル・マップ・データ)。

「継体天皇いまだ大跡辺の王子と申せし頃」継体天皇(允恭天皇三九(四五〇)年?~継体天皇二五(五三一)年?/在位:継体天皇元(五〇七)年?~没年)の元の名は「をほどのわう」。漢字では「男大迹王」・「乎富等王」「大跡邊王」などを宛てる。当該ウィキによれば、『応神天皇』五『世の来孫』(玄孫の子。当該人物から五代の後の子孫を言う)『であり』、「日本書紀」の『記事では越前国』、「古事記」の『記事では近江国を治めていた』とあるので、本文の治国地には問題ない。『本来は皇位を継ぐ立場ではなかったが、四従兄弟にあたる第』二十五『代武烈天皇が』、『後嗣を残さずして崩御したため、大伴金村』(おおとものかなむら)『や物部麁鹿火』(もののべのあらかひ)『などの推戴を受けて即位したとしている。先帝とは』四『親等以上離れて』『いる』とあり、『太平洋戦争後、天皇研究に関するタブーが解かれると、応神天皇』五『世というその特異な出自と、即位に至るまでの異例の経緯が議論の対象になった。その中で、ヤマト王権とは無関係な地方豪族が実力で大王位を簒奪し、現皇室にまで連なる新王朝を創始したとする「王朝交替説」がさかんに唱えられるようになった。一方で、傍系の王族(皇族)の出身という『記紀』の記述と一致する説もあり、それまでの大王家との血縁関係については現在も議論がある』とある。

「細呂木」ここ(グーグル・マップ・データ)の広域。

「大聖寺」この附近(グーグル・マップ・データ)。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「猫」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

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    一

 

 にんじんは、かういふ話を聞いた。――「蝲蛄(ざりがに)を捕るのには、雉の臟物や牛豚(ぎゆうぶた)などの屑より、猫の肉が一番いゝ」

 ところで、彼は猫を一匹識つてゐた。年をとり、病みほうけ、其處こゝの毛が脫(ぬ)け落ちてゐるので、誰も相手にしないのだ。にんじんは、牛乳を一杯御馳走するからと云つて、そいつを自分のところ、つまり彼の小屋へ招待した。主客二人きりなわけだ。尤も鼠の一匹やそこら、壁の外で冒險を試みるかもわからない。が、にんじんとしては、牛乳一杯しか出さないことにしてある。彼は茶碗を一隅に置き、猫を押しやつて、そして云つた――[やぶちゃん注:「彼の小屋」前の「小屋」を参照されたい。「尤も鼠の一匹やそこら、壁の外で冒險を試みるかもわからない。」ここは倉田氏の岸田訳の踏襲よりも、臨川書店『全集』第三巻の佃氏の『ひょっとすると無鉄砲にも、ネズミが壁の外に現われるかもしれないが、』の方が、達意の訳である。]

 「鱈腹つめ込め」

 彼は猫の背筋を撫で、數々の愛稱で呼び、威勢のいゝ舌の運動を觀察し、ついでほろりとする。

 「可哀さうな奴だ。殘りをたのしめ」

 猫は茶碗をからにし、底を拭ひ、緣を掃除する。そして、もう、甘い唇を舐(な)めずるより外はない。

 「濟んだか。綺麗に濟んだか」

 にんじんは、相變らず撫でながら、訊ねる。

 「勿論、もう一杯お代りが欲しいだらう。が、これだけしか盜み出せなかつたんだ。それに、ちつと早いかちつと晚(おそ)いかの違ひだ・・・」

 かう云つて、彼は、その額に獵銃の筒先を押しあてる。そして火蓋を切る。

 爆音で、にんじんは、眼がくらむ。彼は、小屋まで飛んでしまつたかと思ふ。煙が散つた後で、見ると、足許に、猫がたつた一つの眼で彼を見据えてゐる。

 頭の半分はどつかへ行つてしまつた。そして、血が牛乳茶碗の中へ流れ込んでゐる。

 「死なゝかつたかな? 畜生、よく狙つたんだがなあ」

 にんじんは、さう云つたまゝ、身動きもできない。片眼だけが、黃色く光り、それが不安なのだ。

 猫は、からだを顫はし、生きてゐることを示す。が、そこを動かうといふ努力は一向試みない。血を外へこぼさないやうに、わざと茶碗の中へ流してゐるらしい。

 にんじんは、これで初心(しよしん)ではない。幾多の野禽、家畜、それと一疋の犬を、自分の慰みに、又は他人の手助けに殺したことがある。彼は、どんな時どうすればいゝかといふこと――若しも、そいつが苦しみながら生きてゐるなら、猶豫をしてはならぬ。心を勵まし、氣を荒(あら)らげ、時と場合では、取つ組み合ひの危險を犯さなければならぬといふことを知つてゐる。さもないと、餘計な糞人情がひよこり頭を持ち上げる。卑怯になる。暇つぶしだ。埓が明かない。ふんぎりがつかない。

 はじめ、彼は用心深くちよつかいを出してみる。それから、尻尾(しつぽ)をつかみ、銃床で、首筋を、何度となく、これが最後、これが止(とど)めの一擊かと思はれるほど、激しくどやしつけた。

 瀕死の猫は、脚で、狂ほしく虛空を搔き、丸く縮(ちぢ)まるかと思ふと、長々と反り返り、しかも、聲は立てない。

 「誰だい、一體、猫が死ぬ時は泣くなんて云つた奴は・・・」

 にんじんは、焦れる。暇がかゝりすぎる。彼は獵銃を投げ出す。兩腕で猫を抱きかゝへる。そして、爪の襲擊に應へながら、齒を喰ひしばり、血を湧き立たせ、ぎゆつと首を締めつけた。

 が、しかし、自分も、締めつけられる思ひだ。よろめき、へとへとになり、地べたに倒れ、顏と顏とを押しつけ、兩眼は猫の片眼に注いだまゝ、坐つてしまふ。

 

    二

 

 にんじんは、今、鐵の寢臺に橫はつてゐる。[やぶちゃん注:「橫はつてゐる」「よこたはつてゐる」。]

 兩親と、急報を受けたその知合ひの連中が、小屋の低い天井の下を這ふやうにして、慘劇の行はれた場所を檢分した。

 「どうでせう、心臟の上で猫を揉みくしやにしてゐる、それを無理に引き放さうつていふんで、あたしや、汗をかきましたよ。それでいて、このあたしをそんな風に抱き締めてくれたことなんか、ありやしないんですからね」

 この殘虐の歷史は、やがて、家族の夜伽を通じ、昔噺さながらの興をへることになるのだが[やぶちゃん注:ママ。戦後版では、『興をそえることになるのであるが』で誤植(脱字)と採れる。]、ルピツク夫人が、此處でその說明をしてゐる間、にんじんは眠り、そして夢を見てゐるのだ――

 ・・・彼は小川に沿うて往きつ戾りつしてゐる。お定まりの月の光が、ちらちらと動いて、女の編針(あみばり)のやうに入り交(まぢ)る。

 玉網(たまあみ)の上には、猫の肉が、澄んだ水を透して燃え上つてゐる。

 白い靄が草原をすれすれに這ひ、どうかすると、飄々たる幽靈の姿を隱してゐる。

 にんじんは、兩手を組み、幽靈などちつとも怖くないといふ證據を見せる。

 牛が一匹近寄つて來る。立ち止る。溜息を吐く。急に逃げ出す。四つの木履(きぐつ)を空まで鳴り響かせ、やがて消え失せる。[やぶちゃん注:「吐く」戦後版では『吐(つ)く』とルビする。それを採る。]

 何といふ靜かさだ! 若しこの餞舌な流れが、婆さんの會合みたいに、彼一人の耳へ、ぺちやくちや、こそこそと、きりのないお喋りを聞かせさへしなければ・・・。

 にんじんは、口を噤ませるために、それを打たうとでもするやうに、そつと玉網の棹(さを)を引き上げる。と、これはまた、蘆の繁みから、大きな圖體をした蝲蛄(ざりがに)が幾つとなく現われて來る。

 後から後から、まだ殖える。どれもこれも、眞直に突つ立ち、ぎらぎらと、水から上(あが)る。

 にんじんは、苦悶に打ちひしがれ、逃げることすらできない。

 蝲蛄(ざりがに)は、彼を取り圍む。

 喉をめがけて、伸び上がつて來る。

 ぱちぱち音を立てる。

 もう、彼等は、鋏をいつぱいにひろげてゐるのだ。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。本作の中では、「土龍」を遙かに超えて、愛猫家卒倒間違いない最も残酷・残忍な一章ではある。しかし、この「二」の悪夢のコーダのそれは、実は殺される猫が、これまた、家族を含む外界から疎外されている(或いはそのように思い込んでしまっている)「にんじん」の分身の隠喩であることは言を俟たない。

「蝲蛄」原文では“écrevisses”で、これは十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目ザリガニ下目ザリガニ上科ザリガニ科Astacidaeのアスタクス属ヨーロッパザリガニ(フランス語音写「エクルヴィス」)Astacus astacusである。我々の知つている本邦産のザリガニ――代表種である標準和名のザリガニ(ニホンザリガニ) Cambaroides japonicus 及び、アメリカザリガニ Procambarus clarkii は、ともにアメリカザリガニ科Cambaridaeである(但し、一部地域に棲息する Pacifastacus 属ウチダザリガニ Pacifastacus leniusculus はザリガニ科である)とは異なる種である。フランスでは御存知の通り、立派な高級食材である。

「片眼だけが、黃色く光り、それが不安なのだ」原作では確かに“inquiète”で、「不安な」の意味の単語を用いてはいるのだが、どうもしっくりこない。「それが如何にもぞっとさせて落ち着かせないのだ」ぐらいでは如何であろうか?

「どうでせう、心臟の上で猫を揉みくしやにしてゐる、それを無理に引き放さうつていふんで、あたしや、汗をかきましたよ。」この訳も、少々、不親切である。原文は“– Ah ! dit sa mère, j’ai dû centupler mes forces pour lui arracher le chat broyé sur son coeur.”で、これは、『「ああ!」と、母親は言った。「私は、彼の胸に押しつぶされていた猫を引っ離すために、百倍もの力を要さねばならなかったのですのよ!」』と言う意味である。「彼」は無論、「にんじん」である。岸田氏の訳は、映像を想起し難い感じがするのである。

「四つの木履」原作は“quatre sabots”で、この“sabot”(サボ)は、牛馬の蹄(ひづめ)である。但し、この「木履」といふ謂いは、この夢のシーンのシュールレアリスティクな雰圍氣に、何だか、異様にマッチしていて、私には逆に素敵に感じられるのである。]

 

 

 

 

    Le Chat

 

     I

 

   Poil de Carotte l’a entendu dire : rien ne vaut la viande de chat pour pêcher les écrevisses, ni les tripes d’un poulet, ni les déchets d’une boucherie.

   Or il connaît un chat, méprisé parce qu’il est vieux, malade et, çà et là, pelé. Poil de Carotte l’invite à venir prendre une tasse de lait chez lui, dans son toiton. Ils seront seuls. Il se peut qu’un rat s’aventure hors du mur, mais Poil de Carotte ne promet que la tasse de lait. Il l’a posée dans un coin. Il y pousse le chat et dit :

   Régale-toi.

   Il lui flatte l’échine, lui donne des noms tendres, observe ses vifs coups de langue, puis s’attendrit.

Pauvre vieux, jouis de ton reste.

   Le chat vide la tasse, nettoie le fond, essuie le bord, et il ne lèche plus que ses lèvres sucrées.

   As-tu fini, bien fini ? demande Poil de Carotte, qui le caresse toujours. Sans doute, tu boirais volontiers une autre tasse ; mais je n’ai pu voler que celle-là. D’ailleurs, un peu plus tôt, un peu plus tard !…

   À ces mots, il lui applique au front le canon de sa carabine et fait feu.

   La détonation étourdit Poil de Carotte. Il croit que le toiton même a sauté, et quand le nuage se dissipe, il voit, à ses pieds, le chat qui le regarde d’un oeil.

   Une moitié de la tête est emportée, et le sang coule dans la tasse de lait.

   Il n’a pas l’air mort, dit Poil de Carotte. Mâtin, j’ai pourtant visé juste.

   Il n’ose bouger, tant l’oeil unique, d’un jaune éclat, l’inquiète.

   Le chat, par le tremblement de son corps, indique qu’il vit, mais ne tente aucun effort pour se déplacer. Il semble saigner exprès dans la tasse, avec le soin que toutes les gouttes y tombent.

   Poil de Carotte n’est pas un débutant. Il a tué des oiseaux sauvages, des animaux domestiques, un chien, pour son propre plaisir ou pour le compte d’autrui. Il sait comment on procède, et que si la bête a la vie dure, il faut se dépêcher, s’exciter, rager, risquer, au besoin, une lutte corps à corps. Sinon, des accès de fausse sensibilité nous surprennent. On devient lâche. On perd du temps ; on n’en finit jamais.

   D’abord, il essaie quelques agaceries prudentes. Puis il empoigne le chat par la queue et lui assène sur la nuque des coups de carabine si violents, que chacun d’eux paraît le dernier, le coup de grâce.

   Les pattes folles, le chat moribond griffe l’air, se recroqueville en boule, ou se détend et ne crie pas.

Qui donc m’affirmait que les chats pleurent, quand ils meurent ? dit Poil de Carotte.

   Il s’impatiente. C’est trop long. Il jette sa carabine, cercle le chat de ses bras, et s’exaltant à la pénétration des griffes, les dents jointes, les veines orageuses, il l’étouffe.

   Mais il s’étouffe aussi, chancelle, épuisé, et tombe par terre, assis, sa figure collée contre la figure, ses deux yeux dans l’oeil du chat.

 

     II

 

   Poil de Carotte est maintenant couché sur son lit de fer.

   Ses parents et les amis de ses parents mandés en hâte, visitent, courbés sous le plafond bas du toiton, les lieux où s’accomplit le drame.

   Ah ! dit sa mère, j’ai dû centupler mes forces pour lui arracher le chat broyé sur son coeur. Je vous certifie qu’il ne me serre pas ainsi, moi.

   Et tandis qu’elle explique les traces d’une férocité qui plus tard, aux veillées de famille, apparaîtra légendaire, Poil de Carotte dort et rêve :

   Il se promène le long d’un ruisseau, où les rayons d’une lune inévitable remuent, se croisent comme les aiguilles d’une tricoteuse.

   Sur les pêchettes, les morceaux du chat flamboient à travers l’eau transparente.

   Des brumes blanches glissent au ras du pré, cachent peut-être de légers fantômes.

   Poil de Carotte, ses mains derrière son dos, leur prouve qu’ils n’ont rien à craindre.

   Un boeuf approche, s’arrête et souffle, détale ensuite, répand jusqu’au ciel le bruit de ses quatre sabots et s’évanouit.

   Quel calme, si le ruisseau bavard ne caquetait pas, ne chuchotait pas, n’agaçait pas autant, à lui seul, qu’une assemblée de vieilles femmes.

   Poil de Carotte, comme s’il voulait le frapper pour le faire taire, lève doucement un bâton de pêchette et voici que du milieu des roseaux montent des écrevisses géantes.

   Elles croissent encore et sortent de l’eau, droites, luisantes.

   Poil de Carotte, alourdi par l’angoisse, ne sait pas fuir.

   Et les écrevisses l’entourent.

   Elles se haussent vers sa gorge.

   Elles crépitent.

   Déjà elles ouvrent leurs pinces toutes grandes.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「小屋」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Koya

 

     小  屋

 

 

 この小さな屋根の下には、これまで代る代る、鷄、兎、豚が棲んでゐたのだが、今は空つぽで、休暇中は、一切の所有權をにんじんが獨占してゐる。彼は易々(やすやす)とそこへはひり込むことができる。小屋にはもう戶がないからだ。一と叢(むら)の蕁麻(いらくさ)がひよろ長く伸びて、閾(しきゐ)をかくしてゐる。で、にんじんが腹這ひになつてそれを眺めると、まるで森のやうだ。細かい埃が土を覆つてゐる。壁の石が濕氣を帶びて光つてゐる。にんじんの髮の毛は、天井をこするのだ。彼は其處にゐると自分の家にゐる氣がし、そこでは邪魔つけな玩具(おもちや)なんかいらない。自分の空想だけで結構氣が紛れるのである。[やぶちゃん注:「家」前例に徴して、「うち」と読んでおく。戦後版も『うち』とルビしている。]

 彼の主な遊びは、小屋の四隅へ、尻で、一つ一つ巢を掘ることだ。それから、手を鏝(こて)の代りにして、埃を搔き寄せ、これで目塗りをして、からだを植え[やぶちゃん注:ママ。]つけてしまふのだ。

 背中をすべつこい壁にもたせかけ、脚を曲げ、兩手を膝の上に組み、ぢつとしてゐると、まことに工合が好い。實際、これ以上場所を取らないといふわけには行くまい。彼は世の中を忘れ、もう、そんなものを怖れない。大きな雷さえ落ちて來なければ、びくともしないだらう。[やぶちゃん注:「好い」岸田氏は「いい」「よい」の両用を戦後版ではルビに用いている(使用回数は思ったより、ずっと少なかった)。しかし、ここは戦後版では本文にひらがなで「よい」としておられるので、それに従う。「實際、これ以上場所を取らないといふわけには行くまい。」原文は“Vraiment il ne peut pas tenir moins de place.”で、逐語訳すると、「これ以上の場所を取ることは出来ないだろう。」ではあるのだが、どうも日本語として確実な達意の訳とは言えない気がする。倉田氏は、『まったく、これより狭(せま)い場所を占(し)めることはできない。』、佃氏は、『ほんとうに、これ以上場所をとらずにすますことはできない。』であるが、やはり私はお二人の訳にも満足出来ない。無論、読者はこの前後から、概ね躓かずに正しい意味で読めるであろうかとは思うのだが、三者の訳は私には日本語としてこなれていないと感ずる。ここは私なら、「まっこと、これ以上の自由なスペースを手に入れることは、この家(うち)の中では、到底、不可能なのである。」と訳す。

 食器を洗ふ水が、すぐそばを、流しの口から流れ落ちる、ある時は瀧のやうに、ある時は一滴一滴。そして、彼の方へひやりとした風を送つて來る。

 突然、非常警報だ。

 呼び聲が近づく。跫音(あしおと)だ。

 「にんじん! にんじん!」

 一つの顏がこゞむ。にんじんは、團子のやうになり、地べたと壁の間へめり込み、息を殺し、口を大きく開(あ)け、ぢつと視線を据える。二つの眼が闇を透してゐるのを感じる。

 「にんじん! そこにゐるかい?」

 顳顬(こめかみ)がふくれ、喉がつまり、彼は斷末魔の叫びを擧げかける。

 「ゐないや、あの餓鬼・・・。どこへ行きくさつたんだ?」

 行つてしまふと、にんじんのからだは、やゝのんびりし、元の樂な姿勢にかへる。

 彼の考へは、まだ沈默の長い路を走り續ける。[やぶちゃん注:「まだ」はママ。戦後版では『また』。この底本のそれは、私は筆者の「た」の清音の原稿の誤りか、誤植と考える。]

 すると、騷々しい音が、耳いつぱいにひろがる。天井で、一匹の羽蟲が蜘蛛の巢にひつかゝり、ぢたばたしてゐるのだ。蜘蛛は、糸を傳つて滑つて來る。腹がパン屑のやうな白さだ。一つ時、不安げに、毬のやうになつてぶら下つてゐる。

 にんじんは、なかば尻を浮かし、眼を放さず、大團圓を待つてゐる。そして、この悲劇的な蜘蛛が、身を躍らし、星形の脚をすぼめ、獲物を抱き締めて食はうとする時、にんじんは、分け前でも欲しいやうに、胸をふるわせ、がばと起ち上つた。

 それだけのことだ。

 蜘蛛は、上へ引つ返す。にんじんはまた坐つた。我れにかへる。兎のやうな我れにかへる。心持は夜のやうに暗い。

 やがて、彼の夢想は、砂を混(まじ)えたか細い流れのやうに、勾配がなくなると、水溜りの形で、止り、そして澱(よど)む。

 

[やぶちゃん注:言わずもがなだが、探しに来た人物は、ルピック夫人である。私の最後の注を参照のこと。

「蕁麻(いらくさ)」原文は“orties”。これは広義のそれで、バラ目イラクサ科イラクサ属 Urtica を指す。多くの種があるのでそこまで。フランス語の「イラクサ属」のウィキに多数の種が載る。

「この悲劇的な蜘蛛が、身を躍らし、星形の脚をすぼめ、獲物を抱き締めて食はうとする時、」この「悲劇的な蜘蛛」という訳が、どうも、私には、極めて気に入らない。小学生でも「悲劇的な」のは「蜘蛛」なのではなく、食われてしまう「羽蟲」である。そこで原文を見ると、私が疑問を感じた箇所は、“et quand l’araignée tragique fonce,”とある。これは「そうして、蜘蛛が、悲劇的な突進を(羽虫に向かって)してくるその時、」の意である。因みに、倉田氏は『悲劇的なくもが』と無批判に踏襲されており、佃氏は「トラジィク」の直訳を避けて、『この恐るべき蜘蛛がおそいかかって』とされている。どれが、よいか、どうぞ、このブログの読者にお任せしよう。因みに、言っておくが、これも既に大半の読者は気づいておられるであろうが、この「羽蟲」は「にんじん」なのであり、「蜘蛛」はルピック夫人なのである。ルナールは、それを確信犯でオーヴァーラップさせているのである。所謂、映画で言う「比喩のモンタージュ」である。しかも、ルピック夫人への換喩は、「にんじん」の心中で、他の諸々の他者へと、果てしなく拡大し増殖してしまうのだ。それが、彼の心に深い「闇」を齎し、そして意識の自由な「流れ」をやめさせてしまい、そして「澱み」、遂には、瘴気を放つ泥沼と化すのである。

 

 

 

 

    Le Toiton

 

   Ce petit toit où, tour à tour, ont vécu des poules, des lapins, des cochons, vide maintenant, appartient en toute propriété à Poil de Carotte pendant les vacances. Il y entre commodément, car le toiton n’a plus de porte. Quelques grêles orties en parent le seuil, et si Poil de Carotte les regarde à plat ventre, elles lui semblent une forêt. Une poussière fine recouvre le sol. Les pierres des murs luisent d’humidité. Poil de Carotte frôle le plafond de ses cheveux. Il est là chez lui et s’y divertit, dédaigneux des jouets encombrants, aux frais de son imagination.

   Son principal amusement consiste à creuser quatre nids avec son derrière, un à chaque coin du toiton. Il ramène de sa main, comme d’une truelle, des bourrelets de poussière et se cale.

   Le dos au mur lisse, les jambes pliées, les mains croisées sur ses genoux, gîté, il se trouve bien. Vraiment il ne peut pas tenir moins de place. Il oublie le monde, ne le craint plus. Seul un bon coup de tonnerre le troublerait.

   L’eau de vaisselle qui coule non loin de là, par le trou de l’évier, tantôt à torrents, tantôt goutte à goutte, lui envoie des bouffées fraîches.

   Brusquement, une alerte.

   Des appels approchent, des pas.

   Poil de Carotte ? Poil de Carotte ?

   Une tête se baisse et Poil de Carotte, réduit en boulette, se poussant dans la terre et le mur, le souffle mort, la bouche grande, le regard même immobilisé, sent que des yeux fouillent l’ombre.

   Poil de Carotte, es-tu là ?

   Les tempes bosselées, il souffre. Il va crier d’angoisse.

   Il n’y est pas, le petit animal. Où diable est-il ?

   On s’éloigne, et le corps de Poil de Carotte se dilate un peu, reprend de l’aise.

   Sa pensée parcourt encore de longues routes de silence.

   Mais un vacarme emplit ses oreilles. Au plafond, un moucheron s’est pris dans une toile d’araignée, vibre et se débat. Et l’araignée glisse le long d’un fil. Son ventre a la blancheur d’une mie de pain. Elle reste un instant suspendue, inquiète, pelotonnée.

   Poil de Carotte, sur la pointe des fesses, la guette, aspire au dénouement, et quand l’araignée tragique fonce, ferme l’étoile de ses pattes, étreint la proie à manger, il se dresse debout, passionné, comme s’il voulait sa part.

   Rien de plus.

   L’araignée remonte. Poil de Carotte se rassied, retourne en lui, en son âme de lièvre où il fait noir.

   Bientôt, comme un filet d’eau alourdie par le sable, sa rêvasserie, faute de pente, s’arrête, forme flaque, et croupit.

 

2023/12/03

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「多摩川狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 多摩川狐【たまがわきつね】 〔海西漫録初篇二〕武蔵国多摩郡多摩川の川そひの村落に、夫婦の間に子ひとりもてる農民有りけり。秋のすゑつかた、その夫田に出て、稲を刈りけるに、稲の間にいと可愛らしき狐子の、昼寝してをるを見る。よく寝入りてさめざれば、驚かすも便なきわざなりとて、其所の稲をば刈りのこして、外の稲をぞ刈りける。かくてその田の稲をば刈り尽しつるに、狐の子はなほ熟睡してさめざれば、是非なく寝入りたる狐子を、両手にて抱へ、邪魔にならざる所へ移し置き、さてその稲を刈り終ヘて家に帰るに、狐子はなほよくねてぞ有りける。かくてその夜夫婦のものは、中に小児をねさせてふしけるに、夜あけて起出で見るに、中にねたる小児見えず。夫婦はいたく驚きて、表の方に出て見るに、小児は門口に血まみれになりて死《しし》てあり。母はその死骸をいだきあげ、こは何者の所為ぞや、この様に幾所もからだに瘡《きず》をつけたるは、なぶり殺しにしたるものか、あな痛ましやかなしやと、歎き悲しむ事限りなし。夫いふ、昨日田に出で稲を刈りけるに、しかじかの事あり、吾は狐子を憐みてこそ驚かせもせざりしに、親狐の疑ひて、恩を仇にてかへしたるならん、憎き狐のしわざかなといへば、妻ははじめてかくと聞き、さてはこの在所の穴に住む狐のしわざに候や、憎き狐の所為かなとて、小兒の死骸を抱きながら、かの狐の住む穴にゆきて、穴の口に小児の死骸を投げつけて、いかに四足《よつあし》なればとて、恩を仇にして吾子を殺した、よくもよくもむごたらしく此子の命を取たるぞ、おれ畜生こゝに出よ、おれが命は吾取らんと、声のかぎりおよそ半時ばかりも罵りて、せんかたなければ、また小児の死骸を抱《いだき》て家に帰り、やうやく野べにぞおくりける。その夜は夫婦ともに愁傷て夜もねられず、暁かたにおきいでて見れば、昨日小児のころされて有りつる門口に、雄狐雌狐二疋、葛《かづら》にて頸くゝりて死てぞ有りける。この二疋の狐、はじめは我子のたしなめられし事と心得、その恨みを報いつるに、たしなめられしにはあらで、いたはられし事を聞き知り、その理《ことわり》にせまりて頸くゝりたるにやあらん。こは近き年ころの事にて、この国府中の人の物語りにて聞きぬ。

[やぶちゃん注:「海西漫録」(かいせいまんろく)は国学者鶴峯戊申(つるみねしげのぶ 天明八(一七八八)年~安政六(一八五九)年)の随筆。彼は豊後国臼杵(現在の大分県臼杵)に八坂神社神主鶴峯宜綱の子として生まれ、江戸で没した。著作は多く、中でも「語學新書」はオランダ語文法書に倣って当時の日本語の文法を編纂したもので、近代的国語文法書の嚆矢とされる(当該ウィキに拠った)。国立国会図書館デジタルコレクションの『百家隨筆』第三(大正七(一九一八)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る。「初篇二」の冒頭で、標題は『○多摩川狐』である。但し、原書では、この話に続けて、狐が人に化けて、人の妻となった怪奇談が「信濃奇談」からの引用で続いているので、見られたい。にしても、本篇、いかにしても救いようのない、狐の誤認による絶望的な哀しい話しで、どうも、他に類を見ないタイプの話である。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「にんじんよりルビツク氏への書簡集 並にルビツク氏よりにんじんへの返事若干」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Syokannsyu

 

   にんじんよりルビツク氏への書簡集

      並にルビツク氏よりにんじんへの

      返事若干

 

 

 にんじんよりルピツク氏ヘ

 

             サン・マルク寮にて

親愛なる父上

休暇中の魚捕りが崇(たゝ)つて[やぶちゃん注:ママ。「祟」の誤植。]、目下氣分に動搖を來たしてゐます。腿(もゝ)に太い「釘」――つまり腫物ができたのです。僕は床に就いてゐます。仰向けに寢たきりで、看護婦の小母さんが罨法(あんぽう[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では「あんぱう」が正しい。])をしてくれます。腫物は、潰(つぶ)れないうちは痛みますが、あとになると想ひ出しもしないくらゐです。たゞ、この腫物の「釘」は、ヒヨコのやうに殖えるんです。一つがなほると、また三つ飛び出すといふ具合です。何れにしても、大したことはないだらうと思ひます。

                    頓 首

 

 

 ルピツク氏よりの返事

 

 

親愛なるにんじん殿

其許は目前に初(はつ)の聖體拜受を控へ、しかも敎理問答にも通ひをることなれば、人類が「釘」に惱まされた事實は其許に始まらざること承知の筈だ。イエス・キリストは、足にも手にもこれを受けた。彼は苦情を云はなんだ。しかも、その「釘」たるや、本物の釘だつたのだ。[やぶちゃん注:「其許」「そこもと」。]

元氣を出すべし。            匇 々

 

 

 にんじんよりルピツク氏へ

 

親愛なる父上

僕は今日、齒が一本生へ[やぶちゃん注:ママ。]たことをお知らせできるのは愉快です。年から云へばまだですが、これはたしかに、早生の智惠齒です。希くば、一本でおしまひにならないことを。そして、希くば、僕の善行と勉强によつて、父上の御滿足を得んことを。

                    頓 首

 

 

 ルピツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

丁度其許の齒が生えようとしつゝある時、余の齒は一本ぐらつきはじめた。そして、昨朝、遂に思い切つて拔け落ちた。かやうに、其許の齒が一本殖える每に、其許の父は一本づゝ齒を失ふ次第だ。それゆえ[やぶちゃん注:ママ。]、すべてもともとにして、家族一同の齒は、その數に於いて變りなし。

                    匇 々

 

 

 にんじんよりルピツク氏へ

 

親愛なる父上

まあ聽いてください。昨日は、僕らのラテン語敎師、ジヤアク先生の聖名祭です。で、衆議一決、生徒たちは、クラス全體の祝意を表するために、僕を總代に選びました。僕は大いにこれを光榮とし、適宜にラテン語の引用を挾んで、長々と演說の準備をしました。正直なところ、滿足な出來榮です。僕は、そいつを大型の罫紙に淸書しました。愈々當日になり、同僚たちの「やれよ、やれよ」と囁く聲に勵まされ、ジヤアク先生がこつちを向いてゐない時を見計つて、僕は敎壇の前に進み出ました。が、やつと紙をひろげ、精一杯の聲で、

  尊き師の君よ

と讀み上げた瞬間、ジヤアク先生は、憤然として起ち上り、かう怒鳴りました――「早く席に着いて! なにぐずぐずしとる!」

しかたがありません。僕は逃げ出すと、そのまゝ腰をかけました。同僚たちは、本で顏をかくしてゐます。すると、ジヤアク先生は、凄い權幕で、僕にあてました――

「練習文を譯して!」

父上、以て如何んとなさいますか。

 

 

 ルビツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

其許が他日代議士にでもなればわかることだ。その手の人物はいくらでもゐるよ。人各々その畑あり、先生が敎壇に立たるゝのは、これ明らかに演說をなさるがためであつて、其許の演說を聽かれるためではない。

 

   ――――――――――――

 

 にんじんよりルピツク氏へ

 

親愛なる父上

例の兎はたしかに地歷敎師ルグリ先生の處へお屆けして置きました。無論、この贈物は先生を悅ばせたやうです。厚くお禮を申してくれとのことでした。僕が丁度濡れた雨傘を持つて部屋へはいつて行つたもんですから、先生は自分でそいつを僕の手から奪ひ取るやうにして玄關に持つて行かれました。それから、僕たちは、いろんな話をしました。先生は、僕がその氣になれば、學年末には地歷の一等賞を獲得できるのだがと云はれました。しかし、こんなことがあるでせようか。僕は、この話の初めから終りまで、のべつ起ち通しです。ルグリ先生は、その點以外實にお愛想がいゝのですが、とうたう[やぶちゃん注:ママ。]僕に椅子一つ薦(すゝ)めずじまひです。

忘却か、將たまた、非禮か?[やぶちゃん注:「將たまた」「はたまた」。]

僕はそれを知りません。但し、出來れば、父上の御意見を伺ひたいものです。

 

 

ルピツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

よく不平を言ふ男ぢや。ジヤアク先生が席に着けと云へば、それが不平、ルグリ先生が起つたまゝでゐさせれば、それがまた不平か。多分其許は、まだ一人前の扱ひを受けるには、年が若すぎるのだよ。それに、ルグリ先生が椅子を薦められなんだことは、まあまあ恕すべきだ。其許の丈(せい)が低いため、先生はきつと、もう腰かけてゐるものと勘違ひされたのだよ。[やぶちゃん注:「恕す」「じよす」。]

 

 

   ――――――――――――

 

 

 にんじんよりルビツク氏へ

 

親愛なる父上

 

近々巴里へお出かけの由、あゝ首府見物、僕も行きたいのですが、今度は心のみ父上のお伴をして、その愉しみを分つことにします。僕は學業の爲にこの旅行を斷念しなければならないことを知つてゐます。しかし、この機會を利用して、父上にお願ひがあるのです。本を一二册買つて來ていたゞけませんか。今持つてゐる本はみんな暗記してしまひました。どんな本でもかまひません。もとを洗へば、似たりよつたりです。とは云ひますが、僕、そのうちでも特別に、フランソア・マリ・アルウエ・ド・ヴオルテエルの「ラ・アンリヤアド」と、それから、ジヤン・ジヤツク・ルウソオの「ラ・ヌウヴエル・エロイイズ」とが欲しいんです。若し父上がそれを持つて來て下されば(本は巴里では幾らもしません)、斷じて、室長が取り上げるやうなことはありません。

 

 

 ルピツク氏の返事

 

親愛なるにんじん殿

御申出の文士は、其許や余等と何等異なるところなき人間だ。彼らが成したことは其許も成し得るわけだ。せいぜい本を書け。それを後で讀むがよからう。

 

  ――――――――――――

 

 ルピツク氏よりにんじんへ

 

親愛なるにんじん殿

今朝の手紙には驚き入つた。讀み返してみたが、やはり駄目だ。第一、文章も平生と違ひ、言ふことも珍妙不可解で、およそ其許の柄でも、また餘の柄でもないと思はれることばかりだ。普斷[やぶちゃん注:ママ。]は、細々(こまごま)とした用事を語り、席順がどうなつたとか、先生の特長又は缺點がどうとか、新しい級友の名前、下着類の狀態、さては、よく眠るとか、よく食ふとか、書いてあることはそんなことだ。

余に取つても、實にそれが興味のあることで、今日は全く何が何やらわからん。如何なる都合でか、目下、冬だといふのに、時まさに暮春云々とある。一體なんのつもりなんだ? 襟卷でも欲しいといふのか? 手紙に日附はなし、抑も余に宛てたのか、それとも犬に宛てたのか、てんでわからん。字體もまた變へてあるやうだし、行のくばりと云ひ、頭文字の數と云ひ、すべて意想外だ。要するに、其許は、誰かを馬鹿にしてゐるらしいが、察するところ、相手は其許自身に相違ない。余はこれが罪に値すると云ふのではないが、たゞ一應の注意をして置くのだ。[やぶちゃん注:「抑も」「そもそも」。]

 

 

 にんじんの返事

親愛なる父上

前回の手紙につき、急ぎ釋明のため一言します。父上、あの手紙が韻文になつてゐることをお氣づきにならなかつたのです。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。底本の本章は「にんじん」と父ルピック氏との往復書簡集ということで、他の章と版組が微妙に異なる。書簡本文は文全体が一字下げとなっており、従って結果して全ページが一字下げとなる。電子化では、それは無視してある。結語の位置も総て、下から五字上げインデントであるが、ブラウザの不具合を考え、引き上げてある。なお、原本の版組みでは、そのような凝り方はされておらず、他の章と変わりはないように見える。但し、原本では、来信・往診の間に、中央に「――」がある。また、各書簡の間は一様に一行空けであるが、区別するために、二行空けとした。但し、ダッシュが入っている箇所では、前後一行とした。一部のダッシュの開始位置が異なるのはママである。

「釘」原作はこのやうなクォーテーション・マークも、言い直しも、ない。ここは原作ならば、普通に「釘」ではなく、「おでき」と前後の文脈から判読するところである(このことは以下の「人類が「釘」に惱まされた事實は・・・」の注で詳述した)。

「罨法(あんぽう)」原文は“cataplasmes”で、これは医学用語の貼布(ハツプ)・濕布、漢方で言うところの温・冷罨法、若しくは、それを用いた治療法を言う。この場合は、腫物の熱を除去することを主目的にしてゐるように思われるので、冷罨法・冷濕布であろう。なお、この「にんじん」の罹患した疾患は何であろう。急性で予後も惡くない感じはする。「魚捕り」との関連性からは実際に魚捕りで下肢に外傷を負つたことによる感染症といふ解釈も可能ではある。それは「釘」という表現から、この外傷とは、まさに『「釘」のように尖つたものを足に刺した』という意味ではないか? と当初は考えた。しかし、実は、この「にんじん」の言う“clous”という語には、「釘」という意味の他に、以下に記す症状で。古來、本邦で「ねぶと」とか、「かたね」とか言われた鼠径部の腫脹・腫瘍(これらの症状は性病の「軟性下疳」の一症状でもあり、あまり良い響きを持たないと私は理解している)、更に「獣医学」(!)では、“clous de rue”(“rue”は「通り・往来」の意)で、「家畜類」(!)が「尖つた釘」(!)などを、足裏に刺して起る炎症をも指すのである。以上から、「にんじん」の言う「腿(もゝ)」の「太い」『「釘」』というのは、腫物というよりも、鼠径リンパ節の腫脹を指しているのではないかと私は、まず、結論した。ちょっとした傷口から細菌感染が起こったことによる「鼠経部リンパ腺炎」である(悪化すると、「蜂窩織炎」或いは「丹毒」といつた慢性的で難治の病態へと進むが、後の「にんじん」には、そのやうな様子は見られないので良かった)。さらに勘ぐると、実際には軽い「急性リンパ腺腫脹」に過ぎなかったのだけれども、看護婦の行ったこの「罨法」のハップ貼付によって、二次的に「接触性皮膚炎」を起こしてしまったともとれるように思うのである。

「聖體拜受」原文は“première communion”で、文字通り、正式には「初聖体拝領」と言う。これは、カトリツク敎徒にとつて、生涯でも最も重要な儀式とされるもので、七~八歳になつて、初めて「聖餐式に出ること」を言う。キリストの血に見立てた赤ワインと、聖体に見立てたパン(実際には、ウエハースのようなメダルのような菓子様のものである)を神父から受ける。

「敎理問答」原文は“catéchisme”で、これはカトリックで問答体のカトリックの敎理の教授を指す。因みに、これは来信の「にんじん」の書簡にある「罨法」“cataplasmes”と綴りが近似してゐる。ルピック氏はそれを洒落たのではあるまいか? と私は睨んでいる。

『人類が「釘」に惱まされた事實は其許に始まらざること承知の筈(はず)だ。』原文は“tu dois savoir que l'espèce humaine ne t'a pas attendu pour avoir des clous.”で、ちょっとニュアンスが違うように感じられる。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」では、岸田氏の訳を、ほぼ踏襲して、『人類が<くぎ>にうなされるのは何もお前に始まったことではないくらい、承知(しようち)のはずだ。』と訳すが、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では、『おまえは知つておかなければならない、おまえにおでき(クルー)のできることなぞ人類は期待していなかつたとな。』で、原文に逐語的には極めて忠実な訳となっている。岸田氏と倉田氏の訳は分かり易く、ここから既に後半の洒落れた説教の雰囲気を漂わせているのだが、両氏の訳は、まさに優等生の訳文で、その結果として、ルピック氏の底意地の悪い「皮肉のベクトル」が、物言いから消去されてしまった感があり、「ルピック氏の思惑」とはちょっとズレが生じているように思う。しかし、佃氏の訳は、実は、往信の「にんじん」の手紙では、「釘」を用いずに『大きなおでき(クルー)が腿(もも)にできているのです。』とルビを振り、先に挙げた文に続けて、『イエス・キリストは両手両足に釘(クルー)を打たれていた。』と訳され、ルピック氏の美事なウイットを訳で示しておられる。この掛け合いの上手さに関しては、もう、佃氏の訳文の勝利である。

「聖名祭」これは「聖名祝日」のことで、「自分の洗礼名の守護聖人に割り当てられた日にする祝い」を指す。原文は普通に“la fête de M. Jâques”で、倉田氏の訳では、単に「誕生日」と訳されている。確かに、一般には、自分の誕生日に関わる聖人を洗礼名につけることが多いのだが、必ずしも、そうなるわけではない。但し、私には、この“la fête de M. Jâques”が誕生日でない聖名祝日であるかどうかは、表現上は判別出来ない。それは、そもそもは出来得るのであろうか? それとも、この「にんじん」の原作の叙述のどこかに、それが示されてゐるのであろうか? どなたか、御教授を乞うものである。因みに、ジュール・ルナールは一八六四年二月二十二日生まれで、この二十二日は、「聖ペトロの使徒座」に当たる。

「恕す」思いやりの心で許す。

「尊き師の君よ」私は「尊き」は岸田氏がどう訓じているかと関係なく、「たつとき」と訓ずるのを常としいる。「とうとき」は「貴き」である。原文では、ここは大文字で“VÉNÉRÉ MAITRE”とある。“VÉNÉRÉ”はラテン語由来で、「尊敬する・敬う」の意であり、“MAITRE”は「師事する先生」への敬称である。

「ヴオルテエル」ヴォルテール(Voltaire:これはペンネームで、本名はフランソワ=マリー・アルエである(François-Marie Arouet 一六九四年~一七七八年)は十八世紀の「フランス啓蒙主義」を(というよりも、当時のフランスそのものを、と言つてもよい)代表する思想家・作家である。終始、自由主義で、反ローマ・カトリツク、まさに反権力の象徵的作家であつた。代表的著作は「オイディプス王」・「カールⅫ世伝」・「哲学書簡」・「ザディッグ」・「カンディド」等、戯曲・歴史書・哲学的考察・小説と多岐に亙る。因みに、彼のこのVoltaireといふペンネームは“volontaire”(ヴォロンティエール:「自由意志の・わがままな」の意)といふ「我儘者」といふ小さな頃の渾名であるとも言う。

「アンリヤアド」原文は“la Henriade”で「ラ・アンリヤッド」。ヴォルテールの書いた長編叙事詩の名。

「ジヤン・ジヤツク・ルウソオ」フランスの哲学者・思想家・作家であったジャン=ジャツク・ルソー(Jean-Jacques Rousseau  一七一二年~一七七八年)。「フランス革命」の精神的支柱とされる。代表的著作は「人間間の不平等の起源と基盤についての言説」(一般に「人間不平等論」と呼ばれるものである)・「社会契約について」(「社会契約論」)・「エミールまたは教育について」・「告白」・「孤独な散歩者の夢想」等である。「告白」等によって、実生活では、性的な倒錯者の一面を持っていたことも良く知られている。

「ラ・ヌウヴエル・エロイイズ」原文は“la Nouvelle Héloïse であるが、正しくは“ Julie ou la nouvelle Héloïse「ジュリ又は新エロイーズ」。ルソーの一七六一年作の書簡体小説。貴族の令嬢ジュリと家庭教師サン・プルーとの愛と貞節を描く。これは実在した中世のっ進学者サン・ドニ修道院長ピエール・アベラール(一〇七九年~一一四二年)と、その弟子にして妻であつたパラクレー女子修道院長エロイーズ(一一〇一年~一一六四年)のラテン語の往復書簡集が元である。所持する岩波文庫の解説に拠れば、『ルソーのロマンティシズムと革命的社会観とを、その優麗な描寫の中にあますところなく語』つているとある。

 以下の原本には、大文字の箇所やポイント違い、斜体部、幾つかの書簡を区切るダッシュがある。今回は原本に従い、それを再現しておく(但し、字空けが不審な箇所は前に徴して従わなかった箇所もある)。]

 

 

 

     lETTRES CHOISIES

   de Poil de Carotte à M. Lepic

      ET QUELQUES RÉPONSES

   de M. Lepic à Poil de Carotte

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

          Institution Saint-Marc.

