手術記1
先程、帰宅した。腕を見た母は、電信柱みたいと表現したが、言い得て妙だ。
7月23日(土)、手術の開始は2時間遅れた。待つ間、一つ嬉しかったのは、エントランスルームのBGMがJAZZで、何と最初に聴こえて来たのが、コルトレーンの「コートにスミレを」。僕が彼の演奏で一番好きなもので、思い出深いものだ。そうして彼の「バラード」、カーテイス・フラーの「ブルースエット」、次のペットは多分、アート・ファーマーで、曲は「クリフォードの思い出」……最後まで、分からない曲は、なしだった。まあ有名どころのベスト・ヒット集をかけているのだろうけれど、何だか、ハッピーな気分になれた。
午後2時半、術式開始。残念ながら期待に反して、麻酔から覚醒までは、一気に繋がってしまい、夢のかけらもなかった。
2時間弱で手術室を出ると同時に目覚め、同僚の家族が待っていた。術式の成功に安堵して、すぐ帰ったが、彼の娘は、もう一度、さよならを言いに来た。彼女は、まさに守護天使のように見えた。麻酔後の朦朧感はほとんどなかった。
その10分後ぐらいに、地震があった。看護師たちが騒ぐ中、僕は「初期微動が長いから、大丈夫だ」と彼らに言った。妻は妙な顔をして笑った。
そうして、天地鳴動から、自ずとマタイ受難曲のイエス復活の場面を思い出したのは、笑止か。しかし、事実だから仕方がない、別段、己をイエスになぞらえたわけでは全くない。
個室に入って、主治医は手術は非常にうまくいったと、目の前にレントゲンを突き出した。逆ゼット型が鮮やかに手の甲から手首の5センチ手前までを覆っている。ピンニングは親指の根元からの一本だけであった。創外固定のバーは、カーボン製のため写っていなかった。
そこで初めて吊られた右腕を見た。グレーとアンバーの左右の部分からなる固定器、そこから外側へ伸びた突起に浮いた状態で同色配合のバー固定ボルト、そこを繋ぐ艶やかな炭素棒。それぞれの固定器には、二本のボルトピンが、オレンジの細いビニールパイプで繋がり、上に放物線を描いて飛び出ている。これがまた、手の甲と、橈骨上のものとで放物線が違うのが、手業のリアリズムを感じさせる。
第一所見:不気味さなし。正直、うん、これなら僕の好みだ。どうせなら、ビニールパイプは淡いグリーンにして欲しかったが。しかし、やっぱり、ちと重いな。
尿道カテーテルは趣味じゃない。エイリアンはやっぱり気道からが正統派だ(と言っても気道の挿管抜管後、実際、昨日の夜まで、咽喉の微出血と、えがっらぽさは残った訳で。上も下も御免は御免だが)。看護師にはイエスマンの僕も、流石に直ぐに抜いて下さい! と叫んだ(マジ、僕が入院中、文句を言ったのはこれっきりだったス)。
而して、すっきりくっきりで、朝から何も飲まず食わず、飢え切った僕が、妻に頼んで買ってきてもらったものは?
何故か、「メロンパン、喰いたい!」であった。
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