バッタと鈴虫 川端康成
不二夫少年よ! 君が青年の日を迎えた時にも、女に「バッタだよ。」と言って鈴虫を与え女が「あら!」と喜ぶのを見て会心の笑みを洩らし給え。そして又「鈴虫だよ。」と言ってバッタを与え女が「あら!」と悲しむのを見て会心の笑みを洩らし給え。
更に又、君が一人ほかの子供と離れた叢で虫を捜していた智慧を以てしても、そうそう鈴虫はいるもんじゃない。君もまたバッタのような女を捕えて鈴虫だと思い込んでいることになるのであろう。
そうして最後に、君の心が曇り傷ついたために真の鈴虫までがバッタに見え、バッタのみが世に充ち満ちているように思われる日が来るならば、その時こそは、今宵君の美しい提燈の緑の灯が少女の胸に描いた光の戯れを、君自身思い出すすべを持っていないことを私は残念に思うであろう。
(川端康成「バッタと鈴虫」終章)
*
窓外の虫声を聴きながら、ふと思い出した。手元に原本が見当たらないので、授業用のテクストから抜粋した(従って、表記は正しいとは思われない)。
思い出してもらえたであろうか、懐かしいね。それにしても、この修辞技巧上は悪文である最後の長い一文、しかしなんと哀感に満ち美事なことだろう。
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