 

    Mon cher papa,

   Mes parties de pêche des vacances m’ont mis l’humeur en mouvement. De gros clous me sortent des cuisses. Je suis au lit. Je reste couché sur le dos et madame l’infirmière me pose des cataplasmes. Tant que le clou n’a pas percé, il me fait mal. Après je n’y pense plus. Mais ils se multiplient comme des petits poulets. Pour un de guéri, trois reviennent. J’espère d’ailleurs que ce ne sera rien.

               Ton fils affectionné.

 

    Réponse de M. Lepic

   Mon cher Poil de Carotte,

   Puisque tu prépares ta première communion et que tu vas au catéchisme, tu dois savoir que l’espèce humaine ne t’a pas attendu pour avoir des clous. Jésus-Christ en avait aux pieds et aux mains. Il ne se plaignait pas et pourtant les siens étaient vrais.

   Du courage !

               Ton père qui t’aime.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

     Mon cher papa,

   Je t’annonce avec plaisir qu’il vient de me pousser une dent. Bien que je n’aie pas l’âge, je crois que c’est une dent de sagesse précoce. J’ose espérer qu’elle ne sera point la seule et que je te satisferai toujours par ma bonne conduite et mon application.

               Ton fils affectionné.

 

    Réponse de M. Lepic

   Mon cher Poil de Carotte,

   Juste comme ta dent poussait, une des miennes se mettait à branler. Elle s’est décidée à tomber hier matin. De telle sorte que si tu possèdes une dent de plus, ton père en possède une de moins. C’est pourquoi il n’y a rien de changé et le nombre des dents de la famille reste le même.

               Ton père qui t’aime.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

  Mon cher papa,

   Imagine-toi que c’était hier la fête de M. Jâques, notre professeur de latin, et que, d’un commun accord, les élèves m’avaient élu pour lui présenter les voeux de toute la classe. Flatté de cet honneur, je prépare longuement le discours où j’intercale à propos quelques citations latines. Sans fausse modestie, j’en suis satisfait. Je le recopie au propre sur une grande feuille de papier ministre, et, le jour venu, excité par mes camarades qui murmuraient : – « Vas-y, vas-y donc ! » – je profite d’un moment où M. Jâques ne nous regarde pas et je m’avance vers sa chaire. Mais à peine ai-je déroulé ma feuille et articulé d’une voix forte :

     VÉNÉRÉ MAÎTRE

que M. Jâques se lève furieux et s’écrie :

   Voulez-vous filer à votre place plus vite que ça !

   Tu penses si je me sauve et cours m’asseoir, tandis que mes amis se cachent derrière leurs livres et que M. Jâques m’ordonne avec colère :

   Traduisez la version.

   Mon cher papa, qu’en dis-tu ?

 

    Réponse de M. Lepic

  Mon cher Poil de Carotte,

   Quand tu seras député, tu en verras bien d’autres. Chacun son rôle. Si on a mis ton professeur dans une chaire, c’est apparemment pour qu’il prononce des discours et non pour qu’il écoute les tiens.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

   Mon cher papa,

   Je viens de remettre ton lièvre à M. Legris, notre professeur d’histoire et de géographie. Certes, il me parut que ce cadeau lui faisait plaisir. Il te remercie vivement. Comme j’étais entré avec mon parapluie mouillé, il me l’ôta lui-même des mains pour le reporter au vestibule. Puis nous causâmes de choses et d’autres. Il me dit que je devais enlever, si je voulais, le premier prix d’histoire et de géographie à la fin de l’année. Mais croirais-tu que je restai sur mes jambes tout le temps que dura notre entretien, et que M. Legris, qui, à part cela, fut très aimable, je le répète, ne me désigna même pas un siège ?

   Est-ce oubli ou impolitesse ?

   Je l’ignore et serais curieux, mon cher papa, de savoir ton avis.

 

    Réponse de M. Lepic

  Mon cher Poil de Carotte,

   Tu réclames toujours. Tu réclames parce que M. Jâques t’envoie t’asseoir, et tu réclames parce que M. Legris te laisse debout. Tu es peut-être encore trop jeune pour exiger des égards. Et si M. Legris ne t’a pas offert une chaise, excuse-le : c’est sans doute que, trompé par ta petite taille, il te croyait assis.

       ――――

    De Poil de Carotte à M. Lepic

  Mon cher papa,

   J’apprends que tu dois aller à Paris. Je partage la joie que tu auras en visitant la capitale que je voudrais connaître et où je serai de coeur avec toi. Je conçois que mes travaux scolaires m’interdisent ce voyage, mais je profite de l’occasion pour te demander si tu ne pourrais pas m’acheter un ou deux livres. Je sais les miens par coeur. Choisis n’importe lesquels. Au fond, ils se valent. Toutefois je désire spécialement la Henriade, par François-Marie-Arouet de Voltaire, et la Nouvelle Héloïse, par Jean-Jacques Rousseau. Si tu me les rapportes (les livres ne coûtent rien à Paris), je te jure que le maître d’étude ne me les confisquera jamais.

 

    Réponse de M. Lepic

  Mon cher Poil de Carotte,

   Les écrivains dont tu me parles étaient des hommes comme toi et moi. Ce qu’ils ont fait, tu peux le faire. Écris des livres, tu les liras ensuite.

       ――――

    De M. Lepic à Poil de Carotte

  Mon cher Poil de Carotte,

Ta lettre de ce matin m’étonne fort. Je la relis vainement. Ce n’est plus ton style ordinaire et tu y parles de choses bizarres qui ne me semblent ni de ta compétence ni de la mienne.

   D’habitude, tu nous racontes tes petites affaires, tu nous écris les places que tu obtiens, les qualités et les défauts que tu trouves à chaque professeur, les noms de tes nouveaux camarades, l’état de ton linge, si tu dors et si tu manges bien.

   Voilà ce qui m’intéresse. Aujourd’hui, je ne comprends plus. À propos de quoi, s’il te plaît, cette sortie sur le printemps quand nous sommes en hiver ? Que veux-tu dire ? As-tu besoin d’un cache-nez ? Ta lettre n’est pas datée et on ne sait si tu l’adresses à moi ou au chien. La forme même de ton écriture me paraît modifiée, et la disposition des lignes, la quantité de majuscules me déconcertent. Bref, tu as l’air de te moquer de quelqu’un. Je suppose que c’est de toi, et je tiens à t’en faire non un crime, mais l’observation.

 

    Réponse de Poil de Carotte.

  Mon cher papa,

   Un mot à la hâte pour t’expliquer ma dernière lettre. Tu ne t’es pas aperçu qu’elle était en vers.

       ――――

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「ブルタスの如く」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Burutasunogotoku

 

     ブルタスの如く

 

 

ルピツク氏――おい、にんじん、お前は前學年には、わしの望みどおり勉强しなかつた。通信簿に、もつとやれば出來る筈だと書いてある。お前はほかのことばかり考へてゐる。禁ぜられた書物を讀む。暗記力はなかなかあると見えて、試驗の點は相當よろしい。たゞ宿題を怠けるんだ。おい、にんじん、眞面目にやらうといふ氣になれ。

にんじん――大丈夫だよ、父さん。まつたく、前學年は少し好い加減にやつたところがあるよ。今度は、精一杯頑張らうつて氣が起つてるんだ。但し、全科目、級で一番つていふのは受合へないよ。

ルピツク氏――ともかく、そのつもりになつてみろ。

にんじん――いゝや、父さん、僕に望むところが大きすぎるよ。僕あ、地理や、獨逸語や、物理化學は駄目なんだ。とても出來る奴が二三人ゐるのさ。ほかのことゝきたら零(ゼロ)なくせに、そればつかりやつてるんだもの。こいつらを追ひ越すなんて不可能だよ。だけど、僕、ねえ、父さん、僕、佛蘭西語の作文でなら、近いふち、斷然牛耳つて見せるよ。そして、そいつを續けてみせるよ。それが、もし、僕の努力にもかかわらず不成功に終わつたら、少なくとも僕はみずから悔(く)ゆるところなしだ。僕は、かのブルタスのごとく誇らかに叫ぶことができる――「おお美德よ、汝(なんじ)はただ一つの名に過ぎず!」

ルピツク氏――うむ、さうだ。わしは、お前がやつらに負けないことを信じてゐる。

フエリツクス――父さんは、なんていつたい?

エルネスチイヌ――あたし、聞いてなかつたわ。

ルピツク夫人――母さんも聞いてなかつた。どら、もう一度云つてごらん、にんじん。

にんじん――うん、なんでもないよ。

ルピツク夫人――へえ? なんにも云はなかつたのかい? でも、あんなに、赤い顏をして、拳を振り上げ、えらい勢ひでぺらぺら喋つてたぢやないか? あの聲と來たら村の端まで屆くほどだつた。その文句をもう一遍云つてごらん、みんなが聽いとくと爲めになるからさ。

にんじん――それにや及ばないよ、母さん。

ルピツク夫人――いゝからさ。誰の話なの? なんていふ名前の人だつけ?

にんじん――母さんの知らない人だよ。

ルピツク夫人――なほのことぢやないか。さ、お願ひだから、戲談はやめて、母さんの云ふことをお聽き。

にんじん――そんなら云ふけど、僕たち、今、二人で話をしてたの。父さんが僕に友だちとしての忠告をしてくれたもんで、そのお禮を云ふつもりで、ふと、ある考へが浮かんだのさ。つまり、ブルタスつていふ羅馬人のうあうに、誓ひを立てる・・・つまり美德のなんたるかを・・・。

ルピツク夫人――つまりつまり、なんだい、それや・・・。しどろもどろぢやないか。それより、さつき云つた文句を、一字一句變へずに、おんなじ調子で云つてごらん。母さんは、別にペルウの國を寄越せつて云つてるわけぢやないだらう。だから、それくらゐ、母さんのためにしてくれたつていゝぢやないか。

フエリツクス――僕が云つてみようか、母さん。

ルピツク夫人――いゝえ、にんじんが先づ云つてから、その次ぎ、お前がお云ひ。兩方較べてみるから・・・さ、にんじん、早くさ。

にんじん――(うるみ聲で、呟くやうに)おゝ、び、び、びとくよ・・・なん・・・なんぢは…‥たゞ、ひとつの・・・な、なにすぎず・・・。

ルピツク夫人――なんともしやうがない。ひと筋繩ぢや動かないや、この大將は・・・。母親の氣に入ることをするくらゐなら、叩きのめされたほうがましだと思つてるんだ。

フエリツクス――どら、母さん、奴はかう云つたんだよ――(彼は眼玉をぎよろりとさせ、挑むやうな視線を投げて)若しも僕が佛蘭西語の作文で一番にならなかつたら・・・(頰を膨らませ、足を踏み鳴し)僕は、かのブルタスの如く叫ぶだらう・・・(兩腕を高く擧げ)おゝ、美德よ・・・(その腕を膝の上にどさりと落し)汝はたゞ一つの名に過ぎず! かう云つたんだよ。[やぶちゃん注:ここのみ、ト書き部分が有意にポイント落ちになっている。ブログでは、読み難くなるので、敢えて太字とした。]

ルピツク夫人――ひやひや。大出來だ。にんじん、ぢやまあ、お目出たう。それにしても、眞似は實物だけの値打はないんだから、それだけに、お前が片意地なことは、母さん、殘念だよ。

フエリツクス――だけど、にんじん、そいつを云つたのは、ほんとにブルタスだつたかい? ケエトオぢやなかつたかい?

にんじん――たしかにブルタスだ。「かくて彼は、友の一人が差し伸べし劍(つるぎ)に、われとわが身を貫いて死せり」

エルネスチイヌ――にんじんの云ふ通りだわ。そして、ブルタスは、黃金を杖に忍ばせて、氣違ひの眞似をしたのね。

にんじん――違ふよ、姉さん、そんなことを云ふと頭がこんぐらかるぢやないか。僕の云ふブルタスと姉さんのとは別物だよ。

エルネスチヌ――さうか知ら・・・。それにしてもさ、ソフイイ先生が筆記させる歷史のお講義は、あんたの學校の先生と、値打から云つて違はないわよ。

ルピツク夫人――そりや、どうでもいゝ。喧嘩はおよし。肝腎なことは、家族の一人に、ブルタスがゐるつてこつた。家(うち)には現にゐるんだ。にんじんのお蔭で、あたしたちは肩身が廣いわけだ。それに、だあれも、自分たちの名譽を知らずにゐたんだ。新しいブルタスを崇めようぢやないか。このブルタスは拉典語を司敎さんのやうに喋る。そのくせ、聾者(つんぼ)がゐても彌撒を二度繰り返してくれない。ぐるつとまわらしてごらん。正面から見ると、今日おろしたばかりの上着にもう汚點(しみ)をくつつけ、後ろから見ると、ズボンが破けてる。おゝ神樣、何處へまたもぐり込んだんだらう。戲談ぢやない、まあ、見てやつておくれ、あのブルタスにんじんの顏附をさ。しやうがないブルドツクだよ、ほんとに![やぶちゃん注:「拉典語」「ラテンご」。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「おゝ美德よ、汝はたゞ一つの名に過ぎず!」:シーザーを暗殺したガイウス・カシウスやマルクス・ユニウス・ブルータス(Marcus Junius Brutus 紀元前八五年~紀元前四二年)ら共和派は、第二回三頭政治を立ち上げたマルクス・アントニウス及びオクタビアヌスらと対立し、マケドニアのフイリッピで戦闘となつたが(紀元前四二年十月)、後者が勝利を治め、カシウス及びブルータスの自決で幕を閉じた。一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では、ここに注を附して、ブルータスは敗北の報を受けて『エウリピデスの言葉を口にしたが、これがここの有名な言葉とされた。彼はこの後、自らの剣に身を投げて死んだ。ルナールは彼を愛した。』と記す。エウリピデス(Euripides 紀元前四八〇年頃~紀元前四〇六年頃)は、古代アテナイの三大悲劇詩人の一人。

「フエリツクス――父さんは、なんて云つたい?」戦後版もこのままだが、ここは誤訳であろう。若しくは、岸田氏は、ここに時間的なインターバルを考えたのかも知れないが、その必要は本作「にんじん」の世界にあって、そうした時制的操作を考える余地はないと断言出来る。これは、「にんじんは何て言つたの、パパ?」である。これ以降、ルピック氏は、以下の「にんじん」への侮蔑に満ちた家族の会話を完全に無視している(しかし、そこに居るのである)と読むべきである。

「ペルウの國を寄越せ」昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14倉田清訳の「にんじん」の「ペルーの国」の注によると、『ペルーは昔、金鉱や銀鉱が豊かだつたので、ペルーということばは、巨万の富みという意味に使われ、ペルーを望むといふのは、不可能なことを望むといふ意味になる。』と記す。出来ないことをやれ、という意味である。

「ケエトオ」小カトー、こと、共和政ローマ末期の政治家マルクス・ポルキウス・カトー・ウテイケンシス(Marcus Porcius Cato Uticensis 紀元前九六年~紀元前四六年)。大カトー(マルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウス Marcus Porcius Cato Censorius 紀元前二三四年~紀元前一四九年:古代ローマの政治家。執政官。学者としても優れていた)の曾孫。元老院派にして、三頭政治成立後も、終始、シーザーと反目した。シーザーの実権奪取後、逃亡先のウテイカの地で虜囚の辱めを受けることを肯んぜず、割腹して内臓を摑み出して自死した。なお、ブルータスは、この小カトーの娘であるポルキアを妻とした。

「黃金を杖に忍ばせて、氣違ひの眞似をしたのね」一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻は、ここに注を附して、以下のようにエルネスチヌの誤りを説明しておられる。即ち、彼女は『ルーキウス・ユーニウス・ブルートゥス(前六世紀-前五〇九?)のことと勘違いしている。こちらはローマの半伝説的英雄で、タルキニウス王にたいして民衆を蜂起せしめ、王から迫害されてゐるのを知ると狂気(ブルートゥスbrutus=馬鹿)をよそおい、デルフォイ神殿におもむき、粗末ではあるが黄金のつまった杖をアポロンにささげた』とある。但し、この没年(紀元前五〇九年)は彼がタルキニウス王を追放して共和制をひいた年ともされている。

「ソフイイ先生」これは、調べたところ、姉のエルネスチヌが歴史を習つている地元の学校の歷史の先生の名前ということである。リセに通う二人に対する、知性的な面でのほのかな敵愾心が垣間見える。

「戲談ぢやない、まあ、見てやつておくれ、あのブルタスにんじんの顏附をさ。しやうがないブルドツクだよ、ほんとに!」このエンデイングは岸田氏のオリジナルな洒落で意訳してある。原文は、“Non,mais regardez-moi la touche de Poil de Carotte Brutus ! Espèce de petite brute, va !”で、「理性のないけだもの・人でなし」という意味の“brute”(ブルート:“brut”の男性形)を“Brutus”に懸けてゐる(というか、実は先の注で分かるように、これは同語源である)。ちなみに“Espèce”自体が、俗語で、「あんな馬鹿者」の意味である。「あきれたもんだ、『にんじんブルートゥス』の格好を見ておやりよ! 『チビころのブルート(あほんだら)』さ、全く、もう!」といつた感じである。

 以下、原本では、「にんじん」が吃って繰り返す台詞のパートが、特異な字配や、台詞の一部が斜体となっており、その後にある兄フェリックスの台詞内にも、一部、斜体が使用されているので、それに従った。]

 

 

 

 

    Comme Brutus

 

     MONSIEUR LEPIC

   Poil de Carotte, tu n’as pas travaillé l’année dernière comme j’espérais. Tes bulletins disent que tu pourrais beaucoup mieux faire. Tu rêvasses, tu lis des livres défendus. Doué d’une excellente mémoire, tu obtiens d’assez bonnes notes de leçons, et tu négliges tes devoirs. Poil de Carotte, il faut songer à devenir sérieux.

     POIL DE CAROTTE

   Compte sur moi, papa. Je t’accorde que je me suis un peu laissé aller l’année dernière. Cette fois, je me sens la bonne volonté de bûcher ferme. Je ne te promets pas d’être le premier de ma classe en tout.

     MONSIEUR LEPIC

   Essaie quand même.

     POIL DE CAROTTE

   Non papa, tu m’en demandes trop. Je ne réussirai ni en géographie, ni en allemand, ni en physique et chimie, où les plus forts sont deux ou trois types nuls pour le reste et qui ne font que ça. Impossible de les dégoter ; mais je veux, – écoute, mon papa, je veux, en composition française, bientôt tenir la corde et la garder, et si malgré mes efforts elle m’échappe, du moins je n’aurai rien à me reprocher, et je pourrai m’écrier fièrement comme Brutus : Ô vertu ! tu n’es qu’un nom.

     MONSIEUR LEPIC

   Ah ! mon garçon, je crois que tu les manieras.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Qu’est-ce qu’il dit, papa ?

     SOEUR ERNESTINE

   Moi, je n’ai pas entendu.

     MADAME LEPIC

   Moi non plus. Répète voir, Poil de Carotte ?

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! rien, maman.

     MADAME LEPIC

   Comment ? Tu ne disais rien, et tu pérorais si fort, rouge et le poing menaçant le ciel, que ta voix portait jusqu’au bout du village ! Répète cette phrase, afin que tout le monde en profite.

     POIL DE CAROTTE

   Ce n’est pas la peine, va, maman.

     MADAME LEPIC

   Si, si, tu parlais de quelqu’un ; de qui parlais-tu ?

     POIL DE CAROTTE

   Tu ne le connais pas, maman.

     MADAME LEPIC

   Raison de plus. D’abord ménage ton esprit, s’il te plaît, et obéis.

     POIL DE CAROTTE

   Eh bien : maman, nous causions avec mon papa qui me donnait des conseils d’ami, et par hasard, je ne sais quelle idée m’est venue, pour le remercier, de prendre l’engagement, comme ce Romain qu’on appelait Brutus, d’invoquer la vertu…

     MADAME LEPIC

   Turlututu, tu barbotes. Je te prie de répéter, sans y changer un mot, et sur le même ton, ta phrase de tout à l’heure. Il me semble que je ne te demande pas le Pérou et que tu peux bien faire ça pour ta mère.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Veux-tu que je répète, moi, maman ?

     MADAME LEPIC

   Non, lui le premier, toi ensuite, et nous comparerons. Allez, Poil de Carotte, dépêchez.

     POIL DE CAROTTE.   Il balbutie, d’une

      voix pleurarde.

    Ve-ertu tu-u n’es qu’un-un nom.

     MADAME LEPIC

   Je désespère. On ne peut rien tirer de ce gamin. Il se laisserait rouer de coups, plutôt que d’être agréable à sa mère.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Tiens, maman, voilà comme il a dit : Il roule les yeux et lance des regards de défi. Si je ne suis pas premier en composition française. Il gonfle ses joues et frappe du pied. Je m’écrierai comme Brutus : Il lève les bras au plafond. Ô vertu ! Il les laisse retomber sur ses cuisses, tu n’es qu’un nom ! Voilà comme il a dit.

     MADAME LEPIC

   Bravo, superbe ! Je te félicite, Poil de Carotte, et je déplore d’autant plus ton entêtement qu’une imitation ne vaut jamais l’original.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Mais, Poil de Carotte, est-ce bien Brutus qui a dit ça ? Ne serait-ce pas Caton ?

     POIL DE CAROTTE

   Je suis sûr de Brutus. « Puis il se jeta sur une épée que lui tendit un de ses amis et mourut. »

     SOEUR ERNESTINE

   Poil de Carotte a raison. Je me rappelle même que Brutus simulait la folie avec de l’or dans une canne.

     POIL DE CAROTTE

   Pardon, soeur, tu t’embrouilles. Tu confonds mon Brutus avec un autre.

     SOEUR ERNESTINE

   Je croyais. Pourtant je te garantis que mademoiselle Sophie nous dicte un cours d’histoire qui vaut bien celui de ton professeur au lycée.

     MADAME LEPIC

   Peu importe. Ne vous disputez pas. L’essentiel est d’avoir un Brutus dans sa famille, et nous l’avons. Que grâce à Poil de Carotte, on nous envie ! Nous ne connaissions point notre honneur. Admirez le nouveau Brutus. Il parle latin comme un évêque et refuse de dire deux fois la messe pour les sourds. Tournez-le : vu de face, il montre les taches d’une veste qu’il étrenne aujourd’hui, et vu de dos son pantalon déchiré. Seigneur, où s’est-il encore fourré ? Non, mais regardez-moi la touche de Poil de Carotte Brutus ! Espèce de petite brute, va !

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「虱」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Sirami

 

     

 

 

 兄貴のフエリツクスとにんじんとが、サン・マルク寮から歸つて來ると、ルピツク夫人は二人に足の行水をさせるのである。三月も前からその必要があるのに、寮では足を洗わないからである。もとより、規則書のどの箇條にもその場合はうたつてない。

 「お前のときたらさぞ黑いこつたらう、にんじん」

 ルピツク夫人は云ふのである。

 彼女の云つた通りだ。にんじんのは、兄貴のより、何時も黑いのだ。どうしてだらう。二人は、すぐ側で、同じ制度のもとで、同じ空氣の中で暮らして來たのだ。なるほど、三月の後には、兄貴のフエリツクスも、白い足を出してみせることはできない。が、にんじんは、自分でも告白する通り、誰の足だかわからなくなつてゐるのである。

 恥ずかしいので、彼は、手品師の藝當よろしく、足を水の中へ突つ込む。何時の間に靴を脫いだか、彼は、兄貴のフエリツクスがもうバケツの底へ沈めてゐるその足の間へ、いきなり自分の足を割り込ませる。それまで誰も氣がつかない。するとやがて、垢の層が布ぎれのやうに擴がつて、この四つの化物を包むのだ。

 ルピツク氏は、何時もの癖で、窓から窓を往つたり來たりしてゐる。彼は、息子たちの通信簿、殊に、校長先生自筆の注意書を讀み返してみる。兄貴のフエリツクスについては――

 「不注意、然れども怜例(れいり)。及第の見込」

 それから、にんじんについては――

 「其氣になれば優秀なる成績を示す。但し、常にその氣にならず」

 にんじんが、これで偶には成績がいゝのかと思ふと、家族のものは、誰でも可笑しくなるのである。さういふ今、彼は膝の上で兩腕を組み合わせ、足を水の中で存分に膨らましてゐる。彼はみんなから試驗をされてゐる氣だ。赤黑く伸び過ぎた髮の毛の下で、彼は寧ろ見つともなくなつてゐた。ルピツク氏は、眞情流露を逆に行く人物だから、久々で彼の顏を見た悅びを、揶揄の形でしか表はさない。向うへ往きがけに彼の耳を彈(はぢ)く。こつちへ來がけには、肱で小突く。すると、にんじんは、待つてましたと笑ひこけるのである。[やぶちゃん注:「偶には」「たまには」。]

 それから更に、ルピツク氏は、彼のもぢやもぢやの頭髮(あたま)へ手を通し、そして、虱でも潰すやうに爪をぱちんと鳴らす。これが、先生得意の戲談である。

 ところが、狙ひ過たず、最初に、一匹、殺(や)つたのである。[やぶちゃん注:「過たず」「あやまたず」。]

 「やあ、うまいもんだ。仕止めたぞ」

と、彼はいふ。さて、幾分げんなりして、そいつをにんじんの髮の毛へなすりつける。するとルピツク夫人は、兩腕を空に向けて差し伸べ、さも精がなさゝうに――[やぶちゃん注:「さも精がなさゝうに」「いかにもやる気力が失せているように」。]

 「そんなこつたろうと思つた。やれやれ、とんだ御馳走だ。エルネスチイヌ、急いで金盥を持つといで。そら、お前の用事ができた」[やぶちゃん注:「金盥」「かなだらひ」。]

 姉のエルネスチイヌは、金盥を持つて來る。それから、目の細かい櫛と、皿いつぱいの酢と・・・。虱退治が始まるのである。

 「僕のを先へやつてくれ」と、兄貴のフエリツクスが叫ぶ――「僕にも寄越しやがつたに違ひない」

 彼は、我武者羅に指で頭を搔きむしる。そして、頭ごと突つ込むんだから、バケツに一杯水を持つて來いと云ふ。

 「靜かにおしよ」と、姉は云ふ。心盡しを見せることが好きなのだ――「痛くしやしないわ」

 彼女は、彼の首のまわりへタオルを捲きつけ、母親の手際と丹念さとを示す。一方の手で髮の毛を押し分け、もう一方の手で輕く櫛を取り上げる。彼女は、搜す。口を曲げて馬鹿にする風もなく、獲物がひつかゝつてもびくともしない。

 彼女が、「また一匹ゐた」と云ふ每に、兄貴のフエリツクスはバケツの中で足をぢたばたさせながら、にんじんを拳固で威かす。一方は靜かに自分の番を待つてゐる。

 「あんたの方は濟んだ、フエリツクス」と、姉のエルネスチイヌは云ふ――「七つか八つきりゐなかつたわ。勘定してごらん。にんじんのは幾つゐるか、さあ」

 最初の一と櫛で、にんじんは、それ以上の得點だ。姉のエルネステイヌは、これこそ巢にぶつかつたやうなものだと思つた。それもその筈、蟻塚の中を手當り次第に搔き寄せるのと違ひはない。

 一同がにんじんを取り圍む。姉のエルネスチイヌは腕に撚(よ)りをかける。ルピツク氏は、兩手を背中に組んで、物好きな他人みたいに、仕事の運びを見物してゐる。ルピツク夫人は、情ない聲で嘆息の叫びを發する――

 「これは、これは・・・。鋤と熊手を持つて來なけりや・・・」

 兄貴のフエリツクスは、蹲まつて、金盥をゆすぶり、獲物を受け取つてゐる。彼等は、雲脂(ふけ)に混つて落ちて來る。剪(き)つた捷毛のやうに細かな脚が、ぴくぴく動くのが見分けられる。彼等は金盥の奧の搖れるのに從ひい、そして、酢のために、瞬く間に死んでしまふ。

 

ルピツク夫人――にんじん! お前はどういふ量見でゐるんだか、あたしたちにやもうわからないよ。その年になつて、大きな男の子が、それで恥かしくはないかい? 足のことはまあ云はないさ、此處で初めて見るんだらうから・・・。だが虱が食つてるのにさ、それを先生にいつて取締つても貰はず、家のものに始末をしてくれとも云はず・・・。どうしたつて云ふんだい、一體・・・。どんなに好い氣持ちなのさ、生きたまゝ嚙られるつていふのは・・・。髮の毛ん中が、血だらけぢやないか。

にんじん――櫛でかきむしつたんだよ。

ルピツク夫人――どうだらう、櫛だとさ。それが姉さんへのお禮のしかたかい?――聞いたらうね、エルネスチイヌ? 旦那は、氣むずかしくつていらつしやるから[やぶちゃん注:行末。戦後版では読点がある。]床屋の姐さんに苦情をおつしやるよ。わるいことはいわない、好きで食われてるんだから、さつさと蟲の餌(えさ)にしておやり。[やぶちゃん注:「姐さん」戦後版は「姐」に『ねえ』とルビする。私は百%、「あねさん」と訓じる人種である。]

エルネスチイヌ――今日は、もうこれでおしまひよ、母さん。大きいのだけ落としといたわ。明日もう一(ひ)と撫でしてみるの。オードコロオニユを振りかけるつてやり方があるのよ。[やぶちゃん注:「オードコロオニユ」原文“eau de Cologne”(音写「イオゥ・ドゥ・コロゥーニユ」)。ドイツのケルン地方で生まれたこの香水は「ケルニッシュ・ワッサー」(「ケルンの水」)と呼ばれた。それがフランスに入り、発音が「オー(水)デ(の)コローニュ(ケルン)」と呼ばれ、「オー・デ・コロン」(Eau de Cologne)となったものである。]

ルピツク夫人――さあ、にんじん、お前は、金盥を持つてつて、裏庭の土塀の上へ出してお置き。村中のものがぞろぞろ見て通れば、お前だつてちつたあ恥かしいだらう。

 

 にんじんは金盥を取り上げ、出て行く。そして、そいつを太陽の下に晒して、その側で見張りをしてゐる。

 最初に近寄つて來たのが、マリイ・ナネツト婆さんである。彼女はにんじんの顏さへ見れば、立ち止つて、近視の、小さな狡そうな眼で彼をぢろぢろ見るのである。そして、黑い頭巾を動かしながら、何事かを搜し當てようとする。[やぶちゃん注:「狡さうな」「ずるさうな」。]

 「なんだね、そいつは・・・」

 にんじんは返事をしない。彼女は金盥をのぞき込む。

 「小豆(あづき)かね。あいた、もう眼がはつきり見えないよ。息子のピエエルが眼鏡を買つてくれるといゝんだけど・・・」[やぶちゃん注:「あいた」については、戦後版で私は好意的に、『目が不自由なことを心底残念がつてゐることを示すための感動詞「あ痛、」であろうか?』等と注したのだが、原文を見るに、そうではなく、“Ma foi, je n’y vois plus clair.”で、「勿論、確かにさ、私は眼が、もう、よく見えないんだよ。」の意である。倉田氏の訳は『あたしゃ、もう目がはっきり見えないよ。』、佃氏の当該部も、『まったく、よく見えねえだよ、わしには。』である。実は、この「あいた」は単に、「私」を意味する「あたい」の誤植ではなかろうか? にしても、戦後版でも同じというのは、頗る不審なのではあるが……。

 

 彼女は指でさわつてみる。口へ入れさうな手つきだ。なんとしても、わからないらしい。

 「そいで、お前さんはそこでなにしてるんだい。膨れつ面をして、眼をぼうつとさせて・・・? ははあ、怒られたな。罰にさうしてろつてわけか。いゝかい、わしや、お前さんのお祖母(ばあ)ぢやないが、それでも、考へることだけや、考へてるよ。わしや、不便でならん。家のもんがみんなで、いぢめるんだらう」

 にんじんは、ちらりと眼を外らす。そして母親が聞いてゐないことを確める。すると、彼はマリイ・ナネツト婆さんに云ふのである――

 「だからどうしたんだい? そんなこと、婆さんには關係ないだらう。自分のことだけ心配するがいゝや。僕のことは、ほうつといてくれ」

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「虱」ヒト吸血性の昆虫綱咀顎目シラミ亜目シラミ下目シラミ小目ヒトジラミ科ヒトジラミ属亜種アタマジラミ Pediculus humanus humanus 。]

 

 

 

 

    Les Poux

 

   Dès que grand frère Félix et Poil de Carotte arrivent de l’institution Saint-Marc, madame Lepic leur fait prendre un bain de pieds. Ils en ont besoin depuis trois mois, car jamais on ne les lave à la pension. D’ailleurs, aucun article du prospectus ne prévoit le cas.

   Comme les tiens doivent être noirs, mon pauvre Poil de Carotte ! dit madame Lepic.

   Elle devine juste. Ceux de Poil de Carotte sont toujours plus noirs que ceux de grand frère Félix. Et pourquoi ? Tous deux vivent côte à côte, du même régime, dans le même air. Certes, au bout de trois mois, grand frère Félix ne peut montrer pied blanc, mais Poil de Carotte, de son propre aveu, ne reconnaît plus les siens.

   Honteux, il les plonge dans l’eau avec l’habileté d’un escamoteur. On ne les voit pas sortir des chaussettes et se mêler aux pieds de grand frère Félix qui occupent déjà tout le fond du baquet, et bientôt, une couche de crasse s’étend comme un linge sur ces quatre horreurs.

  1. Lepic se promène, selon sa coutume, d’une fenêtre à l’autre. Il relit les bulletins trimestriels de ses fils, surtout les notes écrites par M. le Proviseur lui-même : celle de grand frère Félix :

   « Étourdi, mais intelligent. Arrivera. »

   et celle de Poil de Carotte :

   « Se distingue dès qu’il veut, mais ne veut pas toujours. »

   L’idée que Poil de Carotte est quelquefois distingué amuse la famille. En ce moment, les bras croisés sur ses genoux, il laisse ses pieds tremper et se gonfler d’aise. Il se sent examiné. On le trouve plutôt enlaidi sous ses cheveux trop longs et d’un rouge sombre. M. Lepic, hostile aux effusions, ne témoigne sa joie de le revoir qu’en le taquinant. À l’aller, il lui détache une chiquenaude sur l’oreille. Au retour, il le pousse du coude, et Poil de Carotte rit de bon coeur.

   Enfin, M. Lepic lui passe la main dans les « bourraquins » et fait crépiter ses ongles comme s’il voulait tuer des poux. C’est sa plaisanterie favorite.

   Or, du premier coup, il en tue un.

   Ah ! bien visé, dit-il, je ne l’ai pas manqué.

   Et tandis qu’un peu dégoûté il s’essuie à la chevelure de Poil de Carotte, madame Lepic lève les bras au ciel :

   Je m’en doutais, dit-elle accablée. Mon Dieu ! nous sommes propres ! Ernestine, cours chercher une cuvette, ma fille, voilà de la besogne pour toi.

   Soeur Ernestine apporte une cuvette, un peigne fin, du vinaigre dans une soucoupe, et la chasse commence.

   Peigne-moi d’abord ! crie grand frère Félix. Je suis sûr qu’il m’en a donné.

   Il se racle furieusement la tête avec les doigts et demande un seau d’eau pour tout noyer.

   Calme-toi, Félix, dit soeur Ernestine qui aime se dévouer, je ne te ferai pas de mal.

   Elle lui met une serviette autour du cou et montre une adresse, une patience de maman. Elle écarte les cheveux d’une main, tient délicatement le peigne de l’autre, et elle cherche, sans moue dédaigneuse, sans peur d’attraper des habitants.

   Quand elle dit : « Un de plus ! » grand frère Félix trépigne dans le baquet et menace du poing Poil de Carotte qui, silencieux, attend son tour.

   C’est fini pour toi, Félix, dit soeur Ernestine, tu n’en avais que sept ou huit ; compte-les. On comptera ceux de Poil de Carotte.

   Au premier coup de peigne, Poil de Carotte obtient l’avantage. Soeur Ernestine croit qu’elle est tombée sur le nid, mais elle n’a que ramassé au hasard dans une fourmilière.

   On entoure Poil de Carotte. Soeur Ernestine s’applique. M. Lepic, les mains derrière le dos, suit le travail, comme un étranger curieux. Madame Lepic pousse des exclamations plaintives.

   Oh ! oh ! dit-elle, il faudrait une pelle et un râteau.

   Grand frère Félix accroupi remue la cuvette et reçoit les poux. Ils tombent enveloppés de pellicules. On distingue l’agitation de leurs pattes menues comme des cils coupés. Ils obéissent au roulis de la cuvette, et rapidement le vinaigre les fait mourir.

     MADAME LEPIC

Vraiment, Poil de Carotte, nous ne te comprenons plus. À ton âge et grand garçon, tu devrais rougir. Je te passe tes pieds que peut-être tu ne vois qu’ici. Mais les poux te mangent, et tu ne réclames ni la surveillance de tes maîtres, ni les soins de ta famille. Explique-nous, je te prie, quel plaisir tu éprouves à te laisser ainsi dévorer tout vif. Il y a du sang dans ta tignasse.

     POIL DE CAROTTE

   C’est le peigne qui m’égratigne.

     MADAME LEPIC

   Ah ! c’est le peigne. Voilà comme tu remercies ta soeur. Tu l’entends, Ernestine ? Monsieur, délicat, se plaint de sa coiffeuse. Je te conseille, ma fille, d’abandonner tout de suite ce martyr volontaire à sa vermine.

     SOEUR ERNESTINE

   J’ai fini pour aujourd’hui, maman. J’ai seulement ôté le plus gros et je ferai demain une seconde tournée. Mais j’en connais une qui se parfumera d’eau de Cologne.

     MADAME LEPIC

   Quant à toi, Poil de Carotte, emporte ta cuvette et va l’exposer sur le mur du jardin. Il faut que tout le village défile devant, pour ta confusion.

 

   Poil de Carotte prend la cuvette et sort ; et l’ayant déposée au soleil, il monte la garde près d’elle.

   C’est la vieille Marie Nanette qui s’approche la première. Chaque fois qu’elle rencontre Poil de Carotte, elle s’arrête, l’observe de ses petits yeux myopes et malins et, mouvant son bonnet noir, semble deviner des choses.

   Qu’est-ce que c’est que ça ? dit-elle.

   Poil de Carotte ne répond rien. Elle se penche sur la cuvette.

   C’est-il des lentilles ? Ma foi, je n’y vois plus clair. Mon garçon Pierre devrait bien m’acheter une paire de lunettes.

   Du doigt, elle touche, comme afin de goûter. Décidément, elle ne comprend pas.

   Et toi, que fais-tu là, boudeur et les yeux troubles ? Je parie qu’on t’a grondé et mis en pénitence. Écoute, je ne suis pas ta grand’maman, mais je pense ce que je pense, et je te plains, mon pauvre petit, car j’imagine qu’ils te rendent la vie dure.

   Poil de Carotte s’assure d’un coup d’oeil que sa mère ne peut l’entendre, et il dit à la vieille Marie Nanette :

   Et après ? Est-ce que ça vous regarde ? Mêlez-vous donc de vos affaires et laissez-moi tranquille.

 

2023/12/02

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「赤い頰つぺた」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、本篇は全四章からなる長いものが、冒頭の章には「一」は、ない。

 

Akaihotupeta

 

     赤い頰つぺた

 

 

 夜の點呼が濟むと、サン・マルクの寮監先生は寢室から出て行く。すると生徒はめいめい、莢(さや)の中へ納まるやうに、できるだけ縮こまつて毛布の中へ滑り込む。外へはみ出ないやうにだ。室長のヴイオロオヌは、くるりと左右を見廻し、みんなが床に就いたのをたしかめる。それから爪先を立てゝ、そつと燈火(あかり)を小さくする。さうすると、やがて、隣り同志で、お喋りが始まるのである。枕から枕へ、ひそひそと聲が傳はり、動く唇からは、寢室いつぱいに、なんともつかぬざわめきが立ち昇つて、時々、その中で、子音の短く擦れる響きが聞き分けられる。[やぶちゃん注:「サン・マルクの寮」先行する「行きと歸り」 及び「ペン」の私の注を参照。]

 これが、低く鈍(にぶ)く、絕え間なく、はては、じれつたくなる。實際、この種の囁(ささや)きは、まるで鼠のように、姿は見せず、ただそこここで、せつせと沈默を齧(かじ)つてゐるのだとしか思えない。

 ヴイオロオヌは、古靴をひつかけ、一つ時寢臺の間をうろつき廻る。こつちでは一人の生徒の足をくすぐつてみたり、あつちでは、もう一人の生徒の頭巾(づきん)の總(ふさ)をひつぱつたりする。さうした揚句、マルソオのそばで立ち停るのである。この生徒とは、每晚、夜の更けるまで長つ話をし續けて、彼はそれこそ、みんなに模範を示すのだ。大抵の場合、生徒たちは、話をやめてしまつてゐる――口の上へ、毛布をだんだん引つかぶせて、順ぐりに呼吸がつまつたといふ風だ。そこで、みんな眠つてしまふのだが、その間、室長は、まだマルソオの寢臺の上へからだをこゞめ、肱をしつかり鐵の棒の上に支へ、前腕がしびれても氣がつかず、指の先までむづ痒くなつていても、それは一向平氣なのである。[やぶちゃん注:「呼吸」戦後版は『いき』とルビする。それを採る。本底本でも「二」で、そうルビするからである。「むづ痒く」戦後版は濁音で『がゆ』とルビする。それを採る。]

 彼は子供らしい物語に自ら興じ、ざつくばらんな打明け話や、所謂「心の想ひ出」といふやつで、相手の眼を冴え返らしてしまふ。やがて、相手の顏は、ほのかに、透き通るほど色づきはじめる。内側から照らされたやうだ。彼は、それが可愛くてたまらぬ。かうなるともう、皮膚ではない。髓のやうな組織だ。その後ろでは、透(すか)し紙をあてた地圖のやうに、ちよつとした雰圍氣の變化で、小靜脈がみるみるうちに縺れ合ふのである。マルソオは、それに、第一、なぜともわからず、不意に顏を赤らめるといふ魅惑的な手段をもつてゐて、それでまた、彼は、少女のやうに誰かれから好かれるわけなのだ。よく、仲間の一人が、片つ方の頰つぺたを指の先で押さへ、急にそれを放すと、そこへ白い跡が殘り、やがて、そいつが、見事な赤い色で覆はれる。それは、淸水の中へ葡萄酒をたらしたやうにぱつと擴がるのだが、その色合いは至極變化に富み、薔薇色の鼻先からライラツク色の耳に至るまで、徐々にぼかされて行くのである。誰でも、めいめいが、それをやつてみようと思へば、マルソオは機嫌よく實驗の需めに應じるのだ。人はそこで彼に「行燈(あんどん)」とか、「提燈」とか、「赤頰つぺ」とかいふ異名をつけた。が、この、自分勝手に顏色をほてらせ得るといふ性能に對して、彼を羨むものは寡(すくな)くなかつた。

 にんじんは、丁度、彼と寢臺を並べてゐたし、わけても、彼を妬ましく思つた。自分は、淋巴質の、ひよろひよろの、顏に粉(こな)をふいたピエロ――無駄とは知りながら、痛くなるほど、血の氣のない自分の皮膚を抓(つね)り上げた。そんなことをして、どうしようといふんだ! なに、それも每度のことではないが、ちよつぴり、怪しげな褐色の跡をつけるためにである。彼は、マルソオの朱色の頰を、いやといふほど引搔(ひつか)きむしり、蜜柑のやうに皮をひん剝(む)いてやりたいほどだ。[やぶちゃん注:「淋巴質」戦後版では、『りんぱしつ』とひらがなでルビする。それで採る。「褐色」戦後版では『ちゃいろ』とルビするが、通常、素直にはそう読まない。ここは「かつしよく」として読んでおく。]

 よほど前から、どうも氣になつてゐたので、彼は、その晚、ヴイオロオヌが來ると、ぢつと聽き耳を立てゝゐた。怪しいぞと思ふのは、恐らく無理ではあるまい。室長の胡散臭い素振から、ほんとのことを嗅ぎ出さうと思つたのだ。彼は、彼獨特の、あらゆる少年スパイ式術策をめぐらす。空鼾(からいびき)をかき、故さら寢返りを打ち、そつちへ丁度背中を向けてしまふやうにする。それから、魘(うな)されでもしたやうに、ひと聲、けたゝましい叫びを立てる。これで、室全體がびつくりして眼を覺まし、毛布といふ毛布は、激しく波形の運動を起こすのである。さて、ヴイオロオヌが向うへ行つてしまふと、彼は、鼻息荒く、上半身を寢臺から乘り出し、マルソオに向つて云ふ――[やぶちゃん注:「故さら」「ことさら」。]

 「あめちよこ! あめちよこ!」

 返事がない。にんじんは膝で起ち上つてマルソオの腕をつかむ。そして、力まかせにゆすぶりながら、

 「やい、あめちよこ!」

 あめちよこは、聞こえないらしい。にんじんは、躍起となり、またやり出す――

 「だらしがねえぞ! おれが見てなかつたと思ふのか! やい、こら、あいつにキスさせなかつたか! え、どうだ、それでも、てめえ、あいつのあめちよこぢやないのか!」

 彼は、人にからかはれた鷲鳥みたいに、首を前に突き出し、握り拳を寢臺の緣にあてゝ伸び上る。

 が今度は、返事があつた。

 「だから、それが、どうしたんだ」

 腰を浮かしたと思ふと、にんじんは、毛布を引つかぶつた。

 室長が、とつさの間に現はれて、その場へ舞ひ戾つてゐたのだ。

[やぶちゃん注:この後、底本では、「二」の開始を、左見開きページから始めているため、九行分に行空けがあるが、二行に留めた。以下も同じ処理をした。]

 

 

     二

 

 

 「さうだ」と、ヴイオロオヌはいつた――「そうだ、僕はお前にキスした。なあ、マルソオ、その通り云つたつていゝよ。お前はちつとも惡かないんだもの・・・。僕は、お前の額にキスしたんだ。それに、にんじんは、あの年で、もう邪氣滿々なもんだから、それが純粹な、淸淨潔白な接吻で、父親が子供にする接吻みたいなものだつてことがわからないんだ。僕は、お前を子供のやうに愛してるんだ。或は、弟のやうにつていふ方がよけりや、それでもいゝ。それがあいつにやわからないんだから、明日(あした)になつたら、そこいら中へ、なんのかんのつて云ひ觸らすがいゝさ、あのちびころの間拔野郞!」[やぶちゃん注:「淸淨潔白」戦後版は『しょうじょうけっぱく』(歴史的仮名遣では「しやうじやうけつぱく」)とルビする。それに従う。]

 この言葉を聞いて、にんじんは、まだヴイオロオヌの聲が幽かに耳へ響いて來るのに、急に眠つた振りをしはじめる。それでも、頭だけは持ちあげて、その先を聞かうとしてゐた。

 マルソオは、呼吸(いき)をするかしないかで、室長の言葉に聽き入つてゐる。それは、何處までも當り前だとは思ひながら、彼は、ある祕密の暴露を懼れるやうに、慄へてゐるからだ。ヴイオロオヌは、できるだけ小聲で續ける。何を言つてるのか、ほそぼそと、遙か遠くで、音綴の區切りもわからないくらゐだ。にんじんは、またそつちへ向き直るわけにも行かず、腰をずらしながら、目立たないやうにからだを寄せて行つたが、もうなんにも聞こえない。彼の注意力はいやが上にも搔き立てられ、耳がうつろになり、漏斗の口のやうに口を開くかと思はれた。が、それでも、音らしい音は、はいつてこないのである。[やぶちゃん注:「音綴」「おんてつ」とそのまま読んでおく。「二つ以上の単音が結合して生じた音声」を指す語である。フランス語ではしばしば起きる。但し、原文では、“syllabes”(所謂、「シラブル」(英語:syllable)であるから、単に「一纏まりの音」「発音の最小単位」であって、戦後版の『音節』に書き換えられてあるその方が、躓かない。「漏斗」「じやうご」或いは「ろうと」。戦後版では『じょうご』とルビするので、それを採る。「音らしい音」の「音」は「おと」でよい。]

 彼は、時たま部屋の戶口に立つて、中の樣子を窺つたことがある。片眼を錠前に押しつけ、出來ればこの孔をもつと擴げて、見たいものを鎹かなんかで手近へ引寄せられたらと思ふ、あの努力感がこれに似たものだつたことを覺えてゐる。それにしても、ヴイオロオヌは、どうせ同じ文句を繰り返してゐるにきまつてゐるのだ――[やぶちゃん注:「鎹」「かすがひ」。]

 「さうだ、僕の愛情は純の純なるものだ。それがつまり、このちびころの間拔け野郞にやわからないんだ!」

 さて、室長は、影の如く靜かに、マルソオの額の上へこゞんでこれにキスをし、ちよび髭の先をこすりつけ、それから、からだを起して、そこを立ち去る。寢臺の列の間をすべり拔けて行く間、にんじんはそいつを見送つてゐる。ヴイオロオヌの手がどうかして誰かの枕の端に觸れると、こいつは安眠妨害だ。その生徒は、大きく溜息をついて寢返りをうつのである。

 にんじんは、しばらく樣子を窺つてゐる。ヴイオロオヌがまた突然引返して來ないとも限らないからだ。既にもうマルソオは、寢床の中で縮こまつてゐる。毛布を眼までかぶり、その實、眠るどころではなく、どう考へていゝかわからないさつきの出來事を、それからそれへと想ひ浮かべてゐるのだ。あんなことはちつとも厭(いや)らしいことではない、だから、苦にするには及ばないと彼は思つた。それにしても、掛布團の下の暗闇の中に、ヴイオロオヌの面影がちらちらと浮かびあがる。それは今まで數々の夢の中で、彼をぽつとさせた、あの、女たちの面影のやうに優しいものだ。

 にんじんは待ち草臥れた。瞼が、磁氣を帶びたやうに、兩方から近づく。彼は、消えさうで消えない瓦斯の燈をぢつと見つめてゐようと思ふ。が、パツパツと音を立てク、火口(ひぐち)から出澁る小さな焰の明滅を、やつと三つ數へたきりで、彼は眠入つてしまふ。

 

 

    三

 

 

 翌朝、洗面所で、みんながタオルの隅をちよいと水に浸し、頰骨の上を、さも冷たさうに、輕く撫でゝゐる間に、にんじんは、意地の惡い眼附でマルソオの方を視てゐた。が、やがて、精いつぱい獰猛な調子で、一音一音を喰ひしばつた齒の間から吹き出すやうに、またぞろ、喰つてかゝる――

 「あめちよこ! あめちよこ!」

 マルソオの頰は朱色に染まる。が、彼は怒らずに、殆ど哀願せんばかりの眼つきで應へる――

 「だつて、そりや噓だつて云つてるぢやないか。君が勝手にさう思つてるんだ」

 室長が手の檢査をしにやつて來た。生徒たちは、二列に並んで、機械的に最初は手の甲、次に掌と、素早くひつくり返して見せるのである。それが濟むと、その兩手をなるべく溫いところへしまひ込む。ポケツトの中とか、或は、一番近くにある羽根布團のぬくもりの下とか。日頃、ヴイオロオヌは、手なんか見ないのが普通である。それが、今日に限つて、生憎、にんじんの手が綺麗でないと云ふ。もう一度水道で洗つて來るやうに――この注意が、にんじんの氣に入らない。なるほど、靑味がかつた汚點(しみ)のやうなものが目につく。しかし、彼は、それが凍傷(しもやけ)の始まりだと云ひ張つた。どうせ、睨(にら)まれてゐるんだ。[やぶちゃん注:「溫い」は戦後版に従い、「あたたかい」と訓じておく。]

 ヴイオロオヌは、彼を寮監先生のところへやらねばならぬ。

 寮監は、朝早くから起き、暗綠色の書齋で、歷史の講義を準備してゐる。これは自分の暇々に、上級組の生徒にしてやろうといふのだ。テーブル掛の上へ、太い指先を平たく押しつけて、主要なところへ標柱を樹てたつもりになる。――此處は羅馬帝國の沒落、眞ん中は土耳古軍の君府攻略、その先は、近代史、これが何處から始るかわからず、何處まで行つても終わらない代物だ。

 彼は、だぶだぶの部屋着を着てゐる。繡ひのはひつた飾り紐が頑丈な胸を取り卷き[やぶちゃん注:ここは行末で、底本の版組では、禁則処理が出来ない版組みであったと思われるので、読点がない。しかし、やはり読点があるべきところで、戦後版でも読点が打たれている。]圓柱の周りに綱を取りつけたやうだ。この男、ひと目見れば、物を食ひすぎるといふことがわかる。顏つきが、腫れぼつたく、何時も、やゝぎらぎらしてゐる。彼は怒鳴るやうに話をする。婦人に向つてさへもさうだ。頸筋の皺が、カラアの上で、緩やかに韻律正しく波を打つてゐる。彼はまた眼のくり玉の丸いことゝ、髭の濃いことが特徵である。

 にんじんは、彼の前へ突つ立つた。帽子を股ぐらに挾んでゐる。動作の自由を保つためである。

 恐ろしい聲で、寮監は訊ねた。

 「なんの用だ?」

 「先生、室長が、僕の手は穢いから、さう云ひに行けつて云つたんです。だけど、そんなことないんです」

 で、もう一度、俯仰天地に恥ぢずとばかり、にんじんは、兩手をひつくり返して見せた――初めは裏、次は表と、なほ念のため、彼は繰返した――初めに表、次に裏。

 「なに、そんなことはない?! 謹愼四日、わかつたか」

と、寮監は云つた。

 「先生、室長に、僕、にらまれてるんです」

 にんじんが云つた。

 「なに? にらまれてる! 八日だ、わかつたか」

 にんじんは、相手の人物を識つてゐた。こんな生優しいことでは、びくともしない。なんでも來いと覺悟をしてゐるからだ。彼は直立不動の姿勢を取り、兩膝をぎゆつと締め合わせ、橫面(よこづら)をぴしやりと來るぐらゐ庇(へ)とも思はず、いよいよ圖に乘つてきた。

 といふのは、この寮監先生、實は時折、手の甲のことで强情(すね)たりする生徒を、ぴしやり![やぶちゃん注:字空けなしはママ。]とやる罪のない癖があるのだ。そこで、來るなと思つたら、時を測つて、ぴよこりと蹲む。上手(うま)く行けば、寮監は、すかを喰つてよろける。みんながどつと吹き出す。ところが、先生は、もう一度やり直さうとはしない。自分の番に狡(ずる)い眞似をするのは、彼の威嚴に係はるからだ。この頰をと思つたら、一發で擊ち止めるか、さもなくば、手出しはしないことだ。[やぶちゃん注:「この寮監先生、實は時折、手の甲のことで强情(すね)たりする生徒を、ぴしやり!とやる罪のない癖があるのだ。」の「手の甲のことで强情(すね)たりする生徒を」の箇所は、小学生が読んでも明らかに訳としておかしいと判る。臨川書店『全集』の佃氏の訳では、『言うことを聞かない生徒をときおり逆手に張り倒すのが、院長先生の罪のない習癖なのだ。』となっており、全く躓かない。なお、「狡(ずる)い」のルビは、上の「に」に附されてある。誤植であるので訂した。]

 「先生・・・」と、にんじんは、ほんとに太々(ふてぶて)しく、昂然と云ひ放つた――「室長とマルソオとが、變なんです」

 すると寮監の眼は、不意に羽蟲でも飛び込んだやうに、しばしぱツとする。テーブルの端を兩方の拳で押へ、腰を浮かし、にんじんの胸へぶつからんばかりに、顏を突出し、そして、喉の奧から訊ねるのである――

 「どう變なんだ?」

 にんじんは、當てが外れたらしい。彼が待ち設けてゐたのは――尤も、その後はどうなるかわからないが――例へば、アンリ・マルタン著すところの歷史大全が、覘ひ過たず飛んで來ることだつた。ところが、これはまた、詳しい譯を聽かうといふのだ。[やぶちゃん注:「覘ひ過たず」「ねらひあやまたず」。]

 寮監は、待つてゐる。頸筋の皺がみんな集まつて、たゞ一つの圓座をつくり、皮で出來た太い環の上に、頭が斜(はす)かひに載(の)つてゐるのだ。

 にんじんは躊(ためら)つてゐる。うまい言葉が見つかりさうもないとわかるまでの間である。すると、急に悄氣(しよげ)た顏をし、背中をまるめ、見るからにぎごちなく、照れ臭さうに、彼は膝の間へ手をやり、ぺしやんこになつた帽子を拔き出す。だんだん前こゞみになる。肩をすぼめる。それから、その帽子をそつと頤のあたりまで持ち上げ[やぶちゃん注:ここも前と同じく行末で、読点があるべきところである。戦後版では読点がある。]それからまたゆつくり、さりげなく、精一杯神妙に、綿のはいつた帽子の裏へ、默つて、その猿面(さるづら)を埋めてしまふ。

 

 

    四

 

 

 その日、簡單に取調べがあつて、ヴイオロオヌは暇を出された。出て行く時は悲痛だつた。まづ儀式といふところだ。

 「また還(かえ)つて來るよ。ちつと休むだけだ」

 ヴイオロオヌはさう云つた。

 しかし、誰にもさうとは信じられなかつた。寮では、よく職員の入れ替へをやる。まるで、黴が生えるとでも思つてるやうだ。今度も多分、室長の更迭といふわけだらう。彼が出て行くのは、他のものが出て行つた、あれと變りはない。たゞ、好いのほど、早く出て行く。殆んど全體が、彼を愛してゐた。ノートの表題を書く技術では、彼に匹敵するものはないと認めてゐた。例へば、ギリシャ語の練習帳の表紙に「Cahiers d'exercices grecs appartenant à・・・」と、書くのだが、頭文字は看板の字のやうに恰好が取れてゐた。どの椅子も空つぽになる。彼の机の前に、みんなが圓陣を作る。指環の綠の石が光つてゐる彼の美しい手が、しなやかに紙の上を往き來する。頁の下に、卽興的な署名をする。その署名たるや、水に石を投げ込んだやうに、正確で、然も氣紛れな線の、波と渦だ。そして、それが、ちやんと花押(かきはん)になり、小さな傑作なのだ。花押の尻尾(しつぽ)はくねりくねつて花押そのものゝ中へ沒し去つてゐる。そいつを見つけ出すのには、極くそばで眺め、よくよく探さなければならぬ。云ふまでもなく、全體はひと筆の續け書きだ。ある時の如き、彼は「天井の中心飾り」と稱する線のこんぐらかりを見事に描いてみせた。小さい連中は、感嘆これを久しうした。[やぶちゃん注:「Cahiers d'exercices grecs appartenant à・・・」フランス語で「・・・」(そこに人名が入る)「の所有に係るギリシャ語練習帳」の意。但し、「・・・」部分は原文ではフランス語なので、“Points de suspension”俗に言う「トロン・ポワン」、“...”である。「描いて」戦後版では「描」に『か』とルビする。それを採る。]

 彼が暇を出されたといふので、この連中は、ひどく悲しがつた。

 彼等は、最初の機會に、寮監をとつちめなけりやならんと相談を決めた。つまり頰を膨らし、唇で山蜂の飛ぶ音を眞似、かくて不滿の意を表はすといふ次第だ。そのうちに、きつとやらずにはゐないだらう。

 さしあたり、彼等は、悲しみを分ち合つた。ヴイオロオヌは、自分が慕はれてゐるのを知り、休みの時間に發(た)つといふ思はせぶりをやつたものだ。彼の姿が運動場に現はれる。小使が鞄を擔いで後から從(つ)いて來る。さあ、小さい連中は、悉く、駈けつけた。彼は、一人一人手を握り、顏を撫でる。そして、取圍まれ、押しのめされ、微笑みながら、感動しつゝ、自分のフロツクの襞(ひだ)を、破れない程度に引き寄せる努力をしてゐた。鐵棒にぶらさがつてゐたものは、でんぐり返しを中途で止め、それから、口を開けたまゝ、額に汗をかき、シヤツの袖をまくり上げ、粘土(ねばつち)のついた指を擴げたまゝ、地べたへ飛び降りる。もつとおとなしいものは、運動場の中を千篇一律に廻つてゐたが、これは、「左樣なら」のしるしに手を振つてみせる。小使は、鞄の下で背中を曲げ、距りを保つために止つてゐる。ところが、それをいゝことに、一番小さいのが、濡れた砂の中へ突つ込んだ五本の指を、その小使の白い前掛へべつたりと押しつける。マルソオの頰は、繪に描いたやうに薔薇色に染まつた。彼は、生まれてはじめて、眞劍な心の苦しみを味はつた。が、しかし、室長に對して、幾分、「從妹(いとこ)」のやうな氣持で名殘を惜しんでゐることは、なんとしても自分にわかり、それが、また空恐ろしく、彼は、ずつと離れて、不安げに、殆ど顏もあげ得ずに立つてゐる。ヴイオロオヌは、なんのこだわりもなく、彼の方へ進んで行つた。丁度その時、硝子が何處かで、木ツ葉微塵[やぶちゃん注:ママ。「木端微塵」が正しい。]に破(わ)れる音がした。

 みんなの視線が、鐵格子のはまつた、謹愼室の小さな窓の方へ昇つて行つた。不細工な、野蠻なにんじんの顏がのぞいてゐる。彼は顰(しか)めツ面をしてみせた。眼が髮の毛の間から見え、白い齒を殘らず剝(む)き出し、檻の中の蒼ざめた小惡獸そのまゝだ。彼は、右手を、喰ひ込むやうな硝子の割(わ)れ目へ威勢よく突つ込み、そして、その血みどろな拳固でヴイオロオヌを威嚇した。

 「ちびころの間拔(まぬ)け野郞(やろう)! これで氣がすんだか!」[やぶちゃん注:戦後版では、この前に独立一行で、『ヴィオロオヌはそれに応(こた)えた――』の一文が入っている。うん! これは、やっぱりほしいな!]

 「へん!」と、にんじんは、叫ぶがいなや、もう一枚の硝子を陽氣にぶち毀し――「なんだつて、そいつにキスするんだい。どうして俺にしないんだ、え?」

 それから、彼は、切れた手から流れる血を、顏いちめんに塗りたくり、かう附け加へた――

 「おれだつて、赤い頰(ほ)つぺたになれるんだ、いざつて云や・・・」

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。本章も私の大好きな(しかし――相応の痛みを伴って――でもある。特にエンディングの鬼のような「にんじん」のガラスを素手で割るシークエンスは思わず、手が震える。私はその映像を確かに見たデジャ・ヴユがあり、若い頃、実際に、酔ってそれをやって、血だらけになった経験があるのである)章である。が、一つ、気になるのが、この室長ヴィオロンヌの年齡である。髭を生やしてゐる点、ヴァロトンの插絵からは、相応な年齡が考えられるのであるが、二十代後半か、三十代か? 当時の私塾のこのやうな職員は幾つぐらいだったのだろう? 識者の御教授を願いたいものである。本邦の戦前の大学寮等の寮監や寮長は、えらい爺さんが多かったが……。

「ライラツク色」:ライラックはヨーロツパ原産の双子葉植物綱モクセイ目モクセイ科ハシドイ属ムラサキハシドイSyringa vulgaris 。春、芳香のある鮮やかな紫色・薄紫色・白色の花を咲かす。ここでは薄い紫色を言う。

「淋巴質」原文“lymphatique”。体質や気質が「リンパ質の」といふ意味で、不活発・無気力・遅鈍な傾向の人格を古典的精神医学でかく言った。嘗つては、こういった性情は、体内のリンパ液が過剰状態にあるため、と考えられていたことに拠る。

「あめちよこ」原文は“Pistolet”。これは「拳銃」であるが、俗語で「変な奴」の意があり、ピストルと相俟って、隠微な意味をも含むようだ。訳のそれは、本来は「小粒の飴玉」のことだが、ここでは明らかに、「舐めさせる」で、男性の同性愛行為の相手役(受け手)を卑しんで言つた語である。

「俯仰天地に恥じず」「孟子」の「盡心 上」にある「仰不愧於天、俯怍不於人、二樂也。」(仰(あふ)ぎて天に愧ぢず、俯(ふ)して人に怍(は)ぢざるは、二つの樂しみなり。)に基づく故事成句。反省してみても、自分の心や行動に、少しもやましい点がないことを言う成句である。

「土耳古軍の君府攻略」一四五三年のオスマン・トルコによる「コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)占領」を指す。

「花押(かきはん)」原文は“paraphe”。これは“parafe”と同義で、辞書では、「①署名の終わりの飾り書きや余筆」、「②簡略化した署名・書判(かきはん)」を意味するが、ここでは書いているヴィオロオヌ自身の「署名」のことを言つている。

「アンリ・マルタン」(Henri Martin 一八〇三年~一八八三年)はフランスの歷史家。畢生の大作「フランス史」(“ Histoire de France)三部作十九巻の作者として知られる。

「天井の中心飾り」原文では“cul-de-lampe”。これは「①建築學用語では迫持(せりもち)受け飾り」、「②印刷用語では章末・卷末等のカツト」を言う。岸田氏及び昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清氏訳の「にんじん」では、前者の意味でとり、一九九五年臨川書店刊の佃裕文氏の『ジュール・ルナール全集』第三巻では後者の意味で『彼は飾り文様(キュルドランプ)と呼ばれる、書物の各章末に入れられる線の複雑に絡み合った装飾』と訳されておられる。印象としては佃氏の訳に軍配が上がるように思う。

「山蜂」原文は“bourdons”。本邦で「山蜂(ヤマバチ)」といふとニホンミツバチのことを指すが、フランス語でも、ハチ目ハチ亜目ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属Apis(セイヨウミツバチ Apis mellifera等の多種を含む)の♂の意味があるが、ここではミツバチ科マルハナバチ亜科のマルハナバチ属 Bombus の仲間を指していると思われる。確認したところ、年臨川書店全集の佃氏訳でも『マルハナ蜂』と訳されてある。

「粘土(ねばつち)」原文は“colophane”。これは「コルフォニウム脂(し)」、「滑り止めの松脂(まつやに)」のことである。

「從妹(いとこ)のやうな氣持」この「從妹」の部分の原文は“petite cousine”で、普通に考えれば、「從弟」「可愛い從弟」と譯してよいところである(なお、原作は鉤括弧に当たるやうなクォーテーション・マークはない)。前掲の倉田清氏の訳では傍点付きで『いとこ』(しかし、この傍点は意味深長に特に強調するといふ意味よりも、前後がひらがな続きで読みにくいので、単に読み易さを考えた配慮であろう)、佃氏の訳では、極めて直截的に『恋人』と訳してゐる。想像するに、フランス語のニュアンスとしては同性愛の揶揄として佃氏の意味でとる人が多いのであろうが、岸田氏が「從弟」とせずに「從妹」として、かぎ括弧を付した絕妙な優しさを味わいたい。

 なお、原文の各章の間は、一行空けに留めた。]

 

 

 

 

    Les Joues rouges

 

     I

 

   Son inspection habituelle terminée, M. le Directeur de l’Institution Saint-Marc quitte le dortoir. Chaque élève s’est glissé dans ses draps, comme dans un étui, en se faisant tout petit, afin de ne pas se déborder. Le maître d’étude, Violone, d’un tour de tête, s’assure que tout le monde est couché, et, se haussant sur la pointe du pied, doucement baisse le gaz. Aussitôt, entre voisins, le caquetage commence. De chevet à chevet, les chuchotements se croisent, et des lèvres en mouvement monte, par tout le dortoir, un bruissement confus, où, de temps en temps, se distingue le sifflement bref d’une consonne.

   C’est sourd, continu, agaçant à la fin, et il semble vraiment que tous ces babils, invisibles et remuants comme des souris, s’occupent à grignoter du silence.

   Violone met des savates, se promène quelque temps entre les lits, chatouillant çà le pied d’un élève, là tirant le pompon du bonnet d’un autre, et s’arrête près de Marseau, avec lequel il donne, tous les soirs, l’exemple des longues causeries prolongées bien avant dans la nuit. Le plus souvent, les élèves ont cessé leur conversation, par degrés étouffée, comme s’ils avaient peu à peu tiré leur drap sur leur bouche, et dorment, que le maître d’étude est encore penché sur le lit de Marseau, les coudes durement appuyés sur le fer, insensible à la paralysie de ses avant-bras et au remue-ménage des fourmis courant à fleur de peau jusqu’au bout de ses doigts.

   Il s’amuse de ses récits enfantins, et le tient éveillé par d’intimes confidences et des histoires de coeur. Tout de suite, il l’a chéri pour la tendre et transparente enluminure de son visage, qui paraît éclairé en dedans. Ce n’est plus une peau, mais une pulpe, derrière laquelle, à la moindre variation atmosphérique, s’enchevêtrent visiblement les veinules, comme les lignes d’une carte d’atlas sous une feuille de papier à décalquer. Marseau a d’ailleurs une manière séduisante de rougir sans savoir pourquoi et à l’improviste, qui le fait aimer comme une fille. Souvent, un camarade pèse du bout du doigt sur l’une de ses joues et se retire avec brusquerie, laissant une tache blanche, bientôt recouverte d’une belle coloration rouge, qui s’étend avec rapidité, comme du vin dans de l’eau pure, se varie richement et se nuance depuis le bout du nez rose jusqu’aux oreilles lilas. Chacun peut opérer soi-même, Marseau se prête complaisamment aux expériences. On l’a surnommé Veilleuse, Lanterne, Joue Rouge. Cette faculté de s’embraser à volonté lui fait bien des envieux.

   Poil de Carotte, son voisin de lit, le jalouse entre tous. Pierrot lymphatique et grêle, au visage farineux, il pince vainement, à se faire mal, son épiderme exsangue, pour y amener quoi ! et encore pas toujours, quelque point d’un roux douteux. Il zébrerait volontiers, haineusement, à coups d’ongles et écorcerait comme des oranges les joues vermillonnées de Marseau.

   Depuis longtemps très intrigué, il se tient aux écoutes ce soir-là, dès la venue de Violone, soupçonneux avec raison peut-être, et désireux de savoir la vérité sur les allures cachottières du maître d’étude. Il met en jeu toute son habileté de petit espion, simule un ronflement pour rire, change avec affectation de côté, en ayant soin de faire le tour complet, pousse un cri perçant comme s’il avait le cauchemar, ce qui réveille en peur le dortoir et imprime un fort mouvement de houle à tous les draps ; puis, dès que Violone s’est éloigné, il dit à Marseau, le torse hors du lit, le souffle ardent :

   Pistolet ! Pistolet !

   On ne lui répond rien. Poil de Carotte se met sur les genoux, saisit le bras de Marseau, et, le secouant avec force :

   Entends-tu ? Pistolet !

   Pistolet ne semble pas entendre ; Poil de Carotte exaspéré reprend :

   C’est du propre !… Tu crois que je ne vous ai pas vus. Dis voir un peu qu’il ne t’a pas embrassé ! dis-le voir un peu que tu n’es pas son Pistolet.

   Il se dresse, le col tendu, pareil à un jars blanc qu’on agace, les poings fermés au bord du lit.

   Mais cette fois, on lui répond :

   Eh bien ! après ?

   D’un seul coup de reins, Poil de Carotte rentre dans ses draps.

   C’est le maître d’étude qui revient en scène, apparu soudainement !

 

     II

 

   Oui, dit Violone, je t’ai embrassé, Marseau ; tu peux l’avouer, car tu n’as fait aucun mal. Je t’ai embrassé sur le front, mais Poil de Carotte ne peut pas comprendre, déjà trop dépravé pour son âge, que c’est là un baiser pur et chaste, un baiser de père à enfant, et que je t’aime comme un fils, ou si tu veux comme un frère, et demain il ira répéter partout je ne sais quoi, le petit imbécile !

   À ces mots, tandis que la voix de Violone vibre sourdement, Poil de Carotte feint de dormir. Toutefois, il soulève sa tête pour entendre encore.

   Marseau écoute le maître d’étude, le souffle ténu, ténu, car tout en trouvant ses paroles très naturelles, il tremble comme s’il redoutait la révélation de quelque mystère. Violone continue, le plus bas qu’il peut. Ce sont des mots inarticulés, lointains, des syllabes à peine localisées. Poil de Carotte qui, sans oser se retourner, se rapproche insensiblement, au moyen de légères oscillations de hanches, n’entend plus rien. Son attention est à ce point surexcitée que ses oreilles lui semblent matériellement se creuser et s’évaser en entonnoir ; mais aucun son n’y tombe.

   Il se rappelle avoir éprouvé parfois une sensation d’effort pareille en écoutant aux portes, en collant son oeil à la serrure, avec le désir d’agrandir le trou et d’attirer à lui, comme avec un crampon, ce qu’il voulait voir. Cependant, il le parierait, Violone répète encore :

   Oui, mon affection est pure, pure, et c’est ce que ce petit imbécile ne comprend pas !

   Enfin le maître d’étude se penche avec la douceur d’une ombre sur le front de Marseau, l’embrasse, le caresse de sa barbiche comme d’un pinceau, puis se redresse pour s’en aller, et Poil de Carotte le suit des yeux, glissant entre les rangées de lits. Quand la main de Violone frôle un traversin, le dormeur dérangé change de côté avec un fort soupir.

   Poil de Carotte guette longtemps. Il craint un nouveau retour brusque de Violone. Déjà Marseau fait la boule dans son lit, la couverture sur ses yeux, bien éveillé d’ailleurs, et tout au souvenir de l’aventure dont il ne sait que penser. Il n’y voit rien de vilain qui puisse le tourmenter, et cependant, dans la nuit des draps, l’image de Violone flotte lumineusement, douce comme ces images de femmes qui l’ont échauffé en plus d’un rêve.

   Poil de Carotte se lasse d’attendre. Ses paupières, comme aimantées, se rapprochent. Il s’impose de fixer le gaz, presque éteint ; mais, après avoir compté trois éclosions de petites bulles crépitantes et pressées de sortir du bec, il s’endort.

 

     III

 

   Le lendemain matin, au lavabo, tandis que les cornes des serviettes, trempées dans un peu d’eau froide, frottent légèrement les pommettes frileuses, Poil de Carotte regarde méchamment Marseau, et, s’efforçant d’être bien féroce, il l’insulte de nouveau, les dents serrées sur les syllabes sifflantes.

   Pistolet ! Pistolet !

   Les joues de Marseau deviennent pourpres, mais il répond sans colère, et le regard presque suppliant :

   Puisque je te dis que ce n’est pas vrai, ce que tu crois !

   Le maître d’étude passe la visite des mains. Les élèves, sur deux rangs, offrent machinalement d’abord le dos, puis la paume de leurs mains, en les retournant avec rapidité, et les remettent aussitôt bien au chaud, dans les poches ou sous la tiédeur de l’édredon le plus proche. D’ordinaire, Violone s’abstient de les regarder. Cette fois, mal à propos, il trouve que celles de Poil de Carotte ne sont pas nettes. Poil de Carotte, prié de les repasser sous le robinet, se révolte. On peut, à vrai dire, y remarquer une tache bleuâtre, mais il soutient que c’est un commencement d’engelure. On lui en veut, sûrement.

   Violone doit le faire conduire chez M. le Directeur.

   Celui-ci, matinal, prépare, dans son cabinet vieux vert, un cours d’histoire qu’il fait aux grands, à ses moments perdus. Écrasant sur le tapis de sa table le bout de ses doigts épais, il pose les principaux jalons : ici la chute de l’empire romain ; au milieu, la prise de Constantinople par les Turcs ; plus loin l’Histoire moderne, qui commence on ne sait où et n’en finit plus.

   Il a une ample robe de chambre dont les galons brodés cerclent sa poitrine puissante, pareils à des cordages autour d’une colonne. Il mange visiblement trop, cet homme ; ses traits sont gros et toujours un peu luisants. Il parle fortement, même aux dames, et les plis de son cou ondulent sur le col d’une manière lente et rythmique. Il est encore remarquable pour la rondeur de ses yeux et l’épaisseur de ses moustaches.

   Poil de Carotte se tient debout devant lui, sa casquette entre les jambes, afin de garder toute sa liberté d’action.

   D’une voix terrible, le Directeur demande :

   Qu’est-ce que c’est ?

   Monsieur, c’est le maître d’étude qui m’envoie vous dire que j’ai les mains sales, mais c’est pas vrai !

   Et de nouveau, consciencieusement, Poil de Carotte montre ses mains en les retournant : d’abord le dos, ensuite la paume. Il fait la preuve : d’abord la paume, ensuite le dos.

   Ah ! c’est pas vrai, dit le Directeur, quatre jours de séquestre, mon petit !

   Monsieur, dit Poil de Carotte, le maître d’étude, il m’en veut !

   Ah ! il t’en veut ! huit jours, mon petit !

   Poil de Carotte connaît son homme. Une telle douceur ne le surprend point. Il est bien décidé à tout affronter. Il prend une pose raide, serre ses jambes et s’enhardit, au mépris d’une gifle.

Car c’est, chez Monsieur le Directeur, une innocente manie d’abattre, de temps en temps, un élève récalcitrant du revers de la main : vlan ! L’habileté pour l’élève visé consiste à prévoir le coup et à se baisser, et le directeur se déséquilibre, au rire étouffé de tous. Mais il ne recommence pas, sa dignité l’empêchant d’user de ruse à son tour. Il devait arriver droit sur la joue choisie, ou alors ne se mêler de rien.

   Monsieur, dit Poil de Carotte réellement audacieux et fier, le maître d’étude et Marseau, ils font des choses !

   Aussitôt les yeux du Directeur se troublent comme si deux moucherons s’y étaient précipités soudain. Il appuie ses deux poings fermés au bord de la table, se lève à demi, la tête en avant, comme s’il allait cogner Poil de Carotte en pleine poitrine, et demande par sons gutturaux :

   Quelles choses ?

   Poil de Carotte semble pris au dépourvu. Il espérait (peut-être que ce n’est que différé) l’envoi d’un tome massif de M. Henri Martin, par exemple, lancé d’une main adroite, et voilà qu’on lui demande des détails.

   Le Directeur attend. Tous ses plis du cou se joignent pour ne former qu’un bourrelet unique, un épais rond de cuir, où siège, de guingois, sa tête.

   Poil de Carotte hésite, le temps de se convaincre que les mots ne lui viennent pas, puis, la mine tout à coup confuse, le dos rond, l’attitude apparemment gauche et penaude, il va chercher sa casquette entre ses jambes, l’en retire aplatie, se courbe de plus en plus, se ratatine, et l’élève doucement, à hauteur de menton, et lentement, sournoisement, avec des précautions pudiques, il enfouit sa tête simiesque dans la doublure ouatée, sans dire un mot.

 

     IV

 

   Le même jour, à la suite d’une courte enquête, Violone reçoit son congé ! C’est un touchant départ, presque une cérémonie.

   Je reviendrai, dit Violone, c’est une absence.

   Mais il n’en fait accroire à personne. L’Institution renouvelle son personnel, comme si elle craignait pour lui la moisissure. C’est un va-et-vient de maîtres d’étude. Celui-ci part comme les autres, et meilleur, il part plus vite. Presque tous l’aiment. On ne lui connaît pas d’égal dans l’art d’écrire des en-têtes pour cahiers, tels que : Cahiers d’exercices grecs appartenant à… Les majuscules sont moulées comme des lettres d’enseigne. Les bancs se vident. On fait cercle autour de son bureau. Sa belle main, où brille la pierre verte d’une bague, se promène élégamment sur le papier. Au bas de la page, il improvise une signature. Elle tombe, comme une pierre dans l’eau, dans une ondulation et un remous de lignes à la fois régulières et capricieuses, qui forment le paraphe, un petit chef-d’oeuvre. La queue du paraphe s’égare, se perd dans le paraphe lui-même. Il faut regarder de très près, chercher longtemps pour la retrouver. Inutile de dire que le tout est fait d’un seul trait de plume. Une fois, il a réussi un enchevêtrement de lignes nommé cul-de-lampe. Longuement, les petits s’émerveillèrent.

   Son renvoi les chagrine fort.

   Ils conviennent qu’ils devront bourdonner le Directeur à la première occasion, c’est-à-dire enfler les joues et imiter avec les lèvres le vol des bourdons pour marquer leur mécontentement. Quelque jour, ils n’y manqueront pas.

   En attendant, ils s’attristent les uns les autres. Violone, qui se sent regretté, a la coquetterie de partir pendant une récréation. Quand il paraît dans la cour, suivi d’un garçon qui porte sa malle, tous les petits s’élancent. Il serre des mains, tapote des visages, et s’efforce d’arracher les pans de sa redingote sans les déchirer, cerné, envahi et souriant, ému. Les uns, suspendus à la barre fixe, s’arrêtent au milieu d’un renversement et sautent à terre, la bouche ouverte, le front en sueur, leurs manches de chemise retroussées et les doigts écartés à cause de la colophane. D’autres, plus calmes, qui tournaient monotonement dans la cour, agitent les mains, en signe d’adieu. Le garçon, courbé sous la malle, s’est arrêté afin de conserver ses distances, ce dont profite un tout petit pour plaquer sur son tablier blanc ses cinq doigts trempés dans du sable mouillé. Les joues de Marseau se sont rosées à paraître peintes. Il éprouve sa première peine de coeur sérieuse ; mais troublé et contraint de s’avouer qu’il regrette le maître d’étude un peu comme une petite cousine, il se tient à l’écart, inquiet, presque honteux. Sans embarras, Violone se dirige vers lui, quand on entend un fracas de carreaux.

   Tous les regards montent vers la petite fenêtre grillée du séquestre. La vilaine et sauvage tête de Poil de Carotte paraît. Il grimace, blême petite bête mauvaise en cage, les cheveux dans les yeux et ses dents blanches toutes à l’air. Il passe sa main droite entre les débris de la vitre qui le mord, comme animée, et il menace Violone de son poing saignant.

   Petit imbécile ! dit le maître d’étude, te voilà content !

   Dame ! crie Poil de Carotte, tandis qu’avec entrain, il casse d’un second coup de poing un autre carreau, pourquoi que vous l’embrassiez et que vous ne m’embrassiez pas, moi ?

   Et il ajoute, se barbouillant la figure avec le sang qui coule de sa main coupée :

   Moi aussi, j’ai des joues rouges, quand j’en veux!

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸盲人に化す」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸盲人に化す【たぬきもうじんにけす】 〔中陵漫録巻七〕狸は狐の災を為すより甚だし。四国に狐なうして狸の害多し。備中の松山の近辺に老狸あり。月夜に見れば人に異る事なし。その言語もまた人に同じ。種々戯言《ざれごと》を為す。人、鳥銃《てつぱう》を以て打たんとすれば、直に化して見えず。この狸、盲人になつて手引に手を引かれ、毎月両三度づつ作州に至る。或時白日、犬出《いで》て此盲人及び手引共に咬み殺す。人皆驚き奔走す。一二刻を過ぎて大なる狸となる。これにて始めて知る、備中の狸なる事を。また予州某村の女、狸と通じ遂に孕《はらみ》す。一産に狸六を生ずと云ふ。此《かく》の如く狸の害多し。

[やぶちゃん注:「中陵漫録」「会津の老猿」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで(『日本隨筆大成』第三期第二巻昭和四(一九二九)年刊)当該部が正字で視認出来る。標題は『○狸 談』。但し、後の部分がカットされている。後文は、普通の狸、『脊黑足黑』であるが、そうでない、『少し』『小にして臭氣ある』『夜鳴くと云』ふ『狸と同穴す』る一種を記し(ニホアナグマであろう。但し、同居はしない)、また、『白貍』を掲げ、『甚だ見事なる者あり』として、知人の舜水に見せたところ、『是狸あらず。乃』(すなはち)『狐の一種なりと云ふ』とあり、以下、長々と「本草綱目」を引いて、そこに出る『風貍』は『雷獸たる事明なり』と結ぶ。見られたい。電子化する気は、今の私にはないが、この『風貍』というのは、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 風貍(かぜたぬき) (モデル動物:ヒヨケザル)」で考証してあるので、興味のある方は、参照されるとよい。

「四国に狐なうして」かなり古くから、四国には狐は棲息しないとされてきたが(これは妖獣としての狐は、四国の強力な憑き物である「犬神」との関係で勢力が拮抗するために「いない」とされてきた民俗社会的な伝承による可能性が高いようにも私には思われる)、少なくとも、現在は個体数は少なく、ある程度まで限定された一帯にではあるが、四国にキツネ(=ホンドギツネ)は棲息している私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 狐(きつね) (キツネ)」の私の「四國【伊豫・土佐・阿波・讃岐。】には之れ無きのみ」に対する注を参照されたい。捕獲個体の画像へのリンクもある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸火」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸火【たぬきび】 〔諸国里人談巻三〕摂津国川辺郡東多田村<兵庫県川西市内か>の鱣畷(うなぎなはて)に燐(おにび)あり。此火、人の容《かたち》をあらはし、ある時は牛を牽《ひき》て火を携へ行くなり。これをしらぬ人、その火を乞ひて煙草をのみて相語るに、尋常のごとし。曾て害をなさず。おほくは雨夜《あめのよる》に出《いづ》るなり。所の人は狸火なりと云ふ。<『摂陽落穂集巻四』に同様の文章がある>

[やぶちゃん注:私の「諸國里人談卷之三 狸火」を見られたい。「摂津国川辺郡東多田村」の現在地も、そちらで示してある。

「摂陽落穂集」文化文政年間に作家・浮世絵師として活躍した浜松歌国(安永五(一七七六)年~文政一〇(一八二七)年)の著とされる、大坂の地誌・歴史、当時の行政などが随筆風に書かれたもの。全十巻。国立国会図書館デジタルコレクションの『新燕石十種』第五 (大正二(一九一三)国書刊行会刊)のこちらで、正規表現で視認出来る。標題は『○狸の火の事』。後文があるので、この際、以下に全文を電子化しておく。

   *

   ○狸の火の事

川邊郡東多田村のうなぎ畷に狸火と云燐あり、此火人の容をあらはし、或時は牛を牽て火を攜へ行さまをなせり。是を誠の人間と心得て、其火を乞てたばこを吞、はなしなどして行に、尋常の人に替る事なし、かつて害をなす事なく、雨夜にじゃ折々出るとぞ、世人是を狸火といへり、其外に二階堂村の二恨坊火、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]別府村の虎の宮の火などゝ、所々にまゝ出るものなり、あやしみてあやしむ足らず、[やぶちゃん注:この書、全文に亙って読点のみで、句点は、ない。]

   *

ここに出る、「二恨坊火」も「諸國里人談卷之三 二恨坊火」で出る。そこにリンクさせたが、これは『柴田宵曲 妖異博物館 「怪火」』と、この伝承を強烈にインスパイアした「宿直草卷五 第三 仁光坊と云ふ火の事」も注しているので、見られたい。後の「虎の宮の火」も「諸國里人談卷之三 虎宮火」をどうぞ。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「ペン」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Pen

 

     ペ  ン

 

 

 ルピツク氏が、兄貴のフエリツクスと弟のにんじんとを入れたサン・マルク寮といふのは、そこから、中學校へ通つて、課業だけを受けに行くことになつてゐる。で、每日四度、寮生たちは同じ道を往き歸りするわけである。時候が好ければ、頗るせいせいするし、また、雨降りでも、極く近くなのだから、濡れても大したことはなく、却つてからだのほてりを冷ますぐらゐのもので、その點、この往復は寮生にとつて、一年を通じての健康法なのである。

 今日もお晝に、彼等は、足を引摺り、羊の群れのやうにぞろぞろ中學校から歸つて來る。にんじんは、首を垂れて步いてゐた。

 「おい、にんじん、お前の親爺がゐるじやないか、見ろよ」

 誰かゞさうい云つた。

 ルピツク氏は、かういふ風にして、息子たちに不意打ちを喰はすのが好きである。手紙も寄越さずにおいて、やつて來る。で、だしぬけに、街の角で向ひ側の步道の上に突つ立ち、兩手を後ろに組み、卷煙草を口にくわえてゐる彼の姿を見つけ出すのである。

 にんじんと兄貴のフエリツクスは、列から離れ、父親のほうへ駈け出して行く。

 「やつぱりさうだ!」と、にんじんはいふ――「僕、誰かと思つた・・・。だつて、父さんのことなんか、ちつとも考へてなかつたんだもの」

 「お前は、わしの顏を見なきや、わしのことは考へんのだ」

と、ルピツク氏は云ふ。

 にんじんは、そこで、なんとか愛情を籠めた返事をしたいと思つた。が、何ひとつ頭に浮ばない。それほど、一方に氣を取られてゐる。彼は、爪先で伸び上り、父親に接吻しようと、一所懸命なのだ。最初一度、唇の先が髭に觸つた。ところが、ルピツク氏は、逃げるやうに、つんと頭を持ち上げてしまつたのである。それからもう一度、前へ屈みかけて、また後退りをした。にんじんは、その頰つぺたをと思つたのだが、それも、駄目だつた。鼻の頭をやつとかすつたぐらゐだ。彼は、空間に接吻をした。それ以上やらうとはしない。彼は、もう、氣持がこぢれ、一體なぜこんな待遇を受けるのか、そのわけを知りたいと思つた。[やぶちゃん注:「屈み」の「屈」には戦後版では、『こご』とルビがある。それを採る。]

 ――おやぢは、もうおれを愛してはゐないのかしら。と、心の中で呟いた――おやぢは、兄貴のフエリツクスにはちやんと接吻をした。後退りなんかしないで、するまゝにさせてゐた。どういふ譯で、このおれを避けるのだ。おれを僻ませようつていふのか。大體普段から、さういふところが見える。おれは三月も兩親のそばを離れてゐると、もう會ひたくつてしようがない[やぶちゃん注:ママ。]んだ。こんど會つたら仔犬のやうに首つ玉へ飛びついてやらうと、さう何時も思つてゐる。愛撫(あいぶ)と愛撫の貪り合ひだ。ところが、いよいよ會つてみる。先生たちは、きつとおれの氣持を腐らしちまふんだ。[やぶちゃん注:「先生たち」はママ。原文は“les voici”で、ここは「彼等」或いは「あの人たち」又は「兩親」「親たち」と訳すべきところである。前回から新しい「にんじん」の環境として寄宿学校が描かれており、読者は「先生」と書かれると、思わず、そちらの本当の教師を指すかのように思ってしまうから、甚だ、よくない。

 頭が、この悲しい考へでいつぱいになる。すると、にんじんは希臘語がちつとは進むかといふルピツク氏の問ひに對して、うまい返事ができないのである。

 

にんじん――それも科目によるさ。譯の方は作文より樂だよ。だつて、譯の方は想像で行くもの。

ルピツク氏――そんなら、獨逸語は?

にんじん――こいつは、發音がとても六ケ敷しいや。[やぶちゃん注:「六ケ敷しい」はママ。「し」は衍字。]

ルピツク氏――こね野郞! それぢやお前、戰爭が始つて、普魯西人に勝てるかい、奴さんたちの言葉も話せないで・・・。[やぶちゃん注:「普魯西」プロシア。ここでは旧ドイツ帝国を指す。北東ヨーロッパの歴史的地名で、ドイツ語では「プロイセン」と呼ばれる。元来、バルト海沿岸に居住したスラヴ系のプロイセン人より、その名が生じたが、十三世紀、ドイツ騎士団が、この地を征服し、ドイツ人の国を建てた。十六世紀、ホーエンツォレルン家の騎士団長がプロテスタントに改宗してプロイセン公国を始めた。十七世紀、同じくホーエンツォレルン家のブランデンブルク選帝侯国と同君連合で結びついてブランデンブルク‐プロイセンとなったが、一七〇一年、プロイセン公国が王国に昇格したため、ブランデンブルクを含め、国全体が「プロイセン王国」と呼ばれるようになった。十八世紀、フリードリヒⅡ世(大王)の代に、オーストリアからシュレージエンを奪うなどして大国としての地位を築き、十九世紀には、「プロイセン―オーストリア戦争」に勝って、小ドイツ主義的なドイツ統一を成し遂げた。ドイツ帝国内では指導的連邦国であり、ヴァイマル共和国でも中心的な連邦州であった(山川出版社「山川世界史小辞典 改訂新版」に拠った)。「奴さん」「やつこさん」。]

にんじん――あゝ、それや、そん時までには、ものにするさ。父さんは何時でも、戰爭戰爭つて威かすけど、僕が學校を卒業するまで、戰爭は起りつこないよ。待つてゝくれるよ。[やぶちゃん注:ルナールがバカレロア(Baccalauréat:フランス国民教育省が管理する高等学校教育の修了を認証する国家試験)の二次試験にパスするのは、一八八三年七月、十九歳の時である(但し、ここに至るまでは、実は、かなりの紆余曲折がある)。その翌年の八月末から九月上旬には、フランスの徴兵検査委員会の査定で、徴兵延期を受けている。因みに、「モロッコ動乱」を経て「第一次世界大戦」が勃発するのは、一九一七年七月二十八日で、凡そ、その三十四年後のことであった。既にルナールは五十四歳であった。]

ルピツク氏――この前の試驗には、何番だつた?まさか、びりつこけぢやあるまいな。[やぶちゃん注:「?」の後に字空けがないはママ。但し、実際のルナールがサン=ルイ学院(institution Saint-Louis)の寄宿生として通ったヌヴェール(Nevers)高等中学校での成績は、一八七八年度第四学年で、総合成績は次点で第一位、ラテン語作文は次点で第二位、代数は次点で第四位である(臨川書店『全集』第十六巻の「『年譜』注」に拠った)。]

にんじん――びりつこけの奴(やつ)も、一人はいなくつちや。[やぶちゃん注:こう「にんじん」は言っているけれども、作者の名誉のために注しておくと、実際のルナールがサン=ルイ学院(institution Saint-Louis)の寄宿生として通ったヌヴェール(Nevers)高等中学校での成績は、一八七八年度第四学年で、「総合成績」は次点で第一位、「ラテン語作文」は次点で第二位、「代数」は次点で第四位である(臨川書店『全集』第十六巻の「『年譜』注」に拠った)。]

ルピツク氏――こね野郞! わしは、お前たちに晝飯を御馳走してやらうと思つてたんだぜ。それがさ、今日は日曜だとまだつてこともあるが――普通の日ぢや、お前たちの勉强の妨げになるといかんからな。

にんじん――僕自身としちや、別に大してすることもないんだけど・・・。兄さんは、どう・・・?

兄貴のフエリツクス――それが、うまい工合に、今朝、先生が宿題を出すのを忘れたんだよ。

ルピツク氏――それだけ餘計復習ができるわけだ。

兄貴のフエリツクス――もうとつくに覺えてるよ。昨日のところとおんなじだもの。

ルピツク氏――なには兎もあれ、今日は歸つた方がよからう。わしは、なるべく日曜までゐることにする。さうしたら、今日の埋め合せをしよう。

 

 兄貴が口を尖らしても、にんじんが默りこくつてゐても、それで、「さようなら」が延びるわけではない。別れなければならない時が來た。

 にんじんは、それを心配しながら待つてゐたのである。

 ――今度は前よりうまく行くかどうか、ひとつ、やつてみよう。おやぢは、おれが接吻するのを嫌つてるのか、それが、今いよいよ、さうかさうでないかゞわかるんだ。

 そこで、意を決し、視線をまともに向け、口を上へ差し出して、彼は、近づいて行く。

 が、ルピツク氏は、また容赦なく、その手で彼を遮り、そしてかう云つた――

 「お前は、その耳へ挾んでるペンで、しまひにわしの眼へ穴をあけるぜ。わしに接吻する時だけは、何處かほかへしまつてくれることはできんか? わしを見てくれ、ちやんと煙草は口からとつてるぢやないか」

にんじん――あゝ、ごめんよ、父さん・・・。ほんとだ。僕がうつかりしてると、いつ、どんな間違ひをしでかすか知れないね。前にも、誰かにさう云はれたんだよ。だけど、このペンは、僕の耳んとこへ、そりやうまく挾まるもんだから、しよつちゆう、そのまゝにしとくのさ。で、つひ忘れちやふんだ。全く、ペンだけでも外さないつて法はないね。あゝ、僕、ほんとに、うれしいや、父さんは、このペンが怖わかつたんだつていふことがわかつて・・・。

ルピツク氏――こね野郞! 笑つてやがる、わしを眼つかちにし損つて・・・。

にんじん――うゝん、さうぢやないんだよ、父さん。僕、ほかのことで笑つてるんだよ。さつきから、また、僕流の馬鹿々々しい考へを起したからさ、この頭ん中へ・・・。

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。

「サン・マルク寮」既に前の「行きと歸り」の私の注で述べたが、少し補足して示すと、ジュール・ルナールは一八六四年二月二十二日、西フランスのマイエンヌ県シャローン=シュール=マイエンヌ村に生まれた(父親の鉄道敷設の仕事の関係で在住)が、二年後、父親の故郷であるニエーヴル県シトリー=レ=ミイヌ村に戻った(彼の父はこの村の村長となり、後の一九〇四年にジュール自身も同じく村長となつた)。以降、この四十戸ほどの中部フランスの牧歌的な村が、十七歳でルナールがパリに出るまで過ごした幼少期の故郷であり、「にんじん」の舞台のモデルである。十一歳からから十七歳までは、二歳上の兄のモーリス(フェリックスのモデル。実際に兄のことを日記の中で「フェリックス」と記している)と一緒に、近くのヌヴェール市にあつた私塾サン=ルイ学院に寄宿させられて、当時のリセ(中高等学校)に通学、シトリー村には夏季休暇と復活祭とクリスマスの三度以外は帰省しなかつた。

「こね野郞」「この野郞」に同じ。「土龍」の私の注を參照されたい。

「びりつこけ」びりつけつ。最下位。どんじり。私は使つたことも、聞いたこともないが、岸田と同じ東京出身の中勘助著の名作「銀の匙」の中に、「びりつこけなんぞと遊ばない」という用例がある。

「僕、ほかのことで笑つてるんだよ。さつきから、また、僕流の馬鹿々々しい考へを起したからさ、この頭ん中へ・・・。」この語りに現れる、「にんじん」のこの場面での感情制御の、やや普通でない様子を見ると、私は「にんじん」は現在の軽度の発達障害の持ち主ではないかという気が、ちょっとしてくるのである。]

 

 

 

 

    Le Porte-Plume

 

   L’institution Saint-Marc, où M. Lepic a mis grand frère Félix et Poil de Carotte, suit les cours du lycée. Quatre fois par jour les élèves font la même promenade. Très agréable dans la belle saison, et, quand il pleut, si courte que les jeunes gens se rafraîchissent plutôt qu’ils ne se mouillent, elle leur est hygiénique d’un bout de l’année à l’autre.

   Comme ils reviennent du lycée ce matin, traînant les pieds et moutonniers, Poil de Carotte, qui marche la tête basse, entend dire :

   Poil de Carotte, regarde ton père là-bas !

  1. Lepic aime surprendre ainsi ses garçons. Il arrive sans écrire, et on l’aperçoit soudain, planté sur le trottoir d’en face, au coin de la rue, les mains derrière le dos, une cigarette à la bouche.

   Poil de Carotte et grand frère Félix sortent des rangs et courent à leur père.

   Vrai ! dit Poil de Carotte, si je pensais à quelqu’un, ce n’était pas à toi.

   Tu penses à moi quand tu me vois, dit M. Lepic.

   Poil de Carotte voudrait répondre quelque chose d’affectueux. Il ne trouve rien, tant il est occupé. Haussé sur la pointe des pieds, il s’efforce d’embrasser son père. Une première fois il lui touche la barbe du bout des lèvres. Mais M. Lepic, d’un mouvement machinal, dresse la tête, comme s’il se dérobait. Puis il se penche et de nouveau recule, et Poil de Carotte, qui cherchait sa joue, la manque. Il n’effleure que le nez. Il baise le vide. Il n’insiste pas, et déjà troublé, il tâche de s’expliquer cet accueil étrange.

   Est-ce que mon papa ne m’aimerait plus ? se dit-il. Je l’ai vu embrasser grand frère Félix. Il s’abandonnait au lieu de se retirer. Pourquoi m’évite-t-il ? Veut-on me rendre jaloux ? Régulièrement je fais cette remarque. Si je reste trois mois loin de mes parents, j’ai une grosse envie de les voir. Je me promets de bondir à leur cou comme un jeune chien. Nous nous mangerons de caresses. Mais les voici, et ils me glacent.

   Tout à ses pensées tristes, Poil de Carotte répond mal aux questions de M. Lepic qui lui demande si le grec marche un peu.

     POIL DE CAROTTE

   Ça dépend. La version va mieux que le thème, parce que dans la version on peut deviner.

     MONSIEUR LEPIC

   Et l’allemand ?

     POIL DE CAROTTE

   C’est très difficile à prononcer, papa.

     MONSIEUR LEPIC

   Bougre ! Comment, la guerre déclarée, battras-tu les Prussiens, sans savoir leur langue vivante ?

     POIL DE CAROTTE

   Ah ! d’ici là, je m’y mettrai. Tu me menaces toujours de la guerre. Je crois décidément qu’elle attendra, pour éclater, que j’aie fini mes études.

     MONSIEUR LEPIC

   Quelle place as-tu obtenue dans la dernière composition ? J’espère que tu n’es pas à la queue.

     POIL DE CAROTTE

   Il en faut bien un.

     MONSIEUR LEPIC

   Bougre ! moi qui voulais t’inviter à déjeuner. Si encore c’était dimanche ! Mais en semaine, je n’aime guère vous déranger de votre travail.

     POIL DE CAROTTE

   Personnellement je n’ai pas grand’chose à faire ; et toi, Félix ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Juste, ce matin le professeur a oublié de nous donner notre devoir.

     MONSIEUR LEPIC

   Tu étudieras mieux ta leçon.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Ah ! je la sais d’avance, papa. C’est la même qu’hier.

     MONSIEUR LEPIC

   Malgré tout, je préfère que vous rentriez. Je tâcherai de rester jusqu’à dimanche et nous nous rattraperons.

 

   Ni la moue de grand frère Félix, ni le silence affecté de Poil de Carotte ne retardent les adieux et le moment est venu de se séparer.

   Poil de Carotte l’attendait avec inquiétude.

   Je verrai, se dit-il, si j’aurai plus de succès ; si, oui ou non, il déplaît maintenant à mon père que je l’embrasse.

   Et résolu, le regard droit, la bouche haute, il s’approche.

   Mais M. Lepic, d’une main défensive, le tient encore à distance et lui dit :

   Tu finiras par me crever les yeux avec ton porte-plume sur ton oreille. Ne pourrais-tu le mettre ailleurs quand tu m’embrasses ? Je te prie de remarquer que j’ôte ma cigarette, moi.

 

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! mon vieux papa, je te demande pardon. C’est vrai, quelque jour un malheur arrivera par ma faute. On m’a déjà prévenu, mais mon porte-plume tient si à son aise sur mes pavillons que je l’y laisse tout le temps et que je l’oublie. Je devrais au moins ôter ma plume ! Ah ! pauvre vieux papa, je suis content de savoir que mon porte-plume te faisait peur.

     MONSIEUR LEPIC

   Bougre ! tu ris parce que tu as failli m’éborgner.

     POIL DE CAROTTE

   Non, mon vieux papa, je ris pour autre chose : une idée sotte à moi que je m’étais encore fourrée dans la tête.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の笑い」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の笑い【たぬきのわらい】 〔折々草冬の部〕世に化物の出でつなどいふこそ、彼もこれも人の物語るを耳伝(みみつて)に言へど、自《みづか》らその化物に遇ひつるといふ物語は、必ず無き事なり。物に書附け侍ることも、己れかゝる物を見しとて書きしは無し。さても有ればこそ世には言へ、玆《ここ》に自身(みづから)三人《みたり》四人まで居合ひて、その化物を見つるといふ物語、彼等が物語りしけるを聞きし。こは武蔵の国の事なり。秩父の国鉢形《はちがた》<埼玉県大里郡寄居町内>とふ所は、古き大城(おほき)の跡にて、今は民どもの住みて、家村立栄(たちさか)えけれど、古き堀の跡、築土(ついぢ)などの跡も残りて侍るに、おのづから狐狸(きつねたぬき)様《ざま》のものも、住み著きて侍るが多しといふ。さて師走ばかり、或寺に人々集ひて、夜籠りに連歌《つらねうた》詠みて遊び居《をり》たりけるに、其が友の中に口遅き男の侍りて、己《おのれ》がつぐべき際《きは》に当れば、つらつら考へ入りて順の遅くなるに、自然(おのづから)夜の更け渡りて、田舎なれば、饗応(あるじぶり)かやかく取りつくらふ事もせず、火灯《ともしび》の影も薄くなりおこし炭《ずみ》も大方に消えて、いと寒くなり増《まさ》るに、今夜《こよひ》は一折《ひとをり》にて止まむと言へど、夜籠りに詠むべしとて集ひたるに、朝烏《あさがらす》の鳴きて渡らむ迄は退《しぞ》キ侍らじと言ひしこる友どちらのありて、二のおもての折を詠み掛けて、又一順二順つぎゆくに、かの男の場に当りて考へ入りけるが、おもての見わたしよからずも、次句の意(こころ)ばへ如何など言ひ返されて、兎角に考へ煩ひて侍るに、口疾く言ひ続ぎて渡しける友垣は、眠《ねむた》がりて次方(つぎへ)[やぶちゃん注:ママ。後に示す「新日本古典文学大系」版では『次(ツギ)べ』である。]に立ち来《きたつ》て打眠るもあり。或ひは小便(ゆばり)に立ちなどして人気(ひとけ)も少《すくな》く、かの火桶どもは氷なす冷えかへりて、丑二つ<午前二時頃>ばかりにも侍らむ。[やぶちゃん注:ここは読点であるべきところである。]夜嵐いと寒く吹渡《ふきわた》る音のするに、彼が口遅く考へ煩ひたるを笑ふにや、何所《いづこ》ともなく老いたる声にて、はゝと笑ふ音す。初《はじめ》は友垣どもの次方《つぎべ》より笑ふなりと思ひ居《を》りしに、打重ねて後高(しりだか)にどよみ出でていと高く笑ふに、誰なりと見れども、皆打静まり居《をり》たれば、互《かたみ》に怪しと見るに、よく聞けば火桶を埋《う》めたる板敷の下にて笑ふなり。こは如何《いかに》と呆れてよく聞けば、人にもあらぬ声なるに、狸ならむ、狐ならむ、何にまれ性(さが)見顕《みあらは》さむとて、やをら寄りてその火桶を抜きて見れば、いと黒き獣《けもの》の、犬ばかりなるが飛上りて、先づ火をば吹消(ふきけ)ちて、仏《ほとけ》のおはします方へ指して、走り行きしと覚ゆるに、人皆《ひとみな》驚き騒ぎて、俄かに火を切出《きりだ》し、打殺《うちころ》すべき構へして、爪木様《つまきざま》の物を引提《ひきさ》げて、此方彼方(こなたかなた)と見るに、さる物は見えず、戸も締め垣[やぶちゃん注:「新日本古典文学大系」版では『かぎ』(鍵)である。]も固めたれば、何方《いづべ》へ行かん所もなし。人々甲斐なくて、さまれ夜の明けば見定めんとて、跡をばよく差固め、火桶なども旧(もと)の如く取り入れて、火を照《てら》し立てて、皆一つ所に集(つど)ひ寄りてあるに、かの男は、化物に笑はれつる事のいと口惜しき、おのれ朝にならばこの報(むくい)せむ、友垣《ともがき》力を加へて給(た)べとて居《を》るに、夜も明け行けば、物の隈々《くまぐま》見え渡るを待ちて、かの仏のおはす辺《あたり》を隈々見れども更になし。さはこれも化(ばか)したるなめりと言ひて、戸も格子も押開きて侍るに、仏に供へたる木実《このみ》どもは何(いづ)れも残らで、花瓶などは打倒れ、食ひかけたりと見ゆる物は打乱れたるに、さは此所に侍りし物を、今少し求むべきになどいふを、仏も可笑《をか》しくや思《おぼ》しけむ、頻羅果(びんらか)の唇を打開きて、はゝと大声に笑ひ出で給ふに、人々昨夜(よべ)の笑ひよりは打驚きて、魂《たま》弱き男は逃げ走り、強きは打進みて見るに、いく度《たび》も大声にて笑ひ給へば、何にまれ化物《ばけもの》なり、御首(みぐし)にもせよ打扣(《うち》たた)きて見よとて、長き竿《さを》を取出《とうで》て打たむとすれば、御首の螺髪(らほつ)<仏像のちぢれた髪>はいと黒き獣《けもの》と変りて、飛駈《とびかけ》りて逃げ去りける。あはやといふ間に、何所《いづこ》へか紛れて失せぬ。内にさへあるを止め兼ねつるに、まして野をさして逃出でぬれば、何所《いづこ》求めん方便もなく、寺の主(あるじ)を始め、彼に欺《あざむ》かれたる事を腹悪《はらあ》しく仕《し》給へど、そゞろなる事なれば、唯言ひ喧(ののし)りて止みにき。さは螺髪に化けて居《をり》つる[やぶちゃん注:「新日本古典文学大系」版ではここに句点を打つ。]毛の色黒かりしかば狐に非ず、狸なりけるよと利巧(さかしら)は言へど、いたく狸が戯れには逢ひけるなり。皆打寄りて、その跡を掻掃《かきはら》ふとて見れば、釈迦牟尼仏《さかむにぼとけ》のうづの大御手《おほみて》には、いと臭き糞《くぞ》まり置き、御頂(おほみいただき)にきすめる[やぶちゃん注:「新日本古典文学大系」版では『藏』(きす)『める』とする。]玉は、小便《ゆばり》たれかけて置きつるに、うたて憎き奴かな、かの笑はれたる男は、とにかくにその事を言ひ立てられて、口遅き事の名ぐはしくなりしかば[やぶちゃん注:すっかり有名になってしまったので。]、自ら口惜しく思ひて、連歌詠む事は止みにけり。これはその席に居合せて、狸を駆り廻したる人々の言ひける程に、人伝《ひとづて》の空物語《そらものがたり》には侍らず。

[やぶちゃん注:「折々草」俳人・小説家・国学者にして絵師で、片歌を好み、その復興に努めた建部綾足(たけべあやたり 享保四(一七一九)年~安永三(一七七四)年:津軽弘前の人。本名は喜多村久域(ひさむら)。俳号は涼袋。画号は寒葉斎。賀茂真淵の門人。江戸で俳諧を業としたが、後、和歌に転じた。晩年は読本の作者となり、また文人画をよくした。読本「本朝水滸伝」・「西山物語」や、画集「寒葉斎画譜」などで知られる)の紀行・考証・記録・巷説などの様々な内容を持つ作品である。明和八(一七七一)年成立。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第十一巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで正規表現で視認出来る。標題は『○連歌よむを聞て笑らひしをいふ條』である。私は「新日本古典文学大系」版(一九九二年刊)で所持し、これは宵曲の見たものとは、版本が異なるらしく、各所に表記上の異同があるが、読みがかなりしっかりと附されてある(ひらがなになっている箇所も多い)ので、それを積極的に参考にして読みを振った。以下の注もそれ(高田衛先生校注)に多くを拠った。なお、宵曲の拠ったのは、リンク先のもので、「新日本古典文学大系」版(愛知県立大本)とは別底本(日本随筆大成刊行会蔵本)であることも判った。この怪談、冒頭の切り口上から、怪奇談に対しては強い懐疑主義者である建部綾足が、珍しく、実話と断定している点で、極めて興味深い怪奇実話である。

「秩父の国鉢形」「埼玉県大里郡寄居町内」「古き大城(おほき)の跡」現在の埼玉県大里郡寄居町(よりいまち)大字鉢形。中央に鉢形城跡を配した(グーグル・マップ・データ)。この城の築城は関東管領山内上杉氏家臣長尾景春と伝えられる。その後、小田原後北条氏期に北条氏邦によって整備拡張され、後北条の上野国支配の拠点となったほか、甲斐・信濃からの侵攻による最前線の防備を重要な役割として担った。後には下野国遠征の足掛かりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。参照した当該ウィキによれば、『跡地の周辺には殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺える』とし、『関東地方に所在する戦国時代の城郭としては比較的きれいに残された城のひとつと』されるとある。また、『稀に見る頑強な要害だったとされ、武田信玄、上杉謙信、前田利家、上杉景勝らの数度の攻撃に耐え、小田原征伐では』三『万とも』五『万とも言われる北国軍に包囲されて』一『ヶ月に渡って籠城したのち』、『「開城」という形になった』。『城跡は西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村の搦手としている。本丸、二の丸、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪などがあり、西南部には侍屋敷や城下町の名前が伝えられており、寺院、神社があり、土塁、空堀も残存する』とあった。

「築土(ついぢ)」この場合は、前注にある土塁のこと。

「夜籠りに」夜を徹して。

「連歌」俳諧連歌。

「饗応(あるじぶり)かやかく取りつくらふ事もせず」ホストの主人が細やかな饗応をすることもなく。

「一折」俳諧連歌で、句を記す懐紙(鳥の子紙)の一枚目(下で折り、右手で紙縒りで閉じる)を指す。但しこれを、普通はここにあるような「一折」とは呼ばす、「初折」と称する。「百韻」では、八句を「初折の表」に、折った内部二面の裏面に当たる面である「初折」に十四句を清書する。同様のものを三セット後に加えて、「二の折」(「表」に十四句、「裏」に十四句)を記し(ここまでで「五十韻」)、次を「三の折」(「表」・「裏」の句数は「二の折」と同じ)とし、最後のものを「名残の折」と称し、「表」に十四句、「裏」に八句を記して、計百句となって完成するのが、基本の定式。別に三十六句からなる「歌仙」があり、一枚目を「初折」(「表」六句・「裏」十二句)、二枚目を「名残りの折」(「表」十二句・「裏」六句)を記す。「新日本古典文学大系」版の二ヶ所の脚注では、「歌仙」の解説を二ヶ所で載せておられるが、「歌仙」では「二の折」はないので、不審である。徹宵の俳諧連歌であり、後に「二のおもての折を詠み掛けて、又一順二順つぎゆくに」と続けている以上、これは「百韻」である。

「しこる」この場合は「爲凝(しこ)る」で、「一つの事に熱中する」の意。

「見わたし」俳諧連歌で、「一の折」の裏と「二の折」の表のように、懐紙を広げて見渡せる範囲の箇所を言う。ここは、その句群の創作上の意味の移り方の変遷の趣きが「よからず」なのである。こうした様を「見渡しの障り(さは)り」とも称する。

「次句の意(こころ)ばへ」前の句を受けて引き継いだ句の趣向。「付合(つけあひ)」の趣き・発想を言う。

「次方(つぎへ)」「次(ツギ)べ」「次の間」であろう。高田氏もそのように推定しておられる。

「氷なす」高田氏の注に、『氷のように、の意だが、「ひえ」にかかる擬古的修飾語として用いている』とある。

「後高(しりだか)に」だんだん後の方が大きく声高になってゆくさま。

「どよみ」「響(どよ)む」。平安末期頃までは「とよむ」で清音。「音が鳴り響く・響き渡る」、また、「多くの人が大声を上げて騒ぐ」の意。ここは前者。

「互に」「かたみに」は副詞で、同一の行動・心情を、二人以上の人間が、交互に、或いは、同時に相手に対してとる状態を表わす語。「たがいに・相互に」。

「火桶を埋めたる板敷」高田氏注に、『囲炉裏のように火鉢を床』下『んい仕かけてあるのをいう』とある。

「やをら」副詞で、下の動詞に係って、「おもむろに・悠然と」など、「その動作がゆったりとしているさまを表わす。「やをら步き始む」など。近現代では、逆に「急に」の意味で、「やおら走り始めた」などと使われるが、これは誤用である。

「仏のおはします方」寺の本堂。彼らが、集っていたのは、以下の描写から、本堂に付随する部屋であったのであろう。

「火を切出し」「切出し」は「火を鑽(き)り出し」。但し、行燈の火を紙燭(しそく)等に、まず、移したのであろう。

「爪木様」(つまきざま)「の物」高田氏の注に、『薪ざっぽう』(「薪雜把」(まきざっぱ・まきざっぽう:薪にするため、切ったり、割ったりした木切れ)『のごときもの。棒など』とある。

「何方《いづべ》へ」「何處(いづべ)へ」で、「どこへ」の意の万葉以来の古語。

「さまれ」副詞で「然(さも)あれ」の変化したもの。「ままよ・さもあらばあれ」。

「頻羅果(びんらか)」高田氏は『不詳。「檳榔果」のあて字か』とされるが、小学館「日本国語大辞典」に『仏語。頻婆』(びんば:現在はインドやタイ料理に使われる食用のウリ科トウガン連コッキニア属ヤサイカラスウリ Coccinia grandis に同定されている)『という植物の鮮紅色の果実。仏典で、や女子の唇、兜率天宮の荘厳など、紅色のものを形容するのに用いられる』(下線太字は私が附した)とあった。高田氏の示された「檳榔果」は単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu を指し(インドにも植生する)、この実は完熟すると深紅色に熟すが、私は上記のヤサイカラスウリの熟した、その紅色と採る

「そゞろなる事」ここは「原因や理由のわからない奇怪なこと」の意。

「利巧(さかしら)は言へど」知ったようなことを言うが。

「うづの大御手」高田氏の注に、『ここでは仏像の貴い手。「すめらわがうづの御手もちかきなでそ」(万葉集巻六)』とある。

「糞まり置き」糞をひってあり。ここは、確かに、狐や天狗らしくない、尾籠なところが、狸らしくはある。

「御頂(おほみいただき)」釈迦牟尼像の頭頂部を指す。「新日本古典文学大系」版本文では『御いなだき』とするが、同義。次注参照。

「きすめる」割注した通り、「新日本古典文学大系」版では『藏』(きす)『める』とあり、これは「蔵(おさ)める」の意で、高田氏の注に『仏像の頭頂部に置かれた玉をいう。「いなだきに蔵(をす)める玉は二つなし」(万葉集巻三)に拠る表現』とある。これは、四一二番歌で、

   *

   市原王(いちはらのおほきみ)の歌一首

 頂(いなだき)に藏(きす)める玉は二つ無し

          かにもかくにも君がまにまに

   *

この「市原王」(生没年未詳)天智天皇の曾孫安貴王の子で、奈良中期から末期にかけての人。万葉歌人。備中守・玄蕃頭・治部大輔などを歴任。天平宝字七(七六三)年に造東大寺司の長官となっており、正五位下に昇ったところまでは確認出来る(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。所持する「万葉集」(中西進訳注)の注に「頂に藏める玉」について、『仏典に、転輪王が大切にした「髻中』(けいちゆう)『の明洙」一つがあったという』とある。Sanukiyaichizo氏の「讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ」のこちらの冒頭に本歌をとられ、

   《引用開始》

 

 頭の髷(まげ)の中に大事に

 秘蔵してきた宝玉は

 ふたつとないがいずれにしても

 あなたの好きにしていいよ

 

※『新日本古典文学大系』脚注に〈市原王が…最愛の愛娘を信頼する若者に託したのであろう〉とある。

   《引用終了》

とあった。]

2023/12/01

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「行きと歸り」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Yukitokaeri

 

    行きと歸り

 

 

 ルピツクさんの坊ちやんたちとお孃さんが、休暇で歸つて來る。乘合馬車から降り、遠くの方に兩親の姿が見えると、にんじんは、「さてどうしたものか」と思ふ。[やぶちゃん注:「坊ちやん」はママ。ここまでの章では「坊つちやん」と表記している。]

 ――この邊から走つて行つてもいゝだらうか?

 彼は躊躇する。

 ――まだ早い。そんなことをすると息が切れちまふ。それに、何事でも、程度を越えてはいかん。

 そこで、もう少したつてといふことにする。

 ――此處いらから走つてやらうかな・・・いや、あの邊からにしよう・・・。

 彼は、自分自身に、いろんなことを問ひかける。

 ――帽子は、何時脫いだもんだらう? どつちへ前(さき)に接吻すべきだらう?

 ところが、兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌとは、彼を置いてきぼりにする。そして、兩親の愛撫を、二人つきりで半分づゝとつてしまふ。にんじんがやつて來た時には、もう殆ど、彼の分は殘つてゐないのである。

 「なんだい、そりや」と、ルピツク夫人は云ふ――「お前は、その年になつて、まだ父(とお)さんなんて云ふのかい? お父さんつてお云ひ。さうして、ちやんと、握手をするんだ。その方が、男らしい」

 さう云つておいて、彼女は、たつた一度、その額に接吻してやる。僻むといけないから。

 にんじんは、いよいよ休暇だと思ふと、嬉しくつてたまらない。あんまり嬉しくつて、淚が出るのである。尤もかういふことは、屢々あるので、彼は、屢々、心とあべこべの顏附をする。

 寮へ戾るといふ日(それは十月二日、月曜の朝となつてゐて、授業の始まりは聖靈の彌撒である)――その日、ルピツク夫人は、乘合の鈴が遠くから聞えだすと、いきなり、子供たちの方へのしかゝり、彼らを、ひと纏めにして、兩腕で抱き締める。にんじんは、ところが、その中にはいつてゐないのである。彼は根氣よく、自分の順番を待つてゐる。手だけは、もう、馬車の革具の方へ伸ばし、別れの言葉もちやんと用意してゐる。彼は、全く悲しいのである。だからこそ、唱ひたくもない歌を、ふんふん唱つてゐる。

 「さよなら、お母さん・・・」

と、鷹揚に、彼は云つた。

 「おや、一體お前は、なんのつもりだい、そりや・・・。みんなとおんなじに、あたしを、母(かあ)さんつて呼んだらいゝぢやないか。こんな子が何處かにゐるだらうか。まだ乳臭い、鼻垂れ小僧のくせして、それで、人と違つたことがしたいなんて・・・」

 だが、ルピツク夫人は、彼の額に、一度だけ接吻してやるのである。僻むといけないから。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。 

「ルピツクさんの坊ちやんたちとお孃さんが、休暇で歸つて來る」臨川書店『全集』第十六巻の年譜によれば、作者ジュール・ルナールは一八七八年から一八八一年(十一歳から十七歳まで)の間、第六学年から修辞学級(フランス中等教育の完成学級)まで、ヌヴェールNevers:フランス中央部ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ヌーヴェール県のコミューンの所在地(グーグル・マップ・データ(中央に配した。東北位置に故郷をずらして入れてある)以下同じ)。ルナール家の故郷シトリー=レ=ミーヌChitry-les-Mines)村の南西約五十三キロメートルにある)のリセ(lycée:フランスの後期中等教育機関。日本の高等学校に相当する)で修学し、兄のモーリス(Maurice:本作の「にんじん」の兄フェリックスのモデル)と同様に、リーガル氏が校長であった私塾サン=ルイ学院(institution Saint-Louis)の寄宿生となり、『シトリーには』、『クリスマス、復活祭、そして夏の休暇のとき以外は帰らな』かったとある。則ち、本「にんじん」の前半部分は、そのリセに入る前の十六歳までのシトリーでの体験が元になっていると考えてよい。姉のアメリー(Amélie:実際には夭折した同名の長姉がおり、その名を継いだ次姉である)に就いては、全集にも情報がないので、校名は判らないが、やはり寄宿制の女学校に通っていたものと思われる。

「お前は、その年になつて、まだ父(とお)さんなんて云ふのかい? お父さんつてお云ひ。」原文では、それぞれ、前者が“«papa»”、後者が“«mon père»”である。

「寮へ戾るといふ日(それは十月二日、月曜の朝となつてゐて、授業の始まりは聖靈の彌撒である)」原作では“Le jour de la rentrée (la rentrée est fixée au lundi matin, 2 octobre ; on commencera par la messe du Saint-Esprit)”となつてゐる。この謂わば、作者の注に相当する部分の岸田氏の訳は、ちょっと分かりにくい。恰かも、「寮へ戾る日」は十月二日で、その直後にやつて來る「聖靈の彌撒」(ミサ)の日が授業の開始である、といふ風に読めてしまう(そもそも歸寮の日≒授業開始=聖靈のミサでは、あまりにも日程がタイト過ぎておかしいのである)。これは“rentrée”を、一般的な「元の場所に戻る」といふ意味で訳してしまった誤りによる。これは、実は、もっと限定的な「学校の新学期の開始」を意味する語なのである。一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻の「にんじん」では(そもそもこちらでは、篇の標題を「帰省と新学期」としてある)、もっとすっきりと、『新学期開始の日(新学期は十月二日月曜日の朝からと決まつていて、聖靈祈願ミサで始まる)』と訳してある。

「さよなら、お母さん・・・」もうお分かりと思うが、ここでにんじんは“ma mère” と言つてゐるのである。続くルピック夫人のいやらしい謂いの中の「母さん」は“"maman"”である。

 原本では、冒頭の部分の「ムッシュー」と「マドマゼル」は、略記号が用いられているが、ここは、“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”の正規表現を使用した。また、一部で字空けを増やした。]

 

 

 

 

    Aller et Retour

 

   Messieurs Lepic fils et mademoiselle Lepic viennent en vacances. Au saut de la diligence, et du plus loin qu’il voit ses parents, Poil de Carotte se demande :

Est-ce le moment de courir au-devant d’eux ?

   Il hésite :

   C’est trop tôt, je m’essoufflerais, et puis il ne faut rien exagérer.

   Il diffère encore :

   Je courrai à partir d’ici…, non, à partir de là…

   Il se pose des questions :

   Quand faudra-t-il ôter ma casquette ? Lequel des deux embrasser le premier ?

   Mais grand frère Félix et soeur Ernestine l’ont devancé et se partagent les caresses familiales. Quand Poil de Carotte arrive, il n’en reste presque plus.

   Comment, dit madame Lepic, tu appelles encore monsieur Lepic « papa », à ton âge ? dis-lui : « mon père » et donne-lui une poignée de main ; c’est plus viril.

   Ensuite elle le baise, une fois, au front, pour ne pas faire de jaloux.

   Poil de Carotte est tellement content de se voir en vacances, qu’il en pleure. Et c’est souvent ainsi ; souvent il manifeste de travers.

   Le jour de la rentrée (la rentrée est fixée au lundi matin, 2 octobre ; on commencera par la messe du Saint-Esprit) du plus loin qu’elle entend les grelots de la diligence, madame Lepic tombe sur ses enfants et les étreint d’une seule brassée. Poil de Carotte ne se trouve pas dedans. Il espère patiemment son tour, la main déjà tendue vers les courroies de l’impériale, ses adieux tout prêts, à ce point triste qu’il chantonne malgré lui.

   Au revoir, ma mère, dit-il d’un air digne.

   Tiens, dit madame Lepic, pour qui te prends-tu, pierrot ?  Il t’en coûterait de m’appeler « maman » comme tout le monde ?  A-t-on jamais vu ?  C’est encore blanc de bec et sale de nez et ça veut faire l’original !

   Cependant elle le baise, une fois, au front, pour ne pas faire de jaloux.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「元日」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Ganjitu

 

    元  日

 

 

 雪が降つてゐる。元日がおめでたいためには、雪が降らなければならぬ。

 ルピツク夫人は、用心深く、中庭の開き戶を締めたまゝにして置くのである。すると、もう子供達がやつて來て、鐉(かけがね)をゆすぶつてゐる。下の方を抉(こ)ぢ開けようとする。はじめは遠慮勝ちに、だが、しまひには、いまいましそうに、木履(きぐつ)で蹴り散らす。ルピツク夫人は、窓から、そつと樣子を窺つてゐるのである。いよいよ駄目と知ると、彼等は、それでもまだ眼だけは窓の方を見上げたまゝ、後すざりをして遠ざかつて行く。その跫音(あしおと)が雪の中に吸ひ込まれてしまふ。

 にんじんは、寢臺から飛び降り、裏庭の水槽(みずをけ)へ顏を洗ひに行く。石鹼は持つて行かない。水槽は凍つてゐる。氷を割らなければならない。この、しよつぱなの運動は、煖爐(だんろ)の熱よりも健康な熱を全身に傳へるのである。ところで、顏は濡らしたことにして置く。何時見ても汚(きたな)いと云はれ、それが大々的にお化粧をした時でさへさうなのだから、彼は一番汚(よご)れたところだけ拭けばいゝのである。

 儀式らしく、朗らかに、爽やかに、彼は兄貴のフエリツクスの後ろへ並んで立つ。兄貴のフエリツクスは總領である姉のエルネスチイヌの後ろに控えてゐる。三人は食堂の臺所へはひつて行く。ルピツク夫妻はなんでもないやうな顏をして、そこへ列席しにやつて來る。

 姉のエルネスチイヌが、この二人に接吻をして、さて云ふ――

 「おはよう、父さん、おはよう、母さん。新年おめでたう。本年もお達者でお暮しになりますやうに。それから、來世は極樂へおいでになりますやうに・・・」

 兄貴のフエリツクスも、同じことを、極めて早く、文句の終りへ一目散に駈け出して行く。そして、同樣に接吻をする。

 が、にんじんは、帽子の中から、一通の手紙を取り出す。封をした封筒の上に「我が親愛なる兩親の君へ」とある。所番地は書いてない。種類稀れなる鳥が、色彩華やかに、その一隅を掠めてゐるのである。

 にんじんは、そいつをルピツク夫人の方に差出す。彼女は封を切る。紙一面、滿開の花に飾られ、その上、レースの緣が取つてある。そして、レースの孔へは、屢々にんじんのペンが落ち込んだらしく、隣りの字が霞んでしまつてゐる。

 

ルピツク氏――わしには、なんにもないんだね。

にんじん――それ、二人にあげるんだよ、母さんがすんでから見るといゝや。

ルピツク氏――よし、お前は、わしより母さん方が好きなんだね。それならそれで、この新しい十錢玉が、お前のポケツトの中へはいるかどうか見てゐるがいい。

にんじん――ちよつと待つてつたら・・・母さんがもう濟むから。

ルピツク夫人――文章はしやれてるけれど、字が下手で、あたしにや讀めないよ。

 

 「さ、今度は父さんの番だ」と、にんじんは急(せ)き込んで云ふ。

 にんじんが、眞直に突つ立つて、返事を待つてゐる間、ルピツク氏は、一度、それからもう一度、手紙を讀む。ぢつと見てゐる。何時もの癖で、「ふむ、ふむ」といふ。そして、卓子の上に、そいつを置く。

 目的が完全に達せられると、手紙は、もう何の役にも立たない。それこそ、みんなのものである。見やうと、觸(さわ)らうと、めいめいの勝手だ。姉のエルネスチイヌと兄貴のフエリツクスが、順番に取上げて、綴りの間違ひを探し出す。こゝで、にんじんはペンを取替へたとしか思へない。讀めないといふ字がちやんと讀めるのである。手紙が彼の手に還る。

 それを、こつちへひつくり返し、あつちへひつくり返しして見る。薄穢い笑ひ方をする。

 「これで氣に入らんといふのかい?」

 そう問ひ返してゐるように見える。

 やつと、彼は、手紙を帽子の中へ押し込む。

 お年玉の分配がはじまる。姉のエルネスチイヌは自分の丈(せい)ほどの、いや、それよりも大きい人形である。兄貴のフエリツクスは、箱入りの鉛の兵隊――今やまさに戰爭をしようとしてゐるところだ。

 「お前には、取つて置きのものがあるんだよ。なんだか當てゝごらん」

 ルピツク夫人は、にんじんにかう云ふ。

 

にんじん――あゝ、さうか。

ルピツク夫人――なにが、「あゝ、さうか」だい。もう知つてゐるなら、見せる必要はないね。

にんじん――うゝん、さうぢやないよ。若し知つてたら、僕、首だつてあげらあ。

 

 彼は、自らを信ずるものゝ如く、嚴そかに兩手を上に差し上げる。ルピツク夫人は食器棚を開ける。にんじんは呼吸を彈ませる。彼女は、腕を肩のところまで突つ込み、ゆるゆると、靈妙不可思議な手つきで、黃色い紙にのせた赤い砂糖細工のパイプを引出して來る。[やぶちゃん注:「呼吸」戦後版は『いき』とルビする。それを採る。]

 にんじんは、躊(ためら)はず、喜びに面(おもて)を輝やかす。彼は、この場合、自分のすべきことを知つてゐる。即座に、兩親の面前で、同時に、姉のエルネスチイヌと兄貴のフエリツクスの羨やましさうな眼付(だが、何人も總てのものを得るわけには行かぬ)を後(しり)へに、一服喫(す)はうと思ふ。赤い砂糖のパイプを、二本の指だけでつまみ、ぐつとからだを反(そ)らして、頭を左の方へかしげる。彼は、口を丸め、頰をへこまし、力を入れ、音を立てゝ吸ひ込む。

 それから、どえらい煙を天まで屆くやうに吹き上げ、さて彼は云ふ――

 「こいつは、具合がいゝ。よく通るぜ」

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。

「ルピツク夫人は、用心深く、中庭の開き戶を締めたたまゝにしておく」昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」の本篇の注には、以下のように書かれてゐる。『フランスの農村の貧乏な子どもたちは、元日にほうぼうの家を回つて、「おめでとう。」を言い、お金やお菓子をもらう習慣があつた。ルピック夫人は、そのような子どもを家に入れたくなかったのだ。』。

「鐉(かけがね)」:先行する「苜蓿(うまごやし)」の章でも問題にしたが、繰り返すと、本字は音「セン・テン」で、門戶の開閉をするための樞(とぼそ・くるる=回転軸)を嵌め込むための半球状の金具を言う。私自身、その形状を明確にイメージすることが出来ずにいるが、要は、閉じられた開き戸等の塀(若しくは門柱)との接合金具を指すのであろう。原作はやはり“le loquet”で、岸田氏は本字を「かけがね」と訓じている。仏和辞典でもそうあるが、しかし、掛け金というのは、二対一組の鍵の一方を指す語であり、もう一方の金具に掛けて開かないようにするための金具を指す。ここでは、明らかにそのようなものではない(門扉の内側のルピック夫人がまさに鍵をかけた部分はそうなつているに違いないが)。ここもやはり、開き戸の外側にある取つ手として打ち込まれた金具、大きな釘とか、手をかけられる鎹(かすがい)のようなものを指していると思われる。

「來世は極樂へおいでになりますように・・・」原文は“une bonne santé et le paradis à la fin de vos jours.”。“fin de vos jours”は「最後の審判の日」であろう(「喇叭」の章の私の注を參照されたい)。しかし、やはり仏教的な訳語では、そぐわない。臨川書店全集の佃氏の訳では、『終(つい)の日には天國に行かれますように』と譯してある。

「種類稀なる鳥が、色彩華やかに、その一遇を掠めてゐるのである」これは封筒に実際に描かれた鳥のカット(ならば、それはにんじんの自作であろう)を言つているのであろうか? しかし……「にんじん」にそんな器用な才能があるかなぁ……。寧ろ、市販のものを奮発して買ったものとした方が無難だ。そもそも、そんなに素敵な自作の絵なら、誰かが、その筆致を褒めていいわけで、やはり市販の封筒だ。

「文章はしやれてるけど、字がへたで、あたしにや讀めないよ。」これはルピツク夫人の「イビり初(ぞ)め」の悪罵である。実際には、夫人は、鼻から、読むつもりがないのである。そもそもこの謂いは矛盾している。字が下手で読めないのに、文章がいいといふことが分かるはずがない(勿論、これを「普段から感じているけれど、お前は文章は上手いのだけれど、字が汚ない。この手紙もそうだ。だから讀めない。」と解釋することは可能だが、私は、そのように「好意的に」は絶対にとらない)。「にんじん」の字は、そんなに下手でもなければ、汚くもないのだ。だから、後で姉や兄が読んでいるシーンで、「ここで、にんじんはペンを取り替えたとしか思えない。讀めないといふ字がちやんと讀めるのである」と母が鼻っから読む気がないということをかく誤魔化したことへ、やや皮肉を込めて描写しているのである(と私は読む。但し、二人は「にんじん」の肩を持つ気はさらさらなく、ルピック夫人ほどではないものの、やはり、重箱の隅を突っついて、批評し、正月から、軽くからかって、面白がっているに過ぎないのだが)。但し、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では、この私が引いた後文を、そうは解釈しては、いない。そこでは姉や兄の台詞として、『ここでにんじんはペンを替えたに違いない。読みやすいもの。そんなことを言つて彼等は手紙をにんじんに返す。』と訳されてある。私は、この佃氏の訳は、どうも、日本語として達意の文ではない憾みがあるように思う。

なお、以下の原文は、原本に不審があったので、一箇所、行を空けてある。]

 

 

 

 

    Le Jour de l’An

 

   Il neige. Pour que le jour de l’an réussisse, il faut qu’il neige.

   Madame Lepic a prudemment laissé la porte de la cour verrouillée. Déjà des gamins secouent le loquet, cognent au bas, discrets d’abord, puis hostiles, à coups de sabots, et, las d’espérer, s’éloignent à reculons, les yeux encore vers la fenêtre d’où madame Lepic les épie. Le bruit de leurs pas s’étouffe dans la neige.

   Poil de Carotte saute du lit, va se débarbouiller, sans savon, dans l’auge du jardin. Elle est gelée. Il doit en casser la glace, et ce premier exercice répand par tout son corps une chaleur plus saine que celle des poêles. Mais il feint de se mouiller la figure, et, comme on le trouve toujours sale, même lorsqu’il a fait sa toilette à fond, il n’ôte que le plus gros.

   Dispos et frais pour la cérémonie, il se place derrière son grand frère Félix, qui se tient derrière soeur Ernestine, l’aînée. Tous trois entrent dans la cuisine. Monsieur et madame Lepic viennent de s’y réunir, sans en avoir l’air.

   Soeur Ernestine les embrasse et dit :

   Bonjour, papa, bonjour, maman, je vous souhaite une bonne année, une bonne santé et le paradis à la fin de vos jours.

   Grand frère Félix dit la même chose, très vite, courant au bout de la phrase, et embrasse pareillement.

Mais Poil de Carotte sort de sa casquette une lettre. On lit sur l’enveloppe fermée : « À mes Chers Parents. » Elle ne porte pas d’adresse. Un oiseau d’espèce rare, riche en couleurs, file d’un trait dans un coin.

   Poil de Carotte la tend à madame Lepic, qui la décachette. Des fleurs écloses ornent abondamment la feuille de papier, et une telle dentelle en fait le tour que souvent la plume de Poil de Carotte est tombée dans les trous, éclaboussant le mot voisin.

 

     MONSIEUR LEPIC

   Et moi, je n’ai rien !

     POIL DE CAROTTE

   C’est pour vous deux ; maman te la prêtera.

     MONSIEUR LEPIC

   Ainsi, tu aimes mieux ta mère que moi. Alors, fouille-toi, pour voir si cette pièce de dix sous neuve est dans ta poche !

     POIL DE CAROTTE

   Patiente un peu, maman a fini.

     MADAME LEPIC

   Tu as du style, mais une si mauvaise écriture que je ne peux pas lire.

 

   Tiens papa, dit Poil de Carotte empressé, à toi, maintenant.

   Tandis que Poil de Carotte, se tenant droit, attend la réponse, M. Lepic lit la lettre une fois, deux fois, l’examine longuement, selon son habitude, fait « Ah ! ah ! » et la dépose sur la table.

   Elle ne sert plus à rien, son effet entièrement produit. Elle appartient à tout le monde. Chacun peut voir, toucher. Soeur Ernestine et grand frère Félix la prennent à leur tour et y cherchent des fautes d’orthographe. Ici Poil de Carotte a dû changer de plume, on lit mieux. Ensuite ils la lui rendent.

   Il la tourne et la retourne, sourit laidement, et semble demander :

   Qui en veut ?

   Enfin il la resserre dans sa casquette.

   On distribue les étrennes. Soeur Ernestine a une poupée aussi haute qu’elle, plus haute, et grand frère Félix une boîte de soldats en plomb prêts à se battre.

   Je t’ai réservé une surprise, dit madame Lepic à Poil de Carotte.

 

     POIL DE CAROTTE

   Ah, oui !

     MADAME LEPIC

   Pourquoi cet : ah, oui ! Puisque tu la connais, il est inutile que je te la montre.

     POIL DE CAROTTE

   Que jamais je ne voie Dieu, si je la connais.

 

   Il lève la main en l’air, grave, sûr de lui. Madame Lepic ouvre le buffet. Poil de Carotte halète. Elle enfonce son bras jusqu’à l’épaule, et, lente, mystérieuse, ramène sur un papier jaune une pipe en sucre rouge.

   Poil de Carotte, sans hésitation, rayonne de joie. Il sait ce qu’il lui reste à faire. Bien vite, il veut fumer en présence de ses parents, sous les regards envieux (mais on ne peut pas tout avoir !) de grand frère Félix et de soeur Ernestine. Sa pipe de sucre rouge entre deux doigts seulement, il se cambre, incline la tête du côté gauche. Il arrondit la bouche, rentre les joues et aspire avec force et bruit.

   Puis, quand il a lancé jusqu’au ciel une énorme bouffée :

   Elle est bonne, dit-il, elle tire bien.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「盲人」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、本篇には、現在、差別用語として使用しないことになっている「めくら」と語が出る。それに就いては、十全に批判的してから、読まれたい。しかし、私は、現在の、こうした差別用語を含む、過去の作品の最初や最後に「伝家の宝刀」か、「免罪符」の如く、掲げるあの愚劣な「言葉狩り」の差別用語使用注記補注には、ある種の違和感を感ずる人間である。それは、「言葉狩り」は、真に差別をなくすことに、必ずしも、繋がらないことを私は自身の体験から確信しているからである(これは何度もブログ記事で述べているので、具体的には記さない)。補注をするなら、その単語の部分でそれを、逐一、やるべきであろう。しかし、そんな仕儀の書物を見たことは、一度として、ない。どこかで一回言っておけば、十把一絡げで許されるという発想こそが、差別用語を真に理解・批判していないことの証左と断じるものである。

 

Mekura

 

     盲  人

 

 

 杖の先で、彼は、そつと戶を叩く。

 

ルピツク夫人――またやつて來た。一體なんの用があるんだらう。

ルピツク氏――それがわからんのか、お前は。いつもの十錢玉が欲しいからさ。一日の食ひ分だ。戶を開けてやれ。

 

 ルピツク夫人は、佛頂面をして、戶を開ける。盲人の腕をとつて、慌しく引摺りこむ。自分が寒いからだ。

「こんにちは、そこにゐるみなさん」

と盲人(めくら)は云つた。

 彼は前に進む。短い枚が、鼠を逐ふように、小刻みに床石の上を走る。そして、一つの椅子にぶつかる。盲人は腰をおろす。かじかんだ手を煖爐の方に伸ばす。

 ルピツク氏は、十錢の銀貨をつまんで、かういふ――

「そら!」

 彼は、それつきり相手にならない。新聞を讀みつゞける。

 にんじんは、面白がつてゐる。例の隅つこにしやがんで、盲人(めくら)の木履(きぐつ)を眺めてゐる。それがだんだん溶けて行くのである。そして、そのまわりには、もう、溝が描かれてゐる。

 ルピツク夫人はそれに氣がつく――

「その木履を貸してごらん、お爺さん」

 彼女はそれを煖爐の下へ持つて行く。もう遲い。あとには水溜りが殘つてゐる。盲人は不安氣である。足が濕り氣を感じ、片一方づゝ上へあがる。泥の混つた雪を押しのけ、そいつを遠くへ散らかす。

 にんじんは、爪で地べたをこすり、汚れた水に、こつちへ流れて來いといふ合圖をし、深い石の割目を敎へてやる。

「十錢貰つたんだから、それでもういゝぢやないか」

 聞こえよがしに、ルピツク夫人は、かう云ふのである。

 が、盲人は、政治の話をしだす。はじめは恐る恐る、しまひには誰憚らず。言葉につかへると、彼は杖を振り廻す。ストーブの煙突へ握拳をぶつけ、慌てゝ引込める。それから、油斷はならぬといふ風に、涸きゝらない淚の奧で、白眼(しろめ)をくるりと動かすのである。

 時として、ルピツク氏は、新聞を裏返しながら――

「なるほど、そりやさうだらう。だが、爺さん、それや、たしかなことかい」

「たしかなことかつて・・・?」と、盲人は叫ぶ――「そいつあ、あんまりだ。まあ、聽いておくんなさい、旦那。わしがどうして目をつぶしたかつていふと、そりやかうだ」

「ちよつくら出て行きさうもない」

と、ルピツク夫人は云ふ。

 なるほど、盲人は、すつかり好い氣特になり、自分の災難といふのを話す。伸びをする。そして、全身飴の如く、そのまゝそこへ、へばりついてしまふ。今迄は、血管の中を、氷の塊が、溶けながらぐるぐる廻つてゐたのだ。それが、かうしてゐると、その着物や手足は油汗をかいてゐるとしか思えない。地べたを見ると、水溜りがだんだん擴がり、にんじんの方へ近づいて行く。いよいよやつて來た。

 目標は彼なのだ。

 やがて、にんじんは、それで遊べるのである。

 だが、そのうちに、ルピツク夫人は、巧妙な手段を廻らし始める。彼女は、盲人のそばを擦れ擦れに步き、わざと肘をぶつけたり、足を踏んだりするのである。彼はしかたがなく、後退りする。で、とうたう[やぶちゃん注:ママ。]、火の氣の傳はつて來ない食器棚と袋戶棚の間へ押し込められてしまふ。盲人は、途方に暮れ、手探りをし、手眞似で何か云ひ、指の先が獸(けもの)のやうに逼ひまわるのである。彼は、自分だけの闇を拂ひのけようとする。またぞろ、氷の塊が出來て來た。なんのことはない、彼は、以前通り、凍えつきさうだ。[やぶちゃん注:「逼ひ」はママ。戦後版は『這い』で、「逼」には「迫る・近づく」や「狭まる・縮まる」の意味しかない。「水浴び」でも同じ用法があることから、岸田氏の思い込みの誤用である。

 そこで、盲人は淚聲で彼の物語を終るのである――

「さういふわけさ、ね、それでおしまひさ。眼玉もなくなるし、なにもかもなくなる。竈(へつつい)のなかの暗闇ばかり・・・」

 彼の杖が手から滑り落ちる。ルピツク夫人は、それを待つてゐたのだ。駈け寄つて、杖を拾ひ上げる。そして、そいつを盲人に渡すのだが・・・實際は渡さない。

 盲人は、受け取つたつもりだが、手にはなんにも持つてないのである。

 彼女は、うまく騙して、また相手を引き寄せる。そして、木履を穿かせ、戶口の方へ連れて行く。

 それから、彼女は、ちよつと意趣返しのつもりで、盲人の腕をつねり、通りへ押し出す。そこは、雪を篩ひ落した灰色の絨毛(わたげ)の下である。締め出しを食つた犬みたいに、鼻を鳴らしてゐる風の眞面(まをもて[やぶちゃん注:ママ。])である。

 で、戶を閉める前に、ルピツク夫人は、聾にでも云ふやうに怒鳴る――

 「またおいで。今のお金をおつことさないやうにね。今度の日曜だよ、お天氣がよかつたら。それから、お前さんがまだこの世にゐたらね。全く、お前さんの云ふ通りさ。誰が死んで誰が生きてるかわかるもんぢやない。誰でも苦勞つていふものはあるし、神さまはみんなのものだからね!」

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。

「十錢」“dix sous”。十スー。旧の新フランの一フランの二十分の一。十九世フランスの換算では一スーは約五十円相当であるから、まず五百円弱相当であろう。

「目標は彼なのだ」:原作では“C'est lui le but.”。戦後版では、この「彼」に『あれ』とルビする。読者に無ルビでそれを示すのは無理である。続く文の「それ」から、振り返って指示語で、「あれ」と読み直す者もなくはあるまいが、そう読まそうというからには、絶対にルビが必要である。しかし、岸田氏は、ここでは、全く、「かれ」と、まっとうに読んでいるのだと断言出来る。何故なら、原文のこの「彼」は正しく“lui”で、これは三人称代名詞「彼・彼女」で、この場合は、単に「にんじん」を「彼」と示しているに他ならないからである。本作では、作者が「にんじん」を「彼」と呼ぶ箇所は既に幾らもあった。されば、戦後版のように、わざわざ「雪の凍ったものが溶けて流れきたる水溜まりの流れ」を擬人化して、「彼(あれ)」と読みを施して面白みを出した訳は、これ、訳としては、作者の意志とは離れた、遊びの意訳と言わざるを得ないので、支持し得ない。因みに、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」では『これこそ彼が待っていたものだ。』と訳され、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』3では、『彼が終点なのだ。』と訳してある。

「意趣返し」復讐。仕返し。

「絨毛(わたげ)」:原文では、確かに“édredon”(羽毛の毛綿)。ここの部分の一文は、“elle le pousse dans la rue, sous l'édredon du ciel gris qui se vide de toute sa neige, contre le vent qui grogne ainsi qu'un chien oublié dehors.”であるが、岸田氏は原作に忠実に隠喩のままに訳してゐるが、ちよつと分かりにくくなってしまっている。倉田氏の「にんじん」では『ついに彼女は、彼を通りへ押し出してしまう。通りには、雪をすっかり降らせてしまった綿毛(わたげ)のような灰色の空の下で、外に置きざりにされてた犬のように、哀(あわ)れな泣き声をたてる風が吹きつけている。』であり、佃氏の『全集』版では、『夫人は彼を通りへと押しやる。そこは雪を降りつくした灰色の空、わた毛布團(ふとん)のような雪の下に、風が外に置きざりにされている犬のように唸(うな)り声を上げている。』と譯しておられる。私は分かり易さと自然な日本語の創る現在形のシチュエーションとして、倉田氏の訳に軍配を挙げたい。]

 

 

 

  

    L’Aveugle

 

   Du bout de son bâton, il frappe discrètement à la porte.

     MADAME LEPIC

   Qu’est-ce qu’il veut encore, celui-là ?

     MONSIEUR LEPIC

   Tu ne le sais pas ? Il veut ses dix sous ; c’est son jour. Laisse-le entrer.

 

   Madame Lepic, maussade, ouvre la porte, tire l’aveugle par le bras, brusquement, à cause du froid.

   Bonjour, tous ceux qui sont là ! dit l’aveugle.

   Il s’avance. Son bâton court à petits pas sur les dalles, comme pour chasser des souris, et rencontre une chaise. L’aveugle s’assied et tend au poêle ses mains transies.

  1. Lepic prend une pièce de dix sous et dit :

   Voilà !

   Il ne s’occupe plus de lui ; il continue la lecture d’un journal.

   Poil de Carotte s’amuse. Accroupi dans son coin, il regarde les sabots de l’aveugle : ils fondent, et, tout autour, des rigoles se dessinent déjà.

   Madame Lepic s’en aperçoit.

   Prêtez-moi vos sabots, vieux, dit-elle.

   Elle les porte sous la cheminée, trop tard ; ils ont laissé une mare, et les pieds de l’aveugle inquiet sentent l’humidité, se lèvent, tantôt l’un, tantôt l’autre, écartent la neige boueuse, la répandent au loin.

   D’un ongle, Poil de Carotte gratte le sol, fait signe à l’eau sale de couler vers lui, indique des crevasses profondes.

   Puisqu’il a ses dix sous, dit madame Lepic, sans crainte d’être entendue, que demande-t-il ?

   Mais l’aveugle parle politique, d’abord timidement, ensuite avec confiance. Quand les mots ne viennent pas, il agite son bâton, se brûle le poing au tuyau du poêle, le retire vite et, soupçonneux, roule son blanc d’oeil au fond de ses larmes intarissables.

   Parfois M. Lepic, qui tourne le journal, dit :

   Sans doute, papa Tissier, sans doute, mais en êtes-vous sûr ?

   Si j’en suis sûr ! s’écrie l’aveugle. Ça, par exemple, c’est fort ! Écoutez-moi, monsieur Lepic, vous allez voir comment je m’ai aveuglé.

   Il ne démarrera plus, dit madame Lepic.

   En effet, l’aveugle se trouve mieux. Il raconte son accident, s’étire et fond tout entier. Il avait dans les veines des glaçons qui se dissolvent et circulent. On croirait que ses vêtements et ses membres suent de l’huile. Par terre, la mare augmente ; elle gagne Poil de Carotte, elle arrive :

   C’est lui le but.

   Bientôt il pourra jouer avec.

   Cependant madame Lepic commence une manoeuvre habile. Elle frôle l’aveugle, lui donne des coups de coude, lui marche sur les pieds, le fait reculer, le force à se loger entre le buffet et l’armoire où la chaleur ne rayonne pas. L’aveugle, dérouté, tâtonne, gesticule et ses doigts grimpent comme des bêtes. Il ramone sa nuit. De nouveau les glaçons se forment ; voici qu’il regèle.

   Et l’aveugle termine son histoire d’une voix pleurarde.

   Oui, mes bons amis, fini, plus d’zieux, plus rien, un noir de four.

   Son bâton lui échappe. C’est ce qu’attendait madame Lepic. Elle se précipite, ramasse le bâton et le rend à l’aveugle, – sans le lui rendre.

   Il croit le tenir, il ne l’a pas.

   Au moyen d’adroites tromperies, elle le déplace encore, lui remet ses sabots et le guide du côté de la porte.

   Puis elle le pince légèrement, afin de se venger un peu ; elle le pousse dans la rue, sous l’édredon du ciel gris qui se vide de toute sa neige, contre le vent qui grogne ainsi qu’un chien oublié dehors.

   Et, avant de refermer la porte, madame Lepic crie à l’aveugle, comme s’il était sourd :

   Au revoir ; ne perdez pas votre pièce ; à dimanche prochain s’il fait beau et si vous êtes toujours de ce monde. Ma foi ! vous avez raison, mon vieux papa Tissier, on ne sait jamais ni qui vit ni qui meurt. Chacun ses peines et Dieu pour tous !

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の宝劔」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の宝劔【たぬきのほうけん】 〔怪談老の杖巻三〕豊後の国の家中に、名字は忘れたり。頼母《たのも》といふ人あり。武勇のほまれありて名高き人なり。その城下に化ものやしきあり。十四五年もあきやしきにてありしを、拝領して住居仕りたき段、領主へ願はれければ、早速給はりけり。後《うしろ》に山をおひ、南の方《かた》ながれ川ありて、面白き所なれば、人夫を入れて、修理おもふ儘に調ひて引うつりけるが、まづその身ばかり引こして、様子を伺ひける。勝手に大《おほ》いろり切りて、木を多くたき、小豆がゆを煮て、家来にもくはせ我も喰ひ居たり。未だ建具などはなかりければ、座敷も取りはらひて、一目に見渡さるゝ様なりしに、雨戸をあけて背のたかさ八尺ばかりなる法師出で来れり。頼母は少しもさわがず、いかがするぞとおもひ、主従声もせず、さあらぬ体《てい》にて見て居《をり》ければ、いろりへ来りてむずと坐しけり。頼母はいかなるものの人にばけて来りしやとおもひければ、ぼうずはいづ方の物なるや、此やしきは我れ此度《このたび》拝領してうつり住むなり、さだめてその方はこの地にすむものなるべし、領主の命なれば、はや某《それがし》が屋鋪に相違なし、その方さヘ申分なくば、我等に於てはかまひなし、徒然なる時はいつにても来りて話せ、相手になりてやらんと云ひければ、かの法師おもひの外に居《ゐ》なほりて手をつき、畏り奉りしといひて、大に敬ふ体なり。頼母はさもあらんとおもひて、近々女房ども引つれてうつるなり、かならずさまたげをなすべからずといひければ、少しも不調法は致し申すまじ、なにとぞ御憐愍にあづかり、生涯をおくり申度《まうしたし》といひければ、心得たり、気遣ひなせそといふに、いかにもうれしげなる体なり。毎晩はなしに来れよといひければ、有難く存じ候とて、その夜は帰りにけり。あけの日人の尋ねければ、何もかはりたる事なしと答へ、家来へも口留めしたりける。もはや気遣ひなしとて、妻子をもむかへける。かゝる人のつまとなれる人とて、妻女も心は剛《かう》なりけり。明日の夜もまた来りて、いろいろふる事《ごと》など語りきかせけるに、古戦場の物語りなどは、誠にその時に臨みて、まのあたり見聞するが如く、後は座 頭などの夜伽するが如く、来らぬ夜はよびにもやらまほしき様なり。然れどもいづ方より来《きた》るもと、問はず語らずすましける、あるじの心こそ不敵なりける。のちには夏冬の衣類は、みな妻女かたよりおくりけり。かくして三とせばかりも過ぎけるが、ある夜いつよりはうちしめりて、折ふしなみだぐみけるけしきなりければ、頼母あやしみて、御坊は何ゆゑ今宵は物おもはしげなると問はれければ、ふとまゐり奉りしより、これまで御慈悲を加へ下されつるありがたさ、中々言葉にはつき申さず、しかるにわたくし事、はや命数つきて、一両日の内には命終り申すなり、それにつきわたくし子孫おほく、この山のうちにをり候が、私死後も相かはらず、御れんみんを願ひ奉るなり、誠にかくあやしき姿にもおぢさせ給はで、御ふたりともにめぐみおはします御こゝろこそ、報じても報じがたく、恐れながら御なごりをしくこそ存候とてなきけり。夫婦もなみだにくれてありけるが、かの法師立あがりて、子ども御目見えいたさせたしと、庭へよびよせおき申候とて、障子を開きければ、月影に数十疋の狸ども集まり、首をうなだれて敬ふ体なり。かの法師、かれらが事ひとへに頼みあぐるといひければ、頼母高声《かうせい》に、きづかひするな、我等めをかけてやらんと云ひければ、うれしげにて皆々山の方へ行きぬ。法師も帰らんとしけるが、一大事を忘れたり、わたくし持ち伝へし刀あり、何とぞさし上げ申したしといひて帰りけり。一両日過ぎて、頼母上の山へ行きてみければ、いくとせふりしともしらぬ狸の、毛などはみなぬけたるが死《しに》ゐたり。傍に竹の皮にてつゝみたる長きものあり。これ則ちおくらんと云へる刀なり。ぬきて見るに、その光り爛々として、新たに砥《とぎ》より出づるがごとし。誠に無類の宝劔なり。これに依り頼母、つぶさにその趣を書きつけて、領主へ猷上せられければ、殊に以て御感ありけり。今その刀は中川家の重宝となれり。

[やぶちゃん注:私は古くに「柴田宵曲 妖異博物館 猿の刀・狸の刀」の私の注で、正字表現で電子化しており、後に、原活字本による「怪談老の杖卷之三 狸寶劍をあたふ」も電子化注してあるので、それらを見られたい。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「日課」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。そこで述べたが、底本の対話形式の部分は、話者が示され、ダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めてある。ところが、ここは、二段落目以降、総てが、「にんじん」の独擅場であるので、恐らく、底本では植字工がそれを、初回ページ最後の二行ではそれを実行しているにも関わらず、次のページをめくってみると、通常の版組の頭から印刷されてしまって、通常の形になったまま、最後まで、その版組で終わってしまっている。半数以上の読者は、それに気づかずに読み終えてしまうであろうから、敢えて言っておく。なお、戦後版では、それは底本ではちゃんと行われてある(但し、サイト版は同様の理由からそれを再現はしていない)。

 

Nikka

 

      日  課

 

 

 「拍子拔けがしたらう」と、にんじんは、臺所で、アガアトと二人きりになつてから云つた――「がつかりしちや駄目だよ。こんなことはしよつちゆうあるんだから・・・。だけど、そんな壜をもつて何處へ行くの」

 「穴倉へですよ、にんじん坊つちやん」

 

にんじん――おつと待つた。穴倉へは僕が行くんだ。梯子段があぶなくつて、女の人は滑つて首の骨をへし折つちまひさうなんだ。そいつを僕が平氣で降りられたもんで、それから、この僕でなけれやならないつてことになつたんだ。赤い封蠟と靑い封蠟をちやんと見分けられるしね。

 僕が空樽を賣ると、そいつは僕の收入(みいり)になるんだぜ。兎の皮だつてさうだよ。お金はお母さんに預けとくんだ。

 よく打合せをしとかう、いゝかい、お互に仕事の邪魔をしないやうにね。

 朝は、僕が犬の小屋を開ける。それから、スープも僕がやることになつてる。晚は、これも僕が、口笛で呼んで寢かせつける。町へ出てなかなか歸つてこないやうな時は、待つてるんだ。

 それから、母さんとの約束で、鷄小舍は、僕がいつも閉めに行くことになつてる。僕はまた草挘(むし)りもする。どんな草でもいゝつてわけに行かないからね。くつついてる土は、足ではらつて、あとの穴を埋めとく。草は家畜にやるんだ。

 運動のために、僕は、父(とう)さんの手傳ひをして薪を切ることになつてゐる。[やぶちゃん注:「薪」は戦後版では、『まき』とルビする。それを採る。]

 父さんが生きたまゝ持つて歸つた獵の獲物は、僕が首をひねる。君とエルネスチイヌ姉さんが羽根を挘(むし)るんだぜ。

 魚の腹は、僕が割く。腸(わた)も出す。それから、浮囊は踵でぴちんと潰す。

 さういふ時、鱗(こけ)を取るのは君だよ。それから、井戶から水を汲み上げるのもね。[やぶちゃん注:「鱗」通常の読者は、百%、「うろこ」と読む。しかし、戦後版では『こけ』と振っている。]

 糸卷の糸をほどく時は、僕が手傳ふから。

 珈琲は、僕が挽く。

 旦那さんが泥だらけの靴を脫いだら、僕がそいつを廊下へ持つて出る。だが、エルネスチイヌ姉さんは、上履(うはぐつ)を持つてくる權利を誰にも讓らないんだ。自分で刺繍繡をしたからなんだ。

 大事な使ひは僕が引き受ける。遠道(とほみち)をするときだとか、藥屋や醫者へ行く時もさうだ。

 君の方は、小さな買物やなんか、村の中だけの走り使ひをするわけだ。

 しかし、君は、每日二三時間、それも年が年中、川で洗濯をしなけれやならない。こいつが一等辛い仕事だらう。氣の毒だがやつてくれ。僕にや、それだけはどうすることもできないんだ。でも、時々は、暇があつたら、僕も手を藉(か)してあげるよ、洗濯物を生籬(いけがき)の上へひろげる時なんかにね。

 あゝ、さうさう、注意しとくけどね、洗濯物は、決して果物の樹の上へひろげちやいけないよ。旦那さんは君に小言なんか云やしない。いきなり、そいつを地べたの上へ彈(はじ)き飛ばしちまふから。すると奧さんは、ちよつと泥がついたゞけでもう一度川へ行つて來いといふよ。

 靴の手入は君に賴むよ。獵に行く靴へは、うんと油を塗つてくれ給へ。ゴム靴には、ぼつちり靴墨をつけるんだ。でないと、あいつは、こちこちになるからね。

 泥のついた半ズボンは、一所懸命に落とさなくつたつていゝ。旦那さんは、泥がついてたほうがズボンの持ちがいゝつていふんだ。なにしろ、掘り返した土ん中を、裾もまくらずに步くんだからね。旦那さんは僕を連れてく時がある。獲物を僕が持つんだ。さういふ時、僕は、ズボンの裾をまくつた方がいゝ。すると、旦那さんは僕にかう云ふんだ――

 「にんじん、お前は碌な獵師になれんぞ」

 しかし、奧さんは、僕にかう云ふんだ――

 「ズボンを汚したら承知しないから・・・。耳がちぎれても知らないよ」

 こいつは、趣味の問題だ。

 要するに、君だつてそんなに悲觀することはないさ。僕の休暇中は、二人で用事を分擔しよう。それから、姉さんと兄さんと僕が、また寄宿へ歸るやうになつたら、君の用事も少なくなる。つまり、おんなじわけだ。

 それに、誰も君に對しちや、それほど辛く當りやしないよ。うちに來る人たちに訊いて見給ひ[やぶちゃん注:ママ。以下、同じ。訛りのような俗っぽい口つき(文法の誤り)を意訳的に再現した岸田氏の確信犯の仕儀のように私には思われる。]。みんなさういふから。――姉さんのエルネスチイヌは優しきこと天使の如しだし、兄貴のフエリツクスは心ばえ[やぶちゃん注:ママ。]いとも氣高く、旦那さんは、資性廉直、判斷に狂ひがない。奧さんは、こりや、稀に見る料理の名人だ。君の眼からは、恐らく、家族中で僕が一等むづかし屋に見えるだらう。なに、根を洗や、ほかのものと違ひはないのさ。たゞ、扱ひ方を知つてれやいゝんだ。それに、僕の方でも考へるし、惡いところは直しもする。謙遜ぶらずに云へば、僕、だんだん人間がましにはなつて來たんだ。若し君の方で、少しでもその氣になつてくれれや、僕たちは、非常にうまく調子を合はして行けると思ふんだ。

 あゝ、駄目だぜ、僕のことをこれから「にんじん坊つちやん」なんて呼んぢや。「にんじん」つて呼び給ひ、みんなとおんなじやうに。「若旦那さん」ていふよりや短くつていゝ。たゞ君のお祖母さんのオノリイヌみたいに、「かうだよ」とか、「かうしてやらう」なんて云はないでくれ給ひ。僕あ、それが嫌ひさ。君のお祖母さんは、何時もさういふんだもの、僕あ癪にさわつてね。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。「にんじん」は恰も慇懃無礼な「小姑」のように滔々と日課・「ルピック家」の掟(おきて)や役割分担を詳細に亙って教える。しかし、悪意は見られない。寧ろ、偉そうに語りながら、外から来た同世代の少女に(恐らくは「にんじん」より僅かに年上であろう)、フラットな今まで感じたことのない他者への、女性への、親近性を、かすかに感じ、或いは、幾分か、彼女に興味を持っている雰囲気さえも字背に感じられる。また、翻って読み解くなら、「にんじん」は「ルピック家」の体の好い下男並みの扱いを受けさせられてしまっているということも、本篇の今一つの主意であることが、判る仕組みとなっているのである。アガアトも内心、最後には、『この子は、この家の中にあって、なんて可哀そうな立場なんだろう。』という思いが萌しているのではないか? アガアトの反応が描かれない分、それを暗に強く感じさせる、と私は思うのである。なお、この丁寧な言いの背後には、アガアトの追放に加担した「にんじん」の内心の後ろめたさも影響していると読むべきでもあろう。

「赤い封蠟と靑い封蠟」ワインの等級、若しくは、ビンテージの區別を示すものと思われる。現行では、「赤」は日々の通常の食卓用、「青」は少し豪華なそれや、改まった場面での上級物を指すことが多いようである。

「どんな草でもいゝつてわけに行かないからね」これは草の種類をよく知つていないと、折角、植えた大事な植物や、人の食用・薬用になる有用な植物まで雑草として抜いてしまうことになるから僕の役目なんだよ、といふにんじんが植物学に詳しい知識人であることの、半ば自慢である。

「遠道(とほみち)」中・遠距離のお使い。

「ゴム靴には、ぼつちり靴墨をつけるんだ」「ぼつちり」は高知方言で「ちょうどいい具合な感じで」の意味があるが、それではない。何故なら、そもそも原文は“peu”で、これは「少しだけ・ごく少量」の意であるからである。恐らくは思うに、原稿は半濁音だったのを、植字工が誤植した可能性が極めて高い。事実、戦後版では『ぽっちり』となっているのでである。

「資性廉直」生まれつきの資質・心が清らかで、欲を持たず正直なこと。

「根を洗や」「結局のところはさ」の意。]

 

 

 

 

    Le Programme

 

   Ça vous la coupe, dit Poil de Carotte, dès qu’Agathe et lui se trouvent seuls dans la cuisine. Ne vous découragez pas, vous en verrez d’autres. Mais où allez-vous avec ces bouteilles ?

   À la cave, monsieur Poil de Carotte.

 

     POIL DE CAROTTE

   Pardon, c’est moi qui vais à la cave. Du jour où j’ai pu descendre l’escalier, si mauvais que les femmes glissent et risquent de s’y casser le cou, je suis devenu l’homme de confiance. Je distingue le cachet rouge du cachet bleu.

   Je vends les vieilles feuillettes pour mes petits bénéfices, de même que les peaux de lièvres, et je remets l’argent à maman.

   Entendons-nous, s’il vous plaît, afin que l’un ne gêne pas l’autre dans son service.

   Le matin j’ouvre au chien et je lui fais manger sa soupe. Le soir je lui siffle de venir se coucher. Quand il s’attarde par les rues, je l’attends.

   En outre, maman m’a promis que je fermerais toujours la porte des poules.

   J’arrache des herbes qu’il faut connaître, dont je secoue la terre sur mon pied pour reboucher leur trou, et que je distribue aux bêtes.

   Comme exercice, j’aide mon père à scier du bois.

   J’achève le gibier qu’il rapporte vivant et vous le plumez avec soeur Ernestine.

   Je fends le ventre des poissons, je les vide et fais péter leurs vessies sous mon talon.

   Par exemple c’est vous qui les écaillez et qui tirez les seaux du puits.

   J’aide à dévider les écheveaux de fil.

   Je mouds le café.

   Quand M. Lepic quitte ses souliers sales, c’est moi qui les porte dans le corridor, mais soeur Ernestine ne cède à personne le droit de rapporter les pantoufles qu’elle a brodées elle-même.

Je me charge des commissions importantes, des longues trottes, d’aller chez le pharmacien ou le médecin.

   De votre côté, vous courez le village aux menues provisions.

   Mais vous devrez, deux ou trois heures par jour et par tous les temps, laver à la rivière. Ce sera le plus dur de votre travail, ma pauvre fille ; je n’y peux rien. Cependant je tâcherai quelquefois, si je suis libre, de vous donner un coup de main, quand vous étendrez le linge sur la haie.

   J’y pense : un conseil. N’étendez jamais votre linge sur les arbres fruitiers. Monsieur Lepic, sans vous adresser d’observation, d’une chiquenaude le jetterait par terre, et madame Lepic, pour une tache, vous renverrait le laver.

   Je vous recommande les chaussures. Mettez beaucoup de graisse sur les souliers de chasse et très peu de cirage sur les bottines. Ça les brûle.

   Ne vous acharnez pas après les culottes crottées. Monsieur Lepic affirme que la boue les conserve. Il marche au milieu de la terre labourée sans relever le bas de son pantalon. Je préfère relever le mien, quand monsieur Lepic m’emmène et que je porte le carnier.

   Poil de Carotte, me dit-il, tu ne deviendras jamais un chasseur sérieux.

   Et madame Lepic me dit :

   Gare à tes oreilles si tu te salis.

   C’est une affaire de goût.

   En somme vous ne serez pas trop à plaindre. Pendant mes vacances nous nous partagerons la besogne et vous en aurez moins, ma soeur, mon frère et moi rentrés à la pension. Ça revient au même.

   D’ailleurs personne ne vous semblera bien méchant. Interrogez nos amis : ils vous jureront tous que ma soeur Ernestine a une douceur angélique, mon frère Félix, un coeur d’or, monsieur Lepic l’esprit droit, le jugement sûr, et madame Lepic un rare talent de cordon-bleu. C’est peut-être à moi que vous trouverez le plus difficile caractère de la famille. Au fond j’en vaux un autre. Il suffit de savoir me prendre. Du reste, je me raisonne, je me corrige ; sans fausse modestie, je m’améliore et si vous y mettez un peu du vôtre, nous vivrons en bonne intelligence.

   Non, ne m’appelez plus monsieur, appelez-moi Poil de Carotte, comme tout le monde. C’est moins long que monsieur Lepic fils. Seulement je vous prie de ne pas me tutoyer, à la façon de votre grand’mère Honorine que je détestais, parce qu’elle me froissait toujours.

 

2023/11/30

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の筆蹟」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇は複数話を合わせてあり、かなり長い。また、以下の第一話には、底本で狸の描いた画が載る。しかし、底本のそれは小さく、『ちくま文芸文庫』のそれを読み取る気にもならない。されば、ここは引用元の、私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編・第五集) 古狸の筆蹟』に掲げたものを、第一話の底本で挿入してあるのは場所がずれていてよくないので、私の方で適切な位置に配することとした。

 

 狸の筆蹟【たぬきのひっせき】 〔兎園小説第五集〕世に奇事怪談をいひもて伝ふること、多くは狐狸のみ。貒(まみ)、狢《むじな》、猫の属ありといへども、これに及ばず。思ふに狐の人を魅(ばか)す事甚だ害あり。狸の害はしからず。かくて古狸のたまたま書画をよくすること、世人の普《あまね》くしるところにして、已に白雲子の蘆雁の図は、写山楼の蔵にあり、良恕のかける寒山の画は、蘆園主人示されき。その縮本今載せて『耽奇漫録』中に収めたり。これまさしく老狸の画けるものにして、諸君と共に目撃する所なり。しかるにその書をかけることを、予<山崎美成>嘗て聞けるは、武州多摩郡国分寺村<東京都国分寺市>名主儀兵衛といふ者の家に、狸のかきたりし筆跡あり。三社の託宣にて、篆字、真字、行字をまじへ、文章も違へる所ありて、いかにも狸などの書きたらんと見ゆるものなるよし、これは狸の僧のかたちに化けて、この家に止宿し、京都紫野大徳寺の勧化僧《くわんげそう》にて無言の行者と称し、用事はすべて書をもて通じたり。辺鄙の事故、在り難き聖のやうに思ひて、馳走して留めたりといふ。その後、武蔵の内にて犬に見咎められてくひ殺され、狸の形をあらはしゝとのことなりしとぞ。その頃、この事を人々にも語りしに、友人鹿山の同日の談ありとていへらく、予往年鎌倉に遊びしとき、川崎<神奈川県川崎市>の駅に止宿し、問屋某の家に蔵する所の狸の書といふものを見たり。「不騫不崩南山之寿」と書けり。その書体、八分にもあらず。真行にもあらず。奇怪言ふべからず。いかにも狸の書といふべし。問屋の話に、鎌倉辺の僧のよしにて、そのあたりを勧化せし事、五六年の間なり。果は鶴見生麦の辺にて犬に食はれしよし、この事はさのみ久しき事にあらず。予が遊びし十年も前の事なりといふ。この二条、その年月を詳《つまびらか》にせずといへども、今その墨跡の現にその家に存したれば疑ふべからず。〔同〕下総香取<千葉県香取郡>の大貫村藤堂家の陣屋隷《じんやれい》なる某甲の家に棲めりしといふ古狸の一くだりは、予もはやく聞きたることあり。当時その狸のありさまを見きといふ人のかたりしは、件の狸は彼家の天井の上にをり、その書を乞はまくほりするものは、みづからその家に赴きて、しかじかとこひねがへば、あるじそのこゝろを得て紙筆に火を鑽(き)りかけ、墨を筆にふくませて席上におくときは、しばらくしてその紙筆、おのづからに閃き飛びて天井の上に至り、又しばらくしてのぼりて見れば、必ず文字あり。或は鶴亀、或ひは松竹、一二字づつを大書して、田ぬき百八歳としるしゝが、その翌年に至りては百九歳とかきてけり。これによりて前年の百八歳は、そらごとならずと人みな思ひけるとなん。

 

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されば狸は天井より折ふしはおりたちて、あるじに近づくこと常なり。また同藩の人はさらなり。近きわたりの里人の日ごろ親しみて来るものどもは、そのかたちを見るもありけり。ある時あるじ、戯れにかの狸にうちむかひて、なんぢ既に神通あり、この月の何日には、わが家に客をつどへん、その日に至らば何事にまれ、おもしろからんわざをして見せよかしといひにけり。かくて其日になりしかば、あるじ、まらうどらに告げていはく、某嚮(さき)に戯れに狸に云々といひしことあり、さればけふのもてなしぐさには、只これのみと思へども、渠よくせんや、今さらに心もとなくこそといふ。人々これをうち聞きて、そはめづらしき事になん、とくせよかしとのゝしりて、盃をめぐらしながら賓主かたらひくらす程に、その日も申(さる)の頃になりぬ。かゝりし程に、座敷の庭忽ち広き堤になりて、その院のほとりには、くさぐさの商人あり。或は葭簀張(よしず《ばり》)なる店をしつらひ、或ひはむしろのうへなどに物あまたならべたる、そを買はんとて、あちこちより来る人あり。かへるもあり。売り物のさはなる中に、ゆで蛸をいくらともなく簷《ひさし》にかけわたしさへ、いとあざやかに見えてけり。人々おどろき怪しみて、猶つらつらとながむるに、こはこの時の近きわたりにて、六才にたつ市にぞありける。珍らしげなき事ながら、陣屋の家中の庭もせの、かの市にしも見えたるを、人みな興じてのゝしる程に、漸々にきえうせしとぞ。これよりして狸の事、をちこちに聞えしかば、その書を求むるものはさらなり。病難利慾何くれとなく、祈れば応験ありけるにや。縁を求めて詣づるもののおびたゞしくなりしかば、遂に江戸にもそのよし聞えて、官府の御沙汰に及びけん。有司みそかに彼地に赴き、をさをさあなぐり糺ししかども、素より世にいふ山師などのたくみ設けし事にはあらぬに、且つ大諸侯の陣屋なる番士の家にての事なれば、さして咎むるよしなかりけん。いたづらにかへりまゐりきといふものありしが、虚実はしらず。これよりして、彼家にては紹介なきものを許さず。まいて狸にあはする事はいよいよせずと聞えたり。これらのよしを伝聞せしは、文化二三年のころなりしに、こののちはいかにかしけん。七十五日と世にいふ如く噂もきかずなりにけり。(このころ両国広巷路にて、狸の見せ物を出だしゝありしに、かの大貫村なる狸の風聞高きにより、官より禁ぜられしなり) 〔蕉斎筆記巻三〕 [やぶちゃん注:一字空けはママ。]当五月凡十子《はんじふし》(串田弥助なり)江戸よりの帰路、伊勢参宮の願ひありて、池鯉鮒(ちりう)の宿より南へあたり、亀浜と云ふ所有り。それより二見の浦へ参らんと、亀浜迄行きけるに、折節麦こなし[やぶちゃん注:農家で、収穫して干した麦の束から実を外し、麦粒にする作業を指す。現在の六月頃で、農事では稲刈りに次ぐ農繁期であり、木槌で打ったり、千歯扱きで引き梳くのに猫の手も借りたい時期で、普通に道端で盛んに行われた。或いは、そのために農家でない力自慢の船子(ふなこ)なども雇われたのであろう。続く以下の一文がそれを示唆しているようにも読める。]の時節なれば、一向に便船なく、其所の鳴田久兵衛と云ふものの所に止宿せり。元は酒造家なり豪家にても有りけるが、近来《ちかごろ》は百姓ばかりして追々身上《しんしやう》もよくなり、そのあたりにての家柄なり。さて亭主色々の咄有りけるに、その父禅学を好み京都へも出、大徳寺の和尚を帰依しけるが、或時和尚にもちと亀浜辺ヘも来り、御逗留あれかしなど云ひ置き帰りけるが、その後半年ばかりして大徳寺和尚一人ふらりつと見えたり。則ちこの座敷に逗留し給ひけるゆゑ、御気詰りにも有るべしなど色々慰め、筆硯など出しければ、一行物額字その外書写し楽しまれ、折節白地の屛風有りけるゆゑ、これへ御書き下さるべしなどいひければ、打付書《うちつけが》きに偈《げ》を書き、紫野大徳寺和尚と印迄居(す)ゑられたり。凡そ百三十日ばかりも逗留して帰り申されぬ。その後京都へ書状遣はし、よくこそ遠路御出御逗留ありしなど、念頃に礼を申遣はしけるに、和尚一円覚えなき事、定めて例のまいす坊主めなるべし、しかし亭主と馴染の事なれば不審なりと申しやられけるに、これは不思議なることなり、則ちその節の書き物なりとて、またまた遣はしけるに、和尚横手を打ち、これは不思議の事なり、狸の所為なるべし、既に夜中《やちゆう》座禅し偈を作り経をよみければ、縁先に古狸来り聞《きき》ける故、障子を明ければその儘立去りぬ、毎夜の事故、苦しからず、それにてきけかしといはれけれども、畜生の浅ましさには遂に逃行きぬ、その後また来《きた》ることなかりしに、その折柄《をりから》より机の上に置きたるこの石印《せきいん》見えず、右の古狸ぬすみ我に化けて参りたるなるべしと申す事なり。諸方より聞及びたるもの、一行物額字等皆々所望にあひけれども、この屛風ばかり残りたりとなむ。甚だ奇談なり。その後其狸にてあるべし。大津の先にて出家一人を駕籠に乗替《のりかへ》るに、犬に見付けられ喰殺され、正体をあらはしけるに、その石印を所持しけりとなん聞えし由、亭主咄しけるとなり。凡十子その屛風を見られけるに、見事なる手跡なりとなり。<『道聴塗説第三編』に同様の文章がある>〔真佐喜のかつら〕自在庵能阿は其角《きかく》座の俳諧師なり。狂ありてをかしみある句を好み、この叟《さう》狸の書《かき》たると言ふ短冊一葉を蔵す。「名月や畳のうへに桧のかげ」と云ふ句なり。予<青葱堂冬圃>過し[やぶちゃん注:ママ。後掲の活字本も不審としてママ注記を打つ。]事の有りしが、墨色筆勢甚だ奇なり。その子細をきくに、或年この叟房州へ杖を引き、戻りに上総国某の村に知れる家有り、二三日足をとゞむ。主も風雅の好人《すきびと》にて、俳談終夜なりしが、我家に去年冬より当夏までおかしき事のありぬ。故ありて狸一疋を助けしより、竃《へつつい》へ火をもさんとするに、薪木《たきぎ》の葉など入れあり。瓶へ水を汲まんとするに、いつしか水汲み入れありて下男どもが手助けとなり、されど只《ただ》火の事と座敷の事は少しもなさず。定めて狸の業《わざ》なるべしとおもしろがりしが、いつかその事やみて、また一夜夢みる事ありてより、一間の内へ墨摺り筆紙添へ、なににても手本を入れ置けば、その手本の通りに認《したため》かひぬ[やぶちゃん注:意味不明。同前でママ注記あり]。貴叟もこのみ給はゞ、何なりともかゝせ給へと云ふにより、まへの句かきて入れ置きしに、程なく書き置きたりとかたりぬ。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ上段から)で視認出来る。なお、この記事はパート標題『寬政七乙卯年拔書』であるから、「五月」は五月一日がグレゴリオ暦一七九五年六月十七日である。

「凡十子(串田弥助なり)」広島藩藩士で勘定所吟味役となっている。

「池鯉鮒(ちりう)の宿」東海道五十三次の三十九番目の宿場であった愛知県知立(ちりゅう)市にあった「池鯉鮒宿」(ちりゅうしゅく:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。歴史的仮名遣は「ちりふ」が正しい。

「亀浜」不詳。旧池鯉鮒宿の比較的近くなら、南南西に愛知県半田市亀崎町がある。

「二見の浦」伊勢市の二見が浦。亀崎港からなら、違和感はない。

「大徳寺」京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派大本山龍宝山大徳寺

「道聴塗説《だうちやうとせつ》第三編」儒者大郷信斎(おおごうしんさい 明和九(一七七二)年~天保一五(一八四四)年:名は良則。越前鯖江藩士。始め、芥川思堂に師事し、後、昌平黌で林述斎に学んだ。述斎が麻布に創建し学問所城南読書楼の教授とあった。文化一〇(一八一三)年には、藩が江戸に創設した稽古所(後の惜陰堂)でも教えた。著作に「心学臆見論」など)が、文政八(一八二五)・九年から、天保元(一八三〇)年にかけての風聞・雑説を記したもの。なお、この書名は一般名詞では、「論語」の「陽貨」にある「子曰、道聽而塗說、德之棄也。」に拠る語で、「路上で他人から聞いたことを、すぐに、その道でまた第三者に話す。」意で、「他人から、よい話を聞いても、それを心に留めて自分のものとしないままに、すぐ他に受け売りすること」を指す。転じて、「いい加減な世間の噂話・聴き齧りの話」の意である。

「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここ(左ページ)で正規表現で視認出来る。

 なお、私の「柴田宵曲 妖異博物館 狸の書」も参照のこと。――もう――飽きた、正直、ね…………]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「アガアト」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Agathe

 

     アガアト

 

 

 オノリイヌの代りには、その孫娘のアガアトが來ることになつた。

 物珍しさうに、にんじんは、この新來の客を觀察した。この數日間、ルビツク一家の注意は、彼から彼女の方へ移るわけである。

 「アガアトや」と、ルピツク夫人は云ふ――「部屋へはひる前には、叩いて合圖をするんだよ。だからつて、なにも、馬みたいな力で戶を蹴破らなくつたつていゝんだからね」

 「そろそろ始まつた」と、にんじんは心の中で云つた――「まあ、晝飯の時、どんなか見てゝやらう」[やぶちゃん注:この二ヶ所は二重鍵括弧とすべきところである。]

 食事は、廣い臺所でするのである。アガアトはナフキンを腕にかけ、竈(へつつい)から戶棚へ、戶棚から食卓へ、いつでも走る用意をしてゐる。といふのが、彼女はしずしずと步くなんていふことがほとんどできないのである。頰(ほつ)ぺたを眞赤(まつか)にし、呼吸をきらしてゐるほうがいいらしい。[やぶちゃん注:「竈」このままでは、多くの読者は「かまど」と読む。しかし、先行する「鍋」で岸田氏は「竈(へつつい)」とルビするので、それを採る。]

 そして、ものを言ふときは、あんまり早口だし、笑ふときは聲が大き過ぎ、それになんでも、あんまり一生懸命になりすぎるのである。

 ルピツク氏が一番先へ席に着き、ナフキンをほどき、自分の皿を正面にある大皿の方へ押しやり、肉をよそひ、ソースをかけ、またその皿を引寄せる。飮みものも自分で注ぐ。それから、背中を丸くし、眼を伏せたまゝ、つゝましく、今日も何時もと同じやうに、我れ關せずといふ風で食事をするのである。[やぶちゃん注:「注ぐ」戦後版では「注(つ)ぐ」とルビする。それに従う。]

 皿を更へるときは、彼は椅子の方へからだをそらし、尻をちよつと動かす。

 ルピツク夫人は、自分手づから、子供たちの皿につけてやる。第一番に兄貴のフエリツクス。これは、もう我慢ができないほど腹を空かしてゐるからだ。次は姉のエルネスチイヌ。年長の故にである。おしまひがにんじん。彼は食卓の一等隅つこにゐるのである。

 彼は固く禁じられてゞもゐるやうに、決してお代りをしない。一度よそつた分だけで滿足してゐるらしい。だが、もつと上げようと云へば、それは貰ふのである。飮みものなしで、彼は、嫌ひな米を頰張る。ルピツク夫人の御機嫌を取るつもりである。一家のうちで、たつた一人、彼女だけは米が大好きなのである。

 これに反して、誰に氣兼ねもいらない兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌは、お代りが欲しければ、ルピツク氏のやり方に慣つて、自分の皿を大皿の方へ押しやるのである。

 たゞ、誰も喋らない。

 「この人たちは一體どうしたんだらう」

 アガアトは、さう思つてゐる。

 彼らはどうもしないのである。さういふ風なのだ。たゞそれだけである。

 彼女は、誰の前でもかまはない、兩腕を伸ばして欠伸をしないではゐられない。

 ルピツク氏は、硝子のかけらでも嚙むやうに、ゆつくり食べてゐる。

 ルピツク夫人は、これはまた、食事の時以外は鵲よりもお饒舌なのだが、食卓につくと、手眞似と顏つきでものを云ひつけるのである。[やぶちゃん注:「お饒舌」戦後版を参考にするなら、「おしやべり」。]

 姉のエルネスチイヌは、眼を天井に向けてゐる。

 兄貴のフエリツクスはパンの屑で彫刻をこしらへ、にんじんは、湯吞がもうないので、皿についたソースを拭き取るのに、あんまり早すぎては食ひ心棒みたいだし、あんまり遲すぎても愚圖々々してゐたやうだし、そこをうまくやらうと、そのことばかりに心を遣つてゐる。この目的から、彼は、複雜な計算に沒頭する。

 だしぬけに、ルピツク氏が、水差しに水を入れに行く。

 「わたしが行きますのに・・・」

と、アガアトが云ふ。

 或は、寧ろ、そう云つたのではなく、たださう考へたゞけである。彼女は、それだけでもう、世の中のあらゆる不幸に見舞はれたやうに、舌が硬ばり、口をきくことができない。だが、自分の落度として、注意を倍加するのである。

 ルピツク氏のところには、もう殆どパンがない。アガアトは、今度こそ、先手を打たれないやうにしなければならぬ。彼女は、ほかの者のことを忘れるくらゐにまで、彼の方に氣をつけてゐる。そこで、ルピツク夫人は、突慳貪に、

 「アガアトや、お前、さうしてると、からだから枝が生えやしないかい」

 やつと、性根をつけられて、[やぶちゃん注:気合をいれられて。]

 「はい、なんでございます」

と、答へる。

 それでも、彼女は、ルピツク氏から眼を離さずに、心を四方に配つてゐるのである。彼女は、氣がきくといふ點で、彼を感心させ、自分の値打を認めてもらはうといふのだ。

 時こそ來れである。

 ルピツク氏がパンの最後の一口を、今や口へはうり込んだと思ふと、彼女は戶棚の方へ飛んで行き、まだ庖丁も入れてない五斤分の花輪形パンをもつて來て、それをいそいそと彼の方に差出した。主人の欲しいものが、默つてゐてもわかつたといふうれしさで、胸がいつぱいだ。

 ところが、ルピツク氏は、ナフキンを結び、食卓を離れ、帽子をかぶり、裏庭へ煙草を喫ひに行くのである。

 食事が濟んでから、またはじめるなんていふことを、彼はしない。

 釘づけみたいに、そこへ立つたまゝ、アガアトは、ぽかんとして、五斤かゝる花輪形パンをお腹(なか)の上に抱え[やぶちゃん注:ママ。]、浮袋會社の蠟細工看板そつくりである。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。私は文句なしに、「にんじん」の登場人物の中で、このアガアトを無条件で――「愛する」人種である。なお、「にんじん」がしでかした冤罪で暇を出された悔しいオノリイヌも、孫娘が代わりに女中に入ったから、絶望の果ての極みというわけでも、まあ、なかろうか。

「鵲」スズメ目カラス科カササギPica pica 。「カカカカッツ」「カチカチ」「カシャカシャ」といつたうるさい鳴き声を出す。本邦では、大伴家持の「かささぎのわたせる橋におく霜のしろきをみれば夜ぞふけにける」等で「七夕の橋」となるロマンティクな鳥であるが(但し、日本では佐賀県佐賀平野及び福岡県筑後平野にのみに棲息する。これが日本固有種か、半島からの渡来種かは、現在でも評価が分かれている)、ヨーロツパでは、キリストが架刑された際、カササギだけが嘆き悲しまなかつたといふ伝承からか、「お喋り」以外にも、「不幸」・「死の告知」・「悪魔」・「泥棒」(雑食性から。学名の“pica”自体がラテン語で「異食症の」といふ意味)と、シンボリックには極めて評価が悪い。

「落度」過ち・失敗。正しくは「越度」と書く(歴史的仮名遣では古くは「をつど」で、後に音変化で「をちど」となった。本来は、本邦で「通行手形を持たずに関所破りをして間道を越え抜ける罪」を指す語であった。戦後版では正しく『越度』となっている。

「花輪型パン」原文は“couronne” (音写「クロォンヌ」)で、「冠」の意。「王冠型の中央部が抜けた環状の丸いフランスパン」を指す。岸田氏はレンゲの花の冠などを想起したのであろうが、ここではそれなりに大きい(だから最後に「浮袋會社の蠟細工看板」にそつくりなのである。ちなみに「浮袋會社」といふのもやや不自然。「救命用具を製造している会社」の謂いである)から、「花輪」といふ訳では、本邦の葬花の花輪をイメージしてしまうので、私には余り良い訳語とは思われない。所持する他の訳者は孰れも「王冠パン」とする。それがよい。

「五斤」原文は“cinq livres”で“livre”(リーヴル)は「ポンド」に相当する重量単位である。一斤は約四百五十三グラムで、五掛けで二・二六五キログラムとなるから、当初、これはやや誇張表現かと注したが、調べて見ると、“couronne”には三キログラムの巨大なものもあることが判った。]

 

 

 

 

    Agathe

 

   C’est Agathe, une petite-fille d’Honorine, qui la remplace.

   Curieusement, Poil de Carotte observe la nouvelle venue qui, pendant quelques jours, détournera de lui sur elle, l’attention des Lepic.

   Agathe, dit madame Lepic, frappez avant d’entrer, ce qui ne signifie pas que vous devez défoncer les portes à coups de poing de cheval.

   Ça commence, se dit Poil de Carotte, mais je l’attends au déjeuner.

   On mange dans la grande cuisine. Agathe, une serviette sur le bras, se tient prête à courir du fourneau vers le placard, du placard vers la table, car elle ne sait guère marcher posément ; elle préfère haleter, le sang aux joues.

   Et elle parle trop vite, rit trop haut, a trop envie de bien faire.

  1. Lepic s’installe le premier, dénoue sa serviette, pousse son assiette vers le plat qu’il voit devant lui, prend de la viande, de la sauce et ramène l’assiette. Il se sert à boire, et le dos courbé, les yeux baissés, il se nourrit sobrement, aujourd’hui comme chaque jour, avec indifférence.

   Quand on change de plat, il se penche sur sa chaise et remue la cuisse.

   Madame Lepic sert elle-même les enfants, d’abord grand frère Félix parce que son estomac crie la faim, puis soeur Ernestine pour sa qualité d’aînée, enfin Poil de Carotte qui se trouve au bout de la table.

   Il n’en redemande jamais, comme si c’était formellement défendu. Une portion doit suffire. Si on lui fait des offres, il accepte, et sans boire, se gonfle de riz qu’il n’aime pas, pour flatter madame Lepic, qui, seule de la famille, l’aime beaucoup.

   Plus indépendants, grand frère Félix et soeur Ernestine veulent-ils une seconde portion, ils poussent, selon la méthode de M. Lepic, leur assiette du côté du plat.

   Mais personne ne parle.

   Qu’est-ce qu’ils ont donc ? se dit Agathe.

   Ils n’ont rien. Ils sont ainsi, voilà tout.

   Elle ne peut s’empêcher de bâiller, les bras écartés, devant l’un et devant l’autre.

  1. Lepic mange avec lenteur, comme s’il mâchait du verre pilé.

   Madame Lepic, pourtant plus bavarde, entre ses repas, qu’une agace, commande à table par gestes et signes de tête.

   Soeur Ernestine lève les yeux au plafond.

   Grand frère Félix sculpte sa mie de pain, et Poil de Carotte, qui n’a plus de timbale, ne se préoccupe que de ne pas nettoyer son assiette, trop tôt, par gourmandise, ou trop tard, par lambinerie. Dans ce but, il se livre à des calculs compliqués.

   Soudain M. Lepic va remplir une carafe d’eau.

   J’y serais bien allée, moi, dit Agathe.

   Ou plutôt, elle ne le dit pas, elle le pense seulement. Déjà atteinte du mal de tous, la langue lourde, elle n’ose parler, mais se croyant en faute, elle redouble d’attention.

  1. Lepic n’a presque plus de pain. Agathe cette fois ne se laissera pas devancer. Elle le surveille au point d’oublier les autres et que madame Lepic d’un sec :

   Agathe, est-ce qu’il vous pousse une branche ?

la rappelle à l’ordre.

   Voilà, madame, répond Agathe.

   Et elle se multiplie sans quitter de l’oeil M. Lepic. Elle veut le conquérir par ses prévenances et tâchera de se signaler.

   Il est temps.

   Comme M. Lepic mord sa dernière bouchée de pain, elle se précipite au placard et rapporte une couronne de cinq livres, non entamée, qu’elle lui offre de bon coeur, tout heureuse d’avoir deviné les désirs du maître.

   Or, M. Lepic noue sa serviette, se lève de table, met son chapeau et va dans le jardin fumer une cigarette.

   Quand il a fini de déjeuner, il ne recommence pas.

   Clouée, stupide, Agathe tenant sur son ventre la couronne qui pèse cinq livres, semble la réclame en cire d’une fabrique d’appareils de sauvetage.

 

ぎっくり腰になる

四日前の夜、父をベッドで起こす際に、自分の体を捩じってしまい、背骨の中央よりやや上に違和感を感じた。翌日から、そこが痛み出し、しゃがんだりする際、痛みが走る。湿布を張ったが、一向に痛みがとれないので、先ほど、主治医のところへ行ったら、「ぎっくり腰」と診断された。今まで「ぎっくり腰」になったことはなかった。年寄りのそれと思っていた。考えてみれば、六十六歳の私は、既にして立派な「年寄り」であることを痛感した次第である。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「知らん顏」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Sirankao

 

     らん

 

 

「母さん! オノリイヌ!」

・・・・・・

 にんじんは、また、なにをしようといふのか? 彼は、折角の話を臺なしにしさうだ。幸ひ、ルピツク夫人の冷やかな視線の下で、彼は、ぴたりと口を噤んでしまふ。

 オノリイヌに、かう云ふ必要があるだらうか――

 「僕がしたんだよ」

 どんなにしても、この婆さんを助けることはできないのだ。彼女はもう眼が見へ[やぶちゃん注:ママ。]ない。もう眼が見えないのだ。氣の毒だが、しかたがない。早晚、彼女は、我を折らねばならぬだらう。こゝで、彼が自白をしても、それは彼女を一層悲しませるだけの話だ。出て行くなら出て行くがいゝ。そして、それがにんじんの仕業とは氣づかず、運命の避け難き兇手が、わが身に降りかゝつたものと思つてゐるがいゝ。

 それからまた、母親にかう云ふと、どういふことになるのだ――

 「母さん、僕がしたんだよ」

 自分の手柄を吹聽し、褒美の一笑にありつかうとしたところで、さあ、それが何になる? おまけに、うつかりすると、ひどい目に遭ふかも知れない。なぜなら、かういふ事件に、彼が喙を容れる資格はないなんていふことを、ルピツク夫人は誰の前でも云ひ兼ねないからだ。彼はそれを知つてゐるのである。寧ろ、母親とオノリイヌが鍋を探す、それを手傳ふやうな風をしてゐるに限る。[やぶちゃん注:「喙」「くち」。]

 で、いよいよ、三人が一緖になつて鍋を探しはじめると、彼は誰よりも熱心らしく見えるのである。

 ルピツク夫人は、うはの空で、眞先に斷念する。

 オノリイヌも、諦めて、なにかぶつぶつ云ひながら向うへ行つてしまふ。するとやがて、にんじんは、心配のあまり氣が遠くなりさうなのだつたのを、やつと我れに返るのである。それは丁度、正義の刄(やいば)用ふるに要なく、再び鞘に納まつた形だ。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。「にんじん」の捩じれたアンビナレントな母への思いが、最悪最下劣な――ルピック夫人にとっては最上見事にして「渡りに舟」の――結末を迎えるのであった。

 なお、原文は原本に従い、少しいじってある。]

 

 

 

 

    Réticence…

 

   Maman ! Honorine !

・・・・・・・・・・・・・・・・・

   Qu’est-ce qu’il veut encore, Poil de Carotte ? Il va tout gâter. Par bonheur, sous le regard froid de madame Lepic, il s’arrête court.

   Pourquoi dire à Honorine :

   C’est moi, Honorine !

   Rien ne peut sauver la vieille. Elle n’y voit plus, elle n’y voit plus. Tant pis pour elle. Tôt ou tard elle devait céder. Un aveu de lui ne la peinerait que davantage. Qu’elle parte et que, loin de soupçonner Poil de Carotte, elle s’imagine frappée par l’inévitable coup du sort.

   Et pourquoi dire à madame Lepic :

   Maman, c’est moi !

   À quoi bon se vanter d’une action méritoire, mendier un sourire d’honneur ? Outre qu’il courrait quelque danger, car il sait madame Lepic capable de le désavouer en public, qu’il se mêle donc de ses affaires, ou mieux, qu’il fasse mine d’aider sa mère et Honorine à chercher la marmite.

   Et lorsqu’un instant tous trois s’unissent pour la trouver, c’est lui qui montre le plus d’ardeur.

   Madame Lepic, désintéressée, y renonce la première.

   Honorine se résigne et s’éloigne, marmotteuse, et bientôt Poil de Carotte, qu’un scrupule faillit perdre, rentre en lui-même, comme dans une gaine, comme un instrument de justice dont on n’a plus besoin.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鍋」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Nabe

 

     

 

 

 家族のために何か役に立つといふ機會は、にんじんにとつて、めつたに來ないのである。何処かの隅に縮こまつてゐて、彼はそいつが通るのを待ち構え[やぶちゃん注:ママ。]てゐる。豫めこれといふ當てもなく、彼は耳を澄まし、いざといふ場合に、物蔭から現れ出ようといふのだ。そして、何れを見ても、煩惱に心を亂されてゐる人々の中で、たゞ一人、頭の働きを失つてゐない遠謀深慮ある人物のごとく、事件一切の始末を引受けようといふのだ。

 處で彼は、ルピツク夫人が、利巧で確かな助手を欲しがつてゐるといふことを感づいた。どうせ彼女は、それを口に出して云ふ筈はない。それほど負け惜しみが强いのだ。契約は暗默の裡(うち)に締べばいゝ。それで、にんじんは、今後、督促を俟たず、しかも、報酬を當てにしないで立ち働かなければならぬ。

 決心がついた。

 朝から晚まで、竈(かまど)の自在鉤(かぎ)に鍋が一つ懸かつてゐる。冬は、湯が澤山いるので、この鍋が幾度となく、いつぱいになつたり、空つぽになつたりする。鍋は燃え盛る火の上で、ぐらぐら音を立てゝゐる。

 夏は、食事の後で、皿を洗ふためにその湯を使ふだけである。ほかの時は絕えず小さな口笛を吹きながら、用もないのに沸いてゐるのだが、その鍋の罅(ひゞ)だらけの腹の下で、消えかゝつた二本の薪が燻(いぶ)つてゐる。

 どうかすると、オノリイヌは、その口笛が聞えなくなるのである。彼女は、こごんで耳を押しつける。

 「みんな湯氣になつちまつた」

 彼女は、鍋の中へ、柄杓(ひしやく)に一杯水を入れる。二本の薪をくつつけ、灰を搔きまわす。やがてまた、懷かしいしやんしやんいふ音が聞え出す。すると、オノリイヌは安心して、ほかの用事をしに行くのである。

 假に誰かが彼女にかう云つたとする――

 「オノリイヌ、もう使ひもしない湯を、どうして沸かすんだい。鍋をおろしておしまひ。火をお消し。お前さんは、只みたいに薪を燃すんだね。寒くなると、がたがた顫え[やぶちゃん注:ママ。]てる貧乏人がどれだけあるか知れないんだよ。お前さんは一體、締るところは締る女(ひと)なんだのにね」[やぶちゃん注:「燃す」は「もす」と訓じておく。私のサイト版の他の三篇の訳を確認したが、「燃」の漢字を含む篇では、「もやす」型の読みは一つもなく、総て「もす」型であるからである。「締る」戦後版では二ヶ所とも『しま』とルビする。それを採る。]

 彼女は、返事に困つて、頭をゆすぶるだらう。

 自在鉤の先に、鍋が一つ懸かつてゐるのを、彼女は年(ねん)が年ぢう見て來たのだ。

 彼女は、年が年中、湯が沸(たぎ)るのを聞き、鍋が空つぽになれば、たとへ雨が降らうが、風が吹かうが、また日が照らうが、年が年中、そいつをいつぱいにして來たのだ。

 で、今ではもう、鍋に手を觸れることは勿論、それを眼で見る必要もない。彼女は、諳(そら)で覺えてゐるのである。たゞ、耳を澄して音を聽けばいゝ。それでもし、鍋が音を立てゝいなかつたら、柄杓で一杯水を注ぎ込むのである。それは丁度、彼女が南京玉へ糸を通すやうに、これこそ慣れつこになつてゐて、未だ嘗て見當を外したことはないのだ。

 それが、今日はじめて、彼女は見當を外したのである。

 水が悉く火の上に落ち、灰の雲が、五月蠅いものに腹を立てた獸のやうに、オノリイヌ目がけて飛びかゝり、からだを包み、呼吸をつまらせ、皮膚を焦がした。

 彼女は、後すざりをしながら、叫び聲を立てた。嚔(くさ)めをした。唾を吐いた。そして云ふ――

 「地べたから鬼が飛び出したかと思つた」

 眼がくつつき、それがちくちくと痛む。だが彼女は、眞黑になつた手を伸ばして竈の闇を探つた。

 「あゝ、わかつた」と、彼女は、びつくりして云ふ――「鍋がなくなつてる」

 「いや、そんなはずはない。さつぱりわからん」と、また云ふ――「鍋は、さつきまでちやんとあつたんだ。たしかにあつた。蘆笛のやうに、ぴいぴい音を立てゝゐた」[やぶちゃん注:「蘆笛」私なら「あしぶえ」と読んでしまうが、戦後版では『よしぶえ』であるので、それを採る。]

 してみると、オノリイヌが、野菜の切り屑でいつぱいになつた前掛を窓からふるふために、向うをむいてゐる間に、誰かゞそれを外して行つたに違ひない。

 だが、それは、一體、誰だ?

 ルピツク夫人は、嚴めしく、そして落ち着きはらつた樣子で、寢室の靴拭ひの上へ現はれる――

 「なにを大騷ぎしてるんだい、オノリイヌ」

 「騷ぎも騷ぎも、大變なことが起つたから、騷いでるんですよ」と、彼女は叫ぶ――「もうちつとで、わしや丸焦げになるとこだ。まあ、この木履(きぐつ)を見ておくんなさい。このスカアトを、この手を・・・。下着は跳ねだらけだし、カクシの中へは炭の塊りが飛び込んでるだし・・・。」

 

ルピツク夫人――その水溜(みずたまり)はなにさ。竈(へつつい)がびしよびしよぢやないか。これで、奇麗になるこつたろう。

オノリイヌ――わしの鍋を、どうして默つて持つてくだね。どうせ、あんたが外したに違ひない。

ルピツク夫人――鍋は、この家ぢうみんなのものなんだからね。それとも、あたしにしろ、旦那樣にしろ、また子供たちにしろ、その鍋を使ふのに、いちいちお前さんの許しを受けなきやならないのかい?[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「うち」と読んでおく。]

オノリイヌ――わしや、無茶を云ふかも知れませんよ。腹が立つてしやうがないんだから。

ルピツク夫人――あたしたちにかい、それともお前さん自身にかい? さうさ、どつちにだい? あたしや物好きぢやないが、それが知りたいもんだね。全く呆れた女(ひと)だよ、お前さんは、鍋がそこにないからつて、火の中へ柄杓にいつぱい水をぶつかけるとは、隨分思ひきつたことをするぢやないか。おまけに意地を張つてさ、自分の粗相は棚に上げて、他人(ひと)に、あたしに、罪をなすくろうとする。かうなつたら、あたしや、どこまでもお前さんをとつちめるよ。

オノリイヌ――にんじん坊つちやん、おれの鍋は、何處へ行つたか知りなさらんか?

