かき 胡國名鎭頭迦
枾【本字】 柿【俗字】
柹【音士】
【柿音肺
削木片】
和名加岐
フウ
[やぶちゃん注:「柹」の字は、全体に異体字の「𣐈」に近いものが含まれるが、統一しないと、ただ読み難くなるだけなので、一貫して「柹」を用いた。]
本綱柹髙樹大葉圓而光澤四月開小花黃白色結實青
綠色八九月乃熟其核形扁狀如木龞子仁而硬堅其根
[やぶちゃん字注:「龞」は「鼈」の異体字。]
甚固謂之柹盤世傳柹有七絕一多壽二多陰三無鳥巢
四無蟲蠧五霜葉可玩六嘉實七落葉肥滑可以臨書也
有數種皆以核少者爲佳 著葢柹蔕下別有一重也
蒸餠柹狀如市賣蒸餠 牛心柹゚雞子鹿心皆以狀名
朱柹小而深紅 塔柹大于諸柹 大者如楪八稜梢扁
凡柹同蟹食令人腹痛作瀉如中之者服木香則解
[やぶちゃん注:「腹」の字は、原本では、(つくり)の頭が(うかんむり」)で、その下の中間部は「且」であるが、このような異体字はないので、通用字とした。]
古今醫統云柹樹按及三次則全無核
泰覺法印
著聞集霜おけるこねりの柹はおのつからふくめは消る物にそ
有ける
△按柹之澀者用灰汁灌於根則翌年無澀味矣柹老樹
中心帶黑色其柹名黑柹用堪爲噐用凡柹品類甚多
和州五所之產最勝今畿內皆移種之軆圓扁微帶方
微尖肉紅色味甘潤脆其蔕𠙚縮陷形異於諸柹其核
小肥團尖俗呼名五所柹【或名大和柹又云木煉柹】事類合壁所謂
[やぶちゃん字注:「事類合壁」の書名(短縮表記)の「壁」は「璧」の誤りであることが判明したので、訓読文では訂した。]
八稜梢扁柹此類乎畿內之外種之接之皆不佳試移
種於薩州甚澀不堪食伹甲州之産亞于和州耳
似柹【尒太利】 似五所而肥滿不扁者味大劣
伽羅柹 一名透徹柹形長圓微尖肉中如沉香木理而
味脆美亞五所柹而上品
圓座柹 形大肥圓附蔕𠙚肉起作㿔者所謂著蓋柹乎
筆柹 形小而長本草所謂鹿心柹【和名夜末加岐】是乎
樹練柹 形如鳥卵者攝津丹波多出之所謂雞子柹乎
田倉柹 形圓大於諸柹而味澀以爲醂柹所謂塔柹乎
烘柹
本綱此非謂火烘也卽青綠之生柹置器中自紅熟如烘
成澀味盡去其甘如𮔉
白柹 柹餠 柹花
又云鉤柹又云枝柹
本綱白柹卽乾柹生霜者其法用大柹去皮捻扁日晒夜
露至乾內瓮中待生白霜乃取出謂之白柹
△按白柹用澀柹連枝曝乾或繫糸晒乾初用蕎麥稭稻
藁包宿乃能生霜豫州西條之產甘美柔而如沙糖餠
備州之者次之濃州及尾州蜂屋之産長三四寸重三
十錢目許本草所謂牛心柹是乎
胡盧柹 一名豆柹卽乾柹大如頭指生淡霜硬淡甘
串柹 貫竹串乾者也或貫繩乾之共下品也
凡乾柹乃脾肺血分之果也【甘濇平】能收故有健脾澀腸
治嗽止血之功蓋大腸者肺合而胃之子也能治反
胃吐食【乾柹三枚連蒂擣爛酒服甚効切勿以佗藥襍之】治臟毒下血【乾柹燒灰飮服】治産後欬逆
△按俗傳産後七十五日忌食乾柹也然本草以爲血分
藥而産後欬逆用之聊齟齬矣宜參考
又能解酒毒 割乾柹作兩片一以塞臍縛定後飮酒連
日不醉
烏柹 俗云阿末保之
阿末者屋間也
本綱烏柹【甘溫】火𤋱乾者也凡服藥口若及嘔逆者食少
[やぶちゃん字注:「若」は「苦」の異体字。]
許卽止
△按用澀柹剥皮火𤋱懸屋間晒乾之或不火𤋱而乾亦
可並成黑色未生霜時食之烏者黑色也
醂柹 醂【音覽】藏柹也
【俗云阿波世加岐】
本綱醂柹用灰汁澡三四度令汁盡着噐中經十餘日卽
可食
△按醂柹今造法用澀柹浸石灰或蕎麥稭灰汁二三日
取出食味變甘最下品也
柹蒂 加岐乃倍太
柹蒂【濇平】 治欬逆柹蒂散【柹蒂丁香各二錢生薑五片水煎或爲末虛者加參】
欬逆者氣自臍下冲脉直上至咽膈作呃忒蹇逆之聲
柹皮 柹核
△按柹皮晒乾入用醬油煑之則汁甜美不劣於鰹煎汁
今僧家所重也
柹核長扁形如豆莢而本稍尖黃黑色中有白瓤形似飯
臿而向下伹五所柹核小肥短
*
かき 胡國には、「鎭頭迦《ちんとうか》」と名づく。
「枾」【本字。】 「柿」【俗字。】
柹【音「士」。】
【「柿」は、音「肺《はい》」。
「木を削《けづり》たる
片《へん》」なり。】
和名「加岐《かき》」。
フウ
「本綱」に曰はく、『柹《シ/かき》は髙き樹≪にして≫、大なる葉、圓《まろく》して、光澤≪有り≫。四月、小≪さき≫花を開く。黃白色。實を結ぶ。青綠色。八、九月に、乃《すなはち》、熟す。其の核《さね》の形、扁(ひらた)く、狀《かたち》、「木龞子《もくべつし》」[やぶちゃん注:後注するが、双子葉植物綱ウリ目ウリ科ツルレイシ(蔓茘枝・蔓荔枝)属ナンバンカラスウリ Momordica cochinchinensis 。取り敢えず、当該ウィキと、グーグル画像検索の学名と種をリンクさせておく。]の仁《にん》のごとくにして、硬堅≪なり≫。其の根、甚だ、固(かた)し。之れを「柹盤《しばん》」と謂ふ。世に傳ふ、「柹に七絕《しちぜつ》[やぶちゃん注:七つの優れた特異な性質。]、有り。一《い》つに、多壽《たじゆ》[やぶちゃん注:寿命が長いこと。]。二つには、多陰《たいん》[やぶちゃん注:木蔭が豊かであること。]、三つには、鳥《とり》の巢、無し[やぶちゃん注:鳥類が営巣しない。]。四《よ》つに、蟲-蠧(むし くふこと)、無し。五つに、霜《しも》の葉[やぶちゃん注:霜にうたれて黄や紅などに変色した紅葉。]、玩(もてあそ)ぶべし。六つには、嘉-實《よきみ》[やぶちゃん注:果実が美味であること。]。七つに、落葉、肥≪えて≫滑《なめら》≪かにして≫、以つて、臨書[やぶちゃん注:字を書き写すこと。]すべしなり。」≪と≫。』≪と≫。『數種、有り、皆、核《さね》少《すくな》き者を以つて、佳《よし》と爲す。』≪と≫。[やぶちゃん注:以下、柿の品種等を列挙するので、改行する。]
『「著葢柹(ちよかふ《し》)」は、蔕(へた)の下、別に一重《ひとへ》有るなり。』≪と≫。
『「蒸餠柹《じようへいし》」は、狀《かたち》、市《いち》に賣る蒸餠《むしもち》のごとし。』≪と≫。
『「牛心柹《ぎうしんし》」・『雞子≪柹≫《けいしし》』・「鹿心≪柹≫《ろくしんし》」、皆、狀《かたち》を以つて、名づく。』≪と≫。
『「朱柹《しゆし》」は、小にして、深紅なり。』≪と≫。
『「塔柹《たふし》」は、諸柹より大なり』。『大なり者は、楪(ちやつ)のごとく、八稜(《や》かど)にして、梢(すえ[やぶちゃん注:ママ。])、扁(ひらた)し。』≪と≫。
『凡そ、柹と蟹と同じく食へば、人をして腹痛≪と≫瀉《しや》を作《な》さしむ。如《も》し、之れに中《あた》れば、木香《もくかう》を服して、則ち、解す。』≪と≫。
「古今醫統」に云はく、『柹の樹、按くこと《✕→(なでさ)すること》、三次(みたび)に及べば、則《すなはち》、全《まつた》く、核(さね)、無し。』≪と≫。
「著聞集」
霜おける
こねりの柹は
おのづから
ふくめば消《きゆ》る
物にぞ有《あり》ける 泰覺法印
△按ずるに、柹《かき》の澀(しぶ)き者、灰汁(あく)を用《もちひ》て、根に灌《そそ》げば、則ち、翌年、澀味、無し。柹の老樹(をひき[やぶちゃん注:ママ。])は、中心、黑色を帶ぶ。其の柹、「黑柹《くろがき》」と名づく。≪その材を≫用ひて、噐用と爲《す》るに堪へたり。凡そ、柹の品類、甚だ、多し。和州五所《ごせ》[やぶちゃん注:現在の奈良県御所(ごせ)市(グーグル・マップ・データ)。後注するが、現在も同地原産の品種「御所柿(ごしょがき)」(ツツジ目カキノキ科カキノキ属カキノキ品種ゴショガキ Diospyros kaki 'Gosho')が名産である。]の產、最も勝《すぐ》れり。今、畿內、皆、之れ、移-種《うつしうう》。軆《てい》、圓《まろく》、扁《かたよ》り、微《やや》、方《はう》[やぶちゃん注:四角形。]を帶びて、微、尖《とが》り、肉、紅色。味、甘く、潤《うるほひ》、脆《もろし》。其の蔕《へた》の𠙚、縮(ちゞ)みて、陷(くぼ)みて、形、諸柹に異なり。其の核《さね》、小《ちさ》く、肥《こえ》、團《まろく》、尖(とが)る。俗、呼んで、「五所柹《ごせがき/ごしよがき[やぶちゃん注:地名に因むなら、前者であるが、ここの地名起源説に「三室」→「御室」→「御所」があるのに従うなら、「御所」を憚って「五所」と書いて「ごしょ」と読んだ可能性もあると考える。]》」と名づく。【或いは、「大和柹《やまとがき》」と名づく。又、云ふ、「木煉柹(こねり《がき》)」と。】「事類合璧《じるゐがつぺき》」に所謂《いはゆ》る、『八稜(やかど)にして、梢《さき》、扁《ひらたし》。』と云《いふ》柹≪は≫、此の類《るゐ》か。畿內の外《そと》≪にては≫、之れを種≪ゑ≫、之れを接ぐ≪も≫、皆、佳《よ》からず。試《こころみ》≪に≫、薩州に移種《うつしうう》るに、甚だ、澀《しぶ》く、食ふに堪へず。伹《ただ》、甲州の産、和州に亞《つ》ぐのみ。
