フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

2024/05/23

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(34)

 

   雨に折れて穗麥にせばき徑かな 尺 艸

 

 雨の降る日に穗麥畑に沿うた徑を通る。麥の穗先が地に折れ伏している爲、徑の幅が狹くなつてゐる。その狹い徑を雨にそぼ濡れながら行くといふのである。

「雨に折れて」といふと、雨の爲に穗麥が折れたもののやうに聞えるけれども、實際は雨中の徑に穗麥の先が折れ伏してゐる、といふ意味であらうと思ふ。穗麥に雨を點じて、かういふ小景を描いてゐるのが面白い。折れ伏した穗麥を踏むまじとして、雨に濡れながら徑を行く足のうすら寒さまで、この句から窺い得るやうな氣がする。

[やぶちゃん注:「徑」「こみち」。]

 

   葉櫻のうへに赤しや塔二重 唯 人

 

 印象的な句である。

 葉櫻の綠と、丹塗の塔との配合が、色彩の上からはつきり頭に殘るといふだけではない。樹木の綠と建築物の赤との對照は、日本に於ては寧ろ平凡な景色に屬する。この句に於て特筆すべきものとも思はれぬ。

 五重塔か、三重塔かわからぬが、多分前者であらう。丹塗の塔の上二重だけが、葉櫻の上に見えてゐる。この句が平凡を脫するのは「塔二重」の一語ある爲である。近代の句ならば、かういふ觀察も敢て珍しくないかも知れぬが、元祿期の句としては注目に値する。「塔二重」をもう少し平凡な語に置換へて見れば、その差は自ら明瞭であらう。

 滿目の葉櫻の上に丹塗の塔が姿を現してゐるのを、稍〻遠くから望んだ景色と見ても惡くはないが、葉櫻の茂つた下に來て、梢に近く丹塗の塔を仰ぎ見た場合とも解することが出來る。新綠や靑葉若葉でなしに、特に葉櫻と限つたところを見ると、あまり遠望でない方がいゝかも知れぬ。

 

   若竹に晴たる月のしろさかな 魯 九

 

 この句には前の「葉櫻」のやうな、こまかい觀察は無い。特に「晴たる」と斷つたのは、今まで降つてゐた雨が晴れて、すがすがしい月が出たといふ意味であらうか。三日月や半月では、どうもこの景色に調和しない。磨きたてたやうな圓い月でありたいやうに思ふ。

「しろさ」といふのがこの句の眼目である。この一語によつて、晴れたばかりの月の新しい感じ、その光の明るさも眼に浮んで來る。實感に繫る言葉は、一見平凡のやうで然らざるものがある。

 

   麥秋や弘法顏の鉢チ坊 巴 龍

 

 表を汚い道心坊の通るのを見て、さてさて小汚い坊主だと内儀が云ふのを、滅多なことを云ふな、弘法樣かも知れぬ、と主が咎める。坊主が立どまつて、南無三あらはれたとゐふ。さてもさても太い坊主だ、弘法樣かも知れぬといつたら、あらはれたとぬかしたと云ふと、坊主が「又あらはれた」といふ笑話がある。この句を讀んで第一にあの話を思出した。

 弘法大師が今も世に存在して隨所に現れる、といふことは一般に信ぜられてゐた。大師と知らずに麁末に取扱つた爲、その家が後に非運に陷つたといふやうな話も、いろいろ傳はつてゐる。前の笑話はさういふ漠然たる信仰を種に使つて、ちよつとおどけたところに面白味があるが、巴龍の句にはそれほど曲折はない。麥秋の頃に鉢坊主がやつて來る、それが如何にも弘法大師然たる顏をしている、と云つたのである。「弘法顏」といふ言葉は、自ら弘法を以て任じてゐる場合にも使はれるが、若しそんな手合があれば、必ず山師にきまつてゐる。この句は作者が殊更にさう見たので、大師に關する傳說を頭から肯定したといふよりも、寧ろその鉢坊主を多少揶揄するやうな氣分で、「弘法顏」と云つたものではないかと思はれる。

 鉢坊主は托鉢する乞食僧の俗稱である。「鉢チ」と「チ」の字を送つたのは、「ハツチ」と讀ませる爲であらう。

[やぶちゃん注:解説冒頭の笑話は、国立国会図書館デジタルコレクションの「佛敎笑話集」(『佛敎文庫』十一・蓮本秋郊編・昭和六(一九三一)年東方書院刊)の、ここの「願人坊主(ぐわんにんばうず)」で発見した。短いので、電子化しておく。読みは一部に留めた。

   *

判じ物をひらりとなげ込んで行く願人を女房みて、「あれは願人のなかでも、むさいきたない形(なり)ぢや。」といふのを、亭主とめて、「これめつたな事をいはぬ物ぢや。得て弘法樣(こうぼうさま)が人の心を引見(ひきみ)るためきたない形(なり)でおあるきになさる、それかもしれぬ。」といへば、願人行きながら、「南無三あらはれた。」と云ふ。亭主をかしく、「あいつは太いやつだ、おれがもし弘法樣だもしれぬと云(いつ)たら、もう弘法樣になつてあらはれたとはなんの事だ。」といへば、願人。「南無三又あらはれた。」(譚囊)

   *

引用元は、内題を「鹿子餠後編譚囊」とする馬場雲壷(木室卯雲)の安永六(一七七七)年刊の咄本である。]

 

   毛氈を達磨に著ルや五月雨 白 雪

 

 弘法が出たから、大師の因[やぶちゃん注:「ちなみ」。]によつて達磨を出したわけではない。全く偶然である。

 五月雨の時分には、袷に羽織を重ねてもまだ寒いことがある。この句は五月雨に降りこめられた人が、肌寒いまゝに毛氈を頭から被つて、つくねんとしてゐる、その形が達磨のやうだ、といふ意味らしい。その毛氈が赤ければ、愈〻達磨に近いわけであるが、そこまでの穿鑿は無用であらう。

 この場合、達磨の如しとか、達磨に似たりとか云つたのでは、いさゝか平凡になる。畫にかいた達磨のやうな形に毛氈を被るといふことを、「達磨に著る」の一語で現したのは、奇にして且[やぶちゃん注:「かつ」。]妙である。寒夜毛布を被つて机に對する經驗は、吾々も持合せてゐるが、他から之を見る時は達磨然たるものであることを、この句によつてはじめて合點した。

 見立の句ではあるが、別に厭味に陷つてゐないのは、「達磨に著るや」と云つてのけた爲であらう。他人の姿を見た句でなしに、自己の姿を客觀したもののやうな氣がする。

 

2024/05/22

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(33)

 

   行馬の水にいなゝく夏野かな 游 刀

 

 炎天下を馬に乘つて行く場合と思はれる。鞍上の人も固より咽喉が渴いてゐるであらうが、馬も烈日の威に堪へず、喘ぎ喘ぎ步みつゝある。廣漠たる夏野にさしかゝつて、どこで水に逢著するかわからぬ。そのうちに馬は前途に水あることに勘づいたと見えて、急に元氣よく嘶いた。鞍上の人もホツとして馬を急がせる、といふ風にも解することが出來る。

 併し再案するに、この馬は鞍上の人となつた場合に限る必要はない。馬を曳いて共に夏野を步みつゝあるのでもよささうである。「水にいなゝく」といふ言葉も、前途に水あることを馬が直覺したといふほど、特別な場合と見ないで、現在水に逢著して嬉しげに嘶いたとしても差支無い。たゞこの句に必要なのは、炎天に渴し夏野に喘ぐ人と馬との間の親しい心持である。路傍の人として馬を見送る態度でさへなければ、他は爾く[やぶちゃん注:「しかく」。]限定するに當らぬであらう。

 

   夕がほにあぶせて捨る釣瓶かな 臥 高

 

 ちよつと見ると釣瓶を捨てたやうであるが、如何に物資不足の世の中でないにしろ、さうやたらに釣甁を捨てる筈が無い。釣瓶の中の水を捨てたのである。

 釣瓶から水を飮むやうな場合であらう。汲上げた水がまだ大分釣瓶に殘つてゐる。その水を井戶のほとりの夕顏に、ざぶりと浴せて捨てたといふのである。一杯の水もむだに捨てず、植木の根にやるといふ峨山和尙の話は、結構であるに相違無いが、下手に俳句の中へ持込んだりすると、却つてその妙を發揮しなくなる。井戶流しへぶちまけてしまはずに夕顏に浴せれば、一味の涼はそこに生れる。俳人はこの程度の效果を以て足れりとすべきであるかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「峨山和尙」峨山韶碩(がさんじょうせき 建治元(一二七五)年~正平二一/貞治五(一三六六)年)は鎌倉後期から南北朝時代にかけての曹洞僧。能登国生まれ。總持寺第二世。詳しくは当該ウィキを見られたい。この「一杯の水もむだに捨てず、植木の根にやる」という話は、国立国会図書館デジタルコレクションで「峨山 水」のフレーズで検索したところ、どうもこれらしいと思うものに逢着した。雑誌『禪宗』(明治三三(一九〇〇)年十一月二十二日発行)の「史林」の欄の「峨山禪師の逸事」(二)]の『△殺生の眞義』の一節(口語訳)が、それらしく思われた。私が、目を止めたのは、左ページ七行目の『何でも水一杯遣うて捨るまで活して捨るやうに心がけるが活佛法の殺生戒を持つといふもの、』である。原文に出逢うことがあったら、追記する。]

 

   ほとゝぎすなくや夜鰹はつ鰹 孟 遠

 

 ほととぎすに鰹の配合といふと、必ず素堂の「目には靑葉山時鳥初松魚」が持出される。あまり判で捺したやうだから、一つかういふのを持出して見た。

 素堂の句は視覺、聽覺、味覺を併せて、首夏の爽な感じを盡してゐるので、解釋するのに便宜であるが、この孟遠の句はそれほどはつきりしてはゐない。ほとゝぎすが啼く頃夜鰹が來る、その夜鰹卽初鰹だといふ風にも解せられる。それほど狹く限定しないで、「夜鰹はつ鰹」は「富士の霧笠時雨笠」といふやうな、一種の調子を取つた言葉と見ても差支無い。いづれにしても「夜」がほとゝぎすの啼く夜であるだけは慥である。

 この二句を對照して見ると、素堂の方は三つの官覺を併せてゐるだけに、首夏の趣は十分であるが、一句から受ける印象は、感じの上にぴたりと灼きつくといふよりも、事實の上でなるほどと合點するところがある。ほとゝぎす啼く夜の鰹は、その場所とか、背景とかいふものが一切塗潰されてゐるに拘らず、やはり實感に訴へて來るものを持つてゐる。

 併しこの句から直すぐに新場の夜鰹などを持出して、むやみに江戶ツ子仕立にすることは、恐らく見當違に了るであらう。孟遠は肩書に僧とあるからである。但初鰹の作者は必ずしも鰹の賞味者ばかりに限らぬ。この一句によつて直に孟遠を腥坊主[やぶちゃん注:「なまぐさばうず」。]にする必要も無さそうに思ふ。

[やぶちゃん注:山口素堂の知られた句は、御存知とは思うが、鎌倉での句である。

「富士の霧笠時雨笠」は其角の句で、

   *

 笠取よ富士の霧笠時雨笠

   *

である。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 丁子

 

Tyouji

[やぶちゃん注:挿絵の上部にチョウジ(クローブ)の実(実際には花蕾と果実)を左右で「雌」と「雄」と分けて示している。これは、加工して乾燥したチョウジのそれが、恰も「丁」の字や、錆びた釘の形に似ているのを、時珍が雌雄と誤認したものを踏襲している。

 

ちやうじ  丁香 雞舌香

丁子  【附

        母丁香

        丁香皮】

テイ ツウ

 

本綱丁子出崑崙國及交州廣州南番《✕→蕃》其樹髙丈餘木類

桂葉似櫟葉二三月開花圓細黃色凌冬不凋七月成子

其子出枝蕊上如釘長三四分紫色伹有雌雄雄者顆小

而名丁香雌者大如山茱萸名母丁香【一名雞舌香】用雄則須

去丁蓋乳子其樹皮名丁香皮似桂皮而厚氣味同丁香

丁子【辛熱】温脾胃止霍亂治五痔及齒䘌虛噦小兒吐潟

 壯陽療反胃嘔逆【丁子畏欝金不可見火】

[やぶちゃん注:上記の行頭の一字空けは「下げ」ではなく、引用の切れ目を示すものである。以下も同じで、煩瑣なので、向後、この字空けは、一部で、無視して前に続けたり、行頭へ上げることとした。]

 香衣辟汗氣【丁子一兩山椒六十粒絹袋盛佩之】 治痘瘡不光澤不起

 發或脹或瀉或渇或氣促表裏俱虛之證【陳文中用木香散異攻散倍加丁香官桂葢運氣在寒水司天之際又値嚴冬欝遏陽氣故用大辛熱之劑發之者也若不分氣血虛實寒熱經絡一槩驟用其殺人也】

母丁香【卽雌也】拔去白鬚孔中用薑汁塗之卽生黑者

△按阿蘭陀咬𠺕肥舶到南蠻交易以渡之外科呼丁子

 油名加良阿保

 

   *

 

ちやうじ  丁香《ちやうかう》 雞舌香《けいぜつかう》

丁子  【附《つけた》り

        母丁香《ぼちやうかう》

        丁香皮《ちやうかうひ》】

テイ ツウ

 

「本綱」に曰はく、『丁子は崑崙《こんろん》國、及び、交州・廣州・南蕃に出づ。其の樹、髙さ、丈餘。木は桂《けい》に類し、葉は、櫟(とち)の葉に似る。二、三月、花を開く。圓《まろ》く細く、黃色。冬を凌《しのぎ》て、凋《しぼま》ず。七月、子《み》を成す。其の子、枝の蕊《ずい》の上に出づ。釘《くぎ》のごとく、長さ、三、四分、紫色なり、伹し、雌雄《しゆう》、有り。雄《おす》なる者は、顆《くわ》、小さくして、「丁香」と名づく。雌なる者は、大いさ、「山茱萸《さんしゆゆ》」ごとし、「母丁香」と名づく【一名、「雞舌香」。】。雄を用ひ、則ち、須らく、丁《てい》≪の≫蓋《ふた》の乳《ち》≪の≫子《み》を去るべし。其の樹の皮を、「丁香皮」と名づく。「桂皮《けいひ》」に似て、厚し。氣味、「丁香」に同じ。』≪と≫。

『丁子【辛、熱。】脾胃を温め、霍亂を止《と》む。五痔、及び、齒䘌(むしくいば[やぶちゃん注:ママ。])・虛噦《きよえつ》・小兒の吐潟を治す。』≪と≫。『陽を壯《さかん》にし、反胃《はんい》・嘔逆《わうぎやく》を療す【丁子、欝金《うこん》を畏《おそ》る。火(ひ)を見《みす》べからず。】。』≪と≫。

『衣《え》を香《かんばしく》し、汗≪の≫氣を辟《さ》く【丁子一兩、山椒六十粒、絹袋≪に≫盛≪りて≫之れを佩ぶ、】。』≪と≫。 『痘瘡を治す。光澤ならずして、起發せず、或いは、脹≪り≫、或いは、瀉《しや》≪し≫、或いは、渇《かつ》し、或いは、氣、促≪して≫、表裏《へうり》俱に、虛の證≪に用ゐる≫【陳文中[やぶちゃん注:人名。]、「木香散」・「異攻散」を用ひ、丁香・官桂を倍加≪せり≫。葢し、運氣、「寒水司天」の際《きは》に在り、又、嚴冬に値《あた》≪りて≫、陽氣、欝遏《うつあつ》≪すれば≫、故《ゆゑ》≪に≫大辛熱の劑を用ひ、之れを發≪せし≫者なり。若《も》し、氣血・虛實・寒熱・經絡を分《わか》たずして、一槩《いちがい》に驟≪にわかに≫用ふれば、其れ、人を殺すなり。】。』≪と≫。[やぶちゃん注:「≪に用ゐる≫」を入れたのは、明らかに文章が尻切れ蜻蛉になってしまっているからである。東洋文庫訳でも、『虚の證を示すもの』と付加しているものの、やはり全体を見ると、どうも締まりがなく、不自然である。これは、良安が、あちこちの美味しい所のみを切り張りした結果、述語に相当する箇所がなくなってしまった結果であるからである。而して、割注の頭には、それを受けて、「但し、」と欲しいところではある。]

『母丁香【卽ち、雌なり。】白鬚《しらひげ》を拔き去りて、孔《あな》の中≪へ≫、薑《しやうが》汁を用ひて、之れを塗れば、卽ち、黑き者を生ず。』≪と≫。

△按ずるに、阿蘭陀・咬𠺕肥(ヂヤガタラ)の舶《ふね》、南蠻に到り、交易して以つて之れを渡すなり。外科《ぐわいれう》、丁子の油を呼んで、「加良阿保(ガラアボ)」と名づく。

 

[やぶちゃん注:これは、所謂、「クローブ」(Clove)のことで、

バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum 

である。一般に知られた加工材のそれは、本種の蕾を乾燥したものを指し、漢方薬で芳香健胃剤として用いる生薬の一つであり、また、現行の肉料理等にも、よく使用される香料である。当該ウィキによれば、『原産地はインドネシアのモルッカ群島であり』、『香辛料として一般的に使われるほか、生薬としても使われる。漢名に従って丁香(ちょうこう)とも呼ばれる』。『乾燥したチョウジ(クローブ)。ちょうど丁の字や、錆びた釘の形に似ている』。『チョウジの花蕾は釘に似た形、また乾燥させたものは』、『錆びた古釘のような色をしており、中国では』既に『紀元前』三『世紀に口臭を消すのに用いられ、「釘子(テインツ)」の名を略して』、『釘と同義の「丁」の字を使って「丁子」の字があてられ、呉音で「チャウジ」と発音したことから、日本ではチョウジの和名がつけられた』。『フランス語で釘を意味するクル(Clou)から、仏名で「クル・ド・ジローフル」(clous de girofle)と呼ばれ、英語名でこれが「クロウジローフル」(clow of gilofer)となり、略されて「クローブ」(Clove)になった』とある。 お、「本草綱目」の引用は「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「丁香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-33a]から始まるが、引用は「集解」の[083-33b]の一行目中ほどから冒頭が始まっているものの、ソリッドに引用しているかのように見える最初の総論部でさえも、それ以下の文章を、完膚なきまでにパッチワークしている。

「雞舌香」花蕾がニワトリの舌に似ているため。

「母丁香」「丁香皮」漢方では、前者が「花蕾」を、後者が「果実」を指す。

「崑崙國」(「崑崙」は「クンルン」)とは、当該ウィキによれば、『中国古代の伝説上の山岳。崑崙山(こんろんさん、クンルンシャン)・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる』。『伝説の崑崙山は万仭の高さで』、『外径八百里、天帝が下界においての都であり開明獣に守られている。その下には羽を浮べさせない弱水と燃え続けて』い『る火炎の山もいると』伝えられる。実在するクンルン山脈周辺(グーグル・マップ・データ)。

「交州」現在のベトナム北部。

「廣州」現在の広西省・広東省。

「南蕃」中国大陸を制した朝廷が南方の帰順しない異民族に対して用いた蔑称。

「桂」「本草綱目」中であるから、「かつら」と読んではいけない。中国での種群は、『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 桂』の私の迂遠な冒頭注を参照。

「櫟(とち)」この「とち」の良安のルビは、後の「槲」に対して「くぬぎ」と振っているのと合わせて、甚だ、おかしい。東洋文庫の後注に、『良安は櫟を「とち」とし、槲を「くぬぎ」としているが、トチはトチノキ科で別種。現在一般には櫟はクヌギ、槲はカシワと訓み、どちらもブナ科』とある。「櫟」は、現行の日本では、

ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属クヌギ Quercus acutissima

で、日中辞書を見ると、中国でも同種を指す(但し、中文ウィキでは種名を「麻櫟」とする。但し、中国では上位タクソンのコナラ属を「櫟屬」ともするので、問題ない)。されば、時珍は明らかにクヌギを指していると読んでよいから、良安は現行の本邦同様、「くぬぎ」とルビするべきであった。一方の「とち」は、トチノキで、「栃の木」「栃」「橡の木」と表記するが、これは、クヌギとは、全く異なる、

ムクロジ目ムクロジ科トチノキ属トチノキ Aesculus turbinata

である。一方、「槲」であるが、通常、現行では、「柏」「槲」で、

コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata

を指す。中文でも「槲樹」として同種カシワと一致する。但し、この誤りは、どのような良安の知識の錯誤があるのか、よく判らない。

「山茱萸」ミズキ目ミズキ科ミズキ属サンシュユ Cornus officinalis当該ウィキによれば、『山茱萸(サンシュユ)は漢名(中国植物名)で』、『この音読みが和名の由来である』。『日本名の別名ハルコガネバナ(春黄金花)は、早春、葉がつく前に』、『木一面に黄色の花をつけることからついた呼び名で』、『植物学者』『牧野富太郎が山茱萸に対する呼び名として提唱したものである』。『秋になると枝一面にグミのような赤い実がつく様子から珊瑚に例えて、「アキサンゴ」の別名でも呼ばれる』。『中国浙江省及び朝鮮半島中・北部が原産といわれ』、『中国・朝鮮半島に分布する』。『江戸時代』、『享保年間に朝鮮経由で漢種の種子が日本に持ち込まれ、薬用植物として栽培されるようになった』。『日本における植栽可能地域は、東北地方から九州までの地域である』。『日本では、一般に花を観賞用とするため、庭木などに利用されている』。『日当たりの良い肥沃地などに生育する』。『落葉広葉樹の小高木から高木で』、『樹高は』五~十『メートル』『内外になる』。『枝は斜めに立ち上がる』。『成木の幹は褐色で樹皮が剥がれた跡が残って』、『まだら模様になることがあり、若木の幹や枝は赤褐色や薄茶色で、表面は荒く剥がれ落ちる』。『葉は有柄で互生し』、『葉身は長さ』四~十センチメートル『ほどの卵形から長楕円形で、全縁、葉裏には毛が生える』。『側脈は』五~七『対あって、葉先の方に湾曲する』。『葉はハナミズキやヤマボウシに似ているが、やや細長い』。『秋は紅葉する』。『葉が小さめのため』、『派手さはないが、色濃く渋めに紅葉する』。『花期は早春から春』(三~四月上旬)『にかけ』て、『若葉に先立って』、『木全体に開花する』。『短枝の先に直径』二~三『センチメートル』『の散形花序を出して』、四『枚の苞葉に包まれた鮮黄色の小花を多数つける』とある。

「桂皮」双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属シナモン Cinnamomum zeylanicum の樹皮から採れる生薬。免疫力回復・健胃整腸・血行循環促進作用の他、強壮・強精薬として昔から知られる。

「霍亂」急性日射病で昏倒する症状や、真夏に激しく吐き下しする病気の古称である。後者は急性胃腸炎・コレラ・疫痢などの総称に該当するものとされる。

「五痔」東洋文庫の後注に、『内痔の脈痔・腸痔・血痔、外痔の牡痔・牝痔をあわせて五痔という』とある。但し、これらの各個の症状を解説した漢方サイトを探したが、見当たらない。一説に「切(きれ)痔」・「疣(いぼ)痔」・「鶏冠(とさか)痔(張り疣痔)」・「蓮(はす)痔(痔瘻(じろう))」・「脱痔」ともあるようが、どうもこれは近現代の話っぽい。

「虛噦」「噦」は「しゃっくり」を言う。東洋文庫の後注に、『胃気が逆行して喉に突きあがり、しゃっくりの出るもの。虚の場合は』、『力なく』、『音は弱いが』、『重病のときに現れることが多い』とある。

「反胃」東洋文庫では、これに『たべもどし』と当てルビをする。

「嘔逆」同前で、『むかつき』と当てルビをする。

「欝金」ウコン属ウコン Curcuma longa 。熱帯アジア原産であるが、十五世紀初めから十六世紀後半の間に、沖縄に持ち込まれ、九州・沖縄地方や薬草園で薬用(根)及び観葉植物として栽培された。

「火(ひ)を見べからず」東洋文庫訳では、『火を近づけてはいけない』とある。これは、五行思想の「相剋」(そうこく)で、「火剋金」(かこくきん/かこくごん:火は金属を熔かす)で、ウコンは「火」(か)に、チョウジは「金」(ごん)に属すということであろう。

「痘瘡」天然痘。

「光澤ならずして、起發せず」天然痘は、丘疹が生じ、全身に広がって、高熱を発する際、同時に発疹が化膿して膿疱となるが、この光沢が生じないというのは、膿疱が十分に腫脹してはいない病態を指していよう。

「陳文中」明代の医師のようである。「陳氏小兒痘疹方論」の著書が現存する。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここで、出版地・出版者・出版年不明であるが、版本が見られる。

「木香散」不詳。

「異攻散」漢方方剤サイト「イアトリズム」の「異功散に詳しい解説が載る。消化器系漢方薬である。但し、その「処方構成」を見るに、「丁香」・「官桂」に正しく当たるものは、リストされていない。

「運氣」東洋文庫の後注に、『五運六気のこと。五運は木火土金水で、これはそれぞれ風・火(君火・相火)・湿・燥・寒に配当される。六気とは三陰(厥陰』(けついん)『・少陰・太陰)、三陽(少陽・陽明・太陽)のことである。これら五運六気がいろいろに結合し、天地間を運動・循環する。それによって万物は生成し変化すると考える論。司天は上半年の気侯を統率する客気で、下半年の気侯を統率する客気を在泉という。司天が太陽寒水なら、在泉は太陰湿土で、これは辰戌の年をあらわす。厳冬を大寒から啓蟄の頃までを指すとすれば、この時期の主気は厥陰風木である』とある。

「寒水司天」サイト「伝統鍼灸 一滴庵」のブログの「2024年は土運太過」に、「上半期の気象予測」と標題して、『先ほどの土運太過に加えて、上半期に影響する司天は太陽寒水なので、寒湿の影響を受けやすい気象予測となります。冷たい雨や雪などが降りやすい上半期になるかとおもいます』。『こういった上半期の寒湿の影響をうけやすいのが膝。膝痛が出現しやすい上半期になるかもしれません』。一~三『月頃は少陽相火が客気となりますので気温の上がり下がりが激しくなる可能性があります』。四~五『月頃は陽明燥金が客気となりますので湿を乾かしてくれるため』、『少し過ごしやすい季節になるかもしれません』。六~七『月頃は太陽寒水なので夏前にも関わらずあまり気温が上がりにくいかもしれません』とあった。以上は今年の「予測」であるが、さて、当たっているかどうかは、読者の感じ方にお任せしよう。

「欝遏」東洋文庫では、これに『おさえとざし』と当てルビをする。「遏」は「押し留める」の意である。

「咬𠺕肥(ヂヤガタラ)」インドネシアの首都ジャカルタの古称。また、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところから、ジャワ島のこと。

「加良阿保(ガラアボ)」語源不詳。]

2024/05/21

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(32)

 

   蚊遣火や道より低き軒の妻 百 里

 

 路傍に道より低い家があつて、蚊遣を焚いてゐる。單に「道より低き」と云つただけでは、槪念的であることを免れぬが、軒の端が道より低いといふによつて、その印象が明瞭になると共に、相當低い地盤に建つた家であることがわかる。例へば土手の下に在る家の如く、道を行く人は到底その内を窺ひ得ぬ程度のものであらう。

 さういふ低い家から濛々たる蚊遣の煙が立騰る。庇ひさしの深い、薄暗い地盤の低い家が、この趣を大に助けてゐるから面白い。

 

   箒木の倒れふみ立すゞめかな 配 力

 

 この箒木[やぶちゃん注:「ははきぎ」。]は歌人が屢〻傳統的に用ゐ、其角あたりも句中に取入れて讀者を煙に卷いた「その原やふせやに生ふる箒木」の類ではない。草箒[やぶちゃん注:「くさばうき」。]の材料になる、ありふれた箒草のことである。

 風に吹折られたか、人に踏折られたかして倒れてゐる箒木がある。それを雀が蹈むまではわかつてゐるが、「立つ」といふ言葉は二樣に解せられる。雀がその倒れた箒木を蹈へて立つたといふのか、踏んで飛立つたといふのか、二つのうちであらう。蹈へて立つといふことにすると、雀の身體も小さいし、足も細過ぎて少々工合が惡いが、飛立つ場合なら特に「ふみ立」といふのが念入のやうである。こゝは雀も小さい代りに、箒木も大きなものではないから、倒れた箒木に雀がとまつてゐるのを、「ふみ立」といつたものと解して置く。勿論雀の性質として、そう長くぢつとしてゐる筈は無い。一度蹈へて立つたにしろ、やがてパツと飛立つことは明であるが、それはこの句としては餘意と見るのである。

 眼前の寫生で、而も相當こまかいところを捉へてゐる。雀も箒草も平凡な材料であるに拘らず、この觀察は必ずしも平凡ではない。

[やぶちゃん注:「帚木」ナデシコ目ヒユ科バッシア属ホウキギ Bassia scoparia 当該ウィキによれば、『ヨーロッパ、南アジア、中国などのユーラシア原産といわれ』、『日本へは古くに渡来し、栽培されている』とあるが、私は、若い頃には見た覚えがなく、如何にも外国から近代に渡来したものと思っていた。]

 

   川風や橋に先置螢籠 陽 和

 

 現代の風景とすると、螢賣が荷をおろしたやうな感じがするけれども、元祿の句だから、そんなこともあるまい。螢狩に行つた者が川端へ出て、夜風の涼しい中に佇みながら、手に持つた螢籠をちよつと橋の上に置いた、といふのであらう。

 方々螢を捕つて步いた擧句、橋のところへ來かゝつたものとすると、この籠の中には螢の光が點々として明滅してゐなければならぬ。これから出かける途中ならば、まだ獲物は入つてゐないわけである。その邊は作者が明示してゐないのだから、讀者の連想に任せて差支無いが、籠は螢用のものであるにしても、全然入つていなくては寂し過ぎる。少しは螢が入つてゐる籠を點ずることにしたい。但橋に出たのは螢狩の目的でないので、偶然そこへ來たら川風が涼しい爲、螢籠を橋の上に置いて暫く佇んでゐるものとすればいゝのである。

[やぶちゃん注:「先置」「まづおく」。]

 

   くらがりに目明てさびしなく水雞 萬 乎

 

 ふつと目がさめた。あたりは眞暗である。何時頃かわからぬが、どうも夜半らしい。今と違つて時計の刻む音も何も聞えず、天地は眞暗であるのみならず、極めて闃寂としてしづまり返つてゐる。

 その暗い、ひつそりした中に水雞[やぶちゃん注:「くひな」。]の聲が聞えた。戶をたゝくといふ形容を持込んで、誰かゞたずねて來たかといふやうな連想を働かす必要は無い。たゞ眞暗な夜の中に目をさました人が、闃寂たる天地の間に水雞の聲を耳にしたまでである。「さびし」といふ言葉は、四鄰闃寂たるだけでなしに、これを聞く人の心の問題でもなければならぬ。

[やぶちゃん注:「水雞」既出既注だが、再掲しておく。鳥綱ツル目クイナ科クイナ属クイナ亜種クイナ Rallus aquaticus indicus ではなく、クイナ科ヒメクイナ属ヒクイナ Porzana fusca であろうと思われる。その理由と博物誌は、私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 水雞 (クイナ・ヒクイナ)」を参照されたい。

「闃寂」これも既出既注だが、再掲しておく。「げきせき/げきじやく」。ひっそりと静まり、さびしいさま。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(14)

○小兒、蟲氣(むしけ)にて、ひたひ、靑筋、出(いで)、又は寢(ねつ)かぬる等を、治す。あかき「みゝず」【小(ちさ)きが、よし。】、一つ、とりて、夜の七つどきに、火を、あらため、玉子ひとつ、打(うち)わりて、此(この)「みゝず」を、「玉子とぢ」に、水にて、せんじ置(おき)、夜のあくるをまちて、正(しやう)六つどきに、此「みゝず」を、玉子ともに、小兒に、くはすべし。水をも、少し、飮(の)ましむべし。其とき、小兒の腹中、しばらく鳴(なり)て、やむべし。この子、決して蟲氣なく、靑すぢも、をさまり、夜も、よく、ふせるなり。但(ただし)、あまり、をさなき兒ならば、此「みゝず」を、三きれほどに、きりて、一きれ、くはすべし、大妙藥也。

[やぶちゃん注:「蟲氣」小児が寄生虫によって惹き起こす腹痛・ひきつけ・癇癪などの諸症状を指す。

「赤みゝず」種同定は、し難いが、一般的に見かけられるもので赤っぽく見える(実際には環帯が鞍状で淡赤色を帯びる)のは、環形動物門貧毛綱ナガミミズ目ツリミミズ科シマミミズ属シマミミズ Eisenia fetida である。

「夜の七つどき」午前四時前後。

「正六つどき」「明け六つどき」で午前六時。]

 

○小兒、夜なきするには、

 ともし火の「丁子(ちやうじ)かしら」を粉にして、なくころ、乳に、ぬりて、ふくますベし。

[やぶちゃん注:当時の灯芯の原料は藺草(単子葉植物綱イネ目イグサ科イグサ属イグサ Juncus decipiens )の皮を除いた蘂(ずい)の部分である。ここは恐らく、蠟燭を灯して、黒く残った部分を指していよう。]

 

○小兒、口中へ、粟つぶのやうなるもの、出來(いでき)たる時は、羗蜋(きやうらう)一味、黑燒にして、飯つぶに、すりまぜ、足のうらの、「土ふまず」の所へ、紙にて、はるべし。卽座に治する也。

[やぶちゃん注:「羗蜋」(きょうろう)は既出既注。再掲すると、恐らく昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科 Scarabaeoidea及びその近縁な科に属する種のうち、主に哺乳類の糞を餌とする一群の昆虫を指す語である。「食糞性コガネムシ」とも呼ばれる。中文ウィキのその種群を示すそれは「蜣螂」の漢字が当てられている。その日本語版「糞虫」も見られたい。]

 

○小兒、胎毒を治(ぢす)る祕方。

 兎の腹籠(はらごもり)【一匁五分。】・蔓荊子(まんけいし)・菊花、各二匁。

 右、三味、黑燒にして用(もちゆ)べし。「かん」にて、目をわづらふにも、よし。

[やぶちゃん注:「兎の腹籠」ウサギの胎児。

「蔓荊子」既出既注。砂浜などに生育する海浜植物であるシソ目シソ科ハマゴウ亜科ハマゴウ属ハマゴウ Vitex rotundifolia の果実を、天日干し乾燥した生薬名。「万荊子」とも書く。強壮・鎮痛・鎮静・消炎作用があり、感冒に効くとされる。]

 

○小兒、疳の妙藥。

 車前子、一味を、粉にして、盆のうちに、ちらし、其中へ「どぢやう」を、あまた、入(いれ)れば、「どぢやう」、をどりて、此粉を、身へ、まぶす也。それを黑燒にして丸藥ぐわんやく)となし、二廻りも用(もちゆ)れば、治する事、妙也。

[やぶちゃん注:「車前子(おほばこ)」既出既注だが、好きな草なので、再掲する。シソ目オオバコ科オオバコ属オオバコ変種オオバコ Plantago asiatica var. densiuscula 。「車前草」(しゃぜんそう)とも呼ぶ。懐かしいな。当該ウィキに『子供たちの遊びでは、花柄を根本から取り』、『つ折りにして』、二『人が互いに引っかけあって引っ張り合い、どちらが切れないかを競うオオバコ相撲が知られ』、『スモトリグサ(相撲取り草)の別名もある』とあるが、もう何十年も、子どもらが、それをやっているのを、見たことが、ないよ……。]

 

○「小兒五疳」には、

 ひきがへるを、黑やきにして、茶にて、のましむべし。「五かん」ならでも、小兒、つねに用(もちい)て、よし。

[やぶちゃん注:「小兒五疳」「日本薬学会」公式サイト内の「薬学用語解説」の「小児五疳薬」に、『中国思想の五行説』の『基本概念から、漢方理論的に』、『小児の特異体質に適用した考え方。すなわち、いろいろな内因、外因によって五臓(肝臓、心臓、脾臓、肺臓、腎臓)のバランスが乱れ、精神的症状や肉体的症状を起こし、この』二『つの症状が相互に作用し合う諸症状を総称したもので』、『これは、現代の虚弱体質・過敏性体質(滲出性体質、自律神経失調症)に近い症状で』あるとある。]

 

○小兒脾疳の「せんやく」名方(めいはう)。

 唐白朮(からびやくじゆつ)・茯苓(ぶくりやう)・猪苓(ちよれい)・澤潟(たくしや)・三稜(さんりやう)・莪朮(かじゆつ)・黃苓(わうごん)・東京肉桂(トンキンにくけい)・半夏(はんげ)・山査子(さんざし)

 已上、十一味。

[やぶちゃん注:「脾疳」小児の慢性胃腸病を総称する語。一派には、身体が瘦せて、腹部が脹れてくる症状を指す。

「唐白朮」中国原産で本邦には自生しない双子葉植物綱キク目キク科オケラ属オオバナオケラ Atractylodes macrocephala の根茎を乾したものを狭義の基原とする浙江省などで生産されるものを指す(草体の画像は以上を参考にしたサイト「東京生薬協会」の「季節の花(東京都薬用植物園)」の「オオバナオケラ」を見られたい)。別に「和白朮」と称して、本邦の本州・四国・九州、朝鮮半島・中国東北部に分布する同オケラ属オケラ Atractylodes lancea を基原とするものを特に「和白朮」と呼ぶが(草体の画像は当該ウィキを参照)、現行では、この二種を一緒にして「白朮」と称している。効能は、主として水分の偏在・代謝異常を治す。従って、頻尿・多尿、逆に小便の出にくいものを治す、と漢方サイトにはあった。しかし、この便別は、現在の「日本薬局方」が規定するものであり、古くからこの二種の呼称は使用されているものの、当時の民間の薬方に於いて、「唐」がついているからと言って、厳密なオオバナオケラを指すと断定するのは、時代的・民俗社会的に見ても無理があろうから、後者でよかろうかと私は思う。

「茯苓」既出既注。菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。主として動悸や、筋肉痙攣を治すほか、小便が出にくい病態や、眩暈を治すとされる。

「猪苓」ヨーロッパ・北アメリカ・中国などに分布し、本邦では本州中部以北に自生する菌界担子菌門真正担子菌綱チョレイマイタケ目サルノコシカケ科チョレイマイタケ属チョレイマイタケ Polyporus umbellatus の菌核。消炎・解熱・利尿・抗癌作用等がある。

「澤潟」水生植物である単子葉植物綱オモダカ(沢潟・沢瀉)目オモダカ科サジオモダカ属ウォーター・プランテーン変種サジオモダカ Alisma plantago-aquatica var. orientale の塊茎。抗腎炎作用がある。

「三稜」単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科ウキヤガラ(浮矢幹)属ウキヤガラ Bolboschoenus fluviatilis の塊茎の表皮を剝いで乾燥させたもの。漢方で通経・催乳薬等に用いる。当該ウィキによれば、『北海道から九州までの浅い池の周辺部等に生える。ウキヤガラの名は、浮き矢幹であり、真っすぐに伸びる花茎に由来するものである。その他、朝鮮、中国、北アメリカに分布する』とある。よく見かける野草である。

「莪朮」既出既注。単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ウコン属ガジュツ Curcuma zedoaria当該ウィキによれば、『根茎が生薬(日本薬局方に収録)として用いられ、芳香健胃作用がある』。『ウコン』(ここに「鬱金」と出る、ウコン属ウコン Curcuma longa 。熱帯アジア原産であるが、十五世紀初めから十六世紀後半の間に、沖縄に持ち込まれ、九州・沖縄地方や薬草園で薬用(根)及び観葉植物として栽培された)『よりも薬効は強いとされる。生薬としては莪朮というが』、『中国では塊根を鬱金(ウコン、キョウオウと同じ)、根茎を蓬莪朮という』とある。

「黃苓」「黃芩」に同じ。、双子葉植物綱キク亜綱シソ目シソ科コガネバナ Scutellaria baicalensis の根から採れる生薬。漢方にあっては婦人病の要薬として知られる。血管拡張・血行循環促進・産後の出血・出血性の痔・貧血・月経不順といった補血作用(但し、多くは他の生薬との調合による作用)を持ち、冠状動脈硬化性心臓病に起因する狭心症にも効果があるとする。

「東京肉桂」「東京(トンキン)」は紅河流域のベトナム北部を指す呼称であるとともに、この地域の中心都市ハノイ(旧漢字表記「河内」)の旧称。そこに自生する双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ニッケイ Cinnamomum sieboldii を指す。詳しくは、最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂』を参照されたい。

「半夏」既出既注。単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「山査子」山樝子。バラ目バラ科サンザシ属サンザシ Crataegus cuneata当該ウィキによれば、『サンザシや近縁のオオミサンザシ』( Crataegus pinnatifida )『の干した果実は、生薬名で山査子/山楂子(さんざし)といい、健胃、整腸、消化吸収を助ける作用があると考えられている』『秋』『に完熟前の果実を採取して核を取り除き、天日で乾燥して作られる』。『漢方としては高血圧、健胃効果があるとされ』、『加味平胃散(かみへいいさん)、啓脾湯(けいひとう)』(☜)『などの漢方方剤に使われる』。『民間では、食べ過ぎでも』、『油ものや肉を消化してくれる薬草として用いられ』、『健胃、消化、軽い下痢に、山査子』一『日量』五~八『グラムを水』二百~六百『ccで』、『とろ火で半量に煎じ』、一『日に食間』三『回、温かいうちに服用する用法が知られている』。『二日酔いや』、『食あたりに同様の煎じ汁を飲むのもよいと言われている』とある。]

 

○又、一方。

 人參・和白朮・全蝎(ぜんかつ)。

 已上、三味。

[やぶちゃん注:「和白朮」前条の「唐白朮」の私の注を参照。

「全蝎」基原は節足動物門鋏角亜門クモガタ綱サソリ目ゲンセイサソリ亜目オレイタサソリ下目 Orthosterninaウシコロシサソリ小目ウシコロシサソリ上科ウシコロシサソリ科 Buthidae のサソリ類の全虫体を食塩水に入れて殺し、乾燥したもの。但し、現行では漢方では正規の薬剤としては認識されていない。]

 

○又、一方、號「十千散」

 乳香・丁子・熊膽(ようたん)【各四匁。】・木香(もつかう)【八匁。】・陳皮(ちんぴ)・枳殻(きこく)・黑牽牛子(こくけんごし)・半夏・三稜・雷丸(らいぐわん)・羗活(きやうかつ)・獨活(どくかつ)・唐胡黃連(たうこわうれん)【各六匁五分。】・唐大黃(からだいわう)【六匁四分。】・白烏粉・天麻・地骨皮(ぢこつぴ)・桔梗・沙參(しやじん)・甘草・防風・黃連【各五匁。】・桑白皮(さうはくひ)・麥門冬(ばくうもんとう)・茯苓【各十匁。】・小豆(しやうづ)・唐白述【三十匁。】・山梔子(さんしし)【十六匁。】・麝香【一匁五分。】・龍腦【一匁二分。】

 已上、三十味、生姜「しぼり汁」、「さゆ」に入(いれ)て用(もちゆ)べし。

 右、小兒五かん・ばひふう・きやうふう・蟲食傷(むししよくしやう)、はら、一通りに、よし。

[やぶちゃん注:「十千散」不詳。以下、既注のものは、原則、掲げない。

「陳皮」中国では熟したムクロジ目ミカン科ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulataの果皮を観想させたものであるが、本邦では熟したミカン属ウンシュウミカン Citrus unshiu のそれで代用する。

「黑牽牛子」「牽牛子」に同じ。お馴染みのナス目ヒルガオ科ヒルガオ亜科Ipomoeeae 連サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil の種子のうち、黒色を呈するもの(白いものもあり、それは「白牽牛子」と呼ぶ。両者の効能は変わらないが、古くは「白牽牛子」を尊んだ。今日では黒種子の方がよく用いられている)を指す生薬名。当該ウィキによれば、『種子は「牽牛子」(けにごし、けんごし)と呼ばれる生薬として用いられ、日本薬局方にも収録されている。中国の古医書』「名医別録」では、『牛を牽いて行き』、『交換の謝礼』を『したことが名前の由来とされている』。『粉末にして下剤や利尿剤として薬用にする』。『種子は煮ても焼いても炒っても効能があるものの』『毒性がとても強く、素人判断による服用は薦められない』。『朝顔の葉を細かに揉み、便所の糞壺に投じると』、『虫がわかなくなる。再びわくようになったら再投入する』とあることを明記しておく。有毒成分はファルビチン・コンボルブリンである。――因みに――私の家では、朝顔の花が庭に植わることは、なかった。私の母の実家は「笠井」という。母の父は、父の母の実の兄であるから、私の父母は従妹同士なのであり、私には色濃く、その「笠井」の血が流れている。笠井家は加賀藩の家老だったらしいが、その後裔の先祖の一人は、主命であったのか、自由意志であったか、はたまた、乱心であったのかは判らぬが、脱藩して浪人となり、中部地方のどこかへ流れて行き、何でも、朝顔の植わった庭の中で、切腹して果てたのだと伝えられており、笠井の家では。代々、庭には、朝顔を植えてはならぬ、という家訓がある。考えて見れば、私も小学校の時、理科の宿題で、シャーレで朝顔の発芽をさせた経験以外には朝顔の花を庭に見ることはなかった。……これは面白い禁忌の民俗伝承の一つとして、ここに場違いに注しておくだけの価値は――一種の奇談として――あろうかと思う。

「雷丸」菌界担子菌門菌蕈綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科 Laccocephalum 属ライガンキン Laccocephalum mylittae が基原で、條虫駆除作用・瀉下作用を持つとされる。

「羗活」(きょうかつ)はチベット北東部から中国中央部が原産のセリ科 HanseniaHansenia weberbaueriana 、又は、Hansenia forbesii の根茎及び根を乾燥させたもの。鎮痛・消炎作用を持つとされる。

「獨活」セリ目ウコギ科タラノキ属ウド Aralia cordata 。当該ウィキによれば、『中国では強精剤に使われるなど、漢方や薬膳では珍重されている』。『ウドは灰汁が強いことで知られるが、灰汁の成分はポリフェノール化合物であり』、『これには抗酸化物質のクロロゲン酸やフラボノイドが含まれ』、『ジテルペンアルデヒドなどの精油、アミノ酸、タンニンなどを含んでいる』。『精油は一般に中枢神経を刺激する作用があり、内服すれば』、『発汗や血液循環を促進して、便通もよくする働きがある』。『タンニンには収斂作用がある』。『ウドがもつ香り成分には、自律神経を調整して、気分を安定させる作用があるともいわれている』。『通例根茎を生薬にしたものを独活(どくかつ・どっかつ)、もしくは和独活(わどっかつ)』、或いは『土当帰(どとうき)』『と称し、独活葛根湯などの各種漢方処方に配剤されるほか、根も和羌活として薬用にされる』。『生薬にするときは、秋』頃に『根茎や根を掘り取って陰干しとし、半ば乾いたところを湯につけて土砂と細根を取り除いて、厚さ』〇・五~一『センチメートル』『の輪切りにしてから、さらに陰干しか』、『天日干しして調製する』。『民間療法では、風邪の初期症状、神経痛、リウマチ、頭痛などに、和独活を』『とろ火で半量になるまで煮詰めた煎じ液(水性エキス)を、食間』三『回に分けて服用すると、体を温めるとともに痛みを和らげて顔のむくみ、解熱、発汗に効用があるとされる』。また、『茎葉を使う場合は』九~十『月の花が咲いている時期に、地上部を刈り取って長さ』五センチメートルに『切り刻んで』、『陰干しにしたものを使い、布袋に入れて浴湯料にして風呂に入れると、肩こり、腰痛、冷え症などの鎮痛、補温に役立つといわれている』。『また、アイヌ民族はウドを「チマ・キナ」(かさぶたの草)と呼び、根をすり潰したものを打ち身の湿布薬に用いていた。アイヌにとってウドはあくまでも薬草であり、茎や葉が食用になることは知られていなかった』。『セリ科のシシウド』(セリ科シシウド属シシウド Angelica pubescens 。ウドに似ているが、属レベルで異なる別種である)『の根は唐独活(中国産の独活』『)と呼ばれ、日本薬局方外生薬規格』『に収載されている』。『漢方で使う独活は、腰痛に効くセリ科のシシウドの根の部分で、昔は独活の代用品としてウドが使われた』とある。

「唐胡黃連」「胡黃連」ならば、高山性多年草の、シソ目ゴマノハグサ科コオウレン属コオウレン Picrorhiza kurrooa(ヒマラヤ西部からカシミールに分布)及びPicrorhiza scrophulariiflora(ネパール・チベット・雲南省・四川省に分布)の根茎を乾かしたもの。古代インドからの生薬で、健胃・解熱薬として用い、正倉院の薬物中にも見いだされる。根茎に苦味があり、配糖体ピクロリジン(picrorhizin)を含むものの、薬理効果は不明である。なお、「黃連」があるが、これは小型の多年生草本である、キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica 及び同属のトウオウレン Coptis chinensisCoptis deltoidea の根茎を乾燥させたもので、全く異なるものである。この場合は最後の「トウオウレン」を指すものと思われる

「唐大黃」最近、食材として見かけるタデ科ダイオウ属ルバーブ Rheum rhabarbarum 。シベリア、及び、中国北東部原産で、江戸時代に日本へ伝わり、現在では奈良県・長野県などで栽培されている。茎は高さ約二メートルになる。葉は卵形で大きく、縁は波状になり、裏面に細毛が生える。夏、茎の上部から出た枝の先端部に淡黄白色の小花が輪生状に多数集まってつく。葉柄は長く、食用となる。肥大した根茎は漢方で下剤とし、また黄色染料や線香の原料にもなる。「おおし」とも、単に「だいおう」とも呼ぶ(以上は小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「白烏粉」不詳。

「天麻」単子葉植物綱ラン目ラン科オニノヤガラ(鬼の矢柄)属オニノヤガラ Gastrodia elata の根の生薬名。当該ウィキによれば、『半夏白朮天麻湯として』眩暈や『頭痛、メニエール病、リウマチなどに応用される』とある。

「地骨皮」ナス目ナス科クコ属クコ Lycium chinense の根皮。漢方で清涼・強壮・解熱薬などに用いる。「枸杞皮(くこひ)」とも呼ぶ。

「沙參」キキョウ目キキョウ科ツリガネニンジン属シロバナトウシャジン Adenophora stricta の根茎を乾したもの。去痰・鎮咳に効果があるとされる。

「桑白皮」桑の根皮。消炎・利尿・鎮咳効果を持つ。]

2024/05/20

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(31)

 

   網打やとればものいふ五月闇 雪 芝

 

 舟か陸かわからぬが、とにかく投網とあみを打つている男がある。ざぶんと打つ網の音が闇を破つて聞えるが、人は默々として打續けるらしく、五月の闇は濃くその姿をつゝんでゐる。たゞ若干の獲物があつた時だけ、「しめた」とか「今度は捕れた」とか云ふのであらう。何も捕れなければ、默りこくつたまゝ、又ざぶんと投網を打つのである。

 獨り言か、誰か側にゐるのか、それはわからぬ。何か捕れゝばその結果としてものを云ひ、獲物が無ければ默つて網打つ動作を繰返しつゝある。網の間に時々閃く銀鱗は、この場合さのみ問題でない。一句の中心をなすものは、闇中に動く黑い男の影だけである。「とればものいふ」の語は、後の太祇の句などに見るやうな使い方で、頗る働いてゐるのみならず、これによつて周圍の闇を一層深からしめてゐる。他の如何なるものを持つて來ても、この七字以上の妙を發揮出來さうもない。異色ある句といふべきであらう。

[やぶちゃん注:「五月闇」「さつきやみ」。]

 

   みじか夜を皆風呂敷に鼾かな 除 風

 

「浪花より船にのりて明石にわたる乘合あまたにて」といふ前書がついてゐる。さういふ船中の樣子を句にしたのである。

 混雜した船の中で、ともかくも眠らうとする。「風呂敷に」といふ言葉が多少不明瞭であるが、風呂敷を顏に當てて眠るか、風呂敷包を枕にするか、眠るに際して風呂敷を用ゐるといふ意味らしい。風呂敷包とすれば、やはり包の字が必要であらうから、こゝは風呂敷を被つて寢ると見た方がいゝかも知れぬ。風呂敷に隱れた顏から鼾の聲が聞えるなどは、短夜にふさはしい趣であらう。

 現代の夜汽車の中でも、往々これに似た光景に逢著することがある。昔の船は今の汽車ほど仕切が無いから、「皆」といふ言葉を用ゐるのに都合がいゝやうに思ふ。

 

   世は廣し十疊釣の蚊屋の月 怒 風

 

 この上五字は今の人の氣に入らぬかも知れない。併し作者の主眼は寧ろこゝにあるのであらう。

 世の觀じようはいろいろある。人間の眞に所有し得る面積は、坐つて半疊、寢て一疊に過ぎぬといふ說を聞かされたことがあつたが、さういふ見方からすれば、十疊釣の蚊帳も大分廣いことになる。況んやそこに月がさして、のびのびと手足を伸して寢られる以上、「左右廣ければさはらず」の感あることは云ふまでもない。「十疊釣の蚊屋」といふやうな、稍〻說明的な材料を活かす爲には、時に「世は廣し」の如き主觀語を必要とする場合もあるのである。

 作者はこの蚊帳について月の外に何も點じて居らぬが、いくら十疊釣の蚊帳だからと云つて、中に大勢人が寢てゐるのでは面白くない。假令一人と限定せぬまでも、「世は廣し」と觀ぜしむるだけの條件は具へてゐなければならぬ。蚊帳の廣さ卽世の廣さだなどと云つて來ると、何だか少し理窟臭くなるけれども、作者がこの蚊帳の中に一の樂地を見出してゐることは事實である。この句を味う爲には、どうしても蚊帳の中に樂寢をしてゐる作者の姿を念頭に浮べる必要がある。

 

   吹おろす風にたわむや蟬の聲 如 行

 

 句の上に場所は現れて居らぬが、先づ山がかつたところと想像する。上からサーツと風が吹きおろすと、山の木が一齊に靡なびいて、鳴きしきつてゐた蟬の聲が、一瞬吹き撓められるやうに感ぜられる、といふのである。

 この風は烈風とか、强風とかいふ種類のものではないが、一山の木々が葉裏を見せ翻る程度の風でなければならぬ。蟬は風によつて鳴聲を弱めるわけではない。風聲によつて蟬聲が減殺されるやうになる。それを「たわむ」といふ言葉で現したのが、作者の技巧であらう。「吹落す」となつている本もあるが、「落す」では前のやうな光景は浮んで來ない。「吹おろす」でなければなるまいと思ふ。

 

   野はづれや扇かざして立どまる 利 牛

 

 元祿七年五月、芭蕉が最後の旅行に出た時、東武の門人たちが川崎まで送つて行つた。芭蕉が別れるに臨んで「麥の穗をたよりにつかむわかれかな」と詠んだ、その時の餞別[やぶちゃん注:「はなむけ」。]の句の一である。

 芭蕉の姿はだんだん小さくなつて行く。立つて行く芭蕉も、見送る門弟も、これが最後の別にならうとは思ひもよらなかつたに相違無い。ぢつと姿の見えるまでは立つて目送する。今ならハンケチを振るところであらうが、元祿人にはそんな習慣が無い。立止つてかざす扇の白さが目に入る。別離の情はこの一點の白に集つてゐるやうな氣がする。

 芭蕉翁餞別といふ背景が無かつたら、この句はさう注意を惹く性質のものではないかも知れぬ。俳人が別離の情を敍するに當つて妄に[やぶちゃん注:「みだりに」。]悲しまず、必ずしも相手の健康を祈らず、不卽不離の裡[やぶちゃん注:「うち」。]に或情味を寓するの妙は、この句からも十分受取ることが出來る。

[やぶちゃん注:「利牛」池田利牛(生没年未詳)は江戸蕉門。越後屋両替店の手代(番頭とも)。元禄七(一六九四)年、志太野坡・小泉孤屋とともに、芭蕉の監修で、江戸蕉門の撰集「炭俵」を編集・刊行した。通称は利兵衛・十右衛門。ここに出た芭蕉の句は、「赤册子草稿」に、

   *

    五月十一日、武府ヲ出て故鄕に趣(おもむく)。

    川崎迄人々送けるに

 麥の穗を便(たより)につかむ別(わかれ)かな

   *

と載る。所持する山本健吉「芭蕉全発句」(講談社学術文庫・二〇一二年刊)中七には、『老病に苦しむ芭蕉の、そんな物にもすがってゆくという弱々しさがある』と評しておられる。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 深山榓

 

Miyamasikimi

 

みやましきみ 正字未詳

 

深山榓

 

 

△按深山榓樹葉似榓而不靭其香畧似山蕃礬花香四

 月開細白花秋結子赤色似仙靈子採葉陰乾爲藥

氣味【苦微辛】 治疝氣腰脚痛甘草少入煎服用

[やぶちゃん字注:「榓」は底本では(つくり)が「宻」になっている「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、そこに示された「櫁」の異体字である、これにした。以下の本文でも同様に処理した。]

 

   *

 

みやましきみ 正字、未だ詳らかならず。

 

深山榓

 

 

△按ずるに、「深山榓」、樹・葉、「榓」に似て、靭(しなや)かならず。其の香(かをり)、畧《ほぼ》「山礬《さんばん》」の花の香に似る。四月、細≪き≫白花を開き、秋、子《み》を結ぶ。赤色、「仙靈《せんりやう》」の子に似る。葉を採り、陰乾し、藥と爲《な》す。

氣味【苦、微辛。】 疝氣・腰脚《こしあし》≪の≫痛を治す。甘草、少し入れ、煎≪じて≫服≪す≫。

 

[やぶちゃん注: これは、

ムクロジ目ミカン科ミヤマシキミ属ミヤマシキミ変種ミヤマシキミSkimmia japonica var. japonica

である。当該ウィキによれば、『常緑』『広葉樹の低木で』、『雌雄異株』。『有毒植物』。『和名ミヤマシキミは、「深山樒」の意で、山中に生え、枝葉の様子がシキミ(樒) Illicium anisatum に似ることによる』。但し、『シキミはミカン科』Rutaceae『ではなく、マツブサ科』Schisandraceae『の』全くの別種『植物である』。『日本では、本州(宮城県以南』・『関東地方以西』『)、四国、九州に分布し』、『日本国外では、台湾の高所にも分布する』。『低山地の林内の林下に生育』し、『日陰に強く、日当たりのよくない場所でも生育する』。『樹高は』五十『センチメートル』から一・五十メートルに『なる』。『幹は基部から直立して分枝する』。『樹皮は灰色で、若い枝は緑色で無毛、いぼ状の腺点がある。葉は枝先にやや集まって互生し、葉身は長さ』四~九センチメートル、幅は二~二・五センチメートルの『披針形から倒披針状長楕円形で、先は短くとがり、基部はくさび形、葉縁は全縁になる。葉質は革質で両面は無毛、表面は光沢があり』、『裏面には油点』(ゆてん:ミカン科やキントラノオ目オトギリソウ科Hypericaceaeなどの葉に見られる半透明の小さな点で、細胞間に油が溜まった場所を指す。葉を揉んで潰すと、強い芳香を放つ特徴がある。油点は、太陽に透かして見ると、透明に見えるので「明点」とも呼ぶ)『が散在する』。『葉柄は長さ』〇・五~一センチメートルに『なり』、少し、『赤紫色を帯びる』。『花期は』三~五月。『雌雄異株』。『枝先に円錐花序をだして』、『長さ』二~五センチメートルの『散房状になり、白色の香りのある花を多数つける』。『花序軸に短毛が散生する。萼は広鐘形で小さく、浅く』四『裂し、萼裂片は広三角形で長さ約』一『ミリメートル』『になり』、『先は』、『やや』、『とがる。花は直径』五~六ミリメートル、『花弁は』四『枚あり』、『長楕円形で長さ』四~五ミリメートルに『なり、まばらに油点がある。雄花には雄蕊が』四『個あって花弁と同長で直立し、雌花には』四『個の小さな退化雄蕊と中央に』一『個の雌蕊がある』。『子房は』四『室に分かれ、各室に』一『個の胚珠が下垂し、花柱は太く、柱頭は平たく浅く』四、五『裂する』。『果実は球形の核果・液果で、直径』八~九ミリメートルに『なり』、十二月から翌二『月に赤く熟し』、四『個の核を含む。核は広卵形で長さ』六~八ミリメートルに『なり、先がとがり』、一『個の種子を含む』。四、五月頃は、『花と前年の果実を同時に観賞できる』。『果実は赤く美しいが、有毒である』。『有毒植物で葉、果実にアルカロイドのスキミアニンやジクタムニンがあり、葉に多く含まれる』。『誤食すると』、痙攣を『伴う中毒を起こす』。『かつては、頭痛や目まいなどの民間薬として使用され、また、煎じた汁は虫下しとして使われた』。『庭木、生け垣、観賞用などに栽培、植栽される』。『実は有毒だが、花材として使われる』とある。以下、「下位分類」の項に変種五種が載る。

「榓」アウストロバイレヤ目 Austrobaileyalesマツブサ科シキミ属シキミ Illicium anisatum である。前項『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木宻』良安の記載と、私の注を参照。

「山蕃礬」辞書類では、異なった三種の植物の異名とするが、それらの渡来事績や花の画像をネット上で見るに、この場合は、沈丁花、フトモモ目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属ジンチョウゲ Daphne odora を指していることが明らかとなった。

「仙靈」これは、「千両」「仙蓼」で、知られたセンリョウ目センリョウ科センリョウ属センリョウ Sarcandra glabra の異名漢字表記である。

「疝氣」漢方で「疝」は「痛」の意で、主として下腹痛を指す。「あたばら」などとも言う。]

2024/05/19

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木宻

 

Sikimi

 

しきみ   宻香  沒香

      多香木 阿𨲠

      榓【音宻唐韻

        云香木也

        和名之木美】

木宻

      又枳椇木亦名

モ ミツ  木宻與此不同

[やぶちゃん字注:「榓」は底本では(つくり)が「宻」になっている「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、そこに示された「櫁」の異体字である、これにした。以下の本文でも同様に処理した。]

 

本綱此亦沈香之類形狀功用兩彷彿樹長丈餘皮青白

色葉似槐而長花似橘花而大子黒色大如山茉萸酸甜

可食其根本甚大伐之四五歳取不腐者爲香

氣味【辛温】 辟臭氣去郡《✕→邪》鬼尸注《✕→疰》心氣

△按志木美武藏伊豆淡路丹波播磨多有之折枝供佛

 葉似冬青而淺青色此與本草所言【木宻葉似槐而長沈香葉似冬青葉】

 稍異摘葉畧有椒氣六月開細白花結實靑白色如天

 蓼子熟則裂破有中子五六顆大如豆而潤滑味甘人

 食之多食則醉恐可有小毒山雀喜食之呼枝葉稱花

 採皮及葉乾未《✕→末》焚香名之抹香浮圖一日不可闕之辟

 氣《✕→鬼氣》尸注《✕→疰》悪氣之功宜哉登愛宕山人必求榓歸其葉不

 着水枯亦不落如雷震非常時燒於竃亦有𢴃

                           後鳥羽院

  隱岐国にてさなからや仏の花におらせまし榓の枝に積もるしら雪

 

   *

 

しきみ   宻香《みつかう》  沒香《もつかう》

      多香木《たかうぼく》 阿𨲠《あさ》

      榓【音「宻」。「唐韻」に

        云はく、『香木なり。

        和名「之木美」。】

木宻

      又、「枳椇木(けんぼなし)」。亦、

      「木宻」と名づく≪も≫、此れと

モ ミツ  同じからず。

 

「本綱」に曰はく、『此れも亦、沈香の類なり。形狀・功用、兩《ふた》つながら、彷-彿(さもに)たり。樹の長《た》け、丈餘。皮、青白色、葉は槐《えんじゆ》に似て、長く、花は橘《きつ》の花に似て、大なり。子《み》は、黒色にして、大なり。山茉萸《さんしゆゆ》のごとく、酸-甜《あまずつぱく》、食ふべし。其の根本《ねもと》、甚だ大なり。之れを伐りて、四、五歳、腐らざる者を取りて、香《かう》と爲《な》す。』≪と≫。

『氣味【辛、温。】 臭氣を辟《さ》け、邪鬼・尸疰《ししゆ》の心氣《しんき》を去る。』≪と≫。

△按ずるに、「志木美」は、武藏・伊豆・淡路・丹波・播磨、多く、之れ、有り。枝を折りて、佛《ほとけ》に供《きやう》す。葉は、冬青(まさき)に似て、淺青色。此れと、「本草」と、言ふ所【『「木宻」の葉は、槐に似て、長く、「沈香」の葉は、冬青の葉に似たり。』≪と≫。】稍(やゝ)異《ことな》れり。葉を摘(むし)れば、畧《ほぼ》、椒《さんしやう》の氣《き》、有り。六月、細≪き≫白花を開き、實を結ぶ。靑白色、「天蓼(またたび)」の子(み)のごとし。熟すれば、則り、裂(さ)け破《やぶ》れて、中《なか》、子《み》、五、六顆、有り、大きさ、豆のごとくにして、潤滑≪にして≫、味、甘し。人、之れを食ふ≪も≫、多く食へば、則ち、醉《ゑふ》。恐らくは、小毒、有るべし。山雀(《やま》がら)、喜びて、之れを食ふ。枝葉を呼んで、「花《はな》」と稱して、皮、及び、葉を採りて、乾《ほし》、末《こな》≪にして≫、香に焚く。之れを「抹香(まつかう)」と名づく。浮圖《ふと》、一日《いちじつ》も之れを闕《か》くべからず。鬼氣・尸𤷮の悪氣を辟くと云ふ[やぶちゃん注:「云」は送りがな中にある。]。之《この》功、宜《むべ》なるかな。愛宕山(あたごやま)に登る人、必ず、榓《しきみ》を求めて歸る。其の葉、水に着《つ》けざれば、枯れても、亦、落ず。雷《かみなり》・震《なゐ》・非常の時、竃《かまど》に燒くも、亦、𢴃《よりどころ》、有り。

                   後鳥羽院

  隱岐国にて

 さながらや仏の花におらせまし

     榓の枝に積もるしら雪

 

[やぶちゃん注:例によって、日中の同定植物が異なる。これには、流石に良安も気づいて、『「本草」』(「本草綱目」を指す)『と、言ふ所【『「木宻」の葉は、槐に似て、長く、「沈香」の葉は、冬青の葉に似たり。』】稍(やゝ)異《ことな》れり』と言ってのであるが、東洋文庫の後注に、『良安は木蜜を櫁とし、これを日本のシキミに當てて考えているが、日本のシキミはシキミ科、中國の木蜜(蜜香)は沈香と同じジンチョウゲ科』であると指摘してある。「本草綱目」の「木蜜」を探すのに少し手間取ったが、恐らく、「維基文庫」の「土沉香」がそれであると思われる。そこに別名で『蜜香樹』があった。則ち、

双子葉植物綱アオイ目ジンチョウゲ科 Thymelaeaceaeジンコウ属アクイラリア・シネンシスAquilaria sinensis

であり、中国固有種で、海南・広東・広西・雲南及び香港に分布する。一方、本邦の「櫁」は、目レベルで異なる、

アウストロバイレヤ目 Austrobaileyalesマツブサ科シキミ属シキミ Illicium anisatum

で、縁もゆかりも全くない、全然違う種で、この仏式の供え物として誰もが知っているところのあれである(当該ウィキを見られたい)。本州から沖縄諸島及び済州島に分布する。

 前者は日本語ウィキがなく、学名で検索すると、本邦の苗の販売サイト等が挙がってくるものの、ベトナム原産などと噓をついており、リンクを張る気にならない。一番いいのは、同種の英文ウィキであろう。さらに、そこを見ると、両者の類似した通性があることが判る。そこには、『この木は、お香や薬に使用される貴重な香木である沈香を産出する。以前は、この木材は、線香や、御香の製造に使用されていた』と言った内容が書かれてあるのである。則ち、ここの『香と爲す』が、それだ。

 一方、本邦の「櫁」=シキミは、仏事に於いて抹香線香として利用されることで知られ、そのためか、別名も多く、「マッコウ」「マッコウギ」「マッコウノキ」「コウノキ」「コウシバ」「コウノハナ」「シキビ」「ハナノキ」「ハナシバ」「ハカバナ」「ブツゼンソウ」などがある。最後の「カウサカキ」は「香榊」で、ウィキの「サカキ」によれば、上代にはサカキ(ツツジ目モッコク科サカキ属サカキ Cleyera japonica )・ヒサカキ・シキミ・アセビ・ツバキなどの『神仏に捧げる常緑樹の枝葉の総称が「サカキ」であったが、平安時代以降になると「サカキ」が特定の植物を指すようになり、本種が標準和名のサカキの名を獲得した』とある。サカキは神事に欠かせない供え物であるが、一見すると、シキミに似て見える。名古屋の義父が亡くなった時、葬儀(臨済宗)に参列した連れ合いの従兄が、供えられた葉を見て、「これはシキミでなく、サカキである。」と注意して、葬儀業者に変えさせたのには、感銘した。因みに、シキミは全植物体に強い毒性があり、中でも種子には強い神経毒を有するアニサチン(anisatin)が多く含まれ、誤食すると死亡する可能性もある。シキミの実は植物類では、唯一、「毒物及び劇物取締法」により、「劇物」に指定されていることも言い添えておく。「小毒」どころではない。注意!

