富田木歩句集 暫定アップ
夭折にこだわっている。「やぶちゃんの電子テクスト集」に、「富田木歩句集」を暫定アップする。かつてタイプした不完全なものを、今日、かつて底本とした新潮社版「現代詩人全集」を借り、再度校正した。暫時、これは他の選句集等を用いて増殖させ、オリジナルな「木歩句集」を目指す。従って、将来のために底本表示をしない。
2歳で発熱により歩行困難となる。障害と貧困のため、小学校にも行けず、いろはカルタや軍人メンコで識字したとされる。4人の姉妹と兄、聾唖者の弟。二人の姉と妹一人は苦界に売り払われ、その妹と弟も結核で亡くなった。自身も、家族感染。しかし、彼を死に至らしめたのは宿阿のそれではなかった。関東大震災の日、俳友、新井声風に背負われて逃げたが、火炎近づく中、隅田川の傍で、最早、万策尽きる。声風は木歩の手を握りしめ、別れた。彼のその後の消息は、ない。動けないままに、焼死したものと思われる。享年27歳。
声風は生き残ったが、句作を自らに禁ずる。木歩のために(そのことは吉屋信子の「底の抜けた柄杓」等を読まれるがよい。この信子の作品の書名は放哉の一句からで、放哉についての一文もあるが、これには僕は余り感心していない)。
彼は、「病境涯の俳人」とも言われるが、今回、再読して、そのモノクロームの、批評を拒絶する強烈な全的リアリズムに、圧倒された。個々の句の印象は、決して深いとは言えないかもしれぬ。しかし通して詠んだ時、そこに木歩という俳号を持った男の、恐ろしいまでの因縁が円環として宿命的に閉じられてゆくのだ。彼を子規と比較する向きもあるが、僕は、それは木歩という「個」を類型化して理解しようとする、虚しい行為だとしか思われない。子規には、自己犠牲した看病する妹がいた。おまけに、餓鬼のように彼は、喰った。喰えたのだ。動けぬ同病の木歩は、遊郭に売られ、襤褸同然で舞い戻った病む妹に、薄い掛け衣をしてやり、見送るしかなかったのだ。己が食い扶持にも困りながら。
そうして、最期に一人、刻々と近づいてくる、業火に、自らの病んだ肉体を静かに、彼は委ねたのだ! 今、僕等は、焼いた木の足の幻という、句の中での彼の皮肉なレゾン・デトールを見ることになる。
彼の句の総体こそが、辞世であった。
「Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。」(鮎川信夫「死んだ男」最終行)
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