手術記2
手術当夜は抗生物質点滴が深夜2時まで続いた。懐中電灯を持って、そっと点滴針を抜きに来た看護師に最後に「ありがとう」と言おうと思ったが、逆に針で刺されたら怖いので、やめた。
翌朝(7月24日(日))、彼女に言ったら、熟睡しているとばかり思っていたとびっくりされ、やっぱり安堵。熟睡の演技も、捨てたものでないらしい。
部屋からは、天神山が正面に見え、蜩が鳴いていた。ここには戦前、鉱泉があり、その昔は、頼朝の隠し湯と言われたことなどを、彼女に話すと、「社会科の先生ですか?」と聞かれた。一昨日、真鶴の診療所では生物の教師と思われた。僕は、満を持して、マラリアでなくなった同僚の社会科の教師のことに話を向けたが、彼女は4月からの勤務だそうで、感染病棟の在り処を尋ねると、よく分からない雰囲気であった。それなりにこの病院に入るに当たって、相応な皮肉を用意してきた僕ではあったが、それで話は止めることにした。もう、お察しの方もあろうが、彼女がなかなかに美形の方であったことも一因ではある。
打ち込んだボルト部分の痛みが、やや強くなったが、僕は痛みには滅法強い口で、座薬は使わなかった。主治医が来て、初期リハビリを教えてゆく。
確かに、指を握れない。また開けない。勿論、指で何かを突くと、ダイレクトに関節部に痛みが走る。時々、片手万歳をしないと、手術部位が腫れる。
主治医は、「リハビリが半年以上かかる」とだけ言っていたが、カルテの最後に、さりげなく「回復は難渋する」と記載してあった。どうも実感からしても、右手を突いて体重を掛けたり、手の甲を反転させることができなくなる(これは例の幼女連続殺人事件の宮崎被告人のコンプレックスであった先天性の病気と同じ症状だ)のかなとも思うが、こればかりは医師にも分からないのだろう。
ペンも持てないので、本を読むしかない。梅崎春生の「桜島」と「幻化」を、改めて精読した。それぞれ、新たな発見があり、それは後日に書ければと思うが、キーだけは述べておきたい。「幻化」は陶淵明の「田園の居に帰る」の詩の一節であることは周知の事実だが、あの主人公久住五郎と火口を回る自殺志願の丹尾章次の関係性に描かれたもの、さらには、「幻化」全体の主題が、まさに陶淵明の詩「形影神」の中にあるのではないかということだ。山本健吉が既に、五郎-丹尾の、形-影の構造を述べており、彼は、梅崎がかつて丹尾鷹一というペンネームを使っていたことも述べているが、それは、遂に「幻化」全体に敷衍され、そこに淵明詩「形影神」の思想が額縁されているのではないか。
ちなみに、『「桜島」から「幻化」へ』で誤記した、すさんだ(というより生理的不快感を与える不良じみた)特攻兵のシーンは「桜島」のものであった。
まあ、入院患者の読む本、ではないな。
夜の病院の音は、精神を病ませる。痰の吸引音やナースコール、歩行器や点滴掛けの軋り、便所の戸の開閉、排水、老婆の絶望的な呻き、鼾、叱責、争い、そして再び、短い陰鬱な静寂。
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