 なお、「本草綱目」の引用は「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「蜜香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-32b]から始まるが、引用は「集解」の[083-29a]の行目中ほどから冒頭が始まっているものの、以降は、その前の部分数箇所をパッチワークしている。

「沈香」先行する『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香』を参照されたい。

「槐」マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。中国原産で、当地では神聖にして霊の宿る木として志怪小説にもよく出る。日本へは、早く八世紀には渡来していたとみられ、現在の和名は古名の「えにす」が転化したもの。

「橘」これは、双子葉植物綱バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulata のこと。当該ウィキによれば、『原産地はインドのアッサム地方で、これが交雑などで変化しながら世界各地に伝播したものと考えられている』もので、一方、本邦の「橘」は、古代を除き(「古事記」に出る「橘」は如何なる種であったかは、現在も確定不能である)、同じミカン属ではあるが、日本固有のタチバナ Citrus tachibana で、種としては、異なる。

「山茉萸」ミズキ目ミズキ科ミズキ属サンシュユ Cornus officinalis当該ウィキによれば、『中国』の『浙江省及び朝鮮半島中・北部が原産といわれ』、『中国・朝鮮半島に分布する』。『江戸時代』の『享保年間に朝鮮経由で漢種の種子が日本に持ち込まれ、薬用植物として栽培されるようになった』、『日本における植栽可能地域は、東北地方から九州までの地域である』とある。

「尸疰」(ししゅ)は鬼邪の気が人体を侵したために、或いは、癆病(宿痾とされた肺結核がそれ)の癆虫の伝染により、胃中に冷滞を惹起し、消化力が無くなって起こる病態。寒熱を発し、精神が錯乱し、沈黙し、苦しい所を特定出来ず、胃中に冷滞があり、熱薬を服しても効かない。長らく患うと、次第に衰えて「尸の疰する所となる」とする。

「心氣」この場合は、「心気の不足した状態」を指す。具体には、動悸・息切れ・全身の倦怠感・精神疲労の症状が増強するなどの病態を言う。

「椒」山椒。ムクロジ目ミカン科サンショウ属サンショウ Zanthoxylum piperitum

「天蓼(またたび)」ツバキ目マタタビ科マタタビ属マタタビ Actinidia polygama

「山雀(《やま》がら)、喜びて、之れを食ふ」スズメ目スズメ亜目シジュウカラ科シジュウカラ属ヤマガラ亜種ヤマガラ Parus varius varius 。博物誌は、私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 山雀(やまがら) (ヤマガラ)」を見られたい。調べてみたところ、事実であることが判明した。サイト「九州地方環境事務所」内の「アクティブ・レンジャー日記」の「ヤマガラとシキミ」の1」及び「2」(副題「(野山の生物シリーズ)【雲仙地域】」)に(記者は古城かおり氏)、現認例が書かれてあり、後者では、『「ヤマガラはシキミの猛毒に対処する仕組みをもっていると考えられる」という内容の論文を見つけました。さらに「シキミはヤマガラの体内に寄生している生き物を駆除する効果がある」という仮説を立てて研究が行われていることが分かりました』。『シキミについて調べるうちに、他にも分かったことがあります。土葬が一般的だった時代は、毒性の強いシキミを墓地の近くに植え』、『野犬による墓の掘り返しを防いだり、シキミの強い香りで腐臭を消したりしていたとも言われています。今の時代は、抹香や線香の材料として利用されています』とあった。

「浮圖」(ふと)はサンスクリット語「buddha」の漢音写で、元は「仏陀」の意で、そこから広く「僧侶」を指す語となった。

「愛宕山(あたごやま)」現在の京都府京都市右京区嵯峨愛宕町にある山。ここ(グーグル・マップ・データ)。古くから信仰の山であった。良安は京の医師であった。私は山麓の参道入口にある「鮎茶屋平野屋」が大のお気に入りで、二度、行っている。「怪奇大作戦」の実相寺昭雄監督の名作「京都売ります」以来、ずっと訪ねたかった料理屋である。

「後鳥羽院」の和歌は、「後鳥羽院御集」拾遺にある一首。国立国会図書館デジタルコレクションの『列聖全集』第一巻 「御製集」(大正一一(一九二二)年列聖全集編纂会刊)のこちらによれば、

   *

   冬の御歌の中に【一本遠島御百首】

 さながらや佛の花にをらせまし

    樒のえだにつもるしらゆき

   *

とある。]

ブログ二百十六万アクセス突破記念 故父藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製版) 藪野直史全電子化注(注©) PDFルビ附縦書一括版公開

『ブログ二百十六万アクセス突破記念 故父藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製版) 藪野直史全電子化注(注©) PDFルビ附縦書一括版』(1.71MB)を「心朽窩新館」に公開した。画像は、ブログ版画像へのリンクとした。

2024/05/18

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(13)

○痢病の藥

 「かたつぶり」を、「みそしる」に、せんじて、その汁を飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「痢病」の解説. 激しい下痢を伴う病気。赤痢・疫痢の類。痢疾。

「かたつぶり」前回の「なめくじり」同様に、危険である。腹足綱有肺類 Pulmonata のカタツムリ類に寄生する寄生虫は非常に危険で、ヒトに日和見感染して脳に入り込んだりした場合には、重い症状を呈することがある。事実、現在では、幼稚園・小学校に於いてカタツムリには絶対に素手で触らないように指導されている。ここでは、煎ずるとするが、そもそも、その前に、生きたカタツムリを獲り、素手で触れるはずであるが、その瞬間、皮膚を通じて、寄生虫は体内に侵入するからである。]

 

○又、一方。

 寒中、「むぐらもち」の「黑やき」を服して、よし。

[やぶちゃん注:「むぐらもち」哺乳綱真無盲腸目モグラ科 Talpidae の古名。]

 

○又、一方。「十帖散」と號す。

 山藥(さんやく)十匁、蓮肉(れんにく)七匁、白米【一合】、炒(いる)。

 右三味、細末にして、「さとう[やぶちゃん注:ママ。]」を、少し、くはへ、「こがし」のごとくして、ふくすべし。たゞし、「だん子(ご)」に、まろめ、用(もちゆ)るも、よし。

[やぶちゃん注:「山藥」[やぶちゃん注:底本の竹内利美氏の後注に、『ヤマイモの乾粉』とある。

「蓮肉」漢方では、通例、双子葉植物綱ヤマモガシ目ハス科ハス属ハス Nelumbo nucifera の内果皮の付いた種子で、時には、胚を除いたものを基原とする。]

 

○又、一方。

 かうじ町、植村兵部少輔樣、家方(かはう)のくすり、有(あり)。もとめて、飮(のむ)べし。「りびやう」流行のとき、決して、わづらふ事、なし。

 

○又、一方。

 古生姜根(ふるしやうがのね)、極上の茶、二味、目方、各(おのおの)、等分。

 右、つねのごとく、せんじ、服(ふくす)べし。

 

○陰所(いんしよ)の腫(はれ)たると、「きん」の、はれたる時などには、

 芭蕉の葉にて、つゝみ置(おく)べし。包(つつみ)かふる度(たび)ごとに、「はれ」を減ずるなり。三日ほどには、もとのごとくになるなり。「ばせう」にて、水氣(すいき)をとる故、殊の外、しめりて、あり。衣しやうの、ぬれぬ「やうい」、すべし。

 

○陰囊、かゆきとき、又、一方。しきみの葉を煎(せんじ)、洗(あらふ)べし。石菖の根を、きざみて、せんじ、あらふべし。端午に用(もちい)たる「せうぶ」を、たくはひ置(おき)て、あらふも、同事(どうじ)に治(なほ)る也。

[やぶちゃん注:「石菖」既出既注。単子葉植物綱ショウブ(菖蒲)目ショウブ科ショウブ属セキショウ  Acorus gramineus のこと。

「せうぶ」ショウブ属ショウブ  Acorus calamus 。]

 

○婦人、陰門の、かゆきには、

 大根の葉の、ほしたるを、きざみ、鹽を、くはへ、せんじ、洗(あらふ)べし。

 

○男女とも、まへを、怪我したを、治するには、

 「萱(かや)めうか」【「かやわら」の中に生ずるもの。鹿の小便より生ずるもの也。】、

 右、黑やきにして、たくはへおき、疵あるとき、ぬり付(つくる)べし、奇妙に治す。

[やぶちゃん注:「萱めうか」不詳。「鹿の小便より生ずる」というのは、明らかに「化生」(けしょう)であって基原動物を探す役にはたたない。]

 

○婦人まへの痒(かゆみ)には、

 あいろう・黃柏、右、二味、目方、各、等分。

 黑豆を、せんじて、その汁に和して、ぬり付(つくる)べし。

[やぶちゃん注:「あいろう」「藍蠟」だが、歴史的仮名遣は「あゐらう」が正しい。藍汁を作る時に生じた藍の泡を乾かして、棒状にしたもの。蠟のような形状になる。絵の具に使用した。現在では、古い藍布を、苛性ソーダ・飴・石灰などを加えた液の中に入れ、煮出し、その藍分を棒状にして作ることが多い。「藍棒」「藍蠟墨」「藍墨」「青墨」等とも呼ぶ。

「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。]

 

○婦人、「まへ」の疵には、

 ふるき「せつた」の皮を、「くろやき」にして、「ごまの油」にて、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「せつた」「雪駄」。]

 

○血道藥(ちみちのくすり)。

 牛膝(ごしつ)【和名「ごまのひたひ」と云(いひ)、「犬たで」の中に生ずる物なり。】

 土用に入(いり)、十日ほど過(すぎて)、取(とり)て、「陰ぼし」にして、其のち、黑やきにして、酒に、とき、用(もちゆ)べし。又、酒に、むして後(のち)、「陰ぼし」にすれば、酒にて、とくに、をよばず[やぶちゃん注:]、「くろやき」を、白湯(さゆ)にて用べし。全體、甲州流、金瘡(きんさう)のくすりなれば、「切きづ」に用(もちい)ても、よし。

[やぶちゃん注:「血道」女性特有の病気の総称。産褥(さんじょく)時・月経時・更年期などに、血行不順から起こる頭痛・のぼせ・めまい・精神不安定などの諸症状、及び、子宮疾患などを指す。「ちのやまい」「ちのみち」とも言う。

「牛膝」『和名「ごまのひたひ」と云(いひ)、「犬たで」の中に生ずる物なり』:これは、ナデシコ目ヒユ科 Amaranthoideae亜科イノコヅチ属イノコヅチ変種イノコヅチ Achyranthes bidentata var. japonica の根を乾燥させた生薬の漢名。ウィキの「イノコヅチ」によれば、『利尿、強精、通精、通経薬とする』。『また』、『俗間では堕胎薬としても使われたこともあったと見られているが、これら有効成分はよくわかっていない』、『牛膝は、秋に根を掘り採って天日乾燥して調製される』。『民間療法では、生理痛や関節痛に、牛膝』一『日量』五『グラムを』四百『ccの水で煎じて』、三『回に分けて服用する用法が知られている』。但し、『妊婦への服用は禁忌とされている』とある。ただ、津村の言うように、ナデシコ目タデ科ミチヤナギ亜科 Persicarieae Persicariinae亜連イヌタデ属イヌタデ Persicaria longiseta の群落に中に限定的に植生するというわけではない。しかし、イヌタデの群落とイノコヅチ類は、共通する地相に群落を作ることは、しばしば見られるものではある。]

 

○婦人、血をめぐらす藥。

 桃の實を、いくらも、「かなづち」にて、くだき、中にある仁(じん)ばかりを、一升ほど、「すりばち」へ入(いれ)て、すりくだき、それを、德利へ、つめて、かたく、口を、ふうじ、釜の中へ水を入(いれ)、燒(やき)たて、德利を、釜の中にて、湯煎(ゆせん)にする事、二時(ふたとき)ばかり。さて、德利を、とりいだし、德利を打(うち)わりて、桃の仁を、とりいだせば、伽羅(きやら)のあぶらのごとく、かたまりて、あり。少しづつ、每日、服すべし。上戶(じやうご)は酒、下戶(げこ)は白湯(はくたう)にて、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「桃の實」「桃仁」(とうにん)の生薬として知られ、主として血液の停滞・下腹部の膨満して痛むものを治すとされる。

「伽羅」裸子植物門イチイ綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ変種キャラボク Taxus cuspidata var. nana 。最近公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 伽羅木』を見られたい。]

 

○婦人龍王湯

 當歸(たうき)・川芎(せんきゆう)・甘草・丁子(ちやうじ)・升麻(しやうま)・滑石(かつせき)・熟地(じゆくぢ)【半生(はんなま)半熟。】・石膏【熱灰蒸(ねつばいむし)。】・莪朮(がじゆつ)【酢製。】・黃苽(わうこ)・沈香(ぢんかう)・桂心・茯苓(ぶくりやう)・良姜(りやうきやう)、右、十四味、貳匁づつ、藿香(かくかう)・白芍藥(びやくしやくやく)【半白半赤。】・人參・大黃(だいわう)【半生半炒(はんいり)。】・縮沙(しゆくしや)、右、五味、三匁づつ、木香(もつかう)・薰陸(くんろく)・鬱金(うこん)・肉桂(につけい)・柴胡(さいこ)・黃芩(わうごん)、右、六味、四匁づつ、乳香【一匁。】・桔梗・蒲黃(ほかう)【半生半炒。】・半夏(はんげ)、右、三味。一刄づつ。

 右、廿九味、安產の藥。

 牛込原町・若松町御簱同心衆、今井利助殿、賣藥(ばいやく)、產にのぞんで、母の「ほぞ」のしたへ、はるときは、早速、生(うま)る也。若(もし)、「さか子」、生れかゝらば、其子の出(いだ)したる足を、「左か、右か。」と見定(みさだめ)て、左の足を出したらば、母の左の手のうちへ、はるべし。早速、ほんのごとく生(うまる)るなり。又、後產(のちざん)、おりかぬるときは、其ひもをとらへ居(をり)て、此くすりを、はるときは、そのまゝ、「えな」等、とゞこほりなく、おりる也。千人に一人も、けが、なし。

 產後、陰門のさけたるを治するには、

 「ひともじ」を、手一束(てひとつかみ)に、きりて、蛤(はまぐり)を、せんじ、蛤と、「ひともじ」とを、ひとつに、せんじて、右二品を、「きぬ」の切(きれ)に、つつみ、たびたび、まへを、むす[やぶちゃん注:蒸し温める。]ときは、よく、なほるなり。

[やぶちゃん注:「婦人龍王湯」不詳。

「當歸」知られた生薬名。被子植物門双子葉植物綱セリ目セリ科シシウド属トウキ Angelica acutiloba の根。

「川芎」既出既注。底本の竹内利美氏の後注に、『センキュウ。セリ科の草木。その根茎が頭痛などの薬剤になる。薬用として栽培された』とある。当該ウィキによれば、『中国北部原産で秋に白い花をつけるセリ科の多年草センキュウCnidium officinaleの根茎を、通例、湯通しして乾燥したもので』、『本来は芎窮(きゅうきゅう)と呼ばれていたが、四川省のものが優良品であったため、この名称になったという。日本では主に北海道で栽培される。断面が淡黄色または黄褐色で、刺激性のある辛みと、セロリに似た強いにおいがある。主要成分としてリグスチリドなどがあげられる』。『現在の分析では鎮痙剤・鎮痛剤・鎮静剤としての効能が認められ、貧血や月経不順、冷え性、生理痛、頭痛などに処方されて』おり、『漢方では』「当帰芍薬散」に『配合され』、『婦人病』、所謂「血の道」の『薬として』、『よく用いられる』とあった。

「丁子」既出既注だが、再掲すると、クローブ(Clove)のこと。バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum のこと。一般に知られた加工材のそれは、本種の蕾を乾燥したものを指し、漢方薬で芳香健胃剤として用いる生薬の一つを指し、肉料理等にもよく使用される香料である。

「升麻」同前で、漢方生薬。キンポウゲ目キンポウゲ科サラシナショウマ属サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎を天日乾燥させたもの。ウィキの「サラシナショウマ」によれば、これは、『発汗、解熱、解毒、胃液・腸液の分泌を促して胃炎、腸炎、消化不良に効果があるとされ』、各種『漢方処方に配剤されている』とあり、さらに、『民間では』、一『日量』二『グラムの升麻を煎じて、うがいに用いられる』とする。さらに、『なお、本種に似たものや、混同されて生薬として用いられたものなど、幅広い植物にショウマの名が用いられている』とある。最後の部分は、ウィキの「ショウマ(植物の名)」も参照されたい。

「滑石」同前で、(かっせき)は、珪酸塩鉱物の一種で、フィロケイ酸塩鉱物(Phyllosilicates)に分類される鉱物、或いは、この鉱物を主成分とする岩石の名称。世界的には「タルク(talc:英語)」のほか、「ステアタイト」(Steatite:凍石)・「ソープストーン」(Soapstone:石鹸石)・「フレンチ・チョーク」(French chalk)・「ラバ」(Lava:原義は「溶岩」。本鉱石は変成岩である)とも呼ばれる。Mg3Si4O10OH2。水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種(当該ウィキ他に拠った)。

「熟地」キク亜綱ゴマノハグサ目ゴマノハグサ科アカヤジオウ属アカヤジオウ Rehmannia glutinosa の根。当該ウィキによれば、『陰干ししてできる生地黄(しょうじおう)、生地黄を天日干ししてできる乾地黄(かんじおう)と呼ばれるものと、生地黄を酒と共に蒸してできる熟地黄(じゅくじおう)と呼ばれるものがある。一般的に地黄と呼ばれるものは乾地黄を指すことが多い。五味は甘、苦。甘味は生地黄、乾地黄、熟地黄の順に強くなる。性は寒。但し熟地黄は寒性よりも酒の効果により温性に近い。地黄は単体として使われることよりも調剤生薬として』、知られた漢方薬に『使われる事が多い』。『内服薬として利用した場合、補血・強壮・止血の作用が期待できる。外用では腫れものの熱をとり、肉芽形成作用がある』とあった。

「莪朮」単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ウコン属ガジュツ Curcuma zedoaria当該ウィキによれば、『根茎が生薬(日本薬局方に収録)として用いられ、芳香健胃作用がある』。『ウコン』(ここに「鬱金」と出る、ウコン属ウコン Curcuma longa 。熱帯アジア原産であるが、十五世紀初めから十六世紀後半の間に、沖縄に持ち込まれ、九州・沖縄地方や薬草園で薬用(根)及び観葉植物として栽培された)『よりも薬効は強いとされる。生薬としては莪朮というが』、『中国では塊根を鬱金(ウコン、キョウオウと同じ)、根茎を蓬莪朮という』とある。

「黃苽」不詳。或いは、黄緑色を呈する、単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae Oryzeae族マコモ属マコモ Zizania latifolia の雄花か。

「沈香」双子葉植物綱アオイ(葵)目ジンチョウゲ(沈丁花)科ジンコウ(沈香)属ジンコウAquilaria agallocha 。詳しくはウィキの「沈香」を見られたい。最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香』も参考になろう。

「桂心」最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂』を参照されたい。

「茯苓」既出既注だが、再掲しておくと、菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。

「良姜」ショウガ目ショウガ科ハナミョウガ属 Alpinia の根茎を乾したもの。なお、この漢字表記は本邦での表記。

「藿香」「かはみどり」と読めば、薄荷の匂いのするシソ目シソ科カワミドリ属カワミドリAgastache rugosa がある。当該ウィキによれば、『葉や茎は漢方に用いられる』。『乾燥した葉に芳香があり、生薬名に藿香(かっこう)を当てているが、これは誤りで、日本では排香草ともいう』。『かぜ薬などの漢方薬として、茎、葉、根を乾燥させたものを用いる』。『民間では』、六~七月に、『茎の上部だけを切り取り、水洗いしたあとに吊るして陰干ししたものを、解熱薬として、また健胃薬として用いられる』とある。

「白芍藥」ユキノシタ目ボタン科ボタン属シャクヤク Paeonia lactiflora 或いは近縁種の根から製した生薬のうち、根の外皮を取り除いた乾燥させたものを指す。消炎・鎮痛・抗菌・止血・抗痙攣作用を有する。皮を残したものは「赤芍」(せきしゃく)と呼ぶ。

「大黃」既出既注。タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある(底本の竹内利美氏の後注に一部を拠った)。

「縮沙」ショウガ科アモムム属シュクシャAmomum villosum var. xanthioides の種子の塊を石灰を用いて乾燥させたもの。健胃・整腸作用がある。

「木香」キク目キク科トウヒレン属モッコウ Saussurea costus 又は Saussurea lappa の孰れかの根から採れる生薬。薫香原料として知られ、漢方では芳香性健胃剤として使用されるほか、婦人病・精神神経系処方の漢方薬に多く配合されている。

「薰陸」二種あるが、ここは「出羽」から、松・杉の樹脂が地中に埋もれ固まって生じた化石で、琥珀に似るが、琥珀酸を含まない。粉末にして薫香とする。岩手県久慈市に産するそれであろう。

「肉桂」先の「譚海 卷の七 江戶源兵衞店水戶家藏屋敷肉桂の事」を参照されたい。最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂』がよいのだが、漢語の「肉桂」と本邦の「肉桂」が種が全く異なるので、注は迂遠に長い。それに辛抱出来る方は、そちらの方が、いい。

「柴胡」セリ目セリ科ミシマサイコ属(或いはホタルサイコ属)ミシマサイコ Bupleurum stenophyllum の根。解熱・鎮痛作用があり、多くの著名な漢方方剤に配合されている。

「黃芩」キク亜綱シソ目シソ科タツナミソウ属コガネバナ Scutellaria baicalensis の根の周皮を取り除き、乾燥させたもの。当該ウィキによれば、『主要成分はフラボノイドのバイカリンやオウゴニンなど』で、『薬味としては』、『比較的よく』、『使われている』。『漢方では清熱薬に属し、小柴胡湯や柴胡加竜骨牡蛎湯など柴胡剤に分類される漢方処方群に配合されている』と記す一方で、『副作用』を項として掲げ、注意喚起がなされてある。

「乳香」既出既注。インド・イランなどに産する樹の脂(やに)の一種で、盛夏に砂上に流れ出でて固まり、石のようになったものを指し、香料・薬用とする「薫陸香」(くんりくこう:呉音で「くんろく(っ)こう」とも読み、「くろく」「なんばんまつやに」などとも呼ばれる。その中で乳頭状の形状を有するものを特に「乳香」と称し、狭義にはムクロジ目カンラン科ボスウェリア属 Boswelliaの常緑高木から採取されるそれを指すとされる。

「蒲黃」現代仮名遣は「ほこう」。単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属 Typha の花粉。薬用。

「半夏」単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「今井利助」不詳。

「後產」胎児を分娩した後、胎盤などが排出されること。「あとざん」「のちのこと」「のちのもの」等とも呼ぶ。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(12)

○小便不通。

 東海道小田原宿にうりぐすりあり。へその下へ、はりて、きみやうに、通ずるくすり也。

 

○又、一方。

 芝(しば)西の久保大坂屋といふ飛脚屋にて、「うりぐすり」にする也。一つゝみ、代二百文なり。小べん、通じかぬるには、「す」にて、とき、へその下へ、はるベし。大べん、通じかぬるときは、そくゐに、くすりを、すりまぜ、紙につけて、足のうらへ、張(はる)也。

[やぶちゃん注:「そくゐ」「そくいひ」の音変化。飯粒を練り潰して作った、粘り気の強い糊。「そっくい」とも言う。]

 

○又、一方。

 冬瓜(とうがん)を、「かんひやう」のごとく、むきて、陰ぼしにして、たくはへおき、「こんぶ」を、二寸四方ほどに切(きり)て、冬瓜のぶんりやうを、みあはせ、ひとつに、せんじ、その湯を飮(のむ)べし。いたつて、通じをつける也。

[やぶちゃん注:「冬瓜」双子葉植物綱スミレ目ウリ科トウガン属トウガン品種トウガン Benincasa pruriens f. hispida

「かんひやう」「かんぺう」が正しい。「干瓢・乾瓢」で鮨・煮物の具にする、夕顔(ウリ目ウリ科ユウガオ属ユウガオ変種ユウガオ Lagenaria siceraria var. hispida )の白い果肉を細長く剥き、干した食品。]

 

○又、一方。

 「田にし」の實(み)を、なまにて、すりくだき、紙につけ、へそのしたへ、張(はる)べし。

[やぶちゃん注:「田にしの實」この場合、「身」でなく、「實」を用いていることから、生貝を殻ごと摺り砕くことを指している。身だけなら、「くだき」とは言うまい。]

 

○寢小べんを治するには、

 「なめくじり」を、ひとつ、「しろざとう[やぶちゃん注:ママ。]」にまぶして、のむべし。

[やぶちゃん注:「なめくじり」狭義には、軟体動物門腹足綱ナメクジ科ナメクジ属Meghimatium bilineatumの和名であるが、広義の日本産ナメクジは、現在の既知種は四種、推定未知種数は凡そ五種である。但し、生で摂取するのは、現代では、甚だ危険である。ウィキの「ナメクジ」によれば、『種類によっては、生きたまま丸呑みにすると、心臓病や喉などに効くとする民間療法があるが、今日では世界から侵入した広東住血線虫』(脱皮動物上門線形動物門双線綱円虫目擬円形線虫上科 Metastrongyloidea に属するジュウケツセンチュウ(住血線虫)属カントンジュウケツセンチュウ(広東住血線虫)Angiostrongylussyn. Parastrongyluscantonensis )『による寄生虫感染の危険があることが分かっているため』、『避ける』べきである。『オーストラリアでは、ふざけてナメクジを食べ、寄生虫が大脳に感染し、脳髄膜炎で』四百二十『日間』、『昏睡状態に陥り、意識が回復後も脳障害で体が麻痺』八『年後に死亡した例がある』からである。『一方で』、『中国医学では、蛞蝓(かつゆ)という名称で、生薬として使用される。効能は清熱解毒、止咳平喘など』とある。]

 

○「りんびやう」を治するには、

 「きうり」の「つる」を、せんじ、その湯の中へ、「さとう[やぶちゃん注:ママ。]」を入(いれ)て、のむべし。

[やぶちゃん注:「りんびやう」性感染症である淋病。真正細菌プロテオバクテリア門 Proteobacteria βプロテオバクテリア綱 Beta Proteobacteria ナイセリア目 Neisseriales ナイセリア科 Neisseriaceae ナイセリア属  Neisseriaナイセリア・ゴノローエ (淋菌)Neisseria
gonorrhoeae
に感染することにより起こる性感染症。ウィキの「淋病」によれば、名称の「淋」は『「淋しい」という意味ではなく、雨の林の中で木々の葉からポタポタと雨がしたたり落ちるイメージを表現したものである。淋菌性尿道炎は尿道の強い炎症のために、尿道内腔が狭くなり痛みと同時に尿の勢いが低下する。その時の排尿がポタポタとしか出ないので、この表現が病名として使用されたものと思われる』。『古代の人は淋菌性尿道炎の尿道から流れ出る膿を見て、陰茎の勃起なくして精液が漏れ出す病気(精液漏)として淋病を』捉え、“gono”(「精液」)、“rhei”(「流れる」)の意の合成語“gonorrhoeae”と『命名した』(ギリシャ語由来のラテン語であろう)。『男性の場合は多くは排尿時や勃起時などに激しい痛みを伴う。しかし、場合によっては無症状に経過することも報告されている』。『女性の場合は数週間から数カ月も自覚症状がないことが多い。症状があっても特徴的な症状ではなく、単なる膀胱炎や膣炎と診断されることがある』が、『放置すると菌が骨盤内の膜、卵巣、卵管に進み、内臓の炎症、不妊症、子宮外妊娠に発展する場合もある』。『新生児は出産時に母体から感染する』ことが殆んどで、『両眼が侵されることが多く、早く治療しないと失明するおそれがあ』り、以前はこれを「風眼(ふうがん)」と呼んだ。感染者の多かった江戸時代や近代では、温度の低い湯屋(ゆうや:銭湯)で感染して、失明した子を知っている、と四十四年も前、高校時代の老体育教師が保健の授業で語っていたのを思い出す。「浴槽のこういう角のところに菌が集まるんだ。」と絵まで描いて呉れた。]

 

○又、一方。

 車前子(おほばこ[やぶちゃん注:底本のルビ。])を、實も、葉も、根も、生(なま)にて、ひとつに、「すりばち」にて、すりくだきたるを、湯にて飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「車前子(おほばこ)」シソ目オオバコ科オオバコ属オオバコ変種オオバコ Plantago asiatica var. densiuscula 。「車前草」(しゃぜんそう)とも呼ぶ。懐かしいな。当該ウィキに『子供たちの遊びでは、花柄を根本から取り』、『つ折りにして』、二『人が互いに引っかけあって引っ張り合い、どちらが切れないかを競うオオバコ相撲が知られ』、『スモトリグサ(相撲取り草)の別名もある』とあるが、もう何十年も、子どもらが、それをやっているのを、見たことが、ないよ……。]

 

○淋病痛を治するには、

 土通草【和名「つちあけび」。】右一味を、「りんびやう」のくすりに、くはへ、用(もちゆ)べし。又、此草、一種、みそ汁にて、くひても、よし。

[やぶちゃん注:「土通草」『和名「つちあけび」』単子葉植物綱キジカクシ目ラン科ツチアケビ属ツチアケビ Cyrtosia septentrionalis (シノニム:Galeola septentrionalis )。ナラタケと共生する大型の腐生蘭の一種。和名は、秋に低山を彩る赤い果実を、アケビに見立ててたもの。太くて、長い根茎がある。茎は太く直立し、葉緑体を欠き、褐色、高さ五十センチメートルから一メートルで、ところどころに退化した鱗片葉がある。六~八月、分枝した花序に多数の花をつける。花は黄褐色で,径一・五~二センチメートル程度。花被は、あまり開かない。唇弁は、やや多肉質で、黄色味が強い。果実は肉質で赤くなり、垂れさ下がる。熟しても、裂開しない。北海道から奄美大島まで分布し、落葉樹林の林縁や笹藪などに生える。ツチアケビ属は旧熱帯を中心に約二十種ある。本邦には、今一種、蔓性のツルツチアケビCyrtosia altissima(異名:タカツルラン)が、九州南部・琉球に分布する(以上の主文は平凡社「世界大百科事典」他に拠った)。私は山行の途中、何度か、見かけたが、花も実も、何となく、気持ちの悪いものであった。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]

 

○又、一方。

 鼠尾草、一味、せんじ、のむべし。

[やぶちゃん注:「鼠尾草」フトモモ目ミソハギ科ミソハギ属ミソハギ Lythrum anceps 。「禊萩」。但し、当該ウィキによれば、『鼠尾草(そびそう)という別名があるが、これはアキノタムラソウ』(シソ目シソ科イヌハッカ亜科アキギリ属アキノタムラソウ  Salvia japonica )『の誤用漢名でもあるので』、『まぎらわしい』。『盆花としてよく使われ、ボンバナ、精霊花(ショウリョウバナ)などの名もある。ミソハギの和名の由来はハギに似て禊(みそぎ)に使ったことから禊萩、または溝に生えることから溝萩によるといわれる。祭事などに用いられるため、その関係の呼び名が豊富で、他にも「盆花」「精霊花」「霊屋草」などとも呼ばれる』。『「千屈菜(みそはぎ)」は秋の季語であ』り、『また、「千屈菜(せんくつさい)」として下痢止めなどの民間薬としてもちいられる』。但し、『本来』、『「千屈菜」(qianqucai)という漢名は、やはり』、『収れん性止瀉薬として下痢に用いられてきたエゾミソハギ』( Lythrum salicaria )『を指すのであり、現在では』、『これはミソハギとは別種とされている』とあることから、津村の言っている「鼠尾草」は確かに現在のミソハギを指しているかどうかは、甚だ怪しい気がする。

 

○痔のくすり。

 芝增上寺地中(ぢちゆう)、淡島明神の社ある寺にて、賣(うる)所の「あぶらぐすり」、もちゐて、きみやう也。指にて、ぬる、くすり也。

[やぶちゃん注:「淡島明神の社ある寺」現在の芝大神宮(グーグル・マップ・データ)であろう。]

 

○又、一方。

 「ねぶの木」の、皮を、さりて、其内にある「あま皮」を陰干にして、夫(それ)をせんじたる汁にて、「あま酒」をつくりて飮べし。

[やぶちゃん注:「ねぶの木」私の偏愛する花を咲かせるマメ目マメ科ネムノキ亜科ネムノキ属ネムノキ Albizia julibrissin 『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 49 象潟 象潟や雨に西施がねぶの花』に写真を飾ってある。富山県高岡市伏木矢田新町にあった実家には、裏に三メートルはあった合歓の木があったが、花は一度も咲かなかった。そこに家を建てたのは、一九七一年頃だったから、その後、大学の休みに帰郷したものの、やはり花は咲かなかった。調べてみたら、合歓の木は、花を咲かせるようになるには、十年以上かかるとあった。ストリートビューで見たら、もう樹はなかった。何となく寂しい気がした。]

 

○又、一方。

 「腰ひえ」に用ゆ。あらひ藥、よし。

 

○又、一方。

 「なめくじり」を胡麻の油に、ひたしおけば、とけて、白き油になる也。それを痔のいたむ時、つけてよし。但(ただし)、冬、「なめくじり」を求(もとむ)るには、竹藪の落葉をかき分(わけ)てさがす時は、多く、ある也。

 

○又、一方。

 無果花【和名「いちじく」。】・蛇退皮(へびのぬけがら)、

 右、二味、黑燒にして、極上の麝香(じやかう)、少(すこし)計(ばかり)、くはへ、「きぬ」の切れに、つゝみて、痔のところへ、おしあて、おしあて置(おく)ときは、治する也。

 

○又、一方。

 羗蜋の黑燒、ごまのあぶらにて、付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:「羗蜋」(きやうらう(きょうろう))は二度、既出既注だが、再掲しておくと、恐らく昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科 Scarabaeoidea及びその近縁な科に属する種のうち、主に哺乳類の糞を餌とする一群の昆虫を指す語である。「食糞性コガネムシ」とも呼ばれる。中文ウィキのその種群を示すそれは「蜣螂」の漢字が当てられている。その日本語版「糞虫」も見られたい。]

 

○又、一方。

 芝、太好庵の「めぐすり」を付(つけ)てよし。

[やぶちゃん注:「芝、太好庵」先の芝大神宮の前にあった薬店。サイト「公益財団法人 瑞鳳殿」の『三代藩主伊達綱宗公313遠忌法要記念ブログ 御身必要のもの―善応殿副葬品「酸漿蒔絵合子」内容物分析調査―』に、『寛永の末に芝明神前宇田川町に太好庵せむし喜右衛門という医者が、「花の露」という薬油を製しており、これは頭髪用の油ではなく、顔にできた吹き出物に効き、顔に艶を与える匂い油であったそうで、現在で言う化粧水や乳液、薬用クリームとかそういったものを想像させます。「花の露」には松脂は含まれていなかったようですが、「伽羅の油」も化粧下地に用いられることもあったとされ、使用法についても一通りではなかったようです』とあった。しかし、「めぐすり」が痔に効くか?

 

○又、一方。

 「しゞみ貝」のせんじ汁にて、あらひて、よし。

 

○又、一方。

 寒中、五寸ぐらゐの鮒(ふな)、いきたるまゝにて、五倍子の粉に、まぶし、黑燒にしたるを細末にして、寒中・蝕寒をかけて、まいてう、空腹に、「さゆ」にて、服すべし。

[やぶちゃん注:「五倍子」ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の葉に、ヌルデシロアブラムシ(半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科アブラムシ科ゴバイシアブラ属ヌルデシロアブラムシ Schlechtendalia chinensi)が寄生すると、大きな虫癭(ちゅうえい)を作る。虫癭には黒紫色のアブラムシが多数詰まっており、この虫癭はタンニンが豊富に含まれていうことから、古来、皮鞣(かわなめ)しに用いられたり、黒色染料の原料になる。染め物では空五倍子色(うつぶしいろ:灰色がかった淡い茶色。サイト「伝統色のいろは」こちらで色を確認出来る)と呼ばれる伝統的な色を作り出す。インキや白髪染の原料になるほか、嘗つては、既婚女性及び十八歳以上の未婚女性の習慣であった「お歯黒」にも用いられた。また、生薬として「五倍子(ごばいし)」あるいは「付子(ふし)」と呼ばれ、腫れ物や歯痛などに用いられた。主に参照したウィキの「ヌルデ」によれば、『但し、猛毒のあるトリカブトの根「附子」も「付子」』『と書かれることがあるので、混同しないよう注意を要する』。さらに、『ヌルデの果実は塩麩子(えんぶし)といい、下痢や咳の薬として用いられた』とある。

「をかけて」は「にかけて」の誤記であろう。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(30)

 

   白南風や風吹もどす紗の羽織 沙 明

 

 沙明といふのは筑前黑崎の人である。助然がこれを訪ねて別るゝに當り、沙明は船まで送つて來て別を惜んだ。その時示したのがこの句で、「下のかたより靑鷺のこゑ」といふ脇を助然がつけてゐる。

 白南風[やぶちゃん注:「しらはえ」。]といふのは近年白秋氏が歌集に名づけたりしたので、比較的人の耳目に熟してゐるかと思ふが、黑南風と竝んで梅雨中の天象の一となつている。古來いろいろな解釋があるらしいけれども、梅雨に入つて吹くのをクロハエ、梅雨半に吹くのをアラハエ、梅雨晴るゝ頃より吹く南風をシラハエといふ「物類稱呼」の說に從つて置く。いづれにしても空の明るさを伴ふ梅雨時の現象であることは間違ない。

 船まで送つて來て別を惜む。漸く晴に向わんとする梅雨の空から來る風が、頻に紗の羽織を吹く。「吹もどす」の一語に惜別の情が含まれてゐることは勿論である。海の空は薄明るくなつて、自おのずから季節の移るべきを示してゐるのであらう。比較的大きな光景を前にして、小さな紗の羽織を描き、陰鬱の雲を散ずべき白南風に惜別の情を寓してゐる。「下のかたより靑鷺のこゑ」といふ助然の脇も、折からの景物と思はれる。普通に景中情ありなどといふ平凡なものではない。實景實感の直に讀者の胸に迫る句である。

[やぶちゃん注:「沙明」筑前蕉門の筆答格であった関屋沙明は、現在の福岡県北九州市八幡西区九州市黒崎(グーグル・マップ・データ)の町茶屋であった「脇本陣」を経営していた。「柴田宵曲 俳諧随筆 蕉門の人々 去来 五」の私の「沙明」の注を見られたい。

「助然」福岡の嘉穂郡内野(現在の福岡県飯塚市内野)の蕉門俳人荒巻助然(じょねん ?~元文二(一七三七)年)。筑前生まれ。名は重賢。通称、市郎左衛門・佐平次。父の西竹を始め、子の助嶺・苔路・仙之らも、皆、俳人である。没後、志太野坡・苔路により、追善集「冬紅葉」が刊行されている。編著に「蝶すがた」・「山ひこ」・「蝶姿」等がある(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に拠った)。

「白南風といふのは近年白秋氏が歌集に名づけたりした」北原白秋の歌集「白南風」(昭和九(一九三四)年アルス刊)。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで原本が視認出来る。「序」の「2」の冒頭で書名の由来を述べている。「白南風」を詠んだ短歌は、「蝶影」の第二首、

   *

 眼はあげて吾が附く道のけどほさよ

  白南風(しらはえ)の空をひとつ飛ぶ蝶

   *

の、これを始めとして、六首ある。但し、本書自体の刊行は昭和一八(一九三三)年だが、初出は昭和十年に宵曲が同志とともに始めた俳諧中心の雑誌『谺』の創刊号から始めたものであるから、「近年」は腑に落ちる。

「物類稱呼」「諸國方言物類稱呼」。江戸後期の全国的規模で採集された方言辞書。越谷吾山(こしがやござん) 著。五巻。安永四(一七七五)年刊。天地・人倫・動物・生植・器用・衣食・言語の七類に分類して約五百五十語を選んで、それに対する全国各地の方言約四千語を示し、さらに古書の用例を引くなどして詳しい解説を付す。国立国会図書館デジタルコレクションの岩波文庫「物類稱呼」(東条操校訂・昭和一六(一九四一)年刊)の当該部(「卷一」の「風」の条の一節)の前後を以下に電子化しておく。「風」の条目名のみ行頭にあって、以下、本文は三字下げであるが、以下のように示した。【 】は二行割注。

   *

かぜ〇畿内及中國の船人のことばに 西北の風を○あなぜと稱す 二月の風を○をに北(ぎた)といふ 三月の風を○へばりごちと云 四月未(ひつじ)の方より吹風を○あぶらまぜと云 五月の南風を○あらはへといふ 六月未の風を○しらはへといふ土用中の北風を○土用あいといふ 七月未の風を○おくりまぜと云 八月の風を○あをぎたといふ 九月の風を○はま西といふ 十月の風を○ほしの入ごちといふ 十一月十二月の頃吹風を○大西(をゝにし)と云〇西國にても南風を○はへと云 東南の風を○をしやばへと云〇北國にては東風を○あゆの風といふ 西北の風を○よりけと云 北風を○ひとつあゆと云 東北の風を○ぢあゆと云 丑の方より吹風を○まあゆと云 南風を○ぢくだりと云〇江戶にては東南の風を○いなさといふ 東北の風を○ならいと云【つくばならいといふあり】 西北の風を○はがちと云 東風を○下總ごちといふ 未申の方より吹風を○富士(ふじ)南と云〇伊勢 國鳥羽 或は伊豆國の船詞に 二月十五日前後に一七日ほど いかにもやはらかに吹く風を○ねはん西風といふ【但し年每に吹にもあらす】三月土用少し前より南風吹○あぶらまじといふ 四月よき日和にて南風吹○おぼせといふ 五月梅雨に入て吹南風を○くろはへといふ 梅雨半(なかば)に吹風を○あらはへと云 梅雨晴る頃より吹南風を○しらはへと云 六月土用半過より北東の風一七日程吹年有○ごさいと云【六月十六七日伊勢の御祭禮有 出家も參事也 故に御祭(ごさい)といふ也】 六月中旬東風吹年あり○ぼんごちと云 それ過てより南風吹を○くれまじといふ 八月の風を○あをぎたと云【はじめは雨にそひて吹 後はよくはれて北風吹なり】 ○雁わたしとも云 十月中旬に吹く北東の風を○星の出入といふ【夜明にすばる星西に入時吹也】又大風には二月吹を○貝よせと云【正月の節より四十八夜前後の西風也】三四月東南の風吹を○なたねづゆと云 四五月吹東南の風を○たけのこづゆといふ 八月に吹風を○野分といふ【正月の節より二百十日め前後にふくなり】十月西風吹○神わたしと云【霜月の荒といふは廿三日より晦日まての間に荒るとしあり】○近江國湖水にて風の定らぬ事を○論義といふ 日和風を○といてと云 湖上(こしやう)の風を○根わたしと云 秋冬の風を○日あらしといふ 春夏の風を○やませ風 ○ながせ風 ○せた嵐など云〇播磨邊 又四國にて春南風にて雨を催す風を○やうずと云〇越後にて東風を○だしといふ 西北の風を○しもにしといふ西南の風を○ひかたといふ[やぶちゃん注:以下略。]

   *]

 

   うたゝねのかほのゆがみや五月雨 釣 壺

 

 五月雨[やぶちゃん注:「さつきあめ」。]に降りこめられたつれづれにうたゝねをしてゐる人がある。ふとその顏を見ると、どういふものか歪んで見える。そこに或寂しさを感じた、といふのである。

 病人などでなしに、うたゝねの人であるところがこの句の面白味である。少し老いた人のやうな氣がするが、必ずしもそう限定せねばならぬといふわけではない。

 

   蜀魂啼や琴引御簾の奧 吾 仲

 

 作者はこの場合、御簾[やぶちゃん注:「みす」。]の外にいるものと思はれる。ほとゝぎすが啼き渡る、御簾の奧では今琴を彈きつゝある、といふ情景である。

 必ずしも平安朝の物語を連想する必要は無いが、奧深い、大きな屋形であることは疑を容れぬ。琴を彈ずる人は恐らくほとゝぎすの聲が耳に入らぬのであらう。「虞美人草」の文句にある通り、「ころりんと搔き鳴らし、又ころりんと搔き亂」しつゝある。

 音に音を配合するのは、一句の效果を弱めるといふ人があるかも知れない。併しそれは御互に卽き[やぶちゃん注:「つき」。]過ぎて、相殺作用を起す場合の話であらう。この場合のほとゝぎすは琴を妨げず、琴もまたほとゝぎすを妨げない。作者は御簾の外に在つて、兩の耳に二つの聲を收めるとすれば、その邊の心配は無いわけである。

[やぶちゃん注:「蜀魂」通常は「シヨクコン」であるが、ここは無論、「ほととぎす」と訓じている。これは、蜀の望帝の魂が、化して、この鳥になったという伝説から、ホトトギスの別名となったもの。「蜀魄」「蜀鳥」とも書く。

『「虞美人草」の文句』は「三」の一節で(読みは一部に留めた)、

   *

 宗近君は籐(と)の椅子に橫平(わうへい)な腰を据ゑて先(さ)つきから隣りの琴を聽いてゐる。御室(おむろ)の御所の春寒(はるさむ)に、銘めいを給はる琵琶の風流は知る筈がない。十三絃を南部の菖蒲形(しやうぶがた)に張つて、象牙に置いた蒔繪の舌を氣高しと思ふ數奇(すき)も有(も)たぬ。宗近君は只漫然と聽きいてゐる許りである。

 滴々と垣を蔽ふ連𧄍(れんげう)の黃な向うは業平竹(なりひらだけ)の一叢(ひとむら)に、苔の多い御影の突(つ)く這(ば)ひを添へて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔を這はしてゐる。琴の音(ね)は此庭から出る。

 雨は一つである。冬は合羽が凍(こほ)る。秋は燈心が細る。夏は褌(ふどし)を洗ふ。春は――平打(ひらうち)の銀簪(ぎんかん)を疊の上に落した儘、貝合せの貝の裏が朱と金と藍に光る傍(かたはら)に、ころりんと搔き鳴らし、又ころりんと搔き亂す。宗近君の聽いてるのは正に此ころりんである。

   *

である。]

2024/05/17

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(29)

 

   山ごしの豆麩も遲し諫鼓鳥 怒 風

 

「豆麩」といふのは豆腐のことである。腐の字は感じが惡いといふので、泉鏡花氏などは「豆府」と書いてゐたが、古人は屢〻「豆麩」の字を用いてゐるかと思ふ。

 山を越した向うの里から豆腐を賣りに來る。その大凡の時間がきまつてゐるのであらう。もう來さうなものだと思ふが、なかなかやつて來ない。どこかで閑古鳥の聲がする、といふ山里の光景である。「諫鼓」の字が當ててあるが、「諫鼓苔深うして鳥驚かず」などといふ面倒な次第ではない。俳諧季題の一員たる閑古鳥が啼くのである。

「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」とかいふ天明の狂歌があつた。ほととぎすに不自由しない里は每日の生活に不自由するといふ槪念的の歌で、一讀して誰にも合點は行くやうなものの、さういふ里の情景は一向躍動しない憾がある。この閑古鳥の里も、豆腐屋へ二里あるか、三里あるかわからぬが、作者はさういふ方角から眺めずに、自分をその里の中に置いて、山越に來る豆腐屋が遲いといふ點だけを描いた。閑古鳥に豆腐を配するなどといふのは、俳諧でなければ企て得ぬところであらう。

[やぶちゃん注:「諫鼓鳥」「閑古鳥」カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus のこと。

『泉鏡花氏などは「豆府」と書いてゐた』鏡花は病的と極度の潔癖神経症で、「腐」という字に嫌悪感を持っていた。例えば、「青空文庫」の「湯どうふ」を見られたい。

「諫鼓苔深うして鳥驚かず」「諫鼓(かんこ)苔(こけ)深く鳥(とり)驚かぬ」は諺。「君主が善政を施すので、諫鼓(中国の伝説上の聖天子が、君主に諫言をしようとする者に打ち鳴らさせるために、朝廷の門前に設けたという鼓。「いさめのつづみ」)を用いることもなく、苔が深々と生えて蒸してしまい、鳥が鼓の音に驚くこともない」の意から、「世の中がよく治まっていること」の喩えである。

「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」江戸後期の浮世絵師・狂歌師頭光(つむりのひかる 宝暦四(一七五四)年~寛政八(一七九六)年:本名は岸識之(「のりゆき」か)、通称は宇右衛門。別号に桑楊庵・二世巴人亭。江戸日本橋亀井町の町代を務めた。「狂歌四天王」の一人と称され、晩年には自ら作った狂歌集団「伯楽連」の中心となった。着想の奇警を特色とし、「才蔵集」の編集にも参画。著に「狂歌四本柱」などがある)の作。]

 

   飛石の間やぼたんの花のかげ 介 我

 

 牡丹園とか何とかいふ場所でなしに、普通の庭の牡丹と思はれる。飛石と飛石との間の土に、牡丹の花の影がうつゝてゐる。日ざしの關係であらうが、作者はそこに興味を感じたものらしい。大きな花だけに花の影もはつきり地上にうつるのである。

「花に影」となつている本もあるが、牡丹の花に影をうつすとなると、飛石以外の何者かでなければならぬ。それは句の上に現れて居らぬから、何の影か想像に困難である。「花のかげ」の方がいゝと思ふ。

 

   さはさはと風の夕日や末若葉 魯 九

 

 夕方の景色である。若葉の梢に明るく夕日がさして、爽な風が吹渡る度に、きらきらと光りながら飜る。「武藏野」にある「林影一時に閃く」とか、「木葉火の如くかゞやく」とかいふやうな盛な感じではない。明るい中にも一脈の陰影と寂しさとを伴つた光である。「さはさは」といふ言葉の現す風は、さう强い性質のものとも思はれぬ。

「若葉吹風さらさらとなりながら」といふ惟然の句は、若葉の風の爽な感じを主としたものであるが、時間は句の上に現れず、眼に訴へる分子があまり多くない。魯九の句は「夕日」の一語がある爲、斜陽の光の中に飜る若葉の梢が、直に眼に浮ぶやうに感ぜられる。夕日の若葉などといふものは、いづれかと云へば洋畫的風景で、當時としては新しい世界を窺つたと見るべきであらう。

 明るいとか、光とかいふ文字を使はないのは、昔の句の含蓄ある所以であるが、今の人はこれでは滿足しないかも知れない。

[やぶちゃん注:『「武藏野」にある「林影一時に閃く」とか、「木葉火の如くかゞやく」とか』やや表記に問題がある。私の偏愛する國木田獨步の「武藏野」(私のサイト版)の「((二))」の(下線は原本では傍点「○」、太字は傍点「●●」)、

   *

九月七日――『昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を拂ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるゝとき林影一時に煌(きら)めく、――』

   *

で、同所の、

   *

同二十一日――『秋天拭ふが如し、木葉火のごとくかがやく。』 十月十九日――『明かに林影黑し。』

   *

が正しい。]

父が描いた16歳の時の陸軍通信特攻隊の模擬戦車への特攻練習図

Tokkourennsyuu16

故藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製) / 川路柳虹の詩「火の頌歌」・深沢幸雄画・「あとがき」・奥附 / 川路柳虹詩集「波」電子化注~了

[やぶちゃん注:必ず、第一回の電子化の冒頭の私の注を読まれたい。

 本詩篇は━━この詩集の発行された十日後に生まれた私には━━恰も━━私に対して語れた詩篇のような━━気がした…………

 


Hinohomeuta

 

 火 の 頌 歌

 

[やぶちゃん注:「火の頌歌」の標題独立ページ(左ページ。ケント紙印刷挿入綴じ込み)の画像(経年劣化でヤケているため、補正を加えた)。深沢幸雄画には、右下方に『Y.K』の手書きサインがある。この原本のページは、劣化汚損(シミ)が少し見えるので、トリミングの後、清拭補正をした。やや「頌歌」は一般には「じゆか(じゅか)」で、所謂、「オード」(ode)。崇高な主題を、多く人や事物などに呼びかける形式で歌う、自由形式の叙情詩。「しようか(しょうか)」とも読み、「頌賦」(しょうふ)とも言う(個人的には「頌」の別音で「コウ」で読みたくなるのだが)。但し、川路は本文で「頌歌」に「ほめうた」とルビをしているので、ここも「ひのほめうた」と読むべきであろう。さて、この像は、一見、複数の臂を持っているように見えたことから、私はヒンドゥー教の女神ドゥルガー(ラテン文字転写:Durgā)ではないかと思ったのだが、第一連に「破壊と創造の神湿婆(シバ)」と出るので、インドの神シヴァ(Śiva)と知れた。「リグ・ヴェーダ」等のヴェーダ文献では「ルドラ」の名で知られる。ルドラは暴風神の一面のほか、理由なく家畜などに害をなす恐ろしい神であった。それ故、「パシュパティ」(家畜の主)・「シヴァ」(優和なもの)・「マハーデーヴァ」(偉大な神)などの名で宥められた。ブラフマー・ヴィシュヌと並び、ヒンドゥー教の三大神の一神で、「世界を破壊する神」として、恐ろしい一面を残す。インド各地で崇拝されていたさまざまな女神が、パールヴァティー・ウマー・ドゥルガー・カーリーなどの名で、シヴァの配偶神となった。身体に灰を塗り、蛇を首に巻き、髪の毛を乱した苦行者の姿で現れるが、インド各地の数多くの寺院では、女陰の上に立つ男根の形の像(リンガ)の姿で礼拝されている。以上は、主文を山川出版社「山川 世界史小辞典」に拠ったが、そこにあるイラストが、よく一致する。また、当該ウィキの『ナタラージャ(英語版)として踊っているシヴァ。チョーラ朝時代の物。ロサンゼルス・カウンティ美術館。』とキャプションがあるカラー画像もよく符合する。]

 

 

    火 の 頌 歌

 

     

 

わたしは想ふ、あの巨きな祭壇を、

廻(めぐ)る焰の渦にとり捲かれた

破壊と創造の神湿婆(シバ)を。

[やぶちゃん注:この一行目には「を、」の後に「]」のようなものが見えるが、これは植字の際の枠が出っ張ったものと断じて、無視した。]

 

生命の火を、

力の火を、

無数の手の仕業(しわざ)を。

 

その源(みなもと)を、

そのたゆまぬ動きを、

その跳躍を、

その怒(いかり)を、

その歓喜(よろこび)を。

 

おまへは火の肉身、

おまへは火の所業、

おまへは火の頌歌(ほめうた)。

 

おお、内在の焰よ、

わたしの生れぬ以前から

わたしの墓場で朽ち果てる未来(ゆくすえ)まで、

泉のやうに湧きいでる

不可思臓の持続よ。

暴虐の㮙伽(リンガ)よ。

逞しい不屈の

死を征服する力よ。

混沌の中に交って

生命の種子を求める

淸純な血液の種族よ。

想像の力で羽搏きながら、

いつも眼に見える世界を創(つく)ってゆく、

あの雲のやうな自由と、

あの汗のやうな必然とで、

生みいだし、生みいだし、

また砕(こわ)し、うち砕し、

停ることを知らない神湿婆(シバ)よ。

おまへの智慧はどこから来(く)る!

この世界の巧みな構造を、

寸分も違(たが)はぬ秩序と変化を

おまへ自身の肉体に包蔵して

おまへは人間に君臨する。

原子の秘密を解(さと)った人間が

その猾(さか)しらな手で地球を砕さうとも、

おまへの破壊はまだ止むまい、

おまへの創造はまだ止むまい。

[やぶちゃん注:「おまへの智慧はどこから来(く)る!」の「来」は底本では「米」であるが、「来」の異体字には「米」はないから、誤植と断じ、特異的に訂した。]

 

      

 

この世にひとりの嬰児(あかご)が生れた、

神に祝福された生命(いのち)で

声をかぎりに泣きながら。

 

世界に一つの霊(たましひ)が增えた、

加へられた一つの霊(たましひ)よ。

だが、その生命(いのち)は

この人間の世界では

ただ一つの数(かず)にすぎない。

羊水のなかから投げ出された

その「一つ」よ、孤独な生命よ。

血と粘液に染まった花の莟よ。

兩親(ふたおや)は貧しくて、

ふたりの作った分身に対して

ただ悲み惱んでゐる。

おまへの運命の始りが

歓びと涙で充されながら

おまへの吸う乳房の

そのゆたかな含らみのなかに

この世界を呪ふ種子(たね)が播かれてゐる。

 

呪はれた生命よ、━━地上の。だが、

おまへは生きてゆく、

おまへの眼とおまへの手が

いつか自(みづか)らを作ってゆくまで。

その「自ら」を知る理性と本能が

ふたたび妖はしい愛の華を開かす。

それこそ内に潜んだ永遠の

湿婆(シバ)の焰の戯れだ、因果だ。

悲劇がそこから生れる━━

幾代(いくだい)も同じ人間の悲劇が。

[やぶちゃん注:「妖はしい」以下の「」の第二連に出るルビに従い、「まよはしい」と訓じておく。]

 

だが、その戯れは正しい、

それは火の所業だ、

われら心つつましく

その火を讃(たた)へよう。

湿婆(シバ)よ、

おまへの所業に繫(つなが)る宇宙こそ

みんな戯れだ、(大きな)鱒の戯れだ!

 

      

 

燦爛とした星々(ほしぼし)の光りに

人問の愛のとどかぬところで

宇宙はその構図を展(ひろ)げている。

その下で燃えつづける

焰よ、湿婆(シバ)の祭壇よ。

吾ら与へるものも、

また亨(う)くるものも、

この世界ではひとしき所有だ。

劃り立つ岩々の黑い影、

夜の階黑をいや深くする森、

その森の重(かさな)る中の銀灰色の祠堂(しどう)よ、

この存在のおぼろかな中にも

ひとしい「影」として立つ吾ら。

[やぶちゃん注:「劃り立つ」「くぎりたつ」と訓じておく。]

 

まことに所有は影でしかない、

わたしたちは何を有(も)つのか!

わたしたちのこの世にもってきたものは

火葬場で焼かれる肉体、蛆蟲の餌(えさ)となる骨、

わづかな一握の友と埃(ほこり)だけ。

ああ無にひとしい存在よ、

現象は妖(まよ)はしか虛偽(いつわり)か、

今日(きよう)在って明日(あす)は消え去るもの、

輝かしい色と光りに充されながら、

ただ「時」のなかにうごめく陽炎(かげらう)━━

だが、その「影」にのみ頼る吾ら、

その影をまこと美しとおもひ、

まことの所有と信じあひつつ

それと抱きそれと苦しむ吾ら。

そのなかに湿婆よ、

おまへだけが「時」から「時」へと

無際限の力で生きつづける。

焼け爛(ただ)れた朱色(しゆいろ)に輝く

㮙伽よ、生々の立体よ。

尽くるなき神の戯れの激しさに

湧き立つ溶邇(ヨーニ)の泉は水沫(しぶき)をあげ、

おまへの多手はそこから

死滅しても、死滅しても、

あとから、後から生みいだす

創造の秘密を摑む。

ああ、湿婆よ、おまへだけが有(も)つのだ。

[やぶちゃん注:底本では、この「35」ページは「死滅しても、死滅しても、」から、以下の「あらゆる「影」を、湿婆よ!」までであるが、印刷時にこのページだけが、通常より、三字分下って印刷されてしまっている。版組みの誤りであるから、無視した。

「溶邇(ヨーニ)」「ヨニ」とも。サンスクリット語(ラテン文字転写:yoni)。女性生殖器、また、子宮を指す。]

 

      

 

さらば破壊せよ。

この誤ったに世界を。

湿婆よ、その多手をあげて

破壊せよ、錯誤の一切を。

在るものを、死を、悪を、偽りを、

偏(かたよ)った無益な富を、機構を、

あらゆる「影」を、湿婆よ!

おお、円満の智慧、梵(ブラフマ)よ、

おまへの光りはいまどこにある!

手を携えて躍る毘湿奴(バイシユヌ)よ、

おまへの清明はいまどこにあるか!

雲に蔽はれた月夜(つきよ)、

遠くへわたる空の浮蛾(かげろう)、

その微かな羽搏きの生(いのち)よ、

そのほの明るみよ。

哀れな人間の哀訴と屈從と夢よ、

いたづらな虛(むな)しいものへの憧れよ。

[やぶちゃん注:「梵(ブラフマ)」ブラフマン(ラテン文字転写:Brahman)は、本来は、インドのバラモン教思想で説かれる宇宙の根本原理。もとは『聖典「ベーダ」の言葉』、及び、『それが持つ呪力』を意味した。自己の主体的原理である「アートマン」と対比的にも用いられ、この場合、「ブラフマン」と「アートマン」は合一する(「梵我一如」)とされる。そこから転じて、シバやビシュヌとともに、ヒンドゥー教の最高神。後に、前二者にとって代わられ、仏教に取り入れられて、「梵天」となった(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「毘湿奴(バイシユヌ)」ビシュヌ神(同前:Viṣṇu)。漢訳では「毘瑟笯」「毘紐」などとも表記する。ヒンドゥー教に於いて、破壊の神シバと並ぶ最も有力な神格で、持続の役を負う。元来は太陽神で、「天界を三歩で歩く」と言われ、「愛の神」として、信者に平等に恩恵を与え、クリシュナ・ブッダなど十種の化身を現じて、人類を救済するとされる。ブラフマン(梵天)・シバとともに三神一体をなし、神像では正面にブラフマン、右にビシュヌ、左にシバを配す(同前)。]

 

巧みな蜂の巣の技術よ、文明よ、

空そそる巨石の層楼、

地下這ひめぐる黃金蟲の鉄道、

一瞬に地球を廻る蟋蟀(ばつた)のジエツト機よ、

だが吾らの幸福はそこにはないのだ。

彩織りなす光りと影よ。

去れ、去れ、忌はしい諸々(もろもろ)の影よ、

ただ意味を加へよ、この世界に。

建て直せ一切を!

すべての消え去る映像のあとに!

この世界を、不動の実在にまで!

[やぶちゃん注:「蟋蟀(ばつた)」一般には、この漢字は、広義には、直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科 Grylloideaに属するコオロギ類を指示し、「しつしゆ(しっしゅ)/こほろぎ」と読む。時に「きりぎりす」(直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 Gampsocleidini 族キリギリス属 Gampsocleis で、青森県から岡山県に棲息するとするヒガシキリギリス Gampsocleis mikado 及び、近畿地方から九州地方を棲息域とするニシキリギリス Gampsocleis buergeri の二種に分ける考え方が一般的である)と読む場合もあるが、私は支持出来ない。通常、コオロギを「バッタ」と読むことは、極めて異例であるが、川路はそのようにルビを振っている。古典文学研究では、「蟋蟀」はコオロギであると私は信ずるものである。より詳しくは、私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)」、及び、「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 莎雞(きりぎりす)」の私の注を参照されたい。]

 

われらの所有は誰のものか、

われらの所有を神に還せよ。

すべての人間の生きる

まことに生きる力の源に!

 

火よ、淸淨にして虛無なる、

虛無にしでまことの実在なる

火よ、面(おもて)を輝かして跳る湿婆(しば)よ、

内在の㮙伽(リンガ)よ、破壊の手に、

創造の恍惚に、燃え上(あが)れ、焰よ、焰よ!

