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2026/03/17

立原道造草稿詩篇 (林のなかに……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (林のなかに……)

 

林のなかにぎぼうしゆが眞白い花を咲いたとか

冬のさなかに きたけれども

夢みる心に疲れてゐたのか その鼻さへも目には浮ばず

なにかこせこせ悲しい顏つきの白茶けたあの鼠ばかりが

壁をやぶいて すきとほつた眼でぢつと見てゐた

こんな僕ではなかつたとぢつと考へてみるけれども

ああ その花さへも目には浮ばず

 

 

[やぶちゃん注:昭和十年、及び、それ以前でも冬に軽井沢に行った形跡は年譜上は、ないので、不審。

「ぎぼうしゆ」単子葉植物綱キジカクシ(雉隠)目キジカクシ科リュウゼツラン(竜舌蘭)亜科ギボウシ(擬宝珠)属 Hosta の複数の種を指すが、恐らくは、オオバギボウシ変種オオバギボウシ Hosta sieboldiana var. sieboldiana であろう。山岳部の顧問をしていた頃は、よく見た。詳しくは当該ウィキを見られたい。しかし、開花は夏で、冬に咲くのは、トンデモない狂い咲きである。

「なにかこせこせ悲しい顏つきの白茶けたあの鼠ばかりが」「壁をやぶいて すきとほつた眼でぢつと見てゐた」これは、家鼠の内の、哺乳綱ネズミ目ネズミ上科ネズミ科ハツカネズミ属ハツカネズミ Mus musculus である。]

立原道造草稿詩篇 (かつてひとりが……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (かつてひとりが……)

 

かつてひとりがいはなかつたか

お前はもうゆるされてゐないと。

それは冬のうすい日のさす午後だつた

いつまでもそのやうにひとりは

水に映つたかげをたのしんでゐた

それから顏をあげていはなかつたか

お前に歌ふすべはなからうと。

それは突然に來た不思議であつたか

もう知る者はないだらうか――。

私は池のほとりに歸つて來る

それから尋ねる 答を貰ふために

私は空を眺めたる水を眺めたりする

それから呟く 何事もなかつたと

自分でもうそだと知りながら それだけのことを。

 

立原道造草稿詩篇 (それは雨の……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこに、『消去された』『第三聯がある。』としてそれが記されてあったので、それで【初稿】を復元した。]

 

【初稿】

 

  (それは雨の……)

 

それは雨のはげしい夜だつた

私たちは火鉢のそばでその物音に

もう話のなくなつた耳を借してゐた

一つも聞き洩らすことのないやうに

 

雨が何を語つたか 私たちが何を語つたか

誰もがそれを忘れてゐた ふだんのやうに

長い長いしづかさだつた

 

おそらくあの夜 空に消えた千の雨粒

私たちは光りながら死ぬのだらうと

誰が誰に小聲で語つたのだらうか

 

 

【決定草稿】

 

  (それは雨の……)

 

それは雨のはげしい夜だつた

私たちは火鉢のそばでその物音に

もう話のなくなつた耳を借してゐた

一つも聞き洩らすことのないやうに

 

雨が何を語つたか 私たちが何を語つたか

誰もがそれを忘れてゐた ふだんのやうに

長い長いしづかさだつた

 

おそらくあの夜 空に消えた千の雨粒

私たちは光りながら死ぬのだらうと

誰が誰に小聲で語つたのだらうか

 

 

[やぶちゃん注:恐らく、初稿に第三聯は削除線が三行に亙ってあり、新たに書き直したものなのであろうが、結果して、最初の一行の「おそらくあの夜」を「おそらく あの夜」としただけであったということになる。]

立原道造草稿詩篇 (大きな町の上に……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこに、第十一行目の初稿が記されてあるので、それで復元した。]

 

【初稿】

 

  (大きな町の上に……)

 

大きな町の上に空があり

かかはりもなく雲と雲はしづかに

風に送られ日暮れの色をうべてゐた

僕は見てゐた

(ああ 僕は人を呼んでゐる)

鳶色に紫まぜた靄が包んで行くと

あかりがひとつひとつともり きらめき

もう町の騷ぎを聞かなかつた

(ひとりぐらしを平和がささへる)

どこへ走つて行つたか

うすい色の空の上に白かつた

ああ さがしたが 町中一面に

じれつたくなり月が光を增して行つた

 

 

【決定草稿】

 

  (大きな町の上に……)

 

大きな町の上に空があり

かかはりもなく雲と雲はしづかに

風に送られ日暮れの色をうべてゐた

僕は見てゐた

(ああ 僕は人を呼んでゐる)

鳶色に紫まぜた靄が包んで行くと

あかりがひとつひとつともり きらめき

もう町の騷ぎを聞かなかつた

(ひとりぐらしを平和がささへる)

どこへ走つて行つたか

うすい色の月が光を增して行つた

 

立原道造草稿詩篇 峠

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  峠

 

叢に風が明るく 空が澄むと

 

花を摘みながら 峠にのぼる

 

峠は 赤茶の火山に向いてゐるが

 

火山は靑空にぴつたりと觸れ遠い煙を吐いてゐる

 

それが實にしづかに誰にも信じられない

 

 

[やぶちゃん注:「峠」は、恐らく碓氷峠であろう。但し、本詩群の想定時期は昭和一〇(一九三五)年の四~五月であり、年譜を見るに、この頃、道造は軽井沢にはいないから、前年の夏の体験を回想したものと思われる。因みに、「火山は靑空にぴつたりと觸れ遠い煙を吐いてゐる」とあるが、実は、この昭和一〇年八月五日に浅間山が爆発しており、道造は追分におり、初めて立ち合っている。]

立原道造草稿詩篇 脫殼

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  脫殼

 

 これは何だらうと手にとると、靑い海の形をしてゐた。しばらくじつと眺めたが、どうしてもわからなかつた。そばにゐた友だちにたづねれば、友だちはやはり手にとつて、しばらく考へてゐた。

 

 あくる日、砂濱に寢ころんで、昨日のことを思ひだした。突然にわかつたことは、海の脫殼を拾つたことだつた。あのとき捨ててしまつたのが急に殘念でたまらなかつた。

 

 

[やぶちゃん注:「脫殼」「ぬけがら」。]

立原道造草稿詩篇 春  【「春」の裏側に書かれた全くの別草稿】(母は呼びつづけた……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこには、裏面に鉛筆書きの下書き「子供はとうとう」』(後の「とう」は踊り字「〱」。なお、ママである。「とうとう」は厳密には歴史的仮名遣では「たうとう」である)『(無題・第六巻所収)がある。』とある。私は、同全集の「草稿詩篇」と「下書き」の区別が、どうしても納得出来ないでいる。「草稿詩篇」の「後期」は、概ね、杉浦明平編の「立原道造詩集」を元に電子化しているので、その検証を終わったら、「下書き」の部分も電子化しようとは思っている。しかし、ここで、敢えて注で、裏に書かれているとされてしまうと、同時期に書かれた「草稿」と私は見做す。されば、特異的に、それ(「第六卷 雜纂」の「下書き草稿篇」のここの右丁上段)を【「春」の裏側に書かれた全くの別草稿】として、「春」の後に四行空けて、電子化して添えることとする。「とうとう」は、そのまま用いた。――但し、堀內氏の注記載は、おかしい。リンク先を見て貰えば判るが、これは、無題であり、「子供はとうとう」ではない。そちらでは、冒頭の「母は呼びつづけた」を仮題としている。私はそれを仮題とする。

 

  春

 

願ひに近く 僕は不確かに

明日の來るのを待つてゐる

もうそれは僕に手をのばす

 

風は季節のやうに美しい

うたはない者はゐなかつたか

僕は 聞く 風が頰を吹いて行く

僕は 笑ひながらやさしくなる

 

明日は旅に立ち 僕は

山の向うに越えて行く

もうそれは僕に花を散らす

花びらを手に拾ふと

僕は 明日が來るのを知つてゐる

 

 

 

 

【「春」の裏側に書かれた全くの別草稿】

 

 (母は呼びつづけた……)

 

 母は呼びつづけた。坊やおあしを持つてゐるかいと。

 子供はとほく返事した、持つてるよ。母は何度もききあやまつた。彼女は呼ぶのをやめなかつた。

 子供はとうとう母のそばに來た。

 母は彼にいくらかの金を與へた。そしてまた安心したやうに幼い女の子ともとの道を歸つて行つた。

 もう晝の色はうすぐらくなつてゐた。花のにほひが、水つぽくあたりにまざつてゐた。

 子供のラツパの音がまた聞こえた。

 私はベンチを立ち去つた。

 

立原道造草稿詩篇 季節

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  季節

 

春になると

人はおもてに出る

荒れた芝生にまりを投げ

犬とあそぶ

いいにほひがする

 

夜になると

あかりをつけてはなしをする

靄がおりたといひ

しづかに本を讀むことがある

 

立原道造草稿詩篇 鏡の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  鏡の歌

 

はやい速さできれぎれの光に襲はれ

僕は風のやうにおし流される

ほんとうの近くに僕は僕にも捕へられず

僕は捕へられてゐる 光と一しよに

線をみだした闇の向うに

 

何もかもはてしなく終りを知らず

選ぶことなく疲れは疲れを 花は花を

やがてしづかに一刻に支へられ

光の奥に光よりもかがやき

僕はすべてを見つめはじめる

 

立原道造草稿詩篇 もし鳥だつたなら

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  もし鳥だつたなら

 

 もし鳥だつたなら、ギリシヤの柱のてつぺんで、朝日の歌をうたはう。橄欖に包まれた神殿に隅まで明るい朝日、そのなかで死ぬまで心をはりつめて。

 もし鳥だつたなら、そのとき靑空に落ちて行くだらう。言葉だけたよつてそんな一生の終りにさへ自分は近くゐるのだと、考へられるから。さうして鳥の形をした雲になり、またあたらしい歌をうたはう。

 もし鳥だつたなら、ああ、日每に千の歌をかへてうたはう。朝日の歌を。朝日は翼を磨いてゐる、もう僕は後悔の鳥ではない。ギリシヤの柱に、きらきらする歌をうたはう。

 

立原道造草稿詩篇 少年の日

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それによれば、第二聯の初稿が示されてある。確認するに、そこには右傍線が引かれているが、そこが、決定稿と異なっているから、この傍線は編者である堀內達夫氏が違っている箇所に打ったものと判断出来るので、傍線は示さない。それを【初稿】として復元した。]

 

【初稿】

 

  少年の日

 

望みのそばで 僕は不確かに

明日の來るのを待つてゐる

もうそれは僕に手をのばす かぞへきれないよろこびと

僕は聞く 風が頰を吹いて行く 風は季節のやうに美しい

 

旅に立つだらう 山を越えるだらう

僕はひとりでとほく行くだらう

もうそれは僕に花を散らす 花びらを手にとると

僕は明日を感じる 夕暮の木のやうに 僕は笑ひながらやさしくなる

 

 

【決定稿】

 

  少年の日

 

望みのそばで 僕は不確かに

明日の來るのを待つてゐる

もうそれは僕に手をのばす かぞへきれないよろこびと

僕は聞く 風が頰を吹いて行く 風は季節のやうに美しい

 

もう行くだらう 山を越えるだらう

僕はひとりでとほく行くだらう

もうそれは僕に花を散らす 花びらを手にとると

僕は明日を感じる 夕暮の木のやうに やさしく笑ひながら

 

立原道造草稿詩篇 少年

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  少年

 

祭りの外に生きてゐた

かぞへきれない明日と

僕は ひとりのなかにゐた

 

思ひ出すことをすこしだけしか持たなかつたら

うたつた歌はうたはれない歌を呼び

とほくには僕が生きられると思つてゐた

 

問をやめ目をとぢて窓もなく遠のくうすらあかりに

不確かに僕は捕へられてゐた

長いやさしい呟きだつた

 

立原道造草稿詩篇 鄕愁

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、この「鄕愁」から「(大きな町の上に……)」までの九篇は、『制作時か昭和10年春頃制作の草稿詩「燕の歌🉂」(第一巻所収、編注P413 参照)を含むことに拠り』、『昭和10年4、5月頃と想定する。』とあり、その指示する箇所はここである。続いて、『これに属する他ジャンルの草稿は小品「出發」(対応分類記号d・第六巻所収)のみである。』とある。こちらは、これである。]

 

  鄕愁

 

明るい谷に僕は生れた

豹としぶきと樺の若葉が

十歲の僕の遊び場だつた

 

歸つて來てはいけなかつた

丸木橋で泡立つ流れに見とれたが

ああ何とボロなことだらう

 

僕は十歲でこはれてしまつた

生れた朝に死んでゐた

それ故僕はあはれな人間なのだ

 

岩よ しづかにしてゐてくれ

僕は今では遊ばないのだ

僕は水に彫らねばならぬ

 

谷が年より老ひぼれたのか

千年の雲は流れて歸らずと

これが僕の墓碑銘だ

 

 

[やぶちゃん注:「豹」に違和感がある。当初、石器時代に生まれた「僕」という空想かとも思ったが、詩の全体のニュアンスにそれを求めることは、出来にくい。敢えて言うなら、最終聯が、それらしく見えるかもしれないが、「千年」前では、豹はおらんし……。或いは、例えば、「貓」(「猫」の異体字)判読の誤りかと思ったが、底本全集を横断検索した限りでは、彼は「貓」どころか、「猫」を詠んだものを全く見出せないし、「苗」は逆立ちしも、この崩し字にはならない。頼みの何時も使っている「くずし字検索」が繋がらない。万事休す。ただ、前注で示した同時期の「出發」を見ると、主人公「僕」は「鏡」とじゃれあっているシークエンスが延々と書かれている。『……或いは、「豹」は「鏡」のひどい殴り書きを誤判読したのではないか?……』と、ふと思った。識者の御意見を求むものである。

立原道造草稿詩篇 (くらい想念を……)

立原道造草稿詩篇 (くらい想念を……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、『モチーフは『ノート 昭和十年――十三年』の10年4月7日(第四巻P134)の「僕は暗い想念を輕蔑しながら僕の平和はぢきに暗くなる。」に対応するものと思われる。従って制作時は昭和10年4月と想定する。』とある。指示する箇所はここである。]

 

  (くらい想念を……)

 

 くらい想念を輕蔑しながら、私の幸福と平和は、いつもくらい。くらい平和のなかで、私の笑ひはいつも瘠せてゐる。くらい幸福のなかで、私の歌はいつも折れてゐる。私は、それを信じない。私は、別なものにまで、あせつて行く。くらい想念を輕蔑しながら。

 

2026/03/16

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その2)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。書名は、既に本電子化注で出たものは書名注を再掲しないつもりだったが、大分、時間が経過しているので、一部は再掲した。]

 

 「本草綱目」「閩書(びんしよ[やぶちゃん注:原本は『みんしよ』であるが、訂した。])」「廣東新語(カントンしんご)」其他の本草書、府縣志等(とう)にも、『石花菜(せつくわさい)』、一名、『瓊枝(けいし)』は沙石(させき)の間(あいひだ)に生じ、高(たかさ)二、三寸、珊瑚の如く紅白の二色(ふたいろ)ありて、枝上(えだのさき)に細齒(さいし)あり。一種、畧(ほゞ)、大にして、面(おもて)、鷄爪(けいさう)に似たるを『鷄脚菜(けいきやくさい)』といひ、白色(はくしよく)なるを『瓊枝(けいし)』といひ、紅色(こうしよく)なるを『草珊瑚(さうさんご)』と稱し、煮て、凝結(こゞら)せ、食する等(とう)を載せたるは、我が『ところてん』に疑ふ可らざるを以て、先哲は、之に充てたるなるへし[やぶちゃん注:ママ。]。而して、今、淸國產の『石花菜』を見るに、本邦の『つのまた』にて、『牛毛菜(ぎうもうさい)』が、本邦の『ところてんくさ』なり。茲(こゝ)に於て、又、疑(うたがひ)を生し[やぶちゃん注:ママ。]たりしが、「本草綱目拾遺」に、『麒麟菜(きりんさい)は瓊枝菜の類(るい)なり。一種、石花菜あり。又、細く、牛毛の如きものを牛毛(ぎうもう)とす。』。而して、淸國より來(きた)る『騏菜(きさい)』を見るに、『琉球角股(りうきうつのまた)』にして、三種を混稱することあるが如し。本草書・府縣志等(とう)各書に、夏月(かげつ)、煮沸(にわか)して、凝結せしめ、或は、膠凍(りやうとう[やぶちゃん注:ママ。「こうとう」が正しい。])となす、といひ、或は、『瓊脂(けいし)』と稱し、「本草綱目拾遺」には、『石花膏(せつくわこう)』等の製法ありて、薑酢(しやうがす)等(とう)を以て、廣く、食用に供することを載せたり。面して、現今、藻(くさ)のまゝ、本邦よりも輸出し、之を賣買するには、皆、『石花菜』の稱を以てせり。

[やぶちゃん注:「本草綱目」今年正月からアクセス不具合であった「漢籍リポジトリ」が回復したので、それで示すと、ここの「卷二十八」の「菜之三【蓏菜類一十一種 內附一種】」で、ガイド・ナンバー[071-22b]の五行目以下。一部に手を加えた。

   *

石花菜【食鑑】

 釋名璚枝【時珍曰並以形名也】

 集解【時珍曰石花菜生南海沙石間高二三寸狀如珊瑚有紅白二色枝上有細齒以沸湯泡去砂屑沃以薑醋食之甚脆其根埋沙中可再生枝也一種稍粗而似雞爪者謂之雞脚菜味更佳二物久浸皆化成膠凍也郭璞海賦所謂水物則玉珧海月土肉石華卽此物也】

 氣味甘鹹大寒滑無毒主治去上焦浮熱發下部虛

 寒【寗原】

   *

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南產志」(びんしょなんざんし)。一六〇八年成立。「中國哲學書電子化計劃」の「閩書」で「明府」で検索すると、結果して、「石介屬判」に、

石花菜生海礁上性寒夏月煮之成凍

   *

とあった。

「廣東新語」全二十八巻。広東地方の百科全書。これは、「中國哲學書電子化計劃」で「卷五 石語」にあるのだが、これ、ちゃんと読めたわけではないが、このパート、どうも珊瑚類、或いは、類似した石灰質を含んだ海藻類に就いて述べているように思われ、当該部は、そのまま示すと、

