富田木歩句集 完成
新潮社版「現代詩人全集」になく、筑摩書房「現代日本文学全集 巻91 現代俳句集」1967年刊の「富田木歩集」に所収しているものを目視確認し、各年度の後ろにタイプした。不自由な手でのタイピング故、そのうちに再校正したい。
彼は、白黒の画面に、美事に、数え切れぬ花々を歌っていることに気づく。モノクロ故の絢爛さ。
先に述べたように、彼の句を選句することは恐らく不可能だ。上記の二冊を比べても、その有り様は、不思議に異なる。後者は「水のしらみもなく蛍火ひとつ過ぐ」で終わっているが、これは妙に辞世染みた選句で何か臭う気がする。
敢えて挙げるならば、やはり妹の死のシークエンスであろう。それは、イタリアン・ネオリアリズモの作品を髣髴とさせる。断続を取って、繋げてみる。
和讃乞ふ妹いとほしむ夜短き
今宵名残りとなる祈りかも夏嵐
妹さするひまの端居や青嵐
戸一枚立てゝ端居す五月雨
寝る妹に衣うちかけぬ花あやめ
病む妹に夜気忌みて鎖す花あやめ
医師の来て垣覗く子や黐の花
咳恐れてもの言ひうとし蚊の出初む
かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花
死期近しと夕な愁ひぬ鳳仙花
床ずれに白粉ぬりぬ鳳仙花
涙湧く眼を追ひ移す朝顔に
死装束縫ひ寄る灯下秋めきぬ
線香の火の穂浮く蚊帳更けにけり
棺守る夜を涼み子のうかゞひぬ
明けはずむ樹下に母立ち尽したり
朝顔の薄色に咲く忌中かな
それでも、強いて一句をとならば、やはりこれを選ぶ。
病臥
我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮
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