ルピツク夫人――なにを知つてるもんか、あの子が。第一、子供には責任はない。お前さんの鍋はどうでもいゝから、それより、昨日お前さんはなんと云つたか、それを思ひ出してごらん。――「そのうちに、自分で、湯一つ沸かすことができなくなつたつていふことに氣がついたら、追ひ出されなくつても、勝手に獨りで出て行く」――かう云つたらう。現に、あたしには、お前さんの眼のわるいことはわかつてた。だが、それほどまでひどいとは思つてなかつたよ。もう、これ以上なんにも云はない。あたしの身になつて考へてごらん。お前さんも、あたし同樣、さつきからの事情はわかつてるんだからね。自分で始末をつけるがいゝ。あゝ、あゝ、遠慮はいらないから、いくらでも泣くさ。それだけのことはあるんだもの。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「南京玉」陶製やガラス等で出来た小さい玉。糸を通す穴が空いており、指輪・首飾り・刺繡の材料等にするビーズのことである。但し、原文では“perle”で、綴りから判る通り、この語は原義は「真珠」である。但し、他に「真珠に似た対象」を指して、「南京玉・ビーズ」や、或いは、文学的に「露」等を換喩することもある。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清氏の訳「にんじん」では、岸田氏の訳に敬意を以って従い、「南京玉」である。一九九五年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第三巻の佃裕文氏の訳は『真珠に糸でもとおすように』であるが、私はここは逐語訳は好まない。「南京玉」或いは「ビーズ」でよいと思う。

「蘆笛」単子葉植物綱イネ目イネ科ヨシ Phragmites australis の葉を丸く巻いて作つた笛。本来は「アシ」であったが、これが「悪し」に通じることから、古くに変名が生まれ、現行では標準和名は「アシ」である。但し、これは最初に当該種に名づけられたものを採用することになっている命名規約に反する行為である。

「下着は跳ねだらけ」この「下着」は原作は“caraco”(カラコ)で、私の辞書でも「短い婦人の上着」であり、前掲の倉田氏訳も、佃氏訳も、「下着」ではなく、「上着」と訳してゐる。特に後者では、『上着(カラコ)』とルビを振り、後注をつけられ、『十八世紀末から十九世紀にかけて着用された、腰丈まであるブラウス風の婦人用上着』とある。残念ながら、語訳の類いである。

「罪をなすくろうとする」「冤罪をなすりつけようとする」の意。]

 

 

 

 

    La Marmite

 

   Elles sont rares pour Poil de Carotte, les occasions de se rendre utile à sa famille. Tapi dans un coin, il les attend au passage. Il peut écouter, sans opinion préconçue, et, le moment venu, sortir de l’ombre, et, comme une personne réfléchie, qui seule garde toute sa tête au milieu de gens que les passions troublent, prendre en mains la direction des affaires.

   Or il devine que madame Lepic a besoin d’un aide intelligent et sûr. Certes, elle ne l’avouera pas, trop fière. L’accord se fera tacitement, et Poil de Carotte devra agir sans être encouragé, sans espérer une récompense.

   Il s’y décide.

   Du matin au soir, une marmite pend à la crémaillère de la cheminée. L’hiver, où il faut beaucoup d’eau chaude, on la remplit et on la vide souvent, et elle bouillonne sur un grand feu.

   L’été, on n’use de son eau qu’après chaque repas, pour laver la vaisselle, et le reste du temps, elle bout sans utilité, avec un petit sifflement continu, tandis que sous son ventre fendillé, deux bûches fument, presque éteintes.

   Parfois Honorine n’entend plus siffler. Elle se penche et prête l’oreille.

   Tout s’est évaporé, dit-elle.

   Elle verse un seau d’eau dans la marmite, rapproche les deux bûches et remue la cendre. Bientôt le doux chantonnement recommence et Honorine tranquillisée va s’occuper ailleurs.

   On lui dirait :

   Honorine, pourquoi faites-vous chauffer de l’eau qui ne vous sert plus ? Enlevez donc votre marmite ; éteignez le feu. Vous brûlez du bois comme s’il ne coûtait rien. Tant de pauvres gèlent, dès qu’arrive le froid. Vous êtes pourtant une femme économe.

   Elle secouerait la tête.

   Elle a toujours vu une marmite pendre au bout de la crémaillère.

   Elle a toujours entendu de l’eau bouillir et, la marmite vidée, qu’il pleuve, qu’il vente ou que le soleil tape, elle l’a toujours remplie.

   Et maintenant, il n’est même plus nécessaire qu’elle touche la marmite, ni qu’elle la voie ; elle la connaît par coeur. Il lui suffit de l’écouter, et si la marmite se tait, elle y jette un seau d’eau, comme elle enfilerait une perle, tellement habituée que jusqu’ici elle n’a jamais manqué son coup.

   Elle le manque aujourd’hui pour la première fois.

   Toute l’eau tombe dans le feu et un nuage de cendre, comme une bête dérangée qui se fâche, saute sur Honorine, l’enveloppe, l’étouffe et la brûle.

   Elle pousse un cri, éternue et crache en reculant.

   Châcre ! dit-elle, j’ai cru que le diable sortait de dessous terre.

   Les yeux collés et cuisants, elle tâtonne avec ses mains noircies dans la nuit de la cheminée.

   Ah ! je m’explique, dit-elle, stupéfaite. La marmite n’y est plus…

   Ma foi non, dit-elle, je ne m’explique pas. La marmite y était encore tout à l’heure. Sûrement, puisqu’elle sifflait comme un flûteau.

   On a dû l’enlever quand Honorine tournait le dos pour secouer par la fenêtre un plein tablier d’épluchures.

   Mais qui donc ?

   Madame Lepic paraît sévère et calme sur le paillasson de la chambre à coucher.

   Quel bruit, Honorine !

   Du bruit, du bruit ! s’écrie Honorine. Le beau malheur que je fasse du bruit ! un peu plus je me rôtissais. Regardez mes sabots, mon jupon, mes mains. J’ai de la boue sur mon caraco et des morceaux de charbon dans mes poches.

 

     MADAME LEPIC

   Je regarde cette mare qui dégouline de la cheminée, Honorine. Elle va faire du propre.

     HONORINE

   Pourquoi qu’on me vole ma marmite sans me prévenir ? C’est peut-être vous seulement qui l’avez prise ?

     MADAME LEPIC

   Cette marmite appartient à tout le monde ici, Honorine. Faut-il, par hasard, que moi ou monsieur Lepic, ou mes enfants, nous vous demandions la permission de nous en servir ?

     HONORINE

   Je dirais des sottises, tant je me sens colère.

     MADAME LEPIC

   Contre nous ou contre vous, ma brave Honorine ? Oui, contre qui ? Sans être curieuse, je voudrais le savoir. Vous me démontez. Sous prétexte que la marmite a disparu, vous jetez gaillardement un seau d’eau dans le feu, et têtue, loin d’avouer votre maladresse, vous vous en prenez aux autres, à moi-même. Je la trouve raide, ma parole !

     HONORINE

   Mon petit Poil de Carotte, sais-tu où est ma marmite ?

     MADAME LEPIC

   Comment le saurait-il, lui, un enfant irresponsable ? Laissez donc votre marmite. Rappelez-vous plutôt votre mot d’hier : « Le jour où je m’apercevrai que je ne peux même plus faire chauffer de l’eau, je m’en irai toute seule, sans qu’on me pousse. » Certes, je trouvais vos yeux malades, mais je ne croyais pas votre état désespéré. Je n’ajoute rien, Honorine ; mettez-vous à ma place. Vous êtes au courant, comme moi, de la situation ; jugez et concluez. Oh ! ne vous gênez point, pleurez. Il y a de quoi.

 

2023/11/29

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「オノリイヌ」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Onorinu

 

     オノリイヌ

 

 

ルピツク夫人――お前さんは、もう幾歲(いくつ)だつけ、オノリイヌ?

オノリイヌ――この萬聖節で、丁度六十七になりました、奧さん。

ルピツク夫人――そいぢや、もう、いい年だね。

オノリイヌ――だからつて、別にどうもありませんよ、まだ働けるだもの。病氣なんぞしたことはなしね。頑丈なことゝ來ちや馬にだつて負けやしませんからね。

ルピツク夫人――そんなこと云ふなら、あたしが考へてることを云つてあげようか。お前さんは、ぽくりと死ぬよ。どうかした日の晚方、川から歸りがけに、背負つてる籠がいつもの晚より重く、押してる車が思ふやうに動かないのさ。お前さんは、車の梶棒の間へ膝をついて倒れる。濡れた洗濯物の上へ顏を押しつけてね。それつきりさ。誰か行つて起してみると、もうお前さんは死んでるんだよ。

オノリイヌ――笑はしちや困るよ、奧さん。心配しないでおくんなさい。脚だつて、まだぴんぴんしてるんだもの。

ルピツク夫人――さう云や、少しばかり前こゞみになつてきたね。だけど背中が丸くなると、洗濯をする時に、腰が疲れなくつていい。たゞどうにも困ることは、お前さんの眼が、そろそろ弱つて來たことだよ。さうぢやないとは云はせないよ。この頃、それがちやんと、あたしにはわかるんだ。

オノリイヌ――そんなことはないね。嫁に行つた頃とおんなじに、眼ははつきり見えるがね。

ルピツク夫人――よし。それぢや、袋戶棚を開けて、お皿を一枚持つて來て御覽、どれでもいゝ、若しお前さんが、ちやんと皿拭布をかけたといふなら、この曇り方はどうしたんだらう。[やぶちゃん注:「皿拭布」戦後版では、『さらふきん』とルビする。それを採る。]

オノリイヌ――戶棚の中に、濕りつ氣があるだね。

ルピツク夫人――そんなら、戶棚の中に、指が幾本もあるのかねえ。さうして、お皿の上をあつちこつちうろつき廻つてるのかねえ。この跡はなにさ。

オノリイヌ――あれま、何處にね、奧さん。なんにも見えませんよ。

ルピツク夫人――さうだらう? そいつを、あたしが咎めてるんだよ。いゝかい、婆や、あたしは、なにも、お前さんが骨惜しみをしてるつて云ひやしないよ。そんなことでも云つたら、そりや、あたしが間違ひだ。この土地で、お前さんぐらい精を出して働く女は一人だつでゐやしない。たゞ、お前さんは、年を取つて來た。尤も、あたしだつて年は取る。誰だつてみんな年を取るのさ。かうもしよう、あゝもしようと思つたつて、それだけぢやどうすることも出來ないやうになる。だからさ、お前さんだつて、時折りは、眼の中が、布を張つたやうに霞むこともあるだらうつていふのさ。いくらこすつても、なんにもならない。さうなつてしまつたんだから・・・。

オノリイヌ――それにしたつて、わしや、ちやんと眼は開けてるだよ。水桶の中へ顏を突込んだ時みたいに、皆目方角もわからないなんてこたあないんですけどね。

ルピツク夫人――いや、いや、あたしの云ふことは間違ひなし。昨日(きのふ)だつてさうだよ、旦那さんに、よごれたコツプを差上げたらう。あたしはなんにも云やしなかつた。なんだかんだつていふことになつて、お前さんがまた氣に病むといけないと思つてさ。旦那さんも、さうだ。なんにもおつしやらなかつた。これはまた、普段から、なんにもおつしやらない方だからね。だけど、なに一つ見逃しはなさらない。世間では、無頓着な人だと思つてるけど、こりや間違ひだ。それや、氣がつくんだからね。なんでも額の奧へ刻み込んどく。だから、そのコツプだつて、指で押しやつて、たゞそれだけさ。お晝には、辛棒して、たうとうなんにもお飮みにならなかつた。あたしや、お前さんと、旦那さんと、二人分、辛い思ひをしたよ。

オノリイヌ――そんな馬鹿な話つてあるもんぢやない。旦那さんが女中に氣兼ねするなんて・・・。さう云ひなさればいゝのに・・・。コツプを代へるぐらゐなんでもありやしない。

ルピツク夫人――それもさうだらう。だが、お前さんよりもつと拔目のない女たちが、どうしたつてあの人に口を利かせることは出來ないんだよ。旦那さんは、物を言ふまいつて決心していらつしやるんだからね。あたしは、もう諦めてる、自分ぢや。ところで、今話してるのは、そんなことぢやない。一と口に云つてみれば、お前さんの眼は日一日に弱つて來る。これが、洗濯だとか、なんとか、さういふ大きな仕事は、まあ、半分の粗相で濟むにしたところで、細かな仕事になると、これやもう、お前さんの手にやおへない。入費(かゝり)は殖えるけれど、しかたがない。あたしや、誰か、お前さんの手助けになる人をみつけようと思ふんだよ・・・。

オノリイヌ――わしや、ほかの女に尻いくつついていられちや、一緖にやつて行けませんや、奧さん。

ルピツク夫人――それを、こつちで云はうと思つてるとこさ。だとすると、どうしよう。正直なところ、あたしやどうすればいゝかねえ。

オノリイヌ――わしが死ぬまで、かういふ風にして、結構やつて行けますよ。

ルピツク夫人――お前さんが死ぬつて・・・? ほんとにそんなことを考へてるのかい。あたし達を生憎みんなお墓へ送り兼ねないお前さんぢやないか。そのお前さんが死ぬなんてことを、人が當てにしてるとでも思つてゐるのかい。

オノリイヌ――奧さんは、だけど、布きんのあてやうがちよつくら間違つてたぐらゐで、わしに暇をくれようつていふつもりは多分おあんなさるまい。だいいち、わしや、奧さんが出て行けつて云ひなさらにや、この家から離れませんよ。いつたん外へ出りや、けつく、野たれ死をするだけのこつた。[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「うち」と訓じたい。]

ルピツク夫人――誰が暇を出すなんて云つたい、オノリイヌ。なにさ、そんな眞赤な顏をして・・・。あたしたちは、今、お互に、心置きなく話をしてるんだ。すると、お前さんは腹を立てる。お寺の本堂よりとてつもない無茶を云ひ出す。

オノリイヌ――わしにそんなこと云つたつて、しやうがないでせう。

ルピツク夫人――ぢや、あたしはどうなのさ。お前さんの眼が見えなくなつたのはお前さんの罪でもなく、あたしの罪でもない。お醫者に治(なほ)して貰ふさ。治ることだつてあるんだから。それはさうと、あたしと、お前さんと、一體、どつちが餘計難儀をしてるだらう。お前さんは、自分で眼を患(わづら)つてることも知らずにゐる。家中のものが、そのために不自由をする。あたしや、お前さんが氣の毒だから、萬一の粗相がないやうに、さう云つてあげたまでだ。それに、言葉優しく何をかうしろつて云ふ權利は、こりや、あたしにあると思ふからさ。[やぶちゃん注:「家中」戦後版を参考に「うちぢゆう」と読んでおく。]

オノリイヌ――いくらでも云つとくんなさい。どうにでも好きなやうになさるがいゝさ。わしや、さつき、ちつとの間、町の眞中へおつぽり出されたやうな氣がしたゞけれど、奧さんがさう云ひなさるなら安心しましたよ。わしの方でも、これから皿のこたあ氣をつけます。うけ合ひました。

ルピツク夫人――さうして貰へれや、なんにも云ふことはないさ。あたしや、これで、評判よりやましな人間だからね。どうしても云ふことを聽かない時は、これや仕方がないが、さもなけりや、お前さんを手放すなんてことはしないよ。

オノリイヌ――そんなら、奧さん、もうなんにも云ひなさるな。今といふ今、わしや、自分がまだ役に立つつて氣がして來ましたよ。もしも奧さんが出て行けつて云ひなすつたら、わしや、そんな法はないつて怒鳴るから・・・。だけども、そのうちに、自分で厄介者だつていうことがわかつたら、さうして、水を容れた鍋を火へかけて沸かすこともできんやうになつたら、そん時や、さつさと、ひとりで、追ひ出される前に出て行きますよ。

ルピツク夫人――何時なんどきでも、この家へ來れや、スープの殘りがとつてあるつてことを忘れずにね、オノリイヌ。[やぶちゃん注:「來れや」「これや」或いは「くれや」。「こりゃ」「くりゃ」。]

オノリイヌ――いゝや、奧さん、スープはいりません。パンだけで結構。マイツト婆さんは、パンだけしか食はないやうになつてから、てんで死にさうもないからね。

ルピツク夫人――それがさ、あの婆さんは、もう百を越してるんだからね。ところで、お前さんは、まだかういふことを知つてるかい? 乞食つていふものは、あたしたちより仕合せなんだよ。あたしがさういふんだから、オノリイヌ。

オノリイヌ――奧さんがさう云ふんなら、わしもさう云つとかう。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。私は中学二年生の時に、ここを読んで、「慇懃無礼」という語を惨たらしくも理解したことを思い出す。しかも、私は永く、ヴァロトンの「にんじん」の挿絵の中で、選りによって、このオノリーヌの横顔のそれが、「にんじん」と言った瞬間、真っ先に想起されてしまうのである。それは、既に読者の方々が気づかれたであろう一点と、強烈に結びついているからだと思うのである。そう、小説「にんじん」の中で「にんじん」が名前さえも登場しないのは、この章だけなのである。実は、それはこの後にダイレクトな続篇として続く二篇「鍋」と「知らん顏」のある――厭な予感――「にんじん」の中の隠微な捩じれた闇――を無意識的に引き出させる効果を持っているからだと私は信じて疑わないのである。……いや!……このシークエンスの画面に映らぬ物陰に……「にんじん」は……いる!……息を潜めて……「にんじん」は、この二人の会話を聴いている「観客」なのである!…………

「萬聖節」キリスト教の祝日の一つ。これは日本での呼称で、原文の“Toussaint”という語の意味は「諸聖人の祝日」で、全ての聖人と殉敎者を記念する日。カトリツク教会礼暦では十一月一日である。

「お寺の本堂よりとてつもない無茶を云ひ出す」原文は“vous dites des bêtises plus grosses que l'église”で、“bêtises”(愚かなこと)、“grosses”(がさつな・ひどい)、“église”(カトリックの教会堂)であるから、確かに「あんたは、びっくりするほど大袈裟な教会堂みたいに、とんでもない愚かなことを言い出す。」といつた意味であるが、「お寺の本堂」ではちよつと日本人の比喩の感覚には相応しいとは言えない。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳「にんじん」では、教会の建物ではなく、厳格なカトリツク教会の組織の意味でとつて、『教会よりわけのわからない、くだらないことを言ったりしてさ。』と訳しておられる。但し、だとすると、原文の頭の“é”は、大文字で表わすのではないかとも思われる。一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』3では、意訳して、『それをおまえさん、息巻いて、やみくもな馬鹿を言い出すんだから。』と訳しておられる。佃氏の意訳がよいと思うが、相応の補注は必要だろう。]

 

 

 

 

     Honorine

 

     MADAME LEPIC

   Quel âge avez-vous donc, déjà, Honorine ?

     HONORINE

   Soixante-sept ans depuis la Toussaint, madame Lepic.

     MADAME LEPIC

   Vous voilà vieille, ma pauvre vieille !

     HONORINE

   Ça ne prouve rien, quand on peut travailler. Jamais je n’ai été malade. Je crois les chevaux moins durs que moi.

     MADAME LEPIC

   Voulez-vous que je vous dise une chose, Honorine ? Vous mourrez tout d’un coup. Quelque soir, en revenant de la rivière, vous sentirez votre hotte plus écrasante, votre brouette plus lourde à pousser que les autres soirs ; vous tomberez à genoux entre les brancards, le nez sur votre linge mouillé, et vous serez perdue. On vous relèvera morte.

     HONORINE

   Vous me faites rire, madame Lepic ; n’ayez crainte ; la jambe et le bras vont encore.

     MADAME LEPIC

   Vous vous courbez un peu, il est vrai, mais quand le dos s’arrondit, on lave avec moins de fatigue dans les reins. Quel dommage que votre vue baisse ! Ne dites pas non, Honorine ! Depuis quelque temps, je le remarque.

     HONORINE

   Oh ! j’y vois clair comme à mon mariage.

     MADAME LEPIC

   Bon ! ouvrez le placard, et donnez-moi une assiette, n’importe laquelle. Si vous essuyez comme il faut votre vaisselle, pourquoi cette buée ?

     HONORINE

   Il y a de l’humidité dans le placard.

     MADAME LEPIC

   Y a-t-il aussi, dans le placard, des doigts qui se promènent sur les assiettes ? Regardez cette trace.

     HONORINE

   Où donc, s’il vous plaît, madame ? je ne vois rien.

     MADAME LEPIC

   C’est ce que je vous reproche, Honorine. Entendez-moi. Je ne dis pas que vous vous relâchez, j’aurais tort ; je ne connais point de femme au pays qui vous vaille par l’énergie ; seulement vous vieillissez. Moi aussi, je vieillis ; nous vieillissons tous, et il arrive que la bonne volonté ne suffit plus. Je parie que des fois vous sentez une espèce de toile sur vos yeux. Et vous avez beau les frotter, elle reste.

     HONORINE

   Pourtant, je les écarquille bien et je ne vois pas trouble comme si j’avais la tête dans un seau d’eau.

     MADAME LEPIC

   Si, si, Honorine, vous pouvez me croire. Hier encore, vous avez donné à monsieur Lepic un verre sale. Je n’ai rien dit, par peur de vous chagriner en provoquant une histoire. Monsieur Lepic, non plus, n’a rien dit. Il ne dit jamais rien, mais rien ne lui échappe. On s’imagine qu’il est indifférent : erreur ! Il observe, et tout se grave derrière son front. Il a simplement repoussé du doigt votre verre, et il a eu le courage de déjeuner sans boire. Je souffrais pour vous et lui.

     HONORINE

   Diable aussi que monsieur Lepic se gêne avec sa domestique ! Il n’avait qu’à parler et je lui changeais son verre.

     MADAME LEPIC

   Possible, Honorine, mais de plus malignes que vous ne font pas parler monsieur Lepic décidé à se taire. J’y ai renoncé moi-même. D’ailleurs la question n’est pas là. Je me résume : votre vue faiblit chaque jour un peu. S’il n’y a que demi-mal, quand il s’agit d’un gros ouvrage, d’une lessive, les ouvrages de finesse ne sont plus votre affaire. Malgré le surcroît de dépense, je chercherais volontiers quelqu’un pour vous aider…

     HONORINE

   Je ne m’accorderais jamais avec une autre femme dans mes jambes, madame Lepic.

     MADAME LEPIC

   J’allais le dire. Alors quoi ? Franchement, que me conseillez-vous ?

     HONORINE

   Ça marchera bien ainsi jusqu’à ma mort.

     MADAME LEPIC

   Votre mort ! Y songez-vous, Honorine ? Capable de nous enterrer tous, comme je le souhaite, supposez-vous que je compte sur votre mort ?

     HONORINE

   Vous n’avez peut-être pas l’intention de me renvoyer à cause d’un coup de torchon de travers. D’abord je ne quitte votre maison que si vous me jetez à la porte. Et une fois dehors, il faudra donc crever ?

     MADAME LEPIC

   Qui parle de vous renvoyer, Honorine ? Vous voilà toute rouge. Nous causons l’une avec l’autre, amicalement, et puis vous vous fâchez, vous dites des bêtises plus grosses que l’église.

     HONORINE

   Dame ! est-ce que je sais, moi ?

     MADAME LEPIC

   Et moi ? Vous ne perdez la vue ni par votre faute, ni par la mienne. J’espère que le médecin vous guérira. Ça arrive. En attendant, laquelle de nous deux est la plus embarrassée ? Vous ne soupçonnez même pas que vos yeux prennent la maladie. Le ménage en souffre. Je vous avertis par charité, pour prévenir des accidents, et aussi parce que j’ai le droit, il me semble, de faire, avec douceur, une observation.

     HONORINE

   Tant que vous voudrez. Faites à votre aise, madame Lepic. Un moment je me voyais dans la rue ; vous me rassurez. De mon côté, je surveillerai mes assiettes, je le garantis.

     MADAME LEPIC

   Est-ce que je demande autre chose ? Je vaux mieux que ma réputation, Honorine, et je ne me priverai de vos services que si vous m’y obligez absolument.

     HONORINE

   Dans ce cas-là, madame Lepic, ne soufflez mot. Maintenant je me crois utile et je crierais à l’injustice si vous me chassiez. Mais le jour où je m’apercevrai que je deviens à charge et que je ne sais même plus faire chauffer une marmite d’eau sur le feu, je m’en irai tout de suite, toute seule, sans qu’on me pousse.

     MADAME LEPIC

   Et sans oublier, Honorine, que vous trouverez toujours un restant de soupe à la maison.

     HONORINE

   Non, madame Lepic, point de soupe ; seulement du pain. Depuis que la mère Maïtte ne mange que du pain, elle ne veut pas mourir.

     MADAME LEPIC

   Et savez-vous qu’elle a au moins cent ans ? et savez-vous encore une chose, Honorine ? les mendiants sont plus heureux que nous, c’est moi qui vous le dis.

     HONORINE

   Puisque vous le dites, je dis comme vous, madame Lepic.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「水浴び」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである(今回分には一箇所だけ「……」があるが、百%、誤植である)。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Mizuabi

 

     

 

 

 やがて時計が四時を打たうとしてゐるので、にんじんは、矢も楯もたまらず、ルピツク氏と、兄貴のフエリツクスを起すのである。二人は、裏庭の榛(はしばみ)の木の下で眠つていた。[やぶちゃん注:「榛」「はしばみ」。双子葉植物綱ブナ目カバノキ科ハシバミ属 Corylus の仲間を總稱するが、原作では“noisetiers”とあり、これは“Noisetier commun”で、ハシバミ属のヨーロツパの代表種であるヘーゼルナッツが穫れるところの、セイヨウハシバミCorylus avellanaと見てよい。]

 「出かけるんだらう」と、彼は云ふ。

 

 兄貴のフエリツクス――行かう。猿股を持つといで。

 ルピツク氏――まだ暑いぞ、きつと。

 兄貴のフエリツクス――僕あ、日が照つてる時の方がいゝや。

 にんじん――それに、父さんだつて、ここより水つ緣(ぷち)の方がいゝよ。草の上へ寢轉んどいでよ。

 ルピツク氏――さ、先へ步け。ゆつくりだぞ。死んぢまつちやなんにもならん。

 

 だが、にんじんは、早くなる足並みを、やつとのことで緩めてゐるのである。足の中を蟻が這つてゐるやうな氣持だ。肩には、模樣のない、嚴しい自分の猿股と、それから、兄貴の、赤と靑との縞の猿股をかついでゐる。元氣いつぱいといふ顏付で、彼は喋る。自分だけのために歌を唱ふ。木の枝へぶらさがつて跳ぶ。空中で泳ぐ眞似をする。さて兄貴に云ふ――[やぶちゃん注:「嚴しい」「いかめしい」。]

 「ねえ、兄(にい)さん、水へはいると、きつと好い氣持だね。うんと泳いでやらあ」

 「生意氣云へ!」

と、兄貴のフエリツクスは、馬鹿にしきつた返事をする。

 なるはど、にんじんは、ぴたりと鎭まる。

 彼は、今、乾きゝつた低い石垣を、眞つ先に、ひらりと飛び越えた。すると、忽ち、眼の前を小川が流れてゐるのである。はしやいでゐる暇もなかつた。

 魔性の水は、その表面に、寒々とした影を反射させてゐた。

 齒を嚙み合せるやうに、ひたひたと波の音を立て、臭ひともつかぬ臭ひが立ち昇つてゐる。

 この中へはひるわけである。ルビツク氏が、時計を眺めて、決めたゞけの時間を計つてゐる間、この中でぢつとしてゐ、この中で動きまはらなければならない。にんじんは、顫へ上る。元氣を出して、こんどこそはと思ふのだが、いよいよとなると、またその元氣がどつかへ行つてしまふ。水を見ると、遠くの方から引張られるやうで、つひ[やぶちゃん注:ママ。]ぐらぐらつとなるのである。

 にんじんは、一人離れて、着物を脫ぎはじめる。瘠せてゐるところや、足の恰好を見られるのがいやでもあるが、それより、獨りで、誰れ憚らず顫へたいのだ。[やぶちゃん注:「足の恰好を見られるのがいや」その真相は本章末で明らかにされる。]

 彼は、一枚二枚脫いで行つて、そいつを丁寧に草の上で疊む。靴の紐を結び合せ、それをまた、何時までもかゝつてほどく。

 猿股を穿く。短いシヤツを脫ぐ。だが、もうしばらく待つてゐるのである。彼は包み紙の中でべたべたになる林檎糖のやうに、汗をかいてゐるからだ。

 さうかうするうちに、兄貴のフエリツクスは、もう川を占領し、我がもの顏に荒しまはつてゐる。腕で擲り、踵で叩き、泡を立てる。そして、流れのまん中で、猛烈果敢に、騷ぎ狂ふ波の群れを、岸めがけて追い散らすのである。[やぶちゃん注:「擲り」「なぐり」。]

 「お前はもう、やめか」

 ルピツク氏はにんじんに云つた。

 「からだを乾かしてたんだよ」

 やつと、彼は決心する。地べたに坐る。そして、爪先を水に觸れてみる。その足の趾は、靴が小さ過ぎて擦りむけてゐた。さうしながら、また、胃の腑のあたりをさすつてみた。恐らく、食つたものがまだこなれてゐないだらう。それから木の根に沿つてからだを滑らせる。[やぶちゃん注:「趾」「ゆび」。この漢字は「足の指」を示す漢字である。本章末に出る方には『趾(ゆび)』とちゃんと振ってある。]

 木の根で、脛、腿、それから臀をひつかかれる。水が腹まで來ると、もう上へあがらうとする。逃げ出さうとする。濡れた糸が、獨樂の紐を捲くやうに、だんだんからだへ捲きついて行くやうな氣持だ。が、からだを支へてゐた土塊(つちくれ)が崩れる。すると、にんじんは滑り落ちる。姿を消す。水の底を逼ふ。やつと起ち上る。咳き込み、唾を吐き、息をつまらせ、眼がかすみ、頭がぼうつとする。[やぶちゃん注:「獨樂」老婆心ながら、「こま」と読む。「逼ふ」はママ。戦後版は『這う』で、「逼」には「迫る・近づく」や「狭まる・縮まる」の意味しかないので、誤記か誤植と思ったが、実は、後にも出るので、岸田氏の思い込みの誤用であることが判明した。

 「潜(もぐ)りはうまいぢやないか」

と、ルピツク氏は云ふ。

 にんじんは、すると、

 「あゝ、だけど、僕あ、きらひさ。耳ん中へ水が溜つちやつた。頭が痛くなるよ、きつと・・・」

 彼は、そこで、泳ぎの練習ができる場所、つまり、膝で砂の上を步きながら、兩腕を前の方へ動かせるところを探す。

 「あんまり急にやるからいけないんだ。手を振つたまゝ動かしちや駄目だよ、髮の毛を挘るんぢやあるまいし。その足を使ふんだ、足を……。どうもしてないぢやないか」[やぶちゃん注:「挘る」「むしる」。「……」は特異点の使用である。ここだけであるので、或いは植字工が、うっかり普通の六点リーダを誤植してしまったものだろう。]

 かうルピツク氏が云ふと、

 「足を使はないで泳ぐ方がむづかしいんだよ」

と、にんじんは云ふ。

 が、一生懸命にやつてみようとすると、兄貴のフエリツクスがそれをさせない。しよつちゆう邪魔をするのである。

 「こつちへおいでよ、にんじん。もつと深いところがあるぜ。こら、足がつかないや。沈むぜ。御覽よ、ほら、僕が見へる[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]だらう。そらこの通り・・・見えなくなるよ。そいぢや、こんだ、あの柳の木の方へ行つてろよ。動いちやいけないよ。そこまで十ぺんで行くからね」[やぶちゃん注:「こんだ」は「今度(こんど)」の変化した語で江戸時代からある語彙である。]

 「數へてるよ」

 と、にんじんは、がたがた顫へながら、肩を水から出し、まるで棒杭のやうに動かずにゐるのである。

 更に、彼は、泳がうとしてからだを屈める。ところが、兄貴のフエリツクスは、その背中へ攣ぢ登つて、飛び込みをやる。

 「こんだ、お前の番さ、ね、僕の背中へおあがりよ」

 「僕あ、自分で練習してるんだから、ほつといておくれよ」

 にんじんは、かう云ふのである。

 「もう、よし。みんな出ろ。ラムをひと口づゝ飮みに來い」

と、ルビツク氏は呼ぶ。

 「もう出るの?」

と、にんじんが云ふ。

 今になると、彼はまだ出るのが厭なのだ。水浴びに來たのに、これくらゐでは物足りない。出なければならないと思ふと、水がもう怖くはないのである。さつきは鉛、今は、羽根だ。獅子奮迅の勢で暴れまくる。危險など眼中にない。人を救ふために、自分の命を棄てゝかゝつたやうだ。おまけに、誰もしてみろと云はないのに水の中へ頭を突込む。溺れた人間の苦しみを味ふためである。

 「早くしろよ」 と、ルピツク氏は叫ぶ――「さもないと、兄さんがラムをみんな飮んヂまうぞ」[やぶちゃん注:前の台詞の後の字空けは、ママ。誤植であろう。戦後版は改行せず、繋がっている。]

 ラムなら、あんまり好きぢやないのだが、にんじんは、云ふ――

 「僕の分は、誰にもやらないよ」

 さうして、彼は、それを老兵の如く飮み干す。

 

ルピツク氏――よく洗はなかつたな。くるつぷしに、まだ垢がついてる。

にんじん――泥だよ、こりや。

ルピツク氏――いゝや、垢だ。

にんじん――もう一度水へはいつて來ようか。

ルピツク氏――明日除(と)ればいい。また來よう。

にんじん――うまい具合に天氣ならね。

 

 彼は、指の先へ、タオルの乾いたところを、つまり兄貴が濡らさずにおいてくれたところを捲きつけて、からだを拭く。頭が重く、喉はいがらつぽいのだが、彼は、大聲を立てゝ笑ふのである。といふのは、兄貴とルピツク氏が、彼の捻じくれた足の址(ゆび)を見て、へんてこな戲談をいつたからだ。[やぶちゃん注:「戲談」「じようだん」。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「猿股」原文は“calecons”で、「猿股」は誤りとは言えないが、下着の印象が強いから、単純に「パンツ」、若しくは「水泳パンツ」と譯した方が、若年層の読者の誤解を生まないであろう。因みに、ふと思つたが、袴の一種で例のドラマの「水戸黄門」の穿いている輕衫(かるさん)の語源は、ポルトガル語の「ズボン」に相当する“caçlão”であるが、これは同語源ように思われる。

「林檎糖」原文は“sucre de pomme”(シュクル・ド・ポム)。ルーアン特産の円柱状をしたリンゴ飴菓子。レモン汁や、キャラメル・エキス、リンゴのエキスをベースとして飴状に成し、それを冷やす際、巧みな手動で棒状に巻いて造る。長さは七センチメートル、直径一センチメートルの小さなものから、長さ三十四センチメートル、直径五センチメートルもの特大サイズのものまである(サイト「フランス菓子ラボ」のこちらを参照した)。

「ラム」サトウキビから採つた糖蜜を発酵させて造つた蒸留酒。アルコール度数は一般には約四十五パーセント程度と高いが、言わずもがなだが、ルピック氏は子供らの冷えた体を温めるために飲ませているのである。]

 

 

 

 

    Le Bain

 

   Comme quatre heures vont bientôt sonner, Poil de Carotte, fébrile, réveille M. Lepic et grand frère Félix qui dorment sous les noisetiers du jardin.

   Partons-nous ? dit-il.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Allons-y, porte les caleçons !

     MONSIEUR LEPIC

   Il doit faire encore trop chaud.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Moi, j’aime quand il y a du soleil.

     POIL DE CAROTTE

   Et tu seras mieux, papa, au bord de l’eau qu’ici. Tu te coucheras sur l’herbe.

     MONSIEUR LEPIC

   Marchez devant, et doucement, de peur d’attraper la mort.

 

   Mais Poil de Carotte modère son allure à grand-peine et se sent des fourmis dans les pieds. Il porte sur l’épaule son caleçon sévère et sans dessin et le caleçon rouge et bleu de grand frère Félix. La figure animée, il bavarde, il chante pour lui seul et il saute après les branches. Il nage dans l’air et il dit à grand frère Félix :

   Crois-tu qu’elle sera bonne, hein ? Ce qu’on va gigoter !

   Un malin ! répond grand frère Félix, dédaigneux et fixé.

   En effet, Poil de Carotte se calme tout à coup.

   Il vient d’enjamber, le premier, avec légèreté, un petit mur de pierres sèches, et la rivière brusquement apparue coule devant lui. L’instant est passé de rire.

   Des reflets glacés miroitent sur l’eau enchantée.

   Elle clapote comme des dents claquent et exhale une odeur fade.

   Il s’agit d’entrer là-dedans, d’y séjourner et de s’y occuper, tandis que M. Lepic comptera sur sa montre le nombre de minutes réglementaire. Poil de Carotte frissonne. Une fois de plus son courage, qu’il excitait pour le faire durer, lui manque au bon moment, et la vue de l’eau, attirante de loin, le met en détresse.

   Poil de Carotte commence de se déshabiller, à l’écart. Il veut moins cacher sa maigreur et ses pieds, que trembler seul, sans honte.

   Il ôte ses vêtements un à un et les plie avec soin sur l’herbe. Il noue ses cordons de souliers et n’en finit plus de les dénouer.

   Il met son caleçon, enlève sa chemise courte et, comme il transpire, pareil au sucre de pomme qui poisse dans sa ceinture de papier, il attend encore un peu.

   Déjà grand frère Félix a pris possession de la rivière et la saccage en maître. Il la bat à tour de bras, la frappe du talon, la fait écumer, et, terrible au milieu, chasse vers les bords le troupeau des vagues courroucées.

   Tu n’y penses plus, Poil de Carotte ? demande monsieur Lepic.

   Je me séchais, dit Poil de Carotte.

   Enfin il se décide, il s’assied par terre, et tâte l’eau d’un orteil que ses chaussures trop étroites ont écrasé. En même temps, il se frotte l’estomac qui peut-être n’a pas fini de digérer. Puis il se laisse glisser le long des racines.

   Elles lui égratignent les mollets, les cuisses, les fesses. Quand il a de l’eau jusqu’au ventre, il va remonter et se sauver. Il lui semble qu’une ficelle mouillée s’enroule peu à peu autour de son corps, comme autour d’une toupie. Mais la motte où il s’appuie cède, et Poil de Carotte tombe, disparaît, barbote et se redresse, toussant, crachant, suffoqué, aveuglé, étourdi.

   Tu plonges bien, mon garçon, lui dit monsieur Lepic.

   Oui, dit Poil de Carotte, quoique je n’aime pas beaucoup ça. L’eau reste dans mes oreilles, et j’aurai mal à la tête.

   Il cherche un endroit où il puisse apprendre à nager, c’est-à-dire faire aller ses bras, tandis que ses genoux marcheront sur le sable.

   Tu te presses trop, lui dit M. Lepic. N’agite donc pas tes poings fermés, comme si tu t’arrachais les cheveux. Remue tes jambes qui ne font rien.

   C’est plus difficile de nager sans se servir des jambes, dit Poil de Carotte.

   Mais grand frère Félix l’empêche de s’appliquer et le dérange toujours.

   Poil de Carotte, viens ici. Il y en a plus creux. Je perds pied, j’enfonce. Regarde donc. Tiens : tu me vois. Attention : tu ne me vois plus. À présent, mets-toi là vers le saule. Ne bouge pas. Je parie de te rejoindre en dix brassées.

   Je compte, dit Poil de Carotte grelottant, les épaules hors de l’eau, immobile comme une vraie borne.

   De nouveau, il s’accroupit pour nager. Mais grand frère Félix lui grimpe sur le dos, pique une tête et dit :

   À ton tour, si tu veux, grimpe sur le mien.

   Laisse-moi prendre ma leçon tranquille, dit Poil de Carotte.

   C’est bon, crie M. Lepic, sortez. Venez boire chacun une goutte de rhum.

   Déjà ! dit Poil de Carotte.

   Maintenant il ne voudrait plus sortir. Il n’a pas assez profité de son bain. L’eau qu’il faut quitter cesse de lui faire peur. De plomb tout à l’heure, à présent de plume, il s’y débat avec une sorte de vaillance frénétique, défiant le danger, prêt à risquer sa vie pour sauver quelqu’un, et il disparaît même volontairement sous l’eau, afin de goûter l’angoisse de ceux qui se noient.

   Dépêche-toi, s’écrie M. Lepic, ou grand frère Félix boira tout le rhum.

   Bien que Poil de Carotte n’aime pas le rhum, il dit :

   Je ne donne ma part à personne.

   Et il la boit comme un vieux soldat.

 

     MONSIEUR LEPIC

   Tu t’es mal lavé, il reste de la crasse à tes chevilles.

     POIL DE CAROTTE

   C’est de la terre, papa.

     MONSIEUR LEPIC

   Non, c’est de la crasse.

     POIL DE CAROTTE

   Veux-tu que je retourne, papa ?

     MONSIEUR LEPIC

   Tu ôteras ça demain, nous reviendrons.

     POIL DE CAROTTE

   Veine ! Pourvu qu’il fasse beau !

 

   Il s’essuie du bout du doigt, avec les coins secs de la serviette que grand frère Félix n’a pas mouillés, et la tête lourde, la gorge raclée, il rit aux éclats, tant son frère et M. Lepic plaisantent drôlement ses orteils boudinés.