                   (一九四七年)

 

 

[やぶちゃん注:「湿婆(シバ)」は底本では、ルビが「しげ」となっている。誤植と断じ、特異的に訂した。

 以下、川路による「あとがき」。]

 

 

    

 前集「無為の設計」を出してから早くも十年近い月日がたつた。この詩集は終戦後にかかれた作品のなかから選まれた二篇である。このあとにかかれたものと、この二篇とは詩の性格が異るので一冊にまとめ難いため、まづ、先きにこの二篇を離して出すことにした。私の今の詩境はむしろこののちの作品にあるのだが、それはなほ推敲中なので他日に発表を待つことにする。

 この二篇は概して言へば私の作品としては浪漫的なものに属する。「波」はかつて戦後に出た或る小雑誌に発表したものだが数年かかつて推敲し、いくたの行を改删した。「火の頌歌」は全く未発表の作であるが創作後これも推敵改删を経て一年前に完成したものである。「波」に現はれた内容の一部はすでに「勝利」「歩む人」等に現はれてゐる生命の神秘観であり、「火の頌歌」はそれを印度教の思想の中に見出した生命根元の礼讃である。「波」と「火の頌歌」は前集に収めた「雲のうた」を加へて私の三部作の形になつた。

 昭和三十一年十二月            著 者

 

[やぶちゃん注:「無為の設計」昭和二二(一九四七)年三月冨岳本社刊の詩集「無爲の設計」。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで、全篇が視認出来る。

『「波」はかつて戦後に出た或る小雑誌に発表したもの』調べたところ、竹井出版発行の雑誌『文藝大學』(二巻二号・昭和二三(一九四八)年二月発行)に掲載されている。

「改删」(かいさく)は「改削」に同じ。語句などを改めたり、除いたりして、文章を直すこと。

「勝利」詩集書名。大正七(一九一八)年曙光詩社刊。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで、原本詩集が視認出来る。

「歩む人」詩集書名。大正一一(一九二二)年大鐙閣刊。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで、原本詩集が視認出来る。

「雲のうた」詩集「無為の設計」巻頭に配された詩。同前で、ここから。]

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥附(カラー)。一行字数を現物と一致させた。]

 

Namiokuzuke

 

   詩集 「波」 五百部 限定版 • 著者 川路柳虹 •

   昭和參拾貳年貳月伍日  •  印刷發行  •  發行所   

   東京都中野區大和町貳七四番他 • 西  東  社

   發賣東京都千代田區神田神保町壹之七十字屋書店

   特製本 • 深澤幸雄・腐蝕鋼駈原画入・頒價壹

   千貳百圓  • 拾部限定 • 不許複製

                 並製頒價壹百貳拾圓

 

2024/05/16

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(28)

 

   裸身に蚊屋の布目の月夜かな 魚 日

 

 灯火を置かぬ場合であらう。月の光が室内にさし込んで、蚊帳に寢てゐる人に及ぶ。裸の上に蚊帳の影が落ちて、布目がはつきり見える、といふのである。夜更らしいしづかな趣が想像される。

 長塚節氏の「鍼の如く」の中に「四日深更、月すさまじく冴えたり」といふ前書があつて、「硝子戶を透して㡡[やぶちゃん注:「かや」。]に月さしぬあはれといひて起きて見にけり」外二首の歌がある。魚日の句はガラス戶のない時代だから、月は戶のひまか、窓からでもさし入るものと思はれるが、長塚氏の歌は月のさす蚊帳かやに重きを置き、魚日の句はその蚊帳に入つてゐる自分の姿が主になつてゐる。歌と句との相異はその邊にもあるのかも知れぬ。

 この句と殆ど同じところを覘つたものに、「手枕や月は布目の蚊屋の中 智月」といふのがある。「手枕」と「裸身」といふこと、「月は布目の蚊屋の中」といひ「蚊屋の布目の月夜かな」といふ表現の上にも、男女の相違は現れてゐるが、時代は智月の方が先んじてゐる。かういふ趣が偶合するのは怪しむに足らぬとしても、布目の月といふことに對する先鞭の功は、智月に歸せなければなるまいと思ふ。

[やぶちゃん注:『長塚節氏の「鍼の如く」の中に「四日深更、月すさまじく冴えたり」といふ前書があつて、「硝子戶を透して㡡[やぶちゃん注:「かや」。]に月さしぬあはれといひて起きて見にけり」外二首の歌がある』「鍼の如く」(しんのごとく)は、長塚節の亡くなる前年大正三(一九一四)年五月から『アラヽギ』に連載され、翌四年一月に及ぶ病床の歌日記である。彼は大正四年二月八日午前十時、九州大学附属病院で喉頭結核で亡くなった。国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二二(一九四七)年に公文館から刊行された歌集「鍼の如く」には、ここに、

   *

    四日深更、月すさまじく冴えたり

硝子戶を透して㡡に月さしぬあはれといひて起きて見にけり

小夜ふけて竊に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ

さやさやに㡡のそよげばゆるやかに月の光はゆれて凉しも

   *

とある。私は大の和歌嫌いだが、長塚節の詠は、昔から好きだった。私も結核性カリエスを幼少期に患った。三十五の若さで亡くなった彼には、シンパシーが生ずるのである。

「手枕や月は布目の蚊屋の中」「智月」は女流蕉門俳人の河合智月(寛永一〇 (一六三三) 年頃~享保三(一七一八)年)。山城国宇佐生まれ。大津の伝馬役兼問屋役であった河合佐右衛門の妻。貞享三(一六八六)年頃、夫に死別して尼となり、弟の蕉門であった乙州を養嗣子とした。蕉門きっての女性俳人として知られ,元禄二(一六八九)年十二月以降、芭蕉を自宅に迎える機会が多く、同四年、東下する芭蕉から「幻住庵記」を形見に贈られている。森川許六は、その作風を「乙州よりまさる」(「俳諧問答」)と評しながらも、「五色の内、ただ一色を染め出だせり」(「青根が峯」)と単調・平板な難点も指摘している(主文は朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。而して、この句は、

   *

 手枕(てまくら)や月は布目(ぬのめ)の蚊屋の中

   *

であるが、「玉藻集」では、

   *

 手枕や月の布目の蚊屋の中

   *

とし、しかも、智月ではなく、園女の作と誤っている。]

 

   おちくぼのさうしめでたや土用干 桃 先

 

 土用干の本の中に「落窪物語」があつたといふだけでは、元祿の句としても單純に過ぎるが、この句には「おちくぼのさうし、大伯母妙貞の娵入道具の一つとかや」といふ前書がついてゐる。前書と相俟つてこの句を見れば、一槪に單純と云ひ去るわけには行かない。

 ここに「落窪物語」の草子がある。その本は大伯母に當る妙貞といふ婦人が、嫁入の時に持つて來たものであるといふ。妙貞は剃髮後の名であらうが、まだ存生であるのか、沒後の話か、この句だけではよくわからない。いづれにしても大伯母である人が嫁入したのだといふのだから、隨分古い話である。作者は土用干の中にこの書を見出して、さういふ由來を思ひ浮べ、今更の如く過ぎ去つた歲月を考へる。すべてが淡々と敍し去つてあるに拘らず、短篇小說でも讀むやうな連想を與へずには置かぬ。句そのものの力より、前書に現れた事實の興味によるのであらう。

 嫁入道具の中に「落窪物語」があつたといふことは、大伯母妙貞の人柄なり、生れた家柄なりを考へさせるものがある。書誌學者ならば、この時代の草子についても必ず說があることと思ふが、吾々は「めでたや」の一語からその體裁を想望するだけで滿足したい。

 

   客人に水汲おとや夏の月 吾 仲

 

 水は有力な夏のもてなしの一である。客人のために水を汲ませる。身體を拭く水か、飮む水か、そこまではわからぬが、汲むのは水道でなしに井戶だから、つめたいことは請合である。中七字が「水汲せたり」となつてゐる本もある。「水汲おとや」とある以上、主人自ら汲むのでなしに、誰かに汲ませてゐるので、特に汲ませると斷るにも及ばぬかと思ふ。けれども「汲せたり」といふ言葉が、單に人をして水を汲ましむるに止らず、汲ませた水をそこへ運んで來るといふ動作を含むとすれば、その點は多少違つて來るが、そこまで連想を働かすのが果して正解であるかどうか、疑問なきを得ない。

 水は目に訴える場合ばかりでなく、耳に訴へる場合にも亦涼味を伴ふ。「音」の一字はこの場合、相當重要な役目をつとめてゐる。

 

   子をうんで猫かろげなり衣がへ 白 雪

 

 お腹の大きかつた猫が子を產んで、身も輕げに見えるといふ事實と、更衣をして自分の身も輕くなつたといふ事實とを取合せたのである。句の表は猫が主になつてゐて、更衣は景物のやうに見えるけれども、猫の身を「かろげ」と觀ずる根本は、更衣をして快適になつた作者の氣分に在る。季節の上からそれが一致することは云ふまでもない。

「子をつれて猫も身がるし……」となつている本もあるが、これだと單に子を產んだといふ事實だけでなしに、その子を連れてそこらを步いてゐるといふ猫の動作が加つて、句の上の景色が多少複雜になつて來る。いづれにしても、さういふ輕快な猫の樣子と、更衣の氣分とを併せて一句の趣としてゐるのである。

 

ブログ2,160,000アクセス突破記念 故藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製)始動 / 表紙・背・扉標題・「内容」(目次)・深沢幸雄画「波」・川路柳虹の詩「波」

[やぶちゃん注:毎日、亡き父の遺品整理に追われている。父は、あまり本を持っていなかった(これは異常な愛書家である私から見てという意味であって、まあ、通常家庭の父親の書籍量としては多い方ではある)。半分はシュールレアリスム関連の芸術書(父は、よく、旅で宿帳を書く際、「職業欄」に『シュールレアリスト』と書くのを常としていた)、後は、戦後直ぐにのめり込んだ反戦運動(父は戦中は愛国少年で、鎌倉最年少の陸軍航空通信特攻隊として、竹竿の先に模擬地雷をつけて、模擬戦車(木製)の下に飛び込む練習に明け暮れた。敗戦後、百八十度、思想転換をし、日本共産党に入党、「うたごえ運動」の一員となっていた)関連の書籍が大半を占める(特異点としては、鮎の「ドブ釣り」(=毛鉤釣り)の事務局長をやっていた関係上、鮎絡みの本が多い)。画家として認めてくれて、終生、私淑した瀧口修造の単行本の半分、みすず書房の『コレクション 瀧口修造』(全十四冊)、青土社の『アンリ・ミショー全集』(全四冊)等も私が買って贈ったものである。恐らく、蔵書の三分の一ほどは、私経由である。そんな中に、父が昭和三十年代に買った本の中に、川路柳虹詩集「波」(昭和三二(一九五七)年二月五日発行・西東社刊・並製・五百部限定版)があるのを、一昨日、見つけた。

 この詩集の発行日は、私が生まれる十日前に当たる。当時、父母は荏柄天神の敷地にあった貸家の二階におり、画家を目指しつつ、有名な鎌倉駅前の知られた鎌倉彫の主人の弟子となっていた。母は、頼朝の墓の横にあった「頼朝茶屋」で女中をしていた。大学一年の時、訪ねてみたところ、まだ、当時の女店主が現役でやっておられ、私が名乗ると、非常に喜ばれて、お茶と団子を出して呉れた。その時、「私が最初に、『あんた、妊娠してるんじゃないの?』と声を掛けたのよ!」とおっしゃったのを、今もよく覚えている。

 詩人で美術評論家でもあった川路柳虹(明治二一(一八八八)年~昭和三四(一九五九)年)については、サイト「ネットミュージアム兵庫文学館」のこちらのページを見られたい。私は、彼の詩集は所持しておらず、二十代の頃、数冊のアンソロジーで読んだに過ぎない。ブログを始めた翌年の二〇〇七年十一月三日に、『僕の非在の玄室の碑銘に。』という前置きを添えて、詩「秋」を電子化しているだけである。この詩集の詩篇も初めて読んだ。

 この詩集「波」刊行時、川路柳虹は満六十八歳で、この出版の翌年、この詩集『波』及び過去の業績により、彼は芸術院賞を受賞している。

 されば、父の供養代わりとして、この詩集を電子化することとする。それ以外に、私の誕生と強い共時性を持っていることも、何か、偶然でないような気がしたからでもある。現行、この詩集(長詩二篇)を電子化したものは、ネット上には見当たらない。

 なお、本書は目次に当たる『内容』の最後に『装幀及び裝置』として、版画家・銅版画家深沢幸雄(大正一三(一九二四)年~平成二九(二〇一七)年)の名が掲げられてある。父の古い書簡や記録の中に、実は、深沢幸雄氏からの手紙や彼の名があるのを確認した。父は私が生まれてしばらくして、鎌倉彫の修行を終え、エッチングを始めている。されば、この前後に深沢氏と知り合って、この詩集も、或いは、川路氏の詩よりも、深沢氏絡みで、購入したものであったのかも知れない。しかし、今回、この詩篇「波」を電子化して玩味してみたところ、その内容が、父の生きざまや、常日頃、語っていた彼の「人生のポリシー」と異様に似ていることを、強く感じたのも事実である。この詩篇には、確かに――父が――いる――のである。

 さて、問題は――この表紙、及び、「内容」の次の次のページの挿絵「波」、詩「波」の次の詩「火の頌歌」の標題ページの下に配された挿絵の三点をどうするか?――であった。無論、深沢氏の著作権は継続している。しかし、当該原本を販売やオークションに出しているものを調べると、例えば、古書店「書肆田髙」のこちらには、本書の特製本(十部限定)版の販売ページ(既に売切)には、表紙の深沢幸雄氏の版画と推定される表紙絵や、「内容」(目次相当)を開いた次の見開き左ページにある、やはり深沢氏の名を印刷明記した版画の画像がある。「メルカリ」のここには、限定私家版(と「帯」にあるが、これは私が所持するものと同じ五百部版)の表紙の写真があり、その六枚目には、上記深沢氏氏名は印刷明記された版画の画像がある。これらが、深沢氏への著作権を払って画像を載せているとは、まず、思われない。使用許諾の断りも一切ない。謂わば、著作権の存続している人物の挿絵等が含まれていても、その書籍を販売する目的で商品画像として、著作権存続物を対象著作権満了書籍の画像の一部込みで示すことには、許容されていると判断される(但し、これには、若干の著作権に於いての疑問が感じられは。する。例えば、萩原朔太郎の「猫町」(リンク先は私の古い横書サイト版)には、素敵な川上澄生(著作権存続)の挿絵があるが、それを一部たりとも画像として出しているネット上の「猫町」は、古書販売の原本表紙の画像しか存在しないからである)。ともかくも、以上の現状から、深沢氏の版画を配した表紙・背・裏表紙(白紙)、「内容」の後に配されている深沢氏明記の挿絵、詩「火の頌歌」の標題ページの下に配された挿絵(Y.Kと読めるサインが右下方にある)を画像で挿入することとした。それは、以下の「内容」の最後に『装幀及び裝置』とあるのが、深沢氏の版画等も総て『裝置』として川路が認識していることが、私が深沢氏の作品を挿入してよいという判断の強い味方になると考えている。則ち、深沢氏の絵は、詩篇を総合芸術的に豊かにするためのものであり、それらの絵も、川路柳虹の本詩集「波」の芸術的「装置」として存在し、川路名義の詩集としてソリッドなモンタージュの一部であると、川路自身が全体を認識しているからである。これは、深沢氏の絵を「不可分な自己の詩集の身体の一部」と捉えていることに他ならないのであって、絵をカットすること自体、川路は敢然として拒否するもの、と私は思うのである。但し、万一、深沢氏の著作権者から指摘があれば、それらの画を、総てブラックで、マスキングして、処理するつもりでは、ある。

 本詩集は、本文は長詩である詩篇「波」と「火の頌歌」の二篇のみで、最後に「あとがき」が載る。戦後の出版であるが、概ね漢字は新字であるが、時に正字が混交している(例えば、「靑」と「青」が混在している。これは川路の原稿は恐らく「靑」のつもりで書いていたが、植字工が、二種あるそれを、区別せずに用いていて、組んでしまった可能性が高いと私は思う)。それらは忠実にUnicodeで可能な範囲で電子化した。歴史的仮名遣と現代仮名遣も混交しており、拗音・促音もなっていたり、なってなかったりする。特に注意して、そのままで載せてある。基本、五月蠅くなるので、特にママ注記は附さない(誤植と考えられるものは別)。また、二字分ダッシュ「――」は、明らかにざっくりと太く黒い「━━」となっているので、罫線文字で、その通りに見えるように処理した。注は、長詩なので、ストイックに選び、連の切れたところに挿入した。

 因みに、このブログ版を奥附まで、総て終わった後(本回と次回で完結させる積りである)には、縦書一括PDF版(ルビ附)を作成する予定でいる。

 なお、この始動は、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体は、その前年の二〇〇五年七月六日)、本ブログが、昨日、夕刻、2,160,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二四年五月十六日 藪野直史】]

 

Namihyousi

 

川 路 柳 虹 詩 集

 

                    東 京 西 東 社

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は表紙。]

 

 

Namise

 

   波        川 路 柳 虹 詩 集

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は背。]

 

 

Namitobira

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は扉。]

 

詩 集

 

 

 

 

 

 

 

Naminaiyou

 

     内  容

 

 波

 

 火の頌歌

 

 あとがき

 

 裝幀及び裝置   深沢 幸雄

 

[やぶちゃん注:画像(モノクローム。これは補正を加えた)は左ページ。目次相当。但し、リーダと漢字ノンブルは略した。]

 

   波

Namihukasawahanga

             深 沢 幸 雄 画

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は左ページ。ケント紙に印刷挿入綴じ込みされてある。左上方の画題「波」、右下方の画家の姓名と「画」は印刷。

 以下、詩篇「波」全篇。]

 

 

      

 

    一

 

ひろびろとした天の星座、

わたしはおまへの何であるかを知らない。

漆黑(しつこく)の塗板(ぬりいた)にちりばめた数かずの宝石、

瞬きながら速くここの海に

光りを曳く星たちよ。

音も立てない波は従順に

星たちの姿を揺さぶりながら

すこしづつ 彼方(かなた)へ、彼方(かなた)へと動いて行く。

夜(よる)の海は靜かに睡る

愛(いと)しい嬰児(あかご)のやうだ。

この世界に棲むあらゆるものの寝息が

いま二すぢの香煙となって

遠いあの天(てん)へと昇る。

[やぶちゃん注:パート標題「」であるが、実は次のパートは「Ⅱ」となっている。しかし、この「」は「Ⅰ」の横組みではなく、漢数字のゴシックの「一」である。無論、川路は原稿には「Ⅰ」と書いたであろうから、これは植字工の誤植で、校正係も気がつかなかったことになるか。川路は最終校正を行っていないはずはないだろうが、余りにあり得ないだけに、うっかり見落とした可能性もあろう。ともかくも、結果して、イタい誤りではある。]

 

しづかに、だが、はっきりと

何か囁いてゐる波よ、

声をひそめて

おまへの語る言葉を 私は聞かう、

波よ、語つておくれ、

吾らの「在る」意味を━━

生きてゐる、動いてゐる

ひと時も休まず、そして

何ごともないやうな

「時」の、「実在」のこころを。

 

天のどこかが裂けて

征矢のやうに流星が堕ちる。

━━(見知らぬ遠い世界の破片が)

だが、この広い海では ただ、

一すぢの光りにすぎない。

蒼ざめて消え去る星よ、

おまへの隕石がどこかで

大きな穴を地球に穿たうと、

この世界はただ安らかに鼾(いびき)を立ててゐる。

夜、ひそかな祭壇、

星座は宛(さなが)ら高い薔薇窻(ローズ)の色硝子、

その光の下で

誰もゐないこの海の大伽藍の

ひつそりとしに内陣に

ただ「声」だけが訪れる。

波よ、おまへの囁いてゐるその響が、

おなじやうなその旋律が、誦経(ずきよう)のやうに、

え知らぬ一つづきの声に聴かれる。

[やぶちゃん注:「薔薇窻(ローズ)」これは、ゴシック教会建築などのファサードにバラの花のような形で作られた円窓。教会の精緻な大きいステンド。グラス(Stained glass)は、英語で別に“Rose window”とも呼ばれる。英文ウィキの「Rose window」を見られたい。]

 

わたしは懺悔をしようと思はぬ、

わたしには罪とか、贖(あがなひ)とかは解(わか)らない。

この広大な海の上では

さういふ小さな名詞などは

どこかに消えてしまふだらう。

人間世界に犯した一人の

罪も、或ひはおのれ孤りの心の

反逆や、過失や、無智も、

どこかに消えて終ふ。

吾らの観念といふ不熟な果実(くだもの)は

この波に浮く小さな泡沫(あわ)にすぎない。

波は秘(ひそ)かなひびきを

すこしづつ高める、

波は星を戴いたまんまで

遠い陸地を目ざしてうごく。

永い「夜」はただ黙つてゐる、

苦しいばかりの吐息を

その胸に匿しながら。

[やぶちゃん注:「孤り」「ひとり」。

「終ふ」「しまふ」。]

 

わたしは眼を閉ぢる、

声にとつて、見えることは迷はしだ。

波よ、夜(よる)のなかで光る波よ、

さながら生きてゐる獣(けもの)のやうに、

おまへの姿はうねりながら

すこしづつ背丈(せたけ)を伸ばし

一(いち)やうな足どりで飜る。

死から不死へ、

不死から死へ、

転生しつづける存在よ、

わたしの閉ぢた眼(まなこ)は

ただ幻影としておまへを記憶する。

もしか不意にわたしが

このままここの海に落ち込んだとしても、

おまへの姿はやつぱり

消えない一つの波だ、実在だ。そして

おまへの歌ふ声だけが

永続をさながらに。

しかし、わたしは不幸にも

ただ「知らう」としてゐるのだ、

おまへのうねりが杜絕えずつづく、その

永達と変化の意味を 在ることの心を、その確かさを。

[やぶちゃん注:「杜絕えず」「とだえず」。]

 

    Ⅱ

 

かずかずの追憶が影絵のやうに

閉ぢたわたしの瞳にうつる━━

晴やかな海、

瑠璃紺の浜辺、

軽装の少年水夫が

猿(ましら)のやうに帆桁にのぼつて、

帆綱を結び、また切る。

傾いた帆は風を胎(はら)んで

船は水沫(しぶき)をあげ、海へ踊り込む。

帆を掲(あ)げた船よ、勇ましい青春よ、

おまへは何の不信ももたずに

晴れやかな風に微笑(ほほえ)んで

ただ動く海を突つ切る。

 

空がいつか曇つて、

海は鈍(にば)み、波は吼える。

ぴしぴしと鞭打つ風のしはぶき、

三角の紙片(かみきれ)を千切(ちぎ)つた

白いたくさんの帽子が光る。

暗い雲の渦卷━━

垂れさがる大きな魔の翼、盛り上る龍巻(たつまき)、

波は激しく身慄ひしながら

憑(つ)かれたもののやうにただ突き進む。

その激しい懐(ふところ)のなかで

揺さぶられてゐる可憐な船よ。

五月から真冬(まふゆ)のどん底に落ちたやうな

悲しさと驚きに漂泊してゐた

わたしの遠い青春!

 

ぼろぼろになつた船が港へ入(はい)る、

港は安らかな老後のやうに

鈍い秋の陽を浴びて平和だ。

波よ、おまへは嵐などまるで忘れて

無口(むくち)な女のやうにしづかに

意味のない調べで岸を吻(な)める。

昨日(きのう)あつたことを、

あのすさまじい現象を

けろりと忘れてゐる不遜な自然よ、

おまへの残虐に傷いた魂と肉体は

玩ばれた怨みを復讐する術(すべ)もなく

ただ疲労にうつけてゐる。

ちぎれた帆綱に光る秋の陽(ひ)、

一切の破滅のあとに残るこの無為。

 

だが、忘れてゐた意識が蘇る。

生きてゐたといふ意識が、

少しでもある生命(いのち)の温みが

わたしの眼を正しい位置に還す。

破れた船を繕ひ、

新しい出発へと、

新しい航海へと、

希望が薄闇のなかで花をひらく。

    *

いのちとは何だ!

生きてゐるものの不可思議よ!

それは与へられたもので

また絕えず作りいだすものだ!

目的も定めず、終焉(をはり)もなく、

自然が休まない時間に在るやうに、

死と欲望のせめぎを乘り越えて

絕えず前へ前へとすすむ

波よ、おまへこそ生命(いのち)だ、

いのち宛らだ!

[やぶちゃん注:「宛ら」「さながら」。前に出た。]

 

激しい突進で岩に砕け、

散つた水沫(みなわ)はまたもとの海へ還る、

不変の精子、永遠の精液、

そして絕えざる情慾に燃えながら、

淸潔な童貞に生きる、

おまへは処女の羞(はじら)ひとと靑年の夢との

組み交はす不所の組識、朽ちざる細胞、

翼のない不死鳥、力の内在する磁極。

波よ、おまへの動きのただ中にあつて、

おまへの解らなさを解かうと

風は絕えず鞭ち羽搏く。

おお、限りない侮蔑よ、限りない残虐!

しかし、その侮蔑は飛沫となつて空(そら)に還る。

おまへはただ怒り、吼え、応(こた)へ、叫喚し、

いつかまた巧みに不明へと逃れる。

[やぶちゃん注:「羞(はじら)ひとと」はママ。後の「と」は衍字。

「組識」ママ。以下の「細胞」から、明らかに「組織」とあるべきところで、イタい誤植である。]

 

ああ、知の聡明も摧ける、だが

撓(た)はんではならない努力よ。

わたしたちの知るこの世界は

ただ現象と経験との場(ば)にすぎない。

そして不断の時間にかかはる

律動と秩序の世界だ。

宇宙をつくるものの内部を

その意味を、価へを、

吾らに知らすものは何もないのか!

在るものの凡てに從順に、

眼かくしされた世界に生きてゐる吾ら!

波よ、私たちはおまへと同じ息のなかで、

高い しとどかない天をのぞみながら

生き、また死ぬのか!

 

自然も営み、産み、働く。

なにものへの奉仕でもない自(みづか)らの為めに!

波よ、あまりに解り切つてゐて

すこしも解らないこの生きてゐることの謎よ!

どんな手探りで摑まうと解けない意味!

「夜」は深まり、苦悩は重(かさ)なる。

おお、星よ、仁愕光る彼方の実往!

ひとり吾らの知りうる境を乗り超えて、

対数表の煩さい数字を乗りこえて、

あの不可知がなんときれいに光る!

 

         Ⅲ

 

摑まう! みづからの腕を。

捉へよう! みづからの脈膊を。

いのちは「知る」ものではなかつた!

生命(いのち)はただ捉へればよいのだ!

おまへの内にあるすべてが

彼処(かしこ)にあるものと同じだと、

捉へたところに万物が生きるのだ!

 

波よ、だがあの向うの島から

もう夜明けが訪れはしないか。

おまへの一向(ひたむき)な步みが

あの岸ヘ、碧の浜辺へと近づくとき!

 

なにものか、大きな鳥がすぎる、

爽眛の空を斜めに

羽搏く翼に朝の嵐を呼んで、

高く、高く、翼は廻旋する━━

さながら一切を征服する身構えに。

ああ荒鷲よ、陸地を離れて、

おまへは大望を果すといふ風(ふう)に、

波を目がけて突進し、下向し、

また高く、雲のなかへと姿消す。

[やぶちゃん注:「爽眛」(さうまい(そうまい))は「夜明け・暁(あかつき)」。「爽」は「明るい」(その場合は「曙」)、「昧」は「暗い」(その場合は「暁」)の意。]

 

自由が勝利を歌ふその翼よ!

おまへの意慾は周囲を顧みず、

意志の悲劇をすこしも知らない。

ただひた向きに行動する征服の力よ!

しかし、波は永遠に低いこの海にあつて、

絕えず步む一つの生きもの。

荒鷲の死屍(しかばね)が山の岩角に曝されても

波は死なない、波はまだ動いている。

波は動いたまま朝を呼ぶ━━

勝利を知らない捷利に醉つて、

おのづからに来る光明を、

おのづからに生む朝(あした)を、

その不断の滑らかな背(そびら)にうけて……

 

もう星々(ほしぼし)の光りがうすれて、

力ない光芒が空から消える、

ああ日々(ひび)の繰返(くりかへ)し━━

だが、夜明(よあけ)はいつ見でも何といふ希望、

そして、なんといふ新しさだ。

私たちの眼の曇りが晴れて

潔(いさぎよ)い砂浜が光りだす。

漂ふ霧の薄い面紗(ブヱル)を透して

おまへは薔薇いろに燃えてくる!

おお、波よ、不死の継続よ、

輝やかなアドニスの瞳に

うつる下界の青空。

或はよみがへる病後の爽やかさ、

また少年の淨らかな情慾よ、勃起よ、

ふたたび味はふ青春の快味よ。

見よ、太陽の矢が無数に

おまへの飜る裸身の背中を突き刺す。

鱶と鰐鮫が ふかい海底から

小気味よく躍り出す。

美に慄ふ眼(まなこ)が、危さを愛するやうに、

輝きのなかに凡てを把握しようとする力よ。

陰影や、罪悪、卑少や、消え失せる無力よ!

みづからの欲求の激しさに身慄ひする

吾れと吾が身に驚く美への志向に、

その瑞(みづ)みづしさに、若さに、

吾ら雄々しく、いつも、裸形(らぎやう)であれ!

[やぶちゃん注:「面紗(ブヱル)」「めんさ・めんしや(めんしゃ)」と読み、女性が顔をおおう薄絹のこと。「ベール」。“veil”は音写すると、「ヴェール」。

「アドニス」(ラテン文字転写:Adonis)はギリシア神話で、女神アフロディテに愛された美青年。狩りでイノシシに突き殺された時、その血からアネモネが、女神の涙からバラが生じたとされる。]

 

朝だ、新しい出発だ、

わたしたちは凡てを新鮮に見るのだ。

わたしの胸にある不可知は子供のやうに、

いま、この光りのなかに眼をあける。

おなじ世界だ、しかし異(ちが)つた朝だ。

永達を造型してゆく、酸素のやうな

いつも新鮮な「時間」よ。

波よ、おまへの言葉は

あの暗闇のなかから拔け出て

ふたたび行動の世界に歌ひ出す!

わたしたちはただ観ることで生きよう!

「観ること」はやがて「創り出す」ことだ!

おまへといつしよに思考をいつも

新しく原始から始めよう!

それは激しい「継続」なのだ、常に、

生きまた死につつ始るのだ!

波よ、おまへのしとやかな步調に、

高まりどよもすりズムに、

わたしも裸身となって

この爽やかな朝の嵐に立たう!

波よ 不断の浪よ 永続の波よ、

破壞の波よ 力の波よ。

石のやうな建設を企てず、

流動のうちに創りいだす波よ、

轟きわたる勝利を 霊(たましひ)の電波を

潮(うしほ)となっておなじ響に、また言葉に、

世界のあらゆる果まで呼びかける波よ、

永劫回帰の波よ 波よ 波よ 波よ 波よ!

                 (一九四七年)

[やぶちゃん注:「りズム」はママ。誤植。]

2024/05/15

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(27)

 

   陣貝の聲のつよさや雲の峯 十 丈

 

「陣貝[やぶちゃん注:「ぢんがひ」。]」といふのは陣中で吹く貝のことである。貝の音にも種々の區別があるのは、今の喇叭と同じであらう。實際の戰陣で貝を鳴らす場合を、空想的に描いたとしても惡くはないが、元祿の句のことだから、やはり實感と見るべく、從つて演習的の陣貝と思はれる。

 雲の峯は山の如く夏日の天に聳そびえ立つものだけあつて、時に或音響が配合される。明治の句にも、「突き當る鐘の響や雲の峯」「雲の峯に響きてかへる午砲かな」などといふのがあつた。この陣貝の音は必ずしも雲の峯に當つて反響する、といふ風に解さなくてもいゝ、雲の峯の强い感じと、陣貝の音の强い感じとが、配合の上に或調和を得てゐるまでである。

[やぶちゃん注:「陣貝」は言うまでもなく、腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目フジツガイ科ホラガイ属ホラガイ Charonia tritonis である。私のものは、いろいろあるが、ここは、ヴィジュアルから、『毛利梅園「梅園介譜」 梭尾螺(ホラガイ)』をリンクさせておく。

「突き當る鐘の響や雲の峯」作者不詳。「當る」は「あてる」であろう。

「雲の峯に響きてかへる午砲かな」高濱虛子の句。大正元(一九一三)年八月の森鷗外宛書簡に載る。この「午砲」は明治天皇崩御のそれである。]

 

   すゞしさや月ひるがへすぬり團扇 祐 甫

 

 月下に涼んでゐる場合であらう。灯火などは傍に無いので、月光を受けた塗團扇が涼しく光る。團扇をひるがへす度に、一面に受けた月の光もひるがへるやうに感ずる。「月ひるがへす」といふ言葉は際どくもあり、多少誇張を免れぬが、或感じは慥に捉へてゐるよやうである。

 昔の通人は屋根船を綾瀨川まで漕ぎ上せて、月下の水に向つて開いた銀扇を投げる。地紙の銀泥が月光を受けて、きらきら光りながら水に落ちるのを興じたものだといふ。たゞ月に對するのみで滿足せず、月光のうつるのを賞翫するすさびらしい。月光を受けた塗團扇は銀扇ほど美しくはないが、月を受けて光る點だけは普通の團扇と違ふ。作者はそこに興味を持つたのであらう。

 尤も團扇は古來月のまどかなるに譬へとえられてゐる。團扇をひるがへすのを月に見立てたのだ、といふ解釋も成立たぬことはない。併しそれでは肝腎の塗團扇といふことが格別利かぬやうに思ふ。やはり前解に從つて置きたい。

 

   李盛る見世のほこりの暑かな 万 乎

 

 果物といふものは何れかと云へば涼しい感じを伴ふやうである。併し果物にもより、又場所の關係もあるから、いつでも必ず涼しさを連想させるとは限らない。店先に李が堆く盛上げてあつて、それに埃がかゝつてゐるなどといふのは、どうしても涼を呼ぶ趣ではない。暑い方の感じであらう。作者はそれを率直に描いたのである。

 芥川龍之介氏の句に「漢口」といふ前書で「一籃の暑さてりけり巴旦杏」といふのがある。この暑さは巴旦杏の色を主にしたのかも知れない。併しこの一籃の巴旦杏を前にして、漢口の市街を想像すると、むつとするやうな暑さと、大陸の埃とが無限にひろがつて來るやうな氣がする。卽ち感じの上において、どこかこの句と相通ずるものがある。

[やぶちゃん注:芥川龍之介の句は、私の『芥川龍之介 手帳7 (24) 中国旅行最後の記録 / 中国関連「手帳6・7」全注釈~完遂』を見られたい。]

2024/05/14

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(26)

 

   五月雨や夕日しばらく雲のやれ 魯 九

 

 長い五月雨の間の或狀態を句にしたのである。來る日も來る日も五月雨[やぶちゃん注:「さみだれ」。]で、鬱陶しい限りではあるが、朝から晚まで全く降り通すわけではない。時明[やぶちゃん注:「ときあかり」。]といふやつで、今にも晴れさうな氣配を見せることがある。夕方などは殊に天末[やぶちゃん注:「てんばつ」。]が明るくなつて、雲の間から夕日の光がほのめいたりする。併しそのまゝ日が暮れると、相變らずの五月雨になるのである。

 沼波瓊音氏の句であつたか、「入日雲見えしもしばし皐月雨[やぶちゃん注:「さつきあめ」。]」といふのがあつたと記憶する。晴れさうになつて晴れぬ狀態は、この「しばし」といひ「しばらく」といふ語に盡きるやうに思ふ。眞の梅雨晴でないことも亦この語がよく現してゐる。かういふ自然の現象には、古今の相違があるべくもない。

[やぶちゃん注:「入日雲見えしもしばし皐月雨」正しく沼波瓊音の句である。国立国会図書館デジタルコレクションの『瓊音全集』第四巻 (和歌俳句篇)(出版者不明・出版年不明)のここで確認出来た。大正四(一九一五)年六月の作句である。但し、そこでは、

   *

 入日雲見えしも暫し皐月雨

   *

の表記となっている。]

 

   卯の花やむかひから來る火のあかり 林 紅

 

 この卯の花は路傍にでも咲いてゐるのであらう。卯の花の白々と目立つ闇の道を、向うから誰か來る灯が見える、といふだけのことらしい。

 若しこの「むかひ」が向ひ家の略で、今云ふ「おむかう」などといふのに當るとなると、前の解釋は全然違つて來る。庭の垣根か何かに卯の花があつて、それに向ひ家の灯がさすものとすれば、それも亦一の趣たるを失はぬけれども、この場合の「來る」といふ語には、どうしても或動きがある。たゞ灯がさすものとは受取れない。

 尤も前の解釋にしても、單に灯が向うから來るだけでなしに、その灯の明りが卯の花にさすことを認むべきであらう。夜目にもしるき卯の花だけでは、「あかり」といふのがあまり利かぬ虞がある。

[やぶちゃん注:宵曲の後者の解釈は、私の埒外であり、不要である。]

 

   手拭も動く小風やしゆろの花 呂 風

 

 手拭懸の手拭が動く程度であるから、大した風ではない。作者はそれを「小風」といふ語で現した。漢語を用ゐれば微風といふところであらう。さういふ纖細な景色に對して、一方にはどつしりした椶櫚の花を點じてゐる。この句の妙味は慥にさういふコントラストに在るが、同時にあまり風もない、よく晴れた初夏の庭前の樣子が描かれてゐることも、固より見遁すことは出來ぬ。

 

   わか竹に麥のほこりや日の盛 吏 全

 

 季題本位の人たちにこんな句を見せたら、何に分類していゝかわからぬと云ふであらう。若竹、麥埃、日盛と三つも季題が含まれているからである。併し自然は季題のために存在するものでない。時として他の季節の風物と交錯することさへあるのだから、同じ季節のものが重なる位は怪しむに足らぬ。自然の上に立つて見れば、立派に存在する光景なのである。

 初々しい[やぶちゃん注:「うひうひしい」。]若竹の綠に、どこからか麥を打つ埃が飛んで來る。明るい日のかんかん照りつける日中の趣である。若竹も麥打も初夏の風物であるが、「日の盛」といふ言葉は普通には盛夏の場合に用ゐられてゐるかと思ふ。その點或は季題論者から文句が出るかも知れぬ。併し「日の盛」を日中若しくは眞晝間の意とすれば、この光景は一幅の畫として通用する。已に二つまで季語がある以上、さう「日の盛」に拘泥する必要はあるまいと思ふ。

[やぶちゃん注:私は俳句では無季語を支持する人間である。何故か? 簡単だ。かの松尾芭蕉は「季の詞(ことば)ならざるものはなし。」と考えていたと私は信ずるからである。季語に汲々と拘る中で、名句は遂に自然を離れた人工の捩じれたものになると、心底思っている人種だからである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 奇楠

 

Kyara_20240514150501

 

きやら  奇南 琪楠

     奇藍

奇楠 伽羅【今專稱之也】

     伽羅者梵語阿

     伽嚧香之畧乎

本草彙言曰奇南香原屬沉香同類因樹分牝牡則陰陽

形質臭味情性各各差別其沉香爲牝【陰也味苦】陰體而陽用

奇南爲牡【陽也味辛】

陳眉公秘笈云奇南出於占城在一山首長禁民不得𥞪

取犯者斷其手彼亦貴重

△按伽罹乃香木至寳者和漢同貴之然本草綱目不詳

 辨之何耶葢深《✕→沉》水香中撰出之換名稱奇楠奇藍等乎

 【楠藍字義不可拘分牝牡亦不然沉水香卽奇楠也】萬安沈香一片價萬錢者則

 可知古者伽羅與沉香不別也其出𠙚亦與沈香同交

 趾暹羅占城也凡伽羅脂潤柔靭味微辛者佳也不潤

 或帶白色味微甘者不佳伹其香氣美悪以言不可論

 耳大抵交趾之產最上暹羅者次之占城又次之和州

 東大寺名香有二種一名黃熟香【俗云蘭奢待有重三貫三百目】一名

 大紅塵【有重四貫六百目云】天竺漸名香鮮殊大者希也

 

   *

 

きやら  奇南 琪楠《きなん》

     奇藍

奇楠 伽羅《きやら》【今、專ら、之れを稱すなり。】

     「伽羅」とは、梵語なり。

     「阿伽嚧香《アカロかう》」の畧か。

「本草彙言《ほんざうゐげん》」に曰はく、『奇南香(きやら《かう》)は、原(もと)、「沉香」の同類に屬す。樹に因つて、牝《めす》・牡《をす》を分《わか》ち、則ち、陰・陽、形質・臭味・情性、各各《おのおの》の差別あり。其れ、「沉香」は、牝と爲《な》す【陰なり。味、苦。】。陰の體《たい》にして陽の用なり。「奇南」、牡と爲す【陽なり。味、辛。】。』≪と≫。

陳眉公≪の≫「秘笈《ひきふ》」に云はく、『「奇南」は、占城《チヤンパ》より出づ。一山《いつさん》、首長、在りて、民に禁じ、𥞪《み》[やぶちゃん注:「實」に同じ。]を取ること、得ず。犯す者は、其の手を斷《き》る。彼《か》の地にも[やぶちゃん字注:「地」は訓点にある。]、亦、貴-重(たか)し。

△按ずるに、「伽羅」の香木の至寳なる者、和漢、同じく、之れを貴とす。然《しか》るに、「本草綱目」に、詳かに、之れを辨ぜざるは、何ぞや。葢し、「沉水香」の中《うち》、之れを撰出《えらびいだし》、名を換(か)へて「奇楠」・「奇藍」等と稱するか【「楠」・「藍」の字義に拘るべからず。牝・牡を分≪わかつ≫、亦、然らず。「沉水香」、卽ち、「奇楠」なり。】萬安の「沈香」、一片、價(あたひ)、萬錢と云ふ時は[やぶちゃん字注:「云」と「時」は訓点にある。]、則ち、知るべし。古者(いにしへ)は、「伽羅」と「沉香」、別(わか)たざるなり。其の出𠙚も亦、「沈香」と同じく、交趾《カウチ》・暹羅《シヤム》・占城《チヤンパン[やぶちゃん字注:ママ。]》なり。凡そ、「伽羅」は、脂《あぶら》、潤ひ、柔-靭(しなへ)にして、味、微辛の者、佳なり。潤≪はず≫、或ひは、白色を帶びて、味、微甘の者、佳ならず。伹し、其の香氣の美悪《よしあし》、言《げん》を以つて、論ずべからざるのみ。大抵、交趾の產、最上なり。暹羅の者、之れに次ぐ。占城、又、之れに次ぐ。和州、東大寺に、名香、二種、有り。一つは、「黃熟香」と名づく【俗に「蘭奢待(らん《じやたい》)」と云ふ。重さ、三貫三百目、有り。】。一つは、「大紅塵」と名づく【重さ、四貫六百目、有りと云ふ。】。天竺にも、漸(ぜんぜん)に、名香、鮮(すくな)く、殊に大なる者、希《まれ》なり。

 

[やぶちゃん注:この「奇楠」「奇南」は、先に出た「伽羅木」とは全く違う、熱帯アジア原産の、

ジンチョウゲ科ジンコウ属ジンコウ Aquilaria agallocha

であるので、注意が必要であるが、良安が特異的に「本草綱目」を批判して、疑問を提示している(これは私が電子化注した水族の部や他の動物類等では、まず見られないことである。これは、良安が医師であり、漢方生薬について、特に植物基原のものには、同寺の一家言があるからに他ならない)通り、これは、実は、前の「沈香」と同一種である。従って、そちらの私の注を見られたい。また、小学館「日本国語大辞典」の「きやら」(伽羅)を引くと、『沈香の優良品』で、『香木中の至宝とされる』とある。

「阿伽嚧香《アカロかう》」小学館「デジタル大辞泉」の「伽羅」の冒頭にサンスクリット語「kālāguru」の音写「伽羅阿伽嚧」の略。また、「tagara」の音写「多伽羅」の略ともする、とあった。東洋文庫訳では、「伽」に右訂正傍注で『(迦)』としてあるが、わけ判らんちんやで?

「本草彙言」明の倪朱謨(げいしゅばく)の撰になる本草書。全二十巻であるが、現存は十五巻のみ。順治二 (一六四五)年の序がある。国立国会図書館の「次世代デジタルライブラリー」で検索したところ、ここが当該部である(マーキングがある)。まさに「沈香」の一節である。

『陳眉公≪の≫「秘笈《ひきふ》」』は『尚白斎鐫(せん)陳眉公訂正秘笈』で、これは、明の陳繼儒の撰になる叢書の名。

「占城《チヤンパ》」既出既注だが、再掲しておくと、現在のベトナム中部に存在したチャム族の国家。中文の「抖音百科」の「占城」の地図を参照されたい。

「交趾《カウチ》」既出既注だが、再掲しておく。コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。

「暹羅《シヤム》」既出既注だが、再掲しておく。タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死後にすべきものである。

『和州、東大寺に、名香、二種、有り。一つは、「黃熟香」と名づく【俗に「蘭奢待(らん《じやたい》)」と云ふ。重さ、三貫三百目、有り。】。一つは、「大紅塵」と名づく【重さ、四貫六百目、有りと云ふ。】』既出既注。当該ウィキを参照されたい。]

2024/05/13

今日ガラからスマホに変えた

今日ガラからスマホ(Galaxy S24)に変えた。
もともと、連れ合いが亡き母に十三年前に渡した子機であった。
正直、んなモン、いらへんで。俺(あれ)には、な――

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(25)

 

   子規鯉の子うみにのぼる時 水 颯

 

 この句に於けるほとゝぎすは、現在啼いてゐるものと見ないでもよろしい。ほとゝぎすの啼く頃といふ、漠然たる季節の感じである。ほとゝぎすが屢〻啼き渡る頃になると、水中の鯉も子を產む爲に上つて行く、といふ事實を敍したのであらう。一句に纏められて見ると、そこに自然な面白味が感ぜられる。

 蘇東坡の詩に「竹外桃花三兩枝。春江水暖鴨先知。蔞嵩滿岸蘆芽短。正是河豚欲上時」といふのがあつた。季節による魚族の動きは、江邊垂釣[やぶちゃん注:「かうてうすいてう」。]の客の關心事であるばかりではない。自然を愛する詩人に取つても亦好個の題目でなければならぬ。さすがに俳人は傳統的なほとゝぎす以外に、かういふ消息を解してゐる。

[やぶちゃん注:蘇東坡の詩のそれは、以下。但し、三句目の「岸」は「地」が稿としては圧倒的。

   *

   惠崇春江曉景

竹外桃花三兩枝

春江水暖鴨先知

蔞嵩滿岸蘆芽短

正是河豚欲上時

    惠崇(ゑすう)の「春江曉景(しゆんかうげうけい)」

 竹外の桃花(たうくわ) 三兩枝(さいりやうし)

 春江 水(みづ)暖かにして 鴨(かも) 先づ知る

 蔞嵩(ろうかう) 地に滿ちて 蘆芽(ろが) 短し

 正(まさ)に是れ 河豚(ふぐ)の 上(のぼ)らんと欲する時

   *

而して、所持する岩波文庫の小川環樹・山本和義選訳「蘇東坡詩選」(一九七五年刊)や、中文の「Baidu百科」の「惠崇」他に拠れば、「惠崇春江曉景二首」の「其一」である。北宋の神宗の治世の元豊八(一〇八五)年十二月、開封(かいほう:現在の河南省開封市:グーグル・マップ・データ)の官にあった折りの作で、惠崇(九六五年~一〇一七年)は宋初の僧で建陽(現在の福建省三明市建寧県:グーグル・マップ・データ)の出身で詩と絵画に優れ、特に雁・鷺・鵝鳥などの題に長じ、詩人としては五言律詩を得意とし、仄めかしを避け、白を基調とした描写を好み、欧陽秀らから、高く評価されている。蘇軾この詩は古くから著名である。「蘇東坡詩選」には『「春江暁景」は画題』で、『暁を晩に作るテキストもあるが、宋本に従』ったとあり、『詩に首は題画詩であって、実景を詠じたものではない』とある。この「蔞嵩」は双子葉植物綱キク亜綱キク目キク科ヨモギ属 Artemisia の一種であるが、日本の諸注の指示する「オオヨモギ」(=「エゾヨモギ」・「ヤマヨモギ」)Artemisia montana は本邦以外では千島列島の分布で、ある記載にはヨモギ属シロヨモギ Artemisia stelleriana を挙げているが、これもオホーツク海沿岸以北の分布であり、ちょっと首を傾げる。なお、「蘇東坡詩選」の注では、『やまよもぎ。食用になる菊科の植物で、その浸し物は河豚(ふぐ)の毒を消すと言う』とあるから、やはり国外の北方から齎された前二者の孰れか、或いは、両種なのだろうか? 「蘆芽」アシの芽。「蘇東坡詩選」の注には、『これもスープにすれば解毒の効ありとされた』とあり、注の最後には、『河豚「春江晩景」に描かれてあったわけではなく、その画から連想されたのである』とある。「河豚」ここに出る種は海域から淡水へ回遊する十数種のみ知られる淡水に適応したフグである、この場合は、フグ目フグ科メフグ Takifugu obscurus を挙げておいてよかろう。「市立しものせき水族館 海響館」公式サイト内の「メフグ」に、『東シナ海、南シナ海にすんで』おり、『中国や朝鮮半島の河川でもみられ』、『主に海水で生活しており、成長し繁殖時期を迎えると』、『河川へ上っていくため、海水と淡水両方での飼育が可能で』、『食用としては日本ではあまり馴染みが』ないものの、『韓国では美味なフグとして食べられてい』とある。]

2024/05/12

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(11)

○大便、けつする[やぶちゃん注:「結する」。便秘すること。古くは「祕結」と言ったのである。]とき。

 野に自然と生じたる黃菊のはなをとりて、「らんびき」にて、そのあぶらを、とりおきたるを、一しづく、なむれば、心よく通ず。

[やぶちゃん注:「らんびき」「譚海 卷之一 同國の船洋中を渡るに水桶をたくはへざる事幷刄物をろくろにて硏事」の私の「らんびき」の注を参照されたい。]

 

○又、一方。

 木瓜(きうり)を、みそしるに、にて、くふときは、ひけつ、きはめて、通ずるなり。「きうり」を陰ぼしにして、たくはへおき、冬も用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「木瓜」ここは胡瓜(きゅうり)のこと。]

 

○又、一方。

 肉蓯蓉(にくじゆよう)三兩を、酒、三わんに、いれて、一わんに、せんじつめて、飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「肉蓯蓉」シソ目ハマウツボ科ホンオニク属ホンオニク Cistanche salsa の肉質茎を乾燥した生薬。中国内陸部から内蒙古・中央アジアの乾燥地に分布する。本邦には植生しない。当該ウィキによれば、『滋養強壮作用を有する生薬として用いられる。ニクジュヨウは黒褐色で甘い香りがする。ニクジュヨウの主な有効成分はフェニルプロパノイド配糖体やモノテルペンである』とある。多分、知らないというお方が多いだろうが、結構、それを用いたものを日本人は飲んでいる。『ニクジュヨウは、薬用酒である養命酒(養命酒製造)、遼伝来福酒(薩州濵田屋』・『プラントテクノロジー』『)、生薬配合の滋養強壮剤であるゼナ(大正製薬)、ナンパオ(田辺三菱製薬)、ユンケル黄帝ゴールド(佐藤製薬)、ユースゲンキング(エスエス製薬)などに配合されている』とあるからである。]

 

○又、一方。

 滑石(かつせき)を「めしつぶ」にて、ねり、かみ[やぶちゃん注:「紙」。]へ、つけ、臍より、一寸したへ、はるべし。

[やぶちゃん注:「滑石」(かっせき)は、珪酸塩鉱物の一種で、フィロケイ酸塩鉱物(Phyllosilicates)に分類される鉱物、或いは、この鉱物を主成分とする岩石の名称。世界的には「タルク(talc:英語)」のほか、「ステアタイト」(Steatite:凍石)・「ソープストーン」(Soapstone:石鹸石)・「フレンチ・チョーク」(French chalk)・「ラバ」(Lava:原義は「溶岩」。本鉱石は変成岩である)とも呼ばれる。Mg3Si4O10OH2。水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種(当該ウィキ他に拠った)。]

 

○又、一方。「三黃湯(さんわうたう)」と云(いふ)。

 黃連(わうれん)・大黃(だいわう)・黃苓(わうごん)、右、三味、目方、各、等分。

 右、三味、「粉ぐすり」なりと、「せん藥」にしてなりとも、ふくすべし。たゞし、少(すこし)づつ、用(もちゆ)べし。おほくもちゆるときは、くだりすぎて、なんぎする也。

[やぶちゃん注:「三黃湯」サイト「Kracie」のここに載る「漢方三黄瀉心湯」。但し、そこに「成分」として『ダイオウ1.0g、オウゴン・オウレン各0.5gより抽出』とあり、全等分ではない。解説に、『「三黄瀉心湯」は、漢方の古典といわれる中国の医書『金匱要略[キンキヨウリャク]』に収載されている薬方で』、『比較的体力があり、のぼせ気味で、顔面紅潮し、精神不安や便秘などの傾向のある方の高血圧の随伴症状(のぼせ、肩こり、耳なり、頭重、不眠、不安)、鼻血、痔出血、便秘』(☜)、『更年期障害、血の道症に効果があ』るとある。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(24)

 

   蚊屋つるに又ふまへけり鋏筥 流 志

 

「旅行獨吟」といふ前書がある。金屬の鋏といふ字が書いてあるが、普通の挾箱、卽ち箱に棒を添へ、衣服などを納れて僕に擔はせて行くものの意であらう。金扁に拘泥して鋏を入れる筥ではないかなどと考へるのは、少々思ひ過[やぶちゃん注:「すごし」。]である。

 蚊帳を釣るに當つて釣手が高いため、何か踏臺になるものはないかと思つて物色した結果、挾箱を利用することにした。或旅宿でかういふ經驗を得たら、暫くして又同樣のことを繰返す機會に逢著した。「又」の一語によつて、その旅行の何日か續いたこともわかれば、同じ旅中に何度か挾箱を蹈臺にしたことも窺はれる。

 一種の簡易生活であるが、その簡易も旅中より生れたものであることに注意しなければならぬ。「旅行獨吟」の前書が無いと、その點を看過する虞がある。

 

   夏立たつや明障子の朝みどり 左 次

 

「明り障子」といふのは、或特別な障子を指す場合もあるらしいが、普通は今いふ障子のことである。ガラス障子といふやうな、更に明るいものの出現した今日から見れば、紙障子を「明り障子」と號するのは、いさゝか僣越の沙汰であらう。しかしこれが明り障子として通用するためには、一方に明るくない障子のあつた時代を顧みなければならぬ。障子と云へば子供が指で破るものときめてかゝる時代になつては、却つて「明り」の語が何か特別のものの如く考へられる虞もあるからである。

 晴れ渡つた朝空の色か、新綠の庭木の色か、或は兩者合體した色でも差支無い。紙の障子に外面からさういふ色がさすといふ、如何にも初夏の朝らしい爽快な感じである。「朝みどり」の語はこのまゝ朝と解すべく、淺綠の意味もあるなどといふ穿鑿はしない方がいゝ。

 

   ほとゝぎす啼や子共こどものかけて來る 紫 道

 

 この二つの事柄には元來關連はないのである。ほとゝぎすが啼く、向うから子供が駈けて來る、といふことを取合せたので、今ほとゝぎすが啼いたからと云つて、誰かに知らせに來たわけではない。たゞ關連のない二つの事柄をかうやつて一句に收めて見ると、必ずしも離れ離れのものとも思はれぬ。ほとゝぎすの倏忽な感じと、子供が駈けて來る動作との間に、自ら相通ずるものがあるのである。

 この駈けて來る子供の姿は、やはり見えていた方がいゝ。その點から云つて、この句は眞晝間でないにしても、とにかく夜でない、明るい間のほとゝぎすであらうと思ふ。

[やぶちゃん注:これは聴視覚とモンタージュの勝利だ! 私は好き!

「紫道」坂本朱拙(承応二(一六五三)年~享保一八(一七三三)年:豊後生まれ。医を業とした。当初、中村西国に談林風を学んだが、元禄八()年に来遊した広瀬惟然の影響で蕉風に転じた。九州蕉門の先駆者。号に守拙・四方郎(よもろ)などがる)の門人。]

 

   葉のふとる一夜々々や煙艸苗 釣 壺

 

 畠に作つた煙草でもいゝが、昔のことだから、庭の隅か何かに生えた苗と見ても差支無い。ぐんぐん伸びる煙草苗が、一晚每に目に見えて大きくなる。葉の大きい、丈の高くなる植物だけに、その育ち方も著しく感ぜられるのである。平凡なやうであるが、煙草苗といふことは動かし難い。

 

   見世掃て一人居るや更衣 助 然

 

「居る」は「オル」ではない、「スワル」とよむのである。鷗外博士の小說には坐すといふ場合に、「据わる」と書いてあつたやうに思ふ。「スワル」といふ言葉から考へると、さう書く方が正しいのかも知れぬ。今の人には手扁があつた方がわかりいゝが、感じから云へば「居る」の方が適切なやうでもある。

 あまり大きな店ではなささうである。自分で掃除をして、綺麗になつた店の中に一人で坐つて見る。丁度冬の衣を脫いで、輕い袷に著更へた爽快な時節である。自ら滿足したやうな氣分が窺はれる。この場合「一人居る」者はどこまでも作者自身――卽ちこの句に於ける主人公で、他人が坐つてゐるのを傍觀したのでは面白くない。

[やぶちゃん注:「青空文庫全文検索」で「据わる 鴎外」(この「鴎」は気持ち悪い。鷗外自身も苦虫を潰す)のフレーズ検索で、純粋な小説では「鷄」・「蛇」・「雁」・「半日」・「獨身」等が出る。冒頭に本書が出るのは、御愛嬌。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香

 

Jinkou

 

ちんかう   沈水香 𮔉香

       阿迦爐香【梵書】

沉香

 

チン ヒヤン

[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]

 

本綱沈香出天竺諸國其木似白楊葉如冬靑而小皮青

色經冬不凋夏生花白而圓秋結實似檳榔大如桑椹紫

而味辛其積年老木根外皮幹俱朽爛木心與枝節不壞

堅黑沉水者卽沈香也 半沈者爲棧香【與水靣平者爲雞骨】

不沈者爲黃熟香【其根節輕而大者爲馬蹄香倭謂沈之榾最下也挽爲燒香】

[やぶちゃん注:この段落の割注の後半、「倭謂沈之榾最下也挽爲燒香」の部分は、「本草綱目」には存在しないので、変則的に良安が追加したものと私は推定する。

膏脉凝結自朽出者曰熟結 刀斧伐仆膏脉結聚者曰

生結 因水朽而結者曰脫落 因蠧𨻶而結者曰蟲漏

 堅黑者爲上黃色者次之 角沈【黒潤】黃沈【黃潤】蠟沈【柔靭】革沈【紋橫】皆不枯如觜角硬重沈于水下者爲上

海南沈香冠絕天下【萬安黎母山東峒謂海南】一片萬錢也占城之

 沈香不若眞臘不若海南

沈香【辛徵温】 治心腹痛益精壯陽暖腰𦡀補右腎命門補

 脾胃止吐瀉冷氣治大腸虛閉小便氣淋

[やぶちゃん注:以下の「聖皇本紀云……」は良安の補足である。

聖皇本紀云推古天皇三年異木寄淡路以代薪其香妙

絕也異之而獻大二圍長一丈餘太子曰是沈水香也此

木名梅檀香天竺國多出𠙚南天竺南海岸夏月諸蛇相

繞此木清冷故也人以矢射冬月蛇蟄卽斫採之沈水久

者爲沈水香不久者號爲淺香

△按沈香交趾之產脂潤柔靭而重爲最上暹羅之產色

 似鶉彪而香亦佳次之太泥之產木理相透狀色美而

 其香不佳占城之產白黑襍似鶉彪而香不佳也近年

 中華之舩亦少將來之

 

   *

 

ちんかう   沈水香《ぢんすいかう》 𮔉香

       阿迦爐香《アカロかう》【「梵書」。】

沉香

 

チン ヒヤン

[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]

 

「本綱」に曰はく、『沈香、天竺諸國より出づ。其の木、白-楊(やなぎ)に似て、葉は、冬-靑(まさき)のごとくして、小なり。皮、青色。冬、經て、凋《しぼ》まず。夏、花を生じ、白くして、圓《まどか》なり。秋、實を結ぶ。檳榔《びんらう》に似て、大いさ、桑椹《さうじん》のごとし。紫にして、味、辛し。其れ、積年の老木の根・外皮・幹(ゑだ[やぶちゃん注:ママ。])俱《とも》に、朽爛《くちただ》る≪るも≫、木の心《しん》、枝・節、與(とも)に壞《くゑ》ず。堅く黑≪くして≫、水に沉む者、卽ち、沈香也。』≪と≫。 『半ば沈む者、「棧香《さんかう》」と爲《な》す【水靣と平≪たひら≫なる者、「雞骨」と爲す。】。』≪と≫。

『沈まざる者、「黃熟香」と爲す』≪と≫【『其の根・節、輕くして大≪なる≫者、「馬蹄香」と爲す。』】≪と≫。【倭《わ》に「沈《ちん》の榾《ほだ》」と謂ふは、最下なり。挽《き》きて、燒香《しやうかう》と爲す。】。

[やぶちゃん注:この段落の割注の後半、「倭《わ》に「沈《ちん》の榾《ほだ》」と謂ふは、最下なり。挽《き》きて、燒香《しやうかう》と爲す。」の部分は、「本草綱目」には存在しないので、変則的に良安が追加したものと私は推定する。

『膏脉《かうみやく》[やぶちゃん注:樹脂。]、凝結し、自(を《のづから》[やぶちゃん注:「を」はママ。])朽≪ち≫出《いづ》る者、「熟結」と曰ふ。』≪と≫。 『刀斧《たうふ》にて、伐り仆ふして、膏脉、結聚《けつじゆ》する者を「生結」と曰ふ。』≪と≫。 『水に因《よ》りて朽ちて結する者を「脫落」と曰ふ。』≪と≫。 『蠧《きくひむし》≪の≫𨻶《すき》に因りて、結する者を「蟲漏《ちゆうろう》」と曰ふ。堅く黑き者、上と爲し、黃色なる者、之れに次ぐ。 「角沈」【は黒潤。】・「黃沈」【は黃潤。】・「蠟沈」【は柔靭(しなへ)。】・「革沈」【は紋、橫。】、皆、枯れずして、觜《くちばし》・角《つの》のごとくして、硬重《かたくおもく》≪して≫、水≪の≫下に沈む者、上と爲す。』≪と≫。

[やぶちゃん注:以上の割注の頭の「は」は、訓点としては、特異的であるが、底本に『』と総てに振られている。

『海南の沈香、天下に冠絕《かんぜつ》す【萬安《ばんあん》の黎母山《れいぼざん》の東≪の≫峒《ほら》、「海南」と謂ふ。】一片、萬錢なり。占城《チヤンパ》の沈香、眞臘《シンラフ》に若《し》かず、≪眞臘の者、≫海南に若かず。』≪と≫。

『沈香【辛、微温。】 心腹痛を治す。精を益し、陽を壯《さかん》にし、腰・𦡀《ひざ》を暖め、右腎の命門《めいもん》を補ふ。脾胃を補ひ、吐瀉・冷氣を止め、大腸≪の≫虛閉・小便≪の≫氣淋を治す。』≪と≫。[やぶちゃん注:以下の「聖皇本紀云……」は良安の補足である。

「聖皇本紀」に云はく、『推古天皇三年[やぶちゃん注:五九五年。]、異木、淡路に寄る。以つて、薪《たきぎ》に代《か》≪ふに≫、其の香《かほり》、妙絕なり。異《い》として、之れを獻《ささ》ぐる。大いさ、二圍《ふためぐり》、長さ、一丈餘。太子、曰はく、「是れ、『沈水香』なり。」≪と≫。此の木を「梅檀香」と名づく。天竺國に出づる𠙚、多し。南天竺、南海の岸、夏月、諸蛇《しよじや》、相ひ繞《まと》ふ。此の木、清冷なる故なり。人、矢を以つて、射る。冬月、蛇、蟄《ちつ》するとき、卽ち、斫《き》りて、之を採り、水に沈めて、久《ひさしき》に≪ある≫者、「沈水香」と爲す。久しからざる者、號して、「淺香」と爲す。』≪と≫。

△按ずるに、沈香、交趾《カフチ》の產、脂《あぶら》、潤《うるほひ》、柔-靭(しな)へて、重し。最上と爲す。暹羅(シヤム)の產、色、鶉《うづら》≪の≫彪(ふ)に似て、香も亦、佳《よ》く、之れに次ぐ。太泥(バタニ)の產、木理(きめ)、相ひ透りて、狀《かたち》・色、美なれども、其の香、佳からず。占城《チヤンパ》の產、白黑、襍(まじは)り、鶉の彪に似れども、香、佳からざるなり。近年は中華(もろこし)の舩にも亦、少し、之れを將來せる。

 

[やぶちゃん注:これは、代表的な香木の一つとして知られる、

双子葉植物綱アオイ(葵)目ジンチョウゲ(沈丁花)科ジンコウ(沈香)属ジンコウAquilaria agallocha

である。当該ウィキによれば、『熱帯アジア原産』『の常緑高木』で、『風雨や病気・害虫などによって木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積する。それを乾燥させ、木部を削り取り香木として利用する。原木は、比重が』〇・四『と非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈香」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違うために、わずかな違いを利き分ける香道において、組香での利用に適している』。『沈香は香りの種類、産地などを手がかりとして、いくつかの種類に分類される。その中で特に質の良いものは伽羅(きゃら)と呼ばれ、非常に貴重なものとして乱獲された事から、現在では、沈香と伽羅を産するほぼすべての沈香属(ジンチョウゲ科のジンコウ属およびゴニスティルス属』( Gonystylus )『)全種はワシントン条約の希少品目第二種に指定されている』。『「沈香」はサンスクリット語(梵語)で aguru(アグル)またはagaru(アガル)と言う。油分が多く色の濃いものをkālāguru(カーラーグル)、つまり「黒沈香」と呼び、これが「伽羅」の語源とされる。伽南香(かなんこう)、奇南香(きなんこう)の別名でも呼ばれる。沈香の分類に関しては香道の』「六国五味」の項の『記事に詳しい』。『また、シャム沈香』『とは、インドシナ半島産の沈香を指し、香りの甘みが特徴である。タニ沈香』『は、インドネシア産の沈香を指し、香りの苦みが特徴』。『沈香は、強壮、鎮静などの効果のある生薬でもあり、奇応丸などに配合されている』。『ラテン語では古来 aloe の名で呼ばれ、英語にも aloeswood の別名がある。このことからアロエ(aloe)』(単子葉植物綱キジカクシ目ツルボラン科ツルボラン亜科アロエ属 Aloe )『が香木であるという誤解も生まれた。勿論、沈香とアロエはまったくの別物である』。『中東では oud 』『と呼ばれ、自宅で焚いて香りを楽しむ文化がある』。『「沈香」には上記のような現象により、自然に樹脂化発生した、天然沈香と、植樹された沈香樹に故意にドリルなどで穴をあけたり、化学薬品を投入することで人工的に樹脂化させたものを採集した、栽培沈香が存在する』。『当然ながら、品質は前者が格段に優れている。稀に上記の製造過程から来たと思われる薬品臭の付いてしまっているものや、低品質な天然沈香に匹敵する栽培沈香も存在する。しかし、伽羅は現在のところ栽培に成功していない』。『また』、『栽培沈香は人工的に作ったものとして人工沈香ともよばれる。栽培沈香は天然沈香資源の乱獲により、原産国でも一般的になりつつあり、国内でも安価な香の原材料として相当数が流通している』。『原木から沈香が生成されるメカニズムは、その詳細が長い間不明であったが』、二〇二二『年に富山大学の研究グループが遺伝子技術を用いることで、複数の酵素が関係していることを解明した』。『これにより、これまで自然任せだった栽培沈香を、はるかに効率よく作り出す道が拓けた』。『なお、香木のにおい成分を含んだオイルに木のかけらを漬け込んだものや、沈香樹の沈香になっていない部分を着色した工芸品は、そもそも沈香とは呼べず、香木でもない。したがって栽培沈香でもない』。『推古天皇』三(五九五)年四月に『淡路島に香木が漂着したのが』、『沈香に関する最古の記録であり、沈香の日本伝来といわれる。漂着木片を火の中にくべたところ、よい香りがしたので、その木を朝廷に献上したところ重宝されたという伝説が』「日本書紀」に『ある』。『奈良の正倉院』『には長さ』一・五六メートル、『最大径』四十三センチメートル『重さ』十一・六キログラム『という巨大な香木・黄熟香(おうじゅくこう)(蘭奢待』『とも)が納められている。これは、鎌倉時代以前に日本に入ってきたと見られており、以後、権力者たちがこれを切り取り、足利義政・織田信長・明治天皇の』三『人は付箋によって切り取り跡が明示されている。特に信長は、東大寺の記録によれば』一『寸四方』二『個を切り取ったとされている』。『徳川家康が慶長』一一(一六〇六)『年頃から行った東南アジアへの朱印船貿易の主目的は伽羅(奇楠香)の入手で、特に極上とされた伽羅の買い付けに絞っていた』(「異国近年御書草案」)とある。

 なお、冒頭の標題の読み「ちんかう」はママとしておいた。但し、「目録」では、「ぢんかう」とするので、本文の「沈香」は「ぢんかう」の読みでよい。

「本草綱目」の引用は、例の通り、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「沈香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-28b]から始まるが、引用は「集解」の[083-29a]の一行目中ほどから始まっているものの、前後をパッチワークしている。良安はその分離を例の一字空けで示している。

「天竺諸國」東洋文庫訳では割注して『(インド・タイ・カンボジア)』とするが、これは現代の国名でということになる。

「白-楊(やなぎ)」これも日中で異なる種を指す。中国では、

キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属(別名ハコヤナギ属)ギンドロ Populus alba

(銀泥)で中文名は「銀白楊」であるが、通称で「白楊」と称する邦文の当該ウィキによれば、『ヨーロッパ中南部、西アジア原産で、中央アジアから地中海地方に分布している』。『日本にも帰化しており、いわゆる雑草化していたるところに生えているのが見られる』とあるが、本邦で「白楊」と言うと、このギンドロではなく、面倒なことに、二種の異名で、

ヤマナラシ属ヨーロッパヤマナラシ変種ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii(日本固有種)

と、日本・朝鮮及び中国に分布する、

ヤマナラシ属ドロノキ Populus suaveolens

(泥の木)のそれである。みな、同属種ではあるが、良安は無論、同一種と勘違いしている。

「冬-靑(まさき)」「柾・正木」で、ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicus (日中同種)を指す。

「檳榔《びんらう》」ヤシ科の植物檳榔樹である、単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu のこと。果実を薬用・染色用とする。「檳榔子」(びんろうじ)と書くと、ビンロウの果実を指すが、ここでは、それ。本種は本邦では産しないが、薬用・染料とするため、奈良時代の天平勝宝八(七五六)年頃、輸入された記録が既にある。

「桑椹《さうじん》」「桑の実」を指す語。

「燒香《しやうかう》」線香のこと。

「海南」「ハイナン」。これは広義の現在の海南省と一致する、海南島(グーグル・マップ・データ)を指している。

「冠絕《かんぜつ》」中国語で「ずば抜けて勝れる」という動詞。

「萬安《ばんあん》の黎母山《れいぼざん》」東洋文庫訳では割注があり、『(広東省瓊州府安定県の西南』にある山とする。海南島のど真ん中にある黎母嶺(グーグル・マップ・データ)。現行では、瓊中リー族ミャオ族自治県内にある。

「占城《チヤンパ》」現在のベトナム中部に存在したチャム族の国家。中文の「抖音百科」の「占城」地図を参照されたい。

「眞臘《シンラフ》」六~十五世紀、インドシナ半島のメコン川流域に存在したクメール人(カンボジア人)の国家の中国名。扶南から独立して建国、七世紀前半に扶南を滅ぼした。八世紀に水真臘と陸真臘に分裂したが、九世紀初めに再統一し、アンコール‐ワットに代表されるクメール文化を現出した。十四世紀頃からタイの圧迫を受け、次第に衰退した。良安の時代は、その結果として暗黒時代であった。現在のカンボジアに相当する。

「心腹痛」心因性の腹部痛を指すようである。

「右腎の命門《めいもん》」「肉桂」で既出既注だが、再掲すると、「命門」漢方の一派で「右腎」(うじん)を指す語。男子では、精を蔵し、女子は胞(子宮)に繋がり、生殖機能との関係が深いとされた。また、経穴の一つで、人体後面の腎のつく所とされる第二腰椎上にあるものをも言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。東洋文庫の「肉桂」の割注では、『生命の源。右腎』とする。

「聖皇本紀」聖徳太子によって編纂されたと伝えられる教典「先代舊事本紀大成經」(せんだいくじほんきたいせいきょう)の異本である「舊事本紀大成經」七十二巻の内、三十五から三十八巻が「聖皇本紀」。但し、複数の研究者によって偽書とされている。当該部は、国立国会図書館デジタルコレクションのここから影印本(訓点附きで読み易い)が視認出来る(左丁後ろから三行目以降)。一部、省略されており、また、最後の部分がカットされている。(訓読した。推定で読みや意味を添えた)、

   *

佛國に生ず。「※木」(ちやうぼく:大切にする木。)なり。今自(じこん:今より後)、吾が國に倚(よ)るなり。佛法の興起(こうき)の瑞(ずゐ)なり。

[やぶちゃん字注:「※」は(わかんむり)の下に「龍」。「寵」の異体字(見出せないが)であろう。]

   *

「交趾《カフチ》」既出既注だが、再掲しておく。コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。

「暹羅(シヤム)」既出既注だが、再掲しておく。タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死語にすべきものである。

「太泥(バタニ)」マレー半島中部東海岸のマレー系パタニ王国。本書が書かれた当時は女王が支配し、南シナ海交易の要港であった。位置は当該ウィキの地図を見られたい。]

2024/05/11

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 辛夷

 

Kobusi

 

こぶし   辛雉 侯桃

      房木 迎春

辛夷  木筆

      【俗古不之】

      幣辛夷

スインイヽ 【之天古不之】

 

本綱辛夷髙三四丈其枝繁茂正二月花開花落乃生葉

夏初復生花經伏歷冬葉花漸大其花初出枝頭苞長半

寸而尖銳儼如筆頭重重有靑黃茸毛順鋪長半分許及

開則似蓮花而小如盞紫苞紅熖作蓮及蘭花香其子赤

似相思子伹年淺者無子亦有白色者又有千葉者

苞【辛温】 治頭風腦痛一切鼻病【芎藭爲之使畏菖蒲蒲黃黃連石膏】

 凡鼻氣通於天天者頭也肺也肺開竅于鼻而陽明胃

 脉環鼻而上行腦爲天神之府而鼻爲命門之竅人之

 中氣不足清陽不升則頭爲之傾九竅爲之不利

 【辛温走氣而入肺其體輕浮能助胃中清陽上行通於天所以能温中治頭靣目鼻九竅之病】

△按辛夷𠙚𠙚人家亦栽之賞其花

 一種有白花八重者婆娑如幤俗呼幣辛夷

                          仲胤僧都

 著聞集くひつかれ頭かゝへて出しかとこふしの花の猶いたきかな

 

   *

 

こぶし   辛雉《しんち》 侯桃《こうたう》

      房木《ばうぼく》 迎春《げいしゆん》

辛夷    木筆《ぼくひつ》

      【俗、「古不之」。】

      幣辛夷《しでこぶし》

スインイヽ 【「之天古不之《しでこぶし》」。】

 

「本綱」に曰はく、『辛夷、髙《た》け、三、四丈。其の枝、繁茂≪す≫。正、二月、花、開く。花、落ちて、乃《の》ち、葉を生ず。夏の初め、復《ま》た、花を生じ、伏《ふく》を經《へ》、冬を歷《へ》、葉・花、漸《ぜんぜん》≪に≫大なり。其の花、初≪めて≫、枝頭《えだがしら》を出づ。苞《はう》≪の≫長さ、半寸[やぶちゃん注:一・五センチメートル。]にて、尖-銳《せんえい》≪にして≫、儼(さなが)ら、筆頭《ふでがしら》のごとく、重重《ぢゆうぢゆう》≪し≫、靑・黃≪の≫茸毛(じようもう)、有り、順鋪《じゆんほ》す[やぶちゃん注:時に順って敷くように密生する。]。長さ、半分《はんぶ》[やぶちゃん注:一・五ミリメートル。]許《ばかり》。開くに及び、則ち、蓮花に似て、小さく、盞(さかづき)のごとし。紫≪の≫苞、紅熖《こうえん》≪にして≫、蓮、及び、蘭花の香《かをり》を作《な》す。其の子《み》、赤≪くして≫、「相思子(たうあづき)」に似≪たり≫。伹し、年《とし》の淺き者には、子、無し。亦、白色の者、有り、又、千葉《やへ》の者、有り。』≪と≫。

『苞【辛、温。】 頭風《づふう》・腦痛《なうつう》、一切の鼻の病ひを治す【「芎藭《きゆうきゆう》」、之れの使《し》と爲《な》す。菖蒲《しやうぶ》・蒲黃《ほかう》・黃連《わうれん》・石膏《せちかう》を畏る。】。』≪と≫。[やぶちゃん注:以下、全体が一字下げであるが、引き上げた。]

『凡そ、鼻の氣は、天に通ず。天は頭《づ》なり。肺なり。肺、竅《あな》を鼻に開きて、陽明《やうめい》の胃の脉《みやく》、鼻を環(めぐ)りて、上《のぼ》り行《めぐ》る。腦は、「天神の府」たり。而≪して≫、鼻は、命門の竅(あな)たり。人の、中氣、足らず、清陽《せいやう》、升《のぼ》らざれば、則ち、頭、之れが爲に、傾き、九竅《きうけう》之れが爲めに、利《りせず》。』≪と≫。

『【辛、温にして、氣に走りて、肺に入る。其れ、體《からだ》、輕く浮き、能く、胃中《いちゆう》の清陽を助け、上行《じやうかう》して、天に通ず。能く中《ちゆう》を温め、頭《かしら》・靣《かほ》・目・鼻、九竅の病ひを治す所以《ゆえん》なり。】

△按ずるに、辛夷《こぶし》、𠙚𠙚《しよしよ》≪の≫人家にも、亦、之れを栽ゑて、其の花の美しきを賞す。

 一種、白花八重の者、有り。婆娑《ばさ》として、幣(しで)のごとし。俗、呼んで、「幣辛夷(《しで》こぶし)」と曰ふ。

  「著聞集」          仲胤僧都

    くびつかれ

       頭《かしら》かゝへて

     出《いで》しかど

          こぶしの花の

         猶《なほ》いたきかな

 

[やぶちゃん注:「辛夷」は、またしても、中国と本邦では、種群は同じだが、種としては範囲が異なる。中国の「辛夷」(シンイ)は、

狭義には、モクレン目モクレン科モクレン属 Magnolia (木蘭)の内、漢方で薬用とする蕾(つぼみ)を指す漢語であり、種としては、モクレン属の古い通称の一つである。

 一方、日本の「辛夷」(こぶし)は、北海道・本州・九州、及び、済州島に分布する、

モクレン属ハクモクレン節コブシ Magnolia kobus

の種を限定して指す。中文ウィキの木犀属=「木蘭属」でも、「辛夷」の漢字を持つ種は、この日本に主に植生するコブシであり、種の中文名は、ズバリ、特異点で「日本辛夷」であって、他の正式種名に「辛夷」を持つものは、そこでは他には、ない。

 なお、良安が標題下に冒頭で示した「辛雉」・「侯桃」・「房木」・「迎春」・「木筆」の五つの異名は総て「本草綱目」に載るものであるからして、コブシ Magnolia kobus ではないので、注意されたい。

「伏」「三伏」(さんぷく・さんぶく)の一つである夏至後の第三の庚(かのえ)の日の「初伏」(しょふく)を指す。一般には「初伏」の次は、第四の庚を「中伏」(ちゅうふく)、立秋後、初めての庚を「末伏」(まっぷく)と称し、その初・中・末の「伏」の称。五行思想で、夏は火に、秋は金に当たるところから、夏至から立秋にかけては、秋の金気が盛り上がろうとして、夏の火気に抑えられ、止む無く伏蔵しているとするが、庚の日には、その状態が特に著しいとして「三伏日」とした。この日は、種蒔き・療養・遠行・男女和合など、全て慎むべき日とされている(本体主文は小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「相思子(たうあづき)」マメ目マメ科マメ亜科トウアズキ(唐小豆)属トウアズキ Abrus precatorius の種、或いは、その熟した果実を指す。当該ウィキによれば、『種子は赤く美しいので、古くから装飾用ビーズや、マラカスのような楽器の材料に使われた。種子にはアブリン』(Abrin)『という毒性タンパク質がある。これはトウゴマ種子に含まれる』猛毒の『リシン』(Ricin)『と同様、リボゾームにおけるタンパク質生合成を妨害』し、『経口摂取でも変性しないため』、『猛毒性を示す』とある。同中文ウィキを見ると、中文名を「雞母珠」とし、異名に「相思子」・「美人豆」・「紅豆」を挙げてある。

