忘れ得ぬ人々 1
僕は、はしかからやっと本復したばかりの痩せた体で、父や親戚の者達からはぐれて、海水浴客の間をおどおどとうろついていた。
突然、目の前に水着を着けた、よく焼けた活発そうな少女が立っていた。同年か一つ上か。彼女は鮮やかにきっぱりと「一緒に泳がない?」と僕に声をかけた。まだあの頃、純情で引っ込み思案だった僕にとって、この見知らぬ少女の誘いは言葉通り、7年の人生で初めての青天の霹靂だった(記憶がモノクロなのはその閃光のせいなのか)。
僕は手を捕られて、ずんずん海へ入った。泳ぎの苦手な僕は、時々不思議な微笑で振り返る少女に導かれるように、沖へと向かう。足が立たないところで、全く恐怖を感じずにいられたのは、生涯の中で、実はあの瞬間だけだったように思われる。
僕は攣りそうになる手足を必死に動かして、無様な犬掻きを繰り返して、かろうじて浮いていた。うねる波間に、彼女の笑顔が見えては隠れる。それは、今も鮮やかな映像。
遂にたっぷりと海水を飲み込んで咽せかえった時には、少女は僕の手を捕って、既に海岸へと向かって泳いでいた。ものの数メートルも泳ぐと、足は着いたのだった。上がった浜で、僕は自分の情けなさに、ただでさえ病み上がりの青白い顔を、一層青白くして突っ立ていたに違いない。
少女は「またね!」というと、人ごみの中へ、鮮やかに消えてゆく。一度だけ振り返った。その手を振る微笑、紺色のあの頃の安っぽい水着、濡れて額にはりついた黒髪、肌の小麦色、肩の種痘の痕……スローからストップモーション、そうしてホワイトフェードアウト……
小学校2年生、夏の日差しのハレーション。鎌倉、材木座海岸。1964年の7月。41年前の記憶。
後年、「こゝろ」の上三を読んだ折、僕は強烈なフラッシュバックを起こした。
二丁程沖へ出ると、先生は後を振り返つて私に話し掛けた。廣い蒼い海の表面に浮いてゐるものは、其近所に私等二人より外になかつた。さうして強い太陽の光が、眼の屆く限り水と山とを照らしてゐた。私は自由と歡喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂つた。先生は又ぱたりと手足の運動を已めて仰向になつた儘浪の上に寐た。私も其眞似をした。青空の色がぎら/\と眼を射るやうに痛烈な色を私の顏に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな聲を出した。しばらくして海の中で起き上がる樣に姿勢を改めた先生は、「もう歸りませんか」と云つて私を促がした。比較的強い體質を有つた私は、もつと海の中で遊んでゐたかつた。然し先生から誘はれた時、私はすぐ「えゝ歸りませう」と快よく答へた。さうして二人で又元の路を濱邊へ引き返した。(夏目漱石「こゝろ」)
僕には、学生と先生を包み込む、この緩やかな海の「うねり」が確かに、見えるのだ。この海岸が、同じ鎌倉の材木座海岸であるという単純な事実からだけでは、なく。
カタストロフは、しかし、まだ待っていた。漫画家つげ義春の「海辺の叙景」だ。これは、語ってはなるまい。未見の方は、是非、ご覧あれ。僕の魂の致命傷が、如何に深いか、お分かりになるはずである。トラウマとしての妖精、無原罪のファム・ファータル、僕の忘れ得ぬ人々の一人。
→僕は著作権を犯してもその最終コマをここに示したい欲求を押え難いが、次のサイト(高田馬場つげ義春研究会内)の「つげ義春ラストシーン考2 第2回 生理的感覚としての音」で、小さいが、当該作品の最終コマを見るに留めよう。【2017年7月15日削除・追加:この時にリンクした記事が消失しているので、新たに『清水正氏のつげ義春評論―(2)「海辺の叙景」』をリンクさせることとした。最初に示されるのが見開きの最終コマである。】
« 僕が教師を辞めたい理由 | トップページ | 御酒(うさき) »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント