忘れ得ぬ人々 4 瑞西編
昼前に、無事、帰国した。
今回の最大の悩み、ロボコップ右腕であるが、まず金属探知機は3勝1敗であった。
成田:裸で見せて「鳴ると思います」と言い、係員の若い女性が「そーですね」としっかりびっくり台詞を伸ばした。が。鳴らない。背後で、その女性の方がびっくりして、ガードマンに「あれで鳴らないのは日本の安全性は問題だ」と言っているが聞こえてしまった。お嬢さん、ややデリカシーに欠けていますよ、気持ちは僕も同じでしたがね。1勝。
行きのローマ:鳴る。ターミネーターよろしく腕を剥ぐが、若い女性は腕はちらっと見て完全に引き、ドーナツ状の探知機さえかけない。鳴ったのは、なんとアリタリア機内のトイレのウエット・ティッシュの空袋(アルミ箔)であった。それを取ってもう一度、通ったら、今度は鳴らない。結果、2勝。
スイス:鳴らない。三角巾ははずしていたが、隠していたスカーフを取って見せようとしても、見もしないので、全くの期待はずれ。そのかわり、ザックにチェックが入る。引っかかったのは、なんと唯一の「医療」工具の小型スパナであった。アジア系の女性職員にスカーフをちらと上げて、手に食い込んでいるボルトとナットを見せると、恐縮して急いで中身を戻してくれた。3勝。
帰りのミラノ:ほとんどの人が鳴っている機械に当たる。勿論、鳴る。百戦錬磨風のいかつい顔した腹の出たおじさんは「もう一度」と言ったが、その場で例の口上を述べて開陳したところ、スカーフをつまみあげながら、手を裏返させて、急に気の毒そうな同情の表情で、スカーフを腕にぱらりと落とし、Go と言った。精密検査はせずに。1敗(だが、他の人がバンド取ったり時計取ったりして長い時間かかっているのを見ると、結果は、1引き分けという感じだな)。
閑話休題。やはり今回の「忘れ得ぬ人々」は遠位端骨折がらみが多い。ともかく、この骨折のお蔭で、人々は一人残らず、親切であった。
初日のアリタリア航空で、搭乗後すぐアテンダント・パーサーを呼び、腕を見せて、万一、この奇体な腕を見て騒ぐ人がいたら、医療器具であると説明してもらいたいと言った。すぐにイタリアのやや若めの「おかあさん風」チーフパーサーがやってきて、僕の腕を痛々しく見つめて、「パーサーみんなに説明をするから大丈夫よ。それより、あなたはそんなことを心配してはいけません。安心して旅しなさい。機長にも揺らさないように、飛べと注意しておきますから。」。それから12時間、彼女はことあるごとに「腕は大丈夫?」と聞いてくれた(その都度、僕が好きと知って赤ワインも忘れずに持ってきてくれる念の入りであった)。これはもう、やはり忘れ得ぬイタリアのおばさまである。
2日目、シャモニー。モンブランの威容をエギーユ・ドゥ・ミディ展望台から見て、ロープウェイで降りて、その駅前で一服していると、イタリアの4歳ぐらいの少年が、ベンチの僕の周りをくるくる回って、微笑んでくる。しかし、お目当ては、僕の赤いスカーフの右腕らしい。まるで闘牛の牛のように惹かれてくるわけだ。お父さんは怪我と分かっているらしく、坊やを連れてゆこうとするのだが、頑として僕の側から動かない。腕を見せたらホラーになっちゃうから、ひたすら百面相をして遊ぶ。父親は仕方なくジェラートを買って、やっとチャオした。骨折が、この旅行で唯一迷惑をかけたとすれば、あの父親だったかもしれない。しかし、忘れ得ぬ人は「青い目の少年」であった。「父親」ではなかった。
3日目、ゴルナグラード展望台からマッターホルンを眺望、ローテンボーデンからリッフェルベルグを経て、リッフェルアルプまでトレッキングするも、足の悪い妻は途中で歩くのはイヤだ、下まで転げ落ちるとまで言った。今回はまさに杖突く女と右手の萎えた傷病兵コンビであった。それでも通常の1.5倍のコースタイムでホテル・パビョンのテラスバーまで到着、うまい白ワインを飲む。
ちなみに、このホテルの前にある花壇は覚えておくとよい。そこまで、くまなく探して、遂に見つからなかった(季節的には限界だが)エーデルワイスが、ここに沢山植えられている。感動。自生種は実際、ほとんどなくなっているそうだから。
そうして、トラム沿いにリッフェルアルプ駅へ。バカンスのフランス人老夫婦がテリア系の雌犬を連れて待っていた。犬好きの僕がしゃがむと彼女が、飛びついてきて、僕の唇を中心に、顔をなめまくることなめまくること。それを見ていたご夫君が、微笑みながら英語で「ア・ラヴ・ストーリー!」と言った。う~ん、フランス人って、美事だな! さりげなく言えるところが、いいよな~! ここは、犬とその老夫君を忘れ得ぬ。
その夜。ツェルマットで、チーズフォンデュを食べる。宿で紹介された、駅の直ぐ近くのお店。ポルチーニ入りのそれは僕には大層、美味だった。店主は長野オリンピックのカービングの金メダリストで、金メダルも見せてもらった。店を出るとき、僕の右腕を指差し、どうしたと聞いてきたので、ベリっと剥ぐと、額に手をやってヒューと言うと、途方にくれた。暗くなるのは嫌だから、「この折れた腕に、君のパワーをくれ!」と言ったら、「必ず元に戻る! 頑張れ!」と叫んで、(勿論)左手で力強く握手してくれた。数少ない、大人の男性の忘れ得ぬ人。非力権現の僕には珍しいマッチョな男性の記憶であった。
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