「頭風《づふう》」頭痛。

「腦痛《なうつう》」これは、脳腫瘍などの痛みではなく、神経症等によるものを広範に指すものであろう。

「芎藭《きゆうきゆう》」中国原産のセリ目セリ科ミヤマセンキュウ属センキュウ(山芎)Conioselinum chinense の根茎の漢方名。頭痛・鎮静薬に用いる。中国四川省産の品が優れていたため、「四川芎藭」を略して呼んだもの。

「使《し》」既出既注。漢方・和方に於いて、「補助薬」を言う。「引藥」(いんやく)とも言う。

「蒲黃《ほかう》」単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属 Typha の花粉。薬用。

「黃連《わうれん》」キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica の髭根を殆んど除いた根茎を乾燥させたもの。

「陽明」漢方医学に於いて、病邪が少陽を過ぎて、体の裏を通り、眼から下唇・心・胸・腹・髄・股・膝・脛・跗(あしひら:足の甲)・指頭の下にある状態を指す。

「胃の脉」東洋文庫訳では割注があり、『(陽明胃経脈、十二経脈の一つ)』とある。

「天神の府」東洋文庫訳では「府」に割注があり、『(やどるところ)』とある。

「命門」東洋文庫訳では割注があり、『(右腎、元気のやどるところ)』とある。

「清陽《せいやう》」中医学で「頭部にある臓腑の陽気」を指す。

「九竅《きうけう》」人の身体にある九つの穴。口・両眼・両耳・両鼻孔・尿道口・肛門の総称。懐かしいね、私が唯一、大学時代に精読して朱注を附した「荘子」の中でも、最も偏愛する一篇であり、教科書に載っていなくても、プリントして授業をしたものだった。「内篇」の最後の「應帝王篇 第七」の掉尾に置かれた有名な凄絶な寓話である。

   *

 南海之帝爲儵、北海之帝爲忽、中央之帝爲渾沌。

 儵與忽、時相與遇於渾沌之地。

 渾沌待之甚善。

 儵與忽諜報渾沌之德曰、

「人皆有七竅、以視聽食息。此獨無有。嘗試鑿之。」

 日鑿一竅、七日而渾沌死。

   *

 南海の帝を儵(しゅく)と爲(な)し、北海の帝を忽(こつ)と爲し、中央の帝を渾沌(こんとん)と爲す。

 儵と忽と、時に相與(あひとも)に渾沌の地に遇(あ)ふ。

 渾沌、之れを待(ま)つすること、甚(はなは)だ善(よ)し。

 儵と忽と、渾沌の德に報(むく)いんことを諜(はか)りて、曰はく、

「人、皆、七竅(しちけう)有りて、以つて、視聽食息(しちやうしよくそく)す。此れ、獨り、有ること、無し。嘗-試(こころ)みに、之れを鑿(うが)たん。」

と。

 日に一竅(いちきょう)を鑿てるに、七日にして、渾沌、死す。

   *

「中《ちゆう》」脾胃。

「白花八重の者、有り」これは、

モクレン属ハクモクレン節シデコブシ Magnolia stellata

のことであろう。同種の花弁は 九枚から、十二 枚、二十四枚、最大で三十二枚の八重咲きがある。

「婆娑《ばさ》」舞う人の衣服の袖が美しく翻るさまの原義を、梢に華麗な花弁が風に揺れるさまを喩えた語。

「幣(しで)」「しで」は「紙垂」で、紙を特殊な断ち方をして折ったもので、竹または木の幣串に、これを左右に挟んだ神具が「幣」(ぬさ)である。

「著聞集」「第二十八 飮食」の一篇(六二八番)の「仲胤僧都(ちゆういんそうづ)、法勝寺(ほつしやうじ)御八講(みはつこう)に遲參、追ひ出だされて籠居し詠歌の事」。

   *

 仲胤僧都、法勝寺の御八講におそく參りたりければ、追ひ出(いだ)されて、院の御氣色惡しくて、こもりゐたりけるに、次の年の春、人のもとより辛夷(こぶし)の花を送りたりけるを見て、詠める、

  くび突(つ)かれ

    頭(かしら)かかへて

   出でしかど

    辛夷の花のなほ痛きかな

   *

 本篇が何故、「飮食部」に入っているのか、不審だが、所持する「新潮日本古典集成」の同書(西尾光一・小林保治校注)の頭注によれば、初句は『「食ひつかれ」と読む説や』、「辛夷」は『小節(鰹節)をかけたためとする解もある』とあった。

・「仲胤僧都」(生没年不詳)は平安末期の延暦寺の僧。権中納言藤原季仲と賀茂神主成助の娘の子。長治元(一一〇四)年、最勝講の問者(講での質問者)に初めて立った。以後、権律師を経て、保元元(一一五六)年には権少僧都に至ったが、翌年、辞退している。説法の名人として、甥の忠春と並び称せられ、様々な法会に招かれた。その説法を聴く人は感涙に咽んだという。また、機知に富んだ人物で、「宇治拾遺物語」「古事談」、この「古今著聞集」などにその言動が説話として残されている。後に伝説化が進み、「平家物語」では、別人の説法までも、仲胤に仮託され伝えられるようになった。容貌が醜かったらしく、同じく醜かった興福寺の僧済円と互いを揶揄い合っていた様子が「今鏡」に描かれている(朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

・「法勝寺」平安から室町まで平安京の東郊白河にあった仏教寺院。白河天皇が承保三(一〇七六)年に建立した。院政期に造られた六勝寺の一つで、六つの内、最初にして最大の寺であった。皇室から厚く保護されたが、「応仁の乱」以後、衰微・廃絶した。ここ(グーグル・マップ・データ)が跡。

・「御八講」「法華八講」に同じ。「法華経」八巻を八座に分け、普通、一日に、朝夕二座、講じて四日間で完了する法会。

・「院」鳥羽院。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木蘭

 

Mokuran

 

もくらん  木蘭 杜蘭

      林蘭 黃心

木蘭

      【和名毛久良迩】

 

ラン

 

本綱木蘭生深山者尤大可以爲舟大者髙五六丈冬不

凋枝葉俱疎身如青楊有白紋葉如桂而厚大無脊花如

蓮花香色艶膩皆同獨房蕋有異四月初始開二十日卽

謝不結實其花内白外紫亦有四季開者又有紅黃白數

色其木肌細而心黃梓人所重也

或云其樹雖去皮亦不死

△按木蘭於出和州大峯者花如山茶花六月開有紫白

 二種未見紅黃者也

 畫譜云木蘭花未開者澆以糞水則花大而香其瓣擇

 沈精潔栬麵油煎食

[やぶちゃん字注:「麵」は底本では「グリフウィキ」のこれ(「麵」の異体字)であるが、表字出来ないので、「麵」とした。「栬」は「小さな杙(くい)」の意で、国字としても、「紅葉(もみじ)」の意しかなく、動詞としての用法(底本では「栬ㇾ麵」となっている)はない。従って、これは良安の誤字としか思われない。東洋文庫訳では『麵(こむぎこ)をつけ、』となっている。

 

   *

 

もくらん  木蘭 杜蘭

      林蘭 黃心《わうしん》

木蘭

      【和名「毛久良迩《もくらに》」。】

 

ラン

 

「本綱」に曰はく、『木蘭は深山に生≪ずる≫者、尤も大にして、以つて、舟に爲《つく》る。大なる者、髙さ、五、六丈。冬、凋《しぼ》まず。枝・葉、俱に疎なり。身《しん》、青楊《あをやなぎ》のごとく、白紋、有り。葉、桂《けい》のごとくして、厚大。脊《せき》、無し。花、蓮花のごとく、香・色・艶・膩《つや》、皆、同じ。獨り、房《ふさ》・蕋(しべ)、異なること、有り。四月の初め、始めて開き、二十日にして、卽《すなはち》、謝《しや》して[やぶちゃん注:萎んで。]實《み》を結ばず。其の花、内、白く、外、紫。亦、四季に開(さ)く者、有り。又、紅・黃・白、數色、有り。其の木肌、細《さい》にして、心《しん》、黃なり。梓人(はんほり)、重《おもん》ずる所なり。』≪と≫。

『或いは云ふ、「其の樹、皮を去ると雖も、亦、死(か)れず。」≪と≫。』≪と≫。

△按ずるに、木蘭、和州大峯より出だす者、花、山茶花(つばき)のごとく、六月、開く。紫・白の二種、有り。未だ紅・黃の者、見ざるなり。

 「畫譜」に云はく、『木蘭花、未だ開かざる者、澆(そゝ)ぐに、糞水を以つてすれば、則ち、花、大にして、香《かんば》し。其の瓣《はなびら》、沈精《ちんせい》≪にして≫潔《きよき》≪を≫擇《えら》≪みて≫、麵《こむぎこ》を栬≪して≫、「油-煎(あぶらあげ)」を食ふ。

[やぶちゃん字注:「麵」は底本では「グリフウィキ」のこれ(「麵」の異体字)であるが、表字出来ないので、「麵」とした。「栬」は「小さな杙(くい)」の意で、国字としても、「紅葉(もみじ)」の意しかなく、動詞としての用法(底本では「栬ㇾ麵」となっている)はない。従って、これは良安の誤字としか思われない。東洋文庫では『麵(こむぎこ)をつけ』となっている。

 

[やぶちゃん注:これは、既に出た「木犀花」の、

モクレン目モクレン科モクレン属 Magnolia の現代の中文名「木蘭屬」で、及び、同属の各種名の末尾に多く附すもの

で、私には特定不能である(中文ウィキの「木蘭屬」を見られたい)。識者の御教授を乞うものであるが、異常に樹高が高いことから考えると、一つ、良安の言っている「木蘭」は本邦特産の、

モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovata

が、良安の指す「木蘭」の候補とはなろうかとは思われる。さらに、良安が「和州大峯より出だす者」を挙げていることからは、

モクレン属オオヤマレンゲ節オオヤマレンゲ亜種オオヤマレンゲ Magnolia sieboldii subsp. japonica

を有力候補とし得る。当該ウィキによれば、『本州関東以南から九州』及び『中国東南部に分布する。和名は、奈良県の大山(おおやま:大峰山』(おおみねさん:ここ。グーグル・マップ・データ)『)に群生地があり、大山にハスの花(蓮華)に似た花を咲かせるというのが名の由来する』とあるからである。但し、良安は、花を「紫・白の二種」とするが、同種の花は白色で、寿命は四~五日程度とあり、『花糸と葯隔は淡赤色、葯は淡黄緑色から白色』とあって、一致を見ない。しかし、瓢箪から駒で、このオオヤマレンゲの、

基亜種オオバオオヤマレンゲ Magnolia sieboldii subsp. sieboldii

は、朝鮮半島・中国原産で、庭園に植えられるものだが、白花(花期は五~六月)であるが、雄蕊が赤紫色であり(寿命はやはり四~五日)、これも時珍の言う「木蘭」の候補としても問題ないだろう。

「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「木蘭」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-25b]から始まるが、引用は「集解」の[083-26a]の四行目中ほどから始まっている。

「梓人(はんほり)」音「シジン」。出版物の版木を彫る職人。

「山茶花(つばき)」ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属サザンカ Camellia sasanqua 。]

2024/05/10

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(23)

 

   涼しさや袂にあまる貝のから 一 琴

 

 海邊の土產に貝殼でも持つて歸るやうな場合かと想像する。袂に入れた貝殼が相觸れて鳴る音も涼しいが、長いこと波に洗はれて眞白になつてゐる――動物といふよりも石に近い感じの貝殼であることが、涼しさを加へる所以らしく思はれる。

「袂にあまる」といふ言葉は、「うれしさを何にたとへむから衣袂ゆたかにたてといはましを」の歌以來、つゝむに餘るといふやうな主觀的の場合に用ゐられ易い。この句は實際袂に餘るほど多くの貝殼を獲たのであらうが、それに伴ふうれしさといふものも陰に動いている。少くとも作者はそれを意識して「袂にあまる」の語を置いたのであらう。

[やぶちゃん注:「うれしさを……」の一首は、「古今和歌集」の「卷第十七 雜歌上」の巻頭に載る「題しらず」の「よみ人しらず」の四首の三番目(八六五番)。

   *

 うれしさを何につつまむ唐衣

    たもとゆたかにたてといはましを

   *]

 

   谷水に松葉の浮てあつさかな 一 楊

 

 谷川といふと、考へただけで淙々の音が耳に迫るやうな感じがするが、一槪にさうきめてかかるわけにも行かぬ。あまり深くない谷の、暑さ續きに水の乏しくなつたところなどは、さう涼しい趣ではない。この句はさういふ小景を描いたのである。

 石の間に捗々く[やぶちゃん注:「はかばかしく」。]は流れぬやうな水がよどんでゐる。そこに散つた松葉が、これも流れずに浮んでいる。「淸瀧や浪に散り込む靑松葉」といふやうな背景なら、大に涼しかるべき松の落葉も、却つて暑さうな感じになるのは、谷そのものの感じが涼しくない爲である。俳人はかういふ景色に對し、つくろはざる眞實を描いてゐるのが面白い。

[やぶちゃん注:「淸瀧や浪に散り込む靑松葉」この句については、私の「旅に病んで夢は枯野をかけ𢌞る 芭蕉 ――本日期日限定の膽(キモ)のブログ記事――319年前の明日未明に詠まれたあの句――」を見られたい。実は、この「淸瀧や波にちり込靑松葉」という句は(改作であることを問題としないとすれば)実質上の芭蕉最期の発句ということになる句であるという説があるのである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 水木犀

 

Mokkoku

 

もつこく  【俗云毛豆古久】

 

水木犀

 

 

本綱木犀一種葉無鋸齒如巵子葉而而光叢潔生巖嶺

間謂之巖桂【一種有鋸齒如批杷葉而粗澀者卽木犀也】

△按水木犀今人家庭園植之難長而有大木小枝多毎

 枝梢五七葉最茂狹長厚光澤背淡夏開小白花其香

 似木犀花香結子三四顆作簇有彩色自裂中有赤子

 種其子亦生其葉四時不凋秋有紅葉者新古相襍亦

 美

 

   *

 

もつこく  【俗「毛豆古久」と云ふ。】

 

水木犀

 

 

「本綱」に曰はく、『木犀の一種。葉、鋸齒、無く、巵子(くちなし)の葉のごとくして、而《しか》も、光潔《くわうけつ》にして、巖嶺《がんれい》の間《かん》に叢生《そうせい》す。之れを、「巖桂《がんけい》」と謂ふ【一種、鋸齒、批杷の葉ごとくにして、粗≪くして≫澀《しぶ》き者、有り。卽ち、「木犀」なり。】。』≪と≫。

△按ずるに、「水木犀《もつこく》」は、今≪の≫、人家≪の≫庭園に之れを植う。長《たけ》し難くして、而≪れども≫、大木、有り。小枝、多く、枝の梢《こづえ》毎《ごと》≪に≫、五、七葉≪と≫、最も茂《しげ》し。狹長≪にして≫、厚く、光澤≪あり≫、背《うら》、淡し。夏、小白花を開く。其の香、「木犀花」の香に似て、子《み》を結ぶこと、三、四顆、簇《むれ》を作《な》し、彩色、有り。自《おのづか》ら裂(さ)けて、中に赤子《あかきみ》、有り。其の子を種《う》ゑても、亦、生ず。其の葉、四時、凋(しぼ)れず。秋、紅葉なる者、有り、新・古≪の葉≫、相襍(《あひ》まぢ)れる≪も≫、亦、美なり。

 

[やぶちゃん注:これは、本邦の漢字表記「木斛」で、現代中国も日本も同じで、

ツツジ目モッコク科モッコク属モッコク Ternstroemia gymnanthera

であるとしてよいだろう。但し、現行では「水木犀」の漢語は生きていないこと(ネットで中文で調べても、この単語が全く掛かってこないのである)と、上記の通り、シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属 Osmanthus とは縁もゆかりもない別種である。

 ウィキの「モッコク」によれば、『別名でイイクともよばれる[1]。江戸五木の一つ。モチノキやマツと並び「庭木の王」と称される。中国名は、厚皮香(別名: 日本厚皮香)』。『日本では、千葉県以西の本州沿岸部、四国、九州、南西諸島に自然分布し』、『日本国外では朝鮮半島南部、台湾、中国を経て』、『東南アジアからインドに分布する。暖地の海岸近くの山地に自生する』。『常緑広葉樹の中高木』で、『成長すると樹高は約』六『メートル 』、『時には』十五メートル、『胸高直径』八十『センチメートル』『に達する大木となる。枝が密集して整った樹形をつくり』、『全体としては円錐形のきれいな樹形になる』。『幹の樹皮は暗灰色で滑らか』で、『皮目が多い。若い枝は灰褐色で無毛である』。『葉は互生ながら、枝先に集まる。葉身は長さ』四~七センチメートルの『倒卵状楕円形あるいは狭倒被卵形、あるいは狭倒卵形で、葉先は丸く、葉脈が見えない厚い革質で光沢があり、暗緑色をしている』。『十分に日光が当たる環境では葉柄が赤みを帯びる』。『花期は』六~七月頃、『直径』二センチメートル『ほどの白色から黄色へ変化する花を付け』、『芳香を放つ。花は葉腋に単生し』一~二センチメートルの『柄があって』、『花は』『曲がって下を向く』。『株によって』、『両性花または雄花をつけ、雄花の雌しべは退化している』。『両性花をつける株には、直径』十~十五『10 - 15ミリメートル』『の球形で卵状球形の果実が実り、秋』『になると熟す』。『果実が熟すと』、『厚い果皮が不規則に裂けて、橙赤色の種子を露出する』。『この種子は鳥によって食べられて親木から離れたところまで運ばれると考えられている。また、この種子は樹上で赤く目立つため、アカミノキの別名がある』。『冬芽は半球形や円錐形で紅紫色、多数の芽鱗の重なりが目立つ』。『葉の付け根につき、枝先では輪生状の葉のもとにつく』。『まず』、『葉が展開して新枝が伸び、新枝に花芽ができる』。『葉痕は半円形で、維管束痕が』一『個つく』。『日本では関東地方から沖縄までの範囲で植栽可能である』。『耐寒性はやや劣るものの、性質は丈夫で大気汚染にも良く耐える』。『日なたに植えて育てられるが、耐陰性があり、生長は穏やかである』。『土壌の質は湿りがちな壌土にして』(☜恐らくは、水木犀」の漢名は、モクセイに似た形状で、花の香りの共通性、及び、ここに示された湿った地面を好むことに由来すると考えられる)。『根を深く張る』。『病虫害に強く、葉が美しく樹形が整うため、公園樹や庭木として日本庭園によく植栽されており、庭のシンボルツリーや主役として扱われ、高級な雰囲気をもたらすことのできる樹種である』。『樹齢を重ねるごとに風格を増すことから「庭木の王様」とされている』(☜良安の謂いと一致する)。『材は緻密で細工物に向き』、『堅く美しい赤褐色をおびる材を床柱のような建材、櫛などの木工品の素材として用いる。また、樹皮は繊維を褐色に染める染料として利用される』。『民間療法では、葉を集めて乾燥し煎じ出したものを腎疾患や肝疾患に用いる』とあった。

 「本草綱目」の引用は、例の如く、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「箘桂」の「集解」終りの部分からの引用で、「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-23a]であるが、問題があって、「水木犀」の名は出てこない。

   *

如枇杷葉而粗澀者有無鋸齒如巵子葉而光潔者叢生巖嶺間謂之巖桂俗呼為木犀

   *

則ち、この標題の「水木犀」は、良安が勝手に附した可能性が極めて高いと私は推理するものである。

「巵子(くちなし)」既出既注。リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ Gardenia jasminoides の異名漢字表記。

「批杷の葉」バラ目バラ科ナシ亜科シャリンバイ(車輪梅)属ビワ Rhaphiolepis bibas の葉は、厚く、堅く、表面が凸凹しており、葉脈ごとに波打ち、而して、葉縁には、波状の鋸歯がある。

「粗≪くして≫澀《しぶ》き者」東洋文庫訳では、割注があって、『(網脈の顕著なもの)』とある。「網脈」とは、葉脈が網目状に伸びた葉脈を「網状脈」と称する。但し、我々の身の周りにある植物の殆んどは、網状脈を持っている。]

2024/05/09

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木犀花

 

Mokusei

 

もくせい   巖桂

       【毛久世伊】

木犀花

 

 

本綱巖桂此箘桂之類而稍異其葉不佀柹葉亦有鋸齒

[やぶちゃん字注:「佀」は「似」の異体字。]

如批杷葉而粗澀者有無鋸齒如巵子葉而光潔者叢生

[やぶちゃん字注:「巵子」は「梔子」(クチナシ)の別語。]

巖嶺間其花有白者名銀桂黃者名金桂紅者名丹桂有

秋花者春花者四季花者逐月花者其皮薄而不辣不堪

入藥惟花可收茗浸酒鹽漬及作香茶髮澤之類耳

花【辛温】 同百藥煎・孜兒茶作膏餅噙生津辟臭化痰治

 䖝牙痛

△按木犀葉似海石榴而畧長有鋸齒五六月開小花香

 單淡白色此所謂銀桂矣未見黃及紅者也考其主治

 則入透頂香外卽《✕→郞》藥而可矣

𤲿譜云木犀葉邊如鋸齒而紋麁者其花香甚灌以楮糞

[やぶちゃん字注:「麁」の上部は「分」が乗っているが、異体字として見当たらないので、「麁」とした。]

花茂蠶沙壅之亦可

 

   *

 

もくせい   巖桂

       【≪和名≫「毛久世伊」。】

木犀花

 

 

「本綱」に曰はく、『巖桂《がんけい》は此れ、箘桂《きんけい》の類にして、稍《やや》異《い》なり。其の葉、柹《かき》の葉に佀《に》ず、亦、鋸齒《のこぎりば》、批杷の葉のごとくにして、粗澀《あらくしぶき》者、有り。鋸齒、無くして、巵子(くちなし)のごとくにして、葉の光潔《くわうけつ》≪なる≫者、有り。巖《いはほ》≪の≫嶺《みね》の間に叢生す。其の花、白き者、有り、「銀桂」と名づく。黃の者、「金桂」と名づく。紅なる者、「丹桂」と名づく。秋、花さく者、春、花さく者、四季、花さく者、月を逐《お》ひて、花さく者、有り。其の皮、薄くして、辣(から)からず、藥に入るゝに、堪へず。惟《ただ》、花を收めて茗《ちや》とすべし。酒に浸し、鹽に漬け、及び、香茶・髮澤《はつたく》の類に作るのみ。』≪と≫。

[やぶちゃん字注:「佀」は「似」の異体字。「巵子」は「梔子」(クチナシ)の別語。]

『花【辛、温。】 「百藥煎(ひやくせんやく)」・「孜兒茶(ひきちや)」と同じく、膏餅《かうべい》に作り、噙(ふく)めば、津《つばき》を生じ、臭《くさき》を辟《さ》け、痰を化《くわ》し、䖝牙《むしば》の痛みを治す。』≪と≫。

△按ずるに、木犀の葉は、海石榴(つばき)に似て、畧(ちと)、長く、鋸齒、有り。五、六月、小花を開く。香《かをり》≪ある≫單《ひとへ》の淡白色≪のもの≫、此れ、所謂、「銀桂」か。未だ黃及び紅の者、見ざるなり。其の主治を考ふるに、則ち、「透頂香(とうちんかう)」・「外郞藥(ういらう《やく》」に入れて、可なり。

「𤲿譜」に云はく、『木犀の葉の邊《まはり》、鋸齒のごとくして、紋、麁《あら》き者、其の花、香《か》、甚し。灌《そそ》ぐに、楮糞《かうぞこえ》を以つてすれば、花、茂る。蠶沙(さんしや)を、之れに壅(こえ)して、亦た、可なり。

 

[やぶちゃん注:中国語の「木犀」は、

双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ Osmanthus fragrans 等の常緑香木の総称

である。既に何度も述べた通り、中国では「桂」の代表種の一つである。良安の「本草綱目」の初めの引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「桂」の「集解」終りの部分からの引用で、「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-23b]を忠実に引用してある。「花」は[083-24a]でこれも確かな引用である。

「巖桂」これは、モクセイ科Oleaceaeの常緑小高木のうち、

モクセイ属モクセイ変種キンモクセイ Osmanthus fragrans var. aurantiacus

同属モクセイ変種ウスギモクセイ(薄黄木犀)Osmanthus fragrans var. thunbergii

同属モクセイ変種ウスギモクセイ品種ギンモクセイOsmanthus fragrans var. aurantiacus f. aurantiacus

)の総称であるが、一般には、特に最後のギンモクセイを指す

「箘桂《きんけい》」独立項で既出。

「巵子(くちなし)」リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ Gardenia jasminoides の異名漢字表記。その強い芳香は邪気を除けるともされ、庭の鬼門方向に植えるとよいともされ、「くちなし」は「祟りなし」の語呂を連想をさせるからとも言う。真言密教系の修法では、供物として捧げる「五木」(梔子・木犀・松・梅花・榧(かや:裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera )の五種の一つ。

「光潔《くわうけつ》」東洋文庫訳では、『光潔(つややか)な』と訓読している。

「銀桂」前掲のギンモクセイ。

「金桂」これは東洋文庫では、キンモクセイではなく、「アサギモクセイ」とするが、「アサギモクセイ」という独立種は存在しない。ネットを管見するに、これは前掲のウスギモクセイの異名であろう。松村忍氏のサイト「庭木図鑑 植木ペディア」の「ウスギモクセイ」の解説中に、『ややこしいが』、『中国ではウスギモクセイを「金桂」または「銀桂」と呼び、キンモクセイは「丹桂」、ギンモクセイは「桂花」と呼ぶ』とあった(太字は私が附した。

「丹桂」こちらが、現行のキンモクセイ(金木犀)の漢異名である。

「秋、花さく者、春、花さく者、四季、花さく者、月を逐《お》ひて、花さく者、有り」一般に「木犀」というと、既に述べた通り、本邦の現行では、普通は代表種としてギンモクセイを指すが、ギンモクセイの花期は、九月から十月で、花は白色である。キンモクセイも同期で、花はオレンジ色。アサギモクセイも九月であるが、宮崎県では時に二~三月に開花すると、「国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所 九州支所」の「ウスギモクセイ」にはあったので、中国は亜寒帯から熱帯まで広く、低地から高々度の高山まであることから、花期に大きな幅があり、こうした謂いになったものであろう

「茗《ちや》」「茶」に同じ。

「髮澤《はつたく》」東洋文庫訳では割注で『(かみをつややかにする)』とある。

「百藥煎(ひやくせんやく)」

「孜兒茶(ひきちや)」

「膏餅《かうべい》」

「噙(ふく)めば」口に含めば。

「津《つばき》」その刺激で唾液が盛んに出ることを言っている。

「臭《くさき》を辟《さ》け」口臭を抑え。

「痰を化《くわ》し」痰を除き。

「䖝牙《むしば》」「蟲齒」。

「海石榴(つばき)」良安の解説であるから、ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica を指す。

「透頂香(とうちんかう)」薬の名。以下の「外郞藥(ういらう《やく》」、「外郎(ういろう)」に同じ。元の礼部員外郎で、応安年間(一三六八年~一三七五年)に日本に帰化した陳宗敬(他に延祐・順祖などの名が伝えられるが、詳細事績不詳)が、博多で創製し、後、外郎家を名乗り、その子孫が京都で製したという。室町時代に外郎家が北条氏綱に献上してから、相模国小田原の名物となった。口中を爽やかにし、頭痛を去り、痰を切ると言われ、また、戦陣の救急薬としたともいう。公家が冠の中に入れて髪の臭気を去るのに用いたところからの名である。歌舞伎の「外郎賣」の早口言葉で大ブレイクをした。現在も小田原に店舗があり、私も何度か行ったことがある。

「𤲿譜」「八種畫譜」。明の黄鳳池の編。「唐詩五言画譜」・「新鐫六言唐詩画譜」・「唐詩七言画譜」・「梅竹蘭菊四譜」・「新鐫木本花鳥譜」・「新鐫草本花詩譜」・「唐六如画譜」・「選刻扇譜」から成る。

「楮糞《かうぞこえ》」楮から作った肥料らしい。詳細不詳。ウィキの「コウゾ」によれば、『コウゾは、ヒメコウゾとカジノキの雑種』(交雑種)『という説が有力視されている』(学名もバラ目クワ科コウゾ属コウゾ Broussonetia × kazinoki 。)『本来、コウゾは繊維を取る目的で栽培されているもので、カジノキは山野に野生するものであるが、野生化したコウゾも多くある』。『古代においては、コウゾとカジノキは区別していない』とあった。

「蠶沙(さんしや)」蚕(かいこ)の糞。

「壅(こえ)」肥(こえ)。肥料。]

2024/05/08

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(22)

 

   蟲干や鼓にたゝく書物箱 此 山

 

 曝書といふと書物のみに限られるやうだが、蟲干といへば包含する範圍が廣くなる。この句は蟲干の中に於ける書物の場合である。

 本箱に入つた書物を皆出して、からになつたのをポンポンたゝく。それを鼓に見立てたのである。「鼓に」は「鼓の如くに」の意であらう。蟲干の最中に興じて鼓の眞似をしたとまで解さなくてもいゝ。埃を拂ふ爲に背中からポンポン打つ。それを鼓を打つやうだ、と云つたものと見ればよかたうと思ふ。

 本箱と云はずに書物箱といつたのは、字數の關係とも見られる。併しかういふ風に置かれて見ると、書物箱といふ言葉は言葉で、本箱とは違つた味ひを持つてゐるやうな氣がする。

 

   笈摺をかけて涼しや梛の枝 自 笑

 

「熊野道中」といふ前書がある。これが熊野道者[やぶちゃん注:「くまのだうじや」。]の風であることは、狂言の小歌にも「爰通る熊野道者の、手に持つたも梛[やぶちゃん注:「なぎ」。]の葉、笠にさいたも梛の葉、これは何方[やぶちゃん注:「いづかた」。]のお聖[やぶちゃん注:「ひじり」。]樣ぞ、笠の内がおくゆかし、大津坂本のお聖樣、おゝ勸進聖ぢや」とあるによつて明であらう。たゞこの句が稍〻明瞭でないのは、作者は熊野道中に在つて、かういふ道者の姿を描いたのか、作者自らも道者の群に加つてゐるのか、といふ點である。

 手にも梛の葉を持ち、笠にもさして通る。靑い梛の葉をかざす道者の姿を涼しと見た、とも解することが出來る。この場合はすべてが客觀の涼しさである。さういふ道者の一人として、笈摺をかけ、梛の葉をかざして見ると、身も心も涼しくなつたやうな氣がする、といふ風にも解することが出來る。この場合は大分主觀の加つた涼しさになる。いづれにしても道者の姿といふことは動かぬのであるが、「熊野道中」といふ前書と云ひ、「笈摺をかけて」の語が身に近く感ぜられるところから見て、後者と解するのが妥當ではあるまいかと思ふ。

 去來にも自ら順禮に出た經驗があつたらしく、「卯の花に笈摺寒し初瀨山」「順禮もしまふや襟に鮓の飯」といふやうな句が傳はつてゐる。自笑も或は自家の經驗によつてこの句を獲たのかも知れない。

[やぶちゃん注:「笈摺」「おひずり」。巡礼などが、着物の上に着る単(ひとえ)の袖無し。羽織に似たもの。笈で背が擦れるのを防ぐものとされる。左・右・中の三部分から成り、両親のある者は、左右が赤地で中央は白地、親のない者は、左右が白地で中央に赤地の布を用いた。「おゆずる」「おいずる」とも呼んだ(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「自笑」泉屋自笑。加賀蕉門の俳人。例の芭蕉の山中温泉のタドジオ久米之助桃妖の叔父。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 69 山中や菊はたおらぬ湯の匂ひ』の私の「久米之助」の注を参照されたい。

「梛」裸子植物門マツ綱マツ目マキ科ナギ(梛)Nageianagi のこと(ナギ属とぜずにマキ属 Podocarpusに含める説もある)。ウィキの「ナギ」によれば、雌雄異株で『比較的温暖な場所に自生』し、高さは二十メートル程の巨木に達する。『葉の形は楕円状披針形で、針葉樹であるが広葉樹のような葉型である。若枝は緑色で葉を十字対生につけ、それがやや歪んで』二列に『並んだようになる。五月頃開花して十月頃になると、『丸く青白色の実が熟す。多くの場合、根に根粒を形成する』。『海南島や台湾、日本の本州南岸、四国九州、南西諸島などの温暖地方に分布する。しかし、紀伊半島や伊豆半島に生育する個体は古い時代に持ち込まれたものが逸出したものが起源と考えられる(史前帰化植物)。少なくとも春日大社のものは』千年以上前に『植栽されたとされている。生育は関東南部が北限といわれる。ただし、化石が関西近辺でも出土する』。『熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされ、一般的には雄雌一対が参道に植えられている。また、その名が凪に通じるとして特に船乗りに信仰されて葉を災難よけにお守り袋や鏡の裏などに入れる俗習がある。神社の中には代用木としてモチノキが植えている場合もある』。『造園木のほか、材を家具器具材や、床柱などとしても利用する』とある。私は北条政子が頼朝と逢瀬を重ねたと伝えられる伊豆権現、現在の静岡県熱海市伊豆山にある伊豆山神社で初めて知った。源頼朝と北条政子がその葉を変わらぬ愛の証に持ったとされるいわくつきの梛である。なお、ここでは「熊野行者」から、私は奈良春日大社の境内の景ではないかと考えている(ここは非常に珍しくも有意な林相を成していることから、大正一二(一九二三)年に国天然記念物に指定されている)。

『狂言の小歌にも「爰通る熊野道者の……』狂言「不聞座頭」(きかずざとう)の「續狂言記」巻之三所収での「聾座頭」の一節。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 桂

 

Katura

 

かつら  桂

     【和名加豆良】

     肉桂之桂名

      女加豆良

 

 

本綱桂葉如柏葉澤黒皮黃心赤謂之單字桂不藥入用

△按本朝有單字桂者其葉圓似萩葉而木心赤堅而

 易斫用作碁枰【名赤木】或爲木屐齒良尾州奧州及阿波

 土佐多出之蓋不似柏檜葉別此一種乎

 

   *

 

かつら  桂

     【和名「加豆良《かつら》」。】

     肉桂の桂《かつら》を、「女加

     豆良(めかつら)」と名づく。

 

 

「本綱」に曰はく、『桂は、葉、柏(かえ)の葉のごとく、澤《つややかなる》黒。皮、黃、心《しん》、赤≪し≫。之れを「單字桂《たんじけい》」と謂ふ。藥に、入用《にふよう》せず。』≪と≫。

△按ずるに、本朝に「單字桂」といふ者、有り。其の葉、圓《まろく》、萩の葉に似て、木≪の≫心、赤く、堅く、斫《はつり》易し。用ひて、碁枰《ごばん》に作る【「赤木《あかぎ》」と名づく。】或いは、木屐《ぼくり》の齒と爲《な》して、良し。尾州・奧州、及び、阿波・土佐、多く、之れを出だす。蓋し、柏・檜の葉に似ず。別に、此れ、一種か。

 

[やぶちゃん注:「桂」について、東洋文庫の後注には、『中国の桂はクスノキ科肉桂をさす。日本のカツラはカツラ科で、増淵法之氏(『日本中国植物名比較対照辞典』)によれば中國の連香樹とされる』とある。しかし、既に述べたが、再掲すると、漢方でニッケイの皮の薄いものを「桂皮」(ケイヒ)と呼ぶが、これは漢代に書かれた最古の本草書「神農本草經」の上品に「箘桂」及び「牡桂」の名で収載されている。本邦の国語辞典で、「桂」や「牡桂」を引くと、双子葉植物綱ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum の異名とするが、しかし、これは無批判に受け取ると、致命的な大火傷を受けるハメになる。そもそもが、

中国語の「桂」は元来は本邦の「カツラ」ではなく、全く別種である「肉桂」(ニッケイ)や、「木犀」

双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ Osmanthus fragrans 等の常緑香木の総称

だからである。而して、東洋文庫の編者が、本「桂」で、本来の中国の「桂」がモクセイをも指していることを指摘せずに、以上の「肉桂」をのみを指示する後注を附していることは、明らかに杜撰の極みと言うべきことなのである。先に示した注の『中国の連香樹』とは、中文ウィキ(正式サイト名は「維基百科」)の「(「連香樹」の簡体字表現)の右上の多言語検索「文A 25种语言」で「日本語」を開くまでもなく、それは確かに、本邦のウィキの「カツラ」なのであるが、

中文ウィキの「肉桂属」や、そこでリンクされている中文の各種ニッケイ属の種のページを見ると判るが、どこにも、ニッケイ属の解説に、完全な単体の漢字で「桂」と解説する記載は、載っていない

のである。これは、

中国では、少なくとも現在は、「ニッケイ属」を単に「桂」と記すことは一般的ではない

ことが判るのである。

 さて、本項の「本草綱目」の引用だが、今までと同じく、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「桂」の「集解」の記載のパッチワークである。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-15a]の七行目以降を拾って見られたい。

「柏(かえ)」この良安のルビはするべきではなかったことは、もう、言うまでもない。「かえ」という訓は、本邦のヒノキ・サワラ・コノテガシワの古称であるからである。中国語の「柏」は本プロジェクト冒頭の「柏」で述べた通りで、中国と日本では、全く明後日の種群を指すからである。根っこで、この致命的誤謬が複数あるため、この錯誤は元気な亡霊どものように、何度も蘇ってくるのである。いちいち、注で示すのも面倒なので、そこはしっかり読者の方々が、各人、基礎批判の視点を保持し続けてお読み戴くよう、お願い申し上げるものである。

「單字桂」検索をかけても意味不詳。この名称は現代中国でも、現代の日本でも、生き残っていないようで、ネット検索自体にこの文字列では掛ってこない。国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、物になりそうに見えたのは、「佩文韻府」卷六十~六十七(蔡升元 等編・明治一八(一八八五)年鳳文館刊)のここだったが(右丁後ろから七行目下方)、

   *

單字桂【本草陶弘景―――爲葉似柏者非也柏葉之桂非治病之桂也蘇類頌以欽州者爲――之―亦非也】

   *

で、「ちゃうちゃう!」の連続で話にならん! 良安の言う本邦のそれは、先に示したヒノキ・サワラ・コノテガシワのどれかのように私には思われる。ヒノキより柔らかく、加工しやすい(「斫《はつり》易し」)となると、サワラの可能性が高いように私には思われる。しかも、サワラ材には「白」とは別に、「赤味」と呼ぶ「くすんだ薄い黄褐色」の材があるからである。

「柏・檜の葉に似ず。別に、此れ、一種か」遂に良安は根本的錯誤に気づいていない。ちょっと、哀しいね。なお、次の項は「木犀花」(モクセイ)である。]

2024/05/07

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(10)

○手足いたむには、

 するめの黑燒、酒にて用(もちゆ)べし。

 

○ゆびのいたみ、治する藥。

 雄鼠糞(おすねづみのくそ)・梅仁、二味を、粉にして、「めしつぶ」にて、押しまぜ、紙につけて、指に、はるべし。「雄鼠のふん」は、角(かど)立(てて)て有(あり)、「めねづみのふん」は、丸(まろ)し。

[やぶちゃん注:いや、結構です。]

 

○「わきが」の藥。

 「はかり苔(のり)」、又、「猿のをがせ」とも、いふ【甲州七靣山。野州日光山に有(あり)。】。丹礬・樟腦、何れも、少しづつ。

 右、三味を、淸水にひたし置(おき)、度々、「わきが」のしたを、洗へば、「わきが」の根を、きり、一生、其氣《け》、なし。

 

○又、一方。

 石灰を、七日、酒にひたし置(おき)、三日、「わきが」のしたへ、付(つく)る也。但(ただし)、三日の内、湯水を飮(のむ)事を、いむ。

 

○足の腫(はれ)たるには、

黃柏(わうばく)・忍冬(にんとう)・蒴藿(さくてき)・枯たる杉の葉、四味、目方、各、等分。

 右、四味へ、酒粕五十目、鹽五十目、加へ、此六味、銅の大だらひなどへ、したゝか、水を入(いれ)、「たらひ」を、火にかけて、湯を、わかし、足を、「たらひ」の中へ入(いれ)て、きぬの「きれ」にても、木綿にても、ひたと、足を、あらふべし。

 此方、元來、紀州家、馬醫の名方也。享保中、台命(たいめい)にて、人に用(もちい)給ふ所、功驗、ことなるにより、よに、ひろめ給ふ、よし。

[やぶちゃん注:二行目が行頭から始まっているのは、ママ。特異点である。

「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。

「忍冬」マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica の棒状の蕾を、天日で乾燥したもの。漢方生薬名は「忍冬藤(にんどうとう)」とも言う。

「蒴藿」マツムシソウ目レンプクソウ科ニワトコ属ソクズ Sambucus chinensis当該ウィキによれば、『葉には、帯状疱疹、中耳炎、膀胱炎、リウマチ、神経痛に薬効があるといわれる』。『鹿児島県に伝わる民間療法では、葉をドロドロに潰して、帯状疱疹などの痛みや腫れ物の患部に汁を塗ると効果があるという』。『むくみ改善の利尿薬として』『煎じて、飲む用法が知られ』、『神経痛やリウマチには、乾燥した葉を煮詰めた汁を浴湯料として入浴する』とあった。

「台命」言わずもがな、吉宗。]

 

○足を、くじきたるを、治す方。

 忍冬・蓮葉・川柳・桃葉・桑葉

 右、五味、せんじ、其湯の中へ、「ゆのはな」を、一味、まぜて、たびたび、あらふベし。たゞし、冬は、此(この)桑なきゆゑ、此木の「えだ」を。けづり、せんじ、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「川柳」キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属カワヤナギ Salix gilgiana 。因みに、当該ウィキの右手にある分類タクソン・リスト中の種の和名「ネコヤナギ」はトンデモ誤りだろ! 私は、とうの昔に、ある学術記載に明らかな誤りがあったので、親切に修正要請の指示を挙げたところ、原著者が削除したので投稿記事を削除するようにと、システムの機械指示で要求されたので、心底、阿呆らしくなって、永遠にウィキペディアンを辞めている。]

 

○足のふみぬきには、

 古たゝみのきれに、沈香(じんかう)、一味、くはへ、細末にして、水にて、とき、ぬりて、よし。

[やぶちゃん注:全くの偶然だが、本日午前中に、『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香』を公開している。そちらを見られたい。ちっと、長いが、ね。]

 

○「雁(がん)がさ」のくすり。

 右、「バジリコン」、よし。此(この)膏(かう)、桑紙へ付(つけ)て、はりかへ、はりかへ、すべし。賣藥店(ばいやくみせ)は東海道川崎宿、いさこ町大坂屋又兵衞所(ところ)に有(あり)。貝に入(いれ)、十六せんづつ也。

[やぶちゃん注:「雁がさ」「雁瘡」皮膚病の一種。治り難く、痒みが激しい。雁が飛来する頃に生じ、去る頃には治るというので、この名がある。「がんさう(がんそう)」とも呼ぶ。アトピー性皮膚炎は環境の複合汚染によって現れた新しい病気であるという説が大手を振っているが、研究者の中には、古くからあったこの「がんかさ」が当該疾患であったという説を唱える方もいる。

「バジリコン」basilicão。蘭方薬の一種。オリーブ油・黄蝋・松脂・チャンなどから製した、吸出し膏薬。「バジリ」「バジリ膏」。

「東海道川崎宿、いさこ町」現在の神奈川県川崎市川崎区砂子(いさご:グーグル・マップ・データ)。]

 

○又、一方。

 接骨木(にはとこ)の古根を黑燒にして、おしろいの粉を、めぶん量にて、少し、くはへ、胡麻の油に、ときて、つくるなり。付(つけ)かへるときは、初(はじめ)のくすりを、赤肌になるまで、あらいおとして付(つく)れば、はやく治す。

[やぶちゃん注:「接骨木」「庭常」とも書く。双子葉植物綱マツムシソウ目ガマズミ科ニワトコ属亜種ニワトコ Sambucus racemosa subsp. sieboldiana 当該ウィキによれば、『日本の漢字表記である「接骨木」(ニワトコ/せっこつぼく)は、枝や幹を煎じて水あめ状になったものを、骨折の治療の際の湿布剤に用いたためといわれる。中国植物名は、「無梗接骨木(むこうせっこつぼく)」といい、ニワトコは中国で薬用に使われる接骨木の仲間であ』るとあって、『若葉を山菜にして食用としたり、その葉と若い茎を利尿剤に用いたり、また』、『材を細工物にするなど、多くの効用があるため、昔から庭の周辺にも植えられた』。『魔除けにするところも多く、日本でも小正月の飾りや、アイヌのイナウ(御幣)などの材料にされた』。『樹皮や木部を風呂に入れ、入浴剤にしたり、花を黒焼にしたものや、全草を煎じて飲む伝統風習が日本や世界各地にある』。『若葉は山菜として有名で、天ぷらにして食べられる』。但し、『ニワトコの若葉の天ぷらは「おいしい」と評されるが』、『青酸配糖体を含むため』、『多食は危険で』、『体質や摂取量によっては下痢や嘔吐を起こす中毒例が報告されている』とあった。『果実は焼酎に漬け、果実酒の材料にされる』とある。天ぷらを食べたことがある。]

 

○又、一方。

 雁(かり)の「ふん」を、くろやきにして、ごまのあぶらにて付(つけ)て、よし。「がんのふん」は、いなかへ、たのみやれば、いくらもあるもの也。

 

○「すねくさ」には、

 そば粉を、湯にて、ときて、付(つけ)てよし。

[やぶちゃん注:「すねくさ」「脛瘡」。脛(すね)に生じた湿疹。]

 

○「風疾(ふうしつ)」のくすり。

 うどんの粉に、「くちなし」の實を、きざみ、くはへ、玉子にて、ときて、足のいたむところへ、ぬりぬり、すれば、靑きいろになる也。これを「風しつ」の「しやう」とす。いかやうに、いたみ、つよきも、二、三日すぐれば、治る也。

[やぶちゃん注:「風疾」漢方で中風・リウマチ・痛風などのことを指す。「風病」「風患」と言う。]

 

○「たゝみこぶ」、はれ、いたむには、

 皮足袋(かはたび)を、常に、はきて、よし。

[やぶちゃん注:「たゝみこぶ」これは「疊瘤」で、正座を常時し続けることによって起こる、下肢に発生する瘤(こぶ)のことであろう。なお、畳職人の職業病に同名の疾患があるが、肩甲骨の辺が瘤のように膨らんでくるものである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 箘桂

Kinkei

 

きんけい      筒桂 小桂

 

箘桂

          本草必讀有箘

          桂之圖與牡桂

          相反誤也今改

          正之

 

本綱箘桂葉如柹葉而尖狹光澤有三縱文而無鋸葉表

裏無毛其花有黃有白其皮薄而卷如筒故名筒桂其老

木皮及大枝皮堅版不能重卷味淡不入藥用小枝皮薄

而卷及二三重者良然主治與肉桂桂心迥然不同昔人

所服食者葢此類耳

皮【辛温】  養精神和顏色爲諸藥先聘久服輕身靣生光

 𬜻常如童子

△按箘桂𠙚𠙚植之呼曰肉桂木其形狀如上說伹葉匾

 本末狹尖緑澤而背色淡摘其葉經半時則縱文變赤

 黒色既黃枯者枝葉根皆辛温氣甚

眞肉桂葉如批杷葉者未見之

 

   *

 

きんけい      筒桂《とうけい》 小桂

 

箘桂

          「本草必讀」に「箘桂の圖」、

          「牡桂《ぼけい》」と相反《あ

          ひはん》し、誤りなり。今、

          之れを改正す。

 

「本綱」に曰はく、『箘桂《きんけい》は、葉、柹《かき》の葉のごとくして、尖り、狹《せば》く、光澤≪あり≫。三つの縱の文、有りて、鋸葉《のこぎりば》、無し、表裏、毛、無し、其の花、黃、有り、白、有り。其の皮、薄く、卷く。筒《つつ》のごとし。故《ゆゑ》、「筒桂《とうけい》」と名づく。其の老木《おいぎ》の皮、及び、大枝の皮、堅く版(いた)のごとくして、重《かさ》ね卷く能《あた》はず。味、淡く、藥用に入れず。小枝の皮、薄くして、卷きて、二、三重(がさ)ね及ぶ者、良し。然れども、主治、肉桂・桂心とは、迥-然(はるか)に同じからず。昔≪の≫人、服食≪せる≫所≪の≫者、葢《けだ》し、此の類のみ。』≪と≫。

『皮【辛、温。】  精神を養ひ、顏色を和《なごませ》、諸藥の先聘《さきがけ》と爲《な》す。久しく服すれば、身を輕《かろ》≪くし≫、靣《かほ》に光𬜻《くわうくわ》を生じ、常に童子のごとし。』≪と≫。

△按ずるに、「箘桂」、𠙚𠙚《ところどころ》に、之れを植ゑて、呼んで、「肉桂の木」と曰ふ。其の形狀、上の說のごとし。但し、葉、匾(ひらた)く、本《もと》・末《すゑ》、狹《せばく》、尖り、緑≪にして≫、澤《つややか》で、背《うら》の色、淡《あは》し。其の葉を摘(むし)りて、半時《はんとき》を經《ふ》れば、則ち、縱(たつ)の文《もん》、赤黒色に變ず。既に黃(きば)み枯《かる》る者は、枝・葉・根、皆、辛・温≪にして≫、氣、甚だし。

眞の「肉桂」、葉、批杷の葉のごときなる者、未だ、之れを見ず。

 

[やぶちゃん注:「箘桂」先行する「肉桂」で既出既注。そこに引用した真柳誠氏の見解によれば、現在、我々が普通に見るスティック状に加工されたシナモン・ニッキの原産種である、

双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ジャワニッケイ Cinnamomum javanicum

であるとされる。良安の記載は、加工された樹皮が筒状とする点、まさに正しくそれを指していることがよく判る。実際の生木の画像は、M.Ohtake氏のサイト「四季の山野草」のこちらが、よい。

 なお、この「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「箘桂」の記載である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-23a]の抜書である。

「本草必讀」東洋文庫の巻末の「書名注」に、『「本草綱目必読」か。清の林起竜撰』とある。なお、別に「本草綱目類纂必讀」という同じく清の何鎮撰のものもある。この二種の本は中文でもネット上には見当たらないので、確認出来ない。

「牡桂」既出既注。未だに、中文本草書で「桂」を「かつら」等と訓読みしている御仁は、必ず参照のこと

「先聘《さきがけ》」どうも「センヘイ」という音は気に入らなかったので、東洋文庫訳のルビに従った。

「光𬜻《くわうくわ》」東洋文庫訳のルビは『つや』である。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(9)

○乳を小兒にかまれ、いたむには

 「やまめ」といふ魚の、黑燒を付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:条鰭綱サケ目サケ科サケ亜科タイヘイヨウサケ属サクラマス亜種ヤマメ(サクラマス)Oncorhynchus masou masou 。本種は、サクラマスのうち、降海せず、一生を河川で過ごす陸封型個体を指す。北海道から九州までの河川の上流などの冷水域に棲息する。詳しくは、私の『フライング公開 畔田翠山「水族志」 ヤマベ (ヤマメ)』がよかろう。]

 

○乳の疵、なをる方。

 蛇退皮(へびのぬけがら[やぶちゃん注:珍しい底本のルビ。])を黑燒にして、胡麻の油にて付(つく)べし。十月比(ごろ)、澤山に、ある也。但(ただし)竈(へつつい)にて燒(やく)べからず。いかやうの新しき鍋釜にても、卽座に、わるゝ也。心すべし。

[やぶちゃん注:最後のそれは、五行思想の「相生」(そうじょう)に拠る謂いである。「鍋釜」の鉄は「金」であり、蛇は「水」である。相生では「金生水」(きんしょうすい・ごんしょうすい)で、金属の表面に凝結が生じると水が生まれ、破れるのである。]

 

○乳のすくなきを澤山にする方。

 かたくりの粉を、湯に、ほだてて、砂糖を少し加へて、每朝、空腹に一杯づつ飮(のむ)べし。一ケ月ほどをへて、乳、出(いづ)る也。

[やぶちゃん注:「ほだてて」「攪(ほだ)てて」。搔き混ぜて。]

 

○腹痛する時、用(もちゆ)る丸藥。

 楊梅皮(やうばいひ)【五匁。】・胡根(ここん)【一匁。】・胡黃連(こわうれん)【三匁。】。

 右、三味、丸藥にして用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「楊梅皮」既出既注だが、再掲しておくと、山桃(ブナ目ヤマモモ科ヤマモモ属ヤマモモ Morella rubra )の皮。本州中部以南・朝鮮半島・台湾・中国などに分布する。山中で多く実をつけることから、「山百々」と呼ばれ、それが和名になった。夏に果実の紅熟したものを「楊梅」(ヨウバイ)、七~八月頃に樹皮を剝いで、天日乾燥したものを「楊梅皮」と呼んで、孰れも生薬とする。

「胡根」生薬として居られる「柴胡」(さいこ)のこと。セリ目セリ科ミシマサイコ属(或いはホタルサイコ属)ミシマサイコ Bupleurum stenophyllum の根。解熱・鎮痛作用があり、多くの著名な漢方方剤に配合されている。

「胡黃連」高山性多年草の、シソ目ゴマノハグサ科コオウレン属コオウレン Picrorhiza kurrooa(ヒマラヤ西部からカシミールに分布)及びPicrorhiza scrophulariiflora(ネパール・チベット・雲南省・四川省に分布)の根茎を乾かしたもの。古代インドからの生薬で、健胃・解熱薬として用い、正倉院の薬物中にも見いだされる。根茎に苦味があり、配糖体ピクロリジン(picrorhizin)を含むものの、薬理効果は不明である。なお、「黃連」があるが、これは小型の多年生草本である、キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica 及び同属のトウオウレン Coptis chinensisCoptis deltoidea の根茎を乾燥させたもので、全く異なるものなので、注意が必要である。]

 

○腹のくだるとき、せんやく。

 蒼朮(さうじゆつ)・白朮(びやくじゆつ)・升麻(しやうま)・防風・干姜(かんきやう)・茯苓(ぶくりやう)

 右、六味、目方、各、等分。桂皮にても、肉桂にても、隨分、からきものを、右、六味、等分のめかたほど、加へ、甘草、少し加(くはふ)べし。

 右、八藥、二、三十貼(しやう)も用(もちゆ)べし。少々、服(ふくみ)候ては、功、なし。

[やぶちゃん注:「蒼朮」はキク目キク科オケラ属ホソバオケラ Atractylodes lancea の根茎の生薬名。中枢抑制・胆汁分泌促進・抗消化性潰瘍作用などがあり、「啓脾湯」・「葛根加朮附湯」などの漢方調剤に用いられる。参照したウィキの「ホソバオケラ」によれば、『中国華中東部に自生する多年生草本。花期は9〜10月頃で、白〜淡紅紫色の花を咲かせる。中国中部の東部地域に自然分布する多年生草本。通常は雌雄異株。但し、まれに雌花、雄花を着生する株がある。日本への伝来は江戸時代、享保の頃といわれる。特に佐渡ヶ島で多く栽培されており、サドオケラ(佐渡蒼朮)とも呼ばれる』とある。

「白朮」既出既注だが、再掲すると、キク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica の根茎。一般には、健胃・利尿効果があるとされる。

「升麻」同前で、「ショウマ」は漢方生薬。キンポウゲ目キンポウゲ科サラシナショウマ属サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎を天日乾燥させたもの。ウィキの「サラシナショウマ」によれば、これは、『発汗、解熱、解毒、胃液・腸液の分泌を促して胃炎、腸炎、消化不良に効果があるとされ』、各種『漢方処方に配剤されている』とあり、さらに、『民間では』、一『日量』二『グラムの升麻を煎じて、うがいに用いられる』とする。さらに、『なお、本種に似たものや、混同されて生薬として用いられたものなど、幅広い植物にショウマの名が用いられている』とある。最後の部分は、ウィキの「ショウマ(植物の名)」も参照されたい。

「防風」セリ目セリ科ボウフウ属ボウフウ Saposhnikovia divaricata 。但し、本種は中国原産で本邦には自生はしない。されば、ここはセリ科ハマボウフウ属ハマボウフウ Glehnia littoralis を指していよう。

「干姜」当時の漢方では、修治されていないものも、修治されているものも含めた乾燥させたショウガの根茎を指す。

「茯苓」既出既注だが、再掲しておくと、菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。]

 

○又、一方。「せんき」のくすり、「香感散」、よろし。

[やぶちゃん注:「香感散」国立国会図書館本も同じで、底本には注もないが、こんな名の漢方配合剤は、ない。知られた似たものに「香蘇散」がある。而して、「蘇」の崩し字と、「感」のそれは、崩し方によっては、よく似ている。私は「蘇」の津村の誤判読ではないかと思われる。詳しくはサイト「漢方ライフ」のこちらに詳しいので、見られたい。]

 

○又、一方。

 「むし」のかぶるとき、「せんぶり」といふ草、湯に、ふり出(いだ)して、飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「むし」疳の虫。

「せんぶり」双子葉植物綱リンドウ目リンドウ科センブリ属センブリ Swertia japonica 当該ウィキによれば、『ゲンノショウコ、ドクダミと共に日本の三大民間薬の一つとされていて』、『昔から苦味胃腸薬として使われてきた、最も身近な民間薬の一つである』とあり、また、『和名』『の由来は、全草が非常に苦く、植物体を煎じて「千回振出してもまだ苦い」ということから、「千度振り出し」が略されて名付けられたとされている』。『その由来の通り』、『非常に苦味が強く、最も苦い生薬(ハーブ)といわれる』。『別名は、トウヤク(当薬)、イシャダオシ(医者倒し)ともよばれる』。『別名の当薬(とうやく)は、試しに味見をした人が「当(まさ)に薬である」と言ったという伝説から生まれたとされる』とあった。私は飲んだことがないが、小学生中学年から知識としては、よく知っている。所謂、植物の学習漫画の中に、それが出てきたからである。]

 

○又、一方。

 「かいそう」といふ海に有(ある)草、せんじて、飮(のん)で、よし。

[やぶちゃん注:子どもの疳の虫に効くとするなら、回虫駆除薬として知られる紅藻植物門紅藻植物亜門真正紅藻綱マサゴシバリ亜綱イギス目フジマツモ科アルシディウム連マクリ属マクリDigenea simplex ではないかと推定する。同種は、別名を「カイニンソウ」(海人草)と言うからである。]

 

○又、一方。

 江戶小日向、本法寺、大丸藥、よし。一粒、三せんづつ也。右、「かなつち」[やぶちゃん注:ママ。金槌。]にて、くだきおき、少しづつ、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:真宗大谷派高源山隨自意院本法寺。夏目漱石の実家の菩提寺として知られる。ここ漱石の「こゝろ」の「先生」の下宿先の一キロメートル西の直近位置である。漱石が、この周辺の土地勘があったことが、これで判る。

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(21)

 

   ほとゝぎす鳴や山田の日和虹 捨 石

 

 晝のほとゝぎすらしい。日和虹といふのは、雨も降らぬのにかゝる虹をいふのであらう。後の俳書に「日和虹」といふ名のがあつたかと記憶する。山田の空には鮮に日和虹がかゝり、ほとゝぎすの啼き渡る聲がする。爽な感じの光景である。

 俳人によつて開拓されたほとゝぎすの世界はいろいろあるが、最も多いのは配合の句で、それだけ又相似たものになり易い。その點から云ふと、この句の如きは配合物の上で明に傳統を破つてゐる。實感にあらずんば得難い趣であることは言を俟たぬ。

[やぶちゃん注:「日和虹」国立国会図書館デジタルコレクションの検索で調べたところ、一件だけ、明らかに俳諧選集である「日和虹」を見出せたが、通常閲覧が出来ない書籍であったので、書誌は判らない。江戸後末期の女流俳人市原多代女の句が入集している俳諧選集である。]

 

   笠はみな哥にかたぶく田植かな 松 葉

 

 笠を著連れた早乙女が一齊に歌をうたふ。その時笠が皆傾いて見える。同じやうな姿勢の下に田植歌がうたはれるといふのであらう。

「早乙女の笠かたぶけてうたひけり」とか、「うたふ時かたぶく笠や早苗取」とかいふ風に云つた方が、意味はよくわかるかも知れぬ。たゞ「笠はみな哥にかたぶく」と云ふと、表現が力强いのみならず、一齊に笠の傾く樣子が眼に浮んで來るやうに思ふ。

[やぶちゃん注:宵曲の言う通りで、これは、かなり離れた場所から、ワイドで撮り、早乙女の姿ではなく、笠だけが映像の主体であって、それが一斉に歌で傾くという極めて鮮やかな動的な景色をズーム・アップして素晴らしい。]

 

   振たてゝ柳に散や鵜の篝 林 陰

 

 鵜飼といふものは實際を見たことが無いから、はつきりしたことはわからぬが、舟が稍〻岸に近いやうな場合であらうか。鵜匠の振立てる松明の火の粉が岸の柳に散りかゝる、といふ意味らしく思はれる。何となく爽な趣である。

 鵜飼を詠んだ句の多くは、鵜若しくは鵜匠に集注する。この句は鵜匠の働きを描いて、多少變つた方角から見たところに特色がある。柳に散る篝火は美しいのみならず、涼しい感じをさへ伴つてゐる。

[やぶちゃん注:大胆なフレーム・アップで宵曲に激しく同感!]

