最大絶対の痛打
仕事に出た。妻は退院翌日のよりによって台風襲来の日に出て行く僕を批難した。職場では腕をまじまじ見られて、いちいち生徒や同僚に説明するのに、会話のリピート機能が欲しかった。図書室で陶淵明の翻訳などを字の練習がてらやってはみたが、昨日より腕の腫脹がひどく、とても満足できる字と言えない。筆を投げた。
僕はやはり少しく沈んでいた。今回の怪我で、筆記はおろか、板書もできない(試しにやろうとしたが、回転と手首からの距離の問題らしく、全く動かすこともできなかった)という事実が、国語教師と言う僕の最後の拠所たる存在そのものを全否定しかねないからだ。勿論、左手がある(ちなみに僕は幼少期に左肩関節の結核性カリエスを患っており、左手は長さも右手より5センチ以上短く、垂直に万歳することも不可能である)とか、根性でリハビリせよ(私は指示された課題は必ずこなす。しかし、統計的事実としての「回復は難渋」という予定調和を壊す「根性」を信じない。糖尿病の歩行も、僕は僕の出来る課題をこなしたに過ぎなかったのであり、万が一にも、根性では絶対に、ない)とか、ありきたりの陳腐な叱咤は幾らもあろうが、それは僕の諸々に繋がるある不安を払拭するものではなく、何らの激励にもならぬ。その理由を問われるなら、僕は、僕の現在の状況と精神状態を、その相手に理解させるだけの説明は可能だ。但し、そのためには、その相手が全的な僕を知ることへの覚悟なしには無理な相談なのだ。
しかし、そんな数少ない一人に、僕が最初に担任した教え子がいる。彼は、僕が3年間担任し、僕の現代国語を3年間受けるという淵藪地獄を味わった男だ。痛飲しても、「こゝろ」の大事な場面の文章を、即座に暗誦してくれるという、僕の憂鬱をいつも美しく完成させてくれる数少ない友である。そんな彼が今日、僕に見舞いの手紙をくれた。その末尾の言葉、
「先生がご自分で「失敗」と書かれると世の中が憎くなります。先生が失敗だったら僕も失敗に違いありません。」
これは、僕にとって、最大絶対の痛打であった。「こゝろ」の学生が先生にもし、この言葉を語っていたら……そんなことを考えた。彼に、どんな返事をしたか、それは、秘密だ。
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