芥川龍之介「沼」
同じく、青空文庫作業中リストを見ていたら、なんと僕にとって大事な作品がもう一つあった。大急ぎで、タイプし、「やぶちゃんの電子テクスト集:小説篇」のここに入れた。
これは比較的知られている「尾生の信」と混同しやすい、というよりその未定稿に手を加えたものであろう。永く、僕は、尾生のラストシーンを「沼」と勘違いしていた。
この「沼」は「大正九(一九二〇)年四月一日発行の『改造』に「小品二種」の総題を付し、日比谷公園に寒山拾得を見る、現在、「東洋の秋」で知られる作品と共に掲載された。一方、「尾生の信」は同年一月一日の『中央文學』の掲載である。同年三月二十七日付薄田淳介宛書簡に「素戔嗚尊の戀愛が書けないで殆閉口してゐますその爲雜誌の小說も書けず旧稿や未定稿で御免を蒙つた始末です」とある。
どっちがいいか。小説的面白さは尾生に挙がるだろうが、夢幻的映像美、その言辞の変奏の妙味、散文詩として僕はこちらが好きだ。
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