 

   川狩や樽あづけたる宿はあれ 朋 水

 

 川狩といふと必ずしも晝夜を限定せず、夜振[やぶちゃん注:「よぶり」。]といふと夜の場合に限られる。この句は川狩を終えたら一杯やるつもりで、樽を預けて置いた、その宿は彼處だと云つて指すやうな意味だから、晝の場合のやうに思はれる。併し遙に燈火か何か見えて、あれがあの家だといふものとすれば、夜の場合でも差支無い。現在この句が描いてゐるところは、それだけの動作に過ぎぬが、その裏には出がけに樽を預けたといふことや、川狩をしてゐる間に自ら移動して、その家から遠くなつたといふことや、川狩が濟んだら一盃やろうといふことや、いろいろなものが含まれてゐる。寫生文を壓縮したやうな句である。

[やぶちゃん注:私は「一杯やるつもり」で昼でも夜でもなく、遅い夕景と採る。「夜振」だと、光りが少なく、画像として貧しい。]

 

   かたばみの花の盛や蟻の道 如 此

 

 かたばみの花は大して見どころのあるものではない。恐らく俳句以外、在來の詩歌の類には顧みられぬ種類のものであつたらう。本當の道ばた、市井の家の垣下などにも咲いてゐるものだけに、町中に育つた吾々にもこの草は親しい記憶がある。小さい胡瓜のやうな形の實に手を觸れて、そのはじけるのを喜んだ幼い日のことを思ひ出す。

 旱にめげぬかたばみの黃色い花のほとりに、ほそぼそと蟻の道が續いてゐる。花も小さければ、それに配した蟻も小さい。炎天の下にぢつと跼んで[やぶちゃん注:「かがんで」。]見入つたやうな小さな世界が、この句に收められてゐるのである。

[やぶちゃん注: 「かたばみ」カタバミ目カタバミ科カタバミ属 Oxalis亜属 Corniculatae 節カタバミ品種カタバミ Oxalis corniculata f. villosa 。花は黄色で、私の偏愛するものである。]

 

   短夜の碁を打分の名殘かな 喜 重

 

 人が來て碁を打つほどに、夏の夜はずんずん更ふけて行く。更けて行くばかりではない、もうしらしらと明けるのではないかといふ氣がする。先刻から何番打つたかわからぬが、未だ勝敗が決しない。名殘惜しいけれども、このまま打分[やぶちゃん注:「うちわけ」。]にするといふ句意である。

「名殘」といふ言葉は無論碁の上にかゝつてゐる。同時に心持の上に於て、明易き夜に通ふところがある。そこにこの句の巧があるのであらう。

 

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂

 

Nikkei

 

につけい  梫【音寢】 牡桂

 

肉桂

 

 

本綱肉桂交趾廣州及嶺南有之生必髙山之巓冬夏常

青其類自爲林能梫害他木更無雜樹桂有數種其葉長

如枇杷葉堅硬有毛及鋸齒三四月開白花九月結實其

皮匾廣薄而味淡多脂者牡桂【一名板桂】也 皮厚辛烈者

爲肉桂而稱官桂者乃上等供官之桂也 皮最薄者爲

桂枝 去肉桂内外皮者卽爲桂心【按此内外皮之内字爲衍文可也宜參考】

一種菌桂 葉如柹葉而尖狹光浄有三縱文而無鋸齒

 其花有黃有白其皮薄而卷【日本𠙚𠙚有肉桂樹卽此菌桂也詳于後】

藥性賦註曰其在下最厚者曰肉桂 去其麁皮爲桂心

 其在中次厚者曰官桂 其在上薄者曰薄桂 其在

 嫩枝四發者曰桂枝【皆於一樹上別之立名也】

[やぶちゃん注:以上にある「按此内外皮之内……」、「日本𠙚𠙚……」。「皆於一樹上……」の割注は、「本草綱目」のそれではなく、良安が読者のために補説して添えたものであるので注意されたい。

肉桂【辛熱有小毒】 入足少陰太陰經血分能下行而補腎也

【桂心入手少陰血分桂枝入足太陽經也】利肝肺氣霍亂轉筋頭痛腰痛出

[やぶちゃん注:以上の「霍亂轉筋頭痛腰痛」は時珍の脱字があると思われ、頭に「治」を補わないと、読めない。訓読では《 》で補った。]

汗補命門不足益火堅筋骨下部腹痛非此不能止

[やぶちゃん注:以下の四行続く割注は、全体が二字下げで続くのであるが、ここでそれを再現して示すことに意味を感じないので、二字下げ位置から初めて、ベタとした。]

 【得人參甘草麥門冬大黃黃笒調中益氣 得柴胡乾地黃療吐逆 雖有小毒何施與鳥頭附子爲使全取其熱性而已 與巴豆乾漆・穿山甲同用則小毒化爲大毒也】

  墮胎懷姙人不可用【炒過則不損胎】忌葱及石脂

△按本草肉桂之類諸說有異同今以時珍之說爲𢴃而

 肉桂官桂以爲二物者非也伹官桂最上之肉桂則今

 東京肉桂以可宛也東京【卽安南國交趾之別國也】之產肉厚長尺

 許纖裁以木皮縛之甚辣風味佳不粘舌也交趾之產

 次之【東京肉桂多桂枝少交趾桂枝多肉桂少】廣西潯州亦次之咬𠺕吧暹

 羅之產粘于舌近年中華舩亦有肉桂皆不及於東京

 今藥肆名官桂者皮如桂心皮而畧有艶潤而不甚辣

 自此一種與時珍之說不合


桂心

蒙筌云去外甲錯麁皮近木黃肉曰桂心【或謂去内外皮者非也】

△按肉桂桂心本一物也然今藥肆所販桂心多用倭桂

 出於薩州川内肉桂單名桂心用之皮厚香氣甚自唐

 來桂心香少蓋無肉與心之差別誤來而已

氣味【苦辛】 治九種心痛腹内冷氣痛不可忍止下痢通

 月閉及胞衣不下治癰疽痘瘡内托化膿


桂枝

桂枝乃肉桂木枝皮也其嫩枝小者爲柳桂

氣味【辛甘微温】 去傷風頭痛橫行手臂治痛風及心痛脇痛

 凡太陽病發熱汗出者此爲營弱衞強陰虛陽必湊之

 故皆用桂枝發其汗此乃調其營氣則衞氣自和風邪

 無所容遂自汗而解非桂枝能開湊理發出其汗也汗

 多用桂枝者以之調和營衞則邪從汗出而汗自止非

 桂枝能閉汗孔也【非若麻黃能開湊理發出其汗也】庸醫遇傷寒無汗

 者亦用桂枝誤之甚矣其柳桂尤宜入上焦藥用

△按一種有藁桂枝者不佳不可用

 

   *

 

につけい  梫【音寢】 牡桂

 

肉桂

 

 

「本綱」に曰はく、『肉桂、交趾(かうち)・廣州、及び、嶺南に、之れ、有り。必≪ず≫、髙山《かうざん》の巓《いただき》に生ず。冬・夏、常に青し。其の類、自(を《のづから》)林と爲《な》り、能く他木を梫害《✕→侵害[やぶちゃん注:但し、これは原文の時珍の誤字である。後注参照。]》して、更に、雜樹、無し。桂に、數種、有り。其の葉、長《たけ》、枇杷《びは》の葉のごとく、葉、堅硬≪にして≫、毛、及び、鋸齒(のこぎりば)、有り。三、四月、白花を開く。九月、實を結ぶ。其の皮、匾《ひらたく》、廣《ひろく》、薄くして、味、淡《あはく》、脂《あぶら》多≪き≫者は、「牡桂《ぼけい》」【一名、「板桂《ばんけい》」。】なり。』。 『皮、厚くして、辛烈《しんれつ》なる者、「肉桂」と爲《な》し、「官桂《くわんけい》」と稱する者は、乃《すなはち》、上等≪にして≫、官に供≪する≫の「桂」なり。 皮、最も薄き者を、「桂枝」と爲す。』。 『肉桂の内外の皮を去る者、卽ち、「桂心」と爲す。』【按ずるに、此の「内外の皮」の内の字、衍文と爲≪し≫て、可なり。宜しく參考すべし。】。

『一種「箘桂」 葉、柹《かき》の葉のごと≪くなるも≫、尖《とがり》、狹《せばく》、光浄《つやつや》≪として≫、三《みつ》の縱文《たてもん》有りて、鋸齒、無く、其の花、黃、有り、白、有り。其の皮、薄≪くして≫、卷く。』≪と≫【日本、𠙚𠙚《ところどころ》、肉桂の樹《き》有≪るも≫、卽ち、此れ、「菌桂」なり。後《あと》に詳らかにす。】。

『「藥性賦」の註に曰はく、『其≪それ≫、下に在りて、最も厚き者を「肉桂」と曰ふ。』。『其の麁皮(あら《かは》)を去り、「桂心」と爲す。』。 『其≪それ≫、中に在りて、次に厚き者を、「官桂」と曰ふ。』。 『其≪それ≫、上に在りて、薄き者を、「薄桂」と曰ふ。 其≪それ≫、嫩(わか)き枝に在りて、四《よ》もに發《はつ》≪する≫者を、「桂枝」と曰ふ。』≪と≫。』【皆、一樹の上に於いて、之れを別して、名を立つるなり。】。

[やぶちゃん注:以上にある「按此内外皮之内……」、「日本𠙚𠙚……」。「皆於一樹上……」の割注は、「本草綱目」のそれではなく、良安が読者のために補説して添えたものであるので注意されたい。

『肉桂【辛、熱。小毒、有り。】 足少陰太陰經《そくしやうたいいんけい》の血分《けつぶん》に入《い》り、能く下行して、腎を補≪する≫なり。』

『【「桂心」、手の少陰の血分に入り、「桂枝」、足の太陽經に入るなり。】肝・肺の氣を利し、霍亂《かくらん》・轉筋《こむらがへり》・頭痛・腰痛《を治し》、汗を出《いだ》し、命門《めいもん》の不足を補ふ。火《くわ》を益し、筋骨を堅め、下部の腹痛、此れに非ざれば、止《や》むこと、能はず。

『【人參・甘草・麥門冬《ばくもんとう》・大黃・黃笒《わうごん》を得れば、中《ちゆう》を調へ、氣を益す。』。 『柴胡《さいこ》・乾地黃《かんじわう》を得れば、吐逆《とぎやく》を療《れう》す。』。 『「小毒、有り。」と雖も、何ぞ施《せ》に鳥頭《うず》・附子《ぶす》を「使《し》」と爲《す》るは、全く、其の熱性《ねつせい》を取るのみ。』。 『巴豆《はづ》・乾漆《かんしつ》・穿山甲《せんざんかう》と同じく用ふれば、則ち、小毒、化《くわ》して、大毒と爲るなり。』。】

 『胎《たい》を墮《おろ》す≪ゆゑ≫、懷姙の人、用ふべからず【炒-過《よくいらば》、則ち、胎を損ぜざるなり。】。葱《ねぎ》、及び、石脂《せきし》を忌む。』≪と≫。

△按ずるに、「本草」、肉桂の類、諸說、異同。有り。今、時珍の說を以つて、𢴃《よりどころ》と爲せ≪ども≫、「肉桂」≪と≫「官桂」≪と≫、以つて、二物と爲《す》るは、非なり。伹し、「官桂」は、最上の「肉桂」≪なれば≫、則ち、今の「東京肉桂(トンキン《につけい》)を以つて宛《あ》つべし。「東京」【卽ち、安南國。交趾(カウチ)の別國なり。】の產は、肉、厚く、長(た)け尺許《ばかり》、纖(ほそ)く裁《たち》、木の皮を以つて、之れを縛(くゝ)る。甚だ、辣《からく》して、風味、佳《よ》く、舌に粘(ねば)らざるなり。交趾の產、之れに次ぐ【東京には、「肉桂」、多く、「桂枝」、少く、交趾には、「桂枝」、多く、「肉桂」、少なし。】。廣西の潯州《じんしう》も亦た、之れに次ぐ。咬𠺕吧(ヂヤガタラ)・暹羅(シヤム)の產、舌に粘る。近年は、中華の舩《ふね》にも、亦、肉桂、有り。皆、東京《トンキン》に及ばず。今、藥肆(くすりや)に、「官桂」と名づくる者は、皮、「桂心」の皮のごとくにして、畧《ほぼ》、艶(つや)・潤(うるほ)ひ有りて、甚《はなはだ》≪には≫辣(か)らからず。自《おのづか》ら、此れ、一種にして《→とするも》、時珍の說と合はず。


桂心(けいしん)

「蒙筌(まうせん)」に云はく、『外《そと》の甲錯《かうさく》≪せる≫麁皮《あらかは》を去る。木に近き黃肉《わうにく》を「桂心」と曰ふ【「或いは、内外の皮を去る。」と謂ふは、非なり。】。』≪と≫。

△按ずるに、「肉桂」≪と≫「桂心」、本《も》と、一物なり。然《しか》るに、今、藥肆《くすりや》、販(う)る所の「桂心」は、多くは、「倭桂《わけい》」を用ふ。薩州の川内(せんだい)より出《いづ》る。「肉桂」を、單《ひと》へに「桂心」と名《なづけ》て、之れを用ふ。皮、厚く、香氣、甚だし。唐《もろこし》より來たる。「桂心」は、香《かをり》、少なし。蓋し肉と心の差別無く、誤《あやまり》來《きた》るのみ。

氣味【苦、辛。】 九種の、心痛、腹内≪の≫冷氣痛≪のうち≫、忍ぶべからざるを、治す。下痢を止め、月閉《げつへい》及び胞衣《えな》の下らざるを通ず。癰疽《ようそ》・痘瘡《たうさう》を治す。内《うちに》托《たく》して、膿《うみ》に化《くわ》す。


桂枝(けいし)

桂枝は、乃《すなは》ち、肉桂木の枝の皮なり。其の嫩枝(わか《えだ》)の小さき者を、「柳桂」と爲す。

氣味【辛、甘。微温。】 傷風・頭痛を去り、手臂(てひぢ)に橫行して、痛風、及び、心痛・脇痛を治す。凡そ、太陽《たいやう》の病《やまひ》、發熱して、汗、出づる者は、此れ、營(えい)、弱(よは)く、衞(ゑい)、強(つよ)しと爲《な》す。陰虛すれば、陽、必ず、之れ≪に≫湊《あつ》まる。故《ゆゑ》≪に≫、皆、桂枝を用ひて、其の汗を發す。此れ、乃《すなは》ち、其の營氣を調へ、則ち、衞氣、自《おのづか》ら、和《わ》し、風邪《ふうじや》の容(い)るゝ所、無し。遂に自《おのづか》ら汗して、解す。桂枝、能く湊理(さうり)を開きて、其の汗を發出するに非ざるなり。汗の多くに桂枝を用ひるは、之れを以つて、營・衞を、調和するのみ。則ち、邪、汗に從ひて、出でて、汗、自《おのづか》ら止む。桂枝、能く汗≪の≫孔《あな》を閉づるに非ざるなり【麻黃《まわう》の能く湊理を開き、其の汗を發出するごときは、非なり。】庸醫(やぶいしや)、傷寒≪の≫、汗、無き者に遇ひても、亦、桂枝を用ふるは誤《あやまり》の甚だしき≪ものなり≫。其れ、柳桂は、尤も宜《よろ》しく上焦(じやうしやう)の藥に入れ、用ふべし。

△按ずるに、一種、「藁桂枝《わらけいし》」といふ者、有≪るも≫、佳《か》なら≪ざれば≫、用ふべからず。

 

[やぶちゃん注:この「肉桂」は常緑高木の、

双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ニッケイ Cinnamomum sieboldii

である(近年の学名については、以下の引用を参照されたい)。私は、実際に生木を見た記憶がないので、学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。当該ウィキによれば、『ニッキ、ニッケとも呼ばれる。かつては、中国南部・台湾原産とされていたが、自生種の存在も確認されている。日本へは享保年間』(一七一六年~一七三六年)『に中国から輸入され、盛んに栽培された』。『内樹皮が香料として使用される近縁のセイロンニッケイ Cinnamomum verum (シナモン)やシナニッケイ Cinnamomum cassia (カシア)とは異なり、樹皮には香りが弱いため』、『利用価値はないものの、根皮には香りがあり、辛味が強いため』、『香辛料として利用される』。『日本に自生するニッケイ属樹木の学名には混乱があ』り、嘗つては、『ベトナム原産のCinnamomum loureiroi Nees』『とされていたが』一九八〇『年代以降に』なって、『琉球や日本に自生する種はCinnamomum sieboldii Meisn.とされるようになった』。『江戸時代中期に、中国から渡来した桂皮の有用性が国内で認識され、各地でニッケイの栽培が始まった。この栽培種は、東南アジア原産種Cinnamomum loureiroi Nees(1836)と同一とみなされていたが、沖縄本島北部・徳之島などに自生する野生種と同一であると判明したため、近年では日本固有種として扱われるようになっている』。『これに伴い、学名をCinnamomum sieboldii Meisn. 又は Cinnamomum okinawaense Hatusima と表記する図鑑、書籍が増えている』。『江戸時代には、海外産の桂皮と同様に、国産ニッケイが医薬品として使われており』、「和漢三才圖會」・「大和本草」・「一本堂藥選」(香川修徳著)・「古方藥品考」(内藤尚賢著)・「重修本草綱目啓蒙」『などに記載がある。例えば』、「古方薬品考」には、

   *

邦產の者は辛味唯根に有り。故に根皮の桂と稱す。今土佐薩州に出づる者は、色、紫赤色、紀州の產は赤色、凡そ、味、辛く、甘く、渋からざる者は用ふべし。和州城州諸州の產は下品なり。」(原漢文)

   *

『とあり、(樹皮ではなく)根皮が用いられたこと、当時の特産地が鹿児島・高知・和歌山であったことがわかる。 根皮の中でも、色、香り、味が部位によって異なるため、以下のように細かく分類して呼称された』。

   *

「松葉」:直径一センチメートル以下の根からとった根皮。

「上縮」(じょうちり):直径一~二センチメートルの根からとった根皮。

「中縮」(ちゅうちり):直径二~四センチメートルの根からとった根皮。

「小巻」:直径四~七センチメートルの根からとった根皮。

「荒巻」:直径七センチメートル以上の根からとった根皮。

「さぐり皮」:地上一メートルまでの幹皮。

   *

『ニッケイの商品名としては、土佐の』「縮々」(ちりちり)」や、『紀州の』「小巻」『等が良品として有名であった』。『また、独特の辛味を利用して』、「ニッキ水」・「ニッキ飴」・「八ツ橋」・「けせん団子」(ニッキの葉を小豆団子に巻いた鹿児島の和菓子)・「ニッキ餅」・「肉桂せんべい」など、『ニッキを配合した食品(和菓子など)が各地で作られた』。『和歌山県では、栽培最盛期の大正』一〇(一九二一)『年頃まで根皮』一万『貫、樹皮(桂辛)』五千『貫の生産があり、ドイツやアメリカにも生薬として輸出された。 一方、この頃、国産ニッケイの精油含量が中国産の桂皮に劣ると報告され』、『医薬品原料としての関心が薄まり始めた』。『昭和以降』は、『医薬品原料としての需要は徐々になくなり、和歌山県の生産量は、昭和』二二(一九四七)『年には』百『貫まで減じた』。『日本薬局方においては、第六改正(昭和』二十六『年発行)までは「日本ケイ皮」として収載されていたが、流通実績がないために次の改正から外され、現代においては、医薬品として使用されることはない。 また、食品原料としての流通も現在ではほとんどなくなり、上述した和菓子の製造においては、代替としてシナモンを用いているものが多い』。『ニッケイの風味は、香りの良い精油によるものであり、その品質は、精油含量や精油中のシンナムアルデヒド含量で評価されることが多い。海外産のセイロンニッケイやシナニッケイと比較して、ニッケイの精油含量は低いとされがち』『であるが、下表のように含量の多いニッケイ検体も報告されており』、『ニッケイの品質が』、『ほかのニッケイ属種より劣っているとは一概に言えない』。『根皮の精油には、シンナムアルデヒドのほか、クマリン、カンファ―などが含まれる』。『枝葉の精油には、リナロール、シンナムアルデヒド、ゲラニアール』『などが含まれる』。『シナモンと同様に、クマリンの過剰摂取は、肝障害のリスクを有する』とある。

 さて、良安の「本草綱目」の引用だが、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「桂」の中で書かれている、概ね、肉桂についての記載である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-14b]の「集解」及び「氣味」・「主治」を、例によって、パッチワークしたものなのであるが、ここでの良安の引用は、それが、分離してあるものを拾って繋げたことが、明確に判るように、一字字空けや、改行で判然とさせているのである。これは実は、本書の全水族部電子化注プロジェクトを行った時も、また、その後、各種動物類全部を電子化注した際にも、このような仕儀を原文に見ることは殆んど全くなかったから、非常な特異点と言えるのである。これは、これも特異点なんであるが、「本草綱目」の引用中に、これまた、極めて特異的に良安が割注をしていることとともに、例外的に最後に「時珍の說と合はず」と結んでいることから判る通り、ここで、良安は、極めて批判的に引用を選び、その矛盾点を剔抉しているのである。やったね! りょうちゃん!!!

「交趾(かうち)」コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。

「廣州」現在の広東省、及び、その西の広西チワン族自治区(前者は狭義には広州市)相当。

「嶺南」中国の南部の南嶺山脈(「五嶺」)よりも南の地方を指す古くからの広域地方名。現在の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と、湖南省・江西省の一部に相当する。部分的に「華南」と重なっている。地方域は参照したウィキの「嶺南(中国)」にある地図を見られたい。

「梫害《✕→侵害》」時珍の誤字。「漢籍リポジトリ」の[083-14b]の「桂」「牡桂」の最終行に、

   *

埤雅云桂猶圭也宣導百藥為之先聘通使如執圭之使也爾雅謂之梫者能害他木也

   *

とある。この「梫」は、日中辞書によれば、古書中に登場するニッケイを意味する感じであるが、この漢字には「侵」(おかす)の意味はない。直前の「爾雅」の引用に「梫」に引かれて、「侵」と書くところを間違えたものと断ずるものである。

「枇杷の葉」バラ目バラ科ナシ亜科シャリンバイ(車輪梅)属ビワ Rhaphiolepis bibas の葉は、厚く、堅く、表面が凸凹しており、葉脈ごとに波打ち、而して、葉縁には、波状の鋸歯がある。

『「牡桂《ぼけい》」【一名、「板桂《ばんけい》」。】』漢方でニッケイの皮の薄いものを「桂皮」(ケイヒ)と呼ぶが、これは漢代に書かれた最古の本草書「神農本草經」の上品に「箘桂」及び「牡桂」の名で収載されている。本邦の国語辞典で、「桂」や「牡桂」を引くと、双子葉植物綱ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum の異名とするが、しかし、これは無批判に受け取ると、致命的な大火傷を受けるハメになる。そもそもが、

中国語の「桂」は元来は本邦の「カツラ」ではなく、全く別種であるこの「肉桂」(ニッケイ)や、「木犀」

双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ Osmanthus fragrans 等の常緑香木の総称

だからである。

「菌桂」真柳誠氏のサイト「MAYANAGI's Laboratory for the History of Medicine」の中の論文「中国11世紀以前の桂類薬物と薬名―林億らは仲景医書の桂類薬名を桂枝に統一した―」(『薬史学雑誌』三十巻二号一九九五年刊)の『3-2 菌桂』の部分に、『菌桂は本草に『本経』から収載されたが、形状記述はない。『別録』で初めて「無骨、正円如竹」と記され、これは前述の『山海経』郭璞注にいう「菌桂、桂員(円)似竹」ともおよそ合致する。ちなみに仁和寺本『新修』は菌桂でなく、箘桂と記す』。『この箘には竹の意味があり』、『菌と通じるので』、『菌桂(箘桂)とは竹筒状桂類薬の意味で呼ばれた名称だろう。『集注』の菌桂条で弘景は「正円如竹者、惟嫩枝破巻成円、猶依桂用、非真菌桂也」「三重者良、則明非今桂矣、必当別是一物」と注し、菌桂と桂はまったく別物と考えている。一方、『新修』菌桂条の注は「大枝小枝皮倶菌、然大枝皮不能重巻、味極淡薄、不入薬用」という。すると』七『世紀までの菌桂は桂(牡桂)と別植物で、その小枝の樹皮は重なり巻くが、大枝の樹皮は味が淡薄で重なり巻かず』、『使用不可だったらしい』。『他方、『新修図経』注は牡桂の葉が「長於菌桂葉一二倍」といっていた』。『現在の中国に自生する薬用桂類種で、葉の長さが牡桂すなわちC. cassiaやC. obtusifoliumの』二分の一から三分の一『なのは 』六~十センチメートルの『C. burmanniしかない』。『すると『新修』の』七『世紀以前の菌桂はC. burmanniの小枝の皮だった可能性が予測されよう。ところで現在スパイスとして使用されているシナモンスティックの大部分は、C. zeylanicumのセイロンニッケイとC. burmanniのジャワニッケイに基づく』。『製法は株から新出した若枝の皮を剥ぎ、コルク層を削り落として重ね巻き』、『紙巻きタバコほどの太さになっている。その形状はまさしく竹筒状で、唐代までの菌桂の文献記載と一致する。このシナモンスティックは辛味が弱くて甘味が強い食用で、辛味・甘味ともに強い薬用のC.cassiaの樹皮とは相当に違う。菌桂もシナモンスティック同様、香辛料だったのだろうか』。『本草の経文を見ると、桂条の『別録』と牡桂条の『本経』『別録』はいずれも治療効果に具体的病状を挙げる。ところが菌桂は『本経』に「主百病、養精神、和顔色、為諸薬先聘通使、久服軽身不老、面生光華、媚好常如童子」、と一般的な健康増進効果しか記されない。『別録』は菌桂の効果すら一切記載しない。すると菌桂は治療用ではなく、健康増進を目的とした香辛料だったに相違ない。『本経』上薬の秦椒が食用で、下薬の蜀椒が薬用という同様例もある。馬王堆医書以降、菌桂を配剤した処方が医方書にみえないのも当理由からであろう。一方、C. zeylanicumの葉長は』十五~二十センチメートルで、『『新修』がいう菌桂の葉長と合致しない。以上より、菌桂はC. burmanniに基づき、シナモンスティックと同様の製品だったらしいと判断できる』とあった。

「藥性賦」東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『一巻。付、病機賦一巻。明の劉全備(りゅうぜんび)撰』とある。

「足少陰太陰經」東洋文庫訳の後注では、『身体をめぐる十二経脈の一つ。足の少陰腎経と足の太陰肺経のこと。足の少陰腎経は足の小指の内側から出て足を上行して背を通り腎に入り膀胱と結ぶ。また腎から肝、さらに喉頭に至るもの、肺から心につなぎ胸に入るものがある。足の太陰脾経は足の拇指から出て内股をのぼり腹部に入って肺に至る。そこから横隔膜を通り咽喉から舌に分布する。支脈は胃から横隔膜をあがって心臓に達する』とある。

「手の少陰」同前で、『手の少陰心経。身体をめぐる十二経脈の一つ。手の少陰心経は心臓から出て小腸に入る。支脈は心臓から咽喉にのぼり眼球の後ろから脳に入る。もう一つは心臓から肺に入り前腕を通って小指の先端に行く』とある。

「足の太陽經」同前で、『身体をめぐる十二経脈の一つ。足の太陽膀胱経のこと。これは目頭から頭頂に行き、ここで二つに分かれて一つは耳へ。一つは脳から肩甲骨を経て腎に、 腎から膀胱へ入る。支脈は腰から分かれて腎部へ入り膝へ。もう一つ肩甲骨から脊柱に沿って下り股関節に入り膝に至って先のものと合流する』とある。

「霍亂」急性日射病で昏倒する症状や、真夏に激しく吐き下しする病気の古称である。後者は急性胃腸炎・コレラ・疫痢などの総称に該当するものとされる。

「轉筋」(てんきん)は読みを附した通り、「腓返り」。

「汗を出《いだ》し」必要十分な発汗を自然と惹起させ。

「命門」漢方の一派で「右腎」(うじん)を指す語。男子では、精を蔵し、女子は胞(子宮)に繋がり、生殖機能との関係が深いとされた。また、経穴の一つで、人体後面の腎のつく所とされる第二腰椎上にあるものをも言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。東洋文庫割注では、『生命の源。右腎』とする。

「麥門冬《ばくもんとう》」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科 Ophiopogonae 連ジャノヒゲ属ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus の根の生薬名。現行では、これで「バクモンドウ」と濁る。鎮咳・強壮などに用いる。

「大黃」タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある

「黃笒《わうごん》」双子葉植物綱キク亜綱シソ目シソ科タツナミソウ属コガネバナ Scutellaria baicalensis の根の周皮を取り除き乾燥させた生薬。但し、当該ウィキによれば、副作用が有意に存在することが記されてある。

「柴胡」子葉植物綱セリ目セリ科ミシマサイコ Bupleurum scorzonerifolium(亜種としてBupleurum falcatum var. komarowi と記載するものもあり)の根の漢方の生薬名。解熱・鎮痛作用がある。大柴胡湯(だいさいことう)・小柴胡湯・柴胡桂枝湯といったお馴染みの、多くの漢方製剤に配合されている。和名は静岡県の三島地方の柴胡がこの生薬の産地として優れていたことに由来する。

「乾地黃《かんじわう》」「地黃」に同じ。解説すると長くなるので、「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 枸杞蟲」の私の注を見られたい。

「鳥頭《うず》」トリカブト(モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum )のトリカブト類の若い根。猛毒で、殺虫・鎮痛・麻酔などの薬用に用いられる。「そううず」「いぶす」とも言う。

「附子《ぶす》」前の語と同義。先と同様の理由で、「只野真葛 むかしばなし (61)」の私の注を参照されたい。漢方ではトリカブト属の塊根を「附子」(ぶし)と称して薬用にする。

「使《し》」漢方・和方に於いて、「補助薬」を言う。「引藥」(いんやく)とも言う。

「巴豆《はづ》」「松」で既出既注。

「穿山甲《せんざんかう》」哺乳綱ローラシア獣上目鱗甲(センザンコウ)目センザンコウ科センザンコウ属  Manis の模式種で、中国を含む東アジアに広範に棲息するミミセンザンコウ Manis pentadactyla のうろこ状の甲状になった角質の表皮。当該ウィキによれば、体長は五十四~八十センチメートル程で、体重は二~七キログラム。前肢は力強く、鋭い爪を持つ。また、尾は筋肉質であり、巻き付けて、物を摑むことが出来る。頭部から背面、尾の先端にかけて茶~黄色の鱗で覆われている。『夜行性であり、単独で行動する。生活圏は地上及び樹上。動きは機敏で、巧みに樹に登る。力強い前肢と尾は樹上生活に適応した結果である。また、前肢は土を掘る事にも適応し、これで主食のアリやシロアリを探す。そして、長い舌を使ってこれらの昆虫を舐めとる』。『外的に襲われた際は』、『身体を丸めて身を守る』ことがよく知られている。『中華人民共和国やベトナムでは食用とされたり、鱗が皮膚病・乳の出が良くなる・癌などに効能がある漢方薬になると信じられている』。『食用や薬用の乱獲により、生息数が激減している』。『採掘・水力発電用のダムや道路建設による生息地の破壊、交通事故、イヌによる捕食による影響も懸念されている』。中国では一九六〇年~一九九〇年『代にかけて、生息数の』八十八~九十四%も『減少したと推定されている』とある。同種個体は古くは「鯪鲤」(りょうり)と呼ばれた。

「石脂《せきし》」ハロイ石(HALLOYSITE:ハロイサイト)。粘土鉱物の一種で、火山灰に含まれる硝子質成分より変質して生じたもの。電子顕微鏡下で観察すると、ボール状の形態を成す。現在は岐阜県中津川市八幡産のものが知られる。

「東京(トンキン)」紅河流域のベトナム北部を指す呼称であるとともに、この地域の中心都市ハノイ(旧漢字表記「河内」)の旧称。

「安南國」ベトナム北部から中部を指す歴史的地域名称で、唐代に置かれた安南都護府に由来する呼称。

「廣西の潯州《じんしう》」現在の広西チワン族自治区桂平市一帯。

「咬𠺕吧(ヂヤガタラ)」インドネシアの首都ジャカルタの古称。また、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところから、ジャワ島のこと。

「暹羅(シヤム)」タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死語にすべきものである。

桂心(けいしん)

「蒙筌(まうせん)」「本草蒙筌」。明の陳嘉謨(ちんかぼ)の撰になる実用を主眼とした本草書。一五六五年刊。

「甲錯《かうさく》≪せる≫」カサカサしていることを言う。麁皮《あらかは》を去る。

「薩州の川内(せんだい)」現在の鹿児島市川内市

「月閉《げつへい》」あるべきメンスが起こらない病的な月経閉塞症。

「癰疽《ようそ》」悪性の腫れ物。「癰」は浅く大きく、「疽」は深く狭いそれを指す。

「痘瘡《たうさう》」疱瘡。天然痘。

「内《うちに》托《たく》して」体内の正常な働きとして内に取り込ませる働きを促進させて。

「傷風」高熱を伴う風邪の一種。東洋文庫はそのまま訳で用いているが、「破傷風」と誤読する惧れがあるので、感心しない。

「太陽《たいやう》の病《やまひ》」東洋文庫訳の後注では、『体表面にあらわれる病症。太陽経』(たいようけい)『を外邪がおかすので、発熱・悪寒・頭痛がおこり、浮脈』(指先で脈を見る際、軽く圧迫しただけで、浅い箇所で強く「ドクン!」と感じられる脈を言う)『がみられる』病態とある。

「營(えい)」漢方で血とともに脈中を流れる気。脾胃によって飲食物から産生され、血液とともに流れるとされる。

「衞(ゑい)」体表を保護し、外邪の侵入を防衛する気。脈の外を流れると考えられた。これは現代医学の皮膚や粘膜が持つ免疫機能と、よく一致する。

「麻黃《まわう》」中国では、裸子植物門グネツム綱グネツム目マオウ科マオウ属シナマオウEphedra sinica(「草麻黄」)などの地上茎が、古くから生薬の麻黄として用いられた。日本薬局方では、そのシナマオウ・チュウマオウEphedra intermedia(中麻黄)・モクゾクマオウEphedra equisetina(木賊麻黄:「トクサマオウ」とも読む)を麻黄の基原植物とし、それらの地上茎を用いると定義している(ウィキの「マオウ属」によった)。

「上焦(じやうしやう)」伝統中国医学における仮想の「六腑」の一つ「三焦」(さんしょう)の一部。「上焦」は心・肺を含み、その生理機能は呼吸や血脈を掌り、飲食物の栄養分(飲食水穀の精気)を 全身に巡らし、全身の臓腑・組織を滋養する器官とされる。

「藁桂枝《わらけいし》」不詳。

 なお、以下、「箘桂」・「桂」の立項が続く。]

2024/05/06

父と母の結婚式で配られた木製燐寸

昨日、例によってエンドレスの遺品片付けをしていたら、抽斗の中から、小さな燐寸がぎっしり入った燐寸箱を見つけた(父は死の間際まで「煙草が吸いたい」というほどのヘビー・スモーカーであった)。よく見ると――それは――父と母の結婚式(父が属していた中央合唱団総出演の文字通り賑やかな結婚式であったという)で配られた総木製のオリジナルなものだった――お披露目しておく――

 

Matti

Mattiutibako

2024/05/05

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 杉

 

Sugi

 

すぎ       煔【音杉】沙木

         㯳木

【音衫】   【和名須木】

サン       言經直木也

本綱杉類松而徑直葉附枝生其葉硬微扁如針結實如

楓實其木有赤白二種赤杉實而多油白杉虛而乾燥有

斑紋如雉者謂之野雉班作棺尤貴其木不生白蟻燒灰

[やぶちゃん字注:「班」は「斑」の良安の誤字。訓読では訂した。]

最發火藥人家常用作桶板甚耐水江南人驚蟄前後取

枝揷種出倭國者謂之倭木不及蜀黔諸峒所產者尤良

[やぶちゃん字注:「黔」は底本では、異体字の、下の(れっか)が(へん)にも及ぶ字体である。]

杉材【辛微温】 治毒瘡煮湯洗之無不瘥又治小兒陰腫燒

 灰入膩粉清油調傅効

[やぶちゃん注:「効」は六画目が(つくり)の下にまで伸びている字体。]

                       後京極

 夫木 杦深き片山陰の夕凉みよそにそ過る夕立の雲

[やぶちゃん注:この短歌、「夕凉み」「夕立の雲」の二箇所を誤っており、「した涼み」「夕立のそら」が正しい。訓読では訂した。

△按杉人家植者有二種唐杉葉柔江戸杉葉小硬色淡

 並仲冬爲紅葉三月復青葉五月結實纍纍七八攅生

 細梂青色秋黃枯色二月可下種三月可揷枝四月可

 移植最爲材之長老杉板有雲水之橒爲水桶能耐水

 盛酒酒味美而久不敗羽州秋田長木澤多作出桶木

 ㊉※如此四或六或八割長五六尺余名保太木或名

[やぶちゃん字注:「㊉」は上下左右が尖りなく、「○」に「+」が接した図である。「※」は「○」に(「×」+「-」)を「○」に接した図である。

 鼈木背隆似鼈之甲也最長大者用爲船檣【周三丈余大木亦有】

杉木節 治膁瘡黑爛者用老杉節燒灰麻油調隔𥬡葉

貼之絹帛包定數貼而癒

杉木皮 治金瘡血出及湯火傷燒存性研傅之或入雞

 子清調傅一二日癒又包蔀戸及壁用杉皮耐久

杉木脂 本草不載其主治然蠻人【名阿毛牟夜久牟】入膏藥中

 用之蓋𢴃杉材杉節之功可推知

 

   *

 

すぎ         煔【音、杉《サン》】 沙木《さぼく》

           㯳木《けいぼく》

【音、「衫」。】 【和名「須木《すぎ》」。】

           言ふこころは、

サン         「經-直木(すぐのき)」なり。

 

「本綱」に曰はく、『杉は松の類にして、徑直《けいちよく》なり。葉、枝に附きて生ず。其の葉、硬く微《わづかに》扁にして、針のごとし。實を結ぶ。楓《かへで》≪の≫實のごとし。其の木、赤・白の二種、有り。赤杉は、實《じつ》にして、油、多し。白杉は、虛《きよ》にして、乾燥なり。斑紋、有り、雉《きじ》のごとくなる者、之れを「野雉斑(きじまだら)」と謂ふ。棺《ひつぎ》に作るに、尤も貴(たか)し。其の木、白蟻を生ぜず。灰に燒きて、最も火藥を發す。人家、常に用ひて、桶板《をけいた》に作る。甚だ、水に耐ふ。江南の人、驚-蟄(きさらぎ)の前後、枝を取りて、揷種(さし)《う》ふ、倭國に出づる者、之れを「倭木《わぼく》」と謂ふ≪も≫、蜀黔(しよくけん)の諸峒《しよどう》に產する所の者の尤も良きに及ばず。』≪と≫。

[やぶちゃん字注:「黔」は底本では、異体字の、下の(れっか)が(へん)にも及ぶ字体である。]

杉材(すぎのき)【辛、微温。】 毒瘡を治するに、湯に煮て、之れを洗へば、瘥《なほ》らざるといふこと、無し。又、小兒≪の≫陰、腫るるを治す。灰に燒きて、膩粉《はらや》を入れ、清油にて調へ、傅《つ》く。効、あり。

[やぶちゃん注:「効」は六画目が(つくり)の下にまで伸びている字体。]

                     後京極

 「夫木」 杦《すぎ》深き

        片山陰《かたやまかげ》の

       した凉み

          よそにぞ過(すぐ)る

                 夕立のそら

△按ずるに、杉は、人家に植うる者、二種、有り。「唐杉《からすぎ》」は、葉、柔らかなり。「江戸杉」は、葉、小さく、硬く、色、淡く、並びに、仲冬、紅葉となる。三月、青葉に復(かへ)る。五月、實《み》を結ぶ。纍纍《るいるい》として、七、八、攅生《むらがりしやう》ず。細かなる梂(ちゝり)、青色、秋、黃(きば)み、枯色《かれいろ》≪たり≫。二月、種を下《ま》≪く≫べし。三月、枝を揷すべし。四月、移植《うつしうう》べし。最も「材の長《ちやう》」たり。老杉《おいすぎ》の板には、「雲水」の橒(もく《め》)有り。水桶と爲《な》して、能く水に耐へ、酒を盛り《→るに》、酒の味、美《よく》して、久しく、敗《くさ》れず。羽州秋田、長木澤より、多く、桶木《をけぎ》を作出《つくりいだ》す。「㊉」「※」、此くのごとく、四つ、或いは、六つ、或いは、八つに割り、長さ、五、六尺余。「保太木(ほたき)」と名づく。或いは、「鼈木(すつぽんぎ)」と名づく。背(せ)、隆(たか)くして、鼈の甲に似たり。最も長《たけ》大なる者、用ひて、船≪の≫檣(ほばしら)と爲す【周《めぐり》三丈余の大木、亦、有り。】。

[やぶちゃん字注:「㊉」は上下左右が尖りなく、「○」に「+」が接した図である。「※」は「○」に(「×」+「-」)を「○」に接した図である。

杉木の節 臁瘡《れんさう》≪の≫黑く爛(たゞ)るゝ者を治す。老杉の節を用ひて、燒灰に≪し≫、麻油《ごまあぶら》に調へて、𥬡葉《わかば》を隔てて、之れを貼(は)り、絹≪の≫帛《ぬの》に包≪み≫定む。數貼《すはり》にして癒ゆ。

杉木の皮 金瘡《かなきず》・血出《けつしゆつ》及び湯-火-傷(やけど[やぶちゃん注:三字へのルビ。])を治す。燒きて、性《せい》を存《そん》≪じて≫、研《こなにし》て、之れを傅《つ》くる。或いは、雞子《けいらんの》清(しろみ)を入≪いれ≫、調≪へ≫、傅く。一、二日にして、癒ゆ。又、蔀戸(しとみど)及び壁を包むに、杉の皮を用ひて、久《きう》に耐ふ。

杉木の脂《やに》 「本草」に其の主治を載せず。然れども、蠻人【「阿毛牟夜久牟《アモンヤクン》」と名づく。】、膏藥の中に入れ、之れを用ゆ。蓋し、杉材・杉節の功に𢴃《よ》りて、推して知るべし。

 

[やぶちゃん注:これも、日中の「杉」の示す種が異なるので、安易に読むことは出来ない。「本草綱目」で言う「杉」は、中国南部に自生する(本邦にも植栽されている。渡来は江戸時代或いはそれ以前とされる)、

裸子植物門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科コウヨウザン亜科コウヨウザン属コウヨウザン Cunninghamia lanceolata

であるのに対し(同種についての詳細は当該ウィキを見られたい)、本邦の「杉」は、

ヒノキ科スギ亜科スギ属スギ  Cryptomeria japonica

で、亜科タクソンで異なる全くの別種である。

「煔」の字の原義は「火が燃え上がる」であるが、大修館書店「廣漢和辭典」によれば、「名詞で『木の名』とし、『杉』とある。にしても、上記の通りであるから、本邦のスギではないと考えねばならない。

「「經-直木(すぐのき)」及び「本草綱目」の「徑直」もともに、「真っ直ぐに経(たて)にそそり立つこと」を意味する。

『「本綱」に曰はく、『杉は松の類にして、徑直《けいちよく》なり。……』「本草綱目」の引用は「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「杉」である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-13a]の「集解」の「頌曰」の途中以降をパッチワークしたもの。但し、いちいち二重鍵括弧で分離するのは、労多くして、私の益がないので、やめた。向後も、そうする。悪しからず。

「楓《かへで》≪の≫實のごとし」これは、ちょっと戸惑った。東洋文庫訳は、この「楓」に『ふう』という音をルビしている。これは、明らかに本邦の「楓(かへで)」ではないことを示唆するための仕儀と見える。確かに、「楓」の字は、中国では、本邦の

ムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer

を示す漢字ではなく、

ユキノシタ目フウ(楓)科フウ属フウ Liquidambar formosana

或いはフウ属を指すのである。実際にフウ属の果実の画像(当該種の日本語ウィキ)で見てみると、このように小さな毬(いが)のような多数の棘状の突起を、多数、出した実である。そこで本邦のウィキの「スギ」にある、「裂開した球果と種子」のボタニカル・アートを見ると、なんとなく、似ている(酷似しているわけでない)。一方、本邦の「カエデ」を見ると、御存知の通り、カエデの果実は、二枚のプロペラのような形をした形状であり、凡そ、スギの実とは似ていないのである。「じゃあ、何で、あんたは、ちょっと戸惑っただい?」と突っ込まれることと思うが、私は、取り敢えず、『中国では「楓」はフウでありカエデではない』という東洋文庫訳を検証するために、本邦のカエデ(楓)を中国では「楓」とは書かないことを確認しようとした結果である。本邦の真正の「カエデ」に対応する中文ウィキはこれだが、その標題は「枫属」であったからである。而して、この「枫」は「楓」の簡体字に他ならないからである。現代中国では、別種に対して「楓」と「」の字を用いているからである。正直、何となく、「ふ~ん……でも……これでええんかな? 中国の人は、勘違いせんのかねぇ?……」という気がしたからである。

「其の木、赤・白の二種、有り。赤杉は、實《じつ》にして、油、多し。白杉は、虛《きよ》にして、乾燥なり」この色による分類は、中文のフウに当たる「枫香树」には、「白楓」・「白膠香」の異名を載せるが、紅葉の箇所と、「花」を解説する文中に「赤」はあるものの、同属の異種とする記載はない。不審である。ちょっと思ったのは、木材にした際、赤みのあるねっちりした材と、白い乾燥した材の二種が得られるという意味かと思ったが、そうした記事を載せるものをネットでは見出せなかった。これまで、であるが、掟破りで申し訳ないが、本邦のスギ材には、白・赤があるのである。当該ウィキの「木材」の項に、『辺材は白色』(☜☞)『心材は』、普通、『淡紅から暗赤褐色(赤芯)だ』(☜)とあるのは、これ、気になる、ね。

「斑紋、有り、雉《きじ》のごとくなる者、之れを「野雉斑(きじまだら)」と謂ふ」これは明らかに木材に加工した際の「節」のある部分のこおを言っていると私は推定する。さればこそ、前の「赤・白の二種」も材質を言っていると考えたのである。

「棺《ひつぎ》に作るに、尤も貴(たか)し」これも推測だが、フウの樹脂は独特の香りを持つとあるから、或いは、死臭を誤魔化す効果があるからではなかろうか?

「最も火藥を發す」火薬の発火剤として最適であることを言う。

「驚-蟄(きさらぎ)」二十四節気の第三の「啓蟄」のこと。「二月節」(旧暦一月後半から二月前半)で、現在のグレゴリオ暦では三月八日頃に当たる。

「倭木《わぼく》」東洋文庫訳ではここに割注し、『(カワイスギ)』とする。私が植物記載では古くから最も信用するサイト「跡見群芳譜」の「外来植物譜」の「かわいすぎ」によれば、本種は、

ヒノキ科スギ属カワイスギ Cryptomeria fortunei

で、漢名「柳杉」(りゅうさん)』で、『漢語別名』を『長葉柳杉』と言う。『スギは、かつては』一『属』一『種、日本の特産と考えられたが、近年』、『華東に自生品が見出された。これを日本のスギの変種 C.japonica var. sinensis 、或は別種の C.fortunei とする』とあり、『浙江(天目山)・江西(廬山)・福建(北部)に自生』し、『中国では、樹皮を薬用にする』とあった。また、ウィキの「スギ」の「分類」の冒頭には、『中国南部の浙江省(天目山)、福建省(南平市)、江西省(廬山)、四川省、雲南省にはカワイスギとよばれるスギ属の植物が分布しており』、『スギとは別種(Cryptomeria fortunei Hooibr. ex Billain(1853))とされることもあるが』、普通、『スギの変種(Cryptomeria japonica var. sinensis Miq.(1870))とされる』。『形態的には、葉が細く著しく内曲し、雄球花は基部の葉よりも短く、種鱗先端の歯牙があまり尖らず、果鱗は約』二十『個で』、『それぞれ』二『個の種子をつける点で基準変種(Cryptomeria japonica var. japonica)と異なるとされる』。『しかし、形態的および遺伝的には日本に分布するスギの変異内に含まれるともされ、分類学的に分けないこともあり、また中国に分布するものは自生ではなく』、『植栽起源とされることもある』とあった。日中の種違いの流れが、ここで、本邦の真正のスギとの接点が見出された。「可愛い過ぎ」! よかったね! 良安先生!

「蜀黔(しよくけん)」長江上流の旧「蜀」(現在の四川省成都市附近)と旧「黔」(貴州省附近)。

「諸峒《しよどう》」中国南西地方に住む少数民族の名。また、少数民族の居住地の総称。

「毒瘡」梅毒を「瘡毒」というが、ここは悪性の瘡(かさ)や癌を指すか。

「小兒≪の≫陰」小児の陰部が腫れる病気。男子の、であろう。

「膩粉《はらや》」「輕粉」とも書き、「けいふん」「はやや」等とも呼んだ「粉白粉」(こなおしろい)・伊勢白粉のこと。白粉以外に、顔面の腫れ物・血行不良及び腹痛の内服・全般的な皮膚病外用薬、さらには梅毒や虱の特効薬や利尿剤として広く使用された。本邦では、伊勢松坂の射和(いざわ)で多く生産された。成分は塩化第一水銀Hg₂Cl₂=甘汞(かんこう)であり、塗布でも中毒の危険性があり、特に吸引した場合、急性の水銀中毒症状を引き起こす可能性がある。現在は使用されていない。]

「夫木」「後京極」既出既注の「夫木和歌抄」の平安末から鎌倉初期にかけての公卿・歌人で、関白九条兼実の次男。官位は従一位・摂政・太政大臣であった九条良経の一首。「卷二十九 雜十一」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「13904」)。そこでは、確かに、

   *

 すきふかき かたやまかけの したすすみ

       よそにそすくる ゆふたちのそら

   *

となっている。

「唐杉《からすぎ》」漠然とした中国伝来の杉類のことか。とすれば、既に述べた通り、スギ科・スギ属でない可能性が、いや高い。

「江戸杉」本邦でスギが大々的に人為植栽されたのは江戸時代である。

「梂(ちゝり)」球果。

「羽州秋田、長木澤」東洋文庫訳の割注では、現在の『秋田県角館市』とするが、角館市には「長木沢」という地名は現存しない。候補は同市街の北にある「真木沢」(グーグル・マップ・データ航空写真)か?

「保太木(ほたき)」「榾木」か。

「鼈木(すつぽんぎ)」「柀」で既出だが、所持する辞書にも載らず、ネットでも掛かってこない。しかし、意味は判る。粘りの強い材質を意っているものであろう。

「臁瘡《れんさう》≪の≫黑く爛(たゞ)るゝ者」東洋文庫訳の割注では、『脛骨部にできる潰瘍』とある。

「阿毛牟夜久牟《アモンヤクン》」不詳。東洋文庫も注しない。]

2024/05/04

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 富士松

 

Hujimatu

 

ふじまつ   富士松【俗】

 

落葉松

       布之末豆

 

衡嶽志云繁葉如刺栢霜後盡脫故名落葉松

△按落葉松春生葉七刺或五刺如括成細小而軟淡綠

 色可愛信州木曽及富士山有之故俗名富士松京師

 移種之呼曰姫小松多難長

一種蝦夷松 似富士松而葉畧長其色亦㴱至冬落葉

[やぶちゃん注:「㴱」は「深」の異体字。]

 出於蝦夷地奧州松前有之

 

   *

 

ふじまつ   富士松【俗。】

 

落葉松

       「布之末豆《ふじまつ》」

 

「衡嶽志《こうがくし》」に云はく、『繁≪れる≫葉、刺栢(びやくしん)のごとく、霜の後《あと》、盡(ことごと)く、脫す。故に「落葉松」と名づく。

△按ずるに、落葉松《ふじまつ》は、春、葉を生じ、七刺《しちし》、或いは、五刺≪づつ≫、括(くゝ)り成(なす)がごとく、細小にして、軟≪らか≫。淡綠色、愛すべし。信州《の》木曽、及び、富士山、之れ、有り。故に、俗、「富士松」と名づく。京師、之れ≪を≫移種《うつしうゑ》、呼んで、「姫小松《ひめこまつ》」と曰《いふ》。多≪くは≫、長《ちやう》じ難《がた》し。

一種「蝦夷松(ゑぞ《まつ》[やぶちゃん注:ママ。]」 「富士松」に似て、葉、畧《やや》、長く、其の色≪も≫亦、㴱《ふか》し。冬に至≪りて≫、葉を落《おとす》。蝦夷《えぞ》の地に出づ。奧州松前、之れ有り。

 

[やぶちゃん注:「ふじまつ」「富士松」「落葉松」は、「唐松」と漢字表記するが、中国には植生しない、日本固有種である、

裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi

である。既に前項で述べたが、標準和名の漢字表記は、当該ウィキによれば、『唐絵(中国の絵画)のマツに似ていることが名前の由来である』とあり、『別名、フジマツ』とある。どう考えても「からまつ」の頭空っぽみたような感じは、厭! 「富士松」の方が、ゼッタイ! いい!

『京師、之れ≪を≫移種《うつしうゑ》、呼んで「姫小松《ひめこまつ》」と曰《いふ》』「姫小松」を「富士松」(=「落葉松(からまつ)」=「唐松」=落葉針葉樹カラマツ)を移植したというは、良安の大誤り。カラマツとは、属の異なる全くの異種で常緑針葉樹

マツ属ヒメコマツ Pinus  parviflora var. parviflora

である。ヒメコマツは高山に生じているマツ属ゴヨウマツPinus parviflora の基変種である。ヒメコマツは丈が低く、低地にかけて生じているゴヨウマツよりも姿形が小さいから、「多≪くは≫、長《ちやう》じ難《がた》し」というのと、この部分だけは外見上、部分一致しているように見えるだけである。誤った――十把一絡げマツ観念――に拠ってである。

「蝦夷松」エゾマツを「富士松」(カラマツ)と類縁種とするのも良安の大誤りパート2だ! エゾマツは、

マツ科トウヒ属エゾマツ Picea jezoensis var. jesoensis

であって、またしても属レベルで他人なのだ! なお、さらに、言っておかねばならぬ! 東洋文庫の注は、前者のヒメコマツがカラマツとは全くの別種であることは、後注で指摘しているが、エゾマツもカラマツと同系種としている良安の錯誤を全く指摘していないのだ。こりゃあ、一発退場、レッド・カードだべ!?! 「人を呪わば穴二つ」!!!(と言っている私も「松」で学名の一部を大誤りしていたのを、さっき慌てて直したばかりじゃて、同じ諺は私へ「鏡返し」でんな……)

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 五葉松

 

Goyoumatu

 

ごえふのまつ   五鬣 五粒

         五刺 五針

五葉松

         三葉者亦有

 

 

△按其樹皮細宻亦葉細小軟刺淡色其材濃膩作板工

 匠代檜下野日光飮食机是也

 

   *

 

ごえふのまつ   五鬣《ひげ》 五粒《りう》

         五刺《し》 五針《しん》

五葉松

         三葉の者、亦、有≪り≫。

 

 

△按ずるに、其の樹・皮、細宻《さいみつ》≪にして≫、亦、葉、細かに小さく、軟《やはらか》なる刺、淡色。其の材、濃(こまや)かに≪して≫、膩《つや》≪あり≫。板に作《な》し、工匠、檜に代《か》ふ。下野《しもつけ》の日光≪の≫、「飮食机(をしき)」、是れなり。

 

[やぶちゃん注:これは、既に前の「松」で注した、日本固有種で、本州東北地方東南部・四国・九州に分布し、山地に生えるタイプ種、

裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属ゴヨウマツPinus Pinus parviflora

及び、

ヒメコマツ Pinus Pinus var. parviflora(「姫小松」。基変種。ゴヨウマツの高山に生じている種で、丈が低く、低地にかけて生じているゴヨウマツよりも姿形が小さい)

キタゴヨウ Pinus Pinus var. pentaphylla(「北五葉」。ヒメコマツの変種。北海道(渡島半島・日高地方)に分布し、岩の多い急斜面や尾根に自生する。高さは二十五メートル、幹の直径は八十センチメートルに達する)

トドハダゴヨウ Pinus Pinus var. pentaphylla f. laevis(「椴膚五葉」。キタゴヨウの品種)

である。而して「三葉の者、亦、有」というのも、前で示した「栝子松」で、異名を「サンコノマツ」(三鈷の松)と称する、樹皮が白い、

マツ属 Ducampopinus 亜属シロマツ Pinus bungeana

のことである。このシロマツは当該ウィキによれば、『二・三葉マツ類( Pinus亜属)と五葉マツ類( Strobus亜属)の中間の性質を示』す種で、この亜属を『変わり種のグループ』である、とする。

「日光」日光東照宮を指す。

「飮食机(をしき)」「折敷」のこと。食器・杯などを載せる木製方形の盆。細い幅の板で囲って縁としている。平安時代から、平常の食事・祝いの宴などに用いられ、形式・材質・加飾によって、いろいろな種類が見られる。四隅を切った「角切(すみきり)折敷」、四角な「平折敷」、脚をつけた「脚付」、または「足打(あしうち)折敷」の形式があり、脚のついた方を目上の人に用いるのが、例である。材質は、薄く削った檜板が常で、杉・椽(とち)も用いるが、「うつほ物語」の「梅の花笠」に紫檀を、「源氏物語」の「若菜」の帖に浅香(せんこう:香木の一種)、「宿木」の帖に沈香(じんこう)、「紫式部日記」でも沈香を用いたことを伝えている。白木を加飾して、全体に胡粉(ごふん)を施した「白折敷」、縁青(ふちあお)の「青折敷」、画を描いた「絵折敷」は祝い事に用いられた。近世には黒漆・朱漆・青漆・溜塗りなどの「塗折敷」が現れた(小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(8)

○せぼね、寸尺。

 大椎の兪(ゆ)と、廿一椎の下、腰兪(えうゆ)の穴に瑕點(かりてん)を付(つけ)て、右、大尺を以て、大椎の穴より腰兪まで「何寸何分」と度(はか)る。譬(たとへ)ば、「六寸五分」あるときは、左の小尺の上尺にて、大椎より、六寸五分の所に瑕點す。卽ち、七椎の下は、椎の上に當る。次に、中尺にて、此假鮎より、六寸五分の所、十四の下、十五の上に當る所に、復(また)、假點す。此假點より、下尺を以て度(はか)るに、六寸五分の所、腰兪也。此假點の間を、七つ宛(づつ)に割付(わりつけ)るときは、廿一節の長短、分明に具(そなは)りて、經旨(けいのむね)に、少(すこし)も、たがふこと、なし。

 日本橋くれまさ町(ちやう)菓子屋にて、兪穴導引(だういん)の書を、あきなふ。折本(をりほん)にて、一卷、代、銀八分、「江戶書林大坂屋平三郞」と有(あり)。

[やぶちゃん注:「寸尺」これは、背骨の正常な状態かどうかを調べる各部位の正常距離を指しているようだ。興味が全くないので、他の注は附さない。

「日本橋くれまさ町」榑正町。サイト「江戸の町巡り」の「榑正町」によれば、現在の東京駅八重洲口の向かい直近。中央区日本橋三丁目(グーグル・マップ・データ)。『寛永切絵図にも見られる古い町』で、『「榑」とは皮の付いたままの材木のこと。昔は葦の生い茂る地で人家も少なく、江戸城修築の際に榑木の置き場であったため、のち町屋が開かれた時にこの名が付けられた』とある。]

 

○腰ひえ、又は、痔等に用(もちゆ)る「あらひ藥」。

 紅花(べにばな)・黃柏(わうばく)・枳殻(きこく)【各二兩。】・奘葉【五兩。】甘草【一兩。】

 右、五味を、水一升、入(いれ)て煎(せんじ)る也。是、「一番せんじ」也。「二番せんじ」、五升ほどにする也。「三番せんじ」、三升ほどになるを、まつて、用る也。

 但(ただし)、「一ばんせんじ」、「二番せんじ」、「三番せんじ」の度(たび)ごとに、酒と、鹽とを、茶わんに一盃づつ、入(いれ)て、せんじあげ、用(もちゆ)る也。

[やぶちゃん注:「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。

「枳殻」ムクロジ目ミカン科カラタチ属カラタチ Poncirus trifoliata の生薬名。未成熟或いは熟した果実を乾燥させたものを用いる。健胃・利尿・発汗・去痰作用がある。]

 

○疝氣の藥。

 大便のとき、白き蟲、「うどん」を延(のば)したるやうなる物、くだる事、有(あり)。此蟲、甚(はなはだ)、ながきものなれば、氣短に引出(ひきいだ)すべからず。箸か、竹など、卷付(まきつけ)て、しづかに卷付々々、「くるくる」として、引出し、内より、はいけみ、いだすやうにすれば、出(いづ)る也。必(かならず)、氣を、いらちて、引切(ひききる)べからず、半時計(はんときばかり)にて、やうやう、出切(いでき)る物也。此蟲、出切(いできり)たらば、水にて、よく洗(あらひ)て、黑燒にして、貯置(ためおく)べし。「せんき」に用(もちい)て、大妙藥也。此蟲、「せんき」の蟲也。めつたに、くだる事、なし。ひよつとして、くだる人は、一生、「せんき」の根を、きり、二たび、おこる事、なし。長生の「しるし」也。

[やぶちゃん注:「疝氣」大腸・小腸・生殖器などの下腹部の内臓が痛む疾患を広く指す。

『白き蟲、「うどん」を延(のば)したるやうなる物』所謂「サナダムシ」の類である。私の「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)」の注を参照されたい。但し、「疝氣」との関連性は全くない。複数個体が寄生していても、殆んど自覚症状は出ないのが、普通である。]

 

○「せんき」・「腰いたみ」、忽(たちまち)、なほす方。

 「鳥もち」を、大丸藥ほどに、まろめ、砂糖にても、「冰(こほり)おろし」にても、まぶし、五粒程、「さゆ」にても、茶にても、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「鳥もち」鳥黐(とりもち)。製法は当該ウィキを参照されたい。

「冰(こほり)おろし」氷砂糖を細かくしたもの。「ざらめ」のこと。]

 

○疝氣の藥、「疝癪散」と云(いひ)、芝新楯橫町加賀町にて、商ふ。

 右、土用に入(いる)日、寒に入る日、一年に、兩度、服する藥なり。此日に、此藥を用(もちゆ)れば、「せんき」・「しやく」、根を、きりて、おこらず。

 

○又、一方。

 「そば粉」を、熱湯に、たてて、每朝、飮(のむ)時は、治する事、妙也。

 

○又、一方。

 「やくも草」・「忍どう」、右、二味、等分、せんじ、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「やくも草」漢方で全草を乾燥させたものを、産前産後の保健薬にしたことから、「益母草」と古くに呼んだ、シソ目シソ科オドリコソウ亜科メハジキ属メハジキ Leonurus japonicus

「忍どう」「忍冬」。マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica の棒状の蕾を、天日で乾燥したもの。漢方生薬名は「忍冬藤(にんどうとう)」とも言う。]

 

○「せんき」・「腰いたみ」には、

 またゝび一味、せんじて、其湯を飮(のむ)べし。卽功、有(あり)。

 

○疝氣・氣鬱・腎虛諸病の妙藥。

 極上の古酒一升、冰砂糖(こほりざとう)小半斤、「益氣湯(えききたう)」十五貼(はり)。

 右、三味を壺に入(いれ)、釜に、水を、はり、壺ともに、せんずべし。但し、壺の、水にひたるくらいにして、朝より、夕(ゆふべ)まで、せんじて、壺を取出(とりいだ)し、布にて、藥の糠(かす)を、こして、一七日(ひとなぬか)、壺に入(いれ)て、熟し置(おき)、其後、飮(のむ)べし。「益氣湯」のかはりに、「大補湯」を用る事もあり。其人の性(しやう)によりて、用捨あるべし。

 

○通治痛氣、「香感散」。

 香附子(かうぶし)【目方二百目、かり色になるまで、火に、いりて、可ㇾ用。】茯苓(ぶくりやう)四十匁・木香(もつかう)十匁・甘草(かんざう)四匁、右、細末にして、平生、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「香附子」単子葉類植物綱イネ目カヤツリグサ科カヤツリグサ属ハマスゲ Cyperus rotundus の根茎を乾燥させたもの。薬草としては、古くから、よく知られたもので、正倉院の薬物の中からも、見つかっている。漢方では芳香性健胃・浄血・通経・沈痙の効能があるとされる。

「木香」キク目キク科トウヒレン属モッコウ Saussurea costus 又は Saussurea lappa の孰れかの根から採れる生薬。薫香原料として知られ、漢方では芳香性健胃剤として使用されるほか、婦人病・精神神経系処方の漢方薬に多く配合されている。]

 

○「せんき」の名灸。

 其人をたゝせて、晝より、其人の「へそ」にあたる所迄に、「よし」をたて、臍の所をあてに、「よし」を。へしをり、其葭(よし)を、其人の、うしろへ持(もち)まはりて、又、たゝみより、「よし」をたてて、へし折たる「よし」のあたるところの、骨の上ヘ、「灸てん」を付(つけ)、その後、五(いつ)の目に、五ところへ、「てん」を、つける也。⚄[やぶちゃん注:底本では、周りの枠を外した点のみ。]、「きうてん」のかたち、かくのごとし。左右上下の四つは、中指を、をりて、中の寸を、法(のり)として、「よし」のあたりたる眞中の「てん」の、左右上下、四(よつ)ところへ、「てん」を、つける。灸は一所へ、三つづつ、すゑる也。

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(20)

 

   賤は猶祭めかしや髮かしら 盛 弘

 

 日頃はなりにもふりにも構はず働いてゐるやうな人達も、祭の日はさすがに髮をきちんとして、如何にも祭らしく見える、といふ意味らしい。今では髮といふと女の世界に限られるやうだけれども、結髮の昔は男と雖も祭の髮を結ひ映えたものに相違無い。

 祭の日の賤の髮が目立つて見える、といふ點に作者は興味を覺えたのである。「猶」といふ言葉は、この場合なるべく輕く見たい。賤は猶の事、といふ風に强く解すると、多少理窟つぽくなる虞がある。

 いゝ句とは思はぬが、元祿の句はかういふ種類の句でも、どことなく重厚なところのあるのに注目しなければならぬ。

 

   長高き法し見らるゝ競馬かな 草 籬

 

 勝負事に熱心な人達の狂奔する今の競馬ではない、五月十五日に行はれる賀茂の競馬の句である。

 競馬を見る群集の中に、目立つて丈たけの高い法師がいる。皆の視線は自らそれに集る。見る人達の側を主とせずに、法師を主にして「見らるゝ」と云つたのである。競馬そのものを描かないで、見物の中の或人間を中心とするやうな手段は、寫生文家の得意とするところであるが、この句も期せずしてさういふ點を捉へてゐる。

 この句を讀むと、「徒然草」の一節を思ひ出す。賀茂の競馬を見に行つたら、樗[やぶちゃん注:「あふち」。]の木に坊主が上つて、木の又のところで見物してゐた。木につかまりながら眠りこけて、落ちそさうになるかと思ふと、ハツと目をさまして又眠り出す。見物がこれを見て嘲る、といふ話である。その坊主は木の上にゐるのだから、別に大きいとも小さいとも書いてない。「長高き」といふのはこの句の働きで、實景から得たものかも知れぬが、競馬の群集中に法師を點じたこと、皆がこれを見るといふあたり、或は「徒然草」から脫化したのではないかといふ氣もする。

[やぶちゃん注:句の「法し」は「法師」で「ほふし」と読む。通常の「法」の歴史的仮名遣は「はふ」であるが、仏教用語の場合は「ほふ」と読む。御存知ない方は、覚えておかれるがよい。

『「徒然草」の一節』「賀茂の競馬を見に行つたら、……」は第四十一段の以下。

   *

 五月(さつき)五日、賀茂の競べ馬を見はべりしに、車の前に雑人(ざうにん)立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下(お)りて、埒(らち)のきはによりたれど、ことに、人おほく立ちこめて、分け入りぬべき樣(やう)もなし。

 かかるをりに、向へなる樗(あふち)の木に、法師の上(のぼ)りて、木の股についゐて、ものみるあり。とりつきながら、いたうねぶりて、落ちぬべき時に、目を醒ます事、たびたびなり。これをみる人、あざけりあさみて、

「世のしれ者かな。かくあやふき枝の上にて、安き心ありて、ねぶるらん。」

といふに、我が心に、ふと、思ひしままに、

「我等が生死(しやうじ)の到來、ただ、いまにもやあらん。それを忘れて、ものみて日を暮らす、おろかなる事は、なほ、まさりたるものを。」[やぶちゃん注:「生死」この場合は「生」は人の存在を漠然と言っているだけで、全体で「死期(しご)」の意味である。]

と言ひたれば、前なる人ども、

「まことに。さにこそさふらひけれ、もつともおろかにさふらふ。」

と言ひて、皆、後(うしろ)をみかへりて、

「ここへ、入(い)らせ給へ。」

とて、ところをさりて、よび入れはべりにき。

 かほどの理(ことわり)、たれかは思ひよらざらんなれども、をりからの、思ひかけぬここちして、胸にあたりけるにや。人、木石(ぼくせき)にあらねば、時にとりて、ものを感ずること、なきにあらず。

   *

「樗」ここは「おうち」で、ムクロジ目センダン科センダン属センダン変種センダン Melia azedarach var. subtripinnata である。「栴檀」の古名・異名。但し、この漢字は「ごんずい」とも読み、その場合は、この漢字の第一義である、バラ類の一群のクロッソソマ目 Crossosomatalesのミツバウツギ科ミツバウツギ属ゴンズイ Staphylea japonica を指す(権萃)。私は若き日に「樗」に出逢ったのが(文章は失念)、「ごんずい」だったので、真っ先に、「ごんずい」と読んでしまう。]

 

   卯の花のちるや流れぬ池のさび 從 吾

 

 水錆の浮いた池水の上に、岸の卯の花がこぼれる。しづかな、陰鬱なやうな光景が眼に浮んで來る。池の水は必ずしも流動する性質のものではないが、場所によつては自ら他と相通ずるものがある。この池はさういふこともなしに、ぢつと湛へてゐるらしい。

「池のさび」はしばらく水錆の意に解したが、「池の寂び」とも見られぬことはない。たゞ卯の花の散るといふことに對しては、水錆の方がいゝかと思ふ。

[やぶちゃん注:この句、断然、水錆で採って、甚だ私の好きな情景である。昔は、鉄錆のような臭気を放つ閉塞した池沼が、私の裏山にはあったものだ。

「從吾」恐らくは金沢蕉門の一人。]

 

   濁江や漬木の陰のかきつばた 東 賀

 

 濁江[やぶちゃん注:「にごりえ」。]の水に材木が浸してある。浮ぶともなく浮んでいるその材木の陰に、燕子花[やぶちゃん注:「かきつばた」。]の花が咲いてゐる、といふのであらう。

 吾々の燕子花に關する感じは、傳統的に庭薗に捉はれ過ぎてゐる。かういふ自然の趣は、ただ燕子花らしい句を案出しようとする者の、所詮逢著し得ざる世界である。この句の强味はそこにある。

[やぶちゃん注:「漬木」「つけぎ」。前の句と親和性があるので、私も好きな句である。]

 

   尼寺にみそ摺る音やほとゝぎす 除 風

 

 小さな尼寺であらう。朝か夕かわからぬが、ゴロゴロと味噌を摺る音が聞える。何處かでほとゝぎすが啼くといふ意味らしい。音に音を取合せるのは、效果の薄い方法のやうにも思はれるが、古人は屢〻この手を用いてゐる。一槪に排し去るべきではあるまい。

 味噌摺る音だけでは平凡であるが、尼寺といふので一種の興味を感ずる。ほとゝぎすとも何となく調和を得てゐるやうである。

 

   草の戶や筵扣ケばぎやうぎやうし 爲 重

 

 この筵は何の筵かわからぬが、上に「草の戶」とあるから、不斷敷いてゐる筵ではあるまいかと思ふ。バタバタ筵を叩く音がする、行々子[やぶちゃん注:「ぎやうぎやうし」。]卽ち剖葦[やぶちゃん注:「よしきり」。]が啼く。これも音と音との取合せである。

 尼寺に味噌摺る音とほとゝぎすの聲とは、必ずしも似通にかよつてゐるわけではない。但趣の上に或調和がある。筵を叩く音と行々子の聲とも、やかましい點では多少共通するかも知れぬが、似てゐるといふことは出來ない。侘しい趣が感ぜられる。

[やぶちゃん注:「行々子卽ち剖葦」スズメ目スズメ亜目スズメ小目ウグイス上科ヨシキリ科ヨシキリ属オオヨシキリ Acrocephalus arundinaceus 、或いは、ヨシキリ属コヨシキリ Acrocephalus bistrigiceps である。博物誌・鳴き声は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 剖葦鳥(よしはらすずめ) (ヨシキリ)」を参照されたい。そこでも示した通り、彼らが「ギョッ、ギョッ」と囀ることから、「行々子」(ギョウギョウシ)の異名を持つに至ったものである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 松

 

Matu

[やぶちゃん注:図の右上に、左から延び上がる個体を指して「和松」、中央下方のやや右手に右から延びている個体を指して「唐松」とキャプションがある。]

 

まつ          枀【同。】 ※1【同。】

             和名萬豆

【祥容切】      松黃

            【俗云美止利】

            蕤【音繠】 甤【同】

            【𠌶繠生之處】

[やぶちゃん字注:「※1」=(上)「容」+(下)「木」。「蕤」は原本では(くさかんむり)が(へん)の上方にのみ附された字体(「グリフウィキ」のこれ)であるが、表示出来ないので、最も近いこれにした。(東洋文庫版もこれを使用している)。「𠌶」(「華」「花」の異体字)も「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、最も近いこれにした。なお、後二者は本文でもこれらを採用した。

                                                                     

本綱松樹磥砢修聳多節其皮粗厚有鱗形二三月抽蕤

生花長四五寸采其花蕋爲松黃結實狀如猪心疊成鱗

砌秋老則子長鱗裂其子大如柏子惟遼海【朝鮮】雲南者

子大如巴豆可食謂海松子【詳見果部】

葉有二𩮓三𩮓五𩮓之別【三針者名栝子松五針者名松子松】

 老松餘氣結爲伏苓千年松脂化爲琥珀【茯令琥珀見于寓木類】


松脂【松膏 松肪 松膠 瀝靑 松香 蠻語曰倍伊木 倍豆木 古留保尒也】

 松樹津液精𬜻也在土不朽氣味【苦甘温】冶《✕→治》癰疽惡瘡

 安五臟除熱揩齒固牙去齲

赤龍皮 松木皮也治癰疽生肌止血

松葉【苦温】 細切研毎日食前以酒調下【二錢】初服稍難

 則自便矣令人不老輕身益氣久服絕穀不饑不渇

△按今人採松嫩葉漬水二三宿去惡汁以酒蒸七次晒

 乾盛袋擣之柔靱時代煙草又用松脂煑湯去塵渣冷

 水又煑七次晒乾研末【加氷糖等分】服之治痰痃癖心痛

 松經霜雪不變色比之貞心稱貞木

史記云秦始皇上泰山風雨暴至休于松下枝垂禦雨因

 封爲太夫 古今常盤なる松のみとりも春くれは今一しほの色增さりけり宗于

字說云松柏爲羣木之長故松從公猶公柏從白猶伯也

五雜組云此說雖近有理然實穿鑿松柏之字直諧聲耳

 五等之封始於三代而松柏之字製於倉頡寧預知後

 世有公伯之爵耶且松字古作※2从公者後世省文也

[やぶちゃん字注:「※2」=(上)「容」+(下)「木」。]

 卽且至微而从公猿狙至劣而从侯豈亦以蟲之長乎

又云松欲不長以石抵其眞下或髠其項《✕→頂》則不復長旁榦

[やぶちゃん注:「項《→頂》」は実は良安の書き癖で水族の部の電子化注でもさんざん悩まされた。二行後にも出現するので、この注はせず、勝手に本文原文内で修正する。「榦」底本では「グリフウィキ」のこの字体だが、表示出来ないので、最も近いこれにした。この字は「幹」の異体字である。後にも頻繁に出る。

 四出久卽偃地矣京師報國寺有松七八株髙不過丈

 許其頂甚平而枝榦旁出至十餘丈者數百莖夭矯如

 游龍恐其折毎一榦以一木支之

事類全書云栽松春社日前帶土栽培百林百活舍此時

 决無生理也

種樹書云春分後勿種松秋分後方宜種松凡栽松須去

尖大根惟留四邊鬚根則無不盛

本朝播州印南郡曾禰松大周一丈八尺髙一丈𬄡髙一

 丈三尺枝榦旁出從艮向坤之長十一丈從乾延巽長

 七丈許毎枝以木支之數百五十八本也相傳菅神左

 遷時於是自手所植松也丹州成相片葉松亦奇也

松節  耐久不朽燃火以代油凡松性惡濕其材亦不

 堪作水噐如屋柱須用煙行處如近濕地經久則生螱

 伹日向之產爲良材其肥赤色者能耐水作船槽亦佳

松有雌雄稱雌者木不甚大皮無鱗帶赤色葉細刺糅色

 亦淡凡松茸生於雌松山松脂松節用雄松

 

   *

 

まつ          枀《しよう》【同。】 ※1【同。】

             和名「萬豆《まつ》」。

【「祥」「容」の切。】 松黃

            【俗、云ふ。「美止利《みどり》」。】

            蕤【音「繠《ズイ》」。】

            甤【同。】

            【𠌶繠《はなのずい》の生《はゆ》

             る處。】

[やぶちゃん字注:「※1」=(上)「容」+(下)「木」。「蕤」は原本では(くさかんむり)が(へん)の上方にのみ附された字体(「グリフウィキ」のこれ)であるが、表示出来ないので、最も近いこれにした。(東洋文庫版もこれを使用している)。「𠌶」(「華」「花」の異体字)も「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、最も近いこれにした。なお、後二者は本文でもこれらを採用した。

                                                                     

「本綱」に曰く、『松は、樹、磥砢《るいら》、修聳《しゆうしよう》≪して≫、節《ふし》、多く、其の皮、粗《あらく》、厚く、鱗形《うろこがた》、有り。二、三月、蕤(はなくき)、抽《ぬきん》で、花を生《しやう》ず。長さ、四、五寸。其の花蕋(はなしべ)を采《と》りて、「松黃《しようわう》」と爲《な》す。實を結ぶ狀《かたち》、猪《ゐのしし》の心《しん》[やぶちゃん注:心臓。]のごとし。《其の表は》疊《たたみて》、鱗の砌《いしだたみ》を成《な》す。秋、老《らう》するときは、則ち、子《み》、長(たけ)て、鱗、裂く。其の子、大いさ、柏《はく》の子《み》のごとし。惟(ただ)、遼海【朝鮮。】・雲南の者、子、大にして、巴豆《はず》のごとく、食ふべし。「海松子」【詳か≪には≫「果部」を見よ。】と謂ふ。』

『葉、二𩮓《ひげ》・三𩮓・五𩮓の別、有り【三針《ひげ》の者、「栝子松《かつししよう》」と名づけ、五針の者、「松子松」と名づく。】。』

 『老松《おひまつ》の餘氣、結《けつ》して「伏苓《ぶくりやう》」と爲《な》り、千年の松脂《まつやに》、化《くわ》して、「琥珀《こはく》」と爲る【「茯令」・「琥珀」は「寓木類」を見よ。】。』


『松脂(まつやに)【松膏《しようかう》・松肪《しようばう》・松膠《しようこう》・瀝靑《れきせい》・松香《しようかう》。蠻語に、○「倍伊木《ベインぼく》」・○「倍豆木」・「古留保尒也《コルホウニヤ》」と曰《いふ》。】。』

 『松の樹の津液《しんえき》、精𬜻《せいくわ》[やぶちゃん注:「𬜻」は「華」の異体字。]なり。土《つちのなか》に在りて、朽ちず。氣味【苦甘、温。】癰疽《ようそ》・惡瘡を治す。』。

 『五臟を安《やすん》≪じ≫、熱を除き、齒に揩(ぬ)りて、牙《は》を固め、齲(むしば)を去る。』

『赤龍皮(せきりうひ) 松の木の皮なり。癰疽を治し、肌を生《いきいき》し、血を止《と》む。』。

『松葉【苦、温。】 細かに切≪り≫研(をろ[やぶちゃん注:ママ。])し、毎日、食前に酒を以つて調へ下《くだ》す【二錢。】。初め、服≪するに≫、稍《やや》、難《むつか》≪しきなるも≫、則ち、自《おのづ》から、便《びん》なり。人をして老いざらしめ、身、を輕くし、氣を益し、久≪しく≫服すれば、穀を絕ち≪ても≫、饑ゑず、渇《かつゑ》ず。』≪と≫。

△按ずるに、今の人、松の嫩葉(わか《ば》)を採り、水に漬けること、二、三宿して、惡汁を去り、酒を以つて、蒸≪すこと≫、七次、晒乾《さらしほし》、袋に盛り、之れを擣(う)ち、柔(やはら)かに靱(しな)へたる時、煙草(たばこ)に代《か》ふ。又、松脂を用ひて、湯に煑《に》て、塵渣《ちりくづ》を去り、水に冷し、又、煑ること、七次、晒乾《さらしほし》研末《けんまつ》し【氷糖、等分≪を≫加ふ。】、之れを服して、痰・痃-癖《げんひ》・心痛を治す。

 松は霜雪を經(へ)て、色を變ぜず。之れを貞心に比《なぞら》へて「貞木」と稱す。

「史記」に云はく、『秦の始皇、泰山に上《のぼ》る。風雨、暴《には》かに至る。松の下《もと》に休む。枝、垂れて雨を禦(ふせ)ぐ。因つて、封して「太夫」と爲《な》す。』≪と≫。

 「古今」

   常盤《ときは》なる松のみどりも春くれば

         今一しほの色增さりけり 宗于

「字說」に云はく、『松柏は「羣木《ぐんぼく》の長《ちやう》」たり。故に、松、「公」に從ふは、猶を《→ほ》、公のごとし。柏は、「白」に從ふ。猶ほ、「伯」のごときなり。』≪と≫。

「五雜組」に云はく、『此の說、理《ことわり》、有るに近しと雖も、然《しかれ》ども、實《じつ》は、穿鑿《せんさく》なり。「松柏」の字は、直《ただ》、諧聲《かいせい》のみ。「五等」の封(ふう)は、三代に始むる。而るに、「松柏」の字は、倉頡(さうけつ)に《→の》製す≪するなり≫。寧(むし)ろ、預《あらか》じめ、後世、有ることを知らんや。公・伯の爵(くらい[やぶちゃん注:ママ。])や、且つ、「松」の字、古《いにし》へ、「※2」に作る。「公」に从《したが》ふは、後世の省文《しやうぶん》なり[やぶちゃん字注:「※2」=(上)「容」+(下)「木」。]。卽-且(むかで)は、至《いたつて》微《び》にして《→なるも》、「公」に从ふ。猿-狙(さる)は至《いたつて》劣《れつ》にして《→なるも》、「侯」に从ふ。豈に亦、「蟲の長」たるを以つてなるをや。』≪と≫。

又、云はく、『松、長《ちやう》ぜざらんことを欲せば、石を以つて、其の眞下に抵《あつ》。或いは、其の頂《いただき》を髠(かぶろ)にするときは、則ち、復《また》、長せず。旁《かたはら》の榦(えだ)、四(《よ》も)け出づ《→でて》久しきときは、卽ち、地に偃(ふ)す。京師の報國寺に、松、七、八株、有り、髙さ丈許《ばかり》に過ぐず。其の頂《いただき》、甚だ平《たひら》にして、枝榦《えだみき》、旁に出づ。十餘丈に至る者、數百《すひやく》莖《けい》≪あり≫。夭矯《えうきやう》にして游《あそぶ》龍のごとし。其れ、折れんことを恐れて、一榦《ひとみき》毎(《ご》と)に、一木を以つて之れを支(さゝ)ふ。』≪と≫。

「事類全書」に云はく、『松を栽うるに、春の社日《しやじつ》の前に、土を帶《たいし》て、栽培≪せば≫、百林、百活なり。此の時を舍《すて》て≪は≫、决して、生《うゑる》理《ことわり》、無し。』≪と≫。

「種樹書」に云はく、『春分の後、松を種《うう》ること勿《なか》れ。秋分の後、方《まさ》に松を種《うう》≪るが≫、宜《よろ》し。凡そ、松を栽るに、須らく尖りたる大根《おほね》を去るべし。惟だ、四邊の鬚根《ひげね》を≪のみ≫留むれば、則ち、盛へざるいふこと、無し。』≪と≫。

本朝、播州印南郡(いなみのこほり)曾禰(そね)の松、大いさ、周《めぐ》り、一丈八尺、髙さ一丈、𬄡(しん)の髙さ一丈三尺、枝榦、旁《かたはら》に出づ。艮《うしとら》より、坤《ひつじさる》に向ふ。之れ、長さ十一丈、乾《いぬゐ》より巽《たつみ》に延び、長さ七丈許《ばかり》。枝毎《ごと》に、木を以つて、之れに支≪へとす≫。數《かず》、百五十八本なり。相傳《あひつかふ》、「菅神《かんじん》、左遷の時、是に於いて、自-手(てづか)植へ[やぶちゃん注:ママ。]たまふ所の松なり。」≪と≫。丹州、「成相(なりあひ)の片葉の松」も亦、奇なり。

松の節《ふし》  久《ひさしき》に耐《た》ふて、朽《くち》ず。火に燃(もや)して、以つて、油に代《か》ふ。凡そ、松の性《せい》、濕を惡む。其の材≪も≫亦、水噐《みづうつは》と作るに堪へず。屋の柱のごとき≪は≫、須らく、煙の行く處に用ふべし。如《も》し、濕地に近く、久≪しく≫經《ふ》るときは、則ち、螱(はあり)を生ず。伹し、日向の產を良材と爲《な》し、其の肥《えたる》赤色の者は、能≪く≫水に耐≪へ≫、船・槽(みづぶね)に作りて、亦、佳なり。

松に、雌雄、有り。雌と稱する者は、木、甚≪には≫、大(ふと)からず。皮に、鱗、無くして、赤色を帶ぶ。葉、細かく、刺《はり》、糅《やはら》かにして、色≪も≫亦、淡(うす)し。凡そ、松茸(《まつ》たけ)は、雌松≪の≫山に生ず。松脂・松の節は、雄松を用ふ。

 

[やぶちゃん注:異体字の蔓延で、本文活字化だけで、一昨日、実に二時間半以上かかった。特にUnicode-8でも表示出来ない字形もあり、甚だ疲弊した。五月一日は北鎌倉のイタリアン・レストランで妻と食事をしたため、夜は一切の作業をせずに就寝し(この二ヶ月、私は概ね午後八時過ぎには臥し、翌朝は三時過ぎには起床し、作業に入る生活をしており、実際には夜の作業は一切行っていない)、一昨日は、早朝より訓読・注を始めた。ところが、連れ合いが、本日が特定日である燃えないごみの内の、多量の大型プラスティック類を出せる日であったため、「整理をしよう」と言ったため(これも別な意味で、エンドレスの父の死後の後始末のドデカい一つで、未だ五分の一にも至っていない。再利用が可能なものは、ごく僅かしかなく、誰も引き取らない不用物のイタい堆積である)、一時間もやっていなかった訓読作業を中止し、昼の十二時過ぎまで、黙々とやってしまった(最近は彼女も私も、その作業に入ると、異常にスイッチが入ってしまい、なかなか止められなくなってしまうのである)。結局、一昨日の電子化作業も、結果して午後に訓読と並行で、凡そ四分の一のみを終わったに留まった。而して、昨日も午前中はルーティン片付けに有意に時間消費をし、おまけに、本篇の注が、これまた、異様に時間がかかり、結局、完成に延べ三日半も掛かってしまったものである。

 さて、本項は、基本、

裸子植物門マツ綱マツ目マツ科 Pinaceaeの総論

である。但し、安易にマツ科マツ属 Pinus の限定するのは誤りである。それは、まず、例によって冒頭の「本草綱目」の引用があることによる。同書の言う「松」には、

・日本に分布するものの、中国にしか自生しない種群があること。

・現在の日本に植生するが、現在の北海道にしか分布しない種の場合、良安の時代に、それが、「日本産」として認識されていたかどうかが、甚だ、怪しいものがあること(私は、当時の蝦夷を日本領土であるという認識が大多数の江戸時代の国民に認識されていたとは全く思わないからである。個人的には「蝦夷地」は「アイヌの国」であったと規定するからである。蝦夷地は、日本人が巧みに領土として懐柔し、不当に占拠したものと断ずるからである。これは、薩摩藩が幕府を騙し、不当に苛烈に実行支配していた「琉球国」も全く同様であり、琉球国に属した琉球(沖縄)諸島以南にしか分布しない動植物を総絡げにして、恰も昔から日本産であるような記載を無意識に行い、平然と「日本固有種」だなどとのたもうている記載に対して、ことに強い生理的嫌悪感を持つからである)。

・日本には分布しない中国産のマツ科の種群が大いに含まれていること。

・現在の日本「~松」と日本標準和名に記すものの、現行の分類では実際にはマツ科でない種が存在すること。

等、非常に怪しい事態が、時代的に、存在して「いた」から、或いは、今の分類から見て、非科学的な認識が存在して「いる」からである。

「唐松」(図キャプション)裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi 。間違っちゃいけないよ、本種は日本固有種だ。標準和名の漢字表記は、当該ウィキによれば、『唐絵(中国の絵画)のマツに似ていることが名前の由来である』とあり、『別名、フジマツ』とある。いや~ぁ、「富士松」の方がいいなぁ……。

『「祥」「容」の切』「切」は「反切」(はんせつ)。中国で漢字の字音を表わすのに、他の漢字二字の音を以ってする方法。すなわち、「γ、α・β切」の形式で、「γ」の音は「α」の声母(頭子音)とβの韻母と声調(全体から頭子音を除いた部分)との組み合わせたものであることを示す。この場合は「松」の音は「祥」・「容」の「切」であることを示す。現代中国語で示すと、「祥」(ウェード式:hsiang)の声母は「s」で、それと、「容」(同:jung)の韻母「ung」とに合わせることより、「松」(同:sung)とする音を伝える方法である。古くは「反音」(はんおん・はんのん)と呼ばれ、平安・鎌倉時代の音韻学書で用いられた。「反切」は中国では「韻鏡」(九〇〇頃)で用いられ、日本でも鎌倉時代以後は、この語を使うようになった。

「蕤」音「ズイ」。原義は「草木の花が垂れ下がる」の意であるが、マツ類の場合、花は立ち上がる。されば、良安の後のルビ「はなくき」から、「鱗片・胚珠(雌花)・花粉囊(かふんのう:雄花を含む花の全体」を指す意で採る。

「本草綱目」の引用は「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「松」である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-6a]以降。引用の冒頭は、[083-6b]の三行目の「集解」の「時珍曰」後の箇所から始まっている。まず、殆んどが時珍の解説部を繋げてあり、若干の漢字表記に異同があるが、版本の違いもあろうから、まずまず、問題はない。

「磥砢」ゴツゴツ或いはゴロゴロとしているさま。東洋文庫訳では『ごつごつと屈曲し』とする。

「修聳」高く屹立し、真っ直ぐに聳えるさま。東洋文庫訳では『形よく聳(そび)え』とする。

「柏《はく》」ここは「本草綱目」中の「柏」であるから、「かしは」と訓じてはならない。それは本巻の冒頭の「柏」で述べた通り、

――中国の「柏」≠日本の「柏」――

であるからである。

「柏」何度も言っているが、本邦の柏とは全くの別種である。良安はそれを認識していない。向後は、この注は繰り返さない。

「遼海【朝鮮。】・雲南の者」「遼海」は一般名詞では「遙かに遠い海」の意であるが、長く中国の朝鮮半島寄りの西の渤海、東の黄海に突き出る遼東半島を狭義には指す。朝鮮半島は歴史的に中国と密接な関係にあり、一時期は遼東と朝鮮を統率する監察御史が置かれたりした。ここは朝鮮の王朝が自国を示す場合に「遼海」と自称したことに由来する。但し、東洋文庫訳の割注では、『遼寧省開原県』(現在は遼寧省鉄嶺市開原市。グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)と同定している。「雲南」は現在の雲南省附近。疑問なのは、ここで南北に遙かに離れた朝鮮半島と雲南に植生する「松」の種を同一としている点である。朝鮮に分布する真正のマツは、

裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属アカマツ Pinus densiflora

マツ属 Strobus 亜属 Strobi 節ハイマツ Pinus pumila

マツ属Strobus 亜属 Cembra 節チョウセンゴヨウ Pinus koraiensis(所謂「五葉松」の一種。本邦では比較的稀な種である。樹高三十メートル以上。後注参照。なお、次の項は「五葉松」である)

であるが、孰れも北方種である。一方、雲南は、南部低地には亜熱帯性気候もあり、北部高山地方では亜寒帯性気候もあるが、代表的なものは、

マツ属バビショウ Pinus massoniana(中国の南部を中心に広く分布し、中国のマツ類の中では大型になる種で、中国で最も知られる「松」類の一つである)

マツ属 Strobus 亜属 Strobi Pinus densata(中国南西部の雲南省・青海省の山岳地帯に分布)

同属同節Pinus yunnanensis(中国西部に分布。種小名はまさに「雲南」由来。樹高三十メートルに達するとされる

同属同節 Pinus wangii(雲南省を中心に、一部は隣接するベトナム北部にも分布し、石灰岩土壌を好むとされる)

で、一致する種を見ない。

「巴豆」常緑小高木である双子葉植物綱キントラノオ目トウダイグサ科ハズ亜科ハズ連ハズ属ハズ Croton tiglium 。台湾・中国南部・東南アジア原産。高さ約三メートル。葉は柄を持ち、長さ六~十センチメートルの長卵形で縁に鋸歯があり、色は通常は黄緑色だが、青銅色・橙色になるものがある。雌雄同株で、雄花は緑色の五弁花で枝先の総状花序の上部につき、雌花はその下部にあり、花弁はない。果実は倒卵形で高さ約三センチメートル。種子は楕円形。「巴豆油」の原料にされ、また下剤に用いられるが、猛毒を有する。

「海松子」前掲のマツ属Strobus 亜属 Cembra 節チョウセンゴヨウ Pinus koraiensis の種子。所謂、「松の実」のことである。

『詳か≪には≫「果部」を見よ』とあるのは、「本草綱目」での謂い。「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」の「夷果類」のガイド・ナンバー[077-14a]にある「海松子」である。なお、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂の「和漢三才圖會」の「卷第八十八 夷果類」の「からまつのみ 海松子」もリンクさせておく。

「松子松」「五葉松」に同じ。葉が針状で、短い枝に五個ずつ、束になって生える種群の称。当該ウィキ他によれば、下記のタイプ種・変種・品種がある。

マツ属ゴヨウマツPinus parviflora(広義。日本固有種。本州東北地方東南部・四国・九州に分布し、山地に生える)

ヒメコマツ Pinus  parviflora var. parviflora(「姫小松」。基変種。ゴヨウマツの高山に生じている種で、丈が低く、低地にかけて生じているゴヨウマツよりも姿形が小さい)

キタゴヨウ Pinus  parviflora  var. pentaphylla(「北五葉」。ヒメコマツの変種。北海道(渡島半島・日高地方)に分布し、岩の多い急斜面や尾根に自生する。高さは二十五メートル、幹の直径は八十センチメートルに達する)

トドハダゴヨウ Pinus parviflora var. pentaphylla f. laevis(「椴膚五葉」。キタゴヨウの品種)

が掲げられてある。

「栝子松」これは「三針の者」とあるので、異名を「サンコノマツ」(三鈷の松)と称する、樹皮が白い、

マツ属 Ducampopinus 亜属シロマツ Pinus bungeana

のことである。これは当該ウィキによれば、『二・三葉マツ類( Pinus 亜属)と五葉マツ類( Strobus 亜属)の中間の性質を示』す種で、この亜属を『変わり種のグループ』とある。

『老松の餘氣、結して「伏苓」と爲り、千年の松脂、化して、「琥珀」と爲る』この、一見、古い民俗社会の迷信のように見え、問題にする価値はないように感ずる向きが多かろうが、既に「諸國里人談卷之五 松喰虫」で私は注でフラットに考証している。何とも言えないが、必ずしも、トンデモ学説とは言い難い部分があるように私には思われる。是非、見られたい。

『「茯令」・「琥珀」は「寓木類」を見よ』同前で、「漢籍リポジトリ」の「卷三十七」の「木之四」の冒頭に「茯令」が、同ページのガイド・ナンバー[090-8a]に「琥珀」がある。例によって、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の本書の「第八十五」冒頭の「寓木類」冒頭の「茯令」と、「琥珀」をリンクさせておく。

「松香」以上は松脂の異名であるが(直前の「瀝靑」は松脂に油を加えた塗料の名でもあり、また、所謂、「チャン」(同じ「瀝靑」と書く。泥炭・褐炭などから作った防水剤と同じ効果を持つもの)と同様の松脂をも、かく言ったものであろう)、この「松香」は漢方生薬の名でもある。基原はチョウセンゴヨウの種子とされ、良安が以下に記すような効能を「神農本草経」などで記している。

「倍伊木《ベインぼく》」東洋文庫の訳に「倍伊」にのみ『ペイン』とあるのを、そこに採用した。但し、信頼出来る論文を管見したところ、オランダ語で最上品である「生松脂」のことを「レピンチナ(Lepinchina)」と呼ぶことを見出した。この「ペイン」は、その綴りの音と親和性があるように思われた。オランダ語では「木」は「ハウイ」(hout)或いは「ボーム」(boom)であるから、これは当時の日本人には「松脂の木」を「ペインハウイ」、「ペインボウム」と呼んだ可能性があるやもしれない。特に「ボウム」は現代中国語の「木」が「」(ムゥー)と発音するから、「ボウム」を「ムウ」と通詞が聴き取った可能性もあるやもしれぬ。因みに、「松脂」の中国語は「sōng zhī」(ソォンヂィー)である。

「倍豆木」言語不詳。

「古留保尒也《コルホウニヤ》」「Colophonia」で、オランダ語で「松脂」を指す語。

「五臟」漢方で体内にある五つの内臓をいう。心臓・肝臓・肺臓・腎臓・脾臓の称。但し、それぞれ現代医学の内臓器官とは一致しない。

「二錢」明代の重量単位「錢」(せん)は、「一錢」が三・七三グラムであったから、七・四五グラム。

「自《おのづ》から、便《びん》なり」徐々に自ずから飲み易くなる。

「人をして老いざらしめ、身、を輕くし、氣を益し、久≪しく≫服すれば、穀を絕ち≪ても≫、饑ゑず、渇《かつゑ》ず」仙人じゃあるまいし、誰も信じません!

「痰・痃-癖《げんひ》」東洋文庫版の訳では、これを本文傍注で「痰癖」の脱字とし、後注で、『痰癖は暴飮・暴食により内臟が傷つけられ、寒痰が結聚しておこる。疸癖は脇や臍の両側にできる筋塊や積塊』とある。

『「史記」に云はく、『秦の始皇、泰山に上《のぼ》る。風雨、暴《には》かに至る。松の下《もと》に休む。枝、垂れて雨を禦(ふせ)ぐ。因つて、封して「太夫」と爲《な》す。』≪と≫。』知られた秦の始皇帝が、記録としては初めて実際に泰山で行った帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝するという伝説の秘儀「封禅(ほうぜん)の儀」の折りのエピソードである。「史記」の「卷二十八 封禪書第六」に載る。「維基文庫」のここで電子化されたものが視認出来る。但し、そこでは、「樹」とあるだけで、「松」或いはそれを暗示させる表現は、ない。そもそも秘儀を行うため、始皇帝は一人で泰山に登ったのであり、そこでどのような儀式を彼が行ったかは、全くのブラック・ボックスであるのだから、そこで「松の木の下で雨宿りした」等という、妙にリアルなディテーイルが残ること自体、(トンデモ)10なナンセンスなわけである。しかし、彼の泰山封禅伝説の中で、松と規定され、複数の漢文学者の訳でも「松」と断定している。泰山の登山口の二天門の先には、「五代松」があるのである。この「五代松」の種を調べてみたが、判らなかった。但し、ウィキの「泰山」によれば、泰山の植生を語る一節に『「望人松」「五大夫松」などのマンシュウアカマツ』という記載があった。この「マンシュウアカマツ」は、マツ属 Pinus 亜属 Pinus 節アブラマツ Pinus tabuliformis で、ウィキの「マツ」によれば、『中国原産で中国語では「油松」と呼ぶことから、和名でもこの名前で呼ぶことがある。他にマンシュウクロマツ、マンシュウアカマツなどの表記もあるがはっきりとしない』とあった。他に泰山の山中には『漢のコノテガシワとイブキ、唐のエンジュ』(「泰山」のウィキの部分)ともあったことを附記しておく。

「古今」以下の和歌は「古今和歌集」の「卷第一 春歌上」の光孝天皇の孫で式部卿是忠親王の子の「三十六歌仙」の一人、正四位下・右京大夫源宗于朝臣(?~天慶二(九四〇)年)の歌(二四番)、

   *

    寬平の御時、后宮(きさいのみや)
    歌合(うたあはせ)によめる

 ときはなる松のみどりも春くれば

      今ひとしほの色まささりけり

   *

である。「ひとしほ」は、ここは、「一入」の原義の用法で、「染料に、今一度、入れること」を指すが、本歌は全体が女との邂逅を裏とした、かなりセクシャルな一首であって、まず、「松」が女を「待つ」に掛けられてあり、されば、後の「ひとしほ」にも、女の「一肢を」を嗅がせ、「みどり」(綠)にさえ、「身取り・見取り」で「目合(まぐは)ひ」を掛けてある。而して「色」は作者の「色欲」の吐露を意味しているのである。

「字說」に云はく、『松柏は「羣木《ぐんぼく》の長《ちやう》」たり。故に、松、「公」に從ふは、猶を《→ほ》、公のごとし。柏は、「白」に從ふ。猶ほ、「伯」のごときなり。』≪と≫。

『「五雜組」に云はく、『此の說、理《ことわり》、有るに近しと雖も、然《しかれ》ども、實《じつ》は、穿鑿《せんさく》なり。「松柏」の字は、直《ただ》、諧聲《かいせい》のみ。「五等」の封(ふう)は、三代に始むる。而るに、「松柏」の字は、倉頡(さうけつ)に《→の》製す≪するなり≫。寧(むし)ろ、預《あらか》じめ、後世、有ることを知らんや。公・伯の爵(くらい[やぶちゃん注:ママ。])や、且つ、「松」の字、古《いにし》へ、「※2」に作る。「公」に从《したが》ふは、後世の省文《しやうぶん》なり[やぶちゃん字注:「※2」=(上)「容」+(下)「木」。]。卽-且(むかで)は、至《いたつて》微《び》にして《→なるも》、「公」に从ふ。猿-狙(さる)は至《いたつて》劣《れつ》にして《→なるも》、「侯」に从ふ。豈に亦、「蟲の長」たるを以つてなるをや。』≪と≫』「五雜組」は既出既注。以下は「卷十」の「物部二」の一節。「維基文庫」の電子化されたここにあるものを参考に示しておく。冒頭である。

『又、云はく、『松、長《ちやう》ぜざらんことを欲せば、石を以つて、其の眞下に抵《あつ》。或いは、其の頂《いただき》を髠(かぶろ)にするときは、則ち、復《また》、長せず。旁《かたはら》の榦(えだ)、四(《よ》も)け出づ《→でて》久しきときは、卽ち、地に偃(ふ)す。京師の報國寺に、松、七、八株、有り、髙さ丈許《ばかり》に過ぐず。其の頂《いただき》、甚だ平《たひら》にして、枝榦《えだみき》、旁に出づ。十餘丈に至る者、數百《すひやく》莖《けい》≪あり≫。夭矯《えうきやう》にして游《あそぶ》龍のごとし。其れ、折れんことを恐れて、一榦《ひとみき》毎(《ご》と)に、一木を以つて之れを支(さゝ)ふ。』≪と≫』同前と同じ「五雜組」の「卷十」の「物部二」の一節にある。改行された頭が、『俗言松三粒五粒。段成式云:「粒當作鬣。」然亦不知五鬣何義。又云:「五鬣松皮不鱗。」今山中松,未見有不鱗者。段又云:「欲松不長,……とある以下が当該部である。

「事類全書」東洋文庫の「書名注」に、『『古今事類全書』か。前集六十巻、後集五十巻、. 続集二十八巻、別集三十二巻、新集三十六巻、外集十五巻、遺集十五巻。宋の祝穆(ぼく)編。百科全書』とある。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここに巻数に違いがあるが、「新編古今事類全書」がある。この中にあるかも知れないが、膨大過ぎて、調べるのは諦めた。悪しからず。

「社日」「社」は、中国に於ける土地神(本邦の産土神(うぶすながみ))で、春分と秋分に最も近い、その前後の戊日。春の場合を「春社」、秋の場合を「秋社」といい、土地神を祀って、春には豊作を祈り、秋には収穫を感謝する。本邦にもそのまま取り入れられた。

「播州印南郡(いなみのこほり)曾禰(そね)」現在の兵庫県高砂市曽根町(そねちょう)の曽根天満宮(グーグル・マップ・データ)境内にあった「曾根の松」。門(随神門)を入ったすぐ右側にある「霊松殿」に初代の枯れたそれが現存する(同天満宮公式サイト内のこちらを参照)。より詳しい記事は、「銘木総研株式会社」公式サイト内の「曽根の松(兵庫県高砂市)〜菅原道真が太宰府左遷の途中で植えた霊松」を見られたい。資料館に保存されている、初代の枝を使用して作られた十分の一サイズの模型の画像も見られる。

「𬄡(しん)」中文サイトで調べても台湾に多い姓という以外に、意味を見出せなかった。「廣漢和辭典」にも載らない(私は「大漢和辭典」を所持しない)。「しん」という読みは、東洋文庫のルビに従ったものだが、この部分の文章から考えると、「枝榦」(えだみき)に対する「主たる幹(みき)」の意であろうかとは思われる。

「艮」北東。

「坤」南西。

「乾」北西。

「巽」南東。

『丹州、「成相(なりあひ)の片葉の松」』これは現在の京都府宮津市成相寺にある橋立真言宗成相山(なりあいさん)成相寺(なりあいじ:グーグル・マップ・データ)であるが、現存しない。延享三(一七四六)年から寛延三(一七五〇)年の間に書かれた京都の人が記したものらしい「道中記」には、

   *

都ノ方へ斗(ばかり)、枝あり、外ヘハ、枝、なし。

   *

とある(読みと句読点は私が振った)。これは二〇一八年三月発行の『丹後郷土資料館調査だより』第七号(PDF)の『資料紹介 「丹後廻り道中記」』(資料課吉野健一氏筆)に拠った。

「螱(はあり)」この場合の「羽蟻」はシロアリであり、湿気を必要とする点で、昆虫綱網翅上目ゴキブリ目等翅(シロアリ)下目ミゾガシラシロアリ科 Heterotermitinae 亜科イエシロアリ属イエシロアリ Coptotermes formosanaus を挙げておく。

「日向の產を良材と爲《な》し、其の肥《えたる》赤色の者は、能≪く≫水に耐≪へ≫、船・槽(みづぶね)に作りて、亦、佳なり」裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属アカマツ Pinus densiflora である。宮崎県日向地方に産する脂気の強い個体群を異名として「日向松」(ヒュウガマツ)・「霧島松」(キリシママツ)・「霧島赤松」(キリシマアカマツ)と地方名で呼び、学術論文にもカタカナ書き表記で出ているのを確認した。

「松茸(《まつ》たけ)は、雌松≪の≫山に生ず」これはちょっと考えにくい。共感呪術的(♀の松に♂を象徴する松茸!)な俗説ではあるまいか? 但し、アカマツの木に有意にマツタケ(菌界担子菌門真正担子菌綱ハラタケ目キシメジ科キシメジ属キシメジ亜属マツタケ節マツタケ Tricholoma matsutake )に生えることは、よく知られている。ウィキの「アカマツ」に、『高級食材のマツタケは、アカマツ林でとれることが知られる』と明記し、ウィキの「マツタケ」にも、『アカマツの樹齢が』二十『年から』三十『年になると』、『マツタケの発生が始まり』、三十『年から』四十『年が最も活発で』、七十『年から』八十『年で衰退する』とあった。

「松脂・松の節は、雄松を用ふ」但し、種個体の♀♂とは別に、古くから、クロマツを雄松と呼ぶのに対し、樹皮が赤いことや、枝が細く華奢であることから、アカマツを総称して雌松(又は女松)と呼ぶ習慣がある。但し、松脂の良し悪し(使用する場面と対象(楽器等)によっても異なることは想像出来る)と、種の違い・雌雄の違いがあるのかないのか、流石に、ちょっと疲れたので、ちょっと調べて、やめた。御存知の方からの御教授を乞うものである。]

2024/05/01

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 栂

 

Toga

 

とが         栂【倭字】

 つが         關東曰豆賀

             關西曰止賀

 

 

△按栂乃樅之屬樹葉似樅其材爲屋柱可作噐其大

 木根株※板橒微有雲龍形勢亦良木也性耐水濕

[やぶちゃん字注:「※」=「耒」+「片」。]

 日向産最佳土佐次之 有椹栂出於土佐帶微赤

 耐水濕  夫木いささらは茂り生たるとかの木のとかとかしさを立て過さん爲家

[やぶちゃん注:最後の和歌の最終句は「立てで過ぎなん」が正しい。訓読では訂した。]

 

   *

 

とが         栂【倭字《わじ》。】

 つが         關東には「豆賀(つが)」と曰ひ、

             關西には「止賀《とが》」と曰ふ。

 

 

△按ずるに、栂は、乃(すなは)ち、樅(もみ)の屬。樹葉は樅に似て、其の材、屋柱に爲《な》る。噐《うつは》に作るべし。其の大木の根株(《ね》かぶ)、板に※(へ)ぎ、橒(もく≪め≫)微《わづかに》雲-龍《うんりゆう》の形勢(ありさま)、有り。亦、良木なり。性《せい》、水濕に耐ふ。[やぶちゃん字注:「※」=「耒」+「片」。]日向《ひうが》産、最も佳《よ》し。土佐、之れに次ぐ。

 「椹栂(さはらとが)」有り。土佐より出づ。微赤を帶ぶ。水濕に耐ふ。

 「夫木」

   いざさらば

      茂り生(おひ)たる

     とがの木の

         とがとがしさを

        立(た)てで過ぎなん 爲家

 

[やぶちゃん注:これは、

裸子植物門マツ綱マツ目マツ科ツガ属ツガ Tsuga sieboldii

である。当該ウィキによれば、『別名をトガ』・『ツガマツ』『という。細かな葉が次々に展開していくことから』、『「継ぐ」が』転訛『してツガと命名された。一般家庭での植栽は稀であり、公園や神社の御神木などに使われる』。『日本の本州中部(福島県以西)、四国、九州、屋久島にかけてと』、『韓国の鬱陵島』(ウルルンド)『に分布する。暖帯林(照葉樹林)から温帯林(落葉広葉樹林)にかけて主に分布する』。『その範囲では比較的普通に見られる樹木であり、時に優占種となる。モミ』(マツ科モミ属モミ Abies firma )『と混成することがあるが』、『モミが山腹に生育するのに対して、ツガは標高約』千五百『メートル』『以上の尾根筋によく生える』。『なお、一部の地域ではトガサワラ』(マツ科トガサワラ属トガサワラ Pseudotsuga japonica )『も混成する』。『常緑針葉樹の高木で、直立する大木になり、高さ』二十~三十『メートル』、『胸高直径』(立木に人間が並んで立った時に標準的な人の胸の位置に当たる樹幹の部分の直径を指す)一メートルに『達する。樹皮は赤褐色から灰褐色で、深く裂けて亀甲状に』剥がれ『落ちる』。『枝は混んでいて、葉も密につく』。『葉は扁平な針状で、長さ』七~二十五ミリメートルで、『表面は深緑でつやがあり主軸に沿って窪みがある』。『先端が少しくぼんでおり、葉先が二つに分かれたようになっている。その点でモミにも似ているが、モミは二つの先端が鋭く尖っているのに対して、ツガは丸まっている。また、枝からの葉の付き方がモミとは若干異なっていることで識別できる』。『花期は』二『月』。『雌雄同株』。『雄花は枝に先につき、紫色の長卵形』。『果期は』十『月』。『球果は小柄で長さ』二~三『センチメートル』『の楕円形で、枝先にやや下を向いてぶら下がり、秋に淡褐色に熟す』。『材は硬く強度があり、良材は建材として柱・梁・敷居に用いられるほか』、嘗つては、『樹皮からタンニンを取り、漁網を染めるのに使われた』とある。

「椹栂」南日本の一部のみに分布するツガに似た常緑性高木の針葉樹で日本固有種但し、現行の標準和名は、ひっくり返し(「栂椹」)で、

マツ科トガサワラ属トガサワラ Pseudotsuga japonica

である。当該ウィキによれば、『山林に生える樹木で、高さ』三十メートルもの、『大木になることもある。モミ、ツガに似ており、混成することもある。それぞれ特徴ははっきりしているが、枝葉だけで見分けるのにはコツがいる』。『日本固有種で、本州、四国の南部のごく一部にのみ知られる。トガサワラ属は現生で』四『種がある』(本邦では本種のみ)『が、過去にはもっと繁栄していたと考えられ、生きている化石にあたるとも考えられる』。『名前の由来はトガ(ツガの別名)に似るが、材がサワラ』(マツ綱ヒノキ目ヒノキ科 ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera )『にやや似るため』、『この名が付いたとの説もあるが、はっきりしない。なお、地方名としてはこの他にカワキトガなどとも呼ばれた。これは乾燥したところに生えるツガの意と見られる』。『樹皮は灰褐色で、縦に』、『やや細長い鱗片状に』なっており、『はがれやすい。若枝は黄褐色で無毛。葉は螺旋状につくが、両側に開いて』二『列になったようになる。新芽は褐色の鱗片に包まれて楕円形』を成す。『葉は線形で長さ』十五~二十七ミリメートルで、『先端に向かって枝先方向にやや曲がることが多い。先端中央は窪んでいて、先が小さく』二『つに分かれたように見える。その』二『つの突出部は丸く、尖っていないのが』、『モミなどとは異なり、ツガなどに似ている。表面は緑色でつやがあり、中肋に沿って窪む。裏面は中肋の両側が粉白色の帯になっているが、これは気孔帯である』。『雌雄同株で花は』四『月につく。雄花は楕円形で長さ』七~九ミリメートルで、『前年』の『枝の先端に集まる。雌花も前年枝の先について、はじめ上を向くが次第に下に向き、成熟時には斜めにつく。毬果は秋に熟し、卵形で長さ』三・五~六センチメートル。『ツガのそれより』、『倍くらい大きい。鱗片は先端が丸いが、その内側から苞鱗片が伸び、種子鱗片の縁から顔を出し、そこで』三『裂して尖るので、まるで鱗片の縁に飾りがあるように見える。この鱗片が顔を出すのは、この属の特徴だが、トガサワラではその先端が反り返って上を向く。鱗片は開いて種子を放出する。種子には翼がある』。『山間部の森林に成育する。暖帯域から温帯域の下部にわたる範囲で知られる。この部分では照葉樹林、あるいは落葉樹林にモミ、ツガなどの針葉樹を交えることが多く、それに混じって成育する。特に乾燥気味のやせ尾根に成育することが多い』。『本州では紀伊半島の南部(和歌山県と奈良県、三重県のそれぞれ南部)、四国では高知県東部(魚梁瀬地方)から知られている。最も多いのは大台ヶ原中腹と言われる。いずれも内陸の山間部のごく限られた地域からしか見つかっていない』。但し、『それらの地域ではそれほど珍しい存在ではなく、場所によっては森林の構成種として多い方であることもある』。各地の『地元では古くから知られた木ではあったが、学問上の発見は』明治二六(一八九三)年の『ことで』、『当時、東京農科大学の大学院生であった白沢保美が奈良県吉野地方に向かった際』、『地元でこの名で呼ばれていた針葉樹の標本を持ち帰ったのがはじめで、翌年には球果や材の標本も手に入れた上で研究を行った結果』、二年後、『これをツガ属の新種として発表したのである。その翌年には現在の属に移されている』。『材がツガより柔らかくて加工しやすい。桶材などに用いられた。なお、現在の生育地が少ないのには、伐採による減少も影響が大きいとされる』。最後に「類似種など」があり、本書の先行した「樅」との関係からも、やはり引いておく。『同所的に出現するもので、よく似たものにツガとモミがある。本種は分布が限定されるが、その生育地にはこの』二『種が一緒に生育していることが多く、この』三『種の見分け方は自然観察会などにおいてよく取り上げられる素材である』。『球果があれば』、『区別は簡単で、モミはずっと大きくて枝の上に乗って立ち、種子と共に鱗片を脱落させる。ツガのそれは』、『形は似ているが』、『もっと小さくて枝先からぶら下がる。トガサワラの場合、ツガに似ているが』、『一回り大きく、また』、『鱗片の縁に種子鱗片が顔を出す』。『葉の形では、モミのそれは長くて先端が二つに割れて尖るのに対して、ツガのそれは短くて先端は』二『つに割れるが』、『丸い。トガサワラの葉はツガに似て、より細長い。また』、『ツガとトガサワラの葉は枝に螺旋状につくが、モミは両側にでる傾向が強い』。但し、『モミの葉は若い枝では先端が鋭く尖るが、大木の枝先では葉先が丸くなる傾向があり、また』、『枝につく葉の列もはっきりしなくなるので、不慣れなものを悩ませる場合がある。葉の基部を見る』と、差異が『はっきりしている。モミの場合、葉の基部が丸く広がって茎についている。ツガでは茎には葉のつく部分の下側に縦長の隆起(葉枕)があり、葉柄はその延長のように茎に沿って伸び、すぐ大きく曲がって葉となる。トガサワラは細い葉柄がすぐに茎につく』。『樹型や枝振りでは、トガサワラは他の』二『種に比べて横向きの枝がよく伸びて、柔らかな感じの樹形になる』とる。

「夫木」既注の「夫木和歌抄」に載る藤原為家の一首で、「卷二十九 雜十一」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「14069」)。そこでは、確かに、

   *

 いささらは しけりおひたる とかのきの

      とかとかしさを たててすきなむ

   *

となっている。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(7)

○顏のきめを、こまやかにして、色を白くするおしろいの方。

 楊梅皮(やうばいひ)・桃仁・丁子・輕粉(けいふん)、右、四味、各五匁。石灰、面胡ふん、右、二味、各十匁。但(ただし)面胡粉(めんこふん)は、京橋柳屋と云(いふ)に有(あり)。

[やぶちゃん注:「楊梅皮」山桃(ブナ目ヤマモモ科ヤマモモ属ヤマモモ Morella rubra )の皮。本州中部以南・朝鮮半島・台湾・中国などに分布する。山中で多く実をつけることから、「山百々」と呼ばれ、それが和名になった。夏に果実の紅熟したものを「楊梅」(ヨウバイ)、七~八月頃に樹皮を剝いで、天日乾燥したものを「楊梅皮」と呼んで、孰れも生薬とする。

「桃仁」桃の実の核(たね)。

「輕粉」水銀・食塩・にがり・赤土を捏ね合わせ、加熱して得られた昇華物で、本質は塩化第一水銀(甘汞(かんこう))。伊勢地方で十三世紀頃から製造された。利尿・抗菌作用があり、梅毒にも効くとされた。水に溶け難く、毒性は弱い。「水銀粉」(はらや)・「伊勢おしろい」等とも言われた。

「面胡ふん」日本画の重要な白色顔料。「胡」の字から、大陸由来の顔料であったと考えられている。本来は塩基性炭酸鉛(鉛白・唐土・シルバーホワイト・フレークホワイト)を指していたが、その後、本邦では「白亜」や「白土」などの白色顔料の総称として「胡粉」の言葉が当てられていたらしい。鉛由来・土由来・貝殻由来の胡粉が存在した。明治以降の日本画では、主に貝殻(カキ・ホタテ・ハマグリ)等の炭酸カルシウム由来の白色顔料の一般名称となっている。上質のものは、不純物が少ない良質の石灰岩を焼成し、白色度の高めて後、粉とする。]

 

○頭痛を治する方、「かた」のはりにも、よし。

 大黃(だいわう)【酒製也。】・黃連(わうれん)・川芎(せんきゆう)・茯苓、右、四味、目方、各、等分。甘草、少し、加ふべし。但(ただし)、「煎藥(いりぐすり)きらひ」には、「こぐすり」にして、用(もちゆ)べし。平生、用るときは、頭痛の根を、切る也。

[やぶちゃん注:「大黃」ダイオウ。タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある(底本の竹内利美氏の後注に一部を拠った)。

「黃連」既出既注

「川芎」底本の竹内利美氏の後注に、『センキュウ。セリ科の草木。その根茎が頭痛などの薬剤になる。薬用として栽培された』とある。当該ウィキによれば、『中国北部原産で秋に白い花をつけるセリ科の多年草センキュウCnidium officinaleの根茎を、通例、湯通しして乾燥したもので』、『本来は芎窮(きゅうきゅう)と呼ばれていたが、四川省のものが優良品であったため、この名称になったという。日本では主に北海道で栽培される。断面が淡黄色または黄褐色で、刺激性のある辛みと、セロリに似た強いにおいがある。主要成分としてリグスチリドなどがあげられる』。『現在の分析では鎮痙剤・鎮痛剤・鎮静剤としての効能が認められ、貧血や月経不順、冷え性、生理痛、頭痛などに処方されて』おり、『漢方では』「当帰芍薬散」に『配合され』、『婦人病』、所謂「血の道」の『薬として』、『よく用いられる』とあった。

「茯苓」は菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。]

 

○又、一方。

 南天の枝を、鰹節のごとく、けづり、其けづりたるを、枕の「しん」にして、ぬるときに、用(もち)うれば、年をへて、おこらず。

 

○又、一方。

 「わかめ」を、せんじ、髮を、あらひて、よし。

 

○又、一方。

 右は、「びいどろ」に入(いれ)たる「かぎぐすり」にて、佐竹壹岐守御内(おんうち)、吉田半八と云(いふ)人より、出(いづ)る。「びいどろ」代とも二百文、但(ただし)、男は、左の鼻へ、あてて、かぐべし。女は、右の鼻へ、あてて、かぐ也。小兒男子は、左の耳の穴、女子は、右の耳の穴へ、あてて、かがしむべし。

 

○「髮はへぐすり」。

 蝙蝠(かはほり)の黑燒、ごまの油にて、とき、ひた物(もの)、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「ひた物」「直物・頓物」で、ここは副詞。「専ら、そのことに集中するさま」で「ひたすら」の意。]

 

○又、一方。

 うぶ髮(がみ)・はくや[やぶちゃん注:底本では「く」の右に編者補正注で『(ら)』とある。]・松やに・鼠のふん・へそのを、右、黑僥にして、ごまの油にて、付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:「うぶ髮」産毛(うぶげ)・和毛(にこげ)。

「はらや」既出既注であるが、誤字なので、再掲しておく。「輕粉」で「けいふん」「はやや」等とも呼んだ「粉白粉」(こなおしろい)・伊勢白粉のこと。白粉以外に、顔面の腫れ物・血行不良及び腹痛の内服・全般的な皮膚病外用薬、さらには梅毒や虱の特効薬や利尿剤として広く使用された。伊勢松坂の射和(いざわ)で多く生産された。成分は塩化第一水銀Hg₂Cl₂=甘汞(かんこう)であり、塗布でも中毒の危険性があり、特に吸引した場合、急性の水銀中毒症状を引き起こす可能性がある。現在は使用されていない。]

 

○髮の「つや」をいだす藥

 桐の木を、せんじて、あらふべし。くろみ、いづる也。

 

○又、一方。

 くるみの油にて、すく時は、「つや」、よく出(いづ)る也。

 

○髮をあらはずして、「あか」を、おとす方。

 かうほん・びやくし、二味、粉にして、髮へ、もみつけ、よくよく、くしけづり、すき入れば、「あか」、よく落(おつ)る也。髮を、度々(たびたび)あらへば、「つや」、あしく成(なる)もの也。

[やぶちゃん注:「かうほん」底本では右に編者補正注で『(槀本)』とある。これは漢方生薬名「コウホン」(藁本)。セリ目セリ科セリ亜科マルバトウキ属コウホン Ligusticum sinense などの根や根茎を乾燥したもので、去風湿・止痛などの効能があり、頭痛・腹痛・鼻炎。皮膚掻痒症などに用いられる。「コウホン」とよく似た名の生薬に「ワコウホン」(和藁本)があるが、これは同じセリ亜科ヤブニンジン属ヤブニンジン Osmorhiza aristata の根や根茎を使用したものである。

「びやくし」底本では右に編者補正注で『(白芷)』とある。やはり漢方生薬で、セリ亜科シシウド属ヨロイグサ Angelica dahurica の根。消炎・鎮痛・排膿・肉芽形成作用があり、皮膚の痒みをとる。日本薬局方にも記載されている。]

 

○「かた」の、はりたるとき、 

 右の煎藥、頭痛の所に有(あり)、見合(みあはせ)、用(もちゆ)べし。

 

○一方【「竹林派」弓術の傳書にあり。】。

 阿膠(あけう)一味、生姜のしぼり汁を、あつく、せんじたる中へ、かきまぜ、夫(それ)を、鳥のはねにて、せなかの、いたむ所へ、ぬり、半紙を、ふたにしておけば、ひつたりと付(つく)也。扨(さて)、小袖にても、きて、をれぱ、藥をぬりたる所、殊外、ほめき、熱し、こらへがたきほど也。かたのはり、よく、なほりて、翌日は、半紙、自然(おのづ)

と、はげ落(おつ)る也。

 但(ただし)、阿膠を、もちひず、生姜の「しぼりしる」ばかりを、あたため、ぬる事も、よし。

[やぶちゃん注:「阿膠」(あきょう)は、山東省東阿県で作られる上質の膠(にかわ)を指し、接合剤のほか、漢方薬などにも用いる。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(19)

 

   鮓喰て先おちつくや祭顏  蒙 野

 

 祭の家に招かれた場合であらう。もてなしの鮓の御馳走になつて、一先づ落著いたら、何となく祭らしい氣分になつた、といふ場合を敍したのである。この鮓は今の握鮓のやうなものではない。祭のために特に自分の家でつけたものと思はれる。尤も句の眼目は、鮓を食つて一先づ落著いたといふ段落にあるので、鮓そのものの吟味はいづれでも差支無い。恐らく鮓を前奏曲として、本格的な御馳走があとに控へてゐるのであらうが、それはどうでもいゝ。鮓を食つて先づ祭氣分になつた、といふところにこの句の山はある。「先」の一語が重要な働きをつとめてゐるわけである。

 何々顏といふ言葉は平安朝以來のもので、天明時代になつてから、蕪村や太祇が頻にこれを句に用ゐた。子規居士もこの語に就て何か書いたことがあつたと記憶する。「祭顏」といふやうな言葉でも、たつた一語で祭の氣分を最も端的に現してゐる。之に代ふる言葉の見當らぬのは勿論、說明しようとすれば多くの言葉を補はなければならぬ。日本語の長所のよく發揮された一例と見るべきであらう。

[やぶちゃん注:子規のそれは、知られたものでは、「墨汁一滴」の以下である。明治三四(一九〇一)年三月二十四日附『日本』初出である。以下に示す。私は、この書、新字体のものしか所持しないので、国立国会図書館デジタルコレクションの『子規全集』第七巻(大正一三(一九二四)年アルス刊)の当該部を視認した。一部、推定で、歴史的仮名遣で読みを補った。

   *

 加賀大聖寺(だいしやうじ)の雜誌蟲籠第三卷第二號出づ。裏畫「初午」は道三の筆なる由實にうまい者なり。唯〻(ただ)蕪村の句の書き樣は稍〻(やや)位置の不調子を免れざるか。

 右雜誌の中重箱楊枝と題する文の中に

  俳諧に何々顏といふ語は、盛に蕪村や太祇に用ゐられ

  た、そこで子規君も多分此二人の新造語であらうとま

  で言はれたが、是は少し言ひすごしである。元祿二年

  板の其角十七條に、附句の例として

     宿札に假名づけしたるとはれ顏

  とある、恐らくこの邊からの思ひつきであらう。

と書けり。余はさる事をいひしや否や今は忘れたれど若し言ひたらばそは誤なり。何々顏といふ語は俳諧に始まりたるに非ずして古く源氏物語などにもあり、空そらも見知り顏にといへる文句を擧げて前年ホトトギス隨問隨答欄に辨じたる事あり。されば連歌時代の發句にも

   又や鳴かん聞かず顏せば時鳥ほととぎす 宗 長

などあり。猶俳諧時代に入りても元祿より以前に

   ふぐ干や枯なん葱の恨み顏 子 英

といふあり。こは天和三年刊行の虛栗に出でたる句なり。其外元祿にも何々顏の句少からず。

   寺に寐て誠顏なる月見かな 芭 蕉

   苗代やうれし顏にも鳴く蛙 許 六

   蓮蹈みて物知り顏の蛙かな 卜 柳

   雛立て今日ぞ娘の亭主顏  硯 角

など其一例なり。因にいふ。太祇にも蕪村にも几董にも訪はれ顏といふ句あるは其角の附句より思ひつきたるならん[やぶちゃん注:句点なしはママ。]

   *

ここで言う「ホトトギス隨問隨答欄に辨じたる事あり」というのは、国立国会図書館デジタルコレクションの同じく『子規全集』の第十三巻(大正一五(一九二六)年アルス刊)で、当該部を視認出来る。短いので、電子化しておく。底本の傍点「○」は太字に代えた。

   *

○第八問 蕪村には往々何々顏なる句あり。是芭蕉の

   菜畑に花見顏なる雀かな

の句調によりたるものにや。芭蕉以前にも此種ありや。

 答 何々顏といふこと古き詞なり。其一例を擧ぐれば源氏物語紅葉賀にも、

  かざしの紅葉いたうちりすきてかほのにほひに

  けおされたるこゝちすればおまへなるいくをを

  りて左大將さしかへ給ふ日くれかゝるほどに氣

  色ばかりうちしぐれて空のけしきさへみしりが

  なるに

とある類なり。

   *]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 椹

 

Sawaragi

 

さわらぎ      椹【木趺也斫

            木櫍也】

【音斟】     又桑實爲椹

          今俗以椹訓

          左和良

 

 

△按椹乃柏之屬尾州驒州多有之葉似檜而微淳朴木

 皮濃於檜結實亦如檜其材微似杉而縱理也※板𮏨

[やぶちゃん字注:「※」=「耒」+「片」。「𮏨」は「葺」の異体字。]

 屋甚良作扇箱作桶及筯以僞杉有臭氣初以熟湯可

 洗去臭 【小樹時與檜難辨伹試折朶檜易折椹靭難折以之可辨】

一種黒部【久呂倍正字未詳】 其樹葉狀與椹木能似而橒粗大

美燒焦之則橒愈可愛人僞爲燒杉以作扇筥

 

   *

 

さわらぎ         椹【木の趺《かかと》なり。

             木を斫(はつ)る櫍《だい》

             なり。】

【音「斟《シン》」。】 又、「桑の實」を「椹」と

             爲《な》す。

             今、俗に「椹」を以つて、

             「左和良《さわら》」と訓

             ず。

 

 

△按ずるに、椹は、乃《すなは》ち、柏の屬≪なり≫。尾州・驒州、多く。之れ、有り。葉、檜に似て、微《やや》、淳朴(すなほ)なり。木の皮、檜より、濃(こまや)かにして、實《み》を結ぶ《も》、亦、檜のごとし。其の材、微《やや》杉に似て、縱理(たつきめ)なり。板を※(へ)ぎて、屋を𮏨《ふ》くに、甚だ良し。扇≪の≫箱に作り、桶及び筯(はし)に作りて、以つて、杉に僞はる。臭氣(くさけ)有り。初め、熟湯を以つて、臭(くさみ)を洗ひ去るべし【小樹、時に、檜と辨じ難し。伹し、試みに、朶《はなぶさ》を折るに、檜は、易く折れ、椹は、靭《しな》りて、折れ難し。之れを以つて、辨ずべし。】。

一種「黒部」【久呂倍《くろべ》。正字、未だ詳かならず。】 其の樹、葉の狀《かたち》、椹≪の≫木と、能く似たり。而《しかれ》≪ども≫、橒(もく≪め≫)、粗大《あら》く、美なり。之れを、燒焦(やきこが)せば、則ち、橒、愈(いよいよ)、愛しつべし。人、僞りて、燒杉《やきすぎ》と爲《な》す。以つて、扇筥《おほぎばこ》に作る。

[やぶちゃん字注:「※」=「耒」+「片」。「𮏨」は「葺」の異体字。]

 

[やぶちゃん注:これは、

裸子植物門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera 

である。当該ウィキによれば、『日本固有種であり、本州から九州の山地帯(冷温帯)から亜高山帯の谷筋などに自生する』とあり、「木材」の項には、『材はヒノキよりも軽軟でもろいため柱など構造材には向いていないが、加工しやすく建築、器具、曲物などに使われる』。『耐水性・耐湿性が高いため』、『風呂桶や手桶、浴室用材などに用いられる』。『また』、『材ににおいが少ないため、飯台や米』櫃『など』、『食品に関わる材料に好まれる』。『サワラは、ヒノキ、アスナロ、クロベ(ネズコ)、コウヤマキとともに』「木曽五木」と『される』。「木曽五木」を『材料とする箱物などは』「木曽材木工芸品」と『よばれ、長野県の伝統的工芸品に指定されている』。『心材は』、『くすんだ黄褐色から紅色をおびた黄褐色、辺材は淡白色』となる。『肌目』(はだめ:材面における構成要素、木の幹の細胞の相対的な大きさや性質などを指す語)『は精』(道管(幹の内側方向にある水を供給する維管束)の直径が大きいものを「粗」、小さいもの又は年輪幅が小さいものを「精」と呼ぶ)、『年輪はやや不明瞭、光沢はヒノキに劣る』。『材は軽軟で爪で押すと容易に傷つくほどであり』、『乾燥は容易であるが、割れやすい』。『耐久性は中程度だが、耐水性・耐湿性が高い』とある。

「尾州」尾張國。

「驒州」飛驒國。但し、普通は「飛州」で、あまりこの表記は見かけない。

「縱理(たつきめ)」縦木目(たてきめ)。

「※(へ)ぎて」(「※」=「耒」+「片」)既出既注だが、再掲しておくと、「剝ぐ・折ぐ」で、「薄く削りとる・はがす・はぐ」の意である。

「筯(はし)」箸。

「朶《はなぶさ》」花房がついた枝。

「黒部」「久呂倍。正字、未だ詳かならず」これは独立種の

裸子植物門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ亜科クロベ属クロベ Thuja standishii

である。当該ウィキによれば、巻頭漢字表記は「黒檜」で、『ネズコ(鼠子)ともよばれ、これを標準名としていることもある』。『高木になる常緑針葉樹であり』、『小枝は十字対生する鱗片状の葉によって扁平に覆われ、裏面の気孔帯は目立たない』。『花期』は五月で、『球果はその年の秋に熟し、木質、果鱗は肥厚せず』、『瓦状に重なる。日本固有種であり、本州と四国の山地帯から亜高山帯に分布する。材は建築用などに利用され』、「木曽五木」の一つと『される』。『幹は直立し、大きなものは高さ』三五『メートル』、『幹の直径』一・八メートルにも達する。『樹冠は基本的に円錐形』であるが、『岩上や風衝地に生育するものは匍匐状の樹形になることもあり』、『また』、時に『幹が』『捻じれる』。『樹皮は赤褐色で艶があり、縦に薄くはがれる』。『小枝は平面的に分枝して水平に広がり、鱗形葉によって扁平に覆われて表裏の別(背腹性)を示すが、ヒノキなど類似種に比べて明瞭ではない』。『葉は鱗片状の鱗形葉、長さ』二~四『ミリメートル 』『で』、『ヒノキより大きく』、『アスナロより小さ』い。『やや厚く、鈍頭、無毛、十字対生して小枝を平面的に覆う』。『葉で覆われた枝は背腹性を示し、表面は深緑色、裏面の気孔帯は緑白色で目立たないため、ヒノキなどに比べて背腹の違いは小さい』。『本州(秋田県から中部地方)および四国の山地帯(ブナ帯)上部から亜高山帯に分布する』。『山地の尾根や岩場に見られ』、『シラビソ、キタゴヨウ、コメツガ(マツ科)、ヒノキ(ヒノキ科)などと混生する』。『蛇紋岩地帯にも耐える』。『陰樹であり、成長はやや遅い』。『植林されることはほとんどない』とある。「人間との関わり」の項。『材は耐朽性が高く、加工がしやすく、建築(欄間、天井板、戸、障子、長押など)、家具、船舶、器具、下駄、経木、曲物などに利用される』。『古くは樹皮が火縄に使われた』。『肌目は精だが』、『表面仕上げは』、『あまり良好ではなく、また割れやすい』。『心材と辺材の境界は明瞭、心材はくすんだ黄褐色から褐色、辺材は狭く黄白色』。『年輪は明瞭』。『材は収縮率が小さく狂いが少ないが、光沢に乏しく強度が弱いため構造材には向いていない』。『また、材に含まれるトロポロン化合物のため、木材加工者にアレルギーを引き起こすことがある』。既に述べた通り「木曽五木」の一つであるが、『クロベの材の有用性は他より劣る』ものの、『誤伐の言い訳(クロべと誤ってヒノキを伐採してしまったなど)を封ずるために留め木(伐採禁止の木)に追加されたともされる』。『クロベで作られた下駄は中信地方の特産品であり、「ねずこ下駄」とよばれる』。近年では、『庭園や公園に植栽されることがある』。以下、良安が不詳とした「名称」の項。『葉裏の気孔帯が緑白色で目立たないため、ヒノキなど類似種に比べて相対的に葉裏の色が暗く「クロビ(黒檜)」とよばれ、これが「クロベ」に転じたといわれる』。『これに対して、葉裏の気孔帯が大きく白色のアスナロは、「シラビ(白檜)」とよばれることがある』。『他に「クロベ」の語源として、材がヒノキに較べて黒っぽいからとする説もある』。『また、富山県の黒部峡谷に多いことが』、『クロベの名の由来とされることもあるが』、『逆にクロベが多いことが黒部峡谷の名の由来ともされる』。『別名でネズコ(鼠子)とよばれるが、これは心材が』、『ねずみ色であることに由来するとされる』。『そのほかに、クロベスギ』・『ゴロウヒバ』・『アカヒ』『などの別名がある。中国名は「日本香柏」』であるとあった。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 仙柏

 

Rakanmaki

 

らかんまき  羅漢樹【閩書】

       羅漢松【同】

仙柏   【俗云良加牟末木】

 

 

△按仙柏葉似狗槇而小甚細宻一叢七八十葉六月葉

 間結子大如豆似小蒲萄而末圓本細長有重臺至秋

 其本肥大紫熟末圓青色儼似僧形故俗名羅漢樹其

 頭中有子頭以下紫肉味甜可噉夏月葉間生蛀蠧葉

 毎可掃去

 

   *

 

らかんまき  羅漢樹【「閩書《びんしよ》」。】

       羅漢松【同。】

仙柏   【俗に云ふ、「良加牟末木《らかんまき》」。】

 

 

△按ずるに、仙柏《らかんまき》は、葉、狗槇に似て、小さく、甚だ細宻《さいみつ》、一叢、七、八十葉。六月、葉の間に、子《み》を結ぶ。大いさ、豆のごとく、小さき蒲萄(ぶだう)に似て、末《すゑ》、圓《まろ》く、本《もと》、細長く、重臺《ぢゆうだい》有り。秋に至りて、其の本、肥大(《こえ》ふと)り、紫熟《しじゆく》≪し≫、末、圓く、青色≪となりて≫、儼(さなが)ら、僧の形《なり》に似たる。故に、俗、「羅漢樹」と名づく。其の頭《かしら》の中《うち》に、子《み》、有り。頭より以下、紫肉《にして》、味、甜《あま》く、噉《く》ふべし。夏月は、葉の間、蛀(むし)、生《しやう》じ、葉を蠧(つゞ)み、毎《つね》に掃(は)き去(す)つべし。

 

[やぶちゃん注:これは、

裸子植物門 マツ綱マツ目マキ科マキ科マキ属イヌマキ変種ラカンマキ Podocarpus macrophyllus var. maki

である。本種については、松村忍氏のサイト「庭木図鑑 植木ペディア」の「ラカンマキ」が画像も豊富にあり、非常によい。その解説(非常に詳しい)よれば、『関東地方南部以西の本州、四国、九州及び沖縄に分布するマキ科の常緑樹。イヌマキの変種であり、同様に庭木や生垣として広く使われる。日本以外では中国本土や台湾に分布。本来の自生地は中国とする説があるものの、詳細は不明』。『ラカンマキの葉は長さ』四~八『センチ』メートル『で』、『イヌマキよりも短く、密生する。葉はやや白味を帯び、個体によっては葉先が黄色っぽくなることも。イヌマキとの違いは後述のとおりだが、素人では見分けるのが難しい上、ホソバマキ』( Podocarpus macrophyllus var. angustifolius )『という葉の細いイヌマキの品種もあってややこしい』。『ラカンマキはイヌマキよりも成長が緩やかで、樹形が引き締まるため、価値が高いとされる。樹高もイヌマキより低く』、五メートル『以下のものが多い。枝は直立しがちであり、庭木として使う場合はシュロ縄や針金で誘引される』。『ラカンマキの開花は』五~六月。『雌雄異株で雌の木には雌花が、雄の木には雄花が咲く。雄花は淡いクリーム色の穂状でそれなりに目立つが、雌花は小さな粒状かつ疎らに咲くため見付けにくい』。『果実はイヌマキと同じだが、雌花は少なく』、『結果は稀。繁殖は挿し木によることが多い。ラカンマキという名は実の形を、袈裟をまとった高僧(羅漢/阿羅漢)に見たてたもの。イヌマキ同様、赤い部分(果床/花托)は美味だが、黒い部分(実托)は毒性があって食べられない』。『樹皮は灰白色で、成長に伴って縦に薄く剥がれ落ちる。材は良質で、建材や器具類に使われる』とあった。なお、ウィキの「イヌマキ」を見ると、『イヌマキ(ラカンマキ)を原因とする接触皮膚炎(かぶれ)が報告されている』とあるので、注意されたい。また、同ウィキの「分類」の項は、全文がイヌマキとラカンマキの種分類の諸説を纏めているので、そちらも見られたい。

「蒲萄(ぶだう)」「葡萄」は、この漢字表記も存在する。誤りではない。

「重臺」東洋文庫の訳の割注では、『(花托)』とある。

「其の本、肥大(《こえ》ふと)り、紫熟《しじゆく》≪し≫、末、圓く、青色≪となりて≫、儼(さなが)ら、僧の形《なり》に似たる」ウィキの「イヌマキ」に載るラカンマキの、この写真が、よく様態を伝えてくれる。

「蛀(むし)」現代の日中辞書でも、第一に「木食い虫」(鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目(亜目) Cucujiformia 下目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae のキクイムシ類)とした後、動詞として『(虫が)食う』とある。

「蠧(つゞ)み」同じく第一に「シミ」(書籍や古文書などを食害するとして嫌われる昆虫綱シミ(総尾・房尾)目Zygentomaのシミ類。但し、実際には。彼らは甚大な食害被害を起こすことは少ない。大規模に穿孔して深刻な状態を惹起するのは多食亜目ナガシンクイ上科シバンムシ科 Anobiidaeに属するシバンムシ類である)とした後、動詞として『虫が食う』とある。]

2024/04/30

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 柀

 

Mamaki

[やぶちゃん注:下方やや右寄りに右の巨木を指示していると思われる「高野槇」、その左上方の左下の背の低いものを指示していると思われる「狗槇」のキャプションがある。]

 

まゝき      眞柀【俗

          末々木】

         俗用槇字槇

【音顚】   者木頂也別

         有臭柀故爲

         之眞柀稱別之

 

△按槇以徧傍爲訓如柾樫之類俗字也此與臭柀材用

 大似而樹葉逈異也信州木曾山中多有之葉畧似松

[やぶちゃん字注:「逈」は「遙」の異体字。実際の字(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像)は異体字のリストにもない、「しんにょう」の上に入っている「向」の下方が開かずに閉じているものである。]

 而剌扁大其材色白宻理最耐水作槽桶等勝於臭柀

  打ちなひきさりくらし山のへの槇の梢のさき行くみれば

[やぶちゃん字注:以上の第一句の「打ちなひき」は「打ちなひく」が正しく、第三句の「山のへの」は「山き(ぎ)はに」が正しく、第四句「槇の梢」は「ひさきののすゑ」が正しい。訓読では修正した。しかし、その結果、この一首の引用は無効となる。後注参照。]

髙野槇 出於紀州髙野山人折小枝葉供佛前故未見

 其大木

狗槇 葉扁大於槇不結子人家庭園栽之

 

   *

 

まゝき      眞柀【俗、

         「末々木《ままき》」。】

         俗に「槇」の字を用ふ。

         「槇(まき)」は「木の

【音、「顚」。】 頂(いただき)」なり。

         別に「臭柀(くさまき)」

         有る故に、之れを「眞柀」

         と爲(な)す。之に別す。

 

△按ずるに、槇は、徧《へん》・傍(つくり)を以つて、訓を爲す。「柾(まさき)」◦「樫(かたき)」の類《るゐ》のごとし。俗字なり。此れと、「臭柀(くさまき)」と、材用、大いに似≪れども≫、樹・葉、逈(はる)かに異《い》なり。信州木曾の山中に、多く、之れ、有り。葉、畧(ちと)、松に似て、剌(はり)、扁(ひらた)く、大≪なり≫。其の材、色、白く、宻-理(きめ)、最も、水に耐ふ。槽(みづぶね)・桶《をけ》等に作る。「臭柀」に勝(まさ)れり。

  打ちなびくさりくらし山ぎはにひさぎのすへのさき行くみれば

髙野槇 紀州髙野山より出だす。人、小さき枝葉を折りて、佛前に供(きやう)する。故(ゆゑ)、未だ、其の大木を見ず。

狗槇(いぬまき) 葉、扁《ひら》たく、槇(まき)より、大《だい》≪なり≫。子《み》を結ばず。人家≪の≫庭園、之れを栽《う》うる。

 

[やぶちゃん注:書き方に大いに不審があるが、これは、

裸子植物門マツ綱ヒノキ目コウヤマキ科コウヤマキ属コウヤマキ Sciadopitys verticillata

である。当該ウィキによれば、『現生種としては本種のみで』『コウヤマキ科』『コウヤマキ属』『を構成する。ホンマキともよばれる』。二『個の葉が合着したものと考えられている特殊な線状の葉が多数輪生状につく』(以下、写真が豊富にある)。『観賞用に世界各地で植栽されている。材は古くから利用されており、古墳時代の棺に広く用いられていた。その名が示すように高野山との関わりが深く、供花の代用とされる。コウヤマキ類は中生代から北半球に広く分布していたが、現在では日本固有種であるコウヤマキのみが生き残っている』。『常緑性の高木であり、大きなものは高さ』三十~四十『メートル』、『幹の直径』は一メートルにも及ぶ。『材は樹脂道、樹脂細胞など』、『木部柔細胞を欠』き、『放射仮道管』も欠いている。『樹皮は赤褐色から灰褐色、比較的深く縦裂し、縦長に剥がれる』。『アーバスキュラー菌根』(arbuscular mycorrhiza:AM:根に菌類が共生した構造である菌根の一型であり、維管束植物の八十%に存在し、根を欠くシダ植物の配偶体(前葉体)やコケ植物にも同様な構造が、しばしば見られる。共生者となる菌根菌(アーバスキュラー菌根菌:arbuscular mycorrhizal fungi,:AMF:AM菌)はグロムス類(グロムス菌門Glomeromycota)と呼ばれる菌群であり、植物の細胞内に侵入して栄養交換用の細かく分枝した樹枝状体(arbuscule)を形成する。この菌根は十九世紀中頃から認識されるようになり、二十世紀中頃には、この共生が植物に利益を与えるものであることが明らかとなった。アーバスキュラー菌根では、菌根菌が土壌中から吸収した水や無機栄養分、特にリンを植物に供給し、一方で、植物は光合成でつくられた有機物を菌根菌に供給している。菌根には、幾つかのタイプが知られているが、アーバスキュラー菌根は、進化的に最も初期に生まれた菌根であり、また、現在、最も普遍的に見られる菌根である。この菌根は、陸上生態系の殆んどの生産者に存在し、その土壌栄養分の効率的な利用に重要な役割を果たしているため、陸上生態系の炭素及び無機栄養分循環に大きな影響を与え、農業生産にも大きな影響を与えるため、アーバスキュラー菌根菌は微生物資材としても利用されている(以上はリンクの当該ウィキから引いた。以下もいくつかは同じ))を持つ。『長枝と短枝がある。ふつうの枝は長枝であり、互生、褐色で卵状三角形(長さ約』二『ミリメートル 』『)の鱗片葉が』螺旋『状につき、長枝の節に』、『多数の短枝が』、『輪生(鱗片葉に腋生)、短枝の先に大きな線状葉がつくため、長枝に多数』(十~四十五本)の『葉が輪生しているように見える』。『線状葉は長さ』六~十三『センチメートル』、『幅は』二~四ミリメートル、『先端は』、『くぼみ、表面は光沢がある濃緑色で』、『中軸が』、『ややくぼみ』、『裏面の中軸に』、『くぼんだ白色の気孔帯がある』。『葉はしなやかで触れても痛くない』。『葉の横断面では、くぼみをはさんで両側に維管束があるが、木部が裏側、師部が表側にある』。『この配置は一般的な葉における木部・師部の配置と逆であり、このことからコウヤマキの葉は』二『枚の葉が裏返しになって側面で合着したものであるとされることが多いが』、『葉ではなく』、『特殊化したシュート』(Shoot:茎と。その上にできる多数の葉からなる単位で、維管束植物の地上部をなす主要器官。「苗条」(びょうじょう)「芽条」「葉条」「枝条」とも呼ばれる)『とする考えもある』。『樹脂道は横断面で』六~八『個あり、裏側の表皮に接して存在する』。『気孔の副細胞は』八~十二個である。『雌雄同株で』『花期』は三~四月であり、『雄球花』『は楕円形で長さ』六~十二ミリメートルで、二十から三十『個が頭状に密集して長さ約』四センチメートルになり、『長枝に頂生する』雄蘂『(小胞子葉)は互生し』、二『個の』『葯室』『(花粉嚢、小胞子嚢、雄性胞子嚢)があり、花粉は無孔粒で球形、小刺状突起で覆われ、気嚢を欠く』。『雌球花』『は長枝の先端に』一、二『個が頂生、多数の鱗片からなり、各種片には』二個から九『個の倒生胚珠がある』。『球果は翌年の』十~十一月頃に『熟し、木化して褐色、円筒状楕円形で長さ』六~十二センチメートル、『直径』四~八センチメートル、『種鱗は扇形で長さ・幅は約』二・五センチメートル、『露出面は黒褐色、上縁は丸く外側にやや反り、苞鱗はその半長ほどで大部分が種鱗に合着している』。『種子は各種鱗の内側についており、橙褐色、卵形から楕円形、長さ約』十センチメートル。『両縁に狭い翼がある』。子葉は』二『枚』。『染色体数は 2n = 20』で、『葉緑体の accD 遺伝子は核に移っている』。コウヤマキは『日本固有種であり、本州(福島県北西部、中部地方以西)、四国、九州(宮崎県まで)に散在的に分布する』。『酸性土壌を好み、木曽川沿いの山地、紀伊半島の高野山や大台ケ原、四国の面河渓など中央構造線沿いの温帯から暖帯の標高』七百メートル『近辺の山地の岩場に多く、モミ、ツガ、クロベ、トガサワラ、ツクバネガシ、アラカシなどと混生する』。『暗い林床でも実生は生育できるが、土壌が露出したギャップ』(極相林の中に出来た森林の途切れた空間のこと)『を好む』。『韓国に分布するとの記述もあるが』。『これは栽培個体に由来すると考えられている』。『材は耐水性に優れ、風呂桶、手桶、漬け物桶、味噌桶、寿司桶、飯櫃、流し板などに用いられる』。『ヒノキに比べて香りが少ないため、食料品を入れる器具に向いている』。『建築材としても使われ、また変色や腐蝕が少ないため』、『外壁用の板材にも適している』。『耐水性があるため』、『和船の用材ともされた』。但し、『蓄材量が少なく、高価であ』る。樹皮は『槙肌(槇皮、まいはだ、まきはだ)とよばれ、舟や桶、井戸の壁などの水漏れを防ぐ充填材に使われる』(☜)。『木質は柔らかく、木理は通直で肌目は精、加工は容易』である。『心材と辺材の境界は』、『やや明瞭で』、『心材は淡黄褐色、辺材は乳白色である』。『成長が遅いため、年輪の幅が狭い』。『針葉樹としては、硬さは中』ぐらいである。『木曽地方に産する』五『種の良木を「木曽五木」というが、ヒノキ、アスナロ、ネズコ、サワラとともにコウヤマキが含まれる』。『また』、『高野山では、寺院の建築用材として重要なスギ、ヒノキ、アカマツ、モミ、ツガおよびコウヤマキが「高野六木」に選定されている』。『古代日本においても材として重要な樹種であり』、「日本書紀」にも『棺の有用材としてコウヤマキが記されている』。『実際に古墳時代前期の竪穴式石室に埋葬された木棺(割竹形木棺、舟形木棺)は、コウヤマキ製のものが多い』。『また』、『コウヤマキが自生しない朝鮮半島でも、百済の武寧王の棺にコウヤマキが使われており、古代の日本と朝鮮半島の交流を示している』。『樹形が美しいため、神社、寺院、庭園などに植栽される』。『世界各地で観賞用に植栽されるが、生育には湿度・温度が高い夏と降水量が多いことを必要とする』。『日本の林学者・造園学者である本多静六は、コウヤマキとヒマラヤスギ、ナンヨウスギを世界三大庭園樹とした』(ここに高野山の黒河道の「子継地蔵」にコウヤマキが供えられている写真が載るので、見られたい)。『高野山で真言宗を開いた空海は、修行の妨げになるとして』、『高野山での花や果樹などの栽培を禁じていた』。『そのため、仏に供える花の代用としてコウヤマキが用いられる』という風習が生じた。『江戸時代に成立した』「和漢三才図会」には、『「高野槙は紀州高野山より出づ、人その小枝を折り仏前に供する故に未だに大木を見ず」と記している』(☜)。『常緑樹の小枝を神仏に捧げることは』、『あらゆる宗教で共通しており、高野山の場合はコウヤマキが最も都合がよく、トゲもなく扱いやすいことも使われた理由であろうと植物学者の辻井達一は述べている』。以下「名称」の項。『コウヤマキの学名のうち、属名の Sciadopitys は、ギリシア語の skias(日傘)と pitys(松)に由来し、輪生する葉を傘に見立てている』。『英名である Japanese umbrella pine の umbrella pine も同じ意味である』。『種小名』の verticillata は、『「輪生する」を意味する』。『別名をマキ(真木、槙、槇)、ホンマキ、キンマツ(金松)などともいう』。『マキは良い木、立派な木のことであり、コウヤマキの他にイヌマキ』(マキ属イヌマキ Podocarpus macrophyllus 『スギ、ヒノキを意味することもある』。『コウヤマキを特に「ホンマキ(本槇)」とよんでイヌマキに対比させることもあるが、イヌマキを本槇とよぶこともある』。『イヌマキは別名にホンマキ、コウヤマキよばれることがあり、コウヤマキとの間で名称の混乱が見られる』(ここの辺りが、本項の良安の記述でも、正確に分けて記述されてあるとは、私は全く思っていないのである)。『現在』、『標準的な和名である「コウヤマキ」は高野槇と書き、和歌山県の高野山から大台ヶ原かけて多く生えていることに由来する』。『コウヤマキは高野山との関わりも深いが』、『この地方だけのものではなく、長野県の木曽では』、所謂、「五木」の一つと『され、名の由来する高野山では、ヒノキ、ツガ、モミ、アカマツ、スギと並んで』「高野六木」の一つに『数えられている』。『コウヤマキは、コウヤマキ属の唯一の現生種である。種鱗と苞鱗が半分以上癒着しており、種鱗に多数の胚珠がつくこと、花粉や種子の形態的特徴から、スギ科』『に分類されることが多かったが、小胞子葉に』二『個の花粉嚢がつくこと、種鱗と苞鱗が一部』二『重になること、胚珠が倒生胚珠であることなど』、『マツ科に似る点もあり、また特殊な葉の形態、材の構造、染色体数など特異な特徴も多く、独立のコウヤマキ科とされるようになった』。『その後の分子系統学的研究でも、コウヤマキは他の球果類(針葉樹)と系統的に離れていることが示され、独立の科とすることが支持されて』おり、『分子系統解析からは、コウヤマキ科はヒノキ科+イチイ科の姉妹群であることが示されている』。『コウヤマキ科に関連すると考えられる化石記録は、後期三畳紀』又は『ジュラ紀にさかのぼる』。『白亜紀にはユーラシアから北米の北半球全体に広く分布し』、また、『第三紀にヨーロッパに多く生育していたコウヤマキ類は現在利用されている褐炭の起源ともなった』『しかし』、『鮮新世以降』、『ヨーロッパでは姿を消し、やがて日本のコウヤマキ』一『種のみが生き残った』のであった。『そのため、コウヤマキは「生きている化石」ともよばれる』とあった。