「似柹(にたり《がき》)」【「尒太利《にたり》」。】 「五所」に似て、肥滿≪して≫、扁《ひらた》からざる者。味、大≪きに≫劣れり。
「伽羅柹(きやら《がき》)」 一名、「透徹柹(すきとほり《がき》)」。形、長《ながく》、圓《まろ》く、微《やや》、尖り、肉≪の≫中《うち》、「沉香《ぢんかう》」の木理(きめ)のごとくして、味、脆《もろ》く、美なり。「五所柹」に亞《つぎ》て、上品なり。
「圓座柹《ゑんざがき》」 形、大≪きく≫、肥《こえ》、圓《まろ》く、蔕《へた》の附《つく》る𠙚、肉、起《おこ》り、㿔《こぶ》を作《な》す者、≪「本草綱目」に≫所謂《いはゆ》る、「著蓋柹《ちよかふし》」か。
「筆柹《ふでがき》」 形、小《しやう》にして、長く、「本草」に謂《いへ》る所≪の≫、「鹿心柹《ろくしんし》」【和名、「夜末加岐《やまがき》」。】、是れか。
「樹練柹《こねりがき》」 形、鳥の卵のごとくなる者。攝津・丹波、多く、之れを出《いだす》。≪「本草綱目」に≫所謂る、「雞子柹《けいしし》」か。
「田倉柹《たくらがき》」 形、圓く、諸柹より大にして、味、澀《しぶし》。以つて、「醂柹(あはせがき)」[やぶちゃん注:本項で後で立項される。]と爲す。≪「本草綱目」に≫所謂る、「塔柹《たうし》」か。
烘柹(つつみがき)
本綱に曰はく、『此れ、「火烘《くはきやう》[やぶちゃん注:「火に炙(あぶ)ること」。]」の謂に非ざるなり。卽ち、青綠りの生柹《なまがき》を器《うつは》の中に置き、自《おのづから》、紅《くれなゐ》に熟して、烘成《あぶりなす》ごとく≪成るなり≫。澀味、盡《ことごと》く去《さり》て、甘《あまき》こと、𮔉《みつ》のごとし。』≪と≫。
白柹(つるしがき) 柹餠《しへい》 柹花《しくは》
又、云ふ、「鉤柹《つるしがき》」、又、云ふ、「枝柹《えだがき》」。
「本綱」に曰はく、『白柹《はくし》は、卽ち、乾柹《ほしがき》≪なり≫。霜[やぶちゃん注:「霜のような白い粉」の意。]の生ずる者なり。其の法、大柹を用ひて、皮を去《さり》、捻《ねぢ》り、扁《たひら》にして、日に晒し、夜露、乾くに至りて、瓮《かめ》≪の≫中に內《い》れ、白霜《しろじも》の生ずる待《まち》て、乃《すなはち》、取出《とりいだ》す。之れを、「白柹」と謂ふ。』≪と≫。
△按ずるに、「白柹」、澀柹《しぶがき》を用ひて、枝を連《つらね》≪たまま≫、曝乾《さらしほし》、或≪いは≫、糸に繫ぎ、晒乾≪す≫。初《はじめ》、蕎麥稭(《そば》がら)・稻藁を用ひて、包《つつみ》、宿《しゆくす》[やぶちゃん注:包んだままにして何日か置いておく。]。乃《すなはち》、能く、霜を生ず。豫州西條[やぶちゃん注:現在の愛媛県西条市(グーグル・マップ・データ)。後注するが、ウィキに「西条柿」があり、本品種は『干し柿としては最高級原料とされている』とある。]の產、甘美、柔《やはらか》にして、沙糖餠《さたうもち》のごとし。備州の者、之れに次ぐ。濃州、及《および》、尾州蜂屋[やぶちゃん注:現在の岐阜県美濃加茂市蜂屋町(はちやちょう:グーグル・マップ・データ)]の産は、長さ、三、四寸、重さ、三十錢目許《ばかり》あり。「本草≪綱目≫」に所謂る、「牛心柹《ぎうしんし》」、是れか。
胡盧柹(ころがき) 一名、「豆柹《まめがき》」。卽ち、乾柹≪なり≫。大いさ、頭指《とうし/ひとさしゆび[やぶちゃん注:東洋文庫訳では『指頭』とするが、それでは、異様に小さ過ぎる。]》のごとく、淡≪き≫霜、生《しやうじ》、硬く、淡《あはく》、甘し。
串柹(くしがき) 竹串に貫《つきぬき》て、乾す者なり。或いは、繩に貫きて、之れを乾す。共に下品なり。
凡そ、「乾柹」は、乃《すなはち》、脾肺の血分の果《くわ》なり。【甘濇、平。】能く收《をさむ》る故《ゆゑ》、脾を健《すこやかに》、腸を澀《しぶ》≪らせ≫[やぶちゃん注:通じを良くし。]、嗽《せき》を治《ぢし》、血を止《とむ》るの功、有り。蓋し、大腸は肺の合《がふ》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『互いに密接な関係にあること』とある。]にして、胃の子《こ》なり。能く、反胃[やぶちゃん注:朝食を夕方に吐き、夕食を、翌朝、吐く症状。]・吐食[やぶちゃん注:吐き戻し。]を治す【乾柹《ほしがき》三枚、蒂を連ね、擣-爛《つきただ》らして、酒にて服す。甚だ、効あり。切《せつに》、佗藥《たやく》[やぶちゃん注:他(ほか)の薬物。]を以つて、之れを襍《まぢらする》≪こと≫、勿《な》かれ。】。臟毒≪に據る≫下血を治す【乾柹、灰に燒きて、飮服《いんぷく》す。】。産後の欬逆《がいぎやく/しやつくり》を治す。
△按ずるに、俗、傳ふ、「産後七十五日、乾柹を食《くふ》を忌むなり。」≪と≫。然《しか》るに、「本草≪綱目≫」には、以つて、『血分の藥』と爲し、『産後の欬逆(しやくり)に、之れを用ふ。』と云ふ[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。聊《いささ》か、齟-齬(くひちが)へり。宜しく、參考すべし。
又、能く、酒毒を解す。 柹を割乾《わりほ》して、兩片《りやうへん》と作《なし》、一づゝ、以≪つて≫、臍を塞ぎ、縛(くゝ)り定め、後《のち》、酒を飮≪むこと≫、連日≪なれども≫、醉はず。
烏柹(あまぼし) 俗、云《いふ》、「阿末保之《あまぼし》」。
「阿末《あま》」とは、「屋間(あま)」なり。
「本綱」に曰はく、『烏柹《うし》【甘、溫。】火にて、𤋱(ふす)べ、乾(ほ)す者なり。凡《およそ》、藥を服して、口、若《にが》く、及《および》、嘔逆《わうぎやく》する者、少《すこし》許《ばかり》を食へば、卽ち、止む。』≪と≫。
△按ずるに、澀柹を用《もちひ》て、皮を剥(む)き、火《ひ》に𤋱《ふすべ》、屋-間《あま》に懸け、之れを晒乾《さらしほ》し、或いは、火に𤋱べずして、乾《かはか》すも亦、可なり。並《ならびに》、黑色と成り、未だ霜を生ぜざる時、之れを食ふ。「烏《ウ》」とは、「黑色」なり。
[やぶちゃん注:「屋間(あま)」「日本国語大辞典」の『あま【天】』の項の大項目の「方言」の項に、『①高い所。静岡県』、『②いろりの上につるしてある棚。福井県』・『長野県下伊那郡』・『岐阜』・『三重県飯南郡』(いいなんぐん:現在は松坂市の大部分と多気郡多気町の一部)・『対馬仁村千尋藻』(にむらちろも:現在の長崎県対馬市豊玉町千尋藻(とよたまちょうとろも)。グーグル・マップ・データ)、『③天井裏。また、天井。秋田県河辺郡』・『八丈島』・『富山県』・『石川県』・『静岡県』・『愛知県北設楽郡』・『京都府加佐郡』・『山口県防府』あった。この内、良安の事実上の守備フィールドであるのは、京都府加佐郡である。ここは現在、京都府加佐郡舞鶴市の全域・福知山市の一部・宮津市の一部に相当する。良安の情報提供者の中に、この地域の出身者がいたものと、一つは、推定される。無論、他の地方の情報ソースであっても、特段、構わない。]
醂柹(あはせがき) 「醂」は【音「覽」。】、「藏柹《くらがき》」なり。
【俗、云《いふ》、「阿波世加岐《あはせがき》」。】
「本綱」に曰はく、『「醂柹」、灰-汁《あく》を用≪ひて≫、澡(あら)ふこと、三、四度、汁、盡《つく》さしめ、噐《うつは》の中に着《つけいれ》、十餘日を經《ふ》れば、卽ち、食ふべし。』≪と≫。
△按ずるに、「醂柹」、今、造る法、澀柹を用《もちひ》、石灰、或いは、蕎麥稭《そばがら》の灰-汁《あく》に浸《ひた》すこと、二、三日、取出《とりいだ》して、食ふ。味、甘《かん》に變ず。最《もつとも》下品なり。
柹蒂(かきのへた) 「加岐乃倍太《かはのへた》」。
柹蒂(《かきの》へた)【濇、平。】 欬逆(しやくり)を治す。「柹蒂散《していさん》」【柹の蒂・丁香《ちやうかう》、各二錢[やぶちゃん注:二・七五グラム。]、生薑《しやうが》五片。水に煎じて、或いは、末《まつ》と爲す。虛[やぶちゃん注:虚弱。]の者≪には≫參《さん/にんじん》を加ふ。】。
