見鬼
授業開始。やりたいだけのレベルの下限までは、やれそうな気がした。但し、腕はただ今、大いに腫脹、ボンレスハム状態。
誠に、生徒にはボードレールもホイットマンもいて、僕を美しく茶化し、また素朴に心配する。まさに愛すべき稀有の詩人である。反して同僚たる大人どもは、鼻持ちならない陳腐な説教主か、同情を気取った似非慈善家か、さもなくば、早々に僕を意識から排除した見事な打算者ばかり、単純明快単調無味短絡非情な凡百の散文作家である。そうして、後者が生き延び、前者は直に後者に駆逐されるのであろう。世に詩人は早世する所以だ。否、それが大人になるという成語なのだ。腕が鬼になると、真実がよく見える。志怪小説で言う「見鬼」とは、これであったか。
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