僕が教師を辞めたい理由
『トトトト』
僕の父は少年航空兵で特攻志願の熱烈な愛国少年だった。絵描き志望であったので、当時のスケッチブックには、美事な筆致で陸海空の戦闘場面が描かれている。しかし、幸か不幸か敗戦で生き残った。彼は裏切られたと感じた。彼は180度転回する。共産党に入り、中央合唱団に所属、就職した会社ではその日に組合活動を始めて3日で首といったことを繰り返した。後に、党の硬直性と欺瞞に失望して脱党するが、今も一緒に酒を飲むと青年のように議論をふっかけてくるごりごりするような骨のある男だ(但し、思想的にはという条件付きで。よき生活者ではない)。
彼の僚友は遠く南海の底に藻屑となり、父は生き残ってしまった。彼が日の丸の下、天皇の赤子として特攻で死んでいれば、僕は生まれていない。それは、彼の僚友の死、父の生、僕の存在との互換を意味する。
あの日の丸の下で、ある選択肢では、僕は非在であったのだ。更に特攻を犬死と言う時、父は同時に無化され、僕は存在しない。逆にそれを賛美した時、父は卑劣漢であり、同様に僕は僕であることを辞める。特攻で死んでいった青年は、確かに「そこに」生きたのであり、死にそこなった父は「それを」引き受けて生きたのであり、而して僕は、僕の卑小な意識とは無関係に、「それらを」総体として生きているということだ。それは義務や罪障とは無縁な連環である。そのような想いの中にあって、僕は羊のように従順に日の丸には起立できぬ。
僕が教師になった時、父は僕に、日の丸に最敬礼するようなことだけはするなと言った。僕は当たり前に、そんなことはするはずがないと軽く言い放った。
僕はいつも生徒達に、僕が何故日の丸に起立しないかを以上をもって語る。その上で、君達は君達の信条において、起立するしないを選べる自由を持っていると言ってきた。
しかし今、不起立はおろか、そうした発言さえも許されない状況になっているということをご存知だろうか。今の私の職場では、式の後に、起立不起立のアンケートをとる。これはおぞましい脅迫以外の何物でもない。
僕は硬直した教条主義者ではない。自衛隊は9条違反であることは論理的に完全な真である。しかし、ゴジラが襲ってきたら、自衛隊は必要だ(これは半ばは冗談ではない。ゴジラという隠喩としての天災、異邦人、異なる信仰思想を持つ人々、さらには我々自身の内なる狂気は、善玉のゴジラのように安穏とした平和主義者を踏み潰さずにいてくれるわけではない。興味のある方は僕のHPの「メタファーとしてのゴジラ」をどうぞ)。憲法は今のままでよいと僕は思うが、現憲法が日本人の手によって作成されたものではない以上、未だかつてなされたことがない国民投票の審判を受ける必要はある。更に言えば、愛国心、この言葉を素直なものとして用いられないのは如何にも残念だとも思う。それが我々一人一人の埋められぬ断絶を象徴している。
しかし、それを一律に教育の場で強制した時、それはもはや教育ではなく狂育であることは言を待たない。
『トトトト』
ワレ突撃ス、という意味で、特攻隊から発信されるのである。ト連送が終わった時が、一つの生命が失われた時なのだ。(梅崎春生「幻化」)
偉そうなことを牛のよだれのように書き綴ってしまった。僕が教師を辞めたい理由は、実は、しかし外にある。
それはただ、僕という存在が、失敗だったから。その一語に尽きる。しかし、迷っている。僕には、国語を教える以外に何の手技もないから。それ以外に、なんらの楽しみを感じないから。
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