誓いの休暇
グレゴリー・チュフライ監督の「誓いの休暇」は、タルコフスキイを別格として、僕の耽溺する一番のソヴィエト映画である。ある一時期、NHKで何度も放送されており、ご覧になった方もいるだろう。雪解け時代の名作。教条主義的な臭さが全くない。音楽がまた、いい(但し、かなり旧時代的な使用法で、催涙効果を過剰にもたらしてはいる)。ヴィデオ・LD・DVDまで、出たソフトはその都度、購入してきたが、今回、遅まきながらロシア・シネマ・カウンシルのデジタル復元版を購入して、驚天動地の思いであった。ブラッシュアップの勝利だ。画像シャープさは勿論、ハイライト部分のトビも補正されていて、新しい作品を見るようであった。カウンシルの復元版は、タルコフスキイの諸作で、特に色補正にクリアーさがあるとは感じていたが、この古いモノクローム作品では、今までぼやけていた中景の人物の表情までがくっきりとして、明度とデーティルが画然とした形で現れている。一コマ送りで点検すると、その違いが歴然としている(ちなみに、このコマ送り機能を用いてパソコンで見ると、表情の微妙な演技の細部が良くわかって面白い)。チュフライ監督のインタビューも、往時の官僚主義的な時代の困難をよく知ることが出来る。
この作品が公開された時、その文学シナリオ(以下で説明する)全文が雑誌「映画芸術」一九六〇(昭和三五)年十一月号(第八巻第十一号)[発行 共立通信社出版部]に田中ひろし氏訳で掲載された。その前書き曰く、「このシナリオはソ映画評論紙「イスクゥストヴォ・キノ(映画芸術)」一九五九年四月号に掲載された〈文学シナリオ〉「ある兵士のバラード」(「誓いの休暇」の原題)の全訳である。普通本邦で紹介される外国映画シナリオは、スーパー用台本の翻訳に画面を採録して追加したものだが、これはシナリオライターの書いたシナリオそのものの翻訳である。ソ連ではこのようなシナリオを〈文学シナリオ〉と呼び、これに基づいて監督が監督用台本を作って撮影に入る。だからここに紹介される全訳シナリオと、我々が見る完成映画との間には若干の異同があるが、シナリオライターのイメージと監督のイメージの違い、画面処理の実際等を対比して研究できるので興味深いと思う。この映画の場合、監督のチュフライがシナリオにも参加しているので、完成映画との本質的な差はない。アリョーシャが将軍に呼ばれる場面、帰郷する最初の自動車のエピソード、一度汽車に乗り遅れて車を探しに行くエピソード、頼まれた石鹸を届ける場面、ウクライナからの避難民との車中の会話、その直後の爆撃の描写などがカットされたり、大幅に切り詰められている反面、アリョーシャが車中で自分の手柄を話す部分などは撮影の時に追加されたようである。ソビエト映画最近の秀作を充分文章だけでも味わえる名シナリオだが、外国のシナリオ作法を原文に即して経験できる貴重なチャンスとしても活用して頂きたいと思う。」。即ち、これはロシアで言うところの、「キノポーベェスチ」という撮影前段階の小説のようなシナリオなのだ。
実を言うと、僕は9年ほど前の丁度今時、前から所持していた劣悪にコピーされぼろぼろになった4段組のこれを書庫の奥から発見、ワープロで二日徹夜してタイプ、キャスト及びスタッフ等のデータ追加をしたものを個人の慰みとして作ってある。これは、著作権上、公開出来ないが、その内容は、この映画がお好きな方にはこたえられないものである。関心がおありになり、雑誌入手困難な方は、ご連絡あれ。いつでも無料で差し上げる(【2011年2月追記】今までに既に3名の方にお分けしています。気軽に申し出て下さいね。遠慮なく、どうぞ! 「誓いの休暇」のタワーリチ(同志)なのですから!)。
ロシアの映画サイトで、主役のウラジミール・イワショフは既に1996年、56歳で亡くなっていることを知った。彼の少年の笑顔と「プリスティーチ、ママ」の台詞は永遠だ。悼、アリョーシャ!
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