「欬逆《しやつくり》」とは、氣、臍《へそ》の下より、脉に冲《つきてひろがり》、直《ただち》に上《あがり》て、咽《のど》・膈《かく》[やぶちゃん注:漢方で「胸の内部」、「胸と脾とを隔てる膜」を指す。]に至り、呃忒蹇逆(だあくけんぎやく)の聲《こえ/おと》を作《な》すなり。
[やぶちゃん注:この項は、「本草綱目」の「柹」の項の「柹蒂」(「漢籍リポジトリ」のここの[075-22a]の四行目以降)の内容と、ほぼ一致するが、纏まった引用ではなく、良安が整理したものであるので、引用扱いの鍵括弧は附さなかった。]
柹皮(かきのかは) 柹核(かきのさね)
△按ずるに、柹皮、晒乾《さらしほ》して、醬油に入≪れ≫用《もちひ》て、之れを煑れば、則ち、汁、甜美《かんび》≪にして≫、鰹(かつほ[やぶちゃん注:ママ。])の煎-汁(だし)に劣らず。今、僧家《そうけ》に、重んずる所なり。
柹の核は、長《ながく》、扁《ひらた》く、形、豆《まめ》の莢(さや)のごとくにして、本《もと》、稍《やや》、尖り、黃黑色≪にして≫、中≪に≫、白≪き≫瓤《わた》、有り。形、「飯臿《いひがひ》」[やぶちゃん注:杓文字(しゃもじ)。]に似て、下に向《むく》。伹《ただし》、「五所柹《ごしよがき》[やぶちゃん注:漢字表記はママ。]」の核は、小《ちさ》く、肥《こえ》て、短し。
[やぶちゃん注: この「柹」=「柿」は、日中ともに、タイプ種は、
双子葉類植物綱ツツジ目カキノキ科カキノキ属カキノキ Diospyros kaki
或いは、野生状態のものの中には、
カキノキ変種ヤマガキ Diospyros kaki var. sylvestris
がある。但し、中国産の種は、遙かに多種多様で、「維基百科」の同属「柿樹屬」には、膨大な種が記されてある。だが、これは、本邦のウィキの「カキノキ属」と同じで、中国産でない種も挙がっている。而して、それらの中から、一つ一つ、中国産のものを拾い出すことは、凡そ、私に出来る仕儀ではない。そこで、例によって、「跡見群芳譜 樹木譜 かき(柿)」にある中国産の種に限って(移入されたものもあるが、中国に渡来した年代が明らかにし得ないものが多いので、それは採らない)、以下に掲げておくこととする。引用の一部は、同サイトの独立ページから引いたものも多い。但し、それは非常な煩瑣となるので、特に指示していない。和名の不明なものは中文名をヘッドに出した)
○タマフリノキ(魂振木)Diospyros cathayensis (和名異名シセントキワガキ(四川常磐柿):『安徽・兩湖・四川・貴州・雲南に分布』。『中国では、根・葉を薬用にする』)
○五蒂柿 Diospyros corallina (『海南島産』)
○海南山柿(カイナンヤマガキ)Diospyros diversilimba (漢名『光葉柿』。『廣東・海南島産』)
○八重山黒檀(ヤエヤマコクタン)Diospyros egbert-walkeri (漢名『象牙樹』。『琉球・臺灣に分布』)
○ヤワラケガキ Diospyros eriantha(漢名『烏材』。『琉球・臺灣・兩廣・ベトナム・フィリピン・マレー半島・インドネシア産』)
○Diospyros howii (漢名『瓊南柿・鏡面柿』。『廣東・海南島産』)
○リュウキュウマメガキ(琉球豆柿)Diospyros japonica(シノニム:D. kaki var. glabra;D. lotus var. glabra;D. lotus var. japonica;D. kuroiwae;D. glaucifolia /漢名『山柿(サンシ , shānshì)』。『本州(関東南部以西)・四国・九州・臺灣・浙江・福建・江西・江蘇・安徽に分布。柿渋を採るために栽培』)
○マメガキ(豆柿)Diospyros lotus (漢名『君遷子・黑棗・柔棗・紅藍棗』。当該ウィキによれば、『東北アジア原産』。『種小名はオデュッセイアに登場するロートスの木に由来する。英名の「date plum」はデーツとプラムを合わせたような味がすることに由来する。別名は小柿』とある。本邦でも栽培されている)
○リュウキュウガキ(クサノガキ)Diospyros maritima(シノニム:D. liukiuensis 。漢名『海邊柿』。『琉球・臺灣・東南アジア・オーストラリア・ポリネシアに分布』。『果実に毒があり、魚毒・矢毒に用いる』)
○南海柿 Diospyros metcalfii
○ Diospyros mollifolia (漢名『小葉柿・紫藿香・澀藿香』)
○トキワガキ(トキワマメガキ)Diospyros morrisiana (シノニム:D. nipponica 。漢名『羅浮柿・山柿・山埤柿・野柿花』。日本の『本州(伊豆半島以西)・四国・九州・琉球・臺灣・華東・湖南・兩廣・四川・貴州・雲南産』)
○Diospyros nigricortex(漢名『黑皮柿』。『雲南産』)
○オルドガキDiospyros oldhamii(シノニム:D. sasakii;D. hayatae;D. odashimae 。漢名『紅柿』。『琉球・臺灣産』)
○アブラガキ(油柿)Diospyros oleifera(『安徽・浙江・江西・福建・湖南・兩廣産』)
○ツクバネガキ(ロウヤガキ)Diospyros rhombifolia(漢名『老鴉柿・山柿子・野山柿・野柿子』。『安徽・江蘇・浙江・福建産』)
○アカケガキ Diospyros strigosa(漢名『毛柿』。『廣東産』)
○コケモモガキ Diospyros vaccinoides(漢名『小果柿』。『廣東産』)
以下、ウィキの「カキノキ」を引く(注記号はカットし、指示せずに省略した箇所もある。下線は私が附した)。『東アジア原産の同地域固有種。日本や韓国、中国に多くの在来品種があり、特に中国・長江流域に自生している。属名のDiospyrosとはギリシャ語』(ラテン文字転写)『でdios(「神の」)+ pyros (「穀物、あるいは小麦」)から成る造語であり、「神の食物」という意味である』。『熟した果実(柿)は食用とされ、日本では果樹として、各地で広く栽培されている。果実はビタミン類や食物繊維を多く含むことから、現代では東アジア以外の地域でも栽培・消費されている。ヨーロッパ産』『ではスペインが』九『割を占め、中国に次ぐ世界第』二『位の生産国である』。『幹は家具材として用いられる。葉は茶の代わり(茶外茶)として加工され飲まれることがある。果実はタンニンを多く含み、柿渋は防腐剤として用いられる。現在では世界中の温暖な地域(渋柿は寒冷地)で栽培されている』。『学術上の植物名はカキノキ、果実はカキ、あるいは一般的に両方を含めてカキ(柿)と呼んでいる』。『和名カキノキの語源は、赤木(あかき)、暁(あかつき)の略語説、あるいは「輝き」の転訛説など諸説あるが、正確にははっきりしない。一説には、赤色に熟した実から「赤き実がなる木」が転訛したものともいわれている。原産である中国の植物名(漢名)は柿(し)である。学名は、ディオスピロス・カキ(Diospyros kaki)といい、日本から』一七八九(天明九・寛政元)『年にヨーロッパへ』。一八七〇(明治二~三年)『年に北アメリカへ伝わったことから、学名にも和名の発音と同じ kaki の名が使われている。果実は日本で食用として親しまれた果物で、英語でもカキ・フルーツ( kaki fruit )、ドイツ語やフランス語など英語圏外の大抵の地域でもカキ( kaki )の名で通っている』。『英語で柿を表すパーシモン( persimmon )の語源は、アメリカ合衆国東部の先住民(インディアン)の言語であるポウハタン語で「干し果物」を意味する名詞「ペッサミン」( putchamin, pasiminan, pessamin ) であり、先住民がアメリカガキ Diospyros virginiana の実を干して保存食としていたことに基づく』。『東アジアの日本・中国の揚子江沿岸の原産といわれている』。『日本で果樹として改良され、営農作物としては』、『北海道南部から本州・四国・九州までの各地で栽培されている。