 

譚海 卷之五 狐猫同類たる事 附武州越ケ谷にて猫おどる事 / 卷之五~了(ルーティン仕儀)

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。なお、この前の前の「譚海 卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事」、及び、前の「譚海 卷五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事」は孰れも既にフライング公開してある。標題の「おどる」はママ。

 なお、本篇を以って、「卷之五」は終わっている。]

 

○深川小奈木澤近き川邊に、或人、先祖より久敷(ひさしく)住居(すみゐ)て有(ある)宅あり。田畑近く、人氣(ひとけ)すくなき所成(なり)しに、ある夕暮、あるじ、庭を見てゐたれば、緣の下より、小(ちさ)き孤、壹つ、はひ出(いで)て、うづくまり居(ゐ)しを、家に飼置(かひおき)ける猫、見附(みつけ)て、あやしめる樣成(やうなる)が、頓(やが)て、行(ゆき)て、おづおづ、近寄(ちかより)、狐の匂ひを嗅(かぎ)て、うたがはず、なれ貌(がほ)に寄添(よりそひ)、後々は、時として、ともなひありきなどして、友達に成(なり)けるが、終(つひ)に、行方(ゆくへ)なく、かい失(うせ)ぬるとぞ。「元來、同じ陰獸なれば、同氣(どうき)相和(あひわ)して怪(あやし)まず、かく有(あり)けるにや。」と其人の語りぬ。すべて、猫は「狸奴(りど)」と號して、狐狸(こり)の爲(ため)、つかはるゝ物なれば、誘引せらるゝ時は、共に化(ばけ)て、をどりあるく事也。狐狸のつどふ所には、猫、必(かならず)、交(まぢは)る事あり。或人、越ケ谷に知音(ちいん)有(あり)て、行(ゆき)て、兩三日、宿りたるに、每夜、座敷の方(かた)に、人の立居(たちゐ)する如く、ひそかに手を打(うち)て、をどる聲、聞ゆる故、わびしく寢られぬまゝ、亭主に、「かく。」と語ければ、「さもあれ、心得ざる事。」とて、亭主、伺ひ行ければ、驚きて窓のれんじより、飛出(とびいづ)る物、あり。つゞきて飛出る物をはゝき[やぶちゃん注:箒(ほうき)。]にて打(うち)たれば、あやまたず、打落しぬ。

火をともして見れば、家に久敷(ひさしく)ある猫、此客人の皮足袋(かはたび)をかしらにまとひて死(しし)て有(あり)。かゝれば、狐など、をどりさわぐは、猫なども交りて、かく有(あり)ける事と、其人、歸り、物語りぬ。

[やぶちゃん注:「深川小奈木澤」これは「深川小名木川」の誤りであろう。ここに現在もある(グーグル・マップ・データ)。「三井住友トラスト不動産」公式サイト内の「このまちアーカイブズ」の「東京都 深川・城東」に「江戸切絵図」から諸画像・近現代の写真と、当該地区の歴史的解説も豊富に書かれてあるので、是非、見られたい。

「狸奴」「貍奴」とも書き、漢語で猫の異称である。]

譚海 卷之五 尾州家士蝦蟇の怪を見る事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○尾州の家士何某、在所にありし時、來客のもてなしに、高つきに干菓子(ひがし)をもりて出(いだ)しける。客、歸りて後、亭主、睡(ねふり)を生じて、壁により、ねむりつゝ、しばし有(あり)て、ふと、目を開きたれば、高つきに有(ある)「こりん」と云(いふ)菓子、「ひらひら」と、おどりあがりて、明り障子の紙に穴あるより、飛出(とびいづ)る事、あまたなり。猶、つゞきて、いくらとなく、飛出ければ、『怪(あやし)。』と思ひ、心を留(とめ)て見れば、障子の穴より、高つきの上へ、白き絲の樣(やう)なる物、一筋、引(ひき)て、あり。「こりん」は、此白き絲の樣成(やうなる)物にひかれて、をどり出(いづ)る也。『いか成(なる)事にや。』と、ひそかに障子の破れよりみれば、年經(へ)たる大成(おほきなる)蟇がへる、庭の面(おもて)にうづくまりて有(あり)。夫(それ)が口より、此白き絲のやうなるを吐(はき)て、障子をうがちて高つきにいたり、ひきがへる、口を開けば、夫に吸(すは)れて、「こりん」、をどり出て、蟇の口に入(いる)なり。かやうの物も、年經たるは、あやしき事を、なす物と、いへり。

[やぶちゃん注:この手の蝦蟇(がま)の怪は、私の怪奇談集では枚挙に遑がない、というより、リンクを張り切れないほど、さわにある。

「こりん」「壱岐市」公式サイト内の「いきしまぐらし」のこちらに、画像入りで以下の説明がある。『ひなあられと同じような大きさですが』、『色はついていません。見た目はちょっと地味ですが、食べると』、『どこか懐かしい味がします。のし餅をサイコロ状に切って、寒の時期に』、『しっかりと干して』作るも『ので、保存食としても使えます』とあった。]

譚海 卷之五 遠州深山中松葉蘭を產する事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○松葉蘭といふ物、遠州より出(いづ)る、深山石上(しんざんせきしやう)に生ずる物にて、霧露の氣に和して、生成するゆゑ、土にうゝれば、なづみて、枯死す。唯(ただ)古き朽木(くちき)のぼろぼろする物を細末にして、夫(それ)にてうゝれば、長く、たもつ事とす。四時、葉、みどりにして、席上の盆翫(ぼんぐわん)には第一と稱すべし。日にあつる事を禁ず。時々、水をそゝげば、年を經て、叢生する事、尤(もつとも)繁く、書齋の淸賞には缺(かく)べからざる物也。石菖蒲、普通には、盆中の淸翫に供すれ共(ども)、松葉蘭、出(いで)て後は、比肩するにたらず、無下(むげ)に石菖蒲は下品の心地する也。近來(ちかごろ)、石菖のしんをば、薩摩より來(きた)る朽木のかたまりたる如きものを用ゆ。石菖を長ずるは、是に勝(まさ)る物なし。是又、昔、なき所の物なり。

[やぶちゃん注:「松葉蘭」シダ植物門マツバラン綱マツバラン目マツバラン科マツバラン属マツバラン Psilotum nudum 当該ウィキによれば、『マツバラン科』Psilotaceae『では日本唯一の種である。日本中部以南に分布する』。『茎だけで葉も根ももたない。胞子体の地上部には茎しかなく、よく育ったものは』三十センチメートル『ほどになる。茎は半ばから上の部分で何度か』二『又に分枝する。分枝した細い枝は稜があり、あちこちに小さな突起が出ている。枝はややくねりながら上を向き、株によっては先端が同じ方向になびいたようになっているものもある。その姿から、別名をホウキランとも言う。先端部の分岐した枝の側面のあちこちに粒のような胞子のうをつける。胞子のう(実際には胞子のう群)は』三『つに分かれており、熟すと』、『黄色くなる』。『胞子体の地下部も地下茎だけで』、『根はなく、あちこち枝分かれして、褐色の仮根(かこん)が毛のように一面にはえる。この地下茎には菌類が共生しており、一種の菌根のようなものである』。『地下や腐植の中で胞子が発芽して生じた配偶体には』、『葉緑素がなく、胞子体の地下茎によく似た姿をしている。光合成の代わりに』、『多くの陸上植物とアーバスキュラー菌根』(arbuscular mycorrhiza)『共生を営むグロムス』菌『門』(Glomeromycota)『の菌類と共生して栄養素をもらって成長し、一種の腐生植物として生活する。つまり』、『他の植物の菌根共生系に寄生して地下で成長する。配偶体には造卵器と造精器が生じ、ここで形成された卵と精子が受精して光合成をする地上部を持つ胞子体が誕生する』。本邦では『本州中部から以南に、海外では世界の熱帯に分布する』。『樹上や岩の上にはえる着生植物で、樹上にたまった腐植に根を広げて枝を立てていたり、岩の割れ目から枝を枝垂れさせたりといった姿で生育する。まれに、地上に生えることもある』。『日本では』、『その姿を珍しがって、栽培されてきた。特に変わりものについては、江戸時代から栽培の歴史があり、松葉蘭の名で、古典園芸植物の一つの分野として扱われる。柄物としては、枝に黄色や白の斑(ふ)が出るもの、形変わりとしては、枝先が一方にしだれて枝垂れ柳のようになるもの、枝が太くて短いものなどがある。特に形変わりでなくても採取の対象にされる場合がある。岩の隙間にはえるものを採取するために、岩を割ってしまう者さえいる。そのため、各地で大株が見られなくなっており、絶滅した地域や、絶滅が危惧されている地域もある』が、『他方、繁殖力そのものは低いものではなく、人工的環境にも進出し得る性質をもっており、公園の片隅で枝を広げているものが見つかるような場合や、植物園や家庭の観葉植物の鉢で、どこからか飛来した胞子から成長したものが見られる場合すらもある』とある。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。

「淸賞」「賞玩」に同じ。褒め愛でること。味わい珍重すること。

「石菖蒲」「石菖」単子葉植物綱ショウブ目ショウブ科ショウブ属セキショウ Acorus gramineus 学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]

譚海 卷之五 下野日光山房にて碁を自慢せし人の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○下野國日光山は、天狗、常に住(すみ)ておそろしき處なり。一とせ、ある浪人、知音(ちいん)ありて、山中の院に寄宿し居《をり》けるが、一夜、院内の人々、集りて、碁を打たるに、この浪人、しきりに勝(かち)ほこりて、皆、手にあふもの、なかりしかば、浪人、心、おごりて、「此院中に、我に先(さき)させてうたんと云(いふ)人は、あらじ。」など自讚しける時、かたへの僧、「左樣成(なる)事、こゝにては、いはぬ事なり。鼻の高き人有(あり)て、ややもすれば、からきめ見する事、多し。」と、制しける詞に合せて、明り障子を隔てて、庭のかたに、からびたる聲して、「爰に、聞(きき)て居(を)るぞ。」と、いひつる聲、せしかば、浪人、顏の色も菜(な)のごとくに成(なり)て、ものもいはず、碁盤・碁石、打(うち)すて置て寢(いね)、翌日のあくるを待(まち)あへずして、急ぎ、下山して、走り去りぬとぞ。

[やぶちゃん注:本篇は、「柴田宵曲 妖異博物館 天狗(慢心)」でも取り上げており、そちらでも、電子化注してある。]

譚海 卷之五 江戶芝三田濟海寺竹柴寺なる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○江戶、芝三田の坂の上に、濟海寺(さいかいじ)と云(いふ)淨土宗の寺、有(あり)。其鄰(となり)は、何某國(なにがしのくに)の守(かみ)の下屋敷なり。此下屋しき、往古は、濟海寺の境内にてありしを、今、分れて鄰の地になれりとぞ。其下屋敷(しもやしき)の内に「龜塚」と號するもの有(あり)。玆(ここ)に觀世流外(そと)百番の謠(うたひ)に「瓶塚(かめづか)」と云(いふ)物ありて、其詞(そのことば)を見るに、「龜塚」にはあらで「瓶塚」と云(いふ)事を作りて、「さらしな日記」に云(いへ)る「竹柴寺(たけしばてら)」の事を作りたる者也。是によりて當時の住持和尙、初めて、「濟海寺は、古(いにしへ)の竹柴寺也。」と自讚して、人にも語りて、入興(にふきやう)せられける。彼(かの)日記には、『昔、むさしの國なる男、大内の役にさゝれて參て居(を)る程、「庭を、きよむる。」とて、故鄕の事を思ひ出でて、「あはれ、我國には、大なるもたひありて、それにそへたるひさごの、東風ふけば、西へなびき、西風ふけば、京へなびく。さもおもしろき事なるを、かく見もせで、遠き國にある事よ。」と、ひとりごとせしを、御門(みかど)のむすめ、ほの聞(きき)給ひて、みすをまきあげて、此男を、まねき給ひて、「いかで、我を、ともなひて、其ひさごのおもしろき、みせよ。せちに、ゆかしきに。」と、のたまへば、此男、おもひかけずながら、うちかしこまりて、みむすめを、脊(せ)におひて、都(みやこ)をにげ出(だし)、瀨田の橋を引(ひき)おとして、夜ひるとなく、にげて、あづまに、くだりける。御門より御使(おつかひ)ありて、「歸り給ふべき」よし、のたまはせしかど、すくせにや、「此所(ここ)にとゞまらまほしく、都へ歸らんとも、おもはず。」と、の給ひしかば、かさねて、此男をば、武藏守になされて、御門の御娘(おほんむすめ)と夫婦(めをと)になりて、暮しける。みむすめ、かくれ給ひし後(のち)、其家をば、やがて、寺になして、「竹柴寺」とて有(あり)けるよしを、しるせり。又、彼(かの)謠には、『此(この)もたひを埋(うづめ)ける所。』とて、「瓶塚」と、いへるよしを作れり。旁(つくり)よりどころある事にも覺ゆれど、今の濟海寺、去(さる)事あるにや、遙(はるか)なる世の事にて、覺束なし。

[やぶちゃん注:「江戶、芝三田の坂の上に、濟海寺と云土宗の寺、有」東京都港区三田にある浄土宗智恩院末寺であった周光山長壽院済海寺(グーグル・マップ・データ)。この伝承は、中世・近世の創作ではなく、非常に古くからあるらしい。「たけしば」が「竹柴」となり、それが「竹芝」に転じ、現在まで続く地名の「芝」となったとされる。

「外百番」これは「百番の外(ほか)の百番」の意で、江戸初期以来、謡曲「内百番」に対して、刊行された別の百番の謡曲を指す。但し、「百番」の曲には流派によっても出入りがあって、同一ではない。「瓶塚」は私は不詳。ネット検索でも見当たらないのだが?

『「さらしな日記」に云る「竹柴寺」』「更級日記」の「五」の「たけしば」。以下、所持する関根慶子訳注(講談社学術文庫昭和五二(一九七七)年刊)の「上」の本文を参考に、恣意的に正字化し、記号も添えて示す。

   *

 

   五 たけしば

 

 今は武藏の國になりぬ。ことにをかしき所も見えず。濱も砂子(すなご)白くなどもなく、こひぢ[やぶちゃん注:「泥」。]のやうにて、むらさき生ふと聞く野も、葦・荻のみ高く生ひて、馬(むま)に乘りて弓もたる末(すゑ)、見えぬまで高く生ひ茂りて、中をわけ行くに、「たけしば」といふ寺あり。はるかに、「ははさう」[やぶちゃん注:不詳。以下から、楼閣の名らしい。]などいふ所の、らうの跡の礎(いしずゑ)などあり。

「いかなる所ぞ。」

と問へば、

「これは、いにしへ、『たけしば』といふさか[やぶちゃん注:坂。]なり。國の人のありけるを、火燒屋(ひたきや)[やぶちゃん注:宮中に設けられた、夜間中、火を焚いて衛士が番をする小屋。]の火たく衞士(ゑじ)に、さしたてまつりたりけるに、御前(おほんまへ)の庭を掃くとて、

「などや、苦しきめを見るらむ。わが國に、七つ、三つ、つくり据えたる酒壺(さかつぼ)に、さし渡したる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)[やぶちゃん注:乾した瓢簞を二つに割り、柄を附けずに用いる柄杓。]の、南風(みなみかぜ)吹けば、北になびき、北風吹けば、南になびき、西吹けば、東になびき、東吹けば、西になびくを見で、かくてあるよ。」

と、ひとりごちつぶやきけるを、その時、帝(みかど)の御女(おほんむすめ)、いみじうかしづかれ給ふ。ただひとり、御簾(みす)のきはに、立ち出で給ひて、柱によりかかりて御覽ずるに、この男(をのこ)の、かく、ひとりごつを、

『いとあはれに、いかなる瓢の、いかになびくならむ。』

と、いみじうゆかしくおぼされければ、御簾をおし上げて、

「あのをのこ、こち、よれ。」

と仰せられければ、酒壺(さかつぼ)のことを、いま一(ひと)かへり、申しければ、

「われ、率(ゐ)て、行きて見せよ。さ、いふやう、あり。」[やぶちゃん注:最後の台詞は、「そのように言うのであれば、それなりの帰りたいわけがあろう。」の意。]

と仰せられければ、

『かしこく、おそろし。』

と思ひけれど、さるべきにやありけむ、おひ[やぶちゃん注:背負い。]奉りて下(くだ)るに、ろんなく[やぶちゃん注:「無論」。]、

『人、追ひて、來(く)らむ。』

と思ひて、その夜(よ)、「勢多の橋」のもとに、この宮を据(す)ゑ奉りて、「勢多の橋」を一間(ひとま)ばかり、こぼちて、それを、飛びこえて、この宮を、かきおひ奉りて、七日七夜(なぬかななよ)といふに、武藏の國にいきつきにけり。

 帝、后(きさき)、

「御子(みこ)、失せ給ひぬ。」

と、おぼしまどひ、求め給ふに、

「武藏の國の衞士の男なむ、いと香(かう)ばしき物を、首(くび)にひきかけて、飛ぶやうに逃げける。」

と申し出でて、この男を、尋ぬるに、なかりけり。

 ろんなく、

「もとの國にこそ行くらめ。」

と、公(おほやけ)より、使(つかひ)、下(くだ)りて追ふに、「勢多の橋」、こぼれて、えゆきやらず。

 三月(みつき)といふに、武藏の國にいきつきて、この男をたづぬるに、この御子、公使(おほやけづかひ)を召して、

「われ、さるべきにやありけむ、この男の家、ゆかしくて、『ゐて行け。』と、いひしかば、ゐて來たり。いみじく、ここあり、よく覺ゆ[やぶちゃん注:ここは、とても住み心地がよいと感じておる。]。この男、罪(つみ)し、れう[やぶちゃん注:「掠(れう)」でひどい罰を下すこと。]ぜられば、われはいかであれ、と。これも先(さき)の世に、この國に跡(あと)をたるべき宿世(すくせ)こそありけめ。はや、歸りて、公(おほやけ)に、此のよしを奏せよ。」

と仰せられければ、言はむ方(かた)なくて、のぼりて、帝に、

「かくなむありつる。」

と奏しければ、

「いふかひなし。その男を罪(つみ)しても、今は、この宮を、とり返し、都にかへしたてまつるべきにも、あらず。『たけしば』の男に、生(い)けらむ世の限り、武藏の國を預けとらせて、公事(おほやけごと)もなさせじ。ただ、宮に、その國を預け奉らせ給ふ[やぶちゃん注:自敬表現。]。」

よしの宣旨、下りにければ、この家を内裏(だいり)のごとく造りて、住ませ奉りける家を、宮など失せたまひにければ、寺になしたるを、「竹柴寺」と、いふなり。

 その宮の生み給へる子どもは、やがて、「武藏」といふ姓を得てなむ、ありける。

 それよりのち、「火たき屋」に、女はゐるなり。

……と語る。[やぶちゃん注:作者が聴き取りした、当地の里人が主語。]

   *]

譚海 卷之五 武州安立郡赤山村慈林寺の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○武州安立郡[やぶちゃん注:底本では「安」の字に編者傍注で『足』とある。]赤山村に、慈林寺の藥師とて、厚き御堂(みだう)あり。聖武天皇開基、文德天皇さいこう[やぶちゃん注:「再興」。]と云(いひ)、額に、えりて有(あり)。並木・松など、年ふる寺にて、閑寂の地也。「傍(かたはら)の茂りたる小山に入(いる)人あれば、再び歸らず。」あるは、「『藥師の眷屬』とて「三足(みつあし)の雉子」、ある。」よしなど、「七不思議」と云(いふ)事をかぞへて、所の者はいひ傳ふる也。邊地には、珍しき精舍(しやうじや)也。

[やぶちゃん注:「武州安立郡」(「足」立郡)「赤山村」現在は、埼玉県川口市赤山(旧足立郡)ではなく、現行の地区の南東直近の埼玉県川口市安行慈林(あんぎょうじりん)にある真言宗智山派医王山宝厳院慈林寺(グーグル・マップ・データ航空写真)。同寺と同寺の会館の間に小山らしきものが見える。にしても、寺院でありながら、禁足地があり、そこに入ったら、行方不明となるという魔所があるというのは、これ、いただけないね。今の同寺にも迷惑だろ。]

譚海 卷之五 和州初瀨の僧辨財天に値遇せし事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。「値遇」は「ちぐ」或いは「ちぐう」で、仏教では、「仏縁あるものにめぐりあうこと」の意で用いる。本篇は、頗る厭な展開を示すので、注意されたい。]

 

○和州長谷[やぶちゃん注:底本の編者傍注に『(初瀨)』とある。]の僧何某、勤修、多年に及(および)けるが、寺中に辨才天の木像を安置せる所有(あり)、時々、參りて、法施奉り拜み奉りけるに、辨天女の形、殊に端麗に覺えて、いつとなく、なつかしく、忘れがたければ、しきりに參りて拜みまゐらするまゝ、おほけなく戀慕(れんぼ)の心、おこりて、『いかにもして、世中(よのなか)にかゝる女(をんな)あらば、一期(いちご)の思ひ出に逢見(あひみ)てまし。』など、あらぬ事に、心、移りて、破戒の事も思はず、今は、つやつや、物も覺えず、病(やまひ)にふして、あかしくらしけり。おもふあまりの心を、天女も、あはれみたまひけるにや、ある夜、うつゝの如く、辨財天、此僧にまみへ給ひて、「汝がよしなき心を起して、年頃の勤行(ごんぎやう)、いたづらにせん事、淺間敷(あさましき)おもふ儘(まま)、かく現じ來りたり。此事、かまへて、人にかたるな。」と、いたく口堅(くちがた)めましまして、天女、僧のふすまに入給ひぬ。僧、よろこびにたへず、夫婦(めをと)のかたらひを、なしつ。かくて、心も、のどまり[やぶちゃん注:「和(のど)まる」。落ち着き。]、病も、又、怠(おこた)り[やぶちゃん注:ここは「病気が癒える」というポジティヴな意。]ぬれば、勤修(ごんしゆ)、ますます、たゆみなく、はげみける。夫(それ)より後は、夜な夜な、天女、ましまして、僧と語(かたり)給ふ事、絕(たえ)ず。月目を經て、この僧、心にうれしく思ふ餘り、ふと、同法のしたしき物語の序(ついで)に、「かゝる事も、ありける。」と、ほのめかしける其夜、又、天女、おはして、殊にいかり腹立(はらだち)給ひて、「汝がまよひをはらして、成佛(じやうぶつ)の緣をとげしめんためにこそ、かりそめに、かく、契(ちぎり)は、かはしつるを、はかなくも、人にもらしつる。今は、かひなし。汝がもらす所の慾水、かへしあたふるぞ。」とて、つまはぢきして去(さり)給ふ。其時、あまた、水の面(おもて)にかくると覺しが、やがて、此僧、らいびやうを、やみて、いく程もなく、身まかりぬ、と、いへり。ふしぎの事にこそ。

[やぶちゃん注:「和州長谷」「(初瀨)」現在の奈良県桜井市初瀬(はせ)。ここには知られた名刹長谷寺があるが、話しが話しなだけに、編者は、津村は地名を用いたのであろうから、「目次」の標題通り、「初瀨」とすべきだ、と考えたものと思われる。

「慾水」精液。

「らいびやう」「癩病」。ハンセン病の旧差別病名。私は何度も、繰り返し、近代以前、激しく差別されたこ病気について、詳細に注し、今も、その差別の亡霊が未だにいることを注意喚起してきた。たとえば、最近のそれの一つとして、『鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三 起請文の罰の事」』の私の注を必ず読まれたい。

譚海 卷之五 江戶深川靈光院塔中養壽院弟子俊雄事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。書付けの文は句読点を使わず、代わりに字空けをして読み易くした。]

 

○江戶深川靈光院地中(ぢちゆう)、養壽院といふに、俊雄(しゆんゆう)といふ所化(しよけ)あり。平生、正月廿五日圓光大師の御忌に、往生を遂度《とげたき》よし、人にもかたりけり。天明七年正月廿五日養壽院の住持、他行《たぎやう》の留守をせしに、俊雄、下部(しもべ)をたのみて、いふやう、「けふは、同寮の者に誘引せられて、據(よんどころ)なく、遊女の所へ行(ゆく)べきやくそくをせし也。今更、いなみがたければ、何とぞ、此衣類を、ひそかに典物(てんもつ)にして、金子壹兩壹步、こしらへくれよ。」とて、衣服を、あまた取出(とりいだ)して、あつらヘけるに、いなみけれど、再應、わりなくたのみければ、あるまじき事にもあらずと覺えて、此男、うけがひて、質屋へ持行(もちゆき)、右の金子、調へ來り、「小袖、金子の價(あたひ)より、おほかりし。」とて、「三つ、戾し侍りぬ。」と、いひければ、此僧、大によろこび、やがて金子を錢に兩替し、此男にも、酒・豆腐など求(もとめ)て、振舞(ふるまひ)て、扨、我が部屋に入(いり)て、轉寢(うたたね)などして、晚景に成(なり)て起出(おきい)で、「かならず、院主へ沙汰ししらすな。」と、堅く口がためして、出行(いでゆ)けり。其夜も歸らず、翌朝、俊雄の同伴、澄嚴といふ僧、この程は靈岸寺の地藏の守僧なるが、元來、養壽院にありし事なれば、いつも晨朝(しんてう)のつとめには、養壽院に來(きた)る事とて、廿六日早朝、來り、「院主は、いまだ臥(ふし)て起居(おきをら)ざれば、先(まづ)佛前に參じて禮をせん。」とて、見れば、かたわらに俊雄の位牌、立(たて)てあり。年月も願(ぐわん)の如く、昨日の事にしるし付(つけ)たれぱ、大に驚きながら、又、無常のはかなき事を思ひやり、多年、願ひ、成就せし事も、たのもしく覺えて、『いと、あやし。』と、おもひながら、「先(まづ)、禮せん。」とて、りんを打(うち)たるに、一向に、ひゞき出(いで)ず。又、打(うち)たれども、同じ事にて、何やらん、内に有(ある)やうにおぼへ[やぶちゃん注:ママ。]しかば、手を指入(さしいれ)て見れば、りんの底に、鳥目貳百文、紙につゝみて、有(あり)。取あげてみれば、俊雄の手跡にて、「くはしき事は 拙僧 單笥の引出しの内に有ㇾ之(これあり)」と書付あるゆゑ、いよいよ、驚き、いそぎ、院主をおこして尋(たづね)けるに、院主も、位牌を見て、初めて、おどろき、諸共(もろとも)に單笥の内を穿鑿しければ、書置(かきおき)の一紙あり。壹兩壹步の錢を、三百文づつに包(つつみ)わけ、同法知音(ちいん)の僧に分ちやるべき名を、殘りなく記し、小袖・帶の類(たぐひ)迄も、皆々、形見に配頌すべき書付、つまびらかに有(あり)。「年來(としごろ) 御忌の日に往生とげたき念願なりしが 年を經て もだしがたく 今日(けふ) しきりに往生の機(き) 進み侍れば 思ひ立(たち)て 本望をとげ侍る されども 死該は 決して見せまじき」よしをしるせり。皆々、殊に尊(たつと)く、哀(あはれ)を催して、感淚を押(おさ)へかねて、別時念佛など、いとなみて、後々のとぶらひまで、ねんごろにしけると、人のかたりし。

[やぶちゃん注:津村がかく記したによって、無名の俊雄の事績は、かく、残った。何か、私は非常に胸打たれた。

「江戶深川靈光院地中、養壽院」前者は東京都墨田区吾妻橋に現存する。浄土宗瑞松山榮隆院霊光寺(グーグル・マップ・データ)である。いつもお世話になる「猫の足あと」の同寺の解説によれば、『霊光寺は、木食重譽上人霊光和尚を開山として創建、寛永』三(一六二六)年、『寺院となしたと』伝えるとある。「養壽院」は現存しないようだが、「塔中」(塔頭(たっちゅう)に同じ)「地中」とあるから、この現在の霊光寺境内にあったものである。

「所化」修行中の僧を指す語。

「圓光大師」法然の没後四百八十六年後の元禄一〇(一六九七)年一月十八日、東山天皇より勅諡された法然の大師号。

「天明七年正月廿五日」グレゴリオ暦一七八七年三月四日。

「別時念佛」道場や期間を定めておいて、その間、只管、称名念仏行に励むこと。「WEB版新纂浄土宗大辞典」の当該項によれば、法然は「七箇条の起請文」で『「時時(ときどき)別時の念仏を修して心をも身をも励まし調え進むべきなり。日日に六万遍を申せば、七万遍を称うればとてただあるも、いわれたる事にてはあれども、人の心様はいたく目も慣れ耳も慣れぬれば、いそいそと進む心もなく、明暮あけくれは心忙しき様にてのみ疎略になりゆくなり。その心を矯め直さん料に、時時別時の念仏はすべきなり」(聖典四・三三八/昭法全八一二~三)といって、日々六万遍、七万遍の称名念仏を修することが望ましいと常に心得ていながらも、その気持ちは日々の生活の中で薄れてしまうものであるといい、その気持ちを正すために』、『時々』m『別時の念仏を修するべきであるとしている。また続けて、「道場をも引き繕い花香をも参らせん事、殊に力の堪えんに随いて飾り参らせて、我が身をも殊に浄めて道場に入りて、あるいは三時あるいは六時なんどに念仏すべし。もし同行なんど数多あらん時は、替る替る入りて不断念仏にも修すべし。かようの事は各事柄に随いて計らうべし。さて善導の仰せられたるは、月の一日より八日に至るまで、あるいは八日より十五日に至るまで、あるいは十五日より二十三日に至るまで、あるいは二十三日より晦日に至るまでと仰せられたり。各差し合わざらん時を計らいて七日の別時を常に修すべし。ゆめゆめすずろ事ともいうものにすかされて不善の心あるべからず」(聖典四・三三九/昭法全八一三)ともいい、道場も花を供えて』、『香をたくなど』、『できる限り整え、一日を六時間に分けたなかの』、『三時もしくは六時に念仏行をするとし、一日から八日、また八日から一五日など、期間を定め、不善の心を起こさずに念仏すべきであるとしている。また、聖光は』「授手印」を『記して』、『世に広まっていた誤った念仏義を正そうとした際に、肥後往生院と宇土西光院にて四十八日の別時念仏を修したとされている。また』、「西宗要」では、『「日を一日七日に限り、若しは九十日に限り、其の身を清浄にして清浄の道場に入り、余言無く、一向に相続無間に称名するを以て別時と云なり」(浄全一〇・二〇八上~下)といって、期間を決めて絶え間なく念仏行を修することであると細かく示しており、また』、「浄土宗名目問答」の下では、『道場を荘厳』(しょうごん)『し、自身を清浄にする方法が細かく示されている(浄全一〇・四一七下~八上)』とある。]

譚海 卷之五 單誓・澄禪兩上人の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○正德の比、單誓(たんせい)・澄禪(ちやうぜん)といへる兩上人、有(あり)。淨家の律師にて、いづれも生れながら成佛(じやうぶつ)の果(くわ)を得たる人なり。澄禪上人は俗成(なり)しとき、近江の日野と云(いふ)町に住居ありしが、そこにて出家して、專修念佛の行人(ぎやうにん)となり、後は駿河の富士山にこもりて、八年の間勤修(ごんしゆ)怠らず、生身(せいしん)の彌陀の來迎(らいがう)を、をがみし人也。八年の後、富士山より近江へ飛帰(とびかへ)りて、同所平子(ひらこ)と云(いふ)山中(さんちゆう)に籠られたり。單誓上人も、いづくの人たるを、しらず。是は、佐渡の國に渡りて、かしこの「だんどくせん」といふ山中の窟(いはや)に、こもり、千日修行して、みだの來迎を拜(おがま)れけるとぞ。その時、窟の中(うち)、ことごとく金色の淨土に變(かはり)、瑞相(ずいさう)、樣々成(なり)し事、木像に、えりて、「塔の峯」の寶藏に收(をさ)めあり。此兩上人、のちに、京都東風谷(こちだに)と云(いふ)所に住して知音と成(なり)、往來、殊に密也しとぞ。單誓上人は、其後、相州箱根の山中、「塔の峯」に一宇をひらきて、往生の地とせられ、終(つひ)に、かしこにて、臨終を遂(とげ)られける。澄禪上人の終(しゆう)はいかゞ有(あり)けん聞(きき)もらしぬ。東風谷の庵室をば遣命にて燒拂(やきはらひ)けるとぞ。共にかしこきひじりにて、存命の内、種々奇特多かりし事は、人口に殘りて記(しるす)にいとまあらずといふ。

[やぶちゃん注:「正德」一七一一年から一七一六年まで。徳川家宣・徳川家継の治世。しかし、以下登場人物の私の注で判る通り、これは少なくとも次の僧の没年から明らかに時制誤認である。

「單誓」「彈誓」の誤り。浄土宗の僧弾誓(たんぜい 天文二一(一五五二)~慶長一八(一六一三)年)。尾張国海辺村の人。幼名「弥釈丸」(これは「弥陀・釈迦」二尊を表わす名である)。九歳で出家し、名を弾誓と改めた。その後、美濃・近江・京都・摂津一の谷・紀州熊野三社など、各地を遊行(ゆぎょう)し、慶長二(一五九七)年、佐渡において、生身の阿弥陀仏を拝し、授記を受け、十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀仏となって「弾誓経」六巻を説法した。その後は、甲斐・信濃を経て、江戸に至り、学僧幡随意(ばんずいい)より、白旗一流の法を授かった後、再び京に戻った折り、古知谷(こちだに:本篇の「東風谷」は誤り)に、瑞雲が棚引くのを見、最後の修行地と定めた。そこで自身の頭髪を植えた本尊を刻み、光明山阿弥陀寺を建立した。六十二歳で入寂したが、その遺骸は、石棺に納め、本堂脇の巌窟に即身仏として安置されてある。長髪・草衣・木食という弾誓の僧風は、澄禅・念光らに受け継がれ、その流れは浄土宗において「捨世派」の一流と位置づけられている(「WEB版新纂浄土宗大辞典」の当該項に拠った)。

「澄禪」(承応元(一六五二)年~享保六(一七二一)年)。江戸中期の「捨世派」念仏聖。精蓮社進誉。近江国日野の人。十四歳の時、自ら剃髪し、日野大聖寺在心の下で受戒。十八歳で、増上寺に入り、宗戒両脈を相承するが、学問を求めず、専ら、坐禅称名に努めた。隠遁の心止み難く、貞享五(一六八八)年、遂に学林を逃れて、霊山聖跡を巡錫した。相模国曽我の岩窟を始め、塔の峰阿弥陀寺(後注する)の「遅岩洞」、富士山での修行を経て、近江平子山、京都大原山に籠り、苦修練行すること数十年、衣食住の禁欲に徹し、日課念仏十万遍、貴賤男女の帰依を集めた(同前に拠った)。

「淨家」浄土宗。

「近江の日野」滋賀県蒲生郡日野町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「平子」滋賀県蒲生郡日野町平子

「だんどくせん」檀特山。「たんとくさん」「だんとくせん」とも呼ぶ。標高九〇七メートル。古い民謡に「お山・檀特山・米山薬師、三山かけます佐渡三宮」と歌われ、「金北(きんぽく)山(お山)」・「金剛山(米山薬師)」と並び、「大佐渡三霊山」と通称される。山頂までに四十八滝と言われる多くの滝があり、修験の霊場として名高い。

「塔の峯」現在の神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤(標高三百メートル)にある浄土宗阿弥陀寺。慶長九(一六〇四)年創建。開山は弾誓上人、開基は当時小田原城主であった大久保忠隣(ただちか)。

「京都東風谷」「東風谷」は「古知谷」の誤り。現在の京都市左京区大原古知平町にある古知谷(こちだに)の浄土宗光明山法国院阿弥陀寺(こちだにあみだじ)。即身仏は公開されいないが、その封じられた石棺の扉までの写真が並ぶ、「こすもす」氏の「生きたままミイラになった即身仏を見に行ったら 京都大原 古知谷・阿弥陀寺」がお勧めである。]

譚海 卷之五 俱舍論鳳潭和尙より弘たる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。標題の「弘たる」は「ひろまりたる」と訓じておく。]

 

○倶舍論(くしやろん)は元綠の比迄、世の中に、解し、あきらむる人、なくて有(あり)ぬるを、鳳潭(ほうたん)和尙、殊に强力(きやうりよく)の人[やぶちゃん注:努力の人。]にて、奈良の興福寺に玄奘三藏傳來の註解善本ある事をしりて、かしこに至りて寶藏を守る僧にひそかにまひなひし、倶舍の註解拜見したきよしを約して、日々白き下帷子(したかたびら)を着て寶藏に入(いり)、披見の儘に祕註をかたびらに盡く寫しとめ、月日を經て、終(つひ)にのこりなく祕本を寫(うつし)とりて、扨(さて)、板行(はんぎやう)して世に出(いだ)されける。是より、漸々(やうやう)世中(よのなか)に解する事を得て、數人(すにん)の碩學、繼(つぎ)て、興行註解を加へ弘(ひろめ)しより、倶舍の文、明らかにわかれ、今は、世の中に、倶舍の講談せぬ人もなく、每年、月々、群儀の席(せき)を重(かさぬ)る事となりぬ。かく、あまねく、人の解する事に成(なり)ぬるも、然しながら、鳳潭師の賜ものと云(いふ)べしと、ある僧のかたりぬ。賓藏の守僧は、一泉院の宮の御科(おんとが)を得て、終に死刑に處せられぬとぞ、いと悲しき事也。

[やぶちゃん注:「俱舍論」詳しくは「阿毘達磨倶舎論」(あびだつまくしゃろん)という。インドの仏教論書。原名は「アビダルマコーシャ」(Abhidharmakośa:アビダルマの蔵)。著者は世親(せしん:Vasubandhu:バスバンドゥ)。成立は四~五世紀とされる。部派仏教(小乗仏教)中、最も有力な部派であった「説一切有部」(せついっさいうぶ:単に「有部」とも呼ぶ)の教義体系を整理・発展させて集大成したものである。しかし、作者の世親は有部の教義に必ずしも従わず、根本的立場に関して、処々に「経量部」(きょうりょうぶ)、または、自己の立場から、有部の主張を批判してもいる。構成は、約六百の「頌」(じゅ:kārikā:カーリカー:韻文)と、それらに対する長行釈(じょうごうしゃく:bhāya:バーシュヤ:散文による解説)からなる。全体は九品(くほん:章)に分かれ、初めの二品で、基本的な法(ダルマ)の定義と諸相を明かし、続く三品で迷いの世界を、その後の三品で悟りの世界を、それぞれ説明し、最後にある付録的性格を持つ一品では、無我を証明する。「倶舎論」は、先行する原始仏教の思想を体系化し、後の大乗仏教にも深い影響を与えたことから、仏教学の基礎として、後世、大いに用いられた。中国では、特に法相宗(ほっそうしゅう)で研究され、本邦では、奈良時代に教学宗派である「倶舎宗」が成立し、「南都六宗」の一つに数えられた。異訳としては真諦(しんだい)の漢訳「倶舎釈論」(くしゃくろん)と、チベット語訳がある。その原本を伝えるサンスクリット語本は、一九三七年にチベットで発見され、一九六七年にインドで校訂出版されている(小学館「日本大百科全書」に拠った)。嘗つて、同論の解説書を買ったが、理解して読み終わるのに、実に一ヶ月以上もかかった。

「鳳潭」(万治二(一六五九)年~元文三(一七三八)年)は江戸中期の華厳宗の僧。「僧濬(しゅん)」・「華嶺道人」・「幻虎道人」とも称した。鳳(「芳」とも)潭は字(あざな)。江戸前期の黄檗宗の僧鉄眼(てつげん)道光に師事し、中国・インドへの渡航を企てるも果たせず、興福寺・東大寺・比叡山で諸宗を修学した。華厳宗の再興に尽力し、浄土真宗。日蓮宗を攻撃して、仏教界に新風を起こした人物として知られる。]

2023/11/28

譚海 卷之五 京洛隱者琴を彈じ狸腹鼓うちたる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。和歌のみ改行し、上句・下句に分け、後者を有意に下げた。]

 

○何某といへる洛外の邊土に住(すみ)ける隱者にて、常は筝(さう)を彈(ひき)て樂しみける。いかなる德ある人にや、堂上方も、ゆきむかひ給ひて、絕(たえ)ず往來ありしが、餘り、程遠ければ、洛中に移り住なば、よかるべし、などありしに付(つき)て、やがて便(たよ)りを求めて、洛中に住つきぬ。老女一人、召仕ひけり。此女、物とゝのヘに町へ出(いで)たるついで、人がいづかたにおはすと問ひければ、そこそこと語りしに、其人、聞(きき)怪(あやし)みて、其おはする所は、世にばけ物屋敷とて、恐ろしき所にいひ傳へたり。たぬきなど、折々、鼓(つづみ)打(うつ)など、人もいふなるは。と、あばめける[やぶちゃん注:意味不明。「噂をばらした」ということか?]を、女、聞(きき)、驚きて、急ぎ歸りて、主人に、しかじか、此所をば、人申侍る。早く住替させ給へと、諫(いさ)めけれど、承引なければ、さらば、みづからには御暇(おいとま)賜はりてよ。かゝる恐敷(おそろしき)所に、いかで、住つきて仕奉(つかまつりてまつ)らん、とて、終(つひ)に暇をこひ、去りたり。げに、其後(そののち)、或時は、夜中など、鼓、打(うつ)音、聞へける。又、絕(たえ)て聞(きこ)ヘざる事も、久敷(ひさしく)ありける。此何某(なにがし)、

 あなさびしたぬき鼓うて琴ひかん

    我琴ひかんたぬきつゞみうて

と、一首の歌を詠じける。是にめでけるにや、其後は、鼓打音も、聞えず、怪しきことも、絕てなかりしと、いへり。

[やぶちゃん注:この和歌は、本日、たまたま、全く偶然に電子化した、『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の腹鼓」』の中の、大田南畝の随筆「一話一言」の巻十三に載る、

   *

京に隠者あり、縫菴《ぬひあん》といふ。琴をよくひけり。信頰(のぶつら)といへるもの横笛をよくす。二人相和して楽しむに、狸庭に来りてその尾を股間にいれ、腹つゞみうちてたてり。

 やよやたぬましつゞみうて琴ひかん

    われことひかんましつゞみうて

                 縫菴

 はうしよくたぬつゞみうてわたつみの

      をきなことひきわれ笛ふかん

                 信頰

 福井立助の物語りのよし、鳴嶋氏(忠八)きけるとにて、鈴木氏(新右衛門)予にかたりき。

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とある、前の一首と酷似しているし、内容も異