「柀は、徧《へん》・傍(つくり)を以つて、訓を爲す。」「柀」の(へん)の「木」の「き」と、(つくり)の「皮」(「はぐ」=「まくる」の「ま」か)の訓の合成という意味であろうか。

「打ちなびくさりくらし山ぎはにひさぎのすへのさき行くみれば」これは「夫木和歌抄」に載る詠み人知らずの一首で、「卷二十九 雜十一」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「13871」)。そこでは、確かに、

   *

 うちなひく はるさりくらし やまきはに

      ひさきのすゑの さきゆくみれは

   *

と記されてある。良安がこの表記のものを、どこから引用したかは、不明であるが、ともかくも、槇(ままき)ではなく、別種の「ひさぎ」(楸)――これは、現行、二つの種が当該種として揚げられているが、それは、コウヤマキとは全く縁のない、落葉高木である、

キントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワ Mallotus japonicus の古名

シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属キササゲ Catalpa ovata の古名

であるからして、この一首は退場していただくしか、ない、のである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 柀

 

Maki

 

まき         臭柀【俗】

           【和名末木

【音彼】    俗云久佐末木】

          別有眞柀故名

          臭柀別之

 

 

玉篇云柀作柱埋之能不腐者也

△按爾雅注云柀卽杉別名也則是亦杉之屬乎然柏檜

 之類也奧州南部津輕松前多出之其樹皮狀與檜同

 剥皮用𮏨屋或綯繩以止槽漏脫之功無異于檜葉亦

[やぶちゃん字注:「𮏨」は「葺」の異体字。]

 似檜而肥厚畧狹不結實其木甚大有髙十余丈者用

 作帆檣稠堅勝於杉又長五六尺許伐斫名橎木鼈木

 送之大坂橎木則※版覆屋勝于椹也鼈木則作桶樽

[やぶちゃん字注:「※」=「耒」+「片」。]

 皆耐水濕良材也又長二三間方五六寸者宜作屋柱

  金葉 音にたに袂をぬらす時雨哉槇の板屋の夜の寢覺めに定家

[やぶちゃん字注:「定家」は源「定信」の誤記。訓読では修正する。]

 

   *

 

まき           臭柀《くさまき》【俗。】

             【和名、「末木」。

【音、「彼《ひ》》」】      俗に云ふ、「久佐末木《くさまき》」。】

            別に「眞柀《ままき》」有り。故に

            「臭柀」と名づく。之れ、別《たり》。

 

 

「玉篇」に云はく、『柀《ひ》は、柱に作る。之れ、埋≪づむるも≫、能く、腐ちざる者なり。』≪と≫。

△按ずるに、「爾雅」に《✕→の》注に云はく、『柀は、卽ち、杉の別名なり。』≪と≫。則ち、是れ、亦、杉の屬か。然れども、柏《かしは》・檜の類《るゐ》なり。奧州、南部・津輕・松前、之れを、多く、出だす。其の樹≪の≫皮、狀《かたち》、檜と同じ。皮を剥(は)ぎて、𮏨屋(ふき《や》)に用ひて、或いは、繩に綯(な)ひて、以つて、槽(ふね)の漏脫(もり)を止《とむる》の功、檜に異なること、無し。葉も亦、檜に似て、肥厚《こえあつ》く、畧《やや》狹《せば》く、實《み》を結ばず。其の木、甚だ、大きく、髙さ十余丈有《ある》者、用ひて、帆檣(ほばしら)を作る。稠(ねば)り、堅くして、杉より勝れり。又、長さ、五、六尺許《ばかり》に伐-斫《き》り、「橎木(はん《ぎ》)」・「鼈木(すつぽん《ぎ》)」と名づけて、之れを、大坂に送り、「橎木」は、則ち、版《いた》に※(へ)ぎて[やぶちゃん字注:「※」=「耒」+「片」。]、屋に覆(ふ)く≪に≫、椹《さはら》に勝《すぐ》れり。「鼈木」、則ち、桶・樽に作る。皆、水濕に耐(た)ふ良材なり。又、長《た》け、二、三間《げん》の、方《はう》、五、六寸なる者は、宜しく、屋柱に作るべし。

 「金葉」

  音にだに

     袂(たもと)をぬらす

   時雨(しぐれ)哉(かな)

         槇の板屋の

        夜の寢覺めに 定信

 

[やぶちゃん注:これは、

裸子植物門マツ綱ナンヨウスギ目マキ科マキ属イヌマキ Podocarpus macrophyllus

である。詳細は当該ウィキを見られたい。

「眞柀」ヒノキ目コウヤマキ科コウヤマキ属コウヤマキSciadopitys verticillata ととっておく。これについては次の項である「槇」に譲る。

「臭柀」クサマキの異名は「臭槇」ではなく、「草槇」であろうと私は思っている。

「玉篇」南北朝時代の南朝梁の顧野王(五一九年~五八一年)によって編纂された部首別漢字字典。字書としては「説文解字」「字林」(現存しない)の次に古い。全三十巻。「中國哲學書電子化計劃」や「漢籍リポジトリ」の「玉篇」で調べても、出てこない。困り果てて幾つかの論文を探したところ、この引用部が丸々「和名類聚鈔」の中に出ることが、判った。「卷第二十」の「草木部第三十二」の「木類第二百四十八」の「柀」である。

   *

柀 玉篇云柀【音彼日本紀私記云末木今案又杉一名也見爾雅注】木名作柱埋之能不腐者也

   *

柀 「玉篇」云はく、『柀【音「彼」。「日本紀私記」に云はく、『末木』。今、案ずるに、又、杉の一名なり。「爾雅」の注に見ゆ。】は木の名。柱に作る。之れを埋めて、能く、腐ちざる者なり。』と。

   *

恐らく、良安も、ここから孫引きしたものと推定する。或いは、現存する「玉篇」には、この条はないのかも知れないと、ちらりと思った。

『「爾雅」』「の」『注に云はく、『柀は、卽ち、杉の別名なり。』』中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書。この「注」は前に出た「爾雅翼」と踏んで、調べたところ、真逆の正しい記載を見出してしまった。「柀」の冒頭にある「柀似而異杉」である。「漢籍リポジトリ」のここである。

「髙さ十余丈有者」これはちょっと過大表現である。イヌマキは最大でも二十メートルである。

「稠(ねば)り」この漢字は現代中国語で、流動体が「濃い」、間隔が「密である・細かい」という意味がある。これは「粘(ねば)る」という様態と強い親和性があることが判る。

「橎木(はん《ぎ》)」所持する大修館書店「廣漢和辭典」を見たところ、『材質がかたく、花はさかずに実のなる木』とあった。

「鼈木(すつぽん《ぎ》)」所持する辞書にも載らず、ネットでも掛かってこない。しかし、意味は判る。粘りの強い材質を意っているものであろう。

「※(へ)ぎて」(「※」=「耒」+「片」)「剝ぐ・折ぐ」で、「薄く削りとる・はがす・はぐ」の意である。

「椹」裸子植物門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera当該ウィキによれば、『日本固有種であり、本州から九州の山地帯(冷温帯)から亜高山帯の谷筋などに自生する。材はヒノキより柔らかいが』、『耐水性に優れ、においが少ないことから、桶』・『飯櫃』・『曲物などに利用され、また木曽五木の』一『つとされる』。『「さわらか」に由来するとされる』とある。

「二、三間」三・六四~五・四五メートル。

「金葉」「金葉和歌集」平安後期の勅撰和歌集。十巻。天治元(一一二四)年、白河上皇の命により、源俊頼が撰した。二度の改修を経て、大治二(一一二七)年の完成したが、三次に亙る各撰集を「初度本」・「二度本」・「三奏本」と区別し、「二度本」が最も流布した。勅撰和歌集の五番目で、源俊頼・源経信・藤原顕季ら二百二十七名の歌約六百五十首を収録する。四季・賀・別離・恋・雑、及び、連歌十九首を雑下に分類。客観的・写生的描写が多く、新奇な傾向も目立つ。「八代集」の一つ。以下の歌は「補遺歌」にあり、作者は刑部大輔・従五位上の源定信(さだのぶ/さだざね)の歌(六八三番)。

    *

   奈良に人〻の百首の歌よみけるに、「時雨」をよめる

 音にだに袂をぬらす時雨哉まきの板屋の夜のね覺めに

    *]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(18)

 

   松笠の火は消やすき涼みかな 萬 風

 

 そこらに落ちてゐる松毬[やぶちゃん注:「まつかさ」。]を集めて火をつける。一時よく燃えさうに見えるが、ぢき消えてしまふ。その消え易いところを面白がつてゐるやうにも見える。涼み人の手すさびを詠んだので、キヤンプの人などにはかういふ經驗があるに相違ない。

 土芳が芭蕉を泊めた時の句に「おもしろう松笠もえよ薄月夜」といふのがあつた。同じ物を焚くにしても、材料が松毬となると、一種の雅致を生じ、必要以上の興味がある。町中の涼みでは到底こんな趣を味ふことは出來ない。

[やぶちゃん注:土芳の句は「猿蓑」(元禄四(一六九一)年刊)に、

   *

  翁を茅舍に宿して

おもしろう松笠もえよ薄月夜

   *

と載るもの。彼が自身の隠棲の伊賀の開いたばかり(三月四日)の些中庵(さちゅうあん)に、「笈の小文」の旅の序でに、帰郷した芭蕉を、招いた際の挨拶句である。貞享五(一六八八)三月十一日のことで、初案は、

   *

 おもしろう松笠燃えよおぼろ月

   *

で「春」(「おぼろ月」(の句であったが、「猿蓑」入集に際して「秋」(「薄月夜」)に転じたものである。この時、この庵に泊まった芭蕉は、この句を受けて、

   *

 蓑蟲の音を聞(きき)にこよくさのいほ

   *

と詠んだ(後に「栞集」に収録した際に『くさの戶ぼそに住(すみ)わびて、あき風のかなしげなるゆふぐれ、友達のかたへいひつかはし侍る』という前書を附している)。なお、この句を受けて、土芳が、蕉翁に許しを得て、庵の名を「蓑虫庵」と改名したともされる。]

 

   白雨や赤子泣出す離れ家 野 角

 

 夕立の降つてゐる中の離れ家で赤ン坊が泣いてゐる、といふだけのことであるが、もう少し補つて云へば、夕立の爲におびえたとも取れるし、夕立が俄に降つて來た爲、母親が赤ン坊を置いて立上つた、それで泣出したとも解せられる。

「離れ家」は離亭でなしに、ぽつんと一軒離れて建つてゐる家の意であらう。「闇の夜や子供泣出す螢舟」といふ凡兆の句を思ひ出す。

[やぶちゃん注:「白雨」「ゆふだち」。凡兆の句は、やはり「猿蓑」に載るもので、

   *

  「瀨田の螢見二句」トアル内

 闇の夜や小共泣出す螢ぶね

   *

と載る。所持する岩波文庫「芭蕉名句選(下)」(堀切実編注・一九八九年刊)の堀切氏の解説によれば、芭蕉が、『元禄三年六月に幻住庵から出て、一時、凡兆宅にあったころのことか』とある。なお、「猿蓑」には、芭蕉の、

   *

 ほたる見や船頭酔(ゑふ)ておぼつかな

   *

の句を、凡兆の句の後に並べて載せている。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(6)

○しやくり、出るには、

 柿のへた、黑燒、よし。

 

○又、一方。

 茶碗に、水、一杯、入(いれ)、其中へ、「けし炭」の火に成(なり)たるを、おとして、飮(のむ)べし。是を「陰陽水」と云(いひ)、妙也。

 

○頭上に出來物せし時の洗藥に、

 いんちん十匁、すゐかづら二十匁、合(あはせて)、目形(めかた)三十目、右三十目を三服にして、十匁づつ、三日に用(もちゆ)る分量なり。一服へ、水、「大(おほ)びさく」[やぶちゃん注:「大柄杓」。]にて、五はい、入(いれ)、四はい半に、せんじ、洗ふ。但(ただし)、半時ほどづつ、置(おき)て、一日に、七、八度づつ、あらふべし。

[やぶちゃん注:「いんちん」サイト「漢方ビュー」の「生薬辞典」の「茵陳蒿(いんちんこう)」によれば、「基原」はキク亜綱キク目キク科ヨモギ属『カワラヨモギ Artemisia capillaris ThunbergCompositae)の頭花』とあり、『主として黄疸を治す』とあった。

「十匁」三十七・五グラム。

「すゐかづら」マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica 。漢方生薬名は「忍冬(にんどう)」「忍冬藤(にんどうとう)」。棒状の蕾を、天日で乾燥したもの。

「目」「匁」に同じ。]

 

○又、一方。

 米のとぎ水へ、靑袋、一味、くはへ、湯にわかし、一口に、二、三度づつ、あらふベし。「ゆ」へ入(いる)事なく、早く治する也。かみそりかぶれにも、よし。

[やぶちゃん注:「靑袋」不詳。思うに、これは「靑芥子」(あをがらし)或いは「靑芥子(あをけし)」(「靑罌粟」)の誤記か誤判読ではなかろうか。

『「ゆ」へ入』湯治のことだろう。]

 

○又、一方。

 白朮(びやくじゆつ)の粉、一味、すり付(つ)くすれば、治する也。

[やぶちゃん注:「白朮」キク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica の根茎。一般には、健胃・利尿効果があるとされる。]

 

○又、一方【是は煎藥(せんじぐすり)也。】。

 「淸上防風湯(せいじやうぼうふうたう)」の内、荆芥(けいがい)一味、除き、用ゆ【但(ただし)、油、こきもの、禁(きんず)べし。】。

[やぶちゃん注:「淸上防風湯」サイト「おくすり110番」の「清上防風湯」を見られたい。そこでは、『顔の熱や炎症をとり、また皮膚病の病因を発散させる働きがあり』、『そのような作用から、顔の皮膚病、とくにニキビの治療に適し』、『体力のある人で、赤ら顔の人に向く処方で』ある、とあった。

「荆芥」シソ目シソ科イヌハッカ属ケイガイ Schizonepeta tenuifolia で、花穂が発汗・解熱。鎮痛・止血作用を持つ漢方生剤。]

 

○小兒、胎毒(たいどく)にて、出來物せしを、治する祕方【「かんの蟲」にも、よし。】。

 兎の腹ごもり、一つ、此目かた、一匁二分、

 蔓荆子(まんけいし)・菊花・此二味、目形、二匁づつ、

 右、黑燒にして、服藥すべし。

[やぶちゃん注:「胎毒」乳幼児の頭や顔にできる皮膚病の俗称。母体内で受けた毒が原因と思われていた。現代医学では、脂漏性湿疹・急性湿疹・膿痂疹(のうかしん)性湿疹などに当たる。

「かんの蟲」小児の疳(かん)の病いを起こすとされた虫。また、その病気。食物をむやみにとって、消化不良を起こし、腹ばかり膨らんで、他の体部は瘦せる病状を言った。紙などの異物を食べたりもする。「脾疳」とも言う。

「兎の腹ごもり」ウサギの胎児であろう。

「蔓荆子」砂浜などに生育する海浜植物であるシソ目シソ科ハマゴウ亜科ハマゴウ属ハマゴウ Vitex rotundifolia の果実を、天日干し乾燥した生薬名。「万荊子」とも書く。強壮・鎮痛・鎮静・消炎作用があり、感冒に効くとされる。]

 

○「かしら」へ、「いぼ」の出來(でき)たるを、なほすには、

 古き墓所(はかしよ)を尋(たづね)て、其墓の水を、度々(たびたび)、付(つく)れば、よく直りて、二度、出來る事、なし。

 

○又、一方。

 「蛇退皮(じやたいぴ)」を黑燒にして、胡麻の油にて、付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注: 「蛇退皮」一般に「蛇の抜け殻」のことをかく呼ぶ。「蛇蛻」(だせい)とも言う。「神農本草経」の「下品」に収載されている古い生薬で、基原は、爬虫綱有鱗目ヘビ亜目のナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属スジオナメラ Elaphe taeniura ・ナメラ属シュウダ Elaphe carinata ・ナミヘビ科マダラヘビ属アカマダラ Dinodon rufozonatum などの抜け殻を乾燥したもの。本邦産は主にナミヘビ科 Colubrinae 亜科       ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora や、ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata などの抜け殻を乾燥したものを使用する。]

 

○「しらくも」には、

 「せんだん」の實(み)を黑燒にして、胡麻の油にて、付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:「しらくも」「白癬」「白禿」「白瘡」。小児の頭部に大小の円形の白色落屑(らくせつ)面が生じる皮膚病。毛瘡白癬(はくせん)菌(菌界二核菌亜界子嚢菌門チャワンタケ亜門ユーロチウム菌綱 Eurotiomycetesホネタケ目アルトロデルマ科 Arthrodermataceaeトリコフィトン属トリコフィトン・メンタグロフィテス Trichophyton mentagrophytes )が感染して起こる。痒みがあり、毛髪が脱落する。「頭部白癬」「しらくぼ」とも言う。

「せんだん」ムクロジ(無患子)目センダン(栴檀)科センダン属センダン Melia azedarach 。なお、諺の「栴檀は二葉(ふたば)より芳し」の香木の「栴檀」は、インドネシア原産のビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album のことを指すので、注意されたい。]

 

○顏へ、「くさ」の出來たるには、

 「雪の下」の黑燒、胡麻の油にて、付て、よし。

[やぶちゃん注:「くさ」「瘡」。皮膚に発症する「できもの」・「爛れ」などの総称であるが、特に乳児の頭や顔にできる湿疹・「かさ」を指すことが多い。

「雪の下」双子葉植物綱ユキノシタ目ユキノシタ科ユキノシタ属ユキノシタ Saxifraga
stolonifera
 。因みに、本種は「生物」の授業の葉裏の気孔の顕微鏡観察でよく知られるが、「天ぷら」にすると、美味い。]

 

○又、一方。

 「かんぼく樹」を黑燒にして、胡麻の油にて付(つける)。枝も、葉も、よし。

[やぶちゃん注:「かんぼく樹」マツムシソウ目ガマズミ科ガマズミ属セイヨウカンボク変種カンボクViburnum opulus var. sargentii 。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 伽羅木

 

Kyara

 

きやら ぼく 伽羅木【俗稱】

  おつこ

伽羅木    於豆古【夷稱】

 

△按伽羅木出於蝦夷及松前土人呼曰呼豆古今京師

 亦希有之髙五七尺樹葉並類檜柏而甚繁茂不見其

 枝椏結實圓青色至秋紅熟如櫻桃人取食之味甜美

 内有小白仁其𬄡微黒色光膩如奇楠木理故俗曰伽

 羅木乃柏之属也

 

   *

 

きやら ぼく 伽羅木【俗稱。】

  おつこ

伽羅木    於豆古【夷《えぞ》≪の≫稱。】

 

△按ずるに、伽羅木は蝦夷、及び、松前より出づ。土人、呼んで、「於豆古《おつこ》」と曰《い》ふ。今、京師にも亦、希《まれ》に、之れ有り。髙さ、五、七尺。樹・葉、並びに檜柏(いぶき)の類《るゐ》にして、甚だ繁茂し、其の枝・椏《また》を見はさず。實を結ぶこと、圓《まろ》く、青色。秋に至りて、紅熟≪して≫、櫻桃(ゆすら)のごとし。人、取り、之れを食ふ。味、甜《あま》く、美《なり》。内、小白仁《しようはくにん》有り。其の𬄡(しん)、微黒色。光-膩《くわうじ》、奇楠(きやら)≪の≫木-理(もく)ごとし。故に、俗、「伽羅木」と曰ふ。乃《すなは》ち、柏《かえ/かへ》の属なり。

 

[やぶちゃん注:これは、「一位」「櫟」と漢字表記する、

裸子植物門イチイ綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ Taxus cuspidata

或いは、その変種で、「伽羅木」と漢字表記する、

イチイ変種キャラボク Taxus cuspidata var. nana

の孰れかである。ウィキの「イチイ」によれば(今回はほぼ全文を載せる。単に私があまり見かけたことがないからである。グーグル画像検索で学名でやったものをリンクさせておく)、『常緑針葉樹。英語では Japanese Yew と呼ばれ、同属のヨーロッパイチイ T. baccataは単に Yew あるいは European Yew と呼ばれる。秋に実る赤い実(仮種皮)は、食用にできる。生長が遅く年輪が詰まった良材となり、弓の材としてもよく知られる』。『属の学名 Taxusはヨーロッパイチイのギリシャ語名で弓を意味する taxosから、種小名 cuspidata は「急に尖った」の意味』で、『和名イチイは、神官が使う笏がイチイの材から作られたことから、仁徳天皇がこの樹に正一位を授けたので「イチイ」の名が出たとされている』。『別名は数多くあり、前述の笏にまつわるエピソードからシャクノキの名称があり、そのほかアララギ』、『キャラボク、スオウ、ヤマビャクダンなどと呼ばれる。北海道や東北地方ではオンコとして知られている』。『東北地方ではこのほかオッコ』(☜)、『オッコノキ、ウンコ、アッコとも呼ばれる』。『長野県松本地方ではミネゾと呼ばれている』。『アイヌ語名』では、『ラㇽマニ(rarmani)と呼ばれ、このほか地域によりララマニ(raramani) タㇽマニ(tarmani)と訛って呼ばれた』。『浦河町』(うらかわちょう:北海道では地名の「町」は、渡島総合振興局部の茅部郡森町(もちまち:グーグル・マップ・データ。以下同じ)以外は総て「ちょう」である。知らない方は覚えておくとよい)『荻伏』(おぎふし:ここ)『のアイヌはクネニ(kuneni)と呼んでいたが、これは「弓(ku)になる(ne)木(ni)」の意である』。『北海道、本州、四国、九州、沖縄、日本国外では千島列島、中国東北部、朝鮮半島に分布』する。『北海道では標高の低い地域にも自然分布するが、四国や九州では山岳地帯に分布する』。『庭木としては、沖縄県を除いた日本全国で一般的に見られる』。『大抵は山地に分布するが、多くは林を形成することは少なく、暗い林の中で』、一、二『本ずつばらついて生えている』。『北海道の屈斜路湖周辺や茶内(浜中町)などでは、まとまったイチイの林が見られる』。『常緑針葉樹の高木で』、『高さ』十五『メートルほどの高木になるが、暗い場所で育つため』、『成長は遅く』、『寿命は長い』。『樹形は円錐形になる。陰樹で林の中では枝が不ぞろいになるが、明るい場所でもよく生育し、均等に枝を出してびっしりと葉に覆われた姿になる』。『幹の直径は』五十センチメートルから一『メートルほどになり、樹皮には縦に割れ目が走る。幹の目通り径が』三十『センチメートルになるまでに』、百『年かかるといわれている』。『葉は羽状に互生し、濃緑色で、線形をし、先端は尖っているが』、『柔らかく』、『触っても』、『それほど痛くない』。『枝に』二『列に並び、先端では螺旋状につく』。『花期は』三~四月で、『雌雄異株(稀に雌雄同株)。小形の花をつける。果期は』九~十『月で、初秋に赤い実をつける』。『種子は球形で、杯状で赤い多汁質の仮種皮の内側におさまっている』。『外から見れば、赤い湯飲みの中に丸い種が入っているような感じである。果肉は食べることができるが、それ以外の部分に毒がある。種子は堅く、なかなか発芽しないが、鳥が食べて砂嚢で揉まれて糞と一緒に排泄されると、発芽しやすくなると言われている』。『果肉を除く葉や植物全体に有毒・アルカロイドのタキシン(taxine)が含まれている』ため、『種子を誤って飲み込むと』、『中毒を起こす。摂取量によっては』、『痙攣を起こし、呼吸困難で死亡することがあるため』、『注意が必要である』。以下、変種「キャラボク」の項。『イチイの変種であるキャラボク(伽羅木) Taxus cuspidata var. nanaは、常緑低木で高さは』五十センチメートルから二『メートル、幹は直立せずに斜に立つ。根元から多くの枝が分かれて横に大きく広がる。雌雄異株で、花は春』(三~五月)『に咲き、雌木は秋』(九 ~十月)『になると赤い実をつけ、味はわずかに甘い』。『本州の日本海側の秋田県真昼岳 - 鳥取県伯耆大山の高山など』、『多雪地帯に自生する。鳥取県伯耆大山の』八『合目近辺に自生するキャラボクはダイセンキャラボクと呼ばれ、その群生地は「大山のダイセンキャラボク純林」として特別天然記念物に指定されている。また、国外では朝鮮半島にも分布する』。『名の由来は、キャラボクの材が、香木のキャラ(伽羅)』(熱帯アジア原産のアオイ目ジンチョウゲ科ジンコウ属 Aquilaria の常緑高木)『に似ているためだが、全くの別種である』。『キャラボクと通常のイチイを比べた場合。全体的にはイチイの方が葉が明らかに大きい。イチイとの最大の違いは、イチイのように葉が』二『列に並ばず、不規則に螺旋状に並ぶ点である。ただし、イチイも側枝以外では螺旋状につくので注意が必要である』。以下、「用途」の項。『耐陰性、耐寒性があり刈り込みにもよく耐えるため、北海道など日本北部の地域で庭木や生垣に利用される』。『刈り込みに強い性質から、しばしばトピアリー』(topiary:常緑樹や低木を刈り込んで作った西洋庭園における造形物のこと。鳥や動物を象ったり、立体的な幾何学模様を造る。庭園技法としては、イギリスの庭園でよくみられる)『の材料に用いられ、日本でも鶴や亀などの刈り込が作られることもある』。『東北北部と北海道ではサカキ、ヒサカキを産しなかったため、サカキ、ヒサカキの代わりに玉串など神事に用いられる』。『また、神社の境内にも植えられる』。『木材としては』、『年輪の幅が狭く』、『緻密で狂いが生じにくく加工しやすい、光沢があって美しいという特徴をもつ』。『紅褐色をした美しい心材が多く、彫刻品などの工芸品、器具材、箱材、机の天板、天井板、鉛筆材として用いられ』、『岐阜県飛騨地方の一位一刀彫が知られる』。『水浸液や鋸屑からとれる赤色の染料(山蘇芳)も利用される』、『ヒノキよりも堅いとされることや』、『希少性から高価である』。『アイヌも』、『そのアイヌ語名が示すように弓の材料として用いたほか、小刀の柄、イクパスイ』(日本語では「酒箸」と書く。アイヌが儀式で使用する木製の祭具で、カムイ(神)・先祖に酒などの供物をささげる際、人間とカムイの仲立ちをする役割を果たすものとされた)『に用いた』。『また、心材や内皮を染色に用いていた』。『前述のように果実は種子が有毒であるが、果肉は甘く食用になり、生食にするほか、焼酎漬けにして果実酒が作られる』。『アイヌも果実を「アエッポ(aeppo)」(我らの食う物)と呼び、食していたが、それを食べることが健康によいという信仰があったらしく、幌別(登別市)では肺や心臓の弱い人には進んで食べさせたとされ、樺太でも脚気の薬や利尿材として果実を利用した』。『葉はかつて糖尿病の民間薬としての利用例があるが、薬効についての根拠はなく、前述のように葉も有毒である。なお、樺太アイヌには葉の黒焼きを肺病喀血患者に煎じて飲ませる風習があった』とある。

「檜柏(いぶき)」前出

「櫻桃(ゆすら)」双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ属ユスラウメ Prunus tomentosa 当該ウィキを参照されたい。

「小白仁」イチイの果実は外皮は褐色だが、中身は白い。サイト「能代市風の松原植物調査」の「イチイ」の画像を参照されたい。前述の通り、有毒。

「𬄡(しん)」東洋文庫の訳では『芯』とする。種子は、黒褐色。前注のリンク先を見られたい。

「光-膩」東洋文庫の訳では『つややかなかがやき』とルビする。

「奇楠(きやら)」「伽羅」に同じ。

「木-理(もく)」「木目」(きめ/もくめ)。

「柏《かえ/かへ》」読みは前出当該項に拠った。]

2024/04/29

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 檉

 

Muronoki

[やぶちゃん注:右の図の右上に「檉」、左の図の右上に「姫檉」とキャプションがある。]

 

むろの木   檉

       【和名無呂】

【音偵】  姬檉【俗

        比女無呂】

      別有檉柳詳

      于喬木類下

 

爾雅翼云天將雨檉先知之起氣以應又負霜雪不凋乃

木之聖者也故字從檉 陸機詩疏云檉生水旁皮赤如

綘枝葉如松 沉烱賦云檉似柏而香

△按檉樹似檜柏而髙者三四丈葉甚細宻軟刺經數歳

 者結子碧色微如麥門冬子

一種姬檉 樹葉與檉同其葉軟埀不結子二種並爲材

 類柀能耐水濕

  六帖岩やとにねはふむろの木なれみれば昔の人を逢ひ見るかこと

 

   *

 

むろの木     檉

         【和名「無呂」。】

【音「偵」。】    姬檉【俗に

           「比女無呂《ひめむろ》」。】

        別に「檉柳《ていりう》」有り。

        「喬木類」の下に詳らかなり。

 

「爾雅翼」に云はく、『天、將に雨《あめ》ふらんと≪するに≫、檉(てい)、先《ま》づ、之れを知りて、氣を起こして、以つて、應ず。又、霜雪《さうせつ》を負ふ≪ても≫、凋(しぼ)まず、乃《すなは》ち、「木の聖なる者」なり。故に、字、「檉」に從ふ。』≪と≫。陸機が「詩」≪の≫疏《そ》に云はく、『檉、水旁《すいばう》に生じ、皮、赤≪くして≫、綘《もみ》のごとく、枝葉、松のごとし。』≪と≫。沉烱《しんけい》≪が≫賦に云はく、『檉は柏に似て、香んばし。』≪と≫。

△按ずるに、檉(むろ)の樹(き)、「檜柏(いぶき)」に似て、髙き者、三、四丈。葉、甚だ細宻≪にして≫軟刺《なんし》、數歳を經る者、子《み》を結ぶ。碧色、微《やや》、麥門冬《ばくもんとう》の子《み》のごとし。

一種「姬檉《ひめむろ》」 樹・葉、檉と同じ。其の葉、軟(やはら)かに埀(た)れ、子を結ばず。二種、並びに材と爲《な》す。柀《まき》に類《るゐ》≪して≫、能《よ》く水濕《すいしつ》に耐ふ。

 「六帖」

   岩やどにねはふむろの木なれみれば

            昔の人を逢ひ見るがごと

 

[やぶちゃん注: 前項に引き続き、同属の、

裸子植物門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ亜科ビャクシン属 Juniperus 節ネズ Juniperus rigida

である。当該ウィキによれば、『ネズミサシ』(鼠刺)『ともよばれ、これを標準名としていることも多い。別名として、他にムロ(榁)』・『トショウ(杜松)』『などがある。低』『高木で小枝は垂下し、触ると』、『痛い尖った針葉が』三『輪生する。雌雄異株であり』、『花期』『は春、球果は翌年以降に熟し、多肉質で液果状(漿質球果)。本州、四国、九州、朝鮮半島、中国北部に分布し、尾根筋など痩せた土地に生育する。木材、薬用(球果は杜松子とよばれる)、観賞用(盆栽など)として利用される』とある。「ネズミサシ」の名は、『針葉が硬く尖っているため、ネズミの通り道に置いておくことでネズミ除けになるという意味で「ネズミサシ(鼠刺)」の名前がつき、これが縮まって「ネズ」となったとされる』。『古くは、「皆の木」を意味する「ムロノキ」とよばれ』、「万葉集」でも『いくつか詠まれている』但し、『このように詠まれている木は』、『瀬戸内海沿岸に生える大木であることから、実際には同属別種のイブキのことではないかともされる』とあって(太字下線は私が附した)、「万葉集」の巻三の大伴旅人の一首(四四六番)の以下の短歌が示されてある。これは、「天平二年庚午(かうご)。冬十二月に、太宰師大伴卿(だざいのそちおほとものまへつきみ)の京(みやこ)に向ひて上道(みちだち)せし時に作れる歌五首」の前書を持つものの、冒頭に配されたものである。

   *

 吾妹子(わぎもこ)が

   見し鞆(とも)の浦の

  むろの木は

     常世(とこよ)にあれど

           見し人そなき

   *

「爾雅翼」中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書として知られる「爾雅」の不足を補うために、南宋の羅願(一一三六年~一一八四年)が書いたもので、草・木・鳥・獣・虫・魚に関する語を集め、それに説明を加えた、「爾雅」の篇立てに倣って分類・解説してあり、謂わば、「爾雅」中の動植物専門の補填辞典。書名は「爾雅を補佐する」の意である。当該部は「中國哲學書電子化計劃」のここで、当該部の影印本と電子化物が視認出来る。こちらのものは、ちょっと異同があるので、以下に示す。

   *

天之將雨檉先起氣以應之故一名雨師而字從聖字說曰知雨而應與於天道木性雖仁聖矣猶未離夫木也小木既聖矣仁不足以名之音

   *

『別に「檉柳《ていりう》」有り。「喬木類」の下に詳らかなり』この「檉柳」は、東洋文庫の訳では、『しだれやなぎ』のルビと、『(ヤナギ科)』という割注があるのだが、これには、私は当初、「檜」の日中の決定的齟齬と同じぐらい、疑問を感じた。何故なら、中文ウィキの「檉柳」が容易に見つかったのだが、ここから日本語版を起動すると、これはヤナギ科Salicaceaeなんぞではないからなのだ! 「ギョリュウ」が標題であって、そこには、中文と同じ分類が記されているのだが、それは、

ナデシコ目ギョリュウ科ギョリュウ属ギョリュウ Tamarix chinensis

なのである! 一方、東洋文庫の示す「しだれやなぎ」が標準和名であるとすれば、これは、

キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属シダレヤナギ変種シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica

で、最早、「一昨日来い!」レベルの、全く異なる種なのである! さて、そこで日本語版「ギョリュウ」を見ると、漢字表記は「御柳」となっており、『モンゴルから中国北部にかけての乾燥地域が原産地で』、『日本には江戸時代中期に伝わった』とあり本「和漢三才圖會」の成立と同時期だが、調べたところ、本書の成立の方が早いことが判明した、『和名では別名としてサツキギョリュウが挙げられる』。『中国名(漢名)は檉柳(ていりゅう)』『で、一年に数度花が咲くことから』、『三春柳』『の名もある。ほかに、紅柳』『などの別名もある』と、くるのである。良安の指示する「喬木類」の「檉柳」を見てみると(取り敢えず、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版で原記載の当該部をリンクさせる)……う~ん……確かに、「しだりやなぎ いとやなぎ」の和名を添えて、「檉柳」が立項されてあり、御丁寧に『今云絲垂(シタレ)柳又云糸柳』(イトヤナギは現在もシダレヤナギの別名である)とあるのであった。而して、東洋文庫で当該部を見ると、後注で『中国の檉柳はギョリュウ、柳はシダレヤナギ。楊はカワヤナギ。現在は日本でも同じ』とあったのである。私が以上を牛の涎みたようにだらだらと調べながら、ふと、厭な予感がしたので、上で太字下線で示したのが、ああ! 当たってしまった、のである。則ち、良安は、丁度、本書を書き終わった頃に、同時期にギョリュウが本書成立時には日本に渡来しておらず、本草学上でもギョリュウという木があることも知らなかったということ、そして、良安が「檉柳」を、安易に、シダレヤナギに種同定してしまっていたことが、(図らずも)2で、ここで明らかにされてしまっていたのであった。

「陸機」(二六一年~三〇三年)は中国三国時代の呉から西晋にかけての政治家・文学者・武将で、ここに出た「詩」は「詩經」(=「毛詩」)で、「疏」は解釈を言い、彼が「詩經」に詠まれた動植物について解説した書「毛詩草木鳥獸蟲魚疏」。詩経名物学書の筆頭とされる著名なものである。「中國哲學書電子化計劃」のここで、当該部の影印本と電子化物が視認出来る。

「沉烱」(生没年不詳)は南朝梁から陳にかけての文章家。詳しくは当該ウィキを見られたい。但し、この引用文は後漢の詩人・学者・発明家として知られる張衡(七八年~一三九年)の書いた「南都賦」の一節である。

「麥門冬」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科 Ophiopogonae 連ジャノヒゲ属ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus の根の生薬名。現行では、これで「バクモンドウ」と濁る。鎮咳・強壮などに用いる。

「姬檉」裸子植物門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera(椹)の園芸変種ヒムロ Chamaecyparis pisifera ‘Squarrosa’。「檜榁」「姫榁」・ヒムロ杉」「シモフリヒバ」「綾杉」等の異名がある。ウィキの「サワラ(植物)」によれば、『葉が軟質で針状線形』を成し、『長さ』六ミリメートル『ほどになり、やや開いて密に十字対生し、青白緑色を呈し、裏面(背軸面)に』二『本の気孔帯がある』。『新芽が黄色になるオウゴンヒムロ、低木で葉がやや短く細いヒメヒムロ、低木で樹形が球状になるタマヒムロなどがある』とある。

「柀」この「まき」は、辞書類には、スギの古称、又は、ヒノキ・イヌマキ・ラカンマキの別称などとある。

「六帖」平安中期に成立した類題和歌集「古今和歌六帖」のこと。全六巻。編者・成立年ともに未詳。「万葉集」・「古今集」・「後撰集」などの歌約四千五百首を、歳時・天象・地儀・人事・動植物などの二十五項・五百十六題に分類したもの。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(5)

○「かく」のくすり。

 根津權現總門脇右側、御書物方同心衆、井田政右衞門と云(いふ)人の所に有(あり)。奇妙也。

[やぶちゃん注:「かく」底本ではこの右に編者補正注で『(霍)』とある。「霍亂」であろう。急性日射病で昏倒する症状や、真夏に激しく吐き下しする病気の古称である。急性胃腸炎・コレラ・疫痢などの総称に該当するものとされるが、「霍亂」は古くから二字熟語で用いられることの方が多い。先行する「譚 海 卷之十三 かくの病ひ妙藥の事」が、内容がほぼ一致する。]

 

○「かく」にて、藥を、かへし、うけざるには、

 山ある所の赤土を取(とり)て、池を、こしらへ、藥を、せんじて、一時ほど、此池に入(いれ)て置(おき)、取出(とりいだ)し用(もちゆ)る時は、藥、かへす事、なく、服用せらるゝ也。粥も如ㇾ此して用れば、かへさず。

 但、池、造(つくり)がたき時は、大成(だいなる)瀨戶物の内を、赤土にて、ぬり、麻の切れを敷(しき)て、其中へ、煎藥(せんじぐすり)を、ひたし置(おき)て、用(もちい)ても、よろし。只、土と、藥と、ひとつにならぬやうにする斗(ばか)り也。

 

○齒の痛(いたみ)には、

 正月の「うらじろ」【齒朶(しだ)の事。】貯置(たくはへお)き、きざみて、切れに包み、ふくみ居(を)れば、治す。

[やぶちゃん注:「うらじろ」シダ植物門シダ綱ウラジロ目ウラジロ科ウラジロ属ウラジロ  Gleichenia japonica 。]

 

○又、一方。

 「こずいほう」・乳香(にゆうかう)、右、二味、等分、粉にして、はぐきへ、すり付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:「こずいほう」不詳。識者の御教授を乞う。

「乳香」インド・イランなどに産する樹の脂(やに)の一種で、盛夏に砂上に流れ出でて固まり、石のようになったものを指し、香料・薬用とする「薫陸香」(くんりくこう:呉音で「くんろく(っ)こう」とも読み、「くろく」「なんばんまつやに」などとも呼ばれる。その中で乳頭状の形状を有するものを特に「乳香」と称し、狭義にはムクロジ目カンラン科ボスウェリア属 Boswelliaの常緑高木から採取されるそれを指すとされる。]

 

○又、一方。

 雞冠雄黃・乾姜(ほししやうが)、右、二味、細末、「はぐき」へ、ぬる。

[やぶちゃん注:「雞冠雄黃」硫化ヒ素As2S3の鉱物の一種である「鶏冠石」を卵形に加工したもの。殺菌効果があるが、毒性が強い。]

 

○又、一方。

 「さるをかせ」、かみて居(を)れば治る也。始(はじめ)に出(いづ)。

[やぶちゃん注:「譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(4)」の「○齒の痛(いたみ)を止(とむ)る藥」「霧精【「さるをがせ」と云(いふ)物。】一味、かみて居(を)れば、卽時に治する也」を指す。そちらの私の注を参照されたい。]

 

○齒ぐき、はれ、いたむには、

 石膏・黃柏【但(ただし)、石膏を、少々、餘計なるが、よし。】

 右、二味、「きぬ」に、つゝみ、はに、くはへゐて、度々(たびたび)、「つばき」を、はくときは、いたみ、とまる也。

 

○又、一方。

 升麻(しやうま)・露蜂房(ろほうばう)・靑木香(しゃうもくかう)・黃連・乳香・丁子・黃柏(わうばく)、以上、七味、目方、各(おのおの)、等分。

 右、せんじて、其汁へ、燒鹽を、少々、すり入(いれ)て、はの、いたむところへ、ふくみ、度々、吐出(はきいだ)す時は、口、ねつ、とれて、治る也。

[やぶちゃん注:「升麻」「ショウマ」は漢方生薬。キンポウゲ目キンポウゲ科サラシナショウマ属サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎を天日乾燥させたもの。ウィキの「サラシナショウマ」によれば、これは、『発汗、解熱、解毒、胃液・腸液の分泌を促して胃炎、腸炎、消化不良に効果があるとされ』、各種『漢方処方に配剤されている』とあり、さらに、『民間では』、一『日量』二『グラムの升麻を煎じて、うがいに用いられる』とする。さらに、『なお、本種に似たものや、混同されて生薬として用いられたものなど、幅広い植物にショウマの名が用いられている』とある。最後の部分は、ウィキの「ショウマ(植物の名)」も参照されたい。

「露蜂房」膜翅(ハチ)目スズメバチ亜目スズメバチ上科スズメバチ科アシナガバチ亜科アシナガバチ属キボシアシナガバチ Polistes mandarinus、或いは、スズメバチ科スズメバチ亜科スズメバチ属オオスズメバチ Vespa mandarinia などの蜂の巣を基原とする漢方生薬。「ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 」の「ロホウボウ(露蜂房)」によれば、「神農本草経」に載る古くからの処方で、本邦の『民間療法では、「化膿性の腫れや痛みに、半分は生のままで、半分は炒って混合粉末として服用する。虫刺されに、粉末を水または胡麻油で練って貼る。粉末を蜂蜜で練って飲むと強壮剤となり、乳汁不足、麻痺などに効果がある。黒焼きの粉末を酒や甘酒で服用すると、乳汁不足、夜尿症、腎臓病などに効果がある。火傷、とびひには黒焼きの粉末を胡麻油で練って外用する」などの用い方が知られており、黒焼きとして用いることが多いのが特徴』とあった。

「靑木香」(しょうもっこう)は「馬鈴草」(うまのすずくさ:コショウ目ウマノスズクサ科ウマノスズクサ亜科ウマノスズクサ属ウマノスズクサ亜属ウマノスズクサ Aristolochia debilis )の異名。過去、漢方薬種の一つとしたが、ウィキの「ウマノスズクサ」によれば、『含有成分であるアリストロキア酸が腎障害を引き起こすため、薬用とはされなくなった』とあった。

「和」単に「少し混ぜる」の意か、又は、漢方ではない「和方」の意か。

「黃連」既出既注だが、再掲すると、キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica の髭根を殆んど除いた根茎を乾燥させたもの。

「丁子」既出既注だが、再掲すると、クローブ(Clove)のこと。バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum のこと。一般に知られた加工材のそれは、本種の蕾を乾燥したものを指し、漢方薬で芳香健胃剤として用いる生薬の一つを指し、肉料理等にもよく使用される香料である。

「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。]

 

○「蟲ば」を治する法。

 「にら」の玉を、土器の内へ入(いれ)、火にかけ、あたゝめ、其中へ、胡麻のあぶらを、少し、おとせば、「にら」、はりはりと、なる也。其とき、銅の上戶(じやうご)を土器の上へ、かぶせ、上戶の口を、「蟲ば」の、いたむ方(かた)の耳へ、あてて、「にら」の煙を、耳の内へ、いるゝやうにすれば、「蟲ば」、治して、四、五年づつは、大(おほ)おこり、せぬ也。若(もし)、「蟲ば」の蟲を、みたき時は、さらへ、水を、いれ、其中へ此(この)火鉢を置(おき)、如ㇾ此すれば、蟲、ことごとく、水に、うかんで、みゆる也。

[やぶちゃん注:最後の叙述から、全く信じ難い。但し、前半部は、当該ウィキによれば、ニラには、『ニンニクの成分であるアリインに似たアリルスルフィドという含硫化合物の精油成分を多く含む』。『この成分は、炎症を鎮め、汗を出して熱を下げる作用があるといわれている』とあるから、齲(むしば)の痛みによって、頭部側辺のリンパ腺が腫れていれば、それへの対症効果は認められる可能性はあろう。]

 

○又、一方。

 羗蜋(きやうらう)の黑燒、耳かきに、一すくひ、「蟲ば」の穴へ入(いる)べし。妙也。

[やぶちゃん注:「羗蜋」前回で既出既注。]

 

○又、一方。

 牛房[やぶちゃん注:「牛蒡」であろう。]の種を煎(いり)て、常の如く、せんじて、ふくみて、治す也。

 

○蟲齒の「まじなひ」。

 紙を、三十二に折(をり)て、「蟲」といふ字を書(かき)て、「かなづち」にて、うち、はしらに、はさみ置(おく)べし。

[やぶちゃん注:ありがちな共感呪術である。]

 

○ねぎ・にんにく抔(など)くひて、口の、くさきを、なほす法。

 「なんてん」のはを、せんじ、其湯を、のめば、なほる也。

 

○又、一方。

 飴を、一切れ、くひて、其後にて、水を、一口、のめば、なほる也。

 

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(17)

 

   風の香も麻のうねりや馬の上 冠 雪

 

 炎天下を馬上で行く場合であらうか。道端の麻畠を吹いて來る風も、生ぬるくてムツとするやうな感じが想像される。「風の香」は勿論麻の香で、靑い麻の葉がゆさゆさ搖れている樣らしく思はれる。

 けれどもこの句は決して右のやうな光景を的確に表現してゐるわけではない。一讀何となく暑さうな感じがした爲に、さう解したまでであるが、作者の意は或は日も少し昃つた[やぶちゃん注:「かげつた」。]場合で、麻を吹く「風の香」に多少爽涼の氣を含ませてゐるのかもわからない。要は「風の香」といふ語の解釋如何に在る。讀者は自己の連想によつて、之を解するより仕方がない。

 

   手にすゑて淺瀨をのぼる鵜匠かな 一 之

 

 讀んで字の如くである。

 一羽の鵜を手に据ゑて、淺瀨をざぶざぶ上つて行く鵜匠の姿を描いたので、現在鵜を使つてゐるわけではない、準備的狀況のやうに思はれる。「淺瀨」の一語によつて、自ら徒涉の樣を現してゐる。勿論晝の景色であらう。

 

   夏旅やむかふから來る牛の息 方 山

 

 今は夏を以て旅行シーズンとするのが常識になつてゐるが、昔はさうでなかつた。一所不住のやうな惟然坊にして猶且「夏さへも有磯行脚のうつけ共」といふ句を作つてゐる位だから、その苦痛は思ひやられる。

 こゝに「夏旅」といふのも、さういふ季題があるのではない。今日の人が夏になつて旅を想ふのとは反對に、寧ろ夏の旅の苦しさを現す爲に、先づこの語を置いたものではないかと思ふ。

 喘ぎ喘ぎ炎天下の道を行く。現代のやうな廣い道路は無いから、厭でも向うからのろのろ步いて來る牛とすれ違はなければならぬ。牛の熱い鼻息を身に感ずる、といつたやうな、昔の旅の暑さ、侘しさを捉へたものであらう。そこまで云はないでも、向うから牛が息を吐き吐き來るといふだけでも差支無いが、特に「むかふから來る牛の息」といふ以上、どうしてもその息は身に近く感ずるやうに思はれるのである。

[やぶちゃん注:「方山」滝方山 (たきほうざん 慶安四(一六五一)年~享保一五(一七三〇)年)は。京都の人。東本願寺で、一如に仕えた。俳諧を松江重頼・富尾似船に学んだ。通称は主水。編著に「枕屏風」「北之筥」などがある。

「夏さへも有磯行脚のうつけ共」惟然坊は好きな俳人だが、この句は知らなかった(サイト版横書「惟然坊句集」・同縦書有り)。調べたところ、前書に「有磯にて」とあるようである。芭蕉の「わせの香や分入右は有磯海」(私のブログ版『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 61 越中國分 早稲の香や分け入る右は有磯海』)を受けて北陸路を旅した際のものであろう。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 檜柏

 

Ibuki

 

いぶき

      俗云以不木

檜柏

 

クハイ ポツ

 

本草綱目松檜相半者檜柏也

△按檜柏樹其葉細宻遠望之與栢杉無別伹葉柔刺不

 尖硬有繩文而如柏及檜葉之文不結實髙一二丈植

之庭園可愛其木不宜爲材相州鎌倉之產葉最美

 

   *

 

いぶき

      俗に「以不木《いぶき》」と云ふ。

檜柏

 

クハイ ポツ

 

「本綱」、『松と、檜と、相半《あいなかば》する者、檜柏なり。』≪と≫。

△按ずるに、檜柏≪の≫樹は、其の葉、細宻[やぶちゃん注:「宻」は「密」の異体字。]、遠く之れを望めば、栢杉(びやくしん)と、別、無し。伹《た》だ、葉、柔かなる《→にして》、刺《とげ》≪も≫、尖り《→るも》、硬からず。繩文、有りて、柏、及び、檜≪の≫葉の文《もん》のごとく、實を結ばず。髙さ、一、二丈。之れを庭園に植ゑて、愛《め》でしを《→でる》べし。其の木、材と爲《す》るに宜《よろ》しからず。相州鎌倉の產、葉、最も美なり。

 

[やぶちゃん注:遂に正しく同定されたもので、

裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus節イブキ変種イブキ  Juniperus chinensis var. chinensis

である。イブキは前項「栝 びやくしん」で、詳しく述べたので、ここでは繰り返さない。「本草綱目」の引用は、やはり同じく「卷三十四」の「木之一」「香木類」の冒頭の「栢」の「集解」の一節。「漢籍リポジトリ」のこちらのガイド・ナンバー[083-2a]の四行目にある。

   *

松檜柏半者檜柏也

   *

この時珍の言う「松」は、本邦の裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属 Pinus と同じで、問題ないが、「檜」は、何度も繰り返し注したように、

本邦固有種であるマツ目ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ Chamaecyparis obtusa

ではなく、

裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus

或いは、

ビャクシン属Juniperus節イブキ変種イブキ  Juniperus chinensis var. chinensis

となる。無論、ここに至っても、良安や他の本草家も、実は「檜」も「柏」もまるで違うなどとは、夢にも思わなっかただろうが、ね……。

「相州鎌倉の產、葉、最も美なり」建長寺(ここのものが最も素晴らしい)・円覚寺のそれを指していると思われるが、「產」はいただけない。建長寺のビャクシン(イブキ)は、建長五(一二五三)年に北条時頼によって鎌倉に建長寺が創建され、招かれて開山となった南宋の大覚禅師蘭溪道隆(一二一三年~弘安元(一二七八)年)が植えたと伝えられるもので、推定樹齢は約七七〇年である。これが濫觴となって、鎌倉市内の寺社に植えられたものであるなら、「產」は、厳密な意味では、ちょっと、おかしい。但し、ビャクシン類は現在、世界に六十種、日本に五種ある。しかし、例えば、種としての、このイブキは北海道から九州に分布するが、自生は稀れであり、殆んどは人為的に植えられたものである。だが、実は中国でも自生は稀れで、庭園に植えられたものである、と信頼出来ると思われる記事にはあった。されば、種小名の二箇所の「chinensis」は「中国産」というのも、怪しいとは思われる。建長寺のそれは、私の偏愛する個体であるから、写真が欲しい(大学時代、「鎌倉探訪会」を組織し、会員と訪ねた際の写真があるはずだが、書庫の藻屑となって発見出来ない。見つけたら、揚げる)ので、「木のことばを聴くエッセイスト 杉原梨江子 オフィッシャルサイト」の「建長寺のビャクシン Juniper in Kamakuraをリンクしておく。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 栝

 

Biyakusin

 

[やぶちゃん注:挿絵の下方右寄り位置に下図の樹種に対するキャプション「跋柏杉(ハヒヤクシン」が縦書されてある。]

 

びやくしん 圓柏

      【俗云柏杉】

 

 

本綱柏葉松身者檜也其葉尖硬亦謂之栝今人名圓柏

以別側柏

△按栝髙者二丈余樹皮似杉及檜而材不堪用葉似柏

 而尖硬微似杉甚茂盛其枝椏隱不見葉與身皆曲蓋

 此柏與杉相半者也俗爲柏杉人植庭園愛其綠葉也

 不結實伹本草所言則檜與栝混註而已

一種跋柏杉 其木葉似栝而如蔓跋行橫延數丈捕枝

 亦生植之庭砌撓爲龍虎船車之形

 

   *

 

びやくしん 圓柏《ゑんはく》

      【俗に云ふ、「柏杉(びやくしん)」。】

 

 

「本綱」、『柏≪の≫葉、松≪の≫身者は、檜なり。其の葉、尖り硬く、亦、之れ、「栝《かつ》」と謂ふ。今人《きんじん》、「圓柏」と名づく。以つて、側柏に別《わか》つ。』≪と≫。

△按ずるに、栝《びやくしん》、髙き者、二丈余り。樹の皮、杉、及び、檜に似て《→似れども》、材、用ひるに、堪(た)へず。葉、柏に似て、而≪も≫尖《と》がり、硬《こは》く、微《やや》杉に似て、甚だ茂盛《しげさか》りて、其の枝椏《えだまた》、隱れて、見へ《✕→え》ず。葉と、身と、皆、曲(まが)る。蓋し、此れ、柏と、杉と、相半《あひなか》ばする者なり。俗に「柏杉《びやくしん》」と爲《な》す。人、庭園に植ゑて、其の綠葉を愛す。實は結ばず。伹し、「本草」言ふ所は、則ち、檜と、栝と、混註するのみ。

一種「跋柏杉(はひびやくしん)」 其の木、葉、栝に似て、蔓(つる)のごとく跋(は)ひ行(ある)く。橫に數丈を延ぶ。枝を捕(さ)しても、亦、生《しやう》ず。之れを、庭の砌《みぎり》に植(う)へ《✕→「ゑ」》、撓(たわ)めて、龍・虎・船・車の形に爲《つく》る。

[やぶちゃん注:冒頭からの、中国の種と、本邦の種との、致命的な相違が続くわけだが、それを不審に感じている良安は、自身の誤認に気づいているわけではないものの(これは彼に限らず、江戸時代の本草家総てに共通する誤認であるのだが)、なんとか、補正しようとする努力をしている。そうした中で、各記載が全て無化されずに、辛うじて救われて有効となっている(或いは、肝心要の種同定が誤りなのだから、「一見、有効であるかのように見かけ上は感じられる」というべきか)箇所が、ここまでにもあったが、そうしたものの収斂(杜撰ではある)が、ここに一つ、不全ながら、現われていると私は感じている。

 この冒頭の引用は、「本草綱目」の「卷三十四」の「木之一」「香木類」の冒頭の「栢」の「集解」の一節。「漢籍リポジトリ」のこちらのガイド・ナンバー[083-2a]の三行目の後半から四行目にかけてある。

   *

柏葉松身者檜也其葉尖硬亦謂之栝今人名圓柏以别側柏

   *

 さて。この「栝」は、既に示したのだが、良安の努力が実って、図と本文の解説は、非常にすっきりと、真の同定と合致し、まず、「栝」の包括的種解説と、図の右上に、すっくと立っている個体が、

裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus

の一つの直立型のビャクシン類のタイプを正しく示していることが判る。一方、本文で改行で補足して記載した別種とする「跋柏杉(はひびやくしん)」(はいびゃくしん:這柏槇)が、まさに、匍匐するように低く延びる挿絵の下方の図「跋柏杉(ビヤクシン)」で、これは間違いなく、正しい、

ビャクシン属Juniperus節イブキ変種イブキ  Juniperus chinensis var. chinensis

を指している。なお、このイブキには変種があり、これはまさに、

「這柏槇」=ハイビャクシン Juniperus chinensis var. procumbens

という標準和名を持っている。ハイビャクシンは匍匐低木で、幹や枝は地を這い、通常は、針葉を持つが、稀に鱗形の葉をつける。福岡県(沖ノ島:残念ながら絶滅寸前)・佐賀県(馬渡島)・長崎県(五島列島美良島・壱岐・対馬)及び韓国の大黒山島に分布し、海岸の砂地又は崖に分布する。以上は、ウィキの「イブキ」、及び、ウィキの「ハイビャクシン」を参考にしたが、後者には、『古くから庭園などに植栽されている』とあり、『庭園のグランドカバーとして植栽され』、『盆栽仕立てや』、『日本庭園にも使われる』。『海岸近くに生えることから、潮風や砂地に強い性質で、挿し木でも殖やすことができる』とあって、これは、良安の解説の前半部を訳したようにそっくりだ。

 私はビャクシンが好きなので、よく観察するが、知らない方のために、直立型・匍匐型の混ざって見られるグーグル画像検索「Juniperusと、ズバり! グーグル画像検索「Juniperus chinensis var. procumbensをリンクさせておく。特に語注は不要だろう。因みに、次の項は、ズバり! 正しく「檜柏(いぶき)」なのだ!]

2024/04/28

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(16)

 

   庭砂のかわき初てやせみの聲 北 人

 

 朝のうちはしつとり濕つてゐた砂が、日の高く上るにつれてだんだん乾いて來る。今日の日和を卜するやうに、そこらで蟬が鳴き出す、といふのである。句の表には格別時間を現してゐないようであるが、暑くなりさうな夏の日の感じが溢れてゐる。

「かわき初てや」の「や」は必ずしも疑問の意ではない。併し「かわき初むるや」といふのとは、少し意味が違ふ。かういふ言葉の味を說明するのは困難である。これを誦して會得する外はあるまいと思ふ。

[やぶちゃん注:句は「庭砂」は「にはすな」と清音で読みたい。「初てや」は言わずもがなだが、「そめてや」。]

 

   實櫻や古茅はこぶ宮の修理 邑 姿

 

「修理」は「シユリ」と詰めて讀むのであらうか。普通人名の場合はシユリ、修繕の場合はシウリと發音するやうであるが、こゝは詰めないと調子が惡い。

 櫻の實の熟した、もの靜な宮の境内らしい。そこへ宮修理の爲の古茅を運んで來るといふ光景である。櫻の實は境内の土の上に落ちていさうな氣がする。

 直に俳畫になり得べき趣である。日本の櫻の實は、花と違つて多くの場合閑却された形であるが、この句は實櫻にふさはしい趣を捉へてゐる。人目は惹かぬけれども、面白い句である。

[やぶちゃん注:「古茅」「ふるかや」。]

 

   晝顏や魚荷過たる濱の道 桃 妖

 

 眼前の景色である。

 晝顏の咲いてゐる濱の道を、魚荷を運ぶ人が通る。この句は魚荷が通つたあとの光景らしい。一面の砂濱の日が照りつけてゐる中に、炎威にめげぬ晝顏の花の咲いてゐる樣が眼に浮ぶ。あたりには魚荷の腥い香がまだ漂つてゐさうな氣もする。

 

   飯鮓や竹の廣葉の折かへり 木 因

 

「月潺堂にまいりて[やぶちゃん注:ママ。]」といふ前書がついてゐる。多分人の住ひであらうと思ふが、よくわからない。句の表は鮓[やぶちゃん注:「すし」。]の寫生が主になつてゐる。

 飯鮓[やぶちゃん注:「いひずし」。]の中に入つてゐる笹の廣葉が折返つてゐた、といふだけのことであるが、「折かへり」の一語がこの句に或生趣を與へているやうに思ふ。かういふ微細な寫生が元祿に已に行はれてゐる點に注意すべきである。「隈篠[やぶちゃん注:「くまささ」。]の廣葉うるはし餅粽」といふ岩翁の句なども、元祿の句としては相當印象的であるが、この句の「折かへり」は觀察の點に於て更に一步を進めている。今のやうな握鮓の句でないことは云ふまでもあるまい。

 但「月潺堂にまいりて」なる前書に何か意味があつて、飯鮓竝に「折かへり」の語も漫然置いたものでないといふことになれば、更に出直して解釋しなければならぬ。今はさし當り見たまゝの句として置く。

[やぶちゃん注:「月潺堂」は「げつせんだう」。「潺」は「せせらぎ」の意であろう。されば、この堂は小川の畔りにあるか。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(4)

○「耳だれ」出(いづ)るには、

 「ぬかみそ」の中の、三、四年、經たる古なすびを、引(ひき)さき、其汁を、耳中へ、しぼりこむべし。

 

○又、一方。

 大根のしぼり汁を、こよりにて、さして、よし。

 

○口中腫痛(こうちゆうしゆつう)には、

 黃柏(わうばく)・くちなし(山梔子)・南天の葉、右を紅(くれなゐ)の「きれ」に包(つつみ)て、ふくみ居(をれ)れば、痛(いたみ)を治する事、妙也。

[やぶちゃん注:落葉高木アジア東北部の山地に自生し、日本全土にも植生する、ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の樹皮から製した生薬。薬用名は通常は「黄檗(オウバク)」が知られ、「黄柏」とも書く。ウィキの「キハダ」によれば、『樹皮をコルク質から剥ぎ取り、コルク質・外樹皮を取り除いて乾燥させると』、『生薬の黄柏となる。黄柏にはベルベリンを始めとする薬用成分が含まれ、強い抗菌作用を持つといわれる。チフス、コレラ、赤痢などの病原菌に対して効能がある。主に健胃整腸剤として用いられ、陀羅尼助、百草などの薬に配合されている。また強い苦味のため、眠気覚ましとしても用いられたといわれているほか、中皮を粉末にし』、『酢と練って』、『打撲や腰痛等の患部に貼』り、『また』、『黄連解毒湯、加味解毒湯などの漢方方剤に含まれる。日本薬局方においては、本種と同属植物を黄柏の基原植物としている』。『アイヌは、熟した果実を香辛料として用いている』とある。

「山梔子(さんしし)」「さんざし」で、リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ Gardenia jasminoides の異名。その強い芳香は邪気を除けるともされ、庭の鬼門方向に植えるとよいともされ、「くちなし」は「祟りなし」の語呂を連想をさせるからとも言う。真言密教系の修法では、供物として捧げる「五木」(梔子・木犀・松・梅花・榧(かや:裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera )の五種の一つ。]

 

○齒の痛(いたみ)を止(とむ)る藥。

 霧精【「さるをがせ」と云(いふ)物。】一味、かみて居(を)れば、卽時に治する也。

[やぶちゃん注:「霧精」地衣類の菌界子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目ウメノキゴケ科サルオガセ属 Usnea 。「猿尾枷」「猿麻桛」「霧藻」「蘿衣」等と漢字表記する。当該ウィキによれば、『落葉広葉樹林や針葉樹林など、霧のかかるような森林の樹上に着生する』とあり、異名からもしっくりくる。]

 

○咽喉(のど)腫痛(はれ・いたみ)。

 「くちなし」の黑燒、用(もちゆ)べし。又、生(なま)にて煎じ用(もちい)て、よし。

 

○「のんど」へ、「とげ」立(たち)たるを治する。

 土用中の芭蕉の卷葉を、黑燒にして用べし、祕法也。

 

○又、一方。

 「かんらん」一つ、口中に含み、其唾(つば)を、ひたと、のみこみ、のみこみ、すべし。いつとなく、とげ、ぬける也。

[やぶちゃん注:「かんらん」「橄欖」。ムクロジ目カンラン科カンラン属 カンラン  Canarium album ウィキの「カンラン科」によれば、『インドシナの原産で、江戸時代に日本に渡来し、種子島などで栽培され、果実を生食に、また、タネも食用にしたり油を搾ったりする。それらの利用法がオリーブ』(シソ目モクセイ科オリーブ属オリーブ Olea europaea )『に似ているため、オリーブのことを漢字で「橄欖」と当てることがあるが、全く別科の植物である。これは幕末に同じものだと間違って認識され、誤訳が定着してしまったものである』とある。]

 

○又、一方。

 南天葉を、せんじて、其湯を、のむべし。

「南天」キンポウゲ目メギ科ナンテン亜科ナンテン属ナンテン Nandina domestica

 

○又、一方。

 串柿を黑燒にして、「さゆ」にて、用(もち)ゆ。

 

○咽喉へ餅のつまりたる時、

 「おはぐろ」、一雫(ひとしづく)、飮(のむ)時は、其儘、餅を吐(はく)也【「くだ」にて飮込(のみこみ)て、よし。】。

 

○胡椒に、むせたるには、

 胡麻の油を、一雫、飮(のむ)時は、其まゝ、治する也。

 

○山椒、又は、「からし」などに、むせたるには、

 「いわう」を少し飮(のむ)時は、其まゝ、治する也。「いわう」なき時は、付木(つけぎ)に付(つき)たるを、けづり飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:先行する「譚 海 卷之十三 舟の醉を治する事(二条)」の一条には、相同の処方が記されてある。]

 

○赤子、口中に、「乳のかす」のやうに、しろき物、出來(いでき)、又は、「うはあご」抔(など)へ出來(でき)ものせしを、なほす妙藥。

 羗蜋【雪隱の壺に出る蟲。「うなむし」といふもの。】

 右一味、飯つぶに、すりまぜ、紙にぬり、小兒の足のうらへ、張(はり)おく時は、直(なほ)る事、奇妙也。黑燒にしても、よし。

[やぶちゃん注: 「羗蜋」(きやうらう(きょうろう))「雪隱の壺に出る蟲」「うなむし」は恐らく昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科 Scarabaeoidea及びその近縁な科に属する種のうち、主に哺乳類の糞を餌とする一群の昆虫を指す語である。「食糞性コガネムシ」とも呼ばれる。中文ウィキのその種群を示すそれは「蜣螂」の漢字が当てられている。その日本語版「糞虫」も見られたい。]

 

○むしづはしる時は、

 昆布一切れ、少し斗(ばか)り燒(やき)て、くふべし。妙也。

[やぶちゃん注:「むしづ」「蟲唾」。胃酸過多によって、胃から口に出てくる不快な酸っぱい液。なお、「ず」を「酸(す)」と考えて、歴史的仮名遣を「むしず」とする説もある。]

 

○舌をくひて、血の、いづるとき、

 何の草にても、三種取(とり)て、もみて、口にふくみ居(を)れば、血、留(とま)る。

[やぶちゃん注:「何の草にても」はアカンでしょう!!!]

