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2005/07/20

「冷たい場所で」解説

HPトップの今の詩が、良くわからないというメールを頂いた。昨日は(まだ今夜のつもりだが)、いささか疲れることと嬉しいこととが拮抗した。とりあえず、メモ。

   冷めたい場所で   伊東静雄
私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
真白い花を私の憩ひに咲かしめよ
昔の人の堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ

◆恋の喪失者/それは真に故郷喪失者(漂泊者)の哀しみ
◆しかし、彼女には太陽が輝く幸福な未来よ、あれ
◆敢えて言えば、失恋した私には一本の真白い花[弔花?]を咲かせてくれればそれでよい。それが分相応だ。

そしてその花は

「昔のひと」~静雄以前の故郷を喪失した詩人達が

「歩み過ぎた」~「堪へ難く」て、とどまることなく足早に走り過ぎて行った(過ぎ行くべきでは、実はなかった)場所

だから、何者にも、悼まれることのなかった、この孤独な私が立つ「荒々しい冷たい岩石の場所にこそ」まさにふさわしい(だから咲かせてくれ)

 

「伊藤君の抒情詩には、もはや青春の悦びは何処にもない。たしかにそこには、藤村氏を思はせるやうな若さとリリシズムが流れて居る。だがその『若さ』は、春の野に萌える草のうららかな若さではなく、地下に堅く踏みつけられ、ねぢ曲げられ、岩石の間に芽を吹かうとして、痛手に傷つき歪められた若さである。……これは慘忍な恋愛詩である。なぜなら彼は、その恋のイメーヂと郷愁とを、氷の彫刻する岩石の中に氷結させ、いつも冷めたい孤独の場所で、死の墓のやうに考へこんで居るからである。」(萩原朔太郎 「わがひとに与ふる哀歌」評/雑誌「コギト」昭和一一(一九三六)年一月号)

 

これで如何?

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