日本国外では、中国、朝鮮半島、済州島に分布する。暖地には野性があり、ヤマガキとよんでいる。カキノキは、野生種のヤマガキから作出されたという説と、古来から在来種として存在したという説とがある』。十六『世紀にポルトガル人によりヨーロッパに渡り、その後』、『アメリカ大陸にも広まった。現在、世界各地で栽培されているカキノキの品種の多くは甘柿であるが、原産地である東アジア地域では未だに渋柿も栽培されている。日本では昔から人里の民家近くに植えられていることが多く、よく手入れが行き届いて実もよくなることもあって、俗に「柿の木は竈(かまど)の煙の当たるところを好む」「根元を踏むと実がよくなる」などと言われている』。『落葉の小高木で、高さは』四~十『メートルになる。一年目の若枝には毛があり、基部には前年の芽鱗が残る。樹皮は灰褐色で、網目状に裂ける。枝は人の手が加えられないまま放って置かれると、自重で折れてしまうこともあり、折れやすい木として認知されている。葉は互生し、長さ』八~十五『センチメートルの楕円形から卵形をしていて先が尖り、表面にややつやがある。葉縁に鋸歯はない。葉柄は長さ』一『センチメートル前後で、太くて短い。秋には鮮やかな橙色から赤色に紅葉するが、一斉に色づくわけではなく、実が色づくのに前後して、葉も』一『枚』、二『枚と少しずつ色づいて落葉していく。紅葉した葉の中には、しばし』ば、『緑色の斑点が混じっているものがあるが、これは病気や虫食いによるものである』。『花期は初夏』五~六月で、『本年生』の『枝の基部近くの葉腋に花がつく。花弁は白色から淡黄色で』四『枚ある。雌雄同株であり、雌雄雑居性で雌花は点々と離れて』一『か所に』一『つ』、『黄白色のものが咲き、柱頭が』四『つに分かれた雌しべがあり、周辺には痕跡的な雄蕊がある。雄花はたくさん集まって付き、雌花よりも小さい。萼は』四『裂し、花冠は鐘形をしている。日本では』、五『月の終わり頃から』六『月にかけて』、『白黄色の地味な花をつける』。『果期は秋から初冬にかけて(』九~十二『月)。果実は柿(かき)と呼ばれ、品種によって大小様々な形があり、秋に橙色に熟す。萼(がく)は「ヘタ」とよばれ、後まで残っている。ヤマガキは』、『枝』・『葉に毛が多く、果実は小さい。柿の果実は、年によりなり方の差が大きい。果樹を叩いたり、傷つけたりすると、花芽形成が促進されて実がなることが知られ、樹木の採種園でも樹皮を円周状に傷つける環状剥皮が行われる。果実は、タヌキやサル、カラスなどにも食べられて、種子が人里近い山林に運ばれて芽を出すこともある』。『冬芽は互生し、丸みがある三角形で短毛がある。枝の先端に仮頂芽、その下には側芽がつき、芽鱗は』四、五『枚ある。葉痕は仮頂芽の背後と、側芽のすぐ下にあり、半円形で維管束痕は』一『個ある』。『農村の過疎化や高齢化などで、取られないまま放置される柿の実が増え、それらがニホンザルやニホンジカなどの野生動物の餌になっているという指摘がある。特にツキノワグマは柿の実にひきつけられて人里に出没するという』。以下、「品種」の項。『一般に実が渋い「渋柿」と、実が甘い「甘柿」に大別され、さらに渋の多寡、種子の有無、渋の抜け方でさらに完全甘柿と不完全甘柿、不完全渋柿と完全渋柿に分けられる。甘柿よりも渋柿の方が原種に近く、病虫害に強い。また、甘柿であっても接ぎ木の台木に渋柿を使う。現在』、『栽培されている品種の多くは』、十八『世紀中期』(江戸時代の中期から後期)『にはすでにあったといわれ、地方品種を含めると』一千種『を超える。品種により果実の大きさも大小あり、形状も角張っているもの、丸いもの、長いもの、平たいものなど多様である』。『食用の栽培品種のほとんどが 2n = 90 の』六『倍体であるが、一部の種なし品種(平核無(ひらたねなし)や宮崎無核(みやざきたねなし))は 2n = 135 の』九『倍体である。播種から結実までの期間は長く、諺では「桃栗三年、柿八年」とも言われるが、接ぎ木の技術を併用すると』、『実際』に『は』四『年程度で結実する。品種改良に際して甘渋は重要な要素で甘柿同士を交配しても渋柿となる場合もあり、品種選抜の効率化の観点から播種後』一『年で甘渋を判定する方法が考案されている』。『甘柿は渋柿の突然変異種と考えられて』おり、建暦三・建保元・二(一二一四)年『に現在の神奈川県川崎市麻生区にある』真言宗豊山派星宿山(せいしゅくざん)蓮華蔵院王禅寺(ここ。グーグル・マップ・データ)『で』、『偶然』、『発見された』「禅寺丸」(ぜんじまる: Diospyros kaki 'Zenjimaru' )『が、日本初の甘柿と位置づけられている。なお、中国の羅田県周囲にも羅田甜柿という甘柿が生育しており、京都大学の調査によると、日本産甘柿の形質発現は劣性遺伝であるのに対し、羅田甜柿は優性遺伝で、タンニンの制御方法も全く異なっていると分かった』。『日本の突然変異種が知られているが、アフリカのジャッカルベリー』( jackalberry:Diospyros mespiliformis )『も甘く、食用や飲用への利用、薬用、皮加工のタンニングに利用される』。『渋が元々少ない品種で樹になった状態で成熟とともに渋が抜けていくものを完全甘柿という。完全甘柿の代表的な品種は』、「富有」と「次郎」と「御所」である。「富有」は『岐阜県瑞穂市居倉が発祥で原木がある』「次郎」は『静岡県森町に住んでいた松本次郎吉に由来する』。「御所」は『奈良県御所市が発祥で、突然変異で生まれた最も古い完全甘柿である』。以下、各個品種であるが、学名は、調べても、正確と思われないものしか見当たらないものは、掲げていない。
○富有(ふゆう)Diospyros kaki 'Fuyu'(『岐阜県原産の甘柿で、明治』三五(一九〇二)『年に命名された品種。やや扁平な丸い形で、果肉はやわらかく瑞々しい』。当該ウィキを参照されたい)
○次郎(じろう)Diospyros kaki 'Jiro'(『静岡県原産の完全甘柿で、扁平で』、『尻は平らな形をしている』。十『月下旬から』十一『月中旬に成熟する』。当該ウィキを参照されたい)
○御所(ごしょ) Diospyros kaki 'Gosho'(『奈良県御所市原産の甘柿。扁平でやや方型をしている。かつては盛んに栽培されたが、富有などに取って代わられ、現代では希少な品種となっている』。当該ウィキを参照されたい)
○太秋(たいしゅう)(一九九四『年に育成された完全甘柿で、果実は約』四百『グラムもあって大きい。糖度』十六~十八『度と高いため』、『甘く、果汁が多くて瑞々しい』)
○愛秋豊(あいしゅうほう)(一九九四年品種登録)
以下、「伊豆」・「早秋」・「貴秋」・「晩御所」・「花御所」・「天神御所」が品種名のみ記されてある。以下、「不完全甘柿」の項。『種子が多く入ると』、『渋が抜けるものを不完全甘柿という。不完全甘柿の代表的な品種は、上記の禅寺丸や愛知県が発祥の筆柿などがある。太秋は』『中生種で熊本県が中心となって栽培しており、全国で急速に人気を高めている』。○禅寺丸(ぜんじまる)Diospyros kaki 'Zenjimaru'(『川崎市麻生区原産の柿で、甘柿としては日本最古の品種とされる。熟すと果肉に黒い班が入ると』、『甘柿になる』)
○筆柿(ふでがき)Diospyros kaki 'Fudegaki'(『愛知県原産の早生種で』、九『月下旬から』十『月上旬に出回る。筆先のように縦長の形をしている』)
以下、名前のみで「西村早生」がある。以下、「渋柿」の項。『渋柿は、実が熟しても果肉が固いうちは渋が残る柿である。代表的な品種は』「平核無」と「刀根早生」『である』。「平核無」は『新潟県が発祥である』「刀根早生」は『奈良県天理市の刀根淑民の農園で栽培されていた平核無から』一九五九『年に枝変わりとして見出され』、一九八〇『年に品種登録された』。以下、「不完全渋柿」の項。『種子が入っても』、『渋が一部に残るものを不完全渋柿という』。
○平核無(ひらたねなし)(『新潟県原産の不完全渋柿で、新潟では「おけさ柿」、山形では「庄内柿」「八珍」ともよばれる。果実は種なしで扁平の形をしており、果肉はなめらか』)
