蜩の声を聞く
昨日の僕は今日の僕ではない。今朝、昨日餓えていた蜩の音を確かに聞いた。僕は思わず立ち止まり、耳に手をやり、幻覚ではないかと思ったものだ。お婆さんが、僕を不思議そうに見て足早に過ぎてゆく。エリアーデは奇跡は俗の中にあり、それを奇跡と知る者にのみ、奇跡は現れると語った。僕にとって、今日の蜩の音(ね)は補陀落からの妙なる楽であり、まさしく奇跡であった。
語るべきことは多けれど溺酔の我を許されよ。
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