   *

青花明顯,如石花菜者,石工稱為芊紋,品中中◦

   *

とあるだけで、これは当該対象の性質の比喩として述べているに過ぎず、「石花菜」そのものを記載しているのではないから、資料になり得ないものと判断した。

「鷄爪(けいさう)」ニワトリの蹴爪(けづめ)。

「つのまた」紅藻植物門紅藻綱真性紅藻亜綱スギノリ目スギノリ科ツノマタ属ツノマタ Chondrus ocellatus「大和本草卷之八 草之四 鹿角菜(ツノマタ)及び海藻総論後記」の私の「鹿角菜(ツノマタ)」の注を参照されたい。

「『牛毛菜(ぎうもうさい)』が、本邦の『ところてんくさ』なり」「百度百科」の「牛毛菜」に学名を

『石花菜( Gelidium amansiiLamouroux Lamouroux,1813)』

とするが、これは、本邦の、

紅藻植物門真正紅藻亜門真正紅藻綱マサゴシバリ(真砂縛り)亜綱テングサ目テングサ科テングサ属マクサ(真草)Gelidium elegans Kützing 1868

のシノニムである(鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌」の「マクサ Gelidium elegans で確認した)。

「本草綱目拾遺」淸の本草家趙学敏が、一八〇〇年頃に「本草綱目」の誤りを正したもの。当該部は、「維基文庫」のここで、以下のように出る。一部の漢字に手を入れ、半角字空けを詰めた。

   *

諸蔬部

麒麟菜

出海濱石上,亦如枝菜之類,瓊州府海濱亦產。周海山煌琉璃國志載:雞脚菜、麒麟菜,皆生海邊沙地上,又名鹿角菜。今人蔬食中多用之,煮食亦酥脆,又可煮化爲膏,切片食。綱目鹿角菜云:甘大寒滑。陳芝山食物宜忌云:微鹹性平,大有消痰功用。瀕湖反引孟洗一說,以爲有微毒,不可久食,能發痼疾;且其主治,只載下食風氣,小兒骨蒸,治丹石熱結,解面毒,何昧其功用乃爾耶,兹特表之;朱排山《柑園小識》:石花菜生海中沙石間,高二、三寸,狀如珊瑚,有紅、白二種,洗去沙土,煮化凝成膏,糟醬俱佳。又有細如牛毛者,呼牛毛石花,味稍劣。郭璞海賦所謂土肉石華是也。味鹹性平,消痰如神,能化一切痰結痞積痔毒。敏按:盛京志龍須菜生于東南海濱石上,叢生,狀如柳根,長者至尺余,白色,以醋浸食,亦佳蔬也,土人呼爲麒麟菜,出金州海邊。鹿角菜生東南海中,大如鐵線,分丫如鹿角,紫黃色,乾之爲海錯,水洗醋拌,則如新味,今金州海邊有之,據志則似一類二種也。石花膏毛世洪養生集:治辛苦勞碌之人,或嗜酒多欲,忽生外痔,發作疼痛,步履難移。服此,或大便瀉一遍,或不瀉,亦卽止痛,可以行走;再用搽洗等藥,自能斷根。用麒麟菜洗去灰一兩,用天泉水煮烊,和白糖五錢食之。此方乃李治運臬司傳靈隱寺僧。杭人蕭成子患此症,僧往候,授以此方,服之隨愈。予記之,後治數人多效。

   *

「琉球角股(りうきうつのまた)」これは、

スギノリ目ミリン(漢字表記は「味醂」のようである)科キリンサイ(麒麟菜)属キリンサイ Eucheuma denticulatum

の異名である。平凡社「世界大百科事典」に拠れば、『熱帯および亜熱帯に多く生育する海藻で,1020cmの大きさの軟骨質のミリン科の紅藻。体は初め』、『円柱状であるが,後に不規則に分枝し,あたかも潮間帯の岩上にうずくまるような形状を呈し,また体の周囲には多数のいぼ状突起をもつ。世界各地の熱帯および亜熱帯海域に分布する。日本では太平洋沿岸の四国以南に知られる。近縁の種にカタメンキリンサイE.gelatinae J.Ag.,オオキリンサイE.striatum Schmitz,トゲキリンサイE.serra J.Ag.などがある。いずれも暖海に生育し,寒天の原藻となる。潮間帯に網を水平に張った施設をつくり,ここにキリンサイ類を生育させて養殖が行われる。養殖はフィリピンでとくに盛んである。』とある。

「膠凍」これは中国語で、対象物を水で煮、ペースト状にし、自然冷却してゼリー状にすることを言う。浙江省の製法であるようだ(「維基百科」の「膠凍(浙江食品)」を参照した)。]

立原道造草稿詩篇 (私のいのちは……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

   (私のいのちは……)

 

私のいのちは、何の歌

夜もなく たそがれもなく

 

風は蓬に 吹くものを

よろこびが もしあるならば

 

花咲くままに 思ひ出よ

いりまじり おまヘの心に

 

立原道造草稿詩篇 (ピアノの町に……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (ピアノの町に……)

 

ピアノの町にホテルがあつた

その部屋で僕は退屈な午後を持つた

 

窓をひらくと 白と黑とはいりまじり

つめたい位の眺めには歌もないのだ

 

僕は紅茶をすすり昔の詩人の眺めたピアノの町とのちがひやうを思ひ

しばらくしてそれが何んともいへず癪にさはつたのだ

 

眠ると たそがれがあつた

靄のかげで一群の音がなかを逃げて行つた

 

 

[やぶちゃん注:「ピアノの町」そうそうないから、すぐ判ると思ったが、底本の全集を「ピアノ」で検索して見ても、この「ピアノの町」が判らない。識者の御教授を乞う。]

立原道造草稿詩篇 黃昏

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。一行ずつ、行間が置かれてあるのは、ママ。]

 

  黃昏

 

町の空を空が包んで

 

町はあかりを胸からともす

 

くつきりときらめいて

 

小さいが たしかに

 

滲まない旗が搖れえゐる

 

旗はあかりより暗いのだ

 

立原道造草稿詩篇 (一人の人を……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、最終聯に抹消した行があるとして、それを起こしてある。されば、【初稿】として復元した。]

 

【初稿】

 

  (一人の人を……)

 

 一人の人を蝶のやうな姿で見つけることが易しかつた。町ではどんなこともそのやうであつた。だが、蝶といつても白い蝶なのだ。その人は僕からとほく行つても光ることが出來た。

 

     *

 

 もう何度おなじ道を步いたのだらう

 あかりの數はいくつあるのだらう

 僕の頭のなかには小さな時計があつて

 ゼンマイをかけるのを待遠しがつてゐるのだらう

 

     *

 

 燃えさしの焚火のあたりで

 誰か意地惡な人のやうに

 僕は風に出遇つた 風は遠い寒さをさがしてゐる

 

     *

 

 眠ると たそがれがあつた

 硝子のやぶれに似てゐる空よ

 おまへの向うに夜がともつた

 

 

【決定草稿】

 

 

  (一人の人を……)

 

 一人の人を蝶のやうな姿で見つけることが易しかつた。町ではどんなこともそのやうであつた。だが、蝶といつても白い蝶なのだ。その人は僕からとほく行つても光ることが出來た。

 

     *

 

 もう何度おなじ道を步いたのだらう

 あかりの數はいくつあるのだらう

 僕の頭のなかには小さな時計があつて

 ゼンマイをかけるのを待遠しがつてゐるのだらう

 

     *

 

 燃えさしの焚火のあたりで

 誰か意地惡な人のやうに

 僕は風に出遇つた 風は遠い寒さをさがしてゐる

 

     *

 

 眠ると たそがれがあつた

 おまへの向うに夜がともつた

 

立原道造草稿詩篇 朝へ

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。聯の間が、底本では、明らかに、倍、空いている。再現した。]

 

  朝へ

 

 夜には幾つの墓があつたのだらうか。その前に跪いて黑い外套の靑年が、嘗て愛した少年の思ひ出に、暗い祈りを祈つてゐたと。

 

 

 夜つぴて護つた僕の眠りを、夢を、僕は返さう。そしてたづねよう、あれは僕ではなかつたかと。

 

 

 星は消されて行つた。一つびとつ蕾のまま。

 星はもう消されて行つた。

 

 

[やぶちゃん注:「夜つぴて」若い読者のために注しておく。「よつぴて(よっぴて)」と読む。これは「夜一夜」(よひとよ)が変化した語で、意味は「夜もすがら・一晩中ずっと・夜通(よどお)し」である。「よひとよ」の用例は平安時代まで遡(さかのぼ)り、「よつぴとよ(よっぴとよ)」「よつぴとよ(よっぴとよ)」は室町時代に、変形型の「よひとい」は戦国時代に用例がある。「よつぴて(よっぴて)」は最も新しく、江戸時代の前中期には使われていた(以上は小学館「日本国語大辞典」の諸項目を参考にした)。

「一つびとつ」「ひとつびとつ」は連濁に過ぎないが、現在は、高齢の方しか使わないであろうが、私の偏愛する泉鏡花は、作品中で、しばしば用いている。]

立原道造草稿詩篇 (疲れの外に身を投げて……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (疲れの外に身を投げて……)

 

疲れの外に身を投げて あんなにまづしげに

少女が歌を踊つてゐる あんなにたのしげに

 

ときどき疲れて 人々が拍手する

この人たちにも かなしいことがあるのだろう

 

ときどき搖れて 人々が笑ひあふ

この人たちにも まづしい明日があるんだらう

 

それだのに それだのに

その下手な音樂までが何とたのしさうなのだ

 

ほんの一とき ほんの一とき

それだけの笑ひがいつまでも人の心をたのしくしたら

 

かげりだした舞臺にあれがのこつたら

 

立原道造草稿詩篇 曆

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  曆

 

 消える音樂のなかで、爐が燃えてゐた。文字のない一刻の語らひと、椅子に凭れて拾つた夢と、脊中の蠟の翼をつけてもう歸らない。僕はそれを隨分あつたと思ふ。

 銀と鋏と繪本の空の春の日は、窓に身體をおいて、たのしかつた。あたらしい家には白い大理石のギリシヤの柱を、僕は過ぎた日々の寺の拱廊を、美しい線で描いてゐた。

 夏には雲があつたと、人はそれをいふ。あの雲に落葉松の林を透かし、移る僕のかげを見た樹の間の道は、あれは長く遠かつたと思ふ。僕はほんとにひとりであつた。

 一年、終りに人はそれを短いといふ。そして僕はさう思ふ。

 

 

[やぶちゃん注:「拱廊」「きようらう(きょうろう)」と読む。明治以降、「アーケード」=arcadeの訳語として用いられるようになった。しかし、仏教寺院に、しばしば、対称形に造られる回廊を指す語として、私などには親しい。寧ろ、それを「(回り)廊下」等と呼ぶのは不快であるから、この道造の用法は非常に好印象を受ける。

「落葉松」ごく若い読者とネイティヴでない方のために注すると、「からまつ」と読む。裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi である。当該ウィキを引くと、『日本特産種で』『本州』・『宮城県の蔵王山(北限)から石川県・岐阜県の白山(西限)』・『静岡県(南限)にかけて自然分布』し、『日本のほぼ中央部に分布の中心を持ち、多くは火山性土壌の山地に』植生する。『天然分布地は限られ、天然林は長野県内を中心に浅間山、草津白根山、八ヶ岳、甲武信ヶ岳などの各山々の周辺、また飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈などの日本アルプス周辺などで見つかっている』という限定的に自然植生する事実は、あまり周知されているものとは思わないので、敢えて注した。

   *

……それにしても……道造、満二十歳……新進気鋭の詩人としてデビューもした……結局、片思いに終わることになる關鮎子への懸恋(けんれん)も体験した……だが……その彼が、この一篇を吐露する……イカロスの失墜をさえ、己れに比さないほどの憂鬱は、なんだ!?!……あたかも、後の夭折を予言するような、これは!……これは、詩人のこれ見よがしのポーズでは――ない。すでに述べたが、道造には、やはり、若い頃から、何らかの強迫性神経症症状、或いは、軽い双極性障害(躁鬱病)を持っていたことが、強く疑われるのである。]

2026/03/15

立原道造草稿詩篇 鄕愁

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  鄕愁

 

    A

南國のとある百姓家の庭に祭があつた 賑やかな一刻のその思ひ出を 燕が 海をこえ運んで來た 窓で燕はうたひ 私はをとめたちのロンドの列に姿を知らない夢を見た 燕は空高く歸るとも 傷ついた窗にロンドの歌は おそらく 思ひ出よ おまヘを待つことだらう

    B

明るい時の向うから 搖れて來る 風 一枚の海を お前の遠い帆を 風よ

僕に持つて來い 僕は虹と雲のなか お前のうたふ 歌の調に身をまかす

    C

朝日は緣の壁に窓を切つてゐた 細いきづなをからませて 甍は空移る雲にすばやくかげをかへてゐた 林のなかのその一軒は 思ひ出よ 雪が降り積み蔽ひかくしたのだらうか 一すぢの淡い煙を色どつたきり 浮び來るまま 窓に凭る人の心を知らせない

 

 

[やぶちゃん注:「A」と「C」パートは改行はない。しかし、「B」パートの一行目は、底本を見るに、下方が、三字分、空いていることが判る。従って、次の二行目が改行していると認識出来るのである。]

立原道造草稿詩篇 池のほとり

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこには、『初稿題は「池のほとりに」』で、『初稿には多くの推敲の跡が見られる。』として、初稿の推敲決定稿が記されてある。それを用いて、【初稿決定稿】として復元した。そのブレイクの記号は「・」であるが、【決定草稿】の「●」に換え、また、それは、行頭にあるのだが、同じく【決定草稿】と同じく、三字、下げた。なお、ネイティヴでない読者のために言っておくと、「家鴨」は「あひる」と読む。]

 

【初稿決定稿】

 

  池のほとりに

 

水に抱かれて昼の鯉よ

眠れ眠れ 搖らがぬままに

  •  

鳥と羽が重さを比べあつた

水の底にまで沈まうと――家鴨はばかだ。

  •  

柳に風が搖れてゐた 柳は少女に似てゐるから。髮を編んで垂れてときどき影を映して。

柳に驢馬をつながう。

  •  

風が波を作つて逃げる 波が追ふ――一しきり、藻のざはめき

しづまると、雲が浮く、音もなく。

  •  

波のかけらに太陽は千もゐる。

粉々に、お前はあぶくの上にも休む。

 

 

【決定草稿】

 

  池のほとり

 

水に抱かれて、晝の鯉よ、眠れ。

  •  

鳥の羽毛が重さをくらべあつた、水の底にまで沈まうと。――家鴨はばかだ。

柳に風が搖れてゐた。柳は少女に似てゐるから。髮を編んで、ときどき影を映して。柳に驢馬をつながう。

  •  

風が、波を作つて逃げる。

波が追ふ。一しきり、藻のざはめき。

しづまると、雲が行く、音もなく。

  •  

波にかけらに太陽は千もある。

粉々に、おまへはあぶくの上にも休む。

 

立原道造草稿詩篇 折立

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、添え辞の「S・M」について、親友である『杉浦明平のこと』とし、『折立は杉浦の故郷、愛知県渥美郡渥美町折立。』とある。現在の愛知県田原市折立町(おりたち)。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

   折立

    S・Mに――

 

 喜ぶことだけが出來た一ときの夜のあかりに、お前の搖れた顏は白く消えて行つた。そのあとまた躊らつて歸つて來たが、あれは何であつたらう。

 

 ときどき深い所から聞馴れた音樂が耳に幾度もつぶやいた。僕は身をやさしく任せ、諦めてゐた。おそらくいちばん美し日々のために。僕の長い行末のために。

 

 嘗て、夏へ、それからの思ひ出へ、あの靜かな海の上のたそがれを捧げた。あの日にお前と僕は失はれたと。

 

 

[やぶちゃん注:「躊らつて」「ためらつて(ためらって)」。]

立原道造草稿詩篇 巢立ち

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、『立原は、堀辰雄・丸山薫・三好達治編輯、昭和9年10月創刊の月刊雑誌「四季」に参加、12月号に「村ぐらし」「詩は」を発表して詩壇に登場した。その志すところに就いて昭和10年2月13日付・國友則房宛書簡に「未成年の時代に、三好・丸山をこえて、室生・萩原以來の日本詩の展開を示す者は、國共・立原でなくてはならぬ」」と述べている。』とあった。底本の同全集の「第五卷 書翰」の、ここの「八八」書簡で、当該の強烈な自信に満ちた箇所は、次のコマの右丁の「*」の後の文中に出現する。

 なお、引用中に出る「村ぐらし」、及び、「詩は」の詩篇は二〇一六年に、それぞれ、ブログで電子化注してあるので、見られたい。

 

  巢立ち

    ――堀辰雄氏に

 

誰と私は似てゐるのだらう

そしてそれは何の知らせだらう

私はいつかよく知つてゐた そのことを

だがもし思ひ出すならば……

 

私は持つことの出來ただけの不幸を

そのかはりに かがやきとあの平和を

そして あかりの消える夜の一ときに

しづかにあれに捧げよう あれを立ち去らう

 

もう私はすつかりひとりだ

私みづから私は風に濡れてゐる

 

立原道造草稿詩篇 (書くことは……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、『昭和10年1月8日付・杉浦明平宛書簡中に「書くといふことは何であつたか。」という自省の言葉がある。』とあった。ここである。]

 

  (書くことは……)

 

書くことは何があつたか

 

宵 私はあかりを消して目をとぢる

過ぎて行くいくつかの言葉のはてに

私は音もなく身を橫へる かすかな息をかぞへながら

 

書くことは何があつたか

かうして私はたづねて見る

答もなく 夢もなく

眠りが部屋を訪ねる

すると私はもう一度 吐息のやうにして尋ねてみる

 

 

[やぶちゃん注:「橫へる」「よこたへる」。]

立原道造草稿詩篇 (いつそインキと紙が……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (いつそインキと紙が……)

 

いつそインキと紙がなくなれば

ほんとをいつたら言葉がなくなれば

僕にはどんなにしづかなことだらう

 

それはすこし困るかしら

いやいやそんなことはないにちがひない

見振りと手振りと顏つきで

それから眼もあることだから

どうにかかうにか用だけは足して行く

 