○刀根(とね)(『平核無(ひらたねなし)柿の変種の早生柿で、果肉はやわらかめ。出回り期は』九~十『月ごろで、ハウス栽培もおこなわれており、早いものは夏から出回る』)
○甲州百目(こうしゅうひゃくめ)(『尻すぼみ型の渋柿で約』三百『グラムと大きい。あんぽ柿の材料として知られる』)
○堂上蜂屋柿(どうじょうはちやがき)(『岐阜県美濃加茂市蜂屋町が原産の渋柿で、大ぶりな干し柿にする品種。堂上とは朝廷への昇殿を許された格をもつという意味で、平安時代から天皇や歴代将軍へ献上された歴史がある』)
○江戸柿(えどがき)(『「代白柿」ともよばれる京都産の渋柿で、京都中央卸売市場にのみ流通する。アルコールで渋抜きして、とろとろに甘い完熟柿になる』)
以上の外に途中に「蜂屋」・「富士」・「会津身知らず」の品種名が入っている。
●紀ノ川柿(きのかわがき)(『品種名ではなく、平核無柿を樹上で実をつけたままアルコール入りビニールを被せて渋抜きした柿。果肉は渋みのタンニンが固形化した黒い斑があり、甘みが強い』)
以下、「完全渋柿」の項。『種子が入っても渋が抜けないものを完全渋柿という。ただし、完全渋柿も熟柿になれば』、『渋は抜ける』。
○西条柿(さいじょうがき)(『広島県原産の渋柿で、近畿以西に多く見られる。果実は側面に』四『本のへこみが現れる独特な形をしている』)
○市田柿(いちだがき)(『長野県高森町の市田地域で栽培されてことから名付けられた在来渋柿で、長野県産干し柿を代表する品種』)
○愛宕(あたご)(『愛媛県原産の晩生品種で、長形の大型の果実は皮の色が黄色に近い。渋抜きに日数がかかり』、十一『月下旬から』『十二月上旬に出回る』)
以下、「柿の利用」の項。『柿は弥生時代以降に桃や梅、杏子などとともに栽培種が大陸から伝来したものと考えられている。鎌倉時代の考古遺跡からは立木の検出事例があり、この頃には甘柿が作られ、果実収穫を目的とした植栽が行われていたと考えられている。カキの実の食材としての旬は』九~十『月ごろとされる』。『カキの実は甘柿と渋柿があり、カキの未熟な若い実は甘柿にも渋柿にも果肉にタンニン細胞があり、渋みの原因になるタンニンが含まれている。品種によりタンニン細胞の数や形状は異なる。完全甘柿のように渋がもともと少ない品種もある。渋柿には』一~二『%のカキタンニンを含む。カキタンニンは緑茶タンニンとは異なり』、『分子量が大きく、特にたんぱく結合力が強く唾液たんぱくと結合して不溶物を生成して渋味になると考えられている』。『果実中のカキタンニンは、水に溶ける可溶性の間は味覚が渋く感じ、果実が成熟する過程で水に溶けない不溶性に変わる褐斑(かっぱん:いわゆるゴマ)になると、渋味を感じなくなって「甘柿」になる。具体的には成熟によりアセトアルデヒド』(acetaldehyde:CH3CHO)『が増えて水溶性のタンニンの間に架橋が起こりタンニンが不溶性となることで渋みを感じなくなる。甘柿の中でも、種子に関係なく甘くなるものを「完全甘柿」といい、種子が数個以上できないと渋みが抜けず』、『甘くならないものを「不完全甘柿」という。実が熟しても甘くならない「渋柿」は、アルコールや炭酸ガスで渋抜き処理をして出荷したり、干し柿にして食べられている。熟柿になると実は軟化するが、熟柿になる前の軟化していない状態でも果実中にアセトアルデヒドを生成させることで渋を抜くことができる』。『食べ方は多様で、生食するのが一般的であるが、完熟して崩れんばかりのものを賞味する場合があったり、渋柿は干し柿にしたり、柿羊羹などの菓子材料などに加工したりする。中国の北京では、冬にシャーベット状に凍ったものを食べるという食べ方もある』。『カキの実は追熟すれば甘くなるというものではなく、常温でおけば』二『日ほどでやわらかくなってしまう。生のカキの実を保存するときは、ポリ袋に入れて冷蔵保存し、熟しすぎた場合は冷凍保存する。干し柿は常温で保存できる』。『胃切除者や糖尿病患者など胃の働きが弱い者が、柿の果実を大量に食べた場合タンニン(シブオール)が胃酸と反応し』、『固まることで胃石を生じることがある。植物胃石の一種で「柿胃石」として単独で知られるほど』、『原因の割合としては多い。胃石そのものが症状を起こすわけではないものの』、『胃閉塞・腸閉塞を起こすと食欲不振・腹痛・嘔吐などを引き起こす。治療にあたっては胃石を砕く治療が行われるが、症状が軽い場合は』、『市販のコーラが病院で使われることもある。コーラの強い炭酸と強い酸が胃石を砕くとみられる』。以下、「渋抜き」の項。『渋柿の果肉ではタンニンが水溶性で渋味が強いため生食できず、渋柿を食用にするには果肉が軟らかくなった熟柿(じゅくし)になるのを待つか、タンニンを不溶性にする渋抜きの加工をする必要がある。湯やアルコールで渋を抜くことを動詞で「醂(さわ)す」といい、これらの方法で渋抜きを施した柿は「さわし柿」と呼ばれる。ほとんどの場合収穫後に渋抜き処理を行うが、品種によっては収穫前に樹上で渋抜きを行うことも出来る。渋柿のタンニンの性質は品種間で異なっており、適する渋抜き方法は異なる』。
以下、「栄養価・効能」の項の一部。『果実に含まれる主な有効成分は、グルコース・マンニットなどの糖質』十『%、ペクチン、色素のカロチノイド、カキタンニン(柿渋)などがある。栄養素としてはカロテン(体内でビタミンAになる)、ビタミンC、糖質に富み、カリウム、β-クリプトキサンチン、リコピンも多く含んでいる。ただし、干し柿に加工するとビタミンCはほとんど失われる。カロテンやβ-クリプトキサンチン、リコピンは強い抗酸化作用でがん予防によいとされる。カキタンニンはビタミンPによく似た分子構造で、毛細血管の透過性を高めて、高血圧を防ぐ効果があるといわれている。また、アルコール分解の働きがあり、飲酒前に食べると二日酔い予防になるといわれる』。『生の果実は身体を冷やすが、干し柿(柿霜:しそう)はあまり身体を冷やさないという説がある。凍結乾燥したカキの摂取実験では体表温の低下が認められており、拡張期血圧の上昇と表面血流量の減少が起きているとする研究がある。なお、柿に含まれるカリウムには利尿作用もあるが、食べ過ぎに注意すれば問題はないとされる。生の果実を薬効目的に用いるときは』「柿子(かきし)」『とも称され、生食すれば咳、二日酔いに効果があるともいわれていて、昔から酒の飲み過ぎのときに果実を食べるとよいといわれている』。
以下、「柿渋」の項。
『渋柿の汁を発酵させたものが柿渋である。萼を除いた青い未熟果を砕いてすり潰して水を加え』、二~三『日ほど放置後、布で汁を搾ったものを生渋(きしぶ)という。柿渋は、生渋をビンなど密封できる容器に詰めて半年から』一『年ほど冷暗所に置いて保存・熟成して作られるが、古いものほど珍重される』。『柿渋は、紙に塗ると』、『耐水性を持たせることができ、和傘や団扇の紙に塗られた。柿渋の塗られた紙を渋紙と呼ぶ。また、防腐用の塗料としても用いられた。石鹸の原料ともなる(柿渋石鹸)。民間療法では柿渋を柿漆(ししつ)と称して、高血圧症予防に』一『日量で柿渋』十『 ccに水』百『 ccを加えて薄めて飲んだり、猪口』一『杯をそのまま飲んだりする利用法が知られる。また湿疹、かぶれのときには、柿渋を水で』三『倍ほど薄めてガーゼに含ませ、患部に湿布する用法が知られている』。
以下、「ヘタ」(蔕・蒂)の項。
『果実のヘタを乾燥したものは柿蒂(してい、「柿蔕」とも書く)という生薬で、夏から秋にかけて未熟果の萼(ヘタ)を採って天日乾燥して調製したものである。柿蒂はしゃっくり止めに用いられ』、一『日量』八~十『グラムを水』三百~六百『ccで煎じて』三『回に分けて服用する用法が知られる』。『ヘタには、ヘミセルロースやオレイン酸、ウルソール酸などの成分が含まれ、ヘミセルロース質が胃の中で凝固することから、しゃっくり止めに使われたと考えられている』。
以下、「葉」の項。
『若葉にビタミンC、KやB類、ケンフェロール、クエルセチン、カキタンニンといったミネラル分フラボノイドなどを多く含み、血管を強化する作用や止血作用を持つとされるため、飲用する(柿葉茶)などで民間療法に古くから用いられてきた。また近年では花粉症予防に有効とされ、従来の茶葉としてだけではなく』、『成分をサプリメント等に加工され』、『商品化されたものも流通している』。五『月ころの若葉を採集して日干ししたものを「柿の葉茶」とよんでいる。咳、出血、高血圧症予防の薬効目的で茶料として飲用する方法としては、夏に採取した成葉をきざみ天日で乾燥させた葉を柿葉(しよう)と称して、炒って急須に入れてお茶代わりに飲み、常用するのがよいとされる。薬草としての葉は身体を冷やす作用があることから、冷え症の人への服用は禁忌とされる』。『また』、『その殺菌効果から押し寿司を葉で巻いた柿の葉寿司や、柿の葉餅を包むために使われる。柿の葉の抗菌物質としてポリフェノール、アスコルビン酸、タンニンが知られている』。『柔らかい初春の若葉は天ぷらにして食用にできる』。以下、「木材」の項。『木質は緻密で堅く、家具や茶道具、桶や和傘など器具の材料として利用される。芯材が黒いものは、特に珍重される。ただし、加工がやや難しく割れやすいため、建築材としては装飾用以外には使われない』。『柿木は堅い樹であるが』、『枝が突然に折れる性質があり、昔から柿の樹に登る行為は極めて危険とされている』。『黒色の縞や柄が生じ、部分的に黒色となった材はクロガキと呼ばれて珍重され、産出量が極めて少ない銘木中の銘木である』とあった。最後の部分は、良安も言及している。
既に割注でも部分を示したが、「本草綱目」の引用は、「卷三十」の「果之二」の「柹」の長い項(「漢籍リポジトリ」のここの[075-18b]以降)のパッチワークである。
「胡國」古代中国以来の北方・西方民族に対する蔑称。
「木龞子《もくべつし》」双子葉植物綱ウリ目ウリ科ツルレイシ(蔓茘枝・蔓荔枝)属ナンバンカラスウリ(南蛮烏瓜) Momordica cochinchinensis 。当該ウィキによれば、『中国南部からオーストラリア北東部、タイ王国、ラオス、ミャンマー、カンボジア、ベトナムに分布する』蔓『植物で』、『別名ナンバンキカラスウリ、モクベツシ(木鼈子)。ベトナム語の名称から』「ガック」『とも呼ばれる』。『雌雄異株』『で、果実は普通』、『長さ』十三センチメートル、『直径』十センチメートル『ほどの球形から楕円形となる。熟した果実の表面は暗橙色で短い刺におおわれ、内部の仮種皮は暗赤色である。収穫期は比較的短く』、十に『月から』一『月が最盛期となる。農村部の家の玄関や庭園の垣にからんで生えているのがよく見られる』。『ナンバンカラスウリの実は垣根に這わせている植物や自生している植物から収穫される。利用されるのは仮種皮と種子で、もち米と炊き込んでソーイ・ガック』『という濃い橙色の甘いおこわにすることが多い』。『ソーイ・ガックは、旧正月(テト)や結婚式などの慶事に供される料理である。米などと混ぜる前に、仮種皮と種子を取り出し、度数の高い酒をふりかけて下処理をすると』、『仮種皮の赤色がより鮮やかになり、種子が外れやすくなる』、本種『の果実は薬用としても利用される』とある。私は、二〇〇六年に、ヴェトナムで食したことがある。ちょっとドぎつい色だったが、美味しかった。割注同様、グーグル画像検索の学名と種をリンクさせておく。
「著葢柹(ちよかふ《し》)」不詳。中文サイトでも全く掛からない。
「蒸餠柹《じようへいし》」同前。
『「牛心柹《ぎうしんし》」カキノキの中国産の品種 Diospyros kaki 'niuxin' である。「維基百科」では「柿」(Diospyros kaki相当)の「栽培種」の最後に「牛心柿」とあるだけだが、「拼音百科」にガッツリと独立ページ「牛心柿」があり、「百度百科」にも「牛心柿」が、しっかりある。しかし、中文サイトでしばしば見受けられることなのだが、学名を記さない記事が多過ぎる。掲げた二つの記事にも、どこにも、ない、のだ。いろいろやってみて、遂に臺灣のサイト(うっかりして当のページをリンクするのを失念した(私は、毎回、パソコンをシャットダウンする際に履歴を完全削除するのを常としているため)。しかし、Diospyros kaki 'niuxin' で検索すると、多数の英文サイトで確認出来るので間違いない)で発見した。さんざん探したが、和名はないようである。
「雞子≪柹≫《けいしし》」不詳。
「鹿心≪柹≫《ろくしんし》」これは、「和名類聚鈔」の「卷十七」の「菓蓏部第二十六」の「菓類第二百二十一」に出ていた(国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の版本の当該部を参考に訓読した)。
*
柹(かき) 「說文」に云はく、『柹【音「市《シ》」。和名「賀岐《かき》」。】は、赤《あかき》実の菓《くわ》なり。』≪と≫。
鹿心柹 「兼名苑」注に云はく、『鹿心柹【和名「夜末加岐《やまかき》」。】は、柿の小《ちさく》して長《ながき》なり。』≪と≫。
*
また、江戸後期の国語辞書「倭訓栞」(わくんのしほり:全九十三巻。国学者谷川士清(たにかはことすが)編。彼の死後の翌年の安永六(一七七七)年から実に明治二〇(一八八七)年にかけて編纂・刊行されたもの)に『柹は實の赤きより名を得たるにや』とあった。これは、既に示した、カキノキ、というより、その変種とされる野生種ヤマガキに同定してよいと思う。
「朱柹《しゆし》」これはカキノキでよいだろう。「跡見群芳譜 樹木譜 かき(柿)」の「漢語別名」に『朱果』があるからである。
『「塔柹《たふし》」は、諸柹より大なり』『大なり者は、楪(ちやつ)のごとく、八稜(《や》かど)にして、梢(すえ[やぶちゃん注:ママ。])、扁(ひらた)し』まず、思ったのは、実の形状からして(「塔」は言い得て妙!)、さらに、実の味を時珍が述べていないことから、私自身の体験からしても、『如何にも、これ、シブ柿でしょ!』と思った。而して、検索したところ、「東海国立大学機構学術デジタルアーカイブ」の「伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界」の「柿樹科 柿譜」のここに(電子化されたものを、原本画像で修正した。独自に濁点・記号・読み等を加えた)、
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塔柿 ミノカキ也。美濃デ、「ツルシガキ」ニスルス「シブガキ」ナリ。状《かたち》、大《おほき》ク、長ク、四寸許《ばかり》、幅、三寸計《ばかり》。濃州ノ名產ナリ。皮ヲ去リ、乾シテ、白柿トナシ、蜂谷ハ濃州ノ地名ナリ。此柿、尾州ヨリ獻上アリ。又、藝州ヨリ白柿ヲ出ス。西城柿モ、此状也。皆、シブガキ也。
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なお、この記事は、他にも、興味深い時珍の示す柿類の、独自の比定同定(和物に当てているので、必ずしも、総てが正当とは思われないが)が記されているので、是非、見られたい。
「凡そ、柹と蟹と同じく食へば、人をして腹痛≪と≫瀉《しや》を作《な》さしむ。如《も》し、之れに中《あた》れば、木香《もくかう》を服して、則ち、解す」「JAいび川」の「柿と食べ合わせが良い食材&悪い食材とは?健康や美容にプラスになる食べ方を知ろう!」に、『カニには、さつまいもと同様に食物繊維が豊富に含まれています。そのため』、『体を冷やす働きがある柿との食べ合わせは、悪いといえます』(直前で『さつまいもには、便の排出を促し、お腹の調子を整える食物繊維が豊富に含まれています。食物繊維は消化吸収に時間がかかり、柿には体を冷やす働きがあるため、一緒に食べると胃や腸の負担が大きくなり、消化不良を起こしてしまいます』。『また』、『さつまいもには胃酸の分泌を促す働きがあり、柿に含まれるタンニンと胃酸が混ざり合うと』、『結石を形成しやすくするともいわれています』とある)。『またカニは、柿と同じで体を冷やす「寒性」という性質を持っているため、この』二『つを一緒に食べると体が冷えすぎてしまい、健康に害を及ぼす恐れがあります。これらの理由から、柿とカニの食べ合わせは、薬膳の観点でも良くないとされています』とあった。古くからの「食い合わせ」、侮るべからず、だ!
「古今醫統」複数回、既出既注。以下の話は、信じられない。
「著聞集」「霜おけるこねりの柹はおのづからふくめば消《きゆ》る物にぞ有《あり》ける」「泰覺法印」「古今著聞集」の「卷第十八」の「六三七」の「藤原季經、泰覺法印の許へ瓜を遣はして寫經を乞ひ、法印詠歌の事」に出る四首目。
*
季經卿、泰覺法印がもとへ、瓜を遣はして、
「この瓜、食ひて、これが代はりには、この『大般若』書きて。」
とて、料紙を、一兩卷、送りたりける返事に、
なめみつる五つの色の味はひも
黃蘗(きはだ)の紙に苦くなりぬる
同じ法印が家の例飯(れいはん)を米の飯にしたりければ、
人はみな米をぞ飯(いひ)にかしくめる
このみかしきは飯を米にす
亥(ゐ)の子餠を詠めりける、
何よりも心にぞつく亥の子餠
貧苦(ひんく)うすなるものと思へば
木練(こね)りの柿を詠み侍りける、
霜置ける木練りの柹はおのづから
含めば消ゆるものにぞありける
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所持する『新潮日本古典集成』(第七十六回・西尾光一・小葉保治校注)「古今著聞集 下」(昭和六一(一九八六)年)等によれば、「泰覺法印」とは、高階泰覚は法橋㤗尋の子で、三井寺の僧。和歌に長じ、元暦(げんりゃく)二(一一八五)年に三十五歳で法橋となり、後に法印となった人物。「季經卿」は公家で歌人の藤原季経(天承元(一一三一)年~承久三(一二二一)年)。左京大夫・藤原顕輔の子。官位は正三位・宮内卿。一首目は、同書の頭注訳に、『瓜はおいしくいただきましたが、写経用の五色の紙をいただいて、その中の黄色のきはだ染めの紙を見ましすっかり苦しくなりました。』とあり、注で『五色は瓜の異名。黄蘗(きはだ)の樹皮は黄色の染料。また胃腸薬とされ、苦い。』とあった。「黄蘗」はムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ変種キハダ Phellodendron amurense var. amurense である。先行する「黃蘗」を参照されたい。「例飯(れいはん)」については、『冷飯か。「米の飯」は乾飯(ほしいい)を婉曲に言うか。』とする。二首目は、『人は皆、米を煮たり蒸したりして飯にするようだが、この飯炊(めした)き人は飯をぼろぼろした食えないような固い米にしてしまう、の意か。』とし、『「みかしき」は「御炊」で、飯を炊(かし)ぐ人の意』とする。「亥の子餠」は『十月の亥の日に、万病除去および子孫繁栄を祈って食べた餅』とある。正確には、旧暦十月(=「亥」の月)の上旬の、則ち、最初の亥の日を指す。なお、「何故、十月が亥の月なのか?」ということを説明しているネット記事がまるでない。何故か、あなたは言えますか? これは、陰暦十月に北斗星が亥(北西)の方角を指すからである。第三首目は、『亥子餅は何より心をこめて搗(つ)きます。貧苦を失(う)すと言い伝えられているものと思いますので。』とある。さて、肝心の最後の歌は、『霜に当って木』に生った『ままで甘く熟した柿の実は、口に入れるとすっととろけてしまうようにうまいものです。』とある。どうも、こういう才気ヒケラカシ短歌は、私は大嫌いだ。
「事類合璧」「古今合壁(ここんがつぺき)事類備要」が正式書名。東洋文庫訳の書名注に、『宋の謝維新撰。前集六十九巻、後集八十一巻、続集五十六巻、別集九十四巻、外集六十六巻。前集は天文・地理・歳事・科挙・民事・宗教・葬祭など四』十『一門、後集は君道・臣道から宋代の官職など四』十『八門、続集は氏族・家世など六門、別集は国都・草木・鳥獣など六門、外集は礼楽・刑法・服飾・器用など』十『六門より成る百科全書。』とある。幸いにも、「漢籍リポジトリ」の「古今合璧事類備要別集卷四十八」の冒頭「菓門」の「柿 附 椑」に(一部に手を加えた。引用箇所を下線太字とした)、
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格物總論【柿朱果也數種大者如楪圓八稜稍匾次者如拳又有如牛心者有如鴨卵雞卵者又有名鹿心者又一種至小如折二錢大號爲猴柿然皆以少核者爲佳皆八九月後方熟有如南劍尤溪柿處州松陽柿最爲竒品其餘皆
不及之】
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とあった。
「似柹(にたり《がき》)」小学館「日本国語大辞典」に、『柿の品種。御所柿に似て』、『やや大きいが』、『味が劣る。』とあった。
「伽羅柹(きやら《がき》)」諸記事があるので、接合すると、カキの栽培品種で、果は扁球形で、二百~二百六十グラム。果皮は、やや暗い橙黄色を帯び、果粉が多い。果肉のゴマが沈香の木目のように詰まっていることからの名で、佐賀県原産の不完全甘柿である。福岡県筑後地方では「元山(がんざん)」と呼ばれている。三十年以上の古木にならないと本来の甘味が出ないとされる。
『「圓座柹《ゑんざがき》」形、大≪きく≫、肥《こえ》、圓《まろ》く、蔕《へた》の附《つく》る𠙚、肉、起《おこ》り、㿔《こぶ》を作《な》す者、≪「本草綱目」に≫所謂《いはゆ》る、「著蓋柹《ちよかふし》」か』「圓座柹」は小学館「日本国語大辞典」に、『柿の栽培品種。果実は円形で大きく』、蒂『のまわりの肉が高く盛り上がっていて、円座のようになっている』とある。また、』『≪「本草綱目」に≫所謂《いはゆ》る、「著蓋柹《ちよかふし》」か』とあるが、嘗つて、非常に「耳囊」の注で、お世話になった「佐渡人名録」の、「柿」に、『『羽茂町誌第三巻(近世の羽茂)』より』として、『(佐渡の古い柿)』に、『文化年中(一八〇四~一七)』『に佐渡奉行所の広間役田中従太郎が、西川明雅と共に奉行の命で書いたといわれる「佐渡志」には、佐渡の柿のことが次のように書いてある』。『「柿 和名かき所々多くあり 品類も亦甚多し 就中「栗の江」と名つくるもの殊に多し 粟野江村より出ればなり 海南甫史に所謂方蔕(へた)柿なり 又真光寺村より出るものを「だらり」と名付く 長さ三寸広さ二寸ばかりの牛心柿といふものなり 「れんげ柿」といふもの形大にして蔕の周りの肉高く出て円座したる様なり 著蓋柿』(☜)『といふものなるべし 羽茂郡に「藤内柿」あり つり柿くし柿となして奥州松前に送り交易すといふ 又方言「めめ柿」といふあり「やまかき」ともいふ 実小さくして数多く生ずるなり 猴棗(こうそう)と云ふにや 交易する時賎むなり」』と引用され、『最後の方言「めめ柿」は山柿ともいうとあるから、在来柿の総称とも受け取れよう。他の四種は佐渡を代表する柿で、それぞれ産地を名称に冠している。羽茂でも昭和初年ころまでは、これらの柿が家々にあったものであるが、「おけさ柿」の普及段階で高接更新の台木にされたり、落葉病媒体除去のために切られた。たまたま免れたものも、その後の道路拡幅等の環境整備のために切られ、はとんど見ることができなくなった』とあったが、或いは、中国産の「著蓋柿」なる種(中文サイトでは記載がない)が、佐渡に渡来していた可能性はゼロではないようにも思われる。なお、同リンク先には佐渡の別な柿類の記載が、さわにあるので、お時間のある方は、是非、見られたい。因みに、私は大の「佐渡好き」で、既に、三度、友人らと旅している。
『「筆柹《ふでがき》」 形、小《しやう》にして、長く、「本草」に謂《いへ》る所≪の≫、「鹿心柹《ろくしんし》」【和名、「夜末加岐《やまがき》」。】、是れか』先の「東海国立大学機構学術デジタルアーカイブ」の「伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界」の「柿樹科 柿譜」のここに(電子化されたものを、原本画像で修正した。独自に濁点・記号・読み等を加えた。太字・下線は私が附した)、
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著蓋子作柿 エンザカキ レンゲガキ メウタン シウタカキ越中 丸キ柿也。長《ながき》モアリ。柿ノ木ノ上ヘ、一重、坐、アリ。圓坐ヲシクガ如シ。其中、状《かたち》、丸キハ甘■シ。ミ、多シ。長キハ、澁ミアリ。熟シテ甘シ。河内ノ「靏[やぶちゃん注:「つる」。字起こしでは「霍」であるが、私は以下の叙述から「靏」の誤記と判じた。]ノ子」ト云アリ。是ハ、ズツト、大《おほき》ナ柿、「御所柿」ノ大《おほきさ》ニシテ、上ヘ、長ク、先、尖リ、蒂ノ上ニ[やぶちゃん注:「ノ」の誤記か。]クルリニ、スツト出《いづ》。圓坐ヲ、シイタ如ク、其上ニ、玉ヲ置《おく》狀《かたち》也。面白キ狀也。味、ヨシ。石州デ、「シンシメウタン」ト云《いふ》。是ヲ、ワレば、眞中ニ、小《ちさ》キ柿、入《いれ》コニシテ、一ツ、アリ。皮モ、アリ。故《ゆゑ》、「鶴ノ子」ト云。「著蓋子」ノ品類也。「牛心柿」、心ノ臟ノ狀ニシテ、大キヲ云。「京デフデガキ」・「筆ゴネリ」・「ヲソゴネリ」紀州・「霜ネリ」肥前・「ダシヌキ」越前。幅二寸斗《ばかり》、長《ながさ》三寸餘。長キ、カキ也。サキ、細ク、トガル。遲ク出《いづ》ルカキ也。色靑キ内ヨリ。食ス。澁ミ、ナク、食フベシ。十月ニ出ヅ。後、末《すゑ》カラ、ジタジタ、黃色ニ成《なる》。此類ニ、形、小キアリ、此《これ》ヲ、「イノキモ」ト云。ヤハリ、「筆ガキ」トモ云。此ハ、「鹿心柿」也。時珍ノ說。石見国津和野ニ「人丸ノ社[やぶちゃん注:字起こしは「程」。現行の津和野には同神社はないが、萩や、より津和野に近い下松市(くだまつし)桜町(さくらちょう)に「人丸神社」(グーグル・マップ・データ)があるからである。]」ニ、「筆ガキ」、アリ。其処《そこ》ノ名物也。長《ながさ》、一寸斗ニシテ、筆頭《ふでがしら》ノ狀ニシテ、他所《よそ》ニ不生《しやうぜず》ト云。ヤハリ、「鹿心柿」也。
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この和種を「鹿心柿」に同定比定しているのは、正しいか、どうかは、甚だ、心許なくはあるものの、昔の古名を挙げて満足するばかりで、真摯に考証しようとすることさえしない現代人(日中共に、である)は、文献上からの一致を自分なりに考察した伊藤圭介を、誰も、一笑に付すこと、これ、出来ないと私は強く思うのである。
『「樹練柹《こねりがき》」』『形、鳥の卵のごとくなる者。攝津・丹波、多く、之れを出《いだす》。≪「本草綱目」に≫所謂る、「雞子柹《けいしし》」か』小学館「日本国語大辞典」に、「木練柿」(こねりがき)を立項し、『①木になったままで熟し、あまくなる柿の類。木練りの柿。木練り』とする(②として『「ごしょがき(御所柿)」の異名』ともあるが、採らない)。「雞子柹《けいしし》」は不詳であるが、この良安の形状解説から、これに似た柿の種であることは間違いない。
『「田倉柹《たくらがき》」』『形、圓く、諸柹より大にして、味、澀《しぶし》。以つて、「醂柹(あはせがき)」[やぶちゃん注:本項で後で立項される。]と爲す。≪「本草綱目」に≫所謂る、「塔柹《たうし》」か』小学館「日本国語大辞典」に、「田倉柿」(但し、読みは「たくらかき」と清音)に、『柿の栽培品種。古くから大阪を中心に栽培された渋柿で、果実は中形、甘味は強いが渋抜きがややむずかしく、干柿にして用いる。』とあった。既に注した、渋柿の「塔柹《たうし》」をここに出すのは、心情的には肯ける。
「烘柹(つつみがき)」実は先に、久々に、「百度百科」でカキノキの在来種として「烘柿」として立項しているのを見出した。原産地を山西省運城市とし、『太陽光を好み、乾燥に強い』。『結実が早く、接ぎ木後三年目に結実期に入り、五月上旬に果実が成熟する』。『樹冠は幅広で卵形、枝の角度は中程度、果実の上部は果肉が薄』く、『果肉はオレンジ色』を呈するとある。但し、ここで時珍が述べているように、当時の「烘柿」は柿の種名ではなく、「百度百科」の別の「烘柿」で、ここにある通り、未熟な青柿を、容器に入れ、自然に赤く熟させる処理を指している。
「白柹(つるしがき)」「柹餠《しへい》」「柹花《しくは》」「「鉤柹《つるしがき》」「枝柹《えだがき》」「白柿」は「しろがき」で、小学館「日本国語大辞典」に、『干して白く粉をふいた柿。かきばな。』とあった。
「蕎麥稭(《そば》がら)」言うまでもないが、ナデシコ目タデ科ソバ属ソバ Fagopyrum esculentum を収穫して、数日間、天日で乾燥させ、ソバの実を取り去った後に残った殻(から)である。
「沙糖餠《さたうもち》」AIによれば、砂糖を混ぜて甘味をつけた餅のことで、西日本の多くの県では、焼き餅に醤油と砂糖をかけるのが一般的である、とある。
「胡盧柹(ころがき)」『一名、「豆柹《まめがき》」。卽ち、乾柹≪なり≫。大いさ、頭指《とうし/ひとさしゆび》のごとく、淡≪き≫霜、生《しやうじ》、硬く、淡《あはく》、甘し』「農林水産省」公式サイト内の「枯露柿(ころがき)」を引く。「主な伝承地域」は『甲州市塩山松里地区、南アルプス市』で、『枯露柿は、大きめの品種の柿を使い、水分が』二十五~三十『%ぐらいになるまで長期間干して乾燥させた干し柿である。表面には結晶化した甘み成分が白く粉を吹き、その隙間から飴色の果肉がのぞく。しっとり肉厚で羊羹のような食感と凝縮された甘さをもち、干し柿の最高峰とも呼ばれる。そのため年末年始の贈答品として人気が高い』。『乾燥しつつもしっとりと仕上がるその理由は、日光を十分に浴びながら朝夕の冷たい風で湿度を保ち、じっくり熟成されるため。枯露柿のこの美しさとおいしさは、松里地区ならではの風土と、長い生産の歴史の賜物といえる』。『甲州市塩山の松里地区ではまた、毎年』十一月から十二『月初旬頃、民家の軒先や庭で枯露柿が吊るされ、柿のオレンジ色のカーテンのように美しく彩られる。この姿は晩秋・初冬の甲州市の風物詩となっている』。『なお、同じ干し柿でも水分を』五十『%前後残すものを』、「あんぽ柿」『と呼ぶ。枯露柿より色鮮やかで、ゼリーのような食感が特徴である』。『武田信玄の奨励により、保存食として生産が広まったとされる枯露柿は、江戸時代には甲州名産の一つに数えられ、幕府への献上品にも使われた』。『皮をむいた柿を並べて棚干しする際、日光がまんべんなく当たるよう、ころころ転がして位置を変えるところから、その名がついたとされる』(☜)。『使用するのは主に甲州市産の甲州百目柿。元々は「甲州百匁柿」と呼ばれ、百匁(ひゃくもんめ』/約三百七十五グラム『)の名前の通り』、一『個』四百グラム『を超える大きな渋柿である』。昭和四〇(一九六五)『年頃まで、柿の皮むきは』、『近所の女衆が大勢集まっての夜なべ仕事とされていた。夜中の』十二~一『時頃まで行った後、小豆粥をみんなで食べて解散したという話も伝わる』。「製造方法」の項。十一『月上旬、赤くなった柿の柄の部分をT字に残して収穫し、ヘタなどを取り除いて皮をむく。燻蒸した後、タコ糸やビニール紐を輪っかに結び、T字の柄をかけて柿を結ぶ。竿に吊るし、カーテンのように約』十四~二十『日ほど、軒先で天日干しする。あんぽ柿(表面が乾き、中が柔らかくなった状態)になったら、果肉と種をつなぐ繊維を切り離すイメージで軽く揉み、竿から下ろして平置きし、さらに天日干しする。以降』、七~十『日間ほど、揉み作業ところころと転がす作業を毎日繰り返しながら乾燥させ、形を整えていく。十分に乾燥し、表面に白い粉が吹いたら出来上がり』とある。「保護・継承の取り組み」の項。『江戸時代後期の屋敷構えをそのまま歴史公園として活用する旧高野家住宅(甘草屋敷)でも、毎年枯露柿が干され、その様子を誰もが見学できるようになっている』。『特産品を扱う店舗などで売られ、木箱に入った贈答用のものが多く並ぶが、インターネットで比較的気軽に購入できるものもある』。「主な食べ方」の項。『深みのある甘さを、そのままお茶請けで楽しむのが一般的だが、おせち料理の「なます」に入れて「柿なます」にするほか、硬くなったものは天ぷらにすることもある』とあり、写真もレシピ完備した素敵なページで、オロロいたわい! ネットを始めて十九年、膨大な電子テクストを書いてきたが、農林水産省の記事を引用したのは、これが、初めてじゃ! ようやった! 褒めて遣わす!
「烏柹(あまぼし) 俗、云《いふ》、「阿末保之《あまぼし》」。
「阿末《あま》」とは、「屋間(あま)」なり。
「本綱」曰はく、『烏柹《うし》【甘、溫。】火𤋱乾者也凡服藥口若及嘔逆者食少許卽止
△按用澀柹剥皮火𤋱懸屋間晒乾之或不火𤋱而乾亦
可並成黑色未生霜時食之烏者黑色也
[やぶちゃん注:「屋間(あま)」「日本国語大辞典」の『あま【天】』の項の大項目の「方言」の項に、『①高い所。静岡県』、『②いろりの上につるしてある棚。福井県』・『長野県下伊那郡』・『岐阜』・『三重県飯南郡』(いいなんぐん:現在は松坂市の大部分と多気郡多気町の一部)・『対馬仁村千尋藻』(にむらちろも:現在の長崎県対馬市豊玉町千尋藻(とよたまちょうとろも)。グーグル・マップ・データ)、『③天井裏。また、天井。秋田県河辺郡』・『八丈島』・『富山県』・『石川県』・『静岡県』・『愛知県北設楽郡』・『京都府加佐郡』・『山口県防府』あった。この内、良安の事実上の守備フィールドであるのは、京都府加佐郡である。ここは現在、京都府加佐郡舞鶴市の全域・福知山市の一部・宮津市の一部に相当する。良安の情報提供者の中に、この地域の出身者がいたものと、一つは、推定される。無論、他の地方の情報ソースであっても、特段、構わない。]
「醂柹(あはせがき)」小学館「日本国語大辞典」に、『醂柿』で読みを「さはしがき」(現代仮名遣「さわしがき」)とし、『渋を取り去った柿。焼酎(しょうちゅう)か』、『湯をかけて渋を抜く。さわしらがき。さわせがき。たるがき。』とあった(別に単に『熟した柿』の意もあるとする)。
「柹蒂散《していさん》」
「丁香《ちやうかう》」これは、所謂、「クローブ」(Clove)のことで、バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum である。一般に知られた加工材のそれは、本種の蕾を乾燥したものを指し、漢方薬で芳香健胃剤として用いる生薬の一つであり、また、現行の肉料理等にも、よく使用される香料である。先行する「丁子」を見られたい。
各二錢[やぶちゃん注:二・七五グラム。]、生薑《しやうが》五片。水に煎じて、或いは、末《まつ》と爲す。虛[やぶちゃん注:虚弱。]の者≪には≫參《さん/にんじん》を加ふ。】。
「呃忒蹇逆(だあくけんぎやく)の聲《こえ/おと》を作《な》すなり」東洋文庫訳の「呃忒蹇逆」のルビは『(つまつたとりのようなこえ)』(同書は一九九〇年発行であるから、ルビは促音になっていない)である。則ち、ここは、
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「欬逆(しゃっくり)」とは、体内の気が、臍(へそ)の下から、脈に附き、上方へと広がって行き、直ちにに上へと昇ってきて、咽(のど)や胸の内部へと到達してしまい、その結果として、「呃忒蹇逆(だあくけんぎゃく)」=「喉が詰まってしまった鳥が出すような「ギャッツ!」という声を発する病態を言うのである。」
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という意味である。うむ! 見事な表現じゃ、おぬし、出来るなッツ!
「僧家《そうけ》に、重んずる所なり」タテマエは殺生禁断で、生臭さ物はアウトだから、これは、マジ、重宝! 重宝! 今度、僕もやってみようっと!]