忘れ得ぬ人々 2
初めてのイタリア旅行は、14年前の夏、全くのフリーで2週間。
フィレンッエで超弩級に安いホテルに宿をとった。部屋の白い壁にピンクの細かい模様がある、と思ったら、叩き潰したザンザーラ(蚊)であった。その夜の集中攻撃は強烈で、ほうほうの体で、3日とったのをキャンセルした。その時初めて会った宿の老女主人は妻のキャンセルに難色を示した。外国では一切喋らず(英語もろくに喋れないから)、金も持たない(喋れなければ自動的に物も買えないから、いらない)というのが僕の信条で、その時も、妻から離れて僕は出口に立っていたのだが、埒が開きそうもないので、カウンターに寄っていって、「モルト、ザンザーラ! ミスクージィ!(蚊が沢山、ごめんなさい!)」と言ったら、彼女は僕を見て、急に相好を崩して、「オー! ジャポネーゼ、バンビーノ! アモーレ!(まあ、日本人の少年ね! かわいいわ!)」と突然両頬を手で包まれたなり、キスをされ、キャンセルも即刻OKとなった。
フィレンツエのレストランのテラスで、ビッラを頼む。横でどでかいワイングラスで飲んでるのを見て、それを指差し、「モルト、グランデ!」と言ったら、にこにこしながらウェイターがもって来たのは、バケツのようなワイングラス一杯のビールであった。隣にいた5、6歳の少女は、食事をそっちのけで、僕がそれを飲むのを悪戯っぽい微笑で見ている。こっちも癪だから、すっかり飲み干してウインクすると、彼女は、得も言えぬ笑顔で手を叩いてまじまじと僕を見続ける。そのうちに、母親に怒られたが、それでもちらちら僕を見ている。帰り際に、手を振ると、少し体を斜めに傾けて小さく手を振って返した。隣の妻は、不機嫌であった。
シエナの路地を散策中、前を行く5歳ぐらいの少年が自転車で転倒し、泣き叫んでいる。誰もいないので、抱きかかえて、そばの家に連れてゆくと、若い女性が胡散臭そうに見るばかり。僕が泣かしたんじゃないよ! と言いたいところだが、勿論、何も言えず、へらへら笑っていたから、ますます、彼女は不審な顔をするばかりであった。転倒した自転車を指差すと、彼女はやっと状況が飲み込めたらしく、しぶしぶ少年を引き受けた。しかし、その間中、少年はしゃくりあげながら、固く僕の胸に顔をうずめて、抱きついて離れなかった。かすかなミルクの香りがした。
シエナのカンポ広場の夜は、老人たちの社交場。ドゥーモの前で涼んでいると、典型的な太ったイタリアのおばあさんが、寄ってきて、笑いながら何やら話し始めた。酔っ払いのおじいさんが広場を何べんも回っているのだが、それはここで行われる旗を振り回す有名な祭り、パロオの真似をしているらしく、それをこのおばあさんは僕に手振り身振りたっぷり、じいさんをちゃかして説明してくれているらしい。しかし、僕には当然、分からない。それでも分かった振りをして、適当なところで、笑ったり、「シー!」等と言っていたら、またもや、突然その巨体に抱きつかれて、ディープなキスをされてしまった。危なく、地面に落ちるところだった。
僕は、かくの如く、老人と子供にのみ愛される。
そうしてこの一瞬の、ほとんど言葉も交わさぬ人々が、僕の忘れ得ぬ人々でもあった。
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