 

○舌の、あれたる時は、

 なすびのへた、黑燒を付(つく)べし【但(ただし)、殊の外、しみる也。】。

 

○小舌(こじた)と云(いふ)物、舌のしたへ、出來(いでき)て、後(のち)には、物、いひ、きゝにくゝ、命に、さはる事、有(あり)。其時は、芝、大好庵の目ぐすりを、たえず、つくる時は、自然(おのづ)と治する也。

[やぶちゃん注:「小舌」当初は舌の下部に生じた舌癌のことかと思ったが、それは、そう頻繁に発症するものではないので、別に考えてみたところ、「舌小帯」(ぜつしょうたい)のことではないかと重いが至った。これは、舌の裏側に附いている襞(紐状の場合もある)を指す。これが先天的に短かったり、襞が舌の先端に近いところに附いていることがあり、このような状態を「舌小帯短縮症」と称する。舌を前に突き出すと、舌の先端に「くびれ」が生じ、ハート型の舌になる(この病気には、いろいろな呼び方があり、「舌強直症」「舌小帯癒着症」「舌癒着症」等とも言う。軽度の場合は全く問題ないが、「中等度」「重度」の場合には、発音や摂食嚥下機能に問題がある場合が生じてくると、昭和大学歯科病院口腔機能リハビリテーション科公式サイト「おくちでたべる.com」のコラム第十五回 「舌小帯短縮症と発音障害」にあった。

「芝、大好庵」不詳。しかし、「小舌」で「目ぐすり」は、ない、だろ!]

 

○「こうひ」、出來(でき)たる時は、

 巴豆(はず)、黑燒一さじ飮(のむ)時は、たちまち、やぶれ、治する也。但(ただし)、此黑燒、飮(のみ)たる後にて、水を、茶わんに一口、飮(のむ)べし。水を、のまざれば、巴豆の氣(き)にて、腹、くだり、難儀する也。

[やぶちゃん注: 「こうひ」当初、皮膚表層の表皮が持続的な炎症を起こして、全身の皮膚が潮紅(ちょうこう)と落屑(らくせつ)を呈する全身性炎症性疾患の紅皮症(こうひしょう)のことかと思ったが、「やぶれ」て即座に治癒するというのは、この病態とは、ちょっと違う。処方内容が、飲み薬であることから、口腔・咽喉内に生じた炎症のことのように思える。但し、だとすると、「こう」は「腔」か「喉」であろうが、「ひ」は判らぬ。

「巴豆」キントラノオ目トウダイグサ科ハズ亜科ハズ連ハズ属ハズ Croton tiglium当該ウィキによれば、『種子から取れる油はハズ油(クロトン油)と呼ばれ、属名のついたクロトン酸のほか、オレイン酸・パルミチン酸・チグリン酸・ホルボールなどのエステルを含む。ハズ油は皮膚につくと炎症を起こす』とあり、『巴豆は』「神農本草経下品」や「金匱要略」に『掲載されている漢方薬で』はあるが、微量でも『強力な』下瀉『作用があ』り、『日本では毒薬または劇薬に指定』『されているため、通常は使用されない』とあった。]

 

○又、一方。

 サボテン、「植木や」にて求置(もとめおき)、小口切(こぐちぎり)にして、蔭ぼしにして、たくはへおき、「こうひ」出來たる時、サボテン少(すこし)斗(ばか)り、みそ汁にて煎(せんじ)、其汁を、あふのけに成(なり)て、口に、ふくみ居(を)るべし。自然(おのづ)と、のんどへ、みそ汁、とほりて、こうひ、直る也。

 

○又、一方。

 燈心を、手一束に切(きり)て、燒鹽(やきじほ)を少(すこし)加へ、黑燒にして、其座にて、「くだ」にて、のんどへ、吹入(ふくい)べし。妙也。

 

○又、一方。

 「なた豆」を黑燒にして、「くだ」にて、吹込(ふきこん)で、よし。

[やぶちゃん注:「なた豆」「鉈豆」。マメ目マメ科マメ亜科ナタマメ属ナタマメ Canavalia gladiata 。現行では福神漬に用いられることで知られる。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 檜

 

Hinoki

 

ひのき   檜

      【和名非

【音膾】  言心ハ火乃木也】

       幸種【倭俗

        左木久佐】

クワイ

 

字說云檜葉與身皆曲以曲會名檜【樅葉與身皆直以直從名樅也】詩經

檜揖松舟是也

△按本草綱目柏葉松身者檜也其葉尖硬一名栝【又圓柏】

 蓋此時珍誤檜與栝二種相混註之乎檜葉不尖硬而

 似柏葉而肥厚有繩文柏直枝檜曲枝其樹相摩則有

 出火故名火木其實纍纍似杉實而無刺又有無實者

 今人盛饅頭器鋪檜葉不知其㨿焉其材白濃密無橒

 而美也能可堪水濕宜爲屋柱宜作箱器最良材也皮

 以覆宮屋謂之檜皮葺土州之產堅而宜柱材尾州之

 產柔而宜噐木

一種阿須檜 似檜而木心似柀爲噐脂出不佳此與檜

 只如有一夜之差乎匠人用僞檜【又阿須奈呂】卽柏木也

                          西園寺入道

  夫木 君か代を我立杣に祈りおきてひはら杉原色もかはらし

    此殿はむへも富みけりさき草のみつはよつはに殿作りして

五雜組云孔子廟中檜歷周秦漢𣈆幾千年至懷帝永嘉

三年而枯三百九年子孫守之不敢動至隋恭帝時復生

五十一年至唐髙宗時再枯三百七十四年至宋仁宗時

復榮至金宣宗時兵火摧折後八十二年至元世宗時故

根復生至明太祖洪武二年凡九十六年其髙三丈有竒

至明弘治巳《✕→己》未爲火所焚今雖無枝葉而未嘗枯也聖人

手澤其盛衰關於天地氣運豈可得思議乎

 

   *

 

ひのき   檜

      【和名「非《ひ》」。

       言心《いふこころ》は「火の木」なり。】

【音膾】

       幸種《さきくさ》【倭俗、

        「左木久佐《さきくさ》」。】

クワイ

 

「字說」云はく、『檜は、葉と身と、皆、曲る。曲會《きよくくわい》を以つて「檜」と名づく【樅は、葉と身と、皆、直《す》ぐなり。直ぐに從ひて、以つて、「樅」と名づくなり。】。「詩經」に、『檜の揖(かひ)の松の舟』と云ふ、是《これ》なり。

△按ずるに、「本草綱目」に、『柏の葉、松の身なる者は、「檜」なり。其の葉、尖り、硬《かた》し。一名、「栝《かつ》」【又、「圓柏《ゑんぱく》」。】』≪と≫。蓋し、此れ、時珍、誤りて、檜(ひのき)と栝(びやくしん)と、二種、相混《あひこん》じて之れを註するか。檜の葉は、尖り硬からずして、柏《かしは》の葉に似て、肥厚《し》、繩文《じやうもん》、有り。柏は、直枝、檜は、曲枝。其の樹、相摩(《あひ》す)る時は、則ち、火《ひ》、出づること有り。故に「火の木」と名づく。其の實《み》、纍纍として、杉の實に似て、刺《とげ》、無し。又、實、無き者、有り。今の人、饅頭を盛る器《うつは》に檜≪の≫葉を鋪(し)く。其の㨿《よるところ》を知らず。其の材、白く、濃密なり。橒(もく≪め≫)無く、美(うつく)し。能く水濕に堪ふべく、屋柱に爲るに宜《よろ》しく、箱・器に作る≪も≫宜≪しく≫、最も良材なり。以つて、宮屋《きうをく》を覆ふ。之れを「檜皮葺(ひわだぶき)」と謂ふ。土州の產、堅くして、柱材に宜し。尾州の產は、柔かにして、噐≪の≫木に宜し。

一種「阿須檜(あすひ)」 檜に似て、木≪の≫心、柀(まき)に似たり。噐に爲《つく》る≪も≫、脂《あぶら》出でて、佳ならず。此れ、檜と、只だ、「一夜の差(ちが)ひ」有るか。匠人《たくみ》、用ひて、檜に僞《いつは》る【又、「阿須奈呂《あすなろ》」。】。卽ち、柏木(このてがしは)なり。

                  西園寺入道

 「夫木」君が代を我が立つ杣(そま)に祈りおきて

              ひばら杉原色もかはらじ

     此の殿はむべも富みけりさき草の

             みつばよつばに殿作りして

「五雜組」に云はく、『孔子廟の中の檜(ひのき)、周・秦・漢・𣈆[やぶちゃん注:「晉」の異体字。]を歷(へ)て、幾千年、懷帝永嘉三年に至りて、枯れて、三百九年、子孫、之れを守り、敢へて動かさず。隋の恭帝の時に至りて、復《ま》た、生(は)へ、五十一年にして、唐の髙宗の時に至りて、再たび、枯れ、三百七十四年して、宋の仁宗の時に至りて、復た、榮《さか》ふ。金(きん)の宣宗の時に至りて、兵火《に》、摧(くじ)き折(を)れて後、八十二年、元の世宗の時に至りて、故根(ふる《ね》)、復た、生じ、明(みん)の太祖洪武二年に至りて、凡《すべ》て、九十六年。其の髙さ、三丈有竒《あまり[やぶちゃん注:二字への読み。]》。明(みん)の弘治己未に至りて、火の爲(ため)に焚(や)かるる。今、枝葉、無しと雖も、未だ嘗つて枯れざるなり。聖人の手澤《しゆたく》、其の盛衰、天地の氣運に關(あづか)る。豈《あ》に、得て思議《しぎ》すべけんや。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:前回同様、同一漢字が、中国と当時の日本とでは、種が異なることが判らずに読み解いている。ちょっと良安が可哀そうな感じがしてくる。東洋文庫の後注にも、『現代の植物学界では、日本のヒノキに当るものは中国になく、中国でいう檜とは日本のヒノキ(ヒノキ属)ではなくビャクシンまたはイブキ(ビャクシン属)とされている。どうやら良安は『本草綱目』の檜を日本のヒノキと同じとして言をすすめているようにみえる』とある。本邦の「檜」=ヒノキは、日本固有種で中国には自生しない

球果植物(裸子植物)門マツ綱マツ目ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ Chamaecyparis obtusa

であるが、当該ウィキによれば、『日本の固有種であり』、『本州の福島県以南、四国、九州の屋久島まで分布する』。『スギ』(ヒノキ科スギ亜科スギ属スギ 属 Cryptomeria japonica )『と分布域は重なるが、北限は福島県でスギよりはやや南の地域となる』。『多雪を嫌うため』、『日本海側にはあまり見られず、スギに比べて分布地は著しく太平洋側に偏る』とある。

 それに対し、「檜」は、中国では、まず、

裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus

を指す。「ビャクシン属」は、現代中国では「刺柏属」である同中文ウィキ参照)。次いで、現代中国では「檜柏」(簡体字では「桧柏」)と書く、

ビャクシン属Juniperus節イブキ変種イブキ  Juniperus chinensis var. chinensis

で、日中では、「檜」の字が想起させる樹種が全く異なることが判明するのである(同中文ウィキ参照。ウィキの「イブキ」も見られたい)。

「字說」北宋の政治家にして著名な文人であった王安石(一〇二一年~一〇八六年)が書いた、漢字の由来を述べた大著で、彼の代表的作品として知られる。初め全二十巻であったが、後に二十四巻となった。漢字研究のバイブルである「說文」の解釈法を採用せず、会意に依って、漢字を説明・解釈する手法を採ったものである。但し、それに拘り過ぎ、牽強付会の弊に陥ったとも評される。中国も探してみたが、ネット上に視認出来るデータがない。

「曲會」樹の葉も幹も、折れ曲がって、相互に絡み合っていることを言う。私の好きなビャクシンはまさに「曲會」に相応しい!

「樅」前回で述べた通り、日本特産種であって中国には分布しない裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱マツ目マツ科モミ属モミ Abies firma ではなく、これは「馬尾松」=マツ属バビショウ Pinus massoniana であるので、注意!!!

『「詩經」に、『檜の揖(かひ)の松の舟』と云ふ』「詩經」の「國風」の「衞風」に載る「竹竿」。私が教授された故乾一夫先生の『中国の名詩鑑賞』「1 詩経」(昭和五〇(一九七五)年明治書院刊)を参考に以下に原文・訓読・訳を示す。

   *

   竹竿

籊籊竹竿 以釣于淇

豈不爾思 遠莫致之

 

泉源在左 淇水在右

女子有行 遠兄弟父母

 

淇水在右 泉源在左

巧笑之瑳 佩玉之儺

 

淇水滺滺 檜楫松舟

駕言出遊 以寫我憂

 

     竹竿(ちくかん)

 籊籊(てきてき)たる竹竿

 以つて淇(き)に釣る

 豈に爾(なんぢ)を思はざらんや

 遠くして之れを致す莫(な)し

 

 泉源は左に在り

 淇水(きすい)は右に在り

 女子(ぢよし)は行(かう)有りて

 兄弟父母(けいていふぼ)に遠ざかる

 

 淇水は右に在り

 泉源は左に在り

 巧笑(かうせう)の瑳(さ)

 佩玉(はいぎよく)の儺(だ)

 

 淇水は滺滺(いういう)たり

 檜楫(くわいしふ)の松舟(しようしう)

 駕(が)して言(ここ)に出でて遊び

 以つて我が憂ひを寫(のぞ)かん

 

     竹の竿(さお)

長い竹竿で

淇水に魚釣りをする

あなたを恋せぬわけではないが

遠くにあって思いを届ける術(すべ)もない

 

泉水(せんすい)[やぶちゃん注:川の名。]は左(北)にあり

淇水は右(南)にある

所詮 女は嫁に行き

兄弟父母から離れるものだ

 

淇水は右にあり

泉水は左(北)にある

にっこり笑った美しさ

佩(お)び玉(だま)の美しさ

 

淇水の流れはとうとうと

檜(びゃくしん)の櫂(かひ)の松の舟

舟に乗って出でて遊び

恋の憂いを晴らしたい

   *

『「本草綱目」に、『柏の葉、松の身なる者は……』「本草綱目」の「卷三十四」の「木之一」「香木類」の冒頭の「栢」の「集解」の一節。「漢籍リポジトリ」のこちらのガイド・ナンバー[083-2a]の三行目にある。

   *

柏葉松身者檜也其葉尖硬也其葉尖硬亦謂之栝

   *

くどいが、この「檜」はヒノキではなく、ビャクシン属か、イブキとなるが、「栝」は日中辞書では「イブキ」とし、「圓柏」も中文ウィキの「桧柏」(=イブキ)『圓柏』とある。

「橒(もく≪め≫)」木目。

「土州」土佐國。

「尾州」尾張國。

「阿須檜(あすひ)」「阿須奈呂」ヒノキ亜科アスナロ属アスナロ Thujopsis dolabrata

「柀(まき)」ヒノキ目コウヤマキ科コウヤマキ属コウヤマキ Sciadopitys verticillata の異名。

『此れ、檜と、只だ、「一夜の差(ちが)ひ」有るか』ウィキの「アスナロ」の「名称」によれば、『和名であるアスナロの名は、ヒノキに似ているが材としてやや劣るため、「明日はヒノキになろう」に由来するとされることが多く』、古く清少納言の「枕草子」、松尾芭蕉の「笈日記」、現代の井上靖の小説「あすなろ物語」『などでも』、『この意味で記されている』。『しかし、この語源は』、『俗説であり』、『正しくないとされることもあり』、『また』、『材質がヒノキに劣ることはないともされる』。『古くは高貴なヒノキを意味する「アテヒ(貴檜)」とよばれ、これが「アスヒ(阿須檜)」になり、「アスナロ」に転化したともされる』。また『西日本では、ヒノキ属のサワラ』(ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera )『をナロとよぶ地域がある』。『また、ヒノキに比べて葉が厚いことを示す「アツハヒノキ(厚葉檜)」から転じたとの説もある』。『青森県などではヒバ(檜葉)』、『石川県ではアテ(档、檔、阿天)』と呼ばれ、『他にも別名が多く、アスナロウ(明日奈郎宇)』アスヒ・アスダロ・アテビ・アスワヒノキ(明日檜)・ツガルヒバ・シラビ(白檜)・オニヒノキ(鬼檜)・クサマキ(草槇)・ラカンハク(羅漢柏)『などがある。青森県や北海道でヒバとよばれるものは変種のヒノキアスナロ』( Thujopsis dolabrata var. hondae )『のことを指していて、渡島半島の檜山地方という地名は、ヒノキアスナロが多いことから来た名前である』とあった。

「卽ち、柏木(このてがしは)なり」球果植物門種子植物亜門裸子植物上綱マツ綱マツ亜綱マツ目ヒノキ科ヒノキ亜科コノテガシワ属コノテガシワ Platycladus orientalis (中国北部原産と考えられているが、本邦にも古くから植栽されている)。「柏木」に「このてがしは」とルビすることについて、東洋文庫では割注があって、『コノテガシワとアスナロは別種だが、良安は同じものとしている』とある。

「夫木」「君が代を我が立つ杣(そま)に祈りおきてひばら杉原色もかはらじ」延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集「夫木和歌抄」の「卷廿九」の「雜十一」に所収する。作者「西園寺入道」とは平安末から鎌倉前期にかけての公卿・歌人で従一位・太政大臣の西園寺公經(さいおんじきんつね)のこと。

「此の殿はむべも富みけりさき草のみつばよつばに殿作りして」「古今和歌集」の「序」にあるもので、所謂、「祝い歌」の一種で、元は伝統芸能の催馬楽(さいばら)で歌われるものの一つの一節。「此殿」又は「此殿者」という歌である。

   *

この殿はむべもむべも富みけり三枝のあはれ三枝のはれ

三枝の三つ葉四つ葉の中に殿造りせりや殿造りせりや

   *

「五雜組」既出既注。以下は「卷十」の「物部二」の一節。「維基文庫」の電子化されたここにあるものを参考に示しておく。

   *]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(15)

 

   たゝかれて沈む螢や麻の雨 其 風

 

 麻の葉にゐる螢が雨に打たれて、茂みの中に沈む趣である。この螢は無論複數であらう。雨勢の相當强い樣子もわかるし、麻の葉を打つ爽な音も連想に浮ぶ。「麻の雨」の五字で全體を纏めた句法も、なかなか働いてゐるやうに思ふ。

 畫のやうな景色といふところであるが、畫では却つてかういふ趣は現しにくいかも知れない。生趣に富んだ句である。

[やぶちゃん注:「生趣」「せいしゆ(せいしゅ)」或いは「きしゆ(きしゅ)」と読むのか? こんな日本語の熟語は私は知らぬ。中国語で「人生・生活の喜び」の意であるから、「生き生きとした、アップ・トゥ・デイトな面白さ」ということか。『柴田宵曲 妖異博物館 「赤氣」』でも使っているいるから、宵曲の好きな語であるようだが、「生趣」ならぬ「生硬」な語で、私には却っていやらしい感じがする。]

 

   霓立や影と輪になる夏の海 柳 絲

 

 昔の句では虹が季になつてゐない。西鶴の書いたものに冬の虹が出て來るのを、ちよつと妙に思つたが、その後氣をつけて見ると、俳句にも冬の風物に虹を配したのがいくつもある。虹は夕立のあとにばかり出るわけではないのだから、夏に限定する方が却つて捉はれてゐるのかも知れぬ。

 この句の虹は夏の虹である。鮮に立つた雨後の虹が海面に影を落して、大きな圓を描く。「影と輪になる」といふ言葉は、極めて大まかな言葉のやうだけれども、これ以上適切に現し得る言葉があるかどうか疑問である。昔の虹の句としては特色あるものたるを失はぬであらう。

 

   よむほどやほしに數なき夕涼 風 吟

 

 子規居士は「星」といふ文章の中で、「一番星といへば星の下に子供一人立つてゐるやうに感ぜらる」と云つた。「一番星見つけた」といふのは、吾々も子供の時に屢〻耳にした言葉であつた。一つ見つけ、二つ見つけするうちに、眼界の星はいくらでも殖えて來る。「數なき」といふと、數が澤山ないやうにも聞えるが、こゝは無數の意であらう。「眞砂まさごなす數なき星のその中に吾に向ひて光る星あり」といふ子規居士の歌の「數なき」と同じことである。

「涼み臺又はじまつた星の論」と云ふ。夏の夕方、涼臺に屯たむろする人たちの注意が自ら天に向ふのは、蓋し自然の成行である。

 

   夕すゞみ星の名をとふ童かな    一德

 

といふのもやはり元祿の句であるが、天を仰いで闌干たる星斗に對する間には、天文に關する知識も働けば、宇宙に對する畏怖も生ずる。或は吾々人間は大昔から夏の夕每に、かういふ經驗を繰返して來たのかも知れない。

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの『子規全集』第九巻(昭和四(一九二九)年改造社刊)で視認出来た。明治三二(一八九九)年十月初出である。内容が面白いので、以下に電子化しておく。一部に脱字があったが、他の資料で補塡した。

   *

〇ある天文學者に星の數を尋けるに三十三萬三千三百三十三を三十三萬三千三百三十三遍言ふた程ありと答へける。其外に星一つ見出ださんと空仰向いて步行きける天文學者どぶの中に落ちて茶屋の婆樣に叱られぬ。其婆樣は老人星となりしが天文學者は土になりけるとぞ』孔明死して將星落ち、西鄕死して西鄕星となる。李白死して酒星の株を讓り受けたれど大福星の名未だ詩に上らず。詩人に下戶無きにやあらん。下戶に詩人無きにやあらん。糠星といはるゝこそ、甲斐なき星の宿世なりけれ。たまたまに飛べば夜這星と名に立てられて、隕ちて石となりけるも戀の果にあらざるぞはかなき』金星といへば遊星軌道の圖を見る如く、明星といへば山の上に輝ぎ、太白といへば海の上低く垂れ、夕づゝといへば木の間にちらつき、一番星といへば星の下に子供一人立つて居るやうに感ぜらる』昔から今迄、棚機の浮名は三面記事の材料となりて、天の川水絕ゆる事なき長き契は鵲の羽の蹈み心地も面白からずと鐵橋をかけゝる。これならば大風大雨いつかな構ふ事にあらず、雨夜のむつ言身に入みて、一入なるべしと待ちし甲斐もなや去年の大水に橋桁殘さず流れける、こゝも浮世なりけり。されば急場の間に合せに又鵲のもとへ使やりけるに、二度の務めは御免蒙ると見事はねつけられ、今はせん方なしと鐵橋再架の建議に及びける。諸の星だち星集ひに集ひ、北極星を議長として星議り[やぶちゃん注:「はかり」。]に議りしに天のじやくといふ星大反對を構へ北斗七星劍を拔いて立つといふ騷ぎに議會は解散せられて鐵橋再架案も成り立たず。それをくやしがりて二星一計を案じ出で、今年天の川原に夜凉の床を設け、織女自ら酌女となりて取りもちけるに、此噂遠近に聞えて集まり來る者數を知らず。天の釣橋中絕えてチツヽンといふ歌流行りて、此遊びに身代を潰す星ども夜に紛れて飛んでしまひしも多かりしとぞ。此企大當りにて一夏の收入一千萬圓、鐵橋再架今は七分通出來上りたる天上の戀めでたし』今年十一月箒星と地球と衝突する由外國の事迄は構はれずとも日本だけ助かる工夫は無きやと心配氣にいへば、ある人髯を撫でて、それは安き事なり、日本といはず世界中の大砲に丸をこめて箒星の近づくや否や一時に打つてかからんには、いかな箒星も地球と衝突せざる前に粉な微塵になつて飛び失せなん。これがために世界中の彈丸硝藥一時に盡きて少くも十年が間はいくさの起る氣遣も無く天下太平我々枕を高うして寐るべしと星を指したやうに言ひける。

   *]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(3)

○風眼(ふうがん)には、

 「岩ろくせう」[やぶちゃん注:底本では、「ろくせう」の右に編者補正注で『(綠靑)』とある。]一味、「あはびのわた」に、すりまぜ、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「風眼」今の若い連中は知らない病名だろうが、所謂、性病の淋病の淋菌が眼に入ることによって発生する急性の眼疾患の俗称で、盲目になるケースもあった。正式には、「淋菌性結膜炎」(gonorrheal conjunctivitis)という。感染経路が判らなかったことから、古くは、風や空気が原因で、発症するとされたことから、非常に古くから、この名で呼ばれた。淋菌によって起こる結膜炎であるが、強い眼瞼及び結膜の腫張と、大量の膿様眼脂(目ヤニ)を伴い、病変は、しばしば角膜にも達し、角膜穿孔を起こし、或いは白い癒着白斑を残す。耳前リンパ節は疼痛を伴い、腫張する。潜伏期はごく短く、数時間から三日程度で突然、発症する。私は医学書で感染した幼児の古い写真を見たが、両目の瞼が卵大に腫れていた。この病気は、高校時代に保健体育の授業で高齢の男の先生が詳しく説明して下さったのを、昨日のことのように記憶している。「淋菌がどうして眼に入る?」ってか? 銭湯さ! 近代以前の銭湯(江戸では「湯屋(ゆうや)」と呼んだ)湯の温度が低く、しかも、湯の入れ替えも杜撰で、非常に汚れていた。「曲亭馬琴「兎園小説」(正編)  あやしき少女の事」で注したが、湯舟は、熱を逃がさないようにするため、上部に最低限の採光と換気のための、ごく小さな窓があるだけで、湯船は殆んど真っ暗で、一緒に入っている人間の顏も判らないほどであったから、湯が汚いことは入っている客には、まるで判らなかったのだ。而して、四角い湯舟の場合、温度が下がり、しかも細菌類が集まり易いのは、内側の角の部分だった。大人ならば、そこに顔をつけることはまずないが、子どもは、違う。そして淋菌が眼に入ったのだ(授業では先生は湯舟の図を描いて細かく説明されていた)。

「岩綠靑」歴史的仮名遣は「いはろくしやう」が正しい。「岩緑青」(いわろくしょう)とは、日本画の顔料の一つで、緑青色の粒状。色が濃く、画料に用いられるが、耐光性に弱い。孔雀石(くじゃくせき:水酸化銅・炭酸銅からなる鉱物。緑色で光沢があり、針状又は塊状で産出する)から製する。「青丹」(あおに)とも呼ばれる(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「あはびのわた」「鮑(あはび)の腸(わた)」。脱線だが、これ、「猫が食うと耳が落ちる」というのを御存知か? ご存知ない方は、私の「耳囊 卷之五 同眼のとぢ付きて明ざるを開く奇法の事」(そちらは本条との関連はない。偶然である)の私の注を見られたい。]

 

○眼へ、鼠の小便、入(いり)たる時、

 猫の小便をさして、吉(よし)。若(もし)、猫の小便、なき時は、生姜(しやうが)のしぼり汁を、さして、よし。

 

○雪中を行(ゆき)て、めの、くらみたるには、

 其まゝ、火鉢の炭火へ、酒、一雫(ひとしづく)落して、其煙(けぶり)にて、めを、いぶすときは、卽時に、あきらかに成(なる)也。

 

○眼へ「ものもらひ」と云(いふ)「でき物」せし時、

 靑山椒の實(み)五粒、粘(ねば)にて、「金ぱく」にても、丹(に)にても、まぶし、丸藥(ぐわんやく)の如くに拵(こしら)へ、當人の齒に、あてぬやうに、のましむべし。翌朝、治する也。靑山椒なき時は、「ほしざんしやう」の皮の内に有(ある)、黑き實にても、よし。

 

○眼病療治。

 信州諏訪の住竹内新八郞と云(いふ)者、功者也。

 又、上總國わだ村、藥王寺と云ふ所に療治するもの有。右江戸より十六

里宇、船にて一日路也。目蔡代扶持方共、盲竺人百十錢ほど也。

[やぶちゃん注:「上總國わだ村」底本では「わ」の右に編者補正注で『(ぶ)』とあるが、これは恐らく「へた」の誤りと思われる。千葉県夷隅郡大多喜町(おおたきまち)部田へた:グーグル・マップ・データ。以下同じ)であろう。但し、現在の同地区には「藥王寺」はない。しかし、ここから約九キロメートル北北西の千葉県長生(ちょうせい)郡長南町(ちょうなんまち)山内(やまうち)に薬王寺がある。津村は、しばしば地名や、その位置を誤るから、この程度の誤差は屁でもない。そもそも「上總の其處一里」(「『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月15日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十三回」)のお国柄だしな。]

 

○「めまひ」するには、

 「口なし」の黑燒一味、酒にて用(もちい)て、よし。

[やぶちゃん注:「口なし」リンドウ目アカネ科サンタンカ(山丹花)亜科クチナシ連クチナシ属クチナシGardenia jasminoides 。]

 

○目のまじなひ。

 夜中、錢(ぜに)一文をもち出(いで)て、四辻に至(いたり)て、其錢にて、めを、よく、ぬぐひて、「おく山のひのきさはらぬさしをひきあたひにはかまはぬうるべしかふベし」と唱(となへ)て、後(のち)、其錢を、うしろ手に、おとして、後(うしろ)を見ずに、かへるべし。奇妙に、なほる也。

[やぶちゃん注:異界との通底器である「辻」を用いた古い咒(まじな)いである。咒言(じゅごん)の歌は、「おく山の/ひのき/さはらぬ/さしをひき/あたひには/かまはぬ/うるべし/かふベし」のリズムだろう。]

 

○鼻血の藥。

 花蘂(ずい)石一味、粉にして用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「花蘂(ずい)石」「ずい」のルビは珍しい底本のものである。これは「Ophicalcitum」という変成した蛇紋岩大理石らしい。「香港理工大學」公式サイト内のここ(英語)で、鬱血治療薬とあるのと一致する。]

 

○又、一方。

 くちなし一味、黑燒にして、鼻の内へ吹入(ふきいれ)て、よし。

 

○又、一方。

 くみたての水を、紙に、ひたし、「つむり」の眞中を、ひやして、吉(よし)。

[やぶちゃん注:昔、小学生の頃、鼻血を出した同級生に先生が同じことをしたのを、今、思い出したッツ!!!

 

○鼻血を、とむる、まじなひ。

 其人に向(むかひ)て、右の人指(ひとさしゆび)にて、「難波津に咲(さく)や此花冬ごもり」と云(いふ)上の句斗(ばかり)を書(かき)て、「冬ごもり」の「り」の字を「理」と書(かく)べし。卽坐に、血、とまる也。

[やぶちゃん注:「難波津に咲や此花冬ごもり」これは、近代以降、「競技かるた」会に於いて、一番、最初に読まれる序歌で(無論、「百人一首」にはない。歌人佐佐木信綱が選定したとされる)、作者は王仁(わに)。

 難波津に咲くやこの花冬ごもり

      今を春べと咲くやこの花

王仁は「古事記」「日本書紀」に登場する、応神天皇の時代に百済から来た渡来人とされる人物である。詳しくは、当該ウィキを見られたい。]

2024/04/27

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(2)

○直(なほ)りこじれたる目の仕上(しあげ)には、

 艾葉(よもぎば)八錢[やぶちゃん注:約三十グラム。]ばかり、とゝのへ、火鉢へ、段々に燒(やき)て、火鉢へ鐵久(てつきう)[やぶちゃん注:鉄串。]をわたし、此「てつきう」のうへへ、御寶燒[やぶちゃん注:底本では「寶」の右に編者補正注で『(室)』とある。]の茶碗をふせて、茶わんの内へ、「もぐさ」の油煙をとり、「ゆゑん」のうすらかに黑くたまりたるとき、茶わん、とりなをし[やぶちゃん注:ママ。]、すゑおき、茶わんへ、湯を、一ぱいに、つぎこみ、そのまゝ、湯を、すて、そのあとへ、又、湯を三分目ほど、いれ、小刀にて「ゆえん」を、こそげおとし、黃連の細末を「むくろじ」ほど入れて、かきまぜ、其(その)「うは水」の、すみたるを、指につけて、目に、さすべし。血を治(をさ)め、眼をよくする事、妙也。

[やぶちゃん注:前回、既出既注。一度、注したものは、以降、挙げない。]

 

○目のいたむを治する藥、水仙の「はな」を、「かげぼし」にして仕𢌞置(しまはしおき)、眼のいたむときに、花一りんを、湯に、ひたし、度々、あらふべし。一日に治す。

 

○目のかすむには、

 へちまの水をぬれば、明らかに成(なる)也。

 又、河豚(ふぐ)の肝(きも)のあぶらを、常に「ともしあぶら」に用ゆるときは、よく、目を、あきらかにす。

 

○「とりめ」には、

 鯛の「しほから」を、くらふ時は、治す。

[やぶちゃん注:「とりめ」「鳥目」。夜盲症。夜になると、視力が著しく衰える病気。ビタミンAの欠乏が主因。]

 

○「やみめ」には

 黃達、一味、せんじ上(あげ)たる水にて、あらひて、よし。

[やぶちゃん注:「やみめ」「病み眼」であろう。]

 

○「つきめ」には、

 水仙の根の玉を、摺鉢にて、粘(ねばつち)の樣に、ねばるまで、すり、紙を、眼の大(おほい)さより、一倍に、引(ひき)さき、其紙へ、水仙をすりたるを、べつたりと付(つけ)て、いたむめへ、はりて、一夜さし置(おく)べし。治する事、妙也。

[やぶちゃん注:「つきめ」「突き目」。目を突くことによる外傷であるが、一般には角膜の突き傷から細菌が侵入して起こる化膿性角膜炎、別名、匐行(ふくこう)性角膜潰瘍を指す。角膜上皮が健全であれば、通常の化膿菌は角膜に侵入出来ないが、上皮が欠損した部分は菌の侵入口になってしまう。菌は突いた物体に付着したものの場合もあり、また、結膜嚢に寄生的に存在した菌のケースもある。往時には、木の枝や稻の葉先による刺傷など、農業従事者に、よくみられた。慢性涙嚢炎などで菌が存在する場合は準備状態にあるといえる。潰瘍部で角膜が穿孔して炎症が眼内に及ぶと、全眼球炎となって、失明する。早期に病原菌を調べ、有効な抗生物質を局所及び全身に用いて治療を行うことが必須である(主文は小学館「日本大百科全書」に拠った)]

 

○又、一方。

 烏蛇【カラスヘビノコト】と尾を去(さり)、「はらわた」をも、去て、古酒に、ひたす事、凡(およそ)一ケ月、其後、紅花一味を、蛇の腹に、つめて、黑燒に致し置(おき)、「め」を、つきたる時、卽時に用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:【 】は二行割注。以下、同じなので、向後は注しない。

「烏蛇」「カラスヘビ」「烏蛇」これはアオダイショウ(青大将:ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora )、及び、ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata 、或いはクサリヘビ(鎖蛇)科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii孰れかを指す広汎な地方名である。「カラスヘビ」は文字通り、烏のように「黒い蛇」「黒く見える蛇」「暗い色をした蛇個体」を通称総称するものであり、種名ではない。なお、ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata の黒化型(melanistic:メラニスティック)個体の別名とする記載もある。]

 

○又、一方。

 蠅(はい)[やぶちゃん注:後のひらがな表記に従った。]の頭斗(ばか)りを切(きり)て、木綿切(もめんぎれ)へ、押付(おしつく)れば、血が付(つく)也。如ㇾ此、いくらも、いくらも、「はい」のあたまの血を取(とり)て、木綿へ付(つけ)たるを貯置(たくはへおき)、「つきめ」せし時、其血を、乳汁(ちちじる)に、ときて、「め」に付(くつ)れば、直る事、妙也。

[やぶちゃん注:蠅を含む昆虫類の血液には殆んどヘモグロビンを含んでいないので、赤くない(昆虫の捕食対象によって黄色や緑色を帯びることはある)から、蠅の頭部を潰した際に見られる赤い色というのは、頭部にある臓器に沈着した色としか思われない。孰れにせよ、この民間療法は完全アウトである。]

 

○又、一方。眼の疵、一切に、よし。

 「ちゝ草」【人家、瓦の間、又は、荒地に生(しやう)ずる物、枝を折(をる)時は、白く、ねばりたる乳のやうなる汁(しる)、出(いづ)る。手に付けば、殊の外、ねばるもの也。】

 右の汁を取(とり)て、婦人の乳を、少し、まぜ、夫(それ)へ、耳かきにて、輕粉(けいふん)を、一すくひ、入て、能々(よきよく)、かきまぜ、眼へ、させば、一、二日の内に治する事、妙也。

[やぶちゃん注:「ちゝ草」「乳草」。茎や葉を切ると、乳のような液を出す草木で、複数種ある。ガガイモ(リンドウ目ガガイモ科ガガイモ属ガガイモ Metaplexis japonica )・ノゲシ(キク目キク科タンポポ亜科ノゲシ属ノゲシ Sonchus oleraceus )・ノウルシ(キントラノオ目トウダイグサ科トウダイグサ亜科トウダイグサ属ノウルシ Euphorbia adenochlora )など。「ちぐさ」とも呼ぶ。ノウルシは有毒植物なので、カットだな。

「輕粉(けいふん)」粉白粉(こなおしろい)。「はらや」とも呼ぶ。伊勢白粉。白粉以外に顔面の腫れ物・血行不良及び腹痛の内服・全般的な皮膚病外用薬、さらには梅毒や虱の特効薬や利尿剤として広く使用された。伊勢松坂の射和(いざわ)で多く生産された。成分は塩化第一水銀Hg₂Cl₂=甘汞(かんこう)であり、塗布でも中毒の危険性があり、特に吸引した場合、急性の水銀中毒症状を引き起こす可能性がある。現在は使用されていない。]

 

○又、一方。

 雀五羽を集(あつめ)て、雀の「め」へ、針を、さし、血、少しづつ出(いづ)るを、蛤貝(はまぐりがひ)へ、ためて、眼に、さすべし。治する事、妙、也。但(ただし)、雀の眼の血をとる事、めつたに、針をさしても、血、出(いづ)る事、なし。血の取處(とりどころ)有(あり)、口傳(くでん)ならでは、知(しり)がたし。

 

○又、一方。

 「まこも」の黑燒に、「上野砥(かうづけといし)」、少(すこし)斗(ばか)り、よく、すりまぜて用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「まこも」単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae イネ族マコモ属マコモ Zizania latifolia 。博物誌は私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 菰(こも) (マコモ)」を参照されたい。

「上野砥」群馬県甘楽(かんら)郡産。江戸時代は御用砥石として知られたものであった。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 樅

 

Momi

 

もみ       和名毛美

 

【音聰】

 

ツヲン

 

本草綱目松葉柏身者樅也

△按樅其樹皮有橫理而與栢檜不同其葉頗似榧其實

 似松梂而細長其中子亦如松子其材作板用爲櫃箱

 性不堪水濕故不ㇾ宜爲柱

髣髴樅 其材肌理不𭓽如疥癬痕人訝爲非樅

 

   *

 

もみ       和名「毛美《もみ》」。

 

【音「聰《ソウ》」。】

 

ツヲン

 

「本草」、『松の葉、柏の身《み》なる者は樅《》なり。』と。

△按ずるに、樅、其の樹、皮、橫理(《よこ》すぢ)有りて、栢(かし)・檜(ひのき)と同じからず。其の葉、頗《すこぶ》る榧(かや)に似、其の實、松の梂(ちゝり)に似て、細長く、其の中の子《み》、亦、松子《まつのみ》のごとし。其の材、板に作り、用ひて、櫃(ひつ)・箱と爲《な》す。性《せい》、水濕《すいしつ》に堪へざる故に、柱と爲《す》るに、宜《よろ》しからず。

 

[やぶちゃん注:「本草綱目」の引用は、前の「本草綱目」「卷三十四」の「木之一【香木類三十五種 内附六種】」の巻頭を飾る「栢」の中の「集解」の終りにあるものを引用したもので(「漢籍リポジトリ」のここのガイド・ナンバー[083-2a]の下四行目)、「本草綱目」には、そもそも「樅」は立項されていないのである。いや! そもそも、本邦の知られる「樅」、

裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱マツ目マツ科モミ属モミ Abies firma は日本特産種であって中国には分布しない

のである。当該ウィキによれば、『日本特産種で、日本に自生するモミ属で最も温暖地に分布し、その北端は秋田県、南端は屋久島に達する』。『本州(秋田県以西)、四国、九州の屋久島まで分布する』。『モミは、モミ属の樹木としては、最も温暖な地域に分布域をもつ種で、日本の中間温帯の代表的な樹種の一つである』。『モミの分布は太平洋側に偏っており』、『日本海側には局所的に分布が知られるのみである。モミを欠く日本海側においてはスギ』(マツ亜綱ヒノキ目ノキ科スギ亜科スギ属スギ Cryptomeria japonica )が、『その位置に出現するという』。『スギ、特に日本海側(裏日本)に分布するウラスギ(裏杉)と呼ばれる系統は』双子葉植物綱ブナ目ブナ科ブナ属ブナ Fagus crenata とともに『多雪環境に極めて適応していることで知られる』とあるのである。『モミの材は白くてやわらかく、加工が容易という特徴があり』、『天井板、腰板などの建築材、高級な棺、卒塔婆に使われる』。『蒲鉾の板は、伝統的にモミ類が使われる』。『また』、『パルプの原料にもなる』とあった。

 さて。では、中国の「樅」とは何か?

 それについては、東洋文庫の後注に、『中国語の「樅」は、バビショウのこと。日本のモミではないとされる』とあるのである。

 この「バビショウ」とは、「馬尾松」で、

マツ属バビショウ Pinus massoniana

である。邦文記事では、中国語の「樅」がモミとは異なったバビショウであることを記した記事を見出せなかったが、中文ウィキの「馬尾松」を見ると、中文異名に『青松、山松、樅松(廣東、廣西)』(☜)『松柏』、『或』、『臺灣赤松』とあるのを見出せたので、間違いない。当該の日本語のウィキによれば、『中国の南部を中心に広く分布する松で、針状の葉が』十五~二十センチメートルと『長くなり、ウマの尾を連想させるために、中国ではこの名が付いている。和名は中国語の漢字を音読みしたもの。アカマツと同じ二葉松であり、日本が台湾を統治した際によく目にしたため、タイワンアカマツ(台湾赤松)とも呼ばれる』。『中国の河南省から江西省、貴州省、海南省までの範囲の低山に広く分布する。特に福建省、広東省、広西チワン族自治区、湖南省の山地に密集している。台湾にも分布し、ベトナム北部から中部にかけても分布する』。『樹高は』二十五~四十五メートル『程度。樹皮は灰褐色で、厚い』。『中国では、松脂を採取する木として重要であり、植林も計画的に行われている。植林後、約』十五『年経つと、幹が松脂の採取が可能な直径に育つ』。『松脂を採取した後の木材は、枕木などの用途に用いられるほか、粉砕して、製紙用のパルプに利用されることが多い』とある。逆に、バビショウは日本には自生しないのである。

 ともかくも、この項は、「本草綱目」の引用が無効となり、良安の附説は本邦の樅(もみ)の木についての解説となる、イタい一項となってしまっているのである。

「栢(かし)」前の「かえ 柏」を参照されたい。

「檜(ひのき)」ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ Chamaecyparis obtusa

「榧(かや)」裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera

「梂(ちゝり」球果。「松ぼっくり」のようなものと考えればよい。]

ブログ2,150,000アクセス突破記念 「和漢三才圖會」植物部 始動 / 卷第八十二 木部 香木類 目録・柏

[やぶちゃん注:禁断(私は藻類を除いて植物にはそれほど知識がない。因みに、『「和漢三才圖會」卷第九十七 水草部 藻類 苔類』はサイト版で公開済みである)の膨大な植物部(「卷第八十二」の「木部」に始まり、「卷第百四」の「菽豆類」に至る全二十二巻)に、敢えて挑戦することにする。タイピングであるので、何年かかるか想像も出来ない。死ぬまでには、やり遂げるつもりではある。

 テキスト底本は今までの通り、一九九八年刊の大空社版CD-ROM「和漢三才図会」を用いた。但し、本文中に用いた各項目の画像データは、当該底本に発行者による著作権主張表記があるので、所持する平凡社一九八七年刊の東洋文庫訳注版「和漢三才図会」が所載している画像を取り込んだものを用いる(一部の汚損等に私の画像補正を行っている)。なお、これについては、文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の複製と見做され、著作権は認められないと判断するものである。されば、実際には、テキスト底本の著作権主張自体も無効であることを意味する。孰れにせよ、東洋文庫版の方が美しいので、私には文句はない。

 今までのものとおおよそ同じ構成法で行うが、今回は最初からUnicodeで始められる。

○良安は「本草綱目」から引用しているが、時に、誤りやカットが行われている。今までの本書の電子化注では、それを問題にしなかったが、今回は「漢籍リポジトリ」の原本等を参考にして、その問題点を明らかにした。

・各項では、良安は、「本綱」の引用の際、殆んど、「に曰はく」に相当する送りがなを原文に振っていないが、これは特異点として、それを訓読で示した。

・二行割注は【 】で本文と同ポイントで示す。

・和歌等の引用はブラウザの不具合を考えて、訓読では、引き上げて、句に分けて示す。

・正字か異体字かに迷ったものは、正字或いは表記出来る最も近い異体字を採用する。それでも、有意な相違がある場合は、文字注を入れた。

・各項目の仕儀は、まず、訓点を省略した本文を原本通りに示し(但し、割注は繋げて示す。また、私の本文の字起こしに疑義がある場合、または、以下の訓読に不審がある向きは、同一原書と推定される早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらの原文を見られたい)、後に訓点に従って訓読したものを、文章として続いている箇所は改行せずに出す。

・明らかに良安の誤りとしか思われない書き癖や誤字・誤解があるが、これは《✕→□》として「□」部分に正しい漢字・熟語・表現を入れた。頻繁に現れるものは、原則、初回のみに注し、後は修正して訓読を示し、省略した。

・良安が附した読みは、( )で示し、ルビがないが、難読と判断した箇所は推定で歴史的仮名遣を用い、《 》で読みを添えた。≪ ≫は不全な訓読本文に私が添えたものである。適切でない訓読と判断したものは、《→□》で補訂注を入れた。

・読みの一部は送り仮名にして五月蠅くならぬように配慮した。

・句読点や記号は必要と思われる箇所に、適宜、打った。

・あるべき助詞・助動詞がない箇所、及び、濁音であるべき部分が清音になっている箇所は、その指示をせずに、送りがな・濁点を打った。

・以上の後に、私のオリジナル注を附す。但し、一部で東洋文庫の注を参考にし、時に引用する。但し、東洋文庫の訳や注には、頭をかしげる内容も多く、そこは批判しつつ、示した。

・サイト版で行った一丁の中央の柱の文字の電子化(例えば、以下の最初のそれは、「和漢三才圖會 香木 目録 ○一」)は、あまり意味がないので、行わない(省略する)こととした。

・本文中に頻繁に現われる漢方の四気五味(四性ともいう対象物の薬性を示す四つの性質「寒・熱・温・涼、及び平」と、味やその効能に基づく五つの性質「酸味・苦味・甘味・辛味・鹹味(かんみ=しおからい味)、及び淡味」)の意味については、今まで同様、これについては一切注を加えていない。諸サイトの中医学理論による解説等を参照されたい。悪しからず。

・一部の特異点の本文注に突如引かれる縦罫線以外の、縦・横の罫線は、基本、省略する。

 なお、この始動は、只今、午後十二時四十八分、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体は、その前年の二〇〇五年七月六日)、本ブログが2,150,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二四年四月二十七日 藪野直史】]

 

和漢三才圖會卷第八十二目録

    木部

本草綱目曰木乃植物五行之一性有土宜山谷原隰肇

由氣化爰受形質喬條苞灌根葉華實堅脆美惡各具大

極色香氣味區辨品類食備果蔬材充藥器寒温毒良直

有考分爲六類

 

   *

 

「本草綱目」に曰はく、『木は、乃《すなは》ち、植物の五行の一つ、性、「土《ど》」に有りて、山谷原隰に宜《よろ》しく、肇(はじ)めて氣化に由つて、爰《ここ》に、喬《きやう》・條《ぜう》・苞《ほう》・灌《くわん》の形質を受く。根葉・華實、堅脆《けんぜい》・美惡、各々《おのおの》、大極を具《そな》ふ。その色・香氣・味、區(まちまち)、品類を辨じ、果・蔬(そ)は、食に備へ、材は、藥・器に充《あ》つ。寒温・毒良は、直《ただ》しく考ふること、有り』。『分けて、「六類」と爲す。曰はく、「香」。曰はく、「喬」。曰はく、「灌」。曰はく、「寓」、曰はく、「苞」。曰はく、「襍(ざつ)」。』。

 

[やぶちゃん注:以上の二重括弧が二箇所にしたのは、「本草綱目」(基本、「漢籍リポジトリ」の原本を参考にした)を見たところ(ここの「卷三十四目録」の「木部」の冒頭部)、以下がカットされていることが判ったからである(漢字の一部を正字に代えた)。

   *

彚多識其名奚止讀詩埤以本草益啓其知乃肆蒐獵萃而類之是爲木部凡一百八十種

   *

しかも、このカットは離れ業であって、一見、おかしくなく見えるが、実は「直有考彙」と続く文を、切り離しているのである。ここは恐らく、

   *

直(ただ)しく考彙(かうゐ)[やぶちゃん注:グループに分けて考えること。]有りて、多く、其の名を識(し)る。奚(なん)ぞ、止(や)めん。詩を讀み、埤(たす)くるに、本草を以つて、益(ますます)、其の知(ち)を啓(ひら)く。乃(すなは)ち、肆蒐獵萃(ししゆうれふすい)[やぶちゃん注:「店に並ぶ物品(植物由来のもの)を蒐集し、フィールドに出て狩り集めること。」。]して、之れに類(るゐ)とし[やぶちゃん注:分類し。]、是れ、「木部」と爲す。凡そ一百八十種。

   *

と読むのであろう。

「山谷原隰」山・谷・原野・湿地。

「喬・條・苞・灌」東洋文庫の注に、『喬は丈が高く幹が太いもの』とし、「條」は『木が細く枝のようなもの』、『苞は節のある竹のようなもの、灌は丈が低く地表近くで枝がむらがり生えるもの』とある。]

 

[やぶちゃん注:以下、「香木類」の目録。原本は三段組(罫線区切り)であるが、一段で示した。縦罫は略した。下方の異名等は二行に亙るものがあるので、割注式に【 】で挟んだ。]

 

     香木類

(かえ) 【栢子仁(ハクシニン)】

(もみ)

(ひのき)

(びやくしん)

檜柏(いぶき)

(むろ)

伽羅木(きやらぼく)

(まき)

(まさき) 【髙野槇 狗槇】

仙柏(らかんまき)

(さわらぎ)

(とが) 【つが】

(まつ)

五葉松(ごえふのまつ)

落葉松(ふじまつ)

(すぎ)

肉桂(につけい)

桂心(けいしん)

桂枝(けいし)

箘桂(きんけい)

(かつら)

木犀(もくせい)

水木犀(もつこく)

木蘭(もくらん)

辛夷(こぶし)

沈香(じんこう)

奇楠(きやら)

木𮔉 (しきみ)

深山樒(みやましきみ)[やぶちゃん注:「樒」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、これにした。]

丁子(ちやうじ) 【毋丁香】

白檀(びやくだん)

降眞香(がうしんかう)

(くすのき)

(たぶ)

釣樟(くろたぶ)

樟腦(しやうなう)

霹靂木(へきれきぼく)

鳥藥(うやく)

櫰香(くはいかう)

必栗香(ひつりつかう)

(おかづら) 【大--子】

鷄冠木(かへで)

乳香(にうかう)

薰陸(くんろく)

沒藥(もつやく)

騏驎血(きりんけつ)

安息香(あんそくかう)

蘇合油(そかうゆ)

篤耨香(とくぢよくかう)

龍腦(りうなう)

阿魏(あぎ)

盧會(ろぐはひ)

胡桐淚(こどうるい)

返魂香(はんごんかう)

扉木(とべらのき)

山礬(さんばん)

瑞香(りんちやうけ)

 

 

和漢三才圖會卷八十二

         攝陽 城醫法橋寺島良安尙順

   香木類

 

Kae

 

かえ        掬   側柏

           和名加閉

【栢同】     俗云白檀

           又云唐檜葉

唐音         兒手柏

 ポツ      其材名阿須奈呂

[やぶちゃん注:後注するが、「掬」は「椈」の誤記である。]

 

本綱松柏以爲百木之長凡萬木皆向陽柏獨陰木而指

西猶鍼之指北故字從白白卽西方也俗作栢蓋此木至

堅不畏霜雪多壽之木其葉側向而生故名側柏葉上有

微赤毛其樹聳眞直其皮薄膩三月開花其花細瑣九月

結實其實成梂狀如小鈴霜後四裂中有數子大如麥粒

而芬香可愛𠙚𠙚皆有之乾州之柏子氣味豊美可也木

之文理亦大者多爲菩薩雲氣人物鳥獸狀極分明可觀

有盜得一株徑尺者値萬錢宜其子實爲貴也

 一種花柏葉 樹濃而葉成朶無子

 一種叢柏葉 樹綠色也右二種は不入藥

柏子仁【甘辛平】 肝經氣分藥也又潤腎其氣は清香能透心

 腎益脾胃蓋仙家上級藥也

側柏葉【苦微温】治吐衂痢及赤白崩血常服殺五臟蟲益

 人采其葉隨月建方取其多得月令氣此補陰之要

 藥久服之大益脾土以滋肺元且《✕→元旦》以之浸酒辟邪【牡蛎桂爲之使畏菊花及麪麹惡麹而以柏釀酒無妨恐酒米相和異單用也】

 麝香獸食柏而體香

[やぶちゃん字注:「伹」は「但」の異体字。良安は、盛んに、この異体字で書くので、この注はここで終わりとし、以下では、この字注は示さない。]

  新六帖千早振三室の山のかえの木の葉かへぬ色は君爲かも光俊

△按柏其葉似檜側向如薄片春月葉耑生小花褐色而

 不開𬽈結子梂如五倍子淺綠色冬四裂中有數子種

 之易生蓋本朝則柏少檜多中華則柏多檜少

和名抄云槲一名柏【加之波】按恐此枹字也枹柏似而傳寫

 之誤後人不得改傳誤矣【枹者檞屬見于山果部】

又俗以柏爲榧訓恐此不知柏栢同字【加閉與加夜】和訓

 相似故誤用矣

五雜組云嵩山嵩陽觀有古柏一株五人聮手抱之圍始

合漢武帝封之大將軍又唐武后亦封柏於五品太夫人

秦皇之封松而不知封柏也

 

   *

かえ        掬《きく》   側柏《そくはく》

           和名「加閉《かへ》」。

【栢同】     俗に云ふ、「白檀(ひやくだん)」。

           又、云ふ、「唐檜葉(からひば)」・

唐音        「兒手柏(このてかしは)」。

 ポツ      其の材を「阿須奈呂(あすなろ)」と名づく。

[やぶちゃん注:後注するが、「掬」は「椈」の誤記である。]

 

「本綱」に、松柏は、以つて、「百木の長」と爲す。凡そ、萬木、皆、陽に向ふ。柏、獨り、陰木にして、西に指(さ)す。猶を《✕→ほ》、鍼(はり)の北を指すがごとし。故《ゆゑ》に、字、「白」從ふ。「白」は、卽ち、西方なり。俗、「栢」に作る。蓋し、此の木、至つて堅く、霜雪《さうせつ》を畏れず。多壽の木なり。其の葉、側(かたはら)に向ひて、生《しやう》ず。故に「側柏《そくはく》」と名づく。葉の上に、微赤の毛、有り。其の樹、聳(たか)く、眞直(ますぐ)にして、其の皮、薄く、膩(あぶらづ)きて≪あり≫。三月、花を開く。其の花、細瑣《さいさ》≪にして≫、九月、實を結ぶ。其の實、「梂(ちゝり)」成≪なりて≫、狀《かたち》、小鈴《こすず》のごとし。霜≪の≫後、四つに裂(さ)けて、中に、數子、有り。大いさ、麥粒のごとくにして、芬香《ふんかう》愛すべし。𠙚𠙚《ところどころ》、皆、之れ、有り。乾州《けんしう》の柏≪の≫子《み》、氣味、豊美《ほうび》にして、可なり。木の文理《もくめ》、亦、大なる者には、多く、菩薩・雲氣・人物・鳥獸の狀を爲《な》す。極めて、分明にして、觀《み》つべし。一株を盜得《ぬすみう》ること有り、徑《わたり》尺なる者、値《あた》い《✕→ひ》、萬錢≪たりと≫。宜《よろ》しく、其の子《み》、實《じつ》に貴《き》たるなり。

 一種、「花柏葉《くははくえふ》」≪は≫、樹、濃(こまや)かにして、葉、朶≪はなぶさ≫成《なり》≪にして≫、子、無し。

 一種、「叢柏葉《さうはくえふ》」≪は≫、樹、綠色なり。

 右、二種は藥に入れず。

柏子仁(そくはくにん)【甘辛、平。】 肝經《かんけい》氣分藥なり。又、腎を潤ほす。其の氣、清香《せいか》≪にして≫、能く心腎に透《とほ》し、脾胃を益す。蓋し、仙家《せんか》の上級の藥なり。

側柏葉(そくはくえふ)【苦、微温。】吐《とけつ》・衂《はなぢ》・痢《りけつ》、及び赤《ながち》・白崩《こしけ》≪の≫血を治す。常に服すれば、五臟の蟲を殺し、人に益あり。其の葉を采《と》るに、「月建」の方(はう)に隨ひて、其れ、多く、「月令《がつりやう》」の氣を得るを、取る。此れ、「補陰」の要藥なり。久しく之れを服すれば、大いに脾土《ひど》を益し、以つて、肺を滋す。元旦に、之れを以つて、酒に浸《ひた》し、邪《じや》を辟《さ》く【牡蛎《ぼれい》・桂《けい》、之《こ》の使《し》なり。菊花及び麪《むぎ》・麹《かうじ》を畏《おそ》る。伹《ただ》し、麹を惡《にく》めども、柏を以つて、酒に釀り《✕→「釀(かも)さば」》妨《さまた》げ無し。恐らくは、酒米《さかまい》、相和《あひわ》すと、單用と、異《ことなる》とすなり。】

 麝獸《じやじう》、柏を食して、體《からだ》、香《かんば》し。

  「新六帖」

    千早振三室の山のかえの木の

        葉かへぬ色は君爲かも

                   光俊

△按≪ずるに≫、柏、其の葉、檜に似て、側《そばだちて》向《むきあふ》。薄片のごとし。春月、葉の耑(はし)に小花を生ず。褐《ちや》色にして、開かず、𬽈(す)ぐ子を結ぶ。梂(ちゝり)は「五倍子(ふし)」のごとく、淺綠色。冬、四つに裂(さ)け、中に、數子《すうし》、有り。之(こ)れを、種(ま)いて、生(は)へ易し。蓋し、本朝、則ち、柏、少なく、檜、多く、中華には、則ち、柏、多く、檜、少なし。

「和名抄」に云はく、『槲一名柏【加之波】』≪と≫。按ずるに、恐らくは、此れ、「枹≪かし≫」の字なり。「枹」と「柏」、似て、傳寫の誤≪り≫なり。後人、改むるを得ず、誤りを傳ふ。【「枹(かしは)」は「檞(くぬぎ)」の屬。「山果」の部を見よ。】

又、俗に、柏を以つて「榧(かや)」の訓を爲す。恐らくは、此れ、「柏」・「栢」、同字なることを、知らずして、【「加閉《かし》」と「加夜《かや》」と。】和訓、相ひ似たる故、誤≪と≫用ひるならん。

「五雜組」に云はく、『嵩山≪すうざん≫の嵩陽觀≪すうやうくわん≫に、古柏一株、有り。五人、手を聮(つら)ねて、之れを抱きかゝへて、圍≪めぐり≫、始めて、合ふ。漢の武帝、之れを「大將軍」に封す。又、唐の武后も亦、柏を「五品太夫人」に封ず。但し、秦皇の松を封することを知りて、柏を封することを知らざるなり。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:良安の種同定は、かなり錯雑している。例によって、李時珍の「本草綱目」の言う、当時の中国で「柏」「栢」とする種と、本邦の良安が「柏」・「かえ」・「かへ」と呼ぶ種とは、どうも違いがあることが、この錯綜を生じさせている。東洋文庫訳では、「本草綱目」の引用の「柏」に本文内訳注で、『(ヒノキ科コノデガツワ、またはシダレイトスギ)』とする。これは、

球果植物門種子植物亜門裸子植物上綱マツ綱マツ亜綱マツ目ヒノキ科ヒノキ亜科コノテガシワ属コノテガシワ Platycladus orientalis (中国北部原産と考えられているが、本邦にも古くから植栽されている)

ヒノキ亜科イトスギ属シダレイトスギ Cupressus funebris (中国揚子江沿岸に分布。本邦にも植栽されているが、かなりレアらしい)

である。時珍の実の形状の記述は、孰れとも一致する。

 しかし、本邦で現在、「柏」と言うと、全く異なった、「柏餅」でお馴染みの、

双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata

である。しかし、良安は、この「柏」について、『梂(ちゝり)は「五倍子(ふし)」のごとく、淺綠色。冬、四つに裂(さ)け、中に、數子《すうし》、有り。之(こ)れを、種(ま)いて、生(は)へ易し。蓋し、本朝、則ち、柏、少な』いとある。この「梂(ちゝり)」は頗る不審で、「梂」は通常、「いが」と読み、「毬」のことを指し、栗のイガを意味するのだが、一方、ルビの「ちちり」は松毬(球果・まつかさ・松ぼっくり)を指す語である。以下の実の形状や、本邦には植生するものが少ないというのは、カシワとは異なる種であることは論を俟たない。

 これらの不審・疑問を明らかにしてくれるのは、長岡美佐氏の論文『「柏(ハク)」と「カシハ」にみる中日文化』に若くはない。そこで、長岡氏は逐一、中国の「柏」と本邦の「柏」(今までの本「和漢三才図会」に限らず、江戸以前の本邦の本草書は殆んど「本草綱目」をバイブルとしてしまっている)について近代まで例証を掲げられて、最終的に、本邦の『本草書や古典研究者たちは「柏」の和名は「加閉〈かへ〉」であるとし、「側柏」はコノテカシハ、「扁柏」はヒノキとする説がほとんどである。また、現在の植物学者の説によれば、Juniperu(ビャクシン属)とThuja(コノテガシハ属・ネズコ属)が「柏」の主なものとして挙げられそうである』と述べておられる。ここで長岡氏が比定されたものは、

裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus

で、「Thuja(コノテガシハ属・ネズコ属)」とは先に示した、

コノテガシワ属 Platycladus のシノニム

である。しかし、では、良安が想起している「柏・かえ・かへ」の正体は、長岡氏の指摘されるビャクシン()属なのか、コノテガシワ(児手)属なのかが、気になる。実は、コノテガシワは、添えられた挿絵を見るに、大木になると、幹がそれらしくはなるが、強いひねこびた幹を形成するのは、建長寺で見た

ビャクシン属(ネズミサシ属) Juniperus 節イブキ変種イブキ Juniperus chinensis var. chinensis

によく似ているのである(同種は大木になると、幹が、しばしば、ねじれ、樹皮が、バリバリと言った感じで、縦に、細長く、破れ、剝がれる。されば、自身を破り棄てて、成長するところが、禅宗に大いに好まれたのである)。されば、個人的には同定比定としてはビャクシン属を推したいのである。

「掬」東洋文庫では、「椈」としている。他の活字本を見たが、やはり「掬」であるが、この漢字では「手ですくいとる」の意以外にはなく、東洋文庫のそれが正しい。「椈」は「かしわ」・「このてがしわ」或いは「ぶな」を指すからである。というより、「本草綱目」「卷三十四」の「木之一【香木類三十五種 内附六種】」の巻頭を飾る「栢」の「釋名」に「椈」とあるからである(「漢籍リポジトリ」のここなお、そこ以下の標題下部の異名はとんでもない別種ばかりが載るので、注をする気にならない。

『「本綱」に、松柏は、以つて、「百木の長」と爲す。……』前のリンク先を見られたいが(影印本画像もある)、「柏」の「集解」の終りの辺りと、その前にある「釋名」を、呆れるほど、グチャグチャに貼り交ぜしたトンデモ引用であることが判る。されば、引用符は附さない。向後もそうする。

「其の葉、側(かたはら)に向ひて、生ず」東洋文庫の訳では、『その葉は(広げた掌を向きあわせた格好で)側(そばだ)って生えている』とある。明快な訳である。

「側柏」中文ウィキの「コノテガシワ」相当を見られたい。「侧柏」とある。

「細瑣」小さく細やかであること。

「梂(ちゝり)」既注。

「乾州」陝西省咸陽市乾(けん)県(グーグル・マップ・データ)。

「柏子、氣味、豊美にして、可なり」ウィキの「コノテガシワ」によれば、『側柏仁(柏子仁)は、球果を採取して種子を取り出し、これを日干しして乾燥したものである』。『成分としては、脂肪油を含む』。『滋養強壮、鎮静作用があり、動悸、不眠、盗汗、便秘などに用いる』。『軽く鍋で炒ってミキサー等で粉末にしたものを』一『日量』三~十二『グラム』を三『回に分けて水や紅茶などに混ぜて飲む』。『また、不安やストレスによる不眠症や便秘に』、一『日量』二~三『グラムを』四百『ミリリットルの水で煎じて』三『回に分服してもよいが、下痢をしやすい人への服用は禁忌とされる』とあった。但し、同中文ウィキには、古代には、実ではなく、葉が救荒食物となった話が載り(『柏叶』の項)――東晋の葛洪の著名な仙道書「抱朴子」の記載によれば、秦王朝末期、各地で戦争が勃発し、空腹から逃げた逸話の記録の中に、松と柏の葉を食べることを教えた老人に会い、食べてみると、始めは苦かったが、時が経つうちに美味となり、冬も寒くなく、夏もつらくなくなり、体が丈夫になった――といった内容が書かれてあった。

「花柏葉」不詳。

「叢柏葉」「叢柏」は漢方生薬名で、ヒノキ科コノテガシワ属コノテガシワの葉及び枝が基原材で、鼻出血・喀血・吐血・血尿・血便・不正性器出血・円形脱毛症・若白髪・おりもの・空咳・百日咳などに効果があると漢方薬サイトにあった。この適応症は、後に出る「側柏仁(そくはくにん)」が「吐・衂・痢、及び赤・白崩血を治す」とあるのと、見事に一致する。しかし、「二種は藥に入れず」とあるのは不審である。確かに「漢籍リポジトリ」の「集解」中に記されてはあるのだが。

「柏子仁(そくはくにん)」「ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 No.329」の「柏子仁(ハクシジン・ハクシニン)」に神農子氏の記載で、

   《引用開始》

基源:ヒノキ科(Cupressaceae)のコノテガシワ Platycladus orientalis Franco (= Thuja orientalis L., Biota orientalis Endl.) の種仁。

 ヒノキ科の植物にコノテガシワという常緑樹があります。『牧野日本植物図鑑』には和名について、「児ノ手ガシワで、枝が直立している有様が手のひらを立てているようだから」と説明されています。実際、この植物は平面状に広がった枝を垂直方向に広げて成長し、よって枝葉の面には表裏(上下)の区別がありません。一方、近縁で良く似たヒノキは枝葉の面には明確な表裏の区別があります。コノテガシワは中国北部や朝鮮半島が原産地とされ、日本へは江戸時代に導入されました。園芸とともに薬用目的もあったと考えられます。種子の胚乳部分が「柏子仁」、枝葉が「側柏葉」(そくはくよう)と称されて、それぞれ薬用にされます。

 柏子仁は『神農本草経』に「柏実」の名称で収載され「驚悸を主治し、気を益し、風湿を除き、五臓を安んず。久しく服すれば人をして潤沢ならしめ、色を美しくし、耳目を聡明ならしめ、飢えず、老いず、身を軽くし、天年を延べる」と記載されています。また明代の『本草綱目』には「心気を養い、腎燥を潤し、魂を安んじ、魄(魂が精神活動であるのに対し、魄は肉体活動)を定め、智を益し、神を寧くする。瀝を焼いたものは頭髪を澤(つややか)にし、疥癬を治す」とあり、さらに『列仙伝』を引用して「赤松子(人名)は柏実を食い、歯が落ちて更に生え、歩行しては奔馬におよんだ」とあります。柏子仁は古来、とくに高齢者の滋養強壮薬であったことがわかります。

 原植物について、『図経本草』には「三月に花を開き、九月に子を結ぶ。成熟したものを採取して蒸し曝し、春儡(そうらい:石臼でたたく)して仁を取って用いる。その葉は側柏と名付け、密州(現在の山東省)に産するものが最も佳し。他の柏と相類するものではあるが、その葉はみな側向して生えるもので、功効は他に別して殊にすぐれている」と記載されています。また、『本草綱目』にも「柏には数種あるが、薬にいれるにはただ葉が扁にして側生するもののみを取る。故に側柏という」とあります。このような植物の特徴はまさにコノテガシワと一致しています。 

 コノテガシワは前述のようにヒノキに近縁な常緑の低木または小高木です。枝が垂直方向に分枝し平面に広がることが特徴です。葉は長さ2mm程度の鱗片状で、小枝を包むように十字対生で付着しています。雌雄同株で3月頃に開花します。雌花序は小枝の先に単生し、卵円形の毬果に成長します。毬果は径約1.5 cm、粉白緑色の革質からやがて茶色い木質になります。6〜8枚の鱗片が十字対生し、下部の対には種子が各2個、中部の対には種子が各1個入っています。

 生薬の柏子仁を得るには、初冬に成熟した種子を採集し日干します。その後、種皮を圧し砕いてふるいにかけ、種仁すなわち胚乳部分のみにして陰干します。種仁は長だ円形で長さ3〜7 mm、直径1.5〜3 mmで、新鮮なものは淡黄色から黄白色です。粒が飽満で油性があり、夾雑物がないものが良品とされます。

 柏子仁は一般的な漢方処方には配合されませんが、『本草綱目』には「奇効方」という処方が掲載され、「柏子仁、二斤を末にし、酒に浸して膏にし、棗肉三斤、白蜜、白朮末、地黄末、各一斤を擣き混ぜて弾子大の丸にする。一日三回、一丸ずつを噛んで服すると百日にして百病が癒える。久しく服すれば天年を延べ、神を壮にする」と記されています。また、同じく明代の『体仁彙編』に収載される「柏子仁養心丸」は、柏子仁、枸杞子、麦門冬、酒当帰、石菖蒲、茯神、玄参、熟地黄、甘草が配合され、労欲過度、心血の損失、精神の恍惚、夜に怪夢を多く見る、ノイローゼ、ヒステリー、健忘遺泄などの治療に用いられ、常服すれば心を寧んじ、志を定め、腎を補い、陰を滋すとされています。

 コノテガシワは現在、庭木として各地に植えられています。日本産の柏子仁は利用されていませんが、資源は少なからずあるように思います。柏子仁の優れた薬効を知るとコノテガシワを見る目も変わってきます。

   《引用終了》

とあった。

「側柏葉(そくはくえふ)」サイト「東邦大学薬学部付属薬用植物園」の「コノテガシワ」に、『生薬