一體僕が理窟を言つたり詩を書いたり

手紙を書いたりするのはよくないことだ

 

ところで心配してくれる人にはいふが

お前さんたちには言葉も文字もあつた方がよい

そして僕に歌をきかせたり手紙を書いてよこしたり

まあそんな風に 慰めてくれるのだ

 

ああさうしたら僕にはどんなに

生きることがしづかなことだらう

ほんとをいつたら ついでに

夢も望みも幻もすつかりなくなれば

 

立原道造草稿詩篇 (いつでも紙とインキが……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (いつでも紙とインキが……)

 

いつでも紙とインキがなくなる日に

僕には天來の妙想がやつて來たものだ

といふことは鉛筆でよい詩を書いたといふのぢやない

おわかりでもあらうがそんな詩を

この貧弱な腦髓からちつとはましな空間に飛ばせたといふことだ

どこにもその跡を傷つけないで

これはすこしはくやしいことだつた

詩を作ればいつでも叱られるので

一度は賞められてみたいと思つてゐたから

だが と諦めは敎へるが 諦めよ お前はあつちに行つて居れ

僕は傑作とどうにかして身を結びつけたいのだ

まあ一生に一行のすばらしい詩句が欲しいのだ

所で思ふにそんなのはこの分で行つたなら

どこにもその跡を傷つけないで

つまりは僕と關係もないままに

たとひ僕から飛び出たにしろ 僕をばかにした顏つきで

空間を實にかがやかしく飛びまはるだらう

くやしみは僕を焚くがよい⋯⋯

だが と萬年筆は敎へる これはいちばん困つたことだ

もうインキはありやしない

そら はじまつた 僕のなかで

あの音樂は何とやさしいのだらう

だが と萬年筆は催促する これはああ實に最後のインキの一滴だ

 

立原道造草稿詩篇 (僕のなかを掠めるものは……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (僕のなかを掠めるものは……)

 

 僕のなかを掠めるものは、いつもとどまれ。おまへはうたへ。骨よ、頰よ、散り挫け。おのれを飾れ。僕の歌よ、おまへは息をつまらせて、明るい時の下で死ね。

 空より花は散るがよい。くやしみは僕を燃すがよい。だが、歌、おまへはうたへ。瘠せた心は乾枯らびた。言葉よ、立ち去れ。僕の歌よ、のこれ。おまへは僕を嚙みつくし、腦天の上でへどを吐け。

 昔、みれんは船に乘り、湖水にランプを浮べたが、あれは僕ではないだらう。僕よ、傷よ。お前は船につながれて、藻草をわけて沈んだが。かたちよ、かたちよ、立ち去れ。おまへを捨てろ。

 落ちる日、飛べ。かがやかしい愚かな小鳥、おまへの千のいのちのために。星へ、骨へ、後悔よ、羽ばたけ。僕を掠めて飛ぶものはいつまでもかがやけ。おまへはうたへ。

 

 

[やぶちゃん注:「散り挫け」「ちりくじけ」。「骨」と「頰」よ、自らの肉体を「弱らせ、衰えさせよ!」の意。

「乾枯らびた」「ひからびた」。]

立原道造草稿詩篇 (枯木は悲しく……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (枯木は悲しく……)

 

 枯木は悲しく風に枯れ

 氷柱(つらら)は冷たく月に映り

 

 この對句を、僕はたいへん美しいものに思ひ、口ずさんでゐた所、きいた一人の男が言つた。それは駄じやれだ、やめろやめろ、と。そこで僕は考へなければならなかつた。僕が美しいと思ふものはすべてそんなのだらうかと。危險なことであつた。僕は美しさにあこがれながら美しさに見捨てられ、思ひつきのなかにあせつてゐなくてはならぬなら、僕は自分をどうしたらよいか。危險なことであつたが、僕はもう落ちてゐた。僕は石の上で寒かつた。

 

立原道造草稿詩篇 (終ることのない生涯を……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (終ることのない生涯を……)

 

 終ることのない生涯を、一人の男が空想した。平野はそのはてに乳色にしめつた靄を包んでゐた。その上に靑くなつてゐるのは空の晝間の明るさだつた。やがてはそのなかに空想が消えて行くだらう。

 

 風がそよいで一面に草の葉の音をかがやかせる。もう一度、もう一度……

 

 いつまでもそのやうに、平野は天と靜かな交はりを營んでゐた。

 

立原道造草稿詩篇 傳說

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、この草稿は『口語詩群で』、『制作時は昭和9年12月頃制作の草稿詩「小さな墓石の上に」と10年3、4月頃制作の草稿詩「夜の歌」(いづれも第一巻所収。編註P413参照)を含むことにことに拠り、ほぼこの二詩の制作期間中と想定する。なおこれに属する他ジャンルの草稿はない。』とする。なお、本底本の「前期草稿詩篇」パートの残りの原稿群は、五つである。

 以上の注記を読んで、強い違和感を感じるのは、この本「前期草稿詩篇」パートの草稿詩「小さな墓石の上に」と草稿詩「夜の歌」は、巻数の違いで判る通り、同全集第一巻(1971年刊)の「後期草稿詩篇」に収録されていることである(ここから)。しかも、本「前期草稿詩篇」は、これで終るのではなく、五群が控えているのである。本全集第二巻(1972年刊)の「前期草稿詩篇」の方を見ると、その編注末尾(奥付前の末尾)を見ると、そこには、編者名を『堀内 達夫』とある。恐らく、全集編輯の配列作業の関係上、巻数の順列と、この草稿詩篇の順列には、物理的齟齬が生じているのである。

 則ち、本全集の前期と後期の草稿パートは編者堀内氏に拠って――整然と時制上の分離をしている訳ではない――ことが判るのである。そして、思うに、堀内氏の全草稿の編輯も、先に「後期」が執筆され、「前期」が、その後に執筆されたと考えるのが、自然であろう。

 そこで、ふと思い出したことがあるのである。私は、二〇一六年に一九八八年岩波文庫刊「立原道造詩集」(杉浦民平編)を底本に草稿篇を電子化注したのだが、実は、その「後期草稿詩篇」パートに就いての「解説」の最後に、理由を述べずに、『本書では一九三五年作の一〇編を省略。』と終えておられるのである。因みに、杉浦氏は同全集の編輯者の一人である。そして、堀内氏はというと、実は、編集者ではなく、「資料擔當」となっているのである全集第二巻扉裏を見よ)。

 思うに、道造の親友でもあった杉浦氏は、本全集での草稿篇は実際には自身で担当したかったのではあるまいか? 実際に杉浦氏所蔵の草稿が使用されているのだから、私は、そう思うのである。作業上、堀内氏の担当となったが、ここからは私の推理に過ぎないが、

――そもそも、杉浦氏は「前期」・「後期」という分け方自体に賛成ではなかったのではないか?

 道造が本格的な詩作へと進んだのは、その端緒は、昭和四(一九二九)年十五歳の九月、北原白秋を訪問ではあろうが、その頃は短歌がメインであり、実際の本格的な狭義の現代詩を始めるのは、昭和七年以降であって、昭和一四(一九三九)年三月二十九日に二十四で亡くなるまで、

――凡そ六年余り

なのである。個人的には、前後期の分離なしで、草稿詩篇を纏めて味読したかった、というのが、私の希望である。次回の全集では、そうした編輯を切に望むものである。

 なお、以上の杉浦氏がカットしたとする「十篇」――しかし、底本全集では九篇しかないのだが――その九篇は、この「前期草稿詩篇」パートの電子化注を終えた後に、「後期草稿詩篇」を元に電子化する。

 

  傳說

 

 おとなしいたつたひとつの夢だつたが、それを語ろうとした人は、いつでも素直な言葉をなくしてしまつた。

 もう幾千年になるだらう。

 夕暮に步いた人が、やがてその夢を拾つた。それは灰色にすつかりあせばんで。

 

 道ばたで、一夜、語り明かしたが、語り明かしたが、悲しみのままに歌ふすべもない。

 

2026/03/14

境涯から生れる俳句 杉田久女

[やぶちゃん注:二〇二四年二月を最後に、長く電子化注をサボっていたが、以前から、電子化したく思っていたのを、すっかり忘れていたので、急遽、公開することとした。底本は今まで通り、所持する一九八九年立風書房刊「杉田久女全集第二巻」を用いたが、この俳話は特殊なもので、昭和九(一九三四)年八月十一日に小倉放送(ラジオ)で放送されたものである。恐らく、原稿が存在し、全集編者である久女の長女昌子(俳人石昌子(いしまさこ))さんが、全集の「俳論・俳話」に組み入れたものと推定される。表記は新字正仮名であるが、放送された時代を考え、敢えて殆んどの漢字を正字に換えた。なお、冒頭に『(前略)』とあるのは、その内容は不詳であるが、カットした。また、詳細注を附すのには、時間が掛かり、他にも同時進行で別なプロジェクトもあるので、取り敢えず、本文を、本日、電子化し、後日、注を追加することとする。但し、私が全く知らない俳人名、及び、知られた俳号の別号があるので、それは、適当と判断した段落の後に注を附した。なお、ネィティヴでない読者などに難読と判断したところには、《 》で読みを独自に歴史的仮名遣で附した。踊り字「〱」は、私が、個人的に嫌いなので、正字に直した。傍点「﹅」は下線にした。

 なお、以下の久女に現説に対してではなく、現在も、しばしば使われる――この「境涯の俳人」或いは「境涯俳句」という謂い方――には、個人的にある種の強い違和感を持っている。それに就いては、サイトの『拙攷 「イコンとしての杖――富田木歩偶感――」藪野唯至』(『俳句界』第百七十八号二〇一一年五月号「魅惑の俳人㉜ 冨田木歩」所収/藪野唯至名義で執筆し、掲載されたものの原型)で論じているので、未読の方は、是非、読まれたい。

 最後に。この録音が残っていたならなあ、と残念しきりの私であった。

 

  境涯から生れる俳句

 

 技巧の勝つた面白い句とか、淸新な近代味のすぐれた句とかさういふ俳句にも價値のある事は勿論でありますが、宮部寸七《すなお》翁さんの、

  己れにて絕ゆる命や墓參り

  ひそやかに晝行水ややみほうけ

といふ樣な、自分の血と肉と全人格をつぎこんだ句になりますと、時代の波にも流行にも洗ひ消されぬ、ほんとの人間魂の聲が、嚴肅な人生の一斷面として、私達の魂に强くひゞいて、くるのであります。

 自分の死後墓參りしてくれる一人の子供もない、家內もない、自分一代で血統は絕えてしまふのだといふ事を痛感し乍ら祖先のお墓參りをしたり、ひそひそと行水してゐる病みほうけた姿なりがうかんで來ます。自分の病弱な姿をじっと[やぶちゃん注:促音表記はママ。]みつめて。

 俳句もこゝ迄しつかりと自分をつかみ、墓石に彫りこむ樣、十七字に全部をきざみこんでおけば、よし寸七翁さんの血統は一代で絕えてしまつても、其句集一卷丈《だけ》で寸七翁さんは永久に生きてゐると言つてもよいと存じます。

[やぶちゃん注:「宮部寸七翁」(明治二〇(一八八七)年~大正一五(一九二六)年)は明治・大正期のジャーナリストにして俳人。熊本県下益城(しもましき)郡杉上村(すぎがみむら:現在の熊本市南区城南町。「ひなたGIS」の戦前の地図で「杉上村」が確認出来る)出身。本名は宮部俊夫。別号に峻峰がある。農家の一人息子として生まれる。早稲田大学政経学部卒業後、九州新聞(現在の熊本日日新聞)記者となり、峻峰の号で活躍するが、同社のストライキ事件に巻き込まれ、退社。大正元年、『肥後靑年俱樂部』を組織した。九州立憲新聞経営を経て、叔父の三隅雲濤が経営する博多毎日新聞編集長となる。大正五年、結核を発病した。同時期に句作を始め、『ホトトギス』などに投句した。熊本俳壇に現れた女流俳人斎藤破魔子(後の中村汀女)と親交を持ち、指導した。死後四年経った昭和四(一九二九)年に吉岡禅寺洞によって「寸七翁句集」が編まれている(以上は日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」の記載を主文とした)。]

 こゝまでくればもう俳句も言葉の遊びや、ひまつぶしではなく、議論や理屈をとびこえて、宗敎的な安心立命があると存じます。

  親に師にせめて仕へん盆三日  星布女《せいふめ》

 此句も何でもない句の樣でありますが、常に忙しくて佛づとめも疎かになり勝ちの身も、せめてお盆の三日間丈は亡き親や師の恩をなつかしく偲び乍ら、生きた人にお仕へ申す樣に魂祭りしませうといふ意味で、故人を偲び、昔の恩をしのぶといふ氣持は、古風ながら奧床しい女らしい感じがにじみ出して居ります。

 之も星布尼の夫も子もない境涯から一層痛切に故人を慕ひしのぶ心持が、ふかく此一句に流れてゐるのだと思ひます。

  面影もこもりて蓮の莟かな  りん女

 これは日田《ひた》の長野野紅《ながのやこう》の妻りん女《じよ》の句で、幼い子を亡くした時の句でありますが、蓮の莟にこめて亡き子の面影を描いてゐます。これによく似た句に、

  とんぼ釣りけふはどこ迄いつたやら  千代女

といふ名高い句がありますが、蜻蛉釣《とんぼつり》をしながら、死出《しで》の山路《やまぢ》を越えてたつたひとり、けふはどこ迄步いて行つたやらと、亡き子の面影を描き追ひ求めてゐる千代女の深い悲しみが蜻蛉つりのまぼろしの一句に象徵されてゐます。

 一人子を亡くした母のなげきは、時代の隔りをとび飛んで私達のむねにひゞいてまゐりますし、夫を亡くし子を亡くした不幸の中にも、ひたすら俳句を慰めんとして力强く生きて行つた千代女の一生を私は昔の女ながらえらい、と存じます。

 これらは皆くらい方の人生の姿をうたつた俳句でありますが、明るい方の例でいひますと、

  蓮の香に俥《くるま》ゆるめし薄月夜  ゐの吉

 久保博士は朝夕大學通ひの手俥の上で好きな俳句を作るのが何より樂《たのし》みで、自分は自動車を使はない、といふ意味を前に、話された事がありますが、此句も其博士の實生活から生れ出た句で、俥をゆるめて蓮の匂つて來る濠《ほり》ばたの淡月夜《あはづきよ》に浸つてゐる所に、作者の姿なり、感興なりがはつきり浮んで來ます。此俥ゆるめし所に面白味があるのでありまして、

  蓮さくや曉かけて月の蚊帳《かや》  より江

 此句と讀み合せて味つて見ますと、いかにも博士御夫婦の高雅な趣味生活が繪卷のやうにうかび上つてゐります。之も机上で作りあげた句ではなく實際に、月の蚊帳に目がさめて、蓮の花の美しさにふれ、一方は蓮の香りに打興じて月をめでるといふ環境から生れた句である所に氣品の高い力强さがあふれてゐます。

[やぶちゃん注:「ゐの吉」「久保博士」「より江」「博士御夫婦」「ゐの吉」「久保博士」は日本の医学者で、歌人・俳人でもあった医学博士久保猪之吉(明治七(一八七四)年~昭和一四(一九三九)年)。日本国最初の耳鼻咽喉科学講座を開設した耳鼻咽喉科学の先駆者にして京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学/現在の九州大学)教授。当該ウィキがあり、そこに『歌人としては、落合直文に師事し』、明治三一(一八九八)年に『尾上柴舟らと「いかづち会」を結成した。その後は俳句を始め、高浜虚子に師事する』とある。一方、「より江」「博士御夫婦」は、久保氏の細君であられた久保より江(明治一七(一八八四)年~昭和一六(一九四一)年)で俳人。彼女も独立したウィキがあり、『鉱山技師の父・宮本正良と母ヤスの長女として、愛媛県松山市に生まれ』た。明治二八(一八九五)年、『松山時代の夏目漱石が下宿し、正岡子規が寄宿していた「愚陀仏庵」の持ち主が』、『より江の母方の祖父・上野義方であったことから、当時』十二『歳の少女であったより江は、若くして漱石や子規と面識を持ち、可愛がられたという』。『漱石の』「吾輩は猫である」『に登場する女学生・雪江は、より江をモデルにしたとされる』とあった。]

 同じ蓮の句でも、りん女の子供を亡くした時の暗い句とは違ひまして、此二句にはいかにもゆつたりとした美しい曉方《あかつきがた》の月の光りと、蓮の花の感じがおだやかに浮んでゐます。ここらも作者の境涯の差から自然違つた明暗の俳句を生み出してゐるのでありまして、一方には、實生活から遊離した美しい藝術的な香氣があり、寸七翁さんの句などには生活卽藝術と中しませうか、眞劍な赤裸々な人間の叫び、が切々とうかがはれます。

  手花火の子等に浦波ふけにけり 多佳女《たかぢよ》

 このなだらかな調べの中には、生活の苦とか、寸七翁さんあたりの句にある樣な悲痛な魂の叫びとかいふ樣なものはなく、櫓山莊のバルコニーか芝生で手花火に打興じてゐる子供らに崖下の波の音も次第にふけわたり、手花火の靑や赤に照し出される子供達の頭や、それを見守る母の姿までも繪の如くうき上つて來ますし、更けゆく波の音とたのしいだんらん、なごやかな山莊の空氣を此句は詩の樣に私達に傳へてくれます。

[やぶちゃん注:「多佳女」橋本多佳子の別号。

「櫓山莊」私の『橋本多佳子句集「海燕」 昭和十年 櫓山日記』の私の注を見られたい。]

  松落葉しきりに降るよキャンプ村 立子

 愉快なキャンプ村といふものから、ただ松落葉がしきりにふつてくるといふ事柄だけをよんでゐるのでありますが、その何となく打興じ心をどる有樣が輕快によまれてゐるので、登山なり、キャンプなり、さうした愉快な一時的な環境といふものに、よむものゝ氣もちも明るくひきつけられてゆくのであります。それにキャンプ生活[やぶちゃん注:拗音表記はママ。]といふ材料が新らしいので、ここにもうら盆とか七夕とかいふ古典趣味と違つた近代生活の明朗さがにじみでてゐます。

  汗ばみて香水の香のよくにほふ 汀女

 これも句意は明瞭でありますが、汗ばんできて香水がにほふといふところに、近代的な嗅覺、汗ばんだ肌の感覺がよまれてあります。ラグビーや映畫、ガソリンガール等いろいろな素材の淸新さと、表現の自由さは、明日をめざす新人達の喜び步む道でありまして、ここにも歐米風が、私達の呼吸する環境の空氣にも思想にも、浸潤してゐる事がうら書され、そこに星布尼や千代女の句の姿と、時代なり生活、環境、頭惱のへだたりなりが、はっきり區別されてゐます。

  月見草に食卓なりて母未し 靜の女《しづのぢよ》

 此句は留守してゐる子達が食卓をととのへて母の歸りをしきりに待つてゐるが、母の歸りは遲い。月見草は淡い黃色をぽつかり夕闇に咲きそめてゐる。一方終日の務めにうみ疲れた母は、子供達の許へ歸りをいそぎつゝある、其徑《みち》すがらにも月見草が咲いてゐるかもしれない。

 之も漫然と月見草を描いた句ではなく、每日每日起る事柄なり感じなりを月見草と結びつけてよんだ句で、やはりしづのさんの目下の僞らぬ環境から流れ出した俳句であります。

[やぶちゃん注:「靜の女」竹下しづの女のこと。]

 か樣《やう》に同じ母の句でも千代女の蜻蛉釣の句と、月見草を中心とした母子の句、手花火の山莊の團欒の句と皆違つた環境を取扱つてゐますが、どの句も皆體驗なり實際の境涯から生れた句ばかりであります。

 最後に私の句作の例をひいて申上げて見ませう。私は女中が居りませんので、每朝早く起きて御飯を焚きます。其時手帳を懷に入れて薪をくべ乍ら俳句を作つたり句の調《しらべ》を舌頭にのせて推敲いたします。又時には御飯がふく迄箒《はうき》を持つて門先へ出て見ますと、まだ人通りもない道端には夜明に降つた雨がいつぱい草むらにたまつて、そこら中に螢草《ほたるぐさ》の瑠璃色が咲きむれたりしてゐます。私は箒の手を休めて露草《つゆくさ》の前にじつと跼(かが)んでみとれます。

 もう御飯がぷうぷう噴《ふ》き上つてゐるだらうといふ事も忘れて尙ぶらく門邊《かどべ》を步き𢌞りつゝ草をぬいたり、露草を折つたり、朝顏を眺めたり、かういふ時にすらすらと俳句が頭から流れ出しますので早速懷から手帳を出して一句を認めます。

  露草や飯ふくまでの門步き 久女

 幸ひに御飯もこげず一句を得た時の喜びは大きうございます。私はまた水を汲む時だの、晚方風呂を焚く時、御茶碗を洗ひ乍らも俳句を作ります。又時には忙しい一日をさいて遠賀《をんが》や田舍にひとりでぶらぶら出かけます。

 こんな風に自分の生活の中から、境涯から、詩を見つけ出して俳句を作るといふ事は忙しい御婦人にもそんなにむつかしい事ではなからうと思ひます。

 俳句がたゞ言葉の遊びや閑《ひま》つぶしの遊び丈《だけ》のものではなく每日移り替る人生の姿、樂しい事や悲しい心地を僞らぬ人間生活の記錄として描き出す民衆詩である事を申上げて終りと致します。

立原道造草稿詩篇 (しあはせな一日は……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、初稿は大きく違う。以下、それに従って、【初稿】を復元した。]

 

【初稿】

 

  (しあはせな一日は……)

 

しあはせな一日は幾つあつたらう

誰にきいても それは多く限りないと

 

日の終り 疲れた橋に身は凭れ

指折りかぞへてみるならば

 

靄のなかにともる燈は煌めいて

夜待つ部屋に住む人々は

 

人の數の千倍のしあはせが

一人のためにあるのだと

 

やさしい調べで繰返してゐた

 

 

【決定草稿】

 

  (しあはせな一日は……)

 

しあはせな一日は幾つあつたらう

日の終り 疲れた橋に身を凭れ

かぞへてゐれば

 

靄のなかにともる燈は煌めいて

人の數の千倍のしあはせが

一人のためにあるのだと

 

やさしい調べで繰返してゐた

 

 

[やぶちゃん注:初稿が、他者の心を介入させていて、作者自身の瞑想が邪魔されてしまっている。決定稿では、リルケ的な確信の真理に昇華しており、よく出来ている。]

立原道造草稿詩篇 (やつと欲しいものが……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (やつと欲しいものが……)

 

やつと欲しいものがわかりだした

平和と淸潔とがいりようなのだ

 

おしやべりよ つぶやきよ

お前たちはとほくへ行け

 

これから精出して 僕は

靑空に 秩序を積み上げるのだ

 

驢馬よ パンザよ さあ

欲しいものはすぐそこにある

 

 

[やぶちゃん注:先行する「曙」にも登場している人名(恐らく綽名)であるが、不詳。]

立原道造草稿詩篇 驢馬の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  驢馬の歌

 

悲しいまでに遠く見てうるんだ眼をお前は人からひた隱してゐた

 

町の夜に降る間近かな靄の息づかひを

その果てにうらがなしい潮鳴を二人して聞いてゐた

 

    ⁂

 

あれはいぶかしい朝であつた

明るい空に蔽はれたボロの町並で

お前ろ僕とが驢馬の營みをした

或るときは幸福と呼ばれたものを

 

眠る前 僕はお前の眼を見た

それから夢に

あの朝にお前と僕は失はれたと

 

 

[やぶちゃん注:この詩、私には、遠い昔の記憶が蘇る一篇である。

「潮鳴」ネイティヴでない方、若い方のために言っておくと、「しほなり(しおなり)」と読み、「遠くから聞こえる潮(うしお)の寄せては返す音」を言う。]

立原道造草稿詩篇 (僕は三文詩人に……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (僕は三文詩人に……)

 

僕は三文詩人になりたくないのだ

あらゆる感傷と言ひまはしを捨て

誰でもの胸へ ほんとうのことを叩きこみたい

それが千人のほんとうでなく

僕だけのほんとうであつたら

結局 三文詩人の一人にすぎないのだ

 

立原道造草稿詩篇 うつりかはり

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、この「うつりかはり」から「(しあはせな一日は……)」の五篇の制作時は、昭和一〇(一九三五)年二月頃と想定されてある。]

 

  うつりかはり

 

僕は季節をまだよく知らないと ほんとうに時時さう思ふ

冬の向うに春がある 花が咲き 樹の下に人が立ちどまる

さうかしら これはまちがひだと 僕はすこし考へこむ

 

手にとつてよく眺めると 僕の知つてゐる冬の終りの日に

しづかな風が吹いてゐる それが何と昨日に似てゐるのだ

秋かしら またその風が枝を吹いて葉を枯らす

僕は重いマントを脫ぎすてる また明日から着るやうに

 

それから僕はかう思ふ 早くものがわかりたいと

秋は秋 春は春 冬の向うにあるものはたつたひとつ

僕はそれがほんとうにはつきりと知りたいと

 

2026/03/13

立原道造草稿詩篇 窓

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  窓

 

 しづかな夜、窓をのぞくと世界地圖だけが壁であかるい電氣にかゞやかしかつた。机の上は片づいてゐて、何も見えない。ことによつたらと思つて見るのだが、朱の紐があるやうで、小さな鍵があるやうで、やつぱり何もないらしかつた。それともいつもせかせかその窓のぞいてゆくせいかしら。別の窓では人が椅子を運んでゐるのが見えたりするのだが……。

 

立原道造草稿詩篇 ある人は

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  ある人は

 

ある人はうつくしい窓を持ち

椅子に凭れて眺めるといふが

僕の窓には黑ずんだ埃ばかり

 

高井空を流れる雲の せめてあのあたりの

靑い色をと思ふのだが

いつかほ日にはそれさへ曇天の灰色だつた

 

いつそ潮風でも吹いて來て

海がひろがつてくれればいい

この窓から ヨツトに乘るんだ

 

立原道造草稿詩篇 序曲

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  序曲

 

林檎の木の詩人がゐた

旅で消える鐘の音を聞きそれをうたつた

頬をほてらせた少女がたのしい氣持できいてゐた

 

詩人はそれきり歸らなかつた

村の入口で少女は木に凭れ

夕雲に靑い山を眺めてゐた

 

いつも夜ふけて 眠りのきれぎはに

林檎の花が咲いてゐた――

 

立原道造草稿詩篇 啞蟬の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに附言の三好達治について、『月刊詩誌「四季」代表者の一人。立原が昭和9年10月「四季」創刊に参劃したのは、堀辰雄と、「未成年」を読んで感銘した三好の水推輓によるものである(三好達治「立原道造君」昭和14・5『文藝』)。』とある。標題中の「啞蟬」は「おしぜみ」と読み、「雌のセミ」を指す。]

 

  啞蟬の歌 

    ――三好達治氏に

 

 僕は もう歌はなくなつてゐた

 物のよろこびとかなしみを見わけることがなくなつてから 

明るい空ばかりを美しい色で描いて 

ああして 幾日が經つたらう

 

僕は もう歌はなくなつてゐた 

杉の梢も 楡の木も 學校歸りの子供らも 消えてばかりゐる雲も 

たつた一つのいのちのためには

 どれだけのかげが投げられたのだらう

 

立原道造草稿詩篇 詩

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、『書体は』以上の文語調草稿群『に連続するが、印刷インクの淡緑色に拠って』『文縷した詩群であるが、これに属する他ジャンルの草稿に小品「時計――小春日和のエピソオド」(対応分類番号b・第六巻所収)がある。』とする。当該小品を指定第六巻でリンクしておく。『制作時は小品の副題にある「小春日和」に拠り』、『昭和9年11月頃と想定する』とあった。年譜に拠れば、この前月十五日附で第二次『四季』が創刊されており、同詩誌は三好達治・丸山薫・堀辰雄編集と銘打っているが、実際には立原も、それに参加している。また、この十月にはかねてより傾倒していた萩原朔太郎を世田谷の自宅に訪問している。]

 

  詩

 

紙を裏返すと 白かつた――

 

僕の頭のなかでは 幾行かの詩が

こせこせした積木細工であつた

とりどりに色がまはり 滑り

四角な旗がとほくまであるのだ

それが言葉かどうかわからないうちに

何か怒つたやうな聲がきこえた

幾行かの詩が 僕を捨てたらしい

 

紙を裏返すと 白かつた

 

2026/03/12

立原道造草稿詩篇 (幾度か人 別れ……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。これを以って、以上の文語調草稿群は終わっている。]

 

  (幾度か人 別れ……)

 

幾度か人 別れ かなしみぬ

またあるときは よろこびぬ

 

    *

 

束の間の憤ほり 悲しみに似て力なし

しかはあれども この心を葬るすべなし

裏切られの我が命 すべなしとて一刻は

かくも過ぎぬべし しかはあれど又一刻は

 

    *

 

ひとりとざしてわが窓に

來ぬ人待てば一刻は

心痛みにすぎにけり

しかはあれどもわがいのち

ひとりとざしてありしかば

 

[やぶちゃん注:老婆心ながら、冒頭の「一度」は「ひとたび」と読む。]

立原道造草稿詩篇 (千萬無量のたまゆらに……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。この詩篇は、段落(「1」のみ二行組)行頭を一字下げてあるのを再現した。]

 

  (千萬無量のたまゆらに……)

 

    1

 

 千萬無量のたまゆらに、わが庭とほく燃えいでて、花降るごとく雪は降る。……

 やがて空には窓ひらき、あはれ手のべて人を呼ぶ。さはあれどもわが心。

 

    2

 

 しとしとしとと降る雨は雪にかはれどすべもなや、わが眼はかたくとざしたる、くらき思ひにふけりたる。

 

    3

 

 かく散らばやと飛ばばやと雪見てふとも思ひしが、あまり輕ければ、すべもなし。

 

 

[やぶちゃん注:「千萬無量」は「せんまんもりやう」或いは「せんばんみりやう」と読む。私は前者で読む。意味は「限りなく数が多いこと。はかり知れないこと。また、そのさま。」であるが、別に仏教用語ではないので注意されたい。]

2026/03/11

立原道造草稿詩篇 (わが歌は……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、『テキストには第二、三行間に次の消去された一行がある。』として抹消フレーズが示されてある。そこで、【初稿】としてそれを復元した。]

 

【初稿】

 

  (わが歌は……)

 

わが歌はよしや一日のわれを裏切るとも

はての日に黃金色の朝にかがやき

思ふことありなしとても歌のみは

高らかに翼うちふり飛ばばやと

願ひつつあれば げにおろかしく

この心たのしくなりておのづからほほ笑まれぬ

この心 わがやさしくなりてうたふとき

つねのごとく汚き壁かかりかがやける見ゆ

 

 

【決定草稿】

 

  (わが歌は……)

 

わが歌はよしや一日のわれを裏切るとも

はての日に黃金色の朝にかがやき

高らかに翼うちふり飛ばばやと

願ひつつあれば げにおろかしく

この心たのしくなりておのづからほほ笑まれぬ

この心 わがやさしくなりてうたふとき

つねのごとく汚き壁かかりかがやける見ゆ

 

 

[やぶちゃん注:「一日」は「ひとひ」と読みたい。]

立原道造草稿詩篇 歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  歌

 

わが歌は泉に姿を映しぬ

よき少女等のするごとく

たのしかりしならん

 

心さかげども 明るき日は

小鳥の翼にやすみてあれば

 

わが歌は常に似ずやさしげに

高らかによろこびをうたひぬ

 

立原道造草稿詩篇 古調

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  古調

 

    1

 

聞きほうけて ひとりありき

そは古びたるわが身の歌なれば

そは常になくやさしき歌なれば

 

    2

 

明るさはわが傍に羽搏き

ひとときもやむことなく

ささやきぬ やすらかに

わがいのちかくあらばや

いつの日も かろやかに

 

    3

 

ふるさとはなくしすれどふと見出たる

この心かなし

昔かく人のうたひきといふ蓬・柑子・鷗はしらねどこの心たのし

 

    4

 

とぎれに思ひつる

そは何(なに)なりしか

かかるひととき

かすめゆく面影 しなびたる黃水仙

すべては消えるままに消えつつ

 

    5

 

ふたたび 唄飛ばずなりぬ

いつの日 歸るさだめならん

耳すまし きいてあれども

 

立原道造草稿詩篇 燈下愁曲

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、この「燈下愁曲」から「(幾度か人……)」の六篇の『本草稿群』の印刷原紙は『濃厚緑色』で、『書蹟はブルー・ライト・インク』を使い、『極太ペン書きのやや角ばった書体で、表題を枡目より大きく書く特徴を持つ文語詩群である。』とあり、『なお書体、印刷インクなどの特徴で本用紙に属する他ジャンルの草稿は小品「雛のことや」(対応分類a・第六巻所収)のみである。』とある。「雛のことや」は「商品・感想草稿篇」の一篇。ここから視認出来る。なお、表題の後の前書きは、ポイント落ちで、三行であるが、ここでは、ブラウザの不具合を考えて、行を増やした。底本では、『みすぎよすぎに曲馬の群にまじりおのが哀しみをひさぐ男ありしが』(改行)『時に觸れ古き歌の調べを思ひふと汚れたる洋燈の傘に顏をよせつ』(改行)『何なりしかその心は知らねども』である。詠み難くなるだけなので、詩本文と同ポイントとし、行空けがないのも同様の理由で、空けた。

 

  燈下愁曲

 

      みすぎよすぎに曲馬の群にまじり

      おのが哀しみをひさぐ男ありしが

      時に觸れ古き歌の調べを思ひふと

      汚れたる洋燈の傘に顏をよせつ何

      なりしかその心は知らねども

 

やぶりすぎたこの頃なれど

つきつめてふりかへるともなく

すごしてあれば心はいたましく

ああ 古ぼけた緣の帽子を被り

あさましく人のまねして

浮かれたサーカスの音樂をきいて

綱をわたつたり 象に乘つたり

日がな一日くらしてはをれど

もしあの毒のやうな空のてつぺんから

滑つておちてゆくわが身ならば

やぶりすぎたこの頃なれど

ちらりと粉雪の身にしみて

ああ それかと泣くすべもないさうな

 

 

[やぶちゃん注:「緣」は「へり」。

この文語詩、正直言って、表現中の現代口語部分が、幾箇所か、躓きを感じて、気になる。私なら、こうする、というものを、以下に示す。前書きは問題ない。

   *

 

  燈下愁曲

 

      みすぎよすぎに曲馬の群にまじり

      おのが哀しみをひさぐ男ありしが

      時に觸れ古き歌の調べを思ひふと

      汚れたる洋燈の傘に顏をよせつ何

      なりしかその心は知らねども

 

やぶりすぎしこの頃なれど

つきつめてふりかへるともなく

すごしてあれば心はいたましく

ああ 古ぼけし緣の帽子を被り

あさましく人のまねして

浮かるるサーカスの音樂をききて

綱をわたり 象に乘りては

日がな一日くらしてはをれど

もしあの毒のやうな空のてつぺんから

滑つておちてゆくわが身ならば

やぶりすぎたこの頃なれど

ちらりと粉雪の身にしみて

ああ それかと泣くすべもないさうな

 

   *

御叱正を乞う。]

立原道造草稿詩篇 (ゆくての道……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、『囲み罫を水色、その中央に水色と灰色で窓を描き、詩句は水色でその左右にある。』とある。]

 

  (ゆくての道……)

 

ゆくての道 ばらばらとなり

月 しののめに 靑いばかり

 

2026/03/10

立原道造草稿詩篇 晩夏

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  晩夏

 

ひと目、山にて

白き驛標を見き。

 

薄れ陽、かすかに

死なまほしとはあらねども

空、とほく澄みたり。

 

[やぶちゃん注:「薄れ陽」ネィテヴでない読者のために、「うすれび」。注記に、『色の使用は前掲』「たそがれ」『と同じ。」とある。

立原道造草稿詩篇 たそがれ

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、この「たそがれ」から「ゆくての道」の三篇が載るものは、『大体の用紙寸法は縦二六×横一八・五センチ。絵入り手製詩集らしく、桃色、水色、灰色の水彩絵具で囲みの子持ち罫、表題、ノンブル、插画、本文を筆記したもので、無綴三葉。扉や目次などを欠いているので完成本かどうかも未詳である。拠って草稿と見做し、次項の文語詩群の頭に置いた。昭和9年夏から冬にかけて、室生犀星の『故鄕圖繪集』『抒情小曲集』や萩原朔太郎の『氷島』などの文語詩集を愛読しており、また文語調の文章も杉浦明平宛の書簡に見られ、9月1日付で「文語のリズムは口語の貧困をかなしませます」と語っているが、これら文語詩の制作かそれに対する試作と思われる。制作時は9年冬頃と想定する。排列は原記ノンブル(時計文字)の順序に拠る。』とある。この「時計文字」とは、ローマ数字を指していよう。但し、時計では「IV」ではなく、「IIII」とするものが殆んどである。]

 

  たそがれ

 

換気筒も、雲も、齒車も

あはれ、みんな廻るなり。

煙のやうな、街のたそがれ。

 

 

[やぶちゃん注:「廻」の字体が「𢌞」ではないのはママ。注記に、『囲み罫は桃色、表題およびノンブルは水色、本文は灰色書き。』とある。]

立原道造草稿詩篇 枯木

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  枯木

 

衰へたかげにからんで

その濃い紫と 空色は

はじめての死に身をまかせ

暮れて行く風に身をまかせ

耳にうたつてゐたのだ

誰にもかなしいと聞える歌を

それはずるい枯木であつた

 

はじめは人がまちがへて枯木をかなしく思つたけれど

ああ それはずるいずるい噓つきだつた

 

[やぶちゃん注:この枯れ木の種が全く判らない。「濃い紫と」「空色」というのは、この枯れ木の表面上の色と読めるが、表面に蔓延った地衣類の色であろうとは思うものの、この表現だけでは、それらの候補種を挙げることも、植物には冥い私には、出来ない。識者の御教授を乞うものである。]

立原道造草稿詩篇 (だのに だのに と僕は……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (だのに だのに と僕は……)

 

だのに だのに と僕は繰返す

あれから一年 短い日であつた

每日のやうに本の頁を切つてゐた

それにはやさしい言葉が書いてあつたから

 

窓の外にばかり咲く花 お前たち

部屋では何と枯れやすいのだらう

壷に凋れたとき 僕は人に片づけて貰はなければならなかつた

僕にはそれが出來なかつたから

 

もういらない うすら明るいかげ

もつと眩しい窓に行く 僕の眼は

お前の悲しい時が もう見えない

 

あれから一年 また會ふことはないだらう

花色のかげのなかに

ひとつともつて生きてゐよう

やさしい僕の眼 臆病な僕の眼 もう歌もなく

 

 

[やぶちゃん注:第一聯に就いては、若い普通の読者は正しく読める。寧ろ、したり顔した半可通の合理主義的読者は間違いなく誤読する。「每日のやうに本の頁を切つてゐた」というのは、本の小口の一方、或いは、三方を、化粧裁ちしないで製本されたもの言う「アンカット(uncut edge)本」を、ペーパー・ナイフで切って読んでいる――のではない――からである(アンカット本に関しての詳細は、当該ウィキが判り易い)。無論、誠実ゆえに、うっかりと、そう読み過した読者もいるだろう。しかし、それでは、この詩は、「詩」にならない、と、私は、断言する。――「每日のやうに」アンカット「本の頁を切つてゐた」。だって、「それにはやさしい言葉が書いてあつたから」だ。――という光景は、ただの愛書家(厳密には、真正の西洋の「愛書家」ではない。何故か? 西洋では、偏執的愛書家は、手に入れることが目的であり、その本を、一切、読まないからである)の、つまらぬ平板にして糞のような一コマでしかなく、「詩」にならないからである。ここで、詩人立原道造は、蔵書の中から、「やさしい言葉が書いてあつた」箇所=詩想に霊感を与えて呉れるフレーズを、鋏で切り取って集め、オリジナルなコレクションにする作業をしているのである。

2026/03/09

立原道造草稿詩篇 雨

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  雨

 

 軒先を拾つて步いた。麺麭屋では熱い竃のにほひが頰を打つた。僕の息にはこみあげる血がかすかな心配をまぜてゐた。麺麭屋では……。

 

 洋燈に頰よせて、僕の脣は乾いてゐた。指を觸れると白く剝がれた。讀みさしの頁の上に散つた脣。

 

雨は小止みなかつた。

僕は耳をすました。人が泣いてゐた。母だつたのだらうか。

 

しきりに泉が戀しかつた。額に暗い熱があつた。

 

 

[やぶちゃん注:「小止みなかつた」「小止み無い」は歴史的仮名遣では「をやみない」で、形容詞で、「少しの間もやむことなく続くさま・間断(かんだん)ない」の意。平安時代からあった古語である。今の若い年代の諸君は、あまり使わないであろうから、敢えて注した。]

立原道造草稿詩篇 (空つ風の高臺に……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (空つ風の高臺に……)

 

空つ風の高臺に

かうして二人で立つてゐると

屋根の向うの夕燒に

小さく富士が見えてゐる

 

語らひは疲れの外に流れ去り

ただ眺めてゐる靄もない町の空

積み重なつた屋根の下に

煌めくままに燈がともり

 

[やぶちゃん注:「空つ風」の「つ」は古語の格助詞で、体言や形容詞の語幹に付いて、「所属・位置」を添える「~の・~にある」で、連体修飾語を作る。]

立原道造草稿詩篇 (春が來たなら……)

立原道造草稿詩篇 (春が來たなら……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。

 さて。本詩の底本を見て戴きたい。そこでは、二行目が、

   *

本のかげに小さな椅子に腰かけて

   *

となっている。これは、流石に、驚いた。しかし、注記には、何も書かれていない。まず、躓き、しかし、一瞬、『春、極小の小人に変じた道造が、「本のかげに小さな椅子に腰かけて」……とメルヘン風に詠み始めたものか?』と思ったのだが、しかし、以下を読んでも、そんなニュアンスは全く認められない。而して、この詩、以前に電子化した記憶が微かにあったので、調べたところ、二〇一六年六月に、所持する一九八八年岩波文庫刊「立原道造詩集」(杉浦明平編)を元に、恣意的に正字化したものであるが、そこでは、

☆ちゃんと「木」になっている

のである。

 さて。杉浦明平氏は、本底本全集の編者の一人である。

 しかし、だ! 国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集」(角川書店版の旧版及び新版とも)を横断検索しても、

この草稿詩篇は、総てが、「本」になっている

のである!

 この原稿は底本の注記を見ても、喪失とは書かれていない。とすれば、

★杉浦氏が岩波文庫版「立原道造詩集」を編集され、原稿を再々度、確認されるまで、「木」の判読の誤り、或いは、旧全集から新全集まで、延々と続いた誤記或いは誤植であった

ということになるのである。或いは、失礼乍ら、

★旧全集のものを、再検証し切れずに、うっかり、そのまま――安易に――旧全集から移したものではないか?

と疑わざるを得ないのである。そう疑うのは、再検証して、やっぱり、「本」であったのなら、ここに、せめても、訂正注として、

――原記では、二行目冒頭の「木」は「本」であるが、「木」の誤記と認め、特異的に訂した。――

とされたはずだから、である。既に、杉浦氏は白玉楼中の人となられているから、判らない。或いは、新版の後刷には、それが語られてあるのかも知れない。

★無論、私は「木」と書き変えた。

 

  (春が來たなら……)

 

春が來たなら 花が咲いたら

木のかげに小さな椅子に腰かけて

ずつと遠くを見てくらさう

そしてとしよりになるだらう

僕は何もかもわかつたやうに

灰の色をした靄のしめりの向うの方に

小さなやさしい笑顏を送らう

僕は餘計な歌はもう歌はない

手をのばしたらそつと花に觸れるだらう

 

春が來たなら ひとりだつたら

 

立原道造草稿詩篇 (日暮に近い部屋のなかで……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  (日暮に近い部屋のなかで……)

 

日暮に近い部屋のなかで、鉛筆が僕を傷つけた。色褪せた紙に、僕は詩を書いてゐた。亂れた心に復讐をするために。

 

僕が書ける日、平和は僕をとめた。

弱さがお前に書かすのだと、强くなれと。

詩が書けない日、言葉は僕を妨げた。

そこにお前はゐないのだと、町へ行けと。

 

夕日が窓を消えて行つた。

九つの星に僕はたづねよう。生きるといふことを。そのなかで歌ふことを。

 

 

[やぶちゃん注:この第一聯の表現には、道造のアンビバレンスな心理が反映されている。第二聯を読むなら、第一聯の、表面的には、「亂れた」僕の「心に復讐をするために」、「鉛筆が僕を傷つけた」と読めるのだが、実は、ここには、無意識裡に、道造自身が「亂れた心に復讐をするために」「僕は詩を書いてゐた」というニュアンスが読み解けるからである。傷心のロマンス詩人であると思われている立原道造は、実際には、詩を「亂れた心に復讐をするために」自虐的に「詩を書いてゐた」のではなかったか? 私はそれこそが、詩人立原道造の内実であったのではなかったか?

「九つの星」注記では、『占星術の九曜星』(くようせい/くようぼし:「くよう」は歴史的仮名遣では「くえう」)『か。』とする。小学館「日本国語大辞典」の「九曜」に拠れば、『日・月・火・水・木・金・土の七曜星に、羅睺(らご)星と計都(けいと)星を加えたもの。本来は、インドの天文学で九惑星として数えあげた名称で、日本には、密教の星辰信仰を介して知られるようになり、陰陽(おんよう)家が、人の生年月などに配当して運命を占った。九曜星(くようせい)。九曜の星。九星(きゅうせい)。』とする。道造は、建築家であるが、当初、第一高等学校理科甲類に進学した時は、天文学を志望していた。星に疎い私でさえ、九曜星は漢文と民俗学への興味から、よく知っていたから、確かに、「九つの星」と言えば、まず、それを想起はする。しかし、ここで道造が、九曜星を指しているというのは、どうも胡散臭い。日没後の星空を見上げた彼が、実際の九つの星を見上げて、かく、表現したとするのが自然である。但し、九つからなる星座は、存在しない。前後の草稿の並びから、これを昭和九年の晩秋と仮定すると、この時、彼は東京にいる。季節的に、はっきりと見える星座はオリオン座の七星であるが、晴天であれば、オリオンの内側に等級の低い星が見えるから、それを見上げたと仮定するのが、最も無難かと、素人の私は考えた。星に詳しい方のご意見を拝聴したい。]

立原道造草稿詩篇 踊子は

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこに、『原記最終行は消去されて次の言葉が続く。』として消去した一文が記されてあるので、それを【初稿】として復元した。]

 

【初稿】

 

  踊子は

 

踊子はなぜ踊るのか知らなつた。それはサアカスの音樂のなかの踊子だつた。動物のかはりに、積木のかはりに。

 

人たちは慰むことが出來た。束の間は笑ふことが出來た。

 

踊子は靴を鳴らした。月曜日に日曜日の着物を着てゐた。それから疲れた。

 

 

【決定草稿】

 

  踊子は

 

踊子はなぜ踊るのか知らなつた。それはサアカスの音樂のなかの踊子だつた。動物のかはりに、積木のかはりに。

 

人たちは慰むことが出來た。束の間は笑ふことが出來た。

 

踊子は靴を鳴らした。月曜日に日曜日の着物を着てゐた。

 

 

[やぶちゃん注:私は、この場に道造と一緒にいたデジャヴを持ってしまう人種である。さればこそ、私は、断然、初稿を支持する。]

2026/03/08

立原道造草稿詩篇 風琴を聞く女

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  風琴を聞く女

 

暮れやすい雨にあかりがともされて

一きは切ない心の歌をうたつたが

あの風琴は繰り返して飽きなかつた

おそらく故鄕の歌だつたのだらう

 

一輪に紅い花を凋れる前に髮にとめ

ぢつと眼をとぢてゐるその姿が

黑い上衣の襞に搖れて立ちあがつた

窓に凭ると眼は暗がりが映つた

 

呼びあつて風琴の歌はまた繰返した

この一日かうして終つたと

雫に濡れた窓に人の心が眞似をした

また一日かうして終つたと

 

立原道造草稿詩篇 船

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  船

 

湖に洋燈を浮べて夏の日を

つなぎとめたお前の心から

夢もなく滑つて行つたのは

つかの間の藻のいたづらら

 

お前はうつろ眼に

靑空を山々の形をうつし

溢れる思ひには身を任さなかつた

朽ちないまま 冷やかに

急流を行く日ばかり

はかない願ひにかぞへてゐた

 

立原道造草稿詩篇 昨日

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  昨日

 

消えた言葉は追ふのはよさう

消えた言葉は私のものだ

どこに どこに やさしい言葉

 

消えた言葉は空にゐる

一日 雲とうたつてゐるのは

どこに どこに 私の言葉

 

さがしに行つた人たちと

耳をすすますなら 私は行かう

 

消えた言葉は私のものだ

また 朝から日暮れまで

 

立原道造草稿詩篇 鴉の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  鴉の歌

 

奪はれた日から 私はうたつた

私はここに立つてゐる そして汚れた

私は夕燒を呼んでゐる 今こそあれがいりようなのだ

 

私は夜と一しよにゐたい

木の風と 私はかくすものと

そして私は夜をにくまう あれは一面に黑いから

 

私は燒けて そこから生れる

夕燒ばかりがいりようなのだ

私は呼んでゐる 奪はれてはならない 私は呼んでゐる

 

[やぶちゃん注:今朝、未明に起きて、この詩について、既に二時間半の間、この第一聯の二行目の「汚れた」を「よごれた」と読むか、「けがれた」と読むかで、迷い続けた。最初、一行目を受けて、私は、無条件反射で、「けがれた」と読んだ。しかし、即時に、ふと、暗い書斎で(私の書斎の室内灯は八カ月前から豆電球を除いてショートしている。パソコン使用には問題がなく、机にあるスタンドで十分なので、直していない)、『道造が、いままで「けがれ」と読んだことがあったかな?』と頭を傾げたのだった。まず、私の「立原道造」(現在、三百三十八件。目ぼしい詩篇は概ね電子化したが、私は物語物は殆んど電子化していない)で調べると、「けがれ」は見当たらない。所持する幾つかの彼の詩集の中には、編者がルビを振ったものがあるが、それらにも、存在しなかった(ブログ記事の初期は、それらをほぼ、全部を電子化しているから、落ちはない)。次に、国立国会図書館デジタルコレクションにある全ての彼の全集で全文検索を「穢」の単漢字を調べたが、「穢」の使用は全くなかった。次に「けがれ」で調べたが。使用例はなかった。「汚」の漢字は、彼は好んで詩句に用いている。しかし、それらは殆んどが物理的・比喩的な用法での、「よごれる」の意の用法でしか見出せなかった。これを確認し終わった時に、山影から陽が射していた(道造好みの朝焼けであった)。以上から、私は、道造は「穢」の漢字、「けがれ」の文字を生理的に嫌っていたと断言してよいと思われる(全文検索には書翰も含まれる)。されば、この「そして汚れた」も「そして よごれた」と読んでよいと結論づけた。識者で、使用例があるとなれば、御教授戴きたい。

2026/03/07

立原道造草稿詩篇 雨

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来るが、そこには、『草稿消失 角川書店版第二巻』とあり、『全集に於ける隣接詩との関連に拠り、ここに置いた。』とある。旧全集(一九五八年版)の当該部は、ここである。]

 

  雨

 

雨といふに、飛行機がとぶ。

窓をあければ――

八つ手の若葉。

どこからか子供の聲がする。

 

立原道造草稿詩篇 窓

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこには、抹消した第二行と第三行の間にある一行が記されてあるので、それを【初稿】として復元した。]

 

【初稿】

 

  窓

 

坐つて 黙つてゐた

 

たつたひとりであつた

 

ほほ笑んだ顏ばかりであつた

 

空がかがやき雲が過ぎるとき

 

ちひさな 似た神々であつた

 

寢床まで月がさすことがあつた

 

風吹くな と祈つてゐた

 

 

【決定草稿】

 

 

  窓

 

坐つて 黙つてゐた

 

たつたひとりであつた

 

空がかがやき雲が過ぎるとき

 

ちひさな 似た神々であつた

 

寢床まで月がさすことがあつた

 

風吹くな と祈つてゐた

 

立原道造草稿詩篇 擒(とりこ)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  擒(とりこ)

 

風がとほくを過ぎるときに

 

身體をかたくして 僕は 手を垂れてゐる

 

家畜の眠りのまはりの洋のやうに

 

かすかな響が僕を包んだ――

 

 

[やぶちゃん注:「身體」は「しんたい」と読んでおく。道造なら、「からだ」と読ませるつもりであれば、必ず、ルビを振ると考えるからである。]

立原道造草稿詩篇 曇天

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、昭和九(一九三四)年の『制作時付記を持つ』(月は表示なし)とある。]

 

  曇天

 

雨降るな

 

風吹くな

 

旅であらうに

 

龜よ 汝(おまへ)の脊に手をおきつ

 

道は遙かに白かろき

 

 

[やぶちゃん注:「おきつ」の「つ」は、古語の完了の助動詞の終止形で、所謂、通常、「……つ、……つ」の形で、「……したり、……したり」という複数の動作が並立的に行われるそれであるが、ここでは、後の動作が存在しない全くの破格法である。或いは、古語・現代語共通の「つつ」の後の「つ」を脱字してしまったものかも知れない。しかし、最終行の末文のフレーズ「白かろき」は明らかに擬古文であるから、詩人の亀に言いかけた一連のものであると読む以外にはおかしいから、前のこの「つ」も、古語の破格のそれであると読むのが、自然である。しかし、表現としては、ぎくしゃくしていて、全くのアウトである。

 さて。これと、直前の「天の誘ひ」の二篇は、道造としては、詩的実験を試みたものと思われる。「天の誘ひ」の漢文と最終行末尾の「歸らず」の擬古的手法といい、本篇の「つ」と「白かろき」の使用で、通性が強い。しかし、正直、この二篇は、道造の詩としては、異様で、失敗であると思う。

立原道造草稿詩篇 天の誘ひ

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、昭和九(一九三四)年十月の『制作時付記を持つ』とある。]

 

  天の誘ひ

 

それは哀しみに似てゐたが

 

人は知らぬ顏をして

 

日の暮れるのを待つてみた

 

――万事休矣

 

あたふたと旅仕度をした

 

かがやく雲と月は歸らず

 

 

[やぶちゃん注:「矣」は漢文の助字で置き字で読まない。全体は「ばんじきゆうす」(ばんじきゅうす)と読む。]

立原道造草稿詩篇 晩秋

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、昭和九(一九三四)年十月の『制作時付記を持つ』とある。]

 

  晩秋

 

ゆく雲が何をうたつたか

 

おまへのあちらに人の世がある

 

本棚の隅に見つけた

 

歌は窓を破り逃げ去つた

 

もう誰とも會はなかつらう

 

立原道造草稿詩篇 黃昏へ

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、昭和九(一九三四)年十月の『制作時付記を持つ』とある。標題は「たそがれへ」と読みたい。]

 

  黃昏へ

 

茂みの小鳥は年老いた

 

緑は 空は 色移つた

 

誰がうたふだらうか けふ僕のよろこびを

 

歌は翼を日に煌かせ

 

弱年の掌を飛び去つた

 

立原道造草稿詩篇 落葉

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、昭和九(一九三四)年十月の『制作時付記を持つ』とある。]

 

  落葉

 

踊子の掌に 光が

それが消えると

踊子の掌に 光が

 

その上に それが消え それがかげり

光のなかを 踊子が

そればかり そればかり

光のはてを 掌が

ただもう搖れざはめく掌を

光が 光が

 

立原道造草稿詩篇 十一月一日の朝

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。それに拠れば、昭和九(一九三四)年十月の『制作時記を持つ』とある。この詩、道造としてはやや珍しい文語表現の混じったものであるが、正直、いただけない。]

 

  十一月一日の朝

 

人は並木のかげを行き

吐く息は美しく頰を染め

そのあとを幾つも幾つも水玉が流れぬ

 

窓はすきとほり

笑はない子供等のそばに

雲がそれを眺めぬ……

 

家鴨と鶴が飛び去れり

水音に池は濡れしが

誰もその低い呟きを聞かず

 

立原道造草稿詩篇 風の話

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  風の話

 

そんなことを言ふのはおかしかつた

僕らは まじめな顏で言ひあつてゐた

風が見えないことを

 

最初の子供は 風が埃のそばに見えることを言つた

誰にもその考へは氣にいらなかつた

 

次の子供は 風が枝のそばにばかり見えることを言つた

その子は木のぼりを考へた 葉がそよいだ

 

僕らはみんなで言ひあつた

そしてたいとう最後の子供が言つた

あれは見えなくてよいことを

 

 

[やぶちゃん注:これは少年期の道造の回想の再構築ではない。そこにいる「僕」は青年になった道造である。そうして、こうした道造マジックこそ、彼が真のpuer eternus――プエル・エテルヌスとして生きた詩人であることを証明する。虐められてばかりいた僕が、遂になれなれなかったプエル・エテルヌスに……。]

立原道造草稿詩篇 夜

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこには、『第二聯の「――』を字空けで連投する『使用は、昭和10年3月の「枯木と風の歌」(第一巻所収)などにも見られる。』とある。この「枯木と風の歌」は、既に、二〇一五年十月六日に電子化してある。しかし、それは、底本として昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いたのだったが、今回、調べたところ、この中村氏が拠ったものが、角川書店の旧全集(ここ〈一九五七年版〉/先行版はここ〈一九五〇年版〉)を底本にしたもので、そこでは、この第四聯の最終行が「 …… …… ……」になっていたのであるが、後の新全集(一九七一年刊)を見たところ、当該部(ここ)は以上のように、「―― ―― ―― ―― ――」になっていることを発見した。されば、そこを修正し、中村氏がルビを振った部分四箇所もカットし、さらに、Unicode導入以前の仕事であるので、正字不全があったのも修正しておいたので、見られたい。因みに、この草稿の創作時期は、昭和九(一九三四)年に想定されている。]

 

  夜

 

僕にはどうしてもわからない

どうしてあんなにいそぐのか

そして或る時はしづかなのか

風のことが

 

窓をとざして

僕は聞いてゐる

さうして いつまでも

―― ―― ―― ―― ――

 

2026/03/06

立原道造草稿詩篇 海峽

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  海峽

 

搖れながら あかりは風に消えて行つた

窓の外に 船はどこにゐるのだらうか

 

女たちは抱きあつて 昨日を呼んでゐた

(朝になつたら あれは歸だらうか)

 

誰もが祈ることを思はなかつた

風が叫び返した 波は白く炎のやうに散つてゐた

 

骸骨は 崩れたらうか――

女たちは 泣くすべを呼びつづけた

 

立原道造草稿詩篇 旅

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]

 

  旅

 

海は燕の歌をきいた――

日がはじまり 碑がをはり かうして

越えてゐる私の羽根には力があるのだ

私は疲れた阿呆鳥とはちがふのだらう

私はいさましく越えて行く 私は信じてゐると……

この小さな生物は海にいつかはその身を投げはしないか

 

海は絕えずうたつてゐた 呟きだつた

或る日 それは夏だつた

燕はたうとう海を越えきつた 海は忘れてゐた

白い波頭でその行方を見送りながら 繰返した

これはあまりに小さく 私はあまりに大きいと――

明るくはてしない晝であつた 似た雲があつた

 

立原道造草稿詩篇 白

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこには、『「――三四・九月」の制作時付記を持つ。』とある。]

 

  白

 

海への道だつた やさしいことだつた

しやべりながら はしやぎながら しづまりながら

それは明るい時だつた

 

おまへの耳に日が搖れ

濡れた木の間を光が洩れ

うすらいでゆく霧だつた 霧は空の色だつた

 

やさしいことだつた――

僕には夢があつた 笑ひがあつた

海には朝の船がとほい港に旅立つて行つた

 

 

[やぶちゃん注:道造の得意な過去形の失恋詩篇である。彼が詠む時、孰れも、気障を全く感じない。そこに私は惹かれる。私は多くの教え子の結婚式に招かれたが、そこでは、多くは、長い退屈な賛辞はせず、いろいろな詩を朗読した(私は国語教師時代、自ら『朗読七割、授業三割。』と嘯いていた)。数回、道造の詩も詠んだ。しかし、彼等は、それが、失恋の詩であることを知らなかった。道造の失恋詩には、失恋の持つ永遠の瞬間の至福があるからに他ならないのである。私も、この詩を、嘗つて愛した女性に贈ることとする。]

2026/03/05

立原道造草稿詩篇 夏へ

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから、次のコマで視認出来る。そこには、『前掲』『鉛筆書き初稿「旅裝――K停車場で」』(ここは前の注記から正式な標題を示した)『とほぼ同文である。』とし、『昭和11年3月「ゆめみこ」発表の「夏へ」の原型。』とある。

★この注記中にある『ほぼ同文である』が気になる。「ほぼ」とあるのだから、違いがあるのである。しかし、底本全集には、いくら探しても、その鉛筆書きである初稿「旅裝――K停車場で」は、載っていないのである。恐らくは、標題(注記の殆んどでは、単に原題を「旅裝」のみとなっているのも、実は、甚だ、気になっているのである)・字配・表字(判読不能を含む)・「てにをは」の異体・誤字その他と有意な違いではないと判断されたものなのだろうが、やはり、気になるのである。因みに、調べてみたところ、『郷土作家研究』(通号二十八号・二〇〇三年七月発行)に載る野村聡氏の論文『立原道造「旅装」の考察--草稿詩との比較による解読の試み』に、その初稿が載るのではないかと思ったが、ネット上では直接の閲覧が出来ない(国立国会図書館に依頼すれば、閲覧可能だが、私は、現在、諸事多忙なれば、その余裕がない)。もし、私のブログの読者で、その論文を所持しておられる方が居られれば、その論文に原型が載っているのであれば、それを教えて下されば、誠に有難い。その関係上、最初に掲げたものを【草稿第二稿】とした。

☆本草稿を元にした発表された「夏へ」は、実は、私は、本全集の編輯者であられる杉浦民平氏の編になる岩波文庫版に載るものを、ここで、二〇一六年に公開しているのだが、恣意的に私が正字に直したものであり、杉浦氏はルビを附加されておられるので、改めて、ここで【雑誌『ひめみこ』掲載の決定稿】として、底本全集の「第一卷 詩集I」の「夏へ」を底本にして、改めて電子化した。但し、同巻の編者注に(ここの左丁下段三行目以降)、その発表されたものを、改めて、道造が手書き(推定)で、公開誌に訂正を入れたものが存在し、実は、同全集の本文は、編者によって、その訂正版で示されてあるのである。この「訂正」というのが、単なる雑誌編者の誤りなのか、発表後に道造が気に入らなくなって、発表誌に書き込んだものなのかは、その注記では明確ではない。そこで、最後に、【発表詩に後に自筆(推定)で書き変えた決定稿(推定)】として附すこととした。

 

【草稿第二稿】

 

  夏へ

 

ここにかうして待つてゐる 或る時の

僕の少年 僕の祕密

僕の知らない 誰かの出發

 

人はハンカチをふるだらう

すると窓からほほ笑むだらう

さうしてどこかに行くだらう

 

さう 僕は 帽子用意した

それから紙よりも白いシヤツを

さうしてさがしさがしに行くだらう

 

プラツトフオームで手をふつた 或る時の

僕の昨日 僕の少年

あの人のゐない 幾つも幾つもの出發

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、第三聯の頭の「さう」は、下の字空けからも判る通り、自分自身に改めて再確認をして、決意を示した「さう」(そう)である。]

 

 

【雑誌『ひめみこ』掲載の決定稿】

 

  夏へ

 

こゝにかうして待つてゐる、或る時の

僕の少年 僕の祕密……

さうして僕の 知らない人の 誰かの出發

 

人は ハンカチをふつてゐる

人は お辭儀をする

さうしてどこかに行くだらう――

 

(さう 僕は 帽子用意した

それから紙よりも白いシヤツを

さうしてさがしさがしに行くだらう)

 

プラツト・フオームで手をふつた

或る時の

僕の昨日

僕の少年……あれから

あの人だけゐない すぎた幾つもの出發

 

 

【発表詩に後に自筆(推定)で書き変えた決定稿(推定)】

 

  夏へ

 

こゝにかうして待つてゐる、或る時の

僕の少年 僕の祕密……

さうして僕の 知らない人の

忘れた 誰かの とほい出發

 

人は ハンカチをふつてゐる

人は 窓からほほゑむ

人は お辭儀をする

さうしてどこかへ行くのだらう――

 

(さう 僕は 帽子を用意した

それから紙よりも白い肌衣を

さうしてさがしさがしに行くだらう)

 

プラツト・フオームで手をふつた 或る時の

僕の昨日、僕の少年……あれから

あの人だけゐない すぎた幾つもの出發

 

2026/03/04

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 目録・山草類 上卷・尾人參

 

Higeninjin

 

ひげにんじん 髭人參【俗稱】

       小人參【俗稱】

尾人參

       自此一種也俗

       以爲大人參之

       髭細根者非也

 

△按尾人參朝鮮中華共有之蔓生而與人參一類異種

 者也高一二寸葉似人參而小蔓出於莖布地至𠙚生

 根如草石蠺樣取其蔓根爲藥纖者似萆薢髭故名髭

[やぶちゃん注:「蠶」は、原本では「グリフウィキ」のこれ(上部の「天天」が「夫夫」)だが、表示出来ないので、正字で示した。]

 人參毎唐船皆將來之稱小人參性堅實其功勝於大

 人參之浮虛者

 

   *

 

ひげにんじん 髭人參【俗稱。】

       小人參《しやうにんじん》【俗稱。】

尾人參

       自《おのづか》ら、此れ、一種なり。俗、

       以《もつて》、「大人參の髭細根」と爲るは、

       非なり。

 

△按ずるに、尾人參は、朝鮮・中華、共に、之れ、有り。蔓生《つるせい》して、人參と一類異種なる者なり。高さ、一、二寸。葉、人參に似て、小《ちさ》く、蔓(つる)。莖より出《いで》て、地に布《し》き、至る𠙚に、根≪を≫生ず。「草石蠺(ちやうろぎ)」の樣《さま》のごとし。其蔓根《つるね》を取《とり》て、藥と爲《なす》。纖(ほそ)き者は、「萆薢(ところ)」の髭(ひげ)に似《にる》。故《ゆゑ》、「髭人參」と名《なづ》く。毎《まい》、唐船《たうせん》、皆、之《これ》、將《も》ち[やぶちゃん注:「將」の字には「持ち送る」の意がある。]來《きた》る。「小人參」と稱す。性、堅實にして、其功、「大人參」の浮虛《ふきよ》なる者に勝(《ま》さ)る。

 

[やぶちゃん注:本稿は、「本草綱目」に引用がない。そして、前回の「卷第九十二之本 山草類 上卷・人參」で予告した通り、良安が言っているような一類異種では、ない。

 「金澤 中屋彦十郞藥局」の「●髭人参(ひげにんじん、ヒゲニンジン)、毛人参(けにんじん、ケニンジン)」に拠れば(一部を太字にした)、『健康食品、髭人参は神農本草経の上品に収載され、古くからもっとも珍重された補剤です。その根が人の形ににているからつけられたといわれています』とあり、基原を前項と同じ『ウコギ科のオタネニンジン』=セリ目ウコギ科トチバニンジン(栃葉人参)属オタネニンジン(御種人蔘)Panax ginseng 『の細根を除いた根(白参、生干人参)。または』、『これを軽く湯通しして(御種人参、雲州仕立て)乾燥したもの。人参はその調整法により「白参」と「紅参」に大別できる。もっとも雲州仕立てのような中間型もある。白参は直参、半曲参、曲参にわけられる。日本産、開城人参などは直参、豊基人参は半曲参、錦山人参は曲参で、そのほか生産地により数種の形の人参がある。紅参は細根をつけたまま蒸しあげ乾燥したもの(日本産紅参)と、細根を除去し』、『圧力をかけて乾燥したもの(北鮮、韓国産紅参)とがある』。「産地」の項には、『日本(長野、福島、島根;栽培)、韓国、北朝鮮、中国、ロシア(栽培、野生品はきわめてすくない。)』とする。「成分」の項に、『精油0.05%(β-エレメン、パナキシノール、パナキシドール、ヘプタデカー1-エンー46ジインー39ジオール、サポニン配糖体約4%(ギンセノシドなど)、糖類約5%を含む)』とある。「処方例」として、『白虎加人参湯、生姜瀉心湯、小柴胡湯、人参養栄湯、理中丸など。』が挙げられてあり、「用法・用量」に『煎剤、丸剤、散剤。10.53.0グラム。』とする。そして、「同類生薬」として、『広東人参:アメリカニンジンの根を乾燥したもので、カナダ、北アメリカに産する。別名を「西洋参」「花旗参」などともいう、成分としてサポニン配糖体 5%、を含み、用途は人参と同様に用いる。』とし、さらに、『三七人参:サンシチニンジンの根を乾燥したもので、「田七人参」「田三七」などともいう。中国雲南省、広西壮族自治区およびベトナム北部に産する。成分としてサポニン配糖体38%を含み、その主成分はギンセノシドである。』とある。

 さて、この最後の二種については、前者が、

トチバニンジン属アメリカニンジン Panax quinquefolius

であるが、これは、当該ウィキに拠れば、『北アメリカ原産であ』るとあり、この種は「広東人参」の異名があるものの、これは、近代に『広州や香港を経由して』アメリカから『輸出されていたことに因む』ものである。同種の「維基百科」の「花旗参」の記載を見ても、近代以前に中国に持ち込まれたとする記載はないから、これは、良安がここで言っている「尾人參」では、あり得ない。

  しかし、後者は、

トチバニンジン属サンシチニンジン(三七人参)Panax notoginseng

という同属(=同属種)の別種である。「維基百科」の同種のページは単に「三七」である。本邦の当該ウィキに拠れば、『中国南部原産』とし、「別名」として、『田七人参(でんしちにんじん)』は『広西省の田陽』(ここ。グーグル・マップ・データ。次も同じ)や『田東』(ここ)『で産することから、「田」の字が冠される』とし、また、『金不換(きんふかん)』という別異名に就いては、『金に替えられないほど価値が高いという意味』とある。しかし、「歴史」の項に、『おそらく、原産地では古くからその薬効が知られていたものと思われるが、中国の医学に組み入れられた歴史は浅く、16世紀に李時珍が著した薬学書』「本草綱目」『が初出』とし、『別名「金不換」の通り、中国では長らく国外輸出が禁止されていたが、近年、日本をはじめ、世界各国に輸出されている』とあった。

 さても、「本草綱目」初出というのは、実に「草之一 卷十二上【山草類上三十一種】」の末尾に置かれていた。「維基文庫」のここである。以下に示すが、「維基文庫」版は正字では電子化されていない(誤字も多くある)ので、以下に、それを加工データにして、国立国会図書館デジタルコレクションの万曆一八(一五九〇)年序板の当該部で校訂して示すこととする。一部の表示出来ない異体字は、同字であることを確認の上、「維基文庫」の字を採用した。句読点は意味を採るのに有効なので、やはり採用した。なお、後者のデジコレの方には、追加部分がある。

   *

三七【綱目】

(釋名)山𣾰【綱目】金不換【時珍曰、彼人言其葉左三右四、故名三七、盖恐不然。或云本名山𣾰、謂其能合金瘡、如𣾰黏粘物也、此說近之。金不換、貴重之稱也。】

(集觧)時珍曰、生廣西、南丹諸州畨峒深山中、采根暴乾、黄黒色。團結者、狀畧似白及、長者、如老乾地黄、有節。味微甘而苦、頗似人參之味。或云、試法、以末糝豬血中、血化爲水者乃真。近傳一種草、春生苗、夏高三、四尺。葉佀[やぶちゃん注:「似」の異体字。]菊艾而勁厚、有龜岐尖。莖有赤稜。夏秋開黄花、蕊如金絲、盤紐可愛、而氣不香。花乾則吐絮如苦絮。根葉味甘。治金瘡折傷出血、及上下血病、甚效。云是三七、而根大如牛蒡根、與南中來者不類、恐是劉𭔃[やぶちゃん注:「寄」の異体字。]奴之属、甚易繁衍。

根(氣味)甘、微苦、温、無毒。(主治)止血散血定痛、金刃箭傷、跌撲杖瘡、血出不止者、嚼爛塗、或爲末摻之、其血卽止。亦主吐血衄血、下血血痢、崩中經水不止、産後惡血不下、血運血痛、赤目癰腫、虎咬蛇傷諸病(時珍)。

(發明)時珍曰、此藥近時始出、南人軍中用為金瘡要藥、云有竒[やぶちゃん注:「奇」の異体字。]功。又云、凡杖撲傷損、瘀血淋漓者、隨即嚼爛、罨之即止、靑腫者、即消散。若受杖時、先服一、二錢、則血不衝心、杖後、尤宜服之。産後服、亦良。大抵此薬氣温、味甘微苦、乃陽明、厥陰血分之薬、故能治一切血病、與麒麟竭、紫𨥑[やぶちゃん注:「礦」の異体字。]相同。

(附方)【新八】吐血衄血【山𣾰一錢、自嚼、米湯送下。或以五分、加入八核湯。 瀕湖集簡方】赤痢血痢【三七三銭、硏末、米泔水調服。卽愈。 同上。】大腸下血【三七硏末、同淡白酒調一、二銭服、三服可愈。加五分入四物湯、亦可。 同上。】婦人血崩【方同上。】產後血多【山𣾰硏末、米湯服一銭。 同上。】男婦赤眼【十分重者、以山𣾰根磨汁、塗四圍。甚妙。 同上。】無名癰腫【疼痛不止、山𣾰磨米醋調、塗即散。已破者、硏末乾塗。】虎咬蛇傷【山𣾰硏末、米飮服三銭、仍嚼塗之。 並同上。】。

葉(主治)折傷跌撲出血、傅之卽止、靑腫、經夜卽散、餘功同根【時珍。】。

   *

★則ち、良安は自身の持つ「本草綱目」で、これを見たはずなのだが、「和漢三才圖會」には、全文で「三七」を国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版を★全文検索しても

――影も形も――ない――

のである。この事実は、取りも直さず、

★✕以上の引用の如く――江戸中期に――このサンシチニンジンが本邦に輸出された可能性は――ない――✕★

と考えてよい、ということになる、と私は断定するものである。

 而して、ということは、

良安が言っている朝鮮・中華から齎されたそれは、オタネニンジン(チョウセンニンジン)の成長不全個体の製品である

と断定するものである。

「草石蠺(ちやうろぎ)」シソ目シソ科オドリコソウ亜科イヌゴマ属チョロギ Stachys sieboldii 。詳しくは、当該ウィキを見られたい。私は、秋田県の温泉で、同種の塊茎を塩漬けにしたものを食べて以来、好物となった。

「萆薢(ところ)」本邦では「野老」で「ところ」と読ませる。これは、ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属 Dioscorea の蔓性多年草の一群を指す。詳しくは、当該ウィキを見られたい。]

立原道造草稿詩篇 春風の歌 / 【私の独断でカップリングした同全集「下書き草稿篇」に配されてある詩篇】(海には波には……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから、次のコマで視認出来る。この原稿群は『一部の作品は』昭和九(一九三四)年『9、10月の制作時付記を持』つとする。この「春風の歌」は、この年の春の情景を謳っているが、まずは、この年の春の海浜での体験を詠んだものと採っておく。注記には、第二聯の初稿が記されているので、それを、【初稿】して電子化した。なお、私は「春風」は「はるかぜ」と読みたい。

 次に、注記には、この詩稿「春風」の草稿が書かれている原稿の『裏面に次の「夏へ」の鉛筆書き初稿「旅装――K停車場で」および無題詩断片(海には波は…第六巻所収)がある。』とあった。そこで、そちらを見たところ、それは「第六卷 雜纂」の「下書き草稿篇」のパートに入っていた。ここである。しかし、それは私には、この「春風の歌」と強い親和性があるものと読めた。そこで、私の独断で、この後に、それを、「春風の歌」とカップリングして、「(海には波は……)」として掲げることとした。恐らく、私の読者は、この詩を、何故、「下書き草稿篇」に入れたのだろうと、訝る方もあろうと思う。私もそう思った。だから、ここに配することとした。取り敢えず、編者が最終巻の「下書き草稿篇」で前解説をしている箇所をリンクさせておく(下段に当該詩の解説がある)。

 

【初稿】

 

  春風の歌

 

私はいつか流れて行つた

繪のやうな綠のなかを

たつたひとつのの人の言葉を

運んで行くと 人は誰でも受け取つた

ありがたうとほほ笑みながら

 

夢から晝へ きらめく枝のなかを

私は 每日のやうに靑い空を

駈けてゐた 晝から夜へ

沈丁が咲いてゐた 麥がのびてゐた

私はいつかひとりだつた

 

 

【決定稿】

 

  春風の歌

 

私はいつか流れて行つた

繪のやうな綠のなかを

たつたひとつのの人の言葉を

運んで行くと 人は誰でも受け取つた

ありがたうとほほ笑みながら

 

夢から晝へ 駈けてゐた

私は 每日のやうに靑い空を

菜が咲いてゐた 川が溢れてゐた

私はいつかひとりだつた

 

 

[やぶちゃん注:個人的で恐縮だが、私は菜の花が頗る好きだ(もっと好きなのは紫雲英(ゲンゲ)だ)。だから、決定稿が好きだ。]

 

 

   ☆

 

 

【私の独断でカップリングした同全集「下書き草稿篇」に配されてある詩篇】

 

 

  (海には波は……)

 

海には波は白く炎のやうに散つてゐた

すばやい虹の雲が走りすぎた

鷗が追つてゐた――

艪はあはただしく波を切り

舟は濡れた水脈をひいてゐた

 

 

[やぶちゃん注:「水脈」は、断然、「みを」と読む。]

2026/03/03

立原道造草稿詩篇 (かなしいまでに……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  (かなしいまでに……)

 

かなしいまでにとほくを見て

眼よ おまへは泪をひたかくしてゐた

 

明るい雲の流れる街に

ボロの軒下を拾つて步き

おまへはひとをさがしあぐんだ

つれなかつたひとを

 

耳よ おまへのなかに老いたかなしみが

潮騒をうたひ とほい靄の夜をささやいた

 

夕暮れて 夕暮れは汚れた城のやう

荒れた草生にひとを待つてゐた

おまへは 來ないひとを

足音を

 

ながいこと さうして私はさまよつた

驢馬の步みよりまだ愚かしく

私は さうして ほほゑむだ

 

耳よ 眼よ

私は さうして ほほゑむだ

かつて愛したものの形は消えるまで

 

 

[やぶちゃん注:やはり漢字の読みが気になる。「眼」は全体を読み終わると、「まなこ」では、音律が上手くなく、結果的に浮いてしまい、おかしい。これは「め」であろう。

「草生」は「くさふ」と読む。草原に同じい。]

立原道造草稿詩篇 (眼をつむり……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  (眼をつむり……)

 

眼をつむり それでも

葉の重なりが見えるのだ

暗いギザギザが消えないのだ。

人は己を 疲れたといひ 瘠せたといひ

それが己をイライラとさせ

己れの顏は汚れてしまふのだ。

闇のなかでおろおろとしてゐる顏

ギザギザの葉つぱに嚙みつかれ

どうすることもならない顏、

それでも己はしつこく眼をつむり

己の顏を瞶めてしまふのだ。

 

 

[やぶちゃん注:「己」(「己れ」も含む)は「おれ」と読んでいよう。

「瞶めて」「みつめて」。]

立原道造草稿詩篇 晩夏

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  晩夏

 

つめたい風が袖口をめぐつてゐた。僞はるために詩を書いた。秋とは何だつたらう。秋が來て、何をするのだつたらう。霧のふかい日がつづいた。明日ばかり算へてゐた。ギリシヤ神話をよんでゐた。門口で郵便配達に會釋をした。稀に旅人のやうに、道を瞶めてゐた。夢を見た。燈のまはりを蛾が羽ばたいてゐた。

 

[やぶちゃん注:妙に、漢字の読みが気になってしまった。「明日」は「あす」か? 「あした」か?……「瞶めて」は「みつめて」で良かろう……「燈」は「ひ」だろうな、「ともしび」では音数律に停滞が起きるからな……――「明日」を国立国会図書館デジタルコレクションで底本の全集を横断して検索したが、どこにも道造はルビを振っていなかった。結論としては、「今日」は「けふ(きょう)」であるから、想定されるのは対応する「あす」だろうが、「霧のふかい日がつづいた。明日ばかり算へてゐた。」というフレーズを音声にしてみると、実は「あすばかりかぞえていた」という音律は――如何にも――微妙に――よろしくないことが判る。「あしたばかりかぞえていた」で初めてリズムが合うのである。私は詩語音声として「あした」を採るものである。

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「臼祖母巖」

[やぶちゃん注:底本はここから。段落を成形し、句読点を附加した。標題は、珍しく「臼祖母」の部分のみに『うすばゝ』(この場合は「うすばば」と読まないとおかしい)のルビがある。「巖」は、本文内容を考えるに、「いはほ」ではなく、「いは」と読むと推定した。]

 

 「臼祖母巖(うすばゝ《いは》)」 志駄郡《しだのこほり》瀨戶新屋村[やぶちゃん注:旧志郡内で、現在の藤枝市瀬戸新屋(グーグル・マップ・データ)であるが、実際には、現在の藤枝市南駿河台3丁目13-4の南向いのここ(グーグル・マップ・データ航空写真拡大)で、ストーリートビューのここ。後注も参照のこと。]にあり。傳云《つたへいふ》、

「當村鏡池《かがみいけ》は小池也。傍《かたはら》に巨巖《きよがん》あり、『臼祖母岩《うすばばいは》』と號《なづ》く。其形《そのかた》ち、人の口を開くに似たり。もし、此石に足をふるゝ者あれば、必《かならず》、瘧疾《ぎやくしつ/おこり》を患《わづら》ふ、云云《うんぬん》。」。

 毒石《どくせき》にや。

 

[やぶちゃん注:この石、現存する。場所であるが、個人サイトと思しい「志太の石碑・石仏めぐり」の「祠」の「うすんばあさん(姥神様) 子供の咳病平癒に霊験あらたかとされた巨岩と黒松」が、詳しい(国立国会図書館デジタルコレクションのリンクも完備している。但し、二〇二〇年二月で更新がないので、保存された方が無難である)。そこに、

   《引用開始》

 姥神様の祠の後ろに大きなくぼみがある岩が鎮座しており、そのかたわらに石祠と杉と黒松が立っています。この岩が姥神様こと「うすんばあさん」の御神体で、黒松は2代目の御神木です。うすんばあさんとは、「臼のばあさん」が訛ったもので、岩のくぼんだ形が臼に似ているためそう呼ばれていました。江戸時代に編まれた『駿河記』などには「臼祖母巌」として取り上げられています。

 元は現在調整池となっている烏帽子山北側の山沿いにありましたが、昭和50年(1975年)頃に始まった駿河台の宅地造成のため現在地に移転しました。旧地にあった頃には、先代の御神木黒松が岩をまたいで生えており、これらを一体のものとして祀っていたそうです。また、この前に「姥の鏡田」という清水が湧く水田がありました。

 旧地にあった先代の御神木黒松は、樹齢350年以上・樹高21mほどという立派なものでしたが、戦後間もなく火災にあい被害を受けてしまったそうです。現在地に移転する際に先代御神木の一部をとって移したものが、現在の御神木です。

 うすんばあさんは子供の咳に霊験があるとされ、足蹴にする者があれば必ず瘧疾(熱病)を患うともいわれていました。かつては多くの参詣者があり、近隣だけでなく遠州からわざわざ訪れる人もいたそうです。満願のお礼参りには竹筒に入れた酒を供えました。例祭日は43日とのことです。

 うすんばあさんが咳にご利益があるとされた由来は不明ですが、『駿河記』には「其形人の口を開きたるに似たり」とあり、案外そんなところから連想されてご利益が生まれたのかもしれないと想像しました。

 説明看板によると、旧地は調整池のほとりにそのまま残っているということです。しかし、調整池へ下りる道が封鎖されているため、おそらく立入禁止と思われます。なお、昭和59年(1984年)発行のゼンリン住宅地図には、この調整池に「姥ヶ池」というキャプションが付いていました。

 説明看板の設置者が瀬戸新屋町内会なのは、うすんばあさんの旧地が元は瀬戸新屋地内だったためと思われます。現在も南駿河台の南側に瀬戸新屋の飛地がありますが、昭和の初め頃には現・緑の丘付近と烏帽子山の東麓から富洞院あたりまでが瀬戸新屋に含まれていました。

   《引用終了》

さても、同ページの下方のゼンリン地図等が機能しないので、グーグル・マップ・データで調べたところ、サイト主が述べておられる『うすんばあさんの旧地』の『調整池のほとり』というのは、現在の航空写真では、ここの、地番「14」が打たれてある箇所で、私がストーリートビューのここの南東直近であることが判った。その後者の画像を見ると、現在の「うすんばあさん」の社には、角のフェンスが外されてあり、参拝することが出来るようになっていることが判るのである。

 なお、現在の「うすんばあさん」という呼び名は、推定だが、江戸後期から近代の庶民の呼称と思われる。その辺りを伺えるのが、リンクが機能する国立国会図書館デジタルコレクションの靜岡縣志太郡役所編になる「靜岡縣志太郡誌」(大正五(一九一六)年刊)の、ここの『【姥神御神木】(靑島村)』の項である。当該部を起こす(字空け・字配等は再現していない)。

   *

【姥神御神木】(靑島村)

所在地     瀨戶字壠川。

地上五尺の周圍 一丈五寸。

大約の樹高   十二間。

大約の樹齡   三百五十年。

傳說記錄の大要

往古より姥神御神木と稱し、巨巖を踏跨て[やぶちゃん注:「ふみまたぎて」。]樹に別に御神体[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]なく、只この巨巖と大松とを以て御神体とするが如し。巖は正面中央窪くして。其の形臼に似たるを以て、「臼ンバーサン」と云ふ。駿國雜志には、臼祖母巖とあるは此巖の如し。前に水田あり、內に形圓き[やぶちゃん注:「まろき」。]荒田あり、芦生立て[やぶちゃん注:「おひたちて」。]、古來之を御鏡田[やぶちゃん注:「おんかがみだ」。]と稱す。此の姥神は、小兒の咳疾(俗にシーラシヤアキと云ふ)に靈驗ありとて、近鄕は勿論、遠く遠州地方より參詣者多し。中古[やぶちゃん注:これは、日本文学史のそれではなく、漠然に「その時代からある程度隔たった昔・なかむかし」の意。]迄は每年三月三日祭典を行ひしも、今は祭典を行はず。立願果しに竹の筒に酒を入れて供ふること昔と同じ。

   *

「瘧疾」厳密には「わらはやみ」=マラリアを指すが、この場合は、流行性感冒等を広く指しているように思われる。]

2026/03/02

立原道造草稿詩篇 食料品店で

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。その注記には、『原記には』『消去された第二聯がある(現第二聯は第三聯である)。』として、消去された文章が記されているので、まず、それを【初稿】として復元し、最後に【決定稿】を示すこととした。]

 

【初稿】

 

  食料品店で

 

壜の肩のところに扇風機が映つて、しづかにそれはまはつてゐた。僕はぼんやりと見てゐた、壜のなかにも風が吹いて、葡萄酒の波が立つのだと。

 

子供たちは日本の饅頭の山のまはりを、遊んでゐた。ぬすみぎいて、僕は、その子たちがお饅頭の插話を澤山知つてゐるのに感心した。幾つもの知らない花束を過ぎて行つた葬列。空腹の時刻。……

 

僕は鑵詰の名を讀みながら、ポケツトのなかに銅貨を算へた。それから、美しい鑵詰の城を眺めてゐた。このなかには鰯の死骸があつてそれが銀色に光る美しい工たちなのだらうと。

 

 

[やぶちゃん注:「ぬすみぎいて」「竊(盗)み聴いて」。

「插話」「さうわ」。饅頭を素材にした昔話・民話のようなものを指していよう。

「幾つもの知らない花束を過ぎて行つた葬列」この一文は修飾関係が上手くない。]

 

 

【決定稿】

 

  食料品店で

 

壜の肩のところに扇風機が映つて、しづかにそれはまはつてゐた。僕はぼんやりと見てゐた、壜のなかにも風が吹いて、葡萄酒の波が立つのだと。

 

僕は鑵詰の名を讀みながら、ポケツトのなかに銅貨を算へた。それから、美しい鑵詰の城を眺めてゐた。このなかには鰯の死骸があつてそれが銀色に光る美しい工たちなのだらうと。

 

[やぶちゃん注:二篇を比べてみると、結果的に原第二聯を総て削除したのは、取り敢えずは、前の注で述べたように、使用語・表現にやや難があるから、正解では、あろう。しかし、「子供たち」を登場させなかった決定稿は、何か、やや暗いモノクロームの映像に道造が立って眺めるシークエンスに終始してしまっていて、残念な気もしてくる。なお、「扇風機」から、このロケーションは軽井沢と断じてよかろう。

立原道造草稿詩篇 電話の口笛

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。その注記には、最終行に消去された文章が記されているので、まず、それを【初稿】として復元し、最後に【決定稿】を示すこととした。]

 

【初稿】

 

  電話の口笛

 

 僕はむちやくちやに自動電話のなかにはいり、受話器を外し口笛を吹いてゐた。交換手が何度も然るのが聞えた。僕は平氣であつた。

 ある日、僕が用事があつて電話をかけた。なかなか出て來ない相手を待つてゐると、口笛がしよつちゆう聞えてゐた。僕は、僕が向うの電話口でまた出たらめにうたつてゐのだと思ひ出した。すると電話口で人を待つてゐる方のこちら側の僕がだんだん消えはじめた。やがて手に持つてゐたコーモリ傘と風爐敷包だけがそこに殘つた。

 

 

【決定稿】

 

  電話の口笛

 

 僕はむちやくちやに自動電話のなかにはいり、受話器を外し口笛を吹いてゐた。交換手が何度も然るのが聞えた。僕は平氣であつた。

 ある日、僕が用事があつて電話をかけた。なかなか出て來ない相手を待つてゐると、口笛がしよつちゆう聞えてゐた。僕は、僕が向うの電話口でまた出たらめにうたつてゐのだと思ひ出した。

 

立原道造草稿詩篇 初秋

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。表題は「しよしゆう」と読んでおく。底本全集で横断して調べたが、読みを附したものは見当たらなかった。]

 

  初秋

 

夜、窓をひらくと、あたらしい油繪具のにほひがぷんとした。近所に繪描きのアトリエなどある筈もないので不思議に思ふと、明るい月が隣の家の屋根に繪を描いてゐるのだ。仕事を邪魔してはわるからうと、窓をとぢてゐたら、やがて一なすりばかり、こつちの窓のガラスにも、水銀色を塗つて行つてくれた。それが、夜が更けて來ると、どうもレモンのやうなにほひがする。僕は頰に掌をあて、しづかな顏で嗅いでゐる。

 

立原道造草稿詩篇 (夜(や)ぶん、くらいあかりが……)

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  (夜(や)ぶん、くらいあかりが……)

 

夜(や)ぶん、くらいあかりがともると、僕は、ひとのところにばかり行つた。それは古びた宿の、昔は殿樣の部屋だつた。その部屋にもくらいあかりがともり、やたらに蟲が障子にぶつかつた。だのに僕はこゝでならちつとも哀しくないのだと信じた。僕はビスケツトばかり食べ、ひとが何か言つてくれるのを待つた。ひとは何も言はなかつた。

眠る時間が來るとお時儀をして歸つた。

 

床をのべて、そのなかに眼をとぢた。あかりはもうつけないで、季節はづれの蛙の聲に、一刻(とき)の汽車の唄に眼をとぢてゐた。

 

 

[やぶちゃん注:注記に、「古びた宿」について、『信濃追分の旧・脇本陣「油屋」のこと。』とある。ここである(グーグル・マップ・データ)。現在は、イベント会場「文化磁場油や」となっている。同サイトのこちらを見られたい。それに拠れば、『江戸時代は中山道・追分宿の脇本陣であり、昭和になってからは文士の宿(「油屋旅館」)として、多くの文士・知識人が訪れ、執筆した旅館でした。』とある。

「お時儀」注記に『ママ〈お時儀〉。』とある。確かに、小学館「日本国語大辞典」に『じ‐ぎ』に漢字表記を『辞宜・辞儀』とし、『① 挨拶(あいさつ)すること。頭を下げて礼をすること。また、その礼。おじぎ。』とし、初出例として『「Iiguiuo(ジギヲ)トトノエル」』とし「日葡辞書」(慶長八(一六〇三)年~同九年)を引く。続いて、『② (「時宜」「時儀」から転じた用法)遠慮すること。辞退すること。また、その遠慮。おじぎ。時宜。』とし、初出例として、『作右は母にじぎもなく、さいつさされつ式作法。』とし、浄瑠璃「心中万年草」元禄一四(一七一〇)年を挙げてある。しかし、道造が好んだ芥川龍之介の小説に「お時儀」があり、私には全く違和感はない。]

2026/03/01

立原道造草稿詩篇 旅情歌 I

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  旅情歌 I

 

マツチの箱にはコーモリ傘の繪が貼つてありました。

夜汽車のなかで――。

僕は、前に坐つた人の煙草を吸ふのをぼんやり眺めて居りました。

「これはもう、旅は終りに近く

窓に町があかりをつけて

暗い火かげをあはたゞしくちらつき……」

僕は手帳に書きました、用事を思ひ出した人のやうに。

櫛いれてゐる少女が、ビスケツトを食べながら、窓ばかり眺めて居りました。

「あ、知らない人つきり、これはもう……」

 

[やぶちゃん注:因みに、標題には「I」とあるが、II以降は存在しない。

注記には、「旅は終りに近く」に『昭和9年9月1日付・杉浦明平宛書簡中の「旅の終り」と呼応する。(8月22日、福江の杉浦家を訪問)。』とある。「福江」というのは、現在の田原市西部福江町(ふくえちょう)で、渥美半島の先に近い三河湾に面している(グーグル・マップ・データ。なお、独身時代の私は出不精で、殆んど一人旅をしたことが殆んどなかったが、二十六歳の時、伊良湖に遊んだことがある)。以上の書簡は、底本の全集の「第六卷 書翰」のここ(右ページ上段の後ろから七行目から下段にかけて)で、当該部を引用すると、頭には一字下げで「*」が附されて、以下、一字下げで以下が始まる(全体が一字下げ)。

    ※

旅の終り 樂しかつたね――ああほのとに樂しかつたよ。しづかな海の面、言葉は散りながら、とほくの島の燈臺になつたんぢや、ないかしら。――あんなに、ささやかな喜びが、まあ、こんなに大きく思はれる。僕は汽車にのりおくれ、のりおくれたばつかりに田舍町を散步した。だのに、其處には昨日の海はにほはずに、僕は窓から慌しく外を慌しく消える村々を眺める。それから、日暮れの一日おくれた海の面を。

   ※

また、同全集「第六卷 雜纂」の「年譜」を見るに、昭和九(一九三四)年満二十歳の『八月二十一日、追分』(軽井沢)『を発ち、上松(あげまつ)(長野県西筑摩郡植松町)におもむく。上松には生田勉が滞在中のはずであったが逢えず、空しくそこに一泊し、その足で愛知県渥美半島の福江(渥美郡渥美町福江)に杉浦民平を訪れて、二十三日帰京。

   ※

とあった。]

立原道造草稿詩篇 風

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  風

 

――僕は……

果物屋なんかと

花屋なんかの

ある町を通つたら

なんでいつもはこんな不幸なんだか

あかりがつく時分は

もう次の町に行つてるんだ

赤ん坊が泣いてるんだ……

 

早すぎる足 見えない足 風がガラスにきかせて行つた 窓がうたつた

 

町では誰も風や星の言葉に氣がつかないが

一人がいつでもかなしい氣持で聞いてやつてゐた

 

[やぶちゃん注:このイメージを軽井沢に比定しては、いけない。これらの詩群の創作時は、彼の軽井沢経験は、この年の夏であるからである。]

立原道造草稿詩篇 白痴

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。それに拠れば、論拠はカットするが、「白痴」から「食料品店で」までの八篇が書かれたのは、『本用紙の使用上限を8月25日と想定し得、使用全期間を9月中と限定できると思われる』とある。]

 

  白痴

 

何が書かれてあつたのか

カーテンのなかのこと お前の寫眞

公園で 音樂をきいた 驢馬がいた

――ナスターシヤ みんなおこりぽかつたね

 

かなしみ 光がキラキラした あれは くらい海だつた――かなしみなどともういふな

齒のなかに 樺色の流れがある それつきり

またあとで 讀みなほさう

 

[やぶちゃん注:注記に、標題に就いて、『フョオドル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキイ(一八二一―一八八一)の長編小説『白痴』(一八七四)。ナスターシャ』(ナスターシヤ・フィリッポヴナ・バラシコーワ)『は』、『その女主人公。立原は昭和9年2月15日付國友則房』(底本では、「房」は「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので通常字で示した。なお、この頃は、満二十歳で、翌三月に一高を卒業している。)『宛書簡で読了のことを伝えている。』とあった。底本の同全集の「第六卷 書翰」のここで視認出来る(左の上段の中頃の部分)。但し、ここを読むと、道造はドストエフスキイの作品を最初に読んだのが、この「白痴」だったことが判る。また、「第六卷 雜纂」の年譜の当該部を見ると(年齢は数えで示されてある)、『このころ、チェホフの小説「決鬪」を読み』、『感動する』とあるが、この書簡の冒頭にも「決闘」を読んで『傑作だお思ふ』と述べている。私は、チェーホフよりも、遙かにドストエフスキイの方が好きだ。というより、チェーホフで感動した作品は、殆ど、ない。道造は、所謂、偏執的文体が嫌いだったと推定される。なお、同巻の注記に(ここの右ページ上段の後ろから三行目から下段にかけて)、道造が読んだ、「決鬪」は『小山内薫訳・昭和7年8月・春陽堂世界名作文庫刊。』と断定しており、「白痴」については、『大正以後の翻訳は米川正夫訳・昭和8年・全4冊・新潮文庫。』と記してある。私の所持する「ドストエフスキイ全集」も米川氏の全訳である。]

2026/02/28

本日はお雛祭りのため これにて閉店

十九回目の連れ合いの女友達(御一人を除いて私の嘗つての元同僚だった知人たち)四人に拠る十九回目の私の家でのお雛祭りのため、これにて閉店。

私は幼稚園の頃から、お雛さまが大好きである。例の、連れ合い(名古屋出身)の古い大きな五段・御殿附きの鄙人形(十二畳の四分一弱を占拠する)を一日かけて、一昨昨日に飾り上げた。今回は、人形の綻びも手前で修復したので、最も美しい見栄えとなった――

立原道造草稿詩篇 鉛筆のマドリガル

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。そこに示された言い方を、やや厳密に言い換えると、既に先行して電子化した「(僕の口ぐせによると……)」の第一聯の部分、

   *

僕の口ぐせによると

僕はいつでも困つてゐた

そんな筈はないんだが

   *

が、本詩の第二聯の冒頭に、そのまま使用されており、さらに、第四聯は、やはり先行する「(昨夜は おそく……)」の、最初のソリッドな四つの聯、

   *

昨夜は おそく

步いて町を步いて歸つたが

あかりは僕のそばにゐた

あかりは僕からとほかつた

 

ひとつの窓はとぢられて

あまりおそいこの時刻には

誰も顏を出してゐなかつた

誰にも歌をうたはせないために

 

だけれど僕はすこしうたつてみた

それはたいへんまずかつた

僕はあはてて歸つて行つた

 

昨夜は おそく步いたが

あれはたしかにわるかつた

僕の脊中はだいぶくらかつた

   *

が初稿である(「まずい」はママ)。以上のように、先行する詩の一部を改稿して援用しているため、今までもように【初稿】として示すことが出来ないので、前注で示しておいた。

 なお、標題の中の「マドリガル」は先行する秋のマドリガルで既注。]

 

  鉛筆のマドリガル

 

夕方くらくて町で人かげを見た 僕はまちがへた

長いこと お前がこゝで待つてゐたと ほんとだらうか。

 

    ☆

 

僕の口ぐせによると

僕はいつでも困つてゐた

そんな筈はないんだが

(からつぽの帽子を机にのせて

僕はしばらくぼんやりする)

窓はすばらしい天氣だつたが

もし僕がそこへ出て行くなら

あの靑空はきれいすぎるだらう

(出かける仕度をしたつきり

机の上に頰杖をついてゐる)

どうしていつもかうなんだらう

 

    ☆

 

幾日も會はないまゝに 或る日は思ひ 思はぬまゝに

僕は裏切つた 僕を お前を それから僕を

どうしたらよいか知らないくせに ぢつとしてゐた

ずるかつた――お前は待つてゐた きつと

 

    ☆

 

昨夜は おそく

步いて 町を歸つたが

ひとつの窓はとぢられて

誰も顏を出してゐなかつた

僕に歌をうたはせないために

だけれど僕はすこしうたつてみた

それはたいへんまづかつた

僕はあはてて歸つて行つた

昨夜はおそく 步いたが

あれはたしかにわるかつた

あかりは僕からとほかつた

僕の脊中はくらかつた

 

    ☆

 

ねむがりの僕が或る晩おそく散步に出かけたら

それきりなのさ 僕は橋の上でぼんやり水を見てゐた

それから水の上に長いかげを搖らしてあかりがゐた――それつきりなのさ

 

[やぶちゃん注:「幾日も會はないまゝに 或る日は思ひ 思はぬまゝに」「幾日も會はないまゝに 或る日は思ひ 或る日は思はぬまゝに」の省略表現。

「それから水の上に長いかげを搖らしてあかりがゐた」「ゐた」は擬人法。]

2026/02/27

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「大蛇」

[やぶちゃん注:底本はここから。段落を成形し、句読点を附加した。「□□」の欠字は、底本では長方形で凡そ二字分。]

 

 「大蛇」 志駄郡《しだのこほり》[やぶちゃん注:前項と同じく、「志太郡」が正しい。]瀨戶新屋村[やぶちゃん注:現在の藤枝市南部の、藤枝駅の北西直近にある瀬戸新屋(グーグル・マップ・データ)。]にあり。傳云《つたへいふ》、

「當村鳥帽子山[やぶちゃん注:「ひなたGIS」で確認出来る。現代の瀬戸新屋直近の北西に烏帽子山がある。]の後《うしろ》、一の谷・二の谷・三の谷と稱する地、あり。一の谷と二の谷の際《きは》に小瀧《こたき》ありて、旱魃にも、水、かれず。傍《かたはら》に洞《ほら》あり。

 或時、里童《さとわらは》兩三人、夏草刈《なつくさがり》に此谷に至るに、洞中《ほらうち》に鼾《いびき》の音《おと》す。其響《ひびき》、雷《かみなり》の如し。草刈等、怖《おそれ》て、走り去る。

 後《のち》、茲《ここ》に遊べる小童《こわらは》、同郡《こほり》水上村□□山萬福寺【曹洞。】に集《あつま》り居《をり》て、此事を語る。

 住僧【姓名を失す。】云《いはく》、

「是は、巨蟒《うはばみ》の巢窟成《なる》べし。斯《かく》の如きものは、後歲《こうさい》、必《かならず》、災《わざはひ》を、なさん。既に先證《せんしやう》あり。我に一法《いつはふ》、あり。」

とて、不動尊の前に幣《ぬさ》を建《たて》、一七日《いちしちにち》[やぶちゃん注:七日間。]、修法《しゆほふ》し、彼《かの》幣を、一の谷の洞口《ほらぐち》に押立《おしたて》て、去る。

 然《しか》るに、一夜、風雨、甚《はなはだ》、强く、一の谷、山、崩る[やぶちゃん注:「こと」が欲しい。]數十間《すじつけん》[やぶちゃん注:一間は十八・一八メートルであるから、六掛けで百九メートル。現在は同山の北東部は宅地化しているものの、「ひなたGIS」の戦前の地図を見るに、旧烏帽子山背後に、その程度の崩壊が起こったとしても違和感はない。]、小瀧水《こたきみづ》、燥《かはき》て、落ちず。

 此時、蛇《じや》、他《ほか》に去る。

 是《これ》、近歲《きんさい》の事也《なり》。云云《うんぬん》。」。

 

立原道造草稿詩篇 卑怯の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  卑怯の歌

 

雨に濡れて立つてゐる あれは人だ

あれはかなしんでゐるが出たらめだ

 

傘を曲げマントをとほしづぶづぶに雨

寒さが骨に滲み 足がたはみたはみ

 

脣を嚙んでゐるだらう だがあれは歌ふ

誰も憎まない歌を その裏切りを

 

風が雨を橫に倒す 頰が濡れた 顏が

流れたまゝ 雫は人に日が暮れた

 

あれはかなしんでゐるが だめだ

あれはあゝしてやがては朝を見るだらう

 

[やぶちゃん注:第四聯の最後の「雫は人に日が暮れた」は論理的な構文としては、躓く。しかし、この躓きは、私の場合、本詩篇の救いのないブルージィな雰囲気の中で、最も、直感的に瞬時に感受し得た。この一篇、道造の詩の中でも、救いのないブラックな作品と感じる。いや、だから、好きだ。何故か?……これはまさに……この私自身の半生への……突き出された「宣告」だからである⋯⋯]

立原道造草稿詩篇 黃昏の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。表題は「たそがれのうた」と読みたい。]

 

  黃昏の歌

 

日が暮れかゝると かうであつた

窓で白い顏の人が 星の形した棒で

くらがりを測つてゐた 低い聲で

はてしない數字の群を 讀んでゐた

 

町は靄のなか あかりはともり

まじめくさつ顏の 水平は自轉車で

子供用のの靑塗りの 低い自轉車で

とほくの壁から 姿を消し

 

母たちが戶口に立つと 呼び交しながら

子供の群は どこかに逃れ

旗の手を町の夕燒を しづかに休め

日が暮れかゝると かうだつた

 

[やぶちゃん注:「旗の手」は、この詩の全シチュエーションが、軽井沢をロケーションとしているものではないかと私には直に思われ、さすればこそ、これは、今の「旧軽井沢銀座通り」の商店の幟(のぼり)であろうと、全く、躓かずに、想起出来た。異論がある方は、御意見を乞うものである。]

立原道造草稿詩篇 歸りの電車を待つ間

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  歸りの電車を待つ間

 

町外れの停車場で立つてゐると

そばを通つて行くものがあり それが呟いた

僕はその言葉をきかなかつたけれど

あれは多分は雨風だつたらう

あれの聲は低かつた それにあはてゝ立ち去つた

言葉をすつかり忘れたけれど

あれは僕に敎へたのだらう

お前は人に裏切られたのだと

お前はそれに氣がつかないと

僕は濡れて立つてゐた(電車はなかなか來なかつた)

僕は脣を嚙みながら 誰も憎まない歌をうたつてゐた

雨風はまた僕のそばに來ないやうに

雨風は心に怒りを沸かせないやうに

あゝ 卑怯者

靑い電車は見事であつた

 

[やぶちゃん注:この詩、立川道造の詩として、多くの人に読んで貰いたい一篇として、ここにちゃんと電子化し得たことを幸いに思うものである。

立原道造草稿詩篇 物尺の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。「物尺」は「ものさし」と読む。一般には漢字熟語では(辞書に於いては)、「物差」「物指」が普通である。老婆心乍ら、「糎」は「センチ」。「洋燈」は「ランプ」と読んでいよう。「慌しく」は「あわただしく」。]

 

  物尺の歌

 

暮れかゝる室內に測るのであつた

机は七五糎 洋燈は四〇糎 花は三糎

もう目盛は蒼い夕闇の色にかくれてゐた。

だのに慌しく 呟きながら讀むのであつた

ペン軸は二〇糎 本箱は九糎 窓は一六三糎

はてしない數字の群がりを このにせの大きさを

物尺の冷えた膚にしつかり指で抑へてゐた

(物尺は暗がりで星形の棒となるのであつた)

椅子は九一糎 僕は五糎

いつまでも いつまでも 三二糎

 

[やぶちゃん注:この詩、妙に……孤独に……好きだ…………。]

立原道造草稿詩篇 秋の歌

[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]

 

  秋の歌

 

あたらしい金ボタンをつけた大學生は誰よりもたのしかつた

ポケツトに薔薇のやうなハンカチなんて それは昔のならはしだつた

枯れ葉そのまゝ胸をおこして步きさへすれば

秋晴れの午后など誰よりもすばらしい姿に見えた

 

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