富永太郎 「鳥獸剥製所」に寄せて
僕は彼を知らなかった18の晩春、一人、井の頭動物園を訪ねたことを思い出す。
その一画には鰻の寝床のような鳥獣剥製所があった。
平日の人気もなきに、好んで誰がそんなものを見よう。
虫食いのカスが油虫の糞のように鷲や梟や鳩の下にだらしなく散って居、うす曇る硝子窓から射した外光は、かすかなある淫靡な匂いを蒸気させていた。
意に沿わぬ学問、田舎出の黒縁眼鏡、三畳間の下宿……当時の、孤独で救い難い卑屈と秘めた傲慢に悶々としていた僕の魂にとって、それはまさにこの詩そのものであったのだ。僕は、彼に逢わずして彼に逢っていたのだ。
だから、僕は、死んだ富